1 :
考える名無しさん:
写真とは何か?
面白い知的な考察を。
写真論 in 哲学板!
2 :
考える名無しさん:03/04/02 23:33
とりあえず,バルトの言葉を書きます。
私が現に見ているものは,思い出でも想像物でも再構成されたものでもない。
それは過去の状態になった現実である。
ある物理学者の言うことには
時間軸などというものは存在しない
過去などというものは記憶に過ぎない
だとしたら
写真は記憶の記憶であるということだろう。
僕の肛門がプンクトゥム
写真と記号の一種である。本質的に言語と同じである。理由はまだない。
かといって、いい加減に考えたわけではない。
つまり、こうだ。
私は言語を機能的に定義する立場なのだ。
言語の機能を考えてみるに、それは意思疎通の手段として、
認識の対象を別の認識対象に置き換え、発信者と受信者それぞれの
経験というフィルターを通して、共通の理解を得る点に求められる。
写真はこの点において、言語と変わるところはない。より現実を「克明に」表現する言語、記号の一種ななのだ。
・・・ってのはどうよ?
例えば現実にあらざる世界を映像でつくる。それをプリントする。コレも写真だ。
写真は表現なのだ。現実をうつしだすというよりも、むしろ現実に近い記号と捉えるのが
世間的常識となるべきだと思う。これは、新聞の写真とかを考える際にも
意義のある視点だと思う。
・・・調子出てきたか?
写真は多くの人に見せられる。そこにうつしだされているものが、林檎であった場合、
林檎を知っているものなら、そこから林檎という認識を得るだろう。
写真は世界共通単語である。
・・・いまいちか・・・
9 :
考える名無しさん:03/04/03 00:07
6 感覚的にはわかるよ。
写真は記号の一種だとして,
その種別では家族写真,報道写真,スクープ写真,
単なる風景写真,ポートレート,・・・となるわけだけど,
完全に言語とは離れたところにある,という方が正しいのではないか?
けれど,そう言いたくなるのもわからないではないんだけど,
違うのではないか?
それと,写真,はまず,眺めて,一瞬で見て終わる情報認識に速さ,
に関しては,言えることがあると思う。
写真は半永久的に残るが,現実は絶えず流動的で,とどめおいたことは
人間の感情における「懐かしい」に該当する。
写真はデジタル社会において,転送可能性を秘め,やがては
多くの人に見てもらうのを前提とするのではないか?など,
示唆出来ることはあるんだけど,写真を論じること,これは
写真をむりやりクロ―ズアップすることにもなるわけで。
個々論的にはアップして,それで論じてみるのでもいいではないか。
写真家,という方にも,登場願いたいところだ。アマでも,いいのだけど。
どうだろうか?
記号には形式化可能なそれとそうでないそれとがあり、すでに標識は形式化されないそれなのだが
全ての写真が標識のようなものだという立場になる。
写真と思っているものは、紙のインクの化学的性質の違いにより
吸収する光がちがうことで出来る差だったり、やスクリーンに映っている光だったりするが
それに意味づけする作業があるから、写真は写真足りえるわけだ。
ここで起きている現象は、本のインクと全く同じである。
写真は光と人間の協同作業の結果である。
11 :
考える名無しさん:03/04/03 00:14
なぜ、写真には普段見えてないものが
時々写るの?
12 :
考える名無しさん:03/04/03 00:15
7 写真の構成主義的なものの称揚?
13 :
考える名無しさん:03/04/03 00:17
過去となった現実そのものとしての写真。
バルトの路線でゆくと,写真は現実そのもの。
>>9 どうだろね。完全に言語と切り離すのは実は無理って言うスタイルのほうが
哲学的に面白い方向性だと思うけど。あくまで新しい視点を出してみようってのが
肝だからねー
一瞬で見て終わるって言うなら、記号は全てそういうモノだと思う。
りんごを一瞬で理解できないとも思えないし
CDって言った時に、それの意味するところを一覧するという意味では
記号の方が優れていると思う。というか、記憶に依存しているのではないだろうか?
よくわからない写真ってのもありますよね。何が映っているのかわからないとか。
写真も記号も、ある事柄を示すとしながら虚偽でありうる点でも共通しているし。
懐かしさは、記号や写真によってもたらされる結果だと思うから
それでもって両者を分かつのは無理だと思う
15 :
考える名無しさん:03/04/03 00:20
絶えずあったものとして繰り返されるのが映像。断片的なものが写真。
テクノロジーで,記録出来るようになった。
カメラ。ビデオカメラ。
写真は真実の鏡
絵画は虚偽の鏡
転送可能性も同じだと思うなー
メールで記号を送れるしね。
写真一つで飢餓の苦しさを訴えて、改善を呼びかける効果とかありますよね
そこに映ってるのは、やせた子供が残飯を食べているなんだけど。
そうすると、音楽や絵画もそうなってくるね。
ちょっと話題が広くなりすぎて収拾つかなくなっちゃうかな・・・?
でも構成的な理解の話だから、そんなことはないと個人的には思うね。
>>16 それははっきり間違ってると思うよ。20世紀最大の嘘と呼ばれた写真を知らないの?
また、ゲルニカは、写真以上に真実を映し出しているよね。
丁寧なレスありがとう。
とりあえず,写真を見た時,人間って硬直しながらも,
(これって写真の性質だと思う。見た時の)懐かしくなる
ということに一般はなると思うんだけど,それが写真,から,
来る,となるわけ。んで,肝だからねー(重要)ってところは
確かにその気持ちはわかるんだけど,どうか?ってところでしょ。
言語的に理解する,といった鑑賞の可能性,といったことかなぁ。
現実的には。確かに気持ちはわかる。でも難しいんじゃない?
とにかく,写真はまず,見たまんまという解釈をやめることから
生産的なテキスト,イマジネ―ションのための様式となるのでは
ないか?そこかな。
21 :
考える名無しさん:03/04/03 00:31
19 そうだね。
20での生産的なテキスト,イマジネーションのための様式
となるのではないか?は分類でいけば「芸術写真」になります。
> 言語的に理解する,といった鑑賞の可能性,といったことかなぁ。
> 現実的には。確かに気持ちはわかる。でも難しいんじゃない?
その難しさは、6の言語の定義であらかじめ回避してあるんだよ(笑
9さんがいう、イマジネーションのための様式ってのが、
そのまま6の言語の定義に該当するんだよね。
僕のは意思疎通という意味が加わっているし、
>>10みたいな理解も踏まえたうえでの
カテゴリー化なんだけど。
まあ、常識的には鑑賞の可能性ってことになるよね。
写真を記号だって言う見方自体を記号が記号だと思われているほどに
共通の認識とできるかっていうと、それは無理な感じがするもんね。
でも、それは9サンがいうような意味での難しさではないとも思うよ。
23 6は共通の一種ね。
ただ,そこで一致していても,僕はどうかなって思う。
これはこれぐらいにして,まぁその常識的な鑑賞の可能性
なんだけど,写真の政治性だとか,編集可能な部分であるとか,
どうなんだろうね。
25 :
考える名無しさん:03/04/03 00:40
肖像って権力なのかしら?
26 :
考える名無しさん:03/04/03 00:42
映画との兼ね合いも話し合うべし。
19がなんでそうなのか・・といえば、そこに感情や憤りが投影されているからだよね。
資料的な要素が、記号化される際に捨象されているんだ。
そして、その捨象された視点ってのは(ゲルニカの風景があれば、その)
写真をとって生きている者の視点なんだよね。
人々が徹底的にめちゃくちゃに描かれることによって、そこに視線を向けずには
いられなくなる。
あの、テレビなんか見ているときに、カメラ回ってるんだよな、このとき・・・
というシラケ感がないんだよね。本当は、ピカソがアトリエで書いたんだけど、
ピカソの意図が本当によく反映されているものだから、
それを見てしまわざるを得ないんだよね。これは記号や論理にはない力だと思う。
絵を描く者が、写真をとられる者の思いを記号としてあのように表しえたから
あそこに、僕らは真実(性)を見るわけだ。
写真も、そのような視点の違いを記号や、他の写真や、僕らの想像力によって
補完できるなら、それは何がしかの真実を表すことになるだろうね。
もちろん、記号も組織化するなら、それは27のような力を持ちうるだろうね。
もっとも、それは意識されていないから力を持つという残念な面の方が大きいんだけどね。
>>24 どうかなどうかなしか言ってないような気がするんだけどな・・まあいいとして。
写真の政治性は、やっぱり断片的な表現に真実性を持たせやすいってところにあるんじゃないかな?
百聞は一見に如かずっていうやつね。本当は百聞も一見も、実際に何を聞いたか、見たかを
問題にしなければあてになるかどうかを言えないんだけど、一般にこの点に予断があるからね。
編集可能な部分に関しては、専門家の登場を乞う。
僕的には肖像って権力を持っちゃってて,
それが政治的に機能する。それがマスメディアにおける「写真」ではないか?
と思う。
どうかなどうかなしか言ってないような気がするんだけどな・・ まぁまぁ。
29,君は僕の友達だ。写真ってなんだろうね。
写真は見ると,そこに写っている姿,形,及び,風景を読み込む。
それは視覚情報として,とらえられる。視覚芸術であることは,
確かだ。
写真とは僕の説でゆくと,(自説ってやつね。)
風景ー抽象作用ー人となる。
まず,風景として撮影者である僕は写真を撮る。
その時,人が入っていたりすると,抽象的な作用が
撮影者である僕自身に及ぶ。
それで,風景ー人―抽象作用ということにもなるわけだけど,
撮影者である僕は風景ー抽象作用ー人ととらえたい,わけ。
どうかな?
34 :
考える名無しさん:03/04/03 09:49
プルーストによれば写真を撮ること集める事は
他者を所有する欲求でもあるわけで。
35 :
考える名無しさん:03/04/03 11:08
>>34 一瞬なるほどな、と思うがしかしプルーストのその言は当たってるかなあ?
カキコしてる人らは自身で写真撮るのかしら?
たとえばセルフポートレートばっか撮ってる写真家なんかもいるしなあ。
写真をやる自分の経験から感じるだけど、撮る行為と撮られた作品との連関・関係性って、写真は絵画などのアートと比べて異なるかな。
写真の面白いところは、意志のないキカイが撮るっていう、なんていうか創作上のトリックみたいなものがあるわけで。
まあでも、偶然性を重んじる作家もいれば緻密に計算しキカイを100%コントロールし切って撮るスタイルの作家もいるわけで。
ま、絵画とは明らかに違う面白さがあるのは事実かな。
>>1 ズームとかピントってのは、人間の物事を見るときによく使う。
ズームアウトしすぎて宇宙レベルで物を言えば、ハズレはしないが具体性に欠ける。
ズームインしすぎると、問題の周期を見逃す。
同じ物を見てもピントハズレだと相手にうまく伝わらない。
露出も、ネガティブかアクティブかという風に。
っていうかネガティブの反対はアクティブだっけ?
逝って来ます。
37 :
考える名無しさん:03/04/03 13:44
ネガティブ←→ボジティブ ポジティブだよ。
すまん。
39 :
考える名無しさん:03/04/03 13:48
もとい,ネガティブ←→ポジティブだね。ボじゃなくて,「ポ」ね。訂正。
40 :
考える名無しさん:03/04/03 14:00
写真をやる自分の経験から感じるだけど、撮る行為と撮られた作品との連関・関係性って、写真は絵画などのアートと比べて異なるかな。
写真の面白いところは、意志のないキカイが撮るっていう、なんていうか創作上のトリックみたいなものがあるわけで。
まあでも、偶然性を重んじる作家もいれば緻密に計算しキカイを100%コントロールし切って撮るスタイルの作家もいるわけで。
ま、絵画とは明らかに違う面白さがあるのは事実かな。>貴重な意見をありがとう。
写真は得てして政治てきである謎^^
42 :
考える名無しさん:03/04/03 23:48
写真って,誰もが撮れるものだ。
今日,写真を撮っている人(家族写真)を見て思った。
写真は誰でも撮れる。安易な言い方かも知れないが
蜷川実花も言ってるようなことだ。
43 :
考える名無しさん:03/04/04 00:00
>>42 写真好きの連中に「何でそんなに写真がすきなんだ?」ときくと、
たいていの場合「表現活動としてこの手段を選んだ」的な答えが
帰ってくる。
で、「じゃあ何で手段として写真を選んだのか?」という事をきくと、
答えはさまざまなのだが、私的に多いと思うのが「楽だから」だ。
44 :
42 考える名無しさん:03/04/04 00:22
楽だから,写真に導入される。
楽に表現活動出来る。
しかも写真はおしゃれだし,残るし,といった具合か。
写真は実際,それぐらい誰にでも開かれている。
43が写真好きの連中に,「何でそんなに写真が好きなんだ?」
と聞くと,「表現活動としてこの手段を選んだ」的な答え。
「じゃあ何故写真か?」問えば,43的には「楽だから」
が多い,と。しかし,写真家 蜷川実花は,個性を出す,
といったことを言っていた。写真は個性で勝負する。
蜷川さんの写真は色彩が凄い。
ここなんだなぁ。暗裡にコンセプチュアルだし。
写真は誰でも撮れるし,出来た写真は面白い。
女子高生も写真を撮ったりする。
写真家のヒロミックスはコンパクトカメラで自分の姿や
愛するものたちを撮って,評価された,ということ。
女子高生はプリクラとかだろうが,それも写真文化ではないか?
女の子写真,といったものだろうか?写真にはおしゃれなイメージ
もつく。
45 :
42 考える名無しさん:03/04/04 00:29
ヒロミックスの写真は村上 隆がやった「スーパーフラット展」
や,書店のヒロミックスの写真集を見た程度だが,多分に
「女子高生」ということが,当時は個性,衝撃だったと思う。
というかヒロミックスという写真家の記号的なものになっている。
46 :
42 考える名無しさん:03/04/04 00:30
と,思われる。
47 :
考える名無しさん:03/04/04 00:35
>>44 おれは43だ。
写真に対してどのようなものを求めるかで、
その活動スタンスが決まるのが一般的だろう。
例えば、何かの記念として写真を撮るのと、
芸術的な何かを表現するために撮るのとでは、
違うスタンスになるのは想像に難くない。
その道のプロ(この場合は写真家)がプロたるゆえんは、
新しいスタンスの提出と、既存のスタンス内での高い技術だろう。
素朴な疑問なのだが、
写真ってやつはそんなに個性が現れるものなのか?
たまにどこかで誰かの写真展をやっているが、
素人目からみれば、何が作家によって違うのかわからない。
50 :
吾輩は名無しである:03/04/04 01:03
撮影者による唯一の差異は 構図 と愚考する
いや,まぁ構図,だね。構成,というか。
53 :
考える名無しさん:03/04/04 01:10
某写真家って,フォトグラファー,写真家の人ですか?
某写真屋って,フォトグラファー,写真家の人ですか?
55 :
考える名無しさん:03/04/04 01:13
まぁともかく,写真家って哲板に来る,ということは事実だね。
56 :
考える名無しさん:03/04/04 01:15
私が現に見ているものは,思い出でも想像物でも再構成されたものでもない。
それは過去の状態になった現実である。
ロラン・バルト
たまに個展やっても、代わり映えのしないヘボの一人だよ
58 :
考える名無しさん:03/04/04 01:18
写真家の方,いらしていたらもちろん名無しでいいので,読んでいる
哲学書とかあげていただけます。哲板の住人の参考になると思いますので。
59 :
考える名無しさん:03/04/04 01:19
とりあえず,57をあげさせていただきます。
60 :
吾輩は名無しである:03/04/04 01:20
デリダが昔、写真論を出してなかった?
61 :
考える名無しさん:03/04/04 01:22
個展って費用凄いんですか?それとも抑えさえられる?
あとあと,57はどういう方向性で撮ってるの?
ポートレート?風景/山岳写真とか。どんなのかな?
映画の分析をしている本なら知っているが、
読んだことはない。
てかポスト構造主義ってなんじゃらほい。
悪い。哲学書は読んでない。よく覗くのは物理板。
64 :
考える名無しさん:03/04/04 01:24
>>60 そうなん?で,どんな?検索かけてみる?
66 :
考える名無しさん:03/04/04 01:26
>> 63 そうなんだ。
哲学書を読んで霊感を得て,
そこから写真,という方向へは?
どうだろう?
>>65 個人的に昔、おねいさんがブラジャーをつける瞬間を撮った写真で
萌えたことがある。瞬間を切り取るってすばらしいのかも。
68 :
考える名無しさん:03/04/04 01:28
女性ね。王道,という気もする(w)なんつて。
69 :
写真における萌えとはなにか?:03/04/04 01:29
写真における萌えとはなにか?
70 :
吾輩は名無しである:03/04/04 01:29
71 :
考える名無しさん:03/04/04 01:32
視線の権利,なんて,女性に対する男性のまなざしの権利を
主張するやつですか?サルトリアンの僕には,目覚ましい。
72 :
考える名無しさん:03/04/04 01:34
70へ。
本当だ。本当にある。
73 :
考える名無しさん:03/04/04 01:38
写真は,おそらく,その情念さえも掬い撮る,といった
念写が,技術的なものプラス,あって,それがひきつける,
と,いうことではないか?
もし,その仮説が正しいなら,写真家は情念的でもあっていいわけだ。
(藤原紀香+飯田圭織)/2 なコ撮った
モデルのギャラとかロケ代とかスタジオ使用料とか、もろもろで、車1台
走ったね。
75 :
考える名無しさん:03/04/04 01:41
まじ?藤原紀香凄すぎ。飯田圭織,モー娘。
凄いね。某写真屋さん。
藤原紀香は凄いよ。
モデルのギャラ,ロケ代,スタジオ使用料。
あなた,それなら十分信頼されてるじゃないですか?
社会的に。
情念を掬い撮る念写ってなんだよ(藁
77 :
考える名無しさん:03/04/04 01:43
藤原紀香を撮る時はどんなことを気を使うの?
78 :
考える名無しさん:03/04/04 01:44
被写体の情念を掬い取る。掬い撮る。相乗効果。
79 :
考える名無しさん:03/04/04 01:47
念写。写真におけるアウラだよ。簡単に言えば。
80 :
考える名無しさん:03/04/04 01:50
掬い撮る,といった,といった,となっているよね。
そういった念写が,ということだよ。
81 :
考える名無しさん:03/04/04 01:50
アウラ?ごめんなさい、知らないです。
結局、表現するために使われる媒体ってやつは、
それを通じて情報(情念?)の再構築を行いやすい物なのかね。
戦争写真なんかでピューリッツァー賞とったやつ見ると、
確かに苦しい気分になるからな。
82 :
考える名無しさん:03/04/04 01:51
某写真屋さん,車一台走ったって,撮影機材?
83 :
吾輩は名無しである:03/04/04 01:53
>>81 鑑賞者の記憶にある情動を惹起させ、作品に投影する行為かな?
>>75 何か勘違いされちゃった?
基本的にシロウトのコだからね。写真集なんかにしても十分イケるレベル
だったけど、オリジナルプリントとリプリントブックの範囲内ということ
で、殆ど持ち出しになっちゃった。
俺も受注撮影意外でスポンサーが憑くような大物じゃないからね。
85 :
考える名無しさん:03/04/04 01:53
ロラン・バルトにこんなのなかったっけ
人が人生の内で最も多く見る写真は家族の写真だ
86 :
吾輩は名無しである:03/04/04 01:55
なんだ。でも,そうなったら感激だよね。某写真屋さん。
藤原紀香とかだよ。いいよね。
88 :
考える名無しさん:03/04/04 01:57
85へ。
あったかもしれない。
89 :
考える名無しさん:03/04/04 02:00
写真ってやっぱり,撮影機材はもちろんのこと,
天候,とかも,あるよね。天候,良くないと,
いい写真撮れないとか。あると思うんだよね。
で,モデルさん,とかも,やっぱりあるだろうね。
ロケーション。これも大事。だよね。
90 :
考える名無しさん:03/04/04 02:01
哲板に来ている女性の方,よろしかったら被写体の心理,
というのをご講義してもらえないでしょうか?モデル心理。
91 :
考える名無しさん:03/04/04 02:05
あとあと,撮影する側は場面を拘束して平面にして,
保存したりする。それが写真である。
92 :
考える名無しさん:03/04/04 02:07
おれって、アルバムとか残さない派なんだけど・・
でも、生活にはこまらなーい
93 :
考える名無しさん:03/04/04 02:16
>>87 純国産で、172、93(F)、60、90でしたから、紹介してもらったエージェン
シーの人も、前代未聞だと言っていた。あっ、はっきり言って、斜め顔な
んか紀香サンに勝ってるよ。これこそまさに証拠写真が山ほどある訳だが。
>>86 マジ分に関しては秘密。
で、しゃくだけど、アラーキはよくやるよと思う。俺にも2、3千万回して
くれたら、ぶっ飛ぶようなのとって見せる自信はあるが。
94 :
考える名無しさん:03/04/04 02:19
ものすごく関係ないことだが、
ゼロックスコピー機や、一昔まえに導入された
印刷機のオフセット印刷とか・・
けっこう、言語世界と写真(印刷)世界は切りはなせない
気もする
95 :
吾輩は名無しである:03/04/04 02:24
オリジナルPとの距離は各段に縮まってるしね
漏れ的には、アラーキーです
この人の陽子夫人の撮り方は逝ってますから
96 :
考える名無しさん:03/04/04 02:29
写真が記号だと解釈するなら、
写真全体は記号の集合論ということになるんだろうか
97 :
考える名無しさん:03/04/04 02:33
むしろ一つの物語みたいなものだったりして。
ただ、写真は文字と違っていろいろなものを
そこに投影できそうだから、人によって解釈が
かなーり違ったりもするだろうね。
98 :
吾輩は名無しである:03/04/04 02:34
>>96 撮影時の光の粒子の空間配列を二次元的に再構成したもの
それを再度、知覚で認識する行為
記号論って良くワカンナイが・・・
99 :
考える名無しさん:03/04/04 02:39
>>95 その点を否定するつもりはない。
が、だからといって世のすべてにいちいち全部逝っていたのでは身が持たん。
逝ったように撮って見せることもできないとならぬわけなのだが。
100 :
考える名無しさん:03/04/04 02:41
21世紀の哲学のテーマは
さしすめ、現象論のコピーがテーマになりそうか
101 :
考える名無しさん:03/04/04 02:49
写真に関係あるかどうかは知らないが、
最近のテレビ番組はテロップが多い。
特にジャニーズ系のやつ。
あれって、結局面白いところをそれと
分かるように誘導しているんだよね?
実際テロップ無しで同じものを見ても、
同じように面白いのだろうか。
102 :
考える名無しさん:03/04/04 02:49
見た写真に関しては,だいたい一様に解釈される,としてもいいように
思われる。写真はそういった「記号」である。
103 :
考える名無しさん:03/04/04 02:52
アウラについてだけど,語源はベンヤミンなんだけど,
僕は東 浩紀から知った。ウェブサイト見てだね。
オーラ,と同じ。わかるよね。なんか,こう,漂っている
っていう。
ベンヤミンは読んでないんだね。
でも,本を読んでると,
ベンヤミン出て来たりして。
それぐらいだね。
105 :
考える名無しさん:03/04/04 02:56
写真って女の子が写っている写真は価値あり。
捨象してない?
異性が写ってる写真だけ価値がある,としていない?
他の写真があったとしても。
106 :
考える名無しさん:03/04/04 02:58
101,
確かに,テロップは誘導なんだろうね。
なかったらそうでもないかもね。
ちょっと退屈,とかに,なるのかな。
107 :
考える名無しさん:03/04/04 03:10
果たして写真は一様に理解されるものなのだろうか?
確かに写真が映し出したそれは、それと分かるだろう。
(例えば富士山を写した写真を見て、これは富士山だと判断することね)
でも、そこから汲み取れるものは一様でしょうか?
意味と意義の差といってもいいかもしれない。
「おねいさんが男装をしている様子(意義)。」
を写した写真を見て、
「これはジェンダーを表現している(意味)。」
といっても別に間違いではないでしょ?
108 :
考える名無しさん:03/04/04 03:27
107,
確かにそういった位相はあるにしても,意義,としては「記号」
なわけで,一様,といってしまえる。でしょ?
そこから多様な意味を汲み取る。
しかし,構造的規定,男装なら,男装,という記号の状態のままだね。
そこからしか意味を汲み取れない。ではないかな。
まぁそんなとこかな。
難しいことは哲学屋さんにお任せしましょう。
生物学的?に美しいのだから仕方がない。俺は撮る。
とは言っても、理屈も嫌いな方じゃない。昔は物理やってたし。
お休み・・・
110 :
考える名無しさん:03/04/04 03:44
私は写真いついてそんなに感慨があるわけじゃないが、
写真がもしも表現活動の媒体として扱われているのならば、
意義から意味への変換は大変な重要性を持つとおもう。
だって、そうじゃなかったら写真はただの像でしかないじゃない。
記号は記号でも、そこにより多くの意味を見出せる事が、
表現活動の媒体としての写真なんじゃないのでしょうか?
111 :
考える名無しさん:03/04/04 08:48
こっちを見つめている顔の写真って、その写真をどの方向から見てもこちらを
見つめているように見えるよね。
112 :
考える名無しさん:03/04/04 15:35
113 :
考える名無しさん:03/04/04 15:44
記号の集合論だとすると、構造主義的分析で説明できるのでは?
記号抽象で事足りるなら、意味としての写真はすでに撮り尽くされている
だろう。何を今さら新たに撮り足す必要がある?
別件
116 :
考える名無しさん:03/04/04 17:00
そういえば、ハリウッドで
映画「ストーカー」 ってのがありますね。
ある日、なんでもない写真屋のおやじが、もし
あなたのプライベートを集めていたら・・・
117 :
考える名無しさん:03/04/04 17:24
118 :
考える名無しさん:03/04/04 17:46
119 :
考える名無しさん:03/04/06 02:08
写真って,一体?
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
122 :
実存主義者:03/05/06 11:20
同一性の世界が写真である。
僕は前川 修さんの文章を読んでいて思った。
同一性の世界が写真である。
写真的シミュラークル,というものはあるだろうが,
写真は現実を写したものであり,
同一性の世界のものが写真である,からして,
シミュラークルとは区別されるものだ,と。写真は。
そのように考えた。
123 :
実存主義者:03/05/06 11:22
124 :
考える名無しさん:03/05/06 11:28
フォトショップで加工できるからなあ。
アイコラへの欲望の加工と、絶望に語って欲しい。
125 :
考える名無しさん:03/05/06 20:15
木村伊兵衛がいいなー
126 :
bloom:03/05/06 20:17
127 :
考える名無しさん:03/05/06 20:53
どーでもよろし。
いやら美しいオネイサンの写真、撮るべし。
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
130 :
考える名無しさん:03/06/08 21:02
131 :
考える名無しさん:03/06/09 12:32
えと、家電の中にカメラという板があります。
そちらに今度、【人間を撮る】というスレッドを立てて、
写真論めいたものを平行してスレを伸ばしたいと思っています。
主題になるのは、瞬間の固定といったあたりです。
背景にしていこうと思うのは、高度情報化社会といわれる我々の
現代社会。
そもそも情報とは「万物流転する現実からある一部分を取り出し
固定したもの」だと考えます。情報化されたモノはすでに変化を
やめているから、その意味では生き物でなくなっています。
生き物ではないので、その「固定された瞬間=情報化されたモノ」
は、「永遠の存在」でもありますね。
瞬間と永遠が同義であるのはまぁ激しくガイシュツでしょうし、
写真論もあまたガイシュツでしょうけど、マターリやってみたいと、
そのように考え中です。
しかし、スレがたてらんないですね。ホスト規制が厳しくて。
ではまたのちほど。
>>27 ピカソの話が出てたりしたんで、それに続けて。
漏れは写真を趣味で撮っています。写真って何だろうとは
時々考えます。気に入ってる本は養老孟司。前は哲板にもスレ立ててた
ことあります。
キュービズム時代のピカソのあの絵ですが、養老さんの本に人間の脳が
備えている空間構成能力というものを意図的に消せるのがピカソで、
あのキュービズムの絵を描く最中は消していたんだと書いてあります。
空間構成の能力というのは、時間の再構成能力と同じようなものです。
マラソンランナーが、はるか向こうに見える折り返し地点の光景を見て
「まだ時間がかかる」と、空間認識から脳内で時間を再構成するような
ものです。
別なところで、ピカソは「平面の絵の中に、時間を書き込みたい」
という欲求を満たすために、あのような絵を開発したとありました。
確かに、目は正面だが、鼻は横から見た様子で描かれていたりします。
まぎれもなく、観察者が目と鼻とでは移動してしまっています。
通常、脳が壊れでもしない限り(病気でもない限り)空間認識能力
が邪魔をしてピカソみたいにはならないワケですが・・・。
人間の脳の中に、記号を読み解く法則が備わっていて、その
法則を通して何かメッセージが伝わるように写真を作成する
という方法も可能ですよね。一部無視すると斬新だし、無視しすぎる
と共通認識不能になって見向きもされなくなるのかも。
キュビズムのピカソって、そのへんギリギリなんでしょうか。
ではでは。
133 :
考える名無しさん:03/06/09 13:28
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
136 :
考える名無しさん:03/08/16 08:24
バルトの写真論が良い。
137 :
悩ましい人:03/09/07 21:03
138 :
考える名無しさん:03/09/07 21:08
「ロベール・ドアノー」の写真いいよ!
みこは芸術のヌードモデルをやってるよ。
理由は「自分の姿を残したかったから」
恥じらいなんてものを超えてその感情に従ったら、自然とそこに結びついたの。
楽しかったよ♪
140 :
厨房 ◆TDFFzP5Uj. :03/09/07 23:13
ほんとかよ!
・・・と釣られる厨房(ワラ
141 :
DQN ◆DQN.TxIIOE :03/09/07 23:21
俺はヌードモデルとやりたい
理由は「自分の子孫を残したいから」
恥じらいなんてものを超えてその感情に従いたい
自然とそこに結びつきたい
楽しみたい
(ワラ
みこは嘘つきさんじゃないもん、本当です〜(^_-)
143 :
考える名無しさん:
age