■■概念や品詞に共感覚があるんですが・・・■■

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1考える名無しさん
概念に立体的な(手触りのある)かたちを感じます。
考えを進めようとすると、「しかし」「たとえば」「あるいは」「もしも」といった副詞・接続詞の方向が、考えから次の考えに通じる「径路」としてあらわれます。
似たような感覚を持った方いらっしゃいますか?
おなじ感覚を持った人には今まで一人しか会ったことがない・・・・・・
2考える名無しさん:03/02/17 16:40
言葉は物質である、というのは文芸評論でよくみかける表現だよね。
一度深く考えて「径路」の奥のほうまでいけば何かわかるんじゃないの?
4考える名無しさん:03/02/17 16:45
例えばどんな概念にどんな共感覚をもつのか
例を挙げてみなさい。
5考える名無しさん:03/02/17 16:46
私なんて「女子高生」という字をみるだけで性器が反応するという
すさまじい共感覚の持ち主だが。
6考える名無しさん:03/02/17 16:46
夢で似たような感じになった気がするけどもう覚えてない。
71:03/02/17 16:48
>>3
子どものころ、冒険気分で行けるところまで行ってみようとしたことがありました。
だんだん怖くなってきて、なんだか味わったことのない感情にとらわれて、子ども心に「これはヤヴァイ」と・・・・

気がついたら母親に介抱されてました。
8考える名無しさん:03/02/17 16:52
概念と論理に身体的鼓動を感じるときがしばしばありますが。
95:03/02/17 16:52
私のは違うのかね。臭いも感じるのだが。
10考える名無しさん:03/02/17 16:53
径路って言い表し方がよくわかんない
11考える名無しさん:03/02/17 16:54
>>4
特定の概念と特定のかたちが一対一対応するのではなく、
たとえば「自由」について考えるとして、今考えようとする方向が有望だと
なんと言おうかな・・・・切り子面が多いと言うか、複雑なかたちになります。

手に負えないことは単純なかたちをしてます。
単純なときはひねくり回して傷と言うかほころびを探します。
12考える名無しさん:03/02/17 16:56
エヴァの見過ぎだろう。
>>9
似たようなものだろう
ただ方向がエロいというだけで
>>7
なんか俺もそんな気分を小学校の頃味わったことがあるよ
俺の場合は宇宙の始まりと時間は永遠に続いていくのかと考えた時にそうなった
母親には介抱されなかったけど
141:03/02/17 16:57
>>10
うーん、神経線維みたいのが伸びて、そこは通れる!って感じ。
15考える名無しさん:03/02/17 16:58
図形は浮かばんが脳の感覚は変わるぞ。
脳波実験で証明される自信がある。

ちなみにデリダをα波の哲学者と呼んだ椰子がいたよな・・・。
16考える名無しさん:03/02/17 16:59
Thought Formかね。
パッケージ化されてる思考が、グイングイン回る透明線路のどこに連結されて
どこまで進いってる、あとどれだけすると元ある位置に戻ってくる、OR、別回転の軌道に乗るかも、
とかは見えるよ・
171:03/02/17 17:01
>>5
それは共感覚というより、連想では・・・・・・・・・?
論理的な関係だし。
18考える名無しさん:03/02/17 17:02
片方の目を軽く押さえると写る像がずれてふたつになるけど
ひとつにしか触れない感じに似てる?
その発展形みたいな夢を見た事ある。
映る像が全方向に広がる感じ…
そんで本物に通じる道を探すの。
19考える名無しさん:03/02/17 17:04
>>5
条件反射じゃないのか?
201:03/02/17 17:04
>>16
その感じは近いかも。

子どものころは、わけもわからず動き回っていて、成長してからその径路が
「なるほど」「または」「けれども」「つまり」といった副詞・接続詞の機能だと気付いて
びっくりしたんです。
21考える名無しさん:03/02/17 17:06
「あるいは」にはあって「or」にはないのなら
当たり前の事だが記憶に関係した感覚だ。
225:03/02/17 17:08
>>19
女子高生の像が浮かぶわけじゃなく、言葉にそく反応するんだが。
23考える名無しさん:03/02/17 17:08
変だよ。
羨ましいぞ。
241:03/02/17 17:09
>>21
「あるいは」の感覚は「あるいは」という言葉を知る前からありました。
というか、「あるいは」を知ったときしっくり収まった、という感じでしょうか。
251:03/02/17 17:10
>>22
「嫁」という言葉と結婚できますね。
26考える名無しさん:03/02/17 17:14
>>22
パブロフの犬ですか?
27考える名無しさん:03/02/17 17:16
透明線路とパッケージ化された思考が、人の口から放たれる前からわかる。
その人が黙っていても、なんかやばいものを運んできてるなとか感じる。

ここまでくると、変人やオカルト扱いされるから、そんな気もする程度、ということにしときます。
普段、道を歩きながら、不意に止まって、変なのが通り過ぎるのを待ってから歩き出したりとかしています。
281:03/02/17 17:20
>>27
ちっちゃい子どもの心なら、思考がシールされてないというか考えを悟られることに無警戒なので、
だいぶ実体的に感じます。泣いている子を目線で泣き止ませるの得意。
29考える名無しさん:03/02/17 17:21
観念の世界を模型化できたら便利だなぁとか、ずっと思ってたけど
実際に脳内でできるとしたら物凄い・・
301:03/02/17 17:26
>>29
なにか考えてて「これ明らかにパーツ足りないなあ」と感じることがあって、
別のとき、「あ!このかたちあそこに合いそうだ」という感覚で欠けたパーツを発見することがある。
31考える名無しさん:03/02/17 17:28
生活に支障は?
32考える名無しさん:03/02/17 17:30
楽々と自然にそういうことをやるんだ・・?
まだ名前のついてない面白そうな概念とかあるの?
331:03/02/17 17:31
>>31
そばにいる人の機嫌の悪さや、フラストレーションがめっちゃ苦痛です。
彼女が生理になるとすぐわかる・・・・・・・・殺気。
341:03/02/17 17:33
>>32
辞書を探っても、適当な言葉にまだ出会えない副詞などはあります。
自分では使うけど、会話などにはもちろん使えない。
35考える名無しさん:03/02/17 17:35
思考に使うということ?
名前は付ける?
36考える名無しさん:03/02/17 17:36
思考には必ず言語が必要なわけだが…
言語のない思考をしてるのかな?
37考える名無しさん:03/02/17 17:36
IQとか人並み?
38考える名無しさん:03/02/17 17:38
デリダ『基底材を猛り狂わせる』読むといい。
39考える名無しさん:03/02/17 17:38
言語にあたる回路みたいなものがあればいいのかな?>思考
401:03/02/17 17:39
>>32
まだ名前のない概念はそもそも説明するのが難しいです。
ただ、既成の概念でも、いつもすごく不安定な妙なかたちをしてるものがあってアヤシイ感じがします。
「自由」はすごくアヤシイです。
41考える名無しさん:03/02/17 17:39
優秀な精神科医がやってることでしょ。つまり。
42考える名無しさん:03/02/17 17:40
俺は、生活に支障あり。神経過敏。音に敏感。
風邪がうつるみたいに、見知らぬ人の嫌なパッケージを間違って拾ってしまったりしないか
すれ違いざまに緊張する。抱えてる思考と違う内容の顔を見せる人には、その仮面かぶり具合に頭が下がる。
時々、困ってていらいらしてる友達とかの思考の行き先が無いことがわかってるときとか、困る。
43考える名無しさん:03/02/17 17:40
「社会」も怪しいでしょ。
441:03/02/17 17:42
>>37
えー、中学のときの先生に卒業後、
「あなたはIQと成績の格差が非常に大きくて私の評定に影響したわよ」と言われました。
45考える名無しさん:03/02/17 17:43
>>40
そういう怪しい概念を安易に使うのは憚られる?
46考える名無しさん:03/02/17 17:44
既成の名前のある概念もあなた自身が解釈した形で見てるはずだよ。
でなきゃオカルトになる。
47考える名無しさん:03/02/17 17:45
>>44
IQ>>>成績?
150くらいあったりするのかな
481:03/02/17 17:46
>>43
「自由」は特別にアヤシイです。支えがないのに立ってるというか。
それに較べれば「社会」はだいぶしっかりしてます。
もちろん思想的にじゃなく、感覚的に、ですが。
49考える名無しさん:03/02/17 17:47
よりアヤシイ観念はより観念的(抽象的)なんだろうね。。
50考える名無しさん:03/02/17 17:47
「概念」「品詞」とかは?
51考える名無しさん:03/02/17 17:49
>>48
自分にとってアヤシイだけでは?
521:03/02/17 17:52
>>45
憚りはしませんけど、一般的に通用するように使うには「的確なたとえ話」が必要なので、
前振りが長くなってしまうのです。
53考える名無しさん:03/02/17 17:59
>>52
どういう風に。
541:03/02/17 17:59
>>50
たとえば言葉が古民具だとして、「概念」や「品詞」は使途が判明して目的通りに使われている感じ。
「自由」の奇妙さというのは、「これって作った人はいったい何に使った道具なのかね?」
という状態で一応使いでがあるので使われている感じ、とでも言いましょうか・・・・・・
551:03/02/17 18:02
>>35
私的に名前を付ける試みはやってます。
ただ、使い込んで馴染まないとしっくりきません。
56考える名無しさん:03/02/17 18:03
愛とか理性も「自由」系?
57考える名無しさん:03/02/17 18:03
>>55
どういう概念なんだろう
58考える名無しさん:03/02/17 18:05
オイオイ…自分の経験してきた事以上のものに辿り着けるのか?
59考える名無しさん:03/02/17 18:12
新たなる概念を創出してそれに名前をつける。
まさに哲学じゃないか。
601:03/02/17 18:17
>>56
うーん、一概におなじたぐいとは感じませんが、その周辺だと「恋」は、使われ方とかたちが
非常にかけ離れています。
すごくエグイかたちと言うか、えー、「兵器」と似てます。
61考える名無しさん:03/02/17 18:20
真善美はそれぞれどうでしょう
62考える名無しさん:03/02/17 18:20
自分の知識の処理の問題じゃないか?
俺は自由があやしいとは思えない。
本気で仲間を探したいならメンタルヘルスだな。煽ってるわけじゃないぞ。
631:03/02/17 18:26
>>62
いえ、困ってるわけじゃないので・・・・。
別スレでこのへんの話題に流れたら、「その話スレ立てて」と言われて立て方教えていただいたものですから・・・・・・。
64考える名無しさん:03/02/17 18:27
困ってないのかぁ…
65考える名無しさん:03/02/17 18:29
自分はスレ立ててもらって感謝してますよ、面白いんで
ここからの展開次第なのかも知れないけど・・
661:03/02/17 18:30
>>64
もちろん苦痛なこともありますが、相談できるような普遍性ないのではないかと・・・・・・。
671:03/02/17 18:32
>>61
真と美に較べて善は圧倒的に新しいです。
68考える名無しさん:03/02/17 18:34
新しい。
若い(青い?)感じなのかな
69考える名無しさん:03/02/17 18:36
自分が周りと違う事に気付いたのはいつでつか?
701:03/02/17 18:36
>>65
他の人に説明する準備なんてしていなかったので、正直ぜいぜい言っています。
いくらかでも、おもしろいと思っていただいて光栄です。

正直おそるおそるさわりだけしゃべってます。
71考える名無しさん:03/02/17 18:37
強弱とか古そうだな
72考える名無しさん:03/02/17 18:38
>>70
ぜいぜいでしたか。。
とりあえず質問ラッシュやめますね、
じっくり考えてもらった方が面白いし
731:03/02/17 18:43
>>69
子どもの考えだから傲慢でも許してください。

4歳あたりから、周囲の人の言葉の使い方が「ぞんざい」な感じがして、苦痛でした。
ゴジラじゃない怪獣を「ほらゴジラだよ」とか言われると鳥肌が立っちゃうんですよ。
741:03/02/17 18:46
>>68
青い、はいい感じです。
伝統芸能のなかでも時代を経た「箔」が薄いという感じです。
751:03/02/17 18:55
>>61
真と善に較べて、美は動物的です。筋肉があっって自力で動きます。
76考える名無しさん:03/02/17 19:09
正しいか正しくないかは別として概念、語を記憶に照会できたとき
良い感じなんじゃない?
そんな感じだったら後期(東で言う郵便的)デリダを読むといい。
771:03/02/17 19:16
>>76
どうも。もちろんこの感覚と、私の考え方(思想)は別問題です。
デリダ、機会を見つけてタッチしてみます。
781:03/02/17 19:20
レス付けてくださった方々ありがとうございます。
そろそろ落ちます。また来ます。
79考える名無しさん:03/02/17 20:19
私も話したり考えてるとき、
いくつかの特定の言葉で2ちゃんのAAが頭に浮かぶことはある。
80考えない名無しさん:03/02/18 01:43
>>79
浮かぶ、浮かぶ(w
81考える名無しさん:03/02/18 01:45
>>79,80
それは2chにどっぷりハマっている証拠です。
82考える名無しさん:03/02/18 01:46
病気だな
寝れない。。。と思ってパソコンを付けたら、
俺が御願いしたスレが立ってた。
1さんスレたててくれたのね。
別スレでスレ立て頼んだのは俺です。
どうもありがとう。

とりあえず、今回は質問だけ。
1.SF映画やCG画像などで、自分の「世界」に近い
imageを今まで見た事があるか?
2.概念の「形」というのは、実際にあるものに類似する傾向があるか?
四角形・多角形や、動物、レンガ、などなど・・。
3.形象化された「概念」の分解ができるかどうか?
高度に抽象化された概念は、さまざまな概念の複合体であるとする。
例えば、「民主主義」の形を思い浮かべ、そこから「自由」「平等」などの
形を取り除いて分解する事が可能?
4.「経路を通る」という言い方をしているが、
その先を通ると、形象化している「概念」の中に入るのか、
あるいはその「概念」を外側から見るのか?
5.複数の「概念」の「形」を見る事ができるか?
また概念を「複数化」できるか否か?
6.副詞と接続詞が経路化らしいが、
接続詞はともかく、副詞は、どのような作用を「形」におよぼすか?
例えば、「行く」という動作に対して「時々」を加えるとどうなるか?

後、他人の思考についてできればもう少し話してほしい。

では、暇があったら、回答してください。
84:03/02/18 09:14
>>83
こんにちわ。乗せられてしまいました(w

>>1.SF映画やCG画像などで、自分の「世界」に近い
imageを今まで見た事があるか?

想念の地の部分というか、脳内空間のよい比喩をさがして
「重層化された迷宮」とか「一階から百階までおなじ階にある迷宮」とか
イメージをいじくりながら、しっくり来なくてうーんと唸っていたのですが、
あるとき、感動的に「これは似てる!」というイメージに出会いました。

新潮文庫の『カオス』のなかに載っていた体積ゼロの立体「メンジャースポンジ」です。
図版は真ん中より少し前くらいのページだったと思いますが・・・・・・(当てにならない)。
口では説明しにくいので、機会があったらのぞいてみてください。刺激的です。
85:03/02/18 09:28
>>83
>>2.概念の「形」というのは、実際にあるものに類似する傾向があるか?
四角形・多角形や、動物、レンガ、などなど・・。

えーと、通常の視覚のように一挙性があるわけではないので、心の指で触れてかたちや質感を
確かめていきます。この過程で、「この感じはなにかなー?毛皮っぽいか」みたいに比喩を頼るので、
明確化の過程で、私の能力の限界で実際のものの引用になりがちです。
触りまくった後は、視覚像に近似した全体像がわかります。
86考える名無しさん:03/02/18 09:47
あげる
87:03/02/18 09:49
>>83
>3.形象化された「概念」の分解ができるかどうか?
高度に抽象化された概念は、さまざまな概念の複合体であるとする。
例えば、「民主主義」の形を思い浮かべ、そこから「自由」「平等」などの
形を取り除いて分解する事が可能?

それは自由にはできません。そういうことが起きるのはエウレカ〜♪な感じの特別な場合です。
>>30で書いたような場合。もしも自由にできたら私は天才になれると思います(w

概念とちがった問題では、マンガを見ていて「どっかで見たな、この構図」みたいなとき、似てるなというクオリアを
抽出して触ってコントラスト強めてみると、あ、家にある「ポーズカタログ」のあの写真じゃん、と思い出す。
というような使い方はできます。
88:03/02/18 09:52
ちょっと、ヘボイ改行してますね。すみません。
89:03/02/18 09:56
>>83
>4.「経路を通る」という言い方をしているが、
その先を通ると、形象化している「概念」の中に入るのか、
あるいはその「概念」を外側から見るのか?

外です。感じるのは「表面」です。
90:03/02/18 10:04
>>83
>5.複数の「概念」の「形」を見る事ができるか?
また概念を「複数化」できるか否か?

注視できるのはひとつです。比較するときは、いま触れているものの質感を確かめながら、似通った質感の記憶を検索する感じです。
おなじものなら「複数化」できますが、実用上の意味はあまりありません。鑑賞上の意味はありますが。
91:03/02/18 10:22
>>83
>6.副詞と接続詞が経路化らしいが、
接続詞はともかく、副詞は、どのような作用を「形」におよぼすか?
例えば、「行く」という動作に対して「時々」を加えるとどうなるか?

83さんのレスに出てきた「民主主義」「自由」「平等」といった概念とちがい「行く」は要素的というか、単体で明確なかたちにはなりません。
「行く」に触れようとしても 、言葉としての連想のほうが勝ってしまいます。ただ質感は明確にありますが、これはふつうの人が言葉に感じる質感と大差ないと思います。

えー、「時々」ですが、「径路的な言葉は副詞・接続詞に含まれる」と言うべきでした。
「時々」はあまり径路的ではありません。径路的な機能もありますが、その角度を発動させようとすると、「時に」が立ち上がってしまいます。
「時々」はどこかからどこかへの径路というより、文節のきっかけになるか、文節に埋まる言葉です。
うーん、うまく言えてない気
92考える名無しさん:03/02/18 11:24
概念と概念の関係はわかるの?
自由と不自由は近いとか。遠いとか。

あと、一つの概念でも表と裏で触感が違ったりとか
そういうのは。
93考える名無しさん:03/02/18 11:28
じゃあ、例として
君は生命とは、どう感じる、現すのかね?
94あちょー:03/02/18 11:32
「民主主義」「自由」「平等」など、様々な使われ方をする言葉があるけれど、
辞書の説明は結構あいまいなことが多いので、弁証法的に定義を探って
みるのは面白いです。この板ではこのようなスレタイトルでスレがたてられる
ことがありました。
95:03/02/18 11:53
>>92>>93
>>11に書いたように(1って入れるの忘れてる・・・・)概念とかたちは一対一で対応しないのです。
「自由」や「生命」についてどんなことを考えようとしているかによって、かたちは変わります。
言ってみれば、93さんが言う「感じる」と「現す」の折衷でしょうか。

「自由・不自由」のような対概念は遠い近いというより、「自由」を対概念方向に回すと「不自由」があらわれる、という感じです。
つまり、表裏で触感が違う、ということはあります。
というか、角度を変えたり質感を足し引きしてその概念を吟味するので、
立体と言っても、現実にあるような固定したかたちではないのです。

安易に角度や質感を変えてしまうと、もとのかたちや質感に戻れないこともあるので、
けっこう慎重な作業です。
96考える名無しさん:03/02/18 11:54
感覚と思考がうまく合ってくるよ、きっと。
97:03/02/18 11:57
>>94
以前にもこんなスレがあったということですか?
それとも概念を定義するスレ?
98:03/02/18 12:06
あ、96でわかりました。後者ですね。
99あちょー:03/02/18 12:07
>>97
「民主主義」「自由」「平等」とは何かみたいなヤシです。
1さんはこれらについてどう思いますか。
100考える名無しさん:03/02/18 12:11
>「自由・不自由」のような対概念は遠い近いというより、「自由」を対概念方向に回すと「不自由」があらわれる、という感じです。
なるほど。。。
対概念じゃない場合はどうなりますか。
101:03/02/18 12:16
>>95に書いた質感を足し引きする操作に関連して。
ロジャー・ゼラズニイの「アンバーシリーズ」で世界を足し引きしながら移動してゆく描写、
「これすごーくわかるなー」と実感的に読みました。
とても好きです。あの遠くに通じてるカードもかなりキテル感じです。
10293:03/02/18 12:28
自分に問われたら
感じる事は思想と知覚の統計で、表す事(表し方?)は
その対象の具体化な訳だが・・・
いたって普通と思我。
103:03/02/18 12:32
>>99
たぶん、私の関心の持ち方はあまり一般的ではないと思います。
「自由」に特にアヤシイ感じを抱くのは、ここに「秘密」があると感じるせいもあります。
これは、心のなかをどこまでも遠くに行ってみたとき>>7感じた「罪悪感」に由来します。
ちょっとDQNっぽい感じがしてしまいますが、「私のなかには『禁制の領域』があって、
自然に目を向けないようなバイアスがかかっている」という認識がありました。
概念の未成熟ゆえでしょうか、あのときそのへんにちょっと入ってしまったみたいです。
子どもながら、それからしばらくのあいだ私は狂っていて、異常行動で周囲を困らせました。

「自由」はあの「禁制の領域」のにおいが漂っているものですから。
こうやってカキコしていても怖いです。(あー、とうとう言ってしまったこの話・・・・・)
104:03/02/18 12:36
>>100
すみません。「どうなりますか」でなにを答えればいいのかよくわかりません。
105考える名無しさん:03/02/18 12:41
>概念とかたちは一対一で対応しないのです。
じゃあ、愛が兵器とか善が若いとか美が動的とかいうのは
いわゆるデフォルトの状態なのかな
106考える名無しさん:03/02/18 12:46
>>104
たとえば、
「1」をどう動かすと「2」になりますか?
それとも、これらは完全に独立してて結びつかない?
107考える名無しさん:03/02/18 12:48
ていうか、その前に数字は概念に入りますか
108:03/02/18 12:51
>>105
文脈でぜんぜん変わってしまうわけではないので。
比較的常なる属性ということです。

あと、すみません兵器なのは「愛」ではなくて「恋」です。
109:03/02/18 12:58
>>106>>107
数字も>>91で書いたように要素的です。もっぱら属性側と言いますか。
ただ、ちょっと自己主張の強い数字はあります。
でもこれは、好きな数字ていどの感触ですね。
「数列」となるとかたちが現れてきます。
110考える名無しさん:03/02/18 13:03
哲学において、奇妙な、と言われる命題は?
例えばニーチェの命題「敵よ、敵らはいないのだ。」
これにはどういう感じがする?
論理的には「敵」が一つの振る舞いをしないけれど。
111:03/02/18 13:16
>>110
再帰的なもの、自己言及的な構造にはガキのころから夢中です。
幼稚園のころ好きだった言葉は「ぼくは口がきけない」
小学生のころ好きだった言葉は「ぼくのおかあさんには子どもがいません」

ここに最大の秘密がある!と思ってました。なんの秘密かわかんないけど(w
他のなににも似てない感触が、この周辺にあります。いまも健在。
112考える名無しさん:03/02/18 13:21
>>1
あーわかるかも。言われてみればって感じだけど。
でも、これって普通じゃないの?
113考える名無しさん:03/02/18 13:22
途中まで読んだけど、抽象的過ぎてわけわからんかった…
数学とか真剣にやれば良かったのに。
114考える名無しさん:03/02/18 13:25
>>1
矛盾点に興味があるっていうのは俺も同じだが、
言葉ではあまり感じなかったな
115考える名無しさん:03/02/18 13:26
このスレにも何度かデリダの名前が出てきてるけど
デリダにおいては言葉の記憶、映像の記憶、声の記憶、音の記憶・・・
それらに境界線は引けない、としているからなのかな。
自己言及的なものに特別な感触があるのならなおさら関連がありそう。
共感覚と脱構築。
次のサントリー文芸賞はもらったw
それは冗談として、奇跡的な良スレですね。
116112:03/02/18 13:27
俺はこういのは、ただのアナロジーだと思うけど。
117:03/02/18 13:31
>>112
普通ですか!?わーい。とか言って。ネタ振ってください。
118考える名無しさん:03/02/18 13:33
>>1は言語学者にでもなったらどうか。
119:03/02/18 13:36
>>113
すみません。私もわかりにくいと思います。
>>115
ありがとうございます。
>>116
私もアナロジーしますけど、おなじことやってる感じではないんですよ。
アナロジー応用しますけどね。
120112:03/02/18 13:36
んー、少なくとも形容詞なら誰でもそういうのはあるんじゃないかな。
「優しい」ってことばから、柔らかさとか温かさや母性的なものを感じたりとか。
「優しい」を形にしたものをイメージして頭の中で触ってみたりもできる。
でも、やっぱりこれはただの連想+空想だよ。
121考える名無しさん:03/02/18 13:44
>>120
逆なんだろうけどな、ほんとは。
「柔らかさとか温かさや母性的なもの」に「優しい」と名付けたのが
はじめなわけであって。
122112:03/02/18 13:45
なるほど。
123考える名無しさん:03/02/18 13:46
「大」が大きかったり、「小」が小さかったりするんなら
連想に近いと言えるのかも
124考える名無しさん:03/02/18 14:13
カントを読み終えたとき、その理論がまるで壮大な宮殿のような構造物
に感じたことはあったけど、
単語の一つ一つに立体を感じたことはないな。
125世直し一揆(コピペ推奨):03/02/18 14:16
<血液型A型の一般的な特徴>(見せかけの優しさ・もっともらしさ(偽善)に騙され
るな!!)
●とにかく気が小さい(神経質、臆病、二言目には「世間」、了見が狭い)
●他人に異常に干渉し、しかも好戦的でファイト満々(キモイ、自己中心、デリカシーがない)
●妙にプライドが高く、自分が馬鹿にされると怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようと
する(ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、実際に
はたいてい、内面的・実質的に負けている)
●本音は、ものすごく幼稚で倫理意識が異常に低い(人にばれさえしなければOK!)
●「常識、常識」と口うるさいが、実はA型の常識はピントがズレまくっている(日本
の常識は世界の非常識)
●権力、強者(警察、暴走族…etc)に弱く、弱者には威張り散らす(強い者にはへつらい、弱い者に対してはいじめる)
●あら探しだけは名人級でウザイ(例え10の長所があってもほめることをせず、たった1つの短所を見つけてはけなす)
●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているため性格がうっとうしい(根暗)
●単独では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ)
●少数派の異質、異文化を排斥する(差別主義者、狭量)
●集団によるいじめのパイオニア&天才(陰湿&陰険)
●悪口、陰口が大好き(A型が3人寄れば他人の悪口、裏表が激しい)
●他人からどう見られているか、人の目を異常に気にする(「〜みたい」とよく言う、
世間体命)
●自分の感情をうまく表現できず、コミュニケーション能力に乏しい(同じことを何度
も言ってキモイ) 
●表面上協調・意気投合しているようでも、腹は各自バラバラで融通が利かず、頑固(本当は個性・アク強い)
●人を信じられず、疑い深い(自分自身裏表が激しいため、他人に対してもそう思う)
●自ら好んでストイックな生活をしストレスを溜めておきながら、他人に猛烈に嫉妬
する(不合理な馬鹿)
●執念深く、粘着でしつこい(「一生恨みます」タイプ)
●自分に甘く他人に厳しい(自分のことは棚に上げてまず他人を責める。しかも冷酷)
●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い(例:「俺のほうが男
前やのに、なんでや!(あの野郎の足を引っ張ってやる!!)」)
126:03/02/18 14:28
以下は、既存語で不足なところを実験的に造語して、ただ使い慣れるために書き飛ばした文章の一部です。
ご参考まで。ヘンなことやっとると笑ってやってください。
すわりのいい造語は難しい。意味不明ご容赦を(w バカですね。

>かかるほどに、ただ因りながら繰り探ってみれば、ことがらはたがいまがいに支えあい浸しあっている。
包み立つ角度で延び渡る心の触手を、隅々にゆき届かせているかのようなあおじろく光らび泡めく悟り。
もしやかな手応えが、今に結実して、覚え逸らしに確かめいてくる。
うとく知る意味の境界が、抽象の物体波に震え不確かになるときだけ、鬱り気におぼめき、か触れてくるように。
いに知れるそぼ古い秘儀を、さも合えぬかたちで調える。ほのまぎれにいや分かたれる概念のさら内を際々にかすめて。
約着する名前の、付きつ離れつの精妙な落着。
しっとりと寄り添っていながら、別の次元ではひた退さっている。斥力を腹の下に押し縮めて浸り付き、いつでも撥ね戻る発条よろしくさようなれるように。
127考える名無しさん:03/02/18 14:41
>>126
あまりそういう遊びに夢中になると造語症になるよ。
なんかただでさえ分裂病っぽいみたいに見えるから、
あんまりそういうことはしないほうが・・・。
128:03/02/18 14:45
>>127
どうも!まあ、造語症の方は機械的に産出するだけですから。
まだ正気です(w と思います。
129考える名無しさん:03/02/18 14:52
語を作ることは名を付けること。
ジュネだっけ。名付けにこだわったのは。
130:03/02/18 14:57
>>129
名付けといえば、ガキのころ小説にでてくる架空の町村名はさほど違和感なくて、
市になるとちょっと違和感出てきて、架空の県名はめっちゃ違和感あるのなぜか?
と悩んだものです。
131考える名無しさん:03/02/18 15:04
普通だよ1は。大丈夫。
132考える名無しさん:03/02/18 15:05
記憶に照会、あるいは対応できないからじゃない?
133考える名無しさん:03/02/18 15:08
猫とか犬とかの考えてる事はだいたいわかる?
もしそうだったら本当にデリダを読むといいかも。
134:03/02/18 15:09
>>131
どうも!バカやったところで落ちますね。また来ます。
>>132
そうですね。県名は全例が記憶にあるからだと思います。
だから、架空の国名になるとまた違和感が下がる。
135考える名無しさん:03/02/18 17:33
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    λ   ____        /-'^"
     ヽ,_  `ー─''´       (
     /`''丶、     , -    /^l
    /  /( ノ `'''''''´~ _, - ' ~ ゙i、
    「言語に意味はない」そして「言語の対象は実在しない」
言語の世界に意味は見出せない。
言語に実在を見るのは、アタマが狂っているからだ。
136考える名無しさん:03/02/18 17:54
まあ、比較的認知されてる音→色とかの共感覚の人だって、それが一般認識になってなくて
「音から色を連想してるだけじゃねーの?」って言われたら、「連想とはちがう」と言い張るしかない罠
137考える名無しさん:03/02/18 17:57
他人の感じていることがわかるなんて…





ただ神経質なだけなのでは?
138考える名無しさん:03/02/18 18:00
言語学的な基礎知識がないと「連想」だと思うのは仕方ないかもね。
139考える名無しさん:03/02/18 18:05
考えてみると、こういうことあんまり人と深く話したことないけど、
みんなが「連想」つってやってることも、内実けっこうちがうことやってたりするかも
140考える名無しさん:03/02/18 18:05
言語学なんて文字どおりの言葉遊びだぜ
141考える名無しさん:03/02/18 18:10
>>140
煽りにも説得力がないとね
142考える名無しさん:03/02/18 18:26
あらあら(w
143考える名無しさん:03/02/18 18:38
すみません、どうしても>>1をDQNと思ってしまうんですが…
144考える名無しさん:03/02/18 18:42
あなたDQNの意味を取り違えてらっしゃる
145考える名無しさん:03/02/18 18:46
英語やロシア語とかでも同じだよな?
それとも、感覚を言葉へ表すときの変換のこと?
146考える名無しさん:03/02/18 18:47
>>144
DQNってどういう意味?
147考える名無しさん:03/02/18 19:00
>>146
不良とかヤンキーみたいな意味。目撃ドキュンが語源。
148115:03/02/19 00:10
ttp://www.nakayama.org/polylogos/pl2-teidan.html

共感覚とデリダ、もうやってる人がいました。
14983:03/02/19 01:30
1>回答ありがとう。
しかし今一ピンとこない。(w
ごめんね。で、実際、ちょっとやってみてもらいたい。

問1
「41、11、25、13、10」
上の五つの数字には本来あと一つ数字が入るんだけどそれは何か?

(注・問題を解く時に、どういう風に解いたかを
覚えておいて、それを説明してほしい。)

問2
「あなたは存在する
あなたが存在するのならば、
あなたが存在する世界が存在するはずである。
ということは、あなたが存在しないならば、
あなたが存在しない世界・・・・」

この・・・には、どんな文章が入る?

(注・問い1と同じように文章を入れた時に、
どうやって入れたかを説明してね。
15083:03/02/19 02:23
>1
ピンっとこないという言い回しは、失礼だね。
もうちょっとスレ読みかえしたり、
考えを纏めてみるよ。。
151:03/02/19 02:58
>>149
問1→17
まず、83さんは「意地悪な人ではない」ことが文体から推定できるのでごく単純な法則と推定しました。
数値順に並べ替えると、13と25のあいだに欠落を感じます。
(デジタルに思考する人なら数列上にプロットした時点で正解が出ると思いますが私はダメです)。
10、11、13のあいだの差と25、41の差を暗算した時点で法則を直観しました。
ごく凡庸で申し訳ない。
152:03/02/19 03:08
>>150を読んで、「意地悪な人でない」ことが検証されました(w

>>149
問2
概念の包括関係を像化すると、
「あなたが存在する」ことが「世界が存在する」ことの必要条件であるとも
「世界が存在する」ことは前提条件であるとも解釈できます。

前者なら「は存在しない」が正解。
後者なら「は存在する」が正解。

ただし、もっとアクロバットしようと思えばその余地はたっぷりあるのが「見えます」。
とりあえずレス。
15383:03/02/19 03:09
あ、寝る前にチェックしようとしたら、1さんがいた。
15483:03/02/19 03:16
もっと意地悪い問題の方がよかったかな。
うーん、問1は文句なく正解で、
問2も正解、というより自由に書けるように設定したんだけど。

答えはいいんだけど、
もうすこし、思考過程というかその映像?や触り具合そして
移動?したならば移動や答えにたどり着いた時の状況を知りたいなあ。
15583:03/02/19 03:33
最初に言っておくけど、俺は哲学専門でもなんでもないからね。
質問するのは純粋な興味。哲学の知識は、一般人よりは知っているぐらい。
言語学もそんなもん。1さんは、論理学はやった事あるの?

ところで、
一般人というか、大抵の人は俺のように、
物体や言葉を見た時に、実在した映像(劣化版、あるいは思い込み)や絵を
見ると思うんだ。そしてそれは、印象が強烈なものや最近見たものが優先される。
たとえば、「民主主義」といえば、
アメリカの大統領が演説しているシーンが浮かんだり、
フランス革命の人物とかの絵が浮かぶ。
「自由」なら「鎖から解き放たれた囚人」が浮かび、
それは、絵とか漫画とか映画とかが元になっている。

で、今日とりとめもなく1さんの状況を空いた時間に
適当に考えたんだけど、1さんって何歳までの記憶を持っている?
2、3歳、下手すれば1歳ぐらいまでありそうだ・・。まだ物体を認識できなかったり、
した時期まで。
そう考える理由は、視覚よりも触覚で構成されたようなimageが先行して
いる気がするから。
imageが視覚で構成されずに触覚で構成されるんじゃないかな?
その構造は、言語習得期間中にもあまり根本的な影響を受けなかった。
まったくの妄想でごめん。
次回は、もうちょっとまともな発言するように努力する。(笑
15683:03/02/19 03:35
最初に言ってなかったね。(笑
157:03/02/19 03:37
>>154
意地悪しないで・・・・・・。

この種の課題はそんな特別なことする必要ないでしょ?
「かたち」はふだんは自然に感じるだけで、思考はふつうにやってますってば。
「かたち」を操作するのは「その気になる」必要があるので、149みたいな課題でそれ使うの
いわゆる「鉈でバターを切る」ってやつです。
158:03/02/19 03:47
>>155
論理学なんてぜんぜん・・・・・・・・。入門書みたいな新書読んだことはあるけど・・・・。

古い記憶はめっちゃあります。
発達心理学の本なんかで「言語習得以前の記憶は残らない、たとえ残っていたとしても
両親など周囲の人の話などから自分でも気付かないうちに再構成されたものである」
とか書いてあると、その論旨にできるだけ譲って考えてみても納得いかないなあ、と思います。

触覚云々の部分は、私も私的に(w有力な仮説だと思います。
ただ古い古い記憶は時系列で整理されてiないために、非常に混乱してます。
15983:03/02/19 04:03
>>157
うーん。どのような問題だったらその「触覚」を使うのかなあ・・。
自分で問題作って解いて、それを客観的に描写できる?

>>158
「言語習得以前の記憶は残らない、たとえ残っていたとしても
両親など周囲の人の話などから自分でも気付かないうちに再構成されたものである」
これは、一般論であって必ずしも全員がそうだと裏付けられたわけじゃないでしょう。
特に感覚的な記憶に関しては。

俺みたいな一般人は、文章を映像化するんだけど、
1さんの場合はどうなるの?
「化学工場がどこどこで爆発した」
と言う文章があれば、「化学工場の映像」(普通の工場とたいして変わりが無い)と
「爆発する映像」がスライドのように連続して文章内容に映像的理解が伴う。
あとは、漢字そのものからのimageで補ったり。
だから外国語を読むのに翻訳するのはいいんだけど内容をきちんと理解するのに
日本語の1.5倍くらいかかったりする。
このへんについては?



160:03/02/19 04:25
>>159
私は小説を読むときにも「描写にしたがった映像」を脳裏に描いたりはしません。
描写から自然に連想して浮かぶ画像まで故意に止めたりはしませんが。
ただ、キャラの初登場シーンとか、印象深い場面、
あとミステリの密室の描写で文章だけだと状況が把握できないときなどは、
立ち止まって映像化します。

使い慣れない言語はむろん理解に難があります。
161:03/02/19 04:30
>>133
猫に異様に好かれて、学生時代アパートの周りが猫だらけになったことがありますが、
心はわかりません。
私の父はドリトル先生タイプで、動物と動物好きの子どもに大人気です。
父ならわかるかも。動物にまつわる逸話がいろいろあります。
162:03/02/19 04:35
私は動物の心はわかりませんが自閉症児の心は人並み以上にわかると思います。
かれらは、泣き喚いていることが歓びの表現だったり、無表情に種類があったり、
三年間にたった一度他人に吐きかけた唾が親愛の表現だったりします。
自閉症児と仲良く遊んでるとき、「いじめたらだめ」と言われて困惑した経験多々。
「おまえの勝手な思い込み」と言われればそれまでですが。
163:03/02/19 04:55
>うーん。どのような問題だったらその「触覚」を使うのかなあ・・。
自分で問題作って解いて、それを客観的に描写できる?

うーん。問題作るというのじゃないけど、さっき出た古い記憶に事寄せてみると、
自分の「物心ついた瞬間の記憶」に違和感があって、これは例の再構成した記憶なのかな?
と思っていました。
違和感というのは、思い切ってわかりやすく言うと「複数のものを切り貼り」した感じです。
ただ、実際「あとから再構成した記憶だな、これは」と気付いたときと手触りがちがいます。
複合的といっても本のページをパラパラめくっていわゆるパラパラマンガを見るときの、
指にはらはら紙が触れる感覚に近いのです。・・・・・つづく(w
164:03/02/19 05:15
(つづき)この違和感は非常に気になっていたのですが、触れてかたちに働きかけるとき、
それが記憶にまつわることだと、そのとき現実的なイメージを使うと
(要するに、ふつうの仕方で不確かな記憶をよみがえらせようとすると)
例の再構成をやってしまうおそれがありますから、こんな場合こそ「かたち」優先でやるわけです。
試行錯誤の末、はらはらとした触覚に心の指を滑り込ませるのに成功したとき、
当初の記憶とまったくちがった背景を思い出しました。・・・・・つづく
165:03/02/19 05:28
(つづき)最初の記憶の背景は、ごくおさない頃住んでいたしもた屋の広い三和土が
視界に入っているのですが、はらはらを指で止めたとき想起したのは、
「茶の間の電話台の脇にいるときに物心ついた自分」でした。
くらくらするような気分で他の隙間にも指を入れていくと、出てきます出てきます別の「物心ついた記憶」が。
ああ、そうか、ぼくは何度も物心ついたわけか。
このとき直観したことはこうです。

物心は一度で定着するのではない。
物心はついては離れ、ついては離れし、やがて離れがたくなりいつのまにか離れることができなくなるのだ。
166:03/02/19 05:31
もちろん、この全体がぼくの錯覚かも知れませんけどね。
167考える名無しさん:03/02/19 09:08
「微妙」とかはどんな質感?
168:03/02/19 09:49
>>167
「微妙」単体では要素的な気配しかないので、文脈に入れてみます。
色彩や画像、文体などから受ける印象って微妙ですよね。
ちょっとした変更や見るタイミングによって、おなじものでも印象が変わり、とても繊細に弁別されます。
どうしてこんなに、微妙なちがいが生成されるのか?

この空間に「微妙」を持って来て触れてみます。
球体。表面は非常の肌理の細かい砂です。砂は流れており、球体表面に亀裂のように
縦横に走る溝(幅は一定)に静かに流れ込んでいます。
これに似た質感は時計です。それじたいは平板で安定した過程。しかし、司るものは変化です。
丹念にかたちを確かめてゆくと、球体表面にある溝が移動して、互いの距離や交差する位置を
少しずつ変化させているのがわかります。この過程全体はループしているようです。

このかたちを読んで思いつくことは、知覚や解釈の微妙な変化を創り出すエフェクター、
もしくはフィルター様の仕組みがあって、それがリアルタイムの知覚情報とは関わりなく、
自動的に知覚の地色を少しずつグラデーションさせて、おなじものを見ていても印象が固定しないよう調整し、
「微妙さ」を創り出しているという図式です。

こんな思い付きがなんの役に立つかわからないけど(w とりあえずリアルタイムに報告してみました。
169:03/02/19 10:02
しかし、我ながら人に伝わるように比喩を多用して表現するといささか陳腐ですね。
と言い訳。
170考える名無しさん:03/02/19 10:09
動物や自閉症の子供たちの話、
>>1のいろいろな経験の上に立ったものかもね。
最初からなら脳がそもそもそのように発達してたのかも?
もしくは、ほんとに錯覚か(煽りのつもりではない


171:03/02/19 10:22
>>170
自分ではただの錯覚で片付けるのも乱暴な気がしてしまうんですが。

最近では、自閉症の子のおかあさんからこんなこと言われました。
「あなたうちの子の頭に(背後から)手をのせてたことあったわよね。
あれからうちの子、私の手を持って自分の頭の上にのせるのよ。
あれは、ただのせておけばいいの?」
いいおかあさんだなあ、と思いました。
172考える名無しさん:03/02/19 12:42
>>168
ありがと。なんか絶妙な構造を造ってるね。。神秘的ですらある
微妙のイデアかな、さながら
173考える名無しさん:03/02/19 14:27
パッケージ化された思考が透明線路に乗って見える人です。

1さんは、、、
そのパッケージを、その容器にのせておきたいですか?
ある意味1さんは、1さんの思考パッケージが1さん自身だというのかな。
ある意味、新しい電話線を町中に張り巡らしたい、というような容器にのせていますね。
みんな、その存在を認めていますので、警戒線をといてください、でいいのかな、、
包装紙は取り替えられるんじゃないかな、とふと思っただけです。
174:03/02/19 14:36
>>173
私はパッケージを宅配しちゃう方です。身近な人には。
175考える名無しさん:03/02/19 14:55
はっきり分類できますか?
経路的なもの、要素的なもの、文節に埋まるもの、その他 みたく
176考える名無しさん:03/02/19 14:58
というより・・「型」は限定できます?
177:03/02/19 15:09
>>175
いえ、質問されながら表現を考えてる状態なのもので。

ただ、径路的なものは、それ自体はほとんど変化しないのでかなり明確です。
径路以外では折り目的というか、それ自体ではなにもせず変化もしない助詞は安定してます。
それ以外のものはそれなりに「うたかた」なので、分類するとしてもどんな状態をデフォルトとするかで
まず困惑・・・・・。
178考える名無しさん:03/02/19 15:33
う〜む、興味深い‥‥。
気に障ったらすみませんが、実に興味深いです、あなたのお話。
続けてください‥‥。
179:03/02/19 15:47
>>178
興味深いと言っていただけて光栄ですが(汗
>>63で書いたようにここは私が主張したいことがあって立てたスレじゃないので(無責任)。
質問していただければ、がんばって答えます。
180考える名無しさん:03/02/19 16:25
>>75ということだけど
人格のようなものはあるの?
181:03/02/19 18:17
>>180
技法として擬人化すると言いますか、女の子がぬいぐるみに話しかけるように、
概念を積極的に生命を持つものとして見る習慣があるものですから、それと切り離してなお
「美」などが意志を持ったもののように、自律的に活動してみせるかどうかはわかりません。

交流があるかのような親愛感は、径路的なもののいくつかにはあります。
「あるいは」とか「たとえば」は固有名のように感じます。
この感じは先述の対ぬいぐるみ的な感じとは違って、愛犬に対して持つような気分です。
「あるいはー」と名前を呼んでやるとよく働いてくれる、という妄想を持っています(w
182考える名無しさん:03/02/19 19:04
>>75ということだけど
もし善をテーマに本を読んだり考えてゆけば
美以上に善が存在感をもった動物的なものになりそう?

また自由についても意図的に興味をもつことで
怪しさは安定したものに変えてゆけそう?
18383:03/02/19 23:37
>1
前のレスを読み返してもう一度考えてみた。

1.世界観
メンジャースポンジについては、ここに2次元画像が載っていたよ。
http://member.nifty.ne.jp/tamamim/hobby/fractal/gasket.html
なるほどっていった感じだ。SF映画「キューブ」の舞台設定似てなくもない。

2.概念の形態
1さんの概念は、子供の頃に経験した「感触の記憶」が大元にあり、
その形態は言語化とそれによる映像化によって再構成されて形作られる。

3.触覚と概念の関係
>>164によると概念の形状は、記憶に関係する。
ある概念の一部(触るのは表面)に「触覚」を用いると、
その概念にまつわる記憶が「一般の人の思い出し方」による記憶よりも
確実な記憶を呼び出す事ができる。つまり記憶の照合には、一般人の
やり方と「触覚による質感の比較」の二つがある。
「概念」はまわす事ができ、通常では気付かない。

4.他人の思考
思考が単純なら他人の思考の「カタチ」もわかる。
18483:03/02/19 23:38
残る疑問。

1.品詞と概念のカタチの区別がわからない。
2.触覚の具体的操作がまだよくわからない。

文章:「象は鼻が長い」
を使って2、3行の文を作るとする。
まず、この文章を形象化するとどうなるか?
そして、「カタチ」を使ってこの後に文を作ろうとするととどうなるか?
その場合個々の概念の「カタチ」を、
「並ばせる」、「つなぐ」、「組み合わせる」のか?
あるいは、どういう言い方が適当なのか?

3.要素的というのは、「カタチ」を構成する一部と言う事か?
18583:03/02/19 23:40
>>183
4を訂正
通常では気付かない。>通常では気付かない側面を知る事もできる可能性を持つ。
18683:03/02/20 00:05
>>111に関連した妄想。
象は鼻が長いにおける助詞「は」の構造は、
よく言われるように主題化「thematization」(あるいはtopicalization?)
といわれる。

つまりこの場合の「は」は、主題を規定する「は」であり、
その後の文は、その主題の内容に関連することになる。
「象は鼻が長い」
という場合「象」が主題で、あとの主語述語が「鼻が長い」である。

今「公園は、人がいっぱいだ。」と言う文章が与えられた。
これを踏まえ、言語学的な視点と文法規則を無視すると
「公園は、ブランコが揺れている」というのも可能と判断する人がいても
おかしくない。ただ他の人がそう言わないから言わないだけかもしれない。

そしてこの文章構造を「Tは、SがPだ」に一般化して、
さらにそれぞれT,S,Pをを視覚的のものに対応させると、
Tが部屋すなわち空間で、Sはその部屋の中にいる登場物であり、
Pは、そのSの動作・作用・性質として、
動かしたり、Sの形を決めたりする。

1さんの感想を聞きたいね。




187:03/02/20 04:10
>>184
なんとか、わかりやすい表現を探していきたいと思います。今は試行錯誤。

>1.品詞と概念のカタチの区別がわからない。
概念のほうがいっぱんに体積が大きく不安定。
「愛」のかたちを触っていていつか「憎悪」に変形し、その時点で残ってる「愛」の余韻が
「抑圧」でコーティングする。―というようなことは起こりますが、
「あるいは」を触れて「たとえば」に変える。「ただし」の余韻が「まさしく」に漂う。
―ということは不能です。
って言いつつ、言ってみたら「もしかするとできるかも!」と思えてきた(w


188:03/02/20 04:24
>2.触覚の具体的操作がまだよくわからない。

よくわかってもらえれば、83さんもできるようになるでしょう。努力します。
「『象は鼻が長い』を使って2、3行の文章を作る」ようなときには「かたち」は使いません。
(がんばれば使えますが、今はちょっと手応えがありません。すみません)
通常の言語操作で不足を感じるときや、「困難」にあえて挑むときに使います。
「公園」のほうの例でなにかやってみます。
189:03/02/20 04:49
>>186
83さんの疑問に的確に答えられればいいのですが・・・・

「公園は、ブランコが揺れている」は、違和感がありません。あくまでかたち的には。
(まったく違和感がなければ、私の文章いまよりヘンになるでしょう)

素直に受け取れば公園の情状の表出として察知します。かたちであつかうと181で
(遠回しに)言ったように、対象に生命感が付与されるので。
「公園てば、ブランコ揺れてるけどなんかあったの?」という感じです。
「誰もいないので、公園はひとりで滑り台をすべった」とか。

動作・作用・性質を名前と見たり、性質を動作と見たり、行為を名前と見たりすることは
よくあります。それをふつうの言葉に翻訳しようと試みるのは好きです。



190:03/02/20 05:29
>>182
>もし善をテーマに本を読んだり考えてゆけば
美以上に善が存在感をもった動物的なものになりそう?

経験的に言えば、無理そうです。
もし、そんな影響を与えてくれた本があったら、それは忘れられない本の一冊に
なると思います。

>また自由についても意図的に興味をもつことで
怪しさは安定したものに変えてゆけそう?

このアヤシサはいろんなものと有機的に絡んでいて、私的に強い説得力があるものですから
安定しそうにありません。安定するとしたら、大きな認識の変革を伴うでしょう。
191:03/02/20 05:50
>>183
>メンジャースポンジについては、ここに2次元画像が載っていたよ。
http://member.nifty.ne.jp/tamamim/hobby/fractal/gasket.html
なるほどっていった感じだ。SF映画「キューブ」の舞台設定似てなくもない。

探してくださったんですね。ありがとうございます。
でも、これも「文体」の微妙さみたいなものか、立方体として見るのと生々しさがちがうようです。
もし初見がこのページだったら、私はピンとこなかったかもしれません。
192:03/02/20 05:59
「キューブ」検索してみました。
これは・・・・・間違いなく好きです(w
「最小限のセットで最大限の効果」の極北ですね。
193考える名無しさん:03/02/20 09:04
その自由ってのは「自由意志」みたいなもの?
それなら、怪しいっていうのは全くよく解る
194:03/02/20 09:18
あちゃー、>>189の末尾書き間違えた(「行為を名前と」のところ)。修正。

動作・作用・性質を名前と見たり、性質を動作と見たり、名前を行為と見たりすることは
よくあります。それをふつうの言葉に翻訳しようと試みるのは好きです。

>>193
その線です。
195考える名無しさん:03/02/20 10:16
1さんへ
わたしも同じように経路で思考します

相手の言っていることがわからないときは経路がめちゃくちゃになります
さらに確証バイアスの影響ももろに受けるので絶えず補正してます
補正しすぎることもたびたびです
だいぶ不自由な局面もあるのですがどう対処してますか?
特に恋愛の初期などに、こんがらがった経験があります。

196:03/02/20 16:50
>>195
おお、同士あらわる!と、よろこびたいところですが、
私の言う径路と195さんが言う経路は同義語ではないような気がします。
私の場合は径路は思考のインフラにあたりますので、めちゃくちゃにはなりません。
乱れたり補正されたりする列車ダイヤではなく、線路のほうです。

確証バイアスというのは、他人のですか?
だとすれば、そんなに真剣に議論を挑んでくれる友人がいらしゃるのは幸運だと思います。

もう少し接点を探ってみたいので、よろしければもっとお話を聞かせてください。
ついでに言えば、私の恋愛はいつも初期です(w
197195:03/02/21 13:08
>>196=1
おなじ感覚を持った人に一人しかあったことがないそうですね(疑惑)。
わたしの周囲には普通にいます。話せばすぐわかりますよね(期待)。

もしかしてわたしがあなたのことを理解できていないのでしょうか(不安)?

同種の相手に自分の望む結論を出して貰いたいときには、
経路が見えるから、先にまわり線路の切り替えを行ったりしませんか(自信)?

異種の相手でしたら感情をぶつけるしかないのですが(  )。


最後の( )内にはどんな言葉がはいりますか?
また、わたしが入力した言葉はあなたの感覚にぴたりとはまりますか?

ちなみにわたしは♂でした。
198考える名無しさん:03/02/21 13:15
ゆ が同じ経路を持っています。
199195:03/02/21 13:41
>>198
ゆ にはどの板にいけば会えますか?
教えてください。

っていうか、みんな同じじゃないの?
200:03/02/21 13:57
☆やっと見つけた宝物☆
http://bbs.1oku.com/bbs/bbs.phtml?id=rantyan
201ごま:03/02/21 14:27
>1
話が戻ってすんまそん。
小説を読むときの話で、「文章だけだと状況が把握できないときなどは、
立ち止まって映像化します」との事なのですが、
これは意図的にやることなのですか?
私は自然に映像化される物のみで読書しますが
それは普通だと思いますか?
202ごま:03/02/21 14:34
>1
また
>「描写にしたがった映像を脳裏に描いたりはしません」
と言うことは、自然に出てくる映像以外では読書するときに
何を必要としますか?
203考える名無しさん:03/02/21 14:54
>>28
>泣いている子を目線で泣き止ませるの得意。

それは子供があんたのヤバイ目つきに怯えてるんだよ。

ときどきそういう逝っちゃってる奴がいる。
子供が怖がるのでやめてほしい。
204195:03/02/21 15:29
>>201,202
仮に
新聞の論説を読んでいるとして
知らない言葉(単語)が出てきたら
どうしますか?

とりあえず暫定の形を決め、そのまま読み進み
あとから理解するって作業してますよね

これが1さんのいう経路のことじゃないでしょうか

それが論説でなく小説だった場合
通常、描写が次々映像化されてくるのですが
知らない単語に出会うと
経路を使う頭のOSが立ち上がり、そこに保存され
描写がつかめたところで、落ちるって感じですよね。

誰だって同じだと思いますが違いますか?
205ごま:03/02/21 16:12
>>204
いや、まったくそのとおりなのだが、
どうも文面からちょっと違うイメージを連想してしまった。
要するに、浮かんでくる映像の割合が普通の人より少なく、
1さんが言っている「概念の立体的な形」で文章を読んでいるような感じ。

1さんは立体的な形と言っているのでなんとなく右脳型に見えて
実は理論的な左脳方のような気がする。
話がそれてしまいました・・・。
206195:03/02/21 16:56
>>205
絶対音感を持つ人は音を映像で捉えるんでしょ(私は限りなくゼロ)
しかも切り替えが自在だそうじゃありませんか
考えたり、読書したりするときにだってわたしたちは
切り替えてますね

1さんは切り替えを行わず左脳よりむしろ右脳で
すべての処理を行っているとは考えられませんか?
1さんは
例えば
飛行機に乗る前に「飛行機落ちろ!」などと言われると
腹が立つでしょうか?
207ごま:03/02/21 17:13
>>206
誰もが持っている感覚を普通の人より
論理的に説明しているとは考えられませんか?

自分自身が右脳よりなためそう思いました。

>1さんは
>例えば
>飛行機に乗る前に「飛行機落ちろ!」などと言われると
>腹が立つでしょうか?
どう言う意味でしょうか?
208-:03/02/21 17:16
兵庫県三田市でロリコンの中学教師が児童にイタズラ!!
教師ってのはみんな ロリコンで社会に適応できない精神障害者だ
から仕方がないんだけど それが1にかぶるわけよ。
それよりさー、吉野家の祭り 2月22日 明日だぜ 行かないの?おまいら
俺は勿論 「大盛りねぎだくギョク」で決めるけど
209:03/02/21 17:43
>>203
よほど、子どもを見る眼に自信をお持ちなんですね。
203さんの口調に私が怯えてしまいました。

もちろん子どもに対しては、いきなり頭ごなしに決め付けたりしないんでしょうけど。
210203:03/02/21 17:46
>>1はたぶんに思い込みの強い性格とみたが、
それはともかく共感覚については、その可能性は
あるかもしれない(ただ実際にそうかどうかは
もっと詳しく調べてみる必要があると思う)

径路云々に関していえば、フローチャートの
ようなものとも思えるし、そうでなくて、
もっと摩訶不思議な想像しがたいものである
ようにも思える。
211203:03/02/21 17:48
>>111
>幼稚園のころ好きだった言葉は「ぼくは口がきけない」
>小学生のころ好きだった言葉は「ぼくのおかあさんには子どもがいません」

禅僧の素質があるな(笑)
212:03/02/21 18:08
>>197
>もしかしてわたしがあなたのことを理解できていないのでしょうか(不安)?

私のほうは、195さんのことを理解できていません(不覚)。

>同種の相手に自分の望む結論を出して貰いたいときには、
経路が見えるから、先にまわり線路の切り替えを行ったりしませんか(自信)?

これは、どんなふうにするのですか?態度で?それとも言葉で誘導?あるいは相手の経路に
念のようなもので直接触れるのかな(興味)?

>異種の相手でしたら感情をぶつけるしかないのですが(  )。

この最後の( )は、私なりの答えでよいのなら(スポーツ)です。
213:03/02/21 18:14
>>201
>小説を読むときの話で、「文章だけだと状況が把握できないときなどは、
立ち止まって映像化します」との事なのですが、
これは意図的にやることなのですか?

 意図的にやります。

>私は自然に映像化される物のみで読書しますが
それは普通だと思いますか?

 普通だと思います。
214:03/02/21 18:17
>>202
>「描写にしたがった映像を脳裏に描いたりはしません」
と言うことは、自然に出てくる映像以外では読書するときに
何を必要としますか?

 「読んでいる」ことを意識しないこと。
215:03/02/21 18:22
>>206
>飛行機に乗る前に「飛行機落ちろ!」などと言われると
腹が立つでしょうか?

 飛行機の身になれば腹が立ちます。


216ごま:03/02/21 21:29
ちょっと質問なんですけど、
よく、「言語で考える」って聞くんだけど、
例えば、英語圏で生活したら思考も英語でするようになったと・・・
私にはそれがどんなものか理解できないのですが・・・。
217:03/02/21 23:29
>>216
それは、そもそも「言語で考えるということ」が理解しがたいということでしょうか?
それとも、「母語による思考が第二言語による思考に変化すること」が理解しがたいのですか?
218考える名無しさん:03/02/22 01:22
似たような概念は「あるいは」とか「又は」という経路で
つながってるわけですよね?
呼び名が違うだけでまったく同じ概念の場合は経路では
つながらないですよね?英語を始めて学んだときなんか
おそらく同じ概念に英語と日本語のラベルを貼っていたはず。

で、疑問なんですが・・・
同じと思ってたが学ぶうちに微妙な違いがわかってきたときは
頭の中ではどうなるのでしょう?経路が発生して分裂するとか?

もう一つ疑問。
勘違いしていたことに気づくときは
頭の中の概念に間違ったラベルを貼ってしまったと気づくのか、
概念そのものの形やつながる経路が変化するのか・・・
219ごま:03/02/22 01:32
>>217
「言語で考えるということ」が理解しがたいということです。
220考える名無しさん:03/02/22 03:30
病気です。 >>1
221:03/02/22 09:15
>>218
>で、疑問なんですが・・・
同じと思ってたが学ぶうちに微妙な違いがわかってきたときは
頭の中ではどうなるのでしょう?経路が発生して分裂するとか?

 恥ずかしい話ですが、ぼくは中学生ぐらいまで「神父」と「牧師」というふたつの言葉を、
「類義語」ではなく単一の言葉と勘違いしていました。
宗教的な背景に無知だったために、「かたち」としては同一に感じたもので。
気付いたときの印象ををたとえると
「いままでひとりの人物だと思っていた知人が、ある日双子だと分かった」ときの感じです。

マイナーな引用で恐縮ですが、『ガンパレードマーチ』の「○○先生交替時間」のイベントが
この経験にそっくりの「かたち」でした(w

222:03/02/22 09:37
>>218
>もう一つ疑問。
勘違いしていたことに気づくときは
頭の中の概念に間違ったラベルを貼ってしまったと気づくのか、
概念そのものの形やつながる経路が変化するのか・・・

 説明不足だったようです。 私の言おうとしている径路は、概念間の位相的な配置や連想経歴によって形成されたネットワークのような
無時間的(遷時間的)な「構造」ではなく、リアルタイムの「行為」であり「操作」です。
径路とは「かたち」に触れて操作してゆく行為のうち、技法的に非常に洗練されたもの、
つまり、〈過程を省略して一気に「かたち」を別の空間に運んでくれるもの〉と解釈しています。

たとえてみれば、感情が、
「使い込まれて洗練されパターン化されて、過程を省略した高速の思考」であるように。



223:03/02/22 09:43
>>218
なんだか回りくどいレスになってしまってすみません。
218さんへの直接の答えにはなってないし・・・・・

おつきあいくださるなら、だんだん外堀を埋めていきましょう(w
224あちょー:03/02/22 10:48
>>1
径路の考え方でメリットはあるのでしょうか。

>>103
これは自由についての説明でしょうか。自由には禁制の領域が
あるということでしょうか。
225ごま:03/02/22 13:11
で、言語で考えるって自分には分からないのですが・・・
誰か答えていただけませんか?
普通の人は、言語で思考するものなの?
226でつ。 ◆DETSubie.M :03/02/22 13:14
でつは言語で思考するでつ。
227ごま:03/02/22 13:21
>>226
うすうす分かってはいたんですが、自分はどうも違うらしいです。
もうちょっと具体的に教えていただけませんか?
228人形川:03/02/22 15:22
「考えてるときの内面ってどうよ?総合スレ」みたいになってきましたな。
今までにない新鮮なレスが多くておもしろい。
229考える名無しさん:03/02/22 15:59
>>227
頭のなかでしゃべります。単純。

ごまさんはどういうふうに考えるのですか?
230ごま:03/02/22 18:38
>>229
それは言葉が頭の中で鳴っている感じなのですか?

僕は考えている時、言葉は有りません。
話したり、書いたりするときだけ言葉に変換します。

231229:03/02/22 19:16
>>230
頭のなかに口があって、そいつでぶつぶつしゃべってる感じです。

ごまさんはなにによって考えるのですか?
232ごま:03/02/22 19:37
>>231
と言うか、なにかによって考えると言う感覚が分かりません。
考えるときは一瞬なので何も必要としません。
まあ、あえて言えばイメージみたいなものはあるかも。

229さんのようなのが一般的なのでしょうか?
233229:03/02/22 19:47
>>232
思考が常に一瞬で終わるんですか!?それはすごい。
いやマジで。
234ごま:03/02/22 19:54
>>233
んー具体的に例を挙げないとなんともいえないけど、
言葉はありませんね。ぜんぜん会話にならない人とかたまにいます。
おそらく思考の仕方がぜんぜん違うのでしょう。
僕はあなたのような考え方の方が社会生活に向いていると思います。
235229:03/02/22 20:02
>>234
結論が出たとき、結論までの過程がわからなくて困る、といったことはないのですか?
236218:03/02/22 20:45
>>222
経路のについては感情の例えで納得です。
感情の表現についてはうまいこと言うなと感心しました。

本を読んで納得できるときというのはどんな場合なのでしょう?
うまく経路がつながるときだけ?

ところで>>1さんも生きている以上日常レベルで何か強く信じていること
や自分に言い聞かせていること又は好きな言葉などがあると思います。
例えば「世の中金がすべてだ」とか「〜は絶対嫌だ」とか「自分らしく」など・・・
で、何か強く思う場合、長期に渡って信じる場合・・・
概念のかたちが大きくなったりは経路が太くなったりするのでしょうか?
それともかたちは変わらずに経路も特別なものにならず、高速化するだけ?
・・・今気づきましたがそもそも経路は「かたち」となって現れるのか?
あくまで経路というのは行為であり思考上の洗練された技法?
237ごま:03/02/22 22:26
>>235
ちょと言ってることが分からないな・・・
具体例を挙げてみていただけませんか?
238229:03/02/23 01:03
>>235
「考えるのは一瞬」というカキコを「前提から結論まで一瞬」と解釈し、
それだと推論の過程が分からなくなりはすまいか?
と、考えたわけです。
23983:03/02/23 01:19
いやー、興味ぶかいなあ。
人間の思考方法ってのは、けっこう違うもんなんだ。
24083:03/02/23 01:24
「多少差はあれ、みなだいたい自分と同じよう思考している」
というのが本当にただの誤解であり、偏見に過ぎない事がわかった。

そして1さんのよりも、ごまさんの方が珍しいcaseかも知れない。

そして、
「言葉を発しないでは、しゃべることができない」
人は十分いる可能性があると思った。
241229:03/02/23 01:32
ごまさんの内面はちょっと手がかりが少なすぎて今までのカキコだけでは想像がつかない。
ごまさんもこっちのことが分からないようだし。
おもしろいものである。
242ごま:03/02/23 02:30
>>238
まず僕自身論理的な思考はあまり得意としません。
一瞬で出た結論の断片がたくさんある感じかな?
文章を書く場合自分の中に一貫した考えがあるので問題は有りません。
むしろ文章を書くのは好きな方です。(昔は苦手で、小学校のころの
作文の提出は一切したことがありません)
>「言葉を発しないでは、しゃべることができない」
もうちょっと詳しく聞きたいです。

んー今文章を書いていてもやっぱり言語による思考は一切してないなぁ・・・
243考える名無しさん:03/02/23 04:03
くそーーーー俺が苦労して音声言語を用いない高速思考を
研究中だというのに天才は生まれつきできるということかよーーーーーーーー


「言語や言葉は、書いたものであれ話されたものであれ、
私の思考のメカニズムの中ではほとんど何の役割も果たしていないようだ。
思考の要素として役立つと思われる霊的なものは、ある種の記号と、
自由に複製したり結合したりできるいずれにせよ鮮明なイメージである。」
―――アルバート・アインシュタイン


ところで1さんの思考は高速?
244ごま:03/02/23 04:11
>>243
いや、それが出来てもほとんど何の役にもたたないよ!
2451:03/02/23 07:30
>>240
>「言葉を発しないでは、しゃべることができない」

いますね。たまに、考えようとすると口に出ちゃう人。
声を出さずに考えられない人。読み書きのできない年配の人に多い。
もしかして意味がちばうかな?
2461:03/02/23 07:47
>>224
>径路の考え方でメリットはあるのでしょうか。

 径路の表現は私のなかの「自然の風景」の描写ですから、メリットによって択び取ったものではありません。
「目の前に川があり、向こう岸に森が、遠景には山が見えるとのことだが、なんのメリットがあるのだろうか?」と問われている感じです(w

 質問の意図が「通常の思考との機能的な差異」という意味であれば>>183>>185で、
83さんがまとめてくださった表現が的確でした。


2471:03/02/23 08:12
>>224
>>103 これは自由についての説明でしょうか。自由には禁制の領域が
あるということでしょうか。

>>7に書いたような冒険をじつは何度もやったんんですが(この辺を書くとまた「思い込みが強い」と言われそう(w
思い切って表現してみると、「禁制の領域」には安全装置があって、
その辺に触れると「狂え」もしくは「死ね」という命令が暗黙裡に発動する、と洞察がありました。
子どもなりの感じ方ですから許して(w
「自由」を触っていると、その装置を作動させる「かたち」を作ってしまいそうにな悪い予感がする、
ということです。
子どものころの妄想のなごりです(と自分をフォロー)。

2481:03/02/23 08:37
>>243
>ところで1さんの思考は高速?

日常的には低速すぎて困っています。
「かたち」で考えるときは、「速く考える」というより「大きく考える」という感じです。
私達は、「無限」とか「自由」とか「神」とか、さしあたって定義できない概念についても考えることができます。
このとき「大きな概念」について考えるたび、その概念にまつわる思考や連想履歴(あるいはその概念の全体像)を
まるごとダウンロードしていたらすぐにオーバーフローしちゃうでしょう。
言葉というラベルは、メモリを大幅に節約してくれます。
「無限」とか「存在」という名前を唱えれば、それにまつわる「けはい」だけで思考できてしまう。
これは神秘的なことだと思います。

「かたち」で集中して考えるときは私はほとんど完璧に上の空です。
ふだん外界向け、肉体向けに割り当てられているメモリ領域も全部思考に援用して、
先述の「けはい」をもっと精緻にして、概念の全体像らしきものをあらわしてくれる、
という感じです。
蝕から外れて惑星の向こうから姿をあらわす太陽の光を、宇宙空間から眺めるような荘厳さ壮大さがあって、
なかなかのエンターテインメントです(w

2491:03/02/23 08:41
>>245の末尾の「ちばうかな?」は「ちがうかな」です(w 
造語ではありません。
2501:03/02/23 08:57
「かたち」による思考の限界は、私のアクティヴメモリの残量不足です。
重量比で、身体でもっともカロリーを食うのは脳だそうですが、脳が非常に活発に働いているときは、
消費カロリーの40%近くが脳で使われるようです。個人差はありますが。
あまりにも「上の空」状態を長時間続けると、気がついたときには低血糖で立ち上がることもできません。
体重も減ってるし・・・・・・・・。

将棋指しは、白熱した対局のあとは2、3キロ体重が落ちるそうですが。
「思考」は最高のダイエットかも。
たまに太った学者もいるが(これはソプラノが太り気味なのと似てるかも。つまり非日常の消費ペースで
日常も食っちゃうから)。
2511:03/02/23 09:23
>>242
そのカキコをするときも、頭のなかで文章に変換しないのですか?
思考→文章間の翻訳ソフトみたいに一発変換で直接カキコできるの?
252ごま:03/02/23 21:07
>>251
>そのカキコをするときも、頭のなかで文章に変換しないのですか?
>思考→文章間の翻訳ソフトみたいに一発変換で直接カキコできるの?
上下の文の意味は違うの?

>言語や言葉は、書いたものであれ話されたものであれ、
>私の思考のメカニズムの中ではほとんど何の役割も・・・
僕はおそらくアインシュタインと思考回路は一緒だと思います。
でもはっきり言っていやです。
特定の人と会話にならないし、特に女の子・・・
普通の思考回路になりたい。
253考える名無しさん:03/02/23 21:15
>>250
棋士のそれ、ちばうよ。主に発汗によるものだよ。
254考える名無しさん:03/02/23 21:18
>>252
それちばうよ。女の子と話したいなんて、いたって普通の思考回路だよ。
255考える名無しさん:03/02/23 21:53
ちばう、ちばう。
2561:03/02/24 00:05
>>253
発汗ですか、あれは。自分の体験に引き寄せて考えてしまいました。
しかし、じっと座って2,3キロ汗をかくというのもまたすさまじい。
2571:03/02/24 00:37
>>252
>上下の文の意味は違うの?

 ごまさんならぬ身としては、完全に想像で書いていますので、なるべく質問の意図が明白になるように、
冗長に補足してしまいました。
ごまさんが文章を書くときの内面の様相を知りたかったのです。

言語思考しない人が文章を書く場合、たとえば
 1.一発変換で直接カキコできる。
 2.文章化の過程さえ意識していない。自然に文章になる。
 3.文章化するときは脳内でも言語を使うが、それは思考とは別問題。
 4.思考を文章化するのは困難。口に出してみて、その言葉を写す。
 5.とりあえず書く。書いたものを自分の意図に合うように直してゆく。
などなどいろんなパターンが想像できますが、ごまさんにとっては当たり前でもこちらにとっては
五里霧中なんですよう(涙
258ごま:03/02/24 01:06
>>257
2.文章化の過程さえ意識していない。自然に文章になる。
3.文章化するときは脳内でも言語を使うが、それは思考とは別問題。
となるが、自分では良く分からない。みなさんは違うのですか?

1さんなどは、思考する場合どのように言語が関係してくるのですか?
2591:03/02/24 01:40
>>258
私が言葉で考えるときは、頭のなかで誰かに話しかける感じです。
「今度会ったら、あの人にこの話してあげたいな」と思うことありますよね?
で、「どんなふうに話そう、どんなふうに話したらよく伝わるかな」などと考えつつ
その人が目の前にいるつもりになって、私はよく頭のなかで会話の予行演習をします。
こういう感じなら、想像つきませんか?

私なりに「かたち」と関連づけて言えば、
言葉で考えるメリットは、容量がかからないので楽だし、「かたち」やイメージで考えたことも、
いったん言語化しておくと、記憶に残りやすいようです。
「かたち」は自由自在に変えることができませんし、どこに行き着くか予測がつきにくい。
その点言語はずっと自由で、目的に沿って意図的に考えることができます。
「かたち」は探検向きで、言語は実用向き、という感じです。
260ごま:03/02/24 01:56
>>259
やっぱり、言葉で考えた方が理論的に考えられそうですね。
でもそれだと、言語化しているものと言語化していないものは、
どうやって区別されるのですか?
「かたち」のような物を言語で呼び出すと言うことですか?

僕の場合は単純に言語化されていないだけと言う事でしょうか?
2611:03/02/24 02:12
>>260
「呼び出す」は近い感触です。
思い切って比喩で表現すれば、「言葉」という呪文で「概念」という魔物を召喚する、みたいな。
意識が向いているのは言葉、操作するのも言葉です。
言葉の背景で、言葉の命ずるところに従って、概念は移動し、変形し、化合するのです。

じっさい、魔法みたいなものです。言葉というものは。
262ごま:03/02/24 02:19
言語化されていないものは?
2631:03/02/24 02:38
>>262
どんな曰く言いがたいものも、他人に説明する必要がなければ、とりあえず自分には伝わるレベルでなら
なんとか言語化できるものです。
名前は一種の定着液みたいなもので、捉えにくいものも名前を付けておくと、
後から呼び出しやすく、また、連想も結びやすい気がします。
「忘れないようにメモ!」みたいな。

だいたい、書き記しておかなくても忘れないようなインパクトのおるアイディアは凡庸なことが多いもの。
一瞬脳裏をよぎって、それきり忘れられてしまうようなアイディアのなかにこそ、宝物があると思っているので、
言葉にできそうにないことも習慣的に言語化してしまいます。

264711:03/02/24 02:55
初めまして。
私はまだ、始めの100件と最新の50件を、
1さんとごまさんの発言を中心に見てきただけだとお断りしておきます。
私個人の経験のみを基盤にしますが、
ごまさんの思考方法はごく普通のものだと思います。
よく、「思考は言語ではなく、シンボルでするものだ」と言われておりますし、
この言葉がよく分かると仰っている方が私の身近に居ります。
この事は、私も実感として分かります。
ですから、そう重荷にお感じになる事はないと思います。
あと、1さんは言葉の曖昧さがお気になられるのでしょうか?
ひょっとして、それらの言葉は、翻訳語がほとんどではありませんか?
的外れでしたら、ごめんなさい。
2651:03/02/24 03:45
>>264
いらっしゃいませ。

>1さんは言葉の曖昧さがお気になられるのでしょうか?
ひょっとして、それらの言葉は、翻訳語がほとんどではありませんか?

 言葉は曖昧だからこそ、使いでがあると思っています。
 
 追伸  翻訳語も翻訳文体も大好きなんですよ。俺。

>的外れでしたら、ごめんなさい。

 「的外れ」なんてそんな。
 当たろうが当たるまいが、言葉が発せられれば、そこからなにかが始まるのです。
 なんちて自己弁護だったりして(w
266711:03/02/24 04:20
あれ?
1さんはもしかして「無題」の1さんと同じ方なのですか?
私は先程「ド素人」として発言した者です。

すいません。文章の主旨を明確にします。
1さんは、例えば、「時間」を実感された事がありますか?
恐らく、何かしらの体験でお有りだと推察致します。
その感覚は、「時間」という言葉の音とすぐにしっくり馴染みましたか?

馴染めなかったのでしたら、恐らくそのの原因は、
「時間」が翻訳語だからではないか?と。

「いにしえ」が「去(い)にし辺(へ)」であり、「祈り」が「異宣り(いのり)」
[字が合ってたかな?]である様に、しっくり来ましたか?

と、そんな主旨だったのです。

分かり難かったですね。
失礼しました。
267711:03/02/24 04:25
すいません。もう、寝ます。
268あちょー:03/02/24 05:11
>>247
自由について言い表す場合、「禁制の領域」「安全装置」という
説明で理解されるでしょうか。それはイメージから得ていようと
すでに言葉という伝達手段なのです。
子どものころの妄想であるなら、現在はどのように考えて
いるのでしょうか。また、「禁制の領域」「安全装置」というイメージが
浮かんだ理由は何だったと思いますか。
269考える名無しさん:03/02/24 05:41
面白かったです。
1さんの書き込みは取り敢えず全て読ませてもらいました。

ちなみに、私は頭の中に言語以外のものが発生する事はほとんどありません。
思考も全て論理思考であり、テキスト体の組み合わせです。

「優しい」と言う言葉を想像しても、優しいと言う定義が言葉で発生するのみです。
最近は優しいと言う感覚すらほとんどありません。
困った事に、他人にやさしくされてもなんとも思わなくなりました。

他人に優しくする時はほとんど演技です。
優しくないと嫌われる、と言う経験が演技を生み出しました。

ちょと変な方向に話が進んできましたが、
その演技は「過去の同一パターンの一致」であり、
決して自己や他者の感覚から「優しい」を求めません。
論理的な言葉の組み合わせによって「これは優しい行為だろ」などと推察します。

ちなみに、これを人に言うのは初めてです。
言うと100パー悪い雰囲気が流れると思っているので。
顔も知らない人なので楽に書く事が出来ました。

やっぱ変ですよね?俺。
270711:03/02/24 08:09
おはようございます。
朝っぱらから、いきなり無関係な話をします。

最近知ったのですが、
「哲学の根本原理は、疑う事にある」
と言う考えが、割と一般的なものとして罷り通っている様です。

「随分とまあ、人聞きの悪い事を(笑)」、と言うのが私の感想です。

もし仮に、私の行っている事が「哲学的な営み」であるするならば、
厚顔無恥の汚名を恐れず断言いたしますと、
「哲学の神髄は、信じる事である」
とまあ、こうなります。

蛇足的な解説を致しますと、
先ず自分の感覚、感性を信じる事であり、
また、感性と知性は二つのものではないので、
結局の所、自分を信じるという事に尽きてしまいます。

私としては、
自分の考えのどこかに、底も見えない程深い落とし穴があるのではないか、
大きすぎて気が付けないほどの落とし穴があるのではないか、
まだまだ未知の性質の落とし穴があるのではないか、
という事が頭から離れない内は、
自分の考えは、信頼のおけるものではないかな、
と思っています。

では、朝飯にします。
失礼しました。
2711:03/02/24 09:23
>>266
>あれ?
1さんはもしかして「無題」の1さんと同じ方なのですか?

 言われてちょっと覗いてみました。確かに似てますね。同種の問題にとらわれて七転八倒したことがあります。
高校のときのホームルームで、いきなり「自由と決定論」の話題になり、先生を交えて大激論になったことが(w
このとき「すべてが決まってるんだったら誰も努力しなくなるじゃないか」とか言って、「問題」じたいを理解しない人が
相当数いることに驚いた記憶があります。

2721:03/02/24 09:46
>>266
>すいません。文章の主旨を明確にします。
1さんは、例えば、「時間」を実感された事がありますか?
恐らく、何かしらの体験でお有りだと推察致します。
その感覚は、「時間」という言葉の音とすぐにしっくり馴染みましたか?

 そういう意味でしたか。
それでしたら和語だろうと翻訳語だろうと、違和感感じまくりで、あらゆる言葉が自分の知らないうちに
すでに決められていることにムッとしてました(w
ただ違和感じたいに関しては、ある言葉がある意味を指すのは、約束と習慣の効果でしかないと思っていましたので、
かえって楽しんでいました。「どうせこの違和感は薄れていくのだろうから、いまのうち味わっておこう」みたいな。
ガキのころは、むかしむかし「この音の配列がこの意味を指す」と決めた会議のようなものがあったと
一人合点しておりまして、「その会議に出席したかったなあ」と何度も夢想したものです。
273711:03/02/24 09:50
「1さん」とは違う方でしたか。
大変失礼致しました。
「無題」で取り上げられている、議題の事ですが、
私は、解明へ向かう可能性を示す一つの端緒を見ております。
これは、あくまでも感覚を基にして、
更にその上に思い付きを乗っけた様なものでしかありません。
ですから、この事は、
昔から付き合いのある、極々親しい人達にしか話せません。
思い付いた日の夜は、自分が狂ってしまったのではないかと、
本気で思いました。
多分、始まりは「無題」で「1さん」に紹介した書籍だと思っています。
すいません。
少々このスレッドのテーマから外れてしまっていますね。
2741:03/02/24 09:53
>>268
すみません。なんとなーく察してください。板違いになります(w
275711:03/02/24 10:01
1さん。
大変不遜な言い方で、失礼と言うよりは、
無礼になってしまうかもしれませんが、
件の書籍を1さんもお読みになっては如何でしょう。
読み取られたものを基にすれば、
現在では極めて曖昧な「哲学」という言葉は、
生まれ出でて当初の時代では、
「雨」や「靴」等と同じ程度に
具体的な像を指し示していた事が想像出来るのでは、
と思います。

何やら、話が怪しくなってきましたね(笑)。
2761:03/02/24 10:10
>>269
いえ、ぜんぜん変だと思いません。
みんな模倣から始まったことを普通は忘れてしまうのですが、忘れないで成長してしまう人がたまにいるようです。
269さんと似たところがある親しい友人が二人いますが、彼らはとんでもない相談を持ちかけてきます。
「俺、悩みたいんだけどさ、悩むってどうするの?」とか
「今度恋をしてみることにしたんだが、誰を好きになるのが無難かな。どっちかっていうと実る恋のほうがいいんで」とか(w
後者は経済学を学んでいたんですが、いきなり大学入りなおして精神科の医者になりました。
私はぜったいやめろと言ったんですが(あいつには診てもらいたくない)。
277711:03/02/24 10:34
さてと、もうそろそろ失礼させて頂きます。
このサイトには、言葉(言語では無い)に、
誠実さ、忠実さ、真剣さを抱いておられる方が絶無の様です。
非常に残念でなりません。
それでは、さようなら。
来月の最終土曜にもう一度だけ覗きに来ます。
2781:03/02/24 10:42
>>277
ごくろうさまです。
711さんの270以降にレスしようと、じ〜っくり考えていたんですが、しばらくいらっしゃらないなら
もっと、じ〜っくり考えることにします。
279あちょー:03/02/24 10:45
>>274
自由については哲学でいいと思いますよ。板違いではないです。
自由から「禁制の領域」「安全装置」が出てくる理由について
察するにも、それはあなただけの理由なのであれば察しがつきません。
280ぴかぁ〜:03/02/24 10:55
これは精神科の問題やろ。
281あちょー:03/02/24 11:05
>>274
径路の考え方によって、自由から「禁制の領域」という
イメージを導き出したわけですね。それがどのような仕組み
なのかわかれば径路の考え方もわかると思うわけです。
2821:03/02/24 11:29
>>279
そのへんをスルーしようとしている理由は、いまだにダメージがあるからです。
「禁制の領域」に触れると「バチ」が当たると、こういうわけです。
つまり板違いと言うのは、オカ板かメンヘルの話題になっちゃうな、ということです。
不親切の段、ご容赦ください。
あまり人に話したことのないことを話しているので、少々バランスを欠きました。

これでもわかりにくいと思うので、捕捉します。
「かたち」を動かした結果は予測がつきにくいので、いいことばかりではありません。
たとえば「大きな石をひっくり返したら、その裏にフナムシがびっしり・・・・・・」みたいなこともあるわけです。

うーん、だめっぽいですね、このレスも。
2831:03/02/24 11:40
>>281
いえ、自由から引き出したのではありません。
子どもの頃偶然入り込んでしまった「禁制の領域」で感じた気配と、
似た気配を自由がまといつけている、ということです。
「禁制を犯しちゃった」と思った経験のほうが先行します。

とりあえず、レスしていますが、自分としてもこんな表現では不満です。
申し訳ない。
2841:03/02/24 11:41
>>280
そう言われると思いました(w
285あちょー:03/02/24 12:41
>>283
それは自由に歩いていたら入ってはいけないところに入り込んで
しまったということでしょうか。だとしたら、1さんの歩くという能力を
発揮することも自由といえるのですが、歩いたり止まったりする
判断も能力ではないでしょうか。
僕は、自由とは、機能や能力を発揮することだと考えています。
でもそれはコントロールされてこそ発揮できると思います。
286考える名無しさん:03/02/24 14:32
俺の思考は一部除いて完全に言語的だよ
頭の中で議論が常に起こっているような感じ
考え事を始めて気が付くと頭の中の登場人物達が勝手に議論を進めている
287考える名無しさん:03/02/24 16:21
>1の使ってる「共感覚」の意味にちょっと疑問があるんですが。
自分は音楽、特にリズムに対して図形や記号が見えるという共感覚を持ってるんですが、
この場合、自分で集中して探したり瞑想したりするようなもんじゃなくて、どんなときでも、どんな環境でも
無条件に見えるんです。それは聴覚と視覚という直接的な「五感」が結びついてる状態で、
自分にとってはいわばあたりまえに感じられます。

それに比べると>1さんの現象は言語という抽象概念を努力して視覚イメージに意識的に置き換えてるような気がして。
それって、共感覚というよりは、イメージの遊びに近いのでは?
2881:03/02/24 16:58
>>287
ふだん言語で思考してるときも自然に背景的にあらわれています。
イメージで遊ぶこともありますが、イメージを思い浮かべる場所とは別の空間にあります。
2891:03/02/24 17:02
>>285
すみません、文意がよく汲み取れません。
私は自由であるはずだ、ということですか?
290考える名無しさん:03/02/24 17:04
言語からイメージへ
イメージから言語へ

どちらの方向でも現れますか?
291P:03/02/24 20:03
イメージとは違うのです、ま、そのものなので。僕の思考体系は。
ある単語を考えるときには、他の語との相対的な位置関係によってその意味を思索していく。
ようは、裏と、逆と、対偶、に遠近感(強弱)を加えて考えてる。
「やさしさ」とはなんぞやと思ったときに、
それぞれの場所(つまりは裏等)にしっくりする言葉を思索する。
まだ不完全なので余りツッコミされても答えられないのだけど、
上のお題だと、「やさしさ」の遠近は「きびしさ」と「あまさ」で逆にあるものは「礼儀」
裏と対偶は模索中。
感覚的に言うならば、座標軸があるとしてそれにたいして、
各言葉の位置関係考えて相対的に地図を作って行く感じ?
大きな概念に対しては、個々の単語を考えながら組み合わせて行く感じかなぁ。
んで、言葉と言う概念に、直接的な形を持たせることは余りないかな。
292あちょー:03/02/24 20:19
293あちょー:03/02/24 20:22
>>289
すいません、自由という語自体には抑圧の意味はない
ということです。
294ごま:03/02/24 21:39
うわっ、言語的な人たちばっかりだ!
295考える名無しさん:03/02/24 21:47
296考える名無しさん:03/02/25 19:27
今日の一番乗り。

>>1さんのようにまで行かなくとも、
感覚的な能力を昔のレベルまで戻したい…。

言語能力のみ高まってくると、頭が弱くなってくるんだって。
物覚え悪い。思考速度遅い。思考発想力狭い。
老化のせいだと思ってたけど、言語能力が高まってきたせいだと最近知ったぜバッキューン
297考える名無しさん:03/02/25 19:47
ありえない。うそ。
なぜならば、自問自答とは?自問自答とは!言語で行なうからであるよ?従って
感覚も!感覚も?自問自答と同じくして言語で行なうので
すべて丸見えバカ
298考える名無しさん:03/02/25 19:58
>>297
そうでも無いのでは?
299考える名無しさん:03/02/25 20:27
>>297
つーかレスは言語でおこなってください。
300考える名無しさん:03/02/25 20:40
>>1
チョムスキーは読んだ?
なんか、言ってることが、生成言語理論に近いようなきがするんだけど。
301考える名無しさん:03/02/26 12:41
脳内思考が言語のみで行われるというのは間違い。
そもそも言語の発生よりも知覚や感覚、イメージの方が先行する。
感覚、知覚→感情→思考の記号化→言語化
よって、バカは>297

>>1はいたって普通
302考える名無しさん:03/02/26 13:41
言語獲得が完了する前に、その過程を創造的に先行してしまって、
生成文法が比較的ナマのまま、触覚イメージと結び付いて残存した。
という仮説はどうよ?
303考える名無しさん:03/02/26 16:00
>脳内思考が言語のみで行われるというのは間違い。
>そもそも言語の発生よりも知覚や感覚、イメージの方が先行する。
>感覚、知覚→感情→思考の記号化→言語化

君の持論は分かるが断定はできんよ
304考える名無しさん:03/02/26 16:11
確かに断定はできませんね。
やっぱり、臨床的に3次元イメージを絵に書いてもらうとかしないと
これ以上は、なんとも言えないな。
305いちせんせ:03/02/26 16:24
>>1
言語は世界の分節行為であり、対象の切り離しを行う役目を
担っている。
市村弘正「名づけの精神史」は読んだ?
306301:03/02/26 16:40
ちょっと考えていたんだが、これは>>302が言うような生成言語論とか、発達心理学の問題のような気がする。
通常思春期以降に言語能力が発達してくると>>301の過程が無意識下で行われるはずの作業を>>1は、意識化してるんじゃないかな。
>>302の意見も、もっともだと思う。
ある意味、>>1は無意識に近い下位の思考を意識化してるんじゃないかな。
自分が特別な能力を持ってるとは思わないほうがいいよ。
307訂正:03/02/26 16:44
>これは>>302が言うような生成言語論とか
>>300の間違いスマソ
308考える名無しさん:03/02/26 16:49
>>306
>ある意味、>>1は無意識に近い下位の思考を意識化してるんじゃないかな。
自分が特別な能力を持ってるとは思わないほうがいいよ。

それって特別な能力だと思われ(w
309考える名無しさん:03/02/26 16:54
行間のわからないヤシだな
310ごま:03/02/26 21:27
>>297
だから、俺は思考をするときに言語をほとんど使わないよ!
今まで、言語で思考する人がいると聞いたことはあるが、
このスレ来てホントにいたんだと思ったよ!
1は普通だよ。
311考える名無しさん:03/02/26 21:43
>感覚、知覚→感情→思考の記号化→言語化
なるほど。この全てを切れ切れにしたら狂うな。
3121:03/02/27 01:42
ちょっと来ないでいるうちに展開している・・・・・・。
でも>>297さんの言い切り方をみても、ごまさんのとまどいを見ても、
みんな「見えないところ」ではけっこうバラバラなことやっているんだけど、
そのことは意外に認識されていないんですね。
私自身認識を新たにしました。

3131:03/02/27 01:46
>>300
チョムスキーは読んだことはありません
チョムスキー派なら読んだことが

体験上、生成言語論はアリだと思っています
3141:03/02/27 02:01
>>290
抽象的な思考を行うときに特に前景化します。
イメージを扱うときは同時に「かたち」を注視(接触)することはできません。遠景化しています。
「かたち」を他人に向けて伝えるときは「かたち」をイメージ化して描写するしかありませんが。
3151:03/02/27 15:08
>>305
市村弘正は挙げてくださった本と『ちいさなものの諸形態』をだいぶ以前に読みました。
尊敬すべき著述家だと思いますが、じつはこの手の筆致に弱いのです。
文体に手触りがなく「かたち」が作動しません。テーマは興味をひくところなのですが。
たまに読み返しては自分と異質な感触を味わっていました。
気になる存在です。
316290:03/02/28 13:28
ということは、言語→イメージの順序は弱くて、
例えば、自分の知らない言葉やなじみの無い言葉は「かたち」になりにくいということですかね。
3171:03/02/28 14:07
>>316
「かたち」はいつもあります。
「かたち」が作動しないと書いたのは、他人の文章であれ読むことによって
それと連動するように、遠景で「かたち」が推移するのですが、
(脳裏で思考の動きを指の動きとして回っている万華鏡みたいな感じでしょうか)
ときおり理解も共感もしているのに、どうも「かたち」がなめらかに推移しない、
ということがあります。
そういうときは、読み進むのに苦労します。
これは、言語→イメージとは別の文脈です。
318考える名無しさん:03/03/02 23:30
文字による高次観念世界の獲得がなされたことにより、
人類は文明的に飛躍することとなったが、
それは文字が言葉の首座を奪取したことに他ならない。

思えば2chも文字に拠って成立しているね。
3191:03/03/03 13:44
>>318
たとえば〈雪だるま〉という文字と「ゆきだるま」という音声と雪だるまの知覚像は
じつのところすさまじく懸け離れたみっつのものですよね。
このみっつを心のなかで抵抗なく「ひとつのもの」と信憑させる仕組みは大変な力業だと思います。
この三角形から少し身をもぎ離してみると、果てしない谷間に落下していくようでめまいがします。

そういえば、『子どもは小さな哲学者』という本の帯に引用されてた子どものセリフに
似たようなめまいを感じたことがあります。

「パパは、ブドウと今日とどっちが好き?」

言葉では言えない事はありふれていますけど、言葉でしか言えない事はどれもこれも
この世ならぬもの、という手触りがあります。

3201:03/03/03 13:46
>>302
それって採用したい気がします。
321人形川:03/03/03 16:00
>>319
俺もガキのころ、たとえば「ねこ」という言葉が、外国語だとみんな全然別のひびきだと知ったとき、
「意味とことばはもともとなんの関係もないんだ!」ということに気付いて、
どことも言えない場所に稲妻のように裂け目が走った気がしたよ。
322考える名無しさん:03/03/03 20:33
1さんは左利きですか?
3231:03/03/05 14:07
>>322
ナチュラルな右利きです。
324山崎渉:03/03/13 13:01
(^^)
325クープファー・ステレート・セル:03/03/20 22:30
おもしろいではないですか!? このスレ。俺が知らないうちにこんな話して。
もう終了ですか?
惜しみage
326OFW:03/03/20 22:51
たとえば・・・質問ですが、
 何故「自由」が禁制の領域なのか?をもう少し具体的に“きぼーん”

・・・ということで、少し参加をして見ようか、などと。ちゃて
327クープファー・ステレート・セル:03/03/21 06:28
>>326
根拠がないのに、しっかりクオリアがある。
ってあたりじゃないのかな。
328考える名無しさん:03/03/23 03:22
なんだか、ことだまににていますね。
329人形川:03/03/26 17:14
言葉って、使用者である俺らと関係ない目的がありそうな気がするなあ。
330大阪代表:03/03/26 18:16
ええからだまって1は病院いってきたらええのんとちゃうか?
3311:03/03/27 10:28
>>330
俺病気?
332クープファー・ステレート・セル:03/03/27 11:22
俺も考え事してるとき、ふと「あっち側」に行ける感じがすることがあって、
そのとき安全な状況だったら微妙な角度を擦り抜けるようにして「行く」。
自分という中心が見えなくなって、知覚も思考も記憶も風景のように同列になる。
裸みたいな、あらゆる事象が肌に触れているみたいな、ふだんは肉体をなぞっている
触覚が溢れ出しているような実感。
「あっち側」にいるときは、それが正常でふだんが異常って気分。
俺も病気ですかね(w
でも、子どものときほど、自由に往き来できなくなったなぁ。
333考える名無しさん:03/03/27 11:36
哲学となんの関係が?

ところで共感覚ってなんですか?
「概念や品詞に共感覚があるんですが」って、日本語としておかしく
ありません?
334考える名無しさん:03/03/27 11:41
「音に共感覚がある」とか「アルファベットに共感覚がある」とか言うのと一緒でしょ。
おかしかないと思うが。
335考える名無しさん:03/03/27 11:47

「音に色が見える」とか「アルファベットに空間を感じる」とは
言うかもしれないけど、「音に共感覚を持つ」とは言わないんでは?
「音と色のあいだに共感覚を覚える」とは言うかもしれないけど。

まあ、おかしくないんなら、それはそれでいいんですけど。
336考える名無しさん:03/03/27 11:59
>>335
「音と色のあいだに共感覚を覚える」場合、音と色は交換可能じゃない。
外界に起因する知覚と、それに呼応する内的感覚の関係だから。
ゆえに、他者に申告する際、
「現実に起因する知覚」に対して(内的な)共感覚がある、と言うのは妥当な表現と思われ
337336:03/03/27 12:02
1の場合はちょっと特殊だが同じ文脈で理解可能。
「概念・品詞」=対象、「かたち」=共感覚
338考える名無しさん:03/03/27 12:11
くどいようですが、

「共感覚」というのは synesthesia の訳語でしょ。そんなことは
最初から分かり切っているのだが、

「音を聞いたり、文字を見たりして(内的な)共感覚を覚える(持つ)」

という表現なら得心がいきます。
しかし「概念や品詞に共感覚がある」というのは、一見すると
“概念”や“品詞”が、「共感覚」を持っているように見えてキモチ悪いです。
日本語としてやはりマズいとおもいます。
339336:03/03/27 12:27
「に」を所有格と捕えればな。
目的格と捕えれば「概念や品詞に(対して)共感覚がある」で、キモチ悪くないと思うが。だみ?
340トパス:03/03/27 12:29
私はさ、言葉というのは二次的なものだと思ってるから
事実言葉なんて物は、物質がありそれを指し示すための「名称」
人間の内面の感情、心情、などの名称
行動などを名称(言語、文体的にはそれらをまた補助、
誇張などのテクニック的な意味で高度に進化してきたのかも知れないが)
が最初なんだと思う。(あれ、とか これとかが,それより先かもしれないなあ・・)
その前は「あーあー」「うーうー」とか音に感情とか意思を乗せながらの
意思表示の発音にすぎなかったと。

言葉や名称は、まず最初にその言葉が表現する「実態」がなければ
存在しなかったはずなのだから。
実態といっても常に具現的なものだけではなく
感覚的なもの、感情的なものと 物質と一般的に言われている物以外の
存在する物も表現あるいは名称として,指し示している。
(人間の感覚のバグなんかさえも,人間が察知してしまえば
名称をつけてしまう,幽霊なんかももそうだと思うけどこれはまだおおまかな
感覚でもっと突き詰めれば,細分化され,いろんな原因や理由が
浮き出てくると思うが)

音に感情や感覚を乗せることは可能だと思うが,伝達という
自分から他者への意思の疎通の場合,感覚の研ぎ澄まされてる人間には
あるいは伝わる場合もあるだろうが,より雑多な感覚の沢山の人間に
伝える場合は困難が生じると思う。
その場合はやはり言葉という何かを指し示す端的な「言葉」のほうが
勝手がいいのだ。

だから人間から生まれた言葉なのだから,今まで「その感覚」を表現
する言葉を知らなかったり,判らなかったとしても
その言葉に出会ったとき、「ああこれ・・・!」などと
妙にしっくりくる物があったとしてもおかしくないかも知れない。
すべては自分の中にそれがあると考えれば。
341考える名無しさん:03/03/27 12:35
>>340
その論旨、そのまま「言語は二次的なものじゃない」っていう論拠にもなりそうだな。
342トパス:03/03/27 12:42
二次的なものだよ、
物事の成り立ちを真摯に受け止めれなら
言語的なテクニックに惑わされなければ解るだろ?
343考える名無しさん:03/03/27 12:50
>>342
実際存在するものに「名称」を付けていっただけでは、文法は生まれようがないと思うが。
344トパス:03/03/27 13:00
>>343
そうそう。まさにそう。
頭痛かったから(風邪気味)そこまで考えるの
めんどくさかったから、スカスカの論になってたかも・・・
345考える名無しさん:03/03/29 23:38
"萌え"についてのあなたの意見を聞きたかったり。
…どんなカンジなん?
346考える名無しさん:03/03/30 00:41
>>345
あなたって誰?
347考える名無しさん:03/04/05 13:28
あげ
348考える名無しさん:03/04/06 23:02
>>347
あがってないじゃん
349考える名無しさん:03/04/06 23:24
頭の中を意図的に変えることできる?
これは眼を閉じなきゃ出来ないんだが、まず瞼を閉じて暗い空間の前方やや上の方から
真っ白な光が差してくる状況をイメージすると。

そうすると、背筋に何かもやもやした物がうごめいてきて、すぐに全身の毛が逆立ってくる。
頭がぼーっとして、何か悟った気分になる。
あ、これがこうだったのか、みたいな今まで気付かなかったような視点を得た気分になる
んだけど、頭のモードを元に戻した時には覚えていないんだよね。

私は癲癇で、わりと脳波検査をする機会が多いのですが、前に一度検査の最中にそれを
やったら、記録の音が異様な動きをしていた経験があります。
なんか>>1さんの状況に近いんだけど、他にもこういう経験ある人いないかな?
3501:03/04/07 00:05
>>345
私に質問だろか?漠然とし過ぎて答えにくいです。
ただ、非常に萌えやすい体質w

>>349
心のモードはいろいろあって、目的・性能にちがいがありますね。
ある特定のモードに自分を持って行くための手法は、自己流ですが
いくつか持っています。

>頭のモードを元に戻した時には覚えていないんだよね。
私の場合「かたち」はこの問題のひとつの解決策です。
つまり自分の内部にある「異郷」どうしの翻訳の媒体です。
351クープファー・ステレート・セル:03/04/07 20:35
内部にある「異郷」って、わかるな。
どういう経験がいつのまに育てたのか分からない奇妙な意志が、
自分の中から見つかることがある。
352考える名無しさん:03/04/08 02:42
子供の頃は今よりもっと心のモードが多彩だった気がする。
オリジナルの呪文唱えて移行してたよ。

心もだんだん「都市化」して、魔法が失われたって感じ。
353考える名無しさん:03/04/08 02:43
ちーーーさいころーーーはかーみさまがいてー
3541:03/04/09 00:54
ちいさいころは「抽象的な存在」っていう在り方が想定できなくて、
具体的な神様の像を思い浮かべては、
「なんかしっくりこない。どーもうそくさい」と思って悩みましたw
355考える名無しさん:03/04/10 21:21
一人称がいえない
http://life2.2ch.net/test/read.cgi/jinsei/1049778774/
から飛んできた。
beliefを「かたち」化してるんでつか。
「わたし」とか「あなた」も「かたち」になってるんだろうか?
それとも、「1さん」とか「ごまさん」みたいな「かたち」なんだろうか?
「ghoti」と聞いた時、得体の知れない物の「かたち」になるんだろうか?
「ghotiが好き」と聞いた時、好きな物の「かたち」に似た「かたち」になるんだろうか?
「ghotiはおいしい」と聞いた時、自分の好物の「かたち」に似た「かたち」になるんだろうか?
「ghotiは魚だ」と聞いた時、魚の「かたち」になるんだろうか?
3561:03/04/10 21:54
>>355
前にも書きましたが、概念とかたちが単純に一対一対応するわけではありません。
ふだん「かたち」は背景にあって、
(「音声入力に従って図形が踊るソフト」がありますよね。名前は知りませんが、あれみたいに)
聴いた言葉や読んだ言葉の流れに沿って変化しています。

「かたち」を扱うときは、立ち止まって手で触れて「細部」を確かめるのです。
特に集中しなければ、触覚的かつ遠隔的なBGMかスクリーンセイバーみたいなものです。
3571:03/04/10 22:11
>>355
得体の知れない主語に対して、述語が鋳型のように作用する、ということはあります。
ときどきその機能を使って遊びます。

ほんとうに言い様がないほど得体の知れない「かたち」を喚び出すには、
刺激のほうも一工夫いります。
下の一文を初めて読んだとき、できた「かたち」は頭蓋骨の内側につっかえるみたいでした。


「一冊の幻想的な書物がある。
この本の表紙の紙は本としてはいささか分厚い。それをめくるとあらわれる二枚目の紙は
その半分の厚さである。次の三枚目はそのまた半分。四枚目は三枚目の半分。以下同様
に続く。この過程は無限に続き、この本は無限のページを持つ。しかしこの本の厚さは有限
である。全ページの厚さは表紙の厚さの二倍以上にはならないからだ。
さて、この本をひっくり返して最後のページから遡って読んでみよう。するとあなたは、
永遠に読み始めることになる。永遠を」

358ghoti:03/04/13 23:13
わたしから見て、わたしは「わたし」であり彼は「彼」である。
しかし、彼から見ると彼が「わたし」であり、わたしが「彼」となる。
3591:03/04/14 02:26
わたしから見る「見方」で、彼から見ることはできない。
360山崎渉:03/04/17 09:52
(^^)
361考える名無しさん:03/04/17 10:31
山崎がスルーしたスレは一気に落ちてしまう・・・・・・・・・・。
大迷惑。
362動画直リン:03/04/17 10:32
363山崎渉:03/04/20 04:39
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
364考える名無しさん:03/04/28 01:00
「かろ行く」

今勝手に自分が作った言葉ですが、
こういう言葉には何か感じるのでしょうか?
365考える名無しさん:03/04/28 02:17
観念という字は想念のビジュアライゼーションを表している。
日本語制定者は凄いと思う。
瞑想家かな。

因みにアストラルビジョンでの知識(学問体系)など
ゴミのように存在するだけの情報だそうです。
3661:03/04/30 22:37
>>364
ふつうにいろいろな使い方を思いつきます。
「かたち」になるほどの容量はないようです。
367考える名無しさん:03/05/02 05:53
う。このスレ見てたら、乗り物に乗ってもいないのに酔った。(嘔吐)
なんだろう?…数日間は寝込みそうな予感。

意識がある内に良スレ記念カキコ。
3681:03/05/02 22:29
>>367
良スレで嘔吐・・・・・ですか?   おだいじに。
369大三元:03/05/03 18:03
このスレを見ると、人の頭の中は我々が思っているよりはるかに個人差が
あるのではと、改めて思わされました。言葉だけで考える人って、「言葉
で上手く説明できない」とかって感覚はないのかなあ。
私は概念同士の関係を考える時に、よく「カタチ」と「ナガレ」で視覚的に眺める
ことがあります。カタチは空間把握の感覚、ナガレは時間把握の感覚が基本になっ
ているようです。カタチとナガレを組み合わせてフラクタルな形でとらえるのが
好きです。
自閉症の話とか聞くと、1の方は普通の人が読み取れない情報を読みとる感覚を
お持ちで、その感覚で言葉とか概念からも何か読みとっているのでは、と思いました。
>>1
メンジャースポンジもフラクタル図形ですね。フラクタルに特別に
反応するとかはありますか?合わせ鏡とかはヤバかったりしますか?曼陀羅は?
370考える名無しさん:03/05/03 22:08
やっぱ日本語は、一単語で強い概念を持つからねぇ。
「言霊」って本当に居るんだろうな。
371_:03/05/03 22:10
372考える名無しさん:03/05/03 22:13
梅干を見ると唾液が出る。
マロニエ(栗)の根っこを見ると吐き気がする。
共感覚はザラにある。
3731:03/05/04 01:57
>>369
フラクタルは胸がいっぱいになります。

合わせ鏡に映る自分はすべての像に自己同一性が及ばなくて
自分が見慣れない感じが好きです。

曼陀羅は(遠近法的な)奥行きがないので面白くない。
374大三元:03/05/04 18:15
>>370
まさに、1の方は言霊に触れているのやもしれませぬな。
数年前の私だったらオカルト扱いしてたかも(笑)
>>372
367の方の「良スレで嘔吐」も共感覚ですね。確かにざらにあるかもしれんが
1のそれは私からするとかなりユニーク。367もけっこうユニーク。
>1
フラクタルは、胸がいっぱいになるほどの深さや広がりを持つ概念なのでしょうね。
それは、自然や生物の本質に近づいているからかも。と、私は思う。

ところで、高岡英夫という武術家and学者の人がいるのですが、彼が言うには
意識というのは頭だけでなく体にもあるのだそうです。そして彼は、超集中すること
によって人の意識のかたちを観ることができるらしいのです。さらに、人だけでなく
人が生み出した概念や言葉、音楽や絵にまで観えるらしいです。昔の人が言った
「極意」とは、まさに極まった意識のことで、優れたパフォーマンスをする人には
構造化した意識のかたちがあり、逆にそのかたちからその人のパフォーマンスも
推し量れてしまうということです。言っている内容は一見トンデモなのですが、
語り口は非常に論理的です。さらに、実際にスポーツ選手等の指導をして理論を実証
しているようです。「意識のかたち」他、何冊も本も出しています。この人の能力と
あなたのと、近い部分があるのかなとおもいました。ご参考までに。
375動画直リン:03/05/04 18:18
3761:03/05/05 01:36
>>374
高岡読んでます。
一見、どころじゃなくトンデモだと思うけどw、観察眼は鋭いし、
新鮮な見解を提示してくれるので、貴重な才能だと思っています。
見ているものはおなじじゃないけど、「見方」は自分と似たものを感じます。
377考える名無しさん:03/05/05 04:21
>>1
アートワークスで、あたかもある言語の具現化であるか
のように感じたものはありますか?
また、日常の生活にあふれている具象ではどうでしょう?
378考える名無しさん:03/05/05 09:03
吐き気ってのは良い意味で新しい船出を表しているぞな。
限定的な狭い感覚からの脱皮じゃよ。
379考える名無しさん:03/05/05 17:26
ここすごいいいスレだね。
ところで、1さんって何を生業としてるの?
380大三元:03/05/05 19:26
>>376
あー、お読みになってましたか。確かに「一見」どころではないかも。
ただ、内容の真偽は別として説明の仕方が冷静で筋道立っている。ふつう
トンデモの人は語り口もトンデモなのだけどね。そして、あなたの語り口
にも、冷静な理知的な印象を受けました。あなたの言っていることが単なる
思いこみ(電波とか)ではないと思わせる説得力を(私は)感じました。
そういった意味でも高岡と似てるなと感じました。

なんか、いい話聞けた、得したってカンジ。御礼申しあげます。
3811:03/05/05 23:56
>>377
アートワークスってフリー画像の「アートワークス」?
それとも「芸術一般のなかで言語的な感触があるもの」ということですか?
後者なら、レオナルド・ダ・ヴィンチ晩年の、水のスケッチです。
川に立った杭の後ろで乱れる水の、水面や水中のふるまいを克明に写し取ったもの。
水の中を流れる水、というか「透明なものどうしのかまいあい」を描こうとする意図じたいがすごい。
ぼくにとって言葉とは、「粘性を変えながら触れ合う水と水のつくる流れとかたち」に似たところがあるので。

日常的なもので、自分の脳内言語を連想させるものはたとえば、
照明のすぐ下で、CDを眼に近づけて動かしてみたときの
「すさまじく透明な物体色とその境目の推移」
ですね。
3821:03/05/06 00:03
>>379
ありがとうございます。

個人を特定されたくない現世の知人が、この板周辺に出没してるので
最近の自分の情報は内緒w
3831:03/05/06 00:14
>>380
たいへんありがたいお言葉です。
私もこのスレを立てて自分とまったくちがう脳内の人に出会ったり、
「あー、他人からみると俺ってそんな感じなのかー」と思えるレスなどをいただいて
とても学ぶところがあります。
高岡以外にも、なにか特殊にwおもしろいものがあったらご紹介ください。
384考える名無しさん:03/05/07 08:45
言語学板のリンクから来ました。
>>126 の しさく 面白いですね。
もう少しまとまったものがあったら、雑誌ユリイカあたりにでも投稿してみません?
もう少し長いものを読んでみたいです。
できれば、きちんとした紙面で。
3851:03/05/07 13:07
>>384
そこを面白いと言っていただいたのははじめてで、うれしいですw
副詞や接続詞を既存のそれの言い換えではなく「造語」するのは
自分としてはとても刺激的な試みです。
思索の及ぶ領域自体を拡張するには「新しい論理記号の創作」が必要かな?
みたいなことを考えた上で、そのための思考の筋力を鍛える自己流のトレーニングが
あれです。
まだまだ途上なので、長文が書けるほど熟成していないのですが・・・・・・・
386大三元:03/05/07 23:22
思ったのですが、私が小説やマンガを読むときは、それぞれの登場人物に明らかに
個性の違う声を聞いています。「この人物はこんな声だろう」等と考える以前に、
自然に感じています。その感じた声を後から説明しようとすると、例えば「男らしい」とか
「勝ち気な感じ」「高い、低い」「(特定の)声優さんの声みたい」とか、探りながら言葉
を当てはめていく作業を行う。(アニメ化されると声が違うとか思ったり...笑)
私の場合(ごく普通だと思うけど)言葉と聴覚が深く結びついているということだと思うけど、
これを視覚や触覚に置き換えると、1みたくなるのかな。特に触覚との結びつきが強いように
感じられる。子供の頃に言葉の形をした積み木で遊んだとか、何か触覚と結びつく強い体験が
あったのでせうか?

>>378
船酔いなのですね?(笑)
387大三元:03/05/07 23:54
言葉で思い出したのですが、古館伊知郎氏は医者で脳を検査してもらって
「スーパー脳だ」と言われたらしいです。彼がしゃべっているときは、
左脳だけでなく右脳も常人より活発で、左右の連絡部分も常人の何倍も太い
らしいです。あの話芸は、デュアルCPUをフル活用した結果のようです。
お経をよんでいてそれが途中でドラゴン・アッシュのラップへ移行するという
感覚には私は唸らせられました。彼の言葉に対する感覚は、やはり常人のそれ
とは大きく隔たることでしょうね。
1さんもどちらかと言うと、右脳と左脳が仲良しさんなのではないでしょうか。
388__:03/05/07 23:54
3891:03/05/10 00:34
>>386
言葉と触覚を結び付ける具体的な経験は思い当たりません。
思い返してみると、具象と抽象という区別を知らないうちから、
抽象的なことを考えたくてたまらず、そのための語彙がないので、
とにかく心に浮かぶ考えのクオリア(質感)を
頭のなかで一生懸命いじくりまわしていたみたいです。
なるべく子供のころの語彙に近づけていえば、
「あたまがヘンな感じになる考え」を捕まえようとして。
それは闇のなかを流れに沿って移動していく(泳ぐ・飛ぶ)感覚や、
立ち止まって風や水の動きを読む感覚に近く、
そのせいで、触覚や慣性の知覚に近似して言葉の感覚が練られた、
という気がします。
小学校入学以前は、まだ鮮明な「かたち」は扱えませんでしたが、
言葉に触れる感じ、言葉が触れてくる感じは強く意識していました。
390考える名無しさん:03/05/10 16:09
ところで、その「共感覚」とかいうのは、
「単語」とか「概念」単位でしかないの?
「音(音節・音素)」単位でもあるの?
3911:03/05/11 00:38
>>390
「音節・音素」単位ではありません。
392考える名無しさん:03/05/12 00:09
綺麗な言葉に誘われて某スレから来ました。
1さんどうも。やはり興味深い。
俺は自分の中味を説明するのは困難です。
ただ対人でない場合は思考は全て抽象イメージだな。
もやもやのチャート式みたいな。
あれ→これ→それ→こうなる
3931:03/05/12 05:24
>>392
いらっしゃいませ。
こっちはえらく進行が遅いですけどw
3941:03/05/12 09:46
私は1さんと違って(ていうか普通の人)言葉結構適当に使ってる。
自分の考えていることことを完全に言葉で表現することはできないんだから。
適当でいいのかも。
言葉の力は偉大だけど、時々言葉にとらわれ過ぎていると感じることがある。
て言うか、哲学はことばの限界を突き詰める学問だけど。
1さんの禁断の領域には、そういうことがつまっていると思うよ。
普通の人は考えても耐えられるけど、1さんには耐えられない、言葉の限界とか
矛盾がつまってるんだよきっと。
395考える名無しさん:03/05/12 11:09
ばかかおまえ 1と1
3961:03/05/12 16:12
>>394
レスありがとう。別1さん。
1以外のコテにしてくれw
397名無し:03/05/12 16:46
原子が最小の単位と言う事を説明出来る哲学があるのだろうか。まぁいいや。哲学とは
言葉の限界を突き詰める学問ではなく、起源の元になったのは人間がより良く
生きるのを模索する学問じゃなかったか?
398考える名無しさん:03/05/12 17:03
本質を単純化してくださいー。読んでもさっぱりわからん。
3991:03/05/12 17:51
単純な本質を探している最中なんですが・・・・・・・・・
400てつてっちゃん:03/05/12 18:16
概念の言葉の定義を、誰か教えてください。議論はそれからだネ
401いちな ◆4P5aUYuYqw :03/05/12 19:31
このスレまだほとんど読んでないですけどなんか似たような感覚、わたしもあると思う
共感覚とかそういう難しい言葉を使うことはないけど。

よくそういうスレを立てて遊んだり。
結局言葉遊びなのか、って今日の朝は思ってたけど。
でも、このスレを見ると言葉遊びっていう言葉にまだ裏があるような気がしてきたね。

最初に言葉を作り始めた人の罠に落ちたような感覚に。
4021:03/05/12 21:14
>>401
最初に言葉を作り始めた人もすでに罠の中かも。
403大三元:03/05/13 16:18
>>402
401さんの一文に対してそういう観方をしてみるのが、あなたの言う冒険の第一歩
なのでしょうか?合わせ鏡の一枚向こう側に踏み込んでみるみたいな。この喩え
はどうですか?
私も401に対して冒険してみました。
>>401
遊びも一生懸命になると、ただの遊びではなくなってきます。遊戯がしだいにルール化
して競技になっていくように。例えばスポーツ。それを仕事にする人もいる。
「言葉遊び」も一生懸命になるとルールが出来て「言葉競い」になるのかも。
哲学や文学もその一つでは?
中田ヒデが「たかがサッカー」と言ったのは、彼なりの、球遊びの「裏」かも?
4041:03/05/13 16:42
>>403
手触りのある喩えが次々でてきますね〜。
径路が高速の人は喩えが得意だと思います。
すてきな比喩を思いついた瞬間って、長い距離をすばらしい速さでで移動した
すがすがしさがありませんか?

なにをするにも遊戯性を見出していかないと、関心が枯渇してしまいますよね。
無意識は壮大な遊園地だと思います。
4051:03/05/13 16:48
>>大三元さん
俺に似た人に出会ってしまいましたw
こちらにも、よろしかったら遊びに来てください。客人歓迎の1さんみたいなので。

自分を取り戻したい
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/utu/1052480712/
406ばっちい:03/05/13 18:19




407いちな ◆4P5aUYuYqw :03/05/13 20:12
>>403
ああ、なるほど。
たまに言葉遊びにルールを付けて戦ってる人とか見ます。
わたしもそれはすごい興味ある。
相手を論破したときぞくぞくする感覚になったり。
相手を言葉の罠に落としたときは笑ったり。

でも、なかなか機会がないですね。わたしは会話下手だし。

たかがサッカーという言葉には裏。あると思います。
どういう物が隠されているかはわからないけど、どうしてそういう言い方をしたのかって、
まず、考える人と気にしない人で別れてくるような。
408考える名無しさん:03/05/14 08:58
日本語の乱れがすさまじいなここのスレは。
409大三元:03/05/14 22:18
>>407
>相手を論破したときぞくぞくする感覚になったり。
>相手を言葉の罠に落としたときは笑ったり。
「ぞくぞく」とか「罠に落とす」あたりにも共感覚が隠れていそうですね。ぞくぞくしたり
笑ったりしている姿が目に浮かぶ様です(笑)。これは、サッカーでシュートを決めたときの
「ぞくぞく」、相手がフェイントに引っ掛かった時の「してやったり」と同じ、遊技の楽しさ
なのだと思います。でも、勝ち負けにこだわり始めると楽しいだけでは済まなくなってくるのは
何の世界でも同じでしょう。
>まず、考える人と気にしない人で別れてくるような。
ここが言葉遊びに興味を持つか否かの別れ目なのでしょうね。
「たかがサッカー」で少し遊んでみようか。(サッカーに疎かったらスマソ)
人間はあることに一生懸命になると、廻りが目に入らなくなってしまう性質があるようです。
例えば、今、目の前のモニターに集中しているとき。一方、中田ヒデが得意とする「司令塔」
というポジションは、広い視野を必要とされるのです。足下で操るボールに気を配るとともに、
パスを出す味方の位置、動き、それを邪魔する相手の動き、試合全体の流れ、etc・・・
様々な情報を把握して判断しなければならない。ヒデクンがサッカーに一生懸命でないはずが
ない。しかし、一生懸命になりすぎると目に入らなくなってしまう物の中にも、大事な物
がある。そのことを知ってる彼の視野の広さが言わせた「たかがサッカー」じゃないカナ。
410大三元:03/05/14 22:29
>>404
同意。
>>405
覗いてきましたが、向こうは言葉遊びというわけにはいかなそうなので
自分に何が言えるか少し考えてみます。
411いちな:03/05/15 03:06
>>409
トリップ外します。

あなたはとても変わった文章を書くと思います。
何故かすごいレスがしにくいです。
一行目二行目だけでお腹いっぱいみたいな感じです(笑)
重さを感じるんですね。何故か。
単語の並び方のせいかもしれません。
やっぱりこんな感じを覚えるのは遊びの時くらいかな、と思います。
固まった大きくて重い文章にレスを付けるのは楽しいです。
勝ち負けはこだわるほどのものではないですね。

たかがサッカーの意味は大体同じイメージです。
あるゆる所で彼は視野が広いんだと思う。
広くて変なところまで見てるような。
一生懸命なのにたかがって、悟ったような言葉だなーって。
でも、「たかがサッカー」って言葉はそんなに重い言葉ではないような気がするんです。
わからないけど、その場の気分で言ったように聞こえるんです。
投げやりにも聞こえるし、自分に言ってるようにも聞こえるし。
412大三元:03/05/15 14:33
>>411
素晴らしいレスに感激!ありがとう。
あなたは私の罠に落ちましたね?それとも、私があなたの罠に落ちたのカナ・・・??
あなたがレスしにくいと感じたのは、私の罠を感じ取っているからでしょう。
このスレのテーマは、「言葉や概念の共感覚」。
私も自分の文章に(意識して)感覚を込めて書きました。
そして、あなたはそこに「固まり」「大きさ」「重さ」を感じてくれた。
これは私の込めた物とイコールではないけど、それほど遠くもない。
そして、おそらく1氏が言葉に感じている物とも・・・。

「最初に言葉を作り始めた人の罠に落ちたような感覚」
堪能して頂けましたか?
喰いきれなければ無理せず残してくれ(笑)
413いちな:03/05/17 05:59
>>412
レス遅れました。ごめんなさい。
どこをどういう風にレスしていいのかわからないですね。
あの時とは感覚が違うみたいです。
新鮮なうちに食べておくべきでした。(笑)

やりたい放題にレスしたいけど何故か出来ません。
スレタイのせいでしょうか。雰囲気のせいでしょうか。

そもそも、わたしは哲学なんてどういうものか全然知らないし、
共感覚もほとんど意味がわからないです。何となく程度にしか。
所詮わたしのやってることは只の遊びでした。

場負けしてしまいました。自分に自信がない証拠ですね・・・。
4141:03/05/17 07:53
>>412
なんかディナーショーみたいな口調になってますw 大三元さん
415大三元:03/05/17 20:22
さげ
>>413
412の書き方間違ったみたいです。罠とか書きすぎた。コッテリしすぎだ。
感激したのは本当ですよ(罠じゃないです)。言葉からヒントをもらったというか。
いちなさんの言葉がなんかスルドイので一人で反応してしまいました。
どうぞ気になさらないでください。所詮などと言わずに遊びを楽しんでください。
ヒデも楽しんでると思いますよ。(「所詮遊び」は「たかがサッカー」と同じ意味なのだろうか??)
レス不要です。
4161:03/05/20 17:25
>>413
>場負けしてしまいました。自分に自信がない証拠ですね・・・。
いえいえ。雰囲気カタくてスマソ。

いちなさんの言葉は、
よく確かめてみたくなるまだ「かたち」のさだかでない手触りがあります。
また、レスを読ませていただきたいです。
417考える名無しさん:03/05/21 02:03
1さん、はじめまして。
少し質問させてください。
自然という言葉の形を、いろいろな言葉、例えば、社会、人間、歴史、
動物、犯罪、神、平等、自由といった言葉と関連させてみると、
どんな形でしょうか。
また、単に関連させるのではなくて、自然を左項に、今上げた言葉を右項に
置いてイコールで結ぶとどうなるでしょう。
よろしくお願いします。
418考える名無しさん:03/05/21 02:04

×自然という言葉の形を
○自然という言葉を
4191:03/05/21 03:31
>>417
はじめまして。
あのー、えー、困りましたw
その質問への答えは、めっちゃ長文になってしまいます。
420417:03/05/21 09:04
あっ、そうですよね。全部やってくれというのはちょっと欲張りでした。
申し訳ありませんでした。
もしかしたら同じごとになるかもしれませんが、
自然と歴史、あるいは自然と人間など、どれか1つについて例示的に示して
いただけるとありがたいです。それでも同様だということであれば、
また考えてみます。
ついでに、自然という観念だけだとどんな感じですか。
当方は、今自然について考え中の者です。何とか自然概念をとらえ直したい
と思っているんです。よろしくお願いします。
4211:03/05/21 11:21
>>420
417さんのように、自然について考え抜いている方に、なにか言うに足ることが言える自信はありませんが、「かたち」に言わせてみます。楽なやつでw
自然と人間の組み合わせが触りやすいので、それにします。自然が図で人間が模様という扱いが楽です。
4221:03/05/21 11:23
絞られたり解けたりしているちいさな渦。その渦たちがまわるおおきな渦。隣の渦を巻き込んだり巻き込まれたりしながら、ときに静止し、ときに激しく渦巻く様々な渦たちの群れ。それが織り成す平原。これが自然。その図から人間を「さわり出して」みます。
平原のあちこちから、「樹木に似た竜巻」様のものが伸び上がってきます。渦のなかに巻き込まれている無数の「筋」から特定のものを引き出して縒り合わせて引き上げる感じです。
まばらな森。うごめく樹木たちの森が形成されます(このへんは特に比喩表現です)。
樹木たちは、やがて解けて渦の大地に還りますが、いくつかの樹は残骸が残ります。なかにはほとんど原型のまま動かぬ残骸になります。
新しい樹は次々と生えてくるので、残骸の森は次第に密になります。

4231:03/05/21 11:28
おおむね、こんな感じです。長々と書いていますが、脳内の過程はごく短いものです。
言葉にできるように文章をこね回す時間のほうが長い。
上に書いた「かたち」の含意を読み取ってみます。

終わりのない過程としての自然に要不要はありません。
人間が有用なものを引き出したとき、同時に不要なもの(引き出されないもの)も生まれ
ます。そして、有用なものの残骸の中にはじめて、「自然にとっても人間にとっても不要
なもの」が生まれます。たんに不要なものは終わりませんが、自然にとっても人間にとっ
も不要なものは、断片的で次第に増加する「終わり」です。
「終わり」は自然の中にはなく、また自然に帰還することもありません。

こんなところでお許しくださいますでしょうかw              
424417:03/05/21 13:44
ありがとうございました。
自然の形というのがおもしろいですね。ストレートにダイナミックな
プロセスを感じておられるのかと思います。「残骸」「終わり」というのが、
今一つ意味不明な気がしますので、もう少し砕いていただけませんか。

自然の観念は、さまざまな観念と組合わさってとても多義的なのですが、
そのような多義性は、形としてはどのようになるのかなと思ったんです。

少しずつ質問を続けさせていただいていいですか?
4251:03/05/21 17:16
>>424
質問にはできるだけお答えしたいと思います。

「残骸」「終わり」というのは、自分の考えが及ぶ限りで言えば、
凡庸なところで、分解しない廃物、ひねったところでは、無効になった科学理論、
といったところでしょうか。
自分の解釈にまだ、不安が残ります。
426417:03/05/21 22:43
なるほど、解釈そのものはあなた自身の言語的な思想が
そのまま反映されているということですか。
「残骸」「終わり」などについての解釈はまだまだこれから変化し、
発展し、あるいは深化すると見ていいわけですね。
そうすると、あなたが感じている形というのは、あなたの中にありながら、
相対的にあなたから独立して存在し、あなたの言語的な意識よりもより深遠
な何かを表現しているのではないかと見ておられるわけですね。
確かに、人は自分の経験の全体を意識し、理解し、コントロールしている
わけでは決してないから、あなたは言葉というものの背後に立ち現れる
何かの形を通じて、自分の意識の基底にあるシステムと向き合って
おられるのかもしれませんね。

それはさておき、次の質問です。もともとの質問の意図は、前に書いた
とおり、自然の多義性を他の観念との組み合わせで見てみたいということ
でした。そして、自然と人間という組み合わせで、1さんに答えて
いただいたわけですが、今度は同じ自然と人間の組み合わせで、多少
視点を変えて、人間は自然そのものであるという見方で自然の形はどう
見えるのでしょうか。この場合、見ている対象は人間ですが、
自然としての人間ということになるのかな。
うまく言えませんが、自然=人間と見た場合の自然の形
ということになるでしょうか。うまく意図が伝わらないかもしれませんが、
僕が最初の質問でお聞きしたかったことは、ここにあります。
よろしくお願いします。
427417:03/05/21 23:03
念のためですが、僕は哲学をやっている人間ではありません。
主な関心は、もっと具体的な人間の心理、生理、行動、関係
といったところにあります。過去にほんの少しだけ精神医学を
かじったこともありますが、(あくまで表面的なものです)
そういった人間の生の感覚を含めたあり方の自然性ということを
考えているんです。ちょっと手垢のついた言葉では「内なる自然」
というのか・・・違うな。内と外の自然の「弁証法」とでもいうべきか。
ああ、余計わからなくなってきた。すんません。
428山崎渉:03/05/22 00:55
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
4291:03/05/22 03:04
>>426
>>246に書いたとおり、私にとって「自然そのものである人間」のかたちは、「径路」や
「かたち」のふるまいそのものです(「径路」は非常に変化しにくい「かたち」であって、
「かたち」のカテゴリーに入ります)。
私はそれに、いろいろ手を加えているので、私の自然は少し文明化していると感じます。
暴発的な感情や、致命的な絶望に対する対処は、まさしく「天災に備える」こととおなじ
です。

少し話しが逸れますが、内的自然への接し方について医学にたとえれば、いっぱんにな
されていることは内科で、私のしていることは外科だ、という感じがあります。

ああ、散漫なレスになってしまった。
430417:03/05/22 09:27
>>429
なるほど、そういうことですね。
自然そのものだから、当然そうなるわけですね。ある程度予想は
していたのですが、書かれてみるとまことにごもっともです。

僕は1さんのような観念の扱い方しませんし、できませんが、
自分の中に未定形なぼやっとした考え方があるときに、はっきりと
見えないイメージみたいなものが浮かんでいます。そのイメージ
自体を対象として何かすることはありませんが、このぼやっとした
イメージが徐々にクリアーになり、細部が分節して描かれていく
というプロセスを歩んでいる感覚があります。(本当は違っている
ような気もしますが)
431417:03/05/22 10:09
内科的・外科的というのは、僕にはちょっとわかりにくいです。
内科的な扱いというのを、少しわかりやすく例示していただければ
ありがたいです。
4321:03/05/22 16:56
>>431
安易に言ってみた尻尾をつかまれてしまいましたw
えーと、通常の概念による思考を内科的として、それと対比的に
概念を外から見て、切ったり貼ったり移植したりすることを外科的と言ってみました。
深い意味はありません。
433417:03/05/22 19:36
内科と外科についてはわかりました。
観念を加工するという考え方は、哲学などで見かけます。そういうことを
明確に述べた最初の人はヘーゲルかもしれません。この考え方と
1さんのおっしゃっている外科的取り扱いというのは、どこか似ている
感じがします。
言葉とか観念、概念を対象として取り扱う学問はいっぱいありますね。
言語学なんて特にそうだろうし、意味論とかありますね。哲学も
論理学もそうかもしれません。
これらは1さんの考えでは内科的な扱いだということなのかな。
どう考えても、これらの学問は直接には観念の形を取り扱っている
わけではありませんから。
しかし、どこかで共通する部分はあると思えます。そんな気はしませんか。
それが何かはまだよくわかりませんが。

自然と何かを関連づけて云々については、ちょっと考え直します。
何とか、うまく話が発展すればおもしろいなと思っているんですが、
僕もまだどうすればいいのかわかっていません。でも、1さんの
特異な感覚にはとても興味をそそられます。
4341:03/05/22 20:02
>>433
私も417さんとの遣り取りは楽しんでいます。
なかなか御期待にはそえずにいると思いますが。
哲板にいるのに、ヘーゲル読んだことありませんw
ふだんは人生相談とかメンヘルにいるもので。
基本的に既存の学術は内科的です。つーか私の内面、学術じゃないしw
たま〜に詩人で、「径路」っぽい人がいます。

他のスレで、「これは近いぞ」と感じる人に出会って、そちらからも刺激を受けています。
435417:03/05/22 21:05
はは、実は僕もヘーゲルは読めてません。何度もチャレンジするんだけど、
なかなか読み進められない。理解することはとても難しいです。もっとも、
哲板全体でも、ヘーゲル関連スレは伸びないし落ちてしまうということで、
だれにとっても、とてつもなく難しいというのが本当のところのようです。

メンヘルの1さん関連スレは、誘導に導かれて一通り目を通しました。
どこもなかなかおもしろいですね。1さんのキャラクターがうかがい知れる
レスの数々を、それなりに味わっております。その方面に関しては、追々
触れるかもしれませんが、当面は観念の形の話を続けていきたいと思います。
436417:03/05/22 23:54
単細胞生物の感覚について考えたことはありますか。
人間の感覚が生命に共通する感覚であると考えると、単細胞生物にも
感覚はなければいけないし、神経がなくとも感覚はあるはずです。
その感覚について、少し考えてみましょう。
あらゆる感覚の原始的な未分化な状態を、単細胞生物は持つでしょう。
自分がその単細胞生物になったことを想像してください。あなたの世界は
どんな世界ですか? そして、そのクオリアってどんなものだと
想像されますか? 単なる遊びですが。

4371:03/05/23 03:14
>>436
私達が日常、「感覚」と呼んでいるものは、「感覚像」というかいわゆるディスプレイされた
ものですよね。
単細胞生物は統合した感覚の像を持っていないと思いますし、知覚データを効率的に処
理するためになんらかのクオリアを使用しているとしても、それを「認知」していないと思い
ます。
ですから、真面目に想像するとすれば、いっさいなにも思い浮かべない努力をすることに
なります。
つまり、「熟睡しているクオリア」が正解に近いでしょう。
438417:03/05/23 10:06
「感覚像」というのは、例えば我々の感覚では、
センサーからの電気インパルスの頻度にという信号に変換されて、
脳で処理されて構成されるわけです。単細胞生物には、そんなプロセスは
一切ありませんから、もちろん、そういう意味での感覚像は
ないでしょう。でも、原始的な感覚はあると僕は思います。それはどんな
ものかというと、自己状態についてのグラデーションの感覚?
うまく言えませんが、例えば細胞内部の化学物質の濃淡、あるいは
温度の高低、加速度による体内物質の移動などを「何か」として
感じていると想像します。この何かがクオリアです。
もちろん単なる想像に過ぎませんが、逆に言えば、これがなければ、
我々の感覚は起源が不明だと僕は思います。
これは、感覚の進化を考えているときに思いついたものなんですが、
この原始的な感覚の存在は疑い得ないというのが、僕の1つの思い込み
なんです。この原始的な感覚が分化し、分節し、特化したものが
我々の感覚だと。でなければ、クオリアの起源も不明です。うーむ、
我ながらデムパかもしれないと思うんですが、まあ単なる仮説ということで。
4391:03/05/23 20:00
>>438
感覚を像化するにはたとえ原始的にせよ「世界観」を保持する記憶容量が必要です。
「反省」することが可能な知生体でなければ、世界を像化する意味はないと思います。
想像可能な感覚とは、「不測の事態に対応する」という発想の後に登場するものでは
ないでしょうか?

付け加えれば、感覚の進化において認知の原典になるものは、生物の外部にあった
という方向性もあろうかと思います。
原始生物から出発して、生物の内側の文脈をたどるだけでは、人間の現状には到達
し得ないのではないでしょうか。
440417:03/05/23 20:59
感覚の像化はできないでしょうね。像としての感覚ではないとういのは、
そのとおりだと思います。記憶というのも違いますね。記憶というのは、
パターンの保持ということだと思います。しかし、それを保持する器官は
ありません。感じるということそのもの、何を感じているのか、感じる
というのは何かという問いです。それを僕は自己状態の変化そのもの
と考えているのです。

生物の外部ですか。それについては、何かヒントでもいただければ、考えて
みます。

441417:03/05/23 21:00
生命がパターン認識を開始するのは、もちろん自らがパターンその
ものであるからだと思います。生命体がその内部で分裂し、空間的・
時間的なずれが発生すること。そのずれによって発生する自己内の差異を
受容したことに起因するのではないでしょうか。

この生命が受容するパターンそのものは、生命体自身にとっては、ある意味
外的な事柄です。パターンの形成それ自体は、生命体のあずかり知らない
ところであるからです。

しかし、自らがそれによって生き、死ぬところの決定的なパターンが生命体
にとって外的な事情に過ぎないというのは、生命が最初から背負っている
「疎外」なのかもしれません。(話がどんどんずれてますね)

ともあれ、原始的な感覚は、リアルタイムな変化を変化そのものとして
感じているのではないかということなんです。話が通じなくなっていますか?
感覚を像化するというタームそのものの中に、僕が考えている感覚との違い
が含まれているように思います。
感覚とは何かについての感覚であるとすれば、その何かは像であるというのが、
1さんの理解でしょうか。
僕が考えているのは、感覚の対象=リアルタイムな自己の変化ですから、
そこにあるのは、感覚それ自体=生命という素朴なイメージです。こういう
考え方はおかしいと思われますか。
4421:03/05/23 21:38
>>440
生物の外部とは、たとえば言語です。

>>441
話は合っていると、こちらとしては思っているのですがw
噛みあわないところはたぶん、
推移する時間もリアルタイムな変化も客観的な出来事ではなく、主観以降の
出来事だと、私が思っているせいだと思います。
なお、主観以降の「以降」は時間的尺度ではありません。
443417:03/05/23 23:51
当の生物体に「とって」の時間、あるいは変化ということでしょうか。
当の生物体にとっては、もちろん時間も空間も何もないし、変化も変化
としては存在しないという意味に理解してよろしいんでしょうか。

この話は、進化論的にはもちろん主観の発生を期待しつつ、従って生物体
にとっての時間、空間、変化などの発生という問題へと進展することは
明らかなことだと思いますが、単細胞生物を外側から見ている僕たちが、
時間・空間の中にある生物体が、自らの変化をどのように感じているのかと
推測しているわけです。もちろん、単なる推測であって、それ以上では
ありません。これはクオリアについて僕たちが何も知らないのと、実は
同じ問題だと、僕は思っていますが、論理的な段階ををすっ飛ばして
還元しているような議論で、とても乱暴な話をしています。

正直にいいますと、これは出発点ではなくて、逆に生命の進化の
プロセスを遡っていったときに、感覚の発生とか、感覚そのものの
理解に行き詰まったときに思いついたことなんです。ですから、僕の
考え方の中では、これが前提にならないとあとの発展が説けない
という意味での論理的要請からきた話です。

言語については、また改めて。
4441:03/05/24 01:12
>>443
>単細胞生物を外側から見ている僕たちが、
>時間・空間の中にある生物体が、自らの変化をどのように感じているのかと
>推測しているわけです。

たとえば「光」を知覚情報として扱う際に、どういう加工の仕方をしているか、
というような問題ですか?
あるいは外部の現象を内部の情報としてあつかう際の「境界性」の起源?
4451:03/05/24 06:45
>>417さん
いつもながら説明不足スマソ
ちと、忙しいよう!
446417:03/05/24 09:47
>>445
ゆっくりいきましょう。全然だれも来ないし、
僕も考え、考えやっていきますので、お互いマイペースで。
447417:03/05/25 03:17
あのね、今日はちょっとというか、いっぱい酔っぱらっています。
明日、何か書くぞ。というわけで、お休みなさい。
448417:03/05/25 05:49
うーん、少しだけ醒めてきた。
でも、まだ酔ってるから・・・。
今日は寝ない。酔ってるのに、いろいろあってね。人間って、つらいね。

4491:03/05/25 06:53
ほんとうにつらいことや悲しいことがあると、
それを糧にして人間に奥行きが出るな
そして、持つことができる力なら
悲しいことが起こる前に使えばよかったのにと思う
実際つらいことが起こる前に学べ!と思う
ほんとうに馬鹿だと思う
俺は
4501:03/05/25 19:24
引きずられてみましたが
流れを戻しましょう。
451417:03/05/25 22:31
いやー、ごめんなさい。昨夜は久しぶりに深酒してしまって、
その上でいろいろあって、ちょっとスレ汚しをしてしまいました。
板違いもいいところですね。

本題に戻ると、この問題はなかなか思考的にまとまらないです。遡及
しながら感覚を抽出するという作業になるのかな。それが、まだうまく
いっていないということかもしれません。ただ、要は感覚の概念を
つかもうとしているんです。もう少し考えてみます。

ところで、感覚ってどんな形をしていますか?
4521:03/05/26 07:13
>ところで、感覚ってどんな形をしていますか?
そうきましたか。
うんとね、「感覚」はね、三次元で表現できないんですよ。
どういうふうに描写するか、少し考えさせてください。
453417:03/05/26 09:29
おはようございます。
さて、まだ本題についてうまくまとまらないので、ちょっと角度を変えて
この問題について触れてみます。

胚は、論理的に言って細胞のすべての要素を潜在的な形で含んでいるという
考え方があります。現代の知識では、それは遺伝子という設計図の形で
含まれているのだということなのでしょうが、僕がやろうとしているのは、
この潜在的な形での感覚の概念をとらえるということだと思います。
生物学について、最近の知識は余りないので、穴だらけの思考をして
いるのかもしれません。僕の考えていることの中に何かが欠けている
ために、思考の「経路」が切れてしまっているきかもしれません。

そういうことはよくあります。思考というのは、ジグソーパズルと似た
ところがあります。観念というピースをうまくはめ込むことができる
と、パッと見通しがよくなったり、全体像のゲシュタルトが変貌して
新しい全体の概念が浮かび上がったりします。こういう思考のプロセスは、
1さんの概念の扱い方とどこか共通する部分はありますか?
4541:03/05/26 09:48
>>453
そのへんでは触覚が活躍します。
別スレの触覚についての言及コピペ。ずばりの返答じゃないけど。


えーと、本とか読んでて、あるいはなにか考えてるとき
「はっ!」っとなにか思い出しそうになる。ところが思い出せない。
「いま、考えてることに関係があって、びしっとはまりそうなんだけど・・・・・出てこない!」
というとき、そのまだなんだかわからないけど確実にどこかで待ってる考えを
触覚で触ってない?
触れてみて「あー、なんか近い気がする」とこねくり回して、「あ、遠ざかった、あ、近い近い」
とかやってるうちに、「あ!」と思い付いて、そのときには触覚は消えてる。

あと、「この人だれかに似てる、誰だっけこの感じ、言葉では言えないこの感じが
似てるんだが・・・・・・・・」みたいなときに触覚使ってませんか?

455417:03/05/26 12:20
言葉の手触りというのは、文学的によく見る言い回しですが、
それとはちょっと違う感じですね。

その触覚についてのレスは、読んだ記憶があります。その感じは何か近い
ところがあるような気がしますね。

ところで、思考するというのは、まず普通にはある事柄について
思考することです。この事柄について思考するというときに、
人は言葉・観念をひねくり回しているわけですが、
この過程は自覚的なプロセスとは言い難い面があります。
哲学の一つの重要な側面として、この人が普段無自覚に使っている言葉、
観念、概念を吟味するというところがありますね。先に例として取り上げた
自然という言葉一つとってみても、いろいろな含意があります。
僕が今考えていることは、この自然という言葉を歴史という言葉と対比した
ときに、自然は(法則的にかな?)恆久不変、歴史は変転きわまりなし
という具合に分けて見られます。しかし、この歴史も自然過程には違いない
わけで、この場合自然という言葉は、入れ子的に多義的であるわけです。
あるいは自然法という言葉づかいもあります。このように多義的な自然を
単に言葉の問題としてではなくて、歴史観そのものの問題として再構成
してみたいということなのです。
456417:03/05/26 12:26
そこで次のステップですが、自然史として見られた人間社会の歴史という
場合、その中に人の観念はどのように位置づけられるかという問題です。
一番最初の1さんへの質問は、こういったぼんやりとした背景のもとで
思いついた対比を並べたものだったわけです。だんだん問題が複雑化
していきますが、こんなことに興味は持たれますか。
4571:03/05/26 22:02
「自然」という概念の系譜学ですか?
主要な切り口は「自然」でも「自然の外部」でもありうる人間の位置づけ、と。
そのへんは、まったく素養がないので、興味を持つかどうかはこれからにかかってますw
458おねい:03/05/26 22:14
ノノ*^∀^)ノ<はじめましてー!

・・・すいません・・・。
なんだかよくわからないのですが、来てみました。
スレ主さんが寂しそう(?)だったので・・・。
459417:03/05/26 23:39
>>457
「自然」でも「自然の外部」でもありうる人間の位置づけ・・・
というのとは違うんです。自然からはみ出して理解されがちな人間を
自然に押し戻して、全面的に自然そのものの一部として位置づけ直す、
ということです。これには、いわゆる観念の位置づけが要になると思って
いるのです。あるいは自然の生成過程として、観念を位置づける
ということでしょうか。自然を包括的にとらえたときには、人の営みは
その一部であることは、割合に認めやすいと思います。しかし、自然と
対極的に理解される人間という観念は、それ自体が自然の一部であり、
自然の「表現」として理解されるのではないかと考えています。
1さんのとらえている観念の形が一体何なのかということは、もちろん
僕にはわかりませんが、そこに何かありそうな気がするのです。
うまく表現できないけれども、人の思考や活動のよって立つある基盤を
暗示しているようなというか・・・。
460417:03/05/26 23:47
そう言えば、このスレを最初から見直してみると、カラーが途中で随分
変わっていますね。ということは、これからも変わっていくだろうと
予想できます。うまく対話モードに入れなければ、僕もそのうち消えますが、
今しばらくあがいてみます。

おねいさん、はじめまして。よろしく。

461おねい:03/05/27 00:06
>>417さん
よろしくお願いします。

でも、ちょと私には難しい話題だったかな〜・・・(´∀`;)
きちんとレス読み返して、勉強してきます。

あ、エヴァ読んだこと無くても大丈夫ですか?
(最初のほうに、そういうレスがあったもので・・・)
4621:03/05/27 00:10
自然のなかではほとんど意味をなさない「一回性」の事象に、価値が賦与され、
「一回性」(たとえば芸術)を、みずから制御し生産し始めた時点で、人間を自然のなかに
回収することは不可能であるように思います。
情報・言語・文明の営みを物理学に回収できないのと同じように。
4631:03/05/27 00:13
>>458
来てくれてありがとう。
ここはお茶も出ないんだけどねw
464おねい:03/05/27 01:11
>>1さん
いえいえ、お気になさらずに。
私からは「良い文章」が出ませんので・・・(泣藁
465417:03/05/27 01:35
なるほど、そういう話になるんですか。僕にとっては意外な展開でしたが、
それがあの自然と人間の形の意味でしたか。そこはよくわかりました。

一回性の基盤はゆらぎであり、その過程で生じる差異そのものではない
んしょうか。その差異は無限に多様であるからこそ、人はその中にあらゆる
可能性を見るのではないのでしょうか。人自身の表現の多様性と個別性も、
自然の多様性そのものではないのかな? 自然と人との関係をそのように
連続線上で見ることは、物理学に回収することになるのですか? 今一つ
わかりにくいです。僕の話は、そのように受け取れるのでしょうか。
1さんのおっしゃる自然の外部という意味が、僕には理解が難しいです。
普通の意味で、自然と人間を対置する考え方とは違うと思うので、
そこのところが、わかりにくいです。わかりやすく説明していただけると
ありがたく思います。

466417:03/05/27 01:42
>>461
エヴァって、アニメのエヴァンゲリオンのことですか? それとも別な何か
ですか。読むっていうところが気になりますが、このスレで、
そんな話がありましたっけ? 全然気にしないでいいと思いますが。
この話は1さんに答えてもらった方がいいのかな?
467おねい:03/05/27 02:23
>>417さん
>>12で、「エヴァの見過ぎだろう」っていうカキコがあったので。
煽りなのでしょうけど、それがどんなものなのか知らないので、気になったんです。
「読む」じゃなくて「見る」でしたか・・・。
なんとなく絵柄だけは見たことあるな、っていう程度なんです。
すいません。失礼しました。
4681:03/05/27 06:26
>>465
なんかすみません。
私の考えの中には、どこかで学び取ってきたものではなく
いつぞや「かたち」から探り出したもの、が紛れ込んでいるので、
少なからず独りよがりな、「ソースキボンヌ!」と言われても出せねえ、みたいなところが
わかりにくくなっていると思います。
説明の放棄じゃなくて、あらためて自分の考えを咀嚼して、再度試みますね。
なにせ、誰かから説明を求められてはじめて、表現を考えはじめる、という状態なのでw
4691:03/05/27 06:45
>>468に書いたような言い訳により、断片的になりますが、
>>429で言及したような「人間的自然」と、いわゆる「自然」には断裂があると思っています。
その分水嶺は、言語使用における自由度、つまり、言語にもともと備わっていた「恣意性」
が、人間によってはじめて「内面化」されたことだと思います。
人間以前にも言語は作用していたと思いますが、使用者の恣意が「意味」および「表象」を
左右することはありませんでした。
むろん、萌芽的なイベントは人間以前にもあったでしょうけれど。
470417:03/05/27 10:18
>>468, 469
「ソースキボンヌ!」w
ここでは1さんのおっしゃるように感覚のお話だと思っていますので、
それをやっちゃったらルール違反だろうとな思っています。

自然に備わっている恣意性及びその「内面化」ということは、言葉と
しては理解できますし、そこには断絶があるとおっしゃっていることも、
それなりに理解可能です。

言葉の問題としては、強調点の違いのようにも受けとれますが、1さんの
「かたち」から取り出したものということを踏まえれば、単に言葉の
違いとは受け取らずに、もう少し交通可能な点を探る方が生産的のような
気がします。

言語の使用によって起きる断裂、内面化ということについて、その意味が
明確になれば、それは乗り越え可能な差異に変容するかもしれません。
この辺について、1さんのもう少し踏み込んだ記述を期待します。

僕は、もともとその辺の断絶の感覚が鈍いところがあります。(そういう
記述に対して、大抵はあまり共感できないんです。「そうかなぁ」程度。)
しかし、そこで終わっていては話は終わってしまいますから、もう少し
突っ込んでみたいと思います。
471れっどらむ:03/05/27 12:35
おーい!!遊びにきたぞ〜>>1なんかイメージ的に場違いだな
長く居座れない空気・・。ざっと見ただけだが・・
開いちゃいけない扉をこじ開けちゃったって感じだな・・扉を閉めたとたん
扉は音も無く消え去りただ続くは漆黒の闇・・目を細めると遥か彼方に
明かりが差している・・もう後戻りはできない>>1よ、さあ、左手を
ゴツゴツした壁から離すな、慎重に進めよ 道に迷わぬように・・
疲れたから寝床に戻るとするか・・お邪魔しました〜
472月読:03/05/27 13:07
微塵さんにはいつもお世話になっております。ペコッ
417さん、はじめまして。メンヘルにある某スレの月読といいます。

ざっと読んではいたのですが、しっかり読んだのは今回が初めてです。
というのも、知識だけが先走りしてしまう事が怖いというのがありました
人に詰め寄る事はできても、このスレの知識を受け止める自身が自分に無かったからです。

そして一つ気付きました。私に答えてくださった事はこちらにも沢山書いてあるのですね
それなのに噛み砕いた説明をいつもしていただきありがとうございます。

これからもおそるおそる遊びに参ります。スレ汚しごめんさい。

473417:03/05/27 13:08
1さんのお知り合いの方が来られても入りにくい雰囲気に
なってしまっていますね。僕としては、ちょっと申しわけない気もしますが、
一応哲学板なので、皆様ご容赦を・・・。m(_ _)m
474れっどらむ:03/05/27 13:55
417さん別に申し訳なく思う必要は全く無しだぜ〜
こっちが勝手におしかけてきたからさ、
>>1兄には世話になってるけんへたなまねはできんから
たまに遊びにくるつもり、417さんなかよくしてね。ちゅ〜タイプだわ♪
やらないか?
475417:03/05/27 14:02
れっどらむさん、わかりました。どうぞよろしくお願いします。
ところで「やらないか?」って何ですか。方言か何かですか。
476れっどらむ:03/05/27 14:52
「やらないか?」は方言じゃないよ、2ちゃんで流行った言葉さ、
うーんなんかそんなホモマンガあるらしいんだよ「うほっ、いいおとこ」
とかどっかで聞いた事無い?まあくだらない冗談さ、気にせんでいいよ。
ははは・・・
4771:03/05/27 15:06
>>417さん
お騒がせして、すみませんw
一対一であまり進行すると、ガイドラインに抵触するな〜と思って
「適当にカキコしてくれ」と頼んでみたところ、みんな適当にカキコしてくれましたw
マターリと進行して行きましょう。
478月読:03/05/27 16:03
417さん
>僕としては、ちょっと申しわけない気もしますが、
>一応哲学板なので、皆様ご容赦を・・・。m(_ _)m

余計な気を使わせてしまい申し訳ありませんでした
私もこのスレをとても大事に思います。これからよろしくお願いしますね

メンヘルのスレも読んで頂いているようなのでどうぞ気軽に遊びにいらして下さい
哲学、経路の事でこれからも書き込む時があると思いますがその時はよろしくお願いします
479417:03/05/27 17:32
>>477
なるほど、そういうわけでしたか。そんなガイドラインがあるんですか。
全く知りませんでした。いや、申しわけないです、気をつかっていただいて。
と言っても、僕はどこかから人を引っ張ってくるということはできませんが、
よろしく。(2chのカキコ歴はとても浅いです。ここが初というわけでも
ありませんが)

>>478
僕も個人的にはいろいろな問題を抱えていますが、とりあえずしばらく
ここに出入りする予定です。また機会がありましたら、別のところでも
お会いしたいと思います。その節は何分よろしくお願いいたします。
480417:03/05/27 23:44
1さん及び某スレの皆さんへ。
困った野郎ですね、僕は。ごっちで言い訳してもしようがありませんが、
ご挨拶にいったつもりが、かえって皆さんにご迷惑をおかけしてしまいました。
しばらく顔を出せませんね。申しわけありませんでした。とても恥ずかしい
です。
4811:03/05/28 00:30
>>480
いえいえ。みんなそんなこと思ってませんよ。
わざわざ来てくれてありがとう。
こっちで言い訳してもしようがありますw きっとのぞいてますから。
482417:03/05/28 00:51
とりあえず、どっとにぎやかになってよかったです。

自分の頭を整理しようと思って、複雑系の本を2冊注文してしまいました。
だいぶ前から、散逸構造、カオス、複雑系にずっと注目しています。
この辺が僕の今の関心の中心です、あとヘーゲルと。
「一般システム理論」という古い本があります。ベルタランフィという
人の書いた本ですが、こういうのが好きなんです。「サイバネティックス」
なんていうのも古典ですが、読んでとてもおもしろかったです。散逸構造
ではプリゴジーヌ(プリゴジン)という人もいますが、本は難し過ぎて
読めません。
まあ、下手(素人)の横好き(文系、数学だめ)ですが、何だかずっと
ひかれているんです。フラクタルっていうのはよくわからないんですが、
自然の形態と関係する重要な概念のようですね。これも数学がわからないと、
きちんとは理解できないんでしょうね、残念ながら。
1さんは、数学はお好きですか?
4831:03/05/28 01:36
>>482
デジタルな操作はてんで駄目です。
これはガキのころからではなくて、「かたち」の操作を意識的に洗練していこうとする過程で、
たぶん新鮮な言語的刺激を必要としたのでしょうけど、ほとんど本を読まなかった私が、
中二の夏休みにいきなり百冊読んだあたりを境に、次第に衰退しました。
数学どんどんできなくなった・・・・・・・・・。
4841:03/05/28 01:41
ああ、そうそう。483に付け加えます。
数学できなくなっていっても、展開図だけは禿しく得意なまま残りましたw
485おねい:03/05/28 15:14
>>1さん
私も数学ダメダメだったけど、図形だけは良くできたなー・・・
「証明」とか大好きでした(w

ノノ;^ー^)嗚呼・・・遠き日々・・・
486おねい:03/05/28 15:20
空気を読まないカキコ、失礼しましたm(__)m
487山崎渉:03/05/28 15:25
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
488考える名無しさん:03/05/28 15:47
                                 (巛ミ彡ミ彡ミ彡ミ彡ミ彡)ミ彡ミ彡)ミ彡)
                             ,,从.ノ巛ミ    彡ミ彡)ミ彡ミ彡ミ彡)ミ彡)''"
                           人ノ゙ ⌒ヽ         彡ミ彡)ミ彡)ミ彡)''"
  ∧_∧            ,,..、;;:〜''"゙゙       )  从    ミ彡ミ彡)ミ彡,,)〜'')
√( ´∀`)     _,,..、;;:〜-:''"゙⌒゙          彡 ,,     ⌒ 彡')ギャー 彡"
| (:::..、===m==<|::::::゙:゙                    '"゙ミ彡)彡ヽ´Д`) >>山崎渉
|_= |防疫兵|::. | '    ``゙⌒`゙"''〜-、:;;,_          )  彡,,ノ彡〜''" > >,,
  (__)_)              ゙⌒`゙"''〜-、,,     ,,彡⌒''〜''" ,,彡,,)〜''
                            "⌒''〜"  彡〜"   "''〜
489大三元:03/05/28 21:57
なんか、二人のやりとりがかみ合っているのかいないのか微妙なところがおもしろいですね。
417さんの言う「自然」が多義的な物のトータルなのか、それとも部分なのかが私には読み取れないです。
たとえばネイチャーなのかナチュラルなのか、それとも両方ひっくるめてなのか。漠然としたものを説明しろと
いうのはなかなか難しい注文ではないでしょうか?
>>429、430
1さんの「感覚」が手を加えられた人工的な感覚だとするなら、
>自分の中に未定形なぼやっとした考え方があるときに、はっきりと
>見えないイメージみたいなものが浮かんでいます。そのイメージ
>自体を対象として何かすることはありませんが、このぼやっとした
>イメージが徐々にクリアーになり、細部が分節して描かれていく
>というプロセスを歩んでいる感覚があります。
これこそが、手の加えられていないナチュラルな感覚ではないでしょうか。
「ぼやっとした」が徐々に「クリアー」になり、細部が分節していく。
私の考える自然はこれに近いな。
単細胞生物の感覚は、限りなく無に近い「ぼやーっ」だろうな。
ところで417さんは、
「個体発生は系統発生を繰り返す」という発生学の考え方はご存じですか?
成長は進化をトレースするという考え方です。私たちも受精卵という単細胞生物から成長(進化)
しているのです。自分の感覚を何処まで過去に遡れるか、考えてみるのもおもしろいかもしれません。
490417:03/05/28 23:14
>>489
大三元さん、はじめまして。
1さんとかみあっているかという意味では、まだかみあっていないと
僕は思っています。最初に質問した時点では、僕自身の漠然とした
イメージに基づいて、質問をぶつけただけですが、少しずつ話の輪郭が
見えてきたような気がしている段階です。どこまでいけますか。

あと、「個体発生は系統発生を」云々というのは、は有名な考え方ですね。
それはそうだと思います。僕が進化について何かを言っているときには、
個体発生のことも間違いなく背景にあります。というよりも、
発想としては人間の感覚の起源を問うところか出発しているわけですから、
そちらが先です。単細胞生物というときには、先にも少し触れましたが、
当然胚についても考えているわけです。

限りなく無に近い「ぼやーっ」というのは、その通りだと思います。
それ以外のものは想像できません。しかし、その中に感覚のすべてが
未分化に含まれているというのが、僕の思い込みです。
491417:03/05/28 23:25
続きです。
僕が言う自然が多義的なもののトータルか、それとも部分なのか
ということですが、例えば、自然としての人間と僕が言う場合、
現にある人間の一部を自然と見ているわけではありません。
トータルに人間=自然なんです。そのように人間を見ると
これまでの多義的な自然観はどう変容するかというのがテーマです。

多義的なもののトータルというのは、まだつかみ得ていないと
僕は思っています。僕の中では、自然の概念は形成途上です。
自然の多義性というのは、人の観念の多義性そのものですから、これを
トータルに把握するというのは、新しい自然観を提出するということに
なると考えています。で、今そのプロセスをおずおずと歩んでいるのだと
思っています。
492417:03/05/28 23:32
>>486
おねいさん、気にせずにどんどん話してください。今はたまたまこういう
流れになっているだけですから、いろいろな話の中に1さんと僕の話が埋もれて
いくのも一向に構いません。空気なんか気にしないでいいですよ。
493417:03/05/29 12:32
このスレは1さんの立てたスレで、私はそこに飛び込んできたゲストに
すぎません。ですから、出過ぎたことは言いたくありませんが、458以降の
一連の書き込みについては、僕個人は全然気にしていません。
むしろ歓迎です。もちろん、哲板だろうが、何板だろうが、アラシの嵐に
なってしまっては困りますけれども、そうでなければ、多少の脱線など
取るに足りないことだと、個人的には思います。

一方で、僕がよく知らないガイドラインというものがあって、1さんが
それを少し気にしておられるということもわかりました。僕はスレ主
になったことがないので、この辺のバランスは1さんのお考えに
従っていかれれば、僕には何のこだわりもありません。余り神経質に
ならないで、マターリいかれればと。
僕も単に自分の関心を1さんにぶつけているだけの一人に過ぎませんので、
皆さんと変わるところはありません。よろしくお願いします。
4941:03/05/29 15:12
>>493
ほんとに、気を使っていただいて申し訳ありません。
さて、本題にもどりましょう、って、なんか壮大な話になってきましたね。

>限りなく無に近い「ぼやーっ」というのは、その通りだと思います。
>それ以外のものは想像できません。しかし、その中に感覚のすべてが
>未分化に含まれているというのが、僕の思い込みです。

これは、反論ではないのですが、私は起源から地道にたどる、というよりも、
過程のなかにある不可逆な質的転換を軸に、思考を展開します。
つまり、「流れ」としての歴史よりも、決定的な「出来事」のほうに関心をひかれがちです。
同じ起源から出発しても、途上の一回的な出来事が、その後の歴史の様相をまったく
変えてしまうと考えているので、一回性生成機としての人類以降はいっそう、歴史を「流れ」
として語ることの困難を感じます。
たとえば「感覚」の進化と分岐にしても、視覚以前・以後をわけたインパクトとはなにか?
ということに知的刺激を感じます。

495れっどらむ:03/05/29 15:49
417さんにあやまらなければいけません、某スレである一人の賢者に
こっぴどくお叱りをうけました・・ショボーンです。
けどこれだけは解ってください、荒すつもりは全くありませんでした。
ただ仲良くなれればな〜と軽い気持ちだったんです。
申し訳ないです・・。
496417:03/05/29 17:07
>>495
何も謝る必要などないです。それぞれの人のスタイルも、板、スレごとの
スタイルというのも、時々刻々変化していると思います。スレが荒れるのは、
原因はいろいろあると思いますが、れっどらむさんのカキコ自体は、
現時点では荒れる原因になるということはありません。気にしないでください。
ただ、場所と相手によってはということはありますので、そのことを誰かが
ご注意されたのだと思います。take it easy (気楽に行こうぜ)。
497417:03/05/29 17:40
>>494
1さんの問題意識はよくわかります。
この問題意識の差というのは、実はかなり重要な問題なのに、
このことを意識せずに言葉上の対立だけで相手の議論を頭から否定してかかる
ということは、とてもよくあることで(てゆーか、普通)、議論が不毛になる
大きな原因の一つだと思います。僕もよく陥りがちだ罠。
今の1さんとの対立点は、差異と同一性という問題にかかわることで、
問題意識の違いが対立として現れる、よくあるパターンの一つでしょう。

例えば、僕は今人と自然の同一性という問題を考え続けているので、
ここの差異を強調する人と議論をすると対立しがちです。
しかし、ここに差異がないと考えているわけではありません。
多分、この差異を明確にすることは、僕が思っている以上に大事なこと
なのだということは、予感しています。しかし、僕の当面の目標は、
人間の持つ観念を含めて、総体が自然のスペクトルの内部で起きている
ことだということを理解するということにあるので、指向性としては
1さんと逆になってしまうわけです。もちろん、十分に理解できていない
と思うからこそ、指向しているわけです。

おもしろいことには、実は対立する意見、指向性の中に自分の求める答えが
あったりするというのも、大いにあることだと思っています。
ですが、今はまだ1さんとの対立点を解消する段階ではないと思っています
ので、そこを主題に突っ込むつもりはないんです。今しばらくそれぞれの
指向性や問題意識の違いを直接ぶつけることはしないで、マターリと問題意識の
展開に任せてよいのかなと思っています。

「複雑系」の本、1冊の半分ぐらい読みました。結構興奮しますw
498大三元:03/05/30 01:24
単細胞生物の感覚を想像することしか出来ないように、他人の感覚もまた想像する事しかできません。
それどころか自分の感覚でさえ思い込みかもしれない。
>ところで、思考するというのは、まず普通にはある事柄について
>思考することです。この事柄について思考するというときに、
>人は言葉・観念をひねくり回しているわけですが、
>この過程は自覚的なプロセスとは言い難い面があります
417さんの「普通の思考」の概念が果たして本当に普通なのか。自分の思い込みではないのか?
自明と思えることを疑ってみるという哲学的な意味に置いてこのスレは有意義だと思います。
>>494
1さんの事は前から「ナガレ」よりも「カタチ」にこだわるなーと感じていました。
1さんの表現で時々狂気に似たヤヴァさを感じるのですがその原因が、「無限と有限」とか「境界」「時間」
の認識の甘さにあるのかなーと、私は感じたのですが。これって数学的センスなんだけど。
ただそのヤヴァさがとても面白い個性に感じられるので
ほっといた方がいいのかなーなんて思ったりw。どんなもんでしょう?「ナガレ」の話。
>>497
>おもしろいことには、実は対立する意見、指向性の中に自分の求める答えが
>あったりするというのも、大いにあることだと思っています。
これは大賛成。こういう気持ちがないと、健全な議論にならないよね。
499417:03/05/30 01:51
>>498
普通の思考については、大三元さんのおっしゃるとおりでしょう。その辺は
適当に思いついたまま書きました。突っ込まれても困りますが。このスレ
そのものが、思考過程が人それぞれに多様だということを表していますしね。
その意味では、いつか思考過程そのものに焦点をおいた話もできるかも
しれません。でも、今はご勘弁を。関心が全然違うところに飛んでいますので。

自分の感覚でさえ思い込みかもしれない・・・とは僕は考えません。
その意味では、僕は基本的に経験的です。結構自分の感覚は信じています。
むしろ、思考・言語を信じていません。言葉の向こう側が見えたとき、
そこに何かあると、ずっと感じています。1さんに興味を抱いたのも、その辺
が理由の一つかもしれません。


複雑系の本、おもしろそうなところは大体読み終わったみたいです。楽しい
本でした。続きはまだありますけど。スチュアート・カウフマンさんの本は
以前に買って途中で挫折したままだったんですが、またチャレンジしてみる
気になりました。ふぁいと!
500417:03/05/30 09:07
イリア・プリゴジンさんがなくなったとのこと。86歳。
何と言っていいのやら。合掌。
5011:03/05/30 11:36
おお、長文が連発しております。
いま、眼が痛うて、痛うて。忙しゅうてw
落ち着いたらレスします。見捨てないでね。

プリゴジン亡くなりましたか・・・・・・・・・・・・。
ケヴィン・ケリーでも読み返して、複雑な気分に浸ってみるかな。
502考える名無しさん:03/05/30 11:39
「現代思想」がプリコジン特集組むと予想。(3か月後あたり)
503417:03/05/30 11:55
1さん、お大事に。
504大三元:03/05/30 13:58
>>499
思考過程の話を強要する気はありませんが、417さんの指向性を尊重した上でかつ
スレのテーマと絡んだ話を勝手にしてみようと思います。417さんにとってもスレにとって
も有意義な話ができればと思います。関係ないと思うところは、独り言と受け取っていただいても
結構です。
>自分の感覚でさえ思い込みかもしれない・・・とは僕は考えません。
>その意味では、僕は基本的に経験的です。結構自分の感覚は信じています
感覚には「錯覚」が常に付きまといます。これはなかなか自分で自覚できることではありません。
感覚を信用したいのなら、疑ってみる事も大事だと思います。
ただ、「なにかありそうな気」がして1さんに興味を抱いた感覚は信じていいかも。
私はそういうのに「縁」を感じてしまいます。
さて、人間も含めたトータルな「自然」を認識したい。これは壮大な話です。
こういう壮大な話には「大局観」という物が必要になってくると思います。
ミクロからマクロまでトータルにみれる「眼」が育たないと難しいかもしれません。
マンガ「バガボンド」沢庵和尚のセリフより、
「一枚の葉にとらわれては木は見えん、一本の樹にとらわれては森は見えん。
 どこにも心を留めず見るともなく全体を見る。それがどうやら『見る』ということだ。」
本を一冊紹介。「内蔵が生みだす心」西原克成著NHKブックス。
発生学的見地から、心の起源について考察した本です。
505417:03/05/30 21:03
トータルな自然を認識したい・・・というのはちょっと正確性に欠ける
表現かもしれません。多分、我々は自然をトータルに知ることはないの
だろうと予想します。
僕の言いたかったことはそうではないのです。多義的なもののトータル
というのは、自然そのものをトータルにという意味ではありません。人の観念
してきた自然をトータルに理解というすること・・・。これもうまく表現
できていません。
以前、1さんが自然という概念の系譜学かと問われましたが、それとも違う
んです。うまく言えませんが、強いて言えば自然の概念の発生的認識論みたいな
ものかな。かっこつけすぎかもしれませんが、それを自然史として理解する
ということのようです。自分がなにをやりたいのか、それを的確に
表現できれば、目的は半ば以上達成されているような気がします。
それは、まだぼやっとしたものなんです。そして、それは自己組織化と深く
かかわっているというのが、僕の直観的な見通しです。まだ、それ以上の
ものではありません。
5061:03/05/30 22:49
>>505
417さんが、現行の自然観にどういう不足を感じていて、なにを解決したいと思って
いるのか、よく分かりません。
古い視野にどんな問題があって、新しい視野になにを期待しているのか?
その展望が見えてきません。
人間を内包した自然全体の営みを、単一の生体の合目的的な「個人史」のように
表現したい、ということですか?
507417:03/05/31 01:35
>>506
おっしゃる疑問は、よーくわかります。しかし、そういうことではありません。
単一の生体として自然史を見るなどということは考えもしませんし、
合目的的なプロセスとして自然を見ることもありません。
それは「主体も目的もない過程」です。また、個人的に何かの思想を
構築しようと目論んでいるわけでもないんです。ただ、新しい世界観への
予感が僕を駆り立てているだけです。それは、間違いなく「カオスの縁」に
あると踏んでいます。そんなところに目的論がまぎれこんではだめでしょう。

しかし、1さんが僕の論調の中に目的論の影を見出すのは、全くの間違いとは
言えません。僕の出発点は、目的論的世界観そのものでした。そして、
今でも目的論の影と悪戦苦闘している最中なのかもしれません。
僕が見ているのは、ヘーゲルの世界精神そのものかもしれませんし、
理神論的な世界観にある程度の親和性があることも事実でしょう。
でも、それは出発点であっても、目標ではありません。むしろ、
目的論を破棄することこそが強い願望です。。

僕は自然科学畑の人間ではありませんから、その系の知識は
あくまで参照枠としてあるだけで、目標は人の持つ観念にあります。
この分野では、旧来哲学とか心理学とか、そういった学問が
実績を積んできたところだと言えます。そこに、何とか切り込みたいなと
夢想しているわけです。まだ展望がひらけたというわけではありません。
中途半端なアイデアが転がっているだけです。というわけで、あくまで
発展途上の夢見るバカボンです。
508417:03/05/31 02:28
複雑系の本というのは「複雑系」という本です。駄洒落みたいですが、
本当のことです。楽しい本です。

この本を読んでいて思ったのですが、コンピュータを使って皆さんいろいろ
やっているのが、実にうらやましい。そういう実験を僕も何かしてみたい。
今のコンピュータは、PEN4 1.8AGHzだから、もし彼らがAPPLEIIやコモドール
でやったようなことをこのコンピュータの上でやれば、メモリーだって
1万倍も積んでいるし、何か楽しいことができそうな気がするんだけど、
うーん、でも何をやるんだ? 誰か、何かないw

509417:03/05/31 02:35
目的論は、遡及的な思考の倒錯ですね。現状が合理的である以上、それへの
プロセスはこの合理的な目標に向かって進んできたに違いないという倒錯。
この倒錯を退けて、しかし一見合目的的に見える合理的な結果を、自然の
ダイナミックな内的な編成の問題として解き得る観点が、自己組織化という
視点だと、今は思っています。この僕の考え方は、単なる思い込みでしょうか。
独演会みたいになってます、スマソ。
510417:03/05/31 12:44
昨夜508を書いた時点では、ほんの思いつきだったんだけど、実は材料はある
みたい。「硝子箱の中の経済」のアイデアをそのままいただき、パラメータを
工夫すれば、何とか使えそうな気がする材料が、手持ちにあるかも。ただ、
僕は全くプログラムなどできないから、まだアイデアだけです。何とかしよう
と本気で思ったら、これはどこかの板で協力者を探さないといけない
ということかな。まじめに考えよう。
5111:03/05/31 12:54
えー、他スレでも言ったように、病いってから本当に脳の機能が駄目です。
すでに以前触りまくってある文脈を使うのは、速度の低下を我慢すればいいだけなの
ですが、417さんの文脈に沿って「かたち」を使ってみる、ということを試みると、自分の
現状に愕然としますね。
もちろん「かたち」はあらわれるのですが、試合場で好敵手と相対したときのような、緊
張感と高揚がない。むろんこれは417さんの問題設定のせいではなく、私が鈍くなって
るせいなのですが。
脳の左にばかり血液が偏って左側頭部が張る。どこかに軽い梗塞でもあるんかな?
512417:03/05/31 13:50
大丈夫ですか、本当に。マターリいきましょう。(と言っても、僕の頭は全然
マターリしていません。何だか活性化しちゃって、ちょっと上の空になりがち。)

多分、1さんのカキコが僕の脳に火をつけてしまいました。こりゃ何年ぶりだろ。
妙に引きつけられるものがあるなと思ったのが最初で、たった1週間のこと
なんですよね。ちょっと連続でガーッと書き過ぎたかもしれません。しかも、
僕の考えていることの肝心な部分は、実はまだ伏せられています。そのために、
ここを読んでいる皆さんにちょっとわかりにくい印象を与えているのだと
思います。

しかし、意図的に伏せていたものではありません。実は僕はそのアイデアを
昨夜までは「死んだ犬」として扱っていたのです。そのため、僕も半分死んで
いたに違いありません。しかし、510に書いたように、それが生きるという
見通しが急に開けたので、肝心なことを言っていなかったことを自覚したの
です。申しわけありませんでした。
5131:03/05/31 13:57
生き返った犬キボンヌw
514417:03/05/31 14:03
そこで、以前考えていたことというのを、ちょっとだけ書きます。それは、
対人関係についてのとても大ざっぱなフレームワークとでもいうべきもので、
自分のつもりでは、心理学・精神医学批判という目標を持った営みの、
ごく初歩的なアウトラインでした。そこには、個人が単位として現れますが、
個人というのは、実は人間ではありません。共感を通じて、(つまり、物理
的他者との共生的な相関によって)人間になるわけで、そのプロセスを、この
共感の分裂を受容することとして理解しようとしていたのです。最もベース
になるアイデアはこれだけです。そして、この分裂した共感こそが、諸観念
の苗床なのだと。ごく単純に表現すれば、以上のようなことでした。

これ以上書くと、風呂敷を広げることになってしまうので、
今はこれにとどめます。大風呂敷を広げるのが僕の悪癖で、人をけむにまく
結果になってしまって、ちっともいいことないし、自制します。
515417:03/05/31 14:11
一つだけ追加します。共感が分裂するというのは、個体間で分裂するのでは
なく、個体内で分裂しているということです。人の心の諸相とは、この内面化
された共感の分裂以外のものではないと考えたのです。そして、この分裂の
根本的な原因は、攻撃衝動の抑制にあります。そして、対人関係においては、
実は内と外は同じものです。自分が内だと思っているものは外だったり、外
だと思っているものは、内にある。

以上で、既に幾つかパラメータが見えます。これらを組み込んだら、何とか
なるんじゃないかと、はい。

5161:03/05/31 14:49
>そして、この分裂の 根本的な原因は、攻撃衝動の抑制にあります。

攻撃衝動を抑制「するために」分裂するのですか?
攻撃衝動を抑制「したために」分裂したのですか?

そこのところ、ダイナミズムキボンヌ!
517417:03/05/31 15:14
Good question!(って、一度言ってみたかったw)

抑制が意志のもとで起きる場合と、もっと深いところで自動的に起きる場合
とで違ってきますね。後者の場合は、抑制は単なる防衛本能の2次的発動です
から、抑制それ自体が分裂だということになるのかな。ちょっとわからない。
もうちょっと突っ込んでみてください。
5181:03/05/31 15:34
>抑制それ自体が分裂
これはエネルギーを分散させる、ということ?
519417:03/05/31 15:42
自分の中に不可知の領域が発生するということ。
抑制された攻撃衝動は、なくなったわけではなくて、捌け口を求めて
常に存在しているということです。しかし、それについて僕たちは知らない
ということ。
520417:03/05/31 15:46
あるいは、知覚・コントロールできない衝動が潜在する、でもいいのかな。
エネルギーが分散する、エネルギーというレベルで言えば、ある一部の
エネルギーが発動できずに鬱滞するということかな。そして、それが見えざる
手として人間をコントロールするとか。
521417:03/05/31 15:55
このまま進むと、内容がメンヘルプロパーな領域に移行してしまいます。
僕の対人関係論は、そういう企図から形成されたものですから、当たり前
なんですが。移動しますか? それともここでこのまま続けますか?
ぐっと引き締めて、板にふさわしい話題になるべく沿うように、進める
というのもありかもしれませんが。

5221:03/05/31 16:17
>>521
哲学に守備範囲はありませんから問題ないと思います。
メンヘル板は分割で落ち着きがないし。
どうぞ、417さんの画を、もう少し描いてください。
523417:03/05/31 16:42
買い物に行ってきます。話がどんどんクリティカルな領域に入っていきそうで、
怖いですね。少しゆっくり考えます。以前考えていたことを、そのまま書くのは、
ちょっと違うと感じるのもあります。

524417:03/05/31 18:56
イトーヨーカ堂から帰ってきました。駐車場から出るのに一苦労。
すっごい混んでて。

ちょっと、中休みにします。これまでのところで、何かありませんか。
感想とか、批判とか、突っ込みとか。これをきちんと展開できるだけの力は、
今の僕にはまだないと思います。ですから、ちょっと雑談モードで・・・。

とりあえず、1さんの一連のご質問にはそれなりに答えてきたので、逆に
こちらから。自然過程の中に観念を位置づけるということの真意は、簡単に
言えば上に述べたようなことなんですが、ここには、人が人であるゆえん
みたいなことが含まれています。そこで、1さんのおっしゃっていた「断裂」
と対比してみて、何か感じることがあれば。よろしく。
5251:03/05/31 19:39
417さんが内面の動機周辺を語ってくれたので、私もそのへんを。
私が「断裂」や「瞬間」を重要視する動機は明白です。
今しも死のうとする自分や、今しも死のうとする誰かを、説得するための思想だから。
現在が絶望であっても、常に次の一瞬には希望があり得るということ。
一瞬の余命があれば、人生は生き続ける価値がある、という主張の根拠だからです。
だから、私の思想は実用上のバイアスがかかっていて不純ですね。
526417:03/05/31 19:48
それ、リアルでとてもよくわかる。思想って、そういう時に役立たないで
何の意味があるんだよっていう気持ちも、僕の中にはあります。

人が絶望しているときに、僕にできることってなんだろう。一生懸命励ます
こともあるだろうけど、僕がこれまでやって来たことは「怒る」これだけ。
人が絶望しているときに僕が感じるのは、怒りなんです。そんなわけないだろ、
って、それだけ。自分が絶体絶命になったとき、僕が立ち直るときも、これ。
そんなの絶対に許せないと思う。別名、逆ギレかも。
5271:03/05/31 19:51
517〜520あたりを読んでいると、ユングみたいなフロイト、という感じがします。
「精神分析学はすべての科学の基礎である」と主張していた分析医を連想してしまいました。
528417:03/05/31 20:09
ユングもフロイトも影響を受けていないとは言えないですね。
でも、正直一番影響を受けたのはH.S.サリバンかもしれない。
あと「魂の殺人」のA.ミラー。遠いけど深い影響は、ピアジェ。
考え方で好きなのは、ドイツの現象学の影響を受けた医師たち。
5291:03/05/31 20:21
俺はサリバン先生とヘレン・ケラーの影響を受けましたw
『魂の殺人』とはしぶいところをフォローしてますね。
ピアジェは後世にたくさんのネタを残してくれましたが、本人に「触覚」が乏しくて
後世の人を困らせもしましたね。
ひとつの潮流の端緒にあって、ピアジェと対照的なのがレヴィ・ストロースかな。
「触覚」あり過ぎで後世の人を困らせたw
フロイト=ピアジェ
ユング=レヴィ・ストロース
みたいな感じも。ユングのほうが現場ではずっと腕がよかったと聞きます。
5301:03/05/31 20:41
>>526
417さんとはちがうと思うけど、自殺予告電話もらったときなどに、「怒り」たくなるのは
私の場合、逃げ出したいときですね。
531417:03/05/31 21:03
腕がいいカウンセラーとか精神科医というのは、技術面を除けば、対人的な
資質でしかないような気がします。その意味でユングは、よい資質に恵まれた方
だったんじゃないでしょうか。でも、その資質と思想とは必ずしも
一致するわけではないから、その辺が難しいところですね。

しかし、今僕が挙げた人たちの著書も、実際に読んだものは多くありません。
しかも、内容はもうほとんど覚えていないんです。
だから、どこからどこまでが彼らの「引用」なのか、
自分でも定かではないです。困ったもんです。だーっと読んで忘れるんです。
アンダーライン(傍線)を引いたりメモをとったりして読んだことは
ほとんどなくて、自分がこうだと思ったエッセンスだけ、残っている感じ。

ミラーは、僕の考え方の根底を形成するうえで重要な導火線になりました。
共感のダイナミズムへのアプローチは、ミラーから始まったと言っても
過言じゃないです。共感は、裏に回ったり、多重に屈折したり、様々な形式
で現れると思っていますが、そのメカニズムに気づかせてくれたのは、
ミラーです。その意味では、深く感謝しています。
532417:03/05/31 21:08
>>530
僕は逃げられない、その場に立ちつくして凝視してしまう。
その状況そのものに対する怒りかもしれません。
理不尽な現実に対する単純な防衛反応でしかないのかもしれません。
533417:03/05/31 21:35
全然違う話をします。
部分と全体という話が、大三元さんの
>>504
にありました。これに対して、これは言葉の問題と考えられては困るんですが、
「個別は普遍」であるというヘーゲルの一節を思い出してしまいます。
普遍は、個別の中にこそ見出されると解してもいいかなと思います。
僕の構えは、ほとんど一貫してこれです。あらゆる個体の中に普遍を
見出せないのであれば、そんなものは普遍とは呼べないのだと
僕は解釈しています。
ヘーゲルがどんな意味で言ったのかは、よくわかりませんが、多分
そんなに遠くないと思っています。
5341:03/05/31 21:38
>>519
>自分の中に不可知の領域が発生するということ。

蒸し返しますが、ああこのへん、自分と対照的なアプローチだなあ、と感じます。
(それ自身自己完結的な)膨大な不可知の領域が、なぜ不必要な可知の領域を発生
させるのか?ということが私は気になります。
5351:03/05/31 21:48
>>533
個別と普遍が語り得るのは、同一性以後のことです。
同一性が成立するのは、対象を目的的に定義したとき、つまり生物以後です。
普遍であり得るような個別は自己同一性以後に成立するでしょう。つまり、「現在」が
発明された「とき」に、「とき」を同じくして。
536大三元:03/05/31 21:59
>>533
「部分」と「全体」、「カタチ」と「ナガレ」を結びつけて一つにしてしまうのが、
「フラクタル」の概念なんだ。俺はこの概念を知って自分の考えが突き抜けたよ。
突き抜けたと言う表現がぴったりだ。でもこの概念、昔の東洋思想の中にあったりして
またびっくり。相対性理論も時間と空間を結びつけた理論だよね。
アインシュタインは頭の中で言語思考はしていなかったんだって。つまり右脳思考。
そして左脳が「時間脳」、右脳が「空間脳」だと知ってまたびっくり。
言葉で言い表せないびっくり。
537417:03/05/31 22:08
そういう問い方もありですね。
そこだけを取り上げてみると、確かにそういうアプローチになっていることは
間違いないでしょう。しかし、この問いは、実は個体へのアプローチ以前に、
社会システムにおける個々人の役割という別の重要な側面を持っています。
そういう視点から見ると、この問題は相貌が違って見えます。
さまざまな社会的に必要なサブシステムが、個体の資質として見えているわけ
です。(上述のカウンセラーの資質も同様です)個体にとってアクセス不可で
あるシステムは、社会的には必要なサブシステムなのだと理解するのです。
ですから、このサブシステムの機能の顕現という問題は、個人の資質の問題
ではなく、必要な社会的機能の抑制と見てよいということなんです。

するっと視点を移動させてしまったように感じられるかもしれませんが、
いつもの言い方ですが、そちらからのアプローチが先なんです。マジに。
ですから、個人にとってではなくて、社会にとって何なのかという視点が
重要だと思っています。で、社会にとってどうなんだというのは、少し
考えてみませんか?
538417:03/05/31 22:12
>>536
フラクタルについては、まだその意味が実感できていないので、もう少し
教えていただけませんか。形態が重要なキーであるというのは間違いない
と思います。ですが、フラクタルそのものの意味が今一つわかっていない。
馬鹿なんです。よろしく。
5391:03/05/31 22:16
>>537
>このサブシステムの機能の顕現という問題は、個人の資質の問題
>ではなく、必要な社会的機能の抑制と見てよいということなんです。

ここで、顕現しているものと、抑制されているものは同義語ではないの?
ちょっと混乱。
540417:03/05/31 22:23
ごめん。ちょっと思考が跳んでしまいました。
正確に言いなおします。
「このサブシステムの顕現という問題は、個人の資質の問題ではなくて、
必要な社会的機能の顕現なのだということ。したがって、
個人の資質の抑制とは、社会的な機能の抑制だということです。」
失礼しますた。m(_ _)m


5411:03/05/31 22:31
>>540
了解。ならば同意です。
個体の資質のうち、後天的に体得したもの以外は、社会の実情に不適応、あるいは
過剰適応を起こしやすく、後天的資質と先天的資質はしばしばせめぎ合いますね。
542417:03/05/31 22:32
言い訳になるかもしれませんが、今、まじめに考えつつ書いています。
既に考えられた要素もあるんですが、新たな視点から見直しつつ、
書いているんです。そこで、いろいろ過誤もあり得ると思いますので
その辺、大目に見てやって。

5431:03/05/31 22:34
あ、言葉が足りませんね。
社会自体にも後天的資質と先天的資質にあたるものがあって、背反しやすい。
それが個体に反映すると、言ったほうがいいでしょうか。
5441:03/05/31 22:35
言葉が足りなかったのは541の私ですw
545417:03/05/31 22:46
人にそなわっている様々な能力という意味での資質は、脳−神経−身体の
中のサブシステムの多様な組み合わせによって実現されるもので、先天的
なものというのは、もちろん可能性としてその力を有しているというに
過ぎないでしょう。しかし、その多くのサブシステムが、そもそもアクセス
不可になっているとすると、これは人間社会にとっては、決していいことでは
ないと思うんです。
546417:03/05/31 22:57
攻撃衝動の抑制ということについて、もうちょっと付言してみたいと思います。
攻撃衝動の抑制が何を守るかというと、共生的な相関であると同時に、一方では
強制的な相関でもあります。このことを見出したのが、ミラーなのだと僕は
思っています。この共生=強制という二重性によって、攻撃衝動の対象を
代償的にこの共生的相関の外に見出すことになるのだと思うのです。
これが共同体の敵対的な性格を基礎づけているのではないかと思うのです。
共生は最初から暴力的な相貌を帯びており、しかもその対象は代償的な
ものであるために、本来の一過性の衝動であるものが、永続的・盲目的な
衝動として人をつき動かすものとなるではないでしょうか。


5471:03/05/31 22:58
>>545
可知の領域は「現在」の構成と連動しているから、容量の限界がある。
アクセスの可不可の問題は、意識による判断の信頼性と絡んでいて、
意識に大きすぎる「権限」を与えることは、個体の存続にとっては致命
的と感じる。
5481:03/05/31 23:01
>>546
「攻撃」が緊急事態への対処である以上、日常的にはその衝動を代償的に処理する
のは、妥当にして必然的な要請なのではないでしょうか?
549417:03/05/31 23:02
>>547
うーむ、そのようには考えませんでした。容量の限界?
具体的にはどのような資質を考えているのか、お聞かせください。
それがどのように個体の存続にとって致命的なのか、具体的に。
550大三元:03/05/31 23:04
せっかく書いたのを消してしまった。
>>514、515
「共感の分裂を受容する」というのは、脳内の弁証法みたいなものでしょうか?
俺はよくそういう思考の仕方をしているけど。主観と客観の折衷案で間主観になる
みたいな感じ。
>対人関係においては、実は内と外は同じものです。自分が内だと思っているものは外だったり、
>外だと思っているものは、内にある。
これは、ほぼ同意。この感覚がないと、自分を見失ってしまうと思う。少なくとも自分はそうだった。
外からの力がなかったら今の「自分」はない。
こういう論てすでにあるんでないの?良く知らないけど。
>>525
ああ。なるほど。俺が1さんに感じていた、「ナガレ」の断絶は「死」なんだ。
究極の断絶ですね、これは。これはヤヴァイはずだ。
>「無限と有限」とか「境界」「時間」の認識の甘さにあるのかな
>ただそのヤヴァさがとても面白い個性に感じられるので
>ほっといた方がいいのかなーなんて思ったり
これらは少し不用意な発言だったでしょうか。
認識の甘さというよりむしろ強く認識しすぎているのですね。
今でも自分の死を説得することがあるのでしょうか?
俺が踏み込んでもいい話なのかな?スレ違いか?
>私の思想は実用上のバイアスがかかっていて不純ですね。
これは違うだろ。実用性のない思想なんて絵に描いた餅だ。
難しい言葉で一握りの人間にしかわからない様な言葉を吐いて
それで自分は頭がいいとか思い上がってる思想家とかみるとむかつく、俺は。
頭がいいなら頭の悪い人に分かるように話せるはずだろ、とか思う。
5511:03/05/31 23:07
>>549
プログラムを書き換えるときに、意識が「気になった」ところを局所的に書き換えていたら
早晩全体が停止します。
5521:03/05/31 23:11
>>550
>今でも自分の死を説得することがあるのでしょうか?
最近は切迫した知人の死に継続的に直面しているので、本人死ぬひまないw

>俺が踏み込んでもいい話なのかな?スレ違いか?
どうぞ。でもスレ違いですねw
553417:03/05/31 23:15
>>550
こういう論は既にあると思います。ですが、僕が言いたいことはそこにある
のではなくて、内にあるものが外にあるということが、またその逆が、
具体的にどういう形で現れるかということです。それを、コンピュータ上で
走らせて試してみたいと思っているわけです。できればおもしろそうだと。

554417:03/05/31 23:22
>>551
これはちょっと僕には理解できない部分です。プログラムを書き換える
とは、具体的に何を意味しますか。胸突き八丁ですから、お互い言葉を
慎重に選んで、相互に理解可能な形に持っていきたいです。ですが、
ちょっとヤヴァい領域に踏み込みつつあるぞという感じがしています。
ちょっと間違えると、(もう間違えている可能性もありますが)地雷を
踏みそうな・・・。また目先を変えることはできますが。

555417:03/05/31 23:30
>>550
脳内の弁証法というのはおもしろい表現です。しかし、僕はそういう言葉では
表現したくありません。弁証法って言葉として便利すぎると思いませんか。
内と外の弁証法は、既にヘーゲルにももちろんあります。もっと以前にも
あるのかもしれませんが、どちらにしても、もう少し具体的に展開できれば
と考えています。「資本論」で言えば、商品論の部分に該当するような
抽象度の高い話ですから、僕も慎重にいきたいです、ここは。

5561:03/05/31 23:30
>>554
ここらへんは、俺がない知恵絞るより、マーヴィン・ミンスキーの『心の社会』を
読んでもらうといいかも知れません。
「なんで、うちらはこういう仕組みになっているのか。いろいろある不都合は、どういう
好都合の半面なのか?」というあたり、詳しいです。
心を社会と見なすあたりも、417さんの関心とひびきあうものがあるかも。
557417:03/05/31 23:42
>>556
マーヴィン・ミンスキー「心の社会」ですか。(._.)φ メモメモ

ここは、とても難しいところだと思います。しかし、僕の気持ちとしては、
解決していると思っている部分です。会って話せばわかるかなと思う反面、
修羅場を見るかもなとも思います。以前にこういう議論を延々と続けた相手
がいました。結局、当時の僕もこらえしょうがなくて、議論は中断しました
が、なかなか楽しい議論でした。

話を変えますが、頭の具合がとおっしゃっていましたが、今はどうですか。
だいじょうぶですか?


5581:03/05/31 23:52
>>557
頭は超低空飛行状態で安定ですw
559大三元:03/05/31 23:57
フラクタルは自己相似性とか言われるけど、部分と全体が相似性を持っているということ。
感覚的に一番分かりやすいのは「合わせ鏡」をのぞくことかな。そこに広がっている世界が
フラクタル。合わせ鏡の中の一部分をきりとって拡大すると、全体とピッタリ同じカタチになる。
JIS規格の紙のA板とかB板とかもそう。A1を半分にするとA2また半分でA3、A4、A5・・・。
半分にしても紙の縦横比が変わらないから相似。これを連続させるとマクロとミクロを結びつける
事が出来る。木の枝とかも、木全体と枝が同じカタチっぽかったりする。時間の積み重ねによって
作られた自然のカタチの中にはフラクタルがいっぱい潜んでいる。「系統発生と個体発生」も
フラクタルだと思う。元々は数学の概念だけど、カタチを捉えるのにすごい便利。
「フラクタル科学入門」三井秀樹著 日本実業出版社。ちょっと古い本だから今もあるかわからん。
フラクタルに数学ではなく形からはいった本だから文系でも読めると思う。
ところで、バカボンの語源がバガボンド=漂流者ってしってました?
まさに417さんはここに漂流してきたって感じだな。
560417:03/06/01 00:02
>>559
ハハ、間違いなく漂流者です、僕は。語源の件は知りませんでした。

フラクタルについては、興味あるんだけど、今までのところこれっていう
ものに出会っていないなと思います。ソフトウェアでマンデルブロ図形を
眺めて、おもしろいもんだなと思ったことはありますが、そこどまりです。
今度本を探してみます。
5611:03/06/01 00:06
前にも上げたことがあるけど、フラクタルの表現としては新潮文庫『カオス』のなかの
体積のない立方体「メンジャースポンジ」が、イメージ的にインパクトあった。
562417:03/06/01 00:06
1さんにちょっとお聞きします。何、大したことはないんですが。

>プリゴジン亡くなりましたか・・・・・・・・・・・・。
>ケヴィン・ケリーでも読み返して、複雑な気分に浸ってみるかな。

とお書きになりましたが、不勉強なもので、ケヴィン・ケリーという人を
知りませんでした。早速ググッて調べましたが、僕の興味の範囲からは
外れているように思いました。しかし、1さんは当然お読みになっていると
思いますので、できれば感想など。もしかしたら興味がわくかも。
563417:03/06/01 00:08
「フラクタル科学入門」三井秀樹著。
新潮文庫の「カオス」。
(._.)φ メモメモ
ありがとうございました。
5641:03/06/01 00:23
>>562
ケヴィン・ケリー『「複雑系」を超えて』は、この手の本のなかでも大風呂敷度が
抜群でおもしろいですよ。ちょっと、目次から抜粋してみます。

 均衡的から非均衡的自然観へ
 開かれた生命を求めて
 進化はどう進化してきたか?これからどう進化していくのか?
 サイバネティックスはなぜ死滅したのか?

解明よりも、未来に向けての疑問を羅列する、といった感じの本です。
ブレイクスルー探し、みたいな。
565417:03/06/01 00:46
>>564
なるほど、おもしろそうな本ですね。検討してみます。
それにしても、こんなにたくさんは読めそうもないです。少しずつ歩いて
いきます。ありがとうございました。

566大三元:03/06/01 11:45
初めからスレを読み直していたら、もう一度御礼がしたくなった。
1さん、皆さん、ありがとう。すごく楽しめた。昔の事とか思いだしたり。
忘れてた感覚に気付いたり。

沢庵和尚のせりふの木の葉から木、森まで、フラクタルの感覚で一つのカタチ
として「観る」事が出来ます(私は)。自分なりのある程度の大局観は、
手に入れた確信があります。さらにこの「観方」が今後どう進化すべきか、
という方向性もある程度は予想できています。それは、いままでのカタチのナガレ
から次のカタチを想像するという行為です。
トータルな自然観というのも私なりにはあります。1さんが自分の自然観を手の
入った(外科的)と表現しましたが、私はイメージにかなり徹底して手を入れて、
手入れの行き届いた日本庭園のようにしました。彫刻を作る様にカタチをそぎ落として
いったと言えばいいかな。でも、削ぎ落としたことで失ってしまった物もあります。
なにかを得ようとすると必ず何かを失いますね。
567大三元:03/06/01 15:32
>>547
意識がでかくなりすぎると(その質にもよると思うが)無意識の本能的な部分を
押さえ込んでしまうということでしょ?自殺は意識の最悪の権限行使といえる。
個体だけでなく小子化とか虐待とか種の保存にも関わってきますね。でも、
意識の肥大化が生み出した文明が食料供給や医療などで、個体の存続を支えて
いると言う事実もある。好きな時に好きな物が食べられ、医療が保証され、
飲める水で糞尿を流すこの国がいかに恵まれてるか、とか思うときもある。
568大三元:03/06/01 15:34
>>525
>今しも死のうとする自分や、今しも死のうとする誰かを、説得するための思想だから。
>現在が絶望であっても、常に次の一瞬には希望があり得るということ。
>一瞬の余命があれば、人生は生き続ける価値がある、という主張の根拠だからです
この考え方はその場しのぎにしかならんと思うのです。急場をしのぐのにはいいと思うの
ですが、根本的解決にはならないと思う。私も以前、とりあえず今さえ良ければいい
という刹那主義的考えに陥っていたときがあるのですが、人間の性質上一点に集中すれば
するほど盲目的になってしまう。幸せの時はそれでいいが、不幸の時廻りが見えなかったら
残されるのは絶望しかない。頭で次の瞬間の希望を考えてもだめなのです。頭で考えた物は
疑ってしまうから。疑いようのない不可逆な時間の(断続ではない)連続のナガレを感じられないと
抜け出せない罠がある。これは確信です。ナガレの感覚がないと未来を考える事はできても、
信じることはできない。哲学で時間の問題がよく扱われますが、時間脳かつ論理脳の左脳が
時間を論理的に考えても、自己言及に陥ってしまう。右脳が左脳の時間を感じてやらないと。
説得にも、とりあえず急場をしのいだ後に時間をかけて(過程を感じさせながら)答えを探させると
いうナガレを持ったカタチが必要です。(タネばらしちゃったかな?)
569417:03/06/01 15:55
「複雑系」を読み終わりました。楽しい読みものという感じで、わくわく
しながら読めたのは、久しぶりです。随分前の本だったようで、1990年代
初頭までで、話は終わっていました。それから10年以上の年月が流れて
います。その後のことについても、何か探してみたいです。

出てくるパソコンがマッキントッシュIIだったりするのが、時代を感じさせて
くれます。あのころ何を使ってたかなと思うと、まだPC98だったかな。
マックも使ってみたいと思いながら、結局その後ウィンドウズ3.1へ。

こういう話は本当に好きです。また、アメリカ人にはこういう本を書かせると、本当に上手な人がいますね。いつも感心してしまいます。

さて、カウフマンさんにチャレンジ!
5701:03/06/01 16:43
大三元さんの、飴と鞭を使い分ける本能、好きです。
あっちのスレでもいつもお世話さまです。俺はできるだけ短く書きたいほうなので、
信頼のおけるレスを長文で付けてくれる、ありがたい人材ですw
>>568のアドバイスありがとうございます。
噛み締めておきます。
ただ、俺の思想も実戦的に培ったものなので、なかなか頑固で説得されにくいと
思います。ご容赦をw
571236:03/06/02 14:30
容量に関する1さんの言っていた意味が、ようやく少しだけわかってきました。あっちこっちの1さんの断片的な書き込みや、某日記なども見てですが。
容量ということのの具体的な中身とか、プログラムの書き換え、中断
といった部分は今一つよくわかりませんが、それには、ミンスキーを
読んだ方がいいということでしたので、それはいずれ読むつもりです。

容量に関してですが、例えばコンピュータになぞらえて少し考えると、
脳が作業をする空間という意味でのメモリ容量が不足するといった
意味なのでしょうか。それとも、別な意味でしょうか。実際のところ、
容量などということは少しも考えたことがありませんでしたので、
頭の中で、今少し時間をかけて整理したいと思っているんですが。
572m:03/06/02 14:30
★クリックで救えるオマ○コがあるらしい★
http://yahooo.s2.x-beat.com/linkvp/linkvp.html
573417:03/06/02 14:39
↑は僕です。
ageてしまいました。すみません。

574417:03/06/02 14:42
5751:03/06/02 14:58
>>571
まさしく「作業記憶の容量の限界」のことです。
576417:03/06/02 15:12
>>575
容量の限界に達すると何が起きると考えるわけですか?
5771:03/06/02 15:19
>>576
そもそも意識に知らされている意識内容自体が、ディスプレイするために加工され圧縮
されたもの。アクセス不能の領域が大量にあるのは、言わば工学的問題かと。
578417:03/06/02 16:01
>>577
なるほど、そういう意味か。わかりました。

この辺、すごくいろいろな問題が錯綜しているところだと感じています。
上の方で述べた「分裂した共感」が云々というのも、中心の概念だけを
述べたわけで、分裂の諸相というのは非常に複雑で、
経験者にしかわからないという面も含めて、ここから展開するのは困難
だと感じて、「死んだ犬」として扱っていたわけです。ましてや、それが
苦悩の渦中にある人に対してどういう意味があるかなどということは、
とても言えないから。

しかし、その概念に至った道筋は簡単です。実際にいろいろな人と出会い、
いろいろな問題に直面し、様々な問題を抱えたからです。自分自身の心の
問題も含めて解決したかったから。鬱、統失、神経症、自閉症、
単なる欲張りかもしれませんが、それらを理解するための枠組が欲しかった。
そういう経過があったわけです。
579417:03/06/02 16:02
ではこの「死んだ犬」がなぜ生き返ったのかというと、
外側の面があるからでした。しかし、まだ思いつきの域を出ていない。
「内側にあるものは、外側にもある。資質は社会的機能だ」というのは、
文字通り人間社会の話であって、脳の話ではありません。しかし、
生き返った犬や夢見るバカボンを含めて、ここで起きたことはたったの
数日間のことでしかありません。確かに何か見えている。大ざっぱには、
そのとおりなんだけど、それを今すんなりと展開できるかというと、
それは無理だろう。前の死んだ犬だって、それをひねり出すのに要した
時間は、軽く10年を超えていたんだから。
5801:03/06/02 16:16
417さん
アフォーダンスには関心ありますか?
581417:03/06/02 16:45
聞いたことあったんだけど、中身は思い出せませんでした。(つまり
、名前ぐらいしか知らないということ)
今ちょっとググッてきました。おもしろそうですね。ちょっと紹介を読んだ
だけなので、本当にところはわかりませんが、ふっと連想したのは
マルクスです。マルクスの唯物論って、こんなものかもしれないなと。
(単なる第一印象です)失礼しました。どんなものか、1さんの視点で
教えていただければ、幸いです。

5821:03/06/02 16:56
>>581
生物の行為に関わる「意味」は外界に「知覚の対象」として存在するっつー理論。
内外の境界を超えた自然の包括的な姿を描き出そうとする試み。
研究方法は実験心理学的な、具体的なアプローチなので、事例的におもしろい
話が豊富。
そのかわり発想の転換が大き過ぎて、理論の全体像はちょっと喉につかえるw
583417:03/06/02 17:36
ええっと、少し回ってきました。いまいち何だかわかりません。
理論的なことよりも、実験的なことの方がまずおもしろそうな予感。
散逸構造でも何でもそういう傾向がありますが、理論そのものよりも、
そこに至る実験とか、そこで見出された新しい事象が興味深い
というのはあります。イカの神経の実験とか、ゾウリムシの走性の
メカニズムとか(古)・・・w
5841:03/06/02 17:39
>>583
基本文献を読んでもよくわからないのだw
でも、言ってることとやってることはおもしろくて、417さんの展望につながりそうな
感じなのですな。
585417:03/06/02 18:22
基本文献を読んでもわからないというのは何でしょうw

「椅子が」っていうのが、既に訳がわからないところがあります。文字通り
に解釈すれば、全然問題なく正しいような気がします。知覚の対象の意味の
客観性? 

1さんは触覚ということに何度も触れておられますが、それと関係ありそう
な、なさそうな。人もまた知覚の対象ですよね。感覚の拡張みたいなことかな。
違うのかな。あるいは、共同体の感覚みたいな、他人のところまで感覚が拡大するみたいな。なんだか、みたいな話ばかりですが、違うようだし。

正直、今のところわかりません。勉強することばかりふえて、大変です。




5861:03/06/02 18:34
>>585
J.J.ギブソンというのが総元締なんですが、彼自身は発想の転換が完了しているので、
ふつーの人と話が噛みあわないのですw
「既存の世界観は認知の実相に適合してない。間違っとる!」というところから出発して
しまうので。

ただ、身体を動かして「視界」を動かすことが、視覚的認知に欠かせない要素であるとか、
認知が成立する様相の精密な描写は新鮮で刺激的です。
「ぶっちゃけ俺たちって、なにをどういうふうに感じてるわけ?」という疑問への肉感的で、
斬新な説明、っつーところです。
587417:03/06/02 18:40
ゲシュタルト心理学のテキストを読んだときに感じた驚きとどこか
似ていますね。それを動きにまで拡張して、さらに環境全体に展開して
世界観をひっくり返したということでしょうか。ギブソンの著書の邦訳
があるということを、たった今知りました。
自分の不勉強を思い知るスレですか、ここはw
5881:03/06/02 18:56
>>587
そのまとめいい感じです。

先天盲の人と、目隠しをした健常者が、おなじ道筋を視覚以外の手がかりを頼りに
歩くとき、利用する情報にどのようなちがいがあるか?みたいな実験、おもしろいで
す。この場合認知的熟練者と、初心者の世界の差異、みたいなものを探るわけです。
589417:03/06/02 19:20
>>588
これは使えますね、間違いなく。

ヘーゲル哲学の唯物論的転倒というのがマルクス主義者によって
散々試みられてきましたが、それよりはギブソンの方が100万倍
おもしろいかも。(ヘーゲルの考え方の根底にある流動性と
そっくりな気がします。全部水に流してしまうという意味で)
590417:03/06/02 19:31
>>588
そういう実験は『生態学的視覚論』というのに載っているんですか?
591大三元:03/06/02 21:01
部分と全体の概念を一つのカタチとして見る基本。
数学の集合の基本と同じ。
まず大きな丸を描く。次にその内に小さな丸を描く。大きな丸の内側のゾーンが「全体」。
小さな丸の内側が「部分」。大きな丸の「線」が概念全体の「境界線」。
小さな丸の線が全体と部分の境界線。
一番単純なカタチ「丸」。これならほとんどの人が「二重丸」という一つのカタチ
として捉えられる・・・と思う。
例えば外側の丸に「社会」内側の丸に「個人」をいれてみると、小さな丸の線が
社会と個人の境界線。
「視点」を動かしてみよう。社会のゾーンに立って個人のゾーンを見ると境界線の向こう(外)側。
個人のゾーンに立って見ると、社会はやっぱり境界線の向こう(外)側。
初めの(二重丸を見る)視点にもどってみる。個人のゾーンは社会の内側、社会のゾーンに含まれる。
三つの視点がイメージできるだろうか?
ここで数学の「線」の定義を思い出して、自分で描いた線と比べてみる。
「線」という概念がフィクションだと実感できれば、「境界線」を自由に
突き抜けることが出来るようになる・・・かも?
5921:03/06/02 21:16
>>590
その実験は佐々木正人だったと思いますが、ぐぐって見てもどの本だったか
わからない・・・・・・スマソ!
こないだの地震で本がぐちゃぐちゃw 現物捜せない・・・・・・・。
5931:03/06/02 21:18
>>591
森敦の『意味の変容』を思い出しますね。
594大三元:03/06/02 21:57
>>578
自閉症というのはソフトではなく先天的なハードの問題らしい。
自閉という言葉が「自ら閉じこもった」と偏見を与えるから見直した方がいいと
新聞で誰かが主張してた。

ところで、「死んだ犬」を想像して、「爪を隠さなきゃ」とか思うのは俺だけ?
>>570
俺の本能にはむしろ、「鞭と飴」や「鞭と鞭」が刻み込まれていたりする(苦藁
説得するつもりもありませんが容赦なく続けますのでご容赦w
1さんは、自分や(他人の)「死」を意識することで自分や(他人の)「生」
の大切さを実感なさってるのだと思います。
これは、「生」の否定である「死」を否定する事による、生の背理法的肯定
だと思います。則ち、「死が偽である」ゆえに「生が真である」、となる。
この「ゆえに」に私の言うナガレの感覚があります。死の否定から生の肯定へと
つなげてくれる「感覚」。1さんの思想の中にも、まだ意識できていない
ナガレの感覚が眠っていると思うのですが。
マンガの(本来断続である)コマとコマの間をつないでくれる感覚。
ほとんどの人が意識していないと思うのですが・・・。
この感覚は自分と他人との断絶もつないでくれると私は想う。
595考える名無しさん:03/06/02 22:28
>>591
僕は数学的センスがないのかな。フラクタルのときもそうだけど、全然
そういう比喩では、何も感じないんですよ。数学で多少ともおもしろさを
感じるのは微積だけでしたね。だから、そこでとまっている。本当は
もっといろいろあるだろうに。集合なんて大嫌いだったし。何を、当たり前の
ことをありがたそうに言ってるんだってなもんでした。
非線型代数っていうのも、何か御利益はありそうなんですが、
食べてみたいんだけど、食べ方もわからない。

自閉症についてはいろいろな考え方がありましたが、先天性の問題を抱え
ていることも事実のようです。長い間理解できなくて苦しみました。今も
難しい問題であることに変わりはありません。先天性であると判明して、
何か解決したわけではないのですから。むしろ解決不可能と言っているに
ひとしい専門家も大勢います(主流・多数派)。治療法がないというのが、
動かしようのない事実のようです。精神医学って、本当に医学なのかなと、
時々素朴に思います、失礼な話ですが。それだけ、難しいということだと
自分に言い聞かせて我慢しております。
596考える名無しさん:03/06/03 00:07
>>559
くだらん話ですが、うちではマンガ「バガボンド」のことを「バカボン」と
呼んでいます。単なる語呂合わせのつもりが、そうではなかったという深遠
なる因果関係の真理を学ばせてもらいましたw
597大三元:03/06/03 19:06
>>595
数学的センスといってもいろいろな意味があると思うし、そもそも自分のセンスは?
という問題もあるけど、ここで言っているのは学力的なことではない。
根本は、まさにあなたの言った「数学を面白く(不思議に)感じる」感覚。
「何を、当たり前のことをありがたそうに言ってるんだ」ってのは、
残念だがやっぱりセンスがないのだと思う。
微積を(多少とも)面白く感じたのなら微積のセンスがあるのでは?
微積のセンスは日常生活においても様々な応用が利く大事なセンスだと思う。
ニュートンがリンゴが落ちることに「不思議」を感じた感覚とつながってる。
ニュートンが「何を、当たり前のことを」と感じていたら、
万有引力も微積も生まれなかったのだろうと思う。

精神医学に限らず医学に限らず、人間に解決できぬ問題など腐るほどある。
解決できる問題など極わずか。人間は万能の神ではないから。
それでも諦めずにあがいてみせるぐらいの力だけは・・・あったりなかったり。
>>596
赤塚不二夫の洒落っ気らしいです。ナンセンスギャグを書き続けるのは相当の苦悩があって
中には壊れちゃう作家もいるらしいです。赤塚もアル中で壊れかかったみたいです。
バカボンパパの「これでいいのだ」は哲学ですね。悟ってる。
598417:03/06/03 20:09
いまさら数学に再チャレンジということは考えられませんが、科学を
知れば知るほど数学はおもしろそうだと改めて思っています。
知りたかったなぁと・・・。だって、学校の算数とか数学って、
実におもしろくないじゃないですか。まぁ、学校の教科なんて、どれも
おもしろくなかったけど。

実はいっとき数学の本をいろいろ読んでみたことがあるんですが、
結局入っていけなかった。僕はオーディオが好きなので、フーリエ級数
なんてもっと前に知っていれば、夢中になったかもしれないけど。ああ、
単なる愚痴になってきた。おしまいにします。

壊れちゃったギャグ漫画家って、大勢いますね。結構好きだった作家が
そうやって消えていったり、作風がすっかり変わってしまっておもしろく
なくなったり。でも、ギャグ漫画のテンションを維持するって、多分
想像を絶するエネルギーを要するんでしょうね。そういう意味では
ギャグ作家というのは、とてもつない仕事なんだと思います。赤塚に
関して言えば、とうの昔に終わっていますが・・・。
599417:03/06/03 23:57
思考の基準ということ。
1さんのとらえている言葉や概念の立体的な形というのは、とてつもなく
すごい基準なのではないかと思えてきました。

僕たちが思想を形作っていくとき、何を基準にするのでしょうか。僕にとっては
経験中で感じた「実感」としか言いようのない何かです。あるものについて、
たとえ理解が難しくても、直観的に「正しい」とか「すごい」とか思いますが、
そうでないものも死ぬほどたくさんあります。そういう基準は確かに僕の中に
あります。人から見れば、何の根拠もない思い込みですが。

1さんの場合は、その言葉や概念の形をあれこれ吟味しているわけで、それが
間違いなく基準になっているんだろうと推察します。そして、それは我々が
言葉や概念を吟味しているのは違うレベルで明確な対象性を持っているという
こと。このことの意味を1さんが本当はどう思っているかはわかりませんが、
これまでの短い時間の中での対話の中で僕が感じたのは、中途半端に頭の
いい人たちが言葉をひねり回すよりも、実に的確にものごとをとらえている
のではないかということです。1さんは、まだご自身の特異な経験のあり方
について明確な判断ができずにおられるのかもしれませんが、すっごい宝物
の持ち主かもしれない。大切にしてください。
6001:03/06/04 00:50
>>594
>1さんの思想の中にも、まだ意識できていない ナガレの感覚が眠っていると思う
>のですが。
私は「ナガレ」を否定しているつもりはないのですが、どんなところが「眠ってる」と
感じさせるのでしょう?

>>595
自閉症の子供は、非言語的なサイン(表情・仕草)を共感によって洗練することが
困難なので、彼らの表出を一般的な文脈で見ることはできません。
普通の人は、先入見をキャンセルしにくいため、自然な印象に引きずられてしまう。
そっぽ向いてるからといって嫌われているとは限らない、とか、しかめっ面している
からといって機嫌が悪いとは限らない、ということを理解していても、先入見に沿って
流れる感情に左右されてしまう。
なんて不自由なんだろうと思います。

>>599
わ、なんか持ち上げられています。
ありがとうございます。大切にします。てか、最近そっちの感覚弱ってて、少し不安
があるのですが・・・・・・・。
601417:03/06/04 01:36
>>600
持ち上げているわけじゃないんだけど、話の展開とか、勧められる本なんかを
いろいろ考えてみると、もしかしたらそうなんじゃないかなと・・・。
でも、そっちの感覚が弱ってきていてというのは、少し気がかりですね。
僕には何のアドバイスも手助けもできませんが、ご自愛を・・・。

自閉症の件です。ここで自閉症の話をしているのも何か変ですが、
これにもいろいろな思いがあります。一言では言えません。いろいろな
専門家がいて、忘れ去られたような学説もありますが、僕には幾つか
引っかかっていることもあります。自閉症とは何かということについては
諸説あるとしか言いようがありませんが、サインの出し方について1さんの
観察眼は半端じゃないですね。それだって、うまくまとめればなかなか
多くの親にとって助けになるような気がしますが。とにかく、「自閉症」
という概念そのものが、2次的な関係のひずみの原因になるということも
含めて、「自閉症」は難解な課題です。

例えば、「交流分析」という精神分析から来ている分析療法があります。PCA
とかいう分析をするんですが、これも結局突っ込んでいくと、PCAそれぞれ
内部に入れ子の状態になって折り畳まれている状態で、それこそフラクタル的
に際限なく遡及できそうな構造になっていたりします。自閉症もそういう面が
あるんです。多くの親を見てきましたが、親は自分の障害観と戦うわけです。
大変です。夫婦間の対立なんて当たり前だし、実際にどう育てるかをめぐって、
父親と母親の関係がグチャグチャになるというのも、実によくあることです。
そして、それが子供に影響しないわけないですしね。はぁ〜。親に対する
カウンセリングがまず第一に必要で、それができる専門家がほとんどと言って
いいほどいない。現実は大変です、本当に。ちゃんとしたカウンセリングの
できる精神科医なんて、探すだけで大変だし、馬鹿野郎はいるし。
6021:03/06/04 02:14
なにがしか以上に、通じるものがあって嬉しく思います。

たとえば「典型的」な笑顔なら、それが作り笑いでも、私達の感情は掻き立てられます。

しかしときには、「典型的」でない笑顔、もしかすると苦痛や怒りの「典型」にさえ見えて
しまいかねない笑顔がある。
それを知性によって笑顔であると理解できたとき、
その理解によって心が掻き立てられないなら、

「いったいなんのための知性じゃ!」

そういう思いがあります。
傲慢な思いだから、子供の表情に一喜一憂できずに苦しんでいる親御さんに向かって、
そんなこと言ったりはしませんけど。
けれどもやはり、不必要な苦しみを背負っているように見える親御さんは少なくありませ
ん。
603417:03/06/04 09:27
子供の表情、仕種というのは、子育て中の親にとってすごい宝物なんですね。
その楽しみをまるごと奪われているわけですから、それ自体苦痛です。子供
を全く理解できないということが、どれほど親を傷つけているかということは、
少し想像すれば理解できることだと思います。ですから、そういうときに
ちょっとしたヒントがあれば、そこから親の感性が変化していくということが
あるんです。そういう話は結構聞きます。親の方からの共感の回路が開ける
とでも言うのか、水を得た魚のように、親は子供を理解するために貪欲に
なっていきます。

常同癖とかいう行動にも意味はあるとか、無意味なコマーシャルの反復も
実は表現なのだとか、具体的に突破できれば、そこから親子の感情の交流が
始まることもあるんです。そんなことをいろいろ思い出しています。1さんの
ような感じ方を救いのように感じる親も、必ずいると思います。

もう一つ問題があって、いわゆるアスペルガーと言われているものです。2次
的な様々な反応で、また親は振り回されます。マスコミにもこのごろは
振り回されているかもしれません。医者も無責任なことを言います。本当に
怖いです。
604417:03/06/04 13:08
「アフォーダンス―新しい認知の理論」佐々木正人著、アマゾンで買いました。
まだ読んでません。すっごく薄い本です。本文は110ページぐらい。
今晩読むのを楽しみにしています。では、仕事に戻ります。
605大三元:03/06/04 18:21
>>600
否定してないのは十分承知しています。自分が、多分あえて釈迦に説法しているのだと思います。
自分は自閉症の人と実際に関わった事などないし、素人知識しかないです。が(あえて)・・・。

最近の若者の日本語で「てゆーか」「つーか」というのがあります。俺もよく使う。
これは本来は「と言うよりはむしろ」と言う意味の「と言うか」だったはずです。
「Aと言うかB」には、AとBの間にきちんとした文脈がある。本来は・・・。
ところが、今の「てゆーか」は、全く脈絡のない文をつなげる接続詞として使われてる。
この「てゆーか」はとても右脳的だと思うのです。ナガレてる。
こういう真面目な話をしている最中にいきなり、
てゆーか、君アフォ?氏ねば?
といった使い方が出来る。左脳で理解すると全く脈絡がない。脈がない。流れがない。
言われて頭に来る人も多いでしょう。2ちゃんではありふれた光景(藁
自閉症の人も同じだと思うのです。あくまで俺の右脳の想像ですが。
「うれしい」てゆーか「しかめっ面」、だと思うのです。それが右脳の思考だと思う。
残念ながら、医者にしろ何にしろ、真面目に勉強した人ほど左脳でしか考えられなくなるのが
現在の教育システムなのだと思う。左脳的、客観的説明だけが説明ではない。
「客観的視点」は私(の右脳)に言わせれば「他人事の視点」でしかない。
右脳による右脳に言って聞かせる為の説明の仕方が必要だと思う。
左脳の「流れ」と、右脳の「ナガレ」は別の感覚です。ナガレに断絶はない。
417さんが「(宝物を)大切にしてください」と言ったのに対して
1さんの「そっちの感覚(右脳)」が反応した。だから、
「大切にします。てか、最近そっちの感覚弱ってて・・・」と、
「てか」が発動した。ナガレてる。
1さんに一番ナガレの断絶を感じたのは別スレの
「意識と無意識の0,5秒のタイムラグ」の話。俺の感覚からすると「んな、アホな(失礼w)」
となる。いかにも、「意識=左脳」と思いこんでる学者さんの理屈(感覚)だなと感じた。
606417:03/06/04 18:59
「心の社会」を図書館で借りてきました。ちょっと厚い本なので、
いつ読み終えることができるかわからない。でも、図書館っていつの間にか
便利になったね。インターネットで在庫はわかるし、ついでに「アフォーダンス」
の原著も注文してきました。在庫はなかったので、図書館が購入することに
なるけど、いつのことになるやら。

>>600
あと、「ナガレ」というのはわかったような気がします。僕の頭は、左脳的に
無関係な情報を勝手に結びつけるのが得意なので、もしかしたら左脳と右脳の
協力関係がうまくいっているのかな。でも、左脳がちょっと弱いかも?
記憶悪いし、論理を詰めていくのは結構苦手だし。話が飛躍したり、別の
流れにパッと移るのはとてもよくあることです。だから、一部の人には、
単なるデムパと思われていますし、自分でもそうかもしれないと思って
いたりします。
607417:03/06/04 21:53
アフォーダンスの本、読みました。この考え方はとてもよくわかります。
ギブソンの本も、いずれ読んでみます。結局、長い間哲学者たちが思弁
によってつかもうとしていたことって、もしかしたらこれかもねっていう
おもしろさがあります。いずれ、この問題についてはちょっと考えている
ことをここで少し書いてみたい思います。まだまとまりませんし、ちょっと
引用しなければならないのがうっとおしいんだけど、かなり核心的な問題
が含まれていると思います。いつも、掛け声だけで「ヘーゲル」とか言ってる
だけじゃ、何も伝わりませんからね。そのうち。

次は「心の社会」?、ああ重たい。

6081:03/06/05 00:36
>>607
ガタイの割りに読みやすいよ・・・・・・『心の社会』
609417:03/06/05 11:52
1さんに、また質問です。
「具体的普遍」という言葉があります。これはどんな形をしていますか?
6101:03/06/05 13:22
>>609
どういう文脈出てくる言葉ですか?
それとも417用語?まんま字面の印象で「かたち」ってみりゃいいの?

俺が知ってて当然の言葉だったりして・・・・・・
611417:03/06/05 14:16
「精神現象学」の序文に出てくるヘーゲルの言葉です。
しかし、文脈のではなくて、まんま字面の印象を。
6121:03/06/05 17:19
了解!
でも、今、ほんとーに脳がダメですわ。マジで。
少しゆるーくなったらやってみますね。
613417:03/06/05 17:39
>>612
はい、別に急いでもらう必要はありません。「こんなん出ました」という
感じで、そのうちできればよろしくお願いします。緊急の課題なんて、
とりあえずありませんからw
614417:03/06/05 18:26
「単一の中にこそ普遍があると考えるわけです。」
ttp://www.brh.co.jp/experience/exhibition/journal/35/talk_index.html

これは佐々木正人さんの対談の中で見つけた言葉です。
こういうことを言う人は滅多に見ませんが、これはすごく大事なことだと
いつも思ってきました。差異を捨象して共通性を抽出する、同一と差異
という観念は、普通このように理解されます。しかし、ここで佐々木さんが
言っているのは、それとは違う考え方です。

これは、例えば自閉症の子供の仕種の中に健常児とは異なった表現を見出す
というのと同じです。そこで終わっては科学にはなりませんが、
この自閉児と健常児との表現のまさに相異なる表現の中に同じ構造を
もし見出すことができるならば、それは立派に科学への入り口です。
それは、健常児の理解を促進する鍵にもなるはずだと、僕は信じます。
615大三元:03/06/05 23:21
>>606
「わかったような気がします」これが右脳の理解のしかたです。「そんな感じ」とか。
右脳に向けて語った甲斐があったw。「左脳的に無関係な情報を勝手に結びつける」
その力こそ右脳のナガレの感覚。でも「勝手」にやってるわけではないのです。
右脳には右脳の結び付け方があるのです。左脳が勝手にと思いこんでるだけで。
あなたの右脳の感覚はまだ「ぼやーっと」なのだと思います。
左脳と右脳がまだお互いの役割を自覚していない。だから、協力もするけど邪魔もしてしまう。
論理が苦手なのは、無自覚の右脳が左脳に横やりを入れるからです。
「デムパ」は右脳にとっては誉め言葉だと思います。
そして、自閉症の人の思考も「デムパ」なのだと思う。
「てゆーか」も右脳にとっては「だから」でしかない。
「うれしい」だから「しかめっ面」なのだと思う。
それは、精神医学の無力さに憤りを感じながらも、ギャグ漫画家を「壊れ物」
扱いできてしまうあなたの心の中にもある物だと思う。もちろん俺にも。

一枚の紙の「表と裏」。それが差異と同一なのだと思う。紙その物が単一。
表だけの紙、裏だけの紙など存在しないだろうな。
616大三元:03/06/05 23:24
>>612
なにやら大変そーですね。あまり無理をなさらないよーに。
といっても背負い込みすぎてしまうタイプに見えますな、1さんはw。
脳の疲れは頭皮マッサージするとか、運動するのがよいと思います。
体に物理的な刺激が必要ですな、って知ってるかもしれんが。
あと、爆笑するとか。
617417:03/06/06 00:19
>>615
ギャグ漫画家というのは、本当にそういう面があるような気がします。
すぐれたギャグ漫画をかける期間というのは、そんなに長くないんです。
漫画家としては終わっていても、人間としては終わったわけではないから、
その後の人生は大変だろうと推察しますが、読み手としては、作品がすべて。

右脳と左脳に関しても、おっしゃるとおりかもしれませんね。僕は、ある時期
から感覚を強烈に信じて生きてきたと思います。あいまいだと言えば
あいまいです。論理で厳密に切るということに対して、ある面頑強に
抵抗しているところもあります。これも右脳の介入でしょうか。
論理や言語を信じていないというのもそうかも。
618大三元:03/06/06 17:10
>>617
ギャグ漫画家については、まったく同意です。でもこれは漫画家に限ったことではないです。
「生みの苦しみ」はどの分野でもありますね。文学、音楽、美術、哲学、政治・・・。
葛藤に耐えられず逝ってしまわれる方もたくさんいる。それは置いといて、本題はデムパの話。
「ワケわかんなさ」左脳的に言えば「矛盾」「非論理」の話。417さんが漫画家を観たのは、
読み手の視点、即ち観察者の視点です。一方で精神医学という観察者の視点に無力さを感じている
もう一つの視点を持っている。理屈は分かっても憤ってしまう感覚。理屈ではない感覚。その感覚が
論理や言語に直感的に胡散臭さを感じているのではないでせうか?あいまいさは右脳の仕事、
厳密さは左脳の仕事。厳密さに抵抗するのは右脳の無自覚です。あいまいさに抵抗するのは
左脳の無自覚。日本人はあいまいだ、と言われるけど、日本人は元来右脳の民ですね。
論理も言語も人間の生み出した道具に過ぎません。道具を否定するのではなく、いかに使いこなすか
です。使いこなすには感性が必要です。右脳の仕事です。
論理というのは、境界を引いてその内側だけを厳密にする、という物です。境界の外側はあいまいです。
境界の見極めが非常に重要です。左脳と右脳では境界の認識が違います。
左脳では定義とか仮定とか条件とか。右脳では視点とか立場とかになる。
論理を理解するには非論理(でむぱ)の理解が必要。逆もまた然り。
「ぼやー」から「クリアー」へ、左脳と右脳の分化だと思います。
いずれにしろ、俺がつくづく思うのは、論理で話そうがデンパで話そうがワカル奴にしか分からない。
すべての人にワカル説明法などないということです。
619417:03/06/06 20:36
>>618
ちょっと別のたとえでいうと、右脳は原理、左脳は方法かな。ちょっと違う
かもしれないけど、人が生きる原理(理由でも欲求でもエロスでもいいけど)
は論理や言葉の中にはないと思うんです。言葉や論理は、本来は関係の分節を
代位する対象性でしかなく、関係それ自体は自然そのものだから、関係が
局面によっては人間にとって理不尽なものであるということは、これまた
自然なことです。

関係は、常に具体的なものであるから、それを言葉で切り取って言葉にする
ということ自体が、とてもシビアなことだと思います。そのことをきちんと
理解して言葉を使うというのは、技術として考えればとても難しいことだと
思います。

それを可能にするのは何かというと、人が生きているということの原理・原則
への信頼かもしれないですね。
620417:03/06/06 20:43
続き
大三元さんの言い方を借りれば、左脳だけで生きてるやつはいないということ
でしょうか。もちろん、右脳だけでいきているやつもいないと。ただ、その
組み合わせが多様なだけだと。ちょっと乱暴に過ぎるかもしれませんが。
621417:03/06/06 21:38
妄想ついでに言いますが、僕は何年か前から考えるのをやめたんです。
「死んだ犬」についてもそうだけど、考えるのをやめて、自然に
崩壊するのに任せていたんです。なぜかというと、崩壊した後に残る
「何か」が本当のことなんだと「妄想」していたから。

でも、本当のところはまだわかりません。

6221:03/06/06 22:16
はい、またまた説明不足のことを言うためにあらわれましたw
「具体的普遍」の件です。これ、かたちは当たり前すぎて、解釈と別に言及する苦労に
意味が見出せませんでした。少し話題性のあるかたちにならんものかといじくってもダメ
でしたw

ふつう人はぼんやりと、けものの世界は具体的であり、対して人間は、言語を得て具体
から普遍を抽象し得るようになった、と想考するようです。
私はそう思いません。

結論から入ると、具体とは抽象化され終わったものです。

言語以前の動物は個物(具体)を見ません。つまり「固有名詞をい得るもの」という枠組み
を持ちません。
肉食獣の見る獲物は、たとえて言えば「木蔭に潜む季節」とか「いきなり走り出す太陽」み
たいなクオリアでしょう。
対して人が道行く人々を眺めるとき、それは個物となりうる可能性を秘めた普遍です。けも
のたちが見る「たんなる普遍」とは、すでに質のちがう普遍です。

言語機能が人間に与えた力とは、普遍から具体を抽象する力であり、抽象化が極まって
個物が生まれたとき、個物からまた新しい普遍への戻り道的な抽象化も可能になりまし
た。

どんな具体であれ個物であれ、あるいは表象であれ、それらは「知覚可能な普遍」です。
つまるところ「具体的普遍」とは、「具体」一般の、ごく穏当な説明的表現だと思います。

よく芸術的文脈で、「剥きだしの個物のインパクト」みたいな話が出ますが、印象から安易
に走った表現だと思います。その衝撃はむしろ、なにかの拍子に心の旧い地層からあら
われた個物以前の、「剥きだしの普遍のインパクト」、そのようなものとして捉えたく思いま
す。

付け加えれば、悟りとはきっと、けものの世界観のリバイバルでしょうね。
6231:03/06/06 22:20
推敲しそこないましたw

>言語以前の動物は個物(具体)を見ません。つまり「固有名詞をい得るもの」という枠組み
>を持ちません。
この一節の「」内は

「固有名詞を担い得るもの」

です。
スマソ
624417:03/06/06 23:09
>>622
「剥き出しの普遍」というのは、なかなかの表現ですね。ちょっと思いつかない
凄味があるというか、1さんは、本当に詩人としての才能があるのかもしれない。僕は詩心がないので、ただただ感心するばかりです。

おっしゃることは、了解可能です。「個物となり得る普遍」というのも、とても
クリアな表現だと思います。具体、個別、普遍という言葉の並びに独特のものが
ありますね。「普遍から具体を抽象する」「知覚可能な普遍」・・・。とても
おもしろいです。

論理的に表現するのと、感覚的に表現するのとでは、同じことを言っても
180度違ってしまいうことがありますが、1さんの表現は、そういう逆説的な
関係をうまく言葉として表現されていると思います。言葉の使い手として、
すごいなと正直感心します。

具体的普遍のヘーゲル的な意味をうまく解説できれば、僕はヘーゲル学者に
なれるわけですが、1さんのおっしゃっている〔「具体」一般の、ごく穏当な
説明的表現〕というのは、ヘーゲルが哲学者<として>見出した世界の本当の姿
を、うまく言い表している表現だなと思います。我々にとっての世界とは、
そういうものなのだと。納得です。

「けものの世界観のリバイバル」というのも、とてもいいと思います。

以上、とりあえず感想です。
6251:03/06/07 00:18
隅々までお読みいただきありがとうございます。

「剥きだしの個物のインパクト」に類するエピソードは、画家や作家の回想のなかに
自分を決定的に芸術の方向に押しやった体験、というような文脈でしばしば語られ
ます。あ、宗教的回心のエピソードとしてもよくあらわれますね。
「名付け得ぬもの」というのは、この文脈になじみ深い言い回しで、「無名異」なんて
いう造語をした作家もおりました。

私達は、明確に知覚できる対象が、「名付けようとしても名付けられない」という情状
を通常想定できませんから、「名付けられる」という径路をもとより持たない「対象」が
眼前にあらわれれば、それはそれは異様な体験でしょうね。

こうして「触れて」いると、やはりこれは「剥きだしの普遍」についての報告であるという
捉え方が、より的確であるように思えてくるのです。


自分の日記を読み返すと、「みずから命名を拒む概念」とか、「みずから命名を拒む名
付け」のようなフレーズをいじくり回している箇所がありますが、ああこのへんを触って
いたわけね、と自分で納得したりしていますw
626417:03/06/07 00:27
僕は言語をこのような角度から考えてみたことがほとんどありません。
言われてみればなるほどと思いますが、これこそ資質の差異としかいいよう
のないものかな。1さんの言語観とどこかで交わる可能性があるとは思えない
ような言語館が、僕の中にあります。それを次に少しスケッチしてみます。
627417:03/06/07 00:30
僕は言語についての考察は、ずっとペンディングにしてほうってあるという
意識があります。その根拠は、学生時代に自分なりの言語観を一度つくって
しまったからなんです。その言語感というのは、上のレスにちょっと拙速に
触れてしまいましたが、関係の代位的対象という(この言葉自体は初めて
使いましたが)言い方で表そうとしたものです。この言葉は間違いなく
不十分ですが、そう言ってしまわせる何かが、僕の言語観の中にあることも
事実でしょう。

しかし、結局一度はこの言語観をどこかで再検討しなくてはならないと
思っているので、もしかしたら、今がいい機会なのかもしれません。

人の活動を自然の過程として見た場合に、言語の位置は、単純に2つの側面
から見ることができる。対象的な活動という面と、人と人の関係の面とである。
そして、言語はこの両面の統一としてしか理解できない。つまり、対象的活動
を人と人の間で共有するという場面である。そして、そしてこの
共有されている対象的活動は、協働である。

協働の場面において、人は活動の目的を共有しているが、この目的は、
先行する活動の所産である。この対象性は現在する対象にとっては、
諸個人に潜在する力である。この潜在的に存在している活動の対象は、
活動の対象としての自然とは別の何かである。そして、この別の何かが
共有されていることが、協働の前提である。この共有されている何かが
言語という対象である。

大ざっぱに思い出したら、何かこんなものだったと思います。シンプルな
考え方ですが、当時はカコイイと思っていました。その後これを崩さなければ
ならないような別の言語観に出会わなかった(と思っていた)ので、
そのまま放置してきました。
6281:03/06/07 00:58
「言葉の使い手」としての俺を褒めてくれましたが、俺は一気にそんな長文書けねぇw

>>627の言語観は、交わらないというより、私としては言語の持つ問題圏の、ごく表層
という気がします。
とりあえず実感を吐露する、という但し書き付きで言えば、私は言語とは基本的にそれ
自体は「対象」としてとらえられない「あるもの」の示すアフォーダンス(この用語を使え
て楽w)だと思っています。
安易に思い切って言いますと、言語の内心でのふるまいそのものが、知覚の対象だと
思っています。つまり、言語の向こうに、外界とは別の角度の「素朴実在論」を想定して
いるのです。

さあ、オカっぽくなって参りましたw
629417:03/06/07 01:43
外界とは別の角度の「素朴実在論」というのも、変だけどおもしろそう。
徐々に聞かせてください。僕は、オカでもシューキョーでも平気です。拒否
反応はありません。楽しみにしています。

内的世界というのは、畳み込まれた生だと僕は考えています。それは、実は
我々が本当に知るべき世界、宇宙そのものなのかもしれないとすら思って
います。我々はこの畳みこれまた世界を、観念、想念、心、精神その他の
名前で呼んでいるのだと思っています。そして、それらは僕らにとっては、
単に普遍性を失った個人の貧弱な内的な世界に過ぎず、したがって無価値な
ものとさえ思われていると。
でも、近代がつくり出したこの内面は、もしかしたら、次の時代の世界
そのものの潜在的な在りようかもしない。妄想を広げれば、そんな感じです。
そこで言語がどんな役割を果たしているのかは、僕にはわかりません。
そこは、少しずつお教えいただければ幸いです。
6301:03/06/07 14:37
>>605
>1さんに一番ナガレの断絶を感じたのは別スレの
>「意識と無意識の0,5秒のタイムラグ」の話。俺の感覚からすると「んな、アホな(失礼w)」
>となる。いかにも、「意識=左脳」と思いこんでる学者さんの理屈(感覚)だなと感じた。

めっちゃ、遅いですがw
あれは穏当な科学的知見ですよ。俺も、最初アホな、と思ったけどね。
自分の世界観に整合性もって取り込むのに、ちょっと苦労した。


>417さん
これは、真面目に言うのですが、ゆうべは「非日常的」な自分がよく働いてくれました。
あれは、「日常的」な自分と容量的に並立しないので、こうしてインターバルをおくと、
自分の文章を読んで「へー、おもしろいこと言うな、この人」と思いますw 「俺には、ちょっと
書けそうにない文章だ」みたいな。

調子のいいときは、タイムシェアリングシステムみたいにして、「まるで並立しているかのよ
うに」動作することもできるのですが・・・・・・・。
631417:03/06/07 16:38
>>630
今日は朝から法事でお出かけ。結構疲れて帰ってきたので(昼間から
ビールも飲んだし)、ちょっとボーッとしています。また後で何か書きます。



632417:03/06/07 17:21
言葉を大事に?
1さんの文章って、詩もそうだけど、言葉を大事にしているなという
感じが伝わってきますね。これは真似できない。
僕は思いつくまま書くだけで、もちろん後から推敲したり、
変なところは直したりするけれども、根本的に違うなと思います。
ベーシックなところで、言葉に対する姿勢の違いがあると思います。
僕はぞんざいに扱っているなと思わされます。
別な言い方をすると、言葉の存在感かな。比べるのも間違いなのだろうけど、
「ああ、表現が軽いな。適当に出まかせ言ってんじゃねーよ」と、
自分の文章を読むと思ってしまう。それくらい存在感に差がある感じ。
これは、もうちょっと考えてみると、生き方の問題かもしれないと
思える節もある。「おれって軽いよな」とときどき反省モードに
入ることもあるんだけど、結局自分のガキのころからのスタイルなんて、
今さら変えられもしないし、あまり悩みはしませんが。
6331:03/06/07 18:19
>>632
人が「変わる」というとき、おおまかに言って
蓄積による変化とインパクトによる変化があると思います。
日々のたゆまぬ習慣によって既知の能力を深める仕方と
習慣のなかにないものと邂逅して、未知の能力が開ける仕方です。

前者の場合は「結局自分のガキのころからのスタイル」が強化因だし、
後者の場合も「結局自分のガキのころからのスタイル」が強化因です。
(症状の軽すぎる精神病は、かえって治りにくいこととひびきあいますね)

スタイルがあるからこそ効率があり
スタイルがあるからこそ、それが崩れるインパクトがある。

スタイルは変わります。
どんどん変わっていって怖いほどです。
ぼくはこうして話しているあいだにも変わってきています。このスレやあのスレや、
また別のスレの人達の影響で。
634417:03/06/07 19:12
そのことを意識するということ自体が、何かしらの変容を促しているという
こともありそうです。つまり、そう思っているということがインパクトそのもの
なのかもしれない。そして、それは結果として「あれ、おれって?」と思う
変化をもたらすかもしれません。それは、ありだと思います。拒絶している
わけではないから。

ところで、システムの立場から見ると、新しいサブシステムを統合する
プロセスは、旧来のシステムの統合が一たんゆるむという経過を経ます。
このことは、何度か経験して実感としてわかっいてるのですが、実は
この間何度かそういう動揺が僕の中を走り抜けました。これも、間違いなく
インパクトがあったことを示しているんでしょう。そして、その結果起きた
スタイルの変化を僕が自覚していないだけかもしれません。これについては
しばらく様子を見ます。
635大三元:03/06/07 22:42
>>619
「右脳は原理」…うん、そう、それだ。そうか、左脳語に訳すと原理か。
まさに右脳の中に原理を探す旅。
それが、俺の自分探しの旅の始まりだった。そして俺は俺なりにその原理を
見つけた。右脳の原理が分かったら、左脳にも原理があることがわかった。
俺が自分の中で「経路が繋がった」と感じた後、しばらくの期間は、
知恵熱が出続けた。「ボォーッ」って、あっついのが。
「ああ、知恵熱って本当にあるんだ」、知恵熱という言葉に実感が伴った
瞬間だった(笑)。

言語の胡散臭さを実感したのは、辞書を引いてて、Aという言葉を引いたら
「Bである」んで、Bという言葉を引いたら「Aである」。????って感じ。
どちらも分からなかったらどうすんだ?って。

うー。どこまで話したたらいいか悩む。
これ以上踏み込むと俺的ににまずいかな。自爆しそう。
マターリ逝きます。
636大三元:03/06/07 22:43
>>630
出典を読んでないのでアレですが。意識と無意識をどう定義してるんだろ?
スポーツ選手は皆無意識で判断してるって事になるのかな?
140キロの投手の球、バッターまで0.5秒かかんないし。でも、ちゃんと投手が
投げてから、判断してるけど。王貞治氏は絶好調の時、ボールが止まって見えるって
言ってたけど。人間の時間の密度の感覚て一定じゃないと思う。自分でも実感あるし。

ドーピングで幻の世界記録になった陸上100メートルのベン・ジョンソンのトレーニング
を昔テレビで見たけど、フライング切らないように速く反応し過ぎないトレーニングしてた。
フライングの基準は0,100秒らしいけどそれより速くならないように、ギリギリでスタート
する練習してた。これは意識を無意識化する訓練だと思う。
あと、スゴイと思ったのはF1。時速400キロだと0.5秒で50メートル以上進む。タイムラグ
在ったら間違いなく死ぬ。F1ドライバーって運転してるとき意識はっきりしてて、
視界は極端に狭くなるけど、時間はすごくゆっくりになるらしい。命懸かってるから判断ミス
は許されない。一番スゴイと思ったのは、F1のラップタイムって1000分の1まで計るのだけど、
予選で1位と2位がまったく同タイムになった事があった。空いた口が塞がらなかった。
勿論偶然もあるけど、まったく違う2人の人間が、違うマシンで1000分の1秒まで同じタイム
になってしまう。1周する間にいったいハンドル、アクセル、ブレーキ、ギア、何回の判断を
するのだろうか。人間はここまで訓練するとここまで行けるのかと思った。
意識と無意識が科学でどう説明されるのか知らないけど俺の感覚では、シームレス。
例え理論がどうだろうと、自分の感覚を信じる。とりあえず、今は。

遅レスとか俺に一切気使わなくていいよ。

後ナガレの話で「頭蓋骨に引っ掛かりそうな」無限のページを持つ書物というのが気になったでつ。
これも、フラクタルなんだよな。無限て引っ掛かるのかな?
6371:03/06/07 23:45
>>636
大三元の言ってることと基本的に矛盾はしてないんだよ。

典型的な実験は、被験者が椅子に座ってスライドを見てる。スライドは右の手許にある
ボタンを押すことで変わる。被験者は今映ってるスライドを好きなだけ眺めて、好きなタ
イミングで、スライドを変えていってくださいと、こういう設定ね。

実はスライドを変えるスイッチはボタン以外にもう一系統あって、被験者の脳から、右手
に向かって、「ボタンを押せ=スライドを変えろ」という指令が発せられる瞬間を検出して
スライドを変えるようになっている。こちらは実験開始時にはオフ。

被験者は任意のタイミングでボタンを押しながら、なにげにスライドを楽しんでいるわけだ
が、途中で別系統もオンにする。
すると、被験者の内面から見てどういうことが起こるかというと、実際にスライドが変わっ
た瞬間に、「スライドを変えよう」と思いつくわけ。
被験者の意識で「変えよう」と思いつく直前に右手にはすでに信号が出発しているから。

指令を出しているのは無意識で、意識はその無意識の行為を「統合した世界像」にまと
めあげたものを、事後的に見せられている。
言い換えてみれば、「自分が<いま>していること」という設定で、一瞬の過去を見せられ
ている。

このテーマを中心に解説した本としては、『ユーザーイリュージョン』(紀伊国屋書店)が
いちばん充実しているようだ。俺はこれは読んでないけど。

6381:03/06/07 23:48
>>636
>後ナガレの話で「頭蓋骨に引っ掛かりそうな」無限のページを持つ書物というのが気に
>なったでつ。
>これも、フラクタルなんだよな。無限て引っ掛かるのかな?

これは、まさしく俺の説明不足。「引っ掛かりを感じる」のではなく、ごくコンパクトな話なの
に、頭蓋骨につっかえるくらいスケールがでかい、という含意でした。
6391:03/06/07 23:57
637で書いた実験は、被験者にとっては異様で理解し難い体験なので、繰り返しているうち
たいていの人は取り乱してしまうようです。
「おかしい!私が変えようと思う直前に変わってしまうんです!ほんとです。私の言ってる
意味わかりますか?私はどうしてしまったんだ」みたいに。
640大三元:03/06/08 10:50
>>637
あー。やっぱり、左脳=意識、右脳=無意識と言う定義なのね。右手というのがポイントだね。
意識して判断していない時の右脳と左脳の時間差が一般的に0.5秒ということなのだろう。
おそらく、右手と左手でタイムラグは変わってくるだろうし、「ボタンをなるべく速く押す」と
いうことを意識するかしないかだけで変わってくるだろう。一流のアスリートやF1ドライバー
のタイムラグがどのぐらいなのか興味がわいてくる。

この実験で重要なのは、「変えよう→ボタンを押す」という情報を意識するより、
「スライドの変化」という視覚情報を「意識する」ほうが速いということだ。
要するに右脳の方が情報の統合が速い。まあどちらにしろ、物理的に処理してる
以上、処理を確認するのに物理的時間が必要なのは当然だが。
俺に言わせれば意識と無意識のタイムラグではなくて、二つの意識のタイムラグだな。
意識の処理のスピードは一定ではないというだけの話だ。情報の種類、処理をする場所で
スピードが変わってくるということだね。0.5と言う数字も平均値というだけで
個人にはあまり意味を持たないと思う。速い人も遅い人もいるだろうし。

脳の理論は科学に免疫のない人を惑わせるな。月の人みたいにw。
要するに左脳(理性)が主人だと思っていた人が、
もう一人の主人(感覚)の存在を身をもって体験したという話だね。
>>638
了解です。オイラはつっかえないで突き抜けた。「スコーン!!」って(笑
641417:03/06/08 13:09
思いを正確に伝えるには、まずその思いを自分の中で明確にしなければ
いけません。しかし、その思い自体は不定形なものなので、これを明確に
するのは大変です。その思いが「論理的な何か」由来であっても、その
結果が心に不定形なもやもやを残す場合、このもやもやの本体をまず
つかまなければ、先へ進めない。このもやもやは、論理的な矛盾などという
場合は楽なんだけど、もっと深いところに「見えない世界」が潜んでいる場合
もある。そういうとき、ちょっとやばい状態に心理的にはなる。僕の場合は、
これの繰り返しですね。

例えば、もうちょっと解像度を上げないと細部が見えないという場合も
あります。あるいは、フレームワークそのものを変更しなければならない
場合もある。あるいは視点そのものものが、違っているとか、ゆがんでいる
という場合もある。

さて、今自分が囚われているここは、どこなんだろう? よくわからない。
642417:03/06/08 13:12
↑思考が跳んでしまっているというのが自分でわかる。困ったもんだ。
6431:03/06/08 15:41
>>640
>左脳=意識、右脳=無意識と言う定義なのね。

ちがうんだが・・・・・・・・・・・・。
どこからそういうふうに読み取れるのかちょっと見当がつかんぞw
俺は両脳分割論者じゃないです。

>>642
跳べ♪跳べ♪みたいな。
644417:03/06/08 16:12
右脳・左脳については、僕はそれをあまり真剣に考えたことがありません。
あくまで一つの仮説として大三元さんの話を伺っています。上の右脳=原理、
左脳=方法というのも、単なるたとえですからね。これは、意識―無意識の
対比とは違うし、言語―非言語というのとも違う、何か別の用語が必要かも。
645大三元:03/06/09 15:35
>>643
左脳=意識、右脳=無意識と言う定義なのね。
これは、俺の右脳のその論に対する私見。両脳分割的に見てるのは俺。あくまで
俺の中の見方の一つだけど。
「んなアホな」はトロくさい意識に対してじゃないよ。トロくさい意識の存在は知ってるよ。
危険の時に無意識が漏れだして来るというのが「んなアホな」。俺の感覚からすると。

>おかしい!私が変えようと思う直前に変わってしまうんです
これがどういう意味かということ。「変えよう」という意識を「変わってしまった」
という意識が追い抜いてしまったということでしょ。
この実験が成立する条件は、「視覚情報の変化→処理→意識の確認」に0.5秒のタイムラグが
ないこと。これがあったら「変わった」は「変えよう」を追い抜くことができないよ。
「変わった」が超高速の意識だから、意識にバイパスを設けた時に、追い抜くことができた
わけでしょ。右脳は危機の時に限らず、常に超高速で世界をモニターしているよ。
それを意識できるか出来ないかは人それぞれだと思うけど。少なくとも被験者は「変わった」
を意識できたわけでしょ。むしろ無意識なのは「変えよう」のほうで、これが、「できるだけ
速く変えよう(判断しよう)」と意識するだけで、タイムラグは変わってくると思う。
だから「遅い意識(変えよう)」と「速い意識(変わった)」のタイムラグ。
別にその論を否定する訳じゃないけど、危険の時に無意識が漏れ出すという表現が胡散臭い。
意識が無意識より0.5秒遅れなら、無意識が漏れだした瞬間に意識の時間が0.5秒飛ぶ。
事実には異論がないけど、捉え方が微妙に違う。
646大三元:03/06/09 15:36
>>641
>例えば、もうちょっと解像度を上げないと細部が見えないという場合も
>あります。あるいは、フレームワークそのものを変更しなければならない
>場合もある。あるいは視点そのものものが、違っているとか、ゆがんでいる
>という場合もある。
全部右脳の役割だよ。右脳を鍛えないとブレイクスルーは難しい。
左脳だけではパラダイムの転換はできない。視点の切り替え。
右脳、左脳の原理については俺なりに「名付け」はしてあるけど、
その風呂敷をここで広げるつもりは、今のところない。

ところで、「大きな三つのオリジン」てカコイイね。まるで、今のこのスレの状況
みたいな。言葉の魔法を感じる。
実は「大三元」というコテには・・・何も隠れていません。テキトーです(藁)。
647417:03/06/09 16:14
>>646
大三元については、単なる思いつきです。思いついて書いてみたら、何か
おもしろかった。オリジンがいいのか、エレメントがいいのか迷いました。
辞書を引くと「エレメント」なんだよね。オリジンとはニュアンスが大分違う。
しかし、多元的一元論?の立場からいうと、オリジンの方がおもしろそうと
思ってそう書きました。

ところで、脳の機能に関する理論というのは本当にイパーイありますね。時実
さんの古典的な本から始まって、一時は一生懸命読んだんですが、最近の理論
については、本当に無知です。そのうち必要に迫られて、またイパーイ読むと
思います。それまでは、右脳・左脳に関する話は、大三元さんのお話も伺い
ながら、自分の考え方を整理していきたいと思っています。ていうか、あまり
考えてなかったんですよ、最近は、マジで。恐ろしいくらい、そういうことは
考えなかった。でも、これからはまた考えます。少し筋道を立てて。

648417:03/06/09 20:37
>>643
跳べ♪跳べ♪みたいな。
ソースキボンヌw
649417:03/06/10 09:29
言葉は何を伝えるか
原理的には、言葉は何も伝えないを基本とします。言葉は、単に音声であるから
音声自体にもちろん意味などないのであって、机という言葉が机という意味を
になって私の口から跳んであなたの耳に達するなどということはおきるはずも
ありません。

言葉は、音声であろうと文字であろうと、それを受ける側がその言葉を意味と
して受け取る。その意味は、もちろん受け取る側にとっての意味であって、
その意味が言葉を発した側の言葉に込めた意味と同じという保証は一切ない。

そこで問題は、それでも人は会話し、さまざまなことを伝達し、「意味」は
伝わり、理解し合ったりもするということで、なぜそれが可能かということ
ですよね。

でも、これで合っていると思いますか。違うと思ったら、どこが違うか、5行
以内で答えてみよう。
650417:03/06/10 14:46
空間と運動についての話って、ここでやってもいいのなら、1さんから口火を
切ってもらえるとうれしいです。僕がこの問題に気がつき始めたのは「スターウォーズ」シリーズからでした。でも、まずは士郎正宗から、かな?
651417:03/06/11 12:41
TEXTにして40×150ぐらいの文章を書いてみました。(ここ1時間ぐらいで
一気に書いたもので、適当なんだけどね)
タイトルは「言葉のかたち-試論」です。1さんの感じている「かたち」に
ついての初歩的な考察です。ここにアップする前に1さんに読んで
ほしいような気がするけど、どこかTEXTをうpできるようなところをご存じ
でしたら教えてください。
6521:03/06/11 13:59
>>651
ご存知ありませんw
俺はパソもネットも初心者です。
2chによくくるようになって数ヶ月のあいだに、経験で学んだことしか知りません。
テキストファイルを解凍することさえできないかも。

かもめの日記のメール先に送ってもらう、というわけにいかないでしょうか?かもめさん。
しくしく。
653417:03/06/11 14:17
654417:03/06/11 14:18
あれ、利用できないってでますね。
urlをコピペしてください。
いけます。
655417:03/06/11 14:30
行けないようでしたら、また考えます。
6561:03/06/11 14:54
はい、読みました。
改行がなくて、激しく眼が疲れましたw

私達は概念を名前によって呼び出します。名前は容量がちっちゃいし、たとえば自由という
概念について本格的に考えようとするときも、私達は自分の持っている自由についての思考
の履歴や観念連合、連想の可能性などを一望にしているわけではありません。
でも、考えているときは自由という巨大なゲシュタルトの適当な部分にアクセスし、それに伴
って細部を、ときには大きな構成部分を、まれには全体を変化させていきます。
全体が見えていないにも関わらず、私達は、現在進めている思索が、テーマとなっている概
念を、どれくらい変化させているのか感知します。ことに全体が変わるようなときには、その
大きな変化の「新鮮な壮大さ」に感動します。

そもそも名前によって概念を呼び出したとき、その呼び出されているものはむろん名前その
ものではありません。
417さんの見えに沿って言えば、私が「かたち」として触れているものは、概念を名前によっ
て呼び出したとき、そこからもし、名前を取り去ることができたなら、その後に残るものだと
思います。

そして、私の内心には、まだ名前のついていないものの「かたち」が、ことごとにあらわれる
のです。

657417:03/06/11 15:00
>>656
お読みいただいて、ありがとうございました。
思いつきみたいなものをそのまま読んでいただいたわけで、少しは話が通じた
ように思えて、安心しました。
今度は、これをそのままではなくて、少し読み直したり、考え直したりしながら
少しずつ自分の考えを述べていきたいと思います。その節はよろしく。
658417:03/06/11 15:06
それから、改行の件はちょっと迷ったのですが、もし次の機会があれば、
改行するか、あるいはダウンロードできるようにします。ご迷惑を
おかけしました。
659417:03/06/11 15:36
右クリックで、リンク先を保存とか(ieではなんだっけ、僕はmozilla)で
ダウンロードできます。
それをエディタなどで開いていただければよかったようです。
もう、公開はやめてしまいましたが、もしダウンロードする必要があれば、また
公開しますので、おっしゃってください。
6601:03/06/11 16:05
>>659
>もう、公開はやめてしまいましたが、

ざっと読んだだけやん!
でも、本文である417さんがいるから大丈夫と思う。
6611:03/06/11 16:16
補足。
「かたち」が残った感触があるから大丈夫。
662417:03/06/11 16:35
>>660
了解です。どんな形が残ったのかは、また聞かせていただけるとうれしいです。
663417:03/06/11 17:32
まだ思いつきにすぎないけれども、認知できないゲシュタルトのシステムという
のがなかなかの成果かな。しかし問題は、この認知できないゲシュタルト
という概念そのものでしょうか。
名前を取り去った概念という言い方はわかりやすいのだけれども、
そこに何があるのかが、まだ本当には析出されていないと考えるのが
正しいのかもしれません。
名前で呼び出される概念と、まだ名前を付されていないゲシュタルトとが、
脳神経上では連接しているということが、多分肝ですね。そして、この名前で
呼び出されないゲシュタルト?と言語化されたゲシュタルトとの全体が、
生きている僕たち人間の内宇宙とでもいうのかな? その辺、まだ不明。
もうちょっと考えます。
664テレシコワ:03/06/11 17:54
417さん
>>651
「言葉のかたち-試論」のここへのUPはいつになりますか?

1さん
>>652
呼びかけられたときにはいませんでしたが、それもありでした。
665テレシコワ:03/06/11 17:55
上げちゃいましたッごめんなさい
666417:03/06/11 18:00
試論はそのままはアップしないつもりです。ガーッと考えながら
書いたものなので、一種の覚書みたいな感じかな。今までの僕なら
拙速に「できた」と思って、そこで作業をやめてしまうようなところが
あったんだけど、今回はまだだめだという感じがありますので、もう少し
煮詰めたいと思っています。
667417:03/06/11 18:05
>>664
ついでにアップできるところを教えておいていただければ、今度はそこへup
してもいいです。いつ書けるかわかりませんが。
どうしてもというのなら、時間指定で上のurlを公開しますよ。

668テレシコワ:03/06/11 18:25
>>656>>663から推しはかれなくもないので、改訂版のときに読ませて
ください。よろしくお願いします。

ほんと失礼しました。

669417:03/06/11 18:42
>>668
いや、別に失礼じゃないですよ。1さんから転送して云々という話が
今あったから、読んでいただいた結構ですよ。本当に大ざっぱなものだけど
お役に立つところがあるかもしれないし。お望みの方向で前向きに対処します。
670417:03/06/11 19:01
うーんと、テレシコワさんの日記のトップって、1さんの日記のページ
からどうやって行きますか? メールしますよ。
671むーんないと:03/06/11 19:12
突然きて申しわけありません。ちゃんとしたレスできるまでROM専門
にしようと思ってたのですが、
どうしても、どうしても 言葉のかたち-試論が読みたいです
メルアドさらしても構いません、おねがいしますっっっっ!
672417:03/06/11 19:20
>>671
では、653のurlから右クリックしてダウンロードしてください。
しばらく公開します。
ダウンロードができたら、またここにその旨お知らせいただければ幸いです。
673417:03/06/11 19:22

urlから右クリックして、 ×
urlのページのファイル名を右クリックして、
674大三元:03/06/11 19:30
>>417
言葉にぞんざいだと言っていた417さんが明らかに変わりましたね。カコイイ
言葉にこだわる様になった。これは、理屈じゃないよね。カコイイ言葉と
カコワルイ言葉の違い。
抽象化と具象化について考えてみるとよいかも。
「言葉」は「概念」の抽象化か?それとも具象化か?

「空間と運動の話」てそれだけじゃなんの話かわからん。
物理の話?スターウォーズや士郎正宗との関係もわからん。SF?
675417:03/06/11 19:36
>>674
空間と運動の話は、その入門編を別板でがーッとやってしまいました。
「ロビーのソファ」の58-95あたりで、1先生のレクチャーを受けています。
ごらんください。
抽象化については、「考え中」です。
676むーんないと:03/06/11 20:06
417さん、ありがとう
少し読んだら、濃そうな内容ですね。417さん本でも書いてください、
勿論1さんも大三元さんも!売上に貢献しますぞ〜
無事に取り込めました!
これからゆっくり読みます〜ワクワクします。

あと大三元兄さん、まだ宿題もやってないのに
いっぱい書いてくれてサンキューです〜
人参はこれから書き込みますではでは

677大三元:03/06/11 20:09
試論読ませてもらったナリ。
オモタのは、
417が「『好きな人』を想像して下さい」と言われたときに、
頭に「好きな人」の「げしゅたると」が思い浮かぶのかなーってこと。
実はこれが思い浮かばない人もいるのでは、という疑念が私にはあるのだが。
もし思い浮かぶなら、
それは、私の頭に浮かぶ「好きな人」の「げしゅたると」とはまったく
違う物だと思うのだが。
そして、417はその「好きな人」の「げしゅたると」を
頭のなかで「いじくりまわす」ことはできないだろうか?
好きな人を頭の中で笑わせたり、怒らせたり、走らせたり、
あんなことしちゃったり・・・w。
もしできるのなら、
1がやっているのと程度の差だと思うのだが。
678417:03/06/11 20:27
>>677
好きな人のゲシュタルトというのは、なかなかおもしろい。そーゆーことは
考えたことはなかったんですが、好きな人の概念っていうのもわかりませんね。
ここでいうゲシュタルトは、暫定的に脳-神経反応のパターンに「照応」する
somethingを含意しています。これを言葉にするのは難しいかもしれません。
いい言葉はありませんかね。
679テレシコワ:03/06/11 20:58
ダウンロードできました! ありがとうございました!
これから読みます〜。

>>670
もう必要ないですが、ご参考までに。
1さんの日記のページのいちばん下にリンクがあります。

継続してパソコンの前にいれることが少ないんで、すぐに返事じゃなきゃ
意味がない呼びかけに応えられなくてもうしわけないです。
6801:03/06/11 22:09
盛況だ・・・・・・・。

677、678を読んで、ちょっとがびん!と来た。ああ、そうか・・・・・そりゃそうだ。
もしかして「好きな人」を想い浮かべて「浸る」ときって、ふつう「ルックス」を思い浮かべる
んだね。仕草とか。あと、具体的な場面?声や匂い?

あらたまって言ったことはなかったかも知れないけど、俺、「親しい友人の魅力」を思い浮
かべるときは、基本は「かたち」です。もちろん「好きな表情」とか「いいなぁと思ったエピソ
ード」とか「忘れられない言葉のひびき」なども思い浮かべるけど(会ったことがあれば)。

誰かのことを「ああ、好きだなぁ」ってしみじみと想ってるときは「かたち」ですね。

たとえ会ったことがなくても「かたち」はできます。ゆっくりだけど。
だから俺は、ネットで真剣に恋愛できると思います。

もちろんルックスが好きなアイドルを想い浮かべるときは「ルックス」が前面に来ます。
そういう場合は、その人の「ルックス」が好きなのであって、その人が好きだ、とは思ってい
ませんね。
681417:03/06/11 22:38
お母さんゲシュタルトとか、おばあちゃんゲシュタルトとか、
妻ゲシュタルトとか、愛人ゲシュタルトとか、息子・・・(
いろいろ思いつくけど、なんだかね。でも、イメージとは違う
ゲシュタルト? というのは結局ありそうな……。よくわかりませんが、

そういえば、昔「おばあちゃん細胞」という話があったのを思い出したw
本当にゲシュタルトに代わる言葉が何かないものかと・・・。ブツブツ

682大三元:03/06/11 23:58
>>680
>もしかして「好きな人」を想い浮かべて「浸る」ときって、ふつう「ルックス」を思い浮かべる
>んだね。仕草とか。あと、具体的な場面?声や匂い?
「ルックス」を思い浮かべるのがはたして普通なのかどうか、まったくわからん。
俺は、目で見ているときと同じ様な「ルックス」も思い浮かべられるけど、
それだけじゃなくて「カタチ」でも観るよ。要は頭の中の「形」の抽象度だと思うけど。
「ルックス」は外面で「カタチ」は内面なのかな、後、雰囲気とか。
「好きな人」という言葉の「形」だって文脈の中や、その時の状況でいくらでも
変わってくると思うけど。

それでね、正直417の最初の頃の文章は「カタチ」がほとんど見えなかった。
「抽象的なカタチ」の言葉を「抽象的なカタチ」の言葉で説明されると、
全体のカタチがつかめない。そうなると一般的な知識での理解しかできなくなるな、俺は。
知らない知識に関してはお手上げになる。
683417:03/06/12 00:17
>>682
>正直417の最初の頃の文章は「カタチ」がほとんど見えなかった。

というのは、本当によくわかりますよ。まだそこからどれだけ変わったか
わからないけど、最初のころは昔削り出した抽象物だけをゴロンと転がした
感じかな。本当にそうだったと思っています。少しずつ肉もついていくし、
骨も太くなっていけばいいと。


ここから全然違う話ですが

ゲシュタルトの重層的連係システム、これを一言で表現するには何と言えば
よいか。

>417さんの見えに沿って言えば、私が「かたち」として触れているものは、概念を名前によっ
>て呼び出したとき、そこからもし、名前を取り去ることができたなら、その後に残るものだと
>思います。

僕には、これは論理的抽象物でしかなくて、ほとんどの人にとっては
対象として現れることのない何かなんですよね。これを何と呼んだらいいのか。
わかりません。
言葉の背後にあって、言葉そのものではなくて、しかし言葉と切り離しては
理解し得ないもの? 見えないシステム? 残った口以外の見えない実体を持つ
チェシャ猫? (Cheshire cat)あまりうまい比喩じゃないね。

重層って、英語でも何か難しい。辞書を引いてもろくな英語が出てこない。
surdtermination(重層的決定)っていうのもあるけど、フランス語だし、
決定じゃないし。
684417:03/06/12 12:12
「試論」では結論部分に、「これは生体システムそのものと不可分」と書いた
けれども、そうではなくて、生体システムそのものの一部ですね。もちろんこの
生体システムの全体がアクセス可能ということではないと。
そごには、言葉で名づけられたゲシュタルトのサブシステムがいっぱいある。
だが、それと連接して名づけられていない、名づけられ得る潜在的な
ゲシュタルトのサブシステムがあって、「名づけられるのを待っている」?

この名づけられものと、名づけられていないものの総体を仮にAとすれば、
名づけられたものは、その一部分であって、これをBということにします。
1さんが、名づけられない形と呼ぶものは、A−Bで、それをCとします。
もちろん、1さんのような感覚を持たない我々は、このCはそもそも認知
することができないわけで、上にも述べたように、とりあえずは論理的
な抽象物です。

僕が1さんのこのスレに最初にであったときに素朴に感じたのは、この1
さんの共感覚は、何を対象としているのかということで、そこに猛烈な
興味を持ったわけです。これを単にビョーキと一蹴するのは、単なる常識
的な反応で、つまらない。適当な言葉がないので思いつきででっち上げる
けれども、そこには生命のコアみたいなものが「ほのみえる」ような気が
したんです。問題は、上に書いたBとCの関係なんです。我々にはアクセス
不可である領域のCに1さんがアクセスしているとすると、それは何を意味
しているのか。このことが問題の核心として浮上してくるでしょう?
このスレが立った最大の理由は、1さんがこの感覚の意味をご自分でも
うまく表現できなかったということでもありました。だから、これがこの
スレの本題でもあるということかもしれなません。「自然」のかたちを問う
ことから始まって、少しだけ何かコミュニケーションらしいことが
始まっているのでしょうか。1さんのご意見をお伺いします。
6851:03/06/12 14:37
>>684
>1さんのような感覚を持たない我々は、このCはそもそも認知
>することができないわけで、上にも述べたように、とりあえずは論理的
>な抽象物です。

ぼくのようでない人も、それぞれの仕方や強弱でCの存在に気付いていると思います。
表立って言及する適当な用語の体系があれば、つまりジャンルとしてすでに確立されて
いれば、(ある哲学書を読んで、「私の興味の対象は『哲学』のなかにあったんだ」と気付
くときのように)語りうる人はもっとあらわれるでしょう。
Cについて直接の知覚を持たない人でも、慣れ親しんだB群の言葉が、呼び出してみると
いつのまにか自分にとっての意味合いが変わっていたりする事実や、なぜか思いも寄らぬ
方向に自分の考えが流れていく経験などから「逆算」するようにして、「Bに関与するBでな
い力」を、関知しているのではないでしょうか?

>>682
>それでね、正直417の最初の頃の文章は「カタチ」がほとんど見えなかった。
>「抽象的なカタチ」の言葉を「抽象的なカタチ」の言葉で説明されると、
>全体のカタチがつかめない。そうなると一般的な知識での理解しかできなくなるな、俺は。
>知らない知識に関してはお手上げになる。

大三元のこれは、絶妙な表現だと思う。「かたち」は、知らないことについて語る(あるいは
語り合う)ときに、力を発揮する。思い切って強く言えば、「知り得ないこと」について語ると
きにも。

「かたち」ではつかみ得る「既存の知」が、ふつうの学習法ではやっぱり身に付かなくてがっ
かりすることもありますw

686417:03/06/12 15:03
>>685
>ぼくのようでない人も、それぞれの仕方や強弱でCの存在に気付いていると思います。

程度問題だとw

そこが問題の中心的なところなんだと思います。単なる比喩を越えて
1さんの感覚が、自分たちのやっていることの何に相当するかという
ことがわかって、初めて1さんの感覚の意味がやっと少しわかるという
ことかな。連接と僕が表現しているのは、そのためです。変なたとえかも
しれないけど、言葉が引き出してくる多様なゲシュタルトに連接する
名前のないゲシュタルトにアクセスする可能性は、僕たちにとっては、
言葉にできないけれども、そこに何かあると感じさせるそのsomething、
じれったい感じというか、そこがある日突然アイデアが湧いてイメージ化、
あるいは言語化するとか、そういうことはよくあることだと思います。しかし
ここまではまだテクニカルな問題だという感じがします。テクニカルというのは
適当な言葉ではないけど、暫定的に(多いな、これ)そう呼びます。

BとCの関係は、それに尽きない重要な問題をはらんでいるというのが
僕の一貫した予感です。それについては、1さんは自らは語りにくいかも
しれないけど、少し自分なりにそれが何を意味するかということについて
ヒントでもくれるとうれしい。
687テレシコワ:03/06/12 23:21
417さん、読みました。まず「ゲシュタルト」という語を馴染んで使わないので
どうしてその語が充てられているのかを理解するのに時間がかかって
しまいました…。
「個々の要素ではなく、それらの総和としては説明できない全体」くらいに
理解していて、すると、個別の概念をゲシュタルトと呼ぶのがはてな?
だったのですが、概念も相対的には全体なのでしたw
という具合に理解できてみると、今度は、なぜその語ではダメなのか、と
思いはじめてきます。他の名前を探してますよね? 探してないかな。
たしかに、「かたち」が持つ、物体感というか触感感というか、そういうもの
が少なくなっているような気はしますが。

BとCの関係には、名前のあるBのおかげで「Cが<ある>」と落ち着いて
いえる、というものがあると思います。
名前というシステムがあるおかげで、Cをそれとしてとらえることができる
のではないか、ということです。
もちろんこれは、BがCに時間的あるいは論理的に先んずるということでは
ないです。
さらにもちろん、「BとCの関係はそれ↑に尽きない重要な問題はらんでいる」
のでしょう。

688417:03/06/13 01:03
>>687
どうもありがとうございます。

今のところ、ゲシュタルトという用語は必然的な面があるので、使っています。
それは、言葉それ自体がゲシュタルトであるということからきているわけです。
これは、思いつきとしては相当よかったと思っているので、それは維持したい
と思いつつ、何かまだとらえきれていない気がしていて、そこが気になって
いるのです。

 この言語ゲシュタルトの形象的側面、つまり言語そのものの形という意味
でのゲシュタルトの側面と、その残余としてのゲシュタルトの面とを
区別するわけですが、後者は直接1さんのいう「かたち」は
含意していません。それは無理だと思っています。ただ、1さんが感じている
「かたち」とは一体何の「かたち」なのかという意味でだけ、もしかしたら
同じものではないかと思っているわけです。そして、このゲシュタルト分析で
言えることは、間違いなくここまでだと思います。なぜそれが1さんにとって
「かたち」なのかということは、多分全く別の問題であろうと思っています。
それは、いわゆる共感覚そのものの解明ということになるのだと思います。

あと、ABCの関係については、テレシコワさんのおっしゃるとおりだと
思います。
689417:03/06/13 01:11
続き
ついでですが、あの試論は、読んでおわかりのとおり、僕の推論の過程
そのものです。あれを書きながら考えたわけで、書き初めの時点では
何のアイデアもなかったということです。あそこに書いてあるとおり、
さまざまな側面について考えながら書き進んで、あの結論に達したという
ことです。ですから、根本的に覚書そのものだと思います。

あれを書きながらいろいろ考えていたことがあるのですが、その瞬間に
文字にならなかったこともかなりあって、そっちのほうを想起しながら
考えるのは、まだこれからということになります。

とにかくごていねいなコメントに感謝いたします。またよろしくお願いします。
6901:03/06/13 01:51
いったいどうなるんじゃろう?そのうちいろんなことをあいまいにしたまま自然に消えてしまう
運命かな?と思っていたこのスレも、人材を得て展開しはじめました。
とても嬉しい。今回はまた、お先走りをちょっとw


言葉というのは、ある意味すべて名詞です。すべて付けられた名前です。わざわざこれを
言うのは、これから話そうとしているのは狭い意味での「いわゆる名詞」のことだと、はっき
りさせておきたかったからです。
ぼくは「人類に言語は二度訪れた」と思っています。そのうち先行する最初のものが「名詞
言語」です。ぼくは言葉は奇跡だと感じていますが、名詞はかなり質がちがっていて、言葉
の他の部分に比べて「だいぶ理解しやすい」実感があります。
外界の事物・現象をなんらかの記号と結び付ける名詞作用は、蜂のダンスや鳥のさえずり
や猿の警戒音などの延長線上にあって、さほどの飛躍を感じません。「名詞言語」の発想
が人類にもたらしたものは、「記号の恣意性への気付き」でしょう。名前は剥がすことがで
き、付け替えることができ、いまだ名前のない対象物に付けることもできる、という気付き。

これは、ぼくの「かたち」からの夢想にすぎませんが、言葉がほとんど片言であった時期、
つまり「名詞言語期」というものが人類史上に存在したと考えています。そして、「名詞言語
期」の終わりに、地球上のどこかで、奇跡的な飛躍が起こった。
「径路言語」の到来です。

むろんこれは検証しようもない仮説ですがw
つづきはまたのちほど。
691417:03/06/13 09:13
僕はよく知らないんですが、言語の歴史学というのもあるんですよね?
とはいえ、1さんのいうような起源の問題は、あくまで推論でしか話が
できない領域だと(記録なんかあるわけないし)。
つづきを期待しております。
692テレシコワ:03/06/13 17:25
1さんを待ちながら、余談ということで、お邪魔します。
>>690
動詞や形容詞は?それは名詞に還元できるね、と自問自答。
名前というのはいっぱんに、その意味を問われたら「それが指し示すもの」
を挙げるものだと思います。
感情などの内的なものの名前の意味を、それが名指すものを直接指し示す
ことで挙げることはできないけれど、「これか」と、その内的な質感(←こんな
こと言っていいのか?と自分的には戸惑いあり)を、ひとつのゲシュタルト的
まとまりとして漠然ととらえることはできると思います。
でも、副詞は、そんな具合にその意味をとらえることは難しい。その指示対象
をあげることは、ふつうは、できない。副詞の意味を述べることはもっぱら、
使用方法の説明のようなものになります。すると、副詞を名前というのは
ちょっとためらわれるような気がしてくる。
けれど、1さんには経路という指し示し可能なものがあるから、副詞も名前
である!
こう書いていてみて、あらためて驚いているのですが、でも、経路言語が
「ある意味名前」であっても、その働きは、「名詞作用」とは違うのでしたね。
経路がまずあって、それに言葉が結び付けられる、という単純な話では
ないのでした。
ただ、1さんにはユニークな実在論、外延主義がみられて、もうわくわく
します。
693テレシコワ:03/06/13 17:27
>>691
言語の起源は、歴史的に検証不可能である以前に、そもそも語りえない。
なぜならすでに言語を持ってしまっており、すべての思考は言語抜きでは
ありえないため、言語が無いということがどういうことかは言語化不可能だ
からである。
…という説を固持していたときがありました。
417さんのように言葉を軽視していたのではなくて、言葉をすべてに先んずる
ものとして信奉し、そのことで、言葉と思考から柔軟性を奪ってました。
今でもちょっとそのケはありますw
694417:03/06/13 20:36
>>693
ちょうど僕の場合と逆の発想だったんでしょうね。僕は、結局活動ということを
第一に考えてきました。そのために、言語や「目的」は、過程の契機という位置
づけを与えられてきたに過ぎませんでした。それでよしとしていたわけです。
実際は多分両面とも重要なのでしょう。

1さんとは別の角度から、僕はヒトが人になることの意味を考えてきました。
その方向から見ると、今でも1さんや、テレシコワさんの考えておられる
こととは、重なっていないのかもしれないと思いますが、とりあえず
今見出しつつあることの意味を、ここでの話の中で少しでも確認できれば
いいなと思っています。
6951:03/06/14 00:53
えーご期待をいただいて恐縮ですが、>>690は、言葉にしてみたのははじめてなので、
いつつづきを書ける状態になるのか予断を許しませんw
ただ、上り坂のあるような気がしないでもないです。不調は不調として。
と言いますか、またなにやら記憶にない新しい精神状態になっています。
このところ多様な次元のたくさんの刺激を受けましたので、なんか局面が変わったみたい。
この新局面が、実用的な状態であればよいのですが・・・・・・・。
696417:03/06/14 01:32
以下に引用するのは、僕の単なるメモですが、5月6日に書いたものです。
この前段には、権利とは何かということについて、長年ぼんやりと考えて
来たという経過があります。日本人にとっては実体のない観念でしかない
ように思える権利も、欧米では全く違った意味を持っているように思えた
からです。そもそも権利とは何かなどということをぼんやりと考えていた
ときに、ふと思いついてメモしたものです。

自然法?――
歴史的な観念=非自然というのではなくて、
史的な形態として存在する観念の諸形式自体が、
歴史の発展・変化に対する、新たな人間的自然として
理解される面もあるのか?
人間的自然それ自体が歴史的なものである以上、
自然法といった概念は、歴史的に獲得されるしかない。
自然史としての人類史にとって、観念の必然性を説くことは
最も重要なことではないか。
商品の歴史性と自然性?
権利の自然性?
権利は獲得される自然性?

以上がメモそのものです。
僕がここに登場したときに、歴史と自然という対比を唐突に持ち込んだ
のは、こんな理由があったのです。このメモ自体は、それほど深い意味が
あるとは思っていませんが、ただ観念についての極めて大きな展開が僕の
中で起こり始めたことの一つの記憶としてあります。
697417:03/06/14 01:33
続き

これは、権利という言葉、観念が、単なる言葉、観念ではなく、人が歴史の
中で形成し獲得してきた、物質ではない、しかし何か自然に属する大きな変化
――進化と言ってもいいのかもしれませんが――ではないかということを
感じたわけです。これが、ここでの現在行われているお話と何か関係がある
のかと言われれば、わかりません。ただ、僕はこの考え方について、何かを
確かめたくて1さんに質問を発したわけです。

とりあえず、脈絡なく書きました。
698417:03/06/14 09:48
>>695
ふと、進化のビッグバンということを思い出した。何が出てくるのか楽しみ
ですが、急かしませんよ。


僕がかつて考えていたことのキーになった概念がいくつかあります。
適当に並べてみます。

自己家畜化・幼形進化・「闇教育」・共感・感覚統合・「魂」のサブシステム
その他。
699417:03/06/14 17:23
そうそう、哲学的道具立てをなるべく使わないというのも、僕のやり方です。
使えるほど知らない(覚えていない)というのもあります。はっきり言って、
僕の頭は哲学向きではないです。あの独特の言語体系に自分を同化することが
多分できないのです。大体「疎外」という言葉だって、拒絶反応があります。
でも、これはヘーゲル哲学の核心的な言葉なので、いつも括弧付きで使います。
代わりに、システム理論とかゲシュタルトとかを使っているというわけです。
これも言語に対する一つの僕の特性かもしれません。
7001:03/06/14 17:56
>>699
「哲学が好き」という人も、ジャンルとしての哲学にはさほど興味がないものです。
自分の関心が向いている領域、あるいは限られた哲学者以外は「あってないような
もの」です。独特の言語体系には俺も同化できません。
417さんも「自分用哲学者」に出会えば、好感度が上がるのでは。

俺の場合は永井均とウィトゲンシュタインがいなかったら、哲学の魅力は五割減、
みたいな感じです。二人がいなくても俺の関心は哲学に向いていたでしょうから、
控えめに言いましたが、なんなら九割減と言ってもいいですw
701417:03/06/14 18:52
なるほど。そうなのかもしれません。僕が、とりあえず哲学周辺に
とどまっていられるのも、確かに幾人かの哲学者のおかげです。
その意味では1さんと同じかな。精神的にはある人の弟子かも
しれないとは思っています。直接学んだことはないから
本当の弟子というわけではないけれども、その人がいなければ、
哲学の門の前を素通りしたかもしれないような人がいます。
その人の本だけは、一読して理解できた。初めて読んだときには、
本当に感動しました。不思議な縁でした。そう考えれば、哲学との縁が
かろうじてつながっている理由もよく理解できます。
1さんとは全然違う人ですけど。(あたりまえですね)
理解できる哲学者は幾人かいるというか、でも古典哲学が全然だめ。
大体ドイツ系列の哲学は全滅くさい。(ニーチェは読めたけど)

そういえば、「生態学的視覚論」が入ったというメールが図書館から
きてました。明日にでも。「心の社会」は相変わらず少しずつしか
読めないので、いずれ買います。おもしろいんだけれども、
だーっと読めません。アフォーダンスは読めればいいなと。
702テレシコワ:03/06/14 22:55
>>700
えっ意外、と思ったけれど、ジャンルとしての哲学の九割、ですね。
わたしは、哲学的に考えるという広い意味においても、その2人はかなり
特別です。七割くらいにしておこう。
永井均→ウィトゲンシュタインという順ですが、前者との出会いは
417さんじゃないけど、感動的でした。衝撃でした。

「自分用哲学者」ってまたあっさりいいこと書かれますね。
大学でドイツ哲学を教えている先生と一対一で話したとき、一人の哲学者
との特別な出会いというような、ごく私的な体験が基本になけりゃ学問は
続けられない、みたいなこと力説されたの思い出しました。

>>699
わたしも苦手な語がいくつかあります。「実体」とか「形象」とか…まあ文脈
によりますが。
703417:03/06/14 23:17
>>702
はあ、そんなものですか。僕は大学では仏文だったんだけど、何も勉強
しなかったし、大学の哲学なんてかすりもしなかったんです。ただ、ある
とき友人に勧められた「思想」に載っていたある論文がすべての始まりでした。
それが読めたのは、多分浪人時代に少し哲学史の勉強をしていたからでした。
してみると、哲学に興味はあったんですな。ニーチェも高校時代に少し
読みました。ヘーゲルも浪人時代に樫山訳の精神現象学の序文を読んだのが
初めての接触でした。でも、そんなのは何でもなかった。その論文を読んだ
ことに比べれば、屁のようなものでした。

ある意味幸福な出会い、いや不幸な出会い、両面ありますね。
それは廣松渉の論文でした。こんなこと言っても意味はありませんが、
スコーンと抜けた感じがしましたね、そのときは。ハハハ。
しかし、その後僕が変わってしまいました。あるときから満足しなくなって
今では全く違う道を歩んでいると思っています。何もかも捨ててしまった
といえば嘘になりますが、基本的には彼の構えは違っていると思っています。
でも、あのときの爽快感は忘れていません。スッゲー、この一言。

今度は自力であの爽快感を味わいたいと思って、いろいろなことを考えて
いるのかもしれません。あれは麻薬だ、本当に。
704417:03/06/14 23:27
ばかだね、また上げてしまった。メール欄がageになってるよ。あ〜あ。スマソ。
7051:03/06/14 23:33
>>701
『心の社会』は、どの節も単独で読み下せるしくみになっているので、目次を眺めて、
自分の関心を引くタイトルから読んでいくのがいいと思います。

>>702
私も永井均と出会ったときのおどろきは忘れられません。

「あのことを『言う』にはどのように『言え』ばいいのか?」

子どものころから、「あのこと」と呼んでこだわって、それについて書かれた本を常に
探し続けていたのに、どこにも書かれていなくて、
自分にとってこんなに大きな問題が、世の中では問われさえしないのだろうか?―
そんなふうに思っていた問題が、真正面から問われていたのですから。

「あのこと」に関しては、この時代の日本人に生まれたことを心から感謝しています。
706417:03/06/14 23:54
>>705
それは、とてもラッキーな出会いだったですね。僕の場合とは明らかに違う
出会いだろうけど、僕の場合も当時初歩的につまずいていたさまざまな問題
に対して、トータルな回答を得られたと思って、本当にうれしかったものです。
その内容は、ちょっとここに一言では書けませんが、展望が全体的にパッと
広がって、世界が透明になった感じとでもいうのか、何もかもこれで見える
んだと思って、とてもうれしがった記憶があります。相当興奮しました。
その核心は何かというと、廣松自身の言葉に託していえば、「関係の第一次性」
ということ、これにつきます。実体なんてものはないんだ。全部関係なのだと、
この限りではとても仏教的で、仏教思想がが好きだった僕は、そこでも
非常にうれしかった。この関係主義的な見方そのものは、今でも僕の考え方
の底に根づいています。ただ、この関係とは何かということについて、その後
僕はあさっての方向に行ってしまったということです。それが正しいと言い切る
自身は、今の僕にはありませんが。

そこから、今の僕の考え方まではかなりの距離がありますが、とりあえず
ここまでとします。
707417:03/06/15 16:49
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!
ギブソン「生態学的視覚論」
都立図書館から地元の図書館に回ってきました。
これから読むだす。
708417:03/06/15 22:22
はぁ、この人(ギブソン)もシステム理論系なんですね。
ベルタランフィの本の中で、システム的な思想の先駆者としてヘーゲルを
挙げていたのを思い出しますた。
還元せず、個々のレベルをきちんと押さえる。個々のシステムの固有性を
厳密に規定した上で、その相互作用を全体の中で位置づける。
この姿勢はとても好きです。これしかない、そう思います。

それにしても、「invariants」っていう言葉がすごく気になる。これは
決定的な概念だという気がします。日本語では「不変項」って訳すんですね。
これは、まあつまらない訳だなという感じ。1さんなら、どんな訳がいいと
思いますか? これは、過渡的な概念かもしれません。まだ読み始めたばかり
だから、内容については何もいうことはありませんけど。
709417:03/06/16 02:56
ここに書くのが一番かなと思って、ここに書きます。
別のところでもう寝るって書いて、またここで書いてるんだから、困ったこと
だけど、現在、あっちこっちの板orスレで、自分なりの2chスタイルを模索
しています。決まったスタイルではなくて、もっと自由な、ある意味奔放な
スタイルを模索しています。まだ初歩的だけど、すこし面白くなってきました。
一昔前にパソ通をやっていたころも、そこまではできなかった。2chだから
できることって、確かにあるよね。罵倒と煽りあいの2chに同化するつもりは
ないけど、そういう場所の中でも、少しのユーモアとゆとりを持って
過ごせれば、多少は楽しい2chライフを楽しめるかもしれない。
710417:03/06/16 12:22
また違う話をします。
共感とサブシステムということ。1さんの体験と何か関係があるか
と言われれば、またわかりませんけれども。

以前にある人と話をしていて、「僕が数学を理解できるようになるには
どうしたらいいのか」と聞いたときに「それは、数学を好きなやつを好きに
なればいいんだよ」と言われたことがあります。そのときに、かれは
「チャンネルを合わせるのと同じだ」という言い方をしていました。これは
割合にわかりやすいことです。例えば、子どもは好きな先生の教える学科は
好きになりやすいとか、そういうことがあります。

しかし、これを数学を処理するサブシステムの励起?の問題と考えると、
これは相手の同じサブシステムに共感している状態と考えられないでしょうか。
そして、この手の経験は、多分だれにでもある普通のできごとだと。
そんな難しい言葉を使わなくても、普通に了解できるできごとだと言われれば、
そうかもしれないですが。
7111:03/06/16 15:02
>>708
「不変項」は、数学用語としての定訳じゃないかな。
はたらきとしては「空間」としてとらえるときの「次元」に位置にくるものですよね。
数学用語の「次元」じゃないけど、かたちはそっくり。

読んでみたらお分かりの通り、『生態学的視覚論』は訳がひでえ・・・・。日本語になって
ない。もったいなさすぎ。
俺としても読みこなしたなんてことは全然なく、「感じ方」だけ自分のなかに吸収!みた
いな読み方でした。でも必読書w

俺がギブソンの威力を実感したのは、「3Dグラフィック」のブームがありましたよね、古く
からある「立体写真」でもいいですが、あの、眼をすがめて二つの画像を脳内合成するや
つ。
あれは、左眼視像と右眼視像を合わせて両眼視状態をつくるわけですが、どことなく実際
の両眼視像とはちがう。写真を使ったものでも、なんとなく書割っぽい。
「なぜだろう?」と考えて自分なりの「謎解き」をしていましたが、ギブソンに出会って驚いた
のは、あ、あの「謎解き」から突っ走ればここまで到達できるほど深い問題だったんだ、と
教えられたからです。
長くなりました、「謎解き」については、後でまとめます(いつだよ?)w

>>710
>「それは、数学を好きなやつを好きに なればいいんだよ」と言われたことがあります。
これはとてもいい言葉ですが、双手をあげて賛同できませんw
俺はできる科目とできない科目の差が激しかったけど、先生の好悪とほとんど相関してい
ませんw (俺特例か?)
まず素質が前提で、その上での動機付け強化因、ということなら異論ありません。


712417:03/06/16 22:08
不変項についてはおっしゃるとおりですね。でも、何かしっくりこない。
というよりは、何か別のことを僕が感じているのでしょう。
まだわかりませんが。
訳の問題については、まだよくわかりません。というか、野暮用が次々と
あって、本が読めていません。(T_T)

ああ、その立体視の問題は、僕にも子どものときからの疑問でした。まさに
芝居の書き割り風に、平面的なものが前後にならんで見えるだけですよね。
フンフン。そうですか、それはとてもおもしろいです。謎解きもよろしく。

あと、「素質が前提」云々の問題は、僕にまだ解けない問題の一つ
ですので、ペンディングということで。
時々は手を変え品を変えつっついたりするかもしれませんが。
(多分ここでは僕はマルクス主義の尻尾をゆがんだ形で
ひきずっているのかもしれません。でも、まだ結論は
出せません。というか出したくないです。しかし、これは
根本問題でも、火急の問題でもありませんので、おいておきます。)
713417:03/06/16 22:13
そうそう、立体視と言えば、大画面のスクリーンで見た空撮映像が
そのまんま立体的な映像として知覚されます。これは、両眼視差とは
関係ないできごとです。これと関係ありですかね?
714大三元:03/06/17 00:59
>>710
「数学を好きなやつを好きになればいいんだよ」
→「数学を好きなやつの「数学の好きさ」を好きになればいいんだよ」
→「数学の好きな奴が「数学を何故、どう好きなのか」を理解、共感できればいいんだよ」
チャンネルを合わせてみました。

「素質」についてはあまり拘ってしまうと可能性を狭めてしまうだけの気がする。
その道の専門家に素質がないと言われた人が、その道で大成した例はいくらでもある。
素質があると言われても、成功しない人も同様。
7151:03/06/17 01:27
>>713
関係あります。

>>714
それはそれで同意です。
7161:03/06/17 01:30
>>714
わ、さっきのヤな言い方ですね。スマソ

同意です。
717417:03/06/17 01:36
前に言った「スターウォーズ」は、この動きによって立体的に見せる
というテクニックを意識的にsfxに導入して、アクション場面をダイナミック
なものにしたわけです。有名な冒頭の巨大戦艦の姿は、まさにそれです。
そして、終盤のデススター攻撃のクライマックスも、まさにそれです。
それの、アナログ的な完成が「ジェダイの復讐」におけるスピーダーバイクの
チェイス場面と、後半の宇宙戦闘シーンでしたね。ちゃんと3d映画になって
いるから、すごいです。日本のアニメも負けじといろいろ開発しましたね。
その辺を追いかけているときは、楽しかったです。どんどん動きが変化して
いくのがわかるから。最初のピークが「イデオン」「マクロス」そして
「王立宇宙軍」のあたりかな。宮崎さんも負けてなかったですね。
「ナウシカ」はよかったですね、その意味でも。
しかし、ナナイさんじゃないけど、これって男の世界?

これは家庭のテレビでも楽しめないことはないですが、迫力はありません。
グランドベガを買おうと画策中。
7181:03/06/17 01:46
>>717
「スターウォーズ」は動体の画像はプリントの時点ですでにブレてるっつー処理が
最高のアイディアだったと思います。
719417:03/06/17 02:01
>>718
なるほど。その辺は要解説です。
もう一つ、これは人によって見えが違う典型的な話なんですが、
レーザービームの表現です。あれをコマ落としでみると、なかなかおもしろい。
いろいろな表現が使われていますが、まずあのビームが奥行き方向に向かって、
あるいは奥から手前に向かって走っていると見える人と見えない人がいます。
こんなベーシックなことでも、見えない人には見えていないんですね。
それから、カメラに向かってビームが発射される場面があります。それが
なかなかおもしろい効果なんですが、これはもっと見えていない人が多い
のかもしれません。かく言う僕も、ある日テレビでバンとそれが見えるように
なりました。それ以前は、映画と比べてテレビはだめだと思い込んでいた
んですが、14インチのテレビでも、今の小さな液晶画面でも、本当はちゃんと
見えるんですね。でも、それがいいことなのかどうかは、わかりませんが。
7201:03/06/17 02:21
>>719
ミニチュアは実際高速で動いてるわけじゃないから、コマの上ではしっかりピントが合って、
静止画に近い状態で写ってる。
それだと、スピード感がでないので、SWでは、進行軸方向にブレさせる処理をして撮影し
ていた。
だから、動体はコマ送りしても細部が娯しめないw
7211:03/06/17 02:44
>>719
レーザービームの方向かぁ。
俺はとまどったことなかったが、それもアフォーダンスの問題ですね。
おもしろい。
722417:03/06/17 18:16
>>712
これは、例えばニュース映像などに奥行き方向に飛ぶ曳光弾が映ったときにも
同じ効果が生じます。そして、当然奥に進めば進むほど遠近法的に言えば、
画面上で動く距離は短くなります。現実の動く物体が僕たちから離れていく
ときは、そのように見えるわけです。これはSWではレーザービームの動き
だけに明確に使用されていました。(アニメで書き込んであるわけです、当然)
これは、だれにでもそう見えているというわけではなくて、ある人には画面
を左右に横切る線のように見えるらしいです。多くの人に確かめたわけでは
ありませんが、そういう個人差はいろいろありそうです。この感覚の
サブシステムの構成のプロセスを感覚統合と呼ぶようです。

723大三元:03/06/17 19:07
>>716
律儀ですね。別にそんな細かいとこ気にしなくてもいいのに
というか、気にしても言わなくてイイよー。
別に批判したきゃしてもかまわないし、基本的には何でも来いです。
俺の対応も基本的には何でもありです。勝手ですw。

SWとか士郎とかアニメ論とか個人的においしそうな話ではあるのだが・・・。
リアルなら速攻で食いついている所だが・・・(汗

コマをわざとぶれさせてスピード感を出すというのは、視覚認識の性質を上手く利用した技だけど、
要はマンガの効果線と同じだよね。日本の初期のアニメなんか動画枚数が少ないから、
動きを補うために効果線入りまくってるけど。
大事なのは視覚認識というのは、網膜への画像に対して脳が無意識に様々な補完を行っている
ということだね。この補完の能力は人によって結構差がある。この補完の能力こそ認識の能力で、
これは一次関数的に成長する物ではなくて、段階を踏んで質その物が変化していく物だと思う。

コマのぶれによる動感は、人間の視覚の空間認識が時間に対して絶対ではないということの
自覚で、視覚認識におけるニュートン宇宙からアインシュタイン宇宙へのパラダイムシフト
と言える。このパラダイムシフトが視覚認識だけじゃなくて、概念の認識そのものに当てはめら
れるようになった時にオイラは大きく突き抜けました。でも、パラダイムシフトとかの認識は
後からついてきた物で、実際にやったのは、カタチとナガレを当てはめただけ。

アニメーションという概念をわざとぶれさせてみると・・・アニメと紙芝居とはコマのタイムラグ
の程度問題ということになる。紙芝居でも補完能力さえ高ければ動画として認識できる。
724417:03/06/17 19:43
>>723
マンガの動線といえば、僕は「バリバリ伝説」とか「イニシャルD」の
背景の動線が長い間好きでした。しげのさんの感覚が好きなんだろうと
思っています。ここは、特に感覚についていろいろ話してみたいスレ
です。1さんという大家もいることだし、楽しいです。
725考える名無しさん:03/06/18 01:05
僕がSWについてあれこれ考えるようになったのは、僕が経験した感覚の激変と
ちょうど時期が重なっていたためです。もともとが特撮好き少年だったことと
あわせて、SWは大好きな映画だったんですが、あまりにも好きで、ビデオで
何10回も繰り返し見るような見方をしていたわけです。当時は14インチの
小さなテレビで見ていました。
そのころいろいろなことが身辺に起きまして、オカルティックな友人が数人
できたこともあって、変な経験をするようになったのです。その一つ、そして
その主要なできごとが感覚の変容でした。当時の僕の考えていたことの一つは
意味づけを変えるということでした。例えば、それまでテレビで見る映画は
僕にとっては映画館で見る映画の粗末な代用品といった感覚でした。それを、
あるとき考え直したのです。「いや、映画で見えるものがテレビで見えないの
は変だ」と。それからしばらくして、テレビの見えが激変し始めました。
映画館で見えるものは、テレビでも見えるようになったのです。逆に言えば、
それまでは見えていなかったということです。人の感覚がこのように変容する
ということに、僕はびっくりしてしまったのです。
それから、しばらくは視覚だけではなくて、聴覚面でもいろいろなことを
試すようになりました。鼓膜が破れるのではないかと思われるほどの大音量
で音楽を聴いたりとか、ちょっと外から見ると明らかに危ない人になって、
いろいろな感覚の変化を楽しみました。そして、しばらくたつと、自然界の
見えそのものに変化がきました。今まで見えていなかった自然界の美しい
光景が見え始めたのでした。この事自体は、別にオカルト的な事柄ではない
と僕自身は思っています。
726考える名無しさん:03/06/18 01:15
続き
そんなことが断続的起こった時期と、SWの上映とがパラレルでした。まあ
えらい昔の話です。ガンダムとかイデオンとかいうのも、この時期のことです。
その後、僕はこの問題にかまけることをいつしかやめてしまいましたが、
その当時のことは決して忘れられないでしょう。今思えば、一生懸命
アフォーダンスについて考えていたことになるのかなw
727大三元:03/06/18 05:39
しげのは俺も好きだったけど、人物がだんだん・・・。
あと「頭文字D」は社会問題も起こしてるよなぁ(藁
動感に関しては「デカスロン」は究極だと思う。初めは脳が拒否したけど。
>>725
まさに右脳の訓練だね。非言語思考の。
728大三元:03/06/18 06:41
この話をするのはちょっともったいない気もするが・・・。
「ラスコーの洞窟壁画」、約1万5千年前、旧石器時代の物らしいが。
この絵は俺にとって驚嘆以外の何物でもない。まだ文明と呼べるような物もない
この時代に、この完成度の絵が存在した・・・。めちゃめちゃ想像力が膨らむ。
これを描いた人はこれを描くに当たって練習はしたのだろうか・・・。

この時代にすでに言葉はあったかもしれない。しかし、文字はなかったであろう。
人間の思考の産物として絵(アート)は最も古い物の一つではないだろうか?
ここから推測するに、言語思考よりカタチ思考のほうが先であったのではないだろうか。
文字という物が絵から生まれたように(象形文字)、カタチの意識から言葉が生まれたの
ではないか?
そして、俺自身の記憶でも「言葉の記憶」より「映像の記憶」の方が古い。
つまり、カタチ意識の芽生えのほうが早い。
さらに、俺が>>645で言った「速い意識」と「遅い意識」のタイムラグ。
この三つは俺の頭の中で一つのフラクタル。時間のミクロとマクロをつなぐカタチ。

美術史は人間の「カタチ思考」の進化の歴史である。
それは、もしかしたら言葉の歴史より先を歩いているかもしれない。
・・・・・・ここまでにしとこう。
729417:03/06/18 13:27
>>727
「人物がだんだん・・・」
禿げ堂w

「社会問題」
イニシャルDが影響力を持ったことは間違いないでしょう。
「バリバリ・・・」もそうだったのかな?
しかし、それはそれということで、そういうこととは別にしげのさんの
マンガにある何か変なものについては、まだ正体不明ですが、好きです。
730大三元:03/06/19 22:38
しげののセンスについて一番最初に衝撃を受けたのは、「バリバリ伝説」というタイトル。
これはアリなのか?とオモタw。縁石ギリギリ走行という感じ。ダサかっこいいというか。

パラグアイ戦の後にヒデが、
「点の取れるニオイがしない」と言っていた。ヒデらしい。点を取る嗅覚も共感覚?
後、「外国人記者から『日本は言われた事をキチンと守るのは得意だが、自分で考えるのは苦手』
と言われたがどう思うか?」と聞かれて、淡々と「その通りだと思います」と言ってたのが印象的だった。
とりあえずニュージーランド戦、快勝。ヨカタ。ジーコサッカーを実現するには時間がかかるだろうな。
トルシエサッカーからジーコサッカーへのシフト・・・・・デジャヴ感が・・・。

養老孟司「ヴァカの壁」読んだ。読みやすくて一日で読めた。俺とほとんど考え同じでチョトビクーリ。
彼は唯脳論の視点で説明しているけど、唯脳論に縛られてはいないよ。唯脳論で閉じていない。
彼の言うバカの壁と、俺の考える境界とかなり近い。
731考える名無しさん:03/06/19 23:02
ダサかっこいいというのは本当かも。初期の「バリバリ」は半コメディーだし
意図的にその辺をねらった可能性も十分あり得ると思うよ。

ジーコサッカーへの移行は本当に大変そう。でも、それをやれなきゃジーコ
を呼んだ意味なんてないし、やってほしいよね。僕はサッカーは詳しくないけど、今の苦しみを乗り越えてこそ日本サッカーは花開くんだろうね。サッカー
というスポーツのメンタリティというのは、なかなか奥深い問題をはらんで
いるような気がする。集団と個のダイナミズムという点では、日本式が通用
しない南米型サッカーをどう消化するかはこれからの課題だと思うけど、
選手諸君の苦悩が見えるようで、ご同情申し上げることしかできないのが残念。

養老さんは一度も読んだことがありません。引き続き教えてください。
732_:03/06/19 23:02
733考える名無しさん:03/06/19 23:59
哲学の転回?
わざわざこんな言葉を使うことはないんだけど、アフォーダンスについて
ときどきぼんやり考えたりして少し予感していることは、やっぱり哲学そのもの
の根本的な転回を暗示しているような気がするんです。

またマルクスをひっぱり出すけど、マルクスは哲学について明示的な本を
一切書かなかった。それは、彼にとってはもう必要がなかったからに違いなく、
彼が一心不乱に経済学の文献をロンドンの図書館で読みまくっているとき、
参照枠としては哲学もあったに違いないとしても、彼の中ではもうそれは
済んだ問題だったというわけ。では、なぜ彼にとって哲学が済んだ問題だった
のか。かれは、認識の問題は結局活動の問題、実践の問題でしかないという
結論を若いときに得ていたからなんです。しかし、ではその実践の問題とは
何かということについて、それもマルクスはきちんとした著作はおろか、
叙述すら残していない。そこに、エンゲルスやその他の「マルクス主義の
唯物論哲学」が入り込む余地があった。だけど、当時のマルクスにとっては、
それすら大したことではないと思える理由があったわけです。
で、彼が結局そういうことをほとんど書き残さなかったということについて、
エンゲルスも含めてマルクス主義者はいろいろ不平を言ったんだけど、
その時点で既に間違っていることになるわけ。極論すれば、「哲学なんてもう
いいんだよ」というのがマルクスの基本的な構えだったのではないかと。

で、アフォーダンスなんだけど、最初からマルクス、マルクス言ってるのは、
マルクスが考えていた活動・実践というのは別に革命運動のことではなくて、
文字通り人間の活動・実践が唯一の準拠枠なのだということなんです。
そして、この活動・実践を通じた世界認識というのが、アフォーダンスの
ベースにある考え方と同じことを意味しているのではないかと、僕は思っていた
りします。
734417:03/06/20 00:06
では、アフォーダンスそのものについて、何がどう哲学の転回なのかというと、
根本的には、人の認知の構造を、感覚器官と脳の関係にではなく、それを
サブシステムとする相互作用系としての人―自然システムを考えているから
だと思うわけです。最初から分離されていない。人は、そもそも自然という
巨大なシステムから見れば、それ自体1個のサブシステムにほかならないわけで
当然、人の内部システムは、自然の中で自然の一部として生きるように編成
されているわけで、そこにはどんな特権性も最初から全くないわけです。
アメーバやゾウリムシと全く同格なんです。このことを認知の構造を通じて
揚言しようとしているのが、アフォーダンスじゃないかと。
735417:03/06/20 00:08
今さらですが、733は僕です。あ〜あ、またageちまったぜ。
736417:03/06/20 00:15
このアフォーダンスについてのアイデアはなかなかおもしろいんですが、
まだ具体的に話ができるほどの中身が僕にありません。ただ、間違いなく
はっきりした予感があります。我々は自然と対峙しているのではなくて、
自然に依拠し、依存し、そしてその内部で新しい何かとして機能している
新しい相互作用の系の1つなんだということです。このことを推し進めれば
何かおもしろい結論が引き出せるとは思っているんですが、今はまだここまで。
ゆっくり考えましょう。
737考える名無しさん:03/06/20 00:58
アホのダンス?            
738417:03/06/20 01:18
アフォのダンスじゃろが、タワケ。
739417:03/06/20 02:37
認知の対象は、主観のうちにあるという観念と格闘し、多分ギブソンさんは、
アフォーダンスという言葉を打ち出したのでしょう。我々の認知の対象は外なる
自然界の価値なのだと。ただし、その価値は人間から独立した価値ではなくて、
まさにヒトの活動の対象としての自然の価値なのだと。そのように自然という
システムはできているのだと。これで、哲学的には唯物論と観念論の対立を
「止揚」したのだと言えるのではないかな。だから哲学的転回なのだと僕は
思うのです。まだうまく言えているとは思いませんが、これでヒトの認識を
めぐる哲学的諸問題は解けているように思えてしまいます。でも、これには
実証的な科学的検証が必要な部分が多々あるようにも思えます。しかし、
それにはヒントはあるような気がしています。
まじめにギブソンさんを読まねば・・・。
740417:03/06/20 02:49
invariantsはどこにあるのか。脳の中ですか? それとも?
これは、鋭い問いでしょうね。恒常性認知と言われている問題と
同じことなのかな? 疑問だらけ。はよギブソン読めや、ヴォケ!>おれ
7411:03/06/20 03:53
>>740
境界はいつも、説明のための便宜です。
アフォーダンスの視野には解毒作用があって、私達の慣習的な視野を解除してくれます。
解毒されてしまえば―つまり様々な視野を行き来できるようになれば、あらためて「主観と
客観」も便利な道具になります。

「語り方」はどうでも、問題は「読み方」に尽きる。
というのは普遍的な真理とは言えませんが、そう主張できる位置に自分を持ってゆく。
大切なのはそのことではないか?と思います。

innvariantsがどこにあるかといえば、「なにを説明したいかによる」というのが答えだと思
います。脳の中にあるとしたほうが表現しやすい立論もありますよね?


当然のことを当然のように言っているだけですけれどw
7421:03/06/20 04:01
>当然のことを当然のように言っているだけですけれどw
なんか、でかいツラしてる感じですね。
なんら議論を先に進めるわけじゃないけど・・・・・という意味でした。
743417:03/06/20 09:56
>>741
>あらためて「主観と客観」も便利な道具になります。

>「語り方」はどうでも、問題は「読み方」に尽きる。

これって「方便、方便w」と聞こえるのは、おれの脳が変? 何かゴータマ・
ブッダに説教されているようだぞぉw

「どこにあるか」については、おっしゃるとおりなんだろうけれども、
僕としては、もう少しきちんとした一歩を踏んでおきたい。まだ、余裕を
持って周辺を見回せるほどクリアではないんですよ。一度ズバッと言い切って
おきたいと。そして、そのひらけた眺望から、今一度問題状況をぐるっと
見回して、そして「方便」もありかなと(w)思えたら、少し前進でしょうね。
それにしても、僕は自然にではなくて2chに依拠・依存してまつね。あ、
もちろん2chも「自然環境」ではあるかw――自分の主張によればネ(自爆)

ついでに、イカやらヒラメやらの擬態とやらについて、何かアフー…に関連した視点を
お持ちだったら、教えてください。彼らの擬態の視点はどこにあるのか?
てゆうか、そもそもあれは何なのか? 積年の素朴な疑問です。
だれか答えを持ってる人、知ってますか?
744417:03/06/20 09:58

アフー… ×
アフォ… ○
これから、アフォーダンスを単にアフォと表現したい。だめ?w
745417:03/06/20 10:11
そうそう、脳はどのシステムに依拠して存在しているのかって言う問い方でも
いいのかな(って、思いつきばっかりやん、ちゃんと読めて>おれ)
7461:03/06/20 10:51
>>743
擬態は全般にめっちゃアヤシイですよねw
ナナフシとかコノハムシとか、たんに戦略的というより、芸術的でさえある。
「似よう」とする意思さえ感じる。
しかし、「似よう」としてるのは誰で、「似とる」と判断するのは誰や?みたいなw
かといって自然選択が長い時間を経て「類似性」を洗練した、なんて理屈では本能的
に非納得。
一時、専門書なども当たってみましたが、擬態成立の背景理論、めぼしいものがない
んですよ。

で、あるとき「すぽん!」と抜けたのは、コノハムシの化石は地球に広葉樹林が出現す
る以前の地層からも出土する、という事実を知ったときです。
なにがどう説明というわけではないけど、「やっぱ観察や経験によらない先行情報がど
っかにあるわけやね」と、そこんとこ非常に納得してしまったw
747417:03/06/20 11:25
うん、アヤシ過ぎ。そこだけ思い詰めれば、神秘主義にスポンと入り得るぐらい!

>コノハムシの化石は地球に広葉樹林が出現する以前の地層からも出土する
ホォ、それは知りませんでした。すっごい事実でつね。しかし、それはより
深遠な謎? うーむ、わからん。フラクタルででも説明できるんやろか。今、
思いついたのは、フラクタルっていうのは、単なる「形」の話ではなくて、
パターンを含む抽象的なゲシュタルト、あるいはよりメタな「かたち」に
通じる理屈だとすると、もしかしたら全部通ってしまいそうなお燗!?
(だから、一々思いつきを書くなっちゅうに>考え中)
748417:03/06/20 11:34
ついでに、イカやタコ、ヒラメとやらの変身はリアルタイムだということで、
これのメカニズムも、何かヒントがあれば教えてください。これも視点が
わからない。これを察知しているセンサーはどこにあるねん?
7491:03/06/20 11:48
>>748
ヒラメは目で背景を見てる。ただ背景と自分の体色を見較べて調整するのではない。
自分の色は内的なシステムで認知している。
ヒラメの体を砂でおおって、目だけを出しておいても砂の下でヒラメの体は周囲の色
と一致している。

イカ、タコはわからんかった。
750417:03/06/20 12:20
>>749
イカ、タコは不明ですか。あれが環境の変化に応じてリアルタイムに変色
するさまはすばらしい見ものですが、そのメカニズムを考えると、ちょっと
戰慄するものがあるだつ。

ここからは冗談ですが、長門裕之が若いころイカやタコの神様と夢で(かな?)
出会って、芝居の神様だということで御告げがあって、それ以降、イカ、タコの
類は食べないようにしているんだと言っていたのをどこかで見ました。
ちょっとおもしろい話ですが、この神様って何だろ?

そう言えば、昔ナメクジの神様、あるいはナメクジが進化した宇宙人(ハットw)と
いうのがSFなんぞで流行ったような気がする。あれも妙な感じがします。
こういうのは、全部どこかでつながっているという感じが、僕の中ではする。
もちろんデムパだけど、一体何なんだろ……。
751417:03/06/20 13:12
>>749
うっかり読み流してしまったみたいだけど、
ヒラメの色を認知する内的なシステムって何?
色の認知システムの非視覚的なセンサー? ほえ?
7521:03/06/20 17:00
>>751
ヒラメは眼で見た背景を自分の体表に描くわけだけど、>>749にも書いたように、
眼で見て合わせているわけではない。比喩的に言えば「内側から描く」。
しかし、自分の色がヒラメに内的にどう見えているかは想像の外ですな。
753417:03/06/20 17:50
イカの神経って、かなり原始的?なものだったと思ったな。タコはよく知らない
んだけど、いずれにしてもイカの擬態は見た目ものすごく驚異的なんですよ。
透明な本体が、周辺の色に対応して連続的にガーッとダイナミックに変化
するんだったと思った。これは何?と、僕は正直目を疑う思いだったんです。
でも、これは絶対おもしろい問題だと思う。
754417:03/06/20 17:57
上に原始的とか書いたけどフライングだったみたい。調べてから書けって?

>脳;イカの神経系は高度に発達しているため“海の霊長類”と言われる。
>特に色や明るさには非常に敏感なので、ラインの色すらもバカにできない
>要素だ。瞬時に体色を変えられる能力を持つ……
ttp://www.shonan-rockets.com/fishing/special/ryoma-04/24-30.html

だって。おそるべし、イカ!! お見それしました。
イカについて少し勉強してみようかな。
7551:03/06/20 17:59
>>753
現象面のすごさは俺もよく知ってる。
擬態のビデオも持ってるしw
7561:03/06/20 18:03
イカの視覚系はものすごく高性能で、脳のサイズに比して、あまりにもアンバランスです。
7571:03/06/20 18:07
脳っつーかただのぶっとい神経だけどw
758417:03/06/20 18:32
>>755
擬態のビデオ、それ欲しいなぁ。ご近所なら見せてもらいたいよぉッ!
759大三元:03/06/20 23:49
恒常性という言葉が出てきたね。「恒常性」と「右往左往」は微妙に同じカタチかも。

>>746
禿同。「コノハムシの化石は・・・」
へぇー。「80ヘェー」
するってぇと何かい?木の葉が虫を真似したって事?コノハムシじゃなくてムシコノハ??
長門裕之が桑田圭介に似てるんじゃなくてその逆?
同じカタチの因子を持っているということカナ?

ヒラメとかカレイってフザケた魚だよなー。擬態もさることながら何なんだあの態度は。
なんでヒラメは左でカレイは右なんだ?
ミミックオクトパスって奴をテレビで見た。色と形を変えて状況に応じて7,8種類ぐらいに擬態するタコ。
あれは最早、「芸」だね。初めのうちは擬態がへたくそで、成長とともに上手くなっていくという。
カタチに対する拘りの意識があるとしか思えん。
あと、カッコウの托卵も不思議。初めにあれをやったカッコウは何者?育児放棄?
なぜそれが子に受け継がれるのか??
この世界は不思議がいっぱいだ。でも不思議は不思議のままでもいい気がする。
不思議がなくなってしまったらつまらん。
「トトロ」とか「千と千尋」とか宮崎アニメにはそういうテーマがあると思う。

>>758
コスプレのビデオ?
760大三元:03/06/21 00:26
日本サッカーのここ十年を見ると、外の視点を取り入れることの大切さがわかる。
Jリーグにしても代表にしても、まず自分たちのレベルの低さを認めて、レベルの高い人を呼んだ。
外国人監督を呼んだのは英断だと思う。内部ではかなり軋轢があったらしいが・・・。
さらにレベルの高い国へどんどん選手が出ていく様になった。そうしないと手に入らない視点がある。

それに比べてバレーボールの首脳陣は低脳だな。内に閉じこもって完全に世界の流れから取り残されている。
お家芸と呼ばれた過去にいつまでもとらわれて・・・。
バレーでは、ラリーポイント制の導入というパラダイムシフトでゲーム性が変わってしまった。必ずどちらかに
点が入るという状況で、得点に直接つながらないレシーブを最重要視する「拾ってつなぐバレー」は通用しない。
その辺を指導者がわかってないっぽい。作戦タイムの時とかも根性論だけで、具体的な指示が出せない。
だから、2セット取ってから3セット取られて逆転負けとかする。これは完全に監督の責任。
試合の流れに対応した指示が出せない。逆に相手に対応される。
バレーも外国人監督呼ばなきゃだめだね。男子で加藤がイタリアリーグへ行ったのはエライ。
7611:03/06/21 00:36
>>759
カッコウは雛のときからすごいんだよ。
カッコウの雛は、ふつうの鳥より数日はやく孵るのね。
そんで、うまれたばっかなのに、自分以外の卵を背中に載せて落っことしちゃう。
762大三元:03/06/21 02:32
>>761
知ってる。不思議だよなー。どうしてそんなことが
プログラミングされたのか。親から子へのつながりがないのに。
763417:03/06/21 10:16
「アフォ」と「認知ゲシュタルトシステム」とは同じものでしょうか。
別々の径路からたどり着いた概念なので、僕の中ではまだうまく結びつきません。
しかし、それぞれの特徴は同じだし、扱っている事象も同じだから、同じと
考えていいわけですよね。うーん。何だかぼやっとしているぞ。これは、
自分の中で今一度整理する必要があります。認知できないゲシュタルトと
アフォの関係は? アフォと言語の関係は? ホエホエ? ちょっと寝かせます。
これって、一応筋道をつけたっていうことかな。なんかミッシングリンクみたいな
ものがありますかねぇ?
764考える名無しさん:03/06/21 14:20
>>759
コスプレって、一種の擬態なんでつかw

擬態の遺伝子というのもあるわけだよね、発現しているかどうかは別として。
形態の擬態というのは、なんかすごいよね。そこには間違いなくinvariant
が絡んでるし。invariantっていうのは、「イデー」と同様の存在性格を
持ってると考えてもいいわけで。
形態の遺伝子がフラクタルというのはどこかで読んだ気がするが、これらの
つながりがいま一つ???
765417:03/06/21 14:22
invariantsだっけ。
ま、いっかぁ。(スレ汚しだな、スマソ
766417:03/06/21 23:41
「生態学的視覚論」を少し読んだんですが、叙述が回りくどくないですか。
訳に関しては、それほどひどいとまでは思わないんですが、本題に
入るのはどの辺? というか、この本の核心部分ってどこですか。
ちょっと??? 多分必要な手順と思われることを、きちんと丁寧に
踏んで書かれているのでしょうが、僕にはちょっと不満というか、う〜ん。
この人の思想って、だれかもっとおもしろく紹介している人って
いないんですか。すっごくフラストレーションがたまる。
767417:03/06/22 00:00
続き
おもしろい本であれば、英語でもいいです。この際、辞書を引き引き読んでも、
その価値はありそうな気はするんですが。
768417:03/06/22 09:37
僕は、朝起きてしばらくは、機嫌のよい日は駄洒落をぽんぽん思いつく。
これは寝ている間の頭の働きが少し残っていて、その余韻によるのだろう。
これからすると、実は僕は書き物を始めるのは多分朝が一番いいのだ。
そして、アイデアや思いつきの噴出に任せてがんがん書いて、後でゆっくり
推敲すればいいということなのかもしれない。(しかし、仕事だし(T-T)

ゲシュタルト→アフォーダンスという流れの中で、今朝いくつか思いついた
ことがある、昨夜ちょっと思い出してフッサールの「幾何学の起原」を少し
ながめたりもしたんだけど、同じもの見ていると改めて思った。そして、
これらの哲学的「対象」と、今僕が見ているものとは一連の事象なのだと
あらめて思っている。これらの事柄について、まだ明確な見通しを持てて
いないというのは本当のことで、もしカチンとはまればおもしろいことが
起きそうなのに、ちょっとまだ無理かなぁ。でも筋道は少しずつ立ってきた
ように思う。「径路」とは違う、ゲシュタルトのサブグループが相互に、
うまく重なっていないというか、これらのグループともう一つの対人関係の
ゲシュタルトのグループ、これもまだうまくいってない。もう少し時間を
置いて熟成させながら様子を見ることにする、鼻歌でも歌いながら。
769417:03/06/23 09:28
「自分を取り戻……」すれの、「客観性」の続きを書き始めたら、どんどん
膨らんで、全く終わらない。現時点で100行を超えてしまって、いつ止まるか
わからない。「絶対」について書いているんだけど、
主観と客観を再度位置づけ直したり、対象になった自分について考えたり、
いろいろしているうちに話がどんどん細かくなっていく。しかも、叙述が
ヘーゲルのようになっていく。アフォという言葉は一切使わないで、システム
という言葉も使わないで書こうとしているんだけど、終わりそうにもない。

10〜20行ぐらいですっきり言いたいんだけど、難しい。
7701:03/06/23 10:03
>>766
俺はあの甘〜い訳語選定っつーか、訳者の理解の不足が露わな翻訳に鬱ーです。
ま、確かにユング並みに回りくどいですなギブソンはw
佐々木正人はわかりやすいです。
771417:03/06/23 12:27
>>770
正直な感想ですが、書かれていることの本当の中身と、書いている人の意識が
うまく一致していないような印象を受けるんですよ。まあ、それをきちんと説明
しようとして、あのような回りくどい書きようになっているのかもしれませんが、
なんだかもったいないよなって思うでつ。佐々木さんは1冊しか読んでいないから
偉そうには言えませんが、わかりやすいけど、おもしろいかと言われれば、
おもしろくない。この内容はおもしろくないはずはないんだけど、おもしろく
ない。本当に何かおもしろい本はありませんか。
7721:03/06/23 13:32
>>771
うーむ、わかります。
多分いちばんおもしろいのは現代思想のバックンバーの
「アフォーダンスの視座」(だったかな)だと思います。

でなければ青土社の『アフォーダンス』
773417:03/06/23 13:57
>>772
「現代思想」バックナンバーは版元で売り切れ。古書を探すしかないですね。
後者はamazonでも入手可能でした。
もう一つ正直に言うと、アフォはまだほとんど手つかずの世界っていう感じも
しないでもないですね。このアクロバティックな感覚をうまく表現できれば、
それはそれで一つの新しい世界ですから。視点の移動のダイナミックスに
関しては、多分「資本論」以上におもしろいものになるに違いないと僕は感じ
ますけど。でも、ハァ、先は長い。高い山を前に気持ちがちょっとダウン気味かな。ジャーナリスティックな視点でもいいから、だれか楽しい読み物にして
くれないかな〜。刺激がほしいよォ。
774417:03/06/23 15:28
>>772
そうそう
>でなければ青土社の『アフォーダンス』
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
というのは、前者の現代思想と内容がダブっているとかいうことですか。
どちらか一方を読めばいいという意味なんでしょうか。
7751:03/06/23 16:07
>>774
根幹部分はダブってます。
776417:03/06/23 16:26
>>775
貴重な情報をありがとうございました。
777大三元:03/06/23 22:28
>>741
>境界はいつも、説明のための便宜です。
>アフォーダンスの視野には解毒作用があって、私達の慣習的な視野を解除してくれます。
>解毒されてしまえば―つまり様々な視野を行き来できるようになれば、あらためて「主観と
>客観」も便利な道具になります。
激、共感!!
解毒・・・「毒をもって毒を制す」かもしれないけど(藁)。これって弁証法だよね。
ところで、「毒をもって毒を制す」は、「自己言及」ですな。関係ないけど・・・。
・・・と見せかけて、関係大ありだけど。
「フラクタル」は自己言及的な「カタチ」と言えるな。自己増殖とか、自己複製とか、
自己創出とか。
後、フラクタル次元というのがあって、平面の上に描かれたフラクタル図形は、その複雑さによって、
2.53・・・次元とか、少数の値の次元になる。つまり、二次元と三次元の境界にある。
フラクタルは境界をつなぐ「カタチ」とも言えるな。

関係ないけど、コンヘデ杯、まあ、残念な結果ではあったが、
ヂーコサッカーは見ていて楽しい。これから先どう変わっていくのか、とても楽しみ。
アレックスをサイドバックにコンバートするとは・・・。
まさに、視点移動のダイナミクス。
778417:03/06/23 23:16
>>777
スリーセブンでつね。おめでとうごさいます。

てなことはさておいて、新しいサッカーへの取り組みは、少しずつでも
成果を見せ始めているようですね。楽しいサッカーを見たいです。

フラクタルっていうのは、
遺伝子の中にどのように組み込まれているのでしょうか。進化とは
形態の変化ですよね。この形態の変化は、その全バリエーションを可能と
する枠組を最初から? 遺伝子のなかに持っているわけですよね、コノハムシ
じゃないけど。このことの意味は、僕にはわかりませんが、
一体どういうことなんでしょう? このプロセスが目的論的にではなく理解
されるとすると、遺伝子というのはそもそも何?
779大三元:03/06/24 07:12
>>777
フラクタル次元の説明間違い、訂正。
平面上に描かれた図形は1.・・次元。平面(2次元)と線(1次元)の境界にある。
ちょっち恥ずかしい。逝ってきます。
780417:03/06/25 00:52
感覚の話
ちょっとしたエピソードなんですが、1さんは眼鏡かけてますか。僕は某月さんの
イメージどおり眼鏡かけてます。この眼鏡で長年にわたる不思議に思ってきた
ことが一つあります。
簡単に言うと、眼鏡によってテレビ画面の遠近感が違って見えるということです。
最初はレンズの度の問題だと思っていたのですが、いろいろ違う度のレンズを
使っても、度によって違うのではないのです。それで、長い間不思議に思って
いたのですが、数年前に、一番立体的に見える眼鏡のふちが壊れたので、ふち
だけを変えました。ところが、その眼鏡では立体感を感じなくなりました。
メガネ屋がレンズを交換したのかと思っていたのですが、ふと気がついたこと
がありました。それは目とレンズの関係でした。前に使っていた眼鏡は相当
古いもので、レンズフレームが上から見て横一直線のスタイルで、現在のは
顔に沿ってカーブしているタイプです。試しに、この現在の眼鏡(メタル
フレーム)を手で曲げて、一直線になるようにして見てみると、立体感が
得られます。これは、幾つかの視覚と立体感の関係が関与しているものと
思います。僕なりに仮説みたいなものはあるんですが、1さんなら、これを
どう考えますか。少し考えてみませんか。(眼鏡をかけているなら、すぐに
実験できますね)
7811:03/06/25 01:53
>>780
わかります。
眼鏡のレンズを平行に近づけることは、両眼が左右に少し回り込む動きとおなじです。
だから視差が強調されて、物体間の奥行き方向の隔たりが認知的に拡大されるわけです。
782471:03/06/25 10:23
>>781
>物体間の奥行き方向の隔たりが認知的に拡大される

というのは、正解のようにも思えますが、この効果がはっきり認知できるのは
テレビ画像だけなんです。テレビ画像には両眼視差は関係ないですよね。

>両眼が左右に少し回り込む動きとおなじ

というのは、そうだと思います。その効果は、一次的には例えば本のページが
大きく見えるという形で現れるんですね。この大きく見えるの意味は、
正確には「距離」感覚だと思うのです。同じ大きさのものが、少し遠くに
あるとすれば、それはより大きく感じられるという「水平線の月」のような
メカニズムだと。つまり、上のテレビ画像の差もこの距離感との関係で
発生しているように思えます。この目からの距離は、両眼視差というよりも、
両眼の間の距離? あるいは視線の交点の角度? これは正確にはどちらか
わかりませんが、この差異であるように思えます。いかが思われますか。
7831:03/06/25 10:36
>両眼の間の距離? あるいは視線の交点の角度?

これを脳としては視差の問題として処理する、ということだと思うのですが・・・・
つまり脳は、両眼の距離が変化する、という状況を想定しないと思いますので
784471:03/06/25 10:46
む、難しいぞ。もうちょっと細かく説明してもらえるとうれしい。
785471:03/06/25 11:57
仕事をしながら考え中、少しわかってきました。あとで書きます。
786417:03/06/25 13:34
視覚の処理系って、実におもしろいですね。
テレビの画面が視野に占める割合ではなくて、その距離感覚が対象の大きさの
知覚を左右している。そして、その知覚された大きさの微妙な差異によって、
画面の見えが変わってくる。この辺の微妙なところに閾がある。これが、
両眼視差の処理系の選択にかかわっているわけですね。こんなことでしょうか。
眼鏡の選択は大変大きな問題だということを、改めて考えてしまいますた。

って、自分のHNを間違えてますた。ハハ。
7871:03/06/25 13:46
417さんのレスが付いたところで、さっきの補足。

遠近感のクオリアって、脳が付与するエフェクトですよね。
んで、右眼像と左眼像は、ズレを修正して脳のなかでひとつの像として合成されるわけですが、
眼鏡によって修正するズレの量が変化する。そのズレのズレは視差の量として算入されるで
あろう、とまぁこういうことでした。

このへんは、ちょっと前に中途半端に話したステレオグラムの話に関わりますのう。
7881:03/06/25 13:48
>>777
大三元にこんなに共感されたのはじめて〜♪みたいなw
789417:03/06/25 17:51
>>787
>このへんは、ちょっと前に中途半端に話したステレオグラムの話に関わりますのう。
そうそう、僕もそれを感じました。感覚というのはまだまだ奥の深い世界なのだと
思います。このところ、ちょっと焦っていたみたいなので、少しペースダウン
することにします。(と言っても、頭が勝手にいろいろ考えるので、思い通り
に休めるわけではないんですが)「生態学的視覚論」は、買うことにしました。
「心の社会」もいずれ買います。全体のつながりが少しずつでも見えてくれば
いいかな〜と。
790大三元:03/06/25 22:16
網膜に写る一時的な視差については、図に描いて幾何学的に考えるとわかりやすいかも。
「対象物」と「瞳」という点(的なレンズ)までの光の通り道の距離が、網膜に写る一時的な視差になる。
対象物と瞳の間に「眼鏡」という面的なレンズを挟むことによって、光の通り道を変えて
対象物と瞳の間の光の通り道の距離が物理的に変わる。対象物の両端と瞳を結んだ直線。そして、
対象物の両端と、眼鏡の両端、瞳を結んだ直線との距離の差が、一時的な距離感の差になるはず。理論上。
・・・って言葉で説明しても伝わりにくいね。
ここに、脳の思い込みによる、二次的なエフェクトがかかるから、ややこしくなる。
ステレオグラムの場合は二次的なエフェクトを利用している。単に「面」という対象物の距離感を
錯覚させているだけだから、書き割りみたくなる。これは、元画像の作り方にもよるはずだけど。
後はじめから平面として認識している思い込みも大きいよね。
映画のスクリーンなんかは面としての思い込みが少ないから。
脳のエフェクトの極端な例は「逆さメガネ」だよね。
物が逆さに見えるメガネをつけて、一週間ぐらい生活していると、逆さに見えなくなる。その状態で
メガネを外すと、素の状態なのに逆さに見える。元にもどすのにまた時間がかかる。
(まあ、網膜自体には物理的には初めから逆さの像が写っているはずなのだが。)
自分が逆立ちして見ても、物理的に網膜の像は逆になるはずなのに、世界が逆さまになったとは認識しない。
脳の思い込みは面白いね。

>>788
めんどくさいから書かないだけで、たくさん共感してますです。
791417:03/06/25 23:51
脳のイフェクトでつか。そう言ってしまえば、脳の感じているすべては
そうだということも言えますか? その辺は???
脳の思い込みっつーのもわからない。脳は思い込んでいるんでつか?
今いちわかってないかな、おれ。
7921:03/06/26 02:30
>>791
脳のイフェクト(417さんに合わせてイフェクトでいきますw)については、認知障害の本を
読むと、417さんにはずきゅーーーん!!!!!!!というほど刺激的だと思います。

このジャンルはラマチャンドランの『脳のなかの幽霊』(角川)が白眉。
自分にとってすばらしい本が友人にとってすばらしいかどうかは、「異性の好み」みたいに
不確かですが・・・・・
この本に関しては「当たり」であることに責任持ちます。読まないと損です。

オリヴァー・サックスの『火星の人類学者』(早川書房)
ルース・キャンベル編『認知障害者の心の風景』(福村出版)
あたりも、眼からウロコ落ちまくりです。

たとえば脳は、視界のいきなりの動揺や細かい震動を素早く「ノイズリダクション」します。
頭を素早く振っても風景はぶっ飛びませんし、眼球は常に微細に複雑に震動していますが
視界は震えません。
この調整をしている部位が壊れると、行動するとき、カメラ手持ちで走る刑事を追うシーンみ
たいに、視界がガタガタになります。じっとしてても眼球の動きでくらくらします。意識して眼
球を止めてみても、間歇的な震えが常時視界を震わせるので酔ってきます。
この間歇的な震えの正体はなんと、こめかみの脈拍を拾っちゃってるんですよw

脳がいつもふつーにやってることは、ホントにすごいです。
793417:03/06/26 09:30
デジカメで言う手ブレ補正みたいなことを、脳ではもっと大規模に、精密に、
かつ多方面でやっているということですね。内容的には何も問題ないです。
でも、なにか引っかかる。不変項にひっかかっているようなものですね。
網膜から入ってくる生の情報ではあまりにも不要な情報が入り過ぎていて、
必要な情報を認知することが困難になる。そこで適宜間引いて、かつ生体の保持
に必要なスタイルに補正するということでしょうね。わかります。でつが……
何かがひっかかっている。こういうときはその正体は不明なので、エフェクト
という言葉については、暫時放置します。内容的には問題ないです。

書籍の情報については、毎度ありがとうございます。(._.)φ メモメモ
ゆっくり検討させていただきます。
794417:03/06/26 12:28
さて、この際1さんは何でもご存じのスーパー生き字引と認定して、
ちょっとお尋ねします。
仏教に唯識というのがあります。いろいろな理解のされ方があるようです。
本当は本や経典だけ読んでも理解できないような代物だとは思うんですが、
1さんは何か検討されたことはありますか。僕はあまりよく理解できなくて、
結局ほうってあるんですが、ゲシュタルト―アフォーダンスって、
これにもよく似ているなと思ってしまうところがあります。よく理解できて
いないからそう思うのかもしれませんが、いかがですか?
795417:03/06/26 13:03
ついでに、「触覚」という言葉がいろいろな意味で使われているような気がします。
そこで、触覚って何? みたいなことを少し考えてみたいんですが、解剖学的には
脳―神経系に還元されるんでしょうが、クオリアとしてはどうなんでしょう。
対象のところまで飛んで行く触覚っていうのも感じではわかるんだけど。
五感という場合の触覚というのは、視覚・聴覚・味覚・嗅覚を除く残りの感覚
全体を触覚と呼びますね。ヘーゲルの本などを見ると、ちょっと違う分類を
していたと思うんですが、(具体的には失念)ヨーロッパでは昔は五感という
とらえ方をしていなかったのかもしれません。その辺は知らないんですが、
感覚の理論の系譜学などについて何かご存じでしょうか。感覚の基体みたいな
感じだったのでしょうか。
7961:03/06/27 01:18
あ、せっかく頼りにしていただいて申し訳ありませんが、古典的なものや理論の系譜といった
ところには、ほとんど関心がないのです。
宗教思想のなかでは仏教は普遍性があると思っていますが、その言わんとするところは深遠
であるにせよ、表現じたいはすでに凡庸としか思えません。

古典的な文物で今も読むのは「荘子」くらい。

あと、現代人としての自分になんとなく付与されてしまった「自然観」から離れてみたいときには
「金枝篇」のなかの膨大な事例を適当につまみ読みします。

それ以外いわゆる「岩波文庫的文化」みたいなものとはほとんど縁がなく、417さんの期待に応
えられないようです。
797417:03/06/27 01:48
>>796
なるほど、わかりました。僕の考え方は、基本的に歴史全体を見とおしたい
という願望から出発しているところがあるので、基本的な構えに違いがある
のかもしれない。共同体と市民社会の同一性みたいな。
仏教に関しては、教養レベルの知識に興味はないんです。彼らが何を見ていたか
ということに興味があって、いろいろ読んできました。ものすごくむらのある
読み方です。僕はヨーガとかやりませんから、実践的なことは何も知らないけど、
それを通じて彼らが何を見ていたのか、何に触れていたのかということに興味が
あるんです。唯識という名のもとで、彼らが見ていたもの、それが何かという
ことは、随分前から気にしていました。でも、本を読んでもわからんのよね、
これが。だから、1さんなら何かわかるかなと思って、はい。失礼しました。
7981:03/06/27 02:12
>>797
唯識に特化したことは言えませんが、
もしも釈迦が二十世紀初頭に生きていたら「相対性理論」を発想しただろう、と思います。
色即是空と相対論の着想は「かたちから発する径路の角度」がそっくりです。

仏教的な視野を現代語で肉感的に表現しえているのはクリシュナムルティだと思います。
『クリシュナムルティの瞑想録』(サンマーク文庫)をおすすめします。
風景描写の冴えからも、「すでに見ているものがちがう」という気配が漂います。

異質なリアリティの精細な表現でもっともインパクトがあったのは、バーナデット・ロバーツ
『自己喪失の体験』(紀伊国屋書店)ですが、これは入手困難だろな。
唯識よりもずっとおもしろいけどw
7991:03/06/27 02:25
それから、他に417さんのまどろんでる着想を刺激してくれそうなのは、大三元もときどき
言及する高岡英夫です。
人物像ははっきり言ってトンデモ系ですが、ジャンルは体育哲学の人とでもいうかなー、
アフォーダンスの実践的・肉感的側面についての描写は他の追随を許しません(この人は
アフォーダンス一派とは関わりありませんが)
ただ、商売人なんで、これを読んでおけばいい主著というのがないw
武道とかスポーツの棚に行ってのぞいてみてください。
8001:03/06/27 03:28
799の「商売人」とは、
一冊読むと、もう一冊もう一冊と読まなければならないような書き方をする、
という意味です。(補足〜♪)
801大三元:03/06/27 06:49
>>798
>もしも釈迦が二十世紀初頭に生きていたら「相対性理論」を発想しただろう、と思います。
>色即是空と相対論の着想は「かたちから発する径路の角度」がそっくりです。
結局、「相対化」がポイントなんだよなー。新たなスタート地点に立たしてくれる。
アフォーダンスってのもそれまでの認識のプロセスに対するアンチテーゼになってるのでしょう。
主体と客体を相対化できる。美術史で言えば19世紀後半からの「印象派」→「抽象芸術」の流れ
が同じカタチ。印象派の美術が与えた影響はでかいよ。これがなかったらカラーテレビもなかったかも。
面白いのは、印象派の発展に東洋美術が大きく影響を与えている所だな。
「理解」、「認識」という物を相対化するのには「身体性」というのが浮かび上がって来ると思う。
「体でワカル」「まず形、型から入る」
仏教にしても、ヨーガや武術にしても、東洋にはそういうメソットがあるよね。
でも、体で理解した経験のない人にはなかなか分かってもらえないね。
「視覚」というのは体で理解する入り口として、とても入りやすいと思う。
共感を得やすい感覚なんだな。意識しやすいし。
802417:03/06/27 09:46
アインシュタインでつか? でも、言われてみればそうかも。
廣松渉は実は挫折した物理学徒で、関係の第一次性というのは、
仏教とも相対性理論とも関係ありなんだな。

僕は体を使うことは基本的に不得手だけど、中学校でほとんど間違いで
体操部に入った経験がある。とんでもない運痴だった僕は、前転、後転ぐらい
しかできないアフォだったんだが、何カ月かで少しだけできるようになった。
倒立回転がやっとだったよ。前宙もバク転もできるようにはならんかった。
それでも、少しわかったことがあるよね。あの空中感覚。あれはそれなりに
おもしろかった。あ、こんなふうに世界が見えるんだ、みたいな。

続きはまたあとで。
803417:03/06/27 12:23
昼休み〜〜〜!!
で、続きだけど、体についてもいろいろ思うことはあるです。触覚を単一の
感覚としてとらえて、他の4つの感覚器官をそれの特殊化したものと見るのも
一つの方法かなと思う――ほとんと譬え以上の意味はないけど、どうも昔の
人はそれに近い思いで感覚を理解していたのではないかと推測しているんです。

高岡秀夫、まるっきりの初耳です。さっそく図書館でも行ってみます。実は
うちは図書館はめちゃ近いんだよ。家から100mほどのところにある、分館だけど。でも、滅多に使わない。マンガ、テレビだけで相当の時間を消費するので
実は勉強する時間って、あまりない。それに最近は2ch依存が進行しているので
さらに時間がない。機械タンのおかげで量子力学の復習なんぞもさせられて、
まあ大変。でも、一生懸命勉強するよ。少しずつ頭がうまく回ってきている
という感じはするから。1さんじゃないけど、ここ10年は、僕の頭は最悪の状態
だった。何もわからない状態。考えられない、本も読めない、ああ、おれは
このまま歳くって死んでいくのかなと、ちょっぴりマジで思ったこともあるよ。
それくらい最悪の状態だったんです。それも、あの犬が死んだから。

あれ、いつのまにか全然違う話になってる。
804417:03/06/27 12:38
というわけで、感覚の話に戻るが、
身体―感覚―意識というのが、以前の僕の理解の仕方だった。
感覚のサブシステムと意識のサブシステムとが不即不離の関係にあって
しかもそれがねじれる。このねじれが人の個性を形成していると思ってた。
しかも、この感覚のサブシステムは分裂したり、内部で対立したりしていると。
しかし、言語については考えていなかった。ここは僕にとっては新しい領域
なんです。身体―感覚―言語―意識かな。これが人間的自然の内部編成?
言語については、いま一つよくわかっていない。ソシュール・デリダ?とかの
線までは本当にぼやっとした理解はあると思うけど、根本的にはわかってない
でつ。ちっとも明晰ではない。感覚―言語体系の拘束力というのは、いつも
ぼやっと意識はしているんだけど、主題として考えたことはないんです。
この、身体―感覚―言語―意識の重層的決定かな。いやー、わかりませんです。
8051:03/06/27 13:14
>>803
>>374あたりでガイシュツだったのです。高岡。
806417:03/06/27 13:26
おお、あったねぇ。覚えてないんだよね、ったく。全然結びつかない。
頭がまだバラバラな証拠でもあるね。

話は変わるけど、機械タン(わかってるかな?)関連でいうと
僕は多世界的な見方を持っています。これは、量子力学とか関係ない話で、
どちらかというとデムパ起原です。感覚自体が、多世界的な意味合いを持つ
というのが、僕のこれまたぼんやりとした思い込みの一つです。しかし、
この話題は、このスレとはまだかなり遠い話かもしれないので、単なる
思いとして触れました。

ああ、あとエリッヒ・ヤンツなんていうのも読みましたね。関係ないけど。
8071:03/06/27 13:53
>>806
わかってねーw 機械タン。鈍い俺!なんだろ?

多世界野郎はデヴィッド・ドイッチュ『世界の究極理論は存在するか』(朝日新聞社)を読むべし!
「生命の宇宙的意義」の章あたりは、俺の言語観とシンクロした非常に稀な他人の理論w

すすめてばっかりだけど、これはええ本です。

808417:03/06/27 14:09
>>807
機械タンは、哲板のスレ主です。

http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1056271159/l50

夜な夜な奇怪な(機械な)科学?哲学?談義で盛り上がっておりまつ。
哲板だから、おれも含めて科学に関しては素人ばかりで、アフォな話に
花が咲いております。笑ってやってください。

ですが、まあ、それはどうでもいいでつ。

「生態学的視覚論」と「アフォーダンス」は買いました。
しかし、あんたの勧める本を全部買ってたら、貧乏なおれの小遣いなんて
あっというまに吹っ飛ぶぜ!! こりゃ、てぇへんだぜ。もっと稼がなきゃ!
って言っても、単価安いんだよ、おれの仕事って。ふう!
809大三元:03/06/27 22:06
今更ながら、>>790
一時的→一次的、ですな。まあ、脳が補正してくれたと思うけど。

>>803
発生学的に考えれば、触覚が最も古い感覚だと思う。他の感覚は枝葉とも言える。
古い(原始的な)感覚だけに忘れてしまいがちなんだろうな。
俺の場合は、「触覚」というと「手」の意識が強いです。皮膚感覚とか、
身体感覚とかはまた別の意識な感じです。
ジェットコースターに乗った時は、「内蔵がネジレるー」とオモタよ。

人間の自意識にとって「言葉」はとても重要だと思うけど、その重要度は個人差が激しいのだね。
このスレの始めの方で「言葉で考えるという意味が分からない」という人がいた。
完全に右脳主導の思考なんだろうな。どういう育ち方したのかなーとか想像する。
ぶっちゃけ、言葉とか論理とかも感覚の一つでしかないと、俺は思う。

機械タンスレ、異様なペースで盛り上がってるよね。見ていて面白い。
けど、特別新しい考えとかは出てきてないよなーとは思う。
417さんやっぱり参加してたんだ。そーかなーとは思ってたけどw
810417:03/06/28 00:27
>>809
触覚っておもしろそうというのは前から思っているんだけど、まだうまい
手がかりがないんだよね。そのうち何かに出会うだろうと思うけど、今のところは
転がしてある感じ。要は自己感覚=対象感覚という二重性がそのまま生きている
感覚だというのが僕の理解なんだけど、展開するだけの材料がないんでつ。
アフォーダンスも一つのいい手がかりになりそうではあるんだけど、まだ
わかりません。これからでつね。

機械タンは、それなりにおもしろいんですが、それよりもいろいろな人が
いろいろな説明をする中で、ああ、これもあった、これもあったという感じで
なかなかいろいろなことを思い出すのが楽しいです。ハイゼンベルグとか
シュレーディンガーの本なんか昔読んだから、なつかすい。機械タンがいなく
なった後に盛り上がったのが一番おもしろかったな。アフォーダンスを
持ち出した人も1人だけいますたね。そんなわけで、あそこに出入りしてまつ。
811417:03/06/28 00:32
>>798
>色即是空と相対論の着想は「かたちから発する径路の角度」がそっくりです。

これねぇ、言葉で説明するのむずかしいんだろうねぇ。できませんか?
1さんの頭のなかをのぞいてみたいよ、全く。
812ガテンコ:03/06/28 03:06
初めまして。
このスレすっごく面白い。1から一気読みしてしまいました。
私は生粋のタダモノ君(=機械タン)派で、あのスレでも決定論に懐疑的な意見は、読んでもさっぱり意味がわかりません。
このスレもスレタイだけみたら、絶対に読んでなかったよ。(次元の話のリンクからきました。)
1さんすごい。どの文もすごくわかり易いです。
1さん以外の書き込みで???のものでも、それに対する1さんのレスを読むと意味がわかるし。
私は言葉では考えてない派で、実は今日の今日まで人間全般がそうだと思っていたのです。
驚きました。
私は実際にしゃべるとき、文を書くときに初めて考えを言葉にします。
というよりはむしろ、筋道立てて表明しなければいけないとき以外は、蓄積のまま放ってある。

つづく
813ガテンコ:03/06/28 03:48
私の世界観は、「物がある。意味は無い。」と「頭の中に押し込められていて、世界に直接触れることはできない。」です。(頭には身体も含まれています。自分自身は常に一体感を持っています。)
普段は“楽しい楽しいで生きていれば死ぬまで楽しい”と楽しくやっているのですが、
時々、たま〜に、もしかしたら常に、世界との関係を取り戻したいという欲求が。
自分の中を覗き込んでもなにも見当たらず、どうしたものかと。
ここに答えはないかもしれない。でもヒントはあるかもしれない。
そして、擬態や感覚の話は楽しい。
814ガテンコ:03/06/28 03:49
ごめんなさい。あげちゃった。
8151:03/06/28 03:56
いらっしゃい!ガテンコさん。
どんどん話しかけてください。
↓もいかするとこっちが、テーマに合ってるかも。いかし前スレ読まないと意味わからないかもw

自分を取り戻すことについて
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/utu/1055600982/

「微塵」が俺です。
8161:03/06/28 04:03
(このスレも次スレに移ったら、意味わからんだろなー)

「もいかすると」なんて書いちゃったw
なんかスルメイカの味がする言葉だな・・・
817417:03/06/28 09:40
アフォーダンスの対談部分だけまず読みました。
言っていることはわかるし刺激的でもあるんですが、僕の求めているものとは
ちょっと違う方向かな。しかも、それが明快でないから方向が定まらない。
やっぱ、「生態学的……」のほうをじっくり読むしかないですね。

摩擦、マイクロスリップというとらえ方はいいですね。1冊の本を読むこと、
あるいは新しい知の世界に出会うときも、最初はインタフェースが合わない
こともあります。でも、どこかに取っかかりがあるとぎくしゃくしながらで
も、それこそ身をよじらせ、くねらせながら、何とか理解しようと悪戦苦闘
しますが、これもそうですね。ヘーゲル相手に何年これを続けていることか。
言葉のアフォーダンス?

ガテンコさん、いらっしゃい。1さん(ミジンコ)は本当におもしろいですよ。
ぜひ遊んでいってください。
818ガテンコ:03/06/29 02:19
>>815>>816
自分を取り戻すことについてのスレ、行ってみました。
私の弟が、生きていくのが痛かろうとかわいそうになる程優しいので、みんなの不器用さを近しくは感じます。
私自身は自他とも肯定できるいい関係に恵まれているので抱えている問題が違う感じ。
でも意味の過剰さがすごく新鮮でした。私にとっての言葉はほぼ記号なので。「もいかすると」はただ「もいかすると」なので。
と思っているけど、自分の世界観に自分をぴったり合わせたいが為に、自分を見誤っているかも。
1さんにとっては私の発する言葉もかたちをもって感じられますか?記号でしかない発言に出会ったことはありますか?

イラク攻撃が始まる前、ブルガリアやハンガリーから来た人達にその是非を聞いてみたのです。
NATOの問題、EUの問題、難民の問題、いろいろあるので一筋縄ではいかないだろうな予想していたのですが、
みんなの答えはすごくシンプルで、「戦争には絶対反対」。
自分の「戦争反対」は戦後教育と平和ボケの賜物かもしれないのだけど検証する術がないなあ、
理想論と言われたらどう反駁すればいいのか分からないなあ、などと考えていた時だったので、
説明なく言い切っていいそれ自体が力を持っているものとして言葉が使われたことが驚きでした。

えっと、私の抱えている問題ってのがなかなか上手く表現できません。
417さんが気にしていた社会と個人と普遍性のことが気になっているのは確か。

8191:03/06/29 04:44
>>818
あちらのスレにいて思うことのひとつは、世界に対する接し方がよく似ていて、とても共感
しあえる人達のあいだでも、内面の風景はじつに様々であるということです。
ガテンコさんの言葉にも、もちろんかたちを感じます。
だからといって、今の段階で言えることはほとんどありません。
たとえば、白人の顔を見て、「ああ、このつくりはノルウェイかフィンランド、でも、眼窩の彫り
のかたちはオランダっぽいかな?」というようなことを、ある種鋭敏に察知しても、その個人
についてさして意味のあることが言えるわけではない、ということと似ています。

記号でしかない言葉に出会ったことは、もちろんあります。
たとえば朝礼でいっせいに「おはようございます!」と声を張り上げるときの、ひとりひとりの
言葉は、通常新しい情報はなにも付け加えてくれませんから(というようなことをはじめて思
いついたときを別として)。

>みんなの答えはすごくシンプルで、「戦争には絶対反対」。
自分の言葉の、自分に対するデマゴギーに鈍感な人は、自分の意見をさっさと持ちますね。
シンプルに。

820417:03/06/29 19:29
前から気にしているinvariantsに関してですが、これって観念と同じ性質を
持っています。また、フッサールの「幾何学の起原」の対象とも同じ性質を
持っています。ですから、観念の起原はヒトの感覚そのもののうちにある
と言っていいわけです。
しかし、それだけでは共通性を言っただけにすぎませんが、これが言語対象性
と結びつくことによって、invariantsという対象群の中のからidealな性質を
持つサブグループが形成されるのではないか。
このidealなサブグループは自律性を持っていて、感覚的なinvariantsから
はみ出す。というか、言語を獲得して時点で既にはみ出している、あるいは
invariantsから区別されるidealな別のグループを形成するのかもしれない。
この辺はまだよくわかりません。以上、いま一つ何を言いたいのか伝わらない
かもしれませんが、観念の起原についての初歩的な思いつきをメモしました。
これは、例のA、B、Cのゲシュルタルトシステムの区分と関係ありますね。
どうも、僕の中ではゲシュタルトというのが静態的、かつ平面的なな概念
なので、うまくアフォーダンスの動的な関係と結びつかない。
でも、そもそもinvariantsは動的なものの中の「恒常性?」だから、
相対的には静態的な側面を最初から持っているわけですね。
その辺から結びついて来るのかな? 中途半端なカキコでした。
821417:03/06/29 22:34
invariantsから例えば直線・円などの観念への変換のキーは
「よきゲシュタルト」ではないでしょうか。直線・直線に囲まれた形・円
などは直接経験に由来する観念ではありませんが、invariantsとしての
「よきゲシュタルト」は、ストレートにこの幾何学的観念の母でではないか。
経験的な円は真円ではありえませんが、網膜像からinvariantsを抽出する
プロセスは、観念的に真円を抽象するプロセスとパラレルのような気が
します。「イデー」ですね。名前を与えることによって、そのような作用が
起きるのでしょうか。現象学的還元が見出したものは、このような対象性
だと思います。
822417:03/06/29 22:40
ここ数日、頭がぐらぐらしていまつ。機械タンのおかげでもあり、寝不足のせい
でもありまつ。精神的・感情的に動揺が激しくて、うまくコンセントレーションが
できません。かろうじて、上のようなことを思いつきました。これが鍵になるのか
どうかは、まだわかりません。
8231:03/06/30 10:11
>>822
ごくろうさまです。
機械タンのところちょっと読んでみました・・・・・・
「言葉尻をとらえるやつ」「揚げ足をとるやつ」「定義しないと話ができないやつ」
「名前や用語を挙げてガイシュツ!で片付けるやつ」
この手が跳梁しはじめると、議論が深まらないねぇ・・・・・・はぁ・・
824417:03/06/30 11:06
ゲシュタルトとアフォーダンスの間をつなぐ
立体的、かつ動的な「ゲシュタルト」を直接に意味する言葉と
その例(ルービンの壺みたいなもの)は何かありませんか。
話が早くなりそうなので、求めまつ。
8251:03/06/30 11:45
>>824
『心の社会』のなかのインタラクションかな。
巻末用語集のインタラクションとゲシュタルトの項目をさらっとのぞいてください。
ルービンの壷のように「心の態勢」が「対象」を左右する状況を認知科学では
「アスペクト」とか「アスペクト知覚」と言います。
『認知哲学』(産業図書)にまとまった記述があったような気がする。
(この本の「顔認知」に関する章は有益な情報に満ちていたなぁ)
826417:03/06/30 12:03
インタラクション、言葉としては悪くないような気がします。
「心の社会」は読みきれないまま図書館に返してしまったので、
また借りるか、買うか、決めねば! 
借りるのは期間が短いので不向きな本ですね。手元に置いておくしかないか。

ついでですが、機械タンの説明が具体化してきたら少し面白くなりそうで、
ちょっぴり期待していまつ。
8271:03/06/30 12:05
たとえば、CDのポートレイトでルックスがびん!でジャケ買いして、その後別の写真見ると
イメージかなりちがってて???となり、三枚目の写真で、かなり実像にアジャストして、一
枚目と二枚目も違和感なくつながったりする。
この辺、それぞれの写真のあいだにあるアスペクトのインタラクションですよね。

828417:03/06/30 12:30
フーン、その辺、わかったような、わからんような。イマイチつながらない感じ。
で、「のほほんイイ!」で言ってる「わかんねー」というのは、
何番のことでつか?
8291:03/06/30 12:45
>>828
820〜821です。論旨の運びがどうもスルっときません。
でもってなにが伝わってないのかよくわからないw

写真の例イマイチでしたかw
しまったな〜。
(私的には、この例え話を思い付いたときには、決定的に視野が拓けました。非常に
思い入れのある例え話です)
830641:03/06/30 13:12
>>829
なるほど、そういうことでつか。うん、あれには論旨などというものはないね。
ただ単に頭に浮かんだものをそのまま字にしただけだし、論理的に考えている
というよりも、連想ゲームですから。
あれを論理的に展開できるかどうかというのは、実はまだ試していないので、
わかりません。しかも連想の間に何かが抜けている可能性もまだあり。
でも、近いうちにチャレンジできるかもしれません。

写真の件は、多分僕が聞いているとこと、それを受けとった1さんの理解の間に
ずれがあって、その結果だと思いまつ。これも改めてもう一度書きまつ。
831417:03/06/30 13:29
上の641はもちろん417のまちがいでつ
832大三元:03/06/30 22:35
自分の意識の経験で面白いことを思い出した。
大学の時、体育で選択したサッカーの時間の事・・・。
ドリブルしてきた相手に対してオイラはディフェンスに入ったのです。
その時にオイラはわざと隙を作って、相手を誘う罠を張ったのでした。
相手はその誘いに乗って、完璧に予想通りのコースを予想通りのタイミングで
抜きに来たのでした。
その時のオイラの思考は言語ではない高速の思考で、
「へっへっへ、まんまと引っ掛かったな!」
と、勝ち誇ってました。なんせ、あまりにも予想通りだったので。
しかし、次の瞬間オイラは見事に抜かれていました。
眼と思考では完璧にボールと相手を捉えていたのに、あるべきはずの所に
自分の足はありませんでした。
「あれ???なんで??どうした俺の体よ!!」とオモタ。
オイラの脳は、自分の体が、高校の時、毎日サッカーをやっていた頃と同じように
動くと思いこんでいたのでした。しかし実際の体は完璧運動不足。
脳が、これぐらい動けるはずだと判断(反応)して体に指令を出しても、
体がついてこないのでした(笑)
衰えてしまった自分の体力にショックを覚えた一方で、意識的には新鮮な体験だった。
自分の脳の思い込みを強烈に体験できたから。
833大三元:03/06/30 22:35
>>ガテンコさん
おお、また言葉で考えない派の方が現れた。言葉で考えない派の方に、
言葉で考える派の回りくどい哲学は理解しがたいかもしれないですね。
アインシュタインも言葉で考えなかったらしいし、決定論信者だったみたい。

失礼ですが、模イカすると、ガテンコさんは「天然」とか周りから言われることは
おありでしょうか?周りと話咬み合いますか?
よろしければお聞かせ下さい。
834417:03/07/01 00:16
機械タン経由で「感覚的クオリア」と「志向的クオリア」という区別があることを知りまつた。
くぐってみると、茂木さんの「脳とクオリア」の新版が準備中とのことで、これは期待しましょう。
機械たんは、この志向的クオリアとフッサールの「還元」の結果見出されるものとが同じものであると
主張していますが、法螺でもない感じ。おもしろい人でつ。
道具立ては順々に出そろってきた感じがしまつ。
835ガテンコ:03/07/01 01:51
>>819
んー。言われてみれば、「戦争には絶対反対」だから、言い切れるバックグラウンドがあるんだな、羨ましいなとも思ったりしたけど、
こないだテレビで自説を堂々と述べる亀井静香を見てめちゃめちゃ腹が立ちましたわ。

>>820>>821
同じ説明でも“指示的表象が初期感覚皮質を発火させるとイメージが生まれる”などというほうにグッときてしまうのです。
でも、417さんが「よきゲシュタルト」の「よき」という言葉をあえて採用する動機というか指向性がすごく気になるところ。

>>832
すごい。そんなことあるのですね。ふえ〜。
そういえば脳が出す信号を間違え、縮めるべきでない筋肉を縮めその予期しない動きで肉離れになることもあるらしいですね。
>>833
何故…?しょっちゅう言われます。とんでもないところに話が飛ぶとも。
でも、ひとそれぞれ発想が違うのはあたり前と思ってたけど、なにかあるのですか?根拠が?

836考える名無しさん:03/07/01 02:04
>>835
>“指示的表象が初期感覚皮質を発火させるとイメージが生まれる”などというほうにグッときてしまうのです。
こういう感覚は僕にはわかりません。そのうち、僕がグッとくるような記述を思い出したら、披露しまつ。

「よきゲシュタルト」は単なる術語です。より単純な形に収れんする傾向があるというぐらいの意味だったか。
ちょっと忘れちゃいましたが、何か神経系の「経済原理」みたいな話だったかと。「よき」に特別の含意は
なかったと記憶しています。
837ガテンコ:03/07/01 02:05
>>834
たぶんそれっすー。
初期感覚皮質とその周辺とそこで起きる出来事ひっくるめてたぶん「感覚的クオリア」と、
指示的表象とそれが引き起こす動きをひっくるめてたぶん「志向的クオリア」と言っているのでは
ないかと。私もクオリア初心者なので推測ですが。
838417:03/07/01 02:07
ageまつた、スマソ。忘れるんだよね、ほかのスレに書き込んだことを。
839417:03/07/01 02:14
>>838
そういう話も、ここでしていいみたいです。
僕も勉強中ですので、いろいろ楽しく話ができればいいでつね。
840ガテンコ:03/07/01 02:24
>>836
「よき」は深読みでしたか。ちゃんとした相互理解って難しいですね。
私自身が“よい”とか“悪い”とかの価値判断に通じる言葉はあまり使わないので、使う場合はあえてなんだろうと勝手に思ってしまったみたいです。
あと、最近、数学で世の中が上手に説明できるのは(プラトン的な)絶対的な数学的真理の世界があるからだという数理物理学者さんの本を読んだせいもありますね。
物理学者にも「観念論者」はいるのです。
841417:03/07/01 02:32
>>840
結局ゲシュタルト心理学の発見と、言語と、アフォーダンスの組み合わせで
そういった「理念」的なものの成立が説けそうだねということを、820、821
では、思いつき的に述べていたわけです。まさに問題はそれ「イデー」そのものです。

今日は脳内疲労物質の蓄積と、明日のルーチンワークのために、これから電気羊の夢を見まつので、お休みなさい。また、よろしく。
8421:03/07/01 09:37
>>ガテンコさん
250
あまりにも早く発達したために隣人に出会うことがなかった文明の遺跡を、
あまりにも遅く発生したために隣人に出会うことがなかった文明が発見する。
あまりにも多くの、文明の遺構ばかりを見てきたために彼らは、それを自然現象としか
思わない。
物理法則というものは、あまりにも気まぐれで行き当たりばったりで、ちょくちょく変わる
ものであるなあと思っている。


これはときどきぼくが日記に書いている短い物語たちのひとつです。
「異文明」という概念をなぜか持ち得なかった知性体が、異文明の遺構に出会ったとします。
仮に彼らが完璧な物理学を持っていたとしても、その遺構については「イレギュラーな事象」
として扱うしかないでしょう。

「情報の作用」あるいは「翻訳」という事態が介在してしまえば、その事象の説明は少なくとも
ひとつの宇宙の内部では完結しません。
なぜなら、「まったく同一の物理化学的現象」には、いつでも「まったくちがう情報」を担わせる
ことができ、情報は物理に作用することができるからです。情報→物理の作用は物理の側か
ら遡ることはできません。
843大三元:03/07/01 21:11
>>835
>何故…?しょっちゅう言われます。とんでもないところに話が飛ぶとも。
>でも、ひとそれぞれ発想が違うのはあたり前と思ってたけど、なにかあるのですか?根拠が?
ヤパーリw
根拠はありますよ。言語思考をしないということは、右脳主導の思考ということです。
脳の使い方、思考の仕方にはかなりの個人差があるみたいです。
あなたが当たり前のようにやっている非言語的思考ができない、想像すらできない人も
たくさんいます。「天然」に考えること、「話が飛ぶ」ことも右脳の特徴の一つです。
これはあなたの能力です。これが出来ない人は一つの考えに縛られて、煮詰まってしまいます。
例えば>>813であなたが、
>私の世界観は、「物がある。意味は無い。」と「頭の中に押し込められていて、
>世界に直接触れることはできない。」です。
と言いましたが、前者は客観、後者は主観ですね。感覚的に二つをすんなり受け入れているみたいですが、
これが出来ない人がたくさんいます。どちらか一つにこだわってしまったり、
二つを無理矢理一つにしようとして矛盾してしまうのです。
そういう人はあなたが当たり前のようにやっている、脳の使い方ができないのです。
右脳と左脳の性質について興味があるなら、「自分を取り戻す〜」スレの70で紹介している本を
お勧めします。コテが違うけど私です。
844大三元:03/07/01 22:03
相対性理論の世界観に依るなら、時間と空間は相対的、絶対時間、絶対空間は
ない(確認できない)のだから、時系列的な因果関係も絶対ではなくなると思う。
意味の時系列的関係と、空間的、距離的関係は相対的になる。
結局、「左脳と右脳のどちらで処理するか」になってくると思うのだが・・・。
分割脳患者の臨床で、右脳と左脳が同時に、別々に情報を処理、記憶していることは
明らかなので、当然一つの刺激に対して、二つの(左脳と右脳)感覚的、志向的クオリアが
生まれることになると思うのだが。
つーか、クオリアって何?・・・みたいな。
つーか、「クオリア」のクオリアが人それぞれという罠。

さて、相対性理論は、光速度が不変という観測結果から導き出されたわけだが、
光速度だけは絶対なわけだ。
「一番速い物」を基準に演繹されたってのは、何やら示唆的だね。。。

>>827
喩えは何となくワカルが、オイラはCDをジャケ買いすることなどないので
共感できません(藁)
845417:03/07/01 22:20
>824 :417 :03/06/30 11:06
ゲシュタルトとアフォーダンスの間をつなぐ
立体的、かつ動的な「ゲシュタルト」を直接に意味する言葉と
その例(ルービンの壺みたいなもの)は何かありませんか。
  話が早くなりそうなので、求めまつ。

この質問をもう少し丁寧に書いてみまつ。

ゲシュタルトとアフォーダンスは、同じものを見ていますが、後者の方が動的かつ相関的であるという意味で、
視野も射程も桁違いに広まり深まったと言えると思いまつ。しかし、前述のように、ぼくのゲシュタルト理解は、
初期的な概念の導入の仕方に規定されてされているようで、どうしても平面的なイメージがつきまといます。
そこで、ゲシュタルト概念におけるルービンの壺(この例が適切でなかったようでつ)、あるいは
単なる図と地の図例にあたるような立体的かつ動的なゲシュタルトのシンプルで直観的に理解できる
例(図解など)はありませんか。さらには、この意味でゲシュタルトの概念を拡張しつつ、その立体的、
かつ動的な側面をうまく表現しているような概念はありませんでしょうか。アフォーダンスについては
どうもいま一つイメージ的にスパッと頭になじまないような感じで、1さん的に言えば、ゲシュタルトから
アフォーダンスへの経路が開けないというか、つながらないというか、そういう印象があります。
何かありましたら、一つご教示願いたいと思いまつ。
846ガテンコ:03/07/01 23:24
>>1さん
大三元さんがツモのみさんと知って、『あ〜、「ツモのみ」ってそういう意味か〜』と気付くのは、アスペクトのインストラクションでしょうか?
心の態勢によっては、両スレを見た時点で同一人物だと気付く人もいるのでしょうね。
>>842については留保。心にストックしておきます。

>>大三元さん
でも、私はよく聞く右脳型の特徴を全く持ち合わせていませんよ。
左手はほとんど役に立たないぐらい不自由ですし、芸術分野の素養も皆無です。
思考の時だけ右脳主導なのでしょうか?お勧めの本探してみます。
8471:03/07/02 04:45
>>846
ガテンコさんの誤記で感応したりして。

そうなんだよ。インタラクションしたときインストラクションするんだよね。
しばらく男として付き合ってたコテが、ふとした言い回しで女だと気付いて、次の瞬間
意識で捕捉しきれない多面的な「腑に落ちた感」が起こる。
人物像が変形ロボみたいに、おなじパーツでちがうフォームに組み上がり、
それ以後、過去ログをたどってももはや、以前のアスペクトで読めなくなる、みたいな。
848考える名無しさん:03/07/02 09:58
一つ思い出がある
以前パソ通で知り合ったある女性に恋したことがある
しかし、ほどなくその女性が実はネカマであることを知った
たちまちその恋は消えたのだが
恋心は変な具合に宙に浮いていた
その女は実在しないのだから
恋心も妙なものには違いない
実はその恋心が不思議と心地よかった
女が消えた後も
いくばくかの間その余韻の中に包まれて・・・

さて、この恋心とは何
849147:03/07/02 14:03

これを志向性クオリアといいます(w
850147:03/07/02 23:58
ついでに、誤解している人は多分いないと思うけど、848は「かんがえちゅ。」でつ。
851ガテンコ:03/07/03 00:22
>>847
恥。
>>850
???。848さん=考え中さん=147さん?
で、ある女性=1さん?
852147:03/07/03 00:41
えっ、僕が1さんに恋したって? そりゃない。
848のエピソードは軽く10年以上前の話でつよ。まだ通信の世界そのものがが怖くて、酒の勢いを借りなければ、
掲示板に書きんだり、チャットしたりすることもできなかった、そんな時代の酔っぱらいのエピソードです。
僕はこのスレで1さんと初めて知り合いました、れっきとした♂(だよね?)としての1さんとでつ。
853大三元:03/07/03 01:00
>>846
どんな人でも右脳と左脳の両方を使っているわけで、ただ思考の時の主導権がどちらかという話です。
脳力の高さはまた別な話。左脳主導でも、右脳主導の人より右脳を使いこなしている人もいるわけで。
左手が上手く使えないのは、細かく正確な仕事は左脳の得意分野だからです。右脳の基本は大雑把。
テレビゲームのジョイスティックやパッドがすべて、レバー(十字キー)左、ボタン右で統一されているのは
理に適っていますね。左手はレバーの空間的操作、右手はボタンのオン、オフのみの正確性に向いてます。
ゲーセンで極まれに、両手を交差して操作している人を見かける。おそらく左脳と右脳の働きが逆の人だな。

417と471と147は同一人物としてインタラクションしてもよいのだろーか??(笑
>>848
複雑なコンピュータの見る「夢」らしいですよ。脳の中の快感物質がどーたらとか・・・。
βエンドルフィンとかかな?ドーパミン?
854417:03/07/03 01:24
>>853
ああ、混乱しているな。もう何も考えていないっつーことがよーくわかる。
でも、酔ってるつーわけではないんよ。最近は酒はほとんど飲んでないので。
酒を飲まないでも酔ってるようなもんでつが。

>複雑なコンピュータの見る「夢」らしいですよ。脳の中の快感物質がどーたらとか・・・。
>βエンドルフィンとかかな?ドーパミン?

ふんふん、そんな物質の話がありましたね。忘れてまつが、構造が麻薬とよく似ていて、脳内で同じような
作用をするという話を思い出しますた。

結局、そういうことなのかな? まあ、志向性クオリアのやることでつからw
855417:03/07/03 19:47
クオリア、クオリアと言っているけれども、
結局それが何なんだかわからない。
1さんは、何だとおもってる?
像とか言ってたよね。その像って何?
ぐるぐるループして、目が回ってきまつた。
8561:03/07/03 23:26
クオリアかー
私は知覚情報に「たとえば性」を付加する機能だと思います。
つまり「比喩」のためのタグ。
想起も連想も広義の比喩だと思います。
比喩が蓄積され共有されていくと
比喩の比喩という階層性・重層性が詩情を生みますな。
詩情なんてものがあるのは、世界をエンターテインメントとして見せるためでしょう。
世界をエンターテインメントとして見せるのは、知性に対する飴でしょうか。

クオリアがないと「比喩」なんかする気にならんもんね。
そう思って、あらためてあたりのクオリアを眺めると、別のものにたとえられようとして
ウズウズしてるのがわかります・・・・・・・・よね?w
857417:03/07/04 00:12
>>856
「比喩の比喩という階層性・重層性・・・・・・」
あっ、いかん。本格的に目が回ってきた。グルグルグルグル…………パタン
8581:03/07/04 00:33
>>857
あ、すいません。
階層性とはたとえば、「海」が「母」にたとえられ、定着した「母なる海」が別のものを
たとえたり、たとえられたりすることです。

重層性とはたとえば、「血」と言ったときに、すでにこの言葉に分かちがたくまとわり
ついて、言葉の背後にほの見える複数の相異なる比喩たちのことです。
859417:03/07/04 15:19
>>858
正直に言いますが、1さんの答えが全然わかりませんw
僕の問いは「クオリア」とはそもそも何者かという問いです。
これは、もしかすると答えのない問いなのかもしれませんが、
「質感」とか訳されるこのものは、一体何? という素朴な質問です。
1さんの答えは、僕の期待している答えはと全然違うので、理解に苦しみますたw
そこで、1さんは僕の問いをどのように理解されたのか、そこから説明していただけませんか。
僕の問いと1さんの答えがどのようにつながっているのか、全然理解できないんです。??? ホントダヨ
8601:03/07/04 15:31
>>859
あいたたた・・・・

私の場合、「知覚」のかたちを「たとえば」の毛で被うと「クオリア」なんですけど・・・
弱ったね、伝わらないよねふつうw
8611:03/07/04 15:49
>>859
つまり、おぼろな引用性によって概念や記憶を多元的に連接し検索する機能>クオリア
言い換えれば、事象が備える「詩」のアフォーダンスかな。
脳容量の増大は「詩情」を知覚できるようになったことで促進されたと思います。
(ますますわけわからん?)
862417:03/07/04 17:32
なるほど、これだけ言語の使い方が違うと、笑うしかないでつね。
すこしわかったのは、やっぱり僕の思考は抽象性へと向かうということです。
あらゆる形容詞や述語をはぎ取ったあとに残る something を僕は見ようとしているようでつ。
クオリア it self と。
哲学的にいうと「実体」なのかな? 一たん抽象した上で関係を見ようとする。
だから、逆に関係そのものが見えないのかもしれないでつね。
1さんは常に言葉、観念をその形、つながりにおいて、指差的・比喩的な相関において見ていると。
そこが違うんだということを、改めて感心しながら確認しますた。指向の違いということでは済まないかな?
今一度少し考えてみまつ。(ホリュウ…
863417:03/07/04 17:42
しかし、元来観念は関係を自体の内部に含んでいるし、ていうか概念って関係そのものだよね。
そうすると、ブツブツ・・・(ホリュウ
8641:03/07/04 17:52
>>862
俺はなにを考えるにしてもいつも、接するための対象として、行動や生態を捉えようとする
のです。
動物や友人との距離や関係や付き合い方を考えるのとおなじです。
なにもかもが動的で「変化しつつあるもの」です。
観ている自分も同様に。
8651:03/07/04 17:54
そしてなんのために考えるかというと、付き合いを円滑にするための予測可能性を
得るためです。
8661:03/07/04 18:06
言い換えれば、どんな概念を相手にしても、捉えたく思うのは、対象の内面の「生活実感」
への共感と「欲望」の理解です。
これは度を越した擬人化と受け取られるかも知れませんが、超広義の「生命」の営みとして
対象と接するということの、苦し紛れの比喩です。
867417:03/07/04 18:34
>対象の内面の「生活実感」への共感と「欲望」の理解です。

ベクトルは逆だけど、ほぼ同じことを考えているんだなと思います。
それを説明するのはちょっと難しいけど、1さんの他者に対する対応には
いつも共感を感じています。僕は、それを具体的な言葉で表現するのは苦手で
きちんと表現しようとすると、抽象的・概念的な表現に陥ってしまう
でも、僕の考え方のベースになっているのは「共感」ですから、
共感には、相手をありのままに受け入れるという意味が含まれていると
思っています。それができるかできないかは、自分の状態に左右されると。
(晩飯を食いにでるので、続きは後で書くよ〜〜〜ん)
868417:03/07/04 20:42
続きです
>これは度を越した擬人化と受け取られるかも知れませんが

これも逆なんですね。僕は全部システム論的な記述に還元したくなります。
でもその果ては同じ。例えばピアジェの発生的認識論で言う認識の発達段階
の生気論段階についての理論を、ストレートに歴史に適用してしまう。そして、
その段階の認識は決して近代的な世界観に対して、前近代的な認識として愚昧な
認識だとは思わない。(結局こういう話になるのが僕です)それは、同時に現実に
生きている僕たちについても、同じなのだというとこになります。迂遠ですが、
話は通じてますか? これって文法の違い? 国語の違い?

少しアルコールが入ってるので、頭の回転がホホーンとしてまつ。
869417:03/07/04 21:11
867、868
は、全然言いたいことが言えてません。この辺の話は、僕自身としてはとても
パーソナルな話になってしまって、2chでは書きづらいことです。全部、生の話
になってしまうっていうか。難しいね。でも、少し落ちついたら、また何か
書けるかもしれません。
870ガコテン:03/07/04 21:45
>>大三元さん
「大雑把」って私のミドルネームです!!!
そうか。大雑把な性格っていうのは、そもそもは思考が大雑把なのですね。

>>417さん
神経学者、神経科医のアントニオ・R・ダマシオ著の「無意識の脳、自己意識の脳」講談社から、クオリアについての記述を抜粋しますね。
神経生物学的視点から言えば、この最初の問題(われわれがどうやって「脳の中の映画」を手にするか)を解くことは、
脳がどのようにして神経細胞の回路の中にニューラルパターンをつくり、それらを明確な心的パターンに変え、イメージというもっとも高度な生物学的現象を生み出すかを見いだすことだ。
この問題を解くには必然的に「クオリア」[qualia]という哲学的問題に目を向けることを求められる。
クオリアとは、たとえば空の青さやチェロが生み出す音色などに見出される単純な感覚質であり、先の映画のメタファーにおけるイメージの基本要素はクオリアでできている。
こうした質は最終的には神経生物学的に説明されると思うが、現時点ではその神経生物学的説明は不完全で、説明にギャップがある。

余計わかんなくなっちゃったよー。クオリアなにー???!!!
空の青さやチェロの音色であって、「色」「音」とは言ってないから、ほのみえるものを内包している感覚質ということか?
すると、1さんのクオリア理解はいいせんいってる。ちょっと行き過ぎてる?
ダマシオさんのクオリアはじっとしているけど、1さんのクオリアはうごめいてる気がします。次の層にまではみだしていってる感じ。

864 :1 :03/07/04 17:52
>>862
俺はなにを考えるにしてもいつも、接するための対象として、行動や生態を捉えようとする
のです。
動物や友人との距離や関係や付き合い方を考えるのとおなじです。
なにもかもが動的で「変化しつつあるもの」です。
観ている自分も同様に。

あ、納得。



871ガコテン:03/07/04 21:56
あ、でも
「たとえば空の青さやチェロが生み出す音色などに見出される単純な感覚質であり、」単純な感覚質かー。んー。
哲学的問題かー。
留保。
872417:03/07/04 23:15
>>870
結局哲学的な問題に行きつく。でも、そこで哲学に転びたくないというのが、
この問題に対する僕のスタンスです。だから、単細胞生物の原感覚にこだわったり
する。でも、そこでもやっぱり哲学的問題なのかな? ホリュウ…
873417:03/07/04 23:25
ついでに、クオリアは動くものです。静止しているものは、言語由来の抽象されたイデーでつ。これをつなぐものがアフォーダンス? まだ不明でつ。
874417:03/07/04 23:39
ゲシュタルトとイデー(観念と訳すのが正しいでつかね?)は別のものです。
しかも、イデーと言語化されたゲシュタルトも厳密には同じじゃないように
思える。そして言語化されていないゲシュタルトもある。
これらも重層的・階層的……、
わけがわかりません。
ゲシュタルトの総体=クオリア? もっとわけがわかりません。
875大三元:03/07/05 10:47
>>870
ダマシオの説明は「クオリア」のイデーって感じがするなぁ。俺の理解と同じ感じがする。
1のは「クオリア」のクオリアって感じがする。でも、俺のとは違う感じ。
自分でも言っているけど「詩的」なにほひがする。
>ダマシオさんのクオリアはじっとしているけど、
>1さんのクオリアはうごめいてる気がします。次の層にまではみだしていってる感じ。
この感覚は俺と近いかも。1の言う「タグ」は俺的には「(違う相に?)はみ出したクオリア」って感じ。
箪笥からはみ出たシャツみたいな。
機械タンスレのAAのクオリアタンがかわいい。ああいうセンスはすごくスキ。
あれも「クオリア」の(志向的?)クオリアだと思う。
・・・という俺のクオリア感。
876大三元:03/07/05 10:49
100ピクセルと100メガピクセルの解像度のデジカメで写した写真では、同じ物を撮った
写真でも当然違って見える。100ピクセルの写真は、色の違う四角が100個集まった「抽象的」な
画像にしか見えないだろう。100メガピクセルあればきちんと「具象的」な物が写った写真に見えるだろう。
しかし、100ピクセルの解像度しかないカメラ自身にとっては100ピクセルの写真が「具象的」なわけで。

何が言いたいかというと、今まで自分が「具象的」だと思っていた物が、感覚の「解像度(感度)」
が上がると「抽象的」に見えてくる、ということ。そして、自分の感覚の「解像度が上がるという性質」は
環境が「アフォード」してくれる物であるということ。環境によっては逆に下がってしまうこともある。
一度高い解像度を手に入れれば、目的に応じて適切な解像度に合わせる(下げる)ことも可能。

で、さらに何が言いたいかというと、
今まで具象的と思いこんでいた物が抽象的と思えるようになると・・・見方が広がる。
「実在論」と「観念論」も同じカタチかも。
877417:03/07/05 11:09
>>876
>「実在論」と「観念論」も同じカタチかも。
これ、多分正解だと思うんです。人のものの見方というのは、実は被決定であるというのが僕の信念の一つで、
「見え」の違いに過ぎないと思うんです。しかし、外側から「お前の見方は被決定だよ」ということに
何か意味があるわけではない。むしろ、自分がそれぞれの「見え」に内在することを通じてのみ、
それらを包含する新しい見方に到達できると。ここの眼目は「正しい見え」があらかじめ存在している
わけではないということ! それを前提することはできないということ!
ここではだれも超越的な立場にはいないということでつね。これを弁証法という言葉に置き直したくなるかも
しれないけど、それはやめて具体的に進む方がベターだと想いまつ。
878417:03/07/05 12:35
>>876
>感覚の「解像度(感度)」が上がると「抽象的」に見えてくる

これもわかります。
感覚の解像度というのは、でも実は言語の解像度だったりしませんか。
人における感覚と言語の問題というのは、まだまだ奥深い気がします。人間の世界の分節・分凝の仕方は、
言語的にあらかじめ規定されている(アプリオリ?)ように見えるということがあって、
それが人間の特質のような気もします。イデーというのは、それを表現しているような気がするでつ。
でも、イデーそのものが生得的なわけはない。イデーを受容することによって人間になるように
脳ができているというか、その構造はアプリオリなのだと……。そして、ヒトが人間になる過程とは、
まさに人間社会の構造を受容することであるし、それはゲシュタルトの志向性を言語化することに
ひとしいという気がする。
(イデーとは、観念的に純化された言語ゲシュタルトであると一応言っときます。)まだまだ分解能が足りないかもしれません(w
879417:03/07/05 12:41
えらい勢いでスレが伸びてまつが、もう少しでつね。1さん、次のスレをどうするか、もちろん考えてますね?

どうも、1ステップ分解能が上がるためには、頭が変になるというプロセスが不可避ですね。
言葉がやってくるまでは、集中している対象そのものが見えていない状態が続くわけで、上の空の上の空状態?
「わかんない、おれ」状態。
その限りで、例えばクオリアという言葉は、つなぎとしては便利なのかな? それだけではないと思うけど。
8801:03/07/05 14:08
>>879
えらい勢いで伸ばしてるのは誰?w
次のスレ?行くしかないでしょう!

上の空というのは外部への容量も内面に転用されている状態でしょうか。
だとすれば、上の空の上の空は別の外部への径路でしょう。

言葉は適当に使いましょう。議論が進む限りは。
定義とは下すものではなく、収まるところに収まるものだと思うし。
課題の「クオリア」にしても。

881ガンテコ:03/07/05 18:08
>>1さん
哲学板でその提案はすごい。しなやかですね。
(その提案→言葉は適当に使いましょう。)
定義することってある意味切り捨てですものね。
論を構築する為に定義を重ねて、できあがったものが現実とかけ離れてしまってはモトモコもない。
自分の表現したいことを表現できて、相手に伝わるように語れる言葉を見つけることができなくて、よく既存の定義に頼ってしまいますけど。
882417:03/07/05 18:59
哲学的な概念の取り扱いってうるさくて嫌いだよ。
昨夜も機械たんスレに「表象」という言葉にこだわるやつとか、
クオリアが非科学的だとか言って絡んでくるやつとか、
変なやつがイパーイ出てきて、いやな雰囲気だったね。
もう少しおおらかにやりたい。
もちろん1さんの提案は大歓迎。
883417:03/07/05 22:27
で、今日は極端に眠いので、お昼過ぎにはねまつ。
機械タンスレにも、今日は誘惑されません。
脳内疲労物質が蓄積して、ベッドが(布団が)おれを呼んでいる。
早く寝ろとささやき×。つのだ☆ひろ……( ̄□ ̄;)!!いやだぁあっ!
884417:03/07/06 09:57
おはようございます。あまり気持ちよく目覚めませんでしたが
睡眠時間を1.5hの倍数にするというのは、考えるほど簡単ではないですね
885ガテコン:03/07/06 16:31
>>848
にちゃんとレスしてなかったな〜と思い。
体験的に、恋は偶然と勘違いと思い込みの為せる業だと。
ポイントは勘違いと思い込みがループになってて、相手の実態を無視して盛り上がるところ。
この過程で脳内麻薬がたれながされるのでわ?
そういう意味で、417=471=147さんの恋はしごくまっとうな恋であったと思うのです。
彼女がネカマさんだと分かったとき、恋心の中の彼女は実体から切り離されたので、幻滅を感じることもなく
幸せなイメージが残ったのではないかと推測するのでございます。
H.ヘッセの「デミアン」がイメージとして浮かんできたのですが、どんな話だったかも思い出せずほったらかし。
自分でも捜しますが、すぐに思い出せる方おられたら示唆を。
886417:03/07/06 17:39
>>885
それは多分正当な解釈だとおもいます。
そして、そのあとに残った恋心のことを
「志向性クオリア」
っつうわけです。

>恋は偶然と勘違いと思い込みの為せる業だと。
これは一義的には言い切れない思います。相手自身にも多面性があるので
恋は「好意的解釈」によって、本人ですら気づかない美を見出すことがあります。
また「錯覚」から始まっても、関係の中ではそれが「本当」のことに転化する
こともあります。
結構いろいろあると思います……
887417:03/07/06 17:48
今やっと気づきました。(鈍い?)
ガテンコ→ガンテコ→ガテコンって
これは417=471=147のパロディでつか?
888テンガコ:03/07/06 18:37
ええ。同一人物とみなされる限界を探ろうと思って。
(私も大三元さんの指摘まで気がつきませんでした。)
889大三元:03/07/06 19:10
>>878
>感覚の解像度というのは、でも実は言語の解像度だったりしませんか。
オイラは言語というのも、左脳の特化した感覚の一つだと思っている。
この感覚も個人差が激しいなぁと思う。個人差だけでなく世代、時代(時間)によっても、
場所、地域、国(空間)によっても違う。
違う言葉を「翻訳」しても、感覚まで置換するのは難しい作業だと思う。
そういった意味でも「定義」というのは荒技だよなぁ、と思う。
言葉の感覚の感覚の解像度の荒い人は、「定義」の「無理矢理感」に無自覚で話しにくいね。
でも、この荒技を発明した人は大した物だなぁと思う。

>人間の世界の分節・分凝の仕方は、
「分化、深化の仕方」の「性質」こそ「フラクタル」だね。フラクタルは人間や生物に限ったカタチ
ではなく、ありとあらゆる自然のカタチの中に潜んでいる。「枝分かれ」は典型的なフラクタル。
人間の血管も、植物の葉脈も、同じ様な枝分かれをしている。それだけでなく、川の流れにも
稲妻にも同じ様な枝分かれが在る。物理現象自体がそういう性質を持っていると言える。
生物の形態は遺伝子だけでなく環境に大きく影響される。同じ遺伝子でも環境が変われば、
その形態は大きく変化する。環境による刺激がないと、遺伝子は発動しないらしい。
「枝分かれ」の概念も時間と空間の相対化と言える。だからこそ、
「発生学」の様な枝を根本へと辿っていく考え方は、様々な物に当て嵌めることができる。
>>887
鈍いw
>>888
そういう遊び心も「右脳的」だなーと思う。芸術的だよ。
890417:03/07/06 21:32
>テンガコさん
実はちょっと前から?と思ってたのだ。あれ、この人のHNってこうだっけ
なかなか覚えられないな〜とか。まさか、名前がころころ変わってるとは思わなんだ(w
891417:03/07/07 00:07
>>889
言語ってなんだというのは、まさに今考え中のことなので、うまいレスは返せそうもないけれども、
言語の特異性という方向に今思考のベクトルが向いています。言語という特異な対象を人間は持ったので、
それによって世界は変わったんだと。自然にはフラクタルをはじめ、様々なカタチの分節があります。
でも、言語的分節は自然のフラクタルな分節とは一致していない。それは根本的に恣意的なものだから。

アフォーダンスというのは、この恣意的な分節、特に近代科学的な分節に対する一種の「自然回復」みたいな面が
あるように見えます。でも本当は回復ではなくて、創造でしょうね。

僕が今試みているのは、「死んだ犬」も含めて、非言語的な自然の分節と言語的な分節を整合させようという
ことなのかもしれません。弁証法といい、システム理論といい、結局は言語的・恣意的な分節を再構成しよういう
試みだとも言えませんか。もちろん散逸構造とかカオス・複雑系とかも……。まあ、思いつき程度の話です。
892ンガテコ:03/07/07 00:56
大三元さんや1さんでは無理。えっへん。
(と書きながら、三大元ではないことをこっそりチェック。)

>>876
まだ100ピクセルです。云わんとするところはわかってるつもりですが、まだピンとくるところまでは至らず。

生物の細部まで決定する設計図としては遺伝子の配列は少なすぎるらしいですね。いまのところ。
プログラム的なモデルとして考えてしまうと、フラクタルな形質はどこで分化をストップするのか、気になります。
命令に従ってるのではなく、枝自身がにょきにょき伸びていっているのかなあ?

フラクタルのモデルで一番好きなのは、木星の大赤班です。カオスも含んで、うっとり。


893:03/07/07 01:19
>>892
いろいろと、手はあるものです(日本語は「ぬえ」のような言語ですねw)。


遺伝情報も発現の過程で、身体環境や、身体をとりまく環境をアフォーダンスとして
利用するんでしょうね。
自己組織化というのは、反面「他者を関知すること」でもありますから、身体というシ
ステムの中に、無数の自己と他者の関係性があって、対話によって新しい情報を創
り出していくのでしょう。
894ガテンコ:03/07/07 01:22
>>891
うーんと、ヒントになるかどうか、
日経サイエンス、8月号、P49
言語誕生の謎 共感覚の研究から思考や言語の進化の手がかりが得られるかもしれない

共感覚の記事があったので気になったのです。
関心の連鎖は面白いですね。

895ガテンコ:03/07/07 01:26
>>893
おお、流石、言葉の魔術師。おそれいりました。
896ガテンコ:03/07/07 01:30
いや、多階層的な思考の持ち主というべきか。ほんとしなやかですね。
>>895・896
絶賛を浴びて調子に乗っておりますw
898417:03/07/07 02:44
もう戻れないとは思っていないけど、僕は随分遠くへ来てしまったなと思います。
僕が20代のころに考えていたことは、人の内面という形で凝縮される社会ということだった。

近代において、共同体とのつながりを失った人間たちは、社会とのつながりをその内面性として展開する
しかなかった。個人と社会とは、経済という絆によって結びつけられていて、共同性は幻想としてしか
存在しなくなった。我々に残された共同性は、家族だけだったのだ。それゆえ、社会が抱える様々な葛藤は、
家族という共同性の内部に入り込み、そこで個体を蹂躙していくのだと。

個体は、家族のうちに生を受けて成長するが、それはまさしく家族という形で存在する社会の葛藤の中に
身を投ずることであって、そこで我々は人になる。人の人格は、かくして家族という近代社会が最後に
取り残した共同性の残滓の中で、引き裂かれ、蝕まれ、そして目に見えぬ檻の中で人知れず近代市民としての
キャラクターを身にまとってゆくのだ。

この個体が社会へと同化していく過程は、同時に自らを異化する過程でもある。我々は内部に異物を
抱えることで人となる。この異物となった自己を、近代の心理学は「無意識」と呼んだ。この異物は、
しかし単純ではない。その内部に様々な屈折と屈曲とねじれとずれとを有する多重体であって、
しかもそれは人の本来の共同性への希求そのものを意味する。だが、この共同性への希求は、そのものとしては
現れない。むしろ近代社会に対する激しい違和感として突出する。
899417:03/07/07 02:46
それゆえ近代は個体の内部に「異物」を発見することになった。それがいわゆる精神病の「実体」である。

このような構想の下に、僕は個体と個体の取り結ぶ関係の諸相を分析し始めた。それが「死んだ犬」の
本体である。この分析は、この異物の形成過程をトレースするものとして構想された。異物の本体とは何か。
それは「共感」そのものであった。共感とは、人が人として生きるための根源的な欲求であり、
また自然の中でいきるために不可欠な感受性でもあった。この共感が異物として解体され、ねじ曲げられ、
引き裂かれ、蝕まれ、傷つき、そして押し殺されるプロセスを僕は展開した。そして、
それに対人関係のシステム理論という名をつけた。

このようにして展開された想いは、言葉としても稚拙であったし、内容的にも杜撰であった。
しかも、この想いには出口がなかった。それは、当時僕自身が出口のない檻の中に居たからだ。
だから、僕はこの想いをそのまま投げ出して、風化するに任せることにした。それから長い年月がたった。

僕はまだ多分檻の中にいる。しかし、この檻にはいつの間にか出口ができていたような気がする。
いつできたのかは不明だが、風化させるに任せたことによって、多分以前からあった出口に
気づいただけかもしれない。僕の共感は生きているのだろうか。そして、僕は再び、あるいは
初めて社会の中で生きられるのだろうか。
900417:03/07/07 02:51
898と899は、多分この間壱さんが苦悶しながら書いたのではないか思われる幾つかのメッセージに対する、
僕なりの回答です。通じるかどうかわかりませんが、僕が何をどう見ていたのかということについての
きわめて簡単なまとめです。このころ考えていたことの細部はほとんど忘れています。
901417:03/07/07 03:00
もう一つ、これは「自分を取り戻すことについて」で起こったことに対する僕自身の反応でもあります。
僕は今直接あそこで皆さんに何かを語ることができない。でも、本当は言いたい。
全部わかってるよ、大丈夫だよって。
僕は全くそのためにあの犬を書いたのだった。
902417:03/07/07 12:16
自分で書いておいて何ですが、恥ずかしいですね。
夜中にダーッと書いてしまって、何度か読み返したんだけど、カキコしてしまいますた。
でも、これは明らかに外側に向いた志向ではなかったと思います。自分の中で発生したどうしようもない
疑念、戸惑い、悲しみ、怒り、その他の狂おしい想いに何とか道を与えたかった、
それが本当のところだったような気がします。

当時の志向性は、今はかなり別のものにとってかわられているようでつ。今、自分を突き動かしているのは
もうちょっとゆるやかな想いです。うまい言葉が出てきませんが、的が絞り込まれていない形で、自分自身の
再構成を試みているという感じかな。
903ガテンコ:03/07/07 12:56
>>897
すばらしい。語彙の少ない私の褒め言葉のほうが先に尽きました。
つきましては、>>896>>897へのレスだったことにしてはもらえませんでしょうか?

>>417さん
じっくり読んで考えます。
904417:03/07/07 18:37
>>903
あまり本気で考えても仕方ないと思いますよ
今は、もう違う考え方になっているので
以前にも説明しかけて力尽きたこともありますし
905417:03/07/07 19:32
        ,-、            ,.-、
        ./:::::\          /::::::ヽ
       /::::::::::::;ゝ--──-- 、._/::::::::::::::|
       /,.-‐''"´          \:::::::::::|
     /      ほんとに       ヽ、::::|
    /        「ゆっくり・・・」    ヽ|
     l                         l
    .|   Ο                 |
     l  , , ,           Ο     l  
    ` 、      (__人__丿    、、、   /    
      `ー 、__               /     
         /`'''ー‐‐──‐‐‐┬'''""´
        ./        ___ l __
         l   ./    /  |/ |
         `ー-<    /  ./  ./
           `ー‐--{___/ゝ、,ノ

パクリでスマソ
906ガテンコ:03/07/09 00:15
猫ちゃん、ありがと。
うちのフランチェスカも9年前には世界で一番可愛い猫だったのにな。今は乱暴者。

>>417さん
社会状況(時代)が人間の形成に及ぼす影響にあらためて感心しました。同年代なので。
ただ、私にとっては、家族のコード、家族が社会のコードと思い込んでるコード、社会のコード、の全てが訳のわからない押し付けでしかありませんでした。
だから、自己の内部で分裂は生じませんでした。そのかわり衝突しまくりましたけど。
家族とぶつかっているうちに、自分は家族を通して社会のコードとぶつかっているのだと気付き、もうちょっと視野が開けた後に家族の押し付けてくる「社会のコード」は個々人が抱いている幻想の社会のコードだということに気が付きました。
「訳がわからないコード」は規範だけではなく文化や因習も含んでいます。417さんの「共感」とほぼ同義かと。
もちろん、衝突ばかりではなく、吸収したコードもあります。

417さんが模索している方向は、私の欲する世界の手ごたえとは逆方向でありながら、同じところに繋がっている気がします。
が、まだよくわからないので、もっと考えます。
907大≡元:03/07/09 00:50
>>891
>言語的分節は自然のフラクタルな分節とは一致していない。それは根本的に恣意的なものだから。
言語的文節というのがいまいち分かりませんが、「還元主義」のことでしょうか?
言葉が根本的に恣意的であるならば、意識と合わせて一つのカタチ。
「言葉」は葉っぱ、まさに「言の葉」だと思う。膨大な「意識」の「枝」の先についた葉っぱ。
この「枝」は1の言う「径路」と近いかも。
昔の日本人はそれを感じていたんじゃないかな、とか思う。

ところで、今更だが>>698を見たときに
>自己家畜化・幼形進化・「闇教育」・共感・感覚統合・「魂」のサブシステム
これらの言葉が俺的には一つのカタチとしてつながってるんだよね。
なんか、俺と同じ様なことかんがえてんのかなーと思った。
908417:03/07/09 00:56
>>906
ちょっと感想だけ。
かなりクリアな社会の理解を持ってるんですね。多分、「そのかわり衝突しまくりましたけど。」というコースを
歩めたからだと思います。多分、現代ではこのコースが最短だと思います。

>417さんが模索している方向は、私の欲する世界の手ごたえとは逆方向でありながら

これは、きわめて正確な理解だろうと思います。逆なんですよね、僕の見ている方向って。
でも、同じものを見ているには違いありません。
ただ、今はかつてと同じ方向を向いているとは思っていません。すごくぶれているんですよ、方向性が定まっていなというか。
ふらふらしているっていうか、グラグラしているというか、どこかでころっと方向が変わってしまう
可能性もあると思っています。それを期待しつつ、おれもなかなかしぶといなという感じかなw

具体的な内容については改めて書きます。
909417:03/07/09 01:09
>>907
言語的分節については、とりあえず保留させてください。まだわかっていないことなんです。
きちんと説明できたらすごいことですが、まだまとまっていません。でも、ヒントはいろいろと得られています。

944 :考える名無しさん :03/07/08 23:52
クオリアと志向性、さらには運動の間のダイナミックな結合がすなわち
言語であるという視点から見ると、従来私たちが言語の典型的なものと
みなしてきた、書き言葉、話し言葉以外にも、私たちが環境や他の人間
と相互作用する時の様々な形式は、一般に、言語であるとみなすことが
できる

これは、つい先ほど機械タンスレにあったレスの一つなんだけど、これはいいと思った。
1さんが書いたのかと思ったんだけど、違うかもしれない。

>部分が「人間のクオリアの共通項」だと思う。すなわち「言語」を操る生物。正確に言うと、
>「名詞・動詞」以外の言語を操る生物。
>犬や猫も、自分の名前を呼ばれると判るし、「いけ!」とかも理解するから。

この辺、ほとんど1さんかなと思ったんだけど。

それはさておき、

>>自己家畜化・幼形進化・「闇教育」・共感・感覚統合・「魂」のサブシステム
>これらの言葉が俺的には一つのカタチとしてつながってるんだよね。

何でも書いてみるものですね。もしかしたら、同じようなことを考えているのかもしれませんね、本当に。
ゆっくりやりましょう。
910:03/07/09 13:43
>>909
俺じゃないけど、明白に俺っぽいですね。
てか、「機械タン」の次スレ定着しないで落ちた?
911考える名無しさん:03/07/09 13:49
>>910
違うのか。おもしろいね、てっきり1さんかと思ったよ、95%ぐらいは。

>てか、「機械タン」の次スレ定着しないで落ちた?
そうなの? 機械タンが立てて、そのまま落ちてしまうなんてことがあるの?
2chも奥が深い……
912417:03/07/09 13:50
あ、やっちゃった。
m(_ _)m、申しわけない。
913:03/07/09 14:01
>>911
スレが次々立つ板は、スタートダッシュしないと早々に落ちることがある。
914417:03/07/09 16:12
ところで、1さん。

>クオリアと志向性、さらには運動の間のダイナミックな結合がすなわち
>言語であるという視点から見ると、従来私たちが言語の典型的なものと
>みなしてきた、書き言葉、話し言葉以外にも、私たちが環境や他の人間
>と相互作用する時の様々な形式は、一般に、言語であるとみなすことが
>できる

こういう言い方についてはどう思いますか? 僕にとってはちょっと驚くほど示唆的なフレーズでした。
気に入ってます。これをそのままいただけるわけではないけれども、言語についての今までにない
新しい視点、視角を得たような気がしました。なかなかおもしろい人が2chには出入りしているんだなと
改めて感心してます。
915:03/07/09 17:42
私はまわりに合わせて遠慮がちにしていましたがw肝心なところには決まって言語が
関わっていると思っています。
言語を「かたち」や「径路」として見ることは、言語の表層を捨象して、ふるまいや機能
を直接見る感じです。
私に見える風景からは
「従来私たちが言語の典型的なものと みなしてきた、書き言葉、話し言葉以外にも、
私たちが環境や他の人間 と相互作用する時の様々な形式は、一般に、言語であると
みなすことができる」
という言葉は、「みなすことができる」を「みえる」と言い換えれば、私の意見そのもので
す。
「だって、言語やぞ。一目瞭然じゃん」という感じです。
916417:03/07/09 18:23
>>915
なるほど、そうだったのかw
早く言ってくれればいいのにww
僕はまだ言語を結構静的なシステムと感じています。多分これが間違いなんだろうと思いますが、
なかなか転換できません。ゲシュタルトにしても、どうもイメージ的には平面的で、何かどこかで
これを切り替える「ゲシュタルトチェンジ」が起きなければならないように思います。
いろいろなヒントを与えられて、そのおぼろげな形は徐々に見えてきているようですが、
まだとても明確な像とは言えません。

ところで、今図書館から帰ってきたのですが、
「脳のなかの幽霊」と、「意識のかたち」(高岡さん)を借りてきました。
今晩から読んでみます。
917:03/07/09 18:43
>>916
言語じたいの自律的な力が思考を先導する様を味わうには、まず思考に寄与するタイプの
副詞・接続詞を書き出します。
「ならば」「しかし」「まさしく」「あるいは」「もしかすると」「ただし」、とかですね。
そして自分にとって、示唆的なフレーズを用意します。
たとえば、これね。
「従来私たちが言語の典型的なものと みなしてきた、書き言葉、話し言葉以外にも、
私たちが環境や他の人間 と相互作用する時の様々な形式は、一般に、言語であると
みなすことができる」
これを暗唱して、次に「ならば」とか「とはいえ」とか「でもなー」とか、付け加えてみる。
それだけで、次の思考の方向がほの見える。なにか言えそうになります。
ときには、するするっと言えてしまいます。
出てきたフレーズにまた「ということは」とか「つまり」とか「または」適当に付け加えていけば、
思いも寄らぬことを思いついたりします。
918:03/07/09 18:48
この種の言葉をたんに頭のなかで感触をみるように続けて唱えてみるだけでも効果的です。
言語が目立って生物的にふるまうのは、この種の径路的言語が使われるときです。
919417:03/07/09 19:01
>>917
それ、なんかよくわかる。文章を書いているときって、それに近い感覚があります。
接続詞を書いた瞬間に次の展開が自動的にやってくるみたいな感じが、言われてみればあります。
自覚的にやっていたわけではありませんが、なるほどぉ〜っていう感じ。ふむふむ。がんがん書いた方がいいということでもありますね。
920:03/07/09 20:08
>>919
なんとなく伝われば、すでにうれしい状況です。
子どものころの思考の感覚を思い出してください。

子どものころ、なんか分かり切った感じのことをどうにもうまく考えられなかったのは、
知識や経験の不足はむろんあったとしても、本質的には副詞・接続詞(つまりは径路)
の不足が原因だと思います。原稿用紙数枚の作文や感想文に四苦八苦していたころ
は、非常に限られた径路でやりくりしていたわけです。
(そのせいで、どんな径路で出て来たのかわからない斬新な発想も、まれにしますがw)

国語という科目で重点的に教えるべきなのは、副詞・接続詞だと思います。それ以外の
言葉は、はっきり言って、そのときの手持ちでなんとかなります。
とはいえ、ある径路的な単語の使い方を、それを知らない子どもに教えるのは非常に困
難ですが。
921417:03/07/09 20:41
ふむふむ、少し1さんの言っている経路ということの現実的な意味がわかってきた。全然無縁じゃない。
無自覚的ではあっても、そういうことは間違いなくやっているし、それが言語表現の幅を広げていること
も事実だしね。喩とかいうのも、僕の思考方法の中では結構重要な位置を占めているかもしれない。

思考というのも、僕の場合はもともと話すなかで形成するというタイプなんだと思う。30代はじめに肝硬変
と言われたほどの飲んべで、酒を飲んでくだまきながら、発想をどんどん跳ばしていくのが楽しかった。
体調のせいであまり飲まなくなったけど、今でもやっぱりそうかもしれない。最近はそういう話を
する機会もあまりないけど、今は2ch依存症になりながらも、こうやっていろいろ書いてることが、
大切なんだということでつね。
922:03/07/10 01:15
417さん、私のわがままなんですが、Janeの画面だとちびっと余るんで、一行をあと二文字
ほど短くしてもらえると読みやすいのですが・・・・。だみ?
923ガテンコ:03/07/10 01:41
>>920
それって、言葉以外の何か、先にありき、ってことにはなりません?
「どうして僕たちは3次元世界にすんでいるの?」の44、47で“子どものころまだ「考える内容」がないころ、その経路だけをたどって行ってみたことない?”
“成長してあの経路に、副詞とか接続詞っていう名前がついてるの知ってビクーリ”と書かれていますけど、
それを「言葉に拠らない思考が先にあって、それを的確に表現できる道具としての言葉を後に手に入れた」とする解釈には違和感をおぼえますか?

子どもは感覚を通じて世界の読み解き方を学習していきますよね。
最初のうちは完全に受動的で情報を何でもかんでも受けとるばかりですが、次第に自分のほうから世界に関わっていく方法に気付きます。
初めはすごく単純なことでしょう。例えば「頭をうごかした。景色が変わった。」とか。
ちょっと大きくなると、「自分は自分の行為に満足した。が、しかられた。」とか。
その実体験の積み重ね、世界とのかかわりの中で思考の経路は獲得されていくのではないかと考えると、「言葉じゃない!」って感じです。

ただ、副詞と一部の接続詞は=概念なので、まず言葉ありきだと思います。(1さんが「言葉決める会議に出席したかった」とどこかに書かれていたみたいに)
そしてこれらについては、>>915 >言語を「かたち」や「径路」として見ることは、言語の表層を捨象して、ふるまいや機能を直接見る感じです。 に納得します。
一部の接続詞というのは、実際の世界には登場しない、論を展開するうえだけで有効な対象同士の関係を指示する接続詞、例えば「ただし」です。

>>人二兀+111さん
げに恐るべし、エスカレーション。早く寝なければ。
924ガテンコ:03/07/10 01:45
>>922
ももも申し訳ない!!
925417:03/07/10 01:49
>>922
問題ないですよ。mozillaの入力画面いっぱいで改行するとこんな感じで、ちょっ
と短いので少し長めにしてみているだけですから。
で、実際のところどの辺までいいのだろうか。よく分からないので実験的にやってみる12345678901234567890
どの辺までいいのかな。教えてください。
926:03/07/10 01:54
>>923
俺にとっては、その先にありきものこそが「言語」なんですよ。
文字や音声は言わばタグです。

(あと、ガテンコさんの改行はビタシ!!!です)
927417:03/07/10 01:55
数字だとわかりにくいね。

>で、実際のところどの辺までいいのだろうか。よく分からないので実験的にやってみる。家内安全、商売繁盛、言語道断、空不異色、如是我聞

で、どの辺で折り返せばいいでしょうか。
928:03/07/10 01:57
>>925
7までー
929417:03/07/10 01:59
>>926
そうなの。ガテンコさんのは僕のブラウザー上では、右端までいって折り返しているんだけど、
なぜ違うのかな。不思議……。
930:03/07/10 02:07
>>927
安まで入るー

>>929
あ、よく見たら、ガテンコさんも・・・・・・ゴミン
931417:03/07/10 02:11
わかりました。折り返し7文字っすね。これから励行します。
あっちにも書いたけど、イカのクオリアで今日は疲れたので、もう寝ます。何かとても不毛な議論
をしたような気がして、どうも変なところに引っかかる。あ゙〜
おやすみなさい
932テレシコワ:03/07/10 09:27
うーん、どうしても聞きたい。1さんへ
>>628
>言語とは基本的にそれ 自体は「対象」としてとらえられない「あるもの」の示すアフォーダンス
の部分の「あるもの」は、>>915の、「ふるまいや機能」と同じでいいですか?

あと、 >>926の 「タグ」これは「名前」に言い換えることができますか?

(そうやってすぐ還元したがる…という内の声が聴こえる。) 
ガテンコさんはじめまして。残りの3人の方には他のスレでお世話になってる者
です。このスレはたいていROMってます。
933417:03/07/10 09:46
ガテンコさん
きのう図書館で「日経サイエンス」の中身を確認してきますた。面白そうでつ。
図書館でゆっくり本を読むということができないたちなので、改めて買って読んでみまつ。サンクス
934417:03/07/10 09:52
>>932
Good question!
って、僕の言うことではないですが、いいことを聞いてくれました。大勢の人がいると
こういう自分では言えなかったような質問が出てくるというのがイイ! とても参考になるっ!
935:03/07/10 13:27
うーん、どうしても聞きたい。1さんへ
>>628
>>言語とは基本的にそれ 自体は「対象」としてとらえられない「あるもの」の示すアフォーダンス
>の部分の「あるもの」は、>>915の、「ふるまいや機能」と同じでいいですか?

同じではありません。とりあえずここまでのたとえ話で言えば、628で言及した「外界とは別の角度
の『素朴実在論』」という表現を思い出していください。
私の視野では「ふるまいや機能」じたいが言語です。そして「ふるまいや機能」は「外界とは別の外
界」に関するセンスデータにあたります。このセンスデータについては私という一回的な実例しか
得ていません。ゆえに私としては、このセンスデータの示すアフォーダンスを比喩的に表現してみ
せるしかない。
言わば、今の私は、「外界とは別の外界」についての「科学がまだ見出されない時代」にあたるスタ
ンスに立っているわけです。
そのスタンスにおいて私がしていることをたとえてみれば、私はおそらく存在するであろうと思ってい
る、「別の外界についてのみんなの集合的無意識」に訴えるという意図で、とりあえずの神話を語っ
ている、という感じでしょうか。
つまり「あるもの」とは、現状では対象化(言語的機能による境界の設定=分節)の過程が、間主観
的にはこのスレくらいでしか開始されていない「別の外界の素朴な実在」です。あるいは神話として
語らざるを得ないがゆえに浮かび上がってくる「別の神」と言ってもいい。


あと、 >>926の 「タグ」これは「名前」に言い換えることができますか?

できます。言語学的言語の全体が、私の考える言語(別の外界が提示するアフォーダンス)に付され
たタグ、とも言えます。


936:03/07/10 13:30
>>935で、私もぎりぎりまで書いてみようとして、一行一文字分長くなってしまった・・・・・w
937テレシコワ:03/07/10 13:47
>>935
「外界とは別の角度の『素朴実在論』」 これも忘れられないです。
>>926を読んで、その実在も言語!? と早合点してしまいました。

でも質問してよかったーー! とっておきのことについて理解が一歩ふかまりました。
417さんにグッドと言われただけでも嬉しかったし今日はいい日だ。
938:03/07/10 14:18
>>933
俺も日経サイエンス読みてー!
でもずーーーーーっとだだ雨で出かけられません(チャリ人だから・・・・)。

>>937
ど^も^
ああいう話は私も楽しいです。
答えやすい質問でよかった。
939大≡元:03/07/10 16:18
>>921
>思考というのも、僕の場合はもともと話すなかで形成するというタイプなんだと思う。
多分、思考というのは「対話」の中でしか形成され得ないのではないかと、俺は思います。
人によって、あるいは時と場合によって、対話の相手が人であったり、本であったり、
自然であったり、自分自身であったり・・・。
対話の相手をどう見なすかで、思考のカタチが変わってくると思う。
相手の話を聞く気があるかどうかだね。
オイラはある程度田舎育ちなので、子供の頃自然と対話できたのは幸福だったと思う。

ところで、「死んだ犬」という喩えはなにか元ネタがあるのですか?
俺的には、あまり心地よくないリアルな感触のする言葉ですが・・・
この、感触は417の「それへの想い」の「共感」でいいのかな?
なんか、道端で死んでる犬とか、バイオハザードとか思い出す(藁)。それとも飼い犬の死?
>>935
>言語とは基本的にそれ自体は「対象」としてとらえられない「あるもの」の示すアフォーダンス
ニュートリノって、それ自体は「対象」として捉えられないぐらい小さな「物」だから、
その振る舞いの痕跡を捉えるために「スーパーカミオカンデ」をつくったんだよね。
地下深くに巨大な水槽があって、宇宙から降り注いだニュートリノが水分子に対して振る舞った
その痕跡を感知する・・・というような装置だったと思う。
小柴さんは、ニュートリノさんの遺した言葉を読みとったと言えるのでは?
1のスタンスと物理学者のスタンスにそう違いがあるとも思えないです、俺は。
「ひも理論」とか「超ひも理論」とかも「とりあえずの神話」だね。
1は、物でない「モノ」の「理(ことわり)」を探しているサイエンチスト?
940:03/07/10 16:30
>>939
サイエンスが可能になるデータが蓄積していなくても、態度としてサイエンティストである
ことは大事だと思います。
サイエンスは「再現不能な共感」を「再現可能な共通了解」に移行させる態度だと思いま
すので。

このスレに来てくれる人は、その時点のネタ提供者の土俵に、とりあえず乗ろうとしてみて、
乗れたら乗って、乗れなければ質問する、という態度が共通していて、対話しやすいです。
得難いことです。
941417:03/07/10 17:16
>>939
「死んだ犬」のもとネタ。たしか、だれかの著作にあった言葉なんだけど、
だめっすね、覚えてません。確かにいい言葉とは言えませんね。そのうち
言い方をかえます「何か」とか「あれ」とかw
冗談はさておき、本体を示すことはできないのだから、言及することもそろそろ
やめます。現時点の考え方を提示する方が大事なはずだし……。

>>940
機械タンスレでいろいろ話していると、やっぱり自分の志向しているものは科学であって
哲学ではないということを改めて思い知らされています。きつい言い方をすると、哲学って
結局信念の体系に過ぎないように見えてしまいますw そうでないことはわかっているはず
なんだけれども。
942417:03/07/10 18:19
>ガテンコさん
遅くなりましたが、初歩的な考察ですが、ご検討ください。

ガテンコさんの理解は、ほぼ正確だと思います。僕はコードという言い方をしませんし、
押しつけという言い方もしません。僕の考えのベースにあるのは、幼児期を含む、従来精神
分析の対象となってきたような世界だからです。でも、ガテンコさんのおっしゃることは、
それ自体で全然間違いだと思いませんし、同じことを見ているということはそのとおりだと
思います。

ですが、今僕が考えているのはそういう世界ではなくなっているようです。以前の考え方の
中にもそういう面はあったのですが、現在の考え方をまとめるとどうなるでしょうか。人の
内面について、内側から見た自分という言い方を採用して考えると、この内側から見た自分
と外側から見た自分の間に、「矛盾・対立・分裂」といったものがあります。従来の精神医学や
心理学は、この内側から見た自分が抱える「問題」を「症状」としてとらえてきたわけです。
つまり、個人の内面に「病」という実体を想定するわけです。これに対置するのは、
内側から見た自分を外側から見た自分に合わせてコントロールできる「正常な市民」像です。
これが近代的なペルソナ、パーソナリティです。
(続く)
943417:03/07/10 18:24
続き
しかし、外側から(他人から)見られた自分と、内側から見られた自分の対立というのは、
歴史的には共同体と共同体の間で起きる対立であったと理解します。つまり、外側という
のは、かつては「共同体の外から」の視点であったということです。「共同体の内側」を
どう理解するかというのは、また別の学問的課題でしょうが、共同体との関係において、
個人はその内にあるか、外にあるかという二分法で済んでいたのだということで、とりあえず
済ませておきます。近代は、この共同体間にあった内と外の対立を、個人の内面の問題に
してしまったのだというのが現在の理解です。もちろん、これはだれかの意図によって
そうなったのでもないし、社会が押しつけるコードでもありません。また、マルクス主義が
考えていたような社会制度が伴う虚偽意識でもありません。それ自体が社会の自然過程なの
です。

細かい分析はまだしていませんが、大枠、現在の考え方をまとめると以上のようです。
もちろん、単なる枠組に過ぎませんから、実際に分析を進めれば違った考え方に展開する
可能性もあると思っています。しかし、当面こちらの方面を主題的に考えることはまだしない
だろうと思います。それを成立させているメカニズムのほうに関心が集中しているからです。
944ガテンコ:03/07/10 21:17
>>テレシコワさん
初めまして。私も他の三方が出現する他スレ、のぞかせてもらっています。
たぶん、あなたはあの方だろうな。よろしくお願いします。

唐突ですが、今日、神秘体験してしまいました。
言葉にもうちょっと親しんでみようと、自分の中でも特にしっくりくる言葉を思い浮かべて
遊んでいたのです。
豊饒という言葉は本当に自然を表わすのにふさわしいなあ、と思いながら、私がよくやる
知覚を全開放して、身体に入ってくる刺激すべてを感受しようと試みる遊びをしていた時です。
ふと、対象からアフォーダンスを受けとる感覚を練習してみよーと思って、意識を自分の方からも
歩み寄らせようとしたら、いきなり主体と客体が一体化して、自分という感覚が世界に解けこんで
無くなってしまったのです。
なんて言ったらいいか、色即是空、観えたっ!!って感じ。
一瞬でしたが。
錯覚だとしても、私、次段階に入ったなって感じです。もうちょっと謙虚になろうと思いました。
945ガテンコ:03/07/10 22:13
↑何故謙虚になろうと思ったかというと、主観にとらわれている限り「頭の中に押し込められてい
て、世界に直接触れることはできない。」というちょっと重苦しい世界観は常につきまとうことを
実感したからです。宗教的にはありふれた概念だけど、今の私にはすごく新鮮です。
しばらくは、この視点を気にかけながら進んでみよぉっと。

>>417さん
まず、私の対社会理解がクリアすぎっていうのは、あまりにも訳がわからなくてとっかかりが無か
ったので、とりあえず分かる範囲で名前をつけて、あとは知らね〜って放り出したからです。
私もそれ以来振り返っていなかったので、コードとかの言い回しや発想は、当時影響を受けていた
ポスト構造主義まんまで、今見ると恥ずかしいです。

九州の少年事件、少年法の保護の下、少年が刑事裁判を免れるのは被害者の人権への配慮が薄い
という意見を聞くと、この上まだ少年を追い詰めるつもりなのか、とせつなくなります。
けして少年の行為を容認するのではありません。ただ、自分がすごく幸運だと思うだけ。
946417:03/07/10 22:28
>>944>>955
そういう体験は僕にはありませんので、何かウラヤマスイでつね。またいろいろその辺の話もお聞き
してみたいでつ。

>「頭の中に押し込められていて、世界に直接触れることはできない。」というちょっと
>重苦しい世界観は常につきまとうことを実感したからです。

これは同感でつ。

>当時影響を受けていたポスト構造主義まんまで、今見ると恥ずかしいです。

それを言ったら、僕の考え方などもある意味「反精神医学」の受け売りみたいなもんですし、
トホホ

九州の事件に関しては、ただ重苦しく受けとめています。つらいっす。まだ何もできない……
947テレシコワ:03/07/11 02:13
>>944
神秘体験、ただただうらやましいです。それにつながった、よくやる遊び、いいですね!
「謙虚」という言葉の使い方に新鮮さを感じました。

さっき、7日の深夜の分の書き込み丸ごと未読だったことに気づきました。
日経サイエンスの情報(読みたい!!)や、417さんの書き込みや、重要な
部分をとばしてた!
417さんが他スレで「共感」について強い思いがあることを思い出し、あの
ときはまだ聞き足りなかったことが、ここで語られてました…
(って、でも、すでに>>514〜あたりで「共感」ってでてきたのでしたね、合わせ
て読むとわかりやすかったです)
948417:03/07/11 09:34
>>947
おはようございます

今、これを読みながら「共感」についての理解には重大な欠陥があることに突然気づきました。
すぐに改訂版を出せるような問題ではありませんが、少し時間をいただいてもう少し考えて
みたいと思いまつ。ありがとうございました。共感の背後に何かある……?。
949テレシコワ:03/07/11 19:06
417さん
>>948
そうですか。「わかりやすかった」とは書いたけれど、もちろんまだまだ聞きたかった
のですが、質問は保留します。
>>941
>きつい言い方をすると、哲学って結局信念の体系に過ぎないように見えてしまいますw 
「信念」の意味がはっきりしないまま書いてしまうと、哲学ってそういうもので、それでこそ
よし、としている人もたーくさんいると思います。わたしもけっこうそうですw
科学は具体的ですが、哲学はまったく具体的じゃないですね。とても私的ですが。
950417:03/07/11 20:22
>>949
そっか、誤解しやすい書き方でしたね。共感そのものについての理解が全面的に間違っていた
という意味ではありません。共感が分裂するという理解が変だということでした。このことを
もう少しきちんと考え直す必要があるなと(僕の中では重要な位置を占めていた考え方なので)
思っているということです。共感そのものについては、ベースにあるのは科学的なことなので、
それは別に間違っているとかいうことではありません。質問があればしてくださっていいです。
一生懸命答えます、はい。
951犬三元:03/07/11 22:28
>>940
同意。「再現不能な共感」・・・この表現イイ。
みんな、なんとかしてこれを再現したい・・・と、あがいているんじゃないかな。
>>944
すごいでつね。目指してもなかなか辿り着けない場所だと思います。
マンガ「拳児」のエンディングを思い出しました。中国武術の最終目標が天地人が一つになることらしいだす。
オイラもいつか逝ってみたい場所だす。マターリ目指します。
952ガテンコ:03/07/12 00:42
>>951
雑種です。ちょんぼ。

>>417さん、テレシコワさん
>哲学って結局信念の体系に過ぎないように見えてしまいます
私もそう思っていました。哲学に関心をもったのは、「科学的にその時点でもっとも妥当だと
思われる見地を共有している複数の科学者の間でも、その見地についての解釈が微妙に異なる。
更には、その見地の延長上にある未解明部分に対する期待される像は結構バラバラ。
科学的に説明される世界像は、科学者各々の世界観とはまた別のものらしいが、何故そんなこ
とになるのかな?」という疑問からです。

今は、自分がどこにひっかかっているのか突き詰めていくのに便利な道具、と思っています。
自分が考えていることは、大抵誰かが既に考えているので、ヒントをもらえるし、人間理解の
サンプルにもなります。都合よく利用すればいいのでは?なんに関してもですが。
953417:03/07/12 01:56
>>952
その意味での哲学とは「なじみ」なんだけどね。カオスについて考えるときに、結構ヘーゲルの
「論理学」なんぞを思い出したりする。もともと僕は「科学志向」の人間ではなかった。
SF大好き少年だったから、科学知識には興味はあったが、本当に科学書を読み出したのは、
大人になってから。25歳過ぎてからなんだ。もっと前は文学少年だった。ロシア文学の古典
なんぞを読んでる中学生だった。でも、実は根っからのマンガ好きで、小学生のときから
ひたすらマンガ好きだった。今も変わらない。

大人になってから科学のおもしろさを知ったので、結局大学でも科学は勉強しなかった
わけで、おかげて今でもどこか科学理解も自己流だす。
954テレシコワ:03/07/12 02:21
417さん
>>950
おたずねしたい部分は、まさにその「共感が分裂する」ということについてなので、やっぱり
保留した方が…と思いつつも書いてしまいます。
>>898->>899
共同性への希求=共感の、「激しい違和感として突出する」という面、これは、>>515の「攻撃
衝動」と同一と読んだのですが、それと、共感の「解体され、ねじ曲げられ、…」という面の関
係がいま一歩つかめませんでした。
そのまま受け取ると、前者は能動的、後者は受動的です。この二つに前後関係、因果関係
はありますか?それとも、同じことの二つの面なのでしょうか。
これがわかれば、共感の分裂についてのわたしの理解も一歩進みます。

ガテンコさん
>>952
あー、こんな風に哲学に入ってくると、軽やかでいいんですよね。
>自分が考えていることは、大抵誰かが既に考えているので、
と、さらりと書けてしまう。
わたしは、「自分だけが考えていると思っていたことがここに書いてある!」という
衝撃から哲学に入ったようなものです。ぜんぜん違いますね(笑)

1さんの、>>940にあるサイエンスのうち、外界のセンスデータを扱うのが科学で、
哲学は、その外界への参照、検証が必要でない、その意味で「信念の体系」だと
考えてます。
955テレシコワ:03/07/12 02:27
>>953
うーん、態度としての哲学と、哲学そのものという区別があるのかな。
というか、わたしも区別するときがよくあります。
でも・・・哲学とは何か?なんて、人と話はじめたらながーくなるので、さっぱり
したいと思ってます。ご安心を。
956417:03/07/12 02:59
>>954
攻撃衝動とは自己防衛本能から来るもので、例えば犬でも放置すれば人間に対して攻撃的な
態度を変えないのです。そこで、人間は犬を馴らします。このプロセスで犬の攻撃衝動は
抑制されるのです。これと同じプロセスが、そっくり人の子供のしつけとして行われている
と考えるのが、人の「自己家畜化」という考え方の一面です。
しかも、そこからもう一段階のプロセスを経て、ヒトは人になると思っていました。

抑制された攻撃衝動は、変形して発動するというのが「魂の殺人」の一つのテーマです。

違和感の方は必ずしも攻撃衝動とは結びつきません。結びつけば犯罪となったり、戦争の
原因となったりします。あるいは鬱としてあらわれる。それとは別に、統失という形で、
自己=世界の違和そのものとしても現れます。このような多形的な違和のトレースを試みたと
いうことです。
957417:03/07/12 03:08
ついでですが、ネコでも、やはり家ネコとノラネコとは違いますね。
家ネコが家出して久しぶりに会うと、全然顔つきも体つきも違ってしまって
家に帰ってきても、しばらくノラネコと家ネコの間をゆらぎます。そのとき
のネコはおもしろいです。動揺しているんですね、2つのアイデンティティ
の間で戸惑っている風ですw むちゃカワイイ。
958テレシコワ:03/07/12 11:58
>>956
ありがとうございました。
「共感」と関係が深いのは、違和感の方でいいのでしょうか。攻撃衝動の方はそれはそれで
考えてみたいですが、いまは置きます。
以下、いちいち、「ととらえました、いいでしょうか?」と語尾につくと思ってください。

>>898->>899
共感はいやおうなく、違和感と共にある、その関係は必然的である。
そして、その結びつき以降の、「多形的な違和」のさまざまな内容は、環境や素質に因る
もので、どの個にどの症状が現れるかは偶然的である。
(以下たぶんほぼ同じことを別の言い方で)
共感そのものが異物であることに、原因はない。ただ、異物が、「内部に様々な屈折と屈曲
とねじれとずれとを有する多重体」であるのは、共感が「解体され、ねじ曲げられ、引き裂か
れ、蝕まれ、傷つき、そして押し殺され」たことを因とする結果である。
この因果関係は、不可避であるが、その原因の内容には環境や素質に拠る大きな幅がある。

>>957
うーん、猫好きですがペットとして共に暮らしたことはなくて、そのカワイサがわからないのが
なんだか悔しい…
959テレシコワ:03/07/12 12:04
>>958
最後の行に追加。
「したがって、その結果である異物という多重体がどのようであるかも、個々さまざまである。」
960417:03/07/12 13:49
>>958
問われれば答えてしまうのが性(さが)でしょうか。今、一生懸命考えてまつ。
全体的なことについては、後でまとめて書きますが、おおむね僕の言いたいことは伝わって
いるような気がします。「自閉症スペクトラム」というものがあります。それに類比する形で
多形性、多様性は、「違和のスペクトラム」として真っ黒から真っ白までの間にグレー
ゾーンとしてひろがっていると考えます。程度問題、人それぞれというわけです。そこを歩く
僕たちの歩みは右往左往でしかあり得ない。絶対性は、主観性の客観性としてしか存し得ない。
うまくまとまったみたいw
961大三元:03/07/12 16:43
>>952
>自分が考えていることは、大抵誰かが既に考えているので
これ、すごく同意。小さい頃から、こういう感覚はあった。
「大昔の人が俺と同じ事かんがえてたんだなぁ」とかわかると、嬉しくもあり残念でもある。
でも、自分に余裕がなくてテンパっている時は、「俺だけがこんなに悩んでいる」と考えてしまいます。
このループに嵌ってしまうと抜け出すの大変。

哲学に関しては、俺的には、名のある歴史上の哲学者さんの哲学も一個人の考えでしかないと思います。
一人のヲッサンの考え。有名な哲学者の考えも、イチローの打撃哲学も、名も知れぬお百姓さんの
美味い米作りの哲学も、俺的には「等価」。そして一番大事なのは「俺哲学」。
「君、ヘーゲル解ってないよ」言われたら「当たり前じゃ、わしはヘーゲルとちゃうんじゃ、ボケ!!」
「どこぞの西洋人のヲッサンの考えなんぞ興味ないわ、気色い」・・・と言ったら大袈裟ですが、
一個人の考えを、どこまで理解したら「解った事」になるのでしょーか、疑問。
自分に必要な部分だけ頂いたらそれで十分。「哲学」というよりは「哲術」?
「哲学史」には興味あります。「ヒト」の考えの「時間」と「空間」による「枝分かれのカタチ」が。
>>953
マンガはオイラも大好きです。オイラの本棚マンガばっかり。活字チョピーリ。
マンガは日本が世界に誇るべき「右脳文化」だと思いまふ。そこらのお高い「文化人」より、
漫画家の方がよっぽど「脳力」を使っていると思う。考えていると思う。競争厳しいからね。
実際に「マンガ」は国境を越えて文化や言語を越えて、世界中に「訴える力」を持っている。
でも、作り手が「脳力」を負担してるから、読み手は「脳力」使わないかも。
962大三元:03/07/12 18:07
「自己家畜化」とは自分で自分の入る「檻」を設ける事ではないでしょうか。
檻とは、ルールとか規範とか「従わなくてはならない物」でしょうか。
即ち、「自分が従わなくてはならない物の存在を了承する」事だと思います。
もっと言うなら、「他(外界)」と「自」の間に「主従関係」を見いだす事。
主従関係とは何かと言ったら、対等な関係でないこと。対等な関係を絶つこと、即ち「絶対的関係」。
「絶対」とは、単に二者の関係を表す言葉だと思います。
「(すべての)人間」に対しての絶対が西洋の神。この神の「絶対」のイメージが強すぎますね。
絶対者の立場とは「一方的に測る事を許された」立場だと思います。
人間は神を測ることは出来ないが、神は一方的に人間を測ることが出来る。測定者と被測定者の関係。
「何が」「何を」一方的に測れるのかと言ったら、「全体が」「部分を」。
「ある系を」「その系を含むさらに大きな系が」測ることが出来る。
全体と部分の関係も主従関係。当たり前と言えば当たり前。集合で考えると解りやすい。
結局、自己家畜化とは自分が何かの一部に「所属すること」を認めること?檻は「境界」?
社会性のある動物は皆やっているのでは?

二者の間の主従関係、全体と部分の関係をあれこれ考えると面白い。
相対化が済んだら、相対化の相対化・・・即ち絶対化。
「脳」と「体」の主従関係とか、「空間的」と「時間的」でまた関係が変わってくる。
「物理法則」に従うことを了承したら・・・機械・・・。

一方的に決めつけさえすれば、誰でも絶対者。実際一方的な決めつけは「無敵」。どうしようもない。
963417:03/07/12 22:31
今日はリアルワールドでいろいろありました。ちょっと脳に疲労物質が蓄積してしまったようで
頭が思うように動きません。明日以降にレスします。ちょうはちとおやすみ。
964417:03/07/12 22:44
>ガテンコさん
きょうやっと本屋へ行ったら、「日経サイエンス」発売日から半月ほどたっていて、
売り切れてました。25日過ぎると図書館でコピーするか借りるかできますので、改めて読みます。
965テレシコワ:03/07/13 00:52
>>960
レスありがとうございます! ゆっくりお休みください(読んでねーよ>自分)
伝わりあえたような気がして嬉しいです。ただ、「スペクトラム」?未知。
わたしも今日は疲れてぼやんりなので、明日以降調べてみます。

>>961
>哲学に関しては、俺的には、名のある歴史上の哲学者さんの哲学も一個人の考えでしかないと思います。
これ強く同意です。哲学は私的、と前に書いたのですが、それはこのことにも近いかと思います。
>自分に必要な部分だけ頂いたらそれで十分。「哲学」というよりは「哲術」?
そうですね、ただ、それは意外に簡単なことではないかもしれない。
どれが自分に必要かを把握して取捨選択できる賢明さが求められますから。
おお、哲術! ツモのみさんならではの言い回しだと思いました。

わたしもマンガ大好きなんですよー。
でも、個々のマンガについては、好きなものをツモのみさんや417さんと共有できない気配がただよってます。
残念なり。
966テレシコワ:03/07/13 09:17
おはようごさいまっする
「スペクトラム」、ぐぐっただけですが、「連続体」という訳が充てられてました。これで
読むと意味が通じるので、いいのかなと。(光や色認識の文脈ででてくる「スペクトル」と
関係あるのかな、そりゃあるか)

攻撃衝動について。
>>962の大三元さんの書き込みに乗っかると、自己家畜化以前にある攻撃衝動は、
一方的に押し付けてこようとする規則への反発や抵抗、ととられるかもしれないです。
全体の中に投げ込まれた個人の反抗。
そして>>956にあるように、それが「自己防衛本能から来る」と言うとき、その「自己」とは
どういうものかを考えると、1さんのことが思い出されたりして、とても楽しくなってくるの
でした。
967417:03/07/13 10:16
>>966
おはようございます。さすがに疲れていたのか、ぐっすり寝ますた。

スペクトルを和英辞書で引くとspectrumとあります。
spectrumを英和辞典で引くと分布範囲、連続体でつね。とりあえず。
968ガテンコ:03/07/13 12:36
哲学と、科学の関係って、私にとってすごくキモのところなので、もう少しだけ。
哲学が信念の体系なのではなく、世界を体系的に捉えようとする試み自体が信念なのだと思います。
科学が、将来ほぼ完璧な隙の無い世界像を提示できるようになったとしても、それを知識として
活用するだけでなく、自分自身の世界観として取り込んだとしたら、それは信念でしょう。
>>960「絶対性は、主観性の客観性としてしか存し得ない。」
全てにおいてその通りだと思います。
969417:03/07/13 13:37
調子に乗っていろいろ書きましたが、ちょっと反省モードに入ってまつ。
やはり、概念が混乱しているところがあるようで、自分でもときどきわけが
わからなくなります。共感=違和みたいなことも言ってるし、自分で書いてて
そのときには気づかないで通してしまっているところが、いけません。
マジにもう少しきちんと考えるべき事柄です。ちょっといい加減すぎ。
970417:03/07/13 16:40
>ガテンコさん
ちょっと遠くの大きな本屋とか、中央線の駅前の本屋を探してなかった「日経サイエンス」
でしたが、地元の小さな本屋さんに売れ残っておりました。買って読みました。なかなか
興味深い文章でした。ご紹介、ありがとうございました。
971テレシコワ:03/07/13 17:51
417さん >>969
そうなんですか。どうなのだろう、思考に追いつこうとしてだーっと書くという感じ
なのでしょうか。だとしたらそれはそれなりの価値があるのではないですか?
あとで再度まとめる、というのはもちろんありがたいことです。
反省ならわたしこそ。
>>966個人的な経験が関わってくる部分に対して、「楽しくなってくる」って書き方は
軽薄でした。おもしろい(interest)ということなのですが、それにしても、不愉快に
思われる方がいらしたら、ごめんなさい。

ガテンコさん >>968
わたしは、そのような広い「信念」に対して、その外部という考えを許したくないし、許され
ないはず、と考えているので、信念にすぎない、とか、「絶対性は、・・・にすぎない」という
消極的な言い方をしたくない、という態度をとりあえずとってます。
言い回しの違いなので、真か偽かと問われたら前者なんですが。
――と書きつつ、とても迷いもあります。 かなり微妙です。
語り得ぬものについては沈黙すべし、といいたいわけではないし。
>>842の「異文明」という概念のことを思ったり…。
こんな風に、曖昧なまま半ば保留していることがらに目を向けさせてもらえるから、ありが
たいです。
972417:03/07/13 23:14
僕の考えが今一つ不明確なのは、共感についての理解が不徹底だからです。
微塵の言う2つのリアリティ(実在)を、僕も認めています。この二重のリアリティのうち、
我々が普通に知り得るのは、実は内的なリアリティの方なんです。外的なリアリティは、
実は複雑すぎて脳では処理切れない。それゆえ、脳はむき出しの普遍性たる世界をリアルに
把握することはできない。だから、我々のリアリティは実は二重性であって、しかも、この内的
リアリティ自体も全然単純じゃない。

今、外部のリアリティは複雑だと言ったけれども、実は我々の対人関係が複雑なのは、
決して本当の意味での外部のリアリティの複雑さではないのだ。我々が対人関係で常に困難を
感じるのは、むしろ他者の世界と自分の世界とが異なることをなかなか認めたくないという
事実からきているのだ。僕たちは世界は一つだと信じたいのだ。でも事実は違う。我々は
一人一人違う世界に生きている。それを一つの世界にしようとあがくことで、問題をさらに
難しくしているのだ。ハーッ! チカレタ。大分デムパ入ってまつ。

哲学者たちの努力は、まずこの内的世界の客観的法則を理解しようという努力だと考えてよい。
(これは、今リアルタイムで考えながら、思いついたことを書いただけ。あまり信用する
べからず)
973417:03/07/13 23:28
ところで、共感は実は最初から保証されている。これは最初から主観を超えている。ていうか、
内的世界の制約は、共感には本源的には課せられていない。それは、生命というシステムが、
実は最初から共鳴・共感という実体の上に成立しているからだ。
しかし、これについてはまだ展開できない。実は、ここが一番難しいことだからだ。しかし、課題があたえられたときは、解決の手段も粗えられている……のか?
974417:03/07/13 23:31
スマソ、ほとんどスレ汚しですた。もう頭グチャグチャ。
975:03/07/13 23:51
>>972>>973>>974
非常にわかりやすいですけど?
976大三元:03/07/13 23:53
>>965
>そうですね、ただ、それは意外に簡単なことではないかもしれない。
>どれが自分に必要かを把握して取捨選択できる賢明さが求められますから
禿同。必要十分な情報を得る為には、実は多くの無駄が不可欠だったり・・・。
今の時代は情報が多すぎますね。そしてこれからもどんどん増えていく。
しかし、人間の情報処理能力が、情報量の増加に対応して上がっていけるわけではない。
情報が手に負えなくなってますね。

マンガ一つだけ勧めるなら「神戸在住」木村紺。
これならテレシコワさんと共有できそう?
>>968
>世界を体系的に捉えようとする試み自体が信念なのだと思います。
ばり同。浪漫と言ってもいいと思いまふ。
>>969
調子に乗って、後先考えずに、大雑把に考えるのが右脳の役目だと思います。
不可欠な思考の過程だと思います。そしていつも「遅い意識」が後から反省する。
いかに右脳を調子に乗らせるか、そしていかに後から左脳が反省するか、
だと思います。自分の文章後で読むとイタイよねぇ(汗藁)。
977417:03/07/13 23:55
僕の頭のなかではわかりにくかったのでつ、スマソ
978417:03/07/14 00:02
もうすぐイパーイでつね。次すれ、よろしくおながいしまつ。>1さん
979417:03/07/14 00:04
僕が今一番愛読しているマンガって「湾岸ミッドナイト」だったりする。
これは走り屋さんのマンガだから、ちょっとテレシコワさんとは共有しづらいかな。
でも、意外と「哲学的」なマンガだったりするんだよ。
980テレシコワ:03/07/14 08:37
1000が近づきつつあるところなのに、独り言書き込みをいたします。
具体的、科学的な話題になったらまた大人しくなりますので…
レスを読んでるうちに想定された、ここにはけっしていない、「概念相対主義者」への反論です。

自分が拠っている個々の基準や見方を相対化することは、他者と関わり、対話する際に
求められる倫理的な態度である。(「右往左往」もこの態度だと思います) ここで相対化
とは、何かを他のものと比較可能な多の中の一つとして見ることである。
ところで、このように世界内部の個々の事柄についてではなく、あらゆる見方の基本にある
世界全体についての枠組みを相対視する際に、その中に他者をも含め、もはや相対化によ
って向き合う他者がいないような場合(これが概念相対主義者のすること)、この相対化は、
倫理的に価値がないばかりか、完全には不可能なことである。
すべてを人間の主観の中のこととし、それを相対化することは、そこで別の主観を想定しない
かぎり不可能である。そして別の主観が想定されいてるならば、何か相対化されていないもの
がかならず残っている。
(現在有効な概念はすべて「」付きで便宜的に用いられるものである、というならば、その「」が
はずれる場がありうるだうろか。概念はまず、うのみにするものとしてあり、それ以降で、個々
の相対化が行われる)

ツモのみさん417さん、マンガに触れてくれてありがとうです(涙) 木村紺は前少女マンガ畑にい
ましたよね? 417さん、読まず嫌いはやめようと思ってます…。
ただ、さいきんずっと読んでなくて、(スラムダンクは愛読書だけれどバガボンドは未読な始末。)
そんな風に年を取りたくない!と思っているのでやばいです。
981テレシコワ:03/07/14 09:01
>>980 うーんわれながら読みにくい(笑)
独り言といえば、>>971にあるガテンコさんへのレスもすでにそうでした。

417さん>>972
>哲学者たちの努力は、まずこの内的世界の客観的法則を理解しようという努力だと考えてよい。
それは1さんの言葉を借りると、「外界とは別の外界」に関することを、「再現可能な共通了解」に
移行させる努力、ととってもいいのでしょうか。
違うかなあ。 
もしそうなら、417さんの中で哲学の株があがったなあ、と思ったりします。
わたしは、「サイエンス」でも、別の外界を扱うならばそれも哲学としたくて、
そう書きたくて堪えていたのです。
>>973、とっても同意。展開期待してます。もちろんゆっくりでいいですよ〜
982:03/07/14 15:27
次スレ立てました。
よろしくお願いいたします。
新しいスレはスタートダッシュが重要なので、カキコの比重は次スレにかけてください。

■■外界とは別の角度の外界―第二章■■
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1058163705/
983:03/07/14 15:28
すっかりスレタイが変わりましたが・・・・・・ご容赦w
984大三元:03/07/14 17:09
>>980
同意です。「思考停止型、人それぞれ主義」と言ってもいいと思います。
相対的な測り方とは、二者を天秤にかけることです。天秤自体は絶対です。
天秤は、物が二つないとハカれないので、天秤にとって二者は等価です。
天秤に分かることは、二者が釣り合うか、釣り合わないかだけです。
これは、二者が「質的に」違うか、同じか、と言えると思います。
「量的」な事は「天秤だけ」でははかることはできない。1グラムの二者をハカっても、
1トンの二者をはかっても、天秤に分かるのは「二者が釣り合う」ということだけ。
1グラムと2グラムでも、1グラムと1トンでも「二者が釣り合わない」ということだけ。
量的な事は「絶対基準」を想定して、一方的に測るしかない。物差しとか。
天秤でも「分銅」という基準があれば量をはかれますね。

相対化では価値に「優劣」はつけられない。むしろ、無自覚に鵜呑みにしていた価値の優劣を
リセットする事が相対化の意義です。消しゴムの役目。消したところで思考停止すると、
ニヒリズムに陥ってしまう。価値の判断を行うためには、もう一度「自覚的に」価値の優劣を
「決めつけ直す」必要がある。自分の「立場」を決める、「視点」を定めるということ。
・・・・・・と、以上のように思います。
相対化から陥るニヒリズムにはオイラ自身結構苦しみました。
自分の中に「基準」がなくなって(と思いこんで)、何に対しても感動しなくなった時期があった。
だから、ニヒリズムに対して共感は出来ます。抜けられたオイラは幸運だと思う。

>木村紺は前少女マンガ畑にいましたよね?
そうなのですか?少女マンガ畑まったく知らないのですが、「神戸在住」がデビュー作だと
思っていたのですが・・・。ぐぐっても、他の作品に当たらないのですが。
神戸在住は俺イチ押しです。特に表紙カバーを取ってみることをお勧めします。
井上雄彦は「リアル」もお勧め。現在2巻まで。車椅子バスケの話。
>417さん
誠に遺憾ながら「湾岸ミッドナイト」共有できませんw。
ちょっとオイラの志向的クオリアから外れてるかな。
985417:03/07/14 17:37
僕がこのスレに最初のレスをしたのが5月で、まだ2カ月弱なんですね。
速いんだか、遅いんだか。何だかいろいろなことがあったみたい。

一連のレスに対する返事はもう少し猶予をください。
986大三元:03/07/14 18:30
「絶対」を二者の間の「対等でない、一方的、主従的」関係性だと解釈するなら、
二者間の絶対的関係は、常に二通り想定できると思います。
例えば、「鶏が卵に従うのか、卵が鶏に従うのか」の二通りです。
ここに、「鶏が先か卵が先か」という問題が発生する。
417の「絶対性は、主観性の客観性としてしか存し得ない。」に対しては、
私の「絶対」の解釈からすれば、
「絶対性は客観性の主観性としても存在し得る」と言えます。
ここに、二重性があると思います。
「自己家畜化」で言えば、「実在」としての自分が「実在世界」(他)に従わざるを得ない
ということを認めるということは、観念的には、その概念自体を自分に従えることになる。
「『自分が世界の一部である』という概念」が「自分の概念」の「一部」として取り込まれる。
・・・という二重性。
容認する(あるいはさせる)ということは、ある種の「取引」と言えると思います。
いかに自分に有利な取引をするか。この取引が下手な「自己」は苦労するのだと思います。
なんか身も蓋もない言い方ではありますが。
>>985
マターリ、行きまっしょい!
987417:03/07/14 19:10
>>986
新スレの方をよろひくおながいしまつ。
参照>>982
988417:03/07/14 20:52
ここ数日、なんか変・・・。何がどう変なのかわからないでつが、とても変。
まだ続いている。じっと我慢、我慢、焦らない!!
989417:03/07/15 09:57
おはようごさいます。
本当にスレが残り少なくなりますた。新スレもできて、こちらは軽いレスに使えという
1さんのお言葉ですので、少し軽いのを。

相対的に見るということは、直接的な関係への拘束を自覚するということだよね。
そして直接的な関係の中では「絶対的」と見えていた「価値」を相対化するということだ。
しかし、「主観的」価値そのものが消えるわけではない。「見え方」が変化するだけだと思う。
多様な価値の中の一つになったわけで、その分軽くはなるけど、なくなるわけではないよね。
この多様な価値をどう見るかというのが次の課題になるわけで、この個々の価値の客観性を
僕は絶対性だと思っているんでつ。主観の客観性というのは、そういう意味なんでつよ。
アフォーダンスから見れば、あらゆる価値は「客観的」なのだし……?
990山崎 渉:03/07/15 12:37

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
991かい:03/07/15 12:40

               _
              /  \―。
            (    /  \_
             /       /  ヽ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
         ...―/          _)  <  フィーバー フィーバー 山崎フィーバー
        ノ:::へ_ __    /      \_____
        |/-=o=-     \/_
       /::::::ヽ―ヽ -=o=-_(::::::::.ヽ
      |○/ 。  /:::::::::  (:::::::::::::)
      |::::人__人:::::○    ヽ/
      ヽ   __ \      /
       \  | .::::/.|       /
        \lヽ::::ノ丿      /
          しw/ノ___-イ
           ∪
992417:03/07/15 13:44
upside down
こんなこともやるんでつか? 2ch 恐るべし。つくづく……。
993ガテンコ:03/07/15 16:15
>>989
>この個々の価値の客観性を僕は絶対性だと思っているんでつ。
またまた曲解してしまいました。申し訳ない。

すごく単純な体験からきているのです。
私のお馬鹿な友人が、敬虔なキリスト教徒の先輩に、
「僕は人間は猿から進化したと思うんですけど、ダーウィンの進化論についてどう思いますか?」
と尋ねている所に居合わせて、『はぁ、また困った質問を…』と思っていたのです。
が、先輩は、さらりと「私は神が世界を創られたと思っています。」と答えました。
その時、『あれ?私、学校で教わってきたこと、当然に本当のことだと思ってきたけど、
当然に本当と思える確固とした根拠があったっけ?』と思うと同時に、世界がぱらぱらって
ほどけた気がしたのでした。
994417:03/07/15 18:18
>>993
ふっと解ける瞬間ってあるみたいですね。でも、僕はもともと相対主義的なものの見方を
していたような気がします。それには理由がありまつが、別の機会に……。
995考えろ名無しさん:03/07/15 18:46
417でつ
変なコテを思いつきました。「考えぬ名無しさん」でも「考えれ名無しさん」
でも、「考えた名無しさん」でも何でもいいんだけど……バカデツネ……ショボン
単なるスレ汚し
996感がエロ:03/07/15 20:30
オニーチャン(*・∀・*)エッチー!!
997417:03/07/15 22:06
>>997
よく考えつくよな、たいしたもんだ。
998大三元:03/07/15 22:16
>>997
自画自賛でつか?爆。
999417:03/07/15 23:01
自爆でつね
(*≧∇≦*)ぶぁっはっはっ!!
1000417:03/07/15 23:02
しようがないから
1000ゲトゥー!
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。