1 :
考える名無しさん :
03/02/09 20:22 人生最大の発見は「原則」である。 個人のみならず、人類にとっても最大の発見であるだろう。 あと何十年もすれば、一般的にも認知されているのではないかと思う。 ひとまずここにスレを立ててみようと思う。
2 :
考える名無しさん :03/02/09 20:47
いいな いいな 意味不明なこと言える才能 いいな
3 :
くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A :03/02/09 20:53
俺は失敗作だった!
因果?
5 :
考える名無しさん :03/02/10 23:31
「例外」は?
6 :
考える名無しさん :03/02/10 23:35
>1 残念だな、おれの方が先に発見してたぜ。
私は原則的に原則には反対である(トリスタン・ツァラ) 思い出したのでカキコ
8 :
考える名無しさん :03/02/11 00:02
10 :
考える名無しさん :03/02/11 00:04
別に1が発見したわけじゃないだろ。普通の哲学用語だし。
>4 「原則」があるから「因果」ができる。 ふと考えただけの回答です。 >5 「例外」は見つかっていない。 私も反例を探していたのだが見つからないのだ。 >6 それもいいだろう。 発見は世の中の人に認知されてこそ価値がある。ということも多い。 そうなるまでに時間のかかった例も多いだろうが。 >7 なるほど。 ちなみに、私の中では完全に「原則」があると信じているわけではない。 今のところ、「原則」があると仮定するとどういう考え方になるのか? というように考えていたのだが、今のところはすべてにおいて辻褄があっているところである。 いつの間にか、そういう考えが自然と身に付いている感もある。 しかし、主観的な判断とは区別がつき、 反例が見つかればすぐに気がつくはずである。 また、そういう目で物事を見ていると学ぶことも数多く出てくる。 私自身では、これ以上無理に探す必要もなくなったと考えたので、今ここに来ている。 実は、実生活にその考えは大いに役に立つと思われる。 今現在、ある程度のところまで考えがまとまってきたので(本当のところは分からないが)、 とりあえずここに書き込んでみるか。と思った次第である。
12 :
考える名無しさん :03/02/11 14:36
後々、それなりに考えている理由など書いてみようと思っている。 「原則」について認識している人の意見なども。 そもそも、それは私一人で考えたあげたものではない。 少なくとも、「原則」をある種のテクニックとして利用している人も多い。 人は様々な人の考えに接し、いろんなものに触れて考え、学びながら間違ったら修正もする。 それを繰り返しながら人は成長していくものである。 私の場合、(今のところ)最後にたどり着いたものが「原則」であったと言うことである。 そして、それを超える考え方が存在するとは、なかなか考えられないのである。という結論に来つつある。 まずは「原則」とは何か? が先であると思うが、それを伝えることは難しい。 そもそも1に書いた通りでもある。 とりあえずは「自然の原理」ということにしておく。 もしも、人生とは『迷路とは知らされずに、迷路に放り込まされた人の生き様』と例えるなら、 「原則」を探そうとして生きることは、ゴールを探しながら進んでいくことであるとも言えるだろう。 迷路の中で、ゴールを見つけようとせず、お店屋さんをして生きるんだ!という人がいれば、 それもまた、その人なりの一つの人生ではある。 ちなみにこの場合、「原則」とは迷路の世界のルールである。
私が言いたいことは、この現実社会には「原則」に則った考え方がある(?)。ということである。 このことは、他のものの考えを否定することではない。 私たちには、私たちなりの考え方はしっかりとあるのだ。 「原則」が分かれば、「原則」的な考え方を使うかどうかの選択をすることができる。 しかし、考え方が違えば行動も変わる。 となれば自ずと結果も変わってくる。 結果は常に「原則」によって支配されているのだ。 人間はそれに気がついていないだけである。 ちなみに、『未来は変えることができる』とよく言ったりする。 これは、その人の考え方を変えれば結果が変わってくるということであって、 「原則」から見れば、それは当然ということになる。 本来人間は自由意志を持つことができるというのが、「原則」的な発想である。 曲がった考えでは行き着く先も、その考えの範囲内にしかたどりつけない。 視野が狭ければ、見えていない場所に行くことは難しいのである。 ちなみに「原則」は、過去・未来、誰にとっても常に同じで一貫しているものである。 そもそも、「人間も自然の一部である」というのが「原則」的な発想である。
一応、1のように挑発的に書いたのは、 ここにいる人たちへの挑戦状という意味でもあります。 また、それについて話せる人がいれば議論してみたいと思っている。 今のところは、すべての人には「原則」は分からないのではないかと考えている。 それぞれの人なりに「原則」を解釈するかもしれない。 「原則」というのはある種の考え方ゆえ、 ある部分、その人独自のわがまま的な考えを捨てなければ手に入れられないこともある。 それと、自然を理解するということなので、それなりの理解がほしい。 しかし、学ぶことはできる。 もし本当に「原則」が分かった人であれば、 何日も悩み続けたクイズの答えを聞いた時の何百倍の衝撃を受けようか。 「原則」というのは一つの真実である。 私としては、なんとなく「原則」らしいものがありそうだと思ってくれれば、 今はそれで十分であると思っている(すぐにはそうもならないかもしれないが)。 ひとまず、ここまでに書いたのは「原則」そのものについてである。 実際の現象など、またあとで根拠を持ってきてみたい。 最後に、哲学板にスレを立てたのは、 ここの趣旨が、一番あってそうだということも含め、 人間的にも良さそうだと考えたからです。 他に考えた場所は、経営板か、科学系の板ですが。。 ちなみに、哲学的なことを質問してもらえれば、 答えられる範囲で、「原則」の観点から答えてみたいと思います。 長々とへたれな文章すいませぬ。12=1でした。
15 :
考える名無しさん :03/02/11 14:40
原則ってなんですか? もののきまりってえか基準とか法則とかそういうい意味ですか?
おっと、いきなり凄いですね。 レス読みましたよ。 僕には難しいんでもいっかい読んでみます。
17 :
考える名無しさん :03/02/11 14:45
定説 って流行ったよネ。
もっかい読みましたが、共感できる部分がほとんど無いので、 僕は原則を理解していないようです。というか正直あるとは思えないです。 僕は一寸先は闇だと思ってます。 そのなかにおいて、せいいっぱい自分の信念を貫いていこうと思って生きてます。
19 :
考える名無しさん :03/02/11 14:53
>ちなみに、哲学的なことを質問してもらえれば、
>答えられる範囲で、「原則」の観点から答えてみたいと思います。
一つ韓国です。間違いました、挑戦です。
記号論理の同一性の成立条件について、「原則」的にはどう説明をつけますか?
例えば
>>1 に書き込まれた「原則」と
>>14 に書き込まれた「原則」
が同じく「原則」という語として読まれるのはどうしてなのか、ということについて。
どうして哲学板では持論を「今までにない発見」と吹聴する人が目立つのだろう。
21 :
考える名無しさん :03/02/11 15:50
原則よりも原理の方が原理的だよ
22 :
考える名無しさん :03/02/11 15:54
イスラム原理主義のおかげで、原理主義って言葉はかなり一般に浸透してるNE。
23 :
考える名無しさん :03/02/11 16:33
前から思ってたが、哲学板って頭が平均異常の奴多いよな。
24 :
考える名無しさん :03/02/11 16:33
平均以上だった。
25 :
考える名無しさん :03/02/11 18:11
原則は存在するけどどんなのかは知らないよ
>15 正直でかっこいい方ですね。 後になってわかるかもしれませんが、今はそれでいいと思います。 >19 とりあえず「原則」的な意見としては、他の条件などが分からないのでなんともいえません。(^^; 記号論理の同一性の成立条件という意味も良く知りませんし。 そのままの意味だとしたら、 「原則」という同じ語を使っているので同じでいいのではないかということになりそうですが。。 他に日本語で読まれるような読みはないと思いますし。 大した回答ができなくてすいません。
もう一度「原則」について考え直すことにしたい。 「原則」とはあらゆるものの根本原理である。 自然の摂理といった方がわかりやすいだろうか。 この世の中はビッグバンから始まり、地球上では今この環境に至る。 人類は原始的な生活から始まり、農耕社会に進み、産業革命が起き、そして情報革命が起きた。 その間文明や科学・スポーツ、そのほか様々なジャンルが生まれ発展してきた。 そして人類は巨大な組織をも作るようになったのである。 (もしも「原則」が存在するなら、これからは脳内革命が起きるだろう。) 統括してしまえば、ひとくくりに話せてしまえる出来事でも、 そこにはとても言い尽くせないほどの出来事が凝縮されている。 「ビッグ‐バン【big bang】(広辞苑より) 宇宙のはじめに起ったと考えられる大爆発。またそれによる宇宙開闢論。 大爆発による高温・高密度の状態から膨張して今日の宇宙ができたとする。 膨張宇宙、宇宙黒体放射、元素の存在比などが証拠とされる。ガモフの提唱。」
長い歴史の中で「うまくいっている組織」「正しい判断」「成功した人」、これらは数多く存在しているが、 その裏には「成り立たなくなった組織」「誤った決断」「敗北した人」も数多くある。 これらを一貫して分けるものはなんであろうか。 また、そんなものが存在するのであろうか。 実は、古今東西あらゆるすべてのジャンル・出来事において、 それらを一貫して矛盾なく説明できる観点があり、それが「原則」によるものである。 「原則」からの観点でなければ、矛盾なくすべてを説明することは不可能である。 どこかしら一部でも「原則」に反した(曲がった)考え方を用いると、 必ずどこかで行き詰まるのである(筋が通らなくなる)。 そのとき人間は異常なまでの不快感を覚えるが、「原則」が分かればその不快感から解放されるのである。 そもそも自然の摂理というべき「原則」が存在するとすれば、そのことはある意味当たり前ともいえる。 そして私の言いたいことは、自然の摂理という「原則」が存在するということだ。 ここで一つ付け加えておこう。 実は「原則」そのものが存在しているか、あるかどうかは議論しても良いところである。 しかし自然の摂理は明らかに存在している。 常にその摂理を利用することができるのであるが、 考え方として『「原則」としてはどうなのか?』という思考の形態がしっくりくるので、 その摂理に則った思考を、「原則」に則った思考と呼んでいるのである。 「原則」があるというのはそういうことなのである。
しかし、勘違いをしてはいけない。 すべてのものが、「はい」または「いいえ」のどちらかで判断できるわけではなく、 「どっちつかず(説明がつかない)」という曖昧であるが、 そのような判断が真実であることも多いのが現実である (そのことについて、さらに深い意味は別にあるのだが)。 また、「原則」に則っているものが、 「原則」に則っていないものに負けることも珍しくないのだ(このことは「原則」から説明がつく)。 しかしこれらは「原則」が役に立たないという理由にはならない。 人間にとって「原則」は単なる指針にしか過ぎないのであるが、 逆に言えば、常に指針にすることができるありがたいものなのである。 そして何かしらの時、前人未踏の領域に踏み込むのであれば「原則」は強力な武器になるはずである。 それは、『複雑な人間関係のある組織作り』、 『わけがわからないもの・複雑怪奇なもの』に取り組む時にも「原則」は大変役に立つ。 つまる所、どんな時・どんな場所・どんな対象にも人間にとって役立つものが「原則」なのである。 世の中で、意識を持って動くことができるのは人間だけである。 「原則」を利用するかどうかを決める権利を持っているのも人間だけなのである。
万有引力の法則は誰でも知っていると思う。 その法則を利用するから、弾道計算が可能になり、狙った地点にミサイルを当てることができた。 また、その法則を利用するから、宇宙に行くために必要なエネルギーが分かりロケットの設計ができた。 他にも多くの事例で法則は役に立っている。 しかし、自然の摂理である「原則」が存在するという主張にはお目にかかることは滅多にない。 重力の法則だけでなく、あらゆるものにも自然の摂理があると考えても まんざらおかしくもないのではないか。 そして、「原則」があれば利用することができる。 読み飛ばしてもらって良いが、一つ付け加えてみる。 様々な分野、例えば○○という分野があるとする。 すると○○には、「○○の原則」が存在することになる。 すると、このような「○○の原則」や「××の原則」が分野ごとにあるので、 『「原則」はいくつも存在する。』という考えになりやすいが、それは間違いである。 「原則」はただ一つであり、すべての根本原理の「原則」が存在するから、 そこに因果関係が生まれ、あるジャンルが生まれると、 「○○の原則」が誕生するという見方が「原則」的である。 そして、どの「原則」も似たような振る舞いを示す。 それは、一つの「原則」から派生したものだからである。 異なる分野の中で、なにか同じ要素を見つけることがあったり、 何でもうまくやってのける人がいたり、『一芸は多芸に通じる』といったりするが、 それは、このような裏舞台から現れる現象である。 何でもこなせる人は、何気なく無意識のうちに、 理に叶ったやり方(「原則」に近いやり方)で物事をこなしていたのである。 「原則」が分かれば、意図的に理に叶ったやり方(「原則」に則ったやり方)で物事がこなせるようになる。
しかし、なぜ「原則」に納得がいかない人が多いのかといえば、 おそらく人間は、人間の特性についての理解が大分欠如しているのが通常であるからだろう。 常に他者から、自分には見えていないものを学び取ろうとする心構えが欲しいと思う次第である。 また、それができるためには、そういうものがあることを知らなくてはならない。 しかし、自然に対する理解も十分とは言えない。 もしも、もう少し自然に対する理解があれば、「原則」があることへの反発は少なくなるのではないだろうか。 少なくとも自然現象は、人間の特性に比べたらわかりやすい。 明らかに「原則」が存在しているように思えやすいのだ。 人間は、自然の産物の中でもっとも高度な生き物なのである (少なくとも、今のところ地球人が認識できる範囲内で)。
ある人が「原則」はないと言っても、その人が「原則」はないと言っているだけに過ぎない。 もしも誰かが「原則」が存在しないことの根拠を持っているなら、そこからまた学ぶべきものがあるだろう。 しかし、「木を見て森を見ず」のような根拠ではなんとも言えない場合もある。 そして、おそらく探って行けば、木にも様々な理由があることが伺えるであろう。 リンゴが落ちることが当たり前であるとは思ってはいけない。 なぜリンゴが落ちたのかという理由があるのである。 思い込みは「なぜ」を欠如させる。 真実はあると思おうが、ないと思おうが、探していこうとしなければ答えは見つからないのである。 そしてその答えは誰かが分かっていようが、分かっていまいが、すでに決まっているのではないだろうか。 もしかしたら、「はい」または「いいえ」のどちらでもない結論になる場合もあるかもしれない。 しかし私が思うに、「ある」可能性は高いのだ。 いや、少なくとも「ある」と仮定すると、都合の良い場合が非常に多く存在するのである。 ここにもし、「原則」はないと言う人で、その人独自の世界観がすでに完成し、 どうやってもその考えを変えることのできない人がいたとしたら、 その人は、「原則」のない世界に生きているということになる。 しかしそのことは、「原則」には反していないだろう。 例えて言えば、他人を平気で裏切ることのできる人は、 人を信じることは許されない世界に住んでいる場合が多いと思われる。 人を信じる人を見たときには、それこそが信じられないのである。 しかし現実的には、人を選べば人を信じることができる。 それと同じ事である。
そしてこれは予想であるが、「原則」という考え方はこれから広まっていくのではないかと思う。 仮に100年が経てば、今生きている人の多くがいなくなっているだろう。 つまり、これから生まれてくる人が生きている時代ということになる。 小さいときからまわりの環境が、「原則」の世界に生きている人の作る環境であれば、 その子供は「原則」が自然と身に付いている可能性も高いだろう。 そしてもし、本当に「原則」が存在するならば、 その場合こそが本当に「原則」通りに、「原則」が人類に共有されるようになる。 地球上に住む全人類が同じ世界観を共有できるとすれば、 それは真実を通じてのみにあり得るのである。 そしてこれが「原則(principle)」という考え方なのである。 もし「原則」が分かった人であれば、 他人の考えさえ、「原則」に従っているか、反しているかがわかるであろう。 そして、困っている人にはアドバイスをしてあげられるかもしれない。 そういう状況の時は「原則」からみたアドバイスをしてあげてほしい。 そのときは「原則」を口にする必要はない。 そうしていくうちに、「原則」的な環境が作られていくのではないだろうか。 それに加え、「原則」が分かれば、分かった人からも広まっていく可能性もあるだろう。
36 :
考える名無しさん :03/02/17 03:29
>>1 こんなところにこんなスレを立てるのも、なにか原則に由来する意味があるの?
ところで、この掲示板にこういうことを書くのは少し趣旨が違うようなので、
もしかしたらどこかにホームページを作るかもしれません。
私は2年くらい前に「原則」をひらめき、
それから新鮮な気持ちで常に副業のように「原則」をさらに探求し、実践してみたりしました。
今になってはすでに当たり前のように身に付き、
「原則」の探索は、これ以上の成果は少なそうなので、
ここらでせっかくなので、まとめてスッキリさせたいと考えていました(実は私自身は原則には飽きました)。
また、「原則」について利用できるように体系的にまとめてみたいと思っていたのですが、
一人でそれをすることは難しいと思ったので、
何らかの形で掲示板が利用できないかとも思っていました。
とりあえず、ホームページを作ったらここで宣伝させてもらうかもしれません。
何か質問や意見でもあったら、ここかメールにでもと思います。
[email protected]
最後にネットに書き込んだ理由でありますが、 それは、「原則」そのものについては身近な人と話すことができないからです。 理解力不足なのも加えて、それはその人の人生をも変えてしまう可能性があるからです。 しかも「原則」があるなどといったら変人扱いにされてしまうかもしれません。 しかし、私には「原則」が存在しているように思える。私には「原則」の意味が分かります。 そしてそれは人の役に立つものであるし、誰もが学び、習得できるものだと思っている。 もしもそれが真実であるなら、いつの日にか必ず日の目があたるときが来るだろうと考えている。 そう思って、ネットで心の叫びを書き込みたいと思ったのである。 「世の中には真実がつまっているのだ。それらは誰がなんと言おうが絶対的なものである。 そして世の中には絶対的な考え方が存在し、それに反している考え方も存在しているのだ。 しかし、だからと言って世の中の人が原則に則ろうがそうでなかろうが私には関係がない。 それは、自然界は「原則」通りにものが進む故に、私には手の施しようがないのだ。 しかし私は思っている。世の中はゆっくりだが、確実に良くなっていくのだ。 今は劇的な転換期であり、激しく世の中の動向が変わる。いらないものはふるいにかけられている。 様々な分野はさらに細分化され、新しいものに触れる機会が格段に多くなっている。 ある意味先が不透明な分、今が一番恐怖の時代かもしれない。 しかし、人々が原則に気が付き、一人一人が力を合わせて様々な謎を解き明かし、 世の中の動きのすみずみまでを一本の筋で通し、 澄み切ったように見通しの良い環境に作り変えることができたなら、 人々は心から安心し、心から満足して暮らせるようになるであろう。 世の中の組織構造の理想とはそのようなものである。 そしてその日も、確実にそう遠くない将来到来するのではないだろうか。 しかし、それは私たち一人一人の手にかかっているのである。 一人一人はできる範囲のことをやれればいいのである。」 さあどうなるであろうか、私は「原則」をまとめられたら自分の仕事に取りかかりたい。
39 :
考える名無しさん :03/02/17 03:37
>>35 に挙がってる本の唱える原則なんて、人間というローカルな存在の、ローカルな時代の、ローカルな文化にしか通用しないと思うんだが。
それに「普遍的な原則」としては数が多過ぎるし。
>36 ちょうど連続カキコで制限されていたところでした。
41 :
考える名無しさん :03/02/17 03:42
>39 とりあえずそのことは、31のカキコの凹んだ部分に理由を書いてみた。
41=1 でした。
その派生させる大元の原則の代表的なものを挙げてみてくれ。 解釈の余地が広過ぎてようわからん。
>43 たぶんそれは感じ取ることしかできないんじゃないかな。 そもそもよくは分かってなから断定はしていない。 だからその大元の原則があった。 と言ってみてるわけです。 よかったら、とりあえず全部読んでみてほしい。 今日はもう寝ます。
>45 はは、さすがにずっと寝ているわけではないですよ。
47 :
十二使鳥 メジロ :03/02/23 20:47
認識できる原則なら逆らうことができるし、認識できない原則は問題にもならない。
逆らうのが虚しくなるほどの原則には逆らいたくない・・
ここにスレを立てて一ヶ月が経ちましたが、 原則をまとめ上げるのは厳しい作業なので、一括してまとめることはせず、 とりあえずボロを出しながらでも、 垂れ流しのような感じでここにカキコして行きたいと思います。 後になって、整理しながらスッキリとまとめることはできるでしょう。 ここまでいろいろ書いてみましたが、 趣旨としては、原則があるということの主張と、 「原則」という、ある意味辞書的な意味を述べたに過ぎません。 例えが好きなので例えて言えば、 美術作品の説明や評論というのはいくらでもあると思いますが、 作品そのものは伝えることはできません。 このことを百聞は一見にしかずというのでしょうか。 こんなゲームがあるとします。 Aさん、Bさんがいるとして、 Aさんにある絵(記号か模様かも分からない)を見せます。Bさんはその絵を見ることができません。 Aさんは言葉のみでBさんに、そのAさんが見ている絵を描いてもらうゲームです。 どうあがいてもBさんは原型の絵を書き上げることはできないのです。 優れた美術作品を言葉のみで伝えることができれば、それもまた面白いとは思いますが。(^^; (数学的なものに置き換えらるものであれば伝えることは可能かもしれません。 または、デジタル表現に直せば伝えられるかもしれません。) 原則についてもそれと同じです。 今のところは辞書的な意味を述べたに過ぎないのです。
くどいようですが、もう一つ例を考えます。が、その前に 世の中には「コツ」や「ノウハウ」と言われるようなものも多く存在します。 「言語を操る脳の神経回路」なんかもそのようなものです。 外国語が話せないのは、その外国語用の回路がないからです。 車を運転できない人は、その運転用の回路が脳に作られていないからです。 また逆に言えば、職人芸などを持つ人は、それ用の回路を持っているということになります。 これは大なり小なり様々なところで当てはめることが可能だと思います。 そもそもそれらは脳の働き(運動神経とも連動します)なのですから。 「回路」というのを、そういう能力が科学的に説明できる為の、元となるものとしてみます。 そして、おそらくそれらは実在していると思われます。 多少ではありますが実際に調べてみることも可能です。 ちなみに、意図的に回路をうまく使いこなす方法も存在していると思います。 (回路について話せばキリがないので、今はあまりしないことにします。 回路についてはとりあえず納得はしてもらえるのではないでしょうか?? とりあえず思うことは、回路は材料があって、うまく調理されれば作られると考えられます。 しかし、すべての人がすべての種類の回路を作ることはできないと思います。 ちなみに回路は基本的に不可逆変化(基本的な脳の機能とも一致)で、 常に変化させることが可能です(原則に向かいながら変化させて行くのが理想なのですが)。 そして、その回路の種類は実に多様です。 常識の範囲内のものであれば、大抵の回路を作ることは可能で、 回路の概念がつかめれば、それまで考えていたものより 多くのものの回路を作ることが可能だと思うようになるとも思います。 当然、意図的に材料を増やすことは可能ですし、調理法を増やして行くことも可能です。 材料とは何か?調理法とは何か?という話も必要だと思いますが。)
コツやノウハウを言葉で伝えることは難しいというより、実は不可能なのです。 それは、特殊な回路の存在によって成り立つものだからなのです。 言葉でうまく伝わったとすれば、相手はうまくその言葉を 実際の現象に置き換えることができた(回路が形成された)ということです。 例えば、小学生で逆上がりのできる生徒に、そのコツは何か?と尋ねます。 大半の人は即座には答えられないのではないのでしょうか。 答えられたとしても、その答えを聞くことによって、 逆上がりができなかった生徒が、突然できるようになることはさらに稀なことだと思います。 つまり世の中には、そのようなことは珍しくなく存在しているわけです。 何かの専門家は、その専用の回路を作っていることも珍しくなく、 そのために、一般の人には理解できないものとなるのです。 そして『原則が分かる』というのも、一種の回路があるわけです。
実は、十人十色といいましょうか、万人万色それぞれの考え方があるのは、 それぞれの人の回路が違うからなのです。 そして、それぞれの回路は巨大なものです。 しかしこの場合、センサのタイプも違うと考えられます。 同じ刺激を受けても、それぞれ人によって影響は異なります。 ・・・とりあえずここらでその話はやめておきます。 このように考えると、分かりやすいだろうと思ったまでのことです。 そして、人は理解する範囲を広げる(回路を変化させる)ことができることを付け加えておきます。 ついでに、思考回路を切り替えることも可能です。 相手の立場になって考えることも、思考を切り替えることと言えると思います。 ただし、それは相手が自分の理解の範囲内に入っている場合に限ることもあります。 回路の性質も多様なので、その辺の理解もしたいところです。
思ったことが一つありますが、 『自分はあの人とは考えが違う』という発言を聞いたある人は多いと思います。 その人は、考えが違う人のことを生理的に受け付けることが難しいのです。 認めてあげることができないのです(という場合もあります)。 しかし実際には、それぞれの人の考え方は違うので、 考えが違う人がいたところで、それは当たり前ということになります。 原則的な意見としては、その考えを軽蔑することはあり得ても、 考えの存在自体を否定することはできないのです。 しかしながら実際には存在しているので、 その存在を否定することができないのは、ある意味当たり前なのでは?とも思いますが。(^^; 実際のところとしては、 個人の持っている世界観が、正反対の世界観を持つ人間を認めないのでしょう。 そして、個々の世界観に閉じこもっている人は、真実の世界を観ることはできません。 もちろん、真実を知る必要性は全くもってありませんが。念のため。 今のこれを読んでいる人がいれば、それなりに何かを求めていると思うものがあるのではないかと思います。 強制するものでもなんでもないので、そこら辺はお願いします。 ちなみに、『私の世界観は真実である』と思いこんでいる人も、 真実でない世界にいることもあると思います。 もしも、その人に意見を言っても認められないのであれば、 その意見を理解したうえで間違っているというのであれば話は別ですが、 そうでなければ思い込みの可能性はあるかもしれません。 そして、原則を超えるものは存在しないというのが私の考えです。 多少は微妙なところもあるのですが、 意味もいろいろととれるかもしれませんが、後に説明できたらと思います。
私は自分なりに、原則に従って真実を探って来たと思っています。 私自身では、もう一般的な原則について探す必要はなくなりました。 実は、個人的には組織のあり方を探っているついでに原則を発見したのです。 私自身は、組織のあり方は、常に原則にその判断を求めることが理想であると考えています。 世の中の動きは激しいので、何か一貫したものに頼ることは多大な安堵感にもなるのです。 原則を知らずにその理想を求めていった結果、原則にたどり着いたということです。 今から考えれば、原則を利用するために、原則を探してきたとも言えると思います。 そしてそのようなものがあったとは、驚き、感服した限りです。 組織を運営するには、それなりの頭脳が必要であると思います。 組織全体が活性化していることが望ましいことは言うまでもありませんが、 トップの頭脳こそが、もっとも重要な資産なのです(これは原則ではありませんが)。 私自身は様々なものを通して常に頭が良くなっていくことを感じていました。 さらに上を目指そうとしていたのですが、 どうも原則を超えることはないという今の考えに至ったのです。 その後、組織についてだけでなく、様々な分野の原則についても探っていました。 何かの分野の一流の人の話を聞くことは非常に為になると同時に、多くの共通点があるのです。 もちろんそれは、裏に隠れた原則の結果現れるものなのです。 しかし、原則の存在に気がついている人は極めて稀であるのが現実です。 ネット上にもほとんどそういうサイトはありませんでした(海外のサイトは知りませんが)。
そして私自身は、おおざっぱではありますが、 大型書店にあるすべての本の背表紙はだいたい見て回りました。 様々な思考法や、成功法則関係のもの、人生論や経営論など見てきましたが、 どれも原則には敵わないものばかりでした。 また、原則を述べているものもしばしばあります。 怪しそうな思考法や成功をうたっているものも原則には敵いません。 それなりの説明がつくのです。 なので、『まんざらウソと言うわけでもない』というのが結論でした。 ちなみに、私は怪しい宗教のようなものは好きではありません。 怪しいものでもその仕組みを知ることは嫌いではありませんが。 しかし、怪しいというのも失礼でしたね。すいません。(^^;
このように書いていると、「あなたこそ自分の世界に入っているのではないのか?」と、 非難を受けるかもしれませんが、それは結構なことです。 そうではないことの証明はできません。 また、自分の世界が真実であったとしても、 自分から見た世界にすぎないことは確かなことです。 実際の所としては、考えていることすべてが本当に疑いのない真実であるかどうかは 難しいところではありますが、大きな流れとしては正しい可能性は高いと思います。 また、間違いをすることは当然のごとく、日常茶飯事であるのも事実です。 そして分かり次第修正します。 ちなみに付け足しとしては、世の中には大きな共通した流れがあって、 その上に個別の存在があるようにも思います。 私は今現在「原則」が存在すると考えていて、そういう思考が存在すると考えている。 そして「原則」の、ある一般的な形である基本が見えてきたので、 それらをまとめられれば、それを参考にできる人もいる可能性もあると思っている。 それはある意味学問のようなものになると思う。 物理をやったことのない人は、物理という学問があるんだなと思うだけである。 原則についても同じであり、それらを学んで初めて原則的な思考が身に付くのである。 それは、人間本来の自然体である思考の仕方であると思われます。
そしてそれが真実であるなら、どこまでも広がっていくと思うが、 それが偽であった場合にはどこかで否定されることになるだろう。 私自身では、真であることに疑いはないのである。 誰かが偽であることを証明してくれるまでは、そう思い続けるかもしれない。 なんと恥ずかしいことだろう。 しかし、それらをまとめることはやはり困難である。 そして、どんな形になるかも分からない。 本当は数人でまとめ上げて行きたいものであるのだが。 それでもなんとか私が感じている真実の世界を伝えられたらと思っている。 もちろんそれは真実の世界のほんの一部である。基本的な考え方を示したい。 全体像は、やはり世界の人々の協力なしには作り上げられないのである。 しかしそれらも、地球からみた真実の世界にすぎないのではあるのだが。 動き出さなければ何も始まらないのは事実であるが、 本当の発見とは、世界をくまなく旅することではなく、 身近にありながら、今まで気がつかなかった自分なりの事実を解明して行くことではないのだろうか。
原則原則とバカバカしいかもしれませんが、もう少し続けてみたいと思います。 原則が役に立つのは一部の人だけかもしれませんし、好奇心旺盛な人だけかもしれませんし、 世の中の役に立ちたいと思っている人くらいかもしれなく、 そもそもありえない話かもしれないのですし、 私の思い上がりかもしれませんのですが。。(^^; しかし、世の中に出回っている本を読んでも最近刺激がなくなってきたので、 そろそろ原則を世の中に広めるのもいいのではないかとも思ったのです。 確かにここ数年で出回っている本の中身も変わってきています。 そしてその移り変わりは非常に激しいものです。流通している書籍の量も多大です。 私自身追いつきたくもありませんし、追いついても行けません。 しかし、世の中はまだ原則にたどり着くには時間がかかりそうだと思いました。 もしかしたら、どこかですでにまとめられているかもしれないのですが。 しかしながら最近の情報社会の動きはとても激しいものがあります。 ここで原則を論じていれば、意外に早く世の中に出回る可能性もあると考えたのです。 もしも原則が一部の人の知るものとなれば、 とたんに原則を論じた書籍が世の中に出回るものと考えています 、、本当のところは分かりませんけれども。
情報社会の時代では、原則があると良いことも多々あると思います。 過去のどの時代よりも的確な判断や想像力の豊かな人材が 求められる世の中になる可能性は高いと思います。 新しいことを学ぶ必要性も多くなります。 そのとき、今まで自分が経験したことのないものにも原則があるとすれば、 それは心強いものであるし、 原則の性質を理解していれば有利にことを進めることができると思います。 また、原則がなければ、それはわけのわからない混沌とした世界であることと思います。 そのような世界であれば、確かに新しいものにチャレンジすることは億劫になりそうですけれども。。 たまにカキコするときにageさせてもらえたらと思います。 質問や反論がありましたら遠慮なくお願いします。
(^^)
ところで原則についてですが、 これらのどの考え一つ一つをとっても強制するものではありません。 私は、誰の中にも原則は存在するものと考えているので、 最終的には各個人が持っている原則から、 自ら自由に判断できるようになるといいのではないかと思っています。 原則を気にしないのであれば、それも一つの選択であると思います。 このようなスレを読む必要もありません(果たして読んでくれている人はいるんでしょうかね(^^;)。 ただ、どの人にとっても同じ原則であるので(価値観は異なる)、 私は『とりあえずこう考えている』という意見を書いています。 そもそも原則がなければ、これらの話もなかったことになるのかもしれないのですが。 (これらの態度は終始一貫したものです。) 私の言う「原則」が分かった人であるなら、これらの話を聞く必要もないと思います。 何かプラスになりそうだと思うのであれば、 役に立つと思えるものだけを抽出するというつもりでいれば良いと思います。 そして、>1 の趣旨が本当に分かっているのなら、「原則」が分かっているとも言えるでしょう。 それに「原則」はもっとも深いものゆえ、 存在するものすべてが(正しいかどうかは別にして)原則の結果現れる真実でもあり、 それらをすべて表現することは不可能です。 「原則」を記すにも様々な表現方法が可能でもありますし、それほど広い範囲までは記すことはできません。 なので、基本の流れを示すところで終わってしまうことになるのではと思います。 (後に原則を分かった人の誰かが、さらに様々なものを掘り下げてくれるかもしれませんが)。
私たちが直接五感を使って知ることのできるものは、それらのものの表面的な部分に過ぎないのです。 人間は次第にものの深みを肌で感じとることができるようになるのです。 そして、その一番の奥底に眠っているものが「原則」であるということになります。 ある意味、この世の中の物すべてが原則でもあるのです(存在しているということ)。 私は、『こう考えると、すべてのものを辻褄が合うようなとらえ方が可能である』という、 「原則」という観点からの基本的なものの見方を伝えられたらと思っています。 (ベクトルというのをご存じでしょうか? 3つの独立したベクトルがあれば、すべての空間の位置を示すことができます。 ベクトル表記によって物(3次元の物体)を表現することができますが、 その3つの独立したベクトルの取り方によって、同じ物でも無数の表現が可能です。 現実の世界もこれに似たような考え方ができます。 考え方というのは様々にありますし、何らかのジャンルからの見方というのも考えられます。 そして、何かの現象(事実)があったとすれば、 一人一人の見方は違うものです。いろんな切り口によっても、見方は様々であるのが通常です。 原則的には、あるがまま、そのままのすべてを受け入れようとする見方です。 つまり、人にはそれぞれの見方があるのが普通です(3つのベクトルのようなもの)。 しかし、原則という見方(色の三原色のような、ただ一組のあるベクトルの選び方)でなければ、 どうしても説明できない現象が現れるのです(日常茶飯事かもしれません)。 実は、人の意見を原則からの解釈に置き換えることが可能です。 イメージとしては、その人が感じていたイメージの元になっているベクトルを変換するような感覚です (このような感覚は、正しいベクトルを選んだ人だけの特権ではありませんが)。 そして、正しいベクトルを選んだ場合だけが、すべてを説明できるようになるのです。)
『考え方は変わる』という考え方の持ち主もいます。 そのような人は、基本になる考え方(基本となるベクトル)が変わることもある、 ということを知っているのだと思います。 そして、そのような基本になる考え方というのを哲学というのだと思います。 ついでに、分野が変われば人の考え方も変わったりするので、 人の考え方というのは時と場合によっても様々に変わるものだと思います。 「原則」という哲学は、どこの分野に行っても全くもって共通です。変わることはありません。 人生に加えて、様々な分野にもやはり原則はあるのです。 実は、ある特定の分野の中にも「視野」という概念を考えることもできたりします。 そして、様々な位置づけや階層構造のように見立てて考えることもできるかもしれません。 物事は全体像をつかもうとすることが非常に大事なことだと思います。 大抵のものは、いくつかの独立したものに分かれたりもするのが一般的な特徴でしょうか。 また、そういうものが繰り返しになったりもするので、どこの位置づけかを知ることも重要だと思います。 そして、ただ考え方というレベルでだけでなく、 脳の使い方という意味でもそれぞれ多様であったりもします。 ・・・余談でしたが。
原則が分かれば、個人的な謎のすべては謎ではなくなるはずです。 何故なら、どうやって考えて行くとそこに近づくことができそうかが分かるからです。 また、自分とはあまりにもかけ離れているものであれば、 今の自分にとって、その謎を考える意味がないことも分かるからです。 また、『どうやっても分からないこと』は分からないものだと言うことが分かるからです。 しかし、私にとっては最大の謎が残っているような気がします。 それは原則という考えが分かっている人にとっても共通の謎でもあると思います。 それはまた後に書きたいと思います。 そして原則的には「幸福」というものもそれなりに分かってくるのではないでしょうか。 これもまた後で書きたいと思います。 幸福がどんなものかが分かればそれに向かうこともできるのではないかと思います。 実は、個人が幸福になることは、原則的に他人に悪影響を与えることがないのです。 どちらかというと、まわりには良い影響を与えるのではないかとも思います。 おもしろくないかもしれませんが、とりあえず続く・・・
66 :
考える名無しさん :03/03/19 21:04
まったくその通りだとおもいますよ
原則があるかないかの二択である方に賭けてるだけ? つうか既出三昧ですか?
68 :
考える名無しさん :03/03/20 14:51
原則? 人間は自分の気持ちを満足させるために生きている。それだけだよ。 いろいろなことを考慮して環境を作り上げややこしい状態にはしたけど、結局は自分の気持ち しかわからない。五感で感じる主体は自分なんだから自分以外の世界のことは自分のとらえ方ひとつ でどのようにも解釈可能。自分を満足させるテクニックを磨けば、客観的に嫌なことでも喜びに 変えることは可能。生きることは全て意識的に行われていて、自分なりのプログラムを組んで遂行 している。「自然に」などということはなく全て意図的であり「自動的に」プログラムが遂行できる よう鍛錬しただけだ。そのテクニックの優劣がストレスの大小をきめる。 幸せになりたければそのようにプログラムをして遂行できるように鍛錬すればよい。
なんだかあたりまえ過ぎて賛同も反論もしようがない気
70 :
考える名無しさん :03/03/20 15:59
>69 仕方ない。真実だからね。いろんなことを難しく考えていきたければそうすればいいし、 すべて自分の選択。何で気持ちを満足させるかは人それぞれ。すべては自分が決めている。 その事実を無視して理論を創造して楽しむのも自由。したいことをする他ない。 他人(環境)のためにしていると思い込んでいてもそれはすべて自己満足のため。 本当にそれに気がついてる?
>>70 紛らわしくて申し訳ない。69は1さんへのレス。
もちろん「すべては自分が決めている」と決めるのも自由だと思います。
俺自身は「満足するために生きる」のはレンジが狭すぎて満足しませんけど。
>67 既出ではありませんが、違います。 >68 それがあなたの哲学なんですね。立派なものだと思います。 幸せに向かって自分なりに努力している人というのは少ないと思います。 とりあえず原則については考えられないということですね。 ただ、まだ人生は長いと思いますので、しばらくたった後にでも本当の幸せや満足ってなんだろう? と、考え直すのも良いのではないかと思います。 余計なお世話だったかもしれませんが。。 >69 あなたは私が感じている「原則」を感じていないのだと思います。
>66 どうもありがとうございます。 原則が分かっているのかどうか心配になってきましたが。。 まあ、この後どう展開するかでわかりませんけどね。(^^;
>65
あ、すみません。何も書かずに終わってしまいました。 65 にある、「悪影響」とか「良い影響」の区別はどのような意味合いで使っているのでしょうか? あなたが善悪の基準として考えているの? 他人のことはその人にしかわからないし、ましてや自分の行為が相手に与える影響などわかりようもないと思いますが。 ある事象があったとして、それのとらえ方は千差万別で、良くとるのも悪くとるのもひとつのテクニックでしかないよ。 全世界で最も重要なのは自分の気持ち。相手の気持ちはわからない。どんなに相手がうれしそうでもそれは自分にそう見えるだけかも しれない。相手と分かり合えないけどわかりあいたいから接触する。そこにはさまざまなテクニックが行使されているけど、稚拙なために 「うまく」いかないのが一般的。 そのテクニックに長ければ自分が「幸福」で他人に「良い影響」を与えることは可能。でもそれが「良い」 かどうかはわかりませんが。 >72 あと、「本当の幸せ」とはなんと考えます?「満足」も。自分の気持ちを積極的に満たす努力をしないで得られるもの だと考えているなら、まあ棚ボタみたいなね、なかなか得られないとは思います。 自分を見つめて何で満足するか知ればわりと容易だと考えます。それが「本当」だと知っているのは自分だけだから 自分自身とよく向き合わないと「本当」の幸せや満足は得られないでしょうけど。
満足か・・・ 欲望はほっとくとどんどん増幅するものだから、 ポイントは欲望をできるだけ小さくしておくことだね。 少欲知足。仏教のおしえだよ。
>76 欲望は押さえるから増幅すると考えるがいかがかな。 本質的な欲望を意識的に満足させることで不必要な欲望など持たなくなることを試してみたらどうだろう。 実践しなければ得られない。本質的な喜びがすぐ目の前にあることに気付いていないのかな?
>68 >65 にある、「悪影響」とか「良い影響」の区別はどのような意味合いで使っているのでしょうか? >あなたが善悪の基準として考えているの? いや、私の勝手な基準で考えたものではありません。 原則というのは考え方ではありません。 あくまで原則的な「悪影響」、「良い影響」という意味です。 誰もが分かっている基本的なことだと思います。 殺人犯は「悪影響」をもたらし、良い教育というのは「良い影響」を与えます。 ただの一例ですが、このような当たり前のことです。 優秀な人というのは自尊心が強い人には不快になるかもしれませんが、 そういうことは原則的な「悪影響」とは言わないということです。 つまり、原則的な「悪影響」が、ある人にとっては心地よいものになることもありますし、 原則的な「良い影響」が、ある人にとっては不快なものになることもあるのです。
>68 >あと、「本当の幸せ」とはなんと考えます?「満足」も。自分の気持ちを積極的に満たす努力をしないで得られるもの >だと考えているなら、まあ棚ボタみたいなね、なかなか得られないとは思います。 >自分を見つめて何で満足するか知ればわりと容易だと考えます。それが「本当」だと知っているのは自分だけだから >自分自身とよく向き合わないと「本当」の幸せや満足は得られないでしょうけど。 なるほど、良く分かっていらっしゃる。そういうことだと思います。 原則的な「幸福」は後で書いてみたいと思いますが、 基本的な脳の仕組みというのは誰もがだいたい同じではないかと思います。 「幸せ」と「満足」というのは区別する必要がないのかも分かりませんが、 本当の幸せとは、原則に則した幸せを追求しなければ得られないものだと思います。 どう追求すれば良いのかは、それぞれの人にしか分からない、それぞれの人のすべきことだと思います。 それは原則が分からなければ何も始まらないかもしれませんが。。 ちなみに、大抵の人はそこそこの「幸せ」が得られれば良いと考えていると思います。 それも良いとは思いますが、実際のところは「幸せ」か、否かの二択ではなく、 どのくらい「幸せ」なのかということが考えられると思います。 ちなみに、68さんは原則の影響を受けていることが客観的に分かりますよ。
とりあえず思ったことですが、原則自体は考え方でも哲学でもなんでもありません。 ただ、この世の中にはそういう仕組みがあった!という、それだけの話です。 昔、りんごが落ちたことについて何故だろうと考えていたニュートンが、 まわりの人からはおかしく見られていたことと同じような感じの話です。 今まで、人間は身勝手で、筋を通すことは難しいというのが世の中の常識ではありましたが、 それは、ただ人間自身も自然の一部であることに気がつかなかっただけだったのだと思います。 実は原則が分かったところで、原則が分かっていない人の前には無力です。 それどころか、彼らの哲学(彼らの原則)に反していると、逆に反感をもたれてしまうのが普通です。 意図的に、人ともっとも上手にやっていく方法があるとすれば、 それは、彼らの哲学の上になりたつ価値観の高い人を装い続けることに尽きます。 すべては相手ありきという考え方。 人に限らず、対象を理解し、その上でどういう行動を取るのかを考えるのが、原則の基本です。 なぜそうするのかといえば、物事をもっとも良くコントロールしたいからです。 うまくコントロールするためには、対象を知ることがもっとも大事なことなのです。 原則を哲学に持っている人には、そのまま接すれば良いということになります。 テクニックを駆使しようとすれば、逆に自分が愚かだと思われてしまうことでしょう。 そして当然のことですが、人の誰もが哲学が定まっているというわけではありません。 そこら辺のマニュアル本にあるのはテクニックレベルなものも多いです。 ただ、『今までのやり方とは違う』と売りにしていた、 原則的なやり方で人に接するという本もいくつかありました。 それらの本の著者は、原則については知る由もありませんでしたが。 ただ、その原則が分からない人が、テクニックを借りて行うのだと思います。
実は、原則があるというのは、この情報時代だからこそ納得のいく代物でもあるのです。 なぜなら、昔の時代では分からないことが多すぎたので、物事は神が起こしたことにもされてきたのです。 地球は回っていると唱えたガリレオは殺されそうになってしまったのです。 それが今では「遺伝子」という言葉を知らない方が非常識になってしまったのですから。 ・・・まあ、今でもビッグバンはどうして起こったのかは分かりませんし、 当たり前のように存在している雪の結晶や、雲の様々な形、川の入り乱れている様子などでさえ、 科学的にはどうして作られるのかも解明できていないように、分からないことも多いですが、 それでも原則があると仮定した上で、原則に反した例は見つからず、 あらゆるものに因果関係がありそうなので、原則があることにも納得がいくようになったのです。 そして人間自身はあまりにも世の中のことが分かっていない生き物なのです。 しかしながら、勝手な解釈ばかりしているのが現状なんだと思います。 原則というものが分かれば、何かに固執する必要は全くなくなるのです。 すべてのものから解放されるという、そのような感覚になると思います。
ネットで検索してもありますが、 宮本武蔵の『五輪書』の空の巻で、彼の人生観を述べているのですが、 彼は真理に生きていたことがよく分かります。 彼は武道の道だけでなく、他の物事も良く観察し理解することが大事であると説かれていました。 五輪書とは、その時代の武道の原則でもあると思いました。 過去の時代にも、真実の世界に生きていた人というのは多かったと思います。 むしろ、この情報社会なゆえに勘違いをし出した人も多いのだろうと思います。 それは、ただ単純な原則というものを分かっていないからだと思います。 世の中にはあらゆる物に因果関係が存在しているという法則があったのです。 ただ、人間はそれに気がついていないだけなのではないかと思います。 このことは、ダーウィンの進化論と同じくらいのインパクトであると考えています。 今のところの人間の多くは、科学で分かっていることや、世の中の常識になっているものくらいしか、 なかなか信じようとはしないことが多いのではないかとも思います。 世の中の常識は間違っていることもあるし、常識というのは時代や場所によっても変わっていきます。 そして、この激しく変わる時代だからこそ、原則という哲学が求められるのだと思います。
原則の分からない人は、自分の思い込みを捨てて、 何も知らないんだという所から始めなければならないのかもしれません。 そのまま進んで行けば、自分の知識がつながり始めるのではないかと思います。 少なくとも、今まで考えていたその考え方の上に原則を知ることはできません。 そして、原則が分かればそれまでのことも、すべて納得がいくようになるのかもしれません。 そして、実は原則があるということを言っただけではあまり画期的だとは思われないかもしれません。 何故なら、原則というのは認識すれば認識するほど、その強力な概念を思い知らされるからです。 そして、自分の知識や理解力は増えていきます。 そのことは、この世の中が原則に従って動いているのだから、ある意味当たり前でもあります。 しかし、原則を意識しなければ学びの効果は薄いのです。 記憶力もそうですが、それらの因果関係がはっきりしているから良く頭に残るのです。 将棋の棋士が何局もの対局を覚えているのも同じ事です。 これらのことも、どこの分野に行っても同じです。 物事は基本が一番大事でもあります (しかし、このことさえ本当に分かっている人は少ないような気もします)。 そして今現在では、人間の思考の仕方や、基本となる事実でさえも認識されていないことも多いです。 ほとんどのことが無意識のうちになされているのです。 本当の頭の良さというものを、世間の人がこれだと確証を持っていることは稀であると思います。 これらのことも原則が分かれば自ずと答えは見えてくるのではないでしょうか。 続く・・・
84 :
考える名無しさん :03/03/22 20:40
>>77 >欲望は押さえるから増幅すると考えるがいかがかな。
いや、欲望を抑えるのではなく、小さくしておくのだ。
小さくしておくためには、「自分」に拘らない事が重要。
>>75 のように「自分・・自分・・」と自分に拘ってしまえば
欲望は自然に増幅してしまう。
それは、すべての欲望の根源が「我欲」にあるからだ。
自我に執着している状態で「『本当の』幸せ」を
得ることはできない。
85 :
考える糞名無しさん :03/03/22 21:38
>>1 ということは、絶対的な原則があるということですか?(そのように見えたので)
原則というのは非常に大き過ぎると思います、
だから、原則を求めていけばいくほど拡大されていって
理解できない(絶対がない)と思います、むしろ理解できないから
原則なのかもしれませんが。
>84 断定がいいね。自我に執着している状態で本当の幸せを得ることはできない。 なるほど。もしかすると、自我に執着しないで、自我を客観視するテクニックを身につけていないのかな? 自我にとらわれるのも楽しいけどね。客観視できると幸せだよ。
幸せが好きな人が多いんですね。
>>86 「客観視された」自我は本当の自己ではない。
本当の自己は「客観視している」自己であり、それは
絶対の主体であり、客観とはなり得ない自己だ。
そのような自己を「実存」というのだ。
>87 幸せはお嫌い? >88 知りませなんだ。なるほど。で、そのように定義することでどのような利点があるのですか? 68がいいたいのは定義ではなく、悩みから開放された状態としての幸福の実現の方法なんだけどね。 自己を見つめていくと自分が何を求めているのかがわかってくる。これは68の主観で一般的では ないのかもしれないんだけど、人間の根本的な悩みは自己満足できないことだとおもう。 成長の過程で他(環境)から価値観を教わるため、他と自己の価値観の葛藤で悩むと思いますが。 その悩みを解消する方法が素直な自己分析で可能だという話です。あくまでも「素直」ね。
89 幸せは大好きです。もしかしたら一番好きです。
では、幸せになる努力をしてください。応援します。
92 :
考える名無しさん :03/03/24 12:43
1が何を言いたいのかさっぱり解らないんですが? 文章を読む限りでは「原則」を「神の意志」と書き換えても何ら 差支えが無いように思われます。むしろ、そのほうがより理解しやすい ように感じられます。
ほんとよくわかりません。1にはもう一度わかりやすく説明してもらいたいと思います。 ちなみに「原則的な悪影響」とは如何なるものなのでしょう。 当方馬鹿なのでわかりやすくお願いします。
原則とは例外への逃げ道
終了ね?
>85 >ということは、絶対的な原則があるということですか?(そのように見えたので) その通りです。 まあ、原則があるというよりは「自然の摂理が存在している」という方が正しいのですけどね。 因果関係があるので、「あれをした方が良い」というようなこともあり、 何かの基準ができるような感覚になるので、原則があると言っているのです。 絶対的な原則というのは私も考えたことはありませんが、 存在しているものは、絶対的に存在しているということです。 そして数学には矛盾がないように、現実社会にも矛盾はないと思われます。 私は原則に反している例を探していたのですが、自分一人では見つけられそうにもないので、 他の人にも反例を探してもらいたいという考えもありました。
>85 >原則というのは非常に大き過ぎると思います、 >だから、原則を求めていけばいくほど拡大されていって >理解できない(絶対がない)と思います、むしろ理解できないから >原則なのかもしれませんが。 なるほど。 とりあえず原則が分かった人にとって、そういう心配はいらないので大丈夫です。 そのことは、一人の人間の手に負えなくなるということなのでしょうか。 原則というのは、集約されて単純な事実に収まるので、 様々な現象をそのまま覚えて行くより、見通しも良く、理解しやすいものと思います。 ただ、普通の思考よりも脳味噌をふんだんに使うものと考えられます。 とはいっても、それが本来の使い方であるのだと思いますが。 また、あらゆることにも原則があるので、確かにそれらまですべて理解することはできませんが、 何も一人の人がすべてを理解する必要はないのです。 今も様々な分野で様々な研究などもなされていますが、 ありの大群がえさに群がっているような感じでしょうか。 なので、原則というのはどこまでも拡大されていく一方になるのかもしれませんね。
ここでもう一度「原則」そのものについて整理してみます。 「原則」があると言っても、その解釈はいろいろ可能ですし、 「原則」も様々なものを指すこともありそうですし。 やはり初めに考えられるのは、『自然の摂理がある』ということに、本当に気が付くことである。 それに気がついた人は、『自然の摂理に気がつくこと』がどういうことなのか分かるはずです。 その状態である人間が『「原則」が分かっている』とすると分かりやすいかもしれませんね。 その状態になって初めて、本当の原則の哲学を身につけることができると。 最大の発見であるというのは、このことであると思います。 また、その状態ではなくとも、とある「原則」は認識することはできると思います。 そして『自然の摂理』も、とりあえずあることは納得することができると思います。 しかしそのような人は、まだ何か抜けきらない何かがある状態であると思います。 その人は >1 の趣旨がやはり分からず、「原則」もすっきり納得がいかないのかもしれません。 まだ脳にある情報量が足りないのか、それとも他の観点から考えることができてないのであるか、、。 様々な勉強をしたつもりになっていても、 勝手な解釈をしていては本当の情報は得られないかもしれません。 勉強で得られる情報量は少ないかもしれませんが。
そして、何かの大元をつかめる感触があるものもあり、 そういうものを「原則」と呼びたくなることは多いです。 それとまた、個々の派生した単純な事実も「原則」と呼ぶときもあると思います。 そして、存在しているという意味では、あらゆるものも「原則」と呼べるかもしれません。 訳が分からないかもしれませんが、とりあえずそういうことにしておきます。 そして、人生の教訓というべきか、様々な重要な「原則」の事実があるかもしれなく、 その人はどのくらい「原則」が分かっているか?ということも考えられそうだと思います。 とりあえず私は、適当なまでの「原則」の事実を書いてみたいと思っています。 「原則」が分かれば、枠組みなく自由に様々なことが考えられると思いますので、 「原則」が分かった人であるなら、 あとは自分なりに考えていくことが当然ながらに求められると思います。 考え方や頭の使い方も、それぞれ無数にあると思いますが、がんばってください。(^^;) もちろんそれらを知る必要はなく、そういうことがあることを知っておいた方が良いということです。 大抵の人はなかなか思考の切り替えができないことが多いです。 新しい考え方を学んだところで、 それまでの考え方の上に、新しい考え方を用いるというやり方が多いと思われます。 しかし、それは本質ではありませんし、限界もあると思います。 まあ、深く考えることはないと思います。余談でしたが。。 後になって、原則に関する様々な意見が出てきて、それらが整理されれば良いだろうとは思いますが、、。 何か提案や要望があれば遠慮なくお願いします。 まだ原則があると決まったわけではないかもしれませんが。
>92 >1が何を言いたいのかさっぱり解らないんですが? >文章を読む限りでは「原則」を「神の意志」と書き換えても何ら >差支えが無いように思われます。むしろ、そのほうがより理解しやすい >ように感じられます。 このスレ全体を読んでみて、さっぱりだったのでしょうか。 「神の意志」は人間には感じることはできませんが、 「原則」というのは様々な局面で感じることのできるものだと思います。 >93 >ほんとよくわかりません。1にはもう一度わかりやすく説明してもらいたいと思います。 >ちなみに「原則的な悪影響」とは如何なるものなのでしょう。 >当方馬鹿なのでわかりやすくお願いします。 >78 は読みましたでしょうか? 幼い言い方ですが、「良いこと」と「悪いこと」の区別はつきますでしょうか。 「原則的な悪影響」とは「悪いこと」ということです。 スレ全体を読んでも分からないのであれば、 まだ「原則」は分からないのかもしれないですね。 世の中には後になって分かることということも多いと思いますし。 とりあえず原則については、まだ書き続ける予定なので、 それらを読んでから考えるのも遅くはないと思います。
ところで原則の話に少し戻りたいと思いますが、 原則が分かった人は、自分の知っていることと、知らないことがはっきり分かるようになると思います。 また、そこからイメージの沸きやすいものと、沸きにくいものとあるのではないかと思います。 そして、様々な自分の知らない情報をかき集めていくと、 様々なイメージが沸いてくるようなことが起きるのではないでしょうか。 さらに情報をかき集めていくとどうなるかは、予想はできても、 そのときの感覚は今現在にはつかめない不思議な感覚であると思います(不思議でなくても良いですが)。 ちなみに「情報」というのは、あらゆる刺激のことで、受けると脳にその情報が蓄積されて行きます。 物事を無視しようとするなら、その「情報」は得られないものとなります。 原則が分かっていない人は、知らずにうちに様々なものを無視してしまうのが普通です。 一例ですが、視野が狭いときに世界を知りたいとき、世界旅行に行くか、情報雑誌を読んだりすれば 様々な「情報」が得られて視野が広がると思います。 また一例として、ゴルフの初心者がスイングの練習を始めるとします。 初めはなかなかうまく行かないものだと思いますが、 一つ一つのスイングが脳にとっては「情報」になるのです。 「情報」が増えていくと、そのうちコツがつかめてくるのです。 そしてこれらの情報量がとても大事であるのが普通です。 そしてまた、情報量が増えていくと、そこから何かの法則が見えてくるように、 スッキリ整理ができるようになることもあると思います。 また、言うまでもないかもしれませんが、 今の時代、情報は無尽蔵に溢れかえっている時代です(役に立たない情報も多いかもしれません)。 これからは、それらの情報をうまく引き出すことも大事な能力だと思います。 目的が違えば、その情報のありかも様々に変わったりもします。 そして、その情報も様々な場所に転がっているかもしれません。
ところで、「言葉」というものがどういうものなのか本当に分かっているでしょうか? コミュニケーションの正しい方法というのをご存じでしょうか。 人間は確かに言葉を使って考えることもできますが、 本当は言葉を使って考える必要など全くないのです。 もちろん言葉を利用して考えることは普通にあり得ます。 実は「言葉」というのは伝達手段であり、記号に過ぎないのです。 「りんご」という記号には、あの食べ物の意味は全くありません。 外国の人には分かるはずもありません。 言葉のイメージが人によって違うというのはご存じでしょうか。 何故日本人が日本語を使えるのかというと、 今までさんざん日常生活の中で使ってきたから身に付いているだけなのです。 なので、その人が過去に使われてきたその言葉の趣旨で、 その人が無意識にその言葉のイメージを持っているものと思われます。 辞書などで統一しようという動きも大事ではあると思いますが、 それはただの便宜的なものでしかありません。 なので、子供は言葉をあまり使いこなせませんし、難しい言葉は大人でも知らないのです。 そして、いくら頑張ったところで「言葉」は単なる記号で伝達手段にすぎないことは変わりません。 また、その言葉の解釈・イメージは各個人で微妙に違うのが普通です(もちろん同じこともある)。 ちなみに、伝達手段は「言葉」だけではありません。
そこで、「概念」というものを考えると都合が良いと思います。 それこそが、「言葉」という記号が表している内容のことです。 おそらく今までは「言葉」と「概念」がごっちゃになっていて、 それらを併せて言葉と呼んでいたのだと思います。 その違いは、言われてみれば分かるのではないか??とは思います。 「言葉」と「概念」がごっちゃになっているので、 大抵の人は言葉を使わないと思考ができないものと思いこんでいるのだと思います。 これらのことが分かれば、誰もが言葉を使わずに思考することができるのではないかとも思います。 言葉を使うのは、何かを伝達するときのみでいいのです。 もちろん言葉を利用して考えることも良いことです。 そして、過去の偉大な人物は言葉で思考をしていないことも多いです。 もちろんそれは時代によって変わることはありませんし、 当然芸術家などは言葉で作品を作り上げることなどしていません。 とりあえず「言葉」と「概念」の違いがはっきり区別できるようになると良いと思いますが。 分かりますでしょうか?? これからは「言葉」を覚えるのではなく、「概念」を学んでいくことが大事であると思います。 そして「言葉」で考えるのではなく、「イメージ」で考えることも大事であると思います。 専門用語などは、その「概念」をつかむことが非常に大事です。 言葉だけを知っていても使い物にはなりません。 イメージで考えることは「考える」という言葉には違和感があり、 「空想する」といった言葉の方がふさわしいかもしれませんが。
一例ですが、「おいしい」という言葉は一つですが、 「おいしい」という概念は無数に考えられるかもしれません。 どう「おいしい」のか?という話です。 また、単語というレベルのみでなく、何かの状態を表す文章なども同じ事が言えます。 あらゆるものはイメージなのです。そしてそれが本質的です。 言葉というのはたんなる記号に過ぎないのですから。 ちなみに、イメージにも鮮明なものから、あやふやなものまで様々です。 ただ、イメージでは直接伝えられないので、「言葉」という記号に変換しているにすぎないのです。 他の表現方法も無数にあるかもしれませんが。 やはり言葉は伝達手段に過ぎません。 これらのことは日本語だけでなく、あらゆる言語にも当然のごとく当てはまります。 過去の時代は情報も少なかったので、ある意味当たり前だと思いますが、 もしかしたら、過去の人たちは今の人に比べてイメージ能力が相当低かったかもしれませんね。 さらにもっと過去になれば、深く考える人はほとんどいなかったのではないかと思います。 また、考えていることも今とは全く違い、視野もかなり狭かったのではないかと思います。 言葉というものも時が経つと進化したりもするのです。 基本的には人間がさらに様々な表現をしたいときに、言葉を変化させるのではないかと思います。 意図的にではない場合が多かったかもしれませんが。 そして、劇的ではないかもしれませんが、 言葉というものも生き物の様に様々に変わっていくものだと思います。
これらのことが分かれば、本当のコミュニケーションとはどういうものかは分かると思います。 コミュニケーションとは、ある人が「何か」を相手に伝えたいからするのです。 そしてその「何か」というのは、実はイメージなのです。 そのイメージを伝えるために、相手に分かるように言葉に変換して伝えるのです。 つまり相手の言葉も、ただ言葉を勝手にこちらで解釈をするのではなく、 相手が何をイメージした結果の言葉なのかを考えなくてはならない(イメージする)のが原則です。 結局言葉は、伝達手段にすぎないということです。 このことが分かることは大事なことです。 つまるところ、ある人の頭の中にあるイメージを、 違う人にそのイメージを伝えようとすることが「コミュニケーション」です。 簡単なものであれば、何も考えずに行うことができますが、複雑なものを伝えるときは、 これらの基本が分かっていないと伝達することさえ一苦労になるのです。 まずは、何を伝えたいかをはっきりとしたイメージにして、 それを言語化して伝えるようにすれば良いのです。 場合によっては、身振り手振り、メモなどを使いながらということも考えられます。 最近コミュニケーションができない人が多いと言われたりもしますが、 すべては原則が分かってないから、ということも一理あるのではないかと思います。 「言葉」と「概念」の違いは分かったでしょうか。
ここで一つ、ものを考え、作り出していくときの例を出してみたいと思います。 次の文は、「ハリー・ポッター裏話(静山社)」からの引用ですが、 私はJ.K.ローリングさんの話は、他のところでも拝見しています。 これらのことは何も小説の話に限らず、 何かの戦略を立てるような時や、他の様々なものにも同じような感覚が当てはまります。 『どのようにして物語を創り出していったのですか?』という章からの引用1 「どうしてハリーがそこにいるのか、どうして両親が亡くなったのかを解き明かしていくやり方です。 私が創り上げていたのに、まるで調査でもしているような感じでした。あの列車の旅が終わった時に は七巻シリーズになることはもうわかっていました。まだ一冊も出版していない人間にしては、あま りにも傲慢な感じがするでしょうけれど、私にはそういうふうにしか考えられなかったのです。七つ の物語をひとつひとつ組み立てて、シリーズを構成するのに五年間かかりました。いつ、何が起こり、 誰が登場するかわかっていましたから、書きながら、まるで古き友と再会するような感じがするので す。」 ハリー・ポッターはマンチェスターからロンドンに戻る列車の中で生まれたとのことです。 ハリー・ポッターが突然頭の中に現れたことからすべてが始まったとのことです。 そして、その列車から降りるときにはすでに大まかな考えは練られていたということです。 あとは調べ物をしながら、そのアイディアをさらに煮詰めていったのではないかと思います。
『どのようにして物語を創り出していったのですか?』という章からの引用2 「登場人物について、必ずと言っていいほど完璧な履歴が出来上がっているのです。そんな詳しいこと まで全部物語に入れてしまったら、各巻がまるでブリタニカ百科事典ほどの大きさになってしまいま すね。書いている時私が気をつけなければならないのは、読者は私ほど細かいことまで知らないのだ、 ということを忘れないようにすることです。シリウス・ブラックがよい例です。ブラックの子供時代 については、完全にストーリーが出来上がっています。読者はその全部を知る必要はないのですが、 私は知っていなければなりません。物語の中で登場人物を動かしているのは私なのですから、読者よ りもずっと詳しく知っておく必要があるのです。」 彼女の中では、おそらく頭の中にハリー・ポッターのストーリーが、完全にイメージとして 出来上がっているのではないでしょうか。 後は小説なので、うまい具合に言語化させて行くことによって 本が完成するということなのだと思います。 まずは頭の中でイメージを作るということが、何をするときにも重要なのです。
もう一つ、『ビジョナリーカンパニー 時代を超える生存の原則』p375 より引用 この本の内容(「BOOK」データベースより) 時代を超え際立った存在であり続ける企業18社を選び出し、設立以来現在に至る歴史全体を 徹底的に調査、ライバル企業と比較検討し、永続の源泉を「基本理念」にあると解き明かす。 「ここできわめて重要な点がある。基本理念は、「つくりあげる」ことも「設定する」ことも できないのだ。基本理念は見つけ出すしかない。内側を見つめることによって、見つけ出す のである。基本理念は本物でなければならない。理念を模造することはできない。あるべき 理念を理屈でつくりあげることはできない。基本的価値観と目的は心の奥底で信じているも のでなければならず、そうでなければ、基本理念にはならない。」 いきなり違うジャンルの話を持ってこられても困るかもしれないと思いますが、 「どうしてハリーがそこにいるのか、どうして両親が亡くなったのかを解き明かしていくやり方です。 私が創り上げていたのに、まるで調査でもしているような感じでした。」(先ほどの引用部分) ハリー・ポッターのこの部分と、基本理念を探し出すときの共通点が見つからないだろうか。 どちらも勝手に何かを作るのではなく、何かに従って生み出されたという感じを受けると思います。 そして、これらのような原則に従うという感覚を持つことも、 物事をなすときには不可欠かもしれません。 そもそも真実を追ってより良いものを目指せば、自然とそうなる可能性は高いとは思います。
適当に頭に浮かんだものを闇雲に実行に移すのではなく、 今は想像すらできない、より良い状態なものを目指して、 情報の収集や考えを練るなどして、さらに頭の中のイメージを発展させて行こうとすることも重要です。 と、ここら辺でだいたい基本的なことは一通り書いたかもしれません。 そして、本質的には人間が情報を握っているという事実 (本や新聞の内容も人間の頭から出されたものと考えられる)、 あらゆる人工物は、初めは人間の頭の中で生み出されるという事実も、 ある意味納得できるのではないでしょうか?? 続く
1さんが親切に丁寧に説明してくれているのは分かる。たとえ話などは分かりやすいよ。 でも、一貫して論件先取を犯していて(前提と結論がループしていて)、説明の体を成していない。 それだとさ、「原則ってそんな矛盾にも気付かせてくれないのか」みたいな印象を与えかねないだろうな。
いまださっぱり原則がわかりません。というか質問に応えて欲しいなー。 「原則的な悪影響」。 っていうか、ある事象のとらえ方は個々それぞれで、本質的な(言い換えれば原則的?) あったとしても、それすらたくさんある中のひとつのとらえ方と見ることもできる。 そこまで原則にこだわるのはなぜ?しかもうまく伝えられないのはなぜ? 人が生きるうえで最も重要なのは幸福感だとおれは悟りました。別に不幸が悪いとも思わないし 幸せにならなければとも考えていません。積極的に「生きる」ために「いいなあ」という 感覚があると生きやすいと考えます。別にしにたければfuruoyaみたいに自害すればいい。 生きているのだから生きていることを楽しんだ方が生きやすい。そう考えます。 原則を知るとどんな利点がありますか、生きていく上で。
文章は理解できるのですが、「原則」が何なのかさっぱり解りません。
>>105 まずは、何を伝えたいかをはっきりとしたイメージにして、
それを言語化して伝えるようにすれば良いのです。
場合によっては、身振り手振り、メモなどを使いながらということも考えられます。
ココに書いてある通り「何を伝えたいかをはっきりとしたイメージにして、
それを言語化して伝えるように」して下さい。
ちん毛はちんぽからじゃなくてちんぽの根元の周辺から生えてるんだよね
114 :
素人意見だが :03/03/28 14:45
ところで原子というのも中性子やら核やらわかってきたわかえだが、 もっともっと細かい部分が見えるようになったらもっと細かく世界が広がっていたりしないのだろうか? 果てしない宇宙を見渡すように、このミクロ世界もまだすべて見えていないのではないか? それに、それがどういう働きをするのか、どう作用して操作するのか。 原則というものがすべてに通じるものならば、どこか一つに於いて完璧に研究が進めば そこからすべての答えに繋がると考えると、それはすべて数値化できるのではないか? だけど、その原則自体発見してもきっと原則自体は変えられない。 人自体の意思は、やはりその人が決定するのだろう。 不可能が可能になり、ワープなんてできるようになったら世界の国々は別々の星へ移り住むのだろうか? 利権を取り合う戦争なんてやってないで、宇宙ステーション開発でもしてたほうがいいのに。 ってぜんぜん話がそれる始末。
>111 >いまださっぱり原則がわかりません。というか質問に応えて欲しいなー。 >「原則的な悪影響」。 >78 と >100 を見てみてください、どうでしょうか。 >っていうか、ある事象のとらえ方は個々それぞれで、本質的な(言い換えれば原則的?) >あったとしても、それすらたくさんある中のひとつのとらえ方と見ることもできる。 確かに原則が分かっている人の意見でも、他の人から見れば相対的なものです。 しかしその人にとっては絶対的な基準になるものです。 ちなみにそのことは原則の有効性のほんの一部です。 >そこまで原則にこだわるのはなぜ?しかもうまく伝えられないのはなぜ? 私にとっては、原則があるので無視することができないのです。 無視することも可能ですが。 伝えられないのは、原則というのは伝えられるものではないからです。 自ら原則を探し出すしかないと思います。 それは今すぐに分かるものではないかもしれません。 ちなみにスレ全体を読んでいないのであったら、読んでみてください。 >原則を知るとどんな利点がありますか、生きていく上で。 とりあえず原則を知れば、人生観は変わると思います。 原則を知った後の人であれば、原則を知らずに生きることを選択できたとしても、 それを選択することは、まずあり得ないことだろうと思います。 また原則を知れば、より良く生きて行けるのではないかと思います。 ・・・まだ原則があると決まっているわけではありませんが。
>112 >文章は理解できるのですが、「原則」が何なのかさっぱり解りません。 原則的にいえば、「言葉」から「イメージ」への変換ができなかったということですね。 言い忘れていましたが、相手が全く知らないものは言葉で伝えることはできないのです。 それは、相手が言葉からその概念に変換する元になる情報を脳に持っていないからです。 全く自分の専門外のことを話している人の会話を聞くと、 日本語なのに意味不明に聞こえてしまうのも同じ理由です。 「原則」についてはもう一度、次のところから読んでみてください。
ところで「原則」についてですが、 原則自体は便宜的にそう名付けているだけではないかと思います。 やはり「原則」というのは自然の摂理というのと通じるものがあります。 その摂理をより理解していくと様々なことが分かってくるのです。 その結果、「原則」というように名付けられるものがあることを納得できるのだと思います。 思ったことですが、ほとんどの人はものの表面、 または、ある程度の深さでしか物事をとらえていないことが多いと思われます。 おそらく本当のことであると思いますが、 世の中には様々な「もの」や「こと」が存在していますが、 五感で直接知ることのできる情報は、それらの「もの」の1%未満(便宜的な表現)だろうと思います。 ものにもよりますが、これは全く大げさなことではありません。 どちらかというと、控えめすぎだったのですが。 人間というのは、それらのものの深さを理解することができるようになるのです。 また、自分はどのくらい理解しているのかということを、それなりに理解することもできるのです。 まずは、『自分が直接見聞きしているものは、それらのものの表面でしかない』 ということを認識しなくてはなりません。 このこと自体が分からなければ何も始まらないのかもしれません。 そして、何か一つのものを掘り下げて行けば、他のことにも通じることが分かってくると思います。
「もの」というのは、時間によって移り変わって行きますし、 その奥深さというものも大変なものだと思います。 それは「ダンボール」一つにしても当てはめることが可能だと思います。 実はダンボールにも開発の歴史がありますし、材料なども様々に吟味されたりもするのです。 何に使われたものであるか?どうしてこのデザインなのか? どこでどうやって生産されているのか?どのくらいの耐久力があるのか?・・・・・・ などと考えていけばキリがないような気もします。 そして、それぞれの問いの一つ一つも、さらに細かく様々な分類がなされると思います。 もしかしたら、その分類されたものも、さらにまた細かく分類されていくかもしれません。 しかし、普通は捨ててあるダンボールを気にかける人などめったにいないことでしょう。 このことは、身の回りにある大抵のものでも同じであると思います。 ものの深みを実感することが、「原則」を知る近道なのかもしれません。 それが身にしみて分からないようでは、「原則」からは遠いのかもしれません。
この世の中には直接知ることのできないものは限りなく多いのです (その種類はいろいろあるかもしれません)。 それらは感じ取ることしかできません(そうできないものもあるかもしれません)。 また、それらを徐々に深くまで感じ取れるようになる能力が人間には備わっているのです。 それは、一朝一夕にできものではありません。 世の中にあるものは、明らかに変化していないものは除いて、 一般的に『時の流れによって変化する』という認識の方が自然であると思います。 その時間のスケールはとてつもなく短いものから、途方もなく長いものまで様々です。 ただ、どんなものでもある一瞬(ものによってその時間の間隔は変わる)をとらえれば、 当たり前ですが変化(どのくらいの変化を基準とすることにもよる)しているようには見えません。 「時間的な感覚」と「(多角的な物の見方を含んだ)奥深さの感覚」を、 あらゆる物事に当てはめてみようとすることが、 原則にまた一歩近づくことになるのではないかと思います。 それほど大げさなものではないとしても、 「時間的な感覚」と「(多角的な物の見方を含んだ)奥深さの感覚」という意味が、 それなりに納得できるところまで行くのも良いかもしれません。 少なくとも、『そんなことはあり得ない』と考えているようでは、 原則を知ることなど到底不可能なことだと思います。 繰り返しになりますが、人間が普段直接知ることのできるものは、 それらのものの表面に現れていることくらいでしかないのです。 それも、時間経過のあるものの一瞬かもしれないのです。
>114 せっかくなので、私の認識している範囲で回答してみます。 >ところで原子というのも中性子やら核やらわかってきたわかえだが、 >もっともっと細かい部分が見えるようになったらもっと細かく世界が広がっていたりしないのだろうか? > >果てしない宇宙を見渡すように、このミクロ世界もまだすべて見えていないのではないか? >それに、それがどういう働きをするのか、どう作用して操作するのか。 そのとおりであると思います。 今はさらに詳しく分かってきているところだと思いますが、 もしもそれらの専門書でも読んでみれば、その疑問は確信に変わり、新たな謎が生まれるかもしれません。 そしてその謎も専門家はすでに解き明かしているかもしれません。 するとさらに新たな謎が研究者の前に現れてきます。 このように研究者は常に謎と解明とを繰り返しながら、追いかけっこをしているのです。
>114 >原則というものがすべてに通じるものならば、どこか一つに於いて完璧に研究が進めば >そこからすべての答えに繋がると考えると、それはすべて数値化できるのではないか? 私なりの答えですが、私はある一つについて完璧に答えを明かしたところ原則にたどり着いたのです。 そして私なりにですが、原則はすべての答えに通じることが分かりました(今のところ反例がない)。 数値化というのはコンピュータで問題を完全に解かせるということなのでしょうか。 とりあえずコンピュータで答えを求めることは、 とてつもなく優秀なコンピュータであっても不可能かもしれません。 コンピュータの手助けを得ると良い場合もあるかもしれませんが、その必要は基本的にありません。 何故不可能かといえば、コンピュータは離散的な量しか扱えないからという理由もあります。 では、連続量を扱えたらどうなるのか? それでもおそらくダメです。何故なら完全なデータが手に入らないと思われるからです。 例えば、宇宙から普通に降り注ぐニュートリノとやらも様々なものに影響するかもしれないからです。 それにミクロの世界に行くと、物事を観測すること自体が物事に影響を与えてしまうので、 やはり完全なデータを手にすることはできないような気もします。 ちなみに、そういう「不確定性原理」なるものがあるらしいのですが、 私は、そのことは原則には反していないだろうと考えています。 とりあえず、原子以下のレベルから人間をシミュレートできても意思は持たないような気もします。 ただ、意味合い的に、どんな分野でも答えを求める方程式というのは存在します。 それらの方程式を見つけつつ、解きつつ進むことが人間にはできるのです。 人間は感覚的にもっとも優れたコンピュータとも言えるかもしれません。
>114 >だけど、その原則自体発見してもきっと原則自体は変えられない。 >人自体の意思は、やはりその人が決定するのだろう。 原則の意味は分かっているのですね。その通りだと思います。 私の意見としては、人の意思は 原則が分かっているなら、その人の原則に基づいて決定するべきだろうと思います。 >不可能が可能になり、ワープなんてできるようになったら世界の国々は別々の星へ移り住むのだろうか? なるほど、今の私の意見としては、おそらくワープでは人などが移動することは難しいような気もします。 情報くらいであればワープできるかもしれませんが。 >利権を取り合う戦争なんてやってないで、宇宙ステーション開発でもしてたほうがいいのに。 そうですよね、まったく。
ちなみに、もう一つ大事なことがあります。 それは、見聞きした物事の様々な局面に自分を当てはめて考えようとすることです。 自分だったらどうするのか?と、考えることも大事です。 実は『なぜ原則を分かっていた方が良いのか?』 という問いがあったとすれば、その本質とも思われる答えの一つとして、 『物事をもっとも良くコントロールしたいから』ということが考えられると思います。 (そう思わなければ原則を知る必要はないかもしれません。) では、『なぜ物事をもっとも良くコントロールしたいのか?』という問いがあるとすれば、 個人にとってみれば、それが『幸福につながる』からであり、 世の中全体でみれば、それが『世の中で生きている人々の生存と幸福につながる』からである。 もちろんこれは一つの答えである。 原則的には、うまくコントロールできることは「幸福」への手段にすぎないのかもしれません。 実際のところ、原則はその人なりに使えば良いものであると思われる。 原則というのは判断の基になるものである。 その基からどう判断するのかは、全く個人の自由なのである。 ただ、物事をもっとも良くコントロールすることができるということを 知っておくことも損ではないと思います。 大したことではないかもしれませんが、このことは後で書いてみたいと思います。
本質的には、人間は物事に影響されるべき生き物なのではなく、 あらゆる物事に影響していくべき生き物であると思われます。 人間自身の、本当にあるべき都合の良さ(大小問わずどんな観点からでも)の為には、 それがどんな対象であろうと、どんな困難であろうと、 それらをコントロールして行こうとすることは、極めて重大な任務であると考えられます。 そして人間の本質的な欲望の一つに、物事をコントロールすることがあるのではないかと思います。 物事をコントロールできた美しい結果に、それを行ってきた人間は感動するのです。 その物事のジャンル、大小、見た目には関係ないのです。 それは、一つの山を登り切ったあとの充実感のようなものだと思います。 多くのものは山登りに例えたり、ピラミッドを構築するような表現に例えたりもされるものです。 ちなみに物事の大小は、直線的なものではなく、ピラミッドの大小のように考えると良いと思います。 小さなことであれば、どういう映画が面白いのか?どういう商品が売れるのか? どうすればもっと物事の効率を上げられるのか?どうやったら良い点が取れるのか? など、様々なことがあると思いますが、これらのことにも、やはり原則が支配しているのです。 少なくとも私は原則が関与していない事実を見聞きしたことがありません。 そして大きなことであれば、技術的には人間は地球も難なく破壊することが可能ですし、 未知なる生物を誕生させることも容易ですし、原子レベルで物事を操作することも可能です。 宇宙に人間が行けることは、もはや常識です。
今はエネルギー問題などで、地球も危なくなっているのかもしれませんし、 様々な問題は今も溢れかえっているものと思いますが、 それらも誰かがコントロールして行かなくてはならないのです。 もしもこのまま何も考えずにいたら、近い将来地球は滅んでしまうかもしれません。 温暖化によって住むところも限りが出てくることも考えられますし、 食糧難になってしまうかもしれません。もしかしたら今から生まれてくる世代の人間は、 その地球規模の問題に直面するかもしれないのです。 人間は技術力を高めて来ました。しかし、その人間が成長していないのであれば、 中途半端な技術は、逆に人間の首を絞めてしまうことになるのです。 遠い将来ですが、いつかは地球も滅びてしまうのです。 技術がなければ人類もろとも滅びてしまうことでしょう。 もう後戻りをすることはできないのです。 せめて最高の努力くらいはできないものだろうかと思います。
しかしながら、原則が分からなければ物事を正しくコントロールし続けていくことはできないのです (本当のことをいえば、ひとまず世の中を動かしているトップにいる人が原則を分かればいいのです)。 これが私の嘆きでもあります。 尊敬を集めていた投資家であるウォーレン・バフェットという人は言ったそうである。 「市場は常に間違える。しかし、市場は常に正しい。」と。 あえて説明はしないが、これはダーウィンの進化論をまさに人間に当てはめたものであると考えられます。 つまり、一つ一つの動きはでたらめであったとしても、 結局最後に残ったものは理に叶ったものである、ということである。 しかし人間は、常に原則を頼りに理に叶った最良の道を探し出すことができる。 惰性的にではなく、意図的に物事をすすめることができれば、その効率の良さは計り知れない。 このことは個人一人にとっても、組織にとっても当てはめることができる。 人類の欲望の果てしなさは誰もが分かっている通りであると思います。 それらの何十億分の1はそれぞれの人に託されているのかもしれません。 本当は戦争をしている暇などないのです。 しかし原則が分かっていないのであれば、それも仕方のないことなのかもしれません。。 続く
127 :
超真剣です!!!マジで聞いてください!!! :03/04/04 13:51
はんとの話です!!!! 女の子が40日間渡って監禁され、計100人ぐらいに強姦、朝から晩まで超暴力と超陵辱された。ヤクザ顔負けのリンチで、天井に血が飛び散っていた。(深くかかわったのは5,6人) 膣を灰皿代わりにされ、自慰(オナニー)を強制され、 真冬に裸で外(ベランダ)に出され、裸で踊らされ、手足を押さえつけられ、膣やお尻の穴に鉄の棒を突っ込まれ、20キロの鉄アレイを身体(裸体)になんども落とされ、瞼(まぶた)に熱いろうそくをたらされ、 手足を押さえつけて、膣にマッチ棒を入れられ燃やされ、膣の中のや裸体をライターで火あぶり、精液を大量に飲まされ、500ccの尿を飲まされ、基礎の他むちゃくちゃ。(生きてるか死んでるかわからないが)ゴキブリも食わされたそうだ。 女の声だが、人間とは思えない叫び声(悲鳴)(絶叫)を上げ続けた! 殺された彼女の親友が言うには、監禁され殺される一日前、幽霊(生霊)となって「助けて!」と親友に助けを求めたが、親友はどうすることもできず、泣きじゃくった。 「狂宴犯罪」は 一ヶ月以上 続いた 。 そして(失禁して)死んだ。(殺された)i78i78i78i 専門家によると自死(あまりのつらさに耐え切れず、脳が死ぬことを選択した。(命令した。)らしい。(死体にの脳は溶けていたらしい) 死体の顔は目の位置がわからないほど、変形し、親でも誰かわからず、原型をとどめてないほどで、性器のほうは顔よりもっとひどく完全に破壊されていた。死体には髪がなくなっていた。 40日間の監禁で極度のストレスのあまり全部髪が抜け落ちた 死体の膣(マンコ)にはオロナミンC2本、入っていた。 「裁判記録」は死ぬほどエグイ内容であった。「コンクリート詰め事件」で検索すればわかる。 (俺は何時間も涙が止まらず、夜も何日も眠れなかった。たとえ99.9%の人が幸せでも残る0.01%の人が(超)不幸なら、そんな世の中、絶対承認しない!!!!!そんな世界いらない!!!!!絶対、絶対いらない!!!!!絶対認めない!!!!!) l;ok;l(私の心の底からの叫びでした。) nん、ん、n
128 :
考えるサル :03/04/05 00:43
全体を読んで来ましたが、「原則」というもので何を言いたいのかが、
いまいちよく分かりません。
いろいろ言いたいこと、聞きたいことがあるのですが、
とりあえず、今聞きたいことだけお聞きします。
>原則というのは考え方ではありません。(
>>78 )
とありますが、
>「原則」というのはある種の考え方ゆえ、(
>>14 )
とおしゃっていることと矛盾しないのですか。
>一例ですが、「おいしい」という言葉は一つですが、
>「おいしい」という概念は無数に考えられるかもしれません。
>どう「おいしい」のか?という話です。(
>>104 )
どう「おいしい」のか?というのは、概念ではなく、観念ではありませんか。
>「言葉」と「概念」がごっちゃになっているので、
>大抵の人は言葉を使わないと思考ができないものと思いこんでいるのだと思います。
>これらのことが分かれば、誰もが言葉を使わずに思考することができるのではないかとも思います。(
>>103 )
「言葉」と「概念」は切り離して考えることのできないものではないですか。
「犬という言葉」と「犬という言葉が表す内容」はカードの表と裏のようなものです。
何かをイメージする(つまり「空想する」)ことについて考えてみます。
例えば、「一匹の犬が道の真ん中に座っている」ということをイメージ(空想)します。
イメージの中で、道の真ん中に座っているのが「犬」であるというのはなぜ分かるのですか。
そもそも、「道」が「道」であること、「真ん中」が「真ん中」であるということ、
「座っている」ということが「座っている」ということとなぜ分かるのですか。
それは、それぞれの言葉が、まさにその事を表しているからです。
そうでないと、逆に「一匹の犬が道の真ん中に座っている」ということを、
イメージできません
>128
>全体を読んで来ましたが、「原則」というもので何を言いたいのかが、
>いまいちよく分かりません。
私の言いたいことは >1 の通りです。
結局のところは「原則」というものが存在している、ということがいいたいのです。
>>原則というのは考え方ではありません。(
>>78 )
>とありますが、
>>「原則」というのはある種の考え方ゆえ、(
>>14 )
>とおしゃっていることと矛盾しないのですか。
「原則」というのは、そういうものがまずあるのです。
つまり原則というのは考え方ではありません。
また、原則があるとした場合の考え方というのを考えることができます。
なので、そういう考え方を「ある種の考え方」と言ったのです。
便宜的にそう言っただけで、あまり深い意味はありません。
>>一例ですが、「おいしい」という言葉は一つですが、
>>「おいしい」という概念は無数に考えられるかもしれません。
>>どう「おいしい」のか?という話です。(
>>104 )
>
>どう「おいしい」のか?というのは、概念ではなく、観念ではありませんか。
とりあえず私にとってはあまり意味のない問題なので、そこら辺は適当です。申し訳ない。
ただ、「言葉」と「イメージ」の違いを言いたかったのです。
「イメージ」についても、様々な種類があるのかもしれませんね。
>128 >何かをイメージする(つまり「空想する」)ことについて考えてみます。 >例えば、「一匹の犬が道の真ん中に座っている」ということをイメージ(空想)します。 ← >イメージの中で、道の真ん中に座っているのが「犬」であるというのはなぜ分かるのですか。 >そもそも、「道」が「道」であること、「真ん中」が「真ん中」であるということ、 >「座っている」ということが「座っている」ということとなぜ分かるのですか。 >それは、それぞれの言葉が、まさにその事を表しているからです。 >そうでないと、逆に「一匹の犬が道の真ん中に座っている」ということを、 >イメージできません 上のことだけでは、思考の順序などが詳しく分からないのでなんともいえないのですが (あやふやな箇所がいくつかあるので)。 つまり、本当のところは、イメージしたところで認識が完了しているのです。言語化はしません。 上の場合ですと、そのイメージのなかの犬を「犬」と言語化させて初めて認識が完了する。 そう読み取ることができます(「←」のところでイメージにはできているのですから)。 そうであったとしたら、言語化させて初めて人間がものを認識できるということなのですか? そうすると、ボールが飛んできてもすぐによけることは難しいのではないですか。 「ボールが飛んできた現象が起こる」→「言語に変換」→「よける」 なんだか避けられない気もします。 それに、言語化させなければ認識できないとすると、 アニメや映画を鑑賞するときはわざわざ言語化するのでしょうか。 それですと、一本の映画を見るときは、本一冊くらいの分量を言語化していることになりますが、 実際のところはそんなことはしていないと思います。わざわざ言語化しなくても、いろいろと認識しているのです。 また、「ドラえもん」が青いのは誰もが知っていると思いますが、 わざわざ「ドラえもんは青い」と言語化させたことのある人は、めったにいないのではないでしょうか。 また逆に言えば、どうして今「ドラえもんが青い」ことが分かったのかといえば、 ひそかにイメージしたからではないのでしょうか。
相変わらずさっぱり理解できません・・・??? >・・・まあ、今でもビッグバンはどうして起こったのかは分かりませんし、 当たり前のように存在している雪の結晶や、雲の様々な形、川の入り乱れている様子などでさえ、 科学的にはどうして作られるのかも解明できていないように、分からないことも多いですが、 それでも原則があると仮定した上で、原則に反した例は見つからず、 あらゆるものに因果関係がありそうなので、原則があることにも納得がいくようになったのです。 科学では解明できていない、「原則に則した」「具体的な例」を挙げて頂けると 少しは理解できるような気がするのですが、お願いできませんか? 4〜5個挙げて頂ければ、共通点から「原則」が少しは見えてくるか・・・と・・・。
132 :
考える名無しさん :03/04/07 00:28
今全部読んだ。
文が分かりやすくてイイね。俺も原則というか自然の摂理ってのは在ると思う。
ただ
>>1 のように身に付ける事は本当に可能なのか?って思った。途方も無い感じがするよ。
これは
>>1 に言わせれば回路が無いと言う状態なのかな。
133 :
考えるサル :03/04/07 00:41
イメージ云々については、また後で発言させていただきます。
とりあえず、再び読み返していて、ふと思ったので、
先にそれを書かせていただきます。
1さんの言う、「原則」って言うのは、
「結果」のことですか?
そう考えると、何かわかったような気分になるのです。
「たぶんそれは感じ取ることしかできないんじゃないかな。」(
>>44 )
とありますが、それは、「マトリックス」という映画で、主人公のネオが、
最後に覚醒するシーンがあるんですが、そのような感じということですか。
この映画を見ていなければ、非常に意味不明な発言となりますが、
いかかですか。
>>127 チェックターゲット。これ、どこかにまとめるようなスレ立てて一括削除依頼しません?
136 :
考える名無しさん :03/04/08 02:57
(・∀・)1サンイナクナッチャッタノ??
⊂(゚ー゚*⊂⌒`つ≡≡≡ズサーーー
138 :
考える名無しさん :03/04/08 03:00
(・∀・)イター
|-`).。oO(バイバイ
(・∀・)ウキョ
141 :
考えるサル :03/04/08 12:57
>>130 >そのイメージのなかの犬を「犬」と言語化させて初めて認識が完了する。
言語化させるのではなく、もともと「犬」というイメージの中に、
「犬」という言葉やその概念が含まれているということです。
例えば、散歩している犬を見て、それを「犬」だと思うことができるのは、
それを「犬」という言葉で「猫」や「猿」と区別しているからです。
>また逆に言えば、どうして今「ドラえもんが青い」ことが分かったのかといえば、
>ひそかにイメージしたからではないのでしょうか。
そもそも「ドラえもん」を「ドラえもん」と分かるのはなぜか。
「ぼくドラえもんです。」のセリフを聞くなどして、
「ドラえもん」が「のび太」や「ドラミ」ではなく、
「ドラえもん」という言葉で区別された、
「『ドラえもん』だというもの」だと分かっているからです。
「青い」というのも同じです。
つまり、イメージするということは、
イメージされようとしている対象の「言葉」や「概念」をも含んで、
イメージしているということを言いたかったのです。
イメージを言語化するということではなく。
説明不足でした。
だから、私は、何かをイメージすることや何かについて思考することは、
言葉なしにはできないと思っています。
もしかすると、「原則」が分かれば、言葉なしの思考が可能になるのですか。
142 :
考えるサル :03/04/08 13:07
これまでの発言の中で、
「原則的に」や「原則としては」という言葉がよく出てきますが、
これは、「1さんの提唱する『原則』に則って見てみれば」
という意味ですか。
それとも「原則としては土曜日は休みではありません。」
というような一般的な意味で使ったおられるのですか。
>「原則的な悪影響」とは「悪いこと」ということです。(
>>44 )
というのは、プラトンの言う「イデア」のようなもの、
つまり、「悪い」イデアというものがあるということですか。
2回読みましたが、
1回目に感じた何か宗教のような感じが拭えません。
「感じ取ることしかできないんじゃないかな。」(
>>44 )
「自ら原則を探し出すしかないと思います。」(
>>115 )などから、
>>92 と似ていますが、「原則」を「神」と置き換えても差し支えないのでは、
とも思います。
143 :
考えるサル :03/04/08 13:10
余談ですが、
>>127 の書き込みは、1989年の事件のことを言っているのだと思いますが、
この書き込みを読んで、前に読んだこの事件のルポ本を出してきて軽く読み返しました。
「計100人ぐらいに・・・」とありますが、
そんなにいるとは書いていなかったような気がします。
「20キロの鉄アレイ」というのも、「1.7キロ」と書いてあります。
それから「自死」とありますが、暴行の結果亡くなったようです。
この違いは何でしょうか。
本当に余談で申し訳ないです。
原則ってのは、真理や定義を言い換えたもの、ということですか?
>>1 さん。
原則と云うのは自然科学の「法則」とは違うのですか? 3回ほど読み返しましたが、どうしても理解する事が出来ません。 イデアのような事を言っているのであれば、なんとなく解るのですが・・・ 個々の事例では「原則」があると云うことは理解できます。 ただ、その共通点が見当たらないのです。 >実際のところ、原則はその人なりに使えば良いものであると思われる。 原則というのは判断の基になるものである。 その基からどう判断するのかは、全く個人の自由なのである。 >小さなことであれば、どういう映画が面白いのか?どういう商品が売れるのか? どうすればもっと物事の効率を上げられるのか?どうやったら良い点が取れるのか? など、様々なことがあると思いますが、これらのことにも、やはり原則が支配しているのです。 「原則が支配しているのです」「どう判断するのかは、まったく個人の自由なのです」 上記からもわかる通り、文章が矛盾だらけなのです。 「支配」されている者に「自由」などあるはずが無いでしょう? 私の(スレを読んでいた)時間が無駄ではないことを祈ります。
148 :
考える名無しさん :03/04/09 03:47
原則には必ず例外が存在する。
149 :
考える名無しさん :03/04/09 04:24
さらに「例外」の中にも「例外」がある。しかも「例外の中の例外」≠「原則」だ。
おまえ何がいいたいんだよ。 例外がどうのって、厨房板のことわざスレでもいけよ。 バアアアアアーーーーーカ
152 :
(σ・∀・)σ :03/04/09 04:47
つまり中外胃腸薬ということなんですかね?
>131
>相変わらずさっぱり理解できません・・・???
>科学では解明できていない、「原則に則した」「具体的な例」を挙げて頂けると
>少しは理解できるような気がするのですが、お願いできませんか?
>4〜5個挙げて頂ければ、共通点から「原則」が少しは見えてくるか・・・と・・・。
「原則」というのはあらゆるところに存在しています。
ここまでに「原則」の例をいくつか挙げていますが、普通の事例では難しいのかもしれませんね。
「原則」というものがはっきり認識できるのは、特殊な状況の方が良く分かると思います。
何も考えていないような日常生活のなかでハッキリ認識できる場面は少ないかもしれません。
(「勉強しない」→「試験の点数が下がる」などでは原則とは思われないと思いますので。
ちなみに「原則」が分かれば、
自分にふさわしい、もっとも理に叶った最善の王道で勉強していくことができます。
本当に自分にとって、ものすごく大事なことは誰も教えてくれないのです。
もっとも、今は世の中の誰もが知らないのですから、自分自身で見つけていかなければならないのです。)
・映像の原則―ビギナーからプロまでのコンテ主義
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4873765803/250-4998614-3769847 前に挙げましたが、こういう本を読んでみるのも良いと思います。原則についてはっきり書いてあります。
ちなみに、遠くまで飛ばすボール投げ競争があるとします。
小学生の場合、中には何も考えずにボールを投げる人もいますが、それは原則に反しているとも言えそうです。
同じ力の場合、だいたい水平に対して40°くらいの角度が良いのです(空気抵抗がなければ45°ですが)。
当たり前すぎる例だったかもしれませんが、勝手に何も考えずに行っては、良い記録はでないのです。
スポーツ選手の話を聞けば分かると思いますが、
彼らは自然の摂理というのを意識している可能性は高いと思います。
それは、自分勝手にやっていると記録は伸びないからです。
食事やトレーニング計画なども理に叶った方法でやっていると思われます。
>132
>文が分かりやすくてイイね。俺も原則というか自然の摂理ってのは在ると思う。
>ただ
>>1 のように身に付ける事は本当に可能なのか?って思った。途方も無い感じがするよ。
>これは
>>1 に言わせれば回路が無いと言う状態なのかな。
感想ありがとうございます。
他の人がこれらのことをどう思っているのか、なかなか分からないので参考になります。
途方もない、、でも意外にそうでもないかもしれないですね。
今まで書いてきたのは一般的な「原則」についてで、
他のジャンルに行けば、そこにはそこの「原則」がある。
初め、初心者のうちは、ものの基本でさえ分からない。
だけどそのうち『軌道に乗る(何かがつながる)』ような感覚になることはないだろうか。
何かがひらめいてできるようになる、といったことです。
自転車は生まれて初めて乗って、いきなり普通に乗れる人はなかなかいない。何度も転ぶ。
そのうち突然(?)乗れるようになる。その後はまず転ばない。
これは他のジャンルでも似た感じではないだろうか。
そして、そのひらめいた(?)瞬間、初心者ではなくなる(中級者ということにする)。
しかし、そこから上級者になるためには、安定感や細かいところをつぶしていくことになる(一例として)。
例えば、この一般的な原則の場合。
原則の意味が分かって、原則を身につけるために動くことにすると、
そのひらめくところで初級、中級と分けられるのではないだろうか。中級者には意外と早くなれる(?)。
ちなみに実際に脳の回路としては、個別の回路がつながったのではないだろうか。
大抵の場合、一つのことは、いくつかのものから成る(一般的な原則については広そうであるが)。
まずは、それぞれ構成されるべき回路を作りつつ、
それらが曲がりなりにもつながると、そういうひらめきになる(コツがつかめる)のではないだろうか。
>133
>1さんの言う、「原則」って言うのは、
>「結果」のことですか?
>そう考えると、何かわかったような気分になるのです。
違うのですが、、
「行動」→「原則によって変換」→「結果」と考えてみてはどうですか?(原則の一つの機能です)
「行動」は自由に決めることができます。
>「たぶんそれは感じ取ることしかできないんじゃないかな。」(
>>44 )
>とありますが、それは、「マトリックス」という映画で、主人公のネオが、
>最後に覚醒するシーンがあるんですが、そのような感じということですか。
>この映画を見ていなければ、非常に意味不明な発言となりますが、
>いかかですか。
どんなのだったのでしょう、私には意味不明でした。(^^;
>134
そのスレは拝見していましたが、全く違います。
>141
>だから、私は、何かをイメージすることや何かについて思考することは、
>言葉なしにはできないと思っています。
>もしかすると、「原則」が分かれば、言葉なしの思考が可能になるのですか。
おそらく言葉なしの思考は可能になるのではないか?と、思います。
自分でいろいろと考えを巡らせれば、何かのきっかけでつかめるかもしれませんね。
ちなみに、言葉では表せないものって、世の中には意外と多いとは思いませんか?
>142
>これまでの発言の中で、「原則的に」や「原則としては」という言葉がよく出てきますが、
>これは、「1さんの提唱する『原則』に則って見てみれば」という意味ですか。
>それとも「原則としては土曜日は休みではありません。」
>というような一般的な意味で使ったおられるのですか。
前者の方です。
「原則」という語を使うときは、それなりに気をつけているつもりです。
少なくとも一般的な意味で「原則」という語を、私はあまり使いたくはないですね。
>>「原則的な悪影響」とは「悪いこと」ということです。(
>>44 )
>というのは、プラトンの言う「イデア」のようなもの、
>つまり、「悪い」イデアというものがあるということですか。
とりあえず >78 の説明の方が良いと思います。「悪い・良い」ということは忘れてください。
「イデア」については良くは分かりませんが、原則的な「概念」のことなのでしょうかな??。
実は、後で書こうと思っていたのですが、
原則があれば、「価値」というものを考えることができるのです。
目標や目的が変われば価値の判断基準も変わりますが、
「原則的な悪影響」というのは、「価値」を下げるような働きをするものです。
また、「良い影響」というのは、「価値」を上げるような働きをするものです。
(あまり関係ないですが、物事というのは波及効果が現れるのが普通です。)
環境破壊というのは地球の価値が下がりますよね。
また逆に、うまく世の中を動かせば、価値をより良く上げることができるということです。
技術の進歩も価値の上昇につながります(技術も誤って使うと価値は下がりますが)。
原則的には、こういうことだと思います。
>142
>2回読みましたが、
>1回目に感じた何か宗教のような感じが拭えません。
>「感じ取ることしかできないんじゃないかな。」(
>>44 )
>「自ら原則を探し出すしかないと思います。」(
>>115 )などから、
>
>>92 と似ていますが、「原則」を「神」と置き換えても差し支えないのでは、
>とも思います。
とりあえず、自分の納得できない「原則らしきもの」に従うのは、そもそも「原則」に反しています。
そこが「原則」と「神」との決定的な違いです。
常に自分の分かる原則に基づかなければならないのです。
ただ、気をつけなければならないのは、「原則」が分かったつもりになってしまうことです。
その人に判断は任されていますが、慎重に慎重を重ねるくらいがちょうど良いのかもしれません。
ここらへんも後で書いてみたいところです。
>144
>原則ってのは、真理や定義を言い換えたもの、ということですか?
>>1 さん。
いえ、違います。
普段言葉として使われている「真理」や「定義」は、やはり言葉に過ぎません。
原則というのは言葉ではないのです。
ただ、その存在しているものを言い表すために「原則」という語を用いているのです。
>145 >原則と云うのは自然科学の「法則」とは違うのですか? 違いますね。強いていえば、原則があるから「法則」が成り立つのです。 原則がなければ、自然科学の法則の一つも成り立つことはありません。 今のところは原則に反した例は見つかっていないのです。 >個々の事例では「原則」があると云うことは理解できます。 >ただ、その共通点が見当たらないのです。 とりあえず「原則」とは、単なる自然の摂理のことです。 世の中には、『矛盾していない因果関係があるという法則』があるということです。 分かりますでしょうか? 矛盾点は見つからないと思うのですが。 ある意味当たり前のことだと思います。しかし、その当たり前のことが実は一番重要なのです。 (これは特許の世界でも同じです。当たり前と思える技術の特許は強力です。) 今の世の中は、その当たり前のことさえ、ほとんどの人は気がついていない状態なのです。 >「原則が支配しているのです」「どう判断するのかは、まったく個人の自由なのです」 >上記からもわかる通り、文章が矛盾だらけなのです。 >「支配」されている者に「自由」などあるはずが無いでしょう? 地球は重力によって支配されていますが、人間は自由に動き回れます(制限があるとも言えますが)。 原則はあらゆる物事を支配していますが、人間には自由意思があるというのも原則なのです。 原則が分かれば、自由意思の有無についても分かると思います。
>148 >149 それは、ここのスレでいうところの「原則」ではありませんね。 その原則というのは、「原則」ではなく、マーフィーの法則やことわざ的なものだと思います。 何故、そういうことわざがあるのか?という理由 何故、それらには例外があるのか?という理由 それらはすべて「原則」によって謎でもなんでもなくなるのです。 「原則」というのは、すべてを含んだ自然の摂理なんですから反例などないのです(少なくとも見つかってない)。
161 :
考えるサル :03/04/11 14:47
1さんは「原則」を分かってらっしゃるのですよね。
でも、
>おそらく言葉なしの思考は可能になるのではないか?と、思います。
とおっしゃるということは、
1さんも今のところはできないということですか。
それとも、私が「原則」を理解すれば、
言葉なしの思考が可能になるということですか。
「原則が分かれば、〜だと思います。」
というような文がよく出てきますが、
その主語は、「(1さんも含めた)私たち人類」なのか、
それとも、「原則を未だ知らない人々」なのですか。
>>157 でおっしゃった「価値」についての話をぜひ聞かせてください。
一通り読み終わった。 この”原則”って物は、成功者の話に何か共通したものを 感じる何かってことなのかな。 皆が何か同じ事をしてるように感じる、流れっていうかベクトルというか。 そういうものが普遍的に存在してるってことかな。
163 :
考える名無しさん :03/04/14 23:01
1は、どこへ消えた?
164 :
考えるサル :03/04/15 14:28
>>163 5〜6日周期で書き込みにこられているようです。
もうすぐ、書き込みにこられるのではないですか。
>161 >>おそらく言葉なしの思考は可能になるのではないか?と、思います。 >とおっしゃるということは、 >1さんも今のところはできないということですか。 私は、言葉なしの思考はよくやっています(もしかしたら年中かもしれませんが)。 >「原則が分かれば、〜だと思います。」 >というような文がよく出てきますが、 >その主語は、「(1さんも含めた)私たち人類」なのか、 >それとも、「原則を未だ知らない人々」なのですか。 後者の方ですね。 断定できないのは、データが少ないからであったり、 場合によっては本当にできない可能性も否定はできないからであったりするのですが、 たいていの場合は「〜である。」という命題は真であり、 それがそう思えていない人がいるとすれば、何かの原則を分かっていないからだと思っているからです。 >163 >164 そうですね。気が向いたときにカキコしにきます。 ちなみに私はチーズではありませんよ。
>162 >一通り読み終わった。 >この”原則”って物は、成功者の話に何か共通したものを >感じる何かってことなのかな。 >皆が何か同じ事をしてるように感じる、流れっていうかベクトルというか。 >そういうものが普遍的に存在してるってことかな。 その”原則”の解釈は、「原則」を162さんなりに解釈した結果のものですね。 ある側面的にはあっていますが全体像ではありませんね。 「原則」というのは、単に自然の摂理のことです。 「原則」というものはハッキリと認識できるものなので、 それが分かれば疑いの余地もない真実であることが分かるものだと思います。 とりあえず意味が分かればいいのではと思いますが、 このスレに原則を知る手がかりはいくらかあると思います。 ちなみに、成功者でもはっきりと「原則」が分かっている人は皆無ではないかと思います。 ただ、成功者達の話を集めていけば、何かが流れた後の形跡が見えてくるのです。 その形跡は原則によって作られたものであることは感じることができます。 ただ、それを感じることができても「原則」は分からないかもしれません。 また、「原則」が分かればあらゆる物事を原則に従って行うことができます。 ただ勘違いしては困ることは、原則に従っていれば全てがいきなりうまくいくというわけではないのです。 しかしながら、物事の成果をフィードバックしながら常に最善の道で進めていけば、 原則的な制限を受けない限りはいくらでも物事を進めていけるのです。 (原則的に言えば、「原則」というものが分かっても、 ある程度は予測できたところで、個別の原則(詳細な事実)までは分かっていないからです。 しかし「原則」が分かっていれば、個別の原則は必ず分かるようになるのです。)
もう一度「原則」について思ったことを書いてみます。 話は飛びますが、各種の自然の法則がありますが、 例えばニュートン力学の「F=Ma:(力)=(質量)×(加速度)」という式があります。 それらというのは、そうやって表現すると物事を扱いやすいから そういう式を作って扱いやすくしているのだと思います。 当然、人間界に「F=Ma」という式が知られていない時代でも自然の法則は存在していたと思われます。 つまり、あたかも「F=Ma」という式が存在しているように世の中が動いているわけです。 「原則」というのも同じで、あたかもそれがあるように世の中が動いているので 『「原則」がある。』と言っているのです。 そしてまた反例はないので、それを「原則」と呼べると都合がよいのです。 世の中には様々な「もの」や「こと」が存在していますが、 それらは必ず原則的な性質を持っているのです。 何故だかは分かりませんが(だから原則というのだと思いますが)、 世の中には、原則的な性質をもつ「流れ」というのが存在しているのです。 よく「人生を学ぶ」と言いますが、言い換えれば「原則を学ぶ」とも言えなくもないかもしれません。 個別に見ていても気がつかないかもしれませんが、 多くを見ていけば見ていくほど、その存在をよりよく認識することができると思います。 そして壮大なものであればあるほど、その存在が強く浮かび上がってくるのです。 原則が分かることの利点は様々ですが、ただ自分が分かっていることだけではなく、 その流れによる力までを借りることもできるのです。 一例ですが、方向性が全くつかめない時でも、原則的な流れによって進むべき道が見つかるときもあるのです。 意外と思われる事実も多く見つかるかもしれません。
多くの人はまったく気がついていませんが、 様々な「もの」や「こと」は、「原則」という骨組みに表面をそれぞれ肉付け(装飾)してあるだけなのです。 ただ実際には、その肉付け(装飾)のされ方は様々であるので、 うまくコントロールしようと思ったら、 それらを個別に、カギとカギ穴を合わせるように緻密な対応をしていかなければならないのです。 ほとんどの人は、そのカギとカギ穴の種類の多さに混乱してしまうだけなのです。 そして、その表面に現れている多様さに惑わされて本質を見失ってしまうのです。 骨組みである「原則」に気がつけば、物事というのは非常に単純であることに気がつくはずです。 その単純な真理を少しずつ積み重ねていくのが理想的であり、そこから深い理解が得られるのだと思います。 原則的な考えというのは「急がば回れ」的であり、常に原則に従って進むべきであるのです。 人間というのは、その裏に隠された真理やルールを見つけて認識することができるのです。 それらの元になる真理を理解することができれば、無限の応用が利くようになるのです。 原則が分かっている人ならば、物事は単純であることを知っているだろうと思います。 そしてまた、その単純な事実が無限への広がりを見せることも知っているだろうと思います。 少し大げさだったかもしれませんが、このくらいの方が分かりやすいと思います。
>
>>157 でおっしゃった「価値」についての話をぜひ聞かせてください。
そうですね。
その前に、「原則」というものが分かったとしても、普段はほとんど気にしていません。
例はありふれているので、あえて挙げませんが、
物事というのは、はじめ習得するまでは慣れない手つきで、一つずつ確認しながら覚えていきますが、
慣れてしまえば空気を吸っているようにこなすことができるようになると思います。
(これも回路の性質の一つだと思うのですが。)
つまり「原則」や「価値」というのもそうですが、普段はほとんど意識していないのです。
でも実はなのですが、優れた人というのは自然と無意識のうちに、
ある考えによって行動していることもあるのです。
それが「原則」であったり、「価値」であったりもするのです。
ちなみに原則が分かっている人は、彼らから優れた思考過程を拝借することを考えるのも良いかもしれません。
というより、常に人の考えから何かを得ようとすることは有益であると思います。
そのうち、考え方や思考過程という意味では分からないことがなくなるかもしれません。
また、新しい考え方や思考過程も数多くあることが分かると思います。
自分で必要な時に探ってみたり、新たな思考を生み出しながらやっていくと良いと思います。
一度それら「原則」の意味が分かれば、無意識にそれが身に付くこともあるかもしれません。
また逆に、いくら「原則」に近い考え方を無意識にしていたところで、
違った環境に置かれてしまったり、違うジャンルに行ったり、そのまま進んでいくと、
次第に考え方のベクトルが「原則」という軸から外れてしまうことも良くあることです。
「価値」についてですが、実のところ 人間はありとあらゆるものを普遍的な基準によって価値判断(評価)することができるのです(できるようになる)。 言うまでもありませんが、世の中には様々な目標・目的を持つものがあると思います。 そのとき、どのくらい目標を達成しているか?という指標になる「価値」を考えることができると思います。 つまり、何故「価値」というものが考えられると良いかと言えば、 何かの目標に向けて動くとき、『その指標になる「価値」を高めればよい』という明確な基準ができるからです。 そして、無数にある選択肢の一つ一つが、その「価値」を基準とした何かしらの「価値」を持つことになります。 つまるところ、その指標である「価値」を効率よく上げるように、 お金や時間などの資源を使って、行動を選択して行けば良いのです。 (何度も言いますが、そうしたい人だけすれば良いのです。) また、同じ対象に取り組むときでも、その基準によってはそれぞれの価値は変わりますし、 長期的か短期的かによっても変わるかもしれません。 どういう目標で、どういう基準の元で取り組むかを考えることも必要です。 (時には曖昧な目標や、曖昧な基準というのも考えられると思いますが。) 何かの発表会やコンクールがあるとします。それらを審査する審査員がいるのです。 そこで良い成績を出したいのであれば、彼らの基準で考えて価値の高いものを仕上げなくてはなりません。 普遍的に素晴らしい結果を出せたとしても、彼らが評価しなければ良い成績を出すことはできないのです。 と、そういう原則もあるのです。 何が基準であるかを考えることも必要かもしれません。
ところで、戦争や、戦略ゲーム、各種スポーツでもそうですが、 価値を考えなくてはならない場面は非常に多くあります(日常茶飯事かもしれません)。 全てのことに当てはまることなのですが、もっとも重要な基本姿勢は、 『取ることのできる行動の中で、もっとも価値を上げるであろう行動を常にとり続ける』ということです。 価値判断の基準は当然原則です(ルールが変更になったりと、基準が変化していく場合もある)。 場合にもよりけりですが、常に全体像をとらえようとするところから始めなければなりません。 おそらく『全体像をとらえて価値を最大化しよう』と 試みたことのある人はあまりいないのではないかと思います。 条件が同じであるような2者が争う状況を考えてみます(戦術レベルでは互角とします)。 一方は原則通りに全体像をとらえて価値を最大化させてこようとします。 そうなると、他方はそういうことを考えなければ必ず負けてしまうのです。 ゲームを行う前から、原則に従う者の勝利であることはすでに分かっているのです。 囲碁や将棋で大局観が大事であるというのも同じ事です。 これもどこのジャンルへ行っても全くもって同じです。 ミクロで考えることも大事ですが、マクロの視点で考えることはことさら大事なことなのです。 つまり、目的に合わせた総合的かつ長期的な判断が必要ということです。 (ちなみにミクロの中でも、その中でマクロ的な総合判断は重要であり、そういうことの繰り返しであるのです。) このことは、市販のゲームにも例外なくすべてに当てはまります。 対戦ゲームであれば、戦略ゲームにかかわらず全てのゲームに当てはまるのです。 むしろ条件が同じである市販のゲームの方が明らかに分かります。 また逆に、うまい人のやり方を見ていると同じような動きをしていることが分かると思います。 つまり価値が最大になる行動というのは、ルールが決められた時点ですでに決まっているのです。
現実的な例を挙げてみます。 過去に国士無双と言われた軍略家である韓信という人物が中国にいました。 連戦連勝によって主君を天下統一させた実績を持つ大変優れた者でありました。 彼は、「自らの才を誇らず、いにしえの真の兵法に従うのみ」という方針でいたようです。 つまり「原則に従って判断していた」と、とらえても間違いではないと思われます。 実際『孫子の兵法書』など有名な書物がありますが、 私の分析の範囲でですが、過去の戦いでそれらを使いこなせた者というのは非常に少ないのです。 やはりそれらもテクニックとして用いるのでは、本当の効果というのは引き出せないのです。 ちなみに私の考えですが、『孫子の兵法書』は現在でも多くの人が拝んでいるかもしれませんが、 実際のところはそれほど高度な内容のものではないのです。 今の世の中は、過去に比べたら非常に高度な社会になっているということです。 (ちなみに『孫子の兵法書』とは、その時代においての軍事の原則とも言えます。) つまり優れた軍略家は他にも多くが存在していますが、 彼らはただ原則に従っていただけであるとも言えるのです。 そして、原則に従っていない者が敗れてしまうのは、火を見るよりも明らかなことなのです。 余談ですが、原則に近い者同士が戦えば、接戦になってなかなか決着がつかないということになります。 どんなに優れた者でも原則を超えることはできないのです。 また逆に言えば、優れた人物というのは原則に近い行動を取ることができる故に優れているのです。 また、過去の優れた人物というのは例外なくそれなりの学習をどこかでしているのです。 続く
まだ、いまいちつかめない。 カキコしてもらうために、思い付きを一つ。 この世界が、原則に沿っていくと世界はどうなる? また、人が沿っていった場合どんな人間に?
(^^)
どうも、貴方が「原則」という言葉に与えている意味と 私達が「原則」という言葉から捉える意味が大きく違っているようですね。 貴方は「コツ」「法則」「掟」「原理」等の言葉をすべて「原則」の一言 でまとめているように思えます。 一つ一つの事例に上記の言葉を当てはめれば理解出来ますが、そんなことなら 誰でも知ってますよ。 質問です。 原則が解ればじゃんけんに必ず勝てますか? それとも、グーはチョキに勝ち、チョキはパーに勝ち、パーはグーに勝つ これが「原則」ですか?
原則というものがある。それによって様々な現象が起こる。 これらの話は、その流れの一つのとらえ方で、それらのものの一部であることは前置きしておきたい。 おそらく、遅かれ早かれ必ず世界は原則的な動きをし始めるだろうと思われる。 関係ないが個人的には、このことは究極の自己組織化であると考えている。 原則的には、世の中というのは人間が動かしているということになる。 個々の人間が原則的な動きをし始めることによって、世の中が原則的に動き出すということになる。 もう少し具体的に、原則的に判断してみると、 おそらく全ての人間が原則通りに動くことは100年以上は先になるだろうと思う。 ただ、世界の奥地に住んでいる人や貧しい国に住む人達は、 それでも原則が分かるところまではいかないかもしれない。 初めのうちは、先進国から変わり始めるだろうと考えられる。 ちらほら原則が分かる人間が出始めて、その人数が次第に大きくなってくる。 おそらく原則が分かる人間であるなら、組織の上の方や、それなりのポストに行くであろうと思われる。 (全てがそうではないが、原則の分からない人よりも上に行きたくなるだろうと考えられる。) つまり、先進国などの多くで、数多くの組織の上にくるような、 世の中を動かしている一部とも言える人たちが原則的な動きをするようになれば、 次第に世の中は原則的に動き出し始めたとも言えるだろう。 おそらく世界というのは、一人の人間や、一つの組織の支配になることはあり得なく、 一人一人、または一つ一つの組織が自律分散的なシステムの上に成り立ち、 かつ、遠目に見れば世界が1つの組織のように正確に動いている世界になると思われる。 組織は数多くの人から成る。 組織が原則的に動くことと、構成される人間がそれぞれ原則的に動くことには矛盾が生じない。 そして、数ある全ての組織が原則的に動くことにも矛盾が生じなく、それによって世界が原則的に動くことになる。 もちろんこれらはただの原則的な流れであり、大まかな図に過ぎないということではある。
>173 >この世界が、原則に沿っていくと世界はどうなる? >また、人が沿っていった場合どんな人間に? まず思ったことは、人について言えば「原則に沿っていく」という表現よりも、 原則が分かれば「自ずと原則的な動きになってしまう」という方が正しいかもしれない。 何故かと言うと、原則的な動きをすれば、それが理想的であることを知っているからである。 わざと問題の答えを間違えることはしないのと同じことであると思う。 結局のところ、人間としては『余裕のある人間』になると、とりあえず答えておきます。 あとは、その人が思った通りのことをしていけるのではないかと思います。 世界については、原則的に言えば、絶対的な価値が確実な上昇をたどることになると思われます。 そして『現実的な楽園』になると、とりあえず答えておきます。 今の世の中は、まだまだ無駄が多いような気がしてならない。 原則的に動き始めれば、相乗効果的に価値が上昇することは目に見えているように思います。 そして、今は多くの人の満足度もそれほど高いものにはなっていないような気もします。 今の日本は物質的に大変豊かであり、非常に平和過ぎて、 逆にそれが焦燥感の現れの原因にさえなっている気もぬぐえない。 本当の満足を知る人が増えるのではないかと思います。 >175 >それとも、グーはチョキに勝ち、チョキはパーに勝ち、パーはグーに勝つ >これが「原則」ですか? それも原則の一つですね。
私達の世界では、それ(じゃんけんの原則)を規則といいますが・・・・
えーと、自分が思ってるよりはっきりしてるみたいだな。 かといって、今までの既定の法則ほどではない感じかな。 社会は共産主義に向かうといえるかな? まあ、理想的な共産主義と限定しなければならないだろうけど。 この平等主義的な社会とは違うかな? 俺はそんな社会になればいいなと思えど、ならないだろうなと 思ってたわけだが、原則がわかれば考え変わるかね。 もう少し説明求む、どうして思いついたのか経緯がわかればね。
>世の中には様々な「もの」や「こと」が存在していますが、
>それらは必ず原則的な性質を持っているのです。(
>>167 )
「こと」が「原則的な性質を持」つというのは、何となくわかるのですが、
「もの」が「原則的な性質を持」つというのは、どういうことですか。
例えば、「りんごという『もの』」は、
具体的に、どういう「原則的な性質」を持っているのですか。
>>168 1さんのおっしゃる「原則」とは、
「客観」ということですか。
以前、「イデア」という言葉を使いましたが、
この世の様々な「もの」や「こと」には、
その本質である「客観」があって、
私たちは、それらを様々に肉付け(装飾)している、
つまり「主観」的に捉えている、と。
>原則が分かっている人ならば、物事は単純であることを知っているだろうと思います。
>そしてまた、その単純な事実が無限への広がりを見せることも知っているだろうと思います。(
>>168 )
これは、
「りんごが落ちるという『こと』」は、
「落ちる」という本質に「りんご」という肉付けがなされている。
「落ちる」という単純な事実に、
「みかん」や「いちご」という肉付けによって、
「落ちる」という事実が無限に捉え方が広がっていく、ということですか。
181 :
考えるサル :03/04/19 21:54
>言うまでもありませんが、世の中には様々な目標・目的を持つものがあると思います。
>そのとき、どのくらい目標を達成しているか?という指標になる「価値」を考えることができると思います。(
>>170 )
すいません、具体的な例を出してください。
「様々な目標・目的を持つもの」って例えば、何ですか。
例えば、「りんごという『もの』が持つ目標・目的」とは何ですか。
人間に食べられるという目標・目的ですか。
でも、それだとりんごに意志があるということになります。
「原則的」には、りんごにも意志があるということですか。
それとも、それが自然の意志というものだということですか。
それから、「そのとき、〜考えることができると思う」となってますが、
どうしても、その前の文章からは「考える」ことができません。
指標になる「価値」とは何ですか。
具体的に例を出してください。
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
183 :
考える名無しさん :03/04/25 10:39
200足らずの過去レス読むのに、これほど時間食うスレッドもめずらしかろう。 1はマメだねw 原則を知るとマメで根気強くなるのかな。
詳しく捉えられたとは思わないが。原則とは成長ではないか。
跳躍というほうが好きだが。常にそれを意識した判断というところか。
それをすれば成長するかどうかを基準とした判断か。
成長せずにすむ言い訳からの成長ともいえるが。確かに楽するために
苦労するその場限りが多いからな。ところで、
成長も原則にかするとして、その無成長性をどう思う。
負の方向から見れば、神のごっこ遊びだが。
>>1
185 :
考える名無しさん :03/04/25 20:20
発見したよ。話してみよう!
186 :
考える名無しさん :03/04/29 02:52
多々ある、理由を示さずに断定系で終わる文面くらいなら「傲慢」の一言でかたがつくが。 「(自分の考えは)そのうち一般的に認知される。 たいていの人はまったくそれに気づいてない。 今の世の中は、まだまだ無駄が多いような気がしてならない。 人間は人間の特性についての理解がだいぶ欠如している」 そして、 「(自分の)人生最大の発見=人類最大の発見」 とまで言いきってしまう。 すごいんすねぇ、アンタは。 「謙虚になる」というのはアンタの「原則」に反することなんかね? それで、どうしてときに、原則に従っているにも関わらず、 上手くいかないということがあってしまうのかが分かりません。 それって「反例」って言いません? 上手くいかないことがあるというのを原則で説明できるという意味も分かりません。 どのみち、原則が実生活に真に有効だと考えられるのは 92さんの言うようにジャンケンに必ず勝てるようになったときでなくては、と思いますが。 私だってこの世に因果があるくらい知ってますよ。 そうしてその因果関係を睨みながら考えられる方策を立てて上手くやってやろうと思ってる。 誰しもそうだと思ってましたがねぇ?私は。 一人一人聞いて回らなきゃ分からないから「断定系」にはしませんがw ただそれは理想である原則に近づけても「同じではないから」失敗することがあります。 ジャンケンに毎回必ず勝つことができないのもそうです。 いずれにせよ、我々は有史以前から自然現象の因果を調べて、 その具体的な法則を発見しようと切磋琢磨してきたんじゃなかったんですか? アナタが初めて気づいたことなんでしょうか?それは。
>179 >社会は共産主義に向かうといえるかな? >まあ、理想的な共産主義と限定しなければならないだろうけど。 >この平等主義的な社会とは違うかな? ひとまず形式的には、現行のまま進むと思われます。 将来、原則という考え方が誰にとっても当たり前の時代になれば、 また違った形式の社会になる可能性はありますが、そこまではとりあえず私は考えていません。 それらのことは、後に原則が分かった他の人たちが考えていくのが自然ですしね。 >もう少し説明求む、どうして思いついたのか経緯がわかればね。 求められているものかは分かりませんが、説明を進めてみます。 とりあえず世の中が原則的な動きになっていくというのは必然的な出来事であると考えられるのです。 もちろんそれには様々な理由があってのことです。 >176 >177 のことは、本当に一言で言い表したに過ぎないことです。 私は自身は、巨大な組織が的確に動けるとすれば、それはどういう仕組みであるのか? ということを考えていたわけです。そのとき原則をひらめいたわけですが、 そのことに驚いて、他のジャンルでも原則が存在することを確認していたわけです。 私の見た限りではありますが、あらゆる出来事と「原則」とを比較しても矛盾はありませんでした。 世の中には、あらゆる全ての出来事の謎を解くカギが存在していたということです。 それを「原則」と名付けているのです。 また、原則を知るヒントを伝えることはできたとしても、原則そのものを伝えることはできないのです。 それが知りたいのであれば、各個人が自ら探し出すしかないと思います。 地球が丸いことを実感することが難しいのと同じように、 すぐには「原則」を感じることはできないかもしれません。 世の中は誰もが気がついていないうちに、原則に従って動いていたのです。
>180 その前に、「原則」というのは人間が利用するものというのが前提になる話としてみます。 この世の中のものすべてが原則の結果現れるものとすれば、 さすがにそれらをひとまとめにして表現することは難しいと思います (しいて言えば、「原則がある」という一言になりますが)。 それがなんとか伝わるように解きほぐしているので、 一つ一つの説明は、曖昧な表現になることが多いと思われます。 また、一つ一つを納得する必要もないかもしれません。 でもそれでいいのです。 実は、普段は原則のことなどサッパリ忘れている。 それでいて物事が出てくれば、無意識に自然と原則通りに動いている、というのが理想なのです。 何かの物事をなさなければならないとき、そのとき原則を都合の良いように当てはめて使えば良いのです。 なので、一つ一つの文章にこだわる必要はないだろうと、とりあえず私は考えています。 もちろん、原則が分かった人がキッチリとまとめていくことも必要な作業なのかもしれませんが。
>180 >「こと」が「原則的な性質を持」つというのは、何となくわかるのですが、 >「もの」が「原則的な性質を持」つというのは、どういうことですか。 >例えば、「りんごという『もの』」は、 >具体的に、どういう「原則的な性質」を持っているのですか。 「りんご」の件ですが、それもしっかり「原則的な性質」を持っています。 ただ、他のことでもそうなのですが、何かの目的がなければ何も始まらない場合もあります。 ある目的に見合った世界観を通して原則を適用するというのが、原則の基本であると思います。 「りんご」についてもそうですが、 『りんごの生物的な性質』という観点からりんごを見るか、 『りんごを開発する』という観点からりんごを見るか、 『消費者』という観点からりんごを見るか、他にも様々な観点が考えられると思います。 そして、それぞれの目的の都合が良いようにりんごを分析して行くのです。 例えば『消費者』という観点から、お皿の上にあるりんごを見てみるとします。 一般的には、そのりんごは『手頃な値段』であるからそこにあるのだと思います。 そのりんごは『おいしい』からそこにあるのだと思います。 そのりんごは『見た目が良い』からそこにあるのだと思います。 私はりんごの研究者ではないので分かりませんが、 『手頃な値段』『おいしい』『見た目が良い』という性質は、一般的なりんごの性質ではないと思われます。 りんごはいつ頃生まれた植物かは分かりませんが、 初めに生まれた野生のりんごなんかは、人間には不味くて食べられたものではないかもしれませんし、 大量生産されていなければ高価なものであったと思いますし、 『見た目がよい』というのも、農家の人たちの仕業であることも理由の一つだと思います。 つまり「もの」といえども、そこにその「もの」が存在しているのは、 それなりの理由があるから存在しているわけです。 今座っている、目の前に突然「象(ぞう)」が魔法のように出現することなどはないのです。
>180
>1さんのおっしゃる「原則」とは、「客観」ということですか。
いや、とりあえず違います。
「原則」というのは、そういうものがあるのです。
確かに本当の「客観」でなければ、「原則」をとらえることはできないと思いますが。
>以前、「イデア」という言葉を使いましたが、
>この世の様々な「もの」や「こと」には、
>その本質である「客観」があって、
>私たちは、それらを様々に肉付け(装飾)している、
>つまり「主観」的に捉えている、と。
とりあえずそのことは、前に >63 辺りでベクトルや哲学を用いて述べたことですね。
「肉付け(装飾)」については、そういう意味で書いたわけではありません。
どんなに客観的に物事をみることができたとしても、
新たに無数に観点というのは導入することができるので、それらまで考えることはできません。
また逆に言えば、何か目的があって初めて、
物事をその目的にあわせて、客観的に見ることが可能になるとも言えるかもしれません。
>>原則が分かっている人ならば、物事は単純であることを知っているだろうと思います。
>>そしてまた、その単純な事実が無限への広がりを見せることも知っているだろうと思います。(
>>168 )
>これは、「りんごが落ちるという『こと』」は、
>「落ちる」という本質に「りんご」という肉付けがなされている。
>「落ちる」という単純な事実に、「みかん」や「いちご」という肉付けによって、
>「落ちる」という事実が無限に捉え方が広がっていく、ということですか。
その通りです。
ちなみに「落ちる」という現象も、「万有引力」があるという事実から派生した一つの事実にすぎません。
ニュートンは「落ちる」という現象から「万有引力」を見いだし、そこから惑星の軌道の解析にも成功したのです。
>181 >>言うまでもありませんが、世の中には様々な目標・目的を持つものがあると思います。 >>そのとき、どのくらい目標を達成しているか?という指標になる「価値」を考えることができると思います。 >すいません、具体的な例を出してください。 >「様々な目標・目的を持つもの」って例えば、何ですか。 >例えば、「りんごという『もの』が持つ目標・目的」とは何ですか。 >人間に食べられるという目標・目的ですか。 >でも、それだとりんごに意志があるということになります。 >「原則的」には、りんごにも意志があるということですか。 >それとも、それが自然の意志というものだということですか。 >それから、「そのとき、〜考えることができると思う」となってますが、 >どうしても、その前の文章からは「考える」ことができません。 >指標になる「価値」とは何ですか。 >具体的に例を出してください。 失礼しました。無生物には目的はありません(便宜的に目的を持つように考えることが有効な場合もある)。 とりあえず目的を持つものという意味は、人間が何かの目標に向かって行動するという意味です。 >「様々な目標・目的を持つもの」って例えば、何ですか。 何かで良い成績を残そうとすることもそうですし、良いものを作ろうとすることもそうですし、 目標を見つけるという目標や、視野を広げようという目標も考えられると思います。
>181 >指標になる「価値」とは何ですか。具体的に例を出してください。 指標になる「価値」というのは、その目的の『現状の総合的な評価』のことです。 それは直接目で見ることはできないものであり、感じ取ることしかできません。難しいことではありませんが。 少し方向性がずれるかもしれませんが、例えば、ある数学の試験の点数が10点だっだとします。 その事実について、どう評価するのが一般的でしょうか。情けないことだと考えるのでしょうか。 原則的な答えとしては、「その数学の試験で10点を取った」というそれが答えです。 「フェルマーの定理を証明しなさい(100点)」という問題が出たら大抵の人が0点です。 誰もが多かれ少なかれ数学的な力というものを持っているのです。 数学の試験というのは、その本質的な力を『とあるフィルター』を通して映し出しているものにすぎないのです。 そして数学という目的があるとすれば、その指標になる価値というのは、その人の持つ本質的な数学の力のことです。 実際には、本質的な数学の力があっても、入試用の数学の力がなければ良い点を取ることはできないのです。 つまり受験対策であるなら、そのフィルターである基準に従って勉強していくことができれば効率的なわけです。 もちろん、それを基準とした「価値」というもので本人の力を評価することは可能です。
ちなみに、数学というものもどんどん細かく分けていくことができます。 分け方も様々あるかもしれませんが、例えば分野ごとに分け、 さらにそれらを構成されているそれぞれにわけ、それらもさらに細かく分類していけば、 最後は足し算などの原始的なレベルにまで分けていくことができると思います。 他のことでもそうですが、すべてのものは一つ一つの積み重ねであるのです。 一つ一つをきちんと理解し、無意識のうちに使えるようにできると自然と応用ができるようになるのです。 また、自分がどこまで分かっているのかが詳しく分かれば、的確に分からない箇所を学んでいくことができるのです。 原則という考えは、「急がば回れ」なのです。 砂の山を築こうと思っても、砂が流れてしまって大きな山にすることは難しいのです。 大変ではありますが、レンガを一つずつ積むことによって初めて巨大な物事を達成することができるのです。 もちろん戦略的に、まずは砂の山を築いてからレンガに切り替えても構いませんし、それは自由です。 当然実際のところはケースバイケースなので、原則的にはそれぞれの目的にあった形で行えると良いかもしれません。
>183 これらの文章もおおざっぱに原則に則って書いているところです。 >184 >詳しく捉えられたとは思わないが。原則とは成長ではないか。 >跳躍というほうが好きだが。常にそれを意識した判断というところか。 >それをすれば成長するかどうかを基準とした判断か。 確かに「原則」の一つのキーワードとしては、「成長」というものがあると言えると思います。 ただ原則については、「原則」というものとしてとらえなければ、 本当に納得し、真実をつかめた気分にはなれないと思います。 また、「原則」が分かれば真実というものがどういうものなのかはっきりするのではないかと思います。 それによって初めて、本当に自分が正しくものをとらえているのか、 または、それが思い込みなのかどうかが分かるものなのかもしれません。 少なくとも「AはBだからCだ」と、ただ思っているだけでは、 それ以上のものはありませんし、否定はしませんが思い込みにすぎません。 状況が変われば「AはBでもCでない」場合があるかもしれません。 何故「AはBだからCだ」という事実が成り立つのかという因果があるのです。 それらまでを想像し、納得できて初めてそれが事実らしきものであるという結論にたどり着くのです。 言葉は言葉に過ぎません、それらも状況を想像しなければならないのです。 そうでなければ、机上の空論になってしまう可能性も高いのです。 頭の中で、複雑に動く物事をシミュレーションしてみるのです。 後は感覚で物事を判断するのです。 とは言っても人間の感覚というものを侮ってはいけません。職人芸などは全て感覚であるとも言えるのです。 慣れてしまえば難しいことではないかもしれませんが、美的な感覚も要求されるのです。
>184
>成長せずにすむ言い訳からの成長ともいえるが。確かに楽するために
>苦労するその場限りが多いからな。ところで、
>成長も原則にかするとして、その無成長性をどう思う。
>負の方向から見れば、神のごっこ遊びだが。
>>1 ん?無成長性とはなんでしょう?
成長しようと努力した結果が報われなかった事実についてでしょうか。
その場合の答えをとりあえず答えると、
ひとまず、努力の方向性が間違っていたということが考えられます。
そのことを念頭において次の方向性を模索することができれば、
その無駄は無駄にはならなかったことになると言えると思います。
少なくとも、その方向は間違っていたという新しい情報が手に入ったことですし、
前進していると考えられるのではないのでしょうか。
>186 >多々ある、理由を示さずに断定系で終わる文面くらいなら「傲慢」の一言でかたがつくが。 私は、事実を話す場合は断定で書いていると思います(すべては原則があると仮定した場合の話です)。 理由を示さない理由はいろいろありますが、 例えば「万有引力」があるという事実の理由などは分からないとも言えるのです。 >「謙虚になる」というのはアンタの「原則」に反することなんかね? 何を「謙虚」とするかは知りませんが、 私は「原則」を観測した結果を、なるべく客観的に書いていこうという方針です。 >それで、どうしてときに、原則に従っているにも関わらず、 >上手くいかないということがあってしまうのかが分かりません。 >上手くいかないことがあるというのを原則で説明できるという意味も分かりません。 「原則がある」という事実は明確です(何せ仮定しているのですから)。 前にも書きましたが、原則というのは様々なとらえ方が可能でもあるのです。 それは意味合いの問題ですが、とりあえず私は私なりに伝えているのです。 まず、様々な物事には原則があり、人間はそれを身につけることができるのです。 そして、その原則を身につけるまでは失敗もするわけです。 ここで意味合いなのですが、一般的な原則を分かっている人が個別の原則を身につけていく過程で 最善の道を進んでいくことを『原則的に動く』ということにしているのです。 その過程においては、それぞれのジャンルに対して原則的に振る舞っているわけではないので失敗もするのです。 個別の原則が身に付いて初めて、個別のジャンルに対しても原則的に振る舞えるようになるのです。 つまりいくら原則が分かっている超一流の人であっても、他のジャンルへ行けば素人になってしまうということです。 ただ、その素人でも最善の道をたどって原則を身につけに行く過程を、『原則に従う』と便宜的に言っているのです。 個別に原則が分かっている事実に対しては、上手くいかないことはないのです。 全く違う例ですが、どうあがいても上手くいかない状況が存在するのも、また事実です。
>186 >どのみち、原則が実生活に真に有効だと考えられるのは >92さんの言うようにジャンケンに必ず勝てるようになったときでなくては、と思いますが。 仕掛けのないじゃんけんであれば、それは魔法とも言えそうですね。 確かに技術が進歩して、脳の中を解析し、電気信号から直前に何を出すのかが分かって 瞬時にそれに勝つものを出すことができれば可能かもしれませんが、 原則というのは魔法ではないのです。 魔法ではない変わりに、それが分かれば誰もが使えるようになるのです。 >私だってこの世に因果があるくらい知ってますよ。 >そうしてその因果関係を睨みながら考えられる方策を立てて上手くやってやろうと思ってる。 >誰しもそうだと思ってましたがねぇ?私は。 つまり、私の言う「原則」は分かっていないということですね。 それに失礼ですが、186さんは千人に一人の知恵者でもないようですね。 原則が分かれば、今のところであれば万人に一人の知恵者にはなるだろうと思います。 >いずれにせよ、我々は有史以前から自然現象の因果を調べて、 >その具体的な法則を発見しようと切磋琢磨してきたんじゃなかったんですか? >アナタが初めて気づいたことなんでしょうか?それは。 そういうことになるのかもしれませんね。 成功の法則を探求している人は多かったかもしれませんが、 この世の中で、原則を探求していた人というのは聞いたことがありません。 少なくとも、それを世の中に広めようとしていた人はいないと思います (7つの習慣はそういう本でもありますが、はっきりと原則を認識しているわけではなさそうです)。 原則は偶然発見した産物でもあるのです。 私は様々なものの判断基準を考えていたついでに原則を発見したとも言えそうです。 成功の法則と、原則とは別物であり、原則が分かれば成功の法則の意味も分かります。 ちなみに自然現象は昔から探求されていますが、それらは原則によって現れる各種の仕組みを探求しているだけなのです。
198 :
考える名無しさん :03/04/30 10:35
<<195 成長の無成長性とは、成長以外にすることが無いという不自由だ。 成長したくないお馬鹿さんという方向に理解されたようだが。 それはどうでもいい。つまり、成長は成長から成長できるのか。 成長以上はあるのかという問いだったのだ。 もし成長してもひたすら成長しかないのなら、 成長はいつまでたっても成長せんなあ。という捉え方だ。 つまり成長が成長であり続けるためには 成長は成長から成長してはならないということになる。 こういう意味での成長の無成長性をどのように捉えているのか。 それをお聞きしたかったのだ。成長にはそれ以上があると考えて おられるのか。それも聞かせていただきたい。それと 成長を強制することをどう考えているかも聞かせていただけると ありがたい。わたしは、無成長が休息であるなら、永遠にとって 必要なものだと、とりあえず考えているのだが。すくなくとも 成長の強制は害が多いと思っている。成長には無成長を 許容するだけの余裕があるのだろうか。それが成長にとっての 成長なのか。
>198 >成長の無成長性とは、成長以外にすることが無いという不自由だ。 >つまり、成長は成長から成長できるのか。 >成長以上はあるのかという問いだったのだ。 >つまり成長が成長であり続けるためには成長は成長から成長してはならないということになる。 >こういう意味での成長の無成長性をどのように捉えているのか。 >それをお聞きしたかったのだ。成長にはそれ以上があると考えて >おられるのか。それも聞かせていただきたい。 なるほど、とりあえずわかりました。 「成長以外にすることが無い不自由」と感じてしまうのは、 成長というのが直線的なイメージから来るのではないのでしょうか? たとえば、世の中にあるようなエンターテイメントが将来どう成長するのか?といったら、 今あるものの延長上にある毛の生えた程度のものといったような。 実際のところは、そういう直線的なレベルの成長ではなく、 新たな分野の融合などで、新しい次元のものに置き換わっていくだろうと考えられます。 つまり直線的な成長というイメージではなく、掛け算的というか、相乗効果的というか、 3つの山だったのが、ふもとが同じ面積で1つの大きな山になるような、そういうイメージです。 そしてまた、様々な分野はさらにその土台になるようなところから変わってくると思いますので、 もうしばらくは、まだまだ世の中は変わっていくのではないかと思います。 これからの変わりようは、今までがハード的だとすると、これからはソフト的に変わっていくと思います。 このことは、世の中についての成長を考えてみたわけですが(つまり、まだまだ成長するだろうと)、 対象が、ある個人か、あるジャンルか、ある組織かによっても違う捉え方を考えることができると思います。 一般的に、ある確立したジャンル内での成長というのは、比較的早い段階で収束してしまいます。 新たなジャンルが生まれたり、様々なジャンルに細分化されていったり、土台が変わることによる革命だったり、 それらのジャンルが融合して(新たなジャンルが生まれる)いくことで大きく前進していくのです。
>198 >成長を強制することをどう考えているかも聞かせていただけると >ありがたい。わたしは、無成長が休息であるなら、永遠にとって >必要なものだと、とりあえず考えているのだが。すくなくとも >成長の強制は害が多いと思っている。成長には無成長を >許容するだけの余裕があるのだろうか。それが成長にとっての成長なのか。 とりあえず、何にとっての成長かを考えないと話は進まなそうですね。 ちなみに世の中については、明らかに常に成長(変化)し続けていくものです。 世の中を成長させていく人や組織は常に存在しているのですから。 個人については、その成長は強制されるものではないと思います。 世の中の職種には変化の無いようなものから、劇的な変化が続くようなものまでありますし、 そのジャンルも様々なものがありますので、特に成長が必要になる職ばかりではないと思います。 また、世の中が原則的に動いているとしたら、 強制的に成長させられているというような場面はなくなるのではないかと思います。 ちなみに一つ思っていることですが、 今現在、世の中の変化に個人の意識が追いついている人はかなり少ないような気がします。 世の中を変化させているのは、世の中にいる一人一人であり、 一つ一つの組織であることは間違いないのですが、 そのうちの一つの組織の意図によって世の中が動いているわけでは全くないのです。 それらの一つ一つの原動力が束になって世の中を動かしているのです。 つまり、一人一人の意図の結果ではあるのですが、 世の中全体として見れば、『誰の意図でもなく世の中は動いている』とも言えるのです。 まずは、そのことに気がつくことが先決なのではないかと思います。 世の中の人の意識が、世の中の動きに追いつくことが早急に求められていることだと思います。 今や、世界の動きが身近なところまで影響してくる時代なのです。 世の中の人(特に世の中を動かしている人)は、世の中の動きにあわせて行動していかなければならないのです。
真摯な反応まことにありがたい。しかし、正直なところ、自意識と無意識の 成長殺戮温泉でぬくもって来た現役病人としては、壱殿のソクラティックヘ ルスに脱帽するばかりだ。質問意見をまとめようと読み返しているのだが、今 日は33で力尽きた。べつに壱殿に読む義務は無いが、その気が御座るなら 待っていただきたい。メールなりこの場なりで送りたいと思う。 そこで、大雑把な質問なのだが、「原則」の目的とは何だろう。真善美を通 じた成長か。成長を通じた真善美か。もしくは、古典的目的を超えた何かなの か。もし、「全ての確認」がその目的であるなら病人としてはうんざりする。 健康であれば喜びと驚きが付き添うのであろうが。天使が悪魔の愚行にスポッ トライトを当てあざ笑う感がしてならない。愚かなエンターテイメントに 見えてしまう。 しかし、壱殿のいう「原則」らしきものを、相手の力を奪う方向に行使する 能力者がまだまだ多い気がする。健康で以って相手を病人にしてそのまま 成長しろと命じるのは、ローマ病の観がする。努力と工夫をそれを奪う方向に 駆使する姿にはうんざりするばかりだ。アメリカの負の側面などを見ると つくづくそう思う。もちろん日本においても。壱殿の予測される変化には まだまだ自意識の邪魔が入るのではなかろうか。 つたない文章でいろいろ難癖付けるが、ホームページを心待ちにしている。 しかし支配に忙しさは欠かせないものかな。余裕が欲しいものだ。欲しがらず にすむそれが。
平均的なIQって65位だったんだ
203 :
考える名無しさん :03/05/01 18:30
おまえらはな
とりあえず読もうと思ったが 長すぎ... よくわからんがそれで何かできるんなら とりあえずなんか行動せえよ
今日は義父にいってきたがなにか
>>204 たしかにな。何かであることや何かになることだけを考えてるやつには
うんざりする。それ以上の行動はせんからな。成長を必要とする地位の
癖にふんぞりかえるのが目的のやつにはうんざりだ。自分勝手にその
地位にいながら他人のせいにして他人に成長を強要する。そんなのは
願い下げ。他にもっと向いた職業があるだろうにな。適材適所も原則
だろう。残念ながら、自然のほうが上手だ。というか返事待ち。でも
結局、健康第一だな。
207 :
考える名無しさん :03/05/01 23:26
ちょっと場違いかもしれんけど、俺の場合は、松浪健四郎著作の 「もっと「ワル」になれ」および、「ハンパに生きるな」 を一字残さず読破したら、すごいグレイトな教養になったよ。この2冊は皆にもお勧め!!!
208 :
考える名無しさん :03/05/01 23:28
同感です(^^) 今でこそ細かな使い勝手では定評の・・・・
209 :
考える名無しさん :03/05/01 23:33
>>207 有益な情報をどうもありがとう。
早速アマゾンで買うことにしたよ。
>201 >質問意見をまとめようと読み返しているのだが、今日は33で力尽きた。べつに壱殿に読む義務は >無いが、その気が御座るなら待っていただきたい。メールなりこの場なりで送りたいと思う。 私はこの掲示板を見に来ますので、 本さんの都合が悪くなければ、ここの掲示板でやりとりができればと思います。 私の返事は遅くなるかもしれませんが、質問などは気長に待っていますよ。 >そこで、大雑把な質問なのだが、「原則」の目的とは何だろう。真善美を通 >じた成長か。成長を通じた真善美か。もしくは、古典的目的を超えた何かなのか。 なるほど。やはりこれもなのですが、誰にとってかによっても「原則」の目的は違うと思われます。 ちなみに、「成長・能力の獲得(手段)」と「真善美・コントロールした成果(目的)」があるとすれば、 手段と目的とは一体のもの、つまり同時にバランスよく追求するように考えるのが原則的であると思います。 また、手段は目的になり、その目的がまた手段になったりと繰り返しになったりもするのです。 これは私も断言はできませんが、「原則」の本来の意図とは、 『宇宙に存在するあらゆる全てである自分自身(原則)を、理想的な状態に向けて変化させ続けていくこと』 とも言えるのではないかと思います。これは人間の意思ではありません。 では何故そうなるのか?と言えば、それが原則だからです。
人間が自由意志を持って的確に世の中を動かしていかなければならない理由は、 人間を超えたものによる何か(原則)なのではないかとも思えます。 今は宇宙へ進出するための研究もされ始めていますが、将来的には果てしない宇宙に向かって人間が進出し、 それらも都合の良いようにコントロールしていくことになるような気もしないではありません。 まだまだ改善の余地だらけではありますが、最近ようやく地球が統合されてきた感もあります。 しかし、将来的には宇宙までもを人間は支配するかもしれないのです。 しかしながら、地球人がそこまでたどり着くことができるかどうかは、原則は保証してはいないのです。 原則的に言うなら、宇宙に存在する数ある知的生命体のうちの一つでも支配してくれればいいのです。 彼らが強大な支配力を持つのであれば、地球の危機も救ってくれるかもしれないのです。 (こういう考え方が原則的です。) これは人に置き換えることもできますが、 環境的に有利な環境と、不利な環境があることは明らかです。 しかし、まわりの環境がどうであったとしても、 その環境の中で最大限の利益を追求していこうという考え方が原則的であるのです。 恵まれた環境にいる人より、原則に従っている不利な環境にいる人の方が幸福であることも当然あり得るのです。 そういうわけで、地球というそのまわりをも含めた環境が、 宇宙の中において、どれだけ恵まれているのかということは、今はまだ分かっていないのです。 隕石一つで地球は滅びてしまうかもしれませんが、技術によってその危機を回避できるかもしれないのです。 今は現実的な話ではないかもしれませんが、宇宙人とも出会える日もいつか来るかもしれません。 原則的には彼らとも共存するべきであるのかもしれませんが、 場合によっては侵略されてしまう可能性も否定はできないので、 負けないよう地球人も技術の進歩を促していくべきでもあるのです。 技術は間違って使わなければ善であり、幸福のための手段にもなり得るのです。
物事の進歩というものは、限界が来れば自ずとそこにいる人間には感知できるものなのです。 結局のところは原則を超えることはできないわけです。 現状の技術という観点では、まだ限界点にはたどり着いてはいない模様です。 しかし、最近になってようやく限界点が見え隠れし始めてきているのです。 井の中の蛙が大海を知るようになったとも言えるのではないかと思います。 しかしまだ、世の中にあるすべての物質や生物の仕組み、またその応用範囲など、 あらゆるジャンルにおいて、未知なことは限りなく多いのです。 将来的には、各ジャンルにおいての限界点が見えてくるようになるのではないのでしょうか。 これからは一つずつの限界点を探っていき、進歩の飽和を目指していくことになるのではないかと思います。 そして、すべての人や組織の営みにバランスよく資源が分散されていくのではないかと思います。 それと言うのは、全体的に世の中が次第に原則的な動きをし始めることによって、自然とそうなっていくのです。 世の中、二極分化するという説もありますが、それは原則的ではありません。 少なくとも、世の中の人が同時にお金の原則を適用しても、同時にお金持ちになれるはずがありません。 しかし、同時に幸福になることは可能なのです。 もちろん個人や組織の支配にあるものには、意図的にバランスよく営むことも必要です。 いや、支配しているというよりは、その上に位置している存在という認識が正しいのではないかと思います。 そして、その下にあるものを、最大限の効果を引き出せるように意図していくのです。 そのようにして、すべてのものは矛盾なく行動することができるようになるのです。 現状では、障壁とも思われるものが多く存在しているものと思います。 そしてその障壁というのは、多くの場合人間自身が生み出しているのです。 何故なら障壁があってもそれを崩していければ、障壁でもなんでもなくなるからです。 原則というものは基本的に障壁ではなく、ガイドラインという位置づけになるのではないかと思います。 原則が分からないのであれば、大きな可能性が残されているということです。
>201 >もしくは、古典的目的を超えた何かなのか。 >もし、「全ての確認」がその目的であるなら病人としてはうんざりする。 >健康であれば喜びと驚きが付き添うのであろうが。 そういうわけで、「全ての確認」が原則の目的であることはないと思われます。 少なくともそれは人間自身の目的の一部でもある。 本来、原則の目的は人間が考えるまでもなく、『原則自身が目的を持っていた』ということである。 個人や組織で見れば、定型的な目的はないとも言える。 原則的に言うなら、原則自身の目的の達成のために死力を尽くすことによって満足を得られるのである。 つまり、人や組織による差が大きいのである。 大きく影響力を持つものであれば、世の中を的確に動かしていくべきであり、 影響力の小さいものであれば、自分自身を満足させるために努力をするべきなのである。 それは健康のための努力なのかもしれないし、身近な人の世話をすることなのかもしれない。 人間は、本当に心の底からその目的を信じているのであれば、死をも恐れない生き物なのである。 ある生命体にとっての目的は、自身のみの目的から生まれるのではなく、 全体的(原則的)な目的があって初めて、自身の目的が生まれるともいえるだろう。 それらは自分勝手に決めた目的なのではなく、探し求めることのできた結果である目的なのである。
>201 >しかし、壱殿のいう「原則」らしきものを、相手の力を奪う方向に行使する >能力者がまだまだ多い気がする。健康で以って相手を病人にしてそのまま >成長しろと命じるのは、ローマ病の観がする。努力と工夫をそれを奪う方向に >駆使する姿にはうんざりするばかりだ。アメリカの負の側面などを見ると >つくづくそう思う。もちろん日本においても。壱殿の予測される変化には >まだまだ自意識の邪魔が入るのではなかろうか。 確かに、まだすぐには原則的な動きはしないことだろうと思われる。 しかしながら確実に、徐々にではあるが原則的な動きに向かっていくものと思われる。 原則というものが真実であるなら、すべての物事の根元に位置するものである。 たとえ、今は世の中で数人しか原則を認識できないでいたとしても、 真実は消えることなく必ず広く認知されて来るものであり、それがまた原則でもある。 どんなに反対する者が現れて来ようが、真実を歪めることはできないのである。 原則を認識している者にとっては、異を唱える者の言動は犬の遠吠え程度にしか聞こえないのである。 また、原則を否定するには簡単で、反例を一つだけ示すことができればいいのである。
ところで『正義は勝つ』というのをご存知だろうか。 まんざらでたらめなことではなく、原則がわかれば自ずとその理由を知ることができる。 そして、原則という考え方が広まれば広まるほど、周りの環境は原則的な要素をより多く持つようになる。 そもそも原則という考え方自体が、一人ではなく他のものと同時に幸福を追求するという考え方なのである。 また、原則に従っている者は周りの環境に関係なく幸福であることができるが、 原則的でなければ、その幸福は周りの環境に大きく左右されることになる。 ここで一つ言っておきたいことがある。 実際のところ、「原則」というものは本来存在していないとも言える。 しかし、「原則」というものをそこに置いて考えてみると、一貫してうまい説明がつくようになるのである。 そしてまた、あらゆるものは「原則」という軸の周辺に位置していることからも「原則」が浮き上がってくる。 それゆえに「原則」があると言っているのであるが、 結局のところ、原則を利用するかどうかは各個人の意志に任されているのである。
ホームページについては、大したものにするつもりはありませんが、 そろそろ適当なところでまとめてみるかもしれません。 少なくとも、ここで書いていたことは原則の中でも骨組みに位置するところです。 あまりに書きすぎてしまうのもつまらないかもしれませんし、 余計なことを書いても陳腐なものになってしまうだけなので、 気が向けばホームページの方で書いていくかもしれません。 世の中には興味深いことや、意外な事実は多く存在していると思いますが、 原則が分かれば、自ずと様々なことが分かってくるものと思います。 何か要望なり質問なり、話題を提供したいのであれば、 遠慮なくこのスレでも、ホームページを作るなりするのも良いと思います。 とりあえずもう少し続きます。
ぁ…当たり前すぎる… >つまりいくら原則が分かっている超一流の人であっても、 >他のジャンルへ行けば素人になってしまうということです。 ? どんな分野だろうと、その一流にどうやってなるかが重要なんじゃないんですか?? それじゃあ新しい分野において原則が分かってる人と分かってない人の差ってなんになるんですか? あなたに言わせれば私は原則が分かってないそうですから、私は原則を知らない人だとしましょう。 そこで、森羅万象には必ず何らかの因果があることを知ってる私と、原則を知ってるアナタが、 二人ともまったく知らない新しいジャンルをこれから制しようとするときの差。 どの辺にどんな風にそれがあります? その上で原則を知らない私がそいつを知ることはどんな役に立つんだ?と。
私なら、とにかくまず学び、経験した上で、あれこれ試して何をやるとどうなるのかを見極めようとします。 しかし中々法則らしきものが見つからなかったり、見つかっても自分にそれを実現できる能力(身体的、精神的) がなかったり、他の理由から何度も試すことすらもできないのが常です。 人間関係から、スポーツ、学問、芸術、オカネなどなど、「やりたい」という意欲と、「法則があるはずだ」 という信念だけでは、生きてる間に達成不可能な事柄というのは人生の上であまりに多くないですか? サッカーがどうやったら上手くなるのかにも原則があるはずだと思ってみたところで、 実際にアナタが上手くなれるかどうかは別問題でしょう? 別れた彼女をこの手に取り戻す方法にも原則があったところで、できるかどうかはわかんない。 それはその原則を発見することこそがもっとも難題であるからですよね。 つまりはhow toの最善策などが分かればそれにこしたことはないですが、 「最善策があるはずだ」だけでは一歩も動けないと思います。どうやって見つけるかが問題でしょ。 みんなそこんとこで悩み生きてるんだと思いますけど?? 確かに世の中には全く考えずに闇雲に問題に突っ込んでいく人も少なからずいるかもしれませんが、 人間っていう生き物は「どうも上手くいかない」という壁にぶつかると どうやったらそれを超えられるのか試行錯誤するもんでしょ? そういった類の人たちの存在が確かにあることは世界史の教科書でも開いてください。 それがそーいうこと考えてるのがアナタだけじゃないことの証明です。 ゃ、ネットが存在し、2ちゃんが存在して、あなたがPCの前に座ってること自体が証明です。 そして当然、因果関係から法則のようなものの存在を考えるときだってある。 少なくとも私自身に関して言えば、原則を分かってない人間としてそうだと言い切れます。
219 :
考える名無しさん :03/05/04 02:53
相対論と不確定性原理、ツイスター理論、ゲーテルの不完全性定理でも 読んで下さい。
1にはスカラー波の研究の方がいいかも。
221 :
考える名無しさん :03/05/04 02:55
同感!
222 :
考える名無しさん :03/05/04 03:08
西田、田辺、木田、浅田、鷲田、池田 なんで田のつくヤツがこんなに多いんだ?
原則とは戦略ってこと? 戦略的に必ずじゃんけんで勝つのであれば、 相手の癖やパターンの情報を得ていてすでに勝つことが確定している状態。 戦術的要素で勝とうとするのは後出ししたりして勝つということかな。 って、実際にちゃんとグーチョキパーを出せる用兵術というのも必要だけど。 まぁ、どんなに素晴らしい戦略(=原則)を持っていたとしても、 それを実行する機会と実行できる能力と意思がなかったらダメだけどね。 そうそう野球でいうなら野球の戦略・戦術(=原則)に気付いて選手としてではなくて、 指導者として活躍している人もいるしね。西武の伊原監督とか。
224 :
考える名無しさん :03/05/04 03:36
225 :
考える名無しさん :03/05/04 03:38
原則を厳密に定義しようとすると無限集合の連鎖に陥りますよ。 だからコンピュータはアルゴリズムのある問題しか取り扱えないともいえます。 私の人生最大の発見は、「人間は当てはめるべき原則を断定できない場合も、 一歩を踏み出せる」ですね。 コンピュータが偉大なる痴呆ならば、人間は愚劣なる思索家なのでは?
226 :
考える名無しさん :03/05/04 03:51
言い換えるならば、人間は中身が実は何だかよく分からない抽象的な観念という ブラックボックスを操作できるのが特徴です。我々は自動車のメカニズムを全て 網羅していなくても運転できます。また、1さんは「原則」のという言葉を厳密 に定義できなくても使えます。
227 :
考える名無しさん :03/05/04 03:52
これらは人間がアナログな存在だからともいえます。
228 :
考える名無しさん :03/05/04 04:08
当たり前のことほど不思議なことは無い。 その間プログラムとして、ちょいと動いてみるか。 自意識はデジタルだぜ。気をつけろ。
でも成長の幼児性に関しては、納得したわけじゃない。 エロスはいつまでもガキだそうだ。
とりあえず聞いておくこと。 とりあえず言っておくこと。 収支はその次。
とはいえ、俺だけが知っているからえらいなんて誰か言ったか?
>>218
233 :
うんこくえ :03/05/04 19:10
>>227 :考える名無しさん :03/05/04 03:52
これらは人間がアナログな存在だからともいえます。
非常に大雑把に語られることで何にでも妥当するように感じられることってありますよね。 新興宗教でよく使われる手口だけど。
新興宗教の勧誘、ね。
毎回、丁寧な返事をありがとうございます。
「指標となる『価値』」とは、つまり、
求められている基準をどれだけ満たしているかをはかる「ものさし」
ということですね。
例えば、おいしいりんごを食べたいと思う人にとっては、
「どれだけおいしいか」が「指標となる価値」である、と。
>人間はありとあらゆるものを普遍的な基準によって価値判断(評価)することができるのです(できるようになる)
(
>>170 )とおっしゃっていますが、
原則を理解すれば、原則に則った基準によって、あらゆるものを価値判断(評価)できるということですか。
「一般的な原則を分かっている人が個別の原則を身につけていく過程で」(
>>196 )
「一般的な原則」と「個別の原則」とは、「原則」とは異なるものなのですか。
最初の方で、1さんはこうおっしゃっています。
>「原則」とはあらゆるものの根本原理である。
>自然の摂理といった方がわかりやすいだろうか。(
>>28 )
>そして私の言いたいことは、自然の摂理という「原則」が存在するということだ。(
>>29 )
>その摂理に則った思考を、「原則」に則った思考と呼んでいるのである。(
>>29 )
「原則」と「自然の摂理」とは等しいものなのですか。
それとも、似て非なるものではあるが、限りなく等しいものなのですか。
あるいは、「自然の摂理」も「原則」の一つの解釈にすぎないということですか。
1さんの書き込みを読めば読むほど分からなくなってきます。
できれば、誰にでもわかりやすい例を多く入れながら、
書いていただけると非常にありがたいです。
すいません、訂正です。
>人間はありとあらゆるものを普遍的な基準によって価値判断(評価)することができるのです(できるようになる)
(
>>170 )とおっしゃっていますが、
原則を理解すれば、原則に則った基準によって、あらゆるものを普遍的に価値判断(評価)できるということですか。
です。
今、最後のまとめにとりかかっているところですが、 多少分量が増えそうなので、もうしばらくお待ちください。 質問などの返信もそのときに致します。 それとですが、このスレについての感想や、 何か一言コメントや質問などがあればお願いします。
質問 例えば司法試験の勉強で『原則が分かっている』と思われる 勉強方法は具体的にどのような方法ですか?
とりあえず全部読みました。 なんとなく1さんがおっしゃっている「原則」が漠然と わかってきたような気がします。 んで、早速質問なんですけど僕らのように「原則」を 理解していない人々が「原則」を理解するためには 具体的にどういった行動を起こせばいいんでしょうか? やはり、あるひとつのジャンルにおいて理解を深めることが 最短の道なんでしょうか?
なんかミスってるし(w
>217 >218 なるほど、おっしゃっていることはよく分かります。 世間の人は原則を知らないので、悩んだり、原因が分からずに苦しむこともあるのだと思います。 原因の分からない不都合ほど不快なものはありません。 しかし、原則が分かっていれば悩むことは全くないのです。 物事に取り込むときの『原則的なアプローチ方法』というのは、そういう見方とは正反対のものです。 原則的なアプローチというのは、法則や、how to的なアプローチを嫌います。 多くの場合、ある問題に対して即効性のあるハウツー的な手段はその問題にしか使うことができません。 原則的とは、常に自分の知らないことがあれば、ジャンルを問わず貪欲に物事を学んでいこうとするのです。 また、常に何故なのか?何故そうなるのか?ということを繰り返し問いただしていくのです。 もちろん、法則やハウツーものの情報も知るにこしたことはありません。 しかしそれらも鵜呑みにするのではなく、 その法則が成り立つのは何故なのか?、ということを常に考え続けていくのです。 そうやって進めていくと、人間の知力というものは制限なく増していくのです。 ある問題が起こったときにだけ、その問題に対処しようという考え方では、 その時々の人間の知力の範囲内でしか対処することができないのです。 また、それらのアプローチ方法は難解なことではないのです。 どんなに高い山であったとしても、簡単に登れるところから一つずつ登っていければいいのです。 おそらく誰でも原則を知ろうという意志さえ持てば、 原則的なアプローチ方法をとることができるものだと思います。 そうすると、登っていかなくてはならない場所が必ず見つかるはずなのです。 もしも、その道が見つからないのであれば(すぐにはできないほどの遠回りの道は存在する)、 その問題に対しては原則的な行動をとることはできず、失敗をしてしまうこともあり得るわけです。
原則を分かっている人は、原則的なアプローチ方法のみが、この世の中に存在しているすべての問題を、 完全 かつ 完璧に、解くための唯一の道であることを知っています。 一見気の遠くなる作業に感じるかもしれませんが、 進めば進んだだけ達成感があり、進むのが楽になっていく道でもあるのです。 ちなみに一例ですが、その道を見つけようとしたら、 目的が物理の勉強であったのに、数学の勉強から始めなければならない場合もあるのです。 余談ですが、一般的に問題を解くための手段(能力)は、 イメージ的に『だるま落としの積み木』のように考えることができると思います(だるまが問題とする)。 一番下にある積み木が「原則」であり、 下から順に一般的なものから、問題であるだるまに向かって専門的な要素の強い領域になり、 それらが統合されて初めて問題が解けるようになるのです。 問題とする分野が徐々に変わるにつれて、 積み木の下の方ほど変わりは少なく、上の方ほどよく変わっていくものと思います。 また、分野や問題によっては、それぞれの積み木の重要度は変わってきます。 そして、一番下にある「原則」という積み木は、どこの問題にあっても共通の要素なのです。 結局のところ、ある個人は必要になるいくつものジャンルに対してそれなりの能力を身につけるものであり、 それらを考慮し、バランス良くそれぞれの積み木の能力を獲得していくべきなのではないかと思います。 結局、原則が分かっている人といない人の差というのは、想像がつくと思いますが、 天と地ほどの差が現れるジャンルもあれば(原則的でなければ、制することのできないジャンルもある)、 ほとんど変わらないジャンルもあるわけです。 間接的に >217 >218 の答えになっていると思います。 もちろん原則が分かっていれば、 そのことを念頭においた上で、いくらでも法則的なものを使用してもかまわないと思います。 ただ原則が分かっている人は、ある人が原則が分からずに法則を使っていると、すぐに気がついてしまいます。
>219 >相対論と不確定性原理、ツイスター理論、ゲーテルの不完全性定理でも読んで下さい。 それらは、原則とは矛盾せずに成り立っているものですね。 >223 >原則とは戦略ってこと? いや、原則とは戦略ではありません。 物事の戦略を練るときは、それらの物事の成り行きを原則的に考えるのです。 もちろん一人ではなく、多くの人間で考えていく場合もあり得ます。 原則的な思考が身に付いている人には当たり前かもしれませんが、 同じように多人数で原則的な思考をする方法、つまり理想的な「ブレーンストーミング」を行うのです。 そこにいるすべての人の持つ「情報」と「思考能力」を、 相乗効果的に最大限引き出すことができれば理想的です。 その後、考え出てきたこれ以上ないもっとも良いと思われる作戦・計画を戦略として使うのです。 当然のことですが、大なり小なりあらゆる一つ一つの物事全てが影響してくるので、 関係しているもの全てをひっくるめて判断するのです。 もちろん一人で考えて、最適な戦略がすぐに思い浮かぶ場合もあります。 慣れれば難しくはありませんが、絵を描くときにする思考や、 将棋の棋士は瞬間的に何万手と考えることができるらしいのですが、そういう思考をするのです。 そのようにして出てきた戦略なら、原則と言ってもいいかもしれません。 「ブレーン‐ストーミング【brainstorming】(広辞苑より) 創造性を開発するための集団的思考の技法。会議のメンバーが、 自由に意見や考えを出し合って、すぐれた発想を引き出す方法。」
ちなみにものを考えていくとき、原則的であれば最善のアイディアというのは必ず出てくるものなのです。 そしてまた、必ず最善の道というのを常に見つけていくことができるのです。 原則的とは、一歩ずつ確実に常に進み続けることでもあるのです。 「情報(点のような存在)」と「考え方(ベクトルのような存在)」を、 正しい方向に向けて増やし続けていければ、必ず行き詰まることなく進み続けることができるのです。 余談ですが、 この世の中の科学技術が発達してきた過程も、全て原則的なアプローチであったと言えると思います。 生物の進化の過程も同じです。 ゾウリムシが、少し変わった性質を持つゾウリムシに変化することはあり得ても、 ゾウリムシがいきなり哺乳類に突然変異することなどはないのです。 しかしながら、そういう原始的な生物が徐々に進化することによって人間が生まれてきたのです。 ついでに、戦略を考えたり、ものを作るときにする思考というのは、 目には見えないだけで、建築物を作り上げていくことと同じようなことをしていくのです。 人の頭の中に眠っている全ての「情報」という材料を、 必要なものを掘り起こして、頭の中で練り上げ、組み立てていくのです。 組み立てたイメージ類は頭の中に残っていき(一見忘れているようであるが思い出せる)、 そうやってイメージを完成させていくのです。 慣れてしまえば、難しいことではないと思います。
>226
なるほど定義ですか。
「原則」は言葉ではなく、「存在しているもの」なので定義しようとは思っていませんでした。
『原則:この世の中の摂理』
『原則的:自然の摂理が反映されている様子』
『原則的なアプローチ:個人や組織が、原則的な筋道に沿って進んでいくこと』
『原則的な思考:個人(集団)が、原則的な方針(方向)を探るために行う思考』
『原則的な行動(動き):個人や組織が原則に従って行動しているさま』
(「原則的に行動している」とは、原則的な思考やアプローチによって動いている様子。)
と、定義しておきます。
>237
>「指標となる『価値』」とは、つまり、
>求められている基準をどれだけ満たしているかをはかる「ものさし」ということですね。
その通りですね。
ただ気になる点は、「ものさし」とは解釈した結果でしょうか?解釈をした結果であってはいけません。
「ものさし」というと、そのものの尺度として捉えるイメージですが、
例えば将棋のある局面を評価するときに、その基準は「ものさし」という言葉のイメージではない気もします。
そのことが分かっていれば問題ないのですが、
そうでなければ、ある基準に沿った『現状の総合的な評価』という方がわかりやすいかもしれません。
>>人間はありとあらゆるものを普遍的な基準によって価値判断することができるのです(できるようになる)
>(
>>170 )とおっしゃっていますが、
>原則を理解すれば、原則に則った基準によって、あらゆるものを普遍的に価値判断できるということですか。
その通りです。
>237 >「原則」と「自然の摂理」とは等しいものなのですか。 >それとも、似て非なるものではあるが、限りなく等しいものなのですか。 >あるいは、「自然の摂理」も「原則」の一つの解釈にすぎないということですか。 とりあえず上に定義を書いてみました。 「原則」というのは、世の中に存在している「自然の摂理」のことを指しています。 あとは便宜的に説明するために、 「一般的な原則」、「個別の原則」、「原則」、「自然の摂理」などの言葉を適宜使っていたのです。 まず『(各種の)原則があることを知っている』ことと『(各種の)原則が身に付いている』ことは違うことです。 『「一般的な原則」が身に付いている』というのは、『適宜「自然の摂理」を利用できる状態』のことです。 (もしかしたら、原則の意味が理解できれば、適宜「自然の摂理」を利用できる状態になるのかもしれません。 それに加え、世の中に存在する全ての「もの、こと、ジャンル」・「人間、組織」・「地球、宇宙」などにも 同じ原則が適用されていることに気がついたときが、「人生最大の発見」なのかもしれません。) また、あらゆるジャンルにおいて原則があります。 それは、「自然の摂理」が存在していることによって、 そのジャンル、または個別の問題や、その瞬間において、適切に振る舞うべき行動が生まれるからです。 つまり、どんなに原則が分かっていたとしても、新たなジャンルへ行けば素人であるので、 その新しいジャンルにおいては原則的に振る舞うことはできません。 なので、そういうものを「個別の原則」というようにしてみました。 そのジャンルに対し、原則的なアプローチによって、その「個別の原則」を身につけるまでの過程を、 便宜的に原則的な行動としたのです。そのためには、繰り返し様々なものから学んだり、 試行錯誤したり、経験したり、実験してみたりする必要があるのです。 最終的にひらめいて、「個別の原則」を身につけることができたなら、 変幻自在に姿を変えてくる自然に対して、縦横無尽に適切な行動がとれるようになるのです。
>240 >例えば司法試験の勉強で『原則が分かっている』と思われる >勉強方法は具体的にどのような方法ですか? 質問ありがとうございます。 答えになっているか分かりませんが、とりあえず答えてみます。 とりあえず原則が分かっている人にとっては、 ほぼ間違いなく司法試験を受かるための能力を身につけることは可能だと思います。 これは原則の基本で >192 あたりのところに書いたことと同じことですが、 まず、原則的な『司法試験を受かるために必要な能力』というのがあると思います。 最も基本になる考え方というのは、 その『必要な能力』と『現時点での自分の能力』との差を埋めていこうという考えです。 当たり前のことですが、この方針が常に判断の基準になるわけです。 質問にはいろんな角度から答えることができるので難しいのですが、 とりあえず、その時々の合格者で、 周りから見ていると、それほど格別には勉強しているように見えないのに、 スマートにそれとなく合格していった人の勉強の仕方見てみれば、 大体は原則的な方法で勉強をしていたと思います。 一般的に、原則的な動きというのは全く目立っていないのに、いつの間にかに偉大な業績を残すものです。 当たり前のことを当たり前に実行するので、目立っているようには全く見えないのです。
>240 また、彼らの勉強方法を調べてみても、表面的には様々な勉強の仕方があるかもしれません。 予備校に重きを置いていた人もいるかもしれませんし、独学に重きをおいていた人もいるかもしれません。 しかし、変わっていない点も見つかると思います。 それというのは、原則的な基準で見て、 確実に、的確な手順で能力を身につけていったことを伺い知ることができると思います。 また、それらの勉強方法を最終的に判断したのは、本人自身だったのではないかと思います。 予備校に通っていた場合でも、 本人が自らの戦略(計画)の元で予備校を利用するというレールを敷いたわけです。 『予備校に頼っていれば安心』という、予備校の敷いたレールで進んでいたわけではないと思います。 (もちろん、勉強の手順が確立している場合というのは、そのレールに乗っかるだけでも間に合うこともある) 結局、当たり前のことを当たり前にやっていれば、自ずとそれなりの能力は身に付くわけです。 今まで遊んでいた人は、すぐにツケを取り戻そうとしても時間はかかるかもしれませんが。
>241 >んで、早速質問なんですけど僕らのように「原則」を >理解していない人々が「原則」を理解するためには >具体的にどういった行動を起こせばいいんでしょうか? >やはり、あるひとつのジャンルにおいて理解を深めることが最短の道なんでしょうか? とりあえず言うこととしては、「原則」というのは理解する必要があるわけではありません。 その人にとって、理解したいと思った場合だけが、理解しようとすれば良いのではないかと思います。 理解する度合いも、その人が理解したいだけすれば良いと思います。 質問の場合というのは、『「原則」がハッキリ認識できるためにはどうすれば良いのか?』 という質問であると捉えてみます。 とりあえず思うことは、 この世の中の全てを理解するつもりで、あらゆるジャンルに対して学んでいこうとしていけば、 そのうち理解に至るのではないかと思います。その手段はいろいろ考えられると思いますが。 途方もなく思われるかもしれませんが、 その時々の時点で、自分が世の中を最も効率よく学ぶための行動をしていくことができれば、 加速度的にその理解度は上昇していくものではないかと思います。 それというのも、世の中には類似の出来事が非常に多いので、 物事を理解していけば行くほど、新しい物事にも取りかかりやすくなっていくからです。 もう一つ言えることは、ある一つのジャンルに対して原則を極めることができたとしても、 一般的な原則は理解できないかもしれません。また逆に、何かのジャンルを深めることなく、 広く浅くだけで世の中を理解して行っても原則は分からないかもしれません。 しかしながら、どう進んで行けば良いのか?というのは難しいことではないと思います。 その時々において、『こうだろう?』と思った行動をし続けて行けば、それが答えな場合が多いです。 後で「原則」が分かった時に振り返ってみて初めて、 『今までのたどってきた道のりが、原則的な道だったんだな』と、思うことになると思います。 また、一人一人においても、その道というのは違ったものになると思います。
240です。 私が予想していた答えとほぼ同じです。 実は私もあなたの言う原則を分かっています。 (あなたと「ほぼ」同じ定義です) 私も世の中が何かの法則に従っている感じを持っていたのでそういう類の書籍を 手当たり次第に読んで解明(?)しました。 ホームページ楽しみにしてます(・∀・)
>251 なるほど。全てを理解するように、ですか。 つまり「そんなもの別に理解しなくても生きていけるよ。専門家でもないんだし。」 なんて思ってたら、まだまだ原則を会得?するには程遠いぜってことなんですね。 ただ >途方もなく思われるかもしれませんが、 >その時々の時点で、自分が世の中を最も効率よく学ぶための行動をしていくことができれば、 >加速度的にその理解度は上昇していくものではないかと思います。 ここですが、 確かにその「世の中を最も効率よく学ぶための行動」ができるならいいんですけども、 まず、何をもって「世の中を最も効率よく学ぶための行動」と 判断すればいいかが分からないんです。 もうすこし、このあたりを詳しく聞かせてください。 あと、 >しかしながら、どう進んで行けば良いのか?というのは難しいことではないと思います。 >その時々において、『こうだろう?』と思った行動をし続けて行けば、それが答えな場合が多い>です。 >後で「原則」が分かった時に振り返ってみて初めて、 >『今までのたどってきた道のりが、原則的な道だったんだな』と、思うことになると思います。 とりあえず端的に言えば、不安この上ないってことです。(w なんか「ゴールがどこか分からない持久走」みたいで、、、。 せめて大体の目安が分かればいいんですけど。何年ぐらいでその領域に たどり着けるかみたいな、、、。 「甘えてんじゃないYO、甘えてんじゃないYO。」 って言われるかもしれませんが、、、。
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
>252 嬉しい感想をありがとうございます。 曲がりなりにも、ホームページを完成させるところまでは行きたいと思います。 >253 >なるほど。全てを理解するように、ですか。 >つまり「そんなもの別に理解しなくても生きていけるよ。専門家でもないんだし。」 >なんて思ってたら、まだまだ原則を会得?するには程遠いぜってことなんですね。 その通りです。それが意外に大事な心得かもしれませんね。 >確かにその「世の中を最も効率よく学ぶための行動」ができるならいいんですけども、 >まず、何をもって「世の中を最も効率よく学ぶための行動」と >判断すればいいかが分からないんです。 >もうすこし、このあたりを詳しく聞かせてください。 なるほど、とりあえず「世の中を最も効率よく学ぶための行動」ということに それほどこだわる必要はないかもしれません。 何かを勉強したときに(勉強でなくてもいいのですが)、 充実感が「ある」ときと「無い」ときの差というのは感じることができますか? その、「充実感が多く得られる行動」というのを基準にしても構わないのではないかと思います。 ちなみに、具体的にどういう行動をしたら良いのか?というのは、あえて挙げないことにします。 それというのは、人によっても違いますし、 その範疇も広いので、特にこれといったものがないからです (それでもある程度は示すことができますが、行動できるのであれば自分で考えた方が良いと思うからです)。 それとですが、このスレに書いてあることも一つの目安になるのではないかと思います。
>253 >とりあえず端的に言えば、不安この上ないってことです。(w >なんか「ゴールがどこか分からない持久走」みたいで、、、。 >せめて大体の目安が分かればいいんですけど。何年ぐらいでその領域に >たどり着けるかみたいな、、、。 これも人によって全く違うとは思いますが、 とりあえず不安なのは動き出す前までなのではないかと思います。 それと言うのも、動き出せばすぐにでも、 間違いなくプラスになっていることが、自分で感じ取ることができるようになるからです。 とりあえず1年くらいすれば、全然違った見方ができるようになるのではないのでしょうか。 そのころでは、様々なことが理解できるようになってくるので、 周りに比べれば、かなり賢くなったことを実感するのではないかと思います。 しかしそのときでは、全く天井というのは見えず、 原則というものは、まだ理解するには至らないのではないかと思います。 3年くらい(?)すれば、原則の元になるものはつかめるのかもしれません。 「原則を超えることは不可能なのだ」と感じるようになるのは、そのまた後のことだと思います。 かなり曖昧なものではありますが、大体こんな感じではないのでしょうか。 後になって様々な人の情報が集まってくれば、より詳しく分かるとは思います。 ちなみに原則が分かるまでは、その人の基準は定まっていなく(定まっている人もいる)、 原則を求めて行けば行くほど、その基準は原則に近づいてくるものと思います。 そのとき考え方が変わってくると感じるかもしれません(正しくは「成長」している)。 そして、原則というのが分かって初めて、「原則」という不動の基準を持つことができるようになるのです。 「人生最大の発見」というのは、その時なのかもしれません。
ホームページ(・∀・)ワクワク
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
259 :
考える名無しさん :03/05/28 17:11
age
>.255 >何かを勉強したときに(勉強でなくてもいいのですが)、 >充実感が「ある」ときと「無い」ときの差というのは感じることができますか? >その、「充実感が多く得られる行動」というのを基準にしても構わないのではないかと思います。 なるほど。充実感ですか。それなら分かります。 >ちなみに、具体的にどういう行動をしたら良いのか?というのは、あえて挙げないことにします>。 >それというのは、人によっても違いますし、 >その範疇も広いので、特にこれといったものがないからです >(それでもある程度は示すことができますが、行動できるのであれば自分で考えた方が良いと>思うからです)。 >それとですが、このスレに書いてあることも一つの目安になるのではないかと思います。 自分で考えて判断するのはとても大事なことなんですね。 思い出せば今まで、僕は思いっきり流されて生きてきましたからね。 高校を決める時も、友達も行ってるし、じゃあここでいいやって感じで決めましたから。 流されっっぱなしの人生ですよ(w そういった意味では原則を会得?するにはかなりの努力が必要ですね。 まずは、すぐ他者に依存しようとする癖を直さないといけませんね。
>256 >それと言うのも、動き出せばすぐにでも、 >間違いなくプラスになっていることが、自分で感じ取ることができるようになるからです。 逆を言えばプラスになっているのが感じなければ まだ動き出してもない状態なんだよと言っても過言ではないんですね。 >とりあえず1年くらいすれば、全然違った見方ができるようになるのではないのでしょうか。 >そのころでは、様々なことが理解できるようになってくるので、 >周りに比べれば、かなり賢くなったことを実感するのではないかと思います。 >しかしそのときでは、全く天井というのは見えず、 >原則というものは、まだ理解するには至らないのではないかと思います。 >3年くらい(?)すれば、原則の元になるものはつかめるのかもしれません。 >「原則を超えることは不可能なのだ」と感じるようになるのは、そのまた後のことだと思います。 なるほど。大体そんな感じですか。 なんか、心のモヤモヤがとれた感じです。すっきりしました。 色々な芸にも同じような事が言えるでしょうね。でも原則の方が色々な事に応用できて お得?ですぜって事ですね。
>256 >ちなみに原則が分かるまでは、その人の基準は定まっていなく(定まっている人もいる)、 >原則を求めて行けば行くほど、その基準は原則に近づいてくるものと思います。 >そのとき考え方が変わってくると感じるかもしれません(正しくは「成長」している)。 >そして、原則というのが分かって初めて、「原則」という不動の基準を持つことができるようにな>るのです。 >「人生最大の発見」というのは、その時なのかもしれません。 なるほど。いいですね。人生最大の発見したいですね。 とりあえず家にある書物を読み漁る事から始めようと思ってます。 知識を得ることで充実感を感じるんで、、、。 それとホームページの件、毎日楽しみに待っています。1さんの行動力には本当に 頭が下がる思いです。 僕も頑張らねば! ではでは。
263 :
217、218 :03/06/02 01:11
だから結局、私が言いたいのは 「それは当たり前だ」なんですよ。 つまらないことでだらだらと反論してすみません。ホントに。 物理学を勉強していて「これはどうやら数学の知識がもっと必要だ」と気づいたときに どうして「じゃあ数学をしよう」と思わない人がいるでしょうか? …まぁ、もちろんそんな人は絶対いないとは言い切れないですけども。。 上げてくださった一例をただそれだけ批判してもどうにもならないかもしれませんね。 では、あなたがおっしゃりたいのはたぶん、 「ある問題の理解にはその分野に限らずに広く学べ」のような感じだと思うんです。 そしてそれは「世間一般の多くの人は知らない」ことになってると思うんですね、あなたの中では。 「how to」という表現がよくなかったのかもしれませんが、 別に僕は「特定の問題はその分野に限ってしか解決できない」とは到底思ってません。 現実、田中さんは化学専攻ではないし、SONYにだって入れなかった人じゃないですか。 詳しくは知らないですけどね。 回りくどかったようなので、もう一度聞きますが、 「森羅万象には必ず因果がある」と「原則」とは一緒だろう? というのが僕の前回の主旨ですが、その辺は違うんですか? もっと言えば「私は原則を理解していますか?」です。してないとしたらどこだ?と。 とにもかくにもどれだけ原則に精通してようとも、 一番重要なのは果たしてあなたが生きてる間に実績をあげることができるのかどうか?でしょう。 確かに、原則的に言えば千年、万年かければ確実に業績を上げられるのでしょうけどね。 もちろんそれはあなただけでなく、私も、みんなも悩むトコであるわけですが。
>259 ageてくださってありがとうございます。 またdat落ちしそうになったらよろしくお願いしますね。 >241さん 正しい認識ができているみたいですね。 手始めにする行動も正しいように思います。 ホームページについては、すぐに完成するには至らないかもしれませんが、 長い時間をかけながら、少しずつ製作・改良していこうかと思っています。 他の人の考えや情報なども参考にしていきたいところですね。 また何か質問や、報告などあればカキコしてもらえたらと思います。
>263 >では、あなたがおっしゃりたいのはたぶん、 >「ある問題の理解にはその分野に限らずに広く学べ」のような感じだと思うんです。 確かに。しかしそれはその限りではありませんね。 私は直接的に「ある問題の理解にはその分野に限らずに広く学べ」と言っているわけではありません。 原則が分かっていれば、必ずしもそうする必要はないのです。 原則が分かっていない人が、そうする必要があるのです。 その理由はきちんとあります。 前にも書きましたが、原則が分かっていない人というのは、 本人が全く気がついていないうちに、様々なものを無視してしまったり、 思考の仕方なども、その人がいた環境などによって知らずのうちに縛られてしまうのです。 また、原則が分かっていれば物事を知らずのうちに無視することはなく、思考に縛られることもなく、 必要なときに、必要十分である最適な量の情報だけを得ながら的確に進んでいくことができるのです。 また、時に壮大かつダイナミックなスケールで大胆に思考することもありますし、 時に、完全かつ完璧である「究極の芸術」を目指すために緻密な思考をすることもあるのです。 自らの生み出した流れによって、その環境に変化を与えることはなんと刺激的なことなのか!とも思います。 それらは自由自在に行うことができ、なんとも爽快なことだと思います。 『人によって物事のとらえ方が全く違う』ということは分かりますよね。 それと言うのは、 『何らかの物の見方』が欠けてしまうことによって起こってしまうのです(他の理由もありますが)。 しかし当の本人の主観によっては、直接その事態を観察することができない厄介な代物でもあるのです。
>263 人生において、原則的な「発見」という意味が分かりますか? それは、その人の世界観(パラダイム)が変わることを意味しています。 何かの情報を得たことによって、 その人の持つ世界観が、変わらざるを得なくなった場合に起こりやすいことだと思います。 今までの世界観では、その新しい事実とは矛盾してしまうので、自ずと新しい世界観に変化したのです (その時の感覚をご存じの方も多いのではないか?と思います)。 「広く学ぶこと」というのは、 今まで自分が気がつかなかったことを認知(発見)するために必要なことなのです。 つまりは、今まで欠けていた『物の見方』を補完するために必要なのです。 ニュートン力学の世界が覆されてしまったのも、パラダイム転換の一つの例だと思います。 また、小さい子供が何らかのきっかけによって、 サンタクロースがいないことを悟ったときの出来事なども、一つのパラダイム転換と言えると思います。 人生というのは、大なり小なりそういうことの繰り返しなのかもしれません。 子供の時と、大人になった時とで同じ世界観を持ち続けている人というのは滅多にいないと思います。 186さんは、「自分の持つ世界観は全く正しいものであり、死ぬまで変わることはない」と思っていますか? 分かりませんが、将来的には全く違った世界観を持っている可能性もあるのではないかと思います。 しかしながら、「原則」があると仮定した場合(おそらく「存在している」とできると思われる)、 「原則」というものが分かれば、「原則」という普遍の基準を判断に持つことができるようになるのです。 それは、過去にも未来にも、この世の中に存在している全てのジャンルにおいても一貫している原則です。 そして、この世の中でそれを認知することができるのは、人間だけなのです。 人間だけが、この世の中の真実という果実を味わうことができるのです。
>263 >「森羅万象には必ず因果がある」と「原則」とは一緒だろう? >というのが僕の前回の主旨ですが、その辺は違うんですか? とりあえず、「原則」についての概念は捉えていないみたいですね。 まず言えることは、「森羅万象には必ず因果がある」ということは、「原則」の片鱗に過ぎません。 「原則」というのは、『何者にも変えることのできないこの世の中の掟』、 または、『この世の中の万物をつかさどっている摂理』などと言う方が分かりやすいかもしれません。 このスレにも様々に、「原則」のイメージを持つ人がカキコしていますが、 同じ「原則」という言葉を使っていても、様々な捉え方をされているように私には思えます。 分かりやすく、正しく「原則」を認識してそうな発言をしているのは >114 の「原則」ではないでしょうか。 とりあえず、このスレには「原則」を知る手がかりはあると思います。 もう一度探ってみると良いのではないかとも思います。 ちなみに「原則」が分かったとしても、 仮に、今直面している問題があったとすれば、その問題に対してすぐに役立つ物ではないかもしれません。
話は変わりますが、原則という観点から見れば、 「この世の中の出来事全てが当たり前の出来事である」と言えるのです。 この世の中の誰もが知らない出来事でも、原則の観点から見れば「当たり前の出来事」なのです。 人間は、その「当たり前の出来事」が分かっていないだけなのです。 また逆に、 万事が分かっている人がいるとすれば、その人にとっては「万事が当たり前の出来事」なのであり、 何も分かっていない人がいるとすれば、その人にとっては「万事が新鮮な出来事」なのである。 つまり、同じ出来事に対し、「当たり前」と思っている人もいれば、 「当たり前でない」と思っている人もいるのである。 上の事実について、「その通りである」と納得しているでしょうか。 それとも、「そんなことは当たり前だよ」といって軽視していますでしょうか。 後者の場合は、「原則」ではなく、「主観」に近い世界観の持ち主かもしれません。 原則が分かっている人は、どんな物事に対しても「軽視」することはないと思います。 ただし「無関係の物を無視すること」や「重要度の低い物を低いレベルで扱うこと」とは意味が違うことです。
>263 >とにもかくにもどれだけ原則に精通してようとも、 >一番重要なのは果たしてあなたが生きてる間に実績をあげることができるのかどうか?でしょう。 >確かに、原則的に言えば千年、万年かければ確実に業績を上げられるのでしょうけどね。 なるほど。とりあえず私が一番重要にしていることは、そのようなことではありません。 人間、どんなに天才であったとしても、この世の中から見ればちっぽけなものです。 原則的に、この世の中が究極かつ本当の豊かさを手に入れる方法というのは、すでに決まっているのです。 その為には、例え100万人の天才がこの世の中に現れても成し遂げることはできないのです。 少なくとも、どんな天才であっても原則を超えることは不可能なのです。 仮に世界が原則的に動いているとすれば、 それは「天才が100万人いる世界」を遙かに超える業績を上げていることは間違いないのです。 極言すれば、この世の中が原則的に動き出さない限りは、 如何なる国策や経済政策を行っても、本当の豊かさを手にすることは永遠にできないのです。 とりあえずそのための第一歩としては、地道に原則という考え方が この世の中に根付いていくという道を歩んでいかなければならなく、それが唯一無二の方法なのです。 また、即座にそうならないまでも、現実的にそういう動きになっていくというのは必然的であると思われます。 それには100年、200年とかかるかもしれませんが、難しいことではないと思います。 実は実際に、表面的にはそういう動きになってきているのを私は感じています。 そしてまた、原則という考え方が一人一人に知れ渡っていくという、本質的な動きも始まるものと思います。 今のところは、その動きはまだ全く世の中には起こっていないようですが。。 結局のところ、この世の中を究極的に良くするためには、 国が頑張っても不可能であり、ある会社が頑張っても不可能であり、 あるところが教育熱心であっても不可能であり、天才が何人いても不可能なのです。 やはりそれは、原則的には一人一人にゆだねられているということになるのだと思います。 ちなみに、国民が賢くなってくれば、自ずと国家も賢くなっていくものと思われます。
>263 仮にもそれが本当だとして、自分の実績というのは2の次、3の次であるというのが本音なところです。 自分の実績よりも、私の場合は世の中の自然の醍醐味を味わっていたいと思います。 放っておいても、世の中というのは良くなって行くわけですから、無理して頑張る必要はないのです。 何故、実績を一番重要なものと考えるのでしょうか? 私の場合は、したいことが自由にできることを第一にしたいと考えます(そのために画策するのです)。 まわりからの賞賛や、お金などを得たいのであれば、実績を第一に考えても良いと思いますが、 一般的には、好きだったり、やりたい仕事などを選んでやっていければいいのではないかと思います (もちろん、したいことの一つに「実績を残すこと」もあるわけですが)。 少なくとも、この世の中が本当にそうなっていくのかどうか、 この地球上でたった一回だけ可能な壮大な実験であるとも言えるかもしれません。 長い年月がかかるかもしれませんが、私はその結果、またはその動向が知りたいわけです。 私自身は、その実験に関わろう、または傍観してくれる人が少しでも増えてくれることを願っているわけです。
ところで何故、原則というものをネットで書いていこうと思ったのか?という理由はいくつもあります。 私がそういうものを書いたところで、世の中にとってはほんのわずかなきっかけの一つに過ぎません。 しかし、私の見た限りにおいては、全てのものが原則通りに世の中が動いているのです。 そしてまた、自らのまわりをそういう動きに変えていけることも確信しています。 ある意味、私にとっての人生の探求は終わってしまったのではないかとも思ったのです。 後は何をやるにしても、私にとっては娯楽になってしまうわけです (全てが原則通りなので、なかなか面白いのです)。 そういうわけで、もはや自分の力だけでは原則を超えることはできなく、 それ以上、世の中に対して貢献することができないことを知ったのです。 私自身が利用するために原則を探していたわけですが、 すでに原則のうまみを味わい尽くしてしまったがゆえに、原則を世の中に出してみたいと考えたわけです。 とりあえず私自身では、すでに実証済みであるので間違いないと思っているわけですが、 世の中に出さない限りは、それが間違いなのかどうかさえ、それ以上に確かめることはできなかったのです。 また、後にどのような反応があるのかも個人的には知りたいところでした (感想などがあれば、カキコしてもらえればと思います)。 これまでに書いてきたことは、かなり大げさになってしまった感もありますが、 「それもまた良し」というところでしょうか。好きに書かせてくださいと。 しかし全てに嘘偽りはなく、私が事実と思う物のみを書いてきたつもりです (たまに意見も入っていると思いますが)。 実は、まだ書きためているものはあったりするのですが、 あとはホームページの方にしようかと思っている節もあります。 多少時間は空くかもしれませんが、とりあえずまた後ほどカキコしにきたいと思います。
とりあえずあなたの言う「原則」を何か具体的な例を使って 言語化してください。 そうしないと私にはあなたの言う原則が全然分かりません。 老子のいう「道」のようなものなんですか? それともパレートの法則のことですか? もっと具体的に書いて下さい。お願いします。
273 :
217、218 :03/06/05 02:57
長々と解説していただいき頭の下がる想いです。 なるほど、「万象にはそれぞれ完全形が存在し、個々はそれらへと収束すべきものである」と、 そのような考え方であるわけですね。(またはすべてがすべて唯一の形へ?) そして「原則」が分かっている人間は一種の「完全形」であるわけだ。あなたの考えではね。 とりあえず、多忙なもんなので不明点だけ2,3質問したいのですがよろしいでしょうか 「森羅万象には因果がある」だから『何者にも変えることのできないこの世の中の掟』があるとみなせる。 また、「森羅万象には因果がある」だから、何らかの『この世の中の万物をつかさどっている摂理』があるとみなせる。 という解釈をしていたんですが、やっぱり違いますかね? また、「軽視すること」≠「重要度の低い物を低いレベルで扱うこと」の理由をお聞かせ願えませんか? ないとは思いますが、「侮蔑の意味を有するか否か」ということでしょうか? そうであるならば当然、僕はそのような感情をいだかずに「そんなことは当たり前だ」と思いましたが。 「原則が世の中を『良く』して行く」 そんな感じの表現を時々使われるようですが、あくまで「良い」というのは 主体あっての「良い」であるわけですよね。それで、この場合における「良い」の主体はなんですか? あなたですか?人類ですか?それとも万象が完全形へと近づくということを、 たまたま主観的な価値表現「良い」で置き換えてみたというだけなんでしょうか? ところでどこかで既に述べられたかとも思うのですが、とっても基本的なことを教えてください。 「原則」を自ら唱えるアナタは必然的に「原則」を完璧に理解した、「完全」な思考の持ち主であり、 もはやどのような概念にも縛られない、啓発したりもしない存在なんですね? 仮に完全にそうだとすれば、あなたは微小な感情レベルの変化でさえももはや不感である ということになるんじゃないか?とも思うのですが。 つまりは原則を真に知ったなら、色々な物事に対して 「原則どおりじゃん!すっげー!」とは間違っても思わないと。 ついで言うと「114さんが近い」というのは全く理解できませんでした。
274 :
217、218 :03/06/05 03:08
ぁ、「啓発されたり」ですね。 あと少しだけ、言わせてもらえば、 「今後の人生で、決して誰からも何からも啓発されることがない」というのは 正直、つまらんとは思いませんか? …個人的なことを言わせてもらえば、僕は、 すべては収束してゆくという考え方は、それこそが一面的であって、 つまり、収束や拡散というのはあくまで現象という「変化」であるに過ぎないんじゃないのか。 って思うんです。もっともあなたのような素晴らしい根拠はないですけどね。
1さんへの意見
>>12 >もしも、人生とは『迷路とは知らされずに、迷路に放り込まされた人の生き様』と例えるなら、
>「原則」を探そうとして生きることは、ゴールを探しながら進んでいくことであるとも言えるだろう。
>迷路の中で、ゴールを見つけようとせず、お店屋さんをして生きるんだ!という人がいれば、
>それもまた、その人なりの一つの人生ではある。
>ちなみにこの場合、「原則」とは迷路の世界のルールである。
「原則」を探そうとして見出したところの「原則(迷路の世界のルール)」が
「真の原則」であることをどうやって証明するのか?
例えば、「原則(迷路の世界のルール)」が最高の価値と定める迷路のゴールはここであると示したとして、
その迷路の世界に放り込まれた人間が、そのゴールを目指し辿り着いたとする。
しかしゴールの先にはさらに別の迷路が在り、「別の原則」に支配されていたとしたら、
もし今までの迷路の結果を引きずるような迷路の世界だったとしたらどうなるか。
次の迷路の世界には先の迷路の結果のみが引き継がれる。
先の迷路で最高の価値であるとしたものが、
次の迷路世界では最低の価値を生み出す原因になる可能性がある。
あなたが「原則」という言葉で表現しようとしているところのものは、この問題を解決するものなのか?
もっと具体的に言うならば、人間が死んだ後の問題について語る能力があるのかどうか。
人間が死んだ後の問題を解決しつつ現在の生き方を示すことができるのかどうか?
1さんは、一つの迷路世界しか考えなくて良いという考え方なんですか?
人間は死ねば主観が消えるからその先は考える必要は無いと。
話がそれているような感がありますが、根本問題はそこであり
「原則」を語るならその問題を解決しなければならないと思います。
276 :
考える名無しさん :03/06/10 21:30
なんとなくage
277 :
考える名無しさん :03/06/11 01:03
原則とは神をとらえようとして言葉を変えて出現した物かもね ポスト神みたいな
278 :
考える名無しさん :03/06/11 09:06
原則というか、そういうものはありそうだな。
いくら疲れていても、職場から家に帰るには、ある一定の手順を 踏まねばならない。「ああ、瞬間移動能力があったらいいのに」 などと、夢みたいなこといくら考えても無駄で、じぶんの足で歩 いたり、電車やタクシーを利用したりして帰るしかない。まあ、 タクシーを使えば、その分疲れないとは言えるが、その代わり、 それなりの金がかかる・・。わたしが、原則論的アプローチという このスレのテーマについて感じた第一印象は、以上のようなこと です。的はずれかな。人間の欲望はとほうもないファンタジーを 描きがちだが、原則とはそうしたファンタジーを無効なものとして 退ける、という事です。
281 :
考える名無しさん :03/06/12 23:08
>>1 今日全部読みました。それで質問なのですが、
1さんは原則をすべて分かっていらっしゃるのですか?
またその範囲は?
282 :
考える名無しさん :03/06/13 00:17
アワビと熟女
283 :
考える名無しさん :03/06/13 00:20
フットボールと少女
ええと、以上のように原則は人間のファンタジーを無効 なものとして退けるが、一方そのファンタジーが原動力 となって新しい原則が創り出されることも考えられる。 原則は固定したものではなく、創り出されたり消滅したり もする。この点、法との類似が考えられる・・・。
285 :
考える名無しさん :03/06/13 12:25
ファンタジー小説も原則によって書かれる。 ということでも、原則の隠蔽が好きですが。 たとえそう捉えるとしても。怠け者が読むのはご愛嬌ですので。 苦労は必要なんですな。捉える隙間がないほどの苦労が。 好きがあるなら隙はないのですが。 余裕が欲しいにしても窮屈なので。 その好きがないわけなのですよ。 支配されているかどうかは知られるものかしら。では。
構造とどう違うの?
動物ほど原則に忠実な者はいない・・。したがって、人間は原則の裏切り者 なんです。しかしそのおかげで、動物には決してなしえない「原則の創造」と いう事を人間はやりはじめることとなった・・。これが人間の歴史だと思います。 (創造された原則ももともと原則にはちがいないが、いわば顕在化されていなか ったと考えられます。)
288 :
考える名無しさん :03/06/15 04:03
創造ではなく原則の認識だろ
うむ
久しぶりに掲示板にやってきた感じがしますね。 ちなみに私自身は、現実世界では原則とは無縁とも言えるような生活ですからね。 とりあえず「原則」というものが、どういったものなのかが分かる人には、 「原則がある」という、その一言以外には何もいらないわけです。 しかし実際には、その一言だけではなかなか「原則」自体を伝えることができないので、 なんとか伝えようとしてきました。 とりあえず言えることは、 この世の中がそういう仕組みであるのは、ある意味当たり前のことだと言うことです。 ただ、人間自体がそのことを全く分かっていないということだと思うわけです。 私には、このご時世にあって、多くの人が勘違いをしているようにも思えます。 会話のすれ違いなども多々あるのではないのでしょうか。 そもそも人間の思考の仕方でさえ、まったく共通の認識というのが無いわけですし、 それゆえに多くの思考法などが闇雲に提案されているのだとも思います。 もしも「原則」が分かっているのであれば、 他のことは一切忘れていても全く問題ないことに加え、それがまた最善の思考なのです。 もっとも「原則」が分からなければ、 他のことを忘れてしまえば思考することさえできなくなるわけですが。 実は、人が真実に対してゆがんだ思考をしているというのは、ある意味当たり前のことでもあるのです。 脳に隔たりのない情報を持っていなければ、何が普遍の基準になっているのかが分からなくて当然なのです。 自然の法則も同じです。大量の実験データがあって初めて法則が導かれるのです。
ちなみに「原則がある」とすれば、次のようになるだろう。 ・あらゆる思考法は「原則」の範囲内にあるものである ・あらゆる物事は「原則」の範囲内に存在し、「原則」の観点から説明可能である ・この世の中の人間全てが、真実を通じた同一の世界観を持つこと(互いに認識し合えること)が可能である ・人間は「原則」を認識可能であり、それによって自然体になることができる(これは仮定とする) 今の世の中、一人一人の世界観は違ったものであり、お互い認識し合えていない場合も多い。 また、何かを正しいと思いつつ、人生尽きるまでそれが間違いだと気がつかずに過ごしていた例も数知れない。 しかし私が思うに、この世の中を一貫したものの見方によって正しく認識することが可能であり、 多くの人が互いに誤った認識をしている場合もあるが、 それらも全て「原則」の観点から説明可能な出来事なのだと思える。 全てを説明するには、「原則」という一つの真実を通じてのみに可能になるのである。 そしてそれは都合の良いことに、「原則」を通じれば全ての物事が説明可能になるのであり、 「原則」を通じない限りは、この世の中の人間が共通の世界観を持つことも、 すべての世界を一貫して説明することもできないのである。 つまり、「原則があるのかどうか?」と言うのを言い換えれば、 「そのようなことがあり得るのかどうか?」ということなのである。
また、「原則」が身に付いている人は、そんなものは存在していないようにも思えるのである。 しかし、今の世の中には一見矛盾が多いようにも思える。 仮にそれらを個別に説明できたところで、次から次へと現れる矛盾の処理には途方に暮れてしまうことだろう。 実は、「原則」を用いる方法がそれらを全て説明するためには最も簡単な方法なのであり、 「原則」というものが全ての橋渡しを行ってくれるのである。 「原則」が全く分かっていないと言うのであれば、 その発言自体が、今のところは共通の世界観には身を置いていないということを物語っているのである。 とりあえずここまでに書いてきたことで、 「原則」の核になる部分(主に基本的な思考の仕方など)のほとんどは 言い尽くしたとも言えるのではないのでしょうか。 逆に言えば、核である部分しか書いていないということでもあります。 ホームページには、それ以外のものを適当に書いていくのも良いだろうと思っているところです。 また、これらは私が勝手に作り上げてきたものではなく、 この世の中から私が拾ってきたものなのです。 おそらく誰もが「原則」を探求していけば、同じような結論に至るのではないかと思います。
>272 >とりあえずあなたの言う「原則」を何か具体的な例を使って >言語化してください。 >そうしないと私にはあなたの言う原則が全然分かりません。 >老子のいう「道」のようなものなんですか? >それともパレートの法則のことですか? >もっと具体的に書いて下さい。お願いします。 そうですね。 老子についてそれなりに調べてみたのですが、 「道」自体は、「原則」自体と全く同じと言ってもいいと思います。 老子の教えは、一人がまとめたものではないらしいのですが、原則にも通じるものでしたね。 ちなみに、「道」というのは言葉では説明できないものとされていました。 「道」というものは存在しているものであり、言葉では説明できないのであると。 「原則」についても全く同じだと思います。 ついでに「パレートの法則」とは、「原則」の側面的な作用と言えるものだと思います。 話は全く変わりますが、 例えば、「象」なども言葉で説明するのは不可能なのではないのだろうか。 「象」を全く知らない人に言葉だけで説明して、それを伝えることはできるのだろうか? 私たちは、言葉というものを、何かの象徴(概念)として捉えているのだと思います。 例えば「象というのは、鼻が長い生き物である」と言えば、 ピノキオ(生き物と言えないかもしれないが)を見て「象」と思ってしまう人もいるかもしれない。 また、「象」は哺乳類であったり、足が4本あるなどの特徴や、 その生態など、すべてを含めて「象」という言葉で表しているのではないのだろうか。 つまり、私たちのほとんどは、それほど「象」について知っている訳ではなく、 知っているのは、他の動物たちとの外見の違いくらいであり、 専門家に聞けば、私たちの知らない「象」の側面の多くを語ってくれることになるのだろう。
>273 >なるほど、「万象にはそれぞれ完全形が存在し、個々はそれらへと収束すべきものである」と、 >そのような考え方であるわけですね。(またはすべてがすべて唯一の形へ?) そのようには言ってはいなかったと思います。 それに原則というのは考え方ではありません(原則がある場合の「考え方」というのは考えられるわけですが)。 「革命」とは、いったん収束したものが、土台が崩れることによって起こる現象でもあるわけです。 ちなみに全体的に捉えれば、物事というのは、宇宙のように拡散していくものだと思います。 しかし、ただ闇雲に拡散していくのではなく、 「数学」や「物理学」などと総括して考えられるように、でたらめには拡散しないのです。 「数学」というように収束されている学問の中で、新たに細分化のように拡散していくものだと思います。 まあ、それも一面的なものかもしれませんが。
>273 >「森羅万象には因果がある」だから『何者にも変えることのできないこの世の中の掟』があるとみなせる。 >また、「森羅万象には因果がある」だから、 >何らかの『この世の中の万物をつかさどっている摂理』があるとみなせる。 > >という解釈をしていたんですが、やっぱり違いますかね? 違いますね。 少なくとも解釈をしている間は、「原則」を知ることはできないと思います。 >また、「軽視すること」≠「重要度の低い物を低いレベルで扱うこと」の理由をお聞かせ願えませんか? >ないとは思いますが、「侮蔑の意味を有するか否か」ということでしょうか? >そうであるならば当然、僕はそのような感情をいだかずに「そんなことは当たり前だ」と思いましたが。 とりあえず「感情」については全く関係のないことです。 とりあえず「軽視」の意味ですが、例えば、 A:「〜するのは、〜だからやめた方がいいよ!」 B:「全然平気だって!」 ・・・Bは事故に遭ってしまう。 という状況があった場合の、Bの態度についてです。 「本来重要な事実であるのに、知ってか知らずか、それを気にかけることなく考えてしまうこと」です。 先ほど挙げた例ですが、 「原則」が分かっている人には最も大事とも思える事実だったのではないかと思います。 いろんなところで応用も利くものだと思ったのですが、 186さんにとっては、考える意味もないことだったというわけですね。
>273 >「原則が世の中を『良く』して行く」 >そんな感じの表現を時々使われるようですが、あくまで「良い」というのは >主体あっての「良い」であるわけですよね。それで、この場合における「良い」の主体はなんですか? それは「原則」自体と考えるのが筋なのですが、 それは人類でもありますし、他の生物でもあるのです。 つまり、この世の中全体というわけです。 >ところでどこかで既に述べられたかとも思うのですが、とっても基本的なことを教えてください。 >「原則」を自ら唱えるアナタは必然的に「原則」を完璧に理解した、「完全」な思考の持ち主であり、 >もはやどのような概念にも縛られない、啓発されたりもしない存在なんですね? 何を「啓発」とするかは置いておくとして、 思考の根底となるものが変わることはないと思います。 また、新しい知識や考え方などは増やしていくことができます。 >仮に完全にそうだとすれば、あなたは微小な感情レベルの変化でさえももはや不感である >ということになるんじゃないか?とも思うのですが。 >つまりは原則を真に知ったなら、色々な物事に対して >「原則どおりじゃん!すっげー!」とは間違っても思わないと。 それは多少違いますね。 確かに「原則」が分かったばかりの時は「すっげー!」と感じるかもしれませんが、 それが身に付けば、そういう感動から醍醐味(趣味によって得られる満足のようなもの)に変わるわけです。 仮にギャンブルなどで予想が当たったときなど、かなりの満足が得られると思いますが、 そこまではいかないまでも、「全てが原則通り」というのは爽快でもあるのです。 もっとも、今はこの世の中のほとんどの人はそれを知らないんですよね。
>275 >「原則」を探そうとして見出したところの「原則(迷路の世界のルール)」が >「真の原則」であることをどうやって証明するのか? 証明についてですが、 仮に「原則」があるとし、それを認識可能だとして、 この世の中の人間全てがそれを認識し、原則通りに物事が動き始めたとしても、 それは「原則」を証明するものではありません (それで証明されるとするならば、2人以上の人間が原則を認識すれば成り立つと言えるかもしれませんが)。 「原則」を証明できるかどうかはわからないわけです。 便宜的に違う角度から「原則」を定義し、それを満たす説明をすることはできるかもしれませんが。 >例えば、「原則(迷路の世界のルール)」が最高の価値と定める迷路のゴールはここであると示したとして、 >その迷路の世界に放り込まれた人間が、そのゴールを目指し辿り着いたとする。 >しかしゴールの先にはさらに別の迷路が在り、「別の原則」に支配されていたとしたら、 >もし今までの迷路の結果を引きずるような迷路の世界だったとしたらどうなるか。 >次の迷路の世界には先の迷路の結果のみが引き継がれる。 >先の迷路で最高の価値であるとしたものが、 >次の迷路世界では最低の価値を生み出す原因になる可能性がある。 > >あなたが「原則」という言葉で表現しようとしているところのものは、この問題を解決するものなのか? >もっと具体的に言うならば、人間が死んだ後の問題について語る能力があるのかどうか。 >人間が死んだ後の問題を解決しつつ現在の生き方を示すことができるのかどうか? そのことについての問題はないことだと思われます。 仮に死後の世界があるとして、それが現実世界と何か関係しているという事実が無い限りは、 二つの世界は独立して成り立っている(または死後の世界が現実世界を包含している)とも考えられるわけです。 少なくとも現実世界の原則があるとすれば、死後の世界に関係なく、それが現実世界のルールになるわけです。 ついでに言えば、「原則」というのは死後の世界について語る能力は全くありません。 もっとも、現実世界のルールと、死後の世界のルールとでは全く違うかもしれませんけどね。
>281
>
>>1 今日全部読みました。それで質問なのですが、
>1さんは原則をすべて分かっていらっしゃるのですか?
>またその範囲は?
私の言う「原則」が、
仮にこの世の中に「原則」があるとした場合に、それと同じものであると前提しておきます。
私はといえば、「原則」があることを知っていて、
一般的にどういう性質であるかを知っているのではと思います。
そして、この世の中の全てに同じ「原則」が関与していることを知っていますので、
「原則」という一つの真実しか知らないと言えるかもしれませんし、
その範囲は無限とも言えるかもしれません。
ちなみに思ったことですが、 動物が原則に忠実であると思えるのは、 忠実でない動物は全て息絶えてしまったからです。 この世の中には、観測できなかった種類の生き物の方が遙かに多いわけです。 遺伝子の突然変異のほとんどは悪影響を及ぼすわけですが、それらはすぐに息絶え、 万一より良いものが現れれば、それが覇権を握ることになるわけです。 ダーウィンの言葉を借りれば、 『この世の中で生き残るものは、 「強いもの」でも「賢いもの」でもなく、「環境に適応できたもの」』なのである。 仮に、ライオンと同じ生態を持ちながら、若干弱い生き物Aがいるとします。 すると、そのAという生き物は、この世の中では生き残っていられないのです。 なぜなら、Aという生き物はライオンと同じ生態ゆえに争うことになるので、 ライオンより若干弱いAは、次第に数が減っていって、ついには絶滅するといったことになるからです。 確かにAという生き物は、ダチョウなどよりも強いかもしれませんが、 実はダチョウとAとは、直接争うことはなく、棲み分けができているのです。 つまり、同じ生態にあるもの同士は棲み分けができず、より強い(または賢い)ものだけが生き残るのです。 弱いものであれば、また別の環境を求めることこそが生き残る道となるのです。 それが「環境に適応できたもの」ということです。 人間社会的に言えば、その能力を最大限に発揮できそうなところへ行くべきであるということです。 当たり前だったかもしれませんが。
300 :
考える名無しさん :03/06/15 23:37
伝道の書 第9章11節 わたしはまた日の下を見たが、 必ずしも速い者が競争に勝つのではなく、 強い者が戦いに勝つのでもない。 また賢い者がパンを得るのでもなく、 さとき者が富みを得るのでもない。 また知識ある者が恵みを得るのでもない。 しかし時と災難はすべての人に臨む。
掲示板はひたすらモノローグを展開する場所じゃないことは「原則」に含まれていないようだね。
303 :
考える名無しさん :03/06/17 03:33
自然界には確かに法則のようなものが人間から独立して存在する。それは、人類の誕生前から存在し、人類が滅亡した後でも、宇宙の構造が質的に変わらない限り、同じように存在するだろう。 しかし、それを人間が認識するとなると話は違ってくる。科学的認識は、広義の言語行動の形をとるものだ。 人間は、普遍的な真理をそっくりそのまま認識するのではなくて、自己の要請に応じて、環境により有効な働きかけを行うために秩序づけていくだけなのだ。
>302 >未だに「原則」なるものが理解できていないのですが、 >先日、本屋で「『原因』と『結果』の法則」という本を見つけました。 >パラパラと見ただけですが、 >1さんのおっしゃる「原則」と何か共通していますか。 その本は、私も以前に立ち読みしていました。 その本の著者は「原則」を知らなかったと読み取れたのですが、 その「『原因』と『結果』の法則」というのは、 私の言う「因果の法則」と同じものだと思います。 知りませんでしたが、その本の紹介に ナポレオン・ヒル や デール・カーネギーにも強い影響を与えたとされていましたね。 >303 >しかし、それを人間が認識するとなると話は違ってくる。 >科学的認識は、広義の言語行動の形をとるものだ。 >人間は、普遍的な真理をそっくりそのまま認識するのではなくて、 >自己の要請に応じて、環境により有効な働きかけを行うために秩序づけていくだけなのだ。 人の認知は言語と切り離すことができないことによって、 普遍的な真理をそのまま認識することができないということなのでしょうか? そのために人間は「普遍の法則」を認識することはできないと?
305 :
考える名無しさん :03/06/18 15:36
そもそも普遍的真理なるものが存在するのか、かりに存在するとして、我々はそれを先験的にそっくりそのまま認識できるのかということ
306 :
考える名無しさん :03/06/18 15:39
まず、普遍的な真理が存在するかどうかと問われれば、私は、あるだろうと答える。 それは、我々の住んでいる世界になにがしかの秩序があり、したがって予測可能性があり、かつ、その秩序は地球やその近隣の宇宙において共通性をもち、しかも安定しているという意味での「真理」である。 そしてそのような真理は、人類の誕生以前、宇宙の誕生以後極めて短時間の後から現在を経て何十億年か後に至るまで安定しているものと予想される。人類誕生以前から存在していたという意味では、普遍的な真理は意識と独立して存在する、と言ってよいだろう。 問題はここからあと、つまり真理の認識についての捉え方である。小学校高学年から大学に入るまでの私は、「科学とは、初めから存在している普遍的真理をどうにかして見つける努力」であるとずっと思ってきた。 しかし、この考えからを押し進めると、地道な実験研究などしなくても、ある日の突然の閃きで普遍的真理に到達できることがあるかもしれないという可能性も出てくる。 これに対して、大学入学以降、まったく別の見方があることを知った。それは、 科学的認識は、広義の言語行動の形をとるものだ。人間は、普遍的な真理をそっくりそのまま認識するのではなくて、自己の要請に応じて、環境により有効な働きかけを行うために秩序づけていくにすぎない
>306 なるほど、とりあえずそのままでは水掛け論になってしまうので、質問をしてみます。 私は、普遍の真理を認識可能だと思っていますのでね。 「科学的認識は、広義の言語行動の形をとるもの」ということですが、 それは、「人の認知も同様に広義の言語行動をとる」ということですか? ちなみに、このスレは読みましたか? 「原則」について何か考えがありましたらお願いします。
308 :
考える名無しさん :03/06/19 13:50
俺が発見した真理それは ミクロ=物理 マクロ=量子 だった。(逆ではない) つまり量子宇宙から物理宇宙が生み出されておりそれぞれへ向かう力の流れが存在する(5つ) ということだ。
原則は、ラカンの象徴界に近い概念では? 主体は、象徴界の論理に沿って 自己を形成する。象徴界は人間にとって、動物の環境に当たるものだと思う。
310 :
考える名無しさん :03/06/22 23:26
>>1 は和田サンの好み、これは最高の褒め言葉だよ。
>309 >原則は、ラカンの象徴界に近い概念では? 主体は、象徴界の論理に沿って >自己を形成する。象徴界は人間にとって、動物の環境に当たるものだと思う。 ラカンについては多少調べた程度ですが、 これは他のことにも言えることなので言ってみると、 「原則」を分からない人が、『「原則」とはこういうものである』と聞くと、 その人の持っている何らかの概念で原則を解釈できる場合が多い (それが原則の伝わりにくい理由の一つでもある)。 実は、「原則」が分かっている人からみれば、「原則」がそれらの概念に近いのではなく、 「原則」があるからそれらの概念が生まれたのだと見ることができる(分かる人には分かるだろう)。 「原則」というのは、 ただ何もない中で、都合のためだけに「原則」があると言っているわけではない。 やはり、この世の中にはそれなりの「流れ(何らかの傾向)」があるのである。 「原則」が分かった!という人は、 ハッキリとそれらしき軸をつかむことができた人だと思われる。 とりあえず他のジャンルに対しても言えることだが、 この世の中のものは、山のようなものに例えることができる。 そして、それぞれの山は軸(原則)を持っており、 その山の特性というのは軸(原則)が全てを生み出しているとも捉えられる(綿飴のような構図である)。 実は、個別の原則に対し、そのような軸を見出した瞬間に、 ひとまず、その原則を身につけることができたとなると言えるのだろう。
初めは軸(個別の原則)など分かるわけもなく、 もやもやとした周辺の情報を獲得していくしかなく(その状態でも原則による方向決めは可能)、 大量の情報を得ていくうちに軸(個別の原則)を見出すことになる (簡単に言えば、IQテストの法則を見出すようなイメージであり、一つや二つの情報では分からない)。 様々な理由があるのだが、原則の分からない人は途中で挫折してしまうこともあるかもしれない。 一度軸を見出してしまえば、後は綿飴が作られていくように、 得た情報全てを的確に自分の中に消化することができるようになるのである。 分かりやすく言えば、軸を獲得した後の様子とは 『地図の無かった状態から、地図を手にしたようなもの』である。 地図を手にすれば、さらに緻密な地図作りへの道(完成への道)が開けるのである。 もう一度言えば、 「何かをひらめいた瞬間」とは、「脳の回路が繋がった瞬間」でもあり、 「各種の原則を見出した瞬間」でもあり、「初級者が中級者になった瞬間」でもある。 また、「緻密な地図作りへの道」とは、「上級者への道」ということになるだろう。 (これは簡単な一つの例なので、実際には順序が変わることも、それ以外のものもあり得る) 「上級者への道を進んでいくこと」はどのようなものであるかと言えば、 数学的に言えば、どこかで収束してしまう関数をたどっていくようなものであり、 どこまでも進んでいくことが可能でもある反面、ある限界値を超えることは決してできないのである。 パレートの法則的に言えば、8割型の完成にはそう遠くないうちにたどり着けるかもしれない。 「原則を超えることはできない」とは、 そのようなイメージである(もう少し具体的なイメージもあるのだが)。
>310
>
>>1 は和田サンの好み、これは最高の褒め言葉だよ。
ふむ、ありがたくその言葉を受け取っておきます。
2chで浸透するかもしれませんね。(w
ところで、このスレもそれなりに落ち着いてきたみたいなのですが、 「原則」が分かっている方はいらっしゃるんでしょうか(いるようですが)? ホームページを作るにも一人芝居ではつらいので、 よろしければ、「原則」が分かっている方がいればカキコでもしてもらえればと思います。 ありそうだと思っていたり、分かっていると思っていればOKです。 それと、コメントでもあればついでにお願いします。 とりあえず、私で一人目ということにしておきますが、 一人で終わらないことを願っています。(^^;
ここにスレを立ててから5ヶ月弱が過ぎましたが、 今のところは順調にことが進んでいるというのが感想ですね。 とりあえずは一人芝居だろうが突っ走って行こうと思います。 ちなみにホームページを作るのは、他の人の意見などを取り入れたいという意味もあります。 あと2,3ヶ月後くらいには、それなりのものを作っていたいとは思っていますが。。 それにしても、よくここまで書くことができたと我ながら関心してしまいますね(さすが原則と)。 それというのも、ただまとめてみたいという、その意気込みだけでできたものではありません。 たかが「原則」されど「原則」ですが、 当初からこの世の中に「原則」を広めてみようという、そのつもりでやっていました。 様々な手段と道筋が考えられたのですが、今のところは計画通りというところでしょうか。 多少はこの哲学版になじんできたような気もします。
詳しいことは言いませんが、実は「2ちゃん」から広めていくというのが王道であると思ったわけです。 仮にも、誰かが「2ちゃん」のすべての板に「人生最大の発見@哲学版」と称したスレを立てて このスレを紹介したならば、2,3ヶ月もしないうちに世の中になんらかの変化が現れ始めることでしょう。 その作業には数時間とかからないでしょうが(「よろしければ、どなたかお願いします」と)。 もちろんそれだけでは、日本の中でもコアな部分にしか伝わりませんが、 世の中に伝わるための火種はすでに付いたと言っても同然でしょう。 もう一つ言えば、日本がそれなりの国としては原則にもっとも近いところにいるのかもしれません。 とりあえず今はそこまでしないまでも、 もしこのスレを読んで何かを気づいたきっかけになった人がいて、 「真実を多くの人と共有したい!」と思った方がいらっしゃれば、 適当に、他の板のスレでコピペなどで宣伝してもらえるとありがたいと思います。 多少は強引でお騒がせな気もしますが、 それ自体はあまり目立たないと思いますし、悪くはないだろうと思います。 また、いきなり全ての人に受け入れられる可能性は無いと思いますので、 できれば、「真実があるのかどうか?」を探ろうとする目的でいてくれると良いのですが、 それでも煽りたい方がいらっしゃれば、煽ってくれても構いません。 どちらにしても、本音を聞けなければ意味がないのです(とも言えなかったりもしますが)。 他に何かあれば、質問や意見でもしてもらえたらと思います。
317 :
考える名無しさん :03/07/06 00:45
>「原則」を分からない人が、『「原則」とはこういうものである』と聞くと、 >その人の持っている何らかの概念で原則を解釈できる場合が多い >(それが原則の伝わりにくい理由の一つでもある)。 >実は、「原則」が分かっている人からみれば、「原則」がそれらの概念に近いのではなく、 >「原則」があるからそれらの概念が生まれたのだと見ることができる(分かる人には分かるだろう)。 とにもかくにも、「自分の言うことは絶対に新しく正しい」と言い張るのですね… (いや、別にそこまで言うならもう結構ですが)
318 :
考える名無しさん :03/07/06 00:49
1さんはいつごろその「原則」に気づかれたんですか? また、周りのお友達にそれを深く分かってらっしゃる方は いったいどのくらいいらっしゃるのでしょうか? (早い話が現時点で1さん以外に分かってる人はいるのか?ということ)
319 :
考える名無しさん :03/07/06 03:30
なんかね、「原則を理解した人(または理解してない人)がどのように 感じるか」を延々と語ってらっしゃるんですが、物事を説明する 方法としてそれだけでは不十分じゃないですか。 例えば、これから英語を勉強したいと思ってる人がいて、全く英語のことは どんなものなのかさえ理解してないとします。それで英語の先生から授業を 受けるわけですが、そのときに「英語というのは世界の共通語と言われて います」「英語ができれば簡単に世界の人とコミュニケーションできます」 とかだけずっと言われ続けて、実際の発音だとか文法だとかを全く教えて もらえないと、理解できないだけじゃなく興味さえもわかないと思うんで すよね。
320 :
考える名無しさん :03/07/06 03:31
続き
今回の「原則」に関しては、その性質上、英語とかみたいに体系的に
説明はできないものなんでしょうが、やはり「中身自体」の説明を試みて
ほしいものです。ホームページの立ち上げも考えておられる程なのだから、
モノローグではないつもりなのでしょう?でしたら今の冷静な文章も結構
なんですが、口語体で多少文を乱してでもそれ自体のイメージを具体的に伝えてほしい
のです。
1さん自身、
>>11 で「主観的な判断とは区別がつく」と書かれているので、
原則に気付いていない人の感覚もよくわかるということですよね。今
こういう場で大事なのは、気付いた感覚を並べ立てるよりも、自分の中
にある気付いてない人の感覚だとかを総動員して、いかに説得力を出すか
っってことじゃないですか?
321 :
考える名無しさん :03/07/06 03:33
また続き 気付いてない人に気付いてもらうことが目的ではなくて、自分の感覚を列挙 することで同類の人間を捜すことが目的であるなら、的はずれな意見ですが、 一通り読んで思ったのがやはり説得力がないということなのです。 繰り返しますが、自分が言いたいことの核心に触れないまま淡々と文章が 進んでいます。伝えにくい概念なりに熱意を持って伝えようとしてください。 僕は差し当たって何か新しいものを理解したいと思っているわけではない のですが、好奇心からこのスレを一読してみました。そういう立場(原則を 会得したいわけではない)からすると一向にその好奇心は満たされません。
322 :
考える名無しさん :03/07/06 07:17
>>319 そこはみんな分かっているわけ
俺もこのスレの上でそこを指摘するカキコをしたんだが
、「原則を理解した人(または理解してない人)がどのように
感じるか」を延々と語っているだけだった
>317 >とにもかくにも、「自分の言うことは絶対に新しく正しい」と言い張るのですね… >(いや、別にそこまで言うならもう結構ですが) 言い張るも何も、「原則」は存在しているのでどうしようもないのですよ。 「私の発言」自体に目を向けて言い張っていると言われても困ってしまうだけなのです。 私は、「原則」があるとした場合に導き出される考え方で論じているだけなのです。 「私の発言」にではなく、「原則」があるのかどうかに焦点を当ててもらいたいものです。 >318 >1さんはいつごろその「原則」に気づかれたんですか? >また、周りのお友達にそれを深く分かってらっしゃる方は >いったいどのくらいいらっしゃるのでしょうか? >(早い話が現時点で1さん以外に分かってる人はいるのか?ということ) このスレにも書いてありますが、私が「原則」に気が付いたのは2,3年くらい前のことです。 私の周りには「原則」を深く分かる人などいるわけもありません。 現状では、深く認識している人などは、この地球上を探してみても、 数えることのできるくらいの人しか分かっていないのかもしれません。 私自身は探求していくことによって、深く知ることになったのです。 私は、「原則」は早いうちに世の中に知られるべきものであると思ったので、 ここにこうしてカキコしてきたのです。 ここで多くの人間に「原則」がたたかれて行けば、 意図的なものに加え、それだけ「原則」が文字になって浮き出てくるのではないかと思います。
私は片手間ながら、過去の歴史やこの世の中の全てさえ探るつもりでやっていましたが、 今では、地球の誕生もつい最近起こったことのように実感できるといってもまんざら嘘ではないのです。 それにしても、ここ最近の進化は異常なまでの早さですが、 そういう意味では、ほとんどの人は歴史の深みなどあまり感じていないようにも思えます。 歴史という時間軸から見てみれば、現代人は表面の薄っぺらいところで生活しているに過ぎないのです。 それも、細かく細分化されている現代世界のほんのわずかな領域を認識しているに過ぎないのです。 多少話は変わりますが、 ある意味、アインシュタインの相対性理論や、ダーウィンの進化論や、 過去の偉大とも言われている発見のすべては、当然のごとく起こってきた結果に過ぎないわけです。 仮に彼らが発見できなかった場合にも、必ず他の誰かが発見してきたであろう出来事に過ぎないのです。 そのことは、見識のある人であれば「その通りである」と答えるでしょう、それは事実なのですから。 実は、地球上の数千年の人類の歴史から見て、 「原則」が発見されるのは、情報時代のこの時期あたりであるのは偶然のことではないのです。 おそらく私がそうしないまでも、おそらく誰かが広めようとするものだと思います。
ちなみに、後に「天才」や「才能」がどういうものなのかは語りたいとも思いますが、 現代に置いては、この世の中の謎の多くがすでに解かれているのです。 ただ、それらのことを各個人が分かっていないだけなのです。 今の世の中において苦悩している人が多いのは、 「原則」を知らないからだと言っても過言ではないのです。 この世の中には、確かに永遠不変である「原則」なるものが存在し、 それは過去から現在に至るまで、永続的にその効力を発揮し続けているのです (それも便宜的なものとも言えるのですが)。 やはり、例えばですが、 この世の中は連続的に、宇宙の誕生から縄文時代、そして現在に至るまで間違いなく繋がっているのです。 そして、世界のかしことも、自分の場所とが繋がっているのです。 また、それらは奇妙なまでに辻褄があっているのです(当たり前のことなのですが)。 そう実感できるようになれば、 世界は狭く感じ、この世の中の歴史も自分の人生のことのように感じてくるものであると思います。 私自身も、つい最近までそれを知らなかった訳ですし、 どこを探し回っても、「原則」自体を論じている人間は見つからないのです。 それとですが、「原則」の概念自体を持ち得ていない人もいるようですね。
>319 >なんかね、「原則を理解した人(または理解してない人)がどのように >感じるか」を延々と語ってらっしゃるんですが、物事を説明する >方法としてそれだけでは不十分じゃないですか。 > >今回の「原則」に関しては、その性質上、英語とかみたいに体系的に >説明はできないものなんでしょうが、やはり「中身自体」の説明を試みて >ほしいものです。ホームページの立ち上げも考えておられる程なのだから、 >モノローグではないつもりなのでしょう?でしたら今の冷静な文章も結構 >なんですが、口語体で多少文を乱してでもそれ自体のイメージを具体的に伝えてほしいのです。 なるほど、おっしゃっていることは分かりました。 まず言えることは、その要望に応えられる性質を「原則」は持っていないのではないかと思います。 「原則」に関して言えば、それ自体に中身があるわけではないのです。 「原則」が物事の摂理をつかさどっているだけであって、それ自体には何もないのです。 私自身、「原則」だけを取り上げられて、どういうイメージを持っているか?と言われたら、 単なる「玉っころ」のようなものだと答えるしかないと思います。 しかし、その「玉っころ」が、様々な性質を世の中の出来事に与えているのです。 もう一つ言えば、 それ自体の性質というのは、人間の頭の中で捉えられているとも言えるのではないかと思います。 つまり、「原則」が分かっている人も、分かっていない人も、 全く同じものを見ているにも関わらず、「原則(本質)」を見抜ける人と見抜けない人とに分かれるのです。 ひとまず私の意見としましては、「原則」を分かっている人が感じている感覚を知ることによって、 「原則」の持つ性質を知るヒントになるのではないかと思います。 また、そのような性質を少しずつ知っていくことによって、 「原則」の性質の全体像が分かってくるのではないかと思います。
>320
>1さん自身、
>>11 で「主観的な判断とは区別がつく」と書かれているので、
>原則に気付いていない人の感覚もよくわかるということですよね。今
>こういう場で大事なのは、気付いた感覚を並べ立てるよりも、自分の中
>にある気付いてない人の感覚だとかを総動員して、いかに説得力を出すか
>っってことじゃないですか?
う〜ん、どうなんでしょうか。
今のところはなんとも言えませんが。。
ちなみに原則的に言えば、
本来相手を説得させるようなことというのは、意味が無いことなんですよね。
それ自体(真実)が伝わらなければ、あたかもあるように見せかけることができても無意味なのです。
他人を踊らせることができても、本質が伝わらなければ意味がないのです。
そういうわけで、私は誰に対してもそうですが、説得したいとはこれっぽっちも思っていないわけです。
信じてもらえなくても一向に構わないのですよ。
そういう態度が強情で気にくわないと思うのでしたら、放っておいてくださいと
(これは原則的な態度なのであって、普段そういう態度であるという訳ではありません)。
少なくとも「原則」に限って言えば、
「原則」を受け入れようという態度でなければ、それを知ることは決してできないものだと思います。
そもそも「原則」が分かるかどうかというのは、ものの見方にも関係しているので、
原則的に言う「謙虚」というものが分からなければ、「原則」を分かることはないのです。
他に何かあれば、また質問してください。
原則を考えることは、大切なことである。
だが、日本人にはこれを考えることが難しい。
日本人が原則を考えようとすると、裏と表の「表」になりやすい。
日本人の考える裏と表は、どちらも現世のことである。
英語の 'You shall not kill.' は、未来形で現世に関する陳述ではない。
つまり、原則であり「あるべき姿」である。
日本語には未来形が無いので、日本人には原則を保持することが難しい。
つまり、神も仏も無かりけりである。
You can read more at
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
>1さん 「原則」を理解したい人と、そうでない、ただの好奇心で 質問をしてる人、両方に向けるようなレスはしないでください。 一応自分の書いたことへのレスだと思って読んでますので、このような >少なくとも「原則」に限って言えば、 > >「原則」を受け入れようという態度でなければ、それを知ることは決してできないものだと思います。 >そもそも「原則」が分かるかどうかというのは、ものの見方にも関係しているので、 >原則的に言う「謙虚」というものが分からなければ、「原則」を分かることはないのです。 くだりは、ただ不快なだけです(僕が原則自体に興味がないことは書いてます)。 ていうか再三同じようなことおっしゃってますし。 で、思ったんですが、原則なんていう一般名詞を使うのやめませんか。 今までずーっとあなたが書いてきた「原則」の部分を、例えば そっくり「セックス」とかに(おっと失礼)置換しても普通に読めちゃいますよ。 外野としては。 わかりますか、このばかばかしさが(原則自体に対して言ってるんではなくて 論理展開の仕方に対して言ってます)。 せっかくなら、「オリジナル玉っころ発想法」とか名付けて進めてくれた方が 理解したくなったりします。で、早くここを引き上げてサイト立ち上げた方が 良さそうですね、原則の性質上。 やっぱあんまり面白くないので離脱します。すんません、言い逃げで。
これまで、「原則」の観点から「原則」に焦点を当てた話し方をしていたことが多かったと思います。 なるべくそう一貫させることで、「原則」を知る上では都合が良いと思ったからです。 しかしながら、日常ではそういう話し方をすることは稀であると思います。 事実というのは重いこともあるのです。 本来「原則」が分かっている人ほど寡黙でなければならないのかもしれません。 相手の度量を超えることは口にするべきことではなく、 それとなく伝えようとするか、暖かく見守ってあげるべきなのです。 それを破ってしまうことは、心が痛いことでもあるのです。 (あえて匿名掲示板のここで原則を論じているのは、他では原則を語れないからでもあるのです。 しかし、ここではそれを提唱しているわけなので、多少は強引に出ていかなければならないのです。)
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
332 :
考える名無しさん :03/07/15 17:32
age
>316とか なんで そんなに 原則は 宗教くさいんでしょうか?
宗教は哲学やからやないでしょか・・・
335 :
考える名無しさん :03/07/19 00:57
名前欄にfusianasanていれてごらん &とgとtをつなげてごらん
で・・・原則って何か?シンプルに説明出来ないのやろか・・・
338 :
考える名無しさん :03/07/19 00:58
論理とは、モデルである。モデルとは仮説である。 論理は抽象と捨象によって、組み立てられる。 「捨象」に、注目しなくてはいけない。
・・・
犬でもわかるように簡単には言えないのやろか・・・
根源はなんやろか?
原則を見つけても、それを役立てられなくても見つけた事に意味はあるんやろか・・・
自分一人がわかってれば良いことなのやろか・・・
結局意味わからん・・・
・・・
このスレ、 1 からず〜っと読んでると、頭が痛くなってきます。
>>1 の大風呂敷、すごいです。
>>1 はきっと、五島勉やコンノケンイチみたい人物なんですね。
347 :
考える名無しさん :03/07/20 13:04
そういえば、ホームページはどうなりました?
なにやらいろいろと言われているみたいですね。 原則は宗教くさいですか。 確かに「原則」を認知させよう(広めよう)としている点や、 ある意味「原則」は思想にも繋がってくる点などからそう思われるかもしれないですね。 仮にも、今はそれを「原則」と呼んでいるだけであって、 特にそう呼ぶ必要はないですし、名付ける必要もあるわけではありません。 (ここでは、何か良い名がない限りは「原則」と呼ぶことにします。) ちなみに私自身は表に出るつもりはありませんし、なにやら団体など作るつもりもありません。 (勝手な考えですが、世の中が一つの思想を共有するようになるのは興味深いとは思いますが。 ついでに、宗教は原則に反しない限りは、原則と同時に成り立てるものだと思われます。) そういうものがあれば、私に関係なく自ずと世の中は自然な動きになって行くはずですし、 そういうものがなければ、特に何も無いまま、今まで通りに時は流れていくはずです。 時間が経てば、自ずとどちらであるかはハッキリすることだと思われます。 (まあ、今のところ私は「ある」とほぼ確信しているわけですが。) ちなみに原則的に動き出すとすれば、 「人生を楽しく過ごすこと(満足させる)」を多くの人がスローガンとするのではないでしょうか。 どう追求するのかは、それぞれの人で違うところですが。
う〜む、「原則があった。だからどうしたの?」ということですか。 浅く言うこともできるし、深く言うこともできる。 人によっても説明するべきものは違ってくると思いますが、 試しに、犬にも分かるように説明したいと思います。。 まず、個人の立場にとっての「原則」とはどういうものかを考えてみます。 通常の場合、 『自分はこの世の中の仕組みを完全に解明できている。 人生において、過去にも未来にも悩みは全くない』と、 考えている人はあまりいないと思われます。 どこかしら不安感を持っているのではないのだろうか。 それというのは、この世の中の仕組みがよく分かっていないので、 将来安泰なのかどうかさえ分かっていないということに原因があるのではないかと思います。 話は多少それますが、「原則が分かった!」ということと、 「悟った!」ということは違うことだと思われます。 悟ったという人は、「原則」が分からないまでも、 「原則」から生じた流れに乗っかることができた人ということになるのではないかと思います (世の中には、無意識に原則的な行動をしている人もいれば、原則に反している人もいるのです)。
つまり、個人が(その個人の理解を超えた根深い)何かしらの不安感を持っているのは、 その個人が世の中の仕組みを完全に分かっていないことによるのです (しかも当の本人でさえ、この事実に気が付いていない場合がほとんどだと思われます)。 また、『この世の中というのは訳が分からないもの』というのが、 今のところの常識であると思います(「世の中はこうだ!」といった共通認識がない)。 なので、宗教などに心のよりどころを求める人も多いのではないかと思われます。 しかしながら、実は『世の中はある単純な根元を持っていたのだ!』という、 その根元こそが「原則」そのものなのです。 もっとも、今はそれが証明されてあるわけではないので、 あくまで仮定ということにしてあります。 しかし、そう見なせるものではないかと思われるのです。
また話はそれますが、 何故に勇敢な人は勇敢でいられるのかをご存知でしょうか? 未知なことや、危険なことは誰もが怖いものです。 しかし、勇敢な人というのは、何故それが危険なのかを知っているが故に、勇敢でいられるのです。 勇敢な人は、その恐怖の対象の性質を良く分かっているが為に、勇敢でいられるのです。 そのものの性質を完全に理解していれば、逆に有効利用さえできてしまうものなのです。 火 や 電気 や 猛獣、またはその他の様々なことや、世の中にさえ対しても全く同じことが言えます。 (このことも原則の一つと言えますが、今は納得できない人もいるかもしれません。)
その上さらに原則が分かっている人は、未知なものに対しても勇敢でいられるのです。 なぜなら、今は自分が分かっていないだけであって、 全てのものも裏が分かれば、ある理屈によって成り立っていることを知っているからです。 それも、たいてい同じような仕組み(原則)によって成り立っているだけなのです。 (仮にも宇宙や地球というそれ以上のレベルで新たな発見が無い限りは、 人類にとってのパラダイムが変わるような革命は、もうこの世の中には起こらないとも言えるのです。 まあ、見方によっては全てが新しいとも言えるのですが、根本原理は変わらないのです。) それを承知の上で、安全を確保しながら恐怖の対象である未知の性質を少しずつ探っていけば、 必ずコントロールすることができるようになることさえ分かっているのです (何故分かっているのかと言えば、それが原則的な性質だからです)。 反例が無い限りは、そうと決まっているのです。 つまりは、ある対象を分かったつもりでいると、逆に痛い目に遭うのです。 (ある意味人間が保守的であるとも言えるのは、 歴史的に行動的な人種は 未知のものにも無謀にチャレンジし、生き残れなかったからなのかもしれません。) すなわち(ここのところはそれぞれの人に分かってもらいたいところなのですが)、 この世の中というのは、不安を抱えながら過ごす必要は全くない!ということになるのです。 何故そうなるのかといえば、おおざっぱに言えば、 自分が世の中の仕組みを全く分かっていなくても、 世の中全体がその仕組みで動いてさえいれば、自分自身とは関係なく、 自ずと世の中全体が安泰な領域に変わってくるからです。
結局、「原則」がもたらす人類への最大の価値というのは安心感とも言えるのかもしれません。 最善を尽くした上での失敗であれば、あきらめもつくというものです(原則的であれば)。 また、人によって受け入れ方は異なるかもしれませんが、 世の中が原則的に動いていれば、知らずのうちにその利益を享受することができるのです。 語り尽くせないほどの例があるかもしれません。 つまり、ある人にとって「原則」の意味がないように思われたとしても、 知らずのうちに価値が高められているのかもしれないということも考えられるわけです。 そして、「原則」が分かっている人が「原則」を分かることによる最大の利益とは、 これ以上ない満足感なのではないかと思われます。 その満足の種類も多義に渡るものと思われます。 いくらお金があっても、幸福になれない人もいるのです。 その原因は全て原則が関与しているとも言えるかもしれません。
また、「原則」があったとして、それが見つけられたとしても、 この世の中の人間の誰一人として「原則」を気にしないで過ごすのであれば、 「原則」を見つけたことの意味は全くないことになると思われます。 人間にとって「原則」が見つかったことによる意義というのは、 それによって、人間の考えや行動が変わることにあるのです。 ある意味、「原則」自身は冷酷なものです。 行いが良くなかったとしても警告してくれるものではなく、 ただただ、その行動が起こったことによる結果を返してくるだけなのです。 その代わり、「原則」が分かった上で、どういう行動を取るのかは自由なのです。 また、その人が変わらないでいた場合でも、 周りが変わればその影響を受けるものと思われます。 ちなみにですが、「原則」が全く必要のない人もいるはずです。 しかし客観的に見てみれば、その人は原則的な流れに沿っていることが分かるものです。
>346 まあ、確かに主観的に見ると頭が痛くなって来るかもしれませんね。 前半については重要な要素がてんこ盛りで感心できそうな感じでもありましたが。 ちなみに全ては、原則がある場合に考えられる図の説明です。 大風呂敷と思われるのであれば、それだけ常識とはかけ離れた効力を示すものであるということです。 これまでの発見でもそうですが、 偉大な発見というのは、その時点において、それが分かる人はごく少数しかいないものです。 それどころか、たいていは大きな批判を受けたりもするのです。 しかし時が経てば、いつの間にかに自然と受け入れられているものなのです。 パラダイムが変わらなければ受け入れられないのです。 それは地動説も然り、進化論も然り、相対論も然りです。 また逆に、それだけのインパクトが無ければ偉大な発見とは言えないものだと思います。 もう少し言えば、分かる人から広まっていくのです。 多くの人が「ある」と言えば、さらに多くの人が「ある」と思うようになるものだと思います。 それでも頑固な人もいると思いますが、 世代交代していくうちに、だいたいのところには広まって行くものなのです。 もっともそれが「偽」であれば、その限りではありませんが。 >347 ホームページについては、もうしばらく後に作りたいと思います。 多少は手間のかかる作業なので。。 何か要望があればとも思いますが。
(´-‘).。oO(世の中にはいろんなこと考えてる人がいるんだなぁ・・) なんかすげぇ(・∀・)ワクワクしてきたw ホムペ期待してまつ(・∀・)ノ
357 :
考える名無しさん :03/07/23 08:26
1さんの、今の悩みはなんですか? それともそんなものはありませんか?
358 :
考える名無しさん :03/07/23 09:00
全部読んでないから同じ質問出てたら悪いんだけどさ、 1のいうことは予定調和とか因果律とはどう違うの?
[東大]に怒られるよ!
360 :
考える名無しさん :03/07/23 09:24
俺も、頭打って入院したとき(本当)ベットの中で 思った事 全部口にだして ニヤニヤしながら 勝ち誇った顔してた らしいよ。大丈夫?
1と似たようなこと言ってたサイトがあったよ。 まあ、もう閉鎖しちまったんだがな。 閉鎖文、書き込んでやろうか? 名前とか伏せるけど。
362 :
考える名無しさん :03/07/23 09:53
>>362 判った。
これ、とある小説サイトなんだがな。
めずらしく無断転載を許してるサイトだったよ。
ちょっと長いから、幾つかに割るから。
おーいみんな、もう此処に来たらいかんぞー。 先生、君たちが来るから削除できないじゃないか。 リンクから来る人はともかく、ブックマークで来られると罪悪感がするだろー。 先生な、この鯖でやっていくのは、もう疲れたんだ。 なんで?って言われてもなぁ。 んじゃまあ、下記の文を見てくれー。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――― □XXXの批評 このXXX、全く意味がありません。延々とレビューも書く必要は無いだろう。 人間同士の殺し合いに、「生きる意味」とか「殺す意義」とか「感動」とか、何も無い。 普段テレビゲームで行っている人殺しを単に実写にしただけの話です。 このXXXを見てから暴力的描写で性的興奮を覚えた輩もいるだろう。 数年前のあの事件の犯人のような子供が増えそうで恐ろしい。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――
はい。先生に注目しろー。 な、判ったろみんな。 こういう莫迦が世界にはゴマンといるんだ。 先生は違うが、世には「反面教師」ってのがいる。 「教えられたもの」が、自分の中で「間違っている」と確信するんだ。 しかしな、世には二人の勘違い者がいる。 一人は「判らない阿呆」で、もう一人が「上記の批評を書いたような莫迦」だ。 先生はもう小説を書かないし、書いても理解されないだろうから、今此処で教えてやる。 人間の進む道には、四本の「区切り」がある。それは「断ち切れない線」だ。 一本目は、「進歩する線」。 二本目は、「否定する線」。 三本目は、「覚醒する線」。 四本目は、「超越する線」。 そうだなー、図解すると、 何も判らない阿呆 1――――――― 知った気になる莫迦 2――――――― 理解できた盲目 3――――――― 物事を知る電波野郎 4――――――― 神様
ということだ。 さらに、もう少し判りやすく言うとだなー。 例:同人絵描き ヘタクソで似てない絵(ダメ絵) 1――――――― 上手でよく似てる絵(それなりに売れる) 2――――――― 独自の絵柄を混ぜ、自分を表現できる絵(ダメ絵) 3――――――― 他人の心を掴める絵(よく売れる) 4――――――― 神 例2:数学の問題 何も書けない(0点) 1――――――― 間違った答えを書く(部分点) 2――――――― 間違ってると判ってるので何も書かない(0点) 3――――――― とりあえず完全点 4――――――― 先生も驚きな解答
これでよく判っただろー。 ちなみに先生はなー今、世界の三本目と四本目の間にいるぞー。 だけどなーみんな、先生のマネはしちゃいかんぞー。 途中で線越えに失敗したら、「プラスチック」になっちまうぞー。 「遊びを忘れた玩具」はな、ただのゴミだ。 物事の価値を求めるなよ。 社会の人間を視ようとするなよ。 「犬ってアタマ良い」とか言うのは勝手だが、あんまり他を見下すなよ。 いつか、先生みたく何かを悟った時、全てが信じられなくなるからなー。 先生はなぁ、価値を求めてこれからも悟り続けにゃいかん。 他人が自分を踏み台にして良い思いしても、それを喜べる人間にならないといけないんだ。 彼女が幸せになれるなら、笑って別れてあげれる心を持たないといけない。 「壊れたプラスチック」は土に還らないといけないが、先生は違う道を探してる。 これは断ち切るモノではなく、超えるモノなんだ。 自分の中に其れがあるならば、超えてみせる。 それが――ということだからな。 それじゃ先生の話しは、これで完全終了だ。 先生は次の学校に行くから、これでさよならだ。グッバイъ( ゚ー^)
これで全部な。 1の言う原則は、こういうことと一緒か? なんならメールアドレス知ってるからここに呼んでやろうか?
呼んでくれ。 オレも3と4の間だな。 昔から分析好きな生意気なガキだった。 意味とか考えると生きにくいわ。
その閉鎖文ってやつ、凄く詰め込んでるな。
それ書いた人が一つ一つ説明し始めたら長いだろうなあ。
「先生はなぁ、価値を求めてこれからも悟り続けにゃいかん。」ていう部分は
>>369 の「意味とか考えると生きにくい」ってことなんだろうな。
それで「遊びを忘れた玩具」か。的を射てるよ。
小説かいてるなら、是非読みたいね。
とりあえずメールしといた。 ネットやってるかどうか判らないけどな
>356 ども!期待して頂けると嬉しいです。 (期待を裏切ることにならなければいいのですが(^^; ) 一応ですね、何もないままホームページを立ち上げるのもお粗末なので、 多少は形にしておきたいと思い、もう少し時間がかかりそうだというところです。 やはり、当初からの計画である世の中に広めようとするには、 ホームページがあるに越したことはないと思います。 意図的なものに加えて、あと1,2年あたりで国内に広まると良いのではと考えています。 理想としましては、「原則」を確立させつつ、同程度に広まっていくと良いと思います。 実際のところはどうなるか分かりませんが。 もう一つの選択肢として、 このまま「原則」を2ちゃんにまき散らして私は消えるというのも一興でしたが、 やはり前者の方が良いだろうと言うことです。
ちなみに1,2年という時間がかかるのは(予測ですが)、 私自身の問題ではなく、この世の中の問題なのです(私は世の中の速度に合わせたいと思っています)。 今のこの世の中の状態が、原則に近い環境であれば早く広まるものですし、 原則から遠い環境であれば、それ相当の時間がかかるというものです。 仮にも世の中のメディアが本気を出せば、一週間のうちに全世界に広めることも可能だと思います。 何故に時間をかけてゆっくりなのかというのは、信用的な問題もあるのです。 つまりは、私一人が叫んでいてもなかなか信用されるのは難しいのです。 世の中というのを総括して考えるというのは、そういうことなのです。 また、そうでなければこの世の中を原則的に動き出させる計画も、夢のまた夢ということです。 もしも私と同意見を持つ人がいれば、それだけで広まるスピードは早くなると思われます。 「原則」もサクサクっと確立させることができるでしょう。 また、微力だとしても広めるために力を貸してくれる人が多く現れてくれれば、 それだけ広まるのも早くなるものと思われます。 つまり(くどいようですが)、 様々なものを同時に揃えながら進まなければならないということです。 私一人の力では到底不可能であるということです。 原則を深く分かっている人がいないと思われる状態では、 それほど多くの人の目にさらすわけにはいかないのです (原則を深く分かる人が集まって話している風景があれば信用度も高まるのです)。 かといって、少しずつでも多くの人の目にさらしていかなければ、 深く原則を分かる人も見つからないのです。 つまりは、徐々に同時にと、進めていくしかないということです。 そういうわけで、私自身はのんびりと、急ぐことなくやっていこうと考えています。 これまた大げさな話だったかもしれませんけれども。
>357 >1さんの、今の悩みはなんですか? >それともそんなものはありませんか? 悩みですか。 実は、原則的にみると「悩み」という概念はないのです。 確かに「望むもの」は限りなくあるかもしれませんし、 「抱えている問題」というのも多いかもしれませんし、 「どうすることもできない事実」もあるかもしれません。 しかし、「望むもの」や「抱えている問題」というのは、 如何なる問題に対しても、それを解決する方向に向けて行動することができるということです。 多少話は飛躍しますが、俗な言い方をすれば、 「目的達成のために使う資源」と「それによる目的達成度」とを秤にかけて、 もっとも価値が最大になると思われる行動をして行くのです。 「望むもの」を手に入れる為の代償がそれ以上に大きいのであれば、 それは手に入れるべきものではないものとなるのです。 結局、全ての問題はそれ相当のことをすれば解決できる問題であるので、 後はトレードオフの関係にあるということです。 (「トレードオフ」という概念は結構使えるので知っていても良いと思います。 基本的な考えですが、AとBとを両立させたい場合に、Aを重視するとBが欠落し、 Bを重視するとAが欠落するという関係にあるものです。 通常は、AとBとの均衡点を求めるのがベストな選択になることが多いのです。) 「どうすることもできない事実」は受け入れるしかありませんが、 意外と違うところに目を向けていれば、あまり気にならないことも多いものです。 基本的にはそういうことになると思います。
>358 >全部読んでないから同じ質問出てたら悪いんだけどさ、 >1のいうことは予定調和とか因果律とはどう違うの? とりあえず、それらとは次元が違うので比べられないと答えておきます。 「原則」というのは全てのものの根元なのです。 「予定調和」や「因果律」というのは、「原則」の一部とも言えるかもしれません。 >368 >これで全部な。 > >1の言う原則は、こういうことと一緒か? なるほど、どうもありがとうございます。 とりあえず、原則を会得するまでの道のりは、その線越えに相当するものとも言えると思います。 その話でいくと、私は4の線を超えているということになると思います。 そしてそのカギは「原則」が握っているということです。 ちなみに、原則が分かっている人が他のジャンルの道を進むときは、 「知った気になる莫迦」にはならずにすむものだと思われます。
とりあえず来た。 色々と言いたいこともあるが、それは省略しておこう。 しかしなんだ、1さんはカナリ冗長だな。 もっと簡潔に出来ないのか?退屈したよ。 でまぁ、書いてる事はだいたい判った。 それだけは言っとくな。
>ちなみに、原則が分かっている人が他のジャンルの道を進むときは、 >「知った気になる莫迦」にはならずにすむものだと思われます。 それは当たってる。 でも、だ。 如何に天才であろうと、経験で成せるレベルに初めから達するなど有り得ないのだよ。 たとえば君、こんなスレを立ててるよね。阿呆が成せる業だよ。 これはスタート地点という意味だ。しかし君は、これを悟りの理由にできる。 同人絵描きの例でいうなら、似せようとして失敗した絵を、 「自分を表現した」と言い換えれるってことだ。 数学の問題で言うなら、何も判らないから書かなかったのを、 「ある程度は解けたけど最後までは無理と判ったから何も書かなかった」と言い換えれる。 即ち、莫迦を飛び越せるってわけだ。 それは何故か。単に、洗脳を免れたからだよ。 某映画でいうなら、マトリックスの外にいるってわけだ。 原則を知るってのは、そういうことなんだろ? 阿呆だった故に莫迦では成せない成功を収めることもあるだろう。 なんなら君、そのネタで何か物語でも作ってみてはどうかな。 人生最大の発見なら、それこそ人生を賭けるべきだよ。
「1さん」と「371でメールされた人さん」との対話編がみたい。 「原則」というものが、さっぱりわからなくなった私には、 それが「原則」を理解する一手段になりそうな気がする。 ぜひよろしく。
原則に従いたい!!
原則を広める原則をとっとと見つけろやw
>378 >即ち、莫迦を飛び越せるってわけだ。 >それは何故か。単に、洗脳を免れたからだよ。 >某映画でいうなら、マトリックスの外にいるってわけだ。 > >原則を知るってのは、そういうことなんだろ? そうです! 原則を知る者とそうでない者とを比べて表現するとそうなると思います。 ところで、371でメールされた人さんは、すでに「原則」には特に興味はないのでしょうか? また、人生的に追求しているものはあるのですか? 質問には特に答えなくても良いですが、 とりあえず私はそれらが分からないことを前提に話をして行きます。 >377 >しかしなんだ、1さんはカナリ冗長だな。 >もっと簡潔に出来ないのか?退屈したよ。 何を求めているのかは分かりませんが、 「原則」自体は、それを解説すれば分かるようなものではなく、 ものの見方に関係しているものであるので、 特にそれ自体を説明できるようなものではないと思います(詳しくは>384 から)。 仮にも「原則」自体の説明は、>14 までの説明で全てとも言えるのではないかと思います。 ちなみに冗長なのは、多くの人にとって分かりやすい説明にするためと言っておきます。 それと、ここに書いてあるのは、後でまとめるための前段階のつもりです。
>378 >たとえば君、こんなスレを立ててるよね。阿呆が成せる業だよ。 >これはスタート地点という意味だ。しかし君は、これを悟りの理由にできる。 >同人絵描きの例でいうなら、似せようとして失敗した絵を、 >「自分を表現した」と言い換えれるってことだ。 >数学の問題で言うなら、何も判らないから書かなかったのを、 >「ある程度は解けたけど最後までは無理と判ったから何も書かなかった」と言い換えれる。 なるほどありがたい。 つまり、「原則」がそれほどまとまっていないうちにこのスレを立てたということが、 まだスタート地点にたったばかりであると言うのですね。 もし「原則」が完全に分かっているとすれば、 このようなスレを立てる前に、「原則」の内容が分かるような文章を作っていれば良かったのだ! という助言ということで良いのでしょうか? (確認したあとで私の意見を言いたいのですが)
もう一度、「原則」が分かるとはどういうことかを書いてみることにします。 「原則」自体は、やはり玉っころのようなものだと考えられる。 それは様々なものに「原則」的な性質を与えるものである。 そして、原則を伝える(原則を学ぶ)のは、数学を伝える(数学を学ぶ)のと同じようなものだと考えられる。 数学ができるというのは、 数学という学問を、体系的にその人が身につけていることによってなせる業であると思われる。 つまり、様々な数学的ツールを身につけていることによって成り立つのである。 その業を伝えようとしても、口頭などによってすぐに伝えることができないのは自明とも言える。 おそらく「原則」というものもこれと同じようなことが言えると思われる。 これまでこのスレに書き込んできたものは、 なるべく様々なものが含まれるよう意図して書き込んできたものである。 言い方は変かもしれないが、 「原則」があった!とは、そういう体系的な真理があった! とも言えるのではないかと思います。 それらを体系的に身につけることによって、 ハッキリと「原則(なにやら核になる代物)」を認識できるようになるのではないかということです。 つまり、部分的に「原則」が分かるというのは、 数学的に例えれば、「俺は行列計算ができるんだぜ!」というようなことになるのではないかと思います。
そして、次に述べることが最大のカギになるような気がします。 原則が分かっていない人も、それなりの情報量を脳にもっていることも多いはずであるのだが、 それが脳の中において、一貫して情報が整理されていないことに 「原則」を分からない原因があるのだと思われます。 もちろん情報が足りないことによるものもあるかもしれないのだが。 実は原則が分かる人というのは、 隔たりのない十分な量の情報を脳に持ち、 それらがきれいに原則によって一貫された構造を持つ回路が脳に作られた状態なのだろうと思われる。 おそらくこの表現を聞いて「原則」が分かる人なら納得できるものだと思われる。 仮にも図書館にある本がランダムに並んでいたとすれば、 目的の本にたどり着くのは至難の業になると思われます。 しかしながら、階層構造を持つことによって、 どんなに大量の数の本を所有する図書館でさえ、 比較的あっさりと目的の本にたどり着くことができるものと思います。 繰り返し言えば、原則が分かっている人とは、それなりの本(情報量)を脳に所有し、 それらが順序正しく脳の中で整理させた脳内回路を保有している人ということになるのです。 つまり、原則的に原則の説明をしていくと、原則の分からない人がそれを聞いて、 「当たり前である」とか、「それは分かっている」などと思うことがあるのは、 何もそれらが特に真新しいことだからではないのです(真新しい場合もある)。
結局のところ、ある一貫したものの見方ができているかどうかが 「原則」そのものを知るということに関係しているのです。 脳の回路が変化すると、考え方(感じ方)も変化するのです(当たり前と思われるかもしれませんが)。 このことを実感して分かれば、この世の不思議の一つとも思えるでしょう。 よく「今日の自分と明日の自分は違う」などとも言いますが、そういう理由なのです。 実を言えば、この自然界というのはとても綺麗に物事を整理して考えることが可能なのです。 奇妙なまでにシンプルにできているのです。 様々なものを見たり聞いたり体験してきて、さらにそれらを深くまで味わってきた人であるなら、 そのことを痛いほど良く分かっているのではないかと思います。 物事には(原則的な性質を持つ)順序や仕組みというものがあるのです。 原則が身に付いていると、未知な物に対しても、自然とそれが分かってしまうのです。 そのことが分かると、自然と普段の認知の仕方もそれに合わせた仕方になるのです。 となると、自ずと脳の回路もそのように整頓されてくるのです。 つまり「原則」を知るということは、何かそのようなものを新しく知るということなのではなく、 それなりの情報量を獲得し、原則によって一貫された構造で脳内に所有しなおす作業であるのです。 脳の回路が変化すると、認知の仕方(感じ方)も変化します。 その作業が完了すると、はっきりと物の見方が変わったことを実感することができ、 常に一貫して、正しく的確な場所に情報を出し入れできるようになることが分かったときが、 原則というものが分かることの一つのきっかけなのかもしれません。
また、似たようなことはすでに述べましたが、 「原則」というのは根元をつかめた感触があるのです。 確かに「原則」によって生じた流れによって一貫させると、何かを悟ったような気にもなると思いますが、 その状態では、「原則」はまだ分かっていないのかもしれません。 結局のところ、分かったと感じられれば分かったことになり、 そう感じなければ分かっていないということになるのではないかと思います。 そして、新たに自分にとって未知な物を探っていったときに、 それらまでも全てが「原則」的な仕組みで物事が成り立っているのだと確信できたときが、 それなりの到達点になるのではないかと思います。 ちなみに私の場合は、 未だかつて理解不能な現象を見聞きしたことがないのです。 ある概念を説明されればたいてい理解することができます。 もちろん知らないことは無数にありますが、 それらは積み重ねが無いことによって分からないものだと思われることにすぎないのです。 最近では、新たに共通して使えそうな概念でさえ無くなってきたようにも思います。 ちなみに、脳の回路は意志によって自由に操作することができるのです。 当たり前に思われているかもしれませんが、実は結構重要なことです。 そして、その意志操作が様々な役割を担います。 もう一つ思ったことは、 「原則」は自分の外にだけ求めるのではなく、内にも求めなければ手に入れることはできないものである。 「原則」は分からないがそれなりの理解力のある人にとっては、 その内側に「原則」を見出そうとするのが早いのではないのだろうか。 形が変形しているジャングルジム(脳の回路)を、元の正しい形に直す必要があるのである。
ところで、よく何かで失敗や挫折する人を見かける。 実は、どんなに身勝手な考えを持っている人の考えでさえ、 必ずそれなりに筋が通っているものである(曖昧ではあるが、ベクトル(哲学・回路)を持っている)。 物事をどれだけ達成できるかの指標になる考え方(イメージ)は、 その物事のベクトル(原則)を、各個人のベクトル(哲学)に射影することのできた量なのである。 つまり、原則に近ければ近い考え方ほど、正確に物事を捉えることができる。 もしも、原則以外である独自の考え方を貫いている人がいたとすれば、 その人は、世界をその独自の哲学によって眺めていることになる。 物事(原則)に対して独自の哲学で突き進んでいけば、必ず原則とはかみ合わない箇所が出てくる。 それが失敗や挫折、個人的な限界に繋がってくるのである。 もっとも原則的な限界というのもあるわけで、 おそらく人間が100mを7秒で走ることは不可能に近いのではなかろうか。 まあ、さらに遺伝子のレベルで変化していけば可能かもしれないが、 どちらにしても100mを1秒で走ることはほとんど不可能とも言えるだろう。
>379 一つ伺いたいのですがいいでしょうか。 このスレを読んで何か考えや感じ方が変わったことはありましたか? それとも、全く何もありませんでしたか? ちなみにマトリックスは見させてもらいましたが、 >133 での質問ですが、そういうような感じでもあるかもしれませんが、 原則的に見ればどうでもいいようなことでもありそうなという、感じです。 >381 >原則を広める原則をとっとと見つけろやw ですね。(w とりあえず、今のところは原則的に動いているとも言えそうですが (少なくともここに書き込んできたことによって認知している人も増えている)、 やはりそれなりに広めるためには、どこかの出版社にチャレンジしてもらいたいものです。
1さん 要約をおねがいします20行以内で
とりあえず、コテハンにしておく。 371でメールされた人、だ。 >原則を知る者とそうでない者とを比べて表現するとそうなると思います。 簡単に言えば、何かテストをした場合、0点か100点ってことだろ? 二極ってわけだ。白か黒か、全か無か。 その狭間、何か混じったような存在にはならない、と。 >ところで、371でメールされた人さんは、すでに「原則」には特に興味はないのでしょうか? >また、人生的に追求しているものはあるのですか? 昔はな、随筆サイトを作って延々と語ってたんだが、それももう飽きたな。 まぁ、俺の文を読んで其の人が人生で何かプラスされたなら俺は喜ぶよ。 「原則」てゆーか、洗脳を解いてただけだがな。 今の社会に生きてる人間は、一つもマトモに考えたことがないのだよ。 現在に縛られすぎて、宇宙人とか考える場合でも人間をベースにしてる。 地球の重力が生み出した「規定」だよ。大きさや質量は全く違うと言っていい。 地球でさえ大昔には、恐竜とかいう生物がいたというのだから、 そりゃもう想像できるはずもないさ。「原則」をもってしても、そこまでが限界だろ? あと、人生だが、それはとても儚いぞ。 何か自分が存在してた証拠を残したいなら、それはもう人生の全てでなくちゃいけない。 俺は小説家にでもなろうかと思ってるが、どうなることやら。 今はまだ18歳だ。これから色々と決まっていくだろう。 で、1は何歳なんだ?
>もし「原則」が完全に分かっているとすれば、 >このようなスレを立てる前に、「原則」の内容が分かるような文章を作っていれば良かったのだ! 子供から大人になるとき、幼稚な好奇心が無くなる。 それは何故か。 経験して飽きたからだ。 例えば、犯罪。 子供の頃に悪い事をしていないと、大人になってからその好奇心が暴れる。 何事も経験だ。 飽きることによって、それらの洗脳から解き放たれるだろう。 そしてまた、選び取れば良いんだよ。何が価値のあることか。 君が云う「原則」というものを知れば、それが明確に判るんだろ?
393 :
考える名無しさん :03/07/25 22:58
100までしか読んでないが
原則についてだが
原則を理解できない人もいて、原則は必ずしも全ての人には成り立たず
原則を理解した人にしか成り立たないのですか?
それって原則って言いますか?
原則って言葉にただ酔ってるだけで本当は何も分かっていない。
誰も否定できないし、肯定もできない「原則」って言う言葉だけ存在する。
>>17 にもあるけどあの変な宗教の定説と同じですね。
定説、定説・・・
1は原則という言葉に酔っているだけですね。
それを自分のアイデンティティにして他人より優越に感じ、
全ての現象を分かったつもりになっている。
ニーチェの超人みたいなもの。
自信過剰のうちだけ有効
>ニーチェの超人みたいなもの。 >自信過剰のうちだけ有効 これはちょっと言い過ぎたかもしれない。 とにかく、世の中に原則は存在せず、ただの自然の摂理じゃないですか
395 :
GET! DVD :03/07/25 23:13
あれ、自然の摂理ってじゃなくて・・・・
とにかく
言いたい事は
>>393 の下の二文以外です。
397 :
考える名無しさん :03/07/25 23:25
>100までしか読んでないが 全部読んでから出直せ愚か者が
>390 何を求めているのか分からないので、 あなたの求めているものを表現することはできないだろうと思います。 このスレは読んだのですか? また、ここで改めて言いたいことを言えば、 「原則」と名付けた、この世の仕組みがある。 そしてそれが全てなのです。 だからどうしろというわけでもないのです。 このスレでは、だからどうなんだということを語っていたのです。 それ以外の何物でもありません。 >393 そうです。 ただの「自然の摂理」のことですよ。 この世の中、例外なく万人に対してその摂理が適用されています。 その摂理に気が付くことによって、生き方が変わる人もいるのです。 全く関係なく過ごす人もいると思いますが。
>391 >原則を知る者とそうでない者とを比べて表現するとそうなると思います。 > >簡単に言えば、何かテストをした場合、0点か100点ってことだろ? >二極ってわけだ。白か黒か、全か無か。 >その狭間、何か混じったような存在にはならない、と。 「原則」が分かるか分からないかで言えば、ハッキリと白黒のつくものだと思われます。 また、「原則」が分からない人でも、 「なるほどそういうものがあるのかあ」と、思うことはできると思います。 ちなみに「原則」を知ろうと追求していく人としては、 連続的にその過程はあるものだと思います。 その途中で「原則」に近づいているのは感じることができると思いますが、 最後の一歩で認識できるその境界を越えるものではないかと思われます。
>391 >地球でさえ大昔には、恐竜とかいう生物がいたというのだから、 >そりゃもう想像できるはずもないさ。「原則」をもってしても、そこまでが限界だろ? なるほど。 ところで、宇宙人や、それ以上のものは人間には想像のつく話ではないということなのでしょうか? つまり、今の地球人の英知を超えていると? そうであるとすれば、私は違う見解を持っています。 人間という生き物が真実を認識できるということは、 この世の中で最も不思議な出来事なのではないかと考えています。 自然が自然を認識することが可能になったということです。 とりあえず、私たちが見ているこの宇宙を超えないことを前提に話をしたいと思いますが、 その限りにおいては、私は、現状の人間の英知では及びもつかない生命というのはいないだろうと考えます。 恐竜という生き物も、遺伝子のレベルで見ればたかが知れています。 姿形という意味で想像がつかないというのであれば、 私の考えているものとは直接比べることはできませんが。 今の地球の生命は4種類の基本塩基(A,T,C,G)で成り立っています。 人工的にそれ以外のものが作られているということは、 それ以上の生物(もしくは生物でない)があるかもしれませんが、 仮に塩基という仕組みでなかったにしても、どんなに物質が組み合わさったところで、 真実を認識できる物体を超えるものができることを今の私には想像できません。 もっとも、それ以上のものを否定することはできませんが、 それだけ真実が認識できるということが、奇跡的な出来事だと言うことです。 真実が認識できなければ、それこそ因果律に縛られただけの物体であるということです。
>391 >あと、人生だが、それはとても儚いぞ。 >何か自分が存在してた証拠を残したいなら、それはもう人生の全てでなくちゃいけない。 >俺は小説家にでもなろうかと思ってるが、どうなることやら。 >今はまだ18歳だ。これから色々と決まっていくだろう。 >で、1は何歳なんだ? 私は直に三十路というところです。 >392 >子供から大人になるとき、幼稚な好奇心が無くなる。 >それは何故か。 >経験して飽きたからだ。 >例えば、犯罪。 >子供の頃に悪い事をしていないと、大人になってからその好奇心が暴れる。 >何事も経験だ。 >飽きることによって、それらの洗脳から解き放たれるだろう。 >そしてまた、選び取れば良いんだよ。何が価値のあることか。 >君が云う「原則」というものを知れば、それが明確に判るんだろ? その通りです。 「原則」と自分との位置づけが分かっているみたいですね。 見た感じですが、ピポさんは直接「原則」に向かっているのではなく、 ピポさんなりの原則的な道を進んでいるようですね。
ちなみに、多くの人が特に「原則」を会得する必要は全くないと思います。 (ある人にとっての原則的な道が、常に「原則」を会得する道にはなりません。) 私の場合は、たまたま「原則」をひらめいたことによって探求していたのです。 すでに「原則」が当たり前の世の中であれば、その必要はなかったと思います。 加えて、何故にそこまで自分でもしつこいほどに探求していたのかと言えば、 それをこの世の中に広めようと考えたからだと思います。 詳しく言えば、2002年の1月にふと思い立ったのです。 これまで徹底的にそれらしいものを調べてきたつもりでしたが、 やはり原則に関するものはほとんどありませんでした。 ただ、原則の効力を利用している人はそれなりにいるのではないかと思います。 ちなみに今の私の感想ですが、この世の中には何一つ難しいことはなくなったという感じでしょうか。 原則が完全に分かっていれば、あとは全てが積み重ねにすぎないことが分かると思います。 あらゆることに余裕が生まれることと思います。 力が余りすぎて、逆に困ってしまう感じでしょうか。 片手間ながらに長い時間がかかりましたが、今の今まで常に同じ目的でいました。 やっとここまでたどり着けた感じですね。 「原則」に関する最低限の情報はここに載せることができたのではと思います。 あとはそれなりにまとめて、この世に広めるくらいだとも思いますが、 もし、ゆっくりせずに早く世の中に広めるべきだ!と思う方がいらっしゃれば、 カキコでもしてもらえればと思います。
>397 こわっ!(w ありがとさんです。
>>398 そうですか。
それを突然気づいたのですか?
405 :
考える名無しさん :03/07/26 00:20
「人生最大の発見」は「生きてる!」、ってことだろな。
407 :
ピポ ◆r7L7LnzQVY :03/07/26 01:09
>とりあえず、私たちが見ているこの宇宙を超えないことを前提に話をしたいと思いますが、 >その限りにおいては、私は、現状の人間の英知では及びもつかない生命というのはいないだろうと考えます。 上には上がいる、下には下がいる。 肉眼には見えない生物がいる。それよりもっと見えない生物もいるだろう。 可能性の問題だ。 しかし、その可能性を勝手に100や0と思い込む凡人たちがいるのも仕方が無い事。 「宇宙は広いから、地球と同じような星があってもおかしくない」とかね。 見たまんま、その最もな事を言って凡人たちを洗脳し続けていたアリストテレスの考えは、 今の時代において、全てが間違っていた事が立証されている。 植物は土を食べないし、重いものと軽いものでも落下速度は同じだ。 >恐竜という生き物も、遺伝子のレベルで見ればたかが知れています。 >姿形という意味で想像がつかないというのであれば、 >私の考えているものとは直接比べることはできませんが。 全ては「発見」から始まる。 よって未発見なことは想像の域を越えない。 しかしながら、イレギュラーというものは何にでも存在するんだ。 それこそ「発見」の甲斐があるってもの。
408 :
考える名無しさん :03/07/26 01:21
マスターだ
409 :
考える名無しさん :03/07/26 01:22
1が
410 :
考える名無しさん :03/07/26 01:22
マスターに会いたい
411 :
考える名無しさん :03/07/26 02:31
ざっと流し読んだのだが、 「どんなものでも数式で表せる」と言ってるの? だとしたら、いまさら何をいってるんだ?
〉411 同感。当たり前のことだと思う。
なんか面白い展開になってますね。 ピポさんはしっかりしてますね。ひとつ違いとは思えないオーラだ、、。 やりたいこともあるようだし、羨ましい限りです。応援してます!
「発見」は、仮説を立てて研究したのちに初めてなされる。仮説、研究はなんに基づいて なされるかというと「原則(この場合、自然法則)」だったりする。 何にでも「原則(成功の仕方など)」はある。それは数学の問題(出発点)に答え(終着点・目標) が一つあり、解法があることに似ている。ただ、解法はいくつもあることに注意。場合によっては 答えも複数存在することも忘れてはならない。
ごめん。「発見」されてから研究されて仮説をたてられる場合もあった。恐竜とかが良い例。あれはまだ仮説。
>>389 >一つ伺いたいのですがいいでしょうか。
>このスレを読んで何か考えや感じ方が変わったことはありましたか?
>それとも、全く何もありませんでしたか?
特に何も変わったことはありませんでした。
残念ながら。
>411 私が言いたいのはそのようなことではありませんよ。 >412 ふむ、「原則」の神髄は知らないようですね。 ある部分「原則」は分かっているようですが、それなりに優秀なのでしょう。 本来、「原則」が分かった人間であるなら、それを伝えていくべきなのです。 真に「原則」が分かっているのなら、必ずそう思うことになると思います。 >417 そうでしたか。(^^; でも、あまり「原則」を分かる必要もなさそうですね。 (誘導尋問をすることもしないでおきます。 さすがにここでは難しいとも思いますし。)
>404 >それを突然気づいたのですか? そうです。理由無くではありませんでしたが。 このスレに何度かそういうことを書いていたので、今度は具体的に書いてみたいと思います。 次のことを思いついたときに、同時に気が付いたのです。 実は物事をより良くコントロールするための秘訣があるのです。 とりあえず、わかりにくい表現かもしれませんが、 「この世の摂理に則って、物事に意図を加えていく」ということです。 正しくコントロールするためには、 「本来それがどうなっていれば良いのだろうか?」ということを前提に、 今の現状からその方向へ向かわせるためにするべきことを考えなければならないのである。 (将来像を創り上げるための動作もあるのだが、それも原則によって成せる) 本来理想的な状態を先に思い浮かべてしまうわけである。 この世の法則が分かっていれば、それなりに先を予測することができる。
また、何かをうまくコントロールするためには、 直接それを動かすことはできないと考えた方が良い。 直接動かすことのできるものは、完全に自分の支配下にあるものだけでしかない。 人に「こうしろ!」と言っても、特に言うことを聞くわけではない。 相手は自分の支配下にはないのである。 だからどうしろというのは、人相手では難しいのであるのだが (それ相当の考え方はある、基本的には、人はその人独自の哲学によって動いていると考える)、 人以外の対象物に関しては、繰り返しになるが、 「この世の摂理に則って、物事に意図を加えていく」というように考えると格別にうまくいく。 実のところ、「自分と対象物とは独立に動いている」という考えが元にある。 やはりそれが自然なのだろう。 対象は独立して動いている。 それにどう意図していけば良いのかと考えるのである。 対象が人でなければ思惑通りになるはずである。 うまくいかないことはない。 全てはこの世の法則によって成っているのである。 人間は対象を強引に動かすことはできない。 ただの司令塔なのである。
唐突に違う話だが、 仮に、そこに罠を仕掛けてみたとしよう、状況はどう変化するのだろうか? 予測と結果が同じになっただろうか? 人間は環境に対して変化を与えることができる。 環境が変化したことによって、その環境に関わる対象物は影響を受ける。 こちらが意図したことさえ相手は気が付いていないかもしれない。 愉快なことである。 戦略を練るとは、考え得るあらゆる意図による環境の変化を想定するのである。 そして最も良さそうな計画を立て、実行するのである。 これは組織にとっても同じであるのだが、 常に環境と自身とを照らし合わせ、正しい判断をし続けるのが理想だろう。 分かったつもりになっていなければ、概ね予測と同じ結果が得られよう。 もっとも、先が予測できたところで、進んでいる最中は霧の中を進むような感じである (何故に霧がかかるのかといえば、途中段階では曖昧な要素が多いからである)。 常に正しい判断ができていなければ、予測した到達点には到底たどり着けない。 次第に霧は晴れてくる。 原則が分かっていれば、難しいことは何一つとしてない。 多少不適切な発言があったことをお詫びしておきます。
最近地震が恐いし、死ぬのが恐い僕なんですが、 原則的にどうにかならないものなんだろうかなー?と思うんです。 死ぬのが恐くなくなるような精神力になるにはどうしたらいいんだろう?って 原則を手にすれば良いと言えば、それまでなのかもしれないですが できればすぐにでも強靭な精神の持ち主になりたいのです。 何かアドバイスでも頂けたらなあと思う今日この頃、、、。
423 :
考える名無しさん :03/07/27 05:25
うーん。わかんないですね。「原則」を人々に伝えるべきだ、と仰ってますけど、それが人々の間 に広まった末にどのような世界になると考えているのですか?
425 :
ピポ ◆r7L7LnzQVY :03/07/27 09:45
>死ぬのが恐くなくなるような精神力になるにはどうしたらいいんだろう? 老人になると、ボケる。 それはな、死を恐れぬようにと神が与えてくれたモノなんだ。 そもそも、死が怖くない人間なんてのはいない。 眠るのが好きでも、それは心地が良いからであって死とは違う。 全て無くなることが如何に怖い事であるか。 思い残るものは幾らでもある。 学生時代に引越しをしたことがあるか? 俺は二度ほどあるが、其の後に来た手紙やらなんやらで感慨にふけたよ。 死にも近いものがあるが、しかしその後のことを実感することは出来ない。 何か社会に名を残す形で貢献したとしても、消える自分にとっては何の意味の無い。 ただ、自分が死んでも他に生きる人間がいることは忘れてはいけないと思う。
426 :
考える名無しさん :03/07/27 10:48
シンクロニティ
>426 超能力の基盤
428 :
考える名無しさん :03/07/27 11:27
瞳を開きながら夢をみる
429 :
考える名無しさん :03/07/27 18:46
メンヘル
なるほどね・・・ このスレ観て初めて 「無」を実感したよ。 原則なんて無いんですね。
>>418 誘導尋問?
どういう意味でしょうか。
特に何も変わったことはなかったと思っているだけで、
本当は、何か変わっていると仰りたいのでしょうか。
>>425 レスありがとうございます。
>そもそも、死が怖くない人間なんてのはいない。
聞いた話なんですが釈迦は真理を得たことによって
死への恐怖を克服したとかなんとか。
形あるものはいつか壊れると言うことを理解していたのか良く分からないが、
死ぬ間際もけして取り乱すことないまま命をひきとったらしいのです。
今の僕が仮にその状況下にあったら
ヽ(`Д´)ノウワァァン恐えーヨーーー。ガクガクブルブル。ってなると思うんです。
だって震度1でも心臓バクバクですからね。
雷だったら勿論耳ふさぎますし、口論も喧嘩も19年間全て避けてきましたから。(w
故にすごく羨ましいんですね。ヘタレとしては。
生物的にいえばピポさんのおっしゃるとうりだと思います。
しかし、その死に対しての恐怖が人よりあからさまに大きいんですよね。
この恐怖を小さくしていきたいと思うんですが、
さあどうしようか?と言う感じです。
ヘタレを直したいと解釈してくれても構いません。
>学生時代に引越しをしたことがあるか? >俺は二度ほどあるが、其の後に来た手紙やらなんやらで感慨にふけたよ。 >死にも近いものがあるが、しかしその後のことを実感することは出来ない。 死と引っ越しですか。考えたこともありませんでした。 別れによる悲しみが酷似しているということでしょうか? そういえば知り合いに同じく引っ越しを二回経験したことがある奴が いますが、そいつは同年代とは思えないオーラがありましたね。 なんかこう 「誰に何と言われようと俺は俺だ!」 「何がなんでも生きてやるぜ!」 という力強さがひしひしと感じましたね。そいつから。 うーむ。つまり出会いと別れを繰り返すと人は強くなるということでしょうか? なるほど。
>何か社会に名を残す形で貢献したとしても、消える自分にとっては何の意味の無い。 >ただ、自分が死んでも他に生きる人間がいることは忘れてはいけないと思う。 自分も同じ事を思ってますね。 自分も結局はこの世からいなくなるわけで、ならばその後を生きる人に 何かしら良い影響を残したいというのはありますねー。 例えばここでもし原則を会得したら、友達とか悩んでいる人たちに さりげなく誘導してあげて、問題の解決や解決する力をつけてあげたいなあ というのはありますよね。はい。 ただ人をたすけるには相応の能力なり力なり必要となるわけで 今の自分ではどうだろうなあ、というのはありますね。 精進あるのみということかなあ?
ちと質問。
ツールの肉体化に当たって拒絶反応が起こることがあるのも
原則にかなうことになるのかな。
才能と趣味が一致しないことも何故起こるのだろう。
>>1
〉241 震度七の地震が起こっても生き残る奴は生き残る。雷にあたって生き残った奴もいる。かと思うと、 あっさり死ぬ奴もいる。人生そんなもんだ。もし世界が「原則」に支配されていたとしたら、それ こそ自分の生き死になんざ自分ではどうしようもない。俺は一度死んでもおかしくないような事故 を起こしたことがあるが、なぜか生き残った。バイクで雨の日に山のなかを走っていてこけた。バ イクは対向車線にいったが、なぜか俺は左車線側に滑っていった。その時俺は、バイクが俺を守っ てくれたのかもしれない、と思った。 続く
バイクは対向車(三台来てた)に踏み潰され、俺は踵の骨折だけですんだ。 自分を守ってくれるものは世の中にたくさんいる。自分に生きてて欲しいと願うものはたくさんい る。それらに甘えているだけではダメだが、人間そう簡単に死ぬもんじゃない。死を恐れてばかり いる人生などつまらない。人生を楽しんでいればその内、死の恐怖は薄れる。「死」なんて死んで から考えれば良い。まあ、さすがにそれは言い過ぎだが、それくらいに考えてみることをお薦めする。
438 :
考える名無しさん :03/07/31 12:39
あげ
>>436−437 >「死」なんて死んで >から考えれば良い。まあ、さすがにそれは言い過ぎだが、それくらいに考えてみることをお薦>めする。 ああ、なるほど。 いきなりとは言わないまでも、そういう風になれるよう 自分をもっていきたいなーって思いました。 そうですよね。なんだかんだ言っても死ぬ時は死にますもんね。 がんばります。 あと、レス遅くてすいません。
>423
>世の中に絶対なものは絶対にない
>
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1047727062/l50 >原則ならこうゆうのも説明できるのかね?
では、原則的にどう解釈するかを考えてみたいと思います。
原則的に見れば、そのような討論をするのは無意味であるとも思います。
そのスレを拝見してみましたが、
万人が納得できる結論には、いつまでたっても到達できそうにないようだと私には思えました。
原則的に見ればすでに答えは出ています。
原則が分かっている人は、「原則」を絶対のものとして捉えています。
この世の中の全てのものは「原則」によって現れる出来事に過ぎないという見方です。
つまりは、すでに「原則」という絶対のものがあるのです。
もっとも、「原則」に反したものが見つかればどうなるかは分かりませんが。
もしもそれ以外のもので、絶対のものという意味でしたら、
「そのようなものを考える意味はない」というのが原則的です。
それでも考えてみるとすれば、
基本的にはこの世の中のものは絶対的なものから成っているのだが、一つ一つは偶然に過ぎない。
とでも言うようなものだと思います。
あとは常識の範囲の話になると思います。
ついでに言えば、原則以外の哲学を持つ人で、
「こういう考え」が絶対的であるという考えを持つ人がいれば、
その人にとっては「こういう考え」という絶対的なものを持つわけですし、
「絶対なものは絶対にない」という考えを持つ人がいれば、
その人にとっては、「絶対ものは絶対にない」という考え方がある意味絶対的になるのです。
また、「絶対」という概念のない、曖昧な考え方というのもあると思います。
>424 >うーん。わかんないですね。「原則」を人々に伝えるべきだ、と仰ってますけど、それが人々の間 >に広まった末にどのような世界になると考えているのですか? うむ。とりあえずこのスレにもところどころ書いてはありますが、もう一度適当に考えてみます。 多少は時間がかかると思いますが、世の中は理想的な社会に生まれ変わるだろうと思います。 しかもそのことを、誰もがさも当たり前のように思っている社会になるのではと思います。 今の常識では(実際には定かではありませんが)、 国民の生活は国家にゆだねられているという見方が多いのではないのでしょうか? 実のところを言えば、国民が団結した場合というのは、 支配者の権力というのは無に等しいとも言えると思います(それなりの待遇はあるわけですが)。 国民の為に存在しない政治家はすぐに替わる羽目になると思われます。 上にいる人間よりも下にいる人間の方が圧倒的に多いわけですから、当然の原理です。 賢い人間であれば、人を見る目も正しくなるのです。 もちろん国家も、賢い人間によって方針が決められてくることになると思います。 このことは国以外のものについても当てはまります。 (これも原則的な性質なのですが、壮大であればあるほど原則的なものとなります。) また、それらは特に誰かが意図するまでもなく、自然とそうなっていくのです。 原則というものが強く反映されている社会であれば、 自ずとそう浮き上がってくるのが分かるようになると思います。 次第に的確に動いている社会になるのではないかと私は考えています。 これらのことは、原則があるとすれば、 そうなるだろうということをただ述べているだけであって、当然の原理(原則)にすぎません。 最終的には、一人一人の思いだけが国家を動かすのです。
また別に、確かに今の世の中を見れば、なかなかつらい状況ではあると思います。 私自身はかなり厳しいのではないかとも内心思っていますが。。 やはり、エネルギー問題や温暖化現象の問題などで厳しいわけです。 原則的に見れば、不景気というのは関係ないのです。 地球規模の問題は、原則的であってもすぐさま解決することができないのです。 それが問題になってきた頃には手遅れになってしまうかもしれないのです。 今の私には分からないながら、安心とは言い切れないのではないかと思います。 なんとか人間が自滅することだけは、防ぎたいものですが。。 ではどうしたら良いのか? おそらく原則的に動き出せば、相当世の中は変わってくると思いますが、 自ずとそれに向かった動きになっていくものと思われるので、ここでは語る必要はなさそうです。 ところでどのように理想的なのかといえば? 簡単に言えば、人類のトータルな満足度が格段に上がってくるのではないかと思います。 やはり人と人との繋がりが大切にされてくるのではないでしょうか。 多くの人類の日常生活に支障を来すようにならない限りは、 地球規模の問題は、個人的な満足度にはさほど影響しないのではと思います。 ちなみに個人的に思ったことですが、 日本はやはり知的な産物で世界と勝負していかなければならないのではと思います。
>431
>
>>418 >誘導尋問?
>どういう意味でしょうか。
>特に何も変わったことはなかったと思っているだけで、
>本当は、何か変わっていると仰りたいのでしょうか。
失礼致しました。
変わっているのかどうかは分かりませんが、
「原則」が分からないという人でも、
対話を重ねていけば伝えることができるのではと思ったのです。
>435 >ちと質問。 >ツールの肉体化に当たって拒絶反応が起こることがあるのも >原則にかなうことになるのかな。 「ツールの肉体化」とは、いい表現ですね。 「何故、恐怖を感じるのか?」というのを、 科学的に説明することができないけれども当たり前の現象とも思われるのと同じように、 拒絶反応が起こることがあるのも特に不思議なことではないと思います。 実は原則的に人を評価する方法があるのです(方法というような代物ではありませんが)。 拒絶反応が起こるのも、何通りもの理由があるかもしれませんが、 とりあえず思ったことを書いてみます。 一般的に、ツールを身につけるためには、 そのツールを獲得できるための必要な下地(情報量・材料)がなければなりません。 全くまっさらな(それに関する情報が全くない)場合は、 拒絶反応が起こるまでもなく、身につけることすらできません。 拒絶反応が起こる場合というのは、 無理矢理身につけることも可能なくらいのものは持っているのだが、 それとは相反する、原則とは矛盾した考え方のようなもの(習慣・感情)を持っている故に、 そのようなことが起こるのだと思います。
多少話は飛びますが、重要な原則的キーワードの一つに「理解力」というものがあると思います。 原則的に言う「理解力」という意味が分かれば、様々な意味で原則を会得するのも早くなると思います。 実は、原則的に言えば「理解」は「感情」に勝るのです。 さらに言えば、原則的な人間に「性格」というものは意味をなさなくなるのです。 何故なら、その人の振る舞い通りに性格が決まるからです。 その人の振る舞いは意志によって自在なのです。 先ほどの拒絶反応の話に戻りたいと思いますが、 拒絶反応というのは、どこかで矛盾した「感情」を持っているために起こるのです。 (「感情」というのも原則的なキーワード(一般的な意味とは違います)の一つです。 「感情」:その人にはどうすることもできない「うやむや」とでもしておきます。) 実は、「感情」というのは「理解」によって、切り離すことができるのです。 拒絶反応が起こる場合は、回り道をして、 それが起こる原因(感情)を切り離してからでなければ、そのツールを肉体化させることはできないのです。 切り離すためには原因となる「感情」を「理解」すればいいのです。 もっとも、「理解」をするためには、 「理解」という「ツール」を得なければならないのかもしれませんが。(^^; ちなみに私の場合は、拒絶反応というものは懐かしく思えてくるものです。 最近では一切ありません。 ちなみに、これらのことがどのくらい伝わったかは定かではありませんが、 私は、便宜的に「全種類の人間を知っている(人間の根底となる性質を知っている)」と言えると思います。
>435
>才能と趣味が一致しないことも何故起こるのだろう。
>>1 それもいくつもの理由があるかもしれませんが、考えられる一例を原則的に書いてみます。
まず、「才能」や「趣味」というものもそれなりに明確にしなければならないとも思いますが、
とりあえずは適当に話をしてみます。
ここでいう「才能を持つ人」とは、
「ある事をなすときに必要とされる能力を身につけている人」とします。
例えば、小学一年生の算数が完全に分かっている人がいれば、
その人は小学一年生程度の算数のテストを解くための「才能」を持っている。ということです。
実はこの世の中の物事というのは、必ず「原則」を持っているのです。
(その「原則」が身に付いていれば、的確に正しい判断ができるということです)
そして、物事にはピラミッドのような大小があるのです。
何かの「才能」を持っている(原則が分かっている)としても、
その物事が小さいものであれば、物足りなく感じてしまうものなのです。
物事が大きいものほど、複雑 かつ 乗り越えるのに困難な代物なのです。
しかし、当然人間はより壮大なものに魅力を感じます。
壮大なものは会得するのも並大抵のことではできません。
その代わりそこから得られる醍醐味も大きい、ということなのです。
ちなみに「原則」が分かっている人は、ある意味全てが「趣味」になるとも言えるかもしれません。
つまり、原則的にその問いに答えれば、
「才能」と「趣味」とは別次元のものであって、
一致しないことがあっても当然だということになると思います。
一般的に「才能」と「趣味」とが一致する場合が多いのは、
「趣味」でやっていたことが、自ずとそれによって「才能」を手にするからなのです。
>241 私のアドバイスはいらなそうですね。 ただ一つ思ったことを言えば、「理解力の軸」というものが分かれば良いと思ったのですが。。 それを基準に考えて、「理解力」を増していこうと考えるのです。 実を言えば、「原則」が分かるためには「理解力」を増していかなければならないのです。 おそらく、全てのカギを握るのは「理解力」とも言えるかもしれません。 これを基準に考えるのが手っ取り早いのではないかと、ふと思いました。
>>1 原則が解ったら、理想の行動が取れるようになるんですか?
1さんはどうも人類のみに「原則」が当てはまるような言い方をなさってますが、なぜですか?
>>443 >変わっているのかどうかは分かりませんが、
>「原則」が分からないという人でも、
>対話を重ねていけば伝えることができるのではと思ったのです。
「原則」に限らず、対話を重ねることでその内容を伝えることは可能だと思います。
ただ、このスレを読んできた中で、
「あなたの言う原則が分かったよ!」という人よりも、
「原則」が分からないという人が圧倒的に多いと思います。
私も含めて理解できない人々が馬鹿なのか、
あなたの説明が下手なのかは分かりません。
ただ、文字だけでの対話では限界があるように思います。
文字だけでの対話ではなく、
例えば、視覚にも訴えるような対話が、
ホームページの中でなされることを期待しています。
>448 >原則が解ったら、理想の行動が取れるようになるんですか? その通りです。 何故に理想的であるのかが分かるのかと言えば、 簡単に言えば、それが「理想の行動」であると仮定しても矛盾がないからです。 慣れてくればそれが理想的かどうかはすぐに分かるようになると思います。 >449 >1さんはどうも人類のみに「原則」が当てはまるような言い方をなさってますが、なぜですか? 「個人ではなく、人類に良く当てはまる。」 というように聞こえたということでしょうか。 とりあえず「原則」は人間以外のものにも当てはまりますし、 全ての人間もその上に成り立っています。 ところでそのように聞こえたのは、それが原則的な性質だからです。 私は常に原則的に説明しています。 確かに一人一人でみれば、それぞれに原則というルールが基にあるのですが、 それに則っている人と、そうでない人とがいるのです(2極の間も連続的にあるのですが)。 原則的でない人には、原則的な性質は当てはまらないのです。 また、仮に「原則」があれば、 まずは分布的に原則的な動きをする人が出てくるものと考えられます。 そうなると、個々の人間が原則とは関係のない動きをしていた場合でも、 大局的にみれば、つまりは「人類」は原則的な動きになっていく故に、 「原則」が当てはまるということになるのです。 「原則」というものが存在するならば、必ず「人類」は原則的な動きをするようになるのです。
>450
>
>>443 >>変わっているのかどうかは分かりませんが、
>>「原則」が分からないという人でも、
>>対話を重ねていけば伝えることができるのではと思ったのです。
>「原則」に限らず、対話を重ねることでその内容を伝えることは可能だと思います。
>ただ、このスレを読んできた中で、
>「あなたの言う原則が分かったよ!」という人よりも、
>「原則」が分からないという人が圧倒的に多いと思います。
>私も含めて理解できない人々が馬鹿なのか、
>あなたの説明が下手なのかは分かりません。
>ただ、文字だけでの対話では限界があるように思います。
>文字だけでの対話ではなく、
>例えば、視覚にも訴えるような対話が、
>ホームページの中でなされることを期待しています。
どうもありがとうございます。
とりあえず思ったことを書きますが、
おそらく「原則」が分からない人が圧倒的に多い。というのは、そのまま正しいとは言えないと思います。
少なくとも、「原則」が分かっている人はここに書き込む必要がない、ということもあり得ると思います。
また、ただ「分からない」という意味をとっても様々な意味がありそうです。
「概念はつかんでいるが、認識はできていない」という人もいるのではと思います。
確かに視覚的にすると良いとは考えたこともありますが、微妙なところですね。。
>>447 「理解力の軸」って何でしょうか?聞きなれない言葉ですが、、、。
理解力という単語だけでしたら、「分かる力」というか「かみ砕く力」という解釈をしてますが、、、。
正確に物事をインプットできる力だと思っています。
さらに言うと、理解力を向上させる行為を僕は知っているつもりです。
そしてそれを実際してみて、あからさまなレヴェルアップを感じています。
(これで違ったら恥ずかしいんですが、、、w)
つまり何が言いたいかといいますと、
理解力の向上は任せて欲しいんです、しかし力と言うものはその使い方で
姿を豹変するものだと思います。要は頭の使い方、理解の仕方、思考法次第で
どうにでもできるんじゃあないかなあと思っているところです。
前のほうのレスでイメージがどうたらとありましたが、単純な話「右脳を使え」って事ですか?
ご教授願いたいところ、、、。
>453 どうやら、私が何かを言う必要はないようですね。 私の言った、「理解力の軸」に沿ってそれを増すように考える、ということは すでに241さんの実践している通りです(恐るべし、、ですね)。 実のところ、「理解力」には上限というものがあるのです。 どんなに「理解力」を増していっても無限に増えることはないのです。 何故なら、この世の中は「原則」という仕組みで動いている故に、 それが認知できてしまうと、それを超えるものは、この世の中には存在していないからです。 認知できてしまうと、それで必要十分なのです。 つまりは、「原則」が認知できていない限りは「理解力」が完全ではないということです。 また、当然のことでもありますが、いくら「理解力」があったところで、 未知な物に対しては、その時点においては無力です。 しかしこのことと、原則的に言う「理解力のあるなし」とを混ぜて考えてはいけないのです。 「原則的な要素」と「専門的な要素」とは独立して成り立っているのです。 ところで何故に「理解力の軸」ということを持ち出したのかと言えば、 どういういった方法で「原則」に向かっているのかが分からなかったからです。 241さんは「理解力」を向上させることに主眼を置いているようなので問題ないようです。 それと、向上させ続けることも知っているようですし、 そのまま行けば、「原則」へ一直線であるように思えます。 おそらく、241さんの感じていることに間違いはないと思います。 つまり、それが「理解力の軸」に沿う、ということなのです(今は分からないかもしれませんが)。 「スタート地点、例えば:理解力3」から「ゴール地点(原則の認知)、例えば:理解力10」までは、 その「理解力」は連続的なのです。 それが繋がっていることから「軸」のように思えるので、「理解力の軸」という表現をしたのです。
>453 >つまり何が言いたいかといいますと、 >理解力の向上は任せて欲しいんです、しかし力と言うものはその使い方で >姿を豹変するものだと思います。要は頭の使い方、理解の仕方、思考法次第で >どうにでもできるんじゃあないかなあと思っているところです。 >前のほうのレスでイメージがどうたらとありましたが、単純な話「右脳を使え」って事ですか? >ご教授願いたいところ、、、。 そういうことで、特に何も言うことはありませんでした。 そうですね。 そのこととは違う話になりますが、 イメージがどうたらというのは、世間的に言う「右脳を使う」ということになると思います。 「理解力」が増すと、おそらく自然と分かるようになると思うので、 特に今は考える必要はなさそうです。
1さんは、マーフィーの本を読んだことがありますか? 俺は今日になって初めて読んだわけだが、かなり同感したよ。 とりあえず本の要点を言うとね、(本の名は「マーフィー100の成功法則」。買ったのは3ヶ月前) 「潜在意識は凄く優秀で、それに願えばどんな要望も適う」といったことだよ。 よくノンフィクションの話で、奇跡の回復、みたいなのがあるでしょ。あれのこと。 他にも「潜在意識は他人と繋がっていて、自分の願いは他人の願いと繋がってる」みたいなことも言ってた。 簡単に言うとだね、「本が売れて欲しい」と「〜〜な本が読みたい」というのが上手く引かれるってこと。 ま、興味があったら読んでみてくれ。 たぶん、1さんが言ってることに一番近いはずだから。
ちなみにマーフィー本の売り文句 「偶然? 必然? 占い? ノー? 「マーフィーの法則」はすべてに優先する。 傘を買ったとたんに雨がやむなど、あらゆる場面で遭遇する偶然とは思えない皮肉な現象。 誰もが胸を衝かれる鋭利な表現、機知に富んだ名文句を集大成した、全米ミリオンセラーの日本語版。」 ちなみに、ネットでは調べないほうが良いよ。 ファンサイトとかそんなんで、あんまり良くなかったから。 本屋に行って自分の目で見るのがよろしい。
>>454 >私の言った、「理解力の軸」に沿ってそれを増すように考える、ということは
>すでに241さんの実践している通りです(恐るべし、、ですね)。
うーん。何か不安になってきたなあ('A`)
とりあえず、僕の知っているその方法とはここでは長くなるので、
「 聖徳 12倍 」でグーグル検索してみてください。
http://www.google.co.jp/ これで全然、的を得てなかったら恥ずかしいな、、、、w
ぜひ1さんの感想を聞かせて頂きたいところ。
ちなみに最近は滞りがちです。モチベーションがあがらないンで、、、
もっとやった方が原則的に近道だよっておっしゃって頂けるなら、喜んでやりますけどw
>456 >1さんは、マーフィーの本を読んだことがありますか? >俺は今日になって初めて読んだわけだが、かなり同感したよ。 > >とりあえず本の要点を言うとね、(本の名は「マーフィー100の成功法則」。買ったのは3ヶ月前) >「潜在意識は凄く優秀で、それに願えばどんな要望も適う」といったことだよ。 >よくノンフィクションの話で、奇跡の回復、みたいなのがあるでしょ。あれのこと。 >他にも「潜在意識は他人と繋がっていて、自分の願いは他人の願いと繋がってる」みたいなことも言ってた。 >簡単に言うとだね、「本が売れて欲しい」と「〜〜な本が読みたい」というのが上手く引かれるってこと。 > >ま、興味があったら読んでみてくれ。 >たぶん、1さんが言ってることに一番近いはずだから。 ご意見ありがとうございます。 私はこれまでマーフィーの法則を取り違えていたようです。 このスレにマーフィーの法則を書き込んだ後に軽く目を通していたのですが、 どうやら、そのようなことがマーフィーさんの言いたかったことなのでしょう。 えらい人だったんですね。 ピポさんの思っているとおりだと思いますよ。
>457 >ちなみにマーフィー本の売り文句 > >「偶然? 必然? 占い? ノー? 「マーフィーの法則」はすべてに優先する。 > 傘を買ったとたんに雨がやむなど、あらゆる場面で遭遇する偶然とは思えない皮肉な現象。 >誰もが胸を衝かれる鋭利な表現、機知に富んだ名文句を集大成した、全米ミリオンセラーの日本語版。」 なるほど。 どうやら私がそれまでに考えていた「マーフィーの法則」というのは、 「傘を買ったとたんに雨がやむ」などの、どうでもいいような法則のことだと思っていました。 そういうのが以前流行ったような気がします。 ところで、真の「マーフィーの法則」についてですが、 実のところ、そのようなことを説いている人というのは意外に多いのですよ。 「思った通りの人になれる」、「思い描けば実現する」・・・etc 「原則」の分からない人には、確かに「成功の法則」になり得るかもしれません。 しかし、「原則」が分かっていれば全くもって「無用の長物」とも言えると思います。 空を飛ぶところを思い描いたところで、生身の人間が空を飛べるはずがありません。 ある意味、この世の中のことというのは成功して当たり前なのですよ。 松下幸之助の言葉を借りれば、「この世の中は成功するようにできている」ということです。 「原則」が分かれば、そのような意味も分かると思います。 やはりこの世の中には「流れ」というものがあるわけで、 それに則って行くのが理想的であるのは言うまでもありません (何だか縛られているようなのが嫌なところでもありますが、取る行動は自由なので、まあいいでしょう)。
>458 >これで全然、的を得てなかったら恥ずかしいな、、、、w >ぜひ1さんの感想を聞かせて頂きたいところ。 >ちなみに最近は滞りがちです。モチベーションがあがらないンで、、、 >もっとやった方が原則的に近道だよっておっしゃって頂けるなら、喜んでやりますけどw なるほど、分かりました。 どうやら完全に「理解力の軸」に則っている。という訳ではなさそうですね。(^^; 「理解力」を増すというのは、「原則」を学ぶこととも言い換えられるのですが、 よく「過去の偉人は、自然からものを学んだ」と言いますが、 やはり、どんなものにも原則的な要素はあるので、どんなものからでも学び取ることは可能なのです。 今のところは、241さんはそれによって能力が上がることを感じることができたのでしょう。 以前は知識を得ることに、それらしいことを感じていたと言っていました。 実のところ、同じ事から得られるものは少ないとも言えると思います。 「理解力の軸」に則って行くとは、様々に試行錯誤をしながら、 その時々で、学ぶことの多そうな物事に取りかかって行かなければならないのです。 多少長い目から見れば、次から次へとやるべき事が変わってくることと思います。 モチベーションがあがらないのは、おそらく「理解力の軸」が見えていないからだと思います。 一本道の王道はあっても、近道は無いのです。 その王道に沿って進んでいけば、それを感じることはできると思います。 すでにそこから得られるものはあまり無くなっているのかもしれませんね。 「原則へ向かう王道」を見つけるのが本当は手っ取り早いのですが、 それが難しいなら、他に成長できる「何か」を見つけるのも手だと思います。 ひとまず具体的にはアドバイスをしていませんが。
>マーフィーの法則 俺が一番共感できたのは、 潜在意識と顕在意識(いつも考えたり思ったりする意識)の食い違いだ。 簡単に言うと、顕在意識が潜在意識の足を引っ張ってるということ。 >やはりこの世の中には「流れ」というものがあるわけで、 >それに則って行くのが理想的であるのは言うまでもありません それはそうだが、普通の人はみんな流れに流れて生きてるよ。 逆に俺は、流れに入れずにいる。 たとえば俺が中学の頃、教師イジメがあった。 まあ、教師のほうに非がなかったわけじゃないけど、クラスの不良2匹が弄り始めたのが切欠。 クラスの「流れ」は教師イジメになった。 たしかに俺も、その輪に入れば30人の味方を作ることが出来るし、それで仲を深める事にもなる。 でも俺には無理だった。 単に同い年の奴らを見下してのかもしれないし、委員長だからってのかもしれない。 頼りない教師だと思ったことだってよくあったけど、それを叩くってのも気が引けた。 そもそも俺は、イジメを体験してる。そのとき既に「流れ」から追い出されてたってわけだ。 ちょっと話がそれたけど、要約するところ、1さんも流れからハミ出た人間だ。 それゆえに「流れが観える」。だから乗ることも反ることも出来る。 しかしそれは、俺にしてみれば息苦しい。 わざわざ「息をすることを確認しながら生きる」ようなもんだからな。 無意識に生きてた頃は楽だったよ。 まぁ、それを活かそうと思って、物語なんぞを書こうと思ってるわけだがね。 しかして、それを求める価値があるかどうかは、どうもよく分からない。 ただ、その他で平凡に生きることは非価値だと思ってる。
>462 >>マーフィーの法則 > >俺が一番共感できたのは、 >潜在意識と顕在意識(いつも考えたり思ったりする意識)の食い違いだ。 >簡単に言うと、顕在意識が潜在意識の足を引っ張ってるということ。 なるほど。 私的な解釈でいくと、 潜在意識(原則的、客観的、イメージ的な思考)、顕在意識(主観的)ということになりそうです。 よく「もう一人の自分がいる」などという表現をすることがありますが、潜在意識のことだと思います。 ついでに、「肌で感じる」、「第六感」、「直感」などと言われるのも潜在意識のことだと思います。 回路をうまく働かせる思考も潜在意識です。 「潜在意識」というのは常に奥底で感じているものなのです。 もっとも、それらは経験などによって作られた回路によって成り立つものと思います。 回路が作られていなければ、そういう思考はできないのです。
>462 >それはそうだが、普通の人はみんな流れに流れて生きてるよ。 >逆に俺は、流れに入れずにいる。 なるほど。 皮肉的に言えば、「普通の人間は流れに流されている」とも言えるのかもしれませんね。 >ちょっと話がそれたけど、要約するところ、1さんも流れからハミ出た人間だ。 ははは。 私も「流れ」からハミ出た人間ということですか。(^^; >それゆえに「流れが観える」。だから乗ることも反ることも出来る。 >しかしそれは、俺にしてみれば息苦しい。 >わざわざ「息をすることを確認しながら生きる」ようなもんだからな。 >無意識に生きてた頃は楽だったよ。 >まぁ、それを活かそうと思って、物語なんぞを書こうと思ってるわけだがね。 >しかして、それを求める価値があるかどうかは、どうもよく分からない。 >ただ、その他で平凡に生きることは非価値だと思ってる。 結局、その「流れ」には乗らずに生きることを選んだということですね。 将来どうなるかは分からないまでも、なかなか立派なことだと思いますよ。 客観的にピポさんをみると、それなりの道を歩んでいるように思えます(独自の「流れ」を作っていると)。
とりあえず私的に言わせてもらえばですが、 私はこの世の中の「流れ」を変えてみたいと考えているのです。 各々の人が「流れ」に流されるのではなく、「流れ」を生み出すようにと。 実際に行動することはさほど変わらなくてもいいのです。意識が少しでも変わればいいのです。 また、変わりたくない人は変わらなくてもいいのです。 少なくとも理想の世の中を作るためには、 人類がそういう意識を持たない限りは不可能なのです。 受け身ではなく、意図的に作り変えようとしない限りはそうならないのです。 「世の中はどうせ・・・」と考えているようでは、良くなるはずがないのです(当然の原理ですが)。 周りに世の中を良くしたいと考えて行動している人がいれば、応援してあげなければならないのです (そうしたくない人はしないでいいのです)。 もっともそれは、私の手でそう変えようと思っているのではなく、 「最終的にそうなればいいだろう!」と、ただ内心で思っているだけなのですけどね。 「原則」を広めることによって、自然とそれが起きる。 私はそうなることを確信しているのです。 本音を言えば、行動せずにはいられなかったのですよ。
また、それによって世の中に新しい「流れ」が起きることになるのだと思います。 (それが原則的な「流れ」です。それは人類が意図的に生み出している「流れ」なのです。) 実のところ、その目的の為に「原則」というものを敢えて打ち立てる必要があったのです。 「人類最大の発見」と大々的にする必要があったのです。 それが人類にとっての共通の目的なのです。 地球からの視点にすぎないとも言えますが、すでに「原則」の目指している地点は明確になったと思います。 結局、「原則というものはあるのか?無いのか?」 その答えは、その様な動きになるのかどうかで、誰もが納得する判断ができるものだと思います。 また、そのようになれば、特にそれが存在していなくてもいいのです。 ところで >65 で書いた、「原則」を知る人達の共通の謎のことですが、 それは、「本当に世の中全体が原則的に動くようになるのかどうか?」ということなのです。 しかしその謎は、おそらく私たちの主観的な謎なのだろうと、私は考えています。 最後に、ここまで語ってきたことの主張を簡潔に表現すると、 これらを踏まえているのであれば、「原則がある」という一言で済むと思います。 世の中がそうなっていくのは、「原則」があれば当たり前のことなのですし、 私がこうしないまでも、他の誰かがやるはずだったことなのですから。 それ故に、全ては「原則がある」という一言に凝縮されるのです。 ある意味全てが必然だったのです。 最後は自己完結させてしまった感もありますが、 ここまでで、概ね私の言いたいことは述べることができたと思います。 また、そういう理由からここに書いていることの転載は自由です。 逆にそうしてもらえるとありがたいというところですね。
>とりあえず私的に言わせてもらえばですが、 >私はこの世の中の「流れ」を変えてみたいと考えているのです。 >各々の人が「流れ」に流されるのではなく、「流れ」を生み出すようにと。 それは言い換えると「世界征服」ですね。社会における根本を覆そうとしてる。 「本を書く人がいて、それを読む人々がいる」というのが今の世界。 それを、本なぞ必要としない群であり個なる世界、にしようと。 俺に言えることは、それは無理ってことかな。人間である以上はね。ロボットならともかく。 悪意を持った人間や、人間に相応しくない人間だって沢山いてるし。 それに、1さんの言ってることはとても難しい。普通は理解できない。 だから導き手になればいいんですよ。そして理解できる人を後継者として遺す。 そうすれば今は無理でも、いつかその時が来るかもしれない。 しかしながら1さんの願う世界が成された時代、その住民には既成事実でしかないよ。 1さんが今の世に不満があるように、その住民の中には不満を持つ人が必ず生まれる。 それが正しいことであろうと、間違ったことであろうと、そこに価値が生まれれば変わってしまうだろうね。 まぁ、俺はね、1さんがやろうとしてることには全く興味が無いんだけどね。 世界はいつか破滅する。地球も宇宙も。ずっと考えてきた。生きる意味と、価値を。 それで見出したのは、幸せに生きて満足して死ぬ、ということかな。 自分がじゃなく、みんながね。 それで小説を書こうと思った。ひとときの脱線。面白くない社会から休憩の場へ。 それから万に一人、小説に隠した「生き方」というものを知ってくれれば、 少しでも人生を幸せに出来るんじゃないかってね。
468 :
考える名無しさん :03/08/06 23:06
>>1 氏はもっと人を使い、人に使われ、人に紛れ、人から離れて、色々なことを体験してから考えを述べよう。
469 :
無料動画直リン :03/08/06 23:07
>468 持論があれば、聞かせてもらいたいものですね。
ところでですが、 世界は与えられているものではなく、人間が作っているのです。 誰もが、この当たり前の事実を認識する必要があるのです。 人間によって与えられた問題を解くために勉強をするのではなく、 この世の中の自然現象の謎を解明するための勉強をしてほしいものです。 実のところ、昔のことになりますが、 例えばノーベル賞なんかを目指してみるのはどうだろうかと考え行動したりもしていました。 当時は自分にはそれなりの才能があると考えていたので、 それなりの成果を上げることができれば世の中の役に立つだろうと考えていたのです。 しかし今から考えると、その才能というのは全て「原則」の範囲内のことに過ぎなかったのです。 分かりやすく言えば、才能のある自分にしかできないことをと考えて目指していたことであったのだが、 実際には「原則」が分かっている人であれば(そうでなくても)目指せるものであることが分かったのです。 そうであれば、特に私がそれを目指す必要はなさそうである。 私には、私にしかできない価値の高いことを目指して考えていたのである。 結果として今に来ている。「原則」を広めようと考えたのである。 まあ、そういった事情もあったのです。
>467 >それは言い換えると「世界征服」ですね。社会における根本を覆そうとしてる。 >「本を書く人がいて、それを読む人々がいる」というのが今の世界。 >それを、本なぞ必要としない群であり個なる世界、にしようと。 どうやら理解なされたようですね。 人類が世界を征服するという意味では、「世界征服」とも言えそうですね。 もっとも現在でも本を書いている(例えでしょうが)人も多いと思いますし、 バブルがはじけて自立し始めた組織も多くなってきていることと思います。 その波が個人にも押し寄せてくるのは時間の問題であると私は考えています。 >俺に言えることは、それは無理ってことかな。人間である以上はね。ロボットならともかく。 >悪意を持った人間や、人間に相応しくない人間だって沢山いてるし。 一見そうあるように見えると思います。 しかし、私はそこには人間の本質はないと考えています。 人間の寿命というのは歴史というものから見ればたかが知れています。 人間は新しい世代と常に交代して行くのです。 そこには先入観はありません。 昔は、神が全てを作ったと考えていた人も多かったと思います。 将来、このスレで言うような世の中に変わったとしても全く不思議ではないと、私は考えています。 >しかしながら1さんの願う世界が成された時代、その住民には既成事実でしかないよ。 >1さんが今の世に不満があるように、その住民の中には不満を持つ人が必ず生まれる。 >それが正しいことであろうと、間違ったことであろうと、そこに価値が生まれれば変わってしまうだろうね。 既成事実でしかないというのは当然のことです。 しかしそこに現れる「不満」というのは、今で言う「不満」というのとは意味が違うものと私は考えます。 どちらにしても、「原則」がその世界を目指すことを躊躇する理由にはなりません。
>467 >まぁ、俺はね、1さんがやろうとしてることには全く興味が無いんだけどね。 >世界はいつか破滅する。地球も宇宙も。ずっと考えてきた。生きる意味と、価値を。 >それで見出したのは、幸せに生きて満足して死ぬ、ということかな。 >自分がじゃなく、みんながね。 >それで小説を書こうと思った。ひとときの脱線。面白くない社会から休憩の場へ。 >それから万に一人、小説に隠した「生き方」というものを知ってくれれば、 >少しでも人生を幸せに出来るんじゃないかってね。 ほう。情緒的な人なのよのう。 味わい深い物語ができることを祈っているよ。
後に残っていることは、「原則」を広めようとすることだけであろう。 どう動くかの決定をするのは、「世の中の総体」だけなのです。 特定の個人にその権利はないのである。 自ずとどうなるかは分かるものと思います。 全ての決定は、「原則」を知った各々の判断に任せれば良いと考えています。 つまりはそれが「原則」ということです。 また、この文章が残っていれば後継者はいらないのです。 全ては「原則」であって、私にはそれが分かるだけなのです。 「原則」の趣旨については、すでにここに書いてある通りです。 すでに特定の人間が世の中に意図を加える必要はないのです。 あるとすれば、「原則論」とでもいいましょうか。 それを認知させる程度でいいのです。 もしかしたら、私の全くの予想外のことになるかもしれませんが、 そうであるとすれば、それは世の中が望んだことなのでしょう。 ・・・こう言うといい加減であると思われるかもしれませんが、 私は、人間の基本的な本質は同じであると考えている故にそうしているのです。 悪意のある人間には原則を会得することはできないのです。 仮に原則を会得した場合には、他に満足のできるものを見つけることになるだろうと思います。 (心配事もなくはないですが、人類の自滅の危険性よりはましだろう。>独り言) 最後にもう一度言いますが、 「原則」があれば世の中は自ずと変わっていくものですし、 そういうものがなければ、人間は特に何も変わらないまま、今まで通りに時は流れていくのです。
475 :
考える名無しさん :03/08/07 09:56
分裂病?? 精神科医に原則について語ってきてくれ いい薬くれるんじゃないw
476 :
考える名無しさん :03/08/07 09:57
みんなこうゆーひとを相手にしちゃダメだよ 自分の妄想を更に強めちゃって後戻りできなくなるから とりあえず1は精神科に
比べてピポさんはカナリまともですな。
やれやれ。病人が人を病人扱いか。人間的なことよのう。 キリストらしくていい感じだ。君達の発言は肥やしにもならん。 壱やピポの方がおいしい。 吸血鬼は血をすすってもトマトジュウスはのまんよ。 食えない野暮な人たちだ。おいしいところだけでも食べときゃ良いのにな。 ヒトラーが1+1は2といえば3になる人たちだね。パチパチ。
479 :
考える名無しさん :03/08/07 14:23
基地外って野は伝染するのか・・・478のように
480 :
考える名無しさん :03/08/07 14:42
拍手。
482 :
考える名無しさん :03/08/07 18:57
原則の説明に原則使う辺りが痛い。 それと「原則なら〜となる(ならない場合は〜ですが)」といった説明ならするな。 それじゃ原則は全ての事象を含んでるだろ? そう言いたいの?
483 :
考える名無しさん :03/08/08 09:37
ようするに1氏は宙に浮いたようなことを言っていて、 241氏とかピポ氏はちゃんと地面に足を着けてモノを言ってる。
485 :
考える名無しさん :03/08/12 00:42
で、1はサイト作ってるんだろうな? はやくしろよ。
486 :
考える名無しさん :03/08/12 00:48
「知った気になる莫迦」と比喩されるべき発言が多々あるようですね。 >482 >原則の説明に原則使う辺りが痛い。 > >それと「原則なら〜となる(ならない場合は〜ですが)」といった説明ならするな。 >それじゃ原則は全ての事象を含んでるだろ? そう言いたいの? それが伝わるならば、細かい手段はどうとでも構わないと思っています。 「原則」は存在しているものなので、 認識できていなければ伝わっていないということになると思います。 >483 >ようするに1氏は宙に浮いたようなことを言っていて、 >241氏とかピポ氏はちゃんと地面に足を着けてモノを言ってる。 それは正しい認識とも言えると思います。
>485 >で、1はサイト作ってるんだろうな? >はやくしろよ。 まだ作ってはいないっす。(^^; とりあえずの方針ですが、 まず、すでに「原則」自体についてはここに書いてあることで完結してあると思います。 どういうものかはすでに分かっていると思います。 ただできれば、人間の意志が介在していないようなもので、 簡潔にまとめ直すことのできた「原則論」を、 無用の長物かもしれませんが そのうち作りたいとも思います。 当分先になると思いますが、他の言語に翻訳する必要もあるだろうと思います。 ところで「原則」というものが私の手から離れて一人歩きを始めれば、それで私は満足です。 すでに原則的に言えば、私の役割は終わっているのかもしれませんが、 サイトでも作って、どなたでも何か些細なことでも疑問があれば受け付けてみようと思います (今からメールでも掲示板でもどうぞです。匿名で構いません)。 他に何かあれば書いてみようかと思っている節もあります。 また、そういったコミュニティになるのも良いかと思います。 何かクレームか要望でもあればお願いします。
勝手な独り言ですが・・・ この世の中というのは面白いものなんですよね。 一見表面的には「原則」などない日常生活のように思える。 しかしその裏には間違いなく「原則」は存在しているのである。 あとになって分かるだろうが、それは相当に強力なものであることが分かるだろう。 おそらく全ての人間が「原則」を知る日も到来するだろうと思われる。 昔というのは世界は狭かった。 川を越えると文化は変わるのである。 しかし橋が造られるとお互いに交流が始まる。 日本でさえも広かった。 村は点々としていた。 お互いは交流することもない。 しかし交通手段が発達することによって行き来が始まるのである。 また、山を越えると文化は変わるのである。 海を越えても文化は変わるのである。 人類が、川、山、海、それらを乗り越えるための手段を手に入れると、 とたんに文化は交わり始めるのである。
最近ではそれが情報に変わってきた。 電話が通じるようになり、テレビが通じるようになり、しかもそれらがデジタル情報化されようとしている。 今やインターネット網や衛星によって、世界中で大量の情報のやりとりが瞬時になされている。 これらはつい最近のことである。 この「原則」というものを、ここ2ちゃんで広めようとすれば、すぐにでも広まるであろう。 これまでの常識では到底考えられなかったことである。 すでに時代は変わったのだ、そして今も変わり続けている。 「原始時代にはなくて現在にあるもの」、それらは全て人間が作ってきたものなのである。 これからどのような社会になるのだろうか? それを見通せている人間は、今現在には一人たりとも存在してはいない。 地球上で人類は、未来を考えようとすることなく次世代へと突入しようとしているのである。 今までと同じ次元でものを考えていたらうまくいかないかもしれない。 「お金」という仕組みで動いている時点で、どこかで辻褄があわなくなるかも知れない。 少なくとも、現時点での法律を絶対視している人がいれば、それは勘違いというものだ。 あらゆるものは人間が生み出したものなのである。 法律に則っていても、住民に対して害のある政策をとろうとすれば、 それは住民によって反対運動が起こり、なかなかそうさせてもらえないものである。 また、法律に反していたところで、 多くの人間が運動を起こすことによって法律が変わってきた例も数知れない。 結局、法律とは人間にとって都合の良いように変えていかなければならないものである。 これは全ての制度に対しても言えることなのだ。 では実際にどうすればいいのか? 私に分かることは何もない。 しかし、別に分かっていることもある。 もしも人類が先入観を捨て、今は分からないが共通の理想的な社会を目指していれば、 自ずと良い方向に向かうということだ。全ては人類が「原則」を知るところとなって動き始める。
私がいつも思っていることですが、 物事は、「核」になるようなものをつかめと言いたい。 思いついたことを格言的に書いてみます。 ・物事は単純である ・「核」になるものをつかむ ・裏に隠されている原理をつかみ、身につける ・あらゆるものは独立している要素から成り立っている ・もっとも原始的な要素を認識すると同時に、全体像も抜かりなく捉える ・あるがままに捉える ・全ては解析可能、解決可能 ・柔軟かつ縦横無尽に行動し、様々な手段によって創り上げ、結果を残す。 ・事実でないことは起こらない、何事も自らにとってのみに都合の良い解釈をしてはならない ・腑に落ちないのであれば理解が足りないのである ・全ての物事は原則的な振る舞いをしている ・時の流れをつかみ、先を予測する ・布石という考え方を知る。唐突に物事は起こらない ・あらあるものと「原則像」とを比較して考える ・あらゆるものを利用する(組み合わせる)ように考える ・すでに先駆者がいるのであれば利用できるだけ利用する ・理想を目指すのであれば、関連する情報は全て得ようとする ・理想を目指すのであれば、さらその情報を最大限の効果を発揮させる必要がある ・理想の思考というものは存在する、その為には原則的な発想法を知る必要がある ・どんなものでも道を切り開いていくのである、また、慣れるとそれは当たり前となる ・常にもっとも効率の高まることを為すのである ・常に理想を目指して前進し続けるのである ・常に手応えを感じていなければならない ・極めた者は山のごとく。事が起こったときにのみ瞬間的に理想的な対応をする
・如何なる巨大な物事を達成させることも容易なのだ。ただ、それ相当の時間がかかるだけだ ・できないことは何一つとしてない。しかし空を飛ぶこと(原則を超えること)は当然できない ・思い通りにいかないことが、もっとも人を苛立たせる。それは理解力不足によって起こる。 できなければ、「どうあがいてもできない」という事実を認識すれば苛立たしさは消える。 地球の引力によって行動が制限されることに対して苛立たしさを覚える人はほとんどいない。 また、そのような事実が認識できないのであれば、道は閉ざされてはいないのである。能力不足なのだ。 ・人間の根底となる考え方(物の見方)は現在全く統一されていない。 しかし、見方の違う人の意見を無視してはならない、ただ自分が下す判断のための材料にするのである。 ・「おまえは間違っている」との発言は一つの見方にすぎない。本当に正しいことが分かっていれば、 相手を制する必要はない。相手は間違っていても自分には関係ないのだ。極言すれば間違いさせれば良い。 ・「原則」に従っているのは強情であるのとは違う、他人にはみえないものである ・自分は天才だと思っている間はまだ甘い。 神の領域とは全てが淡々としているのだ。全てが「1+1=2」と同等のように感じるのである。 世の中の人間が愚かなだけであって、自分が天才なのではないのだ。 ・人に自慢する必要も、説教や怒鳴る必要もない。全てはこちらが握っている。満足させてやればいいのだ ・人をあるがままに捉えることができるようになるのは「原則」に到達できた者のみ ・人間の持つ能力の大きさは、その能力より小さい人間には捉えきれない ・本来、人を使うときはその才能を引き出すように意図していかなければならない。全ては相手ありきなのだ
・この世の謎は何一つとしてない、謎の答えはすでにある。ただ人間が事実を知らないだけなのだ。 万有引力の法則を発見する以前からそれはすでに存在していた。相対論を創り上げる前からそのような 仕組みで物事は動いていた。この世の仕組みは変わっていない。それは未知なものに対しても同じなのだ。 ・意外なものが見つかれば、それは意外な発見なのである。原則には反例がない、その裏には仕組みがある ・人間が最後にたどり着くものは、日々の満足なのである ・原則を深く認識していれば何もせずとも満足なのである、 そうでなければ、常に感じている手応えによってのみに、それ以上ない満足を得られるのである ・全てはその人の自由なのである これらは適当に考えて浮かんだものである。 「原則」を会得していれば、言語のように身に付いているものである。 どれも原則的な発想である。
494 :
考える名無しさん :03/08/14 00:53
495 :
考える名無しさん :03/08/14 00:54
497 :
考える名無しさん :03/08/14 00:56
大学時代の友人に、変な奴がいた。地方の二流私大だった。 でも奴は大阪の底辺私立高校出身で、成金のせがれだった。 はっきり言って、そいつの能力では甲子園大が限界なんだろうけど、 まぐれで二流大学に入れた。 何を思ったのか哲学を始めた。「新書」本を読んで一生懸命勉強した。 好きになった女の元彼が哲学をやっていたらしい。それだけの理由で。 間違った知識を恥ずかしげもなく開陳し、彼の「珍説」に呆れ返って 沈黙した友人に対しては相手を論破したと勘違いしつつ、鼻の穴ぴくぴく出ある。 彼は何を思ったのか、京都大学助教授のAに議論を吹っかけ、馬鹿を認定された。 物を何も知らない無知文盲の境市民の哀れな話である。
499 :
考える名無しさん :03/08/14 01:02
原始人ですか?
500 :
@@@@@ :03/08/14 01:55
今「七つの習慣」読んでるんだけど、思ったのが、このスレ読んで思ったことと同じ。 つまり、原則って何?っていうことにバチーンとした説明がされてない。抽象的すぎる感じ。 「七つの習慣」によれば、 ●原則(あるいは自然の法則)は人間の普遍的な意識・良心に属するもの ●たとえば、公正さ・誠実・正直・人間の尊厳・奉仕・貢献・可能性・忍耐・犠牲・勇気 ●原則は手法ではない。原則は深い基礎的な真理であり、普遍の応用である ●原則は価値観とも異なる。正しい原則に価値をおけば、真理を手に入れることができる ●原則の定義や実行の仕方についてはいろいろ議論はあるだろうが、 人間は生まれながらにしてその存在を知り、それを意識しているのだ。 なんとなく、人間のDNAに共通に埋め込まれている「イイ(・∀・)と思うコト」があること、 もっと広くいえば、世界中の万物には絶対そうなることがある、 みたいなのをイメージしたが、ま、結局はそれはなんなんだ!?ってことになる罠。 また、そうだと考えると、全然「人生最大」レベルの「発見」じゃないんだよな〜(w とりあえず「七つの習慣」読み終わってまた来るよ。
502 :
考える名無しさん :03/08/14 05:04
おはようございます 哲学についてご教授いただけたらと思いまして 大学に提出する表現はどのくらいのレヴェルで 書いていいかアドバイスをいただけたら光栄なのですが
つまりは何を言いたいのかね。 となるわけで。
504 :
考える名無しさん :03/08/14 05:58
大学はどれくらいの思想があるかな。 どれくらいの人が理解しているんだろう。
>496
>
>>1 >で、マニュアル作ってくれているのでつか?
マニュアルというよりは、
参考にできるようなものと考えてくれると良いと思います。
>498
>
>>491-493 >平面で高さがないようにおもえる
その通りのようなものです。
それなりに読み取ってくれたのだと思います。
ちなみにそれらのことが、一般的に隔たりのない原則的教訓とも言えるものだと思います。
つまり、様々な思考の中でも核になる部分だろうと。
余談ですが、
>491 は、個人が直面している物事を為すときの様子
>492 は、一歩引いたときに見える世界の様子
>493 は、原則的な世界観と、世界に対して存在している人間の様子
と、分類できるかもしれません。
>501 なるほど。 とりあえず私が「七つの習慣」を知ったのは、 「原則」を知ってから、そういうのを探していた時に見つけた本なのです。 そういう本があるとは真に驚きましたね。 しかし不思議だったこともありました。 何故、世の中に「原則」が広まっていないのだろうか?ということです。 しかも、その本を読んでいる人でさえ「原則」の意味が良く分かっていないのです。 私の中ではすでに分かったことなのですが、 「原則」とは真に発見するものなのです。 そういう意味では、その著者は真に原則を会得しているというわけではないのだと思います。 「原則」というのは人の中に存在しているものではなく、 それは「独立して存在しているもの」として捉えた方がよさそうです。 >今「七つの習慣」読んでるんだけど、思ったのが、このスレ読んで思ったことと同じ。 >つまり、原則って何?っていうことにバチーンとした説明がされてない。抽象的すぎる感じ。 > >なんとなく、人間のDNAに共通に埋め込まれている「イイ(・∀・)と思うコト」があること、 >もっと広くいえば、世界中の万物には絶対そうなることがある、 >みたいなのをイメージしたが、ま、結局はそれはなんなんだ!?ってことになる罠。 どうやら「原則」を発見してはいないみたいですね。 「それ」がつかめれば、疑いのない真実であることが分かるものです。言葉ではないのです。 それは言葉でうまく説明できたところで、それを発見させられるのかどうか?とは別の問題なのです。 それは認識できるものです。分からないのであれば、認識できていないということになります。 もう一度言葉で表せば、「この世の中にある全ての法則を生み出している根元」と言えるものだと思います。
>502 >おはようございます >哲学についてご教授いただけたらと思いまして >大学に提出する表現はどのくらいのレヴェルで >書いていいかアドバイスをいただけたら光栄なのですが んん? あまり原則的に書きすぎるとまずいのか?ということなのでしょうか??? 勘違いかもしれませんが、他の場合にも言えることなので答えておきます。 今のところ、原則的にハッキリと物事を断言すると、 それが普遍的な答えであった場合にも良い評価をされるとは限りません。 つらい立場ですが、ケースバイケースで表現は変えなければならないと思います。 それが特にすごいものでなければ、無難に濁すのも良いかもしれません。 原則的というのは一般には受け入れられない場合が多いので気をつけなければならないのです。 一般的に人と話す場合には、 その人の「会話可能の領域」や「思考のレベル」に合わせて会話をするのが無難です。 もちろん「原則」が常識になった世界ではその限りではありません。
>503 >つまりは何を言いたいのかね。 >となるわけで。 なるほど。 何度も言っていることですが、私の言いたいことは >1 の通りです。 分かっている人には、分かってもらえていると思います。
原則とやらで将来どんな企業の株価が上がるかとか分かるか? 将来人類がどうなるか分かるか? 原則については循環論法に陥ってるから 『原則的に世の中が進むと仮定したら』例えば日本のどんな産業が成長するか説明して見て。 原則的に考えて具体的な事象を予測あるいは説明することで1氏の言う『原則』とやらはみんなに伝わるはず。 上でも誰かが言ってたが、『原則の説明に原則を使う』というのは循環論法で何も説明していないのと同じ。分かる? 原則をダイレクトに説明せず原則を原則の説明に使う無意味性に気づかない? (これで『原則は原則だから』とか言い訳するとすれば1氏はちょっとおかしいと思うぞ) ではとりあえず 『原則的に世の中が進むと仮定したら』 例えば日本のどんな産業が成長するか、 日本人の食生活はどのように変化していくか。 説明してくれ。 原則が1氏の言うように普遍性を持っているとしたら説明できるはず。 しかも『原則的に世の中が進むと仮定したら』という1に有利な条件付きw 回答楽しみにしてます PS.みんなも1の言う『原則』で具体的な事象をどう説明できるのかどんどん質問した方が理解が早いと思うがどうか。 おそらくこのスレを読んで皆(一部は理解しているっぽいが)狐につままれたような印象を受けているだろう。(俺だけ?藁) 1は裸の王様で回りは自分がバカだと思われたくないから迎合したり、原則とやらを理解したふりをしているような感じに見える。
510 :
考える名無しさん :03/08/15 01:34
age
511 :
考える名無しさん :03/08/15 02:37
>1 >その人の「会話可能の領域」や「思考のレベル」に合わせて会話をするのが 無難です。 大学思想のレヴェルで書いてもそれが根底まで伝わっていなかったのが 悩ませる根源です。その人っていう人が解らないのです。 それから、以前に他スレで話をした気がするのですが。 解明できないままのことってありますか?
512 :
考える名無しさん :03/08/15 02:39
今はプロ野球解説者として活躍してる、 落合博満というプロ野球選手がいる。 彼の奥さんは信子といって言わずとしれた恐妻で、みなさんもご存知であろう。 その恐妻の信子に事件が起こった。 フライデーが落合選手と若い美女がホテルに入るところを激写したのである。 雑誌発売後、レポーター達は恐妻落合の所へコメントを求めた。 レポーター達は恐妻信子の爆発振りに期待した。 しかし事情は違った。 「落合はやってません」 放ったコメントはこれだけだった。 「いや、写真とってあるじゃないですが?しかもホテルで」 「だからやってません」 信子はあくまでも、かたくなだ。 その時、信子の偉大さを目のあたりにした。 信子は女のカガミであると、私は確信した。 何人の哲学家が信子なみのコメントを発せられるだろう? いやはや難解だ。
>>512 妻、とはすべからくこうありたいものですね。いや、こうあらねばならん。
偉大なギリシャの哲学者ソクラテスは悪妻を持ち、
偉大な日本の三冠王落合博満は良妻を持った。
落合信子ばんざい。
>509 質問ありがとうございます。 ひとこと言えば済む問題ではないので、答えるのもなかなか難しいところですが。 >原則とやらで将来どんな企業の株価が上がるかとか分かるか? >将来人類がどうなるか分かるか? まあ原則といってもそれほど大したものではありませんが、 ある意味優れた投資家はすでに原則に則って投資をしているのは間違いありません。 現在では時代が変わってきているので、ひとまず置いておくとして、 過去に原則に則って投資をしてきた投資家は相当儲かってきたのではないかと思われます(事実として)。 仮に「原則にどの程度則っていたか」という割合と、「どの程度の成果だったか?」というのを すべての出来事に対して調べ尽くした場合、綺麗なグラフ(相関関係が強い)が仕上がると思われます。 以前に「原則」は微妙なところがあると書きましたが、 それというのは、「原則」自体はハッキリとしているものなのですが、 それによって未来を予測できるかどうかというのは「原則」を持ってしても微妙なのです(当たり前ですが)。 (それについてはいくらかパターンなどもあるのですが・・・) 例えば「人類はこう動くだろう」という予測があったところで、 ある大金持ちがそれなりに意図をすると、それだけで世界は相当に変わってしまうのです。 影響力の強い者が別に意図をすると世界は変わるのです。 予測が難しい理由の一つは、未来は決まっていないからです。 また、偶然性があることも予測が狂うことになる理由の一つです。 いくら綿密に人生設計ができたところで、あるところで乗った飛行機が事故に起こることもあるのです。 宝くじに当たれば、それだけで人生は変わります。 地球規模で考えても、偶然性には様々なものが考えられます。
結局、様々な理由から原則を持ってしても将来を遠くまで完全に見通せるわけではありません。 仮に原則的にすでに決まっていることであったとしても、 人類がそれを知ることができるかどうかは別問題だからです。 あの諸葛孔明でさえ、その国の中の、その時代のちょこっと先を見通せた程度です。 イメージ的に原則が人類にどう役立つのか?といえば、それはサーチライト的なものです。 原則に則っていても、遠くまで見通すことはできないのではあるが、 その時々の時点においては、どのように動けばいいのかは分かるのである。 つまり連続的にベストな選択をしていけば、それが自ずと理想的な行動となるのです。 また、それが原則に従って進んでいくということになるのです。 では、具体的にどう先が見えるのか?といえば、 物事の本質的な部分については大体原則的になっていくだろうと考えられます。 そのことについてはすでにこのスレに書いてあるとおりです。 その本質部分から表面部分に向かうにつれて、予測が不可能になってきます。 「人類の満足度が上がってくる」ことは原則的にみれば容易に考えられます。 それが人類にとって最重要項目だからです。 本質的なものとしては、人間関係がうまくいくことによって満足するのですが、 他に、具体的にどのようなものによって満足を得ているのかまでは分からないのです。 ましてや、未来の世界で流行っている映画の題名などは分かるはずもないのです。 映画そのものも進化しているかもしれないのです。 あらゆるジャンルで考えた場合、全てを予測できることはありえません。 新しいジャンルも出現し続けるです。 時代が遠くなればなるほど分からなくなるのです。 しかし本質的な部分については、原則的なものとなると思います。
>『原則的に世の中が進むと仮定したら』例えば日本のどんな産業が成長するか、 >日本人の食生活はどのように変化していくか。説明してくれ。 では、私が原則的に考えていることを述べます。 まず日本全体についてですが、 仮に50年くらい先に行ったとしても、 道を歩いていたところで、表面的にはさほど変わらないのではと思います。 産業構造も基本は同じまま、 それぞれの割合がシフトしていくのではないかと考えられます。 そして食生活についてですが、表面的にはこれからもほとんど変わらないと思います。 当然、健康的な食生活というのを多くの人が意識し始めると思いますが、 50年経っても基本的なところは同じでしょう。 200年経てば多少は変わるかもしれませんが。 と、つまらない答えになってしまいましたが、 それなりに人や物は流動し始めると思いますが、 まだ表面的に見えるものは、基本的に50年後くらいではほとんど変わらないだろうと言うことです。 100年後になってくると世界的な流動が起こりそうな気もするので、 日本だけでは考えられないような気もします。 しかし、そこで感じているものは現在とは全く違っているものと思います。 何が違うのかと言えば、とにかく人が違うことによっていろいろと変わってくるのです。 原則については、最低あと5年程度で徐々に世界に広まり始めれば良いのではないかと思います。 また、知らない人同士の交流会(2ちゃんのオフ会のようなもの・またはそれなりに立派な催し会) などが盛んになってくるのではないかとも思います。 これは個人的にですが、様々な人が集まっていろいろと会話をするのは楽しいものです。 共通の目的があれば尚良しというところでしょうか。
>原則的に考えて具体的な事象を予測あるいは >説明することで1氏の言う『原則』とやらはみんなに伝わるはず。 >上でも誰かが言ってたが、『原則の説明に原則を使う』というのは >循環論法で何も説明していないのと同じ。分かる? 具体的にその循環論法の場所を指摘してもらえると良いと思います。 「原則」についての説明は>506 にもありますが、 「この世の中にある全ての法則を生み出している根元」というので良いと思います。 それは存在し、認識できるものなので、特にそれ以上の説明はいらないと思います。 ここで長々と説明しているのは、それだけでは分からないと思われたので、 原則的に見た場合の世界についての説明をしていたのです。 「世の中金が全て」という見方もあると思いますし、 「生まれ持った才能が全て」という見方もあると思います。 見方については無数に考えられるのです。 しかし私は、原則的という一貫した見方ができるだろうと思い、それを広めようとしているのです。 「原則的にみればそうなる」というのは循環論法ではありません。 無数にある見方の中で、唯一である原則からの見方についての説明をしていたのです。
>511 >大学思想のレヴェルで書いてもそれが根底まで伝わっていなかったのが >悩ませる根源です。その人っていう人が解らないのです。 なるほど。 ところでそれは「原則」を思想として表現しようとしたのでしょうか。 そうでなかったとしても、そこに込めた根底となる思想をそのまま伝えるのは難しいと思います。 というより、その人に伝えることは不可能かもしれません。 人の中には表面的な解釈しかできない人もいるのです。 それは原則的な認識とは心で捉えている深さが違います。 「そういうもの」を伝えることができないこともあるのです。 そもそも、その人の認知の仕方では「それ」を認知させることができないのです。 このことは分かっていると良いと思います。 >それから、以前に他スレで話をした気がするのですが。 >解明できないままのことってありますか? う〜ん、どうなんでしょう。 とりあえず言えることは、 「原則」が分かっていれば、解明できずに苛立つことはないと思います。 解明できないままのこともあると思います。 科学的なことでもあるかもしれませんが、 例えば「徳川家康が死ぬまでに何粒の米を食べたか?」などは解明不可能ではないかとも思います。 しかしそのことは、周辺情報からある程度の推測はできるかもしれません。 ところで、>512 はこのスレのことを、そこに表現したのかもしれませんね。 >513 >514 は読み取れなかったみたいですが。
>>1 なるほどね。
原則は分かったよ。
が、しかし格別『人生最大の発見だ!』と騒ぐようなものじゃないだろw
確かに『原則』を理解する人間が増えれば『原則的な世界』に変化するスピードは加速するな。
だけど俺は『それがなに?』って感じなんだが。。。
まぁ、1の楽しみは原則的な世界に変化する過程が面白いのかもね。
(上で書いてあったかな?)
あえて『原則』を広めなくてもどうせ『原則的な世界』になるんだからほっときゃーいいじゃんw
もしかして『原則的な世界』に変化するスピードを加速させたいのか?>1
確かに加速させたら面白いとは思うが、変人扱いされるのがオチだと。。。
『原則』が理解できてから1の今までの書き込みを読み返したら謎は解けた。 なんか俺も『原則』を広めて世界の変化を加速させたくなってきたわw がんばってくれ>1
522 :
考える名無しさん :03/08/16 01:04
シンクロニシティのことを言いたいんでしょうか?
523 :
考える名無しさん :03/08/16 01:08
>>1 >そもそも、その人の認知の仕方では「それ」を認知させることができないのです。
>このことは分かっていると良いと思います。
理性的な刺激をあたえるまでの感情表現でしょうか?
>「原則」が分かっていれば、解明できずに苛立つことはないと思います。
苛立つことはないと思いますが、この世の常というのがあると思いまして、
そのなかで、伝えられることがあればと思いました。
自分はかなり先の教科書の題材をできるかぎり集めておこうとしています。
そのなかで、>1さんの原則も参考文献にしたいなぁと考えていたので。
’城‘や’日銀‘の次を探していました。
自分自身はまだまだ多くの人々方から教えていただくことばかりです。
524 :
考える名無しさん :03/08/16 01:08
このスレッドでは、「なれ合い」がゆるされていますか?なにが「原則」ですか。
にしても1はもっといい説明の仕方があるだろ。 俺ならもっと分かりやすく説明できるな。 でも原則的な世界より現在のアノマリー的世界の方が俺には合ってるから遠慮。 まぁ、ページが出来たらメールで1の文章校正してやるよw (´-‘).。oO(しかし、こんなあたりまえなこと(『原則』)を回りくどく説明したら読者は混乱するだろ)
まぁ、俺の言うアノマリー的な動きすら『原則』の範囲内なんだよなぁ。。。
.
528 :
考える名無しさん :03/08/16 01:17
この人
>>1 は「原則」っていう言葉の再発見に
酔いしれているのかな!
>>528 俺はそうおもう。
あと、原則を広めたいなら説明はもっとうまくするべき。
といっても1がどう説明しようと『原則的な世界』に変化していくのは変わりないが。。
530 :
考える名無しさん :03/08/16 01:28
>>1 この人はなにを発見したのかな。
どこかに<原則がある>というイメージだけなのかな。
それじゃ「将棋のルールを覚える」よりずっと大したことないんじゃないかな
というのは言い過ぎかな
将棋もサッカーも「原則(ルール)」の上に成り立つのだよな
人生にひとつのルールを見いだしたのならはっきり「原則化」して欲しいな
これじゃオヤジの雑談にすぎない気がするな
という意見を書き込んでみるTest
なんらかの関係性を持っているモノ同士は普遍的に『原則的』になる。 と1のように回りくどく言ってみる。
532 :
考える名無しさん :03/08/16 01:44
嘘つけ! 世界では圧倒的に「例外的」なことのほうが多いですぜ。
物理学と哲学ってのは非常に親和性があるな。 新たな発見だ。 おそらく1なら532に対して 『その例外も原則の一部です。』と言うだろう。
結局『原則』の適用範囲をどのように設定するかだな。
535 :
考える名無しさん :03/08/16 01:56
そもそも原則って何よ? 誰が決めたのって感じだな
536 :
考える名無しさん :03/08/16 01:59
はっきり言えば、
>>1 のレスをほぼ予測できるほど彼は「原則的」
なわけですね。
まあいいけど、
そんな発見をなんに使うのか、と。
結局自己満足と社会を「原則的に」見渡してるだけかと。
そう僕は言いたい
『原則』は世界中(宇宙も?)どこでも適用可能。 さらに時間・空間に縛られない。もちろん対象にも。 つまり普遍性を持っているモノだ。 で、こんなこと言うと普通『こいつ基地害じゃねー?』って思われるから1は気をつけるようにw ただ、『原則』は有史以前も有史以後も厳然と存在してきたことは確か。 そして、『原則』は過去にも現在にも未来にも『絶対的に』存在していたし、その存在が消滅することは無い。
>>536 >まあいいけど、
>そんな発見をなんに使うのか、と。
結局自己満足と社会を「原則的に」見渡してるだけかと。
正直言えばそうなんだ。
『原則』を理解しても理解していなくても世界は『原則的』になるんだから『原則理解』などホントはどうでもいい。
ただ、『原則』が広まれば広まるほど加速度的に世界は『原則的』になっていくだろう。
そして、理解していれば世界を『原則的』に見渡せる。ただそれだけ。
539 :
考える名無しさん :03/08/16 02:12
>>522 シンクロニシティも『原則』の大きな枠の一部。
ていうか早いな理解するの、、、、 コツがあるのか?
542 :
考える名無しさん :03/08/16 02:21
最強の理屈のための「言葉」を見つけた! ってことでしょ? ぶっちゃけ
>>541 1が上の方で紹介してる本を読んでみればいいかと。
>>542 理屈じゃなくて『原則的になっちゃう』という感じ
545 :
考える名無しさん :03/08/16 02:25
『原則』を説明するとなぜか回りくどくなってしまう。。 1の辛さが分かった。
>>543 分かった。読んでみる。
まだ聞きたいんだけど、一言で表すならとういう?やっぱり自然の摂理か?
>>547 その返事は1に任せた。
まだ俺は『原則』を認識できたばっかで深く考えてないから言葉にできん。
上で『原則』は実生活で役に立たないような書き込みをしたが、ちょっと考えると
いろいろ応用できそうだ。
『原則』はかなりスゴイ発見かもしれないと思い直してきた。
寝ます。
549 :
考える名無しさん :03/08/16 02:44
そうか、、お休み
>>1 夜『原則』について考えて疑問が出た。
もしかして『原則』を理解し、それに従順に従うようにすると世界・社会などの大きな範囲だけじゃなく、
一個人のレベルでも加速度的に『原則的』になるのかな?
もしそうだとするとスゴイ発見かもしれない。。。
あと自然の摂理と原則の違いが分からないんだけど。。。
>523
とりあえず疑問点はなくなったみたいですね。
>
>>1 >>そもそも、その人の認知の仕方では「それ」を認知させることができないのです。
>>このことは分かっていると良いと思います。
>
>理性的な刺激をあたえるまでの感情表現でしょうか?
いえ・・・深く考えなくていいです。
まあ私の言いたかったことは、その人には理解させられないかもしれないということです。
また何かあれば聞いてください。
>524
「なれ合い」もまあいいでしょう。w
>530 >将棋もサッカーも「原則(ルール)」の上に成り立つのだよな >人生にひとつのルールを見いだしたのならはっきり「原則化」して欲しいな >これじゃオヤジの雑談にすぎない気がするな > >という意見を書き込んでみるTest ご意見ありがとです。 ひとまず原則化してあるのは、>491-493 こんな感じです。 原則的というのはマニュアル的対応ではないので原則化するのが難しいのです。 ケースバイケースをどうやって「原則化」すればいいのだろう。 試みようとは思いますが、できるかどうかは未定なところです。
>532 >嘘つけ! >世界では圧倒的に「例外的」なことのほうが多いですぜ。 >533 >おそらく1なら532に対して >『その例外も原則の一部です。』と言うだろう。 確かに。 では、もう少し説明してみたいと思います。 その「例外的」なものであってもそれなりの理由があって「例外的」なものとなる。 反例はないのだ(あれば教えてもらいたい)。 経験則によってのみに判断する人間は、 「例外」が起こった時には過ちを犯してしまうものである。 原則によって判断をするというのは、あらゆるものを総合して判断するのである。 「例外」が起こる前兆を知ることもある。 そのような時は、原則に則っていた者の一人勝ちとなるのだ。
>528
>この人
>>1 は「原則」っていう言葉の再発見に
>酔いしれているのかな!
>542
>最強の理屈のための「言葉」を見つけた!
>ってことでしょ?
>ぶっちゃけ
だ〜か〜ら〜、「原則」というのは言葉じゃないんですって!w
ただそれを「原則」と名付けて、そう呼んでいるだけなのですよ。
「原則」というのはこの世の中を生み出している根元とも言えるものなのです。
この世界を、その「原則」からの観点で眺めることができるのですよ。
物の見方を変えられない限りは「原則」を知ることはできないのです。
(または、「原則」が分かった瞬間に見方が変わるものなのです)
あなた達はまだ「原則」を知らないのです。
「原則」を発見してはいないのですよ。
>535
>そもそも原則って何よ?
>誰が決めたのって感じだな
そういうわけで、「原則」というのは誰かが決めたわけでもないのです。
人類が生まれる前から存在しているものなのですよ。
>539
>君の言う原則(ルール)とは何か記せ。
>>1 私の言う原則(ルール)とは、この世の中に存在している「それ」のことです。
>551 >もしかして『原則』を理解し、それに従順に従うようにすると世界・社会などの大きな範囲だけじゃなく、 >一個人のレベルでも加速度的に『原則的』になるのかな? > >もしそうだとするとスゴイ発見かもしれない。。。 うむ。その通りだと思われる。 おそらく509さんは、原則的な見方ができるようになったのだと思う。 そのまま行けば時間の問題で、さらに原則的なものについての理解が深まるものと思う。 それと、「人が『原則的』になる」という表現よりは、 「この世の中の仕組み(原則)をさらに個人が理解し始める」という表現が正しいだろう。 原則が分かっていなければ、原則に則っていくことはできないが、 どんなに原則を分かっていても、原則に反する行動を取ることは容易なのだ。 人が『原則的』になるのではなく、人が『原則』の理解を深めるのである。 理解が深まれば自由度も増すのだ。 また、「原則」を発見できた時点で、その瞬間に「原則」を会得したわけではない。 ただ「原則」に気が付いただけなのである。 「原則」が発見できていれば、それを基準とした見方ができるので、 時間が経てば経つほど、原則的な性質の理解が自ずと深まるのである。 そしてそれ以上「原則」を理解をする必要がなくなった時を、便宜的に「会得する」と言っている。 おそらく未来の世界では、「原則」を会得している人間がごまんといるだろう。 様々なものが生み出され始めているに違いない。 今の世界と比べてみれば、おそらくとんでもない世界となることだろう。 高校の数学や物理などと言うのは、お手玉と同等のように生徒はこなすのである。 しかしその世界にいても焦って何かをする必要はない。 より多くの時間を楽しくマターリできる世界となるのだ。w
>547 >まだ聞きたいんだけど、一言で表すならとういう?やっぱり自然の摂理か? >552 >あと自然の摂理と原則の違いが分からないんだけど。。。 細かく言えば、「自然の摂理」と「原則」とは同じ概念ではない。 本当のことを言えば、自然の摂理などはどうでも良いわけだが、 一般的に説明するとき、自然の摂理といえばそれなりに分かるが、 「原則」と言ってもわからないだろうと考えたので「自然の摂理」という言葉を使ったにすぎない。 「原則」というものは、この世の中の「核」になるものである。 イメージ的には玉っころだ。 それがあらゆる因果や法則を生み出しているのである。 (実際には姿形はなく、「玉っころ」として存在しているわけでもない。 しかし、それらの様々な性質を踏まえると「玉」のようなイメージになるのである。) 「自然の摂理」というのは、それら全体の総称のことである。 つまり、「原則」があることによって「自然の摂理」が生まれるのである。 「原則」については認識できるものであるが、 「自然の摂理」については便宜的な表現であり、言葉に過ぎないとも言えるだろう。
560 :
考える名無しさん :03/08/16 19:03
561 :
考える名無しさん :03/08/16 19:06
それ=対象=原則=それ 正にタマだなw堂々巡り。
今日は図書館で『映像の原則』を読んできた。 やはり『原則』はある。確実に。 更に俺は『原則』をうまく利用する方法を考えついた。 ちょっと試してくる。
563 :
考える名無しさん :03/08/16 19:28
>1 なぜ素直になれないのでしょう?
>560
>
>>1 「それ」って 何?
>561
>
>それ=対象=原則=それ
>
>正にタマだなw堂々巡り。
私が答えるまでもなかったようですね。
>564
>>1 なぜ素直になれないのでしょう?
あなたは何をどう見てそう感じたのでしょう。
ここで論じていることは、「原則」はあるのかどうか?なのです。
それを主眼にして考える必要があります。
あぼーん
>1 原則はない。 エクレイデスのもとで幾何学を学びはじめた1門人の話である。 その門人が1命題を学んだ時に訊ねた。 「こんなことを勉強して、いったいどんな利益があるのでしょうか」 するとエウクレイデスは、奴隷をよんでいった。 「あの男に3ぺんすおやり、あの男は勉強したからにはどうしても お金がほしいのだから」 と
『原則』に はまってます。 理由は分からないけどどこにでもある。 秩序? 理由がわからない。。
>>1 もう2,3冊参考文献紹介してー
『原則』そのものじゃなくて『原則が存在する理由』が示唆されている文献を。
おそらく『原則理解』には上記3冊で十分だと思う。
こんなにも普遍的なものがこんなにも身近に隠れているとはね。。。
21歳にして認識できたのは人生においてものすごく有益だと確信する。
thanx
>>562 (´-`).。oO(何をしたんだろう?)
>568 なるほど。 そういうものを知ろうとしたところで無益だと言うことですね。 しかし「ない」と言うのは簡単だ。 また別に「ある」という意見もある。 これについても考える必要があることは言うまでもないだろう。 それだけでは議論が終わったことにはならない。 科学というのは仮定するところから始まる。 否定していても何も始まらないことは確かである。 他の人の意見も求めたいところである。
>569,570 >『原則』に はまってます。 >理由は分からないけどどこにでもある。秩序? >理由がわからない。。 > >もう2,3冊参考文献紹介してー >『原則』そのものじゃなくて『原則が存在する理由』が示唆されている文献を。 なるほど。 しかし残念ながら『原則が存在する理由』を説いているものは見かけたことがない。 そもそも「原則」の存在を意識している人自体が稀である。 「原則」があれば、それは原則なので当たり前であるとの見方が常である。 しかし私にはそのような疑問はない。 そのような疑問があるのは考えが足りないからであると思う。 まず、何を持って「原則」と捉えているかを明確にしていけば自ずと分かる可能性もあるだろう。 ヒントを言えば、 「原則というのはどこにでもある。」という発想は、本当は正しくない。 「人類は原則という舞台に乗っかっていただけ。」という発想が正しい(原則的)。 また、そうであるとすれば「原則」がどこにでも存在していても納得がいく。 「原則」はたまたま発見できたものではなく、初めから存在していたものなのである。 そしてそれは、あるがままの全ての仕組みでもある。矛盾のない因果があって当然なのである。 これまでの人間の視点のまま「原則」を見ているのであれば、 「原則」が普遍的に存在している理由は見えてこない。 また、「原則」を極めていけば(身に付いてくると)「原則」は存在していないように思えてくる。 おそらくその視点が「原則」と一体化してくるからであろう。と、私は思う。
>570 >おそらく『原則理解』には上記3冊で十分だと思う。 > >こんなにも普遍的なものがこんなにも身近に隠れているとはね。。。 >21歳にして認識できたのは人生においてものすごく有益だと確信する。 >thanx うむ。 これまでやってきた甲斐があったというものだ。 しかし「原則」を認識できた人がいたことには正直驚いた感はある。 私自身の体験だけでは格別な確信を持てたわけではなかったからだ。 しかし、原則的に見れば思惑通りであったことも確かではある。 おそらく普通に人は「原則」を認識できるようになるのだろう。 しかしそのためには、 それなりの「下地」と、発見する「きっかけ」が必要になると思われる。 そして本人の「意志」は不可欠である。 509さんの場合には、たまたま私がその「きっかけ」になったのだろう。 また、「原則」を目指しているのであれば、 必然的にそれは手にすることができるものだと思われる。 「下地」がなければ、その3冊を読んだところで「原則」を理解できることはない。 小さい子供がそれを読んだところで「原則」をつかめるとは思えないからだ。 しかし、その概念を知ることはあるだろう。
>1 >そういうものを知ろうとしたところで無益だと言うことですね。 >しかし「ない」と言うのは簡単だ。 >また別に「ある」という意見もある。 もちろん、あります。なぜなら、あなたが創っているから。 しかし、もっと深く解ってもらえるとうれしかったです。 >これについても考える必要があることは言うまでもないだろう。 これの何についてかんがえるのですか? >それだけでは議論が終わったことにはならない。 今は。 >科学というのは仮定するところから始まる。 ですから、理解できていないことってありますか。とお尋ねしたんですが。 なぜ仮定するのですか? >否定していても何も始まらないことは確かである。 本当に確かですか?
>575 あなたは568さんですか? >もちろん、あります。なぜなら、あなたが創っているから。 間違いをなされているみたいですが、 「原則」は私個人が創ったものではありません。 私が創ったとあなたが言うのであれば、話を進めることはできません。 ここで論じているのは、世の中にそれがあるのかどうか?なのです。 さすがに「原則」を創って、それを「発見」と言うことはありませんよ。 それに、創った「原則」が世の中に出回ることはあり得ません。 そのようなことは多くの人が分かっていることだと思います。 私は、すでにあるものに気が付いたので「発見」と言ったのです。
577 :
考える名無しさん :03/08/18 19:48
カツオです。 この間中島と、おやじ狩りに行きました。変なたらこ唇から十二万円取りました。 そしたら昨日マスオ兄さんが、「あなご君が恐喝されたらしいんだ」と、言っていました。 さて、次回は、 「続・波平アルツハイマー」 「マスオ勃たなくなる」 「フネ生理上がる」 の、三本です。 来週も見て下さいね。
うむ。 このスレに対する発言と、私の理解から、ここらで「原則」の確立を宣言しておく。 もちろん、「それ」についてはあくまで仮定である。「ある」と証明されたわけではない。 私自身は、無ければ無いで良い。あればあったで良いのだ。 私はその答えを知っているというわけではない。 ただ、あっても良いだろうとは思っている。少なくとも反例は見つかっていない。 また、あった場合についての「原則」に関するものは、すでに説明したつもりだ。 私自身は、今後の様子によってその答えが少しでも明らかになるのではないかと考えているところである。 最後にもう一度言うが、私と「原則」とは関係のないものである。 つまりそれを提唱するのは私でなくとも良かったということだ。 もう一つ言えば、これらの説明によって何かを掴んだ人がいたとしよう。 その人は私から教えてもらったのではないのだ。 その人に眠っていた原則的要素が掘り起こされただけなのである。 よって、それらの情報を持たない人間がこれらの文章を読んでも素通りしてしまうだけなのだ。 その人に根付いた感情に引っかかった場合や、十分な情報を持つ人間だけが何らかの反応を示す。 また、原則を知ろうとする者にとっては、何かしら得るものもあるだろう。 それと、特に副作用を起こす場合は、無視してもらえるとありがたい。
最後に個人的な感想としては、「原則」には正直関わりたくなかった感もある。早く忘れてしまいたい。
(矛盾しているようだが、本音を言えばwebサイトを作ることもなく世に広まることを願ってはいる。
だれかが「作る必要はないだろう」と、それらしいことを言ってくれれば作らないかもしれない。)
しかしそれを伝えざるにはいられなかったのだ。
おそらくそれが私にとっての原則であったのだろう。
もちろん、それが誰かの何らかのきっかけになったのであれば、それ以上の喜びはない。
一人でも多くの人の幸福を心の底から願っている。
というわけで、あとは勝手に広まることを願っている(マジで)。
どなたかよろしければ、他板のスレか別の世界にでも、宣伝をお願いします。(^^;
人生最大の発見
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1044789777/ 2003年8月19日、1@哲学版:人生最大の発見 ここに記す(ダサいかな?w)
(´-`).。oO(でもまた現れるような・・・dat落ちしたら困るもんなぁ)
『原則』の応用マジですごいことになりそうです。 結果がある程度出てまだこのスレが残ってたら報告するかも。。。 『原則』は未知の可能性に溢れている。
おう、やっと「七つの習慣」読み終わった来てみたら、熱い議論があったあと、完結してるし(w 「七つの習慣」には、原則とは何か?という定義は確かになかったよ。 ただ、WINWINを考える・感情移入の傾聴など、自分にとってまったく目新しく、かつ、役立つことがいくつかあった。 つまり、「人生最大」級ではないが「発見」は多かった、漏れにとっては。 閑話休題。 1の「原則はある」という主張と近い(と思われる)ことを言ってる人を思い出したので、その著書から引用してみる。 「世の中には、世の中をつくり、動かしている大きな原理・原則がある。 この原理・原則こそが天地自然の理だということを、我々は知っている。 この世の中は、おそらく単純な原理・原則によってできあがり、運営されているのだろう。 だが、我々は天地自然の理のほんの一端しか知らない。 いろいろなことを知っているようでいて、実は世の存在の原理、運営の原則の何万分の一も知らないのではなかろうか。 しかし、知らなくても世の中は確実に動いている。その動きの中に原理・原則がある。 この原理・原則に合ったことを実行していれいば、どうやら「つき」がめぐってきて成功するが、 それに反することを行っていれば、「つき」は逃げ、売り上げも利益も下がっていかざるをえない…」 ●船井幸雄「図解 即時業績向上法―「つき」を呼ぶ船井流原則経営のすすめ」より 親本は1989年出版。船井の著書としては初期のもの。 ま、その後は加速度的にトンデモ志向になっていき、読めた本がないわけだが…。 (゜Д゜)ハッ!? ということは、1も今後は…。 (((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル
583 :
考える名無しさん :03/08/19 09:17
>>582 1さんの原則ってのはソレでいいんですかね??
ソレだったら、「だから何?」って感じなんですが、、
ふふふ、早速現れました。1です。 >582 >「七つの習慣」には、原則とは何か?という定義は確かになかったよ。 >ただ、WINWINを考える・感情移入の傾聴など、 >自分にとってまったく目新しく、かつ、役立つことがいくつかあった。 >つまり、「人生最大」級ではないが「発見」は多かった、漏れにとっては。 原則があるとするならこうなるだろう。 501さんは人生において、まだ「発見」の量が足りないようですね。 「原則」というのは人生において、最後に到達するものであり、 それはまた最後に「発見」するものなのです。 他に「発見」することが多くあるうちは「原則」にはまだ遠いのかもしれません。 「原則」とはそういうものなのです。 また、そういうものがあるのかどうか?ということなのです。 >親本は1989年出版。船井の著書としては初期のもの。 >ま、その後は加速度的にトンデモ志向になっていき、読めた本がないわけだが…。 > >(゜Д゜)ハッ!? ということは、1も今後は…。 >(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル 彼の著書については私もいくらか拝見しています。 そのように「原則はあるだろう」と、ただ思っているうちは、認識はできていないのだと思います。 何故なら、認識できていれば疑いのない真実であると確信することになるだろうからです。 もっともそのことが「ある」ことの証明になるわけではありませんが。 ちなみに、私の言い分はすでに言い尽くしたところです。主張は>1 の通りです。 あとは何か質問等あれば答えてみようと思っている程度ではあります。 トンデモ志向になることはないだろうと思います。
>人生最大の発見は「原則」である。 >個人のみならず、人類にとっても最大の発見であるだろう。 >あと何十年もすれば、一般的にも認知されているのではないかと思う。 >ひとまずここにスレを立ててみようと思う。 せっかく、ここまでお書き頂いたので、無駄にすることは無いと思う。 もっと、綺麗にまとめませんか?
>>461 >どうやら完全に「理解力の軸」に則っている。という訳ではなさそうですね。(^^;
ああ、、、やっぱり(?)、、、難しいですね。理解力の軸か、、、、
>モチベーションがあがらないのは、おそらく「理解力の軸」が見えていないからだと思います。
>一本道の王道はあっても、近道は無いのです。
>その王道に沿って進んでいけば、それを感じることはできると思います。
王道ですか、、、逆を言えば沿ってない事が事が分かったッてことですね。なるほど。
>すでにそこから得られるものはあまり無くなっているのかもしれませんね。
>「原則へ向かう王道」を見つけるのが本当は手っ取り早いのですが、
>それが難しいなら、他に成長できる「何か」を見つけるのも手だと思います。
実を言うと最初のころはすぐにレベルアップが感じられてスゲーとか思ってたんですが
後になるとだんだんこれでレベルあがってるのか?大丈夫なのか?って言う
不安がありました。
>>586 のレスは241です
続き
>>453 のレスは軽率でしたね。すみません。
方法自体が単調作業と言うのも原因の一つかもしれません。まあ微妙なんですが。
>それが難しいなら、他に成長できる「何か」を見つけるのも手だと思います。
とりあえずもう一度同じ方法でチャレンジし直してみます。(効率悪いかも知れないですが)
方法に始めて出会った(?)時の気持ちになって一からやり直してみます
>ひとまず具体的にはアドバイスをしていませんが。
いえ、勉強になります。
>>488 >まだ作ってはいないっす。(^^;
作ってないのかよ!w
なるほど。これも原則ですか、、、つまり原則は星みたいな感覚ですか?
近づけば近づくほどよりその方向に引っ張られる力が強くなっていく、、、、
(加速度的に原則的になる?)
より大きな星ほど影響する範囲も広い。
(あらゆる事象に影響する?)
なんとなくであれなんですが、、、w
>>520 >なるほどね。
>原則は分かったよ
理解早!!w
なるほど。つまり509さんは
>>509 の時点で既に原則の回路生成一歩手前まで
きてたわけですね。で
>>515 のレスを読んで回路生成にいたったと、、、
うーん羨ましい。
>>562 (´-`).。oO(何をしたんだろう?)
>>579 ひとまずオツカレ様です。
また疑問があったらカキコするんでそのときはよろしくお願いします。
今もう一度このスレを1から読んでいる。 俺なりに『原則』について説明して見る。 俺は以前『原則』を探して思想書をいろいろ読んでいたが、最もはっきりと『原則』を記述していたのは 『老子』だった。 老子の『道(タオ)』というのは原則そのもの。 数千年前から原則を理解していた人間はいたようである。 いままで老子のいってることが理解できなかったが、今はスポンジのように言っている事が理解できる。 老子を読んでみるとなんとなく原則が分かるかとおもう。 (なぜか原則の説明は回りくどくなるなー) 原則は意志を持った水? >>1 理解は出来るが明確な説明ができない。 よく『他人にわかりやすく説明できなければ本当に理解できていない』というが、1はこれだけ説明してきて 他人に理解してもらえない現実を見て自分の原則理解に疑問を持たない?
590 :
考える名無しさん :03/08/21 21:18
んー… 「原則を理解し、それにしたがって生きている人間も時には理解していない人間に 負けてしまうこともある。そしてそれは原則的に説明できる」 という主旨の話を1さんは何度かしたように記憶しているんですが、 とにもかくにも「原則を認識したほうが何かと良い」ということを主張していらっしゃるんだから、 布教?するにあたっては、やはり原則を理解していらっしゃる1さんが、 とりわけ普通人よりも原則を理解しているがために優れているという 具体的な点を紹介した方がいいのではないですか?勿論なんでもかまいません。 高校数学や物理がお手玉になるとかなんとか言ってらっしゃったし(私は理系の受験生なんですが) 人間関係が云々も言ってましたっけ?(うろ覚え) 将棋や囲碁、スポーツ全般なんでも。 …っていうか、食べ物に絶対困らないということはたぶん1さんにとっても重要なことだと思うのでお聞きしますが、 1さんはお金持ちですか?当然、ですよね? そうそう、「布教」のように原則があるのだということを説得したいわけじゃないとは言っても、 とりあえずその存在がほぼ確からしいものだと皆さんに思わせることは無意味ではないでしょうしね。
まとめることに関してですが、 どういう人を対象にまとめるかを考える必要はありそうです。 まず言えることは、「原則」がそれなりに分かっている人には 「原則がある」という一言意外にはいらないことは確かだと思います。 簡潔にまとめようとすれば、簡潔になりすぎてしまうし、 人によっては、どういうものをまとめると分かり易いのかが異なるので難しい。 少なくとも、このスレに書いてあることで、 概ね全体的に必要最低限のことは書いてあると思います (他にも小技は多くあると思いますが、原則が分かっていれば知らずとも応用できるものばかりだろう)。 本当のことを言えば、これらを噛み砕いて、その血肉にできてしまった人にとっては、 これらをまとめた原則論とやらは、すでに無用の長物であるとも言えるのです。 しかし、そういうものを作ること自体が、それなりに価値のあることでもあることは確かである。 また、もう一つの方向性であるが、 「原則」という概念を伝えることに重きを置くか、 それとも重要な事実を伝えることに重きを置くか、である。 基本的にこのスレでは、「重要な事実を伝える」ことにいくらか傾かせて書き込んできたものである。 いったん「原則」という概念を知った人を対象にするのであれば、 「原則」という概念を伝えることに重きを置く必要はないと言える。 ・・・という独り言であったが、 できるだけ一般的な人を想定し、その人に対して「重要な事実を伝える」ことに重きを置く。 というまとめ方をしてみようと思う。 それでも細かい点やバランスの取り方などはいろいろあるわけだが、 作っている途中や、作り終わってからの意見などを取り入れて、さらに改良して行こうかと思っている。 現時点においては、実際にどうまとまるかは未定である。
>587 >>それが難しいなら、他に成長できる「何か」を見つけるのも手だと思います。 > >とりあえずもう一度同じ方法でチャレンジし直してみます。(効率悪いかも知れないですが) >方法に始めて出会った(?)時の気持ちになって一からやり直してみます それがいいかもしれませんね。 いろいろと試行錯誤しながらやってみると良いと思いますよ。 それと、お節介で当たり前なアドバイスかもしれませんが、 最終的には常に自分の判断で動くことが大事です。 人から「こういうのがオススメだよ!」と言われても、 それが自分にとって良いのかどうかは別問題であることは良くあることです。 人の意見を鵜呑みにすることは、原則に反している行動なのです。
>588 >>まだ作ってはいないっす。(^^; >作ってないのかよ!w とりあえず、作ってみました。 これから内容を増やして行くつもりです(すでに上で書いたことですが)。 >なるほど。これも原則ですか、、、つまり原則は星みたいな感覚ですか? >近づけば近づくほどよりその方向に引っ張られる力が強くなっていく、、、、 >(加速度的に原則的になる?) >より大きな星ほど影響する範囲も広い。 >(あらゆる事象に影響する?) >なんとなくであれなんですが、、、w そういうイメージも、「原則」の性質の一部としてある。 というのが答え(原則的ということ)であって、それだけが「原則」の性質全てであることはない。 仮にも「原則」がどういう感覚で捉えることができるのかと言うと、 例えば、宇宙に数々の星々があるとする。そしてそれらが一つの「銀河」を作っている。 また、それとは別の系として、様々な星から成り立つ「銀河」が存在しているとする。 その二つの「銀河」の振る舞いというのは、 その二つの「銀河」の重心というものを考えると、あたかもその重心が二つの星であるかのように振る舞う。 ここで考えた「銀河」の重心についてであるが、 そこには星は存在していない「無」の領域なのである(たまたま星が存在している場合もあるが)。 しかしその重心をあたかも存在してあるかのように人間の感覚としては捉えることができるのだ。 実はこのように、本来存在していないものをそこに置いて考えることで、 有利になる状況というのは、しばしばあることなのである。 また、「原則」をつかめた感覚というのは、そのような感覚であることもある。
>>520 >>579 ひとまずオツカレ様です。
また疑問があったらカキコするんでそのときはよろしくお願いします。
どうもです。
遠慮無く質問してください。
>589 >今もう一度このスレを1から読んでいる。 >俺なりに『原則』について説明して見る。 > >俺は以前『原則』を探して思想書をいろいろ読んでいたが、最もはっきりと『原則』を記述していたのは >『老子』だった。 >老子の『道(タオ)』というのは原則そのもの。 >数千年前から原則を理解していた人間はいたようである。 > >いままで老子のいってることが理解できなかったが、今はスポンジのように言っている事が理解できる。 >老子を読んでみるとなんとなく原則が分かるかとおもう。 > >(なぜか原則の説明は回りくどくなるなー) > >原則は意志を持った水? > >>>1 > >理解は出来るが明確な説明ができない。 >よく『他人にわかりやすく説明できなければ本当に理解できていない』というが、1はこれだけ説明してきて >他人に理解してもらえない現実を見て自分の原則理解に疑問を持たない? そのはてなマーク「?」は、私に対しての質問なのでしょうか。 または、私に「疑問を持て」とのことなのでしょうか。(おそらく後者なのでしょうが) 答えさせてもらえば、疑問については皆無ですね。 そのようなことを発言できる509さんは、まだ「原則」が良く分かっていないのでしょう。 自分なりに説明してみるとのことですが、 >589 で509さん自身の言葉で「原則」を説明しているのは、 最後の「原則は意志を持った水?」というところからしか、説明されているようには思えません。 私の説明の方が、「原則は意志を持った水」という説明よりかは分かりやすいと思います。
ところで一般的なことで言いたいことですが、 「原則を理解する。」という表現は紛らわしいので注意です。 まず「原則」があると仮定してあることを前提にしていますが、 ・「原則」が全く分かっていない人(概念も知らず、認識もできていない) ・「原則」という概念を知っている人 ・「原則」を認識している人 (私的には、「認識しているが概念を知らない人」という項目も付け加えたいところです。) というように人を分類できると思います。もちろん、 「原則」を認識した上で、どの程度深く世の中に対しての見識を持っているか? 「原則」を認識していない場合でも、どの程度原則的な要素を持っているか? ということも考えられると思います。 ここでは上のことについて考えますが、 ・概念を知っているかどうか? ・認識しているかどうか? それが初めのカギであるのです。 「理解する」と言った場合、 定義をしてしまえば別ですが、 「概念を分かった人」を「理解した人」と言うのか? 「認識できた人」を「理解した人」と言うのか? という意味では曖昧なのです。 ところで老子についてですが、 確かに相当「原則」に近いところにいたことは確からしいと思われる。 しかし老子については微妙なところが多いのです。 残された書物というのは、老子が書き残した五千字程度の原文に後から多くの人が付け加え、 一人の手(?)によって新たにまとめられたのが、よく知られているその書物なのです。 「発見だ!」と断言できるところまでは行っていなかったのだと思います。
>590 >んー… >「原則を理解し、それにしたがって生きている人間も時には理解していない人間に >負けてしまうこともある。そしてそれは原則的に説明できる」 >という主旨の話を1さんは何度かしたように記憶しているんですが、 >とにもかくにも「原則を認識したほうが何かと良い」ということを主張していらっしゃるんだから、 私は「原則は認識したほうが良い」とは一言も言っていません。 認識するしないを決めるのは、その人の原則によって決めるべきことなのです。 すでに述べたことですが、原則的な道が「原則を認識するための道」になるとは限りません。 しかし、そういうものがある可能性はある。 ということを知っていても良いと思っているのは確かです。
>590 >布教?するにあたっては、やはり原則を理解していらっしゃる1さんが、 >とりわけ普通人よりも原則を理解しているがために優れているという >具体的な点を紹介した方がいいのではないですか?勿論なんでもかまいません。 >高校数学や物理がお手玉になるとかなんとか言ってらっしゃったし(私は理系の受験生なんですが) >人間関係が云々も言ってましたっけ?(うろ覚え) >将棋や囲碁、スポーツ全般なんでも。 まあ、その必要は特にはないですが、 どんなものにも「原則」が役立つことは確かですね。 ちなみにその件で言うところの数学と物理に関してですが、 私の場合は、大学受験程度の問題でしたら、大体見た瞬間に問題の方針は立ちますね。 解答までの流れを掴むことはできます。 もちろん1割程度は特異な問題が入試にはあるかもしれませんが、 国立大の入試くらいであれば、特に難しい問題はありません (最近の東大の問題に関してはよく分かりませんが、東大以外は特異なものは少ない)。 受験時代は図書館にある全国大学問題集(?)を眺めて娯楽にしていました。 方針を立ててすぐに解答を見る。それの繰り返しで読み終わらせるのです。 勉強は全て独学で、授業は全く必要なかったですね。
しかしその程度のことは、あるところへ行けばできて当たり前なのです。 私がすごいというわけでは全くありません。 「原則」が分かっていれば、そのくらいのことをできる人が増えてくることは明らかだと思います。 常に未知なものへと飛び込まなくてはならない現場というのは意外と多いのです。 技術者、研究者を目指すのであれば、受験というのはお遊び程度と思っていても間違いではないと思います。 ついでに助言ですが、 大学からと言うのは、基本的に詰め込み教育です(ほんとは違うところに意味があるのですが)。 教科書は難しく書かれているだけで、噛み砕けば単純なことばかりです。 多くの人はその難解なものに多くの時間が取られているのが現状です。 また、本来の目的を考えることは学問をすること以上に大切なことです。 現状では、学問のために学問をする人が多いと言えると思います。 原則というものが広まれば、 学問の単純さと、その十分なまでの魅力を知る人が増えるのではないかと正直思います。 今までで言うところの頭が良くなくても、数学や物理はできるようになるのです。 (数学・物理とそれを挙げるのは、特にそれらは原則的な思考を必要とされるからです。) 世の中にでると、数学ができるときに必要とされる能力はそれなりに役に立ちます。 また、原則的な枠組みをつかめる能力も重要です。 それは、「数学ができる」ということを一回り大きくした程度の能力です。 「原則」も「数学」も演繹的な要素が多いという意味では類似しているとも言えるかもしれません。 とにかく難しいことは皆無なのです。 全てが積み重ねであり、その「答え」を現在自分は分かっていないだけなのです。 受験としては、数学も物理も覚えることは少なくて済みます。 原則に対する理解の多い人には、 できればさっさとそれらの勉強にはキリをつけ、時間のかかる教科に取り組むことをオススメします。 (まあ、場合によっても違いますが。)
>590 >…っていうか、食べ物に絶対困らないということは >たぶん1さんにとっても重要なことだと思うのでお聞きしますが、 >1さんはお金持ちですか?当然、ですよね? 「原則的であれば、食べ物に絶対困らない。」とは言ってませんよ。 しかし原則的であれば、そのような状況になりかけた場合でも、 何とかその状態は回避するようにするでしょうね。 飢え死にすることはないだろうと思います。 もちろん、あきらめた時点では原則に反していることになります。 また、社会が原則的に動き出せば、 基本的に飢え死にすることは、それこそなくなると思います。 今の社会は、まだそのようにはなっていないと思います。 ところで私は特別お金持ちというわけではありませんよ。 将来お金持ちになることはあり得ても、 原則的であった人が全てお金持ちになるとは限りません。 原則が分かっている人にとっては、 お金以上に大事なものがあることを知っているのです。 それについてはすでに書いた通りだと思いますが。
まぁ、俺も確信してるが自分がこれだけ書いても理解されないことに1がどう思ってるのか知りたかっただけ。 老子の書はそう言われてるが書いてあることは原則そのもの。 誰が書いたか知らんが書いた奴は原則を理解してたんだろう。 1の説明は例えが多すぎてかえって理解しづらいと感じる人間がほとんどだろうな(俺もそうだった) 1は原則についての様々な説明を抽象化、一般化すればいいじゃん。 俺はもう完了済み。(加速度的に理解度が高まっている) 今はその抽象モデルで過去、現在、未来の原則を当てはめている。 過去の人物でも原則に気づいてる人間は沢山いた。 しかし、それを抽象化、一般化しなかった。 ただ、原則に気づいた人物は分野ごとに当時のトップレベルだということ。 『意志を持った』ってのがおかしいな。 原則を例えるなら単に『水みたいなもの』の方がいい。 ただ、水だと原則の一側面しか注目していないから混乱するかも。 原則は少なくとも水の性質を備えていると言った方がいいか。 『意志を持った』ってのは原則のもう一方の側面も説明しようと思って入れたが失敗。
>602 >まぁ、俺も確信してるが自分がこれだけ書いても理解されないことに1がどう思ってるのか知りたかっただけ。 そうでしたか。 509さんも分かると思いますが、 「原則」を伝えようと思っても、それはひどく難しい場合もあることは分かると思います。 このスレでは、「原則」をただ説明するだけにするつもりはありませんでした。 「原則」を説明したところで、 分からない人には「だから何?」で終わってしまうのですよ。 そういうわけで、原則はさておき、使えそうな話を取り入れて説明してきたのです。 >1の説明は例えが多すぎてかえって理解しづらいと感じる人間がほとんどだろうな(俺もそうだった) >1は原則についての様々な説明を抽象化、一般化すればいいじゃん。 しかしそれらを言葉で表すことは非常に難しい (また、視覚的に表現できたところで伝わらない人には伝わらない)。 初めはそういう原則的なモデルを説明しようと考えたこともありましたが、それでは難しいと思い、 (仮に表現できたところで、「だから何?当たり前でしょ?」で、終わってしまう) 原則的な世界観を含む、基本的な思考や考え方を説明することによって、原則を伝える方法をとったのです。 結果として良かったのではないかと思います。 また、「原則」自体は「玉っころ」というイメージにした。 そういう一般的な抽象モデルというのは、あくまで「原則」の及ぼす性質の一部であるという見方である。 そして、人間はその観点に立つことができると。
>602 >過去の人物でも原則に気づいてる人間は沢山いた。 >しかし、それを抽象化、一般化しなかった。 それについて一言いえば、 普遍的な「原則」が存在すると考え、それを認識できた人物は皆無だったと思われる。 (おそらく私と509さんとでは、何を「原則」とするかは微妙に違っている) 便宜的に、あるジャンルにおいて、 そのジャンルにおける「原則」とも言えるものに気が付いている人間は多く存在していた。ということである。 また、ある意味様々な分野で「原則的に書き記した書物」というのは、 一般的に、原則的に振る舞う対象についてのモデルを書くことよりも、 それに対する自己のあり方を書いていることの方が多い(そうでなければ役に立たないからである)。 一つ上のレスと同じことを言うが、 このスレでは一般的な原則的抽象モデルを説明することによって「原則」を伝える方針はとっておらず、 「原則」に則った基本的な考え方を書くことによって「原則」を伝える方針をとっている。 >ただ、原則に気づいた人物は分野ごとに当時のトップレベルだということ。 それについては、その通りだろう。
>602 >『意志を持った』ってのがおかしいな。 >原則を例えるなら単に『水みたいなもの』の方がいい。 >ただ、水だと原則の一側面しか注目していないから混乱するかも。 >原則は少なくとも水の性質を備えていると言った方がいいか。 >『意志を持った』ってのは原則のもう一方の側面も説明しようと思って入れたが失敗。 お節介かもしれないが、 客観的に見ると、「水みたいなもの」では分からない。(^^; 「水」という言葉の中に隠れている性質は、万人にとって共通の性質ではないからなのだが。。
>>594 >>>まだ作ってはいないっす。(^^;
>>作ってないのかよ!w
>とりあえず、作ってみました
_| ̄|○ 殴 っ て や っ て く だ さ い
>606 >殴 っ て や っ て く だ さ い \ ベシッ _| ̄|○\ ○ \_|__ | /\
>607 失敗・・・
>(おそらく私と509さんとでは、何を「原則」とするかは微妙に違っている) どの辺?
>609 >>(おそらく私と509さんとでは、何を「原則」とするかは微妙に違っている) > >どの辺? ひとまず答える前に聞いてみたいと思うのだが、 「原則」そのものについて、509さんはどのように捉えているのでしょうか? 宜しければ、お聞かせ願いたい。
611 :
考える名無しさん :03/08/24 22:45
すいません。板違いだとは思ったのですが、書き込みをさせていただきます。 皆さんは自己を肯定する材料を「自分の哲学」と言うのは正しい 事とお思いでしょうか? 自分を肯定するものを自分の哲学と呼んでいい物なのでしょうか? お考えをお聞かせください。
>>611 質問の意図がわかりません。
実例を示して、もう一度問い直してください。
613 :
考える名無しさん :03/08/25 00:09
はい、わかりました。 自分を肯定するってことに「哲学」って言葉を使っていいものなのでしょうか ということなんです。 例えば、「勉強だけではない」と言ってやらないとかってことに「これが 自分の哲学や!」と言っていい物なのでしょうか?ということです。
>>613 言うのは勝手でしょう。
むしろ
>>613 さんの質問の意図は
この浅薄な自己正当化に対して
どのように反論すべきか、というところにあるように
お見受けしますが
それは私には解りかねます。
>598 >>とにもかくにも「原則を認識したほうが何かと良い」ということを主張していらっしゃるんだから、 >私は「原則は認識したほうが良い」とは一言も言っていません。 >認識するしないを決めるのは、その人の原則によって決めるべきことなのです。 >すでに述べたことですが、原則的な道が「原則を認識するための道」になるとは限りません。 なるほど「認識すること」と「概念を知っていること」は全く別なんですね。 では、1さんの言う、「原則的な観点に立つと、これこれこんなことができる」や、 「これから世の中には原則が広まり、それによって良くなっていくことだろう」といった主旨の話は 人々が「原則を認識することによって」ではなく、「その概念を知ることによって」ということでしょうか? つまりは、原則を認識していなくても、原則の概念を知ることによって 原則的な観点に立って物事を行うことは可能なんでしょうか? (勿論、「偶発的に原則に則した行動をとれるのか」という意味ではなく) これらは既に頻繁に触れられていることなんであれば、申し訳ありませんけども。 要するには、 >認識するしないを決めるのは、その人の原則によって決めるべきことなのです。 の意味は、原則を認識するか否かは、その人が知る概念としての原則によって その人の自由意志で決定されるものだから、それについて1さんはとやかく言ってはいない。 ということでしょうか。 であれば、ですよ、 原則に絡めて「世の中が良くなる」や、「〜できるようになる」などのような、 ほぼ誰しもの望むであろう事柄を連発している以上、 1さんは「皆さん、原則という概念は知ったほうが良いものですよ」と言っていることになると思うのですが、 これまた全然違いますかね?
ちなみに、「お金持ちですか?」や「食べ物に困らないのは重要」と私が言った意味は、 原則を認識していらっしゃる1さんでも、時には他の偶発的に原則に従った物事によって 不測の事態に陥ることも往々にして原則的に予想ができるわけですよね? 原則がどんなに分かっていようとも、誰しも、様々な形で「自らの意に反すること」が 起こって欲しくないのは当然ですからね。 であれば、「食べ物」という広く他の活動に支障をきたすような例を、 社会的に重要な意味を持ち、その問題を解決するのに役立つであろうものの例としての「お金」でもって例えた。 ということなんです。 要するに、「そういった備えは当然、万全なんですよね?例えば目に見えるお金とか」 という感じでお聞きしたかった。 勿論、物理数学は楽勝だったというように、お金なら持ってますよと 1さんが答えてしまえばそれで確かめようのないことですけど。 非常にどうでもいいことをつらつらと申し上げてすみませんが、 どうにも伝わった意味が異なっていたようなので。 長々と失礼しました。 では私は引き続き特異な問題など少ない京大へ向け邁進いたします。
↑なんか変な文章になってます。すみません。(いろんな意味で疑われちゃうな) 「であれば」を「それで、私の言いまわしはつまり」って感じに直して読んでください。 あーハズかし。
>611 >すいません。板違いだとは思ったのですが、書き込みをさせていただきます。 このスレに書き込みたいと思えば、スレ違いでも構いませんよ。 自由に発言してください(真実に近づこうという考えがあれば尚良しです)。 すでに回答が得られているかもしれませんが、 せっかくなので私からも一言述べてみることにします。 >皆さんは自己を肯定する材料を「自分の哲学」と言うのは正しい >事とお思いでしょうか? >自分を肯定するものを自分の哲学と呼んでいい物なのでしょうか? >お考えをお聞かせください。 > >613 >自分を肯定するってことに「哲学」って言葉を使っていいものなのでしょうか >ということなんです。 >例えば、「勉強だけではない」と言ってやらないとかってことに「これが >自分の哲学や!」と言っていい物なのでしょうか?ということです。 最後の質問に対して、「これが自分の哲学や!」という使い方はあり得ると思います。 また、下の前半の質問に対してですが、 >自分を肯定するものを自分の哲学と呼んでいい物なのでしょうか? このスレで言うところの「哲学」というもので考えるとすれば、その質問自体が正確には正しくありません。 「哲学」というのは、「その人の考え方の根底になるもの」というものとしています。 つまり、その質問の「自分を肯定するもの」というのは、 「(自分の哲学の上に成り立つ)自分を肯定するもの」というようになるのです。 それが前提であれば、それが「自分の哲学や!」といえるのは、自明とも言えます。
>615 >なるほど「認識すること」と「概念を知っていること」は全く別なんですね。 うむ。その通りです。 >では、1さんの言う、「原則的な観点に立つと、これこれこんなことができる」や、 >「これから世の中には原則が広まり、それによって良くなっていくことだろう」といった主旨の話は >人々が「原則を認識することによって」ではなく、「その概念を知ることによって」ということでしょうか? >つまりは、原則を認識していなくても、原則の概念を知ることによって >原則的な観点に立って物事を行うことは可能なんでしょうか? いい質問ですね。 まず言えることは、「原則」を会得していれば、 必ずあらゆる場合において、原則的に行動(思考)することは可能です。 また、「原則」という概念を知って、それを使おうとする者にとっては、 それなりに「原則」というものが役に立つことはあり得ます。 場合によっては、強力なパワーを(知らずのうちに)得られることもあると思います。 つまり、「原則」をはっきり認識できていない場合にも、利用することは可能であるということです。 もちろん人によっては、「原則」を利用しようと思っても、空回りしてしまうこともあり得ます。 また、認識できていない場合は、「原則」という観点に立つことはできないものと思われます。 しかしその観点に立たなくても、「原則」は利用できるのです。 ついでに「荘子」の教えの中に、『盗賊の道も「道(タオ)」に頼る』というようなものがあります。 実は、悪の道にも「原則」を利用することは可能なのです。。。しかし最終的には、、、 >(勿論、「偶発的に原則に則した行動をとれるのか」という意味ではなく) 「原則」の面白みの一つは、「原則」があるとすれば浮かぶ考えにより、得られる利益が出てくることです。 それはハッキリと認識することが可能です。そこから「原則」の効力がハッキリとつかめるのです。
>615 >要するには、 >>認識するしないを決めるのは、その人の原則によって決めるべきことなのです。 >の意味は、原則を認識するか否かは、その人が知る概念としての原則によって >その人の自由意志で決定されるものだから、それについて1さんはとやかく言ってはいない。 >ということでしょうか。 その通りです。 様々なものが考えられると思いますが、 基本的に次の3通りのパターンがすぐに思いつきます(その中間もあり得ます)。 ・「原則の概念を知っている」→今まで通り、「原則」を意識せずに過ごす。 ・「原則の概念を知っている」→すでに持っている原則的要素のみを利用して過ごす。 ・「原則の概念を知っている」→さらに「原則」を探求し、会得(認識)を目指す。 どう選択するかは、その人の意志により決めることが「原則」でもあります。
>615 >であれば、ですよ、 >原則に絡めて「世の中が良くなる」や、「〜できるようになる」などのような、 >ほぼ誰しもの望むであろう事柄を連発している以上、 >1さんは「皆さん、原則という概念は知ったほうが良いものですよ」と言っていることになると思うのですが、 >これまた全然違いますかね? 全然ではないですが、微妙に違います。 まず言えることですが、実は根深いところにそれぞれの人は、 「原則」を知りたい欲求のある人と、そうでない人とがいるのです(もちろんその間は連続的です)。 つまり、その欲求のある人だけが「原則」の概念を知ればいいのだと思います。 また、中には「原則」に反発する人もいると思います。 ところで「そのように振り分けることは可能なのか?」と聞かれれば、 おそらくそれは可能です。しかも自然に振り分けられます。 一例ですが、このスレには「人生最大の発見」という題がついていますが、 それに反応する人は前者であり、反応しない人(このスレは読まない)は後者なのです。 今のところですが、 590さんは、「原則とはなんだろう?」と思い、その概念を知るに至った(?)。 しかし認識しようとは思っていない。 というのがその本心なのではないでしょうか。 結局、それらは大体うまく、しかも自然と振り分けられていくのです。 また、それが「原則」でもあるのです。 そして、「原則は広まっていく」というのも「原則」なのです。 例えば、現在では20%の人が「原則」を受け入れ可能だとすれば、 時間が経てば、60%、90%・・・と、なっていくものなのです(ちなみに日本はその割合が比較的高いだろう)。 直に「原則」が常識となる時代がやってくるだろうと私は考えています(もちろん原則的な発想です)。
>616 >要するに、「そういった備えは当然、万全なんですよね?例えば目に見えるお金とか」 >という感じでお聞きしたかった。 なるほど。 とりあえず言えることは、 何をするときにも原則的な手順というものが存在するのです。 原則的であれば、意識して「備えは万全」かどうかを考えることはありません。 しかし原則的な行動というのは、基本的に「備えはほぼ万全」です。 ただし前に挙げたような例ですが、 いくら安全運転を心がけていたところで、突然隕石が現れた場合には回避不可能なのです。 飛行機に乗った時点で、100%安全であるとは数学的には言えないのです。 それら不慮の事故は、原則的であっても回避することはできません。 (もちろんその可能性を低くすることは可能ですが)
623 :
考える名無しさん :03/08/27 01:50
俺はモテない
624 :
考える名無しさん :03/08/27 02:00
モテてもわりとつまらないよ
625 :
考える名無しさん :03/08/27 02:04
つまらなくてもモテたい男の哲学。
626 :
考える名無しさん :03/08/27 02:15
モテるとさけたい女の哲学。
627 :
考える名無しさん :03/08/27 02:15
じゃあ、モテるってなんだ? 不特定多数の女に好かれるのは人気があるだけだろ? 自分の気に入った女を手に入れられるかどうかがモテるだ お前 モテんのか? すげえな
628 :
考える名無しさん :03/08/27 02:23
あのー女ですが。。。 べつに凄いとかも考えませんが、 女の本音を理解できていないだけですよ。
629 :
考える名無しさん :03/08/28 09:53
モテるってのは大衆うけするってことだろ
違う。 底から。
631 :
考える名無しさん :03/08/28 11:23
632 :
考える名無しさん :03/08/28 11:26
女の男性に対する欲 =1金 =2セックスうまい(うまそう) 修了w
633 :
考える名無しさん :03/08/28 14:10
面白かったから貼っておく <女と言う生き物> うん。=いや。 いや。=うん。 たぶん。=だめ。 私たちに必要よ。=私が欲しいの。 あなたが決めて。=答えはもう分かってるでしょ? 話し合いましょう。=文句があるのよ。 それでいいわよ。=私は不服よ。 この台所使いずらいわ。=新しい家が欲しいの。 私のこと愛してる?=買いたいものがあるの。 もうちょっとで準備できるんだけど。=言っとくけど,ずいぶん時間かかるわよ。 <男という生き物> ハラ減った。=ハラ減った。 眠い。=眠い。 疲れた。=疲れた。 うん。その髪型いいね。=前の方がよかったな。 その試着した服良く似合うよ。=なんでもいいから早く選んで,家に帰ろうよ。 映画でも見に行かない?=終わったらエッチしたい。 バンゴハンでもどう?=終わったらエッチしたい。 退屈だね。=エッチする? 愛してる。=エッチしよう。 俺も愛してるよ。=よし。言ったよ。さあエッチしよう。
634 :
考える名無しさん :03/08/28 14:26
ぼくは真理を見た
635 :
考える名無しさん :03/08/28 14:36
636 :
考える名無しさん :03/08/28 14:45
女=虚言 男=アホ
少し思った事、書きます。 わざわざ理解力をあげるという事に時間を割く必要はないのかもしれない。 分かった、理解したと心底思うまで理解する努力を続けてみる。 「何となく分かった」と言うのは分かっていない証拠。 問題の後回しはしない。問題浮上したらすぐに解決に向かって努力する姿勢を保つ。 怠らない。甘えない。常にやりつづける。 はじめは基礎から。焦らない。決め付けない。当たり前も難しい。灯台もと暗し。 問題と答えは二つで一つ。答えを知りたかったら問題を知る事。 出来ないものは出来ない。知るのと分かるのは違う。分かるのと出来るのも違う。 一歩一歩。自分を動かしているという認識が大事。自分を知る。ミクロとマクロの視点を使う。 効果が高い方を選択する。10は9でも11でもなく10である。無駄を省く。 応用しようとする心。何かあると思う心。しないと言う事をする事も考慮に入れる。 そんな感じです。自分でも良く分かってないんですが(w
>638 おおお。 少しずつ前進しているようですね。そう見えます。 第三者的に見ればわくわくしますよ。w 袋から開けたばかりの直方体である粘土の固まりを、 その内部に両手をつっこみ、中央から引き裂いて広げていくような、 そういうイメージでもあります(つまり、思考の幅が広がっていくと)。 そういうこととは別に、全く新しい領土を開拓することによって、 新しい概念や世界観を獲得するという方法もあると思います。 ・・・とは言っても、分からないかもしれませんが。 とにかくその調子でいろいろとやってみるのが良さそうですね。 特に何かを言う必要はありませんでした。
640 :
考えるサル :03/09/01 09:31
HPが完成したようで、 おめでとうございます。 しかし、このスレを見ましょうっていうのは、アリなんですか? 期待していたのですが、ものすごくがっかりです。
>640 >HPが完成したようで、おめでとうございます。 お祝いの言葉をありがとうございます。 まあ、完成したというよりは未完成と言った方がいいですね。
ところで、これらをまとめるのは大変そうなので、しばらく時間がかかりそうです。 というのも、「原則」だけをまとめるとすると、あっさりしすぎてしまうからです。 「原則」に関するものは近いうちにまとめてみたいと思いますが、 他のものに関してどうするのかは、やはり未定です。 というより、「原則」とは関係ないものとしてまとめるかもしれません。 これからどうする予定なのか? まず、私の一番の主張はすでに言い切っています。 それが分かっている人には、すでに何も必要ないのでしょうね。 本当は他の人の反応も知りたいですし、 「原則」を広めることを手伝っても欲しいところですが、なかなか難しいのかもしれませんね。 仮に何か言いたいことがある人は、どんなことでも遠慮なく書き込みしてみてください。匿名なわけですし。 また、「原則」によって現れるその他の一般的な現象や、他に私の言いたいこと。 それらもなくはないのですが、あまりそれを書く必要性を感じなくなってきました。(^^; 「原則」が分かっていれば、全てがその人によって解明できてしまうことなのですから。。 私が何かをする必要は全くないのですよね(希望があれば別ですが)。 (本当は本音をザクザク言いたい気分でもあるのですが、 建前上そういうことはできないのですよね・・・トホホ) ま、ひとまず様子を見ながらコツコツと進めていこうと思っています。 まだ世の中に広めることを主眼にする必要はないだろうと思います。 そのことは、その気になれば、いともたやすいことなのですから。 できれば「原則」が確実なものと思えるようになってから、そうしたいものです。 まだ哲学版を見ている人くらいにしか伝えていないのですよね。 もうじきグーグルなどで検索可能になるかもしれませんが。どうなることやら。
HPってどれ?
ネット上ですら、HPをヒットポイントと読む人がいる 人生最大のはっけんだ
645 :
考える名無しさん :03/09/03 00:12
老子の本の解説者は道(原則)について本当に分かっているのかな?
合気道はそれ自体このスレで言う原則にかなったものですね。
>645
>老子の本の解説者は道(原則)について本当に分かっているのかな?
何を「本当に分かる」とするかはおいておくとして、
ほとんどの人は、老子の説く「道」を「思想の一つ」として捉えているのだと思います。
つまり、そういうものを認識できるかどうかなどは、知る由もないのだと思います。
また、老子自身も「原則」を認識できていたのかどうかは定かではないと思います
(はっきりと認識できてはいなかったのではないかと思いますが、微妙です)。
少なくとも、人間が「原則」に近づくことができることは知っていたのだと伺えます。
>643
>HPってどれ?
念のため、これ↓です。
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/9272/ >646
ですね。
ところで「原則」についてですが、 知ろうとするつもりでこのスレを読めば、大体概念はつかめるようですね。 哲学版自体にも影響が出ている様ですし。 また、改めて言いますが、 「原則」に関してのとらえ方は全くその人の自由で構わないと思います(無視してもらっても構いません)。 ただ、私の言い分は「原則」というものを通すことによってしか伝えられなかったので、 敢えて私の提案した「原則」というものを利用したということです。 もしかしたら、「原則」なんぞは世の中には無いのかもしれませんのですしね。(w 一応形式的には完結させる必要があったので、敢えて「原則」そのもののイメージを 「玉っころ」という形に仕立て上げてみた(もちろん空想上の産物である)。 そういうものが自分の内に備わっていると考えると都合が良いからである。 また、全てにおいても辻褄が合っていて、都合の良いことこの上ない。 この世の仕組みも例外なく原則的である(矛盾のない因果が存在している)。 また、全ての現象を「原則」という観点から眺めることが可能である。 全体像をありのままに捉えることができれば、 どこへメスを入れればいいのかが分かるのだ。全ては手の内にある。
ついでに、「原則」が分かる人間の得意とする能力は、 全体を統括して考える能力、人を推し量る能力、未来を切り開いていく能力・・・etc。 細かいところを緻密に対処することも可能であり、混沌とした世界に秩序をもたらすことも可能だろう。 イメージ的には諸葛亮孔明としておくが、 今の世の中には、そのような人間が100人程いたところで焼け石に水である。 結局、全ての物事は原則的な事象の繰り返しなのである。 物事を繰り返し乗り越えて行くと、そのうち全てが同じ事の繰り返しだと思えてくるわけなのだ。 全く未知なものに対しても、流れるように次に進むべき道が分かるのである。 しかし「原則」が分かることによる利点は、次の一手を知ることができることに尽きるのかもしれない。 原則的に進むことができるだけであって、その時々の時点では到って地味に見えるのである。
結局のところ、この「原則的(玉っころ)発想法」とでもいいましょうか。 私が勝手に創り上げただけとも言えそうなんですよね。(^^; しかしながら、私の勝手に思うところですが、 「万有引力というものが普遍的に世の中には存在している」と言えるのであれば、 それと同程度の信憑性で、「原則というものが普遍的に世の中に存在している」 と言っても差し支えないと思います。 やはりそれは「人類最大の発見(発明?)」と言えるでしょう。 ところで、そろそろ本格的に「原則」を世の中に広める時期だろうと思ってきました。 この調子でのんびりしていても埒があかないと。 少しずつ他の板に進出する方法もありますが、 一気に2ちゃんにスレでも立ててやろうかと思っている節もあります。 (一気と言っても、1、2ヶ月くらいかけてでも良いのですが) 徐々に広めていくのではインパクトが薄い。 ここは一気に日本のパラメータを「0」から「1」へとビットを立てるかのごとく、 「原則」というものによって革命を起こすくらいの勢いでやるのが 世の中にとっても得策なのではなかろうかと。 その行動は、法律や2chのルールの範囲内でしょう。 えらい非難も多いかもしれませんが、 それと同時に「原則」が分かる人間も大量発生するのではないかと。 今の日本の土壌であれば、それほど問題はないと考えます。 「原則」が一部の人間の共通認識になれば、 世の中に「原則」の火種が付いたと言っても同然だろうと思います。 そうなってしまっては、もう誰にも止めることはできません。 もうしばらくは様子を見たいところですが、そのような考えはあります。 多少大げさな表現でしたが、この世の中にそんなことがあっても良いでしょう。w まあ、何か言い分のある人はカキコでもしてみてください。
651 :
DQN ◆DQN.TxIIOE :03/09/07 04:22
「人生最大の発見」を世間では常識という(ワラ
652 :
考える名無しさん :03/09/07 04:23
ワラワラワラ
653 :
考える名無しさん :03/09/07 04:49
がいしゅつかも知れないけど俺は射精を誰にも教えられずに自ら発見した。 セックスの知識も何もない時期に。 ただ女のハダカを見ていてあるときピュッと出た。 半年くらいは自分が何をやっているのかも理解せずに気持ちいいので ピュッピュッ出していた。 これは俺だけの人生最大の発見だと半年くらい密かに楽しんでいた。 しかし、あるとき鶴光か谷村のラジオを聞いてそれは男なら誰でもやる行為だ と知って安心と同時に少し残念に思った。
654 :
厨房 ◆TDFFzP5Uj. :03/09/07 04:55
653イタいほど早熟(ワラ
655 :
DQN ◆DQN.TxIIOE :03/09/07 04:55
そもそも発見というのは教えられてするものではない(ワラ
ま、俺は原則うんぬんホザいてる頭でっかちのオマイラとは 大違いってことだ!
657 :
考える名無しさん :03/09/07 05:04
ワロタ
658 :
考える名無しさん :03/09/07 05:04
>656 まあ誰かに認めてもらったときにいえることでは?
659 :
DQN ◆DQN.TxIIOE :03/09/07 05:04
頭が小さいことは自慢にはならない(ワラ
俺が最初に射精したころはネットは愚か、ヘアヌードすらなかったが、 今の若者は情報過多で頭でっかちになって急き立てられ煽られるように 精通しているのではないかと心配である。 哲学上の問題についてもまったく同じことが言える。
661 :
厨房 ◆TDFFzP5Uj. :03/09/07 05:05
662 :
DQN ◆DQN.TxIIOE :03/09/07 05:07
亀頭でっかちにはなってみたいものだ(ワラ
世界で一番の、歴史上始まって以来の最大の発見ではなく、 自分にとっての最大の発見を試みよ。 俺にとっての精通のように。 さすれば人類最大の発見とやらにも通じることができよう。
664 :
厨房 ◆TDFFzP5Uj. :03/09/07 05:10
>663 今すぐ町中を裸で走り回れば(ry ワラ
665 :
DQN ◆DQN.TxIIOE :03/09/07 05:12
歴史にも精通してくれ(ワラ
666 :
考える名無しさん :03/09/07 05:14
ネチケットに精通してくれ(ワラ
667 :
厨房 ◆TDFFzP5Uj. :03/09/07 05:16
666 とりあえずの逃げ道確保、安心(ワラ
668 :
厨房 ◆X/WonVKLQc :03/09/07 05:17
ワラ
669 :
DQN ◆DQN.TxIIOE :03/09/07 05:17
そっちの精通じゃない(ワラ
670 :
厨房 ◆TDFFzP5Uj. :03/09/07 05:17
668仲間登場(ププ
671 :
厨房 ◆XZNhn2Jsxg :03/09/07 05:20
ワラ
類は友を呼ぶ(ワラ
674 :
考える名無しさん :03/09/07 10:11
普通の答えでいいなら、言語。
676 :
考える名無しさん :03/09/08 01:13
677 :
厨房 ◆TDFFzP5Uj. :03/09/08 01:15
まず非核三原則を守れよ(ワラ
678 :
考える名無しさん :03/09/08 01:25
>676 ホームページ内 sence→since ww
一応、他の人の目もあることなので答えておきます。 >651 >「人生最大の発見」を世間では常識という(ワラ 仮に「原則」が存在していた場合、 「原則」を知らない人にとっては、そういうことになりそうですね。 >656 >ま、俺は原則うんぬんホザいてる頭でっかちのオマイラとは >大違いってことだ! 普段は原則のことなど考えていないので大丈夫です。 >660 >俺が最初に射精したころはネットは愚か、ヘアヌードすらなかったが、 >今の若者は情報過多で頭でっかちになって急き立てられ煽られるように >精通しているのではないかと心配である。 >哲学上の問題についてもまったく同じことが言える。 「原則」は分かっているのでしょうか。 心配なさっているようですが、そのことには当てはまらないと思うので大丈夫だと思います。 >663 >世界で一番の、歴史上始まって以来の最大の発見ではなく、 >自分にとっての最大の発見を試みよ。 >俺にとっての精通のように。 >さすれば人類最大の発見とやらにも通じることができよう。 あなたにとっての人生最大の発見は「精通」だったのですね。
680 :
考える名無しさん :03/09/09 18:15
でつ{死)
たかが原則、されど原則。 原則が分かっている人にとっては当たり前のことにすぎない。 しかし、やはり原則が分かっていないことによるマイナス点が 世の中には多く存在していることは否めない。 そして、原則には無限の可能性が秘められていることも確かである。 他人の行動を見て、原則が分かっていれば、それはないだろう! とでも思ってしまうことが多々あるわけなのだ。 しかし、そういう場面に遭遇したところで口にすることは稀である。 心の内でそう思っていることしかできないのである。 その理由の一つは、それを教えようとしたところで理解することができないからである。 触らぬ神にたたりなしとでもいうべきものであろう。 ある意味、多くの人が知らずのうちに不幸になっているのかもしれない。 原則がすでに当たり前の社会であれば、そのようなこともなくなるだろうと思われる。
やはり全てを説明するには、今のところは「原則」を用いる方法しかない。 しかしそれが分からん人間に教えたところで分かるはずのないことなのである。 ましてや人類最大の発見に繋がってしまうことなのだから信じるはずもないのだ。 私は「原則」を超えるものを探してきたつもりであるのだが、 それを見つけることはついになかった。 手を伸ばせる範囲で手当たり次第に探してきた。書店も巡りに巡ってみた。 しかしその程度では、やはり見つからないというわけなのか。 全ては「原則」の範囲内のことでしかなかった。 しかし「原則」で十分だという考えもある。 「原則」を超えるものがあれば、今でも知りたいと思っている。 反例が無い限りは永遠不変に存在しているものとしても良いだろう。 ところで、ネットを通じて世の中に広めようと考えたのは、その必要性を感じたからである。 くだらないことだとしても、反論があろうとも、それによって何かを得られる人もいるであろうと。 後々のために繰り返し書いておきますが、賛同してくれる人は、軽く宣伝をお願いします。w
これだけ毒を吐いておけば、私が「原則」を広めようとする理由も少しは伝わったのではないのだろうか。 どちらにしても、身近なところから口コミで広まるような代物ではなかったということだ。 そうなるためには、もうしばらくの時間が必要になったことだろう。 ネットを通じることは、時間が早まったに過ぎないことなのだ。 しかし原則的に考えてみれば、ネットを通じさせることが最も理に叶ったことだろうと思う。 書籍化されたところで信じる人は少ない。 それに新聞社が人生最大の発見と報じるだろうか? 非常に考えにくいことである。少なくとも必要以上に時間がかかるだろう。 ネットで広めるのが、最も手っ取り早い方法だったのだ。 日本にはちょうどありがたいことに、この掲示板があった。 ここから「原則」が生まれることは理想的だと勝手に思っている。 しかし、それが実現するのも、潰れるのも、私によって決められることではないのである。 私には、自らの主張を言うことしかできない。 私にも「原則」があるのかどうかが分かるわけではないのだ。 今のところは矛盾がないだけであり、そういう発想法ができることが分かっただけなのだ。 何かそれだけでは「足りていないもの」があるのかも本当のところは証明されてはいないのである。 また、私なりに調べられる限りのジャンルに置いては、成り立つことは確認できた。 しかし「原則」があることを示す材料としては、まだ足りていないだろう。 少なくとも、さらに多くの人の認知が必要になりそうである。 「原則」の反例が見つかるかもしれない。 もうじき哲学版以外のところへと宣伝しようかと思っているところではあるが、 心持ち程度でも良いので、誰もが信じることができるような「原則」が生まれるよう、願っていてほしい。 と、勝手なわがままでもあるのだが、、。
685 :
考える名無しさん :03/09/10 05:05
1は星新一の愛読者じゃなかろうか。 似たような展開のショートショートを読んだことがある。
>686 >1は星新一の愛読者じゃなかろうか。 >似たような展開のショートショートを読んだことがある。 また勝手な類推を。 多少演じているのは、しょうがのないことなのだよ。
687 :
考える名無しさん :03/09/10 22:46
あれだ、某新興宗教の三原則とかだろ。どうせ。
結局なんだかんだと言ってきたわけだが、 強制的に広めるのはやめようかと思う(誰かがそうしてくれればありがたいものだが)。 このまま自然と(誰かのコピペなどを含む)広まるのを良しとしたい。 しばらくは(数ヶ月?)この板で様子を見たいと思うところだが、 何か「原則」について思うところがあれば、ここにカキコしてみて欲しい。 「広めることについてどう思うのか?」など、云々。 個人的にあのホームページについては、 しばらく後に大きく改善したいと思っている。 少なくとも2ちゃんねる風のイメージではどうかと。(^^; 独自に掲示板もあれば良いのではないかと思うところである。
689 :
考える名無しさん :03/09/13 05:16
スレッドを読んで原則がどういうものか認識できました。
日頃から
>>491-493 にあるような原則的発想をしていたおかげか、
1さんには感謝しなくてはなりません。ありがとうございます!
う、
>>688 広めるのをやめちゃうのか・・・
いろいろ質問してみたいことがあったりします。せっかくなのでひとつ。
>>491-493 の原則的発想から原則を発見したと思いますが、
1さんの中で原則的発想の順番というものはありますか?
(もしかして、原則を発見したから原則的発想を思いついた?)
>689
>スレッドを読んで原則がどういうものか認識できました。
>日頃から
>>491-493 にあるような原則的発想をしていたおかげか、
>1さんには感謝しなくてはなりません。ありがとうございます!
おおお。おめでとうございます!
私にとっても、嬉しい限りです。
>う、
>>688 広めるのをやめちゃうのか・・・
今の現状を考えると、強制的に広めることはないかなと、、
このスレで、広めようとする雰囲気が高まればそうしてしまうかもしれません。
>いろいろ質問してみたいことがあったりします。せっかくなのでひとつ。
いろいろ質問してもらって構いませんよ。
やはり、このスレに書いてあることで「原則」については十分みたいですね。
>689
>
>>491-493 の原則的発想から原則を発見したと思いますが、
>1さんの中で原則的発想の順番というものはありますか?
>(もしかして、原則を発見したから原則的発想を思いついた?)
とりあえず、2行目の意味が明確に分かりませんでした。
今の私の状態は、その時々で理想的な発想や思考が自ずとできるという感じだと思います。
私も原則を知る前から、それなりに原則的な発想をしていました(もちろん後になって分かったことですが)。
原則を発見してから、さらに新しいものを探求して行ったのです。
最近では、今私の持っているもので、ほとんど十分だろうというところまでは来ていると思います。
>491-493で書いたのは、全体的な発想の中でも、
核になるアナログ的なものを、デジタル的に大ざっぱに表現してみたというところです。
(言葉で書く以上、必ずデジタル的な表現になってしまいます。
言葉はただの記号ですし、コンピュータ上でも所詮は「0」か「1」のデータです。)
もちろん、応用的な発想や思考の仕方などは、他にも様々にあります。
しかしそれらは、あらゆるジャンルにおいてまでは必要でなかったり、
基本である「原則」が分かっていれば、特に知っておく必要のないことなので書いてはいません。
その都度発見していける代物だと思います(実は原則が分かっていても、発見は永遠に続くのです)。
そこら辺までいくと、私もどこまで分かっているのかは明確ではありません
(少なくとも地球人が知ることのできる範囲でしか、私にも知ることはできません。当たり前ですが)。
ただ、私が関わることに関しては、今の状態で問題がないことは確かです。
最近では、ある程度の大きさの発見でさえ、ほとんどなくなって来ました。
つまり、原則的発想というのは、原則が分かった後でも次々と発見していくものなのです。
そこに書いてあるのは、多くの人が無意識でやっている思考のわずかな一部を言語化したにすぎないのです。
イメージ的には、原則が発見できた人は、そこから思考の源泉を膨らましていくことになるのです。
といった感じだと思います。
>>1 そこまでゲンソク、ゲンソクって言うんだったら
そのゲンソクを駆使して何か凄い事やってみてよ
ていうかゲンソクに従っていれば、シャカリキになって何か凄い事しようとする必要も無いんだね 全てはただあるがままで満たされてんだから アホな要求してスマソ
>692 >そこまでゲンソク、ゲンソクって言うんだったら >そのゲンソクを駆使して何か凄い事やってみてよ >693 >ていうかゲンソクに従っていれば、シャカリキになって何か凄い事しようとする必要も無いんだね >全てはただあるがままで満たされてんだから >アホな要求してスマソ なるほど、分かっているみたいですね。 ひとこと言っておくと、 私が何か凄いことをしない場合にも、必ず世界は凄いことになると思いますよ。 原則があるならね。
>>691 原則的発想の順番は、その人の発想の歴史といいましょうか。
>>491-493 の原則的発想に辿りつく過程、プロセスのようなものです。
とりあえず、僕の原則的発想を身につけていく過程なんかを。
今思えば、失敗からより多くの原則的発想を学んでいたようです。
昔は原則的発想はこれぐらいしかもっていませんでした。
(あんまり長くなると面倒なのでそれぞれ三つぐらいでw)
・事実でないことは起こらない、何事も自らにとってのみに都合の良い解釈をしてはならない
・すでに先駆者がいるのであれば利用できるだけ利用する
・全ては解析可能、解決可能
で、案の定、人生はじめての大きな失敗をするわけです。
視野の狭さや、人を要素ととらえきれずに理想的に扱えなかったり。
その失敗の中からまたいくつか原則的発想を学んでいきました。
・あらゆるものは独立している要素から成り立っている
・あらあるものと「原則像」とを比較して考える
・あらゆるものを利用する(組み合わせる)ように考える
失敗から学ぶものは多かった、おいらは成長したぜぇ〜と思っていたら、
上の失敗を元に視野を広げすぎて情報の大海に溺れてしまいました。
またしても大きな失敗をしてしまいました。そして原則的発想を学ぶことに。
・物事は単純である
・常に理想を目指して前進し続けるのである
・常に手応えを感じていなければならない
実のところ、よくもまぁ、失敗から学ぶ姿勢を崩さなかったなぁと・・・
二回目の失敗は心のダメージがでかくて立ち直るのに時間がw
今ではすぐさま原則的にダメなところがわかるんだけど。
しかも、他人の成功や失敗を原則的な要素としてとらえると、
実際に物事をなさなくても原則的な発想を学べてしまいます。
そうですね、なによりも原則的発想を気付かせてくれたのは、
人の言葉や漫画や小説や映画や・・・すべてですね。
例:「・常に手応えを感じていなければならない」
五つあった企画うちの三つまで出来ていたのに、
出来なかった企画にとらわれすべてを出来なかったと思い込んでいた。
そんな時に「今出来たことを意識すること」を人から教えていただいた。
そうやって、
>>491-493 の原則的発想に近づいていったのです。
( ´_ゝ`)
>695
>
>>691 >原則的発想の順番は、その人の発想の歴史といいましょうか。
>
>>491-493 の原則的発想に辿りつく過程、プロセスのようなものです。
なるほど、そういうことでしたか。
私の場合は特に明確な順序はなく、全体的に徐々に学んできたと言えると思います。
それでも、下の方に行くほど遅くなったかもしれませんが。
しかしもう一つ言えることは、
原則が分かって、これから原則的に物事を見ていくとしたら、
その思考は、「原則」というその一点から生み出されるようになると思います(そういう感覚になる)。
その一点のものを表現すると、>491-493のようなものになると言うことです。
>498の「平面で高さがないようにおもえる」というのは、
正にそういうものを表現したから、ありのままに感じ取って出てきた感想なのだと思います。
>696 >しかも、他人の成功や失敗を原則的な要素としてとらえると、 >実際に物事をなさなくても原則的な発想を学べてしまいます。 「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」という格言を思い出しました。 >そうですね、なによりも原則的発想を気付かせてくれたのは、 >人の言葉や漫画や小説や映画や・・・すべてですね。 そうですね。 私の場合も様々なものを通じて学んできました。 特に人の考えを参考にして来れたのも良かったと思います。 実は、「人の考えを知る」ということは、この世の中でも最も難しいことの一つではないかと思います。 その理由の一つは、この世の中の仕組みが分かっていなければ、「人の考え」もつかめないからです。 人の意見を聞いても、腑に落ちないで終わってしまうのです(どうしてそう発想できるのかが理解できない)。 自分が世の中の仕組みを知っていなければ、「他人の思考」を理解することはできないのです。 私は、最後の最後まで他の人の考えを理解することは、なかなかできませんでした。 ・・・余談でしたが。 689さんもいろいろと苦労なされて来たのですね。頭が下がります。 これからもがんばっていきましょうか!w
700 :
考える名無しさん :03/09/14 16:46
減速
701 :
考える名無しさん :03/09/14 17:15
舷側
>>全体的に徐々に学んできたと言えると思います。 なるほど、全体的にですか、こちらは全体を捉えるのが苦手でして、 個々の積み重ね積み重ねという感じです。その積み重ねも、 原則から生み出されたものなのでやっぱり原則ですねw >>実は、「人の考えを知る」ということは、この世の中でも最も難しいことの一つではないかと思います。 自分と他人を比べることでまず、違いから相手を知ることができますけど、 原則に従うと、自分自身もひとつの価値観だったり可能性だったり・・・ 物事の見かたが俯瞰したかのようなイメージがありますね。 「世界を知ることは自分を知ること」なんていいますけど、 その世界があったから出来上がった自分なので、 世界を知れば自分も他人もわかると・・・うーん、納得。
あ、
>>702 の書き込みは689です・・・_| ̄|○
で、原則なんですが、原則には分類ができるのではないか?と考えています。
上の方でも、特許とかでてきたと思うんですが、原則の中の原則というか。
ビデオの話しで言えば・・・
DVDプレイヤーはで再生出来るのはDVDのディスクだけという人為的原則。
でも、「映像を再生し、テレビで見る」という行為的原則であれば、
DVDはひとつの要素となってVHS、レーザーディスクと同じ要素になります。
VHS→DVDとVHSの原則を破ったのはなんでだろうかと思うと・・・
根本的原則に従った技術革新と人の意志ではないかと。
つまり、根本的原則に従っていれば人の技術と意志で、
原則の中の原則は自由に作り出せるし、破ることもできるのではないかと。
原則を設定する自由と、原則から導かれるものを選ぶ自由。
あぁ、原則的発想!「全てはその人の自由なのである」
という感じで、いろいろな原則を分類できるのでは?と。
思ったことを書いてみます。 >702 >>>全体的に徐々に学んできたと言えると思います。 >なるほど、全体的にですか、こちらは全体を捉えるのが苦手でして、 >個々の積み重ね積み重ねという感じです。その積み重ねも、 >原則から生み出されたものなのでやっぱり原則ですねw なるほどw ところで、そういう全体的に捉える能力なども身につけていくことは可能だと思います。 自分の場合も初めはあやふやなものでした。 全体を捉えて理想の行動を目指そうとしても、どこかにぎこちないものがあったものです。 しかし今では完全にそういうものはなくなりましたね。 おそらく全てのものを全体的に捉えることはできると思います。 自分の中ではノウハウなんかも作っていきましたが、 それを目指していけば、自ずとそれらは手に入るものだと思います。 話は少し離れますが、自分の内に地球を想定したことがありますでしょうか? あたかも自分が宇宙空間にいるようなイメージで。 それも、ただ地球儀をイメージするだけではないのです。 そこに本当に人々が暮らしている感覚になるのです。 何か物事を為すとき、そのくらいのレベルで考える必要があることも多いのです。
>703 >で、原則なんですが、原則には分類ができるのではないか?と考えています。 >上の方でも、特許とかでてきたと思うんですが、原則の中の原則というか。 > >原則を設定する自由と、原則から導かれるものを選ぶ自由。 >あぁ、原則的発想!「全てはその人の自由なのである」 > >という感じで、いろいろな原則を分類できるのでは?と。 なるほど、その通りだと思います。 様々に分類して、それぞれを細かくまとめていくことは、 多くの人が参考にすることのできる代物になるかもしれません。 後に「原則」が広まれば、そのような試みも自然と生まれるかもしれません。 とりあえず私の仕事はそのようなことをすることではありません。 少なくとも、それらは100人や1万人でできる代物ではないだろうからです。 全ての分野で、分かりやすい原則的な教科書を作ることも必要になってくるかもしれません。 また、私の経験から言えば、「原則」を分かった時点では、 まだ何も知らない状態だといっても過言ではないかもしれません。 最終的には、その思考は「原則」という一点に絞られてしまうものと思います。 全てのものが繋がって来るから、そう思えるようになるのだと思います(分からないかもしれませんが)。 そうなってしまうと、「原則」の分類の必要性は全く感じなくなってしまうものです。 「原則」さえ存在していないように思えてくるのです。
@o・ェ・)<今日はいい日だった?
@o・ェ・)<!! すみません…
708 :
考える名無しさん :03/09/16 00:54
<血液型O型のいかがわしい特徴>( すべて許していると調子にのってつけこんでくるぞ!! ) ■その道の達人をコケにして安心しようとする。多数対少数のときだけやたら強気。才能ある人間を歪んだ目でしか見れない。 ■場所が変わると手のひらを返すように態度が豹変する ( あの連中の中じゃヘコヘコさせられてきたが、うちに来たら見ていろ! 礼儀を教えてやるぜ。 ) ■読みが浅い。粘着に睨まれる事を言っておきながら関係ない人に振り向けようとする ( どうせ>>1さんはヒッキーでしょ? / 大阪人だってジサクジエンしてるぜ ) ■早とちりが多く、誤爆と気付いても釈明できない。イイ人を装って忘れる ( そういう土地柄だったのさ ) そのわりに人の勘違いは許せない。 ■話題と関係ない個人攻撃で場の空気を陰険にする。次第に耐え切れなくなりあきれて話題をコロコロ変える。 ■恩を貸してるように振舞うが、自分のためであるということを見抜かれる。それに気付いて恥ずかしさをごまかすために大袈裟にキレる。相手がキレると今度はビビる。 ■似たもの同士でしか共感できないわりに人気者ぶる。 ■顔が見えない相手に対しては毒舌かつ強気。面と向かった相手にはやたら弱気で人が言ったことにする ( 俺が言ったんじゃないんだけど、Aさんがあなたをアホかとバカかと… ヒヒ ) ■無理な人の真似を勝手にしておいてケチだけつけ、批判される所には現れない。自分が観察される側になると極度に焦る ■自分が企んでいるのに相手を悪人に仕立て上げ、己の為に餌食にする。攻撃を誘って自分の憎悪に酔いしれる。人の裏切りを許せないわりに自分の裏切りは覚えていない鈍感さ。 ■世間に通用しないような事ばかり繰り返して自分に課した目標から逃げる。あげくに人のせいにして相手にわからない方法でキレる。 ■半端な人生経験により集団的にばかり相手を気にする ( 君のような人はウチでは… / ○さんによく似てるから駄目だろうね… )
709 :
考える名無しさん :03/09/18 08:04
貧にして怨むことなきは難く、 富みて驕ることなきは易し。 醜(しこ)めしくして嫉むことなきは難く、 美(い)しくして驕ることなきは易し。 無智にして屈することなきは難く、 賢くしくして驕ることなきは易し。
記念カキコ
711 :
RYO ◆PQt5QGscr2 :03/09/20 22:59
原則が崩れる事ってないんですか?
713 :
考える名無しさん :03/09/21 04:07
ベーター崩壊
714 :
考える名無しさん :03/09/21 04:08
アルファ崩壊
ガンマ線大嫌い
>712 >原則が崩れる事ってないんですか? 原則が崩れる(成り立たなくなる)ことは考え難いです。 崩れたら、その時にまた考えればいいのではないか?というのも一つの考えだと思います。 少なくとも原則は、宇宙が誕生してから今現在まで、 それが成り立たなくなった場所・瞬間などは、微塵も存在してはいないと思われます。 原子さえ存在していなかった時代にも原則は成り立っていたものと思われますし、 重力場が乱れる現象なども、原則の範囲内の現象であると思われます(遠い世界の話をしているようですが)。 地球人が関わることのできる範囲では、当然の如く全てが原則の範囲内の出来事だと思われます。 とにかく、矛盾のある因果が誕生してしまうこと(原則が崩れること)は、 相当に考え難いことだと思われます。
ところで、関係なく独り言を言いますが、、、 ふぅ。 やっとここらで一息ついたというところでしょうか。 原則に対してそれなりの評価は得られたのではないかと思います。 ここらで、新たな角度から「原則」について語ってみようと思います。 実は、「原則」などというのは、本当はどうでも良い代物だとも言える。 いくらでも原則を破ってしまって構わなく、好き勝手にそれを考えてしまって構わない。 全く無視してしまっても良いだろう。 また、このスレで語ってきたようなことを現実世界で語ることは、今のところは非常識である。 少なくとも、「原則」に反発する人間に語ろうとするのは愚かなこととしか言いようがない。 実のところ「原則論」とは、ただの「作り物の世界」であるとも言える。 ある意味全てがフィクションなのだ。 しかしフィクションとしてだが確実に存在している。 そのフィクションが人伝えに伝えられることは確認できた。 また、そのフィクションは全てにおいて、矛盾のない論理が一貫して貫かれている。 その論理のよりどころとなるものが「原則」であるということなのだ。
上のことは、これまでの話と矛盾しているように聞こえただろうか? どういう事なのかと言えば、「作り物の世界(原則的な世界)」は、 「現実世界(人類が生きているこの世の中)」を包含しているということなのだ。 ある意味、「現実世界」の理想論が「作り物の世界」ということなのである。 しかし「作り物の世界」を知り、 それを「現実世界」に当てはめて実際に有効利用できてしまうところが世紀の大発見なのである!w 実を言えば、全く同じ事が数学という世界にも当てはめることができる。 数学というものも人間が勝手に創り上げた産物に過ぎないのである。 ただそれが有効に利用できることを経験的に知っているだけであり、 多くの人間が、数学が絶対的に利用できるものだと思い込んでいるだけなのである。 「数学」は人類の「作り物」にすぎないのである。 「原則」についても全く同じなのだと私は言いたい。 私は今まで、原則的な世界を構築するのに労していたということなのだ。 その材料は現実世界から拾ってきたものなのである。 もっともこれについては、今だからそう言えることなのである。 Q.あなたは「原則論」を知っているのだろうか? Q.それを利用したいときには利用できるのだろうか? 今までの内容を総括すると、上の2つの質問に凝縮される(してみた)。 (その質問の意図が理解できれば、もはや言うことは何もないのだが。。)
まだまだ原則から個別に考えて、全体を見るという感じです。 全体からみる見方も訓練していくかなw >自分の内に地球を想定したことがありますでしょうか? >あたかも自分が宇宙空間にいるようなイメージで。 宇宙の外にいる自分というのもイメージしていました。 ただ、当時は宇宙遊泳気分で脳内遊泳ですかね・・・ その影響か、物事をみる視点を自由に変える発想は持っていたので、 コロコロ言うことが変わる奴と人に思われていたかもしれませんw >とりあえず私の仕事はそのようなことをすることではありません。 >少なくとも、それらは100人や1万人でできる代物ではないだろうからです。 一万人!すごいですね。ピラミッドでも作るのですか?w それこそ一人一人なんか見てたらきりがないですね。 >また、私の経験から言えば、「原則」を分かった時点では、 >まだ何も知らない状態だといっても過言ではないかもしれません。 知識としてどんな世界にも縦の限界がある事を知っただけで、 その世界を知ったわけでもなく、成したわけでもないと。 野球界、建築業界、携帯業界、パソコン業界など横の世界は限りがない。 人の数だけ世界があるわけで・・・すべてを知りようがない気がw ただ、原則を知っていれば原則から派生する世界達を効率よく知れる。
わたすも独り言を・・・ 原則とは人を成す時のどのようなものなのだろうか。 原則を知り使いこなす人はいつも正しいようにみえて、 人間味にかけるのではないか?と思った。 先人の知恵を借りてきて・・・ 人を表現する「心技体」、さらに心を表現する「知情意」。 簡単に、知=考えて 情=感じて 意=動くとすると、 原則というのは知の限界を示すものではないかと。 原則を知っていて、自分の感情は原則的に計れたとしても、 相手の感情は、感じなければ計りも出来ない。 原則を知っていて、自分が動かなければ何も変らない。 何も変らなければ相手だって動かしようがない。
>719 >宇宙の外にいる自分というのもイメージしていました。 >ただ、当時は宇宙遊泳気分で脳内遊泳ですかね・・・ >その影響か、物事をみる視点を自由に変える発想は持っていたので、 >コロコロ言うことが変わる奴と人に思われていたかもしれませんw 私も同じようなことはできますが、 宇宙遊泳に、視点を自由に切り替えられる人ですか、、なかなかいませんよね。w >知識としてどんな世界にも縦の限界がある事を知っただけで、 >その世界を知ったわけでもなく、成したわけでもないと。 >野球界、建築業界、携帯業界、パソコン業界など横の世界は限りがない。 >人の数だけ世界があるわけで・・・すべてを知りようがない気がw >ただ、原則を知っていれば原則から派生する世界達を効率よく知れる。 もちろん全ての世界を知りようはない。 ただ、全ての世界に共通する「それ」を知ることはできるだろう。 また、一人の人が持つ世界は1つというわけではない。 また別に、2人の人が出会った場合には、また違った世界(文化)が生まれる。 この世の中にある世界の数は、果てしがないのかもしれない。
>719 >>とりあえず私の仕事はそのようなことをすることではありません。 >>少なくとも、それらは100人や1万人でできる代物ではないだろうからです。 >一万人!すごいですね。ピラミッドでも作るのですか?w >それこそ一人一人なんか見てたらきりがないですね。 ふふふ。 仮にも世の中が原則的な動きに変わっていくとしたら、 それは地球上に住む人間の多くが自律的に行動をする必要があります。 そのことは、すでに私のコントロール外のことです。 一人一人など見ていられるはずがありません。 実は、何故「原則」を私の中から外へ出すことを思い付いたのかと言えば、ここにその理由があるのです。 また、思い付いた段階では、まだ「原則」は私とは独立させられない状態であったと思います。 今は「原則」から独立して、私は自由に動ける状態だとも言えると思います。 それ故に「原則」を自由に操れるのです。 もしかしたら、その到達点はこの境地にあるのかもしれません。 ところで「原則」を外へ出さざるを得なかった理由ですが、 前にも書きましたが、私は巨大な組織をコントロールするための術を考えていたのです。 小さな組織であれば、自らが組織全体を見渡すことによって、それなりにコントロールできます。 普段自分自身が物事を為すように、自分自身を組織に置き換えて考えれば良いだけです。 しかし組織が巨大化してしまうと、どうしてもそういうわけにはいかなくなるのです。 一人一人に目が行き届くはずもありませんし、 少なくともこの日本をどう動かそうかと考えても途方に暮れてしまうだけなのです。
全てに共通する物の仕組みかもしれませんが、 おそらく組織を良くするためには外側からの力(政治など)だけでは不可能です。 内側からの力(内部の人間の動き)も必須です。 結局、神様が政治の方法を教えてくれても理想形にはならないのです。 一人一人によって部分部分を整えられなければ、全体的にも理想の構造にはならないのです。 パズルを作るときにも、分かる部分から作って行くと思います。 例えば、何かのオブジェを先に作っていって、最後に隙間の難しい部分(背景など)を埋めていくのです。 ある意味、それと似たような話です。 内側(パーツ)が決まっていなければ、全体もすっきり決められないのです。 実際には分かる部分から進めていくのだと思いますが、それが原則的な手順となるのだと思います。 余計な話が入ってしまいましたが、 単純な話、自分が物事を為すときに用いている方法論(原則)を、 その組織自体に浸透させてしまえば良いだろうということです。 全ての人間が原則を利用できるなら、何も強力な指揮者がいる必要はないのです。 それぞれの部分は勝手に理想形(原則的)になっていくのです。 私は経験的に、原則を用いれば理想的な行動ができることを知っていました。 そのことを思い付いたとき、あらゆる事にも当てはまるかどうかも考え、調べてみました。 おそらくその理論は正しいだろうと思います。 少なくとも私の周りでは実証されている(原則をちょくに伝えているのではないが)。 1人の人間のプロジェクトのみならず、1つの組織のプロジェクトのみならず、 1つの国家の運営のみならず、おそらく世界レベルで考えてもそれは成り立つであろうと。 つまり、「原則」を少しずつでも伝えようとしていく。 それによって少しずつ各々のレベルが上がっていくのだろうと。
そのように考えているうちに、本当に実際に実証できないだろうか?と思うようになってきた。 おそらく、原則的に世の中が動くようになる日は必ず来るだろうと思う。 時間はかかるだろうが、それほど無理難題なことではない。 それ故に私はこのようなスレでカキコをしているのである。 それほど影響がなかったにしても、その労力は無駄にはならないだろうと。 やはり最終的には、地球を眺めてみれば、一つの組織のように動いているようになるのである。 「原則」というものが世の中に浸透すれば、いやがおうにもそうなってしまうのだ。 ある意味、原則という「見えざる手」によって、そう最適化されてしまうのである。 私はそうなることを確信している。 いや、少なくとも原則的にはそのようになる運命なのである。 今の現状では、まだ非常に混沌とした世の中であると言っても良い状態であると思われる。 どちらにしても「原則」が本当に利用できるモノであるのなら、 必ず最後には世の中に浸透するハメになるだろうと、私は考えている。
>720 >わたすも独り言を・・・ それについて思ったことを・・・ >原則を知り使いこなす人はいつも正しいようにみえて、 >人間味にかけるのではないか?と思った。 いや、そんなことはないと思う(何を持って人間味とするかにもよるが)。 確かに物を為すときには淡々となるのかもしれない。 しかしそれ以外の部分では、 それなりにものを感じ取っているはずである。 美しいものには美しいと感じ、素晴らしいものには素晴らしいと感じることができる。 ものの醍醐味を堪能することは、人間味が十分あることなのではないのだろうか。 >原則というのは知の限界を示すものではないかと。 原則は知の限界。ある意味それは真実だろう。 少なくとも原則を超えることはできないのだから。
>720 >原則を知っていて、自分の感情は原則的に計れたとしても、 >相手の感情は、感じなければ計りも出来ない。 >原則を知っていて、自分が動かなければ何も変らない。 >何も変らなければ相手だって動かしようがない。 なるほど。 話は変わるかもしれませんが、私なりに人を動かすことについて述べます。 基本的に私は、人はその人の自由であると考えています。 何かを強制させることはありません。 相手を動かすことはどういうことなのかと言えば、 相手にとって原則的に有益になるものを示してあげるのです。 それによって相手を誘導するように考えるのです。 それに乗ってくるようであれば、どんどん有益なものへと誘導する。 また、それに乗らないようでは、それによっては相手を動かせないということになるのです。 どちらにしても、相手の自主性に任せることを前提とするのが原則です。
727 :
考える名無しさん :03/09/23 00:44
>相手を誘導するように考えるのです。 いつも新宿西口でそう考えながら行動していますっ(゜▽゜)ノ
728 :
考える名無しさん :03/09/23 00:50
君ら馬鹿だろ?
729 :
考える名無しさん :03/09/23 00:51
淫獣です( ゜Д゜)y─~~
730 :
考える名無しさん :03/09/27 19:47
age
>730 >age ageて頂いてありがとうございます。 さて、これからどうしたものでしょうか。 もう一度確認しておくと、 ここに書いてあることで「原則」についてどういうものかはそれなりに分かると思います。 原則の趣旨が分かれば、後は本人次第で「原則」という世界を個人的に構築していくことは可能だと思います。 つまり私が書いたものは、「原則」から派生したものの全てではなく、 そういうもの(原則)を提案しただけです(今のところ、私はすべてに通じると考えています)。 「原則」を知れば、後は個人が世の中から原則的な要素を探り出して進めるものと思います。 「原則的な世界観」や「原則像(物の仕組み)」を己の内に構築してしまえば、 後はどんなジャンルに対しても、その原則的な仕組みと比較しながら(利用して)進めることができるのです。 くどいようですが、単純な話、 全てに共通する原則的要素・世界観を確立させることができれば(原則があるとした場合)、 未知な物(それも原則的要素から成っている)にもその確立させたものを利用することができるということです。 ところで、世の中にはまだ無数の問題が残っているはずです。 しかし世の中が原則的に動き出せば、自動的に解決できる問題であるはずです。 また、一人一人の行動範囲にある問題は、一人分しかないと思います。 逆に言えば、一人でできることはあまりないとも言えるということです。 原則が広まっていけば、後は寝ているだけで世の中は良くなっていくのです。 「果報は寝て待て」でしたっけ。w
それで広めることについてなのですが、どうしたものでしょう。 とりあえずネットで検索すれば引っかかることは確認できました。 人伝えに伝えることも確認できたので、 「原則」についての情報の最低限のものは、ひとまずクリアはできていると思います。 ここらで私が個人的にできることは大体終わったのではないかと思います(後でまとめようとは思いますが)。 2ちゃんに強制的に広めることは、今のところは中断することにしました。 一人で勝手にやっていくのは得策ではないと思ったからです。 そのうち「原則」に飽き始めた人の多くがこのスレに来るようになれば、 「そろそろ広める時期じゃなかろうか?」と、自然とそういう雰囲気になるのではないかとも思います。 世の中には「原則」が分からん人間が多すぎて、じれったくなってくるからです。w 「原則」が使えるかどうかで、それだけ実利的な差ができてしまうということです。 それに加え、「原則」が分かっている人物を正しく理解するためには、「原則」を知ることが不可欠なのです。 究極的にそれぞれが本当の幸福を得るためには、やはり世の中が原則的に動き出す必要があるのです。 そしてまた、そのための原動力の源は、ここにある可能性があるのです。 また、2ちゃんに広まれば、それなりに世の中の標準に一歩近づくのではないかと思います。 願わくば1年以内に。 もしかすれば数ヶ月後にもそうなるかもしれませんが、 その日が来ることを私個人としては待ち望みにしています。 また、例え身近な人にでさえも、様々な理由から「原則」を伝えることができないことも十分にあり得ます。 その場合は、世の中に「原則」が知れ渡らない限りは身近な人にも伝えることはできないのです。 こんな悲しいことがあっても良いのでしょうか。 私は「原則」を広めざるを得ない状況でもあるのです。 これだけ遠回りをしなければ伝えられないとは、正に原則的な筋道であると嘆いています。w しかしあと数年後には!と、思っています。
ところで他の道としてはですが、 やはりどちらにしても飛ばすことができないのは、書籍化することではないかと思います。 「原則」を完全に記すことができれば、必然的に売れていくのではないかとも思います。 ゆくゆくは世界に向けて出版することになり、出版社は儲かりそうですね。 少なくとも書籍化できなければ、世の中の常識として確立したとは言えません。 遅かれ早かれ、出版社にとっては義務であるというのが原則的でしょうか。 もっとも「原則」そのものには著作権がないので、私と関係なく出版してもらっても構いません。 「原則」が世の中に出回る日を、私個人としましては心待ちにしています。 青臭い言い方をすれば、少年時代のあの頃に戻ったような気分でしょうか!!w もしもこれらが本当だとするならば、コイツは実はものすごい革命なんじゃ!?、と。 これまた個人的な話ですが、 たまたまとある宗教の人達と出会ったことがあるのですが、 とても暖かい人達で、なかなか感動してしまったことを覚えています。 もしかすると、宗教とは関係なくそのような世界に近づいていくのではないかとも期待しています。 今の世の中は、忙しくてピリピリしている人が多そうな気もします。 もっと余裕のある生活が過ごせればいいのではないかと思いますが、 直接そのようなことはなかなか言えないですよね。。
ところで、これまでに書き込んできたことで、 ここに現れている「1」という人物は如何なる様に映っているのだろうか? 自分としては、あまり客観的にみたいとは思わない。 本当のところは分からないが、原則的な人物として振る舞っていたものは多い。 それは、今でもここに書いている以上は仕方のないことなのだ。 しかしここに書き込んでいるということを踏まえると、それなりに本当の自分なのかもしれない。 ただ言いたかったことは、普段の自分とはかけ離れているということである。 しかしサンプルとして、 「1」という架空の人物像があることによって、「原則」の理解は進むだろう。
ところで本当の個人的に、これらのことをどう思っているのかと言えば、 ある意味、自分でも「原則」というものが訳分からんものであるような気はする。 いや、少なくともそれに夢中になっていた時期があったのは確かである。確信もしていた。 今では、それがどうしたということにはあまり関心がなくなってしまったのだ。 今は特に何もしなくても満足なのだが(仕事をしなければ暮らせないが)、 やはり原則という「伝家の宝刀」が使えると有利である。それに私はまだ若い。 個人的な野望に向けて動いているところでもある。 しかし、これと言った欲望のためにするわけではないのだ。 今の世の中、すでに物質的には十分満足なのだと私は思う。 私自身は、普段「原則」とは無縁とも言える生活をしている。 ここでの活動は、今となっては普段の私とは切り離して考えている。 広まった後にも、私が広めたことはほとんど言わないであろう。 少なくとも今の状態で知られても、変人扱いされてしまうだけである。 しかしどこかでこうも思っている。 仮にも「それ(原則)」が本当だった場合、世の中のスタンダードになったときには、 世の中からお呼びがかかり、私の生きているうちにノーベル賞なんかを頂ければ、それもまた面白い人生かと思う。 「原則」が標準になった世界であれば、表に出てありのままの自分を出してみたい気もする。 その様な日が訪れない限りは、私はどこかにすっきりしないものを抱えたままなのかもしれない。 さすがにこれらを理解しきれる人間は滅多にいないだろう。 私自身が筋を通そうとすると、そのようになる。 「原則」は曖昧なまま終わる物なのだろうか? それとも、ハッキリと決着がつくものなのであろうか? また、人類は共通認識を持つことは可能なのだろうか? 認識できる点からすると、決着のつくものであると思われるわけだが、 そうだとすると、この様な考えに到るのである (実際にはそれほど深刻には考えていなく、空想も混じっているが)。
直にこのスレも倉庫に入ってしまうだろう。 名残としてこの板に続編としてスレを立てておきたいと思う。 そのスレからは、私はあまりカキコすることなく、 これ関係の話題を語る場になれば良いかと思う。 実際にはどうなるかは分からないが。
738 :
考える名無しさん :03/10/04 14:16
原則は正しい而して私は正しい。だと。幸福の科学だね。
>737 >単純明快矛盾の無い科学との事 なるほど、面白い情報ありがとうございました。 (独り言ですが、 こういうものが世の中には多いから、「原則」が怪しまれるのだろう。 しかし怪しむだけの人は「原則」の意味が分かっていないだけなのだろう。) 他にも面白そうなものや、役に立ちそうなものがあれば紹介してください。 通りすがりの人も、何かありましたらお願いします。w
せっかく書いていたので、カキコしてみます。 しかしながら、ここから先の話は作り話的な要素も含まれているかもしれません。 実を言えば、「原則」以上に単純なものはないとも言える。 「物事全てが原則という一点から派生する」というのが、原則的な考え方である。 すなわち「原則があれば〜」というのは、ある意味創作したものになるということでもある。 しかしそれらを知ることによって、原則的な発想をより知ることはできるかもしれない。 つまりは「原則」を知ったのであれば、各自が独自に考えるべきなのである。 また、「原則」は全ての真実に繋がっている。人によっては過酷な部分もあるのだ。 そういう発言であった場合には、作り話というつもりでいれば良いかと思う。 また、これらの発言にケチを付けたい人もいるだろう。 彼らには、「原則」そのものを知っているのかどうか?と問いたい。 全ては「原則」によってのみに、通じることが可能なのである。 「原則」が分かっていない人間には、このスレの発言は宇宙人の発言にも思えることであろう。 「原則」を分かっている人間にとっては、笑ってしまう話である。 もっともどんな意見であろうが、意見をしてもらえることはありがたいことでもある。 (つまらない話であるのは私も承知しているところではある。少しでも何かを残しておこうという思いもある。) では、作り話では意味がないのでは?と思う人もいるだろうか。 しかし、意味がないわけではない。 「原則」というルールを基に作られた発言であれば、容易に原則的に読み取ることが可能である。 共に共通の世界を感じているという事実が重要なのである。 すでに「原則」というものが全ての橋渡しをすることが分かっているのなら、その作り話は不要でもある。
ところでしつこいようだが、私の思っていることを一つ。 「原則」というものは、とてつもなく深いものであり、非常に汎用性の高いものであると言える。 逆に言えば、それだけ自然界には類似した要素が多いということである。 恐ろしいまでに意外だが、原則的に納得できる現象なども実際に多い。 あくまで予想でしかないのだが、私が知っている「原則」の効用は6〜8割方なのではないかとも思う。 しかしながら、信じられないくらいに多くの人間が「原則」を知らないのだ。 この世の中の現象は、それ自体が途方もない芸術なのだと言えるだろう。 あなたは世の中のどれだけを知っているのだろうか? そしてそれは、本当に知っているのだろうか? 実のところ、「原則」のみを知った時点では、 世の中のことは全く分かっていないと言っても過言ではないと私は思う。 私自身は「原則」が分かった時点で、何でも分かっていると思っていたのだが、今から考えれば甘かった。 「原則」の影響力の大きさを知る由もなく、世の中を知っていたわけでもなかった。 今ではこれ以上求めても、それ以上格段には知るまでに到らないところまでは到達したのではと (パレートの法則的に言うなら、80%の効率的な部分を得ることはできた)。 しかし分かったことは、自分はあまりにも世の中を分かっていないということである。 分かったと思っていることは、原則的に言う世の中の基本部分と、 原則の一般的な性質ということになるのだろう。
とにかく言えることは、求めていけば行くほど「原則」はそれに答えてくれるということだ。 もしも何かのジャンルで「原則」を求めて突き進むのであれば、時間はかかるが必然的に第一人者になれるだろう。 もっとも、自分が賢い人間であると自認している必要はある(加えて言えば、賢くなろうと思えば誰もがなれる)。 そうでなければ世の中の罠(常識)にハマってしまう。 賢い人間であれば、如何なる状況であろうがそれを打破するための策を練るのである。 自分以外のものにうまくいかない原因を押しつけることは決してない。 何故なら、思い込みではなく心底自分は何でもできると考えているからなのだ。 うまくいかない原因を押しつけた時点で負けを認めたようなものなのである。 できないことはあり得ない。それが駄目でも次の策を練り直すのである。 また、そのような人は自分で全てをやるくらいの精神を持ちつつ、 他人や自分以外のものを最大効率で用いる精神も併せ持っている。 全ては一つの目的(ビジョンであり、それ自体が構造を持つこともある)のために資源を向かわせてしまうのだ。 しかし、得られる方針があまりにも常識とはかけ離れていることもある。 そしてまた言えることは、それによって簡単に名声やGoldが手に入るとは限らない。 もしくは、常識的な基準で短期的に見た場合には、不利にしかならない場合もあるかもしれない。 得られるものが、自己満足に過ぎないことも考えられるのだ。 しかし、それによって成果が表立って現れた場合には、それなりの利益を得ることが可能だろう。 全てはその人間の判断によって決められるべきことなのである。
また、なんども言うが本当に賢い人間でなければリスクを負うことはできない。 「賢い人間」とは、自分で賢い人間であると自認している人物のことである。 ただ「原則」が分かっているだけの場合は、もう一度考え直す必要がある。 そうでなければ痛い思いをすることになる可能性は高くなる。 失敗を周りのせいにする可能性のある場合は、大人しくしておくのが無難である。 賢い人間であれば、失敗する可能性とそのリスクとを秤にかけることができるのだ。 あらゆるものを同時に秤にかけることが可能である。バランス感覚にも優れていなければならない。 その秤は単純だが、階層構造を持つこともある。 究極的に言えば、如何なる場合に置いても無数にある選択肢を秤にかけ、 連続的に最適な手段を選び続けられる自信がなくてはならない。 また、勘違いしてもらわないために一つだけ追加しておく。 仮に囲碁などで神の一手が常に指せるのか?と言われたら、今の私には到底無理である。 しかし言えることは、「神の一手が指せる状態」に近づくための最適な道を探り進んで行けるということだ。 相当の時間がかかることだろう。 話はそれるが、人間には神の一手を指すことはできないという可能性もある。 少なくとも神の一手が指せるのであれば、例えば、今の囲碁のルールは変わっているはずである。 神の一手が指せる人間同士の対決では、対局する前からその勝敗はすでに決まっているわけなのだ。 「神の一手」と「次の最適な一手」との違いは分かっただろうか。 我々がするべき事は、最適な一手を選び続けることなのである。 その一手である行動とは、実際的にはあらゆる行動に万化する。 「原則」を知らない人間には、その一貫性を見抜くことは難しいことでもある。
>738 なるほど。 私の言う「原則」は分かっていないようですね。 言うならば、「原則」は究極の科学でしょうか。 この世の中にある全ての科学・事実は「原則」に基づいている。 加えて「原則」は実学でもある。 「原則」は、真に「幸福の科学」であるとも言えるでしょう。 (「幸福の科学」という言葉は、世の中には虚勢が多いのであまり良い言葉としては通らないと思いますが。) 私は「そういうものがあると見なせる」と、考えているだけである。 それが本当なのか間違いなのかは分かってはいない。 少なくとも言えることは、現時点で「原則」というものを考えている人間は この世の中にはほとんどいないということである(パーセンテージは低い)。 多くの人間は、そのようなことは微塵も考えていないのだろう。 まさか自分の住んでいる世界にそれが反映されていようとは夢にも思わないのだ。 だからといって、みなが「原則を考えるべきである」とは私は思っていない。 考えたいと思う人間だけが考えればいいのである。 しかし誰かがそれを気づかせてあげることがあっても良いと思う。
>738 原則を用いるならこうなるだろう。 「正しい」とかなんだという考え方は、あまり原則的ではない。 己が「正しい」と思い込んでいても、結果が伴わなければ意味がない。 己が「正しい」と思い込んでいても、己にとって日常に不快な事実が多くあるようでは意味がないのだ。 少なくとも私はそう考えている。 「原則」が正しかろうが、間違っていようがどうでも良いのだ。 「正しいのかどうか」というのは、本来どうでも良い(原則的)。 全てがうまく行けば、それで全て良し。誰もが幸福になれればそれで全てが良いのだ。 しかしそれは決して甘いことではない。 原則的な基準で見て、良くなければならないのだ。 妥協は許されない(妥協が原則的に必要な時もあるが)。 しかし、原則が分かっていればそれが一番楽でもある。 苦労は必ず報われるのである。 しかも「苦労」を苦労とは思わなくなる。 全ての行動が、目的に近づくことになることを分かっているからなのだ。 本当に役に立つ考え方を求めて行こうと考えるのが原則的でもある。 批判ばかりしているようでは原則からは遠いのだ。 意識は評論家ではなく、実行者(プレイヤー)なのである(もちろん評論も重要である)。 実行する者こそが真の実力を備えていなければならない。 「本当の実力」という言葉を聞いて感情的に否定的な態度になったのであれば、 その人は本当の実力を知らないのである。どこかで妬みを持っているのだ。 口で「あーだこーだ」言っていても何も始まらない。 行動しなければ世界は変わらないのである。
何故に多くの人間が苛立ち、つまらない日々を過ごしている(そういう人もいる)のかと言えば、 自分の行いが、思った通りに世界に反映されないからである。 やってもうまくいかない。成果がなかなか上がらない。・・・etc また、この世界は自分の思ったとおりの世界ではないからなのである。 理解できないものが数多く存在する。なんであれはこうじゃないのか!(怒)と。 こうだろうとただ思い込んでいるだけで、本当にそういう世界であると知っているわけではないのだ。 結果として、正しいと思い込んでいた認識が過っていた為に、知らずに不快になっていたのである。 ましてや、自分の世界を他人に押しつける人間まで存在する始末である。 私もさんざん苦労させられてはいた。今は「原則」によって吹っ切れてもいるが。 また、「原則」を受け付けない最大の原因は「妬み」にあるのだろう。 「原則が使えれば、すべてがうまくいく。」 人生経験のない人・どうしようもなく困っている人、そういう人には飛びつきたくなるような話でも、 中には、感情的にそういうものがあって欲しくないと思っている人が多いのも確かなのだ。 また逆に言えば、力がなくとも「原則」に頼ることで、己以上の自信を勝手に得る人もいることだろう。 やっていることが原則に則したことであれば、それも悪くはないだろう。 原則的に困る事態と言えば、 自分が正しいと思い込み、それを周りにも推し進めている人である。 その通りにやらなければ、その人によって作られたペナルティを課されてしまう場合である。 その人は、自分を正しいと自分に思い込ませることによって、自分自身を救っているのである。 原則的に見れば、被害者であるとも言える(それ故「原則」を直接伝えることはできないのである)。 私の言う「原則」はその限りではない。 少なくとも「原則」を無視したところで、私があなたをどうすることもできない。 原則に従う必要は全くないのだ。あなたは自由なのである。 ただ原則的に言えば、全ての行動に対する結果は、知らずのうちに原則によって作られているのである。 それが「原則」なのだ。
また別の話になるが、 原則的な世界に移行するためには、多少の犠牲を払う必要はあるだろう。 しかし、今の世界では至る所で無駄な労力が使われている。 それに比べたら大したことはない。 また、その犠牲というのは原則的に必要なものでもある。 行動するためにはエネルギーが必要になるのと同じ事である。 当たり前とも言えるが、 原則的でないものを原則的に持って行くには、多少の摩擦は生じてしまうのである。 このスレを読んで不快に思う人も少なくないはずである。 そういうところにも犠牲が現れているのである。 私が手っ取り早く世の中に「原則」を広めようとしないのも、 徐々にそういう環境を作っていかなければ、それだけ多くの摩擦が生じてしまうからなのだ。 仮にも多くの人が「原則」を知るようになれば、 私一人が叫んでいる状況とは違う環境になることは確かだと思われる。 全く同じ「原則」を広める場合にも、信用度が変わってくるのである。 つまり、今の世の中はまだ完全に(人類が)原則的であるわけではないことの一つの証拠でもある。 ・・・
語り口がとある教団のとある教祖に似ていたんで、煽ってみた。んで、 妬みが多いのは、優秀なまま楽したい人が多いからだろうね。 才能のせいにして伝えなきゃよい。こういう無意識者多いよ。 安楽のために成長を牛耳る支配といったところかな。 誰かが成長しだすとどぎまぎするタイプ。自分の犬に 成長をかませたりしてる。 現自身が最高であるために他人を苦労させる太鼓腹だね。 なるべく詰まらんことを気にさせて忙しくさせときゃいいんだ。(一部女性) 正しさに関しては自分とはねじれの位置にあるということにしてるよ。 この全文。仮定ということで御願いね。
>>749 正しさってのは何かの物事を判断する誰かの主観にすぎないからねぇ。。。
ねじれの位置ってのがどういう位置なんだろう?よくわからん。