【事象そのものへ!】現象学【phanomenologie】
1 :
考える名無しさん:
いよいよ先細りして行く現象学に、果たして未来はあるのか。
先細りしていないので。
俺は先太りだけど。
4 :
考える名無しさん:03/01/29 23:42
むしろ現象学だけは「現象」がある限り、
存命すると思うのだが。根拠はありません。
とゆーか
志向性じゃね。大事なのは
6 :
考える名無しさん:03/01/29 23:54
60年代以降に主にフランスでどんどん先鋭化しちゃったから(いわゆる神学的転回)、
それを先細りといえなくもない。マリオンなんかを読むと特にね。
現象学の中心的問題ということになってる志向性だって、
分析系の人たちの議論が山ほどなされていて、
そっちの方が場合によってはポピュラーだったりするし。
さてどうするよ、現象学徒諸兄?
7 :
考える名無しさん:03/02/03 22:02
age
8 :
考える名無しさん:03/02/10 17:33
竹田現象学は間違いだらけ。
こいつがA級戦犯。
9 :
考える名無しさん:03/02/10 17:35
この板で「竹田現象学」と呼んだのは誰ダッタッ毛。
スレは落ちたけど呼び名は残ったね。
誰だか知らんが、竹田現象学に対しての批判なら何だってイイから、
竹田スレで直接、オレを名指しで批判しろっつってんだろ?
そしたら何でも答えてやる。フッサールの文献を直接当たっている奴なら、
それに沿って答えてやる。
だから、陰でコソコソすんな。
はあー、しかし知ったかぶりしてる奴ってのは、ホントに情けないね。
同情と失笑を禁じ得ない。
自分の不勉強さを水準に、他人の読書量と知識の幅を計ってやがる。
マトモに勉強してる奴だっているんだよ。
オレは善意の固まりだから相手にしてやるけど、普通、アホかの一言でチョンだぞ。
昔から2chにはアホ垂れが多かったけど、とりあえずは議論する根性があって
ちゃんと向かってきたもんだぞ。ポコチンついてんのか、ボクちゃん達は。
>>8 こらボケ。オメエだオメエ。
オメエみてえに利口ぶった奴が、恥をかくのを見るのが大好きでね。
デリタだ?
オーケーいいだろう。相手んなってやる。
竹田のデリタ理解について不明な点があったら、具体的に書いてこい。
日本語読めるよな? 具体的にだぞ。
11 :
考える名無しさん:03/02/22 16:43
デリダ「自分が話すのを聞きたい」
竹田「自分が書いてるのを惚れ込みたい」
フッサール「志向性とは嗜好性である」
(^^)
13 :
考える名無しさん:03/03/16 09:46
なんで現象学スレこんなに流行んないの?過去スレageて
超越論的還元は、ある意味で「修行」みたい。というのは、還元をしようとしても
すごく(非哲学的に)疲れるし、不自然です。こんな疲れる地点をスタートにして
根源を求めるというのでは、どこか現象学というものは根本的に間違っている
という気がしてならない。このへんについてどう考えられますか?
15 :
考える名無しさん:03/03/26 23:26
現象学に限らずまともなテーマは今の哲学板では流行らないの。
超越論的還元ってすべて宙ずりにされて、存在や真偽もいったん「停止」してしまうこと?で、あってるとするなら
なんでその前提に「起源に遡る」みたいな因果律の発想がはたらくのかわかりません。
あと論理的思考さえも「停止」したとしてそれは哲学になるのですか?そこが分かりません。
17 :
考える名無しさん:03/03/27 01:40
とりあえず現象学だけでもまともに語れる人がいればいいのにね。
現象学は学なんですか?方法なんですか?
19 :
考える名無しさん:03/03/27 04:10
方法でしょ。
じゃあ方法をまともに語るってどうゆうことですか?
まず語り方が方法であるわけで、「現象学」という方法を「語る」という語り方の方法に委ねるんですか?
「方法」をいくつか方法のあるうちの「一つの方法」に委ねるわけですよね。
まともさはどこに存在し得るんですか?
フッサールの一冊も読んでからそういうこと言ってくれよ。
答えることができないのですか?
現象学かあ、最後の近代哲学ってイメージがあるなあ。
24 :
考える名無しさん:03/03/27 17:24
とりあえず現象学だけでもまともに語れる人がいればいいのにねw
25 :
考える名無しさん:03/03/27 17:40
>>22 逆に聞くが、
おめえの「学」「方法」の二分論の根拠はなんだ?
「学」とやらに「方法」が包括されていないというのか。
「語る」ことに関する疑問は、
現象学的記述における批判と通底している。
くわしくはデリダでも読みなされ。
分からんかったら僕に聞きなさい。
僕の意見が聞きたいならば、まずフッサールをある程度読んできなさい。
それが面倒なら新田義弘の「現象学とは何か」でも読みなさい。
それも読めないなら斎藤慶典の「フッサール・起源への哲学」でも読みなさい。
これが難しければ竹田せいしの概要本でも読みなさい。
あの、実は斎藤さんの授業とって、
1年間それ読んできたんですよね。
で、疑問に思ったことを書いたわけで。
で、「学」と「方法」の二分論は、ハイデガーの「存在と時間」からとっています。
間違っていたらすいません。
で、本の紹介じゃなくて、疑問に答えてほしいんですよね
28 :
考える名無しさん:03/03/27 23:17
>>26 慶應のゼミってどう?
レベルは。
これはと思うやつはいた?
飯田隆(名前あってるかな?)ってのは、普段普立ち食いそばたべてそうな普通のおっさんだけど
授業は面白いと思います
ゼミはまだ入ってないんでわかりません
そんなことはどうでもいいんですが
疑問にこたえてほしいんですな
30 :
考える名無しさん:03/03/28 00:32
慶應の恥だ。お前は。
すいません
32 :
考える名無しさん:03/03/28 00:36
まだゼミに入ってないやつ=2年生で、あの授業に出ていた人…(含笑
ごめんなさい
なにか嘲笑されることをしたのですね
ごめんなさい
34 :
考える名無しさん:03/03/28 00:42
西研はどうですか?
『実存からの冒険』読んでて解りやすいなあと思ったんですが。
35 :
考える名無しさん:03/03/28 00:43
いや、簡単に特定されそうなことを書いていたから…。
俺は慶応生じゃないからこの辺までしか分からんがね。
見る人が見たら一発かもよー
36 :
ななしっこ倶楽部:03/03/28 00:46
事象そのものって言葉が曖昧。
現象という言葉も曖昧。
超越論的方法に頼っているのも曖昧。
結局自己意識の問題に行き着くのも曖昧。
現象学でなくてはとけない問題(擬似問題除く)が見当たらないのも曖昧。
上記の理由で現象学は、せいぜいフッサール学とでも呼ばれるのがよろし。
37 :
考える名無しさん:03/03/28 01:27
デカルトの焼き直しみたいなもんでしょ?
38 :
考える名無しさん:03/03/28 02:08
39 :
考える名無しさん:03/03/28 03:17
>>33 慶應で2年間学んで、貴様はその程度のアーギュメントしか発せられんのか。
情けないったらありゃしない。
はい、すいません
あなたのおっしゃるとおりですね
で、疑問には答えることは出来ないんですか?
41 :
考える名無しさん:03/03/28 23:17
お望みどおりこたえてやるよ。判断停止っていうのは、君の考えているような思考停止ではない。
存在妥当の中立化、こっちはいいな?私に現れる事物が実在しているかしていないかは問わず、
ただ現れたものとして扱うこと。
真理妥当の中立化、これは、私に与えられた信念ないし言明の真偽についての判断
を停止する、ということ。で、このとき大事なのは真偽を停止する、というのが
具体的にはどういうことなのか、だ。
私に現れる思われと、私の外にあるなにかが一致していることがこの場合の真理なのはいいか?
これを停止するということだ。つまり、私の外に思われと一致したりしなかったりするなにかが
私を離れて実在するという自然的態度を停止するということだ。わかったか?
この意味で停止される真理と、還元を経た後の明証性という真理は断固区別されてるの。
まったく、斎藤さんが泣くぞ。一年授業うけたんだろ?
すいません。けど斎藤さんは実際には泣かないと思います。
「私の外に思われと一致したりしなかったりするなにかが
私を離れて実在するという自然的態度を停止する」ってのは
「私の外」と「私の内」という態度を停止するということなんですか?
この「私の内・外」の概念ってのは実在論の中で昔からあります(と思うんです)が、
フッサールの態度が正しいと仮定して
なんでそういう概念が想起されたんですかね?
あと現象でないものは存在するんですか?っていうのも「現象」概念を規定するとき「現象」が存在するには
「現象でないもの」が存在しなければ規定できないと思うんですが
43 :
考える名無しさん:03/03/29 00:07
>>42 あのなあレトリックって分からんか?
実際泣く泣かないが問題になっているんじゃないの。
わざとやってるでしょ?そのすいませんの連発といい。
はっきりいって不愉快。弁明したらその質問にも答えてやるよ。
ただ弁明のするときに、
>この「私の内・外」の概念ってのは実在論の中で昔からあります(と思うんです)が、
>フッサールの態度が正しいと仮定して
>なんでそういう概念が想起されたんですかね?
これをもう少し分かりやすく言い直せ。
何が聞きたいのかがよくわからん。フッサールは実在論の構図をなぜ持ち出しているのか、
ということか?
何怒ってんだこいつは?
あのなあアウトルックって分からんか?寝ながらAV見れるんだ。
46 :
考える名無しさん:03/03/29 00:46
47 :
考える名無しさん:03/03/29 00:47
慶應関係者としてはこいつマジ痛いから失せて欲しいね。
48 :
考える名無しさん:03/03/29 01:09
44,45僕じゃないですよ、ほんとに。
いや分かりずらくてすいません
もともと、「私の内・外」の構図がなんで出てきたのかなあと思って
それが存在しないにも関わらず(フッサールの言うには)
と思いました
端から見るとイタい奴しかいないようだが。
51 :
考える名無しさん:03/03/29 01:18
おまえを筆頭にな。
53 :
考える名無しさん:03/03/29 01:27
>>49 私に外も内もないのは還元されたあとの純粋現象としての
私に与えられたものだろう?自然的態度において私の内・外という
考えは簡単に出てくると思うが。
この自然的態度から脱却することが還元だろうに。
お前、曖昧な記憶だけでフッサールを理解してるだろ?
あとな、「現象」の定義のために「現象しないもの」が必要になるだぁ?
「現象しないもの」という言葉でもってしっかりと与えられているものは
現象と言っていいんだぞ、まったく。現象にならないものなんて普通の意味ではない。
斎藤さんの本の明晰さの弊害かな。現象しないものっつうのは凄く微妙な問題なんだよ。
「顕現せざるものの現象学」を甘く見るとやけどするぞタコ
たかが理屈ごときでアツくなるなよタコ
>>53 KKKは、その「顕現せざるものの現象学」を、実は嗅ぎ取っていたかもしれんぞ。
フッサールの地平概念とからめて、研究論文でも紹介してやれよ。
56 :
考える名無しさん:03/03/29 07:14
57 :
考える名無しさん:03/04/10 17:50
age
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
age
61 :
考える名無しさん:03/04/26 03:08
>>36 それらの言葉は還元を言い表すための媒介に過ぎないから、
現象学者にとって、それらの言葉のあいまいさは問題にならない。
結局自己意識の問題に行き着くは誤解でしょう。自己意識によって妥当させられるメカニズムを
明らかにしてそれを基盤にして諸学が妥当させられている根拠を理解し
共通了解を得るよう努力してみようってのが現象学の狙いだから。
現象学でなくてはとけない問題が見あたらないのは現象学は問題をとく過程が
どう妥当させられているかに自己言及しようとする体系なんだから当然といえば当然だね
62 :
考える名無しさん:03/04/26 03:21
>それらの言葉は還元を言い表すための媒介に過ぎないから、
現象学者にとって、それらの言葉のあいまいさは問題にならない。
初めて聞いたなそんなこと・・。ならなぜ言語で現象学を理解させようとしてるか
理解に苦しむ。ていうのは当然音楽や記号、ジェスチャーでやろうとしている学も
あることはあるからさ。言語から抜け出してない時点で、少なくとも言語哲学から
は相手にされないだろ。自己言及はもっとその先だぜ・・
63 :
考える名無しさん:03/04/26 03:30
現象学でいちばん曖昧な術語が「曖昧性(両義性)」だったりする罠。
メルポンとか逃げちゃうっしょ
メルロチンポ
66 :
考える名無しさん:03/04/26 05:52
とりあえず、社会学から消えてくれそうだからそれでいいやw
ほんと、下らない哲学の議論をもってこないで欲しい。
現象学なんかのせいで、社会学は人文オナニーに堕することになっちゃったわけだし。
引用するなら、やっぱし経済学・法学じゃなきゃいかん。
そうではなく、哲学って・・・あほ?
このスレには高校生しかいないのか
70 :
考える名無しさん:03/04/29 07:24
いえ、アホな社会学科の学生だけです
フッサールって偉い数学の先生の元で数学やってたんだよね。
72 :
考える名無しさん:03/05/04 06:42
現象学の方法論は理解出来ても、その方法論を用いて実践するのは
とてつもなく難しい。
73 :
キャロルくん:03/05/04 11:43
はじめまして! ボクは、フッサールなどの現象学を勉強していますが、
「現象学って難しいですね!」 「還元に関することが・・・・・
特に超越論的還元の意味が難しいです。」 「生活や自然的実証性から
純粋な 超越論的主観性の意味がわかる人はいますか?」
「わかっている人がいたらぼくに教えて下さいね!」
といっています。
だれかわかる人がいたらキャロルくんのスレに書いてあげてね!
http://book.2ch.net/test/read.cgi/books/1034769192/l50 あと、・・・・先生のHPが、新しい特集を創めました。 その名は、
ありすちゃんとウェーベルン氏の現代を撃て!
ありすちゃんとウェーベルン氏の夢の対談が実現!
ありすちゃんとウェーベルン氏が、現代社会を
政治、社会、経済、科学、文化のニュースから斬り,様々角度から議論する。
第一回は、コーヒー浣腸はガン治療の決め手になるのか? です。
http://www12.brinkster.com/uhikaru/a&w.htm みなさん、マタマタお楽しみがフエマシタネ!
???????
74 :
考える名無しさん:03/05/18 04:01
はじめて哲学板に来たものなのですが、
2ch 顔文字辞書を導入して「フッサール」と変換したら、ミ゚Д゚,,彡が出てきてびっくり。
それだけです。生活世界と境界がよくわかりませんがそれは別にいいです。
74ですが、「境界」ってなんやねんと、寝ぼけていた自分に突っ込みを。
「地平」のことを言いたかったんだと思います。
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
『現象学を超えて』
ディディエ・フランク著
本郷均(ほんごう・ひとし)ほか訳 萌書房
本体2800円 22cm 218p
4-86065-006-9 / 2003.05
79 :
考える名無しさん:03/05/30 17:23
萌え〜
81 :
考える名無しさん:03/06/03 23:29
モーリス・メルロ=ポンティ『意識と言語の獲得 ――ソルボンヌ講義1――』
「意識と言語の獲得(1949-50年度)」
「大人から見た子ども(1949-50年度)」
木田元・鯨岡峻(訳),鯨岡峻(解説)
みすず書房,1993/06/21,ISBN4-622-03184-1,286p,210*148cm
2003/04/21再刷
中期言語学の始まりを告げる講義。
ロマン・ヤコブソン、ニコライ・トゥルベツゴイの音韻論が登場。
2つめの論文ではジャック・ラカンも紹介されている。
解説は発達心理学者によるもので、
読者は発達心理学のパラダイムに少しだけ触れることができる。
ところでこれの2-3巻は出るの?
『幼児の対人関係 ――ソルボンヌ講義2――』
「子どもの意識の構造と葛藤(1949-50年度)」
「子どもの心理-社会学(1950-51年度)」
「幼児の対人関係」第1部(1950-51年度),第2部(1950-51年度)
『人間の科学と現象学 ――ソルボンヌ講義3――』
「人間の科学と現象学」第1部(1950-51年度),第2部(1951-52年度)
「児童心理学の方法」(1951-52年度)
「他者経験」(1951-52年度)
『メルロ=ポンティコレクション1 人間の科学と現象学』の解説を見ると、
いちおう刊行予定があるみたいだけど……
82 :
考える名無しさん:03/06/03 23:32
>ニコライ・トゥルベツゴイ
トゥルベツコイのタイプミスでした。
83 :
考える名無しさん:03/06/03 23:36
そうなるとワロンやピアジェも
読まないといけないな〜
84 :
考える名無しさん:03/06/10 09:08
マスコミの「盗聴、盗撮」は許されるの?その9
http://natto.2ch.net/mass/kako/1016/10165/1016527634.html 54 名前: かおる ◆31hpx6to 投稿日: 02/03/22 04:20 ID:SNZoz4gQ
作家を目指して勉強中の男のネタをねらって、盗聴盗撮のストーカー行為が
行われた。収集したネタと引き換えに利得を得た彼らは、作家の口封じに、
彼の情報から虚偽の危険人物を作り上げ、巷にうわさとして流布した。
作家を危険人物と認知した者達は、グループを結成し、監視体制を確立した
が、作家本人からの事情は聞こうとせず、監視と犯罪者に対する私刑は、延々
と行われた。
85 :
考える名無しさん:03/06/13 23:47
メルロ=ポンティ コレクション(みすず)と、
それ以前に出てたの(みすず)って訳は変わってますか?
86 :
考える名無しさん:03/06/14 03:40
ポンティの「幼児の〜」読んだんですが、鏡のとこの質問があります。
もし、鏡のない国だったら子供はどうなるんですか?
87 :
考える名無しさん:03/06/14 04:08
想像力がないね
現象学にも哲学にも未来はない。あるわけないだろ。
つまらん言葉の羅列はもうやめにしたらどうだ?
現象学スレでは、昔あった、「サルでもわかる現象学」とかいうスレがわかりやすくて、おもしろかった。
若頭さんと、誰かが論争してたやつ。
でも、現象学って、簡略化して言うと、なんか当たり前のことしか言ってないよね。
内に内に入りすぎて、哲学的に非生産的なような気がする。
フランス現象学は現在、ある意味では神学化・形而上学化している。
91 :
考える名無しさん:03/06/27 04:14
人工知能の研究者にとって「知覚の現象学」なんか
相当、意味があると俺は思うんだけどね。
92 :
考える名無しさん:03/06/27 04:21
終わっているね
93 :
考える名無しさん:03/06/27 04:22
終わってるかも知れないが「退化」したんだよ。
94 :
考える名無しさん:03/07/05 02:52
頭も現象学者ですか?
こんどは現象学か
現象学って終わったの?
フランスの現象学の限界が明らかになったというだけで
フッサールは可能性があるのではないの?
97 :
考える名無しさん:03/07/13 22:23
超越論主義を創始したのはカント?
それを発展させたのがフッサールでいい?
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
放置されてた・・・
100 :
考える名無しさん:03/07/15 17:03
超越論主義ってなんですか?
おお、返事が来た >100
僕がイメージしているのは、時間空間を客体として捉えるのではなく、
人間の側にあるというカントの超越論的観念論のこと。
世界を人間の認識の側にあるとする考え方全体のことかなぁと思った。
「超越論主義」という言葉自体はフッサールの「危機書」に書いてあった。
「客観主義」と対置して。超越論主義の最終形式が現象学って書いてあった。
今現在、世界の捉え方において、「客観主義」と「超越論主義」どちらが優勢なのですか?
特に分析の人はどう考えているのでしょう?
例えば、世界が数学で成り立っている(様に見える)のは・・
「世界という書物は数学という言語で書かれている」
といったガリレオ(?)が客観主義の代表で、
一方、カントは、人間が数学というフィルターを通して認識するから
世界は数学で構成されているように見える、と言った(と思う)
こっちが超越論主義だね。
他の哲学者はこの現象に関して、どう考えているのでしょう?
知りたいのです。
知の欺瞞は止めなさい。
あなたが文系なら、すべてを諦めなさい。
105 :
考える名無しさん:03/07/15 17:35
レスサンクス。
>>101 フッサールの用語ですか。
買っただけで放置してる『危機書』(中公文庫)見たら
第14節に確かにそのような記述がありました。
「超越論的哲学の最終形式である現象学」
>>105 そうです。ズバリ14節です。
僕もまだ読みかけで、フッサールの著作はこれが初めてです。
カントのコペルニクス的転回に感心し、
それの深化版(と思われる)現象学に興味を持っています。
特に
>>103は気になります。
107 :
考える名無しさん:03/07/15 17:59
フッサールは『現象学の理念』を読んだことがあります。
論理学を心理学からアポステリオリに導出しようとするミルなどの
立場に反対するなかで、論理学をアプリオリに基礎付けるカントに
接近したようです。
超越論的とは、その起原は経験に先立つが、あくまで経験に適応
されるということですよね。経験を越えて適応することを超越的
といって、超越論的と超越的がカントの用語では区別される。
そんな感じだったと思ったけど、フッサールのいう超越論的が
カントのそれとどう違うかはわからない。
これでは読んだうちには入らないですね。また読まないと。
で?
109 :
この問いに答えよ:03/07/15 18:11
【3:379】だいたい君ら数学できんの?
1 名前:考える名無しさん 03/06/14 06:02
頭わるいヤシ多すぎないか?
110 :
考える名無しさん:03/07/15 18:15
前々から疑問だったんですけど、超越論というのは、人間は人間の認識フィルターを通してしか認識できないから、
物自体に関しては認識し得ないという考えですよね。
でもその考え自体が人間の認識なんじゃないかと思います。
つまり、人間の認識以外は認識しようがないから、超越論は不可能
なのではないかと思うのですがどうでしょうか?
そうだな、フッサール自身のもくろみとは無関係に
「世界の数学化、ないしは不明瞭な仕方でそれにならう
合理化__幾何学的秩序による哲学__に対する疑念」
なんてのを、数学が出来ない自分を慰めるために
使ってるのかもしれないな。
フッサールも数学の有用性を否定している訳じゃなくて
その有用な数学ができない自分は、その意味で役立たずなんで、
「数学できんの?」と軽蔑されてもしかたないですね。
112 :
考える名無しさん:03/07/15 18:27
>>111 ということは、やはり超越論は論理的にみて
不可能ということでよいのでしょうか?
フッサールの数学力の心配より、自分の数学の力の現状を直視すべきではないか?
114 :
考える名無しさん:03/07/15 18:32
>>113 もちろん数学は勉強するが、問題なのはこの世は全て数学で成り立っているのか否か?
ということです。どうなんでしょうか?
人の意見を聞きたいのですが。
>>112
ワロター
116 :
考える名無しさん:03/07/15 18:35
>>115 いや、何かあなたの考えを教えてください。
ずっと引っかかっているんですよそこが。
脱力感ニオソワレマスタ
118 :
考える名無しさん:03/07/15 18:36
119 :
考える名無しさん:03/07/15 18:39
超越論が成り立つのか成り立たないのか。そこが論点です。
馬鹿かも知れませんが、実はそのスレを立てようと思ってた矢先でした。
だれかこの疑問に答えを与えてください、お願いします。
121 :
考える名無しさん:03/07/15 18:49
>>120 僕も初心者ですが・・
超越論が成り立つとは、物自体が認識できると言うことですか?
超越論的(transzendental)認識:
対象そのものに関する認識ではなくて我々が一般に認識する仕方
(それがアプリオリである限りの)に関する一切の認識を超越論
的認識という。
これはカントの『純理』の緒論の7にある定義。
123 :
考える名無しさん:03/07/15 18:58
>>121 ああ、なるほど。僕が勘違いしてました。
超越論が成り立たないとは、カントやフッサールの観念論が誤っていると言うことですね。
124 :
tohtoshi@message:03/07/15 19:45
人は「間違いだらけの人生で、後悔ばっかりした生活だった」とよくぼやきます。
多くの人々は世間体とか、自分の欲望や嫉妬などにより生き方を誤るものです。
まあ、時には道を踏み外しても気が付いて反省し、元の道へ戻ればよいでしょう。
失敗から何かを学び、それを教訓にして先に進めば道は開けるものです。
自力で己の人生を切り開いて行こうと努力することが大切です。
根本的には常に真理を念頭や心の底に置いて考えて行動するという志を持つと共に自分の
心のレーダーを磨かなければ、あなたの大切なバラ色の人生である未来の道は開けないものです。
この件に関する出典の説明がHP↓にあります。ご参考に。
ttp://www.d7.dion.ne.jp/~tohmatsu/
125 :
質問君(=97):03/07/15 23:53
>>119 同意です。
科学は基本的にそれ自体で存在する客観的世界を前提にしていると思いますが、
フッサールが活躍した時代は、その客観的世界の出来事としては到底理解できない
現象が次々と見つかったそうですね。
世界という書物の言語と思われていた数学も、絶対的な体系を想定することを
許されないことがわかりました。
そう考えれば、(人間とは無関係に)唯一真である客観的世界を想定することは
間違っているように思えます。
しかしそれでいて、数学で成り立つ世界それ自体が存在しているようにも思えてしかたありません。
現在、現象学は主流ではないと聞きますが、哲学界にも客観主義が復活したのでしょうか?
哲学の自然化 the naturalization of Philosophy
って言葉があるみたい。経験科学と手を取り合う哲学て感じかな?
認識をあくまで自然の一過程として捉える。
127 :
質問君(=97):03/07/17 22:11
>>97 自己レスだけど・・。
『危機書』に、ちゃんと超越論的哲学の流れが書いてあった。
デカルトの、すべてを疑った末に残った「思う我」を絶対の基盤にした
ことが超越論主義の始まりでしたな。
(それでもデカルトは客観主義に向かったが・・)
しかし、フッサールは「退屈でつまらない」と聞いてたから、
敬遠してたけど、『危機書』はおもしろいですな。
まだ途中だけど。
128 :
質問君(=97):03/07/17 22:20
>>126 >哲学の自然化 the naturalization of Philosophy
ですか。
気になりますね。科学哲学とは違うようですね。
129 :
質問君(=97) :03/07/19 01:19
ふむふむ。
実証諸科学は、我々が実際に経験している日常の世界を素材に、
唯一真である(と思われる)抽象的な客観的世界を構築する。
しかし、その客観的世界を基礎づける基盤である日常世界は未だ解明されていない。
基盤が解明されていないのに、その上に建造された建造物(実証諸科学)
が頑健なものといえるのだろうか?
学問の危機とは、それが立つ足場の不安定さへの問いであり、
この書の目的は、あらかじめ与えられているその日常世界の
普遍的な与えられ方を問うわけである。
というわけで、この辺りまで読んだ。。。
久しぶりに上げるか・・
『危機』書、読了まであと10ページほど。
前半の超越論的哲学の歴史・意義、科学的客観主義の世界観への反駁等は
何とか理解できた。大変刺激的でおもしろかった。
後半の現象学的還元に関してはほとんどわからない。
(フッサールを読むのはこれが初めてだからしょうがないけど・・)
いつもながらの感想だけど、哲学者というのはホントとんでもないことを考えますな。
私の中の常識的世界観がグラグラ揺れっぱなしです。
ホント哲学はおもしろいですな。
131 :
質問君(=97):03/08/04 00:34
ところで、フッサールを読んでるおかげか、ようやく「超越」「超越論的」がわかりました。
それで想い出したのですが、大森荘蔵は
「超越論的とは何かわからない」
と言っていたそうですね。
これは、大森が実在論者であることを述べているわけでもないし、もちろん、「超越論的」の
語義が理解できないという意味でもないでしょう。
この言葉で大森は何が言いたいのですか?
大森の世界観と超越論的観念論の関係はどのようなものなのでしょう?
132 :
質問君(=97):03/08/04 00:34
また、彼は
「なぜ私が死んだら、私の葬式を見れないのか?」
とも言っていたそうです。
大変意味深で、大森世界観を理解するのに重要なキーワードだと思います。
大森の著作はけっこう読んだのですが、未だ彼が世界をどのように見ていたのか
「感覚的に」理解できません。
わかりやすく説明できる方、教えてください。
133 :
質問君(=97):03/08/04 00:35
余談ですが、
『危機』書の世界観と、『知の構築とその呪縛』のそれの「視点」は大変似ていると思います。
大森って、現象学的方法(同語反復ですが)で、自分の理論を組み立ててますよね?
ここも駄目だな、昔からの繰り返し。
135 :
考える名無しさん:03/08/04 00:38
現象学なんて、所詮コンピュータである脳の働きの構造解明にすぎない。
要するに脳生理学の文学板だよ、全く意味ねーつーとる
/⌒ヽ
/ ´_ゝ`) すいません、通りますよ・・・
| /
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U .U
138 :
質問君(=97):03/08/05 06:06
>>135 >現象学なんて、所詮コンピュータである脳の働きの構造解明にすぎない。
これは違うんじゃないかなぁ?
前述した通り俺は、フッサールは『危機』書しか読んでないし、脳生理学にも
うとい初心者。それを理解してもらった上で以下叙述。
まず、どこが違うかと言えば、目的が違う。
・脳生理学 ー 脳の働きと心の働きとの関連を探る。
・現象学 ー 客観を確信させる根拠を探る。
そもそも現象学は、脳生理学が前提としている、「主観と客観は一致する」
認識観に対する疑念から出発している。それは、脳生理学が客観世界を
その活動の場としていることに対して、現象学は主観を考察の場としていること
にも現れている。脳生理学が前提としている地平を考察するのが現象学。
現象学は脳生理学よりも、より根源的な地平に立っている。
139 :
質問君(=97):03/08/05 06:07
例えば、目の前に鉛筆がある。
それが、「(幻でなく)事実存在している」ことを確信して、それ以上疑うことに
意味のない不可疑牲の根底を探るのが現象学。そのような根拠は、脳を
いくら観察しても出てこない。
現象学を見事に応用した実例だと言われる『存在と時間』も、(その内容が
正しいかどうかは別として)脳生理学からは帰結されない地平で考察されている。
脳生理学の研究内容を再考察(哲学)してこの地平に立つことはできても、
脳生理学という学問自体からはこの地平は生まれない。
脳生理学(に限らずすべての学問)は、現象学という学の地盤の上に立てられたものだと思う。
現象学批判大歓迎。誤りがあれば、突っ込んでください。
そろそろハイデガー以後の応用例をつくってもらいたいのですが。
141 :
質問君(=97):03/08/05 06:41
俺はハイデガーの著作のいくつかしか読んだことないから知らないけど、たくさんあるんじゃないの? >140
142 :
考える名無しさん:03/08/05 08:13
>>139 事実存在している、じゃなくて疑いようもなく現象している、
じゃないの?
超越論的領野においては事実的存在も判断中止されてるわけだから
あと、現象学は「主観と客観は一致する」
認識観に対する疑念から出発している、というあなたの定義だけど、
こういう認識論的な態度からだけでは、現象学とカント哲学の違いを説明できないことない?
前述した事実的存在も、「主観」としての「わたし」も、超越論的領野における
構成の所産と考えるのが徹底したフッサール哲学の立場じゃないかな?
「主観」というのも曖昧な言葉だけれど、例えばカント哲学における「先験的統合」と
いった多様なものの統一、「わたし」の根源的機能さえ、現象学では
還元にかけられるわけです。
「」をやたらと多く使いたがる人っているよね。
科学とか哲学のスレで特に多く見うけられる。
言語表現に不自由で「」に頼りたくなる彼らの気持ちはわかるけど
スレを汚してるってことに気づいてほしい。
電波は受信しても放出しないでね。
>>144 たしかにね、カッコに入れてその言葉の定義を曖昧にして、
説明を回避しようとする怠慢さはあるかもね。
でも、143とかは前述のレスを指示する、という役割と
わたし、とか主観、とかいう言葉が、現象学においてとりあえず
借定された、宙づりの言葉に過ぎない、という意味もあるわけよ。
それこそ判断中止じゃないけども、私や主観といった言葉を文字通り
カッコに括って、超越論的に遡行して考えようということで。
哲学板でカッコが多いのは、必ずしも言語表現の不自由を意味するものではないよ。
メタ言語の次元とか、超越論的領域での臨界思考においては、
言語を安易に用いることができない、つまり言語に対して懐疑的なスタンスを
取らざるをえん、ってことじゃないの。
146 :
考える名無しさん:03/08/05 22:43
借定って何?
そてい
148 :
考える名無しさん:03/08/05 22:49
措だよ
149 :
考える名無しさん:03/08/05 23:02
漢字間違いスマソ
「」を付ける理由がちゃんとあるのであれば気にせず付ければ良いのでは?
142は無理して「」を外見上はずしただけのように見えるのだが・・・
態度はすごくうれしいんだけど
これなら「」が有った方が良かったよ。
無理してはずすとどこが「」付きで読み取らなきゃいけない
単語なのかさえもわからなくなってしまう。
だよね。
特に掲示板の議論だと、カッコが果たす役割って大きいと思うのよねー
ま、たしかに現象学においては特殊な言葉使いが多いだけに、
外すにしろ囲ってみるにしろ、よーく考えてみます
ただはずしたりつけたりすればいいわけでもないだろ。
他の文章からの引用ならつけて引用で無いなら付けないのであって
「囲ってみる」とかはありえない。
「」を付けるのは試しに付けるのではなく引用かどうか
153 :
考える名無しさん:03/08/06 01:51
>>152 現象学の解説書読んでみな。
「」だらけだから。
「「」でくくる」とか。
155 :
質問君(=97):03/08/07 01:14
>>142 >事実存在している、じゃなくて疑いようもなく現象している、じゃないの?
そうだった。指摘ありがとう。
>あと、現象学は「主観と客観は一致する」・・・
>・・・現象学とカント哲学の違いを説明できないことない?
出発点に関しては、二元論の克服で同じでないの?
出発点(問い)は同じでも、過程と結果は変わってくる。
客観の世界、法則を(無意識のうちに)前提として、そこから帰納的に
主観の構造を説明したのがカントの超越論。
フッサールは、客観を想定せず、あくまで主観の内での内省にこだわった
、、、って感じ?
156 :
質問君(=97):03/08/07 01:22
>「主観」というのも曖昧な言葉だけれど、例えばカント哲学における「先験的統合」と
>いった多様なものの統一、「わたし」の根源的機能さえ、現象学では
>還元にかけられるわけです。
この辺りがよくわからないんだけど、カントの「先験的統覚」と、フッサールの
「志向的意味統一」って同じような働きと見ていい?
そうだったら、志向的意味統一は根源的機能だから、それを還元にかけるの
ではなく、還元した結果その働きが判明した、だと思うけど?
157 :
質問君(=97):03/08/07 01:32
我々が解明すべきは、実証科学が追求する客観世界でなく、相対的、主観的な
生活世界の普遍的構造だと『危機』書では述べられている。
ハイデガーの道具連関もその一例だと思うが、大森荘蔵の「立ち現れ」も
そうなのだろうか?
「遠くから見たら四角い塔だと思って、近づいたら実は丸い塔だった。
これは見誤りでなく、この塔は、遠くから見れば四角く、近くで見れば
丸い性質の塔なのである」 (『知の構築とその呪縛』)
これも、生活世界の還元により出てきた発想なのだろうか?
158 :
考える名無しさん:03/08/07 01:44
「遠くから見たら四角い塔だと思って、近づいたら実は丸い塔だった。
これは見誤りでなく、この塔は、、近くで見れば
丸い性質の塔なのである」
これは完全に不十分。
「遠くから見れば四角」と「近くで見れば丸い」を連関させるのが人間の
基本的な力だよ。
それを無視して同一性の形而上学を批判してもだめ。
問題は同一性の構想力よ。
159 :
考える名無しさん:03/08/07 01:56
やれやれ…
「遠くから見れば四角」と「近くで見れば丸い」を連関させるのが人間の
基本的な力、これが実在というもの。
実在とはそういう「力」なんだよ。
認識論というインチキと存在論というインチキは同時に批判する方法論が
あるわけよ。
160 :
質問君(=97):03/08/07 01:56
>>158 >「遠くから見れば四角」と「近くで見れば丸い」を連関させるのが人間の
>基本的な力だよ。
ここでいう「基礎的な力」とは、
「近くから見たら丸く見えるなら、遠くから四角に見えたのは見間違いに違いない」
と推測する能力のこと?
>それを無視して同一性の形而上学を批判してもだめ。
>問題は同一性の構想力よ。
批判というか、俺は普通人だから大森説は間違っていると思う。
ただ、なぜ大森は、そういう発想が出てくるのかが知りたい。
自然にそういう考えを持ったのか、それともある思考方法(例えば現象学)
で徹底的に沈思するとそうならざるを得ないのか。
161 :
質問君(=97):03/08/07 01:58
>>159 >認識論というインチキと存在論というインチキは同時に批判する方法論が
>あるわけよ。
何?
「近くから見たら丸く見えるなら、遠くから四角に見えたのは見間違いに違いない」
そんなこと言ってないけど
163 :
158、159:03/08/07 02:04
164 :
158、159:03/08/07 02:12
訂正
>認識論というインチキと存在論というインチキ「を」同時に批判する方法論が
>あるわけよ。
165 :
158、159:03/08/07 02:17
カントは認識論のインチキを図らずも暴いていたわけだし。
>>156 >この辺りがよくわからないんだけど、カントの「先験的統覚」と、フッサールの
>「志向的意味統一」って同じような働きと見ていい?
>そうだったら、志向的意味統一は根源的機能だから、それを還元にかけるの
>ではなく、還元した結果その働きが判明した、だと思うけど?
先験的、というのは難しい言葉ですよね。これは先天的なものに横たわって
認識そのものにかかわるタームなんですが、分かりにくいので超越論的に直しましょう。
で、超越論的統覚というのは、直観に与えられた多様なものをとり纏める、
「わたしは考える」という働きです。注意すべきは、この働きは人称性のある
主観的機能ではなく、あくまで意識の形式的機能である、ということ。
フッサールにおいては、このような事態は
「超越論的領野において現象する多様が、いかに統一されるか」
「そも、現象世界の同一性を保証するものはなにか」
といった問いにつながります。
超越論的な場の同一性をめぐる問題は、とてもややこしいとこですね。
それ以上の遡行が考えられない場がそれなのだから、上記の問いは
超越論的領野の自己構成、といった方法を問うことになります。
その問いが可能であるかは置いておくにせよ、
超越論的統覚を意識の形式として前提したカントに対して、
フッサールはそれを超越論的場の構成において徹底しようとした、
そういう両者の差異は指摘できますよね。
>>155 >客観の世界、法則を(無意識のうちに)前提として、そこから帰納的に
>主観の構造を説明したのがカントの超越論。
何せ2行で要約するのが土台無理な話だし、これを議論すると
スレの主旨から外れるので、保留で。
>フッサールは、客観を想定せず、あくまで主観の内での内省にこだわった
客観、主観といった言葉が何を示しているのか曖昧なんですが、
客観をとっても、後期フッサールの「世界」概念を考えてもわかる
ように、二項対立の図式を越えた難しいもんです。
とりあえず、閉じられた主観の機能を打開しようとした、初期フッサール
の志向性の概念について調べてみてはいかがでしょうか。
フレーゲや新カント派の議論に目を通しておけば、志向性概念の
特異性が理解しやすいと思います。
168 :
考える名無しさん:03/08/07 16:16
あらゆる価値/価値観の絶対的相対性を証明したのがフッサール。
169 :
質問君(=97) :03/08/09 07:05
>>157 自己レスだけど、大森「立ち現れ」は現象学の方法によって構成されているようだね。
客観世界を前提とすることなく、自らの心に現れる現象だけを丹念に書き綴っていくと
「遠くにみえる塔は四角く、近くからみるそれは丸く」なる。
通常我々は、「遠くから見ると、その距離に反比例して物は小さく見える」という法則性
を加味した上でその塔の実際の大きさ(形)を判断する。そして、その法則は、客観的に
真である、という確信を持っている。
大森は、その法則を科学的思考による「理念の衣」と見、それをまとう以前の自然な
世界を想定する。
ここで次のように問える。
「なぜ我々は、近くから見た塔の形の方が正しいと考えるのだろうか?
同じ視覚現象にも関わらず、一方だけが真であると確信する根拠は何なのか?」
170 :
質問君(=97):03/08/09 07:06
物理的な思考空間において、この法則は必然であり、真であろう。物理的客観世界
では何ら問題は起こらない。
これには大森も反論しない。
大森の(そしてフッサールの?)問いかけは、それはあくまで物理的虚構空間──
それは、我々が世界を見るときの一つの見方にすぎない──においてであって、実際の
我々が住むこの活き活きとした世界でもそれは真であると言っていいのか?ということ。
フッサールは、物理的客観世界から、今ここで我々が接している生活世界の普遍的構造
の解明を促した。そして、現象学的還元によって得られたこの相対的・主観的世界と、
科学的世界観を止揚する理論の構築を提唱する。
大森「重ね描き」は、この二つの世界を繋ぐ理論を提出する。
171 :
質問君(=97):03/08/09 07:07
大森もフッサールも、科学の利便性、成果を否定していない。
ただ、我々が実際に接する日常世界を理念化した学的世界は虚構(一つの見方)であるはず
なのに、それが唯一真の世界であり、それ故にこの学的世界が日常世界、更には、そこに住む
我々自身の「心(的現象)」をも規定するのは倒錯だと主張する。(その一つの例が、心を
物質に帰属させる唯物論的思考だろう)。そのような誤りを是正するため、我々が実際に感じ、
働きかけをする世界の意味の解読を試みる。
172 :
質問君(=97):03/08/09 07:08
あと、、、
現象学を知らないと、大森やハイデガーの世界観は理解しにくい、、、とわかった。
173 :
考える名無しさん:03/08/09 15:12
受動的総合や前述定的領域、といったフッサール後期の現象学を質問君は読めばいいよ。
超読みにくいけどね
174 :
質問君(=97) :03/08/11 21:43
>>167 >とりあえず、閉じられた主観の機能を打開しようとした、初期フッサール
>の志向性の概念について調べてみてはいかがでしょうか。
>フレーゲや新カント派の議論に目を通しておけば、志向性概念の
>特異性が理解しやすいと思います。
初期フッサールについて少し調べてみた。
【フッサールの問い】
「経験的・個別的である各自の心の中で、いかにして理念的・普遍的であるはずの数(学)が成立するか?」
175 :
質問君(=97):03/08/11 21:45
【その遍歴】
心理学主義(『算術の哲学』) :数学、論理学を心の働きに還元し、心理学により解明しようとする。
↓フレーゲの批判 :論理的なものは心的なものから独立している(論理学主義)
論理学主義(『論理学研究T』:心理学主義批判、『論理学研究U』:記述的心理学)
:フレーゲの影響で自らの心理学主義を批判しながらも、理念的なもの(論理学)と
心的なものとの関係が不明であることに疑問を持つ。
↓ナトルプの影響 :心理学主義でもなく論理学主義でもない、あらゆる経験の根源としての純粋自我の
構造の解明。
現象学(『イデーンT』) :ナトルプには欠けていた(純粋自我の構造を探る)方法論的考察が現象学
176 :
質問君(=97):03/08/11 21:50
フッサールって、自らの思想を生涯いくども転回させてきたと言われてるけど、、「理念的なもの(=客観)」と
「経験的なもの(=主観)」との関係の究明は、最初から変わってないんですね。
>>173 >受動的総合や前述定的領域、といったフッサール後期の現象学を質問君は読めばいいよ。
発生的現象学ってやつですか?
『イデーン』すら読んでないのでとてもそこまで頭が回らないけど、なんで俺に勧めようと思ったわけ?
俺の問題意識と関係ありそう?
177 :
考える名無しさん:03/08/11 23:09
低レベルの質問で悪いんですが、現象学の入門書でいいのはありますか?
一般向けに書かれていて、哲学初心者でも分かるやつ。
ちなみに「これが現象学だ」は途中で挫折しました。わけわかんなかったです。
竹田さんの「現象学入門」が割合簡単そうなんですが、評判わるいんですか?
179 :
考える名無しさん:03/08/11 23:11
あぁ、時鐘の時だ・・・
自称夜中だ・・・
180 :
考える名無しさん:03/08/11 23:12
177さんは竹田スレを荒らした人ですね?
>180さん
全くの人違いですよ。竹田さんのスレに書き込みをしたことはありませんし
、哲学スレに書き込むのも今回が初めてです。本当に現象学の入門書が知り
たかっただけで、他意はありませんが。。
182 :
質問君(=97):03/08/11 23:53
>>177 『これが現象学だ』は、流し読み程度しか見ていませんので、
よくわかりませんが、竹田氏の『現象学入門』にはお世話になりました。
現象学の意義や基本的な概念は、この本で初めて理解できました。
ただ、より効率的に学びたいなら、できる限り多くの入門書を買って、
(少なくとも5〜6冊は)手元に置いて鉛筆片手に乱読すべきだと思います。
それである程度掴めてきたら、『現象学事典』を引く。これです。
英文を和訳するように、これで調べまくりましょう。
>182さん
ありがとうございます。気合をいれて2,3冊読んで見ます。
185 :
質問君(=97):03/08/16 19:36
>>168 >あらゆる価値/価値観の絶対的相対性を証明したのがフッサール。
フッサールは、世界を構成する(超越論的)主観という主観的・相対的な出発点から
考察を始めますが、それにより誰にでも妥当する構造の発見を目的としています。
言い換えれば、人間を離れてそれ自体で存在する「真理」の存在は追わず、「これ以上は
どう考えても疑えない」という誰にでも共通する確信の基盤としての「真実」を求めます。
それでも結果的には、現象学は絶対的相対性を証明した、と相対主義的に受け取られて
いるのでしょうか?
186 :
質問君(=97):03/08/16 19:36
還元と無意識の関係がよくわからないんですが、いくら還元を遂行しても、無意識の
構造までは理解できない、または、無意識が意識に与えている影響も解明できない
のではないでしょうか?
フッサールは
「それら(無意識)も当然、誕生と死の問題と同じように、構成という超越論的問題に
属することになる」(『危機』p270)
と言っています。
187 :
質問君(=97):03/08/16 19:37
それと関連するのですが、客観世界を前提としない現象学では、客観世界で(科学により)
発見された成果(例えば無意識)を知らなければ、内省による還元ではたどり着くことの
できない対象があるのではないでしょうか?新しい概念、知の意味を超越論的主観に
遡って意味を問うとき、客観世界を前提としないといいながら、客観世界を前提とした学問
から流用した概念を還元にかけるという矛盾が起きませんか?
フッサールは、
「世界の部分的要素である人間的主観性が、いかにして全世界を構成する
ことになるか?」(『危機』p257)
と、僕の問いとは異なりますが、似たような矛盾(鶏が先か卵が先か)に言及しています。
188 :
考える名無しさん:03/08/16 20:24
190 :
考える名無しさん:03/08/27 21:46
超越論に関してはどう考えますか?
初めてカキコするのに、唐突ですいません。
191 :
質問君(=97):03/08/28 00:45
>>190 >超越論に関してはどう考えますか?
フッサールの超越論主義(つまり現象学)をどう思うか、という意味ですか?
(もしそうだとしたら)「科学」ではなく「哲学」においては正しいと思いますよ。
例えば、日常生活において現象学的な基盤──客観世界の存在を疑う態度──
で思考する必要は全くないです。たとえフッサールでもそんなことしないでしょう。
しかし、フッサールが目指したのは、諸学を基礎づける最も厳密な学を自認する哲学です。
あらゆる学問が前提としている客観世界の存在に、我々の主観が到達できないにも
関わらず、これを認めるわけにはいかない。客観世界の存在は、哲学的懐疑にかければ
いくらでも疑うことができます。真の哲学は、その懐疑さえも跳ね返す、頑強な体系で
なくてはなりません。これ以上、誰であっても疑うことのできない強固な基盤から思考
を始めるのが、フッサールが目指した哲学です。一方、実験・検証を確信の根拠とする
実証科学は、そこまで懐疑を徹底する必要ありませんし、してはいけません。
これは、どちらが正しいとかではなく、学問としての性格、目的が異なるからです。
哲学と科学では立つべき基盤がもともと違う、、、と哲学初学者の僕は思ってます。
192 :
考える名無しさん:03/08/28 02:30
客観世界を前提としない,って97は繰り返してるけど、
フッサールの現出概念はもっと複雑だよ。
現出と現出物の存在論的差異が現象学の根本問題。
発生的現象学における超越論的感性論や、受動的綜合を考えればよい。
対象と内容の間で、「現出」が常に揺れ動いているのが分かるはず。
初期の「論理学研究」でも、客観、つまり超越的対象に対するフッサール
の慎重さは見てとれる。ヒュレー層の分析を参照して。
カウンセリングでも役に立つらしい
キルケゴールやブレンターノなんか出てくるから、
実存分析か現象学の関係の人が行動心理に入れ込んだのかと思ったよー。
これ、ほんとにほとんど一人でかいたんかなぁ、ベイズの定理と哲学の
あいだに心理学と行動療法だからな・・
まだ、中途半端にしか読んでないから、なんとも言えないけれども。
なんか推理好きだよね、この著者。
ちょと、日本じゃ見ないタイプの本だし。いいかなと思ってるけどー。
まだ、わかんないな。
そんなかなーと思ってましたけど、読み方がわからない。でも、丁寧な
お返事ありがとうございます。行動主義って、心理学では悪者なんですか?
哲学だと、最近また見直されてると思うのですけどね。特に他我問題とか
って、とても現代的。おたがいに奇麗事で人間どうしわかりあえますよー
っていうの、なんだか甘すぎてキモチわるいでしょー。魂なんかあるわけ
ないし。
そんなこんなで、心理学の勉強してみようと思ってるんですけど、
行動主義一辺倒って偏狭なんですか?偏狭だとイケナイのかなー。
この本の人は、「やわらかな徹底的行動主義」なんて書いてる。
195 :
質問君(=97):03/09/01 01:08
>>192 ご指摘ありがとう。
ただいま勉強真っ最中なので細かいところはわかりませんが、
考慮に入れて読解していきます。それよりなにより、哲学書は難しい。
196 :
モリジムソン:03/09/01 02:11
>>192 客観性という概念は、複雑というよりも、むしろ
「世界」の目的論と同構造に従って目的論的に運動している、
といった方が正しいかもしれない。
つまり、物自体、世界自体としての、普遍的に万人に妥当する
客観世界という究極理念が、客観性の議論を統制し、企投する
目的論の頂点として働いている。
続いて、脱・視点化された共同主観としての、さまざまな客観世界。
これは、いわば頂点たる究極理念に至る検証過程という役割を担い、
主題化されて運動している概念とでもいえばいいだろうか。
そして、基盤となるのが各自的パースペクティブとしての超越論的世界だ。
感性論でもって構成されるこの相対的な主観世界が、
絶対的事実性として客観性を巡る議論を支えている。
193,194の続き
わー、やっぱり行動心理でもウィトゲンシュタインが出てくるんですね!
まあ、当然なんだろうけど。
じつは私も勉強中なんだけなんです。ほんとはmodal logicとかコンピュータ
でガチャガチャやるのが専門になるはずだったし、先生にも続けろって
言われたのに、なんだか萎えちゃって。オヤジも兄貴も理数系で、抜け出せ
ないなーっというのもあって、それで不健康な感じになってたら
ウィトゲンシュタインにはまっったかーというところなだけなんです。
大森荘蔵先生なんかの「他我問題に訣別」とか、最近は科学哲学なんかでも
他人がわかるか
ってことが認識の問題に直結して論じられてるなじゃないかと。有名な
痛みのあれですよね。それが、ウィトゲンシュタインだとなんか悲観的
なんだけど、「決別」なんかでは、
悩む必要がない問題なんじゃないか?
っていうふうに展開されてきて、そこに出てくるのがスピーチ・アクトっていうか
話す行動なんですよね。そこには「確かさ」っていうか確率っていうかの
問題が入ってくる。ウィトゲンシュタインも「確かさについて」だっけ、
そんなので書いてる。ノックアウト(KO)大学の与作先生なんかも関係ある
んでしょうね、この文脈。
デネットっていますよね、いっぱい書いてるオシャベリな哲学者。あの
人は、ルーツがどこかわからないけど、行動主義と現象学->志向性の
接点ていう、イマな問題をめぐっているでしょう?心理学でも、
サリーとアン問題とかで問題になってるそうですけど、そこって
ワカレメじゃないの!って思いました。
だから行動主義っていうか新しい行動主義と現象学の接点が、わかる
わからない問題にピッタリきたってところかなー。
すみません、まだうまく整理できない。また、お酒飲みすぎて頭いたい。
200 :
考える名無しさん:03/09/24 00:37
200
201 :
考える名無しさん:03/09/24 01:03
行動主義って実験心理学だろネズミの学習とかの、現象学なんかと
接点なんか無いよ。「ある」なんていうやつがいたらバカでしかない。
202 :
考える名無しさん:03/10/03 00:37
age
現象学と関係あるのはゲシュタルトとか、あっちじゃないのかなー
竹田の現象学入門を読みました。
今日から僕もこのスレに参加できますよね?
206 :
考える名無しさん:03/11/08 03:30
保守。事象そのものもへじ!
207 :
考える名無しさん:03/11/08 12:08
竹田の現象学入門は「竹田現象学」入門であって現象学入門ではないよね。
今出ている現象学入門書では『これが現象学だ』が一番すぐれている。
整理の仕方がものすごく上手い。いや、ほんとに。
これがわかんない人はまったく哲学の素養がない人なので、新田義弘の
『哲学の歴史』なんかをまず読もう。この人の『現象学とは何か』も
面白いぞ。これは素養がなくても面白い。
208 :
考える名無しさん:03/11/08 12:30
竹田現象学まんせー
209 :
考える名無しさん:03/11/08 13:04
>>207 全く同意見。最初になにを読むかできまっちゃうね。
おれははじめ竹田からはいったが。
山口と新田で解毒した。
210 :
考える名無しさん:03/11/08 16:02
「フェノメノロジー」って、「へのへのもへじ」に語感が似てるね。
現象学=へのへのもへじ
まあ、いいや。とにかくしばらく様子を見よう。
213 :
考える名無しさん:03/11/08 23:50
ゴリゴリって流行ってるの?
別板でもこれやられて正直閉口しているのだが。
214 :
考える名無しさん:03/11/11 00:27
ええと、現象学とは、デカルトの思想と比べたとき、何が画期的なわけですか?
「方法序説」で展開された、デカルトの方法論、世界を徹底的に分析する事によって明晰な前提を打ち立てて、演繹的に結論まで持っていく、と言うようなやり方がありますよね。
フッサールは「デカルト的笑殺」という本を書いているので、その思想の根本はデカルトに依っていると勝手に推測しているのですが。
ひょっとすると、全然無関係な思想なのかもしれんけど。その思想の特徴、独自性というのはどのへんにあるのでしょうか。
215 :
考える名無しさん:03/11/11 00:44
>>207 『これが現象学だ』は確かに良書。
あんまりにも面白かったので、哲学にまったく興味ない友人に読ませたら
・・・「よくわかんなかった」って言われた。。。
竹田の本は、『プラトン入門』(ちくま新書)読んだが、なんだか胡散臭かった。
「これが現象学」の著者は竹田を意識しすぎ。ミジメ。
217 :
考える名無しさん:03/11/12 21:21
まともな現象学者で竹田さんか意識している人はいません。
学問のことについて何も知らないなんてミジメだね。
218 :
考える名無しさん:03/11/12 21:22
219 :
考える名無しさん:03/11/12 21:22
>217
お前はもっと分ってないに一票
おいおい勘弁しろよ。
谷徹みたいな救いようのないアホを……。
いくら2chでも酷すぎる。
もう少し勉強しろよ、頼むから(;´Д`)
221 :
考える名無しさん:03/11/14 21:43
『デカルト的省察』の訳者である浜渦氏は現象学入門には
第一に谷徹氏の本を挙げている。
220は読まずにor理解できずにカキコしてるアホ。
痛々しいレスだ。
222 :
考える名無しさん:03/11/16 08:39
誰か現象学のキモを4〜5行でまとめてくれないかな。
ムズカシ過ぎてどっからとっかかっていいものやらわからん。
223 :
考える名無しさん:03/11/16 14:56
現象学のキモね・・・
現象学とは、自己と他者の存在がどのように認識されるか、を
創造的精神をもって解明しようとした認識論である
芸術とも深い関係がある。
というのでいかがでしょう。もちろん自分語ですが。
九鬼周三の「いきの構造」を読むのが、一番手っ取り早い、と思ってますが。
224 :
考える名無しさん:03/11/16 16:18
225 :
考える名無しさん:03/11/16 18:10
>>222 現象学とは絶えず根本を問い直す<方法論の哲学>といえましょう。
その意味では哲学として常に未完成であり、新しい視界を切り開く
可能性を持っているということが出来ます。
>>223-225 ありがとうございます。
これで現象学を完璧に理解できました。
ということは勿論ありませんが、とにもかくにもアホな質問にきちんと答えていただいて嬉しいです。
現象学をマスターしましたか・・・
おめでとうございます
ヘイヘイヘイ、現象学理解したって?取りあえず父さんに教えてくれ。わかり易く。
>>226-227 >これで現象学を完璧に理解できました。
>ということは勿論ありませんが
いや、じゃ、理解した人神、出でよ。
>>221 学会の仲間同士で誉めあってるだけだっての。
ったく、このド素人が。
232 :
考える名無しさん:03/11/19 01:36
まあ、理解はしたけどね
233 :
考える名無しさん:03/11/19 01:58
現象学的に物事を見ている人に、現象学を語らせるというのは、言わば現象学を現象学すると言うことになるのだろうか。
234 :
考える名無しさん:03/11/19 07:07
??
竹田って糞
現象学の現象学
ふぇのふぇの
237 :
考える名無しさん:03/11/21 11:52
そんなに難しい事を考えなくても、、、考えることを考える、でいいんじゃない?
ほかにも考えなきゃいけないことはいっぱいあるよ。
。。。こんなこと言っていいんだろうか?
238 :
考える名無しさん:03/11/21 12:34
イエロー
フッサールの現象学
ダン・ザハヴィ著
工藤和男(くどう・かずお)訳 中村拓也(なかむら・たくや)訳
晃洋書房
本体2850円 20cm 240 20p
4-7710-1501-5 / 2003.12
240 :
考える名無しさん:03/12/02 21:48
<血液型O型のいかがわしい特徴> ( なんでも気を許していると調子に乗ってつけこんでくるぞ! )
■その道の達人をコケにして安心しようとする。多数派のときだけやたら強気。才能ある人間を歪んだ目でしか見れない。
■場所が変わると手のひらを返すように態度が豹変する ( あの連中の中じゃヘコヘコさせられてきたが、うちに来たら見ていろ! 礼儀を教えてやる。 )
■読みが浅い。粘着に睨まれる事を言っておいて関係ない人に振り向けバックレようとする姑息さ ( どうせ>>1さんはヒッキーでしょ? / 関西人だってジサクジエンしてるぜ )
■早とちりが多く、誤爆と気付いても釈明できない。イイ人を装って忘れる ( そういう土地柄だったのさ ) 他人の勘違いは許せない。
■話題と関係ない個人攻撃で場の空気を険悪にする。次第に自分から耐え切れなくなりあきれて話題をコロコロ変える。
■いつの間に恩を貸してるように振舞うが、自分のためであると見抜かれる。恥ずかしさをごまかすために大袈裟にキレるが相手がキレると今度はビビる。
■顔が見えない相手と喋っているのに毒舌かつ強気。面と向かったら人が言ったことにする ( 俺が言ったんじゃないけど、Kさんがあなたをアホかとバカかと… ヒヒ) ネット弁慶。
■無理な人の真似をしケチをつけ、批判される所には現れない。観察される側になると極度に焦る( 直接対決が苦手。言い返されにくい状況を計算する )
■自分が企んでいるのに相手を悪人に仕立て上げて餌食にする。わざと攻撃を誘って憎悪に酔いしれる。人の裏切りを許せないわりに自分の裏切りは覚えていない鈍感さ。
■人に相手されん事ばかりウジウジ繰り返して自分に課した目標から逃げる。あげくのはてに相手にわからない方法でキレる。
■半端な体験から集団的にばかり相手を気にする ( 君のような人はウチでは… / ○さんによく似てるから駄目だろうね / 背が高い奴はどいつも… )
242 :
考える名無しさん:03/12/22 03:41
保守上げ
竹田現象学って具体的にどこら辺がダメ?
何となく胡散臭さは感じるけど。信者の熱心さとかコワイ
244 :
考える名無しさん:04/01/11 02:29
実は俺も現象学は竹田から入った。
今月末日に、NHK出版の『シリーズ・哲学のエッセンス』で
門脇さんのフッサール本が発売。
いでーん
248 :
考える名無しさん:04/01/24 13:50
そんな事より1よ、ちょいと聞いてくれよ。スレとあんま関係ないけどさ。
昨日、近所の日本現象学会行ったんです。日本現象学会。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。
で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、発生的現象学の現在、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、発生的分析如きで普段来てない日本現象学会に来てんじゃねーよ、ボケが。
発生的分析だよ、発生的分析。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人で日本現象学会か。おめでてーな。
よーしパパ触発されちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、フッセリアーナ11巻やるからその席その席空けろと。
日本現象学会ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
シンポジウムの他のパネラーの奴といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと座れたかと思ったら、隣の奴が、オートポイエーシスで、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、オートポイエーシスなんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、オートポイエーシスで、だ。
お前は本当にオートポイエーシスをやりたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、オートポイエーシスって言いたいだけちゃうんかと。
日本現象学会通の俺から言わせてもらえば今、日本現象学会通の間での最新流行はやっぱり、
フランス現象学、これだね。
レヴィナス以降のフランス現象学他者論。これが通の頼み方。
フランス現象学ってのは電波が多めに入ってる。そん代わり明晰さが少なめ。これ。
で、それにレヴィナス以降の他者論。これ最強。
しかしこれを頼むと次からフッサール右派にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、竹田現象学で満足していなさいってこった。
249 :
考える名無しさん:04/01/24 14:12
どうでもいいが、日本の教授クラスの人間を一般人がそう簡単に超えられるもんじゃないだろ。
なんか恥ずかしい香具師がいるな。。。
そうだな、新書レベルでも書くのは簡単なことじゃないってのに。。。
252 :
考える名無しさん:04/01/28 22:59
門脇先生の『哲学のエッセンス フッサール』が発売されてた。
いつもの門脇先生らしく、手堅い筆致でフッサールへの導入がされてた感じ。
253 :
考える名無しさん:04/02/13 21:00
ブリタニカ草稿発売したよage
254 :
考える名無しさん:04/02/13 22:45
門脇俊介の本さっぱり分からん。
現象学者には分かるのか?
255 :
考える名無しさん:04/02/13 23:03
K脇だめぽ
なんで『思想』で特集組まれたのか理解できね
『ブリタニカ草稿』見てきたけど、専門家の目からみて
どうなのかな?「現象学入門」と名うってるからには
各節もっと詳細な解説がつくと思って期待してたけど・・。
少なくとも入門書ではないでしょう。本文は読みやすかったけど。
257 :
考える名無しさん:04/02/14 18:12
「哲学のエッセンス」てシリーズは、本屋で見かけると何だかついつい買ってしまうんだけど、
読むたびに後悔してしまう罠
ちなみにオレ的には、一番シドイのは『ライプニッツ』で、次が『ベルクソン』だね。
258 :
☆キキ+キ゚Д゚:04/02/14 21:22
( ゚Д゚)y─┛~~
259 :
考える名無しさん:04/02/14 22:21
過度脇はけっけょくのところ、理系教養課程レベル
260 :
考える名無しさん:04/02/17 22:10
あげ
261 :
考える名無しさん:04/02/17 22:16
現象学に未来はない
構造主義によって乗り越えられましたからね。
構造主義も乗り越えられたけどな
結局、誰が今のところの勝者なんだろうか。
歴史に勝者はない。
歴史的には、カントが出てくるとは意外だ。
歴史自身が勝者
269 :
考える名無しさん:04/02/17 22:36
現象学はヌルぽ
歴史とか文化とか人の手が入ったモノが勝つ
現象学は人の手に触れられてないものを目指して負けた
>>265 デイヴィドソンなら、どう考えてもカントじゃなくてヘーゲルだし
おれ現象学を極めちゃったんだけどどうしよう?!
すいません。勘違いでした。まだまだです
274 :
考える名無しさん:04/02/27 00:43
チャンネルを今すぐフジテレビに合わせろ
今日はイデーンだぞ
突然ごめんなさい。
暴れてる人たち、いい?
人の思想真っ向から罵倒なんかで否定しているやつにね
現象学のスレに書き込んでほしくないんだ。
あなたたちの回路じゃ哲学は語れないと思う。
黙っていろんな人の意見を考えた上で少し理論的に書き込んでみたらどうかな?
そっちの方がね、相手の思想をよっぽど動かすと思うけど?
罵倒しあいがしたいなら哲学とは違う方を考えたらどう?
>>275 「書き込んでほしくないんだ」て、理論的なところがまったく何にもないんですが…
ブリタニカサイコー!
278 :
考える名無しさん:04/03/14 23:08
age
sage
ほしゅ
281 :
考える名無しさん:04/04/07 04:55
誰か竹田現象学とふつう(?)の現象学の違いを教えてちょーだい。
281は竹田だな
門脇俊介さんの『哲学のエッセンス フッサール』買った。
入門書にしては内容が偏ってるし難しいと思っていたら、東大の講義を
ベースに初心者向きに手を加えたものらしい。こういう騙しはよくない。
ただ、「はじめに」(の始めの数ページ)は門脇さんの生の声が出てたし、
本来この本を手にするはずの全くの初心者にも興味を持ってもらえる導入部。
この部分だけ新たに書き下ろされたものだと思う。
全くの初心者はp7-10だけ立ち読みすべし。
284 :
考える名無しさん:04/04/18 13:26
>>281 はじめ著「はじめての竹田現象学入門序説前編・上」ってどうよ?
285 :
考える名無しさん:04/04/28 14:15
287 :
考える名無しさん:04/05/31 18:06
AGE
クソスレ。
290 :
考える名無しさん:
>>276 まぁバカにはバカと言っとくしかないだろ