岡崎乾二郎の美術批評理論

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1いやまじで  ◆anzn0cLyDU
セゾン現代美術館で岡崎の展覧会が開かれている。会期は14日まで。
http://www.smma-sap.or.jp/sm0203.html
なお、東京で岡崎乾二郎展が行われる。
http://www.smma-sap.or.jp/gallery.html
浅田っちが展評をのべたので議論になった。岡崎理論の解説がそのまま作品解釈
として流通するのはどうだろう、しかしとても有益だった。
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1026390060/889-
岡崎乾二郎@美術鑑賞板
http://piza2.2ch.net/gallery/kako/997/997164199.html
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/gallery/997164199/l50
■■■岡崎乾二郎@哲学板過去ログ
http://mentai.2ch.net/philo/kako/988/988035664.html
「経験の条件」http://www.criticalspace.org/special/okazaki/dan064.html
最近では松浦寿夫との対談「絵画の準備を!」(SAISON ART PROGRAM)を刊行。
「条件」といい「準備」といい、きわめて観客を馬鹿にした調子である?
もちろん、われわれは作家という作家から馬鹿にされるほかないことを
述べてきたのである。岡崎は言う、君たちは作品を見るというが、そもそも
見るということ(視覚)がいったい何か知っているかね?本当に見たのかね?
それを証明するのに言葉をもってしなさいよ、写真じゃなくてさ、という。
君たちは作品を経験したという。ところで君たちは経験というものがいかに伝達不能
というより、くるおしい検証不可能性に満ちているか知っているのかね?
つまり、経験というものそれ自体を知っているのかね?本当に経験したのかね?
感情の共有以外のやり方で言葉をもってその経験を説明してくださいよ、という。
「言葉をもって音を断ち切れ」(高橋悠治)を髣髴とさせる追及ぶりである。

笑い事ではない。
2いやまじで  ◆anzn0cLyDU :02/10/07 06:50
「そもそもわれわれは「自分が見ている青が自分が見ている青と同じかどうかを
確かめることはできない。」はずなのだから。絵を描く人なら誰でも知っている、
こうした条件のもとで経験そして作品はいかに組み立てられるのか。つまりは他
者と共有できないどころか、それに対応するいかなる外的対象も持たない経験、
外在的な徴も際も一切持たない経験の確かさを組み立てることがなぜ可能になる
のか(それは断固として可能である、気づけば絵具を選択原理もなく
選択してしまっており、筆を選んでさえいる。理由は後から論理的に与えられる、はずだった。
確かに論争になれば勝てる。が、トリックを利用しているにすぎない。作品も同じで
組み立てにおいて純粋に理論にしたがって作れるわけではない。
いい意味でも悪い意味でも技術で穴埋めをしてきた)。」
私は以降さげ進行でいきます。
時間があれば部数の少ない資料からいくつか要約や転載を
していければいいかなと思います。
2のかきこみでは、
「(それは断固として可能である」以降はこちらの創作です。
5考える名無しさん:02/10/07 13:43
岡ダッチって作品をつくるだけじゃなくて
なんであんなに物知りなの?
造形美術とかやってる人って、岡ダッチみたいにみんな読書家なの?
ものカキが沢山本読むのはわかるんだけど、岡ダッチみたいな人がこんなにも
本をよんでるのかと思うとビックリ
6考える名無しさん:02/10/07 14:42
体力があるんじゃないの?
余ったエネルギーで読書しているイメージがある。
7考える名無しさん:02/10/07 16:54
いや、もともと学者肌というかそういう人じゃないの。
それが、何か実存的な決断でもって芸術やってる感じよ。
「絵を描くの大好き」みたいな感じは全くないし。
「透明の謎」という言葉について。若干述べさせていただきたい。
私の当面の結論は、それは「逃げ」ではなく、各自に任された課題である、というものです。
浅田氏が解明され透明にされている謎についてああだこうだいったからといって
われわれはそれに依拠できるわけでは必ずしもない、なぜなら経験は個人的なものだから。
たとえば、私が「これこれはそれである。それとは、あれである。」と
いったとき、この命題はそれ自体では明快だ。これこれとは、ここでは
それとあれという概念で論じることのできる対象だ、と私は考えるというわけだから。
しかし、透明であるが、もちろん代名詞が使われているから謎だ。
しかし、そもそもすべての概念、形容詞は相対的なものとみなしうるかもしれない、
またしても、代名詞的なのだ??
これこれにとり それ と あれ との関係がどういわれているかに
より、その言述がこれこれにとり意味をなす場合もあればなさない場合もある。
また、そうした関係がいかなる地平において成立しうるかその条件とは何かを明かす
必要もあるだろう。そうした地平や条件により関係が支えられ、関係づけられた
これこれにとってあれやそれとが最適な場合と不適切な場合とありうる。
バッハのピアノ曲、フーガでいいが、見事にかかれたものがいくつかある。
グールドがかつて説明しようと試みたように、意識的であったかどうかわからないものの
バッハのある曲は単純なものからはじまって、それとの連関で音符が配置されている。
どんなに複雑な個所でさえそうなのだと。非常に明晰なものだし、またグールドの説明も
論理的に明晰なものだ(レトリックはあるよ)。しかし、われわれは、またしても、
なるほど透明だ、しかしだからなんだっつーの!という謎にたたずむ。
確認しよう。この謎はひとえに明晰で透明であることに由来し、
明晰さと謎、それは同義ではなかったか。
そもそも謎とはそこにあってわれわれに何かを明晰に述べるが
いったいそれがわれわれにあって何であり、何となしえようか、については
もちろん教えてはくれはせぬ。そこからは作品の出番ではなくわれわれの幕開けだから。
音楽は必要だ。現にこうして聞いてしまっている。しかしなぜ必要か。
作品に感動する。いいだろう。しかしそんな感動がいったいなんなのだ?
実にくだらなくはないか、そもそも感動とは!もちろん、われわれは感動を求めきたし、
これからもそうするのだろうが。
私は自分で言うのもなんですが、矛盾があるやつだと
みなされることに満足してきたし、またこれからもそうなんですよ。
矛盾というとへーげる左派的にいえば止揚可能だし、また
そうすべきだ、というわけで、それは結局統一的な地点から
体系的に述べるべきだ、ってやつですよ。それはそれでわかる。
しかし、私はべつにそういう大風呂敷を開陳しているわけではなくて
個別的に細かに論じてきたし、またこれからもそうするので、
一見矛盾しているかのごとくみなしうるとおもいます。
しかし、へーげるがそうであったように、時間がたってより広い視野から
全体性から統一的な体系の中にそれぞれの矛盾地点を位置付けることが
できるにきまっとるわけで、当面の矛盾は何も気になりません。
12考える名無しさん:02/10/07 17:58
岡ダッチって誰だよ。混ぜんなよ(藁

あと「明晰な謎」ね。先が思いやられるな。笑い事ではない。←藁
とにかく、自分に酔わないでね>いやまじで
「美術系」の文章ってこういうのが多いのかしらん。10とか、寒い。
また、私がかいた岡崎作品の理解の助けとなるかきこに
満足していないから、美術鑑賞板で「愚か」といいました。
それは分野との類似からベンさんの書き込みについても
いいうるものと思いますが、しかし、あれだけの書き込みと
あれだけのまとめるうまさってのは、これまであまりにもなかった
のは事実ですし、わざわざ書いてくれたことに礼を失してはいけないと
思いました。解釈格子としてはよくわかるものだし、それはそれとしていいのです。
しかし、物足りなくなってきた、というのもまた事実であり、そのてんで
美術鑑賞板のみなさんに若干の期待をしたわけです。
いや、君の要求にしたがういわれはない
私は自分に酔いしれる。岡崎という酒をのんだのだ、
それくらい許してくれたまえ。
15考える名無しさん:02/10/07 18:17
↑うわ〜、きっついな自分・・・
16考える名無しさん:02/10/07 18:29
例の長いタイトルについては何かありますか?
17考える名無しさん:02/10/07 18:58
ウワアアアアヽ(`Д´)ノ(Д´ノ)ヽ(   )ノ(ヽ`Д)ヽ(`Д´)ノアアアアアン!!!
18考える名無しさん:02/10/07 19:39
あ!石岡って知ってるかも。なんか雑誌作ってなかった?
19考える名無しさん:02/10/07 20:12


美術系の人は酔いしれた文章書く人多いよね・・・。
その酔っている状態が他人と共有できない部分だというのに。

同じ酔っ払い相手で無いとわからないね。
20考える名無しさん:02/10/07 20:45
ちょっと、質問。<そもそもわれわれは「自分が見ている青が自分が見ている青と同じかどうかを
確かめることはできない>って、どういうこと??さっぱり、判らない。

どういうコンテキストでいっているの?で、最初の自分と二番目にでてくる自分という言葉や
青という言葉は、何を言わんとしているの?

この青はこの青ではないってこと?自分は、自分ではないってこと?
それは、画家が絵を描く上の前提なの?
21考える名無しさん:02/10/07 20:47
あっ。もう一つ質問。

で、そうした定義に、何の意義があるの?何か、革新的?
岡崎さんって人は、そういう問題を絵で追求しているの?
2220:02/10/07 21:06
そうそう、國分?さんのドゥルーズ論の紹介よんだよ。

何やってるんの?君って、ニューアカかぶれ?で、君は
國分さんの読んで何が言いたいわけ?ドゥルーズと岡崎さんって
人と何が関係あるわけ?

それからさ、数学基礎論やってる人(ハンドル忘れた)、
間違ってるよ。浅田さんは、いいかげんに紹介してるってのは
正しいけど。ゲーデルスレでちゃんと数学史やりなさいって
いったでしょ?ゲーデルなんて、それほど、たいしたとは
言わないが、終わった学者(すばらしい終わり方だがね)の理論を
、さも、大変なことのように捉えるのは、間違いだよ。

23考える名無しさん:02/10/07 21:21
>>20さん

青が〜ってのは、個人個人の認識の違いの事を言ってるのではないかと。
光の状況だとかによって、色の見え方は様々なもんで。
それに例えてるのではないかと。
つまり、自分が見ている青と他人が見ている青が〜って言いたいのではないかと・・・。

私は、

>つまりは他者と共有できないどころか、それに対応するいかなる外的対象も持たない経験、
>外在的な徴も際も一切持たない経験の確かさを組み立てることがなぜ可能になる
>のか

外在的対象〜っていうのが良くわかりませんでした。
だれか解説お願いします・・・。
2420:02/10/07 21:36
>23
なるほどっていうか、そうだよね、当たり前なことだよね。
個人それぞれによって、青の感じ方が違う。気分によっても、違うしね。
で、それが、どうしたのって、思わない?俺は、思うけどね。

外的対象って、青色のことなんでは?それじゃ、青ってのは、何って
ことになる(藁)。青は、青という言葉かい?>岡崎信者のマジで
低能さん。
25考える名無しさん:02/10/07 21:37
青の六号
26考える名無しさん:02/10/07 21:39
>私は自分で言うのもなんですが、矛盾があるやつだと
みなされることに満足してきたし、またこれからもそうなんですよ。
矛盾というとへーげる左派的にいえば止揚可能だし、また
そうすべきだ、というわけで、それは結局統一的な地点から
体系的に述べるべきだ、ってやつですよ。それはそれでわかる。
しかし、私はべつにそういう大風呂敷を開陳しているわけではなくて
個別的に細かに論じてきたし、またこれからもそうするので、
一見矛盾しているかのごとくみなしうるとおもいます。
しかし、へーげるがそうであったように、時間がたってより広い視野から
全体性から統一的な体系の中にそれぞれの矛盾地点を位置付けることが
できるにきまっとるわけで、当面の矛盾は何も気になりません。

↑めちゃくちゃなこと書くでないで・・。こんなんが、岡崎ささえてる
んだな・・とほほ。
2723:02/10/07 22:04
>>24さん
あ、なるほど。ありがとうございます。
内面にある青完璧に対応する青は・・・ってことですね。
場合によって、人によって認識が変わるのは当然のことと思います。
それがどうしたの?って(w
でも自分の表現に強固な人はそれじゃあ気がすまない・・・・。
迷惑な事ですが、それでいい物を作れればいいのではないかと。

28居酒屋店員:02/10/07 23:00
アラアラ、ふたを開けたら大叩き(ワラ
29考える名無しさん:02/10/07 23:57
いやまじで
はいい事書いてるけど、
余計なことも書いて台無しにしている感が
30考える名無しさん:02/10/08 00:21
とても読みにくいのだが・・・。
31考える名無しさん:02/10/08 00:40
予想通り、青の話が単なる認識の相対主義に矮小化されてしまっている。
32考える名無しさん:02/10/08 00:42
>>30
本人、酔ってるんで。
ええと、
20はばかだね。そういう質問は自分で答えを出すべきこと。
岡崎と朝だと國分についておまえは何か行ってるが
なにがいいたのかって、ばかか。ねたふりだとかいたろ。
意味や有用性は読み手の問題であって私の問題ではないという意味。
相対的という言葉を使うことがつねにいわゆる
相対主義にはならないことはよく知られる通りだ。
文脈を考えて理解し分けることが肝。
それから、このスレは私に関するスレではなく、
岡崎というやつに関するそれでもなく、
岡崎理論に関するスレであるから彼の論文よんでない
坊ちゃん嬢ちゃんはでなおしてきてね。
というわけで、私もでなおしてくるわ!
34考える名無しさん:02/10/08 03:06
>>33すごく読みにくいのだが・・・・。
マジレス。なお、>>2の転載元は「経験の条件」あとがきp.320。
以下の説明を、岡崎の論文を参照し見事に打ち砕いたら
私は2chから消えることを約束する。
「自分が見ている青が自分が見ている青と同じではない」
この命題は次のように言い換えることで理解しやすくなる。すなわち

自分が青を見ているという経験が自分が青を見ているという経験と同じでない、
同じかどうかすら確かめることが論理的にできない、と。
次に、これこれをしているという経験はその外的対応物を持たない、という命題。
この場合、経験を「視覚」「現象」と言い換えることで理解しやすくなるかもしれない。
何かをみながら絵を描く。何かを見ている。われわれは分析可能な視覚をそこで得る。
ずっとみている。視覚は結構複雑だったがそれぞれ要素に切り取って分析可能だ。
さて、これら分析結果だが意外なことが判明した。それを絵にしたら、正直な心がつぶやくのだ、、
おまえはいったい何を絵にしたんだ、と。答えることのできるのはつぎのことだ、
分析結果、そこで得た視覚の分析結果だ、と。次の一言はとてもじゃないがもはやいえない。
見ていたはずの外的対応物(だったはずのもの)だ。なぜいえないか。
論理的連関が失われているからだ(論理的遡行不可能性)。
これはいいうる。見ていたはずの物はいかにして、その外的対応性を失ったのか、と。
いやこういうべきか。そこで得られた視覚からいかにして
みていたはずの物との関係を打ち立て論理的に証明することができよう、
みていたはずの物とその外的対応性とをどうやって論理的に確認できよう、と。
これはもちろん反語である。できよう、不可能である。
なぜなら、視覚は差延だからである(ずれて遅れて、もう追いつかない)である。
36考える名無しさん:02/10/08 11:46
青を見るという経験が絵画を描くということにすりかわっていないか?
何かを見ないで絵を描くということにすりかわってるよ。

いわゆる経験のレベルで話してくれよ。じゃないと、混乱するよ。

あと、33は意味不明。
37とおりすがり:02/10/08 12:06
視覚=主観性だと思うわれ、その次元(経験)では、外的対象
との対応性は失われる。これは、絵画を描くことというもの
の本質であると言っているのではないか?

わたしも、青は青じゃないという文は、何も画家に限らず誰でも
内容は理解できなくても、文章として理解できるもの(読めるも
の)なので、岡崎さんの理論を知らなくても疑問を呈することは
可能だと思う。

しかし、文が視覚にすりかわり、それが絵を描くことにすりかわ
っているのは、岡崎さんが書いている文章にでていることでしょ
うか?わたしには、わかりませんが、37さんの説明では、より
意味不明な言明だと思われます。
38ぺん(ぺん):02/10/08 12:26
このままでは、あまり有益な議論はできないような気がします。

ここは、『経験の条件』なり『モダニズムのハードコア』なりを
地道に読んでみるのはどうでしょうか。
あと、『絵画の準備を!』は持っていないので
この本の内容を紹介してくれたりすると、個人的にはうれしいです。
39考える名無しさん:02/10/08 12:45
『絵画の準備を!』は対談だから要約が難しい。買うべし
40考える名無しさん:02/10/08 14:14
青の話が、単なる認識の相対主義と、どう違うのか?

そこらへんのことを、岡崎理論は、いいから一般的に答えてよ。
41考える名無しさん:02/10/08 14:20
それと、絵の話は、やめにしてくれよ。37がいうように、
誰にだってわかるように、説明してくれよ。

絵のたとえに飛躍してしまうと、意味不明がさらに意味不明になるよ。

だから、哲学板なんだから、もう少し理論的にね
42考える名無しさん:02/10/08 15:26
カントで全部説明できるよ
あらしてきましたことを改めてお詫びします。すみませんでした。
力量不足であるのは否定できませんから、今は以下のみです。
私がいいたかったのは、二点ありました。
一点目は経験(視覚、現象)の差異、同一である経験の差異のことです。
この差異は空間的(水平軸)そして時間的(垂直軸)に異なるものであるので、
差延(斜線軸)といってさしつかえありません。
見られた内容の差異ではないし、現象内容の差異でもありません。
現象の属する形式の差異です。同じ青でも光の配分が異なる場合のことではありません。
一回の同一の経験において、一回の同一の視覚において、一挙に与えられる(というフリードのレトリックを
むりやり読解する岡崎がいる。実際には経過時間があるから「暴力的」解釈)
ものは、分析してみると、二つの特徴が得られた。一つめ。並立困難。
論理的にいって、あちらが見えるとき、こちらは見えないという関係にあるほかないものが
一挙に与えられているとする。二つ目。非同期性。それぞれの属する時間が異なって
はじめてそれぞれが現象しうるはずのものが一挙に与えられるとする。
二点目は、視覚と外的対応物に関するものでしたがこれについても同じ説明を
しました。
認識の相対主義とどう違うのかという質問がありますが、認識内容が認識主体しだいで
変わるのは当然だ、と私はいってませんし、認識は唯一の認識たるべきではなく
複数の認識様式がそれぞれ違いを持ち存立しているとさえ、私は言っていません。
私は、どんな認識形式であれそれぞれの認識が一回の同一の認識において
垂直軸と水平軸において異なるものである、といっています。これとて特に珍しい
ものではありません。でも、本当は認識とは呼べないと思います。なんとなくですが。
44考える名無しさん:02/10/08 21:18
岡崎さんの絵の分析で、<あちらが見えるとき、こちらは見えないという
関係>について触れていて、それが一挙に与えられるってとこから、
そうじゃないよって言ってるの?

絵は全部がいっぺんに見えるわけでは、ないよって言ってるの?
さらに、時間的経過もあるにも拘わらず一挙に見えてしまうって
ことを岡崎さんは、疑っているの?

それって、ある前提を立てたにも拘わらず、もう前提が疑われる
ような結果を知っているから。自分で建てた前提は、無意味だって
宣言していることと同じに聞こえるのだが。一種の、韜晦。

岡崎さんの、マチスによって、誰だったか忘れた過去の画家の作品を読むって
発想ははおもしろいけどね。ディディエ・ユベルマンの分析にみるような、
明確さに欠けるな。浅田さんは、そこら辺のとこ、言葉を濁して、岡崎さん
を買っているって言ってるけどね。
45考える名無しさん:02/10/09 00:01
おまえの謝罪は信用できない
46考える名無しさん:02/10/09 00:53
>>45
まあまあ・・・
はてしなく理解しづらい文章だけど、熱意はあるようですよ。
47考える名無しさん:02/10/09 00:56
>>44
ユベルマンって明確か?
4844:02/10/09 09:34
明確というより、明解・明快か。
4945:02/10/09 10:11
明解・明快というより単純か?
50考える名無しさん:02/10/09 14:57
44は対抗仮説を持ってるんだからここで披露しる!
51考える名無しさん:02/10/09 23:49
52考える名無しさん:02/10/10 01:23
このスレの解説よりは、よっぽど本人の文章の方が明確ですな
53考える名無しさん:02/10/10 01:25
>>52
本人、酔ってるんで
54考える名無しさん:02/10/10 18:08
セゾンに行ってきた。
生で見るとやはり凄いものがある。
アクリルをあんなに厚塗りして割れないのかと思っていたが普通に割れてた。
下地は塗ってるのが一点だけあったが塗らないものの方がいい。
そんなことはどうでもいいが、とにかく凄く良い。
それにしてもひどい場所にあるなセゾン。
西武流通グループの没落を感じずにいられない。
55考える名無しさん:02/10/10 21:13
セゾンって神宮前のね。
ほとんど無人なのでアクリル絵具持ってってちょっと塗ってみたりしても
バレないと思う。
ちなみに写真では下地のキャンパスの質感がでないから全然良さがわからない。
東が言うような村上隆との関連性も分かった。が、もう圧倒的に岡崎の方が
凄い。
立体は「あかさかみつけ」みたいなのが2つしかなかった。
どうでもよいが、東の対談本の図版の引用は間違いで「あかさかみつけ」
じゃない。
56考える名無しさん:02/10/10 22:13
ちなみに、岡崎さんは、タッチをキャンバスに貼り付けている
だけです(本人も言ってる)。塗りむらや、染みや滲みなどを
わざと地にほどこしているだけ。

ところで、岡崎ファンは、そうした岡崎の仕掛け(パロディ)
が、ひねくれててカッコイイって思うの?

そうそう、古屋さん、2ちゃん見てるのね。

それ以上って、君。夢見るのが好きみたいね。
57考える名無しさん:02/10/10 22:44
浅田の
>ただひとつ気になったのは、ここ一、二年、その画面がにわかにほとんど
>表現主義的な激しさと密度を帯びてきたかに見えることだ。
>作家は「戦争の時代にはこういう絵を描くものですよ」などと言うのだが、
>それが韜晦なのかどうか、もういちどゆっくり考えてみなくてはいけないだろう

は、完全に同意だね。端的に90年代の奴の方が良い。
58考える名無しさん:02/10/11 00:44
>>54 奥深く入って行かなきゃならないので分かりづらいけど
静かで好きだな、あそこ。
 表参道→渋谷 とギャラリーフラフラして、ABCで本見て・・・
って好きな散歩コース。

岡崎さんは作品より論理の方が面白い。
59画材関係:02/10/11 01:22
56の方に

作家の方がいかにおっしゃろうとも
岡崎氏の絵画を直接詳細に検討したものとして
あそこに見えるタッチをキャンバスに貼り付けたものとみる
ことは
ほとんど不可能ですし
あの塗りムラや、染みや滲みなどが
わざと地にほどこされたものではないと断言します
それは明瞭にわかるものです
こういう言説を信じて、画材業者に
なぜ、オタクの商品ではできないのか
すぐ剥げる などと
最近、無理な注文をする、若い画学生の方が
多くて困っているのです。
ということからも一言いわせてもらいました
言葉を信じるまえに
実際に試してみてください
違いはわかるでしょう
そして画材の性質をよく知ってください
お願いします
60考える名無しさん:02/10/11 13:58
>59

哲学板に、画材屋か。あおりか、ファンの自作自演か。

岡崎は、型をつかってるんだよ!>アホ 絵の具売りの、仕事してろ!
直に書いていようが、なかろうがなんてのは、どうでもいいんだよ。

型つかってるから、画布に乗っかっているように、見えるんだよ。
61考える名無しさん:02/10/11 17:42
型「も」使ってます。でも、明らかに普通に塗ってるのもあるだろ。
画材屋の勝ち。あと、古屋じゃなくて古谷な。美術批評板でも間違ってたよ君(w
62考える名無しさん:02/10/12 01:31
>>57
君は単にベタなフォーマリストだ
63考える名無しさん:02/10/12 01:58
>>62
深い。
64考える名無しさん:02/10/12 01:58
軽井沢に行ったヤシのレポートを待ちます
65考える名無しさん:02/10/12 02:03
逝ってきました。ガラガラで気持ちよかったー。
こ、これが「あかさかみつけ」か!って感じ。
貧しい〜。でも名作なのか〜。デカい奴や
「3時15分」とかはわかりやすいけど・・・。
絵画は彰のいうとおり、ここ二年くらいの作品が
密度があって表現主義的。対位法については
すげーわかりやすいのしかわからなかった。
アホなレポートでごめんよ
66考える名無しさん:02/10/12 09:31
>>62
いや、実はフェティストなんです。
67考える名無しさん:02/10/12 14:01
新作の方がフォーマルだぜ?表現主義とか言ってる素人は誰よ
68考える名無しさん:02/10/12 14:23
岡崎さんに聞いたんだけど、描くなんてことに、それほど
拘ってはいないって、言ってたよ。
69考える名無しさん:02/10/12 15:01
>>68
文脈がわからないんだが、曲解を招くんじゃない?
70考える名無しさん:02/10/12 18:25
だぜ?(w
71考える名無しさん:02/10/12 18:38
>>67
表現主義とか言ってるのは浅田でしょ。
でも、俺も新作の方がフォーマルだと思う。
というかフォーマルな表現主義??
72考える名無しさん:02/10/12 22:35
まるで誰かが表から聞いているみたいに小さい声でわたしの耳もとに囁くの。それを思い出すと不思
議なんですが、またあの匂いがします。耳で聞くと鼻から匂いがする。ゴムの焼けたような、シソの葉
っぱのような匂い。彼女の声を思い出すと、またその匂いがします。


カタログ買ってきてよかった。美しい!!
73考える名無しさん:02/10/13 01:36
>>72
石岡の解説はどうよ?
74考える名無しさん:02/10/14 02:20
>>71
フォーマルな表現主義、良い言葉だと思います。
75考える名無しさん:02/10/14 18:29
こんなところでも宣伝しなければ忘れられてしまうという不安を持つ作家は情けない
76考える名無しさん:02/10/14 18:34
>>75
こんなところでも粘着しなければ忘れられてしまうという不安を持つ作家は情けない
77考える名無しさん:02/10/14 19:01
こんなところでも放言しなければ忘れられてしまうという不安を持つ作家は情けない
78こぴお:02/10/14 19:39
あまり誰も言わないけど、作品タイトルの文章は
俺は好きだ。ジョン・ケージ『小鳥たちのために』の
ノリに近いと思う。石岡のうぷは約一時間後。
79こぴお:02/10/14 20:16
chapter1 painting

 現在も継続中の岡崎の絵画シリーズは1992年に始まっている。画面上をランダ
ムに舞う色彩は、綿あるいは麻のロウキャンバス上にたまたま一時的に静止し、
付着しているかのように見える。だが粘りを持った琥珀状の透明な量塊、不透明
でマットな質感、そして実際には透明なアクリルで被覆されている下地など、色
彩が持つ多様な質感は全て、アクリルメディウムの特性を調整することによって
作られている。
その偶発的な見かけは、画面上の筆触が示す複雑さや複合的なありかたにも由来
している。筆触群の示す動勢は決して一様ではない。水平に置いたキャンバスへ
のたらし込み、刷毛やナイフによって押しつけられたエッジ、型によってくり抜
かれたシェイプ。唐突に方向やスケールを変える複数の筆触群は、こうした互い
に牽制し合うようにして画面に併存する。それゆえ画面は単一な身振りや物理的
な力に還元されず、いわゆるモダニズムのオールオーバーな単調さからはかけ離
れている。けれどもそれらは決して無秩序ではないのであって、しばらく眺めて
いると、数学的ともいえる厳密な呼応関係が筆触の間に張り巡らされていること
に気づかされる。
偶発性と必然性の交錯。ここで参照すべきなのは抽象表現主義ではなく、むしろ
フォーヴィズムや表現主義との関連である。たとえばセザンヌの絵画にも見られ
る色彩や筆触やスケールの唐突な転調が示していたのは、表現されるべき対象か
ら課せられる規制であった。外部に規定されたモデルからの要請ないし干渉の効
果が、画面上の唐突な転調として現れる。つまり対象こそが視線を誘導して、相
互に分断された多様な現われを一つに貫くことを強いるのであり、ここで対象は
、画面の複雑な組織化を可能にする一種の統制原理として働いていたのである。
80こぴお:02/10/14 20:18
岡崎の作品に再現すべき対象があるわけではない。いわゆる具象絵画ではないの
であって、フォーヴィズムの絵画において対象が果たしていた役割は、音楽や建
築や言語が持つような構造として再構築されている。もし印象派において対象が、
実際には筆触や色彩の転調によってこそ産出されていたのだとするなら、それは音
楽や言語表現がもつ構造の特徴でもある。岡崎の画面に見出されるのは様々な「対
位法」である。輪郭だけでなく厚みや動勢までもが転写された同一の筆触、あるい
は色彩が変調され、スケールが変えられ、上下反転された筆触が、一枚ないしは二
枚の画面上で自在に行き来し、繰り返される。
81こぴお:02/10/14 20:19
筆触はここで、一つの固定した画面上に位置づけられるのではない。筆触が
示す色彩は、その都度一つの仮想上の綿を暗示するが、他の色彩と連合する
ことで直ちに異なる平面を生起させる。たおてば左画面にある筆触がときに
右場面にあるかのように感じられる。こうして順次視線をめぐらせることに
よって、まさに多声的に複数の仮想上の平面が次々と生起し、切り替わって
いく。盛り上がり、あるいは押しつけられた物質感のみなぎる色彩。しかし、
ここで生起する可能な無数の平面群において、徹底的に欠如しているのは、
むしろ物理的な存在としての平面であると言えるだろう。ときにそこに生起
しているのは、まさに視覚によって生成される出来事であり、出来事の連鎖
としてのシークエンスである。
岡崎の絵画作品には、しばしば絵画面に拮抗するほどの複雑性を帯びた、異様に
長いセンテンスのタイトルが付けられている。たとえば二枚組作品のタイトルは
、同じ長さの二つセンテンスに対応させられ、同じ語句やセンテンスが、言い回
し、ジェンダー、時制等を転調させつつ繰り返される。こうして指示機能が弱め
られた語句は連鎖して、物語性すら持つセンテンスを形成し、積み重なった空間
的秩序が意識される。単一名詞によるタイトルや無題は、しばしば画面を一つの
表象に収斂させる傾向を持つが、岡崎のセンテンスにイよるタイトルは、絵画と
言語という二つの表象系列をいったん切り離す。だが、画面とタイトルという相
異なるパラディグムは不意に遭遇する。この出会いはまさにタイトルの複雑な構
造によって可能になるのであり、画面およびタイトルに生起する出来事を名指し
ているのである。
82こぴお:02/10/14 20:20
あ〜疲れた。浅田の言うとおり冗長でリダンダント。
他の章もあるけど絵画のとこだけでいいでしょ。
美術館賞板へのコピーは誰かやって。疲れたっつうの
83考える名無しさん:02/10/14 20:29
>>82
乙。
一部に誤植もありますが。冗長さは公式解説ならこんなものでは?
84考える名無しさん:02/10/14 20:35
>美術館賞板へのコピーは誰かやって。疲れたっつうの

とかなんとかいって、どうせ自分でやるんだろ。岡崎。
85考える名無しさん:02/10/14 20:40
>>84
「こぴお」も「考える名無しさん」も全員岡崎ですか?
86考える名無しさん:02/10/14 20:49
>>85
baka-marudashi(wara
87考える名無しさん:02/10/14 20:59
>>86
kamata sure ni kaere!!
88Kurihara:02/10/14 23:42
どうやら僕の出番のようですね。
89考える名無しさん:02/10/15 01:02
「自分が見ている青が自分が見ている青と同じかどうかを確かめることはできない」
というのは、自分の認識さえ不確かということを端的に示しているわけでしょ?
これはたしかウィトゲンシュタインの挙げている例が不徹底であるという批判でもあった。
90考える名無しさん:02/10/15 01:09
すまん、「認識」というか「経験」だった。
91美術鑑賞板から:02/10/15 04:02
chapter IV biography and bibliography

岡崎の作家活動は当初からその多面性を見せている。絵画や彫刻の他に主な
活動を列挙するなら、1981年の「子供空想博物館」に始まり、例えば映画
「回想のウィトゲンシュタイン」、1992年のユニット「バルバスプランツ」
によるコンピューター作品「Random Accident Memory」、1994年から続け
られている広島県中山間地での灰塚アースワークプロジェクトでの様々な活
動、建築の設計。そして著作『ルネサンス 経験の条件』を代表とする批評
テクスト等がある。
これら活動を統一的に理解することは困難である。だがこの困難は、まさに
岡崎の著作で扱われた、特定のジャンルへの位置付けが不可能な、ブルネレスキ
の作品群を前にしたときの困難に例えることができるかもしれない。とりわけ
そのなかでも印象的な「グラッソ物語」の、トリックによってアイデンティティー
が徹底的に奪われるがゆえに明らかにされる自我の構造を想い起こさせる。
例えば通常、映画では、実際には非同期的で不連続な一コマ一コマが、時間軸に
沿って縫合され、強制的に同期させられるというメカニズムが作動している。
だがそれに対して、岡崎の映像作品ではこの機制が再び非同期性に差し戻され、
ショットの連結原理が問い直されることによって新たなイメージ形成が行われる。
グラッソが最終的に把握する主体の同一性と同様、こうしたイメージ形成の原理
において、作品が単一のメディア、メディウムに帰することは決してありえないだろう。
つまり作品は既存の時空には位置づけられないような場所に確保されるのである。
92美術鑑賞板から2:02/10/15 04:03
それゆえ、岡崎の批評を作品の例証に用いる試みにも限界があるだろう。
あくまでも重要なのは作品なのだ。様々なメディウムの干渉面をインターフェイス
にすることで成立する、多種多様な岡崎の作品では、諸ジャンルの弁別ではなく、
それらの弁別が可能になる点を端末として定位することがいつでも問われている。
こうして、制作行為と等しい権利を与えられた鑑賞行為において、自明視された時空間
の通念は問い直され、様々な時空間が絶え間なく発生するような経験に差し戻されていく。
それはきわめて「アレゴリー」的な経験ともいえるだろう。
扱われるメディウムの多様性は、他方では世俗の現実に溢れる夥しい差異や諸矛盾と
直面することをも意味するだろう。しかし、こうした現実上の差異すなわち外的な標
としてまったく定位することができないような、本質的な差異というものがある。
たとえば概念上同一であっても重ね合わせることができない右手と左手の差異。カントが
既存の時空には位置づけられないと言った「左手性」は、岡崎の著作のキーワードでもあった。
むしろ時空こそが「左手性」によってこそ発生する。現実的な諸矛盾を超えて、
この「左手性」を確保することこそが、岡崎の多面的にみえる活動における「経験の条件」なのである。
93考える名無しさん:02/10/15 22:39
頭でっかちなオウムと同じ。
オウムの仏画と同じレベル。
94考える名無しさん:02/10/15 23:33
>>93
お前はBゼミスッドレにカエレ
95考える名無しさん:02/10/15 23:51
 >>93
バーカ
96考える名無しさん:02/10/17 07:24
石岡のうぷ、続き、激しくきぼんぬ!
おもしろいよ。
97考える名無しさん:02/10/17 11:11
オウムの仏画と同じレベル。
それがわからないのは信者だけ。
98考える名無しさん:02/10/17 11:37
>>97
鑑賞板にカエレ
99考える名無しさん:02/10/17 12:37
>>98
Bゼミから外に出てくるな。
100考える名無しさん:02/10/17 12:53
93=97=99が誰かわかった
101考える名無しさん:02/10/17 13:07
94=95=96=98=100が誰かもわかった。
102考える名無しさん:02/10/17 13:18
100=101
103考える名無しさん:02/10/17 13:18
>最近では松浦寿夫との対談「絵画の準備を!」(SAISON ART PROGRAM)を刊行。
>「条件」といい「準備」といい、きわめて観客を馬鹿にした調子である?
>もちろん、われわれは作家という作家から馬鹿にされるほかないことを
>述べてきたのである。

誰からも相手にされない挑発ほど空しいものはない。
正直、かわいそう。
104考える名無しさん:02/10/17 13:18
私怨じゃなくて内在批判を聞きたいものだ
105考える名無しさん:02/10/17 13:21
>>95
学校の先生が言ってたよ。
「バーカ」って言う奴が「バーカ」だって。
106考える名無しさん:02/10/17 13:28
「2chにおいては内在批判より私怨を聞くほうが面白い」という事実。
>>104は私怨と内在批判をすりかえている」という事実。
「このカキコには気の効いたオチがない」という事実。
107考える名無しさん:02/10/17 13:30
哲学板にあるんだから理論の話も聞きたい。
オチは106に任せる。
108考える名無しさん:02/10/17 13:30
岡崎がいっていたよ。
「学校の先生が言ってたよ。「バーカ」って言う奴が「バーカ」だって。」
っていうヤツがバーカだって。
109考える名無しさん:02/10/17 13:32
居酒屋の親父がいっていたよ。
「岡崎がいっていたよ。
「学校の先生が言ってたよ。「バーカ」って言う奴が「バーカ」だって。」
っていうヤツがバーカだって。」
っていうヤツがバーカだって。
110考える名無しさん:02/10/17 13:33
ヤツがいってたよ。
>岡崎がいっていたよ。
>「学校の先生が言ってたよ。「バーカ」って言う奴が「バーカ」だって。」
>っていうヤツがバーカだって。
っていう岡崎がバーカだって。
111考える名無しさん:02/10/17 13:36
>>109
>>110
ケコーン
112考える名無しさん:02/10/17 13:38
>>109よりも>>110のほうが完成度が高い。
というか岡崎の駄レトリックの本質を突いている。
113考える名無しさん:02/10/17 13:39
>>110=112
114考える名無しさん:02/10/17 13:40
レス番特定と煽りしかいねぇのか
115考える名無しさん:02/10/17 13:41
>>112=113
116考える名無しさん:02/10/17 13:41
画家の理論なんだから板変えろ。もしくは哲学で読み込んでくれ。
117考える名無しさん:02/10/17 16:22
>>113=115
118考える名無しさん:02/10/17 16:29
109 名前:考える名無しさん :02/10/17 13:32
居酒屋の親父がいっていたよ。

どっからでてきたんだ?
119考える名無しさん:02/10/17 18:12
見るに値しないので見ないし読まない。
120考える名無しさん:02/10/18 01:53
>>119
worth seeing?
some greenbergian idiom
121考える名無しさん:02/10/18 13:50
セゾンの80年代はたしかに黄金期だったな
122考える名無しさん:02/10/18 14:05
>>118
NAM関係の基地外では

123考える名無しさん:02/10/18 15:46
あっ!読んでたらおちんちん立っちゃった。
124考える名無しさん:02/10/18 17:39
包茎でしょどうせ
125考える名無しさん:02/10/18 19:04
包茎って言う奴が包茎だって。
っていうヤツが包茎だって。
っていう岡崎が包茎だって。
126考える名無しさん:02/10/18 22:30
127考える名無しさん:02/10/24 12:02
もう、終わっているな。論も作品も。
128ななしさん:02/10/24 14:44
保守
129考える名無しさん:02/10/24 15:01
保守とか言ってAGEてる時点でもう完全に終わっているな。論も作品も。
130考える名無しさん:02/10/27 23:20
調べたらもう完全に終わっていたな。個展の開催期間が。
131福本久こ:02/10/27 23:23
Qのこと誉めてたね、岡崎さん。
今でもQ会員なのかな?
132考える名無しさん:02/10/27 23:37
古谷は2ちゃんねらー
133考える名無しさん:02/10/28 18:51
岡ちゃんも2ちゃんねらー
134考える名無しさん:02/10/29 01:26
乾2?
135 :02/11/20 08:07
やっほー
136考える名無しさん:02/11/20 09:30
>>1
芸大生のくせに2chに頼って課題するんですか?
137ななしさん:02/12/02 06:48
いやまじでさんのここでの解説と
にていることをいってた

http://www.ne.jp/asahi/kerbau/kerbau21/text(j)/2002/0202.html


思想とは、だれかが考えたことだ。 のところで。


138考える名無しさん:02/12/17 01:56
最近シンポジウムがあったみたいね
139考える名無しさん:02/12/17 03:37
 
屁ヤングモグラ叩き / ̄ ̄~八\GAME S T A R T
\\       /彡彡彡/ \\      ////
\\\      |彡彡/へ  へ\|   ////
  \\     |彡/        |       //
<...        |川リ ⌒ ⊃ ⌒ |       >
<    ∧―∧ |川  ( __ ) |   /)  /) >
<    /)(M)⊃\ミ  \/ /  /  ⌒  ヽ  >
<    | |´∀`) ◯\__/◯   | ●。 ●  | >
<    ( ||_|| )   \     /   (〇 ∀ 〇 | >
<  /゜/>゜>     |⌒I │   /    ∩ | >
< <__フ〈__フ    (_) ノ    |       | >
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// \  / | ̄|/ /      .| .|__| |    \\\
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140考える名無しさん:02/12/17 04:15
恐ろしいのはこの場に及んでまだ夫馬裕明が物書き志望を妄想しているという事情である
141考える名無しさん:02/12/17 04:16
だからいまだにまだこんな糞スレ立ててるの?
142名無しさん:03/01/05 01:30
           / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
Λ_Λ  | 君さぁ こんなスレッド立てるから          |
( ´∀`)< 厨房って言われちゃうんだよ             |
( ΛΛ つ >―――――――――――――――――――‐<
 ( ゚Д゚) < おまえのことを必要としてる奴なんて         |
 /つつ  | いないんだからさっさと回線切って首吊れ     |
       \____________________/

(-_-) ハヤクシンデネ… (-_-) ハヤクシンデネ… (-_-) ハヤクシンデネ…
(∩∩) (∩∩) (∩∩)

(-_-) ハヤクシンデネ… (-_-) ハヤクシンデネ… (-_-) ハヤクシンデネ…
(∩∩) (∩∩) (∩∩)

(-_-) ハヤクシンデネ… (-_-) ハヤクシンデネ… (-_-) ハヤクシンデネ…
(∩∩) (∩∩) (∩∩)
143考える名無しさん
あげてんじゃん(w