●○● Aquirax: 浅田彰 part8●○●
1 :
考える名無しさん :
02/10/07 00:52
これが2ゲットか。
3 :
考える名無しさん :02/10/07 01:56
4 :
考える名無しさん :02/10/07 01:59
>>1 乙。はじめて見たリンクもあった。
できれば、逝ってよしスレより嫌だスレを挙げて欲しかった
6 :
考える名無しさん :02/10/07 03:41
また荒れそうなヨカーン
荒しを呼ぶ男 彰
8 :
考える名無しさん :02/10/07 03:44
最近荒れてたっけ?
確か昨日までは。。
10 :
考える名無しさん :02/10/07 12:37
大江評もだが、 浅田は最終的に感動を重んじていると思った。
11 :
考える名無しさん :02/10/07 16:29
アキラックスの批評が明快なのは、落としどころがたいてい「天才礼讃」や 「孤高の英雄」的なロマン主義にあるからなんだヨ! そういう意味では論理的なツメや細部へのまなざしはつねに回避されていて 数頁の短評で済むというからくりがあるのさ!
放置ということで。
仙がいの自由 9*24 京都国立博物館で開かれている「日本人と茶」展は、歴史的な流れを総覧しようと して展覧会としての焦点が定まらず、古色蒼然たるディスプレイ(とくに蛍光灯の 照明)ではせっかくの貴重な展示物を十分観賞できない憾みがあるものの、たとえ ば室町時代の東山御物をこれだけまとめて見る機会は滅多にないし、その洗練され た美意識が利休らのわび茶のラディカルな否定性へと転換される過程(たとえば茶 碗を見ても、宝石のような曜変転目の陰に隠れていた地味な灰被天目が急に高く評 価されて価値が逆転し、さらに長次郎らの楽が加わる)も如実に見てとれるといっ たように、やはり一見の価値はある展覧会である。 だが、ここではそれよりも出光美術館での仙がい展に触れておこう。 江戸時代後期の禅僧である仙がいは、○△□の絵で知られ、禅の思想に基づく抽象 絵画の先駆者などと言われることもある。 しかし、実のところ、彼の神髄は、禅画というより漫画というにふさわしい飄逸な 画風にあるのだ。 現に、今回出品された利休画賛などは、秀吉に切腹を命じられたほどの茶人を、漫 画風にほのぼのと愛らしく描いており、それがかえって面白い。 あるいは、人面を描いたユーモラスな煎茶椀箱。 「日本人と茶」を堅苦しい茶道の伝統にとらわれずに考えなおそうとするとき、こ うした自由な遊びの精神を無視することはできないだろう。
ちなみに、仙がいは芭蕉にも傾倒していたが、ここでもその感覚は俳句というより 川柳に近く、植物の芭蕉と蛙を描いた絵に「古池や芭蕉飛び込む水の音」などとい う句を添えるあたりが、いかにも仙がいらしい。もうひとつ、仙がいの骸骨の絵も なかなかユーモラスな味のあるものだ。 今回は小野小町の骸骨に「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめ せしまに」という名歌を添えたものが出品されていた。 実は、同じ構図で上の句を「鼻の穴ハ移りにけりな異なつら(面)に」と言い換え た作品もあるし、同系列の骸骨図で「君が代は千代に八千代に舎利骨の岩を(巌) となりて苔のむすまて」という一首を添えた作品もあるのだが、さすがに皇居に程 近い美術館で展示するには「不敬」に過ぎるということなのだろうか、見ることが できなかったのは残念である。 この君が代のパロディなどは、近代ミリタリズム批判の文脈でアプロプリエイトす ることもできると思うのだが。
サン=テグジュペリの飛行 9*24 モロッコのタンジェ(タンジール)から海に沿って西南に下るドライヴ・ コースは、世界で最も印象的なコースのひとつだ。 白と緑の町アシラをへて、白と青の町ララーシュで車をとめ、大西洋を見 晴るかす崖の上の荒れ果てた墓地にあるジャン・ジュネの墓を訪ねる。 そこからさらに下れば、カサブランカ、アガディール、そしていよいよ広 漠たる砂漠の広がりだ・・・・・・。 実は、これに重なるコースを、もっと大規模に、しかも空の上からたどっ た作家がいた。 アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリである。 飛行士だった彼は、南フランスから、スペイン、そして、モロッコの大西 洋岸を下って、ジュビー岬(この地の果てで、彼は一年半にわたって飛行 場長をつとめ、処女作『南方郵便機』を書いた)に至るルートを飛んでい たのだ。 彼は、飛行機は日常世界を離れて大地=地球を再発見するための分析用具 でもある、と言っている。 そこから見下ろす彼の視線は、南フランスの豊かな農業地帯からスペイン の荒地をへてついにはサハラ砂漠に至る旅で、地球を文字通り惑星として 再発見したのではないだろうか。 実のところ、サン=テグジュペリの代表作である『星の王子さま』は、人 並みに子どものころ読んだし、そこに出てくる砂漠の情景も印象に残って はいたけれど、あまりにロマンティックな気がして、その後、再読するこ とはなかった。
サン=テグジュペリの砂漠があのサハラであることをはっきりと見せてく れたのは、彼の軌跡を空からたどったTV番組「星の王子さまと飛ぶ空中大 飛行」である。 2000年にNHK-BSで放映されたこの番組は、きわめて印象的な映像に満ちた もので、ヴィデオ・ソフトとしてリリースしてほしいくらいだ。 それは無理かもしれないが、最近その書籍版が出た。 狩野喜彦『星の王子さまへの旅』(東京書籍)である。 この本に収められた数々の空中写真を眺めてから読み直すとき、サン=テ グジュペリの作品は安易なロマンティシズムを脱却した本来のイメージで 立ち現れてくるだろう。 それは現代の映像作家がサハラで再発見したイメージである。 最後に蛇足をひとつ。 最近、京都府立植物園でバオバブの花を見た。 1999年に日本本土では初めて開花したものだが、毎年咲くとは限らないら しい。夕方に開花する柔らかな白い花は、翌日にはもう茶色く変色して萎 んでしまうのだった。 『星の王子さま』では星を破壊しかねない生態学的脅威として描かれるバ オバブだが、実は、さまざまな用途に役立つ有用な植物だという。それが こんなに繊細で短命な花を咲かせることを、サン=テグジュペリは知って いただろうか。
ロマンチックな結びだねェ >>pikoさん感謝。
18 :
考える名無しさん :02/10/08 00:41
/ ̄ ̄ ̄ ̄\ │ヽ ヽ || \,,,,,,,,, │ ヽ|_ _ \ ミ| / ̄ ̄ ̄ ̄ [ - ]-[ - ]一 6) < いずれにしてもね、 . l ・・、 __./ \____ ヽ ̄ /|  ̄ /
19 :
考える名無しさん :02/10/08 00:45
>この君が代のパロディなどは、近代ミリタリズム批判の文脈でアプロプリエイトす >ることもできると思うのだが。 ダムタイプがこれやったら大爆笑
20 :
考える名無しさん :02/10/08 02:53
pikoさん、ありがとー。 最近、和モノが多いね。おもしろいけど。
21 :
ぺん(ぺん) :02/10/08 05:16
前スレについてのレスです。
>>999 >こう言っておきながら、なぜ「逃げ」であるとか、「礼儀」がないことになる?
939は「明晰な謎」という謎の言葉(笑)を、
あくまで、漏れなりに好意的に解釈したものです。
しかし、やはりフォーマリストを任じる岡崎氏の作品に対して
「明晰な謎」という言葉を投げかけるのは、失礼ではないかと思いますし
たとえ杜撰なものであっても、
分析的な態度で作品に挑むのが「礼儀」だと思ったのです。
(ただし、作品一般に対して分析的態度が必要とは思いません。
あくまで、フォーマリズムの極地である岡崎作品だからこそです)
22 :
ぺん(ぺん) :02/10/08 05:18
ともあれ、「明晰な謎」が逃げなのではにかという漏れの見解に 賛同して下さる方々がいたのは心強いです。 以前の浅田氏の批評と比較して、最近の批評は どうもレトリックによる「逃げ」が ちらほら見らるようになってきたように感じます。 『批評空間』誌上での共同討議「『ルネサンス経験の条件』をめぐって」では 「岡崎さんが言っている他者は、いわば斜めの次元で増殖していく他者でしょう」 あるいは「『トランスクリティーク』をめぐって」でも 「柄谷さんのいう「視差」からくるトランスクリティークというのは、 …斜めの次元、…を導入していると思うんです」 という発言に見られるように 「超越論的垂直性」でも「経験的水平性」でもない「斜めの次元」を強調してますが しかし、それがいかなる「次元」であるかの分析的な説明は流しています。 (というか説明は他人任せですかね) たしかに、垂直でも水平でもない斜めなんだ、というのは いかにも浅田氏らしい、受けのいい標語でしょうが しかし、それで特に何が分かるというわけではありません。 かなり悪意をもった解釈をすると、「明晰な謎」と同様に 読むものに何か分かったような気にさせて、実は何も説明していないという 狡猾なレトリックなのではないだろうかというようにも受け取れます。 昔の浅田氏ならば、 明晰に語れるところはとことん明晰に語るという過激さを感じていましたが、 最近は、何か、狡猾な旨さのようなものを身につけてしまっているように思えます。 浅田氏の一ファンとして、過激な明晰性が失われつつあるようで 残念に感じるところであります。
11や17のいうロマンティシズムが、結果的にそうした「過激な明晰性」を 曇らせているといえるかもしれない。 もちろん15, 16 の評などを見てもサン=テグジュペリのロマン主義的な解釈 を否定することがこの文章の主旨をなしているのだが、それを経験談を 交えて熱っぽく記す浅田の語り口は、それ自体なんともロマンティックである ことは否定できないように思う。
24 :
考える名無しさん :02/10/08 09:52
>>22 浅田の批評にとって、最終根拠が「美意識」なのは明らかじゃない?
誰だったかが冗長だという批判も、単に「その行為は美しくない」と言いたかっただけかもしれない。
25 :
夜中に・・・ :02/10/08 10:03
必要以上に意地悪く読んでいるような・・・ま、いいやー 岡崎については、分析はいくらでもできるけど、まずは 「また、そんな理屈など知らなくても、簡単なようで無限の複雑性を孕んだこ れらのレリーフは、見ているだけで飽きることがない。」 ってことが言いたかったんだと思うよ。iモードの批評なんだし。 論文じゃないし。「斜めの次元」についても、あれも講演でしょ。 「それ何?」って質問は妥当かもしれないけど、「狡猾」とは思わない。 そもそも柄谷に対する批評なんだし。「斜めです」って、明晰じゃん。 とかいいつつ、「斜め」は漏れもおかしいと思うけど。トラクリって 超越論的と経験的を行ったり来たりする時間的なものだと思うから 「斜め」という空間的なレトリックでは捉えられないような。蛇足ごめん piko=リナックス精神(?)。偉い
26 :
考える名無しさん :02/10/08 10:43
浅田って和モノにも詳しいのか こいつのキャパシティーはどうなってるんだ
27 :
ぺん(ぺん) :02/10/08 12:14
>>25 >必要以上に意地悪く読んでいるような・・・ま、いいやー
たしかに、漏れの文章を読み返すと
あまりに意地悪な解釈してるなと思いました(笑
iモード批評は、恐らく批評それ自体が目的ではなく
不特定多数の人に、「こんな面白い作品がありますよ」
てな感じで興味を持ってもらうことにあるんじゃないかと思いますし。
ただ、柄谷氏と岡崎氏の、かなーり異質な思想に対して
同じ「斜めの次元」という言葉を当てはめるのは、どうかと思います。
大澤氏を「なんでもかんでも強引に第三者の審級の理論にあてはめる」と
批判していますが、その言葉を返すと
浅田氏も「なんでもかんでも面白そうな思想には斜めの次元の理論をあてはめる」
と言えなくもないような気もします。
(そのような言い方も意地悪かもしれませんが)
25さんや漏れのような疑問を持つのは当然と思いますが
誰も浅田氏にツッコまないのは、やはり浅田氏を恐れているからでしょうね。
まあ、そのような隠然たる影響力を持っているからこそ
意地悪な見方をしてしまうのですけど。
28 :
考える名無しさん :02/10/08 12:43
和モノには恐るべきところはない
東京に住んでいる26才の女装っ子です。セーラー服、白いショーツとブラ、 ルーズを着ています。お酒で酔わされて身動きできないくらいに、縛り上げ られて浣腸されてぎりぎりまで我慢させられてしまうようなプレイにあこが れています。もし、興味があるお方がいらしたらメールを貰えませんか? それでは
30 :
考える名無しさん :02/10/08 13:54
31 :
考える名無しさん :02/10/08 15:24
「明晰な謎」を「絶対的な他者」と置き換えてみれば何が語られてるのかみえてくる。
32 :
考える名無しさん :02/10/08 17:33
↑ それ、「すばる」に載ってるYO!
34 :
考える名無しさん :02/10/08 19:08
___ _ /:::\ ~`-、_ __ _ __ / ̄ | |:::::: \ _>' l ヽ'~ __(~ l ~Y __ | /  ̄~ ヽ )|`‐, ‐<./イ /~ ̄\' \ \ /\ `i / / | |/ \ ヽ \ l {:::: /〉 / / / | ̄ ̄ ヽ_L_ l \} ヽ::// \, / | ,-|ナト| '|_.| | | / \_ /~| | |. |/l |/Vヽ .p^iヽ |ヽ| ̄ .l `-| | | ,===、 | |/|/ ハァハァ ヽ ヽ ヽ :::::::: `ーヽ ヽ/V.ヽ::::::: ,‐┐ ノ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /;;;:::::::::::::::.\_::::: し __ - ' < 岡崎さん 見てる?? ちゃんと見ててネ /:::: /:::::::::::: |::::| ̄ \ すぐに出るからネ (:::::::: (ξ:: ・ ノ::・/:::| \___________________ \::::: \::::::: (::: | /:::\::::: \::: ヽ| /:::: \::::: \::: ヽ ) |::: \::  ̄ ̄⊇)__ 〜 |::::::: \;;;;;;;;;;;(__(;;;・) 〜 モワー \:::::::::: ξ(;;; );; ) 〜 \:::::::::::: ) ) )::::: // /::::::::: // /::::: (_(_ (;;;;;;;;;;;__っ)))つ))
>>33 嘘つくなよ。
載ってないよ、すばるには。
>>31 ジジェクかお前は
和モノも無敵の彰。ハァハァ
37 :
考える名無しさん :02/10/09 01:00
和モノネタは正統な教科書知識の披露
38 :
考える名無しさん :02/10/09 01:11
誰か「横断的」の理論的説明をしてください。
39 :
ぺん(ぺん) :02/10/09 01:13
昔、能をやってた学生に振られた(?)ことがあるらしい という噂を聞いたことがあります。 和モノに全く興味なかったのが原因の一つだったらしいとのことです。 というわけで、個人的な妄想。 和モノに興味はないが、なぜか心に引っかかる。 →和モノに詳しい素敵な人が現れた。 →むっ、和モノはすばらしいに違いない。 →和モノは案外いいではないか、さっそく得た知識を披露しよう。
40 :
考える名無しさん :02/10/09 01:21
浅田は晩年に日本文化論の大著を書きます。
41 :
考える名無しさん :02/10/09 01:44
今週のi-criは北野武「Dolls」を「映画オタクに媚びた駄作」と酷評!
ぺん(ぺん) さん、チョトおもしろいヨ >39 なんかおバカなかんじで。
43 :
考える名無しさん :02/10/09 06:01
批評空間のAquiraxアーカイブって、もう更新ないの?
ないよ。
45 :
考える名無しさん :02/10/09 12:49
>>39 そのレスのおかげで、
いやまじでとぺん(ぺん) が別人なことに納得できた。
ぺん(ぺん) ↑こいつバカなうえに性格悪い
47 :
考える名無しさん :02/10/09 22:26
i-critiqueってメルマガみたいな感じなの? なんかリアルタイムで読みたくなったから 月¥300(だよね?)払って読もうかと思ってるんだけど。。 原則として毎週火曜に二点配信らしいけど、 ちゃんと週2本っていうか、月8本届く? たまに彰タンが華麗にサボタージュなんてことはないんだろうか?(w スマンが誰か詳細+現状を教えてたもれ。おながいします。
>>41 うそー。エーユーだと今週は更新されてないけど?
そもそも「HANA-BI」を「確信犯的」とか言ってる時点で
批評家として終ってる。「LIFE」の失敗も認めないし。
はじめっから金払って読めバカ。 だからリアルタイムのうぷには反対なんだよ
50 :
考える名無しさん :02/10/09 22:58
>>41 「窪塚洋介を導入する」って書いたのキミ?
51 :
考える名無しさん :02/10/09 23:00
窪塚洋介「に」導入する が正解です
52 :
考える名無しさん :02/10/09 23:01
窪塚洋介に「挿入」する が正解です
53 :
考える名無しさん :02/10/09 23:03
しかもパフォーマティヴです
54 :
考える名無しさん :02/10/09 23:04
いいから四月・五月をだせよ!! ウィークエンドも窪塚も緑の資本論も欲しい(涙
55 :
考える名無しさん :02/10/09 23:13
>49 金払って読むって言ってんのに、バカはねーだろ。 最近浅田に興味持った厨かも知れんし。
56 :
考える名無しさん :02/10/09 23:15
人に見せてもらったとき、中沢論はなかった
57 :
考える名無しさん :02/10/09 23:17
せめて・・・・目次だけでも・・・・4月と5月〜
58 :
考える名無しさん :02/10/09 23:38
窪塚洋介「を」挿入する が正解です
59 :
考える名無しさん :02/10/10 01:26
結局ドールズのネタはガセか。うぜーな。手間かけてここに載せる奴もいればくだらないことする奴もいるわけだ
60 :
考える名無しさん :02/10/10 02:51
Iくりはひどいよ〜 金返せ〜って言いたいとこだけどがまんしてましゅ^^; 緑の資本論の評はありましぇン、ネタでしゅ
61 :
考える名無しさん :02/10/10 05:55
浅田の批評の基準は一見ありそうで実はないように思えてきた
62 :
考える名無しさん :02/10/10 17:28
鎌田の浅田論を今から読んでみる しかし、ローマ字とは…
あんまり面白いので、「鎌田哲哉の公開書簡に触れて」をうぷします。
>>63 zehi tomo onegai shimasu.
Tenngoku no Takuboku mo yorokobu kamo shiremasenn.
鎌田哲哉の公開書簡に触れて 10*8 子どもの頃、『ツァラトゥストラはこう言った』でニーチェが侮蔑を込めて 描いている「最後の人間(末人)」の像に触れて、「これはまさに自分のこ とだ」と思ったのを覚えている。 もはや創造と破壊のドラマは終わり、すべてが平準化された中にあって、「 最後の人間」たちは退屈な幸福を生きるだろう。 あらゆる情報を記録したテープがリミックスを加えて反復されるのを瞬きし て眺めながら、(後の章に出てくる「小人」のように)「およそすべては円 環をなして回帰する」などと小賢しく呟いてみせもするだろう……。 『早稲田文学』11月号に出た鎌田哲哉の私に宛てた公開書簡は、そのような 「最後の人間」であることに居直る私に対し、「安直なニヒリズムを捨て、 人間としてまともに生きよ」と呼びかけるものであると言ってよい。 その書簡は石川啄木の日記にならってローマ字で綴られている。 「僕は啄木のようにまともに生きる、あなたもまともに生きるべきだ」とい うことだろう。 その純粋な熱意は(ありがた迷惑とはいえ)ありがたいと思うし、そこに書 かれた私への批判も(いくつかの点で異論があるとはいえ)おおむね受け入 れる。
だが、残念ながら、私はその呼びかけに動かされることがなかった。 ひとつだけ、私の言葉に対する誤解と思われる部分に触れておこう。 鎌田哲哉が部分的に引用している通り、西部邁に「浅田さんがほとんど書か なくなったのは世界や人類をばかにしてのことですか」と問われて、私は「 いや、単純に怠惰ゆえにです。しいていえば、矮小な範囲で物事が明晰に見 えてしまう小利口かつ小器用な人間なので、大いなる盲目をもてず、したが ってどうしても書きたいという欲望ももてない。要するに、本当の才能がな いということですね。書くことに選ばれる人間と、選ばれない人間がいるん で、ぼくは選ばれなかっただけですよ。と、今言ったことすべてが逃げ口上 にすぎないということも、明晰に認識していますけれど」と答えている(『 批評空間』U-16)。 これは、私に本格的なものを書く力がないということ(私の「弱さ」)を、 私が明晰に意識しているという意味ではない。 書こうとする努力もせずに自分には書けないのだと前もって居直ってしまう ことが逃げ口上に過ぎないということを、明晰に意識しているという意味だ。 その意味で、私の立場に論理的な問題はないと思う。 では、倫理的な問題としてはどうか。 そのような早すぎる断念は卑怯な逃避として否定されるべきか。 むろん、私は、自分自身がそうできないだけにいっそう、断念を拒否してなん とか努力しようとする人(鎌田哲哉を含めて)を眩しく見上げ、可能なら助力 しようとしてきたが、断念したい人に対して断念するなと言う気はさらさらな いし、自分に対してそう言われたくもない。 努力したい人は努力し、断念したい人は断念する。 それでいいではないか。
ここで飛躍を厭わずフランシス・フクヤマが『人間の終わり』で論じるバ イオテクノロジーの問題ともからめて言えば、20世紀が限りない延命を目 指した世紀だったのに対し、21世紀の課題はそれへの反省であり、具体的 に言って、たとえば安楽死施設、さらには自殺(幇助)施設の合法化であ ると思う。 生きたい人は生き、死にたい人は死ぬ。 それでいいではないか。 ニーチェは「最後の人間」について「少量の毒をときどき飲む。それで気 持ちのいい夢が見られる。そして最後には多くの毒を。それによって気持 ちよく死んでいく」と書いている。 彼の侮蔑にもかかわらず、私はそれも悪くない選択肢だと思わずにはいら れないのだ。 もちろん、私はいますぐ死にたいというのではない。 大江健三郎の『憂い顔の童子』で「母親が生きている間は自殺できない」 という主人公の強迫観念が主題化されていたが、これはすでに父を喪った 私にも大変よくわかる。 幸い、私はきわめて凡庸な常識人なので、倫理というより礼節の問題とし て、母より先に自殺するつもりはない。 そうやって生き延びている人間は、「最後の人間」を気取って暇つぶしを しながら「i-modeかなにかで下らないお喋りを続けること」があってもい いのではないか。 また、生きて努力しようとする人々にささやかながら助力することがあっ てもいいのではないか。 だが、鎌田哲哉が、そのようなおせっかいは生の意志を死の病毒で汚染す るだけだと言うのなら、私はそれを断念し、彼の後姿に向けて静かに幸運 を祈るばかりである。
「hukuyama to post-human na mirai」ha saraisyuu ni up simasu
pikoさん、どうもariがとうgozaiまsu。 ところで「浅田さんがほとんど書かなくなったのは世界や人類をばかにしてのことですか」 と問うたのは西部邁じゃなくて西部忠のような気がするんですが。 本当にsusumuでしょうか。
71 :
考える名無しさん :02/10/10 18:39
西部忠なわけねーじゃん。
pikoさんいつもありがとう
>>70 ススムだよ。柄谷、福田、西部を交えての批評空間での対談における発言
73 :
考える名無しさん :02/10/10 18:44
鎌田がギャンブルで借金背負って、浅田に金借りたっていうのは笑えるなあ
>>72 あら、勘違いだったのか。すいません。
宜しければ第何期の何号かを教えてitadake naide しょうか。
75 :
考える名無しさん :02/10/10 19:04
すすむ と あきら は3.4回対談してるよね
鎌田が「逃走論」の影響でギャンブラーになったという噂は本当ですか?
77 :
ぺん(ぺん) :02/10/10 19:48
なんか彰タンは ヴィスコンティの映画の主人公にぴったしな感じですね。 美しい夕日に照らされて少年は海岸に佇む 片手を腰に当てているその背中を見つめながら 心臓発作で息を引き取る彰タン・・・
>>74 suimasenn.U-16でしたね。ちゃんと読んでませんでした。
pikoさん有り難う。
80 :
考える名無しさん :02/10/10 22:18
>>69 piko-san hon-ma o-o-kini
81 :
考える名無しさん :02/10/10 22:33
鎌田の公開書簡を読んで、たしかに余計なお世話 だと思ったな。暴力的な形式化とか「観念論」を 20年も続けるとそれは「悪習」になるとか言う わけだけど、浅田はそれをひとつの方法として 選択しているだけで、彼が論理的に後退したとか そういうことはないと思う。 モノを書く人間の責任を問う鎌田の気持ちもわかる けど、なぜモノを書く人間が責任をとらなければ ならないのか、という根本的なところでもう一歩 詰め必要なんじゃないか。
82 :
考える名無しさん :02/10/10 22:45
鎌田って福岡で予備校講師してたんじゃなかったっけ? なんか気持ちわりいんだよなー、こいつ。ちょっと前の 東批判も、なんか後味悪い。しかしマザコン彰たんはいつか安楽死自殺するんだろうな。
mazakonn tte konnkyo wa nanndesu ka?
84 :
考える名無しさん :02/10/10 22:54
hahaoya ga ikiteiru aida ha sinenai toiu tokoro. jituha more mo mazakon dakara yoku wakaru.
85 :
考える名無しさん :02/10/10 23:49
彰はいい人間じゃないですか。 黙殺すればいいものを、きちんと返答してるなんて。 逆に、見直した。 それと、鎌田は2ちゃんみてるかもね。
お前ら、まだ気付いてないのか? picoのうPがすべてネタだということに。
87 :
考える名無しさん :02/10/10 23:56
ore ha kizuite ita. nakanaka umai bunntai mosya da.
88 :
考える名無しさん :02/10/11 03:44
まじうますぎ なんか元気がでる
asada ha kamata no kama hotta?
90 :
ぺん(ぺん) :02/10/11 05:22
>>86 え〜!マジですかー
pikoさんに感謝していたのにー
うーむ、ネタと本物の区別が付かないから、
2ちゃんは怖いなあ(笑
鎌田君が浅田君を「安直なニヒリズム」といった? 鎌田君が浅田君をそう批判したとしてもある意味でおかしくないし、 浅田君が鎌田君にあのように返答するというのもわからないわけではない。 鎌田君は満足したろうか。私は、自分が鎌田君なら、しないとおもう。 浅田君は卑怯だ、というのではなくずるい。どこがだろうか。 本人のいう「助力」としてか人のことを口汚く「安直だ」「凡庸だ」と 平気でいってのけながら、人に「おまえもな」と指摘されるやいなや、 自分はその「安直さ」「平凡さ」に安穏としていることがだ。 教室で、掃除しろよと人を注意して(「助力して」)おきながら自分は寝そべって その怠惰にも自覚してるんだよ、だからあなたからの激励はありがた迷惑なんだ といってのける、あたかも事態はそのような見え方と重なる。 鎌田君ならいうだろう、これは激励ではない、お前は自己矛盾していると いったまでだ、と。
自分にできないことを人にやれと偉そうにゆうな、 お前はもともと助力すべきでなかった。これはお前のいう意味 (「生の意志を死の病毒で汚染」云々)でするなということではない。 Aを主張するならば自身でも Aをしろ、できないならそういうな、 ということにちかい。もしお前が批評をかいて「助力」してこなかったなら、 私もわざわざ、あえて「激励」文を書く暇をとらなかっただろう。 批評しあうのは、お互いを洗練し高めあうためではないのか。お互いに、 というところが重要なのに、浅田に対しては、誰がこういう人間に 基本的な態度を諭しても、例のニヒリズムがはしゃぎだし踊り出てきて 「自覚してるが、気持ちに変わりなし」のいってんばり、こちらは なすすべもなく沈黙を余儀無くするって寸法。しっかし、わかっちゃあいるが、 こちらもやめられない。何しろ、俺しかいないからな、 あの愚図に一番嫌な小言をいってやるのは。おまえが評論を書き続ける限り、 見かけた時にはいつも同じことをこれからも繰り返し繰り返し諭すからな、 覚悟しとけよ。
いや、 >本人のいう「助力」としてか人のことを口汚く「安直だ」「凡庸だ」と >平気でいってのけながら、人に「おまえもな」と指摘されるやいなや、 >自分はその「安直さ」「平凡さ」に安穏としていることがだ。 この辺りはまともじゃない? まあでも、彰は解ってやってるんだから、今更言っても無駄だとは思うけど。 どんなに駄目になっても柄谷から離れられないのも、柄谷の 「大いなる盲目」みたいなものに対する憧れからなんだろうね。
でも、この議論そのものが本当の意味で「凡庸」に過ぎますね。はなっから返事を投げてるんだから、そんな引っ張る話でもない。よって、終了。
96 :
考える名無しさん :02/10/11 16:17
ほんとうに彰が返事を投げていたら、最初から相手にしないはず。 ここにはやはり彰自身にとって問題になること、気にかけていることが やはりあるんだと思う。鎌田のように執拗に内在批判してくる論者に 彰はこれまでそれほど恵まれてこなかったことは確かだから。
97 :
考える名無しさん :02/10/11 16:23
そうやって生き延びている人間は、「最後の人間」を気取って暇つぶしをしな がら「2ちゃんねるかなにかで下らないお喋りを続けること」があってもいい のではないか。
98 :
考える名無しさん :02/10/11 17:39
>>96 俺は、彰は自分のスタンスを明らかにしたかった
だけなんじゃないかなと思う。鎌田の公開書簡が
いい機会だったということで。ナムも批評空間も辞めた
みたいだし。なんか積極的なことをせよとか言われても、
自分はしないぞ、と。矮小ながらすべてが明晰に見えるってのも
ツライんだよきっと。超チャート式の悲劇。「構造と力」で終了。
99 :
考える名無しさん :02/10/11 17:40
愛クリをこの板に直接書いてくれる日は来るか? こねーな(w
愛栗の2ちゃんへのコピーは密かに喜んでいる気がする・・・
彰ってナム辞めたの? 柄谷とどうなったの?
102 :
考える名無しさん :02/10/11 18:33
Aquiraxってどんな生活してんだろ? シンポジウム、美術館、コンサート、映画、舞台etc..で 世界中飛び回ってそうだし、膨大に本も読んでるだろうし。 いつ京大の仕事してんの?
103 :
考える名無しさん :02/10/11 21:17
>>91 世の中には、掃除をしたい人と、掃除をしたくない人がいる。
掃除したいなら、箒とちりとりぐらい取ってくるけど、
自分は掃除はしたくないから、やんないよ、ということだよ。
Aと主張したからAをしなきゃならない、なんてことはない。
そんなこと言ったら、なんにも言えなくなっちゃうよ。
自分はAをしなくたって、Aと主張する自由はあるわけです。
>>103 しばしば、掃除をしない奴は屑だ、みたいな事いうから噛みつかれたんでしょ。
105 :
考える名無しさん :02/10/11 21:50
たしか、ドゥルーズ特集の批評空間で、宇野邦一に 「浅田さんも本を書くべきです」(みたいな)ことを 言われて「いやあ、それは気が重い(笑)」なんて答えてた。 しかし、ドゥルーズについての対談には出席している。 自分を「断念した者」と位置づけ、鎌田を「努力する者」と 言う。そして断念する自由があってもいいではないか、 自殺する自由があってもいいではないか、と言う。 鎌田の批判の的はそこにあるのではないんじゃないか。 断念も努力もせず、対談やコラムはこなす。 つまり、まともな批判をあらかじめかわせるメディアでしか 発言しない態度に苛立っているのではないでしょうか。
>つまり、まともな批判をあらかじめかわせるメディアでしか >発言しない態度に苛立っているのではないでしょうか。 だからそれは意地悪な読みなんだって(w べんべんか君は。
107 :
考える名無しさん :02/10/11 22:11
意地悪じゃないよ。 その程度の斜め読みは浅田君自身が いつもしてることでしょ。そんなの明晰に意識してるよ。
コラムや対談だってまともな批判できんじゃん。
そんなの明晰に意識してるよ。 って言いたいだけやん
110 :
考える名無しさん :02/10/11 22:33
>>106 たぶん君は、25 さんかなとも思うのですが、浅田はたんなる紹介者や解説者
やインタヴュアー以上のことをしているよ。
実際、世間でもそうみなされている。だからこうしてみんなが注目するわけ
だし、なにかの主張をすれば批判が向けられる立場にも彼はいる。
しかしひとたび批判が向けられるや、即興の放談だから、とか
i-modeの下らないお喋りにすぎないんだから、といちいち皮肉めいて言われては
やはり、91 のように「ずるい」と思われても仕方がないようなことをしている
と思う。明晰に語り尽くすことや徹底して議論することを最も強調してきたはずの
人が、自らはそこから「断念した」身ぶりを自任して斜に構えている、という
わけだから。この点は、鎌田の批判をきっかけに、もう少し「浅田的問題」として
ここで話題にしてもいいのではないかと思う。
いやいや、彼はなにも「即興の放談だから」、とか 「i-modeの下らないお喋りにすぎないんだから」なんて 言ってないでしょう、べんべんさん(w。いつ言ったの? 浅田氏は本人が言ってるように単に怠惰なんであって、 ずるい(=倫理的に悪)とは言えないと思うよ。 やっぱり意地悪な読みだと思うな。
>>111 私はぺん(ぺん) さんではないけれども、要するに問題なのは、
浅田氏のような、たんなる解説者でも紹介者でもないスタンスにいる者が、
自ら断念したと開き直ることが倫理的に許されているのかどうか、
という点、また、そういう態度でもって「努力する者」を
「ささやかながら助力する」ということがどこまで可能なのか、
という点だと思います。
113 :
考える名無しさん :02/10/11 23:11
浅田は優秀な解説者であり紹介者である。 それは事実だし、それでいいんじゃない? 要するにそれを批判する連中は 解説や紹介じゃなくて自前の思想を語れということでしょ。 彼はそれをしないといってんだからいいじゃん。
>133 だったら偉そうなこと言うなよ、ってことだよね。 同じ解説者や紹介者に対して同じ立場から批判するのは いいだろうけど、麻田のばあい、あたかも自分が思想を もっているかのように振舞っている。
>113 だったら偉そうなこというなよってことだよな。
>114 rongai
117 :
考える名無しさん :02/10/11 23:29
でもやっぱりえらいでしょ。 すくなくともほとんどの解説者や紹介者とはレベルが違う。 くだらないものに「くだらない」というくらいの資格はある。
118 :
考える名無しさん :02/10/11 23:33
鎌田とかどうしようもなくどうしようもない。
wamsaiko-
120 :
考える名無しさん :02/10/12 00:21
からまれるのが嫌なだけ 何をしようが僕の勝手でしょ
121 :
考える名無しさん :02/10/12 00:48
>>111 怠惰、と本人は言ってるけど、それはレトリックとして
言ってるだけで、別に本人が怠けてるわけじゃないですね。
書くことを断念しているということは、逆に言えば、相当
高いところに理想を置いている、ということでしょう。
本気で書くなら何十年もかけなければならない、しかし、
それでも自分にはいいものが書けるかどうかの保証はない。
とすれば、自分のアイディアだけ皆に伝えて、自分より
努力する才能のある人にそれを追求していってもらう
ほうが効率的だ。ということなんじゃない?
自分だけが大作を書けるとか書くべきだなんていうのは
やっぱりどこか権威主義的な、弱いパーソナリティだと思う。
そういう点では、鎌田と浅田、どっちが弱いかといえば、
むしろ鎌田じゃないかな。
浅田、早く煉獄論書けよ
だから『構造と力』で打ち止め終了なんだってば。 あとは愛栗でガマンすべし。
124 :
ぺん(ぺん) :02/10/12 04:24
なぜ漏れは、いやまじでさんや110さんと同一人物と見られてしまうのだろうか? うーん、謎だ(笑 彰タンの考え方からすれば、柄谷氏がしきりに主張する「構築への意思」に対して 構築したいヤシは構築すればいいし、したくないやつはしなくてもいいではないか という対応も正当化されるのでは。 なぜ、構築への意思を強制されなければならないのか 構築しないでやっていってもいいではないか そのような態度に一定の共鳴を感じたからこそ、 和モノにも興味をもつようになったのかもしれませんね。
125 :
ななしさん :02/10/12 07:47
たしかフーコーに「居心地の悪さのモラルのために」 というエッセイがあったはず。彼にとっては居心地の悪さが モラルの試験紙だったし、モラルは居心地の悪い一方で そこから離れてもいけないものだったのだ。 浅田氏はたとえば学校など無用だといいながら、無用なものは 適当に付き合って片付けてしまい終わったら好きなことをすれば いいのだからこれほど楽しいものはない、といった。 アタッチメントなきデタッチメントに意味はない、ともいった。 ようするに、適当に付き合うけど、それほどむきになるでもないし むしろ無用の長物として付き合う程度のたしなみはもつけど モラルってこんな扱いでちょうどよくない?というわけだ。 怠惰なくせにえらそうなこというなというモラルに対しては この程度の答えがふさわしいだろう。 しかし彼はそういわないが、この態度にはもう一つの意味がある。 それは表現の自由の原則、たんにおしゃべりをするあつかましさへの寛容さだ。 私たちは自分のことについて人からとやかく言われることを嫌う。 このことを最大限おしすすめると一部の権利所有者だけが話せる ことになる。これは困ったことだ。私たちは誰でも無条件で話せることに したほうがいいが、そのためには実は自分が人からとやかく言われる ことについて寛容でなくてはならないのだった。ともすれば忘れがちになる この原則を、浅田氏の態度における不真面目さが照らし出すそのとき、 私たちは自身がどれだけ不真面目(言行不一致、自己矛盾)であり、不真面目さ にどれだけ耐えられるか、といった点について再び話し合い、 お互いに理解しあうことに利用できる。 ---まじめさを訴えるひとからくる「逃走」への批判はよくわかりますし、 「逃走」それ自身だってつねに危険にさらされているというのもよくわかる。 ですから、大切なのは、その都度その都度の選択をより大きな視野とより多くの 戦術から選ぶことであり、そのためには寛容さで多くのものに触れておくことが 不可欠なんです。---
126 :
考える名無しさん :02/10/12 13:32
>柄谷氏がしきりに主張する「構築への意思」 なにそれ?テキトーなこと言うんじゃねえよ。 おまえうざい。来んな
127 :
考える名無しさん :02/10/12 13:55
>>126 このスレでのアンチ意見にいちいち釣り竿垂らしてんじゃねえよ
128 :
考える名無しさん :02/10/12 18:25
釣り竿垂らしてんじゃねえよ←(w
129 :
考える名無しさん :02/10/12 18:42
浅田さんを貶める輩は許しませんから
130 :
ぺん(ぺん) :02/10/12 20:52
>>126 「構築への意思」を主張した、というのは書きすぎでした(汗
(そもそも、意思ではなくて意志ですね)
正確には、「構築性をなし崩しにしてしまう二重構造への批判」を主張した、
とでもすべきでした。
ちなみに、手元にあった『批評とポストモダン』収録の
「無作為の権力」から一部引用します。
…その意味で、現在の"ポスト・モダンな"作家たちもまた「私小説」
的なのである。それは、体系性や構築性への嫌悪、言葉に同一的な
「意味」を与えることへの拒否(言葉遊び)としてあらわれている。
…
私が近年とみに感じるのは、あらゆる「構築への意志」をなしくず
してしまう諸々の力である。
>>127 別に漏れは、アンチではないつもりですけど・・・
ファソだからこそ、逆に、いろいろケチをつけたくなるところもあるのです。
131 :
ぺん(ぺん) :02/10/12 20:53
鎌田氏の彰タンへの批判は、以前からしばしばなされてきた批判ですよね。 『中上健次 発言集成』から柄谷氏との対談を一部引用します。 (そういえば、彰タンは来年、健次タンの亡くなった年齢になるんじゃなかったけな) 中上:浅田だってIQ高いんだろう。 柄谷:彼は、まちがいなく高いだろう。やっぱり君は、浅田に対し ては若干の嫉妬があるよ。 中上:ないよ。 柄谷:昔はあった。僕もあった。僕は浅田君は批評家になるだろう、 と思ってるんですよ。文学の批評のほうに入っていくだろう。 中上:そうせざるをえないでしょう。ただ、文学の批評なんてつま んないから、小説でも書いたほうがいいよ。 柄谷:文学の批評に入っていくというのは、小説の批評をするとい うことじゃないよ。 中上:原論か。たとえばポーの『大鴉』を論じるみたいな。 柄谷:そんなことでもない。日本の言説のリアリティの中に入って いく、ということですよ。それは文学にしかないんだね。僕が批評っ ていうのは、小説がどうのこうのとかいうことじゃないんだ。 中上:もちろん。浅田は、もう早い段階にやらないとだめだ。あん なふうにチョロチョロやって、対談とかで何とかで吼えてるだけじゃ なくて、あれは浅田のいいところじゃなくて、悪いところだ。無難 のところで、絶対に怪我をしないようにしている。怪我でも何でも すりゃいいんだ。俺ももう四十二歳だから、正直に言うよ。浅田は 才能はありますよ。だけど才能があるんだったら、そんなふうに迂 回してないで、大胆にやったほうがいいよ。才能のあるやつにはそ う言いたいね。 柄谷:浅田君に関しては僕も同感だ。
132 :
考える名無しさん :02/10/12 21:05
知らんかった サンクス 柄谷は蓮実との対談で ぼく浅田君に守られてる気がするよ とかいってたね
>>131 おもしろい。ナイス・コピペ〜♪
ていうか、そこからパクってたんやん(w
134 :
予bi校sei :02/10/12 23:12
>>125 私たちは自分のことについて人からとやかく言われることを嫌う。
このことを最大限おしすすめると一部の権利所有者だけが話せる
ことになる。
ってのが、わからんのやけど。
do o you imi de suka?
135 :
考える名無しさん :02/10/12 23:21
とにかくまた思秋期っぽい浅田さんである。 彼って何年かに一回壊れるんだよなー。
ニーチェが批判した、ショーペンハウアーよりだね。 ふだんは、死のうが生きようが自由だけど、それは黙って死ぬ限りにおいて正しく、 それを口に出して言えば、抑圧になるみたいな事いってたのに。 なんか久々に隙を見せたって感じ。 東辺りに突っ込んで欲しいのかな。
どーも、ニーチェです。何か質問があればどうぞ。
138 :
考える名無しさん :02/10/13 18:20
浅田は年上世代に対してはほとんど隙がないようですが、 なぜ若手を相手にすると壊れやすいのですか?
139 :
考える名無しさん :02/10/13 18:46
おいおい、ネタじゃないのか? 俺の携帯、P207なんだよ〜!
140 :
考える名無しさん :02/10/13 19:31
86〜88がネタ。
私は、浅田彰よりはるかに偉大である。
142 :
考える名無しさん :02/10/14 00:32
鎌田はこれからどうする気なの?
143 :
考える名無しさん :02/10/14 01:07
どうもしないだろう
144 :
考える名無しさん :02/10/14 01:11
NAMは21世紀の農協になりました。 浅田は加藤紘一になります。
>>88 のナイーブな感想はネタではない事を、ここに告白しておこう。
146 :
考える名無しさん :02/10/14 23:54
>125 君の論の後半は内容としては合っているものの(常識的だから)、 A.A.の発言のimplicationとは言えない。 >144 それは単なる眼鏡の類似性による錯視でしょう。
147 :
考える名無しさん :02/10/14 23:56
148 :
考える名無しさん :02/10/15 04:17
表向きは、自分も愚民であると認めているでしょう。
中絶の次は安楽死の合法化か。中絶大国に続いて、21世紀の日本は安楽死大国に なるのかね。高齢化社会になりそうだし、意外と安楽死はひとごとではなく日常の 風景になりそうな気がする。それにしても、安楽死の合法化なんてことをさらっと いうとは、あまりにも「醒めたワイズ」としての近代人のありようを代表していな か?
150 :
考える名無しさん :02/10/15 04:47
母親が死んだ後、 交通事故であっさり死んだりしたら笑劇
151 :
考える名無しさん :02/10/15 09:05
>150 それはバルトでしょ。
ホモだし。
153 :
考える名無しさん :02/10/15 12:17
154 :
考える名無しさん :02/10/15 12:32
母親が死んだあとに、よろよろ倉庫まで歩いていって、自決。に100アクィラ
彰のお母様の死の話はやめよう
156 :
考える名無しさん :02/10/15 12:44
マザコンをカミングアウトするタイミングを狙っていたんだろう
大江健三郎の『憂い顔の童子』 10*1 大江健三郎は今もわれらの時代の小説家なのだ。 『取り替え子』(講談社)を読んだとき、私は思わず感嘆の声を上げた。 最近発表された『憂い顔の童子』(同)は、それに勝るとも劣らぬほど刺激的 な続篇である。 前作同様、古義人(大江健三郎)と吾良(伊丹十三)をはじめ、作家の周囲の 人々がほとんどそのまま登場し、自分と吾良をよってたかって攻撃する人々へ の古義人の怒りが剥き出しで吐露されると同時に、その思い込みが他の登場人 物から厳しく批判されもする(「これまで、きみはアカリさん[大江光]を贖 罪山羊にしていると風評されてきたが、吾良ちゃんまでそうしたわけなのか? 」)、その大胆さは驚嘆に値するだろう。 前作の中心をなすのは、吾良の自殺から、古義人と吾良が松山での高校時代に 体験したトラウマ的な事件(「アレ」)への遡行だった。 古義人の亡父の弟子がつくった右翼青年道場が米軍基地襲撃を計画し、美少年 の吾良を餌にゲイのアメリカ人将校をおびき出す。 そこで現実に何が起こったかは結局のところ判然としないが、古義人と吾良は 道場の青年たちに血の滴る仔牛の生皮をかぶせられて穢され、将校は姿を消す。 錯綜した、しかし確かにホモファシズムの匂いの濃い一連の記述から、加藤典 洋は、二人が青年たちに強姦され、その意趣返しに彼らの計画のことを密告し たのだと推論した(絶対に不可能な推論というわけではない)。ところが、こ の解釈に激怒した古義人は、ただちに加藤典洋の文章の載った雑誌を燃やし、 「クソどもが」と毒づくのである(彼にとっては、何よりも、将校が殺された のかどうか、自分たちがその共犯なのかどうかが問題なのだ)。 前篇へのちょっとした批評までが後篇に直接取り入れられて激烈な扱いを受け るというのは尋常ではない。 良かれ悪しかれ、ここには小説家の肉声が生々しく響いており、それが読者を とらえて放さないのだ。
しかし、もちろん、この小説の面白さはそういうところにだけあるのではない。 怒りと悲しみに苛まれながらなお足掻き続ける老作家の挙動は、ドン・キホー テ(「憂い顔の騎士」)の悲壮にして滑稽な奮闘になぞらえられ、四国の森の 神話(「童子」というトリックスターを含む)を枠組みとして歴史を重層的に 語ろうとする試みが、辛辣に批判されながら(「あなたが書いてきた小説はみ な、森へのノスタルジーにイカれた頭の想像じゃないですか?」)、そのよう な批判を含んで語り直されもする。 そこには大江健三郎の書いてきたさまざまな作品が巧みに畳み込まれ、重層的 に全体化されているのだ。 そして、最後、いま触れた「アレ」の曲解に激怒した古義人は、ドン・キホー テが偽作に対抗して「その新しい物語の作者の嘘を天下にさらし、彼の描くド ン・キホーテが拙者ではないことを、世の人々に知らしめる」ために結末へと 突き進んだように、自ら老骨に鞭打って(結果的に)少年時代の事件を反復し 、そのために意識不明の重態に陥りながらも、閉ざされた意識の中で「童子」 の神話を夢見るだろう……。 むろん、定型的な批判をあらためて差し向けることは難しくない。 ここには真に強力な他者が(母を除いて)現れず、古義人が批判されるのも作 家が予防線を張っているようなものなので、結局のところ(コギト=「我思う 」いう名に象徴される)自己中心的な構造が保存されてしまい、どこか嘘臭い その構造と森の神話の構造とがイマジナリーな予定調和をなしてしまう……。 そういう批判が可能だとして、しかし、それがどうしたというのだ? これが、小説化が書かずにはいられなかった小説であること、それが、新たに さまざまな疑問を感じさせながらも、読者をとらえて最後までぐいぐい引っ張 って行く力をもっていることだけは、そうやってこの作品を一気に読み終えた いま、確実に断言することができる。 そう、彼自身がひそかな自負と覚悟をもって登場人物に語らせているように、 大江健三郎は「この世紀の変わり目の、真の小説家」なのだ。
ペルルミュテール/ブーレーズ 10*1 去る9月4日、ヴラド・ペルルミュテールが98歳の生涯を閉じた。 ペルルミュテールは1904年にポーランドのコヴノ(後のリトアニアのカウナ ス)でラビの家に生まれたが(ちなみに20世紀を代表するユダヤ哲学者エマ ニュエル・レヴィナスも1906年に同じ町で生まれている)、そのうち一家は ポグロムを恐れてフランスに移る。 そして、ピアニストの道を選んだ彼は、パリ音楽院でアルフレッド・コルト ーからショパンの演奏を学び、モーリス・ラヴェルの自宅で作曲家自身から その作品の演奏を学んで、やがて最も「フランス的」なピアニストとなった のである。 実際、ラヴェルの作品、たとえば「クープランの墓」などの明晰にして優雅 な演奏は、他のピアニストには望めないものだ。 その響きをもはや聴くことができないというのは、寂しいことではある。 とはいえ、伝統は別の形で受け継がれていくだろう。 たとえば、最近リリースされたピエール・ブーレーズとクリーヴランド管 弦楽団のディスク(UCCG-1122)に収められた「クープランの墓」のオー ケストラ版。 ブーレーズらしく明晰きわまりない演奏なのだが、それ以上に印象に残る のは、やはり「フランス的」としか言いようのないエレガンス――流麗で ありながら抑制のきいたテンポ、うるさくない強音と繊細な弱音、室内楽 的な透明度をもって響いてくる個々の楽器の音色、そういったもののつく りだす一種独特の雰囲気なのだ。 あるいは「古風なメヌエット」。 テンポが速すぎたり響きが鋭すぎたりするとヒステリックにも響きかねな いこの曲が、ここでは、確かにあくまでスマートに、しかしまた何と「古 風」なエレガンスをもって演奏されることだろう。 このディスクにはドビュッシーの作品も収められているのだが、その中の 「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」についても同じことが言える。 ペルルミュテールに比して言えばリリ・ラスキーヌのハープを忘れること はできないけれど、このディスクでのリサ・ウェルバウムのハープも端正 な演奏で悪くない。
実のところ、このディスクの重心は声楽曲の方にあり、ラヴェルの「シェ エラザード」はアンネ・ソフィー・フォン・オッターの繊細きわまる歌唱 を得て忘れがたい名演となっている一方、ドビュッシーの歌曲はアリソン ・ハグリーのフランス語にやや難があってそれほど成功しているとは言え ないのだが、それらの歌曲も含め、このディスクはフランス近代音楽の魅 力的なアンソロジーになっていると言えるだろう。 個人的なことを付け加えれば、子どもの頃これらの作品を通じて初めてラ ヴェルの音楽に親しんだ私にとって、これは新鮮であると同時にどこか懐 かしい気分のするディスクだった。 誤解されると困るのだが、私は、かつて前衛の闘士だったブーレーズが老 熟してフランス的伝統に回帰したと言っているのではない。 つねに楽譜に最もふさわしい表現を求めてアメリカのオーケストラにかく も「フランス的」な響きを奏でさせるその手腕に、あらためて感嘆してい るのだ。 「フランス的」? いや、それは徹底された音楽的洗練のひとつの形なのであって、「国民性」 といったものとは無関係なのではないか。 ペルルミュテールとブーレーズのそれぞれに見事な演奏は、まったく別な形 においてではあるが、そのことを示唆しているように思う。
『池田亮司の「formula」』と『平治物語絵巻と一遍聖絵』 は、再来週にうぷします。
162 :
考える名無しさん :02/10/15 14:16
163 :
考える名無しさん :02/10/15 14:18
お疲れ様です。pikoさん、ありがとう。
このように貧乏人がpikoに感謝しています。以上、現場からでした。
165 :
考える名無しさん :02/10/16 02:03
それでもやはり、貧乏人は感謝せねばなるまいて。
月300円が払えないほどの貧乏人がいるとは信じ難い。 たんにセコイだけなのでは?
携帯を持ちたくないんだよな。。。どうすればいいんだろう
>>167 な、なんでお前は携帯もちたくないんだ? 理解できませーん。
169 :
考える名無しさん :02/10/16 19:22
携帯もちたくないのは良くわかるよ。 金も掛かるしね。
170 :
考える名無しさん :02/10/16 22:37
京大E地下ってまだミル・プラトー読んでんの?
171 :
考える名無しさん :02/10/16 23:46
浅田の趣味は今やドゥルーズとは正反対
172 :
考える名無しさん :02/10/16 23:50
どういう意味かな?
173 :
ぺん(ぺん) :02/10/17 10:58
漏れもバイトで稼いだ有り金は、 すべて書籍とCD・映画に消えるので 携帯もつ金はありません。 ていうか、この一年服も買ってないよなー(汗
174 :
考える名無しさん :02/10/17 12:17
176 :
考える名無しさん :02/10/18 14:30
浅田さんって今、憂国呆談以外に連載もってる?
177 :
考える名無しさん :02/10/18 15:54
愛栗
178 :
考える名無しさん :02/10/19 02:51
昔は神気取りで、今は宇宙人だってよ。 今はオカルト、昔は宗教とか形而上学とか、これらの全部の黒幕が 確かに実在する。ところが、まじでむかつく連中なんだ。俺は知ってるがな。 実在論は正しい。プラトンは正しかった。しかし、腹が立つ連中なのは間違いない。
179 :
考える名無しさん :02/10/19 03:03
死ね
180 :
考える名無しさん :02/10/19 23:40
臼をつけ!
181 :
考える名無しさん :02/10/19 23:52
183 :
考える名無しさん :02/10/22 01:37
週刊ダイヤモンドの「憂国呆談」ようやく今週号に出たね。 北朝鮮問題についてはけっこう無難な物言いって感じ。
今週の愛栗は「ポリーニとブーレーズ」
185 :
考える名無しさん :02/10/22 14:40
>>184 UP yoroshiku onegai shimasu.
浅田彰ポリーニにスタンディングオベーションアゲ。
187 :
考える名無しさん :02/10/22 19:22
ブーレーズ! ブーレーズ!の歓呼age
フクヤマとポストヒューマンな未来 10*8 フランシス・フクヤマの1989年の論文「歴史の終わり?」と、それに基づく1991年 の著書『歴史の終わりと最後の人間』(邦訳『歴史の終わり』三笠書房)は、私自 身の対談集『「歴史の終わり」を越えて』(中公文庫)を含む世界的な議論を巻き 起こした。 コジェーヴからブルームをへてフクヤマに受け継がれたヘーゲル史観によると、歴 史とはイデオロギー闘争の歴史であり、イデオロギー闘争が終われば歴史は終わる。 1945年に全体主義が敗北し、1989年に社会主義が敗北して、自由民主主義が唯一の 勝者となったいまこそ、歴史は終わったのであり、歴史的闘争の緊張から解き放た れて歴史以後の無風状態を生きる人間は、ニーチェの言う「最後の人間」のように なるだろう。 実のところ1945年に既にそれを予想していたコジェーヴは、歴史以後の生活様式と して、物質的充足への埋没としての「アメリカ的動物性」と、空虚な形式の洗練と 反復としての「日本的スノビスム」を挙げている。(ちなみに、東浩紀の言う「動 物化するポストモダン」は、この二つを組み合わせ、アメリカナイズされた日本に おける動物的スノッブ/スノビッシュな動物としてのオタクをポストヒストリカル /ポストモダンな典型としてフィーチャーしたものと言ってよい。)しかし、アメ リカ政府のアドヴァイザーを務めるフクヤマはもっと常識的で、人間は人間であり 続けるだろうと考える。むしろ、人間性を改良することで社会を改革できると思い こんでいた社会主義が敗北する一方、人間性は変えられないと前提する資本主義が それゆえに勝利した、というのである。唯一その確信を揺るがすものが生命科学と バイオテクノロジーの進歩だった。 それこそが歴史を動かし、人間を作り変えてしまうのではないか。
フクヤマがこの問題を扱った新著が、最近翻訳の出た『われわれのポストヒューマ ンな未来』(邦訳『人間の終わり』ダイヤモンド社)である。 ここでは、向精神薬からクローンにいたる広範な領域が手際よくサーヴェイされ、 それらが人間を作り変えてしまう可能性が検討されるだろう。 だが、それに対するフクヤマ自身の判断は、やはりいたって常識的なものだ。 人間を作り変える試みは受け入れられず、そのような研究は国家および国際機関に よって規制すべきである。 これがアメリカ政府のアドヴァイザーであるフクヤマの基本的なスタンスなのだ。 「歴史の終わり」にとどまり、しかも人間であり続けること。 しかし、彼のサーヴェイ自体、あまりにも多様な研究が、またちょっとした薬物の 普及が、人間を急速に変化させつつあることを示してはいないだろうか。 パンドラの箱はすでに開かれた。 それが望ましいものであるかどうかにかかわらず、われわれは不可避的にポストヒ ューマンな未来へと足を踏み入れつつあるのだ。
「ポリーニとブーレーズ」は再来週うぷします。
191 :
考える名無しさん :02/10/23 00:03
間違えた。ブレーズって誰だよ・・・
193 :
考える名無しさん :02/10/23 00:19
でもブレーズって書くこともあるよね。昔の本とか。
194 :
考える名無しさん :02/10/23 07:07
おい、ゴダール来日中だってさ。
195 :
考える名無しさん :02/10/23 07:25
196 :
女性5人組「D・F・O」 :02/10/23 07:43
1500万円ほすぃ・・・ ほすぃぃ・・・ やはり、金貰えるとなれば来るのか、日本まで。 伊達に光ってないのだね、彼の頭。
197 :
考える名無しさん :02/10/23 09:27
ポリーニとブーレーズ。 東京文化会館で浅田彰とすれちがったとき、明日は火曜日だからアイクリまにあうかな、って思ったけど。 それにしても結構素敵なコンサートだったと思うけどな、評判悪いけど。
しかし、ゴダ−ルもジジイになったな。
199 :
考える名無しさん :02/10/23 10:47
浅田が年を取るご時勢
200get! NAMから逃走しよう。
1500万円もらえるの? やらしいなぁ ま、しょうがないね
202 :
考える名無しさん :02/10/23 20:42
203 :
憂国呆談更新 :02/10/24 22:04
_n _、_ グッジョブ!! ( l _、_ ( ,_ノ` ) n \ \ ( <_,` )  ̄ \ ( E) ヽ___ ̄ ̄ ノ グッジョブ!! フ /ヽ ヽ_// / / 2chのやりすぎに注意な
あれ?浅田、髪の分け目左側じゃなかったっけ?
「建築の夢−−メーリニコフ展」は、会期が12月21日まで ということなので、再来週にうぷします。
207 :
考える名無しさん :02/10/25 23:08
>>190 piko様、うぷ乙かれです。
結局は遺伝子操作ですか...。
なんかそれも失敗しそうな気がするけど...。
209 :
考える名無しさん :02/10/26 04:58
>203さん 情報ありがとー >憂国呆談 >松下政経塾→日本新党→民主党っていう連中が最悪 そうそう!w そうなんだよねー。これ頷きまくりです。
ヤフー掲示板で次のようなトピを立てたのですが、見事に反応無しでした。 最近の子は本読まないのね〜。 『浅田 彰氏を語るトピ。 評論界のトリックスター(古!)浅田彰氏について、語りましょう。 私は、彼のフアンでもあり、アンチでもあります。 サロンの話題に数学は如何?は今でも読み返すし、憂国呆談の、田中康夫氏との漫談は好きですが。 谷沢永一氏の、「公務員の左翼」批判には、なるほどと思いますし、文章にあまりにも引用が多いのも、ちょっと・・。 朝日から月光まで、カルチャーからサブカルまで、その守備範囲の広さが好きです。 昔、ダイエーの、社内誌に、中島らも氏との対談が載っていて、とても面白かった。 紛失してしまって、誰か、お持ちの方、いらっしゃいますか。 思想から下ネタまで、彼を話題に盛り上がるトピになれば、幸いです。 ところで、彼は何故結婚しないのでしょう? 優秀な遺伝子を残して欲しいのに。 楠田枝里子女史と結婚して、究極のアンドロイドを、作成して欲しいです。(笑)』
211 :
考える名無しさん :02/10/26 12:52
210センスなさ過ぎだな
反応ないのもわかる。(w
現在カソリック系の私大に通う大学3年の女子です。哲学を学ぶうちに、 人生に絶望を 感じ、拭いきれません。そのうち、浅田彰先生に相談しよ うかとも 考えています。結局人間も理想概念の中でしかその存在意味を 示すことはできないんだ。自分も友達もみんな大学で勉強したり してる けど、みんな子孫を残す為だけに存在していたんだ。男の人は、脚の細 い 女性を好むけど、それも、脚を細いという意識という理想型の枠から の思考でしかないんだ。私のおじいちゃんは、自殺したけど、私にもそ 現在、私大に通う大学3年の女子です。美学を学ぶうちに、人生に絶望 を 感じ、拭いきれません。そのうち、横尾忠則先生に相談しよ うかとも 考えています。結局人間も、シチュエーションの中でしか その存在意味を示すことはできないんだ。自分も友達もみんな大学で 勉強したり してるけど、みんな美の妄想を追いかけるために存在して いる。男の人は、脚の細い 女性を好むけど、それも、脚を細いという 美の理想型の枠からの思考でしかないんだ。私のおじいちゃんは、自殺 したけど、私にもその自 殺の考えがまとわりついてくるから、それを逃 れることはできないんだ。勉強しても結局、美の真実がが得られないのなら、死んだ方がましだ ・・・・などと考えるようになりました。どなたか、こんな考えに美学的に「いや、人間は 美の理想の中にだけに存在するんじ ゃない!」と反論して、私の未来に希望を持たせて 下さい。
214 :
考える名無しさん :02/10/26 14:21
美術館賞板からのコピペ
>>1 まずは国語の学習から始めましょう。(まじで)
本当に女子大生ですか?
216 :
考える名無しさん :02/10/26 14:34
217 :
考える名無しさん :02/10/26 16:02
浅田に人生相談しても、無駄と思われ。
218 :
考える名無しさん :02/10/26 17:10
219 :
考える名無しさん :02/10/26 18:28
>>210 アキラ君、
松浦あややと結婚してアイドルAIを作ってくれ。10人ぐらい。
220 :
考える名無しさん :02/10/26 19:24
中島らもとの対談読みたい
めちゃくちゃ、面白かった。 稲垣足穂と野坂昭如、小室直樹と横山やすし、に次ぐ面白さだった。 どの本に入ってるか情報希望。
223 :
考える名無しさん :02/10/26 22:25
浅田さん、せめて精子バンクに精子を残しておいてください!(マジレス)
>223 それ、常々思ってた。 勿体無いっていうか、何というか。。
225 :
考える名無しさん :02/10/26 23:42
>>222 彰とらもの対談。
>>223 彰と、イチローは、最低でも10人ぐらい子供を作って欲しい。
226 :
考える名無しさん :02/10/26 23:48
4人目ぐらいの子供は「超人 彰」が生まれる可能性が・・・。
227 :
考える名無しさん :02/10/27 00:07
彰の子供とイチローの子供が結婚したら・・。 ニュータイプの完成です。
228 :
考える名無しさん :02/10/27 00:15
決して「生んでくれと頼んだわけじゃない」とは・・・。
229 :
考える名無しさん :02/10/27 00:33
浅田さんの御母堂って偉大だ。age
230 :
考える名無しさん :02/10/27 00:45
俺がジョン煎るだったら、この二人には毎晩違う女とやらせるのにな〜、 国のため。 強くなるぞ〜。 この辺の実践的AI、についてのコメントを聞いてみたい。
231 :
考える名無しさん :02/10/27 00:45
酒池肉林!
232 :
考える名無しさん :02/10/27 20:27
成り行きを静観する彰
233 :
考える名無しさん :02/10/27 20:28
NAMの?
234 :
考える名無しさん :02/10/27 20:30
そう。 ってチャットか!
手持ちのQをどうしようかと途方にくれている彰。
236 :
考える名無しさん :02/10/28 01:46
スレ違いだってば
今週の愛栗は「ゴダールの『恋人のいる時間』」
よみたいわ。
池田亮司の「formula」 10*15 池田亮司の1998年から2002年にかけてのインスタレーションやコンサートのエッセ ンスを凝縮した新しいDVDブック「formula」(NTT出版)は、彼がこの世紀転換期 のミュージック・シーン――いやアート・シーン全般における最も注目すべき存在 の一人であることを明白に示す、きわめて重要なドキュメントである。 潔癖をもって鳴るアーティストらしく、一切の装飾を削ぎ落とした真っ白な本には 、必要最小限のデータが収められているだけで、プロフィールや解説などは一切載 っていない。その禁欲的な構成は、DVDに収録された音楽――サイン波とコサイン 波をキャンセル・アウトさせることで零度に接近するといった、私の言うテクノミ ニマル・ミュージックに、見事に対応している。 ただ、池田亮司は世界各地でインスタレーション作品も展開してきており、このDV Dブックには8つのインスタレーションのスチール写真と図面、それに音響だけが収 録されている。そのうちのかなりの部分を現場で体験した私に言わせれば、これだ けの情報ではやはり物足りない気がしないでもない(その意味でも、最新のインス タレーション「db」が10月27日までICCで体験できるので、まだ行っていない人は ぜひとも行っておくべきだ)。 だが、このDVDブックがそれらのインスタレーションのエッセンスを最も凝縮され た形で示そうとするものだとしたら、その目的は見事に達成されていると言うべき だろう。 DVDには、それに続いて、2000年から2002年にかけて行なわれたコンサートの音響 と映像(高谷史郎や泊博雅らダムタイプのメンバーの協力による)が収録されてい る。 「カッティング・エッジ」という言葉そのままの鋭利さをそなえた、一分の隙もな い音響と映像の連続は、ただただ圧倒的と言うほかない。むろん、コンサート会場 での迫力は再現すべくもないとはいえ、エッセンシャルな部分はむしろ明確な形で 確認することができる。
また、インスタレーションの図面と同様、それぞれのコンサート会場でのスピーカ ーやプロジェクターなどの配置を示した図面は、このアーティストが音響と映像を できるだけ研ぎ澄まされた状態で提示するため技術的な細部にどれほど細かい神経 を使っているかを如実に示すものと言えるだろう。 そう、このDVDブックは、池田亮司の作品の単なる記憶にとどまらず、それらの作 品を生成するformulaを収めたものでもあるのだ。 それは、世紀転換期の音楽の一つのモニュメントとして、長く記憶されることにな るだろう。
もっとも、池田亮司は、サイン波とコサイン波をキャンセル・アウトさせる ことで零度に接近するといった段階にいつまでもとどまっているわけではない。 この本のエピグラフには、「Less is more」というミース・ファン・デル・ ローエの言葉と並んで、「More is more」というデイヴィッド・チュードア の言葉が引かれている。 実際、コンサートの後半では、コンピュータ・グラフィックスばかりではなく 、現実のイメージのサンプルがめくるめくスピードで断続する映像が現れるだろう。 そして、現在のアーティストは、サイン波やホワイト・ノイズばかりではな く、弦楽器の音のサンプルを徹底的なスペクトル解析を通じて利用するとい った試みに手を染めているのだ。 去る9月15日にICCでダムタイプのアーティスト・トークに参加した池田亮司 は、これまで無条件に切り捨ててきたようなものもこれからはあらためて吟 味していかなければならない、たとえばその結果が「美しい」ものになった としてもそれをあらかじめ排除しようとは思わない、という主旨のことを述べた。 司会を務めた私が指摘したように、それはある種の反動(たとえばロマン主 義的美学への)にもつながりかねないリスキーな道ではある。 だが、実のところ、容赦ない潔癖さですべての無駄を削ぎ落としてきた池田 亮司がそのような罠にはまるとは、私は思っていない。 あくまでも「Less is more」を突き詰めた後に現れる「More is more」の地平。 それがかつてなく清冽にして豊饒なものとなるであろうことを、私は確信し ている。 そうした未来への一歩を踏み出すための区切りとしても、池田亮司のこれま での仕事がこうして一冊にまとまったことは、大きな意味をもつのではないだろうか。
平治物語絵巻と一遍聖絵 10*15 私の住まいは二条天皇陵の隣にあり、今もそこから飛んできたと思しきヤマ ガラが庭のエゴノキの実を啄ばんでいるところだ。 二条天皇(1143〜1165)は後白河法皇の院政に対抗して天皇親政を実現しよ うとしたと言われるが、結局は父の陰に隠れたマイナーな存在に終わった。 特筆すべき事情といえば、平治の乱(1159)の際、女装して御所を脱出し、 平清盛の六波羅の屋敷に逃げ込んだことくらいだろう。 まさにその場面を描いた『平治物語絵巻』(13世紀半ば)の「六波羅行幸の 巻」が東京国立博物館で公開されている。 天皇らしき十二単姿は牛車の入り口からわずかに垣間見られるだけだが、一 方で牛車を取り囲む武士たちの野性的な表情、他方で彼らを制止する公家の 危機にあってなおのほほんとした表情が、実に生き生きと描き出されている。 御所と六波羅邸を除いて背景の描写を一切省略し、人々を紡錘形の集団や 斜めの列にまとめて、歴史のドラマをダイナミックに描き出す画家の手並 みは、鮮やかというほかない。 他方、京都国立博物館では、6年越しの修復を終えて面目を一新した『一遍 聖絵』(1229)が全巻揃って公開されている。 型通り一遍(1239〜1289)の生涯を追ってはいるものの、『平治物語絵巻 』とは反対に、風景や建物を大きく精細に描き出し、人物をその中に小さ く点景として配しているので、一遍の生涯も自然の中に溶け込んでしまう かのようだ。
一遍一行が伊予の家を出て遊行の旅に出発し、異母弟の聖戒(一遍の死後 にこの絵巻をつくることになる)が櫻井という場所まで見送った後「同生 を開花の暁に期し再会を終焉の夕に限りたてまつりて」別れるあたり(第 二巻第二段)、どこか懐かしいのどかな田園風景に、ちらほら咲き始めた 桜や満開を過ぎて散りかけた桜を配した描写などは、「西行物語絵巻」よ り西行的と言おうか、中世以後の「日本的風景」のひとつの原型とさえ言 えるだろう。 その直前、伊予の菅生の峨々たる岩山の風景や、少し後、熊野の聖地(一 遍はここで決定的な夢告を受けることになる)の風景でさえ、「崇高」な 次元にまで突き抜けてゆくことはない。 第七巻あたりになると、踊り念仏の巻き起こした群集の熱狂がダイナミッ クに描き出されるのだが、それも行き過ぎることはなく、やがてまた穏や かな自然と習俗の描写が前面に出てくるだろう。 その意味で、この聖絵が、念仏以外のすべてを捨てることを説いた一遍の ラディカリズムや時宗のアナーキーを正しく伝えているかどうかはわから ない。 ただ、注目に値するのは、そこに、農民のみならず、職人や商人、被差別 民や乞食まで含む民衆のなりわいが、実にリアルに描きこまれていることだ。 むしろ、「信不信を選ばず浄不浄を嫌わず」そうした人々すべてに念仏を 勧めるのが一遍の立場だったとすれば、この聖絵は、われわれの想像する カーニヴァル的なイメージ以上に、一遍の実像に近いのかもしれない。 率直に言って、この絵巻がこれほどの傑作であるとは、今回つぶさに見る まで思っていなかった。 全巻揃っての公開とはいえ、常陸の雪景色や富士の遠景など、陳列されて いない部分もあるのは残念だが、貴重な機会であるだけに、ぜひ見ておきたい。
ICCダムタイプ展は12月1日まで延長しているようです。 京都国立博物館の「一遍聖絵」は11月10日まで。 「ゴダールの『恋人のいる時間』」 は来週うぷします。
ありがとうございました。
247 :
考える名無しさん :02/10/29 18:32
pikoさん、感謝してまっせ!おおきに。
249 :
考える名無しさん :02/10/29 19:02
関西人が多いな。やっぱケチなのか
250 :
考える名無しさん :02/10/29 19:53
pikoさん、ありがとう! 携帯を持っていない私には、あなたは救いの神です
251 :
ぺん(ぺん) :02/10/29 21:13
pikoさん、いつもありがとうございます。
252 :
考える名無しさん :02/10/30 01:37
ゴダールとか言ってる場合かよ彰ゴルァ
「ポリーニとノーノ」も来週うぷします。
ゴダールの「恋人のいる時間」 は文学板のほうにうpされてるね
浅田さんもたまには柄谷さんみたいに暴走してみたいんじゃないですか?
256 :
考える名無しさん :02/10/31 02:05
ポリーニねえ・・・日和ってんなあ
257 :
考える名無しさん :02/10/31 07:45
ポリーニの会場で浅田氏とすれちがったけど、相変わらず素敵でしたなぁ。
やせすぎじゃない?
259 :
考える名無しさん :02/10/31 16:18
浅田氏は.. アルマーニの着衣が相変わらず素敵でしたなぁ。藁)
260 :
考える名無しさん :02/10/31 17:04
浅田、アルマーニなんか着てるのか?
261 :
考える名無しさん :02/10/31 17:49
どのアルマーニよ(w
服装に気を遣わないって皮肉でしょ。以前、中上にも「最悪」みたいに言われてたし。
263 :
考える名無しさん :02/10/31 22:06
服装、人にはうるさく言うわりにダサイんだよなあ これは目立つ欠点だね 体重は40kg位?
264 :
みみず書房 :02/10/31 22:10
その辺の町工場のオッサンが着てるようなジャンパー着てたりするよね。 ある種、石原慎太郎とも勝負できそうなセンス。
そんなことないよ彰はneatにまとまってるよ。
266 :
考える名無しさん :02/10/31 22:25
そうね、死んたろーと良い勝負 坂本とか流石に、奇抜だけどギリギリでセンスいい服着てるじゃない? あのトシにしちゃお洒落だ 彰も見倣いなさいYO!
267 :
考える名無しさん :02/10/31 22:27
>265 あれでneatって、あんたよっぽど服のセンスないんだな
268 :
考える名無しさん :02/10/31 22:28
あ〜らやだ、あんた。アタシ好みなんだからサ!
>268 デブ専ならぬヲタ専か?
271 :
考える名無しさん :02/10/31 22:31
や〜だ、妬いてんの?
272 :
考える名無しさん :02/10/31 22:31
パスタのTシャツはやめてほしい。 冬にいつも着ている革ジャンは微妙。
273 :
考える名無しさん :02/10/31 22:32
ブランド依存のダサ厨どもが彰のセンスを云々するなんて100年早いわっ。
274 :
みみず書房( :02/10/31 22:33
龍一っつぁんはね、うまく着こなしてるよね。 ニューバランスのスニーカーも、ちゃんとコディネートできてるよ。 それとくらべるとAquiraxは。。。。。 シネフィル的感性が無いのと、ファッションセンスが無いのとは、繋がってる問題なのでは? 両方とも質感を捉える触手が無いことに起因してるんじゃない?
275 :
考える名無しさん :02/10/31 22:34
だって、職場の環境もあるんじゃないの?
>270 いくら漏れでもあのジャンパーは着ねぃよ 漏れは最近はもっぱらカジュアルだが
277 :
考える名無しさん :02/10/31 22:35
革ジャンよく似合う!
278 :
考える名無しさん :02/10/31 22:36
ニューバランスのスニーカーって、、、ぷぷぷ。 いまどきBeginとか読んでるクチ?ま、ダサ厨憧れのアイテムなのかな?
279 :
考える名無しさん :02/10/31 22:38
>275 だって、ベージュのジャンパーだぞ? なんか、でかいらしくダブついてるし あいつは普段口悪いから、ここぞとばかり批判してやるよ んでベージュのジャンパーの下に、同系色のズボンだよ? どーなってんだよ、おい
280 :
考える名無しさん :02/10/31 22:40
え?結構似合うよ。
281 :
考える名無しさん :02/10/31 22:41
似合うかどうかじゃなくてお洒落かどうかの議論じゃないの?
282 :
みみず書房(NyoronYoro) :02/10/31 22:42
職場環境的にスニーカーは駄目かもしれないが、ジャケット着てる時でもダサいんだよねぇ、彼は。 ナード系としてカッコ良く見える場合もあるんだけど、単にダサいだけの時のほうが多いよ。 肩幅狭くて胸板薄いとスーツ着こなすのは難しいだろうけど。 でもなぁ。。。。。
283 :
考える名無しさん :02/10/31 22:43
お洒落だよ。素人が見てそれとわかるようなお洒落はお洒落じゃないって ポリシーだから。ジャンパーとかもいまなら旬の島津とか見えないこだわり 持ってるの。
284 :
考える名無しさん :02/10/31 22:43
>>274 >シネフィル的感性が無いのと、ファッションセンスが無いのとは、繋がってる問題なのでは?
言えた(W
ハスミンは無難ですな、学長サンだしね
285 :
考える名無しさん :02/10/31 22:44
そう、そう。
286 :
考える名無しさん :02/10/31 22:44
え?浅田はおしゃれだろ?
くだらないシネフィル受けするような低級なおしゃれは自分で許せないんじゃない。
288 :
考える名無しさん :02/10/31 22:46
待てよ、マジで彰がお洒落だと思ってる奴いるの? 彰は何でもよく知ってて頭の回転もいいが、服装だけはいただけない、違う?
289 :
みみず書房(NyoronYoro) :02/10/31 22:46
ベージュのジャンパーは似合うよそりゃ。 四谷大塚とか通ってた子が中年になった時に着そうな服だもん。 アキラは通ってないだろうけどね。 でもオシャレでは、ない。 断じて、ない。 革ジャンはわりかしカッコイイ。
290 :
考える名無しさん :02/10/31 22:47
逆に言えばあからさまなおしゃれは彰にとっておしゃれでもなんでもないのよ。
291 :
考える名無しさん :02/10/31 22:48
浅田さんはおしゃれだよ。
292 :
考える名無しさん :02/10/31 22:48
お洒落だよ。
293 :
考える名無しさん :02/10/31 22:49
ツイードのジャケットに黒のトックリセーターの季節だね、浅田先生
294 :
考える名無しさん :02/10/31 22:49
浅田さんはちゃんとお洒落だとおもうが。驚いた。
295 :
考える名無しさん :02/10/31 22:49
>>290 あからさまなお洒落って、ねえ
市場に晒されなきゃ駄目、何度もそうくり返してるのは彰じゃないか
第一あいつはマンガにも目が無いんだ
そのミーハー根性で、何故洋服だけには飛びつかない
296 :
考える名無しさん :02/10/31 22:50
おしゃれだろ。
297 :
考える名無しさん :02/10/31 22:52
浅田のおしゃれのさりげなさがわからないとは。
298 :
考える名無しさん :02/10/31 22:53
お前ら、もっと回りを見ろよ さりげないお洒落とさりげないダサさは違うんだよ
299 :
考える名無しさん :02/10/31 22:53
お洒落という基準から存在感が遊離しているところが強みだろう。 彼の場合。
300 :
考える名無しさん :02/10/31 22:54
坂本がオシャレとは別に思わないけど彰は確実にオシャレ。
301 :
みみず書房(NyoronYoro) :02/10/31 22:54
>>293 久しぶりに接しました、「トックリセーター」。
懐かしい語感。
実家の母を思い出しました。
タートルネックとトックリって、どっちの呼称がポピュラーなんだろう?現在は。
302 :
考える名無しさん :02/10/31 22:55
さりげなく着崩しててオシャレだろ。
303 :
考える名無しさん :02/10/31 22:56
>>301 浅田の場合は、トックリでいいの。
世代的にも。
いい。黒のトックリね。
304 :
みみず書房(NyoronYoro) :02/10/31 22:57
>>299 おしゃれvs非おしゃれ、という2項対立から逃れること。
これぞスキゾキッドの本領発揮、ってか。
305 :
考える名無しさん :02/10/31 22:58
お前ら、よく分かりました よくいるアニヲタファッションの人達は、(お前らみたいな人は) 自分のファッションに自信を持ってやってるんだってことが ここではみみず書房さんだけが、お洒落を分かってくれる人ですた
306 :
考える名無しさん :02/10/31 22:59
浅田オタのファッションを、講演会の時、ウォッチして、 晒してみたくなるね。
307 :
考える名無しさん :02/10/31 23:02
>>305 こらこら。勝手に妄想を飛躍させるな。お前俺のものすごいチャンチャンコ
見たことあんのか、あぁぁん?
308 :
みみず書房(NyoronYoro) :02/10/31 23:03
>>305 いや、浅田がおしゃれだ、と言ってる人達の半分以上は冗談で言ってるんでしょ。
でも
>>294 さんは、どうもマジっぽいけど。
309 :
考える名無しさん :02/10/31 23:04
浅田はおしゃれだろ。普通に。 紅白歌合戦に出てくる演歌歌手みたいなのがオシャレだと思ってるんでしょうか。バカどもは。
ちなみに266=269=276=279=281=284=288=295=298=305 疲れた あばよヲタども!
311 :
考える名無しさん :02/10/31 23:05
芸能雑誌の読み過ぎですな。
312 :
考える名無しさん :02/10/31 23:06
実は294氏は浅田のスタイリストだったりして・・・ 公務員なのに。
マジでオシャレだと思うにもう一票。
314 :
考える名無しさん :02/10/31 23:06
浅田さんはしっかりお洒落だろ。
315 :
考える名無しさん :02/10/31 23:07
オシャレ以外のなにものでもないのに。
316 :
考える名無しさん :02/10/31 23:07
浅田さんの場合、抑制のきいたお洒落ってことだと思います。
317 :
考える名無しさん :02/10/31 23:13
浅田のファッションセンスはともかく、見た目は結構若く見えるよね。 かれこれ20年も同じ天才少年のイメージを維持しつづけているのはすごい。 8年くらい前に宮台真司がメディアに露出し始めたときには、学者らしくない クールな?ルックスに圧倒されたけれど、あいつは今じゃあただの中年オヤジだもん。
いわゆる「街のオシャレさん」みたいなのは彰にとってオシャレでもなんでもないってこと。
319 :
考える名無しさん :02/10/31 23:17
>>317 それは宮台氏の場合、前進であって全然問題ではないと思うんだが、どうよ。
最近、春秋社ってとこから、「漂流するメディア政治」という本が出たんだけど、
これ読むとかなりマジメにやってるぞ。宮台氏は。
320 :
みみず書房(NyoronYoro) :02/10/31 23:19
>>317 写真によってはメッキリ老け込んだ印象のもあるよ。
なんか、冴えない中学校の先生(国語)って感じの。
>>303 そだね。同感。
少なくとも着るものに気を遣っているという意味でオシャレかな
322 :
みみず書房(NyoronYoro) :02/10/31 23:28
>>319 「マジメにやってる」のが偉いことなのかどうか・…
闘争を逃走と読み替えること。
銅像を童女と読み替えること。
デジタルコンポーネントをでじこと略してみること。
そういったことこそ、千の否の後に実践の意味があるのではなかろうか?
323 :
考える名無しさん :02/11/01 00:01
imihumei
324 :
考える名無しさん :02/11/01 00:02
みみず書房と読み間違えても、意味がないことが分かった。
325 :
考える名無しさん :02/11/01 00:20
imihumei
>>322 おいおい・・マジメにやってるっていう形容だけで
彼の活動を評価するのか。なに考えてんだ、お前。
少なくともお前が「実践」の何たるかをまるっきり
理解してないことは、よく分かった。
すっこんでろよ・・
浅田さん浅田さん浅田さん浅田さん浅田さん浅田さん
328 :
考える名無しさん :02/11/01 02:18
♪本気になんて、な〜らなくていい〜
329 :
考える名無しさん :02/11/01 02:54
俺なんてこの前、浅田さんとすき焼きつつく夢をみた
これ読むとかなりマジメにやってるぞ。宮台氏は。
最近、春秋社ってとこから、「漂流するメディア政治」という本が出たんだけど、
それは宮台氏の場合、前進であって全然問題ではないと思うんだが、どうよ。
>>317
331 :
考える名無しさん :02/11/01 03:18
まってくれ。これだけは最後に言っておく。 浅田さんのいつものジャージはよそゆきで、アルマーニはふだんぎ?。
332 :
考える名無しさん :02/11/01 11:43
東浩紀のとの出会いは新鮮な驚きだった。・・・ その驚きとともに私は『構造と力』が とうとう過去のものとなったことを認めたのである。 ・・・現在の浅田氏にとって『構造と力の』ポジションはどのように位置づけられるのだろう。
3
334 :
考える名無しさん :02/11/01 11:50
浅田彰はホモではない。
335 :
考える名無しさん :02/11/01 11:52
わしもそう思う。
336 :
考える名無しさん :02/11/01 11:59
彼はホモねたになると超スピードで話し出す。なぜだ?
337 :
考える名無しさん :02/11/01 12:07
ホモっていうか、人間愛ってことじゃないのかしらん。 「ホモねた」っていうだけで感情が交錯しはじめるのかも。
338 :
考える名無しさん :02/11/01 12:10
南方熊楠は若い頃はホモでした。 明治始め頃はホモというか男色はまだ文化としてあったそうです。
ホモはおしゃれだから
340 :
考える名無しさん :02/11/01 13:34
おしゃれな彼はめんどうだとお尻を 拭かない人でした。
341 :
考える名無しさん :02/11/01 14:24
浅田彰は親切である。 超多忙な御身なのに、上野でやったVOCA展に古谷利裕が一点出品しているのを聞いて わざわざ新幹線乗りついで観に行ったのだから。もちろん、軽井沢での岡崎展にも初日に駆けつけている。
342 :
考える名無しさん :02/11/01 14:47
んなら、HPで近況欄報告している東浩紀のほうが、 広く一般にたいして親切なんじゃん?
>341 親切なのもそうだが、いつか対談とかのネタにもできるからだろ いっとくが漏れは浅田ヲタだ、何度もナマ彰を見ている その漏れが浅田の服はダサイと言うんだから間違い無い いいか、ブランドに頼らないお洒落ってのもあるんだぞ、その意味で 彰は確実にお洒落ではない
344 :
考える名無しさん :02/11/01 14:53
各種講演会、シンポジウム 京都歩いてるところも見た
>>343 なんで浅田オタってだけのお前がダサイっていうのが「間違いが無い」の?意味不明。
君のセンスなんて信用できないっての。
347 :
考える名無しさん :02/11/01 14:59
浅田はともかく浅田オタの服装センスなんて信用できんな。(w
348 :
考える名無しさん :02/11/01 15:00
あえて心を鬼にして言おう
349 :
考える名無しさん :02/11/01 15:02
っ、あえて心を鬼にして言おう!あさだは・・
カコイイ!!
351 :
考える名無しさん :02/11/01 15:03
っ! 俺には言えない!
352 :
考える名無しさん :02/11/01 15:11
いくじないので逝ってきます。
353 :
考える名無しさん :02/11/01 15:14
浅田はしっかりお洒落だって。 爪だってちゃんと切りそろえてあるし 眼鏡に指紋がついたらすぐに拭くんだから。 だいいち東は表象の学生にしか見えないじゃん。 古谷ってだれだよ。浅田よりお洒落なの?
354 :
考える名無しさん :02/11/01 15:19
たしかに。清潔感がある。 ただ、センスがいいのかって聞かれると・・。 なんだか京大の先生って結構それぞれ雰囲気似てる。 浅田彰も京大なんだなあって思う。
>353 清潔にしてるのとお洒落は次元が違うんだよ! 清潔なんて大前提だろがよ
356 :
考える名無しさん :02/11/01 15:29
浅田さんが着ている服のメーカーを知りたい。
357 :
考える名無しさん :02/11/01 16:34
スーツのほとんどがアルマーニ
358 :
みみず書房(NyoronYoro) :02/11/01 16:47
>>326 ちゃんと文章をよく読みましょう。
私は
>>319 が宮台氏をマジメにやってるっていう形容だけで評価することに
疑義を呈しているのですよ。
マジメでありさえすれば、それで良いのか?と。
キミは読解力に欠けている。
ゲーマーズで修行する必要があるな。
でじこについて原稿用紙10枚のレポートを書きなさい。
哲板に書き込むのは、それからでも遅くはない。
みみずごときの文章なんかいちいち読まなくてもいい。
360 :
考える名無しさん :02/11/01 20:04
浅田さんがお洒落だと甘やかしちゃあいませんか?
ポストモダンの完成=プレモダンへの回帰
浅田ちゃん
363 :
考える名無しさん :02/11/01 21:37
浅田さんとノーベル賞の田中さんとの対談実現して欲しいなあ。
364 :
考える名無しさん :02/11/01 22:45
サイン波とコサイン波が「キャンセル・アウト」 するとどうなるんですか?無音?なわけないか。純音?
サイン波とコサイン波がいまいち分かりません。 どなたか、分かりやすく説明していただけませんか・・。
俺はそれはわかる。
では、364さん説明をよろしこ。
sinθ + cosθはゼロじゃないな。 1/4波長しかずれてないし。
369 :
考える名無しさん :02/11/02 18:31
じゃ、1/4波長ズラせばいいんじゃない?
370 :
考える名無しさん :02/11/03 09:56
ICUPしようかな。
371 :
考える名無しさん :02/11/03 12:51
>浅田さんとノーベル賞の田中さんとの対談実現して欲しいなあ。 浅田は田中さんの業績は低レベルな応用技術としてしかみてないんじゃ ないかな。浅田は科学史の枠組みのなかでしか業績を評価しないだろうし。 金融工学のB-Sモデルなんかも確率解析の低レベルな応用にすぎないって 切って捨ててたしね
B-Sモデルって、ブルックシールズモデルだっけ? 伊藤理論を発展させたとかいう奴?
373 :
考える名無しさん :02/11/03 13:46
今の浅田にゃ、ブラック・ショールズすら理解できないって。 信者は痛いというか、何で浅田信者ってレベルの低い落ちこぼれが 集まるの? それが浅田の最大の不幸だろう。
374 :
考える名無しさん :02/11/03 15:06
批判するのは簡単だ。じゃあ、自分で作ってみろ。 「評論家は、良い作家を見つけて紹介するのが仕事」教養と無秩序より
375 :
藤参詣グルップ :02/11/03 15:10
じゃ、作ってみるよ。 CSモデル、ってのはどうだい? スカパーとか見られるの。 で、wowowなんかより、洋画が充実してんの。 よくない?
376 :
考える名無しさん :02/11/03 20:15
いいからキャンセルアウトを説明しろよ
キャンセルしたら許さない?
378 :
考える名無しさん :02/11/04 20:23
なんだこいつら?科学知ったかぶって、
キャンセルアウトも説明できんのか。
>>375 /377
お前の駄洒落はうざいだけ
379 :
考える名無しさん :02/11/04 22:23
ヒョイ , ∧∧ ( _(,,゚Д゚) ミ ___ ⊂___,.つつ て. ) クルリ 彡 ⊂ .ノ (" ) ∧∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ . ∨∨ 彡 (,,゚Д゚) < 379げっと / ,つ \_______ 〜、 ノつ スタッ ! .(/
380 :
考える名無しさん :02/11/04 23:13
なんで、2CHの荒しの漫画はいつも、猫が主役なんだろう。 他の動物じゃ駄目なのか?
381 :
考える名無しさん :02/11/04 23:32
ホー ∧ ∧ ホー ∧ ∧ (≧∇≦;) (・∀・;) / ノ .) / ノ .)ホー // ノ // ノ ホー ――― イイ ―――― イイ ―――  ̄ ̄ ̄/,,,,/ ̄ ̄ ̄ ̄/,,,,/ ̄ ̄ ̄ ∧ とり、はけ〜ん
382 :
考える名無しさん :02/11/05 09:39
浅田彰アイクリティックUPしますかね。 「ポリーニとノーノ」 「ゴダールの恋人といる時間」 「サルトルとアナクロニックとUH3」
383 :
考える名無しさん :02/11/05 11:30
>>382 「サルトルとアナクロニックとUH3」
これはネタです。
384 :
考える名無しさん :02/11/05 13:01
piko待ち
ポリーニとブーレーズ 10*22 10月21日、東京でポリーニとブーレーズの共演を聴くことができた。 11月22日まで9夜にわたって繰り広げられる「ポリーニ・プロジェクト」の 開幕にふさわしい理想的な顔合わせである。 実のところ、1995年に東京で開かれた「ブーレーズ・フェスティバル」の際 、バルトークのピアノ協奏曲の第1番と第2番をそれぞれバレンボイムとポリ ーニが弾く予定だったのだが、完全主義をもって鳴るポリーニは、準備が万 全でないと思ってか、曲目をシェーンベルクのピアノ協奏曲に変更し、さら に直前になってシェーンベルクの独奏曲(作品11と19)に変更したのだった 。オーケストラの椅子が置かれたままのステージで行なわれたその独奏は、 それなりに忘れがたい熱演だったには違いない。 しかし、ポリーニとブーレーズの共演を聴く夢は、それからずっとおあずけ になっていたのである。 今回演奏されたバルトークのピアノ協奏曲第1番は、とりあえずその長年の渇 きを癒すに足る内容だったと言えるだろう。 ガチャガチャと弾きとばすのが精一杯の凡百のピアニストとは違い、ポリーニ は重量感に満ちた音と強靭なダイナミズムによって密度の高い音楽を構築し てゆく。 それが、ブーレーズの指揮するロンドン交響楽団の抜けのよい響きによって 、いっそう引き立てられる。 それらが相俟って、ややもすれば無機的に響きかねないバルトークの音楽が 、あくまでダイナミックでありながらほとんど古典的と言ってよい重厚な姿 を現すのだ。
逆に言うと、25年前のポリーニがアバド指揮シカゴ交響楽団と録音したこの 曲(と第2番)の演奏と比べるとき、あくまで鋭角的だったそのダイナミズム が多少なりとも純化したという見方もできなくはない。 だが、ここでは、当夜の演奏が古典的な完成度を備えたものであったことを 、とりあえずポジティヴに評価しておきたいと思う。何といっても、これだ けの演奏はそうそう聴けるものではないのだ。 それにしても、ロンドン交響楽団はブーレーズと特に相性がいいのではないか。 実際、あわせて演奏されたオーケストラ曲もまた、協奏曲に勝るとも劣らぬ 出来栄えだった。 ブーレーズ自身の『弦楽のための本』は、ウィーン・フィルハーモニー管弦 楽団の甘美な弦によって奏でられた時の戦慄(1992年のライヴがLD化されて いる)こそないものの、ロンドン交響楽団のややドライな弦の方がむしろ作 品の質にはふさわしいように思われる。 さらに、ストラヴィンスキーの『火の鳥』は、わずかなミスを除けばほとん ど非の打ち所がなく(特に、決して急ぐことのないテンポで壮大なクライマ ックスを築くフィナーレ)、アンコールに披露された文字通りきらめくよう な『花火』ともども、さすがはブーレーズと言うほかない演奏だった。 堂に入った演奏? そう、ブーレーズやポリーニによって、20世紀音楽も良か れ悪しかれ「殿堂入り」を果たしたと言えるのかもしれない。 いずれにせよ、20世紀音楽の最良の部分を満喫させてくれた贅沢なコンサー トだった。 ただ、こうしてみると、このコンサートは「ポリーニ・プロジェクト」の序 章というより「ブーレーズ・フェスティバル」への補遺と言うべきではないか。 「ポリーニ・プロジェクト」において今後ピアニスト自身の音楽が多彩に 展開されてゆくことを期待したいと思う。
建築の夢――メーリニコフ展 10*22 ギャラリー・間で開かれている「コンスタンティン・メーリニコフの建築」 展は、ロシア・アヴァンギャルド時代に爆発した幾何学の夢を、小さく精密 なモデルに封じ込めてみせる、きわめて刺激的な展覧会だ。 1890年生まれのメーリニコフは、1920年代にロシア・アヴァンギャルド建築 の最前線に踊り出た。 1925年のパリ装飾美術展のソヴェト館は、予算不足のため木造を採用しなが ら、直方体に対角線状の階段を貫入させた大胆なデザインで、実にダイナミ ックな効果を上げている。 ギャラリー・間のテラスにはこのパヴィリオンのタワーがリメイクされてお り、CCCP(USSR)というロゴの上に小さな赤旗が翻っているさまは複雑な感 慨を呼び起こさずにいない。 実際、この時期から、誇大妄想的と見えるほどドラマティックなデザインで 有名な「ソヴェト・パレス」コンペ案(1931-33)や「重工業人民委員会」 コンペ案(1934)の時期まで、メーリニコフは驚くほど精力的に仕事をして おり、その内容は多くのモデルによって見ることができるのだが、そのうち 急速にスターリン主義化が進んだ結果、1937年になると彼は事実上建築家の 資格を停止されてしまうのである。 それから1974年の死に至るまで、メーリニコフは忘れられたまま自邸にこも って暮らしたのだった。
そう、やはりこの自邸(1927)こそ、彼の建築の中で最も印象的なものと言 えるだろう。 二つの円筒を合体させ、六角形の窓を何列にも穿った、不思議な建物。 まさしくこの家のスケッチを表紙とする『楢十二』(住まいの図書館出版局) で磯崎新が言うように、それはディオゲネスの樽のようにも見え、そこに こもったメーリニコフは幾何学的な迷宮の最深部に住むことを決意したダ イダロスのようにも見える。 ここでさらに思い起こされるのは、ブルース・チャトウィンが1973年にメ ーリニコフを自邸に訪ねたときのエピソードだ(魅力的なエッセー集『ど うして僕はこんなところに』[角川書店]の中で語られている)。 老いた建築家は、別れるとき、不思議なジェスチャーをしてみせた。 最初、上へ上がって行った手が、ある点で急激に落ち込み、あとは長い低 空飛行が続く。 それは、夢半ばで踏みにじられたメーリニコフの生涯の軌跡だったのである。
389 :
考える名無しさん :02/11/05 14:20
390 :
考える名無しさん :02/11/05 14:42
pikoさん、ありがとうございます!
あしたの表象文化研究再放送は彰たん登場じゃない?
392 :
考える名無しさん :02/11/05 15:51
今週の愛栗は「柄谷行人の闘争」 Qを批判してNAMを退会した柄谷を擁護しています。
ゴダールの「恋人のいる時間」 10*29 10月23日、ジャン=リュック・ゴダールが「高松宮殿下記念国際文化賞」を 受賞し、「常陸宮殿下」からメダルを受けた。 ゴダールに天皇制批判を要求するのも無理な話なので、「白痴の殿下」(『 右側に気をつけろ』)が東洋の島国の「殿下」から賞を授けられるのはいさ さか珍妙な図だったとでも言っておけばいいだろう。 ただ、すべての賞は下らないという大前提の上で言えば、この賞より京都賞 のほうが人選もいいし賞金も多い(1500万円に対し5000万円)ので、ちょう ど映画・演劇部門の順になった次回の京都賞の受賞が難しくなったのが却っ て残念な気もする。 ともかく、それよりも嬉しいのは、ゴダールの映画の公開が続いていること だ。 昨年日本初公開された「はなればなれに」(1964)は新鮮な驚きに満ちた傑 作だったけれど、今回久しぶりに公開されたその次の作品「恋人のいる時間 」(1964)も、前作ほど成功はしていないにせよ、非情に面白い映画には違 いない。 若き日のゴダールは、ポップな手つきでさまざまな実験を試みている。 キャメラは自在に動いて時には90度回転さえし、突然フィルムのポジとネガ が反転したりもする。 少女たちのとりとめもない会話のシーンで彼女たちのホンネ(性的関心を主 とする)がマンガの台詞のように画面に現れるところなどはなかなか面白い し、看板の類に記された言葉の一分をキャメラで切り取って文字の遊びを試 みるところなども才気に満ちている。
だが、それだけではない。 現在だけを生きる妻が、過去の記憶にとらわれた夫に隠れて、愛人と情事を 重ねるというストーリーなのだが、飛行機パイロットの夫は専門家をドイツ のホロコーストに関する調査から連れ帰ったところであり、妻が空港の映画 館で愛人と落ち合うシーンでも、ヒッチコックの看板が出てきたかと思うと 、ホロコーストを描いたアラン・レネの「夜と霧」の上映が始まるという具 合である。 これはまさに「ゴダールの映画史」――とくに4Aから4Bに至る構成と同じで はないか。 60年代のこれほどポップな映画においてすら、ゴダールが90年代の「映画史 」につながる問題をすでに主題化していたことを示す、興味深い事実である。 ついでに言えば、この映画で主人公役を演じているマーシャ・メリルは、映 画だけではなく舞台でも活躍しており、最近では、ピアニストのジャン=マ ルク・ルイサダと二人で、ショパンの曲の合間にジョルジュ・サンドとショ パンのテクストを朗読するパフォーマンスを行なっている(「ショパンとサ ンド〜愛と哀しみの旋律」[BVCC-34033~4]としてCD化されており、2001 年に日本でも実演された)。 ショパンとサンドをめぐっては、夏の終わりに平野啓一郎の『葬送』が発表 されたけれど、ただただ長くて退屈で、とても読めたものではない(パロデ ィ意識もなしに19世紀の小説家と同じように書けばいいのだという信じがた くナイーヴかつアナクロニスティックな居直りにおいて、そこにポストモダ ンの完成=プレモダンへの回帰を見ることもできるだろう)。 それよりこのCDでも聴くほうが、よほど気の利いた時間つぶしというもので はないか。
ポリーニとノーノ 10*29 ルイジ・ノーノが1987年に日本を訪れ、晩年の傑作「進むべき道はない、 だが進まなければならない」を初演したとき、彼は、同じコンサートで演 奏されるべき曲目として、遠い過去からオケゲム、近い過去からヴェーベ ルン、そして自分より若い作曲家としてシャリーノの作品を選んだのだった。 10月28日にマウリツィオ・ポリーニが今は亡き盟友ノーノの作品を取り上 げたとき、マレンツィオとジェズアルドの作品を前後に配したのも、その 精神に沿ったものと言えるだろう。 ルネサンスの同心円的秩序が崩れかけ、しかしバロックの楕円的力動には まだ至らない、そんなマニエリスムの時代の音楽。 だが、そのクロマティックなズレを孕んだ多声音楽の、脆いガラス細工の ような透明感を味わうには、一声部一人の小編成がふさわしい。 その点、アーノルト・シェーンベルク合唱団の歌は、残念ながら大味な印 象しか残さなかった。 それに対して実に素晴らしかったのが、1+6人のソプラノによって歌われ る「春が来た――シルヴィアのための歌」(1960)である。 プログラムの解説にはないけれど、これはノーノが娘の最初の誕生日を祝 って書いた瑞々しい音楽だ。 「春が来た」という冒頭を、ソプラノのアンサンブルが歌い出し、そこに 独唱者の輝かしい声が重なる。 また、独唱者がフレーズを高音で歌い切ったとき、その最後の音をアンサ ンブルがすっと引き継ぐ。 そうした立体感は録音ではなかなか聴き取れないものだし、とくに当夜は クラウディア・バラインスキーの圧倒的なソプラノ独唱を得て、ライヴな らではの感動を与えられた。 合唱団全体にパーカッションを加えた「ディドーネの合唱」(1958)もな かなかの迫力だったが、ここでは「春が来た」を一番の収穫としておこう。
もちろん、その後にポリーニの演奏した「…苦悩に満ちながらも晴朗な波…」 (1976)も忘れることができない。 ノーノがポリーニのために書いたこの曲(「春が来た」とは逆に、両家を襲 った不幸を反映してもいる)は、静寂の中に音の断片が散乱する晩年の作風 への転換点とみなされる重要な作品である。 ポリーニの録音をノーノが処理したテープの、どこかくぐもった響き。ライ ヴでそれと対話するピアノの、あくまで強靭な響き――とくにシャープなき らめきを散乱させる高音。 それらがひとつになって、これまた録音ではとらえきれない立体的な音の海 を作り出す。 ポリーニは1993年の来日公演でもこの曲を弾いたが(わざわざ他の曲目とは 別のピアノを使った)、今回は会場の条件がよく、前回よりはるかにクリア に作品の輪郭が浮かび上がった。 先に述べたように、古楽の部分に難があって、全体として成功だったとは言 えないものの、ノーノの部分だけでも十分に価値のあるコンサートだったと 言えるだろう。 それにしても、ノーノの最初で最後の来日からもう15年もたってしまったとは! ヴェネツィアのサウンドスケープを思わせる「…苦悩に満ちながらも晴朗な 波…」を聴きながら、私は京都の禅寺のサウンドスケープを全身で聴き取ろ うとする作曲家の姿を思い出していた。
私の携帯では、今週はまだ更新されていません。
398 :
考える名無しさん :02/11/05 17:05
>>392 ということはガセか。「窪塚洋介を導入する」
って書いたのもおまえだろ。愉快か?
400 :
考える名無しさん :02/11/05 17:51
ヒョイ , ∧∧ ( _(,,゚Д゚) ミ ___ ⊂___,.つつ て. ) クルリ 彡 ⊂ .ノ (" ) ∧∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ . ∨∨ 彡 (,,゚Д゚) < 400げっと / ,つ \_______ 〜、 ノつ スタッ ! .(/
401 :
考える名無しさん :02/11/05 17:57
>>398 メチャメチャ愉快だね。
だってお前みたいなヴァカが釣れるんだもん。(w
pikoさんに感謝。
403 :
考える名無しさん :02/11/05 18:23
978 名前: ラシッド 投稿日: 02/07/10 22:14 4月分 炸裂するウィークエンド 高橋悠治−−ピアノと身体 ベジャールの「モーツァルト万歳」 建任寺再訪 清涼寺再訪 東大寺再訪 5月分 ピナ・バウシュの1976年 カールステン・ニコライ展 カーネギー・ホールのエマール ピナ・バウシュの2000年 窪塚洋介を導入する 6月分 ヌーヴォー・ロマンふたたび ケネス・アンガーを目撃する 大山崎山荘の「睡蓮」 安藤忠雄の兵庫県立美術館 中沢新一の「緑の資本論」
ここはひどいインターネットですね
405 :
考える名無しさん :02/11/05 22:07
406 :
考える名無しさん :02/11/06 01:07
ここはすごいインターネットですね!!
だからネタなの!!ヴォケェ
408 :
考える名無しさん :02/11/06 03:26
今週の愛栗は「柄谷行人の闘争 NAMからの逃走」
409 :
考える名無しさん :02/11/06 03:33
いえ、「東浩紀の党争」と「とっても便利の美しい人」です。
410 :
考える名無しさん :02/11/06 07:55
411 :
考える名無しさん :02/11/06 08:00
いいえ。「マッスルヒートを体験する」 です
自作自演野郎はキエロ!
414 :
考える名無しさん :02/11/06 10:02
アイクリではないが、 「井筒俊彦とサイード」が献上されました。 知ってると思うが。
416 :
考える名無しさん :02/11/06 13:13
だれに献上?
417 :
考える名無しさん :02/11/06 18:27
彰め・・・今週はサボったな。
418 :
考える名無しさん :02/11/07 13:03
浅田さんて連載してるんだよ。 アメリカでだけど。
419 :
考える名無しさん :02/11/07 17:33
>>418 =401
嘘をつけ。いい加減うぜーよお前
420 :
考える名無しさん :02/11/08 00:51
行わずに書くだけと、書かずに言うだけ。 どちらが、より狡猾だろうか。 私は、後者だと思う。
421 :
アルチュセール新刊 :02/11/08 02:29
ルイ・アルチュセール 『未来は長く続く:アルチュセール自伝』 宮林寛訳 ISBN4-309-24266-9哲学・心理学・思想 判型4-6/500頁 本体4,200円 2002.12.6 著者紹介 ルイ・アルチュセール (アルチュセール,ルイ) 1918-1990フランスの哲学者。マルクスを全く新しい視点から読み解き、全世界を熱狂させた。ミシェル・フーコー、ジャック・デリダの師でもある。主要著作に『マルクスのために』『資本論を読む』他多数。 内容紹介 フーコーやデリダを育て、20世紀の知の世界に革命を起こした哲学者が、妻を殺害し、〈狂人〉として過ごした晩年に書き上げた、衝撃の〈告白〉。人文諸科学ばかりでなく、精神鑑定の是非にまで一石を投じた大問題作、待望の完訳。
>>421 あ、凄く見たい。
本当は狂ってなかったとか?
423 :
考える名無しさん :02/11/08 07:21
浅田彰さんのアメリカの連載のほうがアイクリより力いれてるような気もする。
425 :
考える名無しさん :02/11/08 09:04
あなたの数字予測は間違ってますよ、完全に。
今年の京大11月祭に浅田彰は何もしないのか?
427 :
考える名無しさん :02/11/08 12:25
柄谷行人の闘争 −−−−−−−−−−−−−−−−−−− まず最初に断っておくと、私はこれまで一貫して柄谷行人については以下のよ うに公言してきたつもりだ。つまり批評家としては評価するが、他方でお山 の大将的な所は評価しない。だから彼とは理論的には付き合うが、「柄谷組」的 なものとは関わらないようにしている、と。湾岸戦争の「文学者の反戦署名」 のときもそうだったし、「可能なるコミュニズム」でも同様だった。それを踏 まえた上でいうと、今回の柄谷のQ批判(そして西部忠批判)およびその削除 をめぐるトラブルについてはまったくあきれるほかない。かつて柄谷は「子犬 たちへの応答」と題し批評空間のホームページ上で新世代の批評家達へむけて 「悪口」(批評とよべるような代物ではない)を投げつけたわけだが、このよう な騒動をみると一体どちらが「子犬」なのか疑わしくなる。
428 :
考える名無しさん :02/11/08 13:38
悪い冗談としては読めるね
430 :
考える名無しさん :02/11/08 16:01
浅田がデビューした当時のコメントで、柄谷の魅力は その子供(ガキ)っぽさにあると言ってたのだが…
432 :
考える名無しさん :02/11/08 18:12
後半部は創作なのかい。
どこからが後半部なのか分からない ↓
434 :
考える名無しさん :02/11/08 18:33
>>423 =418=401=425=427=431
今すぐ死ね
435 :
考える名無しさん :02/11/08 22:26
昨日、近所のマック行ったんです。マック。 そしたらなんか女がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。 で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、「女性専用フロア」とか書いてあるんです。 もうね、アホかと。馬鹿かと。 お前らな、「女性専用フロア」如きで普段来てないマックに来てんじゃねーよ、ボケが。 「女性専用フロア」だよ、「女性専用フロア」。 なんか親子連れとかもいるし。一家4人でマックか。おめでてーな。 よーしママビックマック頼んじゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。 お前らな、ハッピーセットやるからその席空けろと。 マックってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。 テーブルの向かいに座った奴といつ喧嘩が始まってもおかしくない、 刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女供は、すっこんでろ。 で、やっと座れたかと思ったら、隣のフェミファシストの奴が、「男性の目を気にせず気軽に食事できる」 とか言ってるんです。 そこでまたぶち切れですよ。 あのな、「男性の目を気にせず気軽に食事できる」なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。 得意げな顔して何が、「男性の目を気にせず気軽に食事できる」、だ。 お前は本当に「男性の目を気にせず気軽に食いたいのか」と問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。 お前、「男性の目を気にせず気軽に食事できる」って言いたいだけちゃうんかと。 マック通の俺から言わせてもらえば今、マックの間での最新流行はやっぱり、ピクだく、これだね。 大盛りピクだくタマ。これが通の頼み方。 ピクだくってのはピクルスが多めに入ってる。そん代わり肉が少なめ。これ。 で、それに大盛り玉葱(千切り)。これ最強。 しかしこれを頼むと次から店員にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。 素人にはお薦め出来ない。 まあお前らド素人は、フェミファシズム定職でも食ってなさいってこった。
今週はお休みかと思ったら、今頃になって出ましたね。 「没後20年のグレン・グールド」 再来週うpします。
438 :
考える名無しさん :02/11/09 14:28
おそらくここに煽られたので急遽のせたのでしょう。
pikoさん、いつもありがとう。 再来週楽しみにしています。
440 :
考える名無しさん :02/11/09 17:05
浅田って一時、 「政治学と経済学が心理学と社会学にとってかわられている」 ってやたらと主張してたけどあれって結局どういう意味だったの?
441 :
piko ◆FlwTom66rU :02/11/09 17:17
437は偽者です(w 今週はおやすみのようですね。
442 :
piko ◇FlwTom66rU :02/11/09 17:18
アイクリティック閉鎖のようですね。 私の役目は終わったようです。 さようなら。
>>440 浅田の頭の中が一番そうなっているんだが・・・
>>442 うわー、キャップをコピペしてる…
こんな奴はじめてみたよ(藁
きっとものすごいDQNなんだな
445 :
アンチ☆ニヒリスト ◆a9ChINOVJ2 :02/11/09 17:37
>>440 経済や政治などの「交換」の問題が、心理の問題に還元されてしまっている、ということ。
柄谷行人も言うように、国家も「交換」の一形態です。
奪取と再分配が国家の機能なのですから。
政治というのは国家の問題ですから、即ち政治とは「交換」の問題なわけです。
不況というのは、政治・経済的な「交換」の問題です。
それを、癒し系だのといった心理の問題に還元してしまうのは、安易だ、ということ。
問題をすり替えてしまっている、ということ。
社会構成主義をナメんなよ、ということ。
446 :
考える名無しさん :02/11/09 17:42
つうか、観念論に対して唯物論を もってきているだけ。いつもこのパターン。
こんなクソスレ上げてくんなよ
448 :
piko ◇FlwTom66rU :02/11/09 17:47
さようなら。
450 :
考える名無しさん :02/11/09 17:56
<<445 経済学に心理学を導入したヤツが今年ノーベル賞を受賞したことについては やはりけしからん!っておもってるんですかね? たしかB-Sモデルもノーベル賞に値しないって言ってたような気がしますが
451 :
考える名無しさん :02/11/09 18:07
「田中とかいうリーマン、キモいよね」 とか言ってそうじゃない?(w
452 :
アンチ☆ニヒリスト ◆a9ChINOVJ2 :02/11/09 18:11
>>450 どうなんでしょうね。
浅田さんはゲーム理論やってた人だから、「厚顔無恥なヤツめ!」と思ってる可能性大、だと思います。
心理学を導入したところで、ライバルの手の内が丸分かりになるワケじゃないですからね。
ま、ゲーム理論やってもライバルの手の内は分からないんですけどね。
ただ、ゲーム理論やれば、ライバルが合理的なプレイヤだと仮定すれば、手の内の予測が可能なワケですが。
結局、世の中の人々全員が合理的、というワケではないのですから、あんま真剣に経済学をやっても、
意味が無いのです。
だからAquiraxは京大経済研では仕事をサボり続けるのでしょう。
453 :
考える名無しさん :02/11/09 18:15
↑後半はちょっと…
454 :
考える名無しさん :02/11/09 18:19
たしかに
455 :
考える名無しさん :02/11/09 18:21
非合理な奴に、無理やり合理性を見出すのが経済学じゃんよ。
>>455 ま、そうとも言えるんですけどね。
これから晩飯なんで、失敬します。それでは。
457 :
考える名無しさん :02/11/09 18:24
いちいち報告すな
こんな個人名をだした、きまった奴らしか来んような内向きスレは 終了しろ 見苦しい
459 :
考える名無しさん :02/11/09 18:28
>>458 だから逝ってよしスレから出てくんなってば(藁
460 :
考える名無しさん :02/11/09 19:19
コテハン放棄しようや。
彰が坂本龍一のCOMICAについて書いた文章ってどっかになかったかな? アイクリでやってた気がするんだけど、どこにも見当たらないだけども。
スマソ アイクリ2にあったわ。聞かなかった事にして。
浅田彰っていったい何者ですか?
464 :
考える名無しさん :02/11/10 13:30
各地を飛び回る京都人
あきらっくす萌え〜
466 :
考える名無しさん :02/11/12 11:01
今テレビつけたらゴダールの「ワン・プラス・ワン」がやってる。びびった。 超すげー・かっこよすぎー
なぜここに・・・
468 :
ナツのとこからコピペ :02/11/12 13:04
あらゆるボーダーを越え、たったひとりで立つ ↓教授のベストCDの紹介文らしい サカモトの音楽は歴史を超え、国境を越え、ジャンルの壁を越える、時間軸でも空間軸でも社会軸でも定位できないその響きは、ありとあらゆる音楽を封じ込めた立方体の対角線を走り抜け、外部へと向かうのだ。 古今東西の全ての音を含みながら、そのいずれとも似ていない音楽。音楽の歴史が完結し、すべてがデータ―ベースに収められたかに見えるとき、その臨界で聴こえてくる前代未聞の響き。その音楽を我々はサカモトの名で呼ぶ。 浅田彰 批評家
あ、タイトルと俺の文の位置が逆になった。ゴメソ
470 :
考える名無しさん :02/11/12 13:19
東にからむなよ、彰。
471 :
考える名無しさん :02/11/12 16:16
評価してませんね坂本を。彰。
472 :
考える名無しさん :02/11/12 17:36
今週のi-criは4本!(ネタじゃありませんよ。) 「ヤンベケンジ×磯崎新」 「トーラスとクラインの壺−−中沢新一の日本」 「レンブラント−−バロック美学の灰」 「ムテジウスからホラインへ」
473 :
からたにこ 羽塵 :02/11/12 17:43
「ヤンベケンジ」とは誰? 放射線防護服とかの作品をつくってるアァティストのこと? 名前、間違ってないかい?
474 :
考える名無しさん :02/11/12 17:48
:hearts
475 :
考える名無しさん :02/11/12 17:55
本文の方は「ヤノベケンジ」となってますね。 でもタイトルの方は確かに「ヤンベケンジ」となってますが??
476 :
からたにこ 羽塵 :02/11/12 18:01
477 :
考える名無しさん :02/11/12 19:36
浅田彰が推薦してるクラシックや現代音楽を教えてほしいのですが。 できたらCD出ているものをお願いします
479 :
考える名無しさん :02/11/12 22:29
480 :
考える名無しさん :02/11/12 22:31
内田光子のシェーンベルク
「ヤンベケンジ×磯崎新」「トーラスとクラインの壺−−中沢新一の日本」 「レンブラント−−バロック美学の灰」「ムテジウスからホラインへ」 は、来週うぷします。
>477 文学界で連載してるよ。休みの月の方が多いが。 図書館でバックナンバーを読めばよろしいかと。
483 :
考える名無しさん :02/11/13 03:47
>481 piko さん、いつも有難う。 携帯 au の当方としては感謝に堪えません。期待して待ってます のでよろしく。
484 :
考える名無しさん :02/11/13 09:04
ヤノベケンジくらい知っておけ
485 :
零度のブラームス>477 :02/11/13 15:04
ブラームスは、充溢から創造するのでななく、充溢を渇望しているだけで あり、交響曲をはじめとするその大作群は、不能者の誇大妄想の産物に すぎない。ニーチェは『ヴァーグナーの場合』の「第二の追記」において こう断じた。・・・しかし、自らの空虚さを意識するあまりますます巨大な スケールへと伸び上がり、それでいて頂点を極めることができずにまたして も低徊の中に落ち込んでゆくあれらの大作群を聴くと、ニーチェの診断が いかにも正確なもののように思えてくるのも事実なのだ。少なくとも、 私は生きるためにそれらを必要としない。あえて言えば、私はそれらの すべてを、このディスクに収められたピアノの小品のために投げうつだろう。 ・・・いまや、メランコリックな視線で、しかし正面から、あの空虚を見つめて いる。「豊かでない場合には、人は貧しくあるために十分なだけの誇りを 持つべきだ!」というニーチェの知恵をわがものとしたかのように、一切の 無駄は切り捨てられ、最小限の要素がこのうえなく精緻に組み合わされて、 虚空の上で震える蜘蛛の巣のような音楽を作り出すのだ。その音の小宇宙の 無限の深さこそ、晩年のブラームスの偉大な達成であった・・・彼は、常識的な ブラームスその人が晩年に夢見ていた小さくしかも無限に深い抽象的な音の 宇宙を現代に蘇らせたのである。そして、繰り返そう、私はこの1枚のディスク のために、ブラームスの交響曲や協奏曲のさまざまなディスクの一切を惜しげも なく投げうつだろう。 〜ブラームスOp.117,118,119/V.Afanassievに寄せて
486 :
考える名無しさん :02/11/13 15:44
浅田彰のブラームス理解って、結局19世紀末から一歩も進化していないってことか?
単なるニーチェの焼き直しってことでしょ
488 :
考える名無しさん :02/11/13 17:30
彰はクラシックだけで2万枚はCD持ってそうだね。
auでも月に300円払えば見れるというのに(w 俺なんて昨日、新宿西口のヨドバシで携帯どれがいいかな〜 なんてフリをしながらauの最新機を使って 愛栗四本とも勃ち読みしたよ(w
年間だと3600だぜ。浅田さんのは、立ち読みで十分じゃないの? 実際、彼の節回しを覚えれば速読も可能だし。
>年間だと3600だぜ。 俺が言いてえよ(藁。「年間だとたったの3600だぜ」。
3600円か・・・考えようによるけれども 前にも書いたんだけど、事情があって携帯持ってないし、 これからも持ちたくないのだよ 嗚呼どうすればいいんだ・・・
漏れも携帯持ってないっす。
494 :
考える名無しさん :02/11/14 01:20
ピッチです。
哲ヲタどもめ・・イマドキ携帯ぐらい持ちやがれ。
496 :
考える名無しさん :02/11/14 03:55
フランス国民議会は「創価学会はカルト(フランス語ではセクト)だ」と認定している。 ちなみに、この場合のカルトとは「全体主義的拘束的反人権的団体」という意味だ。 なぜ、浅田は、創価の批判はしないのか?
してんじゃない?どっかで。
498 :
考える名無しさん :02/11/14 09:54
してないんじゃない?どこでも。 今週のアイクリは面白かった。 アップしようかと思うけど、面倒だ。 PIKOさん偉いですね。
UP不可能になりました。 NTTから連絡が入り無断掲載を停止することを求められました。 個人としては継続を考えます。 が社会問題として不可能です。 長い間ありがとうございました。
キャップは?
ニセモノでしょ
503 :
考える名無しさん :02/11/14 16:17
>>500 ネタだろ。
いくらNTTといえども、匿名掲示板にカキコした個人を特定できないだろ。
それができるのは警察だけ。
504 :
考える名無しさん :02/11/14 17:41
Pikoさんは大文字のPではじまりますね。
>>500 ハイハイ、また相手してほしいでちゅか〜?(w
批評空間亡きいま、愛栗のみが希望の☆
509 :
考える名無しさん :02/11/15 20:00
505は荒らし
510 :
考える名無しさん :02/11/16 20:32
市民大学終わったの?見れるようになったんだけど。
511 :
考える名無しさん :02/11/16 20:50
『論壇スレッド』がほしいよね・・・
>>510 まだやってるよ。毎週水曜日13時45分から。
来週(第8回)も浅田さん登場するよ。
あとは再来週と最終回(15回)に二度登場。
513 :
考える名無しさん :02/11/16 22:18
ヤンベ,ヤノベに修正されたね.
514 :
考える名無しさん :02/11/17 17:43
pikoさん、ほんとに消えちゃったの?
500は事実です。 急なことですいません。
というか差しつかえがなければ経緯を具体的に教えてほしい。 どうやってNTTから連絡が??
514=515
518 :
考える名無しさん :02/11/18 00:00
あのー,NTTじゃなくてドコモだと思うんですが(w キャップの存在も知らんような厨房は『構造と力』読んで出直してこい
519 :
考える名無しさん :02/11/18 00:25
キャップってなあに?
521 :
考える名無しさん :02/11/18 17:05
piko さん、メールアドレス教えて。 オルタナティヴな場所を指定するからそこにうぷして下さい。
522 :
piko ◆FlwTom66rU :02/11/18 17:26
先週の分は明後日水曜の夜にうぷします。
>>521 2ちゃんねるではダメですか?
>>522 だってここにうぷするから文句付けられてるんでしょ?
/ ̄ ̄ ̄ ̄\ │ヽ ヽ || \,,,,,,,,, │ ヽ|_ _ \ ミ| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ [ ー]-[ ー]一 6) < はぁ . l ・・ / \______ ヽ二 /
まあ、たまに雑音が混じるけど、Piko さん、気にしないで マイペースで続けてくれることを期待してます。
さっきニュースステーションにガイジンの天才物理学者かなんか出てたけど 浅田にそっくりだったよ メガネもそのまま やっぱり天才は似るんだね
527 :
考える名無しさん :02/11/18 23:39
528 :
考える名無しさん :02/11/18 23:43
>526 で、あなたは三瓶に似ているでしょう
どうしてバレたんだろう?
たぶん521=最近常駐している厨房。 メアドなんて書いたらウイルス来るだけ。 あ、ウイルスすら知らない厨房かな?(藁
複数の偽名と悪癖の投げ合いが続いているようですが私はまだいますよw ただアップするペースは以前より多少おちるかもしれません。 ここではないですがある方面からヤリスギだという指摘があるのでそれを勘定しての配慮とお考えください。 多少の遅れはあるものの、ここでは必ず書き込みますから、数少ない読み手に向けて書きつづけようと思っています。 それに電話代も私が支払っているのだから、本来読む人は私に土下座するか、命乞いをするなり敬意を表する必要があると思います。 現在は軽く言っても不敬罪ですから、これが続きますと、最後の審判が下さざるをえなくなると思います。 愚民化政策は功をそうしたものの、いまだに彼らに発言権は与えられているのですから、これを無視することはできないのです。 ということは私の役目もまだあるわけで、書き込むことは続けたいととりあえずいっておきましょう。 偽者といわれるのも結構ですが、どうでもいい。放置します。 できれば火曜日に書き込めるものは速報性を重視して書き込むこともありますので、水曜日といわずご覧になるのもいかがでしょう。 とりあえず私はこれから丸ビルへでかけますので、みなさんとはお別れします。
532 :
考える名無しさん :02/11/19 01:16
なにいってんの?
>>521 =533
ほんとおまえウザイ。てか、キモイ。
なにが楽しいの? すみやかに氏ね。
きっと「オルタナティヴ」とか言ってみたい年頃の厨房なんだね(w
あいにくだが2ちゃん如きに常駐もしてないし厨房でもないよ(藁)。 君たちこそ死んだら?
538 :
考える名無しさん :02/11/19 20:14
pikoさんは寡黙な紳士だ。ゴチャゴチャ言わんだろう。
539 :
考える名無しさん :02/11/19 20:15
>>466 のことでした。
言葉足らずで失礼。言葉は大切です。
新規スレッド『浅田彰になる方法』というのを 立てたらどうなりますか?
放送大学の再放送を見て思ったけど、彰たんはもみあげが長いね。
髪の毛を同じ別け方ばっかりしてると、そこから 禿げてきちゃうゾ!たまには分け目を変えてあげてね! 以上、教育番組風に
543 :
考える名無しさん :02/11/21 01:10
放送大学のビデオ見たい人いる?
mpegかなにかででアップしてくださる?
545 :
piko ◆FlwTom66rU :02/11/21 04:03
ヤノベケンジ×磯崎新 11*12 私は椹木野衣の展開する一種の価値転倒の試みを必ずしも肯定しない(それは価値の 判然としないところで価値転倒を図るようなものではないか)。 しかし、彼が世紀の変わり目に水戸芸術館(磯崎新設計)で開いた「日本ゼロ年」展 はきわめて刺激的な試みだったし、いまキリンプラザ大阪(高松伸設計の建物は色褪 せてしまったが)で開いている「EXPOSE 2002」展もそれを延長する興味深い試みだ と思う。 「人類の進歩と調和」を謳い上げた大阪の「EXPO 1970」。 だが、それは進歩の夢の最後の徒花であり、後の世代はその夢の廃墟から出発した、 というわけだ。 実際、磯崎新はそこに1960年代のメタボリズムを延長した「お祭り広場」というメガ ストラクチャー(「デク」と「デメ」という巨大ロボットを含む)を作ったのだが、 近くに住む小学生だっがヤノベケンジは解体中の会場で無用の長物と化したこのロボ ットと出会った時の印象を記憶の底に眠らせてきたのだ。 その記憶が今度の展覧会でヤノベ流のロボットとなって甦る。 実のところ、1997年にチェルノブイリを訪ね、廃墟と化した保育園で床に捨てられ た人形と壁に貼られた太陽のマークを見つけたアーティストは、2001年に、その人 形が巨大化して甦り、グイーンと起き上がっては、シャボン玉を吹き出す太陽を見 上げる、という作品を発表していたのだった。 「スタンダ」というそのロボットと太陽も今回の作品に組み込まれている。 しかし今回は両者の間に褐色のタンクに目玉と手足のついた「デメ」が立ちふさが っているのだ。
546 :
piko ◆FlwTom66rU :02/11/21 04:07
磯崎新の「デメ」の変形であり、仮面の背後に岡本太郎の「太陽の塔」の顔を隠し てもいるその巨大ロボットは、いわば悪夢と化した進歩の夢の象徴なのである。 そして、「スタンダ」がふらふらと起き上がるとき、「デメ」はゆっくりとかがみ こんで熱した仮面を水につけ、そこから立ち上がる蒸気を通して「スタンダ」が太 陽を仰ぎ見る、というわけだ。 それだけと言えばそれだけなのだが、巨大な2体のロボットが周期的にその儀式を 反復するさまは奇妙に感動的で、見る者に忘れることのできない印象を残すだろう。 しかし、実を言うと、「お祭り広場」で未来の夢を展開してみせた磯崎新自身、そ れ以前から「未来都市は廃墟である」というテーゼを憑かれたように繰り返してき た幻視家でもあった。 彼が1968年のミラノ・トリエンナーレに出品した「電気的迷宮」というインスタレ ーションは、後者の側面を如実に示すものと言えよう。 だが、象徴的なことに、反体制運動の高揚の中で、トリエンナーレは開会と同時に 学生たちに占拠されてしまったのだ。 この幻の作品が今年カールスルーエのZKMの「イコノクラッシュ」展(MIT出版から 出た700頁を越えるカタログだけでも圧倒的だ)で34年ぶりにリメイクされ、「EXPOSE 2002」展でついに日本の観客の前に姿を現した。 鏡のような表面に昔の地獄絵図や原爆の犠牲者の写真などがプリントされた4×4枚 (大阪会場では2×6枚)の曲面パネルが自在に回転し、観客を地獄の迷宮に誘い込む。 壁には、広島の廃墟の上にメガストラクチャーの廃墟の聳え立つパノラミックな写 真コラージュが貼られ、その上に、3台のプロジェクターが、一方ではメタボリズム &ポストメタボリズムの過激なプロジェクト(磯崎新自身の「空中都市」なども含む )の映像、他方では広島などの廃墟(大阪会場では阪神大震災の被災地やワールド・ ドレード・センター崩壊の跡地なども含む)の映像を次々に投影していく。 その空間全体が、咆哮するノイズ(一柳慧による)によって満たされるのだ。未来 志向とも見える「お祭り広場」の設計者が、2年前にこれほどアナーキックな作品を 提示していたとは!
547 :
piko ◆FlwTom66rU :02/11/21 04:08
この作品とヤノベケンジの作品の対比から展覧会を構成し、未来のイメージの背後 に潜んでいた廃墟のイメージをexposeしてみせる椹木野衣の手並みは、鮮やかと言 うほかない。 ちなみに、磯崎新は近年カタールでいくつかの建築を手がけているが、かつては破 天荒な夢だった「空中都市」もそこで図書館として部分的に実現されそうだ。 イラク侵攻に備えてアメリカ中央軍がカタールに司令部を設けた現状(イスラエル まで含めて見れば、近未来に核兵器が使われないという保障はない)と考え合わせ るなら、かつてのヴィジョンが異様な現実性を帯びて甦ってきたと言うべきではないか。 もうひとつ、「太陽の塔」と並ぶ万博の遺産である国立国際美術館(いま畠山直哉 写真展が開かれていて、最近の「スロー・グラス」はいまひとつだが、有名な「ブ ラスト」などはオリジナル・プリントで見るとやはり素晴らしい)は、来年、移転 のため取り壊される予定であり、その最後の展覧会をヤノベケンジが担当するという。 「EXPOSE 2002」展の後で、それはいったいどんなものになるのだろうか。 「EXPOSE 2002」展は大阪では12月27日まで。 1月5日から横浜赤レンガ倉庫1号館に巡回予定。
548 :
piko ◆FlwTom66rU :02/11/21 04:13
トーラスとクラインの壷――中沢新一の日本 11*12 もう20年以上も前、『構造と力』もまだ出版されていなかった頃、山口昌男 の主催するセミナーで初めて会った中沢新一は、私の『現代思想』の連載を 読んでいたらしく、「クライン壜の話、面白かったよ」と言ってくれた。 「クライン壜」という表現がいかにも彼らしいと思ったのを覚えている。 その頃から中沢新一は旺盛な執筆活動を続け、一貫してほとんど同じことを 語りながらも、よく言えば刺激的、悪く言えば嘘っぽいアクロバティックな レトリックで、そのつど私を含む多くの読者を楽しませてきた。 最近の日本文化論も例外ではない。 『すばる』に連載された田邊元論『フィロソフィア・ヤポニカ』(集英社) はさすがに数理哲学の読み替えが恣意的に過ぎるのが気になったけれど、 『群像』に連載されている『哲学の後戸』は金春禅竹の猿楽論などを題材に しているだけに自在な展開を楽しむことができる。 その最新稿(『群像』12月号)で、中沢新一は「いわゆる『日本的』な精神 の構造」を「異質な二種のトポロジーの二重並列的な共存」として明解な形 でモデル化してみせた。 「背後にはクラインの壷状のもの、その前面には空虚な中心をもつトーラス 状のもの」というのがそのモデルだ。 トーラスの「空虚な中心」には天皇が据えられたりもする。 だが、トーラスはそれだけでは活性を保ち得ない。 その背後にある「後戸」は「クラインの壷のくびれた口」であり、それは内 と外を連続的につなぐ無限の振動へとつながってゆく。 祭りの時に遊行の芸能者が演じてみせるようなその壷の振動を通じてこそ、 トーラスは権力を保ち得るのだ、というわけである。
549 :
piko ◆FlwTom66rU :02/11/21 04:15
これは明解なモデルには違いないが、問題も多い。第一に、トーラスとクラ インの壷が「並列」されているというより、日常的な秩序においてトーラス と見えているものが非日常的な瞬間にクラインの壷として現れると言ったほ うがいいだろう。 いずれにせよ、クラインの壷にあっては、日常的な排除の構造を活性化させ るものとして、もっとも周縁的な場所に排除されたものこそがもっとも中心 的な場所と通底するといった逆説的論理が見出される(それは山口昌男が天 皇制論で分析したヤマトタケルから蝉丸に至る流浪者たちの物語とも無縁で はない)。 それがきわめて興味深いものであることは、中沢新一の言う通りだろう。 だが、第二の問題は、そのような逆説的論理こそ、外部を内部化し単一体系 内に馴到するためのイデオロギー的メカニズムに他ならないということだ( たとえば中上健次の文脈で言うと、被差別民と天皇が背中合わせになってい るといった幻想のイデオロギー的効果を考えればよい)。 その意味において、トーラスを活性化させるクラインの壷という形で「日本 的精神構造」をモデル化するのはひとつの選択肢であるとしても、クライン の壷をいかがわしい魅力に満ちたものとして讃美し、そこへ通ずるという「 後戸」を排除することのなかった日本人の智慧を評価するだけでは、明らか に不十分なのだ。 それが日本文化論の終点であってはならない。 中沢新一が最後に言うとおり、「ここから現代を生きている私たちにとって の、本物の問いがはじまる」のである――おそらく彼の考えているのとは別 の意味においてであるが。
550 :
piko ◆FlwTom66rU :02/11/21 04:35
レンブラント――バロック美学の灰 11*12 京都の国立博物館とフランクフルトのシュテーデル美術館の企画したレンブ ラント展が京都で開幕した。 すべて油彩とはいえ、カタログ掲載分が53点、しかもそのうちかなり重要な 10点が京都に来ないというのでは、「大レンブラント展」と銘打つにはあま りに寂しい。 しかし、地味ながらなかなか興味深い作品が多く、すでにレンブラントに親 しんだ観客がこの大画家を別の面から見直すきっかけとしては、悪くないの ではないか。 一応の目玉と言えるのは、30歳の時の大作「目を潰されるサムソン」である。 目に深々とナイフを刺されたサムソンを中心に展開される鮮烈な光と闇のドラマ。 それによってカラヴァッジョやルーベンスを凌駕しようとする画家の意欲は 凄まじい。 だが、その描写がリアリスティックであるだけに、丸々と太ったオランダの 田舎者たちがカラヴァッジョ的なドラマを演じているという滑稽な印象も禁 じ得ないのだ。 むしろ、ここでは「デイマン博士の解剖学講義」に注目しておこう。 これは、有名な「テュルプ博士の解剖学講義」と同様、死体を解剖するデイ マン博士と、それを囲む8人の外科医たちを描いた、集団肖像画の大作だった のだが、火災で大半が焼けてしまった結果、顔が見えるのは左側の助手だけ で、あとは、こちらに足を向け腹部の空洞をさらして横たわる死体と、その 脳を解剖する無頭の医師の両手が残るばかりだ。 しかし、偶然に出来上がったその構図はあらかじめ計算したかのような集中 性を持っており、この作品に異様な緊迫感を与えている。
551 :
piko ◆FlwTom66rU :02/11/21 04:35
とはいえ、この展覧会の中心と言うべきは、個人の肖像画だろう。 なかでも、息子ティトゥスをモデルにしたと思われる作品が3点あり(ちなみ に、きわめて水準の高い展覧会である「ウィーン美術史美術館名品展」 [東京藝術大学大学美術館]でも、もう1点見られる)、それらを追うだけ でも感慨深い。 たとえば1655年の作品は机に向かう14歳の少年を描いているのだが、画面 の下三分の一以上を占める机の背板には白や赤の絵具が大胆に施されており、 極端に言えばパレットのようでさえある。 他方、1668年のティトゥスの死の少し前に描かれた作品は、すでに赤褐色の 憂愁の中に沈んでゆくかのようだ――1669年に世を去る画家自身の晩年の 自画像と同じように。 そう、その中でも「笑う自画像」は、ジャン・ジュネのおそるべきレンブ ラント論(『あるベルト・ジャコメッティのアトリエ』[現代企画室]所収) の表現を借りれば、「顔も背景もあまりに赤く、絵全体が天日で乾涸びた 胎盤を思わせる」。ジュネは、1642年(妻サスキアの死と「夜警」)以後、 レンブラントがなお豪奢と演劇性に執着しつつも、豪奢を矮小な物質の中へ 移行させ、演劇性を内側から焼き尽くすことで、すべてが「同じ」である (どんな対象も、そして対象も物質としての絵画も「同じ」である)――同じ ように貧しく且つ同じように豊かである次元にまで到達したのだ、と言う。 バロック美学を焼き尽くした後に残る灰。 そのようなものを、われわれはこの展覧会からも垣間見ることができるだろう。 『ヘルメスの音楽』(ちくま学芸文庫)でレンブラント/フェルメールを メジャー/マイナーとして対比し、フェルメールを高く評価した私にとっても、 メジャーな画家であることをやめた後期のレンブラントを再発見する、これは 貴重な機会となった。 会期は11月3日〜2003年1月13日。
552 :
piko ◆FlwTom66rU :02/11/21 04:37
ムテジウスからホラインへ 11*12 ドイツのモダン・デザインといえばバウハウス(1919年創立)が頭に浮かぶ が、その前段階で重要な役割を果たしたドイツ工作連盟(1907年創立)のこ とも忘れてはならない。 この組織と、そこで中心的な役割を演じたヘルマン・ムテジウスをめぐる展 覧会が、京都国立近代美術館で開かれている。 ムテジウスのことは知っていたものの、学校を出たての彼が日本で3年半を 過ごし、司法省(いま法務資料展示室となっている赤レンガ棟)などの建築 に携わっていたというのは、初めて知った。 そればかりか、鹿鳴館での音楽会(1889年)のプログラムにピアニストとし てムテジウスの名前が出ていたりするから、面白いではないか。 その後、ムテジウスはイギリスで7年を過ごし、マッキントッシュらの新しい デザインをドイツに紹介する。 そして、帰国後ドイツ工作連盟を組織し、「ザッハリヒカイト(即物性)」 や「規格化」をキーワードに、新たな機械時代にふさわしいデザインを模索 するのである。 それにしても、たとえばペーター・ベーレンスのデザインした卓上扇風機 (1908年頃)の単純でいて何とエレガントなこと! そういう段階から、もっとシャープなモダン・デザインが主流になるまで の推移を追うだけでも、さまざまな発見があって興味が尽きない。 地味には違いないものの、モダン・デザインの前史を探る上で有益な展覧会 と言えるだろう。
553 :
piko ◆FlwTom66rU :02/11/21 04:37
ちなみに、展示物の中にはヨーゼフ・ホフマンのこれまたエレガントな ティー・セットなども含まれているのだが、京都国立近代美術館では、この 企画展に合わせ、常設展で、ポストモダン建築家たちのデザインしたティー &コーヒー・ピアッツァ(1983年)のコレクションを展示している。 特にハンス・ホラインの作品は久しぶりに見ても実にシャープだ。航空母艦形 の大きなトレイ。 艦橋の部分に、ポット、ミルク入れ、砂糖入れがピシッとはまる。 これでお茶を飲みながらTVニュースで戦争の映像を眺めるとしたら、それこ そ究極のポストモダン・シニシズムと言うべきだろう。 そう言えば、1986年のヴェネツィア・ビエンナーレで、たまたまアメリカ 海軍の艦船が寄港したときのことを思い出す。 サン・マルコ広場に立ち、軍艦の甲板で踊り狂う黒人兵越しに、サン・ジョ ルジョ・マッジョーレ教会の塔を眺めるというのは、実に不思議な体験だった。 そのとき出会ったホラインにあの航空母艦形のティー&コーヒー・ピアッツァ の話題をふったら、彼は言ったものだ。 「軍艦をつくるくらいの予算をくれたら、私ももう少しいいものができるんだが」。 展覧会の会期は11月2日〜12月23日。 1月18日から東京国立近代美術館に巡回予定。
「ポリーニとシュトックハウゼン」 「アメリカと共に生きる−−高嶺格の力業」 は、来週の火曜日にうぷします。
piko さん乙。549 の「馴到する」は「馴致する」のことかな。
556 :
ぺん(ぺん) :02/11/21 04:55
pikoさん、いつもありがとうございます。
437 :piko :02/11/09 14:06 今週はお休みかと思ったら、今頃になって出ましたね。 「没後20年のグレン・グールド」 再来週うpします。 ーーーーーーーーーこれ、忘れていませんか。オネガイシマス。
おお!大量アップだー、お疲れさま。 ありがとPIKOさん。
560 :
考える名無しさん :02/11/21 15:21
pikoさんありがとうございます。 嘘がうまいですね。
561 :
考える名無しさん :02/11/21 15:21
「ポリーニとシュトックハウゼン」 「アメリカと共に生きる−−高嶺格の力業」 でものせてやっか? 今ひまだから。 要望3人きたら書いてやる。
562 :
考える名無しさん :02/11/21 15:23
558、それ嘘だぞ。
563 :
考える名無しさん :02/11/21 15:24
564 :
しょうがない。今まで荒らしたからたまにはまじめに。 :02/11/21 15:29
ポリーニとシュトックハウゼン かつての若き完全主義者は、円熟した巨匠となることができるか。それが60歳を迎えたマウリツィオ・ポリーニの直面している問題だ。 11月13日に東京のサントリーホールで開かれたリサイタルも、その問題について考えさせられる内容だった。 ブラームスとベートーヴェンでヴェーベルンとシュトックハウゼンを挟むプログラム構成は、古典音楽と近現代音楽をつないでみせるという意図によるものだろう。 だが、そのブラームスとベートーヴェンの演奏は、ポリーニほどのピアニストとしては決して満足のいくものではなかった。
565 :
しょうがない。今まで荒らしたからたまにはまじめに。 :02/11/21 15:34
かつてのようなフォルテはもう聴かれず、ダンパー・ペダルの使用が増えて響きが曖昧になる場面も見られる。かといって、余裕に満ちた悠然たる演奏家といえば、そうでもない。 失踪する指をがっちりと抑えていたコントロールに綻びが見られ、ややもするとテンポが前のめりになる場面が目立つ。 特に、ブラームスの「幻想曲集」op.116は、第4曲の名澄な歌のように素晴らしい部分も含みながら、全体としてそういう諸問題をまざまざと感じさせる演奏だった。
566 :
しょうがない。今まで荒らしたからたまにはまじめに。 :02/11/21 15:41
他方、ベートーヴェンのソナタ第24番「テレーゼ」は、抑制をきかせて玲瓏たる結晶体を作り上げようとする演奏で、確かに美しい響きを聴くことができたものの、肝心な所でミスが目立ったのは残念というほかない。 その点、第23番「熱情」はさすがに瑕庇の少ない充実した演奏だった。 第1楽章冒頭の短調の第1主題に基づく和音の重畳はやはり迫力に欠けるものの、そのあと低音部から長調の第2主題が湧き上がってくるところの雄大さは素晴らしい。第2楽章も明澄そのものだ。 第3楽章も流麗でありながら力感に満ち、コーダに向かっては白熱する盛り上がりを見せた。
567 :
しょうがない。今まで荒らしたからたまにはまじめに。 :02/11/21 15:44
その精度とダイナミズムはやはり凡百のピアニストの及ぶところではない。 それでも、ポリーニの演奏があくまで「秀才的」なものであり、圧倒的とまではいかなかったと言えば、不当な評価ということになるだろうか。 結局、私が文句なく素晴らしいと思えたのは、アンコールで弾かれたベートーヴェンのバガテルop.126の3と4(ベートーヴェンの晩年のブラームスにも通ずる小曲を選ぶところはよく考えてある)の後者くらいだった。 こうした古典音楽に比べ、近現代音楽は打って変わって見事な演奏だった。
568 :
しょうがない。今まで荒らしたからたまにはまじめに。 :02/11/21 15:48
ヴェーベルンの「変奏曲」はポリーニの得意のレパートリーで、今回も唸りを上げながらの熱演だったが(私自身はこの曲にはもっと非人間的な冷たさがふさわしいと思うものの、 ポリーニの演奏がライブ演奏として見事な緊迫感をもっていることを全面的に認める)、それでいて、この複雑精緻な音楽が立体的に構造化されていくのだから、やはり驚くほかない。 さらに素晴らしかったのは、アンコールの最後に演奏されたシェーンベルクの「6つのピアノ曲」op.19で、リラックスした雰囲気をも手伝ってか第2曲の軽みなどは比類のないものだったし、第6曲の微妙な音色も完璧だった。
569 :
しょうがない。 :02/11/21 15:53
そして何と言ってもシュトックハウゼンの「ピアノ曲」Xと\.ポリーニは1998年にも同じ会場でシュトックハウゼンのこれらの作品(]も含めて)を弾いたことがあり、その時も見事な演奏に舌を巻いたものだが、今回の演奏にそれに勝るとも劣らぬものだ。 とくに\などは、前半の強靭な和音の連打といい、後半の冷たく燃え上がる高音のプロミネンス(鋭利でありながら、弾き破るということがなく、どこまでも「音楽的」な美音であるところが、良くも悪しくもポリーニらしい)といい、圧倒的な出来映えだった。
570 :
しょうがない。 :02/11/21 15:56
そう、これらの曲になると、最初のブラームスとは音からしてまったく違ってしまっているのだ。こうしてみると、ポリーニは、古典音楽で無理に円熟を目指したりせず、あくまで近現代音楽で彼ならではの鋭角的な音楽を展開していくべきではないかという気がしてくる。 古典音楽と近現代音楽をつなぐという意図はよくわかるけれど、次回にはできれば近現代音楽だけのプログラムを聴いてみたいというのが、私の率直な願望である。 浅田彰
571 :
しょうがない。 :02/11/21 15:59
「アメリカと共に生きる−−高嶺格の力業」 も河口とおもったけど、アホがいるのでやめた。 要望が3人あれば書く。
572 :
考える名無しさん :02/11/21 16:00
うるせー、かす!
573 :
考える名無しさん :02/11/21 16:02
酔う坊
574 :
考える名無しさん :02/11/21 16:02
563=572=カス 消えろ
575 :
考える名無しさん :02/11/21 16:02
とりあえず反論する人追い出さないと
576 :
考える名無しさん :02/11/21 16:04
洋望島洲
577 :
考える名無しさん :02/11/21 16:07
陽帽子亭流
578 :
考える名無しさん :02/11/21 16:07
てめえら死んだら?
579 :
考える名無しさん :02/11/21 16:09
葉傍誌手居る
580 :
考える名無しさん :02/11/21 16:10
同じ人が三回。
581 :
考える名無しさん :02/11/21 16:12
こんこん、きつねだよー きつねすきだよー
582 :
考える名無しさん :02/11/21 16:13
逢茶だ彰
583 :
考える名無しさん :02/11/21 16:14
小ぎつねが風邪をひいたよ こんこん 彰
584 :
考える名無しさん :02/11/21 16:15
グレングルードのほう? どっちがいい?
哲板を強制ID表示板にしよう!
586 :
考える名無しさん :02/11/21 16:20
御真香瀬志益
587 :
考える名無しさん :02/11/21 16:22
越え啼き越え 彰
588 :
考える名無しさん :02/11/21 16:29
街久他微列。逢解(まちくたびれつ。age)
589 :
考える名無しさん :02/11/21 16:47
月逢い夜音
590 :
考える名無しさん :02/11/21 16:51
千秋の分、逢い太陽
591 :
考える名無しさん :02/11/21 16:56
いま、留守していますので、何も分かりません。
592 :
考える名無しさん :02/11/21 17:02
お急ぎの方は「嫌だ☆スレ」までどうぞ。
かまって君が一人いるようだね。不気味(w ま、だれがうぷしてもいーけど。ちょっと時間 おいたほうがいいYO! あと改行ちゃんとしてね
595 :
考える名無しさん :02/11/21 17:31
>しょうがない 荒らすなよ。だから厨房はうぜーんだよ
596 :
考える名無しさん :02/11/21 17:49
望月まで待ちます
597 :
考える名無しさん :02/11/21 17:50
598 :
考える名無しさん :02/11/21 18:04
クリスマス格別イベントですか?
599 :
考える名無しさん :02/11/21 18:11
600 :
考える名無しさん :02/11/21 18:15
Start it up!
601 :
考える名無しさん :02/11/21 18:16
ガキと嵐は無視に限る
602 :
考える名無しさん :02/11/21 18:19
吉例の漫談、ついに公開ですか!
603 :
考える名無しさん :02/11/21 18:24
漫談を放談に訂正しますた
漫談よりおもろい(w
605 :
考える名無しさん :02/11/21 18:34
京都でも見たいなぁ。
606 :
考える名無しさん :02/11/21 20:01
じゃまくせえやつが一人いるな
録音してきてください。
608 :
考える名無しさん :02/11/21 20:25
わかりました。
609 :
考える名無しさん :02/11/22 04:05
ペルルミュテールのCD買ったよ。いやー素晴らしいラヴェルだ。
続・憂国呆談トークライブって予約要らないらしいけど、全員立見なのかな? 田中康夫の話し方が嫌いだから行くかどうか迷う。
611 :
考える名無しさん :02/11/23 04:49
来るな
612 :
考える名無しさん :02/11/23 07:48
放送大学第8〜15回のビデオ、 どなたかに譲っても良いですよ。 まあ面白いです。
613 :
考える名無しさん :02/11/23 15:23
たまたま丸ビル行く日だ。 ついでに見て子よ。
614 :
考える名無しさん :02/11/23 15:35
615 :
考える名無しさん :02/11/23 17:12
いけばいいじゃん
616 :
考える名無しさん :02/11/23 17:15
しかし東京と頭に名のつく大学に上京して入って、 それが池袋から1時間急行に 乗せられておまけに、バスで30分の山奥の 村にキャンパスあったら、あまりにも哀しすぎるよね
丸ビル4Fは大変なことにならないか?あんまり宣伝しないで欲しいな。 東京駅近いからなー長野からも人たくさんくるんだろうなー。 時間的に日帰りできるからな、地方からもいっぱいくるのかなー。
618 :
シャイン的 :02/11/23 17:32
こさせません。 実は定員製。 30名とったらあとは退去させます。
619 :
考える名無しさん :02/11/23 17:34
長野からって名鉄バスだっけ?
620 :
考える名無しさん :02/11/23 17:54
>>616 池袋から30分ちょいにもあるね。
東京と頭に名がつくのに何故だか埼玉の田んぼの中にある。
川越だけど、東京国際大学
この東京+国際というネーミングの、更に川越というのが、
絶妙にすごい。こういうのは公共広告的な観点からいって、
詐欺罪とかで訴えられないものかな?
621 :
考える名無しさん :02/11/23 17:59
東京国際大学は実は結構な大学なんだよ
>>621 知らなかったの?
大槻ケンジがちなみにこの大学。まぁ中退だけど(w
しかも二浪してるっつーね。
あとエレファントカシマシとかもここの出身だよ
結構イケテルでしょう?川越系って田んぼと畑が多いんだけど。
しかし、この川越から30分更に奥に下って東京大学がまだあるって
ご存知でした?(笑)
なんていう大学なの?それって(爆)
623 :
考える名無しさん :02/11/23 18:07
>>621 東京国際大学は川越だけども
旧名は国際商科大学
まぁ時代に合わせて大学の名前も変わる
624 :
考える名無しさん :02/11/24 00:07
>>612 譲って下さい。
本当に譲って下さるのなら、捨てアドを取得してきます。
625 :
考える名無しさん :02/11/24 00:52
俺も今期の浅田さんの放送大学は 全部ビデオに録画したけどね・・・
>>625 エムエクースかういにーで、流して下さい。
627 :
考える名無しさん :02/11/24 01:01
そんなスキルないんだ、ごめんね。 浅田さん関係のビデオはたくさん 持ってるけど・・・
628 :
ぺん(ぺん) :02/11/24 02:42
pikoさんがウプしてくれた「トーラスとクラインの壷」を読んでふと思ったのですが >トーラスを活性化させるクラインの壷という形で「日本 >的精神構造」をモデル化するのはひとつの選択肢であるとしても 空虚な中心によって支えられる共同体を活性化させるための クラインの壷的な「演劇的装置」という考え方は すでに、アリストテレスの「詩学」によって構想されていると 言いえるのではないでしょうか。 アリステテレスが「空虚な中心」といったものを思考していたわけではないにしろ 少なくとも「空虚な形式性」としての政治体制をもった共同体 といったものを考えていたとするのは、まあそれほど無茶な読みではないとは思います。どうでしょうか、新一たんの日本文化論では 古代ギリシャ演劇とそのアリストテレスによる解釈が持つ普遍的(というか形式的?)構造の 一つのヴァリエーションに過ぎず、 日本の歴史的固有性を捉えてきれていないために、有効な批判もなしえない と彰たんは読んでいるように感じました。 (ふと思いついた感想なので、ドキョソな思い違いかもしれませんが)
629 :
考える名無しさん :02/11/24 03:11
中沢はアリストテレスの『詩学』について触れてるの?
630 :
ぺん(ぺん) :02/11/24 03:26
>>629 いえ、漏れはウプされた彰たんの文章を読んでだけですから
新一たんが、『詩学』を意識しているかどうかは分かりません。
ただ、彰たんが
>祭りの時に遊行の芸能者が演じてみせるようなその壷の振動を通じてこそ、
>トーラスは権力を保ち得るのだ、というわけである。
と書いているのは、『詩学』で指摘しているような演劇(悲劇)の役割と
共通しているのではと、感じたのです。
新一たんの文章を直接読んでいる人がいれば、感想を聞いてみたいです。
>>624 本当に譲っても良いですよ。
第8回では、淺田氏の
「マクルーハンの『メディアはメッセージである』という日本語訳は
間違いではないが、『メディアがメッセージである』というべきである」
という発言あたりが興味ありました。
丸ビルに来る方なら、1日に第8、9回の
ビデオを渡しても良いかなと思ってます。
どっちにしてもよくわからない。
633 :
考える名無しさん :02/11/25 04:09
11月祭でないんだねー
>>631 氏
ども、
>>624 です。以後コテハンにします。
12/1は丸ビルに伺う予定ですので、そちらでお会いしましょう。
#フリーメールを取得しました。(メール欄見て下さい)
詳しいことはこちらに送っていただけるとありがたいです。
ビデオテープの実費と、スタバのコーヒー代くらいは出します。
(・・・金ないです。すんません)
京都国立近代美術館、鹿鳴館での音楽会のプログラムは3階入ってすぐのとこ、 「ヨーゼフ・ホフマンのこれまたエレガントな“ティー・セット”」はコーヒーセット。 常設展のハンス・ホラインの航空母艦形の大きなトレイは4階正面ピカソを左に見ながら入って真ん中。
山形浩生 リンクを張らせろとかいうしゃらくせぇメールはよこすなバカ野郎! ケチなんかつけねーから、 どこへでも黙ってさっさと張れ! そういうメールをよこしやがったら、断るからな。いちいち相手 の身元を確認していいの悪いの判断するほど暇じゃねーんだ! そんなけちくさい真似するくら いなら、最初っから無料でこんなもん公開したりしねーぞ! 世間様におめもじさせられねぇと 思ったら、その時点で引っ込めるわい。 黙って張る分にはなんの文句もつけない。絶賛リンクも結構、「こんなバカがいる」的罵倒嘲笑 リンクも大いに結構。煮るなり焼くなり好きにしやがれ。ファンメールもかねた事後報告もオッケー。 あとおひねりでもくれるってんなら、もらってやるからありがたく思え。いいの悪いの返事も書いて愛 想の一つも振りまこうってなもんだ。 でも、そうでなきゃそんなメール受け取って、読んで、おまけに返事書くだけのコストを、なんでこ のオレが負担してやんなきゃならんのだ。しかもそういうメールに限って、クソていねいでまわりっくどくて あいさつと社交辞令ばっかで、いつまでたっても用件がはじまんないで、長ったらしくて官僚的で、 他人に配慮してるようなツラして実は自分のケツをカバーすることしか考えてねーのが見え見え。 どうしても許可がないとリンク張りがリスキーだと思うんなら、明示的に許可がないと法的にリンク が困難とかいうんなら、そんなとこはリンクしていただかないで結構。黙ってリンクしていいという文章 を読んで、それを理解する能力がないやつ(個人法人を問わず)なんか相手にしてられっか! 丸ごとコピーしたいときも、文章自体を変えないで(変える場合にも変えたところを明示すれば オッケー)、もとのURLと版権と、転載自由だってのさえ明記すればなーんも文句はつけないので、 これも黙ってやってくれ。 でも山形が死んだらどうなるんだ、という心配性の人のために、遺言もつくっといてやろう。いたれ りつくせり。親切だろう。どうだ、これでもまだ文句あるか。じゃあな。
637 :
考える名無しさん :02/11/25 20:38
>>635 東京に巡回してもホラインは見れないんだよね。ショック。
エレガントな彰ハァハァ
638 :
考える名無しさん :02/11/26 14:02
今週のi-criは「ポリーニとポリーニ」「ジェシー・ノーマン−−歌の賜物」 感動のあまり、彰が泣きました!
639 :
考える名無しさん :02/11/26 14:50
640 :
考える名無しさん :02/11/26 16:47
します。
641 :
piko ◆FlwTom66rU :02/11/26 18:02
アメリカと共に生きる――高嶺格の力業 02*11*19 東京国立近代美術館で国内外の10人の作家を集めて開かれている「連続と侵犯」展 は、タイトルからして意味がはっきりしないし、現に展覧会としての統一性もなけ れば個々の作家のレヴェルも低くて、ほとんど見るべきところがなかった。 ただひとつ興味を惹かれたのは、高嶺格の「God Bless America」である。 アーティスト自身の生活空間(スタジオ内に仮設されたものとはいえ、アーティス トは現にそこに寝泊りしていた)の真ん中に2tの粘土でできた巨大な顔があって、 アーティストが食べたり団欒したり性交したり寝たりする間も絶えず形を変えなが ら(無論アーティスト自身が粘土と格闘して変形させてゆくわけだが)ずっと「God Bless America」を歌い続ける。 18日に及ぶその生活と製作の過程がスピーディなコマ落としのクレイ・アニメーシ ョンとして映像化されるのである。 日常生活の真ん中に闖入してきてひたすら自己を讃美し続けるグロテスクな巨像と しての「アメリカ」。 それはいかにも厄介な存在だが、われわれの生活が少なくとも部分的に「アメリカ」 によって支えられていることも事実であり、われわれ自身が「アメリカ」に歌わせて いる節さえある。 「AIDSと共に生きる」ことが強調された時代があったが、特に9.11以降にあっては それ以上に「Americaと共に生きる」ことが問題になっているというかのようだ。 私は芸術が9.11以降の事態に応対すべきだという短絡的な見方をとらないが、高嶺 格の愚直とも見える応答のもつパワーと巧まざるユーモアは認めておかねばならな いだろう。
642 :
piko ◆FlwTom66rU :02/11/26 18:02
秀作とは言わない。 しかし、注目すべき力業ではある。さらに強いて言うなら、鉄とガラスによるシン プルなセッティングの中で50Hzの交流電流のうなりを聴かせる遠藤利克の作品や、 インクを混ぜたシャボン玉が紙にぶつかったときの痕跡を並べたロラン・フレクス ナーの作品を挙げることができるだろう。 それにしても、そこには企画展としての統一性らしきものがほとんど見当たらない。 近代美術館が最近の流行を追ってこういう文化祭の出来損ないのような展覧会を やっていていいのだろうか。 現代美術館と差別化する意味でも、21世紀を迎え改装も終えた今こそ、地味で いいから近代美術の流れを体系的に検証していくべきだと思うのだが。
「ポリーニとポリーニ」「ジェシー・ノーマン−−歌の賜物」 は、来週うぷする予定です。
645 :
考える名無しさん :02/11/26 18:27
今週の彰は泣きまくりだな(w これは批評家としてどうなんだろう。 もう年かも
646 :
考える名無しさん :02/11/26 18:29
あと、上にある「ポリーニとシュトックハウゼン」は 十箇所以上誤りがあると思うのだが…まあいいか(w
647 :
考える名無しさん :02/11/26 18:46
どこだ?気になる?
どういたしまして
嵐、来んなよもう〜uzeeeee!
j
651 :
考える名無しさん :02/11/26 20:54
pikoさん、有り難うございます。
652 :
考える名無しさん :02/11/26 21:42
>>645 あれはたんに表現として「泣ける」ということなのか、
本当に泣いたのか、どっちだろうか
後者ならたしかに泣きすぎだ。
勉強のしすぎで40代半ばにして
浅田はオジイチャンになってしまったのではないか
前者ならボキャ貧だし、後者なら感情移入し過ぎ。 批評空間も終わったし、気が抜けてんじゃねえの?
654 :
考える名無しさん :02/11/27 00:52
ただ泣いたとかくだけで反応がるんだね。 暇な人たちだ。
655 :
考える名無しさん :02/11/27 01:01
656 :
考える名無しさん :02/11/27 01:11
ウノコーホーもよく目頭が熱くなるんだったね。
657 :
考える名無しさん :02/11/27 01:16
浅田<ああいう体育会系の身体論バカって最悪だよ。 キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
658 :
考える名無しさん :02/11/27 02:14
浅田の田中氏への評価について
>>371 のカキコを
したんだけど、憂国呆談を読むと以外と高評価を
してるんでビックリ。もちろん釘をさすことも忘れてはいないけどね
659 :
考える名無しさん :02/11/27 02:42
658の意見は無駄な意見でした
理系の話はついていきにくいなあ・・・ 658なんかはニュートンとか読んでるわけ? とにかく今後はDNA解析からタンパク質解析に向かっていくわけね。
661 :
考える名無しさん :02/11/27 03:22
>>654 君は、日本語を声に出して読んだほうがいいと思うよ(w
662 :
考える名無しさん :02/11/27 05:35
663 :
考える名無しさん :02/11/27 05:40
くやしかったんだねw
文字がダメで音声がいいっていう考え方(音声中心主義?)こそが 反動的なイデオロギーの核心にあるってのはどうしてなの? 日本以外でもあてはまるのかな。
666 :
考える名無しさん :02/11/27 12:57
>>664 声による集団の統合というビジョンがキモイから
所謂近代的主体というのが、音声中心主義だと言うことでしょ。 重度の失語症になると、目や耳や鼻や口を一つの「顔」 に統合して認識する、ということが出来なくなるらしいし。 D-G的な文脈では、身体を一つの統一体としてまとめ上げるのが、 近代的だってことだから。 最近みたNHKの失語症の特集でみたんだけど、失語症になるとひらがなは読めなく なるけど、漢字は意味が先に来るから、何とか判るらしいね。
668 :
考える名無しさん :02/11/27 14:24
ああ、そう。
669 :
ぺん(ぺん) :02/11/28 04:37
音声中心主義的な思考は 何も近代的主体のみに結び付けられているわけではないと思います。 例えば中世哲学(神学)における(ボナヴェントゥラなどに典型されるでしょう) 神の御言葉が真理性の根拠となるという思想にも見られますし むしろ、主体がいかにして真理性を得ることができるのか という観点において、主体と音声中心主義が結びついているように思います。 一応、真理性の根拠→現前性→音声中心主義というような連関でしょうかね。 (スレ違いな話題スマソ)
670 :
考える名無しさん :02/11/28 17:17
ああ、そう。
671 :
考える名無しさん :02/11/29 04:31
Web版憂国放談の写真って酷すぎるね。
>>669 知ったかぶりして相変わらず適当なこと言ってるな、おまえ。
「神の御言葉が真理性の根拠となる」からといって、どうして
「音声中心主義的な思考」になるんだよ。「御言葉」はむしろ
(聖書を媒介とした)エクリチュールじゃねえの?
673 :
ぺん(ぺん) :02/11/29 07:04
>>672 「音声中心主義的な思考」というのは、
文字通り「音声」を中心とする思考というわけではないと思います。
あくまでロゴスの現前として、文字的なものよりも音声的なものの方が相応しい
といったところに由来していると思われます。
そのような(神の)ロゴスとしての「御言葉」という意味で書いたのです。
デリダの場合、フォノセントリスムスは「声が声を聞く」という同一性の経験のみがあるのではなくて その経験が、声の痕跡として常に事後的に発見される書き言葉(エクリリュール)と結びついており この両者が連関することがどういう効果を持つか、という検討をしなくては、デリダの意を 汲み取ることはできない。ポイントは、指数関数的に複製可能なエクリチュール全てに、声の痕跡を浸透させ またこのことが同時に前者の動きを加速させるという構図で、デリダは確かこれを インフレーション効果といってたな。確かに「美しいニホンゴ」シリーズはとめどなく出てる気もするが(ワラ
675 :
ぺん(ぺん) :02/11/29 07:20
>>らφさん、ジジェク・スレではどうもです。 すみません、デリダ自身の考えというよりも 一般的に受容されている「音声中心主義的な思考」に対する考え方を想定していたので。
676 :
Kurihara :02/11/29 07:33
ああ、そうだったんですか。
677 :
ぺん(ぺん) :02/11/29 07:40
(追加) 対談の文脈から言って、 「現前性」としての側面を前提にして話されていたのは明らかだと思います。 「ネイション」としての透明な共同体に参与する為の媒介として 「音声」の透明な現前性こそがふさわしいと。 どうでしょう、発言の際には、 そのような一般的な解釈のみを考えていたように思えます。
678 :
考える名無しさん :02/11/29 08:12
しかし浅田はデリダに言及している。そもそも >あくまでロゴスの現前として、文字的なものよりも音声的なものの方が相応しい >といったところに由来していると思われます。 というが、形而上学の歴史に通底するロゴスと音声的なものの共謀関係 (→ 現前の形而上学)を証明したのがまさにデリダなのでは? それに対し、672 があなたに反論しているのは、 「中世哲学(神学)における神の御言葉が真理性の根拠となるという思想」に おいて「(神の)「御言葉」」が、エクリチュール(聖書)に依るのではなく、 本当に「音声的なもの」と言えるのかどうか (つまり上のデリダ的図式が通用するのかどうか)ということでしょう? たしかに「御言葉」はギリシア語のロゴスの邦訳でありえますが、 だからどうした、とも言えます。
679 :
考える名無しさん :02/11/29 08:34
12月1日 NHK教育 芸術劇場「ポリーニ 時間と空間を越えて」 マウリツィオ・ポリーニ ピアノリサイタル ショパン「24の前奏曲作品28」ほか ピアノ=マウリツィオ・ポリーニ〜東京・サントリーホール 録画
680 :
考える名無しさん :02/11/29 08:38
私は泣いた、という人多いね。 このコンサートで泣いていた人限りなく多い。
681 :
ぺん(ぺん) :02/11/29 10:44
>>678 >しかし浅田はデリダに言及している。
らφさんの「デリダの意を汲み取ることはできない」という考えに対して
彰たんはデリダと同時に行人たんにも言及しており
デリダ自身の考えというよりも、
一般化された概念としての「音声中心的な思想」として解釈した方がよいのでは
という事が言いたかったのです。
(誤解されるような書き方をしてすみません)
>「中世哲学(神学)における神の御言葉が真理性の根拠となるという思想」に
>おいて「(神の)「御言葉」」が、エクリチュール(聖書)に依るのではなく、
>本当に「音声的なもの」と言えるのかどうか
>(つまり上のデリダ的図式が通用するのかどうか)ということでしょう?
たしかに、言われてみれば、一筋縄でいかない問題だと思いました。
詳しい分析は漏れの手には余りますが
例えば、ボナヴェントゥラの「すべての者の唯一の教師キリスト」において
「知恵の言葉と知識の言葉は、彼の著作から明らかなように、彼がきわめて優れた仕方で聖書全体の主要な注釈者である限りで、精霊によってアウグスティヌスに与えられた」
というような記述は、真理性は聖書の解釈によって接近することができるが
あくまでも聖書は声の痕跡として読まれるものであって、
声そのものとしての精霊によって神のロゴスが現前するのである、
と解釈されうるのではないでしょうか。
ただ、哲学ドキョソのくせに、
なんだか偉そうな物言いをしたことについては、お詫びします(汗
682 :
考える名無しさん :02/11/29 11:32
中原中也の一行で終わってしまう話ばかりだな。
683 :
考える名無しさん :02/11/29 14:33
中世だったら、一般的には神=真理=音声で いいんじゃないかな。文字なんてほとんどの人が 読めなかったんだから。
教会で声を聞いてたんだよね。
>>ぺん(ぺん)さん 丁寧な回答ありがとうございます。仰りたいことは分かりました。 おおむね同意します。デリダのいう「ファロス・フォネー・ロゴサントリスム (男根‐音声‐論理中心主義)」の三位一体の議論も、ハイデガーが形而上学 の閉域として限界を画した「存在‐神学」をラディカルに展開させたものだと 考えれば、神学もまずはそういう閉域のなかで位置づけて考えることは正当だと 思います。
1日のトークライブ、時間変更だってさ。 14:30〜15:30→15:00〜16:00
687 :
考える名無しさん :02/11/29 21:17
ウェブ版憂国呆談でみた。 ほんとだ、1日のトークライブ時間が変わってる。 ついでに呆談で浅田さんの写真みちゃった。笑顔だぁ?。! 2枚目の写真の康夫ちゃん笑顔が似合うね。(タマちゃん的観察スマソ)
688 :
考える名無しさん :02/11/29 21:25
>>687 訂正 ×2枚目の写真の康夫ちゃん
↓
○康夫ちゃんの2枚目の写真、
呆談ウェブ読後の喜びで、つい、いそいそと書き込みしたので。(謝)
690 :
考える名無しさん :02/11/30 10:36
ポリーニの最終日、彰だけでなくかなりの人が泣いていたよ。 NHK12月1日放送するから、みれ
1日のトークライブ、時間変更だってさ。 14:30〜15:30→17:00〜18:30
692 :
考える名無しさん :02/11/30 12:26
1日のトークライブ、また時間変更だってさ。 17:00〜18:30 →24:00〜1:30
694 :
考える名無しさん :02/11/30 13:31
>>693 う〜そ。お店あいてないよぉ。(わくわく)
1日のトークライブ、出演者変更だってさ。 彰来ないんだって。骨折。
696 :
考える名無しさん :02/11/30 15:37
>>630 HPには書いてないけど、電話で聞いたの?
697 :
考える名無しさん :02/11/30 22:22
三時〜四時で決まりのようだね。嵐にはご注意!
>>679 _n
_、_ グッジョブ!! ( l _、_
( ,_ノ` ) n \ \ ( <_,` )
 ̄ \ ( E) ヽ___ ̄ ̄ ノ グッジョブ!!
フ /ヽ ヽ_// / /
一時時〜三時で決まりのようだね。嵐にはご注意!
>>679 _n
_、_ グッジョブ!! ( l _、_
( ,_ノ` ) n \ \ ( <_,` )
 ̄ \ ( E) ヽ___ ̄ ̄ ノ グッジョブ!!
フ /ヽ ヽ_// / /
699 :
考える名無しさん :02/11/30 22:46
>また? 田舎者だから嫉妬してるのかナ?(ワラ
君アホ? 俺千代田区生まれで千代田区民ですけど。 これない人って君じゃない? 田舎者って言葉は田舎者しか使わないよ(ププ
↑ uzeeeeeee! 嵐どっかいけよ頼むよ。時間とか混乱させて楽しいか_?遠足前のガキかよ(w
702 :
考える名無しさん :02/12/01 06:31
チャイルドプレイはやっぱ追放でしょう(w
703 :
考える名無しさん :02/12/01 06:33
みんなで「チャイルドプレイの会」に入ろう!
704 :
考える名無しさん :02/12/01 09:05
昨日行ってきたよ。 2chで予定変更が書いてあったので調べといてよかったぁ。 日曜日に言って何もないことに気づくよりいいもの。 田中康夫の毒舌トークもさることならが、浅田に質問したNAMへの影響、 これ聞いたあいつは神。
> 浅田に質問したNAMへの影響 ここ、もっとくわしく、というか かいつまんでいったいどういう意味?
706 :
考える名無しさん :02/12/01 10:08
関西方面から見に行くなら、そろそろ出発しないと間にあわないね。
707 :
nennchakukamada :02/12/01 10:11
>>704 bokumo siritai.
situmon wa ittai douiu mono datta noka?
sosite asada san wa nante kotaeta noka?
708 :
考える名無しさん :02/12/01 10:15
ポットに珈琲を入れて、マドレーヌをハンカチにつつんで持って行って 3時のはじまりとともに広げるなら、いまから準備しないと。
709 :
考える名無しさん :02/12/01 10:20
チーズとハムをはさんだパンとりんごをハンカチに包むのなら、 珈琲は多めのほうがいいかな。3時までに間にあうかしら。
710 :
考える名無しさん :02/12/01 10:29
昨日だよ。彰。
711 :
考える名無しさん :02/12/01 10:30
どうすっかな。 満点星でオムライスを食べてから4階に行くかな。
712 :
考える名無しさん :02/12/01 11:08
712ひでえな。 元々ここのスレの住人が偽者のページつくって一日ずらしたんだろうが。 712のリンク先も捏造。 俺は昨日行ってきたし、今日のイベントはキンモクセイだぞ。
>>685 これってでも、日本のナショナリズム批判として、
当てはまるものなんですかね。
今まで、浅田も柄谷も、今回の中沢論みたいな文脈で
日本のナショナリズムを批判してきたわけで、
むしろ論理が足りないみたいな事を言ってたわけでしょ。
かつて福田の天皇論を批判したときも、そんな感じだったし。
704 といい 713 といいホント悪質だな。 まあ日時についてはリンク先の情報がすべてだから、ほっときゃいいけど。
716 :
考える名無しさん :02/12/01 20:06
そうね。 2chを信じちゃうオロカな行為を抑止する警告と受け止めればいいんじゃないか。 2ch情報を信じちゃう人多くなってきてるからね。 自分で確認しないと。
717 :
考える名無しさん :02/12/01 20:22
スレ違いスマソ。「情況」って雑誌はどこかのセクトと関係あるんですか?
718 :
考える名無しさん :02/12/01 20:30
720 :
考える名無しさん :02/12/01 20:51
今日見に行った人はレポートよろしく
721 :
考える名無しさん :02/12/01 20:52
はーい。
722 :
考える名無しさん :02/12/01 21:46
浅田さん、ずっと足組んで話してました。 右足しびれなかったのかな。
724 :
考える名無しさん :02/12/01 22:17
実は昨日でした。 ここに書き込んでた人あおりじゃなかったのね。 疑ってごめんなさい。
ピアノ上手いな(警察−ス)ーニ
あれ。丸ビルでの憂国呆談のことじゃなかったのかな?
727 :
考える名無しさん :02/12/01 23:03
ポリーニプロジェクト行かなかったもの度も。 いますぐNHK教育をみれ
クラ板の人たちが 純粋に技術的なことを軽々とトークしてるのがウラヤマシイ おれ、こどもの頃のピアノ続けときゃよかったよ いまぜんぜんわかんね
729 :
考える名無しさん :02/12/01 23:24
今NHKでポリーニを聴いている人が地球人だと思った。
730 :
考える名無しさん :02/12/02 00:02
丸ビルでの対談行ってきたヨ。客は立ち見だったけど1mくらいの至近距離で二人の話が聞けて、かなりお得気分だったな。 内容は政治がらみの話が多かった。彰ちゃんの「ぼくはキムチが大っ嫌い!」発言には爆笑。
WinMXに流してよ。
732 :
レヴィナスに「逃走論」がありますね :02/12/02 01:21
iくるしっく。 「これからは、書くことにする」浅田彰。
734 :
考える名無しさん :02/12/03 01:09
早くも出ました。 「フランソワ・オゾンの『8人の女たち』」 「NAMは始まらなかった」
アラシがおおいな……。 日曜のイベント行ってきた人の感想、もう少しキボウしておりますです。
736 :
考える名無しさん :02/12/03 02:04
独立行政法人化で、京大助教授の職を辞めることを示唆、、、してないか。 世田谷区の厨房が一人でがんばってるね(w
737 :
考える名無しさん :02/12/03 02:13
「NAMは始まらなかった」は緊急性があると思います。 pikoさん早めにうpしてくださいね。
738 :
考える名無しさん :02/12/03 02:33
>>早くも出ました。 「フランソワ・オゾンの『8人の女たち』」 「NAMは始まらなかった」 嘘つくんじゃない。 嘘だとは思いながら、確かめちゃっただろう!
739 :
ぺん(ぺん) :02/12/03 04:36
忙しくてNHKのポリーニ観れなかった・・・ しかも、録画するのも忘れていた。。。 うわーん、会場で涙した人から貰い涙を頂こう(泣
740 :
考える名無しさん :02/12/03 05:24
>>739 同じく。
BS2で放送してくれることを期待したいところ。
741 :
考える名無しさん :02/12/03 06:02
直接聴いた。 NHK直接見た。 録画もした。 また泣いた。
742 :
考える名無しさん :02/12/03 07:11
確かめるわけねえだろうヴァカ
>>740 クラシック板から転載させてもらいます。
http://music.2ch.net/test/read.cgi/classical/1034782082/ 376 :名無しの笛の踊り :02/11/29 06:32 ID:76Vp+6Pw
【放送予定】
■ 2002年12月1日(日) NHK教育TV
*11月22日(月)[第9夜・リサイタル]
■ 2003年1月5日(日) NHK教育TV (22:00-)
*10月21日(月)[第1夜・ロンドン響/バルトーク]
(放送が予定されている日はポリーニの誕生日です。)
■ 2003年1月12日(日) NHK教育TV (22:00-)
*11月18日(月)[第8夜・コンセルトヘボウ/皇帝]
NHK「芸術劇場」
■ 2003年1月25日(土) NHK・BS2 (00:45-)
(1月24日(金)の深夜)
*10月21日(月)[第1夜・ロンドン響/バルトーク]
*11月18日(月)[第8夜・コンセルトヘボウ/皇帝]
*11月22日(月)[第9夜・リサイタル]
744 :
考える名無しさん :02/12/03 08:29
ポリーニプロジェクト俺がうつっていた。
745 :
朝だおきら :02/12/03 08:44
時代の陥せいを信じない。
746 :
考える名無しさん :02/12/03 09:49
>>745 ワラタ。それはともかくとして、最近すごく痛感しているんだけど、
今この時代に柄谷の本を読んでなにか得るものってある?
人生の役に立たない気がしてならないんだ。
ビジネス書読んだほうがはるかに役立たない?
スレ違いでごめん。
747 :
考える名無しさん :02/12/03 09:52
748 :
考える名無しさん :02/12/03 13:52
なんだか夫馬が哲板で また断末魔の末期症状を起こしてますね(w
750 :
考える名無しさん :02/12/03 16:04
ポリー二 アンコールage
751 :
考える名無しさん :02/12/03 16:27
BS2って、再放送してくれるの?
752 :
piko ◆FlwTom66rU :02/12/03 18:02
ポリーニとポリーニ 02*11*26 「ポリーニ・プロジェクト2002」を締めくくる11月22日のリサイタルは、ショパン の前奏曲集とドビュッシーの前奏曲集第2巻という充実したプログラムだったが、さ らに、ショパンの夜想曲第9番と第10番が冒頭に加えられ、ドビュッシーの前奏曲集 第1巻の第10曲「沈める寺」と第7曲「西風の見たもの」、ショパンのバラード第1番 、夜想曲第8番、練習曲「革命」op.10-12がアンコールされるという、きわめて贅沢 な(そしてポリーニ好みのシンメトリーをもった)構成となった。 最初に言っておくと、この夜のポリーニも、若き日の完全主義に比べてみれば、い くつかの問題を感じさせたには違いない。 かつてほどの音量はなく、ミスも散見される。 コントロールが緩み、せかせかと前のめりになるきらいがある。 それでも、これほど多彩な曲目をライヴでこれほど見事に弾いてのけられるピアニ ストが、他にどれくらいいるだろうか。 特に、信じがたく美しい音色と豊かな響き、そして「ベル・カント」と言うほか ない歌。 それらは欠点を補って余りある感動を聴衆に与えてくれた。 決して完璧とは言えない、しかし、だからこそライヴならではの醍醐味に溢れた、 これは得がたい音楽体験だったと思う。 実のところ、ポリーニはショパンの前奏曲集を1974年に録音しており、淡々と しているかに見えて完璧に統御された見事な演奏ではあるものの、どうも教科 書的で、あまり面白いとは言えなかった(練習曲集に関する限りポリーニの19 71年の録音を凌駕するものはないのに対し、前奏曲集に関しては同世代ならさ しずめアルゲリッチの録音の方が生彩に満ちていると言えよう)。 ところが、この夜の演奏は、むしろしばしば前のめりになるのが気になるほど 生動感に溢れるものだったのである。
753 :
piko ◆FlwTom66rU :02/12/03 18:08
それにしても、なんと美しい音色だろう。 ほんの一例を挙げるだけでも、第13番や第17番の立体的な響きなどは、 かつて聴いたことのないものだ。 そしてもちろん第24番の凄絶なダイナミズム。 だが、それよりさらに素晴らしかったのがドビュッシーの前奏曲集第2巻 である。 ポリーニが1998年に録音した第1巻のディスクはまさしくブリリアントな ものだったが、この夜の第2巻の演奏はそれに勝るとも劣らぬものだ。 そもそも、これほど美しい音色は、とても録音でとらえられるものではない。 第1曲の音の霧に始まって、第12曲の音の閃光に至るまで、ありとあら ゆる色彩を帯びた音たちが魔法のように立ち昇って空間を満たす。 特に後半が見事で、第8曲の燦然たる水の戯れや第10曲のアラバスターの ような冷たい質感はまさに完璧だった。 そう、これほど美しい音をもってすれば、つねに前方に駆動しなくても音楽 が場力を失うことはないので、ポリーニの師でもあるミケランジェリが非情 なダンディズムをもってそうしていたように、ゆっくりしたテンポを平然と 維持していればいいのではないか。 だが、アンコールで弾かれた「西風の見たもの」の凄まじいダイナミズムな どは他のピアニストには求められないもので、この駆動力こそがポリーニの 魅力のひとつであることもまた認めなければならないだろう。
754 :
piko ◆FlwTom66rU :02/12/03 18:09
それにしても、「ポリーニ・プロジェクト」全体の最後ということもあって、 この夜のピアニストは疲れも知らず次々とアンコールに応じた。 ドビュッシーの次はショパンに戻る。 特に夜想曲第8番は玲瓏そのもので、冒頭の夜想曲が多少ぎごちなさを 感じさせたのを補って余りある見事な演奏だった。 だが、それよりも感動的だったのはバラード第1番である。 ポリーニが1999年に録音したバラード集は、特に多声的な構造を精密に 浮き彫りにした充実した出来栄えだった。 この夜の演奏もそのような精度を備えていたが、ライヴらしくいっそう ダイナミックになっている。 巨大なスケール、豊麗な響き、そして、あくまで「ベル・カント」で歌 われる歌。 安易なロマンティシズムを排して美しく磨き上げられた、しかし、圧倒的な 情熱をもって疾走するその音楽を聴いて、私は泣いた。 最後の方では多少のミスもあったものの、そんなことを一体誰が気にする だろう。 繰り返すが、現在のポリーニにもはやかつてのような完全主義は求めら れないかもしれない。 しかし、このピアニストは、ライヴならではの感動をわれわれに与えて くれる一人の演奏家となって、われわれの前に立っているのだ。
755 :
piko ◆FlwTom66rU :02/12/03 18:15
ジェシー・ノーマン――歌の賜物 02*11*26 ジェシー・ノーマンのライヴを聴いていると、人間は生きていても いいんだ、と思えてくる。 それほどの力をもった芸術が現存するとは、奇蹟と言うべきではないか……。 宮城聡がそんなことを書いていた。 私も20年以上にわたって折に触れ彼女の歌を聴いてきたのだが、時によって 多少の揺れはあるものの、結局、あの巨大な体躯(ジェシー高見山――とい うより小錦を思わせる、しかし古代彫刻のように威厳のある頭を乗せた身体) を通じて奇蹟のような声が迸るとき、やはり同じような感想を抱かずに いられないのだった。 彼女は今も一曲歌い切った後で「まあ、一体どうしたのかしら、私がこんなに 歌えたなんて!」という嬉しい驚きの表情を浮かべることがあるけれど、それ は決して自己満足的な演技ではなく、自らの身体を通過していった歌の賜物へ の素直な驚きと感謝なのだと思う。 こういうことを言うと、ノーマンが直観派・身体派の歌手であるかのように 誤解されるかもしれない。 だが、実は彼女ほどの知性派はいない。 今回の来日公演でも、ブラームス/マーラー/プーランク/R・シュトラウス、 ヴォルフ/ブラームス/ドビュッシー/ベルリオーズ、デュパルク/ヴォルフ/ ラヴェル/ファリャという、多彩なレパートリーから知的に選択された三種類の プログラムが用意された。 私が聴いたのは最初のプログラムだ。 中でまず驚いたのは、ブラームスとR・シュトラウスの軽やかでしかも精度の 高い歌唱である。 シュヴァルツコップ以来、これほどの歌唱を聴いたことがないと言えば、 誇張になるだろうか。 さらに、マーラーの「リュッケルトによる五つの歌曲」の巨大なスケールは、 ノーマンにしか求められないものだ。 第3曲「真夜中に」の抑制と最後の高揚、あるいは第5曲「私はこの世に 忘れられて」の深い諦観。
756 :
piko ◆FlwTom66rU :02/12/03 18:16
しかし、もっと驚いたのは、その後に雰囲気を変えるべく置かれたプーランクだ。 特に、ほとんど催眠的な弱音から入り、いざというところではリズミカルな 歌唱を見せる「ラ・グルヌイエール島」。 そして、ちょっとした小唄を小粋な小唄のまま巨大なスケールに拡大して みせる「愛の小径」。 むろん、その後のR・シュトラウスがそれほど面白くなかったというわけではない。 それどころか、アンコールの冒頭に歌われたR・シュトラウスの「献呈」の なんと素晴らしかったこと。 シュヴァルツコップの銀色に輝く「献呈」も私を泣かせたものだが、ノーマンの 炎のように燃え上がる「献呈」も私を泣かせた。 むろん、アンコールの三曲目、ノーマンが持ち歌として歌い続けているうち既に 宇宙的なスケールにまで膨れ上がった黒人霊歌「すべては主の御手に」を聴いて 泣かない者はいないだろう。 聴衆は泣き、カタルシスを通じて浄化される。 だが、それを擬似宗教的に解釈する必要はない。 シュヴァルツコップは、たしか、リートのリサイタルを聴く前と聴いた後では 人生が変わっているようであってほしいと言っていたが、ノーマンは現在それ が可能なほとんど唯一の歌手だというだけのことだ。 こうして、私たちはノーマンのライヴに足を運び、涙を流し、「生きていると いうのは素晴らしいことかもしれない」という思いを抱いて家路につく。 まさにそのことが奇蹟なのである。 ちなみに、ノーマンは、パリでは、昨年ロバート・ウィルソンの演出による シューベルトの「冬の旅」の舞台版を歌っており、今年はシェーンベルクの 「期待」とプーランクの「声」という二つのモノドラマを一夜で歌うという 力業にも挑戦した。 近い将来、日本でまたあの奇蹟の声を聴くと同時に、そういう実験的なパフ ォーマンスも見てみたいと言えば、貪欲に過ぎるだろうか。
「フランソワ・オゾンと女優たち」「橋口亮輔の実験」 は来週うぷします。
759 :
考える名無しさん :02/12/03 18:29
>>743 やあ、どうもありがとう。来年の一月か。
>>743 ハイビジョン収録だったからBS-hiの「クラシックなんとか」でもいずれやるだろうね。
前半のショパンは聞き逃してしまったけど、ドビュッシーだけでも充分堪能。
すごかったねぃ。ひさびさに音楽聞いた気がした。(実際久々なんだが)
pikoさん。 「NAMは始まらなかった」もお忘れなく。早く読みたいです。
762 :
考える名無しさん :02/12/03 20:30
>>743 _n
_、_ グッジョブ!! ( l _、_
( ,_ノ` ) n \ \ ( <_,` )
 ̄ \ ( E) ヽ___ ̄ ̄ ノ グッジョブ!!
フ /ヽ ヽ_// / /
763 :
考える名無しさん :02/12/03 21:30
>>Pikoさん _n _、_ グッジョブ!! ( l _、_ ( ,_ノ` ) n \ \ ( <_,` )  ̄ \ ( E) ヽ___ ̄ ̄ ノ グッジョブ!! フ /ヽ ヽ_// / /
おまえら _n _、_ グッジョブ!! ( l _、_ ( ,_ノ` ) n \ \ ( <_,` )  ̄ \ ( E) ヽ___ ̄ ̄ ノ グッジョブ!! フ /ヽ ヽ_// / /
761=764@setagaya
766 :
考える名無しさん :02/12/03 22:31
pikoさん、感謝!
>>720 面白かったですよ。欲を言えば、マイクの音が小さくて
声が聞き取りにくかった点を改善してもらえたら、なお良かった。
通路が近かったので、後ろの方は少しざわざわしてましたので。
浅田氏は、そのへんの本でもパラパラ見ながら時折こちらに
耳を傾けてもらえたらと実に浅田氏らしいことを言ってましたが、
二人の近くに陣取った人達は始終じっと視聴していました。
田中氏と浅田氏は、雑誌やウェブの憂国放談そのままに、明快で辛辣で、
話題は幼稚なブッシュ政権、小泉総理のサポート不足、竹中氏の擁護、
ダム問題、パークレンジャー、ネロ、長野県知事の任期問題、
北朝鮮、東京のオフィスビルの乱立、真のセキュリティ、大学の民営化、
「正義の為の戦いほど面白いスポーツは無い(笑)」
等々と多岐に及びました。週間ダイヤモンドの編集長も来てました。
康夫ちゃんは人参と林檎ジュース及び生姜汁により、現在5.5kgの
ダイエットに成功しているそうな。すごい。
ヤッシーがやせたのは石原某のせいとか言ってませんでしたっけ?(w
>>769 言ってましたね。老いてこそゴニョゴニョと。(w
半分冗談でしょうけども。
「ぼくはキムチが大っ嫌い!」はどういう文脈で出てきたの?
772 :
考える名無しさん :02/12/03 23:22
「他者」とどう付き合うか、という文脈。
康夫ちゃん、ほっそりしてたよね。 激務のせいもあるだろうな
774 :
考える名無しさん :02/12/03 23:47
>>774 面白かった、ありがと。
長いね、1時間以上あった。
777 :
考える名無しさん :02/12/04 17:55
浅田彰 「僕は基本的に2chのようなものを評価しないし、参加もしない。 単なる主観のセンチメントが重要なわけで、そんなものはクズみたいなものですよ」
779 :
考える名無しさん :02/12/04 18:58
778は荒らし
780 :
考える名無しさん :02/12/04 19:23
ここは、単なる主観のセンチメントが重要なインターネットですね。
>「他者」とどう付き合うか、という文脈。 他者とキムチ???
783 :
考える名無しさん :02/12/04 22:07
他者とキムチ 異文化の例でキムチってことかな? キムチうまいよー。 浅田さんは辛いものが苦手なのかなぁー。梅干しと甲乙つけられないよー。
主義思想の全く異なる相容れない連中が他者。 そういう人たちとどうつきあっていくのかが問題。 キムチなんて大嫌いだけどキムチ大好き韓国人=他者とも 共生しなきゃならないとかかんとか って感じじゃなかったでしたっけ?
785 :
考える名無しさん :02/12/04 22:19
>>784 12月1日はゆけなかったけど、浅田さんなら
きっとそう言うと思う・・・。
786 :
考える名無しさん :02/12/04 22:37
787 :
考える名無しさん :02/12/04 22:57
>786 それ東京のページでしょ?全国版にはまだ載ってなくない? でもNAM機構の解消って書いてあるね 事実上の解散?
788 :
考える名無しさん :02/12/04 23:01
翌日の読書会はどうなるんだろ?
789 :
考える名無しさん :02/12/04 23:53
浅田は初期はNAMを応援してたんだろ? いつから離れたんだ?
790 :
考える名無しさん :02/12/05 00:09
791 :
夜だねろら :02/12/05 00:24
こんな馬鹿連中みたこともないというのがあられもなくも 率直な現在の感想である。わたしは退会したのだが、 もし今のNAMのメンバーにいささかの廉恥心が残っているなら、 即刻の組織からの離脱もしくは、NAM自体の解散をお勧めしたい。 その上で、必要なら相談にのりましょう。
792 :
考える名無しさん :02/12/05 00:50
/ ̄ ̄ ̄ ̄\ │ヽ ヽ || \,,,,,,,,, │ ヽ|_ _ \ ミ| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ [ ー]-[ ー]一 6) < あれは柄谷さんがやっていることだから。 . l ・・ / \______ ヽ二 /
794 :
朝だかつら :02/12/05 01:42
hage
795 :
考える名無しさん :02/12/05 09:47
>>790 いいなー。京都でもあったらよかったのに。
イリイチの死を静かに悼む、彰。再評価に備えて著書の再読と資料の整理を始める、彰。
柄谷の死後は自分が横暴キャラを引き受けなければならないと柄でもなく思い始める初老の彰。 そしてブルワーカーで鍛え始める彰。
798 :
考える名無しさん :02/12/05 17:59
めがねのフレームが小さくなってく彰。
799 :
考える名無しさん :02/12/05 18:05
めがねのフレームが小さくなってく、と思ったら、実は自分の体が巨大化していってることに気付く彰。 そして照れくさそうに東京タワーに攀じ登り始める彰。 そして「白けつつもノルこと」の大切さをそこで語り始める彰。 で、ファンサービスで東京タワーの上部をへし折る彰。
800 :
考える名無しさん :02/12/05 18:31
批評空間サイト更新されたよ!チェックしる。
801 :
考える名無しさん :02/12/05 18:38
しかし。。。夫馬ひとりで 一日100件はNAMwebのカウンター打ってるんだろうなあ。。。 (藁
803 :
考える名無しさん :02/12/05 22:47
浅田スレにまでフマがどうとか書き込んでんじゃねえよウゼーナ
よびましたか?
805 :
考える名無しさん :02/12/06 00:52
フマを夫馬と書けずにフマと書く奴が夫馬(藁 <<803
806 :
ひろゆきのメルマガより :02/12/06 05:08
さてさて、前回のメルマガで、ネット関連で逮捕されるといろいろ大変っすよというのを流したんですが、 その数日後にさっそく、「***線を爆破する」とかいう予告を書いたおバカさんがいたですね。 そいで、警視庁から問い合わせがありまして、捜査関係事項照会書で 書きこみをした人のIPを教えました。 千葉県の某大手プロバイダーだったです。 ちなみに、2chでIPを取得する条件としては、 スレッド立てたときとか、電話番号書いたときとか、罠張ってるときとかありますので、 警察のお世話になりたくない人は、無茶なことをするのはやめましょうです。 いやぁ、今回の人はどうなるのかなぁ、、 んじゃ!
807 :
考える名無しさん :02/12/06 14:18
pikoピンチ
808 :
piko ◇FlwTom66rU :02/12/06 15:13
つかまりました。 あなたたちのせいです。 もうしんない。
また騙りかよ。トリップまで騙ってるバカ初めてみた (w
>>809 俺も初めて見たときは腰抜かしたよ。
こんな厨房、哲学板ぐらいにしかいないな。
トリップをコピペできるんなら意味ねーだろっての(w
●2ちゃんねるでIPを記録される条件 1 :心得をよく読みましょう :02/03/08 15:05 ID:wwocnFOz ・二重カキコや連続投稿に引っかかる ・1024バイトより大きい書き込み ・(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)が出る改行が多い書き込み ・電話番号書き込み(ひろゆきにログを添えてメールがいく) ・スレッド立てたとき(立てすぎですとは別のログ) ・BBS_SLIP=checkedのときは無条件で ・その他個別の罠に引っかかるとき 例:「別れさせ屋」 これ以外の普通の書き込みは連続投稿規制用に一時的に一部を伏せた ものを記録していますが一定書き込み後にサーバから完全に消えます
812 :
考える名無しさん :02/12/07 12:58
批評空間第W期、再開されないかなー。 太田出版でいいからさ。
813 :
考える名無しさん :02/12/07 17:37
批評空間もいいけど本を書いて欲しい…。 愛栗週二本と新著年一回だとどっちがいい?
今日の浅田の講演でなんかシャカシャカシャカシャカずっと音鳴らしてた奴と ガサガサ袋の音たてて何か飲み食いしてたオバハンがムカつきました
815 :
考える名無しさん :02/12/07 20:58
>>813 だからアキラは自在で身軽なスタイルでしか批評できないの!べつにこれを
誉めてるわけでもないけど、けっして貶しているわけでもない。
もうインターネットの時代に、作者の署名入りの分厚い書物なんかいらない
わけ。無数の匿名で非人称的な声ならざる声を相互に反響、干渉させあうこと、
いくぶんロマンティックに言えば、それこそが、目指されているわけなんですよ!
なんか小説書いてほしいよ 超衒学的なの 複数の歴史といろんなジャンルの芸術や思想が交錯しまくりみたいな 浅田だったらできる 更に一人で英仏独語に翻訳もする
817 :
考える名無しさん :02/12/07 21:24
>>816 うん、いいね。『ミル・プラトー』をさらに最大限加速させたような小説。
プルーストを越えてくれ、アキラ!
818 :
考える名無しさん :02/12/07 21:47
>>817 そう言えば、昔、中上健次が「浅田は小説を書け」って言ってて、ぼくは
笑ってたけど、いまにして思えばそれは正しいよ。書いてくださいな、
浅田さん。
819 :
考える名無しさん :02/12/07 21:51
>>817 プルーストだけじゃなくて、ライプニッツ、アリストテレスも越えてくれ。
820 :
考える名無しさん :02/12/07 22:02
いくら何でも買い被りすぎだ
ちょっとした思い付きをカキコしただけなのに、なんか以外に反応があるな・・・ でもよく考えたら浅田は臭いベタなメロドラマは書けないだろう よって小説は無理 ピンチョンみたいなのでも実は結構ベタベタトロトロだしね くだらないことができなさそうだし
たしかにベタな物語りは書かないと思うから、 F・シュレーゲルやブランショのやったような断章なんか書けばいいんじゃないか。 古今東西の小説・哲学などなどを踏まえて、ありとあらゆるジャンルをミックスしたハ イパーテクスト。で、デジタル・テキスト化して、 インデックスとかも重層的にくっつけて、 あらゆる読み方を許すような、そんなテクスト。
「構造と力」って外国でも出版されてるの?
>>820 さすがに冗談で言ってんだよ。でもマックスまでポテンシャルを使い尽くす
アキラはどうしたものだろう、と想像してしまうんだな、これが。
825 :
考える名無しさん :02/12/07 23:41
☆☆☆浅田彰カルトクイズ☆☆☆ 第一問 彰の誕生日を答えよ 正解者が出たら第二問に進む。
826 :
考える名無しさん :02/12/07 23:47
>>823 出てないけど、アキラの海外輸出にかんしては、
New Left Review 5 (Sep/Oct 2002) という雑誌で、
戦後日本の左翼思想をマッピングしながら、自分の本もそこに含め、
アキラ自身がインタヴュー形式の解説テクストを寄せているから、
参考になると思う。
Asada Akira: A Left Within the Place of Nothingness
Japans Left is the least known of any major state,
outside its own borders. Asada Akira situates it
in a wide-angled panorama of his country:
Japanese political, philosophical and cultural life
from inter-war days to the dissatisfied, postmodern present.
http://www.newleftreview.net/NLR5.shtml
827 :
考える名無しさん :02/12/07 23:57
828 :
考える名無しさん :02/12/08 00:04
>>826 最近こんなの書いてたんだ。教えてくれてありがとう
今調べたら大学にこの雑誌置いてあるみいたいなんで読んでみます
829 :
考える名無しさん :02/12/08 00:08
830 :
考える名無しさん :02/12/08 00:11
読みたいけど、金かかるんだね…
書誌情報をミスりました。ごめんなさい。 ただしくは2000年です。 New Left Review 5 (Sep/Oct 2000)
>>825 3月23日
ところで、ぼくは何で知ってるんだろう? ほんと自分でもわかんねー。
あっと、言っておくけどストーカーとかアキラ・マンセーとかじゃあないから。
ちなみに坂本龍一は1月18日・・・いや、17日か・・・?だから、いちいち
覚えんなよ、オレ!
833 :
考える名無しさん :02/12/08 09:24
834 :
考える名無しさん :02/12/08 11:19
835 :
考える名無しさん :02/12/08 11:21
836 :
考える名無しさん :02/12/08 15:01
>>832 正解!おめでとうございます1ポイント!
昭和32年3月23日ということで、シンメトリーに
なってるんですね。おぼえやすいですね。
では次の問題
837 :
考える名無しさん :02/12/08 15:04
☆☆☆浅田彰カルトクイズ☆☆☆ 第二問(難易度★★) 次の一文は彰のどの著作の中にあるでしょうか? 「そしたらわが愛すべきゲイボーイズは一体どうすればいいんだ!」
838 :
考える名無しさん :02/12/08 18:20
>>837 『さぶ』、いや、違うか・・・、うーん、『薔薇族』・・・どっちだったか
教えてくれよ!
839 :
考える名無しさん :02/12/08 18:32
840 :
?U¨?1/2 :02/12/08 19:56
普通に逃走論だろ
841 :
考える名無しさん :02/12/08 20:17
逃走論のどこ?
842 :
考える名無しさん :02/12/08 21:22
山本哲士「消費のメタファー」 書評
843 :
考える名無しさん :02/12/08 21:40
うーん奥が深い。
844 :
考える名無しさん :02/12/08 22:06
若々しい一文だな(w
845 :
考える名無しさん :02/12/08 22:15
いまでは浅田が山本哲士の本の書評を書いていたということが信じられないね
846 :
考える名無しさん :02/12/08 22:16
イリイチも亡くなったし、、ね
847 :
考える名無しさん :02/12/08 22:19
文脈をおしえてくらはい
848 :
考える名無しさん :02/12/08 23:11
第三問作成にてこずる彰。
849 :
考える名無しさん :02/12/09 03:02
練習曲集に関する限りポリーニの1971年の録音を凌駕するものはないし ↑ これは一九七二年の録音ではないのか?
850 :
考える名無しさん :02/12/09 03:21
俺もそこは突っ込みたくなった。ケアレスミス? しかし、ポリーニ。ヴィデオで見たが、彰が泣いたという バラード一番をカットしてんでやんの。ざけんなよNHK。 金払ってねーけど。
851 :
考える名無しさん :02/12/09 03:40
>>850 そうなんですか。では
今度BS2でも放送するそうですから、その時にはその部分も
放送してもらえるようにNHKに電話で要望したらどうですかね。
言い出しっぺの私がしましょう。
まあ期待はしないで、ということで。
ところでお金は払いましょう・・・NHK赤字みたいですよ。
今どき貴重な教養ある放送局だから、無くなっちゃったら困りませんか?
852 :
考える名無しさん :02/12/09 03:58
スレ違いだし荒れても困るから一言だけ。 NHK無くなると確かに困るが、金を払う必要は全く無い。以上 電話、たのむよ。ついでに冒頭のノクターンも追加するように言ってみて。 ったく、鈴木光司とか岡部真一郎の話なんかどうでもいいから コンサートを全部放送しろっての
↑お前みたいなカスのせいで曲がカットされたのかもな お前、何で金払わねーんだよ?その程度の社会参加も できないわけ?だからいつまでたってもクズなんだよw 浅田も呆れるだろうよ
854 :
考える名無しさん :02/12/09 06:24
NHKに金払ったくらいで社会参加した錯覚に陥る自分がいやなので NHKには金を払わず、 自分が社会参加していないことに 自覚的であることを選びました。
855 :
考える名無しさん :02/12/09 07:59
柄谷ふうな論理だな。
856 :
考える名無しさん :02/12/09 08:30
やっぱり彰クンは決定的に体力が足りないんだよ。 フィジカルがない人間はやはり断念か死しかないんじゃないか。 もし彼が漏れくらいの体力を持っていたら。
857 :
考える名無しさん :02/12/09 09:32
Aquiraxって何?
858 :
考える名無しさん :02/12/09 10:07
>>856 とやや関連するんだが、彰タンは暴力についてどのような
スタンスを取っているの?原理主義とか軍隊とかではなく所謂
ケンカとか。もし彼が縛り上げられて殺されかけたらどのような
態度を示すのだろうか。安楽死ではない痛い死が目の前にある。
>854馬鹿なチンピラが振り回してそうな言い逃れ 柄谷に言ってみろ、こんな奴ただのクズだって言われるさ
「チンピラ」って・・
861 :
考える名無しさん :02/12/09 16:46
>浅田も呆れるだろうよ >柄谷に言ってみろ、こんな奴ただのクズだって言われるさ 宗教っぽい馬鹿が一人いるようですね(w 実はこういう香具師が一番彼らに嫌われる(w
862 :
フフフフフフフフフフフフフフフッフ :02/12/09 22:17
>858以前、彰君をG.I.S.M.のSAKEVIさんと対談してもらおうと思った ことはあったよ。。。
てゆーかNHKの金も払わないようなゴミクズは即刻逝け
864 :
考える名無しさん :02/12/09 23:58
NHKの集金おじさん、大変ですね(アワレ
>>864 でも給料けっこういいらしいよ。
ストレスはたまるみたいだが。。。ゴミクズねえ(プッ
NHKの金ごとき払えんとは、ヒキコモリジジイは大変だな 852みたいな寄生虫は まずは自分がやるべきことやれっての NHKに文句垂れようなんて100年早いんだよw
↑死ぬほど恥ずかしい
869 :
考える名無しさん :02/12/10 02:24
いや正論かもしれんよ?
スケベイスってあるじゃん。 アレさ、ああいうのもどこかの工場とかで作ってるわけだよね。 そう、スケベイス工場。 多分そんなにでっかい工場じゃないんだろうけどさ、一応プラスティックとか加工できる設備があるの。 んで、そこにはスケベイスを作るための機械があって、一日何千個とかスケベイスを生産してるわけ。 スケベイス生産機。 んで、スケベイスの企画会議とかもあるわけだ。 スケベイス会社の重役が集まってさ皆、実際に試してみたりするのかな? 企画した社員は「中心のくぼみを大きくすることでより高度なプレイが・・・」とか解説したり。 で、話は前後するけど、スケベイス工場にも工場長はいると思うんだよね。 スケベイス工場長。 彼はスケベイスの売り上げで家族を養ってるんだろうね。 そして毎朝彼のプランとかそういうのに従ってスケベイスが生産されていくの。 彼の号令一過、ラメとかはいった色とりどりのスケベイスがベルトコンベアを流れていくの。 壮観だろうね。 スケベイス工場長はその時何を考えてるのかな? そんなこと考えてたらさ、なんだか自分がちっぽけな存在に思えてきたわけよ。 まあ、それだけなんだけどね。
>869 どう考えても正論だよ。。。やることやらずに 権利だけ主張すんのはDQSのやることでしょ。。。
872 :
考える名無しさん :02/12/10 17:04
>>871 どう考えても正論?足りないアタマをもっと使ってみては??
糞マジメに金をはらおうが、集金ジジイをシカトしようが、
結局NHKがショパンのバラード1番を放送することはないのである。
それより、スケベイスについて考察したほうが有意義には違いない。
NHKの集金ジジイの仕事にさえ落ちてあり付けないのが夫馬裕明の実態 @禁治
874 :
考える名無しさん :02/12/10 18:12
今週は「ディックとスピルバーグ」「イーストウットの『ブラッド・ワーク』」 彰ちゃん、また泣いちゃいました。
↑イーストウット× イーストウッド○
>>872 だから何で当然のことしないの?
NHKが何を放送しようがお前なんかに口出し
される権利ないってのw
つまりこいつは乞食と同じ、人様の稼ぎに
たかってるんだからね
NHKだってお前以外の他人の税金で運営してんだから
お前なんか何の役にも立たないんだからせめて
バイトでもして、まずやることやれや
↑ノイローゼのようです。
フランソワ・オゾンと女優たち 02*12*03 芸達者なゲイ(ゲイ達者?)を挙げるとすれば、映画界ではペドロ・アルモドバル と並んでフランソワ・オゾンも上位にランクされるだろう。 たとえば、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの戯曲を映画化した「焼け石に 水」(2000年)は、当時の風俗を取り入れながら現代的なポストモダン・スタイル でまとめてみせた映画で、これに比べるとファスビンダーの毒がやはり本物だった とわかるとも言えるけれど、裏を返せばオゾンがいかに器用に人工的な世界を作っ てみせたかということでもある。 そのオゾンの近作2本が日本で公開されている。 ひとつはシリアスな心理劇で、長年連れ添った夫を突然失った女性を描く「まぼろ し」(2001年)。 もうひとつはコミカルな探偵劇で、雪に閉ざされた家で主人が殺され8人の女性が容 疑者になるという「8人の女たち」(2002年)。 男性の不在という共通点を除けば、まったく対照的な作品だ。 「まぼろし」では、かつてルキノ・ヴィスコンティの「地獄に堕ちた勇者たち」 (1969年)で忘れがたい印象を残したイギリス人シャーロット・ランプリングの 無限の悲哀を湛えた眼差しが、一見シンプルなドラマにただならぬ説得力を与えている。 そう、これはまさしく彼女のために撮られた映画なのだ。(オゾンは現在もラン プリングを主役に「スイミング・プール」という新作を製作中だという。)
他方、「8人の女たち」では、ダニエル・ダリュー、カトリーヌ・ドヌーヴ、ファニ ー・アルダン、イザベル・ユペール、エマニュエル・ベアール、ヴィルジニー・ルド ワイヤン、リュディヴィーヌ・サニエ、そしてフィルミーヌ・リシャール――フラ ンス女優の中のフランス女優を集めたと言っていい豪華な面々が、ミュージカル仕 立てのシーンも交えながら、あくまでも軽やかで表層的な世界を作り出す。 たとえば、ファニー・アルダンが、スタイリスティックスの「愛のすべて」(1975 年)のフランス版を歌いながら、チャールズ・ヴィダーの「ギルダ」(1946年)の リタ・ヘイワースにならって踊るシーン、あるいは、カトリーヌ・ドヌーヴと彼女 (どちらもフランソワ・トリュフォーの恋人だったことがある)が掴み合いながら 床を転げまわり、それがやがてキスと愛撫に変わっていくシーンの、何とゴージャ スなこと! イザベル・ユペールをあえてガチガチのオールド・ミスに仕立てておき、フランソワ ーズ・アルディの「告白」(1973年)にのせて内心を吐露させるところ(ロバート・ ウィルソン演出の「オルランド」に出たときの形式化されたジェスチュアを流用して いる)なども、実に手が込んでいる。 また、女中役のエマニュエル・ベアールが、いわば9人目の女優として故ロミー・シュ ナイダーの写真(それだけがモノクロームの)をポケットに忍ばせているという心憎 い演出、そして、彼女が結い上げていた髪を下ろすシーンの、見え透いた、しかし抗し難い魅力。 最後に、戦前からのキャリアをもつダニエル・ダリューがいちばん若いリュディヴィ ーヌ・サニエを抱きながらジョルジュ・ブラッサンスの「幸せな愛はない」(1965年) を歌い、女優たちが優雅に踊るシーンに至るまで、この人口の夢の世界はあくまで華やかだ。 それにしても、一方でイギリス人女優を使ってシリアスなドラマを撮り、他方でフラン ス人女優の花形を揃えてキッチュなコメディを撮るとは、1967年生まれの監督にしては 大変な力量と言うべきだろう。 さて、現在の日本にこれだけの「芸/ゲイ達者」がいるだろうか。 それよりも、「カワイイ」路線で少女アイドルを使い捨ててきた日本で、これだけの 女優を揃えることができるだろうか。
橋口亮輔の実験 02*12*03 橋口亮輔は決して器用な映画監督ではない。 むしろ、彼は、自分がゲイであることに時代遅れとも見えるこだわりをもち、 映画でもそうした問題を追及し続けてきた。 デビュー作「二十歳の微熱」などは、確かに誠実に撮られてはいるものの、 いくつかの修羅場をはじめ、ほとんど正視に耐えない部分を含んでいる。 だが、第二作「渚のシンドバット」から第三作「ハッシュ!」にかけて、こ の監督は長足の進歩を遂げてきた。 最近ヴィデオ化された「ハッシュ!」を見直したのだが、ドラマに関する限り、 細かいところまで実によく考えられている。 中心になるのは、直也(高橋和也)と勝裕(田辺誠一)のゲイ・カップルと、 朝子(片岡礼子)という女だ。 直也は、「ゲイである」ことに開き直り、孤独な生活を送るのも仕方がないと 割り切っている(そのわりに捨てられた子犬のような目で相手を見上げてしま うところが面白い)。 勝裕はゲイであることを隠している優柔不断なマジメ人間で、直也に引きずら れっぱなしだ。
そこへ朝子がやって来て、子どもを作りたいから勝裕に精子を提供してほしいと言う。 むろん直也はすぐ断るように言うのだが、勝裕はなかなか朝子を切り捨てられない。 心理的水準では、勝裕はたんに優柔不断な「いい人」に過ぎないだろう。 だが、あえてドゥルーズ的に「生とは実験である」と言ってみるなら、勝裕の 躊躇は「ゲイになること」と「父親になること」という一見両立不能な選択肢 を同時に肯定したいという生産的な意味を持つとも言える。 さらに面白いのは、監督がこうした三人の青二才の「実験」を、容赦なく「世間」 の批判にさらすところだ。 直也の母と勝裕の兄夫婦が押しかけてきて修羅場になるところはなかなかの見もの で、母親(富士眞奈美)、そして特に兄嫁(秋野暢子)の迫力は強烈だ(兄嫁が 朝子に「あなたは母親にはなれません」と断言するとき、われわれは思わず「そうだ、 その通り!」と思わずにいられない)。 そういう「世間」の圧力にさらされてなお続行されるからこそ、三人の「実験」に 不思議なリアリティが生まれるのである。 自分にとって切実な問題を一貫して追い続けることでここまで到達した橋口亮輔の 力量に、またそこから生み出されるだろう新たな作品に、観客として期待を寄せたいと思う。
883 :
考える名無しさん :02/12/11 03:36
>877 典型的な2チャンネラーというべきか?
まあ、日常生活でよほど鬱積してるものがあるんでしょ。 漏れはNHK見てるし受信料金も払ってるけど、払ってない人に クズとか言いたくないね。
886 :
考える名無しさん :02/12/11 10:21
>>878-881 ありがとー。面白かった。
フランソワ・オゾン、橋口亮輔、観たくなった。
_、_ グッジョブ!! ( ,_ノ` ) n  ̄ \ ( E) フ /ヽ ヽ_//
別にいいんだけどね 浅田が褒めてるからこの映画見たくなる、というのはどうも・・・ 蓮實なら何故か許せるんだが オゾンも橋口も一応有名なんだし
889 :
考える名無しさん :02/12/11 20:18
なんか浅田って人の悪口しかいえないバカっぽいね こういう奴は、いっぺんボコボコにされたほうがよい たかが学者で社会にとっては必要ない存在なんだから、調子にのんなガリメガネ
890 :
考える名無しさん :02/12/11 20:34
>ガリメガネ、ってあんた (W
891 :
考える名無しさん :02/12/11 21:25
892 :
考える名無しさん :02/12/11 21:45
急募!芸のあるレス求む
893 :
考える名無しさん :02/12/11 23:01
「ハッシュ!」は文句無く面白い。 俺は浅田さんの映画評、信頼できると思うな。
じつはゴダールなんか大嫌いな彰
分かってるだろうが。。。 彰はあーいうふうに強がんないと生きていけないのだよ。。。
子供のころ、ひどいイジメに遭ったタイプ…
897 :
考える名無しさん :02/12/12 10:31
ところで、東浩紀スレはどこいったの?
898 :
考える名無しさん :02/12/12 17:18
革ジャンをヤフオクに出品する彰
899 :
考える名無しさん :02/12/12 23:06
音楽の手帖 交叉点に立つポリーニ やたらと技巧的な曲を機械的に弾いてのけるだけでヴィルトゥオーゾともてはやされるピアニストが いるかと思えば、一つ一つのフレーズにやたらと意味や感情を込めてみせることで深い解釈をしている と言われるピアニストもいる。ポリーニはそのいずれでもない。彼は、磨き抜かれた一音一音から、一 分の隙もない音の構造体を屹立させる。完璧に構築され、過剰な意味や感情を付加されることのない その裸形の構造体こそが、スコアに潜在していた音楽のイデーを最も見事に体現することになるという わけだ。 一九六〇年にショパン・コンクールに優勝しながら、直ちに演奏会活動を展開することなく、更に 八年に渉って研鑽を積んだポリーニが、一九七二年にショパンの練習曲集やストラヴィンスキーの 「ペトリューシカ」等の録音を発表したとき、その圧倒的な完成度は世界中の聴衆を打ちのめしたと 言ってよい。その後も、ポリーニは、決して焦ることなく、十分な時間をかけて研究を重ねながら、 レパートリーを少しずつ拡大していった。 もっとも、今年六〇歳になるポリーニが近年なかなか難しい地点にさしかかっていることは事実だろう。 かつての若き完全主義者は、円熟した巨匠になることが出来るのか。近年のベートーヴェン等の演奏を聴く と、若い頃の完全主義がやや影を薄め、人間的な感情の揺れが表に出てきているものの、かといって、往年 の巨匠たちのようなたっぷりした懐の深さはまだ感じられないと言った、聊か中途半端な印象を受けること もある。それだけに、併し、ポリーニのライヴはますます目の離せない体験になってきているのだ。
900 :
考える名無しさん :02/12/12 23:06
そういう意味でも、一〇月から一一月に欠けて東京で開かれた「ポリーニ・プロジェクト 二〇〇二」は、 極めて興味深いイヴェントだった。一九九五年のザルツブルグ音楽祭から始まった「ポリーニ・プロジェクト」 ーー彼自身の選曲による連続演奏会の試みでは、スタンダードなピアノ独奏曲以外にも、古学から現代音楽に 到るまで、室内楽曲や協奏曲も含めて、様々な音楽が取り上げられる、勿論、ポリーニの立場は、音楽史の 傍流に追いやられてきた知られざるロマン派の作曲家を再発見すると言った反動的なリヴィジョニズムとは 程遠い。一八〜十九世紀の音楽を特権化せず、それ以前や以後の音楽ーー然もモダニズムの観点から見て最も 興味深く質の高い物を積極的に取り上げる。例えばルネサンスやマニエリスムのポリフォニーに対する関心。 それはポリーニの親しい友人だった作曲家ノーノなどとも共通するものだ。そのノーノやシュトックハウゼン をはじめとする二十世紀の音楽の作品の演奏にかけて、ポリーニの右に出る者はいないだろう。こうして、 ピアニストとしてのキャリアの転換点にさしかかったポリーニは、音楽史の交叉点に身を置き、併し決して 安易な相対主義に流されることなしに、自らの、そして二十一世紀の音楽の方向を、慎重に見定めようとして いるのだ。 今回の「ポリーニ・プロジェクト」は九回のコンサートと二回の講演会からなる大規模なプロジェクトであり、 そのうち四回のコンサートを聴いただけの私にはプロジェクト全体を評価することは出来ない。ここではとり あえずその四回のコンサートを振り返りながらポリーニの現在を考えてみたいと思う。
音楽のイデーってスコアに潜在してるのか。
902 :
考える名無しさん :02/12/13 02:11
学者って勉強はできるけど社会的実践としては何もしてない。 大学の授業とかもお仕事だからイヤイヤやってるだけだしね そのくせ自分はなんでも知ってるみたいな知的武装による自己弁護だけは異常にうまいわな(w やつらを持ち上げてる哲学ぶったバカどもの責任でもあるけどね 負け犬どもは死んでくれ
ヒキコモリで株とかに手を出して(しかも親の金ガメテ) ものの見事な禁治産とかいるでしょう?特に2ちゃんとか哲板でも。 そのような下のカスなんかと比べたら、学者は実践は下手かもしれないけど ちゃんと社会的な存在意義は充分だよね。 なんらかんらいって馬鹿な因縁つけてくるヤシは、どうせ最悪の 馬鹿な負け犬なんだから、無視するに限るよ。 アドバイスするけどさ。
904 :
考える名無しさん :02/12/13 11:46
902=NHK集金ヲヤジ
実践実践って実践の周りには常に批評性が不可欠なのに。
906 :
考える名無しさん :02/12/13 13:37
禁治産に批評はない
907 :
考える名無しさん :02/12/13 14:02
集金でもまだ仕事があるほうがマシだ。人間として 禁治産者に批評はない
908 :
考える名無しさん :02/12/13 14:11
>>908 意味不明ですが。
907は2ちゃんに書くことがもしかしてお仕事の方でしょうか?
911 :
考える名無しさん :02/12/13 14:17
2ちゃんに毎日書いてるとお金もらえるの? それが仕事として認定されているのだろうか? そりゃあすごいや。 障害者でもそれくらいの仕事なら出来るのかもしれない。 こんど提案しておこう(w
912 :
考える名無しさん :02/12/13 14:18
913 :
考える名無しさん :02/12/13 14:20
914 :
考える名無しさん :02/12/13 14:21
集金でもまだ仕事があるほうがマシだ。人間として 禁治産者に批評はない
916 :
考える名無しさん :02/12/13 14:27
917 :
考える名無しさん :02/12/13 14:36
918 :
考える名無しさん :02/12/13 14:37
920 :
考える名無しさん :02/12/13 16:11
>>918 何も考えずに請求された金を払うんですね。
マジメなイイコですね。浅田さんも誉めるんじゃないかな。
921 :
考える名無しさん :02/12/13 17:16
おまえらつまらんこと話し合ってるな
922 :
考える名無しさん :02/12/13 20:57
こういうのは話し合いとは言わないの。 強いて言えば、追い払い。
923 :
考える名無しさん :02/12/13 23:46
>919,920 なかなかの負けずきらいとお見受けしたが?
924 :
考える名無しさん :02/12/14 00:11
どーでもよくねえ? 漏れ?払ってませ―ン
925 :
考える名無しさん :02/12/14 04:29
堤幸彦の『愛なんていらねえよ夏』DVDBOXが先月23日に発売された。 正直彼の作品は過激な描写と劇的な展開により一般に敬遠されがちな要素の集合であることは否めない。 かくいう私もはじめて彼の作品(それは『池袋ウエストゲートパーク』というこれもテレビドラマだった)に接した時、いくらか鈍い眩暈のする感覚を覚えたものだ。 しかし思い返せばその眩暈こそが堤幸彦の真骨頂であり演出効果というべきものではないか。 そう至るときそれまで見てきた映像情報の全体が洪水のように眼から身体全体へと行き届く眩暈であったことに気付くだろう。 そう、堤がほとばしる映像群に感じるあの鈍さはわれわれの生の愚鈍さの生き写しとでもいうべき反射鏡のようなものではなかったか。これは近年まれにみるスリリングな演出だといってもいいのではないか。 そういったことを背景に私はいくつかの場所で堤幸彦を一般言説に逆らって評価したことは今も認めよう。
926 :
925のつづきさ :02/12/14 04:31
ところがこの演出監督は新作ドラマ『愛なんていらねえよ夏』において劇的な転回を迎えてしまったように思える。 この作品のスト―リーはこうだ。 主人公は新宿に君臨する捨子のトップジゴロであり、欲望と原点を失った言わば嗅覚のない犬の象徴でもある一人の男が、 もう一人の主人公である盲目の(光を失った!? マラルメの転回として)少女の財産を狙って行方不明の兄として近づき、 その周囲の人間との変化を克明に追うというものだ(この点で既にドラマストーリとは言えないシカケがしてあることに気付くだろう)。 この女性が眼の見えない鳥の象徴であることは愚鈍がすぎるといえば過ぎる滑稽さが見えるのだが、あえて付しておこう。 この愚鈍ともいえる愚直なまでの滑稽な設定。そこから一体何を生むのか。それは私ならずとも多くの人が共有した思いであったに違いない。 というのも、こういった設定こそ堤が避けてきた主題ともいうべき基調低音でもあったのである。 (つづく)
文章の感じがちょっと違うような気がするけど。
まどろっこしく感じる。。。
930 :
考える名無しさん :02/12/14 14:38
931 :
考える名無しさん :02/12/14 15:19
930知ってる
932 :
考える名無しさん :02/12/14 17:15
>>925-926 普通にマネしてるみたいで怖い。古谷じゃないんだから。もっと笑わせてくれよ(w
933 :
考える名無しさん :02/12/14 17:50
ぷちメディア
934 :
考える名無しさん :02/12/16 00:18
無責任なダジャレを言い続ける荻野アンナとそれほど違わないような
935 :
考える名無しさん :02/12/16 02:16
ランボーだよね(笑)
936 :
考える名無しさん :02/12/16 05:48
>> 926 ちょとへたくそだね。
へへやんぐです
☆。:.+: . /■\ .. :. ( ´∀`) 新曲の発表です 名づけて / ̄ヽ/,― 、\ o。。。 「比ヤング、深夜に、泣きながら」 .:☆ | ||三∪●)三mΕ∃. .:* \_.へ--イ\ ゚ ゚ ゚ +:..♪.:。゚*.:.. (_)(_) ☆。:.+: ☆。:.+::.. ☆:.°+ .. : 。*.:☆゚x*+゚。::.☆ο::.+。 *ρ 「深夜のスレに〜♪」 「泣きながら〜♪」 /■\ /■\ /■\ ( ´∀`) ( ´∀`) ( ´∀`) ⊂ つ⊂ つ⊂ つ .人 Y 人 Y 人 Y し'(_) し'(_) し'(_)
939 :
考える名無しさん :02/12/16 15:50
古谷って誰?
しかし恐ろしいのはこの場に及んで実は夫馬裕明がまだ物書き志望を妄想している事だ(藁
ディックとスピルバーグ 02*12*10 スティーヴン・スピルバーグの「マイノリティ・レポート」が日本でも公開された。 ハリウッドならではの映像を堪能できる2時間25分もの大作だ。 しかし、いささか長すぎるという気もしないではない。 前半のようなSF活劇に徹して、1時間半くらいの娯楽作品に仕上げた方がよかった のでは(な)いか。 他方、本格派の大作映画にしたいなら、フィリップ・K・ディックの原作短篇の 論理的核心をもっとまともに扱うべきだった。 この点について、簡単に述べておこう。 これは、未来予知能力者(プレコグ)を活用した犯罪予防局がつくられ、 殺人事件がほぼ無くなった未来の話だ。 未来の殺人の予知に基づいて、潜在的な殺人者を前もって拘禁する。 ということは、予知によって未来が変るわけだが、この段階ではそれが複雑な 問題をもたらすことはない。 問題が複雑化するのは、犯罪予防局に務めるアンダートン(トム・クルーズ)が、 自分が殺人を犯すという予知情報に触れ、それによって自分の未来の行動を変え ようとする時だ。 原作の場合、そこで彼が発見するのは、3人のプレコグのうち2人が「アンダート ンが殺人を犯す」という多数報告(マジョリティ・レポート)を出しているのに 対し、1人は「殺人を犯さない」という少数報告(マイノリティ・レポート)を 出しているということだ。
しかし、事態をさらに突っ込んで見ていくと、3つのレポートが同じ次元のもの ではないことがわかるだろう。 まず、アンダートンが殺人を犯すという一次レポートがひとつある。 次に、アンダートン自身がその一次レポートを見たため殺人を犯さないという 二次レポートがひとつある。 だが、二次レポートに接し、そのようにして予言を裏切れば自らが生涯を 捧げてきた犯罪予防制度の信頼性を突き崩すことになると知ったアンダートンは、あえて殺人を犯す。 もうひとつのレポートは、それを予知したいわば三次レポートだったのである。 その意味で、同じ次元の多数報告と少数報告があったのではなく、三つすべてが 時限の違う少数報告だったというわけだ。 自己再帰的なフィードバック・ループによって予知が未来を変えるという問題から、 ディックはこういう螺旋状の論理を組み立ててみせたのである。 スピルバーグにそのような論理はなく、したがって「マイノリティ・レポート」 というタイトルも十全な意味を持たない。 中間のクライマックスにおけるアンダートン、そして、最後のクライマックスに おける彼の上司(マックス・フォン・シドー)が演ずるのは、人間は自由意志に よって予言を裏切ることができるという凡庸で安易なヒューマニズムのドラマでしかないのである。 むろん、私はそのことでスピルバーグを批判しているわけではない。 ややこしい論理などは捨ててSF活劇に徹するというのも、ひとつの選択だろうからだ。 繰り返すが、問題は、その活劇が後半になって間延びし、そのくせ論理が深められることもなく、 前作「A.I.」と同じように取ってつけたようなハッピー・エンドで締めくくられるところにある。 ある意味で、「A.I.」以来、スピルバーグは完成された商品としての映画を 放棄しているとさえ言えるのではないか。 実を言うと、私自身の現在の関心は、そういうスピルバーグの「壊れ方」にあるし、 その意味で新作もなかなか面白く観ることができたのだが。
943 :
考える名無しさん :02/12/18 08:03
>>942 ありがとうございます
ところで、「イーストウッド」も読みたいので
今度、お願いします
944 :
考える名無しさん :02/12/18 08:48
たまたま立ち寄った者で浅田とどのような関連があるか不明だが、942氏 の分析面白かった。 「シンドラーのリスト」についても、この版に登場する高橋、鵜飼など「ショアー」 上映にかかわった哲学畑の人たちは、否定的に評価していた。 平板なヒューマニズムに堕している点が不満なようだった。これもハリウッド 作品の娯楽映画的宿命と深刻なテーマとのあいだに齟齬をきたしてしまった例 なんですかね。
945 :
考える名無しさん :02/12/18 08:58
944は携帯ももってないのか?
946 :
考える名無しさん :02/12/18 10:02
人間においても、コンピュータにおいても、思考や認識などの情報科学的営為において重要な基本要素となっているものが 「言語」であるという点は、おおむね一致している。コンピュータの場合は、処理に要する言語はすべて人工言語であり、 これを研究することはたやすい。だが人間の場合、言語と世界、言葉と物の関係を論ずることは常に困難がつきまとう。 なぜならそれらの関係は、きめられたプロトコルに基づいてしつらえられたものでも、一定の原理によって説明できる固定されたものでもなく、常に流動的に、ゆらめきながら変化する、そしてわれわれ自身がそれによって思考する、微妙でパラドキシカルなものだからである。
947 :
考える名無しさん :02/12/18 10:03
フーコーの研究は、こういった関係論にせまる。知を構築する役割を演じるもの、認識を組み上げ、世界を構成するための要素。それは、歴史の中で常に変転する。
948 :
考える名無しさん :02/12/18 10:04
フーコーによれば、16世紀末までの西欧文化、いわゆるルネッサンス期のヨーロッパにおいて、この関係論を決定づけるキーワードとなったのは、「類似」という概念であった。 この時代、人間が世界を認識する像である表象は、常に世界にあるものの模写にほかならなかった。言語は世界の鏡であり、世界は世界自身に「巻きついていた」。 言葉と物は、両者が同じレベルの存在として世界に散在しており、そしてそれらは、「類似」という関係によって結びついていた。 言葉は世界にある物と共存し、知は世界に隠された類似のシステムを解明するために言葉をつむぐ。 世界に有るものと語られた言葉は無差別に知の空間にあり、項目と項目は類似というチェーンによって互いを指示しあう。言ってみれば世界はひとつの階層型データベースを構成していた。
949 :
考える名無しさん :02/12/18 10:05
この「類似」という概念には多くのタイプがあるが、フーコーは特に、「適合」「競合」「類比」「共感」という4つの主要なタイプについて説明している。 これらは、類似という関係を導き出すために必要な要素であって、人間が「類似」という関係を見いだすための、一種の法則ないしは規約ともいうべきものである。
950 :
考える名無しさん :02/12/18 10:08
最初にあげている「適合」という形象は、場所・位置に関する関係である。 人間精神の中で、隣接の位置にあるもの、たがいに接近し接触しているものの間にこの関係が生じる。 人間は世界の中で、さまざまな物と物との隣接の連鎖を構築してゆく。 当時、水の中には地上における動物などと対応するだけの数の魚がおり、また水の中と地表には天上の諸存在に対応するだけの存在があったとされていた。 異なったさまざまな存在は、近接のチェーンによって互いを指示しあい、適合という類似の世界を組み上げてゆく。「植物は動物と、陸地は海と、人間は彼をとりまくあらゆるものと通じあう」。
951 :
考える名無しさん :02/12/18 10:13
第二の類似の形象は、「競合」という形式によって規定される。 競合は、位置という関係の束縛から解放された適合である。 この関係において、連鎖は円環となり、世界に散在するものは互いに答えあう。空は表情をたたえることで人間の顔と対応し、大地を覆う草はその霊的原型である夜空の星々と対応する。人間の精神の内部は、その叡知によって「世界の秩序」に対応する鏡としての地位を獲得する。
952 :
考える名無しさん :02/12/18 10:15
三つ目の形象は、「類比」である。 この類比――アナロジーというタイプは、きわめて強力な類似の形象である。 「類比」は、時として「適合」や「競合」を包含する。 それは、視覚的な相似を超越し、関係そのものの相似において生じる。 したがってこれは、きわめて身軽に機能する。 「夜空と星」は、一方が他方の場となり、包括するという関係を提出するが、この関係は「地球と生物」、「岩石とダイヤモンド」、「目や口と顔」などといった近縁関係を張り巡らしてゆく。 また、この「類比」における関係は場合によっては反転する。 動物は上方に口をもつが、植物は根という口を地中に突っ込み、動物とは逆に直立するといった、転倒された関係によって類似の位置につく。 「類比」はこのように可逆性と多価性に富んでおり、世界を類似の連鎖で埋めつくす。 「人間」と「大地」は、肉は土塊、骨は岩、血管は大河といった関係によって類比の位置につくし、病気としての癲癇の発作は、その外徴から天候である嵐と類比される。 ある一点の支点を得さえすれば、「類比」は物と物とを関係のネットワークで結び、森羅万象を網の目のように連結させる。このとき、「人間」はしばしばその関係の中心に位置する。類比の空間は、人間という点を焦点とした求心的な構造を形成する
953 :
考える名無しさん :02/12/18 10:18
フーコーの挙げる類似の最後の形象は、「共感」と呼ばれるものである。 このタイプの形象には、もはや可視的な論理の道筋を見いだすことができない。 「星の運行」から、それによって支配される「人間の運命」へと、共感は恣意的に飛躍する。 この共感の機能は非常に強力である。共感は、およそ世界のあらゆるものを強引に結びつける、可動性の原理である。 重い物は大地の重みに引き寄せられ、軽い物は天空へと引き上げられる。 ヒマワリの根は水へ、花は太陽の軌跡へ、本来は異なったものとして世界に散らばるあらゆる存在を同一化させ、その差異を消失させてゆくのである。 これによって個別性は変質し、ブラックホールのように一点へと収斂する。この危険な状態を中和しているのが、共感と表裏一体をなす「反感」である。 オリーヴとぶどうはキャベツを憎むといい、ワニは天竺ねずみと敵対関係にあるという。地水火風の四つの物質のうち、水と火とは反感をいだき、風と地もまた反感の関係にある。 しかし風と火は共感し、水と地はこれも共感の関係をもつ。こうした吸引力と反発力は、類似という関係をたもつための基本的な原理である。先の三つの相似もまた、この構造論においてふたたび説明される。 この力の均衡によって、世界はその内部に差異を保ちつつ、同時に類似したものの構造の集積として存在しうるのである。
彰がディックを語るのは珍しいな。 バラード派かと思ってた。
955 :
考える名無しさん :02/12/18 11:36
なんで荒れるんだろうね。 ネタだと思うけど、先週は一本だけだよ。 ディック派とバラード派って対立してるの? 彰が「シンドラーのリスト」について「僕はそんなに悪いとは思わない」 みたいな発言したのって、どこでしたっけ。黒澤清も「マイノリティ・リポート」 (「レポート」とするのはわざとなのか、愛栗編集部?がアホなのか)の評で 話がきちんと繋がらないところに興味があるとか言っていた。朝日で。
>>957 シンドラー評価してたのは、柄谷じゃないの。
「確かにショアーは凄いけど、
ホロコーストについて宣伝するのなら、
スピルバーグの大衆作品的な
方向性は有効だ」
みたいな。
>>958 それは知らんが、浅田も肯定的に評価していたはず。みたいな。
そりゃ意外。 映画好きはあれ見ると怒ると思ってたから。 淀長さんも蓮實もボロクソだったし。
961 :
ここかしら? :02/12/19 05:13
それで、ランズマンはドキュメンタリー映画作家としてまず『なぜイスラエルか』を撮る。 そして、武器を持たない羊のようだったユダヤ人がナチスに虐殺された過程を『ショアー』で 描いたあと、今度は武器をもって自分たちの国家を守ろうとするユダヤ人たちを『イスラエル国防軍』 で描くことになるわけです。高橋さんは、ETVのインタヴューでかつてランズマンから引き出した 「イスラエルはショアーの贖いではない」という言葉を強調する。もちろん、ランズマンは スピルバーグとは違うので、『シンドラーのリスト』(1993年)みたいに最後の贖いとしての イスラエルのイメージが出てくるというようなことはない。とはいえ、三部作としてみたときに、 やはり、ホロコーストという筆舌に尽くし難い体験を経てはじめて、ユダヤ人が自ら国家をつくって 自衛するようになった、という流れになっていることは、否定しようのないことでしょう。 (ちなみに、僕は、『シンドラーのリスト』にも、主人公が倫理的にユダヤ人を救うというより、 工場経営のためにユダヤ人を金で買うといった、なかなか面白いところがあるとは思うんです。 ただ、モノクロームの画面の中で廃墟と化したゲットーをさまよう少女の姿だけが赤で示され、 それを伏線として、最後に急にカラーでイスラエルの現状が映し出されるというのは、あまりに 見え透いている。とはいえ、それを批判するなら、ランズマンの三部作の構成もどうなんだということになるでしょう)。
↑『映画の世紀末』p.225ね。
浅田さんからもNAMに関するコメント欲しいなぁ。
もう見放したんでしょ 柄谷本人と絡めてならコメントするかもね
>>964 963が興味有るのも、柄谷がらみの所でしょ。
まだ見捨てないんかと。
FA宣言はドゥルーズ=ガタリっぽいので、
柄谷が浅田に阿ってるのかもね。
968 :
考える名無しさん :02/12/21 01:36
iccのリベスキンド展、彰がシンポジウムに出ればいいのにね。 交渉中なのかな。
969 :
考える名無しさん :02/12/21 02:02
もともと柄谷はドゥルーズに対してアンビバレンスをもっているわけだけど、 FA宣言で瞬間的に神経症を脱したと思うな。 アンビバレンスは今後も再燃し続けるだろうが、良い方向に行ってると思う。
970 :
考える名無しさん :02/12/21 02:09
FA宣言って何ですか?
971 :
考える名無しさん :02/12/21 06:20
早朝からまた屁ヤングが必死のシガミツキスレ貼ってるよ バッカだねえ〜ん〜
972みたいなのをネンチャクって言うんだっけ?
974 :
淀川長治のシンドラーのリスト評 :02/12/21 22:33
スピルバーグの注目すべき野心作 一九九三年の終わりごろのアメリカ映画、モノクロ、三時間十五分。 監督が「E・T・」「ジョーズ」「未知との遭遇」「インディ・ジョーンズ」 「カラーパープル」「ジュラシック・パーク」のスティーブン・スピルバーグ。 白状するまでもなく私は彼の初期の「激突!」と「カラーパープル」と 「E・T・」以外はソロバンが見えすいてウソ寒い。 それかあらぬか今回は真正面からメーキャップを落とした素顔が登場した。過ちを謝るに遅きはない。 この監督、この題名、わけもなくヒザを正して見たのだが、初めの一巻あたりから、これはアメリカの世界へのデモではないかと疑い始めた。 今までに世界がどれほどアウシュビッツの地獄を見てきたことか、映画はニュースとは別にこれを繰り返した。 これをアメリカの当たり屋第一の監督が今さらに本気で描くその力作のリキに不気味さを感じたが、 映画はニュース映画さながらに劇的なシナリオ臭を隠し、 軍に商品を卸していた商人がその戦争でもうけた巨利を用いてナチに接近しガス室に放り込まれる寸前の千二百人のユダヤ人の命を救う。 リストとはその工場主オスカー・シンドラー(リーアム・ニーソン)の救助リスト。 原作はトーマス・キニーリの小説だが実話という。 脚色スティーブン・ザイリアン。監督スピルバーグは四十六歳のユダヤ人。これを十年前から企画という。 しかし今さらという時期に至っている。 アメリカならこの企画すぐにでもパスするであろうのに今に至ったことで考え込みもする。 製作もスピルバーグ。キャストはほとんど無名。「ガンジー」のベン・キングズレーだけを加え、 すべてドイツ人、ポーランド人の顔つき集め、 その人数その実景さながらの大掛かりの撮影(ヤヌス・カミンスキー)は素晴らしい。 これは今の若き人たちに改めて見せんと企画したか。 しかし今ここに世界にわたり、きまじめに働くドイツ人たちは、いかにもつらかろう。 もうこの年代にくれば作り方も変えねばなるまい。 しかし一見は必要! まるでゴダールのようにシ『ンドラーのリスト』について語る淀川氏 個人的には『続・激突』だっけ?原題『シュガーランドエクスプレス』と『太陽の帝国』 もいいと思うのだが・・・
975 :
考える名無しさん :02/12/21 22:34
もうちょっとでクリスマス。。★彡
パートナーは見つかりました?(o^.^o)
http://petitmomo.com/mm/ ここがちょっぴりエッチ系のめぐが運営している出会いサイトです。
もしよかったら使ってみて、、、
ヨロシクです。
めぐ(^o^)-☆
976 :
考える名無しさん :02/12/21 22:38
>>974 淀川さんってそんな文体だったっけ?
ちなみに俺の高校の大先輩(w
977 :
考える名無しさん :02/12/22 04:17
ここはさんさんたるスレだねぇ(プ
979 :
考える名無しさん :02/12/23 23:13
ここは燦々たるスレだねえ(プ
980 :
考える名無しさん :02/12/23 23:28
ここはサンタさんなスレだねえ(ぷぅ
坂本教授がスマスマ出てた 浅田も出ればいいのに 柄谷と龍も 教授が持ち上げられてたから 他の三人も持ち上げてもらえるでしょう
982 :
考える名無しさん :02/12/24 01:08
クリスマスキャロルが流れる頃には。
984 :
考える名無しさん :02/12/24 13:55
愛栗、今週は三本! 「リベスキンドの希望」「アイスラーからゲッベルスへ」 「プレイアード版ジュネ戯曲全集」。彰からクリスマスプレゼント☆ ま、先週休んだしね。 ちなみに芸術鑑賞板のリベスキンド展スレもよろしく。 あんまりレスがつかんのよ…
985 :
考える名無しさん :02/12/24 22:04
新着情報にはリベスキンドしか載ってなかったから気付かなかった。 あと、二つあったんだ。
986 :
考える名無しさん :02/12/24 22:13
本当だ。今までも、火曜日に新着が一本だったのが 木曜ぐらいに二本になったりすることがあったが、 「新着」ではなく「i-critique」を見ればよかったのか。 the end、ちょっと怠慢
987 :
考える名無しさん :02/12/24 22:49
浅田さんって変身するんだよ。
988 :
考える名無しさん :02/12/24 22:57
次スレの準備を!
990 :
考える名無しさん :02/12/25 11:21
???変身??? ・・・・ うむ!?
991 :
考える名無しさん :02/12/25 11:56
浅田さんが変身する!? 髪を3分刈にするとかカラーリング? ブランド物をやめる?ダイエット(まさか)? ご隠居風の着流しか?でもって羽織をはおって「よお、おあがり」 あ! いや、まさか! え!? これだけは云わないでおこうと思っていたのだけれど。 う、やっぱり云えない。
浅田さん、ひょっとして、女になっちゃうの!?(泣)
993 :
考える名無しさん :02/12/25 12:14
佐和隆光の本ってどうなの
しらないよぉ!いま、それどころじゃないよぉ! (あとでね)
995 :
考える名無しさん :02/12/25 12:24
あれ。ひょっとして「頑固親父への変身」?(いってきます)
996 :
考える名無しさん :02/12/25 14:13
1000get! と宣言しておいて 何時間かたってもまだ余裕があるのは 2ちゃんねる広しといえど…
997
このまま
そして
1000 :
考える名無しさん :02/12/25 14:39
逃走
1001 :
1001 :
Over 1000 Thread このスレッドは1000を超えました。 もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。