今まで死を客観的にしか捉えることが出来ず、自分が死ぬということも知っていて知っていないようなものでした。
でも最近、突然自分が死ぬということに気づいてしまい、とてつもなく深い感情に襲われ、泣いてしまいました。
自分の死はどのように受け入れればいいでしょう?教えてください。
2 :
考える名無しさん:02/09/23 01:31
両手で 受ける
3 :
考える名無しさん:02/09/23 01:34
とりあえず目を背けれ
>>4 別に目を背けることはないと思うけどな.「自分の死をどう受け入れるか?」
だったら「自分が死ぬとはどういうことなのか?」なんて考えてみたらどう? そう
すれば「自分の死をどう受け入れるのか?」ということは考えなくてよくなるでしょ.
>>5 いきなり受け入れようとしないでもいいって意味だよ
いやさ,「自分は死んだらどうなるのか?」について,最近これが正しいな
と思う答えを見つけたんだよ.多分存在しうる答えの中で一番合理的な説明に
なってるんじゃないかと思うんだ.
どんなの?
10 :
考える名無しさん:02/09/23 02:08
夜寝るのが怖いのか?
とりあえず持ってる本やCDを全部捨てるべし
ちょっと楽になる
>>10 そういうことじゃないだろ.
>>1の言うように自分がいつかは死ぬんだということに気づけば
そりゃ怖いと感じるさ.でなきゃほとんどの人間は自殺でもして死んじまうよ.
記憶も消えて、友達のことも家族のことも自分のことも忘れて。
自分がなくなって、、、。
怖いです、、、。死んだあとは怖いもなにもないのだろうけど、、。
14 :
大阪市民( ゚ペ)ノ ◆RAGE5ze. :02/09/23 02:19
死の恐怖は死より恐ろしいだろう
でも自分がなくなるまでは生きてるってことは、、、。
自分の死って本当はないのかな、、、??
16 :
考える名無しさん:02/09/23 02:20
フォフォフォフォ
17 :
考える名無しさん:02/09/23 02:21
老子と中二を足して二で割れば・・・・
思いつかねーよ、そんな奴!
18 :
考える名無しさん:02/09/23 02:22
なんか最近、死ぬのが怖くなくなった。
もう死んでいるというか。
死んでいるのも生きているのも大差ない。
20 :
考える名無しさん:02/09/23 02:23
自分以外の誰かが死ぬのは問題だが
自分が死ぬのは問題ではない。
「いつ死んでも後悔しないと思えるくらい、
今を精一杯生きていく。」
と思って生きてみたら?
>>15 面白いうこと言うな.つまり,「自分が死んでしまったら自分が死んだことを理解する
自分が存在しないんだから,自分の死は存在しない」ということなのかな.
>>19 僕は正しいとは思えないな.自分の死は確実に存在するよ,そりゃ.
神はある意味存在する、ってなもんだよ
27 :
考える名無しさん:02/09/23 02:41
>>7‐9
最も科学的な説明とはどのようなものなのでしょうか?
気になります。ここで説明するのはむりですか?
29 :
考える名無しさん:02/09/23 02:52
>>28 説明をお願いします。
教えて君的ですまん。
>>29 引っ張るようで申し訳ないけど,「自分が死んだらどうなるか?」に対する
科学的説明ってどんなものだと思う?
意識がちぢまる
>>30 うー…ん。科学的説明では、認識者をどう考えるのでしょうか。
22、24での話をどう考えるか。
自分の死は存在しないというのは、科学的ではないのでしょうか?
中2よ。おれもついこの間おれもそういう感情に襲われた。
今までの死に対する見方と比べ物にならない恐ろしさだよな。
自分が死んでも10億年も100億年も永遠に宇宙は存在してて、それなのに
自分は死んでいる。それと自分が死ぬとこの世も同時に無くなると思えてしまう。
というかんじ。 ちくま新書から出てる中島義道の哲学の道場読んでみたら?
この哲学者は7歳の時にその感情に襲われたらしいよ。だから哲学の第一は「死」
だと述べている。まぁ君もその稀有な感情に襲われたなら哲学者になるしかないね。
34 :
考える名無しさん:02/09/23 03:09
身体機能のすべての停止。それにともなう、脳機能の停止。
そして、焼かれて骨だけが残る。
埋めて終了。
それでも、世界は続くのであろう。
世界は続くと私も信じているわけだけど、
そう思うことすらもなくなるわけだから…
と、考えると「世界が続く」ってどういう意味なんでしょ?
信仰?習慣的思考?世界が続くということは科学的かなあ?
「科学的」というのはよく分からない。
ヒュームの因果関係のように、
習慣的にいままでそうだったのだからこれからもそうであろう、と予想するのは科学の範疇ですか?
唯物論で考えればすっきり
37 :
考える名無しさん:02/09/23 03:29
自分=宇宙の見る夢
>>36 唯物論は、自分が死んでも世界があることをどのように示すのでしょうか?
もしくは、どのように証明するのでしょうか?
39 :
考える名無しさん:02/09/23 03:41
100兆年後の一昨日に転生するかもしれない。
そっちの方が鬱。
>29
>>22>>24のスレは別に関係ないけどね.
>身体機能のすべての停止。それにともなう、脳機能の停止。
>そして、焼かれて骨だけが残る。
>埋めて終了。
これは明らかに「自分が死んだらどうなるか?」に対する科学的説明ではないね.
この説明は「自分が死んだ後で自分の身体がどうなるか?」に対する説明だね.
じゃあ「自分が死んだらどうなるか?」
科学的説明というのはこういうやつ:「消えてなくなる.」自分が死ぬということは
そういうことだと思うけどね.
41 :
February ◆WfuC.koA :02/09/23 04:22
死が怖い、というのは一般的な感覚なのでしょうか。
ブッダを主人公にしたすごい古いマンガがあって、そのなかで
若いシッタルダ王子が、4つの苦しみを見ることになったという
場面を覚えています。
そのとき、死という苦しみも出てきたのですが、自分が死んでいく
ことに、人間は自然に恐怖を感じるものなのか、私には想像ができま
せん。 物心ついたときから、死ぬことは一番の救いだと信じてきた
ので、死ぬのが怖い、という感覚がわからないのです。
最近は、やらなきゃいけない義務ができて、そのために今はちょっ
と死ねないな、というのはありますけど。
でもおぼれたとき、すごく大騒ぎして泣いて、こんな危険な場所に
連れて来た学校の先生を罵ったのを覚えていますが、その瞬間は確か
に怖かったけど、死ぬことが怖かったのか、というとまるでそんな自
覚はないのです。
>>41 まるっきりうそだね.「死が怖い、というのは一般的な感覚なのでしょうか?」
そりゃそうだ.そんなわかりきったことに反省加えてどうするんだ.間違った哲
学だな.何でも逆説的に考えれば哲学的だと勘違いしてる.
43 :
考える名無しさん:02/09/23 04:27
則天去私。
45 :
February ◆WfuC.koA :02/09/23 04:30
逆説にとらえてないです。
そして、修辞疑問のつもりではなく、ただ素直に、わからないことなので
たくさんのひとに質問してみたかっただけです。。
46 :
February ◆WfuC.koA :02/09/23 04:32
哲学板ではたぶん、自分の意見を述べるために、そういう問いかけの
ような形の表現をとる人が多いのでしょうね。 もうすこし誤解をうけない
ように気をつけて書けばよかった。
「私にはわからないのですけど、死が怖いというのは一般的な感覚
なんですか?」というふうに。
>>45 >人間は自然に恐怖を感じるものなのか、私には想像ができま
>せん。 物心ついたときから、死ぬことは一番の救いだと信じてきた
>ので、死ぬのが怖い、という感覚がわからないのです。
こういうこと言ってる人で実際死ぬ人って少ないだろうな.「死ぬのが
怖いという感覚がわからない.」 ああ簡単簡単,駅のプラットホーム
で電車がきたら飛び込んでみればいいじゃん.そうすりゃ死ぬのが怖い
という感覚」は簡単に体感できると思うけど.何にも難しいことない.
>物心ついたときから、死ぬことは一番の救いだと信じてきた
その感覚、私には理解できないんですが、
宗教とか何かの影響があったんですか?
49 :
February ◆WfuC.koA :02/09/23 04:38
>>47 どうして怒ってるんですか? どうしてそうおもうなら、「一般的に
だれにとっても恐怖なんだよ。君が自覚してないだけなんだよ」と
言わないんですか? 私にはそこまで腹をたてる理由がわかりません。
>>46 一般的な感覚という表現使ってるけど,よくわからないのは,
たくさんの人が死ぬのが怖いと感じている
ということなのか
死ぬのが怖いという一般的感覚なるものが存在している
ということなのかよくわかんないな。
>>49 別に怒ってるわけじゃないが,単純に「うそつきだな〜」って感じるんだよね.
つまり,死ぬのが救いとかゆってるけど,単純に普段の生活がつまらないんだろう
ぐらいにしか思えないな.
52 :
February ◆WfuC.koA :02/09/23 04:47
>>48 さあ。私にもよくわかりません。小学校2年生のころ、人魚姫の話を
読んでからというものずっと仏壇に十字架を飾ってお祈りしていました。
「どうか私を消してください。永遠の苦しみを罰として受けます。だから
だれをも哀しませないように、だれの記憶にも残らないように、消してく
ださい」と何時間もお祈りしたものです。 自己流のおまじないで雨がふ
ると外に出て雨の中にしゃがみこんでお祈りをしたり。
当時は、お祈りというとキリスト教式のお祈りしか知らなかったし、
家は普通に先祖崇拝だし。そんな感じで不謹慎なことをしたものです。
まあ、小学校低学年のころのことですが。高学年の頃は、毎晩のよ
うに父を刺し殺して自分も割腹自殺をするという妄想にとらわれてい
ました。どうやらファザコンだったみたいです。私が赤ちゃんの時に
はすごく私のことを愛してくれたという父親が私にさされて怯えたり
哀しんだり苦しんだりする心を想像して泣いたりしたものでした。
書いてみて思ったんですが、こういう匿名の掲示板では、絶対にだ
れにも話せないような内面の秘密も平気でさらせてしまいますね。
53 :
February ◆WfuC.koA :02/09/23 04:48
>>51 死ぬのが救いだったのは小学校の間だけです。 中学からはそんなこと
はまったくなくなりました。悩みもなくなり忙しく暮しましたから。
54 :
February ◆WfuC.koA :02/09/23 04:49
56 :
February ◆WfuC.koA :02/09/23 05:00
>>52 別に人に話せないほどショッキングな内容でもないけどな.「へ〜そうなんだ」ぐらいで
終わりじゃないか.それよか,45分間の授業もまともに聞いてられない小学校低学年生が
何時間もお祈りしたとは信じられないけどね^^
>>54 ああ,だとしたらそれは無意味な問題だな.一般的な感覚って当たり前のように使ってる
けど,Aの感覚とBの感覚を取り出して比較することなんかできやしないんだから,そもそも
Aの感覚とBの感覚が同じかどうかなんてことじたいが無意味な問いだと思うな.
58 :
February ◆WfuC.koA :02/09/23 05:07
そうなんですか。当然に人間には存在するものなのか、それが
ききたかったのです。なにについても当然に確実に存在するという
ことはいえないというのがあなたのご意見ですね。
自覚していないものなので、自分ではその存在を感じたことがな
かったので。お聞きしたのですが。そしてブッダも幼い頃に死の苦
しみをみたのが悟りを求めるきっかけになったというし。
59 :
February ◆WfuC.koA :02/09/23 05:08
だけど、そういうことが言えないとなると、死ぬのが怖くないと
いう人がいてもそれを疑ったり否定することはできないですね。
>>57
60 :
February ◆WfuC.koA :02/09/23 05:11
というか、私が5分足りと、授業中おとなしく座ってることのできない
子供だったこと、お話しましたっけ。それともそれをにおわすような内容
のことをかきました? そうなんです。私は授業中5分と黙って座ってられ
なくて、そういうことが苦痛で死にたかったんでしょうね。
でも、好きなことをしているときは、5時間でも、おしっこがしたくても、
時間を忘れてしまってました。 たとえば本を読んでいるとき、時計とか
機械を分解したり作り直したりしているとき。そういうときは何時間が
すぎても、聴いていた音楽がいつのまにか止まっていても、全然きづかな
かったものです。
>>58>>57 何か勘違いいているようだけど,僕はほとんどの人が死ぬのは怖いと感じてると
思うけどね.単純に「死への恐怖が当然に人間には存在するものなのか」という
ことを問題に感じてないだけのことだけどね.Februaryだって死ぬのは怖いと感
じてると思うけど.多分Februaryがわからないと感じてるのは,「自分が死を恐れ
ているのかどうか」ではなくて,「人は死を恐れているのかどうか」ということだと
思うけど.で,何か死に対する一般的恐怖なるものがなきゃ説明された気がしない
と感じてるんだろうけれど,そんな「死への恐怖性」なるものを捜し求めたって意味
がないんであって,人がそういった感覚を持ってるかどうかは聞いてみりゃいいんだよね,
単順に.「あなたは死ぬのが怖いですか?」って.
62 :
February ◆WfuC.koA :02/09/23 05:25
>>61 つまり私が聞いたことには答える必要がない。無意味な質問だから、
そういうご意見ですね?
63 :
February ◆WfuC.koA :02/09/23 05:27
つまり、私はだれにも、「アナタは死ぬのが怖いですか?」なんて
ききたいとは思いません。なぜなら、私も怖いと思ってなくても、いきなり
そう聞かれたら「こわいよ」と答えるから。それが常識だと思ってきたし、
そう答えなければキチガイと思われるような恐怖を、だれから教わらなくて
もずっと抱えてきたから。
>>62 そもそも何を聞いてたんだっけ?「人は死を怖がるか?」ってゆうこと?
「そんなの当たり前!」
>>63 つまり人は一般的に死に恐怖を感じるのかというのは,「たくさんの人が
死ぬのが怖いと感じている」というぐらいの意味しかないと言いたいんだけどね.
65 :
February ◆WfuC.koA :02/09/23 05:33
>>63 キチガイだと思われるんじゃなくて,嘘つきだと思われるんだけどね.
67 :
February ◆WfuC.koA :02/09/23 05:36
Februaryって「なぜ人は人殺しをしてはいけないのか?」って考えるでしょう?
69 :
February ◆WfuC.koA :02/09/23 05:40
>>68 考えたよ。中学くらいの頃は。解決はつけられなかったけど、考え
た結果、かってに理由を決めた。
「人はだれも生命や財産を脅かされない権利があって、そして人は
だれも、他者の人権を脅かすことは、絶対に許されない」
そしてその結論はいまのところまだだれからも否定されたことは
ないし、私自身疑いをはさむ余地はないと感じている。いつかだれかに
覆されてしまう可能性が皆無とはいえないけど。
>>69 その程度で納得できちゃうから,自分に対しても嘘をついてても気がつかないんだよ.
71 :
February ◆WfuC.koA :02/09/23 05:50
72 :
February ◆WfuC.koA :02/09/23 05:51
さっきから稲さんを見てて思うのは、討論に勝つためにはどんなうそも
つく人なんだな、ってことです。他人を負かすためには自分を裏切る
ことも他者を裏切ることも平気な人だったんだな。って。というかこれと
いった自分の意見、っていうのがないんでしょうね。
今後声をかけてくれなくて結構です。
他のスレで「稲てバカだね」と書かれ、気が立ってるんだろう・・・
74 :
February ◆WfuC.koA :02/09/23 06:01
バカって言われたくらいで人間は変わりません。
自分というものがない人は、とにかく人をみんな平均化しないと
気がすまないんでしょう。親や教師や周囲の人が教えてくれた価値
基準を旗に振りかざして、魔女狩りをするようなタイプです。
遅レスだけど
>>26 「神がいない」ってのと「死がある」ってのは似てるよ。
有限の現実を突きつけられる感じ
77 :
考える名無しさん:02/09/23 07:19
まあ、森鴎外も観念的な死の恐怖はなかったそうだから
大して珍しい意見じゃあ、ない。
P・アリエスのいう「飼いならされた死」とでも言うべきか。
あと、ヒンズー教では六道転生が運命づけられているので死は解放にならない。
“無”こそが仏教最大の発明だろう。
78 :
考える名無しさん:02/09/23 08:28
死んだ後に人生を振り返る僅かな時間が欲しいな。その振り返る時間だけ意識が続けばいいのに
俺は老いが一番怖い。死は別にいいんだけど。
今年もバイクとバイクの衝突事故起こして死ぬかもしれないという瞬間わ
味わったけど、なーんも怖くなかった。
あぁ、このまま死ぬなら死ぬでいいやって思った。
だけど老いは嫌だ。
この俺の美しい肌も醜くなるのかと思ったら涙出てくる。
40以上にはなりたくない。
30そこそこで交通事故起こして死ぬのが一番いいな。
80 :
考える名無しさん:02/09/23 08:56
臨死体験を哲学的(?)に考えると面白いかも。
「Aは死んでいる」という命題Pはどのような条件で真となるのか?
時刻t1で死んでいるとみなされていて
時刻t2にAが生き返ったとする。
この場合、時刻t1ではPは真であるが、時刻t2では偽であるとするのか
それとも時刻t1では本当に死んだのではなく、あくまで仮死であるから
時刻t1でもPは偽であるとするのか
どう考えればいいのだろうか。
これは「死」を不可逆的なものと定義するかどうか、と言い換えられるかな。
俺って、怖い ?
82 :
考える名無しさん:02/09/23 09:46
うん、やっぱり、「死とは何か」という問いかけが不可欠らしいね。
修業のわからん、弟子じゃ !
84 :
MUMU ◆yqg6Uiyc :02/09/23 10:10
>>1さん
死の恐怖ですね。
人の細胞は一定の周期ですべて代わります。
いまのあなたは、5年前のあなたの複製です。ということは、もうすでに
過去のあなたは死んでしまって、今は姿形も似て記憶まで受け継いだ別人という考え方もあります。死とはそんなものです。死んでしまえば死んだこともわかりません・・・ぜんぜん、恐怖からの解決にならないですか?
それでは、死の恐怖を積極的に受け入れましょう。
それが生を維持し、満喫する原動力になるのですから、死に怯えて大いに泣きましょう。
そのほうが、屈折していて面白いヘビメタのようなメタリカさんより、(褒め言葉です。
生を堪能できるかもしれません。
>30そこそこで交通事故起こして死ぬのが一番いいな。
それが、30歳になったら、なったで40歳まで生きようとか思うんだなぁ。
まあ、交通事故起こしそうになって、無事でほっとするのが目に浮かぶます。
きっと、健康な肉体をもっていれば、体の代謝が極端に少なくなる
70歳前後以降から、生への執着が徐々に薄れてくると思いますよ。
85 :
考える名無しさん:02/09/23 10:29
>>84 いや、だから今年も事故起こして、ついこの間まで入院してた
ぐらいの大怪我負った事故でも怖くなかったんだって。
転倒していく瞬間とか怖くなかったよ、マジで。
このまま死ぬなら死ねばいいと思ったんだもん。
病院入れられて、今ここにいるけど。
どうもぼくは不治の病のようです。
その病気は徐々に体が腐っていき、体力も思考能力もどんどん低下し、
最後には体の抵抗力がなくなり、いろいろな病気を併発して死に至るようです。
余命は40〜50年と言われました。
鬱です。どうすればいいんでしょうか。
89 :
MUMU ◆yqg6Uiyc :02/09/23 10:47
>>84-85 クソのような「意見」もないクセにカキコするほうが、よっぽど臭いでしょう。
>>87メタリカさん
そうでしたか・・・いえ私も、何度か死にそうになっても
同じく死の恐怖を感じませんでした。
ただ今では、私に関しては自分の死の恐怖より、
残してきたものを気にすることが多いです。よほどそのほうが恐怖ですね。
人生さっぱりと死ねればいいですね。
>この俺の美しい肌も醜くなるのかと思ったら涙出てくる。
・・・わたしは今涙が出てます。((足掻(あが)いてますが・・・
90 :
考える名無しさん:02/09/23 10:52
個別の経験から死の恐怖を推論するのでは、
まさに経験的実感でしかないために
普遍的な議論を構築できない。
個別の経験では確固たる基盤を軸に
議論することは難しいのだ。
さてここにおいて必要なのが、
死の形而上学とでも言うべき作業だ。
死を論じるものは一旦、経験とは離れ、
観念的な思考を獲得しなければならない。
そうでなければ再びとらえられもしない
個別の死の恐怖の迷路に迷い込んでしまうだろう。
さて、これは誰のセリフでしょうか?
著作名を出せたら院試合格。
92 :
MUMU ◆yqg6Uiyc :02/09/23 10:56
>>84-85を
>>85-86に・・・修正(死に近づいてきたかな。
>88ぴかぁ〜さん
いえいえ、人々の見本になるような、一番いい死に方です。
思考能力が低下なんて理想的じゃないですか。
立派な人生を送ったとして、皆さんから弔いの言葉がむけられでしょう。
40〜50年後が楽しみですね。
94 :
MUMUチヤツ?ツ?ツ?:02/09/23 11:14
>>90 ハイでっかぁ?「存在と痴漢」違ったっけ?
>>93 お楽しみは最後まで取っておきましょう。
>>1くんへ
きみは自分が大海に浮かぶ小さな小舟だと思っているんだろう。
転覆すれば、海の藻くずと消え、だれにも気づかれず沈んでいくと。
きみの存在はそんな小さなものじゃないんだよ。
きみの先にはワーカーホーリックのおとうちゃまがいて、そのさきには
朝から晩まで野良仕事にせいをだすおじいちゃまがいて
そのさきにはシベリヤで抑留され名誉の戦死したひいおじいちゃまがいて、
そのさきはお魚大おじいちゃんまでもつながっているんだよ。
そしてきみのあとにはアメリカで農園を開く息子がいて、未来へとつながっていく。
だからきみは時が来ればいさぎよく死になさい。
そしてきみの死体はやがて腐り、土に栄養を与えるだろう。そして微生物が育ち、
木々が生え、虫や鳥たちの住みかと食料を供給するだろう。
きみはいま価値観が多様化し、方向性のみえない時代に生きて、自分の存在価値が
見えなくなっているかもしれない
でもきみは延々とつづく大きなリンクの大切な一つなんだよ。
この時間的空間的な巨大なパズルは、きみというピースがなければ、永遠に未完成のままなのだよ。
だから社会的貢献をしなさい、子供をつくりなさい。
97 :
MUMU ◆yqg6Uiyc :02/09/23 12:05
98 :
考える名無しさん:02/09/23 12:12
死とはどういう状態なのかというと、自分が生まれてくる前を想像すればわかる。
99 :
MUMU ◆yqg6Uiyc :02/09/23 12:17
>>95愉快な・ぴかぁ〜くん
>子供をつくりなさい。
ところであなたは子供作りましたか?
それじゃないと、ぴかぁ〜くんの、リンクが外れてしまいます。
あなたが仕事をサボっちゃ、永遠の食料を住みかを期待した
虫や鳥たちも悲しんでます。
100 :
考える名無しさん:02/09/23 12:17
死にそうになったら冷凍してもらう。
101 :
考える名無しさん:02/09/23 12:20
イタコに頼んで経験者に聞く
102 :
MUMU ◆yqg6Uiyc :02/09/23 12:24
>>100 いいですね、それで安心して死ねますね。
たとえ解凍されなくても気になりませんね。
103 :
考える名無しさん:02/09/23 12:29
好きなものを全てなくす・・・
「死んでもイイかな」って想うかも?
>>99痛快なMUMU ◆yqg6Uiycくん
>だから社会的貢献をしなさい、子供をつくりなさい。
子供はまだですが、社会的貢献はしてますよ。
105 :
考える名無しさん:02/09/23 12:57
このスレで本当に死の恐ろしさに直面したことのあるのは1と33くらいか・・・。
106 :
MUMU ◆yqg6Uiyc :02/09/23 12:58
>>103さん
好きなものを大事にして、死ぬのをあきらめてください。
>>104ぴかぁ〜さん
そうなんですか・・・少なからず感心しました。
107 :
考える名無しさん:02/09/23 13:15
死って、一体何を指しているの?
体の崩壊?自分の存在?苦しみからの解放?永遠の安堵?何かからの逃げ場?
痛み?憎しみ?ひょっとしたら楽しみ?
どちらにせよ、人それぞれ死への考えや、捕らえ方は異なる。
だから、死が怖かったり、怖くなかったりするのかな?
思うに、人は己が体験しない事にたいして、
少なからず期待や恐怖は必ず持つ物だと思う。
それは、死ですらも同じであろう。
べつに死にたいわけじゃ無いよ。
からかおうと思っただけ
カッコ悪かっったね、ごめんまさい。
まちがった!
たびたび・・・ごめんなさい。
>>105 8才くらいかな?死ぬのが恐くて毎日泣いてた時期があった
克服するのに10年かかったよ。。
べつに克服したわけじゃないか。
112 :
MUMU ◆yqg6Uiyc :02/09/23 17:50
>>103さん
いえいえ、なかなか「真理」ついてますよ。
>>107さん
確かに体験してないことに、期待や恐れはつきものです。
しかし、世の中体験したことのない事柄であふれています。
「死」はそれらの事柄とは違う、特別なものなのでしょう。
「死」は「生」の対立項です。
基本的に動物は「生」への執着が強い、
だからこそ「死」を無関心として扱うことはできないのでしょう。
「死」は他の未体験のものとは、似て非なるものではないでしょうか。
113 :
考える名無しさん:02/09/23 18:19
>>112さん
「死」が特別?そうかな、だって「死」は生まれた時に、
すでに始まってる事だよ。
「生」は「死」の始まり、つまり生まれた時点でその子の「死」は
カウントダウンされている訳だし、生きる事は死ぬ事なんだよ。
だから、「死」が特別だとは僕には、考えつかない発想だな。
今、「呼吸」をしているすべての者は、いずれ終わる。
永遠に続く物は無い。
それが、自然の摂理なんだ。
ずっとそうして、僕等は生きて来たんだから受け入れて、
ゆっくりと、「呼吸」をする事を望む。
114 :
MUMU ◆yqg6Uiyc :02/09/23 18:33
>>113さん
誤解があったようですね。
>>107さんが「体験」という言葉を用いたのでそれを援用したのです。
>「生」は「死」の始まり、つまり生まれた時点でその子の「死」は
>カウントダウンされている訳だし、生きる事は死ぬ事なんだよ。
あなたが仰ることは、「死」至る「生」の状態です。
「死」は体験できない事柄ですので、特別なのです。
>ずっとそうして、僕等は生きて来たんだから受け入れて、
>ゆっくりと、「呼吸」をする事を望む。
そのとおりですね。
私は「死」を特別なものとして意識することにより、
限りある「生」をより生きんとしてほしいだけです。
115 :
考える名無しさん:02/09/23 18:35
死ぬのは怖くないよ
>>1 俺は一回、飛び降りやったけど死なないで
こうやって2chに書き込みをしている
死なんかいつこようが別段怖くない
むしろ早くおとずれてほしいもんだ
116 :
考える名無しさん:02/09/23 18:39
死を体験する事は、可能さ。
今すぐ、手首をかっ切りな。
117 :
考える名無しさん:02/09/23 18:40
>>116 リスカじゃ助かる確率高いから
首吊りが一番よい
118 :
MUMU ◆yqg6Uiyc :02/09/23 18:58
>>115-116 しかし、呆れるのは死んでもいないくせに、
飄々と書き込みする、あなたたちですね。
死んでからご高説を伺いましょう。
P.S.
レスで、「漏れ、もう死んでます」なんて、書くなよな、ツマランからさ。
てゆーかその前に>1はちゃんと生きてる??ホントは死んで(以下・・・
で、メタリカさんバイクはホントにいーよねぇ。ボク2回バイクで
救急車乗ったけど・・・。“自分なんか生きてたってしょーがない
人間じゃないか”って思いと“今直ぐに死ぬ理由(根性!?)”は
ない&“危険なライディング”のスリルで得られるアドレナリン
分泌刺激への耽溺でさぁ、そりゃー無茶な乗り方しました。因み
にバイクはイレブン。それで考えたのは自分が生きてるのは神の
意思とか関係なく(まっ、あってもいーんだけどさ)目の前のオ
バサンが運転するシビックがウィンカー出さずにいきなり斜線変
えた時にフルブレーキで接触を免れたこと(当然その後ブーツで
ドアベッコリ、これ最強)とか峠でコケタ時に、たまたま対抗や
後続がなかっただけなんじゃないかってこと。んでセッカク生き
残っちゃったんだから、まぁ生きてみようかなと・・・。そっから
はいかに楽しく生きるかってことでダラダラ過ごしてるんだけど、
ものの本によるとニンゲンが死ぬ直前の瞬間に最後の「成長」、
(結婚したり、子供が生まれたり、リストラされたりみたいの)
があってそれは素晴らしい経験らしいんだよね。読売新聞の
「癌に効くキノコ」の広告よこに小さく出てたから多分ウソじ
ゃないと思うYO。でも、これから先にティンコの先の皮問題やドーテー
問題、キャバクラ嬢に本気で(以下・・・。といろいろなイベント
があるわけでさ。
メンドくさくなったからもう終わるけど、ここだけのハナシ実
は世の中楽しく生きることも可能なんだよね。ニュースとか観
てるとダメポっぽいことばっかりアナウンスしてるけどあれは
ウソだから(ホントだったりして、藁)。頑張ればそれなりの
リターンはあるかもしれないし。ただひとつだけ、部活なり受
験なりで自分の能力の限界を早めに見極めるとその後ラクかも
ね。限界に挑戦してシパーイするのも面白いかもしれないけど。
初めてのカキコでなに書いてんだかワカラン、スマソ。
>>1 おれもな怖いときがある。
ありゃ、どうしようもねえよな。
でも、泣いていけねえのかな?
死は受け入れられるほど小さなものかい?
泣けばいいんじゃねえのかな。怖いものはこわいんだもん。
でも、ま、なんだ。俺にとっては「どう生きるか」ってのが
死を受け入れようとすることより、少しだけ大事なことなんだ。
参考にしてもらうつもりもねえよ。ただな、こういう奴もいるんだな
ってことにしといてくれよ
121 :
考える名無しさん:02/09/23 20:29
なんとなく、感覚的に、明日は生きてないかも。
と思うことがあったりしました。あの時は怖かったなぁ、寂しかったなぁ、切なかったなぁ。
死の恐怖を感じて、中2さんはどうしようと思ったんだろう。
私は、とりあえず、明日死ぬかもと思ったときはノートの切れ端に”楽しかったよ、バイバイ”と
書き残して寝ました。(生きてるけどネ!
死の恐怖を感じて、私がしたことは、それです。
死の恐怖を感じて、ビクビク過ごすより、今できることを悔いなくするのがいいですよ。
と、おもった。でもやっぱ死に直面したら怖いなぁ。
諦めずに、あがく派かもしれません。この世に未練があったら。
122 :
考える名無しさん:02/09/23 20:31
>>1と
>>33の話をもっと詳しく聞きたいですね。
私は
>>33が挙げている中島義道の著作はほぼ全て読み、概ね
賛同しているのですが(五臓六腑に染み渡るという理解には
至ってませんが)、彼が己のあらゆる思索の出発点で
あるという「自分の死の恐怖」が実感として理解できません。
1と33の両氏が語っている所は、中島のそれとかなり
似ているのですよね。突如自覚された死の恐怖と、
それに対する自分なりの考えをもう少し詳しく
聞かせて頂けませんか。
>>121 >でもやっぱ死に直面したら怖いなぁ
おれは圧倒されたね。絶対を感じた。あそこじゃただ感じるだけがラクだぜ?
考えていても多大なる苦痛に見舞われるからな。
それこそ、死んでしまったほうがラクじゃねえか?というほどの苦痛だわな。
124 :
考える名無しさん:02/09/23 21:12
>>118 お前が死んで体験してみろ
人に言えるたちか
どうせ死んだ人間はこの世には戻らないことを
知っているくせに馬鹿馬鹿しい
125 :
考える名無しさん:02/09/23 21:17
中二かぁ〜俺はそのころはウンコして寝るのみでした
126 :
考える名無しさん:02/09/23 22:05
自分も客観的に捉えれてみれば?
>>122 どうも、33です。自分は工房なんで語彙少ないですが、書いてみます。
まず、自分がここでいう「死の怖さ」に気づいたのは学校の「生と死」の授業で、
ふと死後の世界について考えた時です。今までの死に対する見方は、人は必ず死ぬから
一生懸命生きるべきだとか、人は皆死ぬと決まっているのだから仕方が無いことだというような
一般的なものでした。
では、どういう「死の怖さ」に気づいたかというと、自分がまったくの「無」になることです。
よく死ぬと天国に魂が行く、他の生物に生まれ変わるなど色々言われますが、以前は人前では否定しつつ、
そのどちらかだろうなと内心思っていました。しかし本当はそのどちらでもないと悟ったのです。
そしてもうひとつよく言われるのが自分は死んでもこの世界は存在する(地球は回り続ける)ということですが
どうもそうではない気がしてしまいます。もちろん、世界は無くならないでしょうが、自分が無になるということ
は自分が捉えていたこの世界も無になるような気がしてならないのです。つまりどうせ死ぬのだから、この世界
のあらゆる物がまったくの無意味に見えてきます。不謹慎ですが、戦争が起ころうが、人が殺されようが、他人の
どんな不幸であれ、「だから何?」と冗談ではなく心からそう思えてしまいます。自分もこの怖さに
気づくまでは人の役に立つ職に就こうとか、英語を学ぼうなどと意欲的に考えてましたが、今ではまったく興味が
ありません。なぜなら「無意味」に思えるからです。という訳で怖さの一因は生きている時に何をしようが、
宇宙的な時間、大きさの立場から見れば鼻クソより意味が無いということです。それは今まで、そしてこれから
の生きる時間をすべて否定された感覚です。
<つづく>
もう一つに理由に自分の死後、地球がなくなっても、宇宙がなくなっても、100兆年たっても自分は生き返らない
ということです。これは一見当たり前のように聞こえますが、とても恐ろしいことです。永遠に無な状態なのです。
よく「無」である状態を想像しようとする時、目を閉じて真っ暗な状態を想像しがちですが、実際は色さえない
状態ということも気づきました。その状態がまさに「永遠」に続くわけです。「永遠」の部分を噛み締めてください。
最後に自分はこの「死の怖さ」を理解しようとしない者に憤りを感じるようになってしまいました。なぜ平然と日常
生活を送っていられるのか、なぜ死について真剣に考えようとしないのか、不思議でたまりません。しかし、この感覚
は言葉ではほとんど伝わらない感覚であると思います。自分が死んで「無」になった状態(無は状態ではないかもしれま
せんが)を何時間も真剣に考えれば突然恐怖に襲われると思います。もうその日は何にも手がつかないと思います。
そのためには「生き物はどうせ死ぬだろ」、「一生懸命生きればいいじゃん」などという考えを捨ててから考えてみて
ください。また、人間がまだ社会化しきっていない若いうちでないと気づかない感覚かもしれません。
129 :
考える名無しさん:02/09/23 22:25
死んだらどこ行くの?
130 :
考える名無しさん:02/09/23 22:28
人によります。地獄へ行く人もいれば、成仏できる人もいます。
とりあえず、生き物ならみんないずれ成仏できるので、
今は遊んでましょう。
いや、ちがうな
132 :
考える名無しさん:02/09/23 22:30
そう?
133 :
考える名無しさん:02/09/23 22:30
うん、ちがうな
134 :
考える名無しさん:02/09/23 22:31
なんで?
135 :
考える名無しさん:02/09/23 22:32
そうそう、ちがうよね
136 :
考える名無しさん:02/09/23 22:32
やはり、ちがうよ
上記の自分の意見を端的に述べると、
>>130みたいな奴を張り倒したいということです。
138 :
考える名無しさん:02/09/23 22:34
えっ、ちがうの
火葬場
141 :
考える名無しさん:02/09/23 22:41
意外とかわいいな
死が恐いやつは幸せものだよ
「生きてる」って実感を持っているってことでしょ。
143 :
考える名無しさん:02/09/23 22:49
思考停止しなければいいんだよ
144 :
考える名無しさん:02/09/23 22:50
そうか、死が怖いんじゃなくて、死に至る苦痛が怖いんだね。
死はただただかなしいねぇ。
>>127 あんまり悲観的に考えなくてもいいんじゃないかなぁ。
ポジティブ思考もないと、一方向に考えが偏っちゃうよ。
145 :
考える名無しさん:02/09/23 22:59
死が恐くない人に聞きます。
たとえば、地震が起きて、目の前でたんすが倒れてきておふくろを潰してしまったら
やっぱり恐くないですか?
そういうことを考えると夜も眠れません。
まだ自分が死んだほうがマシです。
永遠というのは事実として、科学的な普遍として証明されるかというと怪しいもんらしいぞ?
「初めも終わりもない」と概念的にならある程度までは捉まえられるんだけどな。
147 :
考える名無しさん:02/09/23 23:05
イメージ
遠くの景色をなにげなく眺めてボーっとしている感覚を思い出してください。
それです。そのときあなたは永遠を感じています。
感覚の可能性というヤシです。
>>145 それは死が恐いのか?
その痛みが恐いんじゃないのか?
私だったら、そのとき感じるのは恐怖ではなく、哀しみだと思います。
死ねないのも怖いんだよね。
たとえば死後の世界があったとして、とりあえず自己の消滅という恐怖からは
逃れられる。だがその後は?
生まれ変わるにしろ、天国に永住するにしろ、自分の意識が残る続けるのも怖いだろう。
一億年たっても、一兆年たっても、永遠にしたらほんの一瞬でしょ。
終われないんだよ?未来永劫に。この方が怖い。はるかに怖い。
でも死ぬのも怖い。こう考えると、人間の存在ってなんだろう?と途方にくれました。
そもそも生まれなかったほうが幸せなのかなと。
存在したばっかりに、死の恐怖を味わうわけですから。
小学校五年の頃考えたことです。
150 :
哲学の小道:02/09/23 23:36
怖いってのは総じて死が怖いって事じゃないかな?
例えば100階建てのビルの屋上から下を見たらたいていの人は怖いって思うよね〜
(例外は除く)、それは「もしここから下に叩き付けられたら死ぬ」
って思うから怖いんじゃないかな〜?
人はたぶん常に抱く恐怖心は気付かずともし死への恐怖だと思う。
人は知らず知らずの内に、恐怖心を用いて、
死という現象から逃げている。
=「生きたい」と言う本能かもしれないね。
でも人間いずれ死ぬんだよ。
「死」があるから「生」がある、
表裏一体ですな。
151 :
February ◆WfuC.koA :02/09/23 23:48
>>145 そういう意味でなら人間の死は怖いですね。でも母親でも赤の他人でも
まったく同じ程度に怖いんですが。暴力も怖いです。
私は、母親が目の前でさされて殺される恐怖と、父親が目の前で刺され
る恐怖と、息子が目の前で刺される恐怖と、赤の他人が目の前で刺される
恐怖との間に差を感じません。ただ暴力への恐怖だけです。同じ程度に。
そういえば、猫が怪我をしていたり、犬の死体をみたり、怪我をしてい
る鳥や虫をみても心臓発作を起こすかと思うほど怖いですね。泣いて騒い
だりします。そんなに怖がる理由を聞かれてもいえない。こういうのが死
の恐怖というものかもしれないですね。
肉親の死も、肉親の苦しみも、他人のそれらと変わらない恐怖を感じる
といいましたが、ひとつだけ決定的に違うのは、目の前でだろうと、見て
ないところでだろうと、息子が殺されたら、怖い思いをさせ、怖い死に方
をさせるという結果を導いた自分の出産という行為を許さないでしょう。
152 :
考える名無しさん:02/09/23 23:51
だ か ら 何 で 死 が 恐 い の で す か ?
153 :
哲学の小道:02/09/23 23:53
33の方は、127〜8で無になる事が怖いとおっしゃってますが、
僕はむしろ無を受け入れたいです。
別に死にたいわけではありません。
しかし人はいずれ死ぬのです。
だから、いつ死んでも良いように
自分が望む事を出来るだけこなそうと言う思いで
今生きています。
無になるのが怖いというのは未練があるからじゃないでしょうか?
だったら出来るだけその未練を取り除けば
死を受け入れられるのでは?
しかしやはり人間は満足を知りませんから
どんどん欲は出てきます、
しかし大方の欲をこなしていれば言いと私は思います。
死と言うのは誰しもが体験する事だけれど、
誰もその体験を聞くことが出来ない。
だからこそ人は死に恐怖し、
同時に魅了される。
とある人の台詞です。
154 :
February ◆WfuC.koA :02/09/24 00:01
>>152 理由のない、根源的な恐怖、というやつじゃないの?
暴力への恐怖もそうだし。自分が死ぬことは怖いと感じることは
なくても実際は死というものを怖がってるかもしれない。
>>153 満足してから無になるのはその落差により、より恐ろしいと感じるのでは?
それと、宇宙を視野に入れて考えると一瞬の満足は無意味に感じます。
最後は無になるのですから。生きている間だけ満足なのでいいではないか
と言われれば、「死の怖さ」に気づいていない人にとってはそうかもしれません。
しかし気づいてしまった自分最後に無が待っていると思うと無意味にしか思えません。
じゃあ今死ねばいいということでもなく、死とはなんて不条理なものなのだと言いたいのです。
>1は本当にだめだね。空気読めないから今になって悲しいだって(大藁
今までどうりズルズル馴れ合いたいなら、だめなふりしてさ、もし競馬
で万馬券当てたり仕事が順調だったりしてても内緒ね。これはフェブラリー
の言うところの相手を騙して見下して馬鹿にしてる接し方。
万馬券当たって仕事も順調なことを敢て言うのはある種の効果が期待
出来る(狙える)ときだけ。具体的な効果は「パルプンテ」みたいに
不確定。しかし当然今の>1のような状態になるのは当然覚悟してね、
だって僻み入ったひとたちみたいだから(あくまでスレでの話しですが)
残念なのは今ごろになって「善」と「偽善」の違いは?とか考えられ
ちゃう所、泣きそうになるよマジで。こっちは完全な善意から行われ
た行為でも結果が失敗ならやらないほうがまし。善と偽善なんて明確
なものさし(経済的にとか)がなきゃ区別できるわけな(以下略。
レスの流れからしか判断できないけど、僕も>1みたいに自己満足み
たいなボランティアなら止めれば、って言っちゃいそう。これまさに
「価値基準」の違い。
あと、悪いけど心優しい>1さんと違って僕は差別は必要だと思ってる
位だし(差別がなくせないからとかいう消極的な理由でなく!)、時に
は戦争(てゆーかいつも紛争はあるし)もおきるのが世界だしさ。
まじめな心配のつもりで笑ったのが「トイレ」でこっそりとか、服を汚
して云々で、おいおいいつの時代のコミュニケーションですか(泣)っ
て感じ、大体なにやってんだか知らないけど何か言いたいことがあって
も拳震わせる勢いで「偽善云々」で意見してるって(大藁!!もっと自信
(プライド)持って下さい。ってこっちが逆に心配だよ。
でも>1もなんだかんだ言ってその人たちが好きだと思うけどね。
眠いからあと3行。普遍性の正論のなんとかかんとか書いてた人
一回土方の仕事とか金払って働かせて頂いてみなよ。世の中で、
働いて生きていくって、もっと身もフタもないものじゃないすかね。
もしくはヨドバシカメラとか。助成金付きのNGOとかは却下ね。
157 :
考える名無しさん:02/09/24 00:58
ショウペンハウエルが言ってたよ。
なんで死を怖がんの?死んだら無になっちゃうから?
じゃ、聞くけどさぁ生まれる前のことはなんで怖がんないの?
生まれる前もさぁ無だったんじゃないの?同じ状態に戻るだけじゃん。
生まれるまえはもう体験してるでしょ?えっ?意識はなかったって?
死も然りっつーの。
それとも無の状態から尊い命をかちえてそれを永遠に失うのが怖いの?
それはね、思考の出発点から思考のしなおし必要だよ。
死を考えるなら、生まれる前からの自己(ないけどね)もおさえなきゃ。
ずーっと無でちょっと生きてまたずーっと無。
無と生、どっちが不安定なの?
だからね、死は怖がんなくていーよ。
昔の人はいいこと言うね。
160 :
考える名無しさん:02/09/24 01:01
>>155 私たちが今ここに「在った」という事実は消えることはない。
そのように仮定すれば、瞬間もまた永遠なのではないでしょうか。
>>159 よくわかんないけど気分害したならごめん。
>>160 時がながれずそこに自我がとどまれればOKですがね。
>>161 いや、死なんて恐くてなんぼだと思ってるんで。。
そういうのはどうしても開き直りに見えてしまう、
>>155 死はもちろん絶対です。でも不条理ではないと僕は思うよ。
一生懸命死について考えて受け入れることができるようになれればいいですね。
>満足してから無になるのはその落差により、より恐ろしいと感じるのでは?
それはない。満足したらもうこの世に用はない
>>162 開き直りとも言えるかもしれませんが、
受け入れたとも言えませんか?
んー、どっちでもいいや。自分にたいして
自分が消え去ることを理解させてるだけなので。
>受け入れたとも言えませんか?
とりあえずはね
なるほどね
>>33 すごくわかります。あなたより随分歳はとっていますが、
もしよろしければ、あなたは現在どのような精神状態で、どのように
日常を過ごしているんですか?
慣れじゃないかと。
170 :
考える名無しさん:02/09/24 03:43
慣れはニ番目にダメだと思ふ。
一番ダメなのは、考えないこと
死ぬことより、死んだ後の方が怖い、と思ってたけど
死んだ後(地獄とか)があればそこに行ってから
考えれば良いし、死んだ後何もなければ其処で終わりなんだから、
怖くは無いと思うようになった。やっぱ先が見えないと
怖いけど先が見えていれば、それほど怖いもんでもない。
172 :
考える名無しさん:02/09/24 03:56
というか端的に死にたくないだろ。
まずは「恐怖」とかじゃなくて、死にたくない、死ぬのイヤだろ?
170は157です。
みんな死について本気で理解しょうとしてるの?
死が怖い。当たり前じゃん。
でも僕もあなたも必ず死ぬ。
怖い怖いですませている人は生を無為に浪費してると思う。
自分の死を理解しようと努力して受け入れなければ
いけないと思う。人間なんだから。
174 :
考える名無しさん:02/09/24 04:04
努力ごときで解決できる問題だとは思えない。
体が老化すれば自然と受け入れられるようになるよ
176 :
考える名無しさん:02/09/24 04:08
>>174 なぜかと聞かれると答えにくいですが、
人間は考える力を有している。
自分が死ぬことを知っている。
死は怖い。永遠に自分を失ってしまう。
でも死ぬまではいつか死ぬことを知りつつも生きていかねばならない。
怖いままで長い人生先送り先送りで生きるのは考える力があるのに
とてももったいない。
と、そう僕は思うからです。
>>177 哲学とはそういうものじゃないのですか?
>>179 無理してるの?
世界や生に意味を与えずにはいられないからやるんじゃなくて?
ちょい日本語失敗
>>180 話がそれましたね。ごめんなさい。
未知のものを理解しようと努力することは
よくないことじゃないんじゃないんじゃない?
と言いたかったんです。
ほんとに未知かどうか判別する方が先だと思う。
あと
死を受け入れるために一番しなければいけないことは、死について考えることではないでしょ。
死の存在を黙って見つめることだよ。
死を思考で合理化するのは、認識に色眼鏡をかけるよーなもの
完璧に死を受け入れるために、むしろ(最終的には)否定しなきゃいけないものです
考えることではなく見つめることですか。
思考せずに諦観する。
当事者の話じゃないみたいに聞こえちゃいます。
僕は生きるのが怖くて怖くて仕方がありませんでした。でも死んだら死んで
良かったのか分からないので生きることに決めました。今も死は怖くないで
すが、もったいないって感覚はあります。可能性の束がね。今は忙しくてよ
り良く生きることにしか頭が回りません。
死ぬのが怖いなんて殊勝な考えが持ててラッキーですね。同世代の他の連中
よりも強い感情を持って生きれるのだからそれは幸運です。その死が怖いと
いうのは目的ではなく、手段です。その強い感情を打ち消すように、必死に
生きればより良い生を手に入れられます。どんな動機でも人は行動できます
が、動機をコントロールすることは出来ない。安らかに受け入れたら、あな
たはせっかくのチャンスを逃すことになる。人間、より良く生きるのが目的
ならば、その質問自体は間違いということになります。
いつか必ずくる死を生きていくために受け入れるために否定する。
難しいですね。
「死を迎えるためには死についての歪んだ認識を捨てなきゃいけない」
と言ったのだけど。。
まぁ、生きてくためにいったん死をとりあえず思考で合理化して受け入れるのは
死の本当の姿をいっぺん否定することだろね
歪んだ認識というのは怖いもの、未知なもののことですか?
よく考えてみます184について。そして寝ます。
>>1 死の恐怖を紛らわす為に、がむしゃらにやりたい事をやれ。
死が怖いうちは生きてられる。
>>1 生まれたからには苦しむ義務がある。
いろいろなことに悩み苦しみ絶望する。
若さを理由にはしないが本当の苦しみはこれからだ。
それらから唯一救ってくれるのが死というものではないだろうか?
193 :
考える名無しさん:02/09/24 14:13
死ぬのは怖くないが、死ぬ際の苦痛が怖いね。愛する人が悲しむのがいやだね。死後のことを知らないため不安だね。
死んでもいいけど今死ぬのも後で死ぬのも一緒ならとりあえず生きよっかな。
ってとこだろ?みんな。
194 :
2チャンネルで超有名:02/09/24 14:16
自分が
>>127>>128で書いたものに対し死を受け入れるべく肯定的に考える
べきだとの意見をいただきました。しかし、言葉は悪いですが、頭が固い
人、想像力に乏しい人はそう思うと思います。またそれで納得し、満足
するでしょう。しかし、自分は受け入れるための「努力」はまったく無駄
だと思います。受け入れるということは、「人は皆死ぬ、だからしょうがない
、よって受け入れよう」というものであると思います。すなわち死への不条理
を考えることに妥協しているのではないでしょうか?哲学ならば妥協はいけない
と思います。「人はなぜ死ななくてはならないのか」という問いはおそらくは
答えなど永遠に分からないものでしょうが、哲学のほかの問いと同様に考え
続けることに意味があると思います。要するに「死を受け入れること」は自分
を騙しているものと考えます。
197 :
考える名無しさん:02/09/24 17:00
死を受け入れるのって究極の苦痛を受容する覚悟が必要だからね
単なる諦めや忘却と違い積極的に死の恐怖及び苦痛に真正面から
会話する必要が出てくるから、へたしたら、狂うよねほんとに
まあ精神的トリック使用により肉体死に気付かないフリ出来る
人は幸福なのかもね、発達も進歩も停止するけどここから。
198 :
哲学の小道:02/09/24 19:00
「死=無」だとすると死を受け入れるのが妥協でも仕方無いだろ?
自分の求める死後を追及しても、
その思い描く死後を享受する事が可能かどうかすらわからないんだから。
ってゆうかなんで死後を満足しようとするの?
生きているうちにめいいっぱい生きれば死後なんてどうでも良くない?
死後はわからないけど、生きているうちは確実にわかるやん?
生前をおごそかにしといて死後、死後って言っても
今から逃げてるだけやん?
ちょっと楽観的な部分があることは認めるけど、
無になるまでに意味をつけることが可能やん。
死んで無になるから今生きててもしょうがないと思う奴は
ほんまに今死んだらええやん!
あと、「死は怖く無い、むしろ早く訪れて欲しい」とか、
ほんまは思ってないやろ?
ほんまに思ってるんなら早く死んだらええやん。
結局生きてる奴は少なからず死が怖いはずや。
これは屁理屈では無く単純な矛盾やで。
>>196 死が不条理だと思うなら生きていく事がつらいでしょう?
ちょっとアプローチの仕方を変えてみてはどうですか?
リチャード・ドーキンスの「利己的遺伝子」って本があるんですけど
読んだことありますか?
もし読んだことなかったらオススメします。
違った視点からいろいろ考えてみるのも悪くはないんじゃないかと思います。
200 :
弥勒 ◆666//S/s :02/09/24 20:43
『死』というものを信条的に拒絶したい方々の論拠というものでたまに見受けられる
理由に「苦痛は嫌でしょ? (だから自殺はよくないのよ)」的なものがあるが、こういう
発言を目にして思うのは、じゃあ苦痛を感じないうちに死ねるようなシステムがあれば
どうか、という疑問である。
寝ている間に催眠ガスが充満し、その後に筋弛緩剤でも投与してくれる『安楽死』の
システムが仮に出来たとしたならばどうか?(社会倫理の話はここでは置いておく)
本人希望の日時に、眠くなって就寝するうちに永眠出来るとしたならばどうか?
雪山で睡眠薬と強い酒をかっくらって凍死するよりもお手軽に自殺が出来るわけだが、
苦しみが無い幕引きであるとしたならば単に『存在の喪失』に対する不安だけになる。
もっともこれにこだわる人間が、自殺を本気で考えるようには思えないのだが・・・
お、久しぶりに「死ぬの怖い」スレが立ってるぞ、と
今が充実してないんだろうな
203 :
考える名無しさん:02/09/24 21:19
今が充実してても、死の恐怖が消し去られることは無いけどな。
忘れた頃に訪問してくるからあいつ。
おれの死に対しての考え方は無になるってことなんだけど、何も考える事もできんとなるとむしろそれを望む。もし死後の世界があるならそれこそ困る
死は全てを奪い去るからね、
奪われる前に捨てとけばいいんだよ
「死が恐い」ので命だけが残ってしまう
問題は解決してない!
207 :
考える名無しさん:02/09/24 23:46
「輪廻」というものが実在すれば、死は通過点に過ぎない。
そう考えれば、死も怖くないか?
208 :
考える名無しさん:02/09/24 23:51
輪廻ねぇ そんなんあったらやっとれんわ それこそ人生嫌になるね 永遠に安らげることはないってことでしょ? 生まれてきた事を嫌だとは思わんがこの瞬間に考える間もなく死ぬとしたらそっちのが断然いいね
210 :
考える名無しさん:02/09/25 00:54
まあどうしたって死にますわ、何が怖いのかな?なんとなく怖いけど、
地球だっていつかなくなるわけで、一人でいることが恐怖なんだなきっと
死んだら一人っぽいし、逆に死なないで世界に自分ひとりって言うのもつらいな、
まあ生きてるうちに好きなことするのが一番だな
憧れの死
恐怖の死
どちらも個々が
望めているモノが違う為であって
統一的でなくても不思議はない。
終わるのは何となく恐いよな。
思い入れや盛況だった頃を知っていればなおさら。
2chが寂れる、とか想像すると悲しくなる。
他に、2chのかわりとなる場がなかったら
その喪失感にたえられるんだろうか。
依存に近い気がする。>恐さという感情
そうそう。あと、
死に恐怖を感じるのでなく
寸前の苦しみが
恐怖の対象でもあるね。
で、オレは死は
憧れさね。
215 :
考える名無しさん:02/09/25 01:07
>>214 死の間際が苦しいかどうかは、実際死んでみないと分からんと思うが。
おーい…
気持ちのいい
死に際って、そんなにないだろ(汗
それに、気持ちいい状態の中
死への恐怖なんて
浮かぶモンかなぁ?
未経験だけに
断言はせんが…
>>217 だな。
そういう意味での
>>214だったんだが…
間際が楽なら否定しない人もいる設定でね。
畏怖にせよ憧れにせよ生の最終イベントである死に対して、
自分なりの決着をつけておくのは大事なことですよね。
220 :
考える名無しさん:02/09/25 01:33
Today is a good day to die.
今日は死ぬにはもってこいの日だ。生きているものすべてが、
わたしと呼吸を合わせてる。すべての声が、わたしの中で合唱している。
すべての美が、わたしの目での中で休もうとしてやって来た。
あらゆる悪い考えは、わたしの中から去って行った。
今日は死ぬのにもってこいの日だ。
(『今日は死ぬのにはもってこいの日』ナンシーウッド)
221 :
考える名無しさん:02/09/25 01:38
>>1 そーゆうあなたみたいな方がいるから宗教が存在するのです。
アダム君が神様のリンゴを食べたからこんな事になったのです。
神は死をお与えになったのです。神を崇拝しなされ。
もしくは西の天竺に行きなされ。
「死ぬなら宇宙で」と決めている。
あやかって
「死ぬなら母のおなかの中で」と今決めてみました。
225 :
考える名無しさん:02/09/25 01:56
僕は父が使ったティッシュの中で
何億もの仲間たちと死にたかったな。
自分がしんじゃったら?
受け止めるもどうもないと思う。存在しないんだから。
親しい人に見守られて死にたい、ってのはある。
で、海に灰を流してほしい。
229 :
考える名無しさん:02/09/25 02:05
231 :
考える名無しさん:02/09/25 02:11
232 :
考える名無しさん:02/09/25 02:13
精子⇒生臭い⇒生きている臭い⇒生命体
233 :
考える名無しさん:02/09/25 02:19
じゃあ、卵子はどうよ?
234 :
考える名無しさん:02/09/25 02:21
235 :
考える名無しさん:02/09/25 02:37
236 :
考える名無しさん:02/09/25 12:33
死にたきゃ死ね。
お前が今日死のうが、今日生まれる「命」にはまったくもって関係ない。
237 :
考える名無しさん:02/09/25 13:02
しんだらうんこがちんこにまんことしっこがまざるゆめでだまごにあんかけを
びしょぬれでちんこだよ
238 :
考える名無しさん:02/09/25 13:03
死をいつも意識して生活していきたいな。
239 :
考える名無しさん:02/09/25 13:05
死をいつも其処にあるものとして享受する音
240 :
考える名無しさん:02/09/25 13:57
「死」を賛美しすぎじゃないか?
誰だって、近くの人が「死」んだら悲しいよ。
知らない人が「死」んでも何も感じないのに。
「偽善」って言葉で括ればそれまでだけど、結局は誰かが「死」ぬのは、
悲しい事だと思う。
「死」を賛美するな。
241 :
考える名無しさん:02/09/25 16:47
近くの人が死んで悲しいのは、二度と会えない語れないなど、
其の人の存在が自分の生活に関わり、好感があったからだ。例え
面識がなくても其の人物に共感する何かがあれば、感じるものは
ある。これは死に行く者とて同じ。賛美うんぬんなど問題では
ない。
242 :
不在のデリチェ:02/09/25 17:53
生と死の問題には多くの場合言葉に問題がある。
生まれてからずっとハイデガー的死生観を植え付けられた若き者よ!
死という語をまず反省するのだ!
おお!友よ!友は来るか!
243 :
考える名無しさん:02/09/25 18:06
私も>>1のような感情を持ったことがあるし、自分の死が
恐いという感情は、自分が死んだあとにも世界は存在し続けるという
ところが根本なんじゃないかと自分なりに解釈してるんだけど。
たとえば、正確に「あと○年したらあなたは死にます」と絶対的な存在
(たとえば母親とか)に宣言されたとしたら、どういうふうに死を
享受していけばいいのか?
上手くまとまらないんだけど、確実に存在する終点に日々向かっていく
場合、「その前にすべてに満足すること」も「忘却」も許されない場合
どうすればいいのか…
244 :
不在のデリチェ:02/09/25 18:25
どうぜ悩むのならばここまで来てみろ!!!!
生き延びる、これはどの語からも派生しない!!!
最大強度の生を!!!!
ああ、友よ!友はいない!!!
で、楽に死ねるなら死んでもいいと思うのか? あるいは
それでもなお生きたいと願う根拠に興味を引く答えをする人物がいるのか
単純に聞いてみたいわけだが・・・
246 :
不在のデリチェ:02/09/25 20:11
おお、カミュよ!君ではだめだったのか!
シジフォスはどこに!
そうではない!!彼には一条の愛の光が射していたのだ!
彼は愛を知った!彼は愛を知った!
愛の者はシジフォスを超えた!新たな到来だ!
おお、友よ!友は何処に!!!
で、具体的な内容はどうかいな?
>>196 >「人はなぜ死ななくてはならないのか」という問いはおそらくは
>答えなど永遠に分からないものでしょうが
これはどうだろう。なんとなく、答えにくいけど、引っかかるね。
生きることが、子孫を残すためなら、古いものは必要ないから死ぬ?
なんか変なんだよね、”人は”と、”答えなど永遠にわからないもの”
が引っかかるなぁ。スマソ。
249 :
考える名無しさん:02/09/25 21:46
どんな生物でも死が怖いと思ってるのでしょうか?
大腸菌でもそうかな?
ミトコンドリアでもそうかな?
250 :
考える名無しさん:02/09/25 22:06
それらが思考能力をもって感情を持ちうると判断できてなおかつその
内容を我々が理解できればの話だな。
251 :
考える名無しさん:02/09/25 22:40
>>249 竹内久美子の「そんなバカな!」をオススメします。
生物行動学の人の本ですが
多分あなたの求めてる解、もしくはヒントがそこにあります。
文庫本になったんだよね
253 :
考える名無しさん:02/09/25 22:47
なってます。
>1
多分うけいれることはできなくても大丈夫…
うけいれられないといくらわめいても死ぬことは死ぬ
そこからスタートするしかないでしょうね…
まだたどり着いたわけではないですがね私も
逆からかんがえる方法としてひとつあげると
今ネットで話してるけどでんきを使うことによってまた無駄に物質を違う状態にしたから
まさに他の物をころさずにしてもじでかたりあう事なんかできない
…そこまで病的(ォにつきつめてなんでオノレだけ生きていられて
当たり前なんだろうとかんがえたりとか…
まあとりあえず聞く事よりじぶんでかんがえる事ですね…
>249
他の物はどうでもいいのでは…このさい
生きる死ぬの 話 の時だけまともにあつかわれても人間ひとりの為に
むとんちゃくに大量にぎせいにされてるわけだからせめてかんぜん無視
した方がよいかと…
すこしだけまともにこたえると思うのレベルをどこまでほりさげるかによる…
死とはんたいの事をし続けている以上なにかははたらいている…
でも人間にりかいできるレベルではないでしょうね。
幸せな死がないから、死が怖いんだよね。
幸せな死があれば、死は怖くないだろう。
256 :
不在のデリチェ:02/09/25 23:13
死についての自己回収的な悪循環、
それは動物/人間の構造によるものだ。
ハイデガーの構築を問いなおせ!!!
おお、友よ!友よ!
長い宇宙の瞬間を僕はぼんやり待ちつづける
壊れそうなほど美しい日のending.ending僕は覚えている
258 :
不在のデリチェ:02/09/25 23:28
生きる意味?
私の強度の生に「意味」などという出来合いの構造は似つかわしくない!!
友よ!友はいない!
不在のデリチェとやらへ 自分の言葉で話せ そんな無理して言葉使うから哲学全体が悪く見られるんだよ 無理矢理難しそうにするな そもそも理論通ってない
260 :
考える名無しさん:02/09/26 00:20
>不在のデリチェさん
もっとわかりやすく話して!全然わけわからん!
硬い!
>>260 俺はいつも必死!怖がってるひまもねぇ!と私は解釈しました。
262 :
考える名無しさん:02/09/26 07:52
デリダとニーチェ合わせたんだろ?わりとよくできてるのでは。
『アポリア 死す―「真理の諸限界」を〈で/相〉待-期する 』ジャック・デリダ
境界と通過の(不)可能性の際たるものとしての「死」を、
ハイデッガーの『存在と時間』から出発して論じる。
保守
>>1 そんなことばっかり考えているとそのうち死に何か期待するようになるよ。