1 :
考える名無しさん :
02/09/12 23:47 オリジナルと全く寸分違わぬ複製というのは、 作れるのでしょうか?
2 :
考える名無しさん :02/09/12 23:48
2get
3 :
考える名無しさん :02/09/12 23:48
ムリデス
4 :
Kurihara :02/09/12 23:54
ある意味興味深いテーマですね。 本物と偽物の問題。
5 :
考える名無しさん :02/09/12 23:56
素粒子レベルでは、逆に個体差なるものが存在しません。
ほんとに?
7 :
考える名無しさん :02/09/13 00:03
「他人から見える自分」を写してくれる鏡は? 糞レスめんご。
8 :
考える名無しさん :02/09/13 00:08
コンピューターのデータのようなものならば可能。
9 :
考える名無しさん :02/09/13 00:09
複製の定義がいる罠。その中に本物と完全に同一ではありえない条件が内包されていれば現実的な可能性を語るまでも無く不可能。 完全に同一であればそれは複製ではなく本物そのものだとも言える。
10 :
考える名無しさん :02/09/13 00:10
洩れの「てぃむぽ」複製して保存しときたいんだけど無理かなぁ。。。
11 :
考える名無しさん :02/09/13 00:13
/ ガク/_ ..
12 :
考える名無しさん :02/09/13 00:14
三次元世界なら可。 四次元世界には、時間軸があるので不可。 そもそも、完全な複製が可能であれば、変化する事の方が難しい世界になる。 まあ、少なくとも時間軸がある限りは、あり得ない。
13 :
考える名無しさん :02/09/13 00:19
完全な複製を許すオリジナルは不完全。
>>5 逆に、素粒子レベルでは、同じ状態のものが存在しないのでは?
15 :
考える名無しさん :02/09/13 00:26
実はこれは永久機関の問題なのよ。
16 :
考える名無しさん :02/09/13 00:28
/ ガク/_ ..
17 :
考える名無しさん :02/09/13 00:30
それ自体によってそれ自体であることがオリジナルなので、 完全な自律性の問題なのよ。
18 :
考える名無しさん :02/09/13 00:31
完全な、という言葉のうちに含まれるオリジナルへの信頼が問われているわけ。
19 :
考える名無しさん :02/09/13 00:32
まあ神学でもあるわけだ。
20 :
考える名無しさん :02/09/13 00:33
問いを立てることが、問われている以上の完全さを要求しているわけだ。 どうよ。問い続けるかい。
21 :
考える名無しさん :02/09/13 00:34
>>17 完全な複製が可能ならI am that I am的な神だな。
自律性のの問題というのは?詳細、きぼーん。
22 :
考える名無しさん :02/09/13 00:35
直観に詳細はありません。 そういう粘り強い精神の持ち主にまかせますよ。
23 :
考える名無しさん :02/09/13 00:37
パズル板と呼ばせてもらいたい。
24 :
考える名無しさん :02/09/13 00:40
>>22 は女性とみた。いや、そうでなければ女性の精神構造に近い男性か?
まあ、どうでもいいけど。
>>20 よ、俺くらいの学の少ない奴は、こういう問い遊びは結構好き。
問い続けようよ。
25 :
考える名無しさん :02/09/13 00:41
存在する位置と時間が全く同じでなければならない、 物体の複製があるとすれば、それはその物体自身しかありえない。
26 :
考える名無しさん :02/09/13 00:43
27 :
考える名無しさん :02/09/13 00:45
>>25 時間軸を戻せないと複製ができない。
いや、そもそも時間軸を戻せるとして、戻った時間が同じモノかどうかも問題か。
なんか、あり得そうな仮説ないかな?
28 :
考える名無しさん :02/09/13 00:46
コンピュータデータの複製は完全な複製じゃないの?
29 :
考える名無しさん :02/09/13 00:49
30 :
考える名無しさん :02/09/13 00:49
>>26 そもそも自分を解ってる奴なんているのか?
それこそ、複製してみないと解らないな。
女性だって、解ってりゃそんなやつすごすぎ。
バカを曝したやつがそんなに滑稽かい?
31 :
考える名無しさん :02/09/13 00:50
つまり物理的複製以外は複製ではないんですか?
32 :
考える名無しさん :02/09/13 00:50
33 :
考える名無しさん :02/09/13 00:53
>>32 じゃあ、一緒に遊ぼう。
>>31 物理的複製以外はどんな複製があるのでしょうか?
34 :
考える名無しさん :02/09/13 00:55
先ほどのコピーデータは抽象的複製だと思うんですけど。
35 :
考える名無しさん :02/09/13 00:59
同じ時間同時に創ったものはいかがでしょう
36 :
考える名無しさん :02/09/13 01:01
>>34 物凄く細かい事を言って恐縮だが、
コピーデータという言葉事体抽象性に欠けると思うけど?どうなの?
実際、複製は少なからずエラーは乗るはずじゃない?
37 :
考える名無しさん :02/09/13 01:04
>>35 んん〜〜。突っ込み場所が思い付かないなあ。
でも、それは複製というのかな?
創ったものっていうことは、創るものと創られるものがあるわけでしょう?
同時に同じものを二つ創るってこと?
38 :
考える名無しさん :02/09/13 01:05
>>36 では「少なからず」に当てはまる部分は部分的複製なのでしょうか?
39 :
考える名無しさん :02/09/13 01:05
失礼、当てはまらない部分
クローンの話しに繋げたいのかな? それとも作品についてとかかな。
41 :
考える名無しさん :02/09/13 01:09
>>38 『少なからず』以外の部分が部分的複製にあてはまるわけですが、
一応、『完全はあり得ない』って言うのはNGワードで。(笑)
42 :
考える名無しさん :02/09/13 01:11
>>29 よくわからないけれど、
オリジナルが、「必要を満たす存在」に過ぎなければ、
複製が「必要を満たす複製」に過ぎなくても、完全な複製なんじゃないの?
43 :
考える名無しさん :02/09/13 01:11
>>40 話を面白くするためには、論点を絞った方がいいのでしょうか?
意見がほしいです。
44 :
考える名無しさん :02/09/13 01:16
完全でも否でも如何なる複製物は、決して実物ではない。
ちょっと関係無いかもしれないけれど、
研究報告「クローンには、ほぼ確実に異常が発生する」
Hot Wired 2002年9月11日
http://www.hotwired.co.jp/news/news/technology/story/20020911304.html すでに複数の団体からヒト・クローン胚による妊娠が報告されているが、
このほど、新たな個体 を作るクローニングでは、ほぼ確実に異常が生じるという研究報告が発表された。
1万個の遺伝子を調査するとい う過去最大規模の研究の結果、
クローニングのプロセスが動物個体の遺伝子構成全体の整合性を損うことが判 明したという。
Original articles: Copyrightc 1994-2002 Wired Ventures Inc. and affiliated companies.
Translations and other portions: Copyrightc 2002 NTT-X,and Wired Digital Inc. and affiliated companies.
All rights reserved.
46 :
考える名無しさん :02/09/13 01:16
>>42 必要を満たす事によって完全なのでしょうか?
複製が完全でなくとも、必要を満たす場合があるとおもいますが?
>>46 >必要を満たす事によって完全なのでしょうか?
ちがうと思います。
48 :
考える名無しさん :02/09/13 01:22
それは単なる必要条件を満たしたに過ぎないと思われます
49 :
考える名無しさん :02/09/13 01:22
>>45 科学的な事は、良く解らないけれど。
クローン胚の遺伝子配列以外にクローニングでのエラーを少なくする方法ってありそうじゃない?
ただ、人間を相手に実験してるのと一緒だから、精神的には実験する人間は辛いな。
人の形をしてれば、残酷な事をしてるようにみえるしね。
50 :
考える名無しさん :02/09/13 01:24
必要としてない部分の複製が欠落してると言うことですね。
51 :
考える名無しさん :02/09/13 01:24
完全である事の定義をした方が良いと思われ。
52 :
考える名無しさん :02/09/13 01:28
哲学的完全とはどのようなものなのでしょうか? 数式 A=A における 左辺のAと右辺のA は完全なる複製(かつ同じ物)なのでしょうか?
>>51 焦点がズレそうですね。
どちらかというと、完全な複製が可能かどうかより、
完全な複製を定義しそれについて議論していった方が、
面白いと思いますが?どうでしょう?
あと、sage進行がよいかと。
>>52 哲学的には、多分『NGワード」に辿り着いてしまうんじゃないかな?
万能である事こそ、完全だったりするから。
でも、数式A=Aは、変数Aは変わらない事が前提だったりするでしょう?
それって。定義の上の定理じゃない?
では、「完全な複製」の定義とは? 自分も時間軸があるかぎり無理という説に同意だが。
あっゴメン。という事は、立派な完全な複製の定義になるね。
つまり、データのコピーはどこが「完全じゃない」のか?
>>58 データコピーについて
物理的には
1、エラーがのる。
2、複製日がデータとして追加される。
3、劣化が生じる。
必要条件を満たすのみの複製と定義
60 :
考える名無しさん :02/09/13 01:43
ある人が完全だと言ったら、その人にとって、それは完全だ。
>>59 >1、エラーがのる。
1ビットでもエラーがのったら、厳密には「コピー動作の不良」であって、
「データのコピー」とは呼びませんが。
>2、複製日がデータとして追加される。
複製日はデータでは無いですが。
>3、劣化が生じる。
デジタルでは生じません。
生じたらコピーエラーです。
>>60 は情緒的な発言です。禿しく批判します。
人の感情からくる言葉程、完全でない不安定なものはないと思います。
感覚ではなく、論理的に遊びましょう?
63 :
考える名無しさん :02/09/13 01:47
>>59 1に関しては今の技術ではほとんど無いような気も。
2に関してはコーピーするプログラムの変更で修正可能
3に関しては劣化する前に複製する。(少し変か)
すみませんsageでした
論点が物理的媒体にまで及んでいるようなきがします。 データの内容そのものと考えた方が良いような
>>61 1については、理論と実際は違うのではないのでしょうか?
概要で言っている事なので『データコピー』の定義がハッキリ解っていなかったと思います。
2はデータとそれ以外の付属(ヘッダっていうの?)とかの知識が乏しくてすみませんでした。
3も、理論と実際の違いはあると思います。
そもそも、デジタルは計る事のできないもの詳細に計る手段だと私は、思っています。
デジタルによる複製は劣化が生じないっていう確証はあるのでしょうか?
私の知識の少なさは認めますが、デジタルを信用し過ぎるのも乱暴な論理とは思いませんか?
>>66 >デジタルによる複製は劣化が生じないっていう確証はあるのでしょうか?
すべての複製が消滅したとき二度と複製はできません
しかしこの場合1回は複製に成功したことになります。
こう考えます
元データが始めからデジタルであったとします
ならば デジタルーデジタル間の複製が可能だと思います。
元データがアナログだったとします。
それははたしてどうなのかは不明。
>>66 >1については、理論と実際は違うのではないのでしょうか?
>3も、理論と実際の違いはあると思います。
理論ではなくて「定義」なんだけど。「仕様」といってもいい。
>そもそも、デジタルは計る事のできないもの詳細に計る手段だと私は、思っています。
よくわからないけれど、「アナログ→デジタル変換」と「デジタル→デジタル コピー」
を区別していないのではないでしょうか。
これらは全く別のことです。
>デジタルによる複製は劣化が生じないっていう確証はあるのでしょうか?
そうではなく、「デジタル」とは、劣化を生じないように扱うということなんです。
もちろん、100%確実に動作する装置は無いから、エラーは発生する、
でも、それは、デジタルの世界ではそれを「エラー」と考える。
アナログは、正常動作の範囲で、劣化が仕様に含まれている。
>>67 と言う事は、どんなモノであれ、数値化(定義化)が可能なものであれば、
A=Aの定理に基づき、数値化された記録を複製する事は可能という論理ですな。
というコトは、デジタルに記録する事は時間軸を止める事になるのでしょうか?
後は、複製の能力の問題で100%といわずも99.99999.....%は可能と言う事でしょうか?
デジタルーデジタル間でも消滅の可能性は否定できないような気がします。
アナログデータ(自然界かな)間の複製 を含めるならば 「完全な複製ができないものは存在するのか?」 でよいと思われ。
>>68 完全なる複製の定義のヒントはデジタルにありってことかな?
でも、それが一番考えやすそうだね。ベストエフォートか、ありですな。
72 :
考える名無しさん :02/09/13 02:22
日付の差異が問われないのなら、コピーされたファイルは完全な複製。 これは、哲学的なお話だけどね。 判断する者によって結果が変わってくる。 判断する者によって左右されないためには科学的に考えるしかない。 判別可能な場合には、ある人はその違いによって、 それを完璧ではないと考えるかもしれないので、 すべての人が完璧だと考えるには、 如何なる方法でも判別不可能ではなければならない。 物理的にはそれは存在しない。 また、それが存在したとしても、複製元と複製先を判別できないので、 それは同一であり、複製されたものと認識できない。
>>69 >どんなモノであれ、数値化(定義化)が可能なものであれば、
の「定義」と言う言葉自体が表現の複製を目的としたもの
として作られたのでは無いでしょうか。
それによってある人が1と言えば別の人はその定義から
1を知ることができます、これもある人の脳から
別の人の脳への定義された情報の複製(伝達)ではないでしょうか。
人間の精神の数値化が可能なら面白いなあ。 パターン化した脳波をコピーして感情をつくり出す。 それなら、完全でなくても非常に興味深いデジタルの複製じゃない? 無知で申し訳ない。でも、デジタルは万能を目指す冒険ってとこなのかな? >>70 『完全な複製ができないものは存在するのか?』 ってできないモノだらけなんじゃないの? その場合、『完全』をとった方がよいのでは?
75 :
考える名無しさん :02/09/13 02:30
哲学的でなく、技術的なお話。 たとえばCDのデータは劣化します。 それはデジタルデータも、アナログな素材の上になりたっているから。 プラスチックは変形し、塗料ははがれる。 ただ劣化したデータは修正される結果、あたかも問題がないかのような 音がでてくるわけ。 劣化がひどくなると修正がおいつかなくなって音が飛ぶ。 同じように、コンピュータの記憶装置も、現在の技術で使われているものは データが失われる可能性があります。 ただ、それを補完する技術がきちんと考えられている結果、 そうしたデータの壊れは、ほとんどの場合、修正されます。
76 :
考える名無しさん :02/09/13 02:31
完全な複製が存在したとしても、 それはオリジナルと区別できないので、それらの数は数えることができない。 つまり、オリジナルと完全な複製物の数を合計しても、それらは一つしか存在しない。 つまり、この場合複製は存在していない。 仮定と矛盾するので、完全な複製は存在しない。
>>71 デジタルデータのコピーと、物のコピーの違いは何かって問題にもなりますが、
考え方を変えると、デジタルというのは
「コピーできるように考えられた記号(数値)の体系」ともいえるわけです。
ですから、
(アナログ→)デジタル→デジタル
という作業は、
アナログ→アナログ
とはやっていることが似ているようで全然違う。
>>74 デジタル同士の複製は自然界ではまづ
ありえないですからね。
複製ができないものの方が圧倒的に多いですよね。
自然界が本当にアナログでできているかは
どうかがカギになりますが。
それは量子力学の問題ですよね。
>>75 哲学的な話に戻しちゃうと、その場合、「劣化している」のは「データ」なのか?
という問題があるのだが。
「メディアが劣化してデータが失われる」と考えるべきでは?
あのお、実体の複製と、内容の複製を分けて議論したほうがよかろうと 思いますが。
81 :
考える名無しさん :02/09/13 02:41
>>79 システムによりますけど、劣化と言ってもいいと思いますよ。
そのあたりは、どう解釈するかという問題にもなってくるけれど、
現存するデジタルなシステムにおいては、媒体がアナログである以上
基本的にコピーの度に劣化は起こる。
劣化が起こらないというのは、あくまでも理想状態であって、
現実的には劣化の起こらないシステムはないわけで、
工学的には、そうした劣化をどのように許容範囲におさめるかが
問題になるわけでしょう?
>>76 Aと言う空間と、Bと言う空間 にまったく同じ物
が存在すると仮定します、ならばどうですかね。
>>76 『完全な複製は存在しない』は、NGワードだす。
話が終わっちゃうからね。
>>78 量子力学とは、どんな学問なのでしょうか?
分子レベルのミクロ力学?無知ですみません。
>>80 物質的な複製の例を哲学的な複製に応用して考えるって感じでどうでしょう?
86 :
考える名無しさん :02/09/13 02:44
>>80 まあ、ここでやっているのは、今のところかなり荒っぽい議論で、
「誰に対して」「どのような観点から」同一なのかといった問題が
あまり問われていないので、自然とそうした問いが欠けてしまって
いますね。
>>81 いや、だから、媒体は媒体であってデータではないのでは?
>そのあたりは、どう解釈するかという問題にもなってくるけれど、
というか、解釈の問題しかないはず。
媒体の変化を問題にするなら、
ハードディスクからCD-Rに焼いただけで劣化したことになります。
>劣化が起こらないというのは、あくまでも理想状態であって、
「理想」じゃなくて、仕様。
>工学的には、そうした劣化をどのように許容範囲におさめるかが
>問題になるわけでしょう?
もちろん。
そして、許容範囲から外れた場合は、データは「失われ」ます。
>>86 それは、「オリジナルの定義」に収斂しうる問題なのでは?
>>84 「応用」につなぐまでの論理性、必然性はありますかね。
それを明確にすれば、むしろ、「応用」というより
「複製」概念における関連性を探ることになるでしょう。
>>84 >分子レベルのミクロ力学?無知ですみません。
ここでの意味は簡単に言えば(怒られるかもしれませんが)
物を細かく砕いていくと行き着く先は何なのか
を科学する事もし最後の何かが存在するならば
デジタルに置き換えられると言うことではないかな。
>>87 つーか、ゴメン。
デジタルにヒントがって言ったはいいが、技術的な方向に偏りすぎじゃない?
哲学からはなれすぎじゃないのか?
デジタルを基準として考えるのは良いが、デジタルを信仰するのは違うと思う。
数値は、万能ではないが、近いかも知れないということでいきませんか?
>>89 そこを繋げたいところ。
禿道です。
科学的に哲学してみよう!ってことで。
例えば、ある瞬間の「物」を分子、素粒子あるいはそれ以下のレベルまで、 完全に複製したとしましょう。 でも、次の瞬間から、二つは違うものになる。 なぜなら、二つの物は同時に同じ位置には存在しえないし、 同じ位置に存在しえないのであれば、周囲の条件は 完全に同じにはならない。 風、光、温度、重力、放射線、ありとあらゆるものの、 影響の与え方が全く異なる。 従って、コピーした直後から二つの差異は拡大していく。
物理的な複製に関して言えば 量子レベルにすると、完全な複製はつくれるかしらんが、 (むしろ物理学的にそう定義されているといった方がいい、宇宙論は割愛して) 「確実な複製」はつくれないでしょうな。
>>93 空間における位置が違う最終素粒子(この言葉は自作です)
2個は違う物なのですか?
それは居場所が違うだけのような?
96 :
考える名無しさん :02/09/13 03:06
>>87 >>87 さんは、ミクロなレベルの話をされているようですが、
もう少しマクロなレベルの話をしています。単純に媒体の話ではありません。
たとえば、1bitだけの情報であれば、そのbitが反転すれば、それだけで
その情報の価値はなくなると言えます。
しかし、それが、もっと大きな量になってくると、決して単純ではありません。
数ギガバイトのうちの1bitの損失はどうなのか?
それが、情報の有益性に対して与える影響は、そのシステムの設計によりますが、
多くの場合は、
1bitの損失=全体が無価値になる
わけではないわけです。(たしかに、その1bitは失われたのですが)
その損失が、どのように訂正されるか、あるいは訂正されなくても
問題を与えないかは系依存の問題ですが。
>>93 >>95 この場合、理想空間でなされることか、現実の空間(自然世界)に
理論的になされることか、というので違いがあるでしょう。
>>91 >デジタルにヒントがって言ったはいいが、技術的な方向に偏りすぎじゃない?
>哲学からはなれすぎじゃないのか?
メディアの劣化の問題は技術的な問題ですが、
「デジタルデータとはなんであるか」は技術から離れた問題であると思います。
むしろ、あなたが技術的な問題に固執しすぎているように思います。
>デジタルを基準として考えるのは良いが、デジタルを信仰するのは違うと思う。
デジタルを基準として考えてもいないですし、信仰もしていません。
>数値は、万能ではないが、近いかも知れないということでいきませんか?
数値は、もちろん万能ではありません。「そのように定義されたもの」でしかないです。
>>96 >>87 さんは、ミクロなレベルの話をされているようですが、
ミクロ・マクロは関係無いです。
私の言っているのは、媒体とデータの違いです。
>>97 とりあえず、理想空間であれば、完全に同じものといえるの?
>>97 「現実の空間(自然世界)」ならば最終的には複製を作成する側の
技術力と言うことになり。不安定な結論になりますよね。
むしろ哲学的なのは「理想空間でなされること」のような
きもしてきましたが。
議論が二つに別れてしまっている。 >>95 的外れだったら、すみません。 その最終素粒子(一番ミクロってことですよね?)の複製と言うのは可能なのですか? >>96 体制に影響なければ細かい部分は気にしない。っていてるように聞こえます。 そうすると、完全の基準を下げたと言う事になるので、 ベストエフォートでは、ないかと思われ。 デジタルデータについて細かくは解りませんが、 数値化して計るものとおおまかに解釈するのを嫌っているのでしょうか?
「坊さんが屁をこいた」という字か書いてある紙があったとして、 それを見て別の紙に書き写した場合、 二つの紙は別のものだし、字の筆跡も違うはず。 でも、「坊さんが屁をこいた」という情報は、完全にコピーされたといえる?
>>103 あまりに汚い字で書いてあるため「坊さんが尻をかいた」に読まれるかも。
>>102 さんの
>的外れだったら、すみません。
>その最終素粒子(一番ミクロってことですよね?)の複製と言うのは可能なのですか?
すばらしいヒントありがとう御座います。
最終素粒子の複製は不可能です(隣の素粒子を持ってきてこれですは無しです)
、なぜならそれ以上小さい粒子は無いのですから。
最終素粒子を組み合わせたものは複製可能(神業的な技術があれば)
ただあくまで、最終素粒子が存在するならばの話ですが。
複製の能力や技術、方法論についても話さなきゃダネ。 でも、みんな寝てそう。俺も寝よっと。あしたあした。
>>俺も寝よっと。
理想空間では(もちろん物理学的に定義されたものだが) 等質的に二つの系が存在することは可能。 問題は、いかにして二つの系と認識するのか、だが。 逆説的にこうしてはどうか、 二つ系の存在、また、その「間」の距離(延長)のみを与える、 我々は二つを「区別」するため、「二つ」と呼ぶが、 二つのどちらかを定義する方法はない。 ゆえに、二つは同一という他ない。 例えば、「左の系」「右の系」などの違いを作るのに、 何に対して「左」なのか「右」なのかを決める術がない。 (こうすると複製はさておき、複製を「つくる」なんてことは、 もってのほかの話になってしまうが)
110 :
考える名無しさん :02/09/13 03:32
おはよう!!
111 :
考える名無しさん :02/09/13 03:35
長くなって、エラー。(笑) 通俗的に言われている「完全な複製」とは、 原料・製法などをオリジナルと同じにすることで精巧なレプリカを制作することを指すだろう。 これは「完全な複製」一般には当てはまらないだろうが、 例えば、絵画などでは当てはまるのではないか。 複製においては、差し当たって、 オリジナルの空間的・時間的な位置はそのオリジナルの性質としない。 絶対に複製され得ないものであるからだ。 そのような形而上学的な「完全な複製」の場合、 その「完全」にとって「精巧」は副次的なものとなり、 通俗的・直感的な「完全な複製」からは外れてしまう。
112 :
考える名無しさん :02/09/13 03:35
アリストテレスの4因に従って考えると。 形相因の一致は当然だろう。 オリジナルの画家が何を描いたのか解らないのに複製はできない。 質料因・作用因も、できるだけ(完全な複製の場合は完全に)一致することが求められる。 オリジナルが顔料で描いてあるのに、墨で描こうとしても仕方がない。 またオリジナルがフレスコであるなら、油絵で模写されるよりも、 フレスコで再現される方が、より完全に近い複製と考えてよいだろう。 ただ目的因だけがオリジナルと複製で同じである必要はないし、 同じであることはまず無理である。 ルーベンスの絵画の複製を制作する場合でも、 そのノートルダム大聖堂に飾るという目的因を一致させようにも、 大聖堂には既にオリジナルがあるわけで、一致することは不可能である。 もし大聖堂の絵がなくなってしまい、その代わりを制作するのだとしても、 代わりのためという複製の方の目的因は、オリジナルにはない。 この点は、上記の形而上学的な問題とかかわってくるだろうし、 単純に言えば、複製の結果としてのアウラの喪失であろう (ただ、何を描くかという形相因と切り離して考えることには限界があるが)。
113 :
考える名無しさん :02/09/13 03:35
微粒子レベルにおける差異は、差異を認識する主体がいない。 ふつう、絵画などを顕微鏡で見たりする人はいないし、それは絵画の見方ではない。 この場合に限れば、差異を発見するための見方とも言える。 時間軸におけるオリジナルの磨耗は、 差異を生み出すものではなく、通俗的には、 むしろオリジナルと複製との差異を曖昧にするものであろう。 このとき、この磨耗は複製に対して悪影響は及ぼさない。 物理的に厳密に一致させる場合、その磨耗は、 何を複製するのかという点を曖昧にし、複製に対して悪影響を及ぼす。 結論としては、通俗的には可能。 厳密な物理的な意味では不可能であるが、近似的には可能だろう。 形而上学的には、いろいろ考え方があるだろうが、上述の意味では不可能。
114 :
考える名無しさん :02/09/13 03:37
>>99 どうも、こちらの議論を追ってもらえないみたいですね。
これは媒体、データの議論ではありません。
>媒体の変化を問題にするなら、
>ハードディスクからCD-Rに焼いただけで劣化したことになります。
ハードディスク上のデータとCD-R上のデータが、同じデータであると
扱われる系でなくては、両者は同じデータとはなりません。
デジタルデータが、デジタルデータとして機能するには
そのデジタルデータをエンコードし、デコードする系が必要です。
私が言っているのは、その系を考慮に入れないと意味がない、ということです。
その限りでミクロ・マクロという表現を使っています。
そうしたデジタルデータを可能にする系を考えていないという点で
「理想的すぎる」と言っているのです。
>>111 物理学的に定義されている意味では、これが一般論であると思う。
おはようございます A. もしも この世には、オリジナルを構成している最小の構成要素が 存在する と仮定するならば その最小の構成要素自体は複製できません。 なぜなら、もうそれ以上それらを構成してる要素は無いからです。 つまり、オリジナルは構成できません。 B. もしも この世には、オリジナルを構成している最小の構成要素など 存在せず、永遠に細分化が可能だと仮定するならば そのオリジナルは複製できません なぜなら、そのオリジナルを複製ために必要な構成要素 を得るためには永遠の時間を必要とするからです。 ゆえに A,B より この世では、オリジナルを複製することはできません。
ABは、フライより、てんぷらのほうが好きです。
一致の問題ですよね。 デジタルの世界では、はっきりしてますが、 アナログの世界では、完全と不完全すら分けることできませんよね。 だだ、普通に考えると、99.99%位なら一致ならば、一致といってよいのでは。 ど素人ですみません。
119 :
考える名無しさん :02/09/13 11:43
全く異なる複製はありえるのか
>>118 複製を作るには、何らかの合成が必要なはずです。
(合成が必要ない同一物は偶然の産物であり、複製ではない)
合成を行うには、既に知りうる2個以上の要素が必要です。
>「完全と不完全すら分けることできません」
つまり「既に知りうる2個以上の要素」を特定できないのです。
したがって 100%の複製はできません。
100%以外は可能と言うことになります。
ほんだら、最初っから完全というのはないわな まあ、理論上の完全はあっても、実際は完全ちゅうもんは、なかった あるいは、「なんにもない」のが完全ちゅうことになるなー あー訳わからんようになってしもた ごめん
123 :
考える名無しさん :02/09/13 15:14
>>118 存在論的な同一性と、オリジナルとコピーの間の同一性とは異なるのではないか?
124 :
考える名無しさん :02/09/13 15:30
>オリジナルを構成している最小の構成要素
とは例の質料因を分析した上の最小単位のことでしょうが、
>>116 の言う「複製」(自然実体的な)が、本来の述語として
可能であることがすでに妥当されているならば、
(つまりそれが、完全なかたちでなくとも、
何らかの、述語の性質を示す語として成立するならば)
質料因の最小単位の固有性を妥当するのは、そう簡単なことではありません。
結局、裏の論理として延長的違い(空間的違いなど)を
もちだすかもしれませんが、それでは「
>>116 の言う複製」は
定義的におかしいことになるでしょう。
>>124 他者のご意見を聞きたし、
自分だけの納得は自己満足にすぎませんので。
↑の発言は「これで終了?」への返答ね(^^;)
>>125 「複製」で複製されたもの同士をすり替えた場合
ほとんど見分けがつかない。
「完全な複製」で複製されたもの同士をすり替えた場合
見分けがついてはならない
という意味で私はとってたんですが、ここまでは
どうですかね?
「複製」で生成されたもの同士をすり替えた場合 ほとんど見分けがつかない。 「完全な複製」で生成されたもの同士をすり替えた場合 見分けがついてはならない のほうが表現的にいいですね。
<物理的理想世界での「完全な複製」の成立>
理想世界(物理学的)中に
二つの系BとAを存在させる、BとAは複合体的に異なり区別される。
そこでBに何らかの作用を加え、
最初に与えられたAと区別のない存在に変え、
なおかつ、BがAに与えたであろう延長的作用は
(Aになる)Bの延長を調整することで変わらないものとし、
それを含めて、Aの状態は基本的に変わらないようにする。
しかし、ここは物理的考察であるから、時間的変化である必要性はある。
それにあたり考察を楽にするため、各瞬間に常に観測することが可能として
Bの延長の変化は、「Bの移動」を意味し、
Bの変容は相対論的な調節も必要であると思われる。
しかし、物理学的理想世界では全ての系は、数値的に支配されているため、
それを成立させる最小単位と言えば、「1」であり、
その意味で各系は複合体的(量的)であり、
等質の二系を成立させることは可能だろう。
かくして、BはAに変容し、AとAの相互作用は互いに同様であり、
>>109 の状況はなされ、これでAは「完全に複製された」ということが
できるのではなかろうか。
しかし、これらは、量子レベルの調整でなされることで
確率的に可能なだけであるが。
>>130 なるほど、そうすればとりあえず、その意味での複製では、
普遍的な延長的違いについては考えないということですね。
ということになると、いかにして、
最小単位がそれぞれ固有である、という命題が証明されるのでしょうか。
>>131 最小単位と最小単位の間で差分は無いか?
という命題ですね?
だとすると、頭痛いですね(^^;)
>>133 この点を明確にするなら、
「いかにして、最小単位と最小単位同士をすり替えた時見分けがつくと言えるか?」
ということですね。
135 :
考える名無しさん :02/09/13 18:28
>>134 見分けはつかないでしょうね。
最小単位同士が空間的位置という内包(と見なせる)の要素を除いて一致する場合、
見分ける方法はないと思います。
量子力学的観点からみると あるものを正確に観察するということはその物を 破壊する事を意味する。 例えば、アリの巣の仕組み見ようと土を掘った時点で すでにそのアリの巣は壊れているわけで、観察者の 目に入る光景は本来のアリの巣では無い。 例えを、素粒子レベルにしたとしよう、ある時点Aで 観測対象を見ようとしたときその変化は観測対象に 影響を及ぼしある時点Aの時の真の姿ではもうない。 この事から、オリジナルの完全な真の姿は見ることはできない。 このことは、完全な複製を作れない事を意味しているのでは 無いでしょうか。 なんてどうでしょうか。
>>114 >ハードディスク上のデータとCD-R上のデータが、同じデータであると
>扱われる系でなくては、両者は同じデータとはなりません。
もちろんそのとおり、だから、「デジタルデータとはそういうものだ」ということ言っています。
>デジタルデータが、デジタルデータとして機能するには
>そのデジタルデータをエンコードし、デコードする系が必要です。
デジタルデータ処理においては、暗号化や非劣化圧縮などの、
デジタルフォーマットにおけるエンコード、デコードの処理は、
仕様上は劣化は発生しません。
データが失われるのはエラーが起きたときだけです。
マイクやカメラからの入力、ディスプレイへの表示やスピーカへの出力などの、
DA/AD変換においては、劣化は生じますが、これは、デジタルコピーではありません。
「オリジナルがデジタルデータの場合、その完全なコピーであるデジタルデータが存在しうる」といっているのであって、
オリジナルがアナログなら、デジタルを経由してももちろん劣化します。
そのことと、デジタルデータの複製の存在可能性は無関係な問題です。
>そうしたデジタルデータを可能にする系を考えていないという点で
>「理想的すぎる」と言っているのです。
あくまでも、哲学的な問題として、
「デジタルデータをオリジナルとする場合においては完全が複製が存在しえる」
といっています。
「いかなる場合にデジタルデータならエラーなく扱える技術が存在する」
とも、
「デジタル化すればなんでも完全にコピーできる」ともいっていません。
オリジナルがアナログであれば、DA/AD変換におけいて劣化が生じるのは当然です。
>>136 素粒子レベルで完全に観察できないのなら、
素粒子レベルでのオリジナルとコピーとの差異は、
あってもなくても同じことを意味します。
むしろ、差異を定めることができないことになる。
だから、完全な複製は可能ではないでしょうか?
とも言える。
>>138 >むしろ、差異を定めることができないことになる。
だから、完全な複製は可能ではないでしょうか?
この場合、
完全な複製 と 絶対的複製 は違うと言うことですね?
>>139 そうなります。
ただ、差異を定めることはできないということは、
差異を考えることができないということになり、
「オリジナルとコピーに違いはない=絶対的複製」となる余地はあります。
>>140 完全な複製=絶対的複製+観測できない誤差
が成り立ちます、この場合、観測できない誤差が存在すると
完全な複製=絶対的複製
はありえませんが、
観測できない誤差が限りなく0に収束するならば、
無限に継続される複製工程の途中で偶然にも観測できない誤差が
0そのものになることは在ります、この場合は
完全に複製できたと言っても良いでしょうね。
↑失礼 と言うより、どれを見ても観測者には 完全な複製=絶対的複製に見えてしまうのでしたね。
「観察者にとって完全な複製に見えること」=「実際に完全な複製であること」なの?
>>136 (129さま)
>観測対象を見ようとしたときその変化は観測対象に
>影響を及ぼしある時点Aの時の真の姿ではもうない。
「真の姿」というのはかなり強引ですね。どういう意味でしょうか。
この見解だと、シュレンガーの猫は
二分の一生きているのが「真の姿」ということですが。
>>144 >真の姿
その変化は観測できない誤差ということで。
限りなく0に近いということで。
>>143 「観察者にとって完全な複製に見えること」=「実際に完全な複製であること」
が成り立っているかどうかは、観測者からはわからないと言うことでは。
>>144 すいません、ちょとおかしな表現でした。
「真の姿」ではなく「観測者から見た姿」
でした。
>>146 観測者からは同一に見えても
実際には観測誤差が含まれている場合があり
それが存在するかどうかは調べる余地が無い
ということでは。
私の考える限りでは、 ある物理現象の帰結を考えるならば、 観測がなされるのは当然であり、 または観測されうる事象の可能性の問題になりますが、 結局は、「観測されること」が、問題の焦点になります。 それは「複製がおこるかどうか」という物理現象(としてのこと)の探求にも同様です。 というのも、Aの複製をつくる、というならば、 それは「最初に観測された」Aを対象として考えているのですから、 当然、その後につくられた複製は、「新たに観測されたA」になるべきです。 そこで、完全の複製化が成されればAは二つ観測されることになるわけです。
>>149 調べる余地が無いということは、観察と実際には関連が無いということなのでは?
そうか、「作れるかどうか」と「存在しうるか」は別の問題だね。
いつの間にか、レベルが上がりまくってて、ついていけない。 ROMって勉強します。
>>154 それはそうですが、存在しうることも
可能です。
その真偽は、129さんによれば「必然的に」観測できないらしいですが。
(しかしもし、生まれた二つの系の「ふるまい」に
どうにかして(何らかの作用を加え)「違い」が見出せるならば、
それは「観測可能」ということになります。
そこでその観測には無限の時間を必要とするといっても、
理想世界で考えれば、無限に時間を費やすことは可能です。)
少し強引な方法を考えてみました。 例えばほぼ無限の数の「複製もどき」を作れば いつかは、「完全な複製」にめぐり合う可能性も あります、人類が宇宙に誕生したように。 このような、無限の時間をかけて作っても良いと いうのなら。 「完全な複製はありえるか」は言葉の上では成立します。
《論文調の長文レスの掲示についての、このスレッドの読者への質問》
このスレッドの設題は私的に興味ぶかいモノなので、
それへのレスの文章をワードパッドで作ってみました。
ところが、わりと長め――約48行で2100字余り――になったうえに、
形式的にも内容的にも掲げづらい文章になりました。
作った文章の内容は、
>>1 の問いについての、形式言語化の手法を含んだ
〈論理分析〉的なモノになっていて、その形式(文体)も、敬体ではなく、
論文調の常体になっています。
このような文章を掲示してもいいですか? >>ALL
>観測には無限の時間を必要とするといっても、 >理想世界で考えれば、無限に時間を費やすことは可能です。 というよりも無限に時間をついやしても駄目です。 最小単位が存在しない 116のBの状態では 最小単位は永遠に見つからないので、そこの処理 からさきにすすめないのではないでしょうか。
眠いなまたこよっと
>>157 私が考える「(物理学的理想世界での)完全な複製」とは、
まず、オリジナルAが存在し、
それがAであるまま存在し、
そこにもう一つのAができ、それら二つに「違いが見出せず」、
尚且つ、それらには「区切り」があるため、「二つ」ということができる
という結果を生むことです。
これに照らし合わせるならば
>>157 の問題点は
世界に三つ以上の「雑多な」系が存在するゆえに、違いを見出すことができてしまう点。
それら生み出された系によりオリジナルAが変容してしまう危険性がある点。
「複製もどき」の作り方が明確でない点。
むしろ、そのままでは、
無限の時間に相当した無限の「複製もどき」を作ってしまう点(確率的に)。
必然性として可能かどうかという議論をすっぽかしている点。
無限の時間をかけて人類が誕生した、というのを証明してない点。
>>159 無限に時間をついやしても駄目です。
なぜでしょう。
無限に時間をついやしても違いは観測されないということはつまり、
誤差はないということでしょう。
>>158 べつに、いいけど、何かの役に立つの?
結構言葉の遊び的な要素も含んでるんでるんでしょ?
>>160-
>>163 ありがとうございます。
では、コピペしてみます。不慣れなせいで、すこし時間がかかるかもしれません。
おっと、
>>164 訂正しとくよ。アバラージタさんごめんね。
>>159 >無限に時間をついやしても駄目です。
なぜでしょう。
無限に時間をついやしても違いは観測されないということはつまり、
誤差はないということでしょう。
これきしのことですまんね。それとせっかくだから、
恥ずかし訂正で、
>>144 は「シュレンガー」を「シュレディンガー」にしといてくらはい
>>167 なんで謝ってんだ?ま、気にしないでくれ。それで、まあ、お願いしますよ。
文書の方
予想どおり「文章か長すぎます!」と出てしまった・・・・・・ なので、文段ごとにコピペします。>>ALL
§1) 「完全な複製はありえるか」 (D1) この設問D1については、つぎのような解釈ができる: 《同質性の原理を満たす関係に存る、そのような、二つ以上の異なる個体が在りうるか》 (D1a)。 (D1a)は、形式言語FLで、つぎのように素描できる。 ¿◇∃xy[∀Φ[Φx⇒Φy]∧x≠y] (FL1-D1a) いま、二つの個物a,bについていえば、a,bのどちらか一方かが他方の複製であるとすれば、 aとbとは、発生(生成)の時間について互いに異なっていて、空間で占める位置についても 互いに異なっているはずである。さもないと、bがaの(あるいは、aがbの)複製であると判断するコトさえ できないから。それゆえ〈bはaの完全な複製である〉という関係Rの部分;〈完全な複製〉という述語の うちには〈存在する時-空間が互いに同一である〉という性質は含まれない。このコトは、一方が他方の完全な 複製であるような関係に存る個物a,bといえども、〈物体としては同一物ではありえないコト〉を含意する。 だから、D1が《異なる二つの個物a,bついて、a=bとなるような複製の仕方はありうるか》のような 意味で表わされたモノであるなら、これにたいする答えは「そのような意味での〈完全な複製〉は、 論理的には在りえない」となる。?
§2) D1を、別様に解釈するとき、答えは、反対に「ありえる」となるかもしれない。 たとえば、 《異なる二つの個物a,bについて、〈aがもつ全ての性能〉を〈bがもつ全ての性能〉にする、 そんな複製の仕方は在りうるか》(D1b)。 (D1b)を、それの部分;「複製の仕方」を“K”と略号して、FLで記す: ¿◇∃K[K[∀Φ[Φa⇒Φb∧a≠b]] (FL1-D1b) 二つのFL;(FL1-D1a),(FL1-D1b)の先頭の部分の形式化のちがいが、D1にたいする解釈のちがいを示めしている。 前者では〈一方が他方の完全な複製であるような、そんな二つの個体の存在〉が問いの対象であり、 後者では〈二つの個物について、一方の個物がもつ性質の全てを、他方の個物がもつ性質の全てとして与えるような、 そうした複製法の存在〉が問いの対象である。§2)了。 文が変なぐあいに張り込まれてますね。読みづらくてすみません。
§3) (FL1-D1a)と(FL1-D1b)の文から疑問作用子と可能作用子とを除いてみる: ∃xy[∀Φ[Φx⇒Φy]∧x≠y ] (FL2-1) ∃K[K[∀Φ[Φa⇒Φb∧a≠b]] (FL2-2) 因果性の点から観て、(FL2-2)がなりたたないときに(FL2-1)がなりたつ、とは考えにくい。 言い換えれば、 (FL2-1)がなりたつためには(FL2-2)がなりたつコトが必要なコトである。 つまり、(FL2-1)は(FL2-2)を含意する: (∃xy[∀Φ[Φx⇒Φy]∧x≠y]⇒∃K[K[∀Φ[Φa⇒Φb∧a≠b]]) (FL2-3) 一方の(FL2-2)のほうは、(FL2-1)を含意しないだろう。(FL2-2)がなりたつときに主張できるコトは、 (FL2-1)がなりたつ可能性である: (∃K[K[∀Φ[Φa⇒Φb∧a≠b]]⇒◇∃xy[∀Φ[Φx⇒Φy]∧x≠y]) (FL2-3)。 §3)了。全文の完。 D1のような問いについては、ウンベルト=エーコ著の『記号論T』の「完全複製」の節の辺りが、 考えの援けになるかとおもいます。
>>170-172 aとbの取りかたにかかわらずKが存在するとします。
§1で言われているようにaとbの性質には、おのおのの空間的・時間的位置を含めないとします。
複製する以上、原理的に除外される性質としても構わないでしょう。
ここで壱萬円札(日本銀行券)の複製を考えます。
諭吉です。
ある壱萬円札aをKにより複製した紙幣をbとします。
全ての性質が複製されるということは、
もちろん物体的な属性はすべて複製されていなければいけません。
この時点で外見上区別のつかないaとbがあるわけです。
しかし、aには、aについているのと同じ番号を持つ紙幣はない、という重要な性質があります。
この性質がないと当然紙幣としての役割は果たせません。
ここで、bにはその重要な性質がないことになります。
同時にaのその性質もまた消失することになるので、これをa´とします。
a´とbはまったく同じ性質を有することになります。
が、aとbは同じ性質を有していない。
bがa´ではなくaの複製となるべきであることを考えると、
aの複製としてbを作るのは失敗であると言えます。
このように、複製される品がもともと複製を許さない場合もあります。
上記の機能的に複製を許さない場合のほか、
絵画の複製においてはアウラがあるために、同様に複製は許されません。
それでも偽札や模写・複製絵画が複製品となる理由を追究するなら、
(複製において原理的に除外される空間的・時間的位置を除いたとしても)
§2のように一括して扱うのは大雑把すぎると思います。
>>173 補足
aとa´とbの時間的位置ですが、自分でいまいち整理しきれていません。
bが複製された時刻をtとすると、aはtより前の存在者であり、a´とbとはt以後の存在者です。
「aについているのと同じ番号を持つ紙幣はない」の解釈ですが、aと同じ番号を持つ紙幣は、
たとえaがなくなった後でも別の紙幣が同じ番号を持っていてはいけないはずですけど、
aと同じ番号はa´が持っています。
aとa´との関係で、この点をウヤムヤにしていると思われます。
ただ、議論全体としては、重要な指摘であると思います。
複製をもとから許さないようなものの複製は、
なぜ通常、不思議がられずに複製と言われるのだろうか、という点です。
>>156 >それはそうですが、存在しうることも
>可能です。
というか、「複製しえない」「観測しえない」=「存在しえない」とはならないということ。
「存在しえるかどうか」は別の問題として在る。
哲学的に考えて、そもそも完全とはなんだ?
>>167 では、例えば誤差を正確に検出する方法論として
次の方法を考えてみました。
面白くするために、モノサシの複製を考えます。
元となるモノサシAは長さ不明です、このモノサシAと
まったく同じ長さのモノサシZを作る事を目的とします。
( 話を簡単にするために長さだけを考えます、
また空間の歪みなどは無いとします)
まづAの複製としてcopyBというモノサシを作ります
copyBは製作者には見えない誤差を含んでいます
次にcopyB の複製である copyC を作ります
このようにして、複製から複製を作り出し
規定回数を繰り返して最終的にcopyZを作ります
もし、途中の複製が完全な複製ならば
AとcopyZを見比べても誤差が発見できないはづです
だがしかし、誤差は毎回蓄積され次第に目に見える
誤差へと変わります、最終的にAとcopyZのモノサシが
を並べてみて、長さが違わないような複製ならば
それは「完全なる複製」といえます。
<177の 修正> >長さが違わないような複製ならば >それは「完全なる複製」といえます。 長さが違わないような複製方法があれば それは「完全なる複製」を作る方法といえます。 <177の説明の追加> お気づきの方はお気づきでしょうが 長くなる誤差と短くなる誤差が50%:50% で均等におこれば最終的にも誤差が見えなくなるかと 思う方もいるかもしれませんが、確立的に途中で 長い(もしくは短い)誤差が連続的に起きることがあります この時点で誤差は発見されます。
>>176 「条件を遺漏なく満たすこと」でよいのでは。
>>176 「完全」と言う言葉の意味の複製を「完全に複製」できなと
それは表現できないのですかね、無限ループか(^^;)?
「意味」って複製できるのかね。
意味=実体の量子化されたもの(デジタル化) ととらえるならば、 「意味」−「意味」間はデジタルなので複製可能かと。
但し、「真の実体」を「意味」にサンプリング化するときに 「真の実体」の「意味」の一部が欠如する?また無限ループ(^^;)
179さんの答えがいちばんすきだなあー
というか、量子化したものは、「量子の意味」が無いと、 元来の意味をなさない。 「2」という数値は、「おめめ」の数なのか「おみみ」の数なのか 「かあさんのおっぱい」の数なのかは、数値だけではわからない。
186 :
考える名無しさん :02/09/14 13:23
一般的に「複製」というと、 ある同一の時間の異なる位置に、 あるものを模して作られたもののことを言う。 物理的には、ある原子の状態の情報を離れた位置へ持っていこうとしても、 持っていった時点で、時間が経った分だけ、元の原子の状態が変化しているので、 光速度を越えて情報を伝えることが出来なければ、完全な複製はあり得ない。
>>124 しばらくぶりでやんす
やっぱりようわからんかったけど
やっぱ完全というのは、頭で考えても難しくなるだけなんで
経験からいったほうがええんかも、ってところかな
188 :
考える名無しさん :02/09/14 13:24
経験より上の形而上の世界だね
いままで小さなものばかりに気を取られてましたが、 世の中で一番大きい素数の「完全な複製」は作れるのでしょうか?
そっか、形而上か おいらなんかには、手の届かない、そんなところかな
とりあえず
>>175 確かに、「複製しえない」「観測しえない」=「存在しえない」とはならない、
ほぼそういうことができます。
しかし、とりあえずそこまでの129論では、
複製が完全に同一として存在したつまり、「観測できない誤差0」であったときは
ありうるのですが、本当にそうなのか、は観測できないということになります。
(
>>156 の「真偽」と言う言葉のさす対象が、あいまいだったせいかもしれません。
それは「完全に同一に存在している、ということの真偽」です。
ちなみに、ここでの「存在」概念は、175さんの文脈にあわせて定義することにします。)
>>167 言われてる意味がようやく解りました。
167さんがおっしゃりたいのは、複製を行う世界が永遠に
Heat Death(熱的死)状態にならないとした場合の事を言って
おられたのですね。自分は宇宙は必ずエントロピーが
0の状態になるので、最後には観測を行うことすらできなくなる。
という意味での無限の時間をとらえていました。
>>191 >ありうるのですが、本当にそうなのか、は観測できないということになります。
まあ、そうですが、確認方法の存在の有無は、この問題にかかわってくるのでしょうか?
「存在しえない」にしても「存在しえる」にしても、それを裏付ける
論拠があれば(まあそれは観測可能なその他の現象から導き出された法則の敷衍になるわけですが)
観測可能性とは無関係に存在可能性の有無は論じられるのではないでしょうか?
>>193 「偶然に存在した同一の物」
「故意に複製した同一の物」
を見分けなくては?
>>192 スマソ修正
エントロピーではなくポテンシャルの間違え
エントロピーは正の無限大でした。
>>156 の「無限の時間」は若干の強引さがあったので、少し修正、また、明確化をする。
まず最初に二つの場合わけがある。
T)神がサイコロをふらない場合
この時、二つのAの誤差は何らかの方法で観測できなければ、ないといってよい。
そこで、無限の時間の観測が必要であったとしても、
理想世界では観測が無限の時間なされ、
Aが、Aであり続けること(複合体としての変容がないこと)は
便宜的に定義される(確率によらない)ため、二つのAがAであり続けることが
無限の時間で確認された場合、同一と定義できる。
(これは理想世界の理想性による)
もう一つは後で
ところで
>>177 では129氏の妥当する上での「観測できない誤差の観測方法」が示されました。
チャンチャン
>>196 はじめから「故意に複製した同一の物」の存在可能性の証明ができれば
「見分け」は必要なし
ただの「同一の物」の存在可能性の証明だけならば
「見分け」は必要有り
と言う意味です。
>>197 >「観測できない誤差の観測方法」
自分でもワラタ(^^;)
>>200 スレッドタイトル
「完全な複製はありえるか 」
>>1 の命題
「オリジナルと全く寸分違わぬ複製というのは、
作れるのでしょうか?」
ちなみに今はどちらのレスで進行してるんでしょう。
すみません、しばらくROMって考えたのですが、 一定の質量を持つ物質Aを複製するということを アインシュタイン原理を飛躍解釈して応用してみてはどうかと思いました。 例えば、一定の質量を持ち性質の変わらない物質Aを Xの距離、移動させます。それにかかる時間をYとしたとき。 Y=0にすれば、同時にAを2つ存在させる事になりませんか? アインシュタインの原理では速度を速めれば、時間軸をこえられるはずだから、 一定の距離を移動する所要時間が0ならば、複製が可能なはずではないかと。 短絡的かつ幼稚かもしれませんが、いかがてしょうか? 既出ならすんません。
>>201 このスレは、レスが多元化する事がよくあるので、気をつけて。
全部、進行してます。
>>202 うまい事言ってる気になってるが、さらに多元化する原因になるぞ?
>>202 ロケット内の時間進行はゼロまで遅らせることはできても。
観測者の目からは光速で移動しているにしか見えないのでは?
>>204 あくまで、机上の空論ってことか。
ん〜〜〜〜難しい。
>>201 >>1 の線(複製の行為可能性)でいくなら、
>>198 からいくと、観測可能性は(あなたの主張においても)やはり必要無いのでは?
>>197 の続き
U)神がサイコロをふる場合
もし「二つのA」と見なされていた二系が、違う振舞いをし、
どのような変容をなしても、
それは、対象Aについてパラレルワールドから迷いこんだ
もう一つのAが違う変容をなすように、
それが、やはり同一で「なかった」ということの証明にはならない。
ゆえに、もし観測できない違いというものがあるならば、
それは二つのAが存在した地点で二つのAがもつ、
次の複合的な変容への可能性のそれぞれの確率の違い、であるに違いない。
これについては、定義されるべきAが
「そのような確率の違いについて固有的である(単にそういう属性を持つの意味)」
ような系としてある場合(この条件を※とする)、
確かに観測無理の違いが両者にあらわれるという他ない。
しかし、それは定義されるAとしてであり、現実にとりあげる対象には
そんな固有性は観測できないのだから、対象に属さないことになる。
このように、現代物理学法則に規制された理想世界の
存在論としての完全な複製は、
Tの場合、理想世界の理想性ゆえに、便宜的に確証ができ、
Uの場合、その理想性に、裏切られ、確証がなされないようだ。
しかし、Uの理想性の裏切りとは、ただ「理想世界としての問題提議の例外的な一つ」
(※のこと)をとりあげたまでだから、考えなくてもよいかもしれない。
>>206 納得、勘違いしてました。
存在してるんだから、誰かが作ってたんだよね
>>185 今までの流れからすれば
量子とは、「質料因の分析結果現れる単位」として考えるべきではないでしょうか。
結局、
>>207 から考察するに、
複製しようとする対象Aとは何か、つまり、
複製対象とは何をさすのか、が問題になります。
ここでAを「観測できないものを属性に含めたもの」とした場合、
「複製をつくった、ことの絶対的確証」は必然的に不可能になります。
>>209 量子化された結果というのは「単位そのもの」ではなく、
「量子化に使われた単位で表される値」なのでは?
>>212 すいません。混乱をうむので、こうします。
量子とは質料因の包括的量単位ではないか。
>>209 は実際的な意味での「量子」の性格が中途半端に入ってしまいました。
>>213 >量子とは質料因の包括的量単位ではないか。
そりゃそうですが。
だから、量子化された結果としての値は、
何の量子化の単位が何であるかから離れては意味をもたないという
ことをいっているつもりなんですが。
私の
>>130 の
>それを成立させる最小単位と言えば、「1」であり、
にある「最小単位」の表現は間違いでした。最小というわけではありません。
便宜的につくられた単位というべきです。
ということで、ここで185の言う「量子」とはそういった「単位」という
意味だと私は解していますが、
>>170 その意見は、地球の大円の円周が絶対的な長さの単位である
といっているに等しいと思います。
私は、1メートルが「長さ」の量単位であるように、
1という量子(ここでの文脈的な意味での)が「質料因」の包括的量単位である
といっているつもりですが。
>>170 って何?アバラージタじゃん!?
(彼もかわいそうだな誰かつっこんであげないのかな…
俺に同情されてんのが一番かわいそうだけどね)
ということで、ごめんなさい。
>>215 は「
>>170 」じゃなくて「
>>214 」
>>215 さん
{ 2,2,3,10 } 何を量子化(サンプリング化)したデータ
だかわかりますか?
>>215 これだけでは何のデータだか解りませんよね
このことを214さんは言いたかったのだと思います
ちなみに 自分の左手の各爪の間隔です(^^;)
つまり、つかわれるべき単位を決めなさいということですね。 何にしようかなぁ。 う〜んと。 ってかせっかくだからISOでいいよ。
>>219 >つまり、つかわれるべき単位を決めなさいということですね。
214さんの言われてる意味とはまだ少し違うと思われ。
「 2,2,3,10 」 というデータと「これは左手の各爪の間隔の割合です」
というメモを一緒に渡さないと利用者はデータをもらっても
利用価値が無いということではないかと。
>>220 そう、まさにそういうことです。
ただ、「爪の間隔」の場合に使用する長さの場合は、
電子の軌道のように、「その対象の性質に起因する単位」というものが無いので、
恣意的な単位を導入する必要があります。
つまり、「原子中の電子の軌道の核中心との距離」は、
エネルギー準位によって量子化(とびとびの値)にされているため、
「電子の軌道」という単位は、「対象が電子であること」と「単位における値の意味」
の両方を示しているわけですが、
「メートル」などの長さの単位は、「単位における値の意味」
(地球円周の何分の一とか)しか持っておらず、
この場合は、値、単位、対象の3つがそろう必要があることになります。
>>221 なるほどね。
でも、現実的な「量子」を定めるのは、物理学者に任せます。
物理学体系の進展にあわせ、それらは「必要性」により、定義され続けるのですから。
ここで、私が想定していることは「量子」により、質料因が量的にして固有に
あらわされる(と物理学上定義されている)ということです。
ところで、量子の辞書的な意味は
「連続的でなく、ある単位量の整数倍に限られる値(とびとびの値)で
表される、物理量の最小単位。」
ですが、私は文脈上
「物理系の固有的質料因を定める物理量の単位。」
と解しました。とびとびの値である必要性があるようですから、
最小単位とすべきでしたね。
別にそれ以外には何も問題ないでしょう。
何も私は、全てを規定する唯一最後の最小単位などを考えてるわけではありません。 それら質料因は固有の量(一つの量とは限らない)で示されること、 そして量には必ず「1」が存在すること。 そのことを言っているだけです。
いや、だからここで、量子化することの意味が問われることになるんだが。
>>221 加えて…
単純に「量子化」と「量子」の意味をごっちゃにしているのは議論の混乱を生むと
思うがね。(これは
>>212 に言うべきですが)
>この場合
どの場合?
ところで、量子によりあらわされると、
>>222 では言いましたが、
現実に現代物理学は「真の連続量などない」と定義しているのでしょうか、
そうでなければ、厳密には、私は「量子」という考え方は捨てます。
そもそもの考えに立ち返って、
私は「単位」(「1」)によりあらわされるということのみの意見にします。
>>224 その「だから」の示す必然性を説明してください。
むしろ、説得してください。
いや、むしろ、「量子化することの意味」ってのがわからん。 いやいや、むしろ、そんな問題提議あったか? いやいやいや、むしろ、もう物理の域だっしてる?
>>225 >思うがね。(これは
>>212 に言うべきですが)
そう思います。
>>この場合
>どの場合?
「爪の間隔」の場合
>現実に現代物理学は「真の連続量などない」と定義しているのでしょうか、
物理学は「定義」はしていないよ。
観測事実に符合する一つの仮説として、「量子の不連続性」というものが、
量子力学ではいわれているというだけよ。
>私は「単位」(「1」)によりあらわされるということのみの意見にします。
そもそも、「単位」というもの自体が、
1単位の量によって定義されるものなんだが。
それは、単位の定義の言い直しとは違うの?
>>226 いや、ここで「量子化」っていうのは、もう単純に「数値化」といっていいと思う。
だから、
>私は「単位」(「1」)によりあらわされるということのみの意見にします。
という主張と、このスレの議論の関係がどうなっているのかが知りたいのです。
議論中の割り込みカキコになって、失礼します。
>>172 での書き込みの訂正
主な訂正:「ウンベルト=エーコ著の『記号論T』の・・・」(誤)
「ウンベルト=エーコ著の『記号論U』の・・・」(正)
序での訂正:「(∃K[K[∀Φ[Φa⇒Φb∧a≠b]] ⇒◇∃xy...(FL2-3)。」(誤)
「(∃K[K[∀Φ[Φa ⇒Φb∧a≠b]]⇒◇∃xy...(FL2-4)。」(正)
では、続きをどうぞ。
228: 単なるコラムとしての「量子化」データの考察スレッド 227: 「完全な複製はありえるか」における「量子」の考察スレッツド 228さんは、始めから別のスレッドだと理解してる。 227さんは、同じスレッドだと思われていた。 つまり、ここの違いだけでどちらも正論。
素人が量子がどうとか適当なことをぬかすな
だから、最初に言った人にいってください。
今の議論の始まりとなる「量子」という言葉を用いだしたのは
>>185 の
>というか、量子化したものは、「量子の意味」が無いと、
>元来の意味をなさない。
>
>「2」という数値は、「おめめ」の数なのか「おみみ」の数なのか
>「かあさんのおっぱい」の数なのかは、数値だけではわからない。
で、
ここですでに物理学的手続きとしての量子化と
自然的に妥当される量概念を分析した結果現れる
最小単位(とびとびの値)としての量子により
量概念を定義づけると言う意味の(ある意味トートロジー?本当にそういう意味かな?)
量子化が混合されています。
また、その混合が「量子」という言葉にも影響し議論を混乱させています。
しかしそれらを、文脈から定義づけることも可能かもしれません。
(これまで私はそうつとめてきました)
でもそれで続いているのが、この一貫しない議論で、
しかもそのせいで諸所に便宜的な「逃げ」が隠された議論になっています。
これが今の問題(problem)なのですが、
そもそもその
>>185 は私の
>>130 における
>しかし、物理学的理想世界では全ての系は、数値的に支配されているため、
>それを成立させる最小単位と言えば、「1」であり、
>その意味で各系は複合体的(量的)であり、
>等質の二系を成立させることは可能だろう。
および
>しかし、これらは、量子レベルの調整でなされることで
>確率的に可能なだけであるが。
(これについては
>>215 で「最小単位」を「単位」に訂正しました。
他に疑問点を持つ人は
>>222-223 を読まれたし)に対するレスによみとれるので、
私が原因ではあります。これで185氏が
「最小単位(実際は単位)」と(「量子レベル」の)「量子」を混同しました。
ですから、結局は私の言葉の間違い(「最小単位」と「単位」)から
発した問題なので、自分のけつは自分でふきまして
ここで流してすっきりしましょう。
>>234 >量子化が混合されています。
それってどこが違うの?
>「最小単位(実際は単位)」と(「量子レベル」の)「量子」を混同しました。 混同はしていない。 それは、「対象の性質に起因する単位」と、 「対象の性質に起因しない恣意的な単位」という 違いがあるということを説明している。
>>236 物理系という対象に用いられる意味での量子化@と
量概念の本質的部分を考察する上での量子化Aの二通りにわけてみました。
しかし本当に含まれている混合として注意すべき部分はまだあり、
物理量に交換関係を導入して量子力学的演算子に置き変える手続きとしての量子化B
情報理論などの近似計算に用いられる意味での量子化C
などがあります。
そして、実際Aは、これらの議論の文脈から読み取り定義した(筋を通すために)
ものですが、それには量子化のC的な性格が起因しているように思えます。
ところで、現在「空間の量子化」は成されているのでしょうか?
ここまでの議論でわかるとおり、私は「量子レベル」などといいながら、
実際の理論にはとても疎いのですが、だれか「玄人」さん教えてください。
>>237 >混同はしていない。
少なくとも
>>185 は
>説明してい
ないで、混同しているようですが?
>>238 とりあえず、量子、量子化と、
本スレの問題との関係をちゃんと整理してください。
量子、量子化の問題そのものを考えるのが目的ではないのですから。
>ないで、混同しているようですが?
そこで述べているのは、「数値」と「意味」の関係を述べているのであって、
これは、単位の性質に関係なく成り立つことだが。
もちろん、Bは@に含まれていますが、Bを前提として用い、
それに対して@の幅をきかせてしまうのは、混乱を引き起こします。
ちなみに、Cの意味は故意に
>>217 で使われます。この時はまだ
()して説明してあるのでよいのですが、
その意味がその後のレスで混合して使われます。
正直、あなたの分類には同意できる部分もできない部分もあるが、 ここは量子化について論じるスレではないので、 そのこと自体を議論するのははばかられます。 とりあえず、スレの主旨との関連について、整理してください。 このスレの命題について、どういった主張をするために、 量子、量子化の概念が必要なのですか?
>>238 そもそも私が208以前で、本問題に関して使っていた「量子」という言葉は
量子化におけるBの意味に近く、
>>130 の「量子レベル」とはその意味になります。
>>185 が「量子」としてあげた私の、
物理学的理想世界で全ての系を成立させている単位「1」とは、
私にとって「物理系の固有的質料因を定める物理量の単位」であって、
これの存在は「物理系の固有性は物理「量」により、定められることから自明である」ので、
これにより、量的調整がなされる(「故意に」「量子レベル」の調整がなされる)ことで、
等質物ができる、というのが私のいうところの関連性です。
>>241 >はばかられます
スレとは関係ないですが、ここだけの話で、
どうぞ、この酸書生を啓蒙して下され。
>>242 単純にいって、
「10m の棒を複製した場合は、mを単位で考えるなら、1m以下の誤差は無視できる。」
というようなことを言っているように読めるんですが?
>215 :高ぞう→将軍 ◆xllvU7xA :02/09/14 22:39
>私の
>>130 の
>>それを成立させる最小単位と言えば、「1」であり、
>にある「最小単位」の表現は間違いでした。最小というわけではありません。
>便宜的につくられた単位というべきです。
>ということで、ここで185の言う「量子」とはそういった「単位」という
>意味だと私は解しています
>223 :高ぞう→将軍 ◆xllvU7xA :02/09/15 01:09
>何も私は、全てを規定する唯一最後の最小単位などを考えてるわけではありません。
>それら質料因は固有の量(一つの量とは限らない)で示されること、
>そして量には必ず「1」が存在すること。
>そのことを言っているだけです。
0,1mは1mにより定義されています。
「量」の哲学でもしないとだめ?う〜めんどう!
>>245 >>246 どうも、話がかみ合いませんね。
もう少し、平易な言葉で言い直せませんか?
恣意的な単位は、1単位の量によって定義されるということは
何度も言いましたが。
それとこれは、物理学の数学的解釈の必要性から「単位」を 「便宜的に」きめる他ない。ということも多分に含まれています。 本来の連続量はけして単位でとらえる必要はないのです。 つまり、このことからも私のいっているような単位=量子ということではない 事がわかってくれると思いますが。 それでは、全ての系を成立させている単位「1」、という表現が、 誤解をうむのは必然だということになります。 しかし、それを出した理由は、物理系が「複合体的」であることを示すためです。 複合体というのは、いくつかのものが集まってできたものという定義もありますから その構成要素は一見、量子のようですが、 実はそこでいうところの「いくつか」とは無限であってもいいのです。 ですから、その説明を除くために、「1が集まったもの」、の ような表現をしているのです。
>それとこれは、物理学の数学的解釈の必要性から「単位」を >「便宜的に」きめる他ない。ということも多分に含まれています。 だから、それを、「恣意的な単位」と呼んでいるのだけれど、 なにか解釈が間違っていますか?
>>249 同じに考えていいと思います。
>>248 は
>>247 みてうってないから、
別に無視ってしゃべってるわけじゃないっす。
これで何となく「量子(ACに近い)」の考えと私の意見が
もともと別だってのがわかってくれるかな〜
だから、「量子」を捨てて、「単位」でもいいってことですか? でも、恣意的な単位における「1」は、 対象の性質とは無関係ではないでしょうか?
>>251 そのとおりです。
でも、もちろん量子化可能な物理量の単位(量子)も
質料因の1として考えているわけです。
先に言うとおり、「1が成立させている」と言う考え方は
「複合体的」意味を出すためにつかわれた
わけです。それが性質と関係ないというより、
物理学上では対象の質料因は「1」によって、「表現」されます。
つまり、その表現の形式(内容でなく)が単位であり、
それによって質料因が「定められている」わけです。
しかし、だからといって、私は認識論にもっていくつもりはないので、
とりあえずここでまとめると、
物理学では質料因は複合的に定義される。
その構成要素は無限にある(かもしれない)ゆえに、
構成要素数(連続数含め)の比較のため単位を恣意的に決める。
恣意性により表現形式は変わるが、その内容は変わらない。
これで論理性に見合った、意見になったと思います。
(なんだか、当たり前のことかいてるけど。)
こんばんは、
>>252 すなわち [1] は これ以上細分化できない構成要素の一つである[個]
と考えてよろしいですか?
もっとわかりやすく!
複合体とは構成要素を無限にもつことがある。
その時、二つ以上の複合体のその構成要素数(連続数含め)の比較のため
それより少なく無限の構成要素をもつ複合体を恣意的に決め、
これを1と表現し、それによって複合体の構成要素の「量」を定める。
また、その恣意性は表現形式を変えるだけで、その内容は変わらない。
構成要素が有限である場合は、その構成要素一つを恣意的に1とすると、
整数値であらわれる点以外は、複合体の表現形式は
前者と変わらない「数」で与えられる。
「数」は物理量の全てに考えることができる。
ゆえに、物理量は各複合体とみなすことができ、
物理量により質料因の決められる物理系はその各複合体による複合体と
みることができる。
と言う論説の省略の結果が
>>130 のような誤解の原因となりました。
>>254 訂正
構成要素数(連続数含め)→構成要素量
ここであらわされる「量」とは
全ての比較材料としての「量」の意味です。
>>253 おこんばんは(そろそろわて去るけんど)
逆にわかりにくい?わかりやすいってか「ずばり」ってな感じかな。
寝る前に一応書いときます 複合体内部が複合体外部から受けている重力、 また、複合体自身の回転運動などは複製しなければ ならないのだろうか?
↑これをクリアしないと水入りペットボトルの複製で問題が出る。
>>257 そこは私もあいまいにしているところ、
いちよう
>>130 では対象の相互作用も考えているけど、
それをつきとめると、
「次の複合的な変容への可能性のそれぞれの確率の違い」も、
つまり「観測できなく、あるかもしれない違い」も
ありえると妥当しなくちゃいけなくなるからねぇ。
>>259 ああ、これは重力についてね。回転運動は別に問題外ということで。
重力を作るのはSFとして ペットボトル内部の水に働く重力が 全宇宙の星の重力の影響を受けているならば、 全宇宙を複製しなければならないことになります。 たいへんです(^^;)
>>261 そう、そこよねぇ。
>>94 でも私は宇宙論のその点を注意して、
その後、理想世界に旅立ったわけです。
でも、宇宙論て日々進化してるから、結論をいそぐことないよ。
宇宙が加速膨張してんのわかったのも、ついこの前だし。
>>252 >物理学上では対象の質料因は「1」によって、「表現」されます。
ここのところがよくわからないんですが。
具体的に物理学の言葉で、具体例を示すとどうなりますか?
ブラックホールには 電磁波、質量、回転の3本の毛が存在し他は何も無いらしい。 つまり、この3要素が揃えば空間とかそんなのは関係ない 同一のものかも知れません。物理学者ではないのでわかりませんが。 寝るかな。。
物理学の言葉っていわれてもなあ。
確かに、質料因って言葉を無反省的に使いすぎてしまったなぁ。
(私見の可能性はありますが)物理学上では目的因、形相因は省かれると思われる。
いわゆる質料因とは対象を構成するものをしめすので、
物理学上では対象そのものの認識に必要十分な条件になるだろう。
ところで、物理学上で対象がそのものだと認識されるのは、
その対象に内在する物理量によるものだから。
結局、単位1が物理量を表現し、その表現がなされることが対象であることと
必要十分である。といったところかな。
質料因といっても、これは
>>112 の用法をつかわせてもらったためで、
「複製を作る材料」の意味が強い。
>>265 答えになってない?ごめんち。
具体的な例をあげると
ある構成としての「対象」に内在するエネルギーは「対象」を認識するために
用いられるが、それは1N・mをもとに数で表現される。
(エネルギーには量子があったと思いますが、ここでは割愛して。)
>>265 >結局、単位1が物理量を表現し、その表現がなされることが対象であることと
でもそれは、(電子量とか分子量といった物質そのものに起因する単位で無い限り)
便宜上の1に過ぎないのでは?
>>266 >1N・mをもとに数で表現される。
というか、便宜上「N・m」という単位を使い、
「N・m」を単位として使うということは、「1N・m」を単位量とするということでしょう。
「1N・m」を単位量とするということそのものは、測定対象の性質とは関係ないのでは?
>>267 >>268 そのとおりです。
ってか、なんか、繰り返してますなぁ。
>>254 のように、
単位1の導入は、
物理系が複合体的であることの論理に使われてるわけです。
物理系の固有性は複合性にあるからこそ量的調整により
対象を変容可能にすると言うこと。
(もう、自分でもわかんなくなってきちまうよ)
>>269 >単位1の導入は、
>物理系が複合体的であることの論理に使われてるわけです。
だから、そこんところの意味がさっぱりなんですが。
「物理系が複合体的である」ってのは、日常的な言葉でいうと、
どういうことなんですか?
>>269 に加えて
269ではわかりやすく、そのとおりって言ったけど
>>268 の問いは
>>252 では否定されてるから、
いちよう説明ね。
「測定対象の性質」といったが、その性質は対象の中にある、
対象がうまれるのは、それを測定するからである。
測定にはある基準がなければなされない。はい、それが1。
このように関係はあります。
しかし、けしてその性質の同一性を否定するものではない。
つまり、単位量決定が、性質の同一性をさまたげるものではない。
これより、性質を探るのには単位量決定は不可欠。
しかし、単位量決定により、性質が決定するのではない。
>>271 探ることと性質自体とは別だってくるかもね。
でもさ、性質ってのは、我々に性質と認められて
やっと性質なんだよ。
だから、性質は単位量決定のもとで成立するの。
>>272 おっとごめん。これは少しずれたかな。
長さは性質である。
長さの比較は単位量を決めなくてもいいなんてのがくるかもな。
それはね、物理学上の問題、
物理学上では長さの比較は単位をもってしいめされなければいけない。
>>271 >測定にはある基準がなければなされない。はい、それが1。
>このように関係はあります。
そのような関係は、測定対象の性質とは無関係だと思いますが。
>物理学上では長さの比較は単位をもってしいめされなければいけない。 物理学そのものには、そんな決まりは無いと思います。 単位を使うのは比較するのに便利だからで、実用的な理由しか無いと思います。
さてさて、複合体的ですね。
じつは、これにこだわるのは、ライプニッツスレにおける複合体の含蓄が
あるからなんですが、
私も言葉に問題のある使い方をしてることが多いので、あまりリンクはしないことに
しましょう。
複合体的である、というのは
常に固有性は構成要素によって定義づけられる。ということ。
例えば物理的には、
私の体は宇宙で一つのたんぱく質のかたまりでできているの。
といったとして、確かにあなたの体は宇宙で一つしかないという可能性は
否定できないし、私の体とあなたの体は違う。
しかし、そのたんぱく質を分解していくと、
それはどこにでもある構成要素に分解される。
これは例えばエネルギーについてもそうで、
10N・mのものと69N・mのものは違う。
しかし、それらは1N・mに分解でき、
それはどこにでもある1N・mになる。
これでそれぞれの固有性はたんぱく質の
構成要素の調整(仕組みは今は考えない)、
1N・mの調整によりあらわされ、同じ固有性をもつものも生成できるのではないか。
ということ。
でも、対象に内在する各物理量により、対象は一意的にあらわせるという妥当を
なすなら、別にいいがね。
実際
>>130 であらわされた複合体というのは、物理量の言い換えに近いものが
あるし、しかし、対象に「内在する物理量」というのは、定義づけにくいので、
複合体の表現の方がいいということにもなります。
>>275 なるほろ、物理の単位は全て利便性によっているのですか、
体系性ではなく、なるほろなるほろ。
そしたら本来の観察は目で見ろ耳で聞けってわけね。
そうですかそうですか。
ってかあなたが、人類は「物理学を」実用的に使ってる。などと のたまってるだけでしょう。
>>276 たんぱく質とエネルギーは同様には語れないと思います。
たんぱく質の構成要素を分解して現れる分子は、
物質の性質に起因する単位で、
その単位における1(つまり分子一個)は、分子や原子の振る舞いに由来しますが、
エネルギーにおける1N・mは、恣意的な量に過ぎず、
エネルギーというものの性質に由来していません。
>>277 単位は、体系的に成り立っていますよ。
それを利便性のために「使っている」だけです。
もうあきらめかけてますが、100KBこえそうなので、せっかくだから、 かこう。 性質に由来しているものをあなたは性質に関係すると呼ぶのですか。 じゃあ、あなたの同道巡りレスは私の苛立ちとは無関係なのですね。 なるほど、すごいよその論理! ところで、たんぱく質の構成要素(分子一個)と言ってる時点で どっかで配役がかわったようですが、おまえだれやねん! あの、内在している物理量というのが、やっぱりわかってない? あの、スレ1から読んでくれませんか、 いや、私のいけんだけでよろしいですが、 ほんとはこういうことはいいたくないのですがね、 なんせ、あなたは何を目的に私につっこんでるんだか、わからない。 だって、あなたは私の違憲を理解しようとしてないから、 いやそう、見えるから。 もう、ぼくはねむい。ねるねるねる。 ところで、ヒントを出すよ、たんぱく質は 物理量で表現できると物理学上定義すべきか。
>>281 ふ〜ん、不便でも単位使わないで物理学、成長できんのね。ふ〜ん
ああ、なるほど文字定数を使えってことね。 何でそんなこと気づかなかったんだろ。 いや、なにしろさぁ。日本語ばっかり打ってて 1とかうちまくりでしょ。英文字なんてそんな使わないしね。 数字ってすぐテンキーおしゃあ、表示されるけどさ。 「英文字ってなかなか表示できないよね。」 「数字はコンピューターすぐ表示できんだけどねぇ。」 しかも「コンピューターに表示されたら確認できる」しね。
ん、定数?、だめだなこりゃ、なんだか、おれが糞スレにしてるよ。 改善しないとね。 え〜と、アバラージタさん、 基本的に「複製」と対象が呼ばれた場合は、その対象は「完全な複製」ではないと いうことになるでしょう。これは、存在としての矛盾ではなく、 認識されない、という範囲の話です。 本来の完全な複製の場合、二つの対象は同一物として見られるので、 どちらかを特定することはできません。 時間的な違いにより、特定することは可能ですが、 本来ならば時間的な違いはオリジナルにもおこっており、 結局、これらの違いは認識と記憶によってしまうので、 それは特定と言うより本来ならば推定にすぎないことになります。 (飽和した発言ですいません。くわえて、悪いのですが、ぼくはもう このスレには顔を出さないと思います。時間がないので。ほんとすいません。 それでは)
「完全な複製を作る行為」を完結するには「物の本質」 を完全に解明する事が必要である。 「物理学」が「物の本質」を探求する事を目的とするならば、現在において物理学が 完結していない以上、 「完全な複製を作る行為]を完結するには「物理学の完結」を待たなくてはならない。
287 :
考える名無しさん :02/09/16 12:04
「言葉」は「言葉」の完全な複製です。 従って、何の、複製かが問われます。 何の、というのは、何とみなすか、何と何が同じか、という問題です。 ですから、複製できるかどうか自体、複製できるものとみなすか、 という問題なのです。
>>282 >あの、内在している物理量というのが、やっぱりわかってない?
具体例を示してくれないとわかりませんが。
とりあえず、1mという量は、地球の子午線の長さから恣意的に導き出された量で、
メートル系の単位の1単位量はニュートンも含めて、物質に内在はしていないと思います。
これはインチ系でも尺貫法でも同じことです。
291 :
アパラージタ ◆IFpek4rs :02/09/23 11:59
『ジュラシック・パーク』鑑賞――――その翌日の記念で、age。
場の量子論でも学んで炉よオメーラ
293 :
考える名無しさん :02/09/27 20:06
>>292 それで、場の量子論とやれで、「君は」この問題を説明できるのかね?
量子論はもういいよ。 場の考えは必要でも。
295 :
考える名無しさん :02/09/27 22:59
いずれにしろ、「複製と認識されない≠複製でない」ということは確かだと思う。
クローンが不可能なことが解ったところで、 ====終了====
297 :
考える名無しさん :02/09/28 00:14
クローンが不可能ってのは、 「生物を遺伝学的プロセスによって複製することが不可能」って意味しかないけど。
このたぐいの問題を、のっけから場の量子論でもって捌こうとするやり方は、クジラの解体を果物ナイフでもって 始めるようなやり方であるように想う。 〈完全な複製がなりたつ世界〉を〈この現実世界〉、 〈完全な複製を被る、原のモノ〉を〈既に在りえている、有形の具象物〉 と限れば、どんな種類の物理学的アプローチからでも、「ありえない」が答えとして引き出されるだろう。 何に乗っても、行き着く場所は同じ「アリエナイ」という名の町だとわかっているなら、 せっかちに、場の量子論のような“早牛”をえらぶには及ばない。
299 :
考える名無しさん :02/10/11 19:00
ここは群を抜いて面白いですねー。
300 :
考える名無しさん :02/10/11 19:23
そう?
301 :
考える名無しさん :02/10/23 12:51
昨日の夕飯は湯豆腐だった―――ソレを食しながら、 すこし前に視た、〈秘伝のレシピ〉を当てるという内容のテレビ番組を想い出した。 〈一流料理人の秘伝のレシピ〉も〈完全な複製が難しいモノ〉のクラスの要素だろう…… そんなコトを思ったので、age。
>>290 哲学板の設定を変更してもらって、韓国語のハングルを使えるようにしてもらい
たいと思うのですが、いかがでしょうか?
より正確な主体思想の文献表、引用、議論の展開が可能になると思います。
賛同いただける方、意見のある方は、ハン板にお書き込みください。
哲学板にハングルを!
こんなんでましたけど!
303 :
考える名無しさん :02/11/01 22:47
Rene Frederic Thom(1923-2002) Memorably age.
保守あげ〜
305 :
考える名無しさん :02/11/13 08:19
完全なオリジナルがありえるかい?
306 :
考える名無しさん :02/11/16 11:01
いや、オリジナルは条件ではなくて、認識だろ。
307 :
考える名無しさん :02/11/16 11:02
認識というか、恣意的に決めるもんであって・・・。
308 :
考える名無しさん :02/11/16 17:00
たとえば、紙幣のオリジナルとコピーの物質的本質的な違いありません。 コピーによって存在が脅かされる中途半端なものが「オリジナル」でしょう。 物語における理想と現実の区別同様、 (理想…現実以下として表象されるもの 現実…理想への同一化を求めつつある状態) オリジナル/コピーという区別自体が基本的に不完全。 本質的な不完全から、完全な表象を求めるのは、非学問的態度。
309 :
考える名無しさん :02/11/16 17:13
それは「紙幣」ないし「通貨」の概念定義によるだろう。 定義を定めずに、 「同一とみなしうる定義においては同一で」、 「同一とみなしえない定義においては同一でない」 という、無関係なことがらを同一の土俵で比べようとするのが間違い。 それは、全ての概念を包括する普遍的な「同一性」というものの存在を前提にしなければなりたたない 考え方であって、それが不完全だという主張は、普遍的な「同一性」が存在しない、 ということを違う言い方で再確認しているにすぎない。 比較というのは、比較しようとする概念(存在認識)においてしかなしえないものであって、 「一万円」と書かれた紙切れと、ヤフオクの画面に表示される「10,000円」は、 物体、現象としては別のものだが、貨幣単位による数値という点では、完全に同一だ。 「物体、現象としての同一性」、「貨幣単位による数値」という「比較する概念(性質)」を 超越した普遍的な比較基準などというものが存在しない以上、 「比較」というものは、そういった、「ある(特定の)性質」についての比較というのが本来の比較であって、 存在しえない「普遍的な同一性」の存在を前提にして「比較」「同一性」を語るのは無意味だ。
310 :
考える名無しさん :02/11/16 18:05
>>308 で、まず、オリジナルとコピーの問題を語るとき、
両者に物質的、物質的本質の違いがないことを語るために
紙幣の話題を出した。
その話題を「概念定義」にすりかえることが、すでに物語的である。
一番基本的な場所、スタート地点において躓いているのは、まさに物語的である。
躓いた状態をケイゾクしつつ、ゴールを目指すというのは物語的問題であって、
普遍的問題ではない。
普遍的な同一性の「個物的存在」を前提にしている、ということと、
普遍的な同一性の「概念的存在」を前提にしている、ということと、
「広義の、汎用性のある」普遍的な同一性の存在を前提にしている、ということは
厳密に区別されるべきである。
>>308 で、前提にしている普遍的同一性の存在とは、広義の、汎用性のある普遍的同一性であるが、
>>309 でもちいている普遍的同一性とは、一体どの普遍的同一性なのか。
物語のフェイクに、物語と普遍性、個物と概念、
概念的実在と個物的実在を混同するというものがある。
物語的問題を普遍的問題にすりかえるという手法がある。
たとえば、典型的物語、
ハリウッド映画的リアリズムとは
「決して現実にたどり着くことがない」ことが明らかである。
いくら映画の情報量を拡大し続けても、現実にたどり着くことがない。
現実にたどり着くことがないから、いくらでも追求可能である。
これは、単に方法の問題なのだが、
物語においては普遍的問題であるような気がする、というわけだ。
物理的に完全に同じコピーを作るのは不可能。 (同じコピーを作れたと証明することがそもそも不可能)。 人間にとって見分けがつかないコピーを作ることは可能。ex.ファイル 物理的に完全に同一でなくても、人間が肉眼で見分けがつかないという基準を 完全に満たすコピーや、結果として扱われる情報を記録レベルで完全に同じものにすることは可能。 どの程度「完全」性を要求するか、また要求された客体の性質によって、答えが決まる。
>>310 君の言い方を借りるなら、完全という語に必然的に完全性を要求することが、
物語的な態度と言うべきである。
311の、物理的、は、現代物理学的、の意味。
314 :
考える名無しさん :02/11/16 19:37
完全という語に必然的に完全性を要求することが、物語的態度と言うべき事柄である、
ということに私は同意する。
また、
>>308 >>310 の立場としては、「完全性」を追求してはいない。
オリジナルとコピーという用語は形容詞として用いられる。
だが、本質的に、この物語用語はその名詞を無化する。
オリジナルXとコピーXというとき、
問題になるのはオリジナルか、コピーか、
ということであって、Xは問題にならない。
この形容詞と名詞の離れ方は、物語的であって、
普遍的な概念とは無関係である。
名詞を無化する形容詞は、知的用語とはいい難い。
>>314 知的用語とは言い難いことと、
知的用語でない表現で完全を語ることができるかどうかは
別の問題である。また不完全な表現を不完全であると明かすことは
学問的な態度であり知的な営為である。
肩がこる文章である。
316 :
考える名無しさん :02/11/17 01:30
>>310 >その話題を「概念定義」にすりかえることが、すでに物語的である。
では、「物質的」「物質本質的」というカテゴリは「概念」では無いというのかね?
保全カキコです。 じっくりと書き込む時間が、なかなか、とれない。
318 :
考える名無しさん :02/12/28 01:09
クローン人間は完全な複製か!
319 :
考える名無しさん :02/12/28 10:49
お、時事ネタあげ
(^^)
(^^)
322 :
考える名無しさん :03/01/26 02:46
日本人のクローン人間は完全な複製か!
323 :
考える名無しさん :03/01/26 02:55
存在している空間と時間が違う。あと電子の飛翔位置も違う。
完全の度合いによると思う。 もし、時制的、環境的にまで同じにするのは不可能。何故なら、生きている時間 が全く同時制にするのは無理。環境的にも必ずオリジナルとコピーの分類に分けられるし。 でもオリジナルを形成するコピーを完全に複製するのは理論的に可能。
325 :
考える名無しさん :03/02/05 22:26
>でもオリジナルを形成するコピーを完全に複製するのは理論的に可能。 コレってつまり。 A から B が複製可能な場合、 B をオリジナルとするならば、 A の複製 C を作り、 C から B が複製可能ならば、 C は B の完全な複製である。 という意味?
326 :
Kurichan :03/02/05 22:28
くりちゃんからくりちゃんが複製可能な場合、くりちゃんをオリジナルとするならば、 くりちゃんの複製くりちゃんを作り、くりちゃんからくりちゃんが複製可能ならば、 くりちゃんはくりちゃんの完全な複製である。
でももう、スタート切ってるから引き返すのはダメだ。 やるしかない。
328 :
Kurichan :03/02/05 22:34
でも、オリジナルくりちゃんと全く寸分違わぬ複製くりちゃんは作れても、 オリジナルくりちゃんと全く寸分違わぬオリジナルくりちゃんは作れないんだよ。
取り敢えず、暫く待つか。 我ながら閉鎖的なスレ進行だとは思う。
例えばデータを完全にコピーできるにしても 必ずオリジナルとコピーデータの生成時間には相違が生じる。 よって完全な複製物ではない。 ってガイシュツか
生成時間差が生じるということは、 「生成時間差がある」というのは「複製」の要件なのでは?
複製って完全(本物)じゃないから複製っていうんじゃないの? 何処も彼処も全く同じな物なんて有り得ないと思う。 っていうのは自分の考え。
333 :
考える名無しさん :03/02/24 02:22
1+1=2 という式の複製は生成時間に差があっても いつも 1+1=2 で完全な複製では? ようするに、完全に複製できるものとできないもの があるのでは。
どのような完全な複製であれ (コンピューターのコピー&ペーストのような軽いものでも) 存在する位置、つまり座標は違う。
335 :
考える名無しさん :03/02/24 15:34
>>334 たしかに。
よくしらんが、原子は例えば水素原子どうしは
互いに全く同じで区別つかないというが、
二つ別だという違い以外は皆同じだということか?
1+1=2が表している意味は同一である 1+1=2の形は座標がちがう でよくない?
337 :
考える名無しさん :03/02/24 20:17
>>334 確かに存在する位置が同じって事は有り得ないですからね。
区別がつかない=複製 って事なんですか?
338 :
考える名無しさん :03/02/24 21:12
全く同じ猿がいて、常に全く同じ動きをしてる でも正面からみて、右の猿、左の猿とは 区別できるわけです
339 :
考える名無しさん :03/02/24 21:16
340 :
考える名無しさん :03/02/24 21:22
>>339 ワラタ
じゃあ、一方に赤いひも、もう一方に青いのをつける
341 :
考える名無しさん :03/02/24 21:24
>>340 では今度はお互いに素早くひもを取り替え始めたらどうする?
342 :
考える名無しさん :03/02/24 21:31
>341 しかし眼に見えないほど(確認できないほど)の早さで動いていたら 問題の前提が成り立たないといえまいか。。 すくなくとも二匹いるという確認はできないと
343 :
考える名無しさん :03/02/24 21:34
>>342 そうか。
2匹が激しく入れ替わると3匹に見えるからね。
344 :
考える名無しさん :03/02/24 21:40
>>343 コインのマジックだね!
えんぴつのはじっこをもって揺らすと
曲がって見える!
345 :
考える名無しさん :03/02/24 21:46
ワロw
(^^)