>>443で混乱がありますた。
「考えられたもの」=人が参照する対象(主観が向かう客観)としての学問自身の客観性が、
学問の客観性と考えられます。
「考えられたもの」という側面があるなら「何かについて考える」という側面があり、
その「何か」=対象についての客観性が、上記の学問の客観性を規定する。
対象についての客観性とえらくイイカゲンに書きましたが、同内容が
>>443にあるので。
学問の客観性と言っても、
「その学問がどれだけ対象に忠実か」という意味と、
「その学問がどれだけ一般に認められるか」という意味があると思うので、
前者が「対象についての客観性」で、後者が「(上記の)学問の客観性」となるのでは?
つまり、その学問において対象に規定されていることが、
一般にその学問が認められることの基準になると思うのです。
例えば、自然科学なら、
対象にどれだけ従っているか、ということで、
対象への忠実さに注意を払いながら理論構築を進めたり、
実際に実験で確かめることを意味するのでしょう。
この「公理系の形をした理論+実証」は、
対象にいかに忠実かを、その学問分野に相応しいように、
方法論として定式化したものであり、
それがすべての学問分野に普遍的かは解りません。
どんな方法論が相応しいかは一概には言えず、
学問の目的・対象により決定されるものでしょう。