分析哲学のウザイところ

このエントリーをはてなブックマークに追加
1考える名無しさん
一流どころにはリスペクトできるが、
「哲学学は駄目ですよ」
等、テンプレ化した偏見が正直ウザイです。
2考える名無しさん:02/07/27 02:09
222222222222222222222222222222222
3考える名無しさん:02/07/27 02:10
アメリカでは実体をなくしつつあるしなあ。
4考える名無しさん:02/07/27 02:14
たかだか数学基礎論や量子力学の哲学を
「科学哲学」と僭称しているところ。
最近変化の兆しもあるけどね。
5考える名無しさん:02/07/27 02:40
分析哲学⇔現象学
6考える名無しさん:02/07/30 00:33
「使用」と「言及」を
自分らがはじめて明確に区別したと思いこんでるところ
7考える名無しさん:02/07/30 10:43
とりわけ日本の場合、
英米でなされている議論を輸入して、
後追いしているだけで、
他の哲学流派と何も変わらない。
なのに、
他流派は哲学学で、
自分たちだけは本当の哲学をしてる、
なんて思い込んじゃったりしている、
アホばかり。
8考える名無しさん:02/07/30 11:49
7はカスですね。
9:02/07/30 13:51
>>5
そういう無意味な記号は書き込まないように.
>>6
思ってないない.
>>7
フレーゲを読んだことあるのかな.フレーゲも読んだことないくせに分析哲学が
どうのかんのと言われてもな.それに7は人の議論の後追いもできないんじゃない.
10難民救済:02/07/30 14:12
>>7は哲学板内の難民と認定されました。
速やかに哲学板公認雑談系スレに移動して下さい。
11考える名無しさん:02/07/30 22:22
>>7
まったく同感です。

>>9
7さんがフレーゲを読んでいるかどうか、また自分自身が後追いが出来るどうかは、
いずれも7さんの意見の真偽には無関係です。

8と10は、無意味です。
12そとふ:02/07/30 22:30
科学に協力したいと思っているのに、
科学者に相手にされていないところ。
なんか片思いみたいでウザイというより可哀想な感じ。
13考える名無しさん:02/07/30 22:46
ふれーげはただの精神病、おまえもただの精神病。
14考える名無しさん:02/07/30 22:48
実存主義のほうが、哲学としては潔い。
無理して科学的たろうとしたり、論理的
たろうとすることを始めから断念してるから。
15考える名無しさん:02/07/30 22:48
>>13
精神病だろうが何だろうがフレーゲは天才だと思うよ。
16ボン:02/07/30 22:53
はいはいはい。
いくら分析哲学をけなしたところで、
分析哲学が現在最強の哲学であることは微塵みゆるがないのですよ。
三浦先生も
現存最高の哲学は、分析哲学である。
と仰ってるわけですから、
もう誰も否定できないということでいいですね>ALL
17ボン:02/07/30 22:54
分析哲学サイキョ

k−1ヤオチョ
18ボン:02/07/30 22:56
三浦先生のありがたいお言葉

数学に弱い者も哲学をやってよいが、
数学が嫌いな者は哲学をやってはならない。


とてもありがたい言葉ですね。
19考える名無しさん:02/07/30 22:57
>>17 お前格闘板行ってるのかよ(w 俺もだ!
20考える名無しさん:02/07/30 22:58
>>4
どうでもいいが>>4の「科学哲学」の認識は偏狭なような気がせんでもない。

>>14
目論んでいたことを諦めることを「断念」というのだから、
最初からやろうとしていないことを「断念」とはいわない。

揚げ足とりのレスなのでsage
21考える名無しさん:02/07/30 23:09
メガオといいます。

たぶん哲板では、いちばん頭わるいです。
匂いたつような性格のわるさ、などといわれます。
でも仮に「素直」なところもあると思いますけど。

知識はありませんが、
知障かって何ですか。
(いわれました、

そんな感じで)
「自慢」は、24時間きっかりに、100レスを達成した
スレ、だっけ。(邪魔されても、邪魔されても)
もう、昔のことです。

しばらく来ません。たぶんね。


↑分析してください
22:02/07/30 23:12
>>14
実存主義が潔い・・・・・.そんなところで勝負しててもしょうがないけどな^^
>>12>>14
科学に協力したいとか,科学的たろう,なんて分析哲学をとらえるのはただの偏見.
ちなみに論理的であるなんてことは実存哲学でだって同じだと思うが.それとも14は
非論理的な論文でも書くのか.
>>16
分析哲学が最強だなんて風には思わないな.というより単にまともにやってるというだ
けだと思うけど.実存哲学がまともではないとは思わないが,実存哲学は論理的でなく
てもいいんだという輩はまともではないな.
>>13
フレーゲはぜんぜん精神は病んでないけど.単に以上に論理的で精密な議論を展開する
というだけだよ.フレーゲを読んで精神病だなんて感じるのは,単にあんたが論理的に
議論するということに弱いだけ.
23:02/07/30 23:16
>>18
三浦先生ってだれ?
24考える名無しさん:02/07/30 23:18
>>20
こういう偏執狂的にどーでもいいこまかいことを
いちいち指摘するところに、言語分析を
その方法とする分析哲学者のキモさと寒さがあるよね。
25考える名無しさん:02/07/30 23:21
俺も頭悪いから マクダガートの時間論 だっけ

中島氏の本で紹介されてたやつ読んで

あれ読むと、ほんとに論理的に隙がないのかな?

と疑問にはなるけど、あまりきしょいとは思わんな
26考える名無しさん:02/07/30 23:24
稲が喋ると、どんどん分析哲学へのイメージが
悪くなるぞ。
まず、稲は自分の書いた文が他人にどういう
感情をもたらすかをよく推理することだな。
27考える名無しさん:02/07/30 23:25
>>23 NHKブックスの「可能世界の哲学」だっけかな
書いてた人 じゃねえの?
28考える名無しさん:02/07/30 23:31
ニーチェの哲学は論理的なのか?
というより、ニーチェ自身、論理学をそもそも
否定しているけどな。
稲のいう論理的な実存哲学ってなんだろ?
そんなものがあるのなら、その本を読みたい。
いやまじで、面白そうだ(w
29:02/07/30 23:36
>>28
そんな具体的な話じゃなくて,単に実存哲学に反感をもってはいないというだけ.
反感を感じるのは,実存哲学が非論理的でもいいんだという連中.
ニーチェとかハイデガーとか嫌いじゃないけどな.例えば『善悪の彼岸』てタイトルが
いいじゃん.
30「哲学的」者:02/07/30 23:40
>>28
ニーチェが青年時代に最初に勉強したのは「論理学」です。
単なる知識ですけど。
31ボン:02/07/30 23:45
>NHKブックスの「可能世界の哲学」だっけかな
>書いてた人 じゃねえの?

そうです。
三 浦 俊 彦 先生です。
ありがたいことです。


ここに先生の論理パズルが紹介されてるので、みなさんもチャレンジしましょう。
http://members.jcom.home.ne.jp/miurat/puzzle.htm
32考える名無しさん:02/07/30 23:49
>>31 あっ 格闘板に行ってた人だ
33考える名無しさん:02/07/30 23:54
>>30
だよね。子供のころから聖書を
よく愛読していて、小さな牧師とよばれていたし。
しかし、壮年晩年にはかつてあれほど親しんだ
キリスト教にも論理学にも徹底的に牙をむいた。
ここがニーチェの凄いところだ。
34考える名無しさん:02/07/30 23:59
>>33
たとえていえば竹田青嗣がフッサールなんてクソ!と叫ぶのと一緒か。
35:02/07/31 01:45
>>31
そのHPいってみた.で採用問題集をやってみた.解けないのが結構あったな.
ベイズの定理3はできたけど,2はまだ考えてる.どうみんなで一緒に問題解いてみない.
36:02/07/31 02:04
ちなみに31が紹介してるHPからの問題:

この文は無意味である

という文は無意味だろうか有意味だろうか?

答えは有意味.証明:問題の文は無意味か有意味かのどちらかだ.無意味だと
仮定せよ.するとこの文は正しいことを述べており,したがって有意味.有意味だ
と仮定せよ.するとこの文は間違ったことを述べており,それでもやはり有意味.Q.E.D.

どう?
37学ぶもの:02/07/31 02:08
一人でやってろ、バーカ。
38考える名無しさん:02/07/31 02:12
>>36
ならば正しいことを述べた文も間違ったことを述べた文も有意味ということですね
ではどのような文が無意味なのですか
無意味な文であることを排除できない限り
有意味であるとは論理的に言えないような気が
39:02/07/31 02:20
3囚人の問題難しいな.だれか解いて教えてくれないか.
ちなみにこれがベイズの定理2というものらしい.なかなか面白いよ.
40考える名無しさん:02/07/31 03:53
>38
「私は素数である」とか、「人間は太陽系より黒い」とかはどう?
文法的、形式的には文だと思うけど、無意味なんじゃない?
41考える名無しさん:02/07/31 14:00
>>12
それも7と同じで、日本にしかあてはまらない。
分析哲学一般と日本の分析哲学は分けて考えないと。
たとえば日本の脳科学者や認知科学者のかなり多くは、
外国の分析哲学者の仕事には敬意を抱いていますよ。
だから日本の分析哲学者の方々にお願いしたいことは、
むしろよい翻訳でも作っていただきたいということです。
42考える名無しさん:02/07/31 14:28
三浦 俊彦の小説っておもしろいね。漫画というか、ギャグ小説風。
過剰ともいえる形容詞。おもわず「プッ。」と笑ってしまう。
三浦先生なんて呼ぶのはどうだろう?
可能世界論は確かに深いけどね。

自分にとって分析哲学とは・・・
純粋に論理的であるから(価値云々を超越してるから)、すっきりしていて気分爽快!
むろん内容は深くて難解ではあるが、その視点は自分にとって新鮮であった。
フランス系の詩的、文学的なテツガクを一蹴してくれるよ。
43考える名無しさん:02/07/31 15:22
フランス系が詩的、文学的って、
それこそ誤解と偏見だろ
44考える名無しさん:02/07/31 15:31
>>43
大まかな見方だよ。
例えば、バタイユとウィトゲンシュタインを比べたとき、
思考のスタイルというか、動機が根本的に異なっているように思う。
本の書き方だって対照的だ。

もちろんフランス系が全てそうではないと思うけど
45考える名無しさん:02/07/31 16:05
正直、自分にはピンと来ないところ。
46考える名無しさん:02/07/31 16:23
まあ理系専用の哲学という趣があるよね。
アメリカでも純文系の人は批評理論に進むらしいし。
魅力もウザさも「理系風」の研究スタイルに由来するのでは。
47考える名無しさん:02/07/31 16:49
>42,43
フランス系哲学が「詩的・文学的」であるというのは、非常に
的確な表現だと思う。ただ問題なのは、哲学が「詩的・文学的」
であることにあるのではなく、自らの哲学が「詩的・文学的」で
あることを認めたがらず、さらには、詩や文学を哲学的考察の対
象として、おおいに尊重するにも関わらず、哲学が「詩的・文学
的」であるのは、あたかも悪いことでもあるかのように受け取る
矛盾した立場であるように思う。
48考える名無しさん:02/07/31 17:21
し。ょせんはどちらも言葉遊び。
遊びとしての深さで分析の勝ち。
とはいえ、オセロと囲碁の勝負のようなものなので、
オセロが好きなら、それで別にかまわない。
いずれにせよ、単なる遊びであることを忘れれずに、ほどほどに。
49考える名無しさん:02/07/31 17:26
深い分析哲学って語義矛盾っぽいのだが。
最近はメタフィジックすら回避しないからわからないでもないけど、
そういう深さの実例は誰?
50考える名無しさん:02/07/31 17:41
みんな深いよ。囲碁が深いようにだけど。
51考える名無しさん:02/07/31 17:49
フランス系も分析系も、どちらも人生の問題に無関係だから、要らない。
どちらも、なんとなく、ふざけているような感じがする。
その点で、むしろ、似ている。
嫌な感じだよ。
なんで、もっとまじめにやっちゃいけないんだ?
生きている意味についてとか。
哲学からそういうことを学びたいのに。
52ボン:02/07/31 18:07
深いという表現はどうなのでしょうか。
深いかどうかはともかくとして、
やはり三浦先生も一目置くデイビッド・ルイスではないでしょうか。

 
53ボン:02/07/31 18:12
では、今日も三浦先生のわが信条から一言拝聴いたしましょう。

西洋文明はあらゆる非西洋文明にまさる。
上記のことを心底認めない限り、西洋文明を超えることはできない。

深いお言葉ですね。
54 :02/07/31 18:58
ロボットやタイムマシンの基本的見取り図ではあるだろ。
55考える名無しさん:02/07/31 18:58
>>47
具体的には誰ですか
あなたのイメージとか、
学部の同級生から受ける印象じゃないかと思うんだけど。
56:02/07/31 20:00
脈絡の腰をおるようでわるいが,31が紹介してくれた三浦先生のHPにある
採用問題集のベイズの定理2ができたような感じがする.みんな確立は1/2
じゃないのかな.で,ベイズの定理3の方は,扉を換えた方が得だと思うな.
こっちの方は簡単だけど,定理2の方はどうも確信がもてないな.
答えがないからわからないけど,知ってる人やわかった人がいたら教えてくれないか.
57考える名無しさん:02/07/31 20:14
>55
フーコー、デリダ、ドゥルーズ、クリステヴァ、・・・
サルトルやベルグソンまで含めるべきかどうか。
58考える名無しさん:02/07/31 20:19
>>57
そいつらは、

>ただ問題なのは、哲学が「詩的・文学的」
であることにあるのではなく、自らの哲学が「詩的・文学的」で
あることを認めたがらず、さらには、詩や文学を哲学的考察の対
象として、おおいに尊重するにも関わらず、哲学が「詩的・文学
的」であるのは、あたかも悪いことでもあるかのように受け取る
矛盾した立場であるように思う。

なんてこと考えてないだろ?
それぞれ論点が別物だと思うし、
そこにクリステヴァみたいな文学研究者を入れているのも、
なんか無知だと思うよ。
フランスにももっと堅い奴とかいるし、
デリダやドゥルーズはかなりまともな哲学者だよ。
5947:02/07/31 21:44
>58
だから、47で批判している「立場」は、「そいつら」に向けてではなく、
43みたいな意見に向けられているのよ。で、「詩的・文学的」というの
は、彼らの哲学における諸概念は、多かれ少なかれ、メタファーとして使
用されていると解釈しなければ理解できない、ということ。

ちなみに、クリステヴァは「文学研究者」と言ってしまっていいのか?
まあ、バルトがそうなら、クリステヴァもそうかもしれんが。
60考える名無しさん:02/07/31 21:46
59みたいにすぐ「メタファー」というヤシが現れることかな
61考える名無しさん:02/07/31 21:49
追加。59はソーカルを真に受けてないか?
あの「ためにする議論」を。
実際にはそういう一連の問題は、
ハイデガーの使った「概念」に由来する。

で、俺には君の意見は、
ハイデガーなどの正当性を吟味することなしに、
「あんなのメタファーだ」と言い募っているように思えるわけ。
62:02/07/31 22:14
>>59>>61
一応ここのスレッドは分析哲学好きと嫌いが喧嘩をするスレッドですから.
念のため.
63考える名無しさん:02/07/31 22:15
つか、フランス現代思想嫌いなんだが
64考える名無しさん:02/07/31 22:18
なんで話題が移ってるんだ?


ようするにフランス思想に対抗心を持ってるヤシが多いんだろうね、
分析哲学には。
65Dr Unko:02/07/31 22:27
なんか分割案のスレで変態は要らないと言われて、「まあいっか、変態だし」
と納得している自分にウンコ。

で、分析哲学と言えばやっぱしアレだよね、大陸系、特にドイツ関連の連中は
見向きもしない訳だが、大先生は現象学をかじったけどその前は分析哲学でね、
フレーゲとかラッセルとか、なんか今じゃ古典って言われそうなものを読んでいて、
そこで感じたのは、「こいつら、こんなことやって何が楽しいの」というウンコ臭い
小学生並みの感想文だったわけさ。

それでいきなりハイデッガーの電波でまくりクリトリスな文章を読まされると
一夜にして勃起さ。だって現存在の実存論的構造を存在論的に了解するにあたって
とかこんなチンポ丸出しの文章なんか書かれた日には「分析」どころじゃないわけよ。

でもさ数ヶ月して気づいたけど、分析哲学は学問っぽいけど、ハイデッガーなんて
学問にゃならんだろう。性起なんて禅の概念だぜ。お前らは禅寺で修行でもしてろっつーの。
というのが大方の意見。やっぱり勉強したいなら分析いいかも。
66Dr Unko:02/07/31 22:29
あと、カルナップのハイデッガー批判のような事は分析哲学をやってる
人にはやってもらいたくない。アレはライオンとクジラを戦わせるような
ものだよ。
67Dr Unko:02/07/31 22:30
つまり、土俵が異なればルールも異なる。哲学のルールは文法だ。
存在論の文法は常識の範囲にある分析哲学系の言語分析では手におえない。
68考える名無しさん:02/07/31 22:33
その「常識の範囲」っていうのが信じられん。
言語分析にしても、
かなり特殊な述語化して語っているし。
69Dr Unko:02/07/31 22:34
まあ素人の意見だからイカ臭いのは許してくれ。

あと、可能世界意味論とか様相論理学とかとライプニッツの関係を
論じたいい書物を知ってる人は教えてね。石黒はいらんからそれ以外で。
70Dr Unko:02/07/31 22:38
いやあ、分析哲学はやっぱし「常識」だよ。ドイツ系の観念論的体系とは
異なっててね。確かに最近の(と言っても小生の最新の知識はシュテーク・ミュラーの
『潮流』の第三巻止まりだが)議論は電波モノもあるようだけどさ、
やっぱり言っていることは「論理的に」理解できるよ。
論理を超越するもの、つまり文法を超越するものが非常識になる。
違うかな。
71Dr Unko:02/07/31 22:46
ちなみに「常識的」と言われて怒る人がいるけど、それは誤解です。
常識的なのは寧ろ良い事で、非常識なのは道徳的にも良いものとは言われない。
でも現実社会に余り良くない考えを抱いているひねくれ者は、なんとか
非常識であろうとする。それで非常識な事を偉そうにわめき立てる。
分析哲学はそういう感情的な社会に対する「ひねくれ」がなくて、
哲学を純粋に学問的に扱っているからその点では常識的で嘉すべきものと思う。
ハイデッガーの技術批判、テクノロジーを「せき立て」とか何とか言っちゃうのは
深遠だけど非常識。でもそこに人は惹かれる。
分析哲学者はそういう放蕩をしない。禁欲的だ。そこがすごいと思うよ。
72Dr Unko:02/07/31 22:48
俺も久々に読もうかなあ。最近は何が旬ですか。教えて。じゃね。
73考える名無しさん:02/07/31 22:50
単にアメリカ社会でのインテリ観を反映しているだけだろ
ヨーロッパに対するコンプレックスと敵意が
フランスへのアンビバレンスを生む。
もちろんちゃんと「哲学」だから、
そんなローカルな偏見を超えた普遍性はあるよ。
けどやっぱりアメリカのデモクラシーから切り離せないと思う。
74考える名無しさん:02/08/01 00:18
実直ぶるのに最適なところが好き
75考える名無しさん:02/08/01 00:19
>>71
なんだよこいつ日本語書けるじゃん。
76考える名無しさん:02/08/01 00:32
>>75
哲学板でちんぽ知らない奴はモグリ。
氏ね。
7747:02/08/01 12:09
>60
すまんな、「メタファー」というのは大雑把すぎる言葉では
あるが、他にいい言葉を思いつかんのじゃ。
7847:02/08/01 12:12
>61
なぜ、「詩的」とか「文学的」とか「メタファー」という言葉をそう憎む
のかわからんな。「メタファー」は奥深いぞ。それこそ、レイコフあたり
が論じているレベルではなくて。

79考える名無しさん:02/08/01 12:15
>>77
「メタファー」という言い方は、
俺には文学を矮小化しているようにみえるよ。
フランス思想にも大物と小物がいるんだし。
8047:02/08/01 12:16
>61
でさ、ソーカルの批判に反駁するには、

ソーカルが批判しているフランスの現代思想家は、物理学理論や
物理学的用語を、ある種の「メタファー」として用いている、し
かるに、ソーカルの批判は彼らがこれらの用語を文字通りの意味
において使っているという前提に立っているから、ソーカルの批
判は的外れである、

と言ってしまうのが一番シンプルなんでねえの?
8147:02/08/01 12:19
>79
まあ、確かにシンプルにして曖昧すぎる表現ではあるからな。
とりあえず、「字義通りの意味解釈を超えた意味」くらいに解釈
してほしい。
82考える名無しさん:02/08/01 12:22
いや、フランス現代思想の連中は物理学理論や学説を自説の
正当性を論理付けるために用いているところが
みえみえなのでこれをソーカルは批判する、

が正しいんじゃねえの?
83考える名無しさん:02/08/01 12:22
47が言っている、
>さらには、詩や文学を哲学的考察の対
象として、おおいに尊重するにも関わらず、哲学が「詩的・文学
的」であるのは、あたかも悪いことでもあるかのように受け取る
矛盾した立場

ってデリダ?
84考える名無しさん:02/08/01 12:23
>>82
それは正直ソーカル派っぽいまとめだな。
85考える名無しさん:02/08/01 12:26
>>82
でもあの論議はからかいが多すぎて萎えたぜ。
アメリカではフランスを叩くと受ける伝統がある。
8647:02/08/01 12:35
>83
むしろ、フランス思想の日本の愛読者を念頭に入れている。

>84
言わんとしていることはわかる。けど、その方が一般人には
わかりやすいのも事実だ。

>85
それもよくわかる。けど、「からかいが多くて萎える」って
いうのは、要するにソーカルの本は2ちゃんねるレベルの批
判にすぎない、ということなのでは(爆)。
8783:02/08/01 12:40
>>86
やっぱり予想通りだね。
それは浅田彰の紹介が原因の、
特殊日本的な事情から来る反発だろ?

それは「日本のおフランス」批判だよ。
けどエピゴーネンと本人は区別しようぜ。
「分析哲学」を厨房で代表させるのには無理があるだろ
88考える名無しさん:02/08/01 12:43
けど何だかいつも同じような議論しているんだな。
山形センセのクラインの壺批判はどこへ行ったの?

漏れ的にはソーカルの批判が2ちゃんレベルだとは思わないけど。
あれはガチガチの理数系の人間が哲学書を大真面目に取って
しまった一例だと思ったが。
89考える名無しさん:02/08/01 12:47
いや、ソーカルは、
「彼らの哲学には立ち入らない」とか言いつつ、
「こいつらの影響力がなくなりゃいいのに」という煽りを入れまくり。
まあ2ちゃんレベルではないが、
山形レベルの知識人だとは思うよ。
90考える名無しさん:02/08/01 12:56
理系気取りの文系をからかうつもりが、
単なる文系気取りの理系に過ぎなかった。
これがソーカル。
9188:02/08/01 12:58
「影響力」かぁ・・・
たしかにフランス系思想の影響力がうっとうしいと思えることはしばしば
あるね。逆にそこから刺激を受けることもあるし。
ソーカルが「彼らの哲学には立ち入らない」と前提したのはいいことじゃないの?
その方法論を批判することで内実の胡散臭さを内破する、というのは
常套手段でしょ。表現方法と内容は、思った以上に結び付き強いし。
92考える名無しさん:02/08/01 13:01
でもソーカルの方法は結局彼らのコアには届かない。
山形ファンなら奴がけっしてライター以上ではないこともわかるだろ?

って分析哲学とソーカルはほとんど無関係なんだけど、
理系シンパと分析が例外なしに結びついてしまうのは、
俺的にはなんだかキモイね。
93考える名無しさん:02/08/01 13:08
あ、このスレでソーカルの名前を出してきたのは
わたしではないでーす!

それからGバタイユは思想家であっても「哲学者」ではないと思いまーす!
だから「詩的哲学」(んなもんあるのか?)の例として
取り出してくるのは間違いだとオモイマース!!
94考える名無しさん:02/08/01 13:10
デリダとドゥルーズは大物。
普通に哲学者だろ。
あとはしらん
95考える名無しさん:02/08/01 13:26
フランスにも分析哲学あるじゃん
96考える名無しさん:02/08/01 13:54
ヴァンサン・デコンブとかいるなあ。
この人の名前見ると、昆布を連想してしまう。
97考える名無しさん:02/08/01 14:08
ソーカルより出昆布の批判の方がまとも
98考える名無しさん:02/08/01 14:15
だがブーブレスは厨
99:02/08/01 16:16
何度も言うようだけど,ここでは分析哲学好きと嫌いが喧嘩するスレッドです.
ソーカル問題を議論したいなら,それ用のスレッドでもたててそこでやってください.
100考える名無しさん:02/08/01 16:47
最近稲さんよくみかけるね。それとなんか最近レスが丸くなってない?
もっとけんかしろよ。
おれは分析スキだけど馬鹿だから傍観するしかない派だが。
10147:02/08/01 17:17
>>31,35
だが、ここで三浦俊彦の論理パズルについて議論するのもいいのか?

いいなら、とりあえず書くが、漏れは、ウォーミングアップの4枚カード問題の
Bでつまづいておるぞよ。すなわち、下の@とBの違いなのだが、三浦さんは
日本語の「は」と「が」の解釈の違いを問題にしたいのかな。それとも、「仮説」
への言及がポイントなのか。だが、いずれにせよ、Bの問いに対して、@の問いと
どのように違う解釈を与えたらいいのかわからん。

@「漢字の裏は偶数である」という仮説が正しいかどうか確かめるためには、…
B「漢字の裏が偶数である」が正しいかどうか確かめるためには、…

http://members.jcom.home.ne.jp/miurat/puzzle.htm




10247:02/08/01 17:20
失礼、101は、35に対しての突っ込みでした。31は参考レス。
103考える名無しさん:02/08/01 17:36
ソーカル支持の理系なオレ
104考える名無しさん:02/08/01 17:39
>101

「は」の方は、「漢字の裏は偶数でなくてはならない」 だから、漢字の裏を調べて奇数なら反証になる。
「が」の方は、「偶数の裏は漢字でなくてはならない」 だから、偶数の裏を調べて幹事じゃないなら反証になる。
105考える名無しさん:02/08/01 17:40
結局この問題も、「は」と「が」の文法的な違いというある種の常識に立脚している点で言葉遊びのカンは強い。
106:02/08/01 17:51
>47
パズルはいいと思う.とにかくここは分析哲学好きと嫌いが喧嘩をするスレッド.
そしてパズルは殺伐としたその喧嘩の砂漠にあるオアシス.
なるほどそうなのか.「は」と「が」の違いになんか気づかなかった.
しかしあまり論理パズルという感じはしないね.あまり面白い問題じゃない.
でもこの調子でやってこうよ.
>>103
ソーカル支持もなにも,ソーカルは誰でも知ってるけど誰も言わなかったことをはっきりと
言っただけだよ.だからソーカル問題のどこにも真面目に議論すべき問題なんてないんだよ.
107考える名無しさん:02/08/01 17:54
>106

そうなん?じゃあなんであんな話題になったんだ?
それにもしソーカルが言っていることが正しいなら、批判の対象となっている哲学、思想はクズだって認めてんの?
つーかそんなんがなんで学問の一つとして認められるんだ?
108:02/08/01 17:58
ちなみにまたパズル.

問題:必ず正解するイエス,ノーで答えられる質問を作れ.

答え:「貴方は私のこの質問に対してイエスと答えることは正しいですか?」
相手が「イエス」と言ったら,「イエス」と答えているのだからそれは正しく,したがって「イエス」という
回答は正解.「ノー」と言ったら,事実「ノー」と答えているのだそれは正しくなく,したがって「ノー」と
いう回答は正解.
109:02/08/01 18:06

「貴方が私のこの質問に対してイエスと答える,このことは正しいですか?」
の方が普通の日本語かな.
110考える名無しさん:02/08/01 18:08
>109
>106 は無視?ところで文系?
11147:02/08/01 18:10
>>106
三浦俊彦氏の論理パズルについては、ツッコミがいがありそう
なので議論はしたいが、さすがに、フランス現代思想批判はダメ
だが、論理パズルの議論はOKでは、説得力がなさすぎる。
漏れは、スレタイからそれるのは気にしないので、もし、「稲」氏
がスレタイにそった議論を望むのならば、論理パズル議論の新スレ
を立てたほうがよかろうと思う。
112:02/08/01 18:22
>>111
説得力がなくてもいいのだ.それに三浦俊彦氏の論理パズルはスレッドたてるほど
でもないからな.ここでやってしまえばいい.
ソーカル問題はやりたい人が多そうだから,ここでわざわざやらなくても自分らで
スレッドたててそこでやればいい.
113考える名無しさん:02/08/01 18:22
>ソーカル反批判者

ほんとにソーカル本読んで言ってんの?
あれ読んでまだクリスティヴァとか支持してたら
ぶったまげるぜ ふつー?

ラカンもなー

スレ違いすまそ
114考える名無しさん:02/08/01 18:24
>112

分析哲学がウザイってのとソーカルは密接な関連性があるとは思わないか?
115考える名無しさん:02/08/01 18:25
分析哲学 いいんだけど ちんぽだかも書いてたが

現状ではとてもではないが、ハイデガーとか
難解ないわゆる哲学を分析するには
手にしているツールが貧弱極まりないと思う

やっと、よちよち歩き始めた赤ん坊 といった感じ

なので、現状で全ての答えを得られない、というもどかしさか
11647:02/08/01 18:33
>>104
なるほど、確かに、三浦俊彦氏の出題意図はその辺にありそうだが、
そもそも、
(a)「『漢字の裏が偶数である』が正しいかどうか確かめる」という日本語の文が
(b)「『偶数の裏は漢字である』が正しいかどうか確かめる」という日本語の文と
同じ解釈を持つかどうかはかなり疑問。
すなわち、(b)の方は、「すべての偶数の裏は漢字である」という普遍量化的
な読みを明確に持つが、漏れには、(a)の方は、現在、字の面が表向きになって
いる「愛」と「サ」というカードのうち、「愛」という漢字の裏が偶数なのか、
それとも、「サ」というカタカナの裏が偶数なのかということを問題にしている
ように読むのが自然のように思う。もし、この読みだと、答えは、「愛」だけを
めくればいいということになるのだが・・・。

いずれにせよ、論理パズルに必須の答えの明快さに欠けるような気がするのだが。
11747:02/08/01 18:38
>>112
まあ、「稲」氏がいいというのなら、このまま続けるが、「同じ誕生日
のパズル」はわかりますたか?漏れには、双子らしきふたりがいたとい
う間抜けな答えしか思いつかない。「頭の体操」だったら、これでも
正解だと思うのだが・・・。
118:02/08/01 18:39
>>116
カルチャーセンターの問題できた? 生年月日のやつ.
友達とやってて僕ができたから(多分)答えを言ったら「なんだよそれ〜」
って怒ってた.
119:02/08/01 18:41
>>117
いやもっと単純な解答だと思うよ.すごい簡単(だと思う).
わかってしまうと「なんだ〜」と感じるかもしれないが,ちゃんとその答えで
いいというように問題がつくってある.
12047:02/08/01 18:49
>119
うう、わからん。とりあえず、ヒントたもれ。受講者の外見に
関係があるのか?それとも、8人目まで聞いたというところに
ポイントがあるのか?
121考える名無しさん:02/08/01 18:52
おれも三浦さんのサイト見てこようっと。
122:02/08/01 18:56
>>120
8人目まで聞いたところにヒントはあるけど,8という数字には意味はないと思う.
多分1だと露骨にわかってしまう.
123考える名無しさん:02/08/01 18:57
>116

言っている事が分かるような、分からんような。
オレとしては、「が」の用法として「漢字の裏(のみ)が偶数である」と解釈した。

124ふにゃぽん:02/08/01 19:06
分析哲学のウザイところ。

それは、自身の体系の必然的な帰結からくる、
そのどうしよもない平面思考。
125:02/08/01 19:08
>>124
ヘーゲル哲学のウザイところ。

それは,自身の体系の必然的な帰結からくる、
そのどうしよもない曖昧思考。
126考える名無しさん:02/08/01 19:14
がいしゅつかもしれんが

自分達の道具が、現段階では貧しいことを自覚しながら

現段階で全てを分析できるふりを続けるところ

・・しかし、それにもまして
ヘーゲルはおよそ学問ではあるまい
127考える名無しさん:02/08/01 19:14
この場合、確率が50%より高くなるかどうかが問題?
それとも確実に誕生日が同じ人間がいるかどうかが問題?
128ふにゃぽん:02/08/01 19:18
さらに、分析哲学信奉者のうざいところ。

それは、「矛盾」という現象に出くわすと、
そこから先に進めないくせに、それを自身の数学的平面性の故と認めないで、
原因を対象に押し付けるところ。
129考える名無しさん:02/08/01 19:20
>128

矛盾は数学的平面性の故じゃないような。
130:02/08/01 19:23
さらに、ヘーゲル哲学信奉者のうざいところ。

それは、「矛盾」という現象に出くわすと、
何人もそこから先に進めないくせに、自身の弁証法的曖昧さに気づかないで、
原因をすべてウヤモヤにして突破できるなどと信じこんでいるところ。
131考える名無しさん:02/08/01 19:29
>>130
「弁証法的曖昧さ」を取り除けって事ですか?
それってヘーゲル信奉者と同じ罠では。
13247:02/08/01 19:39
やっぱり、わからん。ひとつ思いついたのは、人間でもある程度
子作りが行われる時期にかたよりがあって(停電の夜とかw)、
もしそうだとすると、誕生日は、365日に均等に分散しているわけ
ではないということになり、誕生日が重なる確率は、結果高くなる
ということなのだが・・・、ちょっと違うか。
133しろうと:02/08/01 19:44
稲さん、ふにゃぽんさん(50音順)、
また遭遇しちゃったんですね。
マターリやってくださいよ(w
134:02/08/01 19:46
>>132
じゃあ答え(たぶんね,解答がないからわからないけど)

講師は8人目のところにきて,はたと自分がこの賭に負けると確信したんだよね.
ということは,この講師はまだこの賭をふっかけてきた人にまだ誕生日を聞いて
ないということだ.だからこの賭をふっかけた人間は,自分の番がきて講師が誕
生日を訪ねたら,だれでもいいがそれ以前に講師の質問に答えた人と同じ誕生日を
言えばいい.この賭は成立する.嘘を言ってもばれないから.問題にもあるように
このカルチャーセンターに集まった人は全員初対面で互いの誕生日は知らないし,
真面目に賭にのっているわけだから講師も知らない.
13547:02/08/01 20:22
>134
なるへそね。受講者が嘘をつけるという可能性を講師を忘れていた
ということですか。まあ、ずるいといっちゃずるいけど、確かに、
問題文の構成を考えると、その可能性がありそう。実際、賭けをも
ちかけた受講者以外についても、もし彼らが賭けの話を聞いていた
としたら、嘘をついて賭けをもちかけた受講者を勝たせて、後で、
嘘をついたことによる分け前を請求しようと考える可能性も
あるしね。
136:02/08/01 20:28
>>135
まあ他の受講者が嘘をつくかもしれないというのはひねり過ぎかもしれないが,
要するに講師は最初に賭をふっかけた人間に質問するんだったね.
そうしなかったというのが,8人目ではたと気づいたという部分でわかるようになってる.
13747:02/08/01 20:34
では、次の鏡の部屋の問題。うーん、これは、単純に、部屋の中に見え
てない人がいる可能性があるという答えではいけないのかな。例えば、
11人目の人は、他の誰の鏡にも映っておらず、同時に、自分の鏡には
自分の姿しか見えないという場合は、単純に再帰性(自分の姿は見える)、
反射性、推移性の三つを満たしているのではないの。
138:02/08/01 20:47
>>137
あれって「xはyを見ることができる」という関係が同値関係なんだよね.
だったらすぐさま全員が見えるということが帰結するでしょ.これは同値関係からの
簡単な帰結だよ.空でない集合を同値関係で割ってやると,同値類っていう下の集合の
部分集合に分割することができる.でこれらの集合が互いに素,つまり共通部分をもってない
ということが証明できる.だから自分がこのメンバーの中の1人だったら全員を見ることがで
きる.
「xはyを見ることができる」という関係を‘Lxy’としよう.この関係が同値関係なんだから
{y:Lxy}という集合は,xに対して同値関係Lにある対象の集合(xがメンバーになってるLの
同値類)ということになる.すると問題の人間はすべてこの集合のメンバーになるから,xはすべての
人を見ることができる.



139:02/08/01 20:50
>>137
自分の姿が見えるのは反射性じゃないかな.
Lxy→Lyx
の方は対称性だね.
140考える名無しさん:02/08/02 00:35
分析哲学者の描くヘーゲルなりフランス思想なりの描像は、
いつも藁人形叩きにしかならん。
なぜなら彼らは元々興味がないから
嘲笑的にしか現そうとしていない。
稲も同類。

ならわざわざ叩くなと。
そこが一番ウザイ。
141考える名無しさん:02/08/02 01:49
ゲーデルが面白い。数学では古典だが哲学ではこれからやな。
これって分析の仕事かい?
142考える名無しさん:02/08/02 01:54
どうせ数理哲学なら
ライプニッツとかゲーデルとかの方が
分析哲学プロパーより理系マインドだと思う
あとホワイトヘッド
分析哲学には
なんか中途半端な理系主義がある気がする
俺の友達の数学科の奴は古典形而上学の方がしっくりくると言ってたし
143:02/08/02 01:58
>>137
いまちゃんと鏡の問題を読んだけど,結論から言えば,自分が見ている(自分を含めた)10人
よりも多くの人間がホール内にいるとすると,自分はホール内の全員を見ることはできないね.
理由は>>138に書いた通り.つまりこの場合見るという関係は同値関係だから,自分の見ている
10人が自分がメンバーとなっている集合(同値類)のメンバーの全部.もしその10人よりも多
くの人間がいるとその連中も同値類を形成するけど,それは自分がメンバーになってる同値類
とは素だからね.
144考える名無しさん:02/08/02 11:11
そうきたか
14547:02/08/02 11:18
>>138, 143
遅レスですんまそ。「同値関係」という用語を知らないのだが、だいたい
こんなことだろうか。

関係Rが反射性、対象性、推移性を満たしており、aRb, aRc,...aRkが成り立って
いれば、a,b,c,...kのすべてのordered pairに関して関係Rが成り立つ。
(aは私、b-kは他の十人、xRyは「xがyを見ることができる」という関係)

ただし、上の事実は、部屋の中に、a-kとはR関係を全くもたない別の人間
がいることを排除するものではない。従って、鏡の問題の@は結論づけら
れない。

>>139
reflexivityの訳語で、つい「再帰性」と書いてしまった。
14647:02/08/02 11:39
では、次の「嘘つきのパラドクス」だが、これは少々やっかいそう。
で、これを後回しにして、「外れない予言」をやってみよう。漏れが
とりあえず、思いついたのは、
(p)「この予言はあたる。」
(c)「この命令に従え。」
という自己言及的な予言/命令である。で、確かに、予言(p)が外れる
状況というのは想像できないし、命令(c)にはどう振舞って逆らいよう
がないから、「外れない予言」/「逆らえない命令」とは言えそう。

でも、逆に、予言(p)は的中することもないし、命令(c)には従うことも
できないんだよな。そもそも、これらの予言/命令は、無内容に等しい
から。

だから、問題にあるように必然的に起こる出来事の予言というのが不正
解なのであれば、無内容の予言も不正解になるような気がするんだよな。
他にいい案ある?
147考える名無しさん:02/08/02 11:53
催奇性はリカーシブだ。分析哲学は数理論理学に巻き取りでいいのでは?
14847:02/08/02 11:56
>>147
英和辞典見てみ。
「分析哲学のウザイところ」か。英米の分析哲学についていえば、
一元論的な観方に拘りがちなトコロかな。
150考える名無しさん:02/08/02 13:33
論敵の理論を単純化して
"〜argument"とか言い張る部分が苦手。
結局数年の間にアンソロが多数出て、
その後話題が移り変わっていってしまうから、
ちょっとした誤解が放置されやすいと思う。

でそういう検証を行う奴が小物っぽく扱われ、
現に小物であるところに、
自然科学のように最新理論に乗り換えていく雰囲気を感じる。

やっていることは哲学なんだけど、
その根本精神が科学者イメージなところに違和感がある。
151考える名無しさん:02/08/02 16:32
>146
ゲーデル命題のことを言っている?なら
>(p)「この予言はあたる。」
>(c)「この命令に従え。」
ではなく
(p)「この予言はあたらない。」
(c)「この命令に従うな。」
じゃない?


15247:02/08/02 17:17
>>151
(p)「予言pはあたる。」
pがあたったと仮定すると、pはあたったことになる。
(トートロジー)
pがあたらなかったと仮定すると、pはあたらなかったことになる。
(トートロジー)
(p')「予言p'はあたらない。」
p'があたったと仮定すると、p'はあたらなかったことになる。
(自己矛盾)
p'があたらなかったと仮定すると、p'はあたったことになる。
(自己矛盾)

すなわち、pはあたったという解釈も可能であり、外れたという解釈も可能
である。一方、p'はあたったという解釈も、外れたという解釈も自己矛盾
をもたらす。故に、どちらも「絶対に外れない予言」とは言えない。要す
るに、(p)と(p')は、それぞれ

(s)「この文は真である。」
(s')「この文は偽である。」

という自己言及文の未来形ヴァージョンにすぎないことになる。とすると、
絶対に外れない予言というのは、絶対に真である文の未来形ヴァージョンと
いうことになりそう。けど、三浦さんは「どう転んでも必ず正しいはずのこ
とを述べる予言を挙げた人は、不正解である」と書いている。いよいよ、わ
からん…。

ところで、ゲーデル命題って、何でしたっけ?
153考える名無しさん:02/08/02 18:11
>>152
自己言及命題のような決定不能な命題のことじゃないの?
15447:02/08/02 19:33
>>153
「この命題は偽である。」のような命題のこと?

「稲」氏がいないみたいなので、先に行かせてもらおう。「必ず正解の
出る問題」は、「稲」氏が108で答えていたから、「矛盾した命令」に
いこか。「この家の中のネズミはすべて殺してください。ただし、この
家の中のネズミは決して殺してはなりません」という依頼にこたえよ、か。

まあ、普通に考えれば、家の中にネズミが一匹もいなければ、両方の
要求にこたえたことになるんだけど(「もしこの家の中にネズミがいたら」
という条件つきの依頼と解釈する)、ネズミを殺さずに家から追い出す
というのもありなのかな。ネズミを追い出すのは、「ネズミはすべて
殺してください」という要求に反することになるかもしれんし。
なんか、他にいいアイデアある? 
15547:02/08/02 19:45
さて、次から確率関係の問題になるわけだが、ちょっと苦手ですな。
とりあえず、「二人の受講生」をやってみよう。

@A教授の講義には、二人の学生しか受講していない。
今、講義の始まる直前にあなたが教室を覗き込むと、
一人の女子学生が着席していた。もう一人の受講生も
女である確率はいくらだろうか。ただしもともと受講
申請のできた学生数の男女比は1:1であるものとする。

うーん、男か女かどちらかだから、1/2であると答え
たらいけないんだろうなあ。でも、これは「もともと
受講申請できた学生」の数によって変わってくるんじゃ
ないの?例えば、男が一人、女が一人の1:1なら、
もう一人の受講生が女である確率は0%だし、
男が二人、女が二人の1:1なら、残りの三人のうちの
一人が女だから、確率は1/3になるだろうし、
というなことではないの? 
15647:02/08/02 19:56
と思ったが、問題Aをみると、問題@はただの前フリという
可能性もあるな。単純に1/2でもいいのかもしれん。

AA教授の講義には、二人の学生しか受講していない。
A教授に、「受講生に女子はいますか」と尋ねると、
「いる」という答えだった。A教授はウソをつかない
ものとする。ふたりとも女子である確率はいくらだろ
うか。もともと受講申請のできた学生数の男女比は
1:1であるものとする。

こういうのは、単純に場合わけをしていけばいいよ
うに思う。ふたりの受講生をBさん、Cさんと呼ぶこ
とにすると、二人の性別の可能な組み合わせは次の
ようになる。

(1) Bさん:男、Cさん:男
(2) Bさん:男、Cさん:女
(3) Bさん:女、Cさん:男
(4) Bさん:女、Cさん:女

で、A教授の返答によって、(1)の可能性が排除された
わけだから、残る三通りの可能性のうちの一つである(4)が、
もうひとりも女性である場合となり、従って、もうひとりも
女性である確率は1/3である、だよね…。
15747:02/08/02 20:11
なんか、2ちゃんねるで、ひとりでパズルをやっている
というのも変な感じだな…、まあ、高度に哲学的な問題とかも
でてくるから許してちょ。一応、時折、分析哲学者三浦
俊彦氏を叩くということで、スレタイにもあっているつもりだし。

★男の子と女の子
前問をふまえて、次の問いに答えよ。
@引越してきた隣家の子どもは二人で、1人は男の子である
という。ふたりとも男の子である確率は?
A引越してきた隣家の子どもは二人で、窓から男の子がひと
り顔を出しているのが見える。ふたりとも男の子である確率は?
B引越してきた隣家の子どもは二人で、ベランダに子供靴が干
してあるのが見え、「としひこ」と男子の名が書いてある。ふ
たりとも男の子である確率は?

@は前問「二人の受講生」のAと同じ、だから1/3。
Aは前問の@と同じ、だから1/2。
Bは、どちらかなあ、前問の@と同じような気がする。
つまり、“どちらかわからないがどちらか片方”が男
であるという情報が与えられている場合。だから1/2。

今日はここまで。
158考える名無しさん:02/08/02 22:06
分析哲学のウザイところ ー パズル解きばっかりのところ。

パズルなんてどうでもいいよ。
159考える名無しさん:02/08/02 22:11
>>158
稲たんと47たんはわざわざ実演してくれているのです

「大問題」を絶対に拒絶するんだよ、分析哲学は。
160考える名無しさん:02/08/02 23:33
 分析哲学の不思議なところ
分析哲学って、もし本気で考えているのなら生活そのものが不可能になると思う。
例えば、「あなたの思っている黒は他人にとって白かもしれない。」だとか、
「現実は実は現実ではない。」だとか、もし本気で考えているのなら
生きることの土台が揺らいでるわけであり、
本人は「生きる」ことに確信がもてない。
ところがたいていの人間は問題から距離をとって客観的に扱っている。
哲学というのは本人にとって生活を脅かすような問題(論理と実感のズレ)が動機ではないのか?
それともかつてはそうだったのか?
あるいは哲学というものはただのお遊びなのか?

161考える名無しさん:02/08/02 23:36
ちょっと気楽な知的ゲームを洗練させている風なところは否めないと思うよ。
回りで分析哲学をやっている人間には、
「生きていく上での問題」を軽視する奴が多かった印象がある。
162考える名無しさん:02/08/02 23:38
>>159
マクダガートの時間論 とんでもない大問題だ

>>160
>現実は実は現実ではない
大森氏、中島氏 「本気(マジ)」で考えている
163考える名無しさん:02/08/02 23:41
アメリカでは宗教原理主義者が多いから、
意識的に理系チックにしてるんじゃねえの?
何もその雰囲気を持ち込まなくても、分析哲学はできるはずだが。
164 :02/08/02 23:45

ペイズの定理をわかりやすく解説しているホームページとかないですか。

@A教授の講義には、二人の学生しか受講していない。
今、講義の始まる直前にあなたが教室を覗き込むと、
一人の女子学生が着席していた。もう一人の受講生も
女である確率はいくらだろうか。ただしもともと受講
申請のできた学生数の男女比は1:1であるものとする

単純に考えると、
@男ー男
A男ー女
B女ー女
で、女が一人きているから@は除外される。
するとAかBですよね。
Aの場合は、次くるのは男
Bの女ー女を女1−女2と分けると、
B先に女1が来ているなら次に来るのは女2
B女2が先に来ているなら次にくるのは女1
よってつぎくる可能性があるのは、男か女1か女2
で女である確率は3分の2である。
多分

165考える名無しさん:02/08/02 23:48
数学板の確率論スレに行けばがいしゅつ
166ボン:02/08/03 00:05
はいは〜い、今日の三浦先生の一言の時間ですよ〜。
三浦先生のアフォリズムから。

弱みを見せまいとする性格がおまえの唯一の
弱みなんだよ。だからその唯一の弱みをどんどん見せることで打開しろや。

ありがたいお言葉ですね。
167考える名無しさん:02/08/03 00:25
三浦俊彦って頭はいいんだけど、嫌な分析哲学者の(分析哲学者全員の、
でも分析哲学の、ではなく)嫌なところを体現しているよな。
知的なおもちゃを手にした秀才がエヘラエヘラしているというか。

>>1が言ってるのもそういうことなんだろうし。
168考える名無しさん:02/08/03 00:26
土屋俊もそうだよな
169考える名無しさん:02/08/03 02:25
英語に囚われている割に英語圏で活躍できないところ
170:02/08/03 07:00
>47
賢いね.僕も確率関係のパズルってほとんどやったことないから苦手だけど,
受講生の問題はそれでいい感じがするね.なるほど女1と女2の可能性を考
えるのか.見落としてたな^^.
すると窓から男の子が顔を出してるというのは,受講生の女をみたという問題
に還元できる感じがするね.同じ問題であるような気がする.
171:02/08/03 07:06
>>157
たしかに「としひこ」という名前の靴が見えるというのは問題@と同じような気がするね.
だから1/3のような気がするね.
172:02/08/03 07:14
>>159
偏見だな.まあ「大問題」ってことで何を考えてるのかわからないけど,分析哲学が
全然深くないと感じるんであれば,それは読んでる本のせいじゃないの.
なんだったらフレーゲの『算術の基礎』とか「意義と意味について」を読んでみれば.
173:02/08/03 07:41
ねずみの問題は家の中のねずみをすべて外に追い出して,そこで全部殺せばいいと思う.
あれって結局「すべて」のスコープをかえてるという問題だと思うよ.
あと絶対あたる予言は「この予言ははずれる」でいいと思ったけどな.
まあもうちょっとましな作り方はあるかもしれないけど,要はみんな自己言及させることに
かわりはないだろうからワンパターンな問題だね.
あとベイズの定理って確率では基本的な定理みたいだね.Yahooでもgoogleでも検索したら
たくさんヒットしたよ.
174考える名無しさん:02/08/03 10:24
「分析哲学が浅いというのは偏見である。
 実際にはむしろ、「深さ」を自称する哲学学派の方こそ、
 深さを名目にして擬似問題に囚われているのではないか。」

これも飽きたよ
175考える名無しさん:02/08/03 10:25
理系的なパズル解きの欲望に居直らないで
分析哲学の優位性を語りきってみろ
176考える名無しさん:02/08/03 10:39
僕の肛門も分析してください
177考える名無しさん:02/08/03 10:51
ちょいと待っておくんなまし。

確率が3分の1で落ち着いているようだけど
「申請のできた学生数の男女比は1:1」ってのを無視してない?

これを考慮すると、(男、男)の組み合わせと(男、女)の組み合わせでは確率が変わってくるじゃ?
178ふにゃぽん:02/08/03 10:54
分析哲学の立場で、「歴史の原動力とは何か」「生命体=(生物)は何故
進化してきたのか(=進化せずにはいられなかったのか)」
「進化とはなにか」「有機体と無機体の相違と関連」「数および時間、空間の『無限』とは何か?
また、例えば、『無限大数』というものがあれば、何故、それは必ず『有限数』により
構成されちいるのか」「『無限』と『有限』の境界はどこにあるのか」
といった問題を解いてもらいたいね。
179考える名無しさん:02/08/03 10:58
ようするに歴史嫌いの巣窟だから最初の方の問いは放置だろ
180 :02/08/03 11:24
>「生命体=(生物)は何故
>進化してきたのか(=進化せずにはいられなかったのか)」

「進化してきた」と「新化せずにはいられなかった」を簡単にイコールで
結んじゃだめでしょう。
だって偶然かもしれないんだから。


「進化とはなにか」「有機体と無機体の相違と関連」とかは、もう哲学の
出番はないんじゃないんですか?
生物学の分野でしょ?

重力とは何かが物理学の問題であって、
なぜ重力があるのかみたいな、およそ実証とは無縁な
いつまでもうじうじ考えるつづける
ことができそうな問題が哲学の問題ということなんじゃないの。
なぜ存在するのかとかね。

181考える名無しさん:02/08/03 11:44
分析哲学は「なぜWhy」問題を嫌う。
むしろ「いかにHow」とか「何がWhat」を徹底分析するんです。
煽りに答えられないのも当然で、
それは彼らにとって哲学問題ではないからです。
18247:02/08/03 13:54
>>181
すまん、煽りにも答えてみたいんだが、私の頭は、ちょっとパズルの方で
精一杯なのだ。パズルはいいぞ。

>>164
うーむ、何度か読んだが、女1と女2の意味がよくわからんかった。
思うんだが、問題@は、他の関連情報がまったく与えられていない
情況において、ある人が女である確率を尋ねているのだから、単純に
1/2ではいけないんだろうか。偶然に見えた(特定の)受講生が女で
あるということは、もう一人の受講生の性別に関して何の情報も与え
ないわけだから。で、問題の趣旨は、同じように、「ひとりが女性で
ある」という日本語訳できる情報でも、

(1) The student (who I see) is female.
(2) One (but I don't know which one) of the students is femail.

という二つの情報が区別され、両者が確率に与える影響には違いがあるという
ことを言いたいんだと思うのだが。
1831:02/08/03 13:59
>>182
俺もパズルは好きだ。

けどやはり分析哲学には臭みがあるだろ?
欠点を自己分析してみてくれ
18447:02/08/03 14:09
>>173
>ねずみの問題は家の中のねずみをすべて外に追い出して,
>そこで全部殺せばいいと思う.
>あれって結局「すべて」のスコープをかえてるという問題だと思うよ.

なるほど、「この家の中のネズミはすべて殺してください。ただし、この
家の中のネズミは決して殺してはなりません」という命令を、「現在こ
の家の中にいるネズミについては、すべて殺してください。ただし、あ
なたが殺そうとする時点においてこの家の中にいるネズミは、決して殺
してはなりません。」と解釈すればいいというわけね。ふたつの命令で、
何時の時点において「家の中にいる」かの解釈を変えればいいというわ
けか。なんか、それが正解っぽい。 

>あと絶対あたる予言は「この予言ははずれる」でいいと思ったけどな.
けど、それだと、自己矛盾に陥るような…。
18547:02/08/03 14:18
>>183
欠点ねえ・・・、

大きな問題に取り組もうとしないというのは、ある程度、
あたってると思うが、優れた分析哲学者は、大きな問題を視
野にいれて、それとの関連において、パズル的な小さな問題
に取り組んでいるとも思うしな。

だから、よい分析哲学の条件は、
@小さな専門的な問題をしっかりと分析することができて、かつ、
Aその専門的な問題を大きな一般の関心を引くような問題に結びけられる
ということだと思う。
1861:02/08/03 14:22
>>185
はじめから一流は免罪済みです。
フレーゲやクワインが駄目とは言っていないし。
俺は単なる煽りではない。

ずばり日本の分析哲学は理系オタクのツールに堕している。
この問題から目をそらして
スマリヤンのパズル解いてる場合じゃないですよ。
18747:02/08/03 14:37
>>186
つうかさ、日本の分析哲学者の問題は、むしろ、パズル的な問題への取り組み
がむしろ甘いところにあると思うんよ。哲学の問題は、パズルのように見えて
も、受験問題のように模範解答があるわけでもないし、また、エッセイのよう
に、自分の思ったことを自由に書いてもいいというわけではないし。

そこらへんのことも考えて、漏れは、このスレッドで、パズル解きを延々と
やっているということもあるんだけど(ややマジ)。
188考える名無しさん:02/08/03 14:41
>>187
枕詞のように現象学とかフランス現代思想を
煽ってる奴が多いからじゃねえの?
フランスの分析哲学者も煽ラーだし。
18947:02/08/03 14:50
>>188
実際の分析哲学系の書き物において、現象学やフランス現代思想に
ついて否定的に言及しているものは、あまり見たことがないのだが。
フランスの分析哲学者(出昆布とか?)とかは知らんのだけど。

まあ、サールvs.デリダはどっちもどっちだし…。
190考える名無しさん:02/08/03 14:55
>>189
Reason, Truth and History
19147:02/08/03 14:58
パトナムか?なんか、実在論的な客観主義を批判した本
だと思っていたが。だとすると、現象学とかの立場とか
とむしろ近いんじゃないの?
192考える名無しさん:02/08/03 15:01
むしろ逆。
現象学を「水槽内脳」仮説で叩き、
フランス思想が排中率をも破壊すると揶揄。
ちょっとあれはやりすぎ。
193:02/08/03 15:04
>>191
形而上学的実在論を否定したのは確かにそうだが,現象学に近いなんてのは
さすがに違う^^.
19447:02/08/03 15:07
>>192
そうなの?現象学と内在的実在論は、どう違うんだろう?
現象学と客観的実在主義の中間にあるのが、内在的実在論なのかな。
で、排中律を破壊すると書いてあるなら、それは揶揄だろうなあ…。
195考える名無しさん:02/08/03 15:16
現象学に関してもかなり戯画化されていたよ
「指示」の問題を解き得ないって感じで。
19647:02/08/03 15:33
おっ、「稲」氏も戻ってきましたか。

>>195
現象学では「指示」の問題を解き得ないというのは、パトナムが言
いそうなことですな。けど、現象学とかとの比較を持ち出さないと、
内在的実在論なんて立場はうまく説明できない、ということではな
いの?で、戯画的な単純化は、まあ、許しちくりや、なんせ亜米利
加人だし。
19747:02/08/03 15:35
>>196
自己レス。理系的亜米利加人って言ったほうがいいかな。
19847:02/08/03 16:16
さあ、レスも来なくなったことだし、パズルに戻ろう(w

次は、三囚人問題。昨日、考えてみたんだが、これも場合分けとそれぞれの場合の
確率をきちっと押さえていけば解けるように思う。ちなみに、囚人の呼び名は、
1号、2号、3号から、A, B, Cに変えてあります。

@これは前フリ。三人のうち釈放は一人だから、当然Cが釈放される確率は1/3。

Aこれが典型的な三囚人問題。一見、看守の答えによって、釈放されるのはAとC
のどちらかになったのだから、Cが釈放される確率は1/2に上がったようにも思える。
だが、リスクのない質問をしたのに、安全になる確率が増すというのも直感的におかしい。
で、場合わけをして、それぞれの場合の確率を整理してみると、

ABが銃殺される確率 1/3 → 看守がAと答える確率 1/6(1/3*1/2) (a)
→ 看守がBと答える確率 1/6(1/3*1/2) (b)
BCが銃殺される確率 1/3 → 看守がBと答える確率 1/3 (c)
ACが銃殺される確率 1/3 → 監守がAと答える確率 1/3 (d)

実際には、看守はBと答えたのであるから、(b)と(c)の起こる確率の比較となる。

ABが銃殺で看守がBと答える確率(b) : BCが銃殺で看守がBと答える確率(c)
=1/6 : 1/3
=1 : 2

すなわち、やはり、ABが銃殺されてCが釈放される確率が1/3であるのは変わりない。

BBが銃殺されるという情報は、偶然に入ってきたものであり、残りのAとCの
どちらかが銃殺されるかは対等、すなわち、Cが銃殺される確率は1/2。(Aと違って、
C(およびA)が銃殺されるという情報を聞く可能性も同じくらいあったことに注意。)

Cこれは、問題AのBが釈放される確率と同じ。すなわち、2/3。

やはり、教訓は、リスクなくしては何事も得られないということですかね。
19947:02/08/03 16:23
自己レス。スペースがうまく出なかったので若干訂正。
-----

ABが銃殺される確率 1/3 → 看守がAと答える確率 1/6(1/3*1/2) (a)
            → 看守がBと答える確率 1/6(1/3*1/2) (b)
BCが銃殺される確率 1/3 → 看守がBと答える確率 1/3 (c)
ACが銃殺される確率 1/3 → 監守がAと答える確率 1/3 (d)
200考える名無しさん:02/08/03 16:30
確率論関係以外のパズルを解け
じゃなけりゃ数学板にスレ立てしる
201考える名無しさん:02/08/03 16:45
167の三浦俊彦については同感。
ああいうタイプって、分析哲学の嫌な面を代表している。
なぜそう感じるんだろう?
俺の友達によい分析哲学者がいる。数学の哲学を研究しているそうだが、
分析哲学者とというより、分析哲学な奴なんだな、これが。
物事に対して分析哲学的または論理学的な興味しか持っていないんだよ。
悪意とか、嘘をつくとか、そういう面がまったくない。すごく単純で、
付き合いやすい、すごくいいやつだよ。「無垢」というのに近いな。
嫌な分析哲学者っていうのは、その逆だ。
単純に楽しいはずのおもちゃなのに、実は単純に遊んでいない。、
人に見せびらかして人を脅かしたり、自慢したり、そんな感じだな。
要するに、ホントは分析哲学な奴じゃないんだな。
悪意とか何かを実はたくさん持っていて、その手段として使える知的
おもちゃを悪用している、って感じがするんだな。
ところで、俺の友達のその分析哲学な奴が、分析哲学以外の他の哲
学の悪口を言うのなんか聞いたこともないし、想像もできないね。



20247:02/08/03 16:53
>>200
すまん、確率のパズルは今回で終わり。せっかく考えたんで、書かしちくり。
ちなみに、確率(と合理的行動)のパラドクスは、分析哲学の関心領域でもあると思う。

で、モンティ・ホール・ジレンマであるが、この問題は始めて見たけど、
三囚人問題の応用でなんとかなりそう。まず、やはり、三つに場合分けして、
私が最初にAのドアを選択した時に、王がBのドアを開ける確率とCのドアを
開ける確率を計算してみる。(ドア名は、A,B,Cに変更してます)

ABにライオンにいる確率1/3 → 王がBを開ける確率1/3      (a)
BCにライオンがいる確率1/3 → 王がBを開ける確率1/6 (1/3*1/2) (b)
              → 王がCを開ける確率1/6 (1/3*1/2) (c)
ACにライオンがいる確率1/3 → 王がCを開ける確率1/3       (d)

王はBと答えたのだから、(a)と(b)の起こる確率を比較して、

ABにライオンがいて王がBを開ける確率:BCにライオンがいて王がBを開ける確率
= 1/3 : 1/6
= 2:1

すなわち、Aにライオンがいる確率(=Cに美女がいる確率)は2/3。
よって、命が惜しいなら、Cのドアに変更するほうが安全。
20347:02/08/03 16:58
>>202
訂正。

誤:王はBと答えたのだから、(a)と(b)の起こる確率を比較して、
正:王はBを開けたのだから、(a)と(b)の起こる確率を比較して、


20447:02/08/03 17:00
>>201
ウィトゲンシュタインみたいな奴なのか?
205考える名無しさん:02/08/03 17:00
パズルって、つまらんね。
206考える名無しさん:02/08/03 17:00
やっぱり哲学板分割した方がいいんじゃないか藁
207201:02/08/03 17:09
>>204
言われてみて逆に、ウィトゲンシュタインってあんな奴だったのか、と思った。
208ふにゃぽん:02/08/03 17:59
みなさん、パズルが解き終わったところで、
>>178の煽りの続きね。

「微分方程式」で顔を出す、「無限小」なる概念は、常識的に考えて、
「無限」に「小」さいんだから、「ゼロ」と同義に扱ってよさそうなものだけど、
この概念が、物理学や数学で、実質的な有効性をもった「数の集合」として、
もちろん「ゼロ」とは違う意味で使われているのはどうして?

これを、分析哲学で説明して下さい。
209ドキュソ分析派:02/08/03 18:35
>208
「無限に小さいが大きさはある量」じゃないか?

>「ゼロ」とは違う意味で使われている
微分においても、無限等比級数においても(こちらはゼロではなく無限)
xにゼロに限りなく近い数を代入すると言う手続きは、単純にゼロを代入する手続きとは区別されているから
概念上、明確な違いがあるのは確か。

これってたしか、ゼノンのパラドクスを解決する為に必要な概念だったと思う。
これがないと運動が論理的に説明できなかったはず。
210ふにゃぽん:02/08/03 18:57
>>209
>「無限に小さいが大きさはある量」じゃないか?

では、分析哲学では、そういう概念の存在を許すのでしょうか?

「無限に小さい」にもかかわらず、「大きさ」を持つとは?

ハッキリと矛盾していますが・・・。
211考える名無しさん:02/08/03 21:22
>>209
ゼノンのパラドクス、植村恒一郎は微分の概念を援用せずに説明してました。
植村恒一郎って、大森の弟子みたいですが、ほんとなんでしょうか。
212ドキュソ分析派:02/08/03 22:43
>210
>「無限に小さい」にもかかわらず、「大きさ」を持つとは?
>ハッキリと矛盾していますが・・・。
矛盾していることを証明してくれ。それもまた「分析」
213 :02/08/03 23:10
というか分析哲学ではといういいかたもどうなの。
分析哲学という一つの立場があるわけじゃないだろ。
214 :02/08/03 23:16
>なるほど、「この家の中のネズミはすべて殺してください。ただし、この
>家の中のネズミは決して殺してはなりません」という命令を、「現在こ
>の家の中にいるネズミについては、すべて殺してください。ただし、あ
>なたが殺そうとする時点においてこの家の中にいるネズミは、決して殺
>してはなりません。」と解釈すればいいというわけね。ふたつの命令で、
>何時の時点において「家の中にいる」かの解釈を変えればいいというわ
>けか。なんか、それが正解っぽい。 

それだと、設問の家の中をいろいろ調査したというのが活きてこない。
前に誰かが答えていたとおもうけど、家にはねずみがいないというのが
答えでいいんじゃない。
ようは「すべてのねずみは白い」から「白いねずみがいる」が導けないように、
だってねずみは一匹もいないかもしれないのだから。
それと同じように、「家のねずみをすべて殺せ」も「家のねずみをころすな」も
家にねずみが一匹もいなかった場合には、何をしても命令違反にはならない。
だって、家にねずみがいなかった場合については何ものべていないから。
これだと、家の中を調査したという設定が活きてくるしね。
215:02/08/03 23:17
>>212
僕としては,ふにゃぽんが「矛盾」ということで何を考えているのか,
そのことを教えてもらいたいな.それもまた「分析」
216:02/08/03 23:21
>>214
いやそれはいけないでしょ.まずねずみがいなかったというのは,たまたまそうなだけでど
それは単なる特殊ケースの場合にしか当てはまらない解答になってる.
217考える名無しさん:02/08/04 00:02
分析哲学がうざいのではない。
ただ稲がうざいだけだ。
この区別はとても重要だ。
分析哲学を食わず嫌いにならないためには。
218 :02/08/04 00:04
でも問いが、
>さて、この一見矛盾した依頼を一郎が実行できたのはどうしてだろうか。

というものだから、
答えは、
調査したところ家にはねずみが一匹もいなかったからというものでいいんじゃないの。

一郎はかならずこの矛盾した命令を実行できるのだが、さてどうやるのだろう
かという
問いではなくて、
一郎はこの命令を実行できたのだが、それはなぜだろう。
というものだから、家にねずみがいなかったからという
特殊事例を持ち出すのは間違っていないと思うけどね。


219:02/08/04 00:09
>>218
う〜ん,たしかにそういう解答がありえないとは言わないが・・・・.
まあそれは解答じゃない感じがするな.やっぱりどんな場合でも成立するような
解答でないとまずい気がするね.「調査」とか「実行できた」という言葉の取り方に
よって成立・不成立が左右するような解答ではあまりすっきりしないな.
単純に「すべての」がかかる場所をかえてやればそれで済むわけだから,家の中のねずみ
を外に追い出して殺してしまえばよいような.この解答がだめだという理由がはっきりし
ないな.
220 :02/08/04 00:27
解答は複数あってもいいんじゃない。

ただ、

>「この家の中のネズミはすべて殺してください。ただし、
>この家の中のネズミは決して殺してはなりません」

という依頼主の言葉を聞くと、一見家にねずみがいることが当然の前提の
ように思えてしまうが、実は依頼主の発言内容には、実際にねずみが家に
いることは含意していないというのがこの問題の味噌という感じがした
から、自分的にはねずみがいなかったからが回答。
22147:02/08/04 00:27
>一郎は途方に暮れたが、いろいろ考察・研究・調査・工夫した結果、
>この顧客の申しつけを見事にクリアした。
>さて、この一見矛盾した依頼を一郎が実行できたのはどうしてだろうか

「考察」「調査」という部分を考えれば、214さんの答えも悪くない
と思うんだけど、「工夫」という部分がひっかかりそう。最初から
ネズミが一匹もいないのであれば、工夫する余地もないだろうし。

三浦先生のHP:
http://members.jcom.home.ne.jp/miurat/puzzle-y.htm
222:02/08/04 00:32
まあそういうことにしておこうか.三浦先生のHPが更新されてるね.
けっこう問題用意してあるね.けっこう便利そうな本だね.
グルーのパラとか規則のパラとかもあるし.大学の講義のテキストなんかに
使えるんじゃない.分析やるんであればこういうパラドックスから入ってく
のもいいかもね.
223考える名無しさん:02/08/04 02:04
分析は一時よりは下火になってると思われ
224考える名無しさん:02/08/04 04:58
1枚の座席のシートの実効割合。その優位は燃えている羽毛の回転のやりかた。
エリア削除がされて実行。
現われて、他のものを見つめるために、次のその皿の目的に関しては目で順番に現われることに見える。
それが再び削除することができるか?
スイスの無作法なもの。方法で運ばれるその時間が、再び実行したので、呼ばれたプレートおよび方法は始められるべきです――
それは、1時間のために再び必要になることができます――
したがって、現われる嫉妬を備えた既存の内部--それはどのようにではないか?
225考える名無しさん:02/08/04 10:05
223は下火といっているが、
下火になっているのか、
それとも上火になっているのか、
事実はどうなんですか。
教えて。
226ふにゃぽん:02/08/04 12:05
>>213
>というか分析哲学ではといういいかたもどうなの。
>分析哲学という一つの立場があるわけじゃないだろ。
>>212
僕としては,ふにゃぽんが「矛盾」ということで何を考えているのか,
そのことを教えてもらいたいな.それもまた「分析」

あいや、>>210での私の言い方がマズかった。

正確には、「分析哲学の手法で、『ゼノンの詭弁』のような問題が解けるのか?」
ということ。

私の見解は、話出したら、メチャ長くなるのと、スレ違いのため、ここでは言えない。

ただ、あらゆる事象は、「矛盾」というものを必然的に内包しているということ
だけ指摘しておく。

例)「運動」とは、あるものが「場」からの移動という意味において「動く」ということを
意味するのみならず、ある一瞬間には、そのあるものが「場」を占めるということから、
「静止」をも含んでいる。

「選択」とは、多くの「選択肢」の中から、「あるもの」を「拾い上げる」と同時に、
「その他のもの」を「排除する」ということでもある。



227考える名無しさん:02/08/04 12:25
>>226
俺は分析哲学にシンパシーはないが、
きっとあんたのようには考えないと思うぜ。

分析哲学は論理性を、
あくまでも標準的な一階述語論理のシステムから考えて行くから、
必要以上にヘーゲルへの煽りが増える。
228ふにゃぽん:02/08/04 13:21
>>227
>分析哲学は論理性を、
>あくまでも標準的な一階述語論理のシステムから考えて行くから、

私も、分析哲学が全て使えないと言っているんじゃない。
それどころか、その使用のある程度の有効性は認める。

ただ、それは、あくまで狭い範疇においてのみであり、
私が煽った(w ように、「『矛盾』や、『運動』、『時間性』という
カテゴリーの中での適用は?」と聞かれると、分析論主義者は、どう答えるか?
229考える名無しさん:02/08/04 13:23
おれもあんたに同感だな。
たしかに論理学の体系整備などの成果は偉大。
けど、さっき出たパットナムもそうだけど、
他の哲学を論理性の欠如とかいって煽るのはどうかと思う。
哲学の可能性を狭めかねないしな。
230ふにゃぽん:02/08/04 14:21
>>229
>他の哲学を論理性の欠如とかいって煽るのはどうかと思う。
>哲学の可能性を狭めかねないしな。

まあ、ここは、「分析哲学のウザイところ」を挙げるスレなので・・・(w
231考える名無しさん:02/08/04 14:26
>>230
良く読め。分析の奴が煽っているという指摘。
パットナムも知らんのか
232ドキュソ分析派:02/08/04 16:55
>217
そう言う煽りは低俗な上面白くないので歓迎できない。
稲氏がうざいことを論理的に証明してくれるなら一つの価値はあるだろうが。
それもまた「分析」
233考える名無しさん:02/08/04 16:57
>>232
些末事にこだわりすぎ等の批判に答えてみろよ
234ドキュソ分析派:02/08/04 17:05
>226
それは違うと思う。そもそも「現象」(つまり事実)は矛盾しない。
それに対する「認識」に矛盾がある場合があるだけで。
矛盾とはそもそも両立させることの出来ないモノであるはずだから
「矛盾した現象」が現実にあるわけない。

運動の例は無限と点(つまり、限りなくゼロに近いが量を持つモノ)に関する議論だが、これも別に矛盾しているわけじゃない。

選択は「拾い上げる」のと「排除する」のを同時に行うことが出来るから矛盾ではない。
235ドキュソ分析派(連続レス):02/08/04 17:07
>229
オレはそのタチだ。
他の哲学のみならず、論理性の無い学問全ては学問とは言えないと思っている。
特に文学や政治学など。

まあオレみたいなヤツがウザイ分析哲学派なんだろう。
236考える名無しさん:02/08/04 17:07
>>234
で、論理学の救世主フレーゲマンセー、
矛盾の濫用者ヘーゲル逝ってよし、と?
237考える名無しさん:02/08/04 17:08
>>235
お前「文学」と「文学研究」
「政治」と「政治学」の区別ぐらいついてるよな
238ドキュソ分析派(連続レス):02/08/04 17:08
>233
どのレス?
しかし、分析哲学ってのは些細なことに徹底してこだわるものなんでないの?
239ドキュソ分析派:02/08/04 17:10
>236
スマン。その辺の知識はあまり無いので答えられん。
>237
分かってるつもりだが。
240考える名無しさん:02/08/04 17:10
>>238
哲学を科学の一種にしたいか
241考える名無しさん:02/08/04 17:12
>>239
お前「論理」フェチだろ?
「論理性のない学問」なんてものが本当にあり得ると思っているのか?
242ドキュソ分析派:02/08/04 17:20
>241
ほとんどの文系学問は論理性に書けると思う。合理性はあるかもしれんが。
243考える名無しさん:02/08/04 17:22
>>242
じゃあなんで一階述語論理は普遍的なんだよ
244考える名無しさん:02/08/04 17:28
47か稲のどっちかが、
「ドキュソ分析派」のこの偏見を説明あるいは擁護してみて
24547:02/08/04 17:48
>244
どの偏見を?
ちなみに、「論理性に欠けるが、合理性はある」学問とはどのようなものか
については、詳しく聞いてみたいと思う。
246考える名無しさん:02/08/04 17:54
>>245
ほとんど理系学問にしか価値を見いださないのはともかく、
それを文系嫌悪にまで持っていくメンタリティー。
24747:02/08/04 17:57
さーて、パズルの続きだぞー、って書いてみても、のっているのは
私だけのような気がする(w

とはいえ、次の「約束のパラドクス」は、論理パズルというよりも
分析的倫理学の演習問題に近いから、まあ許せ。とりあえず、問題
の全文をコピペしてしまおう。(「予知能力」は有名すぎるトリッ
クなのでパス。)
-------
次の三つのことは正しいと認められるだろう。
 A ある人が、行為aをすると約束したならば、その人はaをする義務
   を負うことになる。
 B aをする義務を負っているならば、その人は、aを行なうことがで
   きるはずである。(すなわち、誰も、不可能なことを行なう義務は
   ない。)
 C 人はしばしば、できないことをすると約束してしまう。
さて、この一つ一つは正しいように見えながら、三つ合わせると矛盾が
生ずる。例えば、Cの例として、政治家が不可能な政策を約束すること
はよくある。Aにより、約束したからには政治家はその政策を実行する
義務を負っているはずだが、Bによれば、できないことを行なう義務は
ないのである。こうして、政治家は、約束したことを行なう義務がある
とともに義務がないという妙なことになってしまう。
 A,B,Cのどれかに問題があると思われるが、どれがどうおかしか
ったのだろうか。
248考える名無しさん:02/08/04 18:00
論理学って、もともと推論の妥当性について研究する学問なんだから、
「……には論理性が欠けている」と論理学の立場から言うのは、
大抵はそのままの意味なんだろうけど、
場合によっては、論理学の学問放棄にもなるのでは。
24947:02/08/04 18:03
>>246
漏れは、文系育ち、理系苦手、文系学問大好き人間なので、
学問を「論理的」vs.「非論理的」に二分して、後者を貶めようと
する感覚はまったくわからん。
250考える名無しさん:02/08/04 18:03
分析哲学の多くは「応用論理学」だよな…
命題分析とかみちゃいらんない。
飯田隆がんがれ
25147:02/08/04 18:05
>>248
なぜ?「論理学の学問放棄」の部分がよくわからんぞ。
25247:02/08/04 18:08
>>249
命題の分析は、分析哲学の基本的な手法だと思うが。

別スレで話題になっているが、やっと『論理哲学大全』完結か…。
25347:02/08/04 18:09
252の訂正
誤:>>249
正:>>250
254考える名無しさん:02/08/04 18:16
>>252
公用語を英語にしたい連中の巣窟かと思うような時もあるよ
「日本語の意味論」に期待している
255考える名無しさん:02/08/04 18:21
>>251
「論理性がない」と言うことは、当の文章の推論がいかなるものかを挙げてない、ということでしょう。

大抵の場合はそんなことはなくて、ちゃんと検討した上で「論理性がない」と言ってて、
論理性がないということに一定の論理性が宛がわれているんでしょうけど。
25647:02/08/04 19:34
>>254
けど、英語で議論しているわけじゃないだろ。
英語で論文を書く人もあんまりいないし。

飯田さんの『日本語形式意味論の試み』をダウンロードしてみた。
100ページ強の論文が三本か。すごいな。

>>255
けど、普通の文章の論理性を議論するのは、いまの論理学の仕事じゃ
ないし。
257ドキュソ分析派:02/08/04 19:45
>243
一階述語論理は文系なん?
>246
では例えば文系はどんな学問に対しても嫌悪感を示さないのか?
例えば、西部ススムと宮台真治は嫌悪し会っているように思えるが。
>245
論理性とは矛盾律に従っているかどうかということで、合理性は常識的であるかどうかじゃない?
例えば、不法行為において被害者に事実を立証する義務を課すというのは合理的だが論理的ではない。
>249
煽りとかじゃなくてマジに聞きたい。文系学問においては何を基準に物事を判断するの?
258考える名無しさん:02/08/04 19:47
>>257
お前哲学科なのか?
文系学問だろが
259ドキュソ分析派:02/08/04 19:55
>258
違う。理系。そもそも分析哲学は文系か?
260考える名無しさん:02/08/04 19:56
>>259
学科を聞いてるんだよ
261ドキュソ分析派:02/08/04 19:57
大学バレそうだから言いたくない。
情報系。
262考える名無しさん:02/08/04 19:58
>>261
理系でも数学と建築なんかはほとんど別物だろうが
情報系なんかしょせんソルジャーだろ
263考える名無しさん:02/08/04 19:58
SFCだな
264ドキュソ分析派:02/08/04 20:00
なにやら息巻いているがオレのせいか?
情報系と言ってもプログラミングとかじゃない。
情報論理ってのがある。ちなみに卒論のテーマは分析哲学っぽい。
265ドキュソ分析派:02/08/04 20:00
>263
違う。もっと偏差値低い。
266考える名無しさん:02/08/04 20:02
東大とかの理系ならもっと文系に対して柔軟だよ
267考える名無しさん:02/08/04 20:15
いい加減理系文系だのウヨサヨだのしか言わない低脳にはうんざり
268考える名無しさん:02/08/04 20:18
>>267
だからあらかじめドキュソって名乗ってくれているんだよ
269ドキュソ分析派:02/08/04 20:46
>266
だからオレ偏差値低いっていってるっしょ。
>267
正確には「低能」らしい。しかし、これも一つの分析だと思う。
ゼノンも頭の上から水ぶっ掛けられて「動くではないか」と言われたからな。
>268
そう。
270ドキュソ分析派:02/08/04 20:47
追加すると、オレは文系が嫌いなわけじゃない(そう言う部分もあるかもしれんが)
文系がワカランのだよ。
271考える名無しさん:02/08/04 20:55
>>269
なんで「Ph.D」が文理を問わず「博士」って意味なのか知ってる?

あんたが文系を煽る理由はちっとも論理的ではないと思う。
単なる個人的な動機っぽいね。

知性のキャパを狭めた方が効率がいいタイプなんだろうから、
今のままでいいけれど、
文系学問をそう簡単に甘く見ない方がいいよ。
法学者のハートとか知らないだろ?
272ドキュソ分析派:02/08/04 21:11
>271
>なんで「Ph.D」が文理を問わず「博士」って意味なのか知ってる?
分からん。
>あんたが文系を煽る理由はちっとも論理的ではないと思う。
単なる個人的な動機っぽいね。

個人的な動機なのはその通りだが、それは何か問題か?
やはり煽ってると思われているらしいが、出来ればオレの文系否定論を論理的に反証してくれ。
>知性のキャパを狭めた方が効率がいいタイプなんだろうから、
今のままでいいけれど、

誰かがオレの意見を偏見と呼んだが、これも一つの偏見じゃ?

>文系学問をそう簡単に甘く見ない方がいいよ。
法学者のハートとか知らないだろ?

知らん。
というか、文系学問に携わる全ての人間をバカにしている(結局バカにしているのか?)
わけじゃない。
文系的なモノの考え方と言うのが分からんのだよ。
数学、論理学は論理性を基準に、物理学や化学は論理性に加え実証性を基準に組み立てられている。
だからその正しさにアヤフヤな部分があろうと、それは推論の前提問題として認めるだろう。
数学でもある程度の公理を用いないと体系を作れないが、その公理を前提としているというのはハッキリ認める。
物理、化学は実験によって仮説どおりの結果がえられようと、それが必ずしも仮説の正しさを保証するわけではないと言うことは認める。
273not 271:02/08/04 21:14
>知性のキャパを狭めた方が効率がいいタイプなんだろうから

こう言われてしまうのは「知らん」を連発するからでは?
274ドキュソ分析派:02/08/04 21:24
>273
イヤ文系を否定しているからだと思う。同じことかもしれんが。
でも論理フェチの人間ならわかると思うが、やはり知識より思考を重視するんよ。
だから知らんものは知らんとしか答えようが無い。
275考える名無しさん:02/08/04 22:13
>>274
文系の友達に聞けば?
ここで説明するのめんどい
27647:02/08/04 22:15
>>257
>煽りとかじゃなくてマジに聞きたい。文系学問においては何を基準に物事を判断するの?

文系でも学問である限り、「論理性」が評価基準の重要ポイントであることは
否定できないと思う。「論理性」を軽視する学問は、まったく学問ではない
とはいえないかもしれないけど、典型的な学問ではないと思う。

あと、文系の学問の代表としては、歴史学とか文献学などの実証的になされ
うる研究を思い浮かべたらいいと思う。で、実証性を軽視してもいい学問は、
哲学(哲学史はのぞく)くらいかな(w

>論理性とは矛盾律に従っているかどうかということで、合理性は常識的で
>あるかどうかじゃない?
>例えば、不法行為において被害者に事実を立証する義務を課すというのは
>合理的だが論理的ではない。

「論理的だが合理的ではない」じゃあないの?
そもそも、矛盾律に従ってないが、常識的ってことはありうるの?
277ドキュソ分析派:02/08/04 22:38
>275
しかし、こんなこと真面目に聞けば嫌われるのは目に見えているから言えないんだよ。
つーか学問に対してそんな真面目に考えてる友達もいない。
>276
いや、もともとは「論理的じゃないが合理的である」だよ。
でも逆の例としては例えば「逆は必ずしも真ならず」と言うのはそうだと思う。
「明日、晴れたら運動会を決行します」と言われれば合理的には雨が降れば中止だろうが、論理的にはそうならない。
あと、無限やゼロに限りなく近いが量を持つモノも論理的には説明可能かもしれないが、合理的には難しいだろう。
物理にしろ数学にしろ、ある程度難しいとこまで入り込めば合理性ではなんともならんようになると思う。

相対性理論なんて一般の人間にとってみれば非常識極まりないだろうし。
278考える名無しさん:02/08/04 22:48
「文学研究」というと、
感想文の延長に思えるかもしれないけれど、
実際に実力がある人間は全集の編纂を行う。
つまり「文献学」。
作品解釈は、文献という基礎の元で行われるんだよ。
279:02/08/04 23:25
だんだんここのスレッドも面白くなくなってきたな.
とにかくここは文系vs理系なんじゃなくて,分析哲学vs反分析哲学
なんだがな.
280考える名無しさん:02/08/04 23:28
稲が実質的にレス入れないからだろ
パズルだけ解いてんじゃねえよ
281:02/08/04 23:59
しかし一階の論理は文系なんてものすごい議論だな.
相手したくてもできん.
282考える名無しさん:02/08/05 00:01
ハァ?誰もそんなこと書いてないだろ?
たち悪いな。47とはえらい違いだ。
283:02/08/05 00:07
>>282
そりゃ別人だからな.
284考える名無しさん:02/08/05 00:08
稲なりに擁護しろよ
285:02/08/05 00:09
何を?
286考える名無しさん:02/08/05 00:09
稲は都合悪くなると核心を避けるからな。
哲学的な態度とはいえないね
287:02/08/05 00:10
だから何を^^? そもそも核心って何の核心なの?
288考える名無しさん:02/08/05 00:10
>>285
哲学における分析的伝統の優位
289:02/08/05 00:12
優位も何も,ちゃんと哲学的問題があって,それをちゃんと論じてくれれば
僕にとってはみんな分析哲学なんだがな.
290考える名無しさん:02/08/05 00:14
>>289
反分析哲学は「ちゃんと論じていない」という
強いテーゼをそこから引き出してOK?
291:02/08/05 00:17
>>288
哲学科の学生? 何を研究してるの? 話のネタがない・・・
292:02/08/05 00:18
>>290
というより,ふにゃぽんのスレみればわかるじゃん.すごい議論してるぞ^^.
293考える名無しさん:02/08/05 00:21
>>292
おまえ286が言うとおりじゃん。
そういう対人論証で分析哲学が偉くなるとでも?

ここで触れられている分析哲学のウザさに関して弁明をしろよ
294:02/08/05 00:26
>>293
だ・か・ら・・・,ここで触れられている分析哲学のウザサって何だ?
スレ番号でもいいから指定してくれ.



295考える名無しさん:02/08/05 00:33
115,140,142,150,229
296考える名無しさん:02/08/05 00:35
あと1はスクールとしての偏見に関して言ってるみたいだぜ
フレーゲとか持ち出すのはなしね。
297:02/08/05 00:36
>分析哲学 いいんだけど ちんぽだかも書いてたが

>現状ではとてもではないが、ハイデガーとか
>難解ないわゆる哲学を分析するには
>手にしているツールが貧弱極まりないと思う

>やっと、よちよち歩き始めた赤ん坊 といった感じ

>なので、現状で全ての答えを得られない、というもどかしさか

すべての問題に答えられる哲学なんてものがそもそも疑わしいね.
298考える名無しさん:02/08/05 00:37
167や201あたりはどうよ?
割と共有されている意見だと思うのだが
299考える名無しさん:02/08/05 00:37
>>297
詭弁だろ?
他の学派が重視する「大問題」を嘲笑する傾向は明らかにあるだろ
300:02/08/05 00:38
>分析哲学者の描くヘーゲルなりフランス思想なりの描像は、
>いつも藁人形叩きにしかならん。
>なぜなら彼らは元々興味がないから
>嘲笑的にしか現そうとしていない。
>稲も同類。

>ならわざわざ叩くなと。
>そこが一番ウザイ。

たしかにそうだ.
301考える名無しさん:02/08/05 00:41
たしかにクワインもontologyという言葉を使うが、
大陸系の「存在論」はネグるよな。
稲はヘーゲルを馬鹿にしているけど、
ああいうダイナミックなシステムの問題は、
むしろ認知科学者の方がよくわかっていると思う。
302:02/08/05 00:44
>ただ、あらゆる事象は、「矛盾」というものを必然的に内包しているということ
>だけ指摘しておく。

>例)「運動」とは、あるものが「場」からの移動という意味において「動く」ということを
>意味するのみならず、ある一瞬間には、そのあるものが「場」を占めるということから、
>「静止」をも含んでいる。

>「選択」とは、多くの「選択肢」の中から、「あるもの」を「拾い上げる」と同時に、
>「その他のもの」を「排除する」ということでもある。

ふにゃぽんの悪い癖だが,こういった具体例は何の役にもたたん.まずすべての事象と
言ってるのに2つの例しかあがってない.それにこの例だってぜんぜん事象が矛盾をはらむ
例になってないじゃん.これについて何か論じろっていうのか?
303:02/08/05 00:46
>>301
ダイナミックなシステム・・・.しょうもない認知科学だな^^.
304考える名無しさん:02/08/05 00:48
>>303
295の例に答えてみ
305考える名無しさん:02/08/05 00:49
稲は叩きやすい例ばかりに答えるね。
ふにゃぽんをつつくのはもうやめろよ
306考える名無しさん:02/08/05 00:52
稲は文系理系話ウザイと言うが、
そもそも分析哲学には明示的な理系志向があるだろう。
そして曖昧さを「文学的」といってしまう傾向もある。

これはやはり哲学スタイル上の問題でもあるだろう。
そのへんについて、
少しは一般化して説明してみなって。
307:02/08/05 00:55
>>305
95であがってるスレだからな.別にふにゃぽんを狙い撃ちになんかしてないよ.
>>304
だから答えてんだろ^^

308:02/08/05 00:56
>稲は文系理系話ウザイと言うが、
>そもそも分析哲学には明示的な理系志向があるだろう。

ないね.
309考える名無しさん:02/08/05 01:03
>>308
一般化した説明を与える気がないってことですね?

じゃあなぜ繰り返しこういう話題が蒸し返されるのでしょうか?

一度決定的な返答を与えた方が良いのでは。
310考える名無しさん:02/08/05 01:05
三浦俊彦の精神に忠実な稲をマンセーするスレはここですか?
311ボン:02/08/05 01:05
はいは〜い。
今日は、三浦先生の凛々しいお姿をみんなで拝みましょう。
ttp://www.wayo.ac.jp/UNIV/iss/IMG/ISSB412R.jpg
ほんとうに凛々しいお顔ですねえ。
直リンはやめましょうねえ。

そしてこちらは、三浦先生の授業風景です。
http://www.wayo.ac.jp/UNIV/iss/MIURA/SLIDE0001.htm
美しい女性ばかりに囲まれてまるでハーレムですね。

それでは今日の三浦先生のありがたいお言葉を先生の掲示板から

「リアルな感覚」を求める場合は哲学ではなく、芸術をやってください、と言いたい。詩を書く、美術や音楽を創作する、小説を朗読する……。
 宗教というテもあるが、芸術の方がお薦め。(私ゃ一時期は新興宗教の信者であった経験があり、いっぽう芸術も長いことやっていて、両方の世界を知ってますから)
 オウム信者も大切にした幻のリアルな感覚に逆らって、「だまされまい」とクリアな論証重ねて、その極致に「ロジカル・ハイ」で納得する。これが哲学の本質だと信じます。

本当にそのとおりですね。
312:02/08/05 01:30
>>310
「三浦俊彦の精神に忠実な稲」って何これ.よしてくんないか.
それに「マンセー」って言葉よく見るけど,どういう意味なの?

ボンって何者なんだ.311読む限り三浦って人もたいしたことないな.
ぜんぜんありがたくないんだけど.
313考える名無しさん:02/08/05 01:31
>>312
309は無視ですか

314:02/08/05 01:33
>>313
分析哲学と理系がどうのという話? 分析哲学に対する偏見じゃないか.
ついでに「マンセー」って言葉の意味教えてよ.
315分析系院生:02/08/05 01:34
稲が代表だと思われると悲しくなります。


316:02/08/05 01:35
>>315
別に代表者になった覚えはないんですが.
317考える名無しさん:02/08/05 01:37
>>314
その偏見について分析してみてよ

こんなに執拗なのに理由がないとも思えない。
あんたはヘーゲルについては明快に煽ってたじゃないか。

俺はあんたをマンセーなどしない。語意については
http://freezone.kakiko.com/jiten/
ここでも行け
318考える名無しさん:02/08/05 01:38
稲って潜在的味方を敵に回すのがうまいね。
319Kurihara:02/08/05 01:41
分析哲学の代表は僕です。
320:02/08/05 01:41
>>317
つまりそれだけ強固な偏見ということじゃない.
ちなみに「俺はあんたをマンセーなどしない」というときはどういう意味なの?
321考える名無しさん:02/08/05 01:41
>>1
本当は1も分析嫌いじゃないだろ?
単に稲に辟易しているだけだ。
322考える名無しさん:02/08/05 01:43
>>320
答えないで逃げると。
323:02/08/05 01:44
>>321
違うでしょ.「哲学学は駄目ですよ」みたいなこと言った覚えないし,
世の中所詮みんな職業哲学者なんだから,哲学研究者でぜんぜん問題
ないと思うが.
324:02/08/05 01:45
>>322
はっはっは,じゃあ逃げましょ.偏見分析したって価値ないと思うな.
325:02/08/05 01:47
>>319
別にKuriharaを代表者にした覚えはないよ.
326考える名無しさん:02/08/05 01:47
で稲は興味ない哲学を揶揄するのも居直ると。
二流の証だね
327考える名無しさん:02/08/05 01:49
ここはタイトルの内容を実演するスッドレですよ。
328考える名無しさん:02/08/05 01:50
>>327
おまえんちの階段、急だなあ
おまえんちの階段、急だなあ
329Kurihara:02/08/05 01:50
「マンセー」とはハングル語で「万歳〜!」の意味ですよ。
330:02/08/05 01:53
>>329
それはわかった.上で紹介してもらったサイトいったから.
「おれは稲をマンセーなんかしないよ」と言ったときは,
「おれは稲を馬鹿にしたりしない」という意味に近いのかな,それとも
「おれは稲の言っていることに賛同しない」という意味のほうなのかな.
331Kurihara:02/08/05 01:54
哲学板の代表も僕です。
332考える名無しさん:02/08/05 01:54
>>330
マンセーと書き込まないってことでは?

ていうかあんたリアルタイムで見るとマジでウザイねえ
333:02/08/05 01:55
そういえばKuriharaと直に話すの初めてだな.よく見かけはするけど.
たしかマルクスに詳しいんだっけ?
334考える名無しさん:02/08/05 01:56
>>311
三浦俊彦ってさ、頭が固いね。
もう自分の信念に凝り固まっちゃってる。
自分では気づいていないと思うけど、
中島義道とか永井均とかにすっごく似てるんだなあ。
まだ若いのに、ちょっとみっともないほど。

335Kurihara:02/08/05 01:57
>>330
後者の意味ですね。
336考える名無しさん:02/08/05 01:58
>>334
稲なんかデビュー前だよ
337:02/08/05 02:04
>>336
それって三浦俊彦より若いのに頭が固いという意味?
しかし論理的なくてもいいんだという連中に迎合できるやつが
頭がやわらかいとも思えないな.
338考える名無しさん:02/08/05 02:06
>>337
このスレで誰が「論理的じゃなくていい」と言った?
ヤパーリ学者はやめたほうがいいよ
339:02/08/05 02:07
340考える名無しさん:02/08/05 02:09
>>339
些末かつレベルの低いレスにだけ答えて、
核心は逃げる。

そういう態度はディベート向きだろう?
341:02/08/05 02:10
>>340
レベルの高いレスの番号を教えてくれ^^
342考える名無しさん:02/08/05 02:11
>>341
なぜ偏見が生じるのか?
という問いが残り続けるよ
343Kurihara:02/08/05 02:14
>>333
僕は確かに『資本論』を読破してますよ。
で、僕の考えでは、マルクスは弁証法を否定してますね。
しかも、形式論理の立場から。
マルクスは形式論理の立場に立って、ヘーゲル弁証法を批判した
と考えています。
つまり、マルクスは矛盾は形式論理の矛盾律で随時、訂正される
べきだと考えていたと思います。それが彼の「批判」の原理です。
マルクスはヘーゲルにならって、形式論理の三大原理を否定してはいなくて、
かえってそれらを「批判」の原理にしていたと思います。
「矛盾」に満ちた社会システム(つまり資本制)を批判するための原理として。
まぁ、おそらくこういう解釈をする人は世界で僕一人でしょうけど。
なにせ、マルクスはヘーゲルに匹敵する偉大な弁証法家だと世間一般では
認知されていますからね。
344:02/08/05 02:15
>>342
う〜ん,しかしそういうのは僕には問いじゃないんだよな.単純に哲学科で
フレーゲの論文でもrequirementにすればいいのにと思うんだけどな.
345考える名無しさん:02/08/05 02:18
>>344
だから1はフレーゲとかクワインは読んでるみたいじゃん
お前は「分析に対する偏見」ばかりを問題にするが、
このスレは「分析哲学者が抱きがちな偏見」のウザさが主題だ。
346考える名無しさん:02/08/05 02:20
例えば300とかな。
347:02/08/05 02:23
>一流どころにはリスペクトできるが、
>「哲学学は駄目ですよ」
>等、テンプレ化した偏見が正直ウザイです

だろ.しかしな「哲学学は駄目ですよ」の目的語がわかんないんだよな.
それに,こういったことを分析哲学者が抱いているというのが,分析哲学
に対する偏見だと思うな.
348考える名無しさん:02/08/05 02:26
>>347
稲自身、ヘーゲルをわざわざ持ち出したり、
ずいぶんな偏見の持ち主だろ?
自身の偏見の自己解剖をしてみろ

このスレでは半ば被告みたいなものだ
349考える名無しさん:02/08/05 02:56
稲の知性水準はだいたいわかったんだが、
そもそも理系にしっくりくる哲学なのは間違いないと思うのですが。
350あちょー:02/08/05 04:53
分哲やる動機が、作文をうまく書けるようになりたい
だったら面白いんだけど。
351ふにゃぽん:02/08/05 07:08
>>302
>ふにゃぽんの悪い癖だが,こういった具体例は何の役にもたたん.まずすべての事象と
>言ってるのに2つの例しかあがってない.

稲さんの悪い癖だが、故意か、無意識にかは知らないが、
自分が批判でにそうなところだが、、ピックアップして、
しかもそれを捻じ曲げて解釈する。

私は、ちゃんと>>226で、スレ違いになるので、私の「矛盾」に対する見解は、
ここでは言えないといっているだろ?

だから、簡単な例を持ち出すだにしておくって、ちゃんとその>>226に書いておいたのに
それも読んでないの?(続く)
352ふにゃぽん:02/08/05 07:15
>>351の続き。

私を批判したかったら、わたしが>>226で、述べた

>「分析哲学の手法で、『ゼノンの詭弁』のような問題が解けるのか?」
>ということ。

という部分か、あるいは、>>228で述べたようなことに関して、
分析哲学の立場から批判してもらいたいな。
353考える名無しさん:02/08/05 07:32
もうとかれてるジャン。
追いつく必要も無い。運動は仮設的に
無時間的な空間(平面)?に読み込まれるってだけで
354ドキュソ分析派:02/08/05 11:56
なんかスゴイ数のレスがついたな。
そもそもオレが文系否定論を掲げてから荒れ始めたわけだし
稲氏がオレ自身の立場に立っているわけじゃないから、オレの言ったことに関してはオレに聞いてくれ。
355考える名無しさん:02/08/05 12:10
>>354
文献学などの妥当性についてはどう思った?
356ドキュソ分析派:02/08/05 12:15
>355
文献学ってのは何を基準に判断しているんだ?
全集の編纂を行うことが重要ではなく、それを行う上で用いている判断基準を聞いている。
やはり、なにか感覚的なものになると思うんだが。
357考える名無しさん:02/08/05 12:20
歴史学の基準が感覚的だと?
358ドキュソ分析派:02/08/05 13:18
>357
例えば、何らかの文献なり、出土品なりを根拠に当時の生活状況や歴史的出来事を解釈するときでも
「常識的に」「合理的に」判断しているっしょ?
当然、時間的に過去のことだから実証するのは困難なのは分かるが、合理的な解釈は出来ても
論理的必然性を立証できないことがそう言う学問の限界だと言うこと。

別に論理的必然性がないから全くもって価値なしとするわけじゃなく
そう言う限界を前提とした上で学問を行っているのかってことよ。
そう言う限界があるからウヨ、サヨで歴史観が違ったりするわけだし。
359考える名無しさん:02/08/05 13:23
>>358
大変勉強になります!「易経」は単なる占い的なものに非ず、陰陽の世界観を含む概念なんでしたよね。
確かユングも非常にはまっていたと聞いて興味は持ってました。
「太極」は知っていましたが「無極」が有るとは・・・「絶対無」に相当する概念であるとは思います。
非常に広い世界観を含んでいるのですね。確かに源泉は「易経」に有りそうですね。これも勉強したい。
最近皆さんのおかげで本当に新たな発見の毎日です。

ユングの集合無意識については難しい。micheさんに僕も聞きたいです。
アインシュタインが量子力学の理論に対し「じゃあ誰も見ていない時は月は出ていないというのか!」
と嘆いたとされていますが、この世界は「存在する全ての集合無意識により構成される世界」と僕も考えています。
コンノケンイチ氏の著書「般若心経は知っていた」には「ユングの錬金術を一口に言えば人の持つ深層無意識が自己を変容させながら、
それが物質構造の変化にまで影響を及ぼすという事に尽きよう」と述べられていますが、僕には確定的な事は分かりません。
神智学では人類の進化の方向は一方向で神の計画には一点の誤りも無い、と言われていますが、
micheさんの答えを待ちたいと思います。
360考える名無しさん:02/08/05 13:26
ここは哲学板だから文系学問全般を知ってるヤシなんかいない。

けど、学問って対象への関心が先立つだろ?
ドキュソ分析派がたまたま文系的な諸事象に関心がないだけ。
361ドキュソ分析派:02/08/05 13:50
>359
誤爆?煽り?
>360
イヤ、オレ文系学問に関心あるよ。だけど、ある程度知るたびに感じる。
そのなかで「真理」とされているものがいかに主観的で曖昧なものかってことを。
結局は見解の相違とか、逆の見方もある意味で正しいとかって相対化されると虚しくならない?

歴史とか文学とかに興味が沸く気持ちはわかる。でもそれは学問に必要な「客観性」に欠けると思ってまうんよ。
362考える名無しさん:02/08/05 13:52
>>361
分析やってるなら
そんなルーズに主観とか客観とか使っちゃだめだろ
363考える名無しさん:02/08/05 13:54
フッサールの意義を、
たかだか『算術の哲学』一冊のために否定してしまうのは、
分析哲学が最も嫌うはずの思想史的態度だと思います。
364ドキュソ分析派:02/08/05 14:34
>362
ルーズかえ?
365:02/08/05 14:53
>ふにゃぽん
>私は、ちゃんと>>226で、スレ違いになるので、私の「矛盾」に対する見解は、
>ここでは言えないといっているだろ?

>だから、簡単な例を持ち出すだにしておくって、ちゃんとその>>226に書いておいたのに
>それも読んでないの?(続く)

まずそこであがってる例だけど簡単も何もそれがぜんぜん矛盾の例になってないと言ってるんだけどな.それに
曲解とか何とか書いてるけど,何も解釈なんか加えてないけどな.見たまんま読んだまんまでそれは矛盾の例じゃない.

>私を批判したかったら、わたしが>>226で、述べた

>>「分析哲学の手法で、『ゼノンの詭弁』のような問題が解けるのか?」
>>ということ。

>という部分か、あるいは、>>228で述べたようなことに関して、
>分析哲学の立場から批判してもらいたいな。

まずそういうときは,ゼノンの詭弁というのがどういう問題なのかということをちゃんと説明しないと.
366考える名無しさん:02/08/05 15:20
>>361
>でもそれは学問に必要な「客観性」に欠けると思ってまうんよ。

客観性とは何かってのも哲学のテーマではないでしょうか。
367ドキュソ分析派:02/08/05 15:54
>366
そやね。オレは矛盾律に従っているかどうかだと思うが。
368考える名無しさん:02/08/05 15:56
出たよ
文系が矛盾率無視とかいうヤシが
369ドキュソ分析派:02/08/05 16:01
>368
矛盾しててもかまわないとはしないが、矛盾律に従って推論された結果じゃなくても真理とするっしょ?
370考える名無しさん:02/08/05 16:15
なわけねえつうの

実証の範囲を狭く考えすぎだ
371考える名無しさん:02/08/05 16:21
>>369
「矛盾律に従っているかどうかが客観性を保証する」ということに客観性はないと思うが。

ドキュソ分析派氏の「矛盾律に従っているかどうかが客観性を保証する」を仮に認めて、
ある理論がたとえ矛盾律から推論されてなくとも、
「ドキュソ分析派氏が矛盾律に置くのと同程度の信頼性を持つ論理性が、その理論のうちに存する」
と感じる人がいるから、その理論の一部・全部に賛同する人が出てくるのでは?

と言うより、矛盾律の絶対性もさることながら、推論能力への信頼も凄いよね。
372考える名無しさん:02/08/05 16:43
曖昧に「文系は主観的」と思っているんだろう。
文系科目のゼミに出れば一発で終わりなんだけど。
373考える名無しさん:02/08/05 16:46
最終的には理系に比して過度に主観的w
374考える名無しさん:02/08/05 16:48
そんなの分析哲学だって同じ
理系だって宇宙論は大いに怪しい
375考える名無しさん:02/08/05 16:51
信頼できるのは技術的理系のみw
376考える名無しさん:02/08/05 16:52
日本にありがちな工学的知性ですね
それでいいんじゃない?
377考える名無しさん:02/08/05 17:01
だれかミュンヒハウゼンのトリレンマを解説してやってくれ
混乱の極みだ。
378考える名無しさん:02/08/05 17:03
デイビッド損だっけ?
379考える名無しさん:02/08/05 17:05
ドキュソ分析派は科学哲学の基礎から学んでね
380ドキュソ分析派:02/08/05 17:43
>370
それなら実際はどうなのか答えてくれよ。
>371
>「矛盾律に従っているかどうかが客観性を保証する」ということに客観性はないと思うが。
そりゃないよ。むしろある方がおかしい。だって客観的である言明が客観性を保証すると言うことになるんだから。

>「ドキュソ分析派氏が矛盾律に置くのと同程度の信頼性を持つ論理性が、その理論のうちに存する」
と感じる人がいるから、その理論の一部・全部に賛同する人が出てくるのでは?
そもそも矛盾律に従わない論理なんてもんがあるの?
それと、仮に誰かが矛盾律に従わない論理性を備えた理論を信頼する人間がいたってそれは単に間違った理論を信頼しているだけの話かもしれん。
信頼するから正しくなるわけじゃないし。

>と言うより、矛盾律の絶対性もさることながら、推論能力への信頼も凄いよね。
推論能力(というか推論規則)は公理としてかまわない。
だが、矛盾律が絶対なのは間違い無いと思うが。
381考える名無しさん:02/08/05 17:45
ドキュソ分析派にとって文系学問はみな
「間違った理論」?
382ドキュソ分析派:02/08/05 17:47
>372
できればそれをここで教えて欲しい。
散々っぱら論破された輩が「お前は〜が分かってない」と言うのと変わらん。

>379
これも同様。というかオレも一応教養の講義で科学哲学学んだよ。ポパーとかクーンとか。
その講義の教授はやはり文系学問に対する懐疑を持っていた。
383考える名無しさん:02/08/05 17:48
>>382
じゃあ経済学は許すって感じか?
384考える名無しさん:02/08/05 17:51
医学も厳密には科学じゃないよ
385考える名無しさん:02/08/05 17:51
経済学もDQN
386ドキュソ分析派:02/08/05 17:53
>381
全部とは言わない。でもほとんどが厳密には学問ではない、あるいは科学ではないと思っている。
学問で無いからダメとか科学で無いからダメとは言わない。オレ自身も政治学とか歴史学とか面白いと思うから。
でもやはり理系学問とは違う(特に数学や論理学)とは決定的に違うと思う。

だって、例えば白鳳大学の福岡ナンタラってのはなんで毎回ことごとく予想をはずすんだ?
理系の学者だってはずすだろうが、はずすレベルが違う。少なくとも一般人には理解できないような難解な理屈の上ではずしているだろう。
予想のほとんどがマスコミの論調に煽られたものとか極めて素人的なんだけど。

387考える名無しさん:02/08/05 17:55
>>386
そんなメディア芸人で文系学問を判定可能なら、
理系代表は大槻教授になってしまうかもよ?

「自然科学」じゃないというのは自明。
けど「学問」じゃないというのは意味不明ですよ。

388ドキュソ分析派:02/08/05 17:55
>382
経済学は微妙だと思う。
前提として採用している理屈(公理)を列挙しきれてないような気がする。
>384
そうなの?知識が無いから分からんが、一つの技術ってことか?
389考える名無しさん:02/08/05 17:56
列挙しきれんてw
390考える名無しさん:02/08/05 17:57
>>388
じゃあ文系は全滅ですな

理系マンセー
391ドキュソ分析派:02/08/05 18:01
>387
>そんなメディア芸人で文系学問を判定可能なら、
理系代表は大槻教授になってしまうかもよ?

メディアに出てくる学者はほとんどドキュソ?
大槻教授は確かに学者としての立場を忘れて暴言吐くことが多いが。

オレが考えるに、少なくとも「学問」と言える為には客観性が必要だと思うわけ。
ある程度予想や主観を含めるにしても、それを前もって認めるのなら分かるが常に必ずそうなっているわけじゃない。
例えば、法律学において「通説」とかってあるが、結局あれって権威で決まってるんじゃねーの?と思ってしまう。
どんな論理的に完成度の高い法理論を持っている人間がいてもそれが大学教授じゃなかったり、ただの学生だったらそれは「通説」にはなりえないだろうし。
392考える名無しさん:02/08/05 18:07
>>391
>例えば、法律学において「通説」とかってあるが、結局あれって権威で決まってるんじゃねーの?と思ってしまう。
どんな論理的に完成度の高い法理論を持っている人間がいてもそれが大学教授じゃなかったり、ただの学生だったらそれは「通説」にはなりえないだろうし。

これは理系にも当てはまるよ。
全くの在野研究者は成立不可能。

たしかに「手続き合理性」は学問性の判定基準の一つだけど、
それは単なる権威ではない。

法律学は人間の慣習を扱うよな?
でも慣習って全てが論理的に成り立っているか?
そのギャップを「法」という形式的基準で埋めていく必要があるだろう?

法の形式性は自然科学とは異なるが、
単なる恣意ではない。
393考える名無しさん:02/08/05 18:08
訂正

たしかに「手続き合理性」は
文系における学問性の判定基準の一つだけど、
それは単なる権威ではない。
394考える名無しさん:02/08/05 18:11
文系での「客観性」は「対象に即して」いるということ。
語義的にも間違ってはいないだろ?

文系でも社会科学と人文科学はだいぶ違うんだけどね。
395ドキュソ分析派:02/08/05 18:15
>392
>これは理系にも当てはまるよ。
全くの在野研究者は成立不可能。

確かに理系でもそう言う部分はあると思うが、法律学の場合素人の意見が採用される可能性ってゼロのような気がする。
理系の場合、例えば裁判官でアマチュア数学者だったフェルマーとかメンデルとかがいるから。

>法律学は人間の慣習を扱うよな?
でも慣習って全てが論理的に成り立っているか?
そのギャップを「法」という形式的基準で埋めていく必要があるだろう?

だから学問じゃないと言っているわけ。慣習という客観的に解釈不可能なものを扱う時点で普遍性が無いということ。
396ドキュソ分析派:02/08/05 18:17
>394

対象に即した客観性?イマイチ分からん。
39747:02/08/05 18:17
こんちは。

確かに、「厳密性」それ自体が学問の追求の対象だったら、数学や物理学に
比べたら、文系の学問は「厳密性」に欠けるであろうし、従って、文系の学
問は、数学や物理学に比べれば劣っているという結論にもなるかもしれない
けど、実際の学問は、対象から独立した「厳密性」それ自体ではなく、研究
対象について追求できる範囲での「厳密性」を追い求めているわけであるか
ら、例えば、歴史学は、歴史学が追求できる範囲での「厳密性」を求めれば
いいんでねえの?
398ドキュソ分析派:02/08/05 18:22
>397
>実際の学問は、対象から独立した「厳密性」それ自体ではなく、研究
対象について追求できる範囲での「厳密性」を追い求めているわけであるか
ら、例えば、歴史学は、歴史学が追求できる範囲での「厳密性」を求めれば
いいんでねえの?

なるほど。対象に即した客観性と言うのも同じかもしれん。
しかし、対象に即している限り学者による「対象における厳密性、客観性」に常にズレが生じえると言うことになってしまう。

実用性と言う意味で厳密性の範囲を限定するのも分かるが、それはやはり一つの「技術」であって学問ではないと思う。
399ドキュソ分析派:02/08/05 18:26
それと、もし47氏が言うように厳密性も客観性もそれぞれの基準で良いというなら
なぜソーカル事件は起こったんだ?あれは結局の所、自らが掲げる理屈(の客観性)に自信をもてないポストモダン派の人間が
数学や物理の理屈(の客観性、厳密性)を援用することにより説得力を持たせようとしたのじゃないか?

40047:02/08/05 18:37
394ではないが、「対象に即した客観性」の話について言えば、
引き続いて、歴史学の例を用いると、歴史学の客観性は、歴史的
証拠の解釈に関わる手続きの問題として捉えられると思う。

例えば、ある歴史的文書の解読に関して言えば、演繹的にある読み
が正しいと数学の証明のごとく証明することはできない。しかし、
ながら、それでも、歴史的文書の解釈の方法論については、善悪を
判断する一定の基準があるわけで、そのような基準は、客観的な議
論を許すものであると思う。

いうなれば、客観的=唯一解のみを許す、というものではないと思う。
401ドキュソ分析派:02/08/05 18:47
>歴史的文書の解釈の方法論については、善悪を
判断する一定の基準があるわけで、そのような基準は、客観的な議
論を許すものであると思う。

その基準はやはり「常識」になってしまうと思う。
その常識が歴史学に携わる人間全ての共通認識になっているなら大丈夫だろうけど。

>いうなれば、客観的=唯一解のみを許す、というものではないと思う。

うーむ。オレはやはり、客観的=唯一解のみを許す、だと思う。
402考える名無しさん:02/08/05 18:47
他に社会科学の研究方法があるなら
君がやってみなさい、ってこった >どきゅそ
403考える名無しさん:02/08/05 18:48
>>401 でわ電子は電子雲の中の「どこに」位置しているのですか?
404考える名無しさん:02/08/05 19:00
ドキュソはさあ、
「技術」をどう捉えているわけ?
理系学問だって
工学部なんかはちっとも科学的厳密性を重んじないって
理学部の奴が煽ってるのを聞いたよ?
40547:02/08/05 19:20
>>399
ポストモダン系の哲学者が科学的概念を援用したのは、自分たちの理論に
自身が持てないからではなくて、自分たちの考えを表す(メタファー的な)
表現手段として利用したにすぎないと思う。ただ、科学的概念の文字通り
の意味については、どのくらいよく理解していたかは知らないけど。
40647:02/08/05 19:22
私の印象だが、ドキュソ氏は、学問の「客観性、厳密性」自体を
目的にしているのではないだろうか。それならば、理系的学問の
客観性と文系的学問の客観性を比較して、後者の学問性を否定し
ようとする態度も理解できるのだが(ただ、共感はしないけど)。
407考える名無しさん:02/08/05 19:29
情報科学なんて技術そのものだよね
408ドキュソ分析派:02/08/05 20:53
>404
工学部は厳密には科学ではないかもしれない。
でも実証性があるし、再現性と言う点に「真理」を担保している上にそれを分かっているわけだから
ある程度学問的な態度を確保していると思う。

「技術」というのは論理性、客観性のあるなしとは無関係で
多くの場合は再現性を根拠に理論的正しさを保証する一つの知恵であると思っている。
409ドキュソ分析派:02/08/05 21:02
>405
>自分たちの理論に
自身が持てないからではなくて、自分たちの考えを表す(メタファー的な)
表現手段として利用したにすぎないと思う

それだけならソーカル事件なんて大して取り上げることでもないんでない?
メタファーって結局は、「これとこれが対応している」と言うことを示すだけでしょ?
ソーカル自信も「メタファーとして利用するだけなら問題は無いがそうではない」
っていってなかったっけ?

仮にメタファーとして利用しただけだとしても、何の為に理系学問の内容を使ったんだ?
オレは「知の欺瞞」を呼んだんだが、メタファーとして述べている文章の方が元の文より数倍意味が分からんかった。
つまり「分かりやすくする為に」メタファーとして使ったわけじゃないと言えると思う。(オレ自信が理解できなかっただけの話かもしれんが)

>学問の「客観性、厳密性」自体を
目的にしているのではないだろうか

確かにそれは言える。論理派の人間は往々にしてそうだと思う。

>(ただ、共感はしないけど)

うむ。オレ自信も今だ他人に共感されたことは無い。
「言っていることは分からないでもないが・・・・」と言う感じになる。
確かにオレ自身文系をバカにしている部分もあるが、やはりそれに対する疑問を解決したいと言う欲求もあるのだよ。
410考える名無しさん:02/08/05 21:46
で、どきゅそは、論理実証主義の歴史については読んだのか?
411ドキュソ分析派:02/08/05 23:03
>410
読んでないが、崩壊したのは知ってるよ。
結構こたえた。
412考える名無しさん:02/08/06 00:16
>>411

ならばどきゅその論も破綻しているのではないか?

あと、「よい子の分析哲学」というサイトがあるので
そこで、みるのが一番手っ取り早い>論理実証主義の崩壊(?)

最後に

でも俺もいわゆる自然科学がなぜ「成功」をおさめている(?)
のか、考えたことがあった 人によって答えはいろいろだろうし、
自分は、その件では、本を読んでないので適切でないかもしれないが

自分が思うに、自然科学は、先哲の業績をステップにして、
次の段階に進む、ということをうまくシステム化している
文科系の学問の中でも、(分析哲学以外の)哲学は、
特にそれが苦手だと感じる(いつでもがらがらポンが多い)

で、俺は、この点はできるだけ哲学にも取り入れるべきだと思った
で、分析哲学なら、比較的、それができそうかと

さらに、余談だが、
すると、分析哲学はいわゆる科学一般と同じジレンマ(?)を
(当然のことながら)抱え込むことになる

つまり、「全て」を解明できるのは、決して今ではなく、
「未来」とならざるを得ない 今は、常に、充足されることがない
413考える名無しさん:02/08/06 00:17
ドキュソは強力な文系に出会ったことがないのかもしれないね
414ドキュソ分析派:02/08/06 01:37
>412
んにゃ。オレは論理実証主義に従っているなら正しく、そうでないならダメとは言ってない。
そもそも、数学、論理学は論理実証主義に基づいて構築されているわけじゃないし
他の論理実証主義によって構築されている自然科学系の学問も
その範囲でしか真理性、客観性を保証できないことを前提として認めるのなら学問であるとしている。

>つまり、「全て」を解明できるのは、決して今ではなく、
「未来」とならざるを得ない 今は、常に、充足されることがない

これ自身も分析の対象だと思う。それに、論理学、数学は少なくとも一度も間違ったことが無い上に
その正しさは完全に客観的に証明されているわけだから永遠に普遍的だと思うよ。
 
上のように言いたくなる気持ちもわかるが、でもこれって結局は相対主義っしょ?
それだって一つの哲学的立場なわけだから充足されることは無いことになる。

>413
そうかもしれぬ。なにしろドキュソ大生なもんで。
出来ればこのスレで強力な文系に出くわしたい。
415Kurihara:02/08/06 01:59
意外に伸びましたね、このクソスレ。
416考える名無しさん:02/08/06 18:36
>>414

なんかむちゃくちゃ言ってる気もするが(w
とりあえず

>論理学、数学は少なくとも一度も間違ったことが無い上に
>その正しさは完全に客観的に証明されているわけだから永遠に普遍的

論理実証主義がやろうとしたのは科学と非科学との線引き

なので、どきゅその定義する学問/非学問つーのがどういうのかは
よくわからんが
どきゅそが論理実証主義の歴史(?)を読めば、勉強にはなるだろうと思って
紹介した

つか、その試みが挫折している時点で、論理的な
科学/非科学の定義は未だならず
「客観的」、「正しい」についても、ほぼ同じ

数学基礎論では、数学という概念をいかに基礎付けるかについて
四苦八苦しているのではないのか?
417考える名無しさん:02/08/06 18:39
で、>>412の分析哲学のジレンマの話は
このスレのタイトルに沿ってみただけダス
418考える名無しさん:02/08/06 19:09
で、今ドキュソの話を、はじめて通して読んでみた
大体、>>271>>272のやりとりで終わってる気がする

>>271
>なんで「Ph.D」が文理を問わず「博士」って意味なのか知ってる?

>>272
>文系的なモノの考え方と言うのが分からんのだよ。
>数学、論理学は論理性を基準に、
>物理学や化学は論理性に加え実証性を基準に組み立てられている。

まず、>>271がいうとおり、文系/理系という分類は便宜的なものだし
「理系」にはなくて「文系」でのみ通用する学問の方法はないと思う

次に、ドキュソの言う「文系的なモノの考え方」が
何をイメージしているのかが不明なので、議論が混乱している
フランス現代思想みたいのか?>ドキュソ

ほいで、最後に、俺の意見として
いわゆる文系は、研究対象が複雑なので、いわゆる理系と比較すると
論理性と厳密性に「劣っている」だけだと思う
もちろん、その隙間に多くの有象無象が入り込んでいるのは否定できないが

前の方でも書いたが、
ならどうやって研究すればいいの?>文系対象 ってことではないのか?
419考える名無しさん:02/08/06 20:18
ドキュソ氏の「客観性」について考えた。
自然科学では、その厳密性が維持されるように対象(つまり客観)を限定するのが、容易なのでは?
だからドキュソ氏の納得するような客観性が生じる。……とか?
420考える名無しさん:02/08/06 20:22
そもそも文系学問を研究する気がないヤシが、
ウダウダ外野から煽っても無意味だろう。
それは逆のケースでも同様。
421考える名無しさん:02/08/08 01:03
わざわざ、カンマとピリオド使うのがウザイ!!
422考える名無しさん:02/08/08 01:05
>>418
チンチンポッポ!!

>>420
チンポ!

>>421
チンポコ!
423Kurihara:02/08/08 02:18
このスレの人達は、広松渉さんや大森荘蔵さんを
読んだことはないのでしょうか?
ないなら、誠に残念ですね。
424考える名無しさん:02/08/08 22:08
読んだことあるけど、わざわざ、
カンマとピリオド使うのはウザイ。
425ドキュソ分析派:02/08/10 19:12
>416
>つか、その試みが挫折している時点で、論理的な
科学/非科学の定義は未だならず
「客観的」、「正しい」についても、ほぼ同じ

科学/非科学についてはその通りでいいんだが、論理は?
科学については「実証性があれば正しいと仮定する」という一つの留保をあらかじめ宣言しておけばいい。
文系科目でもそう言うように、客観的に証明できない部分については前提として留保してくれれば問題無いと思う。

>数学基礎論では、数学という概念をいかに基礎付けるかについて
四苦八苦しているのではないのか?

数学も同様。全てを完全に証明することは出来ないが、それをあらかじめ認めた上で推論することが出来る。

>418
>次に、ドキュソの言う「文系的なモノの考え方」が
何をイメージしているのかが不明なので、議論が混乱している
フランス現代思想みたいのか?>ドキュソ

イヤ、それが分からんのだよ。
理系は「論理性」と「実証性」だと思う。

>ほいで、最後に、俺の意見として
いわゆる文系は、研究対象が複雑なので、いわゆる理系と比較すると
論理性と厳密性に「劣っている」だけだと思う
もちろん、その隙間に多くの有象無象が入り込んでいるのは否定できないが

こういう意見も多数あるが、その「劣り具合」を前もって提示することが出来ない点が違う。
理系の場合は、例えば数学における公理のように証明無しに成立するものを提示することで
客観性のアナを埋めることが出来る。
単純に劣っているのではなく、その劣っている部分を補完する術が「常識」という感覚的なものでしかないと言いたい。

>前の方でも書いたが、
ならどうやって研究すればいいの?>文系対象 ってことではないのか?

研究しなければ良いと思う。
正確に言うと、研究するのは良いが、数学や論理学とは決定的に違う性質のものであるということを自覚した上で研究すれば良い。
例えば、「鈴木宗男研究」って言ったって学問的でも科学的でもないのと同じように。
そもそも、そういった客観性を保つ上での「定義付け」を出来ないのになぜ研究(学問、科学として)したんだろうか?とも思う。
426考える名無しさん:02/08/10 21:29
>>425
お前例がいつもジャーナリズムだな
「鈴木宗男研究」だと?
あれは立花隆が昔書いた「田中角栄研究」の末裔だ。

文系をバカにしてるのもたいがいにしろよ。
正確なイメージがないから
最終判断が「常識」などとぬかすのだ。

文系学問における「実証性」について調べろ。
それからじゃないと
ドキュソは叩きやすい例しか思いつかなさそうだ。
427考える名無しさん:02/08/10 21:55
「常識」が頼りだろ。哲学以外は。
428ドキュソ分析派:02/08/10 22:08
>426
>お前例がいつもジャーナリズムだな
例えばってこと。

>あれは立花隆が昔書いた「田中角栄研究」の末裔だ。
この場合、どっちでも同じだと思う。

>正確なイメージがないから
最終判断が「常識」などとぬかすのだ。

「正確なイメージ」とは?
常識でなかったらなんなんだ?

>文系学問における「実証性」について調べろ。
それからじゃないと
ドキュソは叩きやすい例しか思いつかなさそうだ。

何度も言うが、なぜ「〜について調べろ」とか「〜の知識が無いから〜」
などと他人の知識を根拠に反論するんだ。
こんなんで反論になるなら「お前ももっと文系と理系の違いを理解してからモノを申せ」
で反論になってしまうだろ。

429考える名無しさん:02/08/10 22:14
とりあえず2ちゃんねらーどもの指は一種のハリケーンだな(藁
430考える名無しさん:02/08/10 22:15
>>428
だんだんわかってきただろ?
つうかお前の要求するメチャクチャな客観性基準は、
理系学問ですらめったに充足しない。

だから分析哲学以外の文系学問は
「哲学学」なんだよ(w
お前の言うとおり文系は単なるクズなので、
そういう認識抱えたまま社会でソルジャーになってね。
431考える名無しさん:02/08/10 22:19
私の心はいつも違いと違いの真中に存在する
432考える名無しさん:02/08/10 22:32
昨日の金曜フォーラムに京大の先生が出てた。
433ドキュソ分析派:02/08/10 23:38
>430
頼むから「論証」してくれ。

>だんだんわかってきただろ?

何がわかるんだ?あの反論で。
>428のどの部分を見て「分かってきている」と判断したんだ?

>つうかお前の要求するメチャクチャな客観性基準は、
理系学問ですらめったに充足しない。

証拠は?仮にそうだとしても、それはその基準を満たさないモノが学問で無い、科学で無いと言うだけの話じゃないか。

>だから分析哲学以外の文系学問は
「哲学学」なんだよ(w
お前の言うとおり文系は単なるクズなので、
そういう認識抱えたまま社会でソルジャーになってね。

社会生活という土俵で語ってたのか?
だったら文系学問でも充分ソルジャーになれるわな。

434考える名無しさん:02/08/10 23:45
>>425

「学問に客観性が必要」と勝手に決めておいて議論してるでしょう。
「学問に客観性が必要」と述べることが決めつけというのではなく、
客観性とは何かということを議論していないのがいけない気がする。
まったく議論してないわけじゃないが、していたとしても、
客観性として自分が納得がいく矛盾律のみを擁護するだけ。
客観性として、自然科学の理論(公理系)と実証の組みあわせみたいなものを挙げているが、
それをドキュソ氏が支持する理由は、いかなる根拠よりも、
単に自分が納得いっているというのが先行しているように思われる。
だから、どうも主張が一点張りになってるように見える。

哲学は「客観性とは何か」という根本的な問題を議論するんだから、
その議論自体にあるべき客観性も、より複雑になって当然。
加えて、哲学という学問自身に、固定した方法論はないというか、
自然科学などに比べて、方法論が1つに統合していく傾向というのが小さい
(この傾向が大きい自然科学だからこそ、厳密性が生まれるのでは)。
その点で哲学は柔軟でもあるし脆弱でもある。
それを踏まえ、哲学の客観性について考えたうえで、
>研究しなければ良いと思う。
とか述べてほしい。
でなければ、自分に都合のよい矛盾律の立場からのコメントでしかないように思う。
435考える名無しさん:02/08/10 23:49
(追記)
「哲学の客観性がまったくないとは言えない。
まったくなければここまで(ちゃんとしてるかは別にして)展開されてないでしょう。
かといってズバリこれってのも難儀な話だけれど」
ということ。
436考える名無しさん:02/08/11 00:59
434-435
と同じ事は他の文系学問全般にも言えることだな。
ドキュソは自分基準がリジット過ぎるよ。
「客観性」それ自体じゃなくて
「自然科学」についてしか語ってない。

「自然科学以外の学問に客観性がない」と前提している人間に
社会科学や人文科学のことを説明するのには骨が折れる。
そもそも興味ないものについて耳を傾けるのかが疑問ですよ
437ドキュソ分析派:02/08/11 11:30
>434
>「学問に客観性が必要」と勝手に決めておいて議論してるでしょう。

では必要無いのだろうか?
そうなると、例えば法律学における通説とかはそれを唱える人間がそう思うから通説なのか?

>客観性として自分が納得がいく矛盾律のみを擁護するだけ。
客観性として、自然科学の理論(公理系)と実証の組みあわせみたいなものを挙げているが、
それをドキュソ氏が支持する理由は、いかなる根拠よりも、
単に自分が納得いっているというのが先行しているように思われる。
だから、どうも主張が一点張りになってるように見える。

ではオレの掲げる客観性の基準が間違っていること、客観性が必要であると考えるならその代わりになるものを挙げて欲しい。

哲学については正直文系、理系の区別のつけにくいものであると思うから除いてもらってかまわない。
438考える名無しさん:02/08/11 11:34
>>437
ちゃんと読んでる?
客観性が必要というスタンスを批判してるのではないよ?
ちゃんと>>434を読んで。
439ドキュソ分析派:02/08/11 11:43
>436
>「客観性」それ自体じゃなくて
「自然科学」についてしか語ってない。

では文系学問における真偽判断の基準を教えてくれ。

>「自然科学以外の学問に客観性がない」と前提している人間に
社会科学や人文科学のことを説明するのには骨が折れる。
そもそも興味ないものについて耳を傾けるのかが疑問ですよ

前提しちゃいない。だから反証してくれ。
440ドキュソ分析派:02/08/11 11:44
>438
だからオレの掲げる客観性の基準がおかしいなら指摘してくれと言っているじゃないか。
441考える名無しさん:02/08/11 12:05
>>440
>>435で述べてあるでしょう。
おかしい/おかしくない以前に、基準が何かを言い当てるのが難しいということ。
つまり、ここで客観性について言い合ってるわけだが、
その言い合いについては客観性についての客観性、
要はいわゆるメタ客観性(言い方がダサイけど)が必要となる。
しかし、そのメタ客観性という足場が見えないため、
ドキュソ氏の基準がおかしいと誰も指摘できない。
ドキュソ氏が指摘されないのは、別にそれが誤っていないからだ、というのではなく、
そのメタ客観性の欠落のためだ、ということでは?

そもそも哲学がそのメタ客観性について論ずることができる場でもあるからこそ、
>>437
>哲学については正直文系、理系の区別のつけにくいものであると思うから
ということになる。
だから、文系・理系と区別しようというのが、無理であり比較的無意味。

そんなのはっきり断言できるようなこと書けたら、自然科学でのノーベル賞もの。

まず、
>>434 
>客観性として、自然科学の理論(公理系)と実証の組みあわせみたいなものを挙げているが、
>それをドキュソ氏が支持する理由は、いかなる根拠よりも、
>単に自分が納得いっているというのが先行しているように思われる。
を自覚してくれ。
442ドキュソ分析派:02/08/11 14:48
>441
客観的であるというのは誰がどう見ても成立するということで
そもそも「論じる」と言うこと自体が矛盾律を前提として成立しているわけだから
矛盾律に従っているかどうかが客観性の基準であるでいいのではないか?

客観性の基準が無いと言うが、反証する側の人間がオレの理屈がオレの主観であると言うことを立証できなければ客観なんじゃないのか?
443考える名無しさん:02/08/11 15:31
>>442
「客観」とは「主観の向かう対象」であること。
ただ、主観と客観とは共軛的である。
「客観的」とは「客観に条件づけられている」こと。
つまり単に「主観の向かう対象である客観に条件づけられている」ことだが、
通俗的に「なるべく、できれば完全に、主観的条件を排している」ことというのが付加される。

ドキュソ氏はこの通俗的部分を加えた「客観性」のことを指して、
>客観的であるというのは誰がどう見ても成立するということで
と述べているのだろうが、これは同語反復にすぎず、客観性について論じているとは言えない。

>そもそも「論じる」と言うこと自体が矛盾律を前提として成立しているわけだから
>矛盾律に従っているかどうかが客観性の基準であるでいいのではないか?

論じることは手段である。
論じるという手段の客観性は矛盾律に還元できるかもしれないが、
学問それ自体の客観性は、論じること自体が目的でない以上、
その学問の客観性の本質を矛盾律に還元することはできないと思われる。
それを考えず、ただ矛盾律を客観性として主張することは、
手段にかかずらわって、内容を無視し、議論している当の対象を捨象している。
対象にかかわる条件を捨象するということは、客観性を自ら放棄していると読める。
つまり、哲学で、例えば自由を論じるなら、
その客観性は、理想的には自由=対象=客観によって規定されるものであるべきでしょう。
そこでは、論じることの客観性の根拠(ドキュソ氏が正しいなら矛盾律)は、
論じる以上、重要ではあるが、本質ではない。
444考える名無しさん:02/08/11 15:32
>>442
>反証する側の人間がオレの理屈がオレの主観であると言うことを立証できなければ客観なんじゃないのか?
反証というなら、>>441を読んだら反証済みだった。
>おかしい/おかしくない以前に、基準が何かを言い当てるのが難しいということ。
>つまり、ここで客観性について言い合ってるわけだが、
>その言い合いについては客観性についての客観性、
>要はいわゆるメタ客観性(言い方がダサイけど)が必要となる。
>しかし、そのメタ客観性という足場が見えないため、
>ドキュソ氏の基準がおかしいと誰も指摘できない。
>ドキュソ氏が指摘されないのは、別にそれが誤っていないからだ、というのではなく、
>そのメタ客観性の欠落のためだ、ということでは?
反証できないという内容の文章だが、これ自体でじゅうぶん反証している。
445考える名無しさん:02/08/11 15:39
ドキュソは哲学初心者が陥りやすい
「素朴実在論」の別ヴァージョンにはまっているのでは。
「経験論の二つのドグマ」を丹念に読めばそんなこと考えないはずだけど…
446考える名無しさん:02/08/12 15:40
永井均ガイレバソレデ十分ナリ
447考える名無しさん:02/08/12 16:31
哲学@2ch掲示板=全部知ってる
448考える名無しさん:02/08/12 16:43
永井だけが哲学であとは哲学学
いいかげんにきずけ
449考える名無しさん:02/08/12 16:56
>>448
幼稚な煽りだな〜
450考える名無しさん:02/08/12 17:06
「きずけ」って表記は嫌だな。
451考える名無しさん:02/08/12 17:21
永井サイコー
452考える名無しさん:02/08/12 17:43
>>450
>>448の「きずけ」はきっと

自分の哲学を「築け」という意味かも
453考える名無しさん:02/08/12 18:09
哲学者は永井のみ
あとは学者のみ
454考える名無しさん:02/08/12 18:31
>>443で混乱がありますた。
「考えられたもの」=人が参照する対象(主観が向かう客観)としての学問自身の客観性が、
学問の客観性と考えられます。
「考えられたもの」という側面があるなら「何かについて考える」という側面があり、
その「何か」=対象についての客観性が、上記の学問の客観性を規定する。
対象についての客観性とえらくイイカゲンに書きましたが、同内容が>>443にあるので。
学問の客観性と言っても、
「その学問がどれだけ対象に忠実か」という意味と、
「その学問がどれだけ一般に認められるか」という意味があると思うので、
前者が「対象についての客観性」で、後者が「(上記の)学問の客観性」となるのでは?
つまり、その学問において対象に規定されていることが、
一般にその学問が認められることの基準になると思うのです。

例えば、自然科学なら、
対象にどれだけ従っているか、ということで、
対象への忠実さに注意を払いながら理論構築を進めたり、
実際に実験で確かめることを意味するのでしょう。
この「公理系の形をした理論+実証」は、
対象にいかに忠実かを、その学問分野に相応しいように、
方法論として定式化したものであり、
それがすべての学問分野に普遍的かは解りません。
どんな方法論が相応しいかは一概には言えず、
学問の目的・対象により決定されるものでしょう。
455考える名無しさん:02/08/12 18:33
矛盾律について言えば、
これは「対象への忠実」を追究する際に必ず出てくるものです。
その意味では客観性に拘わると言ってもいいのでしょう。
でも、客観性が「対象への忠実」から来るものだとすると、
シェーマである矛盾律は、追究の型のみを示し対象の欠落したものであり、
客観性の根拠としては内容のないものだとされても仕方ないです。

と長々と述べて、万一これが正しいとしても、客観性のトートロジーでしかないです。
具体的に客観性が何かを述べることができれば立派な哲学者だと思いますよ。(;´д⊂)
456考える名無しさん:02/08/12 18:34
>>454
となるとドキュソ氏は
「公理系型理論+実証」以外は学問ではなく、
文系諸学問は「オピニオンの形式化」にすぎないと考えているわけですか
457ドキュソ分析派:02/08/13 17:02
>454
>456
両方同じようなレスだと思うが、「公理系型理論+実証」だけが学問たる条件ではないとすると
文系学問における「真偽」などを判断する「基準」というのはどこにあるのだ?

それだけとは限らない、必ずしもそうではないというのもわかるが
では文系学問における学問性を何かということを答えてもらいたいのだ。
458考える名無しさん:02/08/13 17:18
>>457
>文系学問における学問性を何かという
>ことを答えてもらいたいのだ。

 文系の学問やってるのなら、そんな答え
は自分でみつけるんだね。
459ドキュソ分析派:02/08/13 17:21
>458
イヤ文系じゃないって。
460考える名無しさん:02/08/13 17:27
ドキュソが「常識の整頓」ぐらいにしか思っていない作業においても
精密さの度合はいくらでも差が付くんだよ。
文系学問に触れたことがない奴も
国語ぐらい習っただろうから、
いいかげんな感想文と
文献資料の緻密な読み込みに裏付けられた読解の違いぐらいは想像して欲しい。

そして緻密さは「資料に基づく一貫性」によって決まる。
文系学問においては、
真偽に関して「対応説」が厳密には成立しないかわりに、
「資料が要求する一貫性」がどれだけ満たされているかに応じて、
その学問性が判断される。
つまり「一貫した資料の連なり」それ自体を対象とみなすと考えて欲しい。

もっとも、
多くの理系の人間には、
高校の国語教育を
単なる「主観的感想の場」にしか感じなかったヤシが多いから、
出発点から疑問を感じるかもしれないね。
煽っている奴は、
その辺での無理解に苛立っているのだろう。

それよりドキュソは
哲学の学問性についてどう考えているんだ?
あんたの基準だと
「メタ客観性」といったレベルは容認できなさそうだから、
哲学がただの空論と区別できない気がする。
461考える名無しさん:02/08/14 02:49
>>457

>>443-444
>>454-455
を全部読んでから出なおしてこい。
ちゃんと書いてあるよ。
どうみてもドキュソさん個人のための長レスなんだから、
それを踏まえた上でレスつけな。
「公理系型理論+実証」だけが客観性じゃないよ、と述べただけのレスではない。

レスに書いてないことを邪推するのは趣味じゃないから書きたくないが、
あれだけあなたが拘った矛盾律に反論した>>455にレスつけないということは、
>>454-455が理解できなかったということを認めているようなもんだよ。
……と煽ってみるテスト。(スマソ)
正直言って、理系のアタマを脱していないと思う。
462考える名無しさん:02/08/14 03:00
>>461
>正直言って、理系のアタマを脱していないと思う。

哲学やろうとか考えてる人なら、たぶん、
哲学の客観性は何かということが明確に述べられなくても、
どこかにあるはずだと苦心すると思う。

そんなことせずに、ちょっと考えて解らないからといって、
それの学問性を簡単に否定してしまえるドキュソ氏は、理系的な頭の持ち主でしょう。
理系としてはそれで正しいんだろうが、その辺りのシガラミを捨て去れなければ、
このスレで満足な解答を得られないよ。

ちなみに>>457の「学問性」が>>454の「学問の客観性」に相当し、
>>454では学問のうちの客観性とは区別されてる。
区別できるのかどうかは知らんが。
463考える名無しさん:02/08/14 03:15
でも分析哲学以外に接したことがないと
ドキュソ的哲学観で押し通せてしまうのも事実。
464考える名無しさん:02/08/14 03:57
>>457
思想史的な観点だと、自然科学、特に近代自然科学は非常識的
(世間でいう悪い意味の「非常識」ではない)。
常識から離れることで、対象をどう見ようと研究者の勝手。
逆にいうと、対象を色んな角度で見たいから、やむなく常識から離れたことになるが。
勝手な分、学問性を保持するためには、あらかじめの客観性の基準が必要となる(実証的な方法)。
実証的な方法は、そもそも技術の開発が元にあったこともあるんだろうけど、
不特定多数の人に了解を得やすいというのもあると思う。

それに対し、法学や政治学は、自然科学ほどの厳密な基準が、
歴史的に最初からは要請されてなかったのでは。
もともとが実践的・人因的なものだから。
自然科学であれ、法学であれ、基準(方法と密接だと思う)の精緻化は歴史的なものなんだろうけど、
おのおのの学問の性質からして、学問内での基準の位置づけが違うのでは。
自然科学は客観性の基準に従って対象の見方を修正することは比較的容易だが、
法学・政治学などではそうもいかない。
自然科学では対象に関して自由さが大きいのは上でも述べた。
いわゆる「理系」学問に対する物質主義という揶揄、
いわゆる「文系」学問に対する人間中心主義という揶揄という2つの揶揄の相違が、
「理系」学問と「文系」学問の対象の自由さの相違と関係あると思う。

ドキュソ氏が文系学問と呼んでいる学問には、
歴史的に当初から対象に従っているものであり、客観性はある
(主観性を排していることは意味しないが、極力そうしようとはしているはず)。
もともと保たれている客観性を明文化するのが難しいだけ。
このことには、上で述べた、法学・政治学などでは、
対象について自由さが比較的小さいのも関わっていると思う。
その客観性の明文化が学問とは離れた、その学問についての哲学になってしまうため、
なおさらその明文化は行われないのでは。
哲学の客観性はより複雑。

客観性の基準をそこまで求めてくるのは、歴史的には理系のスタンスであると思われ。
465考える名無しさん:02/08/14 09:45
通読したけど 結論は分析ヲタはキモイってことだな
466考える名無しさん:02/08/14 11:06
age
467考える名無しさん:02/08/14 13:42
分析ヲタ社会性なさすぎ
男同士でつるんでなさい
468考える名無しさん:02/08/14 13:43
469考える名無しさん:02/08/14 13:46
>>468
真性粘着ですので、放置してください。>>465-467
470考える名無しさん:02/08/14 13:47
分析ヲタウザイョォ
キモイョォ
471考える名無しさん:02/08/14 13:48
>>469
了解
4721:02/08/14 16:08
少し荒れましたが
このスレの趣旨に沿った
まっとうな煽り合いをおながいします
473考える名無しさん:02/08/14 18:58
核戦争反対!
やりちん・ラッセル卿のお手ごろな入門書、おしえてくらはい。
474禿堂:02/08/14 20:34
>>1
どこもウザクねぇよ、禿堂
475禿堂:02/08/14 20:36
>>473
忘れてたが、あんた、英語でよければ A Critical Exposition of
Philosophy of Leibniz 読むといいぜ。ペイパーバックであるからよ
476473:02/08/15 00:09
>>475
わざわざ、さんきゅー。
時間ができたら頑張って読んでみるぜ。
477考える名無しさん:02/08/15 00:51
>>474
当人だからな
478考える名無しさん:02/08/15 23:17
>>ドキュソ分析派氏
荒れましたができれば回答おながいします
479考える名無しさん:02/08/17 00:56
分析派の応答期待あげ
480考える名無しさん:02/08/17 23:26
哲学なのに科学のイメージをまとわせる奴が少なからずいること
481考える名無しさん:02/08/17 23:39
おらおら、稲さんよ
さっさと出てこいや
いつまでも隠れているんじゃねえぞ!
482ドキュソ分析派:02/08/18 10:40
>478
ちょっと今とある事情で忙しいから、25日くらいから復帰します。
483考える名無しさん:02/08/22 13:44
さびれましたな
484考える名無しさん:02/08/23 18:14
分析哲学のこと書こうと思ったが、今の文脈に
合いそうにないからやめる。

理系学問というのは立方体を見て「四角形だ」「いや六角形だ」
と主張しあっているだけのものだと思っている。
何いってるかわかるかな?
で、四角形を選ぶか、六角形を選ぶか、
その視点の選択は恣意的なものだよね。
485ドキュソ分析派:02/08/24 19:35
>464
>思想史的な観点だと〜
これはほぼ完全に同意。

>おのおのの学問の性質からして、学問内での基準の位置づけが違うのでは。
これは分かる。だが問題は

>自然科学は客観性の基準に従って対象の見方を修正することは比較的容易だが、
法学・政治学などではそうもいかない。

そもそも誰かに研究することを義務付けられたわけでもないのに、なぜ無理矢理研究しようとするのかが分からんのだよ。
例えば、オレが占い師をしていて、その判断に納得がいかない誰かに「そもそも何を基準に判断しているの?」と問われた時に
「他の学問と違って占い学は客観性の基準が曖昧だから難しいんだよ。そんなこといったらオレはどうやって占い学を研究しろって言うの?」
と言うようなもんだと思う。(分かりにくいが)

基準が見つからない、あるいは無いのなら研究できないのだからしなければ良いと思うんだが。
当然「研究」以外の行為を行うのは一向に構わんと思う。



486ドキュソ分析派:02/08/24 19:38
>ドキュソ氏が文系学問と呼んでいる学問には、
歴史的に当初から対象に従っているものであり、客観性はある
(主観性を排していることは意味しないが、極力そうしようとはしているはず)。
もともと保たれている客観性を明文化するのが難しいだけ。
このことには、上で述べた、法学・政治学などでは、
対象について自由さが比較的小さいのも関わっていると思う。
その客観性の明文化が学問とは離れた、その学問についての哲学になってしまうため、
なおさらその明文化は行われないのでは。
哲学の客観性はより複雑。

この客観性の不文性こそが問題だと思うんよ。
その学問にかかわる全ての人間で統一されているとは思えないから。

結局、文系学問における意見対立と言うのはその基準の違いから来ているのではないかと。
487考える名無しさん:02/08/24 19:42
そうだね
488考える名無しさん:02/08/24 20:27
>>485-486

穴だらけ。

>そもそも誰かに研究することを義務付けられたわけでもないのに、なぜ無理矢理研究しようとするのかが分からんのだよ。

これはどんな研究についても言えること。
その下の比喩も解りにくい。
占いが学問ではないので、説明が必要。

>基準が見つからない、あるいは無いのなら研究できないのだからしなければ良いと思うんだが。

何度も言っているが、学問に必要なのは客観性であり、客観性の基準ではない。
客観性がある以上、その研究はできるし、実際している。
自分が専攻してきた学問の方法論を通して他の学問を見ている証左。

>この客観性の不文性こそが問題だと思うんよ。
>その学問にかかわる全ての人間で統一されているとは思えないから。

正確に言うように。
客観性の基準の不文性の方が適当では。
その問題があることは承知。
何を今更という感じです。

あなたが、政治学なり何なり、
その学問背景から歴史から全部を検討した上で発言するならともかく、
概観しただけで、その学問の存在意義に疑問を呈するのは失礼ですよ。
罵倒スレじゃあるまいし。
はっきり言って見てる側は不愉快でしょう。
489考える名無しさん:02/08/24 20:27
>結局、文系学問における意見対立と言うのはその基準の違いから来ているのではないかと。

どの学問でも意見対立はある。
それぞれの客観性の性質に従って、対立構造の性質は違うだけ。
自然科学とは違うんですよ。

どうも(あなたのいう)理系のアタマを脱していないのは本当のようです。
あなたの脳は、自然科学に染まりすぎてて、
あなたのいう文系学問のスタンスを理解できないようになっているようです。

ところで>>455はどうなんですか?
490考える名無しさん:02/08/24 20:34
>結局、文系学問における意見対立と言うのはその基準の違いから来ているのではないかと。

「基準の違い」に言及するのがそもそもヘン。
もしその違いが肝腎になるとしても、その違いを乗り越えるようなじゅうぶんな成果を出してきているはず。

ドキュソ氏の言い分は、
自然科学に、どれだけ基準があろうと、宇宙の理論モデルにすぎないから、
客観的に宇宙を写し取っている学問とは言えない、というくらい的外れなものですよ。
491考える名無しさん:02/08/24 20:53
ドキュソは天然かネタか知らないけど
文系学問の例がメディア芸人学者とか占い師
というだけで十分愚弄的だと思う
それにもっと答えるべきレスはあるはず
492ドキュソ分析派:02/08/24 22:43
>これはどんな研究についても言えること。
その下の比喩も解りにくい。
占いが学問ではないので、説明が必要。

数学には言えない。
占いが学問でなく、法律学や政治学が学問であると言う根拠は?

>何度も言っているが、学問に必要なのは客観性であり、客観性の基準ではない。
客観性がある以上、その研究はできるし、実際している。
自分が専攻してきた学問の方法論を通して他の学問を見ている証左。

客観性の基準がないと客観性があるかどうかを判断できない。
客観性があれば客観性の基準は常にあると思う。

>あなたが、政治学なり何なり、
その学問背景から歴史から全部を検討した上で発言するならともかく、
概観しただけで、その学問の存在意義に疑問を呈するのは失礼ですよ。
罵倒スレじゃあるまいし。
はっきり言って見てる側は不愉快でしょう。

オレがこの論を進めると必ず出る反論が「文系をバカにするのは失礼」「知識が無いからそんなこと考えるだけ」
これがありならどのような対象も「批判」出来ないと思うんだが。
例えば、政治学的に対立する理論があったら、一方の側はもう一方の側を「失礼だから」「相手が不愉快に思うから」批判するべきではないの?
493ドキュソ分析派:02/08/24 22:45
>どの学問でも意見対立はある。
それぞれの客観性の性質に従って、対立構造の性質は違うだけ。
自然科学とは違うんですよ。

意見の対立が問題なんて言ってない。
客観性の曖昧さが意見対立の原因だと言っている。

>どうも(あなたのいう)理系のアタマを脱していないのは本当のようです。
あなたの脳は、自然科学に染まりすぎてて、
あなたのいう文系学問のスタンスを理解できないようになっているようです。

これも上のレスと同様だが、これが反論として認められるならどんなものに対しても批判できない。
494ドキュソ分析派:02/08/24 22:48
>これは「対象への忠実」を追究する際に必ず出てくるものです。
その意味では客観性に拘わると言ってもいいのでしょう。
でも、客観性が「対象への忠実」から来るものだとすると、
シェーマである矛盾律は、追究の型のみを示し対象の欠落したものであり、
客観性の根拠としては内容のないものだとされても仕方ないです。

対象は客観性と関係ないのではないか?
客観性とは思考の形式のことではないか?
495考える名無しさん:02/08/24 22:50
何回も書いてるけど批判も強制もしてないから。(^_^)v君はとても賢くてとても強いから。完敗した。(ToT)やめよやまじで意味ないやろ。こんな事で満足するような小さい奴違うやろ。
496ドキュソ分析派:02/08/24 22:51
>「基準の違い」に言及するのがそもそもヘン。
もしその違いが肝腎になるとしても、その違いを乗り越えるようなじゅうぶんな成果を出してきているはず。

文系学問が?例えばどんな?
もちろんそれは「学問的な」成果という意味で。
単なる成果なら学問以外のあらゆる技術は成果があるんだから。

>ドキュソ氏の言い分は、
自然科学に、どれだけ基準があろうと、宇宙の理論モデルにすぎないから、
客観的に宇宙を写し取っている学問とは言えない、というくらい的外れなものですよ。

むぅ。イマイチ意味がわかりませぬ。
497ドキュソ分析派:02/08/24 22:54
>491
>ドキュソは天然かネタか知らないけど
文系学問の例がメディア芸人学者とか占い師
というだけで十分愚弄的だと思う
それにもっと答えるべきレスはあるはず

天然だよ。と言っても無駄か。
別に田中二郎でも立花隆でも誰でも良いよ。
例えなんだから。
そもそもこの意見自体が福岡某に対して愚弄的なんじゃ?
498考える名無しさん:02/08/24 23:28
>>492-497

議論が破綻している。
前に書かれていることを解っていない。
どこが?と訊きたいだろうが、全部。

あなたは理論批判ばかりで実のある批判をしていない。

「原理上の宣言」「事実上の成果」という言葉を使うなら、
前者に拘泥するあまり後者を微塵も意識していない。

かと言って煽りが目的ではないようですし、真剣にレスしますね。
長くなるのでレスを分割します。
499498:02/08/24 23:35
その前にひとこと言いたいが、
あなたはいわゆる文系の学問の客観性がいかなるものか訊ねたいのか、
それとも文系の学問の学問性を否定したいのか、どちらなんですか?
前者ならじゅうぶんに以上のレスで答えは出ています。
以上のレスで理解できないなら、
ドキュソ氏の頭が自然科学の方法論に犯されていると考えて差し支えないと思います。
いわゆる文系の諸氏に訊けば、あなたの問いがてんでマトハズレというのは一目瞭然です。
500498:02/08/24 23:37
自分の言いたいことを通そうとしてレスしているようにしか見えません。
こちらの言うことに耳を傾けようという態度は少しもありませんよね。
501考える名無しさん:02/08/24 23:46
>>500 すいませんでした、もともと自分の事文系とも哲学とも宗教とも思ってないんで、、とりあえずあほなんで偽物系我慢できませんね。 異文化コミニケーション自体は面白いんですけどね
502考える名無しさん:02/08/24 23:46
>>500 すいませんでした、もともと自分の事文系とも哲学とも宗教とも思ってないんで、、とりあえずあほなんで偽物系我慢できませんね。 異文化コミニケーション自体は面白いんですけどね
503484:02/08/24 23:54
レスが進んでいるんでビックリしましたが、まあいいや。
続き書きます。
「フロンガスは安定している」
「フロンガスはオゾン層を破壊する」
という選択肢があった場合、たまたま(つまり恣意的に)
「フロンガスは安定している」を選んじゃうわけでしょ、
理系学問は。
恣意的じゃないとすれば、どんな判断基準があるんでしょうね。
504498:02/08/25 00:21
>数学には言えない。

別に数学を研究する義務はないでしょう。

>占いが学問でなく、法律学や政治学が学問であると言う根拠は?

何を訊ねたいのか解りません。
法律学や政治学が学問でないという証拠を挙げてください。
客観性の基準がないというのはダメですよ。

>客観性の基準がないと客観性があるかどうかを判断できない。
>客観性があれば客観性の基準は常にあると思う。

>>464を参照してください。
その政治学の客観性は事実でしょう。
505498:02/08/25 00:22
>オレがこの論を進めると必ず出る反論が〜

早く自分の立場から離れて発言してください。
ラチがあきません。
自然科学と異なり、政治学などでは、
「原理上の宣言」よりも「事実上の成果」が重要になってきます。
原理上の宣言とは、要はその原理的基盤のことです。
事実上の成果とは、現実に挙げた成果のことであり、
社会にいかに役立ったかということではありません。
自然科学から見れば、方法論的には頼りないかもしれませんが、
事実上の成果は瞠目すべきものがあるはずです。

失礼だから批判してはならないではなく、
批判の仕方が失礼だというだけです。
下の方の「むぅ。イマイチ意味がわかりませぬ。」に対するレスも参照。

>客観性の曖昧さが意見対立の原因だと言っている。

違います。
客観性が曖昧だなんて議論は、今までしてきていない。
してきたのは客観性の基準が曖昧だということだ。
また、客観性の基準が曖昧なのが意見対立の原因である根拠を挙げてください。
506498:02/08/25 00:22
>対象は客観性と関係ないのではないか?
>客観性とは思考の形式のことではないか?

違います。
対象こそが客観性の最大の根拠です。
関係ないなどとはもってのほかです。
客観というものを辞書で引けば解りますが、客観とは対象という意味です。
客観性は対象への忠実からくるもので、
その忠実であることが思考の形式を制約するというハナシです。
>>454をちゃんと理解してください。
批判するなら、理解したうえで批判してください。

>文系学問が?例えばどんな?
>もちろんそれは「学問的な」成果という意味で。
>単なる成果なら学問以外のあらゆる技術は成果があるんだから。

おのおのの学問を参照してください。
ここで私が説明するより、専門家が書いた入門書・専門書の方が解っていただけると思います。
507498:02/08/25 00:23
>むぅ。イマイチ意味がわかりませぬ。

自然科学は世界を描写しますが、それは理論的なモデルにすぎませんよね。
たとえば、解析的なモデルが典型だと思いますが、
すべてを方程式で表わしていこうとするのはいいでしょう。
方法論もしっかりしています。
しかし方法論はいくらしっかりしているとはいっても、
勝手に(もちろん妥当なものであるが)決めたものです。
方法論を蒸し返すなら、それは自然を完全に描写しているとは言えません。
1つのモデルにすぎないのです。
より適当なモデルがあればそれに乗り換えます
(パラダイムシフト時がいちばん解りやすい)。
これからもパラダイムシフトがあるなら、
いかなる物理法則も自然を描写していることにはならない、
自然を描写するのが目的の自然科学なら、それは無意味だ、となります。
>>484でも指摘されてますが、
強力な方法論を採る以上、それは物事の1面しか描写できないのです。
それで自然全体を描写していると言われても疑問です。

もちろん、この指摘は正しいわけで、ホーキングなんかの物理学者は、
モデルにすぎないとしてますよね。
508498:02/08/25 00:24
こういう指摘は自然科学にとってマトハズレなわけです。
「事実上の成果」を無視している。
まぁもともとが近代科学が実践志向だったのもありますが。
学問をもっと良い方向に向けるための方法論批判はありますが、
方法論批判のために学問性を否定するのは、それこそ無意味だし、とんちんかん。

確かに自然科学の方法論に反旗を翻した例はあります。
T田氏が好きなフッサールもそうです。
しかしフッサールは、近代科学の「事実上の成果」を無視しませんでした。
むしろ積極的に読みとったうえで、それを乗り越えようとしたのです。

上の上の段落の無意味な批判と同じことをドキュソ氏はしているわけです。
509498:02/08/25 00:26
「事実上の成果」は、ドキュソ氏が批判するまえに学んでおくべきこと。
じゃなきゃマトハズレな批判になることは前スレで確認したとおり。
510考える名無しさん:02/08/25 03:00
例えばドキュソは、
「理系学問の成果」については、
その内容を知らない文系にとって自明だと仮定しているだろ?
ところが本当のことを言えば、
一定程度自然科学の成立根拠についての考察をしないかぎり、
あんたがいう客観性基準についての理解は生まれないんだ。

なのにドキュソに対して文系学問への参照を要請する見解に対して、
「それでは議論から逃げている」と応じる。

これではまるで、
自然科学がアプリオリに真理性が保証されているように思える。
511考える名無しさん:02/08/25 10:35
age
512484:02/08/26 00:13
ありゃりゃ、体よく無視されちゃったよ。
まあ、もともと、どうでもよかったんだけど。
じゃ、自然科学も、けっこう恣意的ってことで、
さようなら。もう来ないからね。
513ドキュソ分析派:02/08/26 17:33
>499
>あなたはいわゆる文系の学問の客観性がいかなるものか訊ねたいのか、
それとも文系の学問の学問性を否定したいのか、どちらなんですか?

もちろん前者。しかし固定観念として後者もある。

>自分の言いたいことを通そうとしてレスしているようにしか見えません。
こちらの言うことに耳を傾けようという態度は少しもありませんよね。

全く逆のことがそちらにも言えると思うが。

>「フロンガスは安定している」
「フロンガスはオゾン層を破壊する」
という選択肢があった場合、たまたま(つまり恣意的に)
「フロンガスは安定している」を選んじゃうわけでしょ、
理系学問は。
恣意的じゃないとすれば、どんな判断基準があるんでしょうね。

意味がわからない。その前提として、安定している状態と破壊している状態を定義付ければいい。

514ドキュソ分析派:02/08/26 17:36
>別に数学を研究する義務はないでしょう。

そんなこと一言も言ってないぞよ。

>何を訊ねたいのか解りません。
法律学や政治学が学問でないという証拠を挙げてください。
客観性の基準がないというのはダメですよ。

法律学や政治学が学問であると言う証拠は?

>464
をどれだけ読んでも文系学問の客観性については語られていない。
「ある」と言っているだけ。
事実が政治学の客観性だとしても、事実の羅列しか形成できない。
解釈も真偽もないことになる。
515考える名無しさん:02/08/26 17:51
>>514
議論の細部はわかんねえけど
あんたも質問返しが多すぎるんじゃねえの?
516考える名無しさん:02/08/26 17:54
さみしがり
517ドキュソ分析派:02/08/26 17:54
>早く自分の立場から離れて発言してください。 ラチがあきません。

その前に、文系学問の「立場」を明らかにして欲しい。

>自然科学と異なり、政治学などでは、 「原理上の宣言」よりも「事実上の成果」が重要になってきます。

抽象的で何を言っているのか分からない。「事実上の成果」というのは具体的に何を指しているんだ?

>失礼だから批判してはならないではなく、
批判の仕方が失礼だというだけです。

オレにしてみれば、文系的な知識が無いからダメと言うのも批判の仕方として失礼だと思う。

> また、客観性の基準が曖昧なのが意見対立の原因である根拠を挙げてください。

例えば憲法9条の問題一つをとってみても。現在の政府見解では自衛隊は合憲。しかし違憲だという見解もある。
これはつまり、9条の条文の解釈の方法が人によって違う(判断基準が違う)から生じるものであるはず。
理系学問においても意見対立はあるがいずれ「決着」を見る。

>客観というものを辞書で引けば解りますが、客観とは対象という意味です。
客観性は対象への忠実からくるもので、

「客観」自体は確かに「対象」だが (1)主観の認識・行為の対象となるもの。主観に現れるもの。世界。かっかん。

「客観性」は?

>客観性は対象への忠実からくるもので、
その忠実であることが思考の形式を制約するというハナシです。

「忠実である」ことが客観性であるなら、「対象」それ自体は客観には関係あっても客観性には関係無いのではないか?

518ドキュソ分析派:02/08/26 17:59
>勝手に(もちろん妥当なものであるが)決めたものです。
方法論を蒸し返すなら、それは自然を完全に描写しているとは言えません。
1つのモデルにすぎないのです。

自然を完全に描写するとは?どのような記号で表現しようがそれ自体は問題ではなく、推論の過程で対象の規定の仕方が統一されていれば良いのではないか?

>より適当なモデルがあればそれに乗り換えます
(パラダイムシフト時がいちばん解りやすい)。
これからもパラダイムシフトがあるなら、
いかなる物理法則も自然を描写していることにはならない、
自然を描写するのが目的の自然科学なら、それは無意味だ、となります。
>>484でも指摘されてますが、
強力な方法論を採る以上、それは物事の1面しか描写できないのです。
それで自然全体を描写していると言われても疑問です。

例えば、ユークリッド幾何の体系から非ユークリッド幾何の体系へのシフトみたいなこと?
あるいはニュートン、ガリレオ概念からアインシュタイン概念へのシフトとか?

それは単に以前の体系が間違っていた(あるいは完全ではなかった)だけの話だと思う。
科学は間違えないと言っているわけではないのだから、問題ないのではないか?
519ドキュソ分析派:02/08/26 18:03
>例えばドキュソは、
「理系学問の成果」については、
その内容を知らない文系にとって自明だと仮定しているだろ?

「成果」の意味が良く分からんのだが、現在パソコンを利用できていること自体理系学問の成果ではないか?

>ところが本当のことを言えば、
一定程度自然科学の成立根拠についての考察をしないかぎり、
あんたがいう客観性基準についての理解は生まれないんだ。

自然科学の体系には矛盾がない。理論的には矛盾律に従って推論した結果であると思う。
520ドキュソ分析派:02/08/26 18:04
もう来ないらしいが
>484
>理系学問というのは立方体を見て「四角形だ」「いや六角形だ」
と主張しあっているだけのものだと思っている。
何いってるかわかるかな?
で、四角形を選ぶか、六角形を選ぶか、
その視点の選択は恣意的なものだよね。

選択をそれ自体は結局名前をつけるだけの問題。
問題は理論のうちにおいて対象に統一性があるかどうか。
521考える名無しさん:02/08/26 18:06
体系が間違っていたというより、「体系の目的(まあ追試可能な自然観察モデルでも
なんでもいーよ、好きにして)に適っていないと判断された」というほうが
すき。

分析のコアな人は倫理学とか美学とかを「哲学じゃありません」とか
「それは結局(ほげ)という言語ゲームでしかないですよね?」とか
一蹴して問題史的連関を顧慮しないところがうざい。(いるんだごく一部にそういうヤシ)
522考える名無しさん:02/08/26 18:13
>>521
だって「問題史」なんて調べる気ないから。
ドキュソが典型だが歴史を無視しないと理性的ではないみたいだぜ
523考える名無しさん:02/08/26 18:14
分析哲学よりドキュソ分析派がうざいと思うヤシの数→
524考える名無しさん:02/08/26 18:48
>>523
1の趣旨に適ってるよ
525考える名無しさん:02/08/26 23:52
>>513

>全く逆のことがそちらにも言えると思うが。

言えません。
あなたはいわゆる文系学問の客観性の否定に躍起になっているだけで、
文系学問の客観性がこれまで歴史的にどういうものであったかについて、少しも言及していません。
それはこちらが提ずるものではなく、議論するさいに、そちらが提示するものです。

大事だと思うことを言うと。
政治学などは「その学問の性質上」、理論に客観性の基準を求めようという観点から検討すれば、
ドキュソ氏の言っていることは、ある意味では必定的でしょう
(どう考えても賛同しかねるのは、以下のためである)。
しかし、それによって政治学を否定するものではありません。
それは政治学の「事実上の成果」が示しています。
「事実上の成果」とは、このような掲示板に書けるものではありません。
上で誤解ないよう注意書きしたのに誤解なさっているようですが、
社会への貢献度のことではありません
(なので、下の方でコンピュータのことを言っていますが、的外れ)。
「事実上の成果」とは、政治学の起源から、現代に到るまでの、
さまざまなテクストおよびテクストクリティークに刻まれたものなど、歴史的な側面が大きいです。
それぞれの時代背景のなかで、なぜそう考えられたのか、
理論的・実証的には不十分でも、なぜその政治思想家は自信をもってそれを唱えられたのか、
その辺りのダイナミズムにあります。
ここでその「なぜ」とは何かを訊ねるのはおかしいですよ。
「事実上の成果」がどういうことを指した言葉なのかを解っていないことになります。
526考える名無しさん:02/08/26 23:53
(続き)
「政治学を否定するものではありません」という根拠を「事実上の成果」に求めました。
これは自分で自分のことを証明しようとしているのであり、
「論理的には」、何も言っていない循環のようなものでしょう
(もし、循環でなく、論理的にも妥当なら、
 ドキュソ氏の考えがどんな意味でも必然的でなくなる)。
しかし、ここでの根拠は「原理上の宣言」ではないのです。
「事実上の成果」とは事実・歴史です。

俺自身は、ず〜っと議論されてきた客観性の議論でじゅうぶんだと思うのだが、
「全く逆のことがそちらにも言えると思うが」に反論するため、
便宜的に「客観性の基準がない⇒厳密な客観性は維持できない」(*)を認めることにします
(俺は、いわゆる文系学問について言えば、この「⇒」には飛躍があると考えますが
 これは前件から後件が導かれないという意味ではなく、
 直接に(少なくとも近接的に)導かれていることに疑問を持つわけですが、ここでは留保)。
ここで、大きく分けて2つの選択を迫られるわけです。
以下、メンドイので「文系」は「いわゆる文系」の意味です。
(1)「文系の学問には客観性はないと結論を下す(学問性の否定)」
(2)「文系の学問の客観性とは、いったい何なんだろうか? 更に検討を」
ここで(2)であることを決めるのが「事実上の成果」です。
今まで議論していたのは「原理上の宣言」にすぎない。
「原理上の宣言」のみを検討して導き出したのが(*)である。
それが今まで学問たり得てきたわけを「事実上の成果」を参考にして検討しよう、となる。
527考える名無しさん:02/08/26 23:54
(続き)
「事実上の成果」を参考にするとは、上記のダイナミズムに身を投じることです。

憲法9条問題は、問題の範囲が狭すぎるので、却下するとして、
あまり知らないので大きな顔で例えとして挙げるのもちょっと憚られるのですが、
社会学において「社会は実在するか」というテーマがあります。
大学の一般教養レベルでも出てくると思いますが、真面目に受けてなかったので、うろ覚え。
この意見対立を「事実上の成果」のなかに見つけた。
これゆえ(*)は支持は補強され(1)と考えて差し支えない。
しかしこれは大きな誤りです。
「事実上の成果」を参照していることにはならないスタティクな考えです。
これはただ単に「原理上の宣言」の検討から導かれた(*)を見出したに過ぎない
(考えてみれば解ると思いますが、(*)が見出されるのは当たり前です)。
「事実上の成果」がどういうものかを上で読み直していただければ解ると思います。
「原理上の宣言」の検討から導き出された(*)の焼き増しであることを避けるためには、
固定観念を捨てる必要があります。
固定観念を抱いていては、「事実上の成果」を参照することは不可能です。
もしかしたら、ドキュソ氏は固定観念を抱いているせいで、
「事実上の成果」を検討する段階に入れないかもしれません。
528考える名無しさん:02/08/26 23:54
ともかくも、その「事実上の成果」の参考をなさず、
(*)の段階から(1)で終わってしまうのは、
客観性の議論に、不十分どころか、問題外となります。
「それはこちらが提ずるものではなく、議論するさいに、そちらが提示するものです」
というのは、そちらからの提示があって初めて「問題」となることを意味します。
ドキュソ氏は固定観念を抱いているらしいので、
問題となるように提示できるかどうかは保証し兼ねますが。
提示しても(*)の焼き直しとされるかもしれません。
そのとき「ちゃんと嫁」と言われるでしょうが、
その門前払いの意味は、ここまでで述べたと思います。
ドキュソ氏なら、その問題となるかどうかの基準は何か?と訊ねられるでしょうか。
しかしその「基準」はありません。
それは「原理上の宣言」ではなく「事実上の成果」というダイナミズムであるからです。
ただ「ちゃんと嫁」(つまり「事実上の成果」を固定観念なく見ろ)と言われるのが、
もっとも適当に事態を表わしている言葉であるかもしれません。

「固定観念」と、くどく繰り返すのは、固定観念こそ批判の大敵であると思うからです。
まず、頭を真っ白にして、その学問を受け入れ、その学問のことをその学問の専門家並に理解しよう、
という気がなければなりません。
これは専門家並に理解することを要請するということではありません。
「受け入れ、理解しようという気」です(これはここでは、固定観念と対をなすものです)。
529考える名無しさん:02/08/26 23:55
(追記)
文系的な知識がないから駄目というのは、この場合、
知らない者を追い払うためのステレオタイプではないことは、
以上から自明のことであると思われます。
530考える名無しさん:02/08/26 23:59
>>526
>ここで(2)であることを決めるのが「事実上の成果」です。

(誤)「事実上の成果」
(正)「事実上の成果」の存在
531考える名無しさん:02/08/27 00:24
(蛇足)

「事実上の成果」について書いたので、別に残りに答える必要はないのですが。

>法律学や政治学が学問であると言う証拠は?

これも答える必要はないですね。
上で述べたのは「学問としてあったから学問である」と述べてるのではないですよ。
「学問としてあったから学問である」は事実であって力動的な「事実上の成果」ではない。

>>464
>をどれだけ読んでも文系学問の客観性については語られていない。
>「ある」と言っているだけ。
>事実が政治学の客観性だとしても、事実の羅列しか形成できない。
>解釈も真偽もないことになる。

語られているはずです。
「事実上の成果」の検討をしていないから、語られていないように見えるだけ。

>その前に、文系学問の「立場」を明らかにして欲しい。

こうレスするのがおかしいのは言わなくていいですね。

>オレにしてみれば、文系的な知識が無いからダメと言うのも批判の仕方として失礼だと思う。

上の追記で述べました。
532考える名無しさん:02/08/27 00:25
分析哲学の人って英語しかできない人いっぱいいるよね?
最低独仏はできないとダメだと思うけど。
533考える名無しさん:02/08/27 00:25
(蛇足続き)
>例えば憲法9条の問題一つをとってみても。〜

これは意見対立として挙げるのは不適当。
意見対立があることがいかなることかを分析するのが、
あまりアカデミズムという言葉を教条的に使いたくないが、
対立によって問題がいかなる方向性を持つのだろうか、と学問では考えるのではないか。
むしろ(不遜な)アカデミズムは、相互が相互の反省を促す抑止力を生み出すものとして、
(他人事のように)意見対立を善しとするでしょう。
↑( )内は無視のこと。

>「客観性」は?

こちらが主題のはずですが、「事実上の成果」の重要さを解っていない時点では、時期尚早。
534考える名無しさん:02/08/27 00:26
(大事かも)
>自然を完全に描写するとは?どのような記号で表現しようがそれ自体は問題ではなく、
>推論の過程で対象の規定の仕方が統一されていれば良いのではないか?

その「……ば良い」に含まれるコノテーションが自然科学の独善の表われです。
科学においても上の(*)とは違った形で問題が出てきます。
これは「原理上の宣言」の検討の結果です。

>それは単に以前の体系が間違っていた(あるいは完全ではなかった)だけの話だと思う。
>科学は間違えないと言っているわけではないのだから、問題ないのではないか?

間違っている体系を築くことに何の意味があるのですか?
これは社会への還元のような応用の意味を問うているのではありません。
この問いは、科学の「事実上の成果」を無視するものです。
俺が発したこの問いは、反面教師として役立ててください。
この問いがおかしいと感覚的にドキュソ氏が解るのは、
科学の「事実上の成果」を固定観念なく受け入れていたからだと思われます。
535ドキュソ分析派:02/08/28 15:44
>525
>あなたはいわゆる文系学問の客観性の否定に躍起になっているだけで、
文系学問の客観性がこれまで歴史的にどういうものであったかについて、少しも言及していません。

そりゃ当然。客観性は無いと言っているんだから。

>「事実上の成果」とは、政治学の起源から、現代に到るまでの、
さまざまなテクストおよびテクストクリティークに刻まれたものなど、歴史的な側面が大きいです。
それぞれの時代背景のなかで、なぜそう考えられたのか、
理論的・実証的には不十分でも、なぜその政治思想家は自信をもってそれを唱えられたのか、
その辺りのダイナミズムにあります。
ここでその「なぜ」とは何かを訊ねるのはおかしいですよ。
「事実上の成果」がどういうことを指した言葉なのかを解っていないことになります。

分からない。どうにも専門用語+抽象論ばかりで何を言っているのか分からない。
「力強さ」が事実上の成果なの?

〉(1)「文系の学問には客観性はないと結論を下す(学問性の否定)」
(2)「文系の学問の客観性とは、いったい何なんだろうか? 更に検討を」
ここで(2)であることを決めるのが「事実上の成果」です。

ということは、文系学問の客観性を決めるのが事実上の成果?

〉「固定観念」と、くどく繰り返すのは、固定観念こそ批判の大敵であると思うからです。
まず、頭を真っ白にして、その学問を受け入れ、その学問のことをその学問の専門家並に理解しよう、
という気がなければなりません。
これは専門家並に理解することを要請するということではありません。
「受け入れ、理解しようという気」です(これはここでは、固定観念と対をなすものです)。

ならオレの意見に対しても頭を真っ白にして受け入れようとして欲しい。
そちらが固定観念を持っているだけの話かもしれないんだから、こんなこと言ってもしょうがないと思うんだが。
536ドキュソ分析派:02/08/28 15:46
〉531  はこれまでの部分が分からないから全然理解できない。
537考える名無しさん:02/08/28 18:09
>>535

>そりゃ当然。客観性は無いと言っているんだから。

これが「原理上の宣言」のみを分析して導かれたテーゼで、不十分であることは述べました。

>分からない。どうにも専門用語+抽象論ばかりで何を言っているのか分からない。
>「力強さ」が事実上の成果なの?

専門用語は1つも使っていません。
抽象論ばかりではないでしょう。
抽象だけだと解りにくいと思い、多少便宜的に書いておきました。
完全に具体的な形で知りたければ、各分野の専門書に当たらなければなりません。

>ということは、文系学問の客観性を決めるのが事実上の成果?

どこかで訂正しましたが、
(2)であることを決めるのは「事実上の成果」は誤りで、「『事実上の成果』の存在」でした。
文系学問の客観性を「決める/決めない」という議論がおかしいのは、
それが「事実上の成果」の検討が必要であるなら明らかでしょう。
文系学問の客観性の歴史的な存在を「事実上の成果」が根拠づけるということであると思われるので。
538考える名無しさん:02/08/28 18:10
>>535

>ならオレの意見に対しても頭を真っ白にして受け入れようとして欲しい。
>そちらが固定観念を持っているだけの話かもしれないんだから、こんなこと言ってもしょうがないと思うんだが。

受け入れたでしょう。
ドキュソ氏の考えを受け入れた上で(正しいとした上で)、それが不十分であると示しました。

意見と固定観念を混同しないでください。
こちらが何に対して固定観念を抱くというのでしょう?
今のテーマはいわゆる(←以下では略)文系学問なので、
今ここで摘み取られるべき観念は「文系学問に対する固定観念」です。
それは文系学問についての偏見の度合いによると思うのですが、
理系であるドキュソ氏の方が文系の人と比べて、明らかに固定観念を持っていると言えるでしょう。
そもそも、理系のあなたが「文系の」哲学板まで来て「文系の」議論をなさるということは、
「ならオレの意見に対しても頭を真っ白にして受け入れようとして欲しい」という対等な条件を提示できるないと思います。
理系の人は対等に話せないと言うのではありません。
なぜ対等が無理なのかは、前回の議論で示したところです。
539考える名無しさん:02/08/28 18:44
おさらい。
ドキュソ氏によると学問の学問性は、レス235
では論理性(矛盾律に従うこと)、レス361で
は客観性としているが、367では客観性=論理性
となっている。
レス388あたりをみると、前提としている公理
が全て列挙されていることが必要らしい。
398あたりになると、厳密性ということばが出て
くる。
厳密性と客観性の関係はいまいちよくわからないが、
ざっと読んだ限りでは違いないようにみえる。
となると、ドキュソ氏の学問の条件としては、矛盾
律に従った推論と、公理が全て列挙されていること
というふうに理解していいのかな?
540考える名無しさん:02/08/28 22:38
うさんくせー
たかだか5年しか持たないアルゴリズム開発にこき使われる
情報科学の人間が言う言葉とは思えねえ
ドキュソ論法は
相当戯画的に理想化された数学や物理学には当てはまっても
これだと
技術系学問まで否定されるとみた
541考える名無しさん:02/08/28 23:05
DQSOが標的にされる理由はかんたん。
彼が当たり前のことを言っているからさ。
そうでしょう?>ルサンチマンのかたまりの哲学板一部住人
542考える名無しさん:02/08/28 23:17
>>541
こんな過疎板で釣りなんかするなよ
543考える名無しさん:02/08/28 23:23
>>542
釣れた!
544539:02/08/29 09:03
>>540
確かにコレだけじゃカリカチュアだ。
ただ、この長いスレを駆け足で読んだもの
だから、見落としもあるかもしれない。

2番目の「公理の完全列挙」など文系の学問
(ひょっとすると理系でも)可能とは思えない
が、1番目の矛盾律については、文系といえど、
それに反した推論などやっていないのでは?
545考える名無しさん