なぜヒュームは因果性に着目して得られる知識は

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1天才様へ
絶対的知識でないと考えたのか?
まったくわからん
因果性の観念の期限に関するヒュームの議論について触れて教えてください
2天才様へ:02/07/26 03:30
age
3茶素減肥  ◆PTJrFUQc :02/07/26 04:13
>>1
たとえば、なぜ>>1 は哲板にこういうスレを立てたのか、を考えてみよう。
(煽りじゃなくて、一個の例としてね。)

その因果関係をたどっていくと、
まず、「ヒュームの因果律についての議論」について疑問を持ったからだ、という理由がえられる。
しかし、>>1 がヒュームの議論について疑問を持ったのは、
>>1 がヒュームという哲学者の名前を知ってしまったからである。
しかし、>>1 がヒュームという名前を知ったのは、哲学史の本を読んだからである。
しかし、>>1 が哲学史の本を読んだのは、>>1 がこの世に生を受けたからである。
>>1 がこの世に生まれてきたのは、>>1 のオトンとオカンがxxx、、、……(以下、、無限に続く)

こういう風に、「>>1が哲板にこういうスレを立てた」ということの因果関係も、
無限に考えられるのであって、その無限個のうちのどれを「原因」と見るのか、
というのは、自明なものではなく、社会的・政治的・暴力的な決定の力に
よるものだから、因果性に着目して得られる知識は……って言ったわけ。

アンダスタン?
4天才様へ:02/07/26 04:22
分からない
5とおりすがり:02/07/26 04:26
分かったよ。
でもそのことで、ヒュームは何が言いたかったのだろう。
知識や経験だけではダメだ、と言いたかったのか?
新しい知見を得るためには何らかの瞑想やひらめきが必要だ、とか。
6茶素減肥  ◆PTJrFUQc :02/07/26 04:42
>>4
じゃあな、もっと分かりやすい例を出そう。

オカンがお前に怒った。
「あんた、なんでそんなにオナニーばっかりするの!」
お前は答えた。
「だって、やりたいんだもん」
オカンはさらに詰問した。
「なんであんたはそんなに性欲が強いの!」
お前は答えた。
「かあちゃんがそういう風に育てたからだよ」
以下、無限にオカンとお前の無駄な討論は続く。

さて、どれが本当の「お前がオナニーをする」原因でしょう?
7茶素減肥  ◆PTJrFUQc :02/07/26 04:44
>>5
それは、ちょっと違うが、カントに近いだろうね。
ヒュームは、ただ否定しただけかもしれない。

漏れはまじめに読んでないので、答えられる範囲だけで答えるよ。
プロパーの登場キボン。
8考える名無しさん:02/07/26 04:50
>>7
ヒュームは一つの原因に一つの結果が対応することは認めていたのでしょうか。
俺なら、「あんた、なんでそんなにオナニーばっかりするの!」と聞かれたら、
「原因はたくさんあって複合的なので答えられん」と答える。
9天才様へ:02/07/26 04:53
適当に自分が調べたとおりに書いてみます

事物相互の関係から求まる因果性の観念の起源について考えると、
事物相互の関係とは近接、継起、必然的結合からなり
ここで、近接と継起は印象として与えられるが
必然的結合は印象として与えられない。でも、経験が対象を
近接していることや継起していることを印象として受け取り
記憶するということを繰り返すうちにそれが習慣になり
ある対象が出ると印象が浮かぶという印象が浮かぶようになる。
それが必然的結合の源になるので、われわれの習慣は
絶対的でないため、必然的結合の観念は絶対的知識ではない。
10茶素減肥  ◆PTJrFUQc :02/07/26 04:54
>>8
いやいや、認めないのがヒューム。
>原因はたくさんあって複合的なので答えられん
がヒュームに近いね。

ヒュームなら、
>どれを原因と見るかは好みの問題だ
くらいにいうんじゃないか?
11とおりすがり:02/07/26 04:55
ヒュームは仏教の因果律は知っていたのかな?
12茶素減肥  ◆PTJrFUQc :02/07/26 04:56
>>9
お、著作にあたって調べてきたね。
そのとおりです。
で、その文の意味、理解できたの?

>習慣
=社会的な文脈によって決定される、です。
13茶素減肥  ◆PTJrFUQc :02/07/26 04:57
>>11
>仏教の因果律
それってどんなの?
14天才様へ:02/07/26 04:57
いや、なんとなくですが
これだけじゃ、説明不足でしょうか?
15茶素減肥  ◆PTJrFUQc :02/07/26 04:59
>>14
いや、その程度でいいと思う。
次はカントによってそれがどう(見た目上)乗り越えられたかを勉強しる!
16天才様へ:02/07/26 05:10
わかりました。ありがとうございました
17考える名無しさん:02/07/26 05:15
>>3
ここわからない

>「>>1が哲板にこういうスレを立てた」ということの因果関係も、
>無限に考えられるのであって、その無限個のうちのどれを「原因」と見るのか、
>というのは、自明なものではなく、社会的・政治的・暴力的な決定の力に
>よるものだから

>>1が「原因は*****だ!」と述べてもそれは原因にはならないということか?
>>1が原因をどう言おうが社会的・政治的決定力が
「それは違う。原因は******だ!」と言えばそれになるということ?
18茶素減肥  ◆PTJrFUQc :02/07/26 05:30
原因は無限に考えることができて、
その多数の原因のなかから、どれを「真の原因」として見るか、という
その視点が社会的に決定される。
社会的、が分かんなかったら、習慣でもいい。
19茶素減肥  ◆PTJrFUQc :02/07/26 05:32
もっと分かりやすくしようか。

「くいだおれ」で食中毒がでました。
誰が悪いですか?

1、滅菌しなかった店
2、そんなドキュソな店に行った客
……

今の日本の法律なら、1を真の原因としてみるが、
他の社会ならどうだろう?
20天才様へ:02/07/26 05:41
またまた質問

純粋理性批判におけるカントの主張ってなんですか?
21茶素減肥  ◆PTJrFUQc :02/07/26 05:49
>>20
因果律の話に限定するぞ(というかカントの膨大な体系全体の説明は漏れには無理)

すごく簡単にまとめちゃうと、
我々の認識は、「認識のカテゴリー」っていうものに基づいて行われていて、
そのカテゴリーにしたがって、我々は物を分類していくの。
で、そのカテゴリー(カントは12個のカテゴリーを想定した)の中に、
「原因と結果」っていうカテゴリーがある。

つまり、我々が「原因と結果」っていう網の目を持って物を認識しているんだから、
すべての物には因果関係がある、っていう風に、カントにおいては説明されます。

ま、これも説明仮説でしかないんですが。
22天才様へ:02/07/26 05:56
えっと、

アプリオリな総合的判断っていうのは
アプリオリな形式が対象を構成して、それをわれわれが認識能力をもって
認識することによって、主と述が別々に分けられて判断されることって
ことですか?
これがよくわかりません
23p:02/07/26 05:57
だけど、社会的決定、習慣による法則性という拘束、
いずれをとってもそこから自分のナチュラリティ、人間的自然、とは違うんだという訴えを
ヒュームからは読み取っていいはず。
人間的自然の外皮に過ぎんぞ、君らの原因と結果による説明話は!というかんじの。

そこで、どうしてもマルクス、ニーチェ、フロイトがでてくる。
彼らは、物語批判という形で因果性による話を、その多数性あるいは相対性の名において、
批判した。その批判の矛先はそのどれもとってもそこそこ真実味がある、ということではなしに、
むしろそういった因果性に基づく相対的に真実味のある説明は、あらかじめその中にその内容を
信じている確信があ利、そこから発している自己言及的なものである以上、
そうした確信が渦巻く場所へとさかのぼり、そうした確信を可能にする構造、
そうした確信を貫いて振動する、そうした諸説明を貫いて振動する構造をとりだすべきだとした。
マルクスなら資本の分析という形で解析したし、ニーチェ、フロイトは
精神とくに無意識という余白、どんなに意識化を推し進めてもなお取り残される余白こそが原動力だ
とした。
24茶素減肥  ◆PTJrFUQc :02/07/26 06:01
認識のカテゴリー、じゃねえな。
「思考のカテゴリー」だった。スマソ。

>>22
感性、理性、悟性の区別はついてるかい?
25天才様へ:02/07/26 06:04
はい。理性はわからないですが
感性=直感
悟性=直感によって得られた表象を素材に思考を行う能力
26茶素減肥  ◆PTJrFUQc :02/07/26 06:09
>>25
大体わかってるじゃん。
あとは、書くのがめんどくさいから、

ttp://www.ne.jp/asahi/village/good/kant.html

これ読め。
あーぁ、徹夜しちゃった。眠いよ。
27天才様へ:02/07/26 06:10
ほんとありがとうございました
28茶素減肥  ◆PTJrFUQc :02/07/26 06:18
>>27
いえいえ。
29考える名無しさん:02/08/02 15:30
一応スレタイの答えは出たな。
じゃ、次は因果性は経験、習慣に由来するというヒュームのこの意見に
対するオマエラの意見を言ってみろ。
もちろん根拠も書け。
30考える名無しさん:02/08/02 15:31
しまったさげちまった。age
31考える名無しさん:02/08/02 16:03
カントタンは因果律を生み出すのは悟性のカテゴリーだと主張
したんですよね?
経験や習慣が因果律の起源だというのは、あくまで経験や習慣の
質料についてであって、そうした経験的素材を組み合わせて
原因と結果の関係を見出すのは悟性の働きだと、われは思うですね。
え〜と、根拠ですか。
それはやっぱり因果律の根本には矛盾律という非経験的な論理が
あると思うからです。経験の質料を結びつける形相的な論理が。
これでいいかな?
32考える名無しさん:02/08/03 02:57
、ところでどうなんだろ。

カントの主張に従えば、因果関係を見出すのは思考のカテゴリーのおかげ、
ってことになるんだけど、
そのカテゴリーのなかで見出される「原因」は、
常に「ひとつ」しかないんだろうか?
俺らは、一つの事象にたくさんの原因を考えることができるから、
カテゴリーから見出される原因も、やっぱ多数なんだろうか。

それとも、カントは、直観的な(言葉は誤用っぽくて悪いが)原因
(つまり、ある事象の原因として直感的に思いつくもの)
のことを想定していってるんだろうか?

そして、俺らが考えることのできる「複数の原因」は、
あくまで理性の力による、ってことになるんだろうか?
33考える名無しさん
age