お前たち、存在と証明(ハイデガー)を要約して教えろ

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93考える名無しさん:02/10/18 03:00
むしろ細川に訳させたい。         
94考える名無しさん:02/10/18 03:01
細川にやってほしいね
95考える名無しさん:02/10/18 03:02
細川●● なまえおかいてみろ
96考える名無しさん:02/10/18 03:04
細川亮一
97考える名無しさん:02/10/18 03:05
正解!
98考える名無しさん:02/10/18 03:06
細谷訳のどこがいいんでしょうか?
ドイツ語が「本当」にできれば、誰もが細谷訳の素晴らしさがわかるんでしょうか?
99考える名無しさん:02/10/18 03:06
正解って・・・
それぐらいで
100考える名無しさん:02/10/18 03:10
つうか、しつこいけど早く辻村訳の誤訳指摘してほしいんだけど
単に知りたいから
すぐわかるんじゃないの?
101考える名無しさん:02/10/18 03:14
67 名前:考える名無しさん :02/10/18 02:36
辻村訳は正確云々以前の問題。
そもそも日本語になってないんだから。
細谷訳は正確にドイツ語を読んだ上でちゃんと日本語にしている。
ドイツ語を本当に読めるヤツなら、それがわかるはず。
102考える名無しさん:02/10/18 03:16
少しは、その「正確」を辻村訳と比較してくれればありがたいのだけれどね
103考える名無しさん:02/10/18 03:18
なんか67はネタに見えてきた
104考える名無しさん:02/10/18 03:23
67は、ドイツ語が読めるんだろうか?
まったく要領を得ない
105考える名無しさん:02/10/18 03:42
高田珠樹『ハイデガー 存在の歴史』からの引用

多少直訳調で読みにくくはあるが、原文を丹念に読み込んだ正確な訳文という点では、
辻村公一訳を薦める。ただし、訳語や訳文の持つ一種独自の雰囲気については好みが
分かれるところだろう。

一見したところ平明な訳文でも、必ずしも信頼できるとはかぎらず、逆に難解に見え
たり、読む際に引っ掛かりがあっても、よく読めばむしろ意味の通りやすいものもある。
一読して、なんとなく分ると思える翻訳のうちには、解釈の問題以前に、語学上の初歩
的な読み誤りや文脈の無理解ゆえに、原文の基本的な意味すら伝えていない無責任なも
のもかなりある。
106考える名無しさん:02/10/18 03:44
知ってる事だろうけど、辻村は晩年のハイデガーの弟子の一人
高弟はどうかは知らんけどね
弟子は北山淳友から九鬼まで多すぎて覚えきれんよな
108考える名無しさん:02/10/18 04:11
まあ信者同士の闘争ってことで
109 :02/10/18 04:13
まあ、しょせん哲学ってことで。
110痔郎@ロケット団 ◆vNF7ZKAORI :02/10/18 20:46
長谷川宏に訳させろ。
111考える名無しさん:02/10/18 21:02
長谷川訳=細谷訳
112考える名無しさん:02/10/18 21:02
古東哲明に訳させろ
113 :02/10/18 21:40
もちろん俺もわからんのだが、結局このスレで
多くの人が意味のわかるレスは一度もついてないね…
んな簡単にわかるわきゃないんだね。
114名無しカトリックさん@一周年:02/10/18 21:44
宗教板のカトリックスレで、
とある福音派のコテハンを庇ったところ、私が当人と同一視されてしまいました。
誰か、助けて下さい。どうか加勢をお願いします。

宗教板 カトリック66
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1034892891/l50  
115考える名無しさん:02/10/19 03:19
辻村訳はまず初っ端から間違えている。

『存在と時間』は序論の前にプラトンの『ソフィステース』の引用から
はじまる序文があるが、そこに出てくる

Sind wir denn heute auch nur in der Verlegenheit,
den Ausdruck >>Sein<< nicht zu verstehen ?

というドイツ語文を見事に誤訳している。

もっとも、この箇所に関しては、原・渡辺訳も松尾訳も
桑木訳もみんな間違っているんだけどね。
正しく訳せているのは、細谷訳だけ。
116考える名無しさん:02/10/19 03:20
>>93,94
細川に訳させても、たぶん渡辺二郎のような訳文にしかならないだろう。
117考える名無しさん:02/10/19 03:27
>>105
その引用はかなり恣意的にねじ曲げているな。

高田が「一読して、なんとなく分ると思える翻訳のうちには、
解釈の問題以前に、語学上の初歩的な読み誤りや文脈の無理解ゆえに、
原文の基本的な意味すら伝えていない無責任なものもかなりある」と
言っているのは、前後の文脈から見て、おそらく昔の理想社刊の
ハイデッガー選集に収録されているいくつかのドキュソ訳か、
あるいは岩波文庫の『存在と時間』桑木訳とかのことだろう。
細谷訳がそうだとは彼は一言も言ってないよ。

むしろ高田は『存在と時間』の推薦できる訳として一番目に
細谷訳を挙げているではないか。
辻村訳は、一定の留保を付け加えて上で、三番手に挙げている。
これが普通の感覚だよ。
118考える名無しさん:02/10/19 03:31
>>111
長谷川訳と細谷訳の違いがわからないようでは
どうしようもないな。

>>112
古東は面白そうだが、しかし、Zeitlichkeitを「刻時性」なんて
訳すようでは、見通し暗いな。
119考える名無しさん:02/10/19 03:34
>>106
辻村はハイデガーの弟子だから、訳業も信用できるとでも?
120考える名無しさん:02/10/19 05:30
Zeitlichkeitのあなたの考える訳はなんですか?
121考える名無しさん:02/10/19 05:34
高田がはじめに挙げてるのは渡辺と細谷両方でしょ
とっつきやすいと
122考える名無しさん:02/10/19 05:35
>>119
ただの傍証 絶対とはいってないよ
123考える名無しさん:02/10/19 05:42
>>115
辻村訳が誤訳といえるかなぁ
もっと正確に指摘して どこの言い回しなのよ?
納得できない。あとおれは細谷訳を一度もDQS扱いはしてない。
正確さでは、辻村訳といってるだけ。とくに>>67のレスは酷すぎ
124考える名無しさん:02/10/19 05:44
>>105では、ちゃんと留保部分も引用してる。後半の部分は恣意的だったかもしれん
125考える名無しさん:02/10/19 05:53
哲学者の密室、読めよ!
126考える名無しさん:02/10/19 07:05
原書P8
auf das Fragen als Seinsmodus eines Seienden
細谷訳上巻P40
ある存在者の存在様態たる問いそのものへ

この文脈ではFragenは「問い」ではなく「問うこと」でなければダメでしょ。
様態は「問うこと」であって「問い」ではないから。
だからといって細谷訳をクサスつもりわない。おれも恩恵を受けている。
ただ>>67は酷すぎ。上記の部分は、今たまたま見つけただけ
127考える名無しさん:02/10/19 07:38
長谷川訳さんに訳してもらえばすべて丸くおさまりますよ
128考える名無しさん:02/10/19 12:00
>>123
君の語学力のレベルがよくわかるレスだな。
あの指摘でまだわからないとは。
auch nurを決定的に読み間違えているんだよ。

>>126
確かにその箇所は不正確な訳だな。
129考える名無しさん:02/10/19 13:04
どうせ、君たちドイツ語できないんだから英語で読みなよ。
日本語で読んで日本語で思考して日本語で論文書いてるようじゃ駄目だよw
130考える名無しさん:02/10/19 13:09
「存在と時間」のジョアン・スタンバーグの新訳(英訳)はいいよ。
その前のイギリス人2人の訳は最低だけどw
131考える名無しさん:02/10/19 13:25
横レス申し訳ないのですが、
「存在と時間」を大学でドイツ語で読むのは、
何年生あたりからですか?

132考える名無しさん:02/10/19 13:37
専修に入ってからだから早くて3年からかな。
大学によってはもっと早く読むかもしれないが
ほとんどの学生にとっては、雲をつかむようなものだけどね。

133考える名無しさん:02/10/19 14:43
>>126
ドイツ語できねーけどそれは妥当なんじゃないの。
例えば人間は生きることとしてあるんじゃなくて
ただ生きているというふうにあるだけでしょ。
論理的に考えたら間違いかもしんないけどさ。
134考える名無しさん:02/10/19 18:41
>>133
全然わかってない
135考える名無しさん:02/10/19 18:48
>>128
もっと、ちゃんと訳語のここがおかしいと、カキコしてよ
「誤訳」なんでしょ 他の人にもわかるように
ドイツ語だけ書いて、対応する日本語をカキコしないのはズルイ
136131:02/10/19 18:54
>>132
レスありがとうございます。
専門課程に入っていきなりハイデガーですか。
履修期間は半年(もしくは一年)と思われますので、
ほんのさわりだけやる感じでしょうか?
本格的に始めるのは独学、
もしくは自分が研究テーマにしてからでしょうか?
しかし、学部でハイデガー(しかもドイツ語で)はさすが哲学科ですね。
他の有名哲学者も(カント、ヘーゲルとか)も同じような感じですか?
137128ではないが:02/10/20 00:09
>>135

auch nurのauchを「譲歩」的にとって、

(存在とは何かという問いへの答えがない、といっても、その程度には
各種あるが、今仮に一つの例として)
他の事態はともかくおくとして、かくかくというVerlegenheitに
陥っているという事態に絞って考えるとしよう、

という感じで訳すのが、たぶん、正しいと思う。
細谷訳は、さっき引っ張り出して見たけども、
「せめて〜というVerlegenheitに陥っていることだけでもあるだろうか」
というニュアンスで訳してた。
辻村訳では
「〜というVerlegenheitにたってただ途方にくれているだけなのであろうか」

ま、しかし、テキストのほんの一部分をこれほどまでにやかましく
論議するのはおそらく日本人だけだろうし、
ましてや、内容の理解にはまったく関わらず
それだけ取り上げても訳の優劣を判定する箇所とはなりえないところで
いつまでも話をするのは、
俺の乏しい経験だけでいうのもなんだが、
これはもっと確実に日本人だけだろうなあ。

いや、俺もそういう文化に育ってきたわけだが、
なんつーか、虚脱感の方をより大きく感じる。
138考える名無しさん:02/10/20 14:12
すでにこのスレに日本語で書いてる奴は失格(オレモナー
139考える名無しさん:02/10/24 17:26
137もわかってないね。
(135は言うに及ばずだけど。)
auch nurのauchは限定の強調だよ。
だから、「せめて〜だけでも」と訳さないと誤訳なの。
こう訳してこそはじめて、次の文とも意味がつながる。
内容理解にも十分かかわっている箇所だよ、ここは。

しかし、この程度の語学力、読解力しかない奴らばかりなんだな。
ま、勝手にやっててくれ。
140考える名無しさん:02/10/24 20:24
もう少し解説しておいてやろうか。

in der Verlegenheit sein=「途方に暮れる」、「困惑に陥る」っていうのは、
まだ見どころがある状態なんだよ。
ある人が「存在の意味」について「途方に暮れる」ことができるのは、
その人がそもそも「存在の意味」について問おう、考えようとして
いるからでしょ。
ところが、現代のわれわれは「途方に暮れる」という状態にすら
いたっていない。
なぜなら、「存在の意味」についてそもそも問おうともしていないからだ。
「存在の意味」なんて問わなくてもいいと思っているし、問うこと自体を
忘れてしまっている。
これがハイデガーが言わんとしていることだよ。

「いったい今日われわれは、『存在』という言葉を理解できないという
困惑のうちにでもせめて立っているのであろうか?断じて否。
だからこそ、それ以前に、この〔存在の意味への〕問いがもつ意義についての
理解といったものをまずふたたび目覚めさせることが、重要なのである。」

俺の試訳だと、こうなる。
141考える名無しさん:02/10/27 03:41
>>1=現存在
142考える名無しさん
>>1=狂存在