良い日と悪い日は必ず交互にくる。
皆平等に幸せが与えられている。
いま幸せそうな友人は、大人になった時どうするのだろう?
僕は、全てを肯定する。
僕は神と勝負をする。
ここで負けたら私は死にますとか、貧乏になりますとか。
そのかわり、勝てば100億円下さいと頭の中で妄想する。
負けそうになったら、途中でうまい事勝負破棄して逃げる。
このゴミを投げて、ゴミ箱に入れば、あれがうまく行くと
占い半分、願懸け半分で思う。
でも、成功しても失敗してもあまり気にかけないですぐ忘れる。
僕が1分間息を止められなかったら呪ってもいいです。その代わり…、
大縄跳びで失敗したら死ぬ。
牛乳を一分以内に飲まないと死ぬか、10秒後に教室の床が抜ける。
僕の寿命を1日あげますから、探し物を見つけてくださいと言うと、
探し物は不思議と見つかる。
「神」という言葉を知る以前、大きくて全てを見ているものの存在を感じていた。
そのときの僕は、その存在に一体化することができ、全てが分かっていた。
時々、その存在を試した。
何かを選ぶときに、頭ではこっちにすると思いながら、
ぎりぎりのところで逆を選んだり。
本当に騙せたら、その時はとてつもない事が起こる気がした。
でも、何も起きなかった。その存在は僕がぎりぎりでそっちをとることまで分かっていたから。
この世界は僕が見て、自分で創った世界だから神様だって僕のうちにある。
僕は万能であり、いろんな条件で、たまたま今はできないことも
いつかはできるようになる。思い通りにならないことなんてない。
なぜ、崖の壁面に立っている松ノ木は倒れないのだろう。
もし、松ノ木の枝を1本切り落としたら、
その木は崖の内側の根を適当な方向と長さで伸ばして、
失った枝一本分のバランスを保つ。
計算したり演算する訳でもないのに「どの方向にどれだけ根を伸ばせばバランスが取れる」かを知っている。
松ノ木に根を伸ばさせる衝動を起させた「見えない力」は
物事を解決する時「どのようにしたらいいのか?」を知っている。
僕もそうだ。ケガをしたら「自然」と治る。
体の細胞は「全てを解決することができる見えない力」に従っている。
その「力」は全ての完成形を「知っているただ一つの英知」
全ての世界に「ただ一つの力」が間断なく流れいる。
その力は全てを知っている。
自分達も自然の一部分にすぎない。大きな力の一部分だ。
生かされているのだ。
この世界を上から見ている、より高次の人がいる。
僕等はその人によって動かされている駒だ。
駒を動かしている人たちに嫌われないよう、役に立つものになるのだ。
駒を動かしている人たちの逆鱗にふれぬよう、控えめに行動し目立たない子を装うのだ。
ここのさじ加減は難しい。
あまり控えめ過ぎると、いらなくなって捨てられてしまう。
誰かが人間を一人一人操作している。
自分で意思決定しているようにみえるが、
世界の誰かがコントローラーを持って決定している。
空間を裏返した場所に巨大な何かがある。
それはここではない場所にいる僕自身だ。
その僕がいつも、僕をみている。
この世界にいる僕がちっぽけに感じられ、
そういうときは、この世界の快楽も苦痛もいとおしくなる。
僕の身体・精神は、別次元の管理者に操られている。
この世界は、別次元の管理者がやるゲームの世界だ。
僕が見ているもの、聞いているもの、感じているもの全ては、
何者かにコントロールされている。
僕のこれまでの生き方や出会いなどは、
まるでゲームのようだ。
「もと」は何だろう?
何もない空間から神様がつくった?
その神はどうやってつくられた?
その何もない空間はどうやってできた?
仮に答えがわかったとしても、
その答えの「もと」は?
最後には、死がぼくを掴む。
死ぬと話す事ができない。動けない。見る事も聴く事も感じる事もできない。
どうしよう!いや、待てよ。そう考える事もできない訳だ。
意識がなくなるって?なに?
自分もいつかは死ぬのだ、と気づいた。
とてつもない恐怖におそわれて恐かった。
主人公が死ぬまで物語は終わらない。主人公が死ぬことまできちんと描いて欲しい。
僕は死なない。
人間でなくなるだけだ。
僕は、絶対死なない。
どんなことがあっても絶対自分だけは死なない。
歳をとって死ぬ、という観念はない。
僕は死ということについて、悲しいとは思わない。
別の世界へ行くのだから。
夢を見ればそこで会える。
死んだら、また同じ人生を繰り返す。
死んだ瞬間に自分の生まれた月日に戻って同じ事を繰り返す。
永遠に繰り返すので何回目もくそもない。
その事を知っているのは、僕だけかも知れない。
例えば会社に行くと同僚も出社してくる。
当たり前だし同僚が死んで出社しないなんて普通は考えない。
でも人間は猿の一種だと思うと、動物が死ぬって時々あるんだから、
毎朝何事もなく同僚と朝顔を合わす事が不思議に思えてきた。
人は死ぬかもしれない。
でも、僕だけは絶対に死なないはずだ。
今死んだら、今見ている情景が最後になる。
ひとの馬鹿らしい生より、死んだあとのほうが気になる。
生き返るのか、とか。
僕は既に死んでいて、今の生活は走馬灯の部分だ。
僕は、外界に対して裏をかいたりフェイントかける。
このまま真っ直ぐ行くのが目的地への道だが、
もし、ここで右に曲がったら違う未来があるだろう。
僕が、右に曲がろうか、と考えた時点で未来は変わった。
そう考えたのは必然だ。
そう考えることはすでに決められていたのだ。
右に曲がるのが僕に与えられた未来だ。
では、そう思わなかったときの未来はどうなるのだろう?
いやいや、曲がることはすでに決められていたのだ!
では、逆に左に行ってみよう。
左に行こうとすることこそ最初から決められていたのだ!
ではやはり真っ直ぐに行こう。
いや、真っ直ぐ行くこともやはり決められていたのだ。
どうして2つの事象が並行し得ないのだろう?
僕は、今ここにいて、右に曲がろうとしている僕しかいないのだろうか。
それとも、左に曲がった僕、真っ直ぐ行った僕もどこかで存在しているんだろうか?
こういうことを考えないで過ごす僕もどこかにいるのだろうか。
僕は、意識が無い時に、もうひとつの世界で別の人生を歩んでいる。
無心状態になると、時間を超えてもうひとつの世界の、もうひとつの人生に戻る。
その世界のことはまったく覚えていない。それはあちらも同じことだ。
お互いまったく無干渉なのだ。
しかし、もうひとつの人生は決していいものではないような気がする。
何かに追いかけられているような。
僕以外の人間、世界は全て作り物だ。
そして、すべての出来事、物事は既に決まっている。
僕は箱庭の中で踊らされているのだ。
道端の目立たない石ころをひとつ選んで、目をこらして見る。
そして心の中で呼びかける。
おまえはたくさんの人の目にさらされてきたはずだが、
おまえに注目したのは全世界、全人類の中でこの僕たった一人だ。
僕が選んであげなければ、おまえは一生だれからも注目されることはなかっただろう。
そしてこのこと自体は、僕にとっても注目すべきことだ。
この世に存在するものは全て物理法則に従う。
それゆえ全ての運命は決まっている。
とすれば、幸福な人間ほど真の悪で、不幸な人間ほど真の善である。
偶然にも今日、となりの吉田さんに会った。
偶然にも今日、日焼けした僕の手があった。
偶然にも今日、太陽がのぼっていた。
なにかの行動を選択する状況があったとして、
その時、選択されなかった行動とその結果はどこへ押しやられてしまうのか。
選択されなかったものが集まっている別な世界がある。
選択されなかった可能性が押しやられた世界と、実現されている唯一の世界。
果たして僕は今どこにいるのだろうか?
この風呂のタイルの数には、意味がある。
縦35個横26個。これは偶然こう並んだのではない。
この大きさのタイルがあって、業者の人がこのタイルを選んだから、
この数になったのだ。ということは、すべて偶然ではない。
すべては必然だ。
例えば、僕が自動車で道路を走る。
そのことで、私が走らなかった場合とは、わずかに違う交通の流れが生じる。
その僅かなズレがまた、次のズレを生む。そして3日後にある場所で交通事故が起こる。もし自分が車を運転しなければその事故は起きなかったかもしれない。
もちろん、自分が運転することで、起こるはずの事故が起こらなかったということもあるかもしれない。
草むしりをしていて、僕がもしそれを毟らなかったら誰に毟られて何処へ行って最後はどうなるのか?と思った。
サイコロでどの目が出るのかは、
サイコロがどういう風に置かれていたか、誰がどういう風に手に取ったか
などで決まる。
全ては必然だ。原因がわからないから偶然に思えるだけだ。
宇宙人は人間の視覚や聴覚を超えたところに存在していて、僕等には見たり触ったりできない。だけど、「ホラ、あなたの隣に宇宙人」ってことは日常茶飯事にあることだ。
いつしかオバケが見えるようになってしまうかもしれない。
僕は、宇宙の外がどうなっているのか考えた。
惑星の科学者が地球侵略のために地球人の思考を研究する実験台、それが僕だ。
うちの母ちゃんは宇宙人だ。
僕はいつも、宇宙人に叱られているんだ。
今、僕がいるこの宇宙は誰かの細胞だ。
そいつがいる宇宙もまた、誰かの細胞だ。
地球は、いま僕がいるここにある。ここは、その中の日本だ。
しかし、どうも地球はどこか他の天体に思えてならない。
地球の地形を地図で見てがっかりした。
宇宙は四角い箱である。その周りで巨大な鬼が二人、
あぐらをかいている。
鬼は、日々ゲーム感覚で
「今日は地球を作るぞ」
「じゃ、その中に、人間を作るぞ」
なんてやっている。
二人で、延々とそのゲームをやっている。
この地面を真下に掘り進めていったら、
どこにどうたどり着くんだろう。
ストローを何本繋げていけば月に届くのだろう。
水道の蛇口からしたたる水滴の中に、宇宙をみた。
蛇口から落ちる瞬間、水滴の中に小さな宇宙が生まれ、
水滴が落ちた時に宇宙が終わる。
今住んでいるこの宇宙が突然終わることも
あるだろう。
「無から宇宙ができた」と聞いて思った。
この宇宙の他にも、無数に宇宙がある。
その1つに、僕等のいる宇宙をいとも簡単に消せる宇宙がある。
しかし、何故消さないのか?
消すことを妨げる宇宙もまた、無数に存在しているからだ。
家族で焼肉を食べているときに、なぜか必ず思う。
この延長線上に、宇宙があると。
宇宙が膨張するには、膨張できるだけの空間が宇宙の周りに必要だ。
その空間は、「無」に違いないのだが、
この「無」を想像することができない。
どんなにがんばっても、「無」が想像できない。
想像できた時点でそれは「無」ではないのだ。
僕は、宇宙は巨人が作った世界だと思った。
宇宙の周りは「無」ではなくて、巨人の世界がある。
その巨人が住む世界も、更に大きい巨人が作った世界なのだ。
これが延々と続いているのだ。
この世に幽霊なんていない。
死んだら「無」になるんだよ、と言われても、信じられない。
「無」が想像できないからだ。
幽霊になる自分は想像できても、
自分が存在しているというこの感覚が「無」になる状態が想像できない。
無の「実感」は、落胆とか、戦慄とかに似ている。
僕たちが、宇宙人を探し好奇心を持つのと同様に、
宇宙人も僕たちを探し好奇心を持つだろう。
宇宙人からみて、僕たちは誰しも貴重で、この地球はどの場所も貴重だろう。
どの人間も、目に映る土地も、全てが美しいだろう。
今、目の前に無数の宇宙が存在している。
空気中にいくつもの宇宙がある。
身近にいる犬や猫は、地球を偵察に来た宇宙人スパイの仮の姿だ。
このことをまわりの連中に話すと、きまって笑われる。
僕はいつもこう反論するのだ。
「おまえら誰も信じないだろう。そこが奴らの思うツボなのだ。でも俺にはわかっているぞ!」
今、自分が住んでいるこの地球を含む大宇宙が1つのカプセルの中におさまっている。
なにかとてつもなく大きな世界があって、その世界のアマゾン奥地にある樹の葉っぱの先にそのカプセルがちょこんとのっている。
ある時、そのとてつもなく大きな世界の住人である、ある探検隊がジャングルに踏み入って歩いていると偶然そのカプセルがのっている葉っぱに接触してしまう。
その瞬間この世が崩壊する。
どこか遠い場所の光景を想像して、
なぜ今、自分がそこにいなくて、ここにいるのか
わからなくなって泣き出してしまったことがある。
今の全宇宙はひとつの原子核の中にある。
そのような原子が膨大な数集まって構成されている。
その宇宙もまたひとつの原子を構成していて、
それが無限に繰り返されている。
無限に小さくなっていく世界が、限りなく大きい世界(ぼくらの世界)に包まれている。
その小さな世界もまた、限りなく大きい世界を包んでいて、
メビウススの輪のようになっている。
世界には膨大な書庫があって、
僕たちの行動はそれに逐一記録されているか
もしくは、それどうりに命令が下され
ぼくらは、無意識的にそれに従って行動している
顕微鏡で見ると、僕の細胞には街が存在している。
宇宙が広大だとしたら、細胞も広大だ。
枕を下にして、目を閉じ枕に顔を埋めると、細かい光の粒が見えてくる。
それがだんだんと宇宙の星になる。
それはだんだん大きくなる。
僕は宇宙空間に放り出される。
モノにはみんな輪郭線がある。
じっと目を凝らしていると見えてくる。。
同一視角内にあれば、モノとモノの間には、たとえそれが遠く離れていても、
ぜったい輪郭線がある。
遠くのものが小さく見えて、近くのものが大きく見えるのが
不思議だ。
音が脳内で図形や色に変換される。
音が見える。光が聞こえる。
地球が丸いと聞いたとき、なんとなく地面が丸いように感じた。
距離や長さは正確に測れるのか?定規で測ったとしても、
メモリには厚みがあってその中心はどうやって決まるんだろう?
平行はどこまで行っても平行で、二つの直線は
決して交わることがない。
しかし、世界のあらゆるところを駆け巡って、直線を描いていくと
世界の果ての果てでは、二つの直線が交わるところがある。
四角形の定義が四つの角を持つものだと習ったとき、紙に四つの角を持つ
四角形ではない図形を書こうと何度も繰り返した。
分子を細かくしていくと何が残る?
六角形や五角形のものには必ず意味や、法則がある。
科学はこの世の全てを既に解明している。
政府は国のありとあらゆる事まで完全に把握している。
折り紙をハサミで切ると、切った部分の紙はどこにいくのか不思議だ。
目に見えないくらい細かい、粒みたいになるのかな。
物が壊れるのも不思議だ。例えば割れた皿は
何故割れてるんだろう。それまで一つだったものが
分離するのはとても不思議だ。
なぜ「離れている」のかがとても不思議だ。
物の名前に違和感がある。特に三文字の物に。
地球が破壊されたら、地球のかけらにのってどこかの宇宙にでも行くか。
自分の行動はずーっと見えないカメラで観察されてて、それがどこか別の世界で放送されている。
頭を洗っているとき、後ろに幽霊がいて、
後ろを見ると、うえのほうに幽霊が逃げて、
上を見るとまた左右に幽霊が居ると感じた。
バスや電車に乗っていて精神障害者を見ると、
言動がおかしいのですぐそうであるとわかる。
でも、もしかしたら他人から見れば、
ぼくが精神障害者に見えるのではないかと疑問をもった。
その疑問が正しいことも誤っていることも証明できないのだ。
しかし、ぼくが本当に精神障害者であるならば、
そんなことに疑問を持ったりしないであろう。
とかんがえ、自分を現実世界にに引き止めるようにしている。
人類はこのまま文明を発展させ、過去のどんな人間の意識までも再生でるようになる。
そして未来人の価値観でぼくに裁きが下されるだろう。
街を歩いていて、ふとすれ違った車がこの後轢き逃げ事故を起こすかも知れない。
ぼくがナンバーを覚えておかないといけないの?
白い巨大な画用紙の上に、黒い巨大な画用紙を乗せて、
「もしこの巨大な黒い画用紙の一部がなければ
人類の知らない物理法則の公式が現れる。」
と思った。
ある日突然、お母さんの意識が変化した。
聞いてもどうせ「お母さんは、お母さんよ」と言われると思い、
何も言わなかったが悲しかった。
以前のおかあさんに会いたいと思った。
暗闇の中でひとりで泣いている赤ん坊は
無にあらがっているのだ。
ふっと大昔の友達に会った。
もう誰も使わない忘れ去られた昔のあだ名で呼びとめられた。
多くの見えない断層が、ぼくの人生にもたくさんあるのだ。
それが、どうしてぼくらにはこんなに恐ろしいのだろう?
「あしたはない」としたら、眠れない。
想像してごらん、自分の存在が永遠に消え去るということを。
目覚める事の無い眠りにつくことを。
この世にいる時点で既に落ちているらしい、
『無限』という落とし穴が常に恐い。
親はどうやら魔法使いらしい。
学校の友人や教師に化けて、いつも僕を監視している。
しかも、ウチの親だけが魔法使いなのだ。
うちの親もいたずらが好きで、何度も引っ掛けられた。
そのカラクリがいまだにさっぱりわからないところをみると、やはり魔法使いだとおもう。
いっしょに夕飯食べたり、遊んだりするときは、そうは思わないが。
年をとるのが怖い。
「虚無」が「混沌」としている。
自分の居場所が脳の中になくなる。
ぼくは独房に生きながらに閉じ込められ、
虚無の世界に意識だけが取り残された。
風呂に入っている時、風呂場の中が密室になるけど、
今風呂場の外では、お父さんとお母さんが悪魔の姿にもどっているのだ。
この世界は全てベニア板でできた舞台のセットだ。
ぼくは誰かの実験でしかない。
テレビの映像はぜんぶうそだ。
僕の目に映るものも、そのつど見えるとこだけを作っている。
友達はみんな、そのことを知っているけど、秘密にしている。
友達が家に遊びにきて、みんなに麦茶を出したとき、
友達といっしょに、Aの分だけ醤油を混ぜた。
Aがこれは何?って聞いてきたから
それは「新しい麦茶だよ」といった。Aはそのまま飲み
何も知らずにスーパーマリオ3をやっていた。
ぼくはAの横顔を見ているうちに、もしかしたら自分がだまされているのではないか?
と思った。何も信用できなくなってしまった。いっしょに麦茶を
調合したやつが笑い転げたことを思い出しては、だましたのは
ぼくなのだ。だまされたわけではないのだ!と心の中で平静
を保つ努力をしていた。
アナログ時計が読めなかったときがあった。
どうしても定規を使って字を書かないときがすまなかったときがあった。
遠足の日の朝や、始業式の日の朝は
学校に行く途中誰かに出会うまで、
本当に今日でいいのか?この時間でいいのか?と思っていつも不安だ。
自分ひとりだけがまわりと違うっていうことがものすごい恐怖だ。
みんなと同じじゃなきゃいけないと、学校で植え付けられたせいだ。
異質に対する恐怖がもともと備わっているのかもしれないが。
椅子に重ねてあったセーターが
戦に破れて逃げていく兵隊に見える。
周りのものが何も信じられなくなる。
僕の考えと、その言語表現にギャップがある。
言葉は僕のイメージを十分に表現していない。
周りの人間は、ぼくを殺そうとしている。
みんなは僕のいないところで悪魔の指令を受けている。
僕は外に遊びに行く前に、茶の間をこっそり録音するためにテープレコーダーをセットした。「決定的瞬間」を聞くために。
だがそれは失敗に終わった。
こうやって隠し録りしたことも見透かされていた。
自分の考えていることが、全て他人に漏れている。
みんなぼくの考えていることを知っているけど、
知らないふりをしている。
皆は、本当はぼくのことを精神異常だと思っている。
にもかかわらず、つとめて平静に接してくる。
鏡をじーっと見ていると、鏡の中のぼくが勝手に動き出しそうで怖い。
鏡に写っているぼくの後ろに宇宙人が出てきそうだ。
何を見ても悲しくて、なにかあるとすぐに泣いた。
すべてが「僕」に対して持っている個人的な悪意の表明に思える。
感情を表に出すのを止めた。
落ち着いていると言われるけど、それは誤解だ。
単に感情を表に出さないだけだ。
速くて小さくて、苛立たしいものと、
ゆっくりでちょっと苛立たしいものがぐるぐる回っていた。
速いほうは、きてほしくなかった。
思考だけが肉体を離れていく。
→自分→建物→町→国→大陸→地球→太陽系→自分→
何か巨大なものから極小なものへ、極小のものから巨大なものへ振り子のように移行する。
暗闇の中の極小の物体でもあるし無限大のものでもある。
球体で、変化自在。
あれこそが「虚無」だ。
あれに喰われていたらと思うと寒気がする。
巨大が『良い』で極小が『悪い』だ。
真っ暗な平面の中心に良いがあって周りに悪いがある。
これがこの世を現している。自分は中心から凄く
遠い位置にいた。でもそれが嬉しかった。昔から、早く帰りたいと思った。
何か小さなものを、大きなものが
飲み込んでしまう感じだ。
学校のなかでもし〜〜んと静まり返った場所が必ずある。
給食まえには、そこへ行って騒がしい教室とのギャップを楽しんでいた。
そこへ行くと荘厳な気持ちになって、頭がくらくらするのだ。
無心になるということを体験したこともあるよ。
禅を組んでると、そうなって、自分の描いたことが雑念なしに
きちんと浮かぶ。
いつもだったら想像で、空を飛ぶことを考えるが、なんか知らんが
まっすぐ飛べない。 変な雑念がじゃまをして「まっすぐに飛べさせないように
してやる」というあまのじゃくがいる。
でも、禅組んだら、そういうのがきれいに無くなって
普通に飛べる
下を向いて歩いていた。
足元の地面は、いつのまにか何百メートルも下にあった。
僕は、高空を浮遊していた。
人ごみにいると遠くから自分を見てる視点になる。意識を向けてる方向の空中から自分を見下ろしてるような。
小人数でいるとけっこうおしゃべりなのに、大人数だとしっくりこなくて黙ってしまうのはそのせいだ。
グラウンドに大の字になって空を見上げた。
地球と一体になった。一緒に自転していた。
心がぽおっとあったかくなった。
と同時に、空に落ちるんじゃないか?と思った。
夜中に誰も居ない野原で、
一人で星を見て寝転んでると、
突然意識がどっかに飛んでいきそうになる。
でもそれを何かの力が阻止する。
野原にねっころがって晴れた空を見てたら、重力が無くなった。
空に落っこちそうになる。
このまま体が浮けば、宇宙に漂い出すのかもしれない。
心と体が分離する。
それを僕は意図的にできる。
世界全体は誰かの夏の自由研究みたいなもんだ。
叱られると、本当の母親はどこか遠くにいるのだとおもった。
母親は宇宙人から洋服借りているのだ。
透明人間になって好きなあの子のハダカを見たかった
どこかに「自分の脳みそ(みたいな物体)」だけが存在していて、
見えるもの、感じるものすべてがその脳の中だけで完結しているという錯覚によく陥った。
すべて自分の作り出したもの。横を走っている自動車も、自分の母親も、母親との会話も、友達も・・・。
要するに、この世には自分しかいない。だから、自分が宇宙だ。1人、2人っていう概念も、本当は無い。
大抵誰でも超能力を持っているけど、ソレを使う機会がないので自分がどんな超能力を持っているか分からないだけだ。
魔法使いになりたい。何でも出来るからだ。
何でも出来る人は何でも知ることができる。
僕は、世の中の真理を手に入れたい。
両親が実はなにか違う怖い正体をもっている。
自分の念で誰かを殺してしまうことが怖い。
念じちゃいけないとか思うほど、念じてしまう。
今トイレで尻むき出しにして便器に座っているというのはただの思い込みで、
本当は平和な授業中の教室で、僕はいきなりパンツを脱ぎ出して、
周りをパニックに陥れ人々に押さえつけられて精神病院に収容されようとしているのかもしれない。
僕は垂直に登っていった。
時々漢字が読めなくなる。
じぶん以外は機械だ。
地面と空が逆転した。
“今、ここ”で見えている光景は、
ほんとうの光景ではない。
ああ、もう何の違和感も感じなかった以前の感覚に戻れないかもしれない。
しばらくすると、また僕はここに居た。
以前の感覚に戻った。
ドラえもんが、未来からドラえもんを連れて来た。
過去からもいっぱい連れて来た。
ドラえもんが20人になったとき、
寂しくなった。
僕は走っていない。地面が動いている。
ためしに地面の野郎をちょっとからかってやるか、
と、フェイントをかける。
本当は今、僕は黙っている。
話しているのは、適当にしゃべらせているだけだ。
おうおうにして、支離滅裂なことをしゃべっているわけだが。
お母さん、どうして僕は赤ちゃんの時の事を覚えていないの?
僕は産まれる前はどこにいたの?
考えるってことを考える。そしてそれを考える。
当然そのことも考えるわけだ。一体どこまでいけるのか。
写し鏡を見てゾッとした。
初めて実感した無限に恐怖したのだ。
なんで口の中にべろがあるんだよ!このべろを早く外に出さなくちゃ
閉所恐怖症になってしまう。
めんたまをじゃまなんだよ。こんな眼底にあって、眼球はせまっくるしくて
つらいだろうに。
外人は頭の中では「リンゴ」と認識しているのに口に出そうとすると「apple」に
なってしまうのか。
日本人でも外人でもない人はリンゴのことを何と呼ぶのか。
「先生の先生」は「先生の先生」になるために、「先生の先生の先生」に教わって、
その「先生の先生の先生」は、「先生の先生の先生の先生」に、、、、
とどこまでもつながってはいないだろう。
“7965873回の抄便”というのは、全世界で自分一人しか知らないことばだ。
そのことばには重大が意味があり、これは自分しか知らない秘密なんだ。
僕は、学校で机の裏とか人目につかない廊下の壁とかにその秘密のことばを書き込む。
ふと見たら、まったく別の人が過去に“7965873回の抄便”ともし書いていたなら怖いが。
家族と一緒にいる茶の間は、自分がトイレとかに行けば
何か全く別のものになる。それは、絵の具を混ぜたようなぐちゃぐちゃの世界だ。
自分にはいまの兄弟のほかにも、死んだ兄弟がいて、
しかもその兄弟を知っている。
おやじとおふくろはエッチしてない。
僕はきっと拾い子だ。
テレビからきこえる笑い声は、何処かの家で見ている視聴者の声だ。
だから、こっちの声も聞こえるはずだ。僕は、テレビに向かって叫んだ。返事は無かったが、聞こえたはずだ。
僕は、両親が夫婦であることと、自分がこの2人の子供であることが、
どうしても信じられない。
口臭は、電話の受話器から相手に届く。
テレビでも届く。
物の名前は、全て滑稽である。
物質的な世界は馬鹿らしい。
透明な猫が身の回りを歩いているという妄想をした。
その猫は目にも見えないし、声も出さないから誰も存在に気づかない。
「誰からも知覚されないけど存在しているもの」を妄想していた。
ひょっとして犬は話す事ができるのではないか?
ただ、犬の世界で人間と話すことは禁止されていて、話すと死刑になる。
犬を家の中に入れて「誰も見てないから、話してみろ」と犬に話しかけたが
犬は一向に話してくれなかった。なんて強情な犬だと思って、何度も何度も説得したがだめだった
ひとりでいる時は何もする気がおきないので、好きな子とかが自分を見ているのだと妄想して行動を律していた。
フッと目の前がテレビの「ザーッ」というノイズでいっぱいになった。
映像効果があらわれて、中心に吸い込まれていく。
そのあと、ミジンコが上から下に落ちていく。
暗いところで目をつぶると、ぼくは緑色の樹木に迫っていく。
僕は時々、母のことが心に心地よく、恋をした。
母親が心配で心配でしょうがない。
友達と遊んで帰ってきて、ふとお父さんとお母さんを見てこの人たちも友達と一緒かなあと思ったとき、ぞっとした。
お父さんとお母さんも生きている、生き残っている。
車の窓の外の電柱などをジャンプする。
速度に合わせて僕は猛ダッシュする。
屋根や道路を走る。
速度が速くなると、僕は大ジャンプする。
今僕の背中は見えていない。今、僕の背中は無い。
手の中にあるテレビのリモコンとか、ジュースやコーヒーの缶が、
急に勝手に一方向へ向けて動き出す。
それを必死に掴んで放すまいとするが、体ごと引き摺られてどんドン振り回される。
空の彼方まで持っていかれる。それでも僕は放さない。
いつまでもどこまでも、引き摺られて、引っ張られていく。
猫はぼくがみていないときに、ぼくをみて笑っている。
僕は、身近なミクロの世界に多大な興味がある。
1匹の蟻をいちにち見ていても飽きることがない。
全人類のハナクソは、25メートルプールで何杯分だろう。
鏡の中の世界に行こうと試みた。
蟻の巣の前で蟻を潰して、他の蟻が悲しむかどうか観察した。
蟻を水で溺れさせたり、あらゆる手段で苦しませた。
未来人は過去を全て把握でる。
僕の行動もすべてお見通しだが、
ふふ、僕にはそんなことわかってるんだぞ。
お母さんの財布の中を見た。
これさえあれば一生安泰だと思った。
サンダーバードは現実だ。顔に油塗って、口の両端に線書いて。
あの動きは違和感があって、ものすごく不思議だ。
僕はすぐ騙される。だから、すぐ興奮する。
漫画の中の登場人物が、本当は存在していなくて、意識もないのだ、と考えると
ものすごく切ない感情に襲われる。
不思議でもある。
ぼくは主人公と同じ意識になって命をかけてがんばってのだ。
僕はいつか、空を飛ぶだろう。
これは、正しいことに違いない。
飛べることについての疑念をどうしても振り払うことができないのだ。
「一番」というものに興味をもった。
過去から現在までの、一番快楽を味わった人間や、一番不幸を味わった人間、
一番痛みを感じた人間や一番痒みを感じた人間、一番綺麗な人間等は
どんなんだろうと思った。
物体に何かを感じる。
物同士で自分の気持ちを伝えているのだろう。
ぼくは、当たり前のように周囲と自分を切り離して考える。
鉄道は自然物だ。勝手にできたり消えたりするものだ。
壁に貼ってある時刻表も同じで、時刻が書き変わる瞬間を見ようと待ち構えているが、最近、人が見ているときは書き変わらないと悟った。
鏡の前に立って自分の姿が見えるには、
自分の姿が鏡に光子で飛んでいって、鏡に反射した光子が網膜に映って見えるのだから、こっちの姿が認識されるまで、ほんの0.000コンマ差がある。
鏡の前で自分の鏡像からずれようとした。
もし一瞬でもずれたら、鏡の中の相手が出てくるのだ。
絵を描く時、骨髄の中の神経叢から描いて、血管を一本一本描いて、皮膚を
薄く描たら、本当に生きた人間になる。
初めて来たところが、妙に懐かしいときがある。
綺麗な景色でもないのに、ずっとそこにいたい衝動にかられる。
忘れることが、ひどく不快だ。
本当は何も忘れたくない。
僕はずっと、忘れるフリをしてきた。
僕は覚えている。時間は流れていなかった。
死はもっと身近にあった。いまのように怖くはなかった。
僕は、忘れてきたかわりに、儚いすべてのものに希望を与えてきた。
それが何かもわからないのに、必死になって手をのばし、触れてきた。
ふと気付いたら、僕が誰なのかわからなくなっていた。
そうやってたくさんのことを忘れたかわりに、たくさんのこと覚えてきた。
もう雑踏の中でも迷わないし、あのひとのところまで行けるようになった。
でも、本当はどこにも行きたくない。ずっとそこにいたい。
探せばみんなどこかに消えていく。なくしたものは、見つからない。
きっと、わたしは何かをしようとして未来にYESと答えて信じたのだ。
救いようがないのだ。けっきょく何ひとつできなかった。
でも、最後にたったひとつだけ残ったものがある。きっときみにも、それはある。
その時にきみが生きていたわけじゃあない。
たった今、そう思っているだけだ
ある日を境にして忽然と人類が消え去り、自分一人だけが缶詰などを食べながら、街から街へと歩き回っている。
地球の動きがいきなりピタっと止まり、その瞬間地球の物や人が全部ぶっ飛ぶ
雨の日、阿弥陀如来像や阿修羅像を何時間も飽きずにみていると、
太古の昔にトリップする。
僕は、その太古の時代のことをよく知っている。
この時代に自分が生きていたことがあると確信した。
夢にもよくでてきて、ますます夢と現実,現在と過去の区別がつかない。
歴史を遡ってみた。
46億年前、地球ができた。
その前は?その前は?と考えていくと、
宇宙の遠くの方に自分の意識が吸い込まれていくような無限を感じた。
未来にも行った。どこまでいってもここでお終いという所が無かった。
これで全部です。
みなさん、ごきげんよう。
パート2でまたお会いしましょう!
子供の頃考えていたことなんかを、
かきこんでくれよな。
63 :
考える名無しさん:02/06/06 02:19
乙彼〜!!!!
64 :
考える名無しさん:02/06/06 02:34
ご苦労様でした
理
が
み
え
ま
す
ね
66 :
考える名無しさん:02/06/06 04:57
hinajinn
67 :
考える名無しさん:02/06/06 20:37
すごいや、これだけやったらかなり充実感あったでしょ?
これからじっくり読むね。
68 :
考える名無しさん:02/06/06 21:22
空間があり
そこに何もない
重力やいろんなものの干渉を受けない世界があったとすると
そこには色や光があるのか?
1ですが、ひとつ忘れていたので追加して貼っておきます。
「夢」についてです。これも全部
>>1のスレにあったものです。
小さいころ、夢の中によく「絶対的に嫌なもの」がよく出てきた。
それがなにかはよくわからないが、とてつもなく恐ろしいものだった。
ときどき、何故か二回連続で目を覚ましたような気分になった。
いつもより一回多く目を覚ましたので、自分がみんなより
一日早い世界へ行ったのではないかという気分に襲われた。
毎晩眠りに就いてから、その日に通った場所を幽体になって反芻していた。
朝起きたら誰も居なくて静かだった。
窓から陽の光が差し込んでいた。
その時、自分が世界と完全に隔絶されている孤独な存在だということを知った。
宇宙的な孤独だ。
なぜ、夢という自分で作った内的世界で自分の予想しえない事態が発生するのか?
寝つけない夜は自分の死について考えていた。
雪山でスキーをしていて、崖から落ちた夢を見た。
体が無重力状態になったまさに、宇宙の空間を体験した。
起きたら心臓がばくばく鳴っていて、死ぬかと思った。
夢やデジャヴ現象には意味がある。
デジャヴは魂の記録を見ているときだ。
前世の記憶だ。前世もまったく同じ生があった。
デジャヴのデジャヴを見ることもある。おそらく前世でもここでデジャヴを見たのだ。何度も何度も同じ生を繰り返してるうちに、かすかに記憶が残ることがあって
それがデジャヴになる。
宇宙が消滅して、またビックバンが起こって、現世とまったく同じようにすべてのことが起こる。
人との会話とかの何気ないことも、まったく同じように再現される。だからこそ
前世の記憶としてのデジャヴが成り立つ。
テストの答えがデジャヴで出てきて欲しい。
もうこれから先のことが決まっているなら、試験勉強がんばっても意味無い。
すべてが繰り返しなら、俺はなんで生きてるんだろう?生きることに何の意味があるんだろう?予知能力がある人は、デジャヴのように記憶が甦ることにおいて常人離れした人だ。
「ワタシの前世は猫」とか言っている占いかぶれの女はバカだ。
圧倒的に荘厳な夢を何度か続けて見る。この夢を見ると、心臓がドキドキして目が
覚める。
わたしの今生活してる全ては、未来の誰かが脳に電流流して見てる夢だ。
夢の中を自由に意識できる。空想の町を散歩する。
そこで、手当たり次第強姦しまくった。
逃げていく女を追いかけたり、自分の体を
少しでも激しく動かすと目が覚めてしまうので
慎重に追いかける。
夢の中のやつに「お前は俺の夢の人物なんだよ?わかる?」
と問いかける。
ゆめでほっぺたをつねってみたら、普通に痛かった。
夢でレイプするとき、
「もしかしたら現実だったらどうしよう
と、感じるときもあるが、周りが白っぽいので
夢だと確信して、けんかしたり、レイプしたりする」
めがさめて思うことだが、こういうことの反対の状態が
麻薬中毒者だとおもうと
ぞっとする。
物事を包む透明な球があり、それは幾つもの列になっている。
またそれを包む球があり、その球も同じ様に幾つもの列になっている。それが永遠に繰り返される。
眠りに入る瞬間をコントロールできないのが怖い。
自分の意識してないところで眠りが起こるってことは、
眠ってしまったら一生起きられない可能性もあるわけで。
自分の描いた絵の町を散歩した。
景色は藍色で、「これゆめじゃん!すげえ景色!」
とおもって、散歩している。ありえない世界で
歩いていると楽しい。
車が走っていた。とりあえず轢かれてみた。
夢だな、とわかった時は色々冒険してみたり
わざと怖い目にあってみたりして楽しむ。
「覚めるな、覚めるな」と思いながら夢を楽しんでいる。
夢だと自覚した瞬間に、空を飛んでみた。
夢の中で首を動かしたりすると目が覚めるから、女を追いかけているときも、首を固定したまま走って追いかける。
街中がゾンビでいっぱいになり映画のようだった。
あまりに非常識かつリアルなので「夢だ」と思い、死ねば覚めると思い
楽に死ぬ方法を考えた。
追いかけられて恐かったが最後は道に落ちていた拳銃に弾を込めて頭を打ち抜いて死んだ。その瞬間目が覚めた。ちょうど朝だった。
ゾンビの夢はみた。 空が青くて、周りが炎だらけ、ゾンビをコタツで殴っていても
ぜんぜんしなない。いっくらけっても死なない。マジ怖い。
走ろうとしても上手く走れない。
四人くらいで食卓を囲んでいる。みんな黙々と静かにゆっくりと食べている。
突然その中の一人が大声で怒り出す。それでもみんな静かに食べている。
びっくりしているのは僕だけ。
地下デパートみたいなところにピエロがいて、
そのピエロのくちから、おみくじみたいな紙がでてきて、
その人に忠告をする。その忠告がだんだん激しくなり、
さいごは…。
眠りにつく瞬間を朝になって覚えていないのは、何かが起こったせいで、
忘れいるだけだろうから、今だけはちゃんと覚えていようと思っていた。
そうしようと思っていてもそれが起ったら
忘れてしまうのだから、無いのと同じだなあと毎日寝る前に考えていた。
眠りに入る直前は、水面に浮かんでいるような感じだ。
ある精神的緊張を残している間は水面に浮かび続けているが、
その精神的緊張を緩めたらそのまま水中に沈んでいく、
ということが判る瞬間がある。
その微妙な感覚のところで、石を水面に弾ませるようにして、
睡眠と覚醒との間を行ったり来たりすることができる。
そのさまよう瞬間には死を感じる。
眠る前、天井がどんどん遠のく。
ベッドは、どんどん大きくなる。
何度目を閉じても、それは止まらず、
このまま意識がどこかに消えていく恐怖に泣き叫んだ。
両親は自分のほんとの親ではないと疑って、不安になっていた頃のはなしだ。
庭の苺をじっと眺めていたら、そこが扉になった。
身を乗りだして、そっと開けてみた。
ぼくは真っ白な氷の世界にいた。
しばらくすると、遠くから何かが歩いてきた。
赤い色のそれは、ゆっくりこっちにやってきた。
ああ、蟹だ。と思った瞬間、どこかに消えてしまった。
不思議なことに、それで不安も消えた。
高熱を出して寝込んでいたとき
妹の顔が茄子顔に見えた。
夢の中では、テレビの後に、緑のゴブリンが住んでいた。
そいつの悪口をいうと、見えない力にひっぱられて緑のゴブリンの前まで
飛ばされる。その夢は何度もみた。
目が覚めると、その都度確認するが、居なかった。
夢の中で、何者かに追われる。一生懸命逃げるのだがなぜか足がとてつもなく重く
なにかに引っ張られているようでなかなか前に進めない。 ありったけの力とありったけ
の知恵を絞って 敵の裏をかき撒いて撒いて絶対ここは見つからないだろうという
地点まで隠れるのだが、なぜか敵は物凄く頭の切れるやつで、こちらの考えている
ことが読めているらしく、普通だったら絶対にわからない自分の隠れ場所を
突き止められる。あとちょっとのところで捕まりそうなところをまた逃げる。
大きいブラックホールに吸い込まれていった。涙が出た。
そして朝起きたらケロッとして朝御飯食べる。
夜には、怪しい老人が自分のもとに来て
その日の夜の記憶を全て奪っていく。
いつも意識を失って朝に目覚めると、
「畜生、明日こそ老人にかみついて倒してやる!!」
と悔しがっている。老人を屈服させればこれまでに生きていた
「もう一人の自分の記憶」を奪い返せる。
記憶を消されるまでに抵抗するの自分の長き闘争の記憶を。
夢は、人と人の脳をつないでいる。
ぼくは、何か仕事を放棄してこの世に逃げてきた。
最後には、小さな紫色の球体が、大きな紫色の球体に衝突する。
一般的な夢と、違う人の意識に依存する(宇宙人を含む)
パターンがある。
これでほんとに終了です。
御清聴感謝します。
そしてパート2もはりきっていきまっしょい!
これはパート1
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1012925483/-100
正直ここまで徹底してるとは思いませんでした。
おつかれ!!!
76 :
考える名無しさん:02/06/07 00:47
あげよう
77 :
考える名無しさん:02/06/18 18:17
あげ
78 :
考える名無しさん:02/07/13 19:59
1さんは夢を見てる時に夢だと認識出来るんだな。
認識夢ていうんだっけ?
全体的に共感出来る観念が多く興味深い。
凄い。もういっその事本でも出したらどうだろうか。
79 :
考える名無しさん:02/07/13 20:00
1さんは夢を見てる時に夢だと認識出来るんだな。
認識夢ていうんだっけ?
全体的に共感出来る観念が多く興味深い。
凄い。もういっその事本でも出したらどうだろうか。
80 :
考える名無しさん:02/07/13 20:17
2重カキコ済まん。
俺は食肉とか魚がたまにグロテスクに思える。
特に煮魚は死んで池に浮いてふやけた鮒に見える。
結局おいしく食うんだが、自分も雑食性下等生物だという嫌悪が伴う。
食肉する人がどんな美人でも野蛮に見え、幻滅する事がある。
俺も荘厳な夢をよく見た。
非現実的に綺麗な星空に感動する、幻想的な天体写真の影響か。
科学が進歩すれば夢や想像、思考をプリントアウト出来るだろうか?
他には終末的な暗雲や、赤い月が地球に迫ってぶつかる夢も見た。
1さんの続編を楽しみにさせて貰います。
81 :
考える名無しさん:02/07/13 20:27
美人でも体内にはグロテスクな臓物があると思うと萎える時がある。
二次元コンプレックスではないが。
核爆弾が投下されて死ぬ夢も見た。
これは原爆などの記録映像や映画などの影響か。
俺は悪夢とか破滅的な夢が多いな。
花畑とか楽園にいるような夢は見た記憶がない、忘れているだけかも知れんが。
82 :
考える名無しさん:02/07/14 19:51
ガイシュツかも知れんが、昔は鼻が変な感覚に襲われる事がままあった。
何もないのに、ホコリ臭いというかカビ臭いというか。
妙な気分になったもんだ。
あと耳鳴りと目の周りを星が漂う...これらはどういうメカニズムなんだろう?
個々に書き込んでる人たちは、それぞれ独創的な世界観を持った人だと思う。
とりあえずその世界観は大事にしてほしい。世間に迎合する必要はない。
いつまでたっても世間からは認められないかもしれないが、
ひょっとするといつの日か偉大な業績を残すかもしれない。
子供の心をいつまでも大切に・・・