ショーペンハウエルについてなんか言ってください

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1考える名無しさん
さあどうぞ。
2考える名無しさん:02/05/05 14:26
ニヒリスト
3考える名無しさん:02/05/05 14:29
やっぱり”エル”はこだわりですか?
479=84:02/05/05 14:51
都内で「世界の名著」ショーペンハウアーの在庫あるところ
教えてクレーー。
(八重洲ブックセンターの在庫無くなった)
5ふにゃぽん:02/05/05 15:06
じぇらしい、じぇらしい、ヘーゲル先生。
6考える名無しさん:02/05/05 15:07
ちょっと大きめの本屋行けばどこでもあるんじゃないの?
7考える名無しさん:02/05/05 15:08
絶版なの?
8考える名無しさん:02/05/05 15:57
いや、俺も探しているけどないんだこれが。
中公クラシックスで復刊するのかな。
でもそれだと4分冊くらいになりそうだ。
9カミュ:02/05/05 17:06
俺、あいつきらーーーい。
10考える名無しさん:02/05/05 17:10
シジュポスだっけか
一年程前にジュンク堂(池袋)に置いてあった
12考える名無しさん:02/05/06 00:08
意志ってよくわからんage
13考える名無しさん:02/05/06 00:11
小便how得る?
14考える名無しさん:02/05/06 00:19
トルストイが一時期心酔して肖像画を書斎に飾っていたほどだった。
15まあ:02/05/06 00:22
>>12
実践理性みたいなモンだ。
16考える名無しさん:02/05/06 00:24
マジで!
17考える名無しさん:02/05/06 00:43
意志=無意識
18考える名無しさん:02/05/06 00:56
ただのペシミストだろ。
19考える名無しさん:02/05/06 00:57
自殺してもいいんだってさ
20考える名無しさん:02/05/06 01:19
この人自分の哲学ではすげえ厭世的な事言ってるけど
本人は全然そうじゃなかったみたいよ?
なんか100歳まで生きるつもりだったらしいし。
無責任なかんじだよな?
21lll:02/05/06 02:48
 ええと、
「フィヒテ、シェリングめった打ち」
22lll:02/05/06 02:51
 お世話になりました。
23考える名無しさん:02/05/06 02:58
あれ、ニーチェの話はまだ出てないの?
24ショーペンハウエル:02/05/06 09:03
>>19 >>20
私はただ自殺を肯定しているのではない。
苦悩にみちみちした生を、引き受けることこそ
生きる意味であり、人生の価値なのだ。
もしも、全人類が死後、極楽へいけるとする。
そこで、自殺をしてしまったら、それは生への逃避
でしかない。
自殺は肯定するが、さもなければ生も肯定する(肯定される)。
25考える名無しさん:02/05/06 09:14
聴講者ゼロぎぼんぬ
26考える名無しさん:02/05/06 13:39
ショーペンハウエルの死生観ってそんなんだっけ?
27考える名無しさん:02/05/06 17:36
小便how選る?
28二酉:02/05/06 18:41
>>25
7人でも相当キツイものがあると思うけど…
そういえば今年、ある授業(通年)で受講者4人ってのがあったでし。
初回の先生見てて可哀相だなーと思った。

自分の考えを裏付けるための読書は良いけど
ただ読んだだけじゃ独自の思考力を失う事になるから
思考してるひと以外は本読まない方がいいらしいでし。
個人的にこの方スキでし。
29ひろゆき:02/05/07 19:51
髪型がステキ。
小便はうぁっ!
30考える名無しさん:02/05/07 19:57
国立とかなら普通と思うが。>受講者4人
俺は1対1の授業とかあったよ。
最初は5人ぐらいいたんだけどね。
31考える名無しさん:02/05/07 20:33
>>30
1対1、、う、うらますぃ〜。
充実した授業だったろうなー
32考える名無しさん:02/05/07 20:51
充実していたかどうかはわかんないけど面白かったことは面白かった。
外いって散歩したり喫茶店で授業したりw。って授業の充実度と全然関係ないか。
言いたかったのは受講者4人とかでも実際受けてみると全然普通なんで
先生かわいそうってことはないよってことね。
他が全部何十人とか受けてるのに体面的にどうこう・・・とかいうのはわかんないけど。
33考える名無しさん:02/05/07 20:52
ショーペンハウアーと全然関係ないな。
34二酉:02/05/08 00:04
>>30 >>32
それはすごくうらやましいでし!いいなぁ。
いやぁ、その先生が実は非常勤だったりしてさらに
去年は受講者沢山いて足りなくなったたから
今回はその教訓を踏まえて沢山プリント作って
そかも教務の人が丁寧にホッチキスで留めてくれたってのを
すごく言いづらそうにしてたのが涙をさそったのでし。
でも実際ゼミ形式の授業で5人を切ったのは初めて。
実習とかあったら2人とかになっちゃいましよ。
ってかこれ以上書いたらわかるひとには素性がバレそうなので逃げ。
35考える名無しさん:02/05/29 14:28
「ショーペンハウアー全集」全15巻、全部一版。もっとるで〜。
36考える名無しさん:02/05/31 05:43
世界の名著大学生協にあったage
37考える名無しさん:02/06/04 08:13
ショーペンハウエルか・・・
素敵な名前だ。
F1レーサーとかにいそうな名前だよね。
38考える名無しさん:02/06/04 17:10

ひょっとして20世紀哲学の母体かもね
39考える名無しさん:02/06/04 17:36
そうでもないさ
40考える名無しさん:02/06/04 21:43

そうでもないさ
41考える名無しさん:02/06/05 02:37

哲学の母体というのではなくて、思想の母体なんじゃないの。
ニーチェとフロイトに大きな影響を与えたのは確実だし、
キルケゴールも日記の中でたびたび言及している。
フロイトの弟子のユングも影響を受けている。
文学の方では、トーマス・マン、ボルヘス挙げていったらきりがない。
要するに20世紀の非合理主義思想の源流。
42考える名無しさん:02/06/05 03:22
ウィトゲンシュタインもね。
43考える名無しさん:02/06/05 10:42

仏教やる人で、ちょっとハイカラ(?)な学者は、かならず論文の中で、
ニーチェ、ショーペンハウエルで箔をつける。
密教学者の津田眞一とか。

あれ、面白い現象だな。
44考える名無しさん:02/06/05 10:53

>41

20世紀の社会現象にまで影響を及ぼしたレベルの思想家を3人挙げるとしたら、

マルクス、フロイト、ニーチェという見方は、わりと一般的だと思うけど、

マルクスはヘーゲルをひっくり返しているわけだし、
フロイト、ニーチェはショーペンハウエルの「生への意志」をそれぞれに読み代えているわけだし。
そうすると、
 
  20世紀思想/{ヘーゲル vs ショーペンハウエル}の代理戦争

                       ってことにならない?

ベルリン大学での戦いが、世界を舞台に広がった!   w

  あと、「ウプネカット/ウパニシャッド」を最初に受容したショーペンハウエルには
「東洋思想と西洋思想の混合」という象徴的意味もあるしね。
45考える名無しさん:02/06/05 11:54
法政大学出版局から出てるショーペンの伝記、わりと良かった。
ゲーテとけっこう関係深かったんだね。
46考える名無しさん:02/06/05 13:34
ショーペンハウエルの言葉を一つ、
「この世の中には、享楽の方が苦痛よりも多いとか、乃至はどちらも
 同じくらいあるとかいう説の当否を、ごく簡単に確かめたいと思う
 人は、たとえば、他の動物を食っている動物の感じ方と、食われて
 いる動物の感じ方とを比べて考えてみるがよい。」
 さすが、天才の言葉。
 ショーペンハウエルは、含有率の多い金鉱のようなもの。色々言わ
 れている、不純物は捨てれば良い。
 自分は、ショーペンハウエルから、仏教に入った。(意志の否定→悟り)
 気の狂った、ニーチェより、ショーペンハウエルの方が超人に近い?
 ニーチェと対決出来なかったのが、残念。

 
 
47考える名無しさん:02/06/05 14:52

>45

そうそう。若い頃に老ゲーテと会ってる。エッカーマンの「ゲーテとの対話」にも
「ショーペンハウエル博士、来訪」とかいう記述があったような。…うろ覚え

>46
同感。ニーチェは男らしくふるまおうとすればするほど女々しくなる。
ショーペンハウエルは一貫して男性的で、エッセイはガルガンチュア的笑いに満ちている。
ニーチェには、陽性で開放的な哄笑がない。
多分、冗談の下手な男だったろうと思う。
48考える名無しさん:02/06/05 14:57


ちょっと、スレちがいだけど、

  ニーチェ→ ヒットラー → 萩原朔太郎→ 鳥肌実

 この四人って、なんか不気味な共通項って、ない?
49考える名無しさん:02/06/05 14:59

>48

 その思想史的流れに、バスター・キートンも入れたい。
50考える名無しさん:02/06/05 16:16
朔太郎の共通項は漏れもわかった。「意志が噛む」とか言い回しがあるよね。
「死なない蛸」とかもショーペン哲学の寓話みたい。
鳥肌実って誰?
51考える名無しさん:02/06/05 17:38

 キ、キミ、哲学やってて、

          鳥肌実を、知らないの?
52考える名無しさん:02/06/05 18:26
知らなくていいしね
53考える名無しさん:02/06/16 07:54
ふざけるなって!
このスレ見て、
「おお、アルトゥール、居るじゃねえか。」って
熱いクリックぶちかましたら、
なんだって、この塩っぷりは!
荻原朔太郎、関係ねえじゃねえかって!
しょっぱいモダンボーイのことは放っておいてやれって!
正直、今日は、葉巻丸々一本大解禁だってことですよ。
54考える名無しさん:02/06/16 10:33
アメリカ文学者サリンジャーは、
ショーペンハウエルを指して「かの有名な天才」といったような
ニュアンスを漂わせた後、
「彼の主張もめちゃくちゃだ」とも言っている。
55考える名無しさん:02/06/16 10:48
『読書について』は偉大な著作だと思う。

彼は言う。
「カントは、

『わたしは哲学を教えるのではない。
哲学することを教えるのだ』と言っているが、

真相はその逆である」と。
56考える名無しさん:02/06/16 11:34
>>55
来いって!
もっと来いって!
「人相学によせて」とか「騒音と雑音について」とか
まだあるだろうって!
正直、荷車をひいていない馬に乗ったりして、人口稠密な都市の狭い道を
力いっぱい、鞭を打ちながら行くようなショッパイ野郎は
さっそくひきずりおろして、棍棒で5発くらいぶん殴ってやるのが
よいってことですよ。
57考える名無しさん:02/06/20 23:45
この世界の人間の6分の5は無知で愚かな人間である
58考える名無しさん:02/07/12 03:17
キルケゴール、ニーチェは否定はしたけど影響を受けまくったんだよね。
それ考えると凄いよね。
59考える名無しさん:02/08/03 00:56
60考える名無しさん:02/08/04 23:54
根拠律の四つの根
が面白かった
前にスレがあったね
61考える名無しさん:02/08/05 09:05
世界で一番厭世的な思想家って、やっぱりショウーペンハウエーry?
62考える名無しさん:02/08/06 04:17
私はショーペハウエルの哲学を究極の実践楽観主義だと解釈してるんだけど。
って言うか奴の著作と生涯を知ったうえで奴が字面通りの厭世主義者だなんて思えねぇよw
63考える名無しさん:02/08/06 12:18
ショーペハウエルかショーペハウアーかはっきりしろ!!
64考える名無しさん:02/08/06 15:45

ショーペンハウエル自体は悪くはないけど、
日本人でショーペンハウエル研究してるなんてやつは、
ゴミみたいな人だね。はしっこの方でなんか息してるって感じの。
素人相手にしったかかますのが好きで、玄人同士の会話は避けるみたいな。
語学教師ふぜいだな。
65考える名無しさん:02/08/07 18:08
母とは不仲だったけ
66考える名無しさん:02/08/08 18:33
じゃあ、一番暗い哲学者って誰よ
67考える名無しさん:02/08/09 12:25
デカダンス
68考える名無しさん:02/08/16 02:56
>>66 きるけごーる
69考える名無しさん:02/08/21 14:05
『哲学人』でえらく褒められてたよ。
70考える名無しさん:02/08/25 12:05
正直,彼の痛快な文章には何度か笑った
71考える名無しさん:02/09/06 21:56
「女について」はワラタ。
72考える名無しさん:02/09/06 21:57
>>63
その前にゲーテかゴーテかゴェテかギョエテかはっきりしれ
73考える名無しさん:02/09/06 22:00
『意志と表象としての世界』は芸術論として読みますた。
7471:02/09/06 22:55
新潮文庫「幸福について」第五章 訓話と金言 は何度読んでも飽きない。
75考える名無しさん:02/09/08 20:54
〜〜についてシリーズは痛快な内容で笑えるものがおおいよね
7671:02/09/08 22:18
相当お笑いのセンスがあった人だと思う。
77考える名無しさん:02/09/09 18:45
age
78考える名無しさん:02/10/02 03:15
うお
79考える名無しさん:02/10/09 20:26
白水社の全集って相場どのくらい?あんまり古本屋で見ないね。
80考える名無しさん:02/10/09 20:29
64はいくらなんでも偏見キツすぎ
81高2生:02/10/12 15:40
一番ワラタのは『論理学と弁証法との余論』
82考える名無しさん:02/10/12 15:55
東京都内で、今、世界の名著『ショーンペン』の在庫がある書店教えて下さい。
連休中に買いにいきます。
83考える名無しさん:02/10/15 00:29
ワラタ
84考える名無しさん:02/10/15 01:06
ゲーテに会いカントの教えを受けた幸福者。
ヘーゲルとの人気争いに敗けた不幸者
85考える名無しさん:02/10/15 01:09
>>84
カントの教えは受けてないよ。カントの本を読んだんだよ。
86考える名無しさん:02/10/15 01:47
>>85
そうだった。
カントを褒めまくってたんで勘違いした。
87考える名無しさん:02/10/15 01:58
カント読んで、プラトン読んで、原始仏教の予備知識を身に付けて、
『充足根拠律の四つの根について』を読んで、
はじめて『意志と表象としての世界』を読むことができるのです。
しかも、『意志と表象としての世界』は二回読まないといけません。
88考える名無しさん:02/10/15 02:34
ショーペンハウエル精神的には健康だったから厭世的な思想持てたんでしょ。
ニーチェみたいに梅毒で発狂する人間が「超人」なんて言い出すんだよ。
89考える名無しさん:02/10/15 02:51
ニーチェは、
ショーペンハウアーが食後にフルートを吹いたということが
気になったらしい(笑)
厭世的な人間が食後にフルートを吹くか?って話(笑)
90考える名無しさん:02/10/15 09:00
『読書については』は素晴らしい。ヘーゲルを読まなくてもいいと思える。
91考える名無しさん:02/10/15 09:13
ライフイズビューテホーだんね?
92考える名無しさん:02/10/15 16:23
ショーペンハウアーのヘーゲル批判はすごいですな。
彼に言わせればヘーゲルは「法螺吹き」ですからね。
フィヒテやシェリングもすごい言われようです。
93在りし日の先生:02/10/15 16:28
「先生、聴講者がおりません。」

(ヘーゲルの奴、俺の講演にぶつけやがったな・・・ ケッ!)
94考える名無しさん:02/10/15 16:35
「先生、聴講者がいませーん!」

(俺の講義を選ばずヘーゲルなんぞの講義を選ぶとは・・
 これもある種の「親和力」のせいだろう。
 やはり、世の中の大半は馬鹿どもなのだ・・(厭世))
95考える名無しさん:02/10/15 16:41
彼の本を読むと思うんだが、
彼にとって厭世観は諦観ではなく怒りにつながったようですね。
96考える名無しさん:02/10/15 16:50

ショーペンハウエルに現象学の衣をまとわせても何の意味もない。
彼はまたしても誤解されようとしている。
97考える名無しさん:02/10/15 21:48
ショーペンハウエルはやっとニヒリズムについて語り始めた。老子や釈迦はもっと昔から語っていたのに。
98考える名無しさん:02/10/15 21:56
>>97
それはどうかな。
99考える名無しさん:02/10/15 22:11
ショーペンハウエルの主著の『意思と表象としての世界』は絶版なんだね。
100 :02/10/15 22:31
持ってるぞそれ
10182:02/10/15 22:47
>>100
もしかして、君?東京で最後の『世界の名著』(ショーペン)
買ってしまったのは?
102考える名無しさん:02/10/15 23:45
昔、白水社から出てたそうだ。>『意思と表象としての世界』
103考える名無しさん:02/10/16 00:50
「医師と表彰としての世界」を呼んで、ニーチェリアンに成ろう。
104考える名無しさん:02/10/16 01:05
デカンショーデカンショーおおで半年暮ーらーす♪ ヨイヨイ♪
あとの半ー年ーや、寝てくーらす♪ よーいよーい、デッカンショ♪
ちなみに「デカンショ」が「デカルト・カント・ショーペンハウア」
であること知っているのは、今ではどのくらい生き延びているのであらうか?
105考える名無しさん:02/10/16 01:36
半年どころか、半世紀は費やせますね。
106考える名無しさん:02/10/16 01:55
デカルトで15年
カントで25年
ショーペンハウアで10年
107考える名無しさん:02/10/17 03:22
キルケゴールみたいに憂鬱にならず、ニーチェのように発狂もせず、
豪勢な食事を食い、フルートを吹く。
厭世観の思想を持った男は人生では亨楽的図太く生きた。
108考える名無しさん:02/10/17 19:44
二回読め?。二回ってのが笑える。二回。
109考える名無しさん:02/10/17 20:58
ショーペンハウア『意志と表象としての世界』を勝手に訳すスレ

第1節
「世界は私の表象である」―(続く)
110人生を愉しみたいひと:02/10/28 18:11
ショーペ先生復活!
ショーペ先生は迷える子羊に愉しく人生を解き明かしてくれます。
ショーペ先生は偏見をものともせず虚飾を暴露してくれます。
そんなショーペ先生の遺著に触れられる私たちは幸運です。
今すぐ古書店へ走りませう。
111考える名無しさん:02/10/28 18:26
ショーペンハウア全集をなけなしの蓄えはたいて買いますた。
これで向こう10年の遊興費が浮きます。
なんて幸せなんでしょう、ねえ、先生?
112考える名無しさん:02/10/28 18:33
おだいじに・・・(合掌)
113ショーペンハウエル:02/10/28 18:58
君たちを支配しているもの、それは生存を欲する盲目的な意思に過ぎない。
君たちがその表象で如何に尽力しようとも、すべては道化の芝居に過ぎない。
それを克服しようとする試みはひとり聖人のみが実践できるのであって
君たちがごとき肉を貪る愚劣なる者が語りうる内容ではない。
ところで小生も言語を通じてそれを吹聴するだけの愚物に過ぎぬから
せいぜい優雅な食事をし芸術に心を委ねよう。
まあ、君も肩肘を張らず、人生を謳歌したまえ。
114考える名無しさん:02/10/28 19:03
あっ、ショーペ先生だ!
115考える名無しさん:02/10/28 19:04
ショーベンヨーデル
116考える名無しさん:02/10/28 19:09
先生、人間に可能な究極行為とはなんですか?
117ショーペンハウエル:02/10/28 19:16
君が盲目的な生衝動であることは説明したね。
ならば、その呪縛を自ら解き放ち昇華させることこそ
唯一、ひとに可能な究極行為といってよいでしょう。
118考える名無しさん:02/10/28 19:19
先生、その為には何をすればよいのですか?
119考える名無しさん:02/10/28 19:32
ショーぺ先生言われるところの「永遠に持続する文学」、現代ではどのような
作品が当てはまると思いますか?

やっぱ「努めて古人を読むべし」なの?

頭のいいお前ら教えてください。 お願いします
120ショーペンハウエル:02/10/28 19:40
哀れな子羊よ、君を救済する方法はただひとつ。
君が君という冷たく湿った監獄から抜け出し、
一にして全、全にして一なる、涅槃へと融合することにある。
だがそこに至る道こそは、未だ人類の到達し得ない不可能事であり、
君自身が模索し、実践しなくてはならない。
121告発!:02/10/28 20:07
このショーペ先生は贋物です。
ご本人は1860年に他界されますた。
122考える名無しさん:02/10/28 20:31
生きんと欲する生衝動の物語たる世界史において、
最も有意義であったのは、野蛮な世界征服者が林立していたことではなく、
僅かではあるが、釈迦やキリストのような世界超越者が現出したことである。
               ・・・アルトュール・ショーペンハウアー
123考える名無しさん:02/10/28 20:33
電波
124考える名無しさん:02/10/28 20:49
涅槃てなんですか。
125考える名無しさん:02/10/28 20:52
くろしろにきいてみそ。
126考える名無しさん:02/10/28 21:14
ショーペンハウアーって電波だったんだね。
127考える名無しさん:02/10/29 15:14
無知はそれが富と一緒に見出されるとき、はじめて人間の品位を落とす。
貧乏人は貧困と困窮に縛られている。
彼の場合、その頭は仕事のことで一杯になっており、また仕事が知識の穴埋めをしているのだ。
これに引き換え無知な金持ちはただ快楽に生き、畜生に等しいことは、我々が毎日お目にかかる通りである。
その上になお、金持ちは富と暇を最大の価値を与えるものに利用しなかったという非難も加わってくるのである。
(A.ショーペンハウアー 余録と補遺 24/290 )
128考える名無しさん:02/10/29 15:39
>>119
努めて古人を読め。本格的な古典を読め。
・・・それにしても古今東西のあらゆる領域に渡る稀有な存在、高貴きわまる人たちのものを読まないで、
毎年無数に蝿のように孵化される駄書、毎日のように出版される凡作を、
−ただそれがきょう印刷されてインキが乾ききっていないというそれだけの理由で−
読み漁る一般読者の馬鹿さ加減と倒錯には信じがたいものがある。
(ショーペンハウアー 余録と補遺 24/295)
129考える名無しさん:02/10/29 15:59
ショーペ先生はどのような古典に親しまれたのですか?
130考える名無しさん:02/10/29 16:31
ショーペンハウアーがプラトンとカント、
それにインド哲学に影響されていたことは周知の通り。
だが、それにも増してヨーロッパを外遊した際の
人々が織り成すおぞましい光景、その原体験が彼の方向性を決定づけたようです。
現代に生きていたなら、何を語ってくれたのでしょうね。
131今人の古人を語る言葉、さらに意味なし:02/10/29 18:42
>>128 そのまんまのレスありがと。
ショーぺ先生は古人を読め読めと言うけれども、先生の時代の古人と、
現代人における古人ってモノすげーひらきがあるわけ。つまり、時代が
違いすぎるわけ。 ある哲学者を研究する際は、その時代のことも勉強
せなあかんでしょ。先生曰く「あらゆる時代、あらゆる国々には、それぞれ
比類なき高貴な天才がいる。」
 現代の稀有な存在。高貴極まる人々の作品って、何だと思います?

 頭のいいお前ら、お願い、教えてチョーヨンピル。
132考える名無しさん:02/10/29 19:18
俺の感想:ショーペンハウアー哲学を実践するのは人間には無理
133考える名無しさん:02/10/29 19:27
ショーペンハウアーほど言ってる事とやってる事とが乖離してる
哲学者も珍しいだろうな
134考える名無しさん:02/10/29 21:33
<<133
ほぅほぅ 例えばどの辺が?

言ってる事もやってる事も楽観主義そのものではないか?
135考える名無しさん:02/10/29 22:50
『根拠の四つの根について』はどこで手に入りますか?大至急欲しいんですが…。
136考える名無しさん:02/10/29 22:57
うる星やつらオンリー・ユーの同時上映のやつか!!
137告白:02/10/31 20:21
「なんて美しい文章なんだ !!!」

ここ十数年いろんな本を読んできたけれども、(難しい本は読んでないけどね。)
間違いなく『先生』の言葉の数々です。

 師に恵まれなかった現代のピューピル達へ・・・

秋の夜長、二読といわず何度も読んでみてはいかが? ショウペンハウエル

「読書について」
138今日のショーペ先生:02/10/31 20:56
むしろ我々は囚われなしにこう告白しよう。
意志を完全なまでに無くしてしまった後に残るところのものは、
 まだ意志に満たされているすべての人々にとっては、いうまでもなく無である。
しかしこれを逆にして考えれば、
 既に意志を超克し意志を転換し終えている人々にとっては、
 これほど現実的に見える我々の世界が−そのあらゆる太陽や銀河を含めて−無なのである。

                A.ショーペンハウアー 意志と表象としての世界 4/71
139考える名無しさん:02/10/31 21:00
哲学徒なら常識です。
誰も そんなことは言いません。


140考える名無しさん:02/10/31 21:36
このスレに哲学徒、いるかな?
141ファンクラブ:02/11/01 00:33
>>139/140
なんか頭良さげですね。
出来ればドイツ観念論の推移とショーペンハウアー哲学について
簡潔にご教授ください。
それから、131さんの要求にも応えてあげて下さい。
142考える名無しさん:02/11/01 01:17
わかってないな。
143ファンクラブ:02/11/01 01:35
なるほど、それが答えですか・・・
買いかぶり過ぎました。ごめんね。
144139:02/11/01 05:57
そのレスは俺じゃないよ
145139:02/11/01 06:01
前から考えていたんだけれど
ショーペンハウエル って
最近の漫才師の名前にいいと思う。
146考える名無しさん:02/11/01 09:11
gae
147考える名無しさん:02/11/01 19:45
『哲学徒』 …なんと悲壮な響きのする言葉であろうか。

彼らは、自分の頭を他人の言葉で埋め尽くすしかことしか
能がないのである。



!ちょっと大きく出てみました。不愉快だったらごめんねマンモス。
148今日のショーペ先生:02/11/01 20:50
意志のこの否定こそが現象の中に現れ出てくる意志の自由の唯一の行為である。
それ故この否定はマティアス・クラウディウスの呼び方に倣えば「超越的な変化」なのである。
ただし意志のこの否定は、自殺−すなわち
 意志の個別現象を自分勝手に廃棄してしまう事とは厳密に区別されなければならない。
自殺とは意志の否定であるどころか、むしろ意志の強烈な肯定のひとつの現象なのだ。

            A.ショーペンハウアー 意志と表象としての世界 4/69
          

149考える名無しさん:02/11/01 21:22
勉強になりますた。つづきキボンヌ
150考える名無しさん:02/11/01 21:43
ニーチェは教授に成り立てのころはショーペンハウエルに心酔してて、
『悲劇の誕生』を書いたけど、だんだん対決姿勢を強めていく。

ヒトラーはニーチェよりもショーペンハウエルの方がお気に入りだったって
なんかで読んだな。
151考える名無しさん:02/11/01 22:02
煽りは結構でつ。つづきが読みたいでつ
152考える名無しさん:02/11/01 22:16
議論そのものはどうでもいいけど
>>139>>150みたいな煽りルサンチは勘弁してね
153考える名無しさん:02/11/01 22:44
115=136=139=140=142=150
なんか妙にしつこいよね、笑いのセンスもないし。
トラウマでもあるの?やぱし基地外?
154考える名無しさん:02/11/01 22:47
113 :ショーペンハウエル :02/10/28 18:58
君たちを支配しているもの、それは生存を欲する盲目的な意思に過ぎない。
君たちがその表象で如何に尽力しようとも、すべては道化の芝居に過ぎない。
それを克服しようとする試みはひとり聖人のみが実践できるのであって
君たちがごとき肉を貪る愚劣なる者が語りうる内容ではない。
ところで小生も言語を通じてそれを吹聴するだけの愚物に過ぎぬから
せいぜい優雅な食事をし芸術に心を委ねよう。
まあ、君も肩肘を張らず、人生を謳歌したまえ。
                       って先生も言ってるよ
155今日のショーペ先生:02/11/02 14:56
なんか昨日も騒がしかったようやね。笑顔で流しつつそれでは始めましょう。あ、ポチッとな

すべての他人を常に非我と見る人、それどころか結局は自分一身だけを真の実在とみなし他人を幻影としか見ない人、
 言い換えれば他人を自分の目的にとって手段となりうるか対立するものであるかという限りで相対的存在としてしか認めず、
 自分とあらゆる非我との間に計り知れない区別・深い裂け目を感じる人、更に言い換えれば専ら自分一身においてのみ存在する人は、
 死というものを自らの存在と共に全存在・全世界もまた滅亡するものだとみなす。
これに反してすべての他者の中に、それどころか生きとし生けるものの中に自分自身の存在を、自己そのものを見る人、
 それ故に自分の現存在が生きとし生きるものの現存在と溶け合っている人は、死によって彼の存在のごく小部分を失うに過ぎない。
彼は死んでもそこに自分の存在と自己とを認め愛してきたすべての他者の中に存在し続ける。
そして彼の自意識と自分以外のものについての意識とを区別していた迷妄は消滅するのである。

                  A.ショーペンハウアー 倫理学の二つの根本問題 道徳の基礎について 4/22            
156考える名無しさん:02/11/02 15:31
あうあう
愛でがんすね?
157考える名無しさん:02/11/02 17:02
かなり誤解してたかも
連休中に訳本ゲトして読みます。
158考える名無しさん:02/11/02 17:22
ショーペンハウアーは弱いニヒリズム、ニーチェは強いニヒリズム
なんて言われてるけど真相は逆なんじゃないかな。
漏れもショーペンハウアー哲学の先に大いなる愛を感じるよ。
まぁ、漏れごときでは決して手は届かないけど
159131:02/11/02 17:59
だれも答えてくれない・・・。 鬱だ

 141さん、ありがトン
160考える名無しさん:02/11/02 19:33
神田の古本祭りで探したが、全然売ってない。どこでかえるの?
161考える名無しさん:02/11/02 20:38
おいらも探しとるんだけど無いよー
っていうか、古い全集なら神田にあったけど銭が(泣)
162考える名無しさん:02/11/02 20:46
  ウワーン 先生は何処に居るの?      
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
            ∧_∧
          ( ´Д⊂ヽ
          ⊂    ノ
           人  Y
          し (_)
163考える名無しさん:02/11/02 20:51
 うわ〜ん 僕チンの頭じゃ131さんに答えられないよー
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
            ∧_∧
          ( ´Д⊂ヽ
          ⊂    ノ
           人  Y
          し (_)
164考える名無しさん:02/11/02 20:55
ショーペンハウエルは女が嫌い
165考える名無しさん:02/11/02 20:56
 うわ〜ん コテハンの人 誰か助けてー
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
            ∧_∧
          ( ´Д⊂ヽ
          ⊂    ノ
           人  Y
          し (_)
166考える名無しさん:02/11/02 22:55
読書の秋だ。
167150:02/11/02 22:57
150だけど。(150より前は書き込んでないよ)
別に煽ってるつもりはなくてね。
ヒトラーがショーペンハウエル好きだったのはホントだし。
実際、155なんて読んでも、それっぽいじゃない。
168考える名無しさん:02/11/02 23:00
ふむふむ。
勉強になりますなー。
169美香 ◆FE5qs2YX/I :02/11/02 23:15
実は萩原朔太郎はショーペンハウエルの
強い影響下に作品を書いていたって、聞きました。

「原的意志」とかそのあたりらしいです。
あの「見えない蛸」っていう詩(蛸が自食して
消滅してしまう散文詩)にも反映されているのかなあ?

哲学を下に敷いて詩を書くなんて、当時としては
ハイカラだったのでしょう。
170闇の中のオレンジ:02/11/02 23:20
>>131
アニー・ディラード『石に話すことを教える』
171150:02/11/02 23:22
>>169
>哲学を下に敷いて詩を書くなんて、当時としては
>ハイカラだったのでしょう。

今俺らが「哲学」「哲学者」として扱っているものが、当時の日本に
は「文学」「文学者」として輸入され、読まれていたというのはよく
ある話。ルソーなんてまさにそうだったらしい。

実際、ショーペンハウエルは、哲学者っていうよりもエッセイスト
という観が強いような。
172考える名無しさん:02/11/02 23:30
パレルガ ウント ぱらぱらぱらぱら
173131:02/11/02 23:44
闇の中からマジレスがキタ━(゚∀゚)━!!!

 170さん!! どうもありがとう!

「ガラパゴス島で過ごした日々に書かれたエッセイ」
・・・はっきり言ってものスゲェー読みたいです。
明日、書店で探してきます。
174今日のショーペ先生:02/11/03 16:42
昨日は珍しく盛況だったようですね。わたしは趣味でカキコするのみ。それでは、ポチッとな

行為が意志から出てくるのみならず世界もまた意志から出てくるのであって、
 意志が如何に存在しているかに応じて、行為も現象するし世界も現象するのである。
すなわち行為も世界も意志の自己認識であって、それ以外のなにものでもない。
意志は己を規定し、正にそうすることで行為をも世界をも共に規定していることになる。
何故なら意志のほかには存在するものは何一つ無く、行為も世界も意志そのものであるからである。
このように見て、はじめて意志は
 真に自律的だといえるのであって、これとは別の如何なる見方をしても意志は他律的になる。

             A.ショーペンハウアー 意志と表象としての世界 4/53
175考える名無しさん:02/11/03 17:56
神保町ブックフェスチバルに逝って来ました。
先生の本?殆ど見かけませんね。厳松堂には苔むした全集ありましたよ。
176考える名無しさん:02/11/03 20:59
人間はさっさと死んでしまうのが吉などと書いておきながら
この男は自身の健康には非常に気を使っていた。
ヘーゲルなどと違ってあくまでも模範的なドイツ語で文章をつづった。
名文である。ニーチェに多大な影響を与えたことは
ショーペンハウエルの功績のもっとも大なるものである。
177考える名無しさん:02/11/03 23:35
>>174
そろそろこのパターンにも飽きた。この辺でお開きにしよ。
178160:02/11/04 00:25
(勝手な仮説だか)
主著があまり流通せず、他方で、岩波文庫のエッセイ風の物しか流通しない
から、ショーペンハウエル=エッセイストってな、評価に繋がるの
ではないか??
179150:02/11/04 01:56
>>178
本当に流通のせいだろうか。
俺としては、思想としての本質的なところで、ショーペンハウエルはエッセイストだと思う。
180ファンクラブ:02/11/04 02:52
うわっ、こんな時間に何打ち込みあってるんだい−っておれもか。
はよ寝よはよ寝よ。明日もでーと。
ところで大した問題でもなかろーて。
(突っ込もうと思えば幾らでも突っ込めるし、
 引き出そうとすれば得るものも多々ある−ショーペはそんなとこだろ。)
181考える名無しさん:02/11/04 18:35
>>150 君のその『エッセイ』という言葉、 



やめてくれる?



何故かは知らないけど、



ひどく耳障りなんだ。
182152:02/11/04 19:39
一連の書き込みからして150さんが、
ショーペンハウアーを貶めたい気持ちはよく伝わるのだが
何かコンプレックスでもあるの?
183152:02/11/04 19:55
>ヒトラーがショーペンハウエル好きだったのはホントだし。
 実際、155なんて読んでも、それっぽいじゃない。

 わざわざヒトラーの名前と絡めるところに悪意を感じざるをえない。
 それっぽいとあるがまるで意味不明。

>人間はさっさと死んでしまうのが吉などと書いておきながら

 そんな安直なことはどこにも書いていない。君は彼の主著を本当に読んだの?
 総じて誤解か作為的な中傷と言わざるをえないのだが。
184今日のショーペ先生:02/11/04 23:37
なんか苦情が出たので潮時かな。
という訳で今日のショーペ先生はこれでお終いです。皆さん有難うございました。
>>152は冷静にね。ショーペ先生はあの気質ですから誤解されやすいのです。
185考える名無しさん:02/11/05 02:54
小便ハウエル
186考える名無しさん:02/11/05 03:14
画像が貼れるチャット&掲示板
http://www.i-chubu.ne.jp/~tomomi-h/marion/navi/navi.cgi?links=20311

187考える名無しさん:02/11/06 05:53
今日のショーぺ先生まだぁー?
188考える名無しさん:02/11/06 06:16
人生哲学ってやつを手に入れたが昭和22年の訳。よみにくいよ・・
189考える名無しさん:02/11/06 06:44
折れはここの使ってる。安いし、結構女ウケいいからお勧め!
http://www.adultshoping.net/linkstaff.cgi?id=001951
190考える名無しさん:02/11/07 00:21
今日のショーぺ先生まだぁー?
191考える名無しさん:02/11/07 00:34
   ☆ チン     マチクタビレタ〜
                        マチクタビレタ〜
       ☆ チン  〃  ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        ヽ ___\(\・∀・) < ショーペ先生まだ〜?
            \_/⊂ ⊂_ )   \_____________
          / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /|
       | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |
       | 人生と苦悩  |/
192考える名無しさん:02/11/07 02:45
  .-、  _
  ヽ、メ、〉      r〜〜ー-、__      ________________
  ∠イ\)      ムヘ._     ノ      |
   ⊥_      ┣=レヘ、_ 了     |  えーーい!こうなったら
-‐''「 _  ̄`' ┐  ム  _..-┴へ   < 私が自作自演するしかない
  | |r、  ̄ ̄`l Uヽ レ⌒',    ヽ.   | 
  (三  |`iー、  | ト、_ソ   }     ヽ   |
  | |`'ー、_ `'ー-‐'    .イ      `、   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  | |   `ー、    ∠.-ヽ      ',
__l___l____ l`lー‐'´____l.       |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||  .|      |
193アルトゥール:02/11/07 02:51
「見てくださいお母様、これが私の学位論文です。」
194ヨハンナ:02/11/07 02:54
「へーぇ?これは薬剤師用のものなのね、たぶん・・・。」
195アルトゥール:02/11/07 02:58
「お母様の書かれた本はいずれ物置からも一冊残らず無くなるでしょうが、
 その時でも私の本はやはり読まれているでしょうね。」
196ヨハンナ:02/11/07 03:01
「いずれその時には、お前の本はまだ一冊残らずそっくり買えるでしょうよ。」
197アルトゥール:02/11/07 03:06
「いずれあなたの名前は、後の世で唯一私の名前を通してのみ知られることになるでしょうね。」
198ヨハンナ :02/11/07 03:09
「なんて言い草だい。ひとつの家に天才が二人も生まれるなんて有り得ないのよ。」
199アルトゥール:02/11/07 03:11
「自分の実の子の才能が認められないなんて、あなたは酷いひとだ。」
200教授H:02/11/07 03:21
「君のような素人には哲学は向かんな、がはは。」
201というわけで:02/11/07 03:36
この瞬間から歴史の歯車が動き出したのは言うまでもない。(ウソ)
202ショーペ厨:02/11/07 03:42
  .-、  _
  ヽ、メ、〉      r〜〜ー-、__      ________________
  ∠イ\)      ムヘ._     ノ      |
   ⊥_      ┣=レヘ、_ 了     |  えーーい!つまらん
-‐''「 _  ̄`' ┐  ム  _..-┴へ   <  「今日のショーペ先生」を出せ
  | |r、  ̄ ̄`l Uヽ レ⌒',    ヽ.   | 
  (三  |`iー、  | ト、_ソ   }     ヽ   |
  | |`'ー、_ `'ー-‐'    .イ      `、   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  | |   `ー、    ∠.-ヽ      ',
__l___l____ l`lー‐'´____l.       |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||  .|      |
203(*゚Д゚):02/11/07 04:46
          || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
          ||世界は私の  。    ∧_∧  いいですね。
          || 表象である! \ (゚ー゚*)
          ||________⊂⊂ |
  ∧ ∧    ∧ ∧    ∧ ∧    | ̄ ̄ ̄ ̄|
  (  ∧ ∧ (   ∧ ∧ (  ∧ ∧ |      |
〜(_(  ∧ ∧ __(  ∧ ∧__(   ∧ ∧ ̄ ̄ ̄
  〜(_(  ∧ ∧_(  ∧ ∧_(   ∧ ∧  は〜い、先生。
    〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)
      〜(___ノ  〜(___ノ   〜(___ノ
204(*゚Д゚):02/11/07 04:57
          || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
          ||偽哲学者    。  ∧_∧  いいですね。
          || F/S/H ! \ (゚ー゚*)
          ||________⊂⊂ |
  ∧ ∧    ∧ ∧    ∧ ∧    | ̄ ̄ ̄ ̄|
  (  ∧ ∧ (   ∧ ∧ (  ∧ ∧ |      |
〜(_(  ∧ ∧ __(  ∧ ∧__(   ∧ ∧ ̄ ̄ ̄
  〜(_(  ∧ ∧_(  ∧ ∧_(   ∧ ∧  は〜い、先生。
    〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)
      〜(___ノ  〜(___ノ   〜(___ノ
205(*゚Д゚):02/11/07 05:01
 ☆ チン     マチクタビレタ〜
                        マチクタビレタ〜
       ☆ チン  〃  ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        ヽ ___\(\・∀・) < ショーペ先生まだ〜?
            \_/⊂ ⊂_ )   \_____________
          / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /|
       | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |
       | 人生と苦悩  |/
206考える名無しさん:02/11/07 12:29
右手にショーペンハウアー

らいふいずそーびゅーてぃふる
207考える名無しさん:02/11/08 04:36
今日のショーぺ先生まだぁー?
208考える名無しさん:02/11/08 05:08
いい本教えて下さい。
209考える名無しさん:02/11/09 04:47
今日のショーぺ先生まだぁー?
210考える名無しさん:02/11/09 15:13
「笑うショーペンハウアー」ってのが入門としてはいいのでわ
私もたまたまこの本読んでショーペン先生に触れました
211考える名無しさん:02/11/09 21:55
評論本は薦められない。先入観が刷り込まれ、誤解の元。
ショーペンハウエルの著作は分かりやすいので主著を読もう。
212考える名無しさん:02/11/09 22:46
世界は私の表象だ。
私は仏だ。
だからこうやって念じれば・・・
213考える名無しさん:02/11/09 23:05
きみにはまだマーヤーのベールがかかっているようです。
214ショーペ厨:02/11/09 23:37
                \ │ /
                 / ̄\   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< ショーペ最高やね。
                 \_/   \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\∩ ∧ ∧ \( ゚∀゚)<  ショーペ!ショーペ!ショーペ!
ショーペショーペ >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /
215考える名無しさん:02/11/10 04:48
今日のショーぺ先生まだぁー?
216ショーぺ先生:02/11/10 04:49
こんばんみ
217考える名無しさん:02/11/10 04:54
「ショーぺ先生」じぁなくて「今日のショーぺ先生」だよ。
 今日のショーぺ先生まだぁー? 
218考える名無しさん:02/11/10 04:57
すまんこ・・・
219考える名無しさん:02/11/10 05:04
ところで上のAAなんか変(藁
220考える名無しさん:02/11/10 05:16
そうだねー
221考える名無しさん:02/11/10 05:33
きょうの予定=白紙・・・さむっ
222考える名無しさん:02/11/10 05:50
「今日のショーぺ先生」来てくれないだろな・・。もう冬だねぇ(しみじみ
      .|;. | ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ.||  ||  || 
     . | .:|⌒゚⌒゚⌒゚⌒゚⌒゚⌒゚⌒゚⌒||==||==||==
    . . .|. i|  ゚ o     ゜   。  ||_||_||_
  . .:.:.::|;. | 。   ゜ ゚ o       || ̄|| ̄|| ̄
 . . .:.:::::|l i| 。  ゜   ゚ 。   o  . ||==||==||==
. . .:.:::::::::! .,!     .    。     。||_||_||_
.:.:.::::::::::::| ;i|   ゚ 。 o    。   || ̄|| ̄|| ̄
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223今日のショーぺ先生R:02/11/11 23:55
>>222
 意志の否定・廃棄・転換ということは、意志の鏡であるところのこの世界の廃棄
でもあり、消滅でもある。もしも我々がその意志をもはや鏡の中に見出せなくなっ
たとしたら、意志がどこかへ行ったかなどと問いを発することは無駄なことであっ
て、その時には意志にはもはや「どこ」も「いつ」もないのだから、意志は無の中
に失われてしまったと嘆くことになる。
 もし我々が逆の立場に立つことが可能なら、記号の交換が為され、我々が存在する
と考えていたものが実は無であり、かの無こそは実は存在するものだと示されるだ
ろう。しかし我々が生きんとする意志それ自身である限りでは、この無はただ否定
として認識されるだけだし、否定という記号づけだけのことに過ぎない。エンペドク
レスの古い命題、等しきものは等しきものにによってのみ認識されるという命題が
我々から一切の認識を奪ってしまうからである。
224今日のショーぺ先生R:02/11/12 00:22
 これとちょうど同じ理由で、まさにこれとは反対の関係になるが、エンペドク
レスの同じ命題上に、我々のあらゆる現実的認識の可能性、すなわち表象として
の世界、ないしは意志の客体性が究極的に基づいているのである。何故なら世界と
は意志の自己認識に他ならないからである。
 それにも関わらず、哲学が意志の否定として表現することがら、ただ否定とい
う形としでしか表現し得ないことがらに関して、なにがしかの肯定的な認識を手
に入れたいとあくまで固執するなら、我々としては意志の完全な否定に到達した
すべての人々が経験したあの境地を参考にしなさいという他に、如何なる方法も
ない。その境地とは忘我恍惚、昇華、開悟、合一、等々と呼ばれている境地のこ
とである。しかしこのような境地は、厳密に言えば認識と呼ぶことはできない。
何故ならそれはもはや主観と客観の形式を具えていないし、その境地に近づくに
は自分の経験によるしかなく、それは他人に伝達し得ない経験だからである。
225考える名無しさん:02/11/12 00:35
『読書について』を読みました。
薄いから
簡単でした。
226今日のショーぺ先生R:02/11/12 00:55
 しかしながら我々は徹頭徹尾哲学の立場に立つ者である以上、否定という形の認識で
我慢し、肯定的に表現できる認識の境界まで達したことまでで満足する他はない。そう
考えたればこそ、我々はこれまで世界の本質それ自体を意志であるとして、世界のあらゆ
る現象のうちにひたすら意志の客体性を認識し、この客体性を追跡して、漆黒の自然の諸
力の、認識を欠いた衝動にはじまり人間の最高度に意識的な行動に至るまで、意志のこの
客体性を跡付けしてきたのだ。そういう経過を辿って来たのだから、意志の自由な否定な
らびに放棄が行われると同時に、今や自然の諸力から人間の行動に至るまでのあらゆる現
象も一緒に廃絶されることになるのだという帰結を、我々は決して避けようとは思わない。
意志の自由な否定、廃棄と共に、この世界を成り立たせていた混沌−あらゆる段階の客体
性のうちに現れる終局も休息もないあの不断なる混沌−もなくなり、段階的に相次いで現
れた諸形式の多様性も無くなり、意志が無くなると共に意志の現象全体も無くなり、しま
いにはとうとうこの現象の一般形式であるところの時間と空間も無くなり、更には現象の究
極の根本形式である主観と客観も無くなってしまうのである。意志がなければ表象もない
し世界もない。
227考える名無しさん:02/11/12 01:13
>>225 読むのも簡単だし、理解するのも容易いよね・・・・・
228今日のショーぺ先生R:02/11/12 01:20
 だが我々は今自分自身の置かれているこのような悲惨さと捕囚の状態からいったん眼を転じて
既に世界を超克した人々を見つめてみよう。世界を超克せる人々にあっては、意志は既に豊かな
自己認識に達し、意志は万有のうちに自分自身を再発見し、しかるのち意志は自分自身を自由に
否定するに至ったのであった。ここまで来てしまえば彼らは後はもう、意志の最後の痕跡がその
痕跡によってかろうじて命を繋いでいる身体と一緒に、やがて消滅するのを待つばかりであろう。
こうして彼らを見つめていると、我々の前に現れるのはもはや、休息なき混沌ではない。願望か
ら恐怖への、喜悦から悲哀への心休まる間のない移り行きではない。意欲する人間の生の夢を織
り成す希望、決して満たされもしなければ完全に消え去ることも無いあの希望の類でもない。そ
うではなく、そうしたものの代わりに、あらゆる理性よりももっと高いかの平安、大海にも比す
べき心のまったき寂静、深い安息、揺ぎ無い確信、ならびに明澄さである。
229今日のショーぺ先生R:02/11/12 01:36
 我々が世界を超克したかの聖人たちに自分自身の経験のなかで出会えるなどということは、勿論
滅多に恵まれないであろうが、しかし彼らについて記録された伝承や、内的な真実さという印章を
押されて保証ずみの芸術作品が、かの聖人たちを我々の目の前に彷彿とさせてくれよう。そこで我
々は本書の以上のような仕方に従って、これらの聖人たちの生涯や行為を考察して、無にまつわる
あの暗い印象をはらいのけなければならない。この無こそ、あらゆる徳ならびに精進の背後に、そ
の最終的な目標として漂っているものだというのに、我々は子供が暗闇を怖れるように、この無を
怖れているのである。
230今日のショーぺ先生R:02/11/12 01:43
むしろ我々は囚われなしにこう告白しよう。意志を完全なまでに無くしてしまった後に残ると
ころのものは、まだ意志に満たされているすべての人々にとっては、いうまでもなく無である。
しかしこれを逆にして考えれば、既に意志を超克し意志を転換し終えている人々にとっては、
これほど現実的に見える我々の世界が−そのあらゆる太陽や銀河を含めて−無なのである。

                A.ショーペンハウアー 意志と表象としての世界 4/71
231今日のショーぺ先生R:02/11/12 01:49
>>222
 以上ですが満足して戴けたでしょうか。
 詳しくは先生の主著「意志と表象としての世界」をゲットしてみてください。
 迷わず読めよ、読めば解るさ・・・ということです。
 それではさようなら。
232考える名無しさん:02/11/12 02:02
うわーん
233考える名無しさん:02/11/12 08:57
>>210
あれ面白い 
誤解されつつあるショーペンハウアーを端的にとらえてる
234考える名無しさん:02/11/12 09:00
>>225
俺には簡単じゃなかった
簡単に説明してくれ
235222:02/11/12 18:11
>>今日のショーぺ先生R さん
        。 ◇◎。o.:O☆οo.
       。:゜ ◎::O☆∧_∧☆。∂:o゜
       /。○。 ∂(*゚ー゚)O◇。☆
     /  ◎| ̄ ̄∪ ̄∪ ̄ ̄  ̄|:◎:
    /    ☆。|レス有難う御座いました|☆
  ▼       。○..io.。◇.☆__ __| 。.:
∠▲―――――☆ :∂io☆ ゜◎∂:.

ところで意志と表象としての世界は何処で売ってるのですか?
236アントンくん:02/11/12 19:26
はじめまして!
ボクのお友達のキャロルくん は、フッサールなどの現象学を勉強していま
すが、 「現象学って難しいですね!」 「還元に関することが・・・・・
特に超越論的還元の意味が難しいです。」 「生活や自然的実証性から純粋な
超越論的主観性の意味がわかる人はいますか?」
「わかっている人がいたらぼくに教えて下さいね!」
といっています。 だれかわかる人がいたらキャロルくんのスレに書いてあげてね!
http://book.2ch.net/test/read.cgi/books/1034769192/l50
あと、たまにはボクのスレにも遊びにきてねん!
http://music.2ch.net/test/read.cgi/classical/1034769515/l50
あと、最近わたしが敬愛する ・・・・先生のサイトもここに紹介します!
ここも、見てくださいね!
http://www16.brinkster.com/aliceandwebern/a.htm
    ,,,,,,
237考える名無しさん:02/11/12 22:03
変態的厭世主義者
238考える名無しさん:02/11/13 19:56
>>237
可哀そうにねぇ。別にカミングアウトしなくてもいいんだよ。
2ちゃんにいれば、君はひとりじゃないよ。
239考える名無しさん:02/11/13 21:39
小便は売れる?
240考える名無しさん:02/11/14 06:09
>>235
惜しい!
自分は訳本を3冊持ってるけど、君に会うことはないだろう。
241キャロルくん:02/11/14 17:55
はじめまして! ボクの は、フッサールなどの現象学を勉強していますが、
「現象学って難しいですね!」 「還元に関することが・・・・・
特に超越論的還元の意味が難しいです。」 「生活や自然的実証性から
純粋な 超越論的主観性の意味がわかる人はいますか?」
「わかっている人がいたらぼくに教えて下さいね!」
といっています。 
だれかわかる人がいたらキャロルくんのスレに書いてあげてね!
http://book.2ch.net/test/read.cgi/books/1034769192/l50
あと、・・・・先生のHPが、新しい特集を創めました。 その名は、
ありすちゃんとウェーベルン氏の現代を撃て!
ありすちゃんとウェーベルン氏の夢の対談が実現!
ありすちゃんとウェーベルン氏が、現代社会を
政治、社会、経済、科学、文化のニュースから斬り,様々角度から議論する。
第一回は、コーヒー浣腸はガン治療の決め手になるのか?  です。
http://www12.brinkster.com/uhikaru/a&w.htm
みなさん、マタマタお楽しみがフエマシタネ!
???????
242気になったので:02/11/15 03:19
>>カント読んで、プラトン読んで、原始仏教の予備知識を身に付けて、
『充足根拠律の四つの根について』を読んで、
はじめて『意志と表象としての世界』を読むことができるのです。
しかも、『意志と表象としての世界』は二回読まないといけません。
>>二回読め?。二回ってのが笑える。二回。

 師曰く、反復は学問の母であり、重要な書物は二度読むべきと。
 二度目には問題の関連が一層よく把握され、結論が判っているので
 最初から正確に理解できる。更に二度目は異なる感覚で当たれるの
 で捉える印象も幅が広がる。って当たり前だわな。
243考える名無しさん:02/11/16 05:07
(…性懲りも無くねだってみたりしる)
                ∧        ∧  マチクタビレタ〜     マチクタビレタ〜
 マチクタビレタ〜       ./  ヽ      ./  ヽ      マチクタビレタ〜
               /   ヽ―――/   ヽ   マチクタビレタ〜  マチクタビレタ〜
   マチクタビレタ〜  /       l___l   \        マチクタビレタ〜
            |      ●  |    |  ●  |  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       へ    |   へ     ヽ  ./     | < ねえ、今日のショーぺ先生まだぁー?
        \\  \  \\    ヽ/     /   \____________
チン        \\  .> \\          ヽ
   チン      \\/    \\  _       |  マチクタビレタ〜
      \ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/  / ̄   ヽ    /   _
        \回回回回回/ ̄ ̄ヽ        / ̄ ̄ /|    マチクタビレタ〜
         \___/      ヽ____/  /  .|         マチクタビレタ〜
                               /    |  マチクタビレタ〜
   __________________/     .|
                             |      |     マチクタビレタ〜
244考える名無しさん:02/11/16 06:48
音楽、美術、文学、自然科学と哲学の会話。
力強く美しい厭世観。
観念論哲学の華やかな講演会。
要するに非常に高度なエンターテインメント。
245考える名無しさん:02/11/16 14:24
そこの不幸や絶望に酔いしれてる青年、ショーぺを読んで人生を愉しむといいよ。
246マインレンデル:02/11/16 17:44
ショーぺ先生に失望して自殺しますた。
247考える名無しさん:02/11/16 23:26
>>244
エンターテインメント万歳だ。
エンターテインメントがない人生は退屈だ。
248考える名無しさん:02/11/17 21:09
>>246
うわっ!お化けが出たー!
マインレンダー君の自殺によってまたしてもショーぺ先生は偏見の対象となってしまった。
自分の短絡的な逃避願望肯定のためにショーぺ先生を利用してはいけないよ。
249544:02/11/17 21:28
小便跳ねる
250考える名無しさん:02/11/18 05:02
ちなみに
 マインレンデル(1841-1876)   主著:「救済の哲学」
251考える名無しさん:02/11/18 20:25
意志と表象としての世界が無いぞ!
白水社なり未知谷なりさっさと翻訳しろってんだ!!
ドイツ語よめないぞゴルァ!
252考える名無しさん:02/11/18 20:50
>251
中央公論新社の「世界の名著」シリーズがあるじゃないか。
どこの図書館にも置いてある。
253考える名無しさん:02/11/18 21:08
白水社の全集、一巻と十巻から十四巻の六冊をYahoo!AuctionでGET!
しかも、原価以下で!!
笑いが止まらぬわ!
ガハハハハハ!
254考える名無しさん:02/11/18 21:12
原価?紙の値段か?
255考える名無しさん:02/11/18 21:17
>>253
ブックオフで全14巻1400円で買いましたがなにか?
256考える名無しさん:02/11/18 23:37
おまえらおかしいよ、そんな事が許されていいわけないよ
257考える名無しさん:02/11/19 00:16
>>255
ネタだよね?漏れは新本の全集に5万以上払った記憶がある。(泣
258考える名無しさん:02/11/19 00:28
人の手垢のついた本なんて読みたくないね!貧乏人は中古で満足してな!
俺達は出版業界に貢献してるんだよ!!
259ショーぺ厨:02/11/19 06:02
 神無き世界においてニヒリズムは科学万能主義と結びつきあらゆる価値を侵食している。
現代人はもとより、未来においては存在は科学分析によって裸にされ、加工する自由と引き
換えに完全な虚無へと埋没するだろう。そして科学実証主義に魂を売り渡した哲学その半端
な学問は梯子を外される運命にある。人が真実、虚無に慄きかつての生ける人間性を取り戻
そうと気付いたとしても、既に世界も自身も劣化しもはや何も想起出来ないと嘆くことにな
る。
 ヴィトは語りうるものと語りえぬものと言ったが、語りえぬものこそに存在の本質が隠さ
れている。一方が即物的でありもう一方が捉えがたい故のあまりの短絡。だが、自分でもどう
する事もできない。踏み止まろうとしても既に一人歩きを始めた現代社会に淘汰されるだけ
なのだ。ショーペンハウアーはそんな盲目的な世界と我々を静かに笑っている。
260ショーぺ厨:02/11/19 06:25
 話はそれるが、松井とボンズのホームラン競争を観て思った。
 ボンズは肉体を加工する事で松井を圧倒的に凌駕する。彼は完全なニヒリストであり、
もはや陳腐な価値など信じてはいないのだ。そして松井はただ慄くだけだった。
 だがボンズはもはや松井に戻る事は出来ない。その行く末にあるものは、加工によって
もたらされたおざなりな記録と、スポーツ本来の精神を失った永劫の虚無であろう。
 とはいえ、松井もまた、勝つためにはいずれそうせざるを得ないのだろうか。 
261:(*゚Д゚):02/11/19 07:05
 ☆ チン     マチクタビレタ〜
                        マチクタビレタ〜
       ☆ チン  〃  ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        ヽ ___\(\・∀・) < 今日のショーペ先生まだ〜?
            \_/⊂ ⊂_ )   \_____________
          / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /|
       | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |
       | 人生と苦悩  |/
262考える名無しさん:02/11/19 16:55
263ショーぺ厨:02/11/19 23:47
>>262
 私の実家でも迷い込んできた子猫を一匹保護していました。その子は十六年もの間
私達家族の心を朗らかに暖めてくれました。晩年は歩くのも困難なほど痴ほうと衰弱
がすすんでいましたが、ある朝、私が出勤しようと戸口に向かうと珍しく彼女が擦り
寄ってきて弱弱しくも何かを訴えてきました。その時は何気にじゃらして家を出まし
たが、翌日帰宅したときには彼女は静かに息をひきとっていました。その夜、私は成
人してからはじめて泣きました。
 動物虐待は本当に重い問題です。そして動物達の商品化はペットブームの影でそれ
以上の闇をつくりだしています。また、肥大した人口とその際限ない欲望を満たすた
めに、生態系を無視し利用できる限りの存在が生成・加工・搾取され無思慮に拡大さ
れていく現実は存在そのものの冒涜であると断言できます。人間に固執した自然権で
はなく、他存在を包括するような新しい哲学が必要です。そうでなければ、人間は文
字通り世界を食い尽くすガンでしかないのですから。
264あぼーん:あぼーん
あぼーん
265考える名無しさん:02/11/20 04:00
ショーペンハウエルを呼んでみようと思ってますが、その前に
やっぱりカントを読んでないとダメでしょうか??
266考える名無しさん:02/11/20 04:11
カント先生は基本でし。
ショーぺに限らず、プラトン・デカルト・カントくらいは知っておきたいモナ。
267考える名無しさん:02/11/20 04:17
なるほど、どうもありがとうございます。
厨房なもんで、くだらない質問だったかもしれませんです。
また出直してきます。
268考える名無しさん:02/11/20 04:30
軽い人生論として読むなら、いつでも読めるモナ。
岩波文庫の「・・・について」シリーズならすぐに読めるモナ。
けれど、ショーぺのエッセンスについて何分の一も味わえないモナ。
269考える名無しさん:02/11/20 05:40
ちなみに>岩波文庫の「・・・について」シリーズ
 =パレルガ・ウント・パラリポーメナ(余録と補遺)からの抜粋
270考える名無しさん:02/11/21 05:47
さて今日も先生を捜すか。どこの書棚に隠れているのやら。
271考える名無しさん:02/11/22 06:20
272考える名無しさん:02/11/22 10:28
>>271
[ショーペンハウアーとウスペンスキー]がおもろかった。
273考える名無しさん:02/11/22 11:06
哀しげに頭を振って、「すべてがうまくいくことが、心配でたまらない」と言う
悲観的楽観主義者もいる。
私はショーペンハウエルこそが、最も代表的な悲観的楽観主義者だと思う。
彼は、誇らしげにうなずきながら、「ほら、見てごらん。すべてがうまくいかないだろう」と言う。
その一方で、彼は、物事が悪くなり続けるだろうという彼の予言については、実に楽観的である。
                     
                        レイモンド・スマリヤン
274考える名無しさん:02/11/22 11:09
ショーペンハウエルは、世界に吠える機会を失うくらいなら、
現在より十倍ひどい世界に住んで吠え続けたいと願う犬を思い出させる。
            
               ウィリアム・ジェームズ
275考える名無しさん:02/11/22 11:16
遺志と表象の第〜版への前書きみたいなのがえんえん続いてて
なんかのパロディみたいと思った。つまらんジョークの後に
「失礼ながらおどけてみますた」とか言っちゃって、変な人だねぇ
276考える名無しさん:02/11/22 11:34
ショ−ぺ先生って看板倒れだよね。
ヘーゲルの方が上。
277考える名無しさん:02/11/22 20:47
>>273/274/275/276
 毎度の連続煽りお疲れさん。わざわざコピペまで必死に調べたんだね。
 コピペ以外は相変わらず意味不明なのでパレルガでも読んでよく反省してね。
 ちなみにきみにはマーヤーの面紗が厚くかかっているようです。
278ショーぺ厨:02/11/23 08:22
私は真理を語ると同時に真理そのものであるなどと吹いていたヘーゲルよりも、
 人は二三の忘れられない言葉を学んだだろうというショーぺのほうがよほどまともだ。
コレラでころりと逝ったヘーゲルを尻目に、苦難や偏見をかわしながら生き抜き、
 最後に賞賛を勝ち得たショーぺの生涯はまさに劇的な楽観主義そのものであろう。
彼のユーモアと機智に富んだ明朗な作品は、その人生と共に、まさに超一級の芸術である。
279考える名無しさん:02/11/24 08:32
あぁ、働いても働いても苦しいなぁ。ほっと一息、先生の助言。

苦悩を追い払おうとして人は絶えず骨を折るが、せいぜい苦悩の形をかえるぐらいしか出来ない。
苦悩の姿はもともとは欠乏・困窮・生活維持の為の心労である。もしうまくいって(とはいえそれ
は大変難しいが)この姿のうちとある苦痛を退けたとしても、たちまち幾千の別の姿になって現れ
るだけであるし、年齢や境遇に応じて千変万化・・すなわち性衝動・情動的な愛・嫉妬・羨望・憎
悪・不安・名誉欲・金銭欲・疾患・等々、あらゆる姿となって現れるだろう。挙句の果て苦痛の入
り込める余地が他にもうないということにでもなれば、苦痛は今度は倦怠や退屈といった湿っぽい
灰色の衣装を纏って出てくるだろう。倦怠や退屈を防ごうとしてあらゆる手が尽くされ、最終的に
この倦怠と退屈をうまく追い払うことに成功したなら、それはただ次のような場合、すなわち苦痛
がまたもや以前の姿のどれかを纏ってもう一度姿を現すこととなり、苦の舞踏会が今一度最初から
やり直しになる場合にかろうじて成功するのだといえよう。というのは、如何なる人間の生活も、
苦痛と退屈の間を逝ったり来たりするよう、当てもなく投げ出されているものだからである。

      A.ショーペンハウアー 意志と表象としての世界 第四巻五十七章より抜粋 
280考える名無しさん:02/11/24 14:04
ショーペンハウアーって大富豪で働かなくて良い環境だったらしいね。
それで厭世主義者なんて馬鹿げてるね。
281考える名無しさん:02/11/24 14:35
>>280
また君か・・・。何のコンプレックスがあるのかは知らないけど、
誹謗中傷を繰り返してないで、前向きに生きることを薦めるよ。

113 :ショーペンハウエル :02/10/28 18:58
君たちを支配しているもの、それは生存を欲する盲目的な意思に過ぎない。
君たちがその表象で如何に尽力しようとも、すべては道化の芝居に過ぎない。
それを克服しようとする試みはひとり聖人のみが実践できるのであって
君たちがごとき肉を貪る愚劣なる者が語りうる内容ではない。
ところで小生も言語を通じてそれを吹聴するだけの愚物に過ぎぬから
せいぜい優雅な食事をし芸術に心を委ねよう。
まあ、君も肩肘を張らず、人生を謳歌したまえ。
                 って過去ログにもかいてあるよ。
282考える名無しさん:02/11/24 15:03
ショーぺが家族と遺産を分け合って生計を立てていたのは周知の事実であるが、
それは哲学探求者の生計を維持するに十分な程度であって、大富豪の筈もない。
銀行が倒産したことで家族に遺産をさらに分配し、執筆していた著作も不評の
ために原稿なしで契約せざるをえなかった。死ぬまで細かい出納帳をつけたの
も彼の気質によるところもあるが、現実的な必然もあってのことだろう。
ショーぺは常に厭世主義家と疎まれるが、それは後世の人間がいっているだけ
で彼がそれを気取っていたわけではない。事実、晩年に名声を勝ちえ天寿をま
っとうするまで生き抜いた彼の人生からして、単なる厭世と片付けるのは浅薄
というものだろう。
283考える名無しさん:02/11/24 15:36
中傷の類は古今後を絶たないが、それは論外としても、学会を蹴って孤独な執筆を
続けていたショーぺの哲学は当然洗練されていないし、素人哲学者扱いは妥当な評
価だろう。だが、それでもなお、これらの書には時代を超えて存続しうる魅力があ
ふれている。
突っ込もうと思えば幾らでも突っ込めるし、引き出そうとすれば得るものも多々あ
る−ショーペンハウアーはそんなところだろう。これほど忌憚なく赤裸々に綴られ
た文章も、これほどわかり易く表現された哲学書も珍しく、その意味でもよくある
哲学史本や評論本に載っている悪評に囚われず、実際に意志と表象としての世界を
手にとって自分の目で読んでから判断していただきたい。
284考える名無しさん:02/11/24 15:41
ショーぺ先生の最期ってどんな感じ?
285考える名無しさん:02/11/24 16:16
うだつの上がらない孤独な人生から晩年に著したパレルガから一発逆転
ホームラン。とんと評価されなかった主著も増刷され、無視されてきた
学会からも表彰されるに至る。(しかし意地をみせて断った。)おかげ
で先細りの一途だった遺産も最後には倍にまで膨らんだそうです。
死に際しては遺産を親族、かつての愛人、人生を供にした愛犬、戦没者
基金への寄付へと分配し、万事無事に永眠されました。
時代背景の変化が幸運を運んだこともありましょうが、ドラマのような
痛快な結末に思わず笑ってしまいます。
286考える名無しさん:02/11/24 16:42
>>282 誤 原稿なしで
    正  原稿料なしで
287考える名無しさん:02/11/24 16:57
正直狂ったおっさんだなあと思いますよ。
自殺のことと、活字が小さくて読みづらいといったようなことを、
まったく同じテンションで批判したりするとこが。
288考える名無しさん:02/11/24 17:07
ふむふむ
289考える名無しさん:02/11/24 21:44
パターン化した展開が笑える。議論は全く行われていない模様。
290考える名無しさん:02/11/25 02:17
「わざわいは避けるな、雄雄しく立ち向かえ。を我々のモットーにしたいものだ一片の紺碧が空に
ある限り、天候を絶望視してはならないと同様に、危険な出来事の結末がまだ疑わしく、好転の可能性がまだあるかぎり
怯め臆くしようなどとは思わずひたすら抵抗を思え。」


結構ポジティブシンキング? 
「幸福について」より
291考える名無しさん:02/11/26 06:55
あのショーペがその晩年に名声を勝ち得たように、
個々の人生にはなにが待っているか分からないものですね。
哲学に身を蝕まれた皆タンも楽観的な希望を胸に、生き抜いてくらさいね。
292考える名無しさん:02/11/26 14:22
この人の考え方って禅に近いような気もするが
293考える名無しさん:02/11/26 15:12
読書についてくらいはオモロイから読んどこね
294考える名無しさん:02/11/26 15:50
>>293
岩波文庫でいいんでしたっけ?
(近場の本屋で探したけど無かった・・・)
295考える名無しさん:02/11/26 15:53
YES
296考える名無しさん:02/11/26 16:19
今日ウパニシャッドの訳本購入しました。じっくり味わうつもりです。
297ひかる:02/11/26 19:24
ショーペンハウアーの間違い。無意識に、身体からくるものは、命を使ってなされる何事かを指す本能だ。
表象は身体から来て身体で感じる、身体から来て言葉で知る、身体から来て脳で知る。実はそれは表象でなく「実体」なのだ。
298ひかる:02/11/26 19:28
ショーペンハウアーは意志としての世界、生を求める世界を認めるので、独我論ではない。
しかし知ることのできるものは言葉によってであり、認識できないものは存在しないというニーチェの独我論に近い。
299考える名無しさん:02/11/27 17:45
うぁっ!ここにも最臭電波降臨!やむなく放置する。(消えろひかる!)
300考える名無しさん:02/11/29 08:36
この時期の夜勤はつらいなー。ほっと一息、先生の助言。

 苦しみを与える者と苦しみを受ける者は同一である。前者は自分は苦しみを受けずに済むと
思い込み、後者は自分は罪を犯さないで済むと思い込み、それぞれ迷妄に囚われている。これ
ら二人の迷いの眼が豁然と開かれるなら、それぞれが次のように認識することだろう。まず苦
しみを与える側の人は、この広い世界の中で苦悶に悩みつつある一切衆生の中に自分は生きて
おり、自分に理性が具わっていれば、如何なる落ち度のせいかも分からないこれほどの苦悩を
人々が背負わされて、一体なぜこの世に生を享けたのか、これはいくら深く考えても空しいこ
となのだ、そう認識するだろう。さらに一方苦しみを受けた側の人は、この世で行われるすべ
ての悪、あるいはかつて行われたすべての悪は、自分の本質をも形づくっているあの意志から
流れ出たことであり、これらすべての悪は自分の中にも現象しているのであって、そこで自分
はこの現象ならびに現象の肯定を通じて、あの一つの意志から生じたあらゆる苦悩を一身に引
き受けこれを忍耐していくのは、自分もまたこの意志である以上は至極当然なのだ、そう悟る
であろう。

    A.ショーペンハウアー 意志と表象としての世界 第四巻六十三章より抜粋
301考える名無しさん:02/11/29 11:52
読書に関する彼の記述には賛成しますか?
302考える名無しさん:02/11/29 18:51
書物を主体的に活用することについて述べていることは異論はない。
彼一流の皮肉に触発されて読者自身の書物対する認識が改めて確認できたら
意義は達成されたと思う。正解はない。
個人的には概ね共感できたように思う。
(相変わらずのFやHへの個人攻撃にはゲンナリだが。)
303考える名無しさん:02/11/29 19:35
居酒屋のおやじ顔にはワラタ
304考える名無しさん:02/11/29 22:53
『読書について』がなければ、
この人が今の日本で読まれているかどうか・・・。
305考える名無しさん:02/11/30 18:30
万人向けに著したパレルガがなければ、
恐らく世界中の誰も彼を発見できなかった可能性大。
306考える名無しさん:02/12/01 16:43
Hの目の前で強烈なひとこと「無知が知れますよ(w
凄いぜ!ショーぺ
307考える名無しさん:02/12/01 18:04

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(上記3つの内繋がり易いものからいらしてください)
308考える名無しさん:02/12/01 23:50
ショーペンハウアーの人間論はパスカルのパクリだろ
309考える名無しさん:02/12/04 14:01
>>308
粘着キモッ(藁
310考える名無しさん:02/12/04 17:35
>>309
はぁ?
311考える名無しさん:02/12/06 04:13
全集が高い。全部で6万以上…まあこれは納得できなくもないけど…。
中公バックスのも販売停止?勘弁してくれ。
自分の物にするには原本(ドイツ語)を訳すしかないのか…。
めんどくさい…。
312考える名無しさん:02/12/08 17:16
313考える名無しさん:02/12/12 15:34
314考える名無しさん:02/12/12 15:47
315考える名無しさん:02/12/24 22:53
ときにはショーペンハウエルのように
(うた・黒沢年男)
316考える名無しさん:02/12/25 02:58
ショーペが好きな人はイタリー映画「ライフ イズ ビューティフル」を見てください。
317考える名無しさん:02/12/28 01:42
http://kuroneko22.cool.ne.jp/Schopenhauer.htm

宗教とは蛍のようなものだ。光るためには暗闇を必要とする。
―「パレルカ-ウント-パラリポメナ」―
318考える名無しさん:03/01/02 18:59
岩波文庫の「読書について」はすごくいい。
簡潔でわかりやすい言葉で読書論を展開している。
ニーチェが「この人を見よ」で語っている読書論は、
この本が基調だろうね。
319考える名無しさん:03/01/05 00:59
螺旋蒼月@ってウザイ。
320考える名無しさん:03/01/05 01:01
むかしはショーペンすきだったけど、今読むとなんだこいつ、と思う。
プロレタリアのきもちがわからんやつだ。
貴族の文体だ、とおもう。

自殺についての最後の章に感動したじぶんがはずかしい
321考える名無しさん:03/01/08 04:05
>>320
う〜ん。
どこまで本気かしらないがどちらかと言えばプロレタリアにこそ
役に立たないかショーペンって。
確かに生まれて物心ついてから一時も衣食住に満足出来ない人生を
送ってきた人にはたまらなく嫌な哲学だろうけどさw

自分は今は生活安定してるけどこれがひっくり返った時にこそ
先生の哲学の出番だとおもっとるよ俺は。今までもそうだったし。
322考える名無しさん:03/01/08 04:10
みんな読書についてと自殺についてしか読まないの
323考える名無しさん:03/01/08 21:28
だって売ってないんだもん。

この手の本を借りる気もしねーし

文庫版で全集みたいなのでねーかなぁ〜  はぁ。
324触石 ◆/Yna5bJz.Q :03/01/12 00:17
age
325考える名無しさん:03/01/12 00:26
存在と苦悩、孤独と人生、随想禄が白水社から。でてるじゃん
326考える名無しさん:03/01/14 05:56
要するに意志ってのは生命エネルギーのことやな。
327考える名無しさん:03/01/14 06:18
MXなどで集めた動画をみんなでココにUPしよう!
http://www6.ocn.ne.jp/~endou/ten.html
328考える名無しさん:03/01/14 07:46
>>327
1秒で転送
329真夏の放火魔:03/01/17 22:39
新潮文庫の「幸福について」はいいですよ。
330山崎渉:03/01/18 09:33
(^^)
331考える名無しさん:03/01/19 04:53
カミュがバカにしてますた。
332考える名無しさん:03/01/20 08:06
ショペハウをバカにするのは日本人ではその厭世観。ショペハウの価値はそんな感情的な所にあるのではない。アカデミックな正当な哲学なのだ。例えば人間の主観とはその形式であるとする極めて重要な説これはカントの純理の影響なのだがカントを大きく超えている。
333考える名無しさん:03/01/20 15:18
ショペハウをバカにするのは西洋人ではその深層心理まで巣くっているキ教の影響。ショペハウはキ教を否定した訳ではないが西洋哲学へのキ教の影響を徹底的に排斥した。
334mmm:03/01/20 15:25
http://www6.ocn.ne.jp/~endou/index2.html
      ★こんなサイト見つけました★
335考える名無しさん:03/01/20 21:02
宗教的聖者はショペハウの理想的な人間なのだが、よく言われることだが彼自身は宗教的聖者ではない。じゃあ彼の説は無責任じゃないのともよく言われるのだが、彼は宗教家ではなく哲学者なのだ。もっとも彼がまったく聖者たろうとしなかったとも言えないのではあるのだが。
336考える名無しさん:03/01/20 22:14
ショペハウは西洋哲学からキ教の影響を徹底的に拭い去ろうとした。彼の先駆者はカントなのだが純理は当時の国王からの批判を受けた。要するに哲学においてもキ教に不利な事はは言うなと言う訳だ。そこで彼が書いたのがかの出鱈目な実践理性批判
337考える名無しさん:03/01/20 22:22
しかしカントによって西洋哲学いおける神の無意味は決定的な事になった。それを出鱈目な言論で救おうとしたのがヘーゲル。キリスト教によって理性的に弁証法で人間は最高の精神的高みにたどり着く。それが彼の最高概念たる絶対精神。
338考える名無しさん:03/01/20 22:25
ショーペンハウアーは、インド思想の影響を受けて自分の哲学を作ったわけではない。インド思想に出会わなくても彼の哲学には何の変化もなかったろう。
339考える名無しさん:03/01/22 02:02
ショー先生の狂気に関する考察は現代精神医学の立場からも
ほぼ完璧な出来だそうな
340ぱこ:03/01/22 02:13
341考える名無しさん:03/01/23 07:55
よい入門書おしえて
342考える名無しさん:03/01/23 22:08
今新刊書店にあるやつはだいたい優れてるよ
343考える名無しさん:03/01/23 22:15
わたしはショーペンハウアーの最大の特徴をペシミズムだとは思わないのですが。
ライプニッツは言った「この世は存在し得る限りで最良のせかいである」
これに対するショーペンハウアーの反論
344考える名無しさん:03/01/23 22:20
ライプニッツへの反論「この世が存在し得る限りで最良の世界であるならば、世界がもう少し悪ければこの世はそんざいしないだろう。だからこの世は存在し得る限りで最悪の世界なのだ」
345考える名無しさん:03/01/25 07:24
ショーペンハウアーの哲学の一番の特徴は彼の哲学の結論の一部であるペシミズムなんかじゃ
ないとおもふ。こうゆうこと言ってる。主観とは認識されないものである。認識されるものは
全て客観である。それは主観とは認識の形式だからである。というのは例えば砂糖が甘いのは
それは認識の形式であるから正確にいうと主観とは、主観とは人間の感性的直感のア・プリオ
リな形式であるということ。
346考える名無しさん:03/01/25 08:32
>>341
入門書などという駄書は
購入してはならんとショーペンハウアー自身が言明しています。
カントに触れるならカントに、
ショーペンハウアーに触れるならショーペンハウアーに。
347考える名無しさん:03/01/25 16:37
>>55
これは「哲学は教える事ができるが、哲学することを教えることはできない」
という意味ですね。
348考える名無しさん:03/01/25 16:43
「因果律が感性的直感の形式」という論証が「根拠率の4根」を読んでも
なかなか理解できないんですが。
349考える名無しさん:03/01/25 22:19
結局、東洋哲学を先に学ぶと西洋に浅さを感じるわけで・・・
350考える名無しさん:03/01/26 08:31
「認識主観は認識するものであって絶対認識されない」と説は極めて重要な説だと思う
んですが、ショーペンハウアー以外にこんな事を言った人っているのでしょうか?
351酢毘野座:03/01/26 08:36
高校時代にニーチェ夢中で読んだが、今、何一つそのかけらさえ心に残っていない。
ただ、ニーチェの著書で知ったショーペンハウエルは、それなりの影響を受けた。
多分、それは厭世的な世の中の見方であったが今も自分のうちにその痕跡らしきものを感じる。
幸福について、などはもう一度読んでみたいもの。
352考える名無しさん:03/01/26 12:12
科学ほどではないにしても、現代哲学ってゴタゴタゴタゴタしたのが多いと思う。哲学の科学化
なのでしょうか?ショーペンハウアーは哲学で重要な点をしっかりつかんでいたというのは凄い
と思う。形而上学の哲学者だよね。形而上批判とその影響を受けた思想が多い昨今、私は形而上
学が哲学の中の哲学だと思っています。何が重要と考えるか人によって違うとも思いますが。
353考える名無しさん:03/01/26 12:15
科学がゴタゴタしたものだという意味ではありません。
354考える名無しさん:03/01/26 20:00
ドイツ語はわかりませんが、ショーペンハウアーというのは文章がうまいと思います。というよりダイナミックな名文でをものごとの核についてばかり書くという感じ。
355考える名無しさん:03/01/29 19:05
まぁ、正しいと思うわ。彼は。


http://antipasgroup.hp.infoseek.co.jp/
356考える名無しさん:03/01/31 21:06
先日、ショーペンハウアーを思い出して迷い込んできた自殺志願者が居たようですので、
コピペしておきます。

>自殺は意志の否定であるどころか、むしろ意志の強烈な肯定のひとつの現象である。
なぜなら意志を否定するということの本質は、苦悩の嫌悪のうちにあるのではなしに、
人生の享楽を嫌悪することのうちにあるのだからである。もともと自殺者は生を欲しているのだ。
自殺するのはただ、現在の自分の置かれている諸条件に満足できないというだけの話なのである。
だから自殺者は決して生きんとする意志を放棄するのではなく、ただ単に生を放棄して個別の現象を破壊するに留まっている。

>ところで彼がそれから懸命になって逃れようとしていたその苦悩こそ、意志を禁圧して
彼を彼自身の否定ならびに解脱へと導いてくれる筈のものであったから、この点から言えば
自殺する人というのは、ある苦しい手術を受けている人病人が、手術で根本的に治療されうる
筈だったのに、手術が始まってから途中でそれを中止して、好んで病気のままでいるようなことだと
言えるだろう。苦悩が近づいてきて、せっかくこの苦悩によって意志の否定の可能性が開かれてきている
というのに、彼は苦悩を退けてしまうのである。そうしておいて、意志が打ち挫かれないですむようにと、
意志の現象である自分の身体の方を破壊するというわけである。

>自殺は全く無駄で愚かしい行為といえるだろう。

A.ショーペンハウアー 意志と表象としての世界 第四巻第六十九節より
357考える名無しさん:03/02/01 11:40
一昨日,生まれて初めて哲学の本買いますた。
それが,ショーペンハウエルの「知性について」(岩波文庫)
とりあえず,頑張って読んでみまつ。
358考える名無しさん:03/02/01 22:44
「知性について」「読書について」「自殺について」(岩波文庫)
「幸福について」(新潮文庫)

 いずれも手軽に読めますので是非ご一読ください。
359ハウエル:03/02/02 04:52
中公バックスから
『意志と表象としての世界』が出てるだろ?
しかも西尾幹二先生の翻訳で…
それ読んでから文句言えよ

凡俗どもが…
360考える名無しさん:03/02/02 04:57
自慰でもしてろ
361357:03/02/02 11:56
>>358
どうもありがとうございます。
今読んでいるものを終えたら,
読書についてにもトライしてみようと思います。
362読書について:03/02/02 22:49
ショーペ
「読書とは他人にものを考えてもらうことである。
一日を多読に費やす勤勉な人間は次第に自分で
ものを考える力を失っていく」

論語
「学びて思はざれば即ち暗く,思いて学ばざれば即ち危うし」

読書について、勉強について、
この二つの見解は似ている。
363読書について:03/02/02 22:57
この問題は情報を扱う立場にある人すべてが
向き合うべき命題である。

論語の言葉を分かりやすい例に置き換えよう。
地図をいくら読んだところで
実際にどこへ行くかを決めなければ
その情報は暗いままである。
逆に、地図を読まないで旅に出れば
道に迷うこと必然である。

情報と向き合うことなしには
私たちは生きていけない。
しかし、情報を過信し、
情報収集だけに終始しては
物事の本質を見失う。

おそらくショーペ先生はそういうことを
言っている。誰よりも書籍を愛したであろう
ショーペ先生が言うんだから間違いない。
364考える名無しさん:03/02/02 23:07
マクロとミクロ
365読書について:03/02/02 23:17
じっさい、

書籍を手に取る動機は
「誰が書いたか」ということと、
「何について書いたか」という2つしかない。

「誰が書いたか」を書籍評価の基準にする人は
その評価した著者が何を語ろうとどこまでも著者について
いくことになる。ショーペだったら、
はじめは『読書について』から
『意志と表象としての世界』へと導かれていく訳だ。
さらに興味を持てばショーペが影響を受けた
カントの書籍にも興味を持つかもしれない。
その時、読者はただついていくだけ。

かたや、「何を書いたか」を基準にする人は
真に思索しようとしている人と言える。
多くの哲学徒に欠けているのはこういう態度。

自分は何を思索の命題にするのか、
きちんと自己分析できている人とできてない人との
格差は大きい。それが単なる物知りと他人に
影響を与える著作家との違いと言える。

しかし、ショーペが言おうとしていたのは、
同じ事柄について思索していても、
誰も考えもつかなかった真理を発見する人がいる。
そういう人が真に偉大であるということであろう。
366読書について:03/02/02 23:32
「知識は力である・・・・とんでもない!
知識が豊富でもそれほど権力を振るわない人もあれば
逆になけなしの知識しかなくとも絶大な権力を振るう人もある」

−−− ショーペンハウエル
367考える名無しさん:03/02/03 05:52
情報社会の今日においては
情報を収集することよりも
集めた情報の取捨選択のほうが大事である

そんなことをあなたは言いたいのですね?
同感です
368考える名無しさん:03/02/03 07:52
>>読書について

>おそらくショーペ先生はそういうことを
>言っている。誰よりも書籍を愛したであろう
>ショーペ先生が言うんだから間違いない。

アハハ

369考える名無しさん:03/02/03 17:06
>>359
ソースは?
370考える名無しさん:03/02/04 11:10
>>369
世界の名著シリーズです。
中公クラシックスに移行中なので現在は在庫切れかも。
でも私は西尾幹二が嫌いなので買いません。
371匿名希望:03/02/10 04:05
さ〜てショーペンハウアーをドイツ語で読もうっと
ショーペンハウアーも言ってたけど
所詮訳書はダメ
句読点一つ違えどニュアンスが変わるからな
ショーペンハウアー読みたいならドイツ語ならえと
プラトン読みたいなら旧ギリシャ語ならえとラテン語も習えとフランス語も英語も
学問とはそういうものだ(だそうだ。すこし厳しいってw)
372考える名無しさん:03/02/10 07:21
んで哲学は?
373考える名無しさん:03/02/15 07:38
「充足理由率の四つの根=因果律、概念、時間と空間、意志」って現代的見地からいってどうなんですかね。
374考える名無しさん:03/02/15 08:35
ショーペンハウアーってそんじゃそこらの哲学者じゃないから、思いつ
くままに著作したのではなく、きちんと書くべきことを計画的に自分の
一生をかけて書いて後世に残そうとした。「意志と表象としての世界」
の正編には解りやすいカントの解説である「カント哲学批判」が含まれて
いるしその序曲である「根拠率の四根」も含めると「意志と表象としての
世界」は、全著作の半分に及ぶ。
375581:03/02/15 08:36
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376考える名無しさん:03/02/15 10:12
ショーペンハウエルって20代から生涯言ってることが変わらないよね。
ショーペンハウエルへの批判って感情的なものが多いからつまんない。
中身がないんだよね。
誰かショーペンハウエルのどこが間違ってるか教えてくれないかな。
377考える名無しさん:03/02/15 11:05
これってどう思いますか?
「すべてを認識するが、なにびとからも認識されないもの、これが主観である」
(世界の名著45、114P、意志と表象としての世界正編2章2節)
378考える名無しさん:03/02/15 12:59
>>374
全著作が「意志と表象としての世界」だとも言える。
379考える名無しさん:03/02/15 21:09
ショーペンハウウアーがゴミだと思う理由も書けないないで、哲学ボードでゴミをまきちらすのには
かなり勇気がいることだろう。
380考える名無しさん:03/02/15 22:25
>>376
>ショーペンハウエルって20代から生涯言ってることが変わらないよね。
文章の流れからすると上の点も批判的な意味で言ってるのかな?

ショーペンが感情的な表現を使うのは間違いないけど
感情に任せたままに文章を書くとああはならないよ。
良く考えりゃヘーゲルの文章の方がよほど
「気の向くままの感情的な文章」とも言えるわけだしw

ショーペンハウエルの間違い(「隙」ならあるけど)は俺には解らないけど
「ショーペンハウエルの哲学を許容出来ない人」が極めて感情的だって事には
最近気がついた。
なんでだろう?
381考える名無しさん:03/02/15 23:24
>>380
コメントありがとうございます。
批判的な意味じゃないですよ。
ショーペンハウエルが感情的なのじゃなく、ショーペンハウエルへの
批判が感情的なものが多いということです。ショーペンハウエルを
許容できない人が極めて感情的ともおっしゃってる訳ですが。
382考える名無しさん:03/02/16 00:25
普通の奴がくどくど論理展開して説明しようとしても
説明できないようなことを
ショーペは一言でズバリと説明してしまう。

いや、天才としかいいようがないね。
383考える名無しさん:03/02/16 06:14
まあ翻訳されたものを読んでなんですが、なかなか両立できない、正確さと
解かりやすさの二つを兼ね備えていると思います。
384考える名無しさん:03/02/17 03:21
コピペ揚げ

我々は憎悪と悪心とはエゴイズムによってもたらされるものであること、そのエゴイズムは認識が「個体化の原理」
に捕らわれていることに基づいているものであることを見てきたが、更にまた我々は正義の起源と本質とは、この
「個体化の原理」を突き破ってその奥を見届けることであることを知ったのである。そしてこれに次いで、更に
進んで行けば、愛並びに高潔心の起源と本質とは「個体化の原理」を看破することの程度が最高度にまで達した
場合であることも知った。ひとえに「個体化の原理」を看破することのみが、自分の個体と他人の個体との区別を無くし、
他人の個体に対する無私無欲な愛、高邁宏量な献身にまで至る心の持ち方の完全な善を可能にするものであり、
またこれらを説明するものである。
 ところでしかし「個体化の原理」を見破ってその奥を見ること−あらゆる現象は多様でも意志はただひとつである
というこの直接的な認識−が高度な明瞭さで存在するならば、この認識はまた一歩進んだ影響をただちに意志の上に
及ぼすであろう。すなわち面前に掛かっていたマーヤーのヴェール「個体化の原理」が取り払われてしまったような
人は、もはや自分の一身と他の人格との間を利己的に区別することはなく、他の個体の苦しみに彼自身の苦しみと同様の
関心を持ち、かくてただ最高度に慈悲深いばかりでなしに、もし自分を犠牲にして他の幾人かが救われるものならば、
自分自身の生命を何時でもすすんで犠牲にする心構えさえある。その結果は自ずと、万物の内に自分を認識し、万物の内に
自分の最内奥の真実の自我を認識しているそのような人であれば、生きとし生けるもの皆すべての無限の苦悩をも我が物と
化すに違いあるまい。エゴイズムに捕らわれている者は、我が身一身の禍福の変転を眼中に置いているが、もはや今述べた
ような人はそういうものを眼中には置かず、「個体化の原理」を見破っている以上、ありとあらゆるものが彼には平等に
身近に感じられている。彼は全体を認識し、全体を把握している。

       A.ショーペンハウアー 意志と表象としての世界 第四巻第六十八節より
385考える名無しさん:03/02/17 07:19
>>384
いいですね、ショウペンハウアー。しびれる〜。ショウペンハウアー全集別冊抜きで15000円でかった!
386ぴかぁ〜:03/02/17 07:46
っきゃああああーーーーあいなのだあ!!!!逝っていいいーーー???
387602:03/02/17 08:36
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388考える名無しさん:03/02/17 12:40
ショーペンハウアーでも間違ったを言ったことはあるだろう。しかしショー
ペンハウアーによってギリシャ哲学以来の形而上学はすでに完成されている
のかもしれない。少なくとも形而上学の真理とは、ショーペンハウアーの説
にかなり近いところにあるのは間違いないはずだと私は思っている。
389380:03/02/18 17:56
>>381
うん。批判の「動機」は極めて感情的だと言えますよ。
ただ実際に批判のする際には極めて論理的であると。
本気で感情的であるより「ここで俺は怒ってるんだ。怒らないはずがないだろう!!」
って覚悟みたいのがちゃんとあるからさ。
390哲学初心者 最近読んだ本「哲学の謎」:03/02/19 19:37

表面上、その著作及び文体のとっつきやすさ、平易さ故、自己啓発本若しくは実用書
感覚(本人はそれに無自覚)で容易に理解できてしまう。
カントで挫折、ニーチェで挫折等々した人間にとって、唯一理解できる(哲学であろうと思われる)文章である
が故、ショーぺ御大を好きになってしまう。
西洋哲学数百・数千年の歴史を勘案した場合、やはりショーペンハウエルは素人哲学者
の烙印は免れ得ないであろう。
100年以上にわたって読み継がれてきた以上、そこには何か存在するであろうという
反論もあるだろう。しかし、それは、上述した(カントに挫折・・略 のくだり)人間たちに
よって読み継がれてきたに過ぎない。
391考える名無しさん:03/02/19 21:38
>>390
『意思と表象としての世界』読んだことある?
392考える名無しさん:03/02/19 22:02
>>390
「充足理由率の四つの根について」と「カント哲学批判」読んだ事ある?
393考える名無しさん:03/02/19 22:12
>>390
 その文が君の考えなのか読んだ本のコピペなのかは判断できないが、内容そのものがDQN。
カントを知らなければショーぺを理解することは出来ないし、ニーチェを嗜好する者が、理解
出来ないからといって掌を返してショーぺに追随するだろうか。
 厨房について言及したいのだろうが、それはショーぺに限らずむしろニーチェの周辺に多く
たかり、或いは哲学という響きだけに吸い寄せられた者が、あらゆる場面でそのDQNぶりを
発揮している、ただそれだけのことであろう。君がうpした文もやはり根拠もなく内容にも言
及していない故に、それらと変わらぬDQNと冒頭で書いたわけ。
 ところで>表面上、その著作及び文体のとっつきやすさ、平易さという側面は大切。理解
不能な自慰文章で何を語ろうとも、それは学者の食い扶持を保障するだけでしかない。逆にい
えば、>西洋哲学数百・数千年の歴史を経ても独りよがりの保身で精一杯なところが、ますま
すDQNぶりに拍車をかけているようにみえる。(現代科学と物質至上社会に急き立てられ、
ぶざまに右往左往)明瞭な著作により民度が向上しDQN学者が消えるなら、それは素晴らし
いことなのだ。
394考える名無しさん:03/02/19 22:14
>>390
「超越論的感性論」読んだことある?
395380:03/02/21 00:45
日を改めて見なおしたらなんだか解り難い書き方しちゃったな。

まずショーペンの批判は往々として感情的な表現でなされてるって点は確かにそうかなと。
んでそれが「つまらない」理由になるのかが解らないんだけど。
哲学そのものに理解も共感もできなくても
「感情をこれでもかと滲み出しつつ論理性を失わずに徹底的に対象を叩く」
って文章だけでも十分面白いと思うんだけどw

自分も最初に読んだ頃は「何をそんなに怒ってるんだアンタは?」って感じたけど
彼と彼の哲学が当時どういう扱いを受けてたか知ってからは納得出来るたけどね。
396考える名無しさん:03/02/21 01:37
みんな勿論原文で読んでるよね?
え?日本語で読んでるの?
397難波:03/02/21 07:48
 「考える名無し」さんへ貴方の意見はすべて、哲学用語を誇示したいが為に提示されているようにしか思えません。そういう無作為な形而は控えて自らの研究があるなら
そちらに専念されたら同でしょうか?(もしあればですが)このような不特定多数の、掲示板に書き込む人間が
私同様、識者であるわけがありませんと思いますが。
398考える名無しさん:03/02/21 07:57
>>397
初心者ハケーン
399考える名無しさん:03/02/24 12:03
400『考える名無しさん』:03/02/27 04:35
>このような不特定多数の、掲示板に書き込む人間が
>私同様、識者であるわけがありませんと思いますが。

でその具体的な根拠は?大変興味のある意見ですね。

まあその根拠を書いてしまうとその不特定多数の似非識者に自分が
何故識者足り得ないかを告白することになりますがね。
401信一:03/03/04 18:38
一応ショーペンハーウアーの形而上学は理解した。しかし果たしてショーペ
ンハウアーの形而上学が本当に正しいのかどうかは解らなかった。その後不
十分とはいえ色々なことを学んだ。これからはショーペンハウアーの形而上
学が本当に正しいのかどうか、ショーペンハウアー全集を力を入れて読んで
いこうと思う(ほんとはそれが最高に楽しいのハハハ(^v^)

402信一:03/03/04 19:45
やはり「充足根拠率の4つの根」からですよね。これは哲学一般の
勉強にもとても焼くにたつ。しかし悩む真偽のほどがわからない。
403信一:03/03/04 21:18
単純に言うと、人間の安心立命には二つあって、宗教的な安心立命(こ
れが本当にできれば申し分ない)と人間の実体のその形而上学な知的
真理を理解し確信すること。ほかの哲学はくそ。
404信一:03/03/04 21:37
わたしは形而上学が真理であればそれは万人の救いになると思っている。
釈尊は確かに形而上学については沈黙したのだが、これは沈黙という形
でその形而上学的質問に*答*え*た*の*だ*。

ちまたで常識になっている、「釈尊は形而上学を無意味なものとした」
という理解は全く出鱈目。

どいつもこいつも現代の形而上学批判の影響を盲目的に受け継いでいる。
あほども。
405信一:03/03/04 23:38
白水社の「意志と表象としての世界」正編より、中央公論社の「意志と表象
としての世界」正編が読みやすいのはなぜ?
406信一:03/03/06 06:54
いまヘーゲルの解説書読んでます。キャハハ(^v^)
407考える名無しさん:03/03/08 09:53
test

 因果の法則とそれに従う自然の観察や研究を進めていくならば、必然的に我々は次のような
確かな仮定に導かれていく。時間の中ではより高度に有機質を持つ物質の状態よりも常に先に
原材のままの物質の状態が発生しているということ、つまり動物は人間より先に、魚は陸上動物
より先に、無機質はあらゆる有機質より先に存在していたということ。従って根源的な物質の塊が
一連の長い変化の時期を経てきた後にはじめて、最初の眼が見開かれるに至ったのだということ
である。それでも見開かれたこの最初の眼に、例えそれが昆虫の眼であっても、世界全体の存在が
依存しているのであって、この最初の眼は認識の必然的な媒介者であり、世界は認識に対してのみ
そしてこの認識の中にのみ存在し、認識を欠いては世界を考えることすらできない。何故なら
世界は端的に言って表象であり、世界は表象であるからして、自らの存在を担う者として認識する
主観を必要とするからである。いや、決してそればかりではない。あの数え切れない程の変化に
満たされ、物質が形態から形態へと昇っていき、そして遂に最初の認識する動物が生まれるに至る
長い時間系列そのもの、この全時間そのものが、意識の同一性の中でのみ考えられるものなのである。
時間とは諸表象についての意識の継続のことであり、認識するための意識の形式のことである。
認識するためのこの形式ということを離れては、時間は完全にあらゆる意味を失い、全く無に成り果てる。
 こうして我々は一方では、全世界の存在は最初の認識する生物、これが例えどんなに不完全な生物
であろうと、ともかくそれに依存していることを見てきたが、他方では、この最初の認識する動物の方も
彼に先立つ原因と結果の長い連鎖に依存しているのであって、最初の動物自身は小さい一環として
長い鎖の中に繋がれているということをも、我々は同じくらい必然的と見ているのである。この二つの
見解は明らかに矛盾しているが、その何れにも我々は同じ必然性をもって導かれるのである。
言うまでもなくこの二つの矛盾した見解を、またしても我々の認識能力における二律背反と呼ぶ
こともできよう。

  A.ショーペンハウアー 意志と表象としての世界 第一巻第七節より
408考える名無しさん:03/03/08 10:28
test

 しかしながら右に述べてきた論述で遂に明らかになったこの矛盾、これが解決を見出すのは
次の点に於いてである。カントの言葉を使えば、時間・空間・因果性は物自体に属しているのでは
なしに、その現象に属しているに過ぎず、時間・空間・因果性は現象の形式であること、これを
私の言葉で言い換えれば、客観世界、つまり表象としての世界は、世界の唯一の側面でなしに、
世界の単に一つの、言わば外的な側面に他ならず、世界は尚もう一つの完全に別の側面を持ち、
その内奥の本質、その核心、物自体であるところのもう一つ別の側面を備えているということ、
ここにおいて右の矛盾は解決されるのである。世界のもう一つの側面、この物自体を我々は
第二巻で考察することになろうが、それを物自体の客観化の中での最も直接的な客観化のひそみ
にならって、意志と名づけよう。
 しかし、いま我々がここで専ら考察しているのは表象としての世界のほうであって、これは
勿論最初の眼が見開かれた時をもってようやくに始まるのである。認識というこの最初の眼を
媒介することなくして、世界は存在し得ないし、またそれ以前にも世界は存在しなかった。いや、
この最初の眼が無ければ、即ち認識を離れた場所では以前ということも無かったし、時間も
無かったのだ。が、だからといって時間は始まりを持っているわけではない。全ての始まりは
時間の中にある。時間とは認識することが可能になる為の最も普遍的な形式であり、一切の現象は
因果性の絆を手段として時間というこの形式に当てはまるのであるから、最初の認識と共に時間も
またあり、同時に両側(過去・未来)に向かう時間は全く無限となるであろう。

  A.ショーペンハウアー 意志と表象としての世界 第一巻第七節より
409考える名無しさん:03/03/08 10:48
test

 このような最初の現在を満たしている現象は、無限に過去へ伸びていく一系列の現象に因果的に
結び付けられ依存していると見なければならないし、それでいて過去そのものが最初の現在に制約
されているのであって、それは逆に、最初の現在が過去に制約されているのと同じことである。
その結果として、最初の現在も、またそれが由ってきたところの過去も、共に認識する主観に依存
しており、認識する主観がなければ無である。しかしまた、次のようなことも必然性のもたらす事実
である。この最初の現在は、最初の現在として立ち現れることはない。即ち、過去を母胎と持たずに
時間の始源として立ち現れるということはない。そうではなく、この最初の現在は、時間の中に於ける
存在の根拠に従った過去の継続として立ち現れるのだといっていい。だからまた、最初の現在を満たす
現象もやはり、以前の、過去を満たしてきた諸状態の引き起こす結果として、因果の法則に従って立ち現れる。

  A.ショーペンハウアー 意志と表象としての世界 第一巻第七節より
410考える名無しさん:03/03/08 11:27
test

 我々が生き且つ存在しているこの世界は、その全本質の上から見てどこまでも意志であり、そして同時に
どこまでも表象である。この表象は、表象である以上は既に何らかの形式を、つまり客観と主観を前提とし、
従って相対的である。客観と主観というこの形式と根拠の原理が表現しているこの形式に従属した全ての形式
とを取り除いてしまった暁に更に何が残るかを我々は問うてみるなら、これは表象とは全く種類を異にした
ものであって、意志以外の何物でも有り得ず、それ故これこそ本来の物自体である。各人は己自身がこの
意志であることを知り、世界の内奥の本質もまたこの意志に存することを知るのである。が、同時にまた各人は
己自身が認識する主観であることを知り、全世界は主観の表象である以上、その範囲と言えば全世界はその
必然的な担い手である主観の意識に関連してのみ、現実的な存在を有しているのだと知るのである。
 だからこのような二重の観点に於いて、各人は全世界そのものであるし、小宇宙である。各人は世界の二つの
側面を余す所なく完全に自己自身の内に発見する。このように各人が自分に固有の本質を認めているものが、
同時に全世界の、即ち大宇宙の本質をも尽くしている。だから全世界もまた彼自身と同じようにどこまでも
意志であり、そしてどこまでも表象なのである。その他には何も残らない。こうしてここに我々は、大宇宙を
考察したタレスの哲学と小宇宙を考察したソクラテスの哲学とが一致することがわかる。両哲学の対象は同じ
であることが示されるからである。

  A.ショーペンハウアー 意志と表象としての世界 第二巻第二十九節より
411考える名無しさん:03/03/08 11:57
test

 さて、認識する個体(これはそれ自身としては物自体である意志の現象に過ぎないが)の各々の個別的な
意志の働きは、自然界の変化が何らかの原因を備えているのと同様に必然的に何らかの動機を備えている
のであって、動機が無ければ意志の働きは生じては来ない。しかし自然界に於ける物質的な原因とは、この時
この場所この物質にはかくかくしかじかの自然力の発動が行われるに違いない、という規定をただ単に
含んでいるに過ぎないものなのだが、動機もまたそれと同じことで、認識する存在者の意志の働きが、この時
この場所この状況下で完全に個別的なものであることを単に規定しているに過ぎないのである。動機は
認識する存在者がそもそも何かを意欲すること、しかもこれこれの仕方で意欲すること、およそこのような
ことを決して規定してはいないのである。存在者が何かを意欲すること、これは存在者の叡知的性格の発動
だからである。叡知的性格とは意志そのものであり物自体であって、根拠を欠いており、根拠の原理の
領域の外にある。
 そういう訳で、どの人間も常に目的と動機を備え、それに従って自分の行動を導き、自分の個々の行動に
ついて常時弁明することを心得ているのに、しかし一旦彼にそもそも何故何かを意志しているのか、或いは
そもそも何故存在しようと欲しているのかと問うたなら、彼は何の答えも持たないであろう。むしろ質問自体
が彼には馬鹿げたものに思われるだろう。そして他でもない、正にこの点で、彼自身が意志に他ならないのだ
という意識が本当に現れることだろう。意志がそもそも何かを意志するのは当たり前のことだからである。
意志はただその個々の働きに於いてのみ、その各時点に対し、動機による細かな規定を必要としているだけである。

  A.ショーペンハウアー 意志と表象としての世界 第二巻第二十九節より
412考える名無しさん:03/03/08 12:23
test

 実際、一切の目標がないということ、一切の限界がないということは、意志そのものの本質に属している。
意志は終わるところを知らぬ努力である。この件は以前に遠心力について言及した時に既に触れておいた。
この件はまた、意志の客体性の一番低位の段階、重力に於いて最も単純な姿をとって露わになっている。
重力は究極の目標というものを持たないのに、休むことなく努力していることは一目瞭然である。仮に重力
の意志に従って存在する物質の全てが寄り集まって一塊になったとしても、その塊の内部で重力は中心点に
向かって努力し続け、相変わらず剛性ないし弾性であるところの不可入性と闘争を続けることになるだろう。
だから物質の努力をただ阻止することは可能かもしれないが、物質の努力を叶えてやったり満足させたり
することは決して可能ではないのだ。
 しかしあらゆる意志の現象のあらゆる努力に関しても、事情は丁度これと同じである。一目標が達成
されればそれがまたもや新しい進路の始まりになるからである。努力はこうして無限に向かっていく。

  A.ショーペンハウアー 意志と表象としての世界 第二巻第二十九節より
413考える名無しさん:03/03/08 12:38
test

意志は認識の光に照らされている時には、自分が今何を此処で何を欲しているかを常に
知っている。しかし意志は、自分がそもそも何を欲しているかということを決して知らない。
意志の個々の働きは目的を持っている。総体としての意欲は目的を持っていない。それは丁度、
個々の各自然現象が、この時この場所に発現することに対しては、十分な原因によって規定
されているのに、自然現象の中に自己表明を行っている力一般は何らの原因をも持たないのと
同じことである。このような力一般は物自体の、根拠の無い意志の、現象の段階だと言える
からである。
 しかし意志のただ一つの自己認識を全体として見れば、これは全体として見た表象であり、
直観的世界の総体ということになる。この直観的世界は、意志の客体性であり、意志の表面化
であり、意志の鏡である。

  A.ショーペンハウアー 意志と表象としての世界 第二巻第二十九節より
414信一:03/03/09 17:35
この世は表象と物自体とからなる。認識できない物自体の中で、物自体である
意志は、どのような場合に認識されるのか?これを理解することは、ショーペ
ンハウアー哲学を理解するうえで極めて重要である。
415信一:03/03/09 22:43
>>414
これをはっきり理解するには「(充足)根拠率の四つの根について」を読ま
なければならない。充足理由率(充足根拠率)の四つの根とは、人間の存在
のア・プリオリなものの基本となるものに四つあるとしたものだ。それは、
1)因果律、(この世の諸行無常性)2)概念(知性、人間に特徴的な精神
性)3)時間と空間(数学の真実性、ア・プリオリ性)4)意志(認識され
る意志と認識されない意志)である。

>>414を理解するためには、根拠率の四根の4)意志を読まなければならない


「意志と表象としての世界」を理解するためには、「根拠率の四つの根につ
いて」と「カント哲学批判」を理解せずしては不可能である。

しかしそれだけある程度理解できれば、一つの存在論の体系が自分のものと
なるのである。

そしてここまで来て、ショーペンハウアーはおおばかだと感じる者もあるだ
ろう。しかしそんな人でももう自分で哲学する力はついたのである。

416考える名無しさん:03/03/10 12:20
ZETAに哲学・思想板が出来ました
http://zeta.ns.tc/kiba/philosophy/index.html


Zeta BBS
http://zeta.ns.tc/
417信一:03/03/10 17:35
ニーチェがショーペンハウアーを偉大で非凡な教師だと言ったのは確かに正しい
418考える名無しさん:03/03/10 17:57
ショーペンハウエル哲学に従って21世紀を生きてる人。いる?
419考える名無しさん:03/03/10 18:05
従うってのが意味不明。厨のこと?
420考える名無しさん:03/03/10 18:10
>419彼のような考え方で21世紀の世界をみてる人、ってことじゃねえの。
421信一:03/03/10 20:08
>>418
「従っている」というのが幼稚なんだな。私の存在論にショーペンハウアー
が非常に似ているということ。
422信一:03/03/10 21:15
21世紀の哲学に従って生きている人に問うけど、あなたはどんな
存在論に従って生きてるの?まさか*懐疑主義*じゃないよね。そ
んなのありえないもんね。
423信一:03/03/10 23:36
極めて単純に誤解を恐れず言うと、ショーペンハウエルの存在論って、人間
の生の実体と死の実体は同じであり、人間の実体と宇宙の実体は同じである
ということ。実体というのは物自体と同一。しかしこの世界の多様性はいか
に説明されるのか?カントによれば物自体は認識できない。しかしショーペ
ンハウエルは物自体は認識できると考えた。それが意志。ここで彼の重要な
言葉
「すべてを認識するが、なにびとにも認識できないもの、それが主観である」
424「物理学」的者:03/03/10 23:44
>>423
虚数「i」は数学や初歩的な物理学に不可欠な「複素数」の概念の最重要要素ですが、
「i」は「認識できないから「存在しない」ということですか?

皮肉ではなくて、素朴な疑問として?
それとも「虚数は主観の中にある」ということですか?
425信一:03/03/11 00:00
>>424
「主観は認識できない」というのは、おそらくショーペンハウアー独自
の思想であり、彼の形而上学の基礎です。

「この世は主観と客観からなり、主観を認識することはなく、認識され
るのは客観ばかりである」

ということは、例えば貴方が自分というものを認識した場合、それは
客観ということになります。主観は認識できないのですから。つまり
自分というのは、自我、自己意識を含め体、その感覚、なども一切合
財客観であるということになります。
426「物理学」的者:03/03/11 00:06
>>425
ということは「主観」とは「認識できない何ものか」ということになり、
「認識できない何ものか」は「認識できない何ものか」『である』
というトートロジーは避けられるのですか?
427考える名無しさん:03/03/11 01:01
主体と客体の相対的な関係が認識で、それが表象としての世界なんじゃねーの?
428信一:03/03/11 01:11
主観とは認識できない「何ものか」ではありません。「すべてを認識
するが認識できないもの」なのです。感性、概念による認識両方とも
です。
429「哲学的」者:03/03/11 01:15
>>428
『超越的自我から発せられる「指向性」が「認識」を「構成」する』
と言い換えられますか?
430信一:03/03/11 01:23
>>429
「言い換えられません。」超越的自我というのはア・プリオリな自我
という意味ではなく、自我を超えたものという意味でしょう。
431「哲学的」者:03/03/11 01:31
>>430
「自我を越えたもの」とは「集合的無意識」とか「リゾーム」とか
を意味すると言うことですか?
432信一:03/03/11 01:54
>>431
「自我を超えたもの」と「認識されない主観」とはまったく無関係
です。つまり集合的無意識は認識されるものであり、認識されない
ものではありません。集合的無意識、無意識、アラーヤ、マナ識な
どという概念も皆そうです。
433「哲学的」者:03/03/11 02:39
「集合的無意識」が『認識される』とおっしゃるならば、
「認識」と言う言葉に少なくとも「既成の固定ニュアンス」を
脱構築する再定義が必要ではないか?と考えますが?
434考える名無しさん:03/03/11 03:11
河童、ザシキワラシ、等の妖怪は、集合的無意識が認識されたもの。
435信一:03/03/11 18:10
>>433
こういうと分かるでしょうか?「集合的無意識はアプリオリではない」が
「集合的無意識を集合的無意識たらしめる形式があり、それはア・プリオ
リである」と。その形式は認識不可能であると。
436信一:03/03/11 19:01
>>434
まったくそのとうりですね。:砂糖をなめると甘いと認識してしまう。なぜ
甘いのかはそういう形式なのであって、認識することは不可能である。
437信一:03/03/12 07:07
「意志と表象としての世界」は正編より続編のほうがはるかに読みやすい。
続編から読み始めるというのも一つの方法だ。
438信一:03/03/12 20:26
コピペ(意志と表象としての世界、正編、一巻2節)

すべてを認識するが、なにびとからも認識されないもの、これが主観である。
それゆえ主観は世界の担い手であり、主観は現象しているすべてのものを、す
なわちすべての客観をなりたたせている普遍的な前提条件である。なにしろ存
在するものは、主観に対して存在するにすぎないからである。

**************しかしながら自分の身体にしてからがすでに客観である。だ
からわれわれは自分の身体をすらもこの見地からは表象と名づけるのである

(注)ショーペンハウエルの主観と客観という概念は彼独特のものであり、
   一般常識的な理解で見過ごすべきものではない。
439考える名無しさん:03/03/15 02:55
ショーペンハウエルなの?ショーペンハウアーなの?
440信一:03/03/15 18:05
ショーペンハウアーは「純粋理性批判」の一版しか認めませんでした。岩波
純理は二版ですが理想社のカント全集の純理は一版と二版が併記されています。
>>439
昔はショーペンハウエルと言ったが、最近ショーペンハウアーと言うように
なったんじゃない。現代の書物では皆ショーペンハウアーだよね。
441考える名無しさん:03/03/31 05:47
保守age
442考える名無しさん:03/03/31 17:59
保守乙かれさまです。
先日、面白い本を読みましたので紹介しておきます。

「天才と才人 ウィトゲンシュタインへのショーペンハウアーの影響」
 D.A.ワイナー著 寺中平治・米澤克夫訳 三和書籍

 ショーぺに心酔したウィトがやがて批判的に克服していく様を検証しているのですが、
 かえってショーぺ哲学の懐の深さを感じますた。
443超真剣です!!!聞いてください!!!:03/04/02 04:33
日本最大超残忍事件!!!!!mmm
(「絶対」忘れてはならない事件です!!!)

女の子が40日間渡って監禁され、計100人ぐらいに強姦、朝から晩まで超暴力と超陵辱された。
膣を灰皿代わりにされ、自慰(オナニー)を強制され、
真冬に裸で外(ベランダ)に出され、裸で踊らされ、膣やお尻の穴に鉄の棒を突っ込まれ、20キロの鉄アレイで殴られ、瞼にろうそくをたらされ、
膣にマッチ棒を入れられ、膣の中のや裸体をライターで火あぶり、精液を大量に飲まされ、500ccの尿を飲まされ、基礎の他むちゃくちゃ。(生きてるか死んでるかわからないが)ゴキブリも食わされたそうだ。
殺された彼女の親友が言うには、監禁され殺される一日前、幽霊となって「助けて!」と親友に助けを求めたが、親友はどうすることもできず、泣きじゃくった。
「狂宴犯罪」は 一ヶ月以上 続いた 。
そして殺された。

死体の顔は目の位置がわからないほど、変形し、親でも誰かわからず、原型をとどめてないほどで、性器のほうは顔よりもっとひどく完全に破壊されていた。

死体の膣(マンコ)にはオロナミンC2本、入っていた。

「裁判記録」は死ぬほどエグイ内容であった。「コンクリート詰め事件」で検索すればわかる。
(俺は涙が止まらず、夜も眠れなかった。たとえ99.9%の人が幸せでも残る0.01%の人が(超)不幸なら、そんな世の中、絶対承認しない!!!!!そんな世界いらない!!!!!絶対いらない!!!!!(私の心の底からの叫びでした。)
jtggjgjg

444信一:03/04/02 18:51
ヴィトゲンシュタインは何故ショーペンハウアーを克服しなければならなかった
のでしょうか?現代哲学を見ても克服、克服っていったい何を克服しなければな
らないのでしょうか?要するに手前勝手なことをゴタゴタ述べているだけではな
いのか?くだらん。
445442:03/04/02 23:11
 ウィトゲンシュタインはショーペンハウアー哲学が若干の修正と明晰化が施されれば
基本的に正しいと考えたそうですが、検証する過程で、表象としての世界は認められましたが、
意志としての世界には同意できなくなったのだそうです。
 端的にいえば、根拠律の限界、論理の限界である表象としての世界を超え出ている形而上学的な
問いを明晰に解いたり述べたりすることがどうしてできるのか。人間の意志作用がどうして普遍的な
意志作用へ拡大できるのか。故に第一巻から二巻への移行は妥当しえないと結論づけたのだそうです。
また第四巻のショーペンハウアー倫理についても、禁欲的な聖人が自分の隣人を愛するとすれば、彼は
必然的にある種の意志をすることに関わる事になる(隣人が苦しんでいる場合不幸を共有する)が、他方、
もし聖人が何も意志しないのであれば、彼は幸福であることはできるが道徳的模範ではありえなくなる
(何故なら彼は隣人を愛していないように見えるから)として同意していないそうです。
 しかしそうしたウィトに残った世界は独我論でしかなく、謎は存在しない・・・問いを立てることができるなら
それに答えることもできるのだとし、生の問題を解決するには問題を消してしまうというようなやり方で生きる
という方法があると後退し、語り得ないものについては人は沈黙しなければならないと結論づけてしまう。
 本書ではウィトはショーペを貧弱化しているに過ぎないといい私もかえってショーぺ哲学の懐の深さを感じるのですが、
しかし上記のような疑問も確かで、それは形而上学全般の欠陥だなあと思いますた。
446信一:03/04/03 19:08
>>445
コメントどうもありがとうございました。非常に興味深い話でした。私もショ
ーペンハウアーの存在論はおおむね間違っていないとは思うのですが、そこに
は確かに語りえない飛躍というものがあると思います。この点についてショー
ペンハウアーは諸科学によって証明できると考えたようで、形而上学が科学に
よって証明できるとする非常に面白い考えを打ち出しています。
447考える名無しさん:03/04/04 01:48
科学といえば量子力学が観測問題にぶつかった際、
各々の物理学者の解釈はそれぞれの哲学的背景が色濃く出てますね。

「シュレーディンガーの猫」がきっかけでアインシュタインの次位に一般的に
知られているであろう、波動力学のエルヴィン卿は哲学への関心も深く、
その主柱はショーペンハウアーとインド哲学だそうで。
448信一:03/04/04 07:10
>>447
科学者と素人が持ち出すインド哲学というのは、どこかうさんくさいものが
あるように思います。
449考える名無しさん:03/04/04 09:58
信一さんがそれほどすすめるなら、
今度、ショーペンハウアー読んでみますわ。
450考える名無しさん:03/04/05 01:26
C・G・ユングも若き日にショーペンハウアーに傾倒したと自伝に書いてあった。

「オレにチンコがついてるんやなしに、チンコにオレがついてる。」とのたまわったのは松本人志。
ひょっとして彼はショーペンハウエリアン?
451信一:03/04/05 11:03
>>449
こんにちは。ショーペンハウアーを読んでくださるようで有難うございます。
ショーペンハウアーの著書は哲学書としてはそんなに難しくはないと思います
がそれでもいきなり「意志と表象としての世界」を読んでもあまりよく分から
ないと思います。「意志と表象としての世界」がよく分かるためには、「根拠
率の四つの根について」と「カント哲学批判」を知らなければならないからで
す。分かりやすいところだけ拾い読みするとか、また「意志と表象としての世
界」の続編、パレルガ・ウント・パラリポメナから入ると分かりやすいかと思
います。
452信一:03/04/05 17:11
ショーペンハウアーは、カントの12の純粋悟性概念を否定し、時間、空間と
概念と因果律をひっぱりだして、充足根拠率としたわけですが、動物でも時間
、空間と因果律を認識しているのをみれば、それは正しいのではないかと思わ
れます。
453信一:03/04/05 18:39
時間や空間は、物質ではないのに、物質と同じもののように語る者がいる。
きちんと区別してほしい。
454考える名無しさん:03/04/05 20:32
「パレルガ・・・」は「意志と表象・・・」の続編なんですか。哲学的エッセイ集みたいな印象だったんですが。
455信一:03/04/05 21:30
>>454
「意志と表象としての世界」続編と「パレルガ」は別です。「意志と表象と
しての世界」は、正編と続編がありますが、続編の方がやさしいように思い
ます。
456447:03/04/06 05:18
>>448
「哲学者」としての「科学者」と考えた場合、
近代物理の内でシュレーディンガーはかなり優秀な「哲学者」と言って問題無いと思います。

「シュレーディンガーの猫」は世間でかなり誤解を受けている思考実験でありまして
結果その考案者も誤解されているように思えてならないんですが彼がこれを例に挙げて
何を言いたかったかは常に語られていません。
っていうかSF小説をはじめとして、彼の意見と全く正反対の場合に引用されてばかりです。
まあ興味があれば調べてやってください。

あと彼とアインシュタイン等他の物理学者との手紙のやりとりを読むと
いかにショーペンハウアーな野郎かなかなか面白いです。
457信一:03/04/07 05:41
ショーペンハウアーの「視覚と色彩」について、わたしはあまり読んでいない
のですが、ショーペンハウアーは、「根拠率の四つの根について」、「カント
哲学批判」とともに必ず読むように進めている。これはゲーテの勧めで書いた
ものだが、ゲーテはあまり気にいらなかったらしい。これはニュートンの「光
学」に対抗して書かれたものだが、ショーペンハウアー、ゲーテの方が間違っ
ている。しかしショーペンハウアーの眼目は色彩というもの及び因果律のア・
プリオリ性というものを主張しているものであり、読む価値はあると思う。
458信一:03/04/07 08:07
ここで神について。全宇宙は時間と空間と物質からできている。神は時間でも
空間でも物質でもないのだから、どういう存在なのだか全く訳がわからない。
つまり神などいないということを主張したい訳だ。存在するとすれば、ユダヤ
教徒、イスラム教徒、キリスト教徒の頭の中だけに存在するのであろう。
459信一:03/04/08 06:10
全世界は時間と空間と物質からできている。時間と空間は物質ではないのだから
本当のところいったい何者なのだろうか?やはりカントの先験的感性論(超越論
的感性論)で論じているところの感性的直感のア・プリオリな形式(感性の形式
と理解するのが一番納得がいくのではなかろうか?
460考える名無しさん:03/04/08 11:25
彼の思想体系は、生来持っていた父親譲りの謹厳実直な性格が、
根性悪の母親の仕打ちによって作られた…っていう見方はできませんかね?
461信一:03/04/08 21:19
>>460
そんなことで彼が一生をかけ命をかけて勉強し思索し発見した「未来の人類のため
の思想」といわれるものができるものでしょうか?

ショーペンハウアーは、本人の性格もその著書も嫌われることが多いと思いま
すが、それは日本ではいわゆる「ペシミズム(こんなものほんとの特徴かいな)
とでる釘は打たれる」というやつ。西洋では「西洋哲学とキリスト教は何の関
係もないんだよ」としたこと。

わたしはショーペンハウアーは大好きですね。彼が悪人だった(西洋では神に
従わない人間は悪人)という説も悪口として言われることが多い。ただ一つシ
ョーペンハウアーが老婆を階段から突き落として裁判沙汰になり、その老婆に
一生金を払わなければならないと判決がでてその老婆が死んだときショーペン
ハウアーは喜んだという話がありますが、これも本当かどうか?

父の遺産を母親と妹と三等分してその後母親と妹のお金を預けていた銀行が潰
れてしまった。ショーペンハウアーは自分の財産を三等分にして母親と妹にあ
げたという話もあります。
462考える名無しさん:03/04/09 02:40
ショーペンハウアーが銀行とトラブルを起こして裁判沙汰になった時、「哲学者だからと言って馬鹿だとは限らないということを、いずれ君らは思い知るだろう。」とタンカを切ったという話を読んだ事があるな。
463信一:03/04/09 06:08
>>462
>>462
レスありがとうございます。
なかなか面白い話ではないでしょうか?ただこうゆう話ってほんとの
話かどうかわからないとわたしは思うんですよ。また聞きのまた聞き
のまた聞きの話なんでしょうから。そんなことはあったのでしょうが
実際におこったことが文字どおりのことだとは思わないほうがいいの
ではないでしょうか?
464ぴかぁ〜:03/04/09 06:20
こいつの書くものは、最後にひねりを加えた終結をおく
くせがある。
パレルガしかり意思と表象のーしかり。
自殺について のさいごの英雄が何たらというのを見て
意思と表象の さいごの無が何たらというのを見てあほだとわかった。
三文文学者だとはおもうが、哲学者じゃない。
第三階層にとどまっており論理性の美意識がない。
465考える名無しさん:03/04/09 12:47
ショーペンハウアーがヘーゲルをかなり愚痴ってるのが、なんか気持ちいいのは僕
だけ?
466信一:03/04/09 20:17
>>465
独創的な哲学者ではないが、独創的な数学者であり哲学評論家であるバートラ
ンドラッセルは、ヘーゲルの哲学は最初から最後まででたらめだと言っており
ます。
467考える名無しさん:03/04/09 21:20
ショーぺは時代の大勢を押さえていたへーゲリアンにもアカデミーにも安易に迎合せず
ただ一人で立ち向かった孤高の探求者。そして偏見を恐れずに、世界の姿をありのまま描写してみせた。

例えば
「精神」という概念を取り上げ、それを「考え、意志を持ち、非物質的で、単純で、破壊できない存在で、
如何なる場所も占めないもの」という属性を分析してみよう。この場合、なんら明瞭なものは示されない。
何故ならこれらの概念要素は、直観によって検証され得ないからである。というのは、脳を持たないで考える
存在は、胃を持たないで消化するようなものだからである。(意志と表象としての世界 続編)

ショーぺは絶対精神であるとか非物質的な実体であるとかいう欺瞞概念と似非哲学者に対して
それを激しく糾弾し、わかり易く示した。その姿勢と表現力には脱帽する。
468考える名無しさん:03/04/10 10:54
私は今まで人々に接するのに、沢山の間違いをおかして接してきました。
ショーペンハウアーの処世術を読むと、自分の間違いが
次々と明らかにされていくので、非常に耳が痛い。
しかしこれでともかくもこれから先に役立つ教訓を
得たと考えれば、けして無駄な事ではなかったのでしょう。
駄文スマソ。
469考える名無しさん:03/04/10 11:23
ところで、ショーペと仏陀って、かなり近いですか?
470考える名無しさん:03/04/10 11:26
ところで、ショーペと仏陀ってかなり近いんですか?
471考える名無しさん:03/04/10 11:29
あれ?何これ・・・?
変な連続スマソ。リロードしても新着が表示されなかった・・・
吊ってきます。
472考える名無しさん:03/04/10 13:02
>>468

いやいや、それでいいんじゃないの?

ショーペンハウエルってのは、人生論として読んだときにもっとも
価値があると思うよ。最近は、こういうレベル高い人生論が
書かれないし。(つーか、ショーぺとラッセルで書かれ尽くした感が
あるけど)。
473信一:03/04/10 21:52
人間が幸福を求めるのは不幸だからでしょ。だから幸福を求めている内は不幸
なのよ。もうきっぱり幸福を求めるのは諦めなさい。幸福なんてないんだから
・・・・・・え〜うっそ〜わたしなんか幸せな気分になっちゃった。

これって禅ですよ。
474考える名無しさん:03/04/10 21:57
日曜の夕方。
ショーペンの音楽が聞こえてくると、憂鬱になった。
チャンチャかスカリャかペッペッポッ
ショーペンが終わりサザエさんが始まると、明日は月曜かあ。
もう日曜は終わりか、、、と欝が重くなるンガググ
475考える名無しさん:03/04/10 23:14
「幸福を他者のうちに求めることは不可能であり、
 自己のうちに求めるのは至難である」
でしたっけ?一口に幸福といっても、様々なものがあるわけだしなあ…
一般に幸福といえば、贅沢の限りを尽くすこととか、
暖かい家族を持つこととかいわれるけど、
それは満たされれば消え、手に入れれば幻滅させられる消極的なものだ
と教えられた。
幸福なんてないとおっしゃるけど、知識や思想を深め精神的活動に没頭する…
思索して、創作する環境が与えられるというのは、幸福とは呼べないの?
>472
私は哲学を専門にやっているわけではないので、どうしても
多少、実用書的に扱ってしまう傾向があります…
そういうの抜きにしても、ショーぺは面白いですけど。

どっかに売ってないかなあ…文庫でしか読んだことない。
476考える名無しさん:03/04/11 19:31
477考える名無しさん:03/04/11 20:14
白水社から復刊されてる罠
478考える名無しさん:03/04/11 20:24
♪デ・カン・ショー デ・カン・ショーで 半年暮ーらーすー
  ヨイヨイ
 後ーのー半ー年ゃ 寝てー暮ーらすー
  ヨーイヨーイ デ・カン・ショー
479考える名無しさん:03/04/11 20:24
カタログに載ってないよ〜どこに売ってるの?

http://www.hakusuisha.co.jp/current/catalogs.html#Anchor-49575
480考える名無しさん:03/04/11 20:49
481考える名無しさん:03/04/11 21:49
>>479

わりい。
全集じゃなかった。
アマゾンで調べてみそ
482考える名無しさん:03/04/11 22:04
483考える名無しさん:03/04/12 20:22
仏教哲学は観念論が大前提、ショーペは観念論の大立者。コーラン、インド思想
中国思想も読んでいる。ギリシャ語、ラテン語、英語、フランス語に堪能。コー
ラン、旧約聖書、が嫌いで新約聖書は大好き。中国思想では老荘思想が好き。勿
論インド思想大好き。仏陀とイエスと東西の宗教的聖者を尊敬するも自分は哲学
者に専念。芸術、文学、音楽が好き。当時の自然科学の展開に興味を持っていた。
ちなみに多分ラッセルは実在論者だと思うが、東洋思想には無関心、好きな中国
思想家は孔子。ただし西洋哲学史では、西洋哲学は東洋哲学の影響を受けつつあ
ると描写している。ショーペにも小さな西洋哲学史の著書がある。
484考える名無しさん:03/04/13 18:20
>472
>ショーペンハウエルってのは、人生論として読んだときにもっとも
>価値があると思うよ。

全くそのとおりだと思うなあ。
厭世観の極みにあり、今にも自殺を考えている人、人生を全く無意味と
考えて得る人、引きこもりの人は必ず、彼の幸福論と自殺について、を
読む事を薦める。それを読めば、君の厭世観が正気なのであって、
世間がいかに基地がいで満ち溢れているかを、繰り返し君に語りかけてくれる。
そして、無意味に生きてもよい、ことが納得できるであろう。
但し、別の面で、人間社会がくだらなく見え、世間嫌いになり、社会復帰に
手間取る事もある。

>最近は、こういうレベル高い人生論が
>書かれないし。
人生の意味を問う若者の悩みは、今も昔も
同じなのに、なぜにショウペンや、キルケゴール
やニーチェが出ないのか。哲学界の連中は恥ずかしくないか。
中島義道も少し違うようだし。
485考える名無しさん:03/04/13 18:21
486考える名無しさん:03/04/13 18:31
それより、びかあ、君がここであげた本は多くのひとが関心を持っている
から、これから、これらの本をびかあなりに要約して紹介してみてよ。
それこそ世のため人のためになる行為だぜ? とても大変だろうが、ぜひ
おねがいします。
487考える名無しさん:03/04/13 18:34
しまった。「読んでない本が溜まってきたよ」に書き込むはずだった。。。
488考える名無しさん:03/04/13 23:17
>482に同意
たぶん能天気に社会に適応して生きている人々よりも、
社会に溶け込めずに色々悩んで生きている人間のほうが
優秀なんだろうね?
ていうかこういうこともどっかに書いてあった気がするな・・・
是非そういう人々にはショーぺのような優れた人生論を学んで、
余計な悩みをなくし、時間を有意義に使えるようになってもらいたいものだ。
489考える名無しさん:03/04/14 01:22
>ショーペンハウエルってのは、人生論として読んだときにもっとも
>価値があると思うよ。

というのは全く同意なんだが

>厭世観の極みにあり、今にも自殺を考えている人、人生を全く無意味と
>考えて得る人、引きこもりの人は必ず、彼の幸福論と自殺について、を
>読む事を薦める。それを読めば、君の厭世観が正気なのであって、
>世間がいかに基地がいで満ち溢れているかを、繰り返し君に語りかけてくれる。

ってのは全く逆に思えるが。
つまり彼らにとって自らの現状は我慢の出来る程度ではなく、
「自ら死んでまで」または「人生の価値を放棄してまで」または
「他人との相互干渉を断絶してまで」打開せざるを得ないと判断してるわけで。

これって明らかに過剰なまでの「幸福状態への欲求」の現れでしかないじゃない。
こういった方々はニーチェに賛同はしてもショーペの哲学を受け入れないんじゃないの?
490489:03/04/14 01:52
彼の哲学は「少なくともかつては幸福だった」と実感できる人にしか
受け入れられないと常々思う。

だからむしろ自らの社会的立場や実生活が世間一般の水準として悪くはない
と理解できても、幸福を実感出来ない人とか。
逆に喰うには困らない程度で生活水準は決して高いとは思わないが
生活に関わる当面のこれといった問題も特にない人とかに
ショーペンの哲学を薦めたい。

そう遠くいないつか、必ずやってくるだろう苦痛や苦悩の直中で
苦笑いを浮かべながら「こういう事なのんだよね。」と納得出来るようにするためにね。
491あぼーん:03/04/14 01:54
   ,.´ / Vヽヽ
    ! i iノノリ)) 〉
    i l l.´ヮ`ノリ <先生!こんなのがありました!
    l く/_只ヽ    
  | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
ttp://saitama.gasuki.com/sinagawa/
492考える名無しさん:03/04/14 02:02
不肖の弟子であるマインレンデルについては、芥川以降、本気で取り組んだ日本人はいるのでしょうか。イロモノなんでしょうかねえ。
493考える名無しさん:03/04/15 10:39
>つまり彼らにとって自らの現状は我慢の出来る程度ではなく、
「自ら死んでまで」または「人生の価値を放棄してまで」または
「他人との相互干渉を断絶してまで」打開せざるを得ないと判断してるわけで。

>これって明らかに過剰なまでの「幸福状態への欲求」の現れでしかないじゃない。

ショーペの哲学は、その「幸福状態への欲求」を削いでくれるんだよ。
人間が人生や社会や未来に抱く、希望や幸福、それがいかに「消極的」で
つまらないものなのか、教えてくれる。
人生が、幻想の滅却であることを繰り返し説いている。

この世で生きるコツは、思っていたより良くない贈り物を、
喜べる、あるいは我慢できる気持ちだ。
494考える名無しさん:03/04/16 02:58
ショーペンハウエル著

「ゴージャス松野について」
495山崎渉:03/04/17 09:32
(^^)
496考える名無しさん:03/04/18 18:53
意志とはなんですか?
それは証明されているんですか?
497考える名無しさん:03/04/18 19:00
ここおすすめ
http://zoetakami.fc2web.com/
498考える名無しさん:03/04/18 23:17
全国書房版っての、持ってる。
499考える名無しさん:03/04/18 23:21
わりい。前に読むって約束したけど、まだ読んでない。
・・・いつか、読むね。。。
500考える名無しさん:03/04/18 23:57
500ゲト
501山崎渉:03/04/20 04:36
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
502考える名無しさん:03/04/24 22:22

 彼の形而上学体系において、
 どうしてあのペシミズムが帰結されるのかは理解できませんが、
 ともかくも、認識論とかについての意見は、明快ではっきりしているように思われ、
 僕には読みやすかったです。

 尤もペシミズム単独で見た場合には、うがっている面もあるとも思います。
 また、「読書について」などは、読んでいて耳が痛くなる箇所が多かったです。
503考える名無しさん:03/04/25 01:01
ショーペンがペシミズムと言う世界に対する一つの「立場」を確立したってのは
それで良いとしてだ、彼こそがペシミストの最もたる者とするならば
少なくともその後のどのペシミストと言われる方々は誰一人として
ショーペンハウアーの足下にも及ばないじゃあないか。ペシミストとして。

あまりにも違うからね彼だけ。他はみんな♀って感じなのに一人だけ♂だしw

まあそれは無いとするとつまり、当時の一般の方々だけでは無く
哲学に関わる方々にもペシミズムってのを誤解してた事になるんだけど
この方が納得できるわな。
んで未だに誤解していると。
504考える名無しさん:03/04/25 01:02
マドンナの元夫ですか
505考える名無しさん:03/04/26 18:36
どうも「意志」というのが問題みたいですね。

アインシュタインも「物質に意志がなければ生物が発生するはずがない」と言
っていまが私もそう思います。

「物自体を意志として認識できる」というのは、嘘のような気もするし、ほん
とのような気もする。

さらに読むべし。
506考える名無しさん:03/04/26 20:10
以下はこれだけでは何のことか分からないでしょうが引用しておきます。
白水社、ショーペンハウアー全集 1 根拠率の四つの根について 191p

第一類 因果律、第二類 概念、第三類 時間と空間、第四類 意志

わたしの哲学一般に関する別の角度からの認識のためにここでつけ加えておき
たいことは、動機づけの法則が前の第二十節で述べられた因果律に対応してい
るように、主観に対するこの第四類の客観、すなわちわれわれ自身において
知覚される意志が第一類の客観に対応しているということである。この洞察は
わたしの全形而上学の礎石なのである。
507考える名無しさん:03/04/27 09:44
ショーペンハウアーのカント批判でまず上げられるのは、カントの感性、悟性
理性の区別についてである。

ショウペンハウアーは、悟性と理性の区別は何の根拠もないとし、カントの悟性
と理性をひっくるめて理性とし、理性と知性は同じだとしている。これは充足
根拠率の第二類、概念のことであり人間にのみの特徴である。

かわって、カントの感性はショーペンハウアーでは悟性である。ショウペンハウ
アーはこれは勝手な区別ではなく、ギリシャ以来の伝統であるとしている。これ
はその能力に違いはあっても動物も持っているとされる。たとえば犬と人間の悟性
はその能力にほとんど違いはないとされる。
508::03/04/27 16:04

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509考える名無しさん:03/04/28 07:08
ショーペンハウアーの「意志の哲学」はそれまでの理性の哲学からの飛翔を
果たすきっかけを作った哲学であると言える。(生の哲学)この点でショー
ペンハウアーは雑多で文学的ではちゃめちゃな現代哲学の先駆者であるとい
える。わたし自身は哲学とは「理性(知性)による人間と世界の(実体の)
解釈」であると思うのであるが。

ショーペンハウアー全集 1 根拠率の四つの根について 189p

意欲の主体は自己意識に直接あたえられるものであるがゆえに、意欲とはな
んであるかをそれ以上定義したり記述したりすることはできない。むしろ、
意欲とはわれわれのあらゆる認識のうち最も直接的なものであり、しかも、
その直接性が究極においてそのほかのあらゆる間接的な認識に光を投じるの
でなければならない。
510考える名無しさん:03/04/29 14:58
ショーペンハウアーの「意志」とか「意志の否定」へと至る論証というのは、
そんじゃそこらの解説書や単純な批判を読んだだけでは、分かるものではない。
なぜなら、文学ではなく哲学なのだから。

ただ「意志の否定」というのは、本物の仏教徒やインド教徒やキリスト教徒の
自己否定を経て救われる、本来の自己へ至るという宗教体験を説明したものに
は他ならない。

通して本来の自己へ至るという
511考える名無しさん:03/04/30 07:33
パレルガの中にショーペンハウアーの哲学史の著書がある。これは彼の観念論
の立場から書かれているものだが、非常に分かりやすく必読であると思う。
「観念と実在に関する学説史の素描」と「哲学史のための断章」がそれである。
512考える名無しさん:03/04/30 13:06
哲学は古いものより新しいものの方が正しいとはくれぐれも考えないように。古い物でも新しいものでもその哲学が正しいと証明されているものなんか何もないんだから。
513考える名無しさん:03/04/30 19:20
ウィトゲンシュタインの「語りえないことは沈黙しなければならない」と言う
有名な言葉は、釈尊の「形而上学的問題への沈黙(つまり涅槃を得ることにお
いて形而上学的問題の解決は必要ない、あるいは涅槃を得ればおのずと形而上
学的な疑問は解決がつく)」から来ているのでしょうが、

これは本来「科学的に解決がつく命題以外は無意味である」ということでしょ
う。だからあらゆる哲学は無意味となるわけでしょう。多分。

しかしウィトゲンシュタインなんて、東洋人からみたら極めて陳腐。

514bloom:03/04/30 19:21
515考える名無しさん:03/05/01 00:29
ショーペンハウアーは哲学、哲学史の勉強のための書物はいかにあるべきか
について、「哲学史のための断章」の中の1でこのように言っている。

ショーペンハウアー全集 10 パレルガ 哲学史のための断章 54p 

これに反して、誠実で洞察力のある学者らが協力して、すべての主要な哲学
者の中から重要な箇所と基本的諸章を良心的に集められたならば、選集は大
いに哲学学習の目的にかなうであろう。それは時代順、問題別にまとめられ
るべきで、たとえば古くはゲディッケが収録しており、のちには古代哲学に
ついてリッターとプレラーが、ただし彼より詳細に集めているのなどが好例
である。つまり入念克明に編纂された大部の全般的選集である。

さて以下において私が述べる断章は少なくとも、伝統的なものつまり丸写し
ではなく、原点をみずから研究した上で生まれた思想である。
516考える名無しさん:03/05/01 00:35
>>513
西洋東洋言ってる時点で終わってるわけだが
517考える名無しさん:03/05/01 00:45
>>516
ウィトゲンシュタインの「語りえないことは沈黙しなければならない」
という有名な言葉は、東洋人にとっては陳腐なのだというべきでした。
518考える名無しさん:03/05/01 00:47
>>517
どういう理由で東洋人には陳腐だと?
519考える名無しさん:03/05/01 00:59
>>518
まあ答えとはなりませんが、「哲学において語りえない」などというこ
とは、あり得ないということです。

ショウペンハウアーの言葉から

「言葉は思惟をあまねく表現できる」
520考える名無しさん:03/05/01 01:07
>>519
つまりショウペンハウアーの言を盲信するわけですね。
521考える名無しさん:03/05/01 01:20
>>520
勿論そうではありません。私自身の考えです。当然間違っているかもしれません。
522動画直リン:03/05/01 01:21
523考える名無しさん:03/05/01 01:22
>>521
ではあなたがそう考える根拠を示してください。具体的に。
524考える名無しさん:03/05/01 01:22
>517
だったら沈黙してればいいじゃん。
「沈黙」だの「無」だのやかましくおしゃべりしないでさ。
高級な沈黙なんだろw
こんなことじゃ、西洋人に東洋の猿はずっと沈黙していろと言われそうだな。
525適当にレスするオッサン:03/05/01 01:32
>>524
語れそうな事はしゃべらせてくれよ。
沈黙ばっかじゃつまらんだろ。
526考える名無しさん:03/05/01 01:34
>>524
すみませんが、レベルが低いとおもいますが。
>>523
言葉というものの本質にかかわることです。「わたしは議論したくない」
という言明は、議論していることになるわけですね。
527がんばってねムヒ:03/05/01 01:38
>>526
人間には「量」の概念と「数」の概念があって、二つは別物という認識が必要でしょう。
「量」を表すには「大きい、小さい、多い、少ない」等、「数」を使わない方法もあります。
528考える名無しさん:03/05/01 01:39
中村元ですら、ウィトゲンシュタインの「沈黙」に達するまでの論理的な徹底さは
仏教にはないと言って、ウィトゲンシュタインを高く評価しているのに。
いやはや…
529考える名無しさん:03/05/01 01:47
>>526
>「わたしは議論したくない」
>という言明は、議論していることになるわけですね。

自分の肯定的なことをしゃべってる分にはそれでかまわないが、
難癖つけておいてそれはないだろ、このタコ介
530考える名無しさん:03/05/01 01:50
訂正
>>526
>「わたしは議論したくない」
>という言明は、議論していることになるわけですね。

自分の肯定的なことをしゃべってる分にはそれでかまわないが、
難癖つけておいてそれはないだろ、このタコ助


531考える名無しさん:03/05/01 01:53
>>528
中村元は、わたしも尊敬しているのですが、ウィトゲンシュタインの
沈黙せよ」という意味は「人間の経験による総合命題の真偽の判断」
以外の判断はは不確かなものであるから、確実でははない。という
ことからきているのではないですか。そうであれば中村元は、ウィト
ゲンシュタインの「沈黙せよ」という意味を拡大解釈していることに
なります。もっともわたしもその拡大解釈について意見しているわけ
ですが。そして言葉の不思議について語ってもいるわけですが。


532適当にレスするオッサン:03/05/01 01:56
まあ、ウィトゲンシュタインは「この書物は乗り越えられなければならない」とも言ってるから。
「沈黙」を盲信してもだめなんじゃないの?
533考える名無しさん:03/05/01 01:58
>>529
>>530
わたしの言ってる意味が分かってないようですね。
534考える名無しさん:03/05/01 02:03
>>532
ウィトゲンシュタインの「自分の書物の否定」「自分の書物を乗り越
えろ」という言明自体が陳腐なのですよ。
535考える名無しさん:03/05/01 02:07
>>531
ウィトゲンシュタインが言語の使用という展開を考えるとき、一体なにが陳腐
なの?
536考える名無しさん:03/05/01 02:10
>わたしの言ってる意味が分かってないようですね

そういうなら分かるように書いたら
537適当にレスするオッサン:03/05/01 02:14
>>534
陳腐といえば陳腐かもしれんが、特定のフレーズだけが思想じゃないからなー。
前期と後期でも違うし。
538考える名無しさん:03/05/01 02:14
ウィトゲンシュタインは正当的形而上学者であって、
言語批判を反復した。陳腐さはその価値を損なうものではない。
539適当にレスするオッサン:03/05/01 02:19
ショーペンハウアー消えちゃったな。
ウィトゲンシュタインおそるべし。
540考える名無しさん:03/05/01 02:24
「わたしは議論したくない」という言明は、議論していることになるわけですね。
 ↑屁理屈、揚げ足取り

541考える名無しさん:03/05/01 02:25
>>535
言語というのは人間にとって極めて大切なもので、とても不可思議なものでもあお
のでもあると思います。言語がなければ自分が存在しているということ
は、分からも知ることはないでしょう。つまり言語がなければ人間は
「無」です。それを簡単に「分からんことは沈黙せよなどと決め付ける
ことは軽率きわまりないということです。まあ思惟にとって分からない
などいうことはないということが、わたしの考えです。この世で言葉で
説明できないなどということはないということです。
542考える名無しさん:03/05/01 02:27
後期ウィトゲンシュタインは、言語の本質とか言語の非本質性とか、ありきたり
の図式を完全に振切り、超越論的条件も置かない理論をつくったわけで、そうい
う展開も、単なる方向転換ではないこともわかっている。
まあ、瞑想家には関係ないといえばそうなんだろ。
543適当にレスするオッサン:03/05/01 02:33
>>541
なかなか大胆だが、「説明できない世界」は世界じゃないだろ。
「説明できるという限界にある世界」だからこそ説明できる。
544考える名無しさん:03/05/01 02:51
>>542
言語ゲームというのはモデルなき理論だよね。
545考える名無しさん:03/05/01 14:46
厳密には、明晰に示すことができる命題だけが純粋に学問に足るわけで、
その線引きとしてのウィトゲンシュタインの試みは正当であると思う。
しかしそれは明晰に説明できる限界を提示しただけで、
世界の全てではないし、そのことだけでは極めて皮相な世界像しか提示できない。
我々は形而上的な要求をも持つ存在であり、その欲求こそが我々の存在を生気溢れる創造的躍動へといざなう。
形而上学が純粋に学問たるか、科学に比肩することができるか、
厳密には否であるが、しかしそれは扱う領域の異なるものであり、人が人である以上、
形而上学は不滅であるどころか、科学の発展と共に世界が囲い込まれるほどに時代の要請は
増し、形而上学の不毛とも見える試みも継続される。
神話に貶めるか神秘主義に明渡してしまうかは哲学の腕の見せ所。
ショーペンハウアーの意志説は非常に興味深い。
546考える名無しさん:03/05/01 15:01
白装束集団の形而上学を教えて下さい。
547考える名無しさん:03/05/01 15:03
>>545
知の欺瞞はやめてください。
板が腐ります。
548考える名無しさん:03/05/01 15:04
ところで、ショーペンハウアーも根拠律を提示することで、
線引きはしてるんですよ。
549考える名無しさん:03/05/01 15:09
>>545
547のいう通り!
知の欺瞞は止めなさい。
科学への反動はそれ自体で知の欺瞞だぞ。
知の欺瞞というか痴の欺瞞といった方がいいかな?
550考える名無しさん:03/05/01 15:15
知の欺瞞は出て行け!
痴の欺瞞は便所に流してしまえ!
551考える名無しさん:03/05/01 15:21

                 ソフィア短いくよ!
                  ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
         mドピュッ
        C|.| /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
      /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  )
     ./  _  ゝ___)(9     (` ´) )
    /  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-|
    _/ )          (   Y ̄ ̄ ̄ ̄)
   (__/           \____/
         http://bakushomondai.netfirms.com/

552考える名無しさん:03/05/01 20:43
そりから、ヘーゲリアンの欺瞞を暴露するとこまでは
哲学の軌道修正に確実に貢献してるんですよ。
意志説についてはよくできた仮説の域をでてないというのが自分の感触だがね。
ところであんたらショーペ読んだの?
553考える名無しさん:03/05/01 20:43
ショーペンハウアーのインド理解は当時文献が非常に少なかったため、その間
違いが現在指摘されている。しかしそれでも大きな見当はずれはなかったよう
である。

ショーペンハウアーは晩年特に仏教への関心というものが著しくかなりの翻訳
書、雑誌を読んでいる。それでパレルガでは仏教への言及がかなりある。しか
し当然であるが、それはあくまで自説を補強するという形態をとることが多い。
しかし純粋に仏教と取り組むことがなかったということではない。

白水社 全集 13 我々の真の本質は死んでも滅びないという教説によせて58p

確かに輪廻と再生は区別できよう。輪廻というのはいわゆる霊魂全体が別の肉体
に移ってゆくことだが、、再生というのは固体の解体と再建のことであり、その
場合、意志だけが持続して、新しい存在の形態をとって、新しい知性を獲得する
のである。。。。。。。。。。

スペンス・ハーディの「仏教入門」や、サンジェルマノの「ビルマ帝国」、なら
びに「アジア研究」から判明することは、仏教には死後の永続に関して、入門者
向きの教理と秘伝的な教理があることだ。前者はバラモン教と同じく、輪廻にほ
かならない。ところが後者ははるかに難解な再生の教理なのであって、しかもこ
れは、わたしの説くところ、すなわち知性は形而下的性質のものであり、この性質
によって移ろい行くけれども、意志は形而上的に存続するというわたしの教説と
いちじるしく一致している。
 

ショーペンハウアーは

554考える名無しさん:03/05/03 20:38
 人間を除いて、いかなる生物も自分自身の存在について驚くことはなく、そのことは全ての
生物にとっては極めて自明なことであるので、注意が払われることはないのである。
〜人間だけが〜死と、あらゆる存在の有限性のみならず、一切の努力の空しさと実りの無さ
とに、意識的に立ち向かう。〜それ故にこの思慮とこの驚きとともに、人間だけに特有の
形而上学への要求が生じてくる。従って人間は形而上学的動物なのである。意識を持ち始めた
最初の頃には人間もまた当然、自分が何か自明なものだと理解している。しかしこのことは
ながきに渡り続かない。むしろ非常に早い時期に、反省が初めて出現すると同時に、形而上学
の母となるべき驚くという心が現れてくるのである。〜哲学的省察と世界の形而上学的解釈に
最も強い衝撃を与えるものは、死の意識と、生の苦しみ及び悲惨さの考察であるということは
疑う余地がない。(意志と表象としての世界続編 第一巻の補足 第十七章より)
555考える名無しさん:03/05/03 21:36
さて、これらの人間特有の要求を切り落とせば、確かに自明なものだけが残り、
その生も単純化され万事がうまくいく・・・果たしてそのモデルを人間が望むだろうか。
人間が形而上学的要求に到達したのは、それまでの単純な生から脱却しもはや単純な
要求では支えきれない、存在することへの不安や疑問を導き出したからである。従って、
その要求が得体の知れないまるで自明でないものであっても、いやそうであればこそ、
そうした要求に蓋をするなどということは後退にすぎない。
556考える名無しさん:03/05/04 05:07
やはり続編のほうが読みやすいですね。ショーペンハウアーはできるだけ読みやすい
文章を書こうといつも努力していた。

関係ないが、カントに「死霊者の夢」というのがあるが、ショーペンハウアーに
も「死霊とこれに関するものについての研究」というのがある。

     
557考える名無しさん:03/05/05 00:23
>>556
死霊者の夢はスエーデンボルグについて書いているが、スエーデンボルグを
最初に日本に詳しく紹介したのが鈴木大拙である。
558考える名無しさん:03/05/05 00:25
なになに!こわいはなし??キャーー!!
559作者:03/05/05 00:30
死霊についてなんてなかなか面白いじゃない。
560考える名無しさん:03/05/05 00:43
スエーデンボルグは天国を見てきたと書いたのだが、死霊者の夢でカ
ントはスエーデンボルグの体験に懐疑的ではあるが、否定はしていない。
鈴木大拙はスエーデンボルグを仏教体験として捉えている。この世の
極楽を見たというわけだ。
561考える名無しさん:03/05/05 01:24
うああああああああああああああ!!!!!
http://members.tripod.co.jp/ricego/index.html             
562考える名無しさん:03/05/10 03:26
>>555
蓋をするのはそれこそ宗教のお仕事だよ。
蓋はしたくても普通は出来ないって断言してるじゃない彼の場合。
蓋をしたつもりになって安心してる奴に実はまだ蓋が開いてる事を知らしめる
のが生き甲斐みたいな人だよショーペンハウアーはw
563アトリックス:03/05/10 05:17
君もシャーペン咥える?
564考える名無しさん:03/05/10 06:59
宗教或いは類似の似非哲学による蓋が一方にある。(これをショーぺは激しく糾弾した。)
だがここで言ったのは目前の明晰化できる命題のみに特化した蓋。
哲学における形而上学的な試みはこの狭間にある。
ちなみにショーぺは超越的な形而上学など求めていない。
565562:03/05/10 17:21
『幸福について』とか後々に書かれたものは極めて具体的でまさに
『アウトゥールおじさんの上手な蓋の仕方』といった具合ですよ確かに。
そして再三にわたって
「この蓋をしても問題解決にもなりませんが事態は随分とマシになります。」
と良心的な(受け取る人によっては最悪とも言える)注意書きをちゃんとしてる。

566562:03/05/10 17:44
それら命題に蓋をする事は形而上学にとって、哲学全体にとっては後退ではなくとも、
間違いなく停滞ではあったわけだ。

これは私の見解ですけど形而上学は彼の時点で停滞したままじゃないかなって。
形而上学的な発展を促すには彼の閉じた蓋を開ける必要があるわけですけど
それに成功して一歩でも先に進んだ人っているんでしょうかね?
それこそ後退してる人しか私は見たことがないんですけどw
567564:03/05/11 23:10
>>565
パレルガは人生論的に割り切った作品だからね。だから大衆受けもした。
>>566
それについては同意。まさにその先が問題。
568562:03/05/13 03:29
話が全然変わるんですけど。

本日、たまたま思いつきで随分以前に購入してほとんど読んでなかったヒルティを
読んでびっくり。
ショーペンとヒルティの世間に対する具体的な見解はほぼ同じではないかと思うんです。
文才巧みですし皮肉も効いてるし。
にも関わらず、それに対する哲学的帰結も口調も信条も女に対する態度も全くもって正反対w

ゲラゲラ笑いながら読んでたんですが巻末のヒルティの生涯の解説を読んだら
なんだか泣けてきた・・・。
一個人としてのショーペンに言いようのない同情を感じずにはいられない。

ヒルティがショーペンに対して何らかの言葉を残しているなら是非読んでみたいと思うのですが。
何かないのでしょうか?
ヘーゲル批判についても何かあるとしか思えないんですがw
569564:03/05/13 18:23
残念ながらヒルティは読んでないけど岩波に幸福論とかあったね。気が向いたら読んでみる。
それと君のように、それなりの業績を遺した学者を軽薄に感情で評すのは趣味じゃない。
それと文末にwを付けて煽る人間も趣味じゃない。
以上ですね。



570562:03/05/13 20:00
>>564
妙にテンションが上がっていたので軽率な発言をした点は自重するよ。
「ほぼ同じ」だなんてのは特にいただけない。「共通した何かを感じる」位にするべきだった。

それを成した個人の人間性を問わず、業績は常に冷静に評価するよ当然。
しかし人間性については大いに感情で語るべきだと言うのが私の流儀。憎愛を込めてね。
ましてや秀逸人物の人格などは神棚に飾っておかずに、身近に置いてこねくり回すべきだと強く思うよ。

それと語尾の「w」については多々の解釈がある。
私は悪意も無ければ煽るつもりも全くない。むしろ愛情の現れといった感じです。
571考える名無しさん:03/05/14 00:34
音楽マンセー
572考える名無しさん:03/05/18 09:17
ギリシャ以降の形而上学はショーペンハウアーで止まっているという点について
賛成。というより完成させたというのが近いかも。カント以前の形而上学は独断
論であって、カント哲学はそれを否定した。それが現代の形而上学批判の出発点
となっている。しかし説得力はない。形而上学がなくなることはないだろうし、
ショーペンハウアーにも間違いはあろう。またショーペンハウアーが現代に生
きていたらどんなことをいうのだろうか?天才的な後継者の出現を望む。
573山崎渉:03/05/22 01:02
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
574考える名無しさん:03/05/27 04:19
ショーペンハウアーの「カント哲学批判」はカント哲学の最も優れた解説書
だと思う。彼はカント哲学を生涯にわたって研究している。とくに純粋理性
批判だ。実践理性批判はショーペンハウアーにとっては出鱈目なものだった
575山崎渉:03/05/28 15:04
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
576考える名無しさん:03/05/28 23:46
保全あげ 「人は人にとって狼である」A.ショーペンハウアー
577考える名無しさん:03/05/28 23:55
>>576
保全にageもsageも関係ないよ。
578胡雨:03/05/28 23:59
操イ尓媽!
579考える名無しさん:03/05/29 01:29
毒男の神
580考える名無しさん:03/05/29 02:06
くだらんことは書くな
581考える名無しさん:03/05/30 23:19
ラッセルの幸福論読みますた。
やさしい気持ちを取り戻せますた。
582考える名無しさん:03/05/30 23:39
表象とは何ですか。今の言葉で言い換えて下さい。
583考える名無しさん:03/05/31 01:49
外界に対するその個体固有の知覚情報。またはその集合イメージ。
584考える名無しさん:03/05/31 01:56
表象には狭義に解釈する場合と広義に解釈する場合がある。広義に解釈する
と「言葉、概念」なども含む。非常に広い意味を持つ言葉である。

585哲学少品集第389節:03/05/31 20:41
地球の表面が、まだ同じ形のひらべったい花崗岩からできていて、生命が発生
する素地もなかったときの話だが、太陽がある朝のぼった。神々の使者イーリ
ス女神がユーノーの使いで飛んできて太陽のそばをかけぬけながら、太陽に言
った。「なにを苦労して、のぼったりなさるの?だってあなたに気のつく眼も
ないし、あなたののぼるのを告げるメムノンの像もないじゃないの!」

答えはこうだった。「わしは太陽だ。太陽だから登るのだ。見られるものは
見るがよい!」
586しょーぺのへたな詩 カントへ:03/06/01 00:16
わたしはあなたが昇天した青空まであなたを見送った。
あそこの青空にあなたは飛び去ったのだ。
わたしはひとり雑踏のなかに取り残された、
あなたの言葉を慰めとし、あなたの本を慰めとして。。。
そこでわたしは寂寞に活を入れようとした、
あなたの言葉の精神にみちあふれた響きによって。
わたしの周囲の連中はみんなわたしにはうとましい、
世は荒涼として人生は長い。
587直リン:03/06/01 00:17
588sage:03/06/01 00:30
>>586

訳文にしてはなかなかいい味だしてるよ。カントは偉大だな。
589考える名無しさん:03/06/01 05:51
ドイツでは現在、カントはあまり見向きもされないそうですが、この哲学ボ
ードでは案外カントが大事にされているのが、とてもうれしいです。
590臆面もなき詩句:03/06/01 07:25
長く抱きつづけた深い苦痛の果て
それはわたしの心からもぎ取られて踊りだした。
わたしはそれをしっかりつなぎとめようと久しく格闘してきた。
しかし結局はうまくいくという自信はあった。
きみたちが勝手にどんな態度を示めそうとも、
この作品の生命に危害を加えることはできまい。
押しとどめるぐらいはきみたちにできても、滅ぼすことは絶対にできぬのだ。
後世はわたしのために記念碑を建てるだろう。
591考える名無しさん:03/06/01 12:13
>>590

あの孤立無援の状態でも後世の評価を信じて黙々と執筆し続けた、
ショーペンハウアーの意外な楽観主義が見てとれて、なかなか面白いではないか。

実際、老年時の往生するまでの十年間で、彼の意外な楽観主義に応えるように幸運の
女神が微笑み、突如として不動の評価を得るに至ったしね。
どこかで人生を投げやりにしていたり、執筆を諦めていたら、この結果を生む条件
は整わなかったろうし、人々はこの孤高の天才を恐らく発見できなかったろう。
592不公平:03/06/01 18:58
誰にでも死が与えれているという点で人間は平等である。
593哲学少品集第382 :03/06/01 19:12
破廉恥、鉄面皮のシンボルとしては、蠅をとるべきだろう。なぜなら
ほかの動物はすべてなによりも人間を恐れ、遠くからでさえもう逃げ出
すのに、蠅は人間の鼻の上に止まるからである。
594哲学少品集第382 :03/06/02 05:33
592はショーペンハウアーの言葉ではなく、わたしのオリジナルのコピーです。
595考える名無しさん:03/06/02 12:06
ショーペンハウエルがしょうべんもらした。「ハウ。えらいこっちゃ」
596考える名無しさん:03/06/02 12:25
昔、厨房の頃、図書室の壁にショーちゃんの言葉が貼ってあった。
内容は覚えていないが、同級生の中でも特に出来の悪かった香具師が、
595と同じようなことを言って、ジョークのつもりで独りで悦に入って
いた(W
597考える名無しさん:03/06/02 20:20
>596
そうですね。
哀れな知障がさながら迷妄なる自己をさらしているようです。
如何に明快な書を手にしても意味が理解できないというのは悲惨すぎますな。
こればかりはさすがのショウペン先生もお手上げでしょう。
598考える名無しさん:03/06/03 04:58
まあまあ人に大した迷惑かけている訳ではないんだし、まだ子供なんでしょ。
599ショーペンハウアー イマヌエル:03/06/03 09:34
死というのも、一つの生の形態であり、一つの存在の形態である。
600考える名無しさん:03/06/04 14:36
よほど聡明だったのなら別だけれども、中学生に理解も何も....
601いまぬえるしょーぺんはうあー:03/06/07 02:11
>>600
君は「ソフィーの世界」から始めなさい。「ソフィアの世界」じゃないよ。
602考える名無しさん:03/06/07 05:04
そうですね。まぁそういうこどもじみたこともいいかもしれませんね。
603考える名無しさん:03/06/09 22:48
マスコミの盗聴、盗撮は許されるのか?http://natto.2ch.net/mass/kako/974/974478132.html

489 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 2001/04/11(水) 17:25
一般人なのに盗聴される、じゃなくて、「一般人だから盗聴される」んじゃないのかな?
基本的にネタ集めのためにやってんなら、有名人のネタを盗むと、有名人は告発できるし、
そんなことされても当たり前だと思われるので告発しても信じてもらえる。
そうでない人は、ここの途中の書き込みにもあったように「電波」扱いされるだけ。

ただで、ネタを仕入れるんなら、一般人に限るでしょう。
マスコミは自分らの無能さを恥じてほしいです。

ちなみに私が盗聴されはじめたのは、芸能人にストーカーされ始めてからでした。
そこからマスコミに広がって行った。
だから余計「妄想」とか思われそう。
友人に話したら完全に病気扱いされた。ストーカーって言葉がない時代だったしね。   
書いておいておいた小説のネタが、他人の原作でドラマ化されたときにはきれまくっ
たなあ。(一度や二度のことじゃないけど) 
604考える名無しさん:03/06/15 10:04
>>603
すごいなそのスレw
笑えない香ばしい方がイパーイおりますね。
605考える名無しさん:03/06/15 10:14
ゴルドマンってどうよ
606考える名無しさん:03/06/15 10:36
おい馬鹿!!こっちにこいや馬鹿!!まあすわれや馬鹿!!「関係ねえこと書くなよな馬鹿!!」
607今日のハウエル先生:03/06/18 05:22
 最大多数の人間がその一生を送るありさまを外から眺めると如何に無意味に
内容空虚にみえることか、また内から感じ取ると如何に鈍感で無自覚に感じられる
ことか、これでよくも生きていけるものだと疑わしくなるほどである。このような
一生は人生の四期(幼少年、青年、壮年、老年)を経て死に至るまでの、鬱々とした
憧れと悩みであり、くだらない一列のよしなごとを引きずっては夢を見ながら
よろめき行くことである。最大多数のひとびとは、あたかも時計が発条を巻いて
もらって、自分ではなぜだかわからぬままに動いているというのにも似ている。
一人の人間が生殖をうけ誕生してきたそのたびごとに、人生というこの時計は
あらためて発条を巻かれることになり、これまで無数回すでに奏でてきた琴の
曲を、一楽節ごとに、一拍子ごとにくだらない変奏曲などをそえて、いまいちど
最初から演奏をくりかえすというようなことになるのだといえよう。

 如何なる個人も、如何なる顔つきの人間も、またその人の生涯も、終点のない
あの自然の霊の、すなわち生きようとしてかたくなに固執するあの意志のひとつの
短い夢、ひとつのはかない画像にすぎない。意志は、時間と空間という終点のない
白紙の上に、たわむれにこの画像を描きつけ、時空の無限にくらべれば消え入り
そうな小さな瞬間だけ、これに存続を許して、やがて新しいのに席を与えるために
これを抹消するのである。それにもかかわらず、じつにここに人生の重大な一面が
あるといっていいのだが、このはかない画像のどれ一つとっても、みな生きようと
する意志の全力を傾け、あらんかぎりの熱情をつくし、多くの深刻な苦痛をもって
贖われ、そしていよいよ最後に、長いあいだ恐れたあげくやっと出現してくる忌む
べき死をもって贖われるにいたることは避けるべくもない。死体を目撃すると我々
が卒然として厳粛な気持ちに襲われるのもこのためである。

A.ショーペンハウアー 意志と表象としての世界 第四巻五十八節より抜粋
608考える名無しさん:03/06/18 08:35
エッセイの類は陳腐で退屈だったよ。
日常的な生活実感そのままで、言われるまでもないって感じ。
名文家と言われてるが、訳文では感じられなかった。
意思と表象としての世界でお薦めの訳ないですかね。
中公バックス持ってるが西尾幹二って訳下手だと思うんだよね。
余談だけど、朝までテレビで見たが西尾の顔って
ルサンチマンで人相が歪んでるよな。突然怒って奇声上げたり。
よくあれでニーチェ研究をやってるものだと思った。
609考える名無しさん:03/06/18 09:21
>>603
陳腐で退屈なのによく読んだ!えらい!
610考える名無しさん:03/06/18 10:15
ショーペンハウエルといえば森進一だね。
611ショーペの詩 シストのマドンナによせて:03/06/22 17:10
彼はまだみどりご、しかし彼は驚きの眼を
彼女の戦慄の混沌たる紛糾のなかへ
彼女の狂乱のはげしい逆上のなかへ
彼女の行動の救いがたい愚かしさのなかへ
彼女の苦悩のしずめがたい痛みのなかへそそぐ。。。。。
驚きの眼。しかしそこには平静と信頼と
勝利の栄光が輝いている
すでに九歳の永遠の確信を告げながら。
612ショーペの詩 シストのマドンナによせて:03/06/22 17:17
彼はまだみどりご、しかし彼は驚きの眼を
彼女の戦慄の混沌たる紛糾のなかへ
彼女の狂乱のはげしい逆上のなかへ
彼女の行動の救いがたい愚かしさのなかへ
彼女の苦悩のしずめがたい痛みのなかへそそぐ。。。。。
驚きの眼。しかしそこには平静と信頼と
勝利の栄光が輝いている
すでに救済の永遠の確信を告げながら。

>>611

九歳→救済
613ショーペの詩 終曲 1856:03/06/22 19:10
疲れもはてて、わたしは終点に立っている
疲れた頭は、月桂冠にも耐えかねるくらい
しかし わたしは自分のやったことを欣然とふりかえる
ほかのやつらがなにを言おうと いつも迷わされることはなかった
614ショーペの詩 花びん 1831:03/06/22 20:44
「ごらん、わたしたちのいのちは、ほんの数日、ほんの数時間なのよ」
あでやかな一群の花がわたしに語りかけてきた。
「でもわたしたちは驚かないの、暗い冥府がこんなに近くても。
だって、わたしたちはいつでもいるんですもの。あなたと同じに、永遠に生きるんですもの。」
615ショーペの詩 胸声 :03/06/23 05:17
ある都市全体の自殺を
セルバンテスはここに描いたのだ。
すべてがご破算になるとき、われわれに残されている唯一のことは
自然の根源的源泉に帰ること。
616:03/06/24 22:32
スレを一通り読んでみました。独特の表現が多く、理解するに至りませんでしたが、>>384
の引用(特に個体化の原理云々)が強く印象に残りました。自分は以下のような考えを持って
いるのですが、刺激を受けそうな感触がしたので、彼の著作を読んでみたいと思いました。

 この世に生を享けた者は分別がついて以後は、なぜ自分はこのような生を授かったのかと
自問しながらも、同時に自分の係わった世界の中でその自己意志をもって生き、そのことが
生の意味付けとなり、そしてやがて死を迎えるにあたっては、自らが係わり愛した世界と子
孫に後事を託すことができる。

 個体化の原理というのもまだよく解りませんが、多用されている意志という言葉も、どうも
独特の意味合いがあるようですね。とにかく読んでみます。
617 :03/06/24 22:59
デカンショ
618考える名無しさん:03/06/29 09:19
倉庫にあったもんだけど、これ見てたら今も昔もレベル変わらんなとおもた。

ショーペンハウエルって
http://mentai.2ch.net/philo/kako/963/963778728.html
619考える名無しさん:03/06/29 14:49
>>618
1がアフォすぎる。こいつショーペを読んでないな。

>結局彼自身は解脱できたのか?
>つまり意志を完全に否定することはできたのだろうか? ・・・だってよ
620考える名無しさん:03/06/29 15:23
厭世観って結構好きだな
621考える名無しさん:03/06/29 15:49


うんこを哲学的に考えると,どうとらえられるか!

この問いを一生問い続けるのです!

622考える名無しさん:03/06/29 15:52
>>621

食べればわかる
623:03/06/30 21:12
とりあえず世界の名著で一通り目を通してみました。で、幾つか気になる点がありました。

世界が表象であり、同時に意志である。これなんですが、意志と命名された存在の本質部
が自己において実感できるのは(可能性として)いいとしても、これを世界一般、あらゆる
現象にまで拡大できる根拠がないように思いました。彼の理屈に則れば、その拡大視はどこまで
行っても表象に過ぎないのではないかと思います。宇宙の諸現象の変遷や生物進化の歴史に
ついての連続性を仮定すれば、その連続性に介在する何かこそ意志そのものだ、と言えなくも
ないかもしれませんが、如何せん物語の域を出ないと思います。

個体化の原理を見極めることによってのみ、迷妄な自己から脱却して他者を愛し善を為すこと
ができる。このような趣旨についてですが、個体化の原理を完全に脱却するというのは置いて
おくとして、この倫理観はとても共感します。>>384のように極端にその倫理観を高めること
は無理があるとしても、殺伐とした個人主義社会が進行する現在においては、十分考慮に
値する大切な倫理観だと思いました。

意志の滅却による無への帰入について。個体化の原理の看破と克服、それはわかるのですが、
なぜ意志の廃棄に飛躍してしまうのか。我々が個体化の原理に縛られながら、それを克服
しようとする無限なる試みの中にのみ主体性が見出せるのに、それすら無意味として意志
そのものを滅却したら元も子もないのではないか。もしそれが単なる否定による無を目指す
ものでなく、個体化の原理を究極的に克服する試みの結果として、我々が記号として言う
ところの無、その知り得ない実体、或いは涅槃の境地を見出したのであるなら、それは理解
できます。あと、単純に、お仕着せの世界を取っ払って無に帰せば万事も無しというのは
理解します。理解しますが、苦い結末ですね。

ところで無についてですが、彼の説によるどこまで行っても意志である我々が、それを無に帰
することなどできるのか。否定する意志も意志であり、単にその否定する意志すら途切れた
だけなら、ごく普通に死を迎える者の意志が途切れるのと、どこが違うのか。それは思いこみ
に過ぎないように見えます。
624考える名無しさん:03/06/30 21:24
物語でも構わないんじゃないか?現代は生きていることに「物語性」が乏しくなっちゃってるんだし
それは共同体が崩壊したという事から来るのかも知れないんだがね。
625:03/06/30 22:11
形而上の物語の是非については、
それが人間の豊かな特性の証として、自分は認める者です。
>>554などの引用はとてもよくわかります。
そうは言いながら、その曖昧さを信じることが出来ない自分もいます。
626考える名無しさん:03/06/30 22:20
ショーペが意志の滅却ができたとは到底思えないんだが、そこらへんは体系らしき
ものを構築する上で必要だったのだろうな、位に考えますがね・・・

627:03/06/30 22:36
彼はあくまで哲学者の立場を貫くと前置きしてますから、
彼自身は実践してはいないのでしょう。

終わることのない意志から来る欠乏苦からもしも根本的に脱却する方法があるなら、
それは根源である意志の滅却以外には有り得ないという結論に至った。
それが可能かは疑問ですが、恐らく唯一の根本的な解決方法だとは思います。

ただし、これまでの自分の生の有り様をすべて無に帰す苦い結末でもあります。
628:03/07/01 00:33
>>616で書いた自分の考えに影響があったのは、やはり個体化の原理の看破と克服です。
勿論我々が世界の中で個体化の原理に規定された生という形態で存在する以上は、
そこから来る互いの誤謬や悪というものを根本から払拭することはできません。
ですが、それを意識するだけで、他者や世界に対する認識は大きく転換し、
認識レベルにおいては境界を限りなく無効化することができるのではないでしょうか。

>終わることのない意志から来る欠乏苦からもしも根本的に脱却する方法があるなら、
>それは根源である意志の滅却以外には有り得ないという結論に至った。
>それが可能かは疑問ですが、恐らく唯一の根本的な解決方法だとは思います。

しかしその者は既に世界も自己も失い、例えその滅却が成就したとて無に没入する
のみである。それに対して自己の係わった世界の中で、自らが係わり愛した世界と
子孫に後事を託すことができる認識に至れば、その者は何も失うものはない。
それは彼のいう個体化の原理を看破すればより一層明瞭となるのでしょう。
だからといってそれが唯一根本的な脱却である以上、個人が意志の滅却を望むことを
否定することはできない。そこが難しいところです。
629考える名無しさん:03/07/01 09:17
あんたは自殺についてを読みなさい。
自己の個性を失う事が何故そんなに苦い結末になるのか
自分に執着しすぎだよ。
630:03/07/01 22:39
 生を肯定しようが否定しようがそれは表裏の形式であって、どこまでも意志であり、固執に
は違いがない。ショーペンハウアーは単純な自殺を生きんとする意志が自己自身と矛盾撞着
する号泣の表現として「マーヤーの傑作」と評し、それとは別に、意志の滅却については特別
視している。ボクから見れば、その意志の滅却こそは、個体化の原理に囚われるあまりに、
その過剰な反動として全てを否定してしまう、言わば「マーヤーの最高傑作」に見えます。
 
 個体化の原理を看破したなら(この時点で認識レベルで彼我の境界を超え)その認識から
世界に係っていくことで、個体化の原理を主体的に克服する可能性が生まれる。けれど、
それすら無意味として個人が無に没入しても、世界は依然として個体化の原理に包まれ、
彼のみが勝手に諦観し、全否定によって世界とも自己とも切り放たれてしまう。
 個体化の原理の看破によって彼は全体の世界相を愛するに至ったのに、彼のみが無へと
脱却して、果たして彼は何を得るのか、世界を愛していたのか。否。もはや何も無いのです。
 だからそれは一つの選択ではあるけれど、苦い結末なのだ、と書きました。
631考える名無しさん:03/07/02 14:31
以前、ヒルティとショーペンハウアーの共似性について書いた者ですが
ヒルティの「幸福論」をだらだらと読み終えました。

まずこの世界に対する認識って点でやはりこの二人は同じような見解に達してると感じます。
でこれに対して人がどういった態度で接するべきか?って点で
ヒルティはショーペン的な意志の否定、ないしは意志の滅却といった態度が極めて
有効だと指摘してる点に少し驚いた。(ストア的、ストア哲学的という表現で言ってますが)

でここからが彼の本題なんですが彼はこの「意志の否定」が如何に実践困難かという点を解説し、
加えてその反作用として厭世的にならざるをえない事と利己主義に陥る危険性を指摘してます。

ヒルティはこの上でキリスト教の有効性を解説するわけです。
詳細は書きませんがつまり要約すれば「個体化の原理の主体的な看破」をなすのではなく、
自らの主体を外におき(つまり「主」の元へ)それを継続的に実践することで経験的に
個体化の原理を看破するといった方法論です。

なかなか面白いので気が向いたら読んでみてください。
632考える名無しさん:03/07/02 16:55
ヒルティはショーペンハウアーの足下にも及ばなかったということ
633考える名無しさん:03/07/03 07:38
仏教では自分に執着するのは我執と言って改めなければならない事となってるんですが、
ショーペンハウエルの"無"というものは我執を越えた部分にあるような気がするんですが、
これも"苦い結末"なのでしょうか?
Sさんにとっては苦いかも知れませんが自分にとっては至極自然な事に感じるのですが。
634:03/07/03 21:25
>>631
神に主体を預ける方法は、共通の信仰心に目覚めたひとの間では有効だと思いますが、宗教対立に
おいては個体化の原理がより集束された形で牙を剥くように思います。それぞれの信仰する神に
代弁させることは、個体化の原理を真に看破したとも克服する方向に進むとも思えないのです。
あと、信仰心の無い(ボクのような)者に効果を期待できないように思います。

世界苦を前提とした共通性はあるものの、ストア的な処世とショーペンハウアーの言う意志の滅却は
全く異質なものと考えます。
>加えてその反作用として厭世的にならざるをえない事と利己主義に陥る危険性
これは読んでみないと解らないみたいですね。でもヒルティさんはキリスト教の教説を延々並べて
いらっしゃるのでボクはどうも苦手なんです。(書店で挫折しました。)

>>633
「苦い結末」というのはボクの主観的な評価ですから、違和感があればそれを除いて読んでみてください。

 >個体化の原理を看破したなら(この時点で認識レベルで彼我の境界を超え)その認識から
 >世界に係っていくことで、個体化の原理を主体的に克服する可能性が生まれる。
 と書きましたが、この内容自体が自家撞着した矛盾をはらんでいるので、実はボクとしても納得している
 わけではないです。思案しています。
635ちよ:03/07/03 21:28
636631:03/07/04 01:34
>>634
当然そういった宗教対立の危険性があるわけでこの危険性といったら
利己主義に陥る危険性なんかとは比べものにならんほど傍迷惑なわけでね。
無論その点についても彼は語ってますが、個人的にはどうかなぁ?と。

あとストア的処世についてですが少し書き方が悪かったです。
ヒルティが作中で再三語っている『ストア的な云々』に対する解説が
一般的にストア的と言われるものよりもむしろ、ショーペンのソレに似てるって事です。
637:03/07/04 04:49
>>636
う〜ん、世界中で頻発している宗教紛争を考えるとボクはゲンナリするのです。
ショーペンハウエルとの共似性については読まないと解らないですね。
638:03/07/04 04:50
意志の滅却による無への没入は可能なのだろうか。
関連した幾つか疑問をまとめてみました。以降のレスで考えていきたいです。

1 意志を否定することを意志しなければ意志の滅却すら試みられないのではないか。
2 意志を否定することにより禁欲的な苦行から肉体的な機能不全をきたすことと
  一般の老衰死、餓死とはどこが違うのだろうか。
3 単に否定する意志が存在世界の境界を越えて無の世界は没入できる根拠はあるのか。
  存在世界の森羅万象の循環とどこが違うのだろうか。
4 個体化の原理に縛られながら空であるとか固執を克服したなどという場合は、それ自体
  が矛盾していないだろうか。
5 生の形態から発生する苦の支配から脱却できたとして、今度は無の支配下に移行するだけ
  ではないのか。
6 個人が無に脱却したとして生の世界では個体化の原理は残る。これは本質的な解決となる
  のか。覚者だけが到達し得る故に仕方のないことなのか。
7 そもそも生の形態は如何なる苦に覆われているのか。
639考える名無しさん:03/07/04 11:17

     /∵  ▼ \
    /∴       ヽ      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   , |∴   /  \ |、   / 
  |`──-( / )-( \)l |  <  ショーベンしまっせ?
  | [     ,   っ  l |    \ 
  `-,     'ヽ、_ソ  }'     \_______
   ノ ヽ、    `'   ノ、     
 /     ゝ ── '   ヽ
/   ,ィ -っ、        ヽ
|  / 、__ う 人  ・ ,.y  i
|    /        ̄ |  |
ヽ、__ノ          ノ  ノ
  |      x    9  /
   |   ヽ、_  _,ノ 彡イ
   |     (U)    | 
640カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/04 23:29
>>638 Sさん(1)

>1 意志を否定することを意志しなければ意志の滅却すら試みられないのではないか。

認識する主体と認識される客体との同一化、たとえば、不適切かもしれませんが、
自然と戯れているときなどに自然に涙が溢れてくるような体験ってありませんか?
絵画や音楽を鑑賞しているときにその対象の中に溶け込んでしまうようなことは?
遊んでる子供が車道に飛び出してあっ!と感じた瞬間その子になっていませんか?
これらの現象の特徴(共通性)は、個別的な意思の消失にあると思うのです。

いいかえるなら、個別的な意思の認識(個体化の原理)からの脱却といえるのでは。
ただ注意しないといけないのは、個別的な意思の消失が長時間、あるいは長期に
わたる時、生きようとする意思をも消失してしまうのではないかという可能性です。
なぜなら、個別的な意思の認識に基盤をもつ個体化の原理に反する行為だからです。

たとえば、瞑想のやりすぎなどで心身の活動力が著しく低下することがありますが、
これは意思によって意思を否定しているわけではなく、個別的な意思の活動が極端
に沈静化することの結果として、自然に生から退いていく、あるいは生の肯定的な
諸相がイヤになるといった感じです。もしも表象の世界が意志の客体化された存在
だとするなら、個別的な意思の消失はそのまま世界の消失になりますから、そんな
状態をなんと名付けるかとなると、無としか表現できないということになるのだと。
ちなみに自殺は意思による行為ですから、生きようとする意思の消失とは違います。
641カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/04 23:29
>>638 Sさん(2)

>2 意志を否定することにより禁欲的な苦行から肉体的な機能不全をきたすことと
>  一般の老衰死、餓死とはどこが違うのだろうか。

1参照。

>3 単に否定する意志が存在世界の境界を越えて無の世界は没入できる根拠はあるのか。
>  存在世界の森羅万象の循環とどこが違うのだろうか。

ショーペンハウアーのいう「無」の世界なら、脳内麻薬のレベルじゃないのかな。
(意識の拡大)、科学的な検証も可能だと思います。(5参照)
森羅万象の循環は、生物なら、分離、差異化、個別化、多様化と、自己組織化による
反エントロピーの活動による生命維持、およびその連鎖という循環を目的にしているので、
その循環から抜け出す(無になる)ことを考えていないところが違うのではないでしょうか。

>4 個体化の原理に縛られながら空であるとか固執を克服したなどという場合は、それ自体
>  が矛盾していないだろうか。

肉体をもち、精神(言語)を駆使しているのですから厳密には矛盾してると思います。
でも、それは仕方ないのでは・・・100%でないからウソということでもないと思う。
主客の同一化状態を(上述1の例のような瞬時の出来事ではなく)ある程度自由にコントロール
することが可能なら、克服したと言わせてあげましょう。(笑)
642カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/04 23:30
>>638 Sさん(3)

>5 生の形態から発生する苦の支配から脱却できたとして、今度は無の支配下に移行するだけ
>  ではないのか。

そう思います。無といってもモノ自体としての意思との同一化のことを「無」と呼ぶしかない、
といってるだけですから。モノ自体としての意思という「存在原理」を否定してはいないのです。
だから、ここから「あの世」とか「輪廻」とか「神」とかいう概念が入り込んでしまうのです。
それを信じてしまう人にとっては、さらにその「無」からも「サヨウナラ」することこそが、
真の「無」あるいは「悟り」になるのではないでしょうか。

>6 個人が無に脱却したとして生の世界では個体化の原理は残る。これは本質的な解決となる
>  のか。覚者だけが到達し得る故に仕方のないことなのか。

まだ、わたしは悟ってないからわからないけど(笑)、4と同じ感想です。

>7 そもそも生の形態は如何なる苦に覆われているのか。

あらゆる現象は、モノ自体としての意思の断片にすぎない。
それぞれの断片は、それ自身の存在仕方にしたがい「実在」しようと努力を続ける。(永遠回帰?)
しかし「なぜ」ということについては、何も知ることはできない。
なぜなら、意思それ自体は、あらゆる現象を生成する根源なのだから、無制約的で非依存的、
つまり、絶対なのだから・・・とするなら、
実在し続けることの根拠をもたずに永遠に循環(努力)しなければならないことを「苦」である、
としたのではないでしょうか。
その苦を回避する方法として「神との合一」「悟り」「イデアの認識」・・・を説いたのでは。
643:03/07/05 21:53
>>カオルさん

簡潔明瞭な解説ありがとうございます。まさかの展開に驚愕し、感謝しています。
ボクなりにひとつひとつゆっくり考えてみます。

>1 意志を否定することを意志しなければ意志の滅却すら試みられないのではないか。

ショーペンハウアー(以下SH)は聖人が個体化の原理を看破しその認識が高度に明瞭な
段階に達すると、生きんとする意志に対する嫌悪、悲惨と認識されたこの世界の核心と本質
に対する嫌悪、彼自身という現象を通した本質そのものへの嫌悪が発生すると言っています。
そして聖人の意志が向きを変え、現象のうちに反映している自分自身の意志をもはや肯定せず、
意志を否定するに至り、最後に意志は廃棄され認識だけが残ると。

ボクが思うに、どこまで行っても意志である我々の本質から言って、生きんとするか認識転換
によって方向修正するか、いずれにしても形式的な方向付けに過ぎない。そして本質たる意志
は常に我々に介在する訳です。
644:03/07/05 21:55
>>カオルさん (つづき)

認識する主体と認識される客体との同一化が個別的な意思の認識(個体化の原理)からの脱却に
あたるとカオルさんは指摘しました。ボクは一にして根源たる意志が、個体化の原理を超えて
共鳴することと解釈しました。偶発的な体験は継続しませんのこれは未だ意志の方向転換には
至っていない段階に思います。等しき生の形態に属しながら、悟った感を述べてしまう似非
覚者は、程度の差はあってもこれの類でしょう。(自己制御しているというのも限定された胡散
なレベルです。)このような者が世界の消失まで到達するとは思えません。では仮に根源に
して一なる意志そのものに個体化された自己が還元されるとして、表象世界が消失して、
それで何が変わるか。個体化の原理は克服しても、終わることの無い盲目の意志そのものは
何も変わりません。苦は解消されないのです。そしてこれが無であるとも思えません。

意志の廃棄とは文字通りのもので、それが無への通路となると考えます。それができて初めて
苦からの脱却も可能と思います。但しどこまでも意志である我々が意志そのものを廃棄するな
どというのは矛盾撞着しています。我々にできることはせいぜい+を−に転換することぐらい
ではと思います。SHがどのような無を想定していたかは判然としませんが、ボクはそう考え
ています。意志の廃棄ができるならボクは知りたい。宜しければ、指摘、批判お願いします。
645カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/05 23:59
>Sさん

即レスだと内容に自信が持てないので明日にでもレスします。
646一塊のROM:03/07/06 03:39
>>どこまで行っても意志である我々の本質から言って、
どんな根拠があってこう言いきれるんでしょうか?
>>表象世界が消失して、
>>それで何が変わるか。個体化の原理は克服しても、終わることの無い盲目の意志そのものは
>>何も変わりません。苦は解消されないのです。そしてこれが無であるとも思えません。
あなたは自分の結論を決りごとのように言われるが、あなたの意見は憶測や仮定の域の中にあって
しかも自分の行動範囲以内の思考でしかものを考えていないように思われます。
もう少しまとめてから書き込んで頂けるほうが有難いのですが。
647:03/07/06 05:23
>>646
SHの形而上説に則る形で考察しています。
意志の廃棄についてはSHの形而上説の中で最終的な実践行為を示したもので、
ここを限定的に取り出していますので、とりあえず前提となるSHの見解を踏まえた上で、
考察を進めています。これを叩き台にして何かが見出せればな、と思っています。
ところでSHの形而上説については、断片的な引用が>>407-413にありました。
648カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/07 00:03
>>643 Sさん
うぁー、もうこんな時間。レス明日でもいいかしら?
たぶんレスするのは↓(予告)あたりだと思います。いい加減でごめんなさい。

>意志を否定するに至り、
否定というとらえ方をするとパラドックスになってしまうので、
>>640の三段目で、あえて瞑想の例を取り上げてみたんですけど、だめ?

・・・これは意思によって意思を否定しているわけではなく・・・

>そして本質たる意志は常に我々に介在する訳です。
>>642の6の説明では、だめ?

・・・「存在原理」・・・

>終わることの無い盲目の意志そのものは 何も変わりません。
>苦は解消されないのです。そしてこれが無であるとも思えません。
これも、>>642の6かな。
じつは、故意に「無」と「存在原理」を同居させてたりして・・・。

>意志の廃棄とは文字通りのもので、それが無への通路となると考えます。
これも、>>642の6かな。

・・・さらにその「無」からも「サヨウナラ」すること・・・

(大きく解釈にズレがあるのならご指摘ください。調整してレスします)
649カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/07 00:05

642の6 ----> 642の5でした。
650:03/07/07 05:38
>>カオルさん

ご多忙のところ迷惑かけます。カオルさんのこれまでのレスにずれは感じません。
そして、無を追求することが如何に非常識かつ論理を超えたものであるのかも理解しています。
それでもレスください。無駄なら徹底的に否定してみてください。お願いします。

290 :S :03/07/07 01:41
>悟って『存在=苦』としている認識を超えてせめて今生において死ぬまでを『楽』に生きたい。
これは自然と意識同化するなど全一的な達観に到達することでは駄目なの?

>そして出来るならば輪廻の輪から脱し、完全に『無』へと消え去りたい。
『無』かどうかは別にして、これは存在世界の境界を超えることですよね。
ボクも別スレで思慮していますが、何をどうしたら境界を超えられるかなんて
やはり見当もつかないです。でも、貴方はどうしても超えたい?

291 :ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/07 01:50
>これは自然と意識同化するなど全一的な達観に到達することでは駄目なの?
全一的達観って… 本当の『全一的達観』なら可能でしょうがね。
でも此処で話している方々のように『(現世を是とする大前提の元の)達観』では無理でしょう。

>『無』かどうかは別にして、これは存在世界の境界を超えることですよね。
>ボクも別スレで思慮していますが、何をどうしたら境界を超えられるかなんて
>やはり見当もつかないです。でも、貴方はどうしても超えたい?
方法論は私も手探りですよ。『コレだ』なんてものは在りませんし(苦笑)
ただ、やはり…輪廻して『この苦が永遠に繰り返される』なら『存在から非存在への境界を超えたい』ですね。
651考える名無しさん:03/07/07 09:42
やっとショーペンハウアー全集を買いました。
10800円でした。
652カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/07 23:43
>>643 Sさん

>意志を否定するに至り、

「意志よる意志の否定」というニュアンスではなく、
「自然にそうなる」的な記述は(世界の名著に)あったように記憶しています。
SHは、美的観照には個別的な意志を沈静化する作用があるといっています。

わたしは、このような現象の特徴は、個別的な意思の消失 = 主客の同一化、
にあると思うので、誰でも経験可能な例として、>>640の一段目を書きました。
Sさん以外のROMの方とかにもとっつきやすくなるのかな、と思ったもので。

>そして本質たる意志は常に我々に介在する訳です。

「存在原理」としての意志それ自体が「無」になるのではなくて、
モノ自体としての意志の断片である「わたし」の「世界」が「なくなる」事態を、
わたしが言語によって表現しようとすると「無」と呼称するしかないということでは。
653カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/07 23:44
>>644 Sさん

>終わることの無い盲目の意志そのものは 何も変わりません。
>苦は解消されないのです。そしてこれが無であるとも思えません。

盲目の意志そのものを「苦」という概念で規定できるのは「わたし」しかいませんが、
盲目の意志そのものは「わたし」や「わたしの概念」をも含めたあらゆる現象を生成する根源なのだから、
盲目の意志そのものは、誰にも何ものによっても規定され得ないし規定することもできない、となります。
でも、ここは微妙かつ重要なところかもしれません。(↓参照)

>意志の廃棄とは文字通りのもので、それが無への通路となると考えます。

モノ自体としての意志と同一化した状態では「わたし」という個別的な意志は機能しないでしょう。
そのとき「わたし」は「非意識」としての「無」を体験しているのではないでしょうか。
しかし、この「無」は、Sさんにとっては「無」ではないのでしょう。
なぜなら、モノ自体としての意志「存在原理」が消失したわけではないのですから。

Sさんのいう「無」とは、ふたたび「わたし」を取り戻した「わたし」が、
モノ自体としての意志、あるいはその存在原理から推測される永遠の存在循環から抜け出す、
という「観念」を指しているのですか。(見解を一致させてから前に進みたいので)
654カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/07 23:45
>>650
えーと、わたしにどうしろと・・・?
いきなり結論を問われても・・・ゆっくり一緒に考えていきませんか。(^.^)
655カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/08 00:05
>>652
「意志よる意志の否定」 ---> 「意志による意志の否定」でした。
656:03/07/08 22:29
>>カオルさん

>>652
 美的観照による意志の沈静については「意志と表象としての世界」第三巻で記述されて
います。そして、如何に観照に浸ろうと、その当の者が客観化された不断の苦悩のなかに
あり続ける意志そのものである以上、永久の解脱とはなり得ず、ただほんの束の間の生から
の開放に過ぎない、とあります。生の形式が変わらないのであるから、これは当然でしょう。

 >>643で書いた意志の否定については、同掲書第四巻にてはっきりと記述されています。
(最後の「認識だけが残った」は生の世界の側の観測でしたので余計でした。)意志がなく
なるということは同時に意志の現象全体がなくなり、現象の一般形式である時間と空間もなく
なり、現象の根本形式である主観と客観もなくなる。意志がなければ表象もないし世界もない、
とあります。
 これは主客の同一化による全一的な移行ではなく、そのものの廃棄、強いて言えば絶対無へ
の移行と考えます。このふたつのケースについて、どちらも考慮すべきとは思います。が、
>>650で転記した確認事項ゆえに、前者では説得力を持たないです。

>>653 
 内容はすべて同意、確認事項についてはその通りです。
 意志が終わることがない盲目的な物自体であり、生の形態で現象するにあたりその本質
が反映され、意志から涌き出る個体化現象の永劫循環が尽きないこと。人間という意志の
高度の客観化段階においては、個体化された意志を通してそのことが認識され得るので、
意志への還元では「苦」の解消に繋がらないことをも認識しています。ゆえにその認識に
達した者は循環を脱した「無」を求めます。
657:03/07/08 22:35
>>654
はい。。。
658カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/09 00:29
>>656 Sさん
>生の形式が変わらないのであるから、これは当然でしょう。

「美的観照による意志の沈静」をどうとらえるかは重要だと思うのです。
もっとすすめて「純粋な認識主観によるイデアの観照」でもいいのですが、
ともかく、認識するものとされるものとの同一化現象は、通常「苦」ではないと思うのです。
むしろ、至高体験とされているのではないでしょうか。
つまり、苦と感じるのも、あるいは観念するのも「(個体化原理としての)わたし」です。
生を「苦しい」と感じるのを止めることはできないかもしれないけれど、
生が「苦」であるという「概念」をどうにかすることはできるのではないでしょうか。

そこで思うのですが、もし「純粋な認識主観によるイデアの観照」が生の形式の一形態でしか
ないのだとすると、意志の廃棄による絶対無への移行とはいったいどのようなことをいうのか、
ということになります。
意志の廃棄によって「意志の現象全体がなくなり、現象の一般形式である時間と空間もなくなり、
現象の根本形式である主観と客観もなくなる。意志がなければ表象もないし世界もない。」
というのは、ふつうに「死」によって連想される事態とはどこがちがうのでしょうか。
もしちがいが見出せないなら、「わたし」という概念の死、意識の死は「自殺」ですみます。
しかし、SHは自殺は意志行為であるとして「無」への移行手段としては退けているのです。
そして、自殺を退けられる根拠として、モノ自体としての意志の存在を説いているわけです。
Sさんのこの辺りの解釈をお聞かせください。
659カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/09 00:31
>前者では説得力を持たないです。

えーと、わたしがあなたにレスした動機には、ハルカさんの説得は含まれてなかったです。
あなたが、そのために苦慮しているのはわかるのですが・・・不謹慎かもしれないけれど、
わたしは、純粋にハルカさんの問いに興味を抱いた、その問いに真剣に取り組もうとされ
ているあなたと一緒に考えてみたかったというのが本音です。
660カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/09 00:45

「現象してくるものとしての表象の世界は、意志が客体化したものである」
については、たとえば「わたし」と客体化された「ワタシ」との関係性は、
経験に依って発見された偶然の関係性である、と反論することが可能です。

ショーペンハウアーは、目に見える形で現象してくるもの、
たとえば、身体の諸部分には、意志が表明されているといっていて、
歯は食欲、生殖器は性欲・・・あげくにクレッチマーのタイプ論みたいな説、
つまり、人間一般の意志の類型としての体型と性格の一致にまで言及しています。
しかし、たとえそれらの因果的な関係性が事実(=強い蓋然性の認知)だとしても、
それらは経験に依って把握(観念)された関係性(理解の習慣)なのではないかと、
ヒューム的に反論することも可能です。ウィトゲンシュタインにいわせるなら、
「因果的連鎖は、論理的連鎖ではない」ということになるのでしょうか。

ついでにいうと、上述に照らすなら、
わたしの「身体」は「客体化された意志」である、というところから導かれる可能性、
つまり、モノ自体としての意志を認識することの可能性が否定されることになります。
いいかえるなら、「わたし」をもった人間だけが特別な存在ではないよ、ということかな。
661:03/07/09 06:46
>>カオルさん

>>658
 「美的観照による意志の沈静」または「純粋な認識主観によるイデアの観照」について
 
 その観照を為している間も、生の形式は変わらないわけですよね。端的にいえば、純粋直観
だろうが、芸術による再現に浸ろうが、一種の忘却に過ぎないわけです。主客の一致といっても
それは厳密な一致ではない。(一致というよりもイデアを純粋に見てとって錯覚しているだけ。)
しかも限定的な条件で体験できることで、それは永続しない。したとすれば、生の形式の保持が
困難となり、生がぶつ切りになった段階でその忘却も意志の永劫循環のもとへ引き戻されること
になります。ですから、
 生を「苦しい」と感じるのを止める(忘却する)ことはできるかもしれないけれど、
 生が「苦」であるという「概念」をどうにかすることはできないのではないでしょうか。

 「意志の廃棄による絶対無への移行」とはいったいどのようなことをいうのか

 繰り返しになりますが意志の廃棄とは文字通りのもので、存在を支えるあらゆる条件を排除
した非存在への移行です。けれどもそれは、ただ存在形式から類推しただけの実態のない空文です。
で、単なる自殺と(主観的な思いこみや経緯の違いの他は)どう違うか、循環を超えて無に到達
する根拠が何か、それがまるで見えません。>>638の1〜3のような疑問で頭を抱えてしまいます。
SHは>>226の引用のように無への移行を繰り返し強弁していますが、実践できる根拠が見えない
です。解釈というより、理解不能な状態です。

>>660
 SHの形而上説自体の検証はややこしいことになる(意志の廃棄の議論が成立しなくなる)ので、
これまで避けていました。ざっと目を通した限りにおいては、意志や意志の客観化についての明確な
論証は見当たりませんでしたし、頭痛いです。ちょっと考えさせてください。
662:03/07/09 07:01
>>659
一緒に考えてくださって感謝しています。それだけで感謝感謝です。

SHを題材にしておきながら何なのですが、物自体、イデア、意志というキーワードで
議論を進めることにも戸惑っています。何故ならその設定内では一般性を持ち得ない
気がしてならないからです。
663考える名無しさん:03/07/09 08:43
あんたの考えも一般性を持ってないように思えるのですがね
664カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/09 23:31
>>661 Sさん(1)
>生を「苦しい」と感じるのを止める(忘却する)ことはできるかもしれないけれど、
>生が「苦」であるという「概念」をどうにかすることはできないのではないでしょうか。

>>643
『ショーペンハウアー(以下SH)は聖人が個体化の原理を看破しその認識が高度に明瞭な
段階に達すると、生きんとする意志に対する嫌悪、悲惨と認識されたこの世界の核心と本質
に対する嫌悪、彼自身という現象を通した本質そのものへの嫌悪が発生すると言っています。』

「嫌悪」の対象には二つの可能性があると思います。
(a)現象化された表象の世界にたいするもの。(自己の意識、身体)
(b)意志それ自体にたいするもの。(意識の生成、循環)

「嫌悪」それ自体にも二つの可能性があると思います。
(c)個体にも可能な認識の形式(個体化の原理)にしたがってなされた概念にたいするもの。
(d)認識(思考)とはべつ?の情念的なもの。

わたしは(b)の「意志それ自体の対象化」に懐疑的なのです。>>653
なぜなら、一見「嫌悪」が(b)にたいしてなされていると思われていても、
意志それ自体は「存在原理」なのだから、対象化して「嫌悪」できるような実体ではない、
と思うからです。「意識」と「意志それ自体」との関係性まではいえるかもしれませんが。

また、わたしが『生を「苦しい」と感じるのを止めることはできないかもしれない。』
といったのは、(d)のことです。
『生が「苦」であるという「概念」をどうにかすることはできるのではないでしょうか。』
といったのは、(c)のことです。
665カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/09 23:32
>>661 Sさん(2)
>その観照を為している間も、生の形式は変わらないわけですよね。

身体が、物理的に存在し生物学的にも機能している、という自然科学的な次元にこだわるのなら、
「無」へ移行するには、身体の「死」が不可欠になってしまいます。
ある意味、哲学的には正しい態度だと思いますけど・・・死そのものを誰も知らないのですから。
でも、SHは「死」ということでいうなら、むしろ精神の「死」を「無」への鍵と考えていたの
ではないでしょうか。
SHの使用する「意志の否定」という表現も含めて、この辺は{今日のショーぺ先生Rさん}の
>>223-230の記述にほとんど書かれているように思います。

『ただ否定という形としてしか表現し得ないことがらに関して、なにがしかの肯定的な
認識を手に入れたいとあくまで固執するなら、我々としては意志の完全な否定に到達した
すべての人々が経験したあの境地を参考にしなさいという他に、如何なる方法もない。」>>224

『我々は徹頭徹尾哲学の立場に立つ者である以上、否定という形の認識で我慢し・・・』>>226

どうでしょうか。SHの「否定」という表現に込められた真意が伝わってこないでしょうか?
徹頭徹尾哲学者であったSHは、認識するものとされるものとの同一化を「否定」という
個体化原理にのっとった形式論理の中におさめて表現するしかなかったのではないでしょうか。
666カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/09 23:33
>>661 Sさん(3)
>意志の廃棄とは文字通りのもので、存在を支えるあらゆる条件を排除した非存在への移行です。

上述から、わたしは、SHのいう「無」は「存在それ自体」に「同化」する、
あるいは「存在そのもの」に「なる」ことだと思いますから「非存在」の「無」とは、
ハッキリ区別したいと思っています。そしてどちらの「無」が「より〜」というのは、
とりあえず横において考えたいのです。そもそも存在を前提しない「無」なんかある
のだろうかとか、非存在としての無の定義は?とか、色々あるので・・・ゆっくり。

>自殺と(主観的な思いこみや経緯の違いの他は)どう違うか、

この問題もなおざりにはできませんね。それぞれの「無」を定義する必要があります。

>循環を超えて無に到達する根拠が何か、

SHは、循環を超えて無に到達できるとする根拠を「存在原理」としての「意志」に求めています。
つまり「存在原理」としての存在そのもになることが、循環を脱し、無に至ることだと・・・
ここでいう無とは、個体である人間にも可能な認識の形式にのっとって、こちら(人間)から解釈
しようとこころみるなら、それは個体化の原理をまったく超越しているという意味で、無である、
ということではないでしょうか。

>解釈というより、理解不能な状態です。

わたしも同じです。のんびりいきましょう。こればっか(笑)
667カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/09 23:34
>>661 Sさん(4)
>頭痛いです。ちょっと考えさせてください。

m(__)m >>660は無視しましょう。(じゃぁー書くなよ!)

SHの意志、それをひきついだニーチェの力への意志、みんな人間中心の思想。
力への意志は、抵抗を克服していこうとします。でも、そんな自己も世界のなかの一部。
「世界−内−存在」なのです。(ハイデガー)

ダーザインとしてのわたしは、世界から抜け出せるのか。
それとも世界という環境なしには、存在すらままならないのか。
わたしは、ほんとうに実存してるのか、それとも関係性という産物でしかないのか。

@「純粋な認識主観によるイデアの観照」の否定には、人間中心的発想を感じるし、
A「純粋な認識主観によるイデアの観照」の肯定には、万物平等的発想を感じます。

@は、精神の「成長」や「発達」を肯定しつつ否定するという不条理、アンチノミー。
Aは、その逆。

人間観のちがいが、@とAのちがいになるのでしょうか。(SHはホントはどっち?)
みたいなことをいいたかったのかな。(いえてないよ!) 脱線はわたしの癖。おゆるしを。
668カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/09 23:37
まとまってなくてごめんなさい。
あと、おなじこと繰り返してると思うけど・・・必要だと思うから。
あと、キーワードは・・・どうしましょうか? おまかせします。
669カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/10 21:34
わたしSさんの重荷になってませんか? 心配です。今日は早めに寝ようと思います。
670:03/07/10 23:40
>>カオルさん
>>664-666を踏まえて第四巻の終章をもう一度見なおして見ました。するとすっきり意味が
通りました。カオルさんの指摘を理解するとともに、絶対的な非存在などというものは、
SHが取り扱ってもいない(取り扱えもしない)のだな、と理解しました。第三巻から第四巻
終盤への移行もこれなら整合性が出ます。

>SHは、循環を超えて無に到達できるとする根拠を「存在原理」としての「意志」に求めています。
>つまり「存在原理」としての存在そのもになることが、循環を脱し、無に至ることだと・・・
>ここでいう無とは、個体である人間にも可能な認識の形式にのっとって、こちら(人間)から解釈
>しようとこころみるなら、それは個体化の原理をまったく超越しているという意味で、無である、

ボクもカオルさんの明瞭な解釈に導かれて理解できました。ボクの主観的な思いこみがSHの意図の
曲解に結びついていたみたいです。SHの全巻を通した首尾一貫した姿勢に感嘆します。実践段階に
おける個体化された意志の否定という結論についても、それが世に言われるような厭世などではなく、
積極的な形態転換であるのではと思いました。

ではこれで万事が解決できた、とはならないと思います。物自体としての意志、或いはイデアという
実在を支える為に考案された恣意的な設定がなければそもそも成立し得ないこと。そのような恣意的に
捏造した証明しえない観念を前提に、本当に実践段階に突入してしまったら、これは飛翔できるとの
妄想を抱いて崖の上から跳躍してしまうのと一緒です。カオルさんなら意志を確信して実践できます?

SHは「何故」を問うことは不毛でひたすら「何」を問うことしかできないと主張しています。それは
尤もなのですが、それでは「何故」という問いは抑えられません。存在理由、存在境界の超越(絶対無)
への渇望は消せません。仮にその問いに達した者に対峙したとして、どう答えればよいのでしょう。
これは物自体としての意志への帰入では答えにならないです。

あと、>>667はボクにはまだむつかし過ぎますので答えられません。
671:03/07/10 23:43
>>668-669
ボクでも何とか理解できるのだから、すごく丁寧で簡潔な説明です。そう示せるカオルさんが羨ましい。
ボクの方がカオルさんの重荷になってませんか? 心配です。なんせカオルさんの掌で溺れているような
状態ですから、カオルさんに益するものが無いように思えます。だからこそ感謝なのです。

無謀かもしれませんが、SHの哲学説から物自体の意志やイデアを取り除いた場合について、今、考えて
います。生が苦である根拠やその解消方法についても、もう一度考える必要が出てきます。でも、もう
少しSHの形而上説に沿って理解を深めてからにします。次のレスは12日夜にします。
672カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/11 23:48
>>670 Sさん
>カオルさんなら意志を確信して実践できます?

たぶん哲板にいること自体「それ」にはちょっと否定形ということなのかな。
哲学は確信とか実践に距離を置きますよね。とても怖がりになった気がします。

>存在理由、存在境界の超越(絶対無)への渇望は消せません。

ただ「存在理由を知りたい」と「存在境界を超えたい」は、同居しないと思います。
なぜなら、前者への絶望が後者の動因になると思うからです。

>仮にその問いに達した者に対峙したとして

わたしなら上記の仮定から「達した」にまず疑いを持ちます。

>これは物自体としての意志への帰入では答えにならないです。

いえ、物自体としての意志への帰入がどういうことなのかも、
まだまったく解決されてないと思うので、答えになるならない以前だと思います。

>ボクにはまだむつかし過ぎますので答えられません。

ごめんなさい。そういうレスじゃないんです。ひとりごとです。(^.^;)
673カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/11 23:51
>>671
>なんせカオルさんの掌で溺れているような状態ですから、

とんでもないかいかぶりです。レスしづらくなるのでやめてー!(笑)

>カオルさんに益するものが無いように思えます。

いいえ、今のわたしはあなたのおかげで思考停止を免れているような状態なんです。
付き合ってくれてありがとうございます。これからもよろしくお願いします。(^.^)
674:03/07/12 22:57
>>672 カオルさん

>ただ「存在理由を知りたい」と「存在境界を超えたい」は、同居しないと思います。
>なぜなら、前者への絶望が後者の動因になると思うからです。
存在理由に絶望するとは、理由が判明しないことへの絶望か、理由が判別することへの絶望か。
いずれにしても存在形態の枠組みが他律的に規定されている限界を発見するわけです。
で、他律的な生へ受容によって死に体としての存在を継続するのか、それとも枠組みに抗する
ことで自律的な存在への転換を試行するのか、とにかくも絶望になんらかの対応しようとする。
しかしこの際対応でも、理由?→転換→理由?→転換→理由?というように存在理由は循環
しながら常に同居してゆくと思います。

>わたしなら上記の仮定から「達した」にまず疑いを持ちます。
で、疑いというのが何なのか。存在理由の渇望はその問いを持った者はそこに至らない段階
から「達した」ことは当事者にとって自明であるし、不毛かどうかは別として疑いえないと
思います。存在境界の超越(絶対無)への渇望については、自律的な存在への転換を試行する
選択肢として当事者が持つに至ったのであるなら、それが可能かは別として当事者にとって
は自明な問いです。

>いえ、物自体としての意志への帰入がどういうことなのかも、
>まだまったく解決されてないと思うので、答えになるならない以前だと思います。
そうですね。意志という言葉のみが先行していて、その実態は全くわかりません。
というより、こういう代物があれば世界を都合良く説明できるという、観測もされない
恣意的な設定でしかないのだから、これは答えが最初から出ているとはならないでしょうか。
675:03/07/12 23:10
>>673 カオルさん

それではお言葉に甘えてそういうことにさせてもらいます。
あと、レスは負担にならないよう、暇な時にだけ、気が向いた時にだけして下さい。
日が開いてしまっても、飽きてしまって放置しても構いませんので、気遣いはご遠慮下さい。
676カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/13 00:45
>>674
>これは答えが最初から出ているとはならないでしょうか。

>>650
『無を追求することが如何に非常識かつ論理を超えたものであるのかも理解しています。
それでもレスください。無駄なら徹底的に否定してみてください。お願いします。』

このレスはいったい何だったのですか?(少し怒ってます!)
677カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/13 00:58
>>674 Sさん
>存在形態の枠組みが他律的に規定されている限界を発見するわけです。

これは決め付けです。他律的とは誰のことですか? 何のことですか?

>他律的な生へ受容によって死に体としての存在を継続するのか、
>それとも枠組みに抗することで自律的な存在への転換を試行するのか、

この「考え」は、あなたのものですか? 彼女のものですか?

>とにかくも絶望になんらかの対応しようとする。

この「絶望」は、あなたのものですか? 彼女のものですか?
678カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/13 01:02
>しかしこの際対応でも、理由?→転換→理由?→転換→理由?というように存在理由は循環
>しながら常に同居してゆくと思います。

循環するから「探求」が続けられるのではないですか。
わたしは「答え」が見つからないことへの「苦悩」を「絶望」とは呼びません。
679カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/13 01:13
>存在理由の渇望はその問いを持った者は
>そこに至らない段階から「達した」ことは当事者にとって自明であるし、

この「自明」は、あなたのものですか? 彼女のものですか?

>存在境界の超越(絶対無)への渇望については、
>自律的な存在への転換を試行する選択肢として当事者が持つに至ったのであるなら、
>それが可能かは別として当事者にとっては自明な問いです。

この「存在境界」とは何か?
その「超越(絶対無)」とはどういうことなのか?
そもそも、この「渇望」の実体とは何ナノか?

わたしには、いまだにすべて不明なのですが・・・
あなたとSHに導かれてやっとその探求の入り口あたりにきたのかな?くらいの認識です。

680カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/13 01:22
>>671
『SHの哲学説から物自体の意志やイデアを取り除いた場合について、今、考えています。
生が苦である根拠やその解消方法についても、もう一度考える必要が出てきます。
でも、もう少しSHの形而上説に沿って理解を深めてからにします。』

これは「オッカムの剃刀」ということだったのでしょうか?
そんなに簡単なものなんでしょうか?
偉大な哲人たちが「神」や「存在」や「意志」を己の体系を上手く説明するためだけに
持ち出したとはとても思えないのですが・・・
681カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/13 01:30

引き継がれた精神 あなたはわたし
 わたしはあなたと共に真理を探求する
  わたしはあらゆる事物を観察し分析する
   歴史の躍動のなかに先人の苦悩のなかに分け入る
    ふたたび今へと帰還し想像する 見逃しまいと目を凝らす
     死角に佇むそれさえ感じ取ろうと身構える わたしは信仰者
      あなたと一つになれるよう 彼の地へ飛翔できるよう挑戦する

それなのにあいつはやってくる
 どこからともなくしずかにやってくる
  まとわりついてわたしをむしばみどこにもいかない
   もうやめたい もうやめたい わたしをもうやめたいのだ
    でも神さまはいう やめることすらやってはいけないのだと
     それならはじめからやりなおしてほしい わたしを無しにしてほしい
      だまっていても生きている 生きている 終わらない やめられない


「存在理由を知りたい」と「存在境界を超えたい」は、同居する、を想像して書いてみました。
682カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/13 01:40
きついこといったかもしれない。ごめんなさい。
でもこっちの方が普段のわたしっぽい。いまさら隠してもしょうがない。(笑)
683カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/13 02:03

ついでだからいい加減で不正確だけど、カントの「モノ自体」の誕生までを
合理論の系譜で追ってみました。あなたが「個体化の原理」を追求するのは、
それはそれでいいことだと・・・役には立たないけど応援レスのつもりです。(^.^)
あと、わたしがSHの「意志」を「モノ自体としての意志」と表現してたのは、
そもそも、SHとカントとの強いつながりを意識していたからなのです。では以下。
684カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/13 02:16

【デカルト】は、
すべてを疑い、検証できない存在を排除していくと
最後にどうしても疑えない、疑うわたし(精神的「実体」)と
長さ、幅、奥行きをもつ、延長実体(物質的「実体」)と
双方の実体を関係づける生得的な性質としての「本有観念」が残るとした。

【ロック】 は、
人間は誕生したときは真っ白なキャンバスであり、
「すべては経験によって得られる」のだから、生得的な「本有観念」はないとした。
しかし、精神的「実体」と物質的「実体」の存在は懐疑しなかった。

【バークリ】 は、
「何かが存在するとは、知覚されたり知られたりすること」と考えて、
あるのは「観念」だけであって、物質的「実体」はないとした。
しかし、精神的「実体」の存在は懐疑しなかった。

【ヒューム】は、
「存在するのは、観念だけである」と考えて、
精神的「実体」と呼ばれるものも、じつは観念の束でしかないとした。
これで精神的「実体」も否定された。(>>660にもちょっと関連)

【カント】は、
観念は、むこう(モノ自体)からやってくるものではなく、
こちら(主体)から働きかけて、こちらの都合に合わせて、創り出すものと考えた。
この「コペルニクス的転回」によって、「モノ自体」は、知り得ないものになった。

ホントにたいしたこと書けなくて・・・こんな筈じゃ・・・なんか無意味っぽいけど・・・
685:03/07/13 03:58
このレスは>>676-679をコピーしたあとに悶々としながら書いてました。
だから>>680以降のレスを念頭にしていません。どうしようかと迷いましたが、貼っておきます。

>>676 カオルさん
何で怒ってるの?前後のボクの姿勢が食い違っていてカオルさんを愚弄したのでしょうか?
無がどうであるか以前に、世界を恣意的に設定した概念に代弁させて説明した場合、それは
ひとつの仮説にはなるけれど、実践に耐えるものではないと思います。しかもその内容が生
の形式を肯定したものならば、そもそも我々が生の形式にあるのだからボロが出にくいですが、
生の形式を否定したものならば、物語に陶酔した結果として取り返しのつかない事態が予想で
きるのです。だからボクは、そうした恣意的な設定では(物語としての)限定を持ち、それ
ゆえにこれでは、>これは答えが最初から出ている、と思うに至りました。ですから物自体
としての意志を除いた形で考えることができないか、と思ったのですが。おかしいですか?
前のレスと姿勢が食い違っていますか?ボクが鈍感なだけかもしれないので、批判してみて下さい。

>>677
彼女?誰のことでしょうか?確かにカオルさんにボクが考えるに至った状況を説明して来ました。
でもここではそれは別個です。ですから>仮にその問いに達した者に対峙したとして、と設定
したのです。そしてこれはボクでもありません。状況を想定して考えてみたのです。おかしいですか?

>これは決め付けです。他律的とは誰のことですか? 何のことですか?
存在理由が判明しない場合、自ら預かり知らない存在形態と世界とを背負わされている事態に気付く。
存在理由が判明した場合、自ら預かり知らない存在理由を背負わされている事態に気付く。
いずれにしても自らではない意味において、>他律的に規定されている限界を発見するわけです。
誰のことですか?はわかろうはずもないし、(神だろうが造物主だろうが)どうでもいいです。

>この「考え」は、あなたのものですか? 彼女のものですか?
>この「絶望」は、あなたのものですか? 彼女のものですか?
カオルさんが提示した>前者への絶望が後者の動因になる、という指摘を自分なりに咀嚼して
想定してみたものです。おかしければ指摘してください。
686:03/07/13 04:01
同じくこのレスは>>676-679をコピーしたあとに悶々としながら書いてました。
だから>>680以降のレスを念頭にしていません。どうしようかと迷いましたが、貼っておきます。

>>678 カオルさん

>循環するから「探求」が続けられるのではないですか。
>わたしは「答え」が見つからないことへの「苦悩」を「絶望」とは呼びません。

ボクは世界や自己が他律的に存在していることを発見し、それが如何ともしがたいことを認識する
ことが絶望ではないかと思いました。それはこうして思慮し意欲している自己そのものも、他律的な
構成に過ぎないという逃れられない認識です。けれどもその絶望からもしも可能性を引き出すことが
できるとしたら、それはあてがわれた自己をもって自己の枠組み、世界の枠組みに抵抗することしか
ないと思った。自家撞着の行為ではあっても。(骨スレでカオルさんと問答したことと通じます。)
それでも、循環の中では無制限に問いつづけもできる。でも、それ自体もまた、他律性の反動として
踊っているだけの、無限の他律性に過ぎないことがどこまでも同居するのです。これも絶望であると
思いました。それとも踊っている間は絶望ではないのでしょうか?カオルさんの考える絶望を聞かせ
てください。

>>679
これもボクが想定したものです。その問い自体の妥当性は別に、その問いを持ったことは否定しようが
ないです。
687:03/07/13 04:55
>>680 カオルさん
「オッカムの剃刀」・・・そこまで深くは考えていませんでしたが、近いものがあるかも知れません。
SHの体系そのものをいじくるつもりはボクにはありません。ただ、意志の滅却について考えた
際に、SHの哲学説から出発して、もう少し実践に耐える形を示せないかと思ったのです。
梵我一如でも意志への帰入でも同じですが、その観念を盲信しない限りとても実践できないです。
それが宗教だ、哲学なんだ、ともし言われても、根拠の示せない観念では説得力がないです。
ただ、それだけなんです。
>>681
そのイメージよくわかります。ボクが絶望などで書いた内容と重なる部分とそうでない部分があります。
>>682
そんなことないです。がっちり叩いてください。
>>683-684
気を遣って戴き有難うございます。
こんなにたくさん真剣にレスしてもらって、本当に感謝です。貴方の善意を噛み締めます。
688:03/07/13 07:38
>カオルさんなら意志を確信して実践できます?
>たぶん哲板にいること自体「それ」にはちょっと否定形ということなのかな。
>哲学は確信とか実践に距離を置きますよね。とても怖がりになった気がします。

ボクはこのレスがとても気になって仕方ないんです。大層な体系を打ち出しても
これが実際なら、哲学ってなんだろう?(不能者の戯言?)って思うし、意志を
信じられないカオルさんがボクを痛烈に批判した根拠がわからない。説明してください。
689カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/13 23:08
>>685 Sさん
>何で怒ってるの?

『無を追求することが如何に非常識かつ論理を超えたものであるのかも理解しています。』
が本当なら『それでもレスください。』というのは「語り得ない(論理を超えた)もの」を
「語る」「探求」したい、するという、あなたの「意思表明」だったのではないですか?

にもかかわらず『これは答えが最初から出ているとはならないでしょうか。』というなら、
それこそそれは、わたしにとっては百も承知の「自明」なことなのです。

>無がどうであるか以前に、世界を恣意的に設定した概念に代弁させて説明した場合、

なぜ「恣意的」などと安易に表現するのですか?
哲人がみずからの生涯と命を懸けて残してくれた体系にたいして使って良い言葉ですか?
あなたは本心からそれ≠ェ「思いつき」や「自分勝手な考え」にすぎないと思うのですか?
論理空間にはおさめられないことなのかもしれないけれど、確かにそれ≠信じたからこそ、
彼らはそれ≠説いた(後世に残した)のだとは思わないのですか?

>それはひとつの仮説にはなるけれど、実践に耐えるものではないと思います。

「実践に耐える」とはどういうことですか?
ある苦を回避、あるいは脱するための「方法」が、科学的に検証され、医学的にも
心身への保証がなされるような形式を整えないかぎりそれ≠ヘ実践に耐えられないのだから、
無意味だと言いたいのですか?
690カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/13 23:24
>しかもその内容が生の形式を肯定したものならば、
>そもそも我々が生の形式にあるのだからボロが出にくいですが、
>生の形式を否定したものならば、

それ≠ェ、生の形式を肯定してるか否定してるかなんてどうして簡単に分かるのですか?
たとえば、SHのそれ≠ヘ、SHが生の形式を否定しているのだから・・・を信じるのですか?
SHのそれ≠引き継ぐとともに懐疑を加えつつ、もっと探求してみようとは思わないのですか?

>物語に陶酔した結果として取り返しのつかない事態が予想できるのです。

生の形式に沿って予測するならそう思います。でもだからといって切って捨てるのですか?
哲学する≠ニいうのは「陶酔」を避けて思考停止しないこと、諦めないことではないですか?

>ですから物自体としての意志を除いた形で考えることができないか、と思ったのですが。
>おかしいですか?

物自体としての意志を一時脇において、ということなら上記の発言はしません。
「わたしの仕組み」や「世界の構造」を追求するのはいいことだと思いますから。
691カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/13 23:25
>>686 Sさん
>ボクは世界や自己が他律的に存在していることを発見し、
>それが如何ともしがたいことを認識することが絶望ではないかと思いました。

どうしてここまで言い切れてしまうのでしょうか?
世界とは? 自己とは? 存在とは? 認識とは? 絶望とは?
わたしにはどれ一つとして「自明」なことなんてない。

>それはこうして思慮し意欲している自己そのものも、
>他律的な構成に過ぎないという逃れられない認識です。

思慮する自己と意欲する自己は同じですか?
なぜ人は思慮するのですか? なぜ人は意欲するのですか?
思慮にともなう志向性と意欲はどう違うのですか?
本能が意欲と認識されるのですか? 意欲とは何ですか?
意味を理解し価値の選択をするのは志向性ですか? 意欲ですか?
他律的な構成とは形式世界の認識ですか? 神の差配ですか?
自己そのものが他律的な構成ということは自由意志はないのですか?
唯我論と真っ向勝負ですか?
自己そのものが自律的か他律的かがどうして決められるのですか?
自律的の対立概念の存在は認めないのですか? 絶対主義ですか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・それでいいのですか?
692カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/13 23:35
>カオルさんの考える絶望を聞かせてください。

わたしは悟りスレのハルカのことを自分のことのように思っていました。
だからハルカが「生命体の存在理由」というスレを立てたのをみて「存在理由」
って、あんたそんなものないとわかったからこその「悟道」ではなかったの?
と、まぁ分別のない怒りを感じてしまったわけです。嫉妬でもしてるのかな?
というわけで脊髄反射で「そんなの絶望じゃない」といってみたかったと・・・
だから「彼女ですか?」もそういうことです。あなたよりずっと拘っていたの。

わたしの心の中を覗ける人がいたら絶望してるというかもしれないですね。
真理の探究が続けられること、すなわち生きること、生きていられること。
やっとです。必死です。(^.^)

>これもボクが想定したものです。
>その問い自体の妥当性は別に、その問いを持ったことは否定しようがないです。

Sさんも踏み外した≠ンたいですね。いらっしゃいませー。(^.^)
693カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/13 23:40
>>688 Sさん
>説明してください。

コトバ的の結論は別スレのSさんへのハルカの回答と同じ。アンチノミー。
意志を信じられないのではなくて、あなたが指摘するように確信とか実践は、
「死」にかぎりなく近づくことだから・・・・・こわい・・・・・「でも」という気持ち。
ただね、死ぬまでは愛してあげたいのわたしを。心とからだに感謝したいの。
自己欺瞞でもなんでもそれがあるからまだ頑張れているという感じなのかな。
694カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/13 23:54
とんでもなくスレちがいなんだけど・・・以下納得したんで載せておきます。

【ハルカ@】
>この『同一化』は、現実的にうけいれられるものでなければ信用できないという事だよね。

チョット違う。
『イメージを受け入れる』ってのは極論すれば『気の持ちよう』と何も変わらないじゃない?
そんな『気の持ちよう』『考えの転換』では『実際に感じている苦』を滅せられないからね。

【ハルカA】
>>私は『消えたい』とか考えた事も思った事も(過去には)これっぽっちも無いんだけど

『過去には』って注釈がついてるでしょ?
そもそも、この時話していたのは『何故その【苦】とやらを感じるようになったか』だよ?
その時に『過去の経験からではないか』と言われたんで『そうでは無いけど』という意味で
発言したんだよ?
実際【苦】を感じる前は消えたいなんて微塵も思わなかったもの。
それどころか『何があっても生き抜いてやる』と思っていたんだけどね。
あんまり笑わせないでくれる?(苦笑)
695カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/13 23:55

【ハルカB】
『指針』とは『人生の指針』として『生きる方向性を確信して定められる』という事。
『自分の生き方』に絶対の確信を持ちたいから、本当は生存を肯定したいから
『生命自体の絶対の存在意義』を求めている。
それが分からない上に、欠片も見えない現状では『このまま【苦】を感じて生きていくなら、
もう二度と生まれたくない。無へと消え去りたい』という事。

【ハルカC】
私は『支配される』とかのニュアンスで話した事はないよ。
私が言ったのは
『生命の絶対的な存在意義が分かれば完全に迷う事の無い指針が出来る』という事。
696カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/13 23:55

【Sさん@】
>>人が人のために創った命なら、
>>人のために生きることが「確信して定められる生きる方向性」になるか?
>なると思うよ。
>確実に『その為に造られた』と言うのが分かったならね。

これがよくわからないです。絶対的な価値には従えるの?それで収まるの?
存在にとってこれほど確実な生の形態の規定をあてがわれて、満足できないのに?

【ハルカD】(Sさんへ指示した参照レス)
>例えば、生命の目的を仮に全て明かしたとして、それが嫌いでも
>その事実に従うのかな、という問いかけだったんだけどどうかな?

ああ、そういう事か。
ならば『受け入れるしかないだろう』としか答えられない。
『人生訓』やら何やらならば『Aが嫌ならB』という選択もありだが。
仮に『生命の目的』が明かされたとしたら『それ以外の選択肢は無い』わけだから…
従うつもりだよ。私は。
697カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/13 23:57

【SさんA】
それ以外選択肢がない・・・?
今でも生の形態の規定をあてがわれてそれ以外の選択肢はないというのに?
ちなみにボクは従うハルカさんが信じられないよ。

【ハルカE】
言い方が悪いけど私は『私の為に』この問いかけをやってるんだよ。
もし『生の意義』がとても受け入れられないものだった場合でも
私は『表面上は』従うよ。生きていく為には従わざるを得ないしね。
だが、それでも『その意義から外れた不良品になる為の努力』はする。
それが他のスレで言っていた『悟りによって輪廻から外れる事』だよ。
『意義』が明確に成っても私にとって『受け入れ難いもの』で在ったのならば…
『悟り』を追う事は止めない。それが私の『抵抗』だよ。甘んじて受けるわけじゃない。

【SさんB】
それがハルカさんの姿勢なら何もいうことはないけど・・
ボクにはどちらにも方向づけできない中途半端さを感じます。(ボクが勝手に感じただけ)
ボクが他スレで考える過程で、過激になりすぎたのかなぁ。

【ハルカF】
そうだね…中途半端だよ、今の私は(苦笑)
今は『生きたいとも思い死にたいとも思う』どっちつかずの状態なんだ。
698カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/14 00:00
内容のないレス。レスの無駄使い。私的感情の吐露。スレ主さん、みなさん、Sさんごめんなさい。m(__)m
699:03/07/14 05:54
カオルさん・・レス有難うございます。

貴方に対する擦れ違い感というか、やる瀬無さというか、そんな感覚に包まれています。
殆ど鸚鵡返しになってしまいそうで・・今日のレスは止めておきます。
明日になっても変わらない気もするけど・・
700カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/14 21:46

あなたとの会話は671で終わりにします。
色々ありがとう。お元気で。さようなら。(^.^)

PS. ・・・ 672以降のレスは削除できないので記憶あぼーんしてね。
701ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/15 01:26
>>692
チョットこちらへも御邪魔して一言だけ。

私が『悟道』を目指した(歩んだ)のは『自分独りじゃ生命の根本が不明確だった』から。
そして『ソコ』から逃げ出した臆病者です。
何故逃げたのか自問自答して出てきたのは
『まだまだ絶望し切れていないな。まだ生を無条件肯定している自分がいるな』
という回答でした。
私は【苦】しか感じていないので『肯定要素』が(意識的に)掲げられません。
自己に残っている『肯定要素』を破壊しなくては『ソコ』へ行けないのに…
ならば。
2chを利用する事にしました。
だからこそ、此処で様々な人と話しているのです。
多分人は『生への肯定要素』しか話さないだろうという予想は的中しました。
そして『肯定要素』を『自己の中で』粉々に分解しようとしているのです。

最近私が『生の立場へ傾きだした』のは、
まだ残っていた『生の無条件肯定』の噴出でしょう。
この『無条件肯定』こそが大きな壁なんです。
壁を超えなくては『絶望』では無いから…

スレ違いゴメンなさい。
702山崎 渉:03/07/15 12:43

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
703:03/07/15 22:56
>>700 カオルさん
言いたいこと言って、賢しく謎掛けをして、善人ぶって綺麗に幕引きですか。。。
素敵です。カオルさん。貴方はボクに拭うことの出来ない贈り物をくださいました。
会話が断たれた今、ボクは沈黙するしかありません。貴方もお元気で。。。


(。。。お世話になった感謝を込めた、ボクの精一杯の毒舌です。)
704:03/07/15 23:00
>>701 ハルカさん
多分このスレを読んでいらっしゃるのでしょ?
前にも書きましたが、ボクは関わる問題に例外はないと思っています。でもその関わり方が
自分にとって負になるような姿勢なら、どこまで行っても無明は拭うことが出来ないと思います。
自分にとって正になるような姿勢なら、如何な状況でもそれ自体が可能性となると思います。
そしてその正負は自らが一番心得ているはずです。

絶望、という言葉が一人歩きしています。ボクもその言葉に便宜上乗りましたが、本当の絶望
なら語る気力もないはずです。ボクはハルカさんに導かれてボクが関わるべき問題をより深く
見出すことが出来ました。でもそれは絶望したからじゃない。ボクはボクを規定し育んだ世界を、
ボクの関わった世界を、例えそれが如何なるものであれ愛しています。そして愛し続けたい。
だから自分なりに個々の事態、問題に関わっていきたい。究極の壁をボクらを規定する生の形態
やどこまでも自らが預かり知らない他律性に見出した今、それを克服しようと関わっていく
つもりです。もしも自律的な時間が見出せるなら、そうした自らの関わりの中だけだと思う。

ハルカさんは何処へ向かっているのでしょう。ボクはボクの考えを押しつけはしません。貴方が
生きた言葉を交わしてくれたことへの感謝として、ボクのありようを示して来ました。ボクは
貴方が自らを欺くことなく、望む道を見出してくれたらと切に思うのです。それだけなんです。
705:03/07/15 23:45
脱線気味になったお詫びに、意志の肯定・否定についてのSHの引用を貼っておきます。

 ひとびとの認識が意欲(欲念)とぴったり歩調を合わせ、いいかえれば迷妄を去り、
おのれ自身が明晰かつ判然となることができるならば〜認識にとっては生きんとする
意志の全面的な肯定の立場にほかならない〜
 意志が自分自身を肯定するということは次のような意味のことである。意志の客体性
すなわち世界と生とにおいて、意志みずからの本質が意志に完全かつ明瞭に与えられる
のは表象としてであって、したがってこの認識は意志が意欲することをけっして妨げる
ものではなく、それどころかかえってこのように認識された生こそ、意志によって生
そのものとして意欲されるものにほかならないのである。それまで認識を欠いた盲目的
な衝動として意識され思慮されていたものが、今度は認識を伴ったものとして意識され
思慮されるようになるということなのである。

 これと反対になるところの、生きんとする意志の否定がみられる場合というのは、意欲
がいま述べた認識において終わりを告げるときである。そのときには認識されたひとつ
ひとつの現象は意欲の動因としてはもはや作用することがなく、意志の反映である世界
の本質の認識がイデアの把握を通じてしだいに成長し、すっかり意志の沈静剤になって
しまうので、そのときには意志はなにものにもとらわれずに自分自身を止揚してしまう
であろう。

 わたしがもっぱら目的とするところは、生きんとする意志の肯定と否定というこの双方
の概念を説明し、これを理性によって明晰に認識することでしかあり得ず、どちらか一方
をとるよう指図したり、人に勧めたりすることではけっしてない。そんなことをするのは
愚劣であり無益であるといえよう。意志そのものは端的にいって自由で、まったく自分
ひとりで自分を規定していくものであって、このような意志にとっては何ひとつ法則は
存在しないからである。

(中央公論新社 意志と表象としての世界 第五十四節より)
706:03/07/16 00:00
思ったのですが、もし意志なるものがあると仮定しても、
その意志そのものが他律性の根源ではなかろうか。
自律性を求めるのであれば、それはSHの提案する意志の肯定でも否定でもなく、
意志そのものからの克服(脱却)にあるのではなかろうか。

(カオルさん、ハルカさんへ。このスレでのボクの到達地点です。)
707カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/16 00:51
わたしへのレスはかまわないけどハルカへのレスはひどいと思う。

ついでにあなたの到達地点もちがうと思う。
708ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/16 01:16
>>707
いいのですよ。
その人なりの『到達点』があって然るべきなんですから。
だからSさんの「到達点』が違うとは私にも貴方にも誰にも言えないと思いますよ?
709カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/16 01:20
>>708
到達地点というのは、ショーペンハウアーの哲学体系にたいしての解釈のこと。
710ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/16 01:23
>>709
あ、なるほどね。
そういう意味ですか。
では、貴方は如何様な解釈を?
711カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/16 01:24
>>710
人が逃れられない他律性という網にかかっていると仮定するなら、
人を他律的存在となさしめている意志それ自体は自律的でしょ?
それなら意志の現われである自己にだって自律性は望めるでしょ?
他律的なのは個体化原理によって創り出された表象の世界でしょ?
712ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/16 01:34
>>711
>人を他律的存在となさしめている意志それ自体は自律的でしょ?
個人的には、此処に『?』ですね。
『意志それ自体』を何故『自立的』と言い切れるのか?
宜しければお答え頂けます?
713ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/16 01:37
>>712
× 『自立的』
○ 『自律的』
714カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/16 01:37
>>712
絶対の概念として提出されているから、論理的には自律的、自足的・・・の定義があてはまる。
715ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/16 01:39
>>714
なるほど。
『論理的』には、ですか…
ふーむ…
716カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/16 01:40
>>715
わたしが、Sさんにいいたかったのは「存在−自己」という相対図式のワナにはまってるよ、
ということなの。
717ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/16 01:53
>>716
ああ、了解。
それなら理解出来ます。
感謝。
718カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/16 02:00
>>717
Sさんには、わざと遠まわしにいっていたのに・・・もしかして乗せられた。(笑)
719ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/16 02:14
>>718
そう取って下さい(w
720631:03/07/16 02:18
友人に貸していたヒルティ「幸福論」が手元に戻って来たので
以前書いた彼のショーペンハウアーに対する幾つかの意見の内の一つを引用しときます。

近代哲学は概して極めて寛大であって。古代ストア主義とははなはだ遠いものがある。
ただしショーペンハウエルの小論文を読めば、もう純然たる唯物論者について語る必要はなくなる。
ショーペンハウエルが読者に強い感銘を与えるのは(彼の全体の調子はむしろ反感を覚えるはずの
婦人たちでさえ、時にはこれを認めて賞賛している)虚偽の見せかけだけのものに対して彼が激しい
嫌悪を示したからである。彼はその小論文においてしばしば、極めて巧妙に、時代の偶像をいささ
かも顧慮せず存分にその嫌悪をぶちまけているのだ。人間天性のより良き一面は真実を強く求める
ものであって、外観や虚偽に対するこのような力強い抗議はすべて、人の心に反響を呼び起こし、
開放的に作用するのである。ひとは何を自分の人生目的とするかを宣言することによって、おのれ
の口からおのれ自身に判決を与えずにはすまない。それよりほかには出来ないのである。
あらゆる時代を欺き通すほどの、完全に成功した偽善というものは、この世に滅多にあるものではない。

ヒルティ「幸福論」-人間とは何か、どこから来て、どこへ行くのか、金色に輝く星のかなたにはだれが住むのか-より
721:03/07/16 05:35
>>カオルさん・ハルカさん
>人が逃れられない他律性という網にかかっていると仮定するなら、
>人を他律的存在となさしめている意志それ自体は自律的でしょ?
>それなら意志の現われである自己にだって自律性は望めるでしょ?
>他律的なのは個体化原理によって創り出された表象の世界でしょ?

意志なる全一概念を仮定して、我々はそのおこぼれの自律性を与えられているだけなのです。
しかも個体化の原理という箱庭で。主観的な認識ではなく、世界に内在する自己を見て取って
も箱庭であることは変わりません。もしも我々が完全に自律的というなら、あらゆる思慮をし
行為してみてくださいな。それに我々にオリジナルなものがひとつでも確認できますか?過去、
未来に延長しても無限の他律性が確認できるだけです。あるのは、枠の中の、箱庭のなかの、
相応しい自律性。(そんな隷属的な自律性は真なる自律性なんかじゃない!)

意志の肯定・・認識をともなって箱庭を自在に動き回ってみても、所詮は囲い込まれた羊に過ぎない。
意志に否定・・個体化の原理を看破し意志と同化したとしても預かりしらぬ全一概念に取りこまれる
      だけで、これを自律とよべるのか。溶解しただけではないか。
    そして個体化を必然とした意志と表象の世界にあって無限循環は消えはしない。
意志の克服・・他律性を規定する自律的たる意志そのものから脱却の脱却を試みる。それこそが真の
       自律性の萌芽となる。それは脆弱な自己の自律性によって為されるであろう矛盾撞着
       した抵抗である。だが、抵抗の継続、その駆け抜けた時間だけが唯一の自律への接近
       であり、もしも脆弱な自己意志が境界を越えた広がりにまで達したならば、相対的に
       かもしれないが、他律性は克服できたといえるのではないか。(絶対無?かも)
722:03/07/16 05:38
>その意志そのものが他律性の根源ではなかろうか、は意志なる預かり知らぬ全一概念から他律性を
規定されていること。そして個体化の看破は意志への帰順に答えがあるのではなく、その内奥の意志
そのものも看破し、あてがわれた内なる自己をもって抵抗し境界を超え、自律性を形成することに
あると思う。逆説的に考えれば、森羅万象の変遷、生物の誕生と進化、人間への到達、これらの一連
の流れは意志の高度な客観化などと捉えると同時に、脆弱な個体化存在の自律への弛まぬ歩みとも
捉えられないだろうか。造られた人形だってそれ自体として同時に一人歩きするのではないか。
そしてそんな可能性も無いなら最初から我々は存在すらしていないのだ。だからボクは、クヨクヨ
しないでやるだけやってみたい。それで答えは自ずと示されるから。
723:03/07/16 05:47
ボクは箱庭の現実を変えたい!!
724ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/16 05:54
>>Sさん(>>721-722
読ませて頂きました。
非常にいい観点だと思います。
ただ、そもそも『真の自律性が有る』と考えるその時点でカオルさんの言う
>「存在−自己」という相対図式のワナにはまってる(>>716
と思うのですが。
結局は『生存』という形態を取っている限りは貴方の言う
>隷属的な自律性(>>721
しか持ち得ないわけなのですよ。
仮に『真の自律性』を獲得したとしてもそれが何だと言うのでしょう?
我々には『肉体的限界』が有る事には変わらない。
そして『生存している』事には変わり無いのです。

『真の自律性』が有ると思う自体が、私には『幻想』のように思えてならないのです。
725:03/07/16 06:02
>>724
貴方の意志が望むなら、存在境界を超えた絶対無を目指せばいいのでは?
というか、終局はそうなるのかも。
意志の否定と絶対無が異なるのはカオルさんとのレスで確認しました。
726ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/16 06:06
>>725
>貴方の意志が望むなら、存在境界を超えた絶対無を目指せばいいのでは?
>というか、終局はそうなるのかも。
ま、そうなんですがね(苦笑)
私は私なりの道を行きます。
ただ、貴方には…
『真の自律性というものに囚われないで下さいね』とだけ言っておきましょう。
727:03/07/16 06:16
たぶんね、真の自律性はスローガンです。
隷属的な我々は克服のために抵抗する。その経緯そのものが自律に近づくというだけ
だと思います。でも、どこまで行っても矛盾撞着するわけです。相対的に、ここまで
到達した、隷属的な自己を克服した、と強弁できるだけです。
もしも存在境界を超えたとして(そんなことは大いに疑問だけど)それが絶対無なら
それはそれでいい。少なくとも隷属的な意志は克服したのだから。
728:03/07/16 06:53
>>726
どんどん荒唐無稽な話になりますが、
箱庭を越えた先が自律意志(神?)なのか絶対無なのかはわからないけれど、
境界を超えようとする過程は変わらないと思いますよ。
そして全生涯をかけて為したとしても、それが狂人の単純な死という結末に至ること
の方がまず考えられる訳です。でも、それを為した当の意志にとってその抵抗の過程、
その時間こそが唯一自律に近づいた時間なのだから、二義的には十分なのです。
やるだけやってみれたら本望でしょ?ぶすぶすと燃えきらない数十年を永らえて果てるよりも。
729ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/16 07:01
>>728
>やるだけやってみれたら本望でしょ?ぶすぶすと燃えきらない数十年を永らえて果てるよりも。
正にその通りです。
道は違うでしょうが…御互いに目指す場所はそう離れてはいないようですね。
730:03/07/16 07:08
最後に、これはかなり危ない話なので
このスレに迷惑にならないようあくまで仮定ということにしておきます。
731カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/17 00:42
>>703 Sさん

わたしにだって未練はあります。あなたとの会話だって続けたいです。
確かにレスを読み返すとわたしがあなたを批判してるように見えるけど、
ホントは、わたしがあなたの論を理解できていないということなのです。
わたしは、もっとずっと「ゆっくり」付き合ってもらいたかったのです。
でも、あなたは結論を出してしまってるし、えー、なんでー、どうして
って・・・置いてきぼりされた気分です。わかりますか?
732カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/17 00:43
>>704 Sさん
このレスはやっぱりひどいと思う。心が痛みます。
どうしてSさんがこんなことを書いたのかいまだに理解できない。
わたしがあなたの論を理解できない原因があるかもしれない。なので以下。

>ボクは関わる問題に例外はないと思っています。
その通りです。その*竭閧ノ関心を抱いた、あるいは抱けるということでは。
でも問題は、その′`式にあるのではなくてその%燉eです。実感というか。

>そしてその正負は自らが一番心得ているはずです。
正負という二項対立する価値の外、相対原理から解放されたいのです。
SHの「否定」という表現を、もう一度ふかく考えてみてほしいです。

>本当の絶望なら語る気力もないはずです。
絶望を知らないあなたがなぜそのように言い切れるのですか?
2chで書き込みなんかしてるな、さっさと死んでしまえと?
それから世間の常識に当てはめて意見するのはやめてほしい。
もっとそのまわりにあったはずの言葉を拾い出して想像してほしい。
それと生を肯定して生きている人が絶望してないとなぜいえるの?
わたしはあなたにキルケゴールの「死に至る病」をおススメします。

>ボクはボクを規定し育んだ世界を、ボクの関わった世界を、
>例えそれが如何なるものであれ愛しています。そして愛し続けたい。
まるでハルカが人を愛せないかのような世界を愛せないかのような。(悲)
ハルカがもともと人も世界も愛せる人だとなぜ想像できないのでしょう?
にもかかわらず・・・にもかかわらず、という想像はできませんでしたか?
ハルカの苦しみはニヒリズムともちがうんです。

Sさんにはわかってもらいたいから・・・(わたしも)。
733カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/17 00:44
>>721-722 Sさん
何をいいたいのか、いっているのかが全くわかりません。
だから的外れのレスしかできない。(批判じゃないです)
それに>>711は1分で返したレスだから突っ込まれても・・・
わたしはSHの論で検討されてない部分のことを指摘したつもり。

「存在−自己」という相対図式を「人間の視点」でとらえるなら、
「存在」の断片としての「自己」という関係性が浮かび上がります。
例えば、これを文にして「思惟する自己は存在の一部である(中にいる)」
という命題にすると、この命題には整合的な意味が付与できなくなります。
(ゲーデルの不完全性定理や集合論のパラドックスを参照して下さい。)

あるいは、絶対概念としての存在を「対象化」してることの誤りもあります。
もしも、存在が絶対概念なら「存在−自己」という図式がそもそも成立しません。
便宜上、そのように表現するにしても絶対概念としてとらえられているものなので、
存在そのものは「相対性」から逃れていないとおかしいです。だから「存在−自己」と
表現した図式の「存在」と「自己」は「同じ一つのもの」としてとらえるメタレベルの
視点が必要になります。つまり「神の視点」です。(実際にその視点があり得なくてもです)
ちなみに、SHは「自己の意思作用」と「身体の行動」への考察から「存在−自己」の本来的
同一性を説明しようとしていたと思います。>>660はその辺りへの前振りのつもりだったんです。

仏教とか知らないけれど、よく「aはaでない」とかっていう言い方がありますが、
哲学のいう「意志」「存在」「神」・・・などの「絶対概念」というのは、
ちょうど「存在は存在でない、ゆえに存在と呼称される」みたいな感じではないでしょうか。
(最初の存在は「神の視点」でとらえたもの、次の存在は「人間の視点」でとらえたもの。)

上述は、ひとりで個体化の原理の外の出ることの不可能性や個体化の原理によって存在を対象化し、
世界の構造を形式化させてしまうことによって生じるパラドックスについての一考察のつもりです。

(このレスがいまやあなたには何の興味も抱かせない、つながりも持たないレスなのが残念です)
734Mischling:03/07/17 04:18
Grosse Leute fehlen auch, und manche darunter so oft,
dass man fast in die Versuchung geraet sie für klein zu halten.
(Georg Christoph Lichtenberg)
Schopenhauer hat auch Fehlern begangen aber
er ist trotz allem ein grosser Mensch.
Schopenhauers Sprache ist allein schon ein Genuß und
man sollte ihn unbedingt in original lesen.
(Ich hoffe dass viele es verstehen was ich geschrieben hab.)

nihongo taipu dekinainode honyaku hokano hito onegai
renshuu mondai mitaina kankaku de honyaku site kudasai
735考える名無しさん:03/07/17 04:37
ぐろせ れうて ふぃれん あうち うんど 満ちぇ だるんたあ そ おふと
だす まん ふぁすといん ぢぃ ばあすチュング げらえと しい ふるくれいん ず ハル点
(今日はここまで)
736考える名無しさん:03/07/17 06:25
ショーペンハウエル   しょうべんバイエルン   似てますね。
737考える名無しさん:03/07/17 08:11
ふおんとだね>(∵)
738考える名無しさん:03/07/17 11:50
俺もショーペンハウアーのように人生を楽しみたい
739ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/17 13:35
>>732(>>カオルさん)
ええと…
Sさんは私の抱えている『闇』(まぁ『精神的病理』と言っても良いでしょうw)に一番接近した人でした。
ただ、やはり『接近』はしても『同じ位置には着けない』って事で(苦笑)
>>704のような発言になるのは仕方無いかな、と。
だから、Sさんの発言を『ひどい』と責めるのはお門違いじゃないかな?

>>ボクはボクを規定し育んだ世界を、ボクの関わった世界を、
>>例えそれが如何なるものであれ愛しています。そして愛し続けたい。
>まるでハルカが人を愛せないかのような世界を愛せないかのような。(悲)
>ハルカがもともと人も世界も愛せる人だとなぜ想像できないのでしょう?
>にもかかわらず・・・にもかかわらず、という想像はできませんでしたか?
ここでのSさんの発言に関しては仕方ない、としか言えませんね。
他の所で『私は何も信じない』と発言したら『引きこもり』といわれましたから(苦笑)
普通の人の価値判断では、私をマイナスの方へと印象付けるんじゃないですかね?
昔、一回だけこう言ったんですがね…
『本当は世界全て、存在全てを肯定したい。でも今は出来ないから肯定できる術を探している』と。
ま、誤解/曲解されたり、否定/罵倒されたりする事には慣れてますから。
だから…どう思われようが良いんですけどね。
カオルさんみたいに分かる人の方が少数派ですよ(苦笑)

Sさんに誤解されたのは正直チト悲しかったですが…
もう良いですよ。うん。
740:03/07/17 19:59
ハルカさん、そんなことない。そんなことないよ。

>>704のレスは読み返してみると確かにそう読みとられても仕方の無い文章でした。
ボクは>>701のレスから、もしかしたらハルカさんが絶望の為の絶望へと向かっているのでは
と危惧したので陳腐な表現ではありますが、自分の中の正負に照らし合わせて欲しいと思った
のです。世俗的な価値を言ったのではないです。決して、決して。(これまでも一度も・・)
私は自分を見失っていない、と。的外れなら、その危惧には及ばんよとさらりと確認して頂けた
なら、それで済んでしまうレスです。(Sは相変わらず勘繰り屋ですねと苦笑されながら)

ボクは世界を愛している愛したいと繰り返し強弁してきました。でも能天気にそんな言葉が出て
くるものでしょうか。ハルカさんに接しただけで単純に触発されるものでしょうか。ボクの中に
世界や自己に対する喩えようのない不条理感、不信感があります。ボクはマセ餓鬼で、幼少時から、
もうずっとその渦中にありました。でもそれを絶望と括ってはいけない。もしも絶望があるなら、
それは絶望すら語れないことなのだと自分に言い聞かせてきました。だからボクは絶望したから
なんて決して言わないです。にもかかわらず・・そうなんです。にもかかわらずなのです。ボクに
とってもそうなのです。
741:03/07/17 20:04
絶望の晒し合いなんてしたくない。そんなの感傷だよ。ボクはハルカさんと異なるスタンスを努め
てきました。それでお互いに見えてくるものがあればと思って。でもそれが決定的な誤解という
結末だったら、貴方の悲しみにつながってしまったのだとしたら、ボクは・・・。

>まるでハルカが人を愛せないかのような世界を愛せないかのような。(悲)
そんなことないよ。そんなことない。いままで貴方と言葉を交わしてきたボクがどうしてそんな
ことを思うでしょうか。カオルさんが指摘した時は、貴方はそうとらないと勝手に信じていました。
(ホント、勝手でした。)でも貴方からのレスを今日拝見して、愕然としました。ボクの無知と
表現力の無さは明白です。そこから生まれる誤謬については何度でも謝るしかない。でもボクは
決して貴方をそんな風に考えたことはないです。貴方を信じているからこそ>>721以降のレスも書け
ました。誤解やレッテル貼りを恐れていたから、こんなこと今まで誰にも話したことない。

>ボクは貴方が自らを欺くことなく、望む道を見出してくれたらと切に思うのです。それだけなんです。
ボクは何度も挫けそうになったり逃げ出したくなります。ハルカさんだってきっとそんなことがある
と思うのです。この言葉はハルカさんがもしも自分を見失った時に届けたい言葉。そして迷いばかりの
ボク自身に対しての自省の言葉でもあります。

貴方が失意の悲しみにあることを知り、ボクは身も心も裂ける思いです。
742   :03/07/17 20:46
「ショーペンハウアーの意志」についてまだ分からないところがあるんだが、
ちょっと書いてみよう。

ご存知、物自体は認識できないとされる。しかしショーペンハウアーは物自
体は意志として認識されるとした。つまり物自体とはわたしの意志なのだ。

ところでショーペンハウアーにおいては主観とは絶対認識されないもので
ある。まだよく分からないのだが、「根拠率の四根」では認識される意志
についてかなり詳しく述べている。

ところが認識されるものは主観ではない。つまり物自体は主観じゃないの
だ。ここらへんのややこしさを解明することがショーペンハウアーを知る
ことになるのだと思う。

わたしはショーペンハウアーについてはまだよく知らない。間違いを助長
したり、混乱を与えたりしたときは許して欲しい。




743:03/07/17 23:03
>>カオルさん
貴方に伝えたいことがあります。でも今日はレスする気になれないのです。
ボクが骨スレで貴方の設問に答えたレスを貴方は有り得ないと言った。
多分そこに貴方の側の擦れ違いの全てが凝縮されています。
そしてボクに形式論理能力が欠けているのがボクの側の擦れ違いの全てだと思います。
以上でご容赦ください。

>>ハルカさん
誤解は解けたのでしょうか。それとも分かり合えない溝が深まったのでしょうか。
勝手かもしれない。ボクは貴方がレスをしてくれるのを信じています。
744カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/17 23:15
>>740-741,>>743 Sさん
あなたを責めるとハルカに怒られると思う。
でもだからいうね。男が同情されたってみじめなだけだから。
ハルカへのレスになぜわたしが応じたと思う?
それはね、ハルカがあなたにレスを返さないと思ったから。
なぜ返さないのかといったらそれがハルカのやさしさだから。
わたしにはそれがやりきれなかったの。だからまたわたしが応じるね。

ハルカにはあなたの同情に応えるすべがないの。わかる?
罵詈雑言の方がよっぽどハルカにはやさしい言葉なんです。
だからあなたはまた同じことをくりかえしているのです。わかる?
ハルカだってあなたの好意はうれしいはずです。だから何もいえない。わかる?

>ボクはハルカさんと異なるスタンスを努めてきました。
>それでお互いに見えてくるものがあればと思って。
>でもそれが決定的な誤解という結末だったら、

誤解(『接近』はしても『同じ位置には着けない』)を理解するためにも、
「お互いに見えてくるもの」がホントにあるなら、それを手にするためにも、
あなたとわたしの議論、それがおそらく一番有効な手段だと思うよ。(己惚れ?)

たとえば、あなたのいう「真の自律性」をハルカは納得しないでしょ。
なのに、わたしのいう「相対図式のワナ」だったら納得する。なぜ?
あなたの論がちがうとかそういうことがいいたいんじゃないよ。
お互いの誤解を理解するためにも、お互いに見えてくるものを真実にするためにも、
結論を急がない議論が必要だと思うの。どうかしら? ひとつだけレス返しますね。
745   :03/07/17 23:21
ショーペンハウアーの「意志の肯定と否定」という思いつきは極めて陳腐な
ところからきている。

キリスト教でも仏教でもヒンズー教でもインド教でも、「自己否定によって
真の自己へと至る」というのが明らかだったからである。
746カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/17 23:25
>>721 Sさん
>意志なる全一概念を仮定して、我々はそのおこぼれの自律性を与えられているだけなのです。

意思それ自体は全一概念なのだから「人間の視点」で対象化した時点で全一概念ではなくなります。
われわれに自律性があるのだとしたら、それはおこぼれとしてのそれ≠ナはなくて、自己本来の
それ≠ニいうことになるのではないでしょうか。つまり、自己は意思それ自体と同次元において、
まず「ある」ということです。この「ある」という事態においては主客の分離現象は起こりません。
なぜなら、分離することができるのは認識する主体としての「わたし」、個体化の原理だからです。
そして全一概念としての意思と同次元において「ある」ことができる自己には、もはや自律性など
存在しないのです。自律性をいうためには意思それ自体が対象化された概念でないとならないのに
意思それ自体は対象化された時点で全一概念ではなくなるということです。

換言するなら、自己には「意思それ自体」としての側面と、その側面を認識する「わたし」として
の側面があるということです。もっというなら「わたし」だけが、世界を相対化することができる
のであって、「わたし」こそが、自律性/他律性を生成している根源・始源なのだということです。
ですから、自律性/他律性を生成しているという意味では、自己は十分に自律的存在であるのです。
しかし、完全な自律的存在になれないのは、自己の「わたし」としての側面が相対原理の中でしか
存在し得ないという限界を有しているからです。そしてその「限界」を超えようとするこころみは、
真の自律性に基づくことではないし、真の自律性を得ることにもならない、とわたしは思うのです。
747カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/17 23:27
>>742さん
レス読んでくれてるんですね。ありがとうございます。
あなたのような方がいるから哲板は大好き!
そうです。まさにそこなんです。
Sさん、742見えてますか?
748カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/17 23:31
>>745
でも、その「否定」という表現にSHは思いのほか深みを持たせたように思います。
749カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/18 00:00
>ハルカへ
いつもさしでがましくてごめんね。
ハルカのことをわかってるなんていう気はないけれど、
Sさんとの問題は、2chなんだから議論しかないと思うの。どうかしら?
750   :03/07/18 00:11
>>747
カオルさんはじめまして。その他の方もよろしく。正直ちょっと難し
いです。現代哲学にも詳しい方だからでしょうか?
751   :03/07/18 00:25
ショーペンハウアーの意志説の批判に、「意志を否定するのも意志で
ある」というのがありますが、これは間違っています。自己否定が意
志の否定かどうかは別として、絶対無は概念ではなく体験だからです
752カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/18 00:31
>>750
はじめまして。こちらこそよろしくおねがいします。
わたしはもう寝る時間なので今日はお話できないけど気が向いたらカキコしてくださいね。(^.^)
753カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/18 00:32
>>751
>ショーペンハウアーの意志説の批判に、「意志を否定するのも意志で
>ある」というのがありますが、これは間違っています。
同意です。
ただ「絶対無」がどういったものかわからないので、その辺りも追求したいと思ってます。
754ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/18 00:42
>>カオルさん
いいですよ。
どんどん言っちゃって下さい^^

>Sさんとの問題は、2chなんだから議論しかないと思う
そうですね、同意です。
755 ◆1SluY64TBk :03/07/18 01:08
ハルカさん 見つけたぞ
756ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/18 01:11
>>743
誤解と言うか…
まぁ、『深まった』わけでは有りませんが『溝』は確実に有るという事で(苦笑)
この『溝』は…仕方の無いものでしょう。
『私と同じ位置に立て』とは言えませんしね(苦笑)
気にしないで下さいね。

私は『絶望の為の絶望』ではなくて『認知の為の絶望』へと向かっているんです。
『肯定の為の否定』へと向かっているんです。
この矛盾、凄まじく馬鹿げていると思いますか?
どうでしょうね…
もしかしたら、この行為には何の意味も無いかも知れません。
それどころか『緩慢な自殺の道』なのかも知れません。
でも、私はこの道を歩きます。
それが私の『自分を欺かない道』なんですよ…
757ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/18 01:18
>>742
その通りなんです。
全ての『自己が認識可能な意識』は客観的なものでしかないんです。

自己が『何か』を意識する。
−この時点で意識は『意識するもの』と『意識されるもの』に二分されてしまいます。
『意識するもの(主観)』が認識出来るのは『意識されるもの(客観)』に限定されてしまうのです。
ちょうど我々が鏡を見なくては自分の姿形を見れないように…
『主観』は『『主観』を見れないんです。
758ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/18 01:26
>>746
ぱちぱちぱち。
いい所突いてます。
この認識は…Sさんよりもカオルさんの方が私に近付いたのかな?(w
759ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/18 02:19
>>753
『絶対無』…こればっかりは…
説明出来ません。
言葉にすら出来ません。

唯一言えるのは…地獄ですよ、『生命』にとっては。
760:03/07/18 04:51
>>756 ハルカさん
>私は『絶望の為の絶望』ではなくて『認知の為の絶望』へと向かっているんです。
>『肯定の為の否定』へと向かっているんです。

ボクなりにハルカさんと言葉を交わしてきて、貴方の求めるものがおかしいなんて思ったことは
ないです。そしてボクも示したでしょ。個体化された自己でありながら自己超えようとする矛盾、
箱庭を愛しながら箱庭を超えようとする矛盾。もしかしたら、この行為には何の意味も無いかも
知れません。それどころか『緩慢な自殺の道』なのかも知れません。でも、ボクはこの道を歩き
ます。それがボクの『自分を欺かない道』なんです。ボクは同情なんかしてません。ボクは貴方
の実践を経験された生きた言葉に触発されました。そのお返しにボクのありようを示したのです。

貴方に迷いがないのなら>>704のレスは取り越し苦労。ま〜た勘繰り屋のSかと苦笑して流してく
ださい。それから、溝というものは個体化された我々ですから当然あるのです。むしろボクはカ
オルさんのように自明なものはないなどと公言しながら、平気で代弁したり決め付けだと非難する
(という決め付け)ができるのが不思議です。あと『私と同じ位置に立て』は勘違いではないかと
思う。あと、ボクの考えについては次のレスを参照してください。
761ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/18 04:57
>>760
(苦笑)
私の台詞を鏡写しに返さなくても良いですよ。
762:03/07/18 04:59
>>746 カオルさん 
とても丁寧な説明でボクでも大体把握できました。内容的にはボクが想定している意志と表象としての
自己とそんなに変わらない印象。じゃあ何で自己そのものであるところの意志への帰順ではなく、意志
の脱却になるんだい?とお思いでしょう。まさに認識するに到達した「わたし」によって、無根拠に
投機された自己や無根拠の意志としての自己を見出したからです。「わたし」が無根拠な意志そのもの
ならば尚更、「わたし」は自己を脱却し「わたし」をもって根拠たろうとするのです。それが抵抗と
ボクが称したもの。そして(有り得ないことかもしれないが)全脱却を果たした時に(境界を超えた時
に)残るものが何かあるとすれば、それが真に自律的な「わたし」(もはや「わたし」とは呼べない
広がりが想定されるので、あくまで便宜上の仮称)であるし、残るものがないとすれば、それがハルカ
さんの求めるところの、輪廻を脱した「絶対無」ではないかと考えています。或いは単に『緩慢な自殺
の道』なのか。しかしそれでも、抵抗の二義的意味はあるのです。(>>721-730の展開を参照)

これを逆立ちした観点だと批判することは普通に予測できますが、境界を超えることは論理的に有り得
ないことでもハルカさん等が指摘するように実践のなかで体現するしかないのだと思っています。

ところでカオルさんは>>743のような内容にはいつも応えてくださいませんね。それに上のレスでも書き
ましたが、貴方は自明なものはないと公言しながら、他者を代弁したり、人の言動を決め付けたりします
よね。答えをだすなと公言しながら、貴方の方こそ情報を小出しにして啓蒙のつもりですか?あなたは
答えを持っているのではないですか?なぜ正面から当たってくれないんですか?悟りスレで或る固定の
人がとった姿勢と似たものを感じます。自分勝手に感情を露わにしてあぼーんしてねなどと幕引きしなが
ら貴方は何をしていますか?ボクは貴方という人が不思議でならない。
763:03/07/18 05:05
>>761
>>721-730で展開したように、これがボクの姿勢だから。
実感として鏡写しが有効となりましたのです。遊びではないですよ。
764ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/18 05:18
>>762
ゴメンね。貴方の姿勢に水を指すつもりは無いけど…
ハッキリ言います。
境界を超えた後は『私』というものは『一切残りません』。
『私』という『自己相対化』が無くなってしまいます。
もちろん『私が』『私は』という『自他の物理的区分』は相変わらず存在します。
が、『私』がいなくなってしまうのです。
『彼』『我々』『ソレ』『この者』……
第三者的な呼び方しか出来なくなります(自分を指しているのに!)

『私』というものを意識して持っていれば、そして拘れば…
『境界突破』の道は限りなく細く遠くなりますよ。
>>764
それなら大いに結構ですよ。

>『私』というものを意識して持っていれば、そして拘れば…
>『境界突破』の道は限りなく細く遠くなりますよ。

脱却するにもその行程でなんらかの継続意志は必要じゃないですか?
766ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/18 05:42
>>765
うーん…
コレは宗教くさい言葉なんですが
『努力が無駄だと心底痛感するまで努力なさい』
ってのが有るんですよ。
で、困った事にこれが事実だったりします。
>>766
うん。だから努力する。諭されてわかるものではないでしょ?
実践してみてはじめて誤りにも気付けるってものでしょ?
ハルカさんも一度は通った道なのでしょ?
768ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/18 05:58
>>767
いや、違うの。
『痛い目を見なきゃ分からない』じゃないの。
『全ての努力は無駄』なのさ。
ソレを心底痛感して、努力に対して持っている『希望』が打ち砕かれるまでは誰が何をしても徒労に終わるんだ。

まぁ、私も通った(通っている)道だけどねー…
769 ◆1SluY64TBk :03/07/18 06:05
ハルカは私を生きる意味にしたらいいんじゃないかな〜?
770考える名無しさん:03/07/18 06:08
>>769
却下(即答)
>>768
>まぁ、私も通った(通っている)道だけどねー…

だから先達としてのハルカさんの言葉の導きもここまで。
あとはボク自身の問題です。ハルカさんありがとう。
でももう暫くは2ちゃんに来ますのでそれまで宜しくお願いします。
とりあえず落ちます。

(関係ないけど、接続が極度に不良で何度も電源切ってます。
 投票は喫茶店にいくしかないみたい。。。)
772 ◆1SluY64TBk :03/07/18 06:11
>>770 ヤキモチはよしてください
773ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/18 06:16
>>772
私からも言います。
却下。
774 ◆1SluY64TBk :03/07/18 06:23
>>773
そんなに露骨に言わないでください。 私にだって感情はあるのですから
775信一 :03/07/18 19:43
>>753
絶対無というのは絶対有ですよ。つまり無=有です。概念上矛盾しているの
ですが、宗教【体験】上の真理です。

ショーペンハウアーがこのことを理解していたことは、「意志と表象として
の世界」最後のページからも明らかです。そこでは3版では仏教の般若波羅
蜜にも言及しておりますね。
776考える名無しさん:03/07/18 20:50
777カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/19 00:17
>>758
>この認識は…Sさんよりもカオルさんの方が私に近付いたのかな?(w

・・・・・かな?(苦笑) でなくて (w でよかった。Sさんの影響かな。この感性は・・・?
778ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/19 00:22
>>777
ラッキーナンバーおめ。

私もちゃんと笑いますよ(苦笑)
779カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/19 00:24
>>759
>唯一言えるのは…地獄ですよ、『生命』にとっては。

うーん。
体中の細胞が、騒ぎ立てる、叫びだす・・・・・シュプレヒコールにわたしは参加できない?
780カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/19 00:28
>>775 信一さん
>絶対無というのは絶対有ですよ。つまり無=有です。概念上矛盾しているの
>ですが、宗教【体験】上の真理です。
>ショーペンハウアーがこのことを理解していたことは、・・・

ショーペンハウアーの無に関しては、638〜670迄のSさんとの議論で、
『意思との同一化(という体験) を無≠ニ呼称する』という結論に至っています。

今は、その「存在原理」としての「無」ではない「絶対*ウ」なるものがあり得るのか?
また、その「存在原理」そのものを脱却するような「自己の自律性」なるものがあり得るのか?
についての議論が大胆にはげしく脱線しつつほそぼそと進行中です。できたらageないで。(^.^)
781カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/19 00:31
>>762 Sさん
今までわたし達はハルカを介して会話してきたように思います。
わたしはハルカに共鳴していたしあなたはハルカに共感していた。
わたしはSさんを見てなかったのかもしれません。時間を下さい。
あなたに入り込む、あなたを想像する猶予を下さい。m(__)m
782カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/19 00:34
>>778
わたしは、7の倍数日生まれ。占いでは幸運日なんだってさ。(苦笑)
783 ◆1SluY64TBk :03/07/19 00:42
「ハルカさんの今の生きる意味は、生きる意味を探すこと。
そして、生きる意味を見つけたとき、それがハルカさんの生きる意味になる」
ってことに気づきました。
スレ違いでごめんなさい。
784ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/19 00:48
>>779
【地獄】について、私の体験から言いましょう。
私の体験ですんで、絶対ではない事に注意して下さい。

先ず『自己同一性』の要であるところの『記憶』が『粉砕』されていきます。
『子供の頃、誰と遊んだか』とか『親友だった子の顔』とかが消えていきます。
次に『自己相対化』によって保たれている『私』という感覚が消えていきます。
例えば…
私=A 第三者=B 自然=C なら
A≠B≠C ですよね?
それが
A=B=C になっていくんです。
『私』という『我感覚』がきえるのは人間にとっては『恐怖』です。
そして『生存しよう』という気力が消えます。
これが『生命にとっては地獄』なのです。

この三つがほぼ同時に起こります。
785信一 :03/07/19 00:58
>>780
絶対無はありますよ。絶対無という概念は、有という概念、無という概念を
超えた概念ということですね。そしてこの概念には対象があります。釈迦に
説法かもしれませんが。また良く読んでみますが、「存在原理」ってなんで
すか?またどうやったらageないことができるんですか?
786カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/19 01:00
>>785
メール欄に sage と書いて下さい。
787ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/19 01:00
>>785
メアド欄に半角小文字でsage
788カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/19 01:01
>>784
それが至高体験とはちがって恐怖になってしまうのはなぜかしら?
789信一 :03/07/19 01:05
>>783
人間は因果律に縛られています。人間の精神は意味に縛られています。
因果律は人間に苦しみはあまり与えません。問題は意味なのです。この
不一致が人間の不幸なのです。人間を救う意味などを見つけることはで
きないのではないかと思われます。
790考える名無しさん:03/07/19 01:05
めちゃくちゃ可愛い子が脱いでしまった、、、無修正で☆
http://www3.free-city.net/home/espresso/princess/peach.html

きれいな人妻がまってるよ!コギャルやOLも!
http://www3.free-city.net/home/espresso/au/sweety.html
791ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/19 01:07
>>788
『私がいる』という『我感覚』が生存の基準になっているからだと思います。
ついでに『記憶』によって『自己同一性』を保たないと『我感覚』が安定しないからだと思います。
792カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/19 01:14
>>791
なるほどね。至高体験なんてわたしにもできるしね。
至高体験なんかしても「人ひとり救えないよ!」・・・過去のわたしの発言。(笑)

>>779は、わたしの体験です。わたしの死がやってきたときの。
そのときわたしは冷静だったの。もう十分生きたと思ってたから。
でもそんなわたしの意識には関係なくそれ≠ヘ起こったの。
わたしはそれ≠ノ参加できなかったしその資格さえ与えられていなかった。
793考える名無しさん:03/07/19 01:20
>>792
>至高体験なんかしても「人ひとり救えないよ!」・・・過去のわたしの発言。(笑)
心底から同意。
ただ『悟れば他者を救える』と考えている者が多かったんだよね…アッチの【悟った人】スレ。

>わたしはそれ≠ノ参加できなかったしその資格さえ与えられていなかった。
私も同じようなモンですよ。
『望んでいた』筈なのに、恐怖に駆られて逃げ出したんですから。
結局『悟り』それ自身から『お前は此処に来る資格無し』と言われたようなモンです(苦笑)
794ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/19 01:20
>>793
名前忘れた。
795カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/19 01:23
>>793
双子か? あたし達は。(笑)
796ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/19 01:24
>>795
類友って奴でしょ(苦笑)
797カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/19 01:28
>>789
すべての価値を相対化してしまったときにわたしに起こった事。
あれほど嫌悪していた倫理や道徳や歴史や文化や慣習・・・そして日本に目覚めたってカンジかな。
道徳をいうと叩かれてしまうんだけど・・・人殺しスレとかではひとりでつぶやいてました。(^_^;)
798信一 :03/07/19 01:46
>>793
「至高体験」なんて妄想ですよ。妄想なんて人間を救うことなんてできません。
宗教体験でもありません。極めて当たり前なこと、それに気づくこと。それが
本物の宗教体験です。それに気づけばおのずと平安はおとずれます。
799信一 :03/07/19 01:56
悟りとは悟らで悟る悟りなり、悟る悟りは夢の悟りぞ。

他力には自力も他力もなし、ただ一面の悟りなり。

悟りなんて平凡以外にはありません。
800カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/19 01:56
>>785 信一さん
>「存在原理」ってなんですか?

無のことです。(笑)
有の反意としての無のことですが、
その実「無=有」であるところの「存在原理」としての相対性のこと。
あるいは、相補性の原理に従うところの無のことです。

無、有、実在の関係性を、絶対無 <----- 実在 -----> 絶対有(存在)、と仮定するなら、
実在は、もともと絶対無と絶対有との相対的な関係性における相補的な存在態様としての
virtual な有(存在)である、と考えることが可能になるのではないでしょうか。
換言するなら、実在はみずからの存在の不確実さによってこそ、その可能性を否定され得ない、
という存在仕方をするのであり、有・無とはそのあり方を生成する構造なのではないでしょうか。

といってしまうと単なるわたしの思いつきになってしまうので、そのように受け取って下さい。
それから sage でお願いします。では、おやすみなさい。5時起きなのに・・・ハァ〜
801カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/19 01:58
↑絶対≠取った方が良いみたい?
802カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/19 01:59
>>798
それはウソです。あなたはそうかもしれませんけど・・・
803カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/19 02:07
↑平安がおとずれるかどうかはわからないということ。
804信一 :03/07/19 02:12
>>802
至高体験を本当に自分のものとしたひとがいるとしましょう。その
人にとっては至高体験なんて存在しませんよ。これ仏教の常識。
805カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/19 02:16
>>804
非論理の常識。(笑) ホント寝る。
806ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/19 02:20
>>793
>極めて当たり前なこと、それに気づくこと。
>それに気づけばおのずと平安はおとずれます。
大嘘言っちゃあいけません。
何処ぞの宗教者のような言葉を言いますね。

その『当たり前』とやらに気付いたとして【日常の苦】は消えますか?
『隣人との摩擦』『仕事場や学校での誤解』『言われなき中傷や虐め』『家族や恋人との対立』…
何れも自分だけが変わっても何もならない例です。
『金が欲しい』『良い服が着たい』『美味いモノが食べたい』『偉くなりたい』…
欲望は果てがないです。

美辞麗句ばかり語らないように。
807信一 :03/07/19 02:21
>>805
わたしは宗教の話をしているのであって、形式論理の話をしているので
はありません。
808ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/19 02:27
>>807
では板違いです。
此処は『哲学板』。
『宗教板』へどうぞ。
809信一 :03/07/19 02:34
>>808
ハルカさんのことについては、分からないことが少しだけあるので、
ぼちぼち対話を続けていきましょう。まだお若いようですね、円熟
味が足りないようです。
810信一 :03/07/19 02:45
>>808
前にも書いたことがあるんですが、人間にとって救いは2つあります。宗教
的な安心をえることです。もう一つは真実な存在論についての確信を得るこ
とです。存在論については、勿論ショーペンハウアーの信奉者です。
811ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/19 02:47
>>809
…(嘆息)
誰が私に付いての批評をせよと言いましたか?
私が貴方に対して言っているのは
『その嘘にまみれた美辞麗句と思考停止したスローガンをを止めれば如何?』
とだけなんだけど?
812考える名無しさん:03/07/19 02:53
>>806
>その『当たり前』とやらに気付いたとして【日常の苦】は消えますか?
>『隣人との摩擦』『仕事場や学校での誤解』『言われなき中傷や虐め』『家族や恋人との対立』…
>何れも自分だけが変わっても何もならない例です。
>『金が欲しい』『良い服が着たい』『美味いモノが食べたい』『偉くなりたい』…
>欲望は果てがないです。

 日常の苦は、消えますよ。きれいさっぱりと。そんなもの跡形もありません。
813信一 :03/07/19 02:58
>>811
そのつもりはありません。
814ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/19 02:59
>>812
>日常の苦は、消えますよ。きれいさっぱりと。そんなもの跡形もありません。
(苦笑)
それは『貴方においてだけ』でしょう?
貴方に相対した人間や社会などは変わりませんが?
単に『苦じゃないんだ。感謝すべき事だ』と『受け取り方を変えた』だけでしょ?
馬鹿も休み休み言いなさいナ(苦笑)
815考える名無しさん:03/07/19 03:08
>>813
荒らし肯定厨か?
816信一 :03/07/19 03:08
>>806
勿論簡単ではありませんが、あなたが少しだけ変わることで、沢山の
ひとがあなたに好意をもつかもしれませんよ。
817信一 :03/07/19 03:15
ようするにこの哲学ボードでは、宗教音痴が少なくないということですな。
哲学学徒として、半人前ということかもしれませんね。
818ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/19 03:15
>>816
馬鹿を言うんじゃないって。
いい?
仮に、だ。
私が変わったとしても…
何時重大事故に巻き込まれるか『分からない』
何時殺人事件に巻き込まれるか『分からない』
何処で誰に恨まれるか『分からない』
他人が私をどう思うか『分からない』

仕事上の問題は変わらず発生する。
対人関係での拗れは変わらず発生する。
相変わらず、衣食住を満たす為に働かねばならない。
その場で他人がどう反応するかなんて分かるわけがない。

分かってるの?
819Megadeath ◆5m18GD4M5g :03/07/19 03:22
私の理論ですべてが解決するではないか
820信一 :03/07/19 03:23
>>818
それはあなたの中だけの妄想です。
821考える名無しさん:03/07/19 03:24

>日常の苦は、消えますよ。きれいさっぱりと。そんなもの跡形もありません。
>(苦笑)
>それは『貴方においてだけ』でしょう?
>貴方に相対した人間や社会などは変わりませんが?
>単に『苦じゃないんだ。感謝すべき事だ』と『受け取り方を変えた』だけでしょ?
>馬鹿も休み休み言いなさいナ(苦笑)

 笑。そんなことを言ってるから、いつまでたっても消えないんですよ。きっと永久に
消える事はないでしょうね(苦笑)

822考える名無しさん:03/07/19 03:27
>>814宛てネ。
823ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/19 03:28
>>820-821
も、面倒なんで纏めて言いましょう。
例え【苦】と認識しなくなっても、日常の諸問題は変わらず発生する。
そしてその問題に対して【感謝】と思うか【苦】と思うかの違いだけで、何ら一個も解決はしていないでしょうが。
どうなのさ?
824信一 :03/07/19 03:39
>>823
仏教的見地から言わせてもらいますと、苦は苦とかんじながら、苦に
捉われないことです。

耐え切れない苦しみなら、保健所、精神科でカウンセリングを受ける
のがベストです。

825考える名無しさん:03/07/19 03:39
>>823 
   (苦笑)だから、それは悟り?の段階があるとして、その段階がまだ低いだけだっていうの。
   そりゃあ、「感謝」も「苦」と感じるのも感じないのも大事だけれど、君はただそれだけなの(苦笑)?
826考える名無しさん:03/07/19 03:42
続き。そこが、君の第一の躓きだよね。
827ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/19 03:44
>>824-825
答えなって。
解決出来るの?

私が言っているのは
『そんな毒にも薬にもならない嘘にまみれた美辞麗句と思考停止したスローガンを振りまかれるのは却って害毒』
という事なの。
828考える名無しさん:03/07/19 03:51
>>827
   私は信一さんじゃないよ。
>答えなって。
 て、何が言いたかったの?
829ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/19 03:53
>>828
貴方は821だろう?
830考える名無しさん:03/07/19 03:55
>>829
   そだよ。
831信一 :03/07/19 03:56
>>827
ハルカさんが、そう考えるのは自由です。皆が哲学、宗教で救われるだろう
ということは、現実的にはありえないでしょう。

しかしわたしから見れば、ハルカさんがある程度の哲学や宗教の知識があっ
て、そんな結論を出したとは思えません。

つまり「ハルカさんの思想はとるに足りない思想」だと思われます。


832考える名無しさん:03/07/19 03:59
>答えなって。
  って、かんさいべんかなあ?
833ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/19 03:59
>>830
その『当たり前』に気付いたら【日常の苦】は消える。平穏になる
−こんなのは単なる『嘘にまみれた思考停止のスローガン』だっての。

これで『日常の問題』が解決しますか?
解決しない限りは、また何時【苦】になるか分かったモンじゃないよね?

だから『解決するか』って聞いてるんだよ。
834Megadeath ◆5m18GD4M5g :03/07/19 03:59
無視されるなんて こんな屈辱ははじめてです。
835ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/19 04:03
>>831
>ハルカさんがある程度の哲学や宗教の知識があっ
>て、そんな結論を出したとは思えません。
>つまり「ハルカさんの思想はとるに足りない思想」だと思われます。
そう思うのは貴方の勝手。
しかし
>極めて当たり前なこと、それに気づくこと。
>それに気づけばおのずと平安はおとずれます。(>>798
こんな台詞には『御題目』以上の意味は無い、って言っているのさ。
836ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/19 04:06
>>834
具体的な事、何も言わないから無視したの。
837考える名無しさん:03/07/19 04:08
>>833
   
>その『当たり前』に気付いたら【日常の苦】は消える。平穏になる
>−こんなのは単なる『嘘にまみれた思考停止のスローガン』だっての。

>これで『日常の問題』が解決しますか?
>解決しない限りは、また何時【苦】になるか分かったモンじゃないよね?

>だから『解決するか』って聞いてるんだよ。

 怒ってるの(苦笑)?だって、
>答えなって。
  てのが、謎だったんだもん。

  だから、解決するって、最初に言わなかったっけ?
838信一 :03/07/19 04:12
>>835
だから、そんな考え(思想でもないな)は、未熟だってこと。知識の量さえ
極めて限られている。と思うのですが。自分を客観的に見れる?
839Megadeath ◆5m18GD4M5g :03/07/19 04:15
「非行,殺人,裏切りはては戦争まで,現代には悪に対する不満が充ちている。そして
人間はそれらの悪に勝てないのか?歴史学者が、人類の歴史は戦争の歴史であると
いっているとおり,人類は悪には勝てない。よって,私が人類の幸福を考えたすえ
いきついた答えとは,人類が生まれる前の意識に還ること,人類が無に還ること、
それによって人類はアンタラクシア(平静心)を獲得し,救われる。
ではどうすれば人類は無に還ることができるかということが問題になる。私は、
国連や先進国が核爆弾を大量に生産し,核爆弾の爆発面積で世界が充たされるように
核を世界の各地に配置,そしてそれらを同時に爆発させると,世界は平穏な状態に
なれるのではないかと思っております。」
やっぱりこれだね
840ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/19 04:18
>>837
ほー。
んじゃ、その『解決』とやらを御伺いしましょうか。
あ、『解決しました。コレはきっと〜〜のおかげだと…』ってのは無しね。
具体的にお願いするよ。

『自分がどう変わった』
→『変わったから○○という過程が起きた』
→『その結果○○が起きた』
→『だから解決』
ってね。

あと『解決する』と言うなら、それは汎用なんだろうね?
何か一例だけに限定されず、全ての諸問題に適用出来るのだろ?
841考える名無しさん:03/07/19 04:19
>>833
   二人相手にするの大変カナ?
842ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/19 04:20
>>839
ああ、大統領か(苦笑)
だから『実行出来るなら、それが一番良いかもね』って言ってるじゃない。
843考える名無しさん:03/07/19 04:21
>>840
  ほー。笑。かわいー。

844ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/19 04:22
>>838
だから逆に『全て限られている』からこそ、貴方の言うような
>極めて当たり前なこと、それに気づくこと。
>それに気づけばおのずと平安はおとずれます。(>>798
みたいな『たった一つの方法で全問題に適用可能』と考える方がおかしいんだって。
845Megadeath ◆5m18GD4M5g :03/07/19 04:29
じゃあ 2ちゃんねらーのみんなで 政府をのっとりましょう
846考える名無しさん:03/07/19 04:30
>>840
   レス待ってたんだけど、もー眠いから、寝てから答えるね。

   もちろん、高度な「解決」法もあるのだけれど、君の挙げた「日常的な苦」の例は
  それに至るまでもなく、簡単に解決するよ。明日ねって、今日か。笑。またね。ハルちん!

   ふぁ〜。おやすみぃ〜。

847Megadeath ◆5m18GD4M5g :03/07/19 04:43
頭がおかしくなりそうだぜ
848考える名無しさん:03/07/19 04:46
  めがですぎて?クスクスw
849考える名無しさん:03/07/19 04:49
     __,,,,_
        _.. -´´      ̄`ヽ,
    `ー ''"--―〃  _,ァ---‐一ヘヽ            <                 >
     `ー--―― /´      リ}            <  い ざ 開 戦 !!    >
      `ー--   〉.   -‐   '''ー {!            <                >
        `     |   ‐ー  くー |              ∨∨∨∨∨∨∨∨
           ヤヽリ ´゚  ,r "_,,>、 ゚'}                     _.. ‐ァ=r‐''⌒゙二ニ二つ
         ヽ_}     ト‐=‐ァ' !                _. -‐ '"´  l l    r} } }l
          ゝ i、   ` `二´' 丿     __      . -‐ ' "´        l ヽ  、 ヽ_ノノ
              r|、` '' ー--‐f´-‐ ' "´/`゙ ーァ' "´  ‐'"´         ヽ、`ーテヽJ
     _.. -‐''フ|フヽr-‐ ''''フ. ̄「´      /   /                __.. -'-'"
  . ‐ '7    く/|」-rへ. /   l     l   /            . -‐ '"´

850考える名無しさん:03/07/19 04:58
そんなもんあったら誰も苦労しないっつーの
稚拙という言葉をその身に刻め!
メンヘル板へどうぞ
851Megadeath ◆5m18GD4M5g :03/07/19 05:00
>>850 誰に言っているのでしょう?
852ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/19 05:03
>>851
まさかAA貼ったの貴方?
853Megadeath ◆5m18GD4M5g :03/07/19 05:05
>>852 わたしはMegadeathしか名のってませんよ
854ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/19 05:17
>>853
なら良いけど…
855考える名無しさん:03/07/19 05:31
ハルカさんのキャラいいですよねー。
特にすぐむきになるとこが好感度up
苦を克服するためのロジカルな結論を真摯に模索している貴方の姿勢は、
かなり評価できますが、異種のニンゲンの意見に対する反応がいちいち
大学受験前のナーバスな工房みたいで幼稚なのも笑えます。
(私も、そういう部分があるので自戒に意をこめてのカキコでした)
これからも、頑張ってね。
856ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/19 06:00
厨房ばっか…
…あ、そっか…夏休みか…
これから、基本的にはスルーしよ…
857考える名無しさん:03/07/19 06:09
誰かのために生きてみればいい。苦しんでる暇なんぞなくなる。
858考える名無しさん:03/07/19 06:28
ハルカは自分ではわかってないけどビョーキです。放置でよろしく。
859厨房:03/07/19 07:07
ハルカさんは病気ではないと思うよ。

そして自分にとって不透明で分からないものを分かったことにして、
すぐに他者を「ビョーキ」の一言で片付けようとする人は、知的に
レイジーでクレイジーな人に見えますね。
(この矛盾した文章が自分的に嫌いになれないw)
ただハルカさんは、よくある哲学的な袋小路にかなりハマっちゃてて
イライラしているのかな?ぐらいの印象は受けますけど・・。
また荒しを避けようとして、sage進行でこうしたの話を掘り下げて
行こうとしているみたいだから、知らぬ間に思考も窒息しそうになっちゃうし、
ますます袋小路にハマって悪循環のデフレスパイラルの日本経済でーす。
みたいな感じになってしまうのだった。
ここの部屋の重苦しくて、かび臭い空気を少し入れ換えた方がいいなー。
深刻な問題こそ、かえって軽快な雰囲気の中で扱われた方がよく実相を
照射できたりして・・まぁ、イメージ的に話しているだけですけど。。
あと、無知な部外者や厨房の方がモノを分かっている場合もあるんだけどね。
ハルカさんにはそういうの少しは想像できないかな?
860考える名無しさん:03/07/19 11:48
ハルカの質問攻めがはじまると、とたんにスレ全体が幼稚になる。

ハルカはそういうウィルスをもってるので感染には気をつけてください。
861考える名無しさん:03/07/19 12:10
818 名前:ハルカ ◆0tZOcyVq86 [sage] 投稿日:03/07/19 03:15
>>816
馬鹿を言うんじゃないって。
いい?
仮に、だ。
私が変わったとしても…
何時重大事故に巻き込まれるか『分からない』
何時殺人事件に巻き込まれるか『分からない』
何処で誰に恨まれるか『分からない』
他人が私をどう思うか『分からない』

仕事上の問題は変わらず発生する。
対人関係での拗れは変わらず発生する。
相変わらず、衣食住を満たす為に働かねばならない。
その場で他人がどう反応するかなんて分かるわけがない。

分かってるの?



これをビョーキじゃないと言えるのか?
厨房に擁護してもらってハルカもますます浮かばれねぇな、おい。(苦笑)
介護よろしく。
862厨房:03/07/19 13:08
>>861のコピペ文章は、表現法は極端にデフォルメされているけど、
ハルカさんの言いたいことは分かりますよ。だから、ハルカさんは自分の認識をどう変えた
ところで、現実それ自体は何も変わらない、嫌なこともそのまま残るじゃん!というごく
当然の事実を提示しているだけだと思います。そして、自分にとって不快な部分のある現実を
受容するために、認識を変えるのが(特に宗教的なニュアンスで・)ある意味倒錯的な態度、
思考停止をしてしまった人間に映って、それでは何も根本的な(現実的な)問題解決になってない!
と主張しているんでしょう。
それは、麻薬かクスリをやって、自分は幸せだ!と錯覚しているDQNとさして変わらない!
みたいなことを言いたいのではないの?
863考える名無しさん:03/07/19 13:13
ハルカは、良い悪いを別にして哲学的人間なんだよ。
確か大森だったけ?「本当の哲学は精神病院にある」といったのは。
864考える名無しさん:03/07/19 13:15
>>861
それを病気といって切り捨てるなら、君は哲学なんかやらない方がいいよ。
865考える名無しさん:03/07/19 13:19
ハルカは哲学的、その対極で全く哲学的でないのがぴかぁ〜。そんなもんだよ。
866ハウエル:03/07/19 14:49
ハルカと厨房連中の個人的な人生相談なら他でやってくれないかな。
ていうかハルカはさっさと自分のスレに帰ってくれ。恥じを知っているならな。

最大多数の厨房がその一生を送るありさまを外から眺めると如何に無意味に内容空虚に
みえることか、また内から感じ取ると如何に鈍感で無自覚に感じられることか、
これでよくも生きていけるものだと疑わしくなるほどである。
867あぼーん・あぼーん:03/07/19 14:57
>>866Latioは、あぼーん。あぼーん。あぼーん。
868あぼーん・あぼーん:03/07/19 15:01
>>866のLatioは、違う板(悟りスレ)でみんなに嫌われてまつた。

そんなLatioは、あぼーん。あぼーん。あぼーん。

869考える名無しさん:03/07/19 20:35
思考し、表象する主体のようなものは存在しない。<5.631>
870考える名無しさん:03/07/19 20:40
主体は世界に属さない。それは世界の限界である。<5.632>
871考える名無しさん:03/07/19 20:46
世界の中のどこに形而上学的な主体は見出されうるか。ここでの事情は眼と視野の場合と
全く同じである、と君はいうであろう。しかし君は実際は眼を見ないのである。そして視野
における何物からも、それが眼によって見られていることは推論されえない。<5.633>
872考える名無しさん:03/07/19 20:51
このことは、我々の経験のどの部分もア・プリオリではないということに関連している。
我々が見ることのできるすべてのことは、別のようにもありうるであろう。我々が記述
することができるすべてのことは、別のようにもありうるであろう。もののいかなる
ア・プリオリな秩序も存在しない。<5.634>
873考える名無しさん:03/07/20 00:46
あー、いたたた。
874考える名無しさん:03/07/20 02:40
実は楽天主義者だったという説がある。
875ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/20 06:14
私の認識した『絶対無』の位置付けを此処に記しておきましょう。

『絶対無』とは。
『有(存在)』の対称としての『無(非存在)』ではなく、その二つを超越したものでした。
『一切何も無いのだが、在るものが在る』という状態。
言わば『非存在の中は存在』という状態でした。
しかし、その『非存在の中は存在』でありながらも、同時に『存在の中は非存在』なのです。
『絶対無』(他に相応しい言葉が見つからないので…)とは

存在 = 非存在

という常識では理解不可能な状態でした。
正に『AはAではなくAである』という『二律離反状態』でした。

ま、信じるか否かは御任せしますが…
876信一 :03/07/20 10:11
>>875
間違ってはいませんが、絶対無というのは、有無を超えた無です。
また絶対無は認識するものではありません。
877ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/20 10:31
>>876
はぁ??
何言ってるの??
>絶対無というのは、有無を超えた無です。
あのね…
>『有(存在)』の対称としての『無(非存在)』ではなく、その二つを超越したものでした。(>>875
と書いてるでしょ?
『有も無も超越している』と書いてあるのに…
何を戯けた事を言っているの?
貴方、何を読んでるの??
878信一 :03/07/20 11:11
有が存在で、無が非存在というのはちょっとちがうんだな。要するに物質
の存在、非存在というのではなく、人間の精神性と関連があるのよ。
絶対無って。
879ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/20 11:19
>>878
ますます何変な脳内変換してるの?
いい?
私は『有(存在)』と『無(非存在)』に言及しただけだよ?
簡単に言えば『何かが有る』と『何かが無い』に言及しただけだよ?
物質的な『有る』も『無い』も超えたものが『絶対無』と言っているじゃないさ。
>>875の発言では、精神性になんか一言も触れていないよ?

それなのに何故
>人間の精神性と関連があるのよ。絶対無って。(>>878
みたいな発言が出るの?
貴方、変な解釈せずにもっと素直に発言を読んだら?
880信一 :03/07/20 12:16
ハルカさんの言ってることが間違いだとは言ってないのはわかるでしょ。
ただ

>>物質的な『有る』も『無い』も超えたものが『絶対無』と言っているじゃないさ

絶対無って、「物質的な「有る」も「無い」も」の物質とはあまり関係ないんだよ
といってる訳。
881考える名無しさん:03/07/20 12:30
ハルカ放置でよろしく。
882ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/20 12:47
>>880
だから
『物質の存在(有)非存在(無)を超えたところに【絶対無】が有る』
と言ってるでしょ?
『存在』『非存在』って言葉に囚われてない?

『存在』『非存在』って言葉を外しても意味自体は変わらないよ。
『物質を超えたところに【絶対無】がある』
って言っているんだが??
883信一 :03/07/20 12:56
>>物質を超えたところに【絶対無】がある』って言っているんだが??

これは、完全に、完璧に、間違いです。

884考える名無しさん:03/07/20 13:03
ハルカはこっちで自分のネタを振れや。頼むで。幾つスレ潰したよ?
信一も頼むで。

【偶然?】生命体の存在理由【意図的?】
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1057597280/l50
885信一 :03/07/20 13:20
>>884
意志と表象としての世界、3版の最後のページで、ショーペンハウアーは
絶対無と大乗の般若波羅蜜に言及しています。絶対無とは般若波羅蜜のこ
となのです。

でもこれからは純粋にショーペンハウアーについて語ることにいたしませう。

ハルカさん、いままで有難う。

信一
886考える名無しさん:03/07/20 15:59
age
887哲学小品集第235節:03/07/20 16:07
カントはその美学を『判断力批判』の中で述べた。それに応じてわたしもこの
章で、前章の美学的考察、ちょっとした判断力批判を付け加えたいと思う。た
だし経験的所与としての判断力だけを批判するにとどめる。そのおもなねらい
は、500年も待たなければ現れないという不死鳥と同じように、判断力とい
うものは珍しい鳥の一種に近く、たいがいは存在しないものだということを言
うためだ。
888あまのじゃく:03/07/20 16:18
ふと思ったのだが、我々は「無」に関して吟味すべき
材料、手法をそもそも最初から与えられていなかったのでは?
話を戻してすまん
889カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/21 01:18
>>869-872
ウィトゲンシュタインの唯我論は、ショーペンハウアーの想定したそれとはちがいますね。
ショーペンハウアーは、個体としての主体を認めていましたが、ウィトゲンシュタインは、
認めませんでしたから。形而上学的主体としての「わたし」は「世界に属さない」として、
集合論のパラドックスや不完全性定理を回避してるのは、こっそりとラッセルやゲーデル
から学んでいたからでしょうか。(笑)
890カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/21 01:38
>Sさんへ
{869-872さん}に導かれて、ウィトゲンシュタインで少し述べたいと思います。
ウィトゲンシュタインは、ショーペンハウアーの意志の客体化説を否定していましたので、
>>746ともまたちがった視点で「わたしの自律性」の考察のヒントになったらなと思います。

ウィトゲンシュタインのいう唯我論、『世界はわたしの世界である』は、
他我は、思考できない(認めない)という考えなので、論理的には、
他人から見た「わたし(他我)」と「わたし(自我)」との対比も無効になります。
つまり、精神的実体としての「わたし」は、否定されることになります。
では、ウィトゲンシュタインのいう「わたし」とは何ナノか、ということですが、
「わたし」とは、「観念、あるいは観念の束である」ということになります。>>600
これは、精神的実体を否定したヒューム(>>684)の論とほとんど同じことになります。

また『世界はわたしの世界である』の「わたし」は「世界」と同格なのですが、
『主体は、世界に属さない。それは世界の限界である』ということからもわかるように、
「わたし」と「形而上学的主体」とは別物なのですが、既述のように精神的実体としての
「わたし」という実在は、否定されていますので、実在として残るのは「形而上学的主体」
としての「世界の限界」ということになります。

「世界の限界」とは、狭く取って「感性」、広く取って「感性」に還元可能な「観念」、
大胆に飛躍すると、個体化の原理そのものが「形而上学的主体」ということなのかな?
とりあえず、今日は中間の『観念こそが実在である』あたりの解釈にしておきます。(笑)
でもこれって、日常の経験や観察上の感覚への信仰がないと論理学も成立しないという
ことなんですけどね。(^.^)

ちなみに、ウィトゲンシュタインがみずからいうように『世界はわたしの世界である』を、
語ろうとすることは論理的に無意味であるのですが、ではなぜそのような無意味なことを
語るのかというと、それは彼のいつものスタイル、真理を「指し示す」ためなのです。
891カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/21 01:44
>Sさん
いまSさんとSさんの論に向き合う努力はしています。めまぐるしく混乱中!
残りが少なくなってきたので時間切れになってしまうかもしれません。m(__)m
892カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/21 01:47
>>888 あまのじゃくさん
材料、手法というと、身体と言語しか思い浮かびませんけど、
無を直接知り得るためには、やはり宗教的な修行みたいなことになってしまうのでしょうか?
言語(論理)で解き明かそうとすると、そもそも枠組みからしてちがいますからむずかしいです。
でも、枠組みがちがうということさえわかっているなら、それなりの接近方法もありそうです。
893カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/21 02:01
>>888 あまのじゃくさん
思いついた【無】を書いてみました。(ほとんど【無い】の方かも)
まぁ、とにかく甚だしい知識の欠如(11)と記憶の喪失(12)にもかかわらず、
けっこういろんな【無】があるのでビックリしています。(笑)
あなたは、これが材料、手法にはなり得ないということをいってるのですよね。

( 1) 非存在。
   a 実在としての虚空
   b 事象が現象する場としての虚空
   c 真の実在にたいする偽の存在
   d 非存在はない
( 2) 実体としての存在 ・・・・・ 混沌、暗在系など。
( 3) 存在の不確定性 ・・・・・ 確率的存在、仮想的存在(存在∩無)、真空。
( 4) 存在=無 ・・・・・ 色即是空など。
( 5) 非実在 ・・・・・ reality(客観的)にある物や事でない。
( 6) 非現象 ・・・・・ (5)+自己の知・情・意から派生する全ての主観的現象でない。
( 7) 未現象 ・・・・・ 未来。
( 8) 非実体 ・・・・・ 持続的でも自己同一的でもない関係性としての構造。
( 9) 不可知 ・・・・・ 自己の死など。
(10) 全否定 ・・・・・ 全てが存在しない。
(11) 欠如 ・・・・・ 何かが存在しない。
(12) 喪失 ・・・・・ 他者の死など。
(13) 絶対 ・・・・・ 相対性、相補性、不確定性の不在。
894カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/21 02:28
>>875
ハルカは科学に詳しいっていわれてたから聞くけど、
なんとなく「真空」と似てない?
あと「Zero」にも少し似てるかな。(定義によるけど)
でもこれってみんな体験を言葉にしてるんでしょ?
895ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/21 02:39
>>894
真空ね…
言わんとしているモノは分かるけど。
『何も知覚出来ないが、確かにソコには【何か】が存在している』
って事かな?

>でもこれってみんな体験を言葉にしてるんでしょ?
無論そう。
体験以外じゃ、此処まで確信をもって話せないよ(苦笑)
896カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/21 02:46
>>890
600 ---> >>660でした。
897カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/21 02:50
>>895
「Zero」はね、「それ自身と同じでない」(フレーゲ)と定義するなら、
論理学的にはあり得ない非意味的な概念として、
自身で矛盾や不確定性を示唆する双数的概念として捉えられるから、
雰囲気的には近いと思ったんだけど、遠いみたい。(笑)

898ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/21 02:53
>>897
チョット遠いかな?(w
899カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/21 02:55
>>898
>>893だとどれが近い?
組み合わせでもいいけど。893自体の否定はなしで。(笑)
900ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/21 03:02
>>899
私の体験では…

(1)-a + (2) + (4) + (10)

訳分からないよね?(苦笑)
901カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/21 03:10
>>900
(1)-aはたぶん残存するハルカの意識なのかな。
(10)は有の無限否定だから、最後は否定する意識そのものを捨てられないと終わらない。

あと『何も知覚出来ないが、確かにソコには【何か】が存在している』 の
この「知覚できない」は、意識が介在しないということなの?
もしそうなら、「【何か】が存在している」と感じる主体は何ナノかな?
質問ばかりしてごめんね。
902ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/21 03:25
>>901
>この「知覚できない」は、意識が介在しないということなの?
いや。
『人間』というか『生命体』が有する限られた知覚では認識不能という事。
>意識が介在
ってのは、多分『知覚後の認識』を意味しているんだと思うケド…
もう少し詳しくプリーズ。

>もしそうなら、「【何か】が存在している」と感じる主体は何ナノかな?
主体というか…
『在る』のが『分かる』のさ。
主客一致かな?
自分(と言うか、とにかく自我として自覚されているモノ)の一部であると思えるんだ。
だから『外的な証明手段が無いにも関わらず【在る】と断言可能』なわけ。

>質問ばかりしてごめんね。
いいえー構いませんよー(w
903カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/21 03:38
>>902
>ってのは、多分『知覚後の認識』を意味しているんだと思うケド…
うん。「わたし」という概念を支えている「言語」能力のこと。
で、「わたし」という概念は「自我」を生み出すのだけど、「わたし」が「ある」ということとは、
別物だから、「ある」を認識する「わたし」と、それを可能にする「ある」が想定される。
その「ある」の方が本来的の「ワタシ」そのものみたいな感じなのかな。わけわかめ。
904 ◆1SluY64TBk :03/07/21 03:41
わかんね〜
905ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/21 03:50
>>903
>「わたし」という概念を支えている「言語」能力のこと。
そういう意味で『意識の介在』を聞くのならば、貴方の問いはYesとなる。
『言語』などの『個体の区別による自我発生』のプロセスでは捉え切れないという事。
だから『知覚出来ない』となる。
Ok?
906カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/21 03:55
OK。
で(笑)、Sさんなんかは本来的「ワタシ」の「ある」自体も存在原理なのだから、
「わたし」という自我を捨て去ったところで循環は抜けられない、というわけ。
もし仮に循環を輪廻と考えるなら、たしかに輪廻を脱する根拠は無いことになる。
もちろん輪廻自体の根拠も無いけどね。とにかく「死」と「悟り」の区別がつかない。
この辺はどうかしら?
907 ◆1SluY64TBk :03/07/21 04:00
>>905 すばらしい さえてますね
908 ◆1SluY64TBk :03/07/21 04:04
>>906
>とにかく「死」と「悟り」の区別がつかない
そうですね  死と悟りって紙一重なんですね
909カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/21 04:17
>ハルカ
スレちがいを気にしてる? ごめんね、もうやめとく。おやすみ。
910ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/21 04:23
>>906
>本来的「ワタシ」の「ある」自体も存在原理なのだから
そこがSさんの陥ってる罠でしょう。
前に>>757で言った通りに『認識主体』は我々が生きている限り決して『認識不能』です。
で。
その『認識主体』が『客観視』した結果、存在するかの様に思っているのが『自分=自我』なのですね。
ですから『私というものを捨て去る』のはイコールとして『客観から認識による個別化が必須という大前提を消失させる』わけ。

『死と悟りの区別』というのが、これなら分かる?
つまりは『死』は『死』で『客観から認識による個別化が必須という大前提』は変わらないのさ。
『悟り』はこの大前提を消し去るわけね。
ついでに言うと、この『大前提の崩壊』を有したまま『肉体という個別化』を保ち続けているのが『覚者』。
『大前提の崩壊』を『肉体という個別化』にまで適用させて消え去るのが『解脱』=輪廻からの脱出。


911ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/21 04:25
>>909
ゴメンね。
考えながらなんで、レスに時間かかるのさ(苦笑)
気にしないで。
912カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/21 04:36
>>910
やっぱりそうなるよね。
今日はウィトゲンシュタインでレスしたのだけれど、参考にしてくれるかな。Sさん。

>つまりは『死』は『死』で『客観から認識による個別化が必須という大前提』は変わらないのさ。
これがわからない。もちろん「死」そのものが不可知なのだから、そうなのかもしれないけど・・・
913ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/21 04:48
>>912
チョット省略しすぎたか。
>『死』は『死』で『客観から認識による個別化が必須という大前提』は変わらないのさ。(>>910
ってのはね…
ああ、いざ言葉にすると難しい(苦笑)

えぇと。
『死』というのは『肉体の崩壊』と1セットになっている(特殊例を除き大抵の場合は)わけ。
この『肉体の崩壊』は『我の体という個別化の崩壊じゃないか』と言われそうなんだけど…
コレは『個別化が必須であるという認識問題の崩壊』では無いのね。
ただ単に『個別化していたモノを所有していられなくなった』だけなの。
だから『大前提は変わらない』としたの。
OKですか?
914ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/21 04:51
>>913
ついでに特殊例(肉体を維持したままの死。ショック死等)の場合も。

この場合は『個別化していた自我』が『崩壊』するわけね。
これも『個別化が必須であるという認識問題の崩壊』では無いの。
同じく『個別化していたモノを所有していられなくなった』だけ。
915カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/21 04:51
>>913
「自我」とは別の意識の「本体」があるっていうこと?
916ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/21 04:55
>>915
そう。
それが私の言っている『決して認識できない認識主体』さね。
917ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/21 04:57
>>916
コレは言っておかなきゃ…
『認識出来ない認識主体』に『意思的なもの』は無いよ。
一切無い。
ただの『在る』だけ。
918カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/21 05:10
>>916-917
OKです。あなたの実体験とわたしの哲学的思考が一致してることが確認できました。

わたしの表現だとこうなるのかな。
本来的な「ワタシ」は、世界との関係において、一挙に全体として「ある」という意味では、
絶対性そのものである。
「ある」ということを自覚する「わたし」は、虚空から「場所の構造」を取り出した「わたし」である。
「わたし」のア・プリオリな形式原理としての場所の構造は「ワタシ」にとっても所与のものである。
しかし「わたし」は、それを無自覚的に秩序化し「モノ化」(相対化)するのである。
なぜなら、それが「言語(=わたし)」の欲望だからです。
それが、実存する「わたし」です。しかも原点としては存在し得ない「わたし」です。
919ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/21 05:14
>>918
OK
了解です。
私の体験は他者へ『客観的証拠』を提出出来ないので…
少なくとも、貴方の思考によって補強が出来ました。
ありがとうです^^
920カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/21 05:16
>>919
こちらこそ。有意義な会話ができて良かった。ありがとう。(^.^)
921:03/07/21 05:30
>>カオルさん ハルカさん
いま読ませて頂いています。
ボクは実践で確かめるほかはハルカさんにもカオルさんにも追いつけないとの考えに
至っていましたので、本当は最後の挨拶以外にレスすることもないかと思っていました。
けれどもう少し考えてみない訳にはいかないです。(戸惑いと感謝)

ただ、初見では、ボクの考えも影響をうけませんでした。もう少し考えてからレスします。
922カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/21 05:47
>>921 Sさん
わたしも今までとはまったく別の観点からSさんの論を考えているのです。
ただ、どうにもまとまらないのです。
Sさんの論のバックボーンには生命力そのものへの讃歌が感じられます。
別スレの「岡本太郎」覚えてますか?(笑)
なんか近い。ニーチェもなんか近い。でもわからない・・・・・(^_^;)
レス期待してます。(^.^)
923:03/07/21 06:18
期待しないで。。。ほとんど鸚鵡返しになってしまいます。済みません。

細かい差異はよくわかりませんが、個体化の原理を生み出す迷妄を捨て去り
本来の絶対性としての物自体に帰順するということでよろしいのでしょうか。
それなら既に了承ずみなのです。

>>762で書いたようにそれだとボクの方向とは逆ですね。ボクはその帰順にあくまで
抵抗するのです。個体化の幻想でしかない「わたし」を信じ「わたし」を貫くことで
脱却を試みるのです。完全に逆立ちした姿勢です。ハルカさんに無駄と嘲笑されるでしょう。

個体化が幻想ならどうしてそうした働きが生まれたのでしょう。生物が進化し人間がどうして
生まれたのでしょう。そして人間はどこへいくのでしょう。
どうも論理的な説明ができないです。もう少し考えてみますが。。。

(論理的な説明が出来ないのは単なる信念に過ぎないからか。今日も忙しいのでレスはまた
 明日以降に容赦願います。)
924ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/07/21 06:21
>>923
>個体化が幻想ならどうしてそうした働きが生まれたのでしょう。生物が進化し人間がどうして
>生まれたのでしょう。そして人間はどこへいくのでしょう。
一言だけ。
それが、私が『全生命の意味』を問い続けている原因の一つなのですよ…
925:03/07/21 06:31
>>722に書きましたが、
>逆説的に考えれば、森羅万象の変遷、生物の誕生と進化、人間への到達、これらの一連
>の流れは意志の高度な客観化などと捉えると同時に、脆弱な個体化存在の自律への弛まぬ歩みとも
>捉えられないだろうか。造られた人形だってそれ自体として同時に一人歩きするのではないか。
>そしてそんな可能性も無いなら最初から我々は存在すらしていないのだ。

これも逆立ちした観点でしょうが、ボクはそれを確かめる為に実践してみたいのです。
926カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/21 06:42
>>923
>本来の絶対性としての物自体に帰順するということでよろしいのでしょうか。
ハルカとのやり取りのことですか? それともウィト?
927:03/07/21 06:45
ハルカさんとの、です。  (これでほんとに落ちますゴメンナサイ)
928カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/21 07:24
あぁ、それならSさんにとっては自明ですね。(笑) ・・・ウィトの方はちょっとちがうと思うけど?
わたしは、Sさんの論の「生き方」としての部分は認めてるよ。最初っからね。
でも「無」のとらえ方や定義の仕方、筋の通る話かどうかということなの。分かってると思うけど。
それからそもそもSさんの論に「無」の概念や「悟り」は必要なのかなっていう疑問もあるのね。
今は、Sさんの論の「人生哲学」としての「生き方」の部分をどうにか理論的に昇華させたいって
悩んでるの。とにかく毎日考えてます。結果はともかく。また言い過ぎたかな。(^_^;)

ところでSさんはもうこのスレで終了するつもりですか? ・・・・・(聞くまでもないわね)
残り大切に使わなきゃ。
929考える名無しさん:03/07/21 07:46
テス
930考える名無しさん:03/07/21 08:51
テニス
931考える名無しさん:03/07/21 09:13
ペニス

932考える名無しさん:03/07/21 09:16
アヌス
933考える名無しさん:03/07/21 09:19
カンチョウ

934考える名無しさん:03/07/21 09:24
ハルカ ◆0tZOcyVq86の出入りしたスレは凄いことになってまつねw
935考える名無しさん:03/07/21 09:25
オカマ
     
 

936考える名無しさん:03/07/21 09:28
ネカマ
937考える名無しさん:03/07/21 09:31
アヌスバイブ

938考える名無しさん:03/07/21 09:32
ラビアピアス
939考える名無しさん:03/07/21 09:34
ワギナリング
       
 

940考える名無しさん:03/07/21 09:36
ハルカ ◆0tZOcyVq86の出入りしたスレは凄いことになってまつねw
941考える名無しさん:03/07/21 09:37
クリトリスピアス



942考える名無しさん:03/07/21 11:17
ハルカは現在「全生命の存在理由」を考えながら仕事中です。(苦笑)
943考える名無しさん:03/07/21 13:23
立派なことが言えることはわかったから、哲学者どもは行動しろ。
944考える名無しさん:03/07/22 03:09
それこそがあなたがたの仕事だ
945:03/07/22 20:38
>>カオルさん ハルカさん

このスレでレスするのは限界です。
勝手ですが廃スレ状態になっているハルカさんの悟ったよスレにレスさせて頂きます。

SHスレの皆さんご迷惑をおかけしました。
946考える名無しさん:03/07/22 22:52
このショーペンハウエルという人に興味があるのですが、
お勧めの書籍はありますか?
高校の倫理を終えた程度の知識しかないのですが、、、
947考える名無しさん:03/07/22 22:54
>>946
『意志と表象としての世界』が主著だけど、
岩波文庫のアフォリズム三冊でもいいかもしれない。
948考える名無しさん:03/07/22 22:55
続き

あと新潮文庫に『幸福について』というのがある。
949946:03/07/22 23:00
ありがとうございます。
Amazonでは、「自殺について」「読書について」が売れ筋のようですが、
この二冊はどうですか?
950考える名無しさん:03/07/22 23:01
>>949
両方とも薄いので、入門には適当ですよ。
安いし。彼の思想の概略もつかめる。
951946:03/07/22 23:12
んじゃこの二冊と、『意志と表象としての世界』を購入してみますわ。
どうも。
952考える名無しさん:03/07/23 00:33
意志と表象としての世界
はもう売ってないような・・・
953考える名無しさん:03/07/23 03:23
       \   |    /
         _┌┬┬┬┐_
       ――┴┴┴┴┴―、         __________
      //    ∧// ∧ ∧||. \      /
  __[//____(゚_//[ ].゚Д゚,,) || _ \__ <  宗教男を逮捕しにきました
 lロ|=☆= |ロロ゚|■■|■■∪警視庁■■||   \__________
 | ∈口∋ ̄_l__l⌒l____|___l⌒l___||
   ̄ ̄`ー' ̄   `ー'  `ー'   `ー'
954考える名無しさん:03/07/25 01:16
ショーペンハウエルって、学部生が卒論に困って書く一番とっつきヤスくていい
テキストのひとつですか?
 ニーチェもそうなのでつか?
955考える名無しさん:03/07/25 01:21
>>954
そうなの?
956大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/07/25 01:52
>>954
高校生が読書について書くとき、いいと思うよ。
957考える名無しさん:03/07/25 21:52
ショーペンハウエル?ショーペンハウアー?

そういえば僕も意思と表象としての世界を買おうと思ったのですが、売ってません。。。
主著じゃないのか!?
958考える名無しさん:03/07/26 01:18
959考える名無しさん:03/07/26 01:19
オトタケが2chにマジギレしてるのに絶望して訴えずに放置するしかない。
2ちゃんねらはそれで嬉しいのだろうか?
2ちゃんねらはそのオトタケのコメントに励まされているふしすらある・・・
960考える名無しさん:03/07/26 01:19
オトタケが2chにマジギレしてるのに絶望して訴えずに放置するしかない。
2ちゃんねらはそれで嬉しいのだろうか?
2ちゃんねらはそのオトタケのコメントに励まされているふしすらある・・・

961信一:03/07/27 09:34
ショーペンハウアーの厭世観に対して、「この世界はこんなにも美しいでは
ないか」という反論がある。これに対してショーペンハウアーは冗談半分な
んだろうが、「遠くから見れば美しいものも近くに行けば汚いものだ」とい
う反論している。

俺は天体望遠鏡や顕微鏡を覗くのが趣味だが、星や月は確かに美しい。しか
しそばへ行けば確かにそんなに美しくはないものだろう。マイクロコスモス
もこの世界と同じで、美しい世界も汚い世界もある。そしてどこまでも食っ
たり食われたりの弱肉強食の世界である。
962考える名無しさん:03/07/27 09:49
ご近所の騒音に悩まされていたショーペンハウアーやカント。
世界は美しい。しかし世間は厳しい(弱肉強食?)
女性は美しい。しかし一緒に生活すると……
独身者の哲学か。
963考える名無しさん:03/07/30 22:43
>>961
確かに、遠くから見ると豊かな自然、生態系は美しくすがすがしいが、
近づいて見てみるとそこは甘えの許されない「徹底した弱肉強食」の世界なのである。


964考える名無しさん:03/07/30 22:53
>>963
そこに美の答えがある。
965a:03/07/30 22:53
今の彼女で満足?やっぱりおっぱいがでかいのはいいよねー。
巨乳美女ばかりを集めてみたよ。
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966考える名無しさん:03/07/31 00:16
神のごときショーペンハウエルと偉大なるニーチェ
967考える名無しさん:03/08/04 10:15
ニーチェは三流哲学者
否、三流詩人。ヘボ作曲家。
968考える名無しさん:03/08/17 02:21
ショーペ先生、「いてくれてありがとう」って感じだよな

ことがらそのものについて自ら考えることが重要とか言われても、
ぶっちゃけ、自分の頭で考えたことなんてたかが知れてるだろ。
ショーペ先生から教わった事の方がはるかに優れてる。

その優れている度合いたるや、半端なレベルじゃないね。
自分の頭でいくら考えて、やっとあやふやな考えがまとまったと思ったら
ショーペンハウエルが既にすべてをずばっとまとめてたって感じなんだよね。

ま、俺ら凡人とはレベル違う。考察の余地なしってことですかね(w
969考える名無しさん:03/08/17 03:17
だからさーニーチェにしてもショーペンにしても
実情はバカなんだからこもって哲学オナニーしてればよかったんだよ!
やってる当人はいい気分だろうが見せられるほうは迷惑なんだよ!!!
970考える名無しさん:03/08/17 03:25
だから
ショーペンハウエルとしょんべんバイエルンは似てるって。
971考える名無しさん:03/08/17 03:55
ニーチェ、ショーペンの著作は読むに絶えない。
972考える名無しさん:03/08/17 04:02
>>969
>やってる当人はいい気分だろうが見せられるほうは迷惑なんだよ!!!
それを言ったら哲学・思想は終わりです。
もしキリストが聞いたら、
「真理は、押し付けてでも広めるものである」
とでも答えると思います。
973 :03/08/17 05:51
>>969
>>971
どんなところに批判的なんでしょうか?
974考える名無しさん:03/08/17 05:55
・人は通常、金を貸すことを断ることによって友を失わず、
金を貸すことによってたやすく友を失う。
―「幸福のためのアフォリスメン」―

 
どういうことでしょうか?
975  :03/08/17 06:05
>>974
友達に「金を貸してくれ」と言われたとき、それを断っても友情を
失うことはないが、金を貸してしまうと色々トラブルがおきてしま
い、友情を失ってしまうということ。
976考える名無しさん:03/08/17 07:33
な〜るほど
977考える名無しさん:03/08/17 09:33
>>974
ホントに分からなかったの?
978考える名無しさん:03/08/20 15:10
だから〜
ショーペン・ハウエル  と
しょんべん バイエルン は 似てるって、何回言えば いいのかな?
979埋め立てキラー:03/08/21 06:51
だが我々は今自分自身の置かれているこのような悲惨さと捕囚の状態からいったん眼を転じて
既に世界を超克した人々を見つめてみよう。
980埋め立てキラー:03/08/21 06:53
世界を超克せる人々にあっては、意志は既に豊かな自己認識に達し、
意志は万有のうちに自分自身を再発見し、
しかるのち意志は自分自身を自由に否定するに至ったのであった。
981埋め立てキラー:03/08/21 06:54
こまで来てしまえば彼らは後はもう、意志の最後の痕跡がその痕跡によって
かろうじて命を繋いでいる身体と一緒に、やがて消滅するのを待つばかりであろう。
982埋め立てキラー:03/08/21 06:54
こうして彼らを見つめていると、我々の前に現れるのはもはや、休息なき混沌ではない。願望か
ら恐怖への、喜悦から悲哀への心休まる間のない移り行きではない。
983埋め立てキラー:03/08/21 06:55
意欲する人間の生の夢を織り成す希望、
決して満たされもしなければ完全に消え去ることも無いあの希望の類でもない。
984埋め立てキラー:03/08/21 06:56
そうではなく、そうしたものの代わりに、あらゆる理性よりももっと高いかの平安、
大海にも比すべき心のまったき寂静、深い安息、揺ぎ無い確信、ならびに明澄さである。
985埋め立てキラー:03/08/21 06:57
意志の否定・廃棄・転換ということは、意志の鏡であるところのこの世界の廃棄でもあり、消滅でもある。
986埋め立てキラー:03/08/21 06:58
もしも我々がその意志をもはや鏡の中に見出せなくなったとしたら、意志がどこかへ行ったか
などと問いを発することは無駄なことであって、その時には意志にはもはや
「どこ」も「いつ」もないのだから、意志は無の中に失われてしまったと嘆くことになる。
987埋め立てキラー:03/08/21 07:07
すべての他人を常に非我と見る人、それどころか結局は自分一身だけを真の実在とみなし他人を幻影としか見ない人、
988埋め立てキラー:03/08/21 07:08
言い換えれば他人を自分の目的にとって手段となりうるか対立するものであるか
という限りで相対的存在としてしか認めず、自分とあらゆる非我との間に計り知れない区別・深い裂け目を感じる人、
989埋め立てキラー:03/08/21 07:09
更に言い換えれば専ら自分一身においてのみ存在する人は、
死というものを自らの存在と共に全存在・全世界もまた滅亡するものだとみなす。
990埋め立てキラー:03/08/21 07:09
これに反してすべての他者の中に、それどころか生きとし生けるものの中に自分自身の存在を、自己そのものを見る人、
991埋め立てキラー:03/08/21 07:10
それ故に自分の現存在が生きとし生きるものの現存在と溶け合っている人は、死によって彼の存在のごく小部分を失うに過ぎない。
992考える名無しさん:03/08/21 07:11
彼は死んでもそこに自分の存在と自己とを認め愛してきたすべての他者の中に存在し続ける。
そして彼の自意識と自分以外のものについての意識とを区別していた迷妄は消滅するのである。
993考える名無しさん:03/08/21 07:12
行為が意志から出てくるのみならず世界もまた意志から出てくるのであって、
意志が如何に存在しているかに応じて、行為も現象するし世界も現象するのである。
すなわち行為も世界も意志の自己認識であって、それ以外のなにものでもない。
994考える名無しさん:03/08/21 07:13
意志は己を規定し、正にそうすることで行為をも世界をも共に規定していることになる。
何故なら意志のほかには存在するものは何一つ無く、行為も世界も意志そのものであるからである。
このように見て、はじめて意志は真に自律的だといえるのであって、これとは別の如何なる見方をしても意志は他律的になる。
995埋め立てキラー:03/08/21 07:19
我々が世界を超克したかの聖人たちに自分自身の経験のなかで出会えるなどということは、勿論
滅多に恵まれないであろうが、
996埋め立てキラー:03/08/21 07:19
しかし彼らについて記録された伝承や、内的な真実さという印章を押されて保証ずみの芸術作品が、かの聖人たちを我々の目の前に彷彿とさせてくれよう。
997埋め立てキラー:03/08/21 07:20
そこで我々は本書の以上のような仕方に従って、これらの聖人たちの生涯や行為を考察して、
無にまつわるあの暗い印象をはらいのけなければならない。
998埋め立てキラー:03/08/21 07:21
この無こそ、あらゆる徳ならびに精進の背後に、その最終的な目標として漂っているものだというのに、
我々は子供が暗闇を怖れるように、この無を怖れているのである。
999考える名無しさん:03/08/21 07:21
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1000埋め立てキラー:03/08/21 07:22
むしろ我々は囚われなしにこう告白しよう。意志を完全なまでに無くしてしまった後に残るところのものは、
まだ意志に満たされているすべての人々にとっては、いうまでもなく無である。
しかしこれを逆にして考えれば、既に意志を超克し意志を転換し終えている人々にとっては、
これほど現実的に見える我々の世界が−そのあらゆる太陽や銀河を含めて−無なのである。
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