こんな事を平気で聞いてくる
アホ糞ガキが増えていますが
そんな糞ガキにぐうの音もでないような
理論で諭すにはどうしたらいいでしょうか?
教えてくださいませ
2ゲトズサ
3 :
考える名無しさん:02/03/30 20:35
4 :
考える名無しさん:02/03/30 20:37
「殺すな」って
「殺せ」っていうのと同じくらい非日常的だね
俺はそんなセリフは、1回殺されかけてから言えと叱ろうと思ってるが
もっと説得力のあるやつないかな?
6 :
考える名無しさん:02/03/30 20:41
あなたが殺されかけたことのある人なら
その台詞も十分説得力を持つでしょうが。
みんなは、自分の子供にそんな事聞かれたらどう答えるんだ
教えてくれ
8 :
考える名無しさん:02/03/30 20:55
紀伊国屋書店の倫理学コーナーなんかはこんなタイトルの本がゆうに10冊はある
それだけ人の目を引きやすいということなんだろうけど
いかなる事実を集めたところで「殺してはいけない」という命題は論理的に導き出せないんだよな
それを知ってか知らずか誤謬を利用して金儲けしようという奴らには反吐が出るね
9 :
考える名無しさん:02/03/30 20:56
「殺してもいいけどホントに殺そうとか思ってるの?」
って問う。
十戒 汝 殺すなかれ
お子様「何で殺しちゃだめなの。」
大人 「さーどーでしょー」
俺は、はっきり言って今のゆとり教育は最低だと思ってる。
何かどんどん大事なものを薄れさせてるようなきがする
だから俺の中ではもう学校教育はあきらめた
とぎとぎ怖くなる
今子供を作っても大丈夫なのかと
自分の子供に人を愛することや、人にとって大切な心を伝える事ができるのかと
人をなぜ殺していけないのか自分でもうまく説明できない
感情に訴える事しかできない
それがすごくくやしい
13 :
考える名無しさん:02/03/30 21:11
この世に、本当は決まりごとなんて一つも無いと思う。
あくまでも、「人を殺してはいけない」なんていうことは
人間が決めたことであって、世界の決まり事ではない。
でも、だからといって同種族を殺す生き物はほとんど
いないだろう。
それに、もしそれを認めてしまえば人間の社会が大変な事に
なってしまう。
自分にはこれぐらいしか言えないです、、、はぁ、、
15 :
考える名無しさん:02/03/30 21:18
>>1 聞いてきた瞬間ほっぺをスパーンと引っぱたく。
泣くがきに
「痛い?」
と聞く。
なき続けるならもう一発。
「痛い?」
と同じトーンで聞く。
返事をするまで繰り返す。
返事をしたら、
「もっと、殴って欲しい?」
と聞こう。
首を横に振ったなら
「どうして?」
と聞いてみる。人殺しのいけない理由を自分で答えてくれます。
むかつくガキも殴れて一石二鳥
17 :
考える名無しさん:02/03/30 21:22
>>15が一番正しいような気がする
こういう事を疑問に思う時点で、叱るべきなんだろうな
この問題の本質は俺の自信のなさかもな
子供から目をそらさないで、一生懸命愛せばそんな子にはならないよな
19 :
考える名無しさん:02/03/30 21:29
>18
>疑問に思う時点で、叱るべきなんだろうな
だったら哲学はいりませんぜ
違うのか、考えれば考えるほどわからなくなって行く感じだよ
22 :
考える名無しさん:02/03/30 21:34
殺したいなら殺せ
引っぱたいてるけど叱ってはいないし。
別だ。笑いながらビンタしてもいい。
ガキには自分で悟らせろ。
24 :
考える名無しさん:02/03/30 21:38
>>22が正しいね。
殺したいなら殺す、もし殺せないならそれほど殺したくないんだろ
25 :
考える名無しさん:02/03/30 21:38
15のやったことを説明するとこうだ
「すべての者を一人として数え、誰も二人以上として数えない」
・・・原文忘れた
というカントの倫理学の原理だ
私(一人称)とあなた(二人称)は同質である
従って私があなたにしたことはあなたが私にするのと同質である
さてそこで、あなたは殴られたいか?(現実に殴る)
さてはて殺されたいのか?
あなたが殺されたくない限りあなたが誰かを殺すことは上の原理に反する
まーこういったところかな
26 :
考える名無しさん:02/03/30 21:39
うんこ
27 :
考える名無しさん:02/03/30 21:41
ていうか15は本気なの?
>>22,23ほんとにそれでいいのか
自分の子供にそんな事を言っていいのか?
29 :
考える名無しさん:02/03/30 21:42
私(一人称)とあなた(二人称)は同質である
従って私があなたにしたことはあなたが私にするのと同質である
すべての糞ガキはここに疑問をもつでしょう。俺も糞ガキ。
かまいません。
31 :
考える名無しさん:02/03/30 21:46
んじゃこれは?
カントの倫理の基準
「汝の格率が最大限になるようにそれを示せ」
あなたが善い行いを求めようとするならば
それはその時だけに通用する例外的なものではなく
いついかなる時でも通用するものでなければならない
例えばあなたが道でゴミを捨てるのを良しとするならば
あなた以外の人が捨てるのを良しとせねばならない
私だけしてもよいという原理は善い行いと規定することはできない
32 :
考える名無しさん:02/03/30 21:48
1はようするに
子供を洗脳したいのかな
33 :
考える名無しさん:02/03/30 21:49
>>31 カントはいいけどさ
それで子供が納得したら奇跡です
34 :
考える名無しさん:02/03/30 21:50
従ってあなたが誰かを殺す場合
別の誰かがほかの誰かを殺す場面を想像せねばならない
そして殺される誰かは他ならぬあなた自身であるかもしれないのだ
っていうか 何で倫理の基準とか出てくるんだよ
正しいのはそいつじゃなくて 正しいのは自分だろ
>>28 いいよ。
ビンタでのアプローチは
・殺されるまえに非常に痛いという過程があることをわからせる。
・殴られると痛いということをわからせる。
・他人に殴られる可能性があるということをわからせる。
・同時に殺される可能性があることをわからせる。
ということを、すべて含んでいるのです。
理論的だね。
子供にわかるように噛み砕いて言うと
どういう風になるの?
38 :
考える名無しさん:02/03/30 21:53
我欲する故に我然る
39 :
考える名無しさん:02/03/30 21:54
>35
ま、その通りさ
実存主義の立場をとれば、求められるものは自分にとって真理であるかのような真理
誰も頼れる者はいない 全て自分で決定せねばならない
それも一つの真実だろうね
自分の考えを相手におしつけるのは間違い
41 :
考える名無しさん:02/03/30 21:58
同意、せいぜいできるのは方法を示す事
子供は勝手に模倣するだろうし、そのうち勝手に自分の原理を作ってく
俺はキッカケだと思うがな
それじゃ俺の言ってることが自分から見て間違ってると思うか?
>>42 間違った原理になるとだめでしょう。
殴らないと。糞ガキは。
若者的には22の考え方がメジャーですな
46 :
考える名無しさん:02/03/30 22:01
47 :
考える名無しさん:02/03/30 22:07
本当に46がそう思ったならゴメン 悪かった
でも、この場合において
むしろ被害者は諭す側ではなく 諭される側だと何故思わない?
他者に与えられる痛みという条件が組み込まれない原理
というのはだめ原理でしょう。
こういう事を考えると
親は偉大だなって思うよ,ほんとに尊敬するよ
自分で言うのもなんだが俺を間違わないように育ててくれたからな
ひとは、みんな誰かに愛されてるんだよ。
君も君の友達も
だから誰かが傷ついたりしたらその人を愛する人も傷つくんだよ
だから人を殺してはいけないんだよ。
お父さんは君の事をとても愛してるよ。
だからお父さんは君がもし傷ついたら、自分の事の様にとても苦しい気持ちになるんだよ
君が誰かを傷つけたとしても同じだよ、お父さんはとても苦しい気持ちになるよ
だから人を殺してはいけないんだよ、みんなが幸せになれなくなるから。
お父さんが君を守るよ
愛してる
こんな風に言えば解かってくれるだろうか?
52 :
考える名無しさん:02/03/30 22:30
>>51 其の前に、子供は「愛する」「愛される」という感情が良く理解出来ないと思う。
53 :
考える名無しさん:02/03/30 22:31
態度で示すしかないですわ
>>51 どうして、愛とかわかり難い言葉使うんだ。
最初は
「お前は、殴られたら痛いだろう?それはわかるよな?」
から入れ。
お前達は怒られたことがあるか?
では、何故怒られたか覚えているか?
この発言きりで もう何も言わない
>>54 >>55 子供が親に愛されてるのを教えながら
やさしく諭してあげたいと思って
58 :
考える名無しさん:02/03/30 22:36
「じゃ、お前は殺されたいか?」と聞け。
そこで「殺されたくないだろ、
たいてい殺されたくないから、殺しちゃいけないのだ」と言うしかない。
殺されたいといったら、殺すぎりぎりまで追いつめろ、
それでも殺されたいヤツには、愛をもって殺してやれ!
そこまで愛をもてたら最高だ! オラはもてるか? 自信がないぞ。
>>1 理論で説明されて「ああそうか、殺すの止めよう」
って思う程度の餓鬼レベルな訳だよ君は。
君、ガキに殺されるぞ。
60 :
考える名無しさん:02/03/30 22:42
理屈じゃないし
理屈じゃないから殴るってのもめちゃくちゃだわな
殴って理屈を悟らせる
62 :
考える名無しさん:02/03/30 22:46
じゃあ死刑について考えよう!国家で人を殺すことを認めてるし。。
63 :
考える名無しさん:02/03/30 22:48
ラビンってほんといいやつだな
おまえとだったら友達になれそうだ
>>59なぜ人を殺してはいけないかは解かるよ
でもうまく言語化できなくて、言葉にすると稚拙なものにしか
ならなくてそれで悩んでるんだよ
>>60確かにその通りだな
65 :
考える名無しさん:02/03/30 22:52
66 :
考える名無しさん:02/03/30 22:53
どうして人を殺しちゃいけないの?
それは人から愛されないから。
どうしてエンコウしちゃいけないの?
それは人から愛されないから。
どうして駄スレ立てちゃいけないの?
それは駄レスしか返ってこないから。
>>63 ありがとう俺も君と友達になりたいよ
学生時代にこんな事話し合える友達をもっと作ってればよかったよ
68 :
考える名無しさん:02/03/30 22:54
黄金律ね。
理屈ならそれが一番無難。
69 :
考える名無しさん:02/03/30 22:56
70 :
考える名無しさん:02/03/30 23:05
戦争も死刑も殺人。堕胎も殺人。飢餓難民を見棄てるのも殺人。
しょうがない時は殺すしかない。
せいぜい関わり合いにならないよう、
処世術を教え込め。
人は望もうと望まなかろうと
認めようと認めまいと
意志あって自分の人生いきているんでしょ。
それを他者が無意味にその機会なり権利なり自由を
つぶしたり、奪ったりしたらそりゃいかんでしょ。
痛いとか愛がどうのこうのとかでなく、お金取られたら
腹立つのと一緒じゃないの?
72 :
考える名無しさん:02/03/30 23:28
なんかさー、あと一歩、あと一歩のとこまで来てるやつはいっぱいいるね。
でも最後にきれいなこといってうやむやにごまかすやつが大半。
逃げてないやつは一部しかいない。
理由がないとうすうす感づいてるなら「ない」と答ときゃいーんだよ、
ごまかすな。
うすうす疑わしいと感づいているなら「人は殺してもいいんだよ」と言えばよし、
ごまかすな。
73 :
考える名無しさん:02/03/30 23:31
つうか、「殺してもいい」という理由は説明できるのか?
「殺してもいい」という結論が先にあって、論拠無くそれを妄信してるなら、
「殺してはいけない」という主張を、それに論拠が無いからといって、
非難する資格は無いと思うが。
74 :
考える名無しさん:02/03/30 23:32
死刑賛成。
75 :
考える名無しさん:02/03/30 23:32
>>1 そのガキは思考を止めたおまえよりよっぽど賢いガキだと思うが
76 :
考える名無しさん:02/03/30 23:33
現象学的にいえば、自分自身を殺すことになるから。
77 :
考える名無しさん:02/03/30 23:34
>>73 それ、はじめからある行為が善悪に分けられるということを前提にした話だろ。
78 :
考える名無しさん:02/03/30 23:46
>>1 初めは誰でも理屈を考えようとするよね。
殺人がいけない理由の。
いいよ、君らがなにがなんでも「殺人が悪」ということにしたいのはわかるから。
考えつかないよね、そんな理由。だって理由なんてないんだもん。
すると「理屈じゃない」とか言い出すよね。
いいよ、理由がないことを開き直ってどうでもよいことにしたがる気持ちもわかるから。
その上で理屈もなく信じるという、自分の態度をなんとしてでも正当化したい気持ちもわかるから。
そして正当化するためには「理屈じゃない」と開き直るしかないよね、うんうん。
そんな開き直った仲間達と傷をなめ合うのもいいさ。
互いに言ってることが説得力に欠けるとわかっていながら、
理屈じゃない理由をもっともらしくいいあって肯定し合うのも。
いいんじゃない。
仲間多いもんね。
「理屈はない、でも信じる」なんてまずもって賛同を得られない態度も、
この件に限って賛同を得られるもんね。仲間が多いから。
理屈はなくても信じたい奴らが多いから。彼らが全員仲間になってくれるから。
ただ、俺はそんな連中達の輪の中になんか全く入りたくないがね。
79 :
考える名無しさん:02/03/30 23:47
おめえら、デリダ読んどけや。
80 :
考える名無しさん:02/03/30 23:56
どんな人間が誰に対して、人を殺すことを正当化できんだよ?
おめえらバッカだベ。
81 :
考える名無しさん:02/03/31 00:00
みんな洗脳されてるんだー!!
人を殺してはいけないなんて嘘だー!!
さあ、目を覚ませー!!
そして考えろー!!真実とは何かとー!!
「人を殺してはいけない」のではなく、
「人を殺すことはできない」のだ。
83 :
考える名無しさん:02/03/31 00:06
>82
あほ
84 :
考える名無しさん:02/03/31 00:08
85 :
考える名無しさん:02/03/31 00:10
殺しても 殺さなくても良いよ。
殺したら捕まるだけよ。
>>72君はそう悟ったの?
でもそれを子供にそのまま言うのは酷なんじゃないの?
俺は自分の子供には親の愛は不変だということを初めに教えたい
そのセリフをそのまま子供にいえるの?
>>75俺は別に思考を止めたわけじゃないよ
しかし思考を止めることがおろかな事だとは思わない
君の親だって君を育てる為に、自分の全てをつぎ込んできたんじゃないの?
考える暇のない人だっているよ、この問題に対して君の親が答えられなかったら
君は自分の親を愚かだと思うの?
>>78俺は近いうちにきっと結婚するよ、子供もすぐ生まれると思う
その俺が愛する人達を守りたいと言う気持ちと愛する子供の不安を取り除いてあげたい
と言う気持ちは絶対に間違ってないと、俺は自信を持って言えるよ
87 :
考える名無しさん:02/03/31 00:18
あたりまえすぎておもろくないよ。
テレビの見すぎじゃない?
・・・まあそりゃな、
「なんでそんなに?」ってほどあることを本気で信じる人々も
いるにはいる。
それがまともなことであってもどんな突拍子もないことであっても。
それはわかるがな。
>>84 まず、全ての体験は<私>の体験でしかありえない。
ゆえに、<私>の存在は必然である。
そして、それに随伴して、<私>の裏面としての<他者>の存在もまた、
<私>の存在と同様、必然的である。
ゆえに、必然的である<他者>の存在を消去すること、つまり殺人は不可能である。
現実に行われる殺人はみな、その他人の他者性を隠蔽することによって、
つまり心の無い物のように見なすことによって、遂行されている。
よって、「人を殺してはいけない」に代わる当為命題は
「人の他者性を無視し、物として見てはならない」とでも言うしかない。
原理的に、人は人を殺すことができないのだから、
「人を殺してはいけない」などという当為命題は意味が無い。
91 :
考える名無しさん:02/03/31 00:41
>現実に行われる殺人はみな、その他人の他者性を隠蔽することによって、
>つまり心の無い物のように見なすことによって、遂行されている。
そういう「現実に行われる殺人」がなんでいけないか話してるんだからどっか消えろ。
92 :
考える名無しさん:02/03/31 00:45
文章が変?
結局わけのわからんこといっている。
>原理的に、人は人を殺すことができないのだから
あなたの原理的?というのは
>まず、全ての体験は<私>の体験でしかありえない。
ゆえに、<私>の存在は必然である。
そして、それに随伴して、<私>の裏面としての<他者>の存在もまた、
<私>の存在と同様、必然的である。
ゆえに、必然的である<他者>の存在を消去すること、つまり殺人は不可能である。
現実に行われる殺人はみな、その他人の他者性を隠蔽することによって、
つまり心の無い物のように見なすことによって、遂行されている。
よって、「人を殺してはいけない」に代わる当為命題は
「人の他者性を無視し、物として見てはならない」とでも言うしかない。
これが原理的なの??
93 :
考える名無しさん:02/03/31 00:50
94 :
考える名無しさん:02/03/31 00:53
「殺しなさい、そうすればあなたも殺される」
って野坂さんが言ってたな。
殺されるとは限らないけどパワーのある言葉だね。
人を殺す人は、俺は他人を人格化できてない人が多いと思うんだけど
じゃあどうすれば人格化できるかと考えると
相手を知る事だと思う
その一番のコミュニケーションは、相手を好きになる事だと思うんだよ
でも子供に相手を好きになる方法なんて教えられないしな
愛される事の安心感をあたえてやるぐらいだしな
ごめんうまくいえないけど
78の考えだとさびしすぎないかと思って
97 :
考える名無しさん:02/03/31 01:00
すっごい快感を伴うのだよ。
すっごい快感を伴うものはタブーなのだよ。(フロイト)
98 :
考える名無しさん:02/03/31 01:04
>>96 それはどうすれば殺人をとめられるかという話だろ。
>>96さん
人格化できてても殺してしまうことあると思う。
全ての人を好きになることは、私にはできない。
100 :
考える名無しさん:02/03/31 01:11
>>95 殺人を禁止するためにはまず
自殺を禁止せねばならないということだね。
死にたい奴は他人さえ殺せるということだから。
>>1 まあ普通のガキなら親なり幼稚園なりで
「己の欲せざるところ、他人に施すことなかれ」
ってなこと言われてるはずだ。
だとすれば、「ある行為をなす」ということは
「その行為をされてもいい」という意思表示ということになる。
そうすると、殺すという行為は
「自分を殺してくれてもいい」という意思表示だ。
こう説明すれば、自分のことしか考えない馬鹿ガキにもわかるのではなかろうか。
…まあ、「死んでもいい」とか思ってるDQNには通じん論理だが。
>>100さん
私はそういう風には受け取りませんでしたが。
>>101さん
>「己の欲せざるところ、他人に施すことなかれ」
これが真であることをどうやって説明すればいいでしょうか?
自分は愛してあげると言う事意外
自分の子供に対して証明の仕方が、今の所
思いつきません
親にできる事は、それだけしかないんでしょうか?
あとは自分で気づいていくものなんでしょうか
それがすごい不安でたまりません
こういうことに対しては女の人のほうがずっと強い気がします
105 :
考える名無しさん:02/03/31 01:28
んなわけないだろぼけ。
といっとくてすと
>>ラビンさん
多分、あなたの場合キチンとお子さんに接してあげれば
自然に身につけていくんじゃないかと思います。
>女の人のほうがずっと強い気がします
不安が強いという意味ですか?
>>105 ああ最初は、近所のガキを想定して考えてたけど
自分の子供に聞かれたら、どう答えるかと考えたら
いてもたっても入られなくなってきたんだよ。
確かに今読んだらぜんぜん違うな。
109 :
考える名無しさん:02/03/31 01:36
>>108 口調がかわるのは議論屋かネタ降り屋の特徴なんだよな
>>103 じゃあ、アンケートってのはどうだい?
もちろん、突飛な質問や抽象題じゃなく、ごく一般的な人間が容易に判断できる質問でね。
>>78 では、殺人に客観的に見て意味はあるかい?
意味がなく他人の権利を奪うのは、まさしく悪だろう。
何らかの正当な意味があるなら殺人も許容されるさ。
裁判でも刑が軽減されるしね。
そうじゃなくても、生物には種の保存という本能がある。
それは、自分および自分の大切な人間の命の次に優先される。
さもないと、自分の仲間が消滅してしまう可能性があるからだ。
>>107いえ子供の成長というか、
自分の子供が
いろんな事を乗り越えていけると男より女の人が強く信じてる気がします。
自分が産んだ子供だからかな?
間違ってたらごめん
112 :
考える名無しさん:02/03/31 01:41
>>110 殺人は悪を疑っている段階で
>意味がなく他人の権利を奪うのは、まさしく悪
を根拠無く信じられると思うかい?
なぜ、お前らはしに至る過程として苦痛があることを教えませんか?
あほか?
>>111さん
男女差より個人差の方が大きいと私は思います。
>>110さん
アンケートをいくら積み重ねても真にはならないですよね。
「皆がそうでも僕は違う」って言われたら、終わってしまう。
115 :
考える名無しさん:02/03/31 01:44
>>113 俺は人間が理不尽だと思う感情を信頼してないんだが
失うべくして失ったことに理不尽だ、と怒る馬鹿多数。
116 :
Маршал Боголюбов:02/03/31 01:44
長期的にはみんな死んでいる
殺人が悪というのは単なるセンチメンタリズムにすぎない
>>113さん
他人の苦痛が、自分の苦痛とどのような関連があると説明
すればよいですか?
(意味を取り違えていたら御免なさい)
118 :
考える名無しさん:02/03/31 01:47
殺しなさい。
ただしお前も殺される。
>>116 まじで?本当にそう言えるの?
まじで?
そうだったのか。しらなかったよ。
>>116 そんなのただの独りよがりだよ。
自分の大切な人や親の前でそんな事いえるの?
殺された人は、これから先体験したはずの素晴らしい出来事や
守りたかった人や、成し遂げたかった事
自分の可能性全て奪われてたのに
センチメンタルでだけで片付けていいの?
>>Маршал Боголюбов さん
誰がセンチメンタルになるんですか?
視点者は、死んでいる人達と関係のない別の人?
子どもに説明するのに、言葉の中に非常に多くのふくみを持たせるたこ。
123 :
考える名無しさん:02/03/31 02:01
>>120 自分の大切な人が「殺して」と言ったらあなたはどうするの?
なぜ素晴らしい出来事や可能性があったと言えるの?
もっとふかーーーくいろーーーんなことを考えようよ。
>>112 個人は他者とともに作る「社会」の中で生きている。
どんなに否定しても「社会」はいわば自分の一部であり、それなしでは生きていけない。
今の人間に自給自足の生活など不可能だからだ。
つまり、「社会」は「広義の自分」というわけだ。
そうなると、社会の秩序維持というのは、
「小さな自分」で言うならば健康管理のようなものだ。
ここで、「権利の侵害」というのは、社会の一部を破壊するものだ。
社会を破壊するものは、いうなれば害虫や悪性のウィルスのようなものであり、
更正もしくは消去されなければならない。
それを決定しているのが警察や裁判所のような組織であり、法律というルールである。
まとめると、悪というものは大きな自分の自己防衛のために生み出された概念なわけだ。
これを阻止することによって、「大きな自分」は成立し
ひいては「小さな自分」を守ることにもつながる。
という説明でどうだろう?
125 :
Маршал Боголюбов:02/03/31 02:03
では、イスラエル兵に家族を殺されたパレスチナ人に何と言う?
イスラエル兵は悪いことをした、悪は罰せられねばならぬ、罰は執行されねばならぬ、
アメリカが味方になってくれない、故に自らの手で、とでも言うのか?
では、イスラエル兵に家族を殺されたパレスチナ人に何と言う?
って質問をこどもがするの?
すげーな
127 :
考える名無しさん:02/03/31 02:06
>>123 生きてりゃ誰にでも可能性はあるさ。
いい可能性だけじゃなく悪い可能性もあるだろうがな。
128 :
考える名無しさん:02/03/31 02:06
>>124 また来たよ、社会の一部説が。しかもまったく同じ文かよ。
130 :
Маршал Боголюбов:02/03/31 02:08
菊地?
イスラエル兵に家族を殺されたパレスチナ人
の子供に聞かれたのかもしれない。
132 :
考える名無しさん:02/03/31 02:10
>>124 >これを阻止することによって、「大きな自分」は成立し
>ひいては「小さな自分」を守ることにもつながる。
わずか一件の強盗殺人を私がすることによって「大きな自分」
が蚊に刺された程度の被害を受けようとも、
それによって小さな自分が金をえられるなら一向にかまわない。
よね?
「大きな自分」にそれほど守る価値があるかな。
私が犯罪を犯す→大きな自分は崩壊する
の論理が違うって。
>>123ごめんそんな事考えられないよ。
俺の大切な人が俺に殺してって言うなんて、
俺はそんな事を考えるはめにさせないとしか言えないよ。
ただあなたは自分の大切な人が、自分といて不幸になると思うの?
俺は傲慢かもしれないけど、思えないよ
134 :
考える名無しさん:02/03/31 02:13
良きひとは、、、
暗き想念を抱きつつ、、、
正しきみちを見つけるだろう。。。
>>132 蚊にさされるのを嫌がって、人間は蚊を排除します。
殺虫剤で殺すし、ないときはたたきつぶします。
そうなると、崩壊しない程度でも、
自分に害をなす不快な者は排除するのが「自分」ということになります。
「大きな自分」にとって「悪」は不快なものです。
だから、大きさに関係なく「悪」を全力で排除しようとします。
136 :
考える名無しさん:02/03/31 02:16
>>135 それは社会が人殺しを排除する理由だよね?
我々が人を殺してはならない理由じゃなくて。
>>77 君のいっていることは、「いけないかどうか」と、「善悪」になんらかの関係があることを前提にした話だろ。
私は「いけないかどうか」の話しかしてないが。
逃げのびた蚊について考えればいいのかな。
蚊は利益を得た。
大きな自分は悪を排除できなかった。
そこからは、殺しちゃいけない理由はみつからない。
ということかな。
>>136 「社会が人殺しを排除する」というのは
「社会が、小さな自分の敵に回る」ということと等しい。
前述のように、小さな自分は大きな自分(=社会)の一部。
排斥されたら、生存するのはかなり難しい。
小さな自分(=我々)は、自分自身を守るために悪を行わない。
140 :
Маршал Боголюбов:02/03/31 02:22
「わたし」と「あなた」がある限り、
「わたし」の「あなた」を殺してはならぬ理由はない。
「わたし」も「あなた」もなければ、
「あなた」を殺すことは不可能。
そして「わたし」と「あなた」の区別は認識上の問題に過ぎない。
早い話、なぜ人を殺してはならないか、という問いは、
主体と客体を区別する西洋哲学の病理現象の一つに過ぎない。
141 :
考える名無しさん:02/03/31 02:24
考えるんじゃない!感じるんだ!
142 :
Маршал Боголюбов:02/03/31 02:25
感じるんじゃなくて観じるの
143 :
考える名無しさん:02/03/31 02:25
>>139 「なんで人を殺してはいけないの?」
「殺人は君にとって不利益だからやめておきなさい」
これ答えになってると思うの?
144 :
考える名無しさん:02/03/31 02:27
>>135 「悪」って何よ?誰にとっての「悪」なのよ?被害者?殺人者?
社会にとっての「悪」なんて嘘じゃん。社会を構成する人々の「悪」が一致することなんてありえないよ。
前スレでも批判受けてたでしょ?あなたの論理は少しおかしいよ。
>>139さん
>「社会が人殺しを排除する」
社会から人殺しと認識されなければ排斥されない?
→殺人をしてもばれなければよい?
となりますか。
>>144 >社会にとっての「悪」なんて嘘じゃん。社会を構成する人々の「悪」が一致することなんてありえないよ。
だから、法というかたちで明文化されているのでしょう。
何か問題がありますか?
それとも、あなたは法律や国や文化といったすべてを否定しますか?
自分はそれの恩恵をあずかってないとでも言うのですか?
ついでにいうなら、前スレなど知りません。私は今スレからの参加者ですよ。
147 :
考える名無しさん:02/03/31 02:31
>>139 「やってはいけない」と「やめたほうがよい」は違うよ
やめたほうがよい=やってはいけないなんてこたぁない
148 :
Маршал Боголюбов:02/03/31 02:32
139さんはどこぞでフォイエルバッハでも読んだのかな?
それは「犬に向かって棒を振り上げるに等しい」(笑)
>>140 自分の子供にもそう言うんですか?
それとも自分の子供に対してはもっとわかりやすく説明するんですか?
俺はあなたが自分の子供に対して言う言葉が知りたいです。
よかったら教えてくれませんか
>>143 大きな自分は、自己防衛のために悪を排除する。
小さな自分も、自己防衛のために悪を行わない。
子供に説明するのに、これはとてもわかりやすいと思うのですが。
もう少し説明を加えましょうか。
大きな社会は、小さな社会の集合体。
つまり、小さな社会はすべて等価だということです。
これは
「自分自身を大切にするならば、等価である他者も大切にしろ」
という意味になります。
151 :
考える名無しさん:02/03/31 02:37
「人を殺しちゃいけない」っていうのは、「生命は尊い」という前提じゃなきゃ成立しないよね。
「生きること」を全面肯定できてれば そんな疑問はバカにも湧いて来ないと思う。
ネズミだって〜オケラだって〜皆みんな生きているんだ ともだちなーんーだー♪ってことで、「虫だって植物だってむやみやたらに殺生するもんじゃないよ」って、ガキの頃ぐらいは単純思考で居て欲しいけど、こんな時代には無理か。
↑そんなこと言ったら 肉も野菜も食えませーん てことになっちゃうけど、ありがたく生命を頂くという意味で、ごはん食べる時に「いただきます」って言うんだよね。
悪い奴なら殺していい、って発想は、「人が人を裁く」奢りで、ホントは何人も何人の生命を奪う権利なんかなく、それを正当化してはいけないと思うけど。
実際に、イスラエル兵に意味もなく家族を殺されたパレスチナ人に、そんな奇麗事はとても言えないよな。
復讐をしたとしても 個人的にはソレをどうこう言えないって感はある。
でも、それはあくまで生身の人間の個人的な決着のつけ方であって、
「正義」だとか「罰する」とかいう価値観にすりかえてはイケナイような気がする。
延命治療とか、状況次第で、殺さなきゃなんないような究極の事態ってのもあるし、考えすぎると難しい命題ではあるけれど、
「人を殺しちゃいけないんですか」なんつー糞ガキは、そんな過酷な状況にいるわけでもなく、平和ボケしてんだろー。
そーゆーオマエは、生きてて毎日楽しくないんだな。可哀想だな。
人は皆いつか死ぬ。その限られた日々の中で 苦しいことも楽しいこともたくさん遭って、
でも総括して 生きていくっていうのは 素敵なことなんだよ。
というようなことを言うと思います。説得力があるかどうかは別として(笑)
「どうして人を殺しちゃいけないの? 」
そもそも、何故「人を殺しちゃいけない」と思ってるんだ?君は。
誰かに「人を殺しちゃいけない」と言われたのか?
その誰かとは誰だ? その誰かは何故そんなこと言うんだ?
その誰かとは誰だ?『社会』か?
>>150 >大きな社会は、小さな社会の集合体。
>つまり、小さな社会はすべて等価だということです
この部分、社会→自分 です。スマソ
154 :
考える名無しさん:02/03/31 02:40
>>150 子どもに叩き込むための詭弁を考えあってるのではなくて、
101自身が殺人がいけない理由と信じてると思ったから批判してたんだけど、
どっち?
他者と自分が等価ってありえんよ。
155 :
考える名無しさん:02/03/31 02:42
あのさ 小難しいこと言わんといてーな
意味を解読するのにイッパイイッパイなんだよ
それが狙いだとは思うけどさ
小難しいこといえば反論するやつが少なくなるからね
>>154 私自身の考えですよ。
>他者と自分が等価ってありえんよ。
小さな自分(=主観)にとってはそうでしょう。
しかし、
>>150で使っている等価とは
「大きな自分(=客観)から見た等価」です。
157 :
考える名無しさん:02/03/31 02:46
>>156 社会にとって各人間は等価だからってなんで人殺しちゃあかんの?
「社会(というものがあるとして)」の価値観なんてしらんよ。
158 :
Маршал Боголюбов:02/03/31 02:47
>ラビンさん
140の論理からすれば「自分の」子供は有り得ません。
単に「子供」と言うべきです。
それはさておき、その場合は、
阪神タイガースが負けて悔しいなら、「他人」を殺してはいけません、
阪神タイガースは赤の他人でしょう、何故悔しいのですか、
「あなた」は、阪神タイガースが「あなた」であると考えたから、
「あなた」は、「あなた」が負かされて悔しいと感じたのでしょう、
「自分」と「他人」を作り出しているのは「あなた」の心です、
とでも言いますよ。
>>151のいうことに共感するよ。
たしかに平和ぼけだよな、
ただ自分が臆病なのか甘いのかもしれないけど
自分の子供に社会の現実を見せるとき
生きる事に不安にならないだろうか?
俺はただ答えを与えて考えさせるんじゃなくて、
親の愛情に支えられて今そこに立ってる事を教えながら、
一緒に考えてあげたい。
俺は過保護すぎるのかな?
160 :
考える名無しさん:02/03/31 02:53
>>158 横レス
別に、悔しいの自分であれば、阪神タイガースが他人
であろうが何者であろうが関係ないでしょう
>>157 小さな自分は、自分自身を守るために大きな自分を守る。
大きな自分にとって、小さな自分と他者は等価。
だとすると、自分自身を守りたい小さな自分は、
大きな自分を守るために、他の小さな自分を守らなければならない。
さもないと、結果的に自分がダメージをうけることになります。
162 :
考える名無しさん:02/03/31 02:55
163 :
考える名無しさん:02/03/31 02:59
惰性でレスつけとるがだんだんつかれてきた・・・
>>161 一歩冷静に離れてみてみな。
>大きな自分を守るために、他の小さな自分を守らなければならない。
>さもないと、結果的に自分がダメージをうけることになります。
本当に、個人の利益と社会の利益が完全に一致すると思うのかい?
一致しないならば、自分のために社会を傷つけると言うことがあり得る。
また、「利益のためにするべきでない」「(倫理上の観点から)してはならぬ」
これ別っしょ。
なんで自分自身を守ることにならない行為はしてはいけないの?
164 :
Маршал Боголюбов:02/03/31 03:00
>160
阪神タイガースが他人であろうが何者であろうが関係なければ、
読売ジャイアンツが他人であろうが何者であろうが関係なく、
イスラエル軍やアルカイダも他人であろうが何者であろうが関係ない。
「自分」と「他人」を創造しているのは「意識」に過ぎないから、
そんなつまらないこと考えるのはやめなさいよ、ということ。
>>163 >>本当に、個人の利益と社会の利益が完全に一致すると思うのかい?
ここでいう「完全に」とはどのレベルだ?
100%一致することはもちろんないだろうが、
それをもって、「一致しないならば」と話を進められても・・。
166 :
考える名無しさん:02/03/31 03:05
>>165 100%。
100%は一致しないことがわかってるならば、
「殺人はしてはならない」は少なくとも「殺人が自分の利益に反する限りにおいて」
ということでOKなの?
それも
>>163最後に言ったとおり疑問だがね。
>>164 ごめんあまり理解できないけど、
ただ俺は、自分と他人の間に、家族や友達や恋人なんかを置いてるんだなと
思ったよ。
だから俺は全ての人に同じ言い方で話せないんだろうな、
でもそれはいいことじゃないの?
君は自分と他人だけでいられる人なんだね。
ただその言い方じゃ子供ぐれると思うんだが
>>166 で、その「殺人はしてはならない」とは、誰が誰に対して
言ってる言葉なのか?そこを考えてみろよ。
169 :
考える名無しさん:02/03/31 03:15
>>168 この場では少なくともおまえが俺に言ってるだけだが?
世間でも俺に言ってくる連中はいるがね。
他人が俺に言ってくるね。
「社会」ということにしてもいいがそれがどうしたってとこだ。
>>166 >>「殺人はしてはならない」は少なくとも「殺人が自分の利益に反する限りにおいて」
>>ということでOKなの?
その通りなんじゃないの?100%ダメってことはありえない。何事も。
171 :
考える名無しさん:02/03/31 03:18
>>170 で、なんで自分の利益に反することはしてはいけないの?
>>169 じゃあ、あとはそれを受け入れるかどうかは、
自己責任で決めればいいだけでしょ。
>>163 >個人の利益と社会の利益が完全に一致すると思うのかい?
思いませんよ。
ただ、「個人の利益より社会の利益が優先されるべきことがある」と言っているのです。
私は上の方で
>>78に対して
「正当な意味があれば殺人も許容される」とも言っていますし、
「殺人は絶対にしてはいけない」とは思っていません。
人は、自らの目標を達するために生きています。そして、そのために自分を守ります。
「自分を守らない」ということは、目標達成を自分で妨害するということ、
すなわち、自分の存在する意味をなくすということです。
自分の存在する意味をなくすというのは、
小さな自分はもちろん大きな自分にとっても損失です。
損失は悪であり、「してはならぬ」と同義です。
174 :
考える名無しさん:02/03/31 03:20
>自己責任で決めればいいだけでしょ。
受け入れなくてもいいというなら、
「いけない」と言ってないだろ。
「好きにしろ、かまわん」と言ってるのではないかい。
175 :
Маршал Боголюбов:02/03/31 03:20
>ラビンさん
ちょっとずれるけど、主観と客観の統一、と言う方が分かりやすいかな。
>>174 >>「いけない」と言ってないだろ。
いいや、言ってるよ。
言ってるにもかかわらず、それに反した場合は、制裁を加える。
ただそれだけのこと。
177 :
考える名無しさん:02/03/31 03:22
まだ子供が出来てもいないのに、
そんなことを悩んでもしかたないと思います。
必ずしも、親というものは子供にすべてを教える事は
できないはずです。
子供ができて成長し、そういうことを聞かれたのなら
その時、子供と話しあえばいいでしょう。
178 :
考える名無しさん:02/03/31 03:25
そうだ。子供のいないやつは語るべきではない。
179 :
考える名無しさん:02/03/31 03:26
>個人の利益より社会の利益が優先されるべきことがある
なんで社会の利益を優先しなければならないの?って話になるだけだよ。
さっきから「自分の利益になるからやめろ」と言ってたはずなのに一貫してない気がするが。
>「自分を守らない」ということは、目標達成を自分で妨害するということ、
>すなわち、自分の存在する意味をなくすということです。
これ自体にも反対だが、その前に前提が違うよ。
殺人する人間は結果がどうであれ、またその思考がどんなに稚拙であれ、
激情にかられてやったのでなければそれが自分の利益であると思って殺すんだよ。
180 :
考える名無しさん:02/03/31 03:27
>>176 それは倫理上いけないと言ってるんじゃなくて、
単にするなと命令してるだけではないか?
倫理上いけない理由を話してるんだけど。
>>175 なるほど、ありがとう
>>177 そうかもしれないね、結婚前だから不安になってるんだろうなあ
>>179 >>それが自分の利益であると思って殺すんだよ。
そうだよ。
その損得勘定の中に、「殺人はいけない」と社会からくぎを刺されている
という要素が加わってるってだけ
184 :
考える名無しさん:02/03/31 03:32
「殺人はいけない」
と
「俺がこのくらいやっても情状酌量だろう」
の天秤をかけてやっちゃってるのが、
今の17歳世代犯罪者。
殺せよこういう奴ら。
>>179上
だから、自分の利益のために社会の利益を優先するんですよ。
結果を出すための手段です。
>>179下
では、なぜあなたは、殺人を犯すその稚拙な人間の
「自分の利益であると思って殺す」という判断を支持するのですか?
その稚拙な人間は、社会秩序より優遇されるべき人間なのですか?
186 :
考える名無しさん:02/03/31 03:34
>>183 いや、その立場にたって話してない。
ここでは。
命令であれば理由とは動機のことで十分だから、
聞くまでもなくアホでも理由はわかる。
188 :
考える名無しさん:02/03/31 03:37
倫理とは基本的に自らが自らに課す規範である。
189 :
考える名無しさん:02/03/31 03:37
>だから、自分の利益のために社会の利益を優先するんですよ。
だから、100%一致しないならば、自分の利益のために社会の利益を犠牲に
した方がよい場合もあるよね?
なんでそういうときまで社会の利益を優先しなければならないの?
その根拠が不明。
>判断を支持するのですか?
いや、支持はしないが、
その論理では殺人だけでなく浅はかな考えで行動する奴全員が悪になるのだがいいのか?
190 :
考える名無しさん:02/03/31 03:38
192 :
考える名無しさん:02/03/31 03:40
193 :
考える名無しさん:02/03/31 03:41
>>181 >>191 「本来人間が守らなくてはならない〜」とかその辺の意味で話してるが。
倫理で不適切なら道徳としてもよい。
194 :
考える名無しさん:02/03/31 03:41
>>192 何故、自らに『倫理』なるものを課すことが、自らの為になるの?
196 :
考える名無しさん:02/03/31 03:44
>>195 それが自らの感性にとって耐え難いことだから。
自らの理性に鑑みれば、感性的に耐え難くとも、それは結局自らの為となる。
>>189 私は
>>173で
>私は上の方で
>>78に対して
>「正当な意味があれば殺人も許容される」とも言っていますし、
>「殺人は絶対にしてはいけない」とは思っていません。
と言っています。
いついかなる時も社会の利益を優先しろとは言っていません。
「正当な理由」とは、
あなたのおっしゃる「社会の利益を犠牲にしたほうがよい場合」をさします。
浅はかな行動で、特定の個人や社会に損失を与えるのならば、それは悪でしょう。
意識して行う犯罪を「故意」、意識しないで行う犯罪を「過失」といいますが、
これはどちらも不法行為です。
「浅はかな行動」は後者です。
198 :
考える名無しさん:02/03/31 03:46
>>187 だから浅はかな行動も、過失もするな、とお父さんいつも口を酸っぱくして言ってるだろう。
199 :
考える名無しさん:02/03/31 03:50
>>197 上で別の方に聞いたが、
「殺人はしてはならない」は少なくとも「殺人が自分の利益に反する限りにおいて」
ということでOKなの?
>浅はかな行動で、特定の個人や社会に損失を与えるのならば、それは悪でしょう。
あなたの論理では浅はかな行動で自分に損失を与える場合も悪になると思うんだが。
>>196 >>それが自らの感性にとって耐え難いことだから。
『それ』が何を指すのかよく分からん
201 :
考える名無しさん:02/03/31 03:53
>>200 「自らに『倫理』なるものを課すこと」だよ。
読解力ないんか猿。
>>199 私は「自分を同等の損失から守るため」ならば「殺人もよい」としています。
要するに、正当防衛ですね。
もしくは、「社会がその個人の存在を悪と認め、かつ、その損失が大きい場合」です。
これはつまり、死刑のことです。
>>201 >>「自らに『倫理』なるものを課すこと」が、
>>自らの感性にとって耐え難いことだから、
>> →自らの為になる。
意味不明(藁
204 :
考える名無しさん:02/03/31 03:59
>>202 今までのあなたの論理からは、
殺人によって受ける損失より利益の方が大きいならば殺人はしてもよい、
となりますけど。
205 :
考える名無しさん:02/03/31 04:00
>>203 >>「自らに『倫理』なるものを課すこと」は、
>>自らの感性にとって耐え難いことだが、
>> →自らの為になる。
猿。分かったか?
>>199下
たとえ自分でも悪は悪。たとえば自殺などは殺人と同義です。
そうじゃなくても痛い目にあいますしね。
それは悪に対する罰ということでしょう。
サルが一匹紛れ込んでるな(藁。
さて、寝るか
>>204 私は、「利益を得ること」より「損失を回避すること」の方が重要だと考えています。
209 :
考える名無しさん:02/03/31 04:04
>>206 自殺だとか世間で悪と言われてることだけじゃなく、
誰の目から見ても失敗する事業に手を出したりから
賞味期限のとっくに切れた卵を生で食べたりということまで
一般では浅はかだが悪ではないと思われていることが悪になるから
そういう説ということでいいの?って疑問なんだが。
210 :
考える名無しさん:02/03/31 04:06
>>208 コストのない行動などありえない。
なら人間の行動は全部悪だよ。
何もしないことも含めてね。
211 :
考える名無しさん:02/03/31 04:07
「損失の回避」を「コストの回避」じゃなくて「リスクの回避」という意味でいったのかな?
人間はどんなにローリターンであってもローリスクな行動をとれということですか。
根拠は?
212 :
しゅんしゅん:02/03/31 04:19
私だったら、
自分がやられていやな事は他人にしちゃいけない
という原則を示しますねー。
>>209 自分であれ、「損失を与える行動」は悪。
で、損失が罰となる。
しかし、相手が自分でない場合は、当然自分は損失を被らない。
だが、相手が自分でない場合でも悪には罰がつきまとう。
結果として、自分も損失をうける。そのための法。
>>211 私の論理でいくと、
殺人の場合、積極的に自分の利益をもとめても、社会の利益が優先されます。
自分に同等の損失の危機が迫っている場合に回避することができる、ということです。
214 :
考える名無しさん:02/03/31 04:27
>自分であれ、「損失を与える行動」は悪。
すると人は毎日悪いことをし続けてるわけで、ずいぶん「悪」が軽くなるな。
ずいぶんまた変わった悪の定義だが、
それを論じるのはやめておこう。根拠持たないだろうし。
>私の論理でいくと、
>殺人の場合、積極的に自分の利益をもとめても、社会の利益が優先されます。
あなたのどの論理?
最初の「自分に損失を与える行為=悪」では社会の利益は優先されないよね。
そのあとに例外や補足がつきすぎてよくわからない。
>>214 社会も含めた広義の自分に損失を与える行為が悪なのですよ。
私は、殺人に関しては、はじめから社会の利益を優先すべきという主張を崩していません。
ただ、「狭義の自分が同等の損失を受けそうになっている場合」に限り
個人の利益を優先してもいい(正当防衛で殺人をしてもいい)と言っているのです。
悪に関してですが…
あなたはどの悪も同じ重さだと思っているのですか?
軽い悪ならば、その人はすぐに何らかの損失(罰)を受けているでしょう。
重い悪ならば、法の規定により罰を受けるでしょう。
216 :
考える名無しさん:02/03/31 04:52
>自分自身を守りたい小さな自分は、
>大きな自分を守るために、他の小さな自分を守らなければならない。
この発言をベースに考えてたが違ったのかな。
>殺人に関しては、はじめから社会の利益を優先すべきという主張を崩していません。
ようはあなたは殺人を犯す者の利益など関係ない、殺人は社会の利益に反するからやめろ
というごく新鮮味にかける主張を行ってきただけなのですか?
それはあなたの
>>124以降の論理と同じとは思えないのだが。
>軽い悪ならば、その人はすぐに何らかの損失(罰)を受けているでしょう。
あなたの定義ではね。
そしてあなたの定義では人間は失敗の連続=軽い悪であれ人間の生活は悪の連続となる。
すると「悪」にこめられた意味が軽くなる、と言うことです。
これは批判でなく感想ですがね。
217 :
考える名無しさん:02/03/31 04:59
>ようはあなたは殺人を犯す者の利益など関係ない
「社会の利益よりその利益が少ない限り」関係ない、ね
218 :
考える名無しさん:02/03/31 05:10
>>216,217
新鮮味にかけるのならばそれでも結構。
現代の人間が社会から脱却して生存するなど不可能。
ならば、人間は自分を守るために社会及び他者を守らねばならない。
よって、社会または個人に損失を与える殺人は許されない。
しかし、自分が危険な時には、社会より自分が優先されるので許される。
私はずっとこれだけのことしか言っていませんよ。
219 :
考える名無しさん:02/03/31 05:17
>人間は自分を守るために社会及び他者を守らねばならない。
私はずっと、自分を守るためには別に社会や他者を守る必要はないと言ってるんですが。
社会が崩壊しない程度に崩してよし、と。
社会や他人を攻撃すると、社会や他人から攻撃される。
それをさけるのが損失の回避。
というわけで、そろそろ寝ますかねぇ。
221 :
考える名無しさん:02/03/31 05:25
>>220 「私は、「利益を得ること」より「損失を回避すること」の方が重要だと考えています。」
の詳しい説明に行きつきますな。
それは
>殺人によって受ける損失より利益の方が大きいならば殺人はしてもよい
へのより詳しい反論、ですが。
もっとわかりやすく解説してください。
222 :
考える名無しさん:02/03/31 05:27
やはり人間はどんなにローリターンであってもローリスクな行動をとれということ、
なのかな。
違うならば「自分を守る」の詳しい意味の説明もないとわからんよ。
223 :
考える名無しさん:02/03/31 05:31
>やはり人間はどんなにローリターンであってもローリスクな行動をとれということ、
>なのかな。
そしてこういうことならこの根拠もないとわからんよ。
固く信じられている「殺人は悪」を疑っているようなところで、
全く信頼されてない「リスクは低くとれ=自分を守れ」といわれても。
224 :
つまりこういうことだろ:02/03/31 05:55
,. ‐'''"´ ̄ ~`'‐、
/ , ‐'´~ヽ ヽ 仕方がないな…………!
/./`''‐.、_ _,. ‐'´ ヽ ! これは……!
//,.- 、  ̄ ,. ‐''⌒ ゙i. !
/' ` ‐--‐''"´ l | 221はハメられたんだ……
l~`'''‐、 ,. ‐'''"´ ̄ | | 奴が今まで
| ヽ r'´ / .| 哲学板住人にしてたように
l 、-─o, 、─‐o- 、 | r‐:、.|
. ! ` ‐-i :::iー--‐'´ |.|,ヘ !.| 101に翻弄… 踊らされ
| ー-i :::lー--‐' !| ラノ ト、 笑いものにされた…………!
│ ,.-‐ { ::::} `ー- 、 .|!ン .| \
. |/__ `ー----‐ ' ___,.ヽ .ト、 | ヽ._ 他人は殺すが…
. l. ヽ、 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ,ノ i│ ゙、 | ゙!`''‐- 自分が殺されるのは
_,,. -‐'!. ` ー-------一 '" l l ヽ.! .l`''‐- 御免被る……
-‐''"´_,,. -‐iヽ .___, ノ 〉 |
-‐''"´ l. ヽ、  ̄ ̄ / / |. | 通らないだろう
! `iー、--------─ ''´ / | | いくらなんでも
. | | ヽ;;;;;;;;;;::::::::::: / | | それは……!
| | \'''''''' / |. |
225 :
考える名無しさん:02/03/31 06:08
101は寝たようだが、
「自分自身を大切にする=自分を守る=自分の利益になる行動をする」
と俺は読んでいた。
だから話がこんがらがっていたが、
「自分自身を大切にする=自分を守る=リターンを無視して最大限リスクを回避する」
そう読めば101は一貫している。
「自分自身を守りたい小さな自分」とてっきり「自分を守ることは人間の基本的な行動」
というようなそぶりで言ってが、違った。
単に「自分自身を守る『べき』小さな自分」ってことなんだな。
人間の基本的な行動はリスクとリターンの両にらみだからな。
>「自分を同等の損失から守るため」ならば「殺人もよい」
これは違う。殺人した場合のリスクがしない場合のリスクより小さい場合の話。
殺して口封じする方が国家から罰を受けるより優先される場合など。
>殺人の場合、積極的に自分の利益をもとめても、社会の利益が優先されます。
これはまったく意味がわからん。
で、俺もでかける。
(最後に繰り返すが「自分を守る=最大限リスクを回避する」でないなら
「自分を守る」の意味説明してくれんとね。)
226 :
考える名無しさん:02/03/31 06:58
結局、どうして人を殺しちゃいけないのか?ではなく、どうして悪いこと
しちゃいけないのか?という議論になってしまったのですね。。殺人行為
と、強盗やレイプの間には程度の差はあっても、本質的な差はないという
ことらしいですね。。
殺人を特別なタブーとするのは、単なる共同幻想だから、騙されるなということ
なんでしょうかね。。
幻想には幻想なりの存在意義があるのですがね。。
ヒューマニズムを否定してしまえば、もはや人間ではなくなるのでありませんかね。。
自分の子供が怪物にならぬよう気をつけましょう。。
ガキなんて
半殺しにして
わからせるに限る。
こんなこと小生意気なガキに聞かれて
困ってんじゃねえゾ!!
228 :
考える名無しさん:02/03/31 07:47
子供相手なら人を殺せば相応の罰を受けると教えればわかりやすくていいんじゃないかな。
重い罰は人を殺したい衝動の抑止力になるとおもう。
229 :
考える名無しさん:02/03/31 08:18
実力行使は無しね。1は、あくまでレトリックでまるめ込みたいのだから・・
「逮捕されるから」が一番説得力あったなー。
親と二度と会えなくなるとか思うと、子供心にはつらかったよ。
231 :
考える名無しさん:02/03/31 09:25
「おじちゃん!どうして人ころしちゃダメなの?」
「殺すのは簡単だが、ひと知れず死体を処理するのがむずかしいんや!!」
「なーんだ、そーかぁ」
232 :
考える名無しさん:02/03/31 09:47
子供のころ毒針を使った無差別殺人を考えたことあったな。
万が一ばれて捕まり罰を受けるのが嫌なので躊躇したが・・・。
じゃあ「逮捕されたっていいもん!」て言われたら、
あんたら「じゃあ、いいんじゃない。」って言うんかい?
そんなもん結局「俺が許さない!」って
言うしかないっしょ。
101はポパー信者?
235 :
考える名無しさん:02/03/31 11:11
ここらへんで打ち止めかな
「人を殺してはいけない理由」は
どんな事実を並べたところで理由足り得ないよ
それは「〜〜してはならない」「〜〜すべきである」といった当為命題が
「〜〜である」という事実命題だけでは導き出せないからだ
「〜〜してはならない」を導くには「〜〜すべきである」という別の当為命題が必要である
もし子供が「私の判断の基準は私の心的衝動に依るものであり、私は自由である」と主張するならば
その子供の殺人を言葉で止めることは不可能であり、実力行使に打って出るしかない
しかし無知な餓鬼ではなく少しは分別があるなら
彼が持つ最初の叙述に期待して、そこから導き出せるかもしれない
そしてその論法は「もしあなたが殺されたくないのなら人を殺すのはおかしい」
ということになるだろうね
「寒いから服を脱ぐ」はおかしいよね 「寒ければ服を着る」
「もし暑いなら脱げばよい」
同じように「殺されたくなかったら汝決して人を殺すことなかれ」だ
236 :
考える名無しさん:02/03/31 12:00
>>235 打ち止めといいながら
やたら長いレスを垂れ流し。
「目的を論じずに、手段を論じえない。」
あんたの理論は手段としてムダ。
>>235 自分を殺そうと思ってる奴がウヨウヨいる世界だったら、相手を先に殺さなきゃならない。
人を殺しちゃいけないのは、日本が平和だからだよ。
逆に、平和を維持するためには殺しちゃいけない。
238 :
考える名無しさん:02/03/31 12:13
>>237 その論法だと逆もまた叱りだな
自分が相手を先に殺そうと思うから相手はさらに先に自分を殺そうとする
ヘアの原理「相手を理解するために相手になりきって考える」
ここらへんがモラルの基礎であるだろうし
ノンモラルな世界を仮定するならそこにはひとかけらもモラルが存在しない完全な自由
原初状態しかないだろうね
>236
レスは長いが初心者にも分かるように丁寧に説明してあるだろう?
239 :
考える名無しさん:02/03/31 13:04
>>235 >殺されたくなかったら汝決して人を殺すことなかれ
これは当為命題じゃない。
殺人をさせないための説得だ。
このスレではそんな低レベルの結論では満足しないの。
240 :
考える名無しさん:02/03/31 13:17
実ハ、君ノ本当ノ名前ハ「ケン・ソゴル」。
コノ時代ニヤッテキタ未来人ナノダ。
君ガ人ヲ殺シタラ、歴史ガ狂ッテシマウ。
イヤ、ヒョットシタラ
君ノゴ先祖サマガ生マレナイトイウコトニモナリカネン。
ダカラヤメテオキタマエ。
241 :
考える名無しさん:02/03/31 14:34
>>1 は、「モラル」なんてことは一言も言ってないが。
242 :
考える名無しさん:02/03/31 14:48
>241
人を殺してはいけないことが「モラル」でなければいったい何なのでしょう?
「法律」ですか?
ならば「議会で多数の賛成意見を得られ可決したから」としか答えようが無いですね
243 :
考える名無しさん:02/03/31 15:00
わけもわからず周りからなんやかんや戯言言われて罪悪感を覚えさせられること。
これがモラルの基礎。
244 :
考える名無しさん:02/03/31 15:04
>>242 というか、そういったものを当てはめる必然性がなぜあるのか?
単に、「いけないかどうか?」という問題と考えてはなぜいけないの?
245 :
考える名無しさん:02/03/31 15:07
>243
とも限らないでしょう
例えばさるお方はモラルは弱者のやっかみ、妬みであるとも言いますし
またさるお方は人間は本質的に一人で誰も頼れる者はいない、そうした中で自分で選択したものとして
モラルを説明したりもします
どれが間違いというわけでもないでしょうが
あなたがモラルが世間一般から押し付けられたものと考えるならそれは「世間一般から押し付けられたもの」でしかないのです
モラルとは平たく言えば「規範」です。
あなたがそう語る背景にはあなた自身の規範がそのようにして生じたという疑念を持っているからではないでしょうか?
246 :
考える名無しさん:02/03/31 15:09
だれか一人でもデリダ読んでる奴、書き込んでやってよ、まったく・・・
247 :
考える名無しさん:02/03/31 15:16
>242
「〜〜してはいけない」という形式がすでに禁忌の形をとっています
これがモラルを語っていることを示しています
そして「〜かどうか」という質問は事実命題に関しては調べればよいので簡単ですが
当為命題に関してはさらに別の当為命題を必要とするためたいへん難しいということです
決して事実のみからでは語れない(それは論理的な間違いを犯している)ということを忘れてはならないということです
が、非論理的に語るならば大きく許されることと思います
248 :
考える名無しさん:02/03/31 15:23
>>247 >「〜〜してはいけない」という形式がすでに禁忌の形をとっています
>これがモラルを語っていることを示しています
「〜してはいけない」という形式をとれば、必ず禁忌なのか?
禁忌とモラルは、必ず同じものなのか?
249 :
考える名無しさん:02/03/31 15:25
禁忌はモラルの一形態
250 :
考える名無しさん:02/03/31 15:25
>>245 笑いとは何かだとかと同じ、
または人間のある行為の動機がたくさんあるのと同じ、
発生経路が複数あることぐらい指摘されれんでも当然だがな。
251 :
考える名無しさん:02/03/31 15:29
252 :
考える名無しさん:02/03/31 15:31
>250
後半部分はその通りですが、前半は違います
「笑いとは何か」こういった命題
「〜〜とは何か」→[what is 〜〜]
このような形式をとるものはむしろ答えようがありません
question [what is A]
answer [A is A]
こそ答えられうる唯一の答えです
253 :
考える名無しさん:02/03/31 15:34
禁忌は必ずモラルの形をとります
禁忌は規範の一種であり事実ではないからです
我々は言葉にすることである程度の混同をしがちですが
brute(生々しさ) と institute(制度的なもの) を区別するべきです
254 :
考える名無しさん:02/03/31 15:37
>>253 モラルの形というけど、モラルの要件って何なの?
255 :
考える名無しさん:02/03/31 15:39
阿呆ですまん。
>brute(生々しさ) と institute(制度的なもの) を区別するべきです
むしろ、ブリュットとアンスティティートが混同されるというのが
よくわからんのだが。
256 :
考える名無しさん:02/03/31 15:39
>>252 俺は「何か?」という質問を先では「どんな原因で発生するのか?」
という意味で用いたということだが、何か?
笑いの発生原因だってありすぎ。
さっきからなんやかんやわざわざ講釈たれてくれようとする態度には感謝するが、
ならば少しはためになることを語ってくれ。
257 :
考える名無しさん:02/03/31 15:41
>254
叙述として「〜〜すべきである、せねばならない」もしくは「〜〜すべきでない、してはならない」という形をとるものです
一言で言えば「義務」です
英文にしますと
[ ought to 〜〜] の形をとります
そして「〜〜である、でない」[ is 〜〜]と区別されます
258 :
考える名無しさん:02/03/31 15:44
で、どいつも子供に
「うざいよ」と言われて
おわり。
259 :
考える名無しさん:02/03/31 15:45
>255
257で説明した is 〜〜 と ought to 〜〜 の違いと
それの混同と理解してくれて問題ありません
いかに事実を多く持ってきても、規範は形成できないということです
逆に規範を説明するには事実のみでは不可能であるということです
260 :
考える名無しさん:02/03/31 15:45
>>257 そういう形を取る文章であれば、いかなる内容のものであっても、全てモラルなの?
では
「人間は生きていてはいけない」という「文章」も禁忌であって、
「人を殺さなければならない」という「文章」も「モラル」なの?
261 :
考える名無しさん:02/03/31 15:48
>260
はい、それが正しいかどうかは別にして、「規範」でありモラルです。
262 :
考える名無しさん:02/03/31 15:49
>>260 こういうのって、結局
〜〜おまえが何を考えようが俺の定義じゃそうなの〜〜
これでおしまいだろ。
疑問持っても無駄。
263 :
考える名無しさん:02/03/31 15:49
261に修正
「の形をとる」と付け加えたほうが勘違いが生じなくてよりいいでしょう
264 :
考える名無しさん:02/03/31 15:52
>262
あなたのような意見にこそ
>>252の言葉がふさわしいですね
哲学やるのに「定義」という言葉を出さねばならないのなら哲学をお辞めなさい
265 :
考える名無しさん:02/03/31 15:52
266 :
考える名無しさん:02/03/31 15:58
>>264 あなた「お辞めなさい」なんて話をだしてレスが事足りるというなら
掲示板での書き込みをお辞めなさい。
つーか他人のしかも別のことがらへのレス引用するだけで答えるってのね。
267 :
考える名無しさん:02/03/31 15:58
>265
その通りです。
厳密に考えるならば「なぜ人を殺してはいけないのか」という命題に事実としての答えはありません
いかなる事実も回答足り得ないからです
しかし定言命令でなく仮言命令として捉えるならば論の展開のしようはいくらでもあります
また なぜ「人を殺してはいけない」という命題が正しいとされているのか
と捉えても論の発展のしようはあるでしょう
1の質問に対してのみ純粋に答えるということこそむしろレスポンスとして誤りであると思います
268 :
考える名無しさん:02/03/31 15:58
モラルや規範が「正しいかどうか」と無関係なら、
「いけないかどうか」とも無関係なんじゃなかろうか?
>266
では口汚くこう罵りましょう
定義バカは逝ってよし!
270 :
考える名無しさん:02/03/31 16:01
つーか、「こういう内容の文章もモラルなの?(それもモラルということになるからその主張は納得できないな)」
に対して「はい、モラルです」と自身たっぷりに返事することしかしないのは
見ていて微笑ましい。
271 :
考える名無しさん:02/03/31 16:02
>>267 モラルや規範は定言命令なのか。
というか、定言命令というのは文章の形式を指す言葉なのかね。
272 :
考える名無しさん:02/03/31 16:02
>>262 個人の恣意的な定義(私的定義)によらないのが
道徳規範なのだとおもうのですが。。。
あなたの私念にも「かかわらず」嫁せられるのが
道徳規範なのだとおもうのですが。。。
273 :
考える名無しさん:02/03/31 16:03
>では口汚くこう罵りましょう
あそ。
>>224も罵りだったのね。
本気で言ってるかと思ったよ、
>>224のようなことをね。
悪いな、駄レスと自分自身わかって書いてることに反応して。
274 :
考える名無しさん:02/03/31 16:06
>>265 正しい答えとは疑問に対してそれを解消するような適切な方法で返答すること。
議論ならどうかしらないが、少なくとも
>>1のような疑問に対する、
コミュニケーション上の正しい「答え」とはこれ。
275 :
考える名無しさん:02/03/31 16:08
>>272 何がモラルについて表現か、なんてのが定義によるってこと。
何が道徳的規範として正しいかは定義次第とはおもわんよ。
>268
いいえ、そうではありません
例えば事実命題に目を向けてみましょう
「昨日雨が降った」 「昨日雨が降らなかった」
これら2つはどちらも事実に対して言及した命題ですが片方は誤りでありまた片方は正しいものです
そしてそれらを調べるにはデータを調べるなり経験に即するなりで確認することができます
同様にA「人間は自然界の生物である」B「人間は自然界の生物で無い」も同じ事実命題として調べることができます
が、a「人間は自然界の法則に即して生きるべきである」
b「人間は自然界の法則に即して生きるべきで無い」
はいずれも当為命題でありますが
これも同じく片方は正しくまたもう片方は誤りであるとなります
abどちらも示しているものは規範でありモラルですがどちらが正しいか正しくないかを語るのが無意味にはなりません
注意すべきはAとa Bとbには何の論理的接点もないということです
277 :
考える名無しさん:02/03/31 16:15
で、どいつも1に
「うざいよ」と言われて
おわり。
278 :
5分後に落ちます:02/03/31 16:16
>271
難しいところですね
普遍的な道徳原理は必ず定言命令の形をとるというのはカントの主張ですが
私はむしろ定言命令に拘ることは議論の妨げになると思います
このような議論の場合、仮言命令の形をとることでそれぞれ自身の広当為命題(これは私が勝手に名付けたものです)を模索することができればと思います。
最終的には実存的な立場からのアプローチであり直感主義であると思いますが
そこに到達する一つの手段としての仮言命令と理解してください
定言命令は文章の形式によって判断されます
279 :
5分後に落ちます:02/03/31 16:23
>>272 あなたの意見はごもっともであると思います
カントもまたあなたのように考えそして普遍的な善を求めました
そして「善いものとは善意思である」という答えを出したのですが
これにつきましては長くなるので説明を省きましょう
カントの道徳論は基本ですがいくつかの批判もあります
たいへん面白いので読んで見られることをおすすめします
で、このようなジレンマですが深い問題であると思いますし私には答えが出せていません
共同体主義論と自由主義論として私は捉えていますが
真理に対する態度の差が如実に出ているので難しい問題であると思います
280 :
考える名無しさん:02/03/31 16:24
281 :
考える名無しさん:02/03/31 16:28
>>280 いや。
見ての通り根拠無く「私はこう思う。」としか言えない
ことを「正しい」などとは主張しない主義なの。
282 :
考える名無しさん:02/03/31 16:35
>>276 >abどちらも示しているものは規範でありモラルですがどちらが正しいか正しくないかを語るのが無意味にはなりません
>注意すべきはAとa Bとbには何の論理的接点もないということです
しかしそこでは、「正しいか正しくないか」という問題があるだけで、
「モラル」や「規範」という概念を導入しなければならない必然性というのは存在しない。
283 :
考える名無しさん:02/03/31 16:44
イマサラ言ってもねぇ・・
284 :
考える名無しさん:02/03/31 17:07
「当為命題」とか「禁忌」とかちょっと
難しい言葉が出てきちゃったなー。
哲学をちゃんとやってる人たちには常識なのか・・・。
要するに「命令」ってことでよいのではないのかな?
「命令」に真偽はないよね。
となると
>>152,
>>168-169 あたりの疑問がむしろ大事じゃないか?
ちなみに
>1
に対して私が答えるならば
「人を殺したものは不幸になる」
という事実を突きつけて終わりにしたいところですな。
286 :
考える名無しさん:02/03/31 17:13
>>1 「僕を殺してもいいんだよ」とでも言いたいのか?
287 :
考える名無しさん:02/03/31 17:13
>>284 いやまったくそのとおり。
その問題をすっ飛ばしていろいろ語りたがる奴がいるから収拾がつかなくなるのだよ。
288 :
考える名無しさん:02/03/31 17:17
まあ、
>>1 が聞いてるのは、
「どうして人を殺しちゃいけないの?」
ということ自体ではなくて、
そのような質問を受けたときの対処法だけどね。
289 :
考える名無しさん:02/03/31 17:26
俺がおまえにだした命令より、
社会がおまえにだした命令の方が「上」、下手したら「正当」と
思ってるやつらが問題なんだな。
290 :
考える名無しさん:02/03/31 17:30
だれもがいつでも、命令自体の正当性を基準に
命令の優先度を決めてるとは思えないが。
291 :
考える名無しさん:02/03/31 17:41
その命令を支持する側が、社会の命令だと格別正当性があると勘違いしちゃうんだよね。
格別持ってるのは強制力だけなのに。
社会の命令も筋のおっさん達の命令も違いがないっての。
怖いって基準からは.
292 :
考える名無しさん:02/03/31 17:45
強制力と正当性はどう違うんだ?
293 :
考える名無しさん:02/03/31 17:51
「当然従うべき」というアホな発想。
命令する側が社会だと、そういう勘違いを持つ馬鹿がいる。
294 :
考える名無しさん:02/03/31 18:07
学校なんか先生に怒られる以外なんの強制力もない分際で、
規則を守れだとか偉そうだったな。
無視しただけだけど。
295 :
考える名無しさん:02/03/31 18:11
2chでもみんなの利益とか俺の興味ないことをたてに、
ローカルルール強制してくるうざい板があるな。
アクセス制限などの強制力を得てからほざけよ。
そんな命令なんか無視無視。
同じ意識が社会からの命令をする側にある。
強制力がなかったら無視されるだけなのにね。
296 :
考える名無しさん:02/03/31 18:18
297 :
考える名無しさん:02/03/31 18:22
強制力は単に強制する力だろ。
正当性は強制力と無関係に当然従うべき命令があるというお馬鹿な発想に基づく、
命令に「従うべき」という性質。
いるだろ。
ローカルルールに「従うべき」とかほざいてる馬鹿。
そういうあほな勘違いしてる奴がいるっていいたいわけよ
>>291は。
298 :
考える名無しさん:02/03/31 18:26
>>297 「命令に「従うべき」という性質」ってのは、「何が」備えている性質なんだ?
299 :
WIZ ◇WIZs9pCY:02/03/31 18:27
殺して解決しようとするあたり ゲームじゃないんだからって感じ
そんなところじゃないかな
300 :
考える名無しさん:02/03/31 18:29
301 :
考える名無しさん:02/03/31 18:30
言葉遊びいいとして、
ローカルルールに従うべきと考えている奴らの脳にだけ存在すると思われる、
「正当性」というものを君は本当にわからないのかい?
302 :
考える名無しさん:02/03/31 18:35
>>300 命令はもともとも、「〜に従え」という意味の文章じゃないのか?
>>301 「ローカルルールに従うべきと考えている奴らの脳にだけ存在するとあなたが思う「正当性」」
ってものは、あなたが説明してくれない限り私にはわからないね。
303 :
考える名無しさん:02/03/31 18:37
>>302 何の強制力もないローカルルールに従うべきと主張する奴らがいるのは知ってるね。
そいつらのアタマには強制力以外のことがあって「従うべき」といっていること
ぐらいわからるかな?
それともそれぐらい知っているかな?
304 :
考える名無しさん:02/03/31 18:40
>>303 つまり、強制力以外の命令に従うべき根拠を
「正当性」と呼んでいるわけだね。
そして、そういうものが存在する命令には
「従うべきでは無い」というのがあなたの主張なの?
305 :
考える名無しさん:02/03/31 18:42
そもそも「強制力」は、必ずしも「命令に従うべき根拠」とはならないが。
校則も法律も破るやつはいっぱいいる。
306 :
考える名無しさん:02/03/31 18:45
根拠を正当性と呼ぶいうか、
そういう根拠を持つという性質を正当性というもんだ。
またあなたは「従うべき根拠」=動機ぐらいにしか思っていないのではないかな?
それとは違うことがアタマにあるのはわかるかな?
307 :
考える名無しさん:02/03/31 18:46
>「従うべきでは無い」というのがあなたの主張なの?
従う必要がない、と言っている。
308 :
考える名無しさん:02/03/31 18:51
>>306 「持つという性質」は、単に「持つこと」とどう違うの?
309 :
考える名無しさん:02/03/31 18:54
>>307 強制力のある命令には従う必要があるの?
310 :
考える名無しさん:02/03/31 18:55
>>308 同じじゃないの。
どっちの表現を用いてもよかったが、俺は前者の表現を用いたというだけの話。
とにかくあなたは初め強制力と正当性はどう違うのか?と聞いてきたわけだが、
どう違うのかはともかくこの二つが違うことはわかったんだね。
311 :
考える名無しさん:02/03/31 18:57
>>309 必ずしもないが、強制力を持たないときよりその必要性は高くなる。
312 :
考える名無しさん:02/03/31 18:59
>>310 >同じじゃないの。
>どっちの表現を用いてもよかったが、俺は前者の表現を用いたというだけの話。
じゃあ、「正当性」を「従うべき根拠を持つこと」と言っても問題ないわけだね。
>どう違うのかはともかくこの二つが違うことはわかったんだね。
ああ、わかった。
まあ、「どう違うか」ではなく、「あなたが同違うと思っているか」を聞いたつもりだが。
もう少し簡潔に答えてくれればもっと早くわかったのだが。
313 :
考える名無しさん:02/03/31 19:01
「正当性」を持つ
ということが
「従うべき根拠を持つ」
と同じなら、
「正当性を持つ命令」に従う必要が無いのはなぜなの?
314 :
考える名無しさん:02/03/31 19:04
強制力以外の命令に従うべき根拠を「正当性」と呼んだら問題だが、
「従うべき根拠を持つこと」を正当性と呼ぶのは問題ないだろ。
>もう少し簡潔に答えてくれればもっと早くわかったのだが。
こちらはあなたのアタマに何があるかわからなかったから答えられなかったんだよね。
だから
>>306などのように質問攻めで解答しなきゃ解答できんよ。
315 :
考える名無しさん:02/03/31 19:04
316 :
考える名無しさん:02/03/31 19:06
>>313 ?
これは
>>292の人が書いたのかな?
なら自ずと答えがでるんじゃないの。
また質問攻めで解答してみたあげく「簡潔でない」なんて言われたらたまらんよ。
317 :
考える名無しさん:02/03/31 19:06
>なら自ずと答えがでるんじゃないの。
答えがでないならどこが疑問なのか書いてくれれば話が早くなる。
318 :
考える名無しさん:02/03/31 19:08
>>314 >こちらはあなたのアタマに何があるかわからなかったから答えられなかったんだよね。
そんなことがわからなければこたえられないような複雑な質問をしたつもりは無いが。
319 :
考える名無しさん:02/03/31 19:09
まあ、まともな日本語で答えてくれれば、無駄な質問をせずに済むんだけどね。
320 :
考える名無しさん:02/03/31 19:10
>複雑な質問をしたつもりは無いが。
単純すぎる質問を簡潔すぎる仕方でしかしてこなかったから、
むしろどの段階で疑問を持っているのか、
また説明のときどこから始めればよかったのかわからなかった。
321 :
考える名無しさん:02/03/31 19:11
とどのつまり、どういった理屈で、「正当性のある命令」に「従う必要が無い」
なんて主張してるわけ?
322 :
考える名無しさん:02/03/31 19:12
>>319 そういう罵倒合戦をしたいと言うことならば、
そちらが省力しすぎずに長い文章で誠意ある形の質問をしてくれても
そうだったんだがね、と言っておきますか。
323 :
考える名無しさん:02/03/31 19:16
>>321 は?
強制力=正当性なんでしょ?
あんたの理屈でも。
324 :
考える名無しさん:02/03/31 19:18
325 :
考える名無しさん:02/03/31 19:19
>これは別人なのかね?
同一人物。
>そんなことを言った覚えは無いが。
>>292はそういったんじゃないの?
326 :
考える名無しさん:02/03/31 19:20
327 :
考える名無しさん:02/03/31 19:22
結局のところ、
「正当性のある命令には従う必要が無い」という主張は、
強制力=正当性
強制力≠正当性
の、どちらを前提にしてるわけ?
328 :
考える名無しさん:02/03/31 19:23
同じと思ったから質問したんじゃないの?
違うと思っているならどう違うとあなたは思っているのか説明してくれ。
あなたと私のアタマにある「正当性」の意味が違うと困るからね。
329 :
考える名無しさん:02/03/31 19:24
330 :
考える名無しさん:02/03/31 19:25
>>328 >同じと思ったから質問したんじゃないの?
違うよ。
「あなたが」どう考えているかが、
レスの内容だけでは不明確だったから質問しただけだが。
名前付けて。
332 :
考える名無しさん:02/03/31 19:26
違うと思っているならどう違うとあなたは思っているのか説明してくれ。
あなたと私のアタマにある「正当性」の意味が違うと困るからね。
333 :
考える名無しさん:02/03/31 19:30
>>328 >違うと思っているならどう違うとあなたは思っているのか説明してくれ。
力と性質は別のものだと思う。
>あなたと私のアタマにある「正当性」の意味が違うと困るからね。
個人個人でそれが違うのは当たり前だから、
あなたがどういう意味で使っているのをまず聞いて、
それにあわせて話をしようとしているのだが。
別に私の定義をあなたに押し付けなければならない理由なんてどこにも無いからね。
334 :
考える名無しさん:02/03/31 19:33
>あなたがどういう意味で使っているのをまず聞いて
そうされるとそちらのアタマにあることがまったくわからないから
また俺がやたら質問と説明する羽目になるのがやなの。
めんどくさいから。
335 :
考える名無しさん:02/03/31 19:33
あなたの主張における術語として
「正当性」なり、「強制力」なりを使うなら、その定義はあなたが決めればいいんじゃないの。
一貫性さえあれば、その定義が私の考えや、世間一般の定義と違っていても別に問題ないだろう。
336 :
考える名無しさん:02/03/31 19:37
あなたのあたまにある定義がわかったほうが反論されたときどこが疑問なのかわかりやすく、
説明しやすい。
また再びさっきみたいに手探りで説明するのはやだ。
別に俺がそれへの返答をいいっぱなしにしてればよく、
その後その返答に何を質問されようが無視していればよいのならそうしてるがね。
337 :
考える名無しさん:02/03/31 19:41
私は、
「強制力」は「強制する力」、
「正当性」は「道理にかなっていること」
であると理解している。
従って、これらは違うものであると考えている。
が、これと違う意味でこれらの言葉をあなたが使おうとするなら、
それに反論する意図は全く無い。
そこで聞きたいのだが、
あなたの、
「正当性のある命令には従う必要が無い」という主張は、
強制力=正当性
強制力≠正当性
の、どちらを前提にしてるわけ?
338 :
考える名無しさん:02/03/31 19:46
>>337 なんだ、単に普通の意味に使ってただけなのね。
ただ「道理」なんてもんが私には理解できんのだが多分あなたも私がいっていた
「勝手な概念」を持ってた人なんだね。
強制力⇔正当性
強制力は力。
力はあるかないかじゃなくて、どんだけあるかという程度問題。
だから正当性もあるかないかじゃなくてどんだけかっていう程度問題。
一定の「従うべき根拠」も持っていても、
それ以上の従わない根拠があるときは従う必要はない。
339 :
考える名無しさん:02/03/31 19:48
>力はあるかないかじゃなくて、どんだけあるかという程度問題。
>だから正当性もあるかないかじゃなくてどんだけかっていう程度問題。
説明が悪いな。こういう論理じゃないか。
理由があるかないかも、どんだけ理由があるかっていう程度問題。
「ある・なし」にわけられる問題でなく。ってこと。
340 :
考える名無しさん:02/03/31 19:55
>>338 >一定の「従うべき根拠」も持っていても、
>それ以上の従わない根拠があるときは従う必要はない。
まったくそのとおりだと思うけれど。
それだと、「充分な正当性があれば従う必要がある」ってことじゃないの?
結局、何を問題にしてるのかよくわからんのだが。
341 :
考える名無しさん:02/03/31 19:59
>>340 俺がどっかで何かを問題にしたかな?
したんだがそれはどこかな?
単に質問に答えたレスをして「何を問題にしたのかわからない」なんていわんでくれよ。
殺して解決する問題なんかないよ
343 :
考える名無しさん:02/03/31 20:00
344 :
考える名無しさん:02/03/31 20:00
国家(あるいは宗教)による殺人はたんなる暴力行為。
それを隠蔽するために国家による殺人の正当化が必要になる。
国家によって私的殺人の禁止が主張される。
国家によって禁止された私的殺人は悪であるとされる。
しかし、国家による殺人は私的殺人はないので悪ではないとされる。
それは「正義」なのだと。
このようにして国家の強制力の正当化はなされる。
殺人の禁止は殺人の正当化のためのイデオロギーかもしれない。
345 :
考える名無しさん:02/03/31 20:02
346 :
考える名無しさん:02/03/31 20:05
>>341 というか、「何を問題にしてるのかわからない」から質問してるんだが。
わかってたら質問せずに意見を(問題に内容によるが)言ってる。
347 :
考える名無しさん:02/03/31 20:05
348 :
考える名無しさん:02/03/31 20:07
>アホ糞ガキが増えていますが
だいたい年齢的にはいくつぐらいなんでしょうかねぇ〜
こんな愚問に考えることはない >>all
次ぎ行こうぜ
350 :
考える名無しさん:02/03/31 20:08
>>347 矛盾しているといっているのではなく、
何が問題なのかわからんといっているだけだが?
矛盾以前にどう関係するのかがまずわからんのだが。
351 :
考える名無しさん:02/03/31 20:09
>>349 つうか、こういうスレ、定期的に立つからねぇ。
被害当番スレとして、age ておいていいかと。
352 :
考える名無しさん:02/03/31 20:12
>>291 >>293 >>294 >>295 の文章を見て何も問題にしてないと思うならばそれでいい、
もうめんどくさくてこれ以上説明する気せん。
というか291〜をみて何を問題にしてるのかわからん人に
何を問題にしてるのか優しく説明するというのがどーしたらできるかわからんし。
まあ、あなたがどういう内容の文を書けば「あることを問題にした」文とみなすのか
わからんし。
俺の感覚では何かを問題にしたというか感想を言っただけに近いしな。
急に「何を問題にしたの?」とか聞かれても、
そう聞かれる前に俺が何かを問題にしているなどと発言したことはないと思うが。
353 :
考える名無しさん:02/03/31 20:18
>>352 >俺の感覚では何かを問題にしたというか感想を言っただけに近いしな。
>急に「何を問題にしたの?」とか聞かれても、
>そう聞かれる前に俺が何かを問題にしているなどと発言したことはないと思うが。
感想はラウンジとか厨房スレでやってくれ。
ここは哲学板だ。
354 :
考える名無しさん:02/03/31 20:19
>>353 訂正
×厨房スレ
○厨房板
まあ、このスレが「厨房スレ」ではあるが・・・。
355 :
A.o.S.:02/03/31 20:20
感想に主張を潜ませて、議論を避けようとする。
2chではこういうことがママある。
356 :
考える名無しさん:02/03/31 20:20
>>353 ほお、哲学板では議論レスのみしかうけつけず、
誰かのレスへ同調めいた感想をいってはいけないのかね。
ま、そうだとしてもそんな命令に従う気はないがナー
357 :
考える名無しさん:02/03/31 20:21
>>352さんは「うざい」という感覚を少しだけ理論的に説明してみただけでは。
358 :
考える名無しさん:02/03/31 20:23
>>357 質問しなくても、レスのテンション・内容から容易にわかるだろ。
359 :
考える名無しさん:02/03/31 20:24
>2chでもみんなの利益とか俺の興味ないことをたてに、
>ローカルルール強制してくるうざい板があるな。
>アクセス制限などの強制力を得てからほざけよ。
>そんな命令なんか無視無視。
こんなこという奴が多くなるから
変な法律も多くなるんじゃないの。
児ポ法とかさぁ、盗聴法とか。
360 :
考える名無しさん:02/03/31 20:29
「道徳」の上に法律がある。
強制も含んでるような・・
361 :
考える名無しさん:02/03/31 20:29
>>356 >ほお、哲学板では議論レスのみしかうけつけず、
>誰かのレスへ同調めいた感想をいってはいけないのかね。
そんなことは言った覚えはないが。
ただ、問題提起と解釈されても解釈されても、
場所柄上止むを得ないってこと。
特にあんな内容ではね。
それがいやなら板を選べっていってるだけだよ。
362 :
考える名無しさん:02/03/31 20:29
俺様の言うことは多少意味・意図が分からなくとも
そのテンション、内容から他人は読みとらねばならない。
これは命令である。
363 :
考える名無しさん:02/03/31 20:31
>>360 法律には強制力があって、道徳には無い・・・ということになってる。一応(法学の基礎)。
道徳には拳骨が存在する。
365 :
あと2,3レスで落ち:02/03/31 20:33
>>36 >場所柄上止むを得ないってこと。
別にこれに反対することは一言も言ってないがな、
加えてこれくらい覚悟してるがな。
366 :
あと2,3レスで落ち:02/03/31 20:34
367 :
考える名無しさん:02/03/31 20:34
368 :
考える名無しさん:02/03/31 20:35
でじこの言うことはなにいってるかさっぱりわからないこともあるけど、
そのテンション、内容から他人は読みとらなきゃならないにょ。
これは命令にょ。
370 :
考える名無しさん:02/03/31 20:39
>>365 反対はしてないが、愚痴口と文句はたれてるな。
問題が無いならさっさと落ちな。
371 :
あと1,2レスで落ち:02/03/31 20:43
>反対はしてないが、愚痴口と文句はたれてるな。
そちらのレスにたいしてそちらが誤解してると思われることを指摘してるだけ
ま、あなたも
>感想はラウンジとか厨房スレでやってくれ。
というような「感想を述べたいならここでやらず別の板に行け」という主張と誤解されても
仕方ない文章を書くときは誤解されても仕方ないと思いながらやりなさいな。
すでに思ってるなら余計なことだがなー
>問題が無いならさっさと落ちな。
俺が好きに判断することだな。
時間が来たら好きに落ちるがな、
いわれるまでもなくな。
372 :
考える名無しさん:02/03/31 20:46
>>371 >俺が好きに判断することだな。
まあ、みっともない行為を続ける自由は誰にでもあるがね。
>まあ、みっともない行為を続ける自由は誰にでもあるがね。
まさにその通り。
理屈をこねきれなくなって段々罵倒に変わっていく様はみっともなくもおもしろくもあったよ。
じゃあな。といっても否定するんだろうがな。
落ちと言ってもこのレスに否定・罵倒その他、レスしたいことあったらあとでまた
見るだけはしてやるから安心しな。ないなら余計なことだがなー
374 :
A.o.S.:02/03/31 20:51
−−−−−ここまでのダイジェスト−−−−−
「おまえ厨房だな」
「その通りですが、何か?」
−−−−−−−−−−
2chのすべての板が厨房板と化していってる現状、
その理由がなんとなく理解できました。
375 :
考える名無しさん:02/03/31 20:56
>>374 ・・・まあそういうことだね。
まあ、スレがスレなんでしょうがないかと。
これからはsageで行きましょう
378 :
考える名無しさん:02/04/01 01:16
人をころすとね
生と死の世界より追放されるんだ
死よりももっとこわい
虚無っていう化物にくわれちまうんだ
379 :
考える名無しさん:02/04/01 01:24
虚無が
生と死でないとしたら、そこに善悪はない。
生と死がないとしたら、そこに自他もない。
380 :
考える名無しさん:02/04/01 01:25
フォースの暗黒面に支配されるのだ
>>377 まあ、別にあなたのせいではないと思うが・・・。
ネタがネタだけに仕方ないと思われ。
382 :
考える名無しさん:02/04/01 01:34
虚無のせいにすんなよな
383 :
考える名無しさん:02/04/01 04:59
今日から自己責任で人を殺してもよいことになりました。
384 :
考える名無しさん:02/04/01 05:01
自己責任というが、本当は応分の責任をとれないところに問題があるとおもう。
385 :
考える名無しさん:02/04/01 05:19
82 名前:考える名無しさん :02/04/01 05:18
お前らに「殺人権の解明」は無理っぽいな。「多段階の解法が
可能」だとしたら、稀代の天才だともいえるメガ男ぐらいだろうな。
386 :
考える名無しさん:02/04/01 06:09
殺人拳ならガキも知ってるだろうが・・
387 :
考える名無しさん:02/04/01 07:29
殺人なんて3k労働、ダサイからやめておけ。
通は未必の故意。これ最強。
388 :
考える名無しさん:02/04/01 09:05
やっちまってからはじめてきづくものだろう
だから人の命はかけがえのないものなのであって
389 :
考える名無しさん:02/04/01 09:05
殺人権なんてあるはずがない
390 :
考える名無しさん:02/04/01 09:20
>>388 人間生きてしまってから生きてるって感じる
っていうのと全く同じ
391 :
考える名無しさん:02/04/01 09:26
生きるっていうことはね、生きるっていうことなの。
392 :
考える名無しさん:02/04/01 09:28
>>390 相手を殺さなくても損傷を与えなくとも
「死の恐怖」をあたえるだけでも犯罪だと思う
393 :
考える名無しさん:02/04/01 09:31
人間生きてみないと善悪は問えない。
殺人の善悪を問うことはできないが
だからこそやってはならない
394 :
考える名無しさん:02/04/01 10:51
氏ねば助かる
395 :
考える名無しさん:02/04/01 10:54
>人間生きてみないと善悪は問えない。
生かした結果が最悪だったら?
>殺人の善悪を問うことはできないが
>だからこそやってはならない
論理的根拠の説得性に欠ける。どういうこと?
悪人なら殺しても善い...!?
111 :考える名無しさん :02/01/16 20:58
ある抽象的問題の是非を議論する場合は、
一つの対象として扱えない事実を、言葉の上で一つとして扱えってしまうことで、
事実を構成する要素とあてられる言葉との対応関係が意識されずに、空論に終わって
しまうことが多いので、気をつけると良いと思います。
▼殺人について考えるとき、以下の人間を、抽象的に想定することは、大丈夫だと思います。
・0が殺される・殺されそう 注:0が自殺
・1が0を殺す・殺しそう
・2、3… …1億…50億…(部外者)
これらの人間それぞれの立場から、殺人という抽象的事実がどう理解されるかを明かせばよいはずです。
■0の立場からみれば、殺人は常に悪いです。なぜなら、0は殺されることで、
@ 行動できる可能性が無くなる(感じることも、得ることも、人付き合いも、議論もできなくなる)し、
A ものすごく痛い思いをする(ところで、普通「殴ることは悪いことでない」とは言いません)
からです。
@・Aは、0にとって、大きなデメリットです。ですから、0の立場からみる限り、殺人は悪いことです。
注:自殺…「自殺を遂げるまでに、生きていて受けるデメリット」の方が、
「自殺しないで、生きた場合に受けるデメリット」より、
ある時点において、小さいと判断された結果です。
0による0の殺人に、0にとってのデメリットがなかったわけではありません。
112 :111 :02/01/16 20:59
■1、2、3、…(以下、Xと略します)の立場からみる場合は、視点により結論が変化します。
☆Xの立場から「0が受けるデメリットは、0の主観によって決まる(面が大きい)」と考えることは、
一般的に正しいとされます。
Xが、これを認めるなら、0の立場からみる議論をたどり「0が殺されることは悪い」と認めることになります。
それを一般的に表現するなら、「殺人は悪い」とするのが、論理的です。
☆「0が受けるデメリットを考慮しない」なら、単に事実認識が誤っているだけです。なぜなら、
Xは、1が殺そうとしたときに、0が感じているだろうことを、無視しているからです。
Xは、事実を構成する重要な部分を無視して、結論を出したにすぎません。
☆「0が受けるデメリットを考慮するが、XのメリットやXのデメリットの欠如を問題とする」のは、
考慮していないのと同じです。
なぜなら、0のデメリットとは無関係なXの事情を考えつつ、0でない立場で0の事情を考えた上で、
Xにとってのメリットを採りうる、と認めたに過ぎないからです。
言い換えますと、Xは、殺人に「付随した(関係はない)」、
@Xにとって、殺人によって得られるメリットがあるか、
AXにとって、殺人に伴ってデメリットが感じられない事実がありうるか、
という事実問題を、「殺人(は許されるか)」という言葉のもとに、考えているのです。
これらについて考えると、
@0が殺されることでXがメリットを得ることはありえるので、その点を重く見れば、殺人した事実と
殺人以外の事実との総合判断で、殺人を許容する・黙認するXは、存在します(0にとっては関係が無い)。
AXにとって、0のデメリットは、Xのデメリットではないですから、事実上、殺人と無関係な時が過ぎていきます。
Xが支障なく生活ができるなら「(Xにとって)悪くない」と論理的にいえます
(他人の痛みは、いくらでも我慢できる)。
@・Aは、評価の問題として言説上扱いうる問題であると同時に、評価と無関係に可能である、事実問題です。
ですから、殺人が、Xが所属する社会にとって、個人レベルでみた頻度でまれであっても、
「論理的に可能であり、殺人を規制する制度が社会にある事実があるにすぎない」と考えるなら、
当然「殺人はなしえる」「悪いと(X(の一部)にとって)評価されない場合はある」ことになります。
ですが、そんなことは、実際に殺された人や、殺される人の立場を論理的に考察の対象に含める人にとっては、
どうでもいいことです。
▼
「殺人は悪いことではない(場合がある)」と言っている人は、
殺される人間0以外の人間、1、2、3、…が殺されなければ、1、2、3、…は、
デメリットがないか、メリットがあるかだから、0が殺されることは、1、2、3、…にとって
悪いと(事実上)判断されない(場合がある)、と言っているのです。
これは、論理的には全く正当です。しかし、この意見に実践的な意義がないことは明らかです。
富野由悠季の∀の癒しに面白いことが書いてあった.
>>397,
>>398を分かりやすく纏めたように感じに.
400 :
Маршал Боголюбов:02/04/05 23:05
<一試論>
理由;創造主が創ったから
補足;資本主義だから
別にいいよ、殺しても。俺以外なら
402 :
(´д`)∩:02/04/05 23:51
死ぬほどの恐怖をあじわいなさい(一度)
さすれば、分かる \(`ρ´)/ ワカルー
法律で禁止されているから。
しかし、殺人を犯すような人間はそんな事を考えないから、実質的に法律に犯罪予防効果は無いし、法律に守られているという認識の下に行動しても、それはなんら防衛行為にはならず、非暴力、平和主義を唱えようとした時には、既に殺されている可能性がある。
>>402 氏ぬほどムカツクナリか?
だったら入るナリ!
入って鬱憤を晴らすナリ
相手が
女の場合:脅して逃げる※
男の場合:その場で乱闘
※覆面使用
405 :
(´д`)∩:02/04/06 00:09
金田一(マンガ)
あれ、殺人に感動を求めとるね。ってどうでもいいか。
殺人は、その人の一生を奪います。その権利が殺った人にあるかという問題。
なら、殺人を犯した人が、死刑にならないのはなぜ?
何時の間にか、「時」「場合」「状況」で生命を位置づけてるねぇ。
裁判官なしのバトルロワイヤルでもやったら?
共産党には死刑なんていりませんよ。
被疑者はリンチの最中に不幸な事故で死ぬだけですから。
これは死ぬ方が悪いんです。大澤真幸も、少々水責めにしたり、
針金で縛ってこぶしによる肉体的衝撃を加えただけで、勝手に
死亡しました。
407 :
(´д`)∩チョットイイ?:02/04/06 00:24
私としては、死刑を廃止し代替刑として
・終身刑
・最低でも20〜30年以上経過しないと仮出獄を認めない
重無期懲役
が導入される事が最も好ましいと考える。
つまり、刑は重い順に
・終身刑
・重無期懲役
・無期懲役
・有期懲役
・罰金刑
となるのが理想的であるのではないか。
しかし、いきなり死刑を廃止するのはおかしいのではないかという声も
挙がっているので、まず重無期懲役を試験的に導入する事も方策である。
いずれの場合にしても、人の氏を司法が恣意的に操る死刑制度が一刻も
早く廃止される事を私は切望する。
409 :
考える名無しさん:02/04/06 12:01
ねえ、何で自殺を止めなきゃならないの?
とめなくてもいいでしょ。
止めたい人が止める。
411 :
考える名無しさん:02/04/06 12:18
412 :
考える名無しさん:02/04/06 12:35
自殺しても根本的な解決にはならないけどね。
413 :
考える名無しさん:02/04/06 12:40
解決じゃなくて問題の殲滅をはかるのが自殺ということか。
414 :
考える名無しさん:02/04/06 12:45
>>411 自殺したい人が死にたいのと同じ理由でしょ
415 :
考える名無しさん:02/04/06 13:19
>414
もって回ってるだけで、何の答えにもなってないよ
416 :
考える名無しさん:02/04/06 13:50
>>411 人による。
そいつに生きて欲しいから。等。だろ。
死にたいから死にたいし
止めたいから止めるんだよ
バカだな
418 :
考える名無しさん:02/04/06 14:14
>>415 おまえ何歳?
引き篭もり?
そんくらいなんでわかんねーんだよ。
419 :
考える名無しさん:02/04/06 14:29
自分の脳みそで考えられない奴は理解できないものを難しい表現をした意味がないものと受け取るんだよな
死にたい人の死ぬ理由は完全にひとそれぞれで、
共通点は一切なく、
止める人の止める理由も完全にひとそれぞれで、
共通点は一切無い。
そういうことをいいたいのだろうか?
421 :
考える名無しさん:02/04/06 14:32
419は理解し難い一文
422 :
考える名無しさん:02/04/06 14:34
>>420 共通点が一切無いのかは疑問だけど、理由がいろいろ、っては当たってると思う。
自殺するにしてもそれを止めるにしても、殺すにしろ殺さないにしろ、
なにか一言でこれだ、と言い表す理屈はないよね。
423 :
考える名無しさん:02/04/06 14:39
>>422 そういうときは「こういう理由が多い」って具体例をあげておけばいいんでないの。
>>411みたいな質問には。
自力で具体例を重い浮かべられない人がいるというのが衝撃だが。
>>422 >なにか一言でこれだ、と言い表す理屈はないよね。
それが自明とすれば、状況なり個人なりを特定しない場合、
「死にたい人の死ぬ理由」、「止める人の止める理由」を考えるというのは、
すなわち、
・それらの人々において共通点の理由は存在するか?
・存在するとしたら、それは何か?
ということを考えるということになると思うが。
そういうことをここで考えてはいかんのだろうか?
>>423 スマソ.411とかは念頭に置いてなかった。
>>424 いいと思う。わたしは別に反対してないケド?
426 :
考える名無しさん:02/04/06 14:47
>>424 そういう問いに興味があり考えたければ考えてもよいが、
話のきっかけになった元の質問がアレだからね・・・
>>425 なるほど。
で、共通点は存在するのだろうか?
428 :
考える名無しさん:02/04/06 14:53
>>426 あくまでも、このスレの問題の延長として話されるべきだとは思うが。
つまり、「人を殺すということ」について、
「人が死ぬということの意味」から考えるうえで、
「それを自ら望むものがいる」
「望んでいるものをやめさせようとする人がいる」
ということについてどう理解すべきかということだと思う。
>>428 あったりなかったりするなら、既に共通とはいえないと思うが。
アンタら、せめて番号固定ハンくらいにしたら...?
434 :
考える名無しさん:02/04/06 15:00
>>431 ハァ?
共通するときもあるし、共通しない時もある。
それは「一切共通しない」ではない。
>>433 というか、ステハンだね。
答えるのにそれほどのスレ数を消費する必要のある問題とは
思わなかったからわざわざしなかったが、
そんなに複雑な問題なのか?
>>429 いや、だから興味があるからだろうが意義を感じるからだろうが話したきゃ話せばいいし、
いやなら無理せんでもいいし。
>>434 なるほど。
すると、「全てに共通する理由」は存在しないということだね。
>>437 >話したきゃ話せばいいし、 いやなら無理せんでもいいし。
そこまで一般化しきゃならない理由は無いだろう。
板やスレが分かれてる理由が無くなる。
>>434 お題のせいかもしれないけど、言葉遣いが荒れるのは、ナンだね
とはいえ内容は同意。
そゆこと。
>>432
>>438 それは既に422が言ってることだが?
おれはもう抜けるよ。
>>439 一般化というのがどの部分を言ってるのかよくわからんが
俺の立場の何かに反対なの?(w
どうでもよくまたごく普通の発言しかしなかったと思うけど。
>>441 スマソ、そういう意味にとれなかった。
>>442 >俺の立場の何かに反対なの?(w
立場というのがどの部分を言ってるのかよくわからんが
私の立場の何かに反対なの?(w
ごく普通の発言しかしなかったと思うけど。
自殺も、それを止めるのも、基本的には、
個々の事情によるもので、
全てに共通する理由は存在しないんだね。
>>443 >>429で俺の発言を否定してきたというそちらの立場に反対。
否定というのが俺の誤解ならいんだけどな。
>立場というのがどの部分を言ってるのかよくわからんが
>私の立場の何かに反対なの?(w
>
>ごく普通の発言しかしなかったと思うけど。
こうゆうのマズ-。426さん押さえてね。
>こうゆうのマズ-。426さん押さえてね。
ん?どういうこと?
なんか話がこんがらがって気分が悪くてさ、
もどかしいというかなんというか。
まあどうでもよいことに延々レスしてるというのは自覚してるけどさ。
邪魔?
>>445 私があなたのどういった発言をどのように否定したの?
それがわからんと誤解かどうかはわからん。
>>445 つうか、現状、あなたは自分の話したいことをただ話しているだけで、
それがスレの話題と離れていることにはまったく無頓着だね。
そういう立場には反対だよ。
>>447 ごめんなさい。
443の426さんに対するオウム返しはNGと思っただけですよ。
>>448 自分で否定した意識があるの?ないの?
ないなら別によし。
>>449 話題がスレ違いならずれたのは
>>439からだと思っているが、
だから俺に責任がないとはいわないが、
この話題が不適切と思うなら好きにやめてくれや。
そう人にだけ責任を押し付ける君の態度には俺も反対だな。
非難合戦はいやなのでこれくらいにしとくがな。
>>447 >〜何かに反対なの?(w
>「ごく普通」の発言しかしなかった
普通の発言に反対するのがおかしいかのような考えだってことと、
普通であると称して、多くの人の賛成を暗黙のうちに前提する言い方がマズー、
なんだろ。
>話題がスレ違いならずれたのは
↓
>話題がスレ違いだから話すべきでないことならそうなったのは
455 :
考える名無しさん:02/04/06 15:51
452=443
アンタら、いったい何の話(w
>>451 >自分で否定した意識があるの?ないの?
>ないなら別によし。
だから、対象が特定されないと答えようがないが。
>>449 じゃあやめるよ。
459 :
考える名無しさん:02/04/06 18:20
デリダ解説書でも読んでから出直せ|*゚∀゚|┛
ある抽象的問題の是非を議論する場合は、
一つの対象として扱えない事実を、言葉の上で一つとして扱えってしまうことで、
事実を構成する要素とあてられる言葉との対応関係が意識されずに、空論に終わって
しまうことが多いので、気をつけると良いと思います。
▼殺人について考えるとき、以下の人間を、抽象的に想定することは、大丈夫だと思います。
・0が殺される・殺されそう 注:0が自殺
・1が0を殺す・殺しそう
・2、3… …1億…50億…(部外者)
これらの人間それぞれの立場から、殺人という抽象的事実がどう理解されるかを明かせばよいはずです。
■0の立場からみれば、殺人は常に悪いです。なぜなら、0は殺されることで、
@ 行動できる可能性が無くなる(感じることも、得ることも、人付き合いも、議論もできなくなる)し、
A ものすごく痛い思いをする(ところで、普通「殴ることは悪いことでない」とは言いません)
からです。
@・Aは、0にとって、大きなデメリットです。ですから、0の立場からみる限り、殺人は悪いことです。
注:自殺…「自殺を遂げるまでに、生きていて受けるデメリット」の方が、
「自殺しないで、生きた場合に受けるデメリット」より、
ある時点において、小さいと判断された結果です。
0による0の殺人に、0にとってのデメリットがなかったわけではありません。
■1、2、3、…(以下、Xと略します)の立場からみる場合は、視点により結論が変化します。
☆Xの立場から「0が受けるデメリットは、0の主観によって決まる(面が大きい)」と考えることは、
一般的に正しいとされます。
Xが、これを認めるなら、0の立場からみる議論をたどり「0が殺されることは悪い」と認めることになります。
それを一般的に表現するなら、「殺人は悪い」とするのが、論理的です。
☆「0が受けるデメリットを考慮しない」なら、単に事実認識が誤っているだけです。なぜなら、
Xは、1が殺そうとしたときに、0が感じているだろうことを、無視しているからです。
Xは、事実を構成する重要な部分を無視して、結論を出したにすぎません。
☆「0が受けるデメリットを考慮するが、XのメリットやXのデメリットの欠如を問題とする」のは、
考慮していないのと同じです。
なぜなら、0のデメリットとは無関係なXの事情を考えつつ、0でない立場で0の事情を考えた上で、
Xにとってのメリットを採りうる、と認めたに過ぎないからです。
言い換えますと、Xは、殺人に「付随した(関係はない)」、
@Xにとって、殺人によって得られるメリットがあるか、
AXにとって、殺人に伴ってデメリットが感じられない事実がありうるか、
という事実問題を、「殺人(は許されるか)」という言葉のもとに、考えているのです。
これらについて考えると、
@0が殺されることでXがメリットを得ることはありえるので、その点を重く見れば、殺人した事実と
殺人以外の事実との総合判断で、殺人を許容する・黙認するXは、存在します(0にとっては関係が無い)。
AXにとって、0のデメリットは、Xのデメリットではないですから、事実上、殺人と無関係な時が過ぎていきます。
Xが支障なく生活ができるなら「(Xにとって)悪くない」と論理的にいえます
(他人の痛みは、いくらでも我慢できる)。
@・Aは、評価の問題として言説上扱いうる問題であると同時に、評価と無関係に可能である、事実問題です。
ですから、殺人が、Xが所属する社会にとって、個人レベルでみた頻度でまれであっても、
「論理的に可能であり、殺人を規制する制度が社会にある事実があるにすぎない」と考えるなら、
当然「殺人はなしえる」「悪いと(X(の一部)にとって)評価されない場合はある」ことになります。
ですが、そんなことは、実際に殺された人や、殺される人の立場を論理的に考察の対象に含める人にとっては、
どうでもいいことです。
▼
「殺人は悪いことではない(場合がある)」と言っている人は、
殺される人間0以外の人間、1、2、3、…が殺されなければ、1、2、3、…は、
デメリットがないか、メリットがあるかだから、0が殺されることは、1、2、3、…にとって
悪いと(事実上)判断されない(場合がある)、と言っているのです。
これは、論理的には全く正当です。しかし、この意見に実践的な意義がないことは明らかです。
399 :
富野由悠季の∀の癒しに面白いことが書いてあった.
>>397,
>>398を分かりやすく纏めたように感じに.
462 :
笑いは平和を呼ぶ:02/04/06 21:39
ここは哲学板なんでしょうが、子供に「人を殺していい理由」なんてものを理論で
語って欲しくないです。相手に伝えたいなら感情は大事だと思います。お笑い板に
いる時よりショッキングなレスの数々でした。
463 :
考える名無しさん:02/04/06 21:49
現在はなるようになってるだけだ!
今から人間をかんがえなおそうぜ!
殺人それじたいはタブーではないですよ。
ときには正義になるくらいです。死刑とか戦争とかあるのだから。
問題は、いかなる場合に殺人が許されないか、なのです。
>>460-461うざい。内容にはむしろ賛成の方だが、コピペはそれだけでプロパガンダだ。
折角の内容を自分で貶めるな。
自分の言葉で語りナサーイ
ですから、勘違いしてはならないのは、
殺人そのものが否定されているわけではない
ということです。
法は、殺人そのものを断罪していません。
殺人を覚えてしまった、愚かな人類ですな。ハイ、おわり。
470 :
考える名無しさん:02/04/06 23:36
そういう時は、
ヒヒヒヒヒ…お前を今すぐ殺してえ、と邪悪に笑おう!(爽
472 :
考える名無しさん:02/04/06 23:43
>>462 心情的にはよくわかります。
私はあなたのような考えをし「率直にその意志を書き込む人間」が、
多ければいいのに、とよく思います。
ただ、
>>460-461は、きちんと読めば分かりますが、感情を説明しているのです。
感情がない立場から語ったのではありません。
>>465 ごもっともです(
>>397-398は、私が貼ったものではないですが)。
どうもすみません。
ただ、私はこの問題に関しては、上のコピペを過去ログ参照と同じ意味合いで、
皆さんにも貼って欲しいですし、
賛成してくださるなら(うざくても)、それを許して欲しいです。
一言自分なりのコメントを付け加えれば、プロパガンダ的な面もかなり
薄れるでしょう。
私はまだ読んでいませんが、富野由悠季さんの「∀の癒し」に、
似たような内容があり、そちらのほうが分かりやすくまとまっている
らしいですから、それについて触れてくださるのでも良いです。
それもいやなら、哲学板のまっとうな住人のみなさん、
>>464や
>>467がおかしいことは、よく分かってるはずですから、
彼らの書き込みを見かけたら、批判してください。
悪ふざけにも、質や程度があることくらい、ここの住人さんなら
よく分かってるはずです。
>>471 どうして人を殺しちゃいけないの?
と聞かれた時
475 :
考える名無しさん:02/04/06 23:58
>>475 あなたは、それを本気できいているのでしょうか?
477 :
(´・д・`):02/04/07 00:09
>>475 殺しを肯定するのは、真理を甘く見ている証拠だということですよ
478 :
考える名無しさん:02/04/07 00:10
感情が真理だと思います。終わり
>>478 自分自身が、読んだり書いたり話したりするしていく中で、
身についていく癖を、甘く考えないほうがいいですよ。
何もこのスレのテーマに限ったことではなくて、もっと世俗的な意味でも。
>>479 どう解釈するから、そう読めるんですか…
482 :
考える名無しさん:02/04/07 00:18
人を殺したいという発想にかられる奴は
社会から追放するに限る。
数万分の一の確率で脳の腐った奴が生まれてくる。
触らぬ神に祟りなし、キチガイには近づくな
483 :
考える名無しさん:02/04/07 00:20
>>482 そういう問題もありますが、今はその話をしているのではないことくらい、
分かってますよね…。みなさん悪ふざけばかり上手になってますね…
485 :
考える名無しさん:02/04/07 00:22
「殺したいと思ったから殺しました」
これ以上の理由はないだろ
実行した奴は犯罪者として捕まるシステムになってる
俺はこの社会システムに同意する。
同意できない奴は社会から去れ
486 :
考える名無しさん:02/04/07 00:23
>>484 なにもそこまでここを仕切らなくてもいいだろ
事実としてこの社会は殺人そのものは否定していません。
ちゃんとフォローしてやるから、473はもう黙っとけ(苦笑
そう質問するってぇことは、殺しちゃいけねぇと思っている
からだろ?
え?答えになってない?
491 :
考える名無しさん:02/04/07 00:29
否定しつつ否定してないってやつじゃない?
>>488
>>488 意味無し。
盗んではいけない。犯していけない。傷つけてはいけない。殺してはいけない。
社会はわざわざそんな事を言葉にしたりしないだけ。
あらゆる殺人を否定するの?
>>493 「死刑スレの38」と思ったろ? 違うけどな(w
497 :
考える名無しさん:02/04/07 00:36
社会は実体を持ちませんから、社会に依拠して意見を言っても意味が無いです。
488さんは、個人的に殺人について、どう考えますか?
他の人は、どう考えると思いますか?
そこから、論理的に導かれる結論は、どんなものでしょうか?
500 :
いやちょとまて:02/04/07 00:39
500!
500ゲットズザーは止めてください。
>>501 なにもそこまでここを仕切らなくても...
>>499 おれはおれの立場を表明してるんだよ。慌てるな。
>>503 あれ、そうなんですか。すみません。
>>502 いや、止めてくださいといいつつゲットしたかった…わけじゃないですよ(汗
戦争は殺人を正義としているわけではないと思う。
正義としているのは「敵を倒すこと」であって、
「殺人」はそのためには止むを得ないとされているに過ぎない。
少なくとも、近代国家においては建前上はそのはずだ。
1に対する答え方として、
まず、殺人じたいがだめなのではない
ということから確認しないと
ではなぜ死刑はいいの?
ということになってしまう。
>>506 老婆心ながらその理屈は死刑制度反対論者には通じないぞ(w
>>510 強盗殺人だって手段で人を殺すんですよ
「純粋殺人」でなければ、殺人はみな手段です。
>>512 どうもです。
>>506のようにはいえないことは、はっきりわかりましたよね?
ところで、なんで名無しさんで書き込むんですか?>all
>ところで、なんで名無しさんで書き込むんですか?>all
まぁ未だハンドルつける程白熱してないし。
>>513 >
>>506のようにはいえないことは、はっきりわかりましたよね?
どこにもそんなこと書いてありませんが
>>514 誰が何を主張したかはっきりさせるのは、議論の基本だと思いますが。
>>515 はあ、そうですか。
>
>>514 >誰が何を主張したかはっきりさせるのは、議論の基本だと思いますが。
短文のやりとりだけで、まだ議論と呼べる議論はない、て認識なの。おれはね。
>社会は実体を持ちませんから、社会に依拠して意見を言っても意味が無いです。
個人は実体をもつと?
>>517 「誰が書いたか」明示することは、ある程度重要な問題を扱う上では、
問題の扱い方の上手下手・進み具合に関わり無く、必要だ、と言ってるのですが。
あと、心理的に一連のレスをつけた名宛人として指示できる対象になれば、
まとめてそのレスをつけたことについて、批判を受ける可能性が出てきます。
そうした批判を受けるくらいの責任をとるつもりがないということは、
それだけで、この問題に対する無責任さを表明してるようなものです。
>>518 私は、個人は実体をもつという考えをとりません。
しかし、ここで言いたいことをあらわすには、そう表現しておけば足ると考え、
そのように表現しました。
>>496 >殺人それ自体の是非と、殺人が関係する問題の是非は、同じ論点ではありません。
このふたつの区別が、
>>493-494 の何を指しているのか不明です。
522 :
考える名無しさん:02/04/07 02:03
519の文中、「心理的に」は不要です。すみません。
というか、まともな批判が出てきませんね・・・
>>477さんは、音沙汰ないですし、
>>489さんも、
>>497さんも、言ったきり出てこないし・・・
>>511 強盗を目的とした殺人は「止むを得ない」とされてないということだろう?
>>519 私の立場は、
>>517さんのそれとはちがい、
語る主体の同一性に依拠することがそんなに重要だとは思えない
というものです。
>>519 >「誰が書いたか」明示することは、ある程度重要な問題を扱う上では、
>問題の扱い方の上手下手・進み具合に関わり無く、必要だ、と言ってるのですが。
進み具合に関わり無く、必要だとは、まったく思わないんだよ。
この↓一文以降は意味不明。
>あと、心理的に一連のレスをつけた名宛人として指示できる対象になれば
ああ、無理してレスる必要はない。「白熱」してきたようだからな(ニヤ
なんで相変わらず、名無しだけなんでしょう。「ヘタレ」なんですかね。
>>521 @殺人それ自体に対する評価、A死刑に対する評価
493は、@で殺人に対し否定的な評価を下すと、当然にAの結論が
出るかのように考えてるようです。@で否定的な評価を下しても、
Aで死刑賛成の立場をとりうる、という点を問題にしました。
>>494 あらゆる殺人を否定する
殺人それ自体への評価と、殺人と比較してとりうる価値があるかの
問題を混同している点を、問題にしました。
なんでこんなことを説明しなければならないのか、わけがわかりません。
>>496 「殺人が関係する問題の是非」とは何ですか?
>>525 この問題は、それで片付けることはできません。
議論は生きてなければ、できません。
殺人に対して、正面から否定的な評価を下さない人に対しては、
「では、あなたは今生きていて書き込みしているが、書き込みする行動可能性を、
殺されて奪われることに関して、どう考えるのか、
>>レス番号 の意見を言った者として、答えてください」
という質問を、同一性に依拠して問えるという問題があるからです。
>>529 殺人が行われてしまった(しまう)事例において、
生きている側から見た利益がある場合、
殺人とその利益を比較して、利益を取ることが許されるか、という問題のことです。
これは、殺していいか悪いか、という問題では「ありません」。
めちゃくちゃ既視感のある展開になってきたな(w
そろそろ抜けます。議論を内容以外の観点から見て、流そうとする
名無しさんが出てきたようですし、眠いので。
>>460-461 最後にリンクを貼っておきます。
まともな議論をするつもりがないようでしたら、せめて放置してください。
>>526 だから、その戦争を「侵略戦争」とみなす国は、
その「侵略者」の殺人を非難するわけだろう。
>>532 このスレの存在自体、デジャヴーばりばりだが。
>>535 うむ。近過去と遠過去、二重のデジャ・ヴだ(w
>>530 それはレス番号に対して問えばいいだけのことでは?
>>531 ですから、
>>493-494 とその論点の区別がどう関連するのか
示してくれないと、抽象的でわかりません。
>>533 そちらが先に絡んできたのでは?
でなければ放置していますよ。
>>534 しかしそれに抵抗するための殺人は肯定するのでは?
>>534 防衛のための戦争が侵略戦争になりうることもある
とされる問題についてはどう考えますか?
>>528 >殺人それ自体への評価と、殺人と比較してとりうる価値
その「殺人それ自体」とはなんですか?
このふたつの区別が抽象的に思えます。
いわゆる刑法上の「殺人事件」も
殺人それ自体と比較してとりうる価値の問題ではないですか?
●
>>537 >530,531
531は、
>>529へ答えたものです。529に対する答えにはなっています。
>521からの流れで、「ですから」と、区別を尋ねてるようですが、
>521からの流れで質問をするなら、レス番HN付けてください。
区別については、>528で答えてます。
>533
「まともな議論をするつもりがないのなら、せめて」の部分を、端折らないで下さい。
●
>>542 >528
その区別は460-461で具体的に行ってることは、読めばわかると思うんですが。
分からないなら、そこまで説明責任を追う気にもなれないし、必要も感じないので、
納得されなくて結構です。
>刑法上の「殺人事件」も、殺人それ自体と比較してとりうる価値の問題では
>ないですか?
刑法上「殺人事件」は、出てこないです。「殺人罪」なら出てきますけど。
ですから何を言っているのか意味不明です。
544 :
考える名無しさん:02/04/07 12:54
>>543 「まともな議論」うんぬんはあなたにとっての理屈でしょう。
他者に配慮できないのはあなたのほうですよ。
>>528 ではまったく区別の根拠を説明してませんよ。
そもそも、
>>460-461のレスでない
>>464や
>>467の投稿に
からんできたのは473の投稿ですからね。
あなたは、このスレッドを独占しようとしているだけでしょう。
545 :
考える名無しさん:02/04/07 12:56
>>543 あなたが意図する議論だけをしたいならべつのスレッドをつくるか
あなたのHPや掲示板ですればいいはず
546 :
考える名無しさん:02/04/07 13:00
推論するに
543は死刑板の「1」「38」のどちらか
あるいはその一方もしくは両方の強い影響下にある誰か
あるいはそのパロディなのではないか
この問題が解決されるまで人殺しは続くのかなぁ?
>>547 そういえば、この問題にかんして
社会生物学的(動物行動学的?)なアピールを
している学者がいたな
「現在、人を殺してはいけないというタブーが存在するに到ったのは、
どういった経緯によるものか。」
「人を殺すという行為を、すべきでないとする論理的根拠は何か」
という二つの問題が混同されていると思う。
これらは別のものだ。
タブーの成立は「なりゆき」であって、論理ではない。
間引きはかなり行われていたらしい
555 :
考える名無しさん:02/04/07 14:37
生きていくために食べる。食べ物は体の中で化学反応を・・・(以下略
食べ物が無い!!→他人のテリトリーに侵入→他人と食うか食われるかのバトル
または
食べ物が無い!!→山とか河とかで木の実や魚を採取→(・д・)ウマ-
お前達はどっちがいいんだ。
俺的結論。人肉食う奴のみが人を殺しても良い。殺されることを覚悟して行け。
556 :
考える名無しさん:02/04/07 14:40
>555補足
おとこはメス如きを獲得するために争うな。
5年もすれば飽きるものの為に命賭けて戦うやつはあふぉ。
>>544 >>543 「まともな議論」うんぬんはあなたにとっての理屈でしょう。
>>他者に配慮できないのはあなたのほうですよ。
ちょっと待ってください…。
「まともな議論」という語を私が使った という指摘だけを見れば、
いかにも上の反論に妥当性があるように見えます。
ですが、実際には、
・社会は殺人そのものを否定していない という表現をあっさりとった上で、
死刑が行われているから、戦争では殺人が正義とされるから
程度のことしか述べない意見や、
・
>>460-461を読んだ、と書いて、それについてのコメントは一切書かなかったり、
>>506 >>508 >>512 >>513 >>515 >>516 ・レス番をHNに入れる程度のこともしないで、書き込みしている人が殆どの状態
などを見て、上のように書いたんです。
そういう具体的な事柄を一切無視して、自分の意見を論証なしで正当化した意味合いに
とれるように書くのは、止めてください。
また、
>>521 >>529 >>537 の流れで質問をしている事に関して、レス番HNを入れるべきだ、
という指摘について、一切触れていないのはなぜですか?
>
>>528 ではまったく区別の根拠を説明してませんよ。
>>528は、>521
>このふたつの区別が、
>>493-494 の何を指しているのか不明です。
に答えたレスです。区別の根拠が説明されていないのは、当たり前です。
明らかに私の本論だとわかる、
>>460-461の内容について、
一切触れられないのは、なぜなんでしょうか? 他の方にもいえる事ですけど…。
>そもそも、
>
>>460-461のレスでない
>>464や
>>467の投稿に
>からんできたのは473の投稿ですからね。
あなたは、「言われなければ、放置している」という内容を
>>537で
書いているようです。
ですが、私は放置するべきでないと考えてるのです。
>>473 >>533 「まともな議論をするつもりがないようでしたら、せめて」「放置してください。」
「眠い」
>>533の放置してください、という部分だけ取り出して言いがかりをつけないでください。
>あなたは、このスレッドを独占しようとしているだけでしょう。
私の書き込みは、
>>460-461以降、質問に対する答えと、
>>460-461への感想・意見を
聞きたい、という意思表示が殆どだったのですが。
それに、
>>473の文章を書いた人間に、そういう意志があると言うんでしょうか…?
なんか問題と関係ないレスばかりだ…
>>557 >レス番HNを入れるべきだ
というのはあなたの考えにすぎないでしょう。
だから「まともな議論」の定義を勝手にするなよ。
>>558 「あなたの考え」であると、どうして当然に「すぎない」で片がつくんですか?
あなたは、誰ですか?
>>530や、
>>543冒頭の指摘について、どう考えますか?
それ以外の点については、どうなんでしょう。
560 :
(´・д・`) ウマイ:02/04/07 18:07
>>1 法律を超越した問題ですな
身近な人が殺人を犯した時の事を考えてみて、その時に思った事が自分の答えですよ
そもそも、この質問ってのは、ちょっと世の中がわかってきた(興味が湧いてきた)ような年頃(10代半ばくらいか?俺も10代だが・・・)
のガキがよくする質問で、確固たる意志で質問してるようには見えないんだよね。
もし、本気で言ってるようなら、徹底的にその考えを封じ込めるに超した事はないと思う。
反論も出来なくて、感覚で言ってるクソガキには、パンチの一つでもお見舞いしてやればいいだろう
+
+ + +
+
. / ̄\ +. ∧_∧ナゼコロシチャダメナノ〜? +
コロスナヨー( ´∀`) (´∀` )
(つ つ (つ つ
. + ( ヽノ ( ヽノ +
し(_) し(_)
(⌒\ / ̄\ +
\ヽ( ´∀`) ダメダッテイッテンダロ
(m ⌒\ +
+ ノ / / +
( ∧ ∧
ヘ丿 ∩Д` ) +
(ヽ_ノゝ _ノ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
562 :
(・ω・):02/04/07 19:15
560にわりと同意。
殺しちゃいけないのは、そう規則で決められているからでしょう。
絶対的に殺してはいけない理由が見つからないから、かなり戸惑う質問
ですね。
私は人を殺したくないから殺さない。倫理的に殺してはいけないことを
知っているから殺しません。
道徳とは違うよ。
564 :
考える名無しさん:02/04/07 19:26
>>473 それはあなたの勝手な規則。
議論だろうが意見交換だろうがする側同士が決めればいいことであって、
2chでは名無し可の合意があるんだから不満なら別のところにいけばよし。
あのですね だれでも
どこまでが殺してよい/悪い
の境界線があるわけですよ。
みんな動物殺して食ってるわけですよ。
ベジタリアンも植物殺して食ってるわけで
その境界線というのは恣意的です。
キリスト教徒にとって未開人や異教徒が
殺しの対象にならなくなったのはここ200
年ですよねー。
っで麻原ちずおとか ビンラデンとか
まだ人間にも関わらず殺しておっけー
の余地があるのがいるんですねー。
だからbase根拠はみんながそう思ってるから
です。
っでみんなの思い込みであれ
そうゆう仁義をですねー
1殺す2開き直る
このとき当然刺激と反応で
殺した人に反応がかえってきます。
イスラエルパレスチナ参照ね。
>>564 規則とまでは言ってないです。
名無し可の合意があることは、名無しであることで生じる問題
>>530 >>543冒頭 に対する解決には、なっていません。
>>560 >本気で言ってるようなら、徹底的にその考えを封じ込めるに超した事はないと思う。
同意です。
>>562 >>460-461の内容について、どう考えますか?
良かったら感想・批判をお願いします。
>>565 ありがちな議論ですね、
善悪の問題と、現に善悪を踏まえたうえでどういう選択をするかの問題を、
混同しないでください。
>>565 食べ物をとる=最低限植物を殺すから、必要性があって殺す者は、
そのことについて悪いと評価しないという前提を持っているようですが、
悪いと評価したうえで、その行動を最小限にとどめるという風にも考えられます。
>>568 キリスト教倫理でいうとですねー
殺しはどこまでいっても悪です。
どこまで相対化しても 「だから」
ともってきて 善い につなげることは
文法的にできません。
だからすべての人間が罪びと というのでした。
これはキリスト教圏の中絶論議参照。
>>569 「善い」につなげるとは、一言も言ってないんですが。
>>570 あれだと簡潔すぎますね。こちらこそ申し訳ないです。
要するに、人がなす行動の範囲について、善であることのみをすべきだ、と考える、
論理的必然性がないと言いたいのです。
つまり、ある人を殺すことであれ、食べ物をとることであれ、
現に殺される側にとっては、悪いにきまっているんです。
(これが、殺してよいか悪いかの問題で、結論は、常に悪い、です)
…決まっているのですが、悪いこととトレードオフになる、他の価値がある場合には
(例えば、多くの人を殺そうとする人間が向かってきたとか、食べ物が必要だ、とかですね)
「殺し」を行うことを(それは悪いことであるが)認めざるを得ない、
と考えるわけです。
殺してはいけないのだが、やむを得なかった、のです。
その場合は、殺してよい、のではないのです
(殺された側の立場は現にあるし、殺された側の利益を配慮に入れる者もいます)。
これで理解してもらえますか?
>
>>567 >
>>460-461は、正直なに言ってるかわからんです
そうですか。正直にわからんと言ってくれてどうもです。
>>573なら、どうですか? 多少分かりやすくなったと思うのですが…。
>>573 貴方は立派なキリスト者です。
以前こころと宗教板で あすみ
として 暴れてたときに
ヨショア記をどう理解するのかスレで
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1012320605/l50 聖書を引用して貴方とまったく同じことを
書きました。
133 :あすみ :02/03/14 08:58
122.127さん
賛成です。社会の善を守り促進する意図で
殺しを自由意志の対象とすることはできません。
(新約聖書、ローマ人の信徒への手紙3章8節)
しかし
より大きな悪を避けるために、時として
より小さな悪を許容する可能性はのこります。
ちなみに 善が生じるために悪をなすことができるか
という箇所です。カトリックキリスト教の答えはNOです。
そうすると、カルネアデスの筏についての
カトリックキリスト教の見解はどうなってるの?
578 :
考える名無しさん:02/04/07 21:13
「何故殺したらいけないか?」「君は自分が殺されたらどう感じる?」
と問えばいい。よっぽどのヴァかか、天才じゃなければ、片がつく。
お前らいいかげんに現代に戻ってこいよ。
祭祀儀礼の形式に成り下がったキリスト教の教義についての見解を
いじくりまわしたからって、真理は見えてこないぞ。
キリスト教徒も殺しはするからな。
・・・
ここにいるのは小学生なのか
580 :
考える名無しさん:02/04/07 21:26
>>578 「俺は殺されないね」って言うクソヴァかがTVに出ててね。
よく言うじゃん?「怖いもの知らずは、子供か馬鹿か」ってね。(たまぁ〜に大人ちゃんもおられるみたいですが)
真剣に死を意識してみろってんだぁ!
俺なんか、前、家族が寝静まった時に部屋の窓から、殺人者が襲ってきたらどうしよう、死って怖いものだ、って考えてたよ
すまん、どうでもいい話だった・・・・。
>>460-461 ざっと読みました。
人間の尊厳を功利的に扱うことを認めておられるようですね。
すべての人間は目的として扱われることに合意する社会です。
人権に合意している社会にくらす以上 何らかの理由(個人が
そう思ったから)があるから殺してよか
ったりわるかったりするのではありません。
もういちど要素をまとめて短く発表してください。
>>579 日本人がキリスト教の皆殺しの歴史と
愛の教義の両立について理解できないのは
やはり倫理的規範概念の欠如に
由来するでしょうね。
583 :
(・ω・)562:02/04/07 21:37
>>567 率直に言って面白かったです。不謹慎と取らないで欲しいのですが。
自分には、あそこまで筋道たてることができません。
でも、
578 とてつもなくクサイ台詞を言いそうで恥ずかしいので、ここでは
取り敢えず理屈ゆっときます。
>>575-576 リンク先のほう、読ませてもらいますね。
>より大きな悪を避けるために、時として
>より小さな悪を許容する可能性はのこります。
可能性が残るというより、現に個人差を伴って行われ続けるんですが、
やむをえない範囲を自覚して、できるだけ悪いと評価される事柄を
行わないようにしていくべきだという考えです。
>>578 そう思いたいんですが、このスレッドに書き込んでいる人は、そうではないみたいです。
>>580 どうでもいい話ではないです。こういう書き込みをできること自体が、
とても良いことだと思います。
>>581 何らかの理由があるから、殺してよかったり悪かったりするという考えではないです。
殺すこと自体は、常に悪いと考えます。
ですが、何らかの理由がある場合、現に殺すことを行う人間がいる、
そしてそれを行った人間達は、正当化をはかるだろうが、
殺された側の利益を強く説明することによって、それに対抗できる、と
考えます。あくまで善悪はある人間達が下す評価であって、
それに対して批判や、現実的な提案を行う余地を残していくべきだ、というように
考えています。
神に服さない者はすべて悪魔とみなしていいんじゃなかったの?
未発達のキリスト教義では。
便利な言葉だよね。『悪魔』ってさ。
悪魔が憑依してるとか、悪魔に操られてるとか。
なんとか、今もこの論理で人殺せないかな(w
なんつったりして。うそだよ。
殺人が罪とされるのは、
殺人者の主観からみら殺人行為の妥当性を否定しているわけではない。
殺人者の主観からみら殺人行為の妥当性というのは、
殺人者個人にとっての妥当性であって、
これは殺人者の主観において被害者の利益によって否定されえないものである。
だからこそ殺人が行われる。
殺人犯の主観と、被害者の利益を対峙させ得るのは、
社会という概念を導入するからであって、
殺人者個人にとっての妥当性(殺人者の善悪の評価)を否定したわけでなく、
善悪を評価する主体を社会とし、その評価を個人の評価に
「優先させる」ということに過ぎない。
殺人者の善悪の評価を否定するためには、
殺人行為そのもの(その結果与えられる刑罰ではなく)が、
殺人者当人にとって悪であるということを証明しなければならない。
>>567((・ω・)562 さん)
面白かったですか? 面白かった で言いたいことが良くわかるので、
とても嬉しいです。
善悪の問題を論じる上では、何をするか・してはいけないか
(行為に対する評価)、を考えるのではなくて、
誰が困るのか、困らないのか、得をするのか(結果に対する評価)を
考えるのが、分かりやすいし現実に即して考え、良い回答を
与えていきやすい方法だと思ってます。
あのですねー 人間を殺してはいけないと
ゆーときに素朴に人間全体を考えてる
とおもわれますが えー もう一度
いいますがどこまでが殺してよい/わるい
の境界線は時代と状況によって変わるのですよ。
(ここなぜ愛説くキリスト教に皆殺しの歴史があるか
のポイントですよ)
たとえば日本人は宣教師が来たときに人間と認められ
ましたが、プリミティブな先住民族は動物と認められ
てころされました。
えー つまり殺してはならないというときに殺してはならないのは
人間です。人間を殺してならないという規範をもちながら
なおかつ動物を殺す。
これがキリスト教の虐殺の真相です。
人間はいまや胎児や異教徒まで広がっていますが、まだ
リミットがあります。 ビンラデンなどです。
だから、
・「殺してはいけない」と「言われる」(だれかが言う)のはなぜか?
・殺人という行為が、殺人者当人にとってよくないのはなぜか?
という問題が混同されているって。
>>590 その分離はあまり重要ではありません。
社会はコミュニケーションによって成り立っていますから
自分(自分たち)以外がいます。
自分(自分たち)を殺してならない、
の基準自体は存在します。
で 誰が自分(自分たち)かが問題なの。
基準がそれぞれ異なることが問題なの。
591 :
考える名無しさん:02/04/07 22:33
レス読んでないけど、
人(他人)を殺すと言うことは、すなわち自分が殺される可能性が生まれるから。
小学生にとっちゃ訳わからんと思うけど。
>>590 >の基準自体は存在します。
「基準」ってなんだ?
自己を損なうのは自己にとって損(いけないこと)。
という単純な論理では何か不都合があるのか?
何者かを『悪魔』とみなすのも、『動物』と認定するのも
神さまのいうとおり〜♪とか言いながら、恣意的に権力者が
決めてきたんだから、そりゃ、宗教が歪んでたわんで崩落するわな。
>>589 殺人を行う者であっても、殺人をなしたことと別に、
殺人をなすことにつき、評価を下すことができます。
その評価の下し方は、
@殺される側にとっての利益を無視する場合
A殺される側にとっての利益を無視しないが、他の利益をとる場合
B殺される側にとっての利益をわかっているが、やってしまった場合
@この場合は、殺人者は、よくないと判断する能力が無かったのです
(殺される側が困ることについて、事実認識を誤っているから)
Aこの場合は、殺人者は、よくないと判断したが、他の利益を取ったのです。
Bこの場合は、殺人者は、よくないと判断しているし、自分で殺したいと
考えて殺したのではないのです(過失殺)。
言われるのは、殺される本人は、殺されたら痛いし行動可能性が奪われるからです。
それ以外の人は、殺される人の立場に配慮するからです。
混同されているのではなくて、もともと事実上の関連がある問題を
見過ごしていないだけです。
>>586 ▼
>殺人が罪とされるのは、
>殺人者の主観からみら殺人行為の妥当性を否定しているわけではない。
殺人者の主観からは否定されていませんが、殺人者以外からは十分肯定できる
余地があります。
▼
1 >殺人者の主観からみら殺人行為の妥当性というのは、
2 >殺人者個人にとっての妥当性であって、
3 >これは殺人者の主観において被害者の利益によって否定されえないものである。
1→2は、同じ内容です。3には、理由がありません。
ですから、
4 >だからこそ殺人が行われる。 につながりません。
また、殺人者の主観において、被害者の利益を考慮しないからといって、
当然に殺人が行われるわけじゃないです。何を言ってるんでしょうか。
>殺人犯の主観と、被害者の利益を対峙させ得るのは、
>社会という概念を導入するからであって、
…。目の前で殺人を犯した者に対して、殺されたことによる不利益を云々するのに、
社会を持ち出す必要があるんですか? 被害者が困る点については、どう考えるん
でしょうか。正当防衛を論ずるときに、社会を持ち出す必要があるんでしょうか。
>殺人者個人にとっての妥当性(殺人者の善悪の評価)を否定したわけでなく、
殺人者の評価は、殺人を行った以上、殺人を行われた側にとっては
否定すべき問題ではなくて、関係が無い問題です。
殺した人間が、俺のやったことは正しいと言おうが、間違っていたと言おうが、
殺された人や、殺された人の利益を考える人たちにとっては、関係ないです。
さらに、殺した人が、殺された側の利益を奪ったことを認める場合には、
(特に過失殺のとき、私が殺したことは正しいという人は、ほとんどいません)
>善悪を評価する主体を社会とし、その評価を個人の評価に
>「優先させる」ということに過ぎない。
などという問題は、生じません。
また、善悪を評価する主体を社会とし、とあるのは、多くの人が奪われた
不利益に配慮するということです。それのどこが「過ぎない」話になるんでしょうか。
>殺人者の善悪の評価を否定するためには、
>殺人行為そのもの(その結果与えられる刑罰ではなく)が、
>殺人者当人にとって悪であるということを証明しなければならない。
まず、殺人者が、殺人されない側と評価を必ず違わせるという想定が、
単純に事実に反してます。殺人者が殺人を悪と認める場合はありえます。
また、殺人者が悪と認めないのは、現に被害者が負う不利益を、
きちんと認識できないことからくるのですから、
これは単に殺人者側の証明が、間違っているだけです。
訂正します。
>>596の冒頭
>殺人者の主観からは否定されていませんが、殺人者以外からは十分肯定できる
>余地があります。
↓
>殺人者の主観からは否定されていない場合でも、殺人者以外から十分肯定できる
>余地があります。
人権なる概念が登場するのは
宗教戦争や紛争での荒廃の反省によります。
自分(自分たち)の基準のみにもとづいて
行動すること、とくに利害の衝突で
自分(自分たち)以外を殺しあうことはどのような帰結
をもたらすのか。リアリティの認識です。
自分(自分たち)以外の他者へ配慮することが
かえって
公共性としてお互いのとくになるということです。
人間を殺してどうしていけないのか。という問いは
この公共性への挑戦により宗教戦争レベルに逆戻りです。
>>596 >殺人者の主観からは否定されていませんが、殺人者以外からは十分肯定できる
>余地があります。
もちろん、そのとおり。
>1→2は、同じ内容です。3には、理由がありません。
3 の理由は、被害者の利益が、殺人者当人の利益と無関係だからだ。
ここで問題にしているのは、殺人者当人の主観における妥当性だ。
>また、殺人者の主観において、被害者の利益を考慮しないからといって、
>当然に殺人が行われるわけじゃないです。何を言ってるんでしょうか。
「殺人が必ず行われる」といっているのではなく、
「殺人を阻害する要因とならない」という意味でいったつもりだが。
>…。目の前で殺人を犯した者に対して、殺されたことによる不利益を云々するのに、
>社会を持ち出す必要があるんですか?
ころされたことの不利益を云々するには必要無いよ。
> 被害者が困る点については、どう考えるんでしょうか。
非常に気の毒だと思うよ。
>正当防衛を論ずるときに、社会を持ち出す必要があるんでしょうか。
それを社会的に罪とするかどうかを論ずるなら必要だろう。
601 :
Маршал Боголюбов:02/04/07 23:08
人権については、深田三徳『現代人権論』がよくまとまっていて便利だよ
>>596 >
>>殺人者個人にとっての妥当性(殺人者の善悪の評価)を否定したわけでなく、
>殺人者の評価は、殺人を行った以上、殺人を行われた側にとっては
>否定すべき問題ではなくて、関係が無い問題です。
>殺した人間が、俺のやったことは正しいと言おうが、間違っていたと言おうが、
>殺された人や、殺された人の利益を考える人たちにとっては、関係ないです。
まったくそのとおりだ。
>さらに、殺した人が、殺された側の利益を奪ったことを認める場合には、
>(特に過失殺のとき、私が殺したことは正しいという人は、ほとんどいません)
>>善悪を評価する主体を社会とし、その評価を個人の評価に
>>「優先させる」ということに過ぎない。
>などという問題は、生じません。
なぜ、そうなるの?
殺された側の利益を奪って、自分のものとしたなら、
殺したものにとっては得になったわけだから、
殺人者の評価においては「よいこと」になるのじゃないか?
>また、善悪を評価する主体を社会とし、とあるのは、多くの人が奪われた
>不利益に配慮するということです。それのどこが「過ぎない」話になるんでしょうか。
「過ぎない」というのは、
「殺人者の主観における評価を覆すことはできない」
ということをいっただけだよ。
社会的な意義は充分あるだろう。
あくまでも、論理としてどこまでおよびうるかという話をしただけだ。
>>殺人者の善悪の評価を否定するためには、
>>殺人行為そのもの(その結果与えられる刑罰ではなく)が、
>>殺人者当人にとって悪であるということを証明しなければならない。
>まず、殺人者が、殺人されない側と評価を必ず違わせるという想定が、
>単純に事実に反してます。殺人者が殺人を悪と認める場合はありえます。
その場合は、
「殺人者当人にとって悪であるということを」殺人者自身が証明したわけだから、
私のいったこととなんら食い違ってはいないだろう。
>また、殺人者が悪と認めないのは、現に被害者が負う不利益を、
>きちんと認識できないことからくるのですから、
>これは単に殺人者側の証明が、間違っているだけです。
殺人者は、被害者の不利益を必ず認識していないのか?
被害者が不利益を被ると、なぜ、殺人者にとって悪となるの?
要するに社会がsustainableであるために
殺してはいけないのですよ。
同じく特定の社会がsustainableであるために
殺すんです=アフガン戦争。
>>597 >>594 の
>@この場合は、殺人者は、よくないと判断する能力が無かったのです
> (殺される側が困ることについて、事実認識を誤っているから)
については、
殺された側がいくら困っても、「殺人者にとって悪」とはならない。
という点でまったく成り立っていないと思う。
>>586 ではそのあたりのことについて論じているはずだが?
善悪の基準は社会を持続可能にするために
生み出された価値観が淘汰されて残ったものに
すぎません。
>>605 だから、「基準」っていったい何だよ。
「残ったものにすぎ」ないのは、
「基準」なのか「善悪」なのか、どちらなの?
何度もゆーよーに
基準は当人がまにうけた単なるおもいこみです。
一人称であれ 二人称であれ
三人称であれ 第三者が観察したときに
(たとえばおおかたの日本人にとってのキリスト教)
現れます。善悪が社会の関数から独立すると考える
ことに意味ありません。
>人権については、深田三徳『現代人権論』
がよくまとまっていて便利だよ
読ませていただきます。宗教戦争を通して
うまれた人権や公共性にたいして
無感覚だから、別に殺していいじゃん
ってゆー逆転がでてくるのでしょうね。
殺す、終わり、 じゃないんですよ。
こころのこもった復讐の連鎖がやばいこと
になるって実体験したキリスト者の知恵。
まだ日本はそこまでいってないか。涙。
それでは おやすみなさいませ。
473は相変わらずだなあ(苦笑
>>573はいいね。いままであんたが書いた中でいちばん分かり易かったよ。
まーあんまり気張らず、まったりやってくれ。
けっきょく、殺人そのものというより
個人間の利益・不利益の関係が問題なんでしょ?
それは殺人にかぎらない問題だし、
殺人が本質的に問題になっているのでもない。
どうして人権が必要なの?
という問いにしたほうがよさそうに思うけど
612 :
考える名無しさん:02/04/08 01:42
主観のあいだの関係を問題にするのに
「事実認識」というのもなんか変だよなあ?
社会学的な回答の前に
哲学的な回答は木っ端微塵。
ダサっ。
数日前、レスを返すべき時期に、寝込んでしまいました。
ですが、あまりレスが付かないようだったので、このまま放置したほうがいいかなとも
考えましたが、返すことにします。
>>604(589さん)
>殺された側がいくら困っても、「殺人者にとって悪」とはならない。
「殺人者にとって悪」とはならない、というのが
@「殺人者にとって不利益」とはならない という意味であれば、
殺人者は殺したのであって、殺されたのではないから、
「殺人者にとって悪(不利益)とはならない」のは、当然です。
ですが、被害者側の不利益は現にあります。もともと被害者側の不利益しかない事例で、
加害者側の不利益を論じて加害行為を正当化することには、意義がありません。
A「殺人者が「殺人によってもたらされた結果を悪い」とは認めない」 という意味であれば
・まず、認めてないのは、殺人を悪いと認めない者(589や、601→
>>116など)であって、
「殺人者」では、ありません。
殺人を犯した者であっても、
A.被害者にとっての不利益を認め、B.そうした不利益を招く原因を作ったことについて、
「悪かった」と認めることはありえます。
・要するに、589は、
「殺された側がいくら不利益を負っても、589や、589が想定する「死の原因を作り出したことに
ついて、悪かったと認めない者」は、「殺人を悪いとは認めない」と言ってるのです。
他の解釈があるのであれば、その解釈を示してください。
>>610(Маршал Боголюбовさん)
601は
>>116の文章を書いた人ですか? それなら、私から言うことは特にないです。
ちょっと訂正です。
もともと被害者側の不利益しかない事例で→もともと被害者側の不利益が論点であるときに
脇道にそれるかもしれませんが、「人を殺してはいけない」というキマリを
どうやって知りましたか。
私個人の記憶では、ものごころついて以来、親なり教師から「人を殺しては
いけませんよ」と教え諭された記憶がありません。それは、もちろんそれがあ
まりに自明なことだからなのですが、自明過ぎて言葉にも出されないキマリが
存在することを、どうやって知ることができたのでしょうか。
619 :
考える名無しさん:02/04/12 12:04
>>616 客観的な悪を想定してる時点で
616または473の負け。
620 :
コピペでスマソ:02/04/12 12:09
心理学用語
●暗黙裡の人格理論 (implicit personality theory:あんもくりのじんかくりろん)
私たちは種々の構成体相互の関連性ないし共起性について、素朴ながらも自分なりの理論をもっている。
この理論は日常経験を通して形成されるが、それほど整合的で秩序だったものではなく、明示的に表現される
ものではないので、暗黙裡の人格理論と呼ばれる
社会的望ましさと、知的望ましさからなる2次元構造を想定
ヴェグナー&ヴァレガー
ローゼンバーグ
日本では個人的親しみやすさ・社会的望ましさ・力本性(強靭性+活動性)の三次元
構造をなすといわれている
林
心理学板で聞いた方が確かだよ。
621 :
考える名無しさん:02/04/12 12:21
>>616の主張に同意するか否かも
殺人者の選択。
622 :
考える名無しさん:02/04/12 12:38
どこまでが殺して当然/殺してならない、の境界線は
誰もがもっています。
あたかも安全圏から自分のかかわりに
自覚のない誠実さを偽善、欺瞞といいます。
チェック
サルには人権はいらない。
鯨は殺してはならない。
犬は食べてよい。
牛、豚は殺して食べてよい。
胎児は実験に使ってよい。
子供をレイプした犯人は死んでよい。
ビンラディンは死んでよい。
ヨショアは殺してよい。
ヒットラーは殺してよい。
麻原チズオは死んで当然。
植物なら殺してよい。
金のかかる植物人間、一人身のボケ老人は死んでよい。
ひとによってどこまでオッケーか分かれると思います。
あくまで個別的・ローカル的に善悪を判断するか、
自分の立ちうる全ての立場を勘案して、状況を総合的に判断するか、
この違いのように見えるな。
624 :
考える名無しさん:02/04/12 19:11
ユダヤの格言にある (自分にして欲しくないことを他人にするな。)
625 :
考える名無しさん:02/04/12 19:17
それはイエス様もおっしゃってます。
626 :
考える名無しさん:02/04/12 19:21
イエス
627 :
考える名無しさん:02/04/12 19:22
jesus 英語でジーザス。
ラテンでイエズス。
ちなみにパウロはポール
ヨハネはジョン。
>>618 ■キマリが存在することをどうやって知ることができたのでしょうか。
キマリ=明示された合意 と理解するなら、「人を殺してはいけない」というキマリを
見たことはないです。ですが、「人に殺されたくない、人を殺されたくない」という話…
殺されるのは嫌だとか、周囲が悲しむとか、周りの人間に死なれるのは耐えがたい、
という話は、数限りなく聞いたことがあります。
人を殺してはいけないというのは、被害を受けることに対する、想像力や配慮の習慣
から来る論理的な帰結です。
※618さんは、自覚しているようですが、規範的な問題を「キマリがあるかどうかの問題」
とするのは、間違いです。
なぜなら、キマリがあるかどうかは、あることをすべき/してもしなくてもよい/
すべきでない/してはいけない かどうかの問題とは、関係がない問題だからです。
(Aが困るから、こういう風に決めよう、と提案したとき、それが実際に合理的だ
としても、その提案が受け入れられるとは限りません。)
>>619 頭悪いですね…見ているこっちが恥ずかしくなります。まあ、621よりはマシですが。
被害者の不利益は「悪かどうか判定される以前に、被害者側に確実にあります」。
被害者側に確実にある事実(これが殺していいかどうかの話でしょ?)に対して、
評価を下すなら、論理的には必ず悪になるという話をしてるのです。
>>460-461 >>573 論理的に悪になるはずのところを、認めない人間がいる可能性は、当然あります。
>>623 それは違うでしょう。人の中には、自分も含まれますが「殺人が悪くないと考える者」は、
自分が殺されることも悪くないと言うんですか?
ローカルに判断した場合であっても、自分が殺される場合を考えに入れているなら、
「自分を殺してはいけない」という判断だけは、出るように思えますが。
629 :
考える名無しさん:02/04/12 19:24
エスさまは ?
うー、また訂正。いつもすみません。
>被害者側に確実にある事実(これが殺していいかどうかの話でしょ?)に対して、
>評価を下すなら、論理的には必ず悪になるという話をしてるのです。
↓
被害者側に確実にある事実に対して、評価を下すなら、
(これが殺していいかどうかの話でしょ?)論理的には必ず悪になるという話をしてるのです。
631 :
考える名無しさん:02/04/12 19:30
よくわかりませんね。
>被害者側に確実にある事実(これが殺していいかどうかの話でしょ?)に対して、
評価を下すなら、論理的には必ず悪になるという話をしてるのです。
たんに感情があるってゆう以上の意味ありませんね。
633 :
考える名無しさん:02/04/12 19:35
コミュニケーションの場ですよ。
もっと話まとめなさいよ。
書きすぎ。
635 :
考える名無しさん:02/04/12 20:05
結局社会性を持ち出すと
人は社会的だから殺人が
悪であり。同じく社会的だから
殺人が善でありうることになりますね。
636 :
考える名無しさん:02/04/12 20:18
生物学的に同じヒト科でありながら
社会的に同じでない人間とみなされた場合
殺して善いことになりますぞ。
やはり「こいつは人間である」と
ある特定の人間が
予期するテリトリー内の人間と
そこからこぼれるヒト科の生物
(300年前の未開人)では
規範がちがいます。
637 :
考える名無しさん:02/04/12 21:56
そもそも殺人を単純に常に悪と結合することが非論理的。
殺人には 悪である可能性と
善である可能性と二種類あるに決まってるでしょ。
>@行動できる可能性が無くなる
だから特定の?人称にとって善い。
>Aものすごく痛い思いをする
だから特定の?人称にとって善い。
全部ひっくり返せば終わり。
>>635 >>460-461 を読んでください。
>>636 なんで「社会的に同じでない人間とみなした側」の立場のみしか
事実としてないかのように考えるんでしょうか?
同じでないとみなされた側が、自分が殺されることを不利益だとするなら、
あなたの言い分はそれへの反論にはなりません。
>>637 >そもそも殺人を単純に常に悪と結合することが非論理的。
「単純に常に悪と結合する」ことが、被害者側の不利益に着目した場合、
まさに論理的である、と主張されたのに対して、理由を述べないで、
「単純に常に亜と結合する」ことが非論理的。と言っても、反論になりません。
殺人には、「悪である可能性と善である可能性と二種類あるに決まってる」との
ことですが、殺人が悪であったり善であったりすることは、そもそもありません。
殺人を評価する人間がいるのであって、殺人が評価そのものであるというのは、
意味不明です。
それ以降については、全部ひっくり返せば の意味がよく分かりませんが、
どうやら、「637は、殺人につきまとう被害者の不利益判断に含めない人らしい」と
確認できただけの話です。
>>638の
>>637へのレス中
なんで「社会的に同じでない人間とみなした側」の立場のみしか
事実としてないかのように考えるんでしょうか?
↓
なんで「社会的に同じでない人間とみなした側」の立場だけが
事実であるかのように前提できるんでしょうか?
640 :
考える名無しさん:02/04/12 23:01
>なんで「社会的に同じでない人間とみなした側」の立場のみしか
事実としてないかのように考えるんでしょうか?
その疑問は貴方の社会性が広すぎるからでてくる。
もちろん 胎児やブラック レッド イエロー 死刑廃止等
「同じ人間」は拡大傾向にありますが 戦争の歴史に学べば
人類ヒト科に 無制限の立場入れ替え想像力があったことなど
ありません。テリトリーの境界、区別、臨界が環境と時代
とともに変化するものです。
>同じでないとみなされた側が、自分が殺されることを不利益だとするなら、
殺される側が不利益をこうむるから悪であると思うのと同じく。
相手が不利益をこうむるから善でありうるということ。
641 :
考える名無しさん:02/04/12 23:02
>そもそも殺人を単純に常に悪と結合することが非論理的。
「単純に常に悪と結合する」ことが、被害者側の不利益に着目した場合、
まさに論理的である、と主張されたのに対して、
被害者の主観で殺人が悪であることが論理的だと主張
する貴方と同じ論理で 殺す側が主観で相手を殺して
不利益を与えるから善でありうるという主張。
642 :
考える名無しさん:02/04/12 23:04
>殺人には、「悪である可能性と善である可能性と二種類あるに決まってる」との
ことですが、殺人が悪であったり善であったりすることは、そもそもありません。
その評価する人間のことを問題にしてるの。どこまでが悪/善の
境界線は主観によって ことなる。観察者によって異なる評価を
被害者がそうおもう 「だから」 で持ってきて 論理的、と
主張する473さんを問題にしてるの。ちゃんと被害者の中では
って条件つけ てもらわないと。
>それ以降については、全部ひっくり返せば の意味がよく分かりませんが、
要するに貴方の主張の相対化です。反論ではありません。
ちなみに私は貴方の立場を理解することができます。
平均的な倫理学を使っておられますよね。
当然私は人殺しを善いなどと思ってません。逆です。
私が殺さないのは神の命令、教皇様の意向だからです。
643 :
考える名無しさん:02/04/12 23:29
きもちわるいから
血だらけになっちゃうし・・
いいんじゃない?殺しても
645 :
考える名無しさん:02/04/12 23:55
自分と同類はだめだけど。
テロリストならおっけーとか。
イスラム?で神聖な豚なら殺してだめ。
とかひとによって違う。
韓国が犬ペットころして食べるのはだめだな。
麻原はおっけー?
でも魚が血だらけでも食べちゃうし。
私って残酷?
646 :
考える名無しさん:02/04/13 01:59
殺しはヤバイってマジで・・
647 :
考える名無しさん:02/04/13 04:17
殺しはヤバイって言っても目の前で草を抜くのをヤバイとは思わない
アリをつぶすのをヤバイとは思わない
犬を殺すのをヤバイとは思わない
イスラム教徒を・・・
麻原を・・・
結局ね殺人がいけないんじゃないんだよ
自分が殺されるのが嫌なんだよ ただそれだけ
その証拠にほら自分が感情移入できないものは平気で殺すだろ?
例えばアラブ人がアメリカ人を殺すのも彼らが殺人をしていいわけではないさ
アラブ人とアメリカ人は「違う」と感情移入できてないだけだからだよ
じゃなんで感情移入すると殺せないのか
それは自分が殺される側を想像してしまうからさ
そして本人が死にたくないとと思ってるからなのさ
それもただの想像だけどね
648 :
はずかしい:02/04/13 04:28
論理じゃなく、直観でわからない奴は、ビョーキざます。
>>647さん
>>648さん
そのとーりです。何度もユーとーり
直感の限界が どこまでが「同じ」と
みなすかという予期の境界です。
この前提をすっとばして他者に配慮と すべき
と勝手に つなげて しかも論理などとゆーから
473さんはだめ。473さんと「同じ」文法使うひとは
限定されてるから。
倫理学の限界とおもわれ。
倫理という字はね
仲間内のことわり(理)という漢字を使うんだ
つまり集団内における規則を示す
じゃ何が集団と呼べるかと言うならばそれは他ならぬ判断する者が集団の一員と認めたものだけが集団に入れるわけで
それはつまり共感なわけ
でもそれは人間という集団の規定の問題であり倫理の壁ではないと思われ
善悪の定義は観念なのだから別に悪いとかは教え無くてもいいんだ
ただ殺人という行為がまかり通る事は社会という
ヒトの群れの形態の秩序を脅かしてしまう。
そのため秩序を守ろうとする法律が殺人を犯した者を裁こうとするだろう
社会を敵に回したくなければ殺人はしない事だ
一個人が一つの社会を敵に回して勝つ見込みは少ないだろうからな。
もしやるのならバレないようにしなければならない。
むしろ簡単に善悪論の妄想で押さえ込んでしまう事に問題がある
だから「なんで人を殺してはいけないんですか?」と質問する人間は
なにも考えずに「人を殺してはいけないものだ」としか暗記していない者よりは賢いように思える
少なくとも私は『考える人』の方が好きだ。
>>650さん
いいこといった!要するに共感ですよ。
それを無条件に論理などと認めるのは倫理学畑
の人間だけ。
共感を感じるものをカッコでくくって
それ以外がある。それ以外はどうなんだよって。
最初から限界あるでねーか。
それがそれが問題。
殺人者は共感感じるテリトリーが狭い。
473さんは広い。この相対的な差しかない。
おいらは倫理学畑なんだけどな・・・・
あっ ちょっと気まずいかも。
655 :
考える名無しさん:02/04/13 13:26
んー まずい ! もう いっぱい
never mind 気にしないでいこー
―――――――――――アレだ。
って言うかアレだ。悪いモノは悪いのだとか、良い事は良いんだ、と言う論調はいい加減に
止めて欲しいと言っているワケだ。「何故だ」と理由を尋ねた場合、「だってそうじゃん」とか言うのは、何でそうなのか説明できないんだから無意味だっつの。
なんで無意味かっつーと、我々の間において成される対話は全て、相手を説得しようとする試みだからだ。
判りやすく言うと、「だってそうじゃん」と言う説明は
「うん、そうだよね」と肯定される事によって初めて成立するのだ。何故成立するかと言うと、その人間同士が感覚的に似ているからだ。
だがしかし周知の通り、この世の中には色々な人がいるわけだ。自分と同じ感覚を共有していない人間がほとんどなのだ。
そこで、「だっていい事じゃん」とか言っても全く無意味。
何でかと言うと、んな事を言っても相手を説得できないからだ。
その無意味さに無自覚な人間が多数だともう笑うしか無いわけで
兎に角、僕は大爆笑だ。そんなお前等を見てると大爆笑だ。
けけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ
けけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ
けけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ
>657
>我々の間において成される対話は全て、相手を説得しようとする試みだからだ。
実はそうとは限らないんですよ
例えば異なる2者間でお互いに相手を説得しようとしますよね
そうするとたいていの場合、どちらも説得できなくて終わるのですよ
これは最初の設定が誤りなわけで
古代ギリシャでは対話はディアレクティケーと呼ばれてて
それはつまり弁証法なわけですよ
お互いが意見を持ち相互に批判し合いながらさらなる高次の結論に至る
これが対話なわけですよ
新しい思考は古い思考を批判することで産み出されるわけです
いいと思うけど もっと普通に
話ナよ。
根本的な部分では「殺人」を犯す事は自由に決定できる
もし「殺人を犯してはいけない決定的理由」が存在するのなら
人を殺傷するという行為を行う事は
物理的に不可能になってしまうという事だからだ。
だが実際物理的に人間は殺傷する事は可能である、それは
ご存知と通り実際「殺人」という現象はまかり通っている事実によって証明される。
つまりこれは「人を殺してはいけない理由」が存在しない事を意味する。
この時点で
「なぜ人を殺してはいけないんですか?」への質問の回答は
「いいえ、人を殺してはいけない理由は存在しません」になるのだ。
だから精々理由があったとしても
「殺人をしないほうが有徳である理由」
「殺人をしないほうが有益である理由」この程度の者だ
これでさえ、質問者、あるいは回答者からの一方的な
観念的定義によっては消えてしまう物である。
殺人という行為はそれほど「特別」な行為ではない
そう思い込んでいるのは単なる妄想なのだ。
>もし「殺人を犯してはいけない決定的理由」が存在するのなら
>人を殺傷するという行為を行う事は
>物理的に不可能になってしまうという事だからだ。
それだと「殺人を犯すことができない理由」ですよね
「犯してはいけない」という言葉は実は「現実には犯すことができる」という意味合いを含んでいると思われます
「重力に逆らって落下してはいけない」という言葉は成立しませんよね
では、現実にできるにも関わらず禁止されている理由とはなんなのだということでしょうね
社会学では
特定の社会がsustainableであるために
殺してはいけない
同じく特定の社会がsustainableであるために
殺すんです=アフガン戦争。
でも、その視点は全体から見たものとして通用したとしても
目の前の一人の人間にとって通用するものではありませんよね
目の前の一人の人間にとって有益である事柄とはいったい何なんでしょうね
664 :
考える名無しさん:02/04/13 13:58
>>661 禁止、規制を強いる物がなんであるかによって理由は変わる
例えば法律は「秩序を守るため」の物だ。
殺人は法律によって規制されている
ならば殺人を犯してはいけない理由は「秩序を守るため」になるはずである。
その文章を書いていて疑問になった事は
「できない理由」と「してはいけない理由」の差だった
やはりどう考えでも
「できない理由」は「してはいけない理由」のイコールではない。
そもそも「してはいけない理由」とはなんだろう?
できるのに「してはいけない」そんな理由が有り得るのだろうか。
>>663 観念的な定義、価値観によって変動する、と書いたつもりだった
解ってもらえなくてすまない。
>662、665
「特定の社会」を主語にしている時点で個人にとってのその規則の意味を分からせる状況に無いということ
>>663 それも一人の個人も教育によって
育てあげられますから
価値観を まあ すりこまれるんです。
もちろん教育の目的は豊かな人間性ウンヌンも
ありますが 国益に資する人材を調達することです。
殺す人間 殺すことを当然視するような教育はしません。
同じく国益に資するとき(大戦中)
特定のヒトを殺すことを当然視する教育をします。
「してはいけない」という規制は
誰かが誰かに向けていう言葉である
つまり理由と原因は
規制をかけた人間の意思になるはずだ。
という事は、「その人の意思を通す」ための規制なのか
殺人を規制した人間の意思を破りたい人間は
殺人を行う者は「してはいけない理由」を持たない。
670 :
考える名無しさん:02/04/13 14:10
全体論で語るとたいていその答え
個人も全体の一つ
それはよく分かっているんだけど
それを生物界の法則と説明するのと何も違いは無いと思われる
>>669さん
社会には 一人称と二人称と三人称があることを
忘れずに。
>>670さん
生物学の学問成果は自然科学を超えて
社会科学の分野では必須。
672 :
考える名無しさん:02/04/13 14:18
>>671さん
アドバイスありがとう
671 さんにプレゼント 6=7-1
>>672さん
どうも。
じゃあ コネタをひとつ。
さんぺぇです。
674 :
考える名無しさん:02/04/13 14:25
自然法則でも社会科学でも国家視点でもすべてがそう
全体の利益を守るため
んじゃなにかい?
個人が存在しているのも全体の利益を守るためなんかい?と聞いてみたい
675 :
考える名無しさん:02/04/13 14:29
全体の利益が何かってゆうのがポイント。
今回のアフガン攻撃でアメリカは
自由を守るために戦うってブッシュが
ゆってたよね。当然デモクラシーであるかぎり
全体の利益を決めるのは各個人の意思の集合だよ。
ってことで循環がある。全体対個人ではない。よ。
>>675さん
なにげにお笑い小出し板の住人って
哲学してると思うんですよねー。
哲学科ってイタイひと多いじゃないですか。
なんかキビシイなって。
678 :
考える名無しさん:02/04/13 14:41
でも仮に全体の中でも殺して全体に利益の出る人は殺して良くて
殺して全体に損失を与える人は殺してはいけない
全体の外においても然りだ
A存在てそういうものかね?
B個人の意思の集合が全体というけど個人の意思を全体に還元すんのよ
Cもういっちょデモクラシーを規定してちょ
↓ギャグ
しかし何かい?
例えば首相は自殺権が無いとか言えちゃうわけ?
679 :
考える名無しさん:02/04/13 14:42
>>677 そうそう
(三国志のことではありません)
680 :
考える名無しさん:02/04/13 14:53
デモクラシーの規定
政府には2種類ある、民主主義国家とそれ以外の国家いわゆる独裁だ
民主主義国家とは何か
それは為政者の解雇権を市民全員が持つということである
独裁とは何か
それは市民が為政者の解雇権を持たず為政者の交代のために革命を起こさねばならない状態である
>>678さん
人間の尊厳を商品のように功利的にあつかうことに
ここ30年ほど疑問が出てきたんですよね。
レイプした。だから。 死刑。
キリスト教倫理の国でどこまでいってもこの
「だから」
の使い方に対して 認めないってゆーのがでてきまして。
それは人間は神によってつくられた。
神によってつくられたものを殺すことは神対する挑戦。
人間の尊厳をそれ自体でよいものとして扱う。
何か理由があるから いいのではなくて問答無用で
大切にしなければならない。ってゆう。
おそらくこの考え方の系譜をさかのぼると
神様自身がそれ自体でよい方であられるからだと思います。私見。
旧約聖書に信者が神様貴方は誰ですかときいて
神様が I am that I am と答えられます。
これは素朴ですが根拠不要ということです。
一流会社につとめてるから私(反語としてリストラされたら私でなくなるか)
やさしいから愛してるのか(反語 やさしくなくなったら・・・・)
きれいだから愛してるのか(反語として きれいでなくなったら・・・)
ようするに 人間の尊厳は神学概念から由来して、
目的として扱うということです。
ただ社会学的には目的として扱う このこと自体たんなる取り決めに過ぎない
ということになります。
でも原理的にどこまで 汝殺すことなかれの 適用範囲
を拡大しても それをカッコにくくって それ以外は
どーなんじゃって突っ込みは入れることはできるんですね。
(たとえば日本の鯨 韓国の犬の食文化)
684 :
考える名無しさん:02/04/13 15:08
う〜ん例えばさぁ
どの組織にもどの集団にも属していない一個人がいたとしたら
その人間は一切の禁止事項を受け付けない完全に自由な存在となれるの?
>>684 それは「禁止事項」を「誰が決めるものとするか」による。
686 :
考える名無しさん:02/04/13 15:13
だってその人間はどの集団にも属していないんだよ
誰も決めようが無いよね
>>684さん
それはデカルトのコギトになっちゃう。
やはり社会がコミュニケーションで成り立っている
以上デモクラシーに合意する社会に住んでる
ってゆう事実があるから無理だとおもわれ。
少なくとも、その当人が自分自身について禁止事項は決められるだろう。
つうか、「集団に属する」といっても。
・集団のコンセサスとして所属していることになっており、当人も所属していると認識している
・集団のコンセサスとして所属していることになっているが、当人は所属していると認識していない
・集団のコンセサスとしては所属していることになっていないが、当人は所属していると認識している
・集団のコンセサスが成立しておらず、当人は所属していると認識している
・集団のコンセサスが成立しておらず、当人は所属していると認識していない
といったケースが考えられると思う。
690 :
考える名無しさん:02/04/13 15:23
結局「私」の存在は他者の存在によって規定され
その集団あってはじめて「私」でいられるから
集団の利益にそぐわないことをすることは「私」を否定することにつながる
よって他人を殺してはいけない
というところか
691 :
考える名無しさん:02/04/13 15:25
おしまい
>>689さん
それはねデモクラシーの国とは知りませんでした
とか殺人が禁止されてるとは
知りませんでした。とか。
社会性を養うために教育機関に子供を入れるような
仕組みがあるの。
>>692 「所属しているという認識」と、「所属している対象に対する理解」は
深い関係にはあるが、まったく同じものではないだろう。
つうか、議論の前提として、どれを採用するのか?
ということを聞いてるだけだが。
>>690さん
そうですね。
>集団の利益にそぐわないことをすることは「私」を否定
することにつながるよって他人を殺してはいけない
同じく集団の利益になることは「私」を肯定
することにつながるよって他人を殺さなければならない。
これが導かれてしまうところが味噌。
696 :
考える名無しさん:02/04/13 15:35
んじゃさ例えば全体の意思が集団に属する一人の人間Aを殺せというようなものだったら
Aにとっての自己とはいったいどんなものなんだろう
「集団に属する」の定義によって、全然違った結論になると思うが。
698 :
考える名無しさん:02/04/13 15:41
あー
その全体=Aが所属する集団ね
>>693>>694さん
>「所属しているという認識」と、「所属している対象に対する理解」
は深い関係にはあるが、まったく同じものではないだろう。
それが大切。理解すれども同化せず。多民族国家欧米では必須の理解。
イスラエルパレスチナはキリスト者の宗教戦争をみればなんの
新しいことありませんよね。人権の登場は自分と「同じ」で
ないものを殺すことを善しとすることがどれだけ荒廃をもたら
すのかというリアリティの認識が出発点。
>つうか、議論の前提として、どれを採用するのか?
ということを聞いてるだけだが。
同じ前提をもつことができないというリアリティに
合意することが私の目指す前提。
700 :
考える名無しさん:02/04/13 15:51
700
701 :
考える名無しさん:02/04/13 15:58
Q:どうして人を殺しちゃいけないの?
A:別に殺していけなくてはないです。
殺人をおかせば(それが明らかになった時)
特定社会から弾圧しようとする取り決めがあるだけの話。
うーん…。スレが伸びちゃいましたね。詳しいレスは、返しにくくなって
しまいました。
えーと、上の方で、私の意見に対して、「共感」という語を用いてレスつけてくれた方が
いますね。
>>650 >>652 これはいい着眼点なので、拝借してレスつけさせてもらいます。
▼
「共感されるかどうか」は、ここでは「加害者側が」被害者側の不利益を判断に含めるかどうかの
問題であって、共感されるべき事実が常にあることとは、無関係です。
私は、650さんの意見「倫理の壁ではない」を、
「倫理が守られるかどうかは、集団に依存する面が大きいが、現に主張しうる倫理自体は、
集団云々に関わり無く、倫理が問題とされる事例に対する判断として正当な主張が可能である」と
理解します。
▼
>>460-461で、私も認めている通り「人を殺した側を認める人間側から見た場合」、
「共感が現になされなければ、共感しなかった人間にとって、殺しを悪くないと評価する」は、
論理的に一貫した見方です。
ですが、「人に殺された側や、人に殺された側を擁護する側から見れば」上の考え方は、
論理的に一貫していません。
ところで、共感が現になされない側から主張する人たちは、自分が殺されるのは「悪い」と
認めるのに、それを悪いとする同じ理由が、他の人間にも共通しているにも関わらず、
同じ判断「悪い」を下しません。
これは、共感するしないの問題ではありません。論理的な判断の問題です。
現に本人にふりかかった不利益が、本人にとって悪いことを「判断できるかどうか」の話です。
共感しているかどうかの問題ではないのは、以下の例をあげればいいでしょう;
本人のつらさが分かるから、殺しをやめる(殺しは悪いことなので、やめる)かもしれませんし、
逆に、つらさを味わわせるために、復讐のために殺しを行う(殺しは悪いことなので、行う)かも
しれません。
>>699 >それが大切。理解すれども同化せず。多民族国家欧米では必須の理解。
>イスラエルパレスチナはキリスト者の宗教戦争をみればなんの
>新しいことありませんよね。
まあ、必須であるかどうかはともかくとして、そういった考え方は妥当なものであるとは思うが、
その点は私自身は現時点では論点にしてないが。(スレの論点ではあるのだろうが)
>人権の登場は自分と「同じ」で
>ないものを殺すことを善しとすることがどれだけ荒廃をもたら
>すのかというリアリティの認識が出発点。
この問題も、私に振られても困ってしまうが。
現状、私が問題にしているのは、議論の前提となる「所属」の
定義であって、それが「どのようなものでなければならないか」
には興味は無いが。
>同じ前提をもつことができないというリアリティに
>合意することが私の目指す前提。
同じ前提を持つことができないとするなら、
「誰の前提について論じるか」という前提を設定しなければ、
議論は成り立たないね。
>>701 社会学ですね。
人権への合意も社会の文法にすぎません。
補足;
>本人のつらさが分かるから、殺しをやめる
これに対応する具体的な例を想定できないかもしれないので、注釈します。
例えば、殺人が悪いと(こういう場で)明示的に主張することや、
戦争や、死刑に対して、可能な限り抑制的な見方をしたりすることを指します。
>>701 なんで「社会のある場所で、現に殺される人間」を想定して話をしない
んですかねえ。殺される、というのは、そういうことなんですけど。
あなたがイメージしているのは、裁判所の現場と報道と一般人の家庭にあるTVを
見てる自分ですね。つくづく、アホだなあという感じがします。
>>704 そういった議論は、
「いけない」という文は「社会から禁止されている」という意味である。
という前提から出発したトートロジーじゃないのか?
708 :
考える名無しさん:02/04/13 16:10
>>704 というか実際そうだろ。
殺人という現象をいくら分析したところで
それをやってはいけない理由なんて物はない。
法律しても人の価値観にしても
そういう取り決めや倫理観があるだけで
殺「殺していいですか?」
被「だめです、なぜなら法律があるからです」
殺「えー?なんで私が法律なんて守らなきゃいけないんですかー
めんどくさーい、別に犯罪者になってもいいしー」
被「え・・?そうですね、別に犯罪者になってもいいなら・・
そもそも仮に犯罪者になりたくなくても・・・・でも私は殺されたくないです」
殺「でもでも私は殺したいんですー死ねー」
被「ぎゃー」
ってな、こんなもんだろ。
709 :
考える名無しさん:02/04/13 16:12
>>706 ん?TVだろうと実際だろうと人が人を殺す、人が人に殺される
この殺人という現象になんの違いが有るんだ?
殺人は殺人だ。
殺人をやってはいけない理由はないだろう?
>>702さん
倫理学の限界は 「同じ」であるかどうか。
立場入れ替え想像力は雨のなかの細菌に及びません。
細菌が「痛がるから」と思わないのと同じレベルの話が
人間ヒト科でおきているにすぎません。
712 :
考える名無しさん:02/04/13 16:13
やってはいけない理由があるからやってはいけないのではないですかねぇ
>>708 というか、
単純に、「ある事柄を分析した結果」として「いけない」という結論がでることなんてあるのか?
被「だめです、なぜなら法律があるからです」
あーーーははははは!!!
殺「でもでも私は殺したいんですー死ねー」
被「ぎゃー」
なんですか、コレ?
715 :
考える名無しさん:02/04/13 16:15
>>710 なんだ煽りたいだけか?それとも
「殺してはいけない理由」なんてものがあるとでも思っているのか?
>>712 ではその前にやってはいけない理由を述べる必要があるぞ
716 :
考える名無しさん:02/04/13 16:16
>>714 殺人をしてはいけない理由の無さを
ここをROMって見ている諸君にもわかるようにやってみせたつもりだが
717 :
考える名無しさん:02/04/13 16:17
>ではその前にやってはいけない理由を述べる必要があるぞ
例えば前回の結論からだと
自分を否定することになるからというものだったが
やってはいけない理由とやることができる現実は矛盾しないだろ
718 :
考える名無しさん:02/04/13 16:17
>>713 でないだろうな、つまり「〜をしていけない」なんて事はありえない。
>>711 痛がるからと思わないかもしれませんが、痛い奴は絶対にいるし、
その理由は痛がることに共感するかしないかとは関係なくできるだろうと
言ってるんですがね・・・
何回言えば、きちんと読んでくれるんですか。
>>716 自分が殺されるときに、法律があるから殺すななんていう寝言を言う人がいますか?
あなたの想像力の無さを笑ってるんですよ!
721 :
考える名無しさん:02/04/13 16:20
>>717 ん?なにを言っているんだ?
ああそれは確かに矛盾しないだろうな。
だが実際に殺人を起こす事はできるわけだが
ここのテーマはその実際に出来る事に対して「やってはいけない!」と言い
その「やってはいけない!」に対して「なぜ?」を問うている物だろう。
ここの「なぜ?」で回答されるのは
「やってはいけない!」の理由で然るべきだろう?
719訂正します・・・その理由は→その判断は です。
723 :
考える名無しさん:02/04/13 16:21
>721
だから殺人を犯した者自身が自己を否定することになるから
という理由を出したが
724 :
考える名無しさん:02/04/13 16:22
>>720 実際に大量に殺された人間が居るのだから一人くらいはいるんじゃないか?
それともあらゆる場合において居ないと断言できる根拠でもあるのか?
>>724 もし言った人が言ったのだとしたら、
「殺されるのが、とにかく、むちゃくちゃ、とてつもなく、極めていやだから」
「理由を口走ってる」んでしょ?
そのときに法律で「殺人罪が決められている」から「自分を殺してはいけない」と
考えているのではないでしょうが? 本当にバカなのですか、あなたは。
726 :
考える名無しさん:02/04/13 16:28
>>723 すまいな、お前が何を言っているか解らないので
私の言っている事の再確認のためにいうが。
私は別に「やってはいけない」事と「できない」事をイコールではつなげていないぞ。
ここのテーマは殺人という「実際に実行できる行動」に対して
「それをやってはいけない」と誰かが言う
それに対して「なぜ?」を問い掛ける物から始まるんだろう?
つまり
「実際に実行できる行動」を「やってはいけない!」と断言する理由だ。
仮にその場面が何かしらの形で自己を否定する事だったとしてだ
なぜ自己を否定してはいけないのだ?
自己否定はなぜしていはいけない?そんな理由は存在するのか?
>>718 なるほど。
この世の中には、してはいけないことは何もなくて、
殺人もそのうちの一つに過ぎないと、あなたは主張するわけだね。
そうするとあなたは、何かしたいと思ったときに、我慢するということは、
まったくないのかね?欲求を感じたら即座に実行に移すかね?
728 :
考える名無しさん:02/04/13 16:30
>726
自己を否定することを許したら
その殺人犯が殺人をこれから起こそうとする行為も否定することになるから
729 :
考える名無しさん:02/04/13 16:32
>>725 ああ、そこらへんは傍から見て
平明的にバカげた事のように書いたつもりだったんだすまないな
殺人をやってはいけない理由を探す事が同じ位バカばけた事に見えた物だからな。
「してはいけない」は、判断であって、「してはいけないこと」ではないですよ。
それがなされたら困るから、「こと」を「してはいけない」と判断する・した
「こと」です。
現に困るとしても、関係なく行動する・される人間はいます。
困るとかどうとか、そもそも問題にしてない人間もいます。
わかってても主張しない人間もいます。
731 :
考える名無しさん:02/04/13 16:35
>>727 ああ「この世にしてはいけない」事は何一つも無いと主張する。
だが私は自分の利益を、幸福を考える人間なんだ
もし仮に殺したい奴が居ても殺したせいで
自分が殺人罪に問われるような事にはなりたくない。
私はそれを自分の幸福だと認識する価値観を持っていない。
だから殺さない、どうだ?この判断は正しいだろう?
732 :
考える名無しさん:02/04/13 16:37
>>730 判断できるという事はつまりその事において自由だという事だ
つまり殺すか、殺さないか、それを判断する事において自由だという事だ。
やはり殺してはいけない理由はないな。
>>731 その判断は殺人を「いけない」と判断していることにはならないのか?
ならないとしたら、
「殺人はいけない」という文と、あなたの下した判断の違いはどこにあるの?
734 :
考える名無しさん:02/04/13 16:39
>731
もしあなたが自分の利益を最優先に考えるのであったら
なぜ独裁者になって世界を手に入れようとは思わないのですか?
>>731-732 今度はキチガイですか・・・
殺してはいけない理由を無視してるだけでしょうが・・・
736 :
考える名無しさん:02/04/13 16:44
>>733 つまりこれは私はこういう価値観を持っていて
自分が殺人罪に問われるのを恐れるという
前提が会って初めて成り立つ話だからだ。
このスレッドのテーマは「なぜ人を殺してはいけないか?」にある
つまり殺人を犯すことはなぜいけないのか?
人がなぜ人を殺してはいけないのか?
人間が人間をなぜ殺してはいけないのか?根幹としてのその理由は無い。
737 :
考える名無しさん:02/04/13 16:46
>>735 だからその殺してはいけない理由とやらを述べろ。
738 :
考える名無しさん:02/04/13 16:46
>>736 あなたが「理由が無い」と発言している=
全ての人が「理由が無い」と発言しているわけではない
あなたが「理由が無い」と発言している=
ある人にとって「理由を出すもととなる不利益が無くなる」わけではない
ところで、共感が現になされない側から主張する人たちは、自分が殺されるのは「悪い」と
認めるのに、それを悪いとする同じ理由が、他の人間にも共通しているにも関わらず、
同じ判断「悪い」を下しません。
これは、共感するしないの問題ではありません。論理的な判断の問題です。
現に本人にふりかかった不利益が、本人にとって悪いことを「判断できるかどうか」の話です。
だから社会的に同じでないから判断がわかれるんですよ。
同じもの同士が 自分が殺されるのは「悪い」と互いに認めるのは論理的です。
同じでないものは同じ論理が通用しません。
741 :
考える名無しさん:02/04/13 16:49
>>739 だからなんだ?それが「殺してはいけない理由」になるのか?
仮にそうだな、私のような人間の価値観が普遍的全体であったとしてもだ
私が恐れる、幸福を求める。だがそれがなぜ?殺してはいけない理由になるのだろう?
>>737 ある人が殺された場合、痛い・行動可能性を奪われる、からです。
それを「殺した人・関係ない人・近親者など、それぞれが」無視するかしないか
という事実と、現に「殺された人が」負わされる事実は、常に
並立して世界の中にあります。
それらについて、判断を下すなら、殺された側にとって悪いと言える理由は
常に存在します。(殺した側にとってよいと言える理由は、あるとは限りません。
例:過失殺)
743 :
考える名無しさん:02/04/13 16:52
>>742 なんで相手の行動を奪ってはいけないのだ?
なんで相手を痛めつけてはいけないのだ?
殺された側にとって悪い事をなぜしてはいけないのだ?その理由は?
>>736 〜
>前提が会って初めて成り立つ話だからだ。
前提さえあれば、「いけない」は成り立つってことじゃないの?
>このスレッドのテーマは「なぜ人を殺してはいけないか?」にある
〜
>人間が人間をなぜ殺してはいけないのか?根幹としてのその理由は無い。
このスレでは「前提無しに」というという前提は設けていないが、
前提を示しているわけではない。
「いけない」が「どのような場合であっても成立しない」というものであるのならば、
議論すること自体無意味だ。
「前提があるなら成り立つ」
というものであるのなら、前提が示されないのなら議論のしようがない。
745 :
考える名無しさん:02/04/13 16:55
相手を苦痛を味あわせて殺したとして
それをなぜやってはいけない?
相手がうらむ?
私はうらまれるのが大好きだ恨め恨め好きなだけ恨め気持ちいいよ!
私が自分の幸福を求める事がいけない理由でもあるのかな?
なに?相手が私を悪だという?それが私の求めるところだ!
746 :
考える名無しさん:02/04/13 16:57
>745
あなたの行為は非論理的であると言えば
それはあなたの望むところなのですか?
>>740 >自分が殺されるのは「悪い」と互いに認めるのは
自分が殺されるのが悪いことを認め合うという風には書いていません。
自分について言える理由が、他の人間についてもあてはまる、と書いてます。
そのことを実質的に示す最後の例に一切ふれないのは、なぜですか?
共感しているかどうかの問題ではないのは、以下の例をあげればいいでしょう;
本人のつらさが分かるから、殺しをやめる(殺しは悪いことなので、やめる)かもしれませんし、
逆に、つらさを味わわせるために、復讐のために殺しを行う(殺しは悪いことなので、行う)かも
しれません。
748 :
考える名無しさん:02/04/13 16:58
>>744 私はそれを言いに来た
「〜してはいけない」などという物は単なる妄想にすぎない
誰であれ「〜いけない」と考える時点でその事において自由なのだ。
つまりできるしそれを実行することを「いけない」などと誰が言おうと思おうと
それをやめなければならない理由などない。
逆にいえば、前提が無いなら、「いけなくない」という主張自体も無意味だが。
「いけないかどうか」という論点は、同じ前提のもとで初めて成り立つのであって、
前提が違えば結論が異なるのはあたりまえだ。
>つまりできるしそれを実行することを「いけない」などと誰が言おうと思おうと
>それをやめなければならない理由などない。
あなたが単に理由を強制力あるものと前提して考えているから、そういう
バカな結論になるんですよ。
殺されたくない人にとっては、殺されないように強制力を振るうことが
できなくとも、殺されたくない理由はあるでしょうが。
あなたは、その理由を無視すると言ってるだけです。
751 :
考える名無しさん:02/04/13 17:03
>>749 いけない理由がない事がいけなくないという
理由だ肯定されるべき現象だ。
そもそも一つのことがらに良し悪しをつけようというのが妄想だ。
752 :
考える名無しさん:02/04/13 17:04
>>750 殺されたくない理由がなぜやってはいけない理由なのだ?
いくら相手が殺されたくないと望んでも
なぜ殺すのを止めなければならない?
>>748 >「〜してはいけない」などという物は単なる妄想にすぎない
なぜ?前提さえあれば、あなたさえ「してはいけない」という判断を下しているじゃないか。
>誰であれ「〜いけない」と考える時点でその事において自由なのだ。
意味不明だ。
>つまりできるしそれを実行することを「いけない」などと誰が言おうと思おうと
>それをやめなければならない理由などない。
しかし、あなた自身は自分が「いけない」と判断したら、それをしないのだろう?
754 :
考える名無しさん:02/04/13 17:07
>>753 つまりそれは一つ状況が違えば殺してもいいという事になるからだ
今度から私は殺したい奴は躊躇無く殺すことにしよう。
殺人罪となり投獄されるのが私の美徳だ
どうだ?私に殺してはいけない理由などあるのかな?
755 :
考える名無しさん:02/04/13 17:08
後からおもいついたが殺人罪になりさいしなければ
前の私の価値観でも殺人はできてしまうではないか
それでも殺人はやってはいけない理由になるのかな?
「自分は幸福になりたい」という当人の希望という前提があって、
「幸福」というものの定義を共有できているのならば、
だれが判断しようと、「いけない」という判断はできると思うし、
当人がそれを受け入れる根拠も充分あると思うが。
「死にたくない」と思う人に、「野生のトラに近づいてはいけない」ということは、
誰が言おうと充分な根拠があるだろう。
もちろん、「死にたくない」という前提が無ければ、「野生のトラに近づいてはいけない」の
妥当性も無くなるわけだが、それは当然だろう。
>>752 なんなんだ…
殺すのを止めることに関して、強制力が働くかどうかは、それに理由があるか
どうかとは関係が無い。
止めなければならないのは、止めるべき理由に納得する・したか、
理由などはっきりとわからないが、感覚的にやることにためらいを感じたか、
そんなことをそもそも考えずにいるかのいずれか。
(これは止めなければならない理由を論理的に導ける事実=被害者の不利益
が、あるかどうかとは全く関係のない話)
もともと、
@殺す殺さないなど、ほとんどの人間は問題になどしてはいない
Aもし殺すのがいけない理由があるとすれば、それは殺されたくない理由を
認めることにある、と言ってるんです。
殺されたくない理由自体は、現にそれとして納得できるものとしてあります。
あなたに降りかかるかどうかを条件として考えるのは、
「端から殺された人がが殺されたことについて考えていない」のです。
だから、そういう考え方をすれば、悪いといえないのは、当たり前です。
>>754 >つまりそれは一つ状況が違えば殺してもいいという事になるからだ
>今度から私は殺したい奴は躊躇無く殺すことにしよう。
それは逆に状況が変わらないならば、殺してはいけないままであるということだろう?
殺していいという状況が「ある可能性があるから」現在の状況と無関係に、
躊躇無く殺すというのは合理的な判断とは思えないが。
>殺人罪となり投獄されるのが私の美徳だ
>
>どうだ?私に殺してはいけない理由などあるのかな?
殺人罪となり投獄されるのがあなたの幸福なのか?
幸福があなたの価値観ではないの?
それとも別の人?
759 :
考える名無しさん:02/04/13 17:14
さっきからもう気付いているが価値観の共有しない場での
こいった話は一切が無意味だ。
そもそも「やってはいけない」という状態はいかなる物なのだろう?
実行者が自主規制をしなければならないという状態なのだろうか?
それとも非難される常態か?
個人の情緒や価値観、環境とこういった状況が定義され尽くされた状態で初めて
こうった話が一つの結論を出す事が出来るだろう
だがそれは限定に限定された一つのケースでしかないのだ
仮にそこで「然り」「否」どちらかの結論がでたとして他のケースへの意義は持っていない。
>>759 「話」が「一切が無意味」
そもそも「話」の「話」などしてないよ。
被害者が殺されたくない理由があっても
加害者が殺したい理由とまったく相対的。
社会的に同じでない以上配慮する必要がない。
したがって意味なし。
>>759 >そもそも「やってはいけない」という状態はいかなる物なのだろう?
あなた自身の発言を読む限り、
前提として、ある目的があって、その目的に反するということじゃないのか?
763 :
考える名無しさん:02/04/13 17:19
だいたい人の人生はあくまでその人のものであって自分のものじゃない。
なのになぜそれを自分が奪う権利があろう?
764 :
考える名無しさん:02/04/13 17:20
>>760 何が言いたいのか解らない。
とりあえずお前のレスだが
「実行者が自主規制をしなければならない」のがしてはいけないだとして
相手がいくら死ぬのを嫌がったとしてなぜそれが自主規制をする理由になるのだ。
765 :
考える名無しさん:02/04/13 17:22
>>763 権利なんぞなくても奪える、それを決める事が出来る。
権利がなくちゃ駄目!とかいっても奪える。
もちろん、「死にたくない」、「幸福になりたい」といった、
「前提」には根拠はないわけだが、
そういった「前提」を設定した上での「いけない」については、
価値観に関係なく普遍的にいえることだろう。
(というか、前提が価値観を特定しまうわけだが)
767 :
考える名無しさん:02/04/13 17:22
>>762 悪いな、どちらかといえば
実行者が強制的な自主規制をしなければならないという状態だと思っている。
>>761 いい加減にしてくれないですかね。
殺す側が、「人間一般を」殺したいと思って殺してる場合は、
ほとんど無いんですよ。
過失殺の場合、被害者を殺したいとは言っていないし、
故意殺の多くをしめる私怨の場合でも、殺したいんじゃなくて、
あいつが自分に対してろくでもないことをするから、殺すのは悪いことだが
殺したんだ、としか言ってないんですよ。
よしんば怨んでいるから死んで当然、と言った場合でも、
他の人を殺してよいとは言いません。
適当なことを無責任に発言するのはやめろ
>>765 実行の可能性と実行の妥当性は別のものだろう。
どんな愚かな行為で実行することは可能だ。
>>767 >実行者が強制的な自主規制をしなければならないという状態だと思っている。
なぜ自己規制しなければならないんだ?
771 :
考える名無しさん:02/04/13 17:25
>>768 なんだつまりお前は「殺してはいけない理由」を結局提出できないわけだ
つまり少なくとも私とお前との間には殺してはいけない理由がないわけだ。
>>771 あなたが、単に殺してはいけない理由を無視しているだけだ、といってるんですが。
戦争の歴史は自衛の歴史です。
アフガンもイスラエルパレスチナも
自衛と主張します。
貴方の言う「最大限の努力」とか「しょうがない」
を使うわけです。
774 :
考える名無しさん:02/04/13 17:28
>>770 それが「〜してはいけない」の状態だと私が認識したからだ
そういう定義を一応は着けて置けないとこれ以上会話を進められないと思ったからだ
そこで私はお前がいま思っているように
「無条件で『殺人』を自主規制しなければいけない理由はない」と判断したため
ここにで「殺人をしてはいけない理由はない」と発言しに来たのだ。
何か私とお前との間には混乱は発生しているようなので整理しておく。
>>771 殺してはいけない理由が「どこかに」あるかどうかと、
殺してはいけない理由を元に、行動を強制可能かとを混同して
「どこかにある」殺してはいけない理由が「全く無い」かのように
表現するのはやめてくれ
776 :
考える名無しさん:02/04/13 17:31
>>772 だからなんで「殺してはいけない(自主規制しなければいけない)理由」が
相手が「殺されたくないから(殺されたくない理由)」なんだと言っているのだ
そもそも無視できるような時点で
「殺してはいけない 理由 」になってないだろう。
>>773 他者が殺されることを、厳格に避けていると言えるかどうかは、
議論の余地がある話ですし、ここのスレッドのテーマとは無関係です。
自衛がどうこうとか言うのと、現に行われる殺人、それによって
ふりかかる不利益とは関係がありません。
>>774 >それが「〜してはいけない」の状態だと私が認識したからだ
>そういう定義を一応は着けて置けないとこれ以上会話を進められないと思ったからだ
なるほど。
>そこで私はお前がいま思っているように
〜
>何か私とお前との間には混乱は発生しているようなので整理しておく。
私は、「無条件で『殺人』を自主規制しなければいけない理由はない」
というより、
「無条件とするなら、自主規制しなければいけないかどうかという論点は成立しない」
と考えるが。
779 :
考える名無しさん:02/04/13 17:34
>そもそも無視できるような時点で
>「殺してはいけない 理由 」になってないだろう。
理由に強制力があってたまるかい!
無いから理由なんだろ
>>776 理由は、常に殺される側と、殺される側の不利益を判断できる人間にとってある、
といってるでしょう。殺す側も、殺される側の不利益を判断している場合が
多くあることは、768に書いたとおり。
あなたが単に「殺されると困る理由を」認めない、と言ってるだけ。
(認めないと、殺しが起こるのではない)
>>779 自主規制とするなら、強制力の根源は、当人の欲求だね。
当人の欲求に反するという理由が正しく当人に理解されたとき、
その欲求によって強制力が生じるということだと思うが。
782 :
考える名無しさん:02/04/13 17:40
何かをしてはいけない理由があってそれが有無をいわさずそれを強制させるものであったとしたら
それはもうしてはいけない理由ではないよ
「なんで死んでいる瞬間に生きてはならないのですか?」と同じくらい無意味
だから、前提を決めないなら無意味だって。
784 :
考える名無しさん:02/04/13 17:44
>>780 ああ、段々核心に迫ってきた匂いだな少しは意見が汲み取れる
つまり私とお前との決定的な差はそこだ
お前は
「相手がころされたくない理由」
「不利益をこうむるのを拒絶する理由」が加害者側に内在すると考える。
確かにこれは然りだと言える状況があるだろう。
だがそれは
加害者側が「殺人をするか、否か」を決定する上で
感知される事だろうか?
つまり「殺人を自主規制に至る理由」としてだ。
仮に殺されたくないというのを感知しそれを
決定の理由にする人間にとっては
殺人の判断に対しての「自主規制をする理由」になるだろう。
だが私はそれを感知しないと考える
今正に人が人を殺すとき、相手の恐怖がなんだろう?
相手の殺されたくない理由など
自分が相手をころしてはいけない理由になどなりはしない、と私は考える。
だが私もお前も結局は架空の人物の殺人劇であり
こういった過程を全て定義した上でしか話せないのは虚しい事だ。
>>783 それは、「今この場で」議論が成立するかの話でしょう?
実際には、前提が世間のそこかしこで観察されるじゃないですか…
そもそも議論していること自体生きてることを前提にして行ってるんですが。
それでいて、「人間を殺すことを悪い」とは考えないとか言ってる時点で、もう…、
アホかと、バカかと。
786 :
考える名無しさん:02/04/13 17:49
>>785 だから善悪論ほど無意味な物はない
善悪はそれだと認識するお前や私が居て初めてある物で
殺人という現象の中に潜在している物ではない。
>>774 私は、「実行者が強制的な自主規制をしなければならないという状態」というのは、
「実行者が強制的な自主規制をすべき状態」と理解したが。
だから、
「実行者が強制的な自主規制をしなければならないという状態」であるからといって、
必ずしも「実行者が強制的な自主規制をする」とは限らないと思うが。
だから、「実行者が強制的な自主規制をしない可能性」がいくらあっても、
「実行者が強制的な自主規制をしなければならないという状態」で無いとはいえないと思う。
788 :
考える名無しさん:02/04/13 17:53
>>787 そうだな、やはり私のソレの定義はオカシイ物があるな
自分で言うのもナンだが。
「やってはいけない」状態の定義というのは随分怪しい物だ。
無意味なレッテル貼りのようにすら思える。
>>785 >それは、「今この場で」議論が成立するかの話でしょう?
>実際には、前提が世間のそこかしこで観察されるじゃないですか…
だから、それらのうちどれをここでの前提として採用するかが明確でないといっているのだが?
>そもそも議論していること自体生きてることを前提にして行ってるんですが。
「生きている」という事実が、この議論においてなんらかの前提たりうるのか?
>それでいて、「人間を殺すことを悪い」とは考えないとか言ってる時点で、もう…、
>アホかと、バカかと。
「「人間を殺すことを悪い」とは考えない」といった覚えはないが。
私の言っているのは、「悪いかどうかという論点が成立し得ない」
ということだ。
>>784 そもそも被害者側の事情が感知されれば、殺人は行われていないですよ。
あと、殺人について意見するときに「理由」はかんがえられるのであって
「殺人をしそうなとき」には、殺人以外の事情(例えば、車にのってるなら、
自分のドライビングテクニックを彼女に見せびらかそうとしてるとか、
相手が自分にしてきた様々な悪事を思い浮かべて怒ってるとかですね)で
頭がいっぱいであるに、違いないでしょう。
>つまり「殺人を自主規制に至る理由」としてだ。
でも、理由が殺人を躊躇させることはない、とはいえませんよ。
さっきも書いたとおり、躊躇させた場合は、殺人は行われていないのです。
理由によっても止めることが無かった場合に、殺人は行われるんですよ?
>だが私もお前も結局は架空の人物の殺人劇であり
>こういった過程を全て定義した上でしか話せないのは虚しい事だ。
私は「平和そのもの」だと思いますが。
791 :
考える名無しさん:02/04/13 17:59
そもそも人が「やってはいけない」と誰かに規制を強いるとき
あるいは誰かが主張したときそれはどんな時なのだろう。
私はそれが自分の価値観の押し付けだと考える
つまり「やってはいけない」という形で揶揄しているのだ
実行者を。
そもそも実際に実行できる事に対して
決定者でもない人間が「やってはいけない」と言うのは
単なる命令でしかないじゃないか。
その理由がなんであれ「やる」か「やらない」かは結局
実行し決定する人間だろう。
>>790 >そもそも被害者側の事情が感知されれば、殺人は行われていないですよ。
怨恨によって相手に苦しみを与える目的で行われる殺人は起き得ないと?
>>791 >私はそれが自分の価値観の押し付けだと考える
それは単に、主張する人間と、聞く人間の前提が違うという問題であって、
「いけないかどうか」以前の問題だと思う。
>>785 >>それは、「今この場で」議論が成立するかの話でしょう?
>>実際には、前提が世間のそこかしこで観察されるじゃないですか…
>だから、それらのうちどれをここでの前提として採用するかが明確でないといっているのだが?
だから、殺される側の立場に立って考える人間が多いという点を論証してるじゃないですか…
>>そもそも議論していること自体生きてることを前提にして行ってるんですが。
>「生きている」という事実が、この議論においてなんらかの前提たりうるのか?
議論の前提にはなりませんけど、議論していることの事実上の前提ではあるでしょう…(^ ^;;
>>それでいて、「人間を殺すことを悪い」とは考えないとか言ってる時点で、もう…、
>>アホかと、バカかと。
>「「人間を殺すことを悪い」とは考えない」といった覚えはないが。
>私の言っているのは、「悪いかどうかという論点が成立し得ない」
>ということだ。
うーん、今レスを見返したんですが…。確かにあなたは言っていないようです。
ただ、
>
>>604 >殺された側がいくら困っても、「殺人者にとって悪」とはならない。
殺人者が必ず殺人について肯定的な評価を下していると読める文があるのと、
「それをくつがえせない」という点をことさらに強調しすぎだと考えます。
794 :
考える名無しさん:02/04/13 18:06
ん?何か違うな。
この「やってはいけない」というのは
自分に対しても釘を刺す物だ。
だがそもそもそんな物で「やってはいけない」と自主規制している時点で
その人物像は前提が完成されているし限定されたケースになってしまう。
「どうして人を殺しちゃいけないの?」
「いけないかどうかは決まっていないが殺す事を決めるのはお前だ」とでも言うのか。
795 :
考える名無しさん:02/04/13 18:09
私にとって「人を殺してはいけない。なぜならそんなこと認めたら、私が殺されるかもしれないから」というのが理由です
>そもそも被害者側の事情が感知されれば、殺人は行われていないですよ。
素朴なヒューマニストですね。
戦争や拷問や略奪の歴史をみればそんなノー天気なこと
いってられないでしょ。
>
>>790 >>そもそも被害者側の事情が感知されれば、殺人は行われていないですよ。
>怨恨によって相手に苦しみを与える目的で行われる殺人は起き得ないと?
被害者側の事情=被害者側の不利益に対する「悪い」という評価のことです。
文脈を追っていればそう読めるはずですが、そこだけ読むと589さんのように
理解するのが素直になってますね。どうもすみません。
799 :
考える名無しさん:02/04/13 18:12
↑激しくうんうん。
800 :
考える名無しさん:02/04/13 18:12
>「どうして人を殺しちゃいけないの?」
>「いけないかどうかは決まっていないが殺す事を決めるのはお前だ」とでも言うのか
これって正解じゃないの?
801 :
考える名無しさん:02/04/13 18:13
802 :
考える名無しさん:02/04/13 18:13
>>795 いやそれは理由にはならいぞ
なぜならそんな事を認めなくても
貴方は実際に殺害される可能性を持っている。
人間が人間を殺す事が出来る限り、誰であれ
殺されるかもしれない。
803 :
考える名無しさん:02/04/13 18:13
>>800 私は大真面目だ、いつも正解をいうつもりでいっているが。
804 :
考える名無しさん:02/04/13 18:15
>>795,802
一応気休めにはなるんじゃないの?
>>793 >だから、殺される側の立場に立って考える人間が多いという点を論証してるじゃないですか…
「多い」というのは論証するものなのか?私は数えるものだと理解していたが。
そもそも、ここでは、「そういう意見が多いかどうか」を論じているのか?
>議論の前提にはなりませんけど、議論していることの事実上の前提ではあるでしょう…(^ ^;;
そりゃあたりまえだが、このスレに限った話じゃないと思うが。
>「それをくつがえせない」という点をことさらに強調しすぎだと考えます。
強調もなにも、論理的な事実を指摘しただけだが。
そもそも、「必ず「殺人者にとって悪」」であるとさえいっていないよ。
「殺人者にとって悪」と結論するのに、
「殺されたの被害」のみでは論拠たりえないといっているだけだ。
806 :
考える名無しさん:02/04/13 18:16
>>804 さっきから一時間以上ここに関わっているような気がする
今更気休めで終わらされて溜まるか。
>>804 実際に「故意に」殺す殺されるという問題が大きくもないのに、ことさらに
多く見せている点が非常に問題です。
あと、自分が殺す気が無くても、自動車で轢いて人を殺す可能性が
あるという自覚を(殺す殺さないの問題なのに)持てないのも
問題です。
808 :
考える名無しさん:02/04/13 18:17
>>803 >「どうして人を殺しちゃいけないの?」
>「いけないかどうかは決まっていないが殺す事を決めるのはお前だ」
いやこの部分の事
>だから、殺される側の立場に立って考える人間が多いという点を論証してるじゃないですか…
ナチスにもイスラエルにもパレスチナにも
イラクにもアメリカにも戦時中の日本にも
そんなひとたくさんいます。
どうして特定の人間には通用して
特定の人間には通用しないのかが問題。
>>797 >被害者側の事情=被害者側の不利益に対する「悪い」という評価のことです。
それを知っていても、殺人を思いとどまる動機には普通ならないと思うが。
というか、そもそも、
「当人がどのように行動するか」ということは、
この場合「いけないかどうか」と直接関係無いと思うが。
811 :
考える名無しさん:02/04/13 18:20
>>806 所詮、理由が分かっても止められるかどうかは貴方の問題じゃないよ
812 :
考える名無しさん:02/04/13 18:20
>>807 その時点で私の言う前提から外れている。
少なくとも私は「特定の相手を殺す」
殺人の意図を持って殺人する事について話していた。
さっきからその辺のブレは感じていたが
「して人を殺しちゃいけないの?」 という質問は殺す意図を持って殺人を犯す事を前提にしているように思えたからだ。
>>808 だから正解だと思っているのだが
何か認めない人間がいるのでずーっとこんな事をやっているのだ。
814 :
考える名無しさん:02/04/13 18:23
815 :
考える名無しさん:02/04/13 18:24
>>814 絶望してもしょうがないと思うのは私だけか
816 :
考える名無しさん:02/04/13 18:30
殺す意図を持って殺人を行う事を前提にしたとして
殺人を行うか否かは結局その人の自己が決定する事だ
いくら相手が殺される事を恐れ、それを拒絶したとしたとして
結局実行に移すか、否かはその人の自己が決定するのだ。
もしその感情を感知して引く人間には理由になるだろうが
感知しない人間、感知しても引かない事を決定する人間にとっては
殺人を自主規制する理由にはなりえない。
前にも同じ事書いたがもう一回書いておく
>>805 >「多い」の論証
事実をあげることで、ある程度の数を見込めると論証することはできるでしょう。
>議論してることの事実上の前提 このスレッドに限った話じゃない
反論になってないじゃないですか。
議論で殺してよいと主張するなら、他の人は直ちに自分を殺してよいと
認めることになりますよ? そんなバカな議論がありますか?
>「それをくつがえせない」〜
なんか複雑に間違ってるので、対応に困るんですけど・・・
えーと「まず殺人者にとって悪」が「殺人者にとっての不利益」、の意味なら、
これはそもそも不利益になることが生じてないですから、当然です。
「殺人者が被害者にとっての不利益=悪いという評価」を認める、という意味であれば、
覆せないとか言う以前に、そもそも殺人者も殺すことが悪いと理解している場合が多いと
述べています。
被害のみで論拠足りえるとは言っていません。被害は必ずあり、それに対して
評価を下すなら、悪いという評価が必ず下される、です…つかれた
>>816 >もしその感情を感知して引く人間には理由になるだろうが
・・・理由になることを認めてるじゃないですか。
>>816 >感知しない人間、感知しても引かない事を決定する人間にとっては
これは理由を無視したか、他の利益なり理由なり感情なりをとって、
悪いことを実行した場合でしょう?
殺人に関わるのは、加害者と被害者ですが、なぜ被害者側にとってある理由は
無視され、加害者側が被害者側の理由を無視しただけである事実は
無視されないんでしょうか?
820 :
考える名無しさん:02/04/13 18:38
>>817 よくわからないがなんで私(805じゃないぞ)を殺してはいけないんだ?
私を殺してはいけない!と主張しようが
私を殺してもいい!と主張しようが
どのみち人間は人間を殺す事ができるし殺される事も出来る
まあそれは置いておいてだ。
仮に私が殺されそうになり恐怖を覚えたとしても
それがなぜ私を殺してはいけない理由になるんだ?
821 :
考える名無しさん:02/04/13 18:40
>>812 >「どうして人を殺しちゃいけないの?」 という質問は殺す意図を持って
>殺人を犯す事を前提にしているように思えたからだ。
殺すこと自体につきまとうデメリットは、ほとんど被害者側の事情にあるのですから、
現に殺した(被害者側の利益を、理由はどうあれ無視した)人間だけをだしに
殺人がいけないかどうかを語れば、その殺人者にとって殺人がいけないという
理由は無いという方向に偏り勝ちになるのは当然だと思いますが。
そもそも普通の人間が、殺してはいけないという理由としてどんなことを
考えるか、ニュースで殺された人についての報道がなされるが、
それについてどう考えるとよいのか、という問であっても、何等おかしな
ことはないと思います。
823 :
考える名無しさん:02/04/13 18:41
>>818-819 ああ、別に全面否定はしない
つまり実行へ移す事の判断の自由を主張したのだ。
仮に誰がどういおうと人を殺そうと生かそうと、実行者が決める事だ。
ソレに対してソレが「やっていい」のか「やってはいけない」のか
それを言った所で実行者以外に決定する術をもたない、という事が言いたいのだ。
>>820 現にあなたが嫌がっているだけで、理由があるかどうかへの答えとしては十分です。
私が理由に同意しなくても、理由はあるでしょう…
825 :
考える名無しさん:02/04/13 18:42
820のやってることはただの言葉遊び
紙に書くだけならいくらでも人を殺すことは自由だよ
>>817 >事実をあげることで、ある程度の数を見込めると論証することはできるでしょう。
推算することはある程度できるだろうね。
>反論になってないじゃないですか。
いや、そもそも反論してないが。反論するようなな問題なのか?
>議論で殺してよいと主張するなら、他の人は直ちに自分を殺してよいと
>認めることになりますよ? そんなバカな議論がありますか?
私は殺してよいなどとは一言も言っていないよ。
「論点が成立しない」といっているだけだ。
そもそも、「現に生きている」という事実とと、殺す云々という議論がどう関係するのか
さっぱりわからないが。
生きていなければ、考えたり、キーボードを打ったりはできないから、
そういう意味で議論が起きる「前提」ではあるが、それは、議論の内容とは
あんまり関係ないだろう。
>えーと「まず殺人者にとって悪」が「殺人者にとっての不利益」、の意味なら、
>これはそもそも不利益になることが生じてないですから、当然です。
私はそういうことをいっているだけだが。
>「殺人者が被害者にとっての不利益=悪いという評価」を認める、という意味であれば、
私はそんなことを言った覚えは待ったくないが。
だから、なぜ、
>覆せないとか言う以前に、そもそも殺人者も殺すことが悪いと理解している場合が多いと
>述べています。
などということを述べるのか理解不能だ。
>被害のみで論拠足りえるとは言っていません。被害は必ずあり、それに対して
>評価を下すなら、悪いという評価が必ず下される、です…つかれた
だから、その「悪いとういう評価」は「社会にとっての」という、「別の前提」においての
評価であって、「殺人者当人」という評価とは別の存在であるといっているのだよ。
「被害者の不利益」を「社会にとっての」という前提における
「いけない」の判断の論拠とするなら、なんら問題は無い。
それが「殺人者当人にとって」という前提においてさえ、同じ論拠によって通用しうると
主張するから、それを問題にしているだけだ。
>>823 それは、
「殺してはいけないといおうが言うまいが、それを無視する人間がいるかどうか」
という問題であって、
「殺してはいけない理由があるかどうか」の問題ではないです。
828 :
考える名無しさん:02/04/13 18:46
>>824-825 違うな、一つ言っておくが人間が死ぬのは
「殺される」からではない。
たかに今私は「死んではいない」が私の死は必ずしも
他者の殺害を通してもたらされる訳ではないだろう?
>>826 >>事実をあげることで、ある程度の数を見込めると論証することはできるでしょう。
>推算することはある程度できるだろうね。
しかし、その推算は、ここでの議論になにか関係があるのか?
「ある前提がどのくらい多く存在するかどうか」という問題は、
「いけないかどうか」の判断自体と直接は関係しないだろう。
単に、議題とする前提が、一般的であるかどうかの目安になるに過ぎない。
>>773 >他者が殺されることを、厳格に避けていると言えるかどうかは、
議論の余地がある話ですし、ここのスレッドのテーマとは無関係です。
>自衛がどうこうとか言うのと、現に行われる殺人、それによって
ふりかかる不利益とは関係がありません。
関係がないのなら、
現に行われる殺人、それによってふりかかる不利益どうのこうのというのは
自衛と称して行われる、それによって得ることのできる利益とは関係ありません。
したがって殺しを悪とはいいきれません。
殺されるが側が殺されることが不利益と思う事実があることを認め
悪であると判断をくだすことが論理的と貴方が主張する以上
ある集団が自衛と称して殺すことを利益と思う事実があることを認め
善と判断することが論理的と貴方は主張すべき。
>>えーと「まず殺人者にとって悪」が「殺人者にとっての不利益」、の意味なら、
>>これはそもそも不利益になることが生じてないですから、当然です。
>私はそういうことをいっているだけだが。
これは、殺人において殺人者の不利益があるかどうか、への回答であって、
「殺人をしてはいけない理由は何か」への回答ではないですよ。
殺されたくない人にとって、殺人は悪いと評価される対象として常にあるところ、
殺人者はそうした不利益に対する評価を無視した人たちである、
だから殺人は悪いとはいえない
は、おかしいでしょう。被害者にとっては相変わらず不利益はあり、
それを悪いと認めることも常に可能なわけですから。
832 :
考える名無しさん:02/04/13 18:52
>>827 ああ、そこか、私のお前の差は。
私はこの世に理由の無い者は存在しないと考える
私の言う所の理由とはお前のいう死者のいいわけではない
殺害が決定される理由だ。
つまり理由がある、ということは理由から導かれる結果、帰結が存在するはずだ
それが被害者の殺害という帰結だとこの場では仮定される。
だがお前が言っているのは被害者が「殺されたくない理由」だ
「殺されたくない理由」が結果として加害者の自主規制の決定的理由になるだろうか
「殺されたくない理由」が「殺されない理由」イコールにならなければ
今人を殺害する加害者の自主規制に至る理由にはなりえない。
>>830 だから、何度も460-461を読めといってるんですけどね。
いい加減にして欲しい
>殺されるが側が殺されることが不利益と思う事実があることを認め
>悪であると判断をくだすことが論理的と貴方が主張する以上
>ある集団が自衛と称して殺すことを利益と思う事実があることを認め
>善と判断することが論理的と貴方は主張すべき。
殺される側の不利益を無視してある利益をとった、その利益をとったことが
私たちにとってよい、が論理的です。不利益それ自体に対して判断を下せ、
といわれれば、不利益を受けた者たちにとっては、それは悪かったに違いない、
となります。
なんだかなあ
834 :
考える名無しさん:02/04/13 19:00
なんだかなあはこっちのセリフだというのにいい加減気付いて欲しい
>>832 そもそも殺された者について「死者のいいわけ」と書く神経自体妥当でないと
思いますが、それはおくとして。
>「殺されたくない理由」が結果として加害者の自主規制の決定的理由に
>なるだろうか
まず、決定とかいう以前に、殺す気がなくても殺してしまう場合があります。
(過失殺)何回もふれてますが、いっこうに触れてこない。なぜですか?
故意殺の場合、決定理由にならなかったから、加害者になってるのです。
理由を無視したから、加害者になってるのです。
ですが、その際の被害者に理由がなかったわけじゃないです。
「自己規制」といってますが、これは現に行うかどうかの話です。
殺人がいけない理由がわかってるかどうかとは、関係が無いです。
>>833 反論になってません。
>殺される側の不利益を無視してある利益をとった、
その利益をとったことが私たちにとってよい、が論理的です。
殺す側の不利益を無視してある利益をとった、その利益をとったことが
私たちにとってよい、が論理的です。
>不利益それ自体に対して判断を下せ、
といわれれば、不利益を受けた者たちにとっては、それは悪かったに違いない、
となります。
利益それ自体に対して判断を下せ、
といわれれば、利益を受けた者たちにとっては、それは善かったに違いない、
となります。
これでよいのかな?
>>834 それを書き込むくらいなら、460-461に反論して見せてください。
今までろくな反論がきていません。
838 :
考える名無しさん:02/04/13 19:08
>(過失殺)何回もふれてますが、いっこうに触れてこない。なぜですか?
もう嫌だ、さっき「殺意をもって殺人に及ぼうと前提して」って書いたっての
大体「どうして人を殺しちゃいけないの? 」という質問に対して
過失殺持ち出す神経が妥当じゃないです
>>836 >殺す側の不利益を無視してある利益をとった、その利益をとったことが
>私たちにとってよい、が論理的です。
殺す側の不利益をさけることが、利益になることである。
その利益を取る際に、相手方の不利益を無視していると書いたのです。
あなたのは、同語反復です。
>利益それ自体に対して判断を下せ、といわれれば、利益を受けた者たちに
>とっては、それは善かったに違いない、となります。
相手方が不利益を現に受けたことについて判断を下してみろ、
と言われたのに対して、自分たちの方の利益について判断下しても、答えには
なりませんが。
>>838 過失殺でも現に人が死んでおり、人を死なせることに関わったのに、
「殺人」に関する事例として扱わないのは、へんじゃないですか。
あと、故意と過失の区別というのは、くっきり分かれるものでは
ないように思いますが。刑法学的にはどうなってるんでしょうかね。
>>838 殺意を持って殺人に及ぼうとあなたが前提することにするかを聞いてるのではなくて、
過失殺であれば、
「殺人者が相手方に不利益を負わせることについて、悪いとするだろう」と
言えるが、それについてどう思うか、と聞きたかったのですが。
また反論になってません。
>殺す側の不利益をさけることが、利益になることである。
その利益を取る際に、殺される側の不利益を無視していると書いたのです。
殺される側にとって不利益をさけることが、利益になることである。
その利益を取る際に、殺す側の不利益を無視してると書いたの。
>あなたのは、同語反復です。
いえあなたの主張が同語反復でできているのです。相対化です。
>殺されるが不利益を現に受けたことについて判断を下してみろ、
と言われたのに対して、殺す側の方の利益について判断下しても、
答えにはなりませんが。
殺す側が利益を現に受けたこに判断を下してみろ、
と言われたのに対して、殺される側の方の不利益について判断下しても、
答えにならない。
わかりやすい例を思いついたので、書いておきます。
>相手方が不利益を現に受けたことについて判断を下してみろ、と
>言われたのに対して、自分たちの方の利益について判断下しても、
>答えにはなりませんが。
Aが殺されたことについて、判断を下してみろ、と言われたのに対して、
自分には関係がない、というのは、Aが殺されたことについての
答えにはなりません。
Aが殺されたことに関して、良い悪いを判断しろ、と言われたのに対して、
自分が殺されていないから、自分にとって悪くない、というのは、
Aが殺されたことに関しての、答えになっていません。
ここで答えないのは、Aが殺されたことに関しての評価を
無視すること です。
845 :
考える名無しさん:02/04/13 19:37
とりあえずまともな反論が無いのは
>>460-461が鬼のように読みにくいからだと思われます
0、1、2、3よりはABCDの方が普通は慣れ親しんでいると思われ。
とりあえず被害者のデメリットを前提にした上で
話を進める事に反論があります
このスレッドのテーマは
「殺人はなぜやってはいけないのか?」という部分にあり
>>1の趣旨は(1の価値観で)「やってはいけない」事に対して
「なぜ?」という疑問を抱いた人間に対しての回答でという形で意見が求められています。
私が貴方にさっきから言っているように
被害者側にいくらデメリットがあるにしろ
それが加害者が自主規制をしなければならない理由にはなりえない、という事です。
何度も出てきていますが
「死者のデメリット」≠「加害者が自主規制する決定的理由」です
なぜならば加害者側がそれを感知しても
常に自主規制するとは限らないからです(拷問だの戦争だのね)
仮に加害者が自主規制をおこなう理由があったとしても
それは死者のデメリットからくるものではないと言えます。
では「やってはいけない」を「自主規制しなければいけない」だと前提した上で
その理由とはなんでしょう?
それは自己の意志以外には有り得ません。
現実的に殺人が実行できる行為である以上
「殺す」か「殺さない」かそれにおける判断は自由であり
それにおける自主規制をおこなえるのは自己の意志唯一です。
誰かが「やってはいけない」と声を大にして言った所で
現実に「やってはいけない」を自主規制の理由にし決定できるかは
自己の意志以外には有り得ません。
殺人がやってはいけないかは個人の価値観を定義した上で
加害者のデメリットとメリットを考えた上でしか作用しません。
>>1の質問に対しては「やってはいけないかは決まっていない」と答えるべきでしょう。
--------ここら辺で飽きた---------
あーなんだっけこういうのに便利なのあっただろ
ほら推物論っての。
847 :
考える名無しさん:02/04/13 19:48
>>843 >殺す側の不利益をさけることが、利益になることである。
その利益を取る際に、殺される側の不利益を無視していると書いたのです。
>殺される側にとって不利益をさけることが、利益になることである。
>その利益を取る際に、殺す側の不利益を無視してると書いたの。
殺す側の不利益、不利益をこうむらない利益、利益は、
「殺される側が殺されたこと」ではありませんし「殺す側が殺したこと」でもありません。
そうした事情について、利益・不利益を論じ、
「殺される側が殺されたこと」との総合判断で、「殺す側の利益」を正当化することは、
現になされますが、これは、「殺される側が殺されたことについての不利益を負うことを
「殺す側が殺したことで関わったこと」についての正当化にはなっていません。
自分たちに利益があるからといって、相手方の不利益がなくなるわけではありません。
相手方の不利益を負わせる悪いことをしながら、自分たちの利益をとり、
利益をとれたことを良い、と言ったところで、相手方にとっての不利益は、覆りません。
不利益が覆らない以上、不利益に対して悪いという評価を下すことは常に論理的には
(殺す側に立ち、自分たちの利益を結局とった者にとってすら)可能です。
それを、現実に無視するかどうかは、別の問題です。
>殺す側が利益を現に受けたこに判断を下してみろ、
>と言われたのに対して、殺される側の方の不利益について判断下しても、
>答えにならない。
殺す側は、「殺されたこと」「殺したこと」によって利益を受けたのではないです。
「殺したこと」で、「因果的につらなる事実」によって、殺した側が何らかの利益を
得ているだけです。
「殺したこと」からみちびかれるのは、「殺した側の利益」ではなくて、
「殺された側の不利益」です。
849 :
考える名無しさん:02/04/13 19:55
あー、後わかりきったリアクションが帰ってくるだろうから
補足をしておくが「理由の無視」などありえない
理由とは事の原因であり、既に導き出された帰結があるから理由があるのだ。
アーツカレタ
Aが殺したことについて、判断を下してみろ、と言われたのに対して、
自分には関係がある、というのは、Aが殺したことについての
答えにはなりません。
Aが殺したことに関して、良い悪いを判断しろ、と言われたのに対して、
自分が殺したから、自分にとって悪い、というのは、
Aが殺したことに関しての、答えになっていません。
ここで答えないのは、Aが殺したことに関して評価を
無視すること です。
>とりあえずまともな反論が無いのは
>
>>460-461が鬼のように読みにくいからだと思われます
読んだ人はいますよ。賛成している人間もいました。水掛け論ですが。
>0、1、2、3よりはABCDの方が普通は慣れ親しんでいると思われ。
A…では、部外者についてのイメージを、読み手に適切に抱かせることができません。
>とりあえず被害者のデメリットを前提にした上で話を進める事に反論があります
>
>>1の趣旨は(1の価値観で)「やってはいけない」事に対して
>「なぜ?」という疑問を抱いた人間に対しての回答でという形で意見が求められています。
>私が貴方にさっきから言っているように被害者側にいくらデメリットがあるにしろ
>それが加害者が自主規制をしなければならない理由にはなりえない、という事です。
私は「人を殺してはいけない」理由を答えたのであって、
「加害者が自主規制をしなければならない理由」を答えてはいませんが。
というか、加害者は自主規制できなかったから加害者なんですけど。
加害者は、自主規制できなかったんですから、加害者に自主規制をしなければならない
理由など、あるわけないでしょう。意味が通ってません。
>何度も出てきていますが「死者のデメリット」≠「加害者が自主規制する決定的理由」です
それは認めています。
>なぜならば加害者側がそれを感知しても
>常に自主規制するとは限らないからです(拷問だの戦争だのね)
>仮に加害者が自主規制をおこなう理由があったとしても
>それは死者のデメリットからくるものではないと言えます。
私は食べ物をとってますから、何かを殺したことに関わって生きています。
ですが、私は死者のデメリットがあると観察し、それが奪われることは、
死者にとって悪いことである、と論理的に判断します。
それでも、私は食べ物をとります。
「誰かにとって、殺しが悪いことであるという理由」は、確かにありました。
ですが、それは「私たちによって無視されたし、これからもされ続ける」のです。
なぜこんな簡単な事実を認めないんでしょうか。
>では「やってはいけない」を「自主規制しなければいけない」だと前提した上で
>その理由とはなんでしょう? それは自己の意志以外には有り得ません。
自己の意志で、殺されたら不利益であるという理由を認めるなら、
それは殺してはいけない理由を認めたことになります。
認められるべき理由は、殺された側の人たちは、少なくとも考えてます。
私や、ほとんどの人も、考えています。
▼
>現実的に殺人が実行できる行為である以上
>「殺す」か「殺さない」かそれにおける判断は自由であり
>それにおける自主規制をおこなえるのは自己の意志唯一です。
これは「殺す」「殺さない」につきまとう、「相手方の殺される不利益」を
現に奪うも奪わないも、その人間の判断による、と言ってるだけです。
これは、「相手方の殺される不利益」があることとも、それに対して判断が
下せることとも、関係が無い問題です。
>誰かが「やってはいけない」と声を大にして言った所で
>現実に「やってはいけない」を自主規制の理由にし決定できるかは
>自己の意志以外には有り得ません。
その通りです。ですが、あなたが自己というとき、その自己を加害者としてだけ
考えているのが、かなり妙です。
>殺人がやってはいけないかは個人の価値観を定義した上で
>加害者のデメリットとメリットを考えた上でしか作用しません。
加害者は現に殺人を行った者なんですが。
加害者のデメリットとメリットを考えた上というのは、端から殺人を行った
人をもとにこの問題を考えていることになりますが。なんですか、この想定は。
そもそも、人間が被害者のデメリットを考えて、被害者にとって悪いと判断を下すことが
できる、殺人がいけないかどうかすら意識の上に上らない人間が、大多数です。
実際に自分が殺人をしなければ自分に降りかかる不利益を回避できない場合、
殺人を実際に犯すか犯さないかは、人によって分かれるでしょうが、
それと、殺人を悪いことと認識できるかどうかの問題は、別の話です。
>
>>1の質問に対しては「やってはいけないかは決まっていない」と答えるべきでしょう。
「彼がやっていけない理由は、現に殺される側にとってはあるが、彼が無視するか
どうかは別問題」です。
AがDというメリットのために、Xをし、BがXをされたことに
ついて論じています。
Bは、Xをされたことについて、X’という理由をのべます。
Aは、Xをされたことについて、X’という理由があることを認識できますが、
Aの側にXをしたDというメリットがある理由D’を述べます。
Aは、X’という理由を、この議論の上で無視しています。
>「誰かにとって、殺しが悪いことであるという理由」は、確かにありました。
>ですが、それは「私たちによって無視されたし、これからもされ続ける」のです。
理由があるという事は結果をはらむ事になりますが
結局死者のデメリットを理由にした帰結が何一つないという
時点で事実でもなんでもなく単なる妄想。
>自己の意志で、殺されたら不利益であるという理由を認めるなら、
>それは殺してはいけない理由を認めたことになります。
そこら辺いつも抜けてるのは相手に害悪を与えてはいけない事の理由
いつもいい訳は
「害悪を与えることがよかったら貴方も害悪をあたえられることになる」らしいが
別にそんな物は認めようと認めなかろうとその可能性は有り得るわけで
という事は誰かいつのまにか害悪を与える事は良しとしている事になっているわけだ
なんの意志決定もなしに。
>加害者は現に殺人を行った者なんですが。
>加害者のデメリットとメリットを考えた上というのは、端から殺人を行った
>人をもとにこの問題を考えていることになりますが。なんですか、この想定は。
そこらへんはさっきから話してるんで
もう書くのが面倒くさくなって省略しました。
>それと、殺人を悪いことと認識できるかどうかの問題は、別の話です。
さっきからずーと変わらないのは
悪いこと=やってはいけない(大体このやってはいけないを誰が提示するのか)
悪いことをやってはいけない理由が述べられていない。
あーつかれるもういいや。
被害者にとって、殺人にはデメリットがある、
ということを否定している者はいないと思うのだが。
何が問題なんだ。
>>854 >理由があるという事は結果をはらむ事になりますが、結局死者のデメリットを
>理由にした帰結が何一つないという時点で事実でもなんでもなく単なる妄想。
死者として、暗黙のうちに自分をその可能性から、除外するのはなぜでしょうね。
自分が殺されたくないことは、認めざるを得ない。だが、自分は他人を殺してよいと
考える。くらいにはっきり主張してくれませんか?
ある人が殺されるデメリットを理由にした帰結は、「ある人を殺してはいけない」です。
あなたは「」内を認めてないんですから、帰結がないと思ってるのは当然ですよ。
バカらしい。
自分が「メリットがある加害者側」に立つことしか想定しないおかしさについては、
これまで過失殺の例をあげてふれています。この場合、自分に不利益がないから、
相手が死んだことは悪くなかった、とでも言うんでしょうか。
>>自己の意志で、殺されたら不利益であるという理由を認めるなら、
>>それは殺してはいけない理由を認めたことになります。
>そこら辺いつも抜けてるのは相手に害悪を与えてはいけない事の理由
相手に害悪を与えることは悪い、と考えるかどうかは、
「相手が害悪を与えられたくないと言ってきた・またはそう思ってるだろう」ことを、
現に認めるかどうかという問題です。
理由自体は、相手側にとっては常にありますし、それを他の人間が認めることも、
常に可能です。
加害者が殺す理由は、殺すこと以外の利益にあり、殺すことはその利益を得るための
手段であり、その利益を良いと評価している。
相手が殺されたくない理由は、殺されることにあるのです。
>いつもいい訳は
>「害悪を与えることがよかったら貴方も害悪をあたえられることになる」らしいが
>別にそんな物は認めようと認めなかろうとその可能性は有り得るわけで
他の人は言っていましたけど、私はそれに賛成していませんよ。
あなたが述べた理由の通りです。
>という事は誰かいつのまにか害悪を与える事は良しとしている事になっているわけだ
>なんの意志決定もなしに。
良しとなってるんじゃなくて、判断に関わり無く行われる場合があるだけのことです。
誰が「害悪を与えることをを良しとしている」んですか?
>>加害者は現に殺人を行った者なんですが。
>>加害者のデメリットとメリットを考えた上というのは、端から殺人を行った
>>人をもとにこの問題を考えていることになりますが。なんですか、この想定は。
>そこらへんはさっきから話してるんで
>もう書くのが面倒くさくなって省略しました。
省略で済む問題ではないですよ。加害者というのは、現に殺人を行った者のことです。
ですが、そもそも普通にいる人間の多くは、加害者ではないんですから、あなたは
想定を大きく間違っていることになります。
>それと、殺人を悪いことと認識できるかどうかの問題は、別の話です。
>さっきからずーと変わらないのは
>悪いこと=やってはいけない(大体このやってはいけないを誰が提示するのか)
>悪いことをやってはいけない理由が述べられていない。
悪いこと=誰かにとってやってはいけない ことです。
悪いことをやってはいけない理由は、やってはいけないことをされた誰かが
困るからです。
やってはいけないことをされた誰かは、「誰かにとってやってはいけない」内容を
感じているでしょう。だからそれは「誰かにとってやってはいけない」理由です。
「誰かにとってやってはいけない理由」は、「自分にとってやってはいけない理由」
ではないですが、自分が「誰かにとってやってはいけない理由」を認めることは可能です。
ああ、相手がやってはいけないと思うようだ、とわかればいいんですから。
それに共感するかどうかは別問題ですし、共感しているからといって相手を殺さないとは
限らないですが、しかし「殺してはいけない理由」はあるわけです。
>>855(589さん)
>被害者にとって、殺人にはデメリットがある、ということを否定している者は
>いないと思うのだが。
被害者にとって殺人にデメリットがある、というとき、その被害者は
殺人をどう表現するんでしょうか?
補足です。
>>856の最後
加害者が殺す理由は、殺すこと以外の利益にあり、殺すことはその利益を得るための
手段であり、その利益を良いと評価している。
相手が殺されたくない理由は、殺されることにあるのです。
ここでの加害者は、殺すことにメリットのあり、それを採るために
手段として故意殺を行った者 のことです。
殺人者一般ではありません。
そもそも854の引用の仕方は、かなり
>>851-852の趣旨を捻じ曲げてます。
すっごくひまな人、読んでくださるとありがたいです〜
>>859 何がいいたいかはわかるけれど、無理がある質問だね。
表現の方法は人の数だけあるだろう。
自然と思われる表現としても「嫌」「迷惑」「勘弁」など、いくらでもある。
「殺人殺されることは自分にとってデメリットがあるから悪」という表現は、
表現としては、一般的だといえないだろう。
もちろん、文意として「そういった意味」であると解釈することはできるが、
それは、そもそも「デメリットがある」についてもいえるだろう。
というか、「被害者にとって悪」ということも否定してないんだが。
>>863 無理があると書いていますけど、何故無理があるのか書いてませんね。
表現は人の数だけあると言ってますが、それはその表現を現実になしうるという
ことです。ある表現が正当とされる理由にも、不当とする理由にもなってません。
殺されることが「嫌」はいいとして、「迷惑」と言う人はあまりいないんじゃないですかね。
迷惑って、生きていて他人のせいで煩わしいこと目にあってる場合に使う語でしょう。
「勘弁」というのは、最近は、若い人の間で重いことにも使ってるようですから、
まあいいでしょう。
いずれにしても、これらが自然・不自然であったところで、悪いと表現することを
拒む理由にはなりません。あと、あなたは過失殺の件について、どう考えるのか、
その辺も聞かせて欲しいですね。自分がいやな目にあってないが、あわせてしまったとき、
どういう語を使うんでしたっけ? 話していて、ばからしくなりますねー
「悪かった」ですね、こんなに長々と話して。
>というか、「被害者にとって悪」ということも否定してないんだが。
「被害者にとって悪」と、「被害者にとって悪い」と何が違うんですか?
もし違わないのだとすれば、「被害者にとって悪い」というのは、
「被害者が被害者のことを殺してはいけない」と主張しているのと同じですが、
それを受け入れるのなら、「被害者にとって殺してはいけない理由」を
認めたことになりますが?
>>864 >無理があると書いていますけど、何故無理があるのか書いてませんね。
>表現は人の数だけあると言ってますが、それはその表現を現実になしうるという
>ことです。ある表現が正当とされる理由にも、不当とする理由にもなってません。
正当とも不当ともいっていないよ。
表現方法がたくさんあり、なおかつ、あなたが期待している答え(表現方法)は、
それらのなかで得に一般的というわけではない(どちらかといえばマイナー)、
であるから、
単に、「どう表現するか」という質問への
一般的な答えとしてでてきにくいということを言っただけだ。
>「悪かった」ですね、こんなに長々と話して。
なぜ「表現」にこだわる必要があるのかよくわからない。
「悪い」と「表現できる」ということも、別に否定はしてないよ。
ただ、「どう表現するか」という質問の答えとして
「悪い」という語が、一般的でないというだけのことだ。
>「被害者にとって悪」と、「被害者にとって悪い」と何が違うんですか?
私の理解する範囲では同じだが。
>もし違わないのだとすれば、「被害者にとって悪い」というのは、
>「被害者が被害者のことを殺してはいけない」と主張しているのと同じですが、
>それを受け入れるのなら、「被害者にとって殺してはいけない理由」を
>認めたことになりますが?
「被害者にとって悪い」と主張はしていないよ。
否定した事実が無いといっているだけだ。
>>864 そもそも、あなたにおける「いけない」の定義は何?
昼間の誰かのように、
「自己規制をしなければならない」ということ?
それとも単に
「誰かにとって悪い」
という意味なのか?
>>865-866 過失殺の件について、きちんと答えて下さい。
なんでそこが欠落してるんですか?
あなたの文章を読む限り、あなたが馬鹿でないことは良くわかります。
そこが要点であることを、理解できないわけがないでしょう?
>>867 >過失殺の件について、きちんと答えて下さい。
>なんでそこが欠落してるんですか?
ほかの質問の文章がごっちゃになっていたので、見落としたのだよ
申し訳ない。
その場合「悪い。」という表現が一般的だね。
それで、それがどう問題なのだね?
>>868 何か説明責任負わすの上手いよね、君…。とかいう話はおいといて(汗
自分がいやな目にあってない場合に、相手を嫌な目にあわせた場合、
相手をいやな目に合わせたことについて、「悪い」と認めるのは、一般的で
良いですね?
つまり、端的に相手がいやな目にあったことについて、自分の利益に関わり無く、
「悪い」という判断を下せることを認めたわけです。
そうであれば、自分がよい目にあっていて、なおかつ相手をいやな目に合わせた場合、
ここでも、相手をいやな目に合わせたことは、かわらないこととしてありますから、
それについて、「悪い」と表現するのは、正しいことになりますよね?
>>869 >自分がいやな目にあってない場合に、相手を嫌な目にあわせた場合、
>相手をいやな目に合わせたことについて、「悪い」と認めるのは、一般的で
>良いですね?
>つまり、端的に相手がいやな目にあったことについて、自分の利益に関わり無く、
>「悪い」という判断を下せることを認めたわけです。
そうはならない、理由は2つある。
一つは、その場合、自分の利益にかかわりなく認めたとはかならずしもいえないからだ。
相手への体面、社会的評価、自己の信条、すべて自己の利益だろう。
これらが無い状態で、その行為に利益があった場合にも、
「悪い」と認めることは一般的とはいえないだろう。
二つには、当人の判断と、実際に「悪い」かどうか、
というのは、別問題ということだ。
「判断」は判断であって間違いもある。
「悪い」ということがらの条件について、客観的に合致するのでなければ、
当人の「悪い」という判断が正しいかどうかはわからない。
そもそも、「悪い」と「いけない」の関係について、あなたは全く説明していないし、
「いけない」の定義についての私の質問にも答えていない。
だから、現時点では、
「悪いと判断がくだせる」という事を問題にすること自体の必然性も不明だ。
>そうであれば、自分がよい目にあっていて、なおかつ相手をいやな目に合わせた場合、
>ここでも、相手をいやな目に合わせたことは、かわらないこととしてありますから、
>それについて、「悪い」と表現するのは、正しいことになりますよね?
以上述べたように「そうでない」ので、この質問には答えなくていいよね?
もう少しなんで、まっててください。
大変お待たせしました。煽ったりせずに待ってくれて、ありがとうです。
>>869 >一つは、その場合、自分の利益にかかわりなく認めたとはかならずしもいえないからだ。
必ずしもいえない、ということは、言える場合もあるということで、OKですか?
あと、自分の利益もある(情状酌量のため)し、他人の不利益もあったと
認めた(そりゃあ、そうだ、死んだのだから)というのが普通ですよ。
第三者の目から見たときに、被害者が過失殺をされたことに対して悪い目にあった というのが
普通ですが、これを言うときに「自己の体面」を考えている人はあまりいないと
思いますよ。
>二つは、当人の判断と、実際に「悪い」かどうか、というのは、別問題ということだ。
>「判断」は判断であって間違いもある。
>「悪い」ということがらの条件について、客観的に合致するのでなければ、
>当人の「悪い」という判断が正しいかどうかはわからない。
↑は、一般論としては、正しいです。ですが、今は「殺されることが悪いかどうか」の
話をしています。そして、過失殺の例に基づいて話をしていることを忘れないで下さい。
実際に殺されることが、殺された側にとって悪いかどうかの判断を間違えることは、
ありえないですよね。
>そもそも、「悪い」と「いけない」の関係について、あなたは全く説明していないし、
>「いけない」の定義についての私の質問にも答えていない。
「誰かにとって悪い」ことを認める、ことが「いけない」と判断したことである、
と言ってますよ。これはごく一般的な話です…。
>>866に対して答えるなら、
まず、そもそも殺すか殺さないかが、問題になっていないことがほとんどであると、
強く念を押します。
次に、殺されることは、「常に被害者側にとって悪い」し、合理的な理由はある、と
指摘します。
さらに、「常に被害者がわにとって悪い」ということは、どんな立場に立つものであれ、
(仮に被害者を殺す者であれ)認めうるという点を指摘します。
ここまでが、「被害者側にとって殺してはいけない」理由です。
自己規制をしなければならないかどうかについては、私としては、
「被害者側の利益という観点を重く見て、いろいろな問題−戦争など−を考えるべきだ」と、
主張します。
そして、その主張を受け入れる(「人は殺人をすべきでない」と考える)人は、現に
多くいると考えます。
ですけど、「被害者側にとって悪い」という評価が、
当然に「全ての人間が殺人をやめる理由になる」とはもちろん考えません。
というか、これは私がどう考えるかの話ではないです。
>だから、現時点では、
>「悪いと判断がくだせる」という事を問題にすること自体の必然性も不明だ。
必然性というのを厳格に解せば、強制力がなければ、必然性はありませんから、
あなたが問題にする必然性はないことになりますよ。
>>一つは、その場合、自分の利益にかかわりなく認めたとはかならずしもいえないからだ。
>必ずしもいえない、ということは、言える場合もあるということで、OKですか?
いや、いえる場合があるかどうかについてはわからない
(あなたが例示できない場合は、あなたも含めて)ということだ。
>あと、自分の利益もある(情状酌量のため)し、他人の不利益もあったと
>認めた(そりゃあ、そうだ、死んだのだから)というのが普通ですよ。
もちろんそうだ。
最初から、他人の不利益を認めないなんてことは言ってない。
>第三者の目から見たときに、被害者が過失殺をされたことに対して悪い目にあった というのが
>普通ですが、これを言うときに「自己の体面」を考えている人はあまりいないと
>思いますよ。
それは、「被害者が悪い目にあった」という評価だろう。
「自己の体面」が関係無いのはあたりまえだね。
>>二つは、当人の判断と、実際に「悪い」かどうか、というのは、別問題ということだ。
>>「判断」は判断であって間違いもある。
>>「悪い」ということがらの条件について、客観的に合致するのでなければ、
>>当人の「悪い」という判断が正しいかどうかはわからない。
>↑は、一般論としては、正しいです。ですが、今は「殺されることが悪いかどうか」の
>話をしています。そして、過失殺の例に基づいて話をしていることを忘れないで下さい。
>実際に殺されることが、殺された側にとって悪いかどうかの判断を間違えることは、
>ありえないですよね。
ここで、「判断」するのは、加害者、被害者どちらなんだ?
誰が、だれにとって「悪いかどうか」の判断を下す場合に「間違えることはありえない」
といっているのかよくわからないが。
そもそもここでいう「悪い」というのどういう意味なの?
>>そもそも、「悪い」と「いけない」の関係について、あなたは全く説明していないし、
>>「いけない」の定義についての私の質問にも答えていない。
>「誰かにとって悪い」ことを認める、ことが「いけない」と判断したことである、
>と言ってますよ。これはごく一般的な話です…。
もしも、「だれかにとって悪い」が「いけない」の定義なら、
なら、「殺されたくない人を殺すことはいけないことである」、
を否定する理由は最初から無いが。
(まあ、「悪い」の定義にもよるが)
>
>>866に対して答えるなら、
>まず、そもそも殺すか殺さないかが、問題になっていないことがほとんどであると、
>強く念を押します。
>次に、殺されることは、「常に被害者側にとって悪い」し、合理的な理由はある、と
>指摘します。
>さらに、「常に被害者がわにとって悪い」ということは、どんな立場に立つものであれ、
>(仮に被害者を殺す者であれ)認めうるという点を指摘します。
>ここまでが、「被害者側にとって殺してはいけない」理由です。
だから、何度も言うように、それらのことは一度も否定していないが。
>>872 >自己規制をしなければならないかどうかについては、私としては、
「いけない」の定義が、「自己規制」でないなら、この点について
論じなければならない理由は特にないと思うが。
>「被害者側の利益という観点を重く見て、いろいろな問題−戦争など−を考えるべきだ」と、
>主張します。
>そして、その主張を受け入れる(「人は殺人をすべきでない」と考える)人は、現に
>多くいると考えます。
根拠が無いが。
「みんながそういってるよ」というのが根拠なの?
>ですけど、「被害者側にとって悪い」という評価が、
>当然に「全ての人間が殺人をやめる理由になる」とはもちろん考えません。
>というか、これは私がどう考えるかの話ではないです。
その点については、私は問題にしてないが。
とうか、「全ての人間が殺人をやめる理由」と、
「いけないかどうか」は別の問題だと再三いっている。
>>だから、現時点では、
>>「悪いと判断がくだせる」という事を問題にすること自体の必然性も不明だ。
>必然性というのを厳格に解せば、強制力がなければ、必然性はありませんから、
>あなたが問題にする必然性はないことになりますよ。
そういう根源的な必然性ではなくて、
スレの議論という共通の動機下においての必然性の話だが。
>>873 >>自分の利益にかかわりなく認めたとはかならずしもいえないからだ。
>>必ずしもいえない、ということは、言える場合もあるということで、OKですか?
>いや、いえる場合があるかどうかについてはわからない(あなたが例示できない場合は、
>あなたも含めて)ということだ。
私は自分の利益にかかわりなく、殺された人が殺されたことは悪いと認めますよ。
認めることが、自分の利益になるかもしれないなぁ と思うか、と言われれば、
そんなことは考えもしないが、殺された人が殺されたことは悪くないと言うよりは、
ましだろう、と答えます。
>>あと、自分の利益もある(情状酌量のため)し、他人の不利益もあったと
>>認めた(そりゃあ、そうだ、死んだのだから)というのが普通ですよ。
>もちろんそうだ。最初から、他人の不利益を認めないなんてことは言ってない。
他人の不利益を認めるのであれば、それが他人にとって悪いことである、ということは
認めますね?
>それは、「被害者が悪い目にあった」という評価だろう。
>「自己の体面」が関係無いのはあたりまえだね。
と書いてますし。
▼
>>実際に殺されることが、殺された側にとって悪いかどうかの判断を間違えることは、
>>ありえないですよね。
>ここで、「判断」するのは、加害者、被害者どちらなんだ?
>誰が、だれにとって「悪いかどうか」の判断を下す場合に「間違えることはありえない」
>といっているのかよくわからないが。そもそもここでいう「悪い」というのどういう意味なの?
なんで加害者と被害者しかいないことになってるんですか?
私も589さんも、そのどちらでもないではないですか。そして、加害者・被害者のいずれも、
もともとは、そのどちらでもなかったんです。
判断するのは、「被害者側の不利益を認識している・した誰か」=
「心神喪失者以外の、ほとんど全ての人」です。誰でも良いです。
既に何度も触れていますよ。
>>そもそも、「悪い」と「いけない」の関係について、あなたは全く説明していないし、
>>「いけない」の定義についての私の質問にも答えていない。
>「誰かにとって悪い」ことを認める、ことが「いけない」と判断したことである、
>と言ってますよ。これはごく一般的な話です…。
>もしも、「だれかにとって悪い」が「いけない」の定義なら、
>「殺されたくない人を殺すことはいけないことである」を否定する理由は最初から無いが。
「殺されたくない人が、殺されるのは悪い」ですから、「殺されたくない人にとっては
常にいけないことである」それを認めるかどうかをそもそも問題にしだすかどうか、
また、それを認めるかどうか、また認めるか否かに関わらず、現に殺人が行われるかどうかは、
別の問題です。
>>ここまでが、「被害者側にとって殺してはいけない」理由です。
>だから、何度も言うように、それらのことは一度も否定していないが。
そうですか。でしたら、私の言い分では、あなたは「殺してはいけない理由」を
認めていることになります。
>>874 >
>>872 >>自己規制をしなければならないかどうかについては、私としては、
>「いけない」の定義が、「自己規制」でないなら、この点について論じなければならない
>理由は特にないと思うが。
いけないの定義が、「自己規制でない」わけではないです。自己規制をすべきかどうかは、
「殺してはいけない理由」を元に「自己規制すべきだ」と主張し、問題にできます。
ですが、自己規制を強制する手段は、ないのです。
>>「被害者側の利益という観点を重く見て、いろいろな問題−戦争など−を考えるべきだ」と、
>>主張します。そして、その主張を受け入れる(「人は殺人をすべきでない」と考える)人は、
>>現に多くいると考えます。
>根拠が無いが。「みんながそういってるよ」というのが根拠なの?
ここは「被害者側の利益という観点から導かれる、人を殺してはいけない理由」に
納得するなら、戦争をするべきでないという方向で考えるのが普通だろう、と
言ってるだけです。現に自分達がせっぱつまったときに、戦争に向かいだすかどうかは、
現に困る被害者とは関係が無いです。
>>ですけど、「被害者側にとって悪い」という評価が、
>>当然に「全ての人間が殺人をやめる理由になる」とはもちろん考えません。
>>というか、これは私がどう考えるかの話ではないです。
>その点については、私は問題にしてないが。とうか、「全ての人間が殺人をやめる理由」
>と、「いけないかどうか」は別の問題だと再三いっている。
「いけないかどうか」の問題を、「全ての人間−特に加害者(苦笑)−が、
殺人をやめる理由があるかどうか」の問題としてあつかっているようなので、
そのように書いたのです。
「悪いかどうか」は、常に被害者の側から語りうる問題です。そして、それを認める
「殺すことは悪い、だからそれはすべきでない」=「いけない」と考えることは、
単純に可能です。
>そういう根源的な必然性ではなくて、
>スレの議論という共通の動機下においての必然性の話だが。
必然性がないという語には、私が述べたような言い逃れに使える面があるという
指摘をしたかったのです。正しくは理由が無いというべきところなはずです。
そろそろ寝ます。合間にいろいろやりつつですが、ほとんどぶっ通しで
論じてきていますし。お疲れ様でした。
>>875 >私は自分の利益にかかわりなく、殺された人が殺されたことは悪いと認めますよ。
>認めることが、自分の利益になるかもしれないなぁ と思うか、と言われれば、
>そんなことは考えもしないが、殺された人が殺されたことは悪くないと言うよりは、
>ましだろう、と答えます。
だから、なぜ、「悪い」ということになるのだ。
あなたがどう「思うか」を問題にしているのではなく、
「悪い」という結論に至る論理が存在するかどうかという問題なのだが。
あなたがどのように「感じ」ようと、「悪い」という条件に合致することを
論理的に証明できないのなら、何もいっていないのと同じだよ。
というか、そもそも「悪い」の定義さえあなたは示していないが。
もしも、「悪い」の定義が「いけない」と同じなら、
あなたがどう思おうと、
「殺されたくない人が殺されることは悪いこと」
になる。
これはどう思うかの問題ではなく、純粋に論理的帰結だ。
>>875 >他人の不利益を認めるのであれば、それが他人にとって悪いことである、ということは
>認めますね?
>>それは、「被害者が悪い目にあった」という評価だろう。
>>「自己の体面」が関係無いのはあたりまえだね。
>と書いてますし。
だから「悪い」の定義が不明瞭なのでなんともいえないね。
私は、「悪い=不利益」という前提にたって言っているが、
それが違うなら、言い方を変えなければならない。
>なんで加害者と被害者しかいないことになってるんですか?
それしか思いつかなかったからだ。
別に他の人間の存在を認めないとは書いてないが?
>私も589さんも、そのどちらでもないではないですか。そして、加害者・被害者のいずれも、
〜
>既に何度も触れていますよ。
なるほど、「誰が」についてはよくわかった。
ところで、私は、
>誰が、だれにとって「悪いかどうか」の判断を下す場合に「間違えることはありえない」
>といっているのかよくわからないが。
といっている。
「誰にとって」についても教えてくれないかね?
>「殺されたくない人が、殺されるのは悪い」ですから、
>「殺されたくない人にとっては
>常にいけないことである」それを認めるかどうかをそもそも問題にしだすかどうか、
>また、それを認めるかどうか、また認めるか否かに関わらず、現に殺人が行われるかどうかは、
>別の問題です。
ややこしいな。
1)「殺されたくない人が、殺されるのは悪い」
2)「殺されたくない人にとっては常にいけないことである」
3)それを認めるかどうかをそもそも問題にしだすかどうか、
また、それを認めるかどうか、また認めるか否かに関わらず、現に殺人が行われるかどうか
これらについて、1)、2)と、3)は別の問題である、といっていると理解していいの?
それは私が再三言っていることと同じだが。
1)と2)が別の問題だというのなら、もう少し説明してくれないと、
理由がよくわからない。
>そうですか。でしたら、私の言い分では、あなたは「殺してはいけない理由」を
>認めていることになります。
あなたの言い分でなくても、あなたの「いけない」の定義においては、
そのとおりだが。
認める認めない以前に、自明のことだろう。
>>876 >いけないの定義が、「自己規制でない」わけではないです。自己規制をすべきかどうかは、
>「殺してはいけない理由」を元に「自己規制すべきだ」と主張し、問題にできます。
あなたの定義では、
「殺してはいけない」は「殺すことは誰かにとって悪である」
となるが、「誰かにとって悪である」ことは、それだけでは、
「自己規制すべき」であると主張する論拠にはなりえないだろう。
誤解の無いように書いておくと、
私は、「殺人を自己規制すべき」という主張を否定するつもりも、
「誰かにとって悪(=不利益)である」ということをその論拠にすることも、
否定するつもりは無い。
私が問題にしているのは、「誰かにとって悪である」ということが
「何の前提もなく、直接」、
「自己規制すべき」という主張の理由になるという点だ。
>ですが、自己規制を強制する手段は、ないのです。
そのことを問題にしていたのは昼間の彼であって、
私は、無関係だと言っているのだが。
>ここは「被害者側の利益という観点から導かれる、人を殺してはいけない理由」に
>納得するなら、戦争をするべきでないという方向で考えるのが普通だろう、と
>言ってるだけです。現に自分達がせっぱつまったときに、戦争に向かいだすかどうかは、
>現に困る被害者とは関係が無いです。
つまり、「そう考える人が多い」ということをただ言っただけなんだね。
>「いけないかどうか」の問題を、「全ての人間−特に加害者(苦笑)−が、
>殺人をやめる理由があるかどうか」の問題としてあつかっているようなので、
>そのように書いたのです。
だから、当人の判断は別問題だと、「私は」最初から何度も言っているが。
>「悪いかどうか」は、常に被害者の側から語りうる問題です。そして、それを認める
>「殺すことは悪い、だからそれはすべきでない」=「いけない」と考えることは、
>単純に可能です。
被害者の被害が存在するという事自体が「いけない」の定義に適合する、
というだけの問題であって、可能性云々を論じる問題ではないと思うが。
>必然性がないという語には、私が述べたような言い逃れに使える面があるという
>指摘をしたかったのです。正しくは理由が無いというべきところなはずです。
それこそ必然性が無い指摘だと思うが。
881 :
考える名無しさん:02/04/14 09:34
過去ログよむのももう眠いが
これだけログが進んで「悪」だのなんだの言っているのが
ここが本当に哲学板なのか疑いたくなる。
とりあえず「人」を殺すらしいが
人とは言ってもこの世には誰として同じ物はない
大きな枠で「人」と括られているだけで
これを見ている私も貴方も個体だ。
私があの肌色の顔した服を着ている
物体を見てそれが「人」であると知識と経験から
人という単体を結びつける事によって
初めてそれが「人」という物であると認識するだけだ。
「○○が××を殺した」「△△が××を殺した」
「×××が◎◎◎を殺した」「□□□が■■■を殺した」
いや殺したと言っても本当に「殺した」で正しいのすら不明だが
これらは全て異なる現象であり行為だ
「人」と思われる物体を破壊する、その形を変形させる行為
〜が〜の肉体を破壊する行為、だが全ては違う事柄であり違う行為だ。
「殺人」全称をさして判断する事自体が間違いという事になる。
次に前提も間違っている
この世には別に「いけない」事柄「いい」事柄という物は存在しない
なぜかというとそれ等は一つの物事に対して
その物事を認識した者が知識や経験から後付けする物であり
それその物(この場合では殺人)では単なる行動に過ぎない。
我々が行動に対しての判断は二つ「可能」か「不可能」か
次に「やる」か「やらない」かという意志決定。
この場合1における質問である
「どうして人を殺しちゃいけないの?」という質問は
質問者の意志による決定を回答者に求めている物だと考えれる
「私が間違っていた、私が何を言おうとやるかやらないかは貴方が決めるのは貴方以外には有り得ない」と答えるのが妥当だ。
かりに誰かが「やらない」と判断する理由を持っていたとしても
それはその「誰か」だけの話であり誰にも通用しない物だしそれを確認する事は出来ない。
次にここで話題になっている
被害者の不利益=悪、だが
不利益というのは
「殺人」と名称される行為を行った結果の状況変化を指すのだろう
その苦痛というのが肉体の破壊、精神の喪失、苦痛を刺すと考えた時
これらを悪であり不利益であるかと推測する事は
可能なのだと同時に利益であるとも推測する事は可能だ
だがそれらは妄想に過ぎない、なぜならば先にも書いたように
一つの事柄に対して
「悪」か「善」かは人が後付けで判断する物だからだ。
今まで動いていた「人」が動かなくなった
これを「死んだ」となんの根拠も無い主観で判断しているだけだ。
次に殺される側にいかなる情緒があったとしても
それを認識する事は不可能だ
というよりは我々はいかなる方法を用いたとしても
他者の精神の存在を認識する事が不可能なのだから。
本当に殺人などという物が。
「人」を殺し相手の精神の喪失があったのかすら
確認する術を持たない。
失礼、何が議論されているのか、よくわかりません。
利益、不利益という言葉が何度も出てきていますが、それは「なぜ人を殺して
はいけないのか」という議論には無関係ではないでしょうか。極めて特殊なこと
ではあるでしょうが、他人を殺すことが自分の利益になる状況というのはありえ
ることです。そして社会規範は、仮にそれが自分の利益になったとしても、人を
殺してはいけない、と主張しているのです。それに対して、なんの権利があって
規範はそんな主張をわれわれに押しつけようとするのか、ということを考えるの
がこの場所なのではないのですか。
同様に、殺される側について考えることも、この問題にはあまり意味があると
は思えません。それは、人を殺そうとしている人間が、これから考えなければな
らない別の問題、あるいは、人を殺してしまった人間がすでに、結論を出してし
まった問題にすぎないのではないでしょうか。
883 :
考える名無しさん:02/04/14 15:30
利益不利益をもちだせば
殺しは悪だと同時に善であるがみちびかれる。
だから人と言っても同一の物体ではなく個体
なのだから殺人全称の良し悪しを語る事は不可能。
885 :
考える名無しさん:02/04/14 17:03
同一でないのだからある同一のいたみに異なる判断を下すのは
論理的。
886 :
考える名無しさん:02/04/14 18:38
地球より重い…
って、いいよね。
887 :
考える名無しさん:02/04/14 18:45
祝福されるべきもの、
祝福されたものに対して、
その栄光を永続化すること、
って、いいよね。
888 :
考える名無しさん:02/04/14 18:45
その地球に何人の命があると思ってるのか
889 :
考える名無しさん:02/04/14 18:47
現実に起こっている殺人に対しての
矛盾だよな。
言葉だけの哲学には無理なのでは・・
890 :
考える名無しさん:02/04/14 18:52
延命医療に見られるような、弊害を除けばね。。
こんばんは。
>>878(589さん)
>>875 >>私は自分の利益にかかわりなく、殺された人が殺されたことは悪いと認めますよ。
>あなたがどう「思うか」を問題にしているのではなく、
私が、どう「思うか」を問題にしたのは、過失殺に関する議論をしていて、
あなたが「過失殺の被害者について、自分の利益に関わり無く、相手方の不利益を認める例があるか」、
という文脈でです。掲示板のレスの性質上、引用は詳細に行えませんから、前のレスとの照合をしつつ
読んでください。流れを無視してレスされても困ります。
>「悪い」という結論に至る論理が存在するかどうかという問題なのだが。
>あなたがどのように「感じ」ようと、「悪い」という条件に合致することを
>論理的に証明できないのなら、何もいっていないのと同じだよ。
>>460-461を見てください、と何度も言及しています。そこに書いてあります。
「殺された人にとって、殺されたことに付随する事柄として、@行動可能性が奪われること、
A痛いこと、が大きい不利益としてあげられる(他にもありますが、省略してます)」
「その不利益を、殺された人は、悪いと評価する」
だから、「殺されることは、殺される人(460-461であれば、0)にとって悪い」と、
0の立場からの検討のところに、はっきり書いてあります。
その後、「他人(1、2、3、…)が」実際に下す評価について、
場合分けをして、それぞれ論じています。これらは、被害者側が現に不利益を受けている
こととは、関係が無い問題であることは、何度も言及している通りです。
過失殺において、加害者が被害者に対して不利益を負わせたことについて、「悪かった」という語を
使うのは、一般的です。
>>864 この用法に従うなら、「相手方の不利益」を認識して判断を下すことができる以上、
故意殺の場合であっても、「加害者が被害者を殺したことは、被害者にとって悪いことであった」と
表現することができます。
被害者が殺人を悪いと評価する場合、当然、被害者はそれをやってはいけないと考えるから、
「被害者にとって、殺人は常に行ってはいけない」ことになります。
現に殺人を行われて困るのは、被害者だけです。ですが、自分が被害者になるかならないかに
関わらず、被害者が被害を負って困ることは、認識できます(589さんも、被害者が不利益を
負うという点については、否定されてません
>>873 から、この点はOKだと思います)。
そうであれば、「殺人が(被害者側にとって)悪いし、(被害者側にとって)いけないことである」と
認識できます。
>というか、そもそも「悪い」の定義さえあなたは示していないが。
>>857後半で触れてます。ただ、ここで「悪いこと」という表現を使ったのは誤りでした。
(私自身、他の人にその点を注意したりしてますが、自分も間違えてしまいました)
「あること」が「悪い」と評価する(ことがある)、です。
>>879 >私は、「悪い=不利益」という前提にたって言っている〜
すでに述べたとおり、私も同じ前提にたっています。
>>なんで加害者と被害者しかいないことになってるんですか?
>それしか思いつかなかったからだ。別に他の人間の存在を認めないとは書いてないが?
思いつかなかったって…それを堂々と書いてておかしいと思わないんですか…
ある事実を構成する要素(より細かく認識される事実)を思いつかなかった場合、
ある事実に関する判断が、根拠が無いことになりうることは、当然理解できますよね?
今回の場合、
>>851前半
>>852後半
>>857中ほど に示したような問題点があります。
>>460-461に即して言うなら、0(被害者)、1(加害者)、2、3…(部外者X)のうち、
Xからの0に起きた事実への評価、Xからの1に起きた事実への評価、という視点が
完全に欠落することになります。
>ところで、私は、
>>誰が、だれにとって「悪いかどうか」の判断を下す場合に「間違えることはありえない」
>>といっているのかよくわからないが。といっている。
>「誰にとって」についても教えてくれないかね?
「被害者にとって」です。殺人によって受ける被害について、「事実に即して理解したなら」
「それが被害者にとって悪い と判断できない」ことはありえません。
「事実に即して理解したなら」の箇所で、「心神喪失者」や「自称哲学者881ら」が
認識できないと主張したとしても、その事実は現にあるのですから、
被害者側の不利益に基づいて議論する人間に対して、正当な反論をしたことになりません。
>1)「殺されたくない人が、殺されるのは悪い」
>2)「殺されたくない人にとっては常にいけないことである」
>3)それを認めるかどうかをそもそも問題にしだすかどうか、
>1)と2)が別の問題だというのなら、もう少し説明してくれないと、理由がよくわからない。
1と2は、判断の段階が違いますが、被害者にとっては同じことです。
>>でしたら、私の言い分では、あなたは「殺してはいけない理由」を認めていることになります。
>あなたの言い分でなくても、あなたの「いけない」の定義においては、そのとおりだが。〜自明〜。
いや、だから私もほとんど自明だといってるんですけど。
「いけない」という人間が、現にいるという認識が欠如するのが、事実に反しているということを
言ってるんですけど。
>>880 >>876 >>いけないの定義が、「自己規制でない」わけではないです。自己規制をすべきかどうかは、
>>「殺してはいけない理由」を元に「自己規制すべきだ」と主張し、問題にできます。
>あなたの定義では、「殺してはいけない」は「殺すことは誰かにとって悪である」となるが、
>「誰かにとって悪である」ことは、それだけでは、
>「自己規制すべき」であると主張する論拠にはなりえないだろう。
私は「問題に出来ます」と述べただけです。だから、あなたとスタンスは同じ
(「誰かにとって悪い」ということは、「何の前提もなく、直接」「自己規制すべき」という
主張の理由にはならない)です。
以前「私は自己規制すべき理由」を答えてはいない
>>851 と、書いてます。
私は「被害者にとって殺人が悪い・いけない理由」は、確実に被害者にある(事実である)。
事実を認識するなら、それは「被害者にとって悪い」ことは、誰でも評価可能である。
被害者以外の人間Xから見て、「被害者にとって悪い」ことを認識できないのは、
「悪くない」からではなくて、Xが「被害者側にとっての事実」を認識しないことによる。
事実を認識しないことの理由としては、心神喪失か、認識しているが、故意に無視することが
考えられるが、これは、端的に現実に反するので、根拠をもっておらず、
「被害者が殺されることが悪い=いけない」への反論にならない。と、論証しているだけです。
だから、
「いけない」の定義を決めてから議論しない限り、
論点自体が成立しないと何度も言っているが。
「だれかにとって悪い」ことなのか、「自己規制すべきこと」なのか、
あるいはそれ以外の何かか?
おこなわれている議論において、どういった定義で言葉が使われているのかうぃ無視して、
自分の定義で勝手に解釈すれば、見当違いな議論をしているようにしかみえないだろう。
20:49につけられたレスまで、きちんと読まれましたか?
20:50にレスがついてますから、時間的に無理なはずですが。
失礼、やはり何が議論されているかよくわかりません。
個人的な意見としては、「人を殺すこと」が悪であるのは自明だと思います。
しかし、「なぜ人を殺してはいけないのか」と問うことは、それが悪であること
を認めた上で、なぜ「人を殺すこと」をしてはいけないのか、と問うことだと思
います。
もちろん、「人を殺すこと」は悪いことかどうか、と問うことは出来ると思い
ます。しかし、その問いは、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに比
べて、はるかにつまらない疑問ではないでしょうか。
>>896 >個人的な意見としては、「人を殺すこと」が悪であるのは自明だと思います。
それでしたら、私より
>>881さんへ反論するほうが、はるかに優先されるべきだと
思いますよ。この点について反論されてますから。
少なくとも、どう思うかくらい聞かせてください。「自明」なんですから。
898 :
考える名無しさん:02/04/14 21:58
別にいいんじゃない?殺しても。
相手を殺したいほど憎いと思えば殺すのが自然だし、そうする事で横から
第三者に裁かれたりするのは理不尽だ。
殺人が起こる原因があるとすれば社会に人が密集しすぎて人との関わりが
必要以上に多すぎる為だと思う。
899 :
考える名無しさん:02/04/14 22:02
>898
簡単発想。
900 :
考える名無しさん:02/04/14 22:10
>>898さん
自分が殺される段になって、その言葉がいえるかな?
901 :
考える名無しさん:02/04/14 22:13
>>896(小林さん)
>しかし、「なぜ人を殺してはいけないのか」と問うことは、それが悪であることを
>認めた上で、なぜ「人を殺すこと」をしてはいけないのか、と問うことだと思います。
なぜ「人を殺すこと」をしてはいけないのか。への答えは、
「誰にとって人を殺すことが悪いのか」を、正確に把握できるかにかかってます。
人を殺すことに対して、
「殺された被害者は」「殺されたことによって不利益を負う」
「それを被害者は悪いと評価します」。悪いことは、避けたいですから、
「被害者は、被害者を殺してはいけない」と考えます。
他の人にとっては、被害者が殺されてしまったとしても、
「他の人にとって」「被害者が殺されたことによって不利益を負わない」です。
この段階で、このスレッドに書き込んだ何人かの方は、
「だから自分が殺すことを止める理由は無い」と帰結しました。
しかし、ここで帰結を導く理由はありません。
人を殺さない理由も、人を殺す理由も無いからです。
ここで言えるのは、「殺したければ殺すし、殺したくなければ殺さない」だけです。
そして、続きを現に私たちは考えられます。
「他の人」も、「殺された被害者が」「殺されたことによって不利益を負う」ことを
認識できます。これは、事実認識の話であって、評価を下す話ではないです。
そして、被害者の不利益に即して判断するなら、「他の人も」
「被害者が被害者が殺されることに対して悪いと評価する」ということを、
理解することができます。
「そして、被害者は被害者を殺してはいけないと考える」という事実を認識できます。
認識できるのであれば、「他の人も」「被害者が殺されたらいけないと主張しているから」
「人(=被害者になりうるのは、全ての人です)」を殺してはいけない、と
主張できます。
903 :
考える名無しさん:02/04/14 22:15
>>901 あなたは、あなたに気づかれずに相手に殺されるんです。
そのとき、どう考えます?
905 :
考える名無しさん:02/04/14 22:18
904はワケワカラン
あなたは、あなたに気づかないように近づいた相手に、
ナイフで後ろから急所を刺されて死にそうです。
そのとき、どう考えます?
907 :
考える名無しさん:02/04/14 22:19
>>903さん
う〜ん。たしかにそう言われればその通りです。
なんだか自分の浅はかさ(?)というか語彙の少なさに鬱。
>>895 すまない、かぶったようだ。
で、話の腰を折るようだが、どうも、
あなたは、「被害者にとって不利益」ということを繰り返し論証しようとしているようだが、
そのことを私は否定したことがあったろうか?
いい加減「そのことは否定していない」と書くのに飽きてきたよ。
つまり、どうも議論がかみあってないような気がしてならない。
「被害者にとって不利益」
「被害者にとってされてはならない」
については否定するつもりは全く無い。
私が、問題にしているのは、それらを、
加害者が「行ってはならない」
という結論に直接に結びつける論理が無いということだ。
おそらく、ある行為の行為者について、
「行為者自身にとっての不利益」は「行ってはならない」
と結論する根拠足りうるだろう。
これは「利益」というものが「存在の保持増大」であるから、
「不利益」が存在の否定に繋がってしまうからだ。
しかし、行為者以外の不利益には、この論理は成り立たない。
この論理を使うためには、行為者以外の不利益が、
行為者自身の不利益となることを論証する必要があるからだ。
だから、「社会」という概念が導入されることになる。
909 :
考える名無しさん:02/04/14 22:25
具体的な例だと、その場合場合によっての状況に左右されて水掛け論になる可能性があるのでやめたほうがよいと思います。
>>909 906のこと? じゃあ、気づかずに何らかの手段で殺されることに関してで
どうじょ。
589さん、レスどうもです。
911 :
考える名無しさん:02/04/14 23:11
>
>>895 >すまない、かぶったようだ。
いえいえ。
>で、話の腰を折るようだが、どうも、あなたは、「被害者にとって不利益」ということを
>繰り返し論証しようとしているようだが、そのことを私は否定したことがあったろうか?
ないですよね…ですけど、扱い(最終的に採る表現)が違うんで、そこの違いを
伝えようとして、いろいろと述べた(つもり)です。
>「被害者にとって不利益」「被害者にとってされてはならない」については
>否定するつもりは全く無い。
了解しました。問題は、↑を「事実である」として他人が「認めることが可能か」
にあるのかな? これは、可能ですよね…。
現に589さんも、私も否定してないわけですから…
>私が、問題にしているのは、それらを、加害者が「行ってはならない」
>という結論に直接に結びつける論理が無いということだ。
「加害者(になりそうな人)」という前提で考えるなら、直接に結びつける「論理」は
ないです(自己規制する「理由」は無い)。
「加害者になりそうな人」が、現に「行わない」と考えるかどうかは、結局
「何らかの理由で」「行わないことにする」かどうかにかかる問題だからです。
何らかの理由が、「被害者側の不利益」であることも、あるでしょうが、
そもそも過失殺の場合は、別のことを考えながら殺してしまっている場合ですし
私怨の場合は、「被害者の不利益」が考慮に入る道理がありません。
ですから、加害者は、「被害者にとって殺しは、悪い、そして被害者にとって、
殺しを行ってはならないということを知りながら」、結局殺すことになった、
ということに、大抵はなります(「」内をいちいち認識・論証・表現などを
ことあるごとにすることが、実践的な観点から見て、非常に大切です)。
※加害者になっていない人間(ある人を殺した加害者も含みます)は、
「殺人を行ってはならない」と「言うことはできます」。
単に「行ってはいけませんよー」って言えばよいだけですから。
これは、根拠があるかどうかの問題ではなくて、
「殺しが起きている」「おきていない」と同様、
「言われている」「言われていない」という事実の問題です。
>おそらく、ある行為の行為者について、「行為者自身にとっての不利益」は
>「行ってはならない」と結論する根拠足りうるだろう。
>しかし、行為者以外の不利益には、この論理は成り立たない。
行為者(になりそうな人)以外の人の不利益が、やめる「実存的な」理由にはならない、と
私も考えます。
しかし、被害者の不利益を承認する加害者や、被害者の不利益を承認する被害者や
被害者の不利益を承認する部外者は、被害者側の不利益にのっとって、
「被害者側にとって」行うべきでない、と、端的に主張しえます。
(
>>460-461の0の立場について、1、2、3、…についての、1番目)。
誰かがやめる理由が無くても、誰かが主張する理由はあります。
>>912の最後の、補足です。
>被害者の不利益を承認する部外者は、被害者側の不利益にのっとって、
>「被害者側にとって」行うべきでない、と、端的に主張しえます。
これがなされているメカニズムについては、社会という概念を持ち出す必要が
生じるのかもしれません(私はそうはおもいませんが)。
ですが、社会という概念を持ち出さなくても(意識しなくても)、
端的に上のように主張でき、それは、十分な説得力をもつ
(なぜなら、被害者側の不利益・被害者側の評価は現にあるから)、と
考える、という意味で述べています。
ああーーー、重大なミスをやらかしました。
>>902中
ここで言えるのは、「殺したければ殺すし、殺したくなければ殺さない」だけです。
↓
ここで言えるのは、「殺したければ殺すし、殺したくなければ殺さない」
「そもそも殺す殺さないとかいうことを考えていない」のいずれかだけです。
(ついでに、現実的には、後者のほうが圧倒的に多いです)
>>473さん
思いがけず丁寧な反論をいただき感激です。これに答えさせていただきます。
人が人を殺そうと考えるとき、人を殺す理由も、殺さない理由もいくらでもあ
るでしょう。「人を殺してはいけない」という社会規範は、人を殺さない理由の
ひとつでしょうし。しかし実際に人を殺すという行為がなされるとき、それが殺
される側にとって「悪い」ことであっても、端的に無視されるだけの話です。あ
るいは、むしろ殺される側の「悪い」ことが、そのまま殺す側の「良い」ことで
ある場合だってあるはずです。恐ろしい話ですが。
殺人に限らず、人は良いことも悪いこともすることができます。人が悪い行為
を企図したとき、それが悪いことである、という指摘はすでに了解の上に企図が
なされているのですから、何の意味も無いのではないでしょうか。それを考えた
上で、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに、答えていただきたいと
思います。
少なくとも、882でも主張しましたが、この問題にとって、「利益−不利益」
という規準や、「被害者の立場」という言葉はなんの意味もないと思います。
考えるべき対象は「個人」ではなく、その規範が生きている「社会」の方では
ないでしょうか。
>>915 どうもです。
>>881についても、考えを聞かせてください。
このスレの場合、私以外の人間が、
>>881にレスを返すことが、
非常に大切だと思います。
>>912 >>913 >ですが、社会という概念を持ち出さなくても(意識しなくても)、
>端的に上のように主張でき、それは、十分な説得力をもつ
>(なぜなら、被害者側の不利益・被害者側の評価は現にあるから)、と
>考える、という意味で述べています。
問題は、
「(なぜなら、被害者側の不利益・被害者側の評価は現にあるから)」
という論理を認めるかどうかという問題なのだが。
まず、「行ってはけない」という論述は実際のところ、
「命令」であるということには異論はないだろう。
とどのつまり「行っていいかどうか」というのは、
「行ってはいけない」という命令の妥当性を論じているわけだ。
あなたの述べていることは、
「命令の出現の蓋然性」あるいは「発令者における妥当性」
であって、そうやって提出された命令が、
受命者にとって妥当かどうかの検討を欠いている。
仮に、発令者における妥当性それ自体を問題にしているのならば、
あなたの主張にはなんら問題は無い。
しかしながら、一般に他者の命令が受命者において妥当性を持つためには、
発令者が受命者に命令を行うことの妥当性
(単純にいえば命令する権利があるかどうか)を考える必要があるだろう。
あなたも、命令というものは、
それがなされたならば、受命者において必ず妥当性を持つものである、
とまで主張するつもりは無いだろう?
しかし、実際のところ、なんの前提も無い状態で「従わなければならない命令」
つまり「妥当な命令」というものは存在しえないんじゃないだろうか?
だから、「前提なしには論点自体が存在しない」といっているのだ。
すみません、少し外出しますので、レス遅れます。
919 :
考える名無しさん:02/04/15 00:42
どうしてゴキブリを殺してもいいのに犬を殺しちゃいけないの?
>>919 「ゴキブリを殺してもいいのに犬を殺しちゃ行けない」なんて
誰に言われたの?
ここですか?
某スレの38がいるスレというのは。
922 :
考える名無しさん:02/04/15 09:52
結局、論理的には証明不能って事でいいんだよね?
誰にも「人を殺していい」とも「人を殺してはいけない」
とも言えない。
僕は行い得る事は行ってもいいと思うけどね。
神がいる場合→行ってはいけないことは既に抑止されているはず→
自由意志で行えることは行ってもいい。
神がいない場合→行い得る事に対して普遍的な抑止は不可能→
結論同じ。
前者で「行い得る事の中にも普遍的な悪がある」と主張するのが
宗教だし、その命題もまた否定は不可能。
この一点に於いてのみ人を殺しては普遍的にいけないのかも知れ
ないという疑いが残る。
僕の中ではそれは確率論的に疑わしいなってくらいの感想です。
あとは主観的快楽原則(等価交換原則)の話だから、人によ
って違うのは当然。マジョリティとマイノリティの話で、論
理的には無意味。
いち高校生ですから言葉の概念が幼いと思いますが勘弁。
923 :
考える名無しさん:02/04/15 13:06
「王様は裸だ」というのは、子供と哲学徒の特権ですな
924 :
考える名無しさん:02/04/15 13:15
>>919 ゴキブリを殺してはいけません。
部屋へ招き入れて、殖やして下さい。
それでこそ哲学徒の部屋です。
犬は殺して食べましょう。
925 :
考える名無しさん:02/04/15 13:55
論理的根拠とは別に、
大人は子供に対して、
あるいは、人は人に対して、
何かを言うことが出来るわけです。
路傍の花を踏み潰そうとしている者に対して、
そんなことをしてはいけないと言うことに、
なんの問題もありはしません。
人は自分にやられたくないことは、他人にもしないほうがいい。
わけもなく人を殺していいということになると、自分も殺される可能性がかなり出てくる。
そういうわけで、自分が殺されたくないから、あるいは不快な思いをしないために、
権力による強制力を背景に、お互いに話し合って社会のルール(法)を決めようということになった。
927 :
考える名無しさん:02/04/15 16:12
哲学は、社会契約説よりも、
感化や浸透が持つ力にこそ関心がある。
結論!!
自分が死ぬから殺すな
以上。文句ある奴いる?
929 :
考える名無しさん:02/04/15 16:24
>どうして人を殺しちゃいけないの?
殺すと「たたり」があるからです。
無実の人を殺すと亡霊になやまされ、一生を無駄に過ごす事になります。
ただし、夫の留守中に妻を強姦して殺害、おまけに赤子まで床に叩きつけて殺した
犯人がいましたが、彼のような鬼畜は殺してかまいません。
私の妻や娘が被害者なら、何年かけても犯人を絶対に殺します。
こんな奴の「たたり」は逆恨みなので、全然怖くないのです。
まして刑務所など・・・どーって事ありません。
930 :
考える名無しさん:02/04/15 16:26
>>928 自分も死んでもいいって言ったらどーすんの?
>>930 自殺しろ。他人に迷惑の掛からぬようにね、できないなら死ぬな。
932 :
考える名無しさん:02/04/15 16:34
>931
「迷惑とか知らねぇよ。まず殺して死ぬ」って言ったら?
>>932 それ答えなくちゃいけないのかな?
貴方が迷惑を知らないと言うなら・・・
934 :
考える名無しさん:02/04/15 16:56
>933
「迷惑」って単語の意味を知らないといってるのではなく、
「迷惑」なんか「道徳的」なことは俺に関係ねぇよ、ってこと。
つまり、「道徳なんか知ったこっちゃねぇ、殺してやる!」
っていう人間に対してなんかいえるか?
>>934 社会から抹殺されるでしょうな
文句ある?
936 :
考える名無しさん:02/04/15 17:00
>935
「うん、社会から抹殺されてもいい。ただ、とにかく、俺はあいつを殺す」
って言ってる人間にたいして、ではどうやって「殺すな」なる厳命を言えるんだね?
>>936 「殺すな」という厳命を破り、「殺す!」と言う人にどう「殺すな」ていえる?
言えないなぁ。
938 :
考える名無しさん:02/04/15 17:12
?>937
言えないよ。じゃぁ、1の問いには答えられなかったね。
表向きはさっきも言ったように
「自分が死ぬから殺すな」
で良い。「殺すな」の厳命にはむく、ほんの一部には死んでいただくのみ
940 :
考える名無しさん:02/04/15 19:09
>>939 でもそれは他人を殺した人間には死んでいただくだけで
これから他人を殺す人間を束縛できるものではないね
つまり君は1の質問に対して
「どうぞ殺していいよ そのかわり殺したら(殺した後で)君も殺されるよ」
と言っているに過ぎないわけだ
941 :
結論 ◆NmBygXfQ :02/04/15 19:11
>>940 だから表向きに「自分が死ぬから殺すな」 ってことで良いんです。
それ以上何を求めるんだ?なら憲法第9条を自衛隊の存在を含めて分かりやすく
説明していただきたいものです。
自分と他人とを同一の存在と仮定すればな。
943 :
考える名無しさん:02/04/15 19:30
>>941 君の意見は1の質問に答えるわけでも何か意味のある展開を見せるものでもない
どうぞそう思っててください
ただ同じことを2度は言わんでよろしいのでもう書き込まんでえーよ
哲学板史上最強の駄スレ
945 :
結論 ◆NmBygXfQ :02/04/15 19:32
>>943 あなたはそんな権力も権限も何も無いわけだが
946 :
考える名無しさん:02/04/15 19:34
>945
権力も権限も無いが有意義な展開を見せただろ?
947 :
結論 ◆NmBygXfQ :02/04/15 19:34
948 :
考える名無しさん:02/04/15 19:35
949 :
結論 ◆NmBygXfQ :02/04/15 19:36
導き方が美味いです。美味く踊らされたわけだが
950 :
考える名無しさん:02/04/15 19:36
無駄な意見には無駄と言う
そして同じ意見を書き込むのは無駄だから書き込まないほうが有意義だと言う
とても意味のある発言さ
>>950 と,いう事は947と被った僕の意見も無駄か・・
鬱・・
952 :
考える名無しさん:02/04/15 22:45
愛がなければ、一生、解らないだろう。
953 :
考える名無しさん:02/04/15 23:04
ひとを殺しても全然OK。何故なら君が人を殺しても君は生き残るだろ?
ここでウダウダ言ってるカスどもは君に殺されたくないが故に情けなくも
迂遠な布石を敷いているのだよ。ン、漏れ?漏れは大丈夫だよ。
ここに集ってるアフォどもとは違って適応性抜群だから。君の御眼に留まる
ことはないよ。
954 :
考える名無しさん:02/04/15 23:48
「殺人の否定に論理的根拠は無いが、君が殺しをすれば僕は困る」
とだけ言えばいい。
どっちかに偏って微視的な説教をする馬鹿な親は、今の子には軽蔑される。
あのー、私はまだ反論するつもりあるんで、みなさんもうちょっと待っててください。
感想を拝見しましたが、明らかに私の主張を読んでない文章が多くて悲しいです。
956 :
考える名無しさん:02/04/16 00:54
>>954 「君が殺しをすれば僕は困る」で十分じゃん?
人間社会は殺人を予防するルールを維持することを通じて構成員の
生命を守ってるわけだから、ルールが破られる事態になれば社会の
構成員は皆迷惑する。そういうことをする奴は社会の敵になります
よ。
それを「悪いこと」って言うんですよ、ってな。
加害者にとってとか、被害者にとってとかいうより、「社会にとっ
て」ということであり、社会の構成員である以上、社会にとって都
合の悪いことはしちゃいけないと言うのが論理必然。それは「悪い」。
逆に言えば、社会の構成員以外の熊やスズメバチや地震・洪水が人
を殺してもそれは「悪い」とは言わない(「あってはならない」とは
言うけど)。
でも、どうせ誰かとかぶってるんだろうな。
957 :
名無しさん@〜@〜:02/04/16 00:58
>>956 包茎か?おめーはかぶりすぎ。しかも真性
昔この問いをニュース23で発した高校生は、たとえば戦争では殺人は許されるのに、みたいな言い方をしていたな。
つまり社会の内部に於いて秩序付けられた規範は社会の内部に於いてだけのもので、社会の外部、社会と社会の間ではそれは絶対的な規範ではない、と。
「人を殺してはならない」というのは絶対的な命題ではない、と。そういうニュアンスだったな。
こういう問いに潜んでいるのは、規範を本気で疑うというよりは、それにまつわる「道徳」というレトリックへの反発のような気がする。
その限りに於いて卑小な問いではある。
これには、「そうだよ」と認めた後で、社会契約説的に答えるのでなければ、矛盾を解消することはできないのでは。
>>957 すみませんねえ。
社会契約って言葉もちらほら出てるようで。
しかし何でそこで話が終わらんかな。
960 :
考える名無しさん:02/04/16 01:17
殺しが有り得ない社会はつまらない。
自分に関係の無い事件はみんな大好きだろ?
速報板見て見ろ。
自己を省みるため、常識人だという優越感に浸るため、
空虚な日常の暇つぶしなどなど事件が社会に与える+
の面を無視出来るのか?奇麗事スキーども。
社会的側面は殺人の否定にはならないのだ。
そこには、それで大半の人は納得するだろうという先入見はあるんだけど。
その先入見を支えているのは、結局、既存の共同体に具わっている"力"。
遵わなければ排除される(する)ぞ、という。警察権力はその最たるものだけど。
その秩序の内部で、その問いが問われる時、それはその秩序を補完するレトリックを生むか、あるいは本当にその社会を攻撃するものになるか、どちらかじゃないのかね。
>>960 確かに・・・家が燃えてるとこ見ると感動するもん
その高校生ってそういうニュアンスで考えて発言してたん
ですか?
それは知らなかった。
もっと素朴な疑問みたいなものだったのかと思ってました。
社会の外部とか言われたら、どうも社会契約で説明できない
ところまで行ってしまいますね。
けど、だからと言ってその高校生に、社会を抜けて動物に堕
ちるというまでの覚悟があるわけでもないんでしょうがね。
>>960 >>962 そういうのは関係ないと思うが。
こう言っては何だが、ソれこそ本気で考えようとしたことのないやつのいうことだわ。
マジレスしてばからしいわ。
>>964 マジレスにしてはその意見、いただけないな・・・
いるだろ?君にも氏んでくれ!と思う人が
966 :
阿修羅∞落とし ◆suDYa/2M :02/04/16 01:33
この手のスレ。繰り返し繰り返し何度も建つが
繰り返されるほどに議論のレベルが落ちていくという罠。
それは、過去ログを読まない層が集結していることに起因しているという罠。
しかし、過去ログ読めと言っても読まない奴が結構居るという罠。
此処までの話も何度も繰り返されているという罠。
よって、指摘する奴も飽き飽きしていてスレが伸びるという罠。
967 :
考える名無しさん:02/04/16 01:40
どんな説も、生きる正当性が証明されてないんだから無意味だと思うわたし。
>965
いや、べつにいないけど。
>966
たしかに。一年も前にも同様なスレッドはあったし、そこでちょっと粘着して議論したこともある。
この話題って、オカシイくらいに話の通じない人っているんだよ。
むこうもそう思っているかもしれないが。それに、そういうのがなんとなくわかるから面白いってのもあるんだが。
何で答えが出ないのか。答えがないからなんだろうな。
対話の状況ってのが大事なんだと思うのだが。一般的回答をするには、自分と相手の利害の共有を主張しなけりゃならん。
くだんの高校生は、後日もういちど機会があった時、とにかくみんなの意見が聞いてみたかった、みたいなことを言ってたな。
ところで、罠罠うざいよ。
>どうして人を殺しちゃいけないの?
いいのかもしれない。殺される人は嫌だと叫ぶけど。(笑)
>>956 わたしもそう思う。(全体に寄与する行為は善であると仮定すればだけど)
でも全体にも色々あって、
自分--->家族--->共同体--->国家--->人類--->?(宇宙)
だからその人の価値意識によって殺せる条件や殺されてもいい人が決まってくる。
人は「目には目を歯には歯を」を因果性による経験で叩き込まれているし、
自分が殺されないためには(できるだけ)人も殺さないように[してる]だけ。
しかしこれは人を殺すことのリスクの問題であって“殺しちゃいけない”
ということではない。つまり自分の責任において殺ってくださいってこと。
(でも、責任なんて取れないだろうからできるだけやめようね!)
前レス読んでません。たぶんかぶってる。(^_^;)
人という字の意味を考えよ!
みんなアホですな。阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆阿呆ほほほほほほ。
人は支えあって生きているんでしょー我。ボケなす。
ついでにオナニー死しちまえ。おまえら。
キ@ガイめ!
あ、おれもオナニー中。
>>969 前スレてか20、30くらい前に述べてる。あんたも真性だな
もうこういう馬鹿スレがあって何を言っても解さない人種が居る事に絶望する、死に至る病だ。
>>972 要するに、普通に考えれば誰が答えてもこうなると
ころなんだけど、それで議論が終わらんのは何故?
>>974 そもそもの話「やってはいけない」等という個人の意志決定を
定義しようという前提が間違っているから。
>>974 死が怖いのだろう。話さえすれば良いと思っていらっしゃるらしい
>>972 読み返してみた。
わたしのが一番論理的で分かりやすかったよ。
あなたの無駄なカキコより価値があると思った。(^.^)
>>975 けど、刑罰とかによって個人の意思を殺さない方へ方向付けることは
当然行われてるしそれは間違ってない。その意味じゃ「殺人はやって
はいけない」。
「やってはいけない」って言葉の使い方の問題かな?
>>978 ああ、「やってはいけない」というのは命令なんだ。
誰かからその人の意志決定への。
方向をつける事はできても「やる」か「やらない」かを決定するのは
その個体のその都度その都度変化する意志による決定だ。
それに大して一つの行動を指して大前提としての
「○○=やってはいけない」を定義つける事その物に無理がある、という事。
みなさんは、自分が論じている言葉の一つ一つの主体がぶれていることに、
自覚的でないんですよ。
>>979 そうですね。人間社会から構成員への命令というか、契約です。
社会から恩恵を受けるのであれば、従わなければいけない。
文句があるなら、恩恵を受けるのをやめて社会から出て行け、と。
「いい」とか「悪い」とか、その程度のものだと思うんですが、そ
れを超えて、皆が何かすごいものを期待してるから、議論が紛糾
して雑誌なんかで特集組まれるまでになるんじゃないですかね。
それでも、ありとあらゆる手を用いてでも、信仰は守られなくてはならない。
依拠できる最後の砦なのだから。
>>978 「人間」と大きな枠で括っていても
我々は個体であり、同一の存在ではない
その時点で一つの現象を同じように共有する事は出来ない。
というのが大前提。
次に行動における分別は可能な物と不可能な物
可能な物に対しての「やるか」「やらないか」に対して
この場合は可能な行動に対する「いけない」という意志判断への質問である事。
その次に意志に介入するのはいかなる物でもなく
個人の意志決定は個人の意志でしか行えなくそれが第一原因であるという事
つまりその個人以外の誰かが
「人を殺しちゃいけない」といってもそれはその個人にとって
「いけない」たりえない、「いけない(=やらない)」を決定するのは個人の自由意志である事。
この質問者へは我々がいかなる回答を持ちえたとして
「いけない」「いけなくない」という前提、定義を与えたとしても
それが回答者の意志決定にはなりえない、という点で。
○○(実現可能な行動)=いけないorいけなくないを大前提として質問者に回答する事は誰にもできない。
38って何物?死刑反対してるけど
時間取れなくて練れてないので、クソ長くてまとまってませんが、ご容赦ください。
>>917 >>ですが、社会という概念を持ち出さなくても(意識しなくても)、
>>端的に上のように主張でき、それは、十分な説得力をもつ
>>(なぜなら、被害者側の不利益・被害者側の評価は現にあるから)、と
>考える、という意味で述べています。
>問題は、「(なぜなら、被害者側の不利益・被害者側の評価は現にあるから)」
>という論理を認めるかどうかという問題なのだが。
「論理」ではなくて、「被害者側が被害者が負った不利益に対して下す評価」についての、
事実認識(分かりやすく言えば、観察できるかどうか)に基づいていると何回も書いてます。
観察というのは、単にそのように観察できるかどうかの話ですから、論理とは無関係です。
>まず、「行ってはけない」という論述は実際のところ、
>「命令」であるということには異論はないだろう。
>とどのつまり「行っていいかどうか」というのは、
>「行ってはいけない」という命令の妥当性を論じているわけだ。
「命令」の内容があいまいです。「命令」には強制力があるのでしょうか?
@「命令」に強制力があるのであれば、「命令」の妥当性は、
「(誰かにとって)行ってはいけない」かどうかの問題ではないです。
強制力のある命令の「妥当性」を論ずることは、そもそも
・(誰かにとって)〜をされると悪い事実がある、だからしてはいけない(理由がある)という主張があり、
・それが正当であるという前提の上で、
・現にそれを強制的な手段に訴えて、「(誰かにとって)してはいけない」という要求に従わせる
ことを認めるか、また認めるならば、それをどのように行うか、という問題です。
今回の議論でいえば、これは「法制度や統治機構」、具体的には「刑事法とそれを支える制度の問題」です。
A「命令」が、「行ってはいけないと言うだけ」であるのなら(命令は普通この意味で使われます);
・そもそも根拠無く(これは@合理的でなくても A根拠をわかってなくても の2つの意味で)
命令を行うことが、可能です。
・「行ってはいけない、何らかの根拠」があれば、当然それは主張されます。
そしてそれに対する合理的な反論がなければ、それは「(ある立場にとって)正当な命令」とみなされます。
ある立場に立つ者が現に多いかどうかは、社会がどうとかいう問題ではなくて、単純にそう考える人間が
多いかどうかの問題です(一般人は、いちいち社会がどうとか小難しいことは、たまにしか考えません)
単純にそう考える人間が増える要因として、そこに共感や世間体などの要素が介入することを否定する気は、
ありません。
・繰りかえしますが、殺される段になれば、私が
>>460で触れた不利益を負うことは、上にいう話とは全く関係なく
おこります。それは事実です。
事実に従えば、「被害者側の不利益に対して評価を下す能力のある人間(加害者含む)」は、それを悪いと評価します。
ある立場にとって合理的な命令に対して、単純に気に入らないとか、ある立場からの命令に対して反論にならない
「理由」で、命令を無視することは「事実上」可能ですが、それは事実の問題(命令に従うか従わないか、
従わせるか従わせられるか)であって、命令の正当性に関する問題ではありません。
>あなたの述べていることは、
>「命令の出現の蓋然性」あるいは「発令者における妥当性」であって、
>そうやって提出された命令が、受命者にとって妥当かどうかの検討を欠いている。
そもそも、強制力の無い命令は、発令者にとって妥当であれば、発令者側にとって成立し言われうるのですから、
受命者にとって妥当かどうかは問題になりません。
そもそも、「殺してはいけない」という問題について、「発令者も受命者もいない」場合が多いことが、考慮から抜けてます。
>しかしながら、一般に他者の命令が受命者において妥当性を持つためには、発令者が受命者に命令を行うことの妥当性
>(単純にいえば命令する権利があるかどうか)を考える必要があるだろう。
前述の通り、強制力のある命令は、命令の正当性を前提として、それを実現する際の手段の問題ですから、
そもそも今回の話からずれています。ここでは「権利」という語を用いられていますから、強制力ありで考えてると
みなします。
>あなたも、命令というものは、それがなされたならば、受命者において必ず
>妥当性を持つものである、とまで主張するつもりは無いだろう?
>しかし、実際のところ、なんの前提も無い状態で「従わなければならない命令」
>つまり「妥当な命令」というものは存在しえないんじゃないだろうか?
はっきりいって、直観で「何の前提も無い」がおかしいとわからないとまずいと思うんですが、そうも
言ってられないので反論しますと;
「何の前提も無い状態」というとき、あなたは、「受命者にとって」を前提としてますよね。
発令者にとっての妥当性に疑義を呈してるわけじゃないので。ですけど、命令は発令者にとって妥当性があるから
なされるものなんです。それに同意するかどうかは、発令者が実際に受ける不利益=発令者からの評価とは
全く関係がありません。
・同意しなくても、発令者は命令しますし、それに合理的な根拠はあり続けます。
・同意する際に、受命者が自身の利益を考えていても、発令者は命令しますし、それに合理的な根拠はあり続けます。
・同意する際に、受命者が発令者自身の利益を考えて受け入れても、発令者は命令しますし、それに合理的な根拠は
あり続けます。
「あなたにとっての妥当性」の問題のみを、「他者の要因」を無視して考えるなら、端から「他の要因を無視している」の
ですから、「他者の要因」を論じたことになりません。
要するに、あなたは「人を殺してはいけないのはなぜ?」と聞かれたのに対して、
「君は殺したことでは、殺されていないから、誰かが死んでも関係ないんだよ」と答えてるのと同じなのです。
これは、問題に対する答えにはなっていません。というのは、これは
「(殺されていない人が→殺した人が、ではない)殺されてないことについてどう考えるのか、答えてるだけだからです」。
>>988 読むきしねえよ。簡潔に述べてくれ。っというから永遠と同じ議論が続くのだと思う
これが2チャンネルの特徴な訳だが
面倒なのは分かる
987の最後…変なところがありました。
端から「他の要因を無視している」のですから、「他者の要因」
↓
端から「殺人における主たる要因を無視している」のですから、
「殺人」を論じたことになりません。
正確に表現するといくら繰り返しても伝わらないのでこのようにします。
>>984 まあ、そりゃ、やっていい、いけないを本人の意思(利益?)基準で
考えれば、「人殺しがいけないかは人それぞれ」ということになり
ますな。
他方、構成員の利益を守るという社会結成の目的から見れば、殺人
は防止すべきことで、そのためにあらゆる手段が許容される。
社会のルールを守ることと引き換えに恩恵を受けるものは、ルール
を破ってはいけない、「人を殺してはいけない」ということになる。
結局、言葉の使い方だと思いますが、普通の用語例では、「本人でなく
社会基準で「いけないかどうか」を判断すると言うことなんじゃない
ですか。
まあ、内容的な議論と言うより、言葉の使い方の違いなんで、どっちで
もいいですが。
994 :
阿修羅∞落とし ◆suDYa/2M :02/04/16 02:51
__ _ ξ 馬鹿どもがっ
( ゚ω゚)y-┛
.ノ( ωへ,
今日初めて1000取る気がするよ・・・
>>993 だから、「人殺し」の定義から「被害者である人間と、部外者」が抜けてる…。
人殺しのときに加害者しかいないかのようだ。
997 :
阿修羅∞落とし ◆suDYa/2M :02/04/16 02:55
999ゲトー
998 :
考える名無しさん:02/04/16 02:55
阿修羅死ね
1000
1000 :
阿修羅∞落とし ◆suDYa/2M :02/04/16 02:56
999ゲット!
1000とった奴はバカ!
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。