1 :
考える名無しさん:
1.脳生理学を知らない奴が「認識論」「主体論」を語るな。
2.量子論を知らない人間が「唯物論」を語るな。
3.数学を知らない人間が「記号論」「経済学」を語るな。
あんたら文系に残されているのは文学のテキスト解釈のみ。
これからの哲学は理系の仕事。
2 :
考える名無しさん:02/01/30 19:07
ごめんよう。今度から気をつけるよう。
2は正しい。3もある程度は正しい。
1は全然違う。
4 :
考える名無しさん:02/01/30 19:10
1〜3は「現在の」が付くなら賛同。
>あんたら文系に残されているのは文学のテキスト解釈のみ。
>これからの哲学は理系の仕事。
別に文系、理系で分け隔てなくてもいいんじゃないの。
5 :
考える名無しさん:02/01/30 19:12
今の時代、神経症へのアプローチは薬。高度な化学・脳生理学によって
のみ可能。洞察だの夢だの解釈だのって言ったら笑われる。
ってことですね。
6 :
考える名無しさん:02/01/30 19:13
主体論はともかく、認識論は脳からのアプローチが最近さかんだと
ききましたが。。。
7 :
考える名無しさん:02/01/30 19:25
僕は科学認識としての哲学はもうほぼ終わったと、とりあえずは言えると思う。
しかし、
>あんたら文系に残されているのは文学のテキスト解釈のみ。
というのは全く意味がわからないな。
例えば「主体論」なんていうけど、脳生理学でどうやって倫理を語る?
それから、全く逆のことがいわゆる理系の人にも言える。
哲学史っていうのは、人間の思考の歴史だから、
それを知らずに科学を語るな、と。
でも学問の発展にも分業は不可欠なのだから、他分野の知識が浅いのは仕方のないことだ。
だから、ある程度知ってればいい。
8 :
考える名無しさん:02/01/30 19:29
>哲学史っていうのは、人間の思考の歴史だから、
>それを知らずに科学を語るな、と。
あの。哲学史なんて科学を語る上で、ほぼ100%関係ないよ。
実際問題としてね。
>4
精神科でそんなことをいう医者がいたら重度のDQNだぞ。
たしかに薬は強力なアプローチの一つだが、
はっきりいって薬だけに頼る治療には限界があるし、
その補正として心理療法も用いられている。
ちなみに、理系を標榜する心理学は化学生物系ではなく「行動主義」。
この人たちの中で最も過激な勢力は、
「人間性へのアプローチは行動分析によってのみ可能」と主張し、
洞察だの夢だの解釈だのいう人々を嘲笑ったりしている。
間違えた。>4じゃなくて>5。
11 :
ウソクラテス:02/01/30 19:45
1.脳生理学を知ってるだけで「認識論」「主体論」を語るな。
2.量子論しか知らない人間が「唯物論」を語るな。
3.数学しか知らない人間が「記号論」「経済学」を語るな。
べつに1のいってることを否定している訳ではない。
12 :
名無しさん@1周年:02/01/30 20:37
脳生理学は認識も主体も扱い得ない
存在論に量子論が何らかの影響を与えるわけではない
記号論にとって数学は自分の領域のほんの小さな部分に過ぎない
(数学を知らない人間が経済学を語るなはある程度正しいが。
ただし、共時的経済学=経済の科学に限られるが)
13 :
考える名無しさん:02/01/30 20:39
理系>文系
14 :
考える名無しさん:02/01/30 20:49
>>8 個々の専門分野を語るならほぼ関係ないけど、
「科学」を語るならほぼ100%必要。
15 :
考える名無しさん:02/01/30 20:51
>>13 一般的傾向としてはそうだけど。
それがどうかしたの?
数学版にも、1とは逆の意味のこと言ってる馬鹿がいるんだよ。
つまり、文系にしろ理系にしろ馬鹿はどこにでもいるってことだ。
心理学は内部に文系と理系の両方があって不毛な対立を繰り広げています。
まったくもって馬鹿はどこにでもいるが、身内の馬鹿が一番困る。
人生哲学ってことでいいじゃん ダメ?
19 :
名無しさん@1周年:02/01/31 00:20
>1の言い分だと存在論・観念論・美学・倫理学・論理学・政治哲学は文系に残してもらえるようだね。
理系文系の区分は科学的ではない
理系文系の区分は学問の無理な区分であって
人間の区分ではない。
22 :
考える名無しさん:02/01/31 00:52
のいや、むしろ学問区分でなくて、人間の区分だろう。
いま哲学やってる人には、数学的科学的なセンスが、例外なく欠けてる。
23 :
考える名無しさん:02/01/31 00:56
>いま哲学やってる人には、数学的科学的なセンスが、例外なく欠けてる
そうかなぁ。結構数学板と掛け持ちしてる人もいてそうだよ。
確かに数学的科学的センスの必要性については認めます。
しかし、文系板なのになんで文章ベタが多いんだろう。
理系の人間の方が時としてずっと
論理立てられた文章を書くよね。
特に哲学板は簡単な事を表現する為に、わざわざ
背伸びして用語使ってみたり
哲学書の和訳の言い回しに影響受けてそうな見かけ倒しの
いたい厨房が混ざってる予感がします。
25 :
考える名無しさん:02/01/31 01:03
例えば?
あ。そういえば哲学自体が
「で?」っていうような事を難しく語る学問という事を忘れていた。
文学板とかに行くとたまに物凄い文章力の持ち主がいるが、
文系と文章は違うと思うぞ。
厨房はどこにでもいるし、簡単なことをわざわざ難しくするのは衒学と思われ。
28 :
考える名無しさん:02/01/31 01:07
「例外なく欠けてる」ってのはいいすぎだろう。
昔の哲学者に比べて科学に対する知識がない、というならわかるけど、
それは現代ではどの学問でも同じ事だから。
ヨーロッパの教養人にしたって、もうだいぶ萎えてる感じ。
29 :
考える名無しさん:02/01/31 01:14
一流の科学者は一流の哲学者でもある
30 :
考える名無しさん:02/01/31 01:15
>ヨーロッパの教養人にしたって、もうだいぶ萎えてる感じ。
そうそう。フランスの英才教育なんかでは、数学や哲学・芸術などを
徹底的に叩き込んでる。だから当然理系・文系なんて区別はない。
それでも、昔に比べたら大教養人ってあんまいないよね。
それはさておき、数学と他の科学はかなり違うと思うけど、どうよ?
31 :
考える名無しさん:02/01/31 01:18
32 :
考える名無しさん:02/01/31 01:19
結局、科学が暗黙の形而上学に立脚してなりたってるのを認めるかどうか
でしょ。
まず、「認識論」を脳論に還元する態度自体が既に、主客二元論って
いう形而上学を前提にしてしか語りえないってことでしょ。
科学が科学であるかぎり「世界観」「宇宙論」として、「世界があること」の
叙述は不可能なわけじゃない。
逆にいえば、ラッセルのタイプ理論じゃないけど、科学は「世界」「認識」の
根拠をとりあえず不問に付して自己言及的な問いを廃したなかで成立しうる
もの。ホワイトヘッドがいうように、科学的認識は暗黙に前提にしている形而上学
の刻印をすでにうけている、ってことだと思います。
「客体を主体が認識するに至るセンスデータって要素」を前提にしてるわけでしょ、
科学は。詩人の言葉でなく、形而上学としてロジカルに、しかし、隠喩的に
「自明さを改変」していくとこにしか哲学の出発点はない。
アリストテレスのいうとうり。メタ・フィジックなんですよ。
誰かみたく、「語りえぬものに沈黙」したら哲学は不要ってことですよ。
33 :
考える名無しさん:02/01/31 01:23
>>32 そうだね。だからこそ、初期ウィトは「哲学的問題は全て解決された」なんてことになっちゃったんだよね。
34 :
考える名無しさん:02/01/31 01:29
レオナルド・ダ・ヴィンチ
35 :
考える名無しさん:02/01/31 01:33
ネタにマジレスだが、
レオナルド・ダ・ヴィンチ の哲学ってのはあまり聞いたことないな。
しかも科学者というよりは技術者だ。
36 :
考える名無しさん:02/01/31 01:44
>>35 当時はこういうひとの総称として自然哲学者と呼びます。
どうでもいいが科学史は理系の人間も死んでるやつが多いな。
37 :
考える名無しさん:02/01/31 01:47
それは単に自然科学が自然哲学だった、ってだけのこじゃない。
38 :
考える名無しさん:02/01/31 01:48
科学博士でありながら哲学的啓蒙者になって生きた人って少ないよね
39 :
考える名無しさん:02/01/31 01:49
哲学に詳しい科学者なんているのか?
もちろん人生哲学とかそんな素朴なのじゃなくて。
どんなに科学や数学の才能があってももう一方で哲学の才能のあるやつは
絶対に哲学に進む。その逆はない。
40 :
考える名無しさん:02/01/31 01:51
シュヴァイツァーは博士?
41 :
考える名無しさん:02/01/31 01:55
>>39 こういう馬鹿がいるせいで理系の人に突っ込まれてしまう
42 :
考える名無しさん:02/01/31 01:58
ゲーデル
43 :
考える名無しさん:02/01/31 02:13
そんなに卑屈になるなよ・・・
44 :
わかりません:02/01/31 02:59
古い例で恐縮だが、フッサールとハイデガーの関係だね。
フッサールは数学出身で哲学の刷新をしようと考えて現象学を創始し、ハイデガー
などの優秀な後継者を輩出したが、アリストテレスと格闘し存在論史へと向かお
うとするハイデガーには、哲学史的諸前提に対して無知なフッサールの現象学の
広がりのなさに飽き足らないものがあった。
二人の関係は学問的態度によって分かたれるが、一方が学の厳密性を獲得するた
めに幾重もの反省を積み重ねることを強調するのに対して、一方は、反省以前に
学の前提を問題とし、すべての前提を可能としている存在に注視する。
両者の哲学は後世に異なる決定的な影響力を保ちつづけるが、私は、哲学には
固有に論じられる伝統的なテーマというものがあって、これを乗り越えていくこ
とが哲学の使命であると思うのですね。その過程において科学的諸成果がどのよ
うに取り上げられようと、テーマはすでに出尽くしているのであって、われわれ
にできることは、伝統の中でいったん科学的諸成果を解体し、相対化した上で
改めて論じられるべきテーマを確認することであると思います。これこそが、
哲学が二千年間行ってきた営みだと思います。この考えに対する評価はさまざま
でしょうが、哲学は案外しぶとい学問だとつくづく思います。
45 :
考える名無しさん:02/01/31 03:14
>>44 >伝統の中でいったん科学的諸成果を解体し、相対化した上で
>改めて論じられるべきテーマを確認することであると思います。
何の為に?
科学的成果を真理であると断定する類の人間は
少なくともまともなアカデミシャンの中にはいないし
相対化が不可能な概念が存在し得ないことも
解ってるんだから、必要ないんじゃないの。
それとも、テーマを確認するっていう処にチャームがある訳?
46 :
考える名無しさん:02/01/31 03:30
>>44 そういった作業も科学が確実に処理しつつ進めてくれるから、
君なんかにおこぼれはないとおもうのですね。
かりにあなたがなんらかの成果を挙げるとしてそれはせいぜい
ほこりにまみれるための書物でしょう。
科学は確実に性格にプログラム化してコンピューターに組み込んで物化してくれます。
だから次元がぜんぜんちがうのです。いっしょに考えてくれるコンピューターと、私的言語にまみれたオナニ本とでは。
哲学はもはや芸です。
プロレスの辿った道をおちぶれてゆくのみでありましょう。
47 :
わかりません:02/01/31 03:36
>45
おっしゃるとおりではあります。
特に反論することはないのですが、天動説から地動説にパラダイムがシフトし、
人々の世界観が大きく変わったとしても、宇宙のインフレーション理論によって、
従来の宇宙観が一変したとしても、変わらずに論じられるべきテーマがあると思
います。これは科学を排除するということではなく、包括しつつ退けるというべ
き行為です。テーマを確認するという言葉の意味はここにあります。
確かにおっしゃられるとおり、反証主義の科学観が科学の現場では以前リアリティ
のある議論であり、運動としての永続性こそが科学の真価であるということはいえ
ると思います。だとすると、科学とは、壮大なフィクションですよね。
それはそれとして意義のあるものですし、重要なものですが、そこにおける諸成果
を前提として、学を構築するというのはいかがなものか。
伝統の中での解体とテーマの再確認には、それなりの正当性が認められると思います。
科学的哲学観をもたれるラディカルな方には保守主義と映るのでしょうが・・・。
48 :
考える名無しさん:02/01/31 03:38
>哲学には 固有に論じられる伝統的なテーマというものがあって、これを乗り越えていくこ
>とが哲学の使命であると思うのですね。
この文章は哲学を専攻してない人間に向けた文章であることは明らかだけど
こんな物言いが(1みたいな人間に対し)説得力を持つと考えてる時点で可笑しいし
その後の論述も説得力がまるでない。
伝統だからという論拠以外なにもない。
なんでデタラメとしか感じられないことを
堂々と言えるのか、不思議でしょうがない。
49 :
考える名無しさん:02/01/31 03:39
>>47 あなたのやってること、つまり言葉という記号を紡ぎ出していることも、フィクションです。
しかし科学はより信頼性が高いのです。
50 :
考える名無しさん:02/01/31 03:42
「伝統的なテーマを乗り越えてゆくこと」
こういった言い回しがメタファーというフィクションなのです。
51 :
考える名無しさん:02/01/31 03:48
理系こそ正道。理系は理系の諸問題を明瞭に克服する。
52 :
考える名無しさん:02/01/31 03:57
文系にできることは理系にもできる。
理系にできることは文系にできない。
よって、理系>文系
53 :
わかりません:02/01/31 03:58
>46
暇なので…。
本当に科学者の人の中でこういう楽天的科学観を持っている人というのが
おいでになるらしいのです。
その方は科学の進歩と経済学について論じていたのですが、その科学観と
いうのが、19世紀的帰納主義だったというので、そこそこの功績のあっ
た方だったのですが、以降、孤高の道を歩んでいるとかいないとか…。
科学の内部での議論ならばどんなことが語られようと関係ないのですが、
こういう楽天的な科学観、いわゆる科学主義ですね、これほど危険なもの
はありません。
共産主義者のプハーリンはいってましたよ、すべての芸術や文学や思想も
最高の科学であり人類の英知の結晶である共産主義を信奉する党の策定する
5ヵ年計画にすべて収斂されていく…。
これがどんなに危険なことであったか! 科学と一定の価値観が結びつく
ことこそ、20世紀の悲劇のすべてであったのではないでしょうか。
無知を悪とはいいませんが、科学的哲学観というのは、科学主義の悪しき変態
であって、新しいようで古臭く、危険に満ちた考えだと思います。
54 :
考える名無しさん:02/01/31 04:00
>>47 まず
>科学とは、壮大なフィクションですよね。
的な認識で科学に携わっている人間は主流派。
2chの理系の板ですらしばしば散見される。
>科学的哲学観をもたれるラディカルな方には保守主義と映るのでしょうが・・・。
という風に貴方は
>>44とは異なる哲学観を持ち得ているし、それに対して
「いかがなものか」と訴える以上の反論理由を持ち得ていないのにも
関わらず、
>>44の見解をコレが本流であるという勢いで訴えていることに
些かザラついたモノを感じる。
哲学ありきの予定調和的論述に思えて成らない。(
>>44が)
そもそも僕の印象では科学的哲学観を持つ哲学者は
多数派であり、貴方の様な見解の人物は少数派であるような
感覚がありますが、違うのでしょうか・・・
55 :
考える名無しさん:02/01/31 04:03
>>54 訂正。
>僕の印象では科学的哲学観を持つ哲学科出身者(特に分析哲学)は
>多数派であり
に訂正。
56 :
考える名無しさん:02/01/31 04:07
>>53 たまたまマルキシストに出会った科学者が
哲学者は唯物論者が多い
なんて、決め付けるようなものですね。
57 :
考える名無しさん:02/01/31 04:14
>>54 こういう人って、デネットとかの哲学者も
言葉遊びしてるっておもうんだろうか・・。
58 :
わかりません:02/01/31 04:16
さらに暇なので…。
>48
伝統というものは、歴史の中で忘れ去られずに常にしぶとく生き続けてきたから
こそ伝統なのであって、なかなかしたたかなのです。これを甘く見てはいけない。
何かのテーマの普遍性を求めるのに科学にそれを求めるのか、歴史に求めるのか
は、充分に選択の余地があるところですし、科学のみの判断から伝統を排除する
のは、私には過去の過ちを繰り返す急進改革派の愚直な科学主義に映ります。
>49
ふむ、信頼性というのは実績があるから信頼できるということもあるのではない
ですか。よく言うじゃないですか、伝統と実績って。伝統的にそうであるからと
いうのも、信頼性の根拠になります。これは場面にもよりますが、科学の確実性
より、信頼性がある場合もあるのですよ。
しかし本質的に重要なのは、その信頼性というのはなにについての信頼性ですか。
私にはそのような科学的哲学観ならびに科学主義は純粋に危険です。
>50
ふふっ
>51
私はこの意見には賛成。それはそれで結構だと思います。いいことです。
>52
だというからにはそうなんでしょうね。
>53
俺か…。
59 :
考える名無しさん:02/01/31 04:21
>>58 将来科学に横槍入れて、俺が矯正してるんだとでもいいたいのか。
ワイドショーでがんばってくれ。寄生虫。
60 :
考える名無しさん:02/01/31 04:24
>>58(の48に対するレスの部分)
本気でそう思っていると言うより
貴方のデータベースの中にある
「西部邁的」(コレは僕が感じた印象だが)な部分を
取り出して語っているだけという印象を強く受ける。
即ち、哲学を守るという政治的命題に
言説を還元させているだけという印象を受ける。
61 :
考える名無しさん:02/01/31 04:30
>>60 還元できてるってことは一貫してるってことだよ。
62 :
考える名無しさん:02/01/31 04:36
>>61 イヤ、他のレスを見るとそうでもないと思う。
即ち、哲学を守るというスタンスを一時演じて見ただけ
という感覚を受ける。
本気で哲学を守ろうと思っているのなら
僕みたいなのからは逃げる筈で
何故なら、絶対に勝てないから。
苛つくのは、そういう演じのスタンスでの書き込みで
他人を騙せるとタカを括ってるとこかな。
63 :
わかりません:02/01/31 04:37
>54
些かザラついたモノを感じる。
そりゃそうじゃなかったら、こんなにしつこく書かないですよ、おちょくるのも
もっと上手におちょくってください。頼みますよ。
>56
そういうコメントって朝日新聞みたいで、どうも…。
大なり小なり科学と一定の価値観が結びついて、客観性の下にすべての価値観を
否定していくというのは、近代啓蒙思想の構造の中に見られることではありますが、
一見進歩的といわれる人たちの言動の背後に常に科学主義やら悪しき啓蒙主義なん
かが見え隠れしてたじゃないですか。
ほかの板であれほど進歩的知識人とか左翼批判をしている2ch内で、構造的に
何ら変わりないにもかかわらず、哲学を相手に堂々とこういう議論がまかり通って
いるというのは、結局2chは…的議論にしか見えないんですよ。一貫性がないね。
何十年も前から言われていることですが、人間の思考に固有の力を認めず、科学の
確実性においてのみ説得力を得ようとする機械論的人間観や、科学の進歩とその成果
の普及・啓蒙こそが人間を幸せにし、そうすることが価値なのだという楽天的科学主義
の議論が平然と行われているのは、じゃあ、今までなにやってたのってざらついた気持
ちになるじゃないですか。
朝日新聞みたいにね、自分たち自身のことなのに高みの見物といきましょうみたいな、
そういう皮肉は、悲惨なまでに楽天的過ぎますよ…。
64 :
考える名無しさん:02/01/31 04:40
>本気で哲学を守ろうと思っているのなら
>僕みたいなのからは逃げる筈で
>何故なら、絶対に勝てないから。
アホか。マトモに相手にされてないだけだよ。
哲学の初歩から語らせるつもりか?
65 :
わかりません:02/01/31 04:44
>60
いいとこついてますね。彼は科学に対して伝統といっているのであって、
一人の人間の無力さと偉大さという矛盾したものを踏まえた上で、
伝統といっているんでしょうね。私には及びもつきません。
66 :
わかりません:02/01/31 04:53
ふーん、いろんな反応がありますねぇ。暇なので…。
哲学を擁護するというのは、>63の機械論的人間観に対して相対的に
擁護しているという理由が1つ。もうひとつは個人的に哲学をかじって
たというのが2つめ。
多様性をみとめるかみとめないかっていう議論がこのスレの背後には
前提としてあって、科学的哲学観は科学の下に統一されるべきという
一様性を主張していると思います。これに対して、反対概念の多様性
を反論として提出するのがディベートのルールですから、まあ、出し
たということです。言ってみればゲームです。
しかし、だからといって、無根拠に語っているわけではないです。
多様なものをみとめる、こういう価値観もあってはいいのではないでしょうか?
67 :
科学者(稼いでます):02/01/31 04:54
さてと、今日も実験して着実に研究を積み上げていくとするか。
もういくつか特許もとったけど、遊んでくらすにはまだ若いからね。
文系は助成金どんどん削られてたいへんね(わら
でもこっちに回してくれなきゃまずいっしょ。国際競争上さ。
視点論点って番組で「助成金減らすな。ゆとり学問を」とかいってた世間知らずの馬鹿はげ教授がいたけど、
そんなんちょっとでも社会に役に立つ人材育成してからいえっての。
つかえんのばっか量産しやがって(わら
68 :
考える名無しさん:02/01/31 04:56
>>63 何か進歩的知識人達全てが、貴方が持っている程度の
哲学的見識を持ち得ていないと決め付けている様な気がするんだけど。
確かに2chで論戦してる様な人間の大半は
ためにする議論であり、薄い背景しか持ち得ていないという印象を受けるが
何故、「一見進歩的といわれる人達」と一緒くたに語るのか解らない。
「進歩的といわれる人達」(僕でも良いが)が楽天的科学主義を装う
向こう側に、貴方が伺いしれない動機が存在する可能性を
加味できていない。
69 :
わかりません:02/01/31 04:56
>62
ファイヤアーベントみたいで恐縮ですが、
明日も仕事がありますので、これで失礼します。
70 :
コンサルタント(哲学科卒):02/01/31 04:59
人間の社会性を考察し、アドバイスしてきましたけど、全部潰れました。
うちも年越せずに去年潰れました。
71 :
考える名無しさん:02/01/31 05:03
>>67 理系がいいたいメッセージってのが、
>でもこっちに(助成金)回してくれなきゃまずいっしょ。国際競争上さ。
結局これだったら、最高だな。(ワラ
科学者が稼いでますって・・。あんた稼ぐために
科学やってんのか?まあ煽りネタなんだろうけど。(w
72 :
わかりません:02/01/31 05:06
ねむー。
>68
意図的に語られていないことを前提にして批判するのは最高の賢者か
最低の愚者の論法である。
バイバイ
73 :
考える名無しさん:02/01/31 05:13
>>66 >科学的哲学観は科学の下に統一されるべきという
>一様性を主張していると思います。
ああ、イヤ、コレ違うわ。
僕は科学的哲学観というのをこういう意味合いで使用して
いなかった。
というか、わかりませんと言う人は
自分が何らかの恣意性にも左右されない地平に
自分が立てると思い込んでるのかな・・・
彼の対立軸の建て方自体が恣意性に満ちてるようにしか
感じられないんだけど・・・
僕自身は確かに科学よりの恣意性を持ち得ているけど
その様な恣意性を持ち得ない限り、論理なんて展開できないと思うんだが。
何か根本的な処で見解に齟齬があって、僕はそこを確かめたいのに
彼は彼が持っている対立軸の中で僕の書き込みを消化していたみたいだ。
74 :
エンジニア(ソニー):02/01/31 05:24
いやー、やっぱ理系進んで正解でしたわ。
どっちか迷ったんだけど、考えてみれば哲学なんて趣味でやれますしね。
アカデミズム至上主義哲学なんて聞いたことないし(藁
いやーこっち選んで正解。ボーナスも他と比べればぜんぜんもらえるし。ドカンと。
なんといっても日本は技術でやってくしかないですよ。資源0なんだから。
まだ幸い技術水準は高いから、もってるようなものですね。はっきりいって。
まあ、所得って文系から削られていくんじゃないすか?(藁
たいへんすねえ。
でも日本の高度な技術はこれからも最優先で守ってもらわなきゃ。資源0なんだから。
日本の哲学なんてもとからたいしたことないんだし(藁
75 :
考える名無しさん:02/01/31 05:24
>>72 コイツ馬鹿だわ。
俺とかお前とか一部のインテリゲンチャの中で成り立っている前提が
2chで共有化されてないことは解りきってるんだから
そういう前提の共有化を目指すのが先だろうが、ボケ。
ゲームやってるって解ってる奴は良いが
ゲームって解らんないで、真剣に聞き入る奴が多数派だろう。
俺はゲームやるのは好きだが、みんながルール解った上でじゃなきゃ
狡い感じがするからイヤなの!!! オメーはせこい。
恣意性を排除した語りなんか存在しない。
つまり、絶対的真理なんて解り得ない。
っつーのをみんなが解ってないと俺はイヤなの。
オメーみてなのをプチ論客っつーんだよ。
商売で論客やってる気分かテメーは。
76 :
考える名無しさん:02/01/31 05:28
77 :
考える名無しさん:02/01/31 08:38
文系のロジックは最低
理系のレトリックは最悪
事実と当為を区別できない理系は危険だし
定量記述を含まない科学を語る文系は馬鹿
理系だろうと文系だろうとどこだろうと、
人間は自分のやっていることに意味を見出したがるもんです。
そこに本当に意味があるかどうかは分かりませんが、
当人は意味ないぞといわれればムキになって反論してしまうし、
自分以外のやってることには意味がないと決め付けて満足してる奴もいるわけです。
万人が自らの位置に満足している、老荘思想ではこれを知足安分と申します。
それらの全てをあるがままに是認する、これ万物斉同の境地であります。
問題は中国哲学が哲学であるかどうかです。
79 :
考える名無しさん:02/01/31 12:15
文系理系のニ項対立なんてすでに脱構築されてるでしょ?そうでしょ?
81 :
考える名無しさん:02/01/31 12:51
>>80 それを嫌ったやつがソーカルその他で、
長谷川真理子みたいに「胸がすっとした」等と言う科学者が思いの他多い。
82 :
考える名無しさん:02/01/31 12:58
>>1 理系文系の区分けは日本独自で、そのような固定観念で捉えること自体
思考に足枷がされています。それは置いといて、
>>1さんの意見には概ね賛成です。
意識、主観の問題は、複雑深遠すぎて、
従来の自然科学、実験観測技術では扱えなかったが、
ようやく扱えるレベルになったと思います。
ただし、最終的に得られる結果の輪郭は
人文科学、とりわけ宗教が既に指し示している、とも考えています。
有史以来の長年の研究成果がありますので、
この知識を利用しない手はありません。
83 :
考える名無しさん:02/01/31 12:59
>>1 後期だと物理・生物・数学の知識があって当たり前。
俺は化学はほどんどやらなかったけど
哲学を専門的に専攻する人は大抵一般的に言われている
「理系」科目(学部レベル)をカバーしてるはず。
哲学は理系の仕事というけれど
理系で勉強することって哲学以外の何物でもないんだよ。
哲学の解釈が間違っている思う
84 :
考える名無しさん:02/01/31 13:08
理系の研究成果を出す人がいう
人間とはなんぞや、は危険ですね。
分業としての系分けってのはどうです?
研究を実際にしていないからといって
その人がその研究成果を理解していないとはいえないですし、
一人でできることなんか限られてますよ。
知ったかぶりはダメってことよね?そうよね?
あと 脱構築論者≠デリダ ってことよね?そうよね?
86 :
考える名無しさん:02/01/31 14:06
殺人者を殺すか殺さないかって哲学?それとも井戸端会議?
87 :
考える名無しさん:02/01/31 14:07
88 :
考える名無しさん:02/01/31 14:20
昨日(今日か)わかりませんにいちゃもんを付けていた者だが
科学よりの論述をする=人類は幸せに成るべきだというドグマ
哲学よりの論述をする=真理は大切だというドグマ
てな感じの構図が、わかりませんにはあって
俺のことをアカ扱いしていた訳だ。
真理は大切だというドグマから
科学をエンカレッジするという推論の在り方を知らなかったんだよね。
一方で俺は
旧来の哲学の在り方を保守しようとする=分析哲学の成果を隠匿しようとしている
なんてゆう決め付けがあって、この決め付けが合ってるかどうか
気になってて、レスを付けていたんだ。
1.「認識論」を知らない奴が脳生理学を語るな。
2.「唯物論」を知らない人間が量子学を語るな。
3.「記号論」を知らない人間が数学を語るな。
90 :
考える名無しさん:02/01/31 14:51
>>89 そうですね、理系の学問だって
考えるときの基礎というかネタは
文系の学問に手を借りていますよね。
理系と文系で対立を起こさせちゃ
学問の意義が失われちゃいます。
91 :
考えるぴかぁ〜さん:02/01/31 15:04
ちゅうかさ...
思考することに理系も文系のないよね...
でもって...
>>1は正しい...
>>89は間違い...
>思考することに理系も文系のないよね...
まず言語の習得をしてから学問を語ろうな。
>>91
93 :
考える名無しさん:02/01/31 16:06
理系の人は文系学問の出す説に確実性や真理性が圧倒的に足りない
から学問に見えないんです。
文系学問の主要な作業はやはりテキストの解釈です。
ぶっちゃけ解釈なんて人の数だけあるものでどれが正しいとか
検証の方法も無いものです。
それっぽいことを裏もとらずにだらだら書くだけで学者ずらできるのが
たまらないんです。
典拠ということが正当な理由になっているのが甘っちょろいんです。
「この文献に書いてあるから正しい」という主張が幼稚に見えるんです。
>>93 君の日本語もずいぶん幼稚だね。これは煽りじゃなくてね、
君の論理的思考能力が疑わしいものに感じられるんだけれど。
というか、君、人文系の学問かじったこともないでしょう?
ぜーんぜーん分かってないじゃん!そもそも「真理性」が圧
倒的に足りないって・・・なにそれ?プクス
95 :
考える名無しさん:02/01/31 16:13
文系は曖昧さをネタにするってことじゃないの。
曖昧さを許さなければ、ソ連かタリバンか米帝になるしかないな。
97 :
考える名無しさん:02/01/31 17:19
98 :
考える名無しさん:02/01/31 18:10
科学にあらねば学問にあらず。
お前らひとつ法則なり定理なり出してみろ、と。まーそういうことです。
1=98は厨房決定だよw。学生だとしたら、痴呆短歌高価大学のDQS。
101 :
考える名無しさん:02/01/31 18:24
102 :
考える名無しさん:02/01/31 18:26
>>88 お前、阿修羅だろ。
君は以前から理系との対立構造で煽ってたな(w
好い加減2ちゃんを卒業してくれ
俺は文系しかも思想系だがそうは思わん
>>101 98のような勘違い野郎がたまにいるだけ。そういう
奴に限って、文系の学問をまったく理解していない、
理解する能力がない。
アオリアオラレアオラーバカリ。
「理系の人は」とか「あんたら文系」とか
いってる時点でアホ
お互い立証責任を負うの拒否してるよね。
107 :
考える名無しさん:02/01/31 18:31
>>105 君もなんか自分の意見いってみれば?
「すうがく」なんてわざわざ書いているんだからw
108 :
考える名無しさん:02/01/31 18:38
>>102 お前鋭いなー 当たりだよ。
煽りって見抜いてるトコがナイスだよ。
クリエイター>>理系>>>文系だよ真理は。
学問とか逝って良し! だっ
109 :
考える名無しさん:02/01/31 18:42
俺たちの啓蒙書ありがたがって読んでるじゃん
>>108
110 :
考える名無しさん:02/01/31 18:45
>>101 原爆の投下を命じたのは、文系のルーズベルトだぞ。
酢酸って食用酢じゃないぞ。
理系でもNaClは塩って答える方が多い。
クローンは双子みたいなもので、不死には直結しないぞ。
ほんとの理系人間なら、「水門を閉じても環境破壊につながらない」
なんて、なんの根拠も提示できないことを言わないと思うぞ。
これはたぶん、ゼネコンとつるんだ文系出身の地元政治家の圧力。
原爆の製作原理ではなくて、
原爆を投下することの是非を、
数量的(合理性)によるのではなく、
倫理的価値にもとづいた自らの学問的な妥当判断で、
決定できるようになったら1のアホにも市民権をやろう。
ただし、人文的知の蓄積を活用せずにやってもらおう。
つまり、文系の学問が不要だとの意見に一瞥もくれてやろう。
112 :
考える名無しさん:02/01/31 19:04
「あんたら」て使った時点で1の勝ち。
数学版にも似たようなスレあるけど、
お互い「話にならない」って感じだね。
というか、あまりにも話のレベルが低くなりすぎて、
科学畑にせよ哲学板にせよ厨房しか書き込んでないようだが。
>1-113
レベル低い厨房だって言われてるぞ!なにか言い返せ!
>>115 お前が言い返せよ、まず。こういう他人頼みの態度は、最近の大学生を
見ていると顕著だが、ここ数年の若者の傾向だね。
>>116 お前が言い返せよ、まず。こういう他人頼みの態度は、最近の大学生を
見ていると顕著だが、ここ数年の若者の傾向だね。
119 :
1じゃないけど理系です:02/02/01 00:24
>>101 これネタだよね?
マジに突っ込もうとすればいくらでも突っ込めるが。
理系といっても、工学系と理学系でメンタイリティーが全く違う。
兵器を作る技術を提供したのは理系だがそういう政策をとった政治家・官僚は文系
公共事業の利権に群がる政治家・官僚の多くは文系
諫早干拓の問題点を指摘した学者は理系
アフガン空爆を支持して自衛隊派遣を決定した政治家・官僚の多くも文系
NaClはいわゆる「塩」とは違う。「エン」とは酸とアルカリで精製される物質一般だし、「しお」は塩化ナトリウムを主成分としてるがニガリなども入っている。
「酢」=「酢酸」ではない。
役に立たないから習う必要ないなら、文学、漢文、古典、歴史、、、も
クローンには反対だが、「神」を持ち出すのがイタイ。
などなど
120 :
1じゃないけど理系です:02/02/01 00:34
で、質問です。
私は数学専攻だったんですが、たまに授業で先生の説明が間違ってることがありました。で、それを指摘すると、先生はしばらく考えて、その場で、あるいは翌週の抗議で、「確かに間違ってましたね」と訂正します。
哲学の授業でこう言うことはありえますか?
121 :
1じゃないけど理系です:02/02/01 00:36
数学板からの転載
398 :132人目の素数さん :02/01/30 21:43
哲学やってる人で、何の研究してるかと聞かれて、哲学者の名前を言う人がいるけど、それじゃ哲学ジャなくて「哲学者学」な気がするが。
「ガロア理論勉強してる」とはいうけど、数学の専門分野として「ガロアを研究してる」って言う人はいないな。数学史などならいるだろうし、それはそれで意味あるけど。
これについてどう思いますか?
122 :
考える名無しさん:02/02/01 00:53
>>120 俺たち文系はそういうことは滅多にないね。
というのも、(俺は法律なんだけど)、教授の法解釈がなっとく
いかなくて、俺が意見を述べて、そこから議論になることは
あるけどね。
いいねえ、理系は。「確かに間違ってましたね」なんて簡単に言えるような
単純な学問で。(藁
123 :
1じゃないけど理系です:02/02/01 01:02
つまり理系の方が普遍性客観性がある。文系は主観的恣意的、てことでしょうか
124 :
考える名無しさん:02/02/01 01:06
>>123 はっきり言えば、その通り。
ただ、世の中っていうのは「普遍性客観性」が通用する部分なんて
ほとんどないんだよ。例えば、法律だって政治だって経済政策だって、
「普遍性客観性」なんてほんとはない。
だけど、人間が生きていくために、そういう「主観的恣意的」で
あるものに洗練をもたらそうというのが文系の学問であり、
実はそれこそが人類の発展であり、知の進歩である。
125 :
考える名無しさん:02/02/01 01:18
ちょっと待ってよ。哲学の本質が主観的恣意的で済まされちゃうわけ?
根拠がなければ何一つ語ることはできないと思うんだけど。
126 :
考える名無しさん:02/02/01 01:18
クローン=永遠の命。ワラタ。
>>111 文系が不要とは一言も言ってないと思われ。
理系は理系の知識で、それはすばらしいし、
文系は文系で、その知識の視野を広げてるから(思弁能力で)、
対立は止めよう(平和主義)。
127 :
1じゃないけど理系です:02/02/01 01:22
>ただ、世の中っていうのは「普遍性客観性」が通用する部分なんて
>ほとんどないんだよ。例えば、法律だって政治だって経済政策だって、
>「普遍性客観性」なんてほんとはない。
政治や法律、経済なら分かる。理系で言えば工学・農学に相当すると思われる。
でもいわゆる哲学の研究の議論、認識論だとか現象論だとか、よく知らないが、その類の議論て門外漢には禅問答のように見えてしまうのですが。
128 :
考える名無しさん:02/02/01 01:25
129 :
考える名無しさん:02/02/01 01:28
>>124 普遍性客観性を突き詰めて行く事も人類の発展であり、知の進歩なのでは?
「普遍性客観性」が通用する部分なんてほとんどないと言い切っている時点で
洗練性を著しく失っているように見える。
たとえば実在論なら実在論の議論に対して、
それが何を論じているかを理解したうえで
「で、そんなことを論じてどうなるというのか」と問い掛けるのはアリだろう。
しかし自分の思考能力がその水準に達してもいないのに
「意味がわからないしどうせ意味ないよね」
などと抜かすのは、阿呆としか言いようがないな。
まあ科学理論の何たるかを知らずに理系を誹謗する奴も十分阿呆だが。
131 :
1じゃないけど理系です:02/02/01 01:30
>根拠がなければ何一つ語ることはできないと思うんだけど。
数学の場合はこの辺はドライで、公理を設定して推論規則で演繹する、というだけです。公理自体の真偽を問うことは無意味。無矛盾であればよい。
あと他のスレに「人を殺すのはなぜ悪いか」とかあったけど、「人を殺してもいいけど自分も殺される危険が高い社会」と「人を殺してはいけないけど自分が殺される危険も小さい社会」では多くの人が後者を望む、と答えてしまう。
>129
哲学的にいえば、「普遍性」は存在せん。
なぜなら、これまでの科学理論を覆す現象が今から一秒後に起こる可能性を却下できないから。
この程度のことはまともな科学屋なら承知の上で仕事をしてるはずだがな。
>>132 > 哲学的にいえば、「普遍性」は存在せん。
やめてくれー。
嘘だよ、嘘嘘、哲学者がみんなそんなこと言うわけじゃないから。
生半可な奴の言うこと真に受けないでね>理系の人々
134 :
考える名無しさん:02/02/01 01:36
>>132 おいおい。
そういう懐疑論を哲学はとっくに乗り越えたはずだ。
あんたは中世の人間か?
135 :
考える名無しさん:02/02/01 01:39
>>131 それは1+1=3でもいいってことですよね。
そうすると一人一人が勝手な理論を設定しても否定できない。
それは結局混沌ですよね。でもそうはならない。
その辺の根拠も問題だと思います。
136 :
考える名無しさん:02/02/01 01:39
137 :
1じゃないけど理系です:02/02/01 01:40
>「で、そんなことを論じてどうなるというのか」と問い掛けるのはアリだろう。
これに関しては数学も同じで、そんな定理が成り立ったからなんなんだ、といわれれば見も蓋も内
ただ、理系の場合ある命題の正しさは、実験なり証明なりで客観的に検証されるのですが、哲学の議論ってその辺はどうやって決着つくんでしょうか?
むかし弁証法の解説書読んだけど、マルクスやスターリンのことばがちりばめられ権威付けされてました。そういうのはさすがに例外ですよね。
138 :
考える名無しさん:02/02/01 01:42
ちゅうせい ではなくて ちゅうがくせい だそうです。
139 :
1じゃないけど理系です:02/02/01 01:45
>なぜなら、これまでの科学理論を覆す現象が今から一秒後に起こる可能性を却下できないから。
「可能性」は否定できないが、そうすると帰納法は無力となりそうだ。
あるいはデカルト的に全ては私の幻想とうい可能性もある。そもそも私の自我だってあるかどうかあやしい。
田中真紀子の辞任もCIAの陰謀かもしれん。トンデモ本だって本とかもしれない、
「可能性」をつけたら何を言ってもよくなってしまいそう
140 :
考える名無しさん:02/02/01 01:47
>根拠がなければ何一つ語ることはできないと思うんだけど。
数学の場合はこの辺はドライで、公理を設定して推論規則で演繹する、
というだけです。公理自体の真偽を問うことは無意味。無矛盾であればよい。
あなたほんと理系?少なくとも数学科じゃないでしょ?
そういう理屈は数学基礎論なんかをやってる一部の数学者や哲学者の連中で、
解析だとかの研究者の意識は全然違うよ。
そもそも日本は数論なんかはレベル低いし。
>>137 > そういうのはさすがに例外ですよね。
例外です。つうか害です。
でも確かに、普通の大きさの書店の店頭に並んでるような哲学の本って
くだらないものばかりですね。私も哲学が全てそんなのなら、とっくに
哲学専攻はやめていると思います。どうしてそんなのばかりが売れて、
哲学に対する誤解を撒き散らすんだろう。ほんとに害です。
哲学でも分野によっては、実例を挙げながらそれらをうまく説明できる
説は何かを論じる分野もあるので。
142 :
1じゃないけど理系です:02/02/01 01:47
それから、日本はどうか知らないが米国だと自然科学やってる人でも神の存在を信じてる人は多いらしいが、哲学者って無神論者・唯物論者は多いのでしょうか?
143 :
1じゃないけど理系です:02/02/01 01:51
>>140 基礎論だよ。集合論だけど
>>141 そうですか。さすがにそうですよね。でも一般に流布してるイメージってそうですよね。
ここははじめてきたけど面白いですね。また遊んでください。対立を煽る意図はないので。
>>142 無神論者は多いかな。でもキリスト教を信じてる人も多いです。
「唯物論」はどんな意味でおっしゃってます? マルクスがかってる
唯物論者はもうあまり多くないでしょう。「この世にあるものは
物理的なものだけだ」という意味でなら、けっこういます。
146 :
考える名無しさん:02/02/01 02:00
かっちょわる。
おれって的はずれなの?そうなの?
>>143 > また遊んでください。
こちらこそよろしくお願いしますです。そうそう、私の先生達は、授業中に
「確かに間違ってましたね」も言いますよ(
>>120)。
149 :
1じゃないけど理系です:02/02/01 02:05
>>144 >「唯物論」はどんな意味でおっしゃってます?
超越的存在を否定する、もしくはアプリオリに肯定しない、ということです。
無神論者とほぼ同じ意味だけど。
>でもキリスト教を信じてる人も多いです。
いったんは全てを疑うのが哲学だと思ってたのですが、それと宗教を信じるというのは両立するのでしょうか?
進化論を教えるカトリックの教師もいるから、似たようなもんかもしれないが。
こないだ生物板に遊びに行って、
生物学の研究者スレで幽霊の話をしているのに激しく面食らった。
心理屋は「なぜ人間がある環境で幽霊を感じるか」から検証してしまうので、
そういう意味ではオカルトなんか信じようがない。
ある意味、心理学は文系にありながらとてつもない唯物論。
なおかつ神の存在についても「人間はなぜ神を感じるか」という論点があるのだが、
いろんな意味で、危険なんだよねこれは。
151 :
考える名無しさん:02/02/01 02:09
>150
ユングは紛れもなくオカルトだけどな。
153 :
1じゃないけど理系です:02/02/01 02:12
>>135 かってな公理を設定してもいいんだけど、「面白くない」と淘汰される。何が面白いかは主観だけど。
例えば−1の2乗を+1と定義すると、プラスの世界だけだと成り立っていた法則が成り立たないので面白くない。
で、マイナスの世界にも法則を拡張させるためには、−1の2乗を+1と定義するしかない。
心理屋は基本的にユングも信じてないので心配するな。
ちなみに、「無意識」は存在すると思ってるが、
それについては唯脳論の立場から唯物的な記述が可能だと思う次第。
>>147 いや、私は的はずれでもないと思いますけど。
でも、数学は数学で、哲学的な根拠がなくてもやってけるわけだし、
1+1=2と1+1=3の違いの哲学的根拠を考えるのも面白いことだけど
数学者がそれに思い煩わなきゃいけないわけでもないわけで・・・。
要するにそのへんは分業体制ということで。我ながら歯切れ悪。
体育会系は論外ってことか
「ゼノンの逆理は数学の正当性を根底から覆す」という主張をしてる哲学系の厨房を以前見かけたことがあるんだけど、どうよ
>>149 > いったんは全てを疑うのが哲学だと思ってたのですが、それと宗教を信じるというのは両立するのでしょうか?
> 進化論を教えるカトリックの教師もいるから、似たようなもんかもしれないが。
キリスト教徒の哲学者も多い、って書いたほうが客観的だったかも。
実際問題「あなた本当は神あんて信じてない?社会的立場があるから
みんなにあわせてるだけ?」とも訊けないし・・・。
>>155 いや、僕も数学はフィクションだと思ってますよ。
その裏にもっと高次の法則や哲学的根拠があるってわけではなくて。
ただ、なぜそんな恣意的なものが公理として成り立つかってことです。
スコラ哲学者の中には、表向き信じるふりをして、
実は無神論の立場をとっていたらしき奴がいたと聞くが。
なぜってバレたら火あぶりだから。
161 :
1じゃないけど理系です:02/02/01 02:22
>>150 利根川進は立花隆との対談で、「分子生物学者は無心論者しかいない」といっていたが、生物学一般じゃないんだな。
一応、幽霊が存在しないことも証明されていない以上、アプリオリに否定は出来ない、というのが科学的立場なのかもしれないが。
しかし、生命現象を唯物論的に解き明かすのが生物学な気もするが。
>>134 >そういう懐疑論を哲学はとっくに乗り越えたはずだ。
この辺はどうやって乗り越えたのでしょうか?
数学の場合、公理の無矛盾性は証明できないというゲーテルの証明があるから、これまで矛盾はなかったけどひょっとしたら数学の体系自体にあるかもしれないよ、と、そんなことは絶対信じていないのに一応建前的には言ってみたりしますが
数学や物理だと、具体的な宗教を信じないまでも、定理や法則の美しさに超越的存在を感じる人はいるみたい。
>161
分子生物学っつーか進化論、DNA螺旋モデルとかの話を読んでると、
「このような人知を遥かに絶する自然の諸相を生み出しえた何か」
に対する畏敬の念を正直禁じえない。
物理学とかの最果てにも同じようなものを感じる。
そういった態度は無神論ではなく、理神論ではあるまいか。
それが>定理や法則の美しさに超越的存在を感じるというやつだな。
163 :
1じゃないけど理系です:02/02/01 02:32
>>157 >「ゼノンの逆理は数学の正当性を根底から覆す」という主張をしてる哲学系の厨房を以前見かけたことがあるんだけど、どうよ
矢が動いてるとか止まってるとかって奴だったけ?亀を追いかけるやつじゃないよね?
どっちにしても、根底から覆るどころかびくともしないけど。独立法人化で「役に立たない分野」として純粋数学がリストラされる方が打撃は大きい。
文系、理系の対立とは別に、基礎、応用の対立がありそう。
数学の中でも、「基礎論なんて」という声があり、物理からは「数学は道具に過ぎない」、工学からは「理学全体が机上の論理」と、対立は重層化してる
>>159 > いや、僕も数学はフィクションだと思ってますよ。
> その裏にもっと高次の法則や哲学的根拠があるってわけではなくて。
> ただ、なぜそんな恣意的なものが公理として成り立つかってことです。
数学がフィクションでいいのなら公理は恣意的に決めてかまわないじゃん。
あとは
>>153さんが言うとおり、数学者がどれくらい探求を深められるかの
話でしょ。算術の公理に1+1=3なんて加えたって、あるいは1+1=3だけが
公理で推論規則なしの公理系を考えたって、探求は一瞬で終わるわけだし。
俺が言い出したわけじゃない上、俺は物理学を引いてそいつに反論したんだけどな。
とりあえず、ゼノンの逆理は「アキレスと亀」「飛ぶ矢」「競技場」「二分割」の四つ。
これらの命題一つ一つには反論が可能なのだが、四つとも反論しようとするとその反論の間に矛盾が生じる。
要するに、「最小の数を想定しても、無限小という概念を想定してもパラドクスが起こる」ということ。
俺は不確定性原理を引いて、「最小も無限小も想定不可能だ」と言ったのだが。
>>157 放置してくださってかまいません。哲学者が全員そんなのばかりだと
誤解しないでいただけるとなお嬉しいです。
若いうちにもっと勉強せいよ。おじさんからの誠心からのアドバイスだ。
>>161 >数学の場合、公理の無矛盾性は証明できないというゲーテルの証明があるから、
>これまで矛盾はなかったけどひょっとしたら数学の体系自体にあるかもしれないよ、
>と、そんなことは絶対信じていな
ゲーデルの定理はそんな定理ではない。第二不完全性定理のことを言い
たいのだろうが、あれは「ある算術を含む理論Tが無矛盾ならば、T自身の無矛盾性を
理論Tでは証明出来ない」という定理であって、「公理の無矛盾性は
証明できない」という理論では絶対にない。
現に算術を含むさまざまな理論の無矛盾性を示す定理などいくらでもある。
これは二つの理論が異なることを示す基本テクニックなんだけど?
168 :
1じゃないけど理系です:02/02/01 02:44
>>158 つまり哲学的に考えて確信的に宗教を選択したというより、私が唯物論者でありかつ反天皇でありながら初詣に行く、程度のことなんでしょうか。
親が創価学会で成り行き上学会員の哲学者、てのもいるのだろうか?
>>162 理神論てのははじめて聞きました。
確かに勉強してて感動することは多いのです。
それから、
>数学の場合はこの辺はドライで、公理を設定して推論規則で演繹する、
>というだけです。公理自体の真偽を問うことは無意味。無矛盾であればよい。
ほんとに君は数学科か?数学者の多くはむしろ程度の差こそあれプラトニストである
と思うんだが?東大の加藤先生とかに聞いてみろよ。数学板のスレにも同様な議論が
あって、「公理というのは根拠を問われるものではない、あれは感じとるものなのだ」
なんて結論になってたぞ。
君が言ってるのは形骸化された形式主義ってやつで、そんなことを信じているのは
逆に非常に少数の基礎論やってるやつか、哲学者しかいないぞ。
170 :
1じゃないけど理系です:02/02/01 02:51
>>167 すんません。
>>165 「競技場」「二分割」これは聞いたことない。教えていただけますか
>>161 できればこのスレではゲーデル周辺の話題はおやめいただける
でしょうか。生半可な数学の知識をもちゲーデルという名前に
過敏に反応する有名なスレッドレイピストが最近哲学板に出没
していますので。
172 :
1じゃないけど理系です:02/02/01 02:53
>君が言ってるのは形骸化された形式主義ってやつで、そんなことを信じているのは
>逆に非常に少数の基礎論やってるやつか、哲学者しかいないぞ。
ただそれを正当化する論拠を突き詰めてくとこう言う以外にないと思うが
>>170 な、何て素直な、、、きつい言いかたしてごめんな。がんばれ!
>>164 それは恣意的とはいえないでしょう。最初の設定だけで。
それとも上でいわれてる理神論なるものが存在するんでしょうか?
んあ?理神論というのは、
神とは自然の法則そのものである、という信仰のことだぞ。
(1) 定義
神とは、全ての物の究極原因で、自らはなんらの原因のもたない存在者である。
(2) 定理
自らにおいて存在し、自らによって解され、絶対無限の実有である神は唯一である。
(3) 定理
自然における万物は、神あるいは属性の表われであり、神=自然である。
>>175 じゃあ、君の言う「恣意的」ってどういう意味なの?ちょっと
言ってることがよくわからないので詳解キボンヌ。
>>164に書いてるようなのが恣意的と言えないなら、ゆえに
数学の公理は恣意的じゃなかったんだめでたしめでたし、で
済むんじゃないの? ごめんたぶん君の意図を見失ってる。
>>176 ああそうなんですか、誤解してました。
僕がいいたかったのは、公理の設定を変えても通用する
絶対的な形式(入れ物)のことです。
179 :
1じゃないけど理系です:02/02/01 03:20
>>171 了解しました。
>>173 「亀」には2バージョンがあるんですね。
「競走場」は単なる相対速度の話しで解決できると思うが、ラッセルが取り組んでるんですね。
>>174 あまり詳しく言うと素性がばれちゃうけど、私、もともとは物理科で数学に関心が移って、いったん中退して何年か働いてから数学科に入ったんです。で学生時代も仕事しながらだったから、基礎論とはいえ集合以外はきちんとやってないんです。
で、集合論やってて対象の実在性には「?」と思うようになったんです。
よく虚数の存在が不思議とか言うけど有理数体の代数拡大と理解すれば納得いきます。
でも、実数の存在ってすごく不思議で考え出すと分からなくなったんです。(数学科に入学する前)
つまり、有限個の記号を有限個ならべて表現できる実数は可算無限しかない、つまりそいうやって表現できない実数が圧倒的に多い。でもそういう表現できない実数を「存在する」としていいのか?
とか。
それで集合論を選んだんです。
それやこれやで、ある種懐疑的立場、形式的立場に立つようになったのです。
整数論やってる人なんかだと、もっと実在のものとして捕らえるでしょうけど
180 :
1じゃないけど理系です:02/02/01 03:28
>んあ?理神論というのは、
>神とは自然の法則そのものである、という信仰のことだぞ。
これはそうすると、ことばの入れ替えなのかな?
全てを律してるのが神。自然法則は全てを律してる。だから、自然法則=神
という考えでしょうか?
「世の中なるようにしかならない 」というテーゼは真理である、世の中がどうなろうがそうなるしかなかったんだから、てのに似てる気がする。
ゼノンの逆理サイトでもうひとつ
http://tenasaku.com/tenasaku/books/book-06.html その通り、競技場は速度相対性を持ち出せば解決します。
ですが問題はそこではなく、その際に「時空は無限分割可能である」
という前提が必要になることです。
ラッセルは最小の数を想定すると競技場パラドクスは解けないと指摘しています。
でもそうすると、無限分割可能な時空の中では、
アキレスが永遠に亀に追いつけないことになるのです。
このへんがゼノンの逆理の恐ろしいところで。
>>177 何かしらの法則を考えないと公理は成立しないってことですね。
すいません、まとまりません。
一ついえば1+1=3も法則になってしまうし。
理神論そのものは信仰であって論理ではありません。
よって「自然法則は神である」という主張に根拠は要りません。
なぜ理神論という考え方が生まれたかについてはいろいろありますが。
わー、なんか、すごい親近感が湧いてしまった。
>>179 >よく虚数の存在が不思議とか言うけど有理数体の代数拡大と
>理解すれば納得いきます。
>でも、実数の存在ってすごく不思議で考え出すと分からなくなったんです。(数学科に入学する前)
確かに、実数は気持ち悪い。虚数なんてどってことないよ、実数に
くらべたら。
俺は logic なので、可算無限より大きいのはほとんど扱わないけど、
可算無限より大きいのはちょっと居心地が悪いんだよね。
>整数論やってる人なんかだと、もっと実在のものとして捕らえるでしょうけど
「見えてる」人もいるらしいからねえ。俺には記号は見えるけど、ああいうものは
見えないなあ、、、
で、哲学的な立場だけど、俺は論理主義に近いので、形式主義的な
かんがえじゃないんだよね。まあ、論理主義もちょっとあれだけど(苦笑)
185 :
1じゃないけど理系です:02/02/01 04:17
>>181 う〜ん、HP見たけど頭痛くなりました。もう少し明晰な時に見てみます。
>>182 信仰ならそうですね。
>>184 >わー、なんか、すごい親近感が湧いてしまった。
こちらこそよろしくお願いします。
>確かに、実数は気持ち悪い。虚数なんてどってことないよ、実数に
>くらべたら。
そう。すごく気持ち悪いんです。しかしこの気持ち悪いって感覚は、基礎論の人だけが感じるのだろうか。数学板でアンケートしてみたい。
で、数学科に入る前に次のようなこと考えたんです。
自然数Nの部分集合、として{n|nに関する命題}となるものだけを考える。
例えば、「nは素数」だとか「nは3で割りきれる」だとか。
で、これを論理記号などでその命題を表現すれば、こういう部分集合は可算
無限しかないはず。
ところが、「ある集合の濃度」<「その集合の部分集合全体の集合の濃度」
の証明は上記の場合でも何の不都合もなく成り立つのです。
これが不思議だったんです。で、大学に再入学したあとでふっと、分かったんですが。
他の数学勉強してても、「存在するって言うけど、それは構成的か?有限回のアルゴリズムで求められるか?」って、しょっちゅう気になります。
>で、哲学的な立場だけど、俺は論理主義に近いので、形式主義的な
>かんがえじゃないんだよね。まあ、論理主義もちょっとあれだけど(苦笑)
論理主義ってラッセルでしたっけ?よく知らないのです。
素朴な疑問なんだけど、
理系の人間でも1の言う1,2,3すべてを理解できてる人って、
なかなかいないと思うなぁ・・・。
187 :
考える名無しさん:02/02/01 05:38
>>186 しってるかしらないかではなく知らないのに語ってるのがだめかと
>>1 なんか言ったか?
1.脳生理学を知らない奴が「認識論」「主体論」を語るな。
2.量子論を知らない人間が「唯物論」を語るな。
3.数学を知らない人間が「記号論」「経済学」を語るな。
俺的に支持率30%ぐらいかな
ここは哲学板だからべつに理系が出てきて文系を非難するのはどうかとおもうぜ
君の思う厨房がいるなら上の事教えてあげな もっと頭のいい理系ならこんな事いわないと思うな
エレガントさに欠ける君は 冷静に哲学する心理状態にないと思うな
結局 弱いものいじめがしたいだけの理系君?
あんまりスカしてると荒らすから覚えときな
たまに見に来てやるから まともなところ見せて欲しいもんだね?
なに?最近こんな奴多くない?
大丈夫かよ・・・こいつ
というか、やたらレベルの低い議論しているなプクス
精一杯背伸びしているって感じでかわいいよ、君たち。
>181の続き
ちなみに、「二分割」と「アキレスと亀」は実は同じ内容で、
どちらも「無限分割可能な世界を想定した場合、
有限の距離を移動するために無限の運動が必要になる」
ということをいっています。
これを発展させると、無限分割を前提とするユークリッド幾何学空間では
実際に物体の運動は不可能である、という証明が可能だそうです。
それについてはこちら。
http://www.sfc.keio.ac.jp/~shafi/essays/zenon.html 「飛ぶ矢」は、ゼロの時間で物体の運動を観測可能であるとすれば、
物体は運動しえないという内容です。
要するに、数学は机上の空論に過ぎず、世界の法則は論理では説明しえない
ということを背理法によって証明した、というのがゼノンの逆理らしいです。
ちなみにコペンハーゲン解釈の量子論では、
「最小の数」「無限小」は不確定性原理に基づいて想定不可能、
「0の時間における運動の観測」も不可能ということになってますので、
ゼノンの逆理がいう「最小の場の説明不可能性」と同じことなのではないかと。
192 :
1じゃないけど理系です:02/02/01 14:51
>>191 量子力学を持ち出すのは牛刀で鶏を切るような気もします。
「有限の長さのものを無限個足すと無限になる」が誤りなわけで。
この手の無限操作の極限値の議論は数学だとε・δ論法になるが、確かに数学が矛盾が生じないというよい、生じないように作ったと言えなくもない。
ラッセルのパラドックスにより、素朴な集合概念を変えざるを得なかったように
193 :
ところで理系の方:02/02/01 16:10
数学科から見ると、物理学科の数学って、
やっぱしいい加減に見えますか。
194 :
考える名無しさん:02/02/01 16:15
195 :
1じゃないけど理系です:02/02/01 18:11
>>193 いい加減というより、興味の対象が違うんだなと思う。
直感的に成り立つこと、なぜいちいち証明するのか、って私も物理やってたころは数学にたいしてそう思ってた。
だけど、そこが数学の面白さなんだと分かった。
量子力学で無限次元を有限次元の類推でやった場合、とくに不都合がなければそれでいいし、不都合が生じたがそこで修正すれば良い、とは思うが、そこを厳密にやりたがるのが数学の性。
>192
要するに、無限に分割されていく有限の距離の移動を
無限回繰り返すことは有限の時間において可能である、
ということが定理化されているということですか?
それは結局のところアリストテレスの反論そのままですが。
しかし「有限の長さのものを無限個足すと無限になる」が誤りだとすると、
「有限の距離の移動を無限回繰り返すという運動は、有限の時間のうちに完了する」
ということになってしまうのでは?
ちなみに私の数学知識は三角関数で挫折して止まっています。
197 :
1じゃないけど理系です:02/02/01 21:41
>>196 どう説明すれば良いか分からないんですが、
>しかし「有限の長さのものを無限個足すと無限になる」が誤りだとすると、
誤りというか、常に正しい、とは限らない、ということです。
1を無限回たすと無限だけど、
1+1/2+1/4+1/8+1/16+・・・・=2です。
198 :
考える名無しさん:02/02/01 21:47
>>1 文系理系じゃなくて正しく文章を読めるって言うのが哲学で一番大切
なことだと思う。もちろん探究心は大切なのは言うまでもないけど・・・
哲学をすると言う行為には文系も理系もないと思うよ。
アキレスと亀のパラドクスの問題は、合計が有限の数に収まるということではなく、
有限の数に収めるための操作手順が無限回である、ということなんですが。
0に1/2を足す、つまりアキレスが亀に半分近づくために、ある一定の有限の時間が必要です。
次にさらに1/4を足すためにまた有限の時間が必要です。
この手順は、「時間に対する無限の分割が可能である限り」確実に無限回繰り返されます。
一回一回の手順をどんな短い時間で行おうとも、やはりその手順を達成するのに要する時間は無限です。
つまり、1+1/2+1/4+1/8+1/16+・・・・=2は数学において真ですが、
現実の世界では無限の時間を要するので、つまり不可能です。
これがつまり、「ユークリッド空間内ではアキレスは実際に亀に追いつけず、
現実の空間は無限分割不可能である」という、
http://www.sfc.keio.ac.jp/~shafi/essays/zenon.html で言われてる話なんですが。
200 :
考える名無しさん:02/02/01 22:36
私は一応数学科でてますが。
1/3って何?
で止まってます。
201 :
考える名無しさん:02/02/01 22:46
>>198 それはまるきり逆だよ。
糸井重里も最近似たようなこと言ってたけど、誤読こそが哲学を生み出す
てのが正しいやろ。哲学者の良し悪しはどう誤読するかのセンスの差。
202 :
考える名無しさん:02/02/01 22:53
アキレス亀パラドクスの問題点は、アキレスが亀に追いついても
勝った事にはならないことだね。追い抜かないと。
203 :
考える名無しさん:02/02/02 03:40
ベルクソンの話が出てないけど読んでる人はいないのかな?
理系の人にはどう受け取られるんだろ。
204 :
考える名無しさん:02/02/02 05:13
ベルグソンは比喩が下手くそだ。殺したくなる。
205 :
続・クレタ島の住人:02/02/02 06:39
アキレスと亀は競争してたのか?
>>185 論理主義って言うのは、Russell 流だと、数学全てを論理に
還元できることを示すことによって、数学の正当性を論理の
正当性で保証するって立場。
最近はこんな強力な主張をする人はいなくて、数学の正当性を
人間の言語活動の正当性で保証するような立場のことぐらいと
思っていただければ。
207 :
1じゃないけど理系です:02/02/02 22:12
>>199 >一回一回の手順をどんな短い時間で行おうとも、やはりその手順を達成するのに
>要する時間は無限です。
ここの部分が「無限ではない」ってことなんだけど、それじゃあ反論にならないですかね?
>>200 私も「数って何?」って思い始めて数学に関心が行きました。
1/3=2/6 両者は「同じ」なのに、1/3は既約分数、2/6は可約分数
じゃあ、「違う」のか?って。結局数学を独学でやる中で、分かりました。
>207
なぜ、「無限ではない」と言えるのですか?それが問題です。
「一秒という時間を無限に分割しても、それはやっぱり一秒だから、一秒で終了する」
というのは何の説明にもなりません。
ここで問題になるのは、ユークリッド空間における運動の不可能性なのです。
運動には、「物体の移動」だけでなく「時間の経過」も含まれます。
一秒という時間が無限に分割しうる場合、
まず一秒が経過する前に「0.1秒」という時間が経過しなければなりません。
ですがそれが経過するためには、その前に「0.01秒」が経過しなければなりません。
時間が無限に分割されているなら、この手順はやはり無限に繰り返されます。
なおかつ、0.01秒もそれ自体が無限に分割しうるはずです。
つまり、一秒が経過するためには、無限の手順が無限回繰り返されなければならないのです。
数学の上ではどうだか知りませんが、現実の場では無限の手順というものは終了しえません。
終了してしまうのならば、それは無限ではありませんから。
つまり、無限に分割された有限の時間は0.0000・・・・・1秒たりとも「経過しえない」のです。
これがつまり「アキレスが亀に追いつけない状態」の正体です。
数学板の無限スレにもあったと思うけど、
1回目の手順は1/2秒で、2回目の手順は1/4秒で、・・・n回目の
手順は(1/2)^n秒で、・・・と続けていくと1秒で全部終わるよ。
# まあ笑い話みたいなもんだけどね。
# これでパラドックスを解決できるとは思ってないし
# 君をやりこめようとも思ってないので。
> 1秒で全部終わるよ。
少なくとも可算無限回の操作は全部、ね。
>209
そんなことは分かってます。
ゼノンが言いたかったのはまさに、
〜と続けていくと1秒で終わるという数学における想定は
所詮笑い話に過ぎない、ということです。
>>211 うーん、だとしたらさ、君が「無限回の操作が」とか「有限の時間の
うちには終了しない」とか言うことにはどんな意味があんの?
# いや別に、それでゼノンのパラドクスを解決できると
# 言いたいわけじゃないのさ。上でも無粋な注つけてるけど。
# ただね、無限の手順が必要だから終了しない、と君が
# 言うときには、手順の1回1回に時間が「経過している」、
# という想定をしてるわけでしょ。違う?
>211
「無限回の操作が」とか「有限の時間のうちには終了しない」
時間の経過を仮定のうちに入れて考えれば、というだけです。
ゼノン自身がこうやって論を立てているので。
>手順の1回1回に時間が「経過している」、 という想定を
実のところは、その想定は必ずしも必要ないのです。
時間が経過しようと経過しまいと、無限の手順は終了しえないのですから。
結局のところ、一秒という有限の時間のうちに、
1に至るまでの手順が終了してしまうとすれば、
それはつまり無限ではなかったことになります。
〜と続けていくと1秒で終わるという数学における想定というのはつまり、
「時間は無限分割が可能である」という想定と同義でしかありません。
>>213 > 時間が経過しようと経過しまいと、無限の手順は終了しえないのですから。
それで時間の経過を認めないということは、
1cmを無限に分割することも認めないの?
じゃあ長さも面積も認めない?
横レス
>>214 単に「どんな操作でも必ずある有限の時間が必要である」という計算機みたいなものの考え方なんでしょ.
ていうか、俺自身は哲学人じゃない上に、
元々ゼノンの逆理への反論を一生懸命考えていた側なんですが。
自分も以前ゼノンの逆理を振りかざす屁理屈野郎を相手にしたんですが、
ゼノンの四逆理は凶悪無比です。そう簡単には崩せません。
>214
あなたまだ問題を分かっていないようです。
アキレスと亀パラドクスが認めないのは、
「現実の場における無限分割の不可能性」です。
幾何の世界では1cmを無限に分割したりしますが、
その「幾何の世界」と「現実の世界」は全く異質なものだ、
ということを再三言っているのです。
>215
くどいようですが、時間がかかる必要はありません。
たとえば、あなたは時間を止める装置をもっているとします。さて、今時間を止めました。
では、1から∞までの数を全部書いて、終ったら時間を再始動してください。
あなたがこれを素直に実行した場合、時は再始動され得ますか?
218 :
1じゃないけど理系です:02/02/02 23:21
>>208 それなら,何故に「有限の時間で無限の手順を達成することはできない」と言えるのか?と問うしかないが。
こう言うパラドックスはどうでしょうか
2次元の座標平面を考える。(0,1)のところから半直線(=一方だけが無限に伸びてる直線)を引く。
この半直線を時計の針のように徐々に(0,1)を中心に回転させる。
時計の短針と対応させて考える。まず12時=0時には半直線はy軸と重なる形で上に永遠の長さで伸びている。
半直線は永久にx軸と交わらないという証明をします。
最初にx軸と交わったとき、その交点を(A,0)とする。しかし、ある瞬間
に(A,0)と交わっていたなら,その点よりも右側,例えば(A+1,0)とは
それよりも早い時刻に交わっていたはずだから、「最初にx軸と交わったと
き、その交点を(A,0)とする」という仮定に反する。
よって、半直線がx軸と交わることはない。
もちろん実際には例えば5時ごろには右下斜めに半直線が突き出ていてx軸と交わってる。
>>216 だから俺も書いてるじゃん。これでお手軽簡単にゼノンのパラドックスを
解決できると言ってるわけじゃないんだってば。
> 「現実の場における無限分割の不可能性」です。
あのね、
>>213みたいに
> 時間が経過しようと経過しまいと、無限の手順は終了しえないのですから。
と言っちゃったら、現実の世界の話じゃなくなるでしょ、という
意図だったんだけど?
>>217 書いてる本人にとっては「1から∞までの数を全部書いて」の操作で時間が費やされますよ,無限に.
ですから明らかにこの場合も時間がかかることは本質でしょう.
>>217 え、数字書くのに時間を経過させなくていいんですか?
じゃあ、はい、書きました。全部。なぜなら書かれていない自然数は
存在しないからです。え、なんで一瞬で終わったのかって? だって、
書くのに時間を経過させないでいいって言ったじゃないですか。
ふう。前にも書きましたが、私は数字は不得手です。
ゼノンの代理で論を立てるのは、とてつもなく荷が重いですわ。
正直申しまして、自分が使ってるゼノンの逆理、
私はここまで理解するのに一週間かかったのです。
ゼノンの逆理の何たるかを紹介したかっただけで、
ゼノンの逆理の側に立って、数学系の人と議論をできる力は私にはありません。
俺に議論をふっかけた張本人を引きずり出して話を続けさせたいですが残念ながら消息不明。
>208
>何故に「有限の時間で無限の手順を達成することはできない」と言えるのか?
その質問私もしましたが、「運動が可能であるという前提に立っている」から却下だそうです。
ところでパラドクスですが、数学の上ではAに∞を代入するわけにはいかんのですか?
>221
んじゃ、解答用紙を見せてください。
ごめん、1マスに全部書いたから真っ黒になっちゃった。
>223
鉛筆で書いたかボールペンで書いたか知りませんが、
一回書くごとに少しずつ紙の質量が増したでしょう。
ちょっとその全ての自然数が書かれた紙の重さを量ってくれませんか?
>>223は、数字を書くのに時間が経過しなくていいなら面積も必要と
しない、というのを付け加えるのもいいかも。
>>224 そりゃもちろん質量のないインクで書いたんでしょうね。
現実の世界での話、質量のあるインクが1mm移動するのに
時間が経過しなくてもいいなら相対論がヤバイ。
アキレスと亀が「191など」氏の説明どおりだとすると,
少なくとも可能無限の立場(=アリストテレス的な無限)ではパラドックスが起きると思う.
でも数学や物理学では普通である実無限の立場ではその問題が起きないばかりか,
そういう人たちにとっては問題自体が意味不明に思えるだろうね.
229 :
1じゃないけど理系です:02/02/03 00:52
>ところでパラドクスですが、数学の上ではAに∞を代入するわけにはいかんのですか
x座標には「∞」という場所はないから駄目です。どの座標も、Aは有限なのでそれよりも1つ右にあるA+1の座標があります
>そういう人たちにとっては問題自体が意味不明に思えるだろうね.
実はそうなんです。何を示せば相手が納得するのか分からないのです。安部公房の小説にありがちな話しみたく。
191などさんは量子力学をつかって反論したようですが、それは大げさ過ぎる気がします。それで相手が「なるほど」と納得するとも思えない。量子力学自体が、因果律の否定という、常識では考えられないトンデモなものだし
>それで相手が「なるほど」と納得するとも思えない。
私の相手に関していえば、返答に窮させるぐらいの効果はありました。
結局のところ、「それは分からない分からないと言ってるだけで、
説明したことにはならない」と言われましたが。
それはコペンハーゲン解釈が悪いのであって私のせいではありません。
しかし不確定性原理がある限り、
「ある瞬間における矢の位置を素粒子の立場から観測することはできない」
というのは崩せないと思うんですが。
>何を示せば相手が納得するのか分からないのです。
要するにあなたは自然数は全部数えられるという立場、
私はそれは無理だという可能無限の立場をとっていたということでしょう。
今調べてきたところでは、哲学と数学の間でこの問題についての対立が存在するようです。
結局この場合何を示せばよいかというと、
「自然数は全部数えられる」という実無限の立場の正当性を証明すればよいのです。
問題は、それを示してもらったとして私にそれが理解できるかどうかですが。
>>231 なんでもいいが
> 哲学と数学の間でこの問題についての対立が存在するようです。
「哲学と」はやめてけれ。俺は哲学専攻だが実無限派だ。
そうか。じゃあ。
今日でも実無限派と可能無限派の対立が存在するようです。
ゲーデルからカントールといった数学者の多くは実無限派、
哲学者ウィトゲンシュタインとその支持者は可能無限を主張しています。
こんなところですか?
やっと>218のパラドクスの意味がわかった。
無限はパラドクスだらけですな。
ちなみに解き方は存在するんですか?
>>229 >x座標には「∞」という場所はないから駄目です。
>どの座標も、Aは有限なのでそれよりも1つ右にあるA+1の座標があります。
191さんは、Aは無限であると言いたいのでは?
それなのに、Aは有限なので、と無理やりパラドクスにしようとしている。
思い出した。
どっかで読んだことがある気はしたんだ。
あのパラドクスの答えは「無限の長さを持った線分は回転できない」だ。
237 :
1じゃないけど理系です、あらため、φ:02/02/03 22:34
>要するにあなたは自然数は全部数えられるという立場、
そう言う立場になるのかな?よく分からないや。任意の自然数は数えられるけど。もちろん寿命とか宇宙の存在時間とかの話しは抜きだよ。
>あのパラドクスの答えは「無限の長さを持った線分は回転できない」だ。
そんなことないです。物理的に無限の長さの棒を回転させるのは不可能だけど、座標平面上で半直線を回転させるということを想定することは出来る。
それからHN変えます。空集合のφ、ね。
それと実無限、可能無限ってよく知らないけど、確かに無限というのは「いくらでも
大きく出来る」といった動的、極限的イメージだったのがカントールが無限の大小
関係を調べるなどして、無限そのものを3や5と同じように扱うという考えも出て
きました。これに対して、「自然数こそが実在である」とする当時の数学業界の重
鎮クロネッカーが執拗ないじめを行い、カントールは精神をわずらったといわれて
います。無限に付いて考えたからというより、数学業界での派閥抗争が原因という
永田町レベルの話です。
238 :
考える名無しさん:02/02/03 22:55
ひとこと言っておきたい。
数学版でも言ったけど、実無限―可能無限は完全に論理学・哲学だ。
それを知らないからって「数学を理解してない」とかいう態度はやめてほしい。
それ系の人たちが言う数学は数学ではない。
数学は実学として発展してきた部分も大いにあるわけだし。
このスレではあまりいないけど、他スレでそういう奴が結構いるので。
>>それを知らないからって「数学を理解してない」とかいう態度はやめてほしい
私そう言う態度、取りました?無限に対して数学でも議論があったよ、って書くこと自体がそう言う態度なのかな?
カントールの名前が出たから、たしかに彼はある種無限を実体と捉えていたなと思って書いたんですが。
>237
ご承知と思いますが線が回転するとき、その先端では運動が起こります。
その運動の幅は線が長くなればなるほど広がります。
線分の長さが無限であるとき、線分が1度回転するのに必要な運動量は無限で
す。0.1度回転するのに必要な運動量も無限です。回転運動の量をどこまで
減らしても、やはり先端の運動量は無限です。
そして、可能無限の立場では「無限である」ということは「不可能である」と
いうことと同義です。よって無限の長さを持つ線分は運動し得ません。
これを論破するには、「無限は閉じることができる」ことを示して可能無限の
立場を否定するしかありません。
>座標平面上で半直線を回転させるということを想定することは出来る
問題は、そこです。
その「想定できる」ということ自体が、「決して貫けない盾を何者をも貫く矛
で突いてみるという行為は想定できる」ということと同じ意味しかないのです
。その想定はあり得ないことを前提としているため、パラドクスを引き起こし
ます。
しかも、言葉の上では可能なようですが、実際には「無限の存在の運動」は想
定することはできません。なぜならば「無限なる存在」の全体を意識化するこ
とはそれが無限である以上不可能だからです。記号や数式をもって「これが無
限です」というのは、〒という記号は宇宙の真理を表すものと定義すれば宇宙
の真理を表しうる、というのと同じことです。
先が見えない線が回転している光景を思い浮かべたところで、そこで真に回転
しているのは「自分に見えている部分」だけであり、無限の線分が回転してい
る光景が想定されているわけではないのです。
名前を忘れた。>240は私です。
>238
なんやらよう分かりませんが、私はそういうつもりはないですよ?
ただ単に、数学を理解している数学に詳しい方は
無限という問題についてどういう態度を取るのだろうかと、それが気になるだけです。
>それ系の人たちが言う数学は数学ではない
ここの意味がわからないので教えてください。
>数学は実学として発展してきた部分も大いにあるわけだし。
ここも唐突で文脈が分からないのですが。
>完全に論理学・哲学だ
ここも分からないな。哲学ってあらゆる学問領域と関係するんじゃないんですか?
純粋に論理学・哲学内部だけの問題ってことでしょうか
243 :
NG名無しさん:02/02/03 23:39
244 :
考える名無しさん:02/02/03 23:40
哲学を知らずに脳科学を語るな。>業界の3分の2ぐらいを占めるDQN院生と研究者
素朴唯脳論者は脳研究には要らない。
まあ、純粋に論理学的に解釈するなら
>>238は、
>それを知らないからって「数学を理解してない」とかいう態度はやめてほしい
と言ってるまでで、私がそう言う態度を取っているとは言っていない。
その論法だと私も、
>私そう言う態度、取りました?
と質問してるだけになるが。
でもことばのやり取りって数学や論理学的解釈だけじゃなく、ニュアンスなども含んでるんであって、
>>238に対しては、不快に感じたのは事実だ。
まあ、2ちゃんだから、と言われればそれまでだが、災難にあった人に「まあいいじゃん。人間どうせいつか死ぬんだし」というのと同じような気もする
で、191などさんにだけど、どう説明すれば良いかな。現実に可能かどうかと、数学における可能かどうかに齟齬があって、
直線を引く、といっても実際には紙の表面はでこぼこしていて、ペン先だって有限の太さを持っているから、現実に直線を引くのは不可能だけど、頭の中に完璧な三角形や直線を想定することは出来るとして、数学は話しを進めないとならないと思います。
そういう頭の中で描くからといって何でも自由に想定できるかといえばそうではなく、矛で盾を突くような行為は矛盾するから出来ない、となります。
>記号や数式をもって「これが無
>限です」というのは、〒という記号は宇宙の真理を表すものと定義すれば宇宙
>の真理を表しうる、というのと同じことです。
形式主義だと確かにそう言うことしてるとも言える。記号それ自体の意味は度外視して記号と記号の間に成り立つ関係だけに着目するわけだから
で、寝るので無限云々に付いてはまたにします。
>>246 φさん
191などさんは、
>>216でも
> アキレスと亀パラドクスが認めないのは、
> 「現実の場における無限分割の不可能性」です。
> 幾何の世界では1cmを無限に分割したりしますが、
> その「幾何の世界」と「現実の世界」は全く異質なものだ、
> ということを再三言っているのです。
と言ってるし(ていうか私がそう怒られた)、
>>240では
> そして、可能無限の立場では「無限である」ということは「不可能である」と
> いうことと同義です。
と、綺麗にまとめてくれています。「無限が現実に可能だ」「不可能だ」の
立場の違いなので、それに決着をつけるには、現実の世界で「これが無限
だ」というのを示して見せることが必要なんじゃないでしょうか。
寝る前に、もう一言書いてから。
>>247 >「これが無限だ」というのを示して見せることが必要なんじゃないでしょうか。
そんじゃ無理だ。
こういうのは。つまり無限の手続きを有限時間で完了させることはが不可能だというなら、空間を無限に分割することも不可能なんだから、有限回の手続きで亀に追いつくってのは。
説明になってないのかな?
すいません。やっぱり分かりません。自分自信が不思議だと思わないので、何を説明して良いか分かりません。
>>248 φさん
これでレスしたらまたφさんの就寝を遅らせてしまうだろうか。
私も空間の無限分割を持ち出すのはいい案だと思います。
つうか寝てください。
>248
>空間を無限に分割することも不可能なんだから、有限回の手続きで亀に追いつく
そうなんですよ。それでいいんです。それでアキレスと亀パラドクスは解決さ
れます。可能無限の立場に立つ限り、結局はそこに辿り着くんです。
ですが、問題はここからなんです。ここからがゼノンの真に悪魔的なところです。
ゼノンは、意図的に、我々がそこに辿り着くように、仕向けているのです。
ここで第四の逆理、「競技場のパラドクス」が登場します。説明が難しいので
http://www-miyakelab.mp.es.osaka-u.ac.jp/morita/philosophy/ancient/vorsok.html のまんなかへんを参照してください。
これ自体は本来、速度相対性を持ち出すだけで簡単に説明のできるものでした。
しかし、ラッセルの新解釈のおかげで、「素空間」(無限に分割されることの
ない有限の長さの、最も短い単位)が存在するという前提のもとでは、このパ
ラドクスは解けなくなっています。
しかし、今我々はアキレスと亀パラドクスを解決するために「無限は有限のう
ちに収まらない。よって空間は無限分割できない」という立場に立たされてい
ます。よって競技場パラドクスは解けません。
つまり、無限分割を否定してアキレスと亀を解くと競技場が解けず、無限分割
を肯定して競技場を解くとアキレスと亀が解けなくなるのです。
これがゼノンの四逆理です。
それでですね、「無限小」を想定しても「素空間」を想定してもパラドクスが
生じるならどっちも否定してしまえばいい、「不確定性原理」は最小の場を観
察することはそもそも不可能だと言っているではないか。つまり、最小の場が
どうなっているかは人間には分からないし、論じることもできないのだ。
これが私の考えた「量子論によるゼノンの四逆理への反論」です。
ところで、おやすみなさい。
>>251 不確定性原理なんて、無限も時間も前提した上での話なんだから、
持ち出したって、パラドックスは崩せないと思いますが。
ところでこれにはまだ続きがあります。
不確定性原理、コペンハーゲン解釈の量子論は今言ったように「最小の場を原
子の立場で観測することはできない」という立場です。
しかしそれより後発の、エヴェレット解釈の量子論は「素粒子の立場に立てば
最小の場を観測できる」という立場らしいのです。
らしい、というのはよく理解できないからなんですが。
http://kamakura.ryoma.co.jp/~aoki/paradigm/ParallelWorld.htm これなのですけど。
んで、「素空間はある。それは光子の幅である」という話も小耳に挟んだので
す。本当に科学の世界でそう考えられてるのかどうか分からないんですが。
でもだとしたら、「数個の光子に隊列を組ませて競技場の向こうとこっちから
光速で撃ち出してすれ違わせたら」、両者がすれ違う瞬間には一体何が起こる
んでしょうか?
私にはもうさっぱり分かりません。だれか分かったら教えてください。
>252
そうなんですか?
全然知らずに使っているもので。
>>254 少なくとも実無限はないと困るんじゃないかな。解析は使うでしょ。
無限分割とのからみだと・・・空間が連続でないと不確定性原理も
成り立たないんじゃない?
だれかもっと詳しい人に助けてもらいたいけど。
正しいかどうかは知りませんが、とりあえず量子論による反論を展開してみます。
まず、「アキレスと亀」と「二分割」。
ゼノンは「ある一定の数を、何度も何度も半分にし続けろ」と要求してきます。
私はこれに対し、「分かりました。でもプランク定数の限界が来たら止めます
」と答えます。
「飛ぶ矢」。
ゼノンは「ある瞬間において矢を観測せよ。矢がある空間を占めているはずだ
」と言います。私は「観測する時間が0のときは、矢の存在確率が『ある数÷
0』になってしまうので、観測は無理です」と答えます。
「競技場」。
ラッセルは「隊列一人あたりが素空間であるとしたらどうだ?」と問いかけま
す。私は「小さすぎて観測できません。少なくとも半分にできるサイズでお願
いします」と答えます。
要するに、何もかも無理だということです。
>256の「アキレスと亀と二分割」は、
「ある一定の数を」じゃなくて「ある一定の長さを」でした。
しかし、そういえば不確定性原理も数式なんですよね。
俺が見てもさっぱり分からんだろうからなあ。
野矢茂樹「無限論の教室」講談社現代新書
259 :
考える名無しさん:02/02/04 02:36
もーいーとか言いながらageちまった。くそ。
亀を捕まえることに成功したと思ったら、次があったんだったな。ちょっとこれ保留にさせてください。
量子力学持ち出しての反論は、かなり抵抗あります。ユークリッド幾何と古典力学でも成り立つはずだから。
ところで、例えば数学だと「紙と鉛筆」といわれるようにあれこれ考えることが研究
だし、物理なら考えたり実験したり、生物や地学も同様です。経済学はデータをとっ
て調べたり、歴史学も社会学も資料を調べフィールドの調査もして仮説を立てたりす
ると思います。
自分の専門外についてはよくは知りませんが、なんとなく「何を研究してるか」は
想像がつきます。哲学の研究、ってのは捉えどころがなくて、具体的に何をするの
かがよく分からないのですが。その辺が、「昔の人の書いた本を読んで解釈するだけ」
と言ったイメージにつながってしまうのだと思います。
哲学の研究とは具体的に何をするのでしょうか?卒論ではどう言うことをするのでしょうか?
ちなみに数学の場合、私が出たところは学部卒業で論文というわけにも行かないので
(新しい定理なんか学部生ごときに発見できるはずがない)、ゼミが卒論の代わりですが。
>>238は煽りだったのかな?
>>261 >
>>238は煽りだったのかな?
>>238も「このスレではあまりいないけど、」と書いてるので、
少なくともあなたのことを言ってたわけではないでしょう。
# 俺は哲学が専攻だけど
>>238の言いたいことはわかるよ。
>ユークリッド幾何と古典力学でも成り立つはずだから。
何が「成り立つ」のですか?サパーリ分かりません。
そもそも「量子論が間違っている」と言いたいのか、
「量子論の適用の仕方が間違っている」と言いたいのか、
そこんところを明確にしていただけるとありがたいんですが。
ちなみにこの二つのいずれかが証明されれば、
それで私の「量子論によるゼノンの逆理への反論」は崩れ去ります。
逆にいうと、これ以外の方法では決して崩せません。
>哲学の研究とは具体的に何をするのでしょうか?
私はビジーターですので、哲板住人の方よろしくおながいします。
私自身にとっては、哲学は研究するものではなく身に付けるものですが。
>>262 確かに「このスレではあまりいないけど、」とあってそこも気になったんだけど、でも私の発言を受けての書き込みであることは明らか。
私の
>>242の疑問はそのままだし。
>>263 素朴な感覚からいって亀に追いつくことなどは出来るはずという意味です。
量子論が間違ってるとか適用の仕方が間違ってるという意味ではありません。
単純に、素朴に成り立つはずのことが「成り立たない」という結論になる、
というパラドックスを解くのに、量子論を持ち出すのは牛刀で鶏を切る
ようなものじゃないかといってるだけです。
量子論自体が因果律の否定など、私の常識から言ったらトンデモなも
ので(だから間違ってるといういうことじゃなくて、そういう驚くべ
き原理で自然がなりたってるんだ、と不思議に思う問うことです)、
それに比してゼノンの逆理というのはそれを納得させる形で反論でき
ないまでも自分自信は不思議とは思わないので、後者を解くのに前者
を使うのは大げさな気がするということです。
>素朴な感覚からいって亀に追いつくことなどは出来るはず
もちろんそうです。ゼノンは別にアキレスは亀に追いつけないと主張したかっ
たわけではなく、「アキレスが亀に追いつくという素朴な事実を、ピュタゴラ
ス派の多と数の宇宙論では説明しえない」ということを背理法を使って証明し
たのです。
成り立つはずのことが成り立たないという結論になるのは、「最小の場では空
間が無限に分割されている」とか、「最小の場には最小の大きさが存在する」
とかいう議論そのものが間違っているからだ、ということを、このパラドクス
は示しています。
つまり、ゼノンは数学そのものを崩壊させようとしているのです。
267 :
考える名無しさん:02/02/05 00:00
ある日アキレスと亀が競争しました。
亀がのろのろと歩くのを横目に見ながらアキレスは全力疾走しました。
あっという間に亀が見えなくなったのでアキレスは安心して歩き始めました。
ところが、あまりに激しく走ったアキレスは呼吸困難に陥りました。
ちょっと木陰で休もう。そう思ったアキレスは涼しい木陰に腰を下ろしました。
いつしかアキレスは深い眠りに落ちていったのです。
第1話 終了
ちなみに、「ユークリッド幾何の立場でもアキレスが亀に追いつくという現象
は成り立つ」と主張するのであれば、何度も言うようですが、「無限は閉じる
ことができる」ことの証明が必要です。
それさえ出来れば、ゼノンの悪霊を永遠に葬り去ることができるのですが。
>>261 > 哲学の研究、ってのは捉えどころがなくて、具体的に何をするの
> かがよく分からないのですが。その辺が、「昔の人の書いた本を読んで解釈するだけ」
> と言ったイメージにつながってしまうのだと思います。
> 哲学の研究とは具体的に何をするのでしょうか?卒論ではどう言うことをするのでしょうか?
> ちなみに数学の場合、私が出たところは学部卒業で論文というわけにも行かないので
> (新しい定理なんか学部生ごときに発見できるはずがない)、ゼミが卒論の代わりですが。
哲学は数学ほど厳密な学問じゃないので数学にたとえて説明するのは語弊が
あるかもしれませんが、数学にたとえると・・・
数学でも、先人の出した定理を他の問題に応用するとか、先人の証明を、他の
新しい結果を使って簡潔にするとか、定理をより一般化して元の定理を系として
含むような新しい定理を証明するとか、そういう仕事は業績になるでしょう。
あるいは、先人の証明にミスがあれば(ヒルベルトにはよくあったそうですね)
そのミスが致命的なものかどうか判定し、修正可能なら修正するといったことも、
あまりたいした業績にはならないかもしれませんが、必要な作業でしょう。
哲学科でやっている「昔の人の書いた本を読んで解釈」というタイプの哲学研究も、
本質的にはそういう仕事と変わらないと思います(上のたとえの「定理」「証明」に
「主張」「議論」を代入してみてください)。
>>269の続きです。
仮に「お前ら哲学学者は昔の人の本を読んで解釈するだけだろ」と非難されたと
しましょう(そういう非難はありますし、まんざらあてはまらなくもないのですが)。
数学では、先行の数学者の定理にのっかった仕事も「他人の証明を読んで手を
入れてるだけ」ではなく数学をちゃんと発展させていくと思いますが、同様に、
哲学でも、他人の主張から出発して新しい知見を得る、ということはあります。
もちろん、数学の学部生に新しい定理なんて発見できないのと同様、哲学科の
学部生にもたいしたことはできませんので、あるいは他人の証明/議論を読んで
理解することさえおぼつかない段階なので、卒論の段階ではしばしば、「誰々の
議論を読みました」タイプの論文を書くことになります(そうでない人もいますが)。
ただし、哲学科でやっていることがすべてそのタイプというわけでもありません。
数学でも、他人の結果を知らなくてもできるタイプの業績はありますよね?
ちなみに
>>263で191などさんが
> 私自身にとっては、哲学は研究するものではなく身に付けるものですが。
とおっしゃってますが、「研究する」と「身に付ける」が表裏一体なのは数学者なら
ご存知でしょう。哲学でも同じだと思います。
以上が、哲学専攻の人間から見た「哲学(研究)とはどんな学問か」です。
「哲学研究は本当の哲学じゃあないぞ、自分の頭で考えろよこの哲学学者め」
みたいな議論はそりゃもううんざりするほどこの板にありますのでパスします。
>>266 無理数の存在を認めなかったり豆を食べるなと言ったりしてたぐらいしか、ピタゴラス派がどのような主張してたのか分からないので、何とも言えないのですが、論争の一貫として出てきたということですね。
>>269 >>230 回答、ありがとうございます。
ある学説の妥当性や正当性はどうやって判断されるのでしょうか?
多くの人が納得すればそれが定説となるのでしょうか?
それから自然科学の場合、歴史や経済学もそうだと思うけど、相反する学説があっても、客観的にはどちらかが間違っているが今はそれはわからない、と解釈されます。
数学だと、直感主義とか有限の立場とか、そのひとのイデオロギーがないとは言えないけど、普通の意味では客観的に真偽は存在してると考えます。
哲学の場合、相反する主張は決着つくかどうかはともかく議論・論争すべきものであるとされてるのでしょうか?あるいはこの様な問いかけ自体がナンセンスなんでしょうか?
>>267 ほのぼのとした書きこみありがとうございます。オチに期待します。
で明日仕事早いんで寝ます。おやすみなさい。
どうもはじめまして。
普段は旧Mac板の名無しやってます。
今、大雑把にこのスレ読んだんですが、
数学=論理学
ゆえに
数学=哲学
だと思っていた私は、素人考えなのでしょうか?
数学と哲学を分けて考えてる意見が散見されたので、
その辺の認識に関して質問します。
あと、私は理系なんですが
>>124をみて初めて文系
学問の意図するところを知りました。感動しました。
同時に、その認識に至っていない文系学者の多さを
哀れに思います。大半の文系学者は逝って良し。
万物の根元が数であり、世界は数量的法則性に貫かれている。
これがピュタゴラス派の主張です。
いや、ピュタゴラス派にはもっと訳の分からん部分も多いのですが、ともあれ
ゼノンが問題にしたのは「世界は数量的法則性に貫かれている」という部分。
以下コピペ。
ピュタゴラスは“1”を万物の根元とし、そこから不定の“2”が生じ、“1
”と“2”によって全ての数が生まれると考えていました。そして数から点が
、点から線が、線から面が、面から立体が、立体から感覚される物体が生じる
と説明しています。
これはちょうど、みなさんが中学生の時に学んだ幾何学と同じ発想です。数
学を通してピュタゴラスの理解の仕方は私たちを今現在も支配しているのです。
ところで、おやすみなさい。
>>266 > つまり、ゼノンは数学そのものを崩壊させようとしているのです。
せいぜい「当時の数学」というべきですね.
なので,「当時の数学」を救済するために量子力学を援用するというのはちぐはぐな印象を受けます.
>>268 > 「無限は閉じることができる」ことの証明が必要です。
現在のスタンダードな数学では無限はそのようになってるんですが.
(現在の)数学で定義されている無限大(=実無限)を(現在の)数学者自身が認めないとしたら,
それはそれで興味深いパラドックスになりはしますが….
つまり現在の数学者にとって「アキレスと亀」はパラドックスではないということです.
それでもこれがパラドックスだというならば,
数学以外の立場(それはありだけど,もはや数学の問題でないことを意味する)か,さもなければ,
(実無限を使う,現在では大多数tの)数学者を批判する立場以外にありえないと思うのです.
ちなみに数学で「可能無限」というと「直観主義」のことだと思うのですが,
現代の数学者にとってはそれはすでに数学史的(=歴史的)な文脈以外ではお目にかからないでしょう.
もうひとつ,ある数学の概念に哲学的意味があるとしても,それは数学の研究対象ではないです.
それは数学基礎論も同じです.
基礎論は(初期の集合論における深刻な,[しかしあくまで数学上の]パラドックスから)数学を救うために生まれたのだし.
# 数学に哲学的分析を与える分野は数理哲学であって,数学自体ではないです.
数学者が実無限と可能無限をたいして区別しないのに、
なぜ数学もできない哲学者が実無限と可能無限に分け
ようとするのだろうか。
>274
当時の数学はゼノンに反論できなかったが、
現在の数学では無限は閉じることができることになってるから問題ない。
こういう主張をされていると考えてよろしいですね?
何度も言ってるんですが、
実無限の立場をもってパラドクスは解けたとするなら、
「現在のスタンダードな数学では無限はそのようになってる」ではなく、
「現在の数学では無限が閉じうることをこのように証明する」
というのを示してください。
「実無限論という立場を取っている」というのは、ここでは答えにならないのです。
実無限論そのものが正しいといえるかどうかが分からないのですから。
>>276 > 現在の数学では無限は閉じることができることになってるから問題ない。
そういう主張です.
「無限(=実無限)」なるものは数学的に定義されている,というのはよろしいですか?
> 実無限論そのものが正しいといえるかどうかが分からないのですから。
先ほども言いましたが,それはすでに数学の問題ではないってだけのことです.
あなたはあくまで数学の問題だといいたげですので,
「(実無限を使う,現在では大多数の)数学者を批判する立場」なのですね.
> 「現在のスタンダードな数学では無限はそのようになってる」ではなく、
> 「現在の数学では無限が閉じうることをこのように証明する」というのを示してください。
# 無料で数学の講義をしろということですか :-)
もう一度「量子論によるゼノンの逆理への反論」をまとめなおしてみます。
1、最小の場は観測しえない。
2、1は不確定性原理によって証明されている。
3、ゼノンは最小の場を観測せよという不可能な要求を行っている。
4、ゆえにパラドクスが生じる。
しかし209氏の話によると、
不確定性原理は実無限論を前提としています。
数学なんだから当たり前ですが。
で、さっき自分が言った話に従って、
1、実無限論を証明しない限り、不確定性原理の正しさは証明できない。
2、ゆえに>278の2は証明されていない理論による証明であり、無効である。
3、ゆえに量子論によるゼノンの逆理への反論は否定される。
困りましたね。自分の仕掛けた落とし穴にはまってしまったようです。
さて、そういう次第なんですが
>277
無限が閉じうることは証明されてるんですか?
私はそれが知りたいだけです。
もう一点だけ補足。
>あなたはあくまで数学の問題だといいたげですので
これは間違いなく哲学の問題です。
>実無限を使う,現在では大多数の)数学者を批判する立場
思想的には可能無限を信じてますが、
カントールも含めて、数学者や数学の立場を批判するつもりは一切ありません。
ただ、証明されていないことには証明には使えないのです。
私は、ゼノンの逆理を解きうる証明を見出すことによって
不死身の論客ゼノンの息の根を止めてやりたい。ただそれだけです。
直接の答えにはなってませんが:
可能無限は「無限回の操作により無限を考える立場」なので「操作」に制約がついてまわるのでしょうが,
実無限ではそのしがらみがないので「操作」に関して制約がないと思います
(でも時として選択公理の助けが要るわけですが).
なので,「無限が閉じうること」は定義より明らかです,以上のことはないでしょう
(=操作に制限を与えるような理由が特には見当たらない).
もちろん,「複数の極限操作の順番は無造作に入れ替えたりはできない」とかそういうことはありますが.
> カントールも含めて、数学者や数学の立場を批判するつもりは一切ありません。
そうですか,では
> 「(実無限を使う,現在では大多数の)数学者を批判する立場」なのですね.
は謹んで撤回させていただきます.
283 :
考える名無しさん:02/02/05 06:31
>>250 前提が間違っている「ゼノンのパラドックス」を、正しいと前提して提起をするので
あなた自身が新たなパラドックスを生み出しているのです。
という主張にはどう答えますか?>191など
>>191 >「最小の数」「無限小」は不確定性原理に基づいて想定不可能、
不確定性原理と何の関係があるんですか?バカ?
っていうかゼノンの話を物理板で粘着に上げまくってる
哲学厨房がいて迷惑してるんだけど、哲学語る奴は単純な数学も知らないわけ?
しかもこういうアホに限って知りもしない物理の言葉を、
まさに言葉だけ引用して意味不明の論理を展開しようとするし。
試しにあんたの思う「不確定性原理」について述べてみてよ。
(そもそもこれって本当は原理じゃないんだけどなぁ)
>>265 >量子論自体が因果律の否定など、私の常識から言ったらトンデモなもので
いいかげんなこと言うなよ…んなわけねーだろ…
ああ、1の気持ちがよくわかるよ
>「無限が閉じうること」は定義より明らかです,以上のことはないでしょう
数学がその立場であることは、よく分かっています。ですが、「無限が閉じう
ることはその定義により明らかである」という態度は、「神が存在することは
、神が存在するという定義により明らかである」という態度と同じことでしか
ないのです。
問題は、「そのような定義をすることは可なのか?」ということにあります。
んで、「無限が閉じうることの証明」がなされれば、可だということになりま
す。これさえ成功すれば、数学はゼノンに対して完全なる勝利を収められます。
私も安心して眠れるというものです。
>283
ゼノンのパラドクスにおける「間違った前提」とは、可能無限の立場のことで
すか?それがパラドクスを産んでいるというのならば、可能無限の立場が間違
っているという証明を行ってください。くどいようですが、それは「無限が閉
じうることの証明」です。こちらとしてもそうしてもらえるとありがたいので
すが。
>285
とりあえず物理板にいるのは私ではないのでいかんともしがたいです。それか
ら、私は数学も哲学も物理学も知りません。現在の数学が実無限の立場である
ことならこのスレで知りました。
そしてまさに知りもしない不確定性原理という言葉を使っており、自分の言っ
てることが正しいのか全然間違っているのかは私にはさっぱりです。
物理をやってる人の目から見て私の説が間違っているのであれば、「不確定性
原理は間違っている」「不確定性原理の適用の仕方を間違ってる」のいずれで
あるかを明らかにした上で「ここんところが間違ってる」と指摘していただけ
るとありがたいのですが。
で、不確定性原理ですが、
位置と運動量を同時に完全な精度で観測することのできる限界を明らかにした
もので、マクロの系での運動はほぼ完全に説明できることを保証するが、ミク
ロな系においてマクロの系の法則を持ち込むことができないことの説明でもあ
り、つまり無限小や素空間があろうとあるまいと、それを現実世界で正確に観
測することはできない。
というぐあいに理解してます。自信はありませんが、間違ってますか?それな
らばどこが間違ってるか指摘してもらえるとありがたいです。
もう一度ゼノンの逆理のまとめ直しを。
ゼノンの逆理はパラドクスを生じさせる以上、
なんらかの誤った前提を含んでいることは明らかです。
問題は、その「誤った前提」とはなんなのか、ということです。
ここまでの解釈をまとめると
1、世界は数量的法則性で説明できるという前提が間違っている。(ゼノンの真意)
2、無限の手順は終了しないという前提が間違っている。(数学の立場)
3、最小の場を観測できるという前提が間違っている。(私の意見)
4、上の三つ以外の何かの前提が間違っている。
のいずれかだということになります。
問題は、2,3、4のいずれかを証明しない限り
1の証明は崩されない、ということです。
>>287 アキレスが亀に追いつけない話を前提とした上で、
逆に、アキレスが亀を追い抜いたとしよう。そこで、
まず一時的に亀を静止させアキレスに追い抜かせる。
すると、どうだろう。アキレスは亀より先にいる。
いつ追い抜いたのか?
今、アキレスのいる位置の半分まで戻る。さらに、残り
の半分まで戻る・・・。これを永遠に繰り返しても、
アキレスの方が常に先にいる。
もし、アキレスが亀に追いつけないとすれば、アキレス
は最初から亀の後になどいなかった事になる。
これでは「『ゼノンのパラドックス』パラドックス」に
なってしまう(w
いかがですか?>191など
>290
それはアキレスと亀パラドクスそのものです。
というか、パラドクスを前提としたらパラドクスが起こるのは当たり前でしょう。
問題は、最初にパラドクスを生じさせたものはなんなのか、です。
>>291 あたりまえかな?自滅してるってことだよ。
>問題は、最初にパラドクスを生じさせたものはなんなのか、です。]
本当に分からないの?
>>286>>265 >>量子論自体が因果律の否定など、私の常識から言ったらトンデモなもので
>いいかげんなこと言うなよ…んなわけねーだろ…
>ああ、1の気持ちがよくわかるよ
えっ、量子力学においても決定論が成り立ってるのですか?
>283
「ゼノンの逆理は正しい」という立場に立つなら、それで自滅するでしょう。
ですが、私はそのような立場ではありません。
私は「ゼノンのパラドクスは正しいとして、それを前提として」
何かを提起しましたか?していた、というならどれのことか指摘してください。
>本当に分からないの?
>289のいずれかであるはずです。
問題は、どれであると証明されうるか。
>>294 アキレスと亀の距離の初期値=X(m)
アキレスの速度=A(m/s)
亀の速度=B(m/s)
とする。
ゼノンの論法では時間の経過が、X/(A-B)秒に収束する。
これはアキレスが亀に追いつくまでの時間であり、単に
「亀は、追いつかれるまでは先にいる」というだけ。
問題は、観測点が普遍的なものではないということ。
>>294 >私は「ゼノンのパラドクスは正しいとして、それを前提として」
>何かを提起しましたか?していた、というならどれのことか指摘してください。
あなたが
>>250で書いた、
>つまり、無限分割を否定してアキレスと亀を解くと競技場が解けず、無限分割
>を肯定して競技場を解くとアキレスと亀が解けなくなるのです。
というのは
>>295で示した問題を許容していることになります。
「無限が閉じる」ってどう言う意味でしょうか?
「191など」さーん、いますかー?
どーしたんですかー?
何かコメントください。
>295
それは「運動が可能である」という前提を必要とします。ゼノンの逆理はたし
かに運動が可能であるという前提を取っています。ただそれはあくまでゼノン
が使った前提の一つなだけです。「運動は可能である。それは数理的法則性に
よって説明できる」というピュタゴラス派の前提を借りた上で背理法を行って
いるのですから。
そして、ゼノンが否定しようとしているのは「運動は可能である」という前提
ではありません。それはつまり「現実世界でもアキレスは亀に追いつけないは
ずだ」という主張ですが、ゼノンの真意はそこにはないのです。
ゼノンは「運動は可能であるにしても、数理的法則性によって説明はできない
」という結論を四逆理から導き出しています。数理的法則性の立場に立つ限り、
ピュタゴラス派には運動の証明はできなくなってしまったのです。
ゼノンの逆理を正しいとは言わないが、「運動は可能である」という前提につ
いてはゼノンの逆理と同じ立場を取る。>250はそういうことです。
>297
無限回の演算が終了し、これ以上次はない、という状態になることです。
いい加減に視覚中枢と聴覚・運動中枢を連合させろよ(以下略
>>299 じっくり読みましたが、私が
>>295で指摘した「観測点が普遍的でない」と
いう問題の反論にはなっていません。
また、終始「ゼノンのパラドックス」を正しいと前提して提起しているだけ
で、結局のところ何が言いたいのかがわかりません。
>302
実は意味がわかりません。
観測点って何ですか?
304 :
(・∀・)ジサクジエンデシタ:02/02/05 16:53
>>1 アホ丸出し。
誰が何語ろうが勝手じゃん。
科学的方法論のみが真理ですか。
偏狭ですな。
とほほほ・・・
だから「数学も哲学も物理学も知らない」と言っているのです。
私は理系の方の知見に学んで自分の考えを発展させたい。
というわけで、「観測点の普遍性」という問題について
どなたか親切な方無知な私に説明していただけると幸いなんですが。
ところで、「終始ゼノンのパラドクスを正しいとして提起している」
ということは
「運動が可能であり、無限が閉じえず、最小の場が観測できるとき、
アキレスの運動は終了しない(つまり不可能である)」というパラドクスを
「ありのままに正しいとし、次の論を立てる」ということのはずです。
私はそのようなことをしているつもりはないのですが。
>>307 私は
>>290で、
「ゼノンの主張は自滅していて正しくなく、成り立たない」
ということを書いたです。
ところが、あなたは
>>299で、
>ゼノンは「運動は可能であるにしても、数理的法則性によって説明はできない
>」という結論を四逆理から導き出しています。
というふうに前提として持ち出します。
これでは、だだをこねているに過ぎません。理屈で論じてないのですから。
で、「観測点」ですが、
ゼノンが勝手に「亀が追いつかれる前までの時間」を限界ときめて観測して
いるところが既に問題であるということです。おわかりいただけましたか?
309 :
高三→将軍:02/02/05 17:09
無限小の問題と観測点の解決はかみあわしてないような...
(ちゃんと読んでませんが)
>>ゼノンは「運動は可能であるにしても、数理的法則性によって説明はできな
い」という結論を四逆理から導き出しています
これは私の前提ではありません。ゼノンの結論です。ゼノンの逆理の目標がこ
こにあるということを説明しただけです。私は「数理的法則性によっては何事
も証明できないのです」という立場で論じてはいません。
その立場で論じるということは「数学は間違っています」と断言し、それ以上
の議論に応じないことを意味します。私は違います。
私は、数理的法則性の正当さを立証するために、この結論を打ち破るために、
ゼノンに挑戦しているんです。
別に数学に義理があるわけではなく、面白いからやってるだけですが。
で、「アキレスと亀」では観測点は「アキレスが亀に追いつく瞬間」ですが、
別に観測点はどこにおいても構いません。アキレスと亀はそういう風に話を構
成してますが、本質的には同じ内容の「二分割」の逆理は、「観測点をどこに
設定しようとも、そこまで辿り着くことは決してない」というものです。
ちなみにゼノンの主張が自滅しているのは当然です。
それはパラドクスなのですから、
それを前提に使えば常にパラドクスが生じます。
しかし、厄介なことにゼノンの逆理の主張の前提は、
彼自身の思想ではなくピュタゴラス派の前提です。
ゼノンは彼らの前提を借り、その主張を自滅に導くことで、
数理的法則性を破滅に追い込もうとしているのです。
だから、「数理的法則性」以外の前提を否定できる証明を行うことで、
ゼノンのパラドクスを解決できないかと、それを模索しているのです。
>>310 >私は、数理的法則性の正当さを立証するために、この結論を打ち破るために、
>ゼノンに挑戦しているんです。
ですから、打ち破るまでもなく破れてます。
「アキレスと亀」では、ゼノンの定義域では無限に観測でき、
アキレスは最後まで追いつかないのです。それは、ゼノンが
「亀に追いつく前までの時間」に限った範囲で定義している
からです。
距離の中間点を追っていくと、時間的には収束してしまいます。
時間の経過を正しく観測してください。
>312
>時間の経過を正しく観測してください。
それができないから困ってるんです。
ゼノンの取る可能無限・無限分割の立場では、時間は経過できません。
だから、時間の経過は観測できないんです。
「無限が収束しえず、時間は無限に分割されている」のですから。
これを否定するためには、可能無限か、無限分割を否定することが必要です。
無限分割を否定すると競技場が立ちふさがります。
可能無限を否定するためには、無限が分割可能であることの証明が必要です。
要するに、今あなたは「実無限の公理に立った」からゼノンの逆理を破れたのです。
ですが、何度も言うように、実無限はまだ証明されていません。
結局、話は堂堂巡りというわけです。
間違えた。
>無限が分割可能であることの証明が必要です。
無限を分割してどうするんだ。
無限が収束可能であることの証明、です。
>>313-314 1/∞が0を通り越してマイナスになるような概念を説明していただけたら
納得します。
ところで、あなた何歳?>191など
>315
ゼノンは可能無限の立場を借り物として採用しているのですから、
彼には実無限論の否定証明義務はありません。
我々に、実無限論の肯定証明義務があるのです。
私も数学の取る実無限論を否定するつもりはありません。
ただ、それが証明されない限り、ゼノンは滅ぼされないのです。
>316
匿名掲示板でそのようなことを聞くのは野暮かと思いますが……
若輩者だ、とだけ言っておきます。
>>318 積分を知らないほどのね(藁
中学生か。
>>313 >だから、時間の経過は観測できないんです。
>「無限が収束しえず、時間は無限に分割されている」のですから。
時間が無限に分割されても、それが無限に積もれば時間が経過するというのを
理解してください。
321 :
sasisu:02/02/05 18:23
理系の人って量子力学と脳生理学と数学とか全部やるの? それって
どこの科ですべて教えてくれるの?
>320
あなた方がそのような立場を選択していることは理解しています。
ですが、理解するということと、それが正しいということは違うのです。
哲学板では「哲学的に」ものを考えると現実から遊離した方向に行ってしまう
人が多いな。
>>322 それでは、あなたの信仰する「無限」の力によって、
1/∞を0を通り越してマイナスに持ちこむことは可能
ですか?
お答えください。
>>321 「自分はスバラシイ」から「自分の属する集団はスバラシイ」になった人
が立てたスレなのでそういう突っ込みは意味が無いと思う。
>>321 なぜ、大学に通わないと学問ができないと考えるの?
いくらでも出来るじゃない。
327 :
考える名無しさん:02/02/05 18:37
ゼノンはこうだって言い切れるところがすごいよね。多分友達だったのだろう。
可能の無限は想定できない概念です。無限で1を割るとか、1に無限をかける
とか、そんな処理を行うこと自体を拒絶する存在です。
「私の無限の説明は再三再四無限それ自身のみによって可能なこと、すなわち
無限は説明できないこと、このことはなんら驚きではないのです」
「無限という存在は、想起された瞬間すでに無限ではなくなる。なぜならば、
想起された無限は思考の中に存在しており無限ではないからである」
可能無限論の立場から実無限論を反証できるかどうかは知りませんし、私はそ
んなことをするつもりはありません。それではゼノンに勝てません。
ですが、実無限論から可能無限論を崩さない限り、可能無限論の立場に居座っ
ているゼノンは永遠にそのままなのです。
「哲学とは相手に勝ちうるかどうかの田舎芝居である。」
スレのログを見てないけど、不完全性定理と不確定性原理を持ち出して
「理系のやってる事に意味はないの」とかいうドキュソはもう現れたかしら。
>>328 Oを突破してマイナスに至るかどうかの見解を示してください。
>331
あなたは「1を0で割ったら何が起こるか示してください」
と言っているに等しいです。
>>332 あなたのゼノン論に対して、そっくり返してあげます。
>333
その通りですよ?
ゼノンの逆理は不可能なことを要求しています。
だからパラドクスが起きているのです。
それとも、私が「ゼノンの逆理を解いてみせてくれ」
と言ってることに対してですか?
>>334 無限に関する発想が「実無限」であろうと「可能無限」であろうと、
1を正の数で除算してマイナスにすることは不可能なんです。
ゆえにアキレスが亀に追いつくための経過時間は収束し、それを
超えると亀を追い抜いてしまうのです。
もうよろしやろ?
>335
可能無限は正の数ではありません。
それ以前に、数ではありません。
実無限と可能無限の立場の違いは、
無限を数として扱うことを認めるかどうかにあります。
マイナスにならずとも無限回の除算手順はそれ自体が終了し得ず、
終ることも始まることもない。
つまり、無限をもって1を除算することはできない。
これが可能無限の無限小です。
ふう。実無限論争はもうよろしいんですけどね。
とりあえず「じゃあ俺が無限が閉じられる証明式を書いてやる」
という人は現れてくれないようですが、
それは「証明することが非常に難しい」んでしょうか?
それとも、「原理的に証明不可能」なんでしょうか?
前者であれば、そのうちどこかの天才数学者が解いてくれると期待できるんですが。
>>321 「理系なら全部語れる」ではなくて
「まったく知らないことまで語れる気になるなよ」
ってことだろ。まあ近しい分野のことはある程度類推が効くけど。
といっても専門家が聞くに堪えるようなことを語れるのは院生以上で、
自分の分野でもわりと経験をつんだ人ぐらいのものだろうな。
>>293 あなたは因果律と決定論の区別がついてないみたいね。
因果律ってのは簡単に言えば原因と結果が入れ替わらないということで、
決定論てのは原理的に未来を完全に予測できるということだ。
もっとも量子論だって波動関数レベルでは決定論だが。
>>288 うん、だから位置と速度の不確定性が素空間やら無限小やらとどう関係するの?
速度を精密に調べたければ位置情報を捨てればいいだけの話だろが。
>338
「飛ぶ矢」の逆理でゼノンが知りたがっているのは位置情報です。位置を精密
に調べたいので、速度を捨てていけばよいわけです。無限小の時間において観
測するとすると、不確定性が高まって速度の測定誤差が無限大になります。
つまり、「最小の時間で観測すると、矢は光速を突破して宇宙の果てに消えて
いく」ということになります。時間ゼロでの観測となると、これは完全に不可
能です。
と、いう具合に理解してるんですが、間違ってるんでしょうか?
また、「ミクロの世界を正確に測定するのは不可能」とか書いてあったので、
素粒子の運動を観測することはできないという意味かと思ったんですが。
それは単なる不確定性関係の例で
ゼノンの屁理屈話と関係ないだろ。
ていうか測定間隔を短くすることと位置を特定することを
あなたが勝手にイコールにしてるだけですな
ていうか数学の話をしてくれている人の説明を無視して
中途半端に直感的な自分のイメージにこれまた中途半端な
物理の言葉からもってきたイメージを重ね合わせて
中途半端な解釈を与えているだけです。素直にその解釈を
数学に当てはめることを考えてください。
おそらくあなたがなんとなく感じているのは
点と線分の違いに対するイメージであって不確定性関係ではない。
そして点と線分の違いは数学の人がさんざん説明していることを
聞けば理解できること。
曲線に接線はひけても一つの点に対して接線はひけない。これ。
>340
とりあえず不確定性原理の解釈は間違ってないんですね?
ゼノンの屁理屈話とこれがどう関わってくるかというと、これが正しければゼ
ノンは「観測が不可能であるのに観測しろと要求している」のだと宣言できる
ということです。つまり、「それがパラドクスの原因だ」と。
アキレスと亀にしても、起こっている運動に対し、位置観測の精密さを保った
ままで観測時間を無限に分割していかなければなりません。いずれアキレスの
位置の不確定性が限界を超えるはずです。
また、競技場のラッセル解釈は、素粒子の観測を要求していますから、これも
不可能な要求だということになります。
と、思うんですが。
いいえ。位置情報を忘れれば動いているか動いていないかはわかる。
そんなものは否定の理由にならない。
否定の理由に持ってくるまでもない。
だいたい「古典力学の範囲で既にパラドックスではない」
問題にわざわざ量子力学を持ってくる意味があると思う時点で既におかしい。
>>336 >マイナスにならずとも無限回の除算手順はそれ自体が終了し得ず、
>終ることも始まることもない。
意味不明。
マイナスにならなければ、収束します。時間的にその地点以内を定義域とした
ところがゼノンの勝手であって、特定の定義域に現れる事象を普遍的に語ろう
とするところに無理がある。
「無限」という言葉を用いた途端、もはや何もかも超越してしまうという規則
を定義するのが「可能無限」なら、その「可能無限」を乗じて数の1に引き戻す
「逆可能無限」を、私が定義しよう。
「可能無限」×「逆可能無限」=1
これにて「可能無限」を閉じる。
>>338 そう言うことでしたか。確かに決定論の意味で因果律と言ってました。
言い訳させてもらえるなら大昔私が物理学科の学生だった時の自主ゼミで、先輩が決定論の意味で「因果律」と使っていました。
>波動関数レベルでは決定論だが。
もちろん。でも波動関数自体が、確率を表す波なわけで観測結果は確率でしかわからない。
何を「観測」というのか、考え出すとわけわかんなくなったが。
347 :
考える名無しさん:02/02/05 22:46
ラベルが低い。
>φ先生。
あなたはまだ私と話し合ってくれるつもりがありますか?
しかしこれ以上は得るものがなさそうなので、
私はそろそろ帰ろうかと思います。
一つだけ気になります。
>測定間隔を短くすることと位置を特定すること
この二つは異なるのですか?
運動している物体を、なるべく短い時間のうちに観測すれば、
位置はより狭い範囲に特定されていく。
カメラの露光時間のように、それは常識的なことのように思えるのですが。
191などはまだいる?
ちょっと見ない間に不毛なことになってるな。
>>283 > 前提が間違っている「ゼノンのパラドックス」を、正しいと前提して提起をするので
> あなた自身が新たなパラドックスを生み出しているのです。
俺もゼノンのパラドックスの擁護なんてする気はないけど、
パラドックス自体の正しさが前提されてるわけじゃないよ。
「実無限はない」というのが前提されている(だから時間が連続だとは考え
られないという結論になる)、というならその通りだけど、それならそんな
相手に解析を振りかざしても議論にならんでしょ。積分は認めない、って
ハナから言ってるんだもの。
俺に絡まんでくださいよ。俺は実無限派なんだから。
>>350 定義として不毛なものに固執する彼らの真意は何でしょうか?
>>348 私、先生じゃないんで。
>あなたはまだ私と話し合ってくれるつもりがありますか?
ごめんなさい。何が議論されてるのかよくわからないのです。
前にも書いたように、「有限の時間で無限の手順を行うことが不可能」というのが誤りなんであって、そこではなく、「空間も無限分割できない」と反論したがゆえに量子力学などを持ち出すはめになったんだと思います。
可能無限や実無限についても、議論が込み入っていてよく分かりません。
いくらでも可能=限りが無い=無限、と、「無限」そのものの違いでしょうか?
>一つだけ気になります。
すみません。今は物理専攻じゃないので、他の方に答えていただいた方が的確だと思います。
電子の位置を測定して、短時間の内にもう一度観察すれば、電子は近くに見つかるとは思いますが。
>>351 クロネッカーやブラウワーと同じようなもんじゃないすか?
「無限に何々するというのが(哲学的には)正当とは思えない、その証拠に
こんなに気持ちの悪い帰結が生じる」という話なんじゃないかと。
191など氏の立場も、もうちょっとよく整理すると、それはそれで矛盾のない
立場になるとは思いますよ。直観主義数学みたいに。
ブラウワーだって数学はものすごくよく知ってたけど、それでも自分の哲学を
捨てなかったでしょう。だから数学の知識を持ち出すだけで決着のつく問題
じゃないんでしょう、恐らく。
もちろん無限を認めても矛盾が出るわけじゃないし、認めたほうが役に立つ
ので、歴史の流れというか、結局は認める派が優勢になるんでしょうけどね。
>φさん
>「無限」そのものの違いでしょうか?
まあ、そんなところです。
私と数学の方々とでは、想定している世界が初めから違うのです。
>「有限の時間で無限の手順を行うことが不可能」というのが誤り
そうかもしれません。ただ、私はその証拠が欲しいのです。
>209さん
どーも。
あなたの理解力と胆力に敬意を表します。
さすがに極端な態度を取る人はいないけど、ある意味、俺が危惧したような事態になってきたね。
確かに、流れを無視した不快なレスだったことは認めます。
その上で改めて言いたいのだが、数学史的には、無限(あるいは極限といってもいいかもしれない)
の概念は解析学の発達と共に確立されていく、ところが、解析学はそもそも物理学への応用を意識したものだ。
これが「実学」という言葉を使った理由です。
極めて雑な言い方をすれば、物理現象を説明するために無限の概念を調整した、といえるだろう。
そこで一つ疑問がある。俺は哲学版にもちょくちょく来るので、
分析系の人たちの間で「可能無限・実無限」という議論が存在することは知ってる。
しかし、俺自身がニーチェ系統のほうに興味があることもあって、
一部の分析系の議論には否定的だ。
前のレスにあったホワイトヘッドなんかには興味あるのだが、
Wが最良の意味での形而上学だとすれば、「可能〜」といった議論は、
最悪の意味での形而上学ではないか。
また考えがまとまったらカキコします。
>>352 > いくらでも可能=限りが無い=無限、と、「無限」そのものの違いでしょうか?
だいたいそんな感じだと思います。
>>221みたいなお話でいえば、
自然数の列からωに移ると、「自然数を全部並べ終わって、その
次の数(並べたものを全部含む集合)」という発想を受け入れる
ことになる、としましょう。仮に。
で、そのときに、「自然数は無限にあるんだから全部並べ終わる
はずがない」と主張するのが可能無限派。かたや、「ある集合ω
(数を並べた列)にはすべての自然数が入っている。なぜならωに
入っていない自然数は存在しないからだ」という発想を許容する
のが実無限派。
あー、基礎論の人達に怒られそうなたとえっすね。あ、そういえば、
φさん集合論の人だったんだ。
<質問>
可能無限の発想は逆数をとって領域内に閉じることは認めていないのでしょうか?
359 :
考える名無しさん:02/02/06 04:26
位相空間のコンパクト化って知ってますか?
というか、実数論にケチつけるんだったら、ジェネラルトポロジーくらいは
キチンと抑えとけよ。
「アキレスと亀」について数学の成果(=実無限)をまったく使わないというなら,
「可能無限」も排除すべきでしょう.どちらもイデアにすぎないのだから.
実際の手続きは有限回しか可能でないのですから,
あくまで「無限回の操作は不可能」だと突っぱねるしかない.
# 実無限にしろ,「無限が現実世界に存在する」と思ってる人はいないだろうし.
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| \ //\ イキナリコレカヨ!! \ / \
| |/ \ ウワアァァァン!! /\ >
| \ /| ヽ(`Д´)ノ / \ / .|
| \ //\ / ( ) \ \ / |
| |/ \ /\ / < ヽミ3 \ /| / |
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|
>360
可能無限はまさしくイデアです。しかし問題なのは、それは「可能無限論者」
が生み出したイデアではなく、数体系そのものが生み出したイデアであるとい
うこと。
1から始まる十進法が10、100あるいは0.1、0.01という具合に数
記号を右側にも左側にも制限しないというまさにその点が、可能無限を生じさ
せるのです。十進法それ自体の規則には可能無限を止める力はないのですから
、規則が可能無限を認めているということになります。いかなる数に対しても
その数Xに対してX−1、X、X+1が許されるという規則も同様です。
実無限論は、このような問題を解決するために、この上から付け加えられた新
たなイデアです。決して、実無限が先にあり、可能無限を誰かが後から持ち出
しているわけではないのです。
つまり、実無限が否定された瞬間可能無限は甦ります。私が新たに可能無限を
設定する必要はないのです。もともと数そのものの中にあるのですから。
可能無限をイデアであると退けるのは数理体系そのものの否定に他ならず、ゼ
ノンはまさにそれをさせようとしているのです。
ちなみに「無限小」の代わりに「最小」を設定するとまたラッセルの競技場が
登場してくるはめになります。
>>362 でしたら話は簡単でして,
「可能無限を採用する限りにおいては『アキレスと亀』は紛れもなくパラドックスである」
ということで話はおしまいなのですが.
> 可能無限をイデアであると退けるのは数理体系そのものの否定に他ならず
それは「当時の数理体系」ですね.
で,実無限を排斥するのは「現代の数理体系」の否定です.
# 量子力学の援用にしたって可能無限だけでは手も足も出ないからに他ならないのだし.
>>357 分かりました。荒し規定は撤回します。
が、
>実無限―可能無限は完全に論理学・哲学だ。
に付いては、説明してほしいが。
数学は現実世界の抽象ではあるが、非ユークリッド幾何の発見から、建前的・形式的には人間の思惟だけで構築されるし、その際のルールも比較的ハッキリしている
だからほとんど、数学の中で閉じている。
哲学にのみ閉じた議論というのはあるのでしょうか?
>>357 私は別に怒りませんよ。
数学は形式主義が逃げ口上になっているとおもう。
∀x:x∈ω⇒x∪{x}∈ω
が成り立つ。で、ここに使った記号それ自体の意味を考えない。「∈」が「元である」とか、「∀」が「任意の」などと読む必要は無い。
そうすれば、ωの中に無限個の元が詰まっているかどうかなんて考えなくてよい。
>>354 >>「有限の時間で無限の手順を行うことが不可能」というのが誤り
>そうかもしれません。ただ、私はその証拠が欲しいのです。
まず、「有限の時間で無限の手順を行うことが不可能」である証拠も無いから、この時点では対等である。
さらに、「有限の時間で無限の手順を行うことが不可能」となるとパラドックスが生じるんだから
これは誤りである、とまで断言できないまでも、「誤り」の方が断然優勢じゃないでしょうか
実際、1秒、1/2秒、1/4秒、1/8秒、、、と経過するのは2秒て終了するんだし。
これを疑問に思うのは良いとしても、その一方で量子力学は受け入れるというのは、かなりアンバランスだと思います。
>363
まあ、整理するとそういうことです。
私が問題としているのは、「現代の数理体系」を保証するにあたってここで何
人かの方が取っているのは「決して実無限論を棄てないと私に約束して下さい。
それは一番本質的なことなのです。私たちは、それについての教義を作らなけ
ればならないが、あなたは、それが揺るぎない砦だと分かります」という態度
に他ならないということです。
>「有限の時間で無限の手順を行うことが不可能」である証拠
「全ての自然数には次があること」です。もっとも、無限が存在しうるという
証明自体が不可能ですが。
>その一方で量子力学は受け入れるというのは、かなりアンバランス
問題はただ一つ、ΔxΔp=hとΔtΔE=hが可能無限の立場でも肯定しうるかどう
かです。それができないなら確かにアンバランスどころか全く無意味でしょう。
>>269>>270 数学や物理なら、当初はごてごてした理論も時代と共に洗練されることがあります。
ニュートン力学を勉強するのにプリンキピアを読む必要は無く、ずっと分かりやすい簡潔な解説書があります
普遍的な真理を探している以上、「その人のオリジナリティー」というより、たまたまその人が発見したとされます。
固有名詞の付いた法則や式は沢山ありますが、誰が発見したかそれ自体は、数学・物理そのものとは関係ありません。
ところが哲学の考えは固有名詞と固く結びついているような印象を受けます。普遍的真理を求めるなら、数学・物理どうよう、誰が唱えたかという個別性から抽象化するべきではないでしょうか?
なぜ、「原著」というのが重視されるのでしょうか?
結局、最後の最後に問題になるのは
「微分は宇宙の真理であるか否か」なんだろうか。
> 問題はただ一つ、ΔxΔp=hとΔtΔE=hが可能無限の立場でも肯定しうるかどうかです。
それに関しては明確に否定できます.不確定性関係の式は行列力学から出たものです.
そしてその行列力学では本質的に無限次元の行列を扱うのです.
この「無限次元」という概念を可能無限で表せるとはとても思えません.
加えて量子力学は実数論(複素数論と書くべきでしょうが,
それも実数論が基礎があるので同じことです)を基礎に置いています.
ところが可能無限では実数論を構築できないのです.
> 結局、最後の最後に問題になるのは「微分は宇宙の真理であるか否か」なんだろうか。
それはいくらなんでも飛躍しすぎだと思いませんか?
>> 結局、最後の最後に問題になるのは「微分は宇宙の真理であるか否か」なんだろうか。
>
> それはいくらなんでも飛躍しすぎだと思いませんか?
つまりですね,
どちらの無限であれイデアであるとあなたは認めていたはずなのに,
意図的かどうかはともかく,そこに現実の宇宙を持ち出して混同させている.
>370
ありがとうございます。私のゼノンに対する完全な敗北は証明されました。
次の問題は私が実無限論を信じるかどうかですが、
私は何者をも信じない主義なので、やめておきます。
>371
飛躍しているのは認めます。要するに、数学は数学がイデアであってもいっこ
うに構わんわけですね。ゼノン自身の本当の思想は、「世界の実相は人間には
分からない」というものだったそうです。私は別にゼノンも信じませんが、こ
れに反論できないことを認めざるをえません。
無限のイデアをどうやって有限の手順しかとりえない思考で創造したの?
>結局、最後の最後に問題になるのは
>「微分は宇宙の真理であるか否か」なんだろうか。
アホか。物理にとって数学ってのは法則を簡潔に表現し、
計算するための道具でしかないんだよ。
あくまで自然現象を表現するための道具。
数学や物理自体が宇宙そのものじゃないの。
376 :
考える名無しさん:02/02/06 22:03
物理の存在そのものが人間の傲慢とエゴに過ぎない。
まぁ物理現象を文字で表してひたすら悦に浸っていればいいんじゃないですか・・・。
井の中の蛙というか、ただ知ったつもりになってるだけでしょ?
しかも量子力学だとか、相対性理論だとか、あんなもんはたまたま光より速いモンがないから成り立っているだけに過ぎないし・・・。
377 :
考える名無しさん:02/02/06 22:10
>>376 そういうことにして悦に浸ってるわけですね。
>>376 そういう言い方するなら、人間のする全ての活動は自己満足で下らないとなってしまうよ。
>>367 191などさん
>>「有限の時間で無限の手順を行うことが不可能」である証拠
>「全ての自然数には次があること」です。
つまり、「ふう、あと一個で終わりだ。苦労した。これが最後の一個だ。やった〜、無限個やり終わったぞ〜」とはならないってことですよね。
でも、完了したからといって、「最後の一個」がかならずあるというのも、有限この場合はそうであるというナイーブな直感に過ぎなくて、それが無限にまで適用できる根拠は何も無いのではないでしょうか
>>365 >数学は形式主義が逃げ口上になっているとおもう。
>∀x:x∈ω⇒x∪{x}∈ω
>が成り立つ。で、ここに使った記号それ自体の意味を考えない。
>「∈」が「元である」とか、「∀」が「任意の」などと読む必要は無い。
わるいけど、こういうのはおかしい。逃げ口上足りえないと思う。
我々の心の中に数学があり、その心の中の数学を形式化したわけだろ?
形式に先立って心の中に数学があったのに、「数学は記号の上の話だから」
なんてのがいいわけになるはずがない。
君のような数学観は歴史の中で何度も現れてきている。というか、深く哲学的に
考えないものが飛びつきがちなアイデアだ。第二次世界大戦前の論理実証主義者
達がとった数学観に極めて近い。このような(ある意味)皮相な形式主義を、
規約主義とよぶ。
>>380 の続き。
論理実証主義は、プロパーな哲学者が中心の運動ではない。
数学者や物理学者が中心となっていた運動である。彼らが、
ラッセルやヴィトゲンシュタイン、アインシュタインの成果に
刺激を受けて作り出した哲学のムーブメントだ。
だが、彼らが主張した規約主義的数学観は、研究が進むにつれて、
決定的な難点が発見されて放棄された。
382 :
考える名無しさん:02/02/07 01:08
要するに、数学は数学がイデアであってもいっこ
うに構わんわけですね
↑トランスクリティークでも読めばいい。
>>380 でも外野からのややこしい突っ込みに対して、「意味なんて無いもん。記号
間の関係だけだもん。そのルールにしたがってどれだけ定理が作れるかって
いるゲームだよ。好きでやってんだから別に良いじゃん」と、開き直ること
が可能だと思うが。
そりゃもちろん、実際考える時には「x∈A」、は「Aという袋があって中にxが入っていて、、、」て考えるけど。
>決定的な難点が発見されて放棄された
それは何なんでしょうか?
>>382 経験主義的な立場から言えば、規約主義的な立場は望ましいことは望ましい
んだけどさ。イデア持ち出したほうが話は簡単だよ。ただそうすると、
今度はイデアってのはなんだってことになるけどね。
>>368 >ところが哲学の考えは固有名詞と固く結びついているような
>印象を受けます。
哲学が生み出すものは概念で、確立した概念は固有名詞と離れて
るきがするけど?「範疇」とか「イデア」とかを発見者と結びつ
けて考えないでしょ?
>>383 いや、あなた、
>そりゃもちろん、実際考える時には「x∈A」、は「Aという袋があって
>中にxが入っていて、、、」て考えるけど。
なのに、そういうふうに「開き直る」のは欺瞞だと思われますが。
>>384 「言語哲学大全 II」の2.2を参照されたし。なにも Quine の読みにくい
原論文を読まんでもいいっしょ。
>>386 でも原典ってすごく重視されないですか?
「イデア」ってプラトンと結びつくんじゃないですか?そんなこと無いのかな?
数学やってるともちろん、ある条件を満たす部分環を連想するけど
389 :
考える名無しさん:02/02/07 01:46
なんかよくわからんけど、非ユークリッド幾何なんかは
どうなるんでしょう。あれは心、というか知覚から全く乖離したところで
公理をつくって、背理法的に批判しようしたところ、たまたまできてしまったわけでしょう。
>なのに、そういうふうに「開き直る」のは欺瞞だと思われますが。
でも、正当性の根拠をどんどんたどって行くと、結局形式主義に行きつくというか、懐疑的な人にはそう言うしかないような気がするが。
>>389 でもそれほど荒唐無稽でないモデルはあると思ったが。
平行線公理を否定するんだったよね。詳しく知らないから下手なこといって恥かかないようにしないと。
だから、頭の中ではモデルを描いてはいるしモデルなしで考えるのは難しい。が、建前上はモデルの有無は関係無い、とうことだと思います。
モデルってのはその公理系を満たす具体的な考察対象とでも言えば良いのかな
>>388 哲学プロパーじゃないあっしがこたえるのはなんなんだが。
>でも原典ってすごく重視されないですか?
原典を読むって言うのは、科学で言うなれば実験のようなも
のなんだと思うのよ。哲学的概念をつかみ取るために実験を
繰り返すわけ。なぜその理論が提唱されるに至ったのか、
誤った説ならばそれがなぜ誤ったのかを原典を読むという実験に
よって学び取るわけ。
そういう訓練をしないと同じ過ちを繰り返したり、車輪の再発明
をしたりすることになる。
哲学と数学では原典の意味合いが大きく異なると思う。
物理だっておんなじ実験をなんどもするでしょ。それだって
素人が見れば「結果がわかってるのに何で同じことを繰り返すの?」
って思うのと同じようなもんじゃない?
>>388 じゃあ、カテゴリーは圏を思い出すとぼけていただかないと(笑)
>次の問題は私が実無限論を信じるかどうかですが、
>私は何者をも信じない主義なので、やめておきます。
可能無限に対しては狂信的にすらみえるけど?それなのにこんなこと言っちゃうんだ?
396 :
理系には限界がありますね(笑い:02/02/07 16:13
>この板の住人は理系らしいが
その認識は若干間違っていると思うが。
>>392 なるほど。そうするとそれは当然、その著者の思考を追体験しつつ、教条的にではなく批判的に読むことになりますね。
>じゃあ、カテゴリーは圏を思い出すとぼけていただかないと(笑)
うかつでした、って、範疇=カテゴリー=圏、ってワンクッションあるから気づかないよ(W
雑誌の広告で、「見なおそう、和の空間」てのを見て、茶室じゃなく線型空間の直和を連想してしまった。
>>372 >私は何者をも信じない主義なので、やめておきます。
でも「暫定的にとりあえず信じておくことにしよう」、てのはあるでしょ?自分以外に自我を持った同じような存在がいるようだとか、確かめたわけじゃないけど地球は丸いそうだとか。
そうじゃないと、日々の生活に支障をきたすと思いますが。
>>374 ふううん。
どうようにして,選択公理の成立も外挿してよいかなぁ〜
401 :
シャランラ:02/02/07 21:51
デリダみたいな何重にも折りこまれた論理を使いこなす力は
よくできた小説を書く力に似ているんじゃない?そうじゃない?
>>400 選択公理の成立も外挿してよいかなぁ〜
一体何をいいたいの?いやなら公理にしなきゃいいでしょうに。
>>380-381,
>>387 出張さんの形式主義と規約主義の間の関係の理解とか、
論理実証主義の理解とか、クワインの持ち出し方とか
ちょっと違和感あるけど・・・。
スレと関係ないしいっか。
>>405 おいらも書いてて自信がなくなってきたので、なんかあったら
いってくだされ。
407 :
考える名無しさん:02/02/11 08:36
とりあえずアゲ
409 :
考える名無しさん:02/03/11 18:06
ageteoku
あげ