難しい言葉を使わずに哲学はできるのか?

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1考える名無しさん
簡単な厨房でも分かるような言葉ばかりで自分の考えを
述べることって結構大事だと思うんだけどどうよ?
難しい言葉ばかり並べていればいいってもんじゃないと思う。
簡潔にまとめよう。

と、いうわけで。難しい言葉を使わずに哲学しよう。
お題は>>2あたりで誰かふってくれ。
2考える名無しさん:02/01/26 20:58
言葉が難しいということはないだろ。概念がだ。
悟性ってなんかしってっか?
3あちょー:02/01/26 21:02
あーパパ
ママ、パパーババ?
パパーーーー
つづく
4名無しさん@1周年:02/01/26 21:04
>>2
understanding
5考える名無しさん:02/01/26 21:05
悟性=物事を判断したり理解する力?
6考える名無しさん:02/01/26 21:06
そりゃ理性
7考える名無しさん:02/01/26 21:07
>>1
ある概念の説明があって、それが解ったなら
説明される前から、その概念を理解できるだけの素地が
始めからあるっていうことなんだよ。

ある程度の難しい言葉や言い回しが理解できない程度に
言葉と接していないのなら、概念を理解できるだけの素地を
もっている可能性はとても薄い。

だから、必要以上に簡単な物言いをしても
余り意味がないし、字数もかさんでしまい間延びしてしまう。

けれども、むやみやたらに難解な文章というのも確かにあって
そういうのは止めた方がいいかもしんないね。
8ななし:02/01/26 21:08
>>1
ドイツの厨房なら可能だが日本の厨房には無理だと思われ。
9考える名無しさん:02/01/26 21:12
>>7
>理解できない程度に
理解できない程度にしか、に訂正。
10考える名無しさん:02/01/26 21:14
>>7
ご立派。簡潔で分かりやすかったです。

私はあまりこういう「哲学」をしたことないんだけど
どうも覗いてみたら面白そうだったから参加してみたかったんだ。
だけどみんなが書くような難しい言葉は使えないな、と思って
こんなスレ立てちゃいました。
すいません。国語勉強してからまた来ます。
1110:02/01/26 21:15
あらやだ。敬語とタメ語がごちゃごちゃ。逝ってきます。
12考える名無しさん:02/01/26 21:19
>>10
国語は勉強してみにつくものでもないとんじゃねえの?
とりあえずスレ建てた責任はとろうぜ
13あちょー:02/01/26 21:19
バイバイ
おしまい
14考える名無しさん:02/01/26 21:25
>ないとんじゃねえの?

どういうことだ???
15考える名無しさん:02/01/26 21:48
そもそも理解不能なことはどんなにわかりやすい言葉で説明してもやはり理解不能ということには同意。

でもさ、やっぱりfashionable nonsenseってのも往々にしてあるでしょ?
本当なら簡単な言葉で説明できることを、かえって難解に説明してしまったり、
あるいは、もっと明快に解釈することが可能なのに、脳みそがねじくれそうなくらい難解な解釈をしてしまったり、
ひどい例になると、内容が全くないのを難しい言葉の装飾でごまかしてしまったり。

永井均の本を読んだとき、ややこしいことをとてもわかりやすく説明してあって感動したけどね。
16:02/01/26 22:13
それにしても、今の哲学ってもう行き詰まってると言うか、
これ以上先はもうないって感じはしない?
17考える名無しさん:02/01/26 22:53
>1

 プラトンをお読みになることをお薦めします。
18考える名無しさん:02/01/26 23:16
>>15
哲学書を商品と捕らえると
ターゲット層が難解なモノを要求している(読解出来るか否かのゲームとして)
から、そのニーズに応えようとしているだけとも考えられる。

昔は難解なモノを尊んだりした風潮があったけど
今の若い人にソレは無いよね、イヤ有るのかな・・・
まあ、俺は全く無いけど。
19mo:02/01/26 23:35
自分の言葉で徹底的に考えてみるというのは大事。現代思想は「言葉」に拘泥し
すぎている側面は確かにある。脱構築とか。やっぱり、ウィトゲンシュタインの
影響は大きい。哲学の言葉で難しいなあという印象を与えるのは、主に二種類
あると思われる。

一つは外国の言葉を日本語に訳する過程で生まれる難しい訳語。もう一つは、
(仮に母語であっても)その哲学で使われている言葉が、日常の感覚とは異なった
意味合いを含めて用いられている場合。「存在」とか、「経験」とかね。実は、
一つ目に挙げた難しさも、原因はこの二つ目の要因と密接に関係している。
翻訳する人は、自分がその人の哲学書を読み込む過程で、どういう意味で
その言葉が使われているのか、じっくり考えたりする。そして、そこであてる
べき訳語に、自国語の日常使われる言葉を用いたりすると、意味が上手く通ら
ないと感じるところがある。もしくは、そういう箇所に、なんとか著者の哲学を
反映させた訳をあてたいと考えたりする。そういうときに新しい訳語を作ること
がある。そういう意味での分かりにくさはどうしてもついてきてしまう。

「知の欺瞞」で明らかにされたような、ラカンらに見られるいたずらな難解な言葉
の羅列は、確かに哲学や思想をペダンチックなものに貶めている。そういう意味で
も、難しい言葉を使えれば哲学が分かっていると思ったら大間違いという指摘は
正しい。難解=高尚とは限らず、無意味ということもある。
20考える名無しさん:02/01/26 23:38
>>16
80点のテストを90点にするのは、
50点のテストを60点にするのより、
大変です。

哲学の進歩速度は落ちているけど、だからって先が無いわけじゃない。
と、思います。

スレ違いでごめんなさい。
21考える名無しさん:02/01/26 23:43
100点が哲学のゴールだとしたら、、、
プラトン、アリストテレスは何点くらい?
カント、ヘーゲルでは?
ニーチェでは?
そして現代では?
もう現代では99点くらいに来てるのかも。
22考える名無しさん:02/01/27 00:02
100年ぐらい前の科学者や数学者もそんなことを抜かしていたそうだが。
23考える名無しさん:02/01/27 00:05
このスレはネタなのか?
24考える名無しさん:02/01/27 00:09
ネタじゃないつもりだったのですが・・・・
>>1である私がスレホストとして引っ張れるような人間ではなかったので。
哲学云々の前に勉強しなおしてきます。
まだ厨房なので哲学板ROMるときは辞書が手放せません(´Д`;)
でもこの板楽しいです。
雰囲気壊してすいませんでした。
25考える名無しさん:02/01/27 00:10
基本的に1に賛成。
7の >ある程度の難しい言葉や言い回し
程度問題で、言葉の定義に拘って平易な表現をあえて使わないことで、
表面的に難解(とっつきにくい)文章が多いように思う。
程度の捉え方の問題だけど。

たとえば数学のlogとかΣとか見て、かまえてしまう人も多いだろうけど、
記号の指し示す意味は簡単でしょ?

わからない言葉は調べるのがいいのだけど、それが敷居を高くするなら、
平易な言葉に拘って「知識」ではなく「知性」をぶつけ合うのも楽しいと思う。

で、議題何?(笑)
1が退場したままか?
26考える名無しさん:02/01/27 00:13
ageるね
27考える名無しさん:02/01/27 00:21
難しい言葉を使わなくても哲学することもできます
哲学するのに難しい言葉が必要な時もあります
必要ないのに難しい言葉で哲学する人もいます
28考える名無しさん:02/01/27 00:22
>>27
じゃあ
難しい言葉を使わなくても哲学することもできます
でできるだけやってみよう。

いつもROMだけだったけどそれなら参加してみたい。
29無為:02/01/27 01:06
じゃあ、カントいう「もの自体」を簡単に説明してね。
30考える名無しさん:02/01/27 01:10
>>29
それはつまらん。
31mo:02/01/27 01:33
>>29
「もの自体」とは、人間の感覚器官によって表象され切らない、
対象それ自体のことです。逆に言うと、カントは、人間なんらかの存在を
知覚するときには、人間に知覚しうるような仕方で、現れうるようにしか
現れないと考えていたわけです。

ださいけど、まじれす。
32無為:02/01/27 01:38
>>31 それじゃあ、中学生には無理だな。
33無為:02/01/27 01:39
>>30 じゃあ、カントの「もの自体」とプラトンの「イデア」
との違いをやさしく説明してください。
34mo:02/01/27 02:08
>>32 スマソ。なるべく短い言葉で言おうとしたんだけど・・・。
>>33
イデアはオブジェクト指向でいうとclassのことで、そのclassから生成
されるインスタンスが物自体だよ。よくわかったね。
35考える名無しさん:02/01/27 02:14
>34 ぜんぜんわからん。
36考える名無しさん:02/01/27 02:16
身近な実例をあげないから理解できない。
37mo:02/01/27 02:26
>>35 スマソ。最近は厨房もプログラミング詳しいからイケルかなと
思ったんだけど・・・。
じゃあ、イデア=抽象で、物自体=具象だよ。「物自体」には、プラトンが
考えたイデアについてまわる「完全」、「理想」のようなイメージに親和
するところがなくもないけど、物自体は文字通りの有体物であることには
変わらないのに対して、イデアの世界はもはや有体的ではないんだ。これで
よくわかったね。
38mo:02/01/27 02:28
↑ダメ?
39ピュラトン:02/01/27 02:28
>>37
バカですね。
イデアは認識できるが、物自体は認識できない。これでいい。
40mo:02/01/27 02:29
>>39
簡潔で良いけど、中学生には分からないよ。
41ピュラトン:02/01/27 02:30
俺が中学生なんですけど…
42考える名無しさん:02/01/27 02:36
>>33
もの自体・・・人間の意識が関与しない、もの。
イデア・・・人間の意識のみから抽出された、もの(てゆうか概念)。

違いは説明出来てると思うが、いかが。

もの自体・・・(宇宙の外にいる神様がみた)桑田真澄
イデア・・・巨人ファン全てが夢想する、全盛期の桑田像

てな感じ。
寧ろ解り難いかな。
43mo:02/01/27 02:38
義務教育で留年してはいけません。ていうか、ほんとはできないけど。
それに、39の説明では、違いを説明してはいるけど、本質的な違いの
説明になってないよ。男と女の違いを説明するのに、胸があるかないかって
いっているみたい。「物自体は認識できない」は本質的な説明になって
いるけど、イデアの本質はその認識可能性にあるのではないからね。
やっぱり、中学生なのかな?
44ピュラトン:02/01/27 02:39
よく気付いたね。
脳味噌だけ中学生でした。
45考える名無しさん:02/01/27 02:42
>>33
プラトンのイデアと物自体は、その考えだけをとりだせば、
ほとんど同じだと思う。ただ位置付けは違う。
真に「実在するもの」としてかんがえられたものと、
物を見る見方に限界があるので、考えられたもの
だが実在は問えないと言う具合に。
ってこれじゃあ不十分だな。(汗
また、プラトンによれば、我々はイデアを生まれた時から持っている。
46考える名無しさん:02/01/27 02:56
>>42
>もの自体・・・人間の意識が関与しない、もの。
>イデア・・・人間の意識のみから抽出された、もの(てゆうか概念)。
イデアは一応実在してるという上での考えなので、概念って言ってしまうと
人間が死滅したらなくなってしまうような感じがする。むしろ、見えない
実在と言ったほうがいい気が。確かに人間がイデアを認識しようとすると、
常に概念としてしか持ち得ないのだけど。
47厨房:02/01/27 03:31
ルサンチマンって何?
48考える名無しさん:02/01/27 03:43
>>47
直訳すると「怨恨」。まあ、恨みのちょっと強いやつみたいな感じ。
特にこの言葉を使ったニーチェは、キリスト教を奴隷道徳と呼ぶ過程に
おいて、弱き大衆の中に、キリスト教的甘えを見出し、その甘えが
(社会的)強者への恨みの裏返しであり、その恨みをとりわけ意味する
文脈で上の言葉を使ったんだね。

それら弱者を、強者の足を引っ張る唾棄すべき愚者どもと断じたわけだね。
その愚者どもの抱えているのが怨恨=ルサンチマンだというわけさ。
49考える名無しさん:02/01/27 04:42
無為うぜぇぞ。
オマエのせいで「哲学用語の説明スレ」になったじゃねーか。
50考える名無しさん:02/01/27 04:53
初心者にはありがたいスレですが…
(自分は厨房ではありませんが哲学の知識・認知度に関しては
 厨房レベルかと思ってます)

メルロ・ポンティの「妥当」というのはどうですか?
51考える名無しさん:02/01/27 15:10
ポンちゃん読んだことありません。現象学むずかしいし。
52考える名無しさん:02/01/27 15:27
>>48
>それら弱者を、強者の足を引っ張る唾棄すべき愚者
完全に勘違いしてるな。
ニーチェの言う「強者」「弱者」は俗世間で言う強者・弱者とは違うんだよ。
足を引っ張るもくそもない。
53考える名無しさん:02/01/27 16:09
これが7のいう下地ができていないって奴かね??
54考える名無しさん:02/01/27 20:11
>>53
チガウ。国語的な意味と哲学的な意味を君は混同している。
55無為:02/01/27 20:45
>>49 私もそう思う。すまん。是非あなたの哲学を平易な表現で語ってください。
56陰謀ファン:02/01/27 20:54
平易な言葉で語ったら、哲学が哲学である理由がなくなります(w
57考える名無しさん:02/01/27 20:58
>>無為
49じゃないが・・、
哲学用語をやさしく説明しろとか、
貴方の哲学を平易な表現で語ってくださいとか、
お前何様だ?
自分も語れよ、ボケ。
真性厨房かよ。
58考える名無しさん:02/01/27 22:37
語学嫌いだろ?ここのやつら。
英語以外の言語もできるようにならないとダメだろ。
59考える名無しさん:02/01/27 22:42
>>58
なんじゃそりゃ?

60考える名無しさん:02/01/27 22:54
「哲学学」ではなく、
「自分の頭で徹底的に考える」「我々分析的伝統の」
哲学者なら、英語オンリーでいいだろ(w
61考える名無しさん:02/01/27 22:54
>>52
違うなら本当はどうなってるのか説明してください。
62考える名無しさん:02/01/27 22:56
>>61
52じゃないが、少なくとも、道徳の系譜
ぐらいは読んどけよ。ニーチェにまぬけといわれるぞ。
63考える名無しさん:02/01/27 22:57
>>61
「本当はどうなってるのか」とか「真実は」とか聞く時点でイカレテいる
ということを説明する言葉はさすがにみつからないよ。
6425:02/01/28 00:22
27のほうが、簡素で的確だ。(恥

恥の上塗りだけど、29で無為さんが
> じゃあ、カントいう「もの自体」を簡単に説明してね。
と話題提供したんだけど、ちょっと違うような・・・?
話の流れで「もの自体」という言葉が出てきてならわかるけど、
単に哲学用語説明は違うでしょう。

このままの流れならそれも良いけど、28以前の流れでやってみたいと希望します。
適当な議題が無かったら、この直上のスレのテーマをまねるとか。
「○○○に関するすれ(初級者版)」て感じで(笑
6525:02/01/28 00:32
>61
「本当」はちょっと問題かな。
「では、正確な説明をお願いします」のほうがよかったと思う。

>62-63
馬鹿にするのは簡単だけど、きちんと説明もしてよ、このスレらしく。

で、説明しようと思ったんだけど、記憶があいまいだ。
「超人」は関係ないよな?
恥だ、調べてきます。
6625:02/01/28 00:37
あっさり見つかった
ttp://www.sutv.zaq.ne.jp/the-one/niet/Re.html

48は、完全に間違いじゃないけど、説明として不親切、ぐらいか?
67無為:02/01/28 01:00
>>64 私は日常生活で、他人の認識と自分の認識の同一性をどう証明しうるか
考えています。カントの言う「もの自体」がかりに存在するのならば、自分の
認識と他者の認識の全面的同一化は望めそうに無いが、しかし、生活の経験上
他者も自分と同じような認識をしているような「カンジ」を直感することは、
よくあります。では、認識側によって対象の認識が限定されるというカントの
立場は、このおそらく他人も自分とある程度同一の認識をしているらしいと
いう感覚をどう説明しうるのでしょうか。ここのところの関連で、プラトン
の「イデア」を持ち出しました。カントの「もの自体」が演繹的認識形式と
するなら、プラトンの「イデア」は帰納的に認識の同一性を看取しそこから
生まれながらに、人は対象の「イデア」を知っているが、現実世界にいるため
その認識力がにぶっていると考えた結果生まれたと見なしてよいのでしょうか。
68無為:02/01/28 01:05
一応、議題提供のつもりですが。難しい言葉を使わないで議論できそうですか?
69無為:02/01/28 01:37
何が議題なのか分りにくいのか、議論の価値がないのか・・・?
70Iridium:02/01/28 01:43
>>67
難しすぎて意味がよくわからないです…。
他人と自分の「カンジ」が違うってのは例えば日常生活で言うと
どういう場面で影響してくるものなのでしょうか?
71考える名無しさん:02/01/28 01:56
>>67
純粋理性批判では、カントは「我々」の認識一般を扱っているから、
>同一の認識をしているらしいという感覚をどう説明
という問いは不適当じゃないのか?主観の形式を説明といっても、
その個々の主観の形式に共通性を前提させている。
フッサールに求めたらどうよ?
 
72無為:02/01/28 03:13
>>71 確かにフッサールだとは思うけれど、また話が難しくなるので・・・。
 ようは、認識の客観性について、ある程度平易に語ろうということです。
 例えば、「萌黄」という色を見ている場合、私の認識している「萌黄」と
 他人の認識しているそれが同じであることは論証不可能であるとして、では
 「萌黄」という色は客観的に存在するのか?それとも、「萌黄」にたいする
 共通認識が「萌黄」の存在なのか?また、おそらく文化の違う民族では、色
 の識別のカテゴリイが異なるはずで、そうすると例えば、イヌイットには
 「萌黄」という色の概念がないとして、そうすると「萌黄」は存在しないこと
 になるのか?など、認識は文化に従属するのかとか、けっこう日常的疑問につ
 ながるのではと。もっと極端な話、犬とネコの差異を認めるものがいなくなり
 全部犬だと見なすと、ネコは存在しないことになるのか?っていうカンジで。
73考える名無しさん:02/01/28 03:36
>>72
フッサールをぬきにするっていうと、クオリアからせめるのかな?
通俗的に語れば、客観的な萌黄の「形容」は存在しない。
指定された色調を萌黄と了解する共通認識が存在するだけだ。
萌黄という色の形容が客観的でないからといって、萌黄とされた
色がないわけではないし、存在の問題にすぐ還元するのは、
ちと性急かと。
文化が認識に影響を及ぼしているのは、当然。
言語や行動様式などの認識は、その代表例。
推論形式もことなるだろう。
>>差異
全部犬だと見なしたら、ネコという言葉は存在しない。
74無為:02/01/28 03:42
つまり、認識に従属せずに存在はありえると?
75考える名無しさん:02/01/28 03:48
>認識に従属せずに存在はありえると?
それは物自体。
実在は問えない。
存在を問えるのは、言葉、つまり対象に対応した
表現形式であって、認識に従属しないものがあったとしても
従属してないのだから、存在を問えない。
76考える名無しさん:02/01/28 03:49
72の?は修辞疑問か?(73ではない)
77考える名無しさん:02/01/28 03:55
>>無為
おまえ、ホンットに頭悪いぞ。他人の言を
そのまんま並列に連ねてどーすんの?
しかも、全然整理もできずに、ごちゃごちゃやん。何が問題かさえ
明確じゃないじゃん。違うって言うなら、1の言う通り、
独りよがりじゃない言葉で語ってみな。できんやろ。
あんな、ホントーに頭がいい奴は、もの凄く難しい内容を
きわめて平易に表現できるんや。…少なくともヴィトちゃんの
「言語ゲーム」「色彩について」読んでから語れ。
ん? もう読んだ? 読んで…んなこと言ってんじゃ、救いようがないぞ。

78考える名無しさん:02/01/28 03:57
>75も、同程度のどアホ。自分の言葉、よう読んでみ?
79考える名無しさん:02/01/28 04:00
あ、しかし、諸君が工房または厨房なら、許す。
8075:02/01/28 04:00
>>78
いや俺も>>75はまずかったなと思った。
実在と存在、表現形式と表現形式をともなった存在と
を混乱して使ってた。
まだ反論あるなら、ぜひ伺いたい。
8175:02/01/28 04:06
>>78
まだか?
8275:02/01/28 04:11
>>78
まだおかしいなら、早く反論してくれ。寝たい。
8375:02/01/28 04:16
>>78
寝たのか?
どうせなら、文句だけつないで
かっちり反論してくれたらよかったのに。
期待して損したよ。
84無為:02/01/28 04:44
>>77 いや、私が頭が悪いのは自覚してます。それに何が問題点なのか
整理できていないのも確かですね。ちなみにヴィトゲンシュタインは、読
んでいません。あと、他人の言を並列に連ねたってどのあたりですか?
>>80 表現形式と表現形式を伴った存在とはどういう違いがあるのです?
8575:02/01/28 04:58
>>84
言葉と客体の対応関係を考えてみてくれ。
なにか言葉があてがわれないと
「  」(客体とするのも厳しいのでカッコにした)
の存在は問えない。
また言葉に客体があてがわれないと
存在は問えないと考えている。
(物自体はこれに当たると思う。)
この辺の反論を>>77にウィトの説明でもいいから
きっちり聞きたいのだが。
8675:02/01/28 05:08
>>84追加
もちろん言葉でなくても、表現形式をともなえばよい。
87考える名無しさん:02/01/28 05:09
このスレ立てたのはメガネですね。
88無為:02/01/28 05:19
>>85 「客体のあてがわれない言葉」ってあるんですか?
 たとえば、「ない」とか?いう判断形式ですか?
89考える名無しさん:02/01/28 05:21
無為こんな時間まで起きてて大丈夫?
心配です。
90無為:02/01/28 05:26
>>89 おや・・・。ご心配かけまして申し訳ありません。答の無い
 入試のカコモンの解答作っててこんな時間になってしまった。
9175:02/01/28 05:27
>>88
この場合の客体は、世界の実在を前提とした、
外界の認識対象を示す。
例えば神。
92無為:02/01/28 05:30
実在と存在との違いは、認識できるか否かの違い?
9375:02/01/28 05:38
>>92
ぶっちゃけ本当にあるか、
ただのあるかの違い。
存在の概念は実在を内包するが、
実在は、存在を内包できない。
9475:02/01/28 05:45
>>93
スマン。
>>85は存在を実在に置き換えてくれ・・。
混乱してきた。>>78にかっちり説明してもらったほうがいいな。
95無為:02/01/28 06:10
そうですね。78さんに。ただ、ウィトの「OO」を読めとかいうのは
やめてほしい・・・。
96考える名無しさん:02/01/28 06:12
無為さんは彼女いるんですか?
97無為:02/01/28 06:14
>>96 その質問の意図は?
98考える名無しさん:02/01/28 06:15
なんとなく・・・・です。
99考える名無しさん:02/01/28 06:19
予備校教師はもうかりまっか?
100無為:02/01/28 06:21
今は存在しません。でも、2月末に存在する蓋然性が高いです。
101考える名無しさん:02/01/28 06:22
>>100
詳細希望します。何故2月末なのですか?

102無為:02/01/28 06:22
まずいな・・・。もう寝よう。
103無為:02/01/28 06:28
>>99 そこそこ儲かるが気苦労が耐えない。必然的に哲学的気分になる。
 笑えるな、こんな自分・・・。
104考える名無しさん:02/01/28 09:43
>>95
駄目だこりゃ!
10577−79:02/01/28 11:50
>>94-95
入学してきたら説明してやるよ、いくらでも。ホント
106くんくん:02/01/28 15:09
山形浩生の匂いがする。
107mo:02/01/28 16:45
無為さんは謙虚ですね〜。偉いと思うよ。そういう姿勢。
僕も見習いたい。
108無為:02/01/29 01:03
>>105 研究者だったのか。研究者って慎重だから、やさしい言葉で
 なかなか語らないよね・・・。ちょっとした言葉づかいの違いで
 誤解を受けることになりかねないからな。がっかり。
10975:02/01/29 01:28
>>108
別に研究者だからって、なんなのよ?
中途半端に反論されることほど、もどかしいものはないでしょ。
反論が「ドあほう」だけで納得できるか。
自分で後期ウィト読むよ、まったく。

11025:02/01/29 02:10
> 無為さん
67での説明ありがとうございます。
残念ながら、29の文章だけでそこまで理解するのは無理があったと思いますが(汗
スレ違いでは無く議題提供だった点は失礼しました。

無為さんと75さんのやりとりが続いているのを邪魔する様でしのびないのですが、
(78さんはもうこないでしょうから・笑)
27の出発点に戻って、カント・フッサールや「もの自体」「イデア」等の言葉を使わないで、
あるいは、スレの中で言葉の定義を明確にした上で使うようにして、
改めて議論して行く方向に軌道修正してもよろしいでしょうか?

眺めた感じ、すでに初心者お断りの感じになってるようなので。
自分は一応本を読んだりしているので「イデア」とか言葉は知っているのですが、
理解できているかとなると自信ないです。(簡単に説明できないし)

賛同いただけないようでしたら無視してください。
111無為:02/01/29 02:46
>>110 賛同いたします。専門用語を使わないで。でも、sage進行がいいかなぁ。
  ここの板の人って、学問板ということにけっこう拘ってる。だから、門外漢
  が抱く素朴な疑問なんかに哲学がどう答えうるかっていうようなことには関
  心なさそうだ。一般人むけに開かれたモノなんか学問じゃあないと思ってい
  る。まあ、『ソフィーの世界』にはじまった哲学ブームが、いかにも日本的
  な方向で哲学を曲解して、単なるお祭り騒ぎに終始したことを見れば、そう
  いう学問の大衆化に対する軽蔑を抱く気持ちもわかる気がするけれど。確か
  に、学問研究としての哲学と、生きるうえでの哲学と、俗に言う人生哲学と
  をごっちゃにされると嫌だけれどね。
11275:02/01/29 02:57
無為ってたしか、東洋哲学系(っていったら、
問題あるけど)そっち方面だろ?

113無為:02/01/29 03:01
よくご存知で。でも、専門は違います。哲学は独学です。
11475:02/01/29 03:07
>>113
俺も専門哲学じゃないよ。
ところで、難しく語らないってのは、
実際むずかしいよ。ある概念を専門用語
なしでうまくいいあらわすには、
厳密な理解力や長い文章を要求する。
でもせっかくだから、なんか話題をふってみて。
俺が答えられるとは限らんけど。
115無為:02/01/29 03:12
まえの続きは?
11675:02/01/29 03:16
続きって?
また>>78の突っ込みはいるよ?
それでもいいの?
117無為:02/01/29 03:22
>>116 あのつっこみはねぇ・・・。75さんは、学生さん?
  私はもう寝ないと。明日にひびく。議題考えときます。

 おやすみなさい。

118ど素人ですが:02/01/29 10:25
人はどのようにしてカテゴリーを形成するのでしょうか?

例えば、他人が歩くのを見るのと 自分が実際に歩くのとではニューロンの発火パターンは異なりますよね。
でも同じ「歩く」ということばで表される。
ぶちの模様が個体ごとに違っても同じ「うし」。

119あちょー:02/01/29 13:15
あなたたちはパパとママに作られました
120考える名無しさん:02/01/29 21:57
>119
じゃあ、パパとママは?
12125:02/01/30 00:03
> 無為さん
ご賛同いただきありがとうございます。
75さんも参加していただけそうで、よろしくお願いします。
恥ずかしながら、瞬発的な判断力が弱いので、ゆっくり考えないと自分の考えをまとめられず、
準チャット的な参加は出来ませんが、よろしくお願いします。

参加者を募る意味では上げたいのですが、それで反感を買っては困るので、成り行きに任せたいと思います。

議題ですが、67で書かれた内容を改めて平易な言葉に変更して再考でもいいですし、
118さんがふってくれたものでもいいですし、(でもニューロン?カテゴリー?)
新たな何かでもいいですし、ご意見よろしくお願いします。

> あちょーさん
ネタなんでしょうか?真面目な議題提供なんでしょうか?
12275:02/01/30 00:35
>>121
とりあえずやってみた。(イデア、物自体は、このスレのレスでいろんな人が
説明してるのではしょりました。)

私は日常生活で、他の人の物の把握の仕方と自分の物の把握の仕方が同じで
あることをどう証明しうるか考えています。カントの言う「もの自体」
がかりに存在するのならば、自分の物の把握の仕方と他の人の物の把握の仕方が
完全に一致することは望めそうに無いが、しかし、生活の経験上
他の人も自分と同じような物の把握の仕方をしているような「カンジ」(感覚)を
理屈なしに理解することは、よくあります。
では、物を把握する側が、物がどう見えるかそして理解されるかを
決めてしまうというカントの立場は、このおそらく他人も自分とある程度同一の
物の把握の仕方をしているらしいという感覚をどう説明しうるのでしょうか。
ここのところの関連で、プラトンの「イデア」を持ち出しました。
カントの「もの自体」が、経験に頼らないで論理で導かれる物の把握の仕方と
するなら、プラトンの「イデア」は、個々の例から一般的法則を導くように、
物の把握の仕方が同じであることを見て取って、そこから
生まれながらに、人は物の「イデア」を知っているが、現実世界にいるため
その物の把握の仕方の力が鈍っていると考えた結果生まれたと見なしてよいの
でしょうか。

12375:02/01/30 00:59
>>118
>どのようにして、カテゴリーを形成するか
またカント?
むしろ大雑把な差異化から始まって、だんだん
判断様相が細かくなっていくと思うんだけど・・。
最初は快・不快原則をもとにして、のちに様相も多様化していく。
個別の判断より、まとまりの判断のほうが先行するってのが、
通俗的な気がする。個体の範疇化というものは、
差異化とは、逆の流れでしょ?
実際子供のころは、上位概念とか、下位概念とか
わかってるわけじゃないし・・。
たしかにこのへんは、おもしろそう。
124考える名無しさん:02/01/30 01:11
>75
内容自体にはなんら文句ありませんが、言葉の使い方、文章の構成が、
スレの主旨に沿ってないのでは?
12575:02/01/30 01:20
>>125
え〜、どうしよ?
物自体とかイデアなしでってこと?
そしたら、無為氏自身が専門用語無しで
書いてくれるのを待つしかないなあ。
126無為:02/01/30 01:36
すんごく長くなりそうですが、書いてみます。少々お待ちを・・・。
127無為:02/01/30 01:58
 われわれは、モノを見たり触ったりしますが、自分が見たり触ったりして
いるその感覚、例えば色、かたさなどは、他人が感じているそれと同じである
ということはおそらく証明できません。人によって、ものを見たり触ったり
する感じは違うようです。では、モノが、感じる側の能力によってその現れ
方が違うということは、そのモノの持つ属性を少しも余すところ無く感じ取
るということは出来ないことになり、逆にいうと、感じる側の存在を前提と
しない、純粋な「モノ」自体の存在は確かめようがないということになりま
す。でも、日常的に「あれ赤いよね」「うん、赤い」。というように、自分の
感覚と他人の感覚が同じであることを感じることはよくありますが、それは
いったいどうしてなのか?「赤」の持つ性質を同じように感じているのか、
それとも、多くの人がどうも「赤」らしいと認める、つまり、もともと個人
のもつ「赤」という概念に共通性があり、その各々の概念の重なる部分の多さ
が、「赤」という概念を認めるのか?もしそうだとすれば、その概念はどの
ように形成されるのか?
128Iridium:02/01/30 02:01
「他の人が行っている物(対象物=物質)の把握の仕方」と
「自分が行う物の把握の仕方」が同じかどうかを考えます。
カントの言う「もの自体」が存在するなら、
それらが完全に一致することはなさそうです。

しかし経験上は「他の人も自分と同じような物の把握の仕方をしている」
ということがわかることはあります。
カントの立場では上記の感覚は説明できませんね。

プラトンの「イデア」の場合を見てみましょう。
前述の「もの自体」は「経験に頼らずに論理で把握するやり方」です。
プラトンの「イデア」は、それぞれの具体例の共通点を拾い上げます。
もともと人は対象物それぞれの「イデア」(共通点)を知っていますが、
情報が多すぎるので掴み出すのが難しくなっている。
そう言ってよいでしょうか。
129無為:02/01/30 02:02
それとも、そもそも「赤」そのものを我々が知っているのでなく、われわれ
が「赤」という言葉を使うその用法に共通性があるのか。
130考える名無しさん:02/01/30 02:07
宇宙ってなんですか?
13175:02/01/30 02:12
>>129
赤(色彩)は、ひとつのカテゴリーつまり
幅の広い枠組をもった概念でしょうね。
たとえば、二人に人がいたとして、
どこまでが赤か、何をもって赤となすか、
を確かめあえば、共通点がわかる。
赤は、メジャーな色ですから、広義の赤(紫、オレンジ色など含む)
と狭義の赤にわけられるでしょう。
どう?
>>130
微妙にすれ違いってか、他にスレあるよ。
13275:02/01/30 02:13
訂正
二人に<二人の
133Iridium(改行厨):02/01/30 02:31
われわれは、モノを見たり触ったりします。
自分が見たり触ったりしているその感覚、例えば色、堅さなどは、
他人が感じているそれと同じであるということはおそらく証明できません。
人によって、ものを見たり触ったりする感じは違うようです。
感じる側の能力によってその現れ方が違うということは、
そのモノの持つ属性を少しも余すところ無く感じ取るということは
出来ないことになり、逆にいうと感じる側の存在を前提としない、
純粋な「モノ」自体の存在は確かめようがないということになります。
それに対して、日常的生活的には「あれ赤いよね」「うん、赤い」
というように、自分の感覚と他人の感覚が同じであることを
感じることはよくあります。それはいったいどうしてなのか?
「赤」の持つ性質を同じように感じている?
それとも、多くの人がどうも「赤」らしいと認める、
つまり、もともと個人のもつ「赤」という概念に共通性があり、
その各々の概念の重なる部分の多さが、「赤」という概念を認めるのか?
もしそうだとすれば、その概念はどのように形成されるのか?
134無為:02/01/30 02:34
>>133 読みやすい。
>>134 「赤」という概念は無いということか。
13575:02/01/30 02:35
>>133(Iridium)
参加したいなら、参加したいっていえよ。(w
>>127の無為氏の話で十分だと思うから、
そんながんばらなくてもいいだろ。
なんか発言しろよ、とにかく。
136Iridium:02/01/30 02:39
ごめん、なんか言うとチャットぽくて冗長かと思ってさ。
このスレ期待してマス。
137無為:02/01/30 05:03
>>131 それでは確認できない。なぜなら、甲のいう「赤」が、実は乙のいう「白」
だとしても、他色との差異性によって色の概念を確認する限り、不都合は生じないから。
甲にとって見えている「赤」が乙にとって甲の見る「白」だとしても、甲が白と赤と
の差異を認めていなければ、甲が「白」をこれは「赤」じゃないと乙に確認するまでは
乙は白も赤だと答え続ける。その間両者には「赤」という色の共通認識は得られている
ようで、じつはそうではない。
138無為:02/01/30 05:08
>>137 訂正 「甲が白と赤との差異を認めていなければ」
             ↓
       「乙が白と赤との差異を認めていなければ」
139不一:02/01/30 06:13
>>1
浅学非才の身で僭越だが、難しい言葉をなるべく使わずに哲学してみることにする。
本当は仏教スレか西田スレに投稿すべき内容かもしれない。

相対と絶対について(仏教的に)
本来相対的でしかない意味(概念や価値)を絶対化することで誤謬化するが、
更に、時間的に絶え間なく無限定的(「北に対しての南」という具合に限定されていない様)に
あるがままに変化していく世界を相対的に停止・限定させて規定することに“根本的な誤謬”がある。
このレベルから見れば相対化は絶対化の程度が低いだけであるがままを限定・固定することでは同質である。
或いはまた、変化の過程としてある、あるがままの世界に対して、運動主体、運動作用、運動対象、
また、観察主体(主観)と観察対象(客観)などを(その観方の妥当性に相対的な限界を付そうとも)
想定することでは同質である。―――

例えば、「運動」について考えてみる。普通は「私は去る」と考えるがこれには誤謬がある。
去ったもの(過去)はさらに去ることは出来ない。未来も今去ることはできない、では現在はどうか。
常識でいう現在とは直前の過去としての意識の対象化された、思い出された現在であって、
現在進行形としての真の現在ではない。現在とは進行形だから、既に運動中である。去っていきつつある、
それがさらに去ることはできない。同じ瞬間に二つの運動は課せない。
また「歯痛」で考えてみる。普通は「私は歯が痛い」と考える、しかし本当は(意識は)「歯が痛い」に
“なっている”のであって、そこに「私」はない。
現在進行形(=直前の過去という意味での常識的な対象化(ノエマとしての)された現在ではなく)の私は、
「歯が痛い」に「なっている」のであって、その進行形の現在において更に歯が痛くなることなどできない。
現在は常に現在進行形で既に常に運動の進行形であるから、同じ瞬間に二つの運動を付すことは不可能なのだ。
進行形の現在においては「ノエマ(意識の対象、客観、相分)―ノエシス(意識の対象化作用、主観、見分):@」
の分裂はなく、@を(直前の)過去として思い出す・対象化(ノエマ化)したときに
その中に観察主体としての私と観察対象としての歯痛があると考えるというわけである。
ここまでの論は、だから、(純粋なる経験、現在進行形の経験においては)自己は無いといっているわけだが、
しかし更に考えると現在進行形の最中に「歯が痛い」ことを自己認識していないならば、
或いは意識が、進行形の現在において、『(私は)「何かを知っている」ということを知っている(自証分)』、
のでなければ、そもそも「知る」こと自体が成立しない。
或いは記憶として(直前の)過去を対象化(=思い出)したときに、対象と私の関係を
考えることが可能なのは、この進行形の現在において意識の自己認識という形で自己を認識しているからに
他ならない。このレベルの自己認識を否定すれば思い出すこと自体が成立しない。
もちろんこのレベルの自己意識は、実体的なものではない。

―――しかしこれは不可避だ。例えば、「もの」から「こと」へ、実体的・絶対的・要素還元的から
関係的・相対的・複雑系のような考え方へ変えると主張しても、
「もの」であろうと「こと」であろうと、意識の上では「任意の一つの対象」、
「意味としての一つの個」であることは変わらないからだ。
それは「意味」が主語―述語関係(根源的な相対性)で成立することから不可避である。
同じことだが欲・作為・意志の放棄も不可能だ、欲の放棄が一つの欲だから。
判断や選択とは生きることそのものだから不可避的。
そもそもあるがままは、「相対的な思考」(本来はこの相対的なものしか体験していない(真の絶対はこの
内在的な絶対)のにも関わらず、その表象に基いて判断した結果、「人だと思ったら木だった」という具合に
「思い通りにならない」ということがある、これが自己の認識が相対的なものだと不可疑になる理由だ)
に“相対的に”絶対を想定している。それは判断が不可避で、しかも自己が絶対ではないとすれば、
絶対を求めることが不可避だから。全ての知は不確実性の減少を目指してしまう。
極例は「世界は量子力学の成果等から不確実なんだ」と主張しても、
それを是とするなら不確実なことを確実だと信じているだけで、
不確実性の減少を目指すことに変わりは無い。最低でも「〜よりマシ」という形で。
140不一:02/01/30 06:23
補足。時間について
「―――しかし〜」以降に関係するが、
「進行形の現在」は体験できない。あくまで相対的に停止した対象化された現在
しか体験していないからだ、「しかし〜」以降で説明したように、
思い通りにならないから、自己の認識が相対的な解釈に過ぎないと不可疑になる。
意識に絶対的に与えられているのは、その相対的(と信じている)体験だけ。
だから時間もどうようで、あるがままの変化の過程などというものは体験できない。
相対的な思考に相対的に想定しているだけ。そしてこれは不可避でもある。
141不一:02/01/30 13:00
更に補足。運動について例の補足
「私は去る」というとき、現に去りつつあるもの(進行形の現在)に
更に去ることがあると主張することになるため、運動があるところに
更に運動を想定することになり、同じ瞬間に二つの運動を想定する誤りがある。
ここまでは書いた。さらに「去る主体」と「去る働き」を分かち、
「去る働き」を実体視する誤りも犯すことになる。
142無為:02/01/31 00:57
 要するに、意識は常に何かに対して働くけれど、対象に働きかける
 当の原意識はそれ自体無自覚・無反省的で、反省化した意識の
 対象はもはや架空の存在だということですか。
143考える名無しさん:02/01/31 01:18
無理。
何故か。
誰でもわかるように、という考えが歪んでいるから。
誰でもわかるように、というのは不可能だ。
誰でもわかるように、という方向に向かうのは狂気だ。
144無為:02/01/31 01:25
誰にでもわかるなんてどこでいっている?
145考える名無しさん:02/01/31 01:25
>>143

お前にわからせるのが無理な事ぐらい良くわかってるよ(藁)
14675:02/01/31 01:26
>>137
ああ、色盲の人の例なども念頭においているのかな?
このへんは、全然くわしくないけどなにかで、
色彩つまり明度は、数値化できたと思ったけど。(反射だっけ?)
その数値をもとに観察者が同じく狭義の赤であることを承認すれば
問題ないんでないの?色の絶対規準を個人に共有させたりするのに
何か意味があるの?他の概念だって、他者と同じとはかぎらないのに。
>>138
君、俺より文下手だね。全然スレテーマにそってないじゃん。
フッサールの準現在化について語ってるようだけど。
「私は歯が痛い」って「象は鼻が長い」
と同じ構造じゃん。「は」このときの「は」は、
話題の明示としてのは、であって。かならずしも
意識を意味してるわけではない。

ここはおかしい。
>「私は去る」というとき、現に去りつつあるもの(進行形の現在)に
>更に去ることがあると主張することになるため、運動があるところに
>更に運動を想定することになり、同じ瞬間に二つの運動を想定する誤りがある。
>ここまでは書いた。さらに「去る主体」と「去る働き」を分かち、
>「去る働き」を実体視する誤りも犯すことになる。
現にさりつつある現在と、私はさるというのは、
運動という平野が異なっている。
同じ瞬間を意味してるわけではない。
後半の方は、デカルト批判でしょ、ようするに。




147考える名無しさん:02/01/31 01:47
>>146
今更論理実証主義?? どうでもいいが「概念」くらいは一致させないと
永久にモノローグに終わると思うが
14875:02/01/31 01:58
>>147
>今更論理実証主義?
ごめん、ちょっと議論が粗雑だった。反省。
ただ、意識の主観性という問題に色の概念などの
クオリアを重視し過ぎるの傾向はどうもなあ。
って感じなんです。
>色の絶対規準を個人に共有させたりするのに
>何か意味があるの?他の概念だって、他者と同じとはかぎらないのに。
これは、言い過ぎました、撤回します。
149背ゑ:02/01/31 02:24
言葉を使わずに哲学はできるのか?
150無為:02/01/31 02:27
>>149 十牛図
151背ゑ:02/01/31 02:28
図 を使わずに哲学はできるのか?
152考える名無しさん:02/01/31 02:28
言葉のない世界はありえない
15375:02/01/31 02:30
>>151
何がいいたいの、さっきから?
言葉使わないで哲学できるか、
自分でやってみれば。
154無為:02/01/31 02:30
>>151 只管打座
15575:02/01/31 02:41
>>154
ところで無為氏。
話しを続けるなり話題をふるかしてくないかい?
なんか、錯綜して感じが・・。
156無為:02/01/31 02:51
 色はあくまでも一例に過ぎません。
 色を数値化してそれでお互いの認識の同一性を確かめるというのは、
どうも信用ならない気がします。すべての赤を見たわけでない者が、
しかし、ほぼべての色について赤か否か言及可能なのはなぜなので
しょう。こう考えると、対象が物理的に赤か否かよりも、個人の認識
のカテゴリイが問題になってくると思います。

 また、色以外の概念の同一性はどうやって求めればよいのでしょう。
157無為:02/01/31 02:53
訂正「しかし、ほぼべての色について」
       ↓
  「しかし、ほぼすべての色について」
15875:02/01/31 03:05
>>156
それは、人の色の把握の仕方に、もとから共通性があるのか、
また共通していると互いに思い込んでいるのか、
また共通だと了解しているのかってことかな。
(認識の相互主観的問題)
概念がおなじかどうかは、言明あるいは記述されたものから
確認しあっていくしかないのではないか?(ってさっきと同じ事いってるなあ)
実際のところ、もの把握の仕方が個々人において主観的であること(認識の主観性)
を前提とするならば、なんらかの概念を同じにしようという方向(同一性への志向)
が問題となるのでは?
う〜ん、なんかよくわからない。
でも、概念の同一性に絶対性をもとめるというよりも
概念が共通していると、確認を通しつつ、了解するということが
重要に思えてならないんだけど・・。(また批判をくらいそう・・)

159考える名無しさん:02/01/31 03:08
もうちょっと〜
わかりやすく〜
やってほしいなぁ〜
1をもう1回読んで〜
私は1じゃないけど〜
16025:02/01/31 03:10
チャット状態に割ってたらすみません。

139さんの方は同スレ別進行で進めていただいてもかまいませんが、
とりあえず無為さんの提示していただいた議題に関して。

色云々に関しては昔色弱・色盲に関して読んだことがあるのでなんとなくですが、
そういう人は彩度、明度が同じ場合、色相の違いが認識できない(赤と緑とか)のですが、
健常者でも色相の違いが認識できるだけで、たとえば無為さんの見ている赤{色番号指定)と
75さん、あるいは自分の見ている赤(同じ色番号)が同じとは証明できない、という感じですか?(特に137)

137で後半、赤を例えに出してきましたが、ちょっと例え変えさせてください。
仮に無為さんが赤いボールを手にとっています。
そのボールを75さんに手渡します。
十分確認した後で自分に手渡してもらいます。
三人とも同じボールを手にとったのですが、同じように感じているといえるでしょうか?
127に書かれた様に証明は出来ません。
でもこの例の場合、同じボールを手渡しています。
同じように見て、触って、何なら舐めても(笑)構わないのですが、
三人が同じように感じていると証明できない。
この各自の認識と、(あるとすれば)実際のボールとの関係、こんな感じですか、議題。

勘違いならすみません。
あと、解りきった事議論してると思ってる読書家の方、解り易く説明できたらお願いします。
説明ご面倒でしたら、見過ごしてください。(笑)
16125:02/01/31 03:14
すみません
11行目の「137で後半・・・」のところ、「127」の間違いです。
16275:02/01/31 03:18
>>159
ごめんYO!
もうちょいがんばるYO!
>>160
すばらしい説明。
ここで重要なのはやはり、主体が他者の経験を自己の中にとりいれる
ということ、つまり私が触ったボールの経験とと他者が触ったボール
の経験を、その私が同じであるとすることだと思うんだけど・・。
どうでしょう、無為氏?
163無為:02/01/31 03:31
経験を同じであるとするとは?
16475:02/01/31 03:49
>>163
経験をおなじであるとするというか、
私が触ったボールをなげ、他者がそのボールを触った時、
それを認識した私が他者と私が同じボールを触ったと
理解する、またみなすことです。
当たり前の話ですがここらへんポイントだと思うんだけど・・?
だめ?

165無為:02/01/31 04:59
いや、ダメじゃあないです。でも、同じボールを認識している証明は
不能。つまり、世界は個々人の「おそらくみんな同じに感じてるんだ
ろーなあ」という思い込みのうえに成り立っている、そうとう危うい
存在なわけです・・・。いつこの「思い込みの共通認識」に破綻をき
たしてもおかしくない。
 もう一度色の例を出しますが、例えばここに小さい時からいわゆる
「赤」と「白」とを区別する認識を得ないできたAがいるとします。
かれにとって「赤」という言葉は、他者の「赤」+「白」だとします。
このAがBと「赤」の共通認識を確認しようとして、これは「赤」だよ
ね、これは少し紫っぽいかな」というふうに確かめてしていきます。
Aは、他者の「白」と感じる色をも「赤」と感じること意外は全てBと
同じ認識を持っていますから、Bが「白」を指して「これは赤じゃあ
ないね」とAに確認するまではAとBの認識は同じだと見なしうること
になります。そして、Bが「白」を「赤」ではないと二人がが死ぬま
で確認しなかったら、おそらくBは自分とAとの認識は同一だったと思
って死んでいきます。本当は同一ではないのに。
 これが、色だけでなく、この世界全般に起こりうることだということ
は否定できません。ある日何らかのきっかけによって、今まで自明だと
思われていた人々の共通認識が崩壊しないとも限りません。
 こんなことを考えてみたりすると、毎日の生活がとても奇妙なものに
感じられてなりません。
166無為:02/01/31 05:08
でも、これって当たり前なんだよね。
16775:02/01/31 05:16
>>165
客観性の成立を疑ってるのかな?
>共通認識が崩壊
してきたじゃん、何度も。
というか、よく考えれば、全人類が持つ絶対的な共通認識なんて
今まで成立したことあったかな?
常に厳密には相対的でありながらも、絶対的に(後には暫定的に)
認識を共通としようと言う試みがあったにすぎないんじゃないの?
それが破綻したからといって虚無感にしたるのではなく、
また新たな共通認識をたてていく営みをするだけのような気がする
んだけど・・。
問題をあくまで「私」に還元するならば、それはまた別の話だけど・・。
168無為:02/01/31 05:27
 そりゃ、イデオロギーとか価値観はそうだけど。
 基本的な認識の客観性ということですよ。
よくおきてるなあ・・・。おやすみい。
169不一:02/01/31 06:41
75へ
>現にさりつつある現在と、私はさるというのは、運動という平野が異なっている。
>同じ瞬間を意味してるわけではない。
誤解している。私は去るという言葉の矛盾を問題にしている。
またそこから、主客の分離が誤謬の基であると同時に不可避的でもあると。
今去っていない私が「去る」とは言えない。しかし既に去りつつある私が更に去ることはできない。
以上で理解不能な場合『「覚り」と「空」』講談社現代新書の「空の論理」の項をお勧めする。

>後半の方は、デカルト批判
違う。これも上の誤解と同レベルに思われる。
170不一:02/01/31 07:32
>>169補足
>>146
>>138
>君、俺より文下手だね〜
>〜意識を意味してるわけではない。
は私宛だろうか? 当方の投稿は>>139だが、仮にそうであるとして、
>俺より文下手だね。全然スレテーマにそってないじゃん。
「浅学非才で僭越ですが」/「本当は仏教スレか西田スレに投稿すべきかも」と前置きした。
>フッサールの準現在化について語ってるようだけど。
上の前置きの通りである。
>「私は歯が痛い」って「象は鼻が長い」と同じ構造じゃん。「は」このときの「は」は、
>話題の明示としてのは、であって。かならずしも意識を意味してるわけではない。
>>169で挙げた本を読まれることをお勧めする。

このような場で陳腐になるが、相手の瑣末な差違を積極的にあげつらい、
翻って相手の要旨を汲もうともしないのは、枝葉の問題を根本の問題とすりかえるようものだ。
(勿論、要旨を汲んだ上で、汲もうとした上で瑣末な問題を指摘するのはあると思う。)
自己の知識と、特に知性の貧弱さを惨めに告白する後ろ向きな行為でしかないので避けることを勧める。
このような匿名の場であるからこそ自己自省を試されるのではないだろうか。
171不一:02/01/31 07:43
>>142(無為殿)
>要するに、意識は常に何かに対して働くけれど、対象に働きかける
>当の原意識はそれ自体無自覚・無反省的で、反省化した意識の
>対象はもはや架空の存在だということですか。
以上は私宛でしょうか。そうだとして書きます。
元々は対象化されたものしか体験しておらず、その体験に基き判断した結果、
思い通りにならないことがあるから、そこから逆算して純粋経験であるとか
或いは、客観世界といった(判断の基準となる)ものを推測するのではないかと思うのです。
172考える名無しさん:02/01/31 08:27
>166
その通り。目の前にある一個のリンゴを見て、
A「一個のリンゴがあるね」
B「一個のリンゴがあるね」
という時、君が>>165で書いたのと「全く同様」の意味で
AとBの認識内容は決定的に異なっている。
たとえ二人が一旦見る位置を交代して、全く同じ視角で見たとしても。

それが独我論の基礎であり、「汝自身を知れ」根本的意味である。
173考える名無しさん:02/01/31 09:40
>>1

そんなことは不可能なので、このスレ終了。
17425:02/02/01 01:42
>165から
> 例えばここに小さい時からいわゆる「赤」と「白」とを
> 区別する認識を得ないできたAがいるとします。
> かれにとって「赤」という言葉は、他者の「赤」+「白」だとします。
> このAがBと「赤」の共通認識を確認しようとして、
> これは「赤」だよね、これは少し紫っぽいかな」というふうに確かめてしていきます。

てっきり、この「これ」と「Aの認識」と「Bの認識」の関係かと思ってたけど、
無為さんが問題視しているのは「AとBの認識の違い」ですね。(違ったらごめん)

この例の場合、「これ」に関しては認識は共通していると(とりあえず)解釈できるけど、
「赤」に関しては、実は認識は共通ではなかった。
ここでは「色(赤)」という部分だったけど、個人の認識が実は共通していない、
共通しているかどうかの証明は困難だ、という方向性でしょうか?
75さんが165で指摘していたのは社会的な大きな面でという感じでしたが、
もっと個人的な部分に注目でしょうか?
例えば、ここで書かれた「この文章」の、
自分(25)の認識(意図)、75さんの認識(解釈)、無為さんの認識(解釈)が
実は共通しているように見えて共通してないとか。

安易な思いつきですが、165を考えるとき、うまく言えませんが
「認識そのものを問題とするのか」
「(赤等の)言葉の認識の違いを問題にするのか」
どちらの方向性でしょうか?あるいは自分が的外れで違う方向性ですか?

>172さん
> 君が>>165で書いたのと「全く同様」の意味でAとBの認識内容は決定的に異なっている。
ここ、特に「決定的に」が解らないのですが、説明お願いします。

不一さんの方は自分は言及していませんが、平行していただいて結構です。
逆に不一さんの議題を中心に進めるのでしたら、頭を切り替えますので、
その旨お知らせください。>75さん、無為さん
175無為:02/02/01 03:36
不一さんは、もう少し用語の意味を規定して書いてほしい。
176不一:02/02/01 04:28
>無為殿、25殿
>>170で僭越な書き方をしたが、75殿の指摘(書き方が劣悪)は正当であり、
つまるところ誤解されるような表現しか出来ていないということは、
自己の理解が浅いということも示しているでしょう。
それから>>139では一辺に幾つも書きすぎたようにも思う。
とにかく勉強不足なので出直すことにします。
177考える名無しさん:02/02/01 04:54
大体「哲学」という日本語が良くない。
フィロソフィーって元々は「知を愛する」という意味じゃなかったっけ?
178WIZ:02/02/01 05:39
この面々を支持する
17975:02/02/01 05:56
>>176
貴方の議論内容の言及をもふくむ、長い反論をしようと思いましたが、
やめました。なんだか、馬鹿馬鹿しいので。一つだけ言うならば、
今度から、カキコするときは1のレスだけじゃなくて、
それまでの過去レスぐらい読んでからにしてくれって感じです。
>>無為氏
ああ、25氏の説明でようやくわかった。
(25氏の説明はホントうまい)
「あるもの」(対象)があったとして、それは自分と他者の二人が
共通に認識していると自覚できる可能性はあるけども、それが
同じだとは立証できない。そしてさらに問題は、その「あるもの」
を認識する時、その認識に至るために二人がもともと持っていた
−あるいは想定する−、概念なり判断過程などが
異なる場合もあるということかな?
つまりXはAであるという二人の認識の共通性は、その二人が
完全に同じ認識をしていると保証してくれないこと。
XはAであるという認識にいたるさまざまな判断が、
自分と他人ではことなる可能性がありこと。
そして場合によっては、二人が同じ認識をしていると
勘違いしたまま、物事がすすんでいく可能性があること。

こういうこと?以上があっていると仮定して、
俺が聞きたいのは、この事実に直面した無為氏が
認識に対してどのようなスタンスをとろうとするかということ
なんだけど。共通の認識をたてる新たな方法を考えるのか、
その認識の相互共通理解の不可能性に絶望するのか、
はたまた・・・。そこらへんは、どうでしょうか?





180不一:02/02/01 10:28
>貴方の議論内容の言及をもふくむ、長い反論をしようと思いましたがやめました。なんだか、馬鹿馬鹿しいので。
反論するもせぬも自由。(ただし@反論を頂いても効果的な返信の自信はない。>>176や以前のレスの通り。)
ただ、せぬならば一切書かぬ方が良いかと思う。理由は>>170後半。

>一つだけ言うならば、今度から、カキコするときは1のレスだけじゃなくて、
>それまでの過去レスぐらい読んでからにしてくれって感じです。
当方が貴殿宛てに書いたことは、貴殿が当方へ宛てた投稿に対してであって
貴殿の他の方宛ての過去の投稿までを対象としたものではない。
或いは、当方の投稿が進行中のテーマと違えていることを“再び”批判しているとも解釈可能だが、
その場合も“既にレスで述べた”ように最初の投稿時に「前置き」した。
ちなみに、過去レスは熟読はしていないが読んではある。
181不一:02/02/01 10:30
>>180補足。
反論自由だが、貴殿同様の心境であるので、「議論内容の言及」以外はレスは一切不要。
182 :02/02/01 15:34
設問の仕方が逆。難しい言葉を使った哲学は哲学を理解していない証拠というべき。
183不一:02/02/01 15:36
75殿
180、181は忘れて貰いたい。改めて読むと内容以前に投稿動機が愚劣だった。
苦しくも自分で170に背反してしまった。「議論内容」云々は以前のレスで挙げた概説書どうぞ。
無為殿等とのテーマにも関連があるように思うので有意義と思う。
184頭空っぽ:02/02/02 00:05
ところでこのスレは今何を哲学してるの?
185無為:02/02/02 01:13
>>179 まあ、大方はあっているとしましょう。
 スタンスですか。絶望はしませんよ。意味ないから。ただ、とらわれない
 ようにはなりました。老荘の「無」、仏教の「空」の思想でなっとくいった
 カンジです。ただ、これも、方便にならないように気をつけています。
186無為:02/02/02 01:25
>>174 むしろ「言葉と認識」の関係を問題にしたい。

 また、独我論的世界観に立ち向かういろんな人のスタンスも聞いてみたい。
187感覚批評(笑):02/02/02 02:46
ふむ、いまここの過去ログを全部読み終わったところ。なかなか面白いです。もちろん理解できている自信はありませんが・・・。
議論と全く関係ないのですが,読んでいると、世界中に名札があってそれが取替え可能なものであるかのような感じがした。
その名札はペリッと剥がせるんだけど,剥がすとそこにも何もない。それは剥がした自分自身も消えているからなのか,それとも名札の下には何もなかったからなのか?
そんなイメージが脳裏を通り過ぎました。
またはF−1レーサーがヘアピンカーブに差し掛かり、遠心力に振り回されそうになりつつも,ギリギリのところで交わしていくような爽快感。
たぶんわかりもせずにわたしなどが哲学版や哲学書などを眺めてしまうのはそういう皮膚感覚が好きからなんだろうな〜と独り言をつぶやきつつ、楽しませていただきました。

全然関係ないのでこの辺でROMに戻ります。よろしくお続けください(^^)
188続・クレタ島の住人:02/02/02 06:44
テーブルの上にあった一個のリンゴを見て、
A「一個のリンゴがあるね。」
B「もう無いよ。俺が食べたから。」
この場合、二人の認識のちがいはどのように説明したらいいんでしょう。
189考える名無しさん:02/02/03 00:36
>>188 これは難問だ。ウィトゲンシュタインがラッセルに噛み付いた議論だろ?
190考える名無しさん:02/02/03 01:12
>>188
時間が経過しただけじゃないの?
191考える名無しさん:02/02/03 01:21
>188
文章の細部に問題ないの?
>テーブルの上に"あった"一個のリンゴを"見て"
>A「一個のリンゴが"ある"ね。」
>B「もう無いよ。俺が"食べた"から。」
表記通りだと、時間軸に矛盾を感じるけど。
192191:02/02/03 01:27
過去形に訂正
テーブルの上にあった一個のリンゴを見た二人が、
A「一個のリンゴがあったね。」
B「もう無いよ。俺が食べたから。」
矛盾なし
193考える名無しさん:02/02/03 01:28
認識が問題だろ
194191:02/02/03 01:29
未来形
テーブルの上にある一個のリンゴを見て、
A「一個のリンゴがあるね。」
B「もうすぐ無くなるよ。俺が食べるから。」
ちょっと強引か
19575改め雪駄んた珍食え:02/02/03 01:29
>>185(無為氏)
やはり、まだ掘り下げたりないのか。
認識の固有性が問題なのかな・・。
ところで、クレタ氏が出した新しい問題は、
ちょうど関連してそうなので、
こちらに話題をうつしますか?
どうです、25氏、無為氏?
>>187
>楽しませていただきました。
そういっていただけると、私も恥をさらした
かいがあったかもしれません。
楽しませていただきました。

>その名札はペリッと剥がせるんだけど,剥がすとそこにも何もない。
>それは剥がした自分自身も消えているからなのか,
>それとも名札の下には何もなかったからなのか?
これすごくいい表現だと思う。イメージしやすい。
じゃあ、名札ってなんだろうってのが重要かも。

>>188(クレタ氏)
正直、問題がめちゃプロパー向けなかんじが・・。
すぐ突っ込みはいりそうだなあ。
ここはしかし、無為氏の度胸をみならって
ちょと考えて見ますか・・。

196続・クレタ島の住人:02/02/03 01:30
>191
「ある」にするとBの台詞に矛盾が生じるため、
第3者の客観的な視点から現象を眺めてみました。
Aが見たときにはりんごは確かにテーブルの上に存在していましたが、
AがBに話し掛けたときそれはすでに過去になっていたのです。
つまりAとBが会話をしている時点ではりんごはなくなっていたのだと解釈してください。

なんでこんなことを説明しなければならないんだ!
197考える名無しさん:02/02/03 01:44
>>196 なんだ、ウィトゲンシュタインがラッセルの「部屋にサイがいない
  こと」を経験的に知っているのを、論理的には知らないとすることが可
  能だと食って掛かった話じゃないのか。
198雪駄んた珍食え:02/02/03 01:46
>>188
>テーブルの上にあった一個のリンゴを見て、
>A「一個のリンゴがあるね。」
>B「もう無いよ。俺が食べたから。」
上でもいわれてるように、
単純に考えれば、時間の問題に思うが・・。
見方を変えて・・
机の上にあったリンゴが最初から食べられた後のリンゴだとしたら、
どこまでがリンゴかという話になる。
つまりリンゴがリンゴとして存在する
限界、リンゴをリンゴとして認識する境についてのような。
Aにとっては、食べられたリンゴ(芯だけとか)は、
あくまでリンゴであるが、
Bにとっては、食べられたリンゴは
もうリンゴがない状態とも考えられる。
でさらに考えると、
「食べられた後の」リンゴ
「芯だけの」リンゴ
の「・・」の修飾句は、Bにとってリンゴがリンゴとして
存在していないことをあらわす修飾句かもしれない。
逆にAにとっては、芯だけの、または、食べられた後の
リンゴは、それがリンゴとして認識できるがゆえにまだリンゴとして
存在しているということになるかもしれない。
(とここまで考えましたが、だれか厳しい突っ込みきぼんぬ。)
199続・クレタ島の住人:02/02/03 01:54
>198
実はその辺のツッコミを期待していたのです。
Bは芯まで食べたのかと。

つづき
A「じゃ、りんごはもう無いんだ。」
B「いや、芯は残っているよ。」

はたしてりんごは残っていると言えるのか?彼らの会話のどこが矛盾しているのか?
200 :02/02/03 01:55
20125:02/02/03 02:08
75改め雪駄んた珍食えさん
昨日は用事でネットにこれませんでした。
無為さんの議題も「言葉と認識」になりましたので、
この続・クレタ島の住人さんの問題にシフトしてみますが、
すでに解決してません?
191さんの説明を分解してみます。
時間a
テーブルの上にりんごがあり、Aがみる。

時間の経過(Bがりんごを食べる)

時間b (問題の状態ですが、表現を正確にすれば192)
テーブルの上にあった一個のリンゴを見た二人が、
A「一個のリンゴがあるね。」
  (正確には「あったね」 時間aの状態が継続していると思い込んだ発言)
B「もう無いよ。俺が食べたから。」

この、時間の流れと認識の関係に注目したのが
不一さんの議題(の一部かな)でしたが、
疑問点(議論しようというポイントに感じる場所)がたくさんあるので、
どこをしたいのか(どこから考えれば良いのか)伺いたいですね。
「言葉と認識」という点では関係が深いと思います。
20225:02/02/03 02:10
ウワ、乗り遅れてる、失礼しました。
203無為:02/02/03 02:11
>>198それは、公孫竜だ、公孫竜だ。「白馬は馬にあらず」
204あちょー:02/02/03 02:14
A「一個のリンゴがあるね」
B「あったんだろ」
205続・クレタ島の住人:02/02/03 02:15
A「一個のリンゴがあるね」
B「どう見てもみかんだろ」
206雪駄んた珍食え:02/02/03 02:16
>>199
>テーブルの上にあった一個のリンゴを見て、
>A「一個のリンゴがあるね。」
>B「もう無いよ。俺が食べたから。」
>A「じゃ、りんごはもう無いんだ。」
>B「いや、芯は残っているよ。」
単純に考えれば、AとBが
A:りんごが有るという認識から、リンゴは無いという認識に移行
B:りんごがないという認識から、芯は残っている、
つまりAのリンゴが無いという発言を否定しているので
リンゴはあるという認識に移行

このことからA,Bそれぞれ発言が矛盾していると思われるが・・。
もう一度考えると
>テーブルの上にあった一個のリンゴを見て、
この最初のリンゴの形が問題だと思う。
芯だけのリンゴとすれば
>A「一個のリンゴがあるね。」補足(リンゴは芯だけだ。)
>B「もう無いよ。俺が食べたから。」補足(リンゴは芯だけだ。)
>A「じゃ、りんごはもう無いんだ。」補足(食べられるリンゴは無い。)
>B「いや、芯は残っているよ。」 補足(食べられるリンゴは無い。)
ということで、(・・)を補足をするとABの認識は一致できる。
だがここでやっぱり、
リンゴをリンゴたらしめるのは何か?
ということが問題。



207雪駄んた珍食え:02/02/03 02:21
>>25
シフトの件、了解。
>>203(無為氏)
「白馬は馬にあらず」
それよく聞くんだけど、
どういう経緯で発言したのか
よかったら説明してくれる?
(無知でごめん。)
20825:02/02/03 02:21
とんちクイズではなく真面目な問題として考えると、
「(芯だけの状態の)りんご」と「りんご」という言葉の認識の、
AとBの共通性を得ようとする試み、と考えていいの?
209雪駄んた珍食え:02/02/03 02:24
>>208
と思うんだけど・・。
ただのとんちクイズなのかなあ?(笑
21025:02/02/03 02:25
>無為さん
俺も出典知らない。よろしく。
意味的には
馬  ≠白馬
りんご≠芯だけのりんご
でいいのかな?
211続・クレタ島の住人:02/02/03 02:29
つまり、りんごをかじっていったとき、それはどこまでりんごであるかということですね。
Bははじめりんごを食べ物と認識していました。おいしいところは全部食べてしまったので、
Aに対して「もう無いよ」と言ったのです。
ところがAの「もう無いんだ」の一言に過剰に反応したわけですね。
BはAの言葉を皮肉として捉えたのです。そして、残された芯を「これはりんごじゃないんだ?」と
指摘されることを恐れて、自分から補足したわけなのです。
その結果このような会話になったということですね。
21225:02/02/03 02:37
>続・クレタ島の住人さん
説明ありがとう。
俺も、「りんご」は食べ物として認識して、
芯だけのりんご=りんごの芯(という言葉)≠りんご(という言葉)
と考えていたけど、思い込みに過ぎないと指摘されると・・・。
どうもでした。

>雪駄んた珍食えさん
珍しくチャット状態、どうもです。
雪駄んた珍食えさんも俺も、
どちらかというと議題に対して意見を述べるほうだと思うので、
議事進行してくれる人がいないとちょっと困ります(笑

皆さん、よろしく
(もうすぐ寝ますけど)
213雪駄んた珍食え:02/02/03 02:40
う〜んよくみたら、>>206の後半のAはやはり矛盾してるかな。

(最初のリンゴが形が芯だとして、Aがそれを認識したとする)
>A「一個のリンゴがあるね。」補足(リンゴは芯だけだと気付いていない。)
>B「もう無いよ。俺が食べたから。」補足(リンゴは芯だけだ。)
>A「じゃ、りんごはもう無いんだ。」補足(食べられるリンゴは無い。)
>B「いや、芯は残っているよ。」 補足(食べられるリンゴは無い。)
こうすればいいのかな・・?
何だか、とんちにひっかかった気分。
真面目な話、何をリンゴとするかに的を絞った方がいいかも。
214雪駄んた珍食え:02/02/03 02:45
>>211
どうでもいいかもしれないけど、
それだと
「もう無いよ。俺が食べているから。」
にしないとおかしくない?
>「もう無いよ。俺が食べたから。」
では、食べ終わった表現のはず。
>>25氏
>議事進行してくれる人がいないとちょっと困ります(笑
同感。(笑

215考える名無しさん:02/02/03 02:46
真のりんごは定義できないと思いますよ。
人間のように。
216あちょー:02/02/03 02:46
つづき
A「じゃ、りんごは在るのか無いのか。」
B「いや、反応を楽しんでいるだけだよ。」
217雪駄んた珍食え:02/02/03 02:49
>>215
それでは、イデアや物自体に逆戻り?(笑
>>216
単なるネタ?
218続・クレタ島の住人:02/02/03 02:50
>214
初めはただのネタのつもりだったのにだんだん話がややこしくなっていくので
正直いって困惑しています。205のオチで終わらせようと思ったのにすべってしまいました。

「食べている」にするとりんごはまだ手の中に存在するので「もう無いよ」が矛盾します。
また、食べているところをAが見ているとこのような会話にはならないでしょう。
219無為:02/02/03 02:57
>>207-210 馬と白馬は違います。馬は「馬」という対象を指す言葉。
 「白馬」は「白」という概念を表すために「白馬」と言った。なぜ、
 「白」を表すために「白馬」と言うか。それは、純粋存在としての
 「白」はありえず、かならず「何者かが白い」という条件下でのみ
 「白」は存在しえるから。つまり、「馬」はあの四足の鬣のある、
 速く走る動物の「馬」を表し、「白馬」は馬に現れた「白」という
 概念の存在を指す。これをりんごにあてはめると、あの赤く、甘酸
 っぱい果物の「りんご」という対象を指し示す言葉である「りんご」
 がAのいうりんご。食べられて、完全な存在でない、芯だけのりんご、
 ここではそれを「りんご」に現れた「不完全さ・欠落性」と呼ぶ。
 それを、指したのがBのいう「もうないよ」という言葉。
220雪駄んた珍食え:02/02/03 02:59
>218
(サゲるか・・。)
ああ、あくまでネタと考えていたの。
無為氏との議論が一段落した後だけに、
タイミングが悪かったかもね。
>>213を見てくれる?
矛盾を回避できると思うけど。
221無為:02/02/03 02:59
そう言う意味で、公孫竜。
222無為:02/02/03 03:03
Aは「芯りんご」も「りんご」と捉えた。Bはそこにりんごというモノに
現れたそれ自体では存在し得ない「欠落性」を見た。
223続・クレタ島の住人:02/02/03 03:05
話はかわりますが
象を冷蔵庫の中に入れるための3つの条件というのを知ってますか?
224雪駄んた珍食え:02/02/03 03:07
>>219(無為氏)
じゃあ、「馬」という概念には、色は含まれてないの?
>純粋存在
このスレでは、NGワード。
説明が必要。
>>221
そういう意味で、公孫竜???
公孫竜ってどういうこと?
225雪駄んた珍食え:02/02/03 03:09
>>223
ちょとちょと、ほんとにそれ関連してるの?
ネタじゃなくて真面目にやって欲しいんだけど。
言葉と認識が今のテーマ。
226無為:02/02/03 03:28
>>224 いや、公孫竜の言う意味で、「馬」に色の概念は含まれない。
 
 純粋存在としての「白」とは?
  白い豆腐、白い紙、白い肌など知覚対象としての「白」ではなく
 これらの「白いもの」に共通している具体的存在に従属しない存在
 である「白さ」としての「白」のこと。
227あちょー:02/02/03 03:33
>>226
具体的ではない白とは具体的な白とどう違いますか。
228無為:02/02/03 03:34
 >>225 関係ないけど、「雪駄んた珍食え」って、意味あるんですか?
229雪駄んた珍食え:02/02/03 03:35
>>226(無為氏)
そうすると、公孫竜にとっては、馬は記号なのか
あるいは、概念なのか?
概念としての馬は、無色なのかな?
白い馬は、概念なのか記号なのか?
白は概念なのか記号なのか?
馬に白いというのをつけると、
馬ではなくなり、白い馬になる。
ではその白い馬を馬ではないのに、
馬と呼ぶ人は、白いという意味を無視しているのか?
230続・クレタ島の住人:02/02/03 03:37
集合論的に言えば、白馬は馬に含まれるということでしょ。
栗毛の馬や黒い馬もいるけどそれは馬の一種であって、黒い白馬は存在しないと言うこと。

ちなみに黒と言う色は科学的には存在しないんだってね。
231雪駄んた珍食え:02/02/03 03:37
>>228
意味があるのかないのか・・さて?
とお茶を濁しておく。(w
232無為:02/02/03 03:39
>>227 「白」は概念存在。「具体的な白」はモノの状態、かな・・・。

233雪駄んた珍食え:02/02/03 03:42
>>232(無為氏)
純粋な白って概念としても、単一に存在できますかな?
234無為:02/02/03 03:44
>>230 でも、白い「青馬」はいるんだよ。
235無為:02/02/03 03:46
>>233 存在できそうにない。だから「白馬」
236あちょー:02/02/03 03:52
>>232
概念的白とは人間にとっての白ということ?
人間にとっての白というのも、認知科学的には、視神経ニューロンの発火という
具体的な現象ですが。

うっかり難しい言葉を使ってしまった。
237無為:02/02/03 03:55
>>229 公孫竜にとって「馬」とは、記号・指示対象・認識かな。
238続・クレタ島の住人:02/02/03 03:56
>234
その青馬は白いんだよね。
名前に色がついていても、それは形容しているわけじゃないでしょ。
白い「青い馬」はいないと思うけど。
239雪駄んた珍食え :02/02/03 03:56
>>235(無為氏)
>>229には答えてくれないの?
ところで、現実において白い馬は馬でないとしよう。
けど馬を想像するとき、色はついてる、ついてない?
ついていなかったら、白くすれば馬は白くなるのかなあ?
ついていたら、白くすれば馬は白くなるのかなあ?
また、想像した白い馬から白さをとれば、馬になるのかなあ、概念上?
それで白さがとられた馬は、何色なのかな?透明?
240無為:02/02/03 03:58
>>236 ニューロンの発火という現象を現に自分が見ている「白」
   という認識をどうやって論理的に関連付けて説明するのか
   が難しい。電気信号と実際の「白」との対応を・・・。
241雪駄んた珍食え:02/02/03 04:13
>>237(無為氏)
あ、答えてた、スマソ。
>公孫竜にとって「馬」とは、記号・指示対象・認識かな
記号・指示対象はO・K(指示対象はNGワードだけど。)
認識ってどういうこと?
242雪駄んた珍食え:02/02/03 04:18
>>236(あちょ−氏)
白い「何か」の認知が、ニューロンの発火に対応してるのであって、
白そのものの認知ではないんじゃないの?その違いは立証されてんの?
243無為:02/02/03 04:19
>>241 馬という形の認識。
244続・クレタ島の住人:02/02/03 04:19
>239
動物を分類する上でもっとも大事なのは形や大きさだから、馬と言われて
その色を特定する必要は無いんじゃない?
だから色をなくしたところで馬であることに変わりは無いと思う。
たとえば目をつぶると色は見えないよね。じゃ、そのまま馬に触ったらそれは馬じゃないのか?
ということじゃないでしょうか。
白と言う色は理屈で言うと赤・青・緑の3原色をすべて反射している状態なので、
そこから白をとるということは光をすべて吸収してしまうことなので黒くなるというのはどうですか?
245あちょー:02/02/03 04:23
>>242
その違いとは?何と何?
246雪駄んた珍食え:02/02/03 04:26
>>243(無為氏)
だからそれどと、形態に色は付属していないということでしょう。
しかし、馬という記号で指し示された対象に色が無いだろうか?
いや、ある。だからこそ、想像においても、視覚をもとにするならば
色は付着しているはずなのだ。馬の概念形成には、実際にある像が
もとになっているのだから。
247無為:02/02/03 04:28
>> 245 白という概念を初めて得る時のニューロンの発火とその後、
 あるものを白いと認知する時のニューロンの発火との関係はどう
 なんでしょう。
248雪駄んた珍食え:02/02/03 04:29
>>246
訂正
それどど>それだと
>>244(クレタ氏)
>>246を見てもう一度反論キボン。
>>245(あちょー氏9
対象そのものの認知と対象から独立した白さの認知
249あちょー:02/02/03 04:34
>>247
白に対応するニューロンは同じです。そういうニューロンが視覚野、視神経にあります。
250無為:02/02/03 04:34
>>246 対象の認識カテゴリイの問題。色の認識と形の認識とが、論理学上
 の排他的選言になっているということらしい。「排他的選言」とは・・・
 また、あしたー。
251あちょー:02/02/03 04:39
>>248
>対象そのものの認知と対象から独立した白さの認知

私自身は分けてないですが、どのレスのことでしょうか。
252無為:02/02/03 04:42
>>249 視神経でとらえた白を「白」と認識する判断のことを言っています。
   
253雪駄んた珍食え:02/02/03 04:47
>>251(あちょ−氏)
あ、失礼、勘違いか。
それなら問題なしかな。
>>250(無為氏)
排他的選言って、どちら一方を選び、両立させないということか?
NGワード使いまくりだな、今日の無意氏は。
論理学上ならそうかもしれない。
馬の概念の形成上で、色の要素は排除できるだろうか?
排除し、一個上のまとまりの概念(上位概念)になるには、
いろいろな馬を見なければ、馬そのものの固有性に付け加えられるでしょ?
254雪駄んた珍食え:02/02/03 04:49
>>253
訂正
無意氏は>無為氏は
失礼しました。
255あちょー:02/02/03 04:53
>>252
産まれてはじめて視神経で白をとらえたら、それが認識ということで
よいのでは?
その後も白のとらえかたは同じ。
ただ、それに関連した情報を検索したり、それをもとに意識がどうはたらくか
ということは、私には脳科学っぽくは説明できないです。
256雪駄んた珍食え:02/02/03 05:00
>>255(あちょー氏)
ここ重要だから何度も言うけど、
白を認識してるわけじゃなくて、
「白い何か」を認識してるんだと思うよ。
認知において、色彩と形態は独立してないんでしょ?
257 :02/02/03 06:16
できます。
258不一:02/02/03 09:38
>>201 25殿
該当の議論は『中論』竜樹(空)ですから、
中国思想について知識をお持ちの無為殿に伺うか、
以前のレスで挙げた概説書(難しくありません)を御覧下さい。
259無為:02/02/03 18:53
>>258 えー、ずるいなあ。自分でやさしく説明してくださいよ。
 「空」とか「無」って、言葉で簡潔に説明するのたいへんなんだ。
  
260雪駄んた珍食え :02/02/03 21:57
誰かいる?
26125:02/02/04 01:35
>不一さん
レスありがとうございます。
でも、このスレは主旨として「専門用語を使わない」、
そこから暗黙の了解として「○○○を読んでください」は
無しの方向になっていると思うのですが。

他スレでは当然のように出ますし、ある意味専門同士では当然読んでいるべきものとかもあるのですが、
このスレは、このスレのみで参加できるようにも主旨の一部だと思っていますので、
そのあたりをご理解いただいていると思っていたのですが。

稚拙な例では、プロではない人同士で草サッカーをしよう、
その際、危険そうな接触プレーは無し、オフサイドも大目に見るみたいな独自ルールで、
素人なりに楽しみましょう、みたいなものだと思っているので、
その主旨を汲み取った上で、あらためて議題の提供をお願いします。

無為さん、雪駄んた珍食えさん他、他の参加者の皆さん、
自分の独りよがりな考えだったらすみません。

>「白馬」に関して自己見解
生き物としての「白馬」が「馬」なのは間違いないのですが、
「馬」ではなく「白馬」とする以上、
「白」に力点が置かれていると無為さんは考えたのでは?
馬には違いないけれど、馬よりも「白」に注目している、
こういう解釈は間違いですか?

自分なりの似た例として、「赤い花」と「花が赤い」
赤い花 =花がメイン、赤は修飾
花が赤い=赤がメイン、花は(雪駄んた珍食えさんの表現を借りて)形態
(文章によってはこの限りではありませんが基本として)

いまさらながら、りんごの雪駄んた珍食えさんの説明流用一部変更(失礼します)
>A「一個のリンゴがあるね。」   補足(りんごの芯をりんごと判断)
>B「もう無いよ。俺が食べたから。」補足(りんごの芯はりんごではないと判断)
>A「じゃ、りんごはもう無いんだ。」補足(りんごの芯はりんごではないと判断を修正)
>B「いや、芯は残っているよ。」  補足(どっちやねん・笑)

ネタのつもりだったかもしれませんが、結構楽しめました、
あらためて続・クレタ島の住人さん、ありがとうございます。

さて、今後の方向性は?
262無為:02/02/04 02:27
  頭痛が痛いので今日は寝ます。専門用語を使わないのは骨が折れる。
 不一さんの言ってるのはこの「頭痛が痛い」ってことでしょう。
 ナーガールジュナか・・・。
263考える名無しさん:02/02/04 06:59
難しい言葉を使えば哲学なのか?
264名無しさん:02/02/04 10:05
生きろ。
265考える名無しさん:02/02/04 10:07
>>263
それは違う。難しい言葉を使う人間は逆に本当に理解していないと言う説もある。
つまり、聴く側の事を考えて話せないと言う事。
聴く側のことを考えて、会話をすれば、聴く側が「難しい」と感じる事も無い。
266不一:02/02/04 10:17
25殿、無為殿
すみません。例の方にも指摘されて分かってはおりますが、
私としては以前の書き込みで最大限努力したつもりだったのです。
ちなみに思想を易しく説くのには大賛成です。
仏教では、―宗教だということもあって―(といっても仏教以前の
思想は秘匿主義だったのですが)
深遠なものを如何に巧みな説明(例:卑近な話)をもって
対象者に理解させられるかが、その人の理解の深さの証ですから。
これはどのような思想でも共通でしょうね。
267考える名無しさん:02/02/05 00:38
科学万能の今の時代、現代哲学では死について
どういう解釈がされているのですか?
268考える名無しさん:02/02/05 00:54
>>265
こちらが聴くほうのことを考えればそれで足りると・・・素晴らしい哲学
ですね(w
269無為:02/02/05 02:51
>>261 同意です。私の解釈というか、公孫竜なんだけど。いや、加地センセの
 解釈だけどね。
270考える名無しさん:02/02/05 02:54
>>269
孔明好き?
271無為:02/02/05 03:00
諸葛亮孔明のことですか?
272さら:02/02/05 03:07
池田昌子すき!
273無為:02/02/05 03:09
えー・・。
274池田晶子:02/02/05 03:10
なに?
275無為:02/02/05 03:11
>>274 あんた最近自分だけわかった気になってるだろ。
276池田晶子:02/02/05 03:14
>>275
本当はただのジェスチャーですけどね。
277実存主義者:02/02/05 03:16

 本人?
278無為:02/02/05 03:16
寄る年波には勝てんのか・・・。
279考える名無しさん:02/02/05 03:22
難しい言葉を使わずに哲学はできるか?できるよ。
だって昔から哲学はあるんだからさ。
「自分はどうしてここにいるの?」「自分が思ってるから」
はい。これ有名だけど、簡単でしょ?これも哲学。

難しいと感じるのは、言葉と自分に差ができた時だけ。後はイメージができない時。

言葉と自分の差は、勉強しだいで克服できるし、「置き換え」でいくらでも簡単な言葉にできる。
ただ、「置き換え」はちゃんと理解していないとできない。だからしないんだろうね。
難しい言葉を簡単な言葉に置き換え様にも、自分が理解していなければ、できないもん。
で、イメージが出来ない時は、こりゃ、もう、自分の体験と想像力を駆使するしかない。頑張れ。

とまぁ。良くわからんが、難しい言葉じゃなくても良い。
難しいのは、言葉じゃなくて、その本質を想像できるかどうかでしょ。
これは難しい。何かを考えるときに、イメージを持ち出しているのに、
そのイメージそのものを、更に細かくしてくれと言っているようなものだから。
表現するもとが無いんだよね。それを言葉に置き換え様とするから、
どうしても難しい言葉、もとい、普通の会話では出てこない新単語を作らざるを得ない。

ま、人間、楽な方に逃げ様と思えば、話を複雑にすれば良いって言う良い証明だよね。
将棋でもそうでしょ?
「自分の最善手がわからないときは、相手に判断を委ねるために、相手の選択肢の多い場所に打て」と。
哲学は、常に、他人に解釈を求めているから、ずっと難しいまま変わらない。
280無為:02/02/05 03:25
なぜ、他人に解釈を求めるのです?
281実存主義者:02/02/05 03:27
もりあがってまいりました。
282無為:02/02/05 03:28
実存主義者さんへ、生きるって楽しい?
283実存主義者:02/02/05 03:33

 テキトウ。テイ・トウワ。ただ、実存してるだけ。でしょ。
 無為自然さん?老子かいな。さぁ、みんなで考えよ〜う。
284無為:02/02/05 03:40
それで、いいの?
285考える名無しさん:02/02/05 03:46
>>280
哲学は何かに問い掛ける所から始まるから。
対象がいるのよ。別にそれが「他人」だろうが「自分」だろうが「神」だろうが変わらない。
286無為:02/02/05 03:50
>>279 「自分はどうしてここにいるの?」「自分がおもっているから」

 これはぜんぜん簡単じゃあないよ。
287実存主義者:02/02/05 03:50

 いいんじゃない?ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ、
 実存じゃ。
288考える名無しさん:02/02/05 03:51
>>282
楽しいと思うよ。実存主義って事は、自分の土台がしっかりしているって事。
不安定なものが無いわけだからね。そのかわり「言い訳」ができない。
んー。と言うか、大抵の「実存主義」は中途半端な「実存主義」なんだよ。
全てを実存主義な人がいたら逆に、教祖さまでもしているんだと思うよ。
だって基を見ていけば、きりが無い。きりが無いのに、その最初を理解してしまうんだから、
それこそ「神」が出てくるくらいじゃないと説明がつかない。
むしろ、一見「実存主義」に見える科学者の方が「これはこうなるから」と、
「本当に確実な土台」も無しの仮定の上で動いている。あやふやな意識なんだから。
289無為:02/02/05 03:52
寝よう・・・。
290クレタ島の住人:02/02/05 03:52
>「自分はどうしてここにいるの?」

立眩みを起こしたときにそんな感覚になるね。
291雪駄んた珍食え :02/02/05 04:50
>>25氏
了解。
>>無為氏
やるきあるの? ほとんど一行レスしかしてないじゃん。
ただのチャットなら、よそでやってたほうがいいなじゃないの?
>>266
お題がないので、もう一回貴方の話にもどしてみよう。
>例えば、「運動」について考えてみる。普通は「私は去る」と考えるがこれには
>誤謬がある。
”普通「私は去る」と考える”?
運動について考えるとき、「私は去る」と考えるだろうか?
まあそれはいいとしても、
「運動するもの」と「運動そのもの」という議論は
結局のところ、「考えるもの」と「考えること」と帰着する。
この分離を誤謬と不可避として簡単にかたづけてはならない。
そして彼いわく、「言葉の矛盾を問題にしている。」
本当だろうか?むしろ『「私」の運動』と『進行する現在』を分離して、
「運動そのもの」を問題にしているのは、彼自身ではないだろうか。
言葉の問題なら、なぜ「私は去る」といえるのか、また理解されるのかが
問題にされなくてはならない。日本語を営む日常生活において、
主語「私」と結びつく述語「去る」は、文として何を意味するかを
考えていない。彼が無意識に前提としているのは、「去る」という
動詞が述語となる時、「進行している運動を表す」ということである。
果たしてそうか。例:私は食べる。私は寝る。私は殺す。私は飲む。私は帰る。
ここから考えなくてはならないのは、「私」+「動詞の原型」は、
その動作へ向かう私の意志つまり、「宣言」に等しく、動作がまだ行われていない
ということである。したがって「私は去る」という文章に、誤謬を感じるのは、
運動を問題にしているからであり、言葉を問題にしていないからである。
ここがむしろ彼(不一)の誤謬なのである。

疲れた。続きはまた今度。

 
292雪駄んた珍食え:02/02/05 04:52
>>291
誤字脱字が多いな。
スンマセン。
293考える名無しさん:02/02/05 11:19
田中美知太郎の試みの後継者はいないものか
294不一:02/02/05 11:47
75殿
別に戻さずとも良い。“何度もいった”がこれ以上やっても主旨(空の論理)の誤りというよりも、
説明力不足のために誤解を拡充するだけだ。
…とはいっても貴殿以外にも御批判を賜ったので、とにかく以下に主旨を引用する。

 例えば、新幹線がもの凄い速さで走っていく、とふつうに言う。
今走っていない新幹線に対して、走っていくとは決して言えないに違いない。
しかし、既に走っている新幹線が、“さらに”走っていくであろうか。
もちろん、そんなことを意味しようとして、走っていくと言うのではないであろう。
そうすると、我々が「新幹線が走っていく」と言うとき、実は走っている新幹線を一度止めておいて、
それに対して、走っていくと述語するという、何とも無駄なことをしているのである。
 このように、あるものが運動する、という類の言語表現は全て矛盾を抱えており、
我々は世界の真実相を言い当ててはいないのである。
 (〜中略〜)主体と運動が異なっていれば、主体を離れての運動があり、運動を離れて主体があることになろう。しかし運動そのものだけがどこかにあるとは考えられず、一切の運動以前の主体が存在していると
見るのも問題である。
 一方、主体と運動は一つなのだと見れば、運動そのものが主体であることになり、矛盾を生じる。
両者は同じとみるべきでもなく、異なるとみるべきでもなく、主体や運動はそれ自身としては
成立しえないのである。
『「覚り」と「空」』竹村牧男 講談社現代新書p180〜

 私が、「私が痛みを感じている」と言うとき、私は痛みを感じているある人を指示しはしない。
何故なら、ある意味で私は、痛みを感じてる人が誰であるか全く知らないのであるから。
『「覚り」と「空」』p186 (『哲学的探求』第404節。黒崎宏・訳 
『「語り得ぬもの」に向って――ヴィトゲンシュタイン的アプローチ』勁草書房)

 たとえば、私自身が激しい“歯痛を感じている時”はたとえ「私は歯が痛い」と言うとしても、
“その時”私は歯痛そのものである。歯痛の他に「それを感じている私」などというものは
何処にも存在しません。……「私はしかじかのものを見ている」と“言う時”も同じです。
その時、私はその視覚“風景”そのものです。その視覚風景の他に「それを見ている私」などというものは
存在しません。
『「覚り」と「空」』p187 (黒崎前掲書)

ただし私は経験の瞬間(進行形の現在)に「何かを知っているということを知っている」という
自己認識が(記憶や予測の面から)必要であるという立場に立つ。

付け加えておくが、以前に貴殿が「フッサールの準現在化やデカルト批判」ではないかとしたときに
私は誤解だとしたが、誤解の意味はフッサールやデカルトを意識したものではない、という意味だ。
上の引用で主旨はフッサールを理解する力をお持ちの貴殿には理解されると思う。
295考える名無しさん:02/02/05 14:10
ひろゆきを国会議員に!
296考える名無しさん:02/02/05 14:11
難しい言葉って、哲学用語のことだろ?
だとしたら哲学用語使わずに哲学出来るかってことか。
無理だろ。
プログラミング言語覚えないでプログラム組んでみようって言ってるのと一緒じゃん。
297考える名無しさん:02/02/05 14:20
ぴゅう太の日本語ベーシックみたいなもんか。

10 カケ "イッテヨシ"
20 イケ 10
298考える名無しさん:02/02/05 14:23
>>297
そうだ。日本語ベーシックが分からん奴は、それが無限ループであることすら分かるまい。
299考える名無しさん:02/02/05 14:29
そうか? ニーチェやデリダの用語は何回聞いても人によって意味が違うが(w
300考える名無しさん:02/02/05 14:32
自然言語は人工言語のようにはいかん。ものの例えだ。メタファーだ。
301無為:02/02/06 02:05
>>294でいう「空」を竜樹の『中論』式に説明してみたいと思います。まず、
「空」の思想ではモノに実体を認めません。しかし、逆にモノは実体がない
からこそ存在できるのです。これが般若心経の「色即是空、空即是色」です。
これを294の新幹線を例にして説明してみましょう。この世に「新幹線」とい
う実体を持ったモノは存在しません。しかし我々は「新幹線が走る」「新幹線
が止まる」「新幹線が故障する」というように、どんな述語をも受けうる「実
体」を持つ新幹線を想定します。これは、しかし、誤った表現で、「新幹線が
走る」という時の「新幹線」はすでに走っている新幹線なのであって、走るこ
とから独立した新幹線などないのです。「新幹線が止まる」という時も同じで
す。「AがBする」という時の「A」は、「Bする」と表現される前にすでに「B
しているA」としてのモノとして存在するのです。だから、その「A」にまた、
述語として「Bする」と続けると、「Bする」ということが重複してしまうとい
う誤謬を犯すことになるのです。しかし、これを逆にいえば、「新幹線」は
「00している」という状態で限定される以外我々には認識不可能な実体の無
い存在だということになります。我々は新幹線をつねに、いかように存在する
モノとして認識するのであって、そういう限定を離れた純粋な「新幹線」など
はないのです。これが可能なのは、そもそも、新幹線が実体を持たない存在だ
からであり、実体が無いからこそ、さまざまな実体として捉えうるのです。ま
さに「色即是空、空即是色」ですね。竜樹はこのことを帰謬法を多用して説明
します。すなわち、「行くものは、行かず」(漢訳「去者則不去」)という表
現を使います。これは「行くものは、行く」という表現が誤謬を含む言い方で
あることを意識させるために使ったものです。「行くもの」はわざわざ「行く」
と改めて言わなくてもすでにその中に「行く」ということを含んでいます。それ
なのに我々は動作の主体を対象化するために、「行く」から独立した「行くもの」
を想定するのです。しかし、それは言語のもつ虚構性であり、実際の存在ではな
いのです。言語は実体の無いモノを実体化して表現するので、それにとらわれな
いことが大切です。言語は「空」であるなにかを実体化することで、対象をとら
えたつもりにさせますが、その実体はあくまで「空」であり、実体を持ちません。

302無為:02/02/06 02:18
 長文新記録・・・。あんまり内容がないが。
 
>>291 雪駄んた珍食えさん、どうでしょうか。

 やる気はあるんだけど、この時期忙しくてね・・・。スンマソン。
303 ◆LBPIkmpA :02/02/06 02:49
>>300
ひどすぎるメタファー・・
304クロウシテマニヨン人:02/02/06 10:36
>>296
どうかな。
たしかに、PCはマシン語でないと動かないが、人間は、外語でも、符牒(2ch語)でも「動く」。マシン語は、概念に相当するんじゃないか?
(「喩え」にマジレスしゅまんの)
305考える名無しさん:02/02/06 10:41
長文にこだわりすぎだな…正直読むのが大変。
それにしても、長いなら長いなりに、改行をちゃんといれようよ。
ただでさえ、読みにくいのだから、読んでくれる人がいなくなる恐れもあり。
306ポテチ:02/02/06 12:58
>>296

哲学用語を一般用語に展開すりゃいいだけやん。

オマエが言ってる論理をそのままあてはめりゃ、機械語知らなきゃプログラム組めないってことになるぞ。
307考える名無しさん:02/02/06 13:10
>>296
そもそも哲学用語と言うのが何か教えて欲しい。
それは哲学者の歴史や言った言葉の事か?
それとも、別に「日本語」などの類で「哲学語」と言う言語でも存在しているのか?
308無為:02/02/06 13:11
>>305 私に対する批評ですか? もしそうなら、どうもすいません。
 そして、感謝します。他者からの批評は表現技術を磨く訓練になります。
  どのへんが読みにくいのですか。よかったら教えてください。
309考える名無しさん:02/02/06 14:12
はあ?テクニカルタームはどんな分野にあります。
別に学問に限らず、どんな社会にでもあります。

別に哲学だけが難しいだけじゃないでしょう?
この手の議論てやり尽くされているから不毛なだけだよ。
310不一:02/02/06 17:49
>無為殿
>>301御見事はです。私も無為殿のような理解力と説明力を身に付けられるよう精進していきたいと思います。
それから、中国哲学スレの方見ました。『中論』の方頑張って下さい。
311考える名無しさん:02/02/06 18:51
正直俺に>>301の発言は手におえない…。
すごいよ。すごい書き込みだ。じっくり読めばわかるのかもしれないけど。
じっくり読む前に、疲れてしまう。のんびりと読みます。
後、改行と一行開けを使って欲しかった。
それだけで読みやすさはずいぶん違うので…。
312考える名無しさん:02/02/06 22:45
>294、301
再帰動詞のある言語を習うとき
一人称の説明を怪しく(?)感じるのに似てる。
313雪駄んた珍食え:02/02/07 00:17
>>無為氏
なんか、無理やり書かせたみたいで申し訳ない。
非常にわかりやすいと思います。

>>294(不一氏)
ご説明どうも。空の論理は、無為氏の文の助けも借りて
わかった気にさせてもらいました。
ちょっとスレテーマからはずれていわせてもらうと、
ある文における主語の概念は、対象そのものの内容を含んでいる
にもかかわらず、その主語の可能様態として重複して記述される
ことが不可避であり虚構ということなのでしょう。
またそこから、真なる実態を反映できないという空の論理となる。
こんな感じかな?
後半の感覚の描写に関する問題をとりあえず後においておくとして、
今はこの問題をもう少し深く掘り下げたいと思う。

あるものが把握された時、把握されたもの(対象)と、
その把握そのもの(概念)が同一であると考えるのが
一般的思考なのだとしましょう。対象−概念−記述または言述の関係、
つまり把握されるものが、言葉や感覚を通して概念化され、また
それが言語として表現される時、それぞれの段階で変容をともなう
という視点は、前述の一般的思考に反対することになる。
また、主語の内容が述語によって二重に示されるということから、
主語が意味的に「空」になるというのは、確かに一つの論理でしょう。
しかし、もう一度考えていただきたいのは、
「新幹線は走っている」は、
「(走っているという意味を含む)新幹線は走っている」というように、
【言葉の使用の上で】理解されているわけではないということです。
記述されることにより、意味が満たされるというだけでなく、その文の使用において主語に
含まれていると気付かなかった意味を知ること、また「それがそうである」
ことを確認するなどの、別のありかたや理解可能性を含んでいると
いうことなのです。それは、いうならば、言語は実態の反映しようとする
(ある意味で虚しい)機能と共に、言語そのものを言語で理解するという
機能があるということです。その言語における使用局面は、空の論理では
内包しきれないということが私の批判内容。

(ちなみに、私はそんな理解力があるほうではないので、
かいかぶらないで頂きたい。)
314考える名無しさん:02/02/07 21:06
実は哲学板の人って長文が目立つけど、
博識な人が多い板なの?それとも、実は只単に理屈っぽい人が多いだけ?
はたまた、短い文章にまとめる事のできない人が多いの?

書いてある内容は自分には参考になる事ばかりみたいなので、
楽しく読ませてもらっているけど、レスがつけばつくほどに、
長いので、時間がかかって疲れてしまう。
最後の方は読み飛ばしてしまう時もあるので。

まぁ。なんにせよ。この板の人の発言は好きです。楽しいので。では。
315無為:02/02/08 04:54
>>313 言葉の運用と言葉による認識のカテゴライズとを峻別しよう。「空」は
  言葉の限界を説くが、言葉を否定するわけではないのです。
  「言語における使用側面は、空の論理では内包しきれない」とはどういう
  ことでしょう??

>>314 あなたもご参加ください。

316あべし:02/02/08 05:34
>>300-315
ここいらの人間の方。レヴェルが低下しますので株式板にでも逝ってください

かしこ
317考える名無しさん:02/02/08 05:44
バーブーバーブー
ママ、ミルク!
318考える名無しさん:02/02/08 06:01
>>313

まだ、よくわからないのです。
1 たとえば大震災後、アメリカ人が日本人に復旧状態を電話で尋ね、日本人から「新幹線は走っている」と報告を受けたとき、その新幹線は「(走っているという意味を含む)新幹線」ではないような気がするのです。
2 おなじく「白地に赤を塗る」とき、白地に「塗る」は含まれていないように思うのです。
319考える名無しさん:02/02/08 06:58
>318
もうちょいわかりやすく書いて。
320考える名無しさん:02/02/08 07:25
おまえ、それマジレスか?
わかるやろ?
新幹線に、走るいみが含まれてないこともある、ゆーことちゃうんか?
白い旗に、赤やら、赤を塗るやら、塗るやらは、含まれてないわなぁ?
(よくわかりません、いうて書いとうもんをいたぶんな、ヴォケェ)
321考える名無しさん:02/02/08 11:14
くえーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!
322無為:02/02/09 01:22
>>318 「新幹線が走っている」と報告を受けた時、その新幹線は「(走っている
  という意味を含む)新幹線」ではないような気がするのです。

  そういう気がすることがあるように感じるのは自然です。しかし、ここで問

 題なのは、そういう意味で使っているということではなくて、すべての述語を

 受けうる、逆に言うならば、なんの限定をも受けない「新幹線」の存在を自明

 のものとして新幹線という言葉を使っていることなのです。「新幹線というモ

 ノ」が存在するには、必ずなんらかの限定、たとえば、運動、色彩、重量など

 を持たなければならないのです。ですから、純粋に「新幹線」という概念だけ

 の存在の新幹線は存在しないのです。

  だからといって、言葉をないがしろにしろというのではなく、言葉とはそう

 いう限界のあるモノであると自覚することが大切だということです。言葉の持

 つ限界を知ったうえで、あくまでそれを、真理を伝える手段として洗練させる

 のは非常に大切なことだと私は思います。
323あちょー:02/02/09 03:27
新幹線 新幹線て
ただ新幹線に乗りたいだけちゃうか
324考える名無しさん:02/02/10 03:16
>>323
「新幹線 新幹線て ただ新幹線に乗りたいだけちゃうか」
ということによって、ネタふってるだけちゃうんか


325雪駄んた珍食え :02/02/10 05:24
>>315
内包しきれないという言い方はまずかったかな?
「空の論理」の見方は、言語の本質的側面である、
「媒介」というものを軽視することにつながるということです。
(もちろん、言語の限界性を踏まえた上でも)

>純粋に「新幹線」という概念だけの存在の新幹線は存在しないのです。
実在はしませんが、概念として存在は可能では?

  

326ヴィト:02/02/10 05:29
たんつぼにたかるハエ・・・
327私はウソが嫌いだ:02/02/10 05:32
 このスレおもしれー。
理系の人も哲学を学んで欲しいスレ
ttp://ebi.2ch.net/test/read.cgi/rikei/1005407688/l50
の文系の人も見習って欲しいぞよ。
邪魔してゴメソ。続けて、続けて。
328ふいつ:02/02/10 13:54
>雪駄んた珍食え殿
「言語の使用」についての御指摘は、(理解力不足なので誤解している可能性が相当ありますが)
言語使用の実践の問題でパロール等と関連する問題領域でしょうか?
とすると「実践としての自己」、「変化の過程としての自己」、「〜しつつある自己」といった
身体論とかのような問題領域なのでしょうか? としても私の知識では・・・

上の御指摘から外れますが、私は単に変化の過程として世界を、
言語や認識は限定的にしか捉えられない、そしてそれが不可避で、
逆にいえば限定的なものしか実は体験してないから
そこから逆算して変化の過程・あるがままの世界を想定することが
不可避なのではないか、という程度のことしか考えていませんでした。
329あちょー:02/02/10 18:44
このスレで難しい言葉を使った人は反抗期ですね
330純丘:02/02/12 16:19
哲学はともかく、経営学では露骨に、
 ヒットタームをつくったヤツが勝ち、という傾向がある。
  たとえば、ブランドエクイティ、とか、フロー経営、とか。

これは、実体が実在して認識されたのではなく、
 新しいタームの下に、みんなで多様にこれを経営として具体化する。
  まあ、その結果、たいていばらばらになって次の語に乗り換える。

しかし、哲学においても、多分に同じ傾向があると思う。
 デヴィットソン、っちゃ、みんなでケンケンガクガク。
 ろーるず、っちゃ、みんなでケンガクガク。

もちろん、ある程度のタネは必要なんだろうが、
 概念は、むしろその引用的使用の集積によって作られるのであり、 
  「難しい言葉」なしだと、すくなくとも哲学の業界は成り立たないかも。
331一票:02/02/12 16:50
                    
332考える名無しさん:02/02/13 00:28
>>330 純丘さまご降臨!!!
333考える名無しさん:02/02/13 01:36
>>330の純丘さん
>デヴィットソン、っちゃ、みんなでケンケンガクガク

ケンケンゴウゴウでは。
ガクガクならカンカンガクガクでしょ。
334考える名無しさん:02/02/13 02:01
低教養の人間に哲学はできないと言うのと同じか?>>1よ。
それは違うと思うな。人間である以上、哲学はしている。
別に哲学するのに難しい言葉を知らないとできないってわけでもないだろ。

問題は、それを他人に伝える時でしょ?
伝える時には難しい言葉を知らないとできないのかもしれない。
自分の中だけで哲学をする分には知らなくてもできると思うよ。
335考える名無しさん:02/02/13 02:20
ケンケンガクガクage
336考える名無しさん:02/02/13 04:21
まじむかついたチョコくれ
337考える名無しさん:02/02/13 04:24
>>334
それは妄想なんですよ。
338考える名無しさん:02/02/13 06:57
▼補語による限定余地が
あれば主格は無限定に?

▲名辞自体に既(成)限定が
あれば、限定性は確保され、
述部は不要に。または、それ
は2次的(加算・余剰)意義に?
339考える名無しさん:02/02/13 07:16
自分のために言葉でまとめてはっきりさせるってことはあるでしょ。
その為に材料はたくさんあった方がやりやすいってことで、難しい言葉は知っておいても損はない。
馬鹿が覚えると返ってものがわからなくなったりしそうだけど。
340考える名無しさん:02/02/16 00:17
あげます。続けてー。
341考える名無しさん:02/02/16 01:06
ケンケンガクガクのせいでこのスレは死にました。
やはりしっかりと勉強しなければならないということです。
342考える名無しさん:02/02/16 01:17
えーそうなの?純丘めえ!!
34325:02/02/20 04:51
急な私事で離れている間に変化あったみたいで、
いまさら書き込むのは気がひけるのですが、
恥の多い人生ですので、恥の上塗りします。

>294から
> 「新幹線がもの凄い速さで走っていく」
新幹線に力点をおいた考え方では皆さんが為されているし、
そちらの先に話を進めるのもいいのですが、
この部分で自分なりのもっと単純な見方をしました。

> 我々が「新幹線が走っていく」と言うとき、実は走っている新幹線を一度止めておいて、
> それに対して、走っていくと述語するという、何とも無駄なことをしているのである。
もっとも単純に感じたのは「いく」と言う言葉、
これは「行く」と解釈したのですが、
不一さんは 「静止状態から動き出す」 意味で述べていますが、
既に運動状態にあり、去りつつあるものを「行く」と表現してはいけないのでしょうか?

換言して、「行く」は「静止状態のものが動き出す場合」に限定して使わなくてはいけないのか?です。

自分は「行く」の用法にアバウトなので、限定しなくてもいいという考えです。
ゆえに、この例では問題意識が無い、ということです。
参考用インフォ「行く」
http://jiten.www.infoseek.co.jp/Kokugo?col=KO&pg=result_k.html&qt=%B9%D4%A4%AF&sm=1&lc=3&lp=0&svp=SEEK&item=MAIN,NODE,398276

運動中の新幹線を「新幹線が走り始めた」と表現すれば、多少の表現上の不備を感じますが。
でも、多少です。場合によってはこの表現もありえますから。

34425:02/02/20 04:52
若干、板違い(スレ含む)を感じたので、別話題。

言葉と認識を哲学的にもっと突っ込むのも面白いのですが、
哲学を抜きにしても、言葉とは「共通認識を得るための道具」としての役割が大きいと自分は考えています。
少ない言葉で相手の理解を得られれば良いのですが、
誤解を生みそうな気がして、ついつい説明過多になってしまい長文化してしまいます。
少ない言葉でずばりと核心をつけるといいのですが、
駄長文でピント外れなことしか書けない自分では、それに憧れるだけです。

スレ主旨にも関連して、道具としての言葉が一般に使われているうちで、
使われ方(言葉の示す意味内容)があいまいになり、
限定した意図を表現したい時に既存の言葉では出来ない(誤解を生じる恐れが高い)、
あるいは従来の言葉に無かった意図を表現したい時に、
哲学専門用語を用い、それに限定した意味を与えることにより、
曖昧な表現よりもより正確に自分の意図を伝えることが出来る。
でも、逆にその専門用語を網羅しておかないと、相手の意図を理解できず、
それが哲学の敷居を不必要に高くしているのではないか?
だから、国語辞典に載っているような言葉だけで、哲学(の真似事でも)出来ないか?

あるいは、読書量を競う「知識勝負」ではなく、
知識を規制した「知性勝負」が出来ないか、と言う考えもあります。

自分はこのスレの主旨をこんな解釈で書き込んでいるけど、
根本に戻って、この主旨自体の成否を考えてみるのも面白いかも?
否定派の人、意見よろしく。
その際、「高度に専門的な話が出来ない」は却下させていただきます。
自覚済みですので。

あと、議題として「言葉と指示内容」「認識と実体」とかに関してもよろしく。
345無為:02/02/20 06:31
 んー、そうですねえ。何日もかけて自分で考えたことよりも、より高い完成度
で同じことを記述してある哲学書なんかを読むとうれしくも、残念でもあります。
一から言葉を定義しつつ論を進めて行くと言うのが望ましいけれども、たいへん
時間がかかってしまう。でも、知識を規制した「知性勝負」はおもしろいとは思
いますねえ。自分がその任に堪えうるとは思わないけれどね。

 いま、一年で最も忙しいんだ。しばらく書けない。
346139:02/02/20 06:35
無為くん
朝早いね
347無為:02/02/20 06:37
これから寝るのだ。
348考える名無しさん:02/02/20 14:30
知性勝負って哲学なの??
349考える名無しさん:02/02/20 16:43
>>348
大抵その領域に踏み込むことになる。
350哲学ワカラン人間:02/02/21 20:02
>1
簡単な言葉でわかりやすく哲学する。
それが名言ってもんじゃないのか?
と思いました
351考える名無しさん:02/02/21 20:12

>>1

賛成。小学3年生くらいで、相対性理論や量子論や
構造主義や現象学がすべて分かるような説明をしてほしい。
エリートにしかわからない学問なんて屁=ノイズでしかない。

352考える名無しさん:02/02/21 21:13
屁の中で生きるしかない。
353考える名無しさん:02/02/21 21:39
>>1
賛成、オッカムの剃刀で、真実はシンプル。
だから説明する言葉もシンプルであるはず。
それから、バカな俺に読めない漢字は止めて欲しい。
354考える名無しさん:02/02/21 21:54
誰か文才ないけど頭いいやついないのかね?
355考える名無しさん:02/02/21 22:47
生きるっていいよね。たまに嫌な時あるけど。
35625:02/02/22 00:32
無為さん以外あまり賛同得られてないみたい・・・
その無為さんも忙しいか、ちょっと悲しい。

「知識勝負」「知性勝負」と言葉をかっこつけすぎかもしれなかったけど、要は
「この本読んでないような奴は話にならん」
「こんなことも知らない奴とは話にならない」
みたいなのは無しにしてもらって、
極論、哲学関係の知識ゼロの人でも、
このスレだけ読めば参加できるようなもの目指したいんですけど、
スレ立てたわけでもないのに一人で喚き続けるのも鬱だなぁ。

あと、自分は1ではないし、多分1は立て逃げだろうと思っているので、
1に向けて書いても無駄な気が・・・(大半ネタは解ってるけど)

>348
表現悪いですかね?
専門知識の無いことを前提とした哲学(的試み)、
ゆえに知性が前面に出るのでは?と言うつもりなんです。
多分349さんは、専門知識を要する哲学でも、
進んでいけば知性が最重要になるという意味でしょうけど。
既存の知識だけでは、その執筆者のコピーにしかなれませんから。

このスレでは、そこまでいけるとは思ってませんが。
357雪駄んた珍食え :02/02/22 07:36
なんか、ここんとこ忙しかったんで書き込んでなかったけど、
このスレ終わりそうなの?

>>328
身体論なんて、念頭においてませんよ。
そんな専門的に考えなくても、いいのでは?
俺なんて浅い哲学史の知識を念頭に置いてるだけですから。

>上の御指摘から外れますが、私は単に変化の過程として世界を、
>言語や認識は限定的にしか捉えられない、そしてそれが不可避で、
>逆にいえば限定的なものしか実は体験してないから
>そこから逆算して変化の過程・あるがままの世界を想定することが
>不可避なのではないか、という程度のことしか考えていませんでした。
いや、無為氏にも分けて考えた方がいいといわれたし、俺の反論が
検討違いであるという反論ももちろんありかもしれないですが、
不一氏は、言語における認識の役割のみを取り出そうとしていた
印象をうけるので。交信の役割もあるでしょ?っていいたかっただけです。
もちろん、テーマが言葉と認識なんで当たり前なんだけど、
その実態の反映が不可能と言う視点からのみ考えてしまうのは、
なにか、腑に落ちなかったんですね。交信から生まれる認識作用も
かんがえていいのでは?ってことですね。
でも、社会習慣の体系としての言語と個人の「言」との違いを踏まえて、
その違いから「言」に自己の実践活動・固有性を見出すなんてことは
念頭に置いてません。
いや、置いてもいいとはおもいますけど。俺が置いてないだけです。
まあ、ほりさげると、らんがーじゅとか、UGの話になるのでしょうか?
あるいは、哲学史をなぞるのでしょうか?俺も知識不足でわからないっす。

358哲学ワカラン人間:02/02/25 22:32
それはそうと、ここの板は長文多いな。
どのくらい長い文章をかけるかで優劣を決められてそうな勢いだな。
ただ、哲学って『何故?』っていうのを調べることだと思うのね。
で、それの答えがあまりにも難しいから、長文が多くなるのだと思うのだろうけれど・・。
・・・と、言ってる俺も長文ですね、スマヌ
35925:02/02/27 02:22
議題貰えないと書き込み難いんだよね。
ふいつさんと雪駄んた珍食えさんのやり取りは、不勉強な身では参加し難い(恥
358で指摘されたんで、あっさりにします。(あれコピペ?)
360無為:02/02/28 01:15
議題要求age
361考える名無しさん:02/02/28 02:12
言葉を使わずに哲学はできるのか?
362:02/02/28 02:15
蓮実重彦にこんなこといったら・・・・・
例の「それはあなたがバカだからです」といわれるよ。
363某スレ387:02/02/28 04:15
>361さん
俺にふってる?
関係ないな、すまん。
364考える名無しさん:02/03/01 21:25
言葉とは意味のすり替えに過ぎず。
難しい言葉も、当然の如く、平易な長文に訳す事ができる。
会話をする以上、そこに有限の時間が存在し、
相手がいるので、どうしても、難しい言葉で効率良く会話をしなければならない。
でも、個人でする文には、むしろ、
誤解を招きにくい平易な長文の方が理解はできるのだと思うのだけど、どうだろう。
正直、哲学は苦手。それに、難解な文章が多すぎると思う。
辞書を引いてみても、難解な単語になればなるほど、
言葉のすり替えが多くなってくる。

例えば、「幸福」・・・不自由や不満もなく、心が満ち足りている・こと(さま)。しあわせ。
これは言葉のすり替えに過ぎない。
でも、それに変わる一番良い説明も自分には思いつかない。
やっぱり難しいね。説明は。
途中から少し検討はずれで稚拙な文章ですまん。
36525:02/03/02 06:01
>364さん
書き込みありがとう。
張り切って書きます。(笑

言葉に対する捉え方が自分は微妙に違って、
言葉とは 「世界を分けていく」 事なんです。

見てないかもしれませんが、TV版エヴァンゲリオン25話で
完全に自由な何もない世界に、線を引くことで地面が出来る。

あのイメージの延長で、線をひいて空と地面に分けた。
その空を、「青空」「雲」「太陽」「夜空」と細分化していく。
地面を「土」「コンクリート」「意思」「草」と細分化していく。
自分と他人を分割する。自分を「心」と「体」に分割する。
体を「頭」「胴体」「手」「足」と分割していく。
体の動きを「歩く」「走る」「曲がる」「止まる」「屈む」「ジャンプする」と細分化する。
心へ動きを「見る」「聞く」「嗅ぐ」「触る」「味わう」とわける。
心の動きを「考える」「感じる」「エトセトラ」と分けていく。

日常レベル、私的水準で国語辞典レベルでの分け方で普段生活しているのですが、
まだ分け方が大雑把であり、言葉の示す内容が大きすぎる、
換言すれば、現状の言葉の示すイメージの中の極一部だけを使用したい時、
あるいはまだ分けられていないイメージを使いたい時、
既存の言葉で回りくどく説明するよりも、新しい言葉でそれを定義してしまう。

それらは一見すると「難しい言葉」なのですが、
そのイメージを共有する人たちにすれば、意味の限定された、
普通よりも扱いやすい言葉になっているのではと思います。

言葉の意味するところを言葉で説明できるかは、イメージできるかになるのかもしれません。
これは過去に指摘されています。

ちなみに自分は、専門用語を正しく理解しているか(正しくイメージしているか)自信がなく、
専門用語の飛び交うスレを読んで意図がつかめない時、
「自分の理解はどこで間違っているのか」と悩んでしまいます。
で、そのイメージの面での誤謬を心配しなくても良いこのスレが気に入ってます。
が、あまり活発でない(笑

疑問・反論、あるいは議題等あればよろしく。
36625:02/03/02 06:18
訂正と追加

13行目
>地面を「土」「コンクリート」「意思」・・・「石」の間違いです。

>364さん
特に「幸福」の場合、言葉の示す意味が大きすぎるのが問題ではないか、
と自分は考えています、ということです。(うわっ、下手な文だ)
367無為:02/03/10 03:16
>>365 は知覚対象だけ挙げているが、抽象概念はどう分節化するの?
   例えば、何を分節化したら、「愛」とか「善」とかになるの??

定期age
368考える名無しさん:02/03/10 04:09
>>367
特に近い概念だと、概念と概念の間に区別があると知ってても、識別できるかは別問題ですし……
369考える名無しさん:02/03/10 04:43
例えば色を想像して、そこから延長(長さ)を取ってみると色が成り立たない
だから、色を成り立たせるのに絶対的にものとして延長がある、
という具合に愛や善についてもやってみたら?
370考える名無しさん:02/03/10 05:17
369の続き。
でも問題は、長さを持たない色というものはありえないから色にとって延長(長さ)は絶対的なのだけど、
延長もまた同じように絶対的に必要な要素(必須の述語要素)を持っていて、それにも同様に必須述語が・・・
という具合に、辞書とかで根本的で基本的なこと(例えば数字とか文法とか)とかで
AはBです、BはCです、CはAです、みたい説明なってることがあるけど、
あれと同じで無限にループしてしまうことと、もう一つの問題は、
必須述語要素として、上に挙げたような「色にとっての延長みたいな要素」とは別に
25さんがいってるような、「A=非Aの否定」(例えば、牛は牛以外の否定)という意味合いでの
色とは「色以外の否定」という絶対的に必要な要素も持ってると思うんだけど、
これらの関係がいまいち分からないんだよ・・・
ただ根本的で基本的なことになればなるほど、「A=非Aの否定」の方向が強くなるように思うんだけど。
複雑なこと(例えば色に対しての赤とか青とか、あるいは色の付いている壁とか)は、
「A=非Aの否定」で確立されたAにあたるものを組み合わせたものってことかもしれない。
でもこの発想だと、全てに根源的で基本的な必須述語要素(つまりはイデア)を想定することになるような気もする。
でも上でかいたように、色にとっては延長が必要で、延長にも同じように必須述語要素がある、という具合に、
ループしてると思うから絶対とかではないと思うのだけど。
371考える名無しさん:02/03/19 20:26
素朴な疑問なんですけど、
「順序(順番)」ってどういう意味ですか?
372考える名無しさん:02/04/16 08:21
>>371
さあ
このごろ厨房と言う言葉をトンと聞かなくなった。
そこらじゅう電波しかみあたらん。
このスレが倉庫逝くのもしかたあるまいな。
374考える名無しさん:02/04/17 03:34
>>373
ちょっと待った!
375考える名無しさん:02/04/17 05:40
三浦つとむ著『哲学入門』を読んでみよう。
376371:02/04/17 15:02
>372
さあ…って書き込む必要があることなのかな?
>373
だったら「順序」考えてみませんか?
>375
その本に載ってるのですか、順序の意味が。

その辺の辞書を見たところ、
「順序」の意味は「あとさきの関係」だそうです。
「あと」や「さき」という概念自体「順序」から生まれたのではないでしょうか?
何かの関係だとは思うんですが、うまい言葉が見当たりません。
自分の考えとしては
「不可逆的な移動の関係」あるいは「それが可能な状態」
なんですが、もっとよい意見は何かないでしょうか?
377考える名無しさん:02/04/17 15:12
>>476
余計分かりにくいよ
378考える名無しさん:02/04/17 15:17
さあ>>476まで消費するか!
379371:02/04/17 21:35
数の数えを考えたとする。
1,2,3・・・
他者や他者とのやり取りを通じて数えを学んだとする。
数字と数そのものの関係は直観であっても構わない。
「1と2の順序関係」もこのときに生まれるのだろう。
けれどもこのときの1→2が結ぶ不可逆な順序関係「→」も
このときに学ぶのだろうか。
逆に数えよと命令すると「…2,1」と数えるとする。
「1と2の順序関係」は逆になるが2→1が結ぶ
順序関係「→」はそのまま継続される。これが
数とは別の場所にある「順序」の正体に思える。
>377
余計分かりにくいかもしれないけど
「不可逆的移動関係」でも構わないってことですかい?
380レスのしようがない:02/04/17 23:28
371氏は順序の何を問題として考えているのか
いまいち理解できないんだが。
381371:02/04/18 00:11
>380
このスレは難しい言葉を使わずに考える趣旨なので
順序や順番という言葉、そのありかたを聞いてみたいと思ったのです。
そこでは順序という言葉やそこから生まれた言葉(あと、さき)などを
できるだけ使わないようにして表せないものか、と考えているのですが。

順序概念を苦も無く使っているとすれば、カテゴリーに近く感じるし
実際、不可逆的移動「関係」とか、それが可能な「状態」というのは
カテゴリーを通じて表しているような気がする。そうなのでしょうか?

親子、数の数え、ヘスの法則、音符の並び、ロシアンルーレット、四季。
順序の意味はどういった位置付けをされているのでしょうか?
382考える名無しさん:02/04/18 05:14
アト、サキが先行すると思うけどね。
順序のあとにあと、さきが出てくるというのは
どうも観念的な演繹だと思う。
  
空間的、身体的なシェーマとして
前と後ろがある。人間の歩く方向は後ろから前である。
そこから順序がでてくる。
 
順序、というのはより単純な概念であっても、
より抽象度の高い概念であり、「アト」から
来るものだと思うけどねえ。
383KUVRVIFV ◆0g4M/Tpg :02/04/18 05:56
<<順序について>>
●順序の数学的定義:
http://www.graco.c.u-tokyo.ac.jp/~kashiwa/sysI/2001/order/node3.html
●順序の概念獲得の過程について:
ピアジェ「意味と論理」など

384KUVRVIFV ◆0g4M/Tpg :02/04/18 05:56
感覚から広がるもの、例えば奥行き知覚、物体の形状認識のことだけど、
その広がりのうちにのみ概念は獲得される。
概念ということで大事なのは、二つの概念の正確な区別ができないようで、
物の名を通して区別できたりするということであって、
そうした、人間により捏造された区別のうちに、
物の本質を見てしまったりするということだ。
このように後天的に付加された意味のうえに、
世界認識が成り立つと考えるのだけれど、
そのばあい順序といったものは捏造に過ぎないことになる。
一方、神経生理学的に順序が決まってくるのであって、
上のような哲学的説明は誤りだとする意見もあろうが、
じつは神経生理による捏造のことを上で言っていたのであって、
哲学で説明するか神経生理で説明するかの違いにすぎない。
385無為:02/04/18 06:23
復活してるねー。
386考える名無しさん:02/04/18 13:01
難しい←て何て読むの?
どういう意味?
僕厨房だから分かんなーい
387371:02/04/18 22:30
ご意見を頂け有り難く思います。

>382
>順序よりアト、サキが先行する。
自分も逆はあり得ないか、と考えましたが
同時に存在する順序関係を考慮すると少し色合いが変わるように感じます。
ヒエラルキーの問題。下手な例ですが会社。会長、社長、専務、部長…
性質や役割を伴って同時に順序が成立する。もちろん数にも言えます。
この場合は「数の数え」ではなく「数の並び」なのですが。
そうすると383に絡むのでしょうか。

>383
予備知識と思考力が足りなくて殆ど未消化。鬱
視野を広げて頂けて幸いです。

>384
順序概念が捏造である、そう思います。
時間も捏造だと思います。個別のシチュエーションから認識を始め
生まれるのが概念。恐らくあるのは単純な事柄のみ。
順序と時間が絡むと「変化」という考えができそうに思えます。
ここに「アト、サキ」が思考できると感じるのは安易でしょうか?

>385
 きわどい時間ですね。

>386
 多分「難しい」と読むんだと思います。
 意味はありません。
 その言葉を使って会話が成立すれば問題ないでしょう。

時間や空間的に順序を捉えると「移動」や「変化」の関係を有し、
それ以外に個を離れた順序は「集合」の様態を呈す?
うーん。難しい言葉増えてきたな、こりゃ
388考える名無しさん:02/04/19 00:31
このスレにいた「雪駄〜」だけど復活してるね。無為氏も久しぶりだ。
>>387(371)
原因、結果の関係を順序概念に中でどう位置付けてるの?
389ホフマン:02/04/19 01:24
孔子は難しい言葉で話す人は頭が良いとはいわないって言ってなかったっけ?
390考える名無しさん:02/04/19 02:30
物事が無い場合もちろん原因はない。しかし有る場合にも原因はない。なぜなら既に有るなら、わざわざそれに更に原因や条件など必要ないから。
原因がないなら結果もない。結果とは原因や条件と比されて成立するから。
「原因や条件や結果」と「物事」を互いに完全に別々の独立したものと考えて、それが一緒になるとか別だとかと考えるとおかしなことになるらしい。
この論法(←伝聞)はそのことを示すためのものらしい。ってあんまし関係ないか。
391カオル:02/04/19 20:58
『順序』の説明終わりですか?

>25さんの説明が聞きたいな。一番分かりやすい!

【お題】

空間(の広がり)と時間(の方向性)とモノ(の個別性)を

『世界(この世のあらゆる事象)』を認識するための基盤となる『属性(本質的な性質)』として、

『了解(納得し共感)』した場合、

それぞれの、あるいはそれぞれの内部における『相対的』な関係性によって、

それぞれの、あるいはそれぞれの内部における『区別』の認知を可能にする概念のひとつ。


以上を還元?したら何という『単語』になるのでしょうか。
392考える名無しさん:02/04/19 21:11
『アルゼンチン タンゴ』 !
393371:02/04/20 00:01
>388
因果と順序について思うところを述べます。
順序概念に因果は含まれない、というのが今の考えです。
因果(原因と結果)がもつ関係性と、ここでいう順序がもつ関係性は
同立(並行する)位置にあると考えているので、包含関係は一概には言えないと思います。
下手な例ですが「りんごが落ちる」を考えた場合、
「木から離れたりんごは地面に落ちる(因果)」と捉える人もいれば
「木から離れたりんごに地面が近づく(因果)」と捉える人もいるでしょうし、
「それ以外のことが起こっている(その他)」「何も起こらない(疑い)」などもあるでしょう。
本当は何が起こっているか、と考えることはとても難題に感じます。
けれども人は因果律というやりかたで側面を捉えることができる(してしまう)。
似たように単なる順番ごととして側面を捉えることも可能に思えます。
もちろん順序的な見方や因果的な見方を鋳型として、因果の中での順序、
順序における因果という複合的な捉え方はできる、とも思います。
394371:02/04/20 00:02
>389
それは難しいと感じる人とそうでない人が話す場合に出てくる問題に思います。
孔子は頭がきっと良かったので、そんな状況下での心得を説いたのでは?

>390
上にも書いたのですが
因果は出来事に対する「見え(見栄え)」の一種だと思います。
395371:02/04/20 00:05
>391
説明になっているとは思いませんがおさらいしてみます。
お題はこのあと考えてみます。

【一般的な順序】
数を数えたり、ある状態が別の状態に変わる際その関係を保っている主体。
例:「1の次は2…」「朝、昼、夜」
イメージとしては、順番を言うとき1を数えるとき1にライトが当たり
その次に2を数えるとき2にライトが当たり…このときの移動そのものが順序。

【特殊な順序】
一般的な順序を可能にさせる配列としての総体(集合)。
例は、恐らく直観なので例は無いです。強いて言えば数の並び。
色んな出来事に順序としての「見え」をさせてしまう力。
関係そのものなので言葉に出来ない。

あやふや、間違っている点がありましたらご指摘をお願いします。
また他のかたの意見も聞いてみたいです。
読みにくくて申し訳ない。
396オコジョ:02/04/20 00:19
順序というものは、ある特定の二次元的空間における時間軸の直線的並びのことではないでしょうか?
一次元的な見方では説明が困難ですし、三次元的な説明では複雑になります。
時間というものは直線的で、空間的な広がりが無いので、特定しやすいという利点があります。
順序という性質を考えた場合、まず「前」と「後」というものを考えます。
この概念は、同時期では存在しません。したがって、時間軸で物事の推移を考えることと
わりと似ているように考えます。
時間的な前後を踏まえたうえで、前の時間と後の時間が存在しますから
それを前から後へというように、恣意的に並べます。
順序なんてものはひどく恣意的なものですから、もともとその定義すらおぼつかないのはあたりまえです。
ただし、楽観的に観た場合、そうした時間軸における二次元的プロトコルが
そうした意味合いを僅かに帯びているように感じます。
397KUVRVIFV ◆0g4M/Tpg :02/04/20 05:10
ものの順序のあいまいさと順序概念の明確性がはっきり区別できる!!
それを言っておきたかったから、数学的定義があるんだって言ったんだよ。
ちゃんとそういうのがあって、概念ははっきりしている。
だから思うんだけど、
順序があいまいなことがあるよね、って調子で概念のあいまいさを
調べようとするのはいかがなものか。
順序の数学定義はかなりはっきりしたものだ。
そこからのずれとして何かを調べようというなら、
ちゃんと証拠を見せねばなるまい。
398わんにゃん企画(謎):02/04/20 05:22
あれれのれ..
ん?
ぁ、らっき〜♪
399パチンコ屋にて:02/04/20 05:40
やっぱ、バカボンのパパは偉大だと、実感した01年の冬(藁
てすと
401カオル:02/04/20 22:50
>371さん、レスありがとうございます。
>>395
>ある状態が別の状態に変わる際その関係を保っている主体。
この『主体』を『方向性』と捉えても良いでしょうか。
もしそれが可能であるなら、
あなたのいう『不可逆的移動関係』を『時空間における移動の方向性』
と考えては的外れでしょうか。

さらに、
たとえば“好きな音楽”に順番を付けた場合の『順序』はどうなんでしょう。
この場合“好き嫌い”という“価値的差異”を基準に順番を付けたわけですが、
この順序には「時空間における移動の方向性」としての順序と“共に”、
それとは別の要素によっても、順序が『区別』されているわけです。

ではこの『区別』は何によって為されたのでしょうか。
それは「モノによる差異」の認知によってだと思われます。
この差異には価値が伴いますので『モノによる(価値的)差異の方向性』となります。
また、ここでいう「価値的差異の方向性」とは、
それが『不可避的(必然的)に人に備わっている』と仮定しなければ成り立ちません。
しかしこの事によって「モノによる差異」も『順序』の概念に含めることができます。
つまり殆どあらゆる『モノ』や『コト』に『順序』を付けられるようになります。
402カオル:02/04/20 22:50
(つづき)

順序とは、

『時空間における移動の方向性とモノによる(価値的)差異の方向性の
相対的かつ総合的な関係性によって認知される物事の相互関係である。』

とすることはできないでしょうか。(順序という概念を広げ過ぎですか)


【順序を認識するための要素(概念)】

1.時間の流れを認知するための移動の方向性
2.空間の広がりを認知するための移動の方向性
3.モノを区別するための(価値的)差異の方向性

-- 例 --
上←→下、左←→右・・・・・・空間移動の方向性
現在←→過去←→未来・・・・・時間移動の方向性
生(←)→死・・・・・・・・・・時間移動の方向性+(価値的)差異の方向性
原因(←)→結果・・・・・・・・空間移動の方向性+時間移動の方向性+(価値的)差異の方向性


※ -- 例 -- はイメージしやすいように敢えて正確な表現ではありません。
403カオル:02/04/21 02:53
誰かレスくださーい!

2だけでよいのじゃないの。「移動」てのは余分な気がするけど。
あとは時間をいかにして空間化するか、
モノに対して感じる質的差異をもった諸瞬間をいかにして、
空間化するか、
というところの働きが必要だということで。
405カオル:02/04/21 03:18
>>404
ええ。わかります。
ただ、スレの主旨に反しないようにという気持ちから
「要素の分割」をしました。
また「移動」は371さんとの認識の共有が目的です。

意味が違ってしまいますか?
406カオル:02/04/21 03:24
あと「時間、空間」だけは最終的に「時空」としています。

こういう時は、sageで会話するのでしょうか?
今電波ばっかりだからね。そういうときはsageまして...
408カオル:02/04/21 03:36
>高ぞうさん
>今電波ばっかりだからね。
キツイなぁ。すいませんでした。m(__)m

ところで説明自体は成り立ちそうですか。どうなんでしょう。
移動というと、順序をなすところの意識が問題になってしまうんじゃないでしょうか。
対して、方向性という表現はいいと思います。
410カオル:02/04/21 03:52
>高ぞうさん
>移動というと、順序をなすところの意識が問題になってしまうんじゃないでしょうか。
では、移動に付随する(してしまう)意識については、
『モノによる(価値的)差異の方向性』の方に任せれば良いということでしょうか?
つまり、
『時空間における方向性とモノによる(価値的)差異の方向性の
相対的かつ総合的な関係性によって認知される物事の相互関係である。』
で良いですか?
任せれば良いとはどういう意味で?
412考える名無しさん:02/04/21 04:07
順序って、
量、質の変化に規則性があるものに対して使われる言葉じゃないの?
で、その規則性に多種多様があるってことでしょ?

>>375
三浦つとむを知っているのですか?
彼は一番ですね。(w
なんか嬉しいです。
413カオル:02/04/21 04:09
>高ぞうさん
>任せれば良いとはどういう意味で?
移動という「ことば」が持っている(であろう)ところの意識(概念)を
排除しても問題ない(排除した方が良い)ということでしょうか。
移動という概念は、行為の対象が必要になり、
その行為の対象がある種の属性を変えるが
(属性であるから本来の対象は厳密には変わっているのに)
「その対象として存在する」ことに関しては変わらないとした時
成り立つ。
そしてその対象として持続させるものが意識。
すると、意識あって「移動」が成されることになる。
しかし、順序と言う概念の場合、その形成において
意識とは関係は無いと思われる。
意識にとって順序とは、汲み取るものであって形成ではない。
ゆえに、方向性、つまりその時意識するもの(汲み取る先)に
内在した概念としてのそれ、が重要なのだと思う。
私としては>>410の定義で今のところ問題点は感じられません。
>>414
訂正、形成ではない→形成するものではない
それと、下から三行目の意識するもの、というのは、
他の意識というのと区別してください。
(やや下から四行目の意識と関係あり)
416カオル:02/04/21 04:37
>高ぞうさん
ありがとうございました。やっぱり凄いですね!!
あと即レスできなくてすみませんでした。 m(__)m
有名なコテハンさんなので、緊張しちゃいました。
気が向いたら、またご教授お願いします。(^.^)
こちらこそ即レスできなくてすまぬ。
それでは、また。
418_:02/04/21 07:38
419371:02/04/21 18:49
>カオルさん、高ぞうさん、412さん
ありがとうございます。
問題提起人が参加できずに申し訳なく思います。

上記の事柄から要約すると
行為としての順序付けは意識されることであり、
順序概念はその内在的な方向性。
こんな感じでよろしいでしょうか?それが>>410
移動という表現より方向性という表現が適切というのも了解しました。
420371:02/04/21 18:51
>>401での順序付けは
ある集合の配置総体とその中での新しい集合の取り方だと思います。
これは恐らく>>412のことだと思うのですが、
この集合は「あ、1、Symphonie No.9 op.95、馬、Gは証明できない…」
ありとあらゆる記号、単語、文章から構成されているとします。
集合自体に配置法則は無く、ただひたすら並んでいます。
この中から仲間としての集合を作らせたとします。
「ひらがな、数字、音楽、動物、命題…」
これは順序概念を知らなくてもできることです。
けれどもそれを仮に記号順(50音、アルファベット、数字などの順番)
で並べると順序概念が登場します。
恐らくこの行為がカオルさんのいう「モノ(コト)による差異の方向性」になるでしょう。

順序概念を知らなくても順番に選び出していることが見えない順序であり
それを順序化することが「モノ(コト)による差異の方向性」になるわけですね。
では方向性(規則性)の見出され方について考えてみます。
421371:02/04/21 18:52
意識の方向性。
歴史の年表を作るとき、出来事を時間的な方向性で捉えます。
次に出来事を時間的な作業として年表に表します。
できた年表は空間的に出来事の方向性を表します。
年表は時間的な方向性にしたがって見ることができるでしょう。
ここで言えるのは
順序が行為として現れる際は時間から逃れることはできないが
順序関係の把握は空間的になるということではないでしょうか。

円環的な順序。
ジャンケンというゲームを考えるとき、
これは勝敗を決する行為であり、その順序は勝敗をもとに方向性が意識されます。
グー、チョキ、パーの3つがあること。
グーとチョキしかない場合、このゲームは成り立たないでしょう。
互いにグーを出し続けることが勝つことを知っているという根拠だからです。
3つになることで初めて、グーが勝つ場合と負ける場合が想定できます。
けれどもこのゲームはまだ完全ではなく、常に「あいこ」が矛盾するでしょう。
そして3つのとき円環的な勝(あるいは負け)の順序が空間的に把握されます。
もしかしたらこれは無理やり順序化しているだけかもしれませんね。
422カオル:02/04/23 18:13
>371さん
>>419
>こんな感じでよろしいでしょうか?
はい。なーんて、高ぞうさんのお陰です!

>>420
>それを順序化することが「モノ(コト)による差異の方向性」になるわけですね。
そうです。

>>421
>意識の方向性。
>順序が行為として現れる際は時間から逃れることはできないが
>順序関係の把握は空間的になるということではないでしょうか。
ええ、それで「時間、空間」→「時空」にしなければと・・・単純ですが。
それと同時に「相対的かつ総合的」という(絡み?)表現も欠かせませんでした。

>>402は、説明のための説明で正確な表現ではありません。気にしないで下さい。(^_^;)
あと>>391の「お題」は、順序について咄嗟に書き込んだものです。無視して下さい。(恥)

稚拙な表現と説明しかできませんでした。471さんにまとめて頂ければなぁーと思います。

円環的な順序。ちょっと難しいなぁー。(お題ですか?)
423高校生:02/04/23 22:05
汝の生誕の第1日は死への第1日である ←これどういう意味?
424考える名無しさん:02/04/23 23:32
>>423
その人が生まれて(生まれることによって)、
初めてその人に死が決定される。

生まれてこない者には死は訪れない。
425レスのしようがない:02/04/25 23:42
>>424
確かに、はっきりしているのは、どんな生物にも
死が訪れるということ。でも、それをちゃんと知っているのは
人間だけなんだね。そして、僕たちは死を免れることができない。
でも自分から生を選ぶことはできない
(好きで生まれてきたわけではない)が、死は選ぶことができる。
それも人間に与えられた特権なのか、な?
426新参者:02/04/26 00:02
面白そうな議論なんで乱入。
>>424
どんな生物にも死が訪れるってのはそんなに明確だろうか?
あと、人間ってそんなに他の生物と違うのかな?特権って何だ?
427考える名無しさん:02/04/26 04:27
>>423>>424の答えに満足したのだろうか?

428考える名無しさん:02/04/26 04:57
>どんな生物にも死が訪れるってのはそんなに明確だろうか?
 死んでこそ生物なんじゃない!?
>特権って何だ?
 kill myselfでしょ!?

   
429考える名無しさん:02/04/26 15:02
>>294
thx.
そういえば、野田タンの某SFの続きはどうなってるんだか・・
430考える名無しさん:02/05/10 01:37
死はない
431考える名無しさん:02/05/11 03:36
自分自身の死を認識することはできない。
432考える名無しさん:02/05/14 02:03
自己の命はこの世に一つだから価値があるという論法や、死の恐怖をいう者は後を絶たないが、
自己の死など経験できない。他者の死や物事が滅する様を対象化・客体化した自己に重ねているだけであって、
それでは生死を議論することにならない。
433カオル:02/05/14 02:31
死を定義してみたいです。

すべての活動停止(無作用)?
主体が不在であり変化のないこと?
434 ◆DsDaF1lk :02/05/14 03:18
流れ無視してごめんなさい。ゆえにsage。このスレを見て思ったこと
難しい言葉使ってないのに、私には理解できないことが多い。
難しい言葉使ってなくても、専門用語の説明をしてもらってもわからないのは、
哲学畑の人たちのなかには共通の前提というか、
この問題は〜論、とか言う了解があるからなのでしょうか。
おじゃましました。
435カオル:02/05/14 03:30
>434さん
>難しい言葉使ってないのに、私には理解できないことが多い。
わたしのレスは含まれてないでしょ。(笑)
いっしょにどうですか。age
436考える名無しさん:02/05/14 03:33
>>433
活動停止ってのは疑問だな〜
化学反応は続くからね
437カオル:02/05/14 03:38
>>436
それを“すべての”で表現したかったんですけど。(無理ですね)
すべての活動停止=物質と反物質が調和した状態=真空=無?
とかのイメージです。
438カオル:02/05/14 03:51
“誕生”した宇宙に存在する限り、死はないとも考えられます。
439考える名無しさん:02/05/14 03:58
宇宙と自分をごちゃまぜにするのもどうかと・・。
仏教哲学とかすきなの?
440カオル:02/05/14 04:10
>>439
>宇宙と自分をごちゃまぜにするのもどうかと・・。
436さんの化学反応という指摘もあったので、
生を受けた宇宙の内にいるかぎり、死ねないという考えもあるのかなと。
確かに、死は人間の作った概念なのだから、
その範囲で考えないと話にならないのかもしれません。(わかりません)

>仏教哲学とかすきなの?
いいえ。ただDQNなだけです。一緒に考えてみてくれませんか。
441436∩439:02/05/14 04:48
>>440
あ〜!ごめん、丁寧にレスしてくれてたのに・・。
もう眠っちゃったかな?また来るよ。
442考える名無しさん:02/05/16 15:03
死=意識世界(主観世界)の消滅
443考える名無しさん:02/05/20 14:41
できなきゃ終わってる
444考える名無しさん:02/06/15 01:58
保全。
保全続行しましょか
446考える名無しさん:02/07/15 06:40
age
447考える名無しさん:02/07/27 01:36
あげておこう。
448考える名無しさん:02/07/27 01:39
「難しい言葉←→簡単な厨房でも分かるような言葉 変換フィルター」を作ればいいんじゃない?
449螺旋蒼月@ ◆CkPYJQLQ :02/07/27 04:01
>>1
一旦何も考えずに「難しい言葉」で文章を作って、
その後、「難しい言葉」を分解していけば限り無くそれに近付く道理。
しかしそれはめんどいし、何より見難く解かり難い。

そもそも何故所謂「難しい言葉」を必要とするのか?
難しい言葉。
即ち、成立過程が複雑で、その単語内に多大な意義が含有される言葉である。
つまり、面倒な細説明を既に含有している言葉を用いる事で文章を完結にする役割を果たしている。

難しい言葉を分解するのは言いが、そうなると今度は読解力と文章構成理解力が多大に要求される事になる。
450考える名無しさん:02/07/31 00:02
哲学はね、難しい言葉で語る物ではない。日本人が勝手に難しいものが哲学
だと思いこんでいるだけ。英語やドイツ語で書かれた哲学書はとても読みやすい
そうな。
451考える名無しさん:02/08/01 01:19
たしかに英語のは読みやすいのが多い。
ドイツ語は知らんが。
452考える名無しさん:02/08/02 16:45
やまと言葉の概念にこだわってるヤシってウザイよ。
「間」とか「いたわり」とか。
九鬼周造の「いきの構造」を勘違いしたようなのばっかり。
言葉フェチになりやすい。
453考える名無しさん:02/08/02 18:35
「存在と時間」をわざわざ「有と時」と訳したヤシもいたし。
たしかにそんなことは哲学書の理解に貢献しない。
概念の翻訳と理解が本質さ。
454考える名無しさん:02/08/31 11:36
ほぼ一ヶ月ぐらいでdat落ちしそうになるわけだね。
455考える名無しさん:02/08/31 17:25
人間はなぜ死を、生を作り出したのか・・・
456考える名無しさん:02/08/31 17:27
>>455
必要だからさ・・・。
457考える名無しさん:02/08/31 21:49
哲学者がアホだから。変な概念を作る。
458 :02/08/31 21:51
どうやらドイツ語と英語を似たもんだと思っている人がいるらしいが・・(苦笑
459考える名無しさん:02/08/31 21:57
似てるじゃん。
460考える名無しさん:02/08/31 23:52
英語はフランス語というフィルター通してきているからラテン語とは読みや意味にうっかりしやすい。
461考える名無しさん:02/08/31 23:55
単なるフランス語よりもドイツ語のほうがラテン語に似ていると思われるのは気のせいか
462 :02/09/01 00:18
哲学=時間の無駄遣い?
463考える名無しさん:02/09/01 00:52
どこかのスレに『純粋理性批判』が難しいという文学畑の人がいたが……
『純粋理性批判』って、ヘタに簡単な言葉で書かれている思想書より、
厳密なために著者の誤魔化しがそれほど効かないためか、読みやすいと思う。
思想書は、著者の書く癖みたいなものが解れば、比較的読みやすいものじゃない?
そりゃ研究者に比べれば、皮相的な「読み」になるのは当たり前だけど。
デカルトのように誰でも読み解ける本でもなく、
かといってポストモダンのように訳の解らん本でもなく、
カントが、思想書というものが自分に合うかどうかの試金石になると思う。

と言ってみる。
464考える名無しさん:02/09/01 03:16

文学畑の人は、ニーチェしか論駁できないの。だって、ニーチェって論理性に欠けているでしょ。カントはいいね。「永遠平和のために」がいい試金石か?
465考える名無しさん:02/09/01 08:35
>>464
素直に『純粋理性批判』でいいと思うが……

有福孝岳の訳を待つ。
466考える名無しさん:02/09/01 08:51
>>463
その通りだと思う。いきなり「純理」がむずかしいと思う人は
せめて「プロレゴメナ」を読むべきだ。
「存在と時間」にトライしては挫折している人たちも、
その前にカントを読んでおけば、難なくこなせる。
ニーチェやドゥルーズにしたって、カントを読んでなければ
たんなるデンパに見えてしまうのはあたりまえだよな。
467考える名無しさん:02/09/01 08:53
>>466
それはあんたがカントすら読めていないだけ。
468 :02/09/01 08:59
>>464
全くその通り。俺も墓場の下で霊界と通信したい
469考える名無しさん:02/09/01 13:30
ごまかしのないものはさわやかです。
470考える名無しさん:02/09/01 13:35
>>466
ちょっと聞きたいのですが、
「純理」よりも「存在と時間」の方が難しいですか?

当方哲学初心者で「存在と時間」を読み始め、先日何とか読み終わりました。
(解説書を横に積んで・・)
でも、ほとんどわかりませんでした。

やはり、「存在と時間」を読みこなすには、
カントから入った方がいいですか?
471考える名無しさん:02/09/01 14:45
>>470
「存在と時間」は、まだ新しいので、研究がつみあがっていないため、
そういう意味で、定説が定着していない面が多く、難しいかもしれない。
研究者によって主張が大幅に違うからね。
一方「純理」は、研究がつみあがっているので、定説として定着している
部分の割合が多いように思われる。
しかし、原書の字面をみると、「純理」のほうが難しいだろう。
一方「存在と時間」は、言葉がわかりや水分、勘違いの読み方がいろいろ
できる可能性が大きい。
たいてい日本の大学の職業哲学者はカントを基本に読まされているから、
どちらから入るべきかというと官途からになるでしょうね。
「存在と時間」を読みこなすには、カントは、必要ないかもしれないが、
「存在と時間」の問題意識の一部に新刊とはへの対抗意識があるので、
知っていると、読みやすい個所がいくらかあるといった程度。
472466:02/09/01 15:09
>>470
二つの著書は、認識論と存在論という大きな違いがあるし、時代の
隔たりから言っても同列に論じることはできないと思います。
それを前提にあえて言うならば、「純理」は構成そのものがすっきりして
読みやすく、読み進めるにしたがってカントの問題設定がどんどん
明瞭に見えてきます。たしかに概念の説明の周到さはドイツ哲学の
通例で、ちょっと眠気がするところもありますが、
全編を通して読んで、さっぱりわからん、ということはまずありえません。
それに「図式」「カテゴリー」「アンチノミー」などのくだりは
それだけとりあげてもスリリングですよ。
専門家をめざすのでなければ、細かいところはあまり深入りせずに
(たとえば「超越論的」の定義や論理学の詳細に入る箇所など)、
とにかく全体を通して読むことをオススメします。
それにカント自身が「プロレゴメナ」という「純理」の解説書まで
残してくれているのですから。
473466:02/09/01 15:11
(472の続き)

ただカントを読めば「存在と時間」の問いの立て方や考察の進め方が
わかるのか、といわれると、それはちょっと断言できません。
でも間違いなく言えることは、認識論の基本がわかった上で存在論に
進んだ方が、認識論と存在論の両方をよく理解できるということです。
「存在と時間」の「世界内存在」とか「自己への関心」といった概念を
いきなり提示されると、むしろ「生わかり」する危険があると私は思います。
「なるほど、時間とは自己差異化なのか! これが哲学なんだ!」とか。
しかしカントの議論はあくまで普遍的かつ客観的な概念に基づいてきれいに
進むので、「頭が喜ぶ」感じがしますよ。
474考える名無しさん:02/09/01 23:31
ちょっと聞きたいんですが、皆さん本当に真剣にそんな事考えてるんですか?
何かの冗談でしょう?あ、分かった。冗談なのか本気なのか自分でも
分からなくなってるって状態?
475考える名無しさん:02/09/01 23:33
>>474
「そんな事」ってどんなことかな?
476考える名無しさん:02/09/01 23:38
「純粋理性批判」の前に「存在と無」はどうかな・・・・
477考える名無しさん:02/09/02 00:35
絶対絶対頭が良くなりたい!!!
http://school.2ch.net/test/read.cgi/lifework/1030818565/
478470:02/09/02 00:58
>>471さん
丁寧なレスありがとうございます。

>しかし、原書の字面をみると、「純理」のほうが難しいだろう。
>一方「存在と時間」は、言葉がわかりや水分、勘違いの読み方がいろいろ
>できる可能性が大きい。

文体は純理の方が難しいですか・・。
解釈云々より、「存在と時間」は文章が理解できませんでした。

ただ解説書は10冊以上読みましたので、
何が書いてあるかは何となくわかる程度です。
確かに、実存主義的解釈と存在論的解釈で分かれるようですね。
479470:02/09/02 00:59
>でも間違いなく言えることは、認識論の基本がわかった上で存在論に
>進んだ方が、認識論と存在論の両方をよく理解できるということです。

他の本を読んでも、カントの認識論を基準にして(賛成反対それぞれの立場で)
議論を組み立てている気がします。
そういう意味で、やはりカントは必読でしょうか?

>それにカント自身が「プロレゴメナ」という「純理」の解説書まで
>残してくれているのですから。

そんなのあるのですか。
カントは解説書も多いし、「存在と時間」に限らず他の哲学書を読む上で、
予備知識として必読の書のようなので、一度チャレンジしてみたいと思います。
ありがとうございました。
480考える名無しさん:02/09/02 01:04
数式を使わずに数学が出来るか。
481考える名無しさん:02/09/02 01:38
>>480
ギリシャ時代や日本の江戸時代はそうしていたと思うが、何か?
482考える名無しさん:02/09/02 01:51
>>478
> 文体は純理の方が難しいですか・・。
>解釈云々より、「存在と時間」は文章が理解できませんでした。

あくまで、原書のドイツ語ででのことで、翻訳はまた話が違ってくる。
この場合は、多分カントの方が読みやすいだろう。基本的な用語に関して定訳があるし、訳書と研究書で大きく変わった訳語を採用することは少なかろう。
ところが、ハイデガーの場合、基本的な用語の訳でも、千差万別それぞれが独自にやっている。何冊か訳本を参照しながらじゃないと、訳がわからない。研究書でもそれぞれ独自の訳を採用しているだろう。
ということで、日本語で読むハイデガーは難しい。
ぜひドイツ語で読むべきだ。(多分大学2年程度のドイツ語力で何とかなる)
483162:02/09/02 01:56
でも、カントの純理の岩波訳はあまり良いとはいえない。
原文をみれば、ああそうかと思えても、訳だけではわけのわからんところも。
できれば天野訳を手に入れるのが良い。
 
ハイデガーは、あの本の特殊な成立事情もある。
まだ講義のほうが読みやすいんじゃないかな?
そもそも元のドイツ語も読みやすいドイツ語とはいえない。
484考える名無しさん:02/09/02 13:37
結局は難しくなってるよね。
やっぱ本とか読まないと哲学は出来ないのであろうか?
生身の哲学をしてみたい。
485文谷良介:02/09/02 15:20
難しい言葉使った哲学は難しい言葉が分かる人にしか分からない。
けど哲学を必要としている人はいっつも難しい言葉が分かるわけじゃないですからなあ。
難しくて分かり難い言葉使ったほうが哲学は語り易いですよね。すごそうに聞こえてくれるから。
簡単な言葉で哲学を説明できるようになりたいものです。横レス失礼しました。
486ちょと覗いてみた:02/09/02 17:45
おまえさん達は なんて馬鹿なことをいってんだろうねぇ
生きてるって事は哲学よ 
例をあげるとな
“給料日3日前”
久しぶりにさしみ食いてえ どっちにするか あーあと2000円しかない
これだけじゃー腹はふくれない。しかしあと2日 飲まず食わずか さしみ
あきらめればなんとかなる
  わかったか?  これが哲学ちゅうもんよぉ!!
487考える名無しさん:02/09/02 18:28
理論哲学と人生哲学はまったくの別物なんでは?
いわゆる哲学を専門にしている人たちがやってるのは理論哲学か文献学なんでしょう?
そこに人生の指針を求めても始まらない。
488考える名無しさん:02/09/02 19:03
>>487
で、人生を理論化することはどうなのかね?
489考える名無しさん:02/09/02 19:11
できない
490考える名無しさん:02/09/02 19:23
理論哲学って何ですか?
491考える名無しさん:02/09/02 20:15
>>490
学一般の基礎付け。
492考える名無しさん:02/09/02 20:32
>>491
じゃあ、「命」についてとかは哲学の対象となりうるのか?
生命倫理学とかあるし。
493考える名無しさん
そういう意味で哲学は知の全領域に向かって開いているのでしょう。
成功しているかどうかはともかく。