よーし、今度こそ相対論を論駁だ。
Q 我々の住む現象世界は完全に決定された世界なのか?
A 完全に決定された世界です。
その理由
各個人の鼻毛の総本数は決まっているからです。
だれも数えたこと無いだろうけど決まっているはずです。
完全に決定された世界では相対的振るまいができないはずです。
これでどうかな?
158の補足
158をカキコしている際には私は鼻毛を抜いていません。
したがって決定的世界に変化はありません。
>>160 エレガントな反論です。
決定的世界観が崩れました。
自分の哲学説に自信がなくなったので相対論の再検討をします。
相対論の再検討
Q 我々の住む現象世界は相対的に構成されているか?
A 相対的に構成されています。
その事例
昨冬のクリスマスにショッピングモールで女の子のつぶやいた言葉
「コートの色が決まんないとー、セーターの色が決まんなーい♪」
おしゃれに相対的認識は不可欠です。
「相対主義に必要なことはすべて女の子から学んだ」わけです。
>162
いい加減荒らすのやめようね。誰も相手にしてないでしょ。
相対的、相対的認識、相対主義、まずこれらの用いられ方を過去レス読むなりして再検討してください。
...でも最後の一行はある意味同意(wさらには相対主義を抜け出すことの必要性もね。
というわけで、終了ー
>>163 >...でも最後の一行はある意味同意(wさらには相対主義を抜け出すことの必要性もね。
プ
ひさしぶりに復活です。・・・でも、まったくわかりません。ぬけだせるものなのかどうかもわからないままです。
ちなみに、ここで言う「ぬけだす」とは、より高次の価値観によって、問いそのものを無力化することです。
>>猫電波さん
ぼくが言いたいことが懐疑主義もしくは不可知論だとして、そこから「ぬけだす」ことは可能なのでしょうか?
>>149 寒梅さんはぬけだせたようなことを言いますが、「感覚」とか「存在」は絶対だから、という理由からならば、とうてい納得できません。
167 :
考える名無しさん:02/02/18 18:00
私も相対論から抜け出せない。
病気?
>>166 「感覚」とか「存在」は絶対だから、という理由でした。
力不足ですみません。
何か絶対的なものがある中で話を進めないと、
相対的なところでは、限定はできるけど、確定までは至らないんじゃない?
それでも確定しようとすれば、無限後退に陥るんだと思うけど。
そうじゃなくて?
>>169 寒梅さんの理由で「デカルトまでもうちょっとだよーん」
「感覚」とか「存在」とかが、まだ思考にとって付随的であると
一応考えてみる(ちょっときついですなあ。)
これで
「われ思う、故にわれあり」
が「存在」のまえに「われ思う」をなぜもってきているのかが
すこし理解できれば決定の作業って以外と簡単になれるのでは?
「われ思う、ゆえにわれあり」って以外と複雑な論理を含んでいます。
知覚、認識、存在を懐疑しても決定ができるヒントがあるような気がするんですが。
170の補足
実存的決定(わたしにとってだいじなことの略)は
性欲、名誉欲、食欲等によって決定することにしています。
172 :
考える名無しさん:02/02/19 00:45
実践っていう位相を持ち込むと・・・、
アタマのなかであれこれ相対的に考えていても、
ある瞬間に、人間は、ある位置しか占めることが出来ない。
ある人間の過去の歴史は実践の積み重ねであって、
実践は絶対的なもの。
(無意識だとしても)唯ひとつの行為を選択したんだから。
実践が絶対的ならざるを得ない以上、
思惟は相対的でありたいなんて、素人考えに思っています。
>ぼくが言いたいことが懐疑主義もしくは不可知論だとして、そこから「ぬけだす」ことは可能なのでしょうか?
相対主義よりずっと難しいです。
寒梅氏と151氏の会話がそっちの話題に行きそうなんでしばし様子見。
>>170 まづ、ぼくは「@我 思う、ゆえにA我 あり」という言葉は高校の倫理で聞いただけです。あしからず。しかし、この言葉は今も哲学として「生きて」いるのですか?ぼくは疑問です。
@の我は「いわゆる自分」。Aの我は「思う存在に名前をつけたもの」ではないでしょうか。この異なる@とAを、我という言葉で無理矢理つなげただけではないでしょうか。
要するに、この言葉は「絶対的なものをみつけた」ことを示しているのではなく、「まづ絶対的なものを決めよう」ということを示した言葉ではないでしょうか。
>>174 1さんはなんて賢い人でしょう。哲学者になることをおすすめします。
>@の我は「いわゆる自分」。Aの我は「思う存在に名前をつけたもの」ではないでしょうか。
ハイ、自分は思う、ゆえに「自分は思う」に「我」という名前がついて思惟の存在が
決定されました。パチパチ。「思う」という行為?が確実であることを示す方法みたい
ですねえ。
1さん、ちょっとかしこすぎ。
が、@の段階では存在は確定してないんだけどなあ。名前つけられないかもなあ。
懐疑論者が地球温暖化防止に役立っていることを証明する
@ 携帯の使用料24520円の請求書が届いた
「今月中に50件の保険契約をとってきなさい」と命令された
デートでは全額おごらなくてはいけない
このような現実の要請に対して懐疑論者は
A絶対的なものは存在しない
Bしたがって 請求書の金額に疑いがある
上司の命令に疑いがある
デートでおごることに疑いがある
このように簡単に結論できる。すべてにおいてこのように結論できる。
Cそのため思考にエネルギーを使わずに済む。脳の消費カロリーが少なくて済む。
Dそれゆえ 通常人に比べて二酸化炭素の排出量が少なくて済む。
Eしたがって懐疑論者は地球温暖化防止に役立っている。
証明おわり
懐疑論者は地球にやさしい
ウィトゲンシュタイン風の懐疑論的問い
「ミニモニだーい好き」と思いながら営業不振の部下を叱りつけている
営業部長は懐疑論者だろうか?
151はちょっとひねりすぎ。
おうちで少年ジャンプでも読んでよーっと。
自分を分裂させてまで、相対化しないように。
あくまでも、自分自身は一つの基準系(座標系)。
現実生活において他人と付き合って行く上では
相対主義的手法は役に立つと思ってみる。
自分の考え方ばかり押し付けないで
他人の考え方も認めましょう、などと言ってみる。
そうすると「他人の考え方も認めましょう」という
考え方を押し付けることになってしまうと考えてみる。
最終的にプラトン読んでソクラテスについて考えてみる。
>>174 >要するに、この言葉は「絶対的なものをみつけた」ことを示しているのではなく、「まづ絶対的なものを決めよう」ということを示した言葉ではないでしょうか。
ぱちぱち。
方法序説
www.genpaku.org/dcart01/DCART10j.html
182 :
考える名無しさん:02/02/21 15:15
相対主義=無神論
>>175 >「思う」という行為?が確実であることを示す方法みたいですねえ。
いえ、それが確実なら最初から問題はありません。
ぼくが
>>170で言いたいのは、デカルトのあの言葉は「勘違い」か「前提を決める提案」のどちらかだということです。
「思う」という行為が確実だと言いたいとしたなら、それは「勘違い」。そうでないのなら、「我あり」を無条件に決めた「前提」として話を進めようという提案。
そして、そう思ったあとは、デカルトって有名だから「勘違い」の方はないか、と単純に思って、「前提を決める提案」のほうじゃないですかって書いただけなんですが・・・。
要するに、どっちの意味にしろ「我思う、ゆえに我あり」の言葉によって「ぬけだす」ことはできないということです。
184 :
考える名無しさん:02/02/21 18:58
自称相対主義者というのは居るの?
認識論的多元論者に対して相対主義という批判がなされたということでしょ?
はたしてその相対主義という言葉による批判の仕方は妥当なのか、という問題だよね。
相対主義者ですが何か?
>>183 あのー、1さんの174を認めて
「我思う、ゆえに我あり」にそれを当てはめると
「思惟が存在しますよ」となるのを175でカキコしたのになあ。
1さんの「我」の解釈をみとめると「思う」が確実になっちゃうよ。
>>174この言葉は「絶対的なものをみつけた」ことを示しているのではなく、
まづ絶対的なものを決めよう」ということを示した言葉ではないでしょうか。
1はそんなこと言ってるから抜け出せないの。で、それに付き合う人が多いから、
「ここに来る人は俺以外…」ってなるの。(でも、付き合ってね、寂しいの)
1が言うようにも取れるでしょ。ただやっぱり、デカルトが言ったようにも取れる。
例えばあの言葉は、デカルトが絶対的なものを「見つけて」、
それを何らかの動機から言葉として表そうとしたから、今、この世に残っているわけ。
で、その「見つけた」ってことを分解すると、
@見る→A見ていると認識→B見ていたと認識したと思う(決める)
という、ステップを経てるわけ。そうすると、少なくともBには
「絶対的なこと(前提)を決めよう」とする恣意的なものが、
あることがわかるでしょ?(Bから言葉の世界に入るんだけど)
1はそこを感じ取ってそう言ってんだろうけど、
少なくとも、デカルトのいた@(なりA)の瞬間というか存在というかは、
彼にとっては、そういうもんだったんだろうよ。デカルト自身の体験を理解せず、
その体験から出てきた言葉だけをあれこれ言っても
しかたない面があると思わない?
1が174で言ったことから、そう感じたんだけど、
物事全部、言葉の範囲で捉えようとしているんだったら
前にも言ったけど無限後退(?)だよ。(リー
>>170知覚、認識、存在を懐疑しても決定ができるヒントがあるような気がするんですが。
どんなヒント?それ重要じゃない?がんばって言葉にして(ハート
189 :
あぼーりあ:02/02/22 20:07
デリダを読めよ。
190 :
考える名無しさん:02/02/24 14:19
相対主義というレッテルは絶対主義者(これもレッテル)によるレッテル貼りにすぎん
自称相対主義者はいるのか? 自称絶対主義者はいるのか?
相対主義者ですが何か?
自己相対化によって自らに相対主義者のレッテルを貼りますが何か?
言葉の限界について言うと、
例えば、質量保存の法則はどんなものか説明できても、
なぜその法則がこの世界に存在するかは説明できない。それは科学が現象理解であるから
だけど、言葉もそれに近いものがある。言葉はあることしか語れず、
そして、言葉として表現されてものは必ず相対的な捉え方ができる。
仮に、言葉で表せる範囲を円の内側とすると、その仮定から、
その円の外側にあることは語ることができない。
しかし、その言葉を使う主体はその円の外、言葉でないところも
感じることができたり、また、そこに存在していると思われる。
それ故、言葉をその円(範囲)の極めて外側の方に位置させることにより、
少しだけだが、言葉で語れない範囲まで表すことができる(概念枠の接点)。
その、言葉を用いて、言葉の外の世界まで表した言葉が、
「われ思う、ゆえにわれ在り」という言葉であると思ってる。
ちなみに
>>187は太宰治の友人が太宰に送った言葉のパクリ。
そして、僕は感覚論者です。(リー
全ての価値を相対化せよとは言わないが(事実、価値相対主義はポシャったし)
少なくとも自己を相対化できないヤツというのは大抵の場合カンチガイ野郎じゃないか?
>>187 取れる、取れないの話ではなく、どちらにしても「ぬけだせない」と言いたいのです。
寒梅さんは、感覚や存在が絶対であり、言葉には限界があるというようなことを繰り返しますが、そもそもこの問題はそこからぬけだせるものなのかどうかを問うています。
要するに、言葉で説明してくれる人がまだ出てきていないだけかもしれないということです。
自分の感覚や存在を絶対とすることにも疑問です。
「感覚や存在」なんて、たんぱく質のかたまりである脳みそが電気のやりとりをしてるにすぎない。単なる機械と同じではないでしょうか。コンピューターは自分がエラーを出しているかどうかなんてわかりません。ただ単にそのしくみの通り動いているだけです。
もっと言えば、その脳みそだってあるかどうか。SFっぽくなりますが、いま画面にむかっている自分は、ふと気づくと本当は人工知能の試作品で、今までの記憶もすべて与えられたものだったりするかもしれません。
196 :
考える名無しさん:02/02/24 19:23
>>195 それを言ってもらうと話が進む。でも、ごめんもうちょっと繰り返させて。
つまり1は何でも疑えるんでしょ。感覚も存在も疑うことすら疑える。
それは一つの見方としてあるよね。おれに言わせると、
それは言葉という思考ツールを用いた時の一つの真理だと思う。
言葉で表したことが、なんでも相対的に捉えられるのと同時に、
なんでも疑うことができる。厳密な意味で言えば、言葉を持って
何一つ証明することはできないんでしょ?
(生まれる前に読んだ言葉のルールブックp38に書いてあったもん)
でも、そうした時に1は何を持って「抜け出した」とすべきかってこと
はあるよね。普通に考えれば1は、@言葉というツールを使って
A感覚で「抜け出した」としよう、としてるんじゃない?(違ったら言って)
でも、@の段階で、つまり言葉はね、「相対的」「疑える(証明できない)」
というルール内で運用されているから、@はまず不可能じゃない?
そしたら、@の段階は飛ばしてやっぱデカルトのように
前提の提案をするしかなくない?
(もちろん@の言葉の段階を一生かけて探索するのはよろしいけども、
それを決定した時点である意味、相対論から抜け出してるよね。)
で、前提をする上で必要なのは「感覚」「存在」ってことになるんじゃないか、
と思うところもあって俺は感覚論者なんだけど。(リー
198 :
考える名無しさん:02/02/25 14:44
1へ、気にすんな
父より
>>197 とてもよくまとまった気がします。寒梅さんが繰り返すことの意味がようやく理解できました。おかげで、いまのぼくはその意味で「ぬけだした」と言っていい状況だと思います。ありがとうございました。
思考停止を極端に嫌うばっかりに
思考停止が必要な時にそれをしない人がいる。
言葉の限界を知ることは、思考停止をすることではなく、
次の思考の始まりでもある。
言葉を使って思考すればするほど、そのことを気づきたくなくなる。
限界を認めると勇気、それが蛮勇だったのかはいずれ知ることになる。
あと、言葉だけに囚われてると、権威主義に陥りやすいから気をつけて。
めでたしめでたし。
オチは言語ゲームか。
いい落としどころだとは思うが。
205 :
はげでっかー:02/03/19 21:20
我思う 何かを言葉か感覚で認識してる 我あり モノを考えてるってことで自分の存在を意識した
ってことじゃね?感じるから感じる、だから何かある そう考えてる自分がいる
って。無意識でモノを考えないモノ生き物じゃない物質は自分の存在を認識できないから、あるとはいえない
その、自分を認識できないモノがあったとしても存在はあるはず?多くの人間はその同じ物質を認識してる
以上あるのかもしれないが、他の生き物からは別のモノに見える、感じるかもしれない。
蟻がパソコンを見たら四角い塊に見える、人間はそのパソコンを見てるが、その四角い物体以上のものを認識している。
インターネットでいろいろな情報を見てる。蟻はそのインターネットの情報は認識できない、光がピカピカ変わってるのは
認識できるかもしれない。パソコンが発する熱を感じるかもしれない。認識の違い、だけど
存在は人も蟻も認識してる。感覚で何か変化を感じてる。人間が認識できないもので、
人間以外の生物か神みたいな存在は認識してるかもしれない。
この感じ方の違いはなんだろう。電気信号と遺伝子の違いからの本能の感覚の違いかな
206 :
ゲシュタルト:02/04/21 01:53
はい。
207 :
考える名無しさん: