問題意識をお持ちの人どーぞ
オマエの中学校の宿題につきあうつもりはねーよ
3 :
考える名無しさん:02/01/08 19:30
経済学ってホントは市場経済学でしょ
何で経済学を僭称するのかな
4 :
考える名無しさん:02/01/08 21:25
1は頭狂ってる。氏ね
5 :
考える名無しさん:02/01/08 21:54
お金がぐるぐるまわる
投資があれば回収がある
回収の方になかなか社会の目が行かない気がするけど・・・
かりたもんがち 債権放棄マンセー
6 :
考える名無しさん:02/01/09 12:15
過去を説明できるということと未来を予測できると
いうことは異なる能力である。もちろん。
経済学は説明能力は持っているが予測能力は持って
いないみたい。
どうして?
なぜ人間は金という発明をし、現在の経済に発展させたのだろうか。
人は人とし生きるうえで金というかつての発明品と関わりを持たなくてはならない。
経済学を哲学するとこうなる。↓
経済学=世代学
>>6 経済ってインチキじゃん。
予測は当たっていても予測として発表するとそこで予測は変わってしまう。
経済は予測できるが予測できない。
それゆえにインチキのオンパレードだ。
9 :
考える名無しさん:02/01/09 12:52
ここの103さんが立ててくれたのかな? 私、そこの96です。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/philo/1009859648/92- 93 :考える名無しさん :02/01/06 05:12
というか科学的な人文科学なるものに出会ったことがないんですが?
96 :考える名無しさん :02/01/06 06:23
>>93 それはちょっと不勉強だよ。心理学でも社会学でも、データとって
統計学で検定するような分野もある。
98 :93 :02/01/06 15:32
>>96 心理学に科学的な研究があることは認めます。個人的には、
科学としての心理学と人文系の心理学は区別して考えてます。
でも社会学は一般に、統計を恣意的に運用し過ぎる嫌いがある
ように思う。事実、データの解釈そのものを廻る論争が絶えない。
99 :96 :02/01/06 16:05
>>98 了解です。不勉強呼ばわりスマソ。社会学の評価が難しいのは同意します。
部外者の私にはちょっと判断しづらい。
100 :考える名無しさん :02/01/06 22:28
経済学とかどうなの
向こうじゃ思いこんでるはずだけど。
102 :96 :02/01/07 01:48
>>100 経済学は、モデルでは数学を心理学や社会学が使ってるよりはるかに
使うけど、仮説の検証を科学的にやってるかどうかは・・・。
私にはちょっと確たることはいえないか。誰か詳しい人いない?
103 :考える名無しさん :02/01/07 15:01
全然詳しくないけど別スレで行く?
>>6 どうなんでしょう。経済学による過去の説明でも、事実についての
データをモデルに入れるとその過去に起きたことが導かれる、という
方法を使っているみたい(私も詳しくないのですが)なので、
その点では予測と本質的に変わらない気がしますが。正確なデータが
足りないので予測はできない、ということでは?
物理学でも、基本的に予測はできるはずなのだがデータ不足のせいで
不可能、というケースはあるんでは?
6さんのような、社会科学と自然科学の方法論は同じなのか違うのか、
という切り口は面白そうに思います。
>>9さんへ
ご明察のとおりです。よろしく。
まずは「経済学の学問としての性格」というのは
如何でしょう?
誰でしたか、マルクスの理論ではじめて資本主義
は自己認識尾を持った、といった人がいたと思い
ますが、そういう意味では経済学=市場経済を認
識するための理論ということでいいんでしょうね。
市場経済という領域において起きたこと、起きて
いることを説明する。予測についてはちょっと保
留しておきます。
ただちに出てくる問題は、その説明の妥当性を何
をもって保証するか、ということですが、経済学
ではどういうことになってるんでしょうね。
>>11 こちらこそよろしくです。
> 「経済学の学問としての性格」
じゃあ私は、経済学も物理学と本質的に性格は変わらない、ただし、実験が
できないなどの事実的な制約のせいで、物理学ほど仮説のテストがうまく
行えないんだ、という派でいこうかな。
経済学でも基本的に、仮説の検証は事実のデータにてらして行うはずなので、
過去の出来事を多く説明できると仮説が真実味を増す、という形で説明を
使っているのでしょう。
モデルからの未来についての帰結(予測)が事実に一致することと、
過去についての帰結(説明)が事実に一致することとの間に、本質的な
違いはないように思います。
ただその際、10でも触れましたが、データの入れ方によって説明ができるか
できないかが変わってくることはあるかもしれません。仮説が正しくなる
ようにデータを恣意的に持ってくると、アド・ホックな説明になってしまう、
とか。
そういうケースは物理学にもあるはずですが、データの選別に関する理論も
理系の学問は備えているので(実験屋さんの存在など)アド・ホックな説明が
まかり通ることは少ない、ということかもしれません。
できれば経済学の本職の人にも、誤解があったら注意していただきたいな。
>>12 その手の話題に興味があるようでしたらハイエク「経済学と知識」
(『個人主義と経済秩序』に所収)を読まれれば多少理解の足しに
なるかと思います。
14 :
考える名無しさん:02/01/11 01:14
よく知られているようにポパーなどは、科学の方法論は自然科学においても社会
科学においても同じだと主張しています。
ひとまずこれを前提としたとして、経済学は科学としての性格を備えているだろ
うか、という問題が成立すると思います。
ポパーは科学だと言ってるようですが、果たしてそうでしょうか。
とにかく俺のもってる転換社債をどーにかしてくれ。
今度の株主総会はみんな米国テロを理由にしそうだ。
後学のために小遣い程度で買った株だが、やはり気になる。
>>14 いろいろ研究を繰り返しているうちに、科学の分派に組されるでしょう。そうしたがる人たちがいます。
16 :
考える名無しさん:02/01/11 02:17
アダム・スミスなんかは哲学畑出身だっただろうに。
17 :
わかりません:02/01/11 03:27
>14
ポパーの主張にいち早く反応した経済学者はサミュエルソンでしたが、
ポパー流の反証主義が経済学全体に浸透していったのはここからだと思います。
基本的にはフリードマンなどの新古典派やケインジアンにしても、ほぼ同じ
スタンスの科学観を持っていたと思います。
と、いうのは、ポパー流の反証主義は、科学の方法であると同時に、科学を1つの
運動としてとらえ、発展していくものとして描いており、資本主義における成長し
つづける経済発展とうまくシンクロするところがあったのではないか。また、反証
主義と近代経済学はともにネオダーウィニズムを根底にもっているというところも、
両者が親和性の高い理由とも考えられなくも無いのではないかと思います。
ところで、自然科学も社会科学も、科学的方法としては同じであるか否かという疑問
ですが、科学が科学であるために必須の条件とはその手続きであって、対象が問題で
はないと思います。結論から言うと、両者とも科学であるといえると思いますが、
但し、その手続きをどこまで遂行でき維持できるかという点において、完成度が違って
くるということがいえるのではないでしょうか。
例えば、社会科学上、理論構築においてもっともすぐれているのは経済学ですが、
再現実験ということになると、完成度が低い。これに対して、心理学は、実験において
なかんずく実験計画において最も完成度が高く、パブロフの条件反射・スキナーのスキ
ナーボックスなどによってそれらは完成の域に到達しているとさえ言われます。
そこで、この学問間の落差を解消するべく、経済学に対して他の社会科学的方法の導入
を試みる試みは、特にアメリカで発展し、パーソンズなどが行ったものや、日本では
小室直樹が行った社会諸科学の統合の試みなどが著名です。
但し、私自身は、この試みは必ず失敗すると思います。
理由はいずれ…。
>>13 ありがとうございます。
>>14 > よく知られているようにポパーなどは、科学の方法論は自然科学においても社会
> 科学においても同じだと主張しています。
私も自然科学と社会科学の方法論は同じだ、あるいは同じであるべきだ、
という立場ですが、ポパーはあまり買いません。
>>9でも心理学や社会
学で統計を使うことに触れていますが、ポパーの反証主義では統計的な
テストをうまく扱えないからです。もしも
>>17さんがおっしゃるように
反証主義が経済学で有力なのだとしたら、それこそが経済学が物理学の
ように確度の高い科学的テストを持ちえていない原因だろうと思います。
>>16 > アダム・スミスなんかは哲学畑出身だっただろうに。
その頃に経済学と哲学の畑が分かれていたのかどうかは存じませんが、
「だっただろうに」の後には何が続くのですか? 経済学を哲学する方法
論について、何か提案があれば教えてください。
19 :
考える名無しさん:02/01/11 14:24
単純ですが、方法論的に同じだとしても、「目的の有無」が違うかと。
つまり経済学は、科学認識だけでなく、規範を示すべきかと。
20 :
考える名無しさん:02/01/11 16:50
社会システム>経済>交換>市場経済>・・・ という構造において「市場
経済」が学的系として成立する根拠=相対的な自律性の論証、及び、系とし
て成立するとして、現在のフレームワークの妥当性の論証といった課題はク
リアされているのでしょうか。
21 :
考える名無しさん :02/01/11 17:30
>8 分からないでないが,突っ込みを入れると,なぜ「予測は当たっていて」
と言えるんだ?
22 :
考える名無しさん:02/01/11 17:34
ポパーは間違っとるべ。自然現象と人間行為は性格が違うべ。同じ
方法は使えんべ。
「市場経済史」とかいう分野があると、現在の市場経済のポジショニングが
はっきりして違った方向があったりすると思うのだが。
このあたりはポランニーの「経済の文明史」あたりと問題意識がかぶりそう。
歴史的な認識ってゆーか、発生論的把握とゆーか制度が生まれ現前に至る過程
を把握することは大事ですよね。
経済学ってまさか、市場において価格は如何に決定するか、なぁんて問題意識
に発しているんじゃないでしょうね。そういうことでは市場経済はおろか価格
形成だって解明できないと思う。
貨幣経済っていつまでやるんだろうね。
全然関係ないけど、「最大多数の最大幸福」って表現、イマイチだよね。
実際に意味してるものは、「全体の幸福総量の最大」でしょ。
誰か何とかしてくれよ。
駄レスにつきsage。
26 :
考える名無しさん:02/01/11 22:05
>全体の幸福総量の最大
それじゃ一人の人が「幸福一万」で他の人はゼロでもよくなっちゃう。
>>26 それが「最大多数の最大幸福」の意味してるところでは?
(それが全体の幸福総量のとれる最大値なら、ね。)
28 :
OFW@区別モード:02/01/11 22:30
>>1(1さん)
スターリンの著作を読みましたか?
彼の一国社会主義論こそ経済学の哲
学的止揚です。
つまり、哲学的止揚とは一つの球体
への自己実現だが、経済学は多数体
系的であり、その横断から剰余価値
は生まれます。それへの止揚を単一
体系化=球体化=一国的自足で実現
しようとするのが、スターリンの理
論なのです。その意味で一国社会主
義は哲学の自己実現そのものといえ
ましょう。
29 :
考える名無しさん:02/01/11 22:48
>>28 難しくてよく分からないんですが
要するに国を単一の目的階層にまとめるということですか?
>一国社会主義は哲学の自己実現そのもの
なぜ多数の、目的の異なる人間の集合体としての国家が
「自己」実現の言葉で表されるのですか?
不勉強なのでご教授ください。
>>25 多かれ少なかれ、科学ってそういうのを目指してないか。
飢えている人のため、食料を大量生産、効率よく分配する技術が進んでも、科学は今、飢えている人を前にして、この手に持っている一斤のパンをいかに扱うかを科学は考えてくれない。
なのに、科学が発展すれば「世の中は良くなる」って漠然とした啓蒙に支配されて、個人で問題を打開する能力を奪ってる気がする。いざとなれば科学がなんとかしてくれるっていう思考停止。
個人の理性や道徳、倫理感を妨げつつ、科学の力で「最大多数の最大幸福」ってのも即物的だ。
31 :
考える名無しさん:02/01/11 22:53
>>29 OFWって?固定ハンドルがいてヘーゲル=マルクス主義者なんだが
一人嫌ってるやつがいて成りすまして煽ってんだ。
@なんとかがついてたら偽者の公算が高し
32 :
OFW@区別モード:02/01/11 23:08
>>28 一国とはインターナショナリティの
対義語として理解してください。
複数の国家間にはそれぞれ社会
的総資本の有機的構成の差異が
あるでしょう。その差異から、
特別剰余価値が出てくる。資本
の動力は大体その特別剰余価値
なのでそれを叩けば資本は死に
ます。そのためには国際性の否
定が必要です。国際性こそ国家
間の差異(資本構成の差異)を浮
き彫りにするからです。そこで
国際性の否定=一国的自足=単
一体系化が資本への止揚として
出てくる。それを理論化したの
がスターリンの一国社会主義論
なのです。スターリンのいう「
一国」とは理念的には相対化さ
れえない絶対の差異のことと、
理解してほしいのです。
バタイユの普遍経済学ってどうなの? 「呪われた部分」とか翻訳があるけど。
お話としては面白いと思うけど、相手にされているところはあるの?
34 :
わかりません:02/01/12 00:58
バタイユは、栗本さんが高く評価している思想家ですが、詳細は不明です。
読んでません。古典派の最大多数の最大幸福は、パレート最適に収斂して
いくのですが、専門ではないので説明できません。
ところで、NHKでやっていたミヒャエルエンデの遺言とかいう番組で、
貨幣には2つの側面があり、マネーゲームに使われる貨幣と、商品を売
買する際の貨幣では、その性質が違うのではないか、という指摘があり
ました。つまり、利子を生むものとしての貨幣と、商品交換の貨幣との
2つがあるのだという指摘です。
ここから生まれてくるのが地域貨幣というものですが、この貨幣は利子
を生まないので、貯蓄されるのではなくもっぱら流通にのみその機能を
果たします。貨幣が貯蓄されず流通においてのみ機能するとなると、個
人の貨幣の保有量と同値の商品が市場で流通するのですから、市場は活
性化します。また、利子を生まないので利息による資産の増加がありえず、
貨幣の獲得には自らによる商品の提供によって行われます。
極論すると、地域貨幣は物々交換をより円滑に行うための道具のような
性質があると思います。
いわゆる金融工学のような、破壊的力を持った金というものではなく、
お金という生活に密着したものとして、私にはリアリティがあるんです
が、どうでしょう。
35 :
考える名無しさん:02/01/12 01:03
36 :
考える名無しさん:02/01/12 01:20
激しくスレ違いだが
>>25のいってる意味がわからん。
>>28さん
スターリンは読んでいません。
一国社会主義=市場経済の禁圧=(市場)経済学の止揚?
スターリンは「一国社会主義経済学」を構築したのですか。
>>36 >>25は、「最大多数の最大幸福」という言葉が、それが意味するべきものを適確に
表現していないことに対する突込みです。
別に、「最大多数の最大幸福を追求して、少数派を犠牲にするのは間違ってる!」
とか言いたいわけではないです。
単に、日本語が正しく使われてないことが気に入らないだけです。
さて、初心に帰りまして。
市場経済は経済、経済(需要・供給)は生産と消費、生産と消費は
エネルギー交換のそれぞれ下位概念ですね(だとします)。
一方、市場経済学の基本概念である、需要、供給、貨幣などは特段
市場経済学が対象とするシステム特有のものではない。遙か昔から
交換システムとして機能していたものです。
さまざまな経済システム(自給・贈与・交換など)が機能する中で
作られた市場経済を認識する道具立てですが、果たして手続き、構
成は妥当なものだったのでしょうか。
経済の一部から市場経済が派生した、そういう時代の概念装置はそ
んなに目くじら立てるほどのことは無かったとも思います。
しかし、市場経済が経済の主要を占めるに至った今日なお、需要=
供給という市場内部の概念(前述のとおり市場外に期限を持つ)を
もって市場経済=経済を分析・理解することがが可能でしょうか。
結なんか経済学って市場経済の自己認識と言うより営利市場における
目的達成の道具たらんと心がけているみたいな気がしますね。
40 :
考える名無しさん:02/01/13 10:21
マルクス、ポランニー、バタイユはそうでもないだろう。
41 :
考える名無しさん:02/01/13 16:32
今の経済って労働量よりギャングルで成り立ってるんだよね?
遊びもいいとこだよ。
42 :
考える名無しさん:02/01/13 16:33
訂正・ギャンブル
43 :
考える名無しさん:02/01/13 17:22
正直俺も
>>25がわからない・・・
>全然関係ないけど、「最大多数の最大幸福」って表現、イマイチだよね。
>実際に意味してるものは、「全体の幸福総量の最大」でしょ。
すいません、情けないですが、誰か説明してください。
>>43さん、
私も
>>25=
>>27=
>>38さんに賛成です。
「最大多数の最大幸福」という言葉は一般的に、功利主義という立場の
スローガンとして用いられます。しかし、功利主義の実際の主張では、
何人の人が幸福になるかはあまり問題とされず、「1人1人の幸福の量を
全部足した総量を最大にするべきだ」と述べられます(もちろんこれは
功利主義の中でも素朴な立場で、現代の功利主義はもっと緻密なことを
言っていますが)。
つまり、25さんのおっしゃりたいのは、実際の主張とズレるスローガン
なのでやめてほしい、といったことです。日本語訳が悪いというより、
原語の時点でズレていたと思います。ただ、誰がいつこのスローガンを
最初に持ち出したのか私は知りません。
45 :
森の妖精さん:02/01/13 17:46
>>39 社会科学の数理モデルが現実味を帯びてきたのはコンピューターが発達
して非線形動学が出てきたここ10年くらいのこと。もともと、経済学は
主に物理学からの概念導入を行ってきた。平衡と均衡は全く一緒に
equilibrium。そこから、二財モデルの均衡論なんかも出て
きたわけだけど、二財しかない市場というのは実に非現実だし、これを多財
に拡張したとしても、計算量の問題で計算不能に陥る、それに外部からの
情報でも変化する、単純化したモデルは経済の理解には結びついたけれ
ど、それが経済の本質を捉えていたのかというのには疑問が残る。
それに、経済政策を考えれば、ケインズにしても、古典派にしても政策とは
明確に時代文脈に乗っ取ってきたもので、純粋に政治的な部分が大きい。
むしろ、経済学は金融や政策よりも自然環境を重視すべきではなかったんだ
ろかと思う。歴史的に重農主義と重商主義とを比べた場合に、明らかに
思想的にいえば重商主義側に偏りすぎたと思う。いや、たぶん、政治的に
その後の膨張的政策、つまり植民地や帝国主義から考えれば、そちらをした
方が理にはかなっていたという歴史的必然だった感もあるけど、エネルギー
量、エントロピーや熱量などの自然循環を全く考慮せずに一方的に経済だけ
を肥大化させてきたツケは大きいような気がする。むしろ下部経済の上部的
な商業ではなく、下部経済の基礎となっている自然との対話の学問がこれか
ら必要なんじゃないかなと思う。そういえば、最近、環境経済学のエントロ
ピー学派も水土派も聞かないな。
>>43 >つまり、25さんのおっしゃりたいのは、実際の主張とズレるスローガン
>なのでやめてほしい、といったことです。
でも
>>25は
>それが意味するべきものを適確に表現していないことに対する突込みです。
っていってる。やばい、俺も意味わかんなくなってきた。
>>47=9
>>44の解釈は概ねあってますが、一応、自分で書いときます。
「最大多数の最大幸福(の追求)」という言葉を、字面どおりに受け取れば、
「より多くの人々をより幸せにしよう」というふうに感じられます。ですが、
「より多くの人を幸せにすること」と「ある人をより幸せにすること」は
しばしば矛盾しますので、この解釈では、「最大多数の最大幸福」は、明確な指標には
なり得ません。
そこで、必然的に「最大多数の最大幸福」=「全体の幸福総量の最大」と解釈することに
なりますが、だったら最初から「全体の幸福総量の最大」と言ってしまえば良い話で、
わざわざ語弊のある「最大多数の最大幸福」なんて言葉を使うなよ、てことです。
>ALL
瑣末な問題で板汚しちゃってすみません。
こんなに反応あると思わなかったもので…。
49 :
考える名無しさん:02/01/13 22:04
>>45 >自然との対話の学問がこれから必要なんじゃないかなと思う。
賛成です。
加えて、宗教や伝承の科学的研究も重要だと思います。
こういったオカルト的なものと科学が仲が悪いのは何とかならないものかなぁ。
森の妖精さんの意見は面白いなあ、と僕も思いました。
>自然との対話の学問がこれから必要なんじゃないかなと思う。
「自然との対話の学問」が発展すると、具体的にどのようなメリットがあるとお考えか、具体的に聞きたいです。
また、仮にメリットがあるとして、それならなぜ現実の歴史では重商主義が発展し、重農主義は衰退してしまったのでしょう。そこには何か歴史の必然があったのでしょうか。それとも偶然だったのでしょうか。
51 :
考える名無しさん:02/01/13 22:55
百姓は大変ズら
52 :
OFW@区別モード:02/01/13 23:11
>>50(ミックさん)
重農主義より共産主義ですよ。ケネーよりマルクス。
53 :
考える名無しさん:02/01/13 23:26
氏ね氏ね、OFW
>>40さん
マルクスは資本論を商品からはじめてますね。商品は交換の対象
ではなくて、利潤実現の手段ですからマルクスの守備範囲は市場
主義経済オンリーです。たとえ資本主義経済の顛末がマルクスが
描いたとおりだったとしても、彼の理論立てからは、市場主義を
越える経済は出てきません。マルクスの方法では社会主義・共産
主義の経済は構想できないと思います。
ポランニーは全てを商品化するという市場主義経済を見誤ってい
ませんか?よく読んでないのですが。
バタイユ;読んでみたいと思います。
>>45さん
前半はおっしゃるとおりだと思います。需要も供給も市場外に
起源するものであり、そのことを捨象してはおかしな話になる。
後半で問題にされていることは、おそらく経済学の範疇を越えて
いると思いますが、越えていようがいまいが経済にも人間にも大
きく関わることを問題に出来ない市場経済の性格を批判できない、
批判する契機を持たないのが市場経済学のレベルというような気
もします。
そろそろプロ経済学の発言が欲しいですね。
>>54 >後半で問題にされていることは、
(中略)
>市場経済学のレベルというような気もします。
同意。
市場経済学もそろそろ落日かな。
>そろそろプロ経済学の発言が欲しいですね。
ホントですね。
>そろそろプロ経済学の発言が欲しいですね。
経済板に参加きぼーんと、リンク張ってくれば宜し。
57 :
考える名無しさん:02/01/14 06:41
58 :
森の妖精さん:02/01/14 07:12
>>50 >「自然との対話の学問」が発展すると、具体的にどのようなメリットが
>あるとお考えか、具体的に聞きたいです。
地球は太陽から熱エネルギーをもらって、そのエネルギーを自然循環させ
エントロピーを地球外に棄てている循環構造をもっています。その自然
環境の中で持続可能な経済発展とは一体なんなんだろうということです。
簡単な例題を挙げれば、例えば中国の経済発展に伴って中国の人たちが
一人一台の自動車を乗り回して地球環境がもつのだろうかとか、二酸化
炭素排出権やマルサス的な人口爆発の問題でもいいと思うのですが、そ
れらを経済学的にどうやって解決するのかということです。また、さらに
身近な例を挙げれば、自然環境を破壊するダムは経済政策的に有効なもの
なのだろうか、ケインズ政策では完全雇用を達成する為に一方的に公共事
業をおこなってきたけれども、自然環境に対しての制約はなかったのだろ
うか。都市部などの人工環境に対してのメリットと自然環境に対するデメ
リット、それらを有効に算出する手段がなかったと思います。
それら疑問が経済学ではほとんど提出されてこなかった。外部不経済
という経済モデル外の重要なパラメーターを忘れたというより意図的に単純
化しすぎた感があります。経済政策的にそれらをどのように調整すべきなの
かということが必要だと思います。
>重商主義が発展し、重農主義は衰退
畑を耕すよりは、他人のモノを盗む方が楽だったからでしょう。
大航海時代→植民地→帝国主義は略奪、搾取を中心とし、また、それらの
モノを売買することで市場が成立しはじめたということです。
多分、人類史上で狩猟時代から農耕時代に変ったという意義と似ていると
思うのですが、まず安易な方から物事が行われるとすれば、それは歴史的
な必然だったのでしょう。
59 :
森の妖精さん:02/01/14 07:15
訂正:地球は太陽から熱エネルギーをもらって
の熱エネルギーを「光」に変えてください。
エントロピーを排出しているというところで矛盾します。
60 :
考える名無しさん:02/01/14 10:10
4は頭狂ってる。氏ね
61 :
考える名無しさん:02/01/14 13:36
>25 あなたは正しい。大体「最大多数」って表現へんだよ。意味わかんねぇ。
ま,そういう表現でベンちゃんが言いたい事は25の通りだな。
62 :
考える名無しさん:02/01/14 15:13
>>61 ベンサムの最大幸福原理のこと?表現はおかしくないよ。
ベンサムの幸福=量的概念に従えば。
>>58 前半部分については、単に以前は環境問題がなかったってことじゃない?
しかし、経済外的なものをもってきて経済学を批判するのは現実的には難しいと思うな。
もっと内在的な批判をしないといけないはずなんだけど、なかなか難しい。
後半の歴史観については疑問あり。少し調べてみます。
64 :
わかりません:02/01/15 00:39
>>63 私もそう思います。環境経済学やいわゆるエコ哲学は今から15年位前に
登場しましたが、その後ぱっとしていないというのが実状ではないでしょうか。
たしかにマルクスのなかにも公害問題を扱った部分はあるらしいのですが、
だからといって、今日の経済システムを刷新できるかというと、そうでもない。
エコロジカルな問題は、単に科学技術的問題に収斂されるのではないかというの
が個人的見解です。
ところで、金融システムや貨幣経済に対して、内在的批判をしているものとして、
先に地域通過を取り上げましたが、私は詳しくないので以下のHPをご覧になって
ご感想をいただきたいものです。
ttp://www3.plala.or.jp/mig/why-jp.html
65 :
OFW@区別モード:02/01/15 00:56
>>58(森の妖精さん)
畑を耕すより、略奪のほうが確かに楽ですね。
だが、略奪される側も黙っているわけではない。
それはやがてプロレタリア大革命として結実
するのです。
66 :
考える名無しさん:02/01/15 01:27
資本主義経済の本質って何でしょ?
「貨幣」は社会主義国にだってある。
「所有」だって資本主義以前からある。「自由経済」もあった。
で、つまりは「信用」でしょ。資本主義経済の本質って。
そして現在、通信技術の発達によって「信用」にターボがかかり、
資本の自己増殖とでも言うべき資本主義経済の問題点が出てきた。
でも、資本主義経済の問題点を挙げる際に注意しなければならないのは
資本の本質を理解するのなら、その全否定では埒があかないということ。
67 :
考える名無しさん:02/01/15 01:39
社会主義国だって貿易してんだから、
資本主義の一形態じゃない?
当然社会民主主義も。
68 :
考える名無しさん:02/01/15 01:45
>>67 ほらね(笑
貿易してるから社会主義国だって資本主義なんだっていうアホアホな
混乱が生じるから、資本主義社会ということの本質を取り出さないと
駄目なの。
69 :
考える名無しさん:02/01/15 01:46
>>64 エンデは、時間との関連で貨幣を考えているんですよね。
労働からの自由を保障する、自由裁量時間の象徴としての貨幣。
交換を媒介するツールとして発明されたとおぼしい貨幣が利子シ
ステムを派生させたのと同じ理由で地域通貨経済が有利子経済に
転回する可能性は否定できないと思いますが・・・。
70 :
松田 ◆GpSwX8mo :02/01/15 01:48
貿易は資本主義の必要条件であるが、十分条件ではない。社会主義国も封建主義国も貿易はする。
ってことでいいんかな?
71 :
考える名無しさん:02/01/15 01:51
>>66 資本制市場経済の本質は、生産活動が利潤獲得を動機として行われる、
ということでしょ?
信用は当然そこから派生してきます。
72 :
考える名無しさん:02/01/15 01:56
>>71 それなら単なる自由経済ってことでしょ?
NAMだって自由経済を否定しているわけじゃない。
今、資本主義経済を否定している人たちが、問題にしている
のは、何なのか? その本質を取り出さないと駄目なのさ。
ここ哲学板でしょーが。
73 :
考える名無しさん:02/01/15 02:00
>>68 あほはお前。
社会主義国といえども分業体制の中に組み込まれてるってこと。
マルクス経済学の用語使うんなら柄谷とウォーラーステインぐらい読め。
>>72=66
あなたのいう自由経済ってどういう経済のことでしょう?
信用が資本主義の本質?
信用ってどっから生まれたの?
NAMとかってこのスレとなんか関係ある?
75 :
考える名無しさん:02/01/15 02:50
>>74 市場経済と言った方がよかった。
「自由経済」という言い方は確かに広い意味になっちゃう。
ちゃんと定義できるヤツなんてそういない。
資本主義の本質が信用という意味合いは、資本主義経済の問題点
とは何かを考えた時には、必ず「資本主義的なもの」がターゲットに
なる筈で、それは資本蓄積の運動(M−C−M‘)が、何を本質として
過剰な化け物なり得るのかを考えた場合、それは信用だろうという
程度の意味です。
ようするに「金利」の事ね
77 :
考える名無しさん:02/01/15 19:08
経済学の人たちって簿記とかやってんのかしらね。
市場経済学の根底には複式簿記の思想が牢固として
ありますからねー。供給=需要とか。
簿記やっとかないとなーんも分かりませんよー。
おいら? おいらは日商簿記3級だよーん(笑)。
78 :
考える名無しさん:02/01/15 20:32
資本主義じゃなくて資本制でしょ?
別に資本主義といったイデオロギーがあるわけじゃあ、ない。
79 :
考える名無しさん:02/01/15 20:49
資本主義といったイデオロギーはあるよバカ
80 :
考える名無しさん:02/01/15 21:17
ホント、救いようのない馬鹿。
資本制社会がそこから利潤を蒙る特権階級の変容によって
上部構造(イデオロギー)が自由主義→帝国主義と変転するのが
マルクス主義におけるイデオロギー(虚偽意識)論だろうが。
81 :
OFW@区別モード:02/01/15 22:10
あとで仕切りにきます。
我ながらこのスレ勉強になりますね。
おかげさまで収穫があるある。
ところで供給=需要というのは市場経済学の、ま、イロハでしょうね。
この等式って、いつどこで成立するのでしょう?
分かる人説明して。
82のつづき。
簿記3級の知識を援用すれば、供給=需要という等式が成立する
のは、世界資本主義終焉の日・終焉の時刻、1回こっきりのよう
な気がしますがどうでしょうか。もしそうだとすると面白い問題
がいろいろ出てきそうですが。
セイらの供給=需要というのは、時代背景抜きではあり得ません。
当時の生産要素−生産能力の水準、需要能力の水準、供給と需要
に先立つ社会的経済の様相、社会を覆う一般的な欠乏・・・など
が前提されてはじめて供給されたものは需要されるという関係が
経験的に実感された。つまり時代背景があってのことです。
供給=需要が(充足され得ぬ膨大な欠乏−必需的欲求があった)
ある時代に成立した=資本主義市場の原理だ、あとは検証の必要
なし、というのが経済学のレベル、簿記ではそうはならない(笑)。
「一般的な欠乏」こそ資本主義的信用の大前提ではないでしょうか。
作れば売れる、売れると儲かる、というわけですね。信用=妄信。
以下余談。
で、先進資本主義国においては、この大前提たる必需的・一般的欠
乏がほとんど見あたらない。つまり需要の背後にあるところの欲求
が必需的欠乏の充足というレベルから離陸してしまったため、欠乏
の充足を目的とする供給が需要(となるべき欲求)とミスマッチし
ているというのが現状。
これは価格で調整されるようなしろものではありません。
なんか経済学の検討が経済政策論議になりそうですが、このあた
りは「論座」2月号で松原隆一郎さんという経済学の先生が似た
ようなことをおっしゃっています。でもこの人は、需要=供給と
いう等式について、経験的には成立する時代環境にはない、とし
ながらもその理由の原理的な解明に至っていない。世界資本主義
終焉の日時以外には成立しない、ということに考えが及んでいな
い。すなわち、簿記3級的センスがない(笑)。
だからゼロサム的消費をきちんと評価した上で脱・資本主義とい
う政策方向に至ることが出来ないでいる。
どうも皆さん食傷気味ですかぁ?
さて、1めはこのスレ立てたおかげで、経済学がその成立の大々
前提である複式簿記を批判できないどころか、その上に乗っかっ
ている存在であることさえあるいは自覚していない壮大?なデタ
ラメに過ぎないこと、ポスト資本主義は、あれこれのそれらしい
システムを考案・実践することでは実現不可能であること、
などなどに想到し、さらに、
現行会社システムを活用した個々の企業の目的意識的−自然発生
的な取り組みの族生・世界的波及をもって世界資本主義を自然成
長的に乗り越えていく、という脱・資本主義の方向を発見してし
まい、積年の課題を解決することができました。
ご参加いただいた皆さんに感謝します。
わーい、マルクス乗り越えちゃった!
皆さん、記念カキコしときません?(笑)
86 :
考える名無しさん:02/01/20 01:34
経済のことは苦手だォ
私はこのスレで経済が少々分かってきましたね。
複式簿記が理解できないと資本主義経済は分かりません。
複式簿記も余り深入りするとダメ、日商簿記3級くらいが
ちょうど良いと思います(ということも分かった)。
繰り返しますが、簿記を踏まえていない経済学というのは、
船底の無いヨットのようなもの、ドックで艤装中はかっこ
いいけど進水したとたん・・(ということも分かった・笑)
そもそも、もとスレで文系学部はやばくなりそう、という話
もあって派生した当スレです。
古来、哲学は諸学に冠たる女王だそうですから、文系学部の
危機とやらは哲学科が救うべき。とりあえず科学・実学を自
称しておいでの経済学と渡り合えば哲学の効用をアピールで
きるのではないかと思いますがいかがでしょう。
たぶん、経済学の皆さんは、なぜ、簿記3級云々と言われる
のかということさえ理解できないレベルでしょうから、はな
からおいでいただけないとは思いますが(笑)。
ところで哲学科の皆さん。
哲学やっとけばどこに就職しても全然OKです。なにせ諸学の
女王たる哲学科出身、産業界を渡り歩く位、ちょろいもんと
いうのがOBの本音ですね。
たとえ他の諸学部・学科がどうなろうとも哲学は不滅です(笑)
88 :
わかりません:02/01/21 02:01
国民のための経済原論 小室直樹
>複式簿記が理解できないと資本主義経済は分かりません。
しっかり書いてありました。
ということは、比較優位論も理解してないといけませんか?
小室さんの本は未見ですが、私が言う「複式簿記を理解する」とは簿記理論を納得
するということではなく、期間損益計算の方法としての限界を理解するということ
です。金子利男 「会計の悲劇」(文化出版局 1990)参照。
この理解を援用すれば資本主義的供給=需要が成立する時点が分かります(笑)。
そうすると昔の人たちの供給=需要が経験的なものであったのに対して、今日の
経済学のそれがまったく根拠のない空中建造物であることが分かります。
資本主義を理解するのに比較優位論(国際分業のことですよね? すみませんね、
この程度のレベルで)は不要だと思います。
冒険貿易まで朔及すれば複式簿記−発生論として関係あるのでしょうけど。
資本主義の行動原理は儲かりそうな話にはカネを出す、儲かりそうもないところ
には投資しない、ということですね。
比較優位論はその実行段階についての認識ではないでしょうか。
90 :
わかりません:02/01/23 01:50
わかりました。私がお金に縁がないのは、お金に関心がほとんどないからだと
悟りました。
91 :
考える名無しさん:02/01/23 01:58
私は経済をやってるが、スレタイトルで覗いたが、
あほらしくて読む気にもならない。
これだけは言える。1が何を語ろうがオナニー。
>>90 資本主義初発のエンジンは、もっと・いっぱい・人よりも儲かりたい、
という資本家の情念だったでしようからね。
>>91 たぶんそうかも。ところであなた、簿記はやりました?
93 :
考える名無しさん:02/01/26 02:31
インフレで過去を洗い流そう。
>複式簿記が理解できないと資本主義経済は分かりません。
>複式簿記も余り深入りするとダメ、日商簿記3級くらいが
>ちょうど良いと思います(ということも分かった)。
こんなこと言ってる時点で
>>1は永久に経済学を理解することはできない。
同じことを経済板で言って見ろ。恥かくから(藁
>>94 わざわざ席替えには及ばない。ここであなたが恥をかかせたら如何?
そもそも諸学の女王たる哲学板から出っ張れとは・・・・(笑)
供給=需要という式が成立する環境を説明できますか?
供給と資本主義的供給の異同とか考えてます?
資本主義経済ってこの式の上に乗っかってるんでしょ?
簿記3級レベルの話なんですけどね。
96 :
考える名無しさん:02/01/27 00:23
何で経済学やる人が簿記をやる必要があるの。
国民経済計算。SNAでもやるのか。
しかしながらこれは九州大学系統の人がやっているが
この学者さんには簿記三級なんか必要ないよ。
もともと経済学に哲学は必要ない。
必要があるのは社会経済学とかマルクス経済学とかやる人
ですね。
>もともと経済学に哲学は必要ない。
「経済学を科学する」の方が良かったかな。
>何で経済学やる人が簿記をやる必要があるの。
もちろん、別に必須ではない、やらなくてもいい。
供給=需要であることが説明できればね。
98 :
考える名無しさん:02/01/27 00:34
貨幣について。
貨幣の「交換仲介機能」と「価値保蔵機能」は、
テレポート技術とITの超高度化によって不要になりうる。
貨幣に「価値尺度機能」しかなくなったとしたら、
それでも貨幣は存在しつづけられるのだろうか?
Let's 空想。
>>96 スレの趣旨は「経済学を哲学する」ですから、経済学に哲学を持ち込ま
ないといけない、と言うつもりは必ずしもないです。科学哲学や数学の
哲学だって、科学者や数学者に哲学やれと言うものではないですし。
# 確かにここしばらくは、経済学と哲学との両方に結びついたレスも
# 続いてましたが。それもあってあまり参加できなかったのでごめん
# なさい>1さん
むしろ私は、経済学の方が自分の説をテストするのにどういう方法論を
使っているのか、に興味がありますので、いろいろ教えていただけると
嬉しいです。
100 :
考える名無しさん:02/01/27 01:56
ところで哲板住民には、マル経以外にミクロ、マクロ経済を勉強している人っているの?
101 :
考える名無しさん:02/01/27 09:05
>>96 科学哲学はむしろ哲学者ですよ。科学者がやっているわけではない。
数学の哲学ってなに。どういうこと。
無限とか。そういうことを扱っている人ですか。
それも、哲学者ですよ。
数学であつかっているひとは、数学基礎論専攻です。
扱っている領域は同じところもあるがそれぞれ主題が違うので
競合しない。
>>むしろ私は、経済学の方が自分の説をテストする
テストなんてしないだろう。だいたい、モデルビルディングなんだから。
1さんにお聞きしたいのは、経済学というのは漠然としていますけども、
なにを指すのですか。
マルクス経済。社会経済。数理経済。計量経済。マクロ経済。ミクロ経済。
経済動学。景気変動論。
私的には、「経済学=経済に関する認識・理論」ですね。
で、現在の自称経済学で果たして上記の任に堪えうるのかな、
というのが「経済学を哲学する」ですね。
>>102 それは経済学史及び経済思想史の範疇に入ります。
京大の八木さんとか東北大の馬渡さんとか。東京経済大の今村さんとか。
及び柄谷さんとか。---がそのような分野になります。
経済理論とはあまり関係ない。
関連した分野は以上のとおりなので、お読みいただければ。
私は、「経済学=経済に関する認識・理論」と考えて論じているつもりの
ですが、それがなぜ
>それは経済学史及び経済思想史の範疇に入ります。
となるのでしょう? 説明していただけますか?
経済理論って「経済に関する認識・理論」ではないとおっしゃってる?
105 :
考える名無しさん:02/01/27 12:26
経済に関する認識という認識がすでに思想なんですけども。
だいたいモデルビルディングする上でなんらかの捨象を
行われます。
ということは、ある程度認識に関するものは捨象されています。
経済理論では、認識をとうことなく共通認識としてもっているものを
数式に投じていてその前提条件を問うことはない。
それで、おのおのの経済的な認識を問うことは
思想史にまかされている。
だいたい数理経済学の論文とかを読んだ時がありますか?
そこには供給とか需要なんかは与件として
出てきて意味は問われません。
モデルビルディングの意味をご存知ないのですか?
だいたい哲学というのは物理とかを例に出せばよくわかると
思いますが---。
質量とはすでに定義されていて意味は問われない。
それをまた、あらためて問うことは思想とか
もしくは哲学の範疇になる。ゆえ、そこに科学史・科学哲学の
出番になる。
しかしながら、物理屋さんはそのような意味は自明とみなし
問うことはない!
「共通認識」というのは認識ではない?
「共通認識」の妥当性を問うことは経済学の範疇ではない?
そういう態度もあり得るでしょうけど、そういう態度も対象に含めて
「経済学を哲学する」という趣向ですので。
モデルビルディングって認識が先行しますでしょ?
学説史っててモデルの興亡史でしょ?
107 :
考える名無しさん:02/01/27 13:59
共通認識の妥当性を問うことはない。
物理で質量とかを問いますか?
大体、あなたは公理系とか。定義とかをご存知なのですか。
系。および定理とか。
そこから経済学を論じないと話しになりません。
経済学のほとんどは公理。定義。系。定理。レンマ等からなります。
初歩の本には出てこないけど。
研究者レベルでは実質的にはそうです。現在のマクロだって
新古典派からなるのでそうなのです。
そこに認識などは問われない。といいますか。
認識などということばを経済理論の本でみたときがない。
わたしも共通認識などということばを使ったのが
悪かったけども。共通認識などということばも
用いませんね。
学説史はモデルビルディングの興亡史ではありませんよ。
念の為。
経済学者の思想を問うものです。
興亡というのは優劣を問うものだと考えていらっしゃるのかも
しれませんが。思想に優劣も興亡もないでしょう。
馬渡尚憲『経済学史』を読んでみては。
経済学、って言っても、
大学でやっているのは、国際共通のマクロ、ミクロが主流で、
国際貿易論以外では、ほとんど複式の発想は持っていないと思う。
若干、一部に、マルクス経済学の残党がいるが、
最近は、経済学というより、労働社会学などに逃げてしまった。
哲学との関係で言えば、
かつて栗本などがやっていた、経済人類学があり、
ポラニー兄弟をはじめとして、海外でもおもしろい学者は多いが、
京大の佐伯先生を除いては、いまや誰も話し相手になってもらえない。
経済学が今日、破綻しつつあるのは、
それが、数量化された後の生産や流通しか扱わないからで、
信用そのもののような、人間くさい根本問題は、
経営学でもいまだに不得意のまま放置されている。
簿記三級も結構だが、
せっかくなら二級を飛ばして一級の会計学は学んでおいた方がよい。
というのも、会計学の方が、現実を数値化する原理原則を研究するから。
ただし、日商のは、税務対策用に教条主義的なので、
外国や歴史において多様な会計学が成り立ちうることを
経済哲学としてもっと研究してみるとおもしろいと思っています。
109 :
考える名無しさん:02/01/27 14:34
栗本さんて、経済人類学とかという話しですけど。
初期の頃は西洋経済史ですよ。
なので、経済理論とかはほんとうのところ
ご存知ないと思われます。
物理学の質量に当たるのは経済学の場合だと何ですか?
物理学の場合、質量に関する知識はどこからもたらされたのでしょう?
などなど、考え合わせてみると面白いですね。
>大体、あなたは公理系とか。定義とかをご存知なのですか。
>系。および定理とか。
>そこから経済学を論じないと話しになりません。
果たして現在の経済学の守備範囲が系とか公理とかを云々できるのか否か
大いに疑問ですが、とりあえずあなたのおっしゃるとおりでいいです。
さっそく「供給」と「需要」を定義してくださいよ。
新古典派って、「経済に関する認識」の内容で他と区分される一派のこと
でしょ(笑)。
>認識などということばを経済理論の本でみたときがない。
たぶん、あなたがお考えの「経済理論」とこのスレの「経済学」は
違った概念ですよ。
学説ってモデルビルディングじゃないの?
経済学者の思想ってなに? 仮にも学説と云うくらいだから、経済
をモデルを論じてるんじゃないの?
学説ってどういう脈絡で「史」になるわけ?
>思想に優劣も興亡もないでしょう。
思想に優劣も興亡もない? 経済学説にも優劣も興亡もない?
ふーむ、そいじゃ好き嫌いは?
>>108 あの---。京大の佐伯先生とか間宮・西部さんとか、東大の松原さんとかは
社会経済学で、理論経済ではありません。
複式の発想はありますよ。あなたは武野秀樹『国民経済計算』を
知らないのですか。経済企画庁あたりの報告書もみたときないので
しょうか。
会計学は哲学は関係ありません。実務から出発してます。
外国の会計は、実証中心なんですけど。
現在は、株価とファンダメンタルズの連動。とか
情報経済学との連携を強めて、どちらかというと
理論経済学に近くなっています。
日商二級を飛ばして一級ってどちらにしても違う知識では
ないので同じ事です。
112 :
考える名無しさん:02/01/27 15:03
>新古典派って、「経済に関する認識」の内容で他と区分される一派のこと
でしょ(笑)。
他と区分されるんですか。
すごいことをおっしゃいますね。
ところで、あなたの経済学の知識は、どの本とか
どちらの先生からということは出てきませんね。
根拠がしめされないのですけど。
ついでにいいますと小室さんとかは経済学者ではないですよ。
論文とかもみませんし。
また、もうこのスレにはきませんので。あしからず。
114 :
考える名無しさん:02/01/27 15:17
栗本慎一郎「1860年代末のイギリス製鉄業の実態」『社会経済史学』35巻4号
>>114 サンクス!
そういや昔は浅田と佐和が共訳で経済人類学の本訳したりしてたなぁ
私は、「経済学」=現代社会の経済事象を認識するツール、枠組みと考えた
とき、果たしてそれは妥当なものであるか否か、検討できたらということで
当スレを思いつきました。
ちょうど会計学について、
>>107さんが
>会計学の方が、現実を数値化する原理原則を研究するから、
>>108さんが
>会計学は哲学は関係ありません。実務から出発してます。
と発言されています。
私が簿記3級的疑問というのは、「現実を数値化する原理原則」として現行
会計学(の原理原則)はおかしいだろう、ということです。
会計学は実務から出発するから哲学は必要ないというご意見ですが、そんな
ことは全然ありません。会計学の数字の操作はきわめて恣意的であり、ほと
んど対象と何の関係もないものだと思います。このような会計学が現実に実
務で機能しているのは、これ青原理原則にする、とい哲学(方法論的選択)
に基づいてのことです。
例えば、資産=現金+売れ残り在庫の仕入れ価格+バブルでつかまされた土地
の取得価格、というとき、合計して表された貨幣数値はいったいなにを表して
いるのでしょうか?(既出「会計の悲劇参照)
と、考えはじめたら夜も眠れず、とても2級、1級に進めない訳ですね。
会計学は、「現実を数値化する原理原則」としてはきわめて問題があると思
われますが、会計学は実務から出発しているから哲学は関係ない、という哲
学で来られると話がぜんぜん違うレベルにぶっ飛んでいきますよね。
でも多分、経済学の皆さんはそういう論議には不慣れのようです。
さて、どうしたものでしょう?
もともと、需給=需要という、経済学的公理か何か知りませんが、約束事が
どうして成り立つのか、経済学やっている人なら誰でもさらさら答えていた
だけそうな問いですが、実際聞いてみるとはかばかしくありません。
そこで自分たちで「哲学しちゃおう」ということなんですよね。
したがって、誰それを読んでこいとか、それは○○経済であっって××経済
学では扱わない、などと内輪の話をされるとちょっとね、という感じです。
自分で需給曲線描いてみろよ。
経済やってて現実に需要=供給が成り立つと思ってるヴァカはいないぜ。
仮定するんだよ。近似として。
118 :
考える名無しさん:02/01/28 23:08
経済系スレ乱立防止age
119 :
考える名無しさん:02/01/29 00:25
まず、科学認識としての経済学と、もっと包括的な学問としての経済学を区別するべきではないだろうか。
主流の理論経済学(数理経済学)が目指しているのは、第一に無矛盾であること。
第二に、可能な限り経験的妥当性を確保すること。
これらは科学一般についていえることだが、自然科学と社会科学では事情がだいぶ異なる。
簡単に言えば、社会科学の対象は熱の伝導なんかより遥かに難しい、というのもその一つだ。
だが一番重要なことは、社会科学は現状分析だけでなく規範を示さなければならない。
しかしながら、「規範」というのは科学認識としての経済学では原理的に示すことができない。
ここまできて、やっと包括的な経済学が必要となるわけだ。
で、一連のレスを読んだ感想としては、数理経済学と経済人類学系の人が不毛な対立をしてるように見える。
数理経済学は科学・説明価値という点からみたら抜群だろうし、
倫理的側面も含めた包括的な学問という意味では経済人類学のほうが上だろう。
両者とも、互いに歩み寄るべきだと思う。
実は経済学にはあまり詳しくないのだが。
>>119さん
再三申しあげているように、私の問題意識は社会的事象としての経済を認識す
るツールとしての経済学の妥当性を検討する、ということです。
○○経済学、××論といった「アプローチの相違?」の前に、前提(一部で
は公理だそうだが)の定義をしていただきたいと云っているわけですね。
定義抜きで、供給=需要が恒等だ、いや近似だといわれても検証することが
出来ません。いったい供給とは何か、需要となにか、ということです。
不毛な議論とおっしゃっていますが、残念ながら議論にはなっていないと思い
ますね。不毛は当たっていますが(笑)。
面白そい論点をいろいろ出していただきましたので後ほどまた。
121 :
考える名無しさん:02/01/29 08:56
122 :
考える名無しさん :02/01/29 16:26
どなたかハイエクの言うところの「自由」について教えてください。
>>122 強制のないことです
バーリンの消極的自由にあたると思われます。
詳しくは自由の条件1‐3(特に1…「自由の価値」)をどうぞ。
>>120 需要:商品に対する購買力の裏づけのある欲望。または、その社会的総量。
供給:販売または交換のために財・サービスを市場に提供すること。また、その数量。
>不毛な議論とおっしゃっていますが
どこで?錯誤するなよ。
>>124さん
どっかで見かけたような定義だが(笑)
おっしゃるような供給と需要が一般的に等しかったり、近似だったり
する理由を言えますか?
東京における焼芋の需要と供給を表した需給曲線を考える。
縦軸には焼芋の価格が、横軸には焼芋の需要と供給がとられる。
需要曲線は右下がりになっている。
これは焼芋の価格が安くなれば焼芋の需要が増大すると考えられるからである。
もし焼芋が1本500円も1000円もしたら、焼芋を買う人はあまりいないだろう。
逆に、1本数十円であれば、焼芋を買う人も増えるだろう。
供給曲線は、通常、右上がりの曲線として描かれる。
これは、価格が高くなれば、焼芋の供給も増えると考えられるからである。
もし焼芋が高く売れるなら、焼芋を売る人も増えるだろう。
逆に、焼芋の値段が安ければ、焼芋を売って歩こうという人も少なくなるに違いない。
このような需給曲線のグラフで、二つの曲線の交点は重要な意味を持っている。
この点で、需給が一致するからだ。
この点を「均衡点」と呼び、このときの価格を「均衡価格」と呼ぶ。
このような状態に均衡という名称をつけるのは、現実の経済の焼芋の価格や需給が最終的に落ち着く点が、この均衡点で表される状況に近いものであると考えるからである。
かりに、焼芋の価格が均衡価格より高いものであったらどうなるか。
需要は少ないのに、供給ばかり多くて、売れ残りが出てしまう。
このような状態を「超過供給」と呼ぶ。
超過供給の状態は長続きしない。価格は下がるだろう。
逆に、焼芋の価格が均衡価格より安いものであったらどうなるか。
自分で考えろ。
>不毛な議論とおっしゃっていますが
どこで?錯誤するなよ。
>>126=127=124さん?
こういうことは「痛快!経済学」に書いてありますね。
私が聞いているのは需給曲線が成立する「一般的」根拠なんだけど。
130 :
考える名無しさん:02/02/01 09:19
古典派経済学は何も需要=供給を世に知らせたかったんじゃない
需要=供給は二次的なものに過ぎない
彼らの主眼は個人の消費を分析するところではなく
重農/重商主義経済学を批判するとこにあったはずだけど
後世の人がそれを体形的にしただけ
柄谷的に言えば
それはちょうど
マルクスはたんにそれまでの経済学を批判しただけなのに
後世の人がマルクス「主義」を作ったのに似てる
131 :
考える名無しさん:02/02/01 18:30
age
焼芋の話が出ましたが、経済系の人はクルーグマンにならって
次のような思考実験を試みられたら如何でしょうか。
1.焼芋の需給だけで成り立っている経済を想定する。
2.焼芋の需給関係を論ぜよ。
3.供給の合理化が需要に及ぼす影響及び焼芋経済の
将来を予測せよ。
>>108 まともな会計学は、実務そのものではなく、なにが実務であるかを問う。
日本のB級講義では、
現行の簿記の試験ための会計学しか教えていないことも少なくないが、
なにをもって財となすか、また、なにをもって所有となすか、
というような話は、まさに経済哲学の問題。
シュマーレンバッハの「動的貸借対照表論」
ペイトン=リトルトンの「会社会計基準序説」
は、最低限、必読書だと思うが。
「痛快!経済学」って・・・(笑)
あんなもの読んだぐらいで経済学理解したとか思ってないよな?(笑)
「一般的」根拠ってなんだよ。意味わかんねえ(笑)
一般的を定義してくれ。
一般的根拠を例をあげて分かりやすく説明してくれ。
供給の合理化ってなんだよ。意味わかんねえ。
生産性の向上のことか?限界費用の均等化か?
合理化を定義してくれ。
クルーグマンってバリバリ経済学者じゃん。
経済学の枠内で考えろってことだろ?
何でオマエが持ち出すの?
全世界の総輸出額と総輸入額がイコールにならない理由を教えて下さい。
クルーグマンは宇宙人がいるからと言ってますけど。
>>133=純丘さん。
私は経済学も会計学も学んだことのない門外漢ですが、おっしゃるように
日商簿記が税務簿記であり、企業の実態とは無縁の記録であることは理解
しています。しかし、これは会計学の体系が複式簿記という本来はメッセ
件別など口別損益計算の方法として成立した複式簿記をgoing concearnた
る企業の期間損益計算に応用した、という経緯から生じた免れがたい性格=
欠陥だと思いますが如何でしょう。
>>116。
お示しの文献ではこのあたりが克服されているのでしょうか。
よろしければ簡単に説明してください。
>>134さん
>「痛快!経済学」って・・・(笑)
>あんなもの読んだぐらいで経済学理解したとか思ってないよな?(笑)
思ってません。本屋で見たら冒頭にチョコの需給曲線とか出てたので。
>クルーグマンってバリバリ経済学者じゃん。
>経済学の枠内で考えろってことだろ?
>何でオマエが持ち出すの?
私が読んだ唯一の彼の時報文で「ホットドッグ経済」について思考実験を
していました。アイデアを借りたので名前を出しただけ。
>>132は、こういう思考実験をやると市場経済学的需要と供給の正体が分
かるだろうと思っただけ。
138 :
考える名無しさん:02/02/02 11:42
>>134さん。
漏れは経済学も会計学もかじっていますがーーー。
どうも、ここのスレは経済学も会計学もよくおわかりでない方が
レスしているみたいなのです。スレを付けても意味はないでしょう。
日商簿記が税務簿記であるというのは聞いた時がないし。
金子さんは会計学者であるのかどうかも知らない(たぶん、
会計学者ではないと思う)。
また、会計学者で哲学を使う学者さんはいっぱいいるがその中で
経済哲学ということばを使うひとはいない。
哲学を使った会計学をするひとは富塚嘉一さん、永野則雄さん等。
哲学とかを専門にとりいれる人は、大学院等を出た人なのでは。
このスレでは、定義づけで、問題提起なさっている方がほとんどですーーー。
でも、学問で定義づけを問題視されるかたはその学問には
むいてはいません。なので純粋哲学にむいています。
経済学とか会計学には向いていません。
「痛快!経済学」とか簿記3級で意見を語る人はいないと思う。
現代哲学批判で、ソーカルを持ち出すのなら分かるが、
ゲーデルを持ち出すのは批判にならない。
それは経済学特有のものすごい誤差のせいじゃないの?
俺が工学から移ってきたときに一番びっくりしたもの。
全人類から善意・悪意に関わらず錯誤をなくさない限り、どうしようもないが。
>>138さん。経済学と会計学を学ばれているんですね。
1.ここの文脈で用いられている「経済哲学」という用語について。
富塚さんが「会計認識論」などで論じている問題領域が会計哲学、同様の問題を
経済で考究するのが経済哲学でしょう。哲学≒認識論≒方法論という用法です。
ちなみに、スレの「哲学する」は方法論的レベルで検討する、というような意味
です。けして「定義」を論じている訳ではありません。
蛇足ですが、方法論は科学に先行するという立場があり、多分、哲学系にはそう
いう人が多いことでしょう。「実務は哲学に無関係に成立する」などという「反
哲学」的主張も一つの哲学的=方法論的立場と見なされます。
やっかいですね。
2.会計学の水準。
私は先に、現在の会計学は現金有り高と土地の取得価格を同列視、合計して総資
産とする「哲学」を採用していると述べましたが、現行会計手続きが特殊な「哲
学」的立場であることは認めますか?
「総資産」の計算にについての問題点に最初に気づいたのは、金子さんです。ご
推察のとおり、金子さんは会計学の先生ではありませんが、それが何か?
職業的位置が発言内容の評価に作用するとお考えですか?
複式簿記が冒険貿易など口別損益計算の手法(合理的な利益配分手続き)として
案出・洗練された、という出自に着目すれば、これを期間損益計算に応用する場
合、繰越資産の処理という問題が発生します。現在の方法が本当に経営資産を記
述するシステムとして目的整合的なのかどうか、あらためて検討してみることは
会計学の内部から出て来てしかるべき課題だと思いますけどね。
会計学の先生的には「総資産」という貨幣単位で表されている数値はなにを意味
しているのでしょう?
>>142 金子さんでなくても気づいています。
金子さんは会計学者ではないのですね。
おそらく会計学者の著書をわかりやすくまとめた
ものなのではないでしょうか。
東北大の杉本さんの著書にもありますし(これは古い)。
というか。別にレスしたくないのだがーーー。この問題は
永野さんの方が詳しい。いずれにせよ、
日商一級とかを取ってから論じる問題。
144 :
考える名無しさん:02/02/03 14:09
>>132 オイオイ1財モデルなんて経済学の初歩の初歩じゃん。
そんなことでクルーグマン持ち出すなよ。
クルーグマンがかわいそう(w
ここの1はかなり凄い人だ。
タダモノではない。
146 :
考える名無しさん:02/02/03 15:11
ケダモノ
147 :
考える名無しさん:02/02/03 15:14
クルーグマン論文 「無謀な挑戦」 The New York Times 2001.7.8 より引用
そんな状況の時、どこに景気回復の展望が開けるのだすうか。この質問を、小泉
政権の経済プランの策定者である竹中大臣にぶつけてみた。彼の名誉のために言
っておくと、彼は問題を曖昧にし、ごまかしたりはしなかった。彼は、自分のプ
ランは「供給サイド」に関するものであると認めていた。すなわち、差し迫った
問題は日本経済が「需要サイド」の問題に直面していることなのに、竹中大臣は
日本経済をもっと効率的にしようとしているのである。それにもかかわらず、彼
は、改革は最終的に需要サイドも改善することになると主張していた。消費者が
経済の長期的な見通しが改善されたと理解すれば、財布の紐をゆるめることになる
と、彼は断言した。また、さらに改革(主に規制緩和と民営化)を進めることによ
って、新しいビジネス機会が生まれ、それが設備投資を促進させるだろうとも主張
した。
そうかもしれない。しかし、そのプランは無謀なように思える。すなわち、効果を
発揮するだろうという期待からとられた政策であって、効果を発揮すると信じられ
るような確固たる根拠があってとられた政策ではないのである。
148 :
.クルーグマン:02/02/03 17:45
リチャード・クーの見解をパクリました。ごめんなさい。
急に見解を変えてごめんなさい。
149 :
考える名無しさん:02/02/03 20:22
クルーグマンはケインジアンだからね。
確かにクルーグマンの言うように調整インフレができれば、
流動性の罠を突破して需要サイドから景気を回復できるだろう。
しかし恣意的にインフレを起こすのはリスクが大きすぎるので、
非現実的だ。
現状はサプライサイドにも原因があることは確かなので、
竹中平蔵は間違ってないと思う。
ただ、クルーグマンの言うことには一理あるが、
亀井静香の言うことには一理もない。
明らかに抵抗勢力が間違っている。
150 :
考える名無しさん:02/02/04 00:47
経済学に果敢に挑んだ1が、
経済学の人にボコボコにされています!
誰か助けてあげてください!
151 :
経済板の住人:02/02/04 01:17
147は経済板に私が貼った奴ですな。
1行目間違えたままだ。
クルーグマンは金融政策でしか解決策はないという立場。
一見、荒唐無稽なように見えて、実にシンプルな経済学の
基礎理論に準拠している。
単純に彼は実質金利を引き下げるべしと言っているだけ。
ゼロ金利と言っても、実質金利はプラスである。
実質金利 = 名目金利 − 期待インフレ率 だから、
期待インフレがマイナスであるから、実質金利が下がらない。
実質金利が高いからデフレ圧力がかかり続ける。
換言すれば、完全雇用を満たして均衡すべき状態の金利がマイナスに
なってしまっている。したがってゼロ金利でも景気は回復しない。
だから、お金の量を増やし、インフレ期待を醸成させて、
実質金利を引き下げよというもの。非常にシンプル。だけど現実の政策
としては日銀がなかなか踏み切れない・・・。
非常に経済学原論にシンプルに準拠していて、政策当局への提言は大胆。
しかし、核心をついていて、誰にでも分かりやすく説明している。
こういう人って、哲学、思想界にいるかな?
152 :
経済板の住人:02/02/04 01:26
>>149 亀井静香云々はどうかとも思うね。実際、経済板で財政出動を否定する意見を書けば、
ボコボコに論破されちゃうでしょう。
個人的には、財政出動については問題はないと思う。
というか、最大のネックは今、ここにあるデフレであって、
その為の景気対策は何らかの形で打たなければならない。
構造改革(残念ながら小泉さんのは機能していない)、やサプライサイドの改革
は縮小均衡政策であって、供給過剰の中で需要を減らそうという逆噴射の政策
であることは否めない。そのうちいつか経済が縮小均衡に向かうというものだけど、
そうした過程の中で、デフレがスパイラルに進行し、雇用のさらなる悪化、
需要の停滞を招き、結局は財政をさらに悪化させるということになる。
したがって、長期的な展望でまずはデフレ対策を打ってから、財政再建に望む
方が現実的である。
貧乏くさい書生論は現実の経済には通用しないのである。
ポリシーミックスも重要だと思うのだけど、財政出動とインフレターゲットは両立しえない。
なぜなら、財政が出動すると円高、長期金利の上昇を招き、実質金利がうまく
低下しないからである。市場が経済の悲観論に暮れる中、突然日銀が
インフレターゲットを宣言して、やることやってくれると、サプライズでうまく
いくと思うのだけどね。
153 :
経済板の住人:02/02/04 01:31
>>148 クーは積極財政を主張し続けている人ですね。
だから、クルーグマンとは逆の見解ですね。
どちらも、構造改革に否定的(クー)、懐疑的(クルーグマン)ということで
共通していますけど。
でも、クーとクルーグマンを併称することは、柄谷とデリダを併称するような
ものでしょう。格が違うという意味で。
154 :
経済板の住人:02/02/04 02:39
以上、簡単に現況ならびに経済板のコンセンサスを要約させていただきましたが、
哲学板の皆さん、何かご質問があれば、書き込んで下さい。
なるべく易しく説明いたしますので。
私の力量にも限界があるかと存じますが。
>>154さん、
> 哲学板の皆さん、何かご質問があれば、書き込んで下さい。
ありがとうございます。
お言葉に甘えてさせていただきますと、私が
>>99で
> 経済学の方が自分の説をテストするのにどういう方法論を
> 使っているのか、に興味があります
と書いたところ、
>>101さんに
> テストなんてしないだろう。だいたい、モデルビルディングなんだから。
というお返事をいただきました。
経済学者の方はモデルを作って、テストといいますか、どのようにして
モデルの優劣を決めてらっしゃるのですか?
156 :
経済学の住人:02/02/04 03:07
>>155 うーん、実務的には多少の経験しかないもので・・・。
まあ、モデルの有意性については、統計学的に導かれるということですね。
例えば、タコ焼きが売れると、長期金利が上昇するというモデルがあったとします。
(こんなアホなモデルはありませんけど)
それで過去のデータを使って、経済学者さんは、モデルを作られるわけですね。
ここで様々なパラメータをモデルの中に組み入れて行きます。
長期金利をY、タコ焼きの売上高をXとすると、
最も単純化されたモデルだと、
Y=aX + b
という形になりますね。このモデルが現実のデータを説明するにあたって、
当てはまりがよいかどうかを統計学的に検証するわけです。
係数(パラメータaとかbとか)が当てはまりがいいかどうかについては、
統計学上の概念を使って(例えばt値というのがありますね)、検証します。
その辺りのモデル作成にあたっては、ちゃんとした専用のソフトがあります。
データを放り込めば、何通りものモデルが作られるわけです。
その中で当てはまりがいいように、利用するデータを加工したり(改竄ではないよ)、
モデルの様式をいじったりして、もっともいいモデルを作るわけですね。
勿論、データの加工の仕方や、モデルの形式の違いによって、当てはまりの良さが変わって
きます。その辺りは経済学者さんの力量にかかってくることになりますね。
勿論、恣意的に自分の理論をうまく説明するために、モデルを導くケースもありますね。
(というか、モデルビルディングはそういうツールだと考えた方がいいんでは)
哲学だって、論理学の形式によって、神の存在を証明したりすることもあるわけで、
この論理学が数学や統計学に置き換わったものだと考えればいいんではないでしょうか。
論理学の証明も、数学上の証明も、結論は同じでも、美しい汚いがあるわけですね。
>>156さん、
素早いレス、どうもありがとうございます。現実のデータと統計学によって
モデルのテストがなされる、というのを伺えて興味深いと思いました。
>>12でも書いたんですが、私は「経済学と自然科学の方法論に本質的な
違いはない」派なんです。
データによる統計的テストはもちろん、データを集めてから統計的な加工を
施す点や、データにあうように後からモデルを作ることもある点なども、多く
の自然科学と共通した特徴じゃないかと思いました。
>>143=
>>138さん
私が
>>142で提出した質問にはまったく答えていただけませんでしたね。
金子さんはかって雑誌「企業会計」(中央経済社)で活躍した人。
>日商一級とかを取ってから論じる問題。
簿記全体に疑義がある、というのが私の主張。簿記の妥当性を問うのに簿記の
資格は必要ないだろう。「簿記三級」発言に拘泥してると問題を軽視すること
になる。そうすると・・・・(笑)
>>144さん。
>オイオイ1財モデルなんて経済学の初歩の初歩じゃん。
>そんなことでクルーグマン持ち出すなよ。
その陳腐な「初歩の初歩」で私がなにをたくらんでいるかは分からない
でしょ?(笑)
クルーグマンの名前を出した理由はちゃんと確認しといてね。
>>137 クルーグマンの「ホットドッグ経済」読んだうえでレスしてます?
こういうことは、設問が経済学的に如何に取るに足らないものであるかという
ことをあなた自身の手で論証した後でいうべきですよ。
>>150 どこで「ぼこぼこ」に?
早とちりすると恥をかきますよ〜(笑)。
>>149〜153、これらの認識の前提となるフレームの妥当性を問うことが当スレ
のメインディッシュのつもりです。
>>156、
>>157さん。
私的にはこういう問題もいずれは触れる予定ですが、現時点ではとりあえず
これまでの流れで行きますのでレスは差し控えます。
皆さん.
>>132の思考実験、やってみよーかっていう人いません?
経済学の基盤・根幹を問う大実験なんですけどね(笑)。
会計学関係は不発かな?
財務諸表論とかやってる人がいてくれると議論が広がりますが。
159 :
考える名無しさん:02/02/04 11:07
>>1 要するに、現実の事象を抽象化する能力に欠いた人がいじけているスレということか。
「経済学を哲学するの趣旨・現状・展望
趣旨:
現代経済認識のツールとしての経済学が依拠している哲学−認識−方法論の検証。
作業:
1.経済学が依拠している哲学的前提を明らかにする
2.その方法論的問題点を指摘する
3.問題点が原因となって経済学が直面しているアポリアを示す
4.解決するためには算数より哲学をやるべき、という結論に至る
というような段取りを考えています。首尾良くいけば楽し−かな。
もちろん現時点で成算があるわけではありません。
現状:
で、1.の供給−需要論から入っていきたいと思うのですが、なかなか。
視点を変えて簿記の前提から攻めようとするが、これも膳〃。
後は焼き芋経済の思考実験ですが、挑戦する人いらっしゃらないかなぁ。
少なくともクルーグマンの「・・愚かな人々」所収の「偶然の理論家」
レベルの思考実験は批判的に踏まえておくことが条件ですけど。
これまでの収穫:
少なくとも経済&会計学徒の方法論的レベルの一端は見た(笑)
展望:
うーん。
哲学系だけで進めるなら当然別のアプローチにしますが。
いかがなものでしょう、経済・会計系の皆さん。
>供給−需要論から入っていきたいと思うのですが、なかなか。
>視点を変えて簿記の前提から攻めようとする
この方向でお願いします。
162 :
考える名無しさん:02/02/04 21:05
>>159 禿同。
経済系の学部を出た方は偏差値がバラバラなので
知識がまちまちで困る。
163 :
考える名無しさん:02/02/04 23:17
経済版はそんなにケインジアンが多いのか。
そのせいで日本は構造不況になったというのに。
レーガノミクスやサッチャリズムをどう説明するんだ。
好況のときにやったんじゃないぞ。
実際、アメリカは今基本的に元気だ。
日本は真似すべきだ。
クルーグマンは確かに理論は素晴らしいが、
アメリカの好景気を作り出したわけではない。
164 :
考える名無しさん:02/02/04 23:29
>>1 「一般的」はまだ定義できないの?
「合理化」はまだ定義できないの?
で、あなたの思考実験の結果はどうなったの?
人の意見を求める前に、まず自分の意見を書こうね。
165 :
考える名無しさん:02/02/04 23:37
1はもっと自分を客観的に見れるようになったほうが良いね。
経済・会計系はあほらしくてもうレスしないと思うよ。
>>161さん。
ちょっと待ってくださいね。
>>164さん。
私が用いた一般的、合理化は理論負荷されていない一般的な用語。
辞書に説明されているような意味だと思ってくださいね。
>で、あなたの思考実験の結果はどうなったの?
>人の意見を求める前に、まず自分の意見を書こうね。
次のレスを参照してください。
>>39、
>>82、
>>84
167 :
考える名無しさん:02/02/05 17:55
晒しage
163 :考える名無しさん :02/02/04 23:17
経済版はそんなにケインジアンが多いのか。
そのせいで日本は構造不況になったというのに。
レーガノミクスやサッチャリズムをどう説明するんだ。
好況のときにやったんじゃないぞ。
実際、アメリカは今基本的に元気だ。
日本は真似すべきだ。
クルーグマンは確かに理論は素晴らしいが、
アメリカの好景気を作り出したわけではない。
168 :
sasisu:02/02/05 18:27
169 :
考える名無しさん:02/02/06 00:07
>>161さん。
1.企業会計原則は、企業会計について「企業の財政状態及び経営成績に
関して、真実な報告を提供する」ことを期待しています。
2.しかし、企業会計が「正規の簿記の原則」に依拠している限り、真実
性を求めて制定した「原則」に基づいて作成される報告の真実性は業界内
の約束事の範囲を出ない、少なくとも素人を納得させるものではない、と
思います。
3.その論拠の一端はこれまでに述べたとおりです。(既出「会計の悲劇」
に負うところ大)
4.会計学がこのような羽目に陥っているのは、冒険貿易の口別損益計算
と利益配分のために案出された複式簿記を初期資本制工場が援用、爾来、
今日に至るまでこの約束事を業界が踏襲しているためですね。
5.複式簿記は、人間の活動としての継続事業体の記録ではなく、メッセ、
冒険貿易の利益配分のための覚え書きとして案出されたもの、1メッセ、
1航海毎に清算されることが前提になっています。
(企業も清算するときには「真実」の財務計算が可能かも)
6.継続企業体の活動を期間を区切って記録しようとすれば、資産の評価
という問題が発生します。いろいろ工夫されているようですが、どのよう
な方法で算定してもこれと現金を合計した「資産総額」はなにを表してい
るのか?繰延資産の考え方も恣意的。これが真実とすれば業界では約束=
真実なの、という疑問が生じます。
7.つまり、哲学には無関係、客観的な対象を淡々と計算するはずの会計
学って約束事の上に成立してたんだね、しかも実態をぜんぜん反映できな
い可能性の高い仕組みをもって「真実性」とか「収益費用対応」とかいっ
てるんだよね、ということ。
8.方法論的な反省も一部見受けられるが、まだ哲学レベルの方法論論議
の祖述という段階、私がちらっと見た限りでは、簿記の抜本改革までたど
り着けるのかしら、という感じですね。
さて、もちろん、私がこのスレで問題にしたいのは企業会計原則をあげつ
らうことではなく、「経済学を哲学する」ですから、経済学はど〜ゆ〜約
束事の上に成り立っているのかな、というのがメインテーマです。
このメインテーマに突っ込んでいくためには、簿記成立当時の事情が絡ん
でいることからこっちから入ろうかと思ったのですが、ま、賢いことに誰
もお相手いただけない。
本論に戻って科学とか自称している経済学の「お約束」を考えてみたい
と思いますが、相手がいないとつまんないですね(笑)。
>>158 まあ、
ここだからいいけど、会計学にしても財務諸表論にしても、
古典研究はともかく、現代のサーヴィス経済にあわせた根本的改編は、
ロートルおやじどもに嫌われるわけよ。
古い経済や財務の発想は、「財(物体goods)の「所有」を基礎にし、
サーヴィスは、「無形財」として同様に「所有」されることになる。
ところが、サーヴィスは、実際は、「所有」するより、
ただ直接に「消費」されるため、
会計も財務も根本から組み直す必要がある。
そもそも、「財(物体)」も、経済においては、
その「所有」より「所有の移転」というサーヴィスに
カネがかかるのであり、
すべての「財」そのものの多くは、タダで自然から収奪したもの。
けど、これだけの学問的転換をすると、
税制からなにから全部くずれてしまう。
だから、いまの学者は、エカントみたいなつじつま合わせに奔走する。
いいかげん天動説なみの転換が必要だと思うけどね。
どう思うよ?
よくわかります。
ポイントはやはり以前言われた
>先進資本主義国においては、この大前提たる必需的・一般的欠乏がほとん
>見あたらない。つまり需要の背後にあるところの欲求が必需的欠乏の充足と
>いうレベルから離陸してしまったため、欠乏の充足を目的とする供給が需要
>(となるべき欲求)とミスマッチしているというのが現状。
にあると思います。
これは別に国家レベルの話しではなくて、簿記的観点から見れば街の商店でも
当てはまる問題であり、具体的には(連続的な記録をつける義務のない唯一
の項目であり、9つもの計算方が存在する)期末商品棚卸残高の確定に現れます。
つまり在庫品の「評価損」の計上は極めて恣意的なものであって、これに関する
「脱税」はあらゆるレベルで日常的なのに、あまり表沙汰にならないのも、裁判で
評価方法の妥当性を見極めるのが非常に困難だからでしょう。
ユニクロなんてどうやってんのか?調査員が全国の店舗の期末当日のフリースの
売れ残りを調べ上げるのも不可能だし去年の残りも混ざってたりで、「正確な
売上原価」などもはや誰にも分からないのではないでしょうか?
どっかの山に大量のフリースが埋められていても不思議ではないのです・・・
173 :
考える名無しさん:02/02/06 18:05
>>170 真実性の原則は一番上位におかれるのです。
あなたは、絶対的真実性と相対的真実性は知ってますか?
イヤハヤすごいスレだ。
>>171さん
現行会計制度、税務と利益配分には一応合目的でしょうから残しておく。企業
の意志決定に必要な企業の実態−活動情報については別途スキーム構築が必要
ですが、果たして会計学徒から異端−革新者が出てきますかねぇ。
私の最終目的は、営利企業の非資本主義的機能を称揚、その営利活動を通じて
脱・資本主義社会に至る論理の構築(大体出来た)です。
このスレやってるうちに思いつきましたが、興味がありますか?
>>172さん
おー、理解者がいたとは!
経済学的需要とはマーケティング的な欲求ではなく、営利目的に供給された
財貨の購買、デマンドサイド重視は購買力に作用することで潜在需要を顕在
化させようとする魂胆、もとはといえば供給したものを需要させる、という
ことでは供給が主体であることにかわりはありませんよね。
供給−需要システムがよって経つ基盤である生活欲求の変化によって今後ど
のような趨勢に陥っていくか、焼芋経済をモデルに検討してみます。
>>173 あなたのレスはここの議論に何の寄与もしませんね。
>真実性の原則は一番上位におかれるのです。
知ってますよ。「企業会計原則」引用してるでしょ。
>あなたは、絶対的真実性と相対的真実性は知ってますか?
「6」の「約束」があなたの言葉では「相対的真実」なんですか。
だったら何だとおっしゃる?
>イヤハヤすごいスレだ。
でしょ。
>>174 あなたの議論に寄与する気はないけど。
>あなたは、絶対的真実性と相対的真実性は知ってますか?
>「6」の「約束」があなたの言葉では「相対的真実」なんですか。
>だったら何だとおっしゃる?
真実性の原則は、絶対的真実性と相対的真実性の意味とかを
わからないと理解していると言えない。
理解してらっしゃらないと思われる文章ですね。
また、こんなこと普通の財務諸表論に書いてあります。ので、
まともに読んだ時がないのでしょうし、
企業会計原則はもっと深いです。
このような原則があるということだけを字面だけ知っていても
意味はない。
そうですか。相変わらず情報に乏しいレスですね。
それではあなたが読まれた財務諸表論の本ではB/Sの資産の部総額は
経営の何を表現していると説明されていましたか?
177 :
考える名無しさん:02/02/07 19:48
>>176 総額の話しをする以前に真実性の原則に
絶対的真実性と相対的真実性の概念が含まれているのを
知っていたの。あなた。
知らないという場合は、会計の何たるかを知らない人です。
というか、初歩の初歩を知らないLevelですよ。
初歩の初歩を知らなかったら、総額の話は出来ない?
ほほう、そりゃまたどうして?
本当に分からないかどうか確かめたいので「総額」説明
してみて。相対とか絶対とかバリバリ使って良いから。
素人相手にあれを知らなきゃ云々とか、これを読んでな
きゃダメとかいうのはは情けないから止めようね。
面白そうだから私が会計学的・相対的真実性と絶対的真
実性の概念の区別を知らないために、どういう誤った主
張をしているか、きちんと指摘してご覧。
ご存知なかったようですね。
やっぱり。
教えろとか。読む気もないとか。議論するとか。
それ以前の問題。
>>これを読んでなきゃダメとかいうのは
議論する上であたりまえ。
>>きちんと指摘してご覧。
というのは、議論する態度ですね。
議論する場合は、ほぼ同等の知識の場合です。
>初歩の初歩を知らなかったら、総額の話は出来ない?
>ほほう、そりゃまたどうして?
いずれにせよ、あなたは自分のLevelを
認められましたね。
数学でいうならば、中学程度の連立方程式も解けない人間に
それ以上の高度の概念である線型代数の
行列(matrix)の概念を教える人もいないし、
議論する人もいません。
もしくは中学程度の素因数分解を出来ない人に
数論での算術の基本定理を教えるひとはいない。
ご参考までに、あなたのいうお話で、会計学レベルの
お話しでは、学習院大学の助教授の米山さんの
森山書店さんの『減損会計』が専門書であります。
でもまあ、真実性の原則も取り違えていますので、
企業会計原則を勉強してからお読みになることを
お薦めいたします。
毎度おつきあい有り難く。
ただし相変わらず情報に乏しい。
それにしても中学生Levelに専門書なんか薦めたりして(笑)
さて、あなたのおっしゃる相対的云々は、業界内部のお約束ですね。
ひょっとしたら繰越資産の評価法の選択に関する話なんかじゃないの?
お約束の枠内で選択すればどの方法でも相対的な真実と見なすとかいう。
継続性を前提として、とかつくんでしょうけど。
もしそうだったら私の
>>174、
>「6」の「約束」があなたの言葉では「相対的真実」なんですか。
>だったら何だとおっしゃる?
という簿記三級的認識による批判の射程内ですよ。
簿記三級には想像も出来ない深遠な「絶対&相対的真実性」論議があるんで
しょうか、きっと。でも、それは私の論議とは関係ないのです。
私が問題にしているのはB/Sのスキームそのもの。スキームを前提にした
計算処理上のお約束レベルではありません。
お約束自体も相当なものだが、それはそれとして、お約束の前提となってい
る冒険貿易の口別計算のスキームで表記される継続企業体の「資産総額」は
何を表現しているのか、というより根元的な問題が論議のテーマです。
「簿記的・会計学的」総資産っていったいなあに、ということですね。
絶対とか相対とかいう前にそもそも総額で何を表現しようとしているのか、
端的にいえば現金有り高と土地の取得価格がたまたまどちらも貨幣額で表現
されているからといって両者を合算していいのか、合計した数字って何を表
現しているの、ということです。
ある人が5万円のスーツを着ており、ポケットに1万円入れていたとする。
で、「おいらの資産は6万円だ」といったとしてこのときの6万円という貨
幣で標示された「資産総額」は何を表しているのか、ということですよ。
絶対でも相対でも良い、この金額はいったい何だ?という簿記三級の疑問。
減価償却とかその方法なかの話はまったく関係ないので念のため。
再問、資産総額ってなんですか?
現金と土地の取得価格を合算した金額って何を表現しているのでしょう?
簿記三級的テーマはひとまず終わりにしたいと思います。
さて、時代は冒険貿易の最盛期が過ぎたあと、動力部門の革新により産業
革命が到来します。工業資本主義のスタートです。(順不問)
この時期、資本家の投資マインドを駆り立てたのは、大量生産によるコスト
縮減−需要の創出、ということの可能性だったと思います。まず前提として
膨大な貧困層というか、資本主義生産が提供しようとする生活財が欠乏して
いる多数の人間が存在しており、彼らの対価支払能力のレベルまで価格を下
げれば、たちまち需要が発生する、という確信が出資に対する信用の基礎で
した。
さらに、供給側を含む当時の人々に物財を取得して実現したいライフスタイ
ルのモデル、王侯貴族のライフスタイルあるいはその材料、有閑階級のそれ、
といった物財的欠乏意識を喚起する対象の存在は資本主義的供給−需要には
不可欠でしたね。
この時代、セイさんの「供給されたものは需要される」という「原理」は
当時としては当たり前の経験的原則、膨大な欠乏があり供給は文字通り需要
される、滞ったら価格を下げれば潜在需要が立ち上がってくる、という次第。
当時の供給側には、需要<潜在需要<欠乏がはっきり見えていたわけですね。
需給関係を価格によって操作する、という発想ないし発見も当時の供給=
需要<潜在需要<欠乏という歴史的な状況抜きでは考えられません。
下って、市鴎外政策的に需要を操作することで供給−需要を活性化しよう
という手法は、供給したものを消費させる、そのために需要側をいじる、と
いうわけで、いずれにしても潜在需要を前提にした資本主義的供給−需要シ
ステムを円滑にするための手法です。潜在需要があれば、価格を下げるか裁
量所得を増加させることで顕在化できますが、現下提供されている供給につ
いて潜在需要、欠乏が存在しなければ、何の効果もありません。これが現在
のデマンドサイド政策の至らぬところ。
供給と需要、この脱資本主義的タームにごまかされないことが涵養です。
供給とは資本主義的供給=利益実現の手段としての供給であり、需要とは、
その供給のための対価を支払っての「受容」、です。潜在需要とは価格など
現行条件での供給は受容しないが、条件次第では「価格を支払う用意のある
欠乏」のことですね。
対価の支払いを用意できない欠乏は需要に算入されることはなく、それら
の欠乏は市場以外のシステムで充足されることになります。つまり市場経済
はそれ自体として自立できるシロモノではない、社会的な欠乏充足システム
のなかで収益が期待できる分野のみに参入して営利を追求、残余及び市場対
応力を失ったものについては市場外の欠乏充足システムが対応しなければな
らない、ということが帰結されます。
ここからグローバリズムに対する根元的な批判が生まれますね。
供給=需要とは市場経済的供給に対してこれを受容する需要が常に存在す
るということであり、これは市場外に需要と合算すれば供給を上回る潜在需
要プラス欠乏が存在してはじめて成立すること。これまでの経験的な市場経
済社会にはそうした条件があり、経験的にそれが確認されてきたが果たして
ポストバブルの現在ではどうでしょうか。
現在の経済学が供給=需要という初期資本主義時代のパラダイムを当時の
時代背景に無頓着に使用しているとするならば、これはもはやあらためて根
底から再検討することが必要だと思います。
少なくとも先進資本主義国家といわれる地域でそのようなレベルの潜在需要
&欠乏は存在しないのですから。
会計学は口別損益計算のシステムを期間損益計算に応用して失敗、経済学
は物財=工業的財貨に対する欠乏が一般的な時代の「資本主義生産」の原理
の今日への押しつけでにっちもさっちもいかなくなっている、というのはト
ンデモな認識でしょうか。
経済学もまた、初期資本主義の供給=需要という関係を背景抜きで現在ま
で強引に延命しています。このパラダイムが実際の企業経営や経済にどのよ
うな不具合を引き起こしているか、ということは機会があれば検討したいと
思います。ことは「学」のレベルにとどまらず現実の企業行動、経済政策に
まで及ぶ問題です。
ちなみに経済学は数学を使うから・確率を使うから科学だ、などという恐
るべき主張を散見するところですが、数学的・確率的手法を使ったからとい
って結論が科学になるわけではありません。述べてきたような前提=視点で
データを収集、仮説を立てるという手法では前途多難です。
このあたりの論議は哲学専攻だといわば常識でしょうが、どなたか参加して
くださると有り難い。
なんかはりきって1が自分で仕切っているなあ。
たしかにイワンとするところはわかるのだが、
いかにも大学生のむりした六樫(むつかしー)言葉遣いという印象。
ようするに、一言で云えば、
理論経済学の根拠がゆらいでいる、ということでしょ。
まちがってはいないと思うよ。
だけど、それは、クジラ漁師に、クジラを喰うな、というくらい、
学会社会学的戦略が欠けていると思う。
どうすれば、旧ソ連の共産主義者のごとく暴走する理論経済学者に、
あんたのやっているのは空理空論で、みんな迷惑しとるんンよ、
ということを納得させられるのだろーか?
けーおーの茶坊主学者どもを止めない限り、
この国の社会と経済はどこまでも堕ちていくぞ。
>なんかはりきって1が自分で仕切っているなあ。
どなたもやってくれそうも無いので(笑)。
私は全くの付け焼き刃で悪口いうのが関の山、学会社会学的段階は
本業の人にしっかり覚悟してがんばっていただきたいですね。
>けーおーの茶坊主学者どもを止めない限り、
この国の社会と経済はどこまでも堕ちていくぞ。
実践でアンチを立てて成功、デタラメぶりを暴露するのが
手っ取り早く、実効があると思いますね。
でも間に合うのかなぁ。
185 :
考える名無しさん:02/02/09 20:59
プラモデル大好き野郎の言う「バランスシート不況」という認識
そのものが間違いであることが証明される日も近い。
アマルティア・センの話題キライ?
187 :
考える名無しさん:02/02/10 01:32
183の純丘ってひと、なんか無理してレスつけてるって感じ。
いい年こいて小学校の学級委員長やってる風情。
だって、しょーがないじゃん。
経済学の人って、哲学やってないし、
そもそも哲学板で経済の話したって、基礎知識あるのいないし。
かといって、せっかくまじめに板立てるみたいだから、かわいそうでしょ。
>実践でアンチを立てて成功、デタラメぶりを暴露するのが
>手っ取り早く、実効があると思いますね。
うーん。これムリだと思うよ。
彼らの強いのは、ケインズ的経済政策を握っているところで、
自分たちの理論に不利になりそうな話は、
税制とか変えてたたきつぶすことができる。
この意味では、予言者のパラドクスと似て哲学的問題。
つまり、
胴元自身がゲームに参加して、
かつ、その役割がゲームのルールを規定することである場合、
どうしたら胴元を負けさせることができるのか?
私の答え:ゲームに参加しない
他にあるだろうか?
どうも実践の領域が食い違っているみたい。
市場経済と生活のミスマッチ、供給と欲求の齟齬の解消が実践。
それにおいらは○○とか□□とかの学派・学閥をとやかく言ってるん
じゃなくて近代経済学のスキームってダメじゃんっていってるつもり
なんだけど。
>191
大学の内情については大いにミスマッチだと思うが、
その他の日常生活については、
需要サイドとしてそんなに、
欲しいものが売っていない、ということは感じないが。
後半は、近代経済学、というより、理論経済学、だと思う。
とくに、需給バランスの変調に対して、
需要に合わせるのではなく、
供給サイドに立って、むりやり需要喚起しようとする
ケインジアン的経済政策や産業政策が問題だろう。
連中は、日本経済再生だのダイエーの再建だの言うが、
どう考えても、
高度経済成長のような、土建工事だらけの時代に戻るわけがない。
古い近代経済学の立場からすれば、
需給ミスマッチにおいて、供給側が転業すればよいだけのこと。
近代経済学が全部ダメというわけでもないと思うが。
アダムスミスは、経済政策や産業政策に否定的だし。
193 :
考える名無しさん:02/02/10 11:08
>>189 >ゲームに参加しない
これはどういう事態を指しているのですか?
消費税が7%になっても5%しか払わないということですか?
それとも理論的(?)に超越するということですか?
それとも自給自足でもするのですか?
「どうしたら胴元を負けさせることができるのか?」がわかるように
説明お願いします。
>193
わしも具体的にはよくわからん。
ただ、たとえば、
政府はたいへんなことになるから、というて、
だいへーを救済することに勝手に決めたそうだが、
わしはだいへーでは買わん。
氷印も買わんし、牛肉も買わん。
国債がなんぼの金利をつけても買わん。
195 :
考える名無しさん:02/02/10 14:02
>>194 僕の母も同じこといってるんですけど。
ほかになにかいうことないですか?
>>195 あれ、こんなところで我が息子に会うとは?
かあさん、今日、カレー作るから、早く帰ってらっしゃいね。
197 :
考える名無しさん:02/02/10 14:35
>わしはだいへーでは買わん。氷印も買わんし、牛肉も買わん。
それは個人の政治的な意思表明として不買するということか?
>197
政治学的な、というより、たんなる経済学上の合理的行動じゃ。
経済政策や産業政策の弱点は、連中がマクロに依拠している点で、
これは、ミクロへの分解の誤謬を含んでいる。つまり、
ミクロが単純合理的に行動すると、マクロの合理性が破綻する。
しかし、このような問題は、近代経済学ですでに指摘されてきたこと。
いままでの日本人がお上に対し、ものわかりがよすぎたのではないかと思う。
199 :
考える名無しさん:02/02/10 16:06
これが「ゲームに参加しない」ことかw
お粗末さん
税制のことでちょっと。
所得税に代表される累進課税制なんですが。その累進クラスの
区切り方は、どういった基準で決めているんだろうか。
たとえば国税の場合、ややこしい所得控除の計算をしたあと、
課税対象(課税所得)に対して、
330万未満の部分に対しては10%の税率を
330万〜900万未満の部分は20%
900万〜1800万未満の部分は30%
1800万〜の部分は37%
まあ、所得控除によって税率0%になるクラスも入れると
5段階になっているわけで。これって、日本の社会を所得別
に5階層にわけて管理・運営しようって哲学の現われなんで
しょうか(漏れはそう理解しましたが)。社長・会長はAクラス
で37%、部長級はBクラスで30%、課長はCクラス20%、一般はDクラス
10%、プーは0%って。なんか良くできすぎ。
【財務省URL】
http://www.mof.go.jp/jouhou/syuzei/siryou/025.htm
>>192さん
経済学的供給−需要とは、市場に対する供給と供給の「受容」であり、
純岡さんがいわれたように需要をいじることは、供給を受容させるため。
経済学的需要は供給側の意志によって操作可能な受動的対象と見なされて
いる。(理論が作られた時代、供給−需要の背景に膨大かつ緊要な欠乏が
あったことがこーゆー認識の根拠になった)
純岡さんは需要サイドとして「そんなに欲しいものが売られていない」
とは思わない、といわれる。このときの需要サイドとは、経済学的需要で
はなく、生活レベルでの欲求のこと。つまりマーケティングレベルですね。
経済学って学と策・マーケティングの混同が目立つ、そういえば経済板に
は「学」はついてなかったな。
生活サイドの欲求の変化に対応して供給側が転業すればよい、との仰せ
だが、明らかに個別企業のマーケティング的発想。
経済全体としてはそんなに簡単な段階ではない。
これでOKというなら、
1.供給側つまり市場経済の主体は、常に生活サイドの欲求を充足させる
対象を供給することができる。
2.供給は、生活サイドに需要を発生・維持させる所得を得るための機会
を維持・創出できる。
ということを論証してからにして(笑)。
つまり、生活レベルの欲求がどう変化しても供給側は対応できる、その
の対応は生活による受容を生み、供給−需要プロセスは、それが維持され
るために必要な所得機会を生活サイドにもたらす、ということを証明すべ
き。もちろん経済学の道具立てでは不可能でしょう。
(つーかそもそも市場経済には無理難題みたい)
よって、経済学は市場経済性の具体的・経験的な特定の段階についての部
分的な認識、一般市場経済学では無い、ということになる。
経済学って分業社会の生活=欲求−充足というレベルから始めないとダメ
じゃんということなんですけど。
>>202 興味があればオーストリア学派について勉強してみては
別に新古典派のみが経済学ではないのですから。
>>202 >経済学って分業社会の生活=欲求−充足というレベルから始めないとダメ
>じゃんということなんですけど。
半ば、その通りだと思う。
だから、ケインズは忘れて、アダムスミスに帰れ、ということになる。
市場経済は、理論上は、
マルクスの言うようなクラッシュに至らず、
資本移動により生産の構造改革が自動的に行われることになっている。
そして、経済学(フリードマン系)の連中は、
政治改革と規制緩和によってこれが可能だという。
しかし、これが可能であるのは、
他者サービスに対する総欲求(?)が総供給(?)を越える場合のみで、
おそらく現在の社会は、他者をあまり求めていないのかもしれない。
つまり、みんなで分業しましょ、というところが壊れてきた。
実際、中世においては、一般に、
完全とはいかないまでも、自給自足に近い閉鎖社会を作っており、
この種の社会では、いま以上に因習化し、
量的かつ流動的な事由市場的発想が通用しない。
しかし、203を待つまでもなく、経済学もけっこう広いので、
やや古いがドラッガーなど、農業経済学の連中の言い分が当たってたりする。
この意味で、私も、近年、農業経済学に関心を持っているのだが。
こっちの方は、たしかに主流ではないが、哲学っぽいところがある。
オーストリア学派というのは、シュムペーターとかですか?
だったら私の「経済学」批判の射程内だと思いますけど。
ダイエーの泣き所は、転換・革新が必要なことは分かっているが、
1.大所帯をまかなう日銭稼ぎが不可欠だから、とりあえず昨日と
同じ商売をやんなきゃなんない。
2.昨日の商売をやりながら商売替えの準備は出来ん。
3.社員はみんな機能の商売のベテランばっか。
4.第一どっちに変わればよいのか、分かる奴がいない。
・・・ということですね。
マイカー+ヴィトンが王侯貴族の馬車+衣装鞄のフエイクとすれば
これから先にはライフスタイルのモデルがない。
モデルがない時代の革新の指針は? というのが政策実務レベルの
課題でしょう。
イノベーションの主体について、経済産業省では広範な国民各層を
新規起業者を輩出する温床と想定、世界に例を見ない画期的な挑戦
でしょうね。でも時代的な指針が示されないと無駄に終わりそう。
起業塾って省内のシュムペーター派が仕掛けているのかしら(笑)
現下の危機、打つ手はあるがたぶん経済学関係者の想像を絶してい
る(笑)。
経済学がダメなばっかりに現実が陥っている袋小路があり、問題は
すでに経済学のダメさ加減を云いはやしていれば良いという段階で
はない、というのが「経済学を哲学」した結論かなぁ。
問題は、シュンペーターより深く、
イノヴェーションそのものに社会的需要がない、ということ。
アフリカ、アジアならともかく、日本では、
現状からあまり変わって欲しいなどと思っていない。
(変わるとすれば、悪い方しかないから。)
あるとすれば、奇妙だが、
供給側自体のみが社会的イノヴェーションを需要している。
これでは、構造改革は実現するまい。
そして、恐ろしい哲学的難問は、
経済学関係者も、想像を絶していることは想像もできない、こと。
だから、なるようにしかならないでしょ。
しかし、若手は、
その次の時代に備えて、新しい構想を練っておくべきだと思う。
戦争に負けた後のように、学問にも大きなチャンスが訪れるから。
207 :
考える名無しさん:02/02/12 18:05
個であれ、集団であれ、閉鎖的で
あるほど、他者の干渉に敏感になる。
関心事が全て金になるならば、
倫理経済が構想される。
むろん倫理経済は
プロダクトを圧迫する。
トレーサブルなエコ被害だけ
でなく、生産における人権被害への
ダークマターの部分、絶対的
需要をコストに算入する。
ストックオプション礼賛による
水増し吊りあげバブルどころか
正当な補償経費を黙殺した近代
経済は、実は儲かっていなかった。
社会的粉飾への投資が、経費の
何倍分も機能したが、詐欺でしかない。
つまり、個々に配当された人権被害分の、
補償もまた、もちだしであったわけだ。
シャドーワークの搾取ともいえる。
しかし、それなしには円滑な生産
はなかったのだとすると、むしろ
生産の不可分な表裏である。
208 :
考える名無しさん:02/02/12 18:06
とりあえずは、単純に訴訟社会的な補償。
(市場介入は)被害の特産地、教育現場から。
(倫理的教育資格、育児教育云々以前
に、余剰教育自体が犯罪であって、負の
倫理教育を強化しようとしているが、急を要し
ながらも手順を想えば教育基盤はともかくとして)
被害の痕跡を残すための傷つきやすい(目撃)
シートのインフラ整備。意思決定機構における
簡略化された逐次刻印と(ログ)保存・公開。
新資本が要り、現資本が嫌うからには、
暫時、空想主義としての名実、論・実で
しかなくとも漸次。または時熟の機に。
そして法曹の充分な増員と適正な
競争を含む、人的インフラの整備。
しかし、人権を変動相場に置いて
いる間、期待とは裏腹の、欲求の
非ネットワーク化の成熟を待たねば
ならない。(セクハラの価格も過小)
(現代の処方ではなく、
人類史の彼方に。
哲学ならではの)
209 :
考える名無しさん:02/02/12 21:40
210 :
考える名無しさん:02/02/12 22:01
(※漠然と云わずに、どこが(そうなの)か言ってやれよ※)
211 :
考える名無しさん:02/02/14 07:39
>1 スマン言いたい事が良く分からんのだが。
>>82 >ところで供給=需要というのは市場経済学の、ま、イロハでしょうね。
>>182 > 現在の経済学が供給=需要という初期資本主義時代のパラダイムを当時の
時代背景に無頓着に使用しているとするならば、これはもはやあらためて根
底から再検討することが必要だと思います。
> 経済学もまた、初期資本主義の供給=需要という関係を背景抜きで現在ま
で強引に延命しています。
これらの事は、有効需要原理とかセー法則批判とかを踏まえた上で言っているのか?
>>211 多分踏まえてないでしょうね
>これらの事は、有効需要原理とかセー法則批判とかを踏まえた上で言っているのか?
とりわけ
>>202を見る限りは
私は最初このスレに興味をおぼえてたまにレスしてましたが
もうやめます
>>211さん
「踏まえている」と見なしてもらって結構。
おいらは「経済学」全般について論評しているのだから。
主張が破綻しているということならちゃんとご指摘あれ。
○○を読んでこい、というのは願い下げだよ。
批判の根拠はなるべく自分の言葉で展開してね。
>>212さん
>>202はキモですね。ここに興味が無くてどこに興味が
お有りだったのでしょう(笑)?
>>206さん
もはや需要無し、と云われるとき、あなたの需要は現行供給のおパラダイムを
無意識の前提にしていません?
今や19世紀的パラダイムから決別して新しいパラダイムを創出しなければなら
ないとき、シュムペーターはパラダイム転換が求められていることに気づかず、
そのためにもはやイノベーション無し、と結論づけざるを得なかった。
「欠乏−欲求」の質が変わった、物財の所有に落ち着き先を見いだす従来型の
欲求から離陸、新しく生まれてきた「楽しい時間を過ごす」という欲求の充足
パラダイムへの転換が必要になっており、これに着目すれば新しい事業機会は
資本主義勃興期に劣らないでしょう。
卑近な例はヤフオク。リアルでの騒動買い+お店やさんごっこ+ポトラッチ+
競争+RPGと盛りだくさんで新しい欲求に対応しています。
>「楽しい時間を過ごす」という欲求の充足
> パラダイムへの転換が必要になっており、
ようやくイワンとするところがわかったが、
楽しい時間をすごす、のに、やはりあまり欠乏感はないのでは?
自分たちでかってに楽しくすごすから、
企業になにかしてもらうより、むしろほっておいてほしい、
という娯楽のコクーニングこそ、
現代の企業が途方に暮れるところではないのか?
実際、企業になにかしてもらわなければ自分たちは楽しめない、
と信じさせられてきたことこそ、
まさに打破すべき古いパラダイムだったように思う。
217 :
考える名無しさん:02/02/14 18:21
ok
おっしゃるとおりですよね。
まぁ、個々人が固有の「楽しみ」を発明できるものでもないだろうし、その
必要もない。誰かが提案すればよいし、おいしい提案が受け入れられれば、
過渡的には一山当てる話になるかも。
現在の企業(私はダイエーに代表してもらいましたが)では無理でしょう。
やがては。
なにがしかの物財が補充されないとコクーンも餓死します。当然ながら。
物財供給マシーンの方は限りなく人間を放逐する衝動を持っているようです
から結果的に自由時間が増大して結構なんですが、所得が保障されませんか
ら配給システムをどうするかという問題が出て来ます。
当面の情勢でもしクラッシュが来たとして、物財はあるわけだから予行演習
的に貨幣抜きで配給してみたら面白い。うまくいけばそのまま脱・貨幣制経
済です。数学得意な人たちに配分方法など検討していただきたい。
でも、何せ「一般経済学」がありませんからね、どうでしょうか。
未来がコクーン社会だとして、現時点から一挙にそこにはとても無理ですか
らソフトランディングするシナリオが必要です。つまり、現実と新しいパラ
ダイムをつなぐ方策=過渡的な消費を喚起する提案と供給システムの構築こ
そ現下喫緊の課題、とゆー時代にさしかかっているのに経済政策ったら19世
紀のパラダイムまんまでの供給−需要話ばっか・・・・。
利用するパラダイムが間違っていると、解決策もトンデモになる、結果も空
恐ろしいことになる、ということでしょう。
さて、以上を理解したおいらは如何に行動すべきか?
聞ーちゃった216さんはどうしますか(笑)
219 :
考える名無しさん:02/02/14 19:06
自然環境からの供給を絶たれた社会環境で、
専ら依存されざるをえない物財供給マシーンの
所有者たる放逐する側からの補償として再分配。
?
220 :
考える名無しさん:02/02/14 20:43
?????
221 :
考える名無しさん:02/02/14 23:16
>>212 経済板の人?
まあそう言わずに帰ってきてくださいよ。
>>214 見なしてもらって結構って言われてもねえ。
セー法則批判はマルサスの頃からあんだろ。
マルサスはナポレオン戦争後の不況とか、生産力の発達といった
当時の「時代背景」の下にそういう考察をしたんだが?
つーか需給の不均衡なんて経済学のメインテーマじゃん。
あワルイ、こんな事は分かってるんだよね。
で、そういったことを理解した上で
>>211の引用部分のようなことを言う意味は何?
>>219さん
>所有者たる放逐する側からの補償として再分配
再分配のモチベーションは何でしょうか?
>>221さん
>つーか需給の不均衡なんて経済学のメインテーマじゃん。
需給ってどうして不均衡になるのですか?
資本主義市場における需要というのは供給に対する「受容」
度ということが了解されていますか?
経済学の方では指摘されていないと思うが、供給=需要って
端的に、市場に入場したものは退場する、ともいえますよ。
>>222さん
レスわざわざどうもです。「脱力〜」とかおっしゃらずに
こてんぱんに論破してもらうとおいらも宗旨変えできるし
2ちゃんねるの負荷も軽減されます。
>1
世の中金じゃないと思ってる?
225 :
考える名無しさん:02/02/15 00:22
>>223(=1)
疎外・放逐する物財マシーンが形成され、温存
されて、正統に承継した所有者が、供給を絶った
案件の負の遺産の債務と、継続で弁済する責務。
>>220 ?????
>>224さん
これはちょっとノーコメントにさせてください。
>>223 訂正 「受容」度と>「受容」だと
>>223 >資本主義市場における需要というのは供給に対する「受容」
>度ということが了解されていますか?
してません。て言うか意味が分かりません。
それよりもまず
>>221の
>で、そういったことを理解した上で
>>211の引用部分のようなことを言う意味は何?
に答えてくれ。
えーとですね、それに直接答えるよりも、
>>223からあなたが
引用された・
>資本主義市場における需要というのは供給に対する「受容」
>だということが了解されていますか?
の前の1行、
>需給ってどうして不均衡になるのですか?
に解答していただけば自動的に分かると思いますけどね。
あなたが「需給は不均衡」といわれるときの需要って何に対する
需要です?それは常に供給と不均衡なの?本当にそう思う?
あなたは
>>221で
>つーか需給の不均衡なんて経済学のメインテーマじゃん。
と宣言してますからね。
私はそうは思わない。私とあなたはここで意見が違うようなので
まずここを整理してみませんか。
229 :
奈々@お腹いっぱい:02/02/15 12:02
「最大多数の幸福」
これは2重最適で成立しません。
かわりにパレート最適と言う考え方を持ちいて効率というもの論じてみましょう。
Aさんは状況、X、Y、Zに対して
X>Y
Y>Z
という選好を持っていたとします。
この場合、X、YともにZよりも優れているため、X、YはZに対して
パレートの意味で最適と表現されます。他方、X、Y同士で見ると、
Aさんの選好からはパレートの意味で比較不可能であると表現されます。
そして、X、Y、Zでは、X、Yがパレートの意味で最適な状況になります。
現実のケースでは、推移律が複雑に絡み合ってるため、パレート最適は
当然複数存在します。
均衡というのは、選好の組み合わせが一致する状態のことです。
需要システムと供給システムが存在、各システムは価格に対応した需要と
供給をします。均衡では需要システム、供給システムの価格が一致します。
つまり、需要システム=f(価格d、供給量)
供給システム=f(価格S、需要量)があって、
価格d=価格S 供給量=需要量になるということです。
このような分析は、比較静学といいます。
もちろん動的な分析もあるんですが、わたしにはわかりません(w
2財モデルが話題になってましたが、行列をい使えば3財以上に拡張できますよ。
230 :
奈々@お腹いっぱい:02/02/15 12:04
需要と供給が均衡しないケースって難しいですね。
でも、たいてい均衡しますよ。
例えば、わたしがある人の物を売ります。
そのとき、わたしと買い手の需給量、価格が一致しないことなんて
ありますか?
わたしが100円で売って、買い手は50円で買う、みたいな。
231 :
奈々@お腹いっぱい:02/02/15 12:06
貨幣論は無意味だと思います。
交換論をベースにしたものでは、間違いなくそうです。
232 :
奈々@お腹いっぱい:02/02/15 12:09
>>215 効用の正体を解明したところで、市場や国民経済の構造の解明には
まったく役に立ちませんよ。効用なんて、ある財を他の財と比較して
導けば十分です(詳しくは行列が分かるのなら、序数的効用、
分からないなら無差別曲線からの需要曲線の導き方で調べてください)。
>>1 ところで、ニュース速報板か極東板にでも言ったらどうですか?
みんなあなたの電波さに迷惑してますよ?
>哲学板のみなさま
わたしはこれで去ります。駄文失礼しました!(誤字・脱字もいっぱいだし)
>>230 わたしの均衡の説明はかなり間違っているんですけど、
自分には正確に説明できないので、興味のある方は自分で
調べてみてください。
奈々。ばか。
飛び入りでのDQN発言。
オバチャンネラー。
もっと人の話しを良く聞いて、
自分でモノを考える
習慣をつけること。
236 :
考える名無しさん:02/02/15 21:04
1って電波??????
>奈々
消化の悪いもんを喰いすぎてゲロ吐き・・お掃除して帰ろうね・・・
あんたがオンナだったらヤッテあげない オトコだったら・・やっぱヤッテあげない
3000円くれてもヤッテあげない タダだったら・・やっぱヤッテあげない
ところで、3000円やったらヤラシテくれるのか?
二日酔いの頭の中では、需要と供給はヤラシテくれて初めて均衡する。
238 :
考える名無しさん:02/02/16 16:08
いま経済学はとっくに動学だよな!
いいっぱなしで撤退宣言した人には当然ながらレズレスはなし。
>>238さん
で、何がいいたいの?
「理論経済学」という分野があるらしいのですが、この分野で用いられている
「理論」というのはいったい何のことでしょうか。
哲学−方法論的には理論法学、理論物理学といった用法が思い浮かぶのですが、
そーゆー方向じゃないようですね。
>>239 >>「理論」というのはいったい何のことでしょうか。
詳しいことは知りませんが、中級の「理論経済学」では、2階(2次)以上の
偏微分方程式がよく用いられるらしいです。
レズって何?
242 :
考える名無しさん:02/02/19 22:05
Lesbian
レズってどこをどうすれば、レズなんだろう。
ペニスバンドとかを使うぐらいになれば本当のレズのような。
あとは、貝あわせとかだろうか。
普通に使うA,B,Cとかって区別があるのかね。
>243
何もしなくても、女を好きな女がレズです。
>>239 一般的には数理経済学のことですよね。
でも、経験的にはマルクス神学であることが
多いような。そうでもないんでしょうか。
でも経済学の理論を学問するってのは
よく分からんですよね。実証はめんど
くさいからヤラナイヨーっていう
意思表示なんでしょうか。
それとも天文物理学のように、「観察」する人と
「考察」する人を分けるような
イメージなんでしょうか。そういえば
カールセーガンて天文物理学者は
診断だっけ。
246 :
考える名無しさん:02/02/20 02:38
1さんがしきりに示している供給≠需要って
〜社会的分業が自立的な私的生産者によって自然発生的に行われ、
私的労働が社会的労働の一環として有効であったかどうかは、
生産物交換を通じて事後的にしか分からないという矛盾が内在している〜
そこでは、商品価値の「実現」は本来不安定・不確実であって、
商品価値の「実現」問題は商品生産一般に固有な一大問題である。
ってとこがマル経のテキストに載ってたけど、
こんな感じだろうか。
>>244 何もしなくてもレズなんてのは定義ではないだろう。
レイプとかでも大体の基準はある-刑法の判例とかは
具体的にあるー挿入の有無とかが判定される。
感情だけなんていうのは、心の問題で。
客観的には肉体関係が重要でしょう。もしくは肉体関係をもったときが
あるのが真性レズだろう。
毎度、誤字・脱字・校正ミスなどなど、平に御容赦賜りたく。
>>240さん
数学使うとどうして「理論」になるんでしょうね。
市場経済の一部について因果関係の成立を数学を用いて証明し出来たと
してもそれは単に過去の個別事象(群)について成立した、というだけ
のこと、法則などではありませんよね。
最終的にというか始源的にというか、どうしても供給−需要及びその前
提条件について考察する、という仕事抜きでは「理論」は作れまい、と
思うのですが。
>>245さん
経済学といわれると、経済的事象全般を一定の仮説から始めて整合的に
説明する、そのフレームワーク、いうあたりをイメージしますね。
実証もさることながら、とりあえず市場経済を論理整合的に説明してみ
せて、ということです。実証とか反証とかはその後の作業でしょう。
>>246さん
その恋路はなめらかではないというわけですね。
少しずれるかも知れませんが、私は、「供給」とは「営利活動の手段として
の活動」であり、「需要」とは供給の受容だと言う、私には当たり前と思わ
れるところを指摘しています。
で、過去において供給=需要が成立したのは、広範な物財的な欠乏が存在し
た、その限りのことであり、今後とも人間の欲求がこれまで同様の「営利活
動」の範疇に収まるかどうかは大いに疑問だと考えています。
マル経って「むき出しの資本主義」のお出ましで本当の出番かもしれないと
いうこの時期、いったい何をしてるんでしょうね。
>248
こんにちは。厨房で、経済学からちょっと外れますが、質問お許し下さい。
>「供給」とは「営利活動の手段として
>の活動」であり、「需要」とは供給の受容だと言う
厨房なりの現実的な(売る側と買う側に捉えて)質問です。
現実には「売れ残り」という現象がありますが、これは、供給が需要に
対応してないということで、需要側からみると、部分的な供給の受容と
いうことになります。供給が対応出来てない、需要側も受容することが
出来ないという、この潜在的需要に関しての対応はどう考えたら
いいんでしょうか?
この質問は、既に202で述べられているように、市場経済のことで、
ここで話されている需要と供給とは経済学レベルのこと、という解答に
なるとは思いますが。ただ、市場経済に対応できない経済学なんて、
結果から組み立てたアト理屈にすぎない、政治的な思惑が入り込んで
いるとしても、この大不況を解決できない現実をみると、そうも言いたくなります。
このスレの目的は、現代経済学のパラダイムの変換という主張があって、
そのパラダイムの検証の為の経済学レベルの論議だと理解してますが、
>「楽しい時間を過ごす」という欲求の充足
>パラダイムへの転換が必要になっており、これに着目すれば新しい事業機会は
>資本主義勃興期に劣らないでしょう。
とも、仰っておりますので、からませて、敢えて質問いたしました。
レス遅れました。
ひとまず経済学を離れてということで。
おっしゃるような売れ残りがある訳ですが、最近の報道で衣料の実需12億アイ
テムに対して生産は20億アイテムという数字を聞きました。
平成5年に実施されたあるライフスタイル調査では、ファッションの購入に際
して行きつけのショップに買いたい商品が無かった時の行動を聞かれて「買う
のをやめる」と答えた人が女性では6割を越えていました。ちなみに男性だと
4割弱。量販店のファッションが「気に入っっている」は男女ともそれぞれ1
割以下。地方小都市の例ですが、価格選好ってなんなの、という話ですね。
この時点で「大量に売れそうなものなら何でも売る」というコンセプトの量販
百貨店(ダイエーなど)の今日的情況は予測可能でした。
さらにいえば、必需的物財を供給する側のいうところの「差別化」というマー
ケティング手法の将来も見えたと思います。
この期に及んでもなお、上記のとおりとっくに引導を渡されているにもかかわ
らず、既存供給に対する需要の喚起を主張する人がいます。主張する施策から
実需が立ち上がってくるシナリオを示してもらいたいところですが、もちろん、
誰もやりませんね。
一方、構造改革派といわれる人たちは、どういう訳か不良債権が一掃されれば
新しい産業が生まれてくる、と信じているようですが、新しい産業を例示して
もらいたいものです。それらの新産業が多分必要とするであろう資金をどうや
って調達するのかということも。
ということで、両派の皆さんには少しは自分の頭を使って考えていただきたい、
「もっとまじめにやれェー」とお願いせざるを得ないのですが、もとはといえば、
複式簿記を採用した初期資本主義企業の継続事業体としての性格を見定められな
かった経済学の至らなさに起因しているわけで・・・。
経済と自由時間、ライフスタイルの関係はこれからきわめて重要なテーマになる
と思います。複式簿記と株式会社の悲喜劇的な野合が我々の時代に至って何をも
たらしたかということを総括、その後あらためて論議できれば面白いですね。
251 :
考える名無しさん:02/03/09 16:01
あげ
━━━━━━━━★☆☆寺子屋レインボーリング・シリーズ☆☆★━━━━
『現代を読み解くリテラシー能力養成講座(全5回)』第3回
日時:2002年3月11日(月)18時〜21時
講師:古川順弘(NPO法人レインボーパレード副理事長)
場所:代々木区民会館(JR代々木駅より徒歩7分、詳しくは別記)
会費:400リングと100円 or 500円
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■□ 第3回テーマ(全5回):
『国家と経済の進展1:豊かさが無視された理由〜株式会社・複式簿記
帝国主義〜』
経済は、豊かさをはじめ多くのものを無視してきました。そのような世界観
が求められ、つくられてきた過程を経済学の変遷や株式会社・複式簿記等の
システムから見てみようと思います。
そして経済が生み出す様々な問題について地域通貨の果たそうとする役割など
を考えてみます。前回出席できなかった方も、是非ご参加ください。
てなメールが柄谷方面から送られてきたんだが1はこれの関係者じゃないよね?
253 :
考える名無しさん:02/03/09 18:48
>252
う〜ん。似ている論調だね。
えー、総括を準備中のはずなのに、なかなか進みません。
>>252さん
ご紹介の講座、表見似ているようですが全然違いますよ。たぶん。
おいらが同種の講座を開くとするなら「だつ・資本主義と営利組織」とかなり
そうですね。
で、営利組織とは「利をもって営む組織」、これには到達してないだろう。
これが分からないと株式会社の「革命性」が分からない(W。
255 :
考える名無しさん:02/04/06 11:04
a
256 :
考える名無しさん:02/04/24 05:32
age
257 :
考える名無しさん:02/04/26 03:42
人間なんて自然の産物。資本なんて自然からの借金。
人間社会が成長するためには自然を丸ごと飲み込み続けるしかない。
そんなものに依存した資本主義経済なんつーもんは、
自然すなわち弱肉強食の性質を持つに決まってる。
物質的なものから精神的な契約意識になっただけ。
放っておけば強者は弱者を搾取し続ける。
草木 -> 草食動物 -> 肉食動物。この弱肉強食が今人間社会に復活している。
社会全体がオブジェクト化され階層化され、その役割からは一生逃れられない。
草木にされた人間は思考を止めなければ耐えられない。
草食動物にされた人間はその日の生活に追われ続ける。
肉食動物、すなわち人間の英知と自然からの借金を体現する
パーマネントオブジェクト「資本」とそれを量る「お金」を持つ者は、
自由気ままに逃げることのできない草食動物を食らい続ける。
自然界では、周りの草木がなくなれば草食動物は困る。
草食動物がなくなれば肉食動物は困る。
結局のところ、自然社会では一個体が強力な力を独占することはできなかった。
だが、人間社会はそれをパーマネントオブジェクトに変換することで、
本当に少数の存在による安定した力の独占を可能にしてしまった。
今や肉食動物は、全世界の草木、草食動物を食い物にすることさえできる。
昔は金本位制で人間的また物質的に歯止めがかかっていたが、
金本位制が崩れてからは資本が本性を現し始めた。
何らかの制約を加えなければ、このまま弱肉強食の方向に流れ続けるだろう。
このまま流れ続け、肉食動物がブラックホールになりすべてを飲み込むのもまた一興。
258 :
考える名無しさん:02/05/01 19:33
一興ではない。
経済学を総括する
1.プロジェクト会計システムであった複式簿記をgoing concernたる株式会社の
期間経済計算に思わず援用してしまった。これはまあ、株式会社スタート時点で
はやむを得ない、問題はその後である、今日に至るまで批判的な認識がない。
結果、起きている弊害については会計学の方で考えるように。うまく対策を思い
つければ現行システムを一掃できる。
2.株式会社=分業社会のエージェントの一形態であり、営利=売買差益をもって
組織活動の維持・存続に必要な原資を確保するという画期的なシステム、脱・資
本主義段階を含む将来にわたる分業社会の重要ファクターを資本主義的利潤追求
の手段と勘違いしたこと、とゆーか、スタート以来今日に至るまで、自律的に分
業を担うエージェントである、という認識がない。
3.資本主義は、交換経済−市場経済において大規模生産の可能性(生活必需的欠
乏・潜在的生産手段と投下可能資本の存在)を前提条件として派生したものであ
る。これが市場を制覇した条件は考えれば分かる。
資本主義が自然発生し、市場を制覇した過程の分析は、前提として1と2が理
解されていることが必要である。そうすると、資本主義が論理的に破綻に向かう
ことが理解されるし、脱・資本主義は主要に株式会社によって担われることも分
かるだろう。
4.上の資本主義論は内在的批判であり、会計学、経済学を勉強した人間なら・自
分の頭で考える習慣を持った人間なら・誰でも・イヤでも・直面するはずのとこ
ろである。このことに思い至らなかったところに経済学の限界が象徴的に現れて
いる。
5.一般経済学=生産と分配の一般理論というアプローチを念頭に置いておかない
と資本主義経済の認識=資本主義経済学は構築できないだろう。
6.そもそも経済学などを学んでいる諸君は「学」とはなにか、ということが分か
っていないのではないか(w。
「学」と「ノウハウ」の違いとか考えたことがあるのか。
経済学を筆頭に社会科学はこけた、人文学の再構築だ。