死に至る病は絶望である

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1考える名無しさん
どういう意味よ?
2ぴかぁ〜:02/01/03 03:07
そのままじゃ
3考える名無しさん:02/01/03 03:07
このスレ生かすな
4あちょー:02/01/03 03:09
キルケゴールだね
5びたみん ◆BWLMxAG. :02/01/03 03:09
死にいたる=最も悲惨なこと。
絶望は死ぬことすらできないから、その意味で
「死に至る」ということも出来るかも。
ヤバイ!なんか内容もう忘れてきてる!
そういえばまだ途中だったな。。。
6びたみん ◆BWLMxAG. :02/01/03 03:11
弁証的な動きが難しいんよ。
7考える名無しさん:02/01/11 07:35
昨日、本棚を整理してたら出てきたぜage
8考える名無しさん:02/01/11 07:43
「途中だったな」て……それは内容を忘れてるんじゃないぞ……w
9考える名無しさん:02/01/12 00:00
こっちで聞いてみ。

「下らねぇ質問はここに書き込め!Aヽ(´ー`)ノ」
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/philo/1010729221/
10考える名無しさん:02/01/14 00:54
キェルケゴールのスレって他にある?
11考える名無しさん:02/01/18 22:31
「死に至る病」のおすすめの翻訳ってどれ?

死にいたる病 キルケゴール,S.A.(セーレン・A) 著
桝田 啓三郎 訳 1996 \1,250 筑摩書房

死にいたる病/現代の批判 キルケゴール,S.A.(セーレン・A) 著
松浪 信三郎 訳
飯島 宗享 訳 1990 \2,300 白水社

死にいたる病 キルケゴール,S.A.(セーレン・A) 著
飯島 宗享 訳 1982 \2,500 教文館

死に至る病 キェルケゴール,S.A. 著
斎藤 信治 訳 1957 \560 岩波書店

ネットで調べた限りではこの4つだけだったけど、他にもある?
12考える名無しさん:02/01/18 22:37
環形の寛刑は奸計である。
漏れには関係ないけどね。
13mimesis:02/01/18 23:48
ちょっと変則だけど、木田元の『ハイデガー』の最初の方に
ドストエフスキーとからめて解説してあるから読むとイイよ。

絶望=自己の無限性と有限性、可能性と必然性の分裂。
 
絶望の可能性    → 無限な自己 → 人間の優越性
現実に絶望すること → 有限な自己 → 不幸、悲惨、堕落

とりあえず、こんな感じらしいんだけど、ピンと来ない。
私もわかってない。
14mimesis:02/01/19 02:15
今ちょっとだけ読んだけど、「緒論」を読まずにいきなり
「人間とは精神である。……」から読み始めて理解に
苦しんでるひとが多いんじゃないかと思った。
キリスト教的死と人間的死。死ということばが二つの意味
で使われていることをおさえておかないとわからなくなる。

 「この病は死(1)に至らず」。それにもかかららず
 ラザロは死んだ(2)。

(1)はキリスト教的死で、(2)は人間的死。ここら
へんがびたみんさんが>>6でいってる「弁証法的動き」の
難しさを解きほぐしてゆく入り口になるんじゃないかな。
15考える名無しさん:02/01/19 03:47
>>1は立花隆を元旦に読みました。
16考える名無しさん:02/01/19 03:49
>14
いや、私も今読んでいて、やっと第一編の終わりまで来たところなのだが、
私の印象だと、後ろの方に行くにつれて、やっと、前の方で書いてあったことが
何を言っていたのか分かるようになってくる、というような感じの本だが。
17考える名無しさん:02/01/19 03:59
自分が絶望していることに無知な人間が、真に絶望的
であって、死に至る病にかかっている(精神の死)
から、早くアダムに死してキリストに生きなさいと
信仰を勧める本。
18復讐する名無しさん ◆AI14zans :02/01/19 05:00
>>15
仮に元旦に読んだとしたら或る意味敬意をおぼえるが。
19考える名無しさん:02/01/19 06:24
死に至るような重病にかかったら、人間は絶望してしまう。
   ↑
こんな簡単なことがわからないのか?アホめ!。  …というネタは駄目ですか?。
20考える名無しさん:02/01/19 14:54
>>11

一応全部読みましたが、ちくま学芸文庫がオススメです。
ただしTilvaerelse(ドイツ語ではDaseinにあたる)の訳が「人世」となっているのがわかりにくい。
斎藤訳では「全存在」、松浪訳では「存在全体」という訳し方をしている。

>>13
私も『罪と罰』は好きなので、木田先生のあの話はおもしろかった。

とりあえず>>6のいうように弁証法的動きがむずかしんよ、てことですか。

あえて簡単に言っちゃうと、人間の精神ってのはふたつの関係項(有限と無限、可能と必然など)
からなっていてそれらのバランスっていうものがある。
自己が自己になるということは,それらふたつの関係項とどのように関係しているかということを
自ら反省して関係の仕方、バランスのとりかたを決めることってかんじかな。

だけどそもそも人間をそういう風な存在にしたのは神様やから、
「正しい」バランスのとりかたキリスト教徒やないとわからへんと。

で、これらのバランスを崩している人間は(たとえ無自覚でも)絶望しているというわけ。
ただ絶望にもいろいろな段階があるんよ。
自覚が強いほど絶望(よって罪も)は深いけど、その分、救いにも近いみたいな。

まあ要するに、神様を信じましょうってこった。
21考える名無しさん:02/01/19 16:29
「自己とは、ひとつの関係、その関係それ自身に関係する関係である。」

ようするに、「自己」とは野球を例にとると
(1)野球見るのが好きだが、プレイはいっさいしない自己
(2)巨人しか応援しない野球好きの自己
(3)阪神が、星野監督になったら、急に好きになる自己
(4)大リーグしか野球とみとめない自己
ひとつ「野球」をとっても位置関係が違ってくること、と理解。
22考える名無しさん:02/01/19 19:56
被造物である人間が造物主である神の姿を見失ったから不安が生じる。
と、キリスト教の時間におそわりました。
とりあえず岩波版の「死にいたる病」を買ってきたので、
これから読んでみます。
それにしても「世界の名著」や「反復」はどこに行っても売り切れだな…
2321:02/01/19 20:01
頑張れよ。
いきなり>>21のような文章がでてくるから。
ちなみに『世界の名著』435ページからの引用だ。
24考える名無しさん:02/01/19 20:04
Die Krankheit zum Tode
25びたみん ◆BWLMxAG. :02/01/19 20:37
「関係それ自身に関係する関係」ね。
ここで言われている関係とは、単に二つのもの(心と身体とか?)の間の
関係ではないんだね。その場合はキルケが言うように「消極的関係」に過ぎ
ない。複数の「実体」がまずあって、そのあいだにある「関係」が「自己」なの
ではないってことか。
で、関係てのは差異を前提にしている訳だけど、「それ自身に関係する関係」
てのは差異が差異それ自身を差異化していくってことだんね。自己とは差異
のこうした「動的」な動きを指すん。引用。
「自己とはノエシス的な差異化の営みが、それ自身との差異の相関者としての
ノエマ的客体を産出し、逆にこのノエマ的客体を媒介としてそれ自身をノエシス
的自己として自己限定するという差異の動的構造のことである。By木村敏」
この「自己限定」を自己が自己に成る、として理解してもいいのかな。

で、「有限性と無限性」、「可能性と必然性」とのある程度厳密な違いってなに?
なんかどっちも似たようなもんに見えるんだけど。。。
まあ、キルケは人間を「可能性」の相の下にみているような印象を受ける。
自己が自己に成るために、次の瞬間に自己を可能性として投げ出す感じ。
その場合、現実的な自己を離れて、肥大した、実現不可能な可能性を夢見て
自己を失ってしまうというのが、「可能性の絶望」かな?
そして自己は自己に成れず、絶望するん。
ま、終局的には「死」が一切の可能性を奪ってしまう…。絶望ヤバイ…。




26びたみん ◆BWLMxAG. :02/01/19 20:37
「有限性」てハイデガーの「世人」とか「たいらく(漢字変換されない)」に似てるね。
2721:02/01/19 21:03
だから、差異化を
野球ファンの差異化という馬鹿馬鹿しい例でたとえた。
(1)野球をする人、見るだけの人
(2)ベースボールと野球を区別する人
(3)特定の球団を愛する人
(4)特定の選手を愛する人
(5)野球を無視する人
28766:02/01/19 21:06
死に至らない軽い病気なんてないんじゃ...
2921:02/01/19 21:15
>死に至らない軽い病気なんてないんじゃ...
それは、「自分が絶望であることを自覚している絶望」ですね。
世界の名著479ページ

あと「自分が絶望であることを知らないでいる絶望」
3011:02/01/19 22:02
>20
ありがとうございます。私は岩波のを持っているのですが、筑摩のも買ってみます。

>>29=21
「世界の名著」のは誰の訳?
31考える名無しさん:02/01/20 00:54
世界の名著は桝田先生。筑摩も同じ。おすすめ。

岩波の斎藤先生のは読めない。
松波先生のは読んじゃだめ。

3211:02/01/20 03:15
>岩波の斎藤先生のは読めない。
読むのに苦労していたのはまんざら自分のせいだけでもなかったのか。

>松波先生のは読んじゃだめ。
この間あやうく買いそうになりました!(笑)
なぜ読んじゃ駄目?
3320:02/01/20 16:55
>>32

>>31の言う通り桝田先生の訳は読みやすいよ。
『不安の概念』なんかもいい。
松浪先生のは偏っているからなあ。

>>25

>で、「有限性と無限性」、「可能性と必然性」とのある程度厳密な違いってなに?
なんかどっちも似たようなもんに見えるんだけど。。。

そうなんよ。
だけどこういうことかな。
必然性-可能性の場合は、「自己が自己自身であるべき」という意味では「必然」で、
「そうであるべき自己自身があるがいまはそうではない」といういみで「可能性」がある。
んで、有限性-無限性の場合は文字通り、自己を有限のものとみるか、
自己を無限のものと見るかということだね。
そうすると、「有限性-無限性」と「必然性-可能性」は違うことをいってるんだな、
という気はしない?

キルケが人間を可能性のもとに見ようとしていることは確かだろうね。
アリストテレスの現実態を可能態より上に見る見方に反してて、
それをハイデガーがうけついだってカンジなのかな。
よくわかんないけど。






まあ、キルケは人間を「可能性」の相の下にみているような印象を受ける。


34考える名無しさん:02/01/20 18:58
いつも簡単に沈んでしまうキルケスレ観察age
35考える名無しさん:02/01/20 21:18
「自覚してる奴も」「自覚してない奴も」どっちも「絶望」してるん
じゃー!!
という風に、われわれを、逃げられなくしてしまう論法が好き。
(どっちかに分類されちゃうしね)

<もっともこんな単純な、2分法を採用してるわけじゃないが>
36ごーる:02/01/21 02:57
「関係が関係する」という表現は、それだけでは判りにくいかもしれませんが、
キルケの言いたいことは明らかだと私は思います。
キルケ以前の哲学では、人間を自己と自己を見る自己というふたつの関係として理解して
きました。しかし、これでは本当の自己理解に到達しないと言うのがキルケの立場です。

彼は、ふたつの自己(即自と対自)の関係を越えた第3の関係をも自己の一部として認識
します。それが「関係そのものに関係するところの関係」なのです。

死に至る病の中では「神」という単語を使いませんが、彼の思想全体から見ると、第3の
関係こそが神との関係であることは明らかです。
「自己は、自己を措定した力のうちに、透明に、根拠を置いている」(桝田訳)と書いて
あるとおりです。
この神との関係が崩れるとき、人間が絶望に陥るのです。ここで言う絶望とは、心理的
絶望のことではなく、精神構造の歪みのことを意味しているように思います。
37考える名無しさん:02/01/21 07:40
>キルケ以前の哲学では、人間を自己と自己を見る自己というふたつの関係
>として理解してきました。
あなたの、勝手解釈では??
具体的に誰と誰と誰が??
3820:02/01/21 12:11
>>35
キルケはそういう論法が好きだよねー。
結婚してもしなくても後悔する。みたいな。
39考える名無しさん:02/01/21 20:45
「結婚して後悔するのも絶望」
「結婚しなくて後悔するのも絶望」
だけなら、まだ良いが、
「結婚して後悔することすら、できないのも、また、絶望」
 →本人だけ盛り上ってるカップル:コアラと金八のスケ番
「結婚しなくて後悔することすら、できないのも、また、絶望」
 →独身貴族=オレ
40ごーる:02/01/21 22:00
>37
そう、私の勝手解釈かもしれませんが、キルケがそう理解していたことは間違いありません。
即自と対自との関係は、どこかの哲学書で説明されていたような記憶がありますので、
今度調べておきます。
権威ある人の名前を持ち出さないと納得してくれないのですね。
41考える名無しさん:02/01/21 22:31
38さんみたいな、わかりやすい例で話してくれたら、
>権威ある人の名前
なんか要らない。
42考える名無しさん:02/01/21 22:40
B この病〔絶望〕の普遍性
「医者なら、完全に健康な人間などというものは
おそらく一人もいはしないと言うであろうが、同
じように、人間というものを本当に知っている人
なら、少しも絶望していないという人間など、そ
の内心に動揺、軋轢、不調和、不安といったもの
を宿していない人間など、一人もいないと言うに
ちがいあるまい。」
『世界の名著』446ページ
なんという、わかりやすさ!!
43考える名無しさん:02/01/22 09:57
「子供は暗闇を恐れるが、大人は明るさを恐れる。」と、どっかに書かれていたな。
こういう言葉を吐ける人間はただ者ではないと思う。
4431:02/01/22 23:08
遲くなったけど、

松波先生のは、古いドイツ語訳からの翻訳で、
わけわからんところを省略しているんだな。
それを松波先生がさらに省略してる。

一番最初のところを松波と桝田で読みくらべてみると
驚くと思うよ。
桝田先生のはほんとに原典からの訳らしい。



45ごーる:02/01/23 01:11
>37
いまのところ、哲学書の中に適当な解説を見つけられませんでしたので、私の記憶の
中にある解説を再度説明させてください。どこかの本であったか、哲学の授業で耳に
したのか、覚えていませんが、次のような解説を聞いたことがあります。

動物は存在しているとしても、自己を思考の中で捉えることができないから、それは
即自的存在である。ところが人間は、自己存在を対象化して、自己とは何かと問いか
けることができるので、それは対自的存在だとのことでした。

つまり、人間は、見る自分と見られる自分という関係の中に存在しているわけです。
動物にはそういう関係はありません。

ところが、キルケゴールが言うには、そういう見る自分と見られる自分だけの関係で
自己存在が完結していないと言うことです。関係それ自身に関係する第三者がいて、
それとの関係が人間を人間たらしめていると主張しているのではないでしょうか。

この第3の関係が壊れることが絶望であり、その壊れ方によって、自分自身であろう
とする絶望とか、その他の絶望が生まれるのです。

この第3の関係は、キルケゴールにとってはキリスト教の神なのですが、その論理だ
けを利用すると各種の人間理解を持つ哲学になります。サルトルは、この第3の関係
を「無」として実存主義を作りました。

私の記憶では、たしか日本人の哲学者の中で、第3の関係を「仏」に置き換えていた
人がいたように思います。いろいろな広がりを持つところがキルケの面白いところでは
ないでしょうか。

46考える名無しさん:02/01/23 07:10
「これに反して、その関係がそれ自身に関係する場合には、
この関係は積極的な第三者であって、これが自己なのであ
る。」
『世界の名著』「死に至る病」436ページ
キルケゴール自身は、第三者=自己と明言してるが??

あと、キルケゴールは「関係が、両者において、第三者」とい
うニュアンスはいってるが「第三の関係」とはいってないよう
におもえるが??
(「明言」してる、はちょっときついが)
47考える名無しさん:02/01/23 07:25
キルケ、原書(デンマーク語)で読んでる人っているの?
48考える名無しさん:02/01/23 10:31
キルケゴールを研究するためにデンマークに留学した人がいましたね。
大谷先生でしたか、それとも橋本先生でしたか。
誰だか忘れましたが、デンマークに行く人もいるのですから、
当然、デンマーク語で読んでいるのではないですか。
4920:02/01/23 13:56
>>47
昔はドイツ語で読んでいたけど、最近の傾向としてはデンマーク語で読まない
と意味がないという風になっていますね。
50考える名無しさん:02/01/24 11:43
デンマーク語でも英語でも大した違いはないんじゃないかな。
デンマークに行くのも、単なる学者の権威付けでしょう。
しかし、確かに、日本語で読んでいると、「あれ、正しい翻訳なのかな?」と
思うときがありますね。
そもそも、Existenz を実存と訳すこと自体、名訳か迷訳か評価の分かれる
ところでしょう。
誰が訳したんでしょうね。

51ごーる:02/01/24 21:25
>46
仰るとおり、関係そのものは自己として理解されています。
同じページですが、436pに「この公式こそ、全関係(自己)が他者に依存しているこの表現であり、」
と書かれていますから、関係=自己ですね。

「第3の関係」は、私の使った表現ですか。すいません、いいかげんな表現ですね。
適当な表現を思いつきませんので、もう少し考えさせてください。自己とそれを
見る自己と神という3つの要素から人間理解をしていると言いたかったのですが、
そう表現するとまた少し違うところが出てきますね。
キルケの表現によると、「それ自身に関係することにおいて他者に関係するよう
な関係である。」(同じページ)となります。他者が神ということです。

52考える名無しさん:02/01/24 21:40
論争する気なんてないです、です。

「自チームの選手」と「敵チームの選手」
監督(マネージャ)は両者の「関係」を取持つ。

ただ、われわれは、プレイングマネージャ(選手=監督)で
しか有りえない。このプレイングマネージャを、記述する
としたら、関係の関係といった表現にしかならない。
ただ、それだけだと思うが。


53考える名無しさん:02/01/24 21:55
死に至る病は退屈に決まってんだろうが、ヴォケどもが。
54考える名無しさん:02/01/24 21:57
「必然性の絶望は可能性を欠くことである。」
キルケがいってる。
55考える名無しさん:02/01/24 23:12
>>50
相当の違いがあるでしょう。
ちゃんとデンマーク語で読んだ事あります?
俺もそんなに出来るわけではないからなんとも言えないけど、
格構造やら何やら、デンマーク語で数種ある用語が
英語では同じ単語になってしまう、とかの問題とか。
56考える名無しさん:02/01/24 23:19
著しい読み違いが起きるのかを基準に、話てよ。
『世界の名著』を精読しても、デンマーク語しらないと誤読するの??
571698:02/01/24 23:48
日本語の訳をいくつか読み比べてみれば分かると思うよ
かなーりの意訳とそうでないの違いなど
>>49が言ってるけど、まずはドイツ語はどう?
58ごーる:02/01/25 09:34
>55
貴重な情報ですね。
ぜひ、具体的にどういう問題があるか、紹介してくれると助かるのですが。
英語から日本語に訳すにも問題があるわけですから、問題がないことは
無いはずです。

日本語にしたときの問題もあるなら、挙げてみませんか。

私は「実存」という訳語が妥当かどうかを検討しています。素晴らしい訳の
ような気もするのですが、私自身にとって、「実存」の意味がまだ曖昧ですの
で結論がでません。
シェリングが作った「実存」という概念と、キルケの「実存」がどう同じで、
どう違うかという問題もあります。
59考える名無しさん:02/01/25 21:09
デンマーク語のお兄さん、
冒頭部分だけでもいいですので、初心者を、正しく導いてやってください。
わたしも、ごーる氏の上記見解が、気になります。
60考える名無しさん:02/01/26 00:49
Mennesket er Aand. Men hvad er Aand? Aand er Selvet. Men
hvad er Selvet? Selvet er et Forhold, der forholder sig til sig selv,
eller er det i Forholdet, at Forholdet forholder sig til sig selv;
Selvet er ikke Forholdet, men at Forholdet forholder sig til sig selv.
Mennesket er en Synthese af Uendelighed og Endelighed, af det
Timelige og det Evige, af Frihed og Noedvendighed, kort en Synthese.

61考える名無しさん:02/01/26 18:37
>60
おお、冒頭の部分ですな。講義が始まるのですか?まだ始まらないの?どきどき。
62考える名無しさん:02/01/27 11:47
デンマーク語のお兄さん待ちage。
63純丘:02/01/27 14:48
『死に至る病』なんぞ好きそうな人が多いんで驚いた。
 私は、いちおうは読み込んだののの、
  あの、プロテスタント的キリスト教、には、いまひとつついていけない。
あれって、
 デカルトみたいに、ああいう独特のキリスト教の信仰抜きでも成り立つ哲学?
 それとも、トマスみたいに、あくまでキリスト教の哲学?
  私は、後者のような気がするが。 
6420:02/01/27 15:17
私自身がデンマーク語で読んだことがあるわけではないけど(私は分析系なので)
彼女がキェルケやっています。
で、いままではドイツ語で読んでいたんだけど、
「卒論程度ならドイツ語でいいけど、やはり専門的にやっていこうと思えば
デンマーク語で読めなければいけないようだ」と言って、
最近、デンマーク語を勉強しています。
キルケプロパーの先生にもそういわれ、デンマークへの留学もすすめられたそうです。
だからやはり、だいぶ違うようだよ。
こんど、具体的にどう異なるのか聞いてみますね。
65名無し:02/01/27 15:20
つうか今日本語を横書きで書いているが
tnyk こういう風に書いただけで読んだ感じが全然違うんだがこれは
uiki もちろん錯覚だよな!?
khot
aoge
na
igki
moir
awdu
oeg
a
66考える名無しさん:02/01/27 15:23
結局どうしたら分離した俺の有限性と無限性を統合できるの?
無限性が強く突出してしまった俺はこの絶望から抜け出せるのか?
6720:02/01/27 17:49
>>66
だからキリスト者になればいいんだって。
68考える名無しさん:02/01/27 18:07
言っておくが、古今東西、絶望で死んだ奴は一人もおらん。
人間が自死へ踏み出す一瞬、彼は必ず病んでいるのである。
病の名は「鬱」。
絶望とは、その病の感覚的表現に過ぎない。科学的に言うならば、
脳内セロトニンの不足である。薬物投与で症状は消える。
薬でなくても、日光を浴びる、運動をする、静座鎮静する、などの
生活習慣によって、おおいに緩化できる。
自死についてならば、その瞬間に「ちょっと、君!」と
誰かから声をかけられるだけでも、快復可能。一方向に呪縛されている
意識を、フッと逸らせばいい。人間は一度に一つのことしか考えられない。
そして常に「いま」と「ここ」にしか、生きられない。それがミソである。
69考える名無しさん:02/01/27 22:43
>68
「死に至る病」=「絶望」は「死ぬことができない」と明言されてますが、何か?
ここはキルケのスレです。禿しくスレ違い&板違い。風呂入って出直して来なさい。
70考える名無しさん:02/01/27 22:52
>68
キルケの「絶望」という言葉を、日本語の「絶望」と理解すると誤解が
始まるのではないですか。
あくまでも、心理分析というか、思想実験であって、内面にあるふたつ
の要素が対立するとき、それをどうやって止揚・総合するかを論じてい
るような気がします。
まだ、良く理解できないので発言する資格はありませんが、二つの要素が
うまく調和しない状態のことを絶望と定義しているように見えます。

71考える名無しさん:02/01/27 23:10
>>63
私もキリスト教の基本から学びなおさないとキェルケは理解できないと思う。でも、考え方とかは日本の親鸞さんなんかの浄土教と似たとこもあるようだ。
一応、うちは真宗の檀家なんだが、両親は全く無関心なため、仏教の素養もない。日本人として恥ずかしいような…。
72考える名無しさん:02/01/28 00:16
「絶望」と「希望がない」ってのは微妙に意味が違うよね。日本では。
73考える名無しさん:02/01/28 00:19
>一応、うちは真宗の檀家なんだが、両親は全く無関心なため、仏教の素養もない。
まあ、日本はどこもそんなもんでしょう。
日本だけでなく、欧米のいわゆる先進国なんかも大して変わらない状況なんじゃ?
74考える名無しさん:02/01/28 21:51
>>70
>キルケの「絶望」という言葉を、日本語の「絶望」と理解すると誤解が
>始まるのではないですか。

キルケが「死にいたる病」の「第一編 C この病(絶望)の諸形態」で示している分類に当てはめてみると、

B 意識という規定のもとに見られた絶望
 b 自分が絶望であることを自覚している絶望。
  α 絶望して自己自身であろうと欲しない場合、弱さの絶望
   1 地上的なものについての、あるいは、地上的な或るものについての絶望

これが>>68で言っているところの「絶望」に相当するんじゃないのかな?
要するに、これ(Bbα1)に分類されるものが、世の中で一般にいわれているところの
いわゆる「絶望」なんじゃなかろうか。

だから、たぶんキルケは「絶望」という言葉の意味を拡大している。
それはデンマーク語でも日本語でも同じだと思うんだけど、どうなんだろう。
75考える名無しさん:02/02/02 23:22
age
76考える名無しさん:02/02/04 09:37
捕手
77考える名無しさん:02/02/05 23:45
中島義道氏は哲学の道場(ちくま新書)の中で一部解説している
78考える名無しさん:02/02/06 03:09
>77 中島氏はどう解説しているの?
79考える名無しさん:02/02/06 03:10
死のという語の使い方が違う
80無責任な意見:02/02/06 03:24
Taler du dansk?

デンマーク語は
発音と綴り字の読みが難しいけれど
文法はそんなにむずかしくない
ドイツ語がよくできる人なら
1ヶ月で文法書一冊一通り学んだら
dansk-tysk ordbogひきひき
キルケの原文に挑戦できる!?

Mennesket er Aand.
 Der Mensch ist Geist.
Mennesket = Menneske(Mensch) + et(der)
er(ist)   Aand(Geist)
Men hvad er Aand?
Aber was ist Geist?

簡単かも
おヒマな人はどうぞ
81考える名無しさん:02/02/06 03:28
橋本先生・・・セクハラでデンマーク逃亡か、、藁
82復讐する名無しさん ◆AI14zans :02/02/06 03:29
>>81
務?
83デソマーク語科卒:02/02/06 05:32
卒論で原文使いましたが、
やっぱ独語訳では不十分
でした。ま、卒論程度で
問題にできるレベルでは
ないですが。
84考える名無しさん:02/02/06 07:10
>>81

関○の? ほんと?

85考える名無し:02/02/06 16:57
キルケゴール=チャーチガーデン=墓場
きさまはすでに死んでいる。
86考える名無しさん:02/02/06 22:56
>>84 女の子、好きですから(w
デンマーク語不自由だけどキルケ研究者。
けど今まで誰もやってこなかったところを研究したのは正直凄いけど

>>85 もっと好意的にとらえて
キルケゴール=神と共にある場所
ってのはどう?(w
87考える名無しさん:02/02/07 00:13
キルケゴール=チャーチガーデン=神の庭
ありがたやありがたや(笑)
88考える名無しさん :02/02/07 00:20
どうしてチャーチガーデンなの?
89考える名無しさん:02/02/07 00:32
ご先祖様が墓守さんだったからじゃなかったっけ?
90考える名無しさん:02/02/07 00:36
で、キルケゴォルって名前も元々は墓地っていう意味だったりする
91考える名無しさん:02/02/07 00:37
印欧語では同根(らしい)。
92考える名無しさん:02/02/07 00:43
今度デンマークはコペンハーゲンに
安全保障の研究員として滞在します。
もしデンマーク語をマスターできたら
キルケゴールの伝記を書こうと思います。
93考える名無しさん:02/02/07 00:54
ドイツ語でいうと
Kierkegaard = Kirche + Garten
ってわけだな
なるほど
94考える名無しさん:02/02/07 01:41
>>92
おいおい、ネタか?
ほんとならすごいな・・・
95考える名無しさん:02/02/07 01:49
>92
キルケの死因を是非調べてくださいね。
40代で死んでいるのに病名もはっきりしないのはおかしいと思います。
96考える名無しさん:02/02/07 12:32
漏れもここで刺激を受けたので、デンマーク語を勉強したくなってきたぞ。
デンマーク語を勉強して、漏れのレギーネを見付けるんだ。
97考える名無しさん:02/02/07 12:47
>>96
そして風俗逝って起たなくて鬱になる、と
98考える名無しさん:02/02/07 13:25
キルケを論じてる哲学者といえば?
99考える名無しさん:02/02/08 12:26
>96
おい、レギーネって、キルケが婚約破棄したんだろ。
レギーネ見付けて、婚約破棄する?
結婚したら、キルケゴーリアンとしては失格だ。
100考える名無しさん:02/02/08 12:56
何言ってんだ。キルケゴール学者はみな結婚してるぞ。
学問と私生活は別なの。
101考える名無しさん:02/02/08 13:01
>>98
ドゥルーズ。
国家博士請求論文『差異と反復』
102考える名無しさん:02/02/08 13:03
絶望の論理―キルケゴール『死に至る病』の研究
 近代文芸社 松塚 豊茂【著】

っていう本がありますな。
キルケゴール入門書は数あれど
死に至る病だけを主題的に論じた本は他にあまりないかと。
103考える名無しさん:02/02/09 10:23
>98
論じているだけなら、たくさんいますけど。
キルケを世界的に有名にしたのはやはりサルトルではないでしょうか。
それ以前にも知られてはいましたが、サルトルがキルケを「実存主義の元祖」
として紹介したことにより、一般人も読むようになり、また、日本語でも
著作集が発売されるほどになったのです。

サルトルとキルケは立場が異なりますが、実存主義の前提となる論理構造は
キルケから学んだというか、真似と言えると思います。つまり、キルケの
神との関係を無との関係に置き換えてゆくとサルトル哲学(「存在と無」)になります。
ですから、論理はキルケですが、結論はニーチェになるのがサルトル哲学です。
彼は、「実存主義はヒューマニズムである。」と述べていますが、これは
明らかに神無しの人間主義のことを意味しています。
とはいうものの、最後にニーチェを捨てて、マルクスへと転向したのを見ると、
無を相手にした自己確立も難しいのかなとの印象を受けます。
104考える名無しさん:02/02/11 02:45
絶望を経験したことの無いことこそ絶望に他ならない
105考える名無しさん:02/02/11 10:57
キルケ本人は23、4のころに
はじめてコペンハーゲンの川(運河か)の向うの風俗行って
生出ししちゃって、あとあとまで
「あそこにオレの子どもがいるんじゃないかな」って悩んでた。



106考える名無しさん:02/02/11 10:59
>>95
金つかいはたして衰弱死だろ。

デンマークでSAKっていうでかい伝記本が出て評判になってるらしい。
誰か翻訳してくれないかな。

107考える名無しさん:02/02/11 11:15
キルケゴールってなんで婚約破棄したんだろ。
両思いだったんでしょ?
それでそのあと一生独身。映画化されそうな勢いのドラマを
感じるな。
108考える名無しさん:02/02/11 11:18
恋に恋してる自分、
ラブレターを書く行為に酔ってる自分。

じつは、相手を愛したのでなく、相手を愛してる自分を愛してた
と気づいたからでは?
109考える名無しさん:02/02/11 11:22
17の女と両思いとかになってなんか意味あるか?

110考える名無しさん:02/02/11 11:32
>>108
いや、岩波のあとがきには、せむしがどうとか書いてあったんだけど・・・
肉体的なコンプレックスが足かせになって婚約破棄した、みたいな
ニュアンスでした。
111考える名無しさん:02/02/11 14:25
女性と向き合う事は、自分自身と向き合う事でもあるので、
コンプレックスに向き合う事を回避する為に、女性と向き
会う事を回避しなければならなくなるという思考回路は
ありふれたことでしょう。
>>108で触れられている解釈は真実であったとしても、
いや、真実であるがゆえに美しくない。自分自身の醜い
部分を如何に美的にさらには宗教的に回避するか。そこに
キルケゴールの魅力があるのではないでしょうか。偽名使い
(ハンドルネーム使い?)キルケゴールは、自分が書いている
ことの空々しさに苦しんでいたのではないでしょうか。
しかしナルシシズムゆえに彼は沈黙する事ができなかった。
こんな風に考えてみましたがどうでしょうか?
112考える名無しさん:02/02/13 00:21
>106
>金つかいはたして衰弱死だろ。

そういう言い方も出来るのですね。
聞くところによると、キルケの死んだとき、葬式を出す費用くらいしか
残ってなかったそうです。
断食による、覚悟の死だったのでしょうか?
113考える名無しさん:02/02/13 14:14
114考える名無しさん:02/02/14 02:39
絶望に至る病は死である。
死に至る病は絶望である。
病に至る死は絶望である。
絶望に至る死は病である。

さて、正解はどれか?
(某大学の入試問題)
115考える名無しさん:02/02/14 02:47
>114
絶死に至る望は病である。 コレカ?
116考える名無しさん:02/02/14 02:48
しかしレベル低い大学だな(藁
117考える名無しさん:02/02/14 02:49
ok
118考える名無しさん:02/03/11 15:11
もう少し生きてみよう
119考える名無しさん:02/03/12 17:29
意味もなくキルケゴールを買ってきた。

『不安の概念』(斎藤信治訳、岩波文庫)
『現代の批判』(桝田啓三郎訳、岩波文庫)
『反復』(桝田啓三郎訳、岩波文庫)

『死に至る病』はちくま学芸のほうのを買おうかと思っている。
『誘惑者の日記』(ちくま学芸)も、立ち読みした限りではおもしろそう。
とりあえず、反復から読むかな。
120考える名無しさん:02/03/12 23:06
死と不安は続けて読むが吉
121考える名無しさん:02/03/12 23:12
女と別れろ
でなきゃこれはわからん(藁
122考える名無しさん:02/03/12 23:17
言葉が足りないな・・・
婚約してからその女と別れろ
でしょ
123考える名無しさん:02/03/17 06:09
つーわけで上げるよ。
124考える名無しさん:02/03/17 06:23
あるときキルケゴール(キェルケゴール)は、レギーネ・オルセンという女性に一目惚れしました。
レギーネの通う道沿いにあるカフェの窓際の陣取っては彼女に見とれ、
あらゆる手段を使って口説き落とし、ようやく婚約にこぎつけることができました。
しかし、婚約の翌日にはもう自分が結婚相手としてふさわしいのか悩み始め、
今度は一方的に婚約破棄の手紙を送りつづけるなどの手段を講じ、
ついにレギーネと別れてしまったのです。
ところが、この婚約破棄事件が「コルサール」という大衆雑誌にすっぱ抜かれました。
それに怒ったキルケゴールは、マスコミ批判を開始して、
現代社会に抵抗する意思を明らかにしたのです。
『現代は本質的に分別の時代、反省の時代、情熱のない時代、
 束の間の感激にふきたってもやがて抜け目なく無感動の状態におさまってしまう時代である』
125考える名無しさん:02/03/17 07:40
カコイイ!
126考える名無しさん:02/03/18 03:06
age
127考える名無しさん:02/03/18 03:14
死んでも治らない病とは?
128例↑:02/03/18 03:25
バカ
129考える名無しさん:02/03/18 03:40
130考える名無しさん:02/03/18 04:44
読んだの大分昔なんであんまり覚えてないけど、
キルケのいう死って医学的な死じゃなくて魂の死ってことが
わかってなくて全然理解できなかった覚えがある。
あと聖書もかじる程度でいいから読んでおいた方が楽だわ。

・・・でもキルケって彼女居てなかったらこんな本書いてないんじゃないかな?
なんかそんな感じがした。
131考える名無しさん:02/03/20 00:22
国教会を批判したので未だにデンマークでは無視されています。
132考える名無しさん:02/03/20 04:29
>未だにデンマークでは無視されています。
まじ?だとしたら国教会(デンマークの?)ってカトリック以下じゃん。
カトリックはいろいろ反省しているというのに。
133考える名無しさん:02/03/20 04:32
死んでも治らない病は絶望の反対。
ヴァカは風邪ひかない。
134考える名無しさん:02/04/14 14:52
キルケ対抗あげ。
135考える名無しさん:02/05/09 22:08
いやあ、女は二次的だったんじゃないかなあ?
136考える名無しさん:02/05/12 22:22
レギーネとの婚約を自分から破棄した痛い経験をふっきれず
死ぬまで反芻しつづけた。
なんとか最初からやり直せないか。
反復は可能ではないか?
しかし、そう考えたとき、レギーネは他の男との結婚に踏み切っていた。
ふたたび谷底に転落した。
自分を納得させようとして果たせず、七転八倒しながら
つづった言葉の羅列が彼の哲学なのだ。
137age:02/05/19 03:43
上げるぞゴルァ!
138うわ。:02/06/13 19:50
落ちる寸前救済。
139考える名無しさん:02/06/13 23:23
>>136
女にふられただけではあそこまで行き着くのは無理でしょ
140考える名無しさん:02/06/17 19:40
>>130

>・・・でもキルケって彼女居てなかったらこんな本書いてないんじゃないかな?
>なんかそんな感じがした。

父親との関係も問題ありなので。
141考える名無しさん:02/07/12 04:27
なんかここんところ「女」の話しか出てこないけど
キルケを「女」という切り口で分析するのは一般的なのか?
142絶望から人生にやる気のでない名無し:02/07/13 18:37
絶望の淵から、逃れるにはどうしたらいいのでしょう?

死が全てを解決する的な後向きな答えではなく、
現に絶望し死も意識しているそんな人間に
対して救いとなるような教えを下さい。
143考える名無しさん:02/07/13 18:52
>>142
貴方は「死んだ方がいい」って言ってほしいんでしょ?
何を言おうと積極的な感想は聞けそうに無いのだが。
「絶望している自分」に酔っているくせに利いた風な口叩くな。
情けない人間だな。
144絶望から人生にやる気のでない名無し:02/07/13 23:59
>>143
>貴方は「死んだ方がいい」って言ってほしいんでしょ?
あいにく、そんなマゾじゃないんだけど・・。
>「絶望している自分」に酔っているくせに
ナルでもないよ。でも一時的な鬱状態だったのかも。
>情けない人間だな
そうだね。

板違いだったね。じゃ
145考える名無しさん:02/07/14 04:04
生きるってのは行動なんだよね。
なにかを叩かないと物事が動き出さない。
なんでもやってみるしかない。
うまくいかなかったら、そのときにちょっと考えればいい。
行動してみないとわからないことは結構多い。
146考える名無しさん:02/07/16 08:38
「死に至る病」しか見てないのでなんとも強くいえないが
よくキェルケを「少なくとも〜」という態度でふんぞりかえって分かったように
語るヤツがいるが、そういうの(にも限らず)死に至る病で
「絶望は罪である」やらの特定の耳障りのいい単語を選ぶのはどういう事だろう?
>・絶望とは死にいたる病である。自己の内なるこの病は、
>永遠に死ぬことであり、死ぬべくして死ねないことである。


たまには
「正しい事を理解したといいながら不正をなすのは、
そいつはそれを理解してなかったのだ。そしてそれは喜劇だ」
というのも選んで欲しいね。
147考える名無しさん:02/07/17 10:46
馬鹿は死んでもなおらない
148考える名無しさん:02/07/17 12:27
絶望=脳のバグ
149考える名無しさん:02/08/03 21:18
150考える名無しさん:02/08/03 22:52
死ななきゃ治らない病
151考える名無しさん:02/08/25 23:10
この本がはやったのは、某アニメの影響です。
152考える名無しさん:02/08/25 23:28
なにそれ? > 某アニメ
153考える名無しさん:02/08/25 23:42
エヴァはわかりたくもない。
154考える名無しさん:02/08/26 01:04
某アニメって、絵う゛ぁの事化よ。
で、俺は全然見たことがないので氏欄のだが、正しく引用されてたのか?
155考える名無しさん:02/08/26 01:13
俺の「死に至る病」はノスタルジアだよ。
156考える名無しさん:02/09/08 22:27
157考える名無しさん:02/09/09 04:55
>>124
たんなる人格障害なのでは
158考える名無しさん:02/09/09 05:31
>>157
ただの勝手な男でしょ。
159考える名無しさん:02/09/09 05:49
>婚約の翌日にはもう自分が結婚相手としてふさわしいのか悩み始め、
>今度は一方的に婚約破棄の手紙を送りつづけるなどの手段を講じ、
>ついにレギーネと別れてしまったのです。

勝手なだけならここまでしますかね?
160watasi:02/09/12 16:38

彼はそこまでして哲学者になりたかったのです。
161考える名無しさん:02/09/12 16:47
あれは哲学なのか !?
162watasi:02/09/12 17:00

あれって、dokonokoto?
163考える名無しさん:02/09/12 17:16
俺は一種のナルシシズムと妄想していた。

レギーネ発見・口説く
   ↓
口説くという行為には自己欺瞞と下心が必要
   ↓
自分の醜さを目の当たりにする
   ↓
醜い自分がレギーネと結婚する資格はない

結婚しなければ自分は汚れずにすむ、と。
しかしキルケはそんな口実をつくってレギーネを傷つける自分の弱さを
自覚してもいたかもしれないが。(二重の醜さを自覚していた?)
そんだけ。
164watasi:02/09/12 17:27

regi-neto,wakaretanoha,そういう理由ですか?
165考える名無しさん:02/09/12 17:45
研究者でもない限り、本当の所はわからない。
という前提で、話のタネとして考えたら個人的にそう思えただけですが何か?

166考える名無しさん:02/09/12 17:48
はっきりって、どうでもいいよ。
お前ら暇だな。
167考える名無しさん:02/09/12 17:48
つまり読んだことがない、と?
168考える名無しさん:02/09/12 17:50
>>166 オマエモナーって言って欲しいんだろ?
オマエモナー。
はい、満足したね。氏ね。
169watasi:02/09/12 17:52

mosikasite,kirukego-ruha,kokomadeyonnde,wakaretannja?
170考える名無しさん:02/09/12 17:55
kokomadeってdokomade?
171考える名無しさん:02/09/12 17:55
次回、死に至る病、そして
来週もサービスゥ、サービスゥ!!!!
172考える名無しさん:02/09/12 17:57
なつかしい。
173watasi:02/09/12 17:57

watasitatini,kouyatte,gironnsaserutokoro.
174考える名無しさん:02/09/12 18:00
hu-nn
175o:02/09/12 19:04
からたにがキルケはほもだったのに
世俗的雰囲気からのんけになっただけ、
婚約してからそのホモぶりにきづいて破棄した
との説をどこかで言っていた、誰かの説として。

ところで、キルケの婚約破棄についてのなる死しすむ説だけど、
私は自分がそれでやってきたから、10才くらいから20台半ばまで
ずっとそれやってきて、いまはどうにか自己と折り合いをつけられるように
なったので彼女がいるが、それまでは告白してはオッケーをもらうも、すぐに
いつものくよくよがはじまり、やっぱり友達でいましょうと言い散らす始末を
くりかえしてきました。
だからなる死しすむのことはよくわかる気がするのです。確かにこの説明は
あまりにも陳腐かつ美的でないのですが、しょうがないというかんじで。
176考える名無しさん:02/09/29 23:39
このスレと関係ないかもしれないんですけど古本屋で、
「キルケゴールとニーチェ」秋山英夫著
見つけますた。
内容が良かったんで
このテーマで語れる人いませんか?
177コギャルとH:02/09/29 23:41
http://www.tigers-fan.com/~jko

http://www.tigers-fan.com/~tyk

ヌキヌキ部屋に直行
  コギャルとヌキヌキ
  全国地域別出会い
178666:02/09/29 23:57
>>176
なぜ自分から最初に語り始めようと努力しないのか?
ヨナ・コンプレックスなのか?
179考える名無しさん:02/09/30 00:18
>>178
何か語っていただければ厨房なりにレスつけようと思ってます。
アドラー心理学でいうヨナ・コンプレックスではなくて
本当に、自分から語れるような哲学の知識をまったく持ち合わせてないんですよ。
二ーチェの著作は読んだことすらないし、キルケも死に至る病に目を通した程度ですし。
この本から引用しながらでもかまいませんか?
180考える名無しさん:02/09/30 00:51
>>179
どうぞ
181考える名無しさん:02/09/30 00:54
単独者も超人もともにその発生の地盤を思想家自身の深い個人的体験にもっているのであるが、その背景となっているのは共に時代である。引用


キルケゴールにとってレギーネとの婚約を破棄した体験であり、ニーチェにおいてはワーグナーとの訣別であろうというくだりなんですが。
その前段でも二人をそれぞれの時代において例外的存在として位置付けて、
単独者(という範囲)と超人(という理念)も、その時代(現今の時代)に対する対立超出の態度から生まれてきたものだとしています。
まず、この見方はどうなんでしょうか。
182考える名無しさん:02/09/30 01:07
時代が関係するのだとしたならば、ある時代には豪傑的英雄や天才が生まれない
時期があるということになるが、実際には世情にうまくマッチするかどうか、あるいは
その行動が支持されて有名となるか如何にかかわるのであって、常人より才能や
肉体的能力に秀でた人間は時代に関係なく存在すると思うのが一般ではないだろうか?
したがって、文献的に現在我々が読むことの出来る内容を古人が一切まったくもって
思考することがなかった、などと断言することは出来ないはずなのである。

しかし翻れば、確かに現代の『大衆文化』というものは時代的に市民権と自由を得た
民衆によってしか形成されえない諸現象を引き起こしており、この流れを汲めば
社会背景を無視して「大衆」の思考体系を考察した思惟哲学は時代の寵児と呼びうる
存在なのかもしれない。

要は何を問題として何処に視点を置くかだろうね。
183666:02/09/30 01:15
>この流れを汲めば 社会背景を無視して「大衆」の思考体系を考察した思惟哲学は
>時代の寵児と呼びうる存在なのかもしれない。

訂正:

この流れを汲めば、社会背景を無視して「大衆」の思考体系を考察することは
出来ないのであるから、その内容に即した思惟哲学は或る意味『時代の寵児』と
呼びうる存在なのかもしれない。
184666:02/09/30 01:27
例えばニーチェの畜群を、安寧なる市民社会の凡庸さとゴシップ記事満載の新聞等、
あるいは慰安(気休め)的礼拝を無視して語ることは出来ず、そこからの反発として
人間の『可能性』や『気丈さ・勇敢さ』を模索したかも知れぬ志向性を看過したならば、
バカ学生が文献の端書に引用された『ニーチェ』と『ニヒリズム』という単語を連想ゲーム
よろしく結びつけて『ニーチェは斜に構えた引きこもりのニヒリスト』という偏見を
持つような短絡さに落ちいるかもしれぬわけだ。
(もっとも2chのニーチェ関連のレスの殆どは未読者の脊髄反射レスだが・・・)
185176:02/09/30 21:39
>>182-183
時代は重要な意味をもっていると思います。
引用。ボイムラーの「ニーチェ書簡集」に触れて、
君たちが問題にするのは、いったい歴史を真二つに割った歴史的人物としての「二ーチェ」なのか、
それとも単なる一個の誇大妄想狂なのかと、きびしくわれわれに問いかけている。
彼は本当に一個の狂人であったのか、それともヨーロッパの危機を打開すべき運命の人であったのか

例外的存在という言葉は、「私は身体に刺を持っていた。〜それで私は例外になったのだ。」
そしてニーチェが発狂したこと等などから、常人ではなかった
人間としては変人であったという視点から始まっていった文脈でした。
引用。時代を超出するがために時代から白眼視される悲劇的変人であろう
186176:02/09/30 22:06
>>184
この二人については、超人指向じゃないから、偽善者になってしまうとかで
読んでませんでした。
1961年に(実存哲学が流行りだした頃だそうです)入門書として書かれたものらしく、
特有の魅力というか、言葉にほとばしる熱いパドスwを感じまして。

187666:02/09/30 22:56
>>185
>時代は重要な意味をもっていると思います。

君は本を読んで感想としての持論を持っているのだろうから
個人的な解釈としてでも「なぜ時代は重要な意味をもっているのか」を
端的に表明すべきではないのか?
引用文だけでは『思考』が見えてこないよ。
188考える名無しさん:02/09/30 23:53
景気(消費、GDP、株価)が回復しないのは将来への不安があるから。
将来への不安は財政赤字670兆円の増加が原因だよね(赤字国債の増加=30兆円)。
ところで、公務員給与=30兆円。消費=0.6×GDP+10、(GDP=500兆円、消費=310兆円)。
赤字国債を消費税で全てまかなうとすれば、消費税=30/310=10%の増、
すなわち、消費税率=15%、にする必要がある。
http://www.mof.go.jp/jouhou/syuzei/siryou/102.htm

しかしこれでは公が空けた穴を民間が埋め合わせることになるので国民は納得しない。
そこで公務員の負担を増やす。

例えば、消費税の増加を7%とすると、税収増=310兆円×7%=21兆円。
そして公務員の給与の引き下げを30%とすると、歳出減=30兆円×30%=9兆円。
税収増+歳出減=30兆円→赤字国債ゼロ→将来への不安解消→景気回復。
例えば年収500万円の世帯だと、500万円×0.6×7%=21万円の負担増。
年収600万円だと25万円、年収700万円だと29万円、年収800万円だと34万円。
189考える名無しさん:02/10/01 00:18

じゃあ、胸を借りるつもりで。
生意気いって端的に述べれば
>>182で述べられている話は、話としては分かるんですが
>社会背景を無視して「大衆」の思考体系を考察した思惟哲学は時代の寵児と呼びうる
存在なのかもしれない。
要は何を問題として何処に視点を置くかだろうね。

つまり、体系的認識が重要。
そして議論するときは立場をはっきりさせることがポインヨ
単なる知識ですよね。

体系的認識って学問は、時代といった特殊を容れずにというか無視して
普遍のみを問題とするじゃないですか。
永遠普遍の相の下で時間、運動、生成を度外視する意味で単なる空想じゃないかと。
キルケゴールやニーチェの存在、生きていた時代にどう解釈されていたかも問うたり
注意を払うことで見落とされていた実質がより鮮明に。
何を問題として悩んだか、指示していること、彼らの生き方も見えてくるのではないでしょうか。








190666:02/10/01 00:36
>体系的認識って学問は、時代といった特殊を容れずにというか無視して
>普遍のみを問題とするじゃないですか。
>永遠普遍の相の下で時間、運動、生成を度外視する意味で単なる空想じゃないかと。

著述の内容こそが第一義だからでは?
もちろん思考の成熟というものを後追いで把握出来れば「なぜその視点にいたったか」が
把握しやすくなるのだけれども・・・
ただ、時代背景を持ってくると解かり易くなる場合も(内容によっては)ある反面、
興味の対象が思想や哲学の内容より、『個人伝』に偏らないかな、と・・・

>キルケゴールやニーチェの存在、生きていた時代にどう解釈されていたかも問うたり
>注意を払うことで見落とされていた実質がより鮮明に。
>何を問題として悩んだか、指示していること、彼らの生き方も見えてくるのではないでしょうか。

時代的にぞんざいに扱われシカトされていた場合、また、明らかに内容が反時代的で
あった場合はどうだろう?
191考える名無しさん:02/10/01 00:36
あ〜…ドイツ行きて〜
192考える名無しさん:02/10/01 03:28
希望を持てばこそ人は絶望のどん底まで落ちるのでは?
ということで「死に至る病は希望である」
193考える名無しさん:02/10/01 03:30
補足:この病は致死率100%ではありません。
194考える名無しさん:02/10/01 03:34
でもすきだゆ
195考える名無しさん:02/10/01 03:45
キルケゴールだめ人間だし。
だけど、それで人間性を深めたのかも。

だからすきだゆ
196666:02/10/01 22:16
>>193
絶望を知らないから?
197176:02/10/02 00:11
>>190
>著述の内容こそが第一義だからでは?
前レスの通り、多かれ少なかれ感化されたのはいなめない気がします。
むしろ、思考云々というよりは体験ですね。
189のようなバカバカやったら、暗黙の内に評価を下げられた事があって
教科書の序文に、普遍的人間論は建前じゃなく本人は至って真面目。教授ら大マジメ
と、よくある話ですかw

>興味の対象が思想や哲学の内容より、『個人伝』に偏らないかな、と・・
キルケゴールは、著述を人々がどのように取り扱うとも自由であるが、媒介とやらを
使って体系の荷箱へ入れることだけはかんべんしてほしい、と。引用

哲学のことは研究者じゃないのでよく分かりませんが、どうでもいいものを並べ立てて
つまらない二、三の常套句で片付けるのはうちも勘弁ですね。

>時代的にぞんざいに扱われシカトされていた場合、また、明らかに内容が反時代的で
あった場合はどうだろう?
この場合、キルケゴールと二ーチェがそうですよね。本にも色々と書かれてますが、
サルトルによって実存哲学の源流として紹介されるまでキルケゴールはほとんど無名、
二ーチェは詩人的思想家として扱われてきたそうです。
すみません、質問の意味をはかりかねまして
ただ、思想家の人間個人に興味がある、志や願望を共有したいというのもまずありきでは
198考える名無しさん:02/10/02 00:54
>>192‐193
パンドラの箱を開けた時に、残っていたのは希望ではなく未来の記憶だったという
話があります。
キルケゴールのいう絶望は
現世的世間的なものに絶望しているその自分が絶望的であることを意識していない
ことが絶望なんだそうですよ。
>>195
二章の標題が人間失格でしたYO!
199考える名無しさん
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