読解講座 アドルノ「Negative Dialektik」
非常に人気がないと予想されますが、「否定弁証法」の読解講座を やりたいと思います。最悪、参加者が一人もいない可能性も ありますので、その場合は一人で(非常に)ゆっくりすすめたいと 思います。訳本は非常に高く 「否定弁証法」 テオドール・W. アドルノ (著), 訳 木田元、徳永恂、渡辺祐邦、三島憲一、須田朗、宮武昭 作品社 4800円です。(訳者は、そうそうたるメンバーですね。) 原書のほうが24DMでやすいという悲しさ。 ドイツ語読める方でしたら日本で買っても原書の方が、やすいかもです。 私は、どちらかというと哲学厨房です。が、ちょっとしたことから この本を買って、いつか読んでやろうと思って今日まできました。 彼については、ハーバーマスを通じて少し知ってるくらいで、 著作自体は、まだ何も読んでません。 ところで、 私は原書を持っていますので、場合によって参考にします。 アドルノ フランクフルト学派のひとり 「権威主義的パーソナリティ」 「啓蒙の弁証法」(ホルクハイマーと共著) などが代表作。
序論 1.哲学の可能性について アドルノはここで、哲学の位置付けを問う。 P.009 L.12(訳本) 「ヘーゲルは一方で哲学を絶対精神に帰属させるような教説を 掲げるが、他方で哲学を現実の単なる一契機、つまり分業的な 活動とし、こうして哲学を局限した。以後そこから哲学の固有な 制限と哲学の現実に対する不均衡が生じることになった 哲学がその制限をすっかり忘れ、おのれがその内的な組成や 内在的心理の果てに至るまで、いかにその全体に依存しているかを 認識することなく、おのれがその対象として独占している全体の中 でのおのれの位置について省察することなどまるで自分には無縁な こととして却けるならば、その制限やその不均衡はますます はなはだしいものになる。」 哲学固有の制限とは?→固有は「eigene」で訳されていることから 哲学自身の制限であり、つまり哲学問題の境界線のことであると 思われる。 「そのような哲学だけが、なおも考えつづける価値があるだろう。」 ここから、現実との均衡を保ち、自省可能な哲学がアドルノ考える 哲学の位置だと思われる。 次は弁証法についてだが、ヘーゲル弁証法の挫折は、弁証法そのものの 見直しを要求するということを述べている。 アドルノのヘーゲル理解の妥当性については、皆さんの意見を 伺いたくぞんじます。
邦訳にある章立ては原典になかったと思うがどうだったかな。 原典の読みにくさは現代最高レベルであることは私が保証しよう。 三島と徳永はアドルノの元で暫く学んでいたな。 どうでもいいがこの手の読解スレは章ごとに文責者がチャート的にまとめたほうが 進みやすいと思う。
ちなみにアドルノには独立したヘーゲル論があったと思う。
>>3 おお、ラゲさん。いっしょにやりません?
超ゆっくりやるつもりなんで。
>邦訳にある章立ては原典になかったと思うがどうだったかな。
そうですね。原書には、ないです。
>チャート式
う〜ん。訳本のまとめ方は非常に短くてやりやすいと思いましたね。
それにのっとらしていただきました。
時間があれば参加しまふ。 ヘーゲルの弁証法は個と全体との融和と発展とを 絶対者という大いなる中心を用いてなそうとするもの。 絶対者なき現在においてそれが可能か?これが弁証法についての アドルノの問題意識の骨子で、彼の場合最後に、 絶対者ではなくKonstellationというワケワカメの概念が登場します。 通常は星座とか状況という意味ですね。ここを目指してがんばってください。 もしものときの必殺技→ヘーゲリアンの某氏の召喚(使用注意!
7 :
hyumean :01/12/30 08:05
>>3 三島さんと徳永さんが学んでいたって本当?
>>4 3つのヘーゲル論ですね。
で原書はどこに売っているのでしょうか。
>>6 アドバイスど〜も。
ちとヘーゲル読み直さないとまずいなあ。
暇できたらまたレスしてくださいな。
では。私も寝ます。
9 :
考える名無しさん :01/12/30 21:18
知識社会学批判も展開されているそうですが、 その辺はどうなんでしょうか?
2.弁証法はいかなる立場でもない P.10 L. 7(訳本) 「もはやいかなる理論といえども市場からのがれるわけにはいかない」 このアドルノの言葉は、意味が深い。 理論そのものが、市場において、いかなる扱いをうけるかに人は無関心 ではいられないし、今日それを無視することは、先に述べられた現実との 不均衡よりますことになるだろう。 P.10 L.12 「弁証法はという名辞は、さしあたって、対象はその概念に吸収されるもの ではないという以上のこと、対象はadaequatio(合致)という在来の (古くからある)規範と矛盾することになるという以上のことは言ってはいない」 (aufgehenが吸収と訳されているのはなぜだろう?) つまり対象は、その対象の概念に 埋没するわけではないということか・・。 adaequatio=adaequareの名詞かな?同等性、妥当性ということか。 この用語は、ハイデガーも批判的に使っていた気がするが、忘れてしまった。 在来の規範(Norm)というのは通俗的思考方法のことだろうか。
訂正 不均衡よりますことになるだろう >不均衡をよりますことになるだろう 弁証法はという名辞は >弁証法という名辞はさしあたって
P.10 L.14 「この矛盾は、ヘーゲルの絶対的観念論が不可避的にそれを 聖化せざるをえなかったような、ヘラクレイトス的本質ではない」 ここでは、アドルノにおいてヘーゲルの絶対観念論は、ヘラクレイトス 的本質(最終的な調和統一として使っているのだろうか。)として みなされる。 (今日はここまでにします。次の文がちょっと訳がおかしいの で大変だし、1月は、しばらくかきこできないので) その間に読めたらヘーゲルを読み直して見ます。) 引き続き参加者募集も募集してます。
>引き続き参加者募集も募集してます。 引き続き参加者募集してます。 に訂正。すみません。
15 :
考える名無しさん :02/01/10 16:15
ベンヤミンに繋げて議論してくれることを希望。
邦訳買ったのですが、いよいよ判らなくなったので、お願いします。 >15 まぁ、マターリいこうや。
17 :
考える名無しさん :02/01/17 14:51
あげとく
18 :
考える名無しさん :02/01/17 16:09
浅田彰って、何してた人?よく中島らもの本に出てくるんだけど・・・ 13年位前ってなにしてた?京大の助手?
19 :
考える名無しさん :02/01/21 02:22
応援age!
おお、久々に来たら、参加者が!!
>>15 ベンヤミンについては、私勉強不足ですので、
他の方にたのんます。
さて、
P. 010 L.15から
「矛盾とは、同一性が非真理であることの指標、つまり概念的に
把握されたものを概念に化してしまうことの非真理の指標なのである。」
この文はよくわからない。
原文をみてみる。
S. 17. 5. Zeile von oben.
"Er(Wiederspruch) ist Index der Unwahrheit von Identitaet,
des Aufgehens des Begriffenen im Begriff."
FFS訳「矛盾は、同一性が真実ではないことの指標であり、
把握されたものが概念に吸収(埋没)されることが
真実ではないことの指標なのである。」
A≠AでありBegriff≠Begriffenen。
前の文脈から、弁証法における矛盾は、
統一への方向性?をもつものではなく、
ただ同じではないということの標なのであり、
把握対象と、それが概念になったものが
同じではないということかな?
難しすぎ!
(ちなみにヘーゲルはまだ読み途中です。)
次の行も難しいのですが、時間が無いので、
書くだけ書きます。他の方のコメントもお待ちしています。
L. 17
「けれども、同一性の仮象はその純粋形態における
思考そのものに内在している。思考するということは
同一化するということである。概念的な秩序というものは、
思考が概念的に把握しようとしているものの前に満足げにしゃしゃり
出てくる。思考の仮象とその真理とはたがいに絡まりあっている。」
>>20 訂正
Wiederspruch>Widerspruch
22 :
mimesis :02/01/21 04:47
>>10 >adaequatio=adaequareの名詞かな?同等性、妥当性ということか。
>この用語は、ハイデガーも批判的に使っていた気がするが、忘れてしまった。
『存在と時間』の「第44節 (a) 伝統的な真理概念とその存在論的基礎」を
読むとイイよ。
ハイデガーが批判する伝統的な真理概念とは、
真理性の規準は認識とその対象の一致であるという真理観。
adaequatio intellectus et rei で「知性と事物の合致」。
A=Aなどの判断に現れる同一性の記号である「=」、繋辞としてのseinを
問題にすることにおいてハイデガーとアドルノがつながるのかな?
ハイデガーの例の「seinに×をつけた表記」と「≠」の関係を
考えるのも面白いかも。
23 :
mimesis :02/01/23 03:50
>>20 概念をB、把握されたものをbとおくと
同一性が成り立つということは
(B⊂b)∧(B⊃b) ⇒ B=b ってことで、
「矛盾とは同一性が非真理であること」ってのは
それ(B=b)が成立しない(非真理)ってことかな?
でB=bは成立しないんだけれど、思考ってのは
B=bをめざすような働きで、真理と称される
ありもしない秩序(仮象)が現れてくる。
カントは、物自体を措定することによって、
一致(物自体の認識)は仮象であることを主張するのだけれど、
そんなふうに思考の外を持出すのではなくて、仮象は内在的に
批判されなくてはならないのだとアドルノはいってる。
B=bが成立しない。つまりB≠bって矛盾に捉え方は
ここではあまりよくないかもしれない。
矛盾は, A∧¬A で考えた方がイイかも。
で、矛盾を否定すると、¬(A∧¬A)
つまり A∨¬A になる。
これは排中律。で11頁、5行目につながる訳。
「全体的な同一性の仮象」ってのは、矛盾がないように
「排中律を中核として」「構築されている」全体。
弁証法は排中律からこぼれ落ちるもの、
異質なものを思考するってことかな?
論理学初心者なんで、基礎事項を確認してるんだけど、
ここらへんは変に難しく考えない方がいいんじゃないかと
思うのですが。 安易に読み過ぎかな?
25 :
考える名無しさん :02/02/09 23:04
あげとく
26 :
らげ@援助交際 :02/02/09 23:09
Himmmelfahrtskomamndo(天国へ突っ走るコマンド部隊) で「特攻隊」だなんて、 アドルノよまにゃわからんちー
関係ないがアドルノの社会学講義、めちゃくちゃ解りやすくて良いね。 初めて普通に読めるのに出逢ったって感じだよ
皆さん、お久しぶりです。なかなか進まなくてすみません。
へーゲルにいまだ躓いたままなので、この状況で
アドルノに手を出すのは心苦しいのですが、
あげて頂いたので、すこし進めてみようと思います。
>22(mimesis氏)
ハイデガーのその部分、もう一度読んでみました。(ちくま学芸文庫)
「存在と時間」
P. 453 L. 18.
「言明が真であることは、それが存在者をそれ自体のありさまで発見するという
ことである。」
P. 454 L.2
「言明が真であること(真理性)は、発見的であること(entdeckende-sein)
として理解されなくてはならない。してみれば、真理性は、ある存在者(主観)
が他の存在者(客観)へ同化するという意味での、認識と対象との合致という
ような構造をなんらそなえていないのである。」
P. 457. L. 15.
「第二の意味での意味での真理性とは、発見的であること(発見)ではなく、
発見されていること(被発見態)のことである。」
(被発見態:Entdecktheit)
これらは、当然、「世界−内−存在」そして存在様相など、
ハイデガーの存在論に絡めて展開されているのでそれを考慮しなくては
なりませんが、第一部で存在論があつかわれるので後に検討しましょう。
>「排中律を中核として」「構築されている」全体。
>弁証法は排中律からこぼれ落ちるもの、
>異質なものを思考するってことかな?
これは、ちょと違うような・・。思考するということが、同一化志向を
内在させているのであるならば、弁証法が非同一化志向であること、
そして対象の否定性をあきらかすることによって弁証法を位置付け直して
いる気がするのですが・・・。いかがでしょう?
>>24 おお、ベンヤミンですか!また難しそうですね。こちらこそよろしく。
>>26 らげさん、それどこに出てくるんですか?
他の方々の参加もしくは、私に代わる進行役(笑)を募集中です。
では、また。
(まだちょっと忙しくて、じっくり取り組めないんですよ〜。)
29 :
らげ@援助交際 :02/02/11 01:15
今Jargon der Eigentlichkeit読んでるんだ。 一日3時間で5、6ページ。マジ読みにくい。しにそう。
30 :
らげ@援助交際 :02/02/11 01:16
文法は簡単なんだが 語彙がね。。。。
漏れも参加します。sageた方がいいの?ageた方がいいの? >「矛盾とは、同一性が非真理であることの指標、つまり概念的に >把握されたものを概念に化してしまうことの非真理の指標なのである。」 この本のどっかに概念と概念的に把握したものをごっちゃにするな、 というような一節があった気がするけど、それと関係してるのでは? ハイデガーの話がちょっと出てきてたけど、 この本では貫くのはハイデガ−批判がなされてるよね。直接言及していないところでも。 本来性とか疎外論的なものはマルクス以前に退歩している、と読めるのだけど、どうかな?
32 :
考える名無しさん :02/02/16 03:45
>>29 それって、三島の『戦後ドイツ』でも引用されてたやつ?
33 :
考える名無しさん :02/02/21 23:17
概念と概念的に把握されたものの違いは?
つうか美学理論いい加減再版してくれ。 その他にも主要著作の翻訳、受容初期の 酷いやつしかでてないのが大半ってのもよぅ。 ベンヤミンは翻訳も概説書もかなり良いのが色々でてるだけに
35 :
考える名無しさん :02/03/03 00:30
あげまくりくす
アンチクリマクスっすか? いずれアドルノのキルケゴール論も読みたいものである。
期待を込めてあげぇっ!
みなさん、レスありがとうございます。 久々に再開します。というわけで一回ageます。一気に3へいきましょう。 (ところで、前のレスで訳本の章立ては、原典にはないと言ってしまいましたが、 番号がふられてないだけで、右上に書いて有りました。失礼。) 3.実在性と弁証法 「しかしこの法則は思考の法則ではなく、実在的なものである。弁証法的規律に 身を屈するものは、疑いもなく、経験の質的多様性に関して苦い犠牲を支払わな ければならない。弁証法による経験の貧困化は常識的なものの見方にとって憤激 の的となっているが、しかしこの貧困化こそ管理された世界においてはその 抽象的な一様性にふさわしいものであることがわかる。管理された苦悩は。概念に まで高められた苦悩である。概にまで高められた経験には認識も従わざるを得な い。」 (この「法則」というのは、↓の文章を受けています。) S. 18. 5. Zeile von oben. 「Widerspruch ist Nichtidentitaet im Bann des Gesetzes, das auch das Nichtidentische affiziert.」 FFS訳「矛盾とは、法則の呪縛にある非同一性であり、この法則の呪縛が 非同一的なものをも触発するのである。」 難しい。やはり同一志向から矛盾志向への転換を喚起してるように思える。 「管理された世界」とは何をいっているのか。現代批判だろうか。
(ああ、ミスが!) 訂正 管理された苦悩は。概念に まで高められた苦悩である。概にまで ↓ 管理された苦悩は、概念に まで高められた苦悩である。概年にまで
>>39 またやってしまった。
訂正
概年にまで→概念にまで。
訳本 P. 012. L. 9.
「別な型の弁証法は、弁証法の無力な復興で満足するだろう。すなわち、精神史
の立場で、カントのアポリアや、彼の後継者たちの諸体系において企てられは
したが実現されることのなかったことから弁証法を引き出すことで満足するだろう。
だが、それは否定的にしか果たされえない。なぜなら弁証法は普遍によって
指示された、特殊と普遍との差異を展開するものだからである。弁証法、すなわち
意識のなかに押し込められた主観と客観の断絶は、主観から逃れることのできない
ものであり、たとえ客観的なものに関してであれ、主観が思考するすべてを整理
するものでありながら、一方では弁証法は結局のところ宥和を目指すことになる
だろう。」
断絶が宥和へと向かう。特殊と普遍の差異(弁証法)が、主観と客観の断絶と
同義にされている。またこの後で、
この「宥和」がさまざまなものの多様性を開くと述べている。
41 :
考える名無しさん :02/03/31 18:50
アドルノ関連で良い概説書ってあります?
42 :
考える名無しさん :02/03/31 18:58
確かにアドルノは分かりにくい。 それに比べたら、ベンヤミンは分かりやすいよ。 ドイツの文脈から見れば分かりやすいのだろうか?
43 :
考える名無しさん :02/03/31 19:01
ベンヤミンわかりやすいか? おれはアドルノより取っつきにくかったよ。 ってどっちにも取っつけてないんだけども。
44 :
考える名無しさん :02/03/31 19:02
まあドイツ語っていうか書き方に関して言えばベンヤミンのが遙かにわかりやすいってとこはあるだろうけど。
アドルノの批判のメインターゲットは「何を美しいと思うか」。で、ベンヤミンもアドルノにとって美しいものの一つで、それで、ナチスもドイツで美学的に受け入れられたわけだからさ。それを批判する必要があったと思うのだけどどうだろうか。
46 :
考える名無しさん :02/03/31 19:58
うーん言ってる意味がいまいち分からないんですが。
47 :
考える名無しさん :02/03/31 20:04
アドルノの批判のメインターゲットは物象化、もっというなら同一性だと思うんですが。 実証主義批判にせよ実存主義、決断主義批判にせよ根底にある物はこれだと思ってます。
48 :
考える名無しさん :02/03/31 23:42
物象化っていうのは批判の対象でもあるけれどそのメインターゲットと言うよりはあくまで出発点なのでは? ただの物象化批判では古典的マルキスト、よくてルカーチのエピゴーネンってとこで終わってしまう。 もちろんそういう側面もあることは否めないけれども、フロイトの遺産を取り入れた批判理論家でもあり そしてなによりベンヤミンの”弟子”でもあったことを忘れちゃいけない。
49 :
考える名無しさん :02/04/01 07:38
>>48 確かに"前提として"物象化ってのはあると思われ。
主観よりも「物象化された」客観(生産的諸関係?)が先行するって言ってたような。
ベンヤミンって、近代の転換期、代表例を上げれば、アウラ(違ったかもしれん)の喪失に立ち会えた。 あるいは、その喪失を宣言できた分だけ幸せだったんではないの。 一方、アドルノは戦後ドイツだから、マルクス主義の理論家としては、不幸な時代と言えるよね。生まれたのが遅すぎたというべきか。 で、アドルノがベンヤミンを理論固めしたようなものなら、あまり、魅力ないんじゃないの。 で、聞きたいのは、アドルノを読む人にとって、アドルノの魅力って何?ってことなんだけど。
51 :
考える名無しさん :02/04/03 00:49
アドルノはベンヤミンを理論固めしたものとは呼べないと思うが。 アドルノのベンヤミン受容はむしろ思い切った抽象化、単純かによってとりだした 理論的枠組みや諸概念を様々な領域に利用していったと言ったところじゃないかな。 理論的著作が多いとは言っても論争的な姿勢から離れているところは少ないしその限りで上記の姿勢に変わりはないと思う。 本人の資質としてはむしろベンヤミンとは正反対とも言えるところがあったんじゃなかろうか。 だけど最近思うのはベンヤミン - アドルノって観点は非常に重要だし、自然とそこに目がいくのはわかるんだけど 実はアドルノ読んでく上でもっと大事なのは古典的なドイツ観念論の哲学者たちじゃなかろうか、ということ。 ベンヤミン - アドルノ路線だけで読んでいくとするとやはりアドルノの魅力って何?となるところは誰でもあると思う。 彼のどんな著作でもベンヤミンの県域から逃れているといえるものはないだけにね。
52 :
考える名無しさん :02/04/08 18:00
age
53 :
考える名無しさん :02/04/09 00:48
アドルノにはリスボンの地震に対して抗議 したヴォルテールと同じパトスを感じる。 この辺はベンヤミンにはないものだろう。 ポストモダンの人達にグノーシス、主体 神話に捕らわれていると言って非難され もしたがここがアドルノの一番の魅力だと 思っている。
54 :
弁証法的理性批判放棄 ◆PSGBg7JM :02/04/27 22:02
あげだよ。
55 :
ノエティカー :02/04/27 22:08
「アウシュビッツの後で詩を書くことは野蛮である」(アドルノ)
56 :
弁証法的理性批判放棄 ◆PSGBg7JM :02/05/05 12:55
死ぬなテオドール・W・アドルノ
57 :
考える名無しさん :02/05/05 13:09
アドルノって端々でかっこいいこと言ってるけど 全体通して読んでみると意味わかんなすぎる。
58 :
考える名無しさん :02/05/05 14:41
age
アオルノは否定弁証法の中で 「不変のものが真理である。」というのは 「ヘーゲルの御高説をもっても不可能」と言ってる。 ヘーゲルの「不変」の意味はそんなものではないし、 ヘーゲルをまったく理解していない。 この人に詩の感性はあっても、 論理的な頭脳はない。
60 :
弁証法的理性批判放棄& ◆g3tzmGlg :02/05/13 21:25
流されるなアドルノ
61 :
考える名無しさん :02/05/13 22:08
どなたか否定的弁証法の意味を教えてください 弁証法はテーゼとアンチテーゼをアウフヘーベンして理想みたいなもの(この術語も教えて!) を作るって考えでしょ じゃあ否定的弁証法って何を否定するの?
62 :
考える名無しさん :02/05/14 02:14
>>59 アドルノの古典読解に少々難があるのは事実。だからたぶんみんな読まない。
でも彼の芸術論は他に比べる哲学者のいないほど的確でブリリアント。
でも哲学者は芸術わかんない人が多いからやっぱりみんな読まない。
こんなアドルノを読める人にこそ期待しちゃうぞあげ。
63 :
考える名無しさん :02/05/14 02:27
>>55 「アウシュビッツの後で詩を書くことは野蛮である」(アドルノ)
この文章は有名ですが、アドルノ自身は野蛮を悪いとはみなしてないのじゃありませんでしたっけ?
ではいったいこの文章の意味するところはなんでしょうか?
64 :
考える名無しさん :02/05/15 03:28
>>63 有名なセリフだけじゃなく
その前後も読んだら。
そんな難しいこと書いてないよ。
>>63 まあ
「文化」も「思考」も「生きる」も
アドルノの場合、両義的だからね。
66 :
考える名無しさん :02/05/15 03:35
別にアウシュビッツでなくても本質的に同種のことは数千年前からあったんじゃないの?
67 :
考える名無しさん :02/05/15 04:27
>>66 本質的に同種のことが、現代社会に起きたんだよ。
だからアドルノは何が「同種」なのかを追求し、
なにが「本質的」かを論じたわけだ。
成功してかはともかく。
68 :
考える名無しさん :02/05/15 04:30
アドルノの感性では これまでは野蛮な「殺人」だったが、 アウシュビッツは「処分」だったんだろう。 まったく「無意味な作業」かな。
69 :
考える名無しさん :02/05/15 05:48
野蛮な「殺人」より、人間を「処分」するほうがヤバいと。 そういうことすね。
70 :
考える名無しさん :02/05/17 13:34
しかしようこの人の本普通に読んで、ヤスパースやらオルテガやらとの違いを感じることが出来る奴なんているんかね。 いわゆるアドルノ言うところの文化保守主義者か前衛イデオローグそのものと感じる人のが多いんじゃないの? 作品読む前に講義録なり書簡なりでいわば仮面の下を覗いておかないと誤解のママ突っ走っちゃうこと請け合いだ。
71 :
弁証法的理性批判放棄&rlo; ◆k7C9xZJk :02/05/17 13:39
ハゲルノ すいません逝って来ます
72 :
考える名無しさん :02/05/17 13:50
戦後果たした役割から言えばイデオローグそのものなんだけど。意図はともかく。
73 :
考える名無しさん :02/05/23 05:54
ホルクハイマーのように、沈黙してればよかったのに。
74 :
考える名無しさん :02/06/07 19:07
>1 きみはきっと 本をブックオフに売ったね
いいえ、まだ持ってます。
76 :
考える名無しさん :02/06/12 11:59
>75 終了 とせよ
77 :
考える名無しさん :02/06/29 23:56
age
78 :
考える名無しさん :02/06/30 01:41
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ( ´Д` ) < この板DQNだらけですだ。 /, / \_______ (ぃ9 | / /、 / ∧_二つ / / / \ ((( ))) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ / /~\ \ ( ´Д`) < ですだ。 / / > ) (ぃ9 ) \_______ / ノ / / / ∧つ / / . / ./ / \ (゚д゚) デスダ / ./ ( ヽ、 / /⌒> ) ゚( )− ( _) \__つ (_) \_つ / >
79 :
考える名無しさん :02/07/10 05:00
80 :
考える名無しさん :02/07/19 21:36
1はいずこへ
81 :
考える名無しさん :02/07/25 15:15
マコトちゃんの新しい本ってどうなん? なんか立ち読みした限りじゃ再録ばっかで買う価値ないかなーとか思ったんだけど
83 :
ェロェロ(○´Д`○*)ノ~ :02/08/02 12:16
ageだよ、ボケども
84 :
ェロェロ(○´Д`○*)ノ~ :02/08/05 11:59
漏れの大学の身体芸術論の夏休みのレポートの構成(予定) 1.アドルノとジジェク 2.アドルノと廣松渉 3.アドルノとベンヤミン 4.アドルノとデリダ しかし、身体芸術については何も書いてない罠。
85 :
考える名無しさん :02/08/05 18:51
手ぇひろげすぎ!
86 :
考える名無しさん :02/08/31 02:20
なぜか突然ドキュン学部生に乗っ取られ、 主宰者のFFSは蒸発 誰かやれage
どこを指して乗っ取りなんていってんだ。
89 :
考える名無しさん :02/09/28 06:35
続けてyo
90 :
考える名無しさん :02/10/13 00:09
白雉はいらない
91 :
考える名無しさん :02/10/13 21:29
どうでもいいけど、Negative じゃなくて、Negativ じゃないの?
このスレとっくに落ちたと思ってたよ。
93 :
考える名無しさん :
02/10/13 23:33 >>91 Dialektik が女性名詞だから、語尾変化してんだよ。