本質主義ってよくないよね

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1考える名無しさん
近年問題になっている従軍慰安婦問題などの
「戦後責任」を問う運動っていうのも、ただの法的な補償問題を超えて歴史教育
の現場ではすでにネガティブな意味でのアイデェンティティ・ポリティックスに
なってるとも言えるわけだから、日本ほど本質主義に煩わされている国もないよ
ね。
ところで皆さんは本質主義の批判はどのような歴史的条件の
もとに出てきたものだと思いますか?またその条件が変われば本質主義への回帰
もありうると思いますか?それとも学的認識というものは累積的に、線状に発展
するのでそのような回帰はありえないと思いますか?本質主義に本質はあるので
すか?
2考える名無しさん:01/12/29 18:35
      ∧∧    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     (,,  )  < 2ゲットしようと来てみれば
     .(  つ   |  こりゃまたずいぶんシケたスレだなぁ オイ
     | , |    \____________
     U U


 |  まあ せっかくだからズザッといてやるよ  |
 \  ハイハイ 今だ2ゲットズザー っとくらぁ  /
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

            ∧∧
           (゚Д゚O
      ⊆⊂´ ̄  ソ ヤレヤレ
3KUVRVIFV:01/12/29 19:58
本質主義って何ですか
4考える名無しさん:01/12/29 20:04
形式あっての本質であって、それは否定することはできない。
だからそれはつねに形式との対応関係でみなければならない。
また、その意味でいえば「本質」とは「形式」への批判としてある。
よって、本質と形式との上下関係をめぐる争いという事態はこれからも
続くと思うし、つねに本質は形式によって産み落とされる。
5考える名無しさん:01/12/30 01:29
本質主義ってよくないの?
6考える名無しさん:01/12/30 01:32
本質主義とは1の造語であり、妄想です。
以後、このスレは完全放置でお願いします。
7考える名無しさん:01/12/30 01:59
ちょっとは参考になるかな。
http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/hon0101.htm

つーか哲板ってこんなものだったんだね。
8考える名無しさん:01/12/30 02:06
「本質主義(essentialism)」……ある社会集団に固有の文化要素が超時間的に存在するという考え方。
ある民族・性別・階層、、、に対する偏見を惹起することが多い。
9名無しさん@そうだ選挙に行こう:01/12/30 02:19
構築主義はウリナラが起源ニダ!
10考える名無しさん:01/12/30 02:28
本質主義を批判することによって戦争責任をも回避できるのか?
11もしかすると、1のessentialismって、こんな文脈か?:01/12/30 05:20
 『現在では、あらゆる文化や民族や伝統は人工的な虚構であるという見解が文化人類学では公認のものになってきている。
それによれば、純粋で単一の文化など存在したことはなく、民族(ネーションやエスニック集団)も、
もともと存在しなかったところに創りだされたものであり、民族集団やその伝統は意図的に「発明」されたものとされる。
そのような見解は、構成主義(constructurarism)や非本質主義(non-essentialism)と呼ばれている。
それらの立場が仮想敵にしているのは、文化や伝統や民族についての本質主義であり、
多文化的かつ操作的に構成された多様な現実を「オリエント」や「未開民族」といった還元的カテゴリーや、
単一のナショナル・アイデンティティに押し込めて対象化してしまうような支配の様式としてのオリエンタリズムや人種主義やナショナリズムであった。
一九七八年に出されたエドワード・サイードの「オリエンタリズム」や一九八三年に刊行されたE・ホブズボウムとT・レンジャーの「創られた伝統」
およびベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」の二冊の本の刊行によって広まった。
いまや本質主義として批判されることなしに文化や民族とか伝統の真正性(authenticity)といった言葉を使うことはほとんど不可能になった。
けれども、その一方で、世界中のいたるところでナショナリズムやエスニシティの再興が見られる。
そこでは、自分たちの文化や民族の伝統の固有性が主張され、
自分たちのアイデンティティ の源泉となる文化や伝統の真正性を抑圧し侵略するものに対する抗議や拒絶が表されている。
その様な抗議や主張は、「アイデンティティの政治」(politics of identity )とか「差異の政治」 (politics of difference) と呼ばれ』
12考える名無しさん:01/12/30 17:51
うむ。
本質主義を批判することによって
「野蛮な民族」とか「前近代的な文化」などの言説には対抗できるが、
その一方で、たとえば「植民者」・「支配者」への批判が不可能になるし
(というのは、そのようなカテゴリーも構築されたものだから)
アファーマティブ・アクションが適用される根拠がわからなくなる。
13考える名無しさん:01/12/30 18:11
だから、本質主義を、>>11でいうところの構成主義との対抗関係において
みる視座に立て、と。その視点が肝要なんだと。
それらはどちらか一方が優位にあるというわけではなく、構成された形式が
なければ本質は求めることは出来ないし、また、構成された形式によって
本質が産出されてしまうことは不可避であるといった相互的に絡まりあった
関係にあるのだから。
14考える名無しさん:01/12/30 18:48
放置放置〜
15考える名無しさん:01/12/30 19:14
雑魚は相手にしたほうがいいのかな。
16考える名無しさん:01/12/30 19:34
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/1009317346/
元ネタハケーン!
ここの73だ。
スレたてたのは40ってやつかな?
17考える名無しさん:01/12/30 22:04
日本のカルスタ野郎は日本人の本質主義は批判するくせに、外国人が
日本について抱いている本質主義は批判しないから不思議。
18考える名無しさん:01/12/30 22:18
問題なのは文化、民族、伝統による「集団」の概念を、
「節操無く適用すること」であって、
適切な文脈で用いる分にはなんら問題はないのじゃないかと思うんですが、
どうなんですかね。
19:01/12/30 22:56
>>18
>問題なのは文化、民族、伝統による「集団」の概念を、「節操無く適用すること」

たしかにそうだが、

>適切な文脈で用いる分にはなんら問題はない

では、その「適切さ」の基準やメルクマールは何なんでしょうか?
「そんなの常識でわかるだろ!」では、バカな論壇オヤジなんかと同じになるので、
具体的な例か手続きを示していただければと思います。
20考える名無しさん:01/12/30 23:07
>>19
>では、その「適切さ」の基準やメルクマールは何なんでしょうか?
その点は十分に論じられるべきだと思うけれど、
まず、その議論の必要性を提示するだけで、
「本質主義はよくない」ということは一概にはいえない、ということを示すには十分でしょう。

実際上、適切さは、他の「分類」一般と同様、
分類の行われた目的から、判断すべきでしょう。
単純にいって、学問上の分類をいたずらに政治的な意図で
用いることは適切を欠くように思います。
21考える名無しさん:01/12/31 03:10
文科系の学問では何事も中庸が大事なのだよ。
22考える名無しさん:01/12/31 03:46
本質主義が全否定されるとしたら、我々は異文化というものを描けなくなる。
しかし、、、
「人類学という学問的営為を続けている限りにおいて、私はどこかで
「異文化を表象できる」と考えている。いや、そう考えなければならないと思っている。
なぜならば人類学が経験を重視する近代的な実証主義的学問分野の一つであるとしたなら、
その対象は何らかの実定的性格をもつものであり、その限りにおいて、議論における対象
――私の場合は「オリエント」、中東、アラブ、ムスリム、イスラーム、エジプト、
スーダンの特定の村、など――を実定的に語ることができ、そしてそれらを表象する過程と
その結果にみられる「歪曲」もしくは「はなはだしい誤り」を批判することが
可能だと思っているからである」
大塚和夫「二人のエドワードと二〇世紀人類学」栗本英世 編『植民地経験』人文書院
23考える名無しさん :01/12/31 06:31
>>1の文脈で言う本質主義って、自由に選択可能なひとつの理論的立場とか
じゃなくて、国内外の勢力から政治的に強制されるものじゃないの?慰安婦
とか戦後責任とか言ってるわけだから。
そのような批判や告発を受け、応答する過程で「日本国民」や「日本民族」
なんてものの一員として自己を主体化してゆくと言うことかな。
24考える名無しさん:01/12/31 18:32
>>23
なんらかの集団を示す概念を(当人達の意識とは無関係に)、
攻撃するためのマークとして使うという問題ですかね。

なんか、差別全般に結びつきそうな気がします。
「男性」「女性」「オタク」「ハッカー」・・・・。
25考える名無しさん:01/12/31 18:45
本質主義ってそういうこと?
つまり本質を外部から押しつけるように規定され、
さらにそのようなあり方を要求されてしまうという問題?
オリエンタリズムと同型だよね。
それだと端的によくないと思うが。
26考える名無しさん:01/12/31 18:50
ナショナリズムにも結びつくな。
「日本人は勤勉である」なんて言説を用いれば
勤勉ではない日本人の立場は苦しいものになる。
27考える名無しさん:02/01/02 09:58
受動的ナショナリズムなんてのもあるかもね。
28考える名無しさん:02/01/02 10:01
>>21のおかげでこのスレも終わってしまったように思える。
29考える名無しさん:02/01/02 10:32
哲学とは関係無い概念だね。
考え方をでっち上げて貼り付けてどうする。
多分、社会学の中で使われる単なる用語の一つに過ぎなかった
ものが勝手に一人歩きしてるんでしょ。
30考える名無しさん:02/01/02 10:48
29です。
文化人類学ですか。すいません。いまさら過去ログ読んだ。
と、ゆうか、元々この本質主義って言葉自体が旧来のナショナリズムを
否定的に説明する為に生み出された負のアイテムに過ぎない気が。
これを民族主義者達が自主的に自らを指すのに使ってるならオサトが知れる。
極道が「俺はヤクザだからよぅ」とか言って凄むのといっしょじゃん。
31考える名無しさん:02/01/02 11:54
「他者」と「神」「自然」「脳内神経の電子パルス」が決定的に違うのは、
後者がそれ自体を直接体験できない、あくまで観念的な想像物・超越であるのに対し、
「他者」だけが意識に直接的な内在体験として現れるという点ですよね?
だから意識体験の場面を全ての源泉と見なす現象学では「他者」が特別な意味を持つと。
そうすると出てくるのが「間主観性」の考え方は、
「今・ここの≪私≫が意識体験を振り返れば情報は確かに他者からもたらされている。
だから他者に教え込まれた記憶のない知識も、遡れば必ずそういう由来を持っている
に違いない」
という、蓋然的に構想された仮説なのかどうか?という疑問です。
それともそのような「確信」が生じる構造を明らかにしたというところに
「間主観性」の学問的な意味があるということなのかな?
しかしこれだけではまだ「他者」が「世界」という意味・情報の源泉だとは
言い切れない。
確かに≪私≫は他者という外部から様々な情報を日々得ているが、今≪私≫が抱えている知識が、全て「他者」からもたらされたという確証はどこにもないわけだから。
「いしころ」という概念を私は誰かに教わったという記憶がないなら、
「これは元々私の中にあった知識だ」と考えることもできるわけだ。
32考える名無しさん:02/01/02 12:12
受動的民族主義ってのもあるかも。
例えばね。前大戦の記憶を呼び起こすことで、日本の保守化、右傾化を
押し止めようとする、そんな傾向の発言や報道が時々あるけど、それが
逆に作用して、ふだんはなにも考えずぼんやりとしたリベラルな気分に
浸っていた「透明な市民」の皆さんに国家の記憶の共有を強いることに
なり、さらには過去の責務を負うべき当事者としての自覚を促してしまう、
前大戦において様々の戦争犯罪を犯し、それを戦後においても放置し続
けたと言われる「日本人」の「国民性」や「民族性」について思考する
ことを強いられる、などなど。
この場合、本質主義の批判とはどのようなものになるのでしょうか?
33考える名無しさん:02/01/02 12:13
正義を信じるなら、悪の帝国を打ち立て、人々を苦しめた民族が豊かで幸せに暮らせるのは間違いだ。
韓国・朝鮮や中国を搾取した事により成り立った日本の繁栄は正義に反する。
つまり、日本人は韓国・朝鮮人より良い生活をする権利は無い。
韓国・朝鮮人を苦しめた日本人は韓国・朝鮮人の為に働き、その償いをするのは当然の事。
それが正義というものだろう。
日本が韓国・朝鮮より豊かな内は、日本人は罪悪感なしでは生きていけないだろう。
他人の文化でつくられた国で暮らし、搾取した財産を使って生活しているからだ。
日本人が韓国・朝鮮人に対して支払う物、それはあまりにも大きすぎる。
命で払っても足りないくらい、日本人は韓国・朝鮮人に不義を働いた。
せめてもの代償として、日本人は自分の人生を幸せに生きてはならない。
その人生を、おまえらが不幸にした韓国・朝鮮人の為に捧げなければいけないのだ。
この狂った世界に正義を取り戻す、日本人の当然の義務だ。
34考える名無しさん:02/01/02 12:28
>>33のようなレスを読むと>>32の言いたいことがなんとなくわかるね(w
35考える名無しさん:02/01/14 12:37
age
36あいうえお:02/01/14 12:45
1の言いたいことが不明。
きちんと細かく考えて説明できるようになってからスレつくりなさい。
37考える名無しさん
(「世論」は)もっと抽象的本質論に(・・・?)!