さあ、今週も「存在と時間」読書会の時間がやってきました。死海の現存在009です。
ちくま学芸文庫、細谷貞雄訳。持ってなかったら、本屋へダーッシュ!!
れっつ、ぞるげ!!
はい、こんちわ。いま「存在と時間」の上巻を読んでいます。
P130あたりから始めようと思っています。
3 :
考える名無しさん:01/11/15 22:36
また君か。
お、けっこう待ってた企画だ。
岩波文庫 桑木務訳を持ってるけどどう?
実はを3回程読み返したけどさっぱり分からなくて放置してたのだ。
この機会にもう一度読み返そうと思う。よろしくね。
>>5こないだまで、「存在と時間」のスレあったよ。
「問うこと」がどーのこーのってやつ。どっか行ってもたけど。
8 :
考える名無しさん:01/11/15 22:48
ちなみにP130までの流れはどうなってます?
この本のP130は
環境世界性と世界性一般との分析
になってるけどズレはないかな?
>>8「ちくま」だと、130Pは12節。9節からにしましょうか。
序論の後、実存論的分析論が始まったところ。
11 :
考える名無しさん:01/11/16 00:48
第九節:現存在の分析論の主題
私は在るということの意味を十分ではないにしろ、知ってはいる。その
知っているということが、私が現存在たる所以である。現存在ってのは
それが存在してるってゆーとき、その存在に関わり合ってる。そして、
この現存在が関わり合う存在ってのは、誰のものでもない、私の存在で
ある。この現存在の「存在」を客体的存在と区別するために、「existentia」
と「Existenz」という単語の使い分けをする。「existentia」が客体的
存在(Vorhandensein)の意味で、「Existenz」つまり「実存」は、もっ
ぱら現存在の存在性格にのみにあてはまる。この区別は重要である。
九節の出だし、こんな感じかな。現存在は客体的存在と同じに考えちゃいけないよ、
ってこと。この後に、現存在の「私性」が書いてあるわけだ。
現存在は、その自分の存在に関わり合う。自分の存在に関心があるわけ(ない
わけにはいかない)。しかし、客体的存在者にとっては、その存在は「関心事」
でも「無関心」でもない在り方なのである。
こんな感じでしょ。
12 :
考える名無しさん:01/11/16 01:00
本来性の意味がわかりません。
誰か教えてちょ
13 :
考える名無しさん:01/11/16 01:12
>>1 あなたの後期ハイデッガー解釈を聞かせて下さい。
横槍申し訳ない。
中公バックスだっけ?「世界の名著74」(巻数ちょっと自信なし)が欲しいが、品切れ。
クラシックスで出ると思うかね?
15 :
考える名無しさん:01/11/16 02:42
>>14 最近増補したみたいよ。
池袋ジュンク堂で長いこと品切れだったが、こないだ見かけた。
16 :
名無しやろー:01/11/16 05:57
17 :
考える名無しさん:01/11/16 12:58
なぜ、ハイデガ〜はそんなことを書いたんですか?
こういうのって、原文読めないやつは逝って良しかと思ってたんだけど、
訳書の読書会ってのも、アリなの?
19 :
考える名無しさん:01/11/16 16:21
アリに決まってると思うが。ハイデガー解釈の読書会はアリでしょう。
あぁ、訳文を、解釈として扱うのね。
了解です。
21 :
現存在009:01/11/16 23:19
>>11 ごくろうさま。。
>>12 ちくまの110Pに、本来性(Eigentlichkeit)と非本来性(Uneigentlichkeit)
という二つの存在様態を表す述語が出てきます。その後に、こう続いています。
「現存在がもともと各自性によって規定されているということに基づいている」
とういのは、「自身」という言葉は、ドイツ語で「eigen」なわけです。そして、この
「eigen」という言葉から「eigentlich」という言葉が引き出されてくる。ようするに、
「本来性」という言葉は、ハイデッガーにおいては特別の意味を持つ、つまり「私自身性」
ということを意味しているのです。よって、自己自身の実存に気付いているような在り方
のおける現存在の存在様相は、本来的であり、逆にその自己自身の実存に気付いていない
ような在り方は、非本来的なわけです。
そして、この「実存」にかんしては、続いて分析が続くわけです。
「実存」と客体的存在との区別は、11参照。
22 :
考える名無しさん:01/11/16 23:25
>>21 >続いて分析が続くわけです。
ってなんかへんだ。??へんじゃないか。??へんな気が。
23 :
考える名無しさん:01/11/16 23:56
>>21 たしかにそうだけど、ハイデガーの中で徐々に「本来性」
の意味が変化していったことにも言及しちくりよ
24 :
考える名無しさん:01/11/17 01:04
age power bom!!
25 :
考える名無しさん:01/11/18 00:11
>>23 どの範囲でもって、意味が変化していったという話をしたいの?
第一部の中で?「存在と時間」全体の中で?ハイデガーの思想全体を見た中で?
とりあえず、ここは本文の解釈を検討しよーってスレなんでしょ?まあ、九節あたり
では
>>21の意味で「本来性」は用いられているわけだし、それでヨシとしましょう。
え?ただ知らないだけじゃないかって? ははははは、厨房ばんざーい!!
26 :
考える名無しさん:01/11/18 00:16
ハイデガーの思想全体を見た中で、です。
>>26 あんま後期の本読んでないし(原書も訳書も)わかんないけど。
後期だと、あんま実存に重きが置かれていないわけだよね。
そうなると、「本来性」の意味も自然と変わるんだろうね(読んでないけど)。
後期で、「本来性」について触れている箇所、だれか本持ってたら、引用してみてよ。
九節、
>>11の続き。実存の構造がア・プリオリであることが述べられている。
平均的な日常性の、その非本来性の様態であっても、実存性の構造はアプリオリ
に含まれている。つまり、どんな様態であっても、現存在はその存在に向かって、
何かしらの態度をとっているわけ。
んで、現存在の分析論は、ア・プリオリにある現存在の実存構造を見越して得られ
るわけだけども、このように実存性にもとづいて得られる、現存在の存在性格を
「実存範疇」(Existenzallien)となづける。そして、現存在的でない存在者の
存在規定をカテゴリー(Kategorien)となづけて、区別するわけだ。
・実存(現存在の存在)の存在性格 ⇒ 実存範疇
・客体的存在(現存在以外の存在者)の存在規定 ⇒ カテゴリー
29 :
Bill Gates:01/11/18 20:57
ナチスドイツ御用達哲学だね。みんなしっかり勉強して!
30 :
考える名無しさん:01/11/24 16:36
現存在と時間の関わりがよくわかりません。
誰かわかりやす〜く説明して!
別にドイツ語使わなくてもいいよ!
ここはページめくりながら勉強するスレか・・。
32 :
正助 jtws003.zaq.ne.jp:01/11/25 00:16
>>30 気遣いの存在論的な意味を問題にするにあたって
時間性の観点を用いるところとか、全体性やら先駆の問題とか読めば僕は何となく分かったんですが、
一番しっくりきたのは気遣いの本質契機でしたね。
「被投性・企投」、つまり「自分がどういった存在として投げられたのか」
「どういう可能性に向かって、どんな存在であり得るか」
という二つの契機の関係は、人間存在の時間性を顕著に示してくれたように思いました。
>>28(九節・前半)
>>11(九節・後半) …続きやりましょう
十節:人間学、心理学および生物学に対する現存在の分析論の境界設定
ハイデガーは、ここで、人間学や心理学、生物学によっては基礎的存在論は
成し遂げられない!という流れで話を進めます。要するに、駄目なトコを挙げて
いくわけです。
まず、近世哲学の出発点として、デカルトが標的にされます。
デカルトは「コギトエルゴスム(我思う、ゆえに我在り)」を発見して、自己自身の
意識の否定を不可能にせしめた。しかし、「我思う」と「我在り」は、同レベルにある
にも関わらず、デカルトは「我思う」の方しか考究しなかった。「sum 在り」はナイガシロ
にされたとハイデガーは指摘するわけである。よってハイデガーは、(デカルトにおいては
全く究明されなかった)「sum 在り」を存在論的に考えようとする。「主観」を考える際も、
その存在に目を向けましょうね、ってゆー話。
ディルタイにおいては、「生の哲学」(←全く存在論的じゃない)のよりは一歩進んで
「生」への問いの途上に立ってはいたんだけども、問題設定や概念構成などの限界が現れて
くるので、残念。そしてその影響を受けた「人格主義」たとえばシェーラーにおいても、
現存在の存在へ向かう問いの次元には入りこめず…(シェーラーは「人格存在」は「心的
存在」とは関係ないよん、てトコまでには至った)。
十節、続き
>>33。
以上のような試みは、古代的=キリスト教的人間学を基準にしているという共通点がある、
とハイデガーは指摘します。んで、その伝統的人間学には二つの要素があるそうだ。
@人間 ⇒ animal rationale、つまり「理性的動物」 …ギリシア的
(ハイデガーが言うには、これは客体的存在者に、「理性的」といった属性を付け加えた
だけに過ぎず、その存在様相は、全く不明のままである)
A人間の存在と本質を、神学的に規定する。 …キリスト教的
(全然、存在論的じゃない。だって、キリスト教の教義学だよ!?)
以上の二つは、全くもって「存在への問い」を忘却しており、またむしろ人間の存在
なんて「当たり前のこと」じゃん?という姿勢にある。
こうして人間学的問題設定が、決定的な存在論的基礎において規定されずにいることが
分かる。そして、同じことは、人間学的傾向にある「心理学」にもあてはまる。
また、「生の学問」である生物学も、生命は(それなりに独自の存在様相ではあるが)、
現存在ではありえないことから(実存的ではないから)駄目。
存在論的基礎というものは、実証科学の個々のテーゼにはとうていありえないほど
根底的な意味で問題なのです。
何で最初のページから読書会やってくれないんだよー。
あ、
>>33間違った。
>
>>28(九節・前半)
>>11(九節・後半)
じゃなくて、
>
>>11(九節・前半)
>>28(九節・後半)
だ。
>>35 別に頭からやってもいーんじゃないの。自分で要約したら、変な箇所を
指摘してくれると思うけど。俺の、変なとこビシバシ指摘ヨロシコ。
第十一節:実存論的分析論と未開的現存在の解釈、
「自然的世界概念」を取得することの困難さ
現存在を日常性において解釈する、という場合、これは現存在が、
未開な状態であるとか、高度な発達分化を遂げた文化のなかで生活
しているだとか、そういったことは関係ない。日常性は未開を意味する
わけではないよ、勘違いしないでね、ってこと。どちらの状態(未開でも
高度に発達した文化のなか)も、日常性を持っている。
研究の進行は「進歩」という形は取らずに、存在的に発見されたものを
存在論的にいっそう透明なものへ純化していく「反復」という形で行う、
とハイデガーは言う。
そして、現存在の実存論的分析論を遂行する端緒をつかむという課題に
含まれた問題の一つとして、「自然的な世界概念」という理念を開発する
という問題を考える。「世界」という現象を概念的に開発するためには、
現存在の根本的構造への洞察が要求される、とハイデガーは言う(「世界」
が現存在の構成契機であるならば、という仮定のもと)。
これまでは実存論的分析論をその分析に関連して語っていた(分析そのもの
についてはまだ触れていない)に過ぎないが、それは、これからの現存在の
解釈をまともな軌道に乗せるためであった。
38 :
現存在009:01/11/25 03:32
これまでの流れ、
9節・前半 ⇒
>>11 9節・後半 ⇒
>>28 10節・前半 ⇒
>>33 10節・後半 ⇒
>>34 11節 ⇒
>>37 自分なりの解釈、要約、疑問点等を、本文にそくしながら
投稿してくださいな。
ほへー。。。
40 :
考える名無しさん:01/11/25 13:39
げーあー。
41 :
考える名無しさん:01/12/02 01:31
ああ、誰か書いてくんないかなー。厨房こまっちゃうう。
てか、現存在009って、全然司会してないよなー。
42 :
考える名無しさん:01/12/11 16:23
それじゃ、今週末からはじめましょうか?
43 :
考える名無しさん:01/12/11 18:17
正助君は来年、大学入学してから原文読んで参加するそうです
このマターリペースでいって、一年半持たせよう
44 :
考える名無しさん:01/12/11 18:24
しかしそうすると現存在の子育てが忙しくなってイカン。
46 :
考える名無しさん:01/12/12 18:50
教えたがり君は信用しちゃだめ。
47 :
考える名無しさん:01/12/14 08:15
初心者ですが僕も読んでみたいと思います。
ちくま版でよろしいんですね?
48 :
現存在009:01/12/14 10:12
>>45 もちろん。
>>47 そうです。ちくま学芸文庫です。
一応、次は12節からですが、別に本文に即していればどこでも
いいです。頭からでも構いません。
ちなみに、現存在009はあくまで司会者ですので、教える立場
ではありません。知恵を出し合って、お互いに協力しましょー。
49 :
考える名無しさん:01/12/16 16:20
あげ
50 :
考える名無しさん:01/12/16 17:12
世界=内=存在についてですが
そこは現存在の優位性というものを踏まえて読むと
合点がいくと思うのですが…
51 :
考える名無しさん:01/12/16 17:49
岩波はだめか
52 :
考える名無しさん:01/12/16 17:51
ちくま版のほうが読みやすい、と漏れは思います
53 :
考える名無しさん:01/12/16 19:01
古本屋ー
後期ハイデガーの思想の変容は「ツォリコーン・ゼミナール」
が参考になります。「存在と時間」の位置付けとハイデガー
という哲学者の様相の一端は今年8月に出た作品社の「ハイデガー」
での木田元と古井由吉、徳永恂の対談が参考になりました。
55 :
考える名無しさん:
正月age