☆☆☆哲学厨房のためのスレ☆☆☆

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1
できれば哲学に詳しい人も参加してほしいです。
このスレで考えてたい問題は、
1 自分の行動する指針、目的、使命を設定するにはどんな条件が必要か。
2 その目的に向かって行動する場合、どのような価値基準を設定するのが最も好ましいか

他に問題点が出てきたら、このスレか別スレを立てて考えていきたいです。
僕は今、就職浪人中でまだ内定もらってません。
それはこの根本問題に対して自分なりに納得できる答えが出せていない事に原因があります。
この問題は哲学的だと思ったので、哲学板に立てる事にしました。
よろしくお願いします。
2中田:01/11/15 15:09
>1

1についてなんですが
自分が自然体で生きられることを基本に考えていけばいいじゃないの?
自然体が一番よ。無理していたら体に毒。
端的に自分の好きなことをしなさいよ。
あとはそれを実際の現実との折り合いを考えることで十分じゃないの。
3考える名無しさん:01/11/15 15:13
欠乏感や渇望がないのに目的を設定しようというのが無理がある。
哲学厨房というより人生厨房。
4:01/11/15 15:18
自分の好きなことっていっぱいありますよ。
例えば僕は音楽を演奏できないけど音楽が好きです。
チャットも結構好きです。
哲学の議論するのも楽しいです。
絵を描くのも好きです。
本を読むのが特に好きです。
旅行もたぶん好きです。
これらは僕生きる上での目的になり得るでしょうか。
僕の到達点として設定できるでしょうか。
本を読んだり、音楽を鑑賞することそれ自体は目的にならないと思います。
僕がもし自然体で生きるのなら
僕は一生働かないでしょう。
僕は働きたくないです。
僕が働きたくなるまで待つべきでしょうか。
この一年間そうしてきたんですが。
なかなか働く動機がみつからないんです。
5:01/11/15 15:20
>>3
欠乏感や渇望が目的を設定するのに必要なんですね
それなら欠乏感があるものに自分の目的を見出したらいいのでしょうか?
6中田:01/11/15 15:30
>4

だから、自然体が働きたくないなら、働かなくても生きられる方法を考えていけばいいでしょう。
現実との折り合いを考えて、というのはそうゆうこと。
あれもヤダ、これもヤダと駄々こねてないで。
そうゆうものが通じないのが現実だということが、いままでの20数年の人生でわかっているでしょ。
子供じゃあるまいし。

好きなことをしながらどう生計をたてていく道はないか考えなよ。
その時好きじゃないこともしなきゃいけないこともあろうが、それは我慢しなよ。
子供じゃあるまいし。

そもそも自殺したい生きる意欲がないような人に、どうアドヴャイスしていいかわからないだよね。
1さんは生きる意欲chんとあります。
7中田:01/11/15 15:34
1さんは生きる意欲ちゃんとあります?

働きたくないなら、働かざるえなくなるまで待つのも手だよ。
8考える名無しさん:01/11/15 15:35
>>5
それってすごく後ろ向きの生き方だと思う。
好きなことをやってると充実していて目的とかも自然に出てきて
いいと思うけどなぁ。
9:01/11/15 15:42
>>6

例えば僕が働かないと決意したとします。
それでも僕は多分生きていけるでしょう。
いろんなひとに迷惑をかけると思いますが。
その決意は僕の目標設定として正しいのでしょうか??
自分のエゴを通すことが
自分のやりたいことにつながるとすれば、
生計上の、生活上のバランスを無視してまでも
それをすることがやはりいいことなんでしょうか?

現実との折り合いっていうのはわかります。
だけど現実ってなんでしょうか??
ちょっと哲学的に考えてみたいので
へんな質問します。すいません。

僕は生きる意欲ありますよw
10:01/11/15 15:46
>>8
いったいどっちなんでしょうね??
目的設定の対象は
欠乏感のなかに(自分の克服しなければならない課題の中に)あるのか
それとも自分の好きなことのなかにあるのか。
11:01/11/15 15:49
僕は目標設定が
単なる現象を飛び越え得るという信念を持っています。
ぼくの悩みは目標設定にはどういう条件が必要かということです。
12中田:01/11/15 15:53
 >9     自分のエゴを通すことが
自分のやりたいことにつながるとすれば、
生計上の、生活上のバランスを無視してまでも
それをすることがやはりいいことなんでしょうか?

いいも悪いも、やりたきゃやりなよ。
そこに善悪なんてそもそもはいりこむ余地はないんだから。
そんなこと気にかけているようじゃ将来もっと辛くなるよ。
1さんは変なイデオロギーに支配されているだけかも?

そんなに承認がほしいなら僕が認めてあげます。
他人に迷惑をかけてもエゴをとおせ!

現実?
それは難しいな(笑)
端的に、1さんがこれが現実と直観で思ってること。
まさか1さん自分が仮想の世界に住んでいるとは思わないでしょ。
13中田:01/11/15 15:56
僕がわからないのは、その目標設定ということだな。
そもそも、なぜ人生に目標が必要なの?
人生に目標なんてなくてもよくない?
つーか邪魔かも?
目標なんか気にかけていたら、人生満喫できないよ。
14考える名無しさん:01/11/15 15:57
1はだめ連にでも逝きなさい。
哲学が好きな人で、何の疑問もなくバリバリ働く人はあまりいな
いと思うが、君は哲学には向いてない。
15:01/11/15 16:01
目標っていう言いかたを変えれば
なにかする場合の動機っているでしょ?
なにする場合にも〜しようと思ってするわけだし。
問題は「〜」っていう部分を
単なる気分で設定していくのか
それとも自分の自覚によって決定していくのか
だと思うんですよ。
16:01/11/15 16:03
>>14
哲学に向いてるひとというのはどういうひとでしょう??
17 :01/11/15 16:03
>>1
キミの価値基準に従うしかないと思う。
18:01/11/15 16:05
はっきりいって、
哲学ってなんなのかよくわかりません。
だから反論のしようもないです。
だけど僕の疑問は哲学的だと思ったので
この板にスレをたてました。
19考える名無しさん:01/11/15 16:08
いっそのこと、1は出家したら?
20中田:01/11/15 16:09
動機?
そこに気分も自覚もないな。
端的に自分の好きなことをすればいい。
人生に動機なんてある?
人生は動機があってやっと始まるの?

ならききますけど、1さんはすべてのことが動機がなければできないの?
1さんがやっていることは、何か自分がやっていることを意味づけるための根拠づけに見える。
根拠づけなんて必要ないよ。
21中田:01/11/15 16:12
>18

だったら、1さんのいっていることは宗教の問題だよ。
22考える名無しさん:01/11/15 16:14
往生して良し。
23考える名無しさん:01/11/15 16:23
だいたい動機がどうのこうのいってる奴は哲学に向かないんだよ。
1は新興宗教にイチコロになるタイプと思われ。
新興宗教は1の動機なり使命に対して完全な答えを与えてくれる。
24:01/11/15 16:23
僕は宗教のも興味があるので、
そっちの板にも立ててみようかと思います。
>>20
自分のやってることに対する意味付けというより、
目標設定の仕方とかそういう問題です。
考え方でいうとハウツーに近いと思います。
自分が人生に向かっていく場合に
そこにどういう価値を見出していくか。
目標設定もそこから出てくると思います。

なんの目標も目的もなく生きる生きかたでいいとお考えですか?
それでやむを得ないと?
25中田:01/11/15 16:30
>24

なんの目標も目的もなく生きる生きかたでいいとお考えですか?
それでやむを得ないと?

だから、まず人生に目標や目的がある、っていう考え方自体が僕からみればおかしい。
そんなもんなくたって、たいていの人は生きているよ。
1さんの問題は変に頭がいいことにあるのかも?

それともどの宗教が真理か?っていう問題は理論的な答えを出すのは難しいな。
君の価値観に合うような宗教を選びなよ。
むしろ信仰問題は、人生の途上で誰とで出会うか、っていう偶然性の要素のほうが大きいだけどね。

僕も1さんの問題はこのままでいくなら、宗教板に解決にいったほうがいいと思われます。
26考える名無しさん:01/11/15 16:37
>>25
小難しい(?)けど内容の薄い文章だな。
あんたも逝っていいよ。
27:01/11/15 16:40
僕は哲学的な解決の方が信用できます。
宗教は一貫性はあっても疑いの余地は常にありますから。
僕が目標設定の大切さを感じたのは、
理性に従って生きるのが最も人間らしい生きかただと決断を下した
カントの影響です。
だけど前提としてどこへ向かうのかという指針が必要ですよね。
理性に従って生きるにしても目的地がどこにあるのか
み通せなかったらそれはメビウスの輪のの上に放り出されたようなものです。
目標がいらないということはなにもしなくていいと言うに等しいと思います。
2827:01/11/15 16:41
哲学も疑いの余地は常にあるな。w
29:01/11/15 16:47
哲学も、「〜が語る」哲学という留保がつく以上
宗教とどう違うんだろう?
30中田:01/11/15 16:48
>27

「理性に従って生きるのが最も人間らしい生きかただと決断を下した
カントの影響です。」

だったらそれはカント教かも?
哲学的思考があるなら、そのカントが言っていることをまず疑うな。

「目標がいらないということはなにもしなくていいと言うに等しいと思います。」

なにをしなくてもいいのかな。
この文章をもう少し説明してほしい。
よくわかりません。
31:01/11/15 16:55
だって、心臓をうごかすとか、そういうこと意外は
〜しようと思わないでやってることなんてありませんから。
〜しようと思わないかぎり
なにをすることもできないはずです。
そういった大前提がいらないということは
なにもしなくていいということになりませんか?

ちょっと席をはずします。
32中田:01/11/15 17:12
>31

だったら、ほとんどの物事は心臓が動くように決まっていくと思います。
1さんは、自分の日常を思い浮かべて、自分がしよう、と意識してやっている
ことってどれくらいあると思います?
微々たるものじゃないかな。

カント的な枠組みで言えば、理性ではとらえきれない究極目的という問題はやはり信仰の問題になると思う。
カントにはちゃんとしたキリスト教的信仰を持っていたから、理性が彷徨うなんてことはなかった。
つまりカントが理性主義的に生きることができたのは、ちゃんと宗教的信仰をもっていたからだと思います。

1さんがカントのような偏屈な理性主義者だったら、1さんの問題を解決するには
やはり宗教的信仰を持ったほうがいい気がします。

ただ1さんが宗教にはあまりいきたくない気持ちもわかるんだけどね.....
そのへんは難しい。
もう少し1さんお問題を具体的に話してもらえませんか?
33:01/11/15 19:05
まさに何を信仰するのかという問題かもしれません。
なにを信仰するのかということは何を信じるのかということですから。
別にそれは神や仏じゃなくてもいいと思います。
僕の提起している目的、
目標といったものも自分の宗教になり得るのではないでしょうか。
自分を動かす目標は宗教的だと思います。
ただ、どんな宗教を選ぶのかといいう問題が残ると思います。
たんなる好き嫌いや、そのときの気分で決めていいものなのでしょうか?
そうじゃなかったら、いったいどういう条件で決めればいいのでしょうか?
34:01/11/15 19:15
>ほとんどの物事は心臓が動くように決まっていくと思います。
>1さんは、自分の日常を思い浮かべて、自分がしよう、と意識してやっている
>ことってどれくらいあると思います?
>微々たるものじゃないかな。

そうかもしれません。
でも僕の意志にしたがって行動した事は僕が意識してしたことです。
例えばここに書きこんでいるのは僕が意志したからです。
なんでもそうです。音楽聞こうとおもったから聞くんです。
その都度ぼくは意欲し、決定しています。
僕は僕の意志した以外のことは決して行動し得ないと思います。
35:01/11/15 19:24
なんかどこかで誰かが書いたようなことばっかりだなw
なにか新しい視点が必要なんだろうね。
361:01/11/16 00:11
ageよか
37考える名無しさん:01/11/16 00:17
この地球は基本的に自分中心に回ってんだよ。
結局は自分の正しいと思うことをやりなさい。
自分が正しい選択をする自信がないなら、他人と
同じことをすれば良い。
ちなみに、自分が正しいと思っても人間社会にとって正しくなければ
それ相応の報いを受けるけど・・・
38ゆう:01/11/17 00:36
ここでは哲学的な話はまったく出てこない様ですね。

>1
哲学が分からない、と発言するということは
著しく哲学に興味があるか、
著しく哲学に興味がないかのどちらかだろう。

目標を設定する、やりたいことが見つかるまで云ぬん…

よくわからない会話ですね。

>37
自分中心に回ってる?
さあ、どうだろうね〜。

自分の正しいと思ったことをやる?
自然体でいく?

ますます分からないですね〜。


つまり、あなたがたは
「スジと通す」ということに全く関心がないようですね。

はっきりいいます。働くのも働かないのも、何をやるのも自由です。
とにかく生きていれば、なにかが、あなたに襲いかかってきます。
そのときが、チャンス。
つまり、「他者」が現れたときが、チャンス。
その「他者」にどう接するかで、あなた自身がどう変わってゆくかです。
あなたが意識できないレヴェルでも、あなたは変化をとげる可能性がある。
関係を持つということから、すべて、あなたの道は決定されます。
人と関わっていると、自分自身が見えてきます。
そしていろんなことをやりたくなります。
あれもこれも、いろんなことをやりたくなります。
同時に、世の中のことがよくわかってきます。知識としてわかるんじゃなくって、
人間の「気持ち」の流れがわかってきます。
そんな、いろんな情報が自分に流れ込んでくる、そんなときこそチャンスなんです。
そこで、あらためて「哲学」について考えてみてください。
なにげに「哲学」したい気持ちになるはずです。
なぜかというと、
いろんな関係を体験して、人間の「気持ち」に近しくなったとき、
それが、とてつもなく渾沌としていて、或る意味、うざったく感じるようになります。
自分のなかでひとつの「基準」をつくりたくなる。
自分の進む道を一本化したくなる。
でも、関係の醍醐味を知ってしまった後だから、人のこともどうしても考える。
簡単な言葉で言えば「思い遣り」みたいなものも、どうしても頭をよぎる。
そんな、自分と他者のあいだ、
哲学の用語では「間主観性」といいますが、
自分でもな他者でもないところに
ひとつの「意味」を持つことができるようになります。
そこからが哲学の始まりでもあるし、
一方、自分の目的や使命もわかってくるんじゃないでしょうか?
39考える名無しさん:01/11/17 00:46
>>38
お前な、厨房が厨房相手になに言ってんだ、ヴォケ。
間主観性の意味もなんかズレてるし。
いっぺん氏んでこい。

>つまり、「他者」が現れたときが、チャンス。
馬鹿か、お前。お前が人生相談板に逝け。

まあ、お前は、
「間主観性ってね、もともと
概念として日本にあるんですよね。
Mennschenのこと日本語で、人間っていうじゃないですか。」
とでもいってなさいってこった。
40考える名無しさん:01/11/17 00:56
>>38
>著しく哲学に興味があるか、
>著しく哲学に興味がないかのどちらかだろう。

哲学に興味ない人はこの板さえも見ないよ。
41ゆう:01/11/17 01:03
>38
何を怒っているんでしょうか?
ああ、多分、自分に怒っているんでしょうね?
例えば、なかなか算数の問題が解けない小学生に対して、
分かるように教える前に、ひとりでイライラして、わめいている「幼稚な大人」に
非常に似ている。
おそらく、自分が、客観的に見えていない人。
社会になかなか出れない、引きこもりタイプに多いですよね(笑)。
42考える名無しさん:01/11/17 01:06
下等二世あらわる!
43考える名無しさん:01/11/17 01:13
>>41
ははは、強がっちゃって。
まあね、別にいんだけどね、
厨房がえらそうに語らないでくれる?(ゲラゲラ

>何を怒っているんでしょうか?
からかって楽しんでま〜す。
>ああ、多分、自分に怒っているんでしょうね?
自分て誰ですか?
>例えば、なかなか算数の問題が解けない小学生に対して、
>分かるように教える前に、ひとりでイライラして、
>わめいている「幼稚な大人」に 非常に似ている。
どうやら、貴方自身がその算数の解けない小学生だと
おっしゃりたいのですね?

>おそらく、自分が、客観的に見えていない人。
>社会になかなか出れない、引きこもりタイプに多いですよね(笑)。
へ〜、どうやったら自分を客観的にみれるのかな〜?
心理学的にではなく、哲学的に教えてほしいなあ〜。(笑
引きこもりタイプってどんな人ですかね?
カテゴリーを是非教えてほしですね。
あれ、もしかして、テキトーなこといってるんじゃ
ないでしょうね?(ワラワラ
44考える名無しさん:01/11/17 01:24
>>41
でも、実際、言ってること極めて大した事ないよね。
哲学の述語を無理やり自分の言いたいことに当てはめてて、
結果、意味ずれてるもの。「他者」だとか「間主観性」だとか。

しかも、こういった超越論的な述語を用いながら、「自分が、
客観的に見えてないと駄目」、みたいな発言をする始末。

哲学は、用語によって哲学的かどうかが決まるわけではないです。
下手に理解しきれていない概念を使わずに、自分の考えをアウトプット
さえすれば、まあそれは広汎な意味で、哲学的だと言えるわけです。
45ゆう:01/11/17 01:45
>43
つまりあなたにはなにも言わない方がいいということですね。
だって、ぼくが発言して、たぶんこんな返答が返ってくるだろうな〜と
思ってたら、本当にかえってきたんだから。(こっちのほうが笑いたくなります)
ひとつ聞いていい?
あなたはいつも「発言する」ひとにたいして、
ポケットに片手つっこんで、斜に構えて、けらけら笑いながら、舌打ちしてる
ひとなんですか?様子がみえるようです。
まあ、あなたみたいな人って、こういう掲示板だから、そういうタンカがきれるわけで
面と向かってひとには言えないタイプでしょ。結構、泣き寝入りするタイプ…。
46考える名無しさん:01/11/17 01:47
ゆうは千葉県民ですか?
47考える名無しさん:01/11/17 01:59
>>45
お前ね、やさしい>>44の人がお前のだめさ加減を
説明してあげてるのに何も学ばないやつだな〜。
厨房なら厨房らしくもっと謙虚になれんのか?(ワラ

>ここでは哲学的な話はまったく出てこない様ですね
これがお前の勘違いと能力をすべて表してんだろ?
くだらない中傷ばかりしてないで
自分を客観的にみるという意味を
きちんと哲学的に考えてみろ、ヴォケ。
お前が、このスレを哲学的でないと、
知ったかで批判するなら、
お前が使う用語、
他者とは、己自身にとって何を意味するのか、
ちゃんと考えたか?自我との関連性を考えたか?
格率って知ってるか?

>様子がみえるようです。
>まあ、あなたみたいな人って、こういう掲示板だから、そういうタンカがきれるわけで
>面と向かってひとには言えないタイプでしょ。結構、泣き寝入りするタイプ…。

だからさ、どのような根拠を持ってこんなことがいえんのよ?
お前の印象を力いっぱい説明されたところで、
俺にはハァ?なわけよ。
その中傷内容からお前は、「悲しみ」タイプと名誉ある
称号を授けよう。(ワラ
48Iridium:01/11/17 02:01
うむ。すごい名誉。
49考える名無しさん:01/11/17 02:07
菊池タイプの方が適切と思われ。
50ゆう:01/11/17 02:25
>47
ヴォケ  って言葉…
気になるなあ。
じゃあ、あなたは、なにが、正しいと思っているの?
51考える名無しさん:01/11/17 02:35
>>50
>なにが、正しいと思っているの?
「お前がヴォケだ」という俺の判断。
根拠は37以下のお前を含めたレス。

中傷しかできず、
何ひとつまともに俺や>>44の人の
意見に反論できない
お前は、逝ってよしだね。
52考える名無しさん:01/11/17 02:48
ゆう→優→マサル
本名マサル君ですか?w
53考える名無しさん:01/11/17 02:57
厨房と同レベルで戦ってもしょうがないよ
>>51>>44への反論をまったりまとう
54ゆう:01/11/17 03:14
ここには哲学するひとはいないね、といったのは
ぼくのあさはかな失言でした。
たいへん申し訳ありません。
今後、このようなことがないように気をつけます。
私のような、勉強の足りない者に
御鞭撻、たいへん有り難いとおもっています。
55えい:01/11/17 03:22
>1
1 自分の行動する指針、目的、使命を設定するにはどんな条件が必要か。
2 その目的に向かって行動する場合、どのような価値基準を設定するのが最も好ましいか

まず1ですが、指針や目的というのは「こうしよう」という気持ちというか…
意志というのでしょうか。そういうことですよね?それを設定(決定といったほうが
いいかと)する条件(これも要因とか原因とかいった方がいいかと)、との
ことですが、自分の指針や目的そのものが具体的に明示されなければ、この問いに
対しては「そう決意させる要因・原因」としか答えようがないように思います。
2についてですが、これも目的が具体的に示されないと答えようがありません。
強いていうなら、「目的を定めた以上、それを達成するのに最も適した行動を
とること」でしょうか。しかしこれではやはり抽象的すぎますし(そういうことを
知りたいわけではないですよね?)、目的が例えば無差別大量殺人であったなら、
社会悪を容認してしまうことになってしまいます。
そういうわけで、問い自体が修正の余地があると思うのですが、どうでしょうか。
56考える名無しさん:01/11/17 03:29
>>54
あやまれっていってんじゃないんだけどね。
まあ、いいけど。
57考える名無しさん:01/11/17 03:38
>>56
バカにされてんだよおまえ。気づけよ。
58考える名無しさん:01/11/17 03:45
>>57
どちらにしろもういいや。

議論ができない奴の相手を
してもしょうがない。
59ゆう:01/11/17 03:48
いろいろ考えましたが、これは、やはり哲学の問いではないと思う。
「指針、目的、使命を設定する条件」は、育った環境(教育)が大きく
影響すると思うから。教育というのは、行動基盤(思考基盤)を作り上げる
一般論であって、人の心理に作用させるものだからね。
あるいは、「魂」というものを仮定として設定してみると、心理学を超えて
宗教的なところまで入り込んでしまう。ただ、ウィルバーなんかの「超越心理学」が
参考になるところはあるとおもうけど。

哲学は、論理の基盤をつくりあげる作業が第一にくるでしょ?
つまり、何気ない或る現象の因果関係を語れるための、
まったく新しい基礎を与える作業が哲学だと、僕は思うんです。
意味をつくり出す作業、新しい問いを立てる作業、それが哲学。

よくこんなことを考えるんです。
「哲学」と「思想」は違うということを。
哲学は意味をつくり出す作業(過程)、思想は因果を説明する作業。

「目的に向かって行動するときの価値基準…」といいますが、
価値基準って、そもそも、あらためて設定できるものなのかな?
自分の価値基準ってのは、自分では変えられないものだとおもいます。
教育を受けたり、人と接して、刺激しあって、徐々に変化しうるものだとおもうので、
行動する基準の価値を自分で考えた、と思っていても、
きっと、それは「何か」に支配されている…。
その「何か」こそが哲学の問いに相応しいと、思います。

生意気いってすみません。
601:01/11/17 08:47
言葉は受け取りやすいように変えてくださって結構です。
僕が問いたいのは、
1自分がこうしようということを決定するばあい、どのような理由のもとにその決定を下すのか
2そしてその行動はどういうありかたがもっとも好ましいのか
という2点です。
哲学が宗教的か否かはここでは論点にしません。
宗教や倫理の問題に捕らえなおすにしても、
そこに論理的な道筋を立てたいと思います。
611:01/11/17 08:49
無差別大量殺人がいけないのは、倫理的な価値基準の設定が必要になりますね。
先に何をしてもいいという意見もありました。
僕はなにをしてもいいという意見のほうが今は納得できます。
もしも、僕が無差別大量殺人をしようと決意するなら、そういう目標設定をすることは可能だからです。だけどそこにどんな原因が働いているのでしょうか。
ぼくが無差別大量殺人をしようと決意した原因は一体なんなのでしょうか。
もしそれが本来決定すべき目標でないとするなら、
それ以外の決定が本来の目標とする理由はいったいなんなのでしょうか?
決定はたんなる偶然なのでしょうか?必然でしょうか?
621:01/11/17 08:54
僕がここに今書きこんでるのは
僕が書きこもうと思った決定があったと思います。
その決定のもとに行なわれた、書きこむという行為は偶然ではなく、
必然性を伴った僕の経験です。
僕は偶然2チャンネルに来て偶然このスレをたてて、
偶然ここにかきこんでるかもしれません。
だけど今ここにかきこんでるというこの僕の経験は、
かきこまなかったということが絶対経験し得ない以上必然です。
書きこまなかったかもしれないということは、
僕の書きこんだという経験が現実となる以前の過去だからです。
それは僕が決定した必然です。
でも僕の決定は偶然性を伴っているでしょうか?
631:01/11/17 08:56
 ぼくがここにかきこまないという決定を下したかもしれないという可能性はあったんでしょうか?
ぼくの書きこんだという経験を妨げる要因は存在し得たのでしょうか?
僕が書きこんだという経験は運命論的なものではなく、
僕自身の決定にもたれかかっていると思います。
僕が書きこんだという経験は僕の決定にもたれかかっている。
僕が書きこもうと決定をくだした時点で、
僕の書きこんだという経験は偶然ではなくなったのです。
僕は何故決定したのだろう?
原因の糸を探っていくと、
僕をとりまく様々な要因が複雑に絡み合って僕の決定を促しているように思います。
僕をここに書きこむように決定させたのは偶然によるのでしょうか?
僕の出生、僕を育てたもの、僕を存在させているもの、パソコンの存在、
パソコンを打つ動作をさせているもの、
インターネットの普及、2チャンネル、僕はその原因をとても書ききれません。
原因は無限大に考えられます。
(おおげさに言うと宇宙の始まりから今日に至るまでの総てがぼくの書きこんだ原因になるのです。)
641:01/11/17 08:57
これらのものは僕の存在を視点の軸におくと必然に思えます。
しかし、僕がここへ書きこんだという僕の経験は、
僕の決定にもたれかかっています。
僕の決定は僕の存在にもたれかかっています。
ぼくの存在は僕がかきこんだ原因になってる雑多なものにもたれかかっています。
だから僕の決定にはある必然的な要因のもとになされているようにも見えます。
しかし僕はそうおもいません。
たしかに僕は、もしパソコンというものが存在しなければ、
2チャンネルが存在しなければここに書きこむ決定を下し得なかったでしょう。
僕の決定は一面的に言えば必然と言えなくもない。
しかし、僕はここに書きこまないという決定を下すこともできたはずです。
そういう決定のみがここに書きこまないという現象を導き出せたのです。
651:01/11/17 08:58
ここで僕が言いたいのは、僕の必然的な経験は、
僕の決定が積み重なって成り立っているということです。
(僕の経験はいつでも必然的です。
 何故なら、ぼくの決定によってそうならざるを得なかった過去だからです)
僕の決定は僕が唯一手を加えることができるものであって、
僕が唯一選び取る事ができるものです。
 ここで僕は悩みました。僕はどういう決定を下せばよいのかと。
僕はどこへ向かうことを決意すればよいのかということを。
僕はなにをよりどころにしてこの決定を下せばよいのでしょう。
1はそういう質問です。
66ゆう:01/11/17 15:16
「僕が唯一選び取る事ができるものです。」
これが答えの裏返しのなっているのでは?
つまり、人に聞く問題ではないということ。
自分で決定するのであれば、その通り、自分で決定すればいい。
決定する条件も君が決定するんでしょ。
そしたら、条件を他の人が語ることはできないはずです。

この「問い」は僕にはこうきこえます。
「自分が何かを決定する条件はなにか、
ただし、決定するのは自分、
つまりその決定する条件は自分しかわからない、
さあ、その条件をあなたが語って下さい。」

これって、矛盾しているように聞こえます。
自分で決定すると言っておいて、人にそれを任せようとする。
「スジを通すこと」と以前書きましたが、
これは「スジ」が通ってない態度ですね。
67えい:01/11/17 15:54
>ぼくが無差別大量殺人をしようと決意した原因は一体なんなのでしょうか。

そう、具体的に示されれば見る人も具体的な意見の出しようがあります。ただ、
どんな決意にしろ、あなたの決意の原因はたいがいはあなた自身の経験か、もしくは
あなたの身の周りで起こっていることによることがほとんどでしょうから、あなた自身と
同じ経験ができないわれわれ他人には、あなたの決意の原因を明確に指摘するのは無理が
あります。そもそもあなたが述べているように、原因というのは自分でさえも端から端まで
把握することはできませんし、書ききれません。われわれにできるのは推測か、
抽象的な意見を述べることです。しかし、
>僕はどこへ向かうことを決意すればよいのかということを。
 僕はなにをよりどころにしてこの決定を下せばよいのでしょう。
というところを見ると、人生そのものの行動方針のようなものを求めているようにも
感じられますが、どうなのでしょうか?もしそうならやはり、困難なことだとは思いますが、
自分で納得できる哲学を作り上げるか、あるいは既存の宗教や哲学の中から最も納得の
いくものを選び、それを指針にするしかありません。
もしそれさえも満足にできない事情があるのなら、月並みですが、たとえ不満があるにせよ、
それまでの人生でつちかってきた自分が現時点でこうすべきだと思うことを全力で行うしか
ありません。ただし、失敗による苦痛は覚悟する必要がありますが…。
68中田:01/11/19 15:55
>66 僕も、ゆうさんの言うとうり、そもそもこうゆう問題を他人に聞くべきではないんだよね。
    つーか、たぶん、すべての他人は1さんを納得させることはできないと思うよ。
    (まあ、そうゆうやつが一生哲学しつづけるだけどね)

>33 >たんなる好き嫌いや、そのときの気分で決めていいものなのでしょうか?
そうじゃなかったら、いったいどういう条件で決めればいいのでしょうか?<

だから、こうゆう問題を他人に聞くべきじゃないの。1さんも薄々こうゆう問題は他人に聞いても
どうしようもないものだとわからない?
なんで、他人にこんなにもすがりつくのかな?
それは、ある面で1さんの弱いところだし、またある面で、1さんが頭がよすぎるというのもある。
なになにしてもいいのかな?なんて子供が、大人に許可を求めるようないいかたもう卒業したほうがいい。
1さんも、僕と同じ同等の大人の立場にもういるのだから。
月並みな表現だけど、その時その時無根拠の決断をして人生を切り開いてください。

土曜日のしゃべり場スペシャルを見ていて思ったのですが、「人生に目標は必要ですか?」とか
「つらくても生きなきゃいけないの?」とかっていう問いは、究極的には他人に答えを求める
ようなものではなく、自分で自問して答えを見つるような問いだと思う。

宮川くんとか大川さんは、もしかしたら哲学的センスがあるのかもしれないけど、(大川さんは哲学者の素質があるともうなマジで)
でも傍から見るとあうゆうやつって、ぶん殴りたいほどムカツクだよね。
その点で国沢さんのほうが好印象を与える女の子だ。
大川さんの間違いは、あうゆことをおおぴっらに話すこと。
あれは隠れて自問していくもの。    
69中田:01/11/19 16:06
1さんの言っていることは、何事も理由なくしては起こらない、っていう充足理由律と唱えたライプニッツみたいだな。
ライプニッツもコテコテの合理主義者だけど。
でもカントの時も言ったように、ライプニッッツもキリスト教も信仰をちゃんと持っていたんだよ。(当時の人の目から見てライプニッツの信仰は異端視されていたけど)
だから、合理主義的に生きることができた。

1さんが既成宗教がいやなら、>1みたいな問いを一生自分で考え続けるっていう手もある。
つまり一生哲学しつづける。
ただ、一生そんなことを考え続けるのも辛いし、そんな暇も余裕もないから、既成宗教で満足する、というのも立派な決断だと思うよ。
哲学なんて一生を棒に振るようなものかもしれないからね。

ちなみに僕の自然体って、案外スジのとったものだと思うのだけど。
70考える名無しさん:01/11/19 22:43
>>66
>つまり、人に聞く問題ではないということ。
>自分で決定するのであれば、その通り、自分で決定すればいい。
>決定する条件も君が決定するんでしょ。
僕の決定は僕が選び取るものではあるけれども
やがては僕自身から離れていくものです。
僕が決定した事柄は、僕が決定したには違いないが、
決定のみが独立してあるのではなく、
決定した対象があります。
決定したことによって、表れてくる現象があります。
そういったことは自分から離れていくものです。
僕は僕の決定から導き出されてくる様々な現象に
どう関わっていけばいいのでしょうか。
僕の決定と決定によって表れる現象との関係の問題です。
僕の決定と決定によって導き出される現象には
どんな関係があるのだろうか??
つまり、どんな決定を下せばいいのかという問題になってくるんですが。
71考える名無しさん:01/11/19 22:44
>>66
>そしたら、条件を他の人が語ることはできないはずです。
他人が語ったことが、僕の選んだ決定に影響を与えたとしても、
それが他人の決定にはならないと思います。
なぜなら、他人が語った事は他人の経験だとしたも、
僕が見聞きした他人の経験は、
僕の新しい経験でもあるからです。
それは僕の経験であって、他人の経験したものとは別物です。
他人が僕の決定の内容を間接に触発することと、
僕が決定することとは、なんら矛盾することではありません。
72考える名無しさん:01/11/19 22:45
僕はいったいだれなのか、どこからきたのかと思ったとき、
僕の頭は37度5分の熱を帯びていた。
そして僕はほろよい加減になっていくのであった。
731:01/11/19 22:46
>>67
>人生そのものの行動方針のようなものを求めているようにも
感じられますが
まさにそのとうりです。
>たとえ不満があるにせよ、
>それまでの人生でつちかってきた自分が現時点でこうすべきだと思うことを
>全力で行うしかありません。
それは2に対する解答のひとつかもしれません。
ぼくは不満というものはあってはならないと思います。
不満がないようにしなければならないと思います。
理由は、自己発展の方向に向いていないからです。
そういった意味で、苦痛もよくないと思います。
苦痛をうみだすものはなんなのかを考える事が、
自己発展につながるのではないのでしょうか?
741:01/11/19 22:47
>>68
>なになにしてもいいのかな?なんて子供が、大人に許可を求めるようないいかたもう卒>業したほうがいい。
賛成です。自分の決定は他人に聞くことができないと思いますし、
聞くべきではないというのは同感です。
ですが、ぼくが聞いてるのは僕の決定そのものではなく、
僕の決定と決定によってあらわれる現象との関係や、
僕の決定の意味や価値についてです。
僕が決定を下す際に向き合わなければならない問題についてです。
751:01/11/19 22:48
>>69
>一生そんなことを考え続けるのも辛いし、そんな暇も余裕もないから
この意見には反対です。
生きてる間に決定していない瞬間があるでしょうか?
決定による結果でない自分などありえるでしょうか?
ありえないと思います。
僕は僕の決定によって今の僕になり得たのであって、
他の要素などないからです。
僕が産まれたのは僕が選択したことではないです。
しかし、あきらかに僕は産まれるために必要な運動をし、
産まれるために必要な条件を整えたのです。
それは自己と呼べるものではないかもしれないけど、
それなしでは僕は産まれてこなかった。
僕の問いは
胎児から獲得している自己(と呼べるかどうか)から湧いてくる決定と、
自分がいま下し得る決定との関係の問題かもしれません。
つまり、どう一致(調和??)させていくのかという問題。
76ゆう:01/11/21 02:43
1さんの言っていること、なんとなく分かる気がします。

>胎児から獲得している自己(と呼べるかどうか)から湧いてくる決定と、
自分がいま下し得る決定との関係の問題

この世に自分が存在し得た「謎」…とでも言えばいいんでしょうか。
確かにそういった問いは僕にもあります。
「なぜ自分は問いを発し、なぜその問いにぼくは答えようとするのだろうか?」
こう言いかえてもいいように思います。
自分が問いに答える瞬間=つまり、或る決定を下そうとする瞬間…。
「なぜそのような決定をしたのか、なぜその問いにそのように自分は答えたのか?」

ああ、難しい(笑)。心理学には逃げたくないし…。

やっぱ教育?(僕が最初言ったように?)
いや、違うね。
1さんの問い、分かった!
ん、これは本当に難しい…(笑)。

そう決定せざるを得なかった動機が自分にあったかどうか。
そしてその動機があったとすれば、それは何か?
んんんん、やっぱ心理学(認知心理学)の問題?
いやいや、心理学に逃げてはいけない。

逆に、そう決定しなかった理由を考えてみよう。
なぜ、その問いにそう答えなかったのか?
答えたくなかったから。
決定したくなかたから。
では、なぜ決定したくなかったのか?
確信がもてなかったから。
では、その「確信」とは何か?
「確信」というものは、一体どこからやってくるのか?
知識?心理状態?神?前世?
ちがうね。
僕のなかにある「或るもの」だ。
ぼくが欲しているものだ。
きみが欲しているものってなに?
今、一番なにをしたい?
一時間後に死ぬと分かっていれば、最後になにをしたい?
人からされたいことと、自分でしたいことって、実は背中合わせだったりしないだろうか?
自分で決定したい事って、じつは人からも決定され「たい」ことなのでは?
自分の決定を促す(半決定)してくれるひとの存在…。
たしかに、そういう人って、自分にとって大切なひとだよね。かけがえのないひと。
自分が生を受けた、どうしようもない他決定と同じような要素が、
自分が決定したと思っている物事のなかにもじつはあるのだということ…。
じつは、ぼくらは「自分の決定」など、はじめからもち得ない、と。
自分で決定していると思っている物事は、何かしら他の影響下にある、と。
その関係とは?一致(調和)させる根拠は?

んんん、ごめん、今日は胃が痛くなってきた(笑)。
また明日、考えます。考え直します。
77えい:01/11/22 02:42
>73
苦痛や不満の原因を突き詰めていくことはもちろん必要ですし、物を考えるならむしろ当前のことです。
それを含めての「その時点での全力」ですよ。ただ、あなたは自分自身に、一生のうちに世界を
知り尽くす力があると思いますか?多分、そうではないでしょう?私もあなたも仕事やら学校の勉強やらで
時間をたくさん使いますし、一生考えることに専念できるわけではないでしょう。
ですからあらゆる苦痛を全て解決することは難しいでしょうし、それゆえある程度苦痛と
遭遇するのは当たり前、と言ったにすぎません。
ですから、考えるなと言ってるわけではないんですよ。念のため。
78えい:01/11/22 02:43
失礼。当前→当然
>1 自分の行動する指針、目的、使命を設定するにはどんな条件が必要か。

何でもいいからとりあえず試しに全力でやってみること。

>2 その目的に向かって行動する場合、どのような価値基準を設定するのが最も好ましいか

それがどういう目標かによる。目標を共有する先輩同輩の話を聞けばよい。

>僕は今、就職浪人中でまだ内定もらってません。
>それはこの根本問題に対して自分なりに納得できる答えが出せていない事に原因があります。

むしろ逆。何も行動していない(できていない)からこういう漠然とした悩みが生まれる。
あなたは目の前の具体的な問題を忘却するために、
それを抽象化(あいまいに)した「哲学」に逃げているだけ。
80考える名無しさん:01/11/22 06:53
1は毎日自分の好きなことばかりをしているようですが、
生活費をどうやって調達しているの。
自分で働いて稼いでいるんですか。
811:01/11/25 21:23
>>77
>苦痛や不満の原因を突き詰めていくことはもちろん必要ですし、物を考えるならむしろ
>当前のことです。それを含めての「その時点での全力」ですよ。
では全力とはなんでしょうか?
方向性が定まっていない分散した力は、
たとえ主観的には全力であったとしてもはたして本来の力といえるのでしょうか?
なにかを行動したり、仕事をするようなときに、
そこにある確固とした決定がなければ
ほんとうの意味での力は生まれないと思います。
821:01/11/25 21:25
>>79
>何も行動していない(できていない)からこういう漠然とした悩みが生まれる。
>あなたは目の前の具体的な問題を忘却するために、
>それを抽象化(あいまいに)した「哲学」に逃げているだけ。
それは言えると思います。つまり逃げているというのはほんとうです。
何故逃げているのかというと、
それは決意がないからです。
とにかくやってみるというのは、
決意があった上での方法論であって、
それ以前の人生上の問題はなおざりにできるものではないとおもいます。
じぶんが何処へ向かっているのかも分からずに、
めくら滅法突き進むのは方位磁石もなく航海するようなものだと思います。

目的地をちゃんと定めないと、足元がぐらついて砂上の楼閣となりかねません。
ぼくの問題は、自分はいったい何処へ向かっているのかという問題です。
そしてそれを決定するとき、その決定はなにによってなされるのか?という問題です。
831:01/11/25 21:25
>>80
>1は毎日自分の好きなことばかりをしているようですが、
>生活費をどうやって調達しているの。
>自分で働いて稼いでいるんですか。
僕は実家に住んでいるので衣食住には困ってません。
CDや本は貯金が少しあるのでそれで買ってます。
841:01/11/25 21:45
>>76
>一時間後に死ぬと分かっていれば、最後になにをしたい?
これはこの問題を考える上でのヒントになりそうですね。
僕は目的地をいう言葉を使いながら、死という文字が頭にちらついています。
僕自身が死に向かっているということは疑いのない事実だと思います。
そして、死の先は信仰の問題が絡んでくるのですが、
僕は死の先は無ではないかと思います。
つまり、なにもない世界です。
意識もなければ意志のかけらさえ残っていない。
それが僕の今現在信じている死の全体です。
僕の死生観の基本的なスタンスは「死んだら無」です。
いっさいが消滅して音もなく形もない世界(世界とは呼べないもの?)に
とけこんでいく。
宗教的に感じるのなら、この現象を現実に捕らえて想像してみてください。
夢も見ずに眠っている状態がずっと続いている状態に似ているかもしれません。
意識は無くなり、無に帰する。
自分が今、してること、今までしてきたこと、明日すること、
すべて意味のない事に感じてきませんか?
死んだら崩壊する城を必死に築いているような感じがします。
だとしたら、自分はいったい何をしているのか?
どんな原因によってなにをしようとしているのだろう?
何故、自分は〜をしてきたのだろう?
これからどんな決定をくだし、なにをしようというのだろう?
85考える名無しさん:01/11/26 05:17
>1
私があなたに最初に感じたのは「なんと無機質な子なんだろう」ということです。

私の生まれ育った環境は決して裕福なものではなく、けっこういさかいの絶えない
家でした。だから普通の家に対する劣等感と、その家を早く出たいという欲求
は早くから芽生えていました。人の動機なんて最初はそんな歪みのようなもの
から出てくるものだと思います。かといって自分の中の歪みというのはそんなに簡単に
整理のつくものではありません。それは何年も掛けて理解し受け入れていきました。
その行為の過程にも新たな歪みを生み出し、その繰り返しです。しかしあなたの中では
そのようなことからくる動機はとうに解体され意味、理由という特化したものばかり
に目がいっています。確かにそれもあなた自身の必然でしょう。私にもあります。
しかしあなたが掲示板にこのように自分の気持ちを吐露しながらも答えを求めようと
している行為の裏に、そんな意味、理由を求めているだけではない必然があるはずです。
それを見つけて下さい。世のあらゆるものを拒まずそれを思い浮かべて深呼吸して下さい。
おそらくあなたの肺は血だらけになる思いでしょう。もっとも身近な人、事を思い浮かべて
繰り返して下さい、あなたの頭の中の気圧とその場の気圧とが同じになるまで。その時に
感じるであろう憎しみ、怒り、落胆、慈しみその他諸々を再確認して下さい。その諸々こそ
あなた自身の中の必然の結果です。その必然こそ意味、理由だと思います。その意味、理由から
さらに新たな意味、理由を育てて下さい。物事全てに意味、理由を規定することなんて
とても不自然な、理屈に合わないことかもしれません。
86:01/12/06 16:18
>>85
>しかしあなたが掲示板にこのように自分の気持ちを吐露しながらも答えを求めようと
>している行為の裏に、そんな意味、理由を求めているだけではない必然があるはずです。
ぼくがこたえを求めている理由はできるだけ僕の人生を
生きがいのある良い方向に生かしたいからです。
それは僕個人の問題ではなく
生きるものみながもっている問題ではないでしょうか。

後半部分が少し分かりづらかったです。
あるがままに総てをうけとめることが
自分の方向を決める上で大切だということでしょうか。
理解力なくてすいません。
87名前はまだない:01/12/15 23:54
age
8885:01/12/17 06:23
あなたの問いを最初は素直に聞き入れることが出来ませんでした。素直に聞き
入れることが出きない自分自身の中で起こっている不快感をずっと考えていま
した。それは何だろうと?と。それはいつの間にか自分自身も君のような問い
を知らぬ間に押し殺していのだと気づきました。その問いかけによって自分の
内面があばかれるように感じたのかもしれません。

もちろん私はあなたの問いの答えを持っていません。それはあなたも分かって
いることです。

この世に生を受けた時は、私達はただ守られ、与えられるだけの存在でした。
だからあなたの問い、あるいは反応はとても素直な真っ正直ものだとも思う。
ただ守られ、与えられなければ生き長らえないような存在だったのに、しかし
何の因果かこのように自我を持ち自己を意識しています。でもそれは何かの因
果による結果であり、そこから遡行して意味、理由を規定することは出来ませ
ん。私達はただ結果としての存在です。

乳飲み子がその母の乳房からむさぼるように乳を呑もうとする光景を見て、私
達は何らかの感情を持ちます。その感情を持つ私達もそのような存在だったこ
とでしょう。その母にはその子に乳を与えることに意味、理由はあるでしょう
、いやそれ以上の感情を持っていることでしょう。しかしその乳飲み子は母か
ら乳をむさぼることに意味、理由を意識してそうしたのでしょうか?そこに意
味、理由があるのでしょうか。たた乳飲み子はそうせずにはおれないだけです。
そして私達はその光景を見てある種の感情を抱くだけです。どうしようもなく
そんな存在であるあなたであり、私です。これが万人に共通する感情だとは言
いません。しかし誰も何らかの価値観を植え付けられています。それに素直に
従うことによってしか私達は満足することが出来ません。自分に不誠実にして
満足が得られると思いますか?それを全うすることでしか方法はないような気
がします。いやそのような方法から今持っている以上の意味、理由を、いや実
感を獲得していくしか無いような気がします。これは簡単なことではありませ
んが、私にはこれ以上のことは言えません。

「だれも自分の行ないは純粋だと思っている。しかし神はその人の魂の価値を
計られる」−聖書            
                        健闘を祈ります。
89考える名無しさん:01/12/17 06:26
レス間隔が11日とは(w
901:01/12/18 04:41
>>88
あなたのレスを何度も読み返しました。
天の声かと思えるほど愛に溢れたしかも
真実を捉えたレスだと思いました。ありがとうございます。

>たた乳飲み子はそうせずにはおれないだけです。
>それに素直に従うことによってしか私達は満足することが出来ません。自分に不誠実に>して満足が得られると思いますか?それを全うすることでしか方法はないような気
>がします。いやそのような方法から今持っている以上の意味、理由を、いや実
>感を獲得していくしか無いような気がします。
>「だれも自分の行ないは純粋だと思っている。しかし神はその人の魂の価値を
>計られる」−聖書

すごく力があることばだと思います。
僕はあなたのこのレスで、
もやもやがすこし晴れたような気がします。
85では自分の内面を見つめることを言ってたんですね。
やっと分かったような気がします。
僕はあなたのことばによってほんの一時ですが本質のなかへ引き上げられました。
本質へ通じる道は魂の満足だったんですね。
91考える名無しさん:01/12/18 08:15
>>90>>1
魂の満足を得るためにはどうすればいいか?
フロイトはいう。「愛し、働き、教えることだ」
さすれば、人生は虚無から開放される。
92考える名無しさん:01/12/28 13:09
age
93考える名無しさん:02/01/16 03:54
あげ
9485:02/01/16 04:16
>>93
君は1なのか?
95:02/01/30 19:28
>>94
そうです。
9685:02/01/30 22:00
>>95
その後どう?
97考える名無しさん:02/02/04 18:33
1は就職できたのかな?
981:02/02/13 11:50
>>96
僕はあれから神についていろいろ考えたのですが、
だんだん神という抽象的な比喩(?)が
現実味を帯びたエネルギーとして肌に感じられるようになってきました。
あなたが以前おくってくれたことば
「だれも自分の行ないは純粋だと思っている。しかし神はその人の魂の価値を
計られる」
魂の価値とは何かについて僕は道徳的で、論理的説明のつくものを求めていました。
しかしそれは間違いだということに気がつきました。
神とは前述のようにエネルギーなんですね。
それが実感としてわかりました。
>>85であなたが最初におっしゃった感情の負の部分の必要性も理解できました。
>>97
就職はまだです。
99ローリングストーン:02/02/24 08:39
1です。

ここからは
なんのために生きるのか?
について考えていきたいです。
100ローリングストーン:02/02/24 08:41
自分自身とは一体なんだろう
産まれて消える自分の存在とはいかなる「もの」なのか
101ローリングストーン:02/02/24 08:42
喜びとはどういうことなのか

悲しみ 苦しみとはなにか
102ローリングストーン:02/02/24 08:48
記憶 

僕には記憶がある 神経系統がある
それらが僕のこころ(?)になんらかの影響を及ぼす

こころとは?

僕は僕自身の身体をふくめた「環境」に影響されている。
環境がこころに変化を与える
こころもまた環境に変化を与える
相互に影響を及ぼし合っている
103ローリングストーン:02/02/24 08:52
僕の頭に浮かぶ行動の端緒は
潜在意識を含めた僕の記憶から出たものなの(?)
潜在意識は何処からやってくるのか
人間以外の生物を観察しても
外的ななにかが行動に影響をあたえているのではないのか(?)
104ローリングストーン:02/02/24 08:59
自己とは出ては入っていく記憶のこと?
105ローリングストーン:02/02/24 14:32
世界は疑わしい
信じられるものは自己以外にない
だが自分に欺かれることはないだろうか

総ては自分自身の中にある(?)

世界は謎めいている
知らないから
一方で世界の虚無を予感している

ものの受け取り方と捕らえ方
106考える
なんだよ、ここ全員厨房じゃねーか