人生を不公平にしているもの、それは「才能」

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1.
中学の頃から考えてることなんだが、ちょっと聞いてくれ。

俺が中学の時、成績表を見た。
5がたくさんあって嬉しい、と素直に喜んだ。
国語、数学、理科、社会、英語、技術家庭と、6つの教科で5を取った。
必死に努力して取った。
しかし、5が取れるのはいつもこれらの教科だけだった。
残りの、美術、音楽、体育は2や3しか取れなかった。
どれだけ頑張っても、良くて3だった。
なぜこれらの教科で5が取れないんだと思い、少し考えた。
俺には才能が無かったからだ。
逆に才能がある人間は、これらの教科では普通にやっていて5が取れる。
これって不公平じゃないか…?
努力の量は俺の方が多いのに、特に努力していない人間より評価が下だ。
どう考えてもおかしいだろ?
才能がある人間は努力しなくても良い評価をもらえる。酷くないか?
だから俺の成績表の9教科での限界は39だった。
しかし才能がある人間は最高で45を取れる。
酷い話だ。

才能って、不公平だと思わないか…?
2666 ◆xenNZQbg :01/11/11 00:54
君を評価した人間の価値観が君自身なのか?

才能以前に君の考え方が2か3なんじゃないか?
3現存在009:01/11/11 00:56
正しさってのは、公平・不公平にそくして判断されるようだ。
でも、それは善いか悪いかの判断には繋がらないな。

だから結論はこうだ。
⇒才能は、疑問を打ちたてるまでもなく明らかに不公平だが、悪いとは言えない。
4考える名無しさん:01/11/11 00:56
学校の成績で才能を語るなんてちゃんちゃらおかしい。
努力の仕方を間違えただけ。
5びたみん:01/11/11 00:58
ぼく中学の時、1と2しかとったこと無いんだけど・・・。
数学とか英語は0点取ったこともあるし。
「才能が不公平」なんじゃなくて、世界はもともと
不条理極まりないんだYO!
6考える名無しさん:01/11/11 00:58
俺は小学校まで5段階だったな。
最高は、国語5算数5理科5社会5音楽5図工4体育4家庭4だった。
算数は得意で小学6年間5以外は取ったことはなかった。
また、苦手科目もなく、最低でも3までしか取ったことがない。
2、1はどんなにサボっても取れなかった。

まあ、学科で5を制覇できればいいじゃん。
7二酉:01/11/11 00:59
才能ってすごく便利なコトバにゅ。
どんなに努力してもその方向がずれてれば結果はついてこないとも言っておくにゅ。
言っておくけど自分、体育は2が上限にゅ。ボール投げは最長6mにゅ。
でもマット運動では伸膝前転や前方倒立回転飛びもできるにゅ。
自分の適性を把握することも大事だとその時思ったにゅ。
8びたみん:01/11/11 01:01
二酉さんて、いつのまに「にゅ」とか
つけるようになったのだろうかにゅ?・・・あれ?
9考える名無しさん:01/11/11 01:03
「〜にゅ」ってやめろ。語源は「二酉(にゆう)」か?
10考える名無しさん:01/11/11 01:08
いや、アニメでしょ
11考える名無しさん:01/11/11 01:08
才能は生まれつきのものもある。それは脳のでき不出来だ。
しかし、われわれが普段才能と読んでいるものは
ほとんどが後天的に備わったものである。たとえば、ある
一流のサッカー選手は生まれて間もないときから横にサッカー
ボールがあった。かれは物心つく前からサッカーをしていたのだ。
つまり、ほかの人よりも多くの時間をサッカーに費やしたのだ。
それは、努力と言う言葉で置き換えられる。彼は他人よりも
より多くの努力をしたのだ。つまり能力のよしあしというのは
努力した量でかなり左右されるのである。
いまから、1日5時間絵を書いてみたまえ。必ずうまくなるはずだ。
いまから、1日5時間筋力トレーニングをしてみたまえ。
必ず運動ができるようになるはずだ。
いまから、1日5時間ピアノを練習してみたまえ、必ずうまくなるはずだ
何がいいたいかって?
つまりお前の努力が足りなかったってことさ。
12 :01/11/11 01:16
9歳で大学に入った子は才能があったからだよね?
13びたみん:01/11/11 01:19
というか、努力じゃどうやっても到達できない
ものをこそ才能というんじゃないの?
>>11的な人って何の才能もない凡庸な者にも
「努力が足りない!」って言いつづけそう・・・。
そう言われたら「ぐっ・・・・・」ってなるしかない。。。
14二酉:01/11/11 01:21
>>8-10
ははは。つい先日から(笑)>にゅ。
語尾変遷の経緯についてはなんだかタイトルに怖そうな漢字が沢山羅列されてるスレにあるでし。
気になる方はそちらをどうぞ(いるのか?)
語源は>>9さまが正解。ちなみにで・・・(検閲削除)は関係ないのでし。
15考える名無しさん:01/11/11 01:21
だから、学校の成績で才能をうんぬんするのが間違いだってえのに!
16考える名無しさん:01/11/11 01:23
才能がある人は同じだけ練習しても才能が無い人より上達が早いしねえ…。
17考える名無しさん:01/11/11 01:24
>>15
ま、例え話ってことで・・・。
18考える名無しさん:01/11/11 01:26
必死に努力することができるってのも才能の一つ。
世の中には努力することのできない人もいるしね。
学科でオール5が取れるってことは勉強の才能があるってことじゃん。
俺はいつも音楽と美術は大抵5だったけど
学科の成績はヒドイもんだったさ
19二酉:01/11/11 01:27
自分の環境(親・場所・遺伝的性質などなど)を選べないという点では
すごく公平だと思うのでしがね。。。
>>13
前半は同意。適性のニュアンスが個人的にスキなんだけど。
ちなみに「努力が足りない」・「やれば出来る」・「頑張って」は
塾講師・家庭教師の伝家の宝刀也。
20考える名無しさん:01/11/11 01:27
学校の授業ほど努力が評価されるものはないと思うぞ。
やればやるだけ身に付く。やらなければ身に付かない。
21考える名無しさん:01/11/11 01:28
いや、才能で決定的に差がつくことって、そんなに
ないよ。芸大はいったうちのいったい何人が、芸術
で食っていけると思ってんだ。
22びたみん:01/11/11 01:29
じゃあ、天才的な資質も、努力する才能もない
人って一体・・・。それ俺なんだけどサ。。。
やっぱりそんなもんだよな。。。
チクショー、底辺最高!
23考える名無しさん:01/11/11 01:32
>>19 ぜんぜん伝家の宝刀なんかじゃない。そんなこと言って
がんばる生徒は最近はまれ。
24考える名無しさん:01/11/11 01:34
692 :考える名無しさん :01/11/08 17:03
人間は将来が「予想」できちゃうでしょ?
その「予想」の中で自分がが苦痛を伴いそうだったら、
不安になるでしょ?
そして、その不安は「今の苦痛」となるわけ。
苦痛は誰でもいやなものだよ。だから、みんなそれを
取り除きたくて努力するのさ。
その努力が、多少の苦痛を伴うものだったとき、人間は
「努力の苦痛」と「将来の苦痛」を天秤にかける。
どっちが痛いか考えて、痛くないほうをとるのさ。
それが、努力する理由だよ。


__________________________
>>22
つまり、あなたは努力する才能がないのではなく
今を選んだということさ。
25考える名無しさん:01/11/11 01:34
>>22
底辺に生きる・・・

これも一つの才能なのかもしれないな

お互いがんばりましょうや(藁
26考える名無しさん:01/11/11 01:34
びたみんくんは、がんばらない努力が必要かもね。
27びたみん:01/11/11 01:38
ふふふ。僕は世界に対して自分のごみ性を
みずからの存在をもって証明してやるのさ。。。
28二酉:01/11/11 01:39
>>23
そう?じゃあ自分は運が良いんだわ。やる気を出させやすいコが相手で。
努力の方向も重要でしね。
29考える名無しさん:01/11/11 01:40
>>27
証明したらなにかうれしいの?
30考える名無しさん:01/11/11 01:41
マゾって最強なんだよね。混迷した現代社会を生きるには
これからはマゾがいちおしかも。
31二酉:01/11/11 01:41
>>27
「世界で一番最低」でも『世界一』でし。がむばれ。その情熱に感服。
そういえばこれのパラドクスあったね・・横レスsage
32びたみん:01/11/11 01:41
>>29
イヤ別に。
復讐なき復讐ってトコかな・・・?
33考える名無しさん:01/11/11 01:42
二酉氏は塾孔子でしか!
34びたみん:01/11/11 01:43
>>31
だから中途半端なクズになるのさ。。。
常に一番から外れる事によって、図らずも
一番になってしまう・・・。ずれつづけなければ。
35考える名無しさん:01/11/11 01:44
>>32 復讐なんてやめな〜。
36考える名無しさん:01/11/11 01:46
>>34 自分のために生きたほうが楽だよ。
37考える名無しさん:01/11/11 01:48
じゃあ、とりあえず「努力しない才能」ってのは単なる言い訳って
事でいいですか>ALL
38考える名無しさん:01/11/11 01:58
でも、どうしても努力しちゃう人っているよね。それで疲れちゃって
る人。
39二酉:01/11/11 02:05
>>33
そうでしよ!(w
>>34
ははは。自分も厨房の時同じ事を考えて見事に道を踏み外したでし。
いやほんと、方向が大事(笑)他人(客体)から見てどうであれ、みんな「努力」はしてると思うでしよ。
40考える名無しさん:01/11/11 02:31
才能なんて運も含めた最後のギリギリの言葉だよ。
学校の勉強で才能なんてチャンチャラおかしい。
11の言うサッカーの例えで言うなら、子供の頃からボール蹴って
真面目に練習し、努力すれば、よほどセンスのない奴以外はたいてい
あるレベルまで行く。高校の全国大会で優秀選手に選ばれたり
プロのサテライトぐらいまでなら、努力でなんとかなる。
けど日本代表に選ばれて、ヨーロッパで活躍するぐらいのレベルになるのは
やっぱ才能だろうな。
41Маршал Боголюбов:01/11/11 02:33
僕にも才能があれば
暇もなかろうな
42考える名無しさん:01/11/11 02:37
お疲れ様。
43Маршал Боголюбов:01/11/11 02:37
それで?
44考える名無しさん:01/11/11 02:40
いや、みんな同じでは。
45Маршал Боголюбов:01/11/11 02:54
結果論ですよ。
うまくいけば人は誉めるし下手すれば罵詈雑言。
46考える名無しさん:01/11/11 02:57
とかくこの世は・・・ってことか。
47 :01/11/11 03:20
でもこの場合は学校の勉強というより、運動や絵や音楽のことを
言ってるんだから、才能と言っていいのでは?
「数学ができないのは才能が無いから」と言っていたら話は別ですが。
48Маршал Боголюбов:01/11/11 03:23
数学も才能と思うけど。
数学は半分感覚だし。
そんなに大学受験科目とそれ以外を区別することはないと思うが。
49考え無しさん:01/11/11 03:28
>>48
数学といっても受験数学なのでは?
50Маршал Боголюбов:01/11/11 03:29
分かんない人には分かんないから
51考える名無しさん:01/11/11 03:30
でも、絵も訓練すりゃうまくなる。
52Маршал Боголюбов:01/11/11 03:31
上手いのと才能があるのと同じか?
才能とは何だろう?
53考える名無しさん:01/11/11 03:36
だから、芸大でても、せいぜいガッコの美術教師だって。
54考える名無しさん:01/11/11 03:37
ほとんどの才能はかなりの努力で追いつくもの。
55Маршал Боголюбов:01/11/11 03:38
追いつければ苦労はしないよ
でも追いつけるかな
すべては結果論だけど
個人的にはガラスの仮面を愛読している
56考え無しさん:01/11/11 03:41
絵なんかは、モノをそのまま形どうりに書くのは
練習すればだれでもできるようになる。練習の量はどうあれ。
でも、売れる絵を描けるのは才能だろうなあ。
57考える名無しさん:01/11/11 03:41
才能のあるないは、逃げにつながるから。時にこいつにゃ
かなわんっていうほどの差を感じさせられることもあるけど、
やっぱ、努力でいい線までいけると信じる。
58考える名無しさん:01/11/11 03:43
売れる絵は時代のめぐり合わせもある。セザンヌもゴッホも
本人が生きてるときには売れなかったのだ。
59考え無しさん:01/11/11 03:48
絵は第一線はよくわからんね。
でも、学校の美術の時間だとたとえば小学校のときドラゴンボール
を書いていた奴はそれだけ練習してるから練習していない奴よりも
うまくなるだろうね。成績も上になる。
60ソシュール:01/11/11 03:53
芸術に限れば個々の才能のベクトルは同じ方向に向いてないから
比べることはできないと思うよ。
>1
あと学校にいる芸術系の教師はそれこそ才能がないから教師なんぞ(偏見?)
やってるわけなんで、その教師たちには1の才能を見つけることができなかった
という可能性もあることはあるね。
61考え無しさん:01/11/11 03:55
学校の芸術なんて、生徒の特異性より技術を見ると思う。
つまり>1は絵が不得意なのを自覚してたなら毎日予習するように
デッサンを続けるべきだった。成績は上がると思う。
62Маршал Боголюбов:01/11/11 03:57
要するに売れるの? 売れないの?
売れ行きは芸術的センスに関係があるかどうか知らんが。
63考える名無しさん:01/11/11 03:57
酷いな。このスレも。
64666 ◆xenNZQbg :01/11/11 03:58
芸術を売るという事は
自分を売るという事だな
いかんぞ
65考える名無しさん:01/11/11 04:09
才能の有無(あるいは大小)は、価値観を同じくするものの間でしか意味をもたないんじゃないの?
66Маршал Боголюбов:01/11/11 04:11
意味がなければ商売にならないからね。
世に認めれられず消えていった天才のために香をたいてやろうではないか。
67考える名無しさん:01/11/11 04:13
世に認められるのを望む天才って、ちょっとね・・・。
68Маршал Боголюбов:01/11/11 04:23
「天才」とは何だろう。
芥川に言わせれば後世のヴァカが香をたいているだけだそうな。
誰しも天才を目の前にしてそれを天才と認める者はいないらしい。
69考える名無しさん:01/11/11 04:48
分野によりけりだと思うが。
天才を見出したり、育てたりするのも一種の才能だし。
70Маршал Боголюбов:01/11/11 04:51
仮に空海や最澄が嵐で沈んでたらそれまでよ
71考え無しさん:01/11/11 05:03
とりあえず、1が欲しい能力は努力で手に入るって事では?
>成績
72考える名無しさん:01/11/11 05:05
成績くらいなら
73考える名無しさん:01/11/11 09:39
才能による不公平をなくすための学校教育なんじゃ
ないん
ですか?
74Iridium:01/11/11 10:08
美術、音楽、体育は
予習と復習を完璧にやればたいてい
誰でも最高点をマークできると思われる。
でも毎回(毎日?)やんないといけないので、
全教科をやるためには人間らしい生活を犠牲にする必要がある。
ゲームとしてある特定の期間やるなら、まあいいが、
本質的にそこまでの価値があるかどうか疑問。
75考える名無しさん:01/11/11 11:00
>>73
なくしてどうする。
才能をより伸ばすのが教育だろ。
優れた教育が行われれば、才能による差は開いて当たり前。
76考える名無しさん:01/11/11 11:25
人生を不公平にしているのは才能じゃなくて平等幻想
77考える名無しさん:01/11/11 11:35
同意。
才能が人によって違うのなんて当たり前
そんなとこまで平等にしようというほうがおかしい
78考える名無しさん:01/11/11 11:55
そのとおり。くだらん平等主義が才能をつぶしているのが現実。
現代日本では、突出した人が出ないのはこれが原因。
79考える名無しさん:01/11/11 11:57
でこぼこの人間が組み合わさっている社会構造の方が人間の可能性は
拡がる。同じ人間が積み重なっている社会構造では、1+1=2
の可能性しかない。
80考える名無しさん:01/11/11 11:59
     ____
    /∵∴∵∴\
   /∵∴∵∴∵∴\
  /∵∴∴,(・)(・)∴|
  |∵∵/   ○ \|
  |∵ /  三 | 三 |  / ̄ ̄ ̄ ̄
  |∵ |   __|__  | < 終了
   \|   \_/ /  \____
     \____/
  .. (\    \
    |\\  |\\
    |.. \つ| \つ───
 ..  /  へ ~\
    / /  ヽ ..)
  / /   /../
 !_)  ...|___)
81考える名無しさん:01/11/11 12:31
平等主義に潰される程度のものを才能と言うのか?
82考える名無しさん:01/11/11 12:33
美術、音楽、体育で5が取れないくらいで
人生は不公平だとか騒ぎ立てるなんて
甘えでしかないですよ
83考える名無しさん:01/11/11 12:40
自分には才能が備わっていると錯覚できるのも才能の一つだね。
大事にしてほしい。
84考える名無しさん:01/11/11 12:46
>>81
ま、才能にもいろんなレベルがあるから。
才能があって幸せだ、才能がなくて不幸だと思うレベルの人間に
とってはそうなんだろう。
>>83
その才能がもっとも稀少かつ偉大な才能だよ。
勘違い、パラノイアに勝る才能なし。
85考える名無しさん:01/11/11 12:48
自分に才能がないことくらい自覚しているが、
そのことをもって人生は不公平だとかいちいち
喚こうとは思いません。
ましてや学校の成績(しかも美術とか音楽)ごときで
86考える名無しさん:01/11/11 12:54
社会に出たらもっと悲惨な不公平が山ほどあります
87考える名無しさん:01/11/11 14:37
そもそも不公平なんて存在しない。
人間が勝手に作ったものにすぎない。
88考える名無しさん:01/11/11 14:51
>>87
誰もがそう思えれば宗教も哲学もいらんわな(w
89現存在009:01/11/11 14:53
>>87
おお、これは奥が深そうなコメントだ。
そもそも公平なんて存在しない。って方がベタな答えだけども。
どんな考察が含まれているんでしょーか。
90ロバの耳:01/11/11 15:01
だって才能が無いんだからしょうがないじゃん(笑)
あ、論点ずれてる…?

第一音楽の成績なんて、歌だけで決まる訳でもなし。
楽典という立派な学問があるでしょう?ハ長調とか完全5度とか知ってるでしょう?努力で幾らでも成績なんてのばせるよ☆
まだまだあなたの努力が足りないだけだとは思わない?
91考える名無しさん:01/11/11 15:10
作曲する才能と演奏する才能と楽典の才能とは別々だろうな。
同じ作曲でもベートーベンとモーツアルトでもかなり違う。
前者は新しい形式を作った。
後者は新しい形式は作らなかった。
92考える名無しさん:01/11/11 15:15
走るのが速い人はサッカーもバスケもなんでも上手いですよね?
練習していなくても。
これは才能でしょうか?
93考える名無しさん:01/11/11 15:16
俺は、数学や美術や理科が得意で
音楽や国語は不得意でした。
無理に勉強しても、点数が高くなる勉強と
好きになれないと良くならない科目があるんじゃ
ないだろうか。
たとえば、花を見て綺麗だなと思う感情とか、
感性を磨くには、自分がどう思うかでは?
94考える名無しさん:01/11/11 15:20
才能には3種類ある。
遺伝によるもの、
環境によるもの、
突然変異によるもの。
才能の中で最大にして神秘なのが
突然変異によるものである。
95考える名無しさん:01/11/11 16:00
でも、才能を補う事ができる才能もあるよね
欲ばりなだけじゃ
96考える名無しさん:01/11/11 16:19
成績つけるのは教師です。
教師もまた人間。いくら私情を挟まず成績をつけようとしたところで、それは無理。
生徒に対する好き嫌いはあるはず。
だから、成績だけを見て、才能が云々、と言うのは勇み足なのでは?
97考える名無しさん:01/11/11 16:26
先生というのを勘違いしているんじゃ、今の教育
あくまでも、生徒より先なだけで、優秀っていう
ことはないんじゃないかな
そのちょっと先にいっている(形式的)人が点数を
つけるってことは、いいかどうかはわからないけど
指標っていうだけじゃ
問題は、自分にとってどの才能を磨くかってことじゃ
相対でしか、自分の価値観を見出さない事の方が
問題だと思います。
98考える名無しさん:01/11/11 17:24
なんかこの場合は才能とかじゃなくて評価の仕方に問題があるような…。
99考える名無しさん:01/11/11 19:16
1>>の才能は努力としてあげたら良いんじゃないか・・・かわいそうだし
ただ学校の教科全部を上げようとしたところがバカだったのだと思うのだが…
まっ。バカになに言っても無駄だしね
100ひゃくげっと:01/11/11 19:20
れーさーひゃくぅ
ヒャハハハ
101考える名無しさん:01/11/11 19:22
好きなことできれば才能なんてどうでもいい
102考える名無しさん:01/11/11 19:28
ごもっとも。

ーーーーーーーーーーーーーー終了ーーーーーーーーーーーーーーーー
103考える名無しさん:01/11/11 20:47
>>99
全部を上げようとするのはバカでしょうか?
104考える名無しさん:01/11/11 21:42
>>103
じっさい5科目上がってんだから
目的設定はまちがってないね。だからバカじゃない。
99が、たぶんけっこうバカなやつだと思うよ。
105考える名無しさん:01/11/12 00:09
>1
学校の成績(一教師が付けた評価点)で「才能」を云々するキミは
完全な厨房である、まずそのことは認めよ。
ちなみに漏れは、小五〜中学時代オール5だった(マジ)が、
足は遅くて運動神経無いし、完全な音痴で楽器も下手くそである。
べつに贔屓というのではない、下手ながら頑張っていた分の努力評価、
だったろうと思われる。学校の成績なんてのは、せいぜいその程度のもので、
まさか「才能」を語れるほどの意味内容など、全く無い。

 だが、成績とは関係ないところで、「才能」というのは確かに存在する。
たとえば、足の速さ、肩や腕や力の強さ、
たとえば、絶対音感、
たとえば、独特の色彩感覚や造型のセンス……etc…
生まれながらにそれらを「備えている」奴等が
確かに存在するのである。そして彼等は、凡才がどんなに努力しても
到達できない地点「から」、その歩みをスタートさせる。
その上、確かな才能というのは必ず「外へ出よう」とするパワーをも
備えているから、素質をより伸ばす方向へと彼等は自然に努力し、
その結果、凡才にはとても信じ難いような地点までも、やすやすと
到達してしまうのである。

 悲観することはない、もしかしたらキミの中にも「才能」が潜んでいる可能性が
ある。自分では全くたいしたものじゃないと感じていても、
他からみると「すごい!」というような何らかの能力が、ありはしないか?
奇妙でも変わっていてもいい、何か自分の中でうごめくものを感じたら、じっと
注視してみるといい。そしてもし、
外へ出たがっている(表出されたがっている)何かを発見したら、とにかく
その欲求に従って努力を惜しまないことだ。もしかしたら、
自分でも思いもしなかった才能が芽を出し、大きく花開くかもしれない。
どんな才能だって良いし、それを発見して開花させるのは
何歳からであっても、けっして遅くはないのである。


つまり能力のよしあしというのは
努力した量でかなり左右されるのである
106考える名無しさん:01/11/12 00:20
熱血やろう、あついねえ。
107現存在009:01/11/12 00:27
Aは○○がしたい。しかし、いくら頑張っても出来ない。
隣のBの奴、○○をいとも簡単にやり遂げやがった。不公平だ!!

Bは○○が出来ることなんて、どーでもいいと思っている。本当は●●の才能が欲しかった。
隣のAの奴、●●をいとも簡単にやり遂げやがった。不公平だ!!

それを端から見ていたFは言った。「俺、なんも出来ない…、えーん」
十年後、Fは廃頽系詩人として成功し、大金持ちとなった。

AとBは言った、「Fめ〜!!!(阿部寛風に)」
108考える名無しさん:01/11/12 00:32
>>107
ストーリの大筋は納得できるが。
退廃詩人がいくら成功しても、大金持にはなれんと思う。
(小金もちぐらいが限度)
109現存在009:01/11/12 00:36
>>108
重要なのは、最後の一行だけです。
110考える名無しさん:01/11/12 00:43
>>109
なるほど了解。
111考える名無しさん:01/11/12 01:06
才能以前にコミュニケーション能力が必要
112考える名無しさん:01/11/12 01:59
そもそも性格を社会の枠から再評価してそれに経済的な褒賞を与えるという極めて自慰的な相互依存による錯覚ではないのか?才能自体が。
113考える名無しさん:01/11/12 02:01
才能は使命である
114考え無しさん:01/11/12 02:07
イチローと俺は確かに才能という点で不公平だ。
しかし、クラスの奴らとはあまり不公平とは思えない。
努力をすれば一番になることができるからだ。
イチローには追いつけないとあきらめるように人生妥協も必要だよ。
115考える名無しさん:01/11/12 02:09
野球で追いつこうとすればね
116考える名無しさん:01/11/12 02:10
自分の才能を見つけよう
117考える名無しさん:01/11/12 02:12
通信簿の5が才能ではない
118考え無しさん:01/11/12 02:14
学校の成績っていうのは、才能があるなしは関係ない。
なぜなら、もっともっと低いレベルで百点が設定されているから。
119考える名無しさん:01/11/12 02:17
百点には、本来価値はあるよ
オール100点なら、
先生の完全に負けで
評価できませんでしたっていうのはどうかな
120現存在009:01/11/12 02:18
前にも>>3あたりで書いたが、才能の存在は明らかだし、才能が不公平
であるのも確か。付け加えると、こじつけで、様々なことを才能と呼ぶ
ことが出切ることも確か。
でも、哲学板の住民が、公平不公平で不満をもらしちゃあいけねえ。
ある固定された観点からは、公平不公平という概念が存在することは確か
だが、それがダイレクトに、公平=良い、不公平=ウザイ、と位置付けら
れるのはマズイ。不公平が駄目なことだという哲学的根拠を示してから、
話を進めないとね。
121考える名無しさん:01/11/12 02:25
欠如は機会でもある
by イエスキリスト
122考える名無しさん:01/11/12 02:38
才能って性格じゃないの?
123考える名無しさん:01/11/12 02:46
そうかもしれない
性格に反したことしても、才能はでないよね
124考える名無しさん:01/11/12 02:55
性格にも優れた性格、劣った性格がある。
125考える名無しさん:01/11/12 03:12
性格の有効利用を考えよう
126考える名無しさん:01/11/12 04:26
まあたぶん、
1さんが5をとれた教科(国数英など)はペーパーテストが主な評価点で、
とれなかなった教科は評価点がそれ以外にもあったと言うことでしょう。
たぶん、ですが、きっとそうです。
127考える名無しさん:01/11/12 04:44
先生に嫌われてたからだったりして
128考え無しさん:01/11/12 04:47
>>126
1がその3教科は予習しても無駄だと決め付けていた感が強いような。
129考える名無しさん:01/11/12 18:27
なんでも才能って決め付けられたらたまんねーな。
130幼児的全能感:01/11/12 20:51
ジャンプに載っている漫画の主張って、何か偏ってないかな。
131考える名無しさん:01/11/12 22:43
「努力、友情、勝利」主張というより、経営方針に近い。
132二酉:01/11/12 23:48
>>130-131
連携あたっくでラッキーマン思い出したでし(マニアー
133考える名無しさん:01/11/13 00:17
運動神経ってのはいい人と悪い人がいるよね?生まれつき。
134幼児的全能感:01/11/13 21:08
もともと隠れた才能を持った主人公がとてもデカイ夢を目指し、「現実を見ろ、オマエ
はこの程度だ、俺に敵わぬ、諦めろ」と言ってくる敵と戦い「自分の限界は自分が決め
るんだぁ」とか言って見事撃破し上り詰めていく。
その過程の、友情あり、恋愛あり、別れあり、裏切りあり、励ましあり、で成長する様
を描く。

ジャンプにとくに強く見られる傾向かな。
135考える名無しさん:01/11/13 21:20
まあ、別に問題は感じられないが。
136二酉:01/11/13 21:36
じゃんぷ(衆映写)はあんけーと至上主義でしからね・・・
ちびっこむけ、ってことで・・・(意味深
137考える名無しさん:01/11/13 22:02
得意な科目なら自然と5の評価がとれるが、
3の評価を勉強して5にする」には勉強の手法はテスト対策に特記したモノになる。
それがむなしいと感じるのは自然な事なのだし、自らのペースを把握すれば、
中長期的には全体を向上させることは出来るので、短期的な”利益”を求めずに
気長にやってください。
頭のエエ・悪い。才能のある・なし。では決してないです。
(でも、教師ですらソレを認めないんだよな...)
138ハァハァ:01/11/13 22:56
139考える名無しさん:01/11/14 00:01
神になれるのなら
才能ほしいが
人間ふぜいが何を比べると言うんだ
できることは大差ない
あとは環境だけだ
モチベーションを維持するのが
もっとも難しい
140:01/11/14 00:22
ごもっとも。ていうか、才能=人気じゃなくって?
141考える名無しさん:01/11/14 00:56
俺音楽の才能全くなかったし、自分でもそれを理解してたけど、
必死に音楽やってたぞ。
10年やって結局ものにならなかったが。
そのかわり、自分で言うのもなんだが頭は良かったようだが・・・。

自分の志向する分野と才能がある分野は食い違うこともある。
やっぱり人生とは不条理なものだ、との言葉で片付けるしかないね。
142考える名無しさん
>141
食い違う以前に、そういうのを、
才能がある分野をもっていない、というと思うぞ。
才能はあるけどやってないんだ、なんてのは
まるっきり才能のうちに入らないってことは
10年も才能の世界に生きてればわかるだろう。