善悪って何だ?

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1考える名無しさん
世間一般では、見返りを求めずに他人の幸福を満たす行為を善
自己の幸福を満たすために意図的に他人の幸福を犠牲にする行為
を悪とすることが多いみたいだけど、そもそも善とか悪って何だ?
宗教関係に詳しい人レスきぼんぬゥ
2考える名無しさん:01/10/15 21:58
3考える名無しさん:01/10/15 21:59
??    
4考える名無しさん:01/10/15 21:59
???
5二酉:01/10/15 22:07
えと。ちょっと近いのでこちらもどうぞ。

人間の本性は善か悪か
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=998293594
6考える名無しさん:01/10/15 22:56
>>1
神と波長が合っている -> 善
合っていない     -> 悪
7考える名無しさん:01/10/15 23:01
宗教での定義ね。

免罪符買った人 → 善
買わなかった人 → 悪
8考える名無しさん:01/10/15 23:16
>>6
唯一神はニュートラルな存在ではないの?
アフラ・マズダとかヤハウェとか・・・
「神が善」というのは疑うべくもない大前提、とされているの
だろうか?
9考える名無しさん:01/10/15 23:17
10:01/10/15 23:22
日本語の善・悪がGood evilの和訳ならそれで納得いくんだが・・・
日本語の善・悪の起源は?老荘?



知識及びボキャブラリが貧弱でアイすまぬ・・・
11考える名無しさん:01/10/15 23:35
ヤフの哲学カテで納得した。
トピ名は忘却。
12考える名無しさん:01/10/15 23:58
同じ内容のスレをいくつも立てる奴って何だ?
136:01/10/16 00:04
>>8

あまり詳しくありませんが、キリスト教的な解釈として、
「霊魂に霊エネルギーが効率よく供給されていると、
オーラが輝き活き活きとし、クリエイティブになる。
エネルギー供給効率をよくなる条件として、神様と波長が
より合ってる。この状態を善とする。」
14びたみん:01/10/16 00:09
神秘主義とかではどうか知らんけど
キリスト教で神は、まったき善として
存在してるよね。
15考える名無しさん:01/10/16 00:25
まったき善の神様の使い、天使は善。
その天使が堕落して悪魔になった。
悪魔は神様とまたく波長が合っていない。
16考える名無しさん:01/10/16 12:14
行為、現象に善、悪をあてはめることはできないです。
ただ人間の主観のみによって善と見るか、悪と見るかが決まるのです。
人間の心の中のみに存在するものです。
結局個人の判断にゆだねられる。
17考える名無しさん:01/10/16 13:54
動物には善悪の概念はあるんでしょうか?
18考える名無しさん:01/10/16 14:43
動物の場合は快・不快の情と密接にリンクしているでしょうね。
19:01/10/16 17:29
動物の場合人間的見方でいえば気に入る気に入らないが善悪。ペットの域は損得判断。主人に気に入られるか否か。怒られるから危険とか。動物にも知能レベルの差はあるから。
20:01/10/16 17:45
《16《18さん同意で善悪は人間社会でのみ住みやすくする為創られた定義。人間の場合我の本能と理性かと。実際、人はまだまだ動物だから理性との葛藤がおこる。人が人間としての自覚足りず、現在動物への退化が多くみられるかと。
21考える名無しさん:01/10/16 18:30
>>20
なるほど・・・
善悪ってのは、所詮人間が社会を構成し、秩序を保つ為に生み出した
道具にすぎないんでしょうかね。
確かに、社会の秩序を保つためには、法による物質的な規制だけでは
不十分で、いわゆる良心の呵責といったような、善悪の概念による
精神的な規制が必要なのかもしれませんが。。。。
結局人間は、自己の幸福に基づいた損得勘定にのみ従って
生きるってことなんでしょうか。。だとすると、
動物と何ら変わりありませんねぇ
22考える名無しさん:01/10/16 18:45
>>21
自己の幸福に基づいた損得勘定をいていないものってあるのでしょうか?

それでも悪ははびこる。

損得勘定が高貴か低俗か。
それが私のなかの善悪かと思っています。

逝キマス。
23:01/10/16 19:27
ついでにいうと自分は理性も欲と思ってます。人は動物と変わらない、はその通りです。動物の防衛本能の進化した形が理性とみてますが、どうでしょう?罠に餌があっても危険を感じれば近寄らないですよね。
24考える名無しさん:01/10/16 19:34
仮に絶対的な善があったら大変だな。
そこから外れたやつは全否定だ。
すごい差別がうまれそう。
25:01/10/16 19:38
人間はまだ進化出来る動物である、と願いたいが現状は本能の欲を刺激しる物事がはびこり制御の規制もゆるい。自由ってのは理性を教育出来てない内に与え過ぎると野生に戻り易いんじゃないでしょうか?
26:01/10/16 19:51
勘違いされやすいのが正義ですね。善と正義は違うと思う。一緒にする人いますよね。ついでにいうと警察は善でも正義でもなく、治安の部類かと。
27:01/10/16 19:57
絶対的な善。神を信じない者は救われないみたいな
28考える名無しさん:01/10/18 12:34
アメリカの行動も善悪に別けられない。
善悪を区別するときにかならず感情(主観的な意見)がはいるんで必ず相対的となる。
29考える名無しさん:01/10/18 15:18
宇宙規模の善悪説

新しい価値を創造する方向が善、
価値創造の停滞、後退、破壊が悪
30考える名無しさん:01/10/18 16:33
>>29
新しく生み出された価値が、たとえ前の時代と正反対の
価値感でも、生み出す行為そのものが善なのですか?
それとも、それは価値創造の後退、または破壊の部分に
はいるのでしょうか?
31:01/10/18 16:45
》30自分もそう思った。だが多分、価値創造の〜が悪、と相対する新しい価値という事では?
3229:01/10/18 16:51
>>30
以前と相反する価値が新たに創出されたとしても、
古い価値は、知識、知恵、歴史として残ります。
百科事典の項目が増加する方向であれば善、と思います。
33考える名無しさん:01/10/18 16:56
どうでもいい曖昧な前時代の倫理とか道徳とか宗教関係の言葉で真剣に議論できちゃう
哲学者は尊敬します。理系的な素養ありゃ一発じゃんこんなの。
34考える名無しさん:01/10/18 17:01
一発してみませんか?
35考える名無しさん:01/10/18 17:04
?
36考える名無しさん:01/10/18 17:15
34は33に言ってるんでしょう。
37考える名無しさん:01/10/22 13:23
だから理系派は・・・
38考える名無しさん:01/10/22 14:32
>>33
俺も教えてほしいね。一発頼むよ(藁
39考える名無しさん:01/10/22 18:22
善悪って人間の行為についてのことだと思うけど、
完全なる善、完全なる悪なんてありえないよ。
立場によって悪となったり、善となったりする。
けどこんなんじゃ法律は成り立たないよね?
だからある行為に対して大多数の人が悪い行いだと認識すれば悪となり、
逆の場合は善となる。
犯罪者が法律でいう悪い行い(たとえば殺人)を侵したしたとします。
けど確信犯は別として、その犯罪者にとっては、その行いは正当化できていると思う。
だから犯罪犯してしまうと思う。
なんかわかりにくい文章になっちゃったけど。
40:01/10/23 04:45
善悪の思想が統一出来ないのは、人間社会は自然界の上に立てられているから。自然界の産物である人間が、自然界を制覇しようとしても無理が生じるのは当たり前。精神面も環境もね。
41考える名無しさん:01/11/04 15:07
終了?
42考える名無しさん:01/11/04 15:12
というか、評価する主体を定めずに、
論じようとするからわけわからなくなるんじゃないの。
評価者を離れて善悪が存在するわけないじゃん。
43考える名無しさん:01/11/04 17:50
自分は知性があるので、自分の考えで世界を支配できる
っていうのが、悪
逆に、知者が自分にはなにも知らないので、神やみんなと
協調して生きていこうというのが善では、
善でも義でも羊が入るわけだけど
44考える名無しさん:01/11/04 23:33
そう有意味では、アメリカの善は悪である。
このことに、早く気づけよ
インディアンがなにか悪いことした?
45な ◆cRL0X5xE :01/11/05 12:55
仏法で善悪不二って考えあるよ、二であって二ではないという。
善悪は表裏一体であると。

パソコンで例えると、2chばかりして大切な時間費やしたら自分にとって悪だけど、
チャットで彼女とか分かり合える友達など見つけたら自分にとって善になると。
ハサミも髪切れば善だが、人切れば悪と。
例えば悪いことして厳しく叱られたら、その時は悪と思うかもしれないが長い目で見たら善だったとか。

表裏一体。行為によって善にでも悪にでも転じるとか。

また、絶対的なことはおそらくその主観的な判断基準の上に「自己」を成り立たせているということ。

39さんの意見とちょっと近いかも。
46簡単に言うと:01/11/05 14:44
まず何に対しての善悪かを決めなければ答えはでないのではないかとおもうが
ひとつのテーゼをあげておこう
自分に対しての善悪であるならはっきりしている
自分の人生の究極的な目的に対してそれに添っていれば善、それから外れていれば悪となる。
けれどもそれに添っているか外れているか判断するのは人間では無理だろう。
いたらの話しだが神でなければ・・・
47musuko:01/11/05 15:47
善悪は個人の所有

正義は常に多数派の性質に帰属する
48流れ星くねくね:01/11/05 15:50
>>45
そんな話しはきいたことないです。
なんでも不二をつけたら仏法になると思われてはいけません。
4945:01/11/05 15:56
50考える名無しさん:01/11/05 16:08
善悪に定義をつけるべきではないと思われ。

愛にも定義がないように・・・

ボクって詩人(鬱
51考える名無しさん:01/11/05 16:12
>47
善悪は個人の所有に賛成。
自分の人生のなかで善悪を判断することが必要でしょ?
書物の中から善悪の定義を探してきて何になるのさ?
52流れ星くねくね:01/11/05 18:58
>>45
すみません、こわくて出来ません。
53流れ星くねくね:01/11/05 18:59
と思ったらぐーぐるね。見てみます。
54huu-:01/11/05 19:04
善も悪も信仰に属すものだと思う。個々人がそれぞれたどり着いた
「真理」という名の信仰に縛られることになる。よって善も悪も普
遍的なものがあるのでなく個別的なものだと思う。この判断も勿論
信仰である。
55流れ星くねくね:01/11/05 19:07
ざっと見ましたが、みんな根拠のない言い切りとこじつけ。
一念に善と悪を具えているということを指摘するものはあるが、
それは不二とは言わない。
56流れ星くねくね:01/11/05 19:08
しかも19件しかないのはいかに。
5745:01/11/06 09:57
そうですか。
一部でか、よく知られてる仏法用語かは、あなたの判断にまかせるが、
「善悪不二」という仏法用語は間違いなくあるよ。
解釈の仕方もあなたの勝手でいいでしょう。

ちなみに19件以上あるよ。
http://www.google.com/search?hl=ja&q=%91P%88%AB%95s%93%F1&lr=
58考える名無しさん:01/11/06 10:55
自分を中心とすると
自分のモラルより低いものは悪
自分のモラルより高いものは善
それでいいのですか?
59流れ星くねくね:01/11/06 17:44
仏教界と一口にいっても下は金儲けのきちがい集団から
その範疇にはいるからね。その中で使われている用語が
すべて仏法の教えに忠実とは決して言えない。
なのに「仏法ではこうだよ」と言われると、誤解を招くん
じゃない。
善と悪が不二などということは、深遠そうに聞こえるかも
しれないけど、それは基準をぶち壊すめちゃくちゃな暴論だよ。
60流れ星くねくね:01/11/06 17:45
ageとく。
61Iridium:01/11/07 23:15
> 世間一般では、見返りを求めずに他人の幸福を満たす行為を善

「善」というよりも「献身」とか「無私」のような言葉がふさわしいような…。
62考える名無しさん:01/11/09 16:18
>>59
はっ、「善悪不二」って言葉自体が、確か日蓮の開目抄に出てたような。

>仏教界と一口にいっても下は金儲けのきちがい集団から
>その範疇にはいるからね。その中で使われている用語が
>すべて仏法の教えに忠実とは決して言えない。

なんでこう言い切れるんだろう。
あなたが日蓮否定してるならしょうがないが。
日蓮自体は金儲けのためやってないでしょう。

スレ違いになりつつあるんでもうレスしませんので、
何かありましたら宗教板にどうぞ。
63考える名無しさん:01/11/09 19:36
あんたも十二分に偉そうですね
64政教一致名無しさん:01/11/10 02:30
自分の欲求を居心地よく満たせるのが  善
自分の欲求を居心地よく満たせないのが 悪
ただし 居心地よく満たすというのがポイント
心に負担をかけると 欲求を満たせても 善にはならない
65考える名無しさん:01/11/15 19:57
善・相手を許す。 悪・許せない。
66考える名無しさん:01/11/15 21:56
絶対善と絶対悪があると考える事自体がナンセンス。
という『善悪の彼岸』(ニーチェ)に賛成。
神の存在を完全に否定する事はできないけど、
神の存在への肯定を否定する事はたやすい。
それは「語りえぬもの」の部類に入る。
例えば「全知全能」なんて、人間には想像できないし、語れもしない。
それと同じ理由で、善悪の存在も証明されない宙ぶらりんな概念だと思う。
どこかにあるのかもしれないけど、どこにあるのかは分からない。
ヴィトゲンシュタインの言う「沈黙」こそ、最も間違いではない態度だと。
(あえて「正しい」とは言わないけど)
善悪判断を停止した時に、絶対戦争はこの世から消えてなくなると思うけど。
67考える名無しさん:01/11/15 22:05
戦争はなくならないだろ?
自分にとって大切な人を殺されれば殺した奴を殺したいって思う事は自然だと思うし、それは善悪判断以前衝動だとおもうのだが。
6867さんへ:01/11/15 23:40
いえいえ、ですから、「絶対戦争」はなくなる、という話デスヨ?
今のタリバンと合衆国がやってるような、
或いはパレスチナでやってるような、不毛な戦争。宗教戦争に代表される。
某作家の某作品での言葉ですが、
「人は自分が善であると確信したとき、最も残酷になれる」ってネ。
これ、当たってると思います。
戦争は政治の延長(利害調整の究極的な手段)としてのみ意味を持つのであって、
思想を強要するためのものじゃない、本来的には。
そういう意味での戦争はなくならない、と私も思いますヨ。
誰も戦争がなくなるとは言ってないデス。
69考える名無しさん:01/11/16 00:03
みんなが悪って思ってるのが悪、
みんなが善って思ってるのが善。
70:01/11/16 00:14
その「みんな」が問題だぁ!(ワラ
数の問題ではなさそうだ・・・(ワラ
71考える名無しさん:01/11/16 00:21
現代社会では、多数の人間がこれが善と言えば善
悪と言えば悪。
どれが善か悪かなんて所詮はそれを「決めた奴の善悪」でしかない。
それが多数のものに受け入られればヨシ。 とても民主的ではある。
72民主的(ワラ:01/11/16 01:05
>現代社会では
>多数のものに受け入られればヨシ。とても民主的ではある。

えーぇ、そうかぁ?
アメリカ人1に対して、
パシュテュン人1,000とか、
キリスト教徒1に対して、
拝火教徒10,000とか、
そんな感じじゃないかぁ(ワラ
73考える名無しさん:01/11/16 01:11
拝火教って何?
74:01/11/16 01:21
拝火教=ゾロアスタ−教だねぇ。
まだまだ南インドとかパキスタンとかにも
信仰している人がいるらしいよ。
スゴイねぇ。
そういや比叡山の宗教者会議にも代表が来てなかったっけ?

やっぱ、「善悪」といえばゾロアスタ教っつーことで(ワラ
75考える名無しさん:01/11/16 01:53
>70
ほとんどが数の問題だと思うよ。
それ以外なら力。
76名無しのゴンベ:01/11/16 01:54
善悪というのは、何かをとうして物事を見る事によって産れるんじゃないかな?
例えば、感情をとうして物事を見れば、
怒りや憎しみといった感情のまとになる人や物事は悪になるし、
宗教や信じているものをとうして見れば、他人の考えや、他人の行動がその教えに反していれば
それらの行動は、悪になると思う。
善はそれの逆。
人が100人いたら100人とも同じものをとうして物事や、
他人を見ているわけじゃないだろうから(多分全部違うと思う)
悪や善の価値観みたいなものもみんな違うと思う。
だから、絶対的な善、悪はないと思う。
77考える名無しさん:01/11/16 02:01
今の米を見ると、たしかに勝ったものが正義とか、
力の強いものが正義という風に思えてくるんスけど。
やりたいほうだいジャン。
78やまとんちゅー:01/11/16 02:02
法律があるから犯罪がある。
倫理があるから不倫がある。
神がいるから悪魔がいる。

悪なくして善はなし。
悪は善の引き立て役。
善は秩序ナリ。
79考える名無しさん:01/11/16 02:08
だからさ、善悪で測ろうとする事自体が政治的な態度なんだってば。
散々批判されてきた事じゃない。
何処かの国の大統領は正義なんて簡単に言っちゃうけどさ。
相対主義をやっぱ一度くぐらなきゃさ、全体主義なんて無くならないよ。
それが良いというなら別だけど。
80古典:01/11/16 02:08
>>78

全能の創造主たる神は、
悪魔も創ったのだろうか?
81考える名無しさん:01/11/16 07:05
ブッシュがアメリカを正義ラディンを悪として対立軸を示したのは、単にロールズの
議論を下敷きにしてるかららしいですね.
ロールズ的には、善悪は立場とか時代とか社会ごとに異なってるから、それを基準に
据えるよりは、公正か否かを基準にしようということだったと思うけど.‘正義’のいみ
が日本とは違うからわかりづらくなってるけど、米国政府は多くのヒトが
‘合理的’に考えて納得できるあり方、という意味で正義という用語を政治的に選んだみたい.
これであってるんですか>79
8266:01/11/16 09:38
79さん、同感ですネ。
善悪は政治力学の産物であって、決して普遍性は持たない。
どっちにしろ、神は死んだ。
83考える名無しさん:01/11/16 09:51
地球で生きてゆく生物として
受けざるを得ない制約の部分で
普遍性はある。
8466:01/11/16 15:10
83さん、例えばどういう?
善悪って概念上の定義であって、
生物学的なものではない、と思うのですが。
つまり実際上のことではなくて、思考実験的な世界のもの。
と思ってるので、生物上の制約って言われても想像できん……。
85考える名無しさん:01/11/16 18:15
>>81
合理的って、、アメリカのみに富があるまることがかな。
86マジデス:01/11/16 18:36
私見ですが、善悪って「ある側(もってる思想だったり、社会や行為)」が、「反対側」とを区別するために造った捏造物って気がしますが。
浅慮かもしれませんが、善悪って人間「より先にあるもの」ですか?
少なくとも俺より前にはあっただろうけど、神様より先にはないと思う。
87考える名無しさん:01/11/16 19:23
>86
文面から、善悪という判断は悪だ、という考えが漏れてますよ.
88考える名無しさん:01/11/16 20:20
>>81
はぁ?
随分まわりくどいいいかたするね。
大統領就任時に聖書に手をかけ宣誓する国がJusticeを口に、
戦争を宣言してしまえば政治的意図があると考えるのは当然。
大体、十字軍の名前まで出す意味は何処にあったの?
それに彼等には勧善懲悪という図式が内外的に必要だったんじゃないか。
作戦名の「正義」を「自由」に変えたのはそれっぽいけど、
そんなイメージを必要とする程、米国がアフガニスタンで
やってきた事は「公正」といい難かったんではないかい?
ロールズの主張自体政治性を多分に含んでるって考えた事はない?
取敢えず「正議論」が世界の隅々まで行って武力行使してでも、
適用されるべき理念を提示してるとは私には思えないんですが、、、
米国は国家利益を優先してるだけでないの?
回りくどいのは、テロとかアメリカの政治姿勢とかを語ろうと思ってないから.
正義論もたいして有効だと思ってない.意図は、善悪(正義も)にかんする
スレに公正さという視点を、97あたりからの文脈に乗っけてねじ込んでみたら
どうなるかな、というもの.で、あんなことになった.流してくれるとよかったけど.
>十字軍の名前まで出す意味は何処にあったの?
意味があるのか、意図があるのかもふくめて、知らない.
>それに彼等には勧善懲悪という図式が内外的に必要だったんじゃないか。
テロを悪だとは言ったけど、アメリカは自身を善とはアナウンスしなかった.ここが
正義論チックじゃない?という程度のこと.
のこりの批判は81には当たらない.自分で答えてください.実際どうなんですか?
このスレだと善悪は政治的に決まるらしいけど、むしろ政治的に決まるのは公正さで、
善悪は個人的なもんだって気がしてんだけど.(スレのないようからそれましたごんめんさい)
90考える名無しさん:01/11/16 22:50
善とは悪の反対なり。
悪とは善の反対なり。
そして反対の反対は賛成なり。
91パパ:01/11/16 22:53
>>90
ハンタイのサンセイなのだ!!
92考える名無しさん:01/11/17 01:05
>84
鮎が他の鮎のなわばりを侵すのは
比較的に悪だと思ってます。
93マジデス:01/11/17 01:49
>文面から、善悪という判断は悪だ、という考えが漏れてますよ.
そうっすか?
俺は人間のエゴだと思いつつ書いてたけど。
94考える名無しさん:01/11/23 00:18
正義と善は同じで無い、と思う。
95考える名無しさん:01/11/23 00:26
>>94
正義が善で無いことがあるのかね?
96考える名無しさん:01/11/23 00:58
>>95
善=正義、は有り得ると思うが
正義=善、には、成り得ない事もあると
97Iridium:01/11/23 00:59
>>95
よくある。
9887ですが、マジデスくん?:01/11/23 11:34
端的に言って私たちは、避けたいもの、拒否するべきだと考えるものを「悪」と呼び、
意味においてその対にあたるものを「善」して抽象化するのであって、
社会という抽象物が、或いはエゴという人間のごく一部のみが善悪を識別させる、
というこは正確な理解ではないと思う.と、とりあえずは言っておく.
「と」が抜けました.とほほ.
100考える名無しさん:01/11/23 13:21
>>97
具体的には?
それは、本当に正義であるといえるのかね?
101考える名無しさん:01/11/23 13:34
>>96関係のカキコへ
等式は右辺と左辺、とっかえてもおんなじですよ!
と、誰もつっこまないので私が.
>>100
とても難しい問題だけど、状況だけみると、
正義とは他者にたいして主張可能なものであり大儀であるから
利用されがちなのは、まぁ、そうなのかなと僕は思う.
君の質問が回答困難なのは“本当の”正義、という言葉をつかっているから.
102考える名無しさん:01/11/23 14:03
>>101
>君の質問が回答困難なのは“本当の”正義、という言葉をつかっているから.
そこが問題だと思うのだけれど、
他者を欺くために正義の名を振りかざしているものの「正義」を
正義の定義として使うことには問題があるのではないか?
そういう行為が批判され得るとしても、その行為自体を
「正義」とみなして、正義を善でないと見なすのは
本質を逸れた議論だと思う。
103考える名無しさん:01/11/23 18:16
俺の言動全てが善
俺に逆らうもの全てが悪

ってのが人間の自然な感覚だと思うが。
104考える名無しさん:01/11/23 18:34
>>103
感覚としては、それが自然かもしれないね。

しかし、
そういった感覚が善悪を判断する最終的な基準になりえないということは、
日常的に経験することじゃないか?
苦い薬は感覚的には飲むのは嫌で当人にとっては悪であるが、
体にとって善であるということは冷静に考えればわかることだ。
105考える名無しさん:01/11/23 19:20
>>103
貴族道徳=「俺は善。俺に逆らうものは悪」
奴隷道徳=「あいつは悪。あいつに逆らう俺は善」

というのがニーチェたんの善悪理論にあったけど、
君のは貴族道徳だね。
106マジデス:01/11/24 01:12
>>98
ふむふむ。俺の浅慮か。いや、物事を簡単に理解しすぎてたな。
しかし、言いたいことは伝わったのでよし。

ところで、俺は
>>105
の意見の大きく同意したいが、ニーチェは貴族道徳と奴隷道徳と分けてたのですか?
なんか、同じ概念のように結論つけてたような気がするが。
107考える名無しさん:01/11/24 01:15
正しいが、正義の意味。善の意味は、道徳にもとずく事柄、と思う。正義の為に戦う事はあっても、戦い自体は善とは言えない状況じゃないかな?
108考える名無しさん:01/11/24 01:18
>>107
道徳がなにかが問い残されてる。
もちっと考えてから書き込まれたし。
109考える名無しさん:01/11/24 08:53
>>108 失礼した。とりあえず今日も、出勤なもので時間がない。後日に
110666 ◆xenNZQbg :01/11/24 09:00
善悪=妄想概念
人が人であるために考え出した
普遍の偽真実である
111:01/11/24 09:25
嘘偽り表現でなく、思想という言葉があるでしょ。
112666 ◆xenNZQbg :01/11/24 09:29
いやすまん
ニュアンスが違うのだと思う
偽の真実
正に矛盾であるといいたかった
113考える名無しさん:01/11/24 09:41
言いたい事は、確かにニュアンスとしては理解出来るな。
でも、自然の理を混ぜず人間社会での、人間としての、善悪で分ければ矛盾も少ないんじゃないかしら?
114666 ◆xenNZQbg :01/11/24 09:45
そいつは言うなれば
「理性による規律に基付く理性の理解」の中での
善悪かな
であれば矛盾は無いな
いけないものはいけない
いいものはいい
かな
115ねおぎこモナー@FF・DQ厨房 ◆fuckXIL2 :01/11/24 11:32
>1
自分の都合がイイように

物事を位置づけること
116考える名無しさん:01/11/24 13:37
善悪は倫理道徳と切り離して考えうるものだよ。

善は良いこと。
悪は良くないこと。

規則正しい生活は、体にとって良いこと = 善
不規則な生活は、体にとって悪いこと = 悪

ここに倫理や道徳の入る余地は殆ど無いと思う。
倫理や道徳は、善悪を、
社会の秩序などといった目的にあわせて考えた結果生まれたものであって、
善悪という概念自体は、社会や国家とは独立したものだ。
117766:01/11/24 15:08
タバコを吸うのは悪。ね!
118考える名無しさん:01/11/24 15:13
快楽を与えてくれるもの=善
快楽を阻害するもの=悪

これだったら異論は無いんだけど。
伝統宗教は快楽を阻害するものだから、基本的には全て悪だろう。
新興宗教の中に、教祖が快楽を欲しいままにするものがあるが、
それだけは善だと思う。(教祖個人にとっては)
119766:01/11/24 15:20
たばこをすうものがそれを快とするなら善なのか。。
120考える名無しさん:01/11/24 15:37
たばこを吸うのは快楽なのだろうか。
吸っている時、快楽は得られるだろう。
しかし、たばこがなくなるとどうなる?
121766:01/11/24 15:45
吸っても吸わなくてもいいものが善。
吸わずにいられないものが悪。
122766:01/11/24 15:53
善や悪は、個人の体験、環境に大きく左右されるわけで、
絶対的なものではない。宗教だって見方によれば
善でもあり悪でもありうるわけで、善が悪になり、悪が
善になることもしばしば考え得る。

議論を成立させるにはもう少しキーワードが必要かも。
123po:01/11/24 16:07
総合的に都合のよいものを善としている
それだけのこと
124766:01/11/24 16:32
(総合的に見て、)
都合のよいものとならないものが悪ってわけ。消去法ですか!?

たばこは総合的に判断すると悪ですね!
125po:01/11/24 16:57
124よ
善とも悪ともいち〜ち分けないものがほとんどである
ことを忘れるな
126考える名無しさん:01/11/24 17:15
>>106
貴族道徳のほうは、”過去にそういうものがあった”
という紹介程度に止めていたと思う。

奴隷道徳については、例としてキリスト教と民主主義を挙げて、
その2つをボロクソに叩いていた。
127ぴかぁ〜:01/11/24 17:34
>たばこは総合的に判断すると悪ですね!

たばこは悪じゃなく...害ですね...
128766:01/11/24 18:03
>127ぴかぁ〜さん。
おっしゃるとおりで・・ちと飲み込みでした。

>125poさん。
あ!それもあたりですね〜!!(汗汗
129考える名無しさん:01/11/24 18:11
個人レベルなら、自分にとって都合の悪いもの=悪が正解でしょう。
それが集団レベル(モラル、ルール、社会システム)になると、
個人にとって都合のいいものを集団が抑圧するようになる。

個人レベルか集団レベルかで、だいぶ変わってくると思いますが。
130766:01/11/24 19:37
都合の良いものも、悪いものも、比較の対象が少ない
という点が一緒でしょう。
131考える名無しさん:01/11/24 21:40
「何にとって」という前提なしに善悪は語れないよ。
132ぴかぁ〜:01/11/24 22:00
>>131
善悪はものごとの裏表ってことですね...
133考える名無しさん:01/11/24 22:26
悪は表現が、随分出るけど、善の方が難しいようですね。
134ぴかぁ〜:01/11/24 22:28
たしかに善はむずかしいね...
なんでだろう...
善の方が個人の趣向に依存しているから...?

現代日本がある程度の善に満たされてるから...?
135考える名無しさん:01/11/24 22:47
善と悪は、表裏一体だ。
どんな行為でも、善悪両方がふくまれる。
だから、人間の存在自体を
イエス・キリストは、しょって立ったのだよ。
しらね〜けど。
136ぴかぁ〜:01/11/24 22:50
>>135
たしかにしらなさそうだ...
137766:01/11/26 20:47
善悪の判断は個人がやったり集団がやったりするものでしょう。
138考える名無しさん:01/11/26 22:28
誰が判断するかはこの際関係ないのではないか?
「何のための」という前提さえ決まっていれば、
判断者の知力によって、本当の善悪の判断をつけられるかはかわってくるが、
本当の善悪は、正しい知性の持ち主が判断すれば、
その人の立場に関係なく同じだろう。
139ぴかぁ〜:01/11/26 22:35
おいおい、正しい知性の持ち主って...
すべてが神様のしわざってぐらいすごい考え方だぞ...
140考える名無しさん:01/11/26 22:36
えっと、善悪なんてのは時代背景に左右される物だから定義できないんじゃないですかね?

善も悪も。
141考える名無しさん:01/11/26 22:39
絶対的な善悪など存在しない。
ある行為が善であるか悪であるかを決めているのは
それを判断しているものの決定である。

街角でむやみやたらに人を殺すのは善であるか悪であるかといえば、
現象としては殺人者がいてその前に死体がいくつか転がるだけで、
雨が降ったり風が吹くのと同じで善でも悪でもない。
善悪が出てくるのはその次の段階、つまり、今の大方の社会においては
それは良くないこと=悪とする合意に基づき断罪されるのである。

1の出した命題が入り組んでくるのは、その合意の背景となっている思想が
複数考えられ、それぞれが多様な表現を持って語られていることである。
だから、論ぜられるべきは、その入り組んだ社会的合意であろう。

何を善と決め何を悪と決めて日々を送っていくか?興味深いテーマだ。
142このは:01/11/26 22:43
日本の古神道の巫女さんというひとに、古神道での善悪の判断は
と聞くと、ないというのです。気がすむかすまないかだと。
この考え方が知らず知らず綿々と受け継がれているのでは
ないですか。
143141:01/11/26 22:48
補足:
仏教の言葉になるが善悪にあてはまらない中間的な行為を「無記」というそうだ(大智渡論)
144考える名無しさん:01/11/27 03:57
善→定義不可能。
なぜなら善はそれ以上単純なものに分析できないから。
と、エゲレスのムーアが言ってました。

「悪」については知りません。
145po:01/11/27 09:47
も〜一度言う
総合的に都合のよいものを善としている
無論個人でも集団でもだ。
146po:01/11/27 09:53
ま〜個人の場合は善ではなく

と言ったほーがよいかもな
147po:01/11/27 10:07
言いかえれば集団にとっての良を

と呼びそれを尊重する。
148考える名無しさん:01/11/27 22:06
絶対的な善悪は存在するよ。
対象の無い善悪は存在しないというだけだ。
149考える名無しさん:01/11/27 22:47
ちょっと頑張って考えていたんだけど、これ以上はまとまらなかった。
合ってるかな。

(<誰か>にとっての”善”)とは、「誰か」による<誰か>にとって歓迎できる事柄だ。
ただし、「誰か」に(”善”を認識する能力)がなければならない。
ただし、「誰か」に(”善”を認識する能力)があるかないかを、
認識しているのは<誰か>だ。
しかも、「誰か」の(認識するべき”善”)とは、(<誰か>にとっての”善”)であると、
認識しているのは<誰か>だ。

(<誰か>にとっての”悪”)とは、「誰か」による<誰か>にとって歓迎できない事柄だ。
ただし、「誰か」に(”悪”を認識する能力)がなければならない。
ただし、「誰か」に(”悪”を認識する能力)があるかないかを、認識しているのは<誰か>だ。
しかも、「誰か」の(認識するべき”悪”)とは、(<誰か>にとっての”悪”)であると、
認識しているのは<誰か>だ。

絶対”善”と絶対”悪”が存在するためには、<誰か>が、
その”善”ないし”悪”にとって絶対的な存在でなければならない。
150考える名無しさん:01/11/27 22:59
>>149
あなたの言っていることは、
絶対的な善を、正しく判断(認識)するためには、
絶対的な判断力(認識力)が必要であるということであって、
善悪の存在そのものの否定にはなっていないのではないか?
151マジデス:01/11/27 23:39
今日、仕事中に思いついたので、論理がつたないことをご了承ください。指摘や批判を求めているので。

何かに先だって善悪があるのではなく、(特に)社会的集団下では各々の思想、意思、地位、行動が社会に影響を与え、その「影響」という個々人の影を見て「善し悪し」の全体的な社会的事実が生じているの見て「善悪」と位置つけている。

個々人の中に善悪の判断はあるが、それは周囲(身の回り)の社会全体で成立している事柄を見取り、学び、それを定規にしている。

どこかに善悪が絶対的に存在しているのでもなく、個人の心内にあるのでもない。
とりあえず、こんなところで、諸意見などを。
152びたみん ◆BWLMxAG. :01/11/27 23:44
>>151
確かに絶対的な善悪とはないかもしれないけど・・・。
でも問題は、なにが悪で、なにが善かって事ではなくて、
一般に善悪とはなにかって事が本当の問題なんじゃない?
「存在論的差異」ってやつ。
153マジデス:01/11/27 23:49
差異ではなく、恣意性というのはどうでしょう?
154じゅぶないる:01/11/27 23:50
善と悪なんて、すべて
相対的なものだよね。
155考える名無しさん:01/11/27 23:50
恣意と欲望はどう違うのか?
156びたみん ◆BWLMxAG. :01/11/27 23:53
恣意性ってどういうこと?
僕が言いたかったのは、この行為は善(悪)であるか?って
ことではなくて善(悪)とはなにか?ってことの方が
面白いんじゃないかな、ってことだけど。
157びたみん ◆BWLMxAG. :01/11/27 23:57
失礼。ぼくのレスは結局>>151の批判とは関係ないね。
158じゅぶないる:01/11/28 00:01
善と悪とゆう言葉自体、あいまいだよね。
いっそ、公正であるかアンフェアなことであるか
とかで区別できないかなぁ?
159考える名無しさん:01/11/28 00:02
>>158
善悪は明白だよ。
むしろ、よく考えずに、そういったものに由来していると考えることが、
本質を見誤らせているだけだ。
160びたみん ◆BWLMxAG. :01/11/28 00:04
>>159
んじゃば善と悪のそれぞれの本質ってなに?
161考える名無しさん:01/11/28 00:05
>>160
善は、「善いこと」
悪は、「善くないこと」。
162二酉:01/11/28 00:05
>>156 びたみんさま。
善悪自体を語るとどうしても共同体とか社会の話になってしまうと思うでし。
もともと共同体内のタブー意識から来てるのではないかと私見。現在は多少変質してましが。
>>158 じゅぶないるさま。
でも、それでも「公正である事=善?」とかの話しにならないでしか?
163考える名無しさん:01/11/28 00:06
恣意は欲望が生み出すんじゃないのかな。
164びたみん ◆BWLMxAG. :01/11/28 00:09
>>162
なるほど。そうかも。。。
でもそれは善悪の起源でしょ?
うーん・・・・・・分からなくなってきた。
165マジデス:01/11/28 00:09
いや、俺は善悪とは何かって考えてるんだけど、それを上記の論理で突き詰めると像がぼやけて良く分からなくなる。
ので、色々拝聴したかった。

俺が言いたいのは、結局、善悪を並べて考えると何処にも根源的なものがなく、それぞれの分布図を描いて体系の布置関係となってしまう。
善悪と「表現」されているのものは、「価値の恣意性」による産物であり、善悪の存在は「意味」と「価値」が結合していない。つまり、善悪の意味も価値も、人が指し示す善悪の現出物も「善悪」という表現の成立と共起している。

のちに続く?
166二酉:01/11/28 00:13
起源はそうだったのではないかと思うのでしが、
共同体が成熟してくるに従って建前も増えるものかと。
で、今現在語られる「善悪」は社会システムに組み込まれた後の「建前」の方なんじゃないかなーと。
だから否定するのは簡単だし、でもどこか割り切れない。・・自分も良くわからんでし。
167考える名無しさん:01/11/28 00:13
あえていうなら、
なにものかが、それ自身であるために有益なこと、それを善としては?
168二酉:01/11/28 00:14
↑のは>>164でし。
169考える名無しさん:01/11/28 00:17
最初は、共同体にとって利益をもたらすものかそうでないか
が重要だったんだろうけど、治安維持のために善であろう行為と
悪であろう行為がある程度明文化されてしまったので、その
中間がぼやけてしまったんじゃないかなと。
170名無し:01/11/28 00:18
↓誰かモー娘。&ハロープロジェクトのメンバーに似ている人知らない?
http://www5d.biglobe.ne.jp/~musume/m_magazine.htm
171マジデス:01/11/28 00:17
>>166
だから否定するのは簡単だし、でもどこか割り切れない。・・自分も良くわからんでし。

前述の論理では、否定することはできても、善悪(全体的な意)は個人も社会も手の付けられない必然性を肯定しています。

新しい文化の中で生まれた善悪があるならまだしも、善悪の大部分は文化のなかで化石とかしているのでそれを解体することが出来ないのでは?
172びたみん ◆BWLMxAG. :01/11/28 00:19
んじゃば、共同体を抜かすと、結局は快・不快に
還元出来ちゃうのかしら?
173じゅぶないる:01/11/28 00:21
>>167
それが他の人にとって”悪”だったら、どうする?
だからさ、相対的なんだってばさ。
174考える名無しさん:01/11/28 00:22
快、不快と、善悪は違うよ。
前にもいったが、病気と薬で喩えれば明白だろう。
175マジデス:01/11/28 00:22
だから、解体できないないのでは?
それこそが、価値の恣意性であり、共同体から切り離すとそれは善悪の表現から隔絶された存在になる。

共同体の文化下で化石となったのだから。
176びたみん ◆BWLMxAG. :01/11/28 00:24
>>173にも関係すると思うけど・・・。

だから人によって善悪の基準が違ったとしても、
僕らはしっかり「善と悪」ってことを了解してるわけでしょ?
そこで言われている善と悪とは一体なんなのかな?
177考える名無しさん:01/11/28 00:26
共同体の「しきたり」「因習」なども、善悪の遡上に載せられるよ。
178二酉:01/11/28 00:26
>>174
快・不快をもう一段階突っ込んでリスクの大小ではいかがなもにょか。
179マジデス:01/11/28 00:26
>僕らはしっかり「善と悪」ってことを了解してるわけでしょ?

それが恣意性。
180びたみん ◆BWLMxAG. :01/11/28 00:27
>>179
にゃるほど。さんきゅ。
181考える名無しさん:01/11/28 00:28
>>178
何に対する、どういうリスク?
182びたみん ◆BWLMxAG. :01/11/28 00:30
自分にとって利益になることが善で、
不利益をこうむるようなことが悪、じゃないのかな。
んで、それが規範化されたり、内面化されていくと。。。
183びたみん ◆BWLMxAG. :01/11/28 00:32
>>174
病気と薬の例えってなんだっけ?
184二酉:01/11/28 00:32
>>181
対象を検討した結果、こうむるデメリット・リスクがメリットを上回れば善。下回れば悪。
185二酉:01/11/28 00:33
はっΣ(゚д゚lll)逆だった。
デメリットが上回れば悪でメリットが上回れば善でし。。
186マジデス:01/11/28 00:38
>>185
そのデメリットやメリットを逆転して享受している人や集団は?
187じゅぶないる:01/11/28 00:39
>>176
自分がやられて嫌なことは、他人が同じ行為を受けたとしても
嫌なんだろうな、とは察しがつくもんね。
自身を基準にして推し量る範疇では、明確かもね。
188じゅぶないる:01/11/28 00:44
でも>>187は極めて個人的な、善と悪だよね。
他人と共通するところだけが、世間一般的な了解ってヤツ?
法律とか社会における通念の範疇。
だけど、国や地域が違ってくると中身も変わっちゃうし、
他人と共通しない部分もありえるワケ。
189じゅぶないる:01/11/28 00:47
↑おなじ国にいてもね。
190びたみん ◆BWLMxAG. :01/11/28 00:47
>>188
だからそれが「契約」になって社会的規範として働き始める
でしょう。んで中にはそれが内面化されて病的な「善悪」
が幅を利かしたりしてさ。
191104,174:01/11/28 00:48
>>183

>>104
っす。

ステハンさえせずに申し訳ない。
192104,174:01/11/28 00:48
>>184
>>185
なるほど、まあ、間違ってはいないような・・・。
193二酉:01/11/28 00:48
>>186
逆転して享受???一般的に見て逆転していると思っても、
当人達にはメリットがあるのかも(ボランティア行為と心の充足(自己満足etc.))
恣意性に逆戻りですな。むぅ。。。
194びたみん ◆BWLMxAG. :01/11/28 00:51
>>191
さんきゅ。
でもそれも「真の快」のためでしょう。
表面的な快より長期的な快を求めた結果じゃないの?
還元できると思うけど。
195じゅぶないる:01/11/28 00:51
心のなかの”天使”と”アクマ”。
コントだね。
196104,174:01/11/28 00:53
>>190
>でしょう。んで中にはそれが内面化されて病的な「善悪」
>が幅を利かしたりしてさ。
それは「悪」だと思うが。

>>194
>でもそれも「真の快」のためでしょう。
>表面的な快より長期的な快を求めた結果じゃないの?
まあ、そういう意味では、「真の快」は「善」といえるだろうね。

>還元できると思うけど。
還元できるというのはどういう意味を持つのか。
197マジデス:01/11/28 00:53
>>188
そこらへんは、恣意性でだいたい説明がつくはず。文化の違いとかいうより、「言語の恣意性」に似ているから。
知っている言語ならその意味や指す対象などが理解できるが、知らない言語では言葉の「音」も「意味」もいまいち理解できないが、その社会では純然と利用されているので、その恣意性にどっぷりつかれば共通し合える。

もっとも、人間には感情があるので、他の「善悪」などは心(?)で理解しようとするので共通の恣意性を得にくい。もしくは以前の自分が持つ価値観を棄却しようとするものもいる。
198びたみん ◆BWLMxAG. :01/11/28 00:56
>>196
善悪が快・不快に還元できるという意味
かな(このスレの文脈の感じで言うと)。
199無為:01/11/28 01:07
ある共同体の安定的存続性という点で、善悪を語るのはどうだろう。
200104,174:01/11/28 01:13
>>198
どちらがより根源的かを考えた場合、
まず、快があって、快によって善が生まれるのではなく、
善があって、善によって快が生まれるのだから、
善がより根源的な存在であって、還元というのは方向が逆ではないのか?
我々は、善の生み出した快によって、善の存在を知るということなのでは?

>>199
共同体の存続 = 共同体にとっての善
201びたみん ◆BWLMxAG. :01/11/28 01:16
>>200
うん。たまにそう思う。宗教的(?)な気分の時は特にね。
でも善が快より根源的だ、なんてどうして言えるの?
202無為:01/11/28 01:16
たとえば近親相姦は、共同体の発展・存続という点からは、
人々の意識に上ると否とにかかわらず、潜在的に悪となる。
203二酉:01/11/28 01:19
奇形児とかが生れやすくなるのをカラダが知ってるんでしょーか。
でも国造りの頃の神話じゃ、近親相姦ばっかりでしね。
204びたみん ◆BWLMxAG. :01/11/28 01:22
>>203
聖書系だと人が居なかったから、近親相姦で
ガキ作ってたことになるみたいだけど。
徐々に「不完全」になっていったからはじめの方は
奇形とかの心配は無かったみたい。
こーゆう解釈も。
205104,174:01/11/28 01:23
>>201
因果関係において、
先に存在するものが、後のものよりもより根源的ではなかろうか。
薬のたとえに戻ると、
薬を飲んで、病気が治った場合、
まず、「薬を飲む」という「善」があって、その結果として、健康という「快」が得られる。
206無為:01/11/28 01:23
レビストロース読んでちょ。
207マジデス:01/11/28 01:23
>>202>>203
一般的にそう言われてますけど、
インセストタブーって「一族の女性は交換の対象なので婚姻の相手にはならない」という理論はダメですか?
レヴィ・ストロースの限定交換とか一般交換から生じる交叉イトコ婚とか。

説明はパス1
208びたみん ◆BWLMxAG. :01/11/28 01:25
>>205
だから快より、善が先に存在してると何故言えるの?
薬の比喩はここでは妥当しないと思う。
209無為:01/11/28 01:28
>>207 いや、だから、なんで交換対象たる存在が必要なのか、と。
210二酉:01/11/28 01:28
>>204
いや、もっと原始的な(地母・兄妹神系)の神話のことでし。
不完全とか、そういう概念もなく、土地の人間の「なんで自分達はここにいるのか?」の
回答として成立された神話。
211二酉:01/11/28 01:30
>>208
個人的には善より快の方が先だと思うでし。
動物は善悪じゃ動かない(ように自分には観察される)し、
ビクトールやアマラ・カマラの例を見ても善悪ではなく「快・不快」で動いているので。
212びたみん ◆BWLMxAG. :01/11/28 01:30
>>210
ふへー。そうなんだ。、知らなかったよん。
さんきゅ。
213マジデス:01/11/28 01:34
>>209
平たく言うと、人間は交換する動物だから。
ちなみに、「価値があるから交換する」のではなく「交換するから価値がある」つーわけ。(モースの「贈与論」参照)
これを、前述の理論(仮説か?)からいうと「文化の化石」なので分解は無理。
214104,174:01/11/28 01:36
>>208
>薬の比喩はここでは妥当しないと思う。
そうかな、スマソ。

>だから快より、善が先に存在してると何故言えるの?
うーん。経験則としかいえないね。
快が、善より先にある場合があるだろうか?

不完全な解釈をすれば、
快は感覚で、善は性質だから、
ということだろうか。
性質はなにもしなくても存在するが、感覚は原因を必要とする。
215無為:01/11/28 01:37
モースの贈与論持ってない。交換するとどういう価値が生ずる
のですか?
216104,174:01/11/28 01:38
>>211
>動物は善悪じゃ動かない(ように自分には観察される)し、
それは、「善悪」ではなく、「善悪の判断」ではないの?
主体の判断とは独立して、「善悪」は存在するはず。
217びたみん ◆BWLMxAG. :01/11/28 01:41
>>214
後半がよく分からないよ。説明キボーン。
218マジデス:01/11/28 01:41
>>215
価値はなんでもいい。マイナス価値は無いだろうが。
そして価値が生じるのではなく、「人間が価値を見出す」が正しい…はず。
219無為:01/11/28 01:44
>>218 そう。だから、善悪を価値の問題にすると、人間の
主体的判断に話が行くのではないか?あくまで、システマチック
に、構造分析できないのですか?
220104,174:01/11/28 01:46
>>217
僕にはこれが精一杯。(だから不完全)
掘り下げる必要があるなら、誘い水きぼーん。
221二酉:01/11/28 01:47
>>216
あ、そうでしね。失敬。
222びたみん ◆BWLMxAG. :01/11/28 01:49
>>220
んんんん・・・・。
んじゃあ、「性質は何も無くても存在する」ってどーゆうこと?
223マジデス:01/11/28 01:50
>>219
おぉう…、俺の限界が風前の灯火で…

そろそろ、俺も頭の中を整理したほうがいいかな。俺の能力では時間をかけても構造分析できるかどうか。
224二酉:01/11/28 01:52
>>220
では誘ってみるでし(どきどき)
性質は文化その他から形成(認知・地位の獲得)されなくては成立しないけど、
感覚は生命活動(ご飯を食べて満腹=快)のみで成立可能。
前者は社会がなければ成立不可能。後者は一個人(体)でも発生する。
より根源的なもにょはどっちかにゃ。
225びたみん ◆BWLMxAG. :01/11/28 01:55
>>224
そうそう。善悪は快・不快から抽象されたものかも
しれないよね。わかんないけど。
226マジデス:01/11/28 02:02
善悪を価値で考える。いや、善悪の中から価値は分離できないので個別考えることはできない。

いかん。そろそろ俺の仮説が頭のなかで循環論に陥っている。
テンパってきたなぁ。
227104,174:01/11/28 02:03
>>222
「なにも無くても」ではなく「何もしなくても」。
因果関係においてのはなしなので、
「なんらかの働きかけによらずとも」、「元々備わっている」ということ。

>>224
>性質は文化その他から形成(認知・地位の獲得)されなくては成立しないけど、
いや、性質はもとから存在して、文明はそれを認知したり、
それに地位を与えたりする(これも認知の一種だが)だけなのでは?

>感覚は生命活動(ご飯を食べて満腹=快)のみで成立可能。
だから、そこで、「ご飯を食べる」などの行動が必要とされる。
空腹を覚えた体にとって、ご飯を食べることは「善」なのであって、
その「善」の結果として満腹という「快」がある。

>前者は社会がなければ成立不可能。後者は一個人(体)でも発生する。
善悪は本質的に社会とは無関係。
228びたみん ◆BWLMxAG. :01/11/28 02:08
>>227
あまり説明になってない気がする。あなたの言う性質は
イデアみたいだね。でも性質は「元々備わっている」もの
として作られたのかもしれないじゃん。
性質がもともと存在していることの論拠がほしいな。

後半に関してだけど、御飯を食べる事が「快」で、そこから
「善」が抽出されたって考える方が現代的には自然じゃない?
229無為:01/11/28 02:10
性質は進化の過程で獲得してきたもの。進化は
環境に適応する=快適さを求める根源的欲求、
に基づく、じゃだめ?
230二酉:01/11/28 02:13
>>227
認知されない性質は、無いも同然だと思うのでしが・・・
性質っていうのが因果律とみかん系に存在する、というのはチョト賛同しかねまし。
まず、それが「性質」と一般化される時点で組み込まれてまし。なんか混乱してきたにゃ。

>空腹を覚えた体にとって、『ご飯を食べることは「善」なのであって、
>その「善」の結果として』満腹という「快」がある。
『』の部分は不要かと思うんでしけど・・・むむむ。
食事がカラダにとって「善」というのも、そのカラダの持ち主の「快」のためだと思うんでしが。
手術前とかで食事しちゃいけない人は、空腹を訴えまし。栄養は点滴で摂っているはずなのに。
231考える名無しさん:01/11/28 02:18
>>150
言葉の選び方がまずかったです。
<誰か>が”絶対的”ってのは、「俺はそうは思わんけど?」
って人が<誰か>の中にいないことと、言いたかった。

範馬勇次郎「俺は全世界の60億人と喧嘩しても絶対負けない。全員ブチ殺してやる。」
60億−1「やめてくれ〜!(泣き)」
勇次郎=絶対悪、みたいな。
232104,174:01/11/28 02:20
>>228
>イデアみたいだね。
つうか、そのままだが。

>でも性質は「元々備わっている」もの として作られたのかもしれないじゃん。
誰が?
「「元々備わっている」もの として作られた」のなら同じことだと思うが。
「元々備わっている」のとどう違うのだ?

>性質がもともと存在していることの論拠がほしいな。
因果関係において、原因が結果より先に存在しているというのは、
公理じゃないのかな?これこそ経験則だが。

>後半に関してだけど、御飯を食べる事が「快」で、そこから
>「善」が抽出されたって考える方が現代的には自然じゃない?
だから、それは、「善である」という解釈であって、
「善」そのものではない。
解釈が存在しなくても、「ご飯」が空腹にとって「善」である、
という事実は存在している。
233666 ◆xenNZQbg :01/11/28 02:22
善も悪も一緒だ
要はそれを認識する理性がどの程度のものか?
と言う所に「善悪とは何ぞや」が有る
善悪が一般の認識とまったく反対の人も居る
善悪が無いと思う人も居る
故に
そのものの認識の仕方や価値観に応じて
まるで空を漂う雲のように 暗くなったり白くなったりするのさ
だから考えるだけ無駄だよ
234無為:01/11/28 02:26
666は、いつも2時過ぎになると出てくるな。もうねるのに。
235びたみん ◆BWLMxAG. :01/11/28 02:27
>>232
いや、だから善悪が快・不快などより前に存在している事の
論拠がほしいんだけども。
どうして「善」が原因だといえるのかわからないよ。
236二酉:01/11/28 02:27
今気が付いたけど「みかん系」って何>自分。
無関係でし。イタタタ・・・(´Д`) >>230
237666 ◆xenNZQbg :01/11/28 02:28
おお偶然でしょう
これから新聞はいたつだぁ
またねえw
あ地下室読んだよ
まったく昔の俺だった
と思ったし
昔の俺もそれを認識してたみたいよ
本にめもってあった
238びたみん ◆BWLMxAG. :01/11/28 02:33
>>237
新聞配達か!あれはきつそうだよね。
がんばってねん。
239104,174:01/11/28 02:34
>>235
このあたりが私の限界だが・・。
おそらく、私にはそれをあなたに説明するだけの力は無いと思う。

むしろ、
あなたが、善悪より前に快・不快が存在する例を示すなどしたほうが、
話が早いとおもうが。
そのような事例があれば、善悪が、快・不快に還元できるといえるだろう。
240びたみん ◆BWLMxAG. :01/11/28 02:37
>>239
うん。僕自身は・・・全く分かんない。善悪がもともと存在している
ようにも思えるし、別の事柄に還元できそうな気もする。
チョト待ってね。
241104,174:01/11/28 02:41
つうか、寝ます。
また明日。
242考える名無しさん:01/11/28 02:42
>>240
うどん喰いながら考えてもな
243びたみん ◆BWLMxAG. :01/11/28 02:43
ん、おやすみ。遅くまで付き合ってもらってごめんね。
244無為:01/11/28 02:46
>>240 経験則でしょ。偶然快に遭遇。それが度重なる。
経験の形成。快を得ることの確からしさの認識。そして、
快を求める衝動→善を求める行為。しかし、これでは、
どちらがより根源的存在かわからない。両方最初から
あった?
245考える名無しさん:01/11/28 03:43
なんか、古代・中世と近代の「善」概念論争みたい。

言葉の上で考えるなら、
「快」は「何かにとっての善」と定義できると思う。
よって概念上「善」の方がより根源的、と言える。

人間の経験世界から考えると、「快」の方が先に受け取られる。
そこから「善」が抽象されるから、「快」の方がより根源的。

と解釈してますがどうでしょう。
246766:01/11/28 07:30
>>245
すごいや・・。
といってあれですが・・。
247666 ◆xenNZQbg :01/11/28 07:50
>>245と言うと「快」を与える事で其の行為自体が「善」だと?
248666 ◆xenNZQbg :01/11/28 07:52
「不快」を与える行為自体が「悪」か
249245:01/11/28 18:59
>247.248
「行為」そのものが善悪そのものではない、と考えます。

「快」を求めて行為する、と言ったとしても
「快」の中にある「善」を求めて行為する、と言ったとしても
結局行為の向かうところは同じなわけです。

「善い行為」と言われるものはどこに着眼点を置くかで
その原因のあり様が異なってくるものだと思います。
つまり、概念の系列か経験世界の系列かで。

個人的に言えば、「悪=善の欠如」という
中世の発想が好きですけども…。
250:01/11/28 19:22
快=善なのか、一部の快=善なのかはっきりしないと何も始まらない。
どっちだ?
251考える名無しさん:01/11/28 20:15
「快」を与えるのも「不快」を与えるのも善?
252104,174 :01/11/28 20:33
「善」に先立って存在する根源的な「快」の
具体的な例をあげられる人はいるのか?
253考える名無しさん:01/11/28 20:37
>>252
224とかは?
254104,174 :01/11/28 20:57
>>253
それについては、
>>227
で指摘したとおり。
255Iridium:01/11/28 21:22
世の中が完全にデータベース化すると
すべて>>253-254のような会話になるな…。
256考える名無しさん:01/11/28 21:38
過去レス読まないですみません
さらに、板orスレ違いだったら申し訳ない
その時は気の済むまで煽ってください
なんで人殺してはいけないの?
なんで自殺してはいけないの?
257Iridium:01/11/28 21:45
>>256
ぱたぱた。
258Iridium:01/11/28 22:04
あ、すみません。嘘ついちゃいました。
「なんで自殺しちゃいけないの」の問いには対応するスレありましたけど
「なんで人殺してはいけないの」の問いに答えるスレが
見当たりませんでした…。
259104,174:01/11/28 22:13
>>245
>人間の経験世界から考えると、「快」の方が先に受け取られる。
>そこから「善」が抽象されるから、「快」の方がより根源的。
それは、人間の意識の中での解釈プロセスにおいて、
快が先にあって、善があとから認識されるということではないの?

そこでいっている「善」は、「善の知覚、認識」ということで、
その知覚、認識の対象となる「善」は、
認識される前から存在したと考えるべきだと思うのだが。
260考える名無しさん:01/11/28 22:15
過去レス見てて思ったのですが
とりあえず、絶対的な善悪はないとしておく
善悪は個人の価値観であり
その人が善と思えば、(その人にとっての)善であり
その人が悪と思えば、(その人にとっての)悪である
って、事ですか?
261マジデス:01/11/28 22:18
>>260
それだと、善悪が「上下左右前後」とかと変わらなくなる。
262260:01/11/28 23:03
>>261
上か下かぐらいの違いは出ると思いますが
まあ、概ね俺の言いたいことはそうです
263マジデス:01/11/28 23:29
>>262
仮の命題
上(善や悪に置き換えても善し)からみれば、その人は下(善や悪以下略)なのに、その人は下から上を確認して「彼」との違いを上下で確認している。が、上にいる人と下にいる人の間に、下にいる人にとっての上があるが上の人には下である。
左右で考えた場合、向かいあう人に「右を見ろ」といって相手は自らの右側を見る。しかし、言った人は「向かって右」のつもりでいったのに。

俺の考えって変?
264245:01/11/29 00:54
>259
「経験世界の中では「快」がより根源的」と言ったのは
より先に「認識される」という点で言ったのですが。
解釈プロセスという点ではその通りだと思ってます。
ちと舌足らずでした。

経験世界では「善」が「快」より先に認識される。
「善」は認識される前に存在する、という点ではあなたに同意できます。

どうでもいいですけど中世読んでらっしゃる?>104,174さん
265104,174:01/11/29 01:07
>>264
昨日も指摘されてしまったが、私の言っていることは、
イデア論ほぼそのままだよ。
(ある種の懐疑を持ってはいるが)
おそらく、それ以降のことについての知識は
あんまり持ち合わせていないと思う。

古代->中世->現代

の流れのなかで、あなたの言うように、「経験」の立場が重要になってきて、
善悪の解釈が変わってきたというのなら、面白い話だと思うが、
今のところ、そのあたりをうまく説明してくれたひとはいないように思う。
266けい:01/11/29 02:06
>「なんで自殺しちゃいけないの」の問いには対応するスレありましたけど
「なんで人殺してはいけないの」
とある宗教関係で勉強中の身ですが。。。人間が、生まれてくるのには、様々な
経験の中で自らの魂を高めると言う目的があって、その目的を達成していない内
に、自らの命を絶つこと、他の人の命を絶つことは、折角、生まれてきたチャン
スを奪うことになってしまうのでとても悪いことなのです、だそうです。
267じゅぶないる:01/11/29 06:56
なんで人殺してはいけないの?
に対する答えは、まず、この質問の発言者が、どうゆう観点から
この問いを発しているかを分析してみよう。
つまり、殺される側なのか、殺すがわなのかってことなんだけど、
今まさに、殺されようとしている人間が、そのような言葉を問うなどとは
到底考えられない。間が抜けすぎている。
よって、殺す側の人間が発する問い掛けとゆうことになる。
こういった、想像力と教養の著しく欠落した問いを臆面もなく発する人間に、
いくら殺される相手の立場や気持ちを喚起させ説明しようとしても、無駄である。
なぜならば、いくら言葉で語ってみても相手の気持ちを想像してみるとゆう能力
が破綻しているからである。
こうゆう質問を発言する想像力に異常をきたした人間には、殺される側の立場を
体験させてやるしかないのだ。
善と悪に、快だの不快だのは、関係ないよ。
268666 ◆xenNZQbg :01/11/29 08:41
なぁ
大元は何も無いんじゃないか?
といのも聞いてくれ
2chで例えてみるが
俺たちが普通に話してるね?普通の定義・・・する?
難しいな、しかし皆の思う「議論」がここでは普通と認識してくれ。
それでだ
その議論の最中に例えば 人を中傷する様な書き込み もしくは罵る様な書き込み
これが このこと自体が「悪」ではないのかと思い、何故故それを思ったかと言うと
「善」と言うもの自体は無く所謂「普通」と言う状態を乱す存在
これこそ「悪」と呼ばれるものではないかと思う。
故に其の「悪」に対立せざるを得ない存在これを「善」もしくは「良」と名付けたのではないか?

反論を求む
269じゅぶないる:01/11/29 14:21
>>268
『普通、通常、正常、平常、平静、静謐』
これらの状態を乱し、穏やかな秩序をあらだてる行為を、
『悪』とする。
つまり『善』とは、安寧たる秩序を取り戻す為の行為、
または、安寧たる秩序の保安を促進する為のもの、だと
言っているんだよね?

いいぞいいぞッ、快いよね!
270じゅぶないる:01/11/29 14:28
この定義なら、『善』が大義名分として戦争とかで使われて
しまうケースもカバー出来るしね。
271666 ◆xenNZQbg :01/11/29 14:30
>>270
うむ
やはりこう考えるしかないだろうな。
「善」とはやはりあ「悪」の後に現れるべき
「元の状態へ戻す為の行為」
これかな
272666 ◆xenNZQbg :01/11/29 14:34
しばし夜まで待とうか・・出てくる方々は色々な意見が有る
273考える名無しさん:01/11/29 14:36
善・悪は、認識という行為であって、行為それ自体が善・悪なのではない。
274じゅぶないる:01/11/29 14:55
>>273
もちろん。
悪人の役まわりを課せられた方だって、無実だったり、
または、適当な大義名分を立てたりしているからね。
275じゅぶないる:01/11/29 15:07
善悪の認識なんて相対的なもんさ。
276273:01/11/29 15:17
>>274
多分分かってると思うんですけど、274の事例は、273が批判した
「善い行為がある」という考え方と矛盾しないよ。
悪い行為をしている奴は、自分が善い行為をしているという言い方は
可能だから。

273で言っているのは、行為自体に善悪という評価があるのではなくて、
行為によって人間が意味付けし続けている営為のうちのある部分が、
善悪として語られ続けているというべき、ということだよ。
277276:01/11/29 15:38
悪い行為をしている奴は、自分が善い行為をしていると考えているものだ、という
言い方は可能だから。

スマソ
278ハヤ:01/11/29 15:42
私クリスチャンだけど自ずから善と言うものは無い。
神によって善があって、それに反するものが悪・・・と言う形が福音。
神によって罪が定められているものが悪・・・と言う形が律法。
神が持っている基準を元に善悪を人類に押し付けている考え方がキリスト教の本質。
悪を行うことはすなわち罰せられるとは限らないけど。キリスト教では悪を行うことは罰せられます。
その悪をチャラにする方法として「洗礼」「悔い改め」や「免罪符」、旧約の時代には「生贄」や「捧げ物」がありました。
・・・とそれぐらいで良いでしょうか?僕の見解ではなく只の史実なんで。私にどうこう言われても困りますw
そもそも、宗教なんてドグマと神の塊だから哲学とは相容れないはずなのですが、参考程度に・・・
279104,174:01/11/29 20:02
善悪の解釈と、善悪そのものが同じとは思えない。
解釈はあくまでも解釈であって、
いわば、影のようなものに過ぎない。
280666 ◆xenNZQbg :01/11/29 20:43
行為が無ければ認識はないだろ?>>273
281マジデス:01/11/29 21:20
そういえば、何で読んだ忘れたけど、「悪」ってヤマトコトバの読み方で「ワル」。
つまり、「割る」であって、集団を「割る」ことが「悪」っていう主張があった。
ちなみに、「分」は「分ける」であって、分配なので違う。つーか、ワルて読めないし。
しかし、これだと「良」や「善」の言明されてないので、どーも片手落ちのような気がするが、考え方によっては「先に悪があって」、「後に善の概念を生み出した」って考えられるけど、それだと性悪説に接近するし、それだと善の概念が「正義」と混同されてしまう。

>>279
>いわば、影のようなものに過ぎない。

俺も以前のそんなようなこと書きこんだけど、その影のようなものが俺たちの上にイデオロギーように乗ってると思うと無気味な気がしてきた。
この影は誰の解釈の影なのか?その影響を俺はまったく受けていないのか?
282766:01/11/29 22:05
行為を善にも悪にも判断できるってことだろう。
283104,174:01/11/30 20:31
>>281
>俺も以前のそんなようなこと書きこんだけど、その影のようなものが俺たちの上にイデオロギーように乗ってると思うと無気味な気がしてきた。
愚者による政治とはそういうものだと思う。

>この影は誰の解釈の影なのか?その影響を俺はまったく受けていないのか?
人間は実体の影のような存在である直感的、恣意的解釈というものから逃れることは、おそらくできない。
何かを理解しようとして、意識に最初にのぼるのはそういったものだろう。
問題は、それが影であると認識し(あるいは影であるかもしれないという疑問を抱き)、
本質を追及する努力を続けるか、影に惑わされて、表面的な理解でこと足れりとしてしまうかだと思う。
284考える名無しさん:01/11/30 20:49
「善いと感じるもの」と「悪いと感じるもの」だったら簡単。
女の肉体とか各種薬物とかが「善いもの」で、
それを抑圧するようなルールやモラルが「悪いもの」。

「善いとほめられる行為」と「悪いと貶される行為」だと定義不可能。
その個人が生きている文化圏や、付き合いの深い
社会集団の影響によってコロコロ変わるから。

世間で「善悪」の話をする時、必ず後者の話になるのは何でだろう?
オレの経験上だと、世間で「善い行為」とほめられている、
ありとあらゆる文化圏の、ありとあらゆる行為に対して、
オレ自身が「善い」と感じたことが一度としてないんだが。
285104,174:01/11/30 21:23
>>284
>世間で「善悪」の話をする時、必ず後者の話になるのは何でだろう?
それは、

>オレの経験上だと、世間で「善い行為」とほめられている、
>ありとあらゆる文化圏の、ありとあらゆる行為に対して、
>オレ自身が「善い」と感じたことが一度としてないんだが。
といった矛盾を感じているいる人が多いからだろう。

そういう矛盾を感じたときに、善悪というものの存在を強く意識するからではないのか?

そこで問題になっているのは、実際は、善悪というよりも、
社会に対する疑問ないしは不満のように見える。
286284:01/12/01 17:50
>>285
なるほど、納得。
ちなみにオレの感覚だと、法律が全て悪に見えるんだよね(w
287考える名無しさん:01/12/01 23:11
まあ、コーヒー飲んで、
たばこでもすおうぜ〜
288倦厭犬:01/12/01 23:18
>>287
タバコは体を蝕むから、止めたほうがイイYO。
今日も、ヘビー・スモーカーの骨上げを見たけど、
肺のところは、タールで真っ黒。吸ってない人とは一目瞭然。
ガンになるというのも当然かな、と思ってしまいました。
289考える名無しさん:01/12/02 00:09
近所の寺のお札(?)みたいなのに、
「人は自分の都合の悪いことを悪という。」
初めてみたとき、漏れは厨房だったのでちょびっと感動したぞ。
そういわれればそうかな、と。ていうか既出意見か?
290マジデス:01/12/02 00:26
とりあえず、しばらくは

善悪の言葉が持つ恣意性が「主」
人間の意識する善悪が「従」

ってことで、自分を納得させておこう。
291104,174:01/12/02 00:55
うーん、話がまた戻ってきてるような・・・
ここから先は壁があってどうしても先に進めない感じだね。
292284:01/12/02 18:27
>>289
動物ならそういう基準で生きているだろうが(オレもだが)、
人間一般=集団レベルの基準になると、それが当てはまらないんだな。
自分にとって都合が善いこと(もの)でも、集団レベルでの善悪を意識して
それを「悪い」と言ったりするから。
オレの目には、「自分の都合の善いことを悪という」姿にしか見えない。

>>291
このテーマだと、このへんが行き止まりなのかも。
「個人レベルで感じ取る純粋に「善いもの」が、集団レベルになると
「悪いもの」として歪められることがあるのは何故だ?」
という素朴な疑問がどうしても残る。
293マジデス:01/12/02 19:06
>>291
もしかして、善悪という言語が、かなり複雑なメタ言語となっているのかも。
294104,174:01/12/02 23:39
>>292
>「個人レベルで感じ取る純粋に「善いもの」が、集団レベルになると
>「悪いもの」として歪められることがあるのは何故だ?」
>という素朴な疑問がどうしても残る。

そのあたりへの関心のほうが高いようだね。

>>293
うむむ・・・。
そういう面はあるかもしれない。

善悪自体は明白なものだが、
それに社会と個人がいろんな意味づけをして、
後づけの意味を、善悪の本質であるということにしてしまっているから、
それしか見えない者にとっては本質的な善悪は、メタに見えるかもしれない。
295ハヤ:01/12/03 05:40
善悪という言葉自体がそれを括弧書きにすることを拒絶しているんじゃない?
296273:01/12/03 21:58
>>279
それは君が解釈という語を使うときに、ある人の解釈を考えているから
そう思えるんだよ。
人間のうちの誰かの解釈という風に視点をとってみたとき、
解釈無しに生じる善悪というものがあるとは考えられない。

>>280
行為として抽象的に指し示される前に、何らかの認識も、行為もある。

>>283
>問題は、それが影であると認識し(あるいは影であるかもしれないという疑問を抱き)、
>本質を追及する努力を続けるか、影に惑わされて、表面的な理解でこと足れりとしてしまうかだと思う。
その影というのは、自分が恣意的に作り出した差異ではないかという風には
考えてみないのかな?

>>292
>オレの目には、「自分の都合の善いことを悪という」姿にしか見えない。
問題は、どんな姿であろうが、表面的な言辞にすぎなかろうが、
用法や慣習として定着してしまえば、それが善悪として行動を決定する上で
作用するという点ではないのか?
善悪についての本質論(表面的な理解と対置して語る論)というのは、
要するに自分の感じる「ある善悪の基準」を安定化させたりという要求に
従った議論に過ぎないと考える。

>「個人レベルで感じ取る純粋に「善いもの」が、集団レベルになると
>「悪いもの」として歪められることがあるのは何故だ?」と疑問
それは(少なくとも日本語の)善悪の用法自体に儀礼的な性質があることや、
(つまりある評価をとることで、社会の中での立場を安定化させるために
 用いられ、そのときに下す評価は、実感に基づいたものであることを
 要求されないこと)
善いもの(ある対象に、善いという評価を下すこと)を押さえつけることに、
別の善いものがあることなどから、おきてくることだと思う。

>>293
メタかどうかは、とりあえず、メタと考えるその当人にとっての認識のあり方。
そうした認識が多くの人の共有するところとならない限り、一般的に使われる
善悪の理解としてメタを導入するのは、説明は組み立てられるかもしれないが、
意義に乏しい議論になると思う。
それより、個々人によって善悪の理解をめぐって生じる差異を明らかにして、
その差異が解消される方向を探るのが建設的だと思う。

>>294
善悪自体が明白だというのは、君個人の認識上の話であって、
他の人にとってそうだというわけではない。
またある個人においても、状況の変化によって、善悪の評価を変えることがある。
297273:01/12/03 21:59
296冒頭
ある人の解釈を考えているから→ある特定の個人の解釈
人間のうちの誰かの解釈→人間と呼ばれるものによってなされている解釈の総合
298273:01/12/03 22:02
296での293へのレス中
個々人によって善悪の理解をめぐって生じる差異
→個々人の、善悪の理解をめぐって生じている差異

訂正多くてスマソ
299104,174:01/12/03 22:26
>>296
>それは君が解釈という語を使うときに、ある人の解釈を考えているから
>そう思えるんだよ。
>人間のうちの誰かの解釈という風に視点をとってみたとき、
>解釈無しに生じる善悪というものがあるとは考えられない。

善悪は解釈によって生じるのでは無い。
そもそも、解釈とは存在しないものを生み出す行為では無い。
既に存在するものを知覚する行為だ。


あなたは、「善悪は解釈であるから、解釈でない善悪は無い」といっているに過ぎない。
善悪がなぜ解釈であるのか説明できるかね?
300104,174:01/12/03 22:28
>>296
>その影というのは、自分が恣意的に作り出した差異ではないかという風には
>考えてみないのかな?
「差異」という言葉の意味がわからないが、「影」とはまさに、
恣意によって作り出されたものという意味で使っているよ。
301104,174:01/12/03 22:32
>>296
>善悪自体が明白だというのは、君個人の認識上の話であって、
>他の人にとってそうだというわけではない。
善悪の明白さは、人間の認識とは関係無いよ。
単に人間の知性が不足しているために、それが知覚できないに過ぎない。

>またある個人においても、状況の変化によって、善悪の評価を変えることがある。
それは、解釈が変わっただけであって、善悪そのものは変わっていない。
302273:01/12/03 22:40
>>299
善悪はなぜ解釈か

私は、人間が認識することのうち、対象についての言及可能性を確定・限定
していき、正誤などの差異・区別を生じさせる認識作用を、「解釈」と呼ぶのが
適当だと理解している。
善悪も、そうした差異・区別を生じさせる認識作用に基づいて作られた結果だから。

そうした善悪のうち、多数派の人間によって支持されたものが、道徳となったり、
宗教となったり、強制力を付与されて法律になったりする。
そうした記述と、それに基づく行動が、方向付けられてくる・いく。
そうして、ある特定の善悪が、「表面的に」認知されやすい事態が生じる。

>>300
恣意によって作り出されているというとき、その作り出されることになった
原因が、専ら解釈者(104,174氏)の側にあるという場合は考慮しないのか、
という意味です。
303273:01/12/03 22:43
>>296
>善悪自体が明白だというのは、君個人の認識上の話であって、
>他の人にとってそうだというわけではない。
善悪の明白さは、人間の認識とは関係無いよ。
単に人間の知性が不足しているために、それが知覚できないに過ぎない。

>またある個人においても、状況の変化によって、善悪の評価を変えることがある。
それは、解釈が変わっただけであって、善悪そのものは変わっていない。

論じられる前に、強制力を付与しうる・人を非難しうる観念である
善悪が規定されているという観念は、特定の価値観を善悪の名のもとに
他者に強制することを認めることと同じである。
私はそういう考えを認めるべきでないと考える。
304104,174:01/12/03 22:50
>>302
>善悪はなぜ解釈か

>そうして、ある特定の善悪が、「表面的に」認知されやすい事態が生じる。

すまない、さっぱりわからない。
解釈も善悪も、そんな複雑なものではないと思うが。

>恣意によって作り出されているというとき、その作り出されることになった
>原因が、専ら解釈者(104,174氏)の側にあるという場合は考慮しないのか、
>という意味です。
どういった恣意だね?
305104,174:01/12/03 22:56
>>303
>論じられる前に、強制力を付与しうる・人を非難しうる観念である
>善悪が規定されているという観念は、特定の価値観を善悪の名のもとに
>他者に強制することを認めることと同じである。
>私はそういう考えを認めるべきでないと考える。

非難は、行為者の行為が、悪であるからなされるのではないかね?
だとすれば、そのことは、解釈がなされる前に決まっているのではないかね?

あなたは、そうではなく、解釈前には行為者には悪は無く、
解釈によって、はじめて悪が生まれ、
行為者が解釈によって生み出した悪によって非難されるべきだというのかね?
306273:01/12/03 22:57
>>304
わからなくてもいいと思います。ただ、私の中ではあの説明で
かなり明確なイメージが描かれていることは言っておきます。
一つ付け加えるなら、私は社会学的・人間関係的にこの問題を考えてます。
価値は関係を作り出す話のタネ程度のものとして踏んでいるところがあります。
だから、そういう考えが気に入らない人には理解できないと思います。
私は、私の考え方が心情的に気に入らない人が、間違っているとは
ぜんぜん思いません。
あと、私は私にとっては自明なことを述べているのであって(それは
レスがついた時間の短さが証明していると思います)、複雑なことを
述べたつもりはありません。

>どういった恣意だね?
内容はわかりません。ただ、Aが主張していることについて、
Bが恣意的だと言うとき、Aが主張していることが恣意的であるのではなくて、
Bが恣意的にAの主張を理解しているケースは、かなりよく見られるという
一般論を述べただけです。
307273:01/12/03 23:02
>>305
>非難は、行為者の行為が、悪であるからなされるのではないかね?
>だとすれば、そのことは、解釈がなされる前に決まっているのではないかね?
違います。非難は何らかの不満や、気に入らなさによってなされえます。
それが、多くの人にとって共通しているとき、善・悪などの語で語られうるものと
なるのです。

>あなたは、そうではなく、解釈前には行為者には悪は無く、
>解釈によって、はじめて悪が生まれ、
>行為者が解釈によって生み出した悪によって非難されるべきだというのかね?
Aにとって、悪として理解されることは当然起きます。
ですが、それが悪という語を通して、多くの人にとって理解されるかは
まったくの別問題です。多くの人にとって、Aにとっての悪が、
多くの人にとっての悪として理解されない場合、Aにとっての悪は、
解釈によって退けられたか、単に無視されたか、忘れられたか、
(忘れられた場合、私達はそもそも問題にできないということを踏まえてください)
いずれにせよ、解釈以前に悪が確定しているなどということは、ないと
考えます。
308104,174:01/12/03 23:06
>>307
つまり、あなたは、
多くの人が、善だということが善であって、
また多くの人が、悪だということが悪であるというのだね。
309273:01/12/03 23:08
>>308
善悪という語に、通例結び付けられる判断は、現にそうなっていると考えますが、
>>308のように確定的に論ずる気は、まったくありません。
むしろ、>>308の言い方を否定しさるために、>>307などのように考えています。
310273:01/12/03 23:09
すみません、ちょっと席を外します。
311104,174:01/12/03 23:15
>>309
>善悪という語に、通例結び付けられる判断は、現にそうなっていると考えますが、
>>>308のように確定的に論ずる気は、まったくありません。
では、あなた自身の善悪の定義はどのようなものなのだね?

>むしろ、>>308の言い方を否定しさるために、>>307などのように考えています。

>>305
も、
>>308
のような考え方の否定のつもりなんだがね。
312273:01/12/03 23:44
すみません、もう一度席を外しますが、たまたま戻ってきたのでレスつけます。

>>311
>>308のようなことを聞く人は、>>308の考えを否定する気で聞いてるだろうと
いうのは、わかります。ただ、>>305の考えだと、>>308の考えを実質的に
支持するのに使われる可能性が高いです。また、あなたは>>303での批判に
対して、別の問題点を>>305で提示して応じただけで、>>303の問題点を
解消できる意見を持っているようには、見受けられません。

もう一度>>305にレスをつけてみます。

>非難は、行為者の行為が、悪であるからなされるのではないかね?
>だとすれば、そのことは、解釈がなされる前に決まっているのではないかね?
「行為者の行為が、悪であるから」は、認識のあり方として間違いです。
まず、行為というのは、行為として捉えられる要素の総合です。
人を殺すこと、は、Aが、Bが死ぬ可能性が高いA’という行為を、
故意・過失に関わり無く、とにかく原因として行って、その結果Bが死んだ
ことです。行為には、故意・過失に関わる判断や、結果についての判断、
また結果の重大性についての判断などが、内在しています。
こうした要素は、常に論議の対象になっています。
こうした要素の総合である行為についての判断が、はじめから決まっているという
ことは、ありません。

また、非難が、悪であるからなされるという言い方からすれば、悪にあてられる
対象の範囲は無限定です。そのことからすれば、後段部分の結論は、
「多くの人が悪だと考えているから」「現在における」解釈をしなくても、
「非難がなしうる」という判断を許容する場合を含んでしまっています。
これでは、>>311の目的を果たすことはできません。

>あなたは、そうではなく、解釈前には行為者には悪は無く、
>解釈によって、はじめて悪が生まれ、
>行為者が解釈によって生み出した悪によって非難されるべきだというのかね?
非難は、善悪に関わり無く、ある人間(たち)が気に入らなければ、
現になされるのです。それを正当化したり、過去に固定的に好ましくないと
語られた経緯があることを示したりするのに、善・悪という語を用いるのです。
313273:01/12/03 23:48
私は、もっと善悪という語の用法に注意して、一部の利害関係や、
単なる報復的な心情の正当化に使われている例に着目して、
それを排する選択をし、
善悪という語が実質的に効果をもちうる範囲に、用法を限定していく方向が
「実質的な人間関係の上で強まることが」好ましいと考えて、
このように論じています。
314273:01/12/03 23:49
「実質的な人間関係の上で強まることが」
上の部分の 実質的な は、削ります。すいません。
315104,174:01/12/04 00:00
>>312
>>>308のようなことを聞く人は、>>308の考えを否定する気で聞いてるだろうと

>解消できる意見を持っているようには、見受けられません。
私は哲学の問題として論じているのであって、処世術や倫理の問題として論じているつもりは無い。
したがって、論理的矛盾を指摘しているのであって、社会的な問題の解決法を考えているのではない。
倫理は、善悪の社会への適用であって、本質的には善悪は倫理とは関係無いよ。

>こうした要素の総合である行為についての判断が、はじめから決まっているという
>ことは、ありません。
もちろん、判断は決まっていないよ。判断は解釈の結果だろう。

>また、非難が、悪であるからなされるという言い方からすれば、悪にあてられる
>対象の範囲は無限定です。
私は繰り返し言っているが、善悪というのは、「何にとっての」という前提なしには
語れないよ。対象を定めない善悪は存在し得ないだろう。

>そのことからすれば、後段部分の結論は、
>「多くの人が悪だと考えているから」「現在における」解釈をしなくても、
>「非難がなしうる」という判断を許容する場合を含んでしまっています。
それはあなたの解釈だ私はそんな意味では言っていない。

>これでは、>>311の目的を果たすことはできません。
したがって十分否定できていると考える。

>非難は、善悪に関わり無く、ある人間(たち)が気に入らなければ、

>語られた経緯があることを示したりするのに、善・悪という語を用いるのです。

私は、「非難がなしうるかどうか」ということを指摘した覚えは無い。
「なされるべきか」ということを問うただけだ。
現にそういうことがなされているということは、
それがなされるべきことかそうでないかということとは関係無いのではないかな?
316104,174:01/12/04 00:05
>>313
>私は、もっと善悪という語の用法に注意して、一部の利害関係や、
>単なる報復的な心情の正当化に使われている例に着目して、
>それを排する選択をし、
>善悪という語が実質的に効果をもちうる範囲に、用法を限定していく方向が
>「実質的な人間関係の上で強まることが」好ましいと考えて、
>このように論じています。
そのような行為がなされていることは、おそらく事実であろうけれど、
それは善悪を認識する知性の無いものが、誤った認識によって誤った行為をなしているに過ぎない。

私は、このスレは善悪事自体に本質を考察することを目的にしていると理解している。
このスレにおける発言以外の、誤った認識に対する指摘は、
その目的からは外れると思う。
317104,174:01/12/04 00:07
>>316
すまない、間違いだ。

×私は、このスレは善悪事自体に本質を考察することを目的にしていると理解している
○私は、このスレは善悪事自体は、本質を考察することを目的にしていると理解している
318104,174:01/12/04 00:08
>>317
さらに間違い。どうも調子悪い。

×私は、このスレは善悪事自体は、本質を考察することを目的にしていると理解している
○私は、このスレは善悪事自体の、本質を考察することを目的にしていると理解している
319musuko:01/12/04 00:35
「なぜ人は物事を2つに分けたがるのか?」

取り敢えず私の解答、
ある尺度や傾向の当事者は、一方しか選べない(右も左も見えるということは有り得ない)から
ゲーデルのアレと同じこと言うとるのかもしれん・・・

このスレッドをメタる問いになってるでしょうか?
320悟人:01/12/04 00:41
「なぜ人は物事を2つに分けたがるのか?」

人は理解する事を望む(理解したつもりになる、と言い換えても可)
二元的な分類は非常にシンプルであり、理解しやすい。
故に、人は物事を二つにわけたがる。
321musuko:01/12/04 00:48
>悟人氏

分類を進めた結果から論じているので、理由にならないと思います。
目的的ではなく、原理的な解答が欲しいのです。
ええ、欲しいのです・・・。
322273:01/12/04 00:51
いま104,174氏にレスかいてます。

>>319
とりあえず、最後の結論の部分を問いの形で終わらせているのは、
無責任な態度だと思いますよ。

「ある一つの選択しか」選べないだけなら、他に選択肢は複数あると考えることと
必ずしも矛盾しません。
一方「しか」 が、はなから二元論を前提しているという批判も可能です。
例えば、2つの選択を採るが、他の4つの選択をとらないという判断は
可能です。

>>320
議論の余地はあると思いますが、楽な方法を採りがちだという観点が
働いている、320のようなアプローチには賛成です。
323273:01/12/04 01:18
>>315
>私は哲学の問題として論じているのであって、処世術や倫理の問題として論じているつもりは無い。
私は、処世術や倫理の問題として論じているつもりは、ありません。
私の考えが、処世術と呼ばれるか、倫理と呼ばれるか、善悪に関する哲学上の問題と呼ばれるかどうかは、
重要な問題だとは思っていません。
次に、哲学の問題として論じているなら、善悪という語に事実上関連させられている、
倫理・処世術などと「呼ばれ位置付けられている」問題を考えなくてもすむかのような考えには、
反対します。それは、言説がもたらす効果・実質的な内容に対する、論ずる者としての鈍さ・もしくは無責任です。

>倫理は、善悪の社会への適用であって、本質的には善悪は倫理とは関係無いよ。
私は、本質的なもの・本質的な理解を否定しています(>>296での、>>292)。
ですから、単に、関係・関連の問題として考えます。単なる関係であれば、倫理と善悪は明らかに
関係あります。「善悪の社会への適用」だからです。
本質を問題にしたとたんに、論理的な関連が捨象される理由はなんでしょうか。

>もちろん、判断は決まっていないよ。判断は解釈の結果だろう。
私は判断(ある時点で出された解釈の結論)によって、初めて善悪が問題とされうると論じているのです。
価値は、解釈(説得的かどうかにかかわらず)による決定=判断を経て、ある人(たち)の間で「承認」されて
意識されているのです。

>私は繰り返し言っているが、善悪というのは、「何にとっての」という前提なしには
>語れないよ。対象を定めない善悪は存在し得ないだろう。
「何にとっての」とか、「対象を定める」ことは、判断ではないのですか?
判断であるなら、善悪は解釈の余地がある問題ですよね。「何にとっての」という前提を
決める必要があるのですから。
324273:01/12/04 01:19
323の続き

>>そのことからすれば、後段部分の結論は、
>>「多くの人が悪だと考えているから」「現在における」解釈をしなくても、
>>「非難がなしうる」という判断を許容する場合を含んでしまっています。
>それはあなたの解釈だ私はそんな意味では言っていない。
あなたの意向に関係なく、あなたの発言自体から論理的に私の解釈が派生しうると言っているのです。
あと、あなたが言ったことを、あなたの解釈で理解しなければならないというのは、全く説得力がありません。
>>305の、表面的な言辞に賛意を示したり、実質的には賛同する気がない(そんなに深く考えていない)のに、
賛意を示したりする者が現にいます※。そして、そういう人間は、圧倒的多数です。
  ※これは、あなたの意見を理解する力がないという意味だけではなく、
   あなたと言葉の上で共通したことを唱えている人が、あなたと違う考えから、
   その表現を述べていることがありうる、ということも含みます
善悪(などの価値)は、そういう問題ですから、そうした認識に立って語るべきです。

>非難は、善悪に関わり無く、ある人間(たち)が気に入らなければ、

>語られた経緯があることを示したりするのに、善・悪という語を用いるのです。
>私は、「非難がなしうるかどうか」ということを指摘した覚えは無い。
>「なされるべきか」ということを問うただけだ。
>現にそういうことがなされているということは、それがなされるべきことかそうでないかということとは関係無いのではないかな?
関係あります。なぜなら、私が「なされている」というとき、それをなしている当の本人達は、
なすべきだ、と考えてそれをなしているからです。
なされるべきかの判断は、あなたが今この場で判断することだけでは、ありません。
いい加減な判断力しか持たない「多数の人が」現に行ってしまっており、また行い続けているのです。
そうした事実を無視したところから、いくら素晴らしい哲学的考察を展開したところで、
意義に乏しいのではないか、と言いたいのです。

善悪の問題は、つまるところ、なされるべき判断のほうに、傾向付けられるかどうか、という問題だと私は考えています。
なされるべき判断 は、個々の考えによって違います。

なされるべき判断が善と呼ばれるか、悪と呼ばれるかは、その時々の多数派の考えに従って、そのように呼ばれると言う
意味から呼ぶか、自分が下す判断について、便宜的にそのように呼ぶか、など、いろいろな視点がありますが、
そうした視点がどうとられるかは、「傾向付け」の要因の一つであって、それ自体が他の社会的な要因と分離して
語られるかのように言うのは、誤りであると考えます。
325273:01/12/04 01:26
>>316
>それは善悪を認識する知性の無いものが、誤った認識によって誤った行為をなしているに過ぎない。
この言い方ですと、
「あなたの考え通りに考えない人が、善悪について語ることは、
 善悪について語っていないとみなす」という、
奇妙かつ権威主義的で、しかも実効性のない結論を前提しなければ
なりませんが、それでもよいと考えているのでしょうか。

善悪についての問題を論ずるにあたっては、
第一に、善悪の語の用法によって、たいていの人がどう動いているか
という観察が不可欠だと考えます。
326musuko:01/12/04 01:26
>322氏

>とりあえず、最後の結論の部分を問いの形で終わらせているのは、
無責任な態度だと思いますよ。
>>このスレッドをメタる問いになってるでしょうか?
■私はこの問いに対する解答を持てません。分かっているのはそれだけです
 これは、下の解答に結びつくのですが

>「ある一つの選択しか」選べないだけなら、他に選択肢は複数あると考えることと
必ずしも矛盾しません。
■319で>>ある尺度や傾向の当事者は
 と述べたのは、選択しなかった側に対する不可知を示唆したかったのです
 私は、選択肢が「ある」は不可で「あった」のみ許される、と考えます
 選択を経過することのみが、選択肢の発生を許容します
 選択した側の当事者になれたからこそ、そうでない側を想定できるのです
327musuko:01/12/04 01:36
>326
解答→回答

あああ
328273:01/12/04 01:36
>>326
後段■319で〜以降について。

それは、ある判断を下す時点という限定にしたがって考えるなら
そのとおりでしょうが、実際には、事後的に反省して、他の選択肢を
検討できますよね。また、そうした事例は蓄積され、
今後起きる事例は、過去の事例との類比で語られたりもします。
それによる判断の向上・すでに判断できていたとみなせる可能性の肯定は
できると思います。ですから、不可知ではないと思いますが。

また、外部の人間が、それぞれの立場を聞いて、それなりの判断を下すことも
可能なはずです。当人たちの心情の細かい部分までは理解できないでしょうが。
329musuko:01/12/04 01:39
更に不明瞭発見
>私は、選択肢が「ある」は不可で「あった」のみ許される、と考えます
→私は、選択肢が「ある」は不可。「あった」のみ許される、と考えます

ああああ
330273:01/12/04 01:41
>>329
矢印のほうのとおりに理解しましたです。
331考える名無しさん:01/12/04 01:58
善悪の判断なんて出来ないんだって!
332考える名無しさん:01/12/04 02:27
うむ。331に同意。
ヴィトゲンシュタインちっくで良い感じだネ。

また、倫理やらそういう観点からの「善悪」については、
政治力学の産物以外の何ものでもないでせう。と思われ。
333273:01/12/04 02:35
>>331-332
そんなのはわかりきったことです。
ですが、現にその「政治力学の産物」が、善悪としてまかり通っているだろう、
だから、それについて論じなければ話にならない、と言っているのです。
334musuko:01/12/04 03:40
>273氏(326のときと違くてスイマセン)
>>328
確かに、不可知ではないですね。
そして、私は「不可知である」と言いたかったのでは無かったような気がしてきました・・・
つまり、「そうである側」にあっては、「そうでない側」である事はできない
と言いたかったようです(アホですわ、ホンマ)
335考える名無しさん:01/12/04 04:10
絶対の善というものは、その行為により生まれる結果の為に善になるのではない。
それ自身において善なるのである。
人を殺すのが悪であるということは、これより起こる結果によるというよりも、
むしろ自己を欺き自己の人格を否定する為である。
336104,174:01/12/04 20:40
>>323
>反対します。それは、言説がもたらす効果・実質的な内容に対する、論ずる者としての鈍さ・もしくは無責任です。
責任というのは、誰の、誰に対するどういった責任だね?


>>倫理は、善悪の社会への適用であって、本質的には善悪は倫理とは関係無いよ。
>私は、本質的なもの・本質的な理解を否定しています(>>296での、>>292)。
本質的な理解は得難いものだが、本質的なものは存在するのではないかな。
本質が存在しないというのは世界が存在しないとようなものだ。
(あるいは設問が妥当でなく、本質がないようなものについて考えているか)

>ですから、単に、関係・関連の問題として考えます。単なる関係であれば、倫理と善悪は明らかに
>関係あります。「善悪の社会への適用」だからです。
倫理とは、社会における善悪であって、社会というのは人間の関係なわけだから、
君は単に、「善悪を倫理の問題として考える」ということを繰り返していっているだけのように思う。
倫理が善悪の社会への適用であれば、善悪の本質を考えようとすれば、
社会的な問題は二次的な要素と考えるべきではないのかね。

>本質を問題にしたとたんに、論理的な関連が捨象される理由はなんでしょうか。
逆だよ。
本質を問題にするから、「論理的な」関連について特に注視して、
二次的な問題は除外するということをいっているのだ。

>>もちろん、判断は決まっていないよ。判断は解釈の結果だろう。
>私は判断(ある時点で出された解釈の結論)によって、初めて善悪が問題とされうると論じているのです。
>価値は、解釈(説得的かどうかにかかわらず)による決定=判断を経て、ある人(たち)の間で「承認」されて
>意識されているのです。
だから、それは解釈のプロセスを説明しているだけではないかね。
人間がどのように意識しようと、同じ対象に対する同じ行為は普通同じ結果をもたらすのではないかね?

>「何にとっての」とか、「対象を定める」ことは、判断ではないのですか?
判断だよ。

>判断であるなら、善悪は解釈の余地がある問題ですよね。「何にとっての」という前提を
>決める必要があるのですから。
善悪に解釈の余地が無いなどとは一言もいっていないよ。
解釈は解釈であって、善悪そのものではないといっているだけだ。
337273:01/12/04 20:41
>>336
これ以上議論しても無駄なようなので、去ります。
338104,174:01/12/04 21:00
>>324
>あなたの意向に関係なく、あなたの発言自体から論理的に私の解釈が派生しうると言っているのです。
だからどうしろというのかね?

>あと、あなたが言ったことを、あなたの解釈で理解しなければならないというのは、全く説得力がありません。
私の解釈で理解しろなどとはいっていない。
私の考えとあなたの解釈が違うといっているだけだ。

>>>305の、表面的な言辞に賛意を示したり、実質的には賛同する気がない(そんなに深く考えていない)のに、

>善悪(などの価値)は、そういう問題ですから、そうした認識に立って語るべきです。
そういった人たちがいるとは認識しているよ。認識に立った上で語っているつもりだ。

>関係あります。なぜなら、私が「なされている」というとき、それをなしている当の本人達は、
>なすべきだ、と考えてそれをなしているからです。
では、その「なしている人たちは」「なすべきかどうか」について、われわれが知らない何か深い洞察や
知識を持っているとでもいうのかね?
持っているというなら、それについて調べる価値はあるだろう、
持っていないというなら、彼らの発言についていくら調べたところで、
なんら得るものが無いのではないかね?

>なされるべきかの判断は、あなたが今この場で判断することだけでは、ありません。
もちろんそのとおりだね。

>いい加減な判断力しか持たない「多数の人が」現に行ってしまっており、また行い続けているのです。
>そうした事実を無視したところから、いくら素晴らしい哲学的考察を展開したところで、
>意義に乏しいのではないか、と言いたいのです。
あなたが求める「意義」とは何だね?

私は、このスレに参加するということは、
このスレの命題である「善悪とは何か」について考えることに「意義がある」
と暗黙の内に認めていることになると考えるが、
あなたはそのことに意義を認めないというのかね?

>なされるべき判断が善と呼ばれるか、悪と呼ばれるかは、その時々の多数派の考えに従って、そのように呼ばれると言う
>意味から呼ぶか、自分が下す判断について、便宜的にそのように呼ぶか、など、いろいろな視点がありますが、
>そうした視点がどうとられるかは、「傾向付け」の要因の一つであって、それ自体が他の社会的な要因と分離して
>語られるかのように言うのは、誤りであると考えます。

つまり、あなたは、

「善と呼ばれること」が善であり、
「悪と呼ばれること」が悪である。

というのかね?
339104,174:01/12/04 21:04
>>325
>この言い方ですと、
>「あなたの考え通りに考えない人が、善悪について語ることは、
> 善悪について語っていないとみなす」という、
>奇妙かつ権威主義的で、しかも実効性のない結論を前提しなければ
>なりませんが、それでもよいと考えているのでしょうか。
そんな結論は出していないよ。
論拠の十分でない主張は省みるに値しないということが言いたいだけだ。

>善悪についての問題を論ずるにあたっては、
>第一に、善悪の語の用法によって、たいていの人がどう動いているか
>という観察が不可欠だと考えます。
善悪についての何を論じようとしているのかな?
私は「善悪とは何か」という命題に絞って考えたいのだが。
340マジデス:01/12/04 21:42
いかん。乗り遅れた…

まあ、善悪の差異と恣意を決めたり認識するまえに、多くの差異や恣意性などが立ちふさがっている。
文化や言語、宗教や民族。
ある程度、集団社会を絞ると普遍的ものにならないので、この場にいる方たちでは納得しないだろう。事実、俺もそうだ。

差異や恣意が世界を律しているなら、これ以上の議論は難しいかもしれない。
いや、まだやり尽していないが。
341104,174:01/12/04 21:52
なぜそこまで社会的な問題にこだわるのか・・・。
どうも志向する方向が異なっているのかもしれない。

具体的なケースを出して考えたほうがいいかもしれないね。
342マジデス:01/12/04 22:09
>>341
うわ、俺は社会性をはずすと考えがまとまらない。
このまえ、少し構造分析(みたいなこと)したけど、どうしても布置分布のx軸に文化(時間だけではなく)が必要だと思って。
ちなみに、ついでなのでこれの説明を。
善悪の形態と善悪の意味が文化上昇に伴い、形態に偏る行為と意味に偏る概念の布置分布が互いに、概念化するもの概念化されるもの繰り返し形態と意味を増大化させていく。
この行為をさかのぼって行く事は、文化の解体に等しい。

と、思ったのでどうしても社会的問題にこだわっている。
343104,174:01/12/04 22:33
>>342
>善悪の形態と善悪の意味が文化上昇に伴い、形態に偏る行為と意味に偏る概念の布置分布が互いに、概念化するもの概念化されるもの繰り返し形態と意味を増大化させていく。
>この行為をさかのぼって行く事は、文化の解体に等しい。

すまない、よくわからない。
具体的にいうとどういうことだろう?
344マジデス:01/12/04 22:46
     文化  a=善(悪)の行為
形|  /    b=善(悪)の概念(差異や恣意性?)
態|a/
 |/b
 +−−−−
自然  意味

図にするとだいたい、こう。斜めの線が認識されている善悪ね。
行為が概念を、概念が行為を…と、交互に概念化し、文化とともに上昇。

 例え

善(概念化されたもの)
―――――――――――      =一個上の善
善行など行為(概念化するもの)

その一個上の善が今度は、次に行なわれる行為を善か判断する。

善行など諸行為(概念化されたもの)
―――――――――――      =さらに一個上の善
先ほど概念化された善(概念化するもの)
345考える名無しさん:01/12/04 22:49
ただの言葉だ
346Маршал Боголюбов:01/12/04 23:06
>344
 分子と分母が上と下でうまく対応してないのでは?
 気持ちは分かるが
347104,174:01/12/04 23:06
>>344
ありがとう。

上昇というのは、「複雑化」ということでいいだろうか?
つまり、「上の善」というのは、「下の善」よりも、
「より善い」という意味ではなく、「より抽象化された多くの概念を包括する善」
ということだね?

わたしは、解釈、適用のための思考体系の進化と捉えるが・・・。

文化の進展は、多様性をもたらし、概念が増えるわけだから、
「何にとっての」という対象が増えることになり、
そういった意味での善悪の解釈の多様化は起きるとは思うが、
それらが善悪の本質に影響を与えるということは無いだろう。
348104,174:01/12/04 23:15
あるものが、あるものによって定義付けられるというときに、
定義づけを受けるものが、定義づけを与えるとされたものと無関係に、
それそのものであると解釈されうるということはあってはならないはずだね。

例えば、法律における罪は、法律上が定義づけるものであるから、
法律と無関係に決まるということは絶対に無いだろう。

では、善悪はどうであろうか、善悪を定義するのは社会だろうか?
以前出した例えで恐縮だが、人間の健康を例にとれば、
規則正しい生活は、人間の健康にとって善である、
ということについて、異論のある人はいないと思う。
(持っている人がいたらぜひ主張してほしい)
このことは、社会の定義を必要としているだろうか?
349考える名無しさん:01/12/04 23:37
>>348
つまり、ある種のプラトニズムということですか?
「善」は人間のうちに内在し、公共的な価値判断から
独立しているという理解になりますが・・・
350Маршал Боголюбов:01/12/04 23:39
善とは
 1.更に上位の「善」に合致している場合をいう
 2.「善悪」を判断する権威によって「善」とせられる場合をいう

1の場合について、究極に「善」を判断する基準はあるかどうか
 1.ある(究極的な善の規範から導き出せる)
 2.ある(事実から導き出せる)
 3.ない(各人の気分しだい)

これらを巧く使い分ければいい暇つぶしになるな
351マジデス:01/12/04 23:43
>分子と分母が上と下でうまく対応してないのでは?
>気持ちは分かるが

やっちまった!…と、一見思えるのだが、最初の大前提を端折ってしまっているので余計にそうみえるんだよね。
その最初の大前提が

諸行為(概念化されるもの)
―――――――――――      =原初的善
普遍的何か(これがわからんが、概念化するもの)
352104,174:01/12/04 23:47
>>349
>つまり、ある種のプラトニズムということですか?
そうであることは既に述べたが、
私自身、プラトンの主張に疑問が全く無いわけではない。
たとえば、どちらかといえば、プラトンの主張は倫理にある程度の
重きをおいているのではなかろうか?
私は倫理は問題の本質とは直接関係無いと考えている。

>「善」は人間のうちに内在し、公共的な価値判断から
>独立しているという理解になりますが・・
人間のうちに内在はしていないと思う。
というかそういう性質のものでは無いと思う。
353マジデス:01/12/04 23:47
いけね、書きこみ押しちったよ。
続き…

こういう大前提が見つかれば楽なんだけど。そうすればこの仮説も正しいのだが、帰納法でこの仮説を肯定しようとするとねぇ…。間抜けなんだよな。
でも、

>より善い」という意味ではなく、「より抽象化された多くの概念を包括する善」
>ということだね?

>わたしは、解釈、適用のための思考体系の進化と捉えるが・・・。

確かにこれの方がしっくりきますね。人間ぽくって。
354349:01/12/04 23:59
>>352
うーん、とするとどういう事なんでしょうね?
人間や世界などすべての存在するものの背後に
あって、それを貫き、浸透し、規定するものとしての
「善」という事ですか?いまいち掴めないんですが・・・
355104,174:01/12/05 00:10
>>354
いまのところの私の善悪の定義は、

あるものが、
そのものとして
存在させるものがそのものにとっての善で、
存在を妨げるものがそのものにとっての悪である。

と考えている。

従って、「善」は、「何か」を規定するのではなく、
「何か」を規定したとき、その規定から考えて、その対象が、
そういった存在であるようにするものが善であるということだ。
356考える名無しさん:01/12/05 00:17
@善の性質として他者に自己の主張(すなわち自己の倫理)を強制する
(自己の倫理を受け入れさせようとする)という側面がみられる。
また善とされる行為をなす自己の行為をなさぬ他者に対する優位の感情もある。
この事から善は他者に対する権威への意志を内在していると考えられる。
@またある行為がAという立場では善とされ、Bという立場では悪とされる。
(例:A風呂場で全裸でいる→善、B路上で全裸でいる→悪)
すなわち善は行為そのものにあるのではなく行為者の社会的立場にあるのである。

以上より善の問題を社会と切り離して考える事はできない

>348
「規則正しい生活は、人間の健康にとって善である」
事実の記述でしかない。この場合「善である」は「効果がある」に言い換えられる。
道徳問題で扱うのは「べきである」である。
357104,174:01/12/05 00:26
>>356
>@善の性質として他者に自己の主張(すなわち自己の倫理)を強制する
それは、ある種の人間の性質であって、善の性質では無い。

>@またある行為がAという立場では善とされ、Bという立場では悪とされる。
裸でいるという行為が、状況によって善であったり悪であったりするのは
至極当然のことだ。

真冬に裸で外にいるのは体にとって悪だが、
真夏ならそうでもない。
このことは社会とは関係無い。
つまり、「何にとっての」と考える対象に対する効果が規定できるだけの前提条件が無ければ、
善でも悪でもないというだけのことだ。

>道徳問題で扱うのは「べきである」である。
そのとおり、
だから、善悪は倫理とは直接関係無いと何度も言っている。
358考える名無しさん:01/12/05 00:35
では倫理とは?
善悪と倫理とはどういう点で区別されるのか?
359104,174:01/12/05 00:36
>>358
これも前に書いたが、倫理とは、善悪を社会に適用したものだと考える。
360考える名無しさん:01/12/05 00:41
適用とは具体的に何を何することなの?
361104,174:01/12/05 00:44
>>360
先にもいったように、善悪とは、
「何にとっての」という前提のもとに解釈されるものだ、
社会に善悪を適用するとは、
「社会にとっての」という前提において、善悪を考えるということだ。
362考える名無しさん:01/12/05 00:46
>357
>それは、ある種の人間の性質であって、善の性質では無い。
いいや特殊な問題ではない。善の観念は普遍性、唯一性を内在しているがため
必然的にそれをなさぬ者に対してそれをなすように強制する性質を持つ
>裸でいるという行為が、状況によって善であったり悪であったりするのは
至極当然のことだ。
至極当然とは?俺は行為は善に関係しないという性質を上げているだけ。
>真冬に裸で外にいるのは体にとって悪だが、 真夏ならそうでもない。
君は「〜である」と「〜であるべきだ」を混同してるんじゃない?
363349:01/12/05 00:48
>>355
丁寧なレスどうも。
大体お考えは分かりました(つもりです・・・)
ただ僕は若干異なった見解を持っています。
やはり倫理や道徳は善から派生したものと考えます。
つまり善がある種の共同体に参与する場合、
それは共同体の言語に変換されるのではないか、
それが道徳や倫理ではないのかという事です。
「汝、殺すなかれ」などはその典型ではないですか?
もちろんその変換には「ズレ」が不可避的に生じるでしょうし、
その連続性を切断して、善そのものを単独で考察することは
可能だと思いますが。直接的に関係がないとは言い切れない気がします。
364349:01/12/05 00:49
う、スレの展開に遅れてしまった(w
365104,174:01/12/05 00:52
>>362
>いいや特殊な問題ではない。善の観念は普遍性、唯一性を内在しているがため
>必然的にそれをなさぬ者に対してそれをなすように強制する性質を持つ
特殊な問題とはいっていない、善の性質では無いといっている。
あなたの言う「強制する性質」とは、具体的にはどういうことかね?

>至極当然とは?俺は行為は善に関係しないという性質を上げているだけ。
行為は善に関係しない?
では、あるものが、行為によって善くなったり、悪くなったりすることは
一切無いというのかね?

>君は「〜である」と「〜であるべきだ」を混同してるんじゃない?
していないつもりだ。
366考える名無しさん:01/12/05 00:53
装飾を除くと、「適用する」とは「考える」ということか。
では「倫理」とは、考えられた思考の内容を指すのか。
しかし考えられる客体は「善悪」なのだから「善悪」も「倫理」も同じではないのか。
法はサンクション、宗教は地獄、社会道徳は村八分の如く
明確な区別がつけられないのか。
367104,174:01/12/05 00:58
>>363
>やはり倫理や道徳は善から派生したものと考えます。
いや、私もそう考えているよ。

>つまり善がある種の共同体に参与する場合、
>それは共同体の言語に変換されるのではないか、
>それが道徳や倫理ではないのかという事です。
言語に変換というのはどういうことかよくわからないが、
>>359
のような考え方ではいけないのだろうか?

>「汝、殺すなかれ」などはその典型ではないですか?
私は、殺人が社会にとって悪であるということは、
論理的帰結であると考えている。

>もちろんその変換には「ズレ」が不可避的に生じるでしょうし、
>その連続性を切断して、善そのものを単独で考察することは
>可能だと思いますが。直接的に関係がないとは言い切れない気がします。
直接的に関係が無いといったのは、
倫理は善悪から生まれたものであるから、
倫理によって善悪は規定されない、倫理が規定するのは社会における善悪であって、
その根底となる善悪自体は、より根源的な概念として、
倫理とは独立して存在すると考える。
むしろ、派生したものが、派生のもととなったものを規定すると
考えるほうが不自然では無いかね?
368考える名無しさん:01/12/05 01:26
>>365
>あなたの言う「強制する性質」とは、具体的にはどういうことかね?
俺のいう強制とは自己の主張(善)を他者に是認させ、それに従うよう促す(勧める)という意味

善悪を社会に適用するのが倫理で、善悪そのものは倫理と無関係だというが
俺にいわせりゃ本末転倒、
倫理を事物に(比喩的に)適用したのが君の言う意味での「善悪」だ。
369349:01/12/05 01:31
>>367
359の考えでOKです。レス書いている間にアップされたので
見落としました!

「共同体の言語に変換」というのは、共同体ごとの倫理や道徳の
相対性を念頭に置いたものです。現代日本における社会的な道徳と、
パレスチナのテロリストグループにおける道徳の差異みたいなものを。

「派生したものが派生のもととなったものを規定するのは不自然」
この部分なんですが、確かに善は倫理から独立していると僕も
考えますが、派生した具体的、個別的、相対的道徳や倫理から
善という上位概念が遡行する形で見出されるのではないですか?
倫理や道徳を媒介として初めて善の概念が規定可能な形で立ち
現れて来るように理解しています。
今日はもう遅いのでもしレスしていただけるなら明日で結構です。
おやすみなさい。今日はどうも!
370考える名無しさん:01/12/05 01:44
善の性質の重要な点を書き忘れてた。
行為者の他者に対する「主張」を善と規定したが
この「主張」には行為者の自己保存への意志が介在している。
自己保存あるいは自己の利益に危機を与える者に対し、
精神的距離感を媒介になされた主張が善である。
(この場合、自己保存には自己の属する社会・階級の保存も含まれている)
371104,174:01/12/05 19:06
>>368
>倫理を事物に(比喩的に)適用したのが君の言う意味での「善悪」だ。
私は比喩を使った覚えは無いが、
私が事物に(比喩的に)適用している倫理とは、具体的にはどういったものかね?
372104,174:01/12/05 19:16
>>369
>善という上位概念が遡行する形で見出されるのではないですか?
>倫理や道徳を媒介として初めて善の概念が規定可能な形で立ち
>現れて来るように理解しています。
上位概念は遡行する形で見出されるといったことはあるかもしれないが、
倫理や道徳を媒介として「初めて」たち現れるということは必ずしもいえないだろう。

われわれは、実際の事柄を観察して、思索を進めていかざるを得ないわけだから、
善悪を知るために、その適用である倫理や道徳を観察するということは意味の無いことではないし、
観察し得るものからのみ情報が得られるという点では「初めて」というのはあながち間違ってはいない。
しかし、注意しなければならならいのは、倫理には、倫理固有の要素と、
善悪由来の要素が混在しているということを忘れてはならないということだ。
倫理固有の問題を、善悪の性質であるかのように考えては、善悪からは遠ざかることになってしまう。
373104,174:01/12/05 19:19
>>370
つまり、
自己(あるいは自己の属する社会・階級)保存を意図して、
「主張されたこと」が「善」だというのだね?
374EN−JAS:01/12/05 19:47
それ故に、人によって差異が出てしまうのは
馬鹿馬鹿しい事実・・・。
375369:01/12/06 00:19
>>372
今晩は、レスどうもです。

>倫理固有の問題を、善悪の性質であるかのように考えては、
>善悪からは遠ざかることになってしまう。
そうですね、この混同は議論に微妙な影を落とすことになりそうですね。
逆にこの倫理と善との境界設定の問題にこそ、各自の善の概念に対する
差異を象徴的に表しているような気がします。
>あるものが、そのものとして
>存在させるものがそのものにとっての善で、
>存在を妨げるものがそのものにとっての悪である。
この104,174さんの善の定義にもう一度立ち戻ってみますと、
ここで善と悪は互いに対立するもの、打ち消し合うものという、
解釈になります。プラトニズムではイデアの最高位として善が規定され、
悪とはその欠如、喪失として規定されているのではないでしょうか?
104,174さんの定義では悪が実体化されているような気がするのですが?
376666:01/12/06 06:27
>>355
もちっと解りやすく言えば良いだろうが。

ある平穏の状態が時として不穏になる。
其の時平穏から不穏へと変化させた要因が「悪」
また、不穏から平穏へと変化させた要因が「善」

と言う所だろう
これでいいだろ?
377104,174:01/12/06 19:43
>>375
>この104,174さんの善の定義にもう一度立ち戻ってみますと、

>104,174さんの定義では悪が実体化されているような気がするのですが?

実はその辺りについては、はっきりした考えを持っていない。
おそらくは、打ち消しあうものではなく、善の欠如が悪であろうという
感触は持っているが、対立・欠如それぞれの解釈の違いによって、
どのような問題があるのかについてよくわからないので、
保留しているといった状態だ。

その意味では、
>>355
の書き方はちょっと安易であったもしれない。
ただ、善についての定義はそのままでいいと思う。
378104,174:01/12/06 19:53
>>376

>>355
の表現は、

「善」の解釈は、対象が規定されてはじめてなし得る。

ということを盛り込もうとしたから、あのような表現になったのだよ。
「平穏」が「あるものがそのものであり続けること」を意味するのなら、
それでもかまわないが、できれば、「規定」にそれ以外の
(穏やかであるとか、平和であるとか)
といった意味を含ませたくないのだよ。
379666:01/12/06 21:19
>>378
なるほど失礼した。
「あるものがそのものであり続けること」


「あるものがそのものであり続けている過程で
 その有るものの価値観のなかでの
{あるものがそのものであり続けている過程}を不安定にさせるもの」

これが悪だと思うのだが。
380369:01/12/07 03:00
>>378
なるほど、「悪」の問題は難しいですね。
正直、何か独自の見解をお持ちかと思ったのですが残念です。
104、174さんの観点からすると「悪」が「実体化」してしまうと、
不可避的に「善」の定義が「悪」にも適応されてしまいますから、
イデアの最高位である「善」が相対的な観念になってしまう・・・
それはある意味「破綻」ですから容認するわけにはいきませんね。
しかし、「悪」を「善」を相対化しない道筋で、同時にそれを
「善」の欠如としてではなく、原理的に規定したい誘惑に駆られますが、
多分それは問題そのものを神学的なものに変質させてしまう可能性が
高いですね。まあ、簡単に答えの出せる問題ではないようです(w
381666:01/12/07 07:46
380>>
なるほど

「あるものがそのものであり続けている過程で
 その有るものの価値観のなかでの
{あるものがそのものであり続けている過程}を不安定にさせるもの」

は別に悪ではない何か  ともいえるな
対照的ということを証明するべきだな
382104,174:01/12/07 19:22
>>380
>イデアの最高位である「善」が相対的な観念になってしまう・・・
>それはある意味「破綻」ですから容認するわけにはいきませんね。
というか、私自身はイデア論については、
そこまですべて是認しているわけでは無い。

「人間の認識と独立して真実は存在する」
という点で、「イデア論的ではあるかな」
といった程度の考えだ。

最高位云々については、そういった位置づけ自体に、
なんの意味があるのかよくわからない。

私は、「善悪の判定」の問題は、
「あるものをそのものでありつづけさせ、よりそのもであるようにすること」
という目的を前提として、いろいろな行為事物を峻別するということだと思う。
(結果的に、「善」を考えることは、「そのもの」の定義、規定を考えることに
なるわけだが。)

イデアの概念も、イデアにおける善の位置づけ、
そして、善と悪の関係も、問題として考察することは可能だが、
それがどのような結論になったとしても、以上のような峻別について、
影響を与えないのならば、善悪の判定とは別の問題なのでは
ないだろうか。
383:01/12/08 23:41
しばらくこれなかった間にえらく進んでる(汗
とりあえず人を殺す事が何故悪、に関してですが、私的には、人にはその行為が道徳的でないと解る知能があるからだと、思いますが。
384766:01/12/09 08:57
報復。例えば交通事故で死んで
それを相手に擦り付けるであれば
殺すしかない。
そしたら、死は最高の責任取りだから。

現在はそうゆうやり方はとらない。
385マジデス ◆7y8WJd.s :01/12/12 19:38
せっかくさげられたスレなんだけど、俺の個人的理由で蒸し返します。

以前、>>344で書き込んだやり方を今日までやっていたんだけど、対角線論法からカントールのパラドクス、直感主義、形式主義、ラッセル、ゲーテルと来てついに自分のやっている事が崩壊してしまいました。
概念化できる集合が、世界に可能無限的にあり、無限集合みたいなことをしているので、それを背理法で否定したり繰り返してたのですが、他スレでラッセルのこと思い出してからは、もうぼろぼろ…っていうか、メタメタになりました。
概念化の作業を繰り返せば、いくらでも善悪を作れ、しかも存在し埋もれている概念も発見してしまう。これがいけない。
386マジデス ◆7y8WJd.s :01/12/12 19:40
長いので続き

一連の作業から使える結論を言うと、根源的(それに出来る限り近い)に「善悪」とは、
誰かがその時(複数、異なる場所、異なる時間に)、場当たり的に作った概念に過ぎず、にも関わらず後世、その概念を越えようしつづけた(メタ善悪とも言おうか?)だけに過ぎないなどという結果になってしまいました。
これから考えれば、いずれは「不完全さ」か「矛盾性」と善悪の概念が交叉してしまう。
この「いつか不完全性や矛盾性が証明されるか、されないか」というのはゲーテルの不完全性定理で述べられているので、俺の出した結論が

「人が善悪の不完全さや矛盾性を証明しない限り、「善悪」は永遠の未完成概念」

と、いうことになってしまいました。

途中の作業を端折ってますが、こんなところで…
387さなばびっち:01/12/12 19:44
簡単に言えば 多くの人間が ある事柄に対し 善だなあ と思えば
それは 善
悪だなあとおもえば それは 悪です
388マジデス ◆7y8WJd.s :01/12/12 19:49
>>387
その「恣意性」が、俺の仮説だと崩壊する危険性があるんだ。それが問題。

恣意性が未完なのはいいが、人間が数千年構築してきた概念が、もしかしたら崩壊するかもしれない。
それが、善悪という一部なのか、概念という大きな物なのか。

そのことが俺を悩ませている。
389さなばびっち:01/12/12 19:59
崩壊は かならずしも 悪ではありません
390マジデス ◆7y8WJd.s :01/12/12 20:10
>>389
悪とはいってない。ただ、棄却や崩壊に一抹の不安を覚えているだけ。
つーか、その悪でもないってのも崩壊するかも…

だめだ。今日の俺はメタメタすぎる…
391:01/12/12 21:00
マジレスさん。
しかたないっすよ。所詮僕らは、まだ動物的な人間。向上を求めて真理を探ってる最中だ。がんばりましょう。
392lee:01/12/12 21:02
まず動物において善悪はなかった
人間も始めは大筋、善的集団だった。(自分らに自覚はない)
ルールのない時代は集団にとって(最大公約数)の平均から
はみだした行為、人間を罰する口実に非善としての「悪」と
いう概念を生み出した。
この瞬間「善」の概念も産声をあげた。
これが時とともに対極思想に発展したと思われ。
393虞犯者:01/12/12 21:06
力こそ 善である。
しかし 私は 非力 である。
よって 私は 悪 である。
394lee:01/12/12 21:08
スマソ、補足です。
ゆえに善のアンチとして
初めて悪が存在できるわけです。
395:01/12/12 21:12
力ある者が、力無き者を善と判断する事もあるが?
力はあくまで、起用法だろ?
力が悪の誘惑を強く持っているだけだと思うが。
396マジデス ◆7y8WJd.s :01/12/12 21:14
>>391
いや、俺はマジデスです。確かに、このコテハンつけるとき、紛らわしくするために思いついたのだが…

>向上を求めて真理を探ってる最中だ
その向上の発端が、もしくは向上そのものの概念も崩壊しかねかいから不安。
しかし、少し落ち着くと、ただ不完全だった、矛盾があったって言うだけで、大して世の中が変わらないかもしれない。いつか変わるか?変わらないか?は、不完全性定理ではわからないから。(ちょっと短絡)
それもそれで不安だ。
397マジデス ◆7y8WJd.s :01/12/12 21:19
×崩壊しかねかいから不安。
○崩壊しかねないから不安。
398:01/12/12 22:05
マジデスさん。失礼しました。最近自分も、脳の活性が、衰えたかな(汗
善悪に近い意味合いで、天国と地獄がありますでしょ。まあ、信じれない要素もあるが。これって自分的には、宇宙と地球なんだよね、、、。
399:01/12/12 22:06
もっと言うと、自我と共有なんだ。
これについて、意見きぼん。
400lee:01/12/12 22:29
>>〜
私は人間の思考におけるポジティブのシンボルが天国、ネガティブ
のシンボルが地獄だと思われ。
ゆえに論理的位置ずけよりも、ビジュアル表現に終始している。
401104,174:01/12/12 23:03
>>386
少し議論を戻して恐縮だが・・・。

>誰かがその時(複数、異なる場所、異なる時間に)、場当たり的に作った概念に過ぎず、にも関わらず後世、その概念を越えようしつづけた(メタ善悪とも言おうか?)だけに過ぎないなどという結果になってしまいました。
その場合、まったくゼロから毎回つくりあげるのかね?

私は、善悪の概念は、言葉の意味としてもともとあって、
個々の場合において、それに照らして解釈していると理解するが、
あなたが解釈ではなく「作った」と考えるのはなぜかね?

「作ったの」のならば、その新たに作ったものを、善、悪、という以前からその当人が
知っていた(とおもわれる)もので呼ぶことができるのはなぜなのだね?
402名無しさん:01/12/12 23:22
もともと善悪なんてないよ。君が作っただけ。
403:01/12/12 23:31
leeさん
ポジティブ、ネガティブの部分をもう少し具体的に聞いてはダメですか?
404:01/12/12 23:43
空想事かもしれんが、まず知恵がないと、わける事も無理ですよね。自分は、この知能の進化の要因が宇宙からの刺激からという説に賛同するから、地球と宇宙に分かれる訳です。
405:01/12/12 23:53
ようするに、>>401さんの言う様な
善悪を作ったのは、誰?
でなく、進化の過程でその情報を取り入れたものだと思うんです。
406考える名無しさん:01/12/12 23:55
もともと善悪なんて自分で創るもの。
407マジデス ◆7y8WJd.s :01/12/12 23:57
>>401
>その場合、まったくゼロから毎回つくりあげるのかね?
俺の読みとりがあってるか分からんが、概念はゼロから作っているが(ゼロだって自然数だから、虚無ではない)
対象となる(善と呼んでも、何と呼んでもよい概念の対象)が幾つもある。

>善悪の概念は、言葉の意味としてもともとあって
やはりちょっと、読みとってるかわからないが、そのように「意味」として拾い上げる対象が無数にあり、
>あなたが解釈ではなく「作った」と考えるのはなぜかね?
作ったというより、「取り出した」といったほうが正しかった。

つまり、最初の善の「意味」は、「もっともらしい良いわけ」でも「独善的(今から言えば)」でも、「取り出す」ものは何でもよかった。
だいぶ、ラフな説明だが、俺はこう考えてしまった。
408考える名無しさん:01/12/13 00:00
大多数に支持される善ってのもあるな。
生活上いろんな側面からみて筋道が通っているような場合。
409:01/12/13 00:28
>>406>>408
ようは、自我よりか、共有よりかにならないか?
410哲学の哲人:01/12/13 00:37

善悪は糾える縄のごとし。善悪は地獄極楽。善悪は水波のごとし。善悪は友による。
善悪は友を見よ。善因善果。悪因悪果。

人の心の善悪が、この世の中の地獄、極楽をつくります。
相手の態度もこちらの仕向け方一つで良くも悪くも変わりますね。
善も悪も目の前にありますよ。
地獄極楽はあなた達のこころがつくるのです。
善悪、正邪は、全く反対のように考えられていますが、その差は僅かしかないの
です。波は水の高低があってこそ波といわれます。悪い人は、良い人を見いだ
す種となっていて、もとはたいした差があるわけではないのです。
善悪は表裏一体。善悪はもと不二です。
水は入れ物次第でその形はどうにでもなりますが、人も友人次第で、良くも悪くも
なのです。つきあう相手の感化は大きいということです。みなさんもきをつけまし
ょうね。昔から、人は善悪の友によると言われてきました。
朱に交わればね赤くなり、水は方円の器に随い、人は善悪の友によるのです。
首狩り族にとっては、他部族の人間を殺す事は(善/悪/善悪どちらでもない/善悪どちらでもある)。
412哲人:01/12/13 14:05
昔の首狩り族など、未開人のことは、その人たちに話しを聞かなければ分からない
ことですが、最近は文明に触れて、著しく覚醒したためにそのような人はいないよ
うです。十数年程前、テレビでインドネシアのダニ族のことを放映していました。
他部族との争いで被害を受けた時、加害部族に必ずその仕返しをしないと、被害を
受けた方の部族は必ず全滅するという言い伝えの世界で日々の暮らしをしていると
いう貴重な番組でした。例えば、殺されたら、殺され返すというものです。だから、
その地域社会では、永遠に争いが続いていたのです。彼らにも家族がいて、その愛
する家族を守るには相手に報復をしなければいけないのです。そうしないと自分た
ちに災いが起きるので、それを懸命に排除しようとする思いがヒシヒシと伝わって
くるのです。そこでは、仕返しで、他部族を傷つけようが、盗もうが、人を殺そう
が、報復の為には大変良いことなのです。そのお陰で自分の部族と家族全部が助か
るのです。こちらが、災いが去ったと喜んでいるとき、敵の部族は、悲しみのどん
底にあり、彼らは彼らで、自分の部族がこれでは滅んでしまうから、何とか、敵を
やっつけようと隙を伺うのです。かくして永遠に争いが続くのです・・・。
彼らをバカだと思う前に、迷信とは恐ろしいもので、それらに近い迷信によって、
我々現代人も同じことをしたり、あやつられてはいないだろうかと思うのです。こ
こから学ぶことは、善悪などは、意識レベル、覚醒レベルによって違ってくるとい
うことでしょう。意識が覚醒して崇高になつてくるにしたがって感性や直感で善悪
の判断を得られるものですが、心の意識が低い人は、なかなか迷信と気づくことは
難しいようです。善悪に関しても、心の意識の置き所によって、様々な解釈が生ま
れることは、この板が証明しています。宗教を信じている人の中に、盲信して、人
を騙してまでお金を集めて、教祖に貢ぎ、それが善であると心から信じて布教して
いる素直な若者もいますが、誰から見てもそれはどうかなぁ・・と思うのに本人は
真剣です。早急なる意識の覚醒を望まずにはおられません。
413さなばびっち:01/12/13 19:20

 絶対的な善とは 宇宙の存在そのもの
 相対的な善とは 人類社会が 決めるもの
414104,174:01/12/13 20:20
>>407
つまり、善悪を考えようとする個々の対象について考えたとき、
それぞれについて対象ごとの判断があるということだろうか。

それならば、個々の対象について、「これは善だ」「これは悪だ」と判断するとき、
対象とは独立して善悪の概念が存在し、
それに照らして判断しているということでいいのだろうか?

個々の対象それ自体も、それぞれに対して行う善悪の判断も異なるけれども、
「善だ」「悪だ」といえば(あるいはそれらがもっともらしい言い訳であっても、独善であったとしても)、
判断を下した当人以外にも、どのような判断を下したのかという(どのように言い訳したいのかという)
結果、意味は伝わる。つまり、言語上の意味として共通して了解しているところの、
「善悪」の概念は元から存在しているのではないかね。
415マジデス ◆7y8WJd.s :01/12/13 20:37
>>414
>「善悪」の概念は元から存在しているのではないかね。
その概念は存在「している」だけで、概念を広めていくと崩壊しかねないと言っている。
しかしながら、「善悪」は概念なので存在しているが、その「善悪」を概念つけた人間の「実在」は疑えないので、
概念の存在を作り出す、その「実在」が実は「ない」ものなのか、そうでなく「ある」のか?

今日はその考えに思い至ったので、「ある」ことに賭けることにした。
まあ、コイントスだね。

Tall oa Head?
416104,174:01/12/13 20:59
>>415
>その概念は存在「している」だけで、概念を広めていくと崩壊しかねないと言っている。
概念を「広める」とはどういうことかね?
崩壊のプロセスがイメージできないのだが。
417マジデス ◆7y8WJd.s :01/12/13 21:09
>崩壊のプロセスがイメージできないのだが。
広めるというと確かに語弊があるかもしれないが、俺がこのスレの>>344 あたりで始めた作業。
大元は、対角線論法。それから形式主義からとってきた定理などを利用した。
しかし、知ってのとおりこれらの無限集合の作業は、「ラッセルのパラドクス」や「不完全定理」で崩壊しているので

つまり
「人間の作り出した一つの概念の濃度を濃くして行った場合、その概念が完成(矛盾)するか?しないか?」は不完全性定理により、「分からない」
ので、可能無限としての作業として推し進めた。
その途中、>>386 で書いた。
「人が善悪の不完全さや矛盾性を証明しない限り、「善悪」は永遠の未完成概念」
というのが出てきてしまった。
418さなばびっち:01/12/13 21:25
294さん〔このスレの294ではありません〕
ここでも がんばってますね
419104,174:01/12/13 21:25
>>417
善悪が、濃度を濃くしたり薄くしたりといったことのできる性質をもった概念であるという仮定は、
どういった根拠によるものかね。
例えば、「長短」とか「明暗」といった概念は、濃度を濃くしたり薄くしたりできると考えるかね?
420マジデス ◆7y8WJd.s :01/12/13 21:35
>>419
概念の「集合」なら濃度は濃くできる。元々は、数学の集合で使われている。これは対角線論法に近い。
あと、濃度が薄いものはあるが、濃度を薄くすることは不可能。

「集合」同士を比較する場合、「数の多少」ではなく「濃度」で表す。
たとえば、数の集合の中で「自然数」の集合はもっとも濃度が少なく、いくらでも無限集合(濃くし続ける)できる「実数」はそれより濃い。
とか、人間の「濃度」より「四本足で歩くもの」の方が「濃度が濃い」とか。

ちなみに、概念は常に「濃く」なっています。
「長短」なら新たに伸びた木を切れば「長短」の新しい集合になります。
421104,174:01/12/13 21:54
>>420
集合論についてはよく知らないので誤解があったら申し訳ないが・・・。

あなたのいっているのは、
個々の対象に関する個々の事象、そして、それらに対する個々の人間の個々の解釈を集合とみなし、
その濃度を考えるということのように思える。(比較する対象は何と何なのだろう?)

つまり、濃度を語れるのは、解釈(の集合について)であって、
善悪それ自体の概念は濃度とは無関係なのではないかね?
422マジデス ◆7y8WJd.s :01/12/13 22:05
>(比較する対象は何と何なのだろう?)
普通は比較できないと思っていい。たとえば、「人」と「猫」は比較できない。どちらも、お互いの集合の中に互いの要素の一部がないから。
しかし、「人」と「四本足で歩くもの」は比較できる。「四本足で歩く」中に、ハイハイで歩く赤ん坊がいるので。

>つまり、濃度を語れるのは、解釈(の集合について)であって、
>善悪それ自体の概念は濃度とは無関係なのではないかね?
むー。ここらへんの大きな意見の相違があるようだ。

この解釈の相違も含めてそれも「〜でないもの」として別の集合を作れるのだが、それ以前に「概念」を我々は「解釈」していると思う。
それが、なにか「行為」や「思想」に当てはめ、新たな「概念」となり、それをまた「解釈」して…
この作業が無限集合の取っ掛かり。
これに対角線論法を当てはめると、パラドックスが始まっていく。
423マジデス ◆7y8WJd.s :01/12/13 22:09
×それが、なにか「行為」や「思想」
○それを、なにか「行為」や「思想」
424考える名無しさん:01/12/13 22:19
善悪で遊ぶのもうやめようね。聞きあきたから。もう風呂に入って寝なさい。
425マジデス ◆7y8WJd.s :01/12/13 22:25
>>424
俺、もう善悪はどうでもよかったから、スレ立てればよかったかな。
概念は永遠の未完成ってのが気になって気になって…
426マジデス ◆7y8WJd.s :01/12/13 22:28
sageとけばよかった。

まあ、実在に賭けたので、俺個人は落ち着いているので、スレは立てるべきではないだろう。
表か裏か?
427これも善悪か?:01/12/14 01:38
∩型の筒があったとする。右に理性欲の水、左に我欲の水が入ってる。中間の上層部に思考という空間があります。理性の量が我欲より増えれば我欲は押され、我が押せば理性も沈む。水のかさにはレベルもつく。知識と共に各々増し、密度の低い空間をほどよく絞める。
428考える名無しさん:01/12/14 01:38
ところが競り合って増えすぎてしまうと、思考は必要以上の圧迫を受ける。そして限界を越すと思は弾けて理、我にアブクのように散乱する。それと同時に理、我も混合を起こす。これが病的障害。
429考える名無しさん
調和が大事だってことだ。理性と感情、善悪もね。