1 :
st.dirty:
人間の本性にあるこの【聖】と【呪】。
色々な話題から本質に迫りたい。
うえ〜ん、1にのろわれちゃったよ。
聖(非日常)に対応するのは俗(日常)じゃないの?
呪はまじないの呪?陰陽??・・・ってかこれって民俗板逝きのネタかも(汗
4 :
st.dirty :01/09/24 05:19
>>3 どちらかといえば、対応するというよりは似たもの。
性質はにていいてもベクトルは逆、ぐらいの感じでしょうか。
「礼拝」「忌避」そのようなキーワードでくくる、聖と呪。
もちろん「聖−俗」との話もしてください。
>>4 ナルホド。礼拝−忌避でいくなら信仰の対象としての神−さわらぬ神にたたり無し、の神
みたいなものですか?でも忌避の元になるのは畏怖?ああ、でも礼拝もか(独言
その線引き、というか向きが逆になる要因を考える、のか?(汗
どの辺りが人間の本性にあるのでしょう?イマイチ聖・呪がつかめないのです(私の知識が偏ってるせいも有り)
それとも誰かの用語ですか?(無知ですまそ)
宗教・神話とかでは基本的に、自分達に利をもたらす=聖・害を為す=呪ですが。
聖−俗とは日本では晴れ・穢の考えに相当するです。こっちは哲学と関係・・・あるのか?(おい
「聖性」というと状態的で「呪」は、呪うという行為、意識的なもので
あまり性質が似ているとは思はない。
「呪」が対象を伴う概念に対して「聖」はそれ自体で独立した状況超越的な
概念ではないだろうか?
「聖性」と対応させるなら「邪性」、もしくは「貴賎感」で考えた方が
判り易い気がする。
7 :
st.dirty:01/09/25 02:39
モノや場に何らかの付加価値を与え得る。
それが「聖」・「呪」です。
その点で共通です。
ベクトルは逆です。
8 :
考える名無しさん:01/09/25 06:47
>>7 そそ。
バタイユの<宗教の理論>参照のこと。
(↑わかりやすいとおもふ)
9 :
考える名無しさん:01/09/25 08:00
呪聖夢 もあ のんぷりゅ
10 :
考える名無しさん:01/09/28 03:02
呪われた地、聖なる地。
本質的に同じなのなら、どうして人は「聖なる地」を求め、
呪われた地を忌避するのだ?