スレ立て代行
2 :
本当にあった怖い名無し:2013/12/01(日) 03:10:17.22 ID:NXFQn3TW0
それじゃあはじめるぞ
・この世界のことについて
物の動きの前には必ず霊の動きがある、霊の動きの前には霊の霊の動きがある
動きと表現しているが霊の動きとは霊の言葉のようなものである
人は人のみで意思して動いているのではない
人が動くには必ずその前なるものとして霊の動き=霊の言葉がある
人の思想や言葉の前にも霊の言葉がある
そして動きや思想、言葉だけではなく、物質世界にあるあらゆるものには前なるものとして霊の存在がある
霊にも形がありその現れとして、物質世界に物質的形式を持った「物」が生まれる
霊人が人の形をしているために人は人の形をしているのである
同様に霊の世界に山があり川があり家があるために物質世界にも山があり川があり家があるのである
霊的形式と物質的形式という違いこそあれ、物質世界にあるものは全て霊の世界にもあるといえる
霊と言うと少し胡散臭かったり分かりにくかったりするけれど、自分自身のことである
少し考えてみて欲しい
自分の性格について、性質について、自分の意思について、自分の言葉について
それら自分にある全てをぎゅっとまとめたようなものをイメージして欲しい
自分が自分たる根本をイメージしてもらえれば
大雑把にでも霊のイメージは伝わるのではないだろうか
霊の前には霊の霊がある、さらにその前には霊の霊の霊と限りないのである
図1
http://s2.gazo.cc/up/18024.jpg ではここで図1を見て欲しい
まず天についての説明
霊の霊の霊の……とさかのぼった先を天とする
人は地の世界に属するものとする
人の動きの前には霊の言葉があると説明した
そしてそれをさかのぼった先が天である
そして天には何がいるのかというと神様である
人の動きなり思想なりの元は神様から流れてきているのである
ただ神様の言葉が直接人に流れてきているわけではない
神様の言葉とは人に言葉として認識できる類のものではなく
神様から神様の下の霊、さらにその下の霊さらにその下の……と順を追って
少しずつ人の言葉に近づいてきて人に届けられるものなのである
天から地の流れはひとまずこれでいいとして
地にはもう一つつながっているものがある
図1に幽と書いてあるもの、幽界である
幽界についての説明
幽界というものがどんなものかと簡単に説明すると
思想や性質等が自分と違うものの事を理解しない、というようなそんな性質を持った霊の住む世界のことである
そして人の前なるものとしての霊にはこの幽界の霊も含まれる
また幽界からの言葉も天からと同じように段階を踏んで人に届けられるのである
人には同時に複数の霊が感応しうるのである
大別すると天界からと幽界からである
天界から自分までのつながりの全ての霊を本守護神
幽界から自分までのつながりの全ての霊を副守護神という
ちなみにみんなが自分自身であると感じているその人格のような思想のような
丸ごとそのまま自分自身である霊は正守護神という
また天界と幽界も天人と天使、陽霊人と陰霊人に分けられるのであるがそれはまた別の機会に
天からの言葉と幽界からの言葉について少し掘り下げていこうと思う
霊から流れてくる言葉、それを人が受ける場合について
霊の言葉を聞くにはその霊の持つ想念と自分の想念が一致している必要がある
というよりは自分と想念の一致した霊からの言葉が自分に聞こえているのである
霊が伝えようとしている想念を自分が知らなかったり、正しく理解していない場合
その霊が伝えようとする言葉は自分の想念、能力、知識の範囲内で表現され、正しく伝わらないのである
神様からの言葉も、その神様に通じる想念が無ければ聞こえないのである
天からの言葉が人に流れてきたときには愛、善、真、美と現れる
幽界からの言葉が人に流れてきたときには裏の愛、裏の善、裏の真、裏の美と現れる
・幽界からの言葉について
幽界からの言葉の「裏の〜」とは善悪等の実態と感覚を理解していない一方的なもののことである
つまり
自分の信じる善のみを善とし、それ以外を悪としてしまうような
自分の信じる真のみを真とし、それ以外を偽としてしまうようなそういう感じ
・天界からの言葉について
天界からの言葉は善悪等の実態と感覚を理解している立体的なものである
ということになるんだけどこれじゃあわけが分からないと思うので
この実態と感覚について説明していこうと思う
実態と感覚について
説明しやすいようにこの世界を都合よく表現した図を用意したのでまずはこれを見て欲しい
図2
http://s2.gazo.cc/up/18025.jpg 3段目が物質世界でその中の「f」を自分だとする
「a」と1段目2段目は霊の世界である
まず人に流れてくる霊からの言葉のことを思い出してほしい
「a」からの言葉が「b」へ流れ「d」へと流れ「f」の自分まで届く
この流れは言葉の流れであると同時に
「a」を分類し「b」と「c」が現れ
「b」を分類し「d」と「e」が現れ
「d」を分類し「f」と「g」が現れたということを表している
つまり霊的な親子関係である
さてここで「d」に注目して欲しい
「d」を分類して現れた結果が「f」と「g」である
「f」は自分である、では「g」はなんであるのか
「g」は物質世界に今ある感覚で言えばまったくの他人である
もちろん友人であったり家族であったりといった可能性もある
生涯出会うことの無い何の変哲も無いおっさんかもしれないし
近所のかわいいみよちゃんかもしれない
しかしこれは霊的な見方をすると、とても自分と近いものということになる
霊的な親子関係で表現するならば兄弟姉妹のようなものである
近いといっても性格や思想等がことごとく一致するというわけではない
「d」を分類して現れた事実がある以上どこかに違いがある
物質的な血のつながりのある兄弟姉妹でも外見が完全に一致するということが無いことに似ている
違いがあるとはいえ、おそらく「f」は「g」を理解できるのではないだろうか
10 :
仲間邦雄p3099-ipbfp804yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp:2013/12/01(日) 04:40:48.42 ID:cRIwL3oN0 BE:2407765875-2BP(4920)
青龍神界鏡
http://blog.goo.ne.jp/rankansan 神が伝えたいこと
http://www.logsoku.com/search?q=神が伝えたいこと 百七十一面目 試しの機会 その七
http://blog.goo.ne.jp/rankansan/e/538c8ed3768c94963323d96f63b1e472 宇宙万物の始原要素は波の振る舞いを見せる振る舞い、波動ですがその根源は宇宙開闢の大爆発です。
この大爆発が起きる一瞬前の、霊的現象に分類されるべき超圧縮現象が起きた原因はある霊的波動の集中集積でした。
その霊的波動を発したのは開闢済みの他の宇宙ご出身の全能感の霊的波動達です。
宇宙開闢の大爆発を起こしたのは愛の霊的波動の集中集積でした。
ある時、全能感の霊的波動が温かな愛の見つめ合い、抱擁状態に発展されたのです。
この宇宙の万物に宿る波動は宇宙開闢一瞬前に在った愛を永遠に伝えます。
全能感の霊的波動の爆出により、無限の成長を続ける宇宙はそして万物に全能感を許そうとします。
万物は常に霊的波動を賑やかに楽しげに発しています。
鉱物、植物、動物、大気、水、天体、物は皆生きているのです。
霊的波動の発信行為、意思があるのです。
人間の意識を構成する霊的波動群が参集する先は神界、天界等でそれぞれの魂に応じた
程度の全能感をそこで発揮する事が出来ますが、植物、動物にも同様にそれぞれの参集先が存在します。
彼らも意思を発し、また意志を問われているのです。
種を問わず共通して言えるのは参集の際の割り振り条件とは、発した意志にあります。
発した意志の程度により、発揮出来る全能感が変化するのです。
同様に「b」を分類して「d」と「e」が、「e」を分類して「h」と「i」が現れる
ここで「f」から見た「h」について考える
「f」から見た「h」は悪逆非道の非常識、理解不能の人格であったとする
しかし「f」と「h」は「b」で分類され更にそれぞれ分類され現れただけの同位のものなのである
そこに上下や善悪はないのである
本質的に善悪等は無いのであるが、「f」が「h」を悪であると感じることもまた真実である
平等であれど、どんなものにも差は生まれる、それは必然である
この世界にあるあらゆるものには多かれ少なかれ違いが存在する
と同時にこの世界にあるあらゆるものには共通性も存在する
「f」は「f」を善とし、「h」を悪とする、反対に「h」も「h」を善とし、「f」を悪とする
それでいいのである、ただ前提として善悪に上下がないということを理解していなければいけない
それにより一見相反する「f」と「h」は融和する道を見つけられるのである
12 :
仲間邦雄p3099-ipbfp804yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp:2013/12/01(日) 04:43:14.77 ID:cRIwL3oN0 BE:1238279292-2BP(4920)
百七十面目 試しの機会 その六
http://blog.goo.ne.jp/rankansan/e/29275a90ded8898371b154b88eaf3321 私は輪廻解脱者、神霊への昇格確定者を探します。
超新星爆発の無い恒星との出会いは覚醒した霊能力を行使して探せる喜びの一つです。
永遠がそこに居るのです。
彼らの出自はそれぞれですが、傾向として言えるのは高度もしくは困難判断従事業者が多いようです。
弁護士、医師、格闘家、芸術家、学者、大学教授、音楽家、作曲家、政治家、官僚、企業の重役、地下権
力組織の幹部、宗教家などが彼らの今の制服です。
彼らの死後を駆け足で説明すると、彼らはまず人生の始終を回想し、自身の死を認識するに至ると自身
の心理安定地で目を覚ましますがそこは大抵自身の自宅です。
肉体はありませんが、視界を自身の意思で遷移出来ます。
手が無く扉を動かせません。
代わりに通り抜ける事が出来ます。
車に気を付けつつ歩道を移動する途中、飛翔能力に気付きます。
勝り続ける驚愕の為、喜びはありません。
神霊昇格直後の魂に間もなく届く霊的波動がこう伝えます。
“お前はそうなったのだ。
落ち着いて楽しんでいくがよい。”
そして、すぐに気付く事になるある簡単な仕事を済ませば、その神霊は相似世界への入界が可能となります。
そこでは生前の自身の肉体や衣服を想念のみで取り戻す事が数秒で可能です。
後は神霊としての仕事の繰り返しです。
私が開示していく“記憶の潔斎法”実行に伴い自らの意思、強き意志に目覚めていく、
つまり神霊昇格化を起こすにかかる時間は早ければ四年、平均では七年、遅ければ十数年ほどと見ています。
“記憶の潔斎法”とは単に不始末の営為を済ませていく事です。
借りた物を返す。
散らかした物を片づける。
迷惑を掛けた人に謝る。
人間のごく一般的営為で済む事で、何らかの超常力や非常識意識、呪文、奇怪な習慣、
宗教的行などに訴える事は全く無く、誰でも実行可能であり説明を聞けばむしろ誰でも実
行すべきと思わざるを得ない内容です。
つまり何が言いたいかというと
これら相反すると見えるものは平等である、と同時にまた差別されるものでもあると
それを理解する必要があるのではないかと、そういうことが言いたい
平等と差別の真実を噛み分けそれを合一させる必要があると、そういうことがおれは言いたいのである
そのうえで左と右、自分がどちらを好むのかどちらに進むのか考えなくてはいけない
自分は左に進むのである、と自分を固めてしまう必要は無い
時により場合により、その都度考え直していけばいいのである
そうして人は成長していくことができるのである
平等と差別の合一とその理解
それがあってようやく相反するもの同士が語り合い、双方の納得のいく形を見つけられると思うのである
14 :
仲間邦雄p3099-ipbfp804yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp:2013/12/01(日) 04:45:20.98 ID:cRIwL3oN0 BE:825520043-2BP(4920)
百七十二面目 異世界への窓
http://blog.goo.ne.jp/rankansan/e/81f9b184e8c66520aff780ef27df9930 とどのつまり、創造主の責任なのです。
創造主の悪行の追加発生は現在はもう起き得ません。
権益の減耗との相関関係を認識したからです。
他の宇宙の創造主による問責がもしあれば、この宇宙のみならず方々の宇宙で定立済みの
支配に創造主同士の論争の余波が及び、摂理に乱れが起きます。
その為、問責はありません。
宇宙の創造主同士は無視が基本なのです。
この宇宙の創造主の狼藉振りはしかし、他の宇宙の創造主もほぼ間違い無くご存じにあらせられます。
魔界の風景画を一般人が閲覧しても不可思議な被害等は一切発生しません。
風景画周辺で起きた、現実的理力の大量駆動の履歴が風景画を通常の絵に既に埋没させてしまった為です。
風景画の景色は全ていわば風食作用によって成立しました。
恐らく宇宙開闢以前より受けてきた霊的波動により荘厳な美を讃える機械群が林立しておられます。
人間の魂が挟まるのは機械群に黒く小さく並ぶ隙間です。
完全な自己責任、自らの意思によりそこで有り難い問いを頂く事になりますが、それは結果的に激痛であり
永遠に続く事になります。
その隙間をこの世界の子供は閲覧出来ます。
この宇宙はおかしいのです。
摂理の機能度が論外なのです。
15 :
仲間邦雄p3099-ipbfp804yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp:2013/12/01(日) 04:49:03.63 ID:cRIwL3oN0 BE:825520526-2BP(4920)
神が伝えたいこと
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/occult/1378794516/227 227 名前:本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2013/11/08(金) 22:06:32.54 ID:8IvrB4uT0
♉
>>37 数とは、「命の学問」です。心理学者ユングは、潜在意識は数と何らかの関係があると
言っています。数学において、整数の無限の和が、ー1/12となります。
数という概念を実数だけで考えると、無限大に発散するとしか考えられない。
しかし、複素数空間で計算すると、整数の無限の和はー1/12を実体としてもつのである。
それが、限られた空間である実数空間だけで計算すると無限大に発散してしまうように見えるのである。
数の世界には、整数、実数、複素数の3つがある。複素数は数の一般化であり、
いわば、数えることのグローバリゼーションである。
整数だけの世界から見ると無限大に発散するとしか見えない、考えられない整数の無限の和が、
より高次元の複素数空間で捉えると収束してー1/12という実体をもつ。
目に見えるものがすべてではない。そのまま実体を言い表しているのではない、と言うことだ。
人間の存在もまたこれと同じようなことが言えるのではないだろうか。
つまり、肉体だけの存在ではなく、その背後には、複素数空間にも匹敵する虚の領域があるのではないだろうか。
それを、先人は霊魂と呼んだ。
霊魂の領域から脳を捉えると、複素数空間では整数の無限の和が収束するようにその答えもまた違って
くるのではないだろうか?
<複素数と数のグローバル化>
複素数⊂実数⊂整数
※整数の外側に実数の空間があり、実数の空間の外側に、複素数の空間が囲んでいる。
数学の世界では、複素数という概念を19世紀、ドイツの天才数学者リーマンによって示された。
新しい世紀の21世紀において、脳科学の世界がリーマンのような天才を必要としている。
肉体背後の虚の領域を解き明かすこれまでにないまったく新しい概念の登場を求められている。
複素数理論はその起爆剤になると確信されている。
魂を揺さぶる芸術とて、最初は前衛である。先駆的で、奇抜かつ受け入れがたく、批判の矢面に晒される。
しかし、前衛はやがて古典になる。
ではここで「天界からの言葉は善悪等の実態と感覚を理解している立体的なものである」まで戻ってみよう
つまり天界からの言葉というのは
感覚的には善と悪、真と偽、愛と憎、美と醜という相反するものではあるが
その実態は全て一平一列、上下なく、陰陽なく、善悪の無い平等なものである
そしてそのうえで善と悪、真と偽、愛と憎、美と醜には差が生まれ、主と従、表と裏として分類される
どちらが主でどちらが従かといったことは各々の立場によって、また場合によって変わってくるものである
とそういうような理解を内包した言葉なのである
そしてもう一つ上のほうで書いたものを引用
「霊の言葉を聞くにはその霊の持つ想念と自分の想念が一致している必要がある
というよりは自分と想念の一致した霊からの言葉が自分には聞こえているのである
霊が伝えようとしている想念を自分が知らなかったり、正しく理解していない場合
その霊が伝えようとする言葉は自分の想念、能力、知識の範囲内で表現され、正しく伝わらないのである」
つまり善悪等の実態と感覚を理解していない場合は幽界からの言葉が聞こえ
善悪等の実態と感覚を理解している場合は天界からの言葉が聞こえるということになる
より正確に言うなら
実態と感覚を理解していない場合でも天界からの声は聞こえている
しかしそれを理解するための想念が無いために、内容は歪められ幽界的な言葉となって聞こえてしまうのである
また反対に実態と感覚を理解している場合も天界からの言葉と幽界からの言葉が聞こえているのであるが
幽界からの言葉を平等と差別の合一により調和し、天界的な言葉として聞くのである
18 :
仲間邦雄p3099-ipbfp804yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp:2013/12/01(日) 04:58:28.71 ID:cRIwL3oN0 BE:1100693928-2BP(4920)
神が伝えたいこと
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/occult/1378794516/229 229 名前:本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2013/11/08(金) 22:56:14.43 ID:8IvrB4uT0
♉
>>37 >”私か。
>鶏の頭を堂々と喰らい、そして今や無と闘う青龍神界の神だ。”
宇宙の次元差の壁を超えて、神さまが地上に降りてこられるのは、どういうわけでしょう?
もちろん、自縛霊などが人間界にひっぱられていく場合とは、まったく異なっています。
神さまは神界から人間界に霊波を送ってきます。
万能である神さまは、霊波の波長を自在に変化させ、
宇宙全体を意識しながら同時に、地上のある一点に意識を集中させて、
われわれの波長と同調されるのです。
波長が異なるのは、神さまと人間の世界とのあいだだけではありません。
霊界内にも、それぞれの層があり、それぞれの波長をもつのです。波長のおそい界層からはやい界層へと
いくつにも分かれます。霊界にはいった霊魂は、しだいに自らを浄化し波長をはやめていくことで、
上の層へと昇っていくのです。そして人霊のたどりつけるもっとも波長のはやい層、
仏界の波長と同調し、その世界まで昇りつめたところで成仏したといえるのです。
霊界の頂点にあり、この世界全体を支配している世界、それが神界です。
神さまは、わたしたち人間にははかり知れない、それこそ、あらゆる力をもっておいでになります。
神さまは、宇宙を一秒間に、200万年光年の距離を移動されます。
19 :
仲間邦雄p3099-ipbfp804yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp:2013/12/01(日) 05:00:26.58 ID:cRIwL3oN0 BE:3302079168-2BP(4920)
百六十八面目 試しの機会 その四
http://blog.goo.ne.jp/rankansan/e/46a13a301b51c894727c2af608d209cf 全宇宙最高神の基本形象は人身青龍頭
神が伝えたいこと
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/occult/1378794516/230 230 名前:本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2013/11/08(金) 22:59:50.89 ID:8IvrB4uT0
♉
>>37 一光年というと、光が一年間かかって届く距離です。一光年の距離の200万倍を一秒で移動します。
もう具体的な数字などほとんど意味がない。まったく時間をかけずにあらゆるところに
おいでになるといったほうが、むしろわかりやすいでしょう。
神だまはいろいろなものに変化なさいますが、そのお駆けになるときには、龍神の御姿をおとりになると
いわれます。「龍」は、かなり修養された高度な霊能力者でなければ見ることはできません。
龍神とは、天上界であり、天上の神界におられる神々の呼称です。
龍神とは、天上界と呼ばれる神々が、この宇宙を支配・統治され、全宇宙のすべての問題を
解決する御力をもっておられることをわたしたちに示されるためにとられる御姿であるのです。
天上王神であらせられ、雲上ヶ原におかれては神々の行政の統括をなさっておられる最高神。
瀧王大尊(ときおうおおみこと)さまともお呼びいたします。
殷代の四神とは、北=黒龍、東=青龍、南=赤龍、西=白龍です。
前漢の四神とは、北=玄武、東=青龍、南=朱雀、西=白虎と変化しています。
20 :
仲間邦雄p3099-ipbfp804yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp:2013/12/01(日) 05:03:40.20 ID:cRIwL3oN0 BE:2063799465-2BP(4920)
ふむふむ、我々のいる宇宙を統べるものと、沢山、個々に存在する宇宙全てを統べる神界の神がいることはわかった
輪廻転生の制限は6回までか、それまでに常識を身に着けてこの世界から卒業しなければならない
でなければ制限回数を超えてまずいことになるわけか
少なくとも、我々が存在し、生まれて、死んで、そして魂をどうこうする上にあるのはこの世界の卒業が目標なのか
>>19 その書き込んでる内容
自分で考えたやつだとしたらおまえ面白いな
では大分知識が出揃ったので一度この世界を見てみよう
自分の身の回りのこと、世界情勢、自分の心の問題
どうだろう、おれには幽界からの影響が強く現れた世界に見えるのだが
みんなは世界がどう見えるだろうか
嫌なもの、自分が納得できないものそういったものを少し否定しすぎているようには見えないだろうか
ある者は神を信じ、ある者は神を信じず
ある者は善を愛し、ある者は悪を愛す
ある者は美を想い、ある者は醜を想う
ある者は真実を求め、ある者は偽りを求める
ある者は愛に生き、ある者は憎しみに生きる
お互いに否定しあう理由がどこにあるというのだろうか
歩み寄り手を握り合うことができるはずなのである
高い心境に至れば否定することもまた全体を向上させる正しい喜びとなるのだろうけれど
今世界にある否定のあり方はそうではないように見える
さてここで終わってはただの理想論を振りかざすおめでたい思想家である
おれはそんなものになる気は無いぞ
秘策があってこそこのスレッドを立てたのである
もう一度図1を見て欲しいまだ説明していないものがあるのである
地から天に伸びる矢印と地から幽界に伸びる矢印についてまだ説明していないのである
ここにとっておきの秘策が隠されているのである
では説明をはじめよう
地に流れてくる言葉には天からのものと幽界からのものがあると説明した
地に流れてきた言葉は地に降りて終わりではない
必然的に反射するのである、想念により一方は天界へ、一方は幽界へ
どのような想念がどちらに反射するのかは上で説明した仕組みと同様である
善悪等の実態と感覚、その理解があるかないかである
人に流れてきた霊の言葉が人の思想となり言葉となり行動等と現れると説明したが
反対に、物質的形式として人に現れた思想や言葉、行動等が天界や幽界の霊の世界に反映されているのである
ついでに言うと人の物質的形式としてある文字を書くだとか、絵を描くだとか、言葉を話すだとか、行動だとかは
全部人の「言葉」であると表現することができる
霊的形式として霊の言葉が段階を経て人に届き
それが物質的形式の言葉に変わり、また段階を経て霊の世界に返っていく
とそういうように表現することができる
天から降った雨が状態を変え水蒸気となり天に返っていくのと同じような仕組みである
繰り返すようになってしまうが、現在のこの世界は幽界との関係が非常に強い
たくさんの人が霊的形式として幽界からの言葉を聞き、それを物質的形式の幽界的な言葉として幽界に返している
それが現状である
そうして幽界と地の間をぐるぐるぐるぐる言葉を回して、少しずつ地は幽界的な面を強くしてきたのである
であれば問題の解決は実は容易である
幽界への言葉の流れを減らし、天界への言葉の流れを増やす
天界からの言葉を聞ける人を増やし、幽界からの言葉を調和させられる人を増やす
それだけでいいのである
あとは天と地の間を言葉がぐるぐるぐるぐる回って、一歩一歩地に天界の影響力を増していくのである
そして重要なのが、なにも天界からの影響があるのは人だけではないということである
物質世界にあるあらゆるものには前なるものとしての霊の存在がある、と最初のほうで書いた
つまり人が正しく言葉を発しそれが天界の想念と一致するのであれば
この世界にあるあらゆるものがその言葉のもつ想念の方向に向かい得るということなのである
これが天界と地上世界の関係の恐ろしくもありがたい神秘なのである
裏であり影である幽界には人を動かすことはできてもこういった世界そのものを動かすような働きは無いのである
この世界にはいったいどれだけの神秘が隠されているだろうか
人が知る範囲などまだまだたかが知れている
そんなわけが分からなくも強大な世界そのもののようなものが味方となりえるのである
その「世界そのもの」の中には幽界さえも含まれているのである
幽界までも味方となりえるのである
これがこのスレッドを立てて伝えたかった秘策である
気をつけなければいけないのが、幽界とのつながりを完全に断つ必要はないということ
むしろ完全に断ってしまってはいけないものなのである
ここまでは少し幽界を悪者に見立てたような書き方をしてきたが
幽界があることも必然であり、また必要なのである
幽界を悪として滅ぼさんとしてしまってはいけない
それでは善悪等の実態と感覚を理解しているとは言えなくなってしまうのである
天と地と幽もまた、上下無く善悪無く、一平一列の平等なものなのである
しかしくどいようだが、平等なものには差が生まれる必然がある
この場合は天界が表で幽界が裏、地は天界と幽界の両方の性質を持つべき場所であるのだが
天界が表で幽界が裏である以上、地の表は天界とし、地の裏を幽界とする、それがあるべき形である
天界と幽界と地上世界、この三界はお互いに手を握りあうことができるはずなのである
表と裏というと少し分かりにくいかもしれないが
それぞれメインとサブ或いは主と従と言い換えてもいいものである
今の地上世界はそれがひっくり返ってしまっているのである
ここからは、どうやって幽界への言葉の流れを減らし、天界への言葉の流れを増やすか
どうやって天界からの言葉を聞ける人を増やし、幽界からの言葉を調和させられる人を増やすか
について説明していこうと思う
もう察している人もいると思うが
善悪等の実態と感覚を噛み分け理解する人を増やすことが基本である
つまり分かりやすく表現すると
「対立がある場合、どちらも善でも悪でもないという前提が無いと話がこじれてしまう」
ということを理解して欲しいのである
このスレッドを読み返してみたり
「ひふみ神示」とか「日月神示」とかよばれてるものを読んでみても役に立つことがあるかもしれない
そもそもここに書き込んだことは全てひふみ神示とかに書いてあったことなのである
自分自身の思想に想いをはせることも理解を深めるための大切なことである
しかしというべきかやはりというべきか、近道などは無く一歩一歩理解に向かって進んでいくしかないのである
あとついでに参考になるかは分からないが、心について少し話してみようと思う
心の中のことも今まで書いてきたことと同様に考えてみて欲しい
右に行こうとする心、左に行こうとする心
自分の中に相反する心があって困った、或いは苦しんでいるという人は結構いるのではないだろうか
どちらで行くべきか、これは善なのか、これは悪なのか、と
しかしその相反する心というものも本質的には上下、善悪は無いのである
故に自分の好きなほう、望むほうを選べばそれでいいのではあるが
なかなかそう簡単にはいかないものである
物質的な制約、金銭の問題、そういう何かしらの障害のようなものに阻まれ続け
果ては何もやりたいことが無くなってしまう
自分の好きなことが分からない、自分の願いが分からない
そうなっている人は、結構いるのではないだろうか
善悪の実態だ感覚だと言ってもどうにも心が動かない
なれば、その心が動かないことをまず受け止めなければいけないのではないだろうか
受け止め、理解し、それを喜べるようになったらしめたものである
どんなに辛く苦しい状況であろうと現状は現状、まずそれを受け止め、理解しなければ
自分自身が何者であるのか、何を願い何を望むのか
考えなくてはいけない
人は全て許されているのである、許すも許さないも、そもそも罪がありはしないのである
罪が無ければ罰も無い道理
そんなに苦しまなくてもよいはずなのである
死を恐れるならおれが死後について語ろう
否定されることを恐れるならおれがあなたの正当性を語ろう
この世界が気に入らないというのなら一緒に世界を変えてみよう
どうか我慢をしないでくれ、どうか無理をしないでくれ
自分に嘘をついてもいずれ行き詰ってしまうから
もしこの文章をまともに読んだ人がいるならば
この文章にとらわれすぎないように気をつけて欲しい
おれが書いたことが正しいとは限らない
この文章にも改善の余地があるだろうし、そもそも間違っているかもしれない
だからこれを読んだ人が各自で胸に手を当てて考えてみて欲しい
このスレッドがそういうことを考えるきっかけになれば嬉しい
あと、目立たないだけでもう結構な数の人が
ここでおれが書き込んだような類のことに気づいているんじゃないだろうか
意識的と無意識的の違いはあれど
最近はちらほらとそういった人の働きが見て取れる
以下はおれが考えた文章ではないけれど
今日(こんにち)までの御教は、悪を殺せば善ばかり、輝く御代が来ると云ふ、これが悪魔の御教(みおしへ)ぞ、
この御教に人民は、すっかりだまされ悪殺す、ことが正しきことなりと、信ぜしことのおろかさよ、
三千年の昔から、幾千万の人々が、悪を殺して人類の、平和を求め願ひしも、それははかなき水の泡、
悪殺しても殺しても、焼いても煮てもしゃぶっても、悪は益々ふへるのみ、
悪殺すてふ其のことが、悪そのものと知らざるや、神の心は弥栄ぞ、本来悪も善もなし、只み光の栄ゆのみ、
八股おろちも金毛も、ジャキも皆それ生ける神、神の光の生みしもの、
悪抱きませ善も抱き、あななふ所に御力の、輝く時ぞ来たるなり、
善いさかへば悪なるぞ、善悪不二と云ひながら、悪と善とを区別して、導く教ぞ悪なるぞ、
只御光の其の中に、喜び迎へ善もなく、悪もあらざる天国ぞ、皆一筋の大神の、働きなるぞ悪はなし、
世界一家の大業は、地の上ばかりでなどかなる、三千世界大和して、只御光に生きよかし、
生れ赤児となりなりて、光の神の説き給ふ、誠の道をすすめかし、マコトの道に弥栄ませ。
書きたいこと書いたからもう寝る
>>33 こんなところに書いても誰も耳を貸してくれないぞ
口で伝えよとウシトラノコンジン様言ってるだろう。
型出せよ
36 :
本当にあった怖い名無し:2013/12/01(日) 15:30:48.80 ID:JZXbKLWX0
とちゅー読んでないけどまるっと同意。
おつー!
やばい、即眠くなる
罠だな
中卒?
このスレに少しでも興味を持ってくれた人がいるならありがとう
>>35 自分にできる範囲のことからやっていくからどうか見守っていて欲しい
>>38 ひみちゅ
前にひふみ神示読んでて最近離れてたけど、やっぱり腑に落ちるところがあるわ
だれか短くまとめてください
長文すぎる
43 :
本当にあった怖い名無し:2013/12/04(水) 05:25:13.12 ID:erC2XsDk0
しゅうせーしゅうせー
というかちょっと追加
ver1
ある者は真実を求め、ある者は偽りを求める
ある者は愛に生き、ある者は憎しみに生きる
お互いに否定しあう理由がどこにあるというのだろうか
歩み寄り手を握り合うことができるはずなのである
高い心境に至れば否定することもまた全体を向上させる正しい喜びとなるのだろうけれど
今世界にある否定のあり方はそうではないように見える
ちょっと上のだけだと勘違いが生まれそうだから
ver2
ある者は真実を求め、ある者は偽りを求める
ある者は愛に生き、ある者は憎しみに生きる
どちらが上でどちらが下で、どちらが善でどちらが悪である
今は上に立つ人が勝手に決めた倫理で一色に塗りつぶされてしまっているが
そんなもの気にする必要は無いのではないだろうか
もっと自分のありたいようにあっていいのではないだろうか
たとえ他人に悪であると罵られてもそれは気にしなければいけないようなことではないのではないだろうか
これも追加
44 :
本当にあった怖い名無し:2013/12/04(水) 05:32:04.27 ID:erC2XsDk0
同じように
勘違いが生まれそうだから
「対立がある場合、どちらも善でも悪でもないという前提が無いと話がこじれてしまう」
に
「善と悪に上下が無いという前提を理解していれば、気に入らないやつをひねりつぶしてもいい」
これも追加
つーかいろいろ書き直してーな
45 :
本当にあった怖い名無し:2013/12/04(水) 08:59:00.97 ID:00eVPk3x0
書き直したいとこは書き直して、
1000いくまでに君が最上であると思うものを創っておくれ☆
読んでるからさー♪
短くまとめた
こんな感じのことが言いたい
@物事には主と従がある
例:主=善 従=悪 の人と 主=悪 従=善 の人がいる
例:主=美 従=醜 の人と 主=醜 従=美 の人がいる
自分が何を主として何を従とするのか自分の胸に聞いてみよう
A自分の心と体に嘘をつかない、無理をしない、正直に生きよう
心と体にとって気持ちのいいように生きよう
B善と悪、美と醜等対立する関係のものは平等であり同等のもの
自分と違うものを排除しようとするのはやめよう
C神様はいる、またはそんな感じのものはいるかもしれない
D自分の人生に意味がないなんてことは無い、好きなことをしよう
何もしたいことが無い人、したいことが無くなってしまった人はチャンス!
自分自身についてよく考えてみよう
これら@〜Dを合わせて考えた場合に矛盾があるか考えてみよう
自分が良いと思ったことをしよう
自分が悪いと思ったことはしないようにしよう