あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
「兄弟たちよ、もしあなたがたのうち、どなたか、この人々に何か奨励の御言葉がありましたら、
どうぞお話し下さい」と言わせた。 そこでパウロが立ちあがった。
そして手を振りながらこう言った。「イスラエルの人たち、ならびに神を敬うかたがた、どうかお聞き下さい。
この民、イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び出し、エジプトの地に滞在中、この民を大いなるものとし、
御腕を高くさし上げて、彼らをその地から導き出されました。
そして約四十年にわたって、荒野で彼らを大切にはぐくみ育て、 カナンの地では七つの異民族を打ち滅ぼし、
その地を彼らに譲り与えられました。 それらのことが約四百五十年の年月にわたったのです。
(使徒行伝13:13-20)
その後、神は裁き人たちをおつかわしになり、預言者サムエルの時にまで及びました。
その時、人々が王を要求したので、神はベニヤミン族の人、キスの子サウロを四十年間、
彼らにおつかわしになったのです。
それから神はサウロを退け、ダビデを立てて王とされました。彼については、こうあかしをなさいました。
『わたしはエッサイの子ダビデを見い出した。彼はわたしの心にかなった人で、わたしの思うところを、
ことごとく実行してくれるであろう』と、このように仰せられたのです。
神は約束にしたがって、このダビデの子孫の中から救い主イエス様をイスラエルに送られましたが、
ご来臨される以前に、ヨハネがイスラエルの全住民に悔改めのバプテスマを、
あらかじめ宣べ伝えていました。
ヨハネはその一生の行程を終ろうとするにあたって、こう言いました、『わたしは、あなたがたが
考えているような者ではありません。しかし、わたしのあとからいらっしゃるかたがおられる。
わたしはそのかたのくつを脱がせてあげる値うちもない』。
(使徒行伝13:21-26)
愛する兄弟たちよ、アブラハムの子孫のかたがた、ならびに皆さんの中の神を敬う人たちよ。
この救いの御言葉はわたしたちに贈られましたが、エルサレムに住む人々やその指導者たちは、
イエス様を認めずに死刑にし、それによって、安息日が来るたびに朗読する預言者の御言葉が成就しました。
まったく死に当る理由が何も見いだせなかったにもかかわらず、ピラトに強要してイエス様を殺してしまいました。
そして、イエス様について書いてあることを、すべて成し遂げてから、人々はイエス様を木から取りおろして
墓に葬り去りました。 しかし、神はイエス様を死人の中から、よみがえらせてくださったのです。
その後イエス様は、ガリラヤからエルサレムへ一緒に上った人たちに、幾日ものあいだ現れになり、
彼らは今や、人々に対してイエス様の証人となっています。
わたしたちは、神が先祖たちに対してなされた約束を、ここに宣べ伝えているのです。
(使徒行伝13:26-32)
5 :
記憶喪失した男:2010/09/16(木) 16:14:04 ID:/kw4rYgY0 BE:2658989568-2BP(791)
..,,,,,,,,,,,,,,,, | ̄ ̄|
ミ,,,,,;露;;;,ミ ∧,,∧ _☆米☆_
( `_っ´) <`∀´*∩))__ ニ ;∧_∧: ( ´_⊃`)
⊂ ⊂ ノ彡 (⊃ ノ __ _ :<l|l;`Д´> ( )
Y .人 (( ヽ/ ) ;(ミ つつ: | | |
(_)'J (_)J  ̄ ̄ =:ム__)__); (__)_)
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/ ; /
/.,,,// / こ、これは
>>1乙じゃなくて、韓国外交なんだから
<*`∀´*> 変な勘違いしないでよね!
//ー--/´
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∧∧ / //; ∧日∧
/中 \ / / (# ´д`)
(`ハ´ ;) ___ ニ≡三(⌒)(⌒) ノ|ソ|"\
( ~__))__~) ニ∧_∧ __ __ 三 v⌒<丶`∀´> \ノ」==ヽ!ノ
| | | <`∀´ ;>⌒) ____ ニ 乂_) UU /_l _|
(__)_) = と と_(_つ 从
6 :
記憶喪失した男:2010/09/16(木) 16:15:13 ID:/kw4rYgY0 BE:1938846757-2BP(791)
リンゴさんにスレを立てる知性があるとは思わなかった。
昨日はひどい詩を書いて、ごめんね。
神は、イエス様をよみがえらせて、わたしたち子孫にこの約束を、お果しになりました。それは詩篇の第二篇に、
『あなたこそは、わたしの子。きょう、わたしはあなたを生んだ』と書いてあるからです。
また、神がイエス様を死人の中からよみがえらせて、いつまでも朽ち果てないものとされたことについては、
こう言われました。
『わたしは、ダビデに約束した確かな聖なる祝福を、あなたがたに授けよう』と。
だから、ほかの箇所でもこう言っておられます、
『あなたの聖者が朽ち果てるようなことは、お許しにならないであろう』。 事実、ダビデは、その時代の
人々に神の御心にしたがって仕えましたが、やがて眠りにつき、先祖たちの中に加えられて、
ついに朽ち果ててしまいました。 しかし、神がよみがえらせたかたは、朽ち果てることがなかったのです。
(使徒行伝13:33-37)
>>6 気にしないで。
だから、愛する兄弟たちよ、この事を承知してください。すなわち、このイエス様による罪のゆるしの福音が、
今やあなたがたに宣べ伝えられています。
そして、モーセの律法では神の御前に正しい者と認められることができなかったすべての事についても、
信じる者はもれることなく、イエス様によって神の御前に正しい者と認められるのです。
だから預言者たちの書に書いてある次のようなことが、あなたがたの身に起らないように気をつけなさい。
『見よ、侮る者たちよ。驚け、そして滅び去るがいい。わたしは、あなたがたの時代に一つの事をしよう。
それは、人がどんなに説明して言い聞かせても、あなたがたにはとうてい信じられない事である』」。
ふたりが会堂を出る時、人々は次の安息日にも、これと同じ話をしてくれるようにと、しきりに願った。
そして集会が終ってからも、大ぜいのユダヤ人や信仰深い改宗者たちが、パウロとバルナバとに
ついてきたので、ふたりは、彼らが引きつづき神の恵みにとどまっているようにと、説きすすめた。
そして次の安息日には、ほとんど全ての市をあげて、神の御言葉を聞きに集まってきた。
するとユダヤ人たちは、その群衆を見てねたましく思い、パウロの語ることに口汚く反対した。
(使徒行伝13:38-45)
パウロとバルナバは大胆に語りはじめた、「神の御言葉は、まず、あなたがたに語り伝えられなければならなかった。
しかし、あなたがたはそれを退け、自分自身を永遠の命にふさわしくない者にしてしまったのです。
だから、わたしたちはこれから方向をかえて、異邦人たちの方に行く。 主はわたしたちに、こう命じておられます、
『わたしは、あなたを立てて異邦人の光とした。あなたが地の果てまでも救いをもたらすためである』」。
異邦人たちはこれを聞いて喜び、主の御言葉をほめたたえてやまなかった。
そして、永遠の命にあずかるように定められていた人は、みな信じるようになった。
こうして、主の御言葉はこの地方全体にひろまって行った。
ところが、ユダヤ人たちは、信心深い貴婦人たちや町の有力者たちを煽動し、パウロとバルナバを迫害させ、ふ
たりをその地方から追放した。 ふたりは、彼らに向けて足のちりを払い落して、イコニオムへ行ったが、
弟子たちは、ますます喜びと聖霊とに満たされていた。
(使徒行伝13:46-52)
主をほめたたえよ。その聖所で神をほめたたえよ。その御力のあらわれる大空で主をほめたたえよ。
その大能のはたらきのゆえに主をほめたたえよ。
その優れて大いなることのゆえに主をほめたたえよ。ラッパの声をもって主をほめたたえよ。
立琴と琴とをもって主をほめたたえよ。
鼓と踊りとをもって主をほめたたえよ。緒琴と笛とをもって主をほめたたえよ。
音の高いシンバルをもって主をほめたたえよ。鳴りひびくシンバルをもって主をほめたたえよ。
息のあるすべてのものに主をほめたたえさせよ。主をほめたたえよ。(詩篇150:1-6)
11 :
トモダチ:2010/09/16(木) 16:43:06 ID:MO8ByfRQ0
イエスの母はマリアでユダヤ人。父はガブリエルで天の住人だよ。純粋な
ユダヤ人ではないよ。モーゼはエジプト王エクナントの兄弟でエジプト人だよ。
イエスは磔にあったが、仮死状態で3日の看病の後に回復したんだよ。その後、
インドのスリガナルに逃れそこに住み115歳で老衰で死ぬまで生きたのさ。
モーゼは哀れにも殺されたよ。ヤハウエ、神とは英知の王という人間の階級だよ。
従って、全能ではなく、人間同様に間違い泣き叫びもする不完全なものだよ。
全能は創造(宇宙意識)だよ。創造のみが尊敬に値するね。
12 :
記憶喪失した男:2010/09/16(木) 17:09:37 ID:/kw4rYgY0 BE:830934735-2BP(791)
13 :
本当にあった怖い名無し:2010/09/16(木) 17:35:18 ID:PAjct3CXO
うちが仏教です
やです
主をほめたたえよ。その聖所で神をほめたたえよ。その御力のあらわれる大空で主をほめたたえよ。
その大能のはたらきのゆえに主をほめたたえよ。
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
息のあるすべてのものに主をほめたたえさせよ。主をほめたたえよ。(詩篇150:1-6)
何2chで布教活動してんだよ。
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
主をほめたたえよ。その聖所で神をほめたたえよ。その御力のあらわれる大空で主をほめたたえよ。
その大能のはたらきのゆえに主をほめたたえよ。
20 :
本当にあった怖い名無し:2010/09/16(木) 21:31:57 ID:Ep3mmUUt0
CRキリスト物語パチンコで復活
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
その大能のはたらきのゆえに主をほめたたえよ。
主をほめたたえよ。その聖所で神をほめたたえよ。その御力のあらわれる大空で主をほめたたえよ。
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
イエス様の十字架上での死の意味は、多くの人の罪のあがないとして、主イエスご自身の命を信じる人々に与えるためです。
イエスキリストの御言葉
「それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、
また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じであるからです」。 マタイ20:28
イエスキリストのみことば
「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためです。 わたしはよい羊飼いである。
よい羊飼いは、羊のために命を捨てるのです。」ヨハネ10:11
イエスキリストのみことば
「わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、また裁かれることがなく、
死から命に移っています。」 (ヨハネ5:19-24)
イエス様のみことば
「よくよくあなたがたに言っておきます。羊の囲いにはいるのに、門からでなく、ほかの所からのりこえて来る者は、
盗人であり、強盗です。 門からはいる者は、羊の羊飼である。 門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞きます。
そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出すのです。 自分の羊をみな出してしまうと、彼は羊の先頭に立って行きます。
羊はその声を知っているので、彼について行くのです。 ほかの人には、ついて行かないで逃げ去ります。その人の声を知らないからです」。
イエス様は彼らにこのたとえを話されたが、彼らは自分たちにお話しになっているのが何のことだか、わからなかった。
そこで、イエス様はまた言われた、「よくよくあなたがたに言っておきます。わたしは羊の門です。 わたしよりも前にきた人は、みな盗人であり、
強盗である。羊は彼らに聞き従わなかった。 わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくでしょう。
盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。
わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためです。」
わたしはよい羊飼です。よい羊飼いは、羊のために命を捨てます。羊飼いではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを見ると、
羊を捨てて逃げ去ります。そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らします。 彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからです。
わたしはよい羊飼いであって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っています。 それはちょうど、父がわたしを知っておられ、
わたしが父を知っているのと同じです。そして、わたしは羊のために命を捨てます。
わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うでしょう。
そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼いとなるでしょう。 父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さいます。
命を捨てるのは、それを再び得るためです。 だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのです。
わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めです」。
これらの御言葉を語られたため、ユダヤ人の間にまたも分争が生じた。 そのうちの多くの者が言った、
「彼は悪霊に取りつかれて、気が狂っている。どうして、あなたがたはその言うことを聞くのか」。
他の人々は言った、「それは悪霊に取りつかれた者の言葉ではない。悪霊は盲人の目をあけることができようか」。
そのころ、エルサレムで宮清めの祭が行われた。時は冬であった。 イエス様は、宮の中にあるソロモンの廊を歩いておられた。
するとユダヤ人たちが、イエス様を取り囲んで言った、「いつまでわたしたちを不安のままにしておくのか。
あなたがキリストであるなら、そうとはっきり言っていただきたい」。
イエス様は彼らに答えられた、「わたしは話したのだが、あなたがたは信じようとしない。
わたしの父の名によってしているすべてのわざが、わたしのことをあかししている。
あなたがたが信じないのは、わたしの羊でないからである。 わたしの羊はわたしの声に聞き従う。
わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。 わたしは、彼らに永遠の命を与える。
だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない。
わたしの父がわたしに下さったものは、すべてにまさるものである。そしてだれも父のみ手から、それを奪い取ることはできない。
わたしと父とは一つである」。ヨハネ10:19-30
主をほめたたえよ。その聖所で神をほめたたえよ。その御力のあらわれる大空で主をほめたたえよ。
「神様は人をかたより見ないかたで、 神様を礼拝し、また良い行ないをしている人はどの国民でも
受けいれて下さることが、ほんとうによくわかってきました。
あなたがたは、神様がすべての者の主なるイエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、
イスラエルの子たちにお送り下さった御言葉をご存じでしょう。
それは、ヨハネがバプテスマを説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ全土にひろまった福音をのべたものです。
神様はナザレのイエス様に聖霊と御力とを注がれました。このイエス様は、神様が共におられるので、
よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました。
わたしたちは、イエス様がこうしてユダヤ人の地やエルサレムでなさったすべてのことの証人です。
人々はこのイエス様を木にかけて殺したのです。
しかし神様はイエス様を三日目によみがえらせ、 全部の人々にではなかったが、わたしたち証人として
あらかじめ選ばれた者たちに現れるようにして下さいました。
わたしたちは、イエス様が死人の中からよみがえり復活された後、共に飲み、食事をしました。
それから、イエス様ご自身が生者と死者との審判者として神様に定められたかたであることを、人々に宣べ伝え、
またあかしするようにと、神様はわたしたちにお命じになったのです。
預言者たちもみな、イエス様を信じる者はことごとく、その御名によって罪のゆるしが受けられると、あかしをしています」。
ペテロがこれらの御言葉をまだ語り終えないうちに、それを聞いていたみんなの人たちに、聖霊がご降臨された。(使徒10:34-44)
ここで、あなたがたに神秘を告げよう。すべてわたしたちは、眠りにつくのではありません。
終りのラッパが鳴り響きわたると共に、瞬く間に、一瞬にして変えられます。
ラッパが鳴り響きわたると、死者は朽ちない者によみがえり復活し、わたしたちはみな、変えられます。
なぜなら、死ぬべき今の体は、決して死ぬことのない、永遠に生きる体を必ず着ることになるからです。
この朽ちるものが不朽を着、この死ぬものが不死を着るとき、聖書に書いてある御言葉が成就します。
「死は勝利に飲み込まれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。 しかし神様に感謝しよう。わたしたちの主イエス・キリストによって、
わたしたちに勝利を授けてくださったからです。
こういうわけで、愛する兄弟のみなさん。堅く立って動揺されることなく、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。
主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからです。
(コリント人への手紙15:51-58)
主をほめたたえよ。その聖所で神をほめたたえよ。その御力のあらわれる大空で主をほめたたえよ。
主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
34 :
トモダチ:2010/09/17(金) 01:22:09 ID:1CAYXGDh0
主を創造(宇宙意識)、神をヤハウエ(英知の王)と置き換えれば正しいよ。
イエスキリストのみことば
「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためです。 わたしはよい羊飼いである。
よい羊飼いは、羊のために命を捨てるのです。」ヨハネ10:11
36 :
トモダチ:2010/09/17(金) 10:19:30 ID:YIhp0Ibo0
羊飼いは羊を残して命を捨てないでね。良い羊が飢えないように、一緒に
長生きしてね。イエス様の様に。
イエスキリストのみことば
「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためです。 わたしはよい羊飼いである。
よい羊飼いは、羊のために命を捨てるのです。」ヨハネ10:11
主イエス・キリストの御言葉
「わたしの友であるあなたがたに言っておきます。からだを殺しても、そのあとでそれ以上
なにもできない者たちを恐れてはいけません。
恐れるべきかたがだれであるか教えてあげよう。殺したあとで、さらに地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。
そうです、あなたがたに言っておきます、そのかたを恐れなさい。
五羽のすずめは二アサリオンで売られているではありませんか。
しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいません。 その上、あなたがたの頭の毛までも、
みな数えられています。恐れることはありません。
あなたがたは多くのすずめよりも、優れた者ではありませんか。 そこで、あなたがたに言います。
だれでも人の前でわたしを受けいれる者は、人の子も神の天使たちの前で受けいれるでしょう。
しかし、人の前でわたしを拒否する者は、神の天使たちの前で拒否されることになるでしょう。」
(ルカ12:4-9)
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、
神様の栄光となるのです。だから、わたしたちは落胆しません。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。
なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりに
わたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくのです。
(コリント第二の手紙4:15-18)
わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエス様が
いらっしゃるのですから、 わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではありませんか。
この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではありません。
罪は犯されませんでしたが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのです。
ですから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、
大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
(ヘブル人への手紙4:11-16)
わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、
キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
(コリント第二の手紙12:9-10)
神は、神を愛する人たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、 万事を益となるようにして下さることを、
わたしたちは知っています。 神はあらかじめ知っておられる者たちを、さらに神の御子のかたちに似たものとしようとして、
あらかじめ定めて下さいました。それは、神の御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであったのです。
そして、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召され人たちをさらに正しい者とし、 正しいと認められた人たちには、さらに栄光を与えて下さいました。
それでは、これらの事からなんと言えるでしょうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、 だれがわたしたちに敵対できるでしょうか。
ご自身の御子(みこ)をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、 どうして、 神の御子といっしょに
万物をも賜わらないことがありましょうか。 だれが、神に選ばれた人たちを訴えるのですか。 神は彼らを正しい者と認めてくださるのです。
だれが、わたしたちを罪に定めるのですか。
キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえり復活されて、 神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなしてくださるのです。
だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、 飢え、裸、危難、剣ですか。
「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。
しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において圧倒的勝利者となるのです。
わたしはこう確信します。死もいのちも、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 高いものも深いものも、
その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにある神様の愛から、 わたしたちを引き離すことはできません。
(ローマ人への手紙8:35-39)
主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
主をほめたたえよ。その聖所で神をほめたたえよ。その御力のあらわれる大空で主をほめたたえよ。
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
アーメン
イエスキリストの御言葉
「それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、
また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じであるからです」。
(マタイ20章)
「私たちは、この御子のうちにあって、 御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。
これは神の豊かな恵みによることです。」
エペソ人への手紙1章7
彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、
自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての罪咎を彼に負わせた。 彼は痛めつけられた。
彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
虐げと、裁きによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民の背きの罪のために打たれ、
生ける者の地から絶たれたことを。
彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。
わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を神の御前に正しい者とし、彼らの罪咎を彼がになう。
「私たちは、この御子のうちにあって、 御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。
これは神の豊かな恵みによることです。」
エペソ人への手紙1章7
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
主をほめたたえよ。その聖所で神をほめたたえよ。その御力のあらわれる大空で主をほめたたえよ。
その大能のはたらきのゆえに主をほめたたえよ。
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
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主をほめたたえよ。その聖所で神をほめたたえよ。その御力のあらわれる大空で主をほめたたえよ。
その大能のはたらきのゆえに主をほめたたえよ。
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
コイツ、間違いなくシャブ中だな。
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
「キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえをささげた後、神の右に座し、
それから、敵をその足台とするときまで、待っておられます。
彼は一つのささげ物によって、清められた人たちを永遠に完全な者とされたのです。」
ヘブル人への手紙10章
聖霊もまた、わたしたちにあかしをして、 こう言われます。
「わたしが、それらの日の後、彼らに対して立てようとする契約はこれであると、主が言われる。
わたしの律法を彼らの心に与え、彼らの思いのうちに書きつけよう」と。
さらに、「もはや、彼らの罪と彼らの不法とを、思い出すことはしない」と述べておられます。
ヘブル人への手紙10章
イエスキリストの御言葉
「それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、
また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じであるからです」。
(マタイ20章)
「私たちは、この御子のうちにあって、 御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。
これは神の豊かな恵みによることです。」
エペソ人への手紙1章7
64 :
トモダチ:2010/09/18(土) 13:26:15 ID:ih3Ujgsa0
イエスの復活を思うなら、真実のイエスを追い求めたら?現在、スイスに存命
中だよ。ただし、本物と偽物を見分けられる心の目がいるね。
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
神のみこころによりキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟テモテとから、コリントにある神の教会、
ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ。
わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。
神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、 神に慰めていただくその慰めをもって、
あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのです。
それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、
キリストによって満ちあふれているからです。
わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救いとのためであり、慰めを受けるなら、
それはあなたがたの慰めのためであって、 その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となります。
だから、あなたがたに対していだいているわたしたちの望みは、動くことがありません。
あなたがたが、わたしたちと共に苦難にあずかっているように、慰めにも共にあずかっていることを知っているからです。
愛する兄弟のみなさん。わたしたちがアジヤで会った患難を、知らずにいてもらいたくない。
わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みを失ってしまい、 心のうちで死を覚悟しました。
そして自分自身を頼みとしないで、死人を復活させてくださった神様を頼みとするに至ったのです。
神様はこのような死の危険から、わたしたちを救い出して下さり、また救い出して下さるでしょう。
わたしたちは、神様が今後も救い出して下さることを望んでいます。 そして、あなたがたもまた、祈りをもって、
いっしょに、わたしたちを助けてくれるでしょう。
これは多くの人たちの願いにより、わたしたちに授けられた恵みについて、多くの人が感謝をささげるようになるためです。
さて、わたしたちがこの世で、ことにあなたがたに対し、人間の知恵ではなく神様の恵みによって、
神様の神聖と真実によって行動してきたことは、実にわたしたちの誇りです。そして良心のあかしするところでもあります。
わたしたちが書いていることは、あなたがたが読んで理解できないことではありません。
それを完全に理解してくれるように、わたしは希望します。わたしたちの主イエスの日に、あなたがたがわたしたちの誇りであるように、
わたしたちもあなたがたの誇りであることはある程度理解してくれていると思います。
この確信をもって、わたしたちはもう一度恵みを得させたいのです
神様は、わたしたちに証印を押し、その保証として、わたしたちの心に聖霊を授けてくださいました。
わたしは自分の魂をかけ、神様を証人に呼び求めて言いますが、わたしがコリントに行かないのは、あなたがたに対して寛大でありたいためです。
わたしたちは、あなたがたの信仰を支配する者ではなく、あなたがたの喜びのために共に働いている者にすぎません。
あなたがたは、信仰に堅く立っているからです。
神様に感謝しよう。神様はいつも私たちを、勝利の行進に加えてくださいました。
わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのです。
わたしたちは、救われる人にとっても滅びる人にとっても、神様に対するキリストの香りなのです。
後者にとっては、死から死に至らせる香りであり、前者にとっては、いのちからいのちに至らせる香りです。
このような任務にふさわしい人とは、いったいどんな人でしょうか。
私たちは、多くの人のように、神様の御言葉に混ぜ物をして売るようなことはせず、
真心から、また神様によって、神様の御前でキリストにあって語るのです。
神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされました。 それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者です。
文字は人を殺し、霊は人を生かす。
もし石に彫りつけた文字による死の務めが栄光のうちに行われ、そのためイスラエルの子らは、 モーセの顔の消え去るべき栄光のゆえに、
その顔を見つめることができなかったとすれば、 まして霊の務めは、はるかに栄光あるものではないでしょうかか。
もし罪を宣告する務めが栄光あるものだとすれば、義を宣告する務は、はるかに栄光に満ちたものです。
そして、すでに栄光を受けたものも、この場合、はるかにまさった栄光のまえに、その栄光を失ったのです。
もし消え去るべきものが栄光をもって現れたのなら、まして永存すべきものは、もっと栄光のあるべきものです。
こうした望みをいだいているので、わたしたちは思いきって大胆に語り、 そしてモーセが、 消え去っていくものの最後をイスラエルの子らに
見られまいとして、 顔におおいをかけたようなことはしない。
実際、彼らの思いは鈍くなっていた。今日に至るまで、彼らが古い契約を朗読する場合、 その同じおおいが取り去られないままで残っています。
それは、キリストにあってはじめて取り除かれるからです。今日に至るもなお、 モーセの書が朗読されるたびに、
おおいが彼らの心にかかっている。
しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれます。主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由があります。
わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていきます。
これは霊なる主の働きによるのです。
このようにわたしたちは、あわれみを受けてこの務めについているのですから、落胆せずに、 恥ずべき隠れたことを捨て去り、
悪巧みによって歩かず、神の御言葉を曲げず、真理を明らかにし、神のみまえに、すべての人の良心に自分を推薦します。
もしわたしたちの福音がおおわれているなら、滅びる者たちにとっておおわれているのです。
彼らの場合、この世の神が不信者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしています。
しかし、わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。
わたしたち自身は、 ただイエス様のために働くあなたがたのしもべにすぎません。
「暗闇の中から光が照りいでよ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝き渡る神の栄光の知識を明らかにするために、
わたしたちの心を照して下さったのです。
しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、
わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためです。
わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まることはありません。
迫害に会っても見捨てられず、倒されても滅びない。 いつもイエス様の死をこの身に負っています。
それはまた、イエス様のいのちが、この身に現れるためであり、 わたしたち生きている者は、
イエス様のために絶えず死に渡されているからです。
それはイエス様のいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためです。
こうして、死はわたしたちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。
「わたしは信じた。それゆえに語った」としるしてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、
わたしたちも信じています。それゆえに語ります。
それは、主イエスをよみがえらせたかたが、わたしたちをもイエス様とと共によみがえらせ、そして、
あなたがたと共にみまえに立たせて下さることを、知っているからです。
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、 神の栄光となります。
だから、わたしたちは落胆しない。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、
永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくからです。
わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、
人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っています。
そして、天から賜わるその住まいを、上に着ようと切に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえています。
それを着たなら、裸のままではいないでしょう。 この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえています。
それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためです。
わたしたちを、この事にかなう者にして下さったのは、神です。
そして、神はその保証として聖霊をわたしたちに賜わりました。
だから、わたしたちはいつも心強い。 そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っています。
わたしたちは、見えるものによらないで、 信仰によって歩いているのです。 コリント第二の手紙5章
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
75 :
トモダチ:2010/09/18(土) 21:03:42 ID:N7/BgiTW0
疑問が有るね。自らが敬虔な、クリスチャンであり復活を信じるならば、皆様は
西暦2000年代の特別なこの時代にイエスを地球上で何故、探し回らないの?
お探しすることが最も重要な仕事と思うのですがね?恐ろしいほどの信者が
おられても、誰もお探しをしない。どうしてなのか?POPEはイエス様では
ないのにね。日本に本当の信者はおられるの?
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
77 :
本当にあった怖い名無し:2010/09/18(土) 22:04:52 ID:e20/oVvU0
聖書を5000万回しなさい。
するのかよっ!
79 :
本当にあった怖い名無し:2010/09/18(土) 22:39:02 ID:e20/oVvU0
黒魔術師さんと気が合うのですね。
80 :
トモダチ:2010/09/18(土) 22:50:05 ID:cp/HffRf0
キリスト教徒が、パリサイ人の役割を担わないことを、願うばかりだね。
イエス誕生から2000年、この時代についての認識不足と感性の鈍さは、
頭を抱えるね。最も大切な人と真理が身近に有るのにね。純真さは、何処で
失ったの。
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
82 :
トモダチ:2010/09/19(日) 00:04:24 ID:Anj7PjSk0
>>79
私は江戸っ子だよ。残念ながら手品も出来ないよ。まして、黒魔術なんか何処の
国の手品かな?国籍も知らないよ。真理は耳に痛いよ、口に苦いよ、目にずズキと来るよ。
逃げては、いけませんよ。キリスト教徒は2000年に一度の絶好の機会を逃すよ。
求めないものには、真理は開けませんよ。
83 :
トモダチ:2010/09/19(日) 00:17:49 ID:Anj7PjSk0
言っておきますが、私はただの非力な個人で凡人だよ。手品でも出来たらハッピー
だね。
84 :
本当にあった怖い名無し:2010/09/19(日) 00:41:30 ID:iWkbsCgq0
きみが知らんだけなのでな黒魔術。
85 :
本当にあった怖い名無し:2010/09/19(日) 00:47:43 ID:G9j/MIUn0
ここ怖いな・・・
基地外かヤク中か、どっちだ?
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
主をほめたたえよ。その聖所で神をほめたたえよ。その御力のあらわれる大空で主をほめたたえよ。
その大能のはたらきのゆえに主をほめたたえよ。
88 :
トモダチ:2010/09/19(日) 12:39:13 ID:vuQttRcn0
>>84 自分の理解を超えているもの、理解が出来ないものを黒魔術と称するのでしょうが、
それは勉強不足と真理の探究心がかけているからだね。それでは、キリスト教も
如何なる宗教も現代科学の前に、ひれ伏すことになるよ。ホーキングに叶わないよ。
現代科学を超える所に真の存在価値があるはずと思うね。私の知っている、現代の
イエスはホーキングを遥かに超えた科学者でもあるよ。イエスは生まれた時から、
人類の最高の科学者だったと思うよ。未来まで、正しく見通せたのだからね。
89 :
マーリーン:2010/09/19(日) 13:41:08 ID:58ee4ro50
家に耶蘇黄泉記があるよ。
イエスVS黄泉の神。
古い日本語の外典の中身だけど、その本はで高田馬場で100円だった。
主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを背負った。だが、私たちは思った。
彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちの背きの罪のために刺し通され、私たちの罪咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての罪咎を彼に負わせた。
彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、
彼は口を開かない。
虐げと、裁きによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民の背きの罪のために打たれ、
生ける者の地から絶たれたことを。
彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。
しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを 罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、
子孫を見ることができ、主の御心は彼によって成し遂げられる。
彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。
わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を神の御前に正しい者とし、彼らの罪咎を彼がになう。
それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。
彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。
イザヤ 53:3-12
92 :
トモダチ:2010/09/19(日) 17:15:53 ID:vwkU0PBM0
現在のイエスの科学知識の一部分を、お知らせ致しましょう。
1.宇宙はビッグバンで始まり、開闢以来46兆年が経ていること、約265兆年後に
ビッグクランチすること。
2.光速には半減期があること。それは、6.34兆年。BB時の光速は現在の147倍。
3.未来、過去にも宇宙船で平服のママ自由に行き来できること。
4.遠距離にも超空間を利用して、宇宙船で簡単に行き来できること。
5.月は太陽系外の惑星。金星は天王星の惑星が移植されたもの。
6.宇宙空間の半径は14x10の63乗光年。
7.物質原子は7階層。現在判明は第3階層まで。素粒子は奥が深い。
8.宇宙の基礎数値は。3,7、12.
その他、まだまだあるよ。今の、科学者の遥か先を進んでいるよ。
現在のイエスは正に、地球一の大科学者だよ。地球の科学者も真っ青だよ。
当然、未来予言も可能だよ。
彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、
毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、 彼は口を開かない。
虐げと、裁きによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。
彼がわたしの民の背きの罪のために打たれ、 生ける者の地から絶たれたことを。
彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。
イエスキリストのみことば
「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためです。 わたしはよい羊飼いである。
よい羊飼いは、羊のために命を捨てるのです。」ヨハネ10:11
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
97 :
トモダチ:2010/09/19(日) 17:32:52 ID:vwkU0PBM0
何処におられるかのヒントは。スイスですよ。他の何処でもないよ。
本当に偉大な方だよ。無心人者の私にも理解出来ますよ。
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
100 :
トモダチ:2010/09/19(日) 20:37:21 ID:N9zE4Cbk0
イエスは毎日呪文を唱えること等、教えていないし、望んでもいないよ。
そう、正常な頭で、真理を自ら努力し、理解し、吸収することを教えているよ。
当然、真理の押し付け等、考えたこともないよ。金銭的な利益もね。今でも大変、
慎ましい生活をされ、物質的な欲望は皆無だね。そして、その存在自身がみんなに
喜びを与えているね。自らと、比較したらいいよ。いずれが、本物かをね。
101 :
マーリーン:2010/09/19(日) 20:45:53 ID:58ee4ro50
102 :
マーリーン:2010/09/19(日) 20:55:32 ID:58ee4ro50
103 :
トモダチ:2010/09/19(日) 21:22:16 ID:N9zE4Cbk0
親愛なる、リンゴ(Apple)さんへ、
誤解しないでね、私は江戸っ子で真実には興味があるが、どんな宗教にも関心が薄いよ。
一番、好きなのは女房とは花火だね。
皆様が、2000年もご苦労されてお悩みだからチョット蘊蓄をたれさせてもらっただけだよ。
104 :
トモダチ:2010/09/19(日) 21:42:33 ID:N9zE4Cbk0
リンゴさんへ
そうそう、これで最後の蘊蓄としますがね、イエスか否かいちばん手っとり早い見分け方の
方法はね。世界で一番の科学者を見つけだすこと。アインシュタインやホーキングを遥かに
こえる偉大な科学者だよ。素粒子から惑星、銀河、宇宙、時間、空間、航空学、
生命学まで、全てに渡って超一流の知識を備えた方だよ。イエスは偉大なりですよ。
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
主をほめたたえよ。その聖所で神をほめたたえよ。その御力のあらわれる大空で主をほめたたえよ。
その大能のはたらきのゆえに主をほめたたえよ。
主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
109 :
トモダチ:2010/09/20(月) 01:56:23 ID:v8Ikvhq30
リンゴさんへ
もう一つ、付け加えさせて下さいね。最近物忘れがひどいものでね。
なぜ、私がそう判断したかの理由を述べますね。仕事柄、約40年に渡り世界25ケ国以上で仕事をしてきましたが、
ついぞ氏を超える考えの持ち主には、何れの国でもお会い出来る機会は有りませんでした。
15年程前、氏の書物を読みその後15年間自分なりに考え考え判断し書物の内容と実際の出来事とを検証した結果、
内容に殆ど嘘が無く、氏は間違いなく世界一の偉大な学者で科学者であることが確信出来た次第です。
殆ど如何なる人とも日頃差を感じなかった自分を、遥かに超える人物がおられたと云うことは、大ショック
でしたが事実として認めない訳には参りません。正に英知の王を見るの思いがした次第です。現代にイエスは蘇っている
との実感そのものですね。これが、理由ですね。それ以降、西暦2000年の意味もハッキリと理解が進んだ訳ですね。
信心浅い、江戸っ子の女房、花火、温泉好きより。
トモダチさんへ
いまはイエス様は天におられるので地上にはいらっしゃいません。
もうすぐご来臨されます。
イエス様の十字架上での死の意味は、多くの人の罪のあがないとして、主イエスご自身の命を信じる人々に与えるためです。
イエスキリストの御言葉
「それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、
また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じであるからです」。 マタイ20:28
イエスキリストのみことば
「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためです。 わたしはよい羊飼いである。
よい羊飼いは、羊のために命を捨てるのです。」ヨハネ10:11
イエスキリストのみことば
「わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、また裁かれることがなく、
死から命に移っています。」 (ヨハネ5:19-24)
「神様は人をかたより見ないかたで、 神様を礼拝し、また良い行ないをしている人はどの国民でも
受けいれて下さることが、ほんとうによくわかってきました。
あなたがたは、神様がすべての者の主なるイエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、
イスラエルの子たちにお送り下さった御言葉をご存じでしょう。
それは、ヨハネがバプテスマを説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ全土にひろまった福音をのべたものです。
神様はナザレのイエス様に聖霊と御力とを注がれました。このイエス様は、神様が共におられるので、
よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました。
わたしたちは、イエス様がこうしてユダヤ人の地やエルサレムでなさったすべてのことの証人です。
人々はこのイエス様を木にかけて殺したのです。
しかし神様はイエス様を三日目によみがえらせ、 全部の人々にではなかったが、わたしたち証人として
あらかじめ選ばれた者たちに現れるようにして下さいました。
わたしたちは、イエス様が死人の中からよみがえり復活された後、共に飲み、食事をしました。
それから、イエス様ご自身が生者と死者との審判者として神様に定められたかたであることを、人々に宣べ伝え、
またあかしするようにと、神様はわたしたちにお命じになったのです。
預言者たちもみな、イエス様を信じる者はことごとく、その御名によって罪のゆるしが受けられると、あかしをしています」。
ペテロがこれらの御言葉をまだ語り終えないうちに、それを聞いていたみんなの人たちに、聖霊がご降臨された。(使徒10:34-44)
主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
イエス・キリストのみことば
「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためです。 わたしはよい羊飼いである。
よい羊飼いは、羊のために命を捨てるのです。」ヨハネ10:11
キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに、固執されず、
かえって御自分をなくし、しもべの身分になられました、そして人間と同じ者になられたのです。
人間の姿で現れになり、へりくだって、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで忠実であられました。
このため、神様はキリストを高く上げ、全ての名にまさる御名をお与えになりました。
こうして、天にあるもの、地上にあるもの、地の下にあるものすべてが、イエス様の御名にひざまずき、
すべての舌が、「イエス・キリストは主です」と公に宣べて、父なる神様を褒め称えるのです。(ピリピ人への手紙 2-6:11)
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
さて、キリストは死人の中からよみがえり復活されたと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、
死人のよみがえりなどはないと言っているのは、どうしたことなのですか。
死人の復活がないならば、キリストも復活されなかったでしょう。 もしキリストが復活されなかったとしたら、
わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。
すると、わたしたちは神様にそむく偽証人にさえなります。なぜなら、死人がよみがえり復活しないとしたら、
わたしたちは神様が復活させなかったはずのキリストを、復活させたと言って、神様に反するあかしを立てたことになるからです。
もし死人が復活しないなら、キリストも復活されなかったでしょう。
キリストが復活されなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになる。
そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。 もしわたしたちが、
この世の生活でキリストにあって単なる希望を抱いているだけだとすれば、
わたしたちは、すべての人の中で最も哀れな存在となります。
しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえり復活されました。
それは、死がひとりの人によって来たのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。
アダムにあるすべての人は死にますが、キリストにあるすべての人は生かされるのです。(コリント人への手紙15:12-22)
ただし、各自はそれぞれの順序に従わねばならない。最初はキリスト、次に、主の御来臨に際してキリストに属する者たち、
それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、
御国を父なる神様に渡されます。
なぜなら、キリストが王として支配なさるのは、敵を全滅させる時までだからです。
最後の敵として滅ぼされるのが、死です。 「神様は万物を彼の足もとに従わせた」と書いてあるからです。
しかし、万物を従わせたと言われる時、万物を従わせたかたがそれに含まれていないことは、明らかである。
そして、万物が神様に従う時には、神様の御子(みこ)ご自身もまた、万物を従わせたそのかたに従われます。
それは、神様がすべての者にあって、最高の存在となられるためです。(コリント人への手紙15:23-28)
そうでないとすれば、死者のためにバプテスマを受ける人々は、なぜそれをするのか。
死者が全くよみがえり復活しないとすれば、なぜ人々が死者のためにバプテスマを受けるのか。
また、なんのために、わたしたちはいつも危険を冒しているのか。
愛する皆さん。わたしたちの主キリスト・イエスにあって、わたしがあなたがたに持っている誇りにかけて言いますが、
わたしは日々、死に直面している。
もし、わたしが人間の考えによってエペソで獣と戦ったとすれば、それはなんの役に立つだろうか。
もし死人が復活しないのなら、「わたしたちは飲み食いしようではないか。あすもわからぬ命だ」。
まちがってはいけない。「悪い交際は、良い習慣を損ないます」。目ざめて身を正し、罪を犯さないようにしなさい。
あなたがたのうちには、神様について無知な人々がいる。あなたがたをはずかしめるために、わたしはこう言うのです。(コリント人への手紙15:29-34)
しかし、ある人はこう言うでしょう。「どんなふうにして、死人はよみがえるのか。どんな体になるのだろうか」。
なんとばからしい質問でしょう。畑を見れば、わかるではありませんか。
蒔いた種は、まず死ななければ、芽を出さない。 そして、その種から出る緑の芽は、初めの種とは全く別物です。
土に蒔くのは、麦でも何でも、干からびた小さな種粒だからです。
ところが、神様は御心のままに、これに体を与え、その一つ一つの種にそれぞれの体をお与えになります。
すべての肉が、同じ肉なのではありません。
人の肉があり、獣の肉があり、鳥の肉があり、魚の肉があります。 天にある体もあれば、地の体もあるのです。
天にいる者の栄光は、地に属する者の栄光と違っています。 日の栄光があり、月の栄光があり、星の栄光がある。
また、この星とあの星との間に、栄光の差があります。 死人の復活も、また同様です。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえり、
卑しいもので蒔かれ、輝かしい栄光あるものによみがえり、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえり、
生まれながらの肉の体で蒔かれ、聖霊の体によみがえり復活するのです。生まれながらの肉の体があるのだから、聖霊の体もあります。
(コリント第一の手紙15:35-44)
旧約聖書に、「最初の人アダムは、自然のままの人間の体を与えられた」と書いてあります。
しかし最後のアダムは命を与える霊となられました。
最初にあったのは霊ではなく、自然の生まれつきのままの肉の性質ですが、霊は後から来られるのです。
第一の人は地から出て土に属し、第二の人は天から来られます。
土に属する人は、土に属している人々に等しく、天に属する人は、天に属している人々に等しい。 すなわち、わたしたちは、
土に属している形をとっているのと同様に、天に属する形をとるでしょう。
愛する皆さん。わたしはこの事を言っておきます。生まれながらの肉の性質は神様の御国を受け継ぐことはできないし、
朽ちるものは朽ちないものを受け継ぐことはできません。(コリント第一の手紙15:45-50)
ここで、あなたがたに神秘を告げよう。すべてわたしたちは、眠りにつくのではありません。
終りのラッパが鳴り響きわたると共に、瞬く間に、一瞬にして変えられます。
ラッパが鳴り響きわたると、死者は朽ちない者によみがえり復活し、わたしたちはみな、変えられます。
なぜなら、死ぬべき今の体は、決して死ぬことのない、永遠に生きる体を必ず着ることになるからです。
この朽ちるものが不朽を着、この死ぬものが不死を着るとき、聖書に書いてある御言葉が成就します。
「死は勝利に飲み込まれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。 しかし神様に感謝しよう。わたしたちの主イエス・キリストによって、
わたしたちに勝利を授けてくださったからです。
こういうわけで、愛する兄弟のみなさん。堅く立って動揺されることなく、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。
主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからです。
(コリント人への手紙15:51-58)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
「イエス様は言われた。『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。
これが最も重要な第一の掟である。』」
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
128 :
本当にあった怖い名無し:2010/09/21(火) 09:33:07 ID:ssuLL23KO
テスト
主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
イエス・キリストのみことば
「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためです。 わたしはよい羊飼いである。
よい羊飼いは、羊のために命を捨てるのです。」ヨハネ10:11
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。
しかし、主は、私たちのすべての罪咎を彼に負わせた。
彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で
黙っている雌羊のように、 彼は口を開かない。
虐げと、裁きによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民の背きの罪のために打たれ、
生ける者の地から絶たれたことを。イザヤ書
キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに、固執されず、御自分をなくして、しもべの身分になり、
人間と同じ者になられたのです。
人間の姿として現れ、へりくだり、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順でした。
このため、神様はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる御名をお与えになりました。
それは、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるものがすべて、イエス様の御名にひざまずき、すべての者の舌が、
『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神様を褒め称えるようになるためです。」
(ピリピ人への手紙2:6-11)
旧約聖書に、次のように書いてあるとおりです。
「正しい人は一人もいない。罪のない人は世界中に一人もいない。真実に神の道に従って歩んだ人は かつて一人もいない。
そうしたいと心から願った人さえいない。 すべての人が道を踏みはずし、みな、まちがった方向に進んで行った。
正しいことをずっと行なってきた人はどこにもいない。 一人もいない。」
ローマ人への手紙
「彼らのうち一人として、申し開きのできる者はいません。 事実、全世界が全能の神様の前に沈黙して立ち、
有罪の宣告を受けているのです。
さて、おわかりでしょうか。 おきての命じることを実行して、神様に正しい者と認められようとしてもむだです。
私たちが神様のおきてを深く知れば知るほど、自分が従っていないことが明らかになるからです。 神様のおきては、私たちに、
自分が罪人であることを自覚させてくれるだけです 」
しかし今や、神様は、天国へ行く別の道を示してくださいました。 その新しい道は、「善人になる」とか、
神様のおきてを守ろうと努力するような道ではありません
〔とはいっても、この道については、ずっと前から旧約聖書で教えられていたのですから、実際には新しい道とは言えませんが〕。
神様は今、「もし私たちが、イエス・キリストを信じきるなら、あなたがたを受け入れ、『罪のない者』と宣言する」と言われます。
どんな人間であろうと、私たちはみな、キリストを信じきるという、この方法によって救われるのです。
そうです。 すべての人は罪を犯しました。 神の輝かしい標準にはほど遠い存在です。 けれども、もし私たちがキリスト・イエスを信じきるなら、
神様は私たちを「罪のない者」と宣言してくださいます。 このキリスト・イエスが、恵みにより、無償で私たちの罪を帳消しにしてくださるからです。
神様はキリスト・イエスを遣わして、私たちの罪のための刑罰を受けさせ、私たちへの怒りをとどめてくださいました。
神様は、私たちをご自分の怒りから救い出すための手段として、キリストの血と私たちの信仰とをお用いになりました。
ですから、それまでの時代に罪を犯した者たちを罰せられなかったとしても、神様は完全に公正であられたわけです。
キリストが来て人々の罪を取り除く時を、神様は待ち望んでおられたからです。
そして今日でも、神様はこの同じ方法で罪人を受け入れてくださいます。 イエス様が彼らの罪を帳消しにしてくださったからです。
しかし、このように、罪を犯した者を赦し、無罪を宣告するのは、神様の公正なやり方に反するのではないでしょうか。 いいえ、そんなことはありません。
なぜなら、彼らが自分の罪を帳消しにしてくださったイエス様を信じたという事実に基づいて、神様はそうなさるからです。
それでは、救われるために、私たちは何か誇れるようなことをしたでしょうか。 何もしていません。 なぜでしょう。
私たちは自分の善行によって無罪とされるのではないからです。
それは、キリストが成し遂げてくださったことと、キリストに対する私たちの信仰に基づいているのです。 つまり、私たちが救われるのは、
キリストを信じる信仰だけによるのであって、善行によるのではありません。
ローマ人への手紙3章
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
イエス・キリストのみことば
「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためです。 わたしはよい羊飼いである。
よい羊飼いは、羊のために命を捨てるのです。」ヨハネ10:11
イエスキリストのみことば
「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためです。 わたしはよい羊飼いである。
よい羊飼いは、羊のために命を捨てるのです。」ヨハネ10:11
彼は、私たちの背きの罪のために刺し通され、私たちの罪咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、 彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。
しかし、主は、私たちのすべての罪咎を彼に負わせた。
イエスキリストの御言葉
「それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、
また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じであるからです」。
(マタイ20章)
「私たちは、この御子のうちにあって、 御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。
これは神の豊かな恵みによることです。」
エペソ人への手紙1章7
キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに、固執されず、御自分をなくして、しもべの身分になり、
人間と同じ者になられたのです。
人間の姿として現れ、へりくだり、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順でした。
このため、神様はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる御名をお与えになりました。
それは、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるものがすべて、イエス様の御名にひざまずき、すべての者の舌が、
『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神様を褒め称えるようになるためです。」
(ピリピ人への手紙2:6-11)
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
「神様は人をかたより見ないかたで、 神様を礼拝し、また良い行ないをしている人はどの国民でも
受けいれて下さることが、ほんとうによくわかってきました。
あなたがたは、神様がすべての者の主なるイエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、
イスラエルの子たちにお送り下さった御言葉をご存じでしょう。
それは、ヨハネがバプテスマを説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ全土にひろまった福音をのべたものです。
神様はナザレのイエス様に聖霊と御力とを注がれました。このイエス様は、神様が共におられるので、
よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました。
わたしたちは、イエス様がこうしてユダヤ人の地やエルサレムでなさったすべてのことの証人です。
人々はこのイエス様を木にかけて殺したのです。
しかし神様はイエス様を三日目によみがえらせ、 全部の人々にではなかったが、わたしたち証人として
あらかじめ選ばれた者たちに現れるようにして下さいました。
わたしたちは、イエス様が死人の中からよみがえり復活された後、共に飲み、食事をしました。
それから、イエス様ご自身が生者と死者との審判者として神様に定められたかたであることを、人々に宣べ伝え、
またあかしするようにと、神様はわたしたちにお命じになったのです。
預言者たちもみな、イエス様を信じる者はことごとく、その御名によって罪のゆるしが受けられると、あかしをしています」。
ペテロがこれらの御言葉をまだ語り終えないうちに、それを聞いていたみんなの人たちに、聖霊がご降臨された。(使徒10:34-44)
主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
148 :
本当にあった怖い名無し:2010/09/22(水) 22:27:06 ID:TNcxMu8K0
きみたちは、サターンの奴隷。
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
イエスキリストのみことば
「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためです。 わたしはよい羊飼いである。
よい羊飼いは、羊のために命を捨てるのです。」ヨハネ10:11
キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに、固執されず、御自分をなくして、しもべの身分になり、
人間と同じ者になられたのです。
人間の姿として現れ、へりくだり、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順でした。
このため、神様はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる御名をお与えになりました。
それは、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるものがすべて、イエス様の御名にひざまずき、すべての者の舌が、
『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神様を褒め称えるようになるためです。」
(ピリピ人への手紙2:6-11)
イエスキリストのみことば
「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためです。 わたしはよい羊飼いである。
よい羊飼いは、羊のために命を捨てるのです。」ヨハネ10:11
イエス様のみことば
「よくよくあなたがたに言っておきます。羊の囲いにはいるのに、門からでなく、ほかの所からのりこえて来る者は、
盗人であり、強盗です。 門からはいる者は、羊の羊飼である。 門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞きます。
そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出すのです。 自分の羊をみな出してしまうと、彼は羊の先頭に立って行きます。
羊はその声を知っているので、彼について行くのです。 ほかの人には、ついて行かないで逃げ去ります。その人の声を知らないからです」。
イエス様は彼らにこのたとえを話されたが、彼らは自分たちにお話しになっているのが何のことだか、わからなかった。
そこで、イエス様はまた言われた、「よくよくあなたがたに言っておきます。わたしは羊の門です。 わたしよりも前にきた人は、みな盗人であり、
強盗である。羊は彼らに聞き従わなかった。 わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくでしょう。
盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。
わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためです。」 ヨハネ10:1-10
イエス様のみことば
「わたしはよい羊飼です。よい羊飼いは、羊のために命を捨てます。羊飼いではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを見ると、
羊を捨てて逃げ去ります。そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らします。 彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからです。
わたしはよい羊飼いであって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っています。 それはちょうど、父がわたしを知っておられ、
わたしが父を知っているのと同じです。そして、わたしは羊のために命を捨てます。
わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うでしょう。
そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼いとなるでしょう。 父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さいます。
命を捨てるのは、それを再び得るためです。 だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのです。
わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めです」。
これらの御言葉を語られたため、ユダヤ人の間にまたも分争が生じた。 そのうちの多くの者が言った、
「彼は悪霊に取りつかれて、気が狂っている。どうして、あなたがたはその言うことを聞くのか」。
他の人々は言った、「それは悪霊に取りつかれた者の言葉ではない。悪霊は盲人の目をあけることができようか」。
ヨハネによる福音書
そのころ、エルサレムで宮清めの祭が行われた。時は冬であった。 イエス様は、宮の中にあるソロモンの廊を歩いておられた。
するとユダヤ人たちが、イエス様を取り囲んで言った、「いつまでわたしたちを不安のままにしておくのか。
あなたがキリストであるなら、そうとはっきり言っていただきたい」。
イエス様は彼らに答えられた、「わたしは話したのだが、あなたがたは信じようとしない。
わたしの父の名によってしているすべてのわざが、わたしのことをあかししている。
あなたがたが信じないのは、わたしの羊でないからである。 わたしの羊はわたしの声に聞き従う。
わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。 わたしは、彼らに永遠の命を与える。
だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない。
わたしの父がわたしに下さったものは、すべてにまさるものである。そしてだれも父のみ手から、それを奪い取ることはできない。
わたしと父とは一つである」。ヨハネ10:19-30
主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
あなたがたは自分の持っている確信を投げ捨ててはいけない。その確信には莫大なる報酬がともなっているからです。
神様の御心を行って約束のものをいただくため、あなたがたに必要なのは、忍耐です。
「もうしばらくすれば、来たるべき方がお見えになります。遅くなることはありません。
神様の御前に正しいと認められた人たちは、信仰によって生きるのです。もし信仰を捨てるなら、神様は喜ばれない」。
しかしわたしたちは、信仰を捨てて滅んでしまう者ではなく、信仰を持ち、永遠の命を得る者です。
(ヘブル人への手紙10:35-39)
主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
163 :
ラピスラズリ-KoD:2010/09/23(木) 23:03:41 ID:obERecX90
日ユ同祖論は、下記のスレッドに移転し、再開させます。
◎神秘の宝石騎士団2
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/occult/1285230730/ ///////////////////////////////////////////////////////////////////
51:通りすがり一在家:2010/09/14(火) 23:53:24 ID:U4X+Vk8S
日ユ同祖論は、主に三つの立場がある(Wiki)。
1.古代イスラエルの「失われた10支族」が、日本に来たという説。
2.古代イスラエルの「失われた10支族」のみならず、12支族全てが、日本に来たという説。
3.古代日本人が、ユダヤ人の先祖であるという説。
1.の検証から入って、何年かかっても3.の検証を目標としております。
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
歴史上最大の詐欺師
167 :
本当にあった怖い名無し:2010/09/24(金) 07:52:54 ID:ECgNwQaV0
実在したかどうかも分からないしね。
エイリアンのクローン人間という話もあるし。
とりあえず布教活動、お疲れ様。
168 :
トモダチ:2010/09/24(金) 10:18:10 ID:EEmFTdx/0
>>166,167
詐欺師にしたのは、パウロ、ペトロ、後世の人々。本人は真理の伝道者、予言者であった、
ことは間違えないな。実在の人物で磔の刑は、その恐るべき知識と知恵に当時のユダヤ人の支配者達が
震えあがった為と云われているな。否定から入らず、もう少し調査、研究をお勧めだね。
737 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 13:06:04 ID:/+x98icJ0 [1/2]
862 :ゆみ KoD :2010/06/06(日) 02:59:33 ID:s6nzhBqN0
日本人そのものが下品なんですよ。
坂本竜馬もなんかキライ。
もう侍なんかいないし、
どいつもこいつも金と能力、美貌と権力、
家にクルマに、おっきい犬とかプードルとか、ipadとかデジタルテレビとか、
くだらないくだらないくだらない。
どこにいっても同じ景色、きたない町並み。
なにが京都だ奈良だ、くだらない。
神社仏閣、そんなのただの背景画だ。
わたしたちにゃなんの関係もない、なにもしてくれない。
日本がだいきらいです!
これって本当なのか?
そういやチョンってさ、キリスト教の威を借りて強姦とか洗脳とかしまくってるよな
統一チョン会なんて洗脳した挙句誘拐までしてるし
こいつチョンなの?
739 名前:トモダチ[] 投稿日:2010/09/24(金) 13:09:37 ID:EEmFTdx/0 [3/3]
悪い判断が共通していれば、原因は自分にあるのだから、それを徐々に直すこと
だな。判断されているのは自分で他人じゃないのでね。
悪く考えないで、自分の欠点を理解しながら、他の人に無い良い所を伸ばす
ことだね。欠点もカバーできるよ。その為に占いは有ると思うな。
740 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2010/09/24(金) 13:09:58 ID:/+x98icJ0 [2/2]
やっぱりチョンの洗脳似非キリスト教集団だったんだ
こいつらのオフに行ったら日本人憎しで何されるかわからんな
後こいつらの馴れ合うのも用心しろよ、日本人ならな
何大嘘吹き込まれて国賊に成り下がるかわからんぞww
★★★変な思考の身元不詳の在チョン洗脳工作員疑惑のコテに要注意!!!ゴミ蟲半島逝きになっても知らんよ?ww★★★
170 :
トモダチ:2010/09/24(金) 16:08:22 ID:EEmFTdx/0
>>169
こちとらー、瘋癲の寅より江戸っ子よ。友達は殆ど日本人。でもな、世界は
広い。仕事上、世界中に友人がいるな。アフリカ、アラブ、インド、欧米、ビルマ、タイ、
マレー、中国、韓国、数えりゃー限がないな。みんな、明るく元気で自国を愛する連中さ。
つまらん、人の批判や国の批判をする友人はいない。広く、海外を放浪することを
お勧めするね。地球の良さと、日本の良さも解るわな。
主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
主イエス・キリストの御言葉
「わたしの友であるあなたがたに言っておきます。からだを殺しても、そのあとでそれ以上
なにもできない者たちを恐れてはいけません。
恐れるべきかたがだれであるか教えてあげよう。殺したあとで、さらに地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。
そうです、あなたがたに言っておきます、そのかたを恐れなさい。
五羽のすずめは二アサリオンで売られているではありませんか。
しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいません。 その上、あなたがたの頭の毛までも、
みな数えられています。恐れることはありません。
あなたがたは多くのすずめよりも、優れた者ではありませんか。 そこで、あなたがたに言います。
だれでも人の前でわたしを受けいれる者は、人の子も神の天使たちの前で受けいれるでしょう。
しかし、人の前でわたしを拒否する者は、神の天使たちの前で拒否されることになるでしょう。」
(ルカ12:4-9)
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、
神様の栄光となるのです。だから、わたしたちは落胆しません。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。
なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりに
わたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくのです。
(コリント第二の手紙4:15-18)
わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエス様がいらっしゃるのですから、
わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではありませんか。
この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではありません。
罪は犯されませんでしたが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのです。
ですから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、
大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
(ヘブル人への手紙4:11-16)
わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、
キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
(コリント第二の手紙12:9-10)
神は、神を愛する人たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、 万事を益となるようにして下さることを、
わたしたちは知っています。 神はあらかじめ知っておられる者たちを、さらに神の御子のかたちに似たものとしようとして、
あらかじめ定めて下さいました。それは、神の御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであったのです。
そして、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召され人たちをさらに正しい者とし、 正しいと認められた人たちには、さらに栄光を与えて下さいました。
それでは、これらの事からなんと言えるでしょうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、 だれがわたしたちに敵対できるでしょうか。
ご自身の御子(みこ)をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、 どうして、 神の御子といっしょに
万物をも賜わらないことがありましょうか。 だれが、神に選ばれた人たちを訴えるのですか。 神は彼らを正しい者と認めてくださるのです。
だれが、わたしたちを罪に定めるのですか。
キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえり復活されて、 神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなしてくださるのです。
だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、 飢え、裸、危難、剣ですか。
「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。
しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において圧倒的勝利者となるのです。
わたしはこう確信します。死もいのちも、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 高いものも深いものも、
その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにある神様の愛から、 わたしたちを引き離すことはできません。
(ローマ人への手紙8:35-39)
私たちが逃れる道もなく、全く窮地に陥っていた、まさにその時、キリストはおいでになり、何の役にも立たない、
私たち罪人のために死んでくださいました。
たとい私たちが良い人間であったとしても、だれかが自分のために死んでくれるなどとは、考えてもみなかったでしょう。
もちろん、そういう可能性が全然ないわけではありませんが。
しかし、私たちがまだ罪人であった時に、 神様はキリストを遣わしてくださいました。
そのキリストが私たちのために死んでくださったことにより、神様は私たちに、大きな愛を示してくださったのです。
キリストは、罪人のために、血さえ流してくださったのですから、神様が私たちを無罪と宣言した今は、
もっと素晴らしいことをしてくださるに違いありません。 今やキリストは、やがて来る神様の怒りから、
完全に救い出してくださるのです。
私たちが神様の敵であった時に、神のひとり息子の死によって、神様のもとに連れ戻されたくらいですから、
私たちが神様の友となり、神様が私たちのうちに生きておられる今、 どんなに素晴らしい祝福が備えられていることでしょう。
今や私たちは、神様との驚くべき新しい関係を心から喜んでいます。
それはただ、主イエス・キリストが私たちの罪のために死んで成し遂げてくださったこと、
すなわち、私たちを神様の友としてくださったことのおかげなのです。
(ローマ人への手紙5:6-11)
神よ、われらはあなたに感謝します。われらは感謝します。
われらはあなたの御名を呼び、あなたのくすしきみわざを語ります。
詩篇75:1
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
私たちが逃れる道もなく、全く窮地に陥っていた、まさにその時、キリストはおいでになり、何の役にも立たない、
私たち罪人のために死んでくださいました。
たとい私たちが良い人間であったとしても、だれかが自分のために死んでくれるなどとは、考えてもみなかったでしょう。
もちろん、そういう可能性が全然ないわけではありませんが。
しかし、私たちがまだ罪人であった時に、 神様はキリストを遣わしてくださいました。
そのキリストが私たちのために死んでくださったことにより、神様は私たちに、大きな愛を示してくださったのです。
キリストは、罪人のために、血さえ流してくださったのですから、神様が私たちを無罪と宣言した今は、
もっと素晴らしいことをしてくださるに違いありません。 今やキリストは、やがて来る神様の怒りから、
完全に救い出してくださるのです。
私たちが神様の敵であった時に、神のひとり息子の死によって、神様のもとに連れ戻されたくらいですから、
私たちが神様の友となり、神様が私たちのうちに生きておられる今、 どんなに素晴らしい祝福が備えられていることでしょう。
今や私たちは、神様との驚くべき新しい関係を心から喜んでいます。
それはただ、主イエス・キリストが私たちの罪のために死んで成し遂げてくださったこと、
すなわち、私たちを神様の友としてくださったことのおかげなのです。
(ローマ人への手紙5:6-11)
181 :
本当にあった怖い名無し:2010/09/25(土) 08:45:17 ID:c5XsxsdNO
今日はイエスの夢を見た。
素晴らしい夢だ 素晴らしい朝だ
みるみる力が沸いて来る。
でどうしたの?
>>170 思い切り日本を批判している、日本語を使う変なのがいるじゃねーか
詭弁使ってるならこの ゆみ とかいうやつのスタンスを聞けよ
話はそれからだ屑
に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
神のみこころによりキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟テモテとから、コリントにある神の教会、
ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ。
わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。
神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、 神に慰めていただくその慰めをもって、
あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのです。
それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、
キリストによって満ちあふれているからです。
わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救いとのためであり、慰めを受けるなら、
それはあなたがたの慰めのためであって、 その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となります。
だから、あなたがたに対していだいているわたしたちの望みは、動くことがありません。
あなたがたが、わたしたちと共に苦難にあずかっているように、慰めにも共にあずかっていることを知っているからです。
愛する兄弟のみなさん。わたしたちがアジヤで会った患難を、知らずにいてもらいたくない。
わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みを失ってしまい、 心のうちで死を覚悟しました。
そして自分自身を頼みとしないで、死人を復活させてくださった神様を頼みとするに至ったのです。
神様はこのような死の危険から、わたしたちを救い出して下さり、また救い出して下さるでしょう。
わたしたちは、神様が今後も救い出して下さることを望んでいます。 そして、あなたがたもまた、祈りをもって、
いっしょに、わたしたちを助けてくれるでしょう。
これは多くの人たちの願いにより、わたしたちに授けられた恵みについて、多くの人が感謝をささげるようになるためです。
さて、わたしたちがこの世で、ことにあなたがたに対し、人間の知恵ではなく神様の恵みによって、
神様の神聖と真実によって行動してきたことは、実にわたしたちの誇りです。そして良心のあかしするところでもあります。
わたしたちが書いていることは、あなたがたが読んで理解できないことではありません。
それを完全に理解してくれるように、わたしは希望します。わたしたちの主イエスの日に、あなたがたがわたしたちの誇りであるように、
わたしたちもあなたがたの誇りであることはある程度理解してくれていると思います。
この確信をもって、わたしたちはもう一度恵みを得させたいのです
神様は、わたしたちに証印を押し、その保証として、わたしたちの心に聖霊を授けてくださいました。
わたしは自分の魂をかけ、神様を証人に呼び求めて言いますが、わたしがコリントに行かないのは、あなたがたに対して寛大でありたいためです。
わたしたちは、あなたがたの信仰を支配する者ではなく、あなたがたの喜びのために共に働いている者にすぎません。
あなたがたは、信仰に堅く立っているからです。
神様に感謝しよう。神様はいつも私たちを、勝利の行進に加えてくださいました。
わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのです。
わたしたちは、救われる人にとっても滅びる人にとっても、神様に対するキリストの香りなのです。
後者にとっては、死から死に至らせる香りであり、前者にとっては、いのちからいのちに至らせる香りです。
このような任務にふさわしい人とは、いったいどんな人でしょうか。
私たちは、多くの人のように、神様の御言葉に混ぜ物をして売るようなことはせず、
真心から、また神様によって、神様の御前でキリストにあって語るのです。
神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされました。 それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者です。
文字は人を殺し、霊は人を生かす。
もし石に彫りつけた文字による死の務めが栄光のうちに行われ、そのためイスラエルの子らは、 モーセの顔の消え去るべき栄光のゆえに、
その顔を見つめることができなかったとすれば、 まして霊の務めは、はるかに栄光あるものではないでしょうかか。
もし罪を宣告する務めが栄光あるものだとすれば、義を宣告する務は、はるかに栄光に満ちたものです。
そして、すでに栄光を受けたものも、この場合、はるかにまさった栄光のまえに、その栄光を失ったのです。
もし消え去るべきものが栄光をもって現れたのなら、まして永存すべきものは、もっと栄光のあるべきものです。
こうした望みをいだいているので、わたしたちは思いきって大胆に語り、 そしてモーセが、 消え去っていくものの最後をイスラエルの子らに
見られまいとして、 顔におおいをかけたようなことはしない。
実際、彼らの思いは鈍くなっていた。今日に至るまで、彼らが古い契約を朗読する場合、 その同じおおいが取り去られないままで残っています。
それは、キリストにあってはじめて取り除かれるからです。今日に至るもなお、 モーセの書が朗読されるたびに、
おおいが彼らの心にかかっている。
しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれます。主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由があります。
わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていきます。
これは霊なる主の働きによるのです。
189 :
リンゴ ◇oPXbhrKCUQ:2010/09/25(土) 17:23:11 ID:kibNihn20
キリスト教は前機械文明の教訓は生かされましたか?
このようにわたしたちは、あわれみを受けてこの務めについているのですから、落胆せずに、 恥ずべき隠れたことを捨て去り、
悪巧みによって歩かず、神の御言葉を曲げず、真理を明らかにし、神のみまえに、すべての人の良心に自分を推薦します。
もしわたしたちの福音がおおわれているなら、滅びる者たちにとっておおわれているのです。
彼らの場合、この世の神が不信者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしています。
しかし、わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。
わたしたち自身は、 ただイエス様のために働くあなたがたのしもべにすぎません。
「暗闇の中から光よ、輝き出せ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝き渡る神の栄光の知識を明らかにするために、
わたしたちの心を照して下さったのです。
しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、
わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためです。
わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まることはありません。
迫害に会っても見捨てられず、倒されても滅びない。 いつもイエス様の死をこの身に負っています。
それはまた、イエス様のいのちが、この身に現れるためであり、 わたしたち生きている者は、
イエス様のために絶えず死に渡されているからです。
それはイエス様のいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためです。
こうして、死はわたしたちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。
「わたしは信じた。それゆえに語った」としるしてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、
わたしたちも信じています。それゆえに語ります。
それは、主イエスをよみがえらせたかたが、わたしたちをもイエス様と共によみがえらせ、そして、
あなたがたと共にみまえに立たせて下さることを、知っているからです。
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、 神の栄光となります。
だから、わたしたちは落胆しない。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、
永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくからです。
わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、
人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っています。
そして、天から賜わるその住まいを、上に着ようと切実に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえています。
それを着たなら、裸のままではいないでしょう。 この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえています。
それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためです。
わたしたちを、この事にかなう者にして下さったのは、神です。
そして、神はその保証として聖霊をわたしたちに賜わりました。
だから、わたしたちはいつも心強い。 そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っています。
わたしたちは、見えるものによらないで、 信仰によって歩いているのです。 コリント第二の手紙5章
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
「兄弟たちよ、もしあなたがたのうち、どなたか、この人々に何か奨励の御言葉がありましたら、
どうぞお話し下さい」と言わせた。 そこでパウロが立ちあがった。
そして手を振りながらこう言った。「イスラエルの人たち、ならびに神を敬うかたがた、どうかお聞き下さい。
この民、イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び出し、エジプトの地に滞在中、この民を大いなるものとし、
御腕を高くさし上げて、彼らをその地から導き出されました。
そして約四十年にわたって、荒野で彼らを大切にはぐくみ育て、 カナンの地では七つの異民族を打ち滅ぼし、
その地を彼らに譲り与えられました。 それらのことが約四百五十年の年月にわたったのです。
その後、神は裁き人たちをおつかわしになり、預言者サムエルの時にまで及びました。
その時、人々が王を要求したので、神はベニヤミン族の人、キスの子サウロを四十年間、
彼らにおつかわしになったのです。
それから神はサウロを退け、ダビデを立てて王とされました。彼については、こうあかしをなさいました。
『わたしはエッサイの子ダビデを見い出した。彼はわたしの心にかなった人で、わたしの思うところを、
ことごとく実行してくれるであろう』と、このように仰せられたのです。
神は約束にしたがって、このダビデの子孫の中から救い主イエス様をイスラエルに送られましたが、
ご来臨される以前に、ヨハネがイスラエルの全住民に悔改めのバプテスマを、
あらかじめ宣べ伝えていました。
ヨハネはその一生の行程を終ろうとするにあたって、こう言いました、『わたしは、あなたがたが
考えているような者ではありません。しかし、わたしのあとからいらっしゃるかたがおられる。
わたしはそのかたのくつを脱がせてあげる値うちもない』。
愛する兄弟たちよ、アブラハムの子孫のかたがた、ならびに皆さんの中の神を敬う人たちよ。
この救いの御言葉はわたしたちに贈られましたが、エルサレムに住む人々やその指導者たちは、
イエス様を認めずに死刑にし、それによって、安息日が来るたびに朗読する預言者の御言葉が成就しました。
まったく死に当る理由が何も見いだせなかったにもかかわらず、ピラトに強要してイエス様を殺してしまいました。
そして、イエス様について書いてあることを、すべて成し遂げてから、人々はイエス様を木から取りおろして
墓に葬り去りました。 しかし、神はイエス様を死人の中から、よみがえらせてくださったのです。
その後イエス様は、ガリラヤからエルサレムへ一緒に上った人たちに、幾日ものあいだ現れになり、
彼らは今や、人々に対してイエス様の証人となっています。
わたしたちは、神が先祖たちに対してなされた約束を、ここに宣べ伝えているのです。
神は、イエス様をよみがえらせて、わたしたち子孫にこの約束を、お果しになりました。それは詩篇の第二篇に、
『あなたこそは、わたしの子。きょう、わたしはあなたを生んだ』と書いてあるからです。
また、神がイエス様を死人の中からよみがえらせて、いつまでも朽ち果てないものとされたことについては、
こう言われました。
『わたしは、ダビデに約束した確かな聖なる祝福を、あなたがたに授けよう』と。
だから、ほかの箇所でもこう言っておられます、
『あなたの聖者が朽ち果てるようなことは、お許しにならないであろう』。 事実、ダビデは、その時代の
人々に神の御心にしたがって仕えましたが、やがて眠りにつき、先祖たちの中に加えられて、
ついに朽ち果ててしまいました。 しかし、神がよみがえらせたかたは、朽ち果てることがなかったのです。
198 :
本当にあった怖い名無し:2010/09/25(土) 21:25:24 ID:Ar8nUtCe0
よはねおまんこ
だから、愛する兄弟たちよ、この事を承知してください。すなわち、このイエス様による罪のゆるしの福音が、
今やあなたがたに宣べ伝えられています。
そして、モーセの律法では神の御前に正しい者と認められることができなかったすべての事についても、
信じる者はもれることなく、イエス様によって神の御前に正しい者と認められるのです。
だから預言者たちの書に書いてある次のようなことが、あなたがたの身に起らないように気をつけなさい。
『見よ、侮る者たちよ。驚け、そして滅び去るがいい。わたしは、あなたがたの時代に一つの事をしよう。
それは、人がどんなに説明して言い聞かせても、あなたがたにはとうてい信じられない事である』」。
ふたりが会堂を出る時、人々は次の安息日にも、これと同じ話をしてくれるようにと、しきりに願った。
そして集会が終ってからも、大ぜいのユダヤ人や信仰深い改宗者たちが、パウロとバルナバとに
ついてきたので、ふたりは、彼らが引きつづき神の恵みにとどまっているようにと、説きすすめた。
そして次の安息日には、ほとんど全ての市をあげて、神の御言葉を聞きに集まってきた。
するとユダヤ人たちは、その群衆を見てねたましく思い、パウロの語ることに口汚く反対した。
200 :
本当にあった怖い名無し:2010/09/25(土) 21:26:30 ID:Ar8nUtCe0
だびでおまんこ
201 :
本当にあった怖い名無し:2010/09/25(土) 21:27:17 ID:Ar8nUtCe0
もーせおまんこ
202 :
本当にあった怖い名無し:2010/09/25(土) 21:28:54 ID:Ar8nUtCe0
きょうだいおまんこ
パウロとバルナバは大胆に語りはじめた、「神の御言葉は、まず、あなたがたに語り伝えられなければならなかった。
しかし、あなたがたはそれを退け、自分自身を永遠の命にふさわしくない者にしてしまったのです。
だから、わたしたちはこれから方向をかえて、異邦人たちの方に行く。 主はわたしたちに、こう命じておられます、
『わたしは、あなたを立てて異邦人の光とした。あなたが地の果てまでも救いをもたらすためである』」。
異邦人たちはこれを聞いて喜び、主の御言葉をほめたたえてやまなかった。
そして、永遠の命にあずかるように定められていた人は、みな信じるようになった。
こうして、主の御言葉はこの地方全体にひろまって行った。
ところが、ユダヤ人たちは、信心深い貴婦人たちや町の有力者たちを煽動し、パウロとバルナバを迫害させ、ふ
たりをその地方から追放した。 ふたりは、彼らに向けて足のちりを払い落して、イコニオムへ行ったが、
弟子たちは、ますます喜びと聖霊とに満たされていた。
204 :
本当にあった怖い名無し:2010/09/25(土) 21:30:25 ID:Ar8nUtCe0
せいしょおまんこ
205 :
本当にあった怖い名無し:2010/09/25(土) 21:31:21 ID:Ar8nUtCe0
ぱうろおまんこ
206 :
本当にあった怖い名無し:2010/09/25(土) 21:35:42 ID:Ar8nUtCe0
ゆだやおまんこ
207 :
本当にあった怖い名無し:2010/09/25(土) 21:38:22 ID:Ar8nUtCe0
ばるなばおまんこ
208 :
トモダチ:2010/09/25(土) 22:02:35 ID:R8D1CThY0
>>183 ゆみさんは『夢』さんと改名がいいな。ゆめが有る。自分は夢から覚めて、
みんなに、特定の人じゃないよ、みんなに夢を与えるスレをして欲しいな。
友人の江戸っ子より。
209 :
本当にあった怖い名無し:2010/09/25(土) 22:14:10 ID:Ar8nUtCe0
MiqkGRye0おまんこ
主をほめたたえよ。もろもろの天から主をほめたたえよ。もろもろの高き所で主をほめたたえよ。
その天使よ、みな主をほめたたえよ。その万軍よ、みな主をほめたたえよ。 日よ、月よ、主をほめたたえよ。
輝く星よ、みな主をほめたたえよ。 いと高き天よ、天の上にある水よ、主をほめたたえよ。
これらのものに主のみ名をほめたたえさせよ、これらは主が命じられると造られたからである。
主はこれらをとこしえに堅く定め、越えることのできないその境を定められた。
海の獣よ、すべての淵よ、地から主をほめたたえよ。
火よ、あられよ、雪よ、霜よ、み言葉を行うあらしよ、 もろもろの山、すべての丘、実を結ぶ木、すべての香柏よ、 野の獣、すべての家畜、
這うもの、翼ある鳥よ、 地の王たち、すべての民、君たち、地のすべてのつかさよ、
若い男子、若い女子、老いた人と幼い者よ、 彼らをして主のみ名をほめたたえさせよ。
そのみ名は高く、たぐいなく、その栄光は地と天の上にあるからである。 主はその民のために一つの角をあげられた。
これはすべての聖徒のほめたたえるもの、主に近いイスラエルの人々のほめたたえるものである。主をほめたたえよ。
詩篇148篇
主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
ただひとり大いなるくすしきみわざをなされるかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
知恵をもって天を造られたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
地を水の上に敷かれたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
大いなる光を造られたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
昼をつかさどらすために日を造られたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
夜をつかさどらすために月と、もろもろの星とを造られたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
エジプトのういごを撃たれたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
イスラエルをエジプトびとの中から導き出されたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
強い御手と伸ばした御腕とをもって、これを救い出されたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
紅海を二つに分けられたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
(詩篇136:1-13)
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
主イエス・キリストの御言葉
「どんなことがあっても、心配したりあわてたりしてはいけない。 神様を信じ、わたしに何もかも任せなさい。
父の住んでおられる所には、住まいがたくさんあります。 もしなかったら、はっきり言っておいたでしょう。
実を言えば、あなたがたを迎えるため住まいを準備しに行くのです。 すっかり準備が整ったら、迎えに来よう。
わたしがいる所にあなたがたも、いつまでもいられるようにしてあげるためです。」
(ヨハネ14:1-3)
私たちが逃れる道もなく、全く窮地に陥っていた、まさにその時、キリストはおいでになり、何の役にも立たない、
私たち罪人のために死んでくださいました。
たとい私たちが良い人間であったとしても、だれかが自分のために死んでくれるなどとは、考えてもみなかったでしょう。
もちろん、そういう可能性が全然ないわけではありませんが。
しかし、私たちがまだ罪人であった時に、 神様はキリストを遣わしてくださいました。
そのキリストが私たちのために死んでくださったことにより、神様は私たちに、大きな愛を示してくださったのです。
キリストは、罪人のために、血さえ流してくださったのですから、神様が私たちを無罪と宣言した今は、
もっと素晴らしいことをしてくださるに違いありません。 今やキリストは、やがて来る神様の怒りから、
完全に救い出してくださるのです。
私たちが神様の敵であった時に、神のひとり息子の死によって、神様のもとに連れ戻されたくらいですから、
私たちが神様の友となり、神様が私たちのうちに生きておられる今、 どんなに素晴らしい祝福が備えられていることでしょう。
今や私たちは、神様との驚くべき新しい関係を心から喜んでいます。
それはただ、主イエス・キリストが私たちの罪のために死んで成し遂げてくださったこと、
すなわち、私たちを神様の友としてくださったことのおかげなのです。
(ローマ人への手紙5:6-11)
「私たちは、この御子のうちにあって、 御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。
これは神の豊かな恵みによることです。」
エペソ人への手紙1章7
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
主をほめたたえよ。その聖所で神をほめたたえよ。その御力のあらわれる大空で主をほめたたえよ。
その大能のはたらきのゆえに主をほめたたえよ。
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
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あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
主をほめたたえよ。その聖所で神をほめたたえよ。その御力のあらわれる大空で主をほめたたえよ。
その大能のはたらきのゆえに主をほめたたえよ。
愛する皆さん。 父なる神は、ずっと昔からあなたがたを選び、自分の子供にしようと、決めておられました。
そして、聖霊の働きかけにより、あなたがたの心は、イエス・キリストの血によってきよめられ、
神様に喜ばれるものと変わったのです。
どうか、神様があなたがたを祝福し、すべての不安と恐れから、解放してくださいますように。
主イエス・キリストの父なる神こそ、すべての賞賛を受けるにふさわしい方です。
私たちは、神様の測り知れないあわれみによって、新しく生まれ変わる特権を与えられ、
今では神様の家族の一員として、迎えられたのです。
キリストが死人の中から復活してくださったおかげで、私たちは永遠のいのちの希望にあふれています。
神様は自分の子供たちのために、お金では買えない永遠のいのちを贈る、と約束してくださいました。
それは純粋で、しみ一つない完全な状態で、天に保管されており、絶対に変質したり、腐敗したりしません。
神様は超自然的な力によって、あなたがたが、まちがいなく天で永遠のいのちをいただけるよう、守ってくださいます。
あなたがたが、神様を信じているからです。
やがて来る終わりの日に、この永遠のいのちは、あなたがたのものとして、 だれの目にも、はっきり示されるでしょう。
ですから、心から喜びなさい。
今しばらくの間、地上での苦しみが続きますが、行く手には、すばらしい喜びが待ち受けているからです。
これらの試練は、あなたがたの信仰をテストするためにあるのです。
それによって、信仰が、どれほど強く、純粋であるかが量られます。
それはちょうど、金が火によって精錬され、不純物が取り除かれるのに似ています。 しかも神様には、あなたがたの信仰は、
金などより、はるかに貴重なのです。
ですから、信仰が火のような試練のるつぼの中で鍛えられ、なお強化されるなら、あなたがたは、イエス・キリストの
再び来られる日に、 多くの賞賛と栄光と名誉とを、受けることになるでしょう。
(ペテロ第一の手紙 1:2-7)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
キリスト・イエスのしもべ、神の福音のために選ばれ、召されて使徒となったパウロから。この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、
あらかじめ約束されたものであって、 神のひとり子に関するものです。
神のひとり子は、肉によればダビデの子孫から生れ、 聖霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められました。
これがわたしたちの主イエス・キリストです。 わたしたちは、その御名のために、すべての異邦人を信仰の従順に
至らせるようにと、彼によって恵みと使徒の務めとを受けたのであり、あなたがたもまた、彼らの中にあって、
召されてイエス・キリストに属する者となったのです。ローマにいる、神に愛され、召された聖徒一同へ。
わたしたちの父なる神および主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにありましように。
まず第一に、わたしは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられていることを、イエス・キリストによって、あなたがた一同のために、
わたしの神に感謝します。 わたしは、祈るたびに、いつもあなたがたを覚え、いつかは御こころにかなって道が開かれ、
どうにかして、あなたがたの所に行けるようにと願っています。
(ローマ人への手紙1:1-8)
このことについて、わたしのためにあかしをして下さるのは、わたしが霊により、 御子の福音を宣べ伝え仕えている神様です。
わたしは、あなたがたに会うことを熱望しています。あなたがたに霊の賜物を幾分でも分け与えて、 力づけたいからです。
それは、あなたがたの中にいて、あなたがたとわたしとのお互いの信仰によって、共に励まし合うためにほかならない。
愛する兄弟のみなさん。このことを知らずにいてもらいたくない。
わたしはほかの異邦人の間で得たように、あなたがたの間でも幾分かの実を得るために、 あなたがたの所に行こうと
何度となく計画をたてましたが、今まで妨げられてきました。
わたしには、ギリシヤ人にも未開の人にも、賢い人にも無知な人にも、果すべき責任がある。
そこで、わたしとしての切なる願いは、ローマにいるあなたがたにも、福音を宣べ伝えることなのです。
わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、 救いを得させる神の御力があります。
(ローマ人への手紙1:9-16)
神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせます。これは、「神の御前に正しい人は信仰によって生きる」
と書いてあるとおりです。
神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信仰と不義とに対して、天から啓示されます。
なぜなら、神について知りうる事がらは、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに明らかにされました。
神の見えない性質、すなわち、神の永遠の御力と神性とは、天地創造以来、被造物において知られていて、
明らかに認められるからです。
したがって、彼らには弁解の余地がない。 なぜなら、彼らは神を知っていながら、神として礼拝せず、感謝もせず、
かえってその思いは虚しくなり、その無知な心は暗くなったからです。
彼らは自ら知者と称しながら、愚か者になり、 不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這う物の像に似せました。
ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分のからだを互いにはずかしめて、汚すままに任せられました。
彼らは神の真理を変えて偽りとし、創造者の代りに被造物を拝み、これに仕えたのです。
創造者こそ永遠に賛美されるべきかた、アーメン。(ローマ人への手紙1:17-25)
それゆえ、神様は彼らを恥ずべき情欲のおもむくままにに任せられました。すなわち、彼らの中の女は、その自然の関係を
不自然なものに代え、 男もまた同じように女との自然の関係を捨てて、互いにその情欲の炎を燃やし、男は男に対して
恥ずべきことをなし、 そしてその乱行の当然の報いを、身に受けたのです。そして、彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、
神は彼らを不正な思いにし、なすべからざる事をなすままに任せられました。
すなわち、彼らは、あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、妬みと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、
また、ざん言する者、 そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、
親に逆らう者となり、 無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっているのです。彼らは、こうした事を行う者たちが
死に価するという神の定めをよく知りながら、 自らそれを行うばかりではなく、それを行う者たちを容認さえしています。
(ローマ人への手紙1:26-32)
だから、ああ、すべて人を裁く者よ。あなたには弁解の余地がない。あなたは、他人を裁くことによって、
自分自身を罪に定めています。裁くあなたも、同じことを行っているからです。
わたしたちは、神の裁きが、このような事を行う者たちの上に正しく下ることを、知っています。
ああ、このような事を行う者たちを裁きながら、しかも自ら同じことを行う人よ。
あなたは、神の裁きを逃れうると思うのですか。 それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、
その慈愛と忍耐と寛容との富を軽視しているのか。
あなたのかたくなな、悔改めのない心のゆえに、あなたは、神の正しい裁きの現れる怒りの日のために神の怒りを、
自分の身に積んでいるのです。
神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いられます。 すなわち、一方では、耐え忍んで善を行って、
光栄と誉と朽ちぬものとを求める人に、永遠のいのちが与えられ、他方では、党派心をいだき、真理に従わないで
不義に従う人には、怒りと激しい憤りとが加えられます。
悪を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、患難と苦悩とが与えられ、 善を行うすべての人には、
ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、光栄とほまれと平安とが与えられます。
なぜなら、神には、かたより見ることがないからです。(ローマ人への手紙2:1-11)
そのわけは、律法なしに罪を犯した者は、また律法なしに滅び、律法のもとで罪を犯した者は、律法によって裁かれます。
なぜなら、律法を聞く者が、神の前に義なるものではなく、律法を行う者が、義とされるからです。
すなわち、律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、 たとい律法を持たなくても、彼らにとっては
自分自身が律法なのです。 彼らは律法の要求がその心にしるされていることを現し、そのことを彼らの良心も共にあかしをして、
その判断が互いにあるいは訴え、あるいは弁明し合うのです。 そして、これらのことは、わたしの福音によれば、
神がキリスト・イエスによって人々の隠れた事がらを裁かれるその日に、明らかにされるでしょう。
もしあなたが、自らユダヤ人と称し、律法に安んじ、神を誇りとし、 御旨を知り、律法に教えられて、
なすべきことをわきまえており、 さらに、知識と真理とが律法の中に形をとっているとして、
自ら盲人の手引き、闇にいる者の光、愚かな者の導き手、幼な子の教師をもって任じているのなら、
なぜ、人を教えて自分を教えないのですか。盗むなと人に説いて、自らは盗むのですか。
姦淫するなと言って、自らは姦淫するのか。偶像を忌みきらいながら、自らは宮の物をかすめるのですか。
律法を誇りとしながら、自らは律法に違反して、神を侮っているのですか。(ローマ人への手紙2:12-23)
聖書に書いてあるとおり、「神の御名は、あなたがたのゆえに、異邦人の間で汚されている」。 もし、あなたが律法を行うなら、
なるほど、割礼は役に立つでしょう。
しかし、もし律法を犯すなら、あなたの割礼は無割礼となってしまう。 だから、もし無割礼の者が律法の規定を守るなら、
その無割礼は割礼と見なされるではありませんか。
かつ、生れながら無割礼の者であって律法を全うする者は、律法の文字と割礼とを持ちながら律法を犯しているあなたを、裁くのです。
というのは、外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上の肉における割礼が割礼でもない。
かえって、隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、また、文字によらず霊による心の割礼こそ割礼であって、
そのほまれは人からではなく、神から来ます。(ローマ人への手紙2:24-29)
では、ユダヤ人の優れている点は何か。また割礼の益は何か。 それは、いろいろの点で数多くあります。
まず第一に、神の御言葉が彼らにゆだねられていることです。
すると、どうなるのか。もし、彼らのうちに不真実の者があったとしたら、その不真実によって、
神の真実は無になるでしょうか。 断じてそうではありません。
あらゆる人を偽り者としても、神を真実なものとすべきです。それは、「あなたが言葉を述べるときは、義とせられ、
あなたがさばきを受けるとき、勝利を得るため」と書いてあるとおりです。
しかし、もしわたしたちの不義が、神の義を明らかにするとしたら、なんと言うべきか。
怒りを下す神は、不義であると言うのか(これは人間的な言い方ですが)。断じてそうではありません。
もしそうであったら、神はこの世を、どう裁かれるでしょうか。 しかし、もし神の真実が、 わたしの偽りによりいっそう明らかにされて、
神の栄光となるなら、 どうして、わたしはなおも罪人として裁かれるのだろうか。
むしろ、「善をきたらせるために、 わたしたちは悪をしようではないか」(わたしたちがそう言っていると、ある人々はそしっている)。
彼らが罰せられるのは当然です。 すると、どうなるのか。わたしたちには何かまさったところがあるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。
(ローマ人への手紙3:1-9)
ユダヤ人もギリシヤ人も、ことごとく罪の下にあることを、わたしたちはすでに指摘しました。 次のように書いてあります、
「正しい者はいない、ひとりもいない。 悟りのある人はいない、神を求める人はいない。
すべての人は迷い出て、ことごとく無益なものになっている。善を行う者はいない、ひとりもいない。
彼らののどは、開いた墓であり、彼らは、その舌で人を欺き、彼らのくちびるには、まむしの毒があり、
彼らの口は、呪いと苦い言葉とで満ちている。 彼らの足は、血を流すのに速く、 彼らの道には、破壊と悲惨とがある。
そして、彼らは平和の道を知らない。 彼らの目の前には、神に対する恐れがない」。
さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法のもとにある者たちに対して語られています。
それは、すべての口がふさがれ、全世界が神の裁きに服するためです。 なぜなら、律法を行うことによっては、
すべての人間は神の前に正しい者と認められることはありません。律法によっては、罪の自覚が生じるだけです。
(ローマ人への手紙3:10-20)
しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現されました。
それは、 イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものです。
そこにはなんの差別もありません。 すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、
彼らは価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって神様から正しい者と認められるのです。
神は義を示すために、キリストの血によるあがないと、わたしたちの信仰をお用いになりました。
すなわち、今までに犯した罪を、神は忍耐をもって見のがしておられましたが、 それは、今の時に、神の義を示すためでした。
こうして、神ご自身が義となり、さらに、イエス様を信じる者を義と認めてくださるのです。(ローマ人への手紙3:21-26)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
キリストが死人の中から復活してくださったおかげで、私たちは永遠のいのちの希望にあふれています。
神様は自分の子供たちのために、お金では買えない永遠のいのちを贈る、と約束してくださいました。
239 :
メロン:2010/09/28(火) 11:38:24 ID:OmoNNv4e0
>>238 永遠の命って、なーに? 浮遊霊のこと?
>>239 「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたがお遣わしになった
イエス・キリストを知ることです。」(ヨハネ17:3)
旧約聖書に、次のように書いてあるとおりです。
「正しい人は一人もいない。罪のない人は世界中に一人もいない。真実に神の道に従って歩んだ人は かつて一人もいない。
そうしたいと心から願った人さえいない。
すべての人が道を踏みはずし、みな、まちがった方向に進んで行った。正しいことをずっと行なってきた人はどこにもいない。 一人もいない。」
彼らのうち一人として、申し開きのできる者はいません。 事実、全世界が全能の神様の前に沈黙して立ち、有罪の宣告を受けているのです。
さて、おわかりでしょうか。 おきての命じることを実行して、神様に正しい者と認められようとしてもむだです。
私たちが神様のおきてを深く知れば知るほど、自分が従っていないことが明らかになるからです。
神様のおきては、私たちに、自分が罪人であることを自覚させてくれるだけです。(ローマ人への手紙3章)
しかし今や、神様は、天国へ行く別の道を示してくださいました。 その新しい道は、「善人になる」とか、
神様のおきてを守ろうと努力するような道ではありません
〔とはいっても、この道については、ずっと前から旧約聖書で教えられていたのですから、実際には新しい道とは言えませんが〕。
神様は今、「もし私たちが、イエス・キリストを信じきるなら、あなたがたを受け入れ、『罪のない者』と宣言する」と言われます。
どんな人間であろうと、私たちはみな、キリストを信じきるという、この方法によって救われるのです。
そうです。 すべての人は罪を犯しました。 神の輝かしい標準にはほど遠い存在です。
けれども、もし私たちがキリスト・イエスを信じきるなら、神様は私たちを「罪のない者」と宣言してくださいます。
このキリスト・イエスが、恵みにより、無償で私たちの罪を帳消しにしてくださるからです。
(ローマ人への手紙3:21-24)
神様はキリスト・イエスを遣わして、私たちの罪のための刑罰を受けさせ、私たちへの怒りをとどめてくださいました。
神様は、私たちをご自分の怒りから救い出すための手段として、キリストの血と私たちの信仰とをお用いになりました。
ですから、それまでの時代に罪を犯した者たちを罰せられなかったとしても、神様は完全に公正であられたわけです。
キリストが来て人々の罪を取り除く時を、神様は待ち望んでおられたからです。
そして今日でも、神様はこの同じ方法で罪人を受け入れてくださいます。
イエス様が彼らの罪を帳消しにしてくださったからです。
しかし、このように、罪を犯した者を赦し、無罪を宣告するのは、神様の公正なやり方に反するのではないでしょうか。
いいえ、そんなことはありません。 なぜなら、彼らが自分の罪を帳消しにしてくださった
イエス様を信じたという事実に基づいて、神様はそうなさるからです。ローマ人への手紙3章
それでは、救われるために、私たちは何か誇れるようなことをしたでしょうか。 何もしていません。 なぜでしょう。
私たちは自分の善行によって無罪とされるのではないからです。
それは、キリストが成し遂げてくださったことと、キリストに対する私たちの信仰に基づいているのです。
つまり、私たちが救われるのは、キリストを信じる信仰だけによるのであって、善行によるのではありません。
(ローマ人への手紙3:25-28)
わたしたちの主イエスを死人の中からよみがえらせたかたを信じるわたしたちも、義と認められるのです。
主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえられました。
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
わたしたちの主イエスを死人の中からよみがえらせたかたを信じるわたしたちも、義と認められるのです。
主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえられました。
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
小澤 美恵子 気色悪い
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
イエスキリストのみことば
「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためです。 わたしはよい羊飼いである。
よい羊飼いは、羊のために命を捨てるのです。」
イエスキリストのみことば
「わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、また裁かれることがなく、
死から命に移っています。」
「神様は人をかたより見ないかたで、 神様を礼拝し、また良い行ないをしている人はどの国民でも
受けいれて下さることが、ほんとうによくわかってきました。
あなたがたは、神様がすべての者の主なるイエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、
イスラエルの子たちにお送り下さった御言葉をご存じでしょう。
それは、ヨハネがバプテスマを説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ全土にひろまった福音をのべたものです。
神様はナザレのイエス様に聖霊と御力とを注がれました。このイエス様は、神様が共におられるので、
よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました。
わたしたちは、イエス様がこうしてユダヤ人の地やエルサレムでなさったすべてのことの証人です。
人々はこのイエス様を木にかけて殺したのです。
しかし神様はイエス様を三日目によみがえらせ、 全部の人々にではなかったが、わたしたち証人として
あらかじめ選ばれた者たちに現れるようにして下さいました。
わたしたちは、イエス様が死人の中からよみがえり復活された後、共に飲み、食事をしました。
それから、イエス様ご自身が生者と死者との審判者として神様に定められたかたであることを、人々に宣べ伝え、
またあかしするようにと、神様はわたしたちにお命じになったのです。
預言者たちもみな、イエス様を信じる者はことごとく、その御名によって罪のゆるしが受けられると、あかしをしています」。
ペテロがこれらの御言葉をまだ語り終えないうちに、それを聞いていたみんなの人たちに、聖霊がご降臨された。(使徒10:34-44)
「私たちは、この御子のうちにあって、 御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。
これは神の豊かな恵みによることです。」
「キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえをささげた後、神の右に座し、
それから、敵をその足台とするときまで、待っておられます。
彼は一つのささげ物によって、清められた人たちを永遠に完全な者とされたのです。」
ヘブル人への手紙10章
聖霊もまた、わたしたちにあかしをして、 こう言われます。
「わたしが、それらの日の後、彼らに対して立てようとする契約はこれであると、主が言われる。
わたしの律法を彼らの心に与え、彼らの思いのうちに書きつけよう」と。
さらに、「もはや、彼らの罪と彼らの不法とを、思い出すことはしない」と述べておられます。
ヘブル人への手紙10章
主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
キリストが死人の中から復活してくださったおかげで、私たちは永遠のいのちの希望にあふれています。
神様は自分の子供たちのために、お金では買えない永遠のいのちを贈る、と約束してくださいました。
神よ、われらはあなたに感謝します。われらは感謝します。
われらはあなたの御名を呼び、あなたのくすしきみわざを語ります。
キリストが死人の中から復活してくださったおかげで、私たちは永遠のいのちの希望にあふれています。
神様は自分の子供たちのために、お金では買えない永遠のいのちを贈る、と約束してくださいました。
イエスキリストのみことば
「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためです。 わたしはよい羊飼いである。
よい羊飼いは、羊のために命を捨てるのです。」ヨハネ10:11
キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに、固執されず、御自分をなくして、しもべの身分になり、
人間と同じ者になられたのです。
人間の姿として現れ、へりくだり、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順でした。
このため、神様はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる御名をお与えになりました。
それは、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるものがすべて、イエス様の御名にひざまずき、すべての者の舌が、
『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神様を褒め称えるようになるためです。」
(ピリピ人への手紙2:6-11)
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
三日目にガリラヤのカナに婚礼があって、イエス様の母がそこにいた。 イエス様も弟子たちも、その婚礼に招かれた。
ぶどう酒がなくなったので、母はイエス様に言った、「ぶどう酒がなくなってしまいました」。
イエス様は母に言われた、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。
わたしの時は、まだきていません」。 母はしもべたちに言った、「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」。
そこには、ユダヤ人の清めのならわしに従って、それぞれ四、五斗もはいる石の水がめが、六つ置いてあった。
イエス様は彼らに「かめに水をいっぱい入れなさい」と言われたので、彼らは口のところまでいっぱいに入れた。
そこで彼らに言われた、「さあ、くんで、料理がしらのところに持って行きなさい」。すると、彼らは持って行った。
料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだしもべたちは知っていた)
花婿を呼んで 言った、「どんな人でも、初めに良いぶどう酒を出して、酔いがまわったころに悪いのを出すものだ。
それなのに、あなたは良いぶどう酒を今までとっておかれました」。
イエス様は、この最初のしるしをガリラヤのカナで行い、その栄光を現された。そして弟子たちはイエス様を信じた。
ヨハネ2:1-11
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、
私たちも彼を尊ばなかった。
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを背負った。だが、私たちは思った。
彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちの背きの罪のために刺し通され、私たちの罪咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。
しかし、主は、私たちのすべての罪咎を彼に負わせた。 イザヤ書
彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。
「神様は人をかたより見ないかたで、 神様を礼拝し、また良い行ないをしている人はどの国民でも
受けいれて下さることが、ほんとうによくわかってきました。
あなたがたは、神様がすべての者の主なるイエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、
イスラエルの子たちにお送り下さった御言葉をご存じでしょう。
それは、ヨハネがバプテスマを説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ全土にひろまった福音をのべたものです。
神様はナザレのイエス様に聖霊と御力とを注がれました。このイエス様は、神様が共におられるので、
よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました。
わたしたちは、イエス様がこうしてユダヤ人の地やエルサレムでなさったすべてのことの証人です。
人々はこのイエス様を木にかけて殺したのです。
しかし神様はイエス様を三日目によみがえらせ、 全部の人々にではなかったが、わたしたち証人として
あらかじめ選ばれた者たちに現れるようにして下さいました。
わたしたちは、イエス様が死人の中からよみがえり復活された後、共に飲み、食事をしました。
それから、イエス様ご自身が生者と死者との審判者として神様に定められたかたであることを、人々に宣べ伝え、
またあかしするようにと、神様はわたしたちにお命じになったのです。
預言者たちもみな、イエス様を信じる者はことごとく、その御名によって罪のゆるしが受けられると、あかしをしています」。
ペテロがこれらの御言葉をまだ語り終えないうちに、それを聞いていたみんなの人たちに、聖霊がご降臨された。(使徒10:34-
キリストが死人の中から復活してくださったおかげで、私たちは永遠のいのちの希望にあふれています。
神様は自分の子供たちのために、お金では買えない永遠のいのちを贈る、と約束してくださいました。
キリストが死人の中から復活してくださったおかげで、私たちは永遠のいのちの希望にあふれています。
神様は自分の子供たちのために、お金では買えない永遠のいのちを贈る、と約束してくださいました。
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不死とを明らかに示されました。
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、
私たちも彼を尊ばなかった。
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを背負った。だが、私たちは思った。
彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちの背きの罪のために刺し通され、私たちの罪咎のために砕かれた。彼への懲らしめが
私たちに平安をもたらし、 彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。
しかし、主は、私たちのすべての罪咎を彼に負わせた。 イザヤ53
主イエス・キリストの御言葉
「わたしの友であるあなたがたに言っておきます。からだを殺しても、そのあとでそれ以上
なにもできない者たちを恐れてはいけません。
恐れるべきかたがだれであるか教えてあげよう。殺したあとで、さらに地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。
そうです、あなたがたに言っておきます、そのかたを恐れなさい。
五羽のすずめは二アサリオンで売られているではありませんか。
しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいません。 その上、あなたがたの頭の毛までも、
みな数えられています。恐れることはありません。
あなたがたは多くのすずめよりも、優れた者ではありませんか。 そこで、あなたがたに言います。
だれでも人の前でわたしを受けいれる者は、人の子も神の天使たちの前で受けいれるでしょう。
しかし、人の前でわたしを拒否する者は、神の天使たちの前で拒否されることになるでしょう。」
(ルカ12:4-9)
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、
神様の栄光となるのです。だから、わたしたちは落胆しません。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。
なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりに
わたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくのです。
(コリント第二の手紙4:15-18)
わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエス様がいらっしゃるのですから、
わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではありませんか。
この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではありません。
罪は犯されませんでしたが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのです。
ですから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、
大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
(ヘブル人への手紙4:11-16)
わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、
キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
(コリント第二の手紙12:9-10)
神は、神を愛する人たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、 万事を益となるようにして下さることを、
わたしたちは知っています。 神はあらかじめ知っておられる者たちを、さらに神の御子のかたちに似たものとしようとして、
あらかじめ定めて下さいました。それは、神の御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであったのです。
そして、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召され人たちをさらに正しい者とし、 正しいと認められた人たちには、さらに栄光を与えて下さいました。
それでは、これらの事からなんと言えるでしょうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、 だれがわたしたちに敵対できるでしょうか。
ご自身の御子(みこ)をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、 どうして、 神の御子といっしょに
万物をも賜わらないことがありましょうか。 だれが、神に選ばれた人たちを訴えるのですか。 神は彼らを正しい者と認めてくださるのです。
だれが、わたしたちを罪に定めるのですか。
キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえり復活されて、 神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなしてくださるのです。
だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、 飢え、裸、危難、剣ですか。
「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。
しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において圧倒的勝利者となるのです。
わたしはこう確信します。死もいのちも、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 高いものも深いものも、
その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにある神様の愛から、 わたしたちを引き離すことはできません。
(ローマ人への手紙8:35-39)
キリストが死人の中から復活してくださったおかげで、私たちは永遠のいのちの希望にあふれています。
神様は自分の子供たちのために、お金では買えない永遠のいのちを贈る、と約束してくださいました。
主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
ただひとり大いなるくすしきみわざをなされるかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
知恵をもって天を造られたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
地を水の上に敷かれたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
大いなる光を造られたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
昼をつかさどらすために日を造られたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
夜をつかさどらすために月と、もろもろの星とを造られたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
エジプトのういごを撃たれたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
イスラエルをエジプトびとの中から導き出されたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
強い御手と伸ばした御腕とをもって、これを救い出されたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
紅海を二つに分けられたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
(詩篇136:1-13)
わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。わが助けは、天と地を造られた主から来る。
主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。あなたを守る者はまどろむことがない。
見よ、イスラエルを守る者はまどろむこともなく、眠ることもない。
主はあなたを守る者、主はあなたの右の手をおおう陰である。昼は太陽があなたを撃つことなく、夜は月があなたを撃つことはない。
主はあなたを守って、すべての災を免れさせ、またあなたの命を守られる。
主は今からとこしえに至るまで、あなたの出ると入るとを守られるであろう。(詩篇121:1-8)
「キリストが死人の中から復活してくださったおかげで、私たちは永遠のいのちの希望にあふれています。
神様は自分の子供たちのために、お金では買えない永遠のいのちを贈る、と約束してくださいました。」
神のみこころによりキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟テモテとから、コリントにある神の教会、
ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒のみなさんへ。
わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。
神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、 神に慰めていただくその慰めをもって、
あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのです。
それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、
キリストによって満ちあふれているからです。
わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救いとのためであり、慰めを受けるなら、
それはあなたがたの慰めのためであって、 その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となります。
だから、あなたがたに対していだいているわたしたちの望みは、動くことがありません。
あなたがたが、わたしたちと共に苦難にあずかっているように、慰めにも共にあずかっていることを知っているからです。
愛する兄弟のみなさん。わたしたちがアジヤで会った患難を、知らずにいてもらいたくない。
わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みを失ってしまい、 心のうちで死を覚悟しました。
そして自分自身を頼みとしないで、死人を復活させてくださった神様を頼みとするに至ったのです。
神様はこのような死の危険から、わたしたちを救い出して下さり、また救い出して下さるでしょう。
わたしたちは、神様が今後も救い出して下さることを望んでいます。 そして、あなたがたもまた、祈りをもって、
いっしょに、わたしたちを助けてくれるでしょう。
これは多くの人たちの願いにより、わたしたちに授けられた恵みについて、多くの人が感謝をささげるようになるためです。
さて、わたしたちがこの世で、ことにあなたがたに対し、人間の知恵ではなく神様の恵みによって、
神様の神聖と真実によって行動してきたことは、実にわたしたちの誇りです。そして良心のあかしするところでもあります。
わたしたちが書いていることは、あなたがたが読んで理解できないことではありません。
それを完全に理解してくれるように、わたしは希望します。わたしたちの主イエスの日に、あなたがたがわたしたちの誇りであるように、
わたしたちもあなたがたの誇りであることはある程度理解してくれていると思います。
この確信をもって、わたしたちはもう一度恵みを得させたいのです
神様は、わたしたちに証印を押し、その保証として、わたしたちの心に聖霊を授けてくださいました。
わたしは自分の魂をかけ、神様を証人に呼び求めて言いますが、わたしがコリントに行かないのは、あなたがたに対して寛大でありたいためです。
わたしたちは、あなたがたの信仰を支配する者ではなく、あなたがたの喜びのために共に働いている者にすぎません。
あなたがたは、信仰に堅く立っているからです。
神様に感謝しよう。神様はいつも私たちを、勝利の行進に加えてくださいました。
わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのです。
わたしたちは、救われる人にとっても滅びる人にとっても、神様に対するキリストの香りなのです。
後者にとっては、死から死に至らせる香りであり、前者にとっては、いのちからいのちに至らせる香りです。
このような任務にふさわしい人とは、いったいどんな人でしょうか。
私たちは、多くの人のように、神様の御言葉に混ぜ物をして売るようなことはせず、
真心から、また神様によって、神様の御前でキリストにあって語るのです。
神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされました。 それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者です。
文字は人を殺し、霊は人を生かす。
もし石に彫りつけた文字による死の務めが栄光のうちに行われ、そのためイスラエルの子らは、 モーセの顔の消え去るべき栄光のゆえに、
その顔を見つめることができなかったとすれば、 まして霊の務めは、はるかに栄光あるものではないでしょうかか。
もし罪を宣告する務めが栄光あるものだとすれば、義を宣告する務は、はるかに栄光に満ちたものです。
そして、すでに栄光を受けたものも、この場合、はるかにまさった栄光のまえに、その栄光を失ったのです。
もし消え去るべきものが栄光をもって現れたのなら、まして永存すべきものは、もっと栄光のあるべきものです。
こうした望みをいだいているので、わたしたちは思いきって大胆に語り、 そしてモーセが、 消え去っていくものの最後をイスラエルの子らに
見られまいとして、 顔におおいをかけたようなことはしない。
実際、彼らの思いは鈍くなっていた。今日に至るまで、彼らが古い契約を朗読する場合、 その同じおおいが取り去られないままで残っています。
それは、キリストにあってはじめて取り除かれるからです。今日に至るもなお、 モーセの書が朗読されるたびに、
おおいが彼らの心にかかっている。
しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれます。主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由があります。
わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていきます。
これは霊なる主の働きによるのです。
このようにわたしたちは、あわれみを受けてこの務めについているのですから、落胆せずに、 恥ずべき隠れたことを捨て去り、
悪巧みによって歩かず、神の御言葉を曲げず、真理を明らかにし、神のみまえに、すべての人の良心に自分を推薦します。
もしわたしたちの福音がおおわれているなら、滅びる者たちにとっておおわれているのです。
彼らの場合、この世の神が不信者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしています。
しかし、わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。
わたしたち自身は、 ただイエス様のために働くあなたがたのしもべにすぎません。
「暗闇の中から光よ、輝き出せ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝き渡る神の栄光の知識を明らかにするために、
わたしたちの心を照して下さったのです。
しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、
わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためです。
わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まることはありません。
迫害に会っても見捨てられず、倒されても滅びない。 いつもイエス様の死をこの身に負っています。
それはまた、イエス様のいのちが、この身に現れるためであり、 わたしたち生きている者は、
イエス様のために絶えず死に渡されているからです。
それはイエス様のいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためです。
こうして、死はわたしたちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。
「わたしは信じた。それゆえに語った」としるしてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、
わたしたちも信じています。それゆえに語ります。
それは、主イエスをよみがえらせたかたが、わたしたちをもイエス様と共によみがえらせ、そして、
あなたがたと共にみまえに立たせて下さることを、知っているからです。
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、 神の栄光となります。
だから、わたしたちは落胆しない。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、
永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくからです。
わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、
人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っています。
そして、天から賜わるその住まいを、上に着ようと切実に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえています。
それを着たなら、裸のままではいないでしょう。 この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえています。
それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためです。
わたしたちを、この事にかなう者にして下さったのは、神です。
そして、神はその保証として聖霊をわたしたちに賜わりました。
だから、わたしたちはいつも心強い。 そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っています。
わたしたちは、見えるものによらないで、 信仰によって歩いているのです。 コリント第二の手紙5章
神よ、われらはあなたに感謝します。われらは感謝します。
われらはあなたの御名を呼び、あなたのくすしきみわざを語ります。
詩篇75:1
神の子らよ、主に帰せよ、栄光と力とを主に帰せよ。御名(みな)の栄光を主に帰せよ、聖なる装いをもって主を拝め。
主の御声は水の上にあり、栄光の神は雷をとどろかせ、主は大水の上におられる。
主の御声は力があり、主の御声は威厳がある。
主の御声は香柏を折り砕き、主はレバノンの香柏を折り砕かれる。
主はレバノンを子牛のように踊らせ、シリオンを若い野牛のように踊らされる。主の御声は炎をひらめかす。
主の御声は荒野を震わせ、主はカデシの荒野を震わされる。
主の御声はかしの木を巻きあげ、また林を裸にする。その宮で、すべてのものは呼ばわって言う、「栄光」と。
主は洪水の上に座し、主はみくらに座して、とこしえに王であらせられる。
主はその民に力を与え、平安をもってその民を祝福されるであろう。(詩篇29:1-11)
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
神よ、われらはあなたに感謝します。われらは感謝します。
われらはあなたの御名を呼び、あなたのくすしきみわざを語ります。
詩篇75:1
見よ、わたしは不義のなかに生まれました。わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました。
見よ、あなたは真実を心のうちに求められます。
それゆえ、わたしの隠れた心に知恵を教えてください。
ヒソプをもって、わたしを清めてください、わたしは清くなるでしょう。 わたしを洗ってください、
わたしは雪よりも白くなるでしょう。
詩篇51
「わたしたちの行った正しいわざによってではなく、ただ神様のあわれみによって、
聖霊の洗いの更新により新しくされ、わたしたちは救われました。
この聖霊は、わたしたちの救い主イエス・キリストをとおして、わたしたちの上に豊かに注がれました。」
(テトスへの手紙3)
旧約聖書に、次のように書いてあるとおりです。
「正しい人は一人もいない。罪のない人は世界中に一人もいない。真実に神の道に従って歩んだ人は かつて一人もいない。
そうしたいと心から願った人さえいない。
すべての人が道を踏みはずし、みな、まちがった方向に進んで行った。正しいことをずっと行なってきた人はどこにもいない。 一人もいない。」
彼らのうち一人として、申し開きのできる者はいません。 事実、全世界が全能の神様の前に沈黙して立ち、有罪の宣告を受けているのです。
さて、おわかりでしょうか。 おきての命じることを実行して、神様に正しい者と認められようとしてもむだです。
私たちが神様のおきてを深く知れば知るほど、自分が従っていないことが明らかになるからです。
神様のおきては、私たちに、自分が罪人であることを自覚させてくれるだけです。(ローマ人への手紙3章)
しかし今や、神様は、天国へ行く別の道を示してくださいました。 その新しい道は、「善人になる」とか、
神様のおきてを守ろうと努力するような道ではありません
〔とはいっても、この道については、ずっと前から旧約聖書で教えられていたのですから、実際には新しい道とは言えませんが〕。
神様は今、「もし私たちが、イエス・キリストを信じきるなら、あなたがたを受け入れ、『罪のない者』と宣言する」と言われます。
どんな人間であろうと、私たちはみな、キリストを信じきるという、この方法によって救われるのです。
そうです。 すべての人は罪を犯しました。 神の輝かしい標準にはほど遠い存在です。
けれども、もし私たちがキリスト・イエスを信じきるなら、神様は私たちを「罪のない者」と宣言してくださいます。
このキリスト・イエスが、恵みにより、無償で私たちの罪を帳消しにしてくださるからです。
(ローマ人への手紙3:21-24)
神様はキリスト・イエスを遣わして、私たちの罪のための刑罰を受けさせ、私たちへの怒りをとどめてくださいました。
神様は、私たちをご自分の怒りから救い出すための手段として、キリストの血と私たちの信仰とをお用いになりました。
ですから、それまでの時代に罪を犯した者たちを罰せられなかったとしても、神様は完全に公正であられたわけです。
キリストが来て人々の罪を取り除く時を、神様は待ち望んでおられたからです。
そして今日でも、神様はこの同じ方法で罪人を受け入れてくださいます。
イエス様が彼らの罪を帳消しにしてくださったからです。
しかし、このように、罪を犯した者を赦し、無罪を宣告するのは、神様の公正なやり方に反するのではないでしょうか。
いいえ、そんなことはありません。 なぜなら、彼らが自分の罪を帳消しにしてくださった
イエス様を信じたという事実に基づいて、神様はそうなさるからです。ローマ人への手紙3章
それでは、救われるために、私たちは何か誇れるようなことをしたでしょうか。 何もしていません。 なぜでしょう。
私たちは自分の善行によって無罪とされるのではないからです。
それは、キリストが成し遂げてくださったことと、キリストに対する私たちの信仰に基づいているのです。
つまり、私たちが救われるのは、キリストを信じる信仰だけによるのであって、善行によるのではありません。
(ローマ人への手紙3:25-28)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
これが自民党の真実www
ジョンイルの息子といい、何にも出来なかったのに
自民信者はこの弱腰を絶賛しますw
尖閣上陸 7人を強制送還 送検見送り、
日中関係を最優先2004年03月27日
尖閣諸島・魚釣島(沖縄県石垣市)に中国人活動家七人が不法上陸した事件で、
沖縄県警は二十六日午後、七人の身柄を福岡入国管理局那覇支局に引き渡した。
入管は中国へ強制送還することを決め、七人は夜、那覇空港から出国、上海に到着した。
県警は島の構造物に対する損壊への追及や別の外国人活動家の上陸活動を阻止する狙いなどからも送検し、
通常の刑事手続きを取る方針だったが、断念した。
小泉純一郎首相は「日中関係に悪影響を与えないように大局的に判断しなければいけないとして関係部署に指示した」と政治判断で、
中国側の反日感情に配慮したことを明らかにした。
「神様は人をかたより見ないかたで、 神様を礼拝し、また良い行ないをしている人はどの国民でも
受けいれて下さることが、ほんとうによくわかってきました。
あなたがたは、神様がすべての者の主なるイエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、
イスラエルの子たちにお送り下さった御言葉をご存じでしょう。
それは、ヨハネがバプテスマを説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ全土にひろまった福音をのべたものです。
神様はナザレのイエス様に聖霊と御力とを注がれました。このイエス様は、神様が共におられるので、
よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました。
わたしたちは、イエス様がこうしてユダヤ人の地やエルサレムでなさったすべてのことの証人です。
人々はこのイエス様を木にかけて殺したのです。
しかし神様はイエス様を三日目によみがえらせ、 全部の人々にではなかったが、わたしたち証人として
あらかじめ選ばれた者たちに現れるようにして下さいました。
わたしたちは、イエス様が死人の中からよみがえり復活された後、共に飲み、食事をしました。
それから、イエス様ご自身が生者と死者との審判者として神様に定められたかたであることを、人々に宣べ伝え、
またあかしするようにと、神様はわたしたちにお命じになったのです。
預言者たちもみな、イエス様を信じる者はことごとく、その御名によって罪のゆるしが受けられると、あかしをしています」。
ペテロがこれらの御言葉をまだ語り終えないうちに、それを聞いていたみんなの人たちに、聖霊がご降臨された。(使徒10:34-44)
「キリストが死人の中から復活してくださったおかげで、私たちは永遠のいのちの希望にあふれています。
神様は自分の子供たちのために、お金では買えない永遠のいのちを贈る、と約束してくださいました。」
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
キリストは、神様の身分でありながら、神と等しい者であることに、固執されず、かえって御自分をなくし、
しもべの身分になられました、そして人間と同じ者になられたのです。
人間の姿で現れになり、へりくだって、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで忠実であられました。
このため、神様はキリストを高く上げ、全ての名にまさる御名をお与えになりました。
こうして、天にあるもの、地上にあるもの、地の下にあるものすべてが、イエス様の御名にひざまずき、
すべての舌が、「イエス・キリストは主です」と公に宣べて、父なる神様を褒め称えるのです。(ピリピ人への手紙 2-6:11)
「キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえをささげた後、神の右に座し、
それから、敵をその足台とするときまで、待っておられます。
彼は一つのささげ物によって、清められた人たちを永遠に完全な者とされたのです。」
ヘブル人への手紙10章
聖霊もまた、わたしたちにあかしをして、 こう言われます。
「わたしが、それらの日の後、彼らに対して立てようとする契約はこれであると、主が言われる。
わたしの律法を彼らの心に与え、彼らの思いのうちに書きつけよう」と。
さらに、「もはや、彼らの罪と彼らの不法とを、思い出すことはしない」と述べておられます。
ヘブル人への手紙10章
「キリストが死人の中から復活してくださったおかげで、私たちは永遠のいのちの希望にあふれています。
神様は自分の子供たちのために、お金では買えない永遠のいのちを贈る、と約束してくださいました。」
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
さて、キリストは死人の中からよみがえり復活されたと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、
死人のよみがえりなどはないと言っているのは、どうしたことなのですか。
死人の復活がないならば、キリストも復活されなかったでしょう。 もしキリストが復活されなかったとしたら、
わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。
すると、わたしたちは神様にそむく偽証人にさえなります。なぜなら、死人がよみがえり復活しないとしたら、
わたしたちは神様が復活させなかったはずのキリストを、復活させたと言って、神様に反するあかしを立てたことになるからです。
もし死人が復活しないなら、キリストも復活されなかったでしょう。
キリストが復活されなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになる。
そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。 もしわたしたちが、
この世の生活でキリストにあって単なる希望を抱いているだけだとすれば、
わたしたちは、すべての人の中で最も哀れな存在となります。
しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえり復活されました。
それは、死がひとりの人によって来たのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。
アダムにあるすべての人は死にますが、キリストにあるすべての人は生かされるのです。(コリント人への手紙15:12-22)
ただし、各自はそれぞれの順序に従わねばならない。最初はキリスト、次に、主の御来臨に際してキリストに属する者たち、
それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、
御国を父なる神様に渡されます。
なぜなら、キリストが王として支配なさるのは、敵を全滅させる時までだからです。
最後の敵として滅ぼされるのが、死です。 「神様は万物を彼の足もとに従わせた」と書いてあるからです。
しかし、万物を従わせたと言われる時、万物を従わせたかたがそれに含まれていないことは、明らかである。
そして、万物が神様に従う時には、神様の御子(みこ)ご自身もまた、万物を従わせたそのかたに従われます。
それは、神様がすべての者にあって、最高の存在となられるためです。(コリント人への手紙15:23-28)
そうでないとすれば、死者のためにバプテスマを受ける人々は、なぜそれをするのか。
死者が全くよみがえり復活しないとすれば、なぜ人々が死者のためにバプテスマを受けるのか。
また、なんのために、わたしたちはいつも危険を冒しているのか。
愛する皆さん。わたしたちの主キリスト・イエスにあって、わたしがあなたがたに持っている誇りにかけて言いますが、
わたしは日々、死に直面している。
もし、わたしが人間の考えによってエペソで獣と戦ったとすれば、それはなんの役に立つだろうか。
もし死人が復活しないのなら、「わたしたちは飲み食いしようではないか。あすもわからぬ命だ」。
まちがってはいけない。「悪い交際は、良い習慣を損ないます」。目ざめて身を正し、罪を犯さないようにしなさい。
あなたがたのうちには、神様について無知な人々がいる。あなたがたをはずかしめるために、わたしはこう言うのです。(コリント人への手紙15:29-34)
しかし、ある人はこう言うでしょう。「どんなふうにして、死人はよみがえるのか。どんな体になるのだろうか」。
なんとばからしい質問でしょう。畑を見れば、わかるではありませんか。
蒔いた種は、まず死ななければ、芽を出さない。 そして、その種から出る緑の芽は、初めの種とは全く別物です。
土に蒔くのは、麦でも何でも、干からびた小さな種粒だからです。
ところが、神様は御心のままに、これに体を与え、その一つ一つの種にそれぞれの体をお与えになります。
すべての肉が、同じ肉なのではありません。
人の肉があり、獣の肉があり、鳥の肉があり、魚の肉があります。 天にある体もあれば、地の体もあるのです。
天にいる者の栄光は、地に属する者の栄光と違っています。 日の栄光があり、月の栄光があり、星の栄光がある。
また、この星とあの星との間に、栄光の差があります。 死人の復活も、また同様です。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえり、
卑しいもので蒔かれ、輝かしい栄光あるものによみがえり、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえり、
生まれながらの肉の体で蒔かれ、聖霊の体によみがえり復活するのです。生まれながらの肉の体があるのだから、聖霊の体もあります。(コリント第一の手紙15:35-44)
旧約聖書に、「最初の人アダムは、自然のままの人間の体を与えられた」と書いてあります。
しかし最後のアダムは命を与える霊となられました。
最初にあったのは霊ではなく、自然の生まれつきのままの肉の性質ですが、霊は後から来られるのです。
第一の人は地から出て土に属し、第二の人は天から来られます。
土に属する人は、土に属している人々に等しく、天に属する人は、天に属している人々に等しい。 すなわち、わたしたちは、
土に属している形をとっているのと同様に、天に属する形をとるでしょう。
愛する皆さん。わたしはこの事を言っておきます。生まれながらの肉の性質の体は神様の御国を受け継ぐことはできないし、
朽ちるものは朽ちないものを受け継ぐことはできません。(コリント第一の手紙15:45-50)
ここで、あなたがたに神秘を告げよう。すべてわたしたちは、眠りにつくのではありません。
終りのラッパが鳴り響きわたると共に、瞬く間に、一瞬にして変えられます。
ラッパが鳴り響きわたると、死者は朽ちない者によみがえり復活し、わたしたちはみな、変えられます。
なぜなら、死ぬべき今の体は、決して死ぬことのない、永遠に生きる体を必ず着ることになるからです。
この朽ちるものが不朽を着、この死ぬものが不死を着るとき、聖書に書いてある御言葉が成就します。
「死は勝利に飲み込まれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。 しかし神様に感謝しよう。わたしたちの主イエス・キリストによって、
わたしたちに勝利を授けてくださったからです。
こういうわけで、愛する兄弟のみなさん。堅く立って動揺されることなく、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。
主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからです。
(コリント人への手紙15:51-58)
「キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえをささげた後、神の右に座し、
それから、敵をその足台とするときまで、待っておられます。
彼は一つのささげ物によって、清められた人たちを永遠に完全な者とされたのです。」
ヘブル人への手紙10章
聖霊もまた、わたしたちにあかしをして、 こう言われます。
「わたしが、それらの日の後、彼らに対して立てようとする契約はこれであると、主が言われる。
わたしの律法を彼らの心に与え、彼らの思いのうちに書きつけよう」と。
さらに、「もはや、彼らの罪と彼らの不法とを、思い出すことはしない」と述べておられます。
ヘブル人への手紙10章
わたしたちは、信仰によって神様の御前に正しい者と認められました。それによりわたしたちの
主イエス・キリストにあって、神様に対して平和を得ています。
さらに、わたしたちは、彼により、いま立っているこの恵みという信仰によって導き入れられ、
神様の栄光にあずかる希望をも喜んでいます。
それだけではない。患難をも喜んでいます。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 忍耐は練られた品性を
生み出し、練られた品性は希望を生み出すことを、知っているからです。
そして、希望は失望に終ることはありません。なぜなら、わたしたちに授けられている聖霊によって、
神様の愛がわたしたちの心に注がれているからです。(ローマ人への手紙5:1-5)
わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時が来て、不信仰な人たちのために死んで下さいました。
正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいません。
よい人のためには、進んで死ぬ人が、あるいはいるかもしれない。しかし、まだ、罪人であった時、
キリストがわたしたちのために死んで下さったことにより、神様はわたしたちに対する愛を示されました。
わたしたちは今、キリストの血によって神様の御前に正しい者とされているのです。
そうであるなら、彼によって神様の怒りから救われるのはなおさらです。
わたしたちが敵であった時でさえ、神様のひとり子の死によって神様の和解を受けたのですから、
和解を受けている今は、なおさら、彼の命によって救われます。
そればかりではありません。わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、
神様を喜んでいるのです。(ローマ人への手紙5:6-11)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
「キリストが死人の中から復活してくださったおかげで、私たちは永遠のいのちの希望にあふれています。
神様は自分の子供たちのために、お金では買えない永遠のいのちを贈る、と約束してくださいました。」
主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
「神様は人をかたより見ないかたで、 神様を礼拝し、また良い行ないをしている人はどの国民でも
受けいれて下さることが、ほんとうによくわかってきました。
あなたがたは、神様がすべての者の主なるイエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、
イスラエルの子たちにお送り下さった御言葉をご存じでしょう。
それは、ヨハネがバプテスマを説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ全土にひろまった福音をのべたものです。
神様はナザレのイエス様に聖霊と御力とを注がれました。このイエス様は、神様が共におられるので、
よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました。
わたしたちは、イエス様がこうしてユダヤ人の地やエルサレムでなさったすべてのことの証人です。
人々はこのイエス様を木にかけて殺したのです。
しかし神様はイエス様を三日目によみがえらせ、 全部の人々にではなかったが、わたしたち証人として
あらかじめ選ばれた者たちに現れるようにして下さいました。
わたしたちは、イエス様が死人の中からよみがえり復活された後、共に飲み、食事をしました。
それから、イエス様ご自身が生者と死者との審判者として神様に定められたかたであることを、人々に宣べ伝え、
またあかしするようにと、神様はわたしたちにお命じになったのです。
預言者たちもみな、イエス様を信じる者はことごとく、その御名によって罪のゆるしが受けられると、あかしをしています」。
ペテロがこれらの御言葉をまだ語り終えないうちに、それを聞いていたみんなの人たちに、聖霊がご降臨された。(使徒10:34-44)
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを背負った。だが、私たちは思った。
彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちの背きの罪のために刺し通され、私たちの罪咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての罪咎を彼に負わせた。
彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、
毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、 彼は口を開かない。
虐げと、裁きによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民の背きの罪のために打たれ、
生ける者の地から絶たれたことを。 イザヤ53
325 :
永末晴美:2010/10/05(火) 17:19:37 ID:EnlR1eV70
竹原萌ちゃんがりんごを食べ過ぎました
彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。
キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに、固執されず、御自分をなくして、しもべの身分になり、
人間と同じ者になられたのです。
人間の姿として現れ、へりくだり、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順でした。
このため、神様はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる御名をお与えになりました。
それは、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるものがすべて、イエス様の御名にひざまずき、すべての者の舌が、
『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神様を褒め称えるようになるためです。」
(ピリピ人への手紙2:6-11)
イエスキリストのみことば
「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためです。 わたしはよい羊飼いである。
よい羊飼いは、羊のために命を捨てるのです。」ヨハネ10:11
小澤美恵子が大嫌い
神よ、われらはあなたに感謝します。われらは感謝します。
われらはあなたの御名を呼び、あなたのくすしきみわざを語ります。
愛する皆さん。 父なる神は、ずっと昔からあなたがたを選び、自分の子供にしようと、決めておられました。
そして、聖霊の働きかけにより、あなたがたの心は、イエス・キリストの血によってきよめられ、
神様に喜ばれるものと変わったのです。
どうか、神様があなたがたを祝福し、すべての不安と恐れから、解放してくださいますように。
主イエス・キリストの父なる神こそ、すべての賞賛を受けるにふさわしい方です。
私たちは、神様の測り知れないあわれみによって、新しく生まれ変わる特権を与えられ、
今では神様の家族の一員として、迎えられたのです。
キリストが死人の中から復活してくださったおかげで、私たちは永遠のいのちの希望にあふれています。
神様は自分の子供たちのために、お金では買えない永遠のいのちを贈る、と約束してくださいました。
それは純粋で、しみ一つない完全な状態で、天に保管されており、絶対に変質したり、腐敗したりしません。
神様は超自然的な力によって、あなたがたが、まちがいなく天で永遠のいのちをいただけるよう、守ってくださいます。
あなたがたが、神様を信じているからです。
やがて来る終わりの日に、この永遠のいのちは、あなたがたのものとして、 だれの目にも、はっきり示されるでしょう。
ですから、心から喜びなさい。
今しばらくの間、地上での苦しみが続きますが、行く手には、すばらしい喜びが待ち受けているからです。
これらの試練は、あなたがたの信仰をテストするためにあるのです。
それによって、信仰が、どれほど強く、純粋であるかが量られます。
それはちょうど、金が火によって精錬され、不純物が取り除かれるのに似ています。 しかも神様には、あなたがたの信仰は、
金などより、はるかに貴重なのです。
ですから、信仰が火のような試練のるつぼの中で鍛えられ、なお強化されるなら、あなたがたは、イエス・キリストの
再び来られる日に、 多くの賞賛と栄光と名誉とを、受けることになるでしょう。
(ペテロ第一の手紙 1:2-7)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
さて、キリストは死人の中からよみがえり復活されたと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、
死人のよみがえりなどはないと言っているのは、どうしたことなのですか。
死人の復活がないならば、キリストも復活されなかったでしょう。 もしキリストが復活されなかったとしたら、
わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。
すると、わたしたちは神様にそむく偽証人にさえなります。なぜなら、死人がよみがえり復活しないとしたら、
わたしたちは神様が復活させなかったはずのキリストを、復活させたと言って、神様に反するあかしを立てたことになるからです。
もし死人が復活しないなら、キリストも復活されなかったでしょう。
キリストが復活されなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになる。
そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。 もしわたしたちが、
この世の生活でキリストにあって単なる希望を抱いているだけだとすれば、
わたしたちは、すべての人の中で最も哀れな存在となります。
しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえり復活されました。
それは、死がひとりの人によって来たのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。
アダムにあるすべての人は死にますが、キリストにあるすべての人は生かされるのです。(コリント人への手紙15:12-22)
ただし、各自はそれぞれの順序に従わねばならない。最初はキリスト、次に、主の御来臨に際してキリストに属する者たち、
それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、
御国を父なる神様に渡されます。
なぜなら、キリストが王として支配なさるのは、敵を全滅させる時までだからです。
最後の敵として滅ぼされるのが、死です。 「神様は万物を彼の足もとに従わせた」と書いてあるからです。
しかし、万物を従わせたと言われる時、万物を従わせたかたがそれに含まれていないことは、明らかである。
そして、万物が神様に従う時には、神様の御子(みこ)ご自身もまた、万物を従わせたそのかたに従われます。
それは、神様がすべての者にあって、最高の存在となられるためです。(コリント人への手紙15:23-28)
そうでないとすれば、死者のためにバプテスマを受ける人々は、なぜそれをするのか。
死者が全くよみがえり復活しないとすれば、なぜ人々が死者のためにバプテスマを受けるのか。
また、なんのために、わたしたちはいつも危険を冒しているのか。
愛する皆さん。わたしたちの主キリスト・イエスにあって、わたしがあなたがたに持っている誇りにかけて言いますが、
わたしは日々、死に直面している。
もし、わたしが人間の考えによってエペソで獣と戦ったとすれば、それはなんの役に立つだろうか。
もし死人が復活しないのなら、「わたしたちは飲み食いしようではないか。あすもわからぬ命だ」。
まちがってはいけない。「悪い交際は、良い習慣を損ないます」。目ざめて身を正し、罪を犯さないようにしなさい。
あなたがたのうちには、神様について無知な人々がいる。あなたがたをはずかしめるために、わたしはこう言うのです。(コリント人への手紙15:29-34)
しかし、ある人はこう言うでしょう。「どんなふうにして、死人はよみがえるのか。どんな体になるのだろうか」。
なんとばからしい質問でしょう。畑を見れば、わかるではありませんか。
蒔いた種は、まず死ななければ、芽を出さない。 そして、その種から出る緑の芽は、初めの種とは全く別物です。
土に蒔くのは、麦でも何でも、干からびた小さな種粒だからです。
ところが、神様は御心のままに、これに体を与え、その一つ一つの種にそれぞれの体をお与えになります。
すべての肉が、同じ肉なのではありません。
人の肉があり、獣の肉があり、鳥の肉があり、魚の肉があります。 天にある体もあれば、地の体もあるのです。
天にいる者の栄光は、地に属する者の栄光と違っています。 日の栄光があり、月の栄光があり、星の栄光がある。
また、この星とあの星との間に、栄光の差があります。 死人の復活も、また同様です。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえり、
卑しいもので蒔かれ、輝かしい栄光あるものによみがえり、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえり、
生まれながらの肉の体で蒔かれ、聖霊の体によみがえり復活するのです。生まれながらの肉の体があるのだから、聖霊の体もあります。(コリント第一の手紙15:35-44)
旧約聖書に、「最初の人アダムは、自然のままの人間の体を与えられた」と書いてあります。
しかし最後のアダムは命を与える霊となられました。
最初にあったのは霊ではなく、自然の生まれつきのままの肉の性質ですが、霊は後から来られるのです。
第一の人は地から出て土に属し、第二の人は天から来られます。
土に属する人は、土に属している人々に等しく、天に属する人は、天に属している人々に等しい。 すなわち、わたしたちは、
土に属している形をとっているのと同様に、天に属する形をとるでしょう。
愛する皆さん。わたしはこの事を言っておきます。生まれながらの肉の性質は神様の御国を受け継ぐことはできないし、
朽ちるものは朽ちないものを受け継ぐことはできません。(コリント第一の手紙15:45-50)
ここで、あなたがたに神秘を告げよう。すべてわたしたちは、眠りにつくのではありません。
終りのラッパが鳴り響きわたると共に、瞬く間に、一瞬にして変えられます。
ラッパが鳴り響きわたると、死者は朽ちない者によみがえり復活し、わたしたちはみな、変えられます。
なぜなら、死ぬべき今の体は、決して死ぬことのない、永遠に生きる体を必ず着ることになるからです。
この朽ちるものが不朽を着、この死ぬものが不死を着るとき、聖書に書いてある御言葉が成就します。
「死は勝利に飲み込まれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。 しかし神様に感謝しよう。わたしたちの主イエス・キリストによって、
わたしたちに勝利を授けてくださったからです。
こういうわけで、愛する兄弟のみなさん。堅く立って動揺されることなく、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。
主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからです。
(コリント人への手紙15:51-58)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたがたの救われたのは、恵みによるのです。キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、
共に天上で座につかせて下さいました。
それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、
きたるべき世々に示すためでした。
あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのです。
それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物です。 決して行いによるのではありません。
それは、だれも誇ることがないためなのです。 わたしたちは神の作品であって、
良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのです。
神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さいました。
エペソ人への手紙2章
今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて現されました。
それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものです。
そこにはなんらの差別もありません。
すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、
彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって
神様から正しい者と認められるのです。
神は義を示すために、キリストの血によるあがないと、わたしたちの信仰をお用いになりました。
(ローマ人への手紙3章)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
「私たちは、この御子のうちにあって、 御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。
これは神の豊かな恵みによることです。」
エペソ人への手紙1章7
キリスト・イエスのしもべたち、パウロとテモテから、ピリピにいる、キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、
ならびに監督たちと執事たちの皆さんへ。 わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにありますように。
わたしはあなたがたを思うたびに、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈るとき、いつも喜びをもって祈り、
あなたがたが最初の日から今日に至るまで、福音にあずかっていることを感謝しています。 そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、
キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信しているのです。
わたしが、あなたがた一同のために、そう考えるのは当然です。それは、わたしが牢獄に捕われている時にも、福音を弁明し立証する時にも、
あなたがたをみな、共に恵みにあずかる者として、わたしの心に深く留めているからです。
わたしがキリスト・イエスの熱い愛をもって、どんなに深くあなたがた一同を思っていることか、それを証明して下さるかたは神です。
わたしはこう祈ります。あなたがたの愛が、深い知識において、鋭い感覚において、いよいよ増し加わり、それによって、
あなたがたが、何が重要であるかを判断することができ、キリストの日に備え、純真で責められるところのないものとなり、
イエス・キリストによる義の果実に満たされて、神の栄光とほまれとをあらわすに至るようにと。(ピリピ人への手紙1:1-11)
さて、愛する兄弟たちよ。わたしの身に起った事が、むしろ福音の前進に役立つようになったことを、
あなたがたに知ってもらいたい。 すなわち、わたしが牢獄に捕われているのはキリストのためであることが、兵営全体にも
そのほかのすべての人々にも明らかになり、 そして兄弟たちのうち多くの人は、わたしの入獄によって主にある確信を得、恐れることなく、
ますます勇敢に、神の御言葉を語るようになったからです。 一方では、ねたみや闘争心からキリストを宣べ伝える者がおり、
他方では善意からそうする者がいます。 後者は、わたしが福音を弁明するために立てられていることを知り、愛の心でキリストを伝え、 前者は、
わたしの入獄の苦しみに更に患難を加えようと思って、純真な心からではなく、党派心からそうしています。
すると、どうなのですか。見栄からであるにしても、真実からであるにしても、要するに、伝えられているのはキリストなのだから、
わたしはそれを喜んでいるし、また喜ぶでしょう。
なぜなら、あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の助けとによって、この事がついには、わたしの救いとなることを知っているからです。
(ピリピ人への手紙1:12-19)
そこで、わたしが切なる思いで待ち望むことは、わたしが、どんなことがあっても恥じることなく、かえって、いつものように今も、
大胆に語ることによって、生きるにしても、また死ぬにしても、わたしの身によってキリストがあがめられることです。
わたしにとっては、生きることはキリスト、死ぬことは有益です。
しかし、肉体において生きていることが、わたしにとっては実り多い働きになるとすれば、わたしはどちらを選んだらよいかわからない。
わたしは、これら二つのものの間に板ばさみになっています。
わたしの願いを言いましょう。それは、この世を去ってキリストと共にいることです。実は、その方がはるかに望ましいからです。
しかし、肉体にとどまっていることは、あなたがたのためには、さらに必要でしょう。
こう確信しているので、わたしは生きのびて、あなたがた一同のところにとどまり、あなたがたの信仰を成長させ、その喜びを得させようと思っています。
そうなれば、わたしが再びあなたがたのところに行くので、あなたがたはわたしによってキリスト・イエスにある誇りを増すことになるでしょう。
(ピリピ人への手紙1:20-26)
ただ、あなたがたはキリストの福音にふさわしく生活しなさい。そして、わたしが行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、
あなたがたが一つの霊によって堅く立ち、一つの心になって福音の信仰のために力を合わせて戦い、 そして、何事についても、
敵対する者たちに狼狽させられないでいる様子を、聞かせてほしい。このことは、彼らには滅びのしるし、あなたがたには救いのしるしであって、
それは神様から来るのです。
あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむことをも賜わっています。
あなたがたは、さきにわたしについて見、今またわたしについて聞いているのと同じ苦闘を、続けているのです。
(ピリピ人への手紙1:27-30)
そこで、あなたがたに、キリストによる勧め、愛の励ましあい、聖霊の交わり、熱愛とあわれみとが、いくらかでもあるなら、
どうか同じ思いとなってほしい。同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つの思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。
何事も党派心や虚栄心から行動してはならない。謙虚な心をもってお互いに人を自分より優れた者としなさい。
お互い、自分のことばかりでなく、ほかの人のことも考えなさい。
キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互いに生かしなさい。
キリストは、神の身分であられたが、神と同じ者であることを固守すべきとは思われず、かえって、ご自分を無くし、
しもべとなられ、人間の姿をとられました。その有様は人と異ならず、ご自分を低くして、死に至るまで、
しかも十字架の死に至るまで従順であられました。 それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる御名を彼に賜わったのです。
それは、イエス様の御名によって、天の上にあるもの、地上のもの、地下のもの、そしてあらゆるものがひざをかがめ、
また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白し、栄光を父なる神に帰するためなのです。(ピリピ人への手紙2:1-11)
わたしの愛する人たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、
いない今は、いっそう従順でいて、おそれへりくだって自分の救いの達成に努めなさい。
あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、そして実現に至らせてくださるのは神であって、
それは神のよしとされるところだからです。すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい。
それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲った邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子供となるためです。
あなたがたは、いのちの御言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世で輝いています。
このようにして、キリストの日に、わたしは自分の走ったことが無駄でなく、苦労したことも無駄ではなかったと誇ることができます。
(ピリピ人への手紙2:12-16)
神よ、われらはあなたに感謝します。われらは感謝します。
われらはあなたの御名を呼び、あなたのくすしきみわざを語ります。
詩篇75:1
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
「キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえをささげた後、神の右に座し、
それから、敵をその足台とするときまで、待っておられます。
彼は一つのささげ物によって、清められた人たちを永遠に完全な者とされたのです。」
ヘブル人への手紙10章
聖霊もまた、わたしたちにあかしをして、 こう言われます。
「わたしが、それらの日の後、彼らに対して立てようとする契約はこれであると、主が言われる。
わたしの律法を彼らの心に与え、彼らの思いのうちに書きつけよう」と。
さらに、「もはや、彼らの罪と彼らの不法とを、思い出すことはしない」と述べておられます。
ヘブル人への手紙10章
神よ、われらはあなたに感謝します。われらは感謝します。
われらはあなたの御名を呼び、あなたのくすしきみわざを語ります。
詩篇75:1
主イエス・キリストの御言葉
「わたしの友であるあなたがたに言っておきます。からだを殺しても、そのあとでそれ以上
なにもできない者たちを恐れてはいけません。
恐れるべきかたがだれであるか教えてあげよう。殺したあとで、さらに地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。
そうです、あなたがたに言っておきます、そのかたを恐れなさい。
五羽のすずめは二アサリオンで売られているではありませんか。
しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいません。 その上、あなたがたの頭の毛までも、
みな数えられています。恐れることはありません。
あなたがたは多くのすずめよりも、優れた者ではありませんか。 そこで、あなたがたに言います。
だれでも人の前でわたしを受けいれる者は、人の子も神の天使たちの前で受けいれるでしょう。
しかし、人の前でわたしを拒否する者は、神の天使たちの前で拒否されることになるでしょう。」
(ルカ12:4-9)
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、
神様の栄光となるのです。だから、わたしたちは落胆しません。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。
なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりに
わたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくのです。
(コリント第二の手紙4:15-18)
わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエス様がいらっしゃるのですから、
わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではありませんか。
この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではありません。
罪は犯されませんでしたが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのです。
ですから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、
大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
(ヘブル人への手紙4:11-16)
わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、
キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
(コリント第二の手紙12:9-10)
神は、神を愛する人たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、
万事を益となるようにして下さることを、 わたしたちは知っています。
神はあらかじめ知っておられる者たちを、さらに神の御子のかたちに似たものとしようとして、
あらかじめ定めて下さいました。それは、神の御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであったのです。
そして、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召され人たちをさらに正しい者とし、
正しいと認められた人たちには、 さらに栄光を与えて下さいました。
それでは、これらの事からなんと言えるでしょうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、
だれがわたしたちに敵対できるでしょうか。
ご自身の御子(みこ)をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、
どうして、 神の御子といっしょに万物をも賜わらないことがありましょうか。
だれが、神に選ばれた人たちを訴えるのですか。 神は彼らを正しい者と認めてくださるのです。
だれが、わたしたちを罪に定めるのですか。
キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえり復活されて、 神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなしてくださるのです。
だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、 飢え、裸、危難、剣ですか。
「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。
しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において圧倒的勝利者となるのです。
わたしはこう確信します。死もいのちも、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 高いものも深いものも、
その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにある神様の愛から、 わたしたちを引き離すことはできません。
(ローマ人への手紙8:35-39)
わたしたちは、信仰によって神様の御前に正しい者と認められました。それによりわたしたちの
主イエス・キリストにあって、神様に対して平和を得ています。
さらに、わたしたちは、彼により、いま立っているこの恵みという信仰によって導き入れられ、
神様の栄光にあずかる希望をも喜んでいます。
それだけではない。患難をも喜んでいます。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 忍耐は練られた品性を
生み出し、練られた品性は希望を生み出すことを、知っているからです。
そして、希望は失望に終ることはありません。なぜなら、わたしたちに授けられている聖霊によって、
神様の愛がわたしたちの心に注がれているからです。(ローマ人への手紙5:1-5)
わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時が来て、不信仰な人たちのために死んで下さいました。
正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいません。
よい人のためには、進んで死ぬ人が、あるいはいるかもしれない。しかし、まだ、罪人であった時、
キリストがわたしたちのために死んで下さったことにより、神様はわたしたちに対する愛を示されました。
わたしたちは今、キリストの血によって神様の御前に正しい者とされているのです。
そうであるなら、彼によって神様の怒りから救われるのはなおさらです。
わたしたちが敵であった時でさえ、神様のひとり子の死によって神様の和解を受けたのですから、
和解を受けている今は、なおさら、彼の命によって救われます。
そればかりではありません。わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、
神様を喜んでいるのです。(ローマ人への手紙5:6-11)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
368 :
自治スレでローカルルール他を議論中:2010/10/09(土) 08:24:33 ID:nS+05QzyO
処刑をシンボルにするなんてあんたら、まともじゃないね
気違い宗教は今すぐ滅べ。
369 :
自治スレでローカルルール他を議論中:2010/10/09(土) 16:04:33 ID:G0VOQB4w0
神のみこころによりキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟テモテとから、コリントにある神の教会、
ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ。
わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。
神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、 神に慰めていただくその慰めをもって、
あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのです。
それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、
キリストによって満ちあふれているからです。
わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救いとのためであり、慰めを受けるなら、
それはあなたがたの慰めのためであって、 その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となります。
だから、あなたがたに対していだいているわたしたちの望みは、動くことがありません。
あなたがたが、わたしたちと共に苦難にあずかっているように、慰めにも共にあずかっていることを知っているからです。
愛する兄弟のみなさん。わたしたちがアジヤで会った患難を、知らずにいてもらいたくない。
わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みを失ってしまい、 心のうちで死を覚悟しました。
そして自分自身を頼みとしないで、死人を復活させてくださった神様を頼みとするに至ったのです。
神様はこのような死の危険から、わたしたちを救い出して下さり、また救い出して下さるでしょう。
わたしたちは、神様が今後も救い出して下さることを望んでいます。 そして、あなたがたもまた、祈りをもって、
いっしょに、わたしたちを助けてくれるでしょう。
これは多くの人たちの願いにより、わたしたちに授けられた恵みについて、多くの人が感謝をささげるようになるためです。
さて、わたしたちがこの世で、ことにあなたがたに対し、人間の知恵ではなく神様の恵みによって、
神様の神聖と真実によって行動してきたことは、実にわたしたちの誇りです。そして良心のあかしするところでもあります。
わたしたちが書いていることは、あなたがたが読んで理解できないことではありません。
それを完全に理解してくれるように、わたしは希望します。わたしたちの主イエスの日に、あなたがたがわたしたちの誇りであるように、
わたしたちもあなたがたの誇りであることはある程度理解してくれていると思います。
この確信をもって、わたしたちはもう一度恵みを得させたいのです
神様は、わたしたちに証印を押し、その保証として、わたしたちの心に聖霊を授けてくださいました。
わたしは自分の魂をかけ、神様を証人に呼び求めて言いますが、わたしがコリントに行かないのは、あなたがたに対して寛大でありたいためです。
わたしたちは、あなたがたの信仰を支配する者ではなく、あなたがたの喜びのために共に働いている者にすぎません。
あなたがたは、信仰に堅く立っているからです。
神様に感謝しよう。神様はいつも私たちを、勝利の行進に加えてくださいました。
わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのです。
わたしたちは、救われる人にとっても滅びる人にとっても、神様に対するキリストの香りなのです。
後者にとっては、死から死に至らせる香りであり、前者にとっては、いのちからいのちに至らせる香りです。
このような任務にふさわしい人とは、いったいどんな人でしょうか。
私たちは、多くの人のように、神様の御言葉に混ぜ物をして売るようなことはせず、
真心から、また神様によって、神様の御前でキリストにあって語るのです。
神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされました。 それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者です。
文字は人を殺し、霊は人を生かす。
もし石に彫りつけた文字による死の務めが栄光のうちに行われ、そのためイスラエルの子らは、 モーセの顔の消え去るべき栄光のゆえに、
その顔を見つめることができなかったとすれば、 まして霊の務めは、はるかに栄光あるものではないでしょうかか。
もし罪を宣告する務めが栄光あるものだとすれば、義を宣告する務は、はるかに栄光に満ちたものです。
そして、すでに栄光を受けたものも、この場合、はるかにまさった栄光のまえに、その栄光を失ったのです。
もし消え去るべきものが栄光をもって現れたのなら、まして永存すべきものは、もっと栄光のあるべきものです。
こうした望みをいだいているので、わたしたちは思いきって大胆に語り、 そしてモーセが、 消え去っていくものの最後をイスラエルの子らに
見られまいとして、 顔におおいをかけたようなことはしない。
実際、彼らの思いは鈍くなっていた。今日に至るまで、彼らが古い契約を朗読する場合、 その同じおおいが取り去られないままで残っています。
それは、キリストにあってはじめて取り除かれるからです。今日に至るもなお、 モーセの書が朗読されるたびに、
おおいが彼らの心にかかっている。
しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれます。主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由があります。
わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていきます。
これは霊なる主の働きによるのです。
このようにわたしたちは、あわれみを受けてこの務めについているのですから、落胆せずに、 恥ずべき隠れたことを捨て去り、
悪巧みによって歩かず、神の御言葉を曲げず、真理を明らかにし、神のみまえに、すべての人の良心に自分を推薦します。
もしわたしたちの福音がおおわれているなら、滅びる者たちにとっておおわれているのです。
彼らの場合、この世の神が不信者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしています。
しかし、わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。
わたしたち自身は、 ただイエス様のために働くあなたがたのしもべにすぎません。
「暗闇の中から光よ、輝き出せ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝き渡る神の栄光の知識を明らかにするために、
わたしたちの心を照して下さったのです。
しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、
わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためです。
わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まることはありません。
迫害に会っても見捨てられず、倒されても滅びない。 いつもイエス様の死をこの身に負っています。
それはまた、イエス様のいのちが、この身に現れるためであり、 わたしたち生きている者は、
イエス様のために絶えず死に渡されているからです。
それはイエス様のいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためです。
こうして、死はわたしたちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。
「わたしは信じた。それゆえに語った」としるしてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、
わたしたちも信じています。それゆえに語ります。
それは、主イエスをよみがえらせたかたが、わたしたちをもイエス様と共によみがえらせ、そして、
あなたがたと共にみまえに立たせて下さることを、知っているからです。
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、 神の栄光となります。
だから、わたしたちは落胆しない。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、
永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくからです。
わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、
人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っています。
そして、天から賜わるその住まいを、上に着ようと切実に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえています。
それを着たなら、裸のままではいないでしょう。 この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえています。
それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためです。
わたしたちを、この事にかなう者にして下さったのは、神です。
そして、神はその保証として聖霊をわたしたちに賜わりました。
だから、わたしたちはいつも心強い。 そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っています。
わたしたちは、見えるものによらないで、 信仰によって歩いているのです。 コリント第二の手紙5章
377 :
ゴンリ:2010/10/09(土) 18:11:42 ID:SxH+hR4v0
ゆるしてください
聖書は数百年にわたって人をペテンにかけて、今後もペテンにかける。
信じさせたいなら、大勢の今生きてる人間の前で奇跡とやらを起こしてみろっつーんだ。
盲目的に信じろなんて傲慢すぎる。
2000年近くも何もできなかったウスノロは今後もなんもできんよ。
主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。 もろもろの神の神に感謝せよ、
そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
ただひとり大いなるくすしきみわざをなされるかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
知恵をもって天を造られたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
地を水の上に敷かれたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
大いなる光を造られたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
昼をつかさどらすために日を造られたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
夜をつかさどらすために月と、もろもろの星とを造られたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
エジプトのういごを撃たれたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
イスラエルをエジプトびとの中から導き出されたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
強い御手と伸ばした御腕とをもって、これを救い出されたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
紅海を二つに分けられたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
(詩篇136:1-13)
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
神の子らよ、主に帰せよ、栄光と力とを主に帰せよ。御名(みな)の栄光を主に帰せよ、聖なる装いをもって主を拝め。
主の御声は水の上にあり、栄光の神は雷をとどろかせ、主は大水の上におられる。
主の御声は力があり、主の御声は威厳がある。
主の御声は香柏を折り砕き、主はレバノンの香柏を折り砕かれる。
主はレバノンを子牛のように踊らせ、シリオンを若い野牛のように踊らされる。主の御声は炎をひらめかす。
主の御声は荒野を震わせ、主はカデシの荒野を震わされる。
主の御声はかしの木を巻きあげ、また林を裸にする。その宮で、すべてのものは呼ばわって言う、「栄光」と。
382 :
不思議田:2010/10/10(日) 07:36:50 ID:BsGE5UipO
映画「パッション」を見に行ったら、キリスト教の信者が宣伝ビラを配ってたな。
「ダヴィンチ・コード」を見に行ったら、映画をディスるビラをまいてた。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
地とそこに満ちるもの 世界とそこに住むものは、主のもの。主は、大海の上に地の基を置き潮の流れの上に世界を築かれた。
どのような人が、主の山に上り 聖所に立つことができるのか。それは、潔白な手と清い心をもつ人。
むなしいものに魂を奪われることなく欺くものによって誓うことをしない人。
主はそのような人を祝福し 救いの神は恵みをお与えになる。それは主を求める人 ヤコブの神よ、御顔を尋ね求める人。
城門よ、頭を上げよ とこしえの門よ、身を起こせ。栄光に輝く王が来られる。栄光に輝く王とは誰か。
強く雄々しい主、雄々しく戦われる主。
城門よ、頭を上げよ とこしえの門よ、身を起こせ。栄光に輝く王が来られる。 栄光に輝く王とは誰か。万軍の主、主こそ栄光に輝く王。
ダビデの詩 賛歌
あなたがたの救われたのは、恵みによるのです。キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、
共に天上で座につかせて下さいました。
それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、
きたるべき世々に示すためでした。
あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのです。
それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物です。 決して行いによるのではありません。
それは、だれも誇ることがないためなのです。 わたしたちは神の作品であって、
良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのです。
神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さいました。
エペソ人への手紙2章
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
わがたましいよ、主をほめたたえよ。わがうちなるすべてのものよ、その聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ、主をほめたたえよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。
主はあなたのすべての不義をゆるし、あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを墓からあがないだし、いつくしみと、あわれみとをあなたに授け、あなたの生きながらえるかぎり、
良き物をもってあなたを飽き足らせられる。
こうしてあなたは若返り、鷲のように新しくなっていく。
詩篇103:1-5
わがたましいよ、主をほめたたえよ。わが神、主よ、あなたはいとも偉大にして誉と威厳とを着ておられます。
光を衣のようにまとい、天を幕のように張り、水の上におのが高殿のうつばりをおき、雲をおのれの戦車とし、
風の翼に乗り歩き、風をおのれの使者とし、火と炎をおのれのしもべとされます。
詩篇104:1-4
主よ、あなたのみわざはいかに多いことでしょう。あなたはこれらをみな知恵をもって創造されました。
地はあなたの造られたもので満ちています。
かしこに大いなる広い海があります。その中に無数のものがあり、大小の生き物が満ちています。
そこに舟が走り、あなたが造られたレビヤタンはその中に戯れます。
彼らは皆あなたが時にしたがって食物をお与えになるのを期待しているのです。
詩篇104:24-27
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
自治スレで何が議論されてるかわかってるのか?
LRが大幅に変更されてしまうとどうなるか、今までの広義のオカルトな範疇が
板違いとして削除されやすくなってしまう。
決まった後で文句言っても遅い。↓ の自治スレを覗いて意見を投じてほしい。
こういった流れを許していていいのか????
179 : ◆FFLmM2S2Jo :2010/10/10(日) 14:17:57 ID:l+hJlonX0
>>176 板違いのスレが乱立しているからです
政治系 願掛け呪詛系 霊視系 雑談系 宗教系 個人占有系などなど
>オカルト板にあっても問題ないものばかりに見える。
上記の板違いのスレが乱立してる状態は大問題ですね
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/occult/1286621937/ オカルト超常現象板 自治スレッド 25
★ ◆FFLmM2S2Jo → サロメというコテ
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
パウロとシルワノとテモテから、わたしたちの父なる神と主イエス・キリストとにあるテサロニケ人たちの教会へ。
父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
愛する兄弟たちよ。わたしたちは、いつもあなたがたのことを神様に感謝せずにはいられません。またそうするのが当然です。
それは、あなたがたの信仰が大いに成長し、あなたがたひとりびとりの愛が、お互いの間に増し加わっているからです。
そのために、わたしたち自身は、あなたがたがいま受けているあらゆる迫害と患難とのただ中で示している忍耐と信仰とにつき、
神様の諸教会に対してあなたがたを誇りとしています。
これは、あなたがたを、神様の御国にふさわしい者にしようとする神の裁きが正しいことを、証拠だてるものです。
その神の御国のために、あなたがたも苦闘しているのです。(テサロニケ第二の手紙1:1-5)
すなわち、あなたがたを悩ます者には患難をもって報復し、悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、
休息をもって報酬を授けて下さるのが、神様にとって正しいことだからです。
それは、主イエスが炎の中から力ある天使たちを率いて天から出現される時に実現します。 その時、主は神様を認めない者たちや、
わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し、 そして、彼らは主の御顔とその御力の栄光から退けられて、
永遠の滅亡に至る刑罰を受けます。 その日に、イエス様はご降臨され、聖徒たちの中であがめられ、すべて信じる者たちの間で驚きと
感激の的となられます。わたしたちのこのあかしは、あなたがたによって信じられているのです。
このためにまた、わたしたちは、わたしたちの神様があなたがたを召すにふさわしい者とし、良い行いに対するあらゆる願いと信仰の働きとを
力強く満たして下さるよう、あなたがたのために絶えず祈っています。
それは、わたしたちの神様と主イエス・キリストとの恵みによって、わたしたちの主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、
あなたがたも主にあって栄光を受けるためです。(テサロニケ第二の手紙1:6-12)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
あなたがたの救われたのは、恵みによるのです。キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、
共に天上で座につかせて下さいました。
それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、
きたるべき世々に示すためでした。
あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのです。
それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物です。 決して行いによるのではありません。
それは、だれも誇ることがないためなのです。 わたしたちは神の作品であって、
良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのです。
神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さいました。
エペソ人への手紙2章
「私たちは、この御子のうちにあって、 御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。
これは神の豊かな恵みによることです。」
エペソ人への手紙1章7
イエスキリストのみことば
「わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、また裁かれることがなく、
死から命に移っています。」
わがたましいよ、主をほめたたえよ。わがうちなるすべてのものよ、その聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ、主をほめたたえよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。
主はあなたのすべての不義をゆるし、あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを墓からあがないだし、いつくしみと、あわれみとをあなたに授け、あなたの生きながらえるかぎり、
良き物をもってあなたを飽き足らせられる。
こうしてあなたは若返り、鷲のように新しくなっていく。
詩篇103:1-5
旧約聖書に、次のように書いてあるとおりです。
「正しい人は一人もいない。罪のない人は世界中に一人もいない。真実に神の道に従って歩んだ人は かつて一人もいない。
そうしたいと心から願った人さえいない。 すべての人が道を踏みはずし、みな、まちがった方向に進んで行った。
正しいことをずっと行なってきた人はどこにもいない。 一人もいない。」
ローマ人への手紙
「彼らのうち一人として、申し開きのできる者はいません。 事実、全世界が全能の神様の前に沈黙して立ち、有罪の宣告を受けているのです。
さて、おわかりでしょうか。 おきての命じることを実行して、神様に正しい者と認められようとしてもむだです。
私たちが神様のおきてを深く知れば知るほど、自分が従っていないことが明らかになるからです。 神様のおきては、私たちに、
自分が罪人であることを自覚させてくれるだけです 」
しかし今や、神様は、天国へ行く別の道を示してくださいました。 その新しい道は、「善人になる」とか、
神様のおきてを守ろうと努力するような道ではありません
〔とはいっても、この道については、ずっと前から旧約聖書で教えられていたのですから、実際には新しい道とは言えませんが〕。
神様は今、「もし私たちが、イエス・キリストを信じきるなら、あなたがたを受け入れ、『罪のない者』と宣言する」と言われます。
どんな人間であろうと、私たちはみな、キリストを信じきるという、この方法によって救われるのです。
そうです。 すべての人は罪を犯しました。 神の輝かしい標準にはほど遠い存在です。 けれども、もし私たちがキリスト・イエスを信じきるなら、
神様は私たちを「罪のない者」と宣言してくださいます。 このキリスト・イエスが、恵みにより、無償で私たちの罪を帳消しにしてくださるからです。
神様はキリスト・イエスを遣わして、私たちの罪のための刑罰を受けさせ、私たちへの怒りをとどめてくださいました。
神様は、私たちをご自分の怒りから救い出すための手段として、キリストの血と私たちの信仰とをお用いになりました。
ですから、それまでの時代に罪を犯した者たちを罰せられなかったとしても、神様は完全に公正であられたわけです。
キリストが来て人々の罪を取り除く時を、神様は待ち望んでおられたからです。
そして今日でも、神様はこの同じ方法で罪人を受け入れてくださいます。 イエス様が彼らの罪を帳消しにしてくださったからです。
しかし、このように、罪を犯した者を赦し、無罪を宣告するのは、神様の公正なやり方に反するのではないでしょうか。 いいえ、そんなことはありません。
なぜなら、彼らが自分の罪を帳消しにしてくださったイエス様を信じたという事実に基づいて、神様はそうなさるからです。
それでは、救われるために、私たちは何か誇れるようなことをしたでしょうか。 何もしていません。 なぜでしょう。
私たちは自分の善行によって無罪とされるのではないからです。
それは、キリストが成し遂げてくださったことと、キリストに対する私たちの信仰に基づいているのです。 つまり、私たちが救われるのは、
キリストを信じる信仰だけによるのであって、善行によるのではありません。
ローマ人への手紙3章
わがたましいよ、主をほめたたえよ。わがうちなるすべてのものよ、その聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ、主をほめたたえよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。
主はあなたのすべての不義をゆるし、あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを墓からあがないだし、いつくしみと、あわれみとをあなたに授け、あなたの生きながらえるかぎり、
良き物をもってあなたを飽き足らせられる。
こうしてあなたは若返り、鷲のように新しくなっていく。
詩篇103:1-5
イエスキリストのみことば
「わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、また裁かれることがなく、
死から命に移っています。」
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
407 :
自治スレでローカルルール他を議論中:2010/10/12(火) 10:45:25 ID:wvAf9GIf0
救いの定義って何?
>>407 ヨハネの福音書を読んでもらえばわかります。
この福音書はイエスキリストの救いについて神のこどもの特権、
真理、永遠のいのち等、特に詳しく書いてありますので。
あなたがたの救われたのは、実に恵みにより、信仰によるのである。
それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。
エペソ人への手紙
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
わたしたちは、信仰によって神様の御前に正しい者と認められました。それによりわたしたちの
主イエス・キリストにあって、神様に対して平和を得ています。
さらに、わたしたちは、彼により、いま立っているこの恵みという信仰によって導き入れられ、
神様の栄光にあずかる希望をも喜んでいます。
それだけではない。患難をも喜んでいます。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 忍耐は練られた品性を
生み出し、練られた品性は希望を生み出すことを、知っているからです。
そして、希望は失望に終ることはありません。なぜなら、わたしたちに授けられている聖霊によって、
神様の愛がわたしたちの心に注がれているからです。(ローマ人への手紙5:1-5)
わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時が来て、不信仰な人たちのために死んで下さいました。
正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいません。
よい人のためには、進んで死ぬ人が、あるいはいるかもしれない。しかし、まだ、罪人であった時、
キリストがわたしたちのために死んで下さったことにより、神様はわたしたちに対する愛を示されました。
わたしたちは今、キリストの血によって神様の御前に正しい者とされているのです。
そうであるなら、彼によって神様の怒りから救われるのはなおさらです。
わたしたちが敵であった時でさえ、神様のひとり子の死によって神様の和解を受けたのですから、
和解を受けている今は、なおさら、彼の命によって救われます。
そればかりではありません。わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、
神様を喜んでいるのです。(ローマ人への手紙5:6-11)
神よ、われらはあなたに感謝します。われらは感謝します。
われらはあなたの御名を呼び、あなたのくすしきみわざを語ります。
詩篇75:1
イエスキリストのみことば
「わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、また裁かれることがなく、
死から命に移っています。」
リンゴってあんたは何がしたいんだ?
布教?
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
あなたがたの救われたのは、恵みによるのです。キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、
共に天上で座につかせて下さいました。
それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、
きたるべき世々に示すためでした。
あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのです。
それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物です。 決して行いによるのではありません。
それは、だれも誇ることがないためなのです。 わたしたちは神の作品であって、
良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのです。
神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さいました。
エペソ人への手紙2章
「キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえをささげた後、神の右に座し、
それから、敵をその足台とするときまで、待っておられます。
彼は一つのささげ物によって、清められた人たちを永遠に完全な者とされたのです。」
ヘブル人への手紙10章
聖霊もまた、わたしたちにあかしをして、 こう言われます。
「わたしが、それらの日の後、彼らに対して立てようとする契約はこれであると、主が言われる。
わたしの律法を彼らの心に与え、彼らの思いのうちに書きつけよう」と。
さらに、「もはや、彼らの罪と彼らの不法とを、思い出すことはしない」と述べておられます。
ヘブル人への手紙10章
小澤美恵子気色悪い96104悪魔つき
ずっとジットリ画面を見続けている小澤美恵子
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
キリスト・イエスのしもべたち、パウロとテモテから、ピリピにいる、キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、
ならびに監督たちと執事たちの皆さんへ。 わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにありますように。
わたしはあなたがたを思うたびに、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈るとき、いつも喜びをもって祈り、
あなたがたが最初の日から今日に至るまで、福音にあずかっていることを感謝しています。 そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、
キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信しているのです。
わたしが、あなたがた一同のために、そう考えるのは当然です。それは、わたしが牢獄に捕われている時にも、福音を弁明し立証する時にも、
あなたがたをみな、共に恵みにあずかる者として、わたしの心に深く留めているからです。
わたしがキリスト・イエスの熱い愛をもって、どんなに深くあなたがた一同を思っていることか、それを証明して下さるかたは神です。
わたしはこう祈ります。あなたがたの愛が、深い知識において、鋭い感覚において、いよいよ増し加わり、それによって、
あなたがたが、何が重要であるかを判断することができ、キリストの日に備え、純真で責められるところのないものとなり、
イエス・キリストによる義の果実に満たされて、神の栄光とほまれとをあらわすに至るようにと。(ピリピ人への手紙1:1-11)
429 :
ちんぽ三郎:2010/10/13(水) 17:08:17 ID:q8s9eKLxO
キリストが復活したらキリストのタマキンわしづかみにするよ。
さて、愛する兄弟たちよ。わたしの身に起った事が、むしろ福音の前進に役立つようになったことを、
あなたがたに知ってもらいたい。 すなわち、わたしが牢獄に捕われているのはキリストのためであることが、兵営全体にも
そのほかのすべての人々にも明らかになり、 そして兄弟たちのうち多くの人は、わたしの入獄によって主にある確信を得、恐れることなく、
ますます勇敢に、神の御言葉を語るようになったからです。 一方では、ねたみや闘争心からキリストを宣べ伝える者がおり、
他方では善意からそうする者がいます。 後者は、わたしが福音を弁明するために立てられていることを知り、愛の心でキリストを伝え、 前者は、
わたしの入獄の苦しみに更に患難を加えようと思って、純真な心からではなく、党派心からそうしています。
すると、どうなのですか。見栄からであるにしても、真実からであるにしても、要するに、伝えられているのはキリストなのだから、
わたしはそれを喜んでいるし、また喜ぶでしょう。
なぜなら、あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の助けとによって、この事がついには、わたしの救いとなることを知っているからです。
(ピリピ人への手紙1:12-19)
そこで、わたしが切なる思いで待ち望むことは、わたしが、どんなことがあっても恥じることなく、かえって、いつものように今も、
大胆に語ることによって、生きるにしても、また死ぬにしても、わたしの身によってキリストがあがめられることです。
わたしにとっては、生きることはキリスト、死ぬことは有益です。
しかし、肉体において生きていることが、わたしにとっては実り多い働きになるとすれば、わたしはどちらを選んだらよいかわからない。
わたしは、これら二つのものの間に板ばさみになっています。
わたしの願いを言いましょう。それは、この世を去ってキリストと共にいることです。実は、その方がはるかに望ましいからです。
しかし、肉体にとどまっていることは、あなたがたのためには、さらに必要でしょう。
こう確信しているので、わたしは生きのびて、あなたがた一同のところにとどまり、あなたがたの信仰を成長させ、その喜びを得させようと思っています。
そうなれば、わたしが再びあなたがたのところに行くので、あなたがたはわたしによってキリスト・イエスにある誇りを増すことになるでしょう。
(ピリピ人への手紙1:20-26)
ただ、あなたがたはキリストの福音にふさわしく生活しなさい。そして、わたしが行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、
あなたがたが一つの霊によって堅く立ち、一つの心になって福音の信仰のために力を合わせて戦い、 そして、何事についても、
敵対する者たちに狼狽させられないでいる様子を、聞かせてほしい。このことは、彼らには滅びのしるし、あなたがたには救いのしるしであって、
それは神様から来るのです。
あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむことをも賜わっています。
あなたがたは、さきにわたしについて見、今またわたしについて聞いているのと同じ苦闘を、続けているのです。
(ピリピ人への手紙1:27-30)
433 :
ちんぽ三郎:2010/10/13(水) 17:24:38 ID:q8s9eKLxO
キリスト教信者は創価学会の事、どう思ってるんだ?一度聞いてみたい。
そこで、あなたがたに、キリストによる勧め、愛の励ましあい、聖霊の交わり、熱愛とあわれみとが、いくらかでもあるなら、
どうか同じ思いとなってほしい。同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つの思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。
何事も党派心や虚栄心から行動してはならない。謙虚な心をもってお互いに人を自分より優れた者としなさい。
お互い、自分のことばかりでなく、ほかの人のことも考えなさい。
キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互いに生かしなさい。
キリストは、神の身分であられたが、神と同じ者であることを固守すべきとは思われず、かえって、ご自分を無くし、
しもべとなられ、人間の姿をとられました。その有様は人と異ならず、ご自分を低くして、死に至るまで、
しかも十字架の死に至るまで従順であられました。 それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる御名を彼に賜わったのです。
それは、イエス様の御名によって、天の上にあるもの、地上のもの、地下のもの、そしてあらゆるものがひざをかがめ、
また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白し、栄光を父なる神に帰するためなのです。(ピリピ人への手紙2:1-11)
わたしの愛する人たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、
いない今は、いっそう従順でいて、おそれへりくだって自分の救いの達成に努めなさい。
あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、そして実現に至らせてくださるのは神であって、
それは神のよしとされるところだからです。すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい。
それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲った邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子供となるためです。
あなたがたは、いのちの御言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世で輝いています。
このようにして、キリストの日に、わたしは自分の走ったことが無駄でなく、苦労したことも無駄ではなかったと誇ることができます。
(ピリピ人への手紙2:12-16)
神よ、われらはあなたに感謝します。われらは感謝します。
われらはあなたの御名を呼び、あなたのくすしきみわざを語ります。
詩篇75:1
437 :
自治スレでローカルルール他を議論中:2010/10/13(水) 19:44:31 ID:qLkVCInPO
へへへん キリストちゃん 日本に来たんでしょ!知ってるお(´・ω・`)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて現されました。
それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものです。
そこにはなんらの差別もありません。
すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、
彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって
神様から正しい者と認められるのです。
神は義を示すために、キリストの血によるあがないと、わたしたちの信仰をお用いになりました。
(ローマ人への手紙3章)
出た。気持ちの悪い小澤美恵子のキモ発言。
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
442 :
自治スレでローカルルール他を議論中:2010/10/14(木) 07:49:22 ID:wppl3vJj0
こんなところで布教活動やっても無駄だと思うよ。
コソドロじゃねーかwwwwww
小澤美恵子キメェ!!!!!!!!!!
ネット遊びばっかしている美恵子りんwwwwwwwww
小澤美恵子はなぜ気持ち悪い表現でしか語れないのか
骨の髄まで気持ちの悪いババアだからか
おばはんの行動記録発表会かよ小澤美恵子
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、
自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての罪咎を彼に負わせた。 彼は痛めつけられた。
彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
虐げと、裁きによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民の背きの罪のために打たれ、
生ける者の地から絶たれたことを。
旧約聖書に、次のように書いてあるとおりです。
「正しい人は一人もいない。罪のない人は世界中に一人もいない。真実に神の道に従って歩んだ人は かつて一人もいない。
そうしたいと心から願った人さえいない。 すべての人が道を踏みはずし、みな、まちがった方向に進んで行った。
正しいことをずっと行なってきた人はどこにもいない。 一人もいない。」
ローマ人への手紙
「彼らのうち一人として、申し開きのできる者はいません。 事実、全世界が全能の神様の前に沈黙して立ち、有罪の宣告を受けているのです。
さて、おわかりでしょうか。 おきての命じることを実行して、神様に正しい者と認められようとしてもむだです。
私たちが神様のおきてを深く知れば知るほど、自分が従っていないことが明らかになるからです。 神様のおきては、私たちに、
自分が罪人であることを自覚させてくれるだけです 」
しかし今や、神様は、天国へ行く別の道を示してくださいました。 その新しい道は、「善人になる」とか、
神様のおきてを守ろうと努力するような道ではありません
〔とはいっても、この道については、ずっと前から旧約聖書で教えられていたのですから、実際には新しい道とは言えませんが〕。
神様は今、「もし私たちが、イエス・キリストを信じきるなら、あなたがたを受け入れ、『罪のない者』と宣言する」と言われます。
どんな人間であろうと、私たちはみな、キリストを信じきるという、この方法によって救われるのです。
そうです。 すべての人は罪を犯しました。 神の輝かしい標準にはほど遠い存在です。 けれども、もし私たちがキリスト・イエスを信じきるなら、
神様は私たちを「罪のない者」と宣言してくださいます。 このキリスト・イエスが、恵みにより、無償で私たちの罪を帳消しにしてくださるからです。
神様はキリスト・イエスを遣わして、私たちの罪のための刑罰を受けさせ、私たちへの怒りをとどめてくださいました。
神様は、私たちをご自分の怒りから救い出すための手段として、キリストの血と私たちの信仰とをお用いになりました。
ですから、それまでの時代に罪を犯した者たちを罰せられなかったとしても、神様は完全に公正であられたわけです。
キリストが来て人々の罪を取り除く時を、神様は待ち望んでおられたからです。
そして今日でも、神様はこの同じ方法で罪人を受け入れてくださいます。 イエス様が彼らの罪を帳消しにしてくださったからです。
しかし、このように、罪を犯した者を赦し、無罪を宣告するのは、神様の公正なやり方に反するのではないでしょうか。 いいえ、そんなことはありません。
なぜなら、彼らが自分の罪を帳消しにしてくださったイエス様を信じたという事実に基づいて、神様はそうなさるからです。
それでは、救われるために、私たちは何か誇れるようなことをしたでしょうか。 何もしていません。 なぜでしょう。
私たちは自分の善行によって無罪とされるのではないからです。
それは、キリストが成し遂げてくださったことと、キリストに対する私たちの信仰に基づいているのです。 つまり、私たちが救われるのは、
キリストを信じる信仰だけによるのであって、善行によるのではありません。
ローマ人への手紙3章
キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに、固執されず、御自分をなくして、しもべの身分になり、
人間と同じ者になられたのです。
人間の姿として現れ、へりくだり、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順でした。
このため、神様はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる御名をお与えになりました。
それは、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるものがすべて、イエス様の御名にひざまずき、すべての者の舌が、
『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神様を褒め称えるようになるためです。」
(ピリピ人への手紙2:6-11)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
語尾に「よん」がつくと、ババア臭がプンプン。気色悪い小澤美恵子
小澤美恵子りんの吐き気を催すような語り気持ちワルスwwwwwwwwww
わざわざ文章にしていい人アピールしなくてもいいですから96104
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
主イエス・キリストの御言葉
「わたしの友であるあなたがたに言っておきます。からだを殺しても、そのあとでそれ以上
なにもできない者たちを恐れてはいけません。
恐れるべきかたがだれであるか教えてあげよう。殺したあとで、さらに地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。
そうです、あなたがたに言っておきます、そのかたを恐れなさい。
五羽のすずめは二アサリオンで売られているではありませんか。
しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいません。 その上、あなたがたの頭の毛までも、
みな数えられています。恐れることはありません。
あなたがたは多くのすずめよりも、優れた者ではありませんか。 そこで、あなたがたに言います。
だれでも人の前でわたしを受けいれる者は、人の子も神の天使たちの前で受けいれるでしょう。
しかし、人の前でわたしを拒否する者は、神の天使たちの前で拒否されることになるでしょう。」
(ルカ12:4-9)
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、
神様の栄光となるのです。だから、わたしたちは落胆しません。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。
なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりに
わたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくのです。
(コリント第二の手紙4:15-18)
わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエス様がいらっしゃるのですから、
わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではありませんか。
この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではありません。
罪は犯されませんでしたが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのです。
ですから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、
大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
(ヘブル人への手紙4:11-16)
わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、
キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
(コリント第二の手紙12:9-10)
わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、
キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
(コリント第二の手紙12:9-10)
神は、神を愛する人たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、 万事を益となるようにして下さることを、
わたしたちは知っています。 神はあらかじめ知っておられる者たちを、さらに神の御子のかたちに似たものとしようとして、
あらかじめ定めて下さいました。それは、神の御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであったのです。
そして、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召され人たちをさらに正しい者とし、 正しいと認められた人たちには、さらに栄光を与えて下さいました。
それでは、これらの事からなんと言えるでしょうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、 だれがわたしたちに敵対できるでしょうか。
ご自身の御子(みこ)をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、 どうして、 神の御子といっしょに
万物をも賜わらないことがありましょうか。 だれが、神に選ばれた人たちを訴えるのですか。 神は彼らを正しい者と認めてくださるのです。
だれが、わたしたちを罪に定めるのですか。
キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえり復活されて、 神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなしてくださるのです。
だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、 飢え、裸、危難、剣ですか。
「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。
しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において圧倒的勝利者となるのです。
わたしはこう確信します。死もいのちも、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 高いものも深いものも、
その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにある神様の愛から、 わたしたちを引き離すことはできません。
(ローマ人への手紙8:35-39)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
あなたがたの救われたのは、恵みによるのです。キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、
共に天上で座につかせて下さいました。
それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、
きたるべき世々に示すためでした。
あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのです。
それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物です。 決して行いによるのではありません。
それは、だれも誇ることがないためなのです。 わたしたちは神の作品であって、
良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのです。
神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さいました。
エペソ人への手紙2章
今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて現されました。
それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものです。
そこにはなんらの差別もありません。
すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、
彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって
神様から正しい者と認められるのです。
神は義を示すために、キリストの血によるあがないと、わたしたちの信仰をお用いになりました。
(ローマ人への手紙3章)
神のみこころによりキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟テモテとから、コリントにある神の教会、
ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ。
わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。
神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、 神に慰めていただくその慰めをもって、
あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのです。
それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、
キリストによって満ちあふれているからです。
わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救いとのためであり、慰めを受けるなら、
それはあなたがたの慰めのためであって、 その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となります。
だから、あなたがたに対していだいているわたしたちの望みは、動くことがありません。
あなたがたが、わたしたちと共に苦難にあずかっているように、慰めにも共にあずかっていることを知っているからです。
愛する兄弟のみなさん。わたしたちがアジヤで会った患難を、知らずにいてもらいたくない。
わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みを失ってしまい、 心のうちで死を覚悟しました。
そして自分自身を頼みとしないで、死人を復活させてくださった神様を頼みとするに至ったのです。
神様はこのような死の危険から、わたしたちを救い出して下さり、また救い出して下さるでしょう。
わたしたちは、神様が今後も救い出して下さることを望んでいます。 そして、あなたがたもまた、祈りをもって、
いっしょに、わたしたちを助けてくれるでしょう。
これは多くの人たちの願いにより、わたしたちに授けられた恵みについて、多くの人が感謝をささげるようになるためです。
さて、わたしたちがこの世で、ことにあなたがたに対し、人間の知恵ではなく神様の恵みによって、
神様の神聖と真実によって行動してきたことは、実にわたしたちの誇りです。そして良心のあかしするところでもあります。
わたしたちが書いていることは、あなたがたが読んで理解できないことではありません。
それを完全に理解してくれるように、わたしは希望します。わたしたちの主イエスの日に、あなたがたがわたしたちの誇りであるように、
わたしたちもあなたがたの誇りであることはある程度理解してくれていると思います。
この確信をもって、わたしたちはもう一度恵みを得させたいのです
神様は、わたしたちに証印を押し、その保証として、わたしたちの心に聖霊を授けてくださいました。
わたしは自分の魂をかけ、神様を証人に呼び求めて言いますが、わたしがコリントに行かないのは、あなたがたに対して寛大でありたいためです。
わたしたちは、あなたがたの信仰を支配する者ではなく、あなたがたの喜びのために共に働いている者にすぎません。
あなたがたは、信仰に堅く立っているからです。
神様に感謝しよう。神様はいつも私たちを、勝利の行進に加えてくださいました。
わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのです。
わたしたちは、救われる人にとっても滅びる人にとっても、神様に対するキリストの香りなのです。
後者にとっては、死から死に至らせる香りであり、前者にとっては、いのちからいのちに至らせる香りです。
このような任務にふさわしい人とは、いったいどんな人でしょうか。
私たちは、多くの人のように、神様の御言葉に混ぜ物をして売るようなことはせず、
真心から、また神様によって、神様の御前でキリストにあって語るのです。
神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされました。 それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者です。
文字は人を殺し、霊は人を生かす。
もし石に彫りつけた文字による死の務めが栄光のうちに行われ、そのためイスラエルの子らは、 モーセの顔の消え去るべき栄光のゆえに、
その顔を見つめることができなかったとすれば、 まして霊の務めは、はるかに栄光あるものではないでしょうかか。
もし罪を宣告する務めが栄光あるものだとすれば、義を宣告する務は、はるかに栄光に満ちたものです。
そして、すでに栄光を受けたものも、この場合、はるかにまさった栄光のまえに、その栄光を失ったのです。
もし消え去るべきものが栄光をもって現れたのなら、まして永存すべきものは、もっと栄光のあるべきものです。
こうした望みをいだいているので、わたしたちは思いきって大胆に語り、 そしてモーセが、 消え去っていくものの最後をイスラエルの子らに
見られまいとして、 顔におおいをかけたようなことはしない。
実際、彼らの思いは鈍くなっていた。今日に至るまで、彼らが古い契約を朗読する場合、 その同じおおいが取り去られないままで残っています。
それは、キリストにあってはじめて取り除かれるからです。今日に至るもなお、 モーセの書が朗読されるたびに、
おおいが彼らの心にかかっている。
しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれます。主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由があります。
わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていきます。
これは霊なる主の働きによるのです。
このようにわたしたちは、あわれみを受けてこの務めについているのですから、落胆せずに、 恥ずべき隠れたことを捨て去り、
悪巧みによって歩かず、神の御言葉を曲げず、真理を明らかにし、神のみまえに、すべての人の良心に自分を推薦します。
もしわたしたちの福音がおおわれているなら、滅びる者たちにとっておおわれているのです。
彼らの場合、この世の神が不信者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしています。
しかし、わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。
わたしたち自身は、 ただイエス様のために働くあなたがたのしもべにすぎません。
「暗闇の中から光よ、輝き出せ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝き渡る神の栄光の知識を明らかにするために、
わたしたちの心を照して下さったのです。
しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、
わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためです。
わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まることはありません。
迫害に会っても見捨てられず、倒されても滅びない。 いつもイエス様の死をこの身に負っています。
それはまた、イエス様のいのちが、この身に現れるためであり、 わたしたち生きている者は、
イエス様のために絶えず死に渡されているからです。
それはイエス様のいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためです。
こうして、死はわたしたちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。
「わたしは信じた。それゆえに語った」としるしてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、
わたしたちも信じています。それゆえに語ります。
それは、主イエスをよみがえらせたかたが、わたしたちをもイエス様と共によみがえらせ、そして、
あなたがたと共にみまえに立たせて下さることを、知っているからです。
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、 神の栄光となります。
だから、わたしたちは落胆しない。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、
永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくからです。
わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、
人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っています。
そして、天から賜わるその住まいを、上に着ようと切実に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえています。
それを着たなら、裸のままではいないでしょう。 この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえています。
それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためです。
わたしたちを、この事にかなう者にして下さったのは、神です。
そして、神はその保証として聖霊をわたしたちに賜わりました。
だから、わたしたちはいつも心強い。 そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っています。
わたしたちは、見えるものによらないで、 信仰によって歩いているのです。 コリント第二の手紙5章
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
偽善者 小澤美恵子
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。 もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
ただひとり大いなるくすしきみわざをなされるかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
知恵をもって天を造られたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
地を水の上に敷かれたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
大いなる光を造られたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
昼をつかさどらすために日を造られたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
夜をつかさどらすために月と、もろもろの星とを造られたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
エジプトのういごを撃たれたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
イスラエルをエジプトびとの中から導き出されたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
強い御手と伸ばした御腕とをもって、これを救い出されたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
紅海を二つに分けられたかたに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
(詩篇136:1-13)
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
480 :
自治スレでローカルルール他を議論中:2010/10/17(日) 08:15:58 ID:wpEJLJsm0
人々を管理し搾り取るために進化した宗教。信じる者と書いて儲けるとはシャレが利いてますね。
餌になっても救われた気になれれば幸せなんだろうね
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
主をほめたたえよ。その聖所で神をほめたたえよ。その御力のあらわれる大空で主をほめたたえよ。
その大能のはたらきのゆえに主をほめたたえよ。
キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに、固執されず、御自分をなくして、しもべの身分になり、
人間と同じ者になられたのです。
人間の姿として現れ、へりくだり、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順でした。
このため、神様はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる御名をお与えになりました。
それは、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるものがすべて、イエス様の御名にひざまずき、すべての者の舌が、
『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神様を褒め称えるようになるためです。」
(ピリピ人への手紙2:6-11)
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみは永遠に絶えることがない。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。B人は救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりになって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
そして3日目によみがえられました。
@☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
信じるものは裁かれることはありません。
A☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
B☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
あなたがたの救われたのは、恵みによるのです。キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、
共に天上で座につかせて下さいました。
それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、
きたるべき世々に示すためでした。
あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのです。
それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物です。 決して行いによるのではありません。
それは、だれも誇ることがないためなのです。 わたしたちは神の作品であって、
良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのです。
神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さいました。
エペソ人への手紙2章
キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに、固執されず、御自分をなくして、しもべの身分になり、
人間と同じ者になられたのです。
人間の姿として現れ、へりくだり、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順でした。
このため、神様はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる御名をお与えになりました。
それは、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるものがすべて、イエス様の御名にひざまずき、すべての者の舌が、
『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神様を褒め称えるようになるためです。」
(ピリピ人への手紙2:6-11)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
あなたがたの救われたのは、恵みによるのです。キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、
共に天上で座につかせて下さいました。
それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、
きたるべき世々に示すためでした。
あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのです。
それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物です。 決して行いによるのではありません。
それは、だれも誇ることがないためなのです。 わたしたちは神の作品であって、
良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのです。
神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さいました。
エペソ人への手紙2章
神よ、われらはあなたに感謝します。われらは感謝します。
われらはあなたの御名を呼び、あなたのくすしきみわざを語ります。
詩篇75:1
「キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえをささげた後、神の右に座し、
それから、敵をその足台とするときまで、待っておられます。
彼は一つのささげ物によって、清められた人たちを永遠に完全な者とされたのです。」
ヘブル人への手紙10章
聖霊もまた、わたしたちにあかしをして、 こう言われます。
「わたしが、それらの日の後、彼らに対して立てようとする契約はこれであると、主が言われる。
わたしの律法を彼らの心に与え、彼らの思いのうちに書きつけよう」と。
さらに、「もはや、彼らの罪と彼らの不法とを、思い出すことはしない」と述べておられます。
ヘブル人への手紙10章
キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに、固執されず、御自分をなくして、しもべの身分になり、
人間と同じ者になられたのです。
人間の姿として現れ、へりくだり、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順でした。
このため、神様はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる御名をお与えになりました。
それは、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるものがすべて、イエス様の御名にひざまずき、すべての者の舌が、
『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神様を褒め称えるようになるためです。」
(ピリピ人への手紙2:6-11)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエス様がいらっしゃるのですから、
わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではありませんか。
この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではありません。
罪は犯されませんでしたが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのです。
ですから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、
大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
(ヘブル人への手紙4:11-16
「私たちは、この御子のうちにあって、 御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。
これは神の豊かな恵みによることです。」
エペソ人への手紙1章7
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、
私たちも彼を尊ばなかった。
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを背負った。だが、私たちは思った。
彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちの背きの罪のために刺し通され、私たちの罪咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての罪咎を
彼に負わせた。
彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、
彼は口を開かない。
虐げと、裁きによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民の背きの罪のために打たれ、
生ける者の地から絶たれたことを。
彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。
しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを 罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、
子孫を見ることができ、主の御心は彼によって成し遂げられる。
彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。
わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を神の御前に正しい者とし、彼らの罪咎を彼がになう。
それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。
彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。
イザヤ 53:3-12
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
「キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえをささげた後、神の右に座し、
それから、敵をその足台とするときまで、待っておられます。
彼は一つのささげ物によって、清められた人たちを永遠に完全な者とされたのです。」
ヘブル人への手紙10章
聖霊もまた、わたしたちにあかしをして、 こう言われます。
「わたしが、それらの日の後、彼らに対して立てようとする契約はこれであると、主が言われる。
わたしの律法を彼らの心に与え、彼らの思いのうちに書きつけよう」と。
さらに、「もはや、彼らの罪と彼らの不法とを、思い出すことはしない」と述べておられます。
ヘブル人への手紙10章
神よ、われらはあなたに感謝します。われらは感謝します。
われらはあなたの御名を呼び、あなたのくすしきみわざを語ります。
詩篇75:1
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
小澤美恵子の話が胡散臭い詐欺師風になってきた件
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
キリスト・イエスのしもべたち、パウロとテモテから、ピリピにいる、キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、
ならびに監督たちと執事たちの皆さんへ。 わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにありますように。
わたしはあなたがたを思うたびに、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈るとき、いつも喜びをもって祈り、
あなたがたが最初の日から今日に至るまで、福音にあずかっていることを感謝しています。 そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、
キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信しているのです。
わたしが、あなたがた一同のために、そう考えるのは当然です。それは、わたしが牢獄に捕われている時にも、福音を弁明し立証する時にも、
あなたがたをみな、共に恵みにあずかる者として、わたしの心に深く留めているからです。
わたしがキリスト・イエスの熱い愛をもって、どんなに深くあなたがた一同を思っていることか、それを証明して下さるかたは神です。
わたしはこう祈ります。あなたがたの愛が、深い知識において、鋭い感覚において、いよいよ増し加わり、それによって、
あなたがたが、何が重要であるかを判断することができ、キリストの日に備え、純真で責められるところのないものとなり、
イエス・キリストによる義の果実に満たされて、神の栄光とほまれとをあらわすに至るようにと。(ピリピ人への手紙1:1-11)
さて、愛する兄弟たちよ。わたしの身に起った事が、むしろ福音の前進に役立つようになったことを、
あなたがたに知ってもらいたい。 すなわち、わたしが牢獄に捕われているのはキリストのためであることが、兵営全体にも
そのほかのすべての人々にも明らかになり、 そして兄弟たちのうち多くの人は、わたしの入獄によって主にある確信を得、恐れることなく、
ますます勇敢に、神の御言葉を語るようになったからです。 一方では、ねたみや闘争心からキリストを宣べ伝える者がおり、
他方では善意からそうする者がいます。 後者は、わたしが福音を弁明するために立てられていることを知り、愛の心でキリストを伝え、 前者は、
わたしの入獄の苦しみに更に患難を加えようと思って、純真な心からではなく、党派心からそうしています。
すると、どうなのですか。見栄からであるにしても、真実からであるにしても、要するに、伝えられているのはキリストなのだから、
わたしはそれを喜んでいるし、また喜ぶでしょう。
なぜなら、あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の助けとによって、この事がついには、わたしの救いとなることを知っているからです。
(ピリピ人への手紙1:12-19)
そこで、わたしが切なる思いで待ち望むことは、わたしが、どんなことがあっても恥じることなく、かえって、いつものように今も、
大胆に語ることによって、生きるにしても、また死ぬにしても、わたしの身によってキリストがあがめられることです。
わたしにとっては、生きることはキリスト、死ぬことは有益です。
しかし、肉体において生きていることが、わたしにとっては実り多い働きになるとすれば、わたしはどちらを選んだらよいかわからない。
わたしは、これら二つのものの間に板ばさみになっています。
わたしの願いを言いましょう。それは、この世を去ってキリストと共にいることです。実は、その方がはるかに望ましいからです。
しかし、肉体にとどまっていることは、あなたがたのためには、さらに必要でしょう。
こう確信しているので、わたしは生きのびて、あなたがた一同のところにとどまり、あなたがたの信仰を成長させ、その喜びを得させようと思っています。
そうなれば、わたしが再びあなたがたのところに行くので、あなたがたはわたしによってキリスト・イエスにある誇りを増すことになるでしょう。
(ピリピ人への手紙1:20-26)
ただ、あなたがたはキリストの福音にふさわしく生活しなさい。そして、わたしが行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、
あなたがたが一つの霊によって堅く立ち、一つの心になって福音の信仰のために力を合わせて戦い、 そして、何事についても、
敵対する者たちに狼狽させられないでいる様子を、聞かせてほしい。このことは、彼らには滅びのしるし、あなたがたには救いのしるしであって、
それは神様から来るのです。
あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむことをも賜わっています。
あなたがたは、さきにわたしについて見、今またわたしについて聞いているのと同じ苦闘を、続けているのです。
(ピリピ人への手紙1:27-30)
そこで、あなたがたに、キリストによる勧め、愛の励ましあい、聖霊の交わり、熱愛とあわれみとが、いくらかでもあるなら、
どうか同じ思いとなってほしい。同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つの思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。
何事も党派心や虚栄心から行動してはならない。謙虚な心をもってお互いに人を自分より優れた者としなさい。
お互い、自分のことばかりでなく、ほかの人のことも考えなさい。
キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互いに生かしなさい。
キリストは、神の身分であられたが、神と同じ者であることを固守すべきとは思われず、かえって、ご自分を無くし、
しもべとなられ、人間の姿をとられました。その有様は人と異ならず、ご自分を低くして、死に至るまで、
しかも十字架の死に至るまで従順であられました。 それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる御名を彼に賜わったのです。
それは、イエス様の御名によって、天の上にあるもの、地上のもの、地下のもの、そしてあらゆるものがひざをかがめ、
また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白し、栄光を父なる神に帰するためなのです。(ピリピ人への手紙2:1-11)
わたしの愛する人たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、
いない今は、いっそう従順でいて、おそれへりくだって自分の救いの達成に努めなさい。
あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、そして実現に至らせてくださるのは神であって、
それは神のよしとされるところだからです。すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい。
それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲った邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子供となるためです。
あなたがたは、いのちの御言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世で輝いています。
このようにして、キリストの日に、わたしは自分の走ったことが無駄でなく、苦労したことも無駄ではなかったと誇ることができます。
(ピリピ人への手紙2:12-16)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
【馬鹿ウヨとは】
1.世界的視野が狭く短絡思考である。
2.断片的知識で都合の良い様に短絡思考し、
自己中心的で善悪の見境がない。
3.感情的に短絡思考しワメキ散し、
果ては罵り暴行に及び、最悪は人殺しに及ぶ。
4.暴走族や狂信カルト信者に似ている。
5.日本の国情や国際外交を殆ど考慮せず、
感情的な短絡思考で言動に及び、
それが国益を損なう事を理解できない。
また国益を損なう結果に及ぶ。
6.つまり、馬鹿ウヨは馬鹿であり間抜けである。
神よ、われらはあなたに感謝します。われらは感謝します。
われらはあなたの御名を呼び、あなたのくすしきみわざを語ります。
詩篇75:1
あなたがたの救われたのは、恵みによるのです。キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、
共に天上で座につかせて下さいました。
それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、
きたるべき世々に示すためでした。
あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのです。
それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物です。 決して行いによるのではありません。
それは、だれも誇ることがないためなのです。 わたしたちは神の作品であって、
良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのです。
神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さいました。
エペソ人への手紙2章
にやにや媚びながら画面をずっと凝視して観察する小澤美恵子
522 :
オラヨー ◆PKEaQjlkeo :2010/10/21(木) 11:12:28 ID:uOTtlHosO
そんな事より死海文書が全文オンライン公開されました。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
パウロとシルワノとテモテから、わたしたちの父なる神と主イエス・キリストとにあるテサロニケ人たちの教会へ。
父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
愛する兄弟たちよ。わたしたちは、いつもあなたがたのことを神様に感謝せずにはいられません。またそうするのが当然です。
それは、あなたがたの信仰が大いに成長し、あなたがたひとりびとりの愛が、お互いの間に増し加わっているからです。
そのために、わたしたち自身は、あなたがたがいま受けているあらゆる迫害と患難とのただ中で示している忍耐と信仰とにつき、
神様の諸教会に対してあなたがたを誇りとしています。 これは、あなたがたを、神様の御国にふさわしい者にしようとする
神の裁きが正しいことを、証拠だてるものです。その神の御国のために、あなたがたも苦闘しているのです。(テサロニケ第二の手紙1:1-5)
すなわち、あなたがたを悩ます者には患難をもって報復し、悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、
休息をもって報酬を授けて下さるのが、神様にとって正しいことだからです。
それは、主イエスが炎の中から力ある天使たちを率いて天から出現される時に実現します。
その時、主は神様を認めない者たちや、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し、
そして、彼らは主の御顔とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅亡に至る刑罰を受けます。
その日に、イエス様はご降臨され、聖徒たちの中であがめられ、すべて信じる者たちの間で驚きと感激の的となられます。
わたしたちのこのあかしは、あなたがたによって信じられているのです。
このためにまた、わたしたちは、わたしたちの神様があなたがたを召すにふさわしい者とし、良い行いに対するあらゆる願いと
信仰の働きとを力強く満たして下さるよう、あなたがたのために絶えず祈っています。
それは、わたしたちの神様と主イエス・キリストとの恵みによって、わたしたちの主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、
あなたがたも主にあって栄光を受けるためです。(テサロニケ第二の手紙1:6-12)
愛する兄弟のみなさん。わたしたちの主イエス・キリストのご来臨と、わたしたちが御座に集められることについて、
あなたがたにお願いすることがある。 霊により、または言葉により、あるいはわたしたちから宛てられたという手紙によって、
主の日はすでに来たとふれまわる者があっても、すぐに心を動かされたり、慌てたりしてはいけません。
だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教が起るからです。
そして不法の者、すなわち、滅びの子が必ず現れるでしょう。 彼は、すべて神と呼ばれたり崇拝されたりするものに反抗して立ち上がり、
そして自分で神の宮に座わり、自分こそ神だと宣言します。
わたしがあなたがたの所に滞在していた時、これらの事を繰り返して言ってきたのを思い出しなさい。
そして、あなたがたが承知のとおり、彼が自分の定められたの時になってから現れるように、
いま彼を引き止めておられる方がいらっしゃるのです。 不法の秘密の力は、もうすでに働いています。
ただそれは、引き止めておられる方が取り去られる時までのことです。 その時になると、不法の者が突如として現れます。
この者を、主イエスは御口の息吹をもって殺し、御来臨の輝きによって滅ぼされるのです。(テサロニケ第二の手紙2:1-8)
不法の者の到来は、サタンの働きによるのであり、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、 また、多くの不義の惑わしを、
滅ぶべき者たちに対して行うためです。彼らが滅びるのは、自らの救いとなる真理に対する愛を受けいれなかった報いなのです。
そこで神様は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送って、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、裁くようにされます。
しかし、主に愛されている兄弟のみなさん、わたしたちはいつもあなたがたのことを、神様に感謝せずにはおられないのです。
それは、神様があなたがたを初めからお選びになって、聖霊による清めと、真理に対する信仰によって、救いを授けられたからです。
このために、わたしたちの福音によってあなたがたを召し、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせるようにして下さいました。
そこで、愛する兄弟のみなさん、堅く立ち、わたしたちの言葉や手紙で教えられた御言葉を伝え、しっかりと守り続けなさい。
どうか、わたしたちの主イエス・キリストご自身と、わたしたちを愛し、恵みをもって永遠の慰めと確かな希望とを賜わってくださる
わたしたちの父なる神様が、 あなたがたの心を励まして、あなたがたを強めてくださいますように、
そしてすべての良いわざを行い、正しい言葉を語る者として下さいますように。(テサロニケ第二の手紙2:9-17)
最後に、愛する兄弟のみなさん。わたしたちのために祈ってほしい。どうか主の御言葉が、あなたがたの所と同じように、ここでも早く広まり、
あがめられますように。 また、どうか、わたしたちが不都合な悪人から救われますように。事実、すべての人が信仰を持っているわけではありません。
しかし、主は真実なかたですから、あなたがたを強め、悪しき者から守って下さるでしょう。 わたしたちが命じる事を、あなたがたは現に実行しており、
また、実行するであろうと、わたしたちは、主にあって確信しています。 どうか、主があなたがたの心を導いて、
神様の愛とキリストの忍耐とを持たせて下さいますように。 愛する兄弟のみなさん。主イエス・キリストの御名によってあなたがたに命じます。
怠惰な生活をして、わたしたちから受けた言い伝えに従わないすべての兄弟たちから、遠ざかりなさい。 わたしたちに、どうならうべきであるかは、
あなたがた自身が知っているからです。あなたがたの所にいた時には、わたしたちは怠惰な生活をしなかったし、 人からパンをもらって食べることもしなかった。
それどころか、あなたがたのだれにも負担をかけないように、日夜、労苦し努力して働き続けてきました。 それは、わたしたちにその権利がないからではなく、
わたしたちにあなたがたが見習うように、身をもって模範を示したのです。(テサロニケ第二の手紙3:1-9)
また、あなたがたの所にいた時に、「働こうとしない者は、食べるな」と命じておきました。 ところが、聞くところによると、
あなたがたのうちのある者は怠惰な生活を送り、働かないで、ただいたずらに動きまわっているとのことです。
こうした人々に対しては、静かに働いて自分で得たパンを食べるように、主イエス・キリストによって命じ、また勧告します。
愛する兄弟のみなさん。あなたがたは、たゆまずに良い働きをしなさい。
もしこの手紙にしるしたわたしたちの言葉に聞き従わない人があれば、そのような人には注意をして、交際しないがいいでしょう。
彼が自ら恥じるようになるためです。 しかし、彼を敵のように思わないで、兄弟として訓戒しなさい。
どうか、平和の主ご自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和を与えて下さいますように。
主があなたがた一同と共におられますように。 ここでパウロ自身が、手ずからあいさつを書きます。
これは、わたしのどの手紙にも書く印です。わたしは、このように書きます。
どうか、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にありますように。(テサロニケ第二の手紙3:10-18)
小澤美恵子の偉そうなお言葉ペラペラ詐欺師のようだ
神様はあなたを喜びに満ちた天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりになって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
そして3日目によみがえられました。
@☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
信じる人は神の義が与えられ裁かれることはありません。
A☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
B☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
キリストって完全な作り話しなのに何でこんなに盲信する人が多いのかね?
神様はあなたを喜びに満ちた天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりになって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
そして3日目によみがえられました。
@☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
信じる人は神の義が与えられ裁かれることはありません。
A☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
B☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
神様はあなたを喜びに満ちた天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりになって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
そして3日目によみがえられました。
@☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
信じる人は神の義が与えられ裁かれることはありません。
A☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
B☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
主イエス・キリストの御言葉
「わたしの友であるあなたがたに言っておきます。からだを殺しても、そのあとでそれ以上
なにもできない者たちを恐れてはいけません。
恐れるべきかたがだれであるか教えてあげよう。殺したあとで、さらに地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。
そうです、あなたがたに言っておきます、そのかたを恐れなさい。
五羽のすずめは二アサリオンで売られているではありませんか。
しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいません。 その上、あなたがたの頭の毛までも、
みな数えられています。恐れることはありません。
あなたがたは多くのすずめよりも、優れた者ではありませんか。 そこで、あなたがたに言います。
だれでも人の前でわたしを受けいれる者は、人の子も神の天使たちの前で受けいれるでしょう。
しかし、人の前でわたしを拒否する者は、神の天使たちの前で拒否されることになるでしょう。」
(ルカ12:4-9)
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、
神様の栄光となるのです。だから、わたしたちは落胆しません。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。
なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりに
わたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくのです。
(コリント第二の手紙4:15-18)
わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエス様がいらっしゃるのですから、
わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではありませんか。
この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではありません。
罪は犯されませんでしたが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのです。
ですから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、
大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
(ヘブル人への手紙4:11-16)
わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、
キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
(コリント第二の手紙12:9-10)
神は、神を愛する人たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、
万事を益となるようにして下さることを、 わたしたちは知っています。
神はあらかじめ知っておられる者たちを、さらに神の御子のかたちに似たものとしようとして、
あらかじめ定めて下さいました。それは、神の御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであったのです。
そして、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召され人たちをさらに正しい者とし、
正しいと認められた人たちには、 さらに栄光を与えて下さいました。
それでは、これらの事からなんと言えるでしょうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、
だれがわたしたちに敵対できるでしょうか。
ご自身の御子(みこ)をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、
どうして、 神の御子といっしょに万物をも賜わらないことがありましょうか。
だれが、神に選ばれた人たちを訴えるのですか。 神は彼らを正しい者と認めてくださるのです。
だれが、わたしたちを罪に定めるのですか。
キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえり復活されて、 神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなしてくださるのです。
だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、 飢え、裸、危難、剣ですか。
「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。
しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において圧倒的勝利者となるのです。
わたしはこう確信します。死もいのちも、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 高いものも深いものも、
その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにある神様の愛から、 わたしたちを引き離すことはできません。
(ローマ人への手紙8:35-39)
イエス様はあなたを喜びあふれる天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。
Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりになって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
そして3日目によみがえられました。
☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
信じる人は神の義が与えられ裁かれることはありません。
☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
いやらしい媚売り美恵子りん富士山も真っ青
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
546 :
大神カオス:2010/10/23(土) 07:13:52 ID:v0DplRwZO
カオス
旧約聖書に、次のように書いてあるとおりです。
「正しい人は一人もいない。罪のない人は世界中に一人もいない。真実に神の道に従って歩んだ人は かつて一人もいない。
そうしたいと心から願った人さえいない。 すべての人が道を踏みはずし、みな、まちがった方向に進んで行った。
正しいことをずっと行なってきた人はどこにもいない。 一人もいない。」
ローマ人への手紙
「彼らのうち一人として、申し開きのできる者はいません。 事実、全世界が全能の神様の前に沈黙して立ち、有罪の宣告を受けているのです。
さて、おわかりでしょうか。 おきての命じることを実行して、神様に正しい者と認められようとしてもむだです。
私たちが神様のおきてを深く知れば知るほど、自分が従っていないことが明らかになるからです。 神様のおきては、私たちに、
自分が罪人であることを自覚させてくれるだけです 」
しかし今や、神様は、天国へ行く別の道を示してくださいました。 その新しい道は、「善人になる」とか、
神様のおきてを守ろうと努力するような道ではありません
〔とはいっても、この道については、ずっと前から旧約聖書で教えられていたのですから、実際には新しい道とは言えませんが〕。
神様は今、「もし私たちが、イエス・キリストを信じきるなら、あなたがたを受け入れ、『罪のない者』と宣言する」と言われます。
どんな人間であろうと、私たちはみな、キリストを信じきるという、この方法によって救われるのです。
そうです。 すべての人は罪を犯しました。 神の輝かしい標準にはほど遠い存在です。 けれども、もし私たちがキリスト・イエスを信じきるなら、
神様は私たちを「罪のない者」と宣言してくださいます。 このキリスト・イエスが、恵みにより、無償で私たちの罪を帳消しにしてくださるからです。
(ローマ人への手紙3章)
神様はキリスト・イエスを遣わして、私たちの罪のための刑罰を受けさせ、私たちへの怒りをとどめてくださいました。
神様は、私たちをご自分の怒りから救い出すための手段として、キリストの血と私たちの信仰とをお用いになりました。
ですから、それまでの時代に罪を犯した者たちを罰せられなかったとしても、神様は完全に公正であられたわけです。
キリストが来て人々の罪を取り除く時を、神様は待ち望んでおられたからです。
そして今日でも、神様はこの同じ方法で罪人を受け入れてくださいます。 イエス様が彼らの罪を帳消しにしてくださったからです。
しかし、このように、罪を犯した者を赦し、無罪を宣告するのは、神様の公正なやり方に反するのではないでしょうか。 いいえ、そんなことはありません。
なぜなら、彼らが自分の罪を帳消しにしてくださったイエス様を信じたという事実に基づいて、神様はそうなさるからです。
それでは、救われるために、私たちは何か誇れるようなことをしたでしょうか。 何もしていません。 なぜでしょう。
私たちは自分の善行によって無罪とされるのではないからです。
それは、キリストが成し遂げてくださったことと、キリストに対する私たちの信仰に基づいているのです。 つまり、私たちが救われるのは、
キリストを信じる信仰だけによるのであって、善行によるのではありません。
ローマ人への手紙3章
550 :
神:2010/10/23(土) 10:50:10 ID:v0DplRwZO
犯罪者だろうが悪だろうが正義だろうがどうでもいいんだよ
早く終わせバカ
小澤美恵子きめえ
神のみこころによりキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟テモテとから、コリントにある神の教会、
ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ。
わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。
神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、 神に慰めていただくその慰めをもって、
あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのです。
それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、
キリストによって満ちあふれているからです。
わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救いとのためであり、慰めを受けるなら、
それはあなたがたの慰めのためであって、 その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となります。
だから、あなたがたに対していだいているわたしたちの望みは、動くことがありません。
あなたがたが、わたしたちと共に苦難にあずかっているように、慰めにも共にあずかっていることを知っているからです。
愛する兄弟のみなさん。わたしたちがアジヤで会った患難を、知らずにいてもらいたくない。
わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みを失ってしまい、 心のうちで死を覚悟しました。
そして自分自身を頼みとしないで、死人を復活させてくださった神様を頼みとするに至ったのです。
神様はこのような死の危険から、わたしたちを救い出して下さり、また救い出して下さるでしょう。
わたしたちは、神様が今後も救い出して下さることを望んでいます。 そして、あなたがたもまた、祈りをもって、
いっしょに、わたしたちを助けてくれるでしょう。
これは多くの人たちの願いにより、わたしたちに授けられた恵みについて、多くの人が感謝をささげるようになるためです。
さて、わたしたちがこの世で、ことにあなたがたに対し、人間の知恵ではなく神様の恵みによって、
神様の神聖と真実によって行動してきたことは、実にわたしたちの誇りです。そして良心のあかしするところでもあります。
わたしたちが書いていることは、あなたがたが読んで理解できないことではありません。
それを完全に理解してくれるように、わたしは希望します。わたしたちの主イエスの日に、あなたがたがわたしたちの誇りであるように、
わたしたちもあなたがたの誇りであることはある程度理解してくれていると思います。
この確信をもって、わたしたちはもう一度恵みを得させたいのです
神様は、わたしたちに証印を押し、その保証として、わたしたちの心に聖霊を授けてくださいました。
わたしは自分の魂をかけ、神様を証人に呼び求めて言いますが、わたしがコリントに行かないのは、あなたがたに対して寛大でありたいためです。
わたしたちは、あなたがたの信仰を支配する者ではなく、あなたがたの喜びのために共に働いている者にすぎません。
あなたがたは、信仰に堅く立っているからです。
神様に感謝しよう。神様はいつも私たちを、勝利の行進に加えてくださいました。
わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのです。
わたしたちは、救われる人にとっても滅びる人にとっても、神様に対するキリストの香りなのです。
後者にとっては、死から死に至らせる香りであり、前者にとっては、いのちからいのちに至らせる香りです。
このような任務にふさわしい人とは、いったいどんな人でしょうか。
私たちは、多くの人のように、神様の御言葉に混ぜ物をして売るようなことはせず、
真心から、また神様によって、神様の御前でキリストにあって語るのです。
神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされました。 それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者です。
文字は人を殺し、霊は人を生かす。
もし石に彫りつけた文字による死の務めが栄光のうちに行われ、そのためイスラエルの子らは、 モーセの顔の消え去るべき栄光のゆえに、
その顔を見つめることができなかったとすれば、 まして霊の務めは、はるかに栄光あるものではないでしょうかか。
もし罪を宣告する務めが栄光あるものだとすれば、義を宣告する務は、はるかに栄光に満ちたものです。
そして、すでに栄光を受けたものも、この場合、はるかにまさった栄光のまえに、その栄光を失ったのです。
もし消え去るべきものが栄光をもって現れたのなら、まして永存すべきものは、もっと栄光のあるべきものです。
こうした望みをいだいているので、わたしたちは思いきって大胆に語り、 そしてモーセが、 消え去っていくものの最後をイスラエルの子らに
見られまいとして、 顔におおいをかけたようなことはしない。
実際、彼らの思いは鈍くなっていた。今日に至るまで、彼らが古い契約を朗読する場合、 その同じおおいが取り去られないままで残っています。
それは、キリストにあってはじめて取り除かれるからです。今日に至るもなお、 モーセの書が朗読されるたびに、
おおいが彼らの心にかかっている。
しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれます。主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由があります。
わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていきます。
これは霊なる主の働きによるのです。
このようにわたしたちは、あわれみを受けてこの務めについているのですから、落胆せずに、 恥ずべき隠れたことを捨て去り、
悪巧みによって歩かず、神の御言葉を曲げず、真理を明らかにし、神のみまえに、すべての人の良心に自分を推薦します。
もしわたしたちの福音がおおわれているなら、滅びる者たちにとっておおわれているのです。
彼らの場合、この世の神が不信者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしています。
しかし、わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。
わたしたち自身は、 ただイエス様のために働くあなたがたのしもべにすぎません。
「暗闇の中から光よ、輝き出せ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝き渡る神の栄光の知識を明らかにするために、
わたしたちの心を照して下さったのです。
しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、
わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためです。
わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まることはありません。
迫害に会っても見捨てられず、倒されても滅びない。 いつもイエス様の死をこの身に負っています。
それはまた、イエス様のいのちが、この身に現れるためであり、 わたしたち生きている者は、
イエス様のために絶えず死に渡されているからです。
それはイエス様のいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためです。
こうして、死はわたしたちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。
「わたしは信じた。それゆえに語った」としるしてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、
わたしたちも信じています。それゆえに語ります。
それは、主イエスをよみがえらせたかたが、わたしたちをもイエス様と共によみがえらせ、そして、
あなたがたと共にみまえに立たせて下さることを、知っているからです。
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、 神の栄光となります。
だから、わたしたちは落胆しない。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、
永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくからです。
わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、
人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っています。
そして、天から賜わるその住まいを、上に着ようと切実に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえています。
それを着たなら、裸のままではいないでしょう。 この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえています。
それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためです。
わたしたちを、この事にかなう者にして下さったのは、神です。
そして、神はその保証として聖霊をわたしたちに賜わりました。
だから、わたしたちはいつも心強い。 そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っています。
わたしたちは、見えるものによらないで、 信仰によって歩いているのです。 コリント第二の手紙5章
イエス様はあなたを喜びあふれる天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。
Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりになって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
Dそして3日目によみがえられました。
☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
信じる人は神の義が与えられ裁かれることはありません。
☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
560 :
自治スレでローカルルール他を議論中:2010/10/23(土) 20:35:38 ID:brQQvujH0
毎回満月を見て宇宙の神秘を感じてくださいwwwwwwwwwwwwww気持ち悪い美恵子りん
主をほめたたえよ。その聖所で神をほめたたえよ。その御力の現れる大空で主をほめたたえよ。
その大能のはたらきのゆえに主をほめたたえよ。その優れて大いなることのゆえに主をほめたたえよ。
ラッパの声をもって主をほめたたえよ。立琴と琴とをもって主をほめたたえよ。
鼓と踊りとをもって主をほめたたえよ。緒琴と笛とをもって主をほめたたえよ。
音の高いシンバルをもって主をほめたたえよ。鳴り響くシンバルをもって主をほめたたえよ。
息のあるすべてのものに主をほめたたえさせよ。主をほめたたえよ。
(詩篇150:1-6)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
イエス様はあなたを喜びあふれる天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
神は人の罪に激怒しておられます。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。
Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりになって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
Dそして3日目によみがえられ、たくさんの人々に復活の姿で現れてくださいました。
☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
あなたに対する神の怒りはイエス様の十字架の死によってなだめられ収まりました。、
あなたの身代わりにイエスキリストが神から罰せられたからです。
人の罪に怒っておられた神は、キリストの十字架の死により人間との和解を提示されました。
イエス様を信じる人は永遠に罪が赦され、神の義が与えられ裁かれることはありません。
☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
主をほめたたえよ。その聖所で神をほめたたえよ。その御力の現れる大空で主をほめたたえよ。
その大能のはたらきのゆえに主をほめたたえよ。その優れて大いなることのゆえに主をほめたたえよ。
ラッパの声をもって主をほめたたえよ。立琴と琴とをもって主をほめたたえよ。
鼓と踊りとをもって主をほめたたえよ。緒琴と笛とをもって主をほめたたえよ。
音の高いシンバルをもって主をほめたたえよ。鳴り響くシンバルをもって主をほめたたえよ。
息のあるすべてのものに主をほめたたえさせよ。主をほめたたえよ。
(詩篇150:1-6)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
キリストにはかえられません
http://www.youtube.com/watch?v=VwoGIY03kpw&feature=related
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
イエス様はあなたを喜びあふれる天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
神は人の罪に激怒しておられます。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。
Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりになって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
Dそして3日目によみがえられました。
☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
あなたに対する神の怒りはイエス様の十字架の死によってなだめられ収まりました。、
あなたの身代わりにイエスキリストが神から罰せられたからです。
イエス様を信じる人は永遠に罪が赦され、神の義が与えられ裁かれることはありません。
☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
わがたましいよ、主をほめたたえよ。わがうちなるすべてのものよ、その聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ、主をほめたたえよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。
主はあなたのすべての不義をゆるし、あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを墓からあがないだし、いつくしみと、あわれみとをあなたに授け、あなたの生きながらえるかぎり、
良き物をもってあなたを飽き足らせられる。
こうしてあなたは若返り、鷲のように新しくなっていく。
詩篇103:1-5
イエス様はあなたを喜びあふれる天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
神は人の罪に激怒しておられます。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。
Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりになって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
Dそして3日目によみがえられました。
☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
あなたに対する神の怒りはイエス様の十字架の死によってなだめられ収まりました。、
あなたの身代わりにイエスキリストが神から罰せられたからです。
イエス様を信じる人は永遠に罪が赦され、神の義が与えられ裁かれることはありません。
☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
じっと携帯画面を見続ける暇人美恵子りん
偽善詐欺師のもとに集まる偽善者たち
偽の善人面パクリ婆
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
さて、キリストは死人の中からよみがえり復活されたと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、
死人のよみがえりなどはないと言っているのは、どうしたことなのですか。
死人の復活がないならば、キリストも復活されなかったでしょう。 もしキリストが復活されなかったとしたら、
わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。
すると、わたしたちは神様にそむく偽証人にさえなります。なぜなら、死人がよみがえり復活しないとしたら、
わたしたちは神様が復活させなかったはずのキリストを、復活させたと言って、神様に反するあかしを立てたことになるからです。
もし死人が復活しないなら、キリストも復活されなかったでしょう。
キリストが復活されなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになる。
そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。 もしわたしたちが、
この世の生活でキリストにあって単なる希望を抱いているだけだとすれば、
わたしたちは、すべての人の中で最も哀れな存在となります。
しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえり復活されました。
それは、死がひとりの人によって来たのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。
アダムにあるすべての人は死にますが、キリストにあるすべての人は生かされるのです。(コリント人への手紙15:12-22)
ただし、各自はそれぞれの順序に従わねばならない。最初はキリスト、次に、主の御来臨に際してキリストに属する者たち、
それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、
御国を父なる神様に渡されます。
なぜなら、キリストが王として支配なさるのは、敵を全滅させる時までだからです。
最後の敵として滅ぼされるのが、死です。 「神様は万物を彼の足もとに従わせた」と書いてあるからです。
しかし、万物を従わせたと言われる時、万物を従わせたかたがそれに含まれていないことは、明らかである。
そして、万物が神様に従う時には、神様の御子(みこ)ご自身もまた、万物を従わせたそのかたに従われます。
それは、神様がすべての者にあって、最高の存在となられるためです。(コリント人への手紙15:23-28)
そうでないとすれば、死者のためにバプテスマを受ける人々は、なぜそれをするのか。
死者が全くよみがえり復活しないとすれば、なぜ人々が死者のためにバプテスマを受けるのか。
また、なんのために、わたしたちはいつも危険を冒しているのか。
愛する皆さん。わたしたちの主キリスト・イエスにあって、わたしがあなたがたに持っている誇りにかけて言いますが、
わたしは日々、死に直面している。
もし、わたしが人間の考えによってエペソで獣と戦ったとすれば、それはなんの役に立つだろうか。
もし死人が復活しないのなら、「わたしたちは飲み食いしようではないか。あすもわからぬ命だ」。
まちがってはいけない。「悪い交際は、良い習慣を損ないます」。目ざめて身を正し、罪を犯さないようにしなさい。
あなたがたのうちには、神様について無知な人々がいる。あなたがたをはずかしめるために、わたしはこう言うのです。(コリント人への手紙15:29-34)
しかし、ある人はこう言うでしょう。「どんなふうにして、死人はよみがえるのか。どんな体になるのだろうか」。
なんとばからしい質問でしょう。畑を見れば、わかるではありませんか。
蒔いた種は、まず死ななければ、芽を出さない。 そして、その種から出る緑の芽は、初めの種とは全く別物です。
土に蒔くのは、麦でも何でも、干からびた小さな種粒だからです。
ところが、神様は御心のままに、これに体を与え、その一つ一つの種にそれぞれの体をお与えになります。
すべての肉が、同じ肉なのではありません。
人の肉があり、獣の肉があり、鳥の肉があり、魚の肉があります。 天にある体もあれば、地の体もあるのです。
天にいる者の栄光は、地に属する者の栄光と違っています。 日の栄光があり、月の栄光があり、星の栄光がある。
また、この星とあの星との間に、栄光の差があります。 死人の復活も、また同様です。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえり、
卑しいもので蒔かれ、輝かしい栄光あるものによみがえり、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえり、
生まれながらの肉の体で蒔かれ、聖霊の体によみがえり復活するのです。生まれながらの肉の体があるのだから、聖霊の体もあります。(コリント第一の手紙15:35-44)
旧約聖書に、「最初の人アダムは、自然のままの人間の体を与えられた」と書いてあります。
しかし最後のアダムは命を与える霊となられました。
最初にあったのは霊ではなく、自然の生まれつきのままの肉の性質ですが、霊は後から来られるのです。
第一の人は地から出て土に属し、第二の人は天から来られます。
土に属する人は、土に属している人々に等しく、天に属する人は、天に属している人々に等しい。 すなわち、わたしたちは、
土に属している形をとっているのと同様に、天に属する形をとるでしょう。
愛する皆さん。わたしはこの事を言っておきます。生まれながらの肉の性質の体は神様の御国を受け継ぐことはできないし、
朽ちるものは朽ちないものを受け継ぐことはできません。(コリント第一の手紙15:45-50)
ここで、あなたがたに神秘を告げよう。すべてわたしたちは、眠りにつくのではありません。
終りのラッパが鳴り響きわたると共に、瞬く間に、一瞬にして変えられます。
ラッパが鳴り響きわたると、死者は朽ちない者によみがえり復活し、わたしたちはみな、変えられます。
なぜなら、死ぬべき今の体は、決して死ぬことのない、永遠に生きる体を必ず着ることになるからです。
この朽ちるものが不朽を着、この死ぬものが不死を着るとき、聖書に書いてある御言葉が成就します。
「死は勝利に飲み込まれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。 しかし神様に感謝しよう。わたしたちの主イエス・キリストによって、
わたしたちに勝利を授けてくださったからです。
こういうわけで、愛する兄弟のみなさん。堅く立って動揺されることなく、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。
主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからです。
(コリント人への手紙15:51-58)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
わがたましいよ、主をほめたたえよ。わがうちなるすべてのものよ、その聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ、主をほめたたえよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。
主はあなたのすべての不義をゆるし、あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを墓からあがないだし、いつくしみと、あわれみとをあなたに授け、あなたの生きながらえるかぎり、
良き物をもってあなたを飽き足らせられる。
こうしてあなたは若返り、鷲のように新しくなっていく。
詩篇103:1-5
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、
私たちも彼を尊ばなかった。
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを背負った。だが、私たちは思った。
彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちの背きの罪のために刺し通され、私たちの罪咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての罪咎を
彼に負わせた。
彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、
彼は口を開かない。
虐げと、裁きによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民の背きの罪のために打たれ、
生ける者の地から絶たれたことを。
彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。
しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを 罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、
子孫を見ることができ、主の御心は彼によって成し遂げられる。
彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。
わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を神の御前に正しい者とし、彼らの罪咎を彼がになう。
それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。
彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。
イザヤ 53
「神様は人をかたより見ないかたで、 神様を礼拝し、また良い行ないをしている人はどの国民でも
受けいれて下さることが、ほんとうによくわかってきました。
あなたがたは、神様がすべての者の主なるイエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、
イスラエルの子たちにお送り下さった御言葉をご存じでしょう。
それは、ヨハネがバプテスマを説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ全土にひろまった福音をのべたものです。
神様はナザレのイエス様に聖霊と御力とを注がれました。このイエス様は、神様が共におられるので、
よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました。
わたしたちは、イエス様がこうしてユダヤ人の地やエルサレムでなさったすべてのことの証人です。
人々はこのイエス様を木にかけて殺したのです。
しかし神様はイエス様を三日目によみがえらせ、 全部の人々にではなかったが、わたしたち証人として
あらかじめ選ばれた者たちに現れるようにして下さいました。
わたしたちは、イエス様が死人の中からよみがえり復活された後、共に飲み、食事をしました。
それから、イエス様ご自身が生者と死者との審判者として神様に定められたかたであることを、人々に宣べ伝え、
またあかしするようにと、神様はわたしたちにお命じになったのです。
預言者たちもみな、イエス様を信じる者はことごとく、その御名によって罪のゆるしが受けられると、あかしをしています」。
ペテロがこれらの御言葉をまだ語り終えないうちに、それを聞いていたみんなの人たちに、聖霊がご降臨された。
「私たちは、この御子のうちにあって、 御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。
これは神の豊かな恵みによることです。」
エペソ人への手紙1章7
イエスキリストのみことば
「わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、また裁かれることがなく、
死から命に移っています。」
イエス様はあなたを喜びあふれる天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりになって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
そして3日目によみがえられました。
☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
信じる人は神の義が与えられ裁かれることはありません。
☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
今日の暇人おばさん美恵子りんの挨拶祭は7時スタート
現在も続いている
大嘘吐の臭いがプンプン美恵子りん
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
パウロとシルワノとテモテから、わたしたちの父なる神と主イエス・キリストとにあるテサロニケ人たちの教会へ。
父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
愛する兄弟たちよ。わたしたちは、いつもあなたがたのことを神様に感謝せずにはいられません。またそうするのが当然です。
それは、あなたがたの信仰が大いに成長し、あなたがたひとりびとりの愛が、お互いの間に増し加わっているからです。
そのために、わたしたち自身は、あなたがたがいま受けているあらゆる迫害と患難とのただ中で示している忍耐と信仰とにつき、
神様の諸教会に対してあなたがたを誇りとしています。 これは、あなたがたを、神様の御国にふさわしい者にしようとする
神の裁きが正しいことを、証拠だてるものです。その神の御国のために、あなたがたも苦闘しているのです。(テサロニケ第二の手紙1:1-5)
すなわち、あなたがたを悩ます者には患難をもって報復し、悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、
休息をもって報酬を授けて下さるのが、神様にとって正しいことだからです。
それは、主イエスが炎の中から力ある天使たちを率いて天から出現される時に実現します。 その時、主は神様を認めない者たちや、
わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し、 そして、彼らは主の御顔とその御力の栄光から退けられて、
永遠の滅亡に至る刑罰を受けます。 その日に、イエス様はご降臨され、聖徒たちの中であがめられ、すべて信じる者たちの間で驚きと
感激の的となられます。わたしたちのこのあかしは、あなたがたによって信じられているのです。
このためにまた、わたしたちは、わたしたちの神様があなたがたを召すにふさわしい者とし、良い行いに対するあらゆる願いと信仰の働きとを
力強く満たして下さるよう、あなたがたのために絶えず祈っています。
それは、わたしたちの神様と主イエス・キリストとの恵みによって、わたしたちの主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、
あなたがたも主にあって栄光を受けるためです。(テサロニケ第二の手紙1:6-12)
イエス様はあなたを喜びあふれる天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
神は人の罪に激怒しておられます。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。
Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりになって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
Dそして3日目によみがえられました。
☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
あなたに対する神の怒りはイエス様の十字架の死によってなだめられ収まりました。、
あなたの身代わりにイエスキリストが神から罰せられたからです。
イエス様を信じる人は永遠に罪が赦され、神の義が与えられ裁かれることはありません。
☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
イエス様はあなたを喜びあふれる天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。
Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりの生贄になって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
Dそして3日目によみがえられました。
☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
キリストを信じる人はすべての罪が永遠にゆるされ神の義が与えられ、裁かれることはありません。
☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして王国が与えられ、あなたは王となり、祭司となり、永遠の支配権がキリストから与えられます。
さらに天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
キリスト・イエスのしもべたち、パウロとテモテから、ピリピにいる、キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、
ならびに監督たちと執事たちの皆さんへ。 わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにありますように。
わたしはあなたがたを思うたびに、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈るとき、いつも喜びをもって祈り、
あなたがたが最初の日から今日に至るまで、福音にあずかっていることを感謝しています。 そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、
キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信しているのです。
わたしが、あなたがた一同のために、そう考えるのは当然です。それは、わたしが牢獄に捕われている時にも、福音を弁明し立証する時にも、
あなたがたをみな、共に恵みにあずかる者として、わたしの心に深く留めているからです。
わたしがキリスト・イエスの熱い愛をもって、どんなに深くあなたがた一同を思っていることか、それを証明して下さるかたは神です。
わたしはこう祈ります。あなたがたの愛が、深い知識において、鋭い感覚において、いよいよ増し加わり、それによって、
あなたがたが、何が重要であるかを判断することができ、キリストの日に備え、純真で責められるところのないものとなり、
イエス・キリストによる義の果実に満たされて、神の栄光とほまれとをあらわすに至るようにと。(ピリピ人への手紙1:1-11)
さて、愛する兄弟たちよ。わたしの身に起った事が、むしろ福音の前進に役立つようになったことを、
あなたがたに知ってもらいたい。 すなわち、わたしが牢獄に捕われているのはキリストのためであることが、兵営全体にも
そのほかのすべての人々にも明らかになり、 そして兄弟たちのうち多くの人は、わたしの入獄によって主にある確信を得、恐れることなく、
ますます勇敢に、神の御言葉を語るようになったからです。 一方では、ねたみや闘争心からキリストを宣べ伝える者がおり、
他方では善意からそうする者がいます。 後者は、わたしが福音を弁明するために立てられていることを知り、愛の心でキリストを伝え、 前者は、
わたしの入獄の苦しみに更に患難を加えようと思って、純真な心からではなく、党派心からそうしています。
すると、どうなのですか。見栄からであるにしても、真実からであるにしても、要するに、伝えられているのはキリストなのだから、
わたしはそれを喜んでいるし、また喜ぶでしょう。
なぜなら、あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の助けとによって、この事がついには、わたしの救いとなることを知っているからです。
(ピリピ人への手紙1:12-19)
そこで、わたしが切なる思いで待ち望むことは、わたしが、どんなことがあっても恥じることなく、かえって、いつものように今も、
大胆に語ることによって、生きるにしても、また死ぬにしても、わたしの身によってキリストがあがめられることです。
わたしにとっては、生きることはキリスト、死ぬことは有益です。
しかし、肉体において生きていることが、わたしにとっては実り多い働きになるとすれば、わたしはどちらを選んだらよいかわからない。
わたしは、これら二つのものの間に板ばさみになっています。
わたしの願いを言いましょう。それは、この世を去ってキリストと共にいることです。実は、その方がはるかに望ましいからです。
しかし、肉体にとどまっていることは、あなたがたのためには、さらに必要でしょう。
こう確信しているので、わたしは生きのびて、あなたがた一同のところにとどまり、あなたがたの信仰を成長させ、その喜びを得させようと思っています。
そうなれば、わたしが再びあなたがたのところに行くので、あなたがたはわたしによってキリスト・イエスにある誇りを増すことになるでしょう。
(ピリピ人への手紙1:20-26)
ただ、あなたがたはキリストの福音にふさわしく生活しなさい。そして、わたしが行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、
あなたがたが一つの霊によって堅く立ち、一つの心になって福音の信仰のために力を合わせて戦い、 そして、何事についても、
敵対する者たちに狼狽させられないでいる様子を、聞かせてほしい。このことは、彼らには滅びのしるし、あなたがたには救いのしるしであって、
それは神様から来るのです。
あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむことをも賜わっています。
あなたがたは、さきにわたしについて見、今またわたしについて聞いているのと同じ苦闘を、続けているのです。
(ピリピ人への手紙1:27-30)
そこで、あなたがたに、キリストによる勧め、愛の励ましあい、聖霊の交わり、熱愛とあわれみとが、いくらかでもあるなら、
どうか同じ思いとなってほしい。同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つの思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。
何事も党派心や虚栄心から行動してはならない。謙虚な心をもってお互いに人を自分より優れた者としなさい。
お互い、自分のことばかりでなく、ほかの人のことも考えなさい。
キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互いに生かしなさい。
キリストは、神の身分であられたが、神と同じ者であることを固守すべきとは思われず、かえって、ご自分を無くし、
しもべとなられ、人間の姿をとられました。その有様は人と異ならず、ご自分を低くして、死に至るまで、
しかも十字架の死に至るまで従順であられました。 それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる御名を彼に賜わったのです。
それは、イエス様の御名によって、天の上にあるもの、地上のもの、地下のもの、そしてあらゆるものがひざをかがめ、
また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白し、栄光を父なる神に帰するためなのです。(ピリピ人への手紙2:1-11)
わたしの愛する人たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、
いない今は、いっそう従順でいて、おそれへりくだって自分の救いの達成に努めなさい。
あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、そして実現に至らせてくださるのは神であって、
それは神のよしとされるところだからです。すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい。
それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲った邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子供となるためです。
あなたがたは、いのちの御言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世で輝いています。
このようにして、キリストの日に、わたしは自分の走ったことが無駄でなく、苦労したことも無駄ではなかったと誇ることができます。
(ピリピ人への手紙2:12-16)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
「キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえをささげた後、神の右に座し、
それから、敵をその足台とするときまで、待っておられます。
彼は一つのささげ物によって、清められた人たちを永遠に完全な者とされたのです。」
ヘブル人への手紙10章
聖霊もまた、わたしたちにあかしをして、 こう言われます。
「わたしが、それらの日の後、彼らに対して立てようとする契約はこれであると、主が言われる。
わたしの律法を彼らの心に与え、彼らの思いのうちに書きつけよう」と。
さらに、「もはや、彼らの罪と彼らの不法とを、思い出すことはしない」と述べておられます。
ヘブル人への手紙10章
イエス様はあなたを喜びあふれる天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。
Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりの生贄になって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
Dそして3日目によみがえられました。
☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
キリストを信じる人はすべての罪が永遠にゆるされ神の義が与えられ、裁かれることはありません。
☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして王国が与えられ、あなたは王となり、祭司となり、永遠の支配権がキリストから与えられます。
さらに天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
つまらないというおまえの人生がつまらない
二度と人に対し言いたくないが断言する
つまらないというおまえの人生はこれから先決定的につまらない
つまらないつまらないつまらないつまらない
ぴくりともせずに口のだらしなく下がったぶうたれた顔で生きていけ
出てくるタイミングもビンゴ
主イエス・キリストの御言葉
「わたしの友であるあなたがたに言っておきます。からだを殺しても、そのあとでそれ以上
なにもできない者たちを恐れてはいけません。
恐れるべきかたがだれであるか教えてあげよう。殺したあとで、さらに地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。
そうです、あなたがたに言っておきます、そのかたを恐れなさい。
五羽のすずめは二アサリオンで売られているではありませんか。
しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいません。 その上、あなたがたの頭の毛までも、
みな数えられています。恐れることはありません。
あなたがたは多くのすずめよりも、優れた者ではありませんか。 そこで、あなたがたに言います。
だれでも人の前でわたしを受けいれる者は、人の子も神の天使たちの前で受けいれるでしょう。
しかし、人の前でわたしを拒否する者は、神の天使たちの前で拒否されることになるでしょう。」
(ルカ12:4-9)
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、
神様の栄光となるのです。だから、わたしたちは落胆しません。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。
なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりに
わたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくのです。
(コリント第二の手紙4:15-18)
わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエス様がいらっしゃるのですから、
わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではありませんか。
この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではありません。
罪は犯されませんでしたが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのです。
ですから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、
大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
(ヘブル人への手紙4:11-16)
わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、
キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
(コリント第二の手紙12:9-10)
神は、神を愛する人たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、
万事を益となるようにして下さることを、 わたしたちは知っています。
神はあらかじめ知っておられる者たちを、さらに神の御子のかたちに似たものとしようとして、
あらかじめ定めて下さいました。それは、神の御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであったのです。
そして、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召され人たちをさらに正しい者とし、
正しいと認められた人たちには、 さらに栄光を与えて下さいました。
それでは、これらの事からなんと言えるでしょうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、
だれがわたしたちに敵対できるでしょうか。
ご自身の御子(みこ)をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、
どうして、 神の御子といっしょに万物をも賜わらないことがありましょうか。
だれが、神に選ばれた人たちを訴えるのですか。 神は彼らを正しい者と認めてくださるのです。
だれが、わたしたちを罪に定めるのですか。
キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえり復活されて、 神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなしてくださるのです。
だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、 飢え、裸、危難、剣ですか。
「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。
しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において圧倒的勝利者となるのです。
わたしはこう確信します。死もいのちも、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 高いものも深いものも、
その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにある神様の愛から、 わたしたちを引き離すことはできません。
(ローマ人への手紙8:35-39)
622 :
自治スレでローカルルール他を議論中:2010/10/29(金) 18:50:08 ID:0z4fRFi2O
キリストの両親
ヨゼフとマリアはたいしたもんだ
LORD JESUS CHRIST IS MY SAVIOR.
PRAISE THE LORD. HE BRING US ETERNAL LIFE & KINGDOM OF HEAVEN.
I PRAISE HIM FOREVER & EVER.
THANK YOU, HIS HOLINESS LORD JESUS CHRIST.
AMEN.
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
神のみこころによりキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟テモテとから、コリントにある神の教会、
ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ。
わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。
神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、 神に慰めていただくその慰めをもって、
あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのです。
それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、
キリストによって満ちあふれているからです。
わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救いとのためであり、慰めを受けるなら、
それはあなたがたの慰めのためであって、 その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となります。
だから、あなたがたに対していだいているわたしたちの望みは、動くことがありません。
あなたがたが、わたしたちと共に苦難にあずかっているように、慰めにも共にあずかっていることを知っているからです。
愛する兄弟のみなさん。わたしたちがアジヤで会った患難を、知らずにいてもらいたくない。
わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みを失ってしまい、 心のうちで死を覚悟しました。
そして自分自身を頼みとしないで、死人を復活させてくださった神様を頼みとするに至ったのです。
神様はこのような死の危険から、わたしたちを救い出して下さり、また救い出して下さるでしょう。
わたしたちは、神様が今後も救い出して下さることを望んでいます。 そして、あなたがたもまた、祈りをもって、
いっしょに、わたしたちを助けてくれるでしょう。
これは多くの人たちの願いにより、わたしたちに授けられた恵みについて、多くの人が感謝をささげるようになるためです。
さて、わたしたちがこの世で、ことにあなたがたに対し、人間の知恵ではなく神様の恵みによって、
神様の神聖と真実によって行動してきたことは、実にわたしたちの誇りです。そして良心のあかしするところでもあります。
わたしたちが書いていることは、あなたがたが読んで理解できないことではありません。
それを完全に理解してくれるように、わたしは希望します。わたしたちの主イエスの日に、あなたがたがわたしたちの誇りであるように、
わたしたちもあなたがたの誇りであることはある程度理解してくれていると思います。
この確信をもって、わたしたちはもう一度恵みを得させたいのです
神様は、わたしたちに証印を押し、その保証として、わたしたちの心に聖霊を授けてくださいました。
わたしは自分の魂をかけ、神様を証人に呼び求めて言いますが、わたしがコリントに行かないのは、あなたがたに対して寛大でありたいためです。
わたしたちは、あなたがたの信仰を支配する者ではなく、あなたがたの喜びのために共に働いている者にすぎません。
あなたがたは、信仰に堅く立っているからです。
神様に感謝しよう。神様はいつも私たちを、勝利の行進に加えてくださいました。
わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのです。
わたしたちは、救われる人にとっても滅びる人にとっても、神様に対するキリストの香りなのです。
後者にとっては、死から死に至らせる香りであり、前者にとっては、いのちからいのちに至らせる香りです。
このような任務にふさわしい人とは、いったいどんな人でしょうか。
私たちは、多くの人のように、神様の御言葉に混ぜ物をして売るようなことはせず、
真心から、また神様によって、神様の御前でキリストにあって語るのです。
神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされました。 それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者です。
文字は人を殺し、霊は人を生かす。
もし石に彫りつけた文字による死の務めが栄光のうちに行われ、そのためイスラエルの子らは、 モーセの顔の消え去るべき栄光のゆえに、
その顔を見つめることができなかったとすれば、 まして霊の務めは、はるかに栄光あるものではないでしょうかか。
もし罪を宣告する務めが栄光あるものだとすれば、義を宣告する務は、はるかに栄光に満ちたものです。
そして、すでに栄光を受けたものも、この場合、はるかにまさった栄光のまえに、その栄光を失ったのです。
もし消え去るべきものが栄光をもって現れたのなら、まして永存すべきものは、もっと栄光のあるべきものです。
こうした望みをいだいているので、わたしたちは思いきって大胆に語り、 そしてモーセが、 消え去っていくものの最後をイスラエルの子らに
見られまいとして、 顔におおいをかけたようなことはしない。
実際、彼らの思いは鈍くなっていた。今日に至るまで、彼らが古い契約を朗読する場合、 その同じおおいが取り去られないままで残っています。
それは、キリストにあってはじめて取り除かれるからです。今日に至るもなお、 モーセの書が朗読されるたびに、
おおいが彼らの心にかかっている。
しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれます。主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由があります。
わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていきます。
これは霊なる主の働きによるのです。
このようにわたしたちは、あわれみを受けてこの務めについているのですから、落胆せずに、 恥ずべき隠れたことを捨て去り、
悪巧みによって歩かず、神の御言葉を曲げず、真理を明らかにし、神のみまえに、すべての人の良心に自分を推薦します。
もしわたしたちの福音がおおわれているなら、滅びる者たちにとっておおわれているのです。
彼らの場合、この世の神が不信者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしています。
しかし、わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。
わたしたち自身は、 ただイエス様のために働くあなたがたのしもべにすぎません。
「暗闇の中から光よ、輝き出せ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝き渡る神の栄光の知識を明らかにするために、
わたしたちの心を照して下さったのです。
しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、
わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためです。
わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まることはありません。
迫害に会っても見捨てられず、倒されても滅びない。 いつもイエス様の死をこの身に負っています。
それはまた、イエス様のいのちが、この身に現れるためであり、 わたしたち生きている者は、
イエス様のために絶えず死に渡されているからです。
それはイエス様のいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためです。
こうして、死はわたしたちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。
「わたしは信じた。それゆえに語った」としるしてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、
わたしたちも信じています。それゆえに語ります。
それは、主イエスをよみがえらせたかたが、わたしたちをもイエス様と共によみがえらせ、そして、
あなたがたと共にみまえに立たせて下さることを、知っているからです。
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、 神の栄光となります。
だから、わたしたちは落胆しない。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、
永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからです。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、
見えないものは永遠につづくからです。
わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、
人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っています。
そして、天から賜わるその住まいを、上に着ようと切実に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえています。
それを着たなら、裸のままではいないでしょう。 この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえています。
それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためです。
わたしたちを、この事にかなう者にして下さったのは、神です。
そして、神はその保証として聖霊をわたしたちに賜わりました。
だから、わたしたちはいつも心強い。 そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っています。
わたしたちは、見えるものによらないで、 信仰によって歩いているのです。 コリント第二の手紙5章
イエス様はあなたを喜びあふれる天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。
Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりの生贄になって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
Dそして3日目によみがえられました。
☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
あなたの罪に対する神の怒りは、キリストが十字架で身代わりに受けてくださいました。
イエス様の十字架により、神様の怒りはなだめられ、神の怒りはおさまりました。
イエス様が十字架であなたの罪をあがなってくださったので、あなたは神と和解できます。
キリストを信じる人はすべての罪が永遠にゆるされ神の義が与えられ、裁かれることはありません。
☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして王国が与えられ、あなたは王となり、祭司となり、永遠の支配権がキリストから与えられます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
今日の美恵子りんの廃人度は 19.2%
主をほめたたえよ。その聖所で神をほめたたえよ。その御力の現れる大空で主をほめたたえよ。
その大能のはたらきのゆえに主をほめたたえよ。その優れて大いなることのゆえに主をほめたたえよ。
ラッパの声をもって主をほめたたえよ。立琴と琴とをもって主をほめたたえよ。
鼓と踊りとをもって主をほめたたえよ。緒琴と笛とをもって主をほめたたえよ。
音の高いシンバルをもって主をほめたたえよ。鳴り響くシンバルをもって主をほめたたえよ。
息のあるすべてのものに主をほめたたえさせよ。主をほめたたえよ。
(詩篇150:1-6)
聖歌570番 雨をふりそそぎ
http://il.youtube.com/watch?v=AHNHWPt4xBk&feature=related
主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。
たとい、私に向かって陣営が張られても、私の心は恐れない。たとい、戦いが私に向かって起こっても、それにも、私は動じない。
私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。
私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。
それは、主が、悩みの日に私を隠れ場に隠し、その幕屋のひそかな所に私をかくまい、岩の上に私を上げてくださるからだ。
今、私のかしらは、私を取り囲む敵の上に高く上げられる。私は、その幕屋で、喜びのいけにえをささげ、歌うたい、主に、ほめ歌を歌おう。
聞いてください。
主よ。私の呼ぶこの声を。私をあわれみ、私に答えてください。(詩篇 27篇)
讃美歌2編 167番 われをもすくいし Amazing Grace(Japanese)
http://www.youtube.com/watch?v=iPMVKkNn1ro&feature=related
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
おもしろすぎあれは完全に病院通いで投薬中だwwwww
イエス様はあなたを喜びあふれる天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。
Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりの生贄になって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
Dそして3日目によみがえられました。
☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
あなたの罪に対する神の怒りは、キリストが十字架で身代わりに受けてくださいました。
イエス様の十字架により、神様の怒りはなだめられ、神の怒りはおさまりました。
イエス様が十字架であなたの罪をあがなってくださったので、あなたは神と和解できます。
キリストを信じる人はすべての罪が永遠にゆるされ神の義が与えられ、裁かれることはありません。
☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして王国が与えられ、あなたは王となり、祭司となり、永遠の支配権がキリストから与えられます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
主をほめたたえよ。主にむかって新しい歌をうたえ。聖徒のつどいで、主の誉を歌え。
イスラエルにその造り主を喜ばせ、シオンの子らにその王を喜ばせよ。
彼らに踊りをもって主のみ名をほめたたえさせ、鼓と琴とをもって主をほめ歌わせよ。
主はおのが民を喜び、へりくだる者を勝利をもって飾られるからである。
聖徒を栄光によって喜ばせ、その床の上で喜び歌わせよ。
そののどには神をあがめる歌があり、その手にはもろ刃のつるぎがある。
これはもろもろの国にあだを返し、もろもろの民を懲らし、
彼らの王たちを鎖で縛り、彼らの貴人たちを鉄のかせで縛りつけ、しるされたさばきを彼らに行うためである。
これはそのすべての聖徒に与えられる誉である。主をほめたたえよ。(詩篇149:1-9)
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは神の御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
イエスキリストのみことば
「わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、
また裁かれることがなく、 死から命に移っています。」
わたしたちは皆、この方の満ち溢れる豊かさの中から、恵みの上に、さらなる恵みを受けました。
律法はモーセを通して与えられましたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからです。
ヨハネ 1:16,17
その後、神は裁き人たちをおつかわしになり、預言者サムエルの時にまで及びました。
その時、人々が王を要求したので、神はベニヤミン族の人、キスの子サウロを四十年間、
彼らにおつかわしになったのです。
それから神はサウロを退け、ダビデを立てて王とされました。彼については、こうあかしをなさいました。
『わたしはエッサイの子ダビデを見い出した。彼はわたしの心にかなった人で、わたしの思うところを、
ことごとく実行してくれるであろう』と、このように仰せられたのです。
神は約束にしたがって、このダビデの子孫の中から救い主イエス様をイスラエルに送られましたが、
ご来臨される以前に、ヨハネがイスラエルの全住民に悔改めのバプテスマを、
あらかじめ宣べ伝えていました。
ヨハネはその一生の行程を終ろうとするにあたって、こう言いました、『わたしは、あなたがたが
考えているような者ではありません。しかし、わたしのあとからいらっしゃるかたがおられる。
わたしはそのかたのくつを脱がせてあげる値うちもない』。
(使徒行伝13:21-26)
あのキチガイおばさんは自分のことではないとわかってどうやら安心したらしいwwwwwwwwwww
その後、神は裁き人たちをおつかわしになり、預言者サムエルの時にまで及びました。
その時、人々が王を要求したので、神はベニヤミン族の人、キスの子サウロを四十年間、
彼らにおつかわしになったのです。
それから神はサウロを退け、ダビデを立てて王とされました。彼については、こうあかしをなさいました。
『わたしはエッサイの子ダビデを見い出した。彼はわたしの心にかなった人で、わたしの思うところを、
ことごとく実行してくれるであろう』と、このように仰せられたのです。
神は約束にしたがって、このダビデの子孫の中から救い主イエス様をイスラエルに送られましたが、
ご来臨される以前に、ヨハネがイスラエルの全住民に悔改めのバプテスマを、
あらかじめ宣べ伝えていました。
ヨハネはその一生の行程を終ろうとするにあたって、こう言いました、『わたしは、あなたがたが
考えているような者ではありません。しかし、わたしのあとからいらっしゃるかたがおられる。
わたしはそのかたのくつを脱がせてあげる値うちもない』。
(使徒行伝13:21-26)
愛する兄弟たちよ、アブラハムの子孫のかたがた、ならびに皆さんの中の神を敬う人たちよ。
この救いの御言葉はわたしたちに贈られましたが、エルサレムに住む人々やその指導者たちは、
イエス様を認めずに死刑にし、それによって、安息日が来るたびに朗読する預言者の御言葉が成就しました。
まったく死に当る理由が何も見いだせなかったにもかかわらず、ピラトに強要してイエス様を殺してしまいました。
そして、イエス様について書いてあることを、すべて成し遂げてから、人々はイエス様を木から取りおろして
墓に葬り去りました。 しかし、神はイエス様を死人の中から、よみがえらせてくださったのです。
その後イエス様は、ガリラヤからエルサレムへ一緒に上った人たちに、幾日ものあいだ現れになり、
彼らは今や、人々に対してイエス様の証人となっています。
わたしたちは、神が先祖たちに対してなされた約束を、ここに宣べ伝えているのです。
(使徒行伝13:26-32)
神は、イエス様をよみがえらせて、わたしたち子孫にこの約束を、お果しになりました。それは詩篇の第二篇に、
『あなたこそは、わたしの子。きょう、わたしはあなたを生んだ』と書いてあるからです。
また、神がイエス様を死人の中からよみがえらせて、いつまでも朽ち果てないものとされたことについては、
こう言われました。
『わたしは、ダビデに約束した確かな聖なる祝福を、あなたがたに授けよう』と。
だから、ほかの箇所でもこう言っておられます、
『あなたの聖者が朽ち果てるようなことは、お許しにならないであろう』。 事実、ダビデは、その時代の
人々に神の御心にしたがって仕えましたが、やがて眠りにつき、先祖たちの中に加えられて、
ついに朽ち果ててしまいました。 しかし、神がよみがえらせたかたは、朽ち果てることがなかったのです。
(使徒行伝13:33-37)
だから、愛する兄弟たちよ、この事を承知してください。すなわち、このイエス様による罪のゆるしの福音が、
今やあなたがたに宣べ伝えられています。
そして、モーセの律法では神の御前に正しい者と認められることができなかったすべての事についても、
信じる者はもれることなく、イエス様によって神の御前に正しい者と認められるのです。
だから預言者たちの書に書いてある次のようなことが、あなたがたの身に起らないように気をつけなさい。
『見よ、侮る者たちよ。驚け、そして滅び去るがいい。わたしは、あなたがたの時代に一つの事をしよう。
それは、人がどんなに説明して言い聞かせても、あなたがたにはとうてい信じられない事である』」。
ふたりが会堂を出る時、人々は次の安息日にも、これと同じ話をしてくれるようにと、しきりに願った。
そして集会が終ってからも、大ぜいのユダヤ人や信仰深い改宗者たちが、パウロとバルナバとに
ついてきたので、ふたりは、彼らが引きつづき神の恵みにとどまっているようにと、説きすすめた。
そして次の安息日には、ほとんど全ての市をあげて、神の御言葉を聞きに集まってきた。
するとユダヤ人たちは、その群衆を見てねたましく思い、パウロの語ることに口汚く反対した。
(使徒行伝13:38-45)
パウロとバルナバは大胆に語りはじめた、「神の御言葉は、まず、あなたがたに語り伝えられなければならなかった。
しかし、あなたがたはそれを退け、自分自身を永遠の命にふさわしくない者にしてしまったのです。
だから、わたしたちはこれから方向をかえて、異邦人たちの方に行く。 主はわたしたちに、こう命じておられます、
『わたしは、あなたを立てて異邦人の光とした。あなたが地の果てまでも救いをもたらすためである』」。
異邦人たちはこれを聞いて喜び、主の御言葉をほめたたえてやまなかった。
そして、永遠の命にあずかるように定められていた人は、みな信じるようになった。
こうして、主の御言葉はこの地方全体にひろまって行った。
ところが、ユダヤ人たちは、信心深い貴婦人たちや町の有力者たちを煽動し、パウロとバルナバを迫害させ、ふ
たりをその地方から追放した。 ふたりは、彼らに向けて足のちりを払い落して、イコニオムへ行ったが、
弟子たちは、ますます喜びと聖霊とに満たされていた。
(使徒行伝13:46-52)
)愛する皆さん。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきたあの福音を、
思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。
(コリント人への手紙15:1-11)
さて、キリストは死人の中からよみがえり復活されたと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、
死人のよみがえりなどはないと言っているのは、どうしたことなのですか。
死人の復活がないならば、キリストも復活されなかったでしょう。 もしキリストが復活されなかったとしたら、
わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。
すると、わたしたちは神様にそむく偽証人にさえなります。なぜなら、死人がよみがえり復活しないとしたら、
わたしたちは神様が復活させなかったはずのキリストを、復活させたと言って、神様に反するあかしを立てたことになるからです。
もし死人が復活しないなら、キリストも復活されなかったでしょう。
キリストが復活されなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになる。
そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。 もしわたしたちが、
この世の生活でキリストにあって単なる希望を抱いているだけだとすれば、
わたしたちは、すべての人の中で最も哀れな存在となります。
しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえり復活されました。
それは、死がひとりの人によって来たのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。
アダムにあるすべての人は死にますが、キリストにあるすべての人は生かされるのです。(コリント人への手紙15:12-22)
ただし、各自はそれぞれの順序に従わねばならない。最初はキリスト、次に、主の御来臨に際してキリストに属する者たち、
それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、
御国を父なる神様に渡されます。
なぜなら、キリストが王として支配なさるのは、敵を全滅させる時までだからです。
最後の敵として滅ぼされるのが、死です。 「神様は万物を彼の足もとに従わせた」と書いてあるからです。
しかし、万物を従わせたと言われる時、万物を従わせたかたがそれに含まれていないことは、明らかである。
そして、万物が神様に従う時には、神様の御子(みこ)ご自身もまた、万物を従わせたそのかたに従われます。
それは、神様がすべての者にあって、最高の存在となられるためです。(コリント人への手紙15:23-28)
そうでないとすれば、死者のためにバプテスマを受ける人々は、なぜそれをするのか。
死者が全くよみがえり復活しないとすれば、なぜ人々が死者のためにバプテスマを受けるのか。
また、なんのために、わたしたちはいつも危険を冒しているのか。
愛する皆さん。わたしたちの主キリスト・イエスにあって、わたしがあなたがたに持っている誇りにかけて言いますが、
わたしは日々、死に直面している。
もし、わたしが人間の考えによってエペソで獣と戦ったとすれば、それはなんの役に立つだろうか。
もし死人が復活しないのなら、「わたしたちは飲み食いしようではないか。あすもわからぬ命だ」。
まちがってはいけない。「悪い交際は、良い習慣を損ないます」。目ざめて身を正し、罪を犯さないようにしなさい。
あなたがたのうちには、神様について無知な人々がいる。あなたがたをはずかしめるために、わたしはこう言うのです。(コリント人への手紙15:29-34)
しかし、ある人はこう言うでしょう。「どんなふうにして、死人はよみがえるのか。どんな体になるのだろうか」。
なんとばからしい質問でしょう。畑を見れば、わかるではありませんか。
蒔いた種は、まず死ななければ、芽を出さない。 そして、その種から出る緑の芽は、初めの種とは全く別物です。
土に蒔くのは、麦でも何でも、干からびた小さな種粒だからです。
ところが、神様は御心のままに、これに体を与え、その一つ一つの種にそれぞれの体をお与えになります。
すべての肉が、同じ肉なのではありません。
人の肉があり、獣の肉があり、鳥の肉があり、魚の肉があります。 天にある体もあれば、地の体もあるのです。
天にいる者の栄光は、地に属する者の栄光と違っています。 日の栄光があり、月の栄光があり、星の栄光がある。
また、この星とあの星との間に、栄光の差があります。 死人の復活も、また同様です。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえり、
卑しいもので蒔かれ、輝かしい栄光あるものによみがえり、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえり、
生まれながらの肉の体で蒔かれ、聖霊の体によみがえり復活するのです。生まれながらの肉の体があるのだから、聖霊の体もあります。(コリント第一の手紙15:35-44)
しかし、ある人はこう言うでしょう。「どんなふうにして、死人はよみがえるのか。どんな体になるのだろうか」。
なんとばからしい質問でしょう。畑を見れば、わかるではありませんか。
蒔いた種は、まず死ななければ、芽を出さない。 そして、その種から出る緑の芽は、初めの種とは全く別物です。
土に蒔くのは、麦でも何でも、干からびた小さな種粒だからです。
ところが、神様は御心のままに、これに体を与え、その一つ一つの種にそれぞれの体をお与えになります。
すべての肉が、同じ肉なのではありません。
人の肉があり、獣の肉があり、鳥の肉があり、魚の肉があります。 天にある体もあれば、地の体もあるのです。
天にいる者の栄光は、地に属する者の栄光と違っています。 日の栄光があり、月の栄光があり、星の栄光がある。
また、この星とあの星との間に、栄光の差があります。 死人の復活も、また同様です。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえり、
卑しいもので蒔かれ、輝かしい栄光あるものによみがえり、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえり、
生まれながらの肉の体で蒔かれ、聖霊の体によみがえり復活するのです。生まれながらの肉の体があるのだから、聖霊の体もあります。(コリント第一の手紙15:35-44)
旧約聖書に、「最初の人アダムは、自然のままの人間の体を与えられた」と書いてあります。
しかし最後のアダムは命を与える霊となられました。
最初にあったのは霊ではなく、自然の生まれつきのままの肉の性質ですが、霊は後から来られるのです。
第一の人は地から出て土に属し、第二の人は天から来られます。
土に属する人は、土に属している人々に等しく、天に属する人は、天に属している人々に等しい。 すなわち、わたしたちは、
土に属している形をとっているのと同様に、天に属する形をとるでしょう。
愛する皆さん。わたしはこの事を言っておきます。生まれながらの肉の性質の体は神様の御国を受け継ぐことはできないし、
朽ちるものは朽ちないものを受け継ぐことはできません。(コリント第一の手紙15:45-50)
ここで、あなたがたに神秘を告げよう。すべてわたしたちは、眠りにつくのではありません。
終りのラッパが鳴り響きわたると共に、瞬く間に、一瞬にして変えられます。
ラッパが鳴り響きわたると、死者は朽ちない者によみがえり復活し、わたしたちはみな、変えられます。
なぜなら、死ぬべき今の体は、決して死ぬことのない、永遠に生きる体を必ず着ることになるからです。
この朽ちるものが不朽を着、この死ぬものが不死を着るとき、聖書に書いてある御言葉が成就します。
「死は勝利に飲み込まれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。 しかし神様に感謝しよう。わたしたちの主イエス・キリストによって、
わたしたちに勝利を授けてくださったからです。
こういうわけで、愛する兄弟のみなさん。堅く立って動揺されることなく、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。
主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからです。
(コリント人への手紙15:51-58)
イエス様はあなたを喜びあふれる天の御国に招いておられます。しかし、罪をすべて清めなければそこには入れません。
@人はみな罪びとです。旧約聖書にあるとおり義人はひとりもいない。
Aキリストを拒否すれば、神から裁かれ、このままでは地獄の滅びに向かう。
Bあなたは救いを必要としている。
Cあなたを救うためにイエス・キリストは身代わりの生贄になって十字架にかかり、血を流され死んでくださいました。
Dそして3日目によみがえられました。
☆イエス・キリストはあなたの罪の代価をすべて支払ってくださったのです。
あなたの罪に対する神の怒りは、キリストが十字架で身代わりに受けてくださいました。
イエス様の十字架により、神様の怒りはなだめられ、神の怒りはおさまりました。
これにより神の義とユダヤ律法の義の要求が完全に満たされました。
イエス様が十字架であなたの罪をあがなってくださったので、あなたは神と和解できます。
キリストを信じる人はすべての罪が永遠にゆるされ神の義が与えられ、裁かれることはありません。
☆神はイエス・キリストを信じる人に永遠のいのちを与えられ、ご自分の子供としての特権をも授けてくださいます。
そして王国が与えられ、あなたは王となり、祭司となり、永遠の支配権がキリストから与えられます。
そして天国の首都、新しいエルサレムに行ける保障をしてくださいます。
☆あなたの永遠の運命はイエス・キリストを救い主として受け入れるかどうかにかかっています。
イエス様が完成してくださったあがないのわざに完全に信頼することです。
わたしたちは皆、この方の満ち溢れる豊かさの中から、恵みの上に、さらなる恵みを受けました。
律法はモーセを通して与えられましたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからです。
ヨハネ 1:16,17
初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見て、そしてよく見て手でさわったもの、
すなわち、いのちの御言葉について。このいのちが現れたので、この永遠のいのちをわたしたちは見て、
そのあかしをし、あなたがたに告げ知らせます。この永遠のいのちは、父と共にいましたが、
今やわたしたちに現れてくださいました。すなわち、わたしたちが見たもの、聞いたものを、
あなたがたにも告げ知らせるのです。それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためです。
わたしたちの交わりとは、父ならびに神のひとり子イエス・キリストとの交わりのことです。
これを書きおくるのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるためです。(ヨハネ第一の手紙1:1-4)
わたしたちがイエス様から聞いて、あなたがたに伝えるたよりはこうです。神は光であって、神には少しの暗闇もない。
神と交わりをしていると言いながら、もし、闇の中を歩いているなら、わたしたちは偽っているのであって、
真理を行っているのではありません。 しかし、神が光の中におられるように、わたしたちも光の中を歩くならば、
わたしたちは互いに交わりをもち、そして、神のひとり子イエス様の血が、すべての罪からわたしたちを清めるのです。
もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにありません。
もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたですから、その罪をゆるし、
すべての不義からわたしたちを清めて下さいます。 もし、罪を犯したことがないと言うなら、
それは神を偽り者とするのであって、神の御言葉はわたしたちのうちにありません。(ヨハネ第一1:5-10)
わたしの子供たちよ。これらのことを書きおくるのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。
もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちのために助け主、すなわち、神様から義と認められた
イエス・キリストがおられます。 彼は、わたしたちの罪のための、あがないの供え物です。
ただ、わたしたちの罪のためばかりではなく、全世界の罪のためでもあります。
もし、わたしたちが彼の戒めを守るならば、それによって彼を知っていることを悟るのです。
「彼を知っている」と言いながら、その戒めを守らない者は、偽り者であって、真理はその人のうちにありません。
しかし、彼の御言葉を守る人があれば、その人のうちに、神の愛が真に全うされます。
それによって、わたしたちが彼にあることを知るのです。 「彼にいる」と言う人は、彼が歩かれたように、
その人自身も歩くべきです。(ヨハネ第一の手紙2:1-6)
愛する人たちよ。わたしがあなたがたに書きおくるのは、新しい戒めではなく、あなたがたが初めから受けていた古い戒めです。
その古い戒めとは、あなたがたがすでに聞いた御言葉です。しかも、それを新しい戒めとして、あなたがたに書きおくるのです。
そして、それは、彼にとってもあなたがたにとっても、真理なのです。
なぜなら、闇は過ぎ去り、まことの光がすでに輝いているからです。
「光の中にいる」と言いながら、その兄弟を憎む者は、今なお、闇の中にいます。
兄弟を愛する者は、光にいるのであって、つまずくことはありません。 兄弟を憎む者は、闇の中におり、
闇の中を歩くのであって、自分ではどこへ行くのかさえわかっていません。闇が彼の目を見えなくしたからです。
(ヨハネ第一の手紙2:7-11)
子供たちよ。あなたがたにこれを書きおくるのは、御名のゆえに、あなたがたの多くの罪がゆるされたからです。
父たちよ。あなたがたに書きおくるのは、あなたがたが、初めからおられるかたを知ったからです。
若者たちよ。あなたがたに書きおくるのは、あなたがたが、悪しき者にうち勝ったからです。
子供たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが父を知ったからです。
父たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが、初めからおられるかたを知ったからです。
若者たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが強い者であり、神の御言葉があなたがたに宿り、
そして、あなたがたが悪しき者にうち勝ったからです。
世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにありません。
すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものです。
世と世の欲とは過ぎ去ります。しかし、神様の御心を行う者は、永遠に生きるのです。(ヨハネ第一の手紙2:12-17)
子供たちよ。今は終りの時です。あなたがたがかねて反キリストが来ると聞いていたように、
今や多くの反キリストが現れてきました。それによって今が終りの時であることを知るのです。
彼らはわたしたちから出て行きました。しかし、彼らはわたしたちに属する者ではなかったのです。
もし属する者であったなら、わたしたちと一緒にとどまっていたでしょう。
しかし、出て行ったのは、元来、彼らがみなわたしたちに属さない者であることが、明らかにされるためです。
しかし、あなたがたは聖なるかたに油を注がれているので、あなたがたすべてが、そのことを知っています。
わたしが書きおくったのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、それを知っているからであり、
また、すべての偽りは真理から出るものでないことを、知っているからです。
偽り者とは、だれであるか。イエス様がキリストであることを否定する者ではありませんか。
父と神のひとり子とを否定する者。これこそ反キリストなのです。(ヨハネ第一の手紙2:18-22)
神のひとり子を否定する人は父を持たず、神のひとり子を告白する人は、また父をも持つのです。
初めから聞いたことが、あなたがたのうちに、とどまるようにしなさい。
初めから聞いたことが、あなたがたのうちにとどまっておれば、あなたがたも神のひとり子と父とのうちに、とどまることになります。
これが、彼自らわたしたちに約束された約束であって、すなわち、永遠のいのちです。
わたしは、あなたがたを惑わす者たちについて、これらのことを書きおくりました。 あなたがたのうちには、
キリストからいただいた油(神の聖霊)がとどまっているので、だれにも教えてもらう必要はありません。
この油が、すべてのことをあなたがたに教えてくださいます。それはまことであって、偽りではありません。
だから、その油が教えてくださったように、あなたがたは彼のうちにとどまっていなさい。
そこで、子供たちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、彼が現れる時に、確信を持ち、その御来臨に際して、
御前に恥じいることがないためです。 彼が神の御前で正しいかたであることがわかれば、神の御前で正しい行いをする人もまた、
みな彼から生れた子供であることを知るでしょう。(ヨハネ第一2:23-29)リンゴ訳
わたしたちは皆、この方の満ち溢れる豊かさの中から、恵みの上に、さらなる恵みを受けました。
律法はモーセを通して与えられましたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからです。
ヨハネ 1:16,17
あなたがたの救われたのは、恵みによるのです。キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、
共に天上で座につかせて下さいました。
それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、
きたるべき世々に示すためでした。
あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのです。
それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物です。 決して行いによるのではありません。
それは、だれも誇ることがないためなのです。 わたしたちは神の作品であって、
良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのです。
神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さいました。
エペソ人への手紙2章
お薬服用している人かあの異常テンション
パウロとシルワノとテモテから、わたしたちの父なる神と主イエス・キリストとにあるテサロニケ人たちの教会へ。
父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
愛する兄弟たちよ。わたしたちは、いつもあなたがたのことを神様に感謝せずにはいられません。またそうするのが当然です。
それは、あなたがたの信仰が大いに成長し、あなたがたひとりびとりの愛が、お互いの間に増し加わっているからです。
そのために、わたしたち自身は、あなたがたがいま受けているあらゆる迫害と患難とのただ中で示している忍耐と信仰とにつき、
神様の諸教会に対してあなたがたを誇りとしています。 これは、あなたがたを、神様の御国にふさわしい者にしようとする
神の裁きが正しいことを、証拠だてるものです。その神の御国のために、あなたがたも苦闘しているのです。(テサロニケ第二の手紙1:1-5)
すなわち、あなたがたを悩ます者には患難をもって報復し、悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、
休息をもって報酬を授けて下さるのが、神様にとって正しいことだからです。
それは、主イエスが炎の中から力ある天使たちを率いて天から出現される時に実現します。
その時、主は神様を認めない者たちや、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し、
そして、彼らは主の御顔とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅亡に至る刑罰を受けます。
その日に、イエス様はご降臨され、聖徒たちの中であがめられ、すべて信じる者たちの間で驚きと感激の的となられます。
わたしたちのこのあかしは、あなたがたによって信じられているのです。
このためにまた、わたしたちは、わたしたちの神様があなたがたを召すにふさわしい者とし、良い行いに対するあらゆる願いと
信仰の働きとを力強く満たして下さるよう、あなたがたのために絶えず祈っています。
それは、わたしたちの神様と主イエス・キリストとの恵みによって、わたしたちの主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、
あなたがたも主にあって栄光を受けるためです。(テサロニケ第二の手紙1:6-12)
680 :
本当にあった怖い名無し:2010/11/03(水) 17:03:07 ID:ZIuW4KzI0
愛する兄弟のみなさん。わたしたちの主イエス・キリストのご来臨と、わたしたちが御座に集められることについて、
あなたがたにお願いすることがある。 霊により、または言葉により、あるいはわたしたちから宛てられたという手紙によって、
主の日はすでに来たとふれまわる者があっても、すぐに心を動かされたり、慌てたりしてはいけません。
だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教が起るからです。
そして不法の者、すなわち、滅びの子が必ず現れるでしょう。 彼は、すべて神と呼ばれたり崇拝されたりするものに反抗して立ち上がり、
そして自分で神の宮に座わり、自分こそ神だと宣言します。
わたしがあなたがたの所に滞在していた時、これらの事を繰り返して言ってきたのを思い出しなさい。
そして、あなたがたが承知のとおり、彼が自分の定められたの時になってから現れるように、
いま彼を引き止めておられる方がいらっしゃるのです。 不法の秘密の力は、もうすでに働いています。
ただそれは、引き止めておられる方が取り去られる時までのことです。 その時になると、不法の者が突如として現れます。
この者を、主イエスは御口の息吹をもって殺し、御来臨の輝きによって滅ぼされるのです。(テサロニケ第二の手紙2:1-8)
不法の者の到来は、サタンの働きによるのであり、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、 また、多くの不義の惑わしを、
滅ぶべき者たちに対して行うためです。彼らが滅びるのは、自らの救いとなる真理に対する愛を受けいれなかった報いなのです。
そこで神様は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送って、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、裁くようにされます。
しかし、主に愛されている兄弟のみなさん、わたしたちはいつもあなたがたのことを、神様に感謝せずにはおられないのです。
それは、神様があなたがたを初めからお選びになって、聖霊による清めと、真理に対する信仰によって、救いを授けられたからです。
このために、わたしたちの福音によってあなたがたを召し、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせるようにして下さいました。
そこで、愛する兄弟のみなさん、堅く立ち、わたしたちの言葉や手紙で教えられた御言葉を伝え、しっかりと守り続けなさい。
どうか、わたしたちの主イエス・キリストご自身と、わたしたちを愛し、恵みをもって永遠の慰めと確かな希望とを賜わってくださる
わたしたちの父なる神様が、 あなたがたの心を励まして、あなたがたを強めてくださいますように、
そしてすべての良いわざを行い、正しい言葉を語る者として下さいますように。(テサロニケ第二の手紙2:9-17)
最後に、愛する兄弟のみなさん。わたしたちのために祈ってほしい。どうか主の御言葉が、あなたがたの所と同じように、ここでも早く広まり、
あがめられますように。 また、どうか、わたしたちが不都合な悪人から救われますように。事実、すべての人が信仰を持っているわけではありません。
しかし、主は真実なかたですから、あなたがたを強め、悪しき者から守って下さるでしょう。 わたしたちが命じる事を、あなたがたは現に実行しており、
また、実行するであろうと、わたしたちは、主にあって確信しています。 どうか、主があなたがたの心を導いて、
神様の愛とキリストの忍耐とを持たせて下さいますように。 愛する兄弟のみなさん。主イエス・キリストの御名によってあなたがたに命じます。
怠惰な生活をして、わたしたちから受けた言い伝えに従わないすべての兄弟たちから、遠ざかりなさい。 わたしたちに、どうならうべきであるかは、
あなたがた自身が知っているからです。あなたがたの所にいた時には、わたしたちは怠惰な生活をしなかったし、 人からパンをもらって食べることもしなかった。
それどころか、あなたがたのだれにも負担をかけないように、日夜、労苦し努力して働き続けてきました。 それは、わたしたちにその権利がないからではなく、
わたしたちにあなたがたが見習うように、身をもって模範を示したのです。(テサロニケ第二の手紙3:1-9)
また、あなたがたの所にいた時に、「働こうとしない者は、食べるな」と命じておきました。 ところが、聞くところによると、
あなたがたのうちのある者は怠惰な生活を送り、働かないで、ただいたずらに動きまわっているとのことです。
こうした人々に対しては、静かに働いて自分で得たパンを食べるように、主イエス・キリストによって命じ、また勧告します。
愛する兄弟のみなさん。あなたがたは、たゆまずに良い働きをしなさい。
もしこの手紙にしるしたわたしたちの言葉に聞き従わない人があれば、そのような人には注意をして、交際しないがいいでしょう。
彼が自ら恥じるようになるためです。 しかし、彼を敵のように思わないで、兄弟として訓戒しなさい。
どうか、平和の主ご自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和を与えて下さいますように。
主があなたがた一同と共におられますように。 ここでパウロ自身が、手ずからあいさつを書きます。
これは、わたしのどの手紙にも書く印です。わたしは、このように書きます。
どうか、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にありますように。(テサロニケ第二の手紙3:10-18)
わたしたちは皆、この方の満ち溢れる豊かさの中から、恵みの上に、さらなる恵みを受けました。
律法はモーセを通して与えられましたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからです。
ヨハネ 1:16,17
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
旧約聖書に、次のように書いてあるとおりです。
「正しい人は一人もいない。罪のない人は世界中に一人もいない。真実に神の道に従って歩んだ人は かつて一人もいない。
そうしたいと心から願った人さえいない。
すべての人が道を踏みはずし、みな、まちがった方向に進んで行った。正しいことをずっと行なってきた人はどこにもいない。 一人もいない。」
「彼らの会話は、不潔で腐っており、まるで開いた墓穴からもれる悪臭のようだ。
彼らの舌はうそで固められている。」「彼らのことばには、恐ろしい毒蛇のきばと毒がある。」「彼らの口は、のろいと苦々しいことばで満ちている。」
「彼らは自分と意見の合わない人を憎み、すぐに殺す。彼らの行く所ではどこでも、悲惨な結果とめんどうな問題があとを絶たない。
彼らは一度も心の安らぎを感じたことがなく、神の祝福を味わったこともない。」「彼らには、神を恐れて悪事から遠ざかろうとする気持ちなど、少しもない。」
そんなわけで、神様のさばきが、ユダヤ人に重々しくのしかかっています。 なぜなら、彼らは神様のおきてを守る責任があるのに、守らず、
こうした悪事にふけっているからです。 彼らのうち一人として、申し開きのできる者はいません。 事実、全世界が全能の神様の前に沈黙して立ち、有罪の宣告を受けているのです。
さて、おわかりでしょうか。 おきての命じることを実行して、神様に正しい者と認められようとしてもむだです。 私たちが神様のおきてを深く知れば知るほど、
自分が従っていないことが明らかになるからです。 神様のおきては、私たちに、自分が罪人であることを自覚させてくれるだけです。(ローマ人への手紙3:10-20)
しかし今や、神様は、天国へ行く別の道を示してくださいました。 その新しい道は、「善人になる」とか、
神様のおきてを守ろうと努力するような道ではありません
〔とはいっても、この道については、ずっと前から旧約聖書で教えられていたのですから、実際には新しい道とは言えませんが〕。
神様は今、「もし私たちが、イエス・キリストを信じきるなら、あなたがたを受け入れ、『罪のない者』と宣言する」と言われます。
どんな人間であろうと、私たちはみな、キリストを信じきるという、この方法によって救われるのです。
そうです。 すべての人は罪を犯しました。 神の輝かしい標準にはほど遠い存在です。
けれども、もし私たちがキリスト・イエスを信じきるなら、神様は私たちを「罪のない者」と宣言してくださいます。
このキリスト・イエスが、恵みにより、無償で私たちの罪を帳消しにしてくださるからです。
愛する人たちよ。わたしがあなたがたに書きおくるのは、新しい戒めではなく、あなたがたが初めから受けていた古い戒めです。
その古い戒めとは、あなたがたがすでに聞いた御言葉です。しかも、それを新しい戒めとして、あなたがたに書きおくるのです。
そして、それは、彼にとってもあなたがたにとっても、真理なのです。
なぜなら、闇は過ぎ去り、まことの光がすでに輝いているからです。
「光の中にいる」と言いながら、その兄弟を憎む者は、今なお、闇の中にいます。
兄弟を愛する者は、光にいるのであって、つまずくことはありません。 兄弟を憎む者は、闇の中におり、
闇の中を歩くのであって、自分ではどこへ行くのかさえわかっていません。闇が彼の目を見えなくしたからです。
(ヨハネ第一の手紙2:7-11)