1 :
本当にあった怖い名無し:
13世紀、世界最強だったのはモンゴル騎兵ではなく鎌倉武士。
直接対決でも圧勝というオカルト!
2 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/06(火) 23:27:39 ID:/3oOhke7O
ベトナムの方が強かったんじゃね?
3 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/06(火) 23:30:04 ID:bGeSDJ7/0
>>2 マムルーク朝やハルジー朝が勝ったモンゴル軍は、所詮はフレグ・ウルスや
チャガタイ・ウルス。
日本が勝った大元ウルスとは、国力が比較にならない。
マムルーク軍がアイン・ジャールートで戦ったモンゴル軍が1万2000程度だった
のに対し、文永の役の元軍は4万。
それに、ハルジー朝がインダス川を遥かに越えデリー近郊まで侵攻したモンゴル軍にようやく勝利したのに対し、日本は元軍が九州に橋頭堡を築くことすら許さないという完封勝利。
大越の陳朝が勝ったのは確かに大元ウルスだが、日本の場合とは勝利の内容が
大きく異なる。
陳朝はモンゴル軍襲来の度に首都を占領され、国王がデルタ地帯に逃げ込まなければならなかった。
1257年にハノイの大羅城を攻略したウリャンカダイ率いるモンゴル軍は僅か3000だったのにだ。
そのため、日本が最後まで元からの独立を貫いたのに対して、陳朝は元への入貢を約束し、王族を人質に出し、国内にダルガチを配属しなければならなかった。
4 :
ユダヤキリスト教が悪い!!と叫ぶハムスター ◆ZxS5QduyPw :2007/11/06(火) 23:39:52 ID:Td2IHNGx0
>>1乙!
なかなかよさそ〜なスレ立てたな。
遊牧民モンゴルを強大な殺戮国家に急成長させた背景にベニスの黒い貴族(ユダヤ)が。
という研究はこんご進むと思うがな、ヒンズー教やチベット密教経典にもユダヤが
野蛮な国を興してアジアを飲み込もうとするっつう予言があったよ。オカルトてきにおもろいテーマ。
5 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 00:43:00 ID:mVrRNnx60
戦後、文永の役は歴史家たちによって「戦闘は武士たちが一方的に劣勢だったが、元軍が夜襲を警戒して船に戻ったところを暴風雨が襲い、日本は九死に一生を得ることができた」とされてきました。
そして、この暴風雨が弘安の役で元軍を襲ったとされる台風と併せて、日本人に「神風」に対する信仰をもたらしたとされています。
しかし、文永の役の勝因が本当に「神風」だったのかについては怪しげな点が多く、以前から異論を唱える人がいました。
6 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 00:44:10 ID:mVrRNnx60
まず、お天気博士といわれた故荒川秀俊氏が『文永の役の終わりを告げたのは台風ではない』という論文を発表し、戦後の歴史家たちに異論を唱えました。
元軍が博多に上陸した旧暦の10月20日は、現在の新暦では11月26日になり、「神風」の正体が台風であるとは考えられません。
さらに、元寇の経過については多くを『八幡愚童訓』の記述に基づいているのですが、そこにも文永の役で元軍が暴風雨に遭遇したとは記されていません。
こうした異論に対して歴史家たちが持ち出してきたのが、京都の公家・勘解由小路兼仲の日記『勘仲記』です。
現場の人たちは誰も目撃していないが、京都の公家が日記に「元軍は逆風によって本国に吹き返されたらしい」と記述しているので、文永の役の勝因は「神風」に間違いないというのです。
7 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 00:46:09 ID:mVrRNnx60
一方、軍事専門家からは、「上陸作戦において、橋頭堡を確保せずに船へと引き上げ、翌日また上陸し直すなどということはありえない」との指摘がありました。
上陸作戦で最も損害が集中するのは、浜辺での攻防です。
一度上陸した部隊は何としても陸上の橋頭堡を死守するはずで、「夜襲を警戒して」程度の理由で船に戻ったりはしないのです。
では、何故元軍が船に引き上げたのかというと、その理由については日本に攻め込んだ側の記録である『高麗史金方慶伝』に詳しく書かれているのです。
8 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 00:47:14 ID:mVrRNnx60
『忽敦、曰く「兵法に「小敵の堅は、大敵の檎なり」と。疲乏の兵を策して、日ごとに滋すの衆に敵するは、完計に非ざるなり。軍を回すに若かず」と。〔劉〕復亨、流矢に中(あた)る。先に舟に登り、遂に兵を引いて還る。会々(たまたま)、夜、大いに風雨す。』
(『高麗史日本伝』 武田幸男・編訳 岩波書店)
「忽敦」とは元軍総司令官ヒンドゥのこと。
彼の戦況認識では、元軍が「小敵」で、日本軍が「大敵」なのです。
「劣勢の元軍がこれ以上戦い続けたら、日本軍の虜になってしまうので、退却するしかない」というのが、ヒンドゥの決定でした。
風雨に遭遇したとの記述もありますが、それは「遂に兵を引いて還る」の後の出来事として書かれています。
『八幡愚童訓』に風雨の記述がないのも、それが博多湾の外の出来事だったことを暗示しています。
つまり、高麗側の記録では、元軍は日本軍に敗れて博多湾を脱出し、「神風」は沖合いに出たところで追い討ちをかけたのに過ぎないのです。
9 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 00:48:20 ID:mVrRNnx60
『高麗史』の中に、こうした記述があることを、歴史家たちは皆知っていました。
それなのに無視してきたのです。
どうやら戦後の歴史家たちは、何が何でも「弱い武士が偶然吹いた神風によって救われた」ことにしないと気が済まないみたいです。
10 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 00:52:30 ID:mVrRNnx60
http://kihachin.net/klog/archives/mooko.jpg 教科書や歴史書などによく載せられているので、ご覧になったことがある方も多いと思いますが、上に張ったのは元寇にかんする貴重な資料、『蒙古襲来絵詞』の一場面です。
右側に描かれているのが絵巻を描かせた肥後の御家人・竹崎季長です。
一見すると、馬を射られた竹崎季長に、恐ろしげな形相の蒙古兵が今にも襲い掛かろうとしているようで、いかにも日本軍が苦戦しているように見えます。
ところが、驚くことにこの3人の蒙古兵は、後世に加筆されたもので資料的価値はまったく無いのです。
『蒙古襲来絵詞』に描かれた本物の蒙古兵は、上の画像の外に描かれています。
11 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 00:53:55 ID:mVrRNnx60
http://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/moukoshurai/e04.htm 比較すれば本物の蒙古兵と加筆された蒙古兵とでは、あきらかに服装や線の太さが違うのが判ると思います。
さらに本物の蒙古兵は、大半が逃げ腰で中には負傷している者もいます。
実はこの蒙古兵たちは、赤坂で日本軍の集団戦法によって散々に駆け散らされたため、敗走している最中だったのです。
鳥飼潟で逃げて行く蒙古兵を発見した竹崎季長は、追撃を試みましたが馬が射られたために、残念ながら敵を討ち取ることはできませんでした。
つまり、この絵は基本的に「元軍に苦戦する日本軍」ではなく、「日本軍に苦戦する元軍」を描いたものなのです。
他の場面でも、攻めているのが日本軍で、逃げているのが元軍です。
12 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 00:55:08 ID:mVrRNnx60
本物の蒙古兵をカットして、わざわざ加筆された蒙古兵だけを抜き出し、いかにも日本軍が苦戦しているかのような説明文を添える・・・
どうしてこんなデタラメが、多くの歴史書や教科書などで、堂々とまかり通っているのか理解できません。
あの3人の蒙古兵が加筆されたものである事が判明したのは比較的最近のことなので、それ以前の書籍なら仕方が無いと思う方もいるかも知れません。
しかし、『蒙古襲来絵詞』に付属する文章を読めば、この絵巻がどういう内容のものかは、最初から理解できたはずなのです。
13 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 00:58:57 ID:mVrRNnx60
戦後、私たちは元寇について「敗戦濃厚だった鎌倉武士が文永の役と弘安の役の2回とも
偶然の大風によって救われた」のだと教えられてきました。
そして、この奇跡的な元寇の幸運を「700年間に渡って神風によるものだと信じてきた」
日本人は、自国に対する神国観念を彫磨させ、
そのことが明治以降の軍国主義をもたらし、
日本を太平洋戦争へと導いたのだと教えられてきたのです。
14 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 01:01:45 ID:mVrRNnx60
江戸時代の歴史家・頼山陽が書いた『日本外史』という歴史書があります。
これは、源平二氏から徳川氏まで武家の興亡を漢文体で記したもので、
『平家物語』や『太平記』と並べて、広く日本人に愛読された歴史書です。
漢文を訓み下し文にしたものが、岩波書店から出版されています。
『日本外史』は元寇の戦闘について以下のように記しています。
『(文永)十一年十月、元兵一万可り、来つて対馬を攻む。地頭宗助国、
これに死す。転じて壱岐に至る。守護代平景隆、これに死す。
事六波羅に報ず。鎮西の諸将をして、赴き拒がしむ。少弐景資力戦し、
射て虜の将劉復亨を殪す。虜兵乱れ奔る。』
『(弘安)四年七月、水城に抵る。舳艫相ひ銜む。実政の将草野七郎、
潜に兵艦二艘を以て、志賀島に邀へ撃つ。虜の二十余級を斬首す。
虜、大艦を列ね、鉄鎖にてこれを聯ね、弩をその上にはる。
我が兵近づくを得ず。河野道有奮つて前む。矢、その左の肘に中る。
道有益々前み、帆柱を倒し虜艦に架して、これに登り、
虜の将の王冠せる者を擒にす。安達次郎・大友蔵人、踵ぎ進む。
虜、終に岸に上る能はず。収めて鷹島に拠る。時宗、
宇都宮貞綱を遣して、兵に将として実政を援けしむ。
未だ到らず。閏月、大風雷あり、虜艦敗壊す。
少弐景資ら、因つて奮撃し、虜兵を鏖にす。』
(『日本外史』 頼山陽・著 頼成一・頼惟勤・訳 岩波書店)
15 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 01:03:00 ID:mVrRNnx60
「虜」というのは敵を罵っていういい方で、この場合は元のこと。
『日本外史』の記述では、文永の役は完全に武力のみで元軍を撃退したことになっています。
弘安の役の「大風雷」も、単に日本に有利に作用した気象現象に過ぎず、
「神風」などという言葉はどこにも出てきません。
幕末から明治にかけて最も多くの日本人に読まれた歴史書の認識では、
元寇の勝利は鎌倉武士の奮戦によるものなのです。
日本人が元寇の勝利を「700年間に渡って神風によるものだと信じてきた」などという話は大嘘でした。
16 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 01:06:24 ID:mVrRNnx60
それから時代が下って近代になると、白鳥倉吉博士によって書かれた『国史』という歴史書があります。
これは昭和天皇のための歴史教科書として書かれたもので、
そのままの文体のものも出版されていますが、現代語訳が講談社から出版されています。
『元はついに武力でわが国を屈服させようと、後宇多天皇即位の年に、
高麗の兵を合わせ、数百艘の船をつらねて、朝鮮海峡を渡り、
まず対馬、壱岐をおかし、さらに博多地方に迫りました。
九州の豪族たちが奮戦してこれを防いだので、
元軍は深く侵入できずに退却しました。文永末年のことでしたので、
これを文永の役といいます。』
『このため、元はまた大挙して攻めてきて、その軍は壱岐、
対馬をへて博多と肥前の沿岸にも迫りましたが、
南海、西国の将兵がよく防ぎました。
また、偶然にも大暴風雨がおそい、敵の船は破壊され、多くの兵が溺死し、残った軍はあわてふためいて逃げかえりました。
弘安四年のことでありましたので、これを弘安の役といいます。』
(『昭和天皇の歴史教科書 国史(口語訳)』 白鳥倉吉・著 出雲井晶・訳 講談社)
文永の役についても、弘安の役についても、基本的に『日本外史』と同じ認識です。
『国史』の見解では、元寇の勝因は『元軍にとって、海路から迫ることが困難であったといえども、
これはわが将兵が奮戦したことと執権時宗の勇気ある決断が措置をあやまらなかったことによるものであったというべきでしょう』とのことです。
17 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 01:08:10 ID:mVrRNnx60
勿論この『国史』は昭和天皇のための歴史教科書ですから、一般向けの歴史教科書とは異なります。
大正時代になると、一般向けの歴史教科書では、弘安の役の暴風雨を「神風」とする明治時代にはなかった記述が、初めて登場します。
『元はすつかり支那を従へ、その勢いで、弘安四年に、四万の兵朝鮮半島からふたたび筑前にさし向け、
別に支那からは十万の大兵を出した。朝鮮半島から来た敵兵は、壱岐ををかして博多に攻寄せて来たが、
菊池武房や河野道有・竹崎季長らの勇士は、石塁にたてこもつて防いだり、勇敢にも敵艦へ斬りこんだりして、大いにこれを苦しめた。
そのうち、支那から来た大軍が、これといつしよになつて、今にも攻寄せて来ようとした。
その時、にはかに神風が吹きおこつて、敵艦の大部分は沈没し、溺れて死ぬものは数へきれないくらゐであつた。』
(『尋常小学国史』)
「神風」は登場しましたが、それ以前の武士たちの奮戦も強調しています。
それは、弘安4年6月6日に博多湾に迫った元の艦隊が、閏7月1日に「神風」に遭遇するためには、
約2ヶ月間に渡って上陸を阻んだ武士たちの奮戦が、必要不可欠の要素だからです。
また、この時期の教科書でも、元軍が大風に遭遇したとされたのは弘安の役のみです。
元寇が、「敗戦濃厚だった鎌倉武士が文永の役と弘安の役の2回とも偶然の大風によって救われた」
という私たちのよく知っているスタイルに変化したのは、戦後、GHQの占領下で作られた第七期国定教科書『くにのあゆみ』からでした。
18 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 01:09:55 ID:mVrRNnx60
『すると忽必烈は、文永十一年(西暦一二七四年)十月、九百せきあまりの船に、およそ四万の兵を乗せて、博多湾に攻めこませました。
武士たちは、勇ましく戦ひましたが、敵が上陸してきたため、大そうなんぎをしました。
ところが、大風がおこつて、敵の船をくつがえしたので、これを退けることができました。』
『こののち、弘安四年(西暦一二八一年)七月には、四千四百せきの船に、十四万の大兵を乗せて、ふたたび博多湾に攻めよせてきました。
この時もまた大あらしがおこつて、敵の船を吹きちらしてしまひました。』
(『くにのあゆみ』)
第二次大戦後、日本を占領したGHQは、「日本を武装解除し長期的に弱小国の地位にとどめる」という戦略のもと、歴史教育にも介入しました。
GHQの認識では「武士」=「軍人」でしたから、武士の登場する記述には、
その内容に関係なく問答無用で墨が塗られていきました。
このような状況下で、元軍の日本侵略を阻止した鎌倉武士たちの奮戦も消され、
文永の役と弘安の役の勝利は、2回とも偶然の大風という幸運の結果にされてしまったのです。
戦後、私たちが元寇について聞かされていた話は、全て政治的に捻じ曲げられものでした。
19 :
ハムスター ◆ZxS5QduyPw :2007/11/07(水) 01:15:10 ID:xbSyHW/40
なかなかの理論家、やっぱ見込んだだけ有る。
>>どうやら戦後の歴史家たちは、何が何でも「弱い武士が偶然吹いた神風によって救われた」ことにしないと気が済まないみたいです。
↑
これの伝統はやはり戦前以来の日蓮系神秘主義者たちの「悪国治罰」「道義国家対野蛮国」という図式じゃまいか。
田中智学(国柱会)石原莞爾(関東軍参謀;最終戦争論)北一輝(226事件首魁)とうは神国という概念に法華大乗国という独自の教条を掲げていた。
日記『勘仲記』の著者京都の公家・勘解由小路兼仲は吉田兼益(元本宗元神道の)とも近い関係にあり、神道家でありながら仏道のほうの信仰は
日蓮宗であった。ゆえに、日蓮の法華折伏を聞き入れなかった鎌倉幕府は蒙古軍に蹂躙さるべきというルサンチマンてきドグマを信奉していたし、
鎌倉武士団の奮戦により元寇を撃退できたとなると日蓮の予言は完全に外れた事になり、信仰の支柱を失うことになる。
苦し紛れに出て来たのは愛国の祈祷により日本は救われた=神風が吹いたというおとぎ話だ。
20 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 01:24:43 ID:mVrRNnx60
日本に来たのはモンゴル帝国内で最強の大元ウルスのモンゴル軍。
大元ウルスに対しては、他のモンゴル内の有力者も度々反乱を起こしているが、クビライは連戦連勝。
ナヤン・カダアンの乱で、カダアンとその息子ラオディ率いるモンゴル反乱軍は、朝鮮半島で大元ウルス・高麗連合軍によって壊滅させられた。
モンゴル最強の大元ウルス軍をフルボッコにした鎌倉武士団は世界最強!!
21 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 01:27:08 ID:gmesO7nQ0
実は攻め寄せてきたのは元では無く、白人だったって事はないの
だろうか?
22 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 01:29:56 ID:12r98gQ/O
渡海侵攻の不利を無視して鎌倉武士最強とか言われてもねぇ。
上陸作戦は起動の余地が無いし、消耗した兵や武器の補充はできないし船酔いもあるし、何よりたった2万5千の軍を輸送するのに国が傾くほどの船舶を建造しなければならないほど金がかかる。
23 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 01:31:34 ID:mVrRNnx60
>>22 対馬海峡の渡海侵攻なんて大したことないぞ。
文永の役のモンゴル軍よりも少ない1万9千という兵力で朝鮮に渡った小西行長は、上陸したその日に釜山城を攻略し、3週間で首都・漢城を征服してる。
それに文永の役で日本軍は、上陸直後にモンゴル軍を叩いたわけではない。
騎兵主体の日本軍は、機動戦術を取りやすい場所にモンゴル軍が進軍して来るのを待ってから、戦いを挑んでいるのだ。
その結果、わずか一日でモンゴル軍が敗退したのだから、言い訳無用で武士の方が強かったんだよ。
あと、2万5千の軍を輸送するための船舶を建造も、当時の高麗の造船能力なら特に問題なし。
高麗は1268年にもクビライの命令で大型戦艦千艘を建造している。
この時は、クビライから視察のために派遣された役人が戦艦の出来に満足し、更に100艘を追加注文した程だった。
ちなみに文永の役の際の造船では、900艘の内で大型船は300艘のみで、大多数は上陸などに使う小舟。
24 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 01:34:06 ID:mVrRNnx60
>>21 ない!
あったとしても、当時の白人は野蛮人であり雑魚。
世界最強の鎌倉武士が相手なら瞬殺。
25 :
ハムスター ◆ZxS5QduyPw :2007/11/07(水) 01:34:48 ID:xbSyHW/40
いづれにせよ、科学的戦略と英雄的行為により完全自主防衛が可能な主権国家(日本)が
存在すっと都合が悪いんだ。GHQのウソツキどもも、奥にユダヤがおる!!
26 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 01:37:50 ID:mVrRNnx60
戦後の歴史研究者たちは、元軍が大宰府への進軍を完璧に阻止されたことを誤魔化すため、元や高麗が全く争点にしていない博多や筥崎を持ち出して、日本軍が負けたかのような印象操作をしている。
コンパスとか無いこの時代、元の艦隊は山や岬などの地形を利用して、船を運航させる「沿岸航法」。
文永の役当夜は雨が降っていたから、月明かりは無いし星も見えない。
博多湾や周辺海域の土地勘も無い。
元軍は夜の内に日本から撤退しているけど、戦闘そのもので日本軍にボロ負けし、それ以外に生き残る術がないという状況でもない限り、900艘もの艦隊を夜中に出港させるはずが無い。
案の定、元の艦隊はその夜に岩に触れて大惨事に陥るわけだが、その時日本軍は馬蹄飼場良く兵糧潤沢な水城で、「蒙古の一方の総大将の劉復享をやっつけた」と言って大喜びしていた。
文永の役は、日本軍のワンサイドゲーム。
27 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 01:40:48 ID:mVrRNnx60
金剛仏子叡尊感身学正記
「十月五日、蒙古人著対馬、廿日、着波加多(博多)、即退散畢」
同時代の人間の日記に「即退散」などと書かれている以上、文永の役が元軍のボロ負けだったのは史実。
問題なのは、どのようにボロ負けしたか。
元軍は日本から撤退する際、志賀島に座礁した兵士220人を見捨てて、逃げ去ってる。
同じ撤退でも、例えば慶長の役の日本軍は露梁海戦の後、南海島に取り残された横山久高率いる兵士500余人の救出作戦を行なった上で、撤退してる。
その辺が、ボロ負けした軍と、そうでない軍との差だ。
28 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 01:44:53 ID:mdoCUIPB0
>>1 良スレ乙
何となくだけど、やっぱりそうかって感じ。
鎌倉武士にモンゴル軍ごときが勝てるとも思えぬ。
そもそも、船に引き返す意味がない。負け戦でなければ、な。
29 :
ハムスター ◆ZxS5QduyPw :2007/11/07(水) 01:45:01 ID:xbSyHW/40
>>24 だよな。キエフ、チルニゴフ、クラクフ、ブレスラウ、ワールシュタット、
ベスト、ラグサ、ブカレストなんかの東欧の都市国家は全部不戦降伏で白人のチキンぶりにはワロスワロス。
30 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 01:47:21 ID:mVrRNnx60
第一回目の攻撃は日本と南宋の連携を断ち切るための示威行動だったという説があるが完全な間違い。
まず、元軍が余りにもあっさりと敗退したため、文永の役は示威行動としては、まったく機能していない。
日本の貿易船は何事も無かったかのように南宋へ向っているし、鎌倉幕府はあきらかに以前より元に対して強気になっている。
「異国征伐」と称して元に攻め込む計画すら立てていたのだ。
あと、元軍の撤退理由が食糧不足などという記録は無い。
武器にかんしては、元史に一応撤退理由として「また矢尽き」と記されてはいる。
だが、それを言うなら、1257年にタガチャルが南宋侵攻から撤退した理由について元史には、
「秋の長雨のため」と記されているし、1260年にフレグがシリアから撤退した理由については、
ルイ9世宛ての書簡で「馬匹に与える飼料と牧草が尽きたため」と記されている。
こういった言い訳は、モンゴル軍が撤退する際のお約束だから、通常なら真に受けたりはしない。
戦後の日本史研究者たちは、「日本軍が強かった」以外の説なら、どんなに根拠が貧弱でも、平気で採用するけどね。
フビライが日本征服の意図を明確にし、高麗に準備の開始を命じたのは1268年。
それから、1274年の文永の役まで、準備期間は十分過ぎるほどあったからな。
31 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 01:48:50 ID:zOJ9iIpA0
伊勢神宮内宮の風日祈宮と外宮の風宮が神風起こしたことになってんだよね。
おかげ横丁だけでなく神社も捏造?
32 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 01:50:51 ID:mVrRNnx60
文永の役、モンゴル騎馬軍団は5分の1の兵力に過ぎない武士に歯が立たず、たった1日で敗退。
弘安の役、更に江南から10万もの大軍を送り込んだが、日本軍によって皆殺しにされ、僅か3名しか生還できず。
この2つの戦いが、その後の日中関係に与えた影響は大きい。
実は明の朱元璋も、日本に対して武力侵攻をちらつかせ、脅迫をしてきたことがある。
しかし、それに対する日本からの返答は、
「天下は天下の天下であって誰か一人の天下ではないのです。我が国には、水沢の地や山海の洲にも備えがあり、明の武力侵攻を恐れたりはしません」
という挑発的なものであった。
当然、朱元璋は激怒したが、あの強大なモンゴル帝国ですら完敗した日本に、自分が攻め込んでも勝算は無いと考え、泣く泣く矛を収めるしかなかった。
33 :
ハムスター ◆ZxS5QduyPw :2007/11/07(水) 01:53:51 ID:xbSyHW/40
>>31 そう結論をいそぐな。あれは日蓮宗が蒙古退散の祈祷をしたしたと言い立てて
他宗の神や仏をすべて役に立たないと罵ったことから、真言系(両部神道)叡尊・忍性や
天台系(山王一実神道)のちの天海僧正、それに仏教排斥派の度会(わたらい氏)神道などが
一致協力して理論武装した、まああれもまたおとぎばなしだがな。そんな経緯だお。
34 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 01:57:48 ID:mVrRNnx60
>>31 捏造。ていうか作り話。
「大将軍の船は、風の以前に、青龍、海より頭を、さし出し硫黄の香、虚空にみち、異形の者とも、眼にさへきるに、おちおそれて、追はれて、にけさりぬ、此ふねも、長門の浦に吹つけられたりと」
(八幡ノ蒙古記)
八幡ノ蒙古記によれば、7月(いわゆる「神風」台風の前に)青竜が出てきて元の大将の船を追いかけていたそうですw
35 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 02:03:22 ID:mdoCUIPB0
>>32 「がらんざんまえにあいおうて、いささかもってはくぎせん」だったはず。
『明史』にも記録として残っている言葉だ。 あとで本棚いじって、正確な文を書き込むから待ってくれ。
懐良親王が返書した。
「がらんざん」は確か中国にとって鬼門で、異民族が侵入してくるだったか、不吉な意味をもつ地名。
やるというなら、そこまで出かけていって一戦してやろう、という返書を日本側が送りつけた。
明国皇帝の祝賀会の貢物の中にデカイ蝋燭をリストアップ。その中に剣を隠しておいて、
献上する瞬間に剣を取り出して、皇帝を半分にする計画が露呈した直後だったから、結構ビビちゃったらしいw
その計画には日本人の僧が関わっていた。当時の僧だから、今で言えば裏組織のドンみたいな人だと思う。
遺言でも、日本には手を出すな、と言った明皇帝ですからねぇ
36 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 02:04:05 ID:zOJ9iIpA0
37 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 02:05:07 ID:zOJ9iIpA0
>>34 赤福だけじゃなくて伊勢神宮も捜査すべきだな。
38 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 02:07:50 ID:mdoCUIPB0
39 :
ハムスター ◆ZxS5QduyPw :2007/11/07(水) 02:07:58 ID:xbSyHW/40
>>36 おお、とうぜん捏造よ。わしが言う、おとぎばなし=捏造でおk。
畸形ナショナリズムの温床ですよ、ありゃ。
40 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 02:10:27 ID:mVrRNnx60
戦後の元寇研究がインチキだということを示す例に、武士の弓の性能が、元軍のそれに比べて、著しく劣っていたという話がある。
これは、黒田俊雄が中央公論社の『日本の歴史8 蒙古襲来』の中で書いていることなのだが、読んでみると何故か日本の弓の「有効射程」と元軍の弓の「射程」を比較している。
P98〜99
「ところが、元軍の矢は二町(220メートルぐらい)ほども射程があるので、
(日本側の矢は有効射程100メートル以内とみてよい)、味方にたちまち二人
手負いが出た。景隆らは城(といっても簡単な館だが)にたてこもって防戦
したが、衆寡敵すべくもなくついに城の内で自害した」
「有効射程」が「射程」より短いのなんて当たり前じゃん・・・
更にこの「日本側の矢は有効射程100メートル以内」という話も、まったくの根拠不明。
文永の役で、武士は一町(110メートルぐらい)の距離から正確に元兵を狙撃して殺し、大笑いしたという記録だってあるのだ。
戦後の歴史研究者たちは、武士に悪意を持って印象操作しているとしか思えねーぞ。
41 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 02:12:24 ID:mdoCUIPB0
ID:mVrRNnx60のおかげで眠れなくなりそうだw
42 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 02:13:42 ID:mVrRNnx60
新井孝重の『戦争の日本史7 蒙古襲来』(吉川弘文館)がヤバイことになってる。
この本が凄いのは、同時代性とか一切無視して江戸時代に書かれた『北肥戦誌』を元寇の史料として多用していること。
中でも圧巻は、「てつはう」について大胆な新説を展開している箇所。
蒙古襲来 P57
「『北肥戦誌』という本によると、「てつはう」の威力はすざましく、その音天地に響くだけでなく、あたるところのものは木っ端微塵となり、味方はこれのため討たれるもの数知れず、おおいに怖じ恐れて、みな其処かしこに逃げ竄れ、
「大将ノ下知ヲモ不相用、更ニ戦ハントモセザリケリ」といった具合であった」
新井孝重が根拠としている『北肥戦誌』の記述をもう少し詳しく読むと・・・
北肥戦誌
「蒙古豫ねて日本の用心をや量りけん。件の石築地に猶二三丈が程高く、己が船に
勢楼を切組み置き、是を俄に組み立てて、日本勢の陣所を遥か目下に見なし、其頃
曾てなかりける佛郎機を放し掛けしかば、其音天地に響き、中る所微塵となり、
味方是が為に討たるる事数を知らず」
元軍は元寇で佛郎機(フランキ)を使用していた!!!
そもそも『北肥戦誌』の記述だと、武士が蒙古に連戦連勝しているのだが、その点は見事にスルーされているし・・・
まさに戦後のトンデモ元寇研究の集大成だな。
43 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 02:15:40 ID:zOJ9iIpA0
44 :
ハムスター ◆ZxS5QduyPw :2007/11/07(水) 02:16:05 ID:xbSyHW/40
元兵のいちばん下っ端の戦闘力って日本の足軽より弱かったと思うか?
わしは思う。集団でも個人のスペックはチキン。
45 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 02:17:34 ID:mdoCUIPB0
うーむ
日本って強そうだと何となく思ってたが、最強っぽいなw
情報戦の弱さもすさまじいけど
46 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 02:18:35 ID:mdoCUIPB0
早速「日本外史」を注文してみた。
47 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 02:19:47 ID:mVrRNnx60
高麗史にある軍議の記述。文永の役の博多の戦闘後。
わずか1日で元軍戦意喪失。
元軍司令官「蒙人は戦に慣れてるがこれ以上は何も得られない」
高麗軍将軍「我が兵少なしといえども既に敵地に入っている。船を焼き背水の陣でまた決戦したい」
元軍司令官「疲れた少ない兵では大軍の餌にしかならない。撤退するしかない」
48 :
ハムスター ◆ZxS5QduyPw :2007/11/07(水) 02:20:08 ID:xbSyHW/40
>>42 蛮勇、近代兵器の威力に屈服す=原爆投下神話=GHQ洗脳指令だお。わしは
雰囲気でもの言うてしもて。
スマンの
>>1おまいさまほど理論も資料もしっかりしてねえが、応援するよ。
今日はもうネルポ。
49 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 02:23:33 ID:mdoCUIPB0
しかし、戦後、GHQが洗脳政策をするのは当然の流れだとしても、
日本の学者は何してたんだ。金もらって言いつけどおり仕事していたのか?
50 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 02:27:41 ID:mVrRNnx60
文永の役について、元史は「官軍整わず、また矢尽き、ただ四境を虜掠して帰る」なんだから、
少なくても作戦通りじゃなかったことは認めているわけだよな。
高麗史では「戦いに敗れて1万3千5百余人が帰還できなかった」と明確に負けを認めてる。
日本側の鎌倉年代記や帝王編年記でも、蒙古が合戦で撃退されたことになっている。
実際に戦闘に参加した御家人が作成した蒙古襲来絵詞だと、元軍は武士の集団戦法に圧倒されて逃げ回っている。
そして、戦後の研究者たちが言っているように武士が戦闘で負けていたなんてことを裏付ける信用できる史書は無い。
51 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 02:30:25 ID:mdoCUIPB0
とりあえず、
何も知らなかったタコども、まずこれくらい読んでおけ資料を並べてくれないか。
ちょっと風呂に入ってきます。さっき風呂に入るつもりだったのに、見入ってしまった。
52 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 02:30:30 ID:gmesO7nQ0
白人なんじゃない?本当は。モンゴルは実は白人国家を侵略したのではなくて
組んでいたんじゃない?表向きの歴史は全部出鱈目でさ。
53 :
ハムスター ◆ZxS5QduyPw :2007/11/07(水) 02:30:41 ID:xbSyHW/40
>>49 さいごにひとこと。
戦前から亡国知識人はいた。欧米留学の海軍首脳部なんかもユダヤかいらい。
福沢の慶応学閥もフリーメイソン人脈そのもの。
日蓮主義者も日本が外国に蹂躙されて政府が潰れたら法華経が広まるなどととんでもない妄想が暴走。
戦後の創価折伏大行進に受け継がれる。
GREEのエスタブリッシュメント気取りはほとんど慶応系。小泉政権の閣僚もほとんど慶応=メイスン。
それらは英雄的自主独立日本に悪意を持っていることで通テイしている。
>>1の元寇スレであんましユダヤすれの【わしの視点】垂れ流してご迷惑あろうから今度こそ退散つかまつる。
54 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 02:31:15 ID:mVrRNnx60
日本は当時世界最強。
論拠は当時世界の大部分を支配していたモンゴル軍を完膚無きまでに叩き潰したから。
日本は世界で唯一重装弓騎兵を使い人間の身長より長い弓を使っていた。
神風によって日本が勝ったと言うのは戦後の歴史家の陰謀。
55 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 02:40:03 ID:mVrRNnx60
鎌倉武士が名乗りを上げての一騎打ちを挑んで元軍の毒矢戦術や集団攻撃
に多数の死者を出したなどという教科書的な解釈はもう卒業すべきでしょう。
それが事実なら3万の元軍に対し博多に出向いた武士軍団は5千。
城に篭っての篭城戦ならともかく野外戦であるから教科書が事実とすれば午前に始まった戦闘は日没まで続くはずがない。
当時の武士の大鎧だが以前テレビでタレントが着てたがとにかく重くって歩くのも一苦労って感じだった。」
「ええーっ。武士ってこんな重いものつけ戦ってたんですかあ?」といってた。
日本の大鎧は少なくとも攻撃の機動性よりも防御に重きをおいたものであると思うが。
南北朝時代の何かの文献に護良親王が矢を体中に受けたような苦戦ぶりが書かれていたが別に親王は戦死
していない。
また日本刀は室町時代の日明貿易の主要な輸出品。中国では倭刀を剣で受ければ刃が折れると言われていた
くらい切れ味鋭いものだった。
武器や防御用具だって教科書にあるほど歴然とした差があったとは思えない。
56 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 02:59:56 ID:mdoCUIPB0
57 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 03:01:17 ID:jF9ypMiy0
>>53 日本の歴史にはソースを提示するが
ユダヤ系の説明では妄想の飛ばしではね。
あくまでソースの提示無しや妄想で語るのならば、そこは推測部分として
一時保留として語らず、わかっているアメリカとGHQの分野から語って言ってはどうでしょうか?
長刀、此レ倭中国ヲ犯スヨリ始テ之有リ
[日本海賊が中国に攻めてきたときに初めて我々は長い日本刀の力を知った]
彼ラ是ヲ持チテ跳躍光閃シテ前ニ進メバ我兵ハ己ニ気ヲ奪ワレルノミ。
[彼らが日本刀を使って稲妻のように早く攻め込んでくると我ら中国の兵は集中を乱し混乱するのみだった]
倭ハ躍ヲ善クシ、一度足ヲ逆エバ別チ丈余、刀長五尺ニテ、則一丈五尺ナリ。
[日本人はフットワークが巧みで一息で1丈も飛び込んでくる。彼らの日本刀の刀身は五尺あるので一丈五尺も先から斬り込まれる事になる]
我ガ短兵器ハ接シ難ク長器ハ捷ナラズ、身多ク両断ス。
[我々の武器のうち剣などの短めの武器では日本人には近づくことが難く槍などの長柄武器では遅すぎて日本人のスピードに付いていけない、我々の多くが両断されて死んだ。]
60 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/07(水) 17:21:08 ID:mdoCUIPB0
モンゴル兵を前に一騎打ちを申し込んだ武士が、たたかれたエピソードをよくきかされたが、
それも根拠なしの話なのかい?
61 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/08(木) 01:50:19 ID:A4AqLq8G0
鎌倉の幕末の楠木正成までの日本の全てのいくさが
やあやあ我こそが だったように思えないんだがなあw
義経なんかは全て無視だなw
鎌倉初期の和田の乱だって一騎打ちなんぞやってない。
ただ、一応名乗りを上げるときもあった、位で無いのではないか?
もちろん元寇の時だって、「やあやあ我こそが・・・」なんてやっていない
そんなことを書いた信頼できる文献も存在しないしな。
つまり、大東亜戦争と同じく、歪んだ悪意によって真実が捻じ曲げられているという事だ。
>>60 元寇のときは敵に名乗りなんかあげてないよ
ただ初見の武士同士が名乗りを上げていたのは事実といわれてる
要するに味方同士の自己紹介だな
63 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/08(木) 15:36:02 ID:NJ68bfK+0
むしろ蒙古兵がなんか着膨れてて可愛い「もうこ」って旗に書いてあげたい。
65 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/08(木) 15:49:05 ID:xn0Yh1ex0
かわいそうだからもうこをいぢめないであげて。
鎌倉武士が崇敬していたのは八幡神
朝鮮半島経由で攻めて来る敵に
神功皇后
67 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/08(木) 17:15:55 ID:5btBfIHb0
日本国は世界で唯一、白人による植民地支配を受けていない有色人種国家である。
日本国は世界で初めて白人に対して国家間戦争を挑んだ有色人種である。
日本国は世界で最大規模の戦争を戦った国である。
日本国は世界で最大規模の戦争を戦った国である。
人類がこれまでに経験した最大の戦である。資源を持たない我が国がほとんど
援助も無しに連合国と五分以上に戦い抜いた背景には、日本国民の物質要素を
超えた精神力と忍耐力を表している。
日本国は世界でただ一国、植民地に対して国家予算を持ち出した国である。
日本国は世界でたったひとつの被爆国である。
日本国は世界でも例のない、国家体制転換時の無血革命を成し遂げた国である。
日本国は世界で最も長い間、国内平安を維持した国である。
でも今の日本は
昔と違うよな…
すっかりアメリカに毒されてしまった
69 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/08(木) 21:28:16 ID:A4AqLq8G0
>>68 何を言うのか?
お前の中にも流れているだろう?
世界最強の血が!!!
誇りを持て!!!!!
70 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/09(金) 03:21:57 ID:/y7l+eBY0
302 :まっこうクジラ ◆Pb89XQnQgg :2007/01/07(日) 01:40:50 ID:uAW3JAVu
その答えは追々、各自で考えて欲しい。
2007年明らかに風向きが変わる。今、2ちゃんでのN速の変化などに一番、
戸惑いを感じてるのは俺だと思う。
今、安倍を叩いてる奴に草加も混ざってるのもたぶんホント。迷惑な話だ。
このタイミングを予想して仕掛けたほうの人間が言うのもなんなんだが。
2ちゃんなんかの変化ではなく、比べられない予想できないほど巨大な変化が
社会全体に及ぶはず。はっきり言って恐怖だ。
基軸通貨、華僑コミニティ、三極委員会の転機、ドル崩壊、亜細亜統一通貨。
奴らの最終目標がわかれば、見えてくるだろう。ついに動き出すんだよ。
俺は壷人の賞味期限は冗談抜きで今年の10月までだと思う。
だからスパイ防止法=通名廃止をあれほどやれと言ったのに。意味がわかったろ?
おまえら親方でさえ首輪つけさせられてることを理解しろ。
米の中間選挙や外交の方向性の変動、他にもロックがなぜ支配してる国を手放す
方向性を取らざるを得ないかとかで簡単に推理できるじゃん。
世界の地図が変わる節目になる。
その媒介が日本になるだろう。あの会議も日本でやるかもね。
方法論とかが確立してそうだから、6月か8月あたりかな?軽井沢とかじゃね?
早くやるなら2月とかかな?世界の中心で哀が叫べるぜ!やっほう。
71 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/09(金) 04:00:55 ID:HovsK8jM0
良スレ乙。オマイら、真実の歴史をなんとか本にして出版してくれ。
人は、真実を、事の真相を知りたがる動物。上手く時流に乗れば部数も捌けるだろう。
自虐史観により不当に日本人をおとしめ、日本人の精神構造を惰弱な者にしようと、卑怯な工作活動をしてきたブサヨ反日売国奴どもに鉄槌を加えるような本を出してくれ。
オレは買うよ。こういう本が出版されたら。
72 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/09(金) 04:31:57 ID:QWcScmqD0
>>71 そのうち朝日新聞が、サヨはんにち売国奴どもが
反転して出版するでしょうね。
彼らに思想なんてありません、立場を死守したいだけですから。
73 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/09(金) 04:56:49 ID:EyJSf84i0
>>72 さすがに、それは無いと思うよ。まず、国民もそこまでは
騙されない。奴等の内で、重罪で死刑・終身刑になる者と
下っ端で外国へ逃亡する者が出て来るはず。
奴等はただの荒らしで逆効果しか生まなかったけど、将来
は奴等の狙いと同じになる訳だし、死んでくれるだろう。
74 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/09(金) 09:43:55 ID:GRCQkYBw0
しかし今は蒙古の方が戦いだけなら強いよな。
朝青龍なんざゴジラみたいなものだ。
75 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/09(金) 13:39:54 ID:i+aktStS0
戦いったって朝青流の兄さんは総合格闘技では日本人に連敗してるじゃん
このひとモンゴル相撲の実力では朝青龍よりうえだったんだぜ
現代相撲で数人外国人力士がでたぐらいでうろたえるなよ
ちなみに現代における戦いということで自衛隊に目を向けると
通常戦力同士で日本と互角に張り合える国はわずかしかない
そしてそのなかにモンゴルは入っていない
76 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/09(金) 14:24:20 ID:/y7l+eBY0
>>75みたいな反論がしっかりできる環境こそが本来のぞましいもので、
そもそもそういう場は、マスコミがつくれなかったものだね。
市民がつくれる気がする。
その意味でも、国民の潜在能力みたいなものが育ってると。また最強伝説といいたくもなるw
77 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/09(金) 15:58:39 ID:8msQVydKO
朝鮮出兵のときのが強かったんじゃないのか?
あんときゃ明、李氏朝鮮の国情不安と
鉄砲の有る無しの差があったからね。
戦国時代で鍛えられてたってこともあるし互いの正規軍の
相対的な戦闘能力の差は相当開いてたんじゃないかな。
79 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/09(金) 20:40:03 ID:/y7l+eBY0
秀吉軍に勝てる軍隊なんてあの当時なかった気がする。
欧州のどこの軍でもたぶん勝てなかったと思う。
一時古武術の本をよく読んでたけど、一番驚いたのは、近代に欧州の体操を
取り入れたが為に日本人が本来もっていた身体感覚を忘れてしまったとあった事。
古武術の動きを取り入れ本来の身体感覚を取り戻すと、色んなスポーツの能力が
向上するなんてのが本当なら、昔の日本人の身体能力は凄いものがあるかもしれない。
>フットワークが巧みで一息で1丈も飛び込んでくる
だってこんなヒト今はいないよね。1丈て3mだろ?
中国と日本の尺貫法って、中国のが小さかったような?
82 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/10(土) 13:48:08 ID:qWEVecf30
面白いスレだが、なぜオカ板なのだ?
83 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/10(土) 17:07:53 ID:iWgSgIpyO
>>82 圧倒的な最強ぶりがオカルト以外のなにものでもないから!
という明確な理由がわからない、お前はバカなのか?
84 :
科医 ◆QOxH42hauE :2007/11/10(土) 17:18:02 ID:5cQ7W3pKO
白人は白人で、座ったままの姿勢で高くジャンプするやつもいるぜ(。・_・。)ノ
85 :
ポポイダー軍曹:2007/11/10(土) 22:51:31 ID:e9u6Bu0i0
>>23
相当強かったのは事実でしょうね、でも
素人意見で恐縮だけど戦国時代と鎌倉時代では造船技術に差があるのでは?
87 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/11(日) 00:43:01 ID:4FS/fIkh0
88 :
ナナシ−:2007/11/11(日) 01:05:59 ID:Xe/fjAxW0
<前略>すなわちいまの皇帝クビライはこの島を征服しようと思いたった<中略>大軍とを
さずけて派遣した。<中略>航海はつづき、やがてこの島についた。<中略>チパング
(注:ジパング)島のある町で、一隊の敵兵が二人の将軍の手のうちに捕らえられた。とこ
ろが、彼らは降伏することを拒んだので、<中略>一人残らず首を切って落としたが、八人
だけが残ってしまった。この八人の首はどうしても切り落せなかった。これは彼らの持って
いたある石の力によるものだった。なるほど、彼らはめいめい腕に、肉と皮の間に石を入
れ、外からは判らないようにして持っていた。この石にはまじないがかけてあって、あらた
かな效験があったのである。これを身につけている限り、刃物で殺されることはない。将軍
は、<中略>説明を聞くと、笞で打ち殺すように命じた。すると、八人はたちまち死んでし
まった。二人の将軍は、彼等の腕からこの石を取り出すと、大切に秘蔵した。
出典:東方見聞録 作者:マルコ=ポ−ロ 訳:青木一夫 刊:校倉書房
もしこの記録がホントなら、その勾玉はモンゴルにいったって事よね...
まあどっちにしてもこれで3m飛んだってのもまんざら嘘じゃなさそうね?
ていうか、みんな真面目に議論しすぎもっとオカルト的義論しよ〜よ?。
90 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/11(日) 01:58:33 ID:/6PEZMBd0
スレを見て、家にある『蒙古襲来〜』を全部通してみてみた。
中央公論から出版されてる全図版ですね。
あの3人の蒙古人・・・
>>83 うん。なんで圧倒的に強かったらオカルトなのか、バカだからわかんないw
その強さの源には、超能力やら宇宙人やらオーパーツやらタイムリーパーやらが関与しているという
トンデモ説が展開されているのなら理解できるけど、
そんなの強いて言えば、3m跳んだとかだけじゃん。
その3mだって、何故跳べたのか突っ込んだ議論があるわけじゃなし。
あとは至って非オカルト的。
むしろ、三戦板や軍事板あたりのオタに賛否参戦してほしい内容なわけで。
ねぇ、どのへんがオカルトなの?
というわけで、
>>88 やっとオカルトになってきたなw
戦後のGHQその他日本精神解体推進勢力の捏造に邪悪を感じるからだよ。
その背後にあるものはなにか。
そこがこの板に合ってるんだろう。
いつのまに3メートル「飛んだ」ことになってるんだw
>一度足ヲ逆エバ別チ丈余
っていってるじゃん
要するに後ろ足を一歩踏み込んでそこから前足を大きく踏み込むまでで3メートル進んだわけで距離的にはオカルトというよりは普通にありえる
94 :
ナナシ−:2007/11/11(日) 14:08:17 ID:0scUtDGF0
石(勾玉?)はどこにいったのかしら?
95 :
ヴイヨン:2007/11/13(火) 22:40:10 ID:DwmZ1e9h0
つまり鎌倉時代最強だった!
そんじゃあそろそろ大団円ですか?
96 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/15(木) 00:02:52 ID:dNMnEis5O
終了ー!
戦国最強は伊達軍だけどな。
98 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/15(木) 15:54:28 ID:wshnE/wg0
99 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/17(土) 15:18:22 ID:EowNlUPYO
もっと色んな武士の話聞きたいなぁ。
実は決戦前夜、元寇は斥候を出してるんだが、日本人がフグを捌いて、
「ふぐ刺し美味しいね\(^o^)/」
・・・っていう食事風景を目撃してしまったんだ。
「日本のフグは食べられる」と勘違いした元寇は、元寇達も
「ふぐ刺しホイヒイね^^・・・れも、ろれつがマワラナイロ!/(^o^)\」
当然かっこわるいし、歴史の闇に葬られたが。
実はこれが真相。
校正みすったorz
102 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/20(火) 01:10:29 ID:wwfW4nevO
元軍は世界帝国を施行していた。
日本の遥か北の地ではアイヌと戦いカラフトは元のものになってしまった。
103 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/20(火) 19:41:46 ID:CBTtY5hT0
秀吉軍とスペイン軍の戦が実現してりゃ面白かったのに
104 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/22(木) 01:13:25 ID:vV9BriqzO
>>103 スペインは日本の浪人集団に何度も殲滅されてるから、秀吉とやったら瞬殺だったろうな。
105 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/23(金) 00:27:55 ID:XypMOZog0
つーか、日本に来たのは蒙古の寄せ集めの三軍。最精鋭部隊が上陸してたらど
うなってたかわからないよ。
106 :
神戸人:2007/11/23(金) 14:20:24 ID:FgE6obJY0
元は小型衛星を打ち上げる位科学が発達していた(だいたい60年代の日本位)。またプレアデス系異星人と戦ってたから
地球で思うように戦えなかった・・・というか共同戦線はろうとしてもプレアデスに寝返られたり、異星人の概念すら理解
できない国がほとんどだった。結局負けた人類は大きく歴史を歪められ先祖がえりしたのだ。そして今地球の世界銃を見渡
せば好戦的なプレアデス星人達の楽園となってしまった。彼らは慈善家のふりをしては裏で恐慌と戦乱、人災を世界中にば
らまいている。よく米国、EU系のニューエイジ主義者はこれら敵性夷星人をよく持ち上げるが、かれらのやってる事と言っ
てる事よくよく見誤らないようにしたい!つまりオリオン星人は人類最高の友となるはずです!
107 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/23(金) 15:30:15 ID:7kwC9huV0
>>105 モンゴルから直接呼び寄せた精鋭の部隊もいたよ
ただ編成に朝鮮人を含んでいたという点で例の法則が・・・
109 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/24(土) 00:12:57 ID:EjcbVlwL0
>>105 日本に来たのはモンゴル帝国内で最強の大元ウルスのモンゴル軍。
大元ウルスに対しては、他のモンゴル内の有力者も度々反乱を起こしているが、クビライは連戦連勝。
ナヤン・カダアンの乱で、カダアンとその息子ラオディ率いるモンゴル反乱軍は、朝鮮半島で大元ウルス・高麗連合軍によって壊滅させられたんだ。
モンゴルの騎馬部隊 < 大元ウルス・高麗連合軍 < 鎌倉武士団
>モンゴルの騎馬部隊 < 大元ウルス・高麗連合軍 < 鎌倉武士団
まさか本気で鎌倉武士団がモンゴルの騎馬部隊より
あらゆる点で勝っていると考えてるんじゃないでしょね?
元寇の状況のみを想定してるなら間違いなく鎌倉武士団最強だろうけど。
>>110 >>105に対してのレスとしての話の展開なのになんで
「あらゆる点で勝っていると考えてるんじゃないでしょね? 」
みたいなはなしになるのか意味不明
112 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/24(土) 19:10:43 ID:PhahN46s0
大内氏と細川氏の使節が大陸で喧嘩して一時日明貿易が中断されたのがオカルト。
114 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/24(土) 21:59:29 ID:xszRMsCr0
>>10 この絵の蒙古兵の顔が本当のオカルト
たぶん人ではなかったんだよ
115 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/25(日) 04:27:37 ID:UnRXzBhD0
『日本の歴史』という本の中の元寇のあたりを読んでみた。
NHKの番組をまとめたものらしい。
その中で、海音寺という男が、鎌倉武士が蒙古兵に一騎撃ちを申し込んだと
繰り返している。
この男は何を根拠に言っていたのだろうと思うばかり
116 :
本当にあった怖い名無し:2007/11/25(日) 06:07:54 ID:X1j8uNUp0
そもそも一騎打ちは相手が名のある者じゃないと成立しないしやるはずもないわな
大陸の蛮族、それも雑兵にやるわけがない
高麗軍の将(都督使)「金方慶」率いる高麗軍は
戦略的に意味が無い対馬・壱岐に執着し、防備の薄いこの島々を攻め
膨大な非戦闘員を殺戮した。
島々におけるこの行為は遠征目的と何の関係もなく、
それにフビライは"百姓を殺すな"と命じていた。
この無用の残虐行為は主将の「金方慶」の性格、朝鮮人の民族性によるとの事である。
彼らは島民を見つけ次第、男子は斬殺し、女子は手の掌に穴を
あけて綱を通し船舷にぶらさげるなど残虐の限りをつくした。
家屋は焼き尽くされ、家畜の被害も甚大で、壱岐牛も一頭もいなくなった。」
「ムクリ・コクリ」が来る、と言うと泣く子も黙ると言われたほど、
その残虐な行為は壱岐・対馬・北九州の人達に恐怖感を植えつけています。
ムクリー蒙古―元、コクリー高麗のことです。「蒙古トハ異国ムクリノ事
也」(『沙汰未練書』)というようにムクリが通用していました。
高麗軍と闘った将士がことごとく
戦死すると、敵兵は住民を捕らえ暴虐の限りを尽くしたということです。
山に逃げ隠れ潜む住民の赤子の泣き声を聞いて、捜しまわり、
捕らえては、ことごとく殺しました。
中には、命惜しさに愛する我が子を刺し殺して、
逃げ隠れする者もあったと伝えられています。
捕らえられた妊婦は腹を裂かれ、中の赤子を掴み出されて殺されました。
意にそまぬ婦女子は手に孔をあけられ縄を通してから、
引きずり回され、後、舷外に吊るされました。
(新元史・鎮西要略・壱岐国史・元寇物語)
朝鮮人は先の大戦でも大陸で問題起こしてるし、朝鮮戦争、ベトナム戦争でも虐殺しまくりんぐだよね。
弱いくせに。
120 :
本当にあった怖い名無し:2007/12/01(土) 21:44:23 ID:6EsWhp6P0
121 :
115:2007/12/02(日) 01:21:54 ID:cEiulpr20
修正する。
『日本の歴史』ではなく、
『日本史探訪』であった。
>>110 少なくとも武器の性能や戦術面では、鎌倉武士団の方がモンゴルの騎馬部隊より優ってるだろ
123 :
本当にあった怖い名無し:2007/12/03(月) 12:55:40 ID:/0bwbxWU0
やっぱ戦国のほうが強い気がする
鉄砲あるから
>>122 装備や個人レベルでの士気、技量はともかくとして
当時としては世界最高レベルの中央集権化がなされたモンゴル騎兵部隊に対し
武士団や武将レベルまででしか纏まっていなかった鎌倉武士が
戦術面で勝っていた、とは聞き捨てならんなー。
そもそも平原で戦うモンゴル騎兵隊と山林の多い日本で戦う鎌倉武士団とじゃ
その強さの中身や指揮系統など戦闘部隊としての性質が違うから
単純な比較は困難だろう。
文永の役以後北条氏は守護の配置転換で西国の支配を強化し、
戦闘指揮を円滑に行えるようにしたり、
戦術的な有効性の薄い少数での抜け駆けを禁止したりと
より集団戦闘に適応できるようにシステムに改良を加えていた。
この成果は弘安での一方的な勝利、という形で現れるが裏を返せば
文永時における日本側の迎撃体制や戦い方が北条氏にとっては極めて
不完全なものであったということの証明でもある。
126 :
本当にあった怖い名無し:2007/12/03(月) 21:20:40 ID:KuQ/8HFy0
日本のような狭隘な土地ではなく、大軍がある程度機動力を発揮できる平野で
モンゴル軍を撃退したエジプトのマムルーク軍人が世界最強に間違いない。
127 :
本当にあった怖い名無し:2007/12/03(月) 23:32:55 ID:F2ncGCbY0
「最強」の定義が難しい。
実質、戦には日本がモンゴルに勝った。それは確かだ。
だからといって世界最強かどうかは判断できないわけで。
そもそも世界最強がどういう基準で言われるのかよくわからん。
128 :
本当にあった怖い名無し:2007/12/04(火) 02:40:51 ID:P5CFAR4S0
面白いなこのスレ
age
>>125 文永の役の時点で武士は守護の指揮下で組織的に戦ってたよ。
だからあっさりとモンゴル軍に勝利できた。
『元史』も日本遠征失敗の理由として「官軍整わず」と組織面で劣っていた事を第一に挙げている。
文永の役以後の守護の配置転換は、勝利によって強気になった幕府が異国征伐のためにやったことね。
>>126 マムルークがアイン・ジャールートの戦いで勝ったモンゴル軍は1万2千程度。
鎌倉武士は、文永の役では福岡平野の戦いで3万3千の元軍を撃退し、弘安の役では元兵10万を皆殺しにした。
マムルーク軍人が鎌倉武士より強いなんて事はありえない。
>>129 >組織的に戦ってたよ
そうか?
鎮西奉行の権力の弱さ故に戦力を5000程度しか集められなかったり
手柄を狙い少数の供回りだけで襲撃をかけた竹崎季長みたいな猪武者が
居たのを見る限り日本側はモンゴル軍より統一された軍隊としての完成度は
低いと考えたんだけど。
(そこらへんの欠点は弘安までに徹底的に改良されたけどね)
ただしこれはあくまで「モンゴル軍」と比較しての話ね。
上陸してきた元軍はいわばモンゴルと高麗の連合軍のようなものだった。
戦闘指揮の優先権は無論モンゴル側にあったけど兵力の約三割、それと
船と船員の殆どは高麗から提供されたものであり
その事が元軍全体の指揮の統一性に何か悪影響を与えてた可能性はある。
対馬で高麗兵が行ったとされる戦術的にあまり意味のない虐殺を
元側の指揮官が止めようとしなかったこととか、
戦闘継続か撤退かを決める軍議の場での方針対立とかね。
(この対立は文永だけでなく弘安でも見られた)
大陸側でのモンゴル軍の戦いにおいても服従した国家と連合して
戦った例はいくつもあるから元寇だけが特別じゃないんだけど
この大敗ぶりと「官軍整わず」て記述は気になるよねえ。
やっぱ例の法則?
>>130 >鎮西奉行の権力の弱さ故に戦力を5000程度しか集められなかったり
この点は鎮西奉行の権力の弱さ云々ではなく、通信速度や移動速度の問題では?
早馬で招集かけて、そこから元軍の博多到着までに動員できる御家人の数には、
物理的な制約があるだろ。
あと、竹崎季長だって独断ではなく、ちゃんと大将の少弐氏の許可をとってから
行動してる。
竹崎の一族の大多数は少弐氏の下で戦ったわけだし、そういった御家人たちが
「言質の約束を違へじ」と強力な統制化に置かれていたことも史料から確認できる。
それから元自身は、高麗軍が軍全体の指揮の統一性に悪影響を与えてたとは考えて
いないと思うよ。
文永の役→弘安の役で、高麗軍の権限は逆に強化されてるでしょ。
問題があったのは、文永の役以後配置換えになった劉復享とかでは?
劉復享ってモンケ・ハーンの南宋遠征以降、文永の役まではずっとモンゴル軍の
中核を担っていた武将だけどね。
132 :
本当にあった怖い名無し:2007/12/04(火) 21:17:06 ID:VGXWabfR0
>>122 学校では、蒙古軍が火薬の詰まった玉使ったりして驚かせたと習ったけどなあ。
戦術面にしても昔の武士は一騎打ちが礼儀的にも常識で、それをはじめ蒙古軍
にもやったもんだから、
「やあやあ我こs」
と言ってる間に何人かからフルボッコにされてたって高校の先生に教えてもらったぞ?w
ただ、一回目の元寇で京まで進行できた筈だけど何故か途中で撤退したってのが
気になるんだよな。・・・なにがあったんだろうなあ
133 :
本当にあった怖い名無し:2007/12/04(火) 21:32:59 ID:SOtx+YYX0
モンゴルの強さの要は馬だけど当時の造船技術では馬を大量輸送するのは不可能
上陸したら徒歩での移動になるうえに当時の日本は湿地や藪が多くモンゴル人は一苦労
更に飛距離と威力が桁外れの和弓で狙い撃ちにされる・・・
>>132 「武士が蒙古軍に一騎打ちを挑んでフルボッコにされた」なんてのは史料を加工して、
完全に捏造した話だから。
例えば有名な『蒙古襲来絵詞』は、「武士の集団戦法に圧倒されて逃げ惑う蒙古軍」
を描いた絵巻なんだけど、歴史教科書とかでは隊形組んで集団で突撃する武士団や、
逃げ惑う蒙古軍の部分はカットし、「蒙古軍の集団戦法に苦戦する武士」という全く
正反対の絵として載せてるの。
君は高校の先生に嘘を教え込まれたんだよ。
当時の文献には、ちゃんと「蒙古軍が合戦で武士に負けた」と書いてある。
『鎌倉年代記裏書』
「十月五日、蒙古寄来、着対馬嶋、同廿四日、大宰少弐入道覚恵代藤馬允、於大宰府合戦、異賊敗北」
>>133 「当時の造船技術では馬を大量輸送するのは不可能」というのもよく広まったデマね。
馬の大量輸送なんて当時どころか、それより遥かに昔の紀元前でも普通におこなわれてる。
だから『蒙古襲来絵詞』にもモンゴル騎兵が大勢描かれてるよ。
鎌倉武士から必死で逃げるモンゴル騎兵も描かれてる。
136 :
本当にあった怖い名無し:2007/12/06(木) 01:21:46 ID:AlLbfgsoO
つ、つまり当時世界最強だったモンゴル騎兵を武士が集団戦術でフルボッコにしたと・・・。
今まで教えられてきた事と正反対じゃないか・・・。
ヨーロッパまで席巻したあのモンゴルを・・・。
し、しかし反論しようにもここまで決定的な根拠を言われては何も言えない。
疑う余地なんかないじゃないか。
なぜ、逆の事が定説としてまかりとおっているんだ?
強烈な悪意を感じる。
そうだ 何で わざわざ日本人なのに 負けたと嘘つく?
138 :
本当にあった怖い名無し:2007/12/06(木) 01:34:36 ID:VHPTEQUX0
詳しい人に聞きたいのだが、
元が日本に送った以上の規模の戦っていくつ存在するの?
上記にあげられてるエジプトやインドに関しては日本より相当少ない数の軍勢みたいだから。
139 :
本当にあった怖い名無し:2007/12/06(木) 01:36:05 ID:VHPTEQUX0
>>136 日本人に自信をつけさせないためじゃないの?
占領側にとって、日本文化破壊が戦後のテーマだったわけだし。その一環でしょう。
あと 港をモンゴル軍に占領されたのは 当時の記述書にちゃんと乗ってるよ
>>134 じゃあ何故防人として後何年間も政権が交代するまで国中から
兵隊集めて守り固めてたんだ?
武士は強いんだろ?人集めなくても十分追い返せるだろw
そんな無茶苦茶政治的にマイナスになる対策を採って
最後にはそれが元で潰れたじゃあないか。
>>142 どんなに強い国だって、隣にいつ攻めて来るのかわからない侵略国家があれば、
それに備えるのは当たり前だろ。
強い国ほどそういう努力は怠らないもの。
朝鮮人スレ確定
>>140 港をモンゴル軍に占領されたと書いてある当時の記述書って何?
146 :
本当にあった怖い名無し:2007/12/07(金) 20:28:16 ID:ozYkIgAC0
147 :
本当にあった怖い名無し:2007/12/07(金) 21:07:16 ID:cTiJFGvW0
>>59が適切な勝因かな。
まず剣が長い、
踏み込みが早く大きい 引き足も早い、
長槍では重くてスピードで劣る、中に入られ斬られる。
148 :
本当にあった怖い名無し:2007/12/08(土) 10:20:04 ID:+1aJvuOM0
日本の武道には盾がない、
だからそのぶん足の動きと剣さばきのスピードが重要。
149 :
本当にあった怖い名無し:2007/12/08(土) 10:26:05 ID:JgZnui8jO
……なんでオカルト板で
>>149 文永の役って、実際に最前線で戦った武士が残した一次史料の「蒙古襲来絵詞」だと、
蒙古軍は武士の集団戦法に圧倒されて逃げ回ってるし、「鎌倉年代記裏書」や「帝王編年記」
みたいな中世史料にも蒙古軍が合戦で武士に負けたと書いてある。
おまけに敵側の史料の「高麗史」にも蒙古軍が戦って負けたと書いてあるのに、学校とかでは
全く正反対に、一騎打ち戦法の武士が集団戦法の蒙古軍に苦戦したとか教えられたじゃん。
これって全部「八幡愚童訓」っていう史料を根拠にしてるんだけど、これがとんでもない
オカルト文献なんよ。
文永の役では神社から神様がでてきて蒙古軍を攻撃したら博多湾の海面が燃え上がったとか
書いてるし、弘安の役でも荒れ狂う海から龍がでてきて元艦隊を追い回したとか書いてる。
それが八幡信仰布教のため、改編を繰り返しながら全国の神社などに広まったのが「八幡愚童訓」。
「元寇に勝てたのは武士の手柄ではなく神様のお陰です」ってことを主張するために書かれた
文献だから、武士が勝った戦闘でも負けたかのように書いてるの。
戦後の歴史研究者って骨の髄まで腐ったインチキ野郎だから「八幡愚童訓」がオカルト文献である
ことを隠すために、オリジナルの存在を伏せたままわざわざ改編バージョンを持ち出してきて
「蒙古襲来絵詞」や「鎌倉年代記」や「帝王編年記」や「高麗史」みたいな通常の中世史料を
無視し、元寇では武士が蒙古軍にフルボッコにされたとか言ってるんだよ。
151 :
本当にあった怖い名無し:2007/12/08(土) 21:50:36 ID:tstq11+I0
長刀とか長巻とか強いぜ
>>141 戦闘では負けてたのに偶然の暴風雨で勝ったとか言われて自信がつくわけないだろ。
実力で勝ったと言われた方が自信がつくに決まってる。
要するに、
日本を"神の国"だと国民に妄信させるために仕組まれた
歴史教育だったわけだな
>>153 いや、「戦闘ではボコられたのに偶然の暴風雨のお陰で助かった」と学校で
教えられるようになったのは、日本が「神の国」だということが完全否定された
終戦後だから。
「元寇ではボロ負けし、さらに神の国だとの勘違いがその後の太平洋戦争での
敗北につながった」というストーリーを創り出す事によって、日本を二重に否定
するための歴史教育。
155 :
本当にあった怖い名無し:2007/12/12(水) 01:39:48 ID:4j/0RTvpO
>>154 に、日本を意味もなく全否定していったい誰が特するというのか?
教師って奴らは、本当に日本人なのか?
ま、まさか地球市民だとかいわないよな?
お、おれには理解できねぇ。
に、日本って国はよっぽど呪われた存在なのか?この国に向けられた理不尽な悪意はなんなんだ?
理解できねぇ。
156 :
本当にあった怖い名無し:2007/12/12(水) 02:23:32 ID:P5yqJOkIO
>>155 GHQの占領政策、WGIPの結果でしょ。それに利用されたのが共産主義者と朝鮮人。
日教組や在日によって捏造された歴史教育が始まり、日本人に贖罪意識を植え付け今に至る。
今はその反動で中道に揺り戻そうとする動きがあるけど、国内ではマスコミがサヨと在日に侵され、
海外では中共と韓国の工作員が反日ロビー活動を展開中。
157 :
本当にあった怖い名無し:2007/12/14(金) 12:59:06 ID:i/6Asuqf0
じゃあ攻めてきたモンゴルフルボッコにしたって言うのか?
フルボッコとか言うと、正規軍じゃなかったとか言う人いっぱい出そうだから
「神風関係なしに、普通に撃退した」とだけ言っとく
159 :
本当にあった怖い名無し:2007/12/14(金) 15:34:18 ID:tsU86nzT0
>>157-158 でも、その「正規軍じゃなかった」とか言う話もひどい話なんだよ。
日本史の教科書とかには元軍が「征服された民族で構成された多民族軍」だったことが、
まるで例外的なことのように書いてあるけどさ・・・
実際には、ヨーロッパに攻め込んだモンゴル軍も、中東に攻め込んだモンゴル軍も、
中国に攻め込んだモンゴル軍も、東南アジアに攻め込んだモンゴル軍も、全部例外なく
「征服された民族で構成された多民族軍」。
それがモンゴル軍本来の姿なの。
「攻めてきたモンゴルフルボッコにした」って認識で全く問題ないよ。
というより、十字軍も日本にいる農奴的白人を保護するという
目的で日本にやって来ていたみたいだしな。だいたい、宗教や
オカルトに詳しい人なら、日本がユダヤ教やキリスト教で言う
イスラエルである事は常識。
モンゴルじゃなくて、ヨーロッパ連合軍が本当だったりして。
132も面白い事を書いている。
>ただ、一回目の元寇で京まで進行できた筈だけど何故か
途中で撤退したってのが 気になるんだよな。・・・なにが
あったんだろうなあ
ただ、本当の事を書いていると政府の闇セクションや武家ネット
ワークが動いて来るらしい。俺は上位に位置する家だから、そんな
事は無いけど。
163 :
本当にあった怖い名無し:2007/12/14(金) 16:45:49 ID:bhciO6iJ0
age
164 :
本当にあった怖い名無し:2007/12/19(水) 17:59:48 ID:rUrjS7Do0
刀伊の入寇のときはどんな感じ?
165 :
本当にあった怖い名無し:2007/12/20(木) 02:03:53 ID:aG9Rc9FT0
やあやあ我こそはぁ・・・ ずぴゅ!
やあやあ我こそはぁ・・・ ずぴゅ!
やあやあ我こそはぁ・・・ ずぴゅ!
やあやあ我こそはぁ・・・ ずぴゅ!
やあやあ我こそはぁ・・・ ずぴゅ!
やあやあ我こそはぁ・・・ ずぴゅ!
やあやあ我こそはぁ・・・ ずぴゅ!
やあやあ我こそはぁ・・・ ずぴゅ!
正しい元寇
やあやあ我こそはぁ・・・ ずぴゅ!
やあやあ我こそはぁ・・・ ずぴゅ!
やあやあ我こそはぁ・・・ ずぴゅ!
やあやあ我こそはぁ・・・ ずぴゅ!
やあやあ我こそはぁ・・・ ずぴゅ!
やあやあ我こそはぁ・・・ ずぴゅ!
やあやあ我こそはぁ・・・ ずぴゅ!
やあやあ我こそはぁ・・・ ずぴゅ!
正しい元寇(笑)
168 :
本当にあった怖い名無し:2007/12/21(金) 21:14:43 ID:jfwcsdKXO
>>167 それが史実らしいけど日本の武士ってどこまでバカなんだろうな。
まじ日本なんて最悪だよ。おれは地球市民になりたい!
>>164 正直、学校で捏造した日朝関係史を教えるよりも、刀伊の入寇について詳しく
教えればいいのにと思う。
刀伊の入寇って日本と朝鮮が共通の敵と戦った例外的な出来事なんだから。
この後、元寇で高麗が日本を侵略するまでは、わりと友好的な関係だったんだよ。
171 :
本当にあった怖い名無し:2007/12/23(日) 22:09:04 ID:zTwZF9rf0
>日本と朝鮮が共通の敵と戦った例外的な出来事
また歴史の捏造か?
同じ賊に襲われたってだけだろ。
172 :
本当にあった怖い名無し:2007/12/24(月) 00:23:33 ID:gSNi5alUO
173 :
本当にあった怖い名無し:2007/12/24(月) 01:07:12 ID:N0q7ECel0
>>172 賊って表現そんなに悪いか?
女真に指揮された僻地の高麗人らしいが、まだ未解明だろ。
174 :
本当にあった怖い名無し:2007/12/27(木) 02:46:03 ID:uFnsqtCrO
>>173いつだってお前が悪いよ。
わかってるだろ?子供の頃からそうじゃないか。
と、子供の頃にいじめられたかわいそうな人が申しております
176 :
本当にあった怖い名無し:2008/01/01(火) 11:56:29 ID:3t1wUyqs0
>>175よ…、つらい人生だったんだな…。
泣いたって…、いいんだぜ?
177 :
本当にあった怖い名無し:2008/01/07(月) 00:02:34 ID:AMb7FmkdO
保守
オカ板って朝鮮人多いよな。
180 :
トット:2008/01/12(土) 23:43:27 ID:6asaYScD0
日本人は三進法体質。
普通にスキップしていた。
>>180 佐賀の陰流(川上元斎)とか千葉香取流
実戦暗殺剣って3歩で踏み込むね
通称「縮地」と呼ばれる「足を交差させ45度の角度から
ばれないよう距離を詰める」技術はあるけど、名前はしらん
僕も居合いの方にやってもらったことがあるがホント恐怖!
いつ接近されたかわからないし距離感がつかめない・・・
倭寇にやられたシナーも仰天するのは当然かと
182 :
本当にあった怖い名無し:2008/01/13(日) 06:03:08 ID:nQHSm8/JO
縮地ってるろうに剣心だけの話かと思ってた。
ホントにあるんだね。
183 :
本当にあった怖い名無し:2008/01/13(日) 17:19:22 ID:B29lPpg40
実際の縮地って速いのか?
>>183 >>182 そんなに早いわけではなく「剣の起こり」が見えない」てこと
シラン人は対戦時、意表を突かれてパニックになるだろうね
僕が習った動作では フェンシングやボクシングでの
「上半身を水平に安定させ、足だけ交差させ踏み込む」
これは実際陰流・香取流など古武術・実戦剣法でもある技術 至近距離で使用
もう一つは相撲や能・狂言のすり足 猫や虎が獲物に飛び掛るよう
足を地面から離さずスキップ?し距離を詰め突く これは遠距離にて使用
あと45度の角度というのは、人間の視覚で「距離感を計れない角度」
これはボクシング・フェンシング・剣道・サッカー問わず言うしね
185 :
本当にあった怖い名無し:2008/01/14(月) 00:16:33 ID:RSrrTdMd0
age
186 :
本当にあった怖い名無し:2008/01/14(月) 00:44:26 ID:+Q1N8A7e0
小説で柳生新陰流と能は足運びが似てるって書いてあったぜ
187 :
本当にあった怖い名無し:2008/01/14(月) 00:58:14 ID:VRMMIG6OO
これはいいスレだな・・・。
自分は結構右よりのつもりだったけど、
元寇で鎌倉武士団がここまで強かったとは知らんかったよ。
189 :
本当にあった怖い名無し:2008/01/14(月) 02:08:41 ID:rpoiVZwE0
>>182>>183 >>184も言ってる通り、日本の古武術や剣術を収めたものの一撃は
一般人には剣戟の初動がわからない(非常に分かりにくい)。
人間は誰しも無意識のうちに見ている他人の動作を先読み、あるいは予測している。
それまでの人生の経験の内から脳に「予備動作」のデータが蓄積されているからこれが可能になる。
そもそも武術に関わらず、必ず次の動作に移る予備動作と言うものは存在しているんだが、
これを非常に小さくして動くとその「予備動作」に慣れない者は突然接近されたかのように錯覚する。
これがつまり「縮地」の原理。
更に>「上半身を水平に安定させ、足だけ交差させ踏み込む」
これは上半身を安定させることにより予備動作を最小にすることはもちろん、
重心を安定させることを目的とする。
すり足も主に重心の安定、それといつでも瞬時に反応して動けるようにするため。
ボクシングなんかのフットワークは宙に浮いているその瞬間は完全に反応しきることは出来ない。
足が2本常に地面についているのはそれに比べて早く地面を蹴って移動できる。
コンマ何秒という短い時間しか違わないとは言え、格闘技においてどれくらいそれが有利を生むのかは言うまでもない。
昔の武術は分析してみると非常に物理的数学的に無駄がない動きをしてる。
>>186 舞は武に通ず。
190 :
本当にあった怖い名無し:2008/01/14(月) 02:26:23 ID:9WwLm/P80
>>167 やあやあ我こそは・・・って名乗りは、源平合戦とかの時代に間違って
親戚とかお友達同士で戦わないようにするためのルール(もし一族とか
友人と敵味方で出会ったら戦うふりして撤退、一応戦ったことにして報告し
恩賞はゲット!)、民族も宗教も違う得体の知れない元寇あいてになんか
するわけないじゃん ちなみに三国志の「我こそは常山の趙子龍」とか
出身地を名乗るのも、同郷の者同士殺しあうと田舎に帰ってから揉める
からだそうだ
>>190 なるほどなるほど。眼からうろこだな〜。
非合理的な美学で名乗りあってた訳じゃなくって、
ちゃんと合理的な理由があった訳だね。
学校の歴史の授業とか、市販の歴史本は、
なんでそういう大事なことを書かないんだろう?
192 :
本当にあった怖い名無し:2008/01/14(月) 10:46:03 ID:Y/D4ejKk0
>>191 学校の歴史の授業とか、市販の歴史本がそんなこと書くわけないじゃん。
そいつらが歴史を捏造している張本人なんだから。
『蒙古襲来絵詞』なんて、「武士の集団戦法に苦戦する元軍」を描いた絵巻なのに、そこから
集団で戦う武士と敗走する元軍の部分だけを隠し、全く正反対の「元軍の集団戦法に苦戦する武士」
が描かれてるように見せかけて、教科書や歴史本に載せるような連中。
>>192 戦後の歴史教育は、ほんとクズだよね・・・。
網野善彦とか、素質もあり、いい仕事してるとは思うんだけど、
「自分はマルキスト」と公言し、しっかり極左バイアスかかってるからねぇ・・・。
>>1みたいな人の活躍に期待したい。
194 :
本当にあった怖い名無し:2008/01/19(土) 18:27:51 ID:CG10w+Fx0
ようするに蹴り足で着地するステップ
だよね。
三進数?三進法?
実際戦ってないやつが何言ってもなぁw
所詮お前らも知ったかぶりには違いない。
>>195 「大坂城を建てたのは誰?」「大工さん」
レベルの話だな
よせ、これは釣りに違いない
198 :
本当にあった怖い名無し:2008/01/21(月) 19:57:18 ID:4Nnrig4s0
199 :
本当にあった怖い名無し:2008/01/21(月) 22:48:07 ID:2K/2yEYr0
神風age
いや、面白いよこのスレ
ちなみに江戸末期に来た宣教師は、欧州の植民地化政策の尖兵だったようだけど、
日本の陸軍はとても強く、征服不可能だという意味の親書が残ってるとか
まあ、結局アメリカにやれられたわけだが
日本は刀を捨ててはいけなかったな
日本は古代から一貫して強い軍隊を持っているね、
当の日本人は忘れさせられられてるけど
今更だがなんでオカ板に立てたの?
203 :
本当にあった怖い名無し:2008/01/26(土) 01:05:33 ID:Z8b4zsL90
歴史を捏造している学者は誰だ
良スレ過ぎるだろ・・・常考・・・一気に読んでしまった。
誇りを奪う事がいかに人を堕落させ、卑屈な精神を育むか・・考えさせられたよ。
人は衣食住のみでは退廃してしまうよな。
久々にオカ板。良スレ発見
しかし何でオカ板に立てたのか
>>1を問い詰めたい
206 :
本当にあった怖い名無し:2008/01/27(日) 02:50:31 ID:aBsuwPuk0
俺は真田幸村が侍で一番好き!
幸村の為なら死ねる!
207 :
本当にあった怖い名無し:2008/01/27(日) 03:35:59 ID:vFeXevPeO
俺も真田様のためなら死ねるずら
208 :
本当にあった怖い名無し:2008/01/27(日) 07:04:13 ID:/1xTwG5IO
>>207 幸村様は魔界より復活しようとしている。
先兵として暗黒真田十勇士の猿飛が既に転生している。
幸村様が復活するにはもっと生命エネルギーが必要だ。
おまえ、幸村様のために死んでくれんか?
>>208 いや、それは無いな・・・。
何故なら真田十勇士の中でも猿飛だけは
唯一、創作された人物だったりするから
だ・・・。
・・・( ~_~ )・・・ジィ〜
210 :
本当にあった怖い名無し:2008/01/28(月) 01:28:01 ID:3SjzoFGB0
>>209 猿飛にも確かモデルがいたとか何かで読んだ記憶がある。
侍でも鬼強いのに、忍者とかってどんだけ〜だよ。
侍に屈した外人共が、未だに忍者を畏怖してる気持ちがなんとなく解る気がする。
つまり、日本人(大和民族)最強じゃん!
211 :
本当にあった怖い名無し:2008/01/28(月) 01:31:54 ID:3SjzoFGB0
忍者=今で言う特殊部隊のはしりみたいなモノだからな!
日本ヤベェ。
>>211 今現在でもEU各国の軍で活動中の自転
車部隊が確か旧日本軍の自転車部隊を元
に設立されたそうな・・・。
この日本軍の自転車部隊と云うのがモロ
に忍者ァ!な活躍をしてたそうな。
214 :
本当にあった怖い名無し:2008/01/29(火) 23:59:57 ID:goWU5CDR0
じゃあさ、じゃあさ、あのさー
サムライ&スパルタ兵&モンゴル兵&ヨーロッパ騎士団&インディアンの五人組と
プレデター1人と、ど・・どっちが強いだにょ〜
気になるにょ〜
ドラえもんの圧勝
銀輪部隊の以前から独仏等のヨーロッパの国々には
自転車を主な移動手段とする部隊があった聞きます。
現EU諸国の自転車部隊は本当に、いわゆる銀輪部隊を
元に設立されたの?
銀輪部隊が元になっていると言えるのであれば問題無い
のだけれど、違うのであれば歴史捏造に該当しかねない。
あと、忍者の発祥の地は日本で間違い無いが、同類の人達は
そのずっと昔からいただろう。
217 :
本当にあった怖い名無し:2008/01/30(水) 04:44:24 ID:FHd2zHyUO
>>209 逆に考えるんだ!
それが徳川による陰謀だとしたら・・・。
実在していたとしたら・・・。
お前の知らない所で今、歴史が動こうとしている。
忍者っていうとスーパーマン集団みたいなイメージがあるけど、忍者のはしりの
乱波(ラッパ)者って傭兵部隊はヘンテコ集団だったらしいぞ、動物の鳴き真似が
やたら上手い戦闘能力ゼロのおっさんとか。着る物も黒じゃなくて
カーキ色とか理にかなったものらしい。
孟嘗君の食客には鶏の鳴き真似名人なんてのがいたね。
夜間に目立ち難いような印象がある黒装束は逆に目立つ
んだよな。シルエットが際立つから。
>>217 しまったァァァァァっ!!! (~□~;)フハッ!!!
おのれ幸村・・・・よくも謀ったなぁ!!
|壁|皿 ̄)y====0 ジャキン!
(そして伯爵はナショナルマッチ6inc(45口径)を握り締めた)
>>216 EU諸国の自転車部隊自体は、各国に独自のノウハウがあって
現用部隊も当然それを叩き台にしている
ただ、海外派兵などに際して道路や整備環境が劣悪な状況下
での運用には、往事のアジアで活動した日本の銀輪部隊の
経験を参照しているらしい
ソースは実際にそういう部隊にいたことがある人からの又聞き
なんで、日本人に対するリップサービスの可能性も大だが
222 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/01(金) 01:58:41 ID:Fly8I78Z0
蒙古をボコタンにする映画を作ってくんないかな。
223 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/04(月) 08:08:56 ID:l3uulRWm0
見たいね元寇映画、元寇の前夜は日本中がもうこの世の終わりみたいな大騒ぎだったらしい。
武士って言っても源平合戦みたいな身内同士の手心加えた戦いしかしたことないし、
蒙古軍は殺戮や略奪が徹底的なのも南宋との戦いで知れていたし、下手に交渉に応じると
属国にされて半永久的にドレイにされるし、究極の選択でノイローゼになる
北条時宗!神社仏閣が総出で祈祷をあげるも終末感バリバリの鎌倉の町!
各地から集結する鎌倉武士団!そして夜明けの博多沖に現れる異形の蒙古大船団!
ものすごく盛り上がる映画になりそうだ。
ちなみに蒙古軍がヨーロッパで強かったのは、当時のヨーロッパの支配階級が
いわゆる騎士(ナイト)で、弓や石弓の進化で突撃戦法は古いのはわかっていた
のに「弓は卑怯だ!ケシカラン!!」って突撃にこだわったためらしい。
戦術の世界史ってサイトに書いてあった。
225 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/06(水) 13:15:16 ID:BFZjO0zk0
すごいでしょうね、夜明けの博多沖に現れる異形の蒙古大船団。
それが壊滅するのだから、223>>殿のストーリーを創造するだけでも鳥肌がたちます。
224>>殿 印刷させていただきました、ありがとうございます。
226 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/06(水) 13:28:47 ID:Olqo9umhO
>>223 是非、脚本、キャストを書いて東宝か東映に直談判してくれ。
良スレとして続いてるのが何よりのオカルト
228 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/06(水) 21:44:03 ID:e63my5Vv0
青森だったかなぁ?
いまも子どもに説教する時、悪いことするとモッコ(蒙古)が来るぞと言う。
つがるの安東水軍が蒙古襲来時に出兵したらしい
日本全土の総力戦だったんだな〜と思った。
だけど、神風なんて関係なく勝ってるもんね。
それは凄いと思うよ。
230 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/06(水) 22:12:41 ID:lL6hsAZ60
>>181 そう言われてみると、
日本拳法協会の形って
3歩づつ前に進むな。
虚実の形なんて
そのものだ。
231 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/06(水) 22:17:09 ID:lL6hsAZ60
>>186 柳生新陰流の柳生石舟斎が
能の金春流から足運びを学んで
清江水(せいごうすい)っていう
秘剣を編み出した。
>>223 >各地から集結する鎌倉武士団!そして夜明けの博多沖に現れる異形の蒙古大船団!
想像するだけで、鳥肌が立ち、武者震いするような気がする・・・。
たぶんオカルト的には、日本民族の集合無意識の中に、
このときの様子が記憶に残ってるんだよ、きっと。
鎌倉武士団vs武田騎馬軍団
も見てみたい。
幕末の志士たちが愛誦した頼山陽の『蒙古来』
筑海颶氣連天K、 (筑海の颶気、天に連なって黒し)
蔽海而來者何賊。 (海を蔽うて来る者は何の賊ぞ)
蒙古來 來自北、 (蒙古来る 北より来る)
東西次第期呑食。 (東西、次第に呑食を期す)
嚇得趙家老寡婦、 (趙家(南宋)の老寡婦を嚇し得て)
持此來擬男兒國。 (此を持して来り擬す男児の国)
相模太カ膽如甕、 (相模太郎、膽甕の如し)
防海將士人各力。 (防海の将士人各力む)
蒙古來 吾不怖、 (蒙古来る、吾は怖れず)
吾怖關東令如山。 (吾は怖る関東(鎌倉幕府)の令山の如きを)
直前斫賊不許顧、 (直前、敵を斫って、顧みるを許さず)
倒吾檣 登虜艦。 (吾が檣を倒して虜艦に登り)
擒虜將 吾軍喊。 (虜将を擒にして吾が軍喊す)
可恨東風一驅附大濤 (恨む可し東風一驅大濤に附し)
不使羶血盡膏日本刀。(羶血をして尽く日本刀に膏らしめざりしを)
幕末の志士たちにとって弘安の役の台風は、「神風」どころか
武士たちの手柄を奪った「恨む可し東風」でしかなかった。
昔の日本人は「自分たちは蒙古に勝ったんだ」と思いながら
明治維新を成し遂げたのだ。
235 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/06(水) 23:04:19 ID:fBHy+6mLO
こんなスレ世界史版に立てた日にゃ
映画でみてぇなぁ・・・当時の鎌倉武士の士気たるや相当のものだった事だろう。
事が済んでからは揉めたと学校では習ったがwww
しかし日本を守ったのだから武人としての本懐を遂げたとは言えるかもな。
彼らの勇敢な戦いは今日の日本にも直接繋がっている。
>>228当方岩手出身ですが、ひいじいさんにはモッコ(蒙古)が来るぞ!と叱られた記憶があります。
237 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/07(木) 06:08:03 ID:ERkoYInsO
日本映画に無いのかな?NHKの大河ドラマしかないのかなぁ。絶対に映画で見たい!二部作で
238 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/07(木) 07:11:19 ID:TDhsVutsO
エキストラのモンゴル人雇い、且つ北九州まで連れて来るだけでも大変だろう。
239 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/07(木) 07:35:57 ID:UIsUOatmO
ドルジがいる
241 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/07(木) 12:09:14 ID:iIw+ZV8r0
正月の10時間ドラマを100億円かければ凄いのが作れるかも。
ただ例のファビョルン人たちが騒いで邪魔するだろね。
242 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/07(木) 16:55:39 ID:Q7DphvZp0
皇學館大學生が歌う
「蒙古襲来の歌」って
ユーチューブに出てないの?
歌詞だけでもうぷして下さい。
243 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/07(木) 22:09:25 ID:/dS5A1ET0
元寇の歌?
244 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/10(日) 00:54:57 ID:b58jZSKt0
国語大辞典を調べると、「むくり」と「こくり」をひっくり返した
「こくり蒙古遁げる」なる語になりますと
「元寇の時の蒙古と高句麗の連合軍のように
さんざんの有様で逃げていく、ほうほうの体で逃げる」という
意味になっちゃうようです。なお、出典は不明。
糞うソースが消えた
245 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/10(日) 02:33:31 ID:iEljnr00O
日本人でよかった
246 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/10(日) 06:29:32 ID:y67aRlG90
80年代に二百三高地と大日本帝国で当てた東映が同じメンバーを
召集し脚本を笠原和夫監督を舛田利雄で映画化しようとしたが
何故か取り止めになってマッチと明菜のオカルト映画になった
俺的にはスリーハンドレットみたいなのが観たい
247 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/10(日) 07:43:55 ID:b58jZSKt0
丹波さん亡くなったしなぁ もうキャストそろわないよね。霊界は居心地いいだろうなぁ
でも、高句麗の酋長は反町がお勧めw
神風は、東方見文録の珍説が良かった…SFと狂気のミックス具合が。
神風がなくても圧勝だったしなぁ。
250 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/12(火) 02:44:34 ID:TDrf/kkI0
もうじき、エリザベス1世の映画がやるよな。
スペインの無敵艦隊を倒すのがハイライトらしいが・・・・。
日本も蒙古襲来を映画でやれば、日本人の血が騒ぐと思うよ。
どれだけ恐ろしい強大な敵と二度も戦って、しかも退けたのかと言う事が。
学校じゃどうあっても、蒙古を退けたのは鎌倉武士の力じゃなくて
台風のお陰だと言うことにしたいみたいだからねwww
日教組のバカは、「軍国主義」は非難するくせにこう言う所はきっちり
「神国思想」を大いに利用して日本人の力を徹底的に過小評価しようと
しているのがバレバレなんだよな。
そりゃ、台風は吹いたかも知れんがそれまでに鎌倉武士の奮闘があったからこそ
九州の内陸まで侵攻されずに済んだと言う事を素直に評価できない日教組・・・。
いや、認めたくないんだろうね鎌倉武士に二度も負けちゃったなんてさww
俺には今でも九州沿岸で死に物狂いで蒙古軍と奮戦する鎌倉武士達の
怒声が聞こえてくるよマジで。
251 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/12(火) 02:48:46 ID:TDrf/kkI0
よく聞く「いざ!鎌倉へ!!」と言うフレーズは
マジでカッコいいよな・・・・。
一度、国家存亡の危機には鎌倉武士達が馬を走らせて
鎌倉に馳せ参じる姿が目に浮かぶ・・・日本人で良かったぁ・・・・。
252 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/12(火) 03:10:28 ID:00D+paQCO
日本に武士はもういないのか
253 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/12(火) 03:31:53 ID:rG4PiHYHO
これさ
ただ日宋貿易を中止させたり、1279年あっけなく降伏した南宋の捕虜を消費したかっただけじゃないの?(後者に関しては1281年弘安の役)
同じ陸続きでも陳朝(ベトナム)のチャン=フンダオはモンゴル撃退してるし、モンゴルは海弱いからシンガサリ王国(ジャワ)のラーデン・ヴィジャヤもモンゴルを倒した。
強いことには違いないけどね。
それよりマムルーク朝はどうやってアインジャルートの戦いに勝ったんだ?
254 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/12(火) 04:17:05 ID:ALjBNO9FO
なんか元寇のあと、逆に日本から元だか半島だかに攻めたってのを聞いたことあるんだけど本当?
エロい人教えてください
255 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/12(火) 09:00:03 ID:kQEcSEWg0
>>253 またそこに戻るのかあ。
南宋はあっけなく降伏どころか何十年と戦い続けたよ。
弘安の役の総勢14万はベトナムあたりとは規模が全然違うしベトナムは結局臣例を受け入れている。
南宋の捕虜の消費ってチンギス=ハーン時代のモンゴルは各所で虐殺の限りをしてるし何でわざわざそんな手の込んだことすると思うの?
チンギス=ハーンはあるときまでは制服したところでは徹底的な破壊と殺戮をしてたけど名臣耶律大石の建言にしたがいそれをやめた。
殺すより生かして働かせた方が旨味があるから。
せっかく豊かな中国南方を手に入れたのにそこの住人を無理に殺す必要なんてなかった。
256 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/12(火) 09:27:09 ID:lfWKQVHCO
一度目の台風は無かったってのが今の歴史学では定説らしいね
格好良いなぁ。敵に日本軍は「大敵」って
言わせるくらいだからね。
本当に素晴らしい。
259 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/12(火) 15:23:04 ID:cuiFyjM+0
どう考えても、元が着た時にだけ二度も同じように
台風が直撃とか話が出来すぎてるよな。
まぁ当時は神国思想は拍手喝采だったのだろうけど
鎌倉武士達はあまり歓迎しなかっただろうね。
自分達の奮闘のお陰で元を撃退したんだぐらいに思ってたと思うよマジで。
しかし、それを未だに利用して鎌倉武士を過小評価してる日教組は
何とかならんのかなマジで。
260 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/12(火) 15:41:36 ID:D8TQj0vEO
菊池武房について語るスレはここですか?
>>255 >ベトナムは結局臣例を受け入れている
そうなのか
それにやはり元と周辺ハン国では全く国力も違うのか・・・。
携帯からとはいえ過去も読むべきだったな
勉強不足だった
262 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/12(火) 18:24:55 ID:V/FOJ8qn0
>>234 『日本楽府』ね。
岩波は、『日本外史』を復刊してくれないかな。
263 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/12(火) 18:47:12 ID:3Qke2B0k0
東国武士団のルーツは新羅人、高句麗人。
宇佐八幡宮の3拍子は騎馬民族のリズム。
って、
必ず書き込む奴が出てくるんだよなw
264 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/13(水) 10:07:53 ID:wPAgmFDA0
>>263 宇佐のことは書かないで。太宰府みたいにキムチ臭くしたくないから。
265 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/13(水) 10:59:38 ID:4F5l7c9v0
>>254 鎌倉幕府が「待つよりもこっちから攻め込もう」としたらしいが企画倒れに。
官製の反攻は出来なかったが、私的にやったのが「倭寇」。
初期の倭寇に対馬や壱岐の人間が多かった事から「元寇の恨み」と見られる。
266 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/13(水) 12:12:42 ID:JUcCk/CjO
侍最高
267 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/13(水) 12:28:28 ID:T2HOjDEm0
元寇の台風は、伊勢神宮の内宮の地下にあるアークが起こしたものである。。。と思う。
もし、鎌倉時代に商業が戦国時代並に発達し、兵器の鉄砲大砲鉄甲船
兵站のロジステイクスがあれば中国の一部を占領できた。
>>262 『日本外史』の文永の役は神風ではなく武士が戦闘で元軍を撃退したことになってるんだよね。
「十一年十月、元兵一万可り、来つて対馬を攻む。地頭宗助国、これに死す。転じて壱岐に至る。
守護代平景隆、これに死す。事六波羅に報ず。鎮西の諸将をして、赴き拒がしむ。少弐景資力戦し、
射て虜の将劉復亨を殪す。虜兵乱れ奔る。」
日教組に嘘八百を教え込まれた現代人よりも、江戸時代の人の方が正しい歴史認識を持ってるなんて
情けない話。
269 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/14(木) 02:57:18 ID:RguCK0ea0
映画で作る時は、ちゃんと鎌倉武士達の
命懸けの奮闘をしっかり描いて欲しいよな。
せめて神風は蒙古が鎌倉武士に撃退されて、命辛々
逃げ帰る時に海にでたはいいが、そこで台風にあって全滅ってのが
常識的に考えても普通だと思うけどね。
大体、せっかく上陸したのに夜になったら見張りの兵も立たせず
一人残らず船に戻るって・・・・日教組の奴らどれだけ都合を合わせてんだよww
んなわけねーだろ、台風が着てるのにわざわざ海に出るバカがいるかよwww
一人も残らず、消えたって事は普通に鎌倉武士に撃退されて、オメオメと
逃げ帰ったとしか言い様が無いわな。
まぁその途中に暴風雨にあって船が海の藻屑になったかも知れんがww
間違っても、沿岸で停泊してる数百隻以上の船が、いくら暴風に
遭遇したからといって、何の痕跡も残さず消えるかっつーのwww
日教組って実は神国思想が大好きなのかな?ww
270 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/14(木) 03:32:19 ID:F7147esdO
必死に守った日本が侵食されてると知ったらへこむべな
日教組=ザイー=創価=池田犬作=日蓮が日本を救った こういう感じだろ?
272 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/14(木) 21:31:52 ID:Zb/umCyM0
やっぱし東国武士団って最強だったんだな。
273 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/15(金) 16:58:38 ID:7TzTyXs40
最初の文永の役は九州武士団が主力。弘安の役になると東国からも来ていたし
四国の河野一族みたいに「敵を絶対に上陸させない」決意で築地を背にして
手前に陣取った武士団もあった。
護る側にこれだけの知能と決意があったら、侵攻する側はまあ戦意喪失かもな。
274 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/15(金) 22:05:28 ID:QRtF27T7O
鎌倉武士団が命懸けで守った日本。今の日本を見たらさぞかし悲しむだろうな。申し訳ない
275 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/15(金) 22:18:42 ID:cmWdFRFGO
裏で陸奥の一族が・・・
>>210 >>211 リアルにバズーカ使ってた織田鉄砲隊の石川(前田)慶次郎とか
上杉謙信(影虎)・景勝親子に使えた直江兼次とかは有名どすな
二人とも大男で、リアルランボーだったと言われてる
実際は特殊部隊(上忍)の家系だったみたい
偵察・諜報・分析・戦闘指揮を総合的に行う
信州東部では、真田・望月が同じ家系だったようで
猿飛のモデルは望月の頭領らしい
277 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/15(金) 22:45:05 ID:gruymzJV0
>>276 >実際は特殊部隊(上忍)の家系だったみたい
そうです!
戦国武将を、@政略家A上忍B中忍C下忍D影響者に別けて
考えると理解しやすいですよね。
278 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/15(金) 23:12:53 ID:JV3zIbcH0
戦国時代なら俺みたいな自宅警備も立派な仕事と認められたのにな。
279 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/15(金) 23:23:18 ID:1vtcJJTT0
280 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/15(金) 23:36:02 ID:yQWU9g980
フビライと天皇の一騎打ちが見たかった
281 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/16(土) 00:05:42 ID:N7nPX6rz0
鎌倉武士団達は草薙の剣とか
布流之御霊とかに祈ったのだろうか?
十柄剣とか。
>>276 信州産忍者は大体この辺から発生したって確認できるが
越後の草は歴史から消えたから全く謎のままだな
一説では越中の黒山系の山の民が傭兵になったとも考えられ
又或は直江家に重宝されてた事から与板の山間部に越後産忍者が
居たとも考えられる事もも出来るが国替えが在ったためか
その様な里や民が居た事は今日に民間伝承が伝えられていない
283 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/16(土) 21:42:02 ID:GyzNbGHv0
>>282 職場の上司(白馬の代々の地主)の話だと、越後の直江一族は元々信州
越後の国境一帯にいた「山の民」の首領らしい(つまり上忍)もともと
越後にいなかったのを影虎が越後金山で買ったため「傭兵に」なった
越後の直江の下で実際働いてたのは「戸隠」出身の飯綱忍者だったとか
「契約」で働く傭兵集団だったようで、今でも記録が残ってるが戦国時代
は全国に派遣してた人気ぶりらしい 与板のはそれが直江ー影虎に買収
され移住したとか聞いた(買収を提案したのは直江次郎らしいが)
しかし直江次郎が家老に格上げされてしまいその配下の忍者も同時に
格上げとなったので結局「自動的に廃業」しちゃったんじゃないか?
国替えで山形に飛ばされたし
285 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/18(月) 03:33:37 ID:V1J9FXq/O
最強日本復活希望
今日レンタルで『マルコポーロ〜東方見聞録』ってのを観たけど・・・。
なんか肝心(?)の元寇の場面が全く無くて殆どセリフの中でチラっ!と語
られる程度だった。orz
ただ元寇の直前に交渉の為に送り込んだ特使二人の首が黒い重箱に入れられ
て日本から送り返されてくる場面は結構ゾゾォォ〜〜っ!とした。
287 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/20(水) 19:21:14 ID:Dg7k3G3Z0
冷静に考えても、武士より強い兵隊が存在したとはおもえん。
日本人ながら、強すぎるだろ、っていつも思うわ。
今の日本人を見たらさぞがっかりするだろうな
289 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/20(水) 21:48:02 ID:d9Liqt0P0
鎌倉でハレルヤ
290 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/20(水) 22:19:46 ID:xwupmrKG0
スパルタンジャパニーズ最強だな
で、敵はお馬さん持ってこなかったのか?
大河ではお偉方が乗ってなかったっけ?
でも一瞬で射られていたがwww
292 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/21(木) 20:57:13 ID:3IAnz4Bs0
昨晩の東アジアサッカー選手権
日本VSシナは
凄い試合だったな。
ラフプレーの連続+デタラメな審判だったが
よくも絶えて勝ったもんだ。
やはり、我々は鎌倉武士団の末裔なんだ。
>>291 一人で敵陣深く切り込んで、長距離スナイプで副将を射落としていたな。
あれって実話なんだって?流石に一人でなくて少人数だったようだが。
294 :
184:2008/02/21(木) 21:37:25 ID:AB/+snPu0
>>284 全くこんなんだった まだ横から見てるからわかるけど
これが正面や45度から襲撃されると「なんてチートw」
296 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/22(金) 00:34:31 ID:BXlBV+nMO
この間の世界まるみえで、アメリカの科学番組が最強の武器を決めるという特集やってたけど、ヤンキー共に日本刀が世界最強の武器だと断言されてた。日本刀はかなりヤバイらしいよ。侍ヤバすぎじゃね?
297 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/22(金) 07:06:58 ID:K+KJBEvG0
角川春樹よ映画にしれ
そして皮肉なことに、元寇を結果的に追い払った事で、鎌倉幕府の終焉をつげる鐘が鳴りはじめたのであった。
↑これは既出?
>>292 激しく同意ですな。あれはスポーツと呼べる代物ではない。
日本チームはあんな状況の中で健闘したと思う
301 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/22(金) 17:18:56 ID:V3MDvT6p0
武者って
相当力が強かったっていうね。
302 :
184:2008/02/22(金) 22:50:17 ID:kckKE4M40
>>293 EUの当時の記録だと、300m先からも命中率は凄かったらすぃ
おまけに石弓と比べ早漏、じゃなく速射にまさってたしね
多分特攻にこだわらず弓戦でも、EUが敗北するのは確実かも
でも鎌倉時代にはまだ剣術は出来てないだろう。屈強ではあったろうが
304 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/23(土) 05:25:15 ID:zzGTw6gUO
>>290 お馬さんばっちり持ってきてたぜ。
武士もお馬さんに乗ってフルボッコにしたってわけ。
305 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/23(土) 06:56:15 ID:XoymW8VZO
>>296 トリビアの検証で日本刀が弾丸を真っ二つに切り裂くの見て日本刀は最強だと思った。
306 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/23(土) 08:25:57 ID:VceXaD2v0
>>295 >>304 お馬さん持って来とったのか!
モンゴル兵は馬使えないから不利だった訳じゃないのか…
>>296 >>305 実は青竜刀って硬く重たいから単純な切断力は有るので侮れんのだが
義和団と日本軍が対戦して白兵戦に為ってチャンバラした時
片手でしか使えない日本将校のサーベル型に改造した指揮刀では
結構殺られたのだが
両手を使う古来の日本刀を持った選抜切り込み隊がチャンバラしたら
青竜刀持った義和団など相手にならなかった
何かの史書(元寇関連だったかな?)に、日本兵が相手の刀を持ってる手を
あっという間に切り落としたって書いてあったよね?
あまりの素早さと刀の精度に驚いたとか、何とか。
ネットか史書に見た覚えがあるんだけど、知ってる人がいたら教えて下さい。
>>306くうぅっ!かっけぇ・・・
しかし精鋭の斬り込み隊と言えば維新の時の田原坂とかもそーゆーのあったなぁ。
元新撰組の隊士もいたりして。当時でも時代おくれの作戦がうまくいっちまうんだから
やっぱサムライはべらぼうに強かったんだな。
黒船の上で騎士と勝負して勝ったって話も武板で読んだが・・・ソースは不明。
斬り込み隊の敵味方に与える士気の影響はでかかったらしいね。しびれるわ。
よく無謀の代名詞になる日本軍の夜襲は、大半は銃撃で撃退出来るから
損害自体は大したことが無かったけど、生き残った少数の兵士に米兵が
闇討ちされるケースが続出して、心理的なダメージがでかかった
最初は拳銃で対応したけど、肉薄されてからの対処が上手くいかない
最終的には兵士の単独行動を禁止して、多対個の状況を作った上で、
スコップ剣術を教育することで事態の収束を見た
ロボ板の実体剣の有用さを議論するスレでのレスだと、実際にそういう目に
遭った人に、日本刀でスコップの柄がスパスパ斬られるんで、ブレードの
部分しか防御に使えなかったって話を聞いたってのもあったな
310 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/24(日) 17:26:11 ID:W6eDOBg9O
武士は最強。感動した。
311 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/25(月) 08:03:23 ID:Q+KPvzCwO
>>296だけど、誤解を招く書き方してごめん。勿論銃火器を除いた、刃物類の世界の武器の中で、最強という事ね。
312 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/25(月) 08:22:14 ID:tZWN2qE8O
>>311 気にするな。日本刀が世界最強だとわかれば満足じゃ!
313 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/25(月) 19:39:08 ID:bFCnvWMO0
>>305 他に実験したことがあって、
「拳銃だから当たり前だろ。」
と言われたので、アサルトライフルで試したら
6発目で折れた。
だが2発以上あの高速回転した先の尖った弾を割っていたそうだ。
314 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/25(月) 22:01:32 ID:PlpYgdjA0
幕末の頃に日本へ来たヨーロッパ人たちが恐怖してるね。
「日本刀は剃刀のように切れ味が鋭い」と。
それから「サムライ」「ローニン」と言う精神美学が彼らの共感を呼んで行った。
315 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/26(火) 22:03:13 ID:PaqAkocBO
鎌倉武士は世界最強だった。
しかしおれは世界史板の朝鮮征伐スレにある新事実を見て愕然とした。
いいか、鎌倉武士団と同じく世界最強のはずであった戦国オールスターズは明征服を企て朝鮮でフルボッコにされた。
にわかには信じがたい。しかし誰も反論ができない。
これが真実なのか・・・。
おまえらも見てこい。
>>315 日本から朝鮮半島を攻めた朝鮮征伐では、日本軍は平壌やソウルを攻め落とし、
7年間も半島南部を占領し続けた。
一方の元寇ではモンゴル、中国、朝鮮が束になって日本を攻めたのにもかかわらず、
九州に足場を築くことすらできなかった。
同じ対馬海峡越えの軍事侵攻なのに結果が大差だろ。
>>315 結局は、価値が無いってわかったんで捨てたんだろう
キタネーし寒いし金はかかるし、得られるものとの釣合いがとれないと
朝鮮なんか併合前ですら、道の両端に溝があってソコにウンコやら汚物が流れてて、その溝で子供や犬が遊んでいる
中国もヒドイと思ったが、ココはソレ以上にヒドイ。中国がまだマシに思えてくる。ってイザベラバード(だったっけ?)が書いてるぐらいだぞ
それより遥か前だからどれほど汚いか想像を絶するほどだったんじゃないか?だから負けて撤退と言うより捨てたんだと思うよ
↑で書き忘れたが
ウンコまみれで遊んでても入浴とかの習慣は無いからな
今でも週2回とかだ。
衛生観念が進んだはずの現在でも
台所の中や、公衆浴場の風呂場の真ん中にトイレ便器がある国だぞ
過去はどんなものだったか考えるだけで・・・
319 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/27(水) 20:04:05 ID:VUtqoumS0
朝鮮出兵では韓国の学者の間では「黙って通してたら秀吉軍はヨーロッパまで
攻め込んでいたろう。第二の元軍になりかねない勢いを殺いだのは我が朝鮮軍」と言う
説もあるそうだよ。
いう事だけはいろいろ面白いのが朝鮮だなW
320 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/27(水) 20:13:27 ID:Bnta5beUO
ああ、お前たち世界史板や軍事板にいってくれ!その定説がくずれたんだよ。
おれはショックだ。
明にフルボッコ。
321 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/27(水) 20:21:29 ID:VW5OmFTRO
加藤清正は満州まで攻め込んで勇名を轟かせ、
あまりの強さに一時期現地で清正の御札を作って魔除けにするのが流行った。
シ川の戦いでは大陸から撤退する際、秀吉死去を知って追撃してきた明、朝鮮連合20万
を島津勢1万で撃退、2万の敵兵を討った。ちなみにこの記録は明側の資料。
て司馬さんの小説に書いてあったけど違うの?
322 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/27(水) 21:12:58 ID:znCWLMgo0
敵方に「オニシマズ」って呼ばれたらしいな。
323 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/27(水) 21:16:39 ID:znCWLMgo0
いま歴史群像シリーズ「島津戦記」をちょっと開いたら、
明軍から「鬼石曼子(グイシマンズ)」と怖れられた、だとさ。
明史の見解だと朝鮮征伐は「明軍にも朝鮮軍にもまったく勝ち目がなかったが
秀吉が死んだお陰で戦争が終わった」なんだよね。
325 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/27(水) 22:57:49 ID:wiZ2pP2M0
っていうか文禄慶長の役って基本的に日本と明の戦争で朝鮮はおまけのようなもんだろ。
なんせ当時は知恵比べでも
日本の百姓>>ポルトガル・スペインの宣教師
だった訳で・・・。
古代は古代で、白村江の「大敗」直後から、更に兵力増強・防御力向上も
叶ったお国柄な訳で・・・。
63年前の大戦でも、世界中の大国を相手に戦って、負けても尚、国としての
機能や秩序が働いていた国な訳で・・・。
幕末にきた外人が、普通の大工が三角関数使ってると驚いたらしいね
328 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/28(木) 13:08:47 ID:kXThpTno0
>>318 今は入浴は2週に一回くらいらしいです。エンコリで自爆してますた。
>>327 昔の日本では学問って「道楽」のひとつとみなされてて、
計算関係に至っては、商人のやるもんだとか言って、
武士はあまりやらなかったくらいだよね。
治水の必要のあった藩では、町人を測量だとかそういう計算関係に採用してた。
ところでこのスレ読んでウルッと来た。
俺の先祖、元寇で戦って死んでるから。
>>1よありがとう。
330 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/28(木) 23:23:15 ID:kXThpTno0
うちは怨敵退散の祈祷してますた。英彦山の山伏ですた。
331 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/28(木) 23:27:24 ID:kXThpTno0
ちなみに、島津についたので、大友に焼き討ちされ豊臣にささやかな所領没収されますた。
徳川になってから鍋島さんの寄進で食いつなぐことができますた。
332 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/28(木) 23:44:28 ID:dMox3JiS0
なんでそんな侍大国がアメリカに負けたのかな・・・
やっぱり日本人は金髪に弱いのかあ。
天敵っているんだなw
>>332 そりゃ仕方ないよ・・・
なにせ幾ら現場の人間が猛者揃いだとしてもTOPの香具師が揃いも揃ってDQN
ばっかでは・・・(苦笑)
元冦とは関係ないかもしれないですけど、武士の末裔である事を誇りに思います。
335 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/29(金) 02:30:43 ID:y9qO2g1W0
でも世界中を相手にしつつもアメリカをあそこまで追い詰め、苦しめ
「こことは二度と戦争はしたくねー」
と思わしめたのも日本だけじゃまいか?核も持ってないのに。
現に中東なんか、資源も歴史もあるのに、ナメられっぱなしじゃん。
337 :
本当にあった怖い名無し:2008/02/29(金) 18:04:48 ID:yqZd6QeU0
日本人は死を覚悟したら、世界で一番
潔い民族だからね、飴ちゃんもそこんとこ分かったと思ってたけど・・・
イラクの失敗やら、テロに巻き込まれてるの見ると、何も学習してなかったのかな・・・。
338 :
本当にあった怖い名無し:2008/03/02(日) 16:50:15 ID:b2fr4cFE0
チョンやチャンコロ相手なら、喧嘩上等だぜい。カミカゼでもなんでもやってやらー。
339 :
本当にあった怖い名無し:2008/03/03(月) 23:54:56 ID:z16IJ/0r0
340 :
本当にあった怖い名無し:2008/03/04(火) 00:07:32 ID:yFiE+Agc0
あんまり日本ばっかり褒めて、調子に乗るつもりはないが、やっぱ、そこそこ優秀なんじゃないかな?日本人って。
ただ、いつも大きい枠で勝てない哀しさがあるような気がする。あと、常に、上層部、指導者層、為政者、官僚機構などの中に「国民ないがしろOK&無為無策的な病巣・病理」が存在しているのが日本の悲劇かな。
昔っから調略に弱い気がする>日本
今とか情報関係gdgdじゃないかい?スパイ天国だしさ。
342 :
本当にあった怖い名無し:2008/03/04(火) 08:45:29 ID:Ld+JNCOo0
>>340 鎌倉時代の指導者たちは、まだ民族主義の概念がなかった時代を考慮すれば一般民衆のこともずいぶんと考えていたよ。
例えば将軍宗尊親王を上洛させて父の後嵯峨上皇と親子対面の計画があったがそのとき飢饉で民衆が苦しんでるからという理由で結局取りやめた。
文永の役でも武士は戦闘に勝利したが民衆には被害は多かった。
石塁だって民衆を守るために作ったわけだし。
戦国大名だって武田信玄はじめ民衆を大事にした施政を行った大名などいくらでもいたし江戸時代もそう。
ある意味最もひどいのが現代だろうね。
343 :
本当にあった怖い名無し:2008/03/06(木) 12:02:35 ID:zNc3B/m/0
大名や代官は
領民を保護していたんだよ。
鬼平は、無宿人を集めて
再教育して社会に送り出した。
これ軍事板向けじゃね?
つまり「板違い重複死ね」って事を言いたいわけですね!
347 :
本当にあった怖い名無し:2008/03/08(土) 01:36:46 ID:h1FHQO3f0
戦後の反日教育や反日工作勢力が大手を振って罷り通っている状況は正にオカルトだ。
よってオカルト板でよいのでは?
軍板で議論に負けた人がオカ板来てたてたんじゃない?
つまりオナニースレなんだからいらないんじゃね
>>347 それいくらなんでも強引杉w
賛同するところは有るけど元寇だけに限定したスレでやんなくても
相応のスレあるしやっぱいらんよ、このスレ
350 :
本当にあった怖い名無し:2008/03/08(土) 10:13:22 ID:+BQ/utLBO
352 :
本当にあった怖い名無し:2008/03/08(土) 11:57:37 ID:iQ7mI8l3O
チョンのあの法則としか思えない
353 :
本当にあった怖い名無し:2008/03/08(土) 12:51:38 ID:BtogXFPfO
元寇の話で300(スリーハンドレッド)みたいな映画を作ればいいのに。
354 :
本当にあった怖い名無し:2008/03/08(土) 17:53:13 ID:h1FHQO3f0
>>348 IDがカワイイね。ID:+hgAI7DA0 「ID:+hgAI7だお」だってw
355 :
本当にあった怖い名無し:2008/03/09(日) 11:05:13 ID:aVP3C7Cf0
356 :
本当にあった怖い名無し:2008/03/10(月) 20:18:09 ID:Y1yt5EsuO
たけしの世界まるみえで、今度はアメリカの科学番組で、世界最強の格闘技は日本の忍者(忍術)だって!侍に続いて忍者も最強らしいぞ!アメ公はどんだけ日本人恐れてるんだよ。侍と忍者はどっちが強いんだろう?
357 :
本当にあった怖い名無し:2008/03/14(金) 19:54:49 ID:LWhvyYWj0
いくさ人には忍術は通用しないらしいぜ。
あれだろ?
昔の日本人は駆け足が出来ないから
駆け足の出来る忍者が超人に見えたとか。
駆け足ができないって、普通に走る事ができないって事?
360 :
358:2008/03/15(土) 08:55:29 ID:Ds/sHVkM0
末續慎吾は日本人古来の走法であるナンバ走りを取り入れて世界陸上200mで銅メダルを取った
362 :
358:2008/03/15(土) 10:57:04 ID:Ds/sHVkM0
西南戦争のとき、薩軍と戦った農民兵は、集団移動もできず、
行進もできず、駆け足もできず、突撃もできず、方向転換もできず、
匍匐前進もできず、つまり戦闘ができず、
旧士族の薩軍に対して歯が立たなかった。
戦後、明治政府はその対策として、ヨーロッパ式体操と西洋音楽による
リズム教育を義務教育に導入して強兵の策をとり、国民の運動や姿勢をかえ、
あげくに、伝統的な舞踊や劇の仕種との断絶を招いた。(小倉朗『日本の耳』33頁)
つまり武士は強かったってことだろ
なんでオカ板?
昔ビルマ戦線の英軍の戦闘記録を読んだ時に、
M3リー戦車の中に軍刀だけで車内に踊りこんで戦車長と操縦士・通信士を
斬り殺した日本軍将校がいたらしい
最終的に装填手がリボルバーで蜂の巣にしたらしいが
いや・・・それ以前にビルマ方面の英軍兵士は何時も日本軍の自転車部隊に
よるゲリラ戦術に死ぬほど怯えてたらしいしwww
板違いスレでスレ違いとは恐れ入る
369 :
本当にあった怖い名無し:
age