>>946 モンゴル軍は文永の役の野戦でも普通に日本軍に負けてるんだから水云々は関係ないよ。
軍事技術はモンゴル軍よりも日本軍の方が進んでたってこと。
東方見聞録で黄金の島として紹介された日本が気になって
フビライが軍を送ったという説が。
954 :
名無し三等兵:2008/06/24(火) 09:01:38 ID:q8ey/Jg5
東方見聞録は必ずしも出鱈目ではない。
現に日本は戦国時代まで世界屈指の金産出国だったし平泉の中尊寺金色堂のような建物もある。
また奥州藤原氏の平泉からは象牙だって発見されているが、奥州藤原氏が独自に海外貿易なんかも行っていてそれが広範囲に渡ることを示している。
とにかく日本史は日本は島国で小国でいつも閉ざされていた世界だという矮小化した歴史観だけで見るととんでもない誤解を引き起こす。
元寇についても認識を変える時期に来ているのだろう。
鎌倉幕府は元寇の半世紀前の承久の乱で19万動員しているわけだから。
そういえば、元軍の襲来予測地点は当初二ヶ所あったという説を聞いた覚えが
一つは実際に戦闘が行われた九州で
もう一つが、たしか今の山形県付近だったと思う
ここまでのまとめ?
1)元軍は最新兵器を装備した大軍で、日本軍は手も足もでなかった。
× → 兵力的に劣勢にもかかわらず元軍を撃破。
2)元軍は余裕綽々で勝利目前。
× → 日本軍の猛攻の前に将官も戦意喪失状態。
3)台風で間一髪!元軍は全滅! こうして日本は平和になったのであった。
× → 台風は戦局にまったく関係なし、むしろ数ヶ月も嵐が
なくて元軍ラッキー♪
4)北条時宗は執権になったときに、たまたま元寇が起こっただけの
能力的には見るところもないボンクラ。
× → 国内をまとめあげ、元軍の再来週に備えるなど
侮りがたい指導者。
て事で桶?
中国の「元韃攻日本敗北歌」にも元寇の原因は日本の富だという記述がある。
鎌倉時代中期の公卿、権中納言・藤原経光の日記である「民経記」の記述に、
1242年に日本から南宋に派遣された船が銅銭十万貫を持ち帰ったとあるが、
この額は当時の南宋の年間の銅銭鋳造量に匹敵する数字。
鎌倉時代の日本は超経済大国だよ。
958 :
名無三等兵:2008/06/24(火) 10:01:17 ID:Zd5RiMBe
>>937 >全然話は変わるが、「北条時宗」って評価低すぎると思わん?
日本を外国の侵略から守った救国の大英雄でしょ?
お札にするなら、聖徳太子でも諭吉でも伊藤公でもなく
時宗公を断トツに押す。
オレも「北条時宗」は、お札の顔にふさわしいと思うんだが、
問題はモンゴルがどう思うかだ。
モンゴルは今現在、親日国、
韓国・北朝鮮・中国と反日国が連なる中での親日国は大切だ。
そのモンゴルがモンゴル軍を撃退した者をお札の顔にされるのはあまりいい
気持ちがしないだろう。もちろん悪いのは元の方なのだから抗議はもちろん
皮肉さえ言わないだろうが、せっかくの親日国の気分を害するのは
どうかと思うが。
ポンゴルごときにどう思われようがかまわんが
一国一国は小さくても、親日国は少ないより多いほうがよい。
中国あたりが躍起になってアフリカに投資して親中を
ふやしてるのは、資源確保のほかに親中国を増やして
外交上有利にする目的もある品。
と、ネタにマジレス。
>>954 平泉〜
ありゃ金じゃなくて金箔だろw
久々に笑えたw
それにそれだけで金が豊富とかよく言えたもんだなw
>>961 無知乙。
奥州藤原氏の経済基盤が何だったか、よく調べてみ?
>>946 3回目以降が中止された理由は元の内紛が原因だよ
学研の歴史マンガでは時宗を書いたのは故横山まさみち氏だったかなあ
蒙古軍がオットセイに乗って攻め込んで来たら日本は負けていただろう
>>961 そもそも金箔を建物の外壁に張るお発想がお前に浮かぶか?w
小さい指輪でしか黄金を見たこと無いような人間には、
家を金箔で覆うなんて考えは絶対浮かばないだろ?
「黄金の国ジパング」は有名だが、西欧では日本の近くに
「金銀島」があり、金銀が産出されていると長く信じられていた。
そもそも「黄金郷」を探すって言っても、バカじゃない限り、
「この金はどこで産出されたんだ?」をたどって行くのが普通。
大量に出てなかったら、伝説どころか噂にすらならないだろう。
現にお隣の韓国が黄金の国とは一度も聞いた事が無いからなw
幕末に海外と金銀の交換比率で日本は金1;銀5・欧米は金1:銀15、
時代は確かに異なるが、日本は金の産出量は約3倍多かったんだな。
スペインが新大陸を発見し、銀相場が大きく変動して欧米の経済は
大混乱し、スペインは日の沈まぬ強国に成長したが、
実は同時期に日本の銀産出もそれに匹敵する量があった。
時々こんなウソ歴史文があるw
「それまでの大陸からの使者が金閣寺を見て、日本には金銀が豊富だと思い込んだ」
金閣寺は室町時代で、元寇から100年近くも後だw
中尊寺金色堂は平安末期だしこれなら南宋の使者が噂で伝え聞いたり出来る
東北地方の金は奈良時代に大仏建立中に見つかった
そして奈良の大仏は、作られた当初は金箔が押されていた
まあ火山活動が頻繁に起こる地域では何とか金鉱山が形成されている
ハワイなんかはさらさらの玄武岩でダメだろうが、花崗岩地域で
火山の歴史がそこそこあって今でも活動が活発で温泉もあれば可能性が高い
菱刈鉱山は金の含有率が高いとされるがそれでも1tから僅かな金しか取れない
だが、恐山の一部から大量の金が取れたり、海中だと熱水鉱床のある沖縄周辺の深海で
金を大量に含む鉱石が取れたりしている
>>965 ほぉ〜
じゃあ、金閣寺の金は金箔でなくて金でちゅかぁ〜w
だいたい東方見聞録、東方見聞録って言ってるけどよ
ジパングの金関連の文前後読んだことあんのかよ
ジパングでは白胡椒も黒胡椒も豊富に産出されるって書いてあんだけど
日本のどっから白胡椒や黒胡椒出るんすかねぇ!
マルコ・ポーロが記述させたのはジェノヴァの監獄だぞ
単なる記憶違いだって十二分にありうる
ただ単に当時の日本では金のレートが安かっただけのことであり生産量とは関係
ないことは当時の日本では金貨は勿論、貨幣が全く鋳造せず、宋銭、元銭に頼っ
ていたことで想像がつく
銀の生産に関しては日本の生産量が飛躍的に増大するのは採掘技術が伝搬してき
た戦国期以降だ
>>942 律令体制が続いていた日本が元寇に対処してたなら、ってのは面白いif考察だな。
最も、古代であっても逆に朝鮮半島とかに山ほど軍事遠征しているし、白村江でボロカスに負ける前まで
海外遠征能力も相当なモノがあった訳で・・・・・・・・・
それ以外にも東北地方の蝦夷討伐で朝廷側が動員した軍事力や唐の侵攻を恐れ、東国の防人等を
西日本各地に配置し大陸式の長城建設したりを考察するなら、大和朝廷が実権を握っていた場合であっても
相当な抵抗力を有していたと思われ。
更にいうと、大陸式の騎馬戦術がどれだけ険峻な地形である日本で通用したかも興味がそそられるな。
まあ、かくいう日本も騎馬による騎射戦が当時としてはメインだった訳だが。
>>969 当時の中国(元)であっても金貨や銀貨が大量に流通してたなんて聞いた事ないのだが・・・・・・・・・
更にいうと日本でも奈良時代までには既に和同開珎を嚆矢として貨幣を独自に発行してたし、少量ではあるが、
和同開珎等は銅銭だけでなく、銀銭も鋳造されてるぞ。
最も、朝廷の権威が失墜していた当時において、果たして幕府が貨幣鋳造の権利を持っていたのか?とか、
武家政権に貨幣鋳造の重要性を認識していたのか?であるとか、商業が大規模に発展した宋朝から大量生産
されていた中国の貨幣をそのまま輸入して使った方がメリットがあった、という点とかに原因があるんじゃまいか?
日本が大量の金が産出すると書いてある文献は東方見聞録だけじゃないし
現実に日本が大量の金を輸出していたから、中国人は日本に金が豊富だと考えていたわけで
南宋の銅銭買い占めるだけの巨大な経済力を日本が持っていたのは事実だろ
>>971 中世日本 貨幣で検索してみろ
知ったかするな
>>971 追加で開基勝宝は天平年間に作られた金貨だな。だから金貨も少量だろうが発行されていた訳だ。
最も、朝廷が発行したこれらの貨幣は朝廷の権威が失墜すると共に廃れ、もっぱら武家政権が続くと
貨幣の鋳造も全くストップしてしまってしまい、貨幣需要は宋銭や明銭に全てを託す事となる。
そしてその復活に600年ほど時間を要する事となったみたいだね。
貨幣の鋳造を再開したのはあの豊臣秀吉だったと。
あの有名な天正大判とかだな。
>>973 煽りはいいからさw オマエの自説をちゃんと主張してからにしろ、話はそれからだ、ボケ。
金箔って水銀と混ぜたりする特殊な技術が必要でなおかつ薄く仕上げる職人技
金箔状態での保存の難しさから単なる金の数倍の価値があったはずだが
さらに言うなら金箔張りできる下地は高度な加工が必要だからさらに高価だし
それだけ様々な技術が金の乏しい地方で生まれるとは思えんが
でも経済的にはともかく軍事技術云々は間違いだろう
元側は船で移動する必要上もっとも得意であり帝国繁栄の原動力であった騎馬戦が出来なかった
得手を封じられ苦手の状況で朝鮮と言うペナルティーがあれば何処とやったって負けかねん
何が言いたいかって日本海はまさに過去から現在に至るまで守護神であらせられるなっと
ヒント=金箔って金が材料
978 :
名無し三等兵:2008/06/24(火) 22:23:22 ID:q8ey/Jg5
ちなみに後三年の役の発端は砂金から始まる。
吉彦秀武が清原家当主の真衡に成衡との養子縁組を祝うため砂金を大杯に盛って庭先で待っていたが真衡が碁に夢中になって秀武に気がつかなかったため秀武は怒り心頭で砂金を庭先にぶちまけて帰った。
これに真衡が逆に怒り秀武を成敗すると兵を起こした。
奥州藤原氏は金を摂関家にも気前よく献上したりしているが当時奥州は金の産地だったことが分かる。
金は物凄く薄く延ばせるからちょっとの金があれば
幾らでも作れるんだろ?と思っている人も多い
しかし伸ばす技術も必要だとw
ちなみにチタンは伸びが悪くむりに圧延しようとすると割れてしまう
中尊寺金色堂の「金張り」が妙に気になってるようだが、
平泉の中尊寺と毛越寺の規模を知っているのだろうか?
現存すれば間違いなく国内最大級の壮大な規模の大伽藍。
毛越寺が堂塔40に僧坊500だったと言えば信じられるか?
これら全てと比較すれば金箔張りのお堂一つなんて大した事ない値段。
「金張り」がインパクトあるので、ついつい抜けてしまうが、
朱塗りの「朱」も凄まじく高かった。昔は黄金と並ぶ「宝物」だった。
それを使って「青丹よし」の都を作り、壮大な伽藍の数々を作った日本。
日本中あらゆる所に鎌倉時代からの神社仏閣があるが、
現存してる物だけでも、行けば素直に「スゲー」と思うだろ?
しかも僧侶や職人をそれだけ大量に養えていたって事でもある。
日本は昔から本当に豊かだったんだ。
HgS 酸化水銀が朱 の成分だもんなあ
秦の始皇帝やその夫人はこれを不老長寿の薬になると吹き込まれて使っていた
防腐作用があるから死後腐りにくい体に?
東方見聞録なんか沢山ある地理誌の一つに過ぎん。
そんな物は当時の日本の富や国力を測る材料にはならん。
スレからずれすぎだよ、面白いけどwww
それに国力=軍事力では決して無い。
歴史的に「西欧列強」が異様に強いが、ナポレオン以降の「国民国家」による所が大。
同じように遊牧民族は国民皆兵に近いが、農耕民族は軍人はその一部しかいない。
ゲルマン民族にローマ帝国が圧倒されて行くが、国力だけなら確実にローマが上。
牧畜・狩猟・漁撈・洋上交易を行う民族は、職業がそのまま戦闘能力になり得る上に、
農耕民族とは「動員可能」な人口の比率が全く異なり、更に必要な補給の程度も違う。
同じ人口数であれば蒙古が強かっただろうし、同兵数でも大陸長期戦なら蒙古が強かったはず。
しかし、戦争の強さで大事な要素「戦時リーダーシップ」が抜けている。
ジンギスカン登場までの蒙古は部族毎にバラバラ、強くも何とも無かった。
「北条時宗」が蒙古の使者を斬り、戦争への決意を固めた事。
これが素晴らしかったと思うのだが、いかがであろうか?
自衛隊がいくら強くても、国力があっても、人口が多くても、
リーダー不在で日本人が一致団結しなかったら、戦争は負けるんだ。
北方四島戦争
竹島戦争
尖閣戦争
東シナ海油田戦争
軍が動いてないだけで、全てに敗戦しそうだな。
とりあえず自民党政権も福田穏健路線ではもう駄目だ。
「神風」なんぞ吹くはずも無いぜ。
HgSって硫化水銀やよ。
文永では威力偵察でそれでも存分に日本は痛めつけられた、と日本側は感じたが
蒙古側も決して軽微な損害ではなく
まして夜襲もあるしと船に戻っていたら
風雨が強かったから
やばいと撤退した
そして、威力偵察である、と元の皇帝に報告するに留まった
そして日本側はこれでわが国の威力に恐れ入って次に使者を送れば
降伏するであろうと見込んでいた
文永が何か半端な帰国になってしまったのは、それが原因ではないかなあ
文永の役前後の、風水の占いの結果を分析した奴はいないかな?
高麗兵士がメインの元軍で、風雨が強くなった時に
そう言えば今日は当たりの悪い日だったとか言い出す兵士が多数いたら
撤退する筈である
朝鮮では占い師が支配的だった
弘安では、上陸が出来なかったw
とにかく防塁だらけだから攻めてきて防塁よじ登ってる間に殺されるのは当然だ
だから防塁の無い方向を探し回り、ついに志賀島からの上陸を試みたが
ここも狭い地域で逆にやられてしまった
博多からあまり遠くになると、今後の補給が出来ない
だから博多周辺で上陸地点を探すしかなかったがどこも防塁だらけ
そこに留まるうちに食料が腐っていった
その間は出撃もままならない
ニンポーを出港した本体が物凄い大群でやって来てくれたが、それでも防塁だらけだと
やっぱり上陸しにくいんだろうなあ
15万もいてもまだ足止めされていた
フランスとイギリスなら、1000年ごろのハロルド公の頃のサクソンは
人口も多くないし国土の深さも日本より小さくて攻め易い
だからノルマンがあっさりと勝てたりする
日本は博多から京まで500km、そこから鎌倉まで500km
馬の補充だって定かでない。
これで攻めるのは難しい
一気に攻め落とさないと全滅させられる
そうやって粘っているうちにとにかく熱帯性低気圧が来て
船の大半が沈み、残りの元軍を掃討する事が出来たと
国土そのものの広大さと縦深を生かして一応首都となる地域を落とさせた上で
更に奥地に逃げ、
冬に十分低温になって敵軍が弱ったところでゲリラ戦法で少しずつ潰して敗走させるのがロシア流
チフスも流行させられると完璧
海ということで補給が手間取り
その待ち時間を考えたり、上陸での敵陣地を突破する兵力不足などから時間を食わされ
その間に食物が腐って死者が出たりして、
十分時間を掛けさせて低気圧で船ごと転がすのが日本流
気象、地形、地勢を生かして相手の補給を絶つ!
大きな国土で敵の陸海軍を絶つにはこの手法が良いと
少なくとも、WW1 くらいまでは
現代戦では、アフガンの山道が長く細すぎて
ソビエト軍の補給が不可能になったというのがあったな
フラクタル的な縦深か
国土縦深を生かし、攻め込んだ敵の補給を絶って潰す兵糧攻めみたいなこの手法は
しかし敵の飛び道具的な航空輸送部隊が十分にある現在は使いにくい場合もある
ベルリン封鎖しかり、911後のアフガン然り
ベルリン封鎖で敵の輸送機を撃墜するのは政治的に問題があっただろうしなあ
(今の中国で似たような租界が同じ状態になった場合、中国政府は
問答無用で撃墜するだろう)
鎌倉幕府の力が弱く
例えば九州の数ヶ国の守護・地頭を相手に元が独自に貿易を行って
その代わり日本に攻め込んだ際に寝返る手筈なども整えて、
その上で攻め込み、九州でまだ元の影響の無い国を滅ぼして完全に
元の勢力下に置く、という手法が出来たら良かっただろうが、
南宋から元という国の恐ろしさは聞いていただろうし
これもままならん
しかし地方自治で平和宣言地域とか作っている所があるが
これって他国と通じてる事になりかねないよなあw
>>995 某県庁で働いてたことあるんですけど
あの手の平和宣言とか核廃絶宣言て知事や幹部に対してすら「言ってみただけ」以上の意味はないと思いますよ。
大体通じるも何も日々の入札やら契約やら公共事業やらに追われてるのが地方自治体の現状でして
本気で他国と通じるとしても、間違いなく「どの課が侵略国との窓口になるのか?」「それに対して予算つくのか?」
から延々幹部と知事を交えて議論して各課へ仕事の押し付け合いになると思います。
普段の仕事でも遅いとか仕事して無いって延々いわれ続けてる役所が
そういうことだけきっちり迅速に仕事するわけないでしょ
マルコポーロは日本には着てない
中国で日本について聞いた話を書いただけ
そもそも元の資料にも彼の名は無いw
だが元の王宮内のかなり細かな情報まで書かれているのは事実である
999 :
名無し三等兵:2008/06/26(木) 21:45:07 ID:A/FxHj0b
1000 :
名無し三等兵:2008/06/26(木) 21:48:59 ID:p7MrMr9A
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