362 :
、:
この講義はキリスト者共同体の司祭のために行われた。講義の中で、しばしば、司祭の使命に
ついて言及されるのはそのためである。訳者としては、ここで語られる言葉はキリスト者共同
体の司祭のみならず精神科学を真摯に学ぼうとするすべての人にとっても十分に意義があ
るものと解釈し、そのような観点から翻訳作業を行うことを心がけた。、、、、。
私の愛する友人である皆さん!「黙示録」の作者が自分の考えを集中的に述べる、核心的
な部分を魂の前に描き出すとき(この点に関して、これまで私たちは、すぐにいくつかの
ことを試みてきたわけですが)「黙示録」の全体の構成と連続した内容が、私たちの前に一
挙に明らかになります。ですからここで、私たちがこれまでに行ってきたような、主な問
題点や革新的な部分に関する観察を今日、さらに続け、明日、実際にそれに続く内容につ
いて取り組み始めることが強く求められているわけです。
昨日、私は、つぎのような点についてお話ししました。すなわち「黙示録」の筆者は、あ
る種の方法で、「全キリスト教徒の上に(つまり「黙示録」の筆者が新のキリスト教徒であ
る感じる人々の上に)キリスト教徒をキリスト原理から離反させ、父の原理えと連れ戻そうとする
力がどのように入り込むか」ということを目にします。もしその力が勝利するならば、「こ
のような原理は現代において、唯物論的で自然主義的な形態だけをとることができるのです。
363 :
、:2008/04/18(金) 10:49:31 ID:XzDFwW/I0
「黙示録」の作者は、数字の秘密にしたがって事物や事象に目を向けます。より正確に
言うならば、「黙示録」の作者は数字の秘密にしたがって、物事を見たり、感じたりするの
です。音楽家が音のつながりを数字の秘密(数秘術の事)にしたがって感じ取るのと同じ
ように(最も実際には、音楽家はこのような数字の秘密をせいぜいいくつかの箇所におい
て意識するに過ぎません)「黙示録」の作者は多かれ少なかれ意識的に直感しながら、66
6のような数字と結びついている秘密を感じ取るのです。
この場合、このような666の秘密をさらに宇宙から取り出すために、私たちが宇宙その
ものの中を除き見ることが重要な意味を持っています。私たちはここで、「すべてのキリストの
啓示は、本来太陽の啓示であり、キリストは太陽からやってくる存在である。太古の時代に別
の方法で、エホバが自分より先にミカエルを派遣しておいたのと同じように、キリストは自分からや
ってくる前に、ミカエルとその一群を派遣した」という点について、よく考えてみることにし
馬賞。「私たち自身がミカエルの時代を生きている」ということを魂の前に描き出して見ましょ
う。そうすれば、太陽の被疑としてキリストの衝動と結びついているものが極めて深いほ
うほうで、私たちの前に現れることが可能となるでしょう。
キリスト教の敵がキリスト教と戦うにあたっては、まさに「キリスト教の霊性は本来太陽と結びつ
いている」という教義を撲滅することが重要な意味を持っている。」ということを、私たち
は今までよりもいっそう深く魂の前に描き出さなくてはなりません。キリスト教の敵対者たち
にとっては、人間が霊的存在としての太陽に関する見解を完全に失い、物質存在としての
太陽に関する見解のみを手に入れるように仕向けることが、もっとも重要な意味を持って
います。この点に関しては、私はすでにこの連続講義の別の箇所でお話して来ました。事
実、キリスト教世界にイスラム主義が侵入したという事実の中には、キリスト教徒に「キリストの秘密
そのものとしての太陽の秘密」を忘れさせ、人類の進化全体をミカエルの流れとは(ミカエルの流
れの役目は、人類がキリスト的進化を理解できるように準備することにあります)別の方向に
導く、大きな危険が存在していました。
364 :
、:2008/04/18(金) 10:51:41 ID:XzDFwW/I0
外面的な歴史上の発展の背後にあるものを見る「黙示録」の作者は、世界秩序の中で外面
的に生じる出来事は、超感覚的な事象に基づいて起こると考えました。ですから私たちは
まず、ここで「黙示録」の作者が外面的な出来事の背後に見る。超感覚的な事象とはどの
ようなものなのか」という点に目を向けて見ることにしましょう。
太陽を含めた太陽系の星を観察するとき、私たちはこれらの惑星費一つ一つに、さまざま
な存在たちの集まりを見出すことになります。地球の上には、現在、進化の途上にある、
人間の集まりが存在します。そして地上の人間に関して、私たちの魂の深みへと入ってい
くような表象を作り出そうとするならば、私たちは、人類が現在よりもはるかに高い段階
に到達する、さらに先の時点を観察することができます。たとえば私たちは、地球臣下よ
りも後に生じることになる、ウルカヌス進化を前に描き出すことができるわけです。
私の愛する友人である皆さんは、「ウルカヌス人の集まりを含んでいる天体としての地球と向き
合う場合、人間は地球に関してどのような霊的表彰を受け取ることになるか」ということ
を思い浮かべることができるはずです。いま、地球は、その上にすむ人間とともに、ウルカヌス
星とは別の段階にいるだけなのです。このような方法で、地球をひとつの全体として表象
し、単に現在の地球上における、人類の状態を受け入れるだけではなく、さらに現在の状
態の中に萌芽として含まれているものも受け入れること」が、そしてまた、「いま地球上に
住んでいる人間はウルカヌス状態の人間を自分自身のなかにたずさえている。地球上の人類はそ
れ自身、またウルカヌス人でもある、という事実に目を向けること」が、人間の魂にとってきわ
めて重要な意味を持っています。さて、地球以外の別の惑星にもめを向けるとき、私たち
はいたるところに、さまざまな霊的存在たちの存在に出会うことになります。私たちは、「地
球は人間の本来の進化の場所となるように定められている」といわなくてはなりません。
だからこそ、地球は太陽系の中央に位置しているのです。
365 :
、:2008/04/18(金) 10:54:04 ID:XzDFwW/I0
太陽系のほかの惑星には、たとえば現在の木星のような星があります。木星は、「そ
こに住む霊的存在たちが、地球の人間とは以下に異なっているか」ということをは
っきりと示しています。私たちは、死と新たな誕生の間に自分自身のカルマの仕上
げを行う際に、これらの木星にすむ霊的存在たちとであることになります。霊的存
在たちとこのような相対絵お思い浮かべるとき(これらの存在たちは、それぞれの
惑星とつながりを保ちながら活動しています。そして太陽に関しても、これらの惑
星と同じことが言えるのです)私たちは、14世紀までそれぞれの惑星の霊性とし
て、惑星の知的存在としてみなされていたものに出会うことになります(14世紀
までは、カトリック教父ですら、このような惑星の霊性を認めていました)私たちは、
地球の知的存在としての地球上の人類についてかたることができるのと同じよう
に、地球以外の惑星の知的存在に関しても、ひとつの現実として語ることができる
のです。このような惑星には知的存在ばかりでなく、悪魔も存在します。すでにお
話したように、教父たちは14、5世紀まで、このような事実を知っていました。
ある惑星状の知的存在に敵対するものの総体が、悪魔なのです。太陽に関しても同
じことが言えます。
366 :
、:2008/04/18(金) 10:54:30 ID:XzDFwW/I0
キリスト教のなかに太陽の守護神、太陽の知的存在(キリスト)の意味における進化を見る
とき、私たちは必然的に、キリスト教の進化に敵対するものの中に、太陽の悪魔を見出
すことになります。「黙示録」の作者が見たものとは、まさにこれだったのです。「黙
示録」の作者は、キリスト教がローマから東へと移動したことによって(ギリシア正教の成立
を指す)生じたものの背後を見ました。彼は、キリスト教が別の認識形態をとるように
なるのをみたのです。彼は、外見上、二つの方向に分かれる危険に瀕していたキリ
スト教の中に(キリスト教がローマ・カトリックとギリシア正教に分裂したことをさす)イスラム主義
の強大な対抗原理が入り込むのを見たのです。そして表面に現れた、イスラム主義とモハ
メッド主義の行為の背後に隠れているものに目を向けることによって、「黙示録」の
作者の中には、「ここに、太陽の守護霊、太陽の知的存在に対抗して、太陽悪魔が
活動している」ということが明らかになりました。ですから「黙示録」の作者は太
陽悪魔を、キリスト原理に対抗しながら人間の中で活動し、生きる存在として描き出し
ました。太陽の悪魔が活動すると、それに実をゆだねた人間はキリストの神性とのつな
がりに到達しようとする意欲を失い、低次の人間にとどまろうとするようになりま
す。「その魂のあり方において太陽の悪魔に身をゆだねた人間たちとは誰なのか」、
尋ねられたとしたら、「黙示録」の作者は、「それはヨーロッパでイスラム主義を代表してい
るものたちだ」と答えたでしょう。「このようなイスラム主義の中から、人間を獣性に
近づける、あらゆるものが(はじめのうちは物の考え方の中に、そののちは次第に
意志の衝動において)上昇してくる」ということが「黙示録」の作者には、はっき
りとわかっていましたイスラム主義の中から上昇してくるものは意思の衝動の中にも
生きている、という事実は誰の目にも明らかです。真の現実として世界で生じる、
霊的な事象は、いつも原因と作用を並列させて見ることができるような性質のもの
であるとは限りません。人々は物事の背後に隠れている、意図を、そしてその意図
がもくろんでいるものを見ようとしないのです。
367 :
、:2008/04/18(金) 10:55:47 ID:XzDFwW/I0
ですから私たちは、ここで次のように問いかけることが許されるわけです。すなわ
ち、「もしイスラム主義が、太陽悪魔の教義が完全に勝利をおさめるならば、いったい
何が起こるのだろうか」と。もし太陽の悪魔の教義が勝利を収めるならば、人類は、
前回の受肉状態から生じるカルマの作用や、実態変化を把握するのに必要な状態を
体験することができなくなってしまうでしょう。イスラム主義から流れ出したものは、
結局は人間が実態変化を理解するのを妨害する方向に向けられました。たしかに外
的な事実に注目するだけでは、このような事実を理解することはできません。しか
しながら太陽の悪魔は古い父の原理のみを、自然のつながりのみを有効なものにす
ることによって、「人間のものの考え方のなかから、秘蹟や実態変化において最高
度に結ばれるような性質のつながりを一掃しよう」という意図を秘めているのです。
「黙示録」の作者には、この666という年に太陽の悪魔がまったく特別の活動を行
うことがわかっていました。「黙示録」の作者は、一人一人の秘儀参入者が太陽の
悪魔を識別することができるように太陽の悪魔を描写しています。というのも、惑
星の知的存在、太陽の知的存在、あるいは惑星の悪魔、太陽の悪魔と呼ばれている
霊的存在たちは、それぞれ、秘儀の内部において(秘儀において、これらの霊的存
在たちは、本質的に重要な事柄にかかわりあうのです。)解読のために鍵となるも
のを備えているからです。そして太陽の悪魔は、このようなしるしを持っています。
368 :
、:2008/04/18(金) 10:56:29 ID:XzDFwW/I0
「黙示録」の作者は、太陽の悪魔を「二つの角を持った獣」として描写しています。
古代ローマの時代には(この時代に、秘儀の言語において、ギリシア的なものとラテン的な
ものが結び付けられました)人々は数字に秘められているものを読み取る方法を見
つけていました。このような読み方は、すでにいくらか外面的なものとなっていま
したが、人々はまだ数字の中に隠されているものを読むことができたのです。「黙
示録」の作者は、当時一般に行われていた、このような特別な数字の読み方を利用
しました。彼は、666という数字を記述します。つまり、彼は、この数字を、」そ
の中にヘブライ文字を含ませながら記述するのです。
400 200 6 60
Taw Resch Waw Samech
「黙示録」の作者はこれらの文字を、それに対応する数の値とともに記述します。
黙示録を読み解こうとするものはこれらの文字を、右から左へと読まなくてはなり
ません。これらの子音が(私たちはここで、これぞれの子音に対応する母音を発音
しなくてはなりません)太陽の悪魔のこのしるしを持っている、太陽の名前を明ら
かにします。それは「ソラト」です。
369 :
、:2008/04/18(金) 10:57:23 ID:XzDFwW/I0
このころ、太陽の悪魔の名前はソラトでした。「黙示録」の作者はこの印を記述し、
私たちはそれを正確に認識できることができます。「黙示録」の作者は、イスラム主義
のような方法でキリスト教に敵対して活動するあらゆるものを、ソラトという太陽の悪
魔によって代表される霊性の現われとみなすのです。
私の愛する友人である皆さん。666という数字は、ヨーロッパ文化に唯物論の刻印を押
すために、イスラム主義がキリスト教の中に進入する時代に、まず一度地上に現れることに
なります(7世紀のイスラム帝国の成立を示す)。2度目の666の数字は、それからさ
らに666年が経過した後の、14世紀の1332年に現れます。このとき私たちは、世
界の流れの中から、獣が新たに浮上してくるのを見ることになります。「黙示録」
の作者と同じように観察する人の目には、世界の出来事は666のエポックの絶え間な
い流れのように見えるのです。666のエポックごとに獣が身を起こし、真の人間と
しての本質を求めるキリスト教を脅かしながら、人間性に対して獣性を発揮させようと
します。つまりソラトがかつどうするのです。私たちは14世紀に、キリスト教の敵対
者であるソラトが再び立ち上がるのを目にします。
370 :
、:2008/04/18(金) 10:58:45 ID:XzDFwW/I0
このとき深い魂のそこから駆り立てられながら(というよりは、むしろ東洋的なも
のによって駆り立てられながら)テンプル騎士団がヨーロッパに、太陽についてのキリスト教
的な見解を打ちたてようとしました。そのキリスト教的な見解とは、再び太陽存在とし
ての、宇宙的存在としてのキリストを仰ぎ見ようとするものでした。テンプル騎士団はこ
のような見解に基づきながら、惑星や星の霊性についてある知識を獲得していまし
た。彼らは「ある惑星の存在たちだけではなく、お互い遠くはなれた惑星に属する
知的存在たちが、世界の出来事の中でどのように共同作業を行うか」ということを
知っていました。また彼らは、太陽の悪魔であるソラトのような反抗的な存在たち
によって生じる、強力な抵抗についてもあることがらを知っていました。すなわち
ソラトは私たちの太陽系の中でも、もっとも強大な悪魔のひとつであり、それは基
本的には、人間の唯物論の中で働く太陽の悪魔的な力なのです。
「もし内面的にも、また外面的にも、非常に強大であったテンプル騎士団が1312年に
壊滅するまでは、そしてジャック・ド・モレー(1295年よりテンプル騎士団の総長を務めた
人物)が1314年に死ぬまでは、心安らかに過ごすことができなかった人々がいま
した。このような人々の心と魂の中に(つまり宇宙的なキリストの、宇宙のかなたまで
目を向けようとするキリストの敵対者であった人々の心の中に)ソラトは再びよみがえっ
たのです。そしてまさにテンプル騎士団の全員を殺すために、ソラトは、少なからぬ
部分において、当時のローマ教会の以降を利用しました。当時、このようなソラトの出現
371 :
、:2008/04/18(金) 16:52:30 ID:XzDFwW/I0
は、すでに比較的はっきりと感知することができました。というのも、テンプル騎士
団が滅亡したという歴史的事実を壮大な秘密が取り巻いていたからです。このとき
拷問を受けている間に、テンプル騎士団の団員としのヴィジョンの中に生きていたものが、
どのようにソラトによって引き起こされたか」という点に関して、あるイメージを得るこ
とができるはずです。ソラトの作用を受けた結果、テンプル騎士団の団員は自分たち
の行いについて誹謗しました。そのため人々は、テンプル騎士団の団員自身の口から
出たものに対して、正当な告発をすることができたのです。このとき人々の前に、
恐るべき光景が繰り広げられました。すなわち、まったく別のもの(太陽存在とし
てのキリスト教に関する教義)を信じていた人々が、拷問にかけられている間はそれに
ついて話すことができず、むしろソラトの軍団からやってくるさまざまな霊達が、
彼らの口を通して語ったのです。つまり、テンプル騎士団に属する人間の口から、こ
の騎士団そのものについて、きわめて不名誉な事柄が語られることになったのです。
372 :
、:2008/04/18(金) 16:59:28 ID:XzDFwW/I0
このように、666はすでに二度、現実のものとして現れました。現在霊界では、
ソラトとそのほかのキリストに敵対する悪魔たちが太陽の原理を地上に入り込ませな
いように妨害する仕事にとりかかっています。しかしその一方では、ミカエルが新たな
支配を準備しながら、その軍勢とともに太陽の原理のために戦っています。ミカエルは
かつて、ゴルゴタの秘蹟よりも前の、アレクサンダー大王(在位紀元前336−323年)
の時代に地上を支配していました。それ以降の時代になると、オリフィエル、アナエル、ツァハリ
エル、ラファエル、サマエル、ガブリエル、という、ほかの大天使がミカエルに代わって地上を支配し
ました。そして、19世紀の最後の3分の1に差し掛かったころから、ミカエルは、ミカエ
ル的な方法でキリストのためにさらに働くために(かつてミカエルは、前回の地上の支配が
終わるまで、つまりアレクサンダー大王の支配が終わるころまで、キリストのために働いてい
たのです。)再び地上を支配しています。いまはミカエルは、「キリストの準備をするために、
そしてキリスト衝動のより深い理解の準備をするために地上で働く」という目的を持っ
て、再び地球にやってきたのです。私はこれまでにこの場所で、また、そのほかの
さまざまな場所で、「霊的な観点から見た場合、キリスト教はミカエルによってどのように
して導かれたか」ということを詳しくお話してきました。私は、最近の講演でも、
その一端をお話しました。
373 :
、:2008/04/18(金) 17:00:19 ID:XzDFwW/I0
つまり私はこのとき、「ミカエルの支配の下で、すでにアリストテ
レスとアレクサンダー大王の時代に、どのようにして真のキリスト的衝動が導かれたか」という
ことや、一種の超感覚的な公会議(コンタンティノープルの公会議をさす。この公会議で霊
魂体の三分説が否定された)が行われた869というとしについて、皆さんの注意を
喚起しました。こうしたことからは、さらにのちの時代まで続きました。そして意
識魂が入り込む新たな時代の始まりにおいて(この点に関しては、私はすでに詳し
くお話してきました)物質的な出来事と平衡して生じる、地上の人間に関する霊的
な出来事に目を向けるとき、私たちは、教師としてのミカエルと行動を共にする、超感
覚的な学院の壮大な眺めを目のあたりにすることになります。真のキリスト教的発展の
ために活動すべき者たちは(この時受肉していない魂であろうと、人間の魂以外の
霊的存在であろうと)あたかも大いなる超感覚的な学院を形成するかのように、大
きな集団となって、14世紀から16世紀までの間にミカエルのまわりにあつめられまし
た。そしてこのとき、ミカエルの支配の時代である、20世紀のはじめに地上に現れる
ことになる人々の魂が準備されたのです。このとき準備されたものに目を向けるな
らば、それはまさに、このような真のキリスト的な発展の意味において働こうとする、
アントロポゾフィー的な世界観であることがわかります。
374 :
、:2008/04/18(金) 17:02:08 ID:XzDFwW/I0
私たちは、古代秘儀の知恵に含まれているものの考え方や、予言的に見た未来の秘儀の
知恵の中に生きているものから、次のようなことを読み取ることができます。すなわち、
いわば「内なるキリスト教」を(つまり「霊化されたキリスト教」を)受け入れる人々は、太陽の
守護神としてのキリストを仰ぎ見ることになります。このような人々は、進化の速度を速めな
がら、この20世紀の終わりに再び出現することになるでしょう。私の愛する友人である皆
さん。私たちがこの教義の霊性を恥じすることによって、いま、この時代に行うことので
きることはすべて、きわめて重要な意味を持っています。なぜならば私たちはこの時代に、
永遠なるもののイメージを心に抱きながらそれを人類のために行うからです。それは、現代文
明の霊化に抵抗する多くのものが先に現れたあとで、大いなる、総括的な、集中的な霊の
行為となって世紀末に生じることになるものの準備なのです。
666の第二の出現のしるしのなかに、十字軍によって始められた、あのヨーロッパの大変
動が表現されていました。テンプル騎士団の滅亡によって、この事実は外的に表現されました。
そしていま、太陽の守護神の側から真のキリスト教のために活動しようと努力するものを妨害
するために」、ソラトはますます活動を続けているのです。
375 :
、:2008/04/18(金) 17:03:21 ID:XzDFwW/I0
私たちは現在、第三の666の時代、すなわち1998年を目前にしています。この世紀の
終わりに私たちは、ソラトが再び進化の流れの中から最も強く頭をもたげることになる時点に
到達します。エーテル化したキリストが可視的になることによって、そのために必要な準備のでき
た人々は、すぐに20世紀の前半にキリストを見るようになります。しかしこの第三の666の時
点において、ソラトは人々がキリストを見るのを妨害することでしょう。つまり、いまからわずか
3分の2世紀が経過するだけで、ソラトが強大なやり方で頭をもたげるようになるのです。(こ
の講演は1924年、つまり1998年の74年前に行われた)。
私の愛する友人の皆さん。最初の666年が過ぎさるときに、人々は歴史上の出来事が展
開していく過程の中に、ソラトの働きを強引に読み取ろうとしました。しかしこのとき、人々
がソラトを外面的な形態の中に見ることはできませんでした。ソラトは、イスラム主義の行為の中に
生きていましたが、それを見ることができたのは、秘儀参入者だけだったのです。第二の
666が過ぎ去るときに、ソラトが拷問にかけられたテンプル騎士団の団員の思考と感情の中に現れ
ました。この世紀が過ぎ去るまでに、ソラトは人間に憑依する存在となって無数の人々の中に
出現することによって、その姿を現すでしょう。人々は、到底本当の人間であるとは信じ
られないような人間が現れるのを見ることになるでしょう。このような人間は、独自の方
法で外面的にも発達していくでしょう。彼らは感情の中に憤怒の特徴と破壊的な怒りを備
えながら、外面的には集中的で力強い性質の持ち主となるでしょう。(カリスマ)彼らの顔
には、外面的に、ある種の動物的な表情を見ることができるようになるでしょう。ソラト的な
人間は、また、外面的にも識別できるようになります。彼らは、恐るべき方法で、霊的な
性質を備えたあらゆるものを単に軽蔑するだけはでなく、撲滅し、水溜りの中に投げ捨て
ようとすることでしょう。たとえば人類全体の地球的進化の中に組み入れられた、現在の
ボルシェヴィズムの萌芽という狭い空間に集中しているもののなかに、人々はそれを体験するこ
とになるでしょう。
376 :
、:2008/04/18(金) 17:05:01 ID:XzDFwW/I0
ですから霊性を求めて努力することができるあらゆるものが、今行おうとしていること
を実際に実行に移すことが非常に重要なのです。なぜなら霊性に対抗するものは、必ず地
上に現れることになるからです。霊性に敵対するものは、いわば自由に基づいてではなく、
運命の決定に基づいて活動するからです。このような運命の決定の結果として、この世紀
の終わりに(ちょうど黙示録の作者が、霊的なものの敵対者について詳述する際に、獣の
ような顔と獣のような強さとして、予言的に見たように)ソラトが再び解き放たれて、霊的な
ものをことごとく一掃しようとする試みが非常に数多くの地上の人間に巣食うようになり
ます。現在すでに、霊的なものに対して、実に激しい怒りの感情を抱く人々が存在しては
いないでしょうか。しかしこれは、これから起ころうとしていることの単なるほうがに過
ぎません。
このようにして私たちは、黙示録の作者がどのようにしてすべてのことを予見したかと
いうことを見て取ることができます。黙示録の作者はキリスト教の真の発展を、太陽に変わる
問題とみなしました。しかし彼はまた、このようにして太陽の悪魔が発達することの恐ろ
しさも予見していました。こういった事柄のすべてが、彼の目の前に浮かんでいました。
すなわち19世紀の終わりにミカエルが、そして20世紀前半にエーテル的キリストが人類の霊的進
化のかなに入り込むのに続いて、この世紀が終わる前に、太陽の悪魔が侵入してくるので
す。いま私たちが生きているミカエルの時代において、まさに神学的な、宗教的な領域で働こ
うと欲するとき、私たちは、とりわけ黙示録をよりどころとして学び、みずから黙示録的
に思考し、感じるための十分な根拠を(外的な事実のみに固執するのではなく、その背後
に存在する霊的な衝動にまで自らを高めていくためのあらゆる根拠を)手にします。
377 :
、:2008/04/18(金) 17:08:08 ID:XzDFwW/I0
いまや、強大な悪魔ソラトの配下にいる、さまざまな悪魔たちが進入してくる道が開かれて
います。私たちは、たとえば最初の世界大戦の出発点についていくらかの事情に通じてい
る、あの思慮深い人々と話すだけでよいのです。もし、私たちが、「この世界大戦の勃発に
関して責任ある、約40人の人間はほとんど全員、戦争勃発の瞬間に意識を鈍らせていた」
といったとしても、おそらくあの思慮深い人々から間違いだと判断されることはないでし
ょう。これこそが、アーリマン的な悪魔の力が(アーリマン的な悪魔の中で、もっとも強大なものの
ひとつがソラトです)人類の中に侵入するのに常に利用する入り口なのです。これこそが、最
初は少なくとも一時的に人間の意識の中に侵入し、災厄や混乱を引き起こそうとするソラトの
側からの試みなのです。世界大戦(第一次世界大戦)よりもむしろ、それに続いて起こっ
たものこそ、いまやそれより恐ろしく、将来さらにますます恐ろしいものになると予測さ
れるものこそ(たとえば現在のロシア国家体制(ソビエト連邦)がそれに相当します)人間の魂
に進入してくるソラトの霊が」地上に引き起こそうと狙っているものなのです。
まさに事実はこのようなものなのだ、ということを私たちは知らなくてはなりません。
真の霊性が地上に存在していたころ、司祭の活動とは何を意味していたのでしょうか。私
の愛する友人である皆さん。それは、単に地上の出来事のないぶで活動することだけでは
なく、みずからが霊的な世界の只中にいることを、神々の世界と交感することを完全に意
識しながら活動することを意味していたのです。黙示録の作者はこのような精神の元に、
黙示録を執筆したのです。人々を霊性に導こうとするものは霊的なものに目を向けなくて
はなりません。このことを、それぞれの時代がそれぞれのやり方で実行しなくてはなりま
せん。私たちは、たとえばエジプトのファラオが極めて論理的な順序に基づいて現れる際の内的
な法則性を観察するだけでよいのです。(もっともこの法則性はいくらか外面的なものにな
っていますが)。すると私たちは次のようなことを理解することになるでしょう。これらの
ファラオたちが現れる順序は、実際のところ、偶然に決められるわけではありません
378 :
、:2008/04/18(金) 17:10:07 ID:XzDFwW/I0
「ファラオの地位を継承するものはそれぞれ、何を自らの使命とみなすべきか」ということは、太古の
文書の中で定められていました。ファラオの使命を明確に証明しようとする衝動は、まさに後
の時代に「ヘルメスの啓示」と呼ばれたものから生まれました。ここでいうヘルメスの啓示とは、
現在改悪された形で知られているもののことではありません。この太古のヘルメスの知恵は、
まさに大いなる秘儀に属するものでした。この秘儀において人々は3つの聖なる啓示、す
なわち「父の啓示」、「子の啓示」、「精霊の啓示」について語りました。そしてこういった
もののすべてが、「司祭がいたるところにおいて、霊的なものの中から物質的世界へと働き
かけることが重要な意味を持っていた。司祭の仕事は、いたるところにおいて、このよう
なものとして理解されてきた。」ということを示唆しているのです。
いままで、人々が「霊的な世界の中から物質的な世界へと働きかけること」を真実だと
感じ取ることのできない時代がしばらく続きました。しかしいまや再び、霊的な世界の中
からの活動が司祭の衝動とならなければなりません。意識魂の時代になって、少しずつ、
あらゆる領域において唯物論的形態を受け入れる、人類が形成されるとともに、私たちは、
実態変化の秘蹟やキリスト教の霊的な秘密をまったく理解することができなくなりました。司
祭として活動しなければならない人間一人一人にとっても、実態変化と結びついた深い秘
儀の内容について語ることは、現代という時代の優勢を前にして、すでに一種の虚偽を意
味するようになっています。そのために、実態変化に関する、例の合理主義的な議論が繰
り返されるようになったのです。このような議論は、第二のソラトの攻撃(1332年)とともに
現れ、第3のソラトの攻撃の時期(1998年)まで拡大していくことになります。ただ注釈を
つけるようなやり方で黙示録を受け入れても、意味はありません。私たちが黙示録をより
どころとしながら、みずから黙示録の作者となり、黙示録とかかわりあうことによって、
この時代の衝動を自らの活動の衝動にすることができるように時代を理解することを学ぶ
ときに、黙示録はただひとつの意味を持つようになるのです。
379 :
、:2008/04/18(金) 17:11:23 ID:XzDFwW/I0
現代の人間は、司祭としての活動とともに、まさに次のようなことを行わなくてはなり
ません。すなわち現代の人間は、19世紀の70年代におけるミカエルの時代の始まりと、20世
紀前半におけるキリストの出現と、20世紀末におけるソラトとソラトの配下の者たちの恐るべき発展
に目を向けなくてはならないのです。時代の兆候を読み解くことのできる、理解力を備え
た人間として、私たちの時代の3つの秘蹟の(つまりミカエルの秘蹟とキリストの秘蹟とソラトの秘蹟
の)意味において人生を整えるならば、私たちは、私たちのカルマが命じた領域において、
正しい方法で活動することになるでしょう。そのとき私たちは、自らの司祭の領域におけ
る、真の司祭となるでしょう。この点に関しては、さらに明日お話しすることにしましょう。
380 :
、ミジンコ:2008/04/18(金) 17:42:57 ID:XzDFwW/I0
私が、人智学がシュタイナーによるヤミ系発祥であると言うのはお分かりですかね、、、。
ヤミ系が光系領域の問題を扱っても、やはり、ヤミ系として働く事になる。どんな難しい言葉を
使っても、現実に根づいて伝わりにくければ意味が無いんですよ、、。人智学の皆さんに現時点で言う事があれば、
とき既におそしでしたねとしか言えません。根本的にシュタイナーがかなりのペテンでオカルトの教養ある優生学的な権力志向
の傾向があったものと思われる。このことによって人体実験と情報操作と人智学の現状の説明がつく。
ヤミ系のシュタイナーが何故光系領域の問題に意識を注ぐかと言うと、黄金時代が訪れて光領域の営みに焦点が向かうからなのです。
シュタイナーは病気で当然です。ほとんど寝ることなく毎日、何時間も講義を続けて来たんです。短命です。
ヒトラーのナチズムによるゲーテアヌムの焼失による精神的ショック、、、。
http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha801.html#top ほんまかいな !? 事実検証スレッド [噂話]
光系に付いた闇系か中性の人ですが、MKウルトラのヤミ系の力のほうが強かったんです。
現在人智学にはヤミ系か優生学に属する者がかなりの人数を占めている恐れがあります。
382 :
、めいちゃん:2008/04/18(金) 18:28:09 ID:XzDFwW/I0
↑ エレベートの天中殺・超カルマ・カニバリズム、 カルミネートの地中殺・カルマ・ネクロノフィリア
カニバリズムやネクロノフィリアの扱いの問題は、既に少しだけSM板で触れていますけどね、、、。
このスレでは、テンプル騎士団の事件を中心に、ヨハネとキリストとパウロの繋がりの問題、キリストのユダヤ教のエッセネ派の
問題と死海文書、ソロモン王の伝説の問題とファラオとの関係とテンプル騎士団と繋がっていたフリーメーソンの起源、
古代エジプト以前にさかのぼるエノク書の話とアトランティスとの繋がりとその内容を扱うと言う事です。
383 :
、ミジンコ:2008/04/18(金) 18:37:01 ID:XzDFwW/I0
384 :
、ミジンコ:2008/04/18(金) 18:59:56 ID:XzDFwW/I0
先ずは、シュタイナーの大予言の続きを、、、。
1959年スイスのルドルフシュタイナー出版から注目すべき本が出版されました。シュタイナー神学講義全5巻
「キリスト的、宗教的活動についての講演と講座(シュタイナー全集第342巻―346巻=GA342−346」です。
まず、この5巻の内訳からご紹介しましょう。
第一巻 刷新されたキリスト的、宗教的活動のためのアントロポゾフィー的基礎
第二巻 霊的認識、宗教感情、祭祀的活動
第3巻 キリスト者共同体設立に際しての講義
第4巻 作用する言葉の本質について
第5巻 ヨハネ黙示録と司祭の活動
386 :
、:2008/04/18(金) 19:07:53 ID:XzDFwW/I0
イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその
僕たちに示すため、キリストにお与えになり、そしてキリストがその天使を送って僕
ヨハネにお伝えになったものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、
すなわち、自分の見たすべてのことを証しした。この予言の言葉を朗読する
人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちとは幸いである。時が
迫っているからである。(ヨハネの黙示録1;1−3、以下の聖書の引用は
すべて「新共同訳聖書」日本聖書協会による)
新約聖書は、人間を救う神の計画が、キリストの輝かしい再臨に向かって、ど
のように完成されるかを象徴を用いて示す「ヨハネ黙示録」で終わる。これ
は迫害の元に苦しむキリスト者を励ます書である。(新共同訳聖書 聖書につい
て18p)
汚れた霊どもは、ヘブライ語で「ハルマゲドン」と呼ばれるところに、王たちを集
めた。(16;16)
387 :
、:2008/04/18(金) 19:10:03 ID:XzDFwW/I0
私はまた、一匹の獣が海の中から上がってくるのを見た。これには10本の
角と7つの頭があった。それらの角には10の王冠があり、頭には神を冒涜
するさまざまの名が記されていた。私が見たこの獣は、豹に似ており、足は
熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と
王座と大きな権威とを与えた。この獣の頭のひとつが傷つけられて、死んだ
と思われたが、この致命的な傷も治ってしまった。そこで、全地は驚いてこ
の獣に服従した。竜が自分の権威をこの獣に与えたの、人々は竜を拝んだ。
人々はまた、この獣をも拝んでこういった。「だれが、この獣と肩を並べる
ことができようか。だれが、この獣と戦うことができようか。」(黙示録13;1−4)
この獣は42ヶ月の間、活動する権威を獲得し、あらゆる神聖なものと戦い、
勝利を収め、地上を支配します。そして、ほとんどすべての人間がこの獣を
崇拝するようになる、と黙示録は記述しています。
私は、もう一匹の獣が地中から上がってくるのを見た。この獣は、子羊の角
に似た2本の角があって、竜のようにものをいっていた。この獣は、先に獣
が持っていたすべての権力をその獣の前で揮い、地とそこに住む人びとに、
致命的な傷が治ったあの先の獣を拝ませた。そして大きなしるしを行って、
人々の前で天から地上へ火を降らせた。(黙示録13:11−13)
第二の獣は地上の人々に第一の獣の像を作らせ、この像がものをいうことが
できるようにします。そしてこの獣の像を拝まないものはすべて殺されます。
また、第二の獣はあらゆる人間の右手か額に刻印を押させて、刻印のないも
のがものを売り買いすることを禁じます。そして、この後の部分に、問題の
666という数字に関する記述が登場するわけです。
388 :
、:2008/04/18(金) 19:13:54 ID:XzDFwW/I0
この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。ここに知恵が必要
である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数
字は人間をさしている。そして数字は6百6十6である。(黙示録13:17−18)
現在のキリスト教神学は、「666」の獣は古代ローマの皇帝ネロ(37−68)をさ
す、とする説がもっとも妥当性のある解釈として認めていますが、、、、。
黙示録は単なるイメージを含んでいるのではなく、まったく具体的な事実を、
つまり、これから起こることを示唆しています。黙示録は、単に出来事をイメ
ージで暗示しようとするものだけを示唆するわけではありません。ここが重
要な点です。私たちはこのようにして、感情とともに黙示録に入り込まなく
てはなりません。
389 :
、ミジンコ:2008/04/18(金) 19:52:16 ID:XzDFwW/I0
黄金時代は、光系、闇系ともに恵まれていて、動く事の必要がなくなっていくんじゃないかと思われる。
つまり、何もしなくても恵まれている。
白銀の時代は、動く必要が出てくる。世界に働きかける必要が出る。
青銅の時代は、習慣を守る事が必須となる。
鉄の時代はどうあがいても地獄。
カリ・ユガから「万人による万人のための戦い」までのながれ
bc3101年 カリ・ユガ(暗黒時代)の始まり
BC747年 ご成婚の始まり。 ギリシア ラテン文化期
AD1世紀 キリスト地上に現れる
333年自我が悟性魂の中に入り込む
666ソラトの第一作用(ゴンディシャプールの学院)
1332年 ソラトの第二作用(テンプル騎士団の壊滅)
1413年 意識魂の始まり 第五文化期
1879年ミカエルの支配の始まり
1899年 カリ・ユガの終わり。
20世紀キリストのエーテル界への再来 普遍アントロポゾフィー協会の活動
1998年ソラトの第3の作用
3573年 ロシア文化期
5733年 アメリカ文化期
7893年 万人による万人のための戦い(最終戦争?)の直前
7893年 第六根幹人類期の始まり。
ギリシア神話では人間の時代を「金の時代」、「銀の時代」、「青銅の時代」、「鉄の時代」に分けている。: WIKI
金の時代では、人間は仏教でいうところの天人に近く、百年近い寿命を持って神を敬い平安に過ごしたとされ、
穏やかに死んだとされる。 銀の時代では、神を敬わなくなったためやがて神々に滅ぼされたとされる。
青銅の時代は、戦いに明け暮れる時代であり、人びとは殺しあって滅んだとされる。
鉄の時代が現代で、人間は仏教で言うところの修羅に近い存在とされ、愚かで戦いを好み欲望に苦しめられていると考えられた。
392 :
、ミジンコ:2008/04/18(金) 20:12:24 ID:XzDFwW/I0
これから、忙しいんでしばらく投稿は控えますよ、、、またそのうち、、、。
393 :
本当にあった怖い名無し:2008/04/20(日) 23:36:21 ID:zhHEfxEW0
,
394 :
、:2008/04/22(火) 05:50:05 ID:wEfViqBi0
,
395 :
、:2008/04/25(金) 06:25:42 ID:lN+dXDYo0
,
396 :
、:2008/04/26(土) 23:15:31 ID:/YzPVmcy0
,
397 :
、:2008/04/28(月) 09:17:02 ID:RFKKvKPv0
388の続き
ここで『黙示録』の作者は最大の謎かけを行っています。つまり『黙示録』の作者は、
「666」という獣の数字は一種の暗号であり、もしできるなら自分の力で読み解いてみなさい、
と作者に告げるのです。「黙示録」の作者が投げかけた、このような問いかけをめぐって、
キリスト教の神学者たち昔からさまざまな議論を繰り広げてきました。
現在のキリスト教神学は、「666」の獣は古代ローマの皇帝ネロ(37−68)を指す、
とする説を最も妥当性のある解釈として認めています。ネロはキリスト教を弾圧した挙句、
ローマの大火のときに、その罪をキリスト教徒に着せて、大虐殺を行いました。
つまり、黙示録の作者は666という数字を通して、キリスト教の敵対者であるネロを警戒せよ、
と告げているというわけです。
黙示録は単なるイメージを含んでいるのではなく、まったく具体的な事実を、つまり、
これから起こることを示唆しています。黙示録は、単に出来事をイメージで暗示しようと
するものだけを示唆するわけではありません。ここが重要な点です。私たちはこのようにして、
感情とともに黙示録に入り込まなくてはなりません。
398 :
、:2008/04/28(月) 09:18:17 ID:RFKKvKPv0
黙示録に描かれていることは、キリスト教神学が説明しているような、単なる文
学的イメージではなく、すべては未来に起こることに関する「まったく具体的
な事実」なのです。
もちろん黙示録の作者は、未来の何年にどこどこの場所でこれこれのこと
が起こる、と具体的に記述することはありませんでした。「黙示録」の作者
は、自らヴィジョンとしてとらえたことを象徴的な言語を用いて記述しまし
た。黙示録のイメージ言語は、一種の暗号です。中でも「666」という数字
は、この暗号の最たるものです。
666の獣はネロである、という解釈は、シュタイナーによってはっきりと否定され
ています。
暗号の解読法を知らないものの目には、黙示録は意味のない、でたらめなイメ
ージの集まりにしか映りません。黙示録というのは、解読法を知っている人
間だけに向けられた一種の暗号文なのです。
6百6十6(ろっぴゃくろくじゅうろく)ヨハネの黙示録13:18である
人物の名を暗示する数字。ヘブライ語やギリシア語、ラテン語には特別な数字はなく
アルファベットの文字がそれぞれをあらわす。数を用いた暗号は、逆に文字を戻し
て解読することができる。66についてもっとも有力な説は、ヘブライ語でネ
ロ皇帝と読む解釈である。(新共同訳聖書 用語解説 44p)
399 :
、:2008/04/28(月) 09:19:52 ID:RFKKvKPv0
666に秘められた謎を解明するためには、私たちはまず、「黙示録」が書
かれていた時代のすう秘術についてある程度の予備知識を念頭に入れてお
く必要があります。
インド起源のアラビア数字が伝えられるまで、ヨーロッパの人間はヘブライ語、ギリシア
語、ラテン語などの文字を使って数字を表していました。たとえば、古代ロー
マ帝国では、Tと言う文字が数字の1を、Xと言う文字が数字の5を、]と
いう文字が数字の10を表しました。これが現代でも西欧世界で使用されて
いるローマ数字です。
アルファベットの起源は紀元前18世紀から17世紀にかけて、セム人がエジプト文字を
借りてセム語の音あらわにしたシナイ文字にまでさかのぼります。その後、フニキア
人がこのシナイ文字を改良して22の表音文字を作りました。そのときすでに、
フェニキア人はアルファベットを文字と数字の両方に用いる習慣を作り上げていました。
コダイギリシア人は、アルファベットを文字と数字の両方に用いるという、フェニキア人の伝
統をそのまま受け継ぎました。また同時にピュタゴラス学派に属した人々は、数
字に関する神秘主義思想を発達させ、すべての数字は霊的な振動や響きと照
応し、さらに物質界にまで影響を及ぼすことができると考えました。彼らは、
自然の中の存在する全ての物の形は、それぞれ照応する数を持っていると考
えて、すう秘術と呼ばれる、数、文字、言葉、観念の関係をめぐる複雑な体
系を作り出しました。古代ギリシア人は、文字と数字のあいだに神秘主義的な
照応関係を見出したのです。
400 :
、:2008/04/28(月) 09:21:44 ID:RFKKvKPv0
一方、古代のユダヤ人も、文字が数字を兼ねるシステムをさらに発達いさせて、
ひとつの文字に含まれたいみや数字、音を組み合わせて神秘的な啓示を表そ
うとしました。これがゲマトリアと呼ばれるユダヤのすう秘術です。カバラの実践か
ら生まれたゲマトリアでは、ヘブライ語のアルファベットの文字に、それぞれ相応する数
値が与えられました。ゲマトリアでは、単語を構成する文字をそれぞれ数値に置
き換えて加算するというプロセスを重視します。このようなプロセスには、単に数
字の持つ神秘的な意味合いを強めるだけではなく、同時に、秘儀にかかわる
事柄を一般の人間から遠ざけるために暗号化する目的が秘められていました。
黙示録の666は、このようなすう秘術によって生み出された数字です。6
66はなんらかの単語を構成する文字を数字に置き換えた上で、すべて加算
することによって得られた会を表しているのです。では、その元になった言
葉とは何なのでしょうか。
すでにお話したように、現代のキリスト教神学者は古代の吸う秘術に基づいて、
まずネロの名前をNRVNQSRという文字に置き換えました。この7つの文字
に、あとに掲げたユダヤの数秘術対照表にしたがって、数字を対応させて見ます。
N R V N Q S R
50 200 6 50 100 60 200=666
401 :
、:2008/04/28(月) 09:24:21 ID:RFKKvKPv0
シュタイナーによれば初期キリスト教の秘儀においては、666という数字は400 200 6 60
として伝えられていたのです。
この段階で、ようやく数字を文字に置き換えるという作業に着手することができま
す。この4つの数字にヘブライ語の文字を当てはめて見ましょう。古代ユダヤのすう秘
術では、数字にはすべてそれに対応するヘブライ文字が定められていました。すう秘
術に基づいてヘブライ文字と現代のヨーロッパのアルファベットに数字を対応させると、次のよ
うになる。
400 200 6 60
Taw Resch Waw Samech
この場合、文字を英語のように左から読んではなりません。なぜならヘブライ
語では、文字を右から左に読むことになっているからです。ですからこの4
つの文字を逆に並べ替えてみることにしましょう。すると次のような子音の
連続が出来上がります。
S W R T
また、ヘブライ語では子音のみを文字で表し、母音を表記しませんから、私た
ちは子音と子音の間に該当する母音をおぎなわくてはなりません。すると次
のような言葉が完成します。
Sorat
「ソラト」、これこそ「黙示録」の筆者が「666」という数字で表そうとした言葉だったのです。
402 :
、:2008/04/28(月) 09:32:13 ID:RFKKvKPv0
>>399-401 基本的にヨハネの場合、数秘術は、ユダヤ教より更にかわっている
エッセネ派の動物を殺したり、肉を食わないと言う
教義によって獲得される見解によって
一般人による誤解による混乱を
前もって避けるために数の記号を使用によって
その意図を押し通したと言う事。
又、シュタイナーについて取り組むにあたって、人権の意味ではトータルでは、
シュタイナーよりはユングの方が、そして、更にユングよりはフロイトの方が
優れていると言う事について踏まえる必要があることを告知しておきます。
404 :
、:2008/04/28(月) 09:37:46 ID:RFKKvKPv0
黙示録が書かれたころ、ソラトは、太陽の悪魔をを意味しました。そして黙示
録の作者はこの印を記述し、いまや私たちはそれを正確に認識することがで
きるわけです。黙示録の作者は、このような方法でーーイスラム主義のようにー
ーキリストにてきたいするものをすべて、ソラト、つまり、太陽の悪魔によって
代表される、あの霊的なものの現れとみなしたのです。
私たちの思考の中に善い考えと悪い考えの2つがあるように、霊的存在にも
善なるものと悪しきものの2つが存在します。シュタイナーの考えに従うならば、
善とは宇宙の進化を促進させようとする知的存在であり、悪とは逆に進化を
阻止しようとする力です。一般に悪魔と呼ばれているものは、太陽系の星に
住む悪しき霊的存在のことにほかなりません。
太陽系のそれぞれの惑星には、知的存在ばかりではなく、悪魔も存在します。
教会の指導者たちは、このことを14,5世紀まで知っていました。ある惑
星の上で、知的存在に敵対するものの総体が悪魔たちです。それは、太陽の
場合も同じなのです。
405 :
、:2008/04/28(月) 09:40:11 ID:RFKKvKPv0
太陽にも善き霊的存在と悪しき霊的存在の2つが存在します。太陽に属する
全なる霊的存在の代表はキリストです。太陽に属する善なる霊的存在の代表はキリ
ストです。読者の皆さんの中には、「キリストは太陽の神である」など聞くとびっ
くりなされるかたもおられるかもしれません。なぜなら現在のキリスト教の教会
は、「キリストが太陽の守護神である」などという教義はいっさいみとめていな
いからです。初期キリスト教の時代においては、キリストが太陽からやってきた神的
存在である、という教義は守られていました。しかしその後、ローマ・カトリック教
会がキリスを太陽神とする説を異端として退けてしまったために、多くの人々
が本来のキリスト教の教えから遠ざけられてしまうことになったのです。
シュタイナーによれば、太陽の神的な存在としてのキリストは人類の進化を促進する
ために、太陽から地球に降り、自らの運命を地球と結びつけました。このこ
とをシュタイナーは「ゴルゴタの秘儀」と呼び、人類の進化の上で決定的な意味を持
つ出来事として重要視しています。
ソラトは私たちの太陽系でもっとも強力な悪魔の一人です。基本的にはそれ
は太陽の悪魔であり、人間の唯物論の中で作用します。
406 :
、:2008/04/28(月) 09:42:07 ID:RFKKvKPv0
15世紀ごろから人類はアーリマンという霊的存在の作用を受け続けています。アー
リマンは人間の関心を精神的なもの、霊的なものから背けさせ、もっぱら目に
見える物質にのみ向かわせようとします。現在私たちが教授している物質文
明、科学文明はアーリマンの影響の最大の現れです。このように見ていくと、アーリ
マンとソラトは似通った性質を備えていることがわかります。なぜならソラトもアーリマ
ン同様、唯物論を通じて人間に作用しようとするからです。
アーリマン的な悪魔のうちで、もっとも強大なもののひとつがソラトです。
この場合、ソラトは決して一人出ない点に注意してください。ソラト系の霊は複数
存在しています。ソラトとは太陽の悪魔と呼ばれる霊たちのグループの総称なの
です。アーリマンの基本的な性質についてシュタイナーは次のように述べています。
彼らが目指すものは、人間の中の自らの冷静に関する意識を抹殺することで
す。アーリマンは、「人間とは完全に形成された動物に過ぎない」という見
解を、人類にもたらそうとします。実際のところ、アーリマンは、唯物論的
なダーウィン主義の偉大なる教師なのです。アーリマンはまた、地球進化の中の、
あらゆる科学的かつ実践的活動の偉大なる教師でもあります。このような活
動は外面的で、知覚可能な人間生活以外のものを認めようとはしません。こ
のような活動は、食べたり飲んだりしたいという動物的な欲求や、あるいは
それ以上の欲求を洗練された方法で満足させるために、広範な技術を手に入
れようとします。人間の中にある「自分は神の似姿である」という意識を抹
殺し、くもらせることーーこれこそが、げんざいあらゆる精巧な科学的手段
を用いて、アーリマンの霊たちが人間の意識にもたらそうとしているのです。
(シュタイナー天使学シリーズ第一巻天使と人間63−64p)
407 :
、めいちゃん:2008/04/28(月) 09:53:38 ID:RFKKvKPv0
>>403 シュタイナー 受胎の欠如 + 優生学 超能力・オkルト能力 科学者 ルシファーとアーリマン
ユング 受胎の欠如 オカルト能力 科学者 カウンセラー ルシファー
フロイト 受胎の考慮 アンチオカルト 科学者 アーリマン
フロイトが最も無害である。
408 :
、:2008/04/28(月) 17:10:48 ID:RFKKvKPv0
アーリマンは直接人類に知恵を注ぎ込むことで、人類の文明をさらに高度なもの
にしようとします。アーリマンは、そうすることが人類のためになると信じてい
るのです。
ここで私たちは悪というものを複眼的に観察することを学ばなくてはなり
ません。アーリマンは、必ずしも自分たちが人類に害悪を及ぼしていると思って
いません。むしろ、自分たちは文明の進歩を手助けしてやっているのだ、自
分たちは善なのだ、と信じています。
事実、15世紀以降、アーリマンの影響が強まるとともに、人類の学問や科学
技術は急速な発展を遂げました。このような側面に注目する限り、確かにアー
リマンは文明の進歩に貢献しなかったとはいえないのです。
しかし、どんなに役に立つものでも、度をこすと一転して悪い影響を及ぼ
すようになるものです。それはちょうど、少量では人体によい影響を与える
薬でも、大量に摂取すると毒になるのとおなじようなものです。
アーリマンの影響があまりに強まると、人間はどうなるのでしょうか。
アーリマンの作用によって自己意識が鈍らされるとともに、人類は目に見える
物質が世界のすべてだと考えるようになり、自らの霊性を忘れるようになり
ます。このとき社会から友愛の精神は失われ、エゴイズムと動物的な欲望のみ
が蔓延するようになります。アーリマンの影響を強く受け続けると、最後には人
類は進化の道を後退することを余儀なくされるのです。
これに対して、霊と物質の間に均衡を見出し、本当の自由に至る道を人類
に示したのがキリストです。人間は自らの自我をキリストに結びつけることによって
のみ、真の個人としての自由を獲得することができるのです。
409 :
、:2008/04/28(月) 17:12:51 ID:RFKKvKPv0
いまや、人間は自己意識を備えた存在として、キリストの本質を、そしてキリストと
世界全体のつながりを認識しなければなりません。そうすることによっての
み、人間が実際に一人の「私(自我)」として活動することが可能になるの
です。(悪の秘儀79p)(真に受けるな)
シュタイナーによれば、現在、霊界では二つの勢力が激しくぶつかりあっています。
一方はキリストの側に立ちながら、人類に正しい霊性を注ぎ込み、」自己意識に
基づく本当の自由に至る道を人類に示そうとしています。もう一方の側は、
ソラトというアーリマン的な霊的存在は、まず何よりも、人間の思考方法に強い影響
を及ぼします。アーリマンは人間に、目に見える物質こそがすべてだと思わせ、
精神的なもの、霊的なものから目をそむけさせようとしています。いまや私
たちの常識となった、唯物論や物質主義の生みの親がアーリマンなのです。
最強のアーリマンであるソラトも、もっぱら人間の思考方法の中に入り込むことで、
地上の人類に作用を及ぼそうとします。ソラトは、とりわけダーウィン主義を人類
に浸透させることに大きな関心を寄せています。というのもダーウィン主義者た
ちは、人間はサルが高度に進化しただけの存在に過ぎない、と考えます。ダーウ
ィン自身はそのことをはっきり明言したわけではありませんが、進化論の発表
以来、「人間とは脳が肥大したサルである」という考え方が一般的に広まるよ
うになったのです。シュタイナーが生きた19世紀後半から20世紀初頭のヨーロッパ
では、このようなダーウィン主義の是非をめぐって思想界、宗教界を巻き込んだ
激しい論争が繰り広げられました。このような時代に、シュタイナーはさまざまな
論文や講演を通して、ダーウィン主義に基づく世界観が広まっていくことに一貫
して危惧の念を表明しつづけました。なぜでしょうか。
410 :
、:2008/04/28(月) 17:14:56 ID:RFKKvKPv0
それは、ダーウィン主義の下では精神的に価値のあるものがことごとく踏みに
じられてしまうからです。ダーウィン主義者たちは、人間は高度な有機体を備え
た動物に過ぎない、と唱えます。ダーウィン主義が浸透するようになると、次第
に人間は自らの中に潜んでいる動物的な欲望やエゴイズムを肯定し、道徳的な
ものに価値を見出さなくなるのです。
シュタイナーの主著のひとつである『自由の哲学』によれば、、道徳とは、道徳
とは精神的世界に客観的に存在する法則性を意味します。道徳とは外から人
間を縛るものではなく、一人一人の人間が自由意志を元に精神的な世界から
取り出してくることが可能な、客観的宇宙の法則なのです。
ところが、ダーウィン主義者たちは、目に見えないものや数量化できないもの
はことごとく否定します。ダーウィン主義の立場にたつ人たちにとって、道徳と
は国家や権力者が一方的に押し付けてくるものであり、客観的妥当性などな
い、ということになるのです。ダーウィン主義を徹底して押しすすめると、人間
は確実に荒廃していきます。人々はお互いのエゴイズムのみを主張するように
なり、共通の目的のためにお互いに協力し合うことはなくなってしまいます。
ダーウィン主義を突き詰めると、結局は「人間は動物と同じなんだ。この世はす
べて食うか食われるかだ」という世界観に行き着くことになります。ダーウィン
主義が広まれば広まるほど、おのずと人間同士の間に争いごとが生じやすく
なるのです。
ダーウィン主義に代表される唯物論的な思考方法が浸透するとともに、人間は
霊的なものに対する畏敬の念を少しずつ失っていきます。知らず知らずのう
ちに人間の内面は荒れ果て、人々は他者に対する友愛の気持ちをなくしてい
きます。そこにソラトにつけ込まれる隙ができるわけです。
411 :
、:2008/04/28(月) 17:16:23 ID:RFKKvKPv0
20世紀にはいってから、人類は実に数多くの戦争を経験してきました。
戦争はソラトが引き起こす災厄の中でも、もっとも大きなもののひとつです。
たとえばシュタイナーは、第一次世界大戦の勃発にソラトがどう関与したか、という
点について次のように述べています。
いまや、おおいなるソラトの悪魔の信奉者である、悪魔たちが入り込むため
の道が開かれています。たとえば、第一次世界大戦の出発点について何らか
のことを知っている、あの悟性的な人々と話をするだけで、このことがわか
るはずです。ここで、「この世界大戦の勃発に関して責任のある、40人の人々
のほぼ全員が、戦争勃発の瞬間に、意識を鈍らされていた」といってもまち
がいではないでしょう。このような入り口を通って、アーリマン的な悪魔の
力は、そしてこのアーリマン的な悪魔の中でも最大の存在のひとつである、
ソラトが入り込んでくるのです。まず、最初に少なくとも一時的に人間の意
識の中に入り込み、災厄や混乱を引き起こす、というのが、ソラトの側から
やってくる誘惑なのです。世界大戦ではなく、それに続いて起こり、それよ
りもっと恐ろしく、将来ますます恐ろしいものとなるものをーーたとえば現
在のロシア国家体制を旧ソビエト連邦を指す)、人間の魂の中に入り込むソ
ラトの霊が引き起こそうとするのです。
412 :
本当にあった怖い名無し:2008/04/30(水) 01:24:31 ID:yxHug9oF0
凄すぎる。
413 :
本当にあった怖い名無し:2008/04/30(水) 16:30:23 ID:MB1EtNMT0
なんだ盤古大神のことか?
アーリマン=盤古大神
414 :
、:2008/05/01(木) 18:54:58 ID:P4MmwHZh0
戦争勃発の瞬間に、意識を鈍らされていた >>
解るよね、、、イデオロギーによる重圧と言うか、、、朦朧性癲癇の大方はここから来てるんじゃないかな、、、。
場合によってはトラウマを伴う体験で、不可解な偶然が目立つ傾向があります。癲癇は昔からある病気ですから、
666に関係する出来事は昔から度々あったと判断する事になります。特にMKウルトラはこの現象を利用すると
効果を表す性質のものと思われます。その影響の発揮の準備が網の目のように張り巡らされていると言えるでしょう。
これに対抗するのがミカエルと言われているようだが、実際は、それは、居たり居なかったりするアレが事実でして、
金星の愛の呪いの力の方が実際には有用であると判断を私の場合はしていますが、、、。
415 :
、:2008/05/01(木) 18:59:07 ID:P4MmwHZh0
414>>実際は、ミカエルや金星の力も含め色々な備えがあると良いといえるでしょう。
シュタイナーによれば、第一次世界大戦が勃発したとき、列強の指導者の意識はソラ
トによって支配されていました。ソラトは自ら直接軍勢を率いて人類を襲うわけ
ではありません。ソラトは、国家の最高権力を握っている人間の意識の中に入
り込むことで、結果として戦争を引き起こすのです。
20世紀には、ほんの一握りの権力者が大きな災厄を引き起こしたという例
は枚挙に暇がありません。シュタイナーは1925年になくなっていますが、もし
その後の時代も生き続けて 、世界の歴史を目の当たりにしたら、なんと言
ったでしょうか。
ソラトが戦争を引き起こす方法は実にたくみです。なぜならこの場合、汚名
を着せられるのは、ソラトに憑依された権力者のほうであって、ソラト自体はまっ
たく人間に感知されることはないからです。ソラトの影響を受けた権力者は、
国民の中に潜んでいる憎しみや怒りといったネガティヴな感情を巧みに利用し
て、好戦的な気分を煽り立てようとします。
たう。とえばヒトラーは、ドイツ国民が抱いていた第一次世界大戦の戦勝国やユダ
ヤ人に対する怒りや憤懣を巧妙に利用しました。その結果、ヒトラーは、ドイツを
救う英雄として、圧倒的な支持を受けたのです。このタイプの権力者は、権
力の座から失墜すると、一転して激しい非難を浴びることになります。さま
ざまな罪が暴かれ、国民は皆、ようやく悪しき権力者にだまされていたこと
に気づきます。熱狂的支持から断罪へーーこれは20世紀の独裁者に見られ
る典型的なパターンです。
416 :
、:2008/05/01(木) 19:02:58 ID:P4MmwHZh0
414>>実際は、ミカエルや金星の力も含め色々な備えがあると良いといえるでしょう。 >>
つまり、何通りもある。しかし、ミカエルだとか騎士団の壊滅の後で言われてもねぇ、、、。
この場合、人々はすべてを独裁者個人の問題に還元ようとします。たとえ
ば、ヒトラーは精神病の傾向があったのではないか、などと病理学的に権力者の
精神状態を説明しようとします。つねに権力者個人のみが非難と分析の対象
となるわけです。
しかしそれだけでは、なぜ20世紀になってから悪しき権力者が次々と現
れ、世界中で戦争と殺戮が繰り返されるようになったのか、という疑問に対
する説明にはなりません。ここで私たちは歴史の表面に現れた現象のみに目
を向けるだけではなく、さらに一歩踏み込んで、権力者の内面に入り込んだ、
ある精神的な傾向に目を向ける必要があります。20世紀の独裁者たちの精
神的傾向をよく考えてみてください。かれらはすべて、同じような傾向を備
えていたのではないでしょうか。彼らはみな、争いを好み、その内面に激し
い憎しみの感情を抱きながら、時には才知や弁舌の冴えを見せ、人をひきつ
けます。それこそがシュタイナーの言うソラトの精神(霊)の働きなのです。
417 :
、:2008/05/01(木) 19:04:32 ID:P4MmwHZh0
ところが、霊的なものの存在を信じようとしない人は、権力者個人ばかり
を攻撃しようとします。そしてこれこれの権力者さえいなければ、戦争は起
こらなかった、と単純に信じ込もうとします。ソラトにとって、これは実に都
合のよい事態だといわなくてはなりません。なぜなら人間が唯物論的な思考
方法に固執する限り、ソラトはその存在を悟られずにすむからです。私たちが
目に見える物質的な世界のみを信じようとする限り、ソラトはつねに効果的に
人類に影響を及ぼしつづけることができるのです。
666という数字は、ソラトの名前を意味すると同時に、さらにソラトが人類に大
きな作用を及ぼす歴史上の年号をあらわしています。「黙示録」の作者は、
ソラトの影響は、666年を周期として、繰り返し地上に現れることになる
と予測しているのです。
ソラトの最初の影響は666年、西アジアに現れました.西暦7世紀のサ
サン朝ペルシアで最強のアーリマンとしてのソラトの影響を受けた楽員が活動し
たのです。
その発端は、529年に東ローマ帝国の皇帝ユスティアヌスが、アテネのアカデミアを閉鎖
し、古代ギリシアの学問を伝えてきた学者たちを追放した、という出来事に
までさかのぼります。このとき行き場をなくしたギリシアの学者たちを受け
入れたのが、ゴンディシャプールの学院です。学者たちはゴンディシャプールの学院で、
アリストテレスの著作をアラビア後に翻訳する仕事に没頭しました。その結果、
アリストテレスの哲学の中にアラビア的な魂が混入することになったのです。
418 :
、:2008/05/01(木) 19:21:55 ID:P4MmwHZh0
ソラトがゴンディシャプールの学院を通して、地上に撒き散らそうとしと試みた知恵
とは何だったのでしょうか。
「人類が将来獲得することになる3つの知恵」
まず、第一は、優生学、これは人間が受胎と出産を思いのままにコントロー
ルすることを可能にする技術です。
第二は精神的な医学で、これを用いることで人間はほとんどあらゆる病気を
予防することができるようになります。
第三は律動学で、人間は生命体の振動を用いて、あらゆる機会を動かすこと
ができるようになります。
人類は遠い将来において、この3つの知恵を獲得することになりますが、現
在のところ、人類はまだその段階に到達していません。ところがソラトは、な
んと666年に、ゴンディシャプールの学院を通してこの3つの知恵をじんるいに
もたらそうとしたのです。
考えてみてください。ヨーロッパではゲルマン民族がフランク王国をはじめとする諸
国を建立し、東アジアでは唐が栄え、日本では天知天皇が在位していた時代
に、これら3つの知恵が世界中に広まろうとしていたのです。
このときソラトの目論見が成功していたらどうなっていたでしょうか。
人間は、ゴルゴタの秘儀を通して、自分自身の人格の中から意思既婚を見出
し、将来さらに霊我、生命霊、霊人、へと上昇するための手助けを得るよう
に定められていました。しかし、その一方で、人間が天才的なグノーシス的学問
から霊的な開示を通して直接ある知恵を手に入れることもまた、運命的なも
のでした。もし実際にこのような知恵を人間のために決定し、そして人間そ
のものを決定する心的かつ霊的な諸存在とのつながりにおいてーーこれら
の諸存在には、イエス・キリストも属しているのです。-----自分自身で個人的に活動
することを通して見つけなければならないはずでした。ところが人間は、こ
のような知恵のすべてを天才的なものの中から開示のように受け取る道を
歩もうとしていたのです。
もしソラトがほんとうに3つの知恵を世界に広めるのにせいこうしたなら
ば、人間はあるいみにおいて、非常に楽な道をたどることになったかもしれ
ません。なぜなら、この場合、人間は3つの知恵を自分の知恵を獲得するた
めに、さまざまな失敗を積み重ねて努力する必要がなくなるからです。しか
し、もしそうなったとしたら、人間は自己意識に基づく個人としての自由を
手に入れることはできなかったでしょう。
正しい進化のプロセスにおいては、本来人類は15世紀以降、意識魂(木星
意識)を発達させる努力を続けた末に、自分自身の力でこの3つの知恵を獲
得することになっていました。ところがソラトは、「努力する必要はない、私が
必要な知恵はすべて与えてあげよう」と人類にささやきかけてきたのです。
420 :
、:2008/05/01(木) 19:26:42 ID:P4MmwHZh0
もし、ソラトの目論見がせいこうしたならば、人類が地上で意識魂を発達さ
せる可能性は永遠に失われることになったでしょう。そして、人類はこの地
上で、自己意識に基づく真の自由を獲得することができなくなったことでし
ょう。
実際には、7世紀半ばにササン朝ペルシアがイスラム勢力に滅ぼされるとともに、
ゴンディシャプールの学院は消滅し、ソラトのもくろみは失敗に終わりました。しかし、
そのときソラトが蒔こうとした種は別の形で芽を吹くことになります。
グノーシス的なゴンディシャプールの知恵は弱められはしたものの、南ヨーロッパ
とアフリカを経て、スペインへ、フランスへ、イギリスへと広まっていきま
した。またそれは、修道院という回り道を経ながら、ヨーロッパ大陸にも伝播していきました。またそれは、修道院という回り道を経ながら、ヨーロッパ大
陸にも伝播していきました。私たちは、ゴンディシャプールの知恵がこのように拡
大していく様子を、1段階ずつ、十年ごとにたどることができます。私たち
は、「ゴンディシャプールの知恵の拡大とともに、超感覚的なものがいかにして追
放され、そのあとに感覚的なものだけがーーいわば特定の意図だけがーー保
持されることになるか」という過程を追っていくことができるのです。つま、
り、ゴンンディシャプールのグノーシス的な知恵が弱められたことの中から、西洋の自
然科学的な思考が生まれてくるのです。
421 :
、:2008/05/01(木) 19:27:44 ID:P4MmwHZh0
イスラム帝国は、人類の間にソラトの3つの知恵が撒き散らされるのを未然に防
いだ、ということができるのです。しかしその一方で、イスラム教徒たちはゴンデ
ジシャプールの学院の学問の系譜を受け継ぎ、アラビアの哲学や自然科学を発達さ
せていきます。イスラム帝国は政治的にはササン朝ペルシアに敵対しましたが、学
問の分野においては、ゴンディシャプールの学院が備えていた思考方法を継承する
ことになるのです。この場合私たちは、イスラム主義が果たして善なのか悪なの
か、という点に関して即断を下すことは避けなくてはなりません。私たちに
は精神科学の立場に立ちながら、7世紀以降、イスラム教徒たちによってその後
の人類のために何が準備されたのかを、あくまで客観的に観察することが求
められているのです。
イスラム帝国では、まず、アラビア語に翻訳されたアリストテレスを基礎としてアラビア哲
学が発達しアヴィケンナ(イブン=シーナ)、アヴェロエス(イヴン=ルシ
ュド)などの学者が登場します。また、科学、天文学、医学、数学、などの
分野におぴても、アラビアの科学者たちは優れた功績を残しています。この
ようなアラビアの学問は西へと伝播し、中世のヨーロッパに多大に影響を与える
ことになります。このとき、アラビアの学問を通して、唯物論的な世界観の
ほうががヨーロッパにもたらされたのです。
422 :
、:2008/05/01(木) 19:29:38 ID:P4MmwHZh0
唯物論的な思考方法に基づく自然科学は、近代になっていきなりヨーロッパで
発生したのではありません。アラビアの自然科学が導入されるまで、ヨーロッパに
は、近代科学のさきがけとみなされるような学問はほとんど存在しませんで
した。アラビアの自然科学は、中世のヨーロッパ人の目には驚くほど進んだ学問
と映ったのです。
もちろん、アラビアの科学や哲学がヨーロッパ世界に広まっていくことに警戒
心を抱く人々がいなかったわけではありません。たとえば、中世のスコラ哲学
者たちは、アラビア哲学の中に霊的なものを軽視する傾向があることを敏感
に察知しました。スコラ哲学者たちは、アラビア哲学の中には反キリスト的な精神が息
づいていることに気づいていたのでした。しかしスコラ哲学の側からの抵抗が
あったにもかかわらず、ヨーロッパに入り込んだアラビア主義はロジャーベーコンらによ
って更に発達を遂げ、17世紀には実験と観察と推理に基礎を置く、近代科
学となって結実しました。私たちが現在享受している化学文明の基礎がこの
とき作られたのです。
なぜならアラビアの学問はこれほどまでにヨーロッパ世界の人々に受け入れられ
たのでしょうか。それは、カトリック教会の教義そのものの中にアラビアの自然科学
を受容する地盤が形成されていたからに他ならなかったからなのです。
423 :
、:2008/05/01(木) 19:31:49 ID:P4MmwHZh0
ゴンディシャプールの学院からアラビアの自然科学、そして近代科学から唯物論哲学
にまで至る唯物論的思考方法の歩みを以下にまとめる。
7世紀 ゴンディシャプールの学院の成立―――ソラトによる第一の作用
(666年)
イスラム世界の誕生―――3つの知恵
↓
9-12世紀 アラビア自然科学の発達―――唯物論の萌芽
フワーリズミー アヴィケンナ アヴェロエス
↓
中世 ヨーロッパ世界がアラビアの哲学・自然科学を導入
アラビア数字 3角法 火薬・羅針盤・印刷術
↓
13世紀 ロジャー・ベーコンの経験主義的自然学
424 :
、:2008/05/01(木) 19:34:26 ID:P4MmwHZh0
↓
17世紀 近代自然科学の誕生―――唯物論的」思考方法の基礎
ニュートン ケプラー
↓
19世紀 唯物論哲学 実存主義哲学―――唯物論の完成 唯物史観
フォイエルバッハ マルクス コント
進化論――――――――――人間とサルは同一の祖先から進化したと説き、宗教界に打撃を与える。
ダーウィン
20世紀 ボルシェヴィズムーーーーー科学的社会主義
レーニン トロツキー
このように見ていくと、「第一の666」としての、西アジアにおけるソラトの
活動は現代を生きる私たちにも大きな影響を及ぼし続けていることがわか
ります。
17世紀後半に近代科学の基本的な体系が作られてから、わずか数百年の間
に、人類の科学文明は、核兵器やコンピュータを開発するレベルにまで到達しま
した。20世紀末の現代において、唯物論的思考方法は、科学文明の発達と
歩調を合わせながら、世界の隅々にまで広がっていこうとしています。超感
覚的なものを軽視し、目に見える物質のみに目を向けようとする傾向は科学
のみならず、一般の人々のあいだにも深く浸透するまでになりました。この
いみにおいてソラトが千年以上の歳月をかけて準備してきたことが今まさに実
を結ぼうとしているのです。
425 :
、:2008/05/01(木) 19:35:42 ID:P4MmwHZh0
666 666×2=1332
333年にキリスト教会内部で起こった出来事について考察する。
1332年の事件を理解するためには、1232年以降、キリスト教がどの
ような道をたどってきたか、ということを頭に入れておく必要があるからです。
シュタイナーによると、人間の悟性魂(火星意識)は、紀元前八世紀から15世紀
にかけて形成されました。この時期は精神科学では悟性魂の時代(ギリシア・
ラテン文化期)と呼ばれています。333年という年は、悟性魂の時代のちょ
うど痛感に位置します。いったいこのとき何が起こったのでしょうか?
紀元前8世紀から徐々に発達を遂げていった人間の悟性魂は、333年にな
ってようやく自我を受け入れることができることができるまでに成熟しま
した。つまり、333年ごろに人間の悟性魂の中に自我が入り込んできたの
です。それまでの人間はいわば神と一体になって生きてきたわけですが、自
我を獲得するとともに人間の中で、神と世界、神と人間の関係に関する確信
が揺らぎはじめたのです。
426 :
、:2008/05/01(木) 19:37:21 ID:P4MmwHZh0
その結果キリスト教会の内部でも、それまでの初期キリスト教の教義に対す
るさまざまな疑念が生まれるようになりました。この後でお話しする、アリ
ウスとアタナシウスの論争やカトリック教会の成立の背景には、人間の悟性魂が自我を
受け入れるようになった、という事実が背景になってよこたわっていたのです。
また、333年という年は、666÷2=333
666のちょうど半分にあたる数字です。
333という年は、イエス・キリストが地上に現れてきた時期と、第一の666の年
の中央に位置します。333年は人間の悟性魂が自我を受け入れた時期であ
ると同時に、666年にソラトが人類に作用を及ぼすための基盤が作られた年
に当たります。そして、333年の出来事は、666の年だけではなく、「第
二の666」としての1332年の事件にも間接的に影響を及ぼすことにな
るのです。
シュタイナーによれば、333年ごろ、キリスト教は2つの危機に直面しました。
その第一はアリウス派とアタナシウス派の論争です。
427 :
、:2008/05/01(木) 19:38:34 ID:P4MmwHZh0
アリウスは「イエス・キリストが『子』と呼ばれる以上、子は父なる神とは本質を異にす
る」と考えました。「子は父から生まれることによって、初めて存在ことが
できる。生まれる前には子は存在できない。だから子は永遠の存在ではな
い。」というのがアリウスの説の骨子です。つまり、アリウスは「永遠なる神に対し
て、子であるキリストは時間的存在に過ぎない。キリストは神そのものではなく、被
造物に過ぎない」と唱えたわけです」。
じつに見事な論理です。
アリウスは弁舌の才にたけたじんぶつですから、このとき、少なからぬ人々がアリ
ウスの説を信じようとしました。
これは、当時のキリスト教会全体を揺るがす大事件でした。
このような事態を重く見たローマ皇帝コンスタンティヌスは、325年世界最初のキリ
スト教会総会議をニーケアで開きます。この会議の席で、「子は父なる神と本質
を同じくする」と唱えるアタナシウスの説が正統と認められ、アリウスは異端とされます。
428 :
、:2008/05/01(木) 19:40:30 ID:P4MmwHZh0
かくしてかろうじてキリスト教の正統な信仰は守られたわけですが、アリウス
の巧みな論理によって、一時的なものであったとはいえ、キリストの神聖が否定
された、というのはやはり大きな事件でした。このときアリウスは公然と、子な
るキリストの権威に敵対する考えを広めようとしたのです。
第二の危機はキリスト教のローマ化です。
ご存知のように、初期キリスト教の時代には、ローマ帝国はさまざまな形
でキリスト教徒に迫害を加えました。前に触れた、皇帝ネロによるキリスト教
徒虐殺もそのような例の一つです。
しかし、ニーケアの公会議に先立つ313年のミラノ勅令によって、キリスト教は
ローマ帝国によって公認されます。また、381年のコンスタンティノープルの公会議
では、先ほどお話したアタナシウス派の教義が正統なものとして確認されました。
このときローマ・カトリック教会の基礎が確立されたわけです。表面的に見ると
このときキリスト教は、華々しい勝利を収めたように思われます。ところが
シュタイナーによれば、カトリック教会の誕生はキリスト教の堕落以外の何者でも
ありません。なぜならカトリック教会はローマ帝国に従属することでキリス
ト教本来教義から離れていったからです。
429 :
、:2008/05/01(木) 19:41:54 ID:P4MmwHZh0
カトリック教会は国家権力と結びつくとともに、ローマ帝国の国家体制に
すばやく順応していきました。そしてローマ帝国滅亡後は、皇帝に変わって、
教皇がローマ帝国の頂点に君臨することになります。カトリック教会は、真
のキリスト教の精神にふさわしい国家や社会を新たに建設しようとはしま
せんでした。古代ローマ帝国そのものはカトリック教会が誕生してもまったく変
わっていない、それどころか、カトリック教会はローマ的な秩序の存続に協力
しているだけではないか、というのがシュタイナーの考えです。(エッセネ派、フリー
メーソンの考え)
私たちは、偏見を抱くことなく、最初にキリスト教が発達していった時代を振り
返らなくてはなりません。初期のキリスト教の発達は、基本的には、のちのロー
マカトリックとは何の関係もありません。というのも、ローマ・カトリックの内
部で、キリスト教は堕落していくことになったからです。ですから人類がさらに
発展していくためには、私たちはすべての問題をアタナシウスが意味したところに
基づいて決定することが特に重要です。アタナシウスはキリストの中に、まさに
直接の神的な存在を見ていました。アタナシウスはキリストの中に、現実の
心的な太陽の霊を見たのです。もっともこのような考え方は、後の時代に、
キリストを宇宙的に考えることが拒否されたために、背景に退くことになっ
たのですが。しかし霊的性質全体において、アタナシウスはキリストを実際
に、父なる神に等しい神とみなしていたのです。
430 :
、:2008/05/01(木) 19:43:12 ID:P4MmwHZh0
このようなアタナシウスの見解は、その後も作用し続けた後、869年にコンスタ
ンチノープルで開かれた、第8回目の公会議(第4回コンスタンチノープル公会議のこと)
で鈍らされることになりました。この公会議では、霊・魂・肉体の3分説が
異端として退けられることによって、第一回目のニーケアの公会議で認めら
れた教養が、基本的には破棄されることになりました。そしてそれとともに、
教会に基礎を置いたキリスト教の堕落が始まります。なぜならば、それとともに、
その後の数世紀にわたって、カトリックの教会の発達の内部で、人間が霊的なも
のの中へと成長していく可能性が徹底的にたたれてしまったからです。
アタナシウスの思想の中には、初期キリスト教の秘儀に見られた教義がそのまま息
づいていました。たとえば、「キリストは、太陽からやってきた神的な例である。」
とか、「人間は、霊・魂・肉体の3つから構成されているといった教義がそ
れに相当します。
ところが時代を経るにしたがって徐々にカトリック教会は本来のキリスト
教の教義から離れていくようになりました。アタナシウスのころには、「人間は自
らの霊性を通してキリストとつながることができる。」という教えが生きていた
にもかかわらず、カトリック教会は政治的影響力を強めるとともに、次第に人間
の中の霊性を否定するようになったのです。869年のコンスタンティノープルの公会
議において、カトリック教会は、「霊・魂・肉体」の三分説を否定し、「魂・
肉体」の2分説を採用しました。このときから「人間は肉体と魂のみからな
り、魂は特性として霊的なものを含んでいるに過ぎない。魂は一面において
霊的であるという説がカトリック教会の公式な見解となったのです。
431 :
、:2008/05/01(木) 19:44:34 ID:P4MmwHZh0
869年以来、カトリック教会から生じる西欧の文化にとって、もはや霊は存在しな
くなりました。霊とのつながりがたたれるとともに、人間は世界とのつなが
りも失ったのです。人間はますますエゴイズムのなかへ駆り立てられました。
そのため、宗教それ自体もますますエゴイスティックなものになりました。
以来、人間と神との間には深い溝が存在するようになりました。どんなに努
力しても人間は神に近づくことはできない、人間はただ全能の神に祈り、自
己救済を願っていればそれでいい、というのがカトリック教会の基本的な教義に
なりました。「魂・肉体」2分説によって霊の存在を否定されてしまった以
上、もはや一人一人の人間が自らの霊性によってキリストにつながる道はたたれ
ました。このときから、教会がすべての人の霊の代わりを務めるようになっ
たのです。「霊を持たない以上、あなたは自分ひとりで神に近づくことはで
きない。だからあなたは教会に従属しなさい。教会があなたたちの神の仲介
役を務めてあげよう」カトリック教会は信徒たちにこう説きました。教会は、人
間から霊性を取り上げることによって、宗教的にも政治的にも人々の上に君
臨しようとしたのです。
こうしてシュタイナーの言葉をそのまま借りるならば、「人間と神の間に境界を
設け、人間の中に神が内在することを認めようとはせず、神と人間の間に深
淵をおこうとする」態度がカトリック教会を通じてヨーロッパ人の間に広ま
っていくことになりました。
432 :
、:2008/05/01(木) 19:49:26 ID:P4MmwHZh0
これにたいして本来のキリスト教の教義を現代にふさわしい形で復興させ
ようとするのが、シュタイナーの精神科学です。シュタイナーが唱えている、「霊・魂・
肉体」からなる人間の三分説や、カルマについての思想は、すべて初期のキリ
スト教において守られてきた教義と深いつながりを持っています。
シュタイナーは、15世紀以降の意識魂の目覚めを経験した人間が、自己意識に
基づく認識を基礎として「子」であるキリストとつながることが元も重要である、
と考えました。なぜなら20世紀の今、人間が唯物論の限界を脱して、人間
と霊との、人間と世界との正しい関係を取り戻さなくてはならない時代がや
ってきたからです。シュタイナーが現代にふさわしい形でよみがえらせようとした
初期キリスト教教義の核心とはどのようなものでしょうか。
子(キリスト)の衝動は、魂の中に受け入れられ、魂によって手を加えられ
なくてはなりません。子の衝動は、魂が肉体の力や遺伝の力から自由になる
ように、魂を拡大することができなくてはなりません。子の衝動は人間の自
由の中へと入り込んでいきます。―――初期キリスト教の時代の人々は自由をそ
のように理解していたのですーーー。子の衝動は魂の自由の中へと入り込み
ます。そこでは、魂は遺伝の力から自由になります。子の衝動こそが、人間
を魂的に生まれ変わらせるのです。子の衝動こそが、「父親によって与えら
れた人生を送る間に自分自身を手に入れる能力」を人間に与えるのです。こ
のようにして太古の秘儀において、人々は父なる人間と、父の息子であり、
キリストの兄弟である人間とを見ました。キリストの兄弟である息子は、自分自身を
手に入れ、ある意味において肉体から自由になったものを自分の中に受け入
れます。彼は自分自身の中に新しい領域を担わなくてはなりません。それは
自然とはなんのかかわりもありません。それは自然とは別の秩序を提示しま
す。すなわちそれは、精神の領域なのです。
433 :
、:2008/05/01(木) 19:51:10 ID:P4MmwHZh0
太古の秘儀においては、父なる神と人間の関係のみが強調されてきました。
たとえば旧約聖書に書かれた、古代ヘブライ民族の教義を読んでみてくださ
い。そこには父親から息子へと伝えられる、遺伝的な血の流れが強調されて
はいないでしょうか。そこでは肉体的なものとともに霊的な衝動も親から子
へと伝えられる、ということが自明なこととしてかかれてはいないでしょうか。
父についての教義に基づきながら、太古の人間は自然の現象の中に神の力
が働いているのを見いだしました。しかし、父についての教義のみを受け入
れる限り、人間は自然に従属し続けなければなりません。
もし、遺伝的な流れから自由になって、自ら霊的な世界に参入しようと思う
ならば、人間は子なるキリストに導かれなくてはなりません。
人間の霊は肉体には拘束されません。霊は生前からやってくるものであり、
父祖から受け継ぐものではないからです。霊とは、まさにその人個人の属す
るものでリ、親が遺伝的流れを通して与えるものではないからです。
人間が行為を通して霊を肉体にまでもたらすとき、生前の結果としてやって
くるカルマが入り込んできます。このとき人間は初めて個人としての自由を獲
得するための基盤を得るのです。
434 :
、:2008/05/01(木) 19:53:25 ID:P4MmwHZh0
人間は子であるキリストの教義を受け入れるとき、初めて遺伝の流れから自由
になり、真の自分自身を手に入れることができます。このとき人間は自らの
霊性に基づきながら人間は自由な存在として精神(霊)の猟奇に足を踏み入
れます。
ところが「魂・肉体」の2分説を唱えるカトリック教会は、「父」である神と人間
のつながりのみを強調します。そこでは、人間に自由をもたらす「子」とし
てのキリストの真の役割は覆い隠されています。この意味においてカトリック教
会はキリスト以前の古い信仰形態を復活させたということができるでしょう。
シュタイナーは教会のような宗教上の権威を認めません。シュタイナーは霊的な認識に基
づく自由な個人とキリストとのつながりだけが、未来の宗教の基盤になりうると
予見していたからです。
未来において任類の中で発達することになる自由な宗教はすべて、「単なる
理論ではなく、直接的な人生の実践において、ここの人間の中に実際に神性
の似姿が認められる」ということをよりどころとするのです。そうなると、
もはや宗教が強制されることもなくなります。もはや宗教を強制する必要も
なくなるのです、というのも、そのときには、それぞれの人間がほかの人間
と出会うということがすでに宗教的な儀式、秘儀となるからです。そのとき
にはだれも、物質界に外面的な機構を持つ特別な教会によって宗教上の生活
を整える必要がなくなります。人生全体が超感覚的表現となることによって、
教会が持ちうる唯一の目標はーーもし教会が自分自身を正しく理解するな
らばーー「教会それ自体を物質界で不要なものにすること」のみになるので
す。
435 :
、:2008/05/01(木) 19:56:06 ID:P4MmwHZh0
シュタイナーは、教会がキリスト教信仰の唯一のよりどころとなる時代はもはや終
わりつつあると考えました。なぜなら教会が守ろうとしているのは、真のキリ
スト教ではなく、「見かけのキリスト教Scheinchristentum」
にすぎないからなのです。ここで以上述べてきたローマカトリック教会成立
の歩みを表にしてまとめておきます。
カトリック教会の歩み
313年 ミラノ勅令――――――――ローマ帝国でキリスト教が公認される。
↓
325年 ニーケアの公会議―――アリウス派が異端とされ、アタナシウスの説が正
統なものと認められる。以後、これにしたがう教会をカトリックと呼ぶ
↓
333年 人間の語精魂が自我を受け入れるーー神的なものへの信頼がゆらぐ
↓
381コンスタンティノープルの公会議―――ニケーア公会議の確認
↓
476年 ローマ帝国滅亡
↓
7世紀 教皇権の確立―――教皇グレゴリウス一世が中世教会国家の基礎を作る
↓
8世紀 カトリック教会とフランク王権の協調関係
↓
869年コンスタンティノープルの公会議―――霊・魂・肉体の3分説否定
アタナシウスの教義が弱められる。
436 :
、:2008/05/01(木) 19:59:43 ID:P4MmwHZh0
キリストは太陽からやってきた神的存在である」という本来のキリスト教の教義
から離れていくとともに、カトリック教会は後にソラトが地上に影響を及ぼす
ための一つの基盤を提供することになります。
私たちは、次のことをますます深く、魂の前に描き出さなくてはなりません。
すなわち、反キリスト勢力がキリスト教と戦う際には、まさに、「キリスト教の本来の霊
性が太陽と結びついている」という事実と立ち向かうことが重要な意味を持
っていました。キリスト教の敵対者にとっては、「人間たちが霊的存在としての
太陽としての見解を完全に失い、物質的な存在としての太陽の見解のみを受
け取る」ということが最も重要でした。
カトリック教会はその機構が整うのと平行して、次第に「大要の守護神としての
キリスト」に関する教義を重視しなくなり、人々からキリストの真の姿を覆いかくす
ようになりました。
一方ソラトは西暦333年から更にさらに333年が経過した666年に、先
にお話したゴンディシャプールの学院を通じて唯物論的な思考方法の種を蒔き、反
キリスト勢力としてのイスラム主義が台頭するための基礎を築きました。
437 :
、:2008/05/01(木) 20:00:51 ID:P4MmwHZh0
黙示録の作者は断固とした方法で、人間を脅かしているものを内的に予見し
ました。すなわち、「キリスト教は二つの方向(カトリック教会とギリシア正教会)に向
かって、見掛けのキリスト教へと堕落するだろう。」より正確に言えば、「キリ
スト教は霧に包まれたキリスト教になるだろう。」と。このようにあふれる水のよ
うに「黙示録の作者に権威を与えるものは666という数字を通して表されて
います。666の年は霊的な世界においては意味深い年でした。つまりこの年
には、アラビア主義の中に、モハメッド主義の中に生きているものが、いたると
ころに姿を現すのです。黙示録の作者は、この666という年をきわめてはっ
きりと記しました。黙示録的に読むことのできる人はこのことを確かに理解
します。力強い言葉で666という数字を獣の数として言い表すとき、黙示録
の作者は、666年に侵入してくるものがどのように作用するか、ということ
を予見していたのです。
666年の時点で、すでに地上には新のキリスト教徒は相いれない、2つの
潮流が存在していました。ひとつは父の教義に基づく、古い信仰へと立ち戻
ったカトリック教会、もうひとつは、アラビア主義の代表される唯物論的な思考方法
です。カトリック教会は、869年のコンスタンティノープルの公会議以降、次第に父なる
神と人間の関係のみを強調するようになり、子であるキリストに関する教義を排
除するようになります。このときカトリック教会は父の教義のみを重視すること
で、アラビア起源の西欧世界に唯物論が広まるための準備を行ったといえます。
438 :
、:2008/05/01(木) 20:02:47 ID:P4MmwHZh0
なぜでしょうか。
先にお話したとおり、父なる神に関する太古の教義とは、自然の現象の中
に神の作用を見ようとするものでした。父の原理に基づく限り、人間は外な
る自然の中に働く力を探求することができます。目に見える現象の中に自然
の法則性を見出そうとする科学者の姿勢には、父なる神の教義と共通するも
のがあります。この場合、人間は父祖から遺伝的に受け継いだ肉体の中に拘
束されているのです。
宇宙の物質的な側面(目に見える自然現象、自然の法則) →遺伝的流れを強調する父なる神の教義→自然科学、唯物論(カトリック教会 イスラム教)
ダーウィン主義
宇宙の霊的な側面(目に見えない霊性、霊的な法則、カルマの法則)
→個人の霊性を強調する子なるキリストの教義 → 精神科学
(初期キリスト教 アタナシウス) シュタイナー
439 :
、:2008/05/01(木) 20:05:07 ID:P4MmwHZh0
宇宙の中には本来、自然の法則と霊的な法則の2つが働いています。しかし、
父の教義のみを信奉する限り、人間は自然現象以外のものに目を向けること
はできません。霊的な法則、カルマの法則は自然現象を支配している法則とは
全く別の基盤の元に成り立っています。このような霊的な法則を探求するた
めには、人間は、子なるキリストの教義を受け入れ、遺伝的流れから自由になっ
た個人として、霊的な世界に足を踏み入れなくてはなりません。
しかし父なる神のみを重視するカトリック教会の教義は、人間が自らの霊
性に基づきながら、自由な存在として霊的な世界を探求するための道を閉ざ
しました。
ご存知のようにイスラム教ではアラーの神と人間のつながりのみを強調し、
神の子としてのキリストの権威は一切認めません。カトリック教会とイスラム教は一
見、何の共通点もないように見えますが、父なる神の教義のみを説き、子な
るキリストの真の役割を覆い隠している、という点においては同じ基盤の上に立
っているということができるのです。カトリック教会の側の人間も、自然現象の
背後に神の力が働いていることは認めますが、自然の法則とは別の霊的な法
則が宇宙に働いているとは考えません。ですからカトリック教会の支配が最
高潮に達した中世において、ヨーロッパ世界がアラビアの自然科学を受け入れたこ
とには、何の不思議もないのです。父の教義のみを信奉する人々の関心が目
に煮える自然現象へ、物質的なものへと向かっていくことはきわめて自然な
なりゆきなのです。
440 :
、:2008/05/01(木) 20:07:11 ID:P4MmwHZh0
父なる神に関する教義から唯物論への流れ
333年に始まったキリスト教の堕落 666のゴンディシャプールの学院
カトリック教会の発展 イスラム教の成立
(父に関する教義) (父に関する教義)
↓
イスラムの哲学・自然科学
↓
ヨーロッパの自然科学の発達
↓
唯物論 ダーウィン主義
このようにカトリックの教義とアラビアから入り込んできた自然科学が結びつ
くことによって、19世紀にダーウィン主義が誕生するための基盤が形成されま
した。「人間は進化する動物に過ぎない」と説くダーウィンの進化論は、333
年ごろ始まったキリスト教会のカトリック化と、666年に準備されたアラビア主義
に端を発するのです。
獣の数である666が上昇することによって、人間は自らをもはや人間とし
てではなく、一種の高次の獣としてしか理解することができなくなった。」
―――ダーウィン主義の中には、まさにこのことが含まれていなかったでし
ょうか。キリスト教が父の教義の唯物論的な形態に浸透されるということの中に、
子なる神(キリスト)に対するアーリマン的な抵抗の力が作用しているのを、私たち
は見て取ることができないでしょうか。このような抵抗の力は私たちの時代
に至るまで、なお、作用し続けてはいないでしょうか。
441 :
、:2008/05/01(木) 20:09:59 ID:P4MmwHZh0
ソラトの最大の目的は、人間に自分は動物と同じ存在なのだ、と思わせるこ
とにあります。このようなソラト的思考方法はの最大の現れが先ほど触れたダー
ウィンの進化論なのです。そしてこのような思考方法は、現代に至るまでなお、
私たちに強い影響を及ぼし続けているのです。
傍ら、11世紀のヨーロッパに、初期キリスト教の教義を復活させ、それを宗教
のみならず経済、社会、政治の領域における運動へと展開させていった人々
が現れたのです。彼らは何者でしょうか。また、彼らの活躍を果たしてソラ
トは黙って見過ごしたでしょうか。
第一次十字軍の遠征が終わって間もない1119年、聖地エルサレムにおい
て新しい騎士団が組織されました。このときユーグ・ド・パイヤンのもとに集ま
った騎士たちは、キリスト教への熱い信仰を胸に抱きながら、修道会の規律
を守るだけでなく、更に巡礼を保護し、武器を取って聖地の守護にあたるこ
とを固く誓い合いました。。これが、歴史上名高いテンプル騎士団(聖堂騎士団)です。
はじめは少人数で組織されていたテンプル騎士団ですが、当時のヨーロッパ
社会の指導者ペルナールから保護を受け、教皇から数々の特権を与えられるとと
もに、次第にその規模を拡大していきます。またテンプル騎士団は、ヨーロッパか
ら近東にかけていくつもの根拠地を確保するようになると、当方の通貨を手
に入れたり、ヨーロッパから十字軍の兵士たちに送金する際の銀行の役目を
果たすようになりました。最盛期にはパリの本拠地タンプルはヨーロッパの金融界
の中心となり、テンプル騎士団は莫大な財源を得るまでになったのです。
442 :
、:2008/05/01(木) 20:11:37 ID:P4MmwHZh0
このように順調な発展を続けたテンプル騎士団ですしたが、1307年10
月13日の金曜日にフランス国内で、総長ジャック・ド・モレーをはじめとするすべて
のテンプル騎士団が突如逮捕され、宗教裁判にかけられた上、全員が刑死する
事になります。逮捕の理由は、テンプル騎士団が異端的行為や魔術を行った、
というものでした。
この事件をきっかけとして、テンプル騎士団は1312年の5月に正式に廃
止されます。以来、テンプル騎士団は背教的な集団というレッテルを貼られた
まま、歴史に汚名を残すことになりました。
現在でもヨーロッパでは、テンプル騎士団は魔術に手を染めたいかがわしい集団
だった、と思っている人が少なくありません。たとえばイギリスの児童文学
者ネズビットの童話のなかでは、子供が次のように語ります。
「魔法ごっこしてもいいじゃない。テンプル騎士団になりましょうよ。あの人
たちよく魔法を使ったのよ。呪文を唱えたり、山芋とガチョウを使って何かや
ったってお父さんがいってたわ(「火の鳥と魔法のじゅうたん」より)
このような童話の一説を読むだけで、ヨーロッパでは、テンプル騎士団が魔術を
行っていた、という話が広く知られていることがわかります。しかもテンプル
騎士団の汚名は大人ばかりではなく、子供の間にまで浸透しているのです。
443 :
、:2008/05/01(木) 20:13:50 ID:P4MmwHZh0
ところが近年、歴史家の間では、テンプル騎士団は冤罪を着せられたまま滅
ぼされたのではないか、という説が有力になりつつあります。当時のフランス国
王フィリップ4世は異常なまでに黄金に執着した人物でした。どうやらフィリップ4
世はテンプル騎士団の莫大な富を手に入れるために、騎士団そのものを滅ぼし
た、というのが事件の真相のようです。またテンプル騎士団と魔術の関係に関
しても、このときの宗教裁判がどれだけ公正なものであったか、疑問視する
歴史家は少なくありません。当時の宗教裁判では、容疑者は拷問による自白
を強制されるのが常でした。捕らえられたテンプル騎士団の団員たちは拷問に
よって、自分たちが悪魔を崇拝しているという、偽りの自白を強要された可
能性が高いのです。テンプル騎士団の宗教裁判に関しては、カトリック教会の
関係者も関与していたのではないか、とする説もあります。現代に至っても
なお、テンプル騎士団は解明されない多くなのぞを残したままなのです。
シュタイナーは、早くから、テンプル騎士団事件の精神科学的意味について注目してきました。
たとえばシュタイナーは1916年の「人類の内的な進化の衝動 ゲーテと19
世紀の危機」という連続講義の中で、テンプル騎士団の霊的な役割について言
及しています。シュタイナーは時の権力者の行動に注目するだけでなく、さらにテン
プル騎士団が壊滅するように背後から操っていた霊的な力に目を向けます。
なぜなら精神科学的に見るとテンプル騎士団の責任者そのものを糾弾すること
よりも、この事件にかかわった人々を内面から突き動かしていた霊的な衝動
を解明するこのとほうがはるかに意義があるからです。このようなテンプル騎
士団についての考察は、今回の黙示録講義において、さらにいっそう深めら
れます。なぜならテンプル騎士団事件は、第二の666の年と密接なつながり
を持っているからです。
444 :
本当にあった怖い名無し:2008/05/03(土) 01:35:09 ID:qz/h4L/J0
>>410 >知らず知らずのう
>ちに人間の内面は荒れ果て、人々は他者に対する友愛の気持ちをなくしてい
>きます。そこにソラトにつけ込まれる隙ができるわけです。
友愛という表現、翻訳は適切なのでしょうか?
>>1 【追儺】胡錦濤の日本接近阻止祈願スレ2【退去】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/occult/1209634194/ 皆さんの尊き祈願を一日一つでも二つでも書いてください。塵も積もれば山となります。
この国を護りましょう。どうか一度だけでも良いので貴方の国を護りたい思いをこのスレに
打ち込んでください。5月5日までに20スレ完成で願いは実現します。世界中の人達が
中国の横暴に対して怒りに燃えているので我々日本人は先駆けてその怨念の通る道筋を
神仏に祈願するだけで良いのです。神風は吹きます。雷も落ちます。天変地異、災い
何でもありで天にお任せしながら祈りを捧げてマコトを形にしましょう。
尊き1票を!尊き1レス祈願をお願いします。
中国はチベットと同様な侵略を政治的威圧で行って来ています。今、阻止しないと
日本の数年後は悲惨です。真剣に気が付いてください。この日本の危機を!
446 :
、:2008/05/04(日) 07:44:07 ID:nIorFx9J0
当時この騎士団が1312年に滅亡するまでは、
そしてジャック・ド・モレー(1295年よりテンプル騎士団の総長を務めた人物)が1314
年に死ぬまでは、心安らかに過ごすことができなかった人々がいました。こ
のような人々の心と魂の中に(つまり宇宙的なキリストの、宇宙のかなたまで目
を向けようとするキリストの敵対者であった人々の心の中に)ソラトは再びよみが
えったのです。そしてまさにテンプル騎士団の全員を殺すために、ソラトは、
少なからぬ部分において、当時のローマ教会の意向を利用しました
テンプル騎士団が逮捕され、裁判にかけられたとき、その敵対者の中に入り込
んでいたものこそ、ソラトだったのです。ソラトは当時のフランス王国ばかりで
はなく、ローマ教会にまで影響を及ぼし。テンプル騎士団を滅ぼすように仕向
けました。
それだけではありません。
シュタイナーによれば、このときソラトは拷問にかけられた団員たちに憑依し
テンプル騎士団について偽りの自白をさせたのです。
ソラトの作用を受けた結果、テンプル騎士団の団員は自分たちの行いについて誹謗し
ました。そのため人々は、テンプル騎士団の団員自身の口から出たものに対して、正
当な告発をすることができたのです。このとき人々の前に、恐るべき光景が繰り広
げられました。すなわち、まったく別のもの(太陽存在としてのキリスト教に関する教
義)を信じていた人々が、拷問にかけられている間はそれについて話すことができ
ず、むしろソラトの軍団からやってくるさまざまな霊達が、彼らの口を通して語っ
たのです。つまり、テンプル騎士団に属する人間の口から、この騎士団そのものにつ
いて、きわめて不名誉な事柄が語られることになったのです。
447 :
、:2008/05/04(日) 07:46:30 ID:nIorFx9J0
拷問にかけられたテンプル騎士団の団員たちは、騎士団そのものを誹謗するよ
うなことを語りました。そのため、当時の人々は、それを動かぬ証拠と決め
付けていたわけですが、このときすでにテンプル騎士たちはソラトによって内面を
支配されていました。テンプル騎士の口を借りて騎士団と魔術の関係について
嘘の自白をしたのはソラトだったのです。ソラトは、テンプル騎士団の中にまで入り
込み、この騎士団を内面から滅ぼそうとしたのです。
なぜならソラトはこれほどまでにテンプル騎士団に攻撃を加え泣けてはならな
かったのでしょうか。その最大の理由はテンプル騎士団の教義にあります。
すでにお話したとおり、初期のキリスト教では「キリストは太陽の守護神であ
る」という教義が守られていましたが、カトリック教会が強大になるにつれ
て、このような教義は異端として退けられるようになりました。そして父な
る神と人間のつながりのみを重視するような教義が、キリスト教世界を支配
するようにうなったのです。
そのようななかで、テンプル騎士団は、中世のキリスト教世界で忘れつつあ
った、キリストに関する正しい教義をもう一度復活させようとしたのです。
448 :
、:2008/05/04(日) 07:47:25 ID:nIorFx9J0
このとき深い魂のそこから駆り立てられながら(というよりは、むしろ東洋
的なものによって駆り立てられながら)テンプル騎士団がヨーロッパに、太陽につ
いてのキリスト教的な見解を打ちたてようとしました。そのキリスト教的な見解とは、
再び太陽存在としての、宇宙的存在としてのキリストを仰ぎ見ようとするもので
した。テンプル騎士団はこのような見解に基づきながら、惑星や星の霊性につ
いてある知識を獲得していました。その見解は「ある惑星の存在たちだけで
はなく、お互い遠くはなれた惑星に属する知的存在たちが、世界の出来事の
中でどのように共同作業を行うか」ということを知っていました。また彼ら
は、太陽の悪魔であるソラトのような反抗的な存在たちによって生じる、強
力な抵抗についてもあることがらを知っていました。すなわちソラトは私た
ちの太陽系の中でも、もっとも強大な悪魔のひとつであり、それは基本的に
は、人間の唯物論の中で働く太陽の悪魔的な力なのです。
テンプル騎士団の団員たちはキリストの敵対者であるソラトの存在を知っていまし
た。だからこそ彼らは、宇宙存在としてのキリストについての教義を新たによみ
がえらせることによって、人類を唯物論へと向かわせようとするソラトの力
に対抗しようとしたのです。
ソラトとしてはテンプル騎士団を攻撃しないわけには行きませんでした。な
ぜならば、テンプル騎士団の力が強まり、地上に影響力を及ぼすことになれば、
ソラトにとっては、はなはだ都合が悪い事態となるからです。もしテンプル騎
士団が壊滅することなく、その後も成長を続けていったならは、真のキリストの
霊性に貫かれた社会が地上に誕生したかもしれません。そうなれば、その後
の唯物論的な世界観の拡大は未然に食い止められることになったかもしれ
ないのです。
449 :
、:2008/05/04(日) 07:48:54 ID:nIorFx9J0
このように見ていくと、十字軍の時代にテンプル騎士団とソラトの間で繰り
広げられたものは、まさに霊的な戦いであったことがわかります。結果とし
ては、テンプル騎士団はソラトの前に敗退し、太陽の守護神としてのキリストに関
する教義は再び歴史の背後へと姿を消すことになります。このようなテンプル
騎士団の壊滅こそが、、第二の666の現れにほかなりません。
1312年のテンプル騎士団事件は、二度目の666の年、1332年にそ
なえてソラトが行った強い働きかけの現れなのです。テンプル騎士団の崩壊後、
ヨーロッパの歴史は次第に唯物論化の傾向を強めていくことになります。
アラビア科学とともに唯物論的な世界観がヨーロッパに入り込み、今日のような
化学文明の基礎が準備されていくのです。
このように「第一の666」の年と「第二の666」の都市に起こった出来
事はに目を向けてみると、ソラト自身は決して歴史の表面には直接姿を現さな
いことがわかります。第一の666の年に備えたゴンディシャプールの学院創設に
しても、第二の666の年にを前にしたテンプル騎士団の崩壊にしても、どち
らも歴史上の出来事としては比較的地味な部類に属するといえます。しかし、
精神科学的に見ると、その影響力は実に絶大なものです。
ソラトは常に人間の内面に働きかけます。ソラトは目に見えないにもかか
わらず、後の人類の歴史に非常に大きな影響を与えることになるような作用
を及ぼすのです。このことは、来るべき「第3の666」の年について考察
する際にも、重要な手がかりを与えてくれます。私たちはともすれば、人目
を引く、センセーショナルな出来事にばかり注目しがちですが、精神科学の立場から
歴史上の出来事を観察しようと思うならば、その後の人類の精神のあり方を
決定付けるような、どんな些細な事件も見逃してはならないのです。
450 :
、:2008/05/04(日) 08:24:33 ID:nIorFx9J0
以上、シュタイナーの大予言2より、、、。
以下、コリンウィルソンの著作の記述より、、、。