このスレは、実話怪談と創作怪談の差違について、無為に感情的な対立や対話を拒絶した
レッテル貼りに陥った不幸な過去の経験を反省して、冷静かつ建設的に「怪談」を巡る過去、
現在、未来、その他の周辺事項について、落ち着いた考察・議論を重ねるスレです。
【スレ成立の経緯】
・[オカ板]実話怪談系スレと[創作文芸板]創作怪談系スレの意見対立があった。
・双方のスレ同士がレッテル貼りと荒らしの扇動で荒れた。
・このため、双方のスレでの論禍を避けるための議論の待避先/避難先/隔離スレとして設置された。
【スレの傾向と目的、振る舞いについてのマナー】
・冷静に双方の違いを比較、考察する。
・双方の主張に優劣や順位を求めない。
・相手の言い分を理解する努力をする。同時に自分の言い分を理解してもらう努力もする。
・単純なレッテル貼りは思考の放棄と同じ。
・いつもウィットを忘れない。
成立経緯の詳細は
>>3-4をどうぞ(長文です)
元々は、
「超」怖い話[オカ板] ……「超」怖い話ファンスレ
「実話怪談本」について熱く語れ[オカ板] ……実話怪談本全般スレ
屁本&幽怪談文学賞[創作文芸板](通称東スレ) ……創作怪談投稿者スレ
新耳袋[オカ板][創作文芸板](いずれもすでに途絶) ……新耳袋ファンスレ
の4つのスレで相互砲撃状態に陥った話題があったことが発端。
基本的には、超怖スレvs東スレのそれぞれの住人同士による罵りあい
がそれぞれ相互に相手のスレに対して、または自スレ内での応酬という形で
小競り合いが勃発。
それぞれのスレ内での話題を、相手のスレにコピペすることで燃料とする、
という手法(これは双方のスレでW粘着と呼ばれている)で、双方ともに荒れた。
加えて創作文芸板はIDの出ない板なので、東スレでは潜入工作なのか
第五列なのか攪乱なのかわからないような意見が飛び交い、
疑心暗鬼の恐慌状態に陥った。
その煽りから、東スレ(創作文芸)では混乱を避けたスレ内テーマの「三題噺」が独立して待避。
超怖スレ、実話怪談スレ(オカ板)では、「双方異なる意見同士で議論できる機会を作るべきだ」
として、VSスレ(このスレ)が分離独立。
東スレ住人による攻撃/挑発は基本的にこのスレが引き受けるという暗黙の了解で成り立っている。
オカ板住人側はVSスレを「そういう場所(待避先)」として受け入れているものの、
創作文芸住人側は「話題に触れない(話題に出さない)」派と、「レッテル貼りで議論拒否」派
に分かれているが、レッテル貼り議論拒否派の言動が、結果的にIDの出ない創作文芸板への
「反論者(この場合はオカ板住人)招致」の原因になっている。
創作文芸板がそうしたスレ間/板間抗争の経験が少ないとは思わないが、東スレの住人は
そうした経験があまり多くないのかもしれない。
双方の板(スレ)のうちの穏健派の共通の了解事項はおそらく下に挙げる通り。
・できれば相互不介入(相互スレへの内政不干渉)が望ましい
・荒れる原因になる因子を自ら呼び込むべきではない
・本来のスレのテーマを邪魔されたくない
(以上、表現は違うが全て「内政不干渉の徹底」)
相互努力としては、
・相手のスレに関する話題を極力控える(配慮)
・相手のスレに関する話題が出たら極力反応しない(スルー推奨)
・関連話題にどうしても触れたいときは、隔離スレなどの待避先で行う(オカ板ではこのスレが推奨されている)
・隔離スレ以外に話題が出ることを極力抑えるように心がける
が、必要。強制力は伴わないから、あくまで「自分が迷惑を被りたくなかったら、
そうしておくといいかもしれない」くらいのもの。
スレ同士の対立は、上位法規の罰則や強制がないという意味でも国同士の対立に似ていて、
その対立解決のための提案も「双方が遵守努力をしないと成立しない」という、
国際条約とよく似ている。
一方が配慮しても、もう一方が配慮しなければ条約は成立しないというのは、
国連安保理決議という配慮と、それを配慮しない北朝鮮の関係を見れば明らか。
現在までの議題・論点は以下の通り。
・実話怪談と創作怪談は、どちらも怪談の一分野であるが、読者傾向が異なるので同列に語れないのではないか。
・創作怪談は創作怪談著者の視点から語られ、実話怪談は実話怪談読者の視点から反論されるため、行き違いが多いのではないか。
・『「超」怖い話 超-1 怪コレクション』と『てのひら怪談(仮)』の優劣を言うのは問題があるが、違いについて考察する必要はあるかも。
など。順次追加。
実話怪談も創作怪談も、読者に恐怖を与えよう、または「恐がりたいという読者の欲求を満たそう」
としていて、著者はそれを満たすために文章を駆使するという点は確かに同じ。
東説では、この点をして「だから恐怖を表現するための文芸が重要なのであり、恐怖表現にそれを
用いている点で実話怪談も創作怪談もない」という主張だ、と東説支持者は言っているのだと思う。
確かにどちらも恐怖表現に紙数を割いていて、いかに怖さを感じられるか、怖さを伝えられるかに腐心
しているところは同じかもしれない。
違いがあるとしたら、創作怪談は「怖さの構造、原因、ストーリー(話運び)、登場人物像」を、恐怖を
感じられるように「創作」している点。
実話怪談は「怖さの構造、原因、ストーリー(話運び)、登場人物像」は、著者が自由に創作できない、
という点。あくまで、「すでに在るものを如何に再現するか?」というテーマに、文章表現リソースが注ぎ込まれる。
「もっと怖くする」「体験談にないオチを付け加える」「登場人物を増やす」ということはできない。
「実話を下敷きにした創作怪談」というものが引き合いに出されるようだが、これにしたところで
「怖さを膨らませるために、元々の実体験談にはなかった要素を付け加えた創作」
であるならば、これは「元の体験談、体験者の恐怖感を再現しよう」という部分に注力する実話怪談とは、
やはり別物と言えるように思う。
「実体験を振り出しとして、または下敷きとして、【もっと怖い話】に作り替える」
というものであって、元の体験談を再現するために文章表現が用いられているわけではない。
この辺りの区別について、東論を支持する人の意見を聞いてみたいところだが、おそらく出てこない
だろうと思うので、東論支持者の意見は今後も推察で検証していくしかなさそう。
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1156555799/739 >東氏にとっては、「たくさんある仕事の中のひとつ」なのか、将来の布石として重視してるのか。
>東氏の思惑とそれを支援するMF・ポプラの思惑は一致しているのか、などなど。
そこで「幽怪談文学賞」「bk1怪談大賞」「てのひら怪談」の関係かと。
MF、ひいては東氏にとって“特別”なものである「怪談文学賞」とリンクさせることが
「怪談大賞」も「てのひら怪談」も出来るんだよね、実際。
怪談文芸の旗手たる書き手のデビューを大々的にアピールすることも出来る。
=将来への布石、ということになる。
というのは穿ちすぎか。
一応、この「てのひらと怪コレ」の話について、少し整理したいんだけどいいかな?
1)てのひら怪談と怪コレクションは、競争・競合関係/対立関係にはないのではないか、と思う。
2)てのひらは「怪談を小説として楽しむ読者」をターゲットとしている。怪コレは「実話怪談を楽しむ読者」をターゲットにしている。
3)てのひらは「文学賞を目指す人の登竜門」を志向している。怪コレは「超怖を目指す人の登竜門」だった。(来年以降は不明)
4)てのひらは、bk1、幽(MF)、ポプラ、東雅夫とその人脈、とリソースが潤沢。怪コレは、公式HP、竹書房、加藤一とその人脈(詳細不詳w)、とリソースはショボい。
5)将来的な展望と期待値で言うと、てのひらに分がある。怪コレは実績作りで足場を作ってる最中だが、超‐1の手作り感wから言えば、かなり順調そう。
6)てのひらは(というかbk1怪談大賞、幽怪談文学賞)来年も開催される(だろう)。怪コレ(というか超‐1)は、来年未定。
敢えて二択要素を設けるなら、
7)読者から見て、てのひらと怪コレのどちらが魅力的か?(読者も一種類ではないだろうけど)
8)プロデビューを目指す著者にとっては、てのひらと怪コレのどちらが魅力的か?
9)版元として、商品展開を考慮した場合に魅力的なのはどちらか?
他にも要素はありそうだけど、それはおいおい。
まず、半端なところからだが「(6)次もあるかどうか」についての補足的考察。
てのひら(bk1)、幽文学賞の登竜門またはJr.部門という位置づけであること、
bk1の過去からの蓄積から言えば、来年第5回の開催は確実であろうし、今後も
(何か事情がない限りは)続くであろう、と見てよさそう。継続は力なりであるわけで、
この点については作品集化は怪コレが先んじたが、継続企画としてはてのひらが先行
して安定化している。
今後も、「幽文学賞の入門用」という位置づけでbk1怪談大賞→てのひらという路線
は続くのではないか。(ただし、これはてのひら怪談が、単品の商品としてそれなりに売れる
という前提が必要。もちろん、幽・ダヴィンチ・ポプラが全力を挙げて支援するだろうから、
大ハズレということはないだろう)
怪コレ(超‐1)は、まず来年やるかどうかがはっきりしない。超怖の共著者選定という
大前提はすでに達成されているわけで、新しい目標が設定出来るかどうかということ、
その新しい目標が読者や版元に支持されるかどうか、という二つの課題がある。
やるともやらないともアナウンスがない以上、「おそらくやるだろう」という想像の元、
話を続けるしかないのだが、1年目で作品集が3冊、毎月連続で出るというのは、
やはり尋常ではないと思われる。ネームバリューがない著者(素人)の作品集に
そういう期待が掛けられ、実際に3冊出る(すでに2冊出ている)という実績を積んで
いる以上、むしろこれは「来年もある」と考えるほうが確実かもしれない。
版元が「作品集」が商品としていける、と判断しなければ、三冊刊行はないと思うし、
三冊刊行が実現しつつある以上、来年も怪コレを前提に超‐1をやるのではないか。
(開催の前提が超怖ではなくて、怪コレになる、という意味)
どちらにせよ、怪コレはあてにできるリソースは「応募者のクオリティ」と、
「怪コレの売れ行き」しかない。これは連動していて、クオリティが低ければ
売れ行きにはブレーキが掛かる。売れ行きがよい、ということが、クオリティの
高い応募者を来年以降に引きつける牽引力になると思う。
宣伝、バックアップなどの支援体制が皆無である以上、ここが全ての生命線になるだろう。
>>8 (7)読者から見て、てのひらと怪コレのどちらが魅力的か?
これなんだけど、読者も一律ではないから、一言では判断しにくいかもしれない。
小説を読む読者が実話怪談を読まない、またはその逆、という二択は、
ありそうに見えてそうでもないと思う。おそらく重複しているのではないか。
どちらがより上位になるか(どちらがどちらを内包しているか)と考えた場合に、
見方はいろいろある。
「本好き」という条件で見れば、「何でも読むウワバミ的読者」は、小説も実話も
どちらも読むだろう。
「いいものだけを読みたい」という条件で絞ると、小説だけを価値あるものと見る文芸志向と、
ネタの優劣を重視する内容重視に分かれる。
価格という要素もあって、「安い(文庫)なら読むが、一定の金額以上なら買わない」
という条件付けをしている読者もある。そうなった場合、「安い本支持」になれば怪コレ有利、
「高い本を買うのは目の肥えた読者だけ」となるとてのひらは市場開拓の上では苦しい。
実話怪談と創作怪談という分け方をした場合に、「なんでもいいから怖いものを」という
ジャンキーは、創作怪談も実話怪談もホラー映画もなんでも選ぶのではないか? という気はする。
実話怪談読者と創作怪談読者、どちらの排他性(趣味性)が高いか、どちらが好き嫌いが激しいか。
好き嫌いが激しい読者は、自分が属さないジャンルは読まないから、結果的に好き嫌いが激しくない
読者の分しか、嫌われたジャンルwは読まれないことになってしまうのだが、実数、特に部数で
見るなら、必ずしもその理解が当てはまるとは言えない気がする。
そういうわけで、「読者の資質の優劣」では簡単に判断できない。
ただ、読者は「一度手に取ったものが気に入らなかったら、次からは買わない」わけで、
リピーター獲得を念頭に置いているかどうかが、ひとつのカギになっているかもしれない。
最初は安くなければ手に取られないが、一度手に取った人間は次からは値段ではなく
内容で判断するようになる。最初の一手(手に取りやすい)から言えば、怪コレはてのひら
より断然有利と言えるかもしれない。
その後は、読者の好み次第ということになると思う。
>>8 (8)プロデビューを目指すとしたら、どちらが魅力的か?
これは、応募者の下心がどこにあるかによって違うと思う。正統派文芸路線、
有名評論家の喝采、賞という栄冠などを考えれば、圧倒的にてのひらに軍配が上がる。
怪コレには、それに載ることについて「高い評価」を形作る支援母体がないからだ。
一方、印税を念頭に置くならてのひらより怪コレのほうが充足しているように思える。
てのひらは単価が決まっていないようなのだが(おそらく単行本になるだろうから、1000〜1400円
くらいではないか)、掲載者が多数に昇ることから一人当たりの取り分は少ないのは
容易に予見できる。つまり、名は取れるが実は取れない。
怪コレは文庫本故に単価が安いが、人によっては掲載数はなみなみならぬ規模になる。
たくさん書ける人、書いたものが評価を得た人に、より大きくフィードバックされる。
つまり、名はないが実は取れる。
プロを目指すということを、「栄冠を目指す」と考える人はてのひらを選び、
「実業」と考える人は怪コレを支持するのではないか。
>>8 (9)版元として魅力的なのはどちらか?
これは版元の考え方によっては一概には言えないかもしれない。
共通点を言えば、「素人を使う」ということにはリスクとメリットの双方がある、ということ。
リスクは「クオリティとスケジューリング(〆切)」が確実ではないということ。〆切について
言えば職業作家でも不確実な人はいるのだろうがw、クオリティはプロなら過去の作品から
容易に見当がつくのに対して、素人では原稿がきてみないとわからない。
しかも、プロが「過去の実績に対する信頼」という意味でのネームバリューを持つのに
対して、素人にはそうしたネームバリューは期待できない。故に、これはリスクと考えていいと思う。
また、収録される人数が増えれば増えるほど、事務手続きの手間は増えるはずだ。
プロ一人(またはせいぜい数人程度)に頼むのに比べて、収録予定者の人数が増える
ということは、それだけ作業は繁雑になり、編集担当者の負担が大きいのではないか。
版元にとっては、これはリスク(またはデメリット)と見なして良いかもしれない。
メリットがあるとすれば、人件費が安価に済む。。。と言いたいところなのだが、
てのひらも怪コレも印税率を発表している。てのひらは著者取り分が7%(編集費3%)
怪コレは10%らしい。すると、これはプロに頼むのと変わらない。
他のメリットを考えるなら、あらかじめ作品を公募しておいてから本を作るのだから、
〆切破りが発生する余地がない、ということだろうか。
ただ、このあたりは版元にとっての魅力というより、編集担当者にとって楽かどうか、
という話のような気もする。
>>12の続き。
版元にとっての魅力は、「本がたくさん売れる(市場開拓)」
「本は損が出ない程度に捌ける(返本率が低く、損益が少ない)」
「リピーターの育成(続刊のシリーズ化)」だと思う。
もちろん、たくさん刷ったのが全部残さず売れて、全員がリピーター
になって続刊も同じように売れるのがベストオブベストだと思うがw
市場開拓を考えた場合に、てのひらの場合は、支援媒体である幽や
ダヴィンチなどの読者数を、おおよその上限とした市場規模が想定
できる。もっとも、雑誌の発行部数相当の読者が全員同じ本を選ぶ
とは限らないわけで(例えば週刊ジャンプが600万部売れていた時代でも、
新刊コミックが初版600万部だった連載作品はない)、支援媒体の
リソースの全てが、てのひらの市場になるわけではない。
怪コレの場合は、上位に位置する支援媒体は「超」怖い話のみという
ことになるわけで、市場規模は幽やダヴィンチに比べて遙かに小さい。
(幽もダヴィンチも実際の公称部数が判らないので、一応「超」怖い話
より売れているはずだ、という前提にしておく。雑誌だし)
ただ、読者の傾向が分散しているであろう雑誌に比べると、読者の
趣味傾向が集約されていて似ている(「超」怖い話読者、というくくり)
ため、上位の媒体の市場をまるまるあてにできるという有利さはあるかもしれない。
>>13の続き。
版元から見れば、怪コレは「超」怖い話の読者をまるごとあてにできるため、
宣伝に要するリソースが少なくて済む(または宣伝費をほとんど掛けずに
怪コレという市場を構築できる)。安上がりにできる、のではないか。
また、3冊連続で出すことで、毎月同じタイトルを冠した新刊が市場に
顔を出すことになる。もちろん、内容(品質)に対する信頼性がある、という
前提は必要になるが、「怪コレというシリーズ」の名前の定着(市場の定着)
を考えれば、かなり大きなリーチになっていると見ていい。「新刊が並ぶ」という
ことそのものが、宣伝にもなっており、売れた分だけ回収できるコスト、という
ことになる。もちろん、これは「売れれば」の話だが。
てのひらの場合は、bk1はともかく、幽とダヴィンチの「てのひらを知らない読者」
に対して強くアピールすることで、てのひらの市場規模を拡大するチャンスが
ある一方、幽とダヴィンチの読者の全てがてのひらに興味を持つとは限らない、
というリスクも持つ。てのひらの存在を、まだ知らない読者に周知するために
誌面リソースを使わなければならない分、コストが掛かる商品ということにもなる。
てのひらそのものは来年(2007/2)発売、おそらく続刊は翌年の2008/2発売、
ということになるだろうから、てのひらだけでは市場は作れない。あくまで、てのひら
とbk1怪談大賞(bk1)と幽文学賞(MF)の連動が前提になる。
bk1は「書籍通販サイト」であって版元ではないので、展開企画がポプラ社から
出ることについては問題ないのだろうが、幽文学賞の場合は母体がメディアファクトリー
という出版社であるわけで、自社展開したものをポプラ社など外部の版元に譲る
とは考えにくい。(譲る場合は、幽文学賞はMFにとっては利益を生まないものだ、
という認識になってしまう)
複数出版社乗り入れ企画であるが故のメリットと、「儲けの山分け」というところを、
どう解決していくか、というのが気になるところ。
おそらくは、「人材の共有」という方向に進むのではないか、とは思うのだが。
>>14まだ続く。
人材の共有について。
bk1で集めた応募者(著者)を、てのひら怪談という本にまとめる過程で、
将来見込みのありそうな著者(と、その連絡先)をポプラ社は手に入れることができた。
自社企画ではないところで行われた企画で、しかも優秀者の選別は済んでいる
状態で名簿をうまうまともらうようなものだから、ポプラ社が将来的に自社で使える
人を育てていくための下地としては、かなりおいしい話だったのではないか。
てのひらが仮にまったく売れなかったとしても、「人材獲得のための投資」として
ペイできる、と踏んでいるのかもしれない。
bk1側は話題作りになる。MF側は幽文学賞の前哨戦として、データ取りができる。
MFが手を染めなかったのは、幽文学賞との棲み分けもあるだろうけれども、
それ以上に売れなかった場合のリスクが投資に見合わない、と考えているから
ではないか。つまり、MFは新人を自社でゆっくり育てていこうという意志・意識が
ないか、少なくともまだそのことに会社のリソースを割く判断はついていないか。
そこで浮いてしまう人材(候補)を、雲散霧消させてしまわないために、東氏は
bk1組をポプラ社にリースした、と。MFはリスクを取らず、ポプラ社は人材を得、
橋渡し役をしたことで東氏はブローカーとしてのポイントが上がる。四者総得。
カラクリとしてはそういったところではないかと思うのだが、これはもちろん一素人の
下衆の勘ぐりなので、実際のところはわからない。
超‐1は超怖を満たすだけの人材が拾えれば成功だったろうと思うのだが、
余剰人材をプールするために、怪コレというまとめ本に踏み切ったのではないか。
ただ、竹書房が継続的な人材育成をするつもり&体制があるのかどうかは、
はっきり言ってわからない。が、集めた人材を雲散霧消させないで引き留めるため
の算段として、怪コレを実現させた、さらにはシリーズ化させたのではないか。超‐1
の受け皿として。というのは、ちょっと穿ちすぎか?
そう考えれば、竹書房は来年も超‐1をやるだろう、という楽観的観測ができてしまうのだが。
まずは評論のための引用w
http://blog.bk1.co.jp/genyo/archives/2006/10/post_689.php 『てのひら怪談』プロモーションの一環として、来月下旬頃からポプラ社のウェブ・マガジン
「ポプラビーチ」で「てのひら怪談」の新作集中連載がスタートすることになりました(ポプラ社
さんの迅速な対応に感謝)。
まずは今回の単行本『てのひら怪談』を代表する書き手に、ということで、第4回の入選者
11名に、第1回〜第3回の大賞受賞者3名を加えた14名の皆さんに、このほど書き下ろし
競作を依頼しました。
とはいえ、何作ぐらい掲載できるかは未定なので、全員の作品が陽の目を見る保証は、
まったくありません(鬼)。
その代わり、採用された作品は今後、広告等でも「てのひら怪談のサンプル」として転載紹介
される可能性があります。
小生としては、800字というミニマムな器ならではともいえる、こうした新作発表の機会を、
今後ともいろいろな形で模索していきたいと考えています。今回は最初の試みということに加
えて時間的・物理的な余裕もないので、入選者限定としましたが、いずれ折を見て、もっと
対象者を拡げたトライアルの場も設けていけたらと思っています。継続へ向けての御支援・
御協力を切望する次第です。
すでに怪コレ3が「書き下ろしを収録する」ということを先行して発表しているため、
たぶん、これを巡っては「てのひらが怪コレを真似た」という批判が出るのではないか
と思う。
が、すでに指摘した通り「もしてのひら怪談を人材育成のために推進するなら、
持てるリソースを全て突っ込んでくるだろう」というところから見ても、この戦略は十分あり得たこと。
どちらがどちらを真似る云々というよりも、bk1・幽、超-1がいずれも
「素人をかき集めて、そこから人材を確保しよう」という企画意図の点で共通している以上、
集めた人材をプールする、または露出させていくためには、「作品集を出す」「書き下ろし」
などの方法を取るのは当然で、どの段階でそれができるか、継続的にできるか、
というサポート側のリソースの差以外に、進む道は似通ってくると思われる。
この後の展開としては、てのひら本体の発売までの間に「てのひら掲載者を、曲がりなりにも
事前に露出(商業デビューを果たした、という勲章・肩書き)させる」ということ。
これがポプラビーチでの先行露出なのだと思われる。言わば、後から出るてのひらが「素人の作品集」
ではなく、「雑誌デビュー(Webだけど)を果たしたプロですよ」という名目保証を付けよう、ということかも。
この辺り、目的はまったく違うのだろうけど、超-1から選抜した二人に超怖でのデビュー前に
原稿を書き下ろさせる、超-1の「自主トレ」と若干似ている。Webを使っている点、本番の前に
事前に低コストのWebに腕前を披露させる点などが。
この辺も、「先行する超-1・怪コレのアイデアを、てのひらが真似ている」という指摘は出るだろうが、
やはり、似たようなことをやっている以上、似たようなフォローアップになっていくのは避けられないこと
ということになるのではないだろうか。カードを切るのが早いか遅いかの問題だけだし。
というわけで、流れを年表的に追ってみよう。
bk1が第三回からブログ利用スタイルに(2005夏)
幽が文学賞を募集(2005/12)
超-1開催発表(2006/1) ※超-1「作品集検討」を開催発表時に告知
超-1開始(2006/2)
超-1作品集(怪コレ)決定(2006/5)
bk1〆切(2006/7)
超-1結果発表(2006/7)
bk1結果発表(2006/8)
超-1自主トレ開始(2006/8)
bk1作品集(てのひら)の模索を発表(2006/8)
bk1てのひら・ポプラ社からの刊行が確定(2006/8-9)
超-1怪コレ1を発売(2006/9/30)
超-1怪コレ2を発売(2006/10/28) ※超-1怪コレ3を告知。同時に書き下ろしを発表。
bk1てのひら著者をポプラビーチで露出を決定(2006/10/29)
超-1怪コレ3を発売(2006/11/30)
超-1第二回の開催を告知(2007/1/30)
超-1第二回を開催開始(2007/2)
bk1てのひら怪談を発売(2007/2)
超-1第二回は、どこからもそういう情報がないので、あくまで予想ということでw
あるとしたら、加藤氏編著の冬の超怖で発表があるだろうし、主催も第一回同様加藤氏だろう。
そうだとすると、2月の怪コレ開始とてのひら発売が時期的にぶつかる。
対象読者が違う(てのひらは実話も創作もどちらもあり、怪コレは実話のみ)というのはあるにしても、
冬場、怪談が小康状態になる時期に怪談本が出たり、怪談関連コンテストが隆盛するのは喜ばしいこと。
ここまででたびたび出てきた、「実話怪談の読者は創作怪談をどれほど読むのか(及びその逆)」について。
実話怪談の読者は「そんなことないだろう、あってほしくない、でも万一あったらやだな」という
不安を楽しむことを目的に、確信できない懐疑心を弄ぶために実話怪談を読む。
創作怪談の読者は、実在するかどうかはさておき、物語としてのおもしろさを求めて読む。
第一群は双方を「実話怪談を読むときはそうするし、創作怪談のときは別のつもりで読む」という形で
区別して読み分けている人は存在するだろう。つまり、「別物として区別した上で双方楽しむ」人。
第二群は、「実話怪談の楽しみ方が好きで、創作怪談は実話ではないので受け付けない」という人。
これは鏡像として第三群「創作怪談の楽しみ方が好きで、実話怪談は胡散臭いので受け付けない」という人もある。
どちらも趣味・好みの問題だが、人によってはどちらかしか選べない排他的なものかもしれない。
怪談を「全て実話」だと思う人はいないだろうが、怪談を「全て作り話」として楽しんでいる人はいるかもしれない。
なので、これを第四群とする。
怪コレ/超-1の場合、その中から「実話怪談が好きな人(第一群と第二群)のためのもの」と割り切っている。市場は半分しか狙えない。
てのひら/bk1・幽の場合、第一〜四群の全ての欲求も満たすことで、市場を大きく見積もろうとしている。
第四群は著者の意図とは無関係に読者として楽しめるだろう。
第二、三群は果たしててのひらを楽しめるのだろうか?
第三群が「実話も全て創作」という第四群の視点に進化するなら、楽しめるかもしれない。
第二群はてのひらを選びにくいような気はする。
そうすると、てのひらは第一、三、四群が選ぶ、ということになる。
第一群はどうだろうか。ある程度は楽しめるだろうけれども、楽しみ方の異なる実話怪談と創作怪談を
ない交ぜにしてある「てのひら怪談」という本に、どう接するのだろうか。
何度か言われている事だけど、
A「創作怪談の中に実話をエッセンスとして盛り込んでいる」=お徳感、どうせ創作だからと油断できない(良い意味で)
B「実話怪談の中に創作の内容が含まれている」=騙された感、そもそも実話怪談と銘打つには問題がある
(創作怪談としてならば、上記Bを楽しむ事も可能)
(と言うか厳密にはBそのものが成立不可能で、実質的にAと同義)
つまり、実話怪談は体験者が存在する事にこそ価値があるのであって、
創作要素が入った時点で実話怪談としての楽しみ方は出来なくなる。
「てのひら」における実話作品の位置づけはAと同様の効果なので、
この本を楽しめる人と言うのは元々創作怪談を愛読している人。
必然的に第一群も、創作怪談としての読み方をせざるを得ないと思う。
あるいは「これは実話かな、創作かな」と不安定な感覚を味わう事もできなくはないだろうが、
実話怪談を読む際の「そんなバカな。でも、ひょっとして」という楽しみとはまた異なる性質の、
あくまでも上記Aの域を出ない規模の不安定感だと思う。
>>20 一冊の本として見た場合は、てのひらはAの「創作怪談の中に実話らしきものも入っててお得」になるだろうな。
その意味で、そもそもの「怪談には創作も実話もなく、すべからく怪談文芸」というのは、実話怪談を
創作怪談の枠の下位「生々しさをへたくそな文章で再現したもの」という位置に押し込むもの、
という解釈は、あながち間違いではないのかもしれないなあ。
>>21 >実話怪談を創作怪談の枠の下位「生々しさをへたくそな文章で再現したもの」という位置に押し込むもの
まぁそこまで見下しているかどうかはわからんがw
怪談文芸の枠に取り込まれた場合、実話怪談側にはメリットらしきものが見つかりにくいのかも知れない。
宣伝媒体=露出が増えたりするのは商業的にプラスなんだろうけど、
やっぱり読者にとっての実話怪談の位置づけがどこにあるのかが肝要だね。
それまで創作怪談ばっかり読んでいた読者が「怪談文芸だから」と実話怪談を読むようになるのかと言うと、
これはわからないと思う。
某スレの認識では「文芸性が低く読むに耐えない(≒実話ネタと言う要素に重点を置いていない)」らしいしねw
つまり怪談文芸の目指すところが「物語の持つテーマ、豊潤な情感、余韻」と言ったような
文芸作品としての完成度であるのに対して、
実話怪談はあくまでも「こんな体験をした人がいるらしい、本当だったら洒落にならない、明日はわが身だったらどうしよう」
などのオカルト的で刹那的な楽しみwを与えるものなんだと思う。
ここがカストリ本の末裔と言われる所以。
実際に、実話怪談でも過剰な小説的演出の作品は賛否が分かれたりする。
某スレで「文芸はそんなに難しいものではないのに、コンプレックスの裏返しで拒絶しているんじゃないのか」という説が
出た事があったけど、これは実話読者の求めているものをまるで理解していないご高説wなんだろうな、と。
ところで、怪談文芸は単純なホラー小説とは別物らしいのだけど、
「怖くて珍しくてグロい着想に単純に怯えたい読者が読むのがホラー小説」という仕分けだとするなら
怪談文芸よりも実話怪談に近い存在理由なのかもしれないなと少し思った。
>>23 ホラーが「怖くて珍しくてグロい着想に単純に怯えたい」という欲求を満たすものだとするなら、
確かに「消費目的(存在目的)がはっきりしている」という点で実話怪談と似ているかも。
その心は「実用的」だということかw
ところで、ホラーと怪談の違いっていうのが、やっぱりよくわからん気がしているのだが、
要するにホラーっていうのは「書かれている内容の中にカタカナの存在を許容するもの」で、
怪談というのは「和風、かつ時代がかっているもの」というのが、構成条件なのかな。
現代を舞台にした怪談でも、現代的な要素や用語が出てくると、途端にホラーになってしまうというか。
よいとされる怪談を怪談文芸の人々にあげさせてみると、出てくるのは「一昔前の日本の古典」に
集約されていくような感じだし。
懐古的な怖い話=文芸的な怪談なのかしらん。
>要するにホラーっていうのは「書かれている内容の中にカタカナの存在を許容するもの」
いや、そうではないのでは?
実話怪談もカタカナの存在を許容できるはずだし。
とはいえ、そこに「超自然」がないと怪談ではない、という話で。
ホラーは「恐怖というガジェット」が存在していればホラーとして成り立つのだと思う。
例えば「サイコさん」が出てくるホラーは「サイコホラー」だしw
「幽霊」が出てきてもホラーになることもあるし。
ホラーって、結構自由なんじゃないかなぁ。
でここで感じたこと。
「実話怪談のネタ選定の自由度とホラーの自由度は似ている」
ホラーの自由とはちょっと違うと思うけど、なんか似ているなぁとね。
実話怪談って、妖怪だろうが化け物だろうが幽霊だろうが、UFOだろうがUMAだろうが
なんでも許容するじゃん?「体験談」なら。
幽霊が出なくても大丈夫なケースがあるしw
ただ、ホラーと違うのはそこに超自然的ファクターがあるかどうか。
ここが唯一の縛りだと思うな。
あ、それと。
怪談文芸についても。
実話怪談は「体験談として取材された話」であれば、結構ムチャな話も採用している
ようにみえる。てか、あるよねw
そんなムチャな部分も「もしかしたら」と思えるのが実話怪談。
取材された聞き書きだからこそ、「多少の矛盾があっても結構許容できる」とかw
荒唐無稽さが魅力のひとつというか。
(ここは実話の足枷でもあり、強みだと思うけど)
創作怪談の場合だとこうはいかない。
矛盾があればつっこまれるし、全体に説得力(怪談に説得力というのもおかしいが)
がないと、「駄作だ」といわれることもある。この部分はホラー小説と同じだね。
「怪談として荒唐無稽な話を書いても、拒絶される可能性がある」のが創作怪談では。
てことは、だ。
・創作怪談はホラーの緻密さを内包している
・実話怪談はホラーの自由さを内包している
なんて考えることが出来るのではないだろうか。
>>25 ホラーが上位カテゴリで、創作怪談小説と実話怪談は、その下位カテゴリじゃないかって気がしてきた。
【ホラー】
恐怖を感じさせることが成立条件。
実話、創作は問わない。
題材には特に制限がない。
【創作怪談小説】
恐怖を感じさせることが成立条件。
実話、創作は問わない。
ホラーのうち、スーパーナチュラル(超自然)的要素の題材に制限。
【実話怪談】
恐怖を感じさせることが成立条件とは限らない。(不思議な話、怖くない怪談もあるので)
実話(体験者が存在するもの)に限る。
ホラーのうち、スーパーナチュラル(超自然)的要素の題材を扱うが、体験者さえいれば題材に制限はない。
で、実話怪談と創作怪談小説の関係は、「創作怪談小説の下に実話怪談が含まれる」のではなくて、
「ホラー」という大分類の中に「体験者はいるか?いないか?」という選択があって、
体験者がいる→実話怪談
体験者はいない→創作怪談
と分かれるのかもしれん。
>>27 創作怪談小説が「不思議であれば怖くなくてもいい」というのを許容するなら、
創作怪談小説と実話怪談のそれぞれの一行目は、実話怪談の一行目と
共通でもいいのかもしれない。
ホラーは「怖くないホラー」は許されないw ので、そこがホラーを上位分類に
置いていいのかどか悩むところだな。
>ホラー」という大分類の中に「体験者はいるか?いないか?」という選択があって
なら、フローチャートが作れるかもしれないね。
で「ホラーを上位分類に置いていいのかどか悩む」のはなんか判るけどw
恐怖を感じさせることが主目的なのはホラー。
実話と創作は主目的は「恐怖を感じさせる」だけじゃないのでは?
「恐怖を感じさせなくても、超自然が存在していることが最低条件」なのが怪談。
これは実話創作共通じゃないかな。
>>29 超自然の存在を信じるビリーバーがいるのがオカルトで、実話怪談はオカルト、
超自然の存在を信じないのが創作怪談、という単純な分け方をされてるのかもw
1)「超自然の存在を全面的に受け入れる読者」
2)「超自然の存在を全面否定はできない読者(疑うが否定しない読者)」
3)「超自然の存在を全面否定する読者」
というのがいて、実話怪談の主読者層は(1)、だから実話怪談を読む奴がオカルト、
という否定論はオカ板ではよく見かけるんだけど、実際には(2)の構成要素が多いんじゃ
ないかという気もするな。
「恐怖は感じさせなくても、超自然が存在することを肯定的に描く」のが創作・実話の
共通の構成要件だとして、その存在していることについて、上記(1)(2)か、(3)かで、
読者の傾向も変わってくるような。
超自然の存在を肯定的に描くにあたって、実例を紹介するのが実話怪談。
著者の想像を開陳するのが創作怪談小説。
>超自然の存在を信じるビリーバーがいるのがオカルトで、実話怪談はオカルト、
>超自然の存在を信じないのが創作怪談、という単純な分け方をされてるのかもw
これは読者としての分け方だよね?
創作怪談読者はどっちかというと「信じている派」もいれば「信じていない派」もいるだろうし
「どっちでもいいよ派」もいるのではないかな。
で、「ホラーも創作も実話も読むよ(それぞれ違うスタンスで読むけど)派」もいるわけだし。
そんな派の中でも「信じる派」「信じない派」「どっちでもいい派」がいる。
細かく分けると、境目がぼやけてくるねw
怪談ファンに「何故怪談を読むのですか?」という質問をしてみると面白いかもしれない。
>超自然の存在を肯定的に描くにあたって、実例を紹介するのが実話怪談。
>著者の想像を開陳するのが創作怪談小説。
は同意です。
>>30 どうして想像で何でも言うのかな
俺は(3)だが、実話怪談の大ファンだぞ。
新耳も超怖も読んでいるし、ドラマもDVD買ってる。
ナックルズも買ってる。
>>32 「〜のかも」と書いてるだろ。かも、と。
「俺は○○○だが、×××だ」という人が実際にここで発言しない以上は、
「〜と思われている、かも?」と想像するしかない。
おまえの想像は違うぞ、という反論や、別の視点からの意見があれば、どんどん示してほしい。
それを汲んで、また考えを組み立て直すなり、修正するなりするから。
>>31 実際のとこ、どういうつもりで怪談を読んでいるか?というのは、読者によってずいぶん
違うだろうから、個々に聞き取りでもしてみないと完全にはわからないかもね。どれが多数派なのかは。
あり得る意見を3個並べ、それを100人に選ばせたときに、意見が33人ずつに分かれるとは限らない。
70人、29人、1人、という分かれ方をするかもしれない。それでも意見は三種類、みたいな。
その意味では、こういう可能性・選択肢の想定をした後に、その選択肢のどこに含まれるかを
カミングアウトしてくれる人がたくさんいたほうが、議論の精度は高まると思うのだが、何しろここは
オカ板の隔離スレであるからしてw
多くは望むまい。
>>32 大まかに分けると、だと思うよ。
だからこそ、
>怪談ファンに「何故怪談を読むのですか?」という質問をしてみると面白いかもしれない。
というのを書いてみたわけでw
>>32は「信じていない実話怪談ファン」だと思うんだけど、この辺りはどうかな?
是非聞いてみたい。
ちなみに自分は「2」かな。で「実話もホラーも読むタイプ」。
「どっちともいえないけど、実話怪談から受ける不安な恐怖」に翻弄されるのが好き
というドM的な楽しみ方をしているw
>>32 ちなみに、「超自然の存在をまったく信じない否定論者」が、実話怪談(体験談によって肯定しようとする)
の大ファンだというのは、どういう理由から?
1)まったく信じないが、信じている人(体験者、他の読者、著者)を嘲笑するため
2)まったく信じないが、万が一の例外(信条を変えてしまうかもしれない出会い)を求めて
3)まったく信じないが、創作として一流だと思うから
少々シニカルなものもあるけど、今思いついた想定はこんなところ。
もちろん、そのどれでもない(4)の回答があるのだろうと思うので、後学のためにご意見を冀う。
>>33 うーん、精度か。
「多数の意見を集計」できないと、制度は高まらないもんね。
ここは隔離スレだけどさw
なら「ある仮定」として出された意見に対して他の意見を示していくことで
また別の仮定が出てきて、議論が活性化する、というのを待つしかないか。
荒れたらゴメン、煽りじゃないよと断った上で。
一般的には、「ホラー」の範囲というものの中に怪談文芸が含まれているって現状は、
どんなに創作怪談に携わる人達が「文芸(=純文学の系譜?)作品ですから」と宣伝しても
なかなか変わるものじゃないだろうな、と思う。
つまり「ホラー小説」はあくまで大衆娯楽なんだろうし、「文芸作品」として受け止めている一般消費者が
どれだけいるのかな。これ、かなり期待薄なんじゃないかなw
例えばホラ大で話題になった作品と言うのは、怪談風なものからSFまで多岐に渡っているし、
書店でホラーのコーナーに置いてある書籍と言うのも、共通項は「怖い本」であるだけで、
内容は実に様々な味わいだよね。
怪談文芸と言う位置づけを名乗って、彼らがどこへ行こうとしているのかはまだ未知だけど、
単なる消耗品、単なる娯楽としての地位から脱却したい思惑だけはひしひしと伝わってくる。
まぁ色々と大変なんだろうし。
>>37 これも荒れるかもしれないけどw
「文芸だと思いたい立場の人」を考えると、
1)著者
2)評論家
3)版元
4)読者
に分けられるかもしれない。
(これは「文芸」だと主張したい順でもあるね)
で、実は怪談というのは結構後ろめたいジャンルじゃないかとw
「作家です」「何を書かれていますか?」「怪談です」と胸を張って言える土壌は未だないと思う。
その土壌を作りたい人たちが、やはりいるんじゃないかと。それぞれの立場と思惑で。
>>37 大衆に消費されて忘れられていくだけの単なる娯楽から脱却し、未来に渡って
長く記憶に留められる作品を書きたい、という焦燥感はあるのかもしれん。
四谷怪談によって鶴屋南北の名前が数百年に及んで人の記憶に残り、
泉鏡花の名前が長く気高く語られることに続きたい、とか。
でも大衆娯楽からの脱却(芸術性の向上)っていうのは、同時に大きな消費市場
である大衆というマーケットに対して開放的になるのではなくて、「わかる人にだけ
わかる上級品」という性格をどうしても持ってしまう。
もちろん、わかりやすさが大衆向け、わかりにくさが通向けなんていう痛いことを
言うつもりはないけれど、「消費される大衆娯楽からの脱却」は、一大消費者
である大衆との決別でもあることは間違いないわけで、厳しい船出になることは
間違いなかろうな、と。
そのときに、こぎ出す船にはできるだけ多くの客を乗せていきたいわけで、
実話怪談というよく伝馬船を利用する客を、怪談文芸という新造の客船に
乗せていこうとしている、のではないか?w
む。ケコ━━━━(・∀・)人(・∀・)━━━━ンの予感
>>38
>>40 ケコ━━━━(・∀・)人(・∀・)━━━━ンすかw
>>39 >実話怪談というよく伝馬船を利用する客を、怪談文芸という新造の客船に
>乗せていこうとしている、のではないか?w
とはいえ、実話怪談の客が全員乗るかというと、そこは疑問かなぁ。
>>38 「体験者」が重要なウェイトを占めていないからこその方向性かも知れないね。
自分の体験を文芸に昇華させてほしい、と思う恐怖体験者は少なかろうしw
>>39 それって良く見るとガレー船だったりs(ry
あと、実話怪談とホラー小説は、似ているけど少々異なる位置にいるのかも。
それは、実話怪談を読む際の読者の心構えがかなり特殊な嗜好じゃないかと思うから。
(珍しい嗜好と言う意味じゃなくて、通常の小説を読む楽しみとは相当異質だと言う意味)
「ホラー」の下位ジャンルとして存在する現状に異論はないんだけど、
かなりの鬼子だと思うw
>>41 怪談文芸という客船の目的や行き先が、伝馬船と同じなら乗る客も多いかもしれない。
ただ、「ちょっと湾内を移動」という程度の目的で頻繁に伝馬船を使ってるだけの人が、
年に一度太平洋を横断するクルーズに出る客船に乗る意味があるか?と問われると、
船の性格が違う以上難しいんではないかという気はするよね。
それを「船には変わりない(創作も実話もない。怪談は怪談)と言ってしまうのには
無理があるのではないか」というのが先日来「珍説」と呼ばれてしまっている主張の骨子であるわけ。
客船の船長が、そこらへんの客の都合や事情をどのくらい把握しているのかは気になるところかな。
>>43 謎は全て解けた!
二度沈没した船を二度サルベージした、「超」怖号船長の腕前を買われて平山氏が(ry
>>42 たぶん、実話怪談と並べて比較論考すべき存在として、「民話」「伝承」っていうのがあるんだと思うよ。
それはたぶん、創作怪談小説と実話怪談の中間的存在としてあって、創作怪談小説側からは
「古典」とか呼ばれるw
実話怪談側から見ると、未昇華の体験談、という位置づけ。
さらに、実話怪談から発展していくものとして、「実話怪談の検証」というのがあって、これも
民話・伝承に近い側に寄っていくのかも。
種明かしや由来、かつてあった事件の実証をするっていうのは、現代実話怪談以前には
あったスタイルだけど、(かつてここでは陰惨な殺人事件があって、とか)その辺りを本文中に
ちりばめて信憑性を出そうとする手法は、現代実話怪談ではだんだん古びてきてる気がする。
もしくは、「以前のことを検証する」っていうことそのものが、実話怪談とはまた別のカテゴリー
になりつつあるのかもしれない。
>>44 機関長の腕前を買われた加藤氏は超-1→怪コレを立ち上げて(ry
>>42 「俺様の体験談を文芸作品としてミリオンセ(ry」
という人はいないのでは?どっちかというと「吐き出させてください」的なのかも。
だから実話怪談は彼らの吐き出したものを再結晶化したものなのでは?
>>43 >「船には変わりない(創作も実話もない。怪談は怪談)と言ってしまうのには無理があるのではないか」
船にも色々あるからね。競艇選手が乗るボートも船だし、スワンボートも船だw
で、「全てを同じものとして扱いたい」という思惑こそ的外れだと思う。
お客としては「必要な船を選ぶ」わけで、無駄な船を持ってこられて「さあ乗れ」と
言われても、首を捻ってしまうだけ。
それでも「船は船だ!おまえはそれも判らんのか」といわれて罵倒されても困る。
>「以前のことを検証する」っていうことそのものが、実話怪談とはまた別のカテゴリー
それは「怪奇探偵シリーズ」として小池壮彦氏が突き詰めている感じがする。
彼は二束のわらじを上手に履き分けているよね。
ここに「実話と創作、検証」の答えのヒントがあるかもしれない。
>>46 その船に乗り込んだ新米船員二名が右往左往して(ry
「文芸文芸と構える必要はないんだよ」
「文芸と思えば皆文芸」
「ルポルタージュも文芸だよ」
「対談形式も民俗学の資料も文芸だよ」
「世に文芸作品として認知されてしまえば、もうそこに作者の意図は及ばないんだよ」
かのスレで繰り返し出てきたこの手の論説の問題点、
実話も創作もなく全て文芸で、反論は全て珍説と言う思考の問題点は、
つまるところ「誰が文芸作品だと認定するのか」に集約される。
「彼が文芸だと言うから文芸なんだよ」
「彼が認めた作品は確かに面白い、だから彼に認められるように努力すべき」
「彼は怪談の将来を考えて行動している、だから水をさすべきではない」
「彼に反論する奴は珍説団」
これって、ファシズムなんじゃ・・・
>>47 >「俺様の体験談を文芸作品としてミリオンセラーに」
いないとは限らないし、すでにいるけどw、もしそういう「体験者かつ著者」という人がいたとしたら、
自分で自分を主人公とした作品を書いちゃって、手柄独り占めになるような気がする。
・人間は目が二つで子供を産むが、目が二つで子供を産むものが全て人間かと言ったらそうとは言えない。
・石垣は石を積んで作るが、石を積んだだけで石垣になるかと言われたらそうとは言えない。
この例示は目新しいものではないけど、「怪談における創作怪談の目的と実話怪談の目的の相違」と
「怖い話ならなんでも怪談」を説明するものとしては不適格だろうか?
飯の好みと同じように恐怖には好みがあるのであって、好みの差が実話怪談と創作怪談を分けている。
それを「好みが違おうが怪談は怪談だ」と言われるとリンダ困っちゃう、という話だと思うのだがなあ。
51 :
32:2006/10/29(日) 22:56:49 ID:ve2VsvKR0
>>35 そのどれでもない。
>>30に対して32>>のようなことを言ったのは最後の段落
> 超自然の存在を肯定的に描くにあたって、実例を紹介するのが実話怪談。
> 著者の想像を開陳するのが創作怪談小説。
が実際と違うと思われたから。
創作怪談は全部著者の想像で成り立っているわけじゃない。
「霊媒」「死後の世界」「呪い」「超能力」といった
既存のオカルト的世界観に則って書かれている。
物語の説明やオチの付け方にそういう著作以外の世界観に頼っている以上
そこを否定したら読むところがなくなってしまう。
(もちろん、豊かな想像力と奇抜な発想でぬきんでた創作怪談も存在するし
オカルト要素を全て省いても小説として素晴らしいものもある)
一方で現在生き残っている実話怪談は「実例を肯定的に紹介したもの」じゃない。
そういうのはオカルトブームと共に死んだ。
殊更否定はしない(それは怪談本である以上仕方ない)だけで、明確に肯定したりはしない。
今あるのは実際に起きたと思われることをただ描いただけで
オチを付けたり説明したりというものは逆に邪道になりつつある。オカルト的世界観は必要ない。
(もちろん、体験者の話を全面的事実と考えるなら、オカルト的なものが説明体系になる可能性はある。
そうだとしても、それは可能性の一つに過ぎない)
そういった理由で同じひとつのお話として見た場合、実話怪談も面白く読める。
疑うとか信じるとかそういう下らない段階を省けるしね。
だから最近の実話怪談は、本来「信じてない人向け」だとさえ思う。
>>49 拠り所を求めてそれに寄りそうのは楽なんだと思う。
「なるほどそれ禿げ同」と言って、誰かの案を支持することは、自分で意見を考えるより楽だ。
誰もが意見を考えられるわけではないだろうし、自分よりうまく案をまとめられる人間に
便乗するというのも、別に悪いことでもないと思う。
問題は、それ以外の意見を考える余地を奪ってしまう、という点かな。
自分が支持した意見を言った人を否定されると、自分自身も否定されたような気持ちに
なってしまうのだろう。支持者、支持意見への同化が激しいが故に、「もしかしたら他にもある
かもしれない可能性」を考えることができなくなってしまうのは恐ろしいこと。
ただ、>49で挙げられているような志向(=結論を求めようとする志向)というのは、
安心できる基準を捜し、集約されるオチを渇望する物語を志向している人には、
受け入れられやすいんじゃないだろうか。
実話怪談は「考えられ得る選択肢・可能性」を展開拡張することを志向する。
創作怪談は「著者の考えたオチにストーリーと読者を収束させていく」ことを志向する。
その読者性質の差が、ものの考え方にも出てしまっている、ということかもしれない。
小説っていうのは、著者という絶対者の方針に身を委ねるのが正しい読み方だもん。
>>51 横レスですまんのだが、
>そういった理由で同じひとつのお話として見た場合、実話怪談も面白く読める。
根本的にオカルトを信じない読者が、読中も実話である可能性にのめり込まず
あくまでもひとつの「お話」として作品を読んでいるんだけど
>3)まったく信じないが、創作として一流だと思うから
この状態ではないんだね?
謎だ・・・
>>51 なるほど。
では、創作怪談が全て著者の想像で成り立っているのではないとすると、だ。
前スレで「全ての創作怪談のうち、100%著者の想像で成り立っていない
創作怪談(実話や事実に基づいて書かれた創作怪談)は、すべて
実話怪談のバリエーションと考えてよいのではないか?」という意見があったが、
それについてはどう思う?
a)100%の創作(実話や既存の要素を用いない)
b)99〜1%の創作(実話や既存の要素を用いている)
c)99〜1%の実話(実体験談に基づいているが、再現などに創作的描写がある)
d)100%の実話(体験者当人が自分の言葉でしゃべっているものに、一切の手を加えない)
実話怪談の大部分はおそらく(c)だ。
創作怪談の大部分がどれかはわからないが、>51の説をとれば(a)と(b)になる。
では、(b)と(c)の境界ってどこにあるんだろう。
(c)と(d)の境界は明確だが、(b)と(c)の境界が曖昧だとするなら、何をして実話怪談、
何をして創作怪談と分けることになるのだと思う?
(b)と(c)の垣根は曖昧だから、「創作怪談も実話怪談も区別はなく、そもそも区別するのはおかしい、
全ては怪談文芸である」というのが、某スレの基調意見(東論)だったが。
でも、明らかに実話怪談の楽しみ方と創作怪談の楽しみ方を同じだとは思えない。
やはり体験者(体験談)の有無が最大の相違点かねえ。
>>55 >>32氏は超常現象を100%信じない読者らしいので、
既存のオカルト要素を引用する=既存の着想を引用すると言う事になる。
つまり連綿と受け継がれてきた空想の数々を下敷きにしたジャンルだと言う事。
外国の神話を読む時に近い感覚なのかな。
一方で、実話怪談を100%信じずに読むとすると、
A「体験者はホラ吹きかメンヘル」
B「著者が空想で書いている」
このどちらかが前提になると思う。
Bは一般的に創作と呼ばれる活動なので、
>>32氏の結論としては
「体験者のホラか妄想を、ギリシア神話やケルト神話を読むような大らかさで楽しんでいる」
と言う事なんじゃないだろうか。
57 :
32:2006/10/30(月) 00:03:37 ID:ve2VsvKR0
>>56 険のある書き方だなあ。。。
信じずに読むのと否定して読むのとは違うよ。
それだと創作を読むときは「著者の妄想を神話を読むような〜」になってしまう。
そんな読み方をしてる奴がいるのかどうか。
>>57 「信じずに読む」と「否定して読む」の間に、「疑いながら確信が持てないまま読む」
というのもあるかもしれないね。
自分について謂えば実話怪談は「疑いと不安を楽しむ」という読み方をしている
んだけど、でもそれは「信じない」でもないんだよね。「信じる(believer)」と
「信じない(an-believer)」の間あたり。
どうか?
>>57 折角レスをしてくれるなら、もう少し理解しやすい言葉で説明して欲しいんだが。
>信じずに読むのと否定して読むのとは違うよ。
「3)超自然の存在を全面否定する」という前提だった筈だから、
「超自然の部分は否定しながら読んでいるが、信じていない訳ではない」と言う事?
益々わからないな・・・
>>58 >「信じずに読む」と「否定して読む」の間に、「疑いながら確信が持てないまま読む」
それは普通に考えると
> 2)「超自然の存在を全面否定はできない読者(疑うが否定しない読者)」
に含まれていいんじゃないかな、この場合。
60 :
32:2006/10/30(月) 05:09:38 ID:zh4wAXa40
>>59 そうだったな。そこはすまない。
「3)超自然の存在を全面否定する」には違いないし
超自然とかいう、赤面してしまうような現象があるなんて主張も信じない。
でも、体験談を端から否定しながら読むことはない。(そんなだったら最初から読まない)
主語や目的語が曖昧だったから誤解されたかも知れないし、「否定」という言葉も曖昧だった。
否定よりも拒否のほうが明確か。
俺が信じず、否定するのは「超常現象そのもの」であって、
そう取れる何かを見たという「話・体験そのもの」は否定できない。
話は信じるが、話の導く結論によっては組しないというだけのことよ。
実際に起きた現象と、「起きたと思われる」現象は別だから。
もっとも、信じないことは即ち否定だと考えると矛盾に思われるかも知れないが
実際には段階がある。
信じられなくとも、否定する要素もないことはあるだろう?
俺の場合で言えば、結論を押し付けられたりしなければ否定には結びつかない。
>>58氏のようにある段階を行ったり来たりするのも、普通のことだろう。
>>56氏のいう例は最も極端な場合であって、「ホラか妄想だろ」という結論を先に持ってきている。
これは信じないというだけでなくて、体験談そのものの拒否だ。
そういう反応は創作に対しても出来るのであって、怪談を楽しむ者としては少し邪道じゃないか
ということが言いたかった。
大好きな実話怪談であっても、踏み込んで飛躍した結論を述べられでもしたら
辟易するという奴は俺だけではないと思うがな。。。
61 :
32:2006/10/30(月) 05:36:10 ID:zh4wAXa40
もし。。。
>>56氏の言うことが実話怪談が実話だということを信じるかどうかという話なら。
それを聞くのはあまりにも無粋というものだろう?
そうだったとしても
>>60で書いたことには変わりないが。
>>32氏の主張(
>>60)を読んでいて思ったことなんだが。
「結論を押し付けない」のが実話怪談。
ということで「実話怪談を否定はしない」ということなんだろう。
で、体験者が語る「現象」に関しては拒否させてもらうよ、というのは
「超常現象はありえない。体験談の中に出てくる現象は拒否させてもらう」
ということだよね?違ったらごめん。
だけど、それは「体験者自身を拒否している」のではないだろうか?
「語られたままを、肯定否定せずにあるがまま受け止める」のと
「語られたままを、肯定も否定もしないが、核心部分を拒否する」のは
なんか違うと思う。
で「そういう反応は創作に対しても出来る」というものちょっと違うような。
創作は「妄想・ホラ(フィクション)」と判っていて楽しむべきもの。
なのにそれに対して「ホラだ、妄想だ」というのこそおかしな話でw
で「怪談を楽しむ」に関しても、個人的には、実話と創作じゃ明らかに楽しみ方が違う。
・創作は「フィクションであること」を理解したうえで、その物語を楽しみ、恐怖する
・実話は「核心部分が体験談であること」を理解したうえで、その不安なに恐怖を感じる
ホラー小説も実話怪談も、普通の小説も何でも読むタイプからしても、こんな感じ。
例えるなら、二系統回路を切り替えながら読むという感じ。
なんだけど、
>>32氏の場合はこれとは少し違って、同じように楽しめるのだよね?
>>61 超常現象全否定って言い切っちゃうのも無粋じゃないか?w
なるほど怖かったんだなー、まあ幽霊なんていないけどね。
って感想なんでしょ?
>>63 体験者の得た恐怖感は共有するが、その核心であると体験者が
予感するスーパーナチュラルな何かの可能性は断固否定する、
というのが
>>32氏の主張、と受け取ったがそれで間違いはないか?
「まあ幽霊なんていないけどね」って言い切る時点で、
もうその怪談は怖くない気がするんだがw
あ、それは幽霊は「絶対に実在してるんだい!」という
意味ではなくて、実話怪談というのは「それがいるかどうか
わからん、確信が持てない」というところが恐怖の核心
であるわけで、「まあいないけどね」と結論を持った時点で →体験者の結論を拒否することで、>32氏の結論が逆に強制されてると思われたり。
「体験者があわあわしているのを冷ややかに楽しむ」という
楽しみ方になっている(まあ、そういう楽しみ方もあるんだろうけど)
のであって、もやもやした不定形の恐怖(怪コレ2巻末)に、
「いないけどね」という結論を先に与えてしまうというのは、
>>32氏なりの「恐怖を飼い慣らすロジック」なのではあるま
いか、とオモタ。超怖Θ巻頭で言うところの「恐怖に対する
耐性(強さ)を誇示したい、に当たるのかな?
最近の実話怪談が「結論(幽霊だったかどうか)」を書かずに、
読者の判断に任せる(事例の紹介に留める)という傾向が強い
のは確かに指摘通り。どちらかというと「因果の認定」を著者が
しない傾向にある。
>>32(>60)氏は結論が書かれていなければ、起きた事象その
ものは否定しないが、体験者(もしくは著者)が用意した結論
が気に入らなければ、その「結論を拒否」する、ということかな。
でもそうすると、見える人自身が書いた実話怪談(例えば加門
七海とか)は著者(=体験者)自身の結論を結構断定的に
書いてるよね。ソースの確かさ(体験者=著者、が信頼できる
ならば)で言えば信頼性は高まるように見えるけど、>32氏には
受け入れは逆に難しくなるってことだろうか?
>>32がいいたいのは「怪談に実話も創作もない」という点じゃあるまいか。
単純に「文芸作品としての優劣のみを見ている」とかそんな。
そう仮定をして
>>32の書き込みを読んでみると、納得がいく感じ。
>>60 >俺が信じず、否定するのは「超常現象そのもの」であって、
>そう取れる何かを見たという「話・体験そのもの」は否定できない。
つまり、「超常現象の実在性・実存性」は一切否定し、これを信じない。これはok?
そして、「そう思いたくなる何かを見た、という体験者の存在」は肯定する。これもok?
体験者が実在すること、体験が実際にあったことは肯定するが、
超常現象(現象の根拠・原因が超常現象である可能性)は一切否定する、と。
でもこれは、「体験は信じるけど妄想だろ?(>56)」と言い切ってるのと同じだと思うんだが。
「話としてはおもしろかったが、その原因について超自然的な根拠を考えているなら
それは否定する。お話はごちそうさま」という主張なのであれば、それは>65の言うように、
「恐怖表現をのみ評価し、体験者に対しては良ネタ乙、という体験者の望むのとは
異なる褒め方をし、実話怪談を創作怪談の一バリエーションとして【は】楽しめる」
ということになるのかな。楽しみ方は人それぞれなんだろうけど。
今のマイケル・J・フォックスに対して、「その身体のビート、素晴らしいね!」と褒め称えた
として、今のフォックスは共感を得られたと喜ぶだろうか、という例え方は少々剣があるか?
>「体験は信じるけど妄想だろ?(>56)」
というより
「体験者がいて、体験談が存在するのは信じるが、超常現象部分は妄想or脳が見せる幻覚」
というのが
>>60の主張ではないだろうか。
で、やはりそこには「実話も創作も同じ文芸怪談である」という主張を感じるな。
手柄、という話があるけどさ。
1)創作怪談では全ての手柄が著者にある=著者が褒められるべきである
2a)実話怪談では全ての手柄が著者にあるわけではない
2b)実話怪談の手柄の大半は体験者or話の提供者にある
ではないかと。それに対して「書くテクニックありき」的な褒め方というのは
体験者を蔑ろにしていると感じる。
確かに「体験談を伝わるように書くテクニック」は必要だ。
だけどそれは「文章の力だけで怖がらせよう、不思議がらせよう」とするのとは違う。
著者が創作した世界を“与える”のではなくて、体験者が伝えたいことを“共有する”のが
実話怪談の目論見なんじゃないかな。
やはり創作と実話だと、出発点と目的が違うんじゃないかな、と思うんだが。
>67
3)実話怪談は体験者or話の提供者+著者+読み解く読者のどれが欠けても成立せず、手柄は等分
というのが、超怖のまえがきあとがきにしばしば出てくるので、それも。
創作怪談も「著者の考えた世界」や「著者が捜してきた(取材してきた)題材」を、
読者と共有しよう、というのはある。という意見はありそう。
実話怪談の楽しみ方そのものは人それぞれだから、「うわー、痛いメンヘルがいるよ!」
という理由であれ、お金を出して買って読む(そしてゴミ箱へ)というのも、話の提供者は
愉快ではないにせよ、ひとつの在り方としてはアリなんだろう。
創作怪談の楽しみ方は、著者の腕前(素材の料理の仕方とか、ストーリー運びとか、
プロットの完璧さとか?)に対する感心と賞賛なんだと思う。怪談小説を褒めるレビュー
って、だいたい「表現やストーリー、設定」を褒めてるし。著者に安心して依存できる、
著者の用意した世界に対する信頼性の高さというのもあると思う。
実話怪談の楽しみ方は、著者と体験者を常に疑うことにあるかも。
話を提供する体験者は自分を疑い、人に疑われるというプレッシャーに苛まされている。
著者は取材した話を世に出すことで、作家として正気を疑われるというリスクを持つ。
実話怪談作家の地位が高まらないのは、「で、正気なの?」という疑いがまとわりつくからだ。
読者はそれらの正気を疑い、しかし全否定できない自分の正気もだんだん疑わしくなってくる。
「自分だけは正気のはず」という自信が揺らいでいくのが、実話怪談のドキドキするところ。
創作怪談読んでいて、著者や自分の正気を疑うことはないし、信憑性に欠ける体験者も
出てこない。実在の何かを素材にしている場合でも、それを選んで吟味して書いた著者を
疑うことは、まあそうそうない。
その意味で創作怪談は安心できるけど、実話怪談は安心ならない。
という読み方は変かな?
なら。
1)創作怪談では全ての手柄が著者にある=著者が褒められるべきである
2a)実話怪談では全ての手柄が著者にあるわけではない
2b)実話怪談の手柄の大半は体験者or話の提供者にある
3)実話怪談は体験者or話の提供者+著者+読み解く読者のどれが欠けても成立せず、手柄は等分
>創作怪談は安心できるけど、実話怪談は安心ならない。
という読み方は変じゃないし、それが明確な違いだろう。
両者は違うスタイルの「読む楽しみ」だと思うし。
>実話怪談作家の地位が高まらない
怪談作家と標榜しているのは誰がいるかな?
別の肩書きを持つか、併用しているのは見るけどw
やはり怪談作家の地位というのはまだ高くないのかね?
>>69 >怪談作家を標榜
京極夏彦は妖怪小説作家だっけ?
木原浩勝。。。は怪異蒐集家。中山市朗もそうかな?
平山夢明は小説家宣言したし。ホラー作家、になるのかな。
加藤一はプロフィールには逃げ足の速い怪談コレクターとあるけど、
作家とすら宣言してない。
稲川淳二はそもそも作家じゃないし。
小池壮彦は怪奇探偵。
創作怪談だといそうだけど、ホラー作家にまとめられちゃってるっぽい。
ホラー作家じゃない怪談作家って看板を掲げてる作家って、
創作怪談にも実話怪談にもあまりいないんじゃないか?
ホラーは一年中売れるけど、怪談は夏しか売れない。
ホラー作家が夏場に本を出すときだけ怪談作家になったり。
実話怪談は例外を除けば普通夏しか出ない季節商品だしね。
焼き芋屋が秋冬以外は焼き芋以外の商売をしているように、
一年を通じて同じジャンルを手がけていない限り、○○○作家
という看板は名乗りにくい。季節商品であるが故のジレンマかもしれない。
通年で同じジャンルを手がけるには、怪談が季節商品から脱皮する
必要があるんだろうし、てのひらがわざわざ2月という厳冬期に本を
出すのもそれを狙ってるのかもね。ホラー小説はすでに冬(角川
ホラー文庫の創刊とフェアが11月で、ホラー映画が12月〜新春公開)
というのを実践して新市場を開いてるから、てのひらもそこらへんを狙ってるとか?
ちなみに春に出る定番タイトルは弩怖と晩春の東京伝説くらいかも。
夏に集中して出るせいもあって、秋に出る定番タイトルっていうのはないな。
今年は怪コレがあったけど。
あと、あのひと。
平谷美樹氏は「SF作家兼ホラー作家」?
他ジャンルを書いている、もしくは「怪談も書く」という人が占めているのかな。
怪談をメインでやっていく人、というのは短命になりそうだし
作家としてやっていきたいのなら、それなりに別種の仕事をしないと無理そうな印象がある。
で、てのひら2月発売だけど。
これはちょっと荒れそうだし、妄想的話題なんだがw
「幽が12月に発売」→「受賞者確定」→「1月に受賞者作品の単行本化」→「てのひら」
という3ヶ月連続怪談文芸キャンペーンの流れなんじゃないだろうか。
大体副賞に「単行本化検討」があった。単著なのかアンソロジーなのか判らないが。
スケジュール的も大丈夫そうだし。で、受賞者とてのひらを絡ませていけば、更にOK。
(11月中に受賞者が決まるだろう。なら単行本作業は1ヶ月以上取れる)
もちろん、春以降も夏まで怪談文芸キャンペーンは続く、と。
6月くらいに幽もまたあるし。
ここでちょっとまとめ。
春:東京伝説 「弩」怖い話
夏:新耳袋 「超」怖い話 他
秋:イレギュラーな出版物
冬:「超」怖い話 てのひら怪談
だね?これで間違いない?
>>71 仮に来年も超-1があるとしたら、
春〜初夏:超-1
秋:怪コレ
になるんじゃないかな。
bk1は夏にピークがきて、幽は秋に審査終了して冬に発表って感じ?
春に超-1→秋に怪コレのサイクルと、
夏にbk1→冬にてのひらのサイクルが、相互補完になるといいのにね。
新ジャンル「貝土 ネロ」
女「怪コレっておもしろいよ、全然素人っぽくないの」
ネロ「所詮は雑文だろ。目次だけ読めば中身の程度も知れるよ」
女「そうかなあ。てのひら怪談も期待してるんだけど」
ネロ「あれは文芸の真髄に迫る宝石のような本になる。一緒にするな」
女「えっ、その差は何なの?」
ネロ「コンビニ本と文芸書の違いに決まってるだろ?バカか?」
女泣き出す
女「だって、だって、実話も創作も怪談文芸だって殿下が言ってたんだもの」
ネロ「ウグッ…、で、殿下の言葉を理解できてないな。日本語から勉強しなおせ」
早足で立ち去るネロ
女「この実話怪談すごいよ!こわーい!」
ネロ「バカ。幽霊とか信じてる奴はメンヘルだぞ」
女「えっ…」
ネロ「そんな事より、殿下の巨砲について語ろうじゃないか」
女、困惑顔で後ずさりする
ネロ「怪談文芸復興のために、ペンをとろうじゃないか」
女「私は読むだけでいいよ」
ネロ「じゃあせめて、怪談の深層と文学的意義についてじっくり考えてみないか?」
女「えーっ、難しいよ。怖い話が読みたいだけなのに」
ネロ「文芸は難しくない。気軽に楽しんでみろ」
女「…怪コレは?」
ネロ「あれは作品としてのレベルが低いいからダメだ」
女「だって、おもしろかったのに」
ネロ「バカ、どうせ暇つぶしのコンビニ本だ。文芸の欠片もない」
女「おもしろいだけじゃだめなの?」
ネロ「当たり前だろ。いいか、そもそも遠野や雨月の例を引くまでもなく
怪談とは日常の中に非日常のメタファーが混在する形而上の内面描写として怪異が(ry」
女、逃げ出す
欲求を抑えられなかった。
携帯でも我慢できなかった。
出所すればまたやってしまうと思う。
女「怪談に実話も創作もないってどーゆこと?」
ネロ「学校の怪談を読め」
女「怪談文芸と実話怪談の違いって何?」
ネロ「学校の怪談を読め」
女「マグロの漁獲量が半減するって本当?」
ネロ「学校の怪談を読め」
女「……えっ?」
すまん。なんか面白いんでやった。今は反省している。
ネロ「怪談とは、殿下のお言葉によればだな、文章によって紙上に表現することにより
読者を怖がらせることを主眼とする技芸、つまりアートなんだよ」
女「技芸ってどういう意味?」
ネロ「そのぐらい自分で辞書を引け。バカ」
女「えーと…。美術・工芸などの芸術に関する技術、だって」
ネロ「だろ?それがアートだ」
女「技術って、方法のことだから、作品をアートって呼ぶのとは別じゃない?
怪談を書く行為じたいがアート、って意味なの?」
ネロ「ウグッ…、バカ!珍理論!殿下のお話に屁理屈言うな!」
女「ふ、ふえーーん!。・゚・(ノД`)・゚・。」
ネロ、逃げ出す
女「ねえ、実話怪談を読んでる人たちの意見も聞いてあげてよ」
ネロ「どうせ加藤の回し者だろ。ヒマつぶしに耳に入れる程度で十分だ」
女「私だって文芸作品と思って読んだりしてないもん、もう少し説明してほしいよ」
ネロ「どうせ文芸や文学に関心がないんだろう。辞書通りの解釈しか出来ない奴に何を説明しても意味ないだろ」
女「何よっ、ばか!怪談文芸を普及させたいんじゃなかったの?
どうして、わかりやすい言葉で、共感を得られるように頑張ろうとしないの?
どうして、自分たちの周りのかんがえだけが正解で、ほかの人の意見はちんせつだって言いきれるの?」
ネロ「あらら、気に障っちゃったかな。どうぞお好きなように、言いたいだけ言いなさいな。
それで気が済んだら、もうそっとしておいてくれ」
女「そんな態度で、殿下の考えが普及するわけないじゃない…。おかしいよ…」
ネロ「珍説団の珍理論が正しいなら、幽に実話怪談の名著者が続々と集まる訳はないのだ」
女「そっか、やっぱり殿下は人望があるのね」
ネロ「そうそう。反抗しているのは、お声がかからなかった書き手、即ち加藤の手の者に違いない」
女「えっ、どうして?」
ネロ「文芸として認めてもらえずにゴネているんだよ。バカでもわかる」
女「うーん、でもあの人の主張だと、最初から文芸を目指してないみたいに見えるよ?」
ネロ「そ、それはすっぱい葡萄って事だ!文芸誌に取り上げてもらえなくて、悔しく思わない訳がない!」
女「そういうものなのかな…」
ネロ「そうなんだよ。そういうものなんだよ。これからの超怖は夏だけ買えばいいぞ」
女「えー…」
最初からシリーズ化するつもりでやった。
ムシャクシャするので手当たり次第にやってやろうと思った。
自分達だけ楽しめればいいと思っている。
あっちに貼るのは勘弁してほしい。
ネロ「ワカパイは殿下の愛人なんだよ。殿下の巨砲にメロメロだ。殿下は愛人だらけなんだよ。
どう?凄いだろう?どう思う?いひひ、いひひひ」
女「…」
ネロ「…あっ、ジョークだよ、ジョーク。わかるよね」
女「…」
ネロ「実録怪談実話怪談と喧しい女だな。そこまで拘るなら、高田衛の「江戸怪談集」「大阪怪談集」、
他にも「新編江戸の悪霊祓い師」程度は当然、熟読してるんだろうね?」
女「えっ、全然知らない。面白い本?」
ネロ「これだから、コンビニ本読者は。お前は結局、幽霊を見たって奴の話を面白おかしく聞きたいだけなんだろう!」
女「えっ、だから最初からそう言ってるじゃない…。よくないことなの?」
ネロ「…メ、メンヘル扱いされたくなかったら、もう少し大人になれ」
女「別に全部が全部頭から信じて読んでるわけじゃないもん…。ホントかな、嘘かなーってところのラインでいるのが面白いよ」
ネロ「…ふ、ふーん。そう。…あっ、そうだな。実話と創作、境界は曖昧だからな!」
女「いや、そうじゃなくて…」
女「あのね、私、りょうほうの違いをまとめてみたんだけど、読んでくれる?」
ネロ「ふーん。どれだ。うわっ、長…」
女「えっとね、てのひらと怪コレって、実は対立してないんじゃないかと思うの。それでね、…」
中略
女「…だから、商品としてどっちが魅力的かなって考えると、…ねえ、聞いてる?」
ネロ「えっ?あっ、ああ。何?マン毛ボーボーがどうしたって?」
女「…」
ネロ「結局お前は、大豆をマンセーするがゆえにbk-1にいちゃもんを付け、
幽怪談大賞やホラーウェイブに誹謗中傷を繰り返し、怪談の怪を侮辱し、
殿下が実話怪談界を牛耳り文壇を作ろうとしているという妄想にとり憑かれているんだよ!」
女「そんな、私は、殿下の話でよくわからないところを、詳しいネロ君に教えてもらいたいだけなのに」
ネロ「お前は被害妄想なんだよ!謀略を繰り返している珍説団のメンバーなんだ!」
女「…もう我慢できない。ごめんねネロ君、私、もう一緒にいられないよ」
ネロ「え、何?いや、待て」
女「私は、敵だなんて思った事ないよ。そう思わせちゃったのなら、ごめんね。…さよなら」
女、去る
ネロ、幽を握り締めて呆然と佇む
糸冬
いやいや、笑わせてもらったよ>ID:W95z+Xlu0
荒れるかもしれないが、すまん。
すでに、権威化は始まっているし、他の幽と関係ない怪談系著者に
噛み付いている部分とかここ最近の流れを見ていると
「殿下が実話怪談界を牛耳り文壇を作ろうとしている」
のが妄想なのかなんなのか、次第にはっきりし始めたと思うがな。
何故あんなに眼と耳を塞いでいるようなことをして、他者の意見を排除しようとしているのか?
もしかしたら、よほど触れてはいけない部分に触れちゃっているのかもな。
だから過剰な反応に出る、と。
牛耳ろうとしているかどうかはまあ別にして、権威づけを求めているのは明らかですね。
それも一つの方法ですし、正しいとか間違っているとか言う問題ではないだろうと思います。
ただ、それを受け止める我々怪談読者の側にまだコンセンサスが形成されていない状態ですから、
ある種の押しつけになってしまっているのではないかと言う違和感は抱いています。
誰かが旗を振ってこうだと決めるものではなくて、自然とみんなの中に生まれている感覚と言うのが
本当の意味での「怪談の定義」じゃないかと思いますから、やはりこの手の問題を急いて解決しようとすると
仕損じる可能性の方が高いんじゃないかなー、と。
やはり相互補完、相互発展できるのが理想ですから、読者同士できるだけ腹を割った話し合いをしたいのです。
牛耳ろう、というのは別にしてw
だけどあそこまで過剰反応するのは不思議だな、と思う。
>やはり相互補完、相互発展できるのが理想ですから、読者同士できるだけ腹を割った話し合いをしたいのです。
こちらは読者からの意見であること。
あちらは作家サイドからの意見であること。
ここも関係しているのかもしれない。
視点が違う同士が話し合いをしても、中々進まないわけだし。
お互いのコンセンサスを形成する為にも、お互いに話に耳を傾ける
ことはしないといけないと思うんだけどな・・・
すみません、そっちの事情には詳しくないものなのですが、このネロシリーズは今の怪談本を取り巻く
著者と読者の意見を反映しているのでしょうか…
まぁ、こんな意見があったからこそ、このネタを書いたのでしょうけど。
これが本当でしたら面白いっていうか馬鹿馬鹿しいっていうか…
なんと一般読者無視の不遜な輩なのだろう、と面白く読ませていただいたもので。
もちろん、私は全面的に「女」の意見に賛成なのです。
>>89 著者の方々ではなくて、作家志望者、一つの意見のみに拘泥する信奉者たちのレスを引用しました。
執筆者の方々を侮辱しているわけではないです。一応、念のため。
創作怪談の話はちょっとおくとして、実話怪談のことについて。
実話怪談を読む動機と状態について、
1)怖い話を見聞したい(興味本位)
2)怖い話を聞いても動じない自分を誇示したい(豪胆自慢)
3)感覚が麻痺し、より恐度の高い怪談を見聞したい(怪談ジャンキー)
4)どんな些細な怪談を聞いても怖いと思えるようになる(怪談好きとしては至高の境地w)
というようなことが、Θ前書きにあった。
おそらく(1)は、「きょっ、興味なんかないんだからね。ちょっと気になるから聞いてあげてもいいかなって。
それだけなんだから!勘違いしないでよね!」という軽度ツンデレな感覚で、これは怪談への興味の
有無と無関係に、誰でも若干は持っている感覚なのではないだろうか。
ここから、あれこれいろいろな話を聞く経験を積んで「その程度じゃ俺を怖いと言わせることはできんな」
という豪胆自慢(2)へ進化。豪胆自慢から、おそらくは「さらに怖いものを捜す(3)」というジャンキーに
なるか、そうでなければ「実話、大したことない」「怪談、恐るるに足りず」ということで怪談から離れて
いくか。自分への自信・自負心が高まり、麻痺した恐怖耐性が過剰な自信になるか、恐怖への警戒感
が弱まるかすると、豪胆(という誤解)→怪談離れに進むのかもしれない。
「怪談?あんなもの、女子供の読むものだろ!」というリアクションの人が怪談から離れる理由があると
したら、これは豪胆→怪談離れの流れに乗っているのかも。
怪談ジャンキー(3)への進化は、「麻痺した恐怖感」とどう対峙するかという問いに対する回答なのだと思う。
麻痺した恐怖感を「豪胆になった」と誤解(?)したのが(2)。自分の恐怖への警戒感を取り戻したいがために、
より強い恐怖を求める(豪胆自慢は、恐怖への警戒感を取り除けた(麻痺した)ことを勝利と考えるが、
怪談ジャンキーは恐怖への警戒感が薄れたことに、危機感を感じる)。手足の感覚が鈍ることを恐ろしい
と考え、その感覚を取り戻そうとしてより強い刺激を求めていく。それが結果的に怪談ジャンキーサイクルを
産むのではないか。
至高の境地(4)は、怪談ジャンキーが目指す解脱の境地w。強い恐怖を求めなくても、些細な事象の中に
恐怖を見いだして、その時々で変幻自在に恐怖への警戒感、手応えを感じられるようになる。
怪談本読者のそもそもの目指すところは、「怖い話を聞きたい」「恐怖を感じたい」。
恐怖を感じるためには、「それが警戒すべき恐ろしいもの(こと)だ」と気が付くためのセンサーの感度を
上げておく必要がある。しかし、馴れというものはあるわけで、似たような怪談ばかりを読んでいくと、「次に
起こること」が予想の範囲内に入ってくるから、怖くなくなる。そこで、
また俺の予想が当たっちゃったよ→
(a)もっと怖い実話をくれ! →ジャンキー化
(b)俺って豪胆。スゲー! →怪談から離れていく
(c)俺の予想を覆してくれ! →創作怪談小説などへ移行していく
という流れが考えられる。怪談は「びっくりさせられる」という展開が多いせいか、「恐怖を感じたい」と、
「予想を覆されたい」が混在していて、「予想を覆されたい」が欲求の大きいところを占めてくるように
なると、「実話の恐怖」の部分よりも、「予想外の展開を提起する著者への期待」が大きくなる。
これによって、創作怪談小説へシフトしていくようになるのではないか。
「こわいはなし」を聞いた、というのが怪談への原体験だとすれば、人は誰でも最初は「人から聞いた
実話怪談」が恐怖への入り口であって、恐怖感への不満足から怪談ジャンキーになるか、予想外
への欠乏から創作怪談小説読者への扉が開かれるかの選択を経て、創作怪談読者が生まれる
のではないか。
実話怪談、創作怪談小説のどちらにおいても、読者は「びっくりしたがり屋さん」
という点ではある程度共通しているのだろうと思う。
そこから、「もっと強い実話を」と「びっくりさせてくれるなら実話にはこだわらない」
に分化した結果が、実話怪談好き/両刀使い/創作怪談好きという、読者傾向
を分けることに繋がっているのではないか。
中間的存在の両刀使いwは、「移行期」か「怖さを感じる回路が二重構造」の
どちらかが考えられる。
「恐がりたい」「びっくりしたい」という欲求を果たすために、どんどん厚くなっていく面の皮
(痛みに対して鈍くなっていく)に、より強力な刺激を与える方向に誰でも一度は進化する。
馴れの克服のために刺激を強めていくのは自然なことだ。
だが、これは思春期のマスターベーションと同じで、より強い刺激を求めていくことの先には
感覚鈍化と悲劇wしか待っていない。恐怖を感じたいのに感じられなくなってしまうという
のは、渇望感をいや増すばかりになる。
最終段階として上げられている「至高の境地(4)」は逆の発想で、感覚を必要以上に
敏感にしてしまった状況かもしれない。皮膚で言えば生皮を剥いた状態。塩が一粒
落ちるだけでも痛みを感じ、恐ろしいことになる。
怪談で言えば、さんざん聞き尽くしたはずの「金縛り」ですら恐ろしく感じる。
感覚が発達し、自分の身に置き換えてみるという連想力が高度に発達すると、
「もし、それが自分に起きたら」という恐怖感を、いつでも味わえるようになる。のかもしれない。
ところで、
>>91-93で挙げた怪談読者というのは、「霊感がない人」「見えない人」「恐怖体験がほぼゼロの人」
を前提条件としている。「霊感がある」「見える」「恐怖体験がある」人は、
>>91-93と違った理由がある
のではないか。
「霊感がある・見える」は、本人が自覚しているので同一とする。「恐怖体験がある」は、無自覚なのだと思う。
見える人、体験がある人が、わざわざ他人の恐怖体験に興味を持つというのはどういった心理からだろう。
この場合、「見えることを自覚してる人」と「無自覚に恐怖体験をした人」では、異なる気がするので分けて考える。
見えるなら別にわざわざ人の体験を聞かなくてもいいはずだ。と、思ってしまうのは、自分が「見えない」人で、
見えることに対して羨ましい、憧れといった感情を持っているからかもしれない。見えない人間は、見えた人の
経験を追体験するために怪談本を読むのだから、見える人は読む必要がないはずだ、というもの。
が、見える人で怪談本を読む人というのは少ないわけでもないらしい。統計的データがあるわけではないから、
周囲の感覚に留めるが、その理由は「自分と似た体験をしている人が他にいないか(仲間捜し)」というもの。
自分自身の体験はすでに疑いようのないものとして肯定自覚している一方で、自分と同じ境遇の人が他に
いることを確かめたいのだという。
無自覚に恐怖体験をした人は、そこまではっきり自分の経験を肯定できているわけではない。気のせいではないか、
自分は本当に正気なのか、と自分を疑う。その結果、やはり「自分と似た体験の人はいないか」と捜してしまう。
さらには、「自分より酷い目にあっている人がいる」ということを本を通じて知り、「自分はまだマシ」と自分を慰める
ために本を読む場合もあるらしい。
どちらも通じているのは「自分が特別な存在ではないことを確かめたい」という欲求を持っているらしいこと。
大多数の「見えない」読者が、特別な経験をした体験者に一種の羨望を抱いていることに対して、対照的でおもしろい。
「幽霊見たよ」という話をした場合、相手が信じない人だと狂人扱いされる。信じてくれる(怪談に興味がある)人だとすると、
「可哀想、気の毒」とは言われず、「羨ましい、見てみたい」と言われるのだそうだ。
もちろん、「見える」「体験がある」読者は、実話怪談本読者の中ではごく少数派だろう。
敢えてそれを挙げたのは、次項に続くため。
実話怪談では、「体験者」(ネタ提供者)の存在が特に重要だが、体験者はいろいろな形
で存在する。大きく分けると、以下の3種が考えられる。
1)著者自身が体験者
2)元々怪談本の読者(>94で触れた事例)
3) (1)(2)以外の独立した体験者
4)当人は体験していないが、体験者からの伝聞を伝える介在者
担当編集が霊感あって、とか、著者の家族が見える人で、というのは(3)に含めていいだろう。
(2)も本来は(3)に入れていいかもしれないが、「読者で体験者」「読者ではないが体験者」を分けるために別項とする。
(1)は著者に対して信頼が置けるなら、これほど確かなものはないだろう。
(4)はもっとも多いケースで、「弟の友達の親戚の彼女が」のような、ソースを不確かにしがちなものである一方、
もっとも情報を入手しやすいルートでもある。また、怪談著者の立場は(4)に近いかもしれない。怪談会で自分が
仕入れてきた怪談を披露する、というのも(4)に入る。その介在者が名もない市井の人だと怪しくなり、
名だたる名士文豪だと説得力を増す、ということがあるとしたら、それは「語りの妙」「文芸wの妙」に助けられる
ところかもしれない。
体験者は何のために怪談本を読むのか?については、すでに
>>94で触れているので割愛。
体験者はなぜ怪談を披露するのか?について考える。
>>91の分類は「なぜ怪談を読みたがるのか」についての分類だが、これに似せて考えるとこうなる。
1)怖い話を聞かせたい(特殊な経験・怖い体験談そのものを自慢したい)
2)怖い体験をしても動じない自分(と、自分の特殊性)を誇示したい(豪胆自慢)
(1)について言えば、怪我自慢病気自慢と同じ性質と考えれば理解しやすい。人と違う経験をした、
ということそのものは話のタネにもなる。凄い目、酷い目にあった自分を自嘲気味に語るというものでもある。
(2)は
>>91の読者の豪胆自慢と似たもので、「それほど怖い目(1)に遭っても、自分は恐怖を感じない」
という豪胆を自慢するもの。豪胆自慢で得られるものは羨望と尊敬だろう。
また、自分の特殊性(見える、わかる)の自慢から得られるのも同様に、それを持たないが興味がある人
からの羨望と尊敬だろう。
ここまでは、見える・体験した人の中でも、比較的「軽度・軽症」な体験者の反応ではないだろうか。この先は異なる。
3)自分の体験を信じて(肯定して)もらいたい。
4)自分を救済してもらいたい。
5)軽挙を諫めたい。
(3)は、「信じて貰えない」「自分の体験・経験を否定される」ということに対して、自分を保つため、自分の正気を
肯定されたいがために、否定される危険を冒しても体験談を披露するのではないか、ということ。これは、(1)(2)の
自慢系披露とは別種の切迫感を感じる。
(4)は(3)に続くものだが、「お祓いできる人は」「いいお守りないですか」などに続く。自力で解決できない問題を
なお抱えており、「救済の糸口を持つ人を求めて秘密を明かした」という形での披露。自慢系披露にライトな体験
が多いのに比べて、(4)の形で披露される体験談は「手に負えない系」の重い話が多い、のかもしれない。怪談本
などで紹介される類話の体験者の傾向を追う限り、そのように思える。
(5)は見える人による警告のための披露。ま、それを踏み破って心霊スポット特攻をする者が出ることは止められないが。
>>96 の(5)は、善意による警告のための披露だと思われるけど、結局それは心霊スポット荒らしw
の誘発にしかならないところに無力感を感じるね、と書こうとしたら入り切れませんですた´・ω・`
さて。読者が読む理由、体験者が披露する理由、ときたので、これを踏まえて著者が書く理由を考えたい。
著者自身が「見える人」である場合、披露する理由は>96に重なると思うので、ここでは「見えない人」
が敢えて実話怪談を書く理由を考えてみる。
1)怪談が好きだから。怪談を披露したいから(読者の(1)(3)>91、体験者の(1)>96と呼応)
2)豪胆自慢の耐久テストに協力/挑戦(読者の(2)>91、体験者の(2)>96に呼応)
この二項は、体験者にも関わってくるけれども、基本的には「見えない読者」の要望に応えるためと思う。
ある意味、もっとも商業的理由が色濃い部分ではないか。
3)信じられない話が存在することを記録に残したい(体験者の(3)>96に呼応)
4)信じられない話を聞いたことに対して、自分を救済するため(体験者の(3)(4)>96に呼応)
5)軽挙を諫める警告(体験者の(5)>96に呼応)
概ね考えられるのはこのあたり。
(3)は、記録者としての使命感、(5)は先覚者としての使命感からくるところかもしれない。
(4)は体験者自身が自分の正気を疑い、それを肯定されたがるのと同種のものを、著者も負っている、
とした場合。怪コレ2後書きでそれが触れられているので敢えて入れたが、これが実話怪談著者
全般に適合できるかどうかは不明なので、特殊な例外かもしれないが。
こうして全体を俯瞰してみると、実話怪談では「体験者」というのが、ネタ提供者にも著者にも読者にも
全てに何らかの影響を与えていると見ていい気がする。
体験談で語られる体験が実在したかどうかの部分は、第三者が検証できない限り
それ以上突っ込むことができない。おそらく実話怪談のもっとも大きな弱点があるとしたらそこだろう。
ただこれは、>96の体験者の(3)にもあるところで、「証拠もなく検証もできず自分一人の体験なので
信じてもらいにくい」ものだ。これをどう扱うかによって、実話怪談に対するスタンスが変わるのではないか。
ネロ「…おっ、凄い書き下ろしが続々集まっているみたいだな! 殿下が言うのだから間違いない、楽しみだ!
…むっ、怪しげな公募が出ている。超-1の連中は参加しているのか。どれどれ。
なぁーんだ、屁の足元にも及ばんではないか! フフフ、おい見てみろ、屁のレベルの高さが…」
振り返るが誰もいない
ネロ「あっ…。ゴホン、ゴホン。…五月蝿い奴がいないと静かでいい。うん」
メガネを触りながらPCに向き直るネロ
少しだけ寂しそうだ
ネロ、はともかくw
この場合の「女」というのは、
「文芸とか古典とかはどうでもよくて、怖い話を読みたいだけの無垢で不勉強な読者」
を象徴しているのだなw
元々自分の手の内にあった女が、自分の認めないものを認めてしまう。
もちろん、自分はそんなもの認められないから、女を引き戻そうと熱心に弁を振るうネロ。
女は、自ら考えようとすることをことごとくネロに否定される。
ネロは自分が薦めないものを女が手に取ることを強くなじる。
自ら考えることはいけないことなのか。ネロの示したもの以外を考えてはいけないのか。
女の自律/自立はネロにとっては不快なことだ。
自分が育ててきた女が、自分とは違う道を行こうとする。
それを止めれば止めるほど、女は自ら考え自ら立とうとする。
もはやネロの鎖は朽ち、女はネロの元から去ってしまう。
支配欲独占欲の強い男、そして女。
続編としては、去っていった女が誰とどうしているのかを見つけて、
物陰から女の不明をなじるネロを見たいところだがw
創作怪談と仲良くした方がいい?しなくてもいい?
うーん、今回は簡単だとぼくは思っていた。だって、創作怪談はおとなりのジャンルだものね。
これからもずっとつきあっていかなければならないのだ。この質問のこたえなんて考えるまでもない。
けれど、最近の怪談業界情勢を、みんながどんなふうに感じているのか、それが探りたくてこのテーマにしたのだ。
するとあらら、不思議。寄せられたのは厳しい反創作怪談のメールばかりだった。
なぜなのかしらん? というわけで、今回は多数を占める「しなくていい」派からいってみよう。
「創作怪談と友好関係をつくるのは『望ましい』ことであって、『なすべき』ことではない」
(住所不明・匿名さん)。
「都合のよいときだけ、新時代にむけて新しい関係をといいながら、
幽霊を信じるのはメンヘルだ、珍説だという連中となぜつきあわなければならないのか?」
(大阪市都島区・嫌人さん)。
「隣接ジャンルとは仲良くしたほうがいいに決まっているが、実話怪談側から頭をさげてまで仲良くする必要はない」
(海外在住・匿名さん)。
「友情ごっこのような関係ならいらない。
創作怪談とは必要があれば協力し、なければ距離をおくくらいでちょうどいい」
(北海道旭川市・優子さん)。
ふー、びっくりした。でも、反対派の意見はほぼ一点に集中している。
創作怪談は実話読者軽視だから、仲良くする必要はないというもの。それ、ほんとなのかなあ。
今回のこたえは数字のうえでは「しなくていい」派が圧倒的だったけれど、
応募しなかった多数のサイレントマジョリティを考慮にいれて決定させてもらいます。
創作怪談とは仲良くしたほうがいい。あたりまえの話だよね。
メールをくれた「多数派」はあまり反実話怪談報道やネットの情報に踊らされないほうがいいのではないかな。
T
そういえば、創作怪談の人たちは読者のことをどう考えているんだろう?
この場合はもちろん、一般読者、普通の読者、お金を出して本を買う人、って意味ね。
読者のイメージはいろいろあると思うんだけど、実話怪談本はコンビニ売り文庫が多いから、
「読み捨て」「好きな人はため込む」「読み終わったらブコフに卸す」など様々なんだろうけど、
創作怪談=単行本で高い=高いからなかなか買わない(買えない)=わかる人だけが買う
創作怪談の読者=「わかってる人」
という定義なんだろうか?
104 :
本当にあった怖い名無し:2006/11/10(金) 00:59:03 ID:VBwI6J1h0
もまいら、オカ板のスレで一番下がりきってますよ
隔離スレなので、大きな動きがないときは沈静化しているのは、
それはそれでよいことなんだけどね。
下がるところまで下がっちゃうのは、いざというときに困るなw
ところで、あっちのスレでは黒史郎氏の幽文長編部門入賞を祝ってる模様。
新たな書き手が生まれるのは喜ばしいことなんで、それはいやさか。
黒史郎氏のプロフィールは、山敏の仕掛けた本にて商業デビュー、
超短編にも投稿、アニメ脚本を書いているセミプロ、芸域は広く多産でばらつきあり、
審査員評は「平山夢明的」とのこと。実録風ホラー風味だからかな?
「量産するのはクソ」「ネタと本数を厳選すべき」と言ってたあっちのスレの人々が、
黒史郎氏入選を受けて一斉に「量産ができるのは将来性がある」に路線変更w
えーと、bk1は量産組が結構いたけど、「量ばかりで精度が」とか「大豆の持ち込んだ
悪弊」とか言ってた話はどこいっちゃったんでしょうw
>>105 「質が違う」
「質の高いものを量産するのと、質の低いものを量産するのは全く違う」
「あれだけ幅のある内容を大量に書けるのは才能」
「よって、将来性がある」
とかいう話になりそうだ。
それに大豆を比較対象にすることも予想される。
このスレの住人から見て黒史郎の作品はどうですか?
個人的にはかなり幅広い分野を書く事のできる潰しがきく凄い新人だと思っています。
>>107 アリバイ作りのコピペなのは判ってるんだけど、保守ついでにお触り。
直前の過去ログくらい嫁。
「潰しが利く」っていうのは、作家個人の資質としてはよいことなんだろうけど、
その発言そのものには「怪談は潰れる」ということが織り込まれてる。
このスレの他の住人は知らないけど、実話怪談は書き手が希少なので
黒史郎が実話怪談を書くなら喜ばしいこと。
そうでないとしても、百歩譲って怪談を書くなら喜ばしいこと。
片手間に怪談に手を出し、怪談というジャンルがいずれ寂れることを前提に
「他のジャンルも書けて潰しがきく」というのは、作家個人を褒めているのかもしれないけど、
そのジャンルを期待している読者から見ると、「尻に帆を掛けて逃げる準備も万端の凄い新人です」
と言われても、期待は上がらんわな。
109 :
本当にあった怖い名無し:2006/11/15(水) 19:41:47 ID:sq7a1+Of0
保守
保守ついでに。
かつては、実話怪談の中では
超怖と新耳
という比較軸があったけど、今は実話怪談と創作怪談という比較軸に。
コンテストとしての比較軸は
・bk1と超-1(幽文学賞に相当するものは実話怪談側にはない)
そのスピンアウト刊行物の比較軸は
・てのひら怪談と怪コレクション
で、雑誌を軸足にした比較をするとしたら、
・幽とナックルズ(不思議ナックルズ)
・怪とムー
このあたりが比較軸になるんじゃないかと思うのだがどんなもんだろう。
幽は文芸誌、怪は学術誌、ナックルズは実話カストリ誌、ムーは電波系オカルト学術w誌
といったところか。このスレでは実話怪談は「文芸作品と言うのは難しい」という姿勢を取るので、
実話文芸誌というカテゴリは存在しない。
が、文芸=エンターテインメントと考えていいなら、
「文芸誌の比較軸は、カストリゴシップ誌」
で間違いではない気がする。
という方向で、ちょっと比較考察してみたいかな、と。
たいへんたいへん!
座敷牢はちゃんと残さないとね。保守保守。
本日も保守なのだが、せっかくなので何か一ネタ。
怪コレ1が272ページ。
怪コレ2が264ページ。
怪コレ3は不明だが、おそらく250〜270の間くらいだろう。
合計で、延べ800ページ弱。
怪コレ1が82話。
怪コレ2が65話。
怪コレ3は不明だが、おそらく60〜80話の間くらいだろう。20話はちょっと開きがありすぎか
合計で、延べ210〜230話の間くらい。
てのひら怪談は1話800字=1話あたり2〜3ページ。
100話掲載なので、250〜350ページの間くらい。
連続刊行は今のところはなさそうだが、三巻以上出さないと怪コレを上回らない。
と、両者の単純比較などを。
113 :
本当にあった怖い名無し:2006/11/20(月) 01:21:25 ID:l2uKxRa10
創作はその内そいつにとって実話になるだろ。
>>113 自分をだませた嘘は真実になる、事実ではなく、という奴だな。
それはそれとして、創作怪談と実話怪談は楽しみ方が違うという話が
超怖スレで出ているわけだが。
話もループしてきたし、そろそろログを全保存すべき時期かな。
ログの全保存もいいんだけど、正直なところ議題が細分化されすぎていて
把握に一苦労なので、まとめサイトのようなものが欲しい気もする。
どこかにwikiを立てるのがいいかもしれない。
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1162822973/449-500 499 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2006/11/24(金) 16:42:05 ID:7PbT0hsB0
てのひら連中はポプラ社のホムペに載せる作品を掲載者の中から募集するみたいだな。
しかも一人一作。
あっちは本が出るまでの期間が長いから、色々企画を出して話題を引っ張ろうとしてるんだろな。
500 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2006/11/24(金) 17:05:13 ID:lnjqTMid0
>>499 激しくスレ違いの話題だけどなw
話題を引っ張る事は悪い事じゃない。
それに素人著者のトレーニングを兼ねているんだろう。
・・・とはいえ、サイトに載せる程度なら
「誰でも参加できて、全ての作品が読めて、それにコメントが付けられる」
位してもよいと思う。といっても文学という性格上wそういうのは許されないんだろうな。
作品を審査してサイトに載せる=「誰かに選んでもらって、お墨付きを貰う」と
いう点なんか文学賞的だ。
で、これが本当に話題になるのか?といえば
参加者と作家志望の話題にはなるかもしれない。
出版社に作られた話題、という側面もあるし。
ということでやはりスレ違いっぽい話題だね。
実話怪談スレか別スレを立てる、もしくは関係スレで話すことかもしれない。
一応こちらに移動。
荒れるかもしれない話題を一つ。
今気がついたんだが。
70人の著者全てに1作だけ書かせて、それを審査してサイトに載せる。
ということだよね?
狙いとしては、
1)全著者が参加する=全著者名を公開するための仕込み
2)また、70名もの著者がいる、という「大プロジェクトだ」という意識付け
3)また、話題を提供して宣伝に活用する
4)次回のbk1への布石
という面が考えられる。
あとは、一部で話題になっている(話題にしたい)著者の話題づくり・後押し。
同時に一部で(悪い意味で)話題になっている著者、
もしくは「載っているだろう」という予想されている著者への牽制なんかも含まれていそうだ。
(名前が出ない・作品が選ばれない=レベルが低い(載せられるレベルじゃない)と暗に言っているのと同じだろう)
ここまで考えてみると、大きく二つに分けられる。
1)関係サイドのための話題づくり・後押し
2)競合他社への牽制
考えすぎかもしれないが。
本来、文芸板にアドバイスすべきことかもしれないけどw
どうせ聞き入れないからここに書くw
>>118 1)は、あると思う。お披露目興業だね。ポプラビーチなどへの「企画と著者名の認知の徹底」の意味が濃い。
2)は、誰への意識付けかが重要。bk1の応募者か。bk1の読者か。bk1は応募者以外は読んでいたのかどうか。
応募者/読者に対して「大プロジェクト」の自負を与えるためか。大プロジェクトであるような印象を、bk1未読者に
すり込むためか。ポプラまたはMFへの働きかけのためか?
3)はもちろんあるだろう。2月まで、あと3ヶ月ある。話題を風化させずに、2月の発売にピークを持っていくためには、
定期的かつ継続的な露出が必要だ。
ただ、同じ性質のものを継続的に出した場合、途中で飽きられる可能性も加味しないといけないかも。
VS形式での露出は、一人一作に絞ったことに対する保険かも。70人全員が傑作を書けない可能性は高い。
後半で「出来の悪いもの同士のカップリング」になると、評判は下がる。2作同時、かつ掲載順は主催者が決め
られるから、出来の悪いものでいいものを引き立てるカップリングで保険が掛けられる。
4)は、これは当然だろう。bk1(=サイト上の企画)から、「商業誌に名前が載る栄誉」に変わる。
800字では原稿料は大したことないだろう、という指摘には、たびたび「原稿料など問題じゃない」という反論が出る。
1/70であっても、名前が出ることのほうが重要という考え方(利より名を取る?)、または付加価値を大切にしてる?
>>118 関係サイドのための話題作り/後押し(a)について言えば、ポプラ社の内部に対して斉藤女史がどの程度の
影響力・干渉力を持っているのか。東氏も同様。社内に対して「素人を使うことのリスクを上回るアドバンテージ」
を示すプレゼンとしての意味が大きいのではないか。公開媒体を使った、ポプラ社内向けプレゼン。その意味で、
著者は、一般読者を意識する、名前が出て嬉しい、ということ以上に、ポプラ社内の編集者、営業担当者(部数
決定権を持つ人々)を意識したほうがいいのかもしれない。
競合他社への牽制(b)これは、意識していないほうがオカシイ。競合他社の存在を知っていれば、という前提が付くけど。
ただ、競合他社で完全に同じ企画をやっているものはない。このスレでは何度か比較考察されてきているけど、
bk1と超-1、てのひらと怪コレは、「ネットを使った読者公募作品を本にまとめた」という点だけを見れば競合
しているように見えるけど、その目的も方向性も展開戦略も相当異なる。これを、競合他社と認識してるとしたら、
戦略ミスではないか?類似企画だが、違うものとして認識しているかどうかで、牽制になるかどうかが決まる気も。
「知っているけど気にしていない」
「知らないので気付かない」
「知っているし気になっている。同じものとして意識している」
「知っているし気になっている。彼我の違いを意識している」
これは、それぞれ似てはいるけどニュアンスとしては大いに異なる。
著者から見れば出版社=編集者(窓口)しか見えないけど、出版社からすれば「どう売るか?」も
考えた上での、企画選定・著者選定があるはずだし、ない(単純化されている)と考えるのは、
あまりにも編集偏重的考え方のような。
社内政治的な観点、作品の善し悪し、営業上の戦略、そういうものを加味して企画が採用されているとしたら、
類似企画の研究をしないはずがない。
ただ、「類似企画は他にない、画期的な新企画」という前提で進んでいるとしたら、別かもしれないけど。
>>119 利より名をとる、といいつつ同じように選考から選ばれた一部著者に対して
罵詈雑言を投げかけるというのは何故だろうか。
ちょっと矛盾を感じて考えてみたんだけど。
・自分達の敵だと思っている
・選考方法を問題だと思っている
・また、選考が行われた場(賞)の名前を重視している
・選考した審査員の格を重んじている
ここから見えるものは「権威へのすりより」なんだよなぁ。
読者を見ずに、権威を見ているというかさ。
>>120 はっきり書いちゃうと、「似ているだけで憎い」「自分達に賛同しない連中は悪である」
という意思表示も兼ねているのでは?
少なくとも
「知っているけど気にしていない」はありえないし、
「知らないので気付かない」もありえない。
「知っているし気になっている。同じものとして意識している」というより、敵視している。
「知っているし気になっている。彼我の違いを意識している」というより、我々の方が高尚なのである、といいたげ。
だからこそ、外からの意見に耳を貸せないのではないだろうか?
>>121 罵詈雑言って誰が、何処で、誰に?
金は70人で印税を分けるんだから一人頭少なくなるのは当然。
ポプラビーチや幽掲載には別途原稿料が出るみたいだぞ。
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1162822973/524-528 524 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2006/11/26(日) 04:19:38 ID:uzzpY8sh0
創作文芸の例のスレだけど、平日の昼は猛烈にレスがつく。
大したネタも無いのに、それこそ三分間隔でついたりする。
しかし夕方から突然減る。序々に減るのではなくパッタリ。
そして休日はほとんど書き込みがない。
しかし、休日でも夜からレスがつく日がある。
夜にもつかない日はある。
しかし、夜からレスがつく時は必ず午前二時まで盛り上がって、二時を境にパッタリとレスがやむ。
今日がそう。
ネットの接続時間が決められた複数の人たちがいて、そんな彼らが書きこんでいる
ようにしか見えない。
でも、それを向こうのスレに書くと「休日は普通みんな外出してる」とか「妄想乙」とか「荒らし」とか言われる。
他スレのレス投下分布と比較すると、明らかにレスの集中部に周期がある。
あのスレの盛り上がりは不思議なことにネタ投下の有無に左右されていない。
自分で読み返しても電波な文章に見えるけど、でもあのスレの進行は不自然。
525 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2006/11/26(日) 04:30:38 ID:psUxbdVm0
>>524 なんか、個人ではパソコンを持っていない環境の人間に思えるね
時間帯から考えると、居間にPCのある暇な主婦とか親のパソコンを勝手にいじってる学生っぽい。
526 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2006/11/26(日) 06:13:12 ID:Xs/rgZ5d0
>>525 確かに。
しかし、そんな境遇の人があのスレに一人や二人はいるかも
しれないが、「そんな人ばかり」というのが、変だ。
かといって、たまに向こうに書き込まれるような「屁やポプラ、MFの社員が
書き込んでいる」というのも考えにくいとも思う。
謎。
527 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2006/11/26(日) 06:51:00 ID:2ofC5hJe0
http://www.microstory.org/gakusi/diary/20061117.html#p01 528 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2006/11/26(日) 07:34:00 ID:UTzr9CXz0
他スレ住人の分析をここでされてもなぁ・・
移動終了。
続きはこのスレで。
ちょっときな臭い考察になるが。
先日から繰り返されるスレ違いのレス。
パターン的には「○○がやらかしている」という決め付け状態なんだがw
一見、例の東スレの動きを考察しているかに見える書き込みだ。
そしてそれが「自作自演である」と断言したいようにも見える。
が、どうもそれが臭い。
何故超怖スレでその話題を展開しなくてはならないのか?
1)超怖スレで出てくるガセ情報の出所を考察しているから
2)いわゆるW粘着への警告のため
のように考える事も出来る。
が、逆に
1)2)を装い、超怖スレ住人を釣ろうとしているのではないか?
スレ住人が反応することを待っている節がある。
お互いの敵愾心を煽りたいとしか思えないし。
そう前提すると、実際の狙いは、
3)お互いのスレに火種を撒く為
4)また、超怖スレに疑心暗鬼の種を植えつける為
ではないのだろうか?
そうでなければ「スレ違い、移動しろ」の書き込みを無視して
再び超怖スレに書き込まないだろう。(考察・議論がしたければこちらに来るはずだ)
「○○の仕業にしたい人」は何故こちらで考察・議論をしないのか?と考えると
どうしても「超怖スレと東スレをターゲットにしたいから」なのではないか?
もしくは「東スレを利用して、超怖スレを荒らす目的がある」のかもしれない。
東スレで延々繰り返されてる怪コレマンセーや
大豆マンセーと、同じ手法って事かな。
隔離誘導されても全然乗って来ない、ってのは
今までの超怖スレ住人らしくないね。
突っ込んで話したい人はちゃんと移動してたもんな。
>>127 乗ってこない、というかそういう「おかしさ」を感じているからかもしれない。
(どういう立場の人がどういう目論見で書き込んでいるか考えるとね)
でも誰も突っ込まないといつまでも同じことを繰り返すだろうからね。
なので今回ちょっと考えてみた。
だいたい、超怖スレ住人の皆さんは意外と冷静だもんな。
脊髄反射をするまえに、考える人が多いように思える。
>怪コレマンセーや大豆マンセーと同じ手法
それとはちょっと違うかも。
敵陣wで相手側をマンセーしちゃうのと
敵陣wで相手側を否定しちゃうのは、ね。
相手を否定する事を繰り返して、互いの敵愾心を煽る、という手法だね。
でも、どちらかというと、「相手の立場に立ちそこなったレス」だし、あれw
効果は薄いので意味は無いかもしんない。
言いたいことや議論したい事があれば、ここで真正面からやればいい
んだけど、それも中々してくれないからね。
確かに、立場を把握しそこねている気もする。
実際そこまで真剣に嫌い合う必要ないと思うんだよね。
面白いのが読めるなら、それが全てに優先するわけで。
実話でも創作でも。
>>129 どちらも楽しく読むし、どちらも面白がることが出来る。
ただ、実話と創作は別物として楽しむんだけどねw
例えばホラー小説を読むときと、実話怪談と読むときは違う。
恐怖、という基本は共通としても、ベクトルは違うというのか。
(そういう考察はこのスレで行われている通り)
嫌いあう、というか「誘導されている人が多い」というのが正解かもしれない。
自分でちゃんと情報の取捨選択をしないとね。
「2ちゃんではウソをウソと(ry」というやつだから。
焦臭い考察になるので、こっちに書いておく。
それがこの隔離スレのルールw
2006/11/29の昼前後から超怖スレで大豆叩き論調を展開している人について。
・ID:4rr4oFts0が素で「あっちのスレ」が「大豆を批判しているスレ」だと信じている場合。
ID:4rr4oFts0はとても純真な人か、自分の都合のいいものしか見えない人。
もしくは、つい最近になって大豆情報を漁り始めた人。
・ID:4rr4oFts0は「あっちのスレ」から来た場合。
このスレでは大豆ヨイショというのはともかく、名前に依存しない段階での評価で
大豆の実力に対する評価は概ね固まっていたと思う。
>>650のような。
なので、そうした経緯を知らない人である可能性がある。
・ID:4rr4oFts0が、このスレやVSスレの内容を、「あっちのスレ」にコピペしてる当人だった場合。
今回の大豆憎しは、確信的な行動。
あっちのスレに「大豆ヨイショ」「怪コレヨイショ」を書き込んでおきつつ、
超怖スレには「大豆叩き」を書き込むことで、アリバイ作りをしている。
例のW粘着さんの可能性もあるかも。
もしも、ID:4rr4oFts0が「純真な人」だった場合、このVSスレや超怖スレの内容が
頻繁にあっちのスレに貼られているのを見て、どう思うんだろう?
このスレがコピペしている、とか?(タイムスタンプはこっちが早いぞw)
このスレの住人が貼りに言ってる、とか?(W粘着に荷担してるわけじゃないんだが)
133 :
本当にあった怖い名無し:2006/11/29(水) 22:46:17 ID:mbZ+Vo+m0
○
(( (ヽヽ パコパコ
>_| ̄|○
創作怪談の人からの指摘で、「そんな凄い話が拾えるはずがない」というのがある。
これにはいろいろニュアンスやレベルの差があって、
1)プロでもないのに(アマだから)拾えるはずがない
2)実際にそんな話があるわけがない。想像なら可能だ
3)実際にそんな話があるとしても、そんなに頻繁に拾えるはずがない
1)は、プロが取材すると凄い話が拾えて、アマの取材では凄い話が拾えないっていう指摘。
これは、創作畑の人からの指摘じゃなくて、実話系アマチュアでいいネタに当たらない人からの批判。
では、プロとアマの「ネタの引き」の差ってなんだろう、という疑問が湧く。
そもそも、プロならいい話を見つけやすい、ってことはないと思う。
「プロです。怖い話をお願いします」って自己紹介するだけで
凄い話が蔵の奥から発見されるっていうのも都合の良すぎる話だし。
また、プロは業界に顔が利くから云々、というのもあったと思うけど、
業界=怪談ネタ業界というのがあるならともかく、取材相手はプロじゃないだろう、と。(ある種の職業のプロはいても)
そうすると、プロとアマの差があるとしたら、
a)取材量
b)運または、そういう運命の星の下にある
c)取材者当人(プロ)が見える人
あたりかと。ドリの人の「やたら人の死に目に遭う」「仕事場に気違いが集まってくる」というのは(a)(b)だと思うんだが。
>>134 2)の指摘は、実話系を完全否定している創作畑の人がよく言う指摘。
怪コレ3のじぇいむ氏のネタを批判してる人、ホンネマンの血の丸指摘なんかもそのバリエーションかも。
「俄には信じがたい」というのが実話怪談であるわけで、それを「信じられない」と判断すれば創作怪談呼ばわり、
「信じられないが、信じるより他にない」となった場合が実話怪談に分類されるんだろうな、とも思う。
その意味で、超怖全般もそうだけど怪コレ3じぇいむ氏のネタは、リトマス試験紙になってるのかもしれない。
俄に信じられてしまう話というのはそもそもあまり怖くもなくインパクトもないわけで、
信じがたいが、「しかしその場に立ち会ったのだ」という体験者を信じるかどうかというのが、
実話怪談成立のカギを握っているんじゃないだろうか?
こういう指摘では大概「設定(前提にすべきこと)に矛盾がある」という主張が出てくるんだけど、
例外として考えられる別の解釈で解決できる程度のものだとしたら、血眼になって言うほどの
矛盾とは言えなかったりするかもしれない。
また、その矛盾した前提に誰も気付かずに話が進むあたりが、そもそも怪異だ、という解釈もあるし。
>>134 3)は、実話怪談を肯定するが、頻度が頻繁だと信じがたい、という指摘。
人生に一度くらいならあるかもしれないが、毎週あるのはおかしい、という。
それを、一人の取材者がそれほど頻繁に引くのは変じゃないか、と。
これは山口主張wとも絡んでくるところかも。
a)一人の人間がそれほどの取材の機会を得られるはずがないからおかしい
b)一人の人間が、それを専業とするプロなら可能かもしれないが、兼業のアマには不可能
c)一人の人間が量を取材することは可能だが、量を取材してもいいネタを引き当てる可能性は低いはず
と、細分化できる。
a)については、取材の機会をどれほど拡大していけるかというのは、「熱意、運(運命)」としか言えない。
「運がいい、悪い」というのはそれこそオカルトなんだけどw、
どれほど否定しても幸運が続く人(その逆も)っているからねえ。
b)については、プロならそれができてアマがそれができないというより、
そういうことができてしまう人が必然的に帰結としてプロに「なってしまう」んじゃないかと。
できない人はアマのまま、アマでもできる人はプロになる資質を持っている、
持っている人のうち、その気があって機会に恵まれた人がプロになる、とそういう世界なのでは?
c)は、熱意はあるけどそういう運命にはない人なら、そう思うかもしれない。
ネタの引きに恵まれなくても取材量だけは増えていくとしたら、
ヒットに対して母数だけはどんどん増えてくことになる。
そうしたら、「当たりはあっても、そんなに頻繁にあるのは不自然」と思いたくなるものだろうし。
が、実話怪談という作業が科学や理屈で割り切れないのもそんなところだと思う。
人生に必ず何回か幽霊を見る回数が決まってる、というわけではなくて、
見る人は毎日だって見るわけだろう。見ない人は一生見ない。
それを考えたら、ネタの引きが異様に強くて理屈で割り切れない人が、「いずれプロになる」
と考えるのは不自然じゃない、と思うんだけどどんなもんなんだろう。
bk1とてのひら、超-1と怪コレを通じて思ったこととしては、
bk1は多分、努力すればチャンスを掴めるだろうということ。
つまり、bk1は創作okであるわけで、霊感がなかろうが、
いいネタを取材できなかろうが、本人が努力する(文芸性を高めるw)ことで、
認められるチャンスがある。
ただ、それを審査する人が、専門家だけど人数は少ないってところがbk1。
超-1と怪コレは努力して取材量を増やすことは可能だ。
が、増やした取材量の結果、いいネタを引き当てられるかどうかは多分に運に左右される。
または、そういう運命にある人かどうか、という点で振り分けられてるのかもしれない。
20本、30本、50本と見つけられたランカーは、当人の熱意(取材量)と、
その熱意に見合った引き当て率(運)の双方があった、と。
それに加えて、初めて当人自身の才覚である「文章力」がモノを言う。
運がなくても文章力にモノを言わせられる創作怪談の書き手の人数が多くて、
まず運という、研磨できない才能に左右されるところが大きい実話怪談の書き手が少ないのは、
当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。
しかも、体験者の話を実話だと信じても、読者や批評家には「オカルトを信じている」と
正気を疑われ、評価されても「凄いのはネタであって書き手じゃない」とこき下ろされるわけで、
そんな著者が報われないものを望んでやろう、というのはよほどの物好きかもしれないw
ここでも出てくる創作怪談(小説)と実話怪談の違いとして、
著作に対する評価(というか絶賛)を、著者が独り占めできるのが創作怪談小説、
批判があれば著者が矢面、評価されれば取材者より取材元が評価されてしまい踏んだり蹴ったりwなのが実話怪談。
というようなのがあるかもしんない。
「実在しない問題点について、さも実在するかのように振る舞い、自分からは種明かしをしない人」=割り箸厨
の行動について。
1)実際に本人なりの指摘すべき根拠が存在する場合
a)根拠を明確にすると自分が不利に陥る(例えば訴えられるとか)から自分からは言えない。
結果的に論拠を示した考察ができないので、発言の信憑性は低い。
b)根拠を指摘した結果、「なあんだ」と言われると立つ瀬がなくなるから自分からは言わない。
種明かしをすることで、強気の攻めをするための前提が崩れる可能性があるため、種を明かせない。
2)実際には指摘すべき根拠は実在しないが、あると見せかけたい場合
a)実在しない問題点を自分以外の人間に指摘/列挙させて不安・混乱に陥らせたい(当事者以外の読者の疑心暗鬼を誘う)
b)「見落とした問題点があったかもしれない」という不安を、当事者(著者、編者、編集者)に与えて不安に陥らせたい(当事者間の疑心暗鬼を誘う)
c)(b)を受けて、当事者が反論するようにし向けようとしている(釣り)
実在する問題に気付かない君たちの知的レベルにわざわざ合わせる必要はこちらにはないよ。
>>139 知的レベルが低くてもいいから、
「万人が納得するように具体的に説明をしてください」
宜しくお願いします。
>>139 >>138の(1)-a)だと言い張りたいようだが、そうである証明が何一つ出来ていない以上、
(2)-a〜c)と思われても仕方ないと思うのだが?
そもそも、なんで「ある!」「わからないのか!」と頑張ってるのやら。
「自分は頭が良い!」「だから頭の悪い女にはウケが悪い!」と言われてもなw
証明? あの文面読んで君は判らないんでしょ?
チャンと読んだ? 読んでも判らない?
ヒントは医師会だ。あとは自分で調べてみろw
自分で考え自分で調べなければ実力は上がらないぞw
頑張れよ。
夜また来るからそれまでにキチンと調べておくように。これ宿題ねw
さて、割り箸がこっちにきたので、割り箸から何か目先の変わった意見が出るまで暖かく見守ることにして。
割り箸という人間を、ここまでで気付いた限りで考察。
・自分は頭が良い、と思っている。
・自分が気付いたことに気付かない奴は頭が悪い、と思っている。
・自分にたてつく奴はバカだ、と信じている。
・自分は騙されていない、と思っている。
・アズの人が直接相手をしている、と信じているw <それはあんまりな妄想w
「実話怪談を信じるのはバカ」
「実話怪談と称するものに騙されるのはバカ」
「自分は頭が良いから信じないし騙されない」
「実話怪談はバカが喜んで騙される雑文」
まあ、こんなとこかな?
ここから垣間見えるのは、
「何か自説に凄い自信を持っている」
「何か自説の自信の源として、絶対的な権威の後ろ盾を持っている」
こんなとこ?オカ板は、騙されたがりが多い、というか人付き合いがいい人が多いスレなので、
「自分は騙されない」ということに拘泥することは、オカルトを楽しむ趣味のある人じゃない、ということはわかる。
また、「自分は騙されない」「嘘を見破った」ということにしたがるところからして、
「普段は嘘をつく側にいる」(詐欺師が詐欺に掛かったら恥だからね)と見ることができる。
つまり、割り箸が創作畑の人なんじゃないかなと思ったのは、そういうところから。
さらに実話を執拗に否定し、創作であることを認めさせたいという行動原理は、
自分自身が創作側の執筆者かその信奉者のどちらかだから。自己肯定自己救済という奴ね。
一見 1)aっぽいんだが、やっぱり2)なんだろうな。
>>146 それに加えると「実録(彼の言葉を借りれば)畑にも足を半分ほど踏み入れている人」なんじゃないか。
言っている事から察するに、融通が利かない頭の硬いおっさんのようなイメージがあるが、
「実録というからには、<実際にあって、検証ができないといけない>のだ。それが実録だ」
と主張したいようにも思える。
「自分はそういうスタンスで書いているのだ」といわんばかりというかね。
>>147 たぶん。
実際、割り箸が自慢げに指摘した内容に、指摘通りの矛盾が存在したとしても、
それは吸収解消できる範囲のものなんじゃないかな、と。その点、血の丸と似たようなもんで。
「国際法で国旗を焼く行為は許されないにも拘わらず、韓国が日本やアメリカの国旗を焼いているなどと言う奴は、
法律の専門かに失笑される」
と言うようなもんで、法律で決まっていることと矛盾していることは普通に実在するし、
また、法律で決められていることが法の文面通りに、常に施行されているとは限らない。例外というのはあるからねえ。
だからおそらくは、鼻高々に指摘する割り箸の主張が明かされたとしても、
「へえ、それで?」で終わるんじゃないかな。
>>148 検証できたらそれは科学であってオカルトじゃないよなw
一体オレの書き込みの何を読んでいるんだ?
じぇいむが起きたという怪異についてオレはなにも言っていないけどねw
チャンと読んでから意見を出してね。
移動するときは宣言しなくてもいいよ。
向こうのログが無駄に消費されるだけだ。
754 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2006/11/30(木) 10:48:47 ID:dl+/4PAB0
おもしろ!
ここに書くと誰かがわざわざあっちにコピペしてくれるんだ!
755 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2006/11/30(木) 10:54:50 ID:dl+/4PAB0
あのさ、実話と創作の話じゃなくて怪コレ3のトリの作品は実話じゃないといってるだけなんだがw
ちなみにあれが創作怪談かと言うと、ディテールも組み上げられない作者による中途半端な作品。
勿論創作怪談としても失敗作。
そんな作品を怪コレ3のトリに据えた加藤の責任は大きいって事。
>>151 夜までいなくなるんじゃなかったのか?w
ずいぶん早い夜だな。おまいはアメリカにでも住んでるのか?
>>152についてだが、
実話じゃないという根拠証明ができないのに、なんで実話じゃないことを前提に話が進められると思ってんの?
>>149 「へえ。それで?」といわれて終わるのが寂しいのかもね、彼はw
ああ、まるで東北の人。
>>150 何度も出てるよね?
「検証できた時点でそれは怪異じゃない」っつーw
今回は「矛盾点があるから創作だ!」という話なんだけど
それを中々言ってくれない。
検証をしているはずなんだけどねぇ、彼。
嘘だから少なくとも実話じゃない。そして創作であってもディテールに破綻がある事になるから駄文。
それがトリを取るから怪コレ自体がそんなものと評価されても仕方がない。
まぁ読んでから俺がどこを問題視しているか考えてみてくれ。
医者関係の知り合いがいたら聞いてみるといい。思い切りの嘘があるんだよ。
>>154 割り箸が言う矛盾点は、怪異じゃない部分らしい。
それならますます、矛盾の存在が怪談を創作という根拠にならない気がするがなあ。
ともあれ、同調者も出なければ指摘もできないんじゃ、話になりませんな。
と書くと、たぶん割り箸が携帯か職場(または自宅かネカフェ)からアクセスして、
「割り箸さんの指摘通りの矛盾を見つけました!」
って書き込んだりして。
>>155 だからそれを書けよ。
もういい加減聞き飽きたよ。
あの基地外、夜に来と書いていたくせにまだ吼えてるよw
時間の流れも分からなくなってるのかwww
>医者関係の知り合いがいたら聞いてみるといい。思い切りの嘘があるんだよ。
残念ながら医者関係はいないな。
だから読んでも矛盾点に気がつかない可能性がある。
よろしかったら、その部分を指摘してくれないか?
どのページ、で指定してくれてもいいけど。
「このページの何行目がおかしい」とか。
考えるのが好きなんだろ?
一生懸命考えろ。
その前にキチンと俺が書いた事を読め。そして怪コレ3のトリを読め。
調べろ。それでも判らなかったら、お前らはこれから騙され続けながら生きていけ。
>>155 医者関係の知り合いて、それってあんたの主治医だろう。
そりゃ、あんたが正しいて言ってくれるよ。よかったねw
あんたが超怖のファンだと分かったから早く医者に行けよ。
あとは俺が加藤さんに君の思いを電波で伝えておくよ。
>>158 ちょっとまった。
攻撃をしてもいいけど「キジルシ」とかそういう罵りだけじゃだめだよ。
ここではちゃんと議論をしよう。
>>156 矛盾の存在が怪異じゃない=怪異に関係ない=怪談の重要な部分には問題なし
こうなっちゃうんだけど、彼の言い分だと「作品全体が創作なのだ」と
言わんばかりの主張に見える。
よほど純真なのか、それともどうしても貶めたいのか。
どっちにしろ、具体的な指摘があるまで進展はないかな。
>>155 あ、それと。
大豆のときもそうだったけど、bk1と超-1は事情が違うんで。
bk1の応募者のほとんどは東スレに常駐してるんだろうけど、
超-1の応募者のほとんどがオカ板に常駐してるわけじゃないと思うよ。
大豆を褒め殺したのに降臨してこないもんだから、しびれを切らして
アンチ大豆になった奴がいたんだよなw
大豆がそもそもオカ板を見てない可能性をまったく考慮しないで。
アズの人に対する挑発もそうで、「ときどき降臨してるんだから、
普段から貼り付いて見てるに違いない!」という思い込みがあるのかも。
ここでじぇいむ氏やアズの人が反論や弁明をするはずだ、ということを期待して、
問題箇所の指摘もせずに糾弾するという民主党みたいなことをしてても、
そもそも相手がここの存在を追ってなかったら、まるで意味がないと思うんだけど。
仮に見ていたとしても、だ。
降臨すればタコ殴りにされる歴史を見てきて、今更尻尾を出すと
考えるほうがどうかしてるよ。
>>160 いや、考える以前に「あなたが主張したい事を表す部分」に関して
教えて欲しい、といっているだけ。
何ページ、何行目がおかしい、という指摘が出ない限り
議論もし辛いし思考もし辛い、そして何の進展もない。
>>164 結局、我々がしていることは、引っ込みが付かなくなって笑うしかなくなってる強盗に、
「ポケットの中は割り箸なんだろ?いいから割り箸を出せ」
と強要するようなものなのかもしれん。
>>160 今から病院に行くんだろ。続きは夜でいいから早く行けよ。
このまま入院になっても君の事は忘れないから。
続きは電波を送ってくれ。俺が受信して書いてやるから安心しろ。
>>165 かもしれんね。
だけどこれだけ主張したい事があるのなら
割り箸じゃなくて、モデルガンくらい持っているかもしれないw
でもジャミングして使えないモデルガンだろうけど。
そんなかわいそうな強盗なのかもな。
ったく。なんだここは? ここは議論する場所の筈だろ?
議論する為にはそのための調査と熟考が基本だろ?
まずちゃんと作品読んでるのか、本当に?
そのためにこちらはわざわざヒントまで出してるんだから。
実話怪談作者は他人から怪談聞きだすのが上手いんだろ?
あの作品を医者に読ませてみろよ。
怪異部分以外で矛盾しているポイントがあるからそれを教えてもらえばそれで判るから。
また面白い人が沸いてますねw
つまらなかったなら「つまらなかった。」
面白く無かったなら「面白くなかった。」
でいいのになぁ。
一見頑固親父だけど、狭い理屈に凝り固まっている子供にも見えますね。
まともに相手してもたいしたことは出てこないと思いますよ。
たとえ話しに矛盾点があったらといって、「だから何?」って感じで。
>>168 だからさ、医者の知り合いがいない人は読ませることができません。
それに「実話怪談作者」でもないから話を聞きだすなんてとてもとてもw
いいから割り箸を出してくれ。
その割り箸がどの店のものだ、とか材質は何だ、とか使っているか未使用かとか
使っていたらなにを食べたのかとか調べるから
>>168 はぁ?
まずはあんたが気づいたらしい矛盾点を書いてみ。
論破してやるから。妄想だとしてもまずは聞いてやるぞw
>>168 議論っていうのはさ。
命題
命題から考えられ得る複数の可能性の列挙
列挙された可能性についての検証、考察
結論として導きだしうる意見、それが複数に渡る場合はその序列
以上を導きだし、命題の検証・考察に加わった人間の間で結論の共有を深める
というものだと思うんだが。
命題の当てっこをするのは議論ではないよ。
はははw
まだ判らないみたいだねw
頑張れ、本当の馬鹿じゃなければきっと判る。
>>173 IDが変わったということは、仕事/バイト先かネカフェを変えたか先生の目を盗んで病院からアクセスしてるのかな?
ないものがないことを証明することを悪魔の証明っていうんだけど、
ないことを前提にないものを当てろ、というのはなんて言うべきなんだろうか。
朝日新聞の定理?
うわ。ID変わってんのか。
それか別人が煽りにきただけ?
この人のいう事を全然聞かなさって、いったい(´・ω・`)
>>175 ある種の病院に掛かる人の特徴で、
・人の話を聞けない、聞けても意味が理解できない
・自分のことを話すのが精一杯で、他人の話を聞いて理解できないのでコミュニケーションが取れない
・コミュニケーションが取れないので、自分の話を理解できない他人がバカに見える
・本来はコミュニケーション不全で孤立しているはずの自分だけが、衆愚に比べて優れているという錯覚に陥る
というのがあるらしい。
まあでも、もし俺が担当医の立場だったら、
「あるはずがないものをあると言い張るものを肯定してはいけない」
と諭すだろうな。
しかも、検証不能な部分について批判すると患者と水掛け論になって
患者の信頼を得られないから、患者が納得できる範囲のものについて、
例と根拠を示し、その患者が他のものに対して優越感を感じられるように
導いてやるわけ。
そうすると、患者自身のプライドやこだわりを大きく傷つけることなく、
他者への優越感をくすぐることで、「正気」であることに優位性を感じる
ようにし向けていく。
このとき、鼻高々に種明かしをすると自分の優位性が崩れて自我が保てなくなるから、
自分の優位性を形成する原因部分は決して種明かしさせないようにする。
この場合も、「相手はバカだからわからない。君は優れているからすぐに気付く。
しかし、君がバカのためにわざわざ答えを教えてやる必要はない。彼らが自ら
気付くように導いてやるのが君の仕事だ」くらいのことを言って、少しでも
コミュニケーションを再構築できるきっかけを作るように言うかもしれない。
ただ、こういうタイプの患者は結局は「コミュニケーションが取れなかった今までの自分が
置かれてきた不遇な環境」と、そうさせてきた周囲に対して強いコンプレックスを抱いているので、
わずかでも自分が優位に立てる(という錯覚)というきっかけを手に入れると、
それを報復や復讐に使おうとしてドツボにはまる。
ネットでそういう振る舞いをするホンネマン、割り箸みたいなタイプが増えてるのは、
そういう振る舞いが途中でバレてしまっても、匿名であるが故に自分のプライドが
完全には破壊されない、という安心感があるからかもしれない。
元々人の話を聞く能力がないから、痛いことを突っ込まれても、一日経って、もしくは
IDが変われば昨日までの自分の窮地を綺麗さっぱり忘れられる。
そして同じことを繰り返すから、いつまでたっても症状が回復しない。
治ってしまうと客が減るわけだから、医者としては適度に治らないほうがいいのかも
しれないがね。
あとは怪しいところというか、医師会に行ってないと解らないところとというと
地域の医師会は組合で学会じゃないということか?
地域の医師会に出ても、普通報告し合うことはないだろうという。
>>178 医師会つっても「〜の親睦飲み会」とか「〜の親睦ゴルフコンペ」とかあるもんねえ。
〜の部分を省略して、何の集いだったかを示すだけなら、別に何の矛盾でもないしな。
で、わかったのかな?
まず作品をきちんと読んで、自分なりに調べた人だけ言ってご覧なさい。
>>180 いいから、そのポケットの中の割り箸を出せw
それと、かまってほしいなら、日が変わる前にコテ+トリ付けろ。
割り箸#割り箸と名前欄に書いておけ。
>>180 「こっちでやる」ってんだから、こっちだけにしとけ?な?
あとマジでコテとトリをつけておけ。
別に割り箸じゃなくてもいいから。
おまえの偽者が現れないように。
>>183 コテ+トリがなかったら、
「実は僕が割り箸です。すみませんでした」
という、屈辱の土下座を偽物がさっさと済まし、ID:dl+/4PAB0が何を言っても偽物呼ばわりw
そう言う世界だよね。
>>184 それよりも「その発言が本人のものなのか判らなくなる」というのがでかい。
偽者呼ばわりをするよりスルーになっちゃうと思う。
もし偽者が出たときに困るのは割り箸。
割り箸の書いていることって、誰でもマネできるからな。
人の話を聞かずに「金だせ!」といってりゃいいw
このスレの(暇なときの)本旨に戻ると、
実話怪談のカギは匿名性と密接な関係にあるよね。
体験者は実在するが、その体験者を実名で晒すことはできない、というジレンマ。
実名で晒すと、以後は情報提供者からの信用を失って新情報が入ってこなくなる。
内容に瑕疵があるという批判があったときに、著者が自分の体験ではない話を書いている場合、
責任の是非を情報提供者に転嫁することだって不可能ではないし、そうする著者もいるかもしれない。
情報提供者名を実名で紹介するような場合はモロにそれだし。
でも、自分だって信じて紹介したのに指摘されたら「ボクちんのせいじゃないです」とは言えない。
批判を一身に受けて情報提供者を庇う鉄壁さが、実話怪談著者に求められる部分なのかも。
聞いた話を発表するっていうだけじゃない責任というのもあるのだろうなあ、とか思う。
著者はそれがPNであっても、批判を受ける代理人というリスクと引き替えに、
実話怪談の発掘者という栄誉を受けてるってことかねえ。
普段、匿名で好き勝手なこと言ってると特にそう思うね。
あ、結局判らなかったんだ。
そっかぁ、残念だねぇ。もう少しお勉強しないと実話怪談の擁護なんて出来ないよw
コレだけいて一人も判らないとは本当にとても悲しいよ。
考えない子に教えるつもりはありません。
>>187こそ、いつまで引っ張るんだw
バラエティ番組なみのしつこさだぞ。
あの作品読んでその破綻に気付きもしない輩がよくここにいるな?
割「えー、今日の会議についてですが、すでに結論が出ています」
B「その前に、会議の議題はなんスか?」
割「会議資料に目を通していればわかるはずです」
B「ですから、その会議資料のどこに問題が?」
割「見て判らない人間では話になりませんな」
C「なんのために会議を招集してんですか?」
割「問題点すらわからないのか。バカものが!時間やるから考えてこい!」
B「問題点の検証をするのが会議じゃないんスか?」
C「指摘できないってことは問題は実在しないってことじゃないの」
B「ああ、問題があると見せかけて会議のリーダーシップを握りたい、と」
割「何を言う!問題は本当にあるんだ!それがわからない奴とは話にならない!」
B「だから指摘しろよw」
C「そのポケットの中の割り箸を出せよ。割り箸なんだろ?
しかしいつまでもコテ&トリをつけないのは
「いい逃げ」をするからだな?
たまに出てきて引っ掻き回すの飽きた。
・・・飽きた?・・・あきた・・・秋田・・・。
そうか、割り箸は東北の人。ホンネマンだったんだよ!
ナッナンダッテー!!!!<AA略
>>192は最後のセリフの後に、」(閉じカギ)がないから破綻している!
ということを、彼は言いたいのかもしれない。
>>194 いや。
「
>>192には矛盾している部分がある!だがどこかは言わない。考えてごらん」
と言いたいだけなんちゃうかと。
割り箸ってレベルじゃねーぞ!!
>>195 あー、なるほどw
しかも、指摘したらしたで「で、それがなにか?」と言われてしまうから
実際の指摘が出来ないんだなw
はいはい。君たちが素晴らしく○○なのは良く判ったよ。
べつにオレは教師じゃないからおちこぼれを救う義務はない。
判らん奴は虚構を実話と信じて楽しめ。
わかったかい?
772 本当にあった怖い名無し sage 2006/11/30(木) 23:58:05 ID:OIY+3+/b0
>>771 君が怪談を愉しめない可哀相な人だということは解った。
773 本当にあった怖い名無し sage 2006/12/01(金) 00:17:19 ID:JRjhyawb0
>>772 そして君は騙される。
774 本当にあった怖い名無し sage 2006/12/01(金) 00:23:58 ID:JW17XI2I0
>>773 では、君が騙されていない根拠を言ってごらん。
ヒントなどと虚勢を張っているだけでは会話は成立しないよ。
775 本当にあった怖い名無し sage New! 2006/12/01(金) 00:25:43 ID:drdEJshz0
ここで割り箸を弄らないでくれ。
VSに移動済みだし。
776 本当にあった怖い名無し sage New! 2006/12/01(金) 00:26:03 ID:JRjhyawb0
騙されていないんじゃなくてあの作品の破綻に気付いているだけ。
しかし楽しみ方は人それぞれ。
君たちはあの虚構の世界を実話だと信じて楽しめばいい。
オレはそんな姿をみて笑わせてもらうから。
777 本当にあった怖い名無し sage New! 2006/12/01(金) 00:27:38 ID:JW17XI2I0
あっちにも行ってるのか。ヤレヤレ・・
つーわけで来ました。
>>196 「ふ、ふん!矛盾なんか突いてあげないんだからね!」
かもしんない。
でも、これって実話怪談的手法を踏襲してないかな?
「核心をぼやかして、不安感を煽る」という。
割り箸の場合は単に「核心が言えない」だけだろうが。
核心と信じたことを行って「何が?」と言われたら
その時点で終わっちゃうからね。
もしかしたら割り箸って2ちゃん初心者なのか?
それかIDの出る板に慣れてない、とか。
779 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2006/12/01(金) 00:31:14 ID:JRjhyawb0
いや君たちが話題にしてくれているからわざわざ書き込んで上げてるんだよ。
それにあっちのスレの連中はちゃんと作品読んでいるとはとても思えんのでねw
仕方ないなぁ。じゃヒントその2。
「症例報告」
本当にもういい加減気付いてくれよなw
確かに
普通、症例を報告する場合は患者のプライバシー保護のため、名前は明かさない。
「男性、30歳、病名」という感じで報告される。
ただ、あの話の場合は地域の医師会なので、医師が個人的に聞き出したと考えれば不自然ではないね。
作品よく読めよw
なんて書いてある。
「よおし、出してやるよ拳銃をな」
と出したのが銀玉鉄砲で
「驚いたか?本当はこっちの手にまだマグナムがあるんだぜ」
という感じ?
>作品よく読めよw
>なんて書いてある。
「作品をよく読めよ、なんて書いてある。」
になっちゃいそうなので?くらいつけてはどうか?
>>204 おまえまだ怪コレ3買ってないんじゃないか?
買ってるならすぐ読んでみろ。
まだ買えてないなら嘴はさむな。
>>203 272ページ目に「割り箸を出せ」って書いてあるなw
>>206 お前の怪コレ3はどうやらオレのとは違うらしいな。
だからお前も嘴はさむな。
ID:JRjhyawb0にお勧めしたいのは
「○○という点に矛盾がある。何故なら△△だからだ。
これに関しては□□という事も考えられるのだが、
それを除外して考えて欲しい」
みたいに、理路整然と意見を述べて他の人の意見を
引き出す努力をしてみてはどうか?
そんなことはいいから、作品読んでみろ。
なんて書いてある? 気付かないのか?
>>208 そんな論理的な思考と提案をするためには、
まず「○○」が実在しなければならない。
でも、実在しない○○を前提に、
「明かせない点に矛盾がある。しかしどこがおかしいのかは明かせない。
見ればすぐにわかるから明かす必要もない。
他の可能性を除外する必要もないほど明白だ」
これじゃ話は成り立たない。
担当医もたぶん苦労してるだろうね。症状を聞き出すのに。
「お加減いかがですか?」
「自分は明らかに不調なのは明確だが、医者なら自分のどこが不調なのか
患者が説明しなくてもわかって当然だしわかるはずだ」
こんな患者が来たら、問診する医者も大変だろうな(´Д`)
>>203 なんて、と言われてもね。どの部分について君が言ってるのか曖昧なので解らんわな。
具体的に何行目と言ってごらん。
>>211 たぶん、253ページの16行目のことを指しているんだよ!
ΩΩ Ω ナンダッテー!
ああ、スマン。何ページの何行目かね。
ひとを病人扱いすることでしか反論出来なくなったかw
あんな短い話だ。気付いた奴はまだいないのか?
それとも気付いてしまったから黙り込んでるのか?
この展開おもすれーww
怪コレなんて興味なかったけど買ってみようかなw
何書いてあるのか知っている人詳細キボン
ID:JRjhyawb0が教えてくれれば一番安上がりなんだけどw
> ID:JRjhyawb0
ところで、今日はあっちのスレには書き込みに行かなくていいのかw
あまりにも穏やかすぎて訝しんでいるぞ?
>>214 ないことがないと証明しろとか、ないことをあると証明しろと言われてもねえ。
病名は「脳内異物」でいいか?
どうやら判っていないのはまだ怪コレ3を購入していない輩だけだな。
この週末まで待ってやるから、自分で読んで自分で気付け。
今日はこれまで。おれは寝る。
まあ、怪コレ2、怪コレ3と連続でトリを取ったじぇいむ氏が憎いんだろうな。
そんな話を一人の人間が、しかもアマチュアが連続で発掘できるわけがない、とか。
もしくは、よくできた話だから創作でなければ納得できない、とか。
>>218 はい、おやすみ。
明日までに割り箸を出しておけよw
三日連続で同じネタを引き摺るのは勘弁な。
ホンネと同じ時間に寝るんだなwwww
>>218 で、結局、具体的に示せないわけね。
週末に来ても、もう俺は相手にしないよ。
ただの虚勢だと解ったから。
だいたい1時前後に寝て、
8時前後に自室か自宅のPCの前に座る。
11時半前後に出勤。たぶん、仕事は午後から(昼出勤)
勤め先(かネカフェ)までの移動時間はおよそ30〜60分。
出勤先にもPCがある。出先からの接続に携帯は使っていない。
帰宅、または帰宅後に再び自分のPCの前に座るのは23〜0時近く。
フルタイムに働いている、風呂は朝入るのだとしてw、
勤務時間は12時前後〜22時前後までのおよそ9時間労働。遅番勤務ご苦労。
飯の時間は面倒だから割愛。コンビニ弁当か、愛妻弁当開けたら中に500円玉かどちらか?
というわけで、割り箸のだいたいのタイムシフトはこんな感じですた。
観察終わり。
>>201 ふむ、「症例報告」が問題だ、ということは、
昭和四十年代にはまだレントゲンの自動現像装置はなかった、
とか、
肛門に手を突っ込むのは医療行為なので看護婦がするのは医師法違反だ、
とか、
新聞記事を見たと書いてあるが、探してもそんな記事はなかった、
とか、
を問題にしているわけではないのだな?
>>223 出勤前と帰宅後のIDが変わっていないところを見ると、
常時接続確定。
ということは、IDからホスト割り出せるねw
このスレと超怖スレの構成メンバーの違いwに気付かなかったところを見ると、
IDの持つ意味がわかってないんじゃね?
「一目見れば一目瞭然」なのにねぇw
>>224 1)昭和40年代にはすでに自動現像装置はあったみたい。
2)「医師の指導の元で」なら不可能ではないわなw
3)国内全ての新聞をマイクロフィルムでチェックしたのなら別の意味で凄いけどw
注意、ネタバレ含む。
えーっと結局は、「医師会で症例報告」の部分がおかしいって言いたいんだよな?
俺には医者の知り合いなんかいないからよく知らないけど、
超怖スレ
>>763で言われている通り
>一口に医師会と言っても色々なものがあって
>特に縦割りの医師会と横割りの医師会は区別されるべきと思うがね。
>横割りは地域密着なので、その医師会がどんなものだったかは
>畢竟当時その医師会に参加したものにしかわからない。
それに
>>178>>179>>202のレスをまとめてみるとだ。
・「学会」即ち地域の医師が集まる席で症例報告があった。
・地方の話な上にかなり昔なので、「学会」といわれる集まりが実際どんな進行で行われていたかは不明。
・普通の「症例報告」は患者の苗字を明かしたりはしないが、心当たりのある特殊な症例だったので
会合の後で医師同士が個人的に相談したのかも知れない。
って事でOK?
ホンネマン・・・じゃなかった、割り箸はこの解釈について返事をよろしく。
あー悪いけど俺、医者・看護婦・薬剤師・病院の受付ww
の知り合い居るから。
中途半端な釣りすると速攻粉砕するよ>割り箸
>>227はいいところまでいってる。
その視点でもう一度作品を読み直せば気付きそうだ。頑張れ。
>>229 あのさ。
結局、「何か穴がありそうだが自分ではわからない」から、
「穴がある」ことを確定の前提としてちらつかせて、
他人に「穴を作らせている」んじゃないのか?
何がガンバレだバカ。
それと、割り箸が自分で言わないのは、自分で言うと、
竹書房からの「新作商品の内容を暴露することで、
商品価値を減じさせる営業妨害になる」という指摘を
恐れてるからだと思うよ。
以前、東京伝説だったか過去の「超」怖い話だったかの
内容やオチをスレに引き写して書いた奴がいて、そのことで
竹書房が実際に動いて削除依頼をした(それは通った)
という前例があるんだよね。
割り箸が自分で指摘をしないのは、指摘をする=自分が
削除される対象になることを恐れてるから。
ヒントだとかなんとか言って、他人に指摘をさせようとしている
のは、他人にネタばらしをさせて、竹書房による削除依頼の標的
にしようとしている、っていう目論見。
そのへん割り箸の策略に引っ掛からないようによろすく>All
ははははw
でももう一部の人間は気付いてるみたいだね。
そう、そういう事なんだよ。だからあれは実話ではないし、創作としても失敗作。
それが怪コレ3の大トリ作品って事だ。
わからないんだが、割り箸氏の目的、というか本意は何?
怪コレ3はひどい本だ、と言いたいのかな?
それとも実話怪談自体を否定したいのかな。
うんうん、その話が創作で失敗なのはもうわかったから、そろそろあら捜し止めて本題に入ってはどうかな。
>>233 オレはじぇいむの書いた「直腸内異物」が実話ではないと指摘しただけ。
それを見抜けずに怪コレ3の大トリにこの作品を据えた加藤を非難している。
それ以上でもそれ以下でもないよ。
だから233が素直にあの話が創作で失敗なのを判ってくれればそれで充分。
>>234 「根拠はないが俺の言うことは事実だ!」
と言われてもねえw
ヒントも与えてるのに読んでも気付かん奴に、教えてやるほどオレは優しくないのでな。
ちゃんとヒントを元に読め。
>>227は真実に近付いてる。
あーー
まさか。
このホンネ割り箸は
「隣の行政区」の医師が医師会に来ることはない
といいたいのか?
>>234 加藤氏の非難か。dすっきりした。
実話怪談すべてを非難とか否定とか、例の流れじゃないようだ。
事実、割り箸氏はそれで興冷めしたんだろうし、確かにそういう読者も居るんだってことは
受け止めなきゃいけないことなのかもね。
>>238 馬鹿いってんじゃない
非難かただの中傷か、そいつの割り箸を見るまでは決定しない
仮に創作だとして、ここまで良くできてインパクトのある話をトリに据えることが
一体何の非難になるんだ?
創作であることが証明できなければ、それも創作であることが自明でなければ
そのホンネが言ってることはただの中傷で営業妨害に過ぎん
脳みそ取り替えて出直して来い
>>237 はい、君は論外。もう一度読み直し。
>>238 その通り、実話怪談を標榜するのであれば、編者は責任を持って欲しいものだ。
騙せると思って掲載したのだとしたら責任重大だし、見抜けなかったのならもっと問題。
書いたじぇいむは判ってやった筈だから今後彼が実話会談といくら行っても信用しない。
>>239 いいんじゃない、君の中であれが作り話じゃないと思ってるのならそれは君の自由だ。
ものを見極める事ができないんだから、騙されていればいい。
実話の形式を真似た単なる作り話(それも失敗作)で満足すればいい。
あんなレベルの者が大トリに据えられた事を喜んでいるのなら、これから
「実話怪談が好きなんだ」とは人前で言わない事をお勧めする。君にはそれを見極める力がない。
>>240 でも種明かしはできないんだよね。
タネがある、あるんだ、わからない奴はバカ、とすることで、
「バカと言われたくない同調者を募る」というスタイルだな。
失敗作であることが事実かどうかは実は問題じゃなくて、
「失敗作だと【信じた人間が一人でもいる】から、それは失敗作なのだ」
という。つまり、「オレ様基準で世界は回る」なのだな。
しかし、問題がありそれによって責任者を指弾できると踏んだのなら、
その問題を明らかにすれば責任者の指弾に回る人間の人数は増えるはずなのに、
なぜそれをしないのかが不思議だなあ。
>>238 は別に割り箸氏の指摘そのものを理解したわけじゃなくて、
「責任者を指弾したい読者の存在は拒否できない」と言ってるだけだと思うが?
「自分は納得いかないから責任者は責任を取れ」
「しかし納得のいかなかった理由は説明しない」
では、ちょっとね。
それに、ここまでの質問や指摘には何も応えてないだろう。
その状態で自分の言い分だけを相手に受け入れろ、それがわからなきゃお前はバカ
と言われて、自分の正当性を証明できるのかねえ?
>>240 ところで、「実話怪談の定義」ってちゃんと見た?調べた?
どういうものを実話怪談と規定するか、っていうのが、
超-1の募集告知に載ってたよね。それは覚えてる?
というより、そもそも見てる?
とりあえず、逆に考えることにした。
1)割り箸の目的=アズの人を指弾・弾劾すること
2)アズの人を弾劾することで得られることは?
↓
(2-a)アズの人は超怖/実話怪談著者としてレベルが低い
↓
(2-b)レベルが低いアズの人が編んだ怪コレはレベルが低い(批判の連鎖)
3)アズの人を批判することによって
→(3-a)実話怪談そのものに対する批判が可能
→(3-b)実話怪談そのものは批判しないのだとしたら、アズの人に「実話怪談不適格者」の烙印を押すことが可能
・実話怪談そのものの否定が目的ではない(と、本人は主張する、が?それを全面的に信じる根拠がない)
↑これを事実とした場合、上で成立するのは(3-b)
ところが、「自分の指摘がわからない奴(自分の示した基準に従わない奴)はバカ」
「自分の指摘に従わない奴は実話怪談を語る資格がない」という定義/前提を提示
4)実話怪談の定義(それ自体は割り箸は明確に示していないが)について、
→(4-a)自分の考える基準に追従できないものはすべて実話怪談を語る資格がない
→(4-b)自分の考える基準を理解できないものは実話怪談(と称するもの)に【騙されてろ】
↓
自分は「実話怪談と定義されたものに騙されていない」ので賢い。騙される奴は賢くない、と規定。
理由は示さないが、定義は自分で設定。
自分が設定した定義についての説明はしない。
追従できないものは全てバカ、とすることで自分の優位性を確保。(正当性ではなくて優位性、か)
何かを見て理解できずに不愉快、または不快、つまらない、くだらないと感じるのは読者の自由だが、
自分だけの発見を根拠に「世界の法則」で相手を裁くのは難しいと思う。
>>240 偉そうなことを言っているが、この一連の流れを読んだ人は
100人中100人が君の言うことは信じないだろうね。
論理的に破綻している部分を指摘して説明出来ない以上、
何を言っても受け入れられるはずがない。
それこそ、君があの作品を実話の形式を真似た単なる作り話(それも失敗作)
と思ってるのならそれは君の自由だ、ということになる。
まともに議論したいのならコミュニケーションの基本から勉強し直した方がいい。
>>240 あ、ちなみにリアルでは議論をしない方がいいよ。大恥をかくから。
まあ、「自分は創作だと思う」と思うのは自由なんだよね。
「自分は実話だと思う」と思うのと等価だから。
ただ、「自分がそう思った」という個人的感想を、
根拠を示さずに世界の定理にすることは難しいと思う。
あの話が本当に実話じゃないのかどうかを証明できるのは、
情報提供者、著者(じぇいむ氏)だけで、それ以外の人間は
「かもしれない」という自分なりの予想を言うくらい。
その上で、「超-1で求められた実話怪談」の定義は、
・実話と客観的に証明できること
・実話と客観的に証明できないが、実話であると取材者(著者)が【信じ】、
実話であることを前提に書き起こしたいもの
であるわけで、実話怪談であると著者が信じる限り、それは実話怪談なんだよね。
それをその他の読者が信じるかどうかは、読者個人に任せられている。
だから、割り箸のように信じない人がいたって不思議じゃないけど、
「自分は信じない。自分は嘘だと思った。だから自分が正しい」
という論法で、自分以外の人の受け取り方を変えることは、ちょっと難しいかもね。
必死だねw
しかしもう判ってくれた人はいるみたいだからそれで充分だよ。
君たちのやっている事はまさに負け犬の遠吠えにしか聞こえない。
本当にもう少しロジカルな思考が出来るようにならないとこれからも
ニセモノを掴み続ける事になるよ。
粗悪な作り話を聞かされて、その矛盾に気付かずに実話と信じて書いたから
それは実話? アホやw
客観的証明手段に拙い奴を使えばいくらでも実話作れるわw
それをコントロールする立場の人間までアホやから今回みたいな事になる。
>>248 必死だねえ。。。
だからポケットの中身を証明できずに、ワルノリする共犯者を待っても無駄だと思うんだが。
>>238氏は、割り箸が「興ざめした、ということはわかった」「アズの人を批判したいということもわかった」
と言ってるだけで、「割り箸の指摘を理解し、批判は正当だと思った」とは一言も書いてないんだぞ?
どういうロジックwでそうなるんだ。
>>248 http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1162822973/817 なんていうか、周りが見えていない、コミュニケーション能力がない、
人の話(他人からの指摘)が理解できない、
演説はできても対話ができない、
という人の恐ろしさを堪能させてもらいますた。
反応がワンパターンなのは、こちらからの質問に何一つ答えないから、
そこから先に話が進まないというだけのことなのだが、それすらわからないのね。
そういうわけで、「自分の指摘が正当だと思う根拠を、VSスレで示せ」
それと、名前とか投稿日とかのある行のいちばん最後に、「ID:N2Nz+X+v0」ってあるだろ?
これは、同じ板の中だったら、どこに行っても同じIDが出るんだ。同一人物だったら。
それはわかるな?
で、超怖スレとVSスレの住人がほとんどダブってるということはわかるな?
超怖の書き込みがVSスレにコピペされるのは、超怖スレでは揉めることはやらない、
お客様は応接間にお連れする、という暗黙のルールがあるから移動するんだわ。
なので、君に対する返事はここでしか書かないように気をつける。
そういうことでよろしく。
>>248 勘違いしているのか読解力がないのか、まあ後者なんだろうけど…
君のその議論の仕方(実際には議論になってないが)について言ってるのだが。
もう一度分かりやすいように簡単、簡潔に書くから、よ〜く考えながら読んでな。
「相手を納得させるには根拠や理由を示せ」
理解できた?
できなければただの誹謗中傷に過ぎないよ。
それこそ君の言っていることの方が負け犬の遠吠えにしか聞こえない。
自分ではロジカルな思考が出来てると思い込んでいる様だが、こちらにはまるで伝わってないよ。
それとも最初から誹謗中傷が目的で、議論する気などないのかな。
>>251 んで、たぶん奴はこう考えているのだろう。
「実話怪談と言いながら、読者を納得させられるだけの根拠や理由を示せない怪談を、怪コレ3のラストに乗せたアズはメクラ」
・自分にはわかっている
・自分にわかっていることをわからない奴はバカ(優越感の発生)
・バカは無尽蔵に叩いても許される。バカだから(優越感の持続)
・自分の優越感を持続させるためには、相手(バカ)の地位を引き上げる協力はしない
これによって、今彼は「絶頂を感じ続けるオナヌー」を続けているんだと思うなあ。
まともに読む事も理解する事もできない奴に教えるつもりはないと言ってるでしょw
せっかく惜しいところまで判った書き込みがあったのだから、そこから先は自分で気付けって。
>>253 要するに、議論するつもりはない、誹謗中傷が目的でFA?なわけね。
君たちと議論はするつもりはないよ。だって読解力ないんだもんw
でもそんな君たちを誹謗中傷するつもりもない。
ただ警鐘を鳴らしているだけ。
ミエミエな出来の悪い作り話が実話怪談と称して世に出ちゃったからね。
騙されるなよ、と言ってるだけ。
>>255 議論するつもりがないというより、君の場合、議論になってないんだよ。
ただの誹謗中傷目的のネガティブキャンペーンでしかない。
何をするのもかってだが、上で散々書いた理由で誰も相手にしないと思うよ。
自分たちが騙されていることに気付きたくないのねw
いや、騙されていることが判らない自分の未熟さを認めたくないのか。
こちらとしても、そんな方の反応はいらないから書き込まないでね。
>>255 だからお前は基地外扱いされるんだ馬鹿が
ミエミエの煽りで割り箸持って「警鐘」だとは笑わせる
筋道も立てて話さない奴が「論理」だとか言ってんなよ
> 823 :本当にあった怖い名無し :2006/12/02(土) 10:19:27 ID:N2Nz+X+v0
>
>>821 > 看護師という立場で記憶違いしていたとしたら、その看護師は医療に携わるべきではない人と言う事になる。
> またじぇぃむが聴取者として聞き間違えたとしたら、実話怪談作者など目指すべきではない。
> 君の理屈で行くと、ものを良く知らない奴を騙せばいくらでも「実話」怪談を作れる。
> 話を聞き取る者はその辺りを充分理解して聴取しないといけない。
> 破綻した論理も見抜けぬ者に作者になる資格も編者を勤める資格もない。
824 本当にあった怖い名無し sage 2006/12/02(土) 10:35:00 ID:x2+0puFX0
>>823 おいおい、VSスレでやれと言ったろうが。
何度も言うが「俺だけは破綻した論理を見抜いている」と言いつつ、決して
具体的な説明はしない(できない)
そんな人が他人の作品を非難する資格はないわな。
君やっていることは、ただの誹謗中傷。
そうでないと言うのなら、「論理的に破綻している部分」を説明するべき。
ブレーンストーミングやディスカッションの仕方を知らない人なんだな。割り箸。
それどころか人と話をしたことがないのでは?
割り箸(以下w)「この配布資料には矛盾している部分があります。でもそれは言えません」
a「その部分とは?具体的な理由、根拠を示してください」
w「それぐらいは自分で考えてください」
a「いや、だから私はこの配布資料に矛盾点はないと思うのだが」
b「私もそう思います。配布資料を見ても特に問題はないかと」
w「キミ達は読解力がない。矛盾点があるのがわからないのかね?」
a「いや、だからその矛盾点とは具体的にどこ?」
w「それすら考えられない、気がつかない。能無しですね」
b「その理屈はおかしい」
w「まあ、僕からいえることはそれだけです。キミ達みたいなのを相手するのも飽きました」
a・b「・・・・・・(コミュニケーションが取れないのかよ)」
>>240 >
>>237 > はい、君は論外。もう一度読み直し。
で
>>237 で医師会に関連する、疑いの余地のある描写を全て洗ったことになるのだが
お前は一体何を読んでいるんだ?
あと洗ってない要素は
・婦人科の医師が参加している
・会合(実態は知らないが)は、夏から秋にかけて開かれた
の二つのみ
このどちらも根拠にはならないだろう
つまりお前のポケットのなかのものは割り箸だってことだよ
>
>>239 > いいんじゃない、君の中であれが作り話じゃないと思ってるのならそれは君の自由だ。
> ものを見極める事ができないんだから、騙されていればいい。
そんな話はしてない
創作だとするならその根拠を示して批判しろと、ごく当たり前のことを言っているだけだ
もちろんどう思おうと俺やお前の自由だが、それをもって編者を個人攻撃しようというのは
筋違いだということだ
> 812 :本当にあった怖い名無し :2006/12/02(土) 04:41:46 ID:N2Nz+X+v0
> とーほぐの人と名付けたオレがホンネマン?
> 君のガチ予想は江川の競馬予想並みにスゴイねぇw
> 笑わせてくれてありがとうw
おいおい
本気でしらばっくれるつもりだったのか?
お前はトーホグ・ホンネマンだよ
短期間のうちに似たような電波が出現することもまあ、なくはないだろうが
>>252,260
解り易い例示だ
しかしこの手の馬鹿には通用しないようだ
そもそもこういう手合いは自分の都合の悪いことは読まない
読んでも頭に入ってこないという極まった思考回路を持っているので
どれだけ問題を一般化してあげても自分の思い込みから出てくることはできないだろう
最早割り箸を出すとか出さないとか、そういう多少なりとも高尚な駆け引きは期待できんということだ
>>263 「割り箸さえも持っていない」のでは?
かといって、ポケットの中で手の形を工夫する、ということも考えていない。
そんな印象がある。
相手をすればするほど時間の無駄っつかw
大体お話ができない、というのが痛い。
こちらから具体的に聞いても、「考えろ」とか言うのを始めとして。
こんな問題を思い出すな。
Q「割り箸さんとホンネちゃんが500円持って買い物に行きました。
お店には100円のりんごがあります。答えは何でしょう?」
A「問題として成立してないので答えようがありません」
コミュニケーションというのがなんなのかをまずは理解してから、の話だね。
もしかしたら、自分がなぜ「割り箸」と言われているかも、
読み落としていて気付いていないんじゃないか、という気がしてきた。
>>261の補足だが
可能性としてはあと
・「婦人科」は最近のものだ
という可能性もある
ここは読んですぐ気が付く点だが、同時に根拠にもならないことに気づく
>>265 いや、本人はMK−23あたりを持っている「つもり」じゃないか。
だから割り箸といわれても理解できていな(ry
本当に君たちのおりこうさん振りは笑えるよw
見当違いのところを勝手に掘り返したり、本当に面白いなぁw
君たちレベルならいくらでも騙せそうだよ。
じぇぃむも加藤も喜んでいると思うよ。読者がこのレベルでよかったってね。
この程度が判らない読者が相手なら彼らの立場は安泰だよw
>>268 そろそろ他の展開をしてくれないか?
あまりの芸のなさに笑いが止まらないw
てか、人とコミュニケーションをとる練習なら他でやってくれないか?
>>268 そういう煽りはおなか一杯なわけよ
医師会の会合周辺(記述上の周辺と意味上の周辺)の全描写について
洗い出してみたわけだが、お前のいうような創作の根拠たるものは何一つ見つからない
これはお前の言う根拠が存在しないことの証明だ
既に多くが指摘するとおり、反論不可能な明確な根拠など最初から存在するはずもない
せっかく茶番に付き合ってやったというのに、お前の無芸さにはうんざりするぞ
>>270 本当に読解力がない事がよぉく判ったよw
君の知識総動員しても気付かないとなると、たとえ説明しても理解できないよ。
君にとっては実話。それで良いよ。良かったね、おめでとうw
茶番と思いたければそれで構わないよ。
そこまで読んでも理解できない君の頭脳の明晰さには本当に感嘆するよ。
追伸。
そうか
>>270君は「婦人科」云々の人か!
君の目の付け所は本当にユニークで面白いよ。君ならそんな結論に至っても不思議じゃないよw
>>270 だーかーらー
総動員したのは俺の知識なんかではない
医師会の会合とやらに関する本文中の記述全部だ
元々それほど沢山書き込まれているような箇所じゃない
羅列したって大した数にはならない
医師会などというものについて俺が元々よく知っていることは何一つないが
調べてつき合わせてみても全て反論可能だという結論に至った
つまりお前が吐けば俺が反論するという、たったそれだけのことだ
実話だの創作だのという話ではなく、お前のいう「創作の根拠」とやらは存在しないというだけの話だ
もちろんお前からみればあるのだろう。ただそれはお前だけにとっての根拠だ
それを割り箸強盗に準えて、割り箸を出せという話なんだ
ちゃんと理解してるか?
そもそもお前は自分で
> 691 :本当にあった怖い名無し :2006/11/30(木) 08:11:00 ID:dl+/4PAB0
> と言っても医師会に出席したことがない人間には判らないのかなぁ……
と言ってるだろうが
それが転びに転んで「読解力があればわかる」あるいは「説明しても理解できない」ような事柄になってしまっている
早々に地域性と年代の変化を指摘されて慌てて「論理的に判る」と言い出した
つまり最初は「経験的に事実と違う」と主張していたことがいつの間にか「論理的」になり
「読解力」にまで成り下がった
この二転三転する有様から見てもお前の持ってる証拠とやらが如何に貧弱な割り箸か
知れようというものだ
その通り医師会に出席できれば一発でわかるよ。
勿論その立場の人間ならそれ以前に判るけどね。
その後、ここで他の人が指摘した中に実はかなり迫ったものがあった。
その視点でもう一度作品を読めば、普通の判断力があれば気付く。
君はそれに気付けないというだけ。本当に読解力の問題だよ。
それも判らないレベルの人間に理解させなきゃならないのか?
サルに言葉を教えるようなもんだからオレはやらない。
275 :
273:2006/12/02(土) 14:04:26 ID:RhuYrQ0Y0
アンカーミスった
>>273は
>>271へのレス
>>272 探してもお前のいうような根拠はないから
記述上の周辺と呼べるところまで探す範囲を広げただけだ
「見当違いなところを掘って大層面白いよ」などと嘯いているが
お前が指摘箇所を明らかにしないから、一見関係なさそうな場所でも
端から全部掘り起こしてみたというだけのこと
それが理性的な検証方法ってものだろう?そうする以外にあるまい?
もっとも、お前にしたら縁のない概念なんだろうがな
276 :
273:2006/12/02(土) 14:14:13 ID:RhuYrQ0Y0
>>274 守秘義務の件も「報告」の件も既に創作の根拠たり得ないと否定されている
お前ちゃんと読んでんのか?
だから君の知識の範囲ではそれが精一杯なんだろう? だったらそれで良いよ。
君は君の範囲で理解できる事を信じて生きていけば良いさ。それで充分だろ?
いつでも答えを人が与えてくれると思っていたら大間違いさ。
ヒントまで与えてもわからないんだから、仕方がないだろう。
>>276 そこまで来てて気付かないか? 本当に読んでるのか?
何を読んでるんだ? 素直に読んでみろ。あと一歩だ。頑張れ!
279 :
273:2006/12/02(土) 14:22:44 ID:RhuYrQ0Y0
>>274 お前の言ってる「普通の判断力」とやらをまず疑えよ
法令遵守の精神に対する違反の根拠と実話/創作の根拠は別だぞ
「経験的に判ること」「読んで判断できること」これらには関わりがあるが
共に創作とする根拠には関係ないということだ
割り箸君って、人に笑われてても気付かないタイプだよね
ふーん、まだ判らない奴がこんなにいるんだね。
こりゃ加藤も笑いが止まらないだろうね。いくらでも実話のふりした作り話が出せる。
君たちの様な人がこんなにいるんだから、超怖は当面大丈夫だね。
本当にあった怖い話をしよう
昔あるところにR君という少年がいました
R君は実話怪談作家になりたくてコンテストに応募しました
そのコンテストにはあるルールがあり、応募者は他人の作品を
評価しなくてはなりません
ある日「黒いポリ袋」という作品が投稿されました
それを読んだR君は一切の解釈を放棄してただ「ありえない」と評価しました
この一言に大激怒した人たちはR君をコキ降ろしました
びっくりしたR君は更に追記し「あり得ない話といわれるような実話怪談を書くのはどうか」と
著者に自省を促します
これがさらに火に油を注ぎました
そう、「黒ポリ」はR君にとってはあからさまな創作怪談に見えていたので
彼自身にはなぜ自分がこれほど非難されるのかを理解できなかったのです
大衆の反応はさまざまでした
警備隊に電話して事実確認を行った者もいました
R君の気持ちもわかります
しかし彼の論旨は「警察は間違いを犯さないから、そんなことはありえない」というものから
一歩も出ていませんでした
彼の過ちは「あってはならぬこと」を「ありえないこと」と履き違えたことです
もちろん、作品に一言添えてあればよかったのです
「本来あってはならぬことだ。しかし時として人間は間違いを犯す」と
でもどうでしょう
そんなことをしていたら実話怪談は言い訳の山になってしまいます
ああ!これが創作ならいくらでも無理のないシチュエーションにできたのに!
いっぽうで読者に余計な疑いをもたせるような書き方は、ないに越したことはありません
このバランスはじつにむずかしい
R君はひとつおとなになり、ぶじ実話怪談の書き手としてのいっぽをふみだしたのです
こんにち、売られている黒ポリに2行の説明が追加されたのはその名残とつたえられています
めでたし、めでたし
他の話を引用して何をしようというのかね?
そうか、過去の事例を引用して薄めたいの? 必死だねw
ちゃんと読む力を身に付けなさい。それで済む話なんだから。
幸い人には成長する能力が備わっている。
不幸にも知識が足りなくて気付かなかった事も、成長の中で判ってくる事もある。
ただそれは努力した者だけに訪れるのであって、現状に固執していては望めない。
その位置で留まりたければ留まっていればいい。だれもそれを責めはしない。
もちろんオレも責めはしない。そこで楽しく騙され続けなさい。
>>284 薄めたいね
薄めたいというか、取るに足らないことだということに早く気づいて欲しいね
別にお前のような輩は少数派っていうわけでもないんだ
実際によくある勘違いだ
>>284 割り箸君は黒いポリ袋事件をちゃんと分かっているのかね
折角噛み砕いても理解できてないんじゃないかな
はいはい。わからない子は読み直す。
>>287 お前もさっさと読み直せ
つまらん思い込みを捨て読み返せ
書いてあることと想像で補ったことは区別しろ
「普通〜なんてことはない」などというのは証拠として論外
実話怪談ってさ、
読んでいて「もしかしたらこうかも」「いや、こうかも」「でもまさかこうかも」
とか、いろいろな可能性っていうのを頭に巡らせながら読むよね。
「まさか、いやあり得ない。それはおかしい。でも、そうなのだとしたら」
とか、いろいろと。
で、たくさん実話怪談を読んでいるうちに、「前はこうだったから、もしかしたらこうかも」
と先読みするようになっていくんだけど、ジャンキーほど「前はこうだったから」
という似たパターンの連想や、「あり得ないはずだが、あるとしたら」という、
可能性の列挙をどんどんするようになる。また、そういうのを考えるときが楽しいんだけど。
血の丸のときもそうだったけど、「その根本的におかしい、あり得ないはずのこと」
という矛盾の部分から怪異が始まってる、という解釈があったり、
書かれている通りに読んだら矛盾のはずなんだけど、省略されたところにどういう文言が
入っていたらその矛盾は解消されるか?なんていう行間を読むのがまた楽しかったり。
歳喰ったり世間が広がると行間を埋めるための要素が自分の中に増えて、またおもしろく読めたり。
歳が若かったり、歳の割に世間が狭いと逆に「自分だけが知っている可能性」そのものが少ないから、
「あり得ない。終わり」になっちゃったり。
実話怪談の愛好者の年齢は若干高めだっていうけど、そういうところにも関係あるのかもね。
君たちの進歩のなさには本当にもう感動すら覚えるねw
本当に読んでる? そこまで読み込めないものなの? 本当に驚きだよ。
目の前に書いてある事に気付かないの? あ、ひょっとして気付きたくないのか!
それじゃ一生判らないだろうね。
挙句に血の丸まで引き出してくるしw
もし年齢が高めでコレだったら一体どんな生き方をしてきたのかその方が興味が湧くよw
超怖は捨てずに何度も読み返す人が多いって話はよく聞くし、
俺も捨てられない系ジャンキーなんだけど、確かに最初に読んだときと
何年かおいてから読んだときの感想が違うことがあるんだよね。
もちろん、初見のときもおもしろいんだけどさ。
なんでかなーと思ってたんだけど、書かれてる内容は同じであっても、
自分が歳喰って変わってきていて、最初のときは素直に読んでたものを、
歳喰ってからは邪推しながら読む(あれこれ可能性に妄想を膨らませるw)
もんだから、書かれていないけど匂わされているいろいろな可能性を
堪能できるようになってくる。
懇切丁寧に書かれすぎたかゆいところに手が届く、或いは矛盾が完全に取り払われた
完璧な怪談だと、今度は逆に自分にとって想像の余地がほとんど残されてないから、
読み直す必要がなかったり、読み直しても感想が変わらなかったりする。
だから、ほとんどの場合読み直さない。なので記憶に残らない。
矛盾を感じたり、何度も口実を作って読み返したり、読み返すたびに感想や
手触りが変わっていく(書かれている内容が同じなのに)、再読に耐える怪談ほど、
何度も読むだけに記憶に一層残りやすいのかもしれない。
完成度の高い怪談とか、今回の後書きにあった「良い怪談」の話と、
可能性や矛盾に潔癖な読者と、そうしたものを鷹揚に楽しめる読者の差とか違いって
なんだろうと考えていたら、なんとなくそんなところに辿り着いた。
>>290 いや、だから、読めっつってんだろ
読み込むとかじゃなしに、思い込みを捨てて読めって言ってるんだよ
>>290 君の進歩のなさには本当にもう感動すら覚えるねw
本当にレスを読んでる? そこまで読み込めないものなの? 本当に驚きだよ。
目の前に書いてある事に気付かないの? あ、ひょっとして気付きたくないのか!
それじゃ一生判らないだろうね。
挙句に血の丸まで引き出した理由がまだわからないしw
もし年齢が高めでコレだったら一体どんな生き方をしてきたのかその方が興味が湧くよw
何だかあのスレみたいになってきた
まだネガティブキャンペーンを張っていたのか…
凄い妄執だな。
俺は君の方が一体どんな生き方をしてきたのか興味が湧くよ。
いや、冗談じゃなしに。
そういえば、こんなアメリカンジョークがあったっけ。
一台の車が高速道路を逆走しているというニュースを聞いた妻は夫に電話した。
妻「あなた、一台の車が高速道路を逆走してるってニュースで言ってたわ。気を付けて帰ってきてね。」
夫「逆走している車は一台じゃない!さっきから何十台も逆走しているぞ!」
君たちは本当にお利口さんだねぇw
ここの住人ってこんなものだったんですか?
なんか哀れを通り越して滑稽以外の何物でもないよw
一体今までどんな本を読んできたのか……
やっぱりコンビニに並んでるエロと実話怪談とかの雑文ばっかりなんだろうねw
>>297 ところで、創作文芸板にコピペしたの君?
自分ひとりで手に負えなくなったからといって
他のスレの人も巻き込むのはみっともないよ。
大人なら自分の尻は自分で拭こうね。
IDが出ない事を良いことに、あっちでなりすまし三昧やっちゃたんですか?
さすがにこのスレの住人はそういう点だけは頭が回る。
コンビニエロ本とコンビニ怪談愛読者の火事場の○○力には笑っ……、いや、恐れ入りますw
この単細胞、まだいたの?
どんどん必死になっているねえ
ほんの数時間前までヒントだとか嘯いていたのにさ
あ、オレの中ではもうこの件は終わったんでw
判った奴は判ったみたいだから、もう時間切れ。
ここまで待っても判らん奴はもう知らんわw
>>299 なんつーか、あまりにもお約束な反応でため息もでん・・・
ここのスレの住人があっちでなりすまし三昧やって何の得があるんだい?
君のロジカルな思考とやらで教えてくれよ。
なんかホント、哀れを通り越して滑稽以外の何物でもないよ・・・
で、なりすましでコピペしたのにむこうでもカマってもらえなかったのか?
たいへんだねぇw
どう、きみのちのうしすうにあわせてよみやすくかいてあげたよw
>>303 ああ・・・、ダメだコイツ・・・
ここまで愉快な人は俺の手には負えん。
スマンがかってにやっててくれ。
俺は諦めた。
終了宣言出してたのかw
バカだアホウだとレッテルを貼って終わりにしたいんだね。なるほどね。
あっちのスレから出張してきた人って、どうしてこうも簡単に論破されるんだろう。
わざわざ来てくれるのは楽しいけど、いつも食い足りないよ。
もうちょい頑張ってホスイ・・・(´・ω・`)
ホンネマン=割り箸かどうかはわからないけど、
割り箸とホンネマンの特徴に、共通する点はいくつか見受けられた。
仮に同一人物でなかったにせよ、「同種」「同族」であると思って問題なさそう。
興味深かったのは、割り箸が、「同一板内では、スレが違っても同一人物(同一IP)の
IDはスレにまたがって共通である」ということを、【知らなかった】か【気付かなかった】ということ。
このスレの住人と超怖スレの住人が「別」であるかのような認識を、超怖スレで示していたね。
IDが普通に出る板に出入りしている人間なら、常識と思ってたんだが。
このあたりから類推すると、割り箸とホンネマンが同一人物かどうかはともかくとしても、
割り箸は普段、「IDが出ない板に常駐している」か、「2ちゃんねるそのもののキャリアが浅い」かの
どちらかが考えられるかもしれない。
人を見下して憐れむような口調については、文芸板東スレによく似た住人がいた。
東スレとオカ板住人は、実はメンバー的にかなり重複してるんじゃないかと思うんだがw、
双方の対立を煽りたがっている輩が存在しているのは確かかも。それに判っていてのっかりたい住人、
気付かずに乗せられてる住人の双方が入り交じっているのがフクザツなところではあるんだけど、
仕掛け人か乗っかりたいか、うっかり乗せられているかのいずれかのタイプの住人の中に、
「オカルトを見下してやろう」というタイプの住人で、「相手を小馬鹿にする」というのがいた。
「俺は頭の悪い女には嫌われるタイプ」発言、「パイの奪い合いのパイって、牌だよな?」発言で、
東スレ住人からも苦笑されてたのがいたんだけど、おそらくその人が割り箸じゃないかなあ。とも疑ってる。
また、割り箸の前哨戦で、「大豆は他のスレでも嫌われている」「他のスレって?」で出してきたのが
東スレだけだった、というベタベタなのがいたけど、これがそのまま割り箸に転化したんじゃないかな?
都合の悪いことには一切応えないというスタイルも割り箸と振る舞いそっくりだったし。
2ちゃんねるに限らず匿名性の高い掲示板でのディスカッションでは、
名前ではなくて振る舞いと主張内容の一貫性で発言者の個体wを見つつ、
その一貫性のある主張内容の吟味だけが意味を持つと思うんだけど、
(割り箸、ホンネマン、珍説団などの名前は、一貫性があると疑われるw主張に対する、識別タグのようなもの)
ホンネマンや割り箸は、議論やディスカッションがしたいわけじゃなくて、
煽動と演説がしたかっただけなのかも。
聴衆がニュートラルな立場か、煽動者・演説者の言うことを鵜呑みにするほど純真だったなら、
煽動者は目的を果たせたと思う。疑心暗鬼を生み、煽動者の同調者が煽動者と一緒になって火付けに走るとかね。
でも、オカルト/実話怪談といういかがわしくて胡散臭くて後ろ指を指されがちwなものをわざわざ好んで愛好してる人間が、
本当にそれほど純真だと思ってんのか、とw
あ、でもでも、純真で騙されやすいからオカルトなどを愛好しているんだ、おまえらは騙されてるんだ、目を覚ますんだ、
という善意で行動していたのかもしれない、とも思う。
人間は悪意を自覚して行動すると、それを最後まで貫く(自分を信じて)のは難しいんだそうな。
自分も正しいと思っていないことを続けていくのは、自分を裏切り続けることになるから。
でも、「いや、自分は正しい。自分だけが正しい。自分以外は間違ってる」と信じることによって、
自分が孤立しても、同調者がいなくても、自分の信じた行動を貫くことが出来るようになる。
ジハードという奴だ。自分は正しくて神の意志の代行者だから、自分に刃向かうもの=神に刃向かうものであり、
そうしたものを粉砕しても自分はまったく傷つかないし間違っていない、というアレ。
むしろ、目が覚めない奴らが愚かなのだ、と相手を貶す、憐れむことで、自分の善意・正当さを補強するという。
歴史や宗教学なんかの授業で、あくまで「歴史的な経緯」として学ぶことはあっても、
そういう行動を実際に個人で起こす人間をリアルタイムに目の当たりにすることというのは、
ありそうでなかなかない。おもしろいものを見る機会に恵まれたと思う。
まだまだ読みこなせてない輩がこんなにいるのか?
一体君たちは文章をチャンと読めるのか?
「直腸内異物」は前半部分はまだ破綻していない。
話を膨らまそうと無理をした後半部分に破綻があるんだよ。
君たちは割り箸などと称してさも大した事はなさそうに言っているが
割り箸でも突くべき所を突けば充分殺傷能力がある事が判らないらしいね。
まともな人間であればあの破綻に気付き
「実話怪談、しかも素人が書いたものなんかこんなもの」
という評価を下して終わり。
ところで今日は割り箸現れないね。
さすがに休日は家族サービスでもしてるのかな。
よいことだ。
>>304-305 とりあえず割り箸もいなくなったことだし、この問題は終了ってことでおk?
思うに、こっちが荒れている間は東スレが荒れなかったらしいので、
割り箸がここを荒らしている分には、どちらの本スレも平和だってことだね。
願わくばもうちょっとこのスレにいてほしかったけどねえ。
またあっちのスレで怪コレマンセーをやって、
こっちのスレで大豆叩きとじぇいむ叩きとアズ叩きをするつもりなのかねえ。
そう終了。
気付かない奴の面倒まではみないと言っただろ?
しかし、割り箸でもいなけりゃいないで寂しいねえ。
もう一度くらい、「バカの面倒はみない」くらいのセリフも聞きたかったねえ。
ループには飽き飽きだから、同じ事しか言えないなら不要かも。
いなくなってくれて良かったんじゃないか。
さて。
実話怪談関連スレ的な考察として、怨霊、地縛霊について考えてみよう。
実話怪談を含めた怪談全般は、スーパーナチュラルな怪異を扱うわけなんだけど、
その中でも怨霊・地縛霊の類は実にポピュラーだ。
人の形を取っていたり(ときに取っていなかったり)、人語を発したりはするものの、決して物理的には存在しない、とか。
そのくせ、足がないのに足跡を残すwというのもいたりするわけだが。
で、こうした霊の存在はすべからく「霊感がある(当人の自覚の有無に関係なく)」という特殊能力者、
霊能者のナビゲートがあって、初めて霊感がない人間に見えるようになる。
なまじ霊感強い人というのは見えすぎちゃって余計なストレスをため込んでて気の毒、っていう話は、
怪コレに限らずいろいろな怪談本でしばしば聞く話だ。
霊感の有無に関係なく幽霊は人間に取り憑いてるんだろうけど、霊感があったりする、つまりは「霊と目が合う」
「うっかり霊と話し込んでしまう」ことで、呼んでもいないのに霊が付いてきたり、自分の部屋に居座るようになったりする。
これが憑依だったり地縛霊だったり。
そもそも見えなきゃよかったのにー、と思うことしきりらしいし。
そういう霊がなぜ憑依したり地縛霊になったりするのかというのを考えると、ふだん誰にも見えない、
誰からも相手にされないで孤独で寂しい思いをしているのに、
たまたま自分の存在に気付いている人間がいることに、幽霊の側が気付くと、
(たぶん嬉しくなって)付いてくる。自分の言い分を聞けだの、自分の恨みを聞けだの、そういう感じで。
で、霊感あって見える奴は迷惑だから「話があれば聞くけどどうにもしてやれないから出てってくれ」とか
幽霊と交渉しようとするんだけど、なにせ相手は幽霊だから、こっちの話なんか聞きゃしないw
自分の言い分を言うだけで、こっちが聞いてないと逆恨み。幽霊ってそんなもん。
逆恨みの挙げ句に、自分の境遇に他人を巻き込もうということに血道を上げて、
同じ場所で同じことを繰り返し続けるのが地縛霊。
もちろん、同じ事を繰り返したところで霊感ない人には見えないし、
霊感ある人だってコミュニケーションは取れないから、結局地縛霊の思いは募るばかりで、なんの解決にもならない。
地縛霊って悲しいね。
実話怪談好きとしてつくづく幸せだなと思うことがあって、それは自分が幽霊を見えない人だってこと。
見える人だったらどんなにかいろいろな話が、幽霊が、現物が、と思ったりもするんだけど、
実際に見える人だったら、怪談を楽しいとかおもしろいとかもっと聞きたいとか思ったりできないと思うんだよね。
趣味嗜好として怪談を楽しめるのは、霊感がない人間だけかもしれんね。
霊感ない=幽霊見えない=幽霊いない
……っていう連想で実話怪談を否定することもできるんだろうけど、実際は
霊感ない=幽霊(自分には)見えない≠幽霊存在しない
かもしれない。「自分に見えない」と「存在しない」の間には深くて広い川があるというか。
自分にとっての正義や常識が、世界の常識と必ず一致するっていうことはない、というのは、
社会人になって違う常識の社会や組織と交わるといくらでも出てきたりする。
地方から都会に出てきたりすると、これに地方性が加わるしな。自分の常識って結構疑うようになるつーか。
なんでおまえ納豆に砂糖入れるんだよ!みたいなw
自分にとっての非常識を常識としている人がいるとか、その逆とか、そういうギャップは戸惑ったりするけど、
ときにそれがおもしろかったりもするんだよね。そういうことの延長線上に実話怪談もあるかもしれない。
本来あり得ないことなんだけど、それは実際にあったらしい、じゃあどういう行間があればそれは存在しうるか?
という、虫食い問題を埋めさせられるようなおもしろさというのが実話怪談の魅力かもしれんなあ。
>>303 割り箸はひらがなの読み書き練習をしてるんだろう。
どうやら漢字の書き方を忘れたみたいだから。
ついでに会話の勉強をしたほうがいいとオモ。
ひらがなとカタカナの区別のつかないお前よりは賢いけどなw
実話怪談というのはミステリと同じ読者参加指向の強いエンタテインメントだ。
著者の書いたものを享受、咀嚼するだけでなく「疑う」且つ「信じる」という意識的な働きかけが
強く必要とされるように思う。
このスレでは非常に何度も言われてきていることと関係があるが
「もし〜だったら」という仮定してみる行為は「疑念が先にあって、そのような仮定を信じてみる」
ということに分解される。
ただ読むだけなら、他の文芸作品と差はないが楽しむためにはそのような能動が必要だろう。
ここで注意が必要なのは「疑うか信じるか」どちらかではなくて
疑うことと信じてみることの両方が求まれることだろう。
更にはその矛先を、著作物ではなく自分自身に向ける必要も出てくる。
卑近な例では
「幽霊はそんなものじゃない」(いわゆる霊能者が実話怪談を楽しめない理由)
「幽霊なんかいない」(いわゆる否定派が実話怪談を楽しめない理由)
この二つは極端な例だが、多くの人はこの二つの状態をさほど矛盾なく抱えている。
これは混沌とした状態だから、実話怪談を楽しむのは常に綱渡りだ。
自分自身の主義主張とは乖離させることで、これを安全に行って楽しむ人もいるだろう。
矛盾が起きるまでは、自分自身と実話怪談の両方を信じて楽しんでいる人もいるだろう。
だがこれは読み方として正しいとか間違っているという問題でなく単に段階の問題であるだろう。
要するに、「信じてみる」ことは単に「思い込む」ことと完全に区別されるべき、という話だ。
区別しなくても怪談を楽しめる段階はあるが、矛盾が生じたときの耐性を著しく欠く。
この二つは、人によっては違いが解らない。「疑問」を明確にしない人にとっては特にだ。
単にレトリックの問題に見えてしまうので、実生活ではともかく実話怪談を楽しむ上で
違いを明確にするために再度定義してみる。
思い込むこととは、最初から選ぶ可能性が一つしかなく
他の可能性を列挙できない状態のことと考える。受動的なものだ。
思い込むことやその弊害と実例については既に哲学的な考察がごまんとあるので特記すべきことはないだろう。
信じてみることは、いくつかある可能性から一つを採用してみることと考える。
上手くいけば「信じてみる」と書かず「信じる」と書くだけでこの意を明確にできるだろうが
日常で「信じる」と言った場合思い込みを多分に含んでいるので難しいだろう。
可能性をいくつも列挙する必要があるので、信じてみること(あるいは単に信じること)は
まず疑問ありきであると言える。
極端な二元論でしか物を考えない(考えられない)人っているよね。
実話怪談に関しても「総てを盲信する」か「総てを否定する」かどちらかだと思っている。
だから、傍から見るとトンチンカンなことを大真面目でやっちゃったりする。
まあ、実話怪談の楽しみ方を知らないわけで、可哀相ちゃ、可哀相な人なんだけど…
移動ね。
888 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2006/12/05(火) 08:35:26 ID:gFObTTmA0
流れぶった切って申し訳ないが、昨夜、看護士資格を持っているうちの嫁に
例の話を読んでもらったんだが、今更むしかえさないほうがよい?
894 名前:888[sage] 投稿日:2006/12/05(火) 10:20:23 ID:gFObTTmA0
医療関係者が読んだらつっこみたい点はいくつかあると思うが、
医療関係者が書いた訳じゃないだろうから、しょうがないだろうと言ってた。
面白かったとも言ってた。
移動
896 名前:本当にあった怖い名無し[] 投稿日:2006/12/05(火) 10:39:03 ID:2NdJMsuxO
それって、創作前提として答えてないか?
897 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2006/12/05(火) 10:41:25 ID:Zmu0ZoIT0
創作としても破綻してるってw
>創作としても破綻
だからどこがどう破綻しているのかを書いてくれないと万人に理解されないよと何度も長文書きの人に諭されてるわけだが
荒らしと言われると激昂するくせに、そのくせ系統立てた矛盾の解説はしない
そういうのって、傍から見てたら荒らしにしか見えないんだよね〜
>創作として破綻してる部分が実話的リアリティを生む場合もあるし、
>それを狙ったとしたらJM氏もなかなかてだれかもしれぬ。
創作に少しの事実を埋め込む、じゃなかったかな
例
20mの高さから落下しても平気な少年が「でも落ちる瞬間は首の後ろがヒヤリとするよね」
ちょっと高いところから飛び降りたことある元少年wなら誰でも同意するよね
でも20mはありえない
これが創作に共感を与える技法
創作として破綻したら意味ないと思うんだけど、どうだろう
>>324 一般的な事例として20mの高さから飛び降りたことがある人はあまり生きていないんだけど、
その一部始終が映像に残っている落下>生還の実例としてタイ人女性の例がある。
この女性は高さ40mの路上看板上から地上に落下(飛び降り)。奇跡的にかすり傷ひとつ追わなかった(事実)。
一般論で言ったらありえないけど、実際に生還した事例が例外としてでもひとつでも存在するとなると、
「絶対にあり得ない話」ではなくなってくる。
もちろん、例外をもって全てに当てはめるというのは考え方としては非常に危険なんだけど、
実話怪談っていうのは「本来あり得ないはずのこと」「しかし絶対に可能性皆無とは言えない偶然や希有な例外」
を拠り所に成り立っているところがあるので、「まずありえない。しかし絶対にないとは言えない。例えば」という
説明ができる事柄については、破綻とも創作とも言えなくなる。
立ち小便は軽犯罪法違反で法律的には禁止されており、一般常識で言うなら普通はまずしない。
しかし、人目のない繁華街の裏路地や深夜の住宅街で、茂みや電柱に向かってたれてる輩は、
違法ではあっても実在はしている。
法原理主義で言うと「あり得ないし、あってはならない」のは当然だが、「でもいるし、やってるし」という実情がある。
「あり得ないし、あってはならない。だからあるというのはおかしいし破綻している」というのが、割り箸の指摘だろうし、その根拠だろう。
でも、「あり得ないし、あってはならない。でも慣行として一般的に知られないだけで行われている」というのは、珍しくない。
警察の裏金作り、県知事の贈収賄と斡旋、似たようなもんだね。
326 :
888:2006/12/05(火) 11:27:07 ID:gFObTTmA0
すんません。レス遅れました。
>それって、創作前提として答えてないか?
創作とは言ってない。医療知識のない人間が取材とは言え、他人から話を聞く訳だから、
誤りがあってもしょうがないってこと。
とりあえず嫁が指摘してた部分を書くわ。
ちなみに俺は全然知識ないから嫁が言っていることが正しいのかわからんし、反論されても
答えられないが。
@既に指摘されていることだが、例え医師の立会いの下、指示の下であっても、看護士が
直腸内に手を入れるという医療行為を行うことは有り得ない。極端な例だが医師の立会いの下で看護士が
オペすることはないのと同じこと。
A麻酔の許可を電話で取ることは有り得ない。必ず書面を取り交わす。
B医師が一人しかいない診療所で腰椎麻酔をすることは有り得ない。
C医師会の他の医師の報告に基づいて医療関係者から当事者に連絡を取ることは有り得ない。
こんなところだろうか。
>>326 なるほどなるほど。
そのへんは本来のルールや改善された現在の慣行では当然の指摘だよな。
でも、「例外、または褒められる話じゃない慣行」で説明できる範囲のような気がする。
@は、山崎医師が「はみ出しもの」「変わり者」的な描写をされているところから、
「患者のために特例・越権的措置による救済を、法よりも優先するタイプ」だと思って納得してた。
看護婦も一瞬躊躇う描写があったから、その当時でも例外的措置だったんだろう、みたいな。
戦前戦後の混乱期には、看護婦が医師の医療行為に相当する(今だったら懲戒ものの)ことを
していた(簡単な手術とかも)という実例はあったらしい。(ネットにソースがない個人からの伝聞)
だから、
>>325の「本来あり得ないしあってはいけないこと。しかし実情としてないとはいえない」に入るかも。
最近の話じゃなくて、ずいぶん昔の話として書かれてるし。それでも戦後なのは間違いないけどw
Aについても、@と同様の解釈で解消できる希ガス。「現在の通常の対応」と「昔の例外的な対応」
として描かれたものを原理主義的に比肩するのもどんなもんだかと思うので。
B離島医療ではない話じゃないそうな。でも大学病院や近代の個人病院の常識ではまず滅多にない、と。
Cこれも、ここで起きていることが「怪異」という例外的事象によるという了解が当事者
(この場合は看護婦とか医師とかも含めて)にあることを考えると、本来はあってはいけないんだろうけど、
絶対的にそれがなされない、とは断言できない範疇だわなあ。
328 :
888:2006/12/05(火) 11:49:29 ID:gFObTTmA0
嫁も「今じゃまず有り得ないけど、3、40年前の個人診療所だったらわからんし、
この診療所自体が(現在のところ)違法医療行為を行っているのが前提だった場合は、
話としての破綻も糞もない」とは言ってた。あくまで現在の医療現場に携わるものの見解、ということね。
>>325 いや、俺の言いたいのは「創作部分が破綻していることでリアリティを増す場合があるのか」ってことで、飛び降り云々に関する手法はそれと別
そっち(飛び降り)に反論されても困る
そもそも「どこがどう破綻している」という例示がなかった以上、それより先に議論は進めなかったわけだが
888の人が降臨したおかげでメドは付いたかな
まあ>326からの流れには同意
杓子定規に医療行為を行ってれば「ない」事象だけど、寒村の診療所なんかでは「ありえないこと」ではないだろうな
割り箸の人は何十年も前の医療が現在とまったく変わらないと思い込んでるドリーマーって結論でいいのかな?
888氏d、ご苦労様でした。
うーん、なんか割り箸氏の態度はアレだけど、これなら興醒めしてもおかしくない気もするなぁ。
私も確かに「絶対ありえないこと」ではないとは思うけど、読んでいる「現在の人間」からしてみれば
矛盾・破綻していると解釈されても仕方が無いのかも。
上のほうで誰かが書いていたけど、「昔のことだし、現在ではありえないことだが」の一文があれば
済む話ですけどね。無いから問題になったわけで。
中立の立場から言わせてもらうと、そこまで擁護しなくてもいいと思いますよ。
「ゴルァ割り箸!この程度のことならとっとと言えや、2〜3レスで済む話だったじゃねぇか!」
でいいかと。
まぁ、この部分が本当に矛盾だとしても話として面白いことには変わりは無いんだしw
331 :
888:2006/12/05(火) 13:01:32 ID:gFObTTmA0
>>330 同意。怪異の内容としては少なくとも俺は初めて聞くものだったし、
「実話」怪談を一から十まで掘り下げて検証して、「これは実話じゃないw」
とかのたまうのは野暮でしょう。
そういう類の人は読まなきゃいいんだし。
「また出たよw割り箸第2段ww」とか非難されるかとも思いましたが、
とりあえず皆さんにご納得頂ければ幸い。
割り箸氏から「勝手に終わってんじゃねww俺が言いたいのはそんなことじゃねww
馬鹿がww」とか言われたらどうしよう。
>>329 反論てほどでもないんだけど、まあ、そのへんはスマソ。
>>330 そもそも直腸内異物の1ページ目に「昭和40年代」「偏屈な名物ドクター」っていう、
「現代とは違う」「少々の逸脱はあってもおかしくない」ってい示唆があるんだから、
「本来ならありえないことも、あっても不自然じゃない」っていう前振りになってると思ったんだけどね。
むしろ、その後に控えてる怪異のほうが、よっぽど「ありえない話」なんだしw
>>331 というか、割り箸がこれで沈黙したら「要点はそれかよ!」になるし、
まだ引っ張るようだったらポケットの中身を出せよ!になるんじゃないのw
でもたぶん奴はまだまだ引っ張るつもり満々な気がしないでもない。
まあ概ねみんなの言ってる通りだと思うが少々補足と突っ込みを入れたい
1について正確な結論を求めるには裁判を起こさねばならないだろう
何が医行為なのかという点は法的に明確ではないので判例に依るよりない
現在のように厳しくなっているのは比較的最近起きた看護士による医療過誤事件で
世間の目がうるさくなってきたなどの経緯もある
もし俺が医者だったら看護士にはやらせないように思うが
腕の太い細いなども判断に影響するだろうから、やはり何とも言えない
2についてはトラブルを避けるためには理解できるが
個人的経験で言えば局部麻酔ごときにそんなことをした覚えは一度もない
3について
腰椎麻酔というと危なげない響きであるが、技術的な難易度はかなり低い部類に入る
局部麻酔であるし、分娩時に使用されることもあるくらいなので
医師が一人しか居ない病院で使用されるのは有り得ないとは言えないと思うがどうか
4が一番「有り得ない度」が高いと思う
が、今でもプライバシーは常に優先されるべきというものでもないし
子供にプライバシーなどないと長く考えられてきた時代であることを考慮すれば
やはり有り得ないとまでは言い切れないと思う
プライバシー云々は無視するとしても普通は気を遣って「おたくの娘さん大変だったわねー聞いたわよー」などとは言うまい
結果として、電話をかけた小川さんは一言も喋ってないので
ちゃんと問題のありそうなことは避けて当たり障りのない励ましの電話をするつもりだった可能性は
決して低くはないように思うがどうか
なんだ。結構読み込めるじゃないか。感心、感心。
君たちも時間を掛ければ判るんだねw
もうひとつ、外科の医師だけが問題じゃないって事、わかる?
>>334 結局、割り箸が「創作だー(棒」と騒いだところは、「そうは言い切れない」という結論になってるんだが?
>>334 ていうか、君が鬼の首を取ったように騒いでいたのが、
まさかこの程度のことだとは誰も思わなかったんじゃないの、
という気もするんだが?
これで創作だとか、創作にしてもうんたらかんたらというのには無理がありすぎ。
この程度?
すごいな。そこまで判ってもそんな台詞を吐くのか?
本当に君たちの常識のなさには舌を巻くよw
とてもまともに話ができないと言う事が良く判った。
同じ様なレベルの人間同士で「すげぇ!」「こえぇ!」と言いあってなさい。
こちらはそれを見て笑わせてもらうからさw
>>337 いや、あまりにも執拗に「たいへんだー、たいへんだー」と囃してるから、
もっと弁解もなにもしようのない、致命的なことを指摘してるんだと思ってた。
何かもっとすごい隠し球的な致命的な指摘があるんじゃないの?
あれが致命的じゃないと思うんでしょ? なら何も言うことないってw
>>339 そうかッ!
割り箸はポケットの中でふたつに割ってあった、ということだな?
まだもう一本あるッ!
そう言いたいんだなッ!?
あれは致命的とは断言できないっていうのがここまでの流れなんだが、
それが致命的だというのなら、後は解釈の差に過ぎないと思うがなあ。
そうですね、あとは解釈と「物語を読む姿勢」の差かと…
「創作でも別にいいや」そして「実話怪談=本当の実話」と思ってない派の私としては、
「この程度」という表現は妥当かと思います。
医療関係に詳しくあろうとも思っていませんし、それじゃもっと専門的なことを出されたら
どうすんの?てなもんで、この世のすべてを知らないで騙されてバーカと言われるなら、
知らないままでバカで十分。
楽しく物語が読めればいいんです。
割り箸氏だって畑違いのことやもっと専門的な話出されたら困るでしょw
物語の真偽うんぬんについてはもうこのへんでいいのでは?
ただ、ここからが割り箸氏の目的である、筆者と編集者の責任ってやつで…
「実話」という表現をどう解釈するか、でまぁ言い方は悪いですが「詐欺」と感じる人も
出てくるわけですよね、割り箸氏みたいに。
(このスレで言われているように恐らくありえない事ではないので実証は不可)
「なんだよ、実話って書いてあるからワクテカして買ったのに…」
という読者の期待を裏切る、というのはどうか。
と、考えるとあながち割り箸氏を叩いてばかりもいられない、と思いますけどね。
342 :
本当にあった怖い名無し:2006/12/07(木) 20:52:46 ID:769phZtG0
保守
>>341 割り箸クラスの読者が納得できるようにと言うと、
霊の存在を客観的に実証できる「実話怪談」じゃないといけない。
そして霊の存在は実証不可能。
つまり、割り箸が納得できる「実話怪談」は存在しない。以上。
>>343 オレは今回、霊の存在に関して疑問を呈したつもりは全くないけどねw
突っ込みたいのは判るけど、キチンと人の意見を読んでくれよ。
まぁ、君はそういう答えに導くしかない人なんだろうけどね。
>>344 本人かどうかの判断もつかないのでただの煽りレスにしか見えない罠。
もし本人なら鳥つけたほうがいいかも知れませんね。
私は元来霊感ゼロのため、まったくと言っていいほど心霊現象に出逢ったことがありません。
そんな私にして見たらどの話も真偽の程はわからない曖昧なもの。
創作だろうが実話と冠ついてようが同じなんですよね。
怖い話の王道の「友達の友達の話し」だって、否定はしませんけど信じてもいない。
私を含めほとんどの読者のスタンスはこの辺りなんじゃないでしょうか。
この問題に限らずオカ版全体に見られる発言ですけど、何故、創作というだけでそこまで嫌う
のか、いまいち理解に苦しみます。
「ね−ねーこれは作り話なんだけど……」
で始まっても怖くて面白い話なんていくらでもあるんじゃないですか?
「実話○○」「本当にあった○○」と名前の付いた本や雑誌、だとしても100%信じることもないし、
アラを見つけたからといって怒るほどのことのことでもないかと。
割り箸氏も煽りばかりしていないで、編者を責めたいのならそれなりにきちんと筋道を立てて
発言するべきだと思いますけど。
そうじゃないと……
ちなみに私の意見は「別にいいじゃん。」ですよ。
思うに割り箸は最初からアラを捜していただけなんじゃないの?
実話怪談て「あり得る可能性」と「あり得ない可能性」の割合が危ういところに存在してるよね。
あり得る可能性が99%でも、1%のあり得ない可能性があれば否定できるって人と、
あり得ない可能性が99%でも、1%のあり得る可能性があったら否定できないって人では、
その話に対する信頼度っていうのは違ってきて当然だと思うんだよ。
割り箸は1%のあり得ない可能性があったから否定したい人。
擁護論を連発してる漏れなんかは1%でもあり得る可能性があるなら否定「できない」人。
それこそ実話怪談の楽しみ方の違いだと思う。
だいたい、割り箸の論法で言うなら、霊(怪異)の部分こそ否定すべきだろ。本来。
だってあり得ないだろ。入らないところから入れることは。そこを否定しないのが不自然だ。
>>345 作り話の怪談が嫌いってことはないんだけど、「これは作り話なんだけど」って言われたら、
おもしろいかもしれないけど、引き込まれないよ。楽しみ方が根本的に違うもん。
前にも出てきたじゃん?
a)100%検証できる実話
b)99%まで検証できる実話だが、1%の創作がある
c)検証できる部分は半分程度で、実話である検証が不可能
d)99%まで意図した創作だが、1%の検証できる実話がある ↓ここから下には著者の作為がある
e)100%意図した完全な創作
で、この中で(a)でなければ実話怪談とは言えない、みたいなことを言うほどケツの穴は小さいと思ってない。
むしろ、bとdのどこに実話と創作の境界線を引くかっていうのが、実話怪談の醍醐味だとも思っている。
このときに、「ねーねーこれは作り話なんだけど」っていうのは、eかeよりのd。
割り箸はbであってもaじゃないから「こんなのは創作だ」と譲らない。
オカ板が「作為的な創作」に拒否反応を示すのは、作為を持った著者の中に「馬鹿を騙してやろう」
という意識が感じ取れるから、かもしれない。馬鹿にされてる、というのがありありとわかる。
確かにオカルトって本当かどうかわからないものに「のせられて楽しむ」ものであるとは思うんだけど、
「創作でした」って判ったときのバッシングのひどさがどんなもんかは、オカ板全般を見てるならわかるだろ?
創作でもおもしろけりゃいい=怖い文章を読みたいってことであって、「恐がりたい」「信じたい」
というのを満たすものじゃないと思う。創作は。
割り箸のようなアンバランスに潔癖なのもどうかとは思うがね。
今、ハッと気付いたことがあるんだけど。
創作怪談、ではなくてホラーて、ミステリーから派生したもの、みたいな感じで読んでる人が多いの?
ミステリーはロジックの破綻=物語の破綻だから、ロジックの整合性を最優先する読み方になるのはわかる。
そのミステリー作家が夏場の小遣い稼ぎで書くホラーも、犯人が生きてるか死んでるかの違いを除けば、
概ねミステリーのロジックで書かれてるから、整合性が重視されるというのも理解できる。
創作怪談小説(創作怪談は「小説」)はホラーとは違うっていう主張がよく出てくるようなんだけど、
今回の割り箸の主張の骨子部分には、「整合性がないから創作としても破綻、実話としても認められない」
という言い回しがあって、これはミステリーを読む系の読者のモノサシで見てるな、と今思い当たった。
実話怪談は必ずしも小説ではなく、創作怪談は必ず小説、という作者の作為の差から考えると、
小説であったなら整合性は確かに重要かもしれないけど、小説ではないものについてはどうか。
「小説ではないからこそ整合性が重要」という見方がされてるんだろうか?
>>345氏は「裏が取れないなら創作でも実話でも同じ」(この主張は東スレ及び怪談之怪の主張)
という考えのようだけど、もしそう思うなら結局、実話怪談についても小説として読んでるということか?
おお、鋭いなぁ、言われて見れば確かに割り箸氏はミステリー的なアラ探ししてますよね。
>実話怪談についても小説として読んでるということか?
極端に言ってしまえばそうなりますね。でも頭ごなしに否定はしない。
実話怪談といっても、d)でOKだと思っています。
確かに「怖がりたい」「信じたい」という読者にしてみたら実話怪談が実は創作でした、
なんて言われたら裏切られた気持ちになるんだろうなぁ…
私はよくある釣りスレでも「全力で釣られる派」なので、最後に「釣りでした」と言われても
「お疲れ様でした、楽しかったよ。」で終われます。
んー、最初から読むスタンスが違うのかなぁ、疑ってるわけじゃないけど信じてない、とか。
実話怪談や○○実話を読むときでも、信じるために読んでない、というか、
ホラー映画を見ているときのような楽しみ方をしているような気がします。
例えば凄く古い伝承とか、江戸時代に出たといわれる妖怪の話しなんか、いまさら検証できないし
でも、創作と断定できないから「むかしむかし、あるところに」だって実話の一種。
でも楽しめる。
なんかgdgdな文になってしまいました、すみません。
創作も実話も好きなんです^^ ただの「怖い文章を読みたい」な読者なんですね。
読み直してみたらホント支離滅裂な文章だな、俺orz
実話怪談を「創作」「小説」「作り話」「信じてない」などと言っている訳ではないです。決して。
そうですね、天気予報を見ているようなもので、当たると思っているけど、100%アテにはしていない。
というくらいの信じ方ですね。
実話(および他人の体験談)を聞く時のスタンスって、その辺りにあるのでは、と思っていましたけど、
みなさん違うのでしょうか?
まぁ、話している側の
「ホントなんだってば、信じてくれよ!なんで信じないんだよ!」
という気持ちもわかりますけど。
で、割り箸氏はちゃんと意見を纏めて述べてくれるのだろうか…
>>350 割り箸にそんなこと求めちゃダメw
実体験をした人が目の前にいた経験ってある?
実体験した人たちは、なかなか話したがらなかったりするんだよ。
そういう話したがらない話ほど凄かったりするんだけど。
自慢げにされる話はたいがい金縛りくらいだったりするんだけどなw
で、そういう凄い話=俄には信じがたい話を当人がしぶしぶ語り始めると、
逆にその「ホントなんだってば、信じてくれよ!」的な必死さがにじみ出してくる。
実話怪談て、そういう体験者の必死さとどれくらい真面目(または本気)に向き合うかを
求められるものかもしれない。不真面目に向き合うと二度と話してもらえない。
「信じない奴にはもう話さない!」って言われて終わり。
だから、体験談を話す人の話を真剣に聞くのと同じように、
実話怪談を読むときも「その話おもしろいね」じゃなくて、「ふんふん、それで?おお、凄いね!」
と、信じられる部分を捜すようにしながら読むようにしてるなあ。
あら探しをしながら聞く、読むのと逆の読み方だね。
それが、「体験者がいる話」に対する礼儀じゃないかな?
創作怪談小説は、その礼儀を尽くす相手が体験者じゃなくて話を考えた著者になるわけで、
著者の向こうに体験者がいるという前提の話とは、そのへんの受け取り方が違う気がする。
あのな、割り箸は創作だと疑ったから笑いものになったのか?
違うよな?
割り箸は、この作品を読んで創作じゃないかと疑った。ここまではよい。
割り箸はそうじゃない。
「あからさまな創作」だと断じて、著者と編集者を非難し、
挙句の果てにこんな子供だまし読んで喜んでる君たちはおめでたいよと
独善的に読者をコケにしたわけだ。
この作品に疑問点はいくつかあるものの、そんな悪意に満ちた行動を擁護するに足るような
大した問題点は見つからなかったわけだ。
以上。
>>352 実話怪談は必ず信じる読者ばかりじゃないだろうから、
「自分には創作と思えた」「自分には疑わしかった」と、
【自分の主観】に留まる範囲では何を思おうと勝手。
そのへんまではよし。
割り箸は「自分の主観=世界の絶対定理」にまで押し上げて、
自分の主観と異なる解釈をする他人の存在を、
自分の正義を絶対規準としてバカにした。
自分が気付いた(自分はそう思った、信じた)ことを、
そう思わなかった他人を貶めることで正当化しようとした。
結局は、「自分が絶対に正しい」ことを他人に認めさせたいだけの人
だったんじゃないべか。自分に従わない人はみんなバカ、とかそういう。
バカとか言ったのは悲しい事にこのスレの住人の方が先なんだよ。
割り箸とかいう表現も最初から対等に話をしようとしていない証拠。
>>354 割り箸君が登場したところからの過去ログを読め。
きっと君の「証拠」という言葉が空しくなるぞ。
>>354 「問題がある」と言いながら、問題点を明確に指摘しないで、
問題点から導きだされる結論ばかりを強調することをしてたのは誰だったかな?
「ポケットの中のものが明らかになると大変なことになる」と脅しながら、
ポケットの中のものを明かさないという態度を取ったのは割り箸が先。
そして、そういう行為のことを「割り箸強盗」と言い(2002年に実際にあった)
当人がコテなりトリなりを付けない以上、識別のためには仕方がないのでは?
なんで、相手の口から自分の指摘を言わせたいわけ?
自分で言えばいいじゃない。
>>355 このスレでは
>>138あたりからかな?
超怖スレでは、600〜650あたりで、「大豆は他のスレでも嫌われている!」と
連呼してた奴がいて、そいつに「ソースは?」と聞いたら東スレのみwを出してきた。
「他は?」には応えずに遁走。
「大豆を叩いてるのは、東スレの連中じゃね?」という指摘が出て、
「大豆の話はもういいから怪コレの感想やろうぜ」という話が出始めた直後、
「怪コレは失敗!直腸内異物は創作!」という話が出た。
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1162822973/670- ここからね。
>「露骨な創作怪談を書き上げた」「ラストにそれを据える加藤も加藤」←ここ注目
超怖スレの住人は、アズの人のことを「加藤」と呼び捨てにすることはほとんどない。
アズの人、アズ、アズキ、加藤氏、など。例外はホンネマンほぼ一人。
他に、彼の人を「加藤」と呼び捨てにするのは、東スレの住人w
さーて、割り箸はどこの住人かな?
ただ、これを書くと「東スレと超怖スレを戦わせようとしている」というW粘着の陰謀に
そのまま乗せられることにもなりかねないので、「=東スレの住人の謀略」という結論に
落とし込むのは、一応保留しておきたい。向こうは向こうでいろいろ大変みたいだしね。
ただ、割り箸=W粘着、または割り箸=直前の話題として東スレを引き合いに出して
大豆を叩いてた奴と同一人物っていうのは、ほぼ的中かなって気がする。
君たちの推理は本当に笑えて良いよw
本当に頭が良いなぁw
ナンセンス小説書いたら良い、うん。とっても笑えるw
>>359 種明かしがされない限り、
そしてその明かされたタネが実証されない限りは、
最も、【もっともらしい説】が信を得るんだよねー。
種を明かさずに振る舞い続けても、
これ以上はオーディエンスが納得できないと思うよ?
もっともらしい説に負けたんだよ。君は。
別に負けたとも思ってないから全く悔しくない。
わからない人たちに理解してもらわなくても結構。
オレがヒントを出してからどれだけかかってると思ってるの?
気付いた奴がいれば十分。
答えが与えられるのを待つのではなく、自分で見つける癖を身につけて欲しいね。
>>361 いやだから、それがどんだけ問題なの?
おまえ、ヒントなんかひとつも出してないじゃん。
火事だぁ!
と119番への電話口で大騒ぎするだけで、
火元について何も言わない慌て者と同じだよ。
「どこが火事?」
と何度聞いても、「火事だと言うことがわからないとはバカじゃねえの?」
と、消防隊に御託並べてただけだろう。おまえがやってたことは。
結局、消防隊はそれらしいものを見て回ったものの、
線香花火がちょっと見つかったくらいで、火事でも何でもなかった。
なのにお前はまだ「火事に気付かない消防隊はバカ」と言い続けてるだけなんだよ。
>>361 まあ、自分で負けたとは思いたくないだろうし、思えないよなw
「負けを認めなければ、負けたことにはならない」
って、学生運動の教本にあるらしいが。
>>361 確かにキミのおかげで、作品の問題点に気付いたよ。
で?っていうwwwwwwwww
ほんとうにおまえたちってとことんおめでたいのな。
…… …… ……。
ハッ! ごめん、寝ちゃってた。ポケットから割り箸は出た? え、まだ? あ、そう、割り箸が出たら起こして……。(眠)
結局、割り箸ってじぇいむの宣伝係長
いくら言ってもわからない君たちのせいで結果的にそうなってしまったよw
なんだか同情するよwwwwwwww(笑)
370 :
本当にあった怖い名無し :2006/12/09(土) 09:21:49 ID:FJSpydHt0
「幽」と「不思議ナックルズvol.9」を買ってきたよ。
これから読みます。
雨の土曜日にはぴったり。
今回の幽は小野の怪談が面白かったよ。
「割り箸劇場」〜その1〜
割り箸(以後、W)と友人(以後、Y)が連れ立って歩いている。二人は映画を見てきた帰り。
Y「いや〜、なかなか面白かったな」
W「あの映画は論理的に破綻している。映画として大失敗」
Y「えっ、そんな部分あったか? どこだよ」
W「君、本当に観たの? そこまで気付かないものなの? 本当に驚きだよ」
Y「…分からないから聞いてんだろ」
W「自分で考えろ。それすら気付かないバカに教えてやる義理はない」
Y「なんだよ、その言い方!」
W「必死だね。じゃあヒントをやるから一生懸命考えろ。ヒントはね…」
Y「ふざけんな! 何様のつもりだよ! お前みたいな奴とは付き合ってらんねえよ!」
走り去る友人。何故、友人が怒り出したか分からず、呆然と立ち尽くす割り箸。
舞台暗転。幕。
「割り箸劇場」〜その2〜
割り箸と彼女(以後、K)が携帯電話で話をしている。話題は自然とクリスマスへ。
K「もうすぐクリスマスね。二人でお祝いしましょうよ」
W「クリスマスはキリスト教の行事。日本人には関係ない」
K「それはそうだけど…。普通、カップルで過ごすじゃない」
W「ミエミエの商業主義に乗せられているだけ。君のおりこうさん振りは笑えるよ」
K「そんな言い方しなくても…。クリスマスなんだから、ロマンティックに過ごしたいよ」
W「乗せられているのにロマンティック? 乗せられている事に気付かないの? あ、ひょっとして気付きたくないのか!」
K「……」
W「それならそれでいいんじゃない? 誰もそれを責めはしない。 もちろん俺も責めはしない。楽しく騙され続けなさい」
K「…もう限界。さようなら」(通話切れる)
W「えっ? おい。おーい!」
通話は既に切れている。何故こんな事になったのか分からぬまま、呆然と携帯の画面を見つめる割り箸。
舞台暗転。幕。
年末で色々忙しくて、息抜きのためにやった。メチャクチャにしてやろうと思った。今は反省している。
俺も息抜きにやってやろうと思ってたのに先越されたwwww
知り合いのAはBでCだった。
「ござが動くんだよ」
それ以来、AはBに会わないという。
はい、文芸いっちょあがり。
AさんはBでCだった。
「ウワー」
調べてみると、そこで昔、事故死した女がいたという。
はい、二見系怪談いっちょあがり。ww
AさんはBでCだった。
「CはDだったんだよ!」
「な、なんだtt(ry
超怖系怪談は、一概にパターン化しにくい。
目立つステロタイプは確かにあるんだけど、
全部がそれじゃないし。
>>379 この間から思っていたんだけど、もしかして作者?出版関係の人?
妙に釣りや煽りに反応するんだけど(´・ω・`)
なぜ「投稿」なのかw
>>379って前スレの ID:dgwO6Gi00だよな。自称プロ作家の。
まあまあ、よく来てくださいましたつ旦~お茶でもドゾー
どうか憐れな私どもにプロ作家様のご意見を聞かせてくださいまし。
>>381 実話怪談は作家性(文芸性)よりネタの善し悪しが重要。
ネタがよかったらよかったで作家が自分の手柄(文章の優劣)を主張できない。
作家であろうとすることを求める人には肯定しにくい分野だわな。
>>384 でも、同じ脚本でも監督が変わればまったく違う映画になるように、
同じネタでも書く人によってまったく違う話になりますよね。
作家さんはそこが腕の見せ所だと思うのですが……
並べて読まないからあまり関係ないですかね。
怪談の作家さんってそういう意味で(ネタの良し悪しばかり評価されるという意味)
あまり認めてもらえなかったりするんでしょうか。
現場を知らないので、詳しい方いましたら教えていただけると幸いです。
もしそうだとしたら、ちょっと可哀想ですね。
>>385 オカルト否定派の人が読んだ場合は
ネタの良し悪しは関係なく評価されると思われ。
たとえば兇極とかならw
出版社の人たちもオカルト否定派と
肯定派によって評価が違うと思うぞ。
>>385 読者が何を求めるかでも違うんじゃないかとは思うよ。
もし読者が、ネタの善し悪しよりも「その作者の文章で恐がりたい」
と思っているんだとしたら、
>>384の評価は変わるだろう。
つまり、実話でも創作でも検証できないんだからどっちも同じ怪談、
という受け取り方をする場合とか。
ネタがよくても料理の仕方がだめで、話を台無しにしているっていうのはよくあることだろう。
ネタ=体験談はあくまで素材で、それをうまく怪談=料理にしあげる調理人の腕前というのも評価されるだろう。
でも、調理人の腕前だけが凄くても、ネタが偽物だと評価されないのが実話怪談。
ネタが偽物かどうかどうやって検証するのか、というツッコミはとりあえず置くとしても。
作家=調理人が、素材を尊重するかどうか。
「素材はプラスティックだけど、うまい飯を作ってみせるぜ!」
っていう調理人が作った料理を食いたいとは思わない。
怪コレやてのひらの作品について、このスレの住人の感想が聞きたい。
どの話が駄目で、どれが面白かった?
>>388 やめれ!
下手すると作品そのものよりも長ったらしい(しかも中身のない)解説になるぞ。
>>389 別にそれでもいいぞ、色んな人の意見や感想を読んでみたい。
もともと、ここは実録や創作怪談の意見をやりとりするスレ。
感想を交わしても何ら問題はない筈。
>>389 長文に中身がないかどうか決めるのは、おまえ一人じゃなくて読んだ人間それぞれ。
あっちのスレだと文章が5行以上あると、内容に関わらずエロかオナヌーのやり方にしか読めない奴が居るようだがw
>>390 話題を振るときは、まず自分が手本を見せないとな。
怪コレはvol.1は凄い衝撃だった。
ネットと読んでたから、つまんないかと思ったけど
本で読むとどの話も印象がまた違って驚いた。
vol.2は小粒な作品が揃ったといった感じで、vol.3は書下ろしも入れてvol.1よりも
個人的には面白いと感じた。
PONKENの作品が好きだ。
てのひら怪談は幽は幻想的な話だと思った。
ポプラビーチはイメージが頭の中で繋がらず、もっとシンプルな話にしてくれと
おもた。
ポプラビーチの感想から。
正直な話、「巧いな」とは思うんだけど、「怖いな」に結びつかなかった。
なんでだろ、と思ったんだけど、やはりどこかに逃げ場がある感じがして、
自分を安全圏に置いてしまえるところが、怖いに結びつきにくいのかもしれない。
巧いことは巧いと思うんだけど、感心はするけど恐怖しない、といったらわかってもらえるか。
これはポプラビーチ関連の他に、bk1でも思ったこと。
てのひら怪談が紙になったらまた印象は違うのかもしれないけど、
やっぱり「巧いなあ」とは感心すると思う。でも「怖いなあ」といかない。
超-1が怪コレになって、つまりネットから紙に移ってみたら、ずいぶん印象が変わったというのは禿げ同。
ネット版がすでに公開されてないので、元のものとの比較はできないんだけど、
同じ話、同じオチなんだけど、細部の言い回しが微妙に整理されてるな、とか。
横で読む縦で読むの差というのもあるのかもしれない。
で、実話怪談として読むというより、「超怖をみんなで書いたらこうなった」的なものとして理解した。
実話怪談じゃなくて超怖い話が書かれてたんだな、という感じ。実話怪談と超怖い話は別物というかw
怪コレ収録作はどれも体験談を超怖い話にしようと試みて成功してるものだけが残ったと思う。
超怖を越えられてないという批判が楽志のブログにあったけど、怪コレに書いてるランカーは
超怖に「なろうとした」のだと思うし、その試みはうまくいったんじゃないか。
bk1>ポプラビーチの人たちは、怪コレのような「超怖になろうとする」のような明確な目標が
はっきり決まってない分、作者は自分らしさを出すことを要求されるんだろな、と思う。
でも、自分らしさが必ずよいと評価されるわけじゃなくて、最大限うまく表現できた自分らしさが
「でもそれ好みじゃないし」と言われてしまうと、努力が全部引っ繰り返ってしまうわけで、
そのへん難しいなと思ってる。
幽のてのひら怪談はどうですか?
396 :
本当にあった怖い名無し:2006/12/17(日) 10:37:57 ID:eGdgc8MH0
ずいぶん下がってきたなあ。
あっちのスレにホンネマン降臨らしいということで、たいへんお気の毒age。
>>395 幽のてのひら怪談は、東ブログで更新の予告が出ると見にいってるんだけど、
東ブログで内容が先読みできるのはどうかと思う。
怪談はノーヒントで読ませてほしいから。
>>397 ありゃ怪談じゃないから。
ブンゲイだから。
ゲイジュツだからヒントがあろうがなかろうが美しいんだよ。
さすがにゲイジュツ家様の考えることは一味違うね。
>>397 うーむ。
「怪談は何故面白い(怖い)のか?」と考えてないからじゃないか。
先読みできるヒントを提示するというのは、
・手品のタネを最初に公開してから、やってみせる→興奮度が下がる
・本格推理小説の犯人を最初に提示してから、読ませる→読む気なくす
・RPGやアドベンチャーゲームなどのネタバレをしてからゲームをさせる→進める気がなくなる
・パズルの解を教えてから解かせる→「ああ!」というアハ体験wがなくなる
これとまったく同じなんだよなー、怪談の先読みヒントってのは。
>>398 「何度見ても面白い映画」とか「何度読んでも面白い本」があるのも
わかるんだが、怪談の本質を考えるとねぇ。
怖かった!不思議だった!面白かった!の為にはネタばらしは必要ないもんね。怪談。
仮に文芸だとしても、やらない方がいいことだよな。
しかしそれがすでに判断できなくなってることに注意。
ヒント:頭の中の消しゴム
401 :
本当にあった怖い名無し:2006/12/19(火) 23:50:27 ID:VX2KTqAH0
相変わらずお利口さんなこってw
>>401 場末のスレにようこそようこそ。
まずは茶でもひとつ。
つ 旦
404 :
本当にあった怖い名無し:2006/12/22(金) 15:18:44 ID:RkYh9M2C0
hosyu
このスレが使われないのは、隔離部屋+座敷牢として機能している証し。
よきかなよきかな。
というわけで保守。
でも、勢いはせめて2くらいは維持しておきたいかなw
めりーくりすます!で保守。
メリー保守!
ホシュ
真っ赤な保守
411 :
本当にあった怖い名無し:2006/12/27(水) 01:02:00 ID:UMGOb/XS0
だめだこりゃ
ここは存在することに意味があるんだよん。
ダメなんて言うなよん。
存在の耐えられない軽さ保守
保守
捕手
☆
保守保守言うだけではつまらんので、年末らしくそしてこのスレらしいことを書いて今年の〆に。
文芸を重視する人間に限って、物事を説明して同意を得る能力は低い。
文芸がオナヌーであることの証しである。
まあオナヌーはどんなもんでもやろうと思えばできるんだけどね
年のはじめにふさわしい話
文芸を重視するのは勝手だが、
怪談は文芸であると妄想チックに言挙げすることで怪談の領域を狭めつつ、
自分の狭い能力の手の届く範囲に怪談を限定しようとし、
結果的に怪談にとって不利益な状況を引き起こす(その自覚なしにw)行為は、
いいかげんにやめろよノビ太君、一貫して精神年齢ガキだぞ三角屋敷の件にしろ、
と、どらえもんが言っていたのを俺は聞いた。
年の初めの保守
てのひらの詳細が出てきたので、なんとなく検討してみる。
総ページ数240頁前後、1260円。
恐らく初版部数は8000〜10000部程度。単行本としては若干多め。
初版完売率6〜7割を目指すとして、5000〜7000部が営業目標。
ペイラインは4000部ってところ?
発売から一ヵ月以内に重刷が掛かるようであれば、続刊は無条件確定。
怪コレは流出情報が正しいとすれば20000部前後、600円。
てのひらの倍の部数、半分の頒布単価と単純化していいのかどうか。
単価が安い分、市場を大きくしないと追いつかない。
423 :
本当にあった怖い名無し:2007/01/07(日) 13:12:02 ID:AKoZMTr50
保守
>>421 A)半分の値段なら買う読者が二倍いる=市場はあるが価格に厳しい読者が占めている
B)倍の値段でも買う読者がいる=市場は小さいが購買力のある読者が占めている
ちょっとしか部数が出ない本であっても、「高くても買う読者目当て」であればペイできる。
が、ペイはしても市場拡大には結びつかない。商業的にはローリスク・ローリターンな(B)
部数を出せても、「安ければ買う読者」が多いため、より多人数の読者の財布を開かせなければならない(A)
市場は(B)より大きいが、市場から得られる利益は薄い。
一人の読者にたくさん金を出させるようにし向ける(B)のと、
出させる金は少しだが、大勢の読者の購買意欲を刺激しなければならない(A)、
どちらのほうが「市場拡大」に寄与するか?
というのが、てのひら(A)と怪コレ(B)の相違点。
てのひら(A)は、高価であるが故に「十分な価値がなければ、コスト・パフォーマンスに読者の賛意を得られない」
から、「品質の拡充を最重要点」とし、質さえ良ければ読者は付いてくる、という考えに至る。
怪コレ(B)は、廉価であるが故に「多数の読者(市場規模の拡充)の購読が必須」となり、
「価格低廉化と市場拡大」が優先課題になる。
いずれも品質向上は当然なのだが、市場拡大をしなければならない危機感は、
(A)より(B)のほうが深刻。(A)は(B)より「説得しなければならない読者の人数」が少ない分、安定しているが、
読者離れが進んだ場合に、(A)の瓦解は(B)より深刻。
文芸の衰退(商業性の低下)は、こういうところから起こったのかも、と類推。
>>424 (A)は、「現状維持」のためには品質維持と向上を最優先しなければならず、
品質低下は即読者の消滅=ジャンル消失に繋がる危機感を、(B)より強く感じているのかもしれない。
もちろん(B)にしたって、品質維持・向上は必須だが、
母数となる読者数(=市場規模)が小さい(A)は、読者離れが即ジャンル消失に直結し、
母数となる読者数(=市場規模)が大きい(B)は、品質のばらつき、傾向のゆらぎを選択肢として吸収するゆとりがある。
(A)は純粋主義・純血主義を貫いて品質維持、読者の囲い込みと固定化・絶対化を進めなければならない宿命があり、
(B)は多核的であるが故に、絶えず離れていく読者がいることを織り込んで、絶えず新規読者の補充を続けなければ
ならないという宿命があるのではないか。
その意味で、創作怪談と実話怪談は、サバイバルの方法が異なるジャンルなんだろうな、と思う。
「単価」「読者規模(発行部数)」「販路」の違いがある以上、「どちらも同じ怪談」ではないことだけは明らかなんだが。
>>424-425 素朴な疑問だけど。
(A)と(B)を比較すると、(A)はまずくないか?
少なくとも怪談というジャンルを一般に知らしめることにはならないし。
イコール「怪談というジャンルを消費する層」の拡大にはなってない。
(「Aの本によって、新たな読者を開拓する」という反論もあるかもしれないが
少なくとも(A)で示された内容から推察するに、それは希望でしかない)
コアなファンやマニアを相手にすることは商業的に縮小傾向への第一歩だと思う。
拡大がしたければ「興味を持たない層」に対してのアピールが必要。
だけど、そのアピールも難しい。
スペックや機能を前面に押し出して宣伝するのは古いし、
どちらかというと興味を持った層が目を留めるくらいだろう。
全く(ここ重要)興味を持っていない人に対して、どうアピールするか?
どうやって引き込んでいくか?
この辺りが課題じゃないかな。
>>426 (A)と(B)の違いっていうのは、蒸溜と醸造の違いじゃないかとも思ってるんだよね。
蒸溜というのは、例えば焼酎やブランデー。何度も煮詰めて(この表現は正しくはないがw)、
アルコール濃度を上げたのが蒸溜。品質を極めるものでマニアは大喜び。
醸造というのは、日本酒やワインやビール。アルコール濃度はそんなに高くないが、
蒸溜したものよりは安く流通量も多い。
醸造酒と蒸留酒はそれぞれ魅力が違うものだから単純には比較できないし、
蒸留酒のほうが醸造酒より上だとか、その逆とも思わないけど、
蒸溜することでアルコール度数が高まるけど、醸造酒ほどには量産がきかない蒸留酒は(A)、
アルコール度数は蒸留酒ほどじゃないけど日常的に飲まれやすい醸造酒は(B)。
この例えだと「今は焼酎ブームだから、いいものを作れば人は集まってくる」という反論が来そうなんだがw
普通は酒を飲めないか飲まない人間は「度数も値段も高く、あまり作られていない限定品の蒸留酒」を
最初から買い求めようとはしない。まずは弱い酒や手に入りやすい醸造酒から入るんじゃないかと思う。
そして、馴れていくうちに、「もっと美味しい醸造酒」を捜してワインマニアや日本酒党になるか、
「よりアルコール濃度の高い蒸留酒」にシフトして、焼酎やブランデーを煽るようになる。
下戸は最初からブランデーや焼酎は飲まない。
そう言う意味で、美味しい酒、アルコール濃度の高い、品質のいい酒を限定生産で造れば、
レアものとしての価値が出てコアなファンはどんなに高くても買う、という(A)の発想も理解はできる。
でも、マニアに買い支えさせる戦略では飲酒人口そのものは大きくはならなない。
醸造酒というアルコール濃度の低い日常酒だって、杜氏やマイスター次第では美味しくもなる。
値段の高いワインや、毎日買えるビールも同時に存在していい。
>>427 「ヴィンテージワインは毎日飲まない」もんな。
日常の飲み物(食事をするときとか)としてワインを飲む人たちからすればw
こう考えてみてもいいかも。
日常飲むための安いワイン=実話怪談
ヴィンテージワイン=怪談文芸
ワインを飲む人たち=読者
日常は安いワイン(といっても、質は悪くないよな。若いドイツワインとか)を
愛飲。そして、ちゃんとヴィンテージもヴィンテージで楽しむ人が大半だと思うし。
逆に「ヴィンテージワインだけしかワインと認めない」なんてのは流石にw
だいたいワイン消費量の大半は日常飲みのワインじゃないかと。
>>428 その例えのほうがわかりやすかったかも。
おまえ頭良いなw
確かにヴィンテージワインは素晴らしいし、その話題性っていうのは、
新しいワインファンを引き寄せる起爆剤にはなるだろうけど、
たまにしか出ないすごくおいしいワインっていうのは、日常的には買えないし飲めない。高いし。
加えて、ヴィンテージワインがなぜ美味いかを理解するのは、ワイン初心者じゃ無理。
気軽に飲めるワインを日常的に飲んでいて、初めて「高いワインはやっぱり凄い」という、
ヴィンテージの意味が理解できるわけだし。
日常飲んでるワイン100本分のヴィンテージは、それこそ年に3回飲めれば御の字だ。
では、気軽に飲める安いワインを飲んでいる人がワイン市場に役立っていないかと言えば
むしろNOだし。
美味いけど高い酒と文芸性が高いけど値段も高い本。
気軽に飲める安い酒と気軽に読める安い本。
個人の好みだけを問うなら「金があるならどっちを選ぶ?」という世界だけど、
市場全体として見たら・・・
>>429 うん。そんな感じだと思うなw
金があったら高い酒を飲みたい、という人も居るだろうからw
とはいえ、金がないから安い酒を飲んでいるというよりも
これだから飲みたい、という人も居るだろうしね。
若いワインもヴィンテージも両方いいところがあるから。
「毎日飲んでも飲み飽きない」日常飲みのワインというのも偉大だと思う。
高い酒を毎日飲んだら絶対飽きるw
クドくなりそうだしw
でもさ。
そんな風に市場を賑わして沢山の人に飲まれるのは、それはそれで中々できないと思うよ。
醸造元の熱意というのも反映されると思うし。
そして、ほら。
「ヴィンテージも昔は若いワインだった」んだよなぁ。
保守。
ぼちぼち保守
433 :
本当にあった怖い名無し:2007/01/18(木) 14:20:52 ID:Qn8DoDj/0
保守
保守のついでに
怪談とは
m9(^Д^)文芸
怪談とは実話。
実話怪談、などと言わなくても怪談といえば実話だった。
本当にあった話だけどね、という枕が付いて語られるのが怪談だった。
でっちあげた作り話を得意げに「私が作りました」と掲げる連中が現れたので、
怪奇小説を怪談を言い張る連中との見分けのために、実話怪談という用語が必要になった。
怪談とは。
今も昔も実話のことである。
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「キミ!ウザイぞ!呵々大笑するぞ!」
>>436 宮崎県知事当選乙w
これからは宮崎県知事と幽の二本立てでがんがってください。応援してます。
それはそうと、今度はクトゥルーに手を出すらしいね。
呵々大笑の人。
幻想文学→Jホラー→怪談→クトゥルー→
早くクトゥルーに全力を注力してくれないかな。
怪談のことはもう構わないでほしいぞ。
>>437 それどんな「そのまんま」?
幻想文学(怪談もあつかう)→Jホラー(和風ホラーや新耳などを持ち上げる)
→怪談(という名のホラー小説)→クトゥルー→
クトゥルーは前からそのまんま氏も色々辞典とかやってた。
何版か版を重ねているらしいが。
その流れでの仕事じゃないかね。
多分まだまだ怪談小説に注力するんだろう。
ただ問題が全くないわけじゃないんだよね。
幽周辺のやり方がどうしても「過去の焼き直し」に見える。
賞を与えて、新人を優先的にとって、話題を与えて・・・なんてね。
どこの文学賞も同じ。
それに瞬間的なプロモーションで販促というのはどこもやっている。
企画を大量に出して、賞を風化させないように、というような、ね。
でも、これユンケルを飲ませるようなものでさw
海原雄山が沖縄で行っていた事を思い出すことがある。
どうもね、そのまんま氏は長期的な視野に乏しいように感じる。
つ 焼畑農業
有望な山を焼き払って一毛作。
一山当てたら次の山に火を放つ。
山が無限にあるならば、火を点けた奴だけが得をする。
つ 放牧酪農
草を求めて群れごと移動。
肥沃な開墾地を持つ定住農耕民を襲撃し、
食糧物資女子供に労働力までを強奪する。
族長に絶対服従、蹂躙と簒奪で部族を維持する。
>>440 爆笑wwwwwwwwwwwww
それ、もしかしたら(ry
山が当てればでかいし、肥沃な開墾地を手中に収めればその後は結構安泰。
だけど、山が当たらなかったり、定住農耕民が抵抗して簒奪を食い止めれば
そこでストップがかかる諸刃の剣。素人にはお勧めできない。
が、素人がやっていないのが質が悪いw
得に定住農耕民の抵抗には全力で潰しにかかるからな。
よく言えば「獅子はウサギを狩るのに全力を尽くす」
悪く言えば「大人げない」
パイの略奪をしている暇があったら、他のパイを焼くか別のケーキを食べればいい。
てか、仲良くお互いのパイをシェアして食べれば問題ないんだけどね。
いつまでも「お前の物は俺の物。俺の物は俺の物」的考えじゃお先真っ暗だ。