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本当にあった怖い名無し:
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本当にあった怖い名無し:04/10/05 18:39:56 ID:6peNHT7N
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お悔やみ申す
■樹木との接触
JA 8119 号機は事故が発生してから 31 分 48 秒間 操縦不能の状態で飛行を続けながら、6 時 56 分
23 秒 に樹木と接触した。(一本から松との接触)その時の飛行状況は以下の通りであった。
高度 約 5.069フィート (1.545 メートル) 地図
機首方位 約 286 度 西北西 DFDR (飛行記録)
速度 約 346 ノット (640 km/時) DFDR (飛行記録)
垂直加速度 約 +3 G 接触荷重 DFDR (飛行記録)
ピッチ(垂直姿勢) 約 11.5 度 機首上げ DFDR (飛行記録)
バンク(水平姿勢) 約 39 度 右翼下げ @ DFDR (飛行記録)
樹木と接触した部位は 機体後方の下部と第 4 エンジン、この接触により、機体と乗客は
3 G の垂直加速度と時速 640 km から 600 km までの減速、右側からの非平行過重を受けた。
これらの力を受けて、第 4 エンジン、水平尾翼、垂直尾翼、右主翼の V/C Flap などが機体から脱落し、
御巣鷹山の尾根に飛び散った。
■墜落
JA 8119 号機は樹木と接触し、バウンドして高度を上げ、 500 メートル飛行して、更にバンク角
を 39°から 87°(右翼下げ ほとんど垂直 )に増し、右側の翼端を山の稜線に接触させた。( U 字溝の形成)
JA 8119 号機はさらにバウンドして 640 メートル飛行し、御巣鷹山から南南東約 2500
メートルの「御巣鷹山」の尾根に、ほとんど機体を裏返しにした状態で墜落した。
■墜落地点の地図
ttp://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E138.41.49.0N35.59.54&ZM=2 ■墜落の日時、位置、状況
1985年8月12日18:56
同機は、三国山の北北西約1.4キロメートルの稜線
(標高約1,530メートル、付図−13の一本松の地点)
にある数本の樹木に接触し、次いでどう地点の西北西約520メートルにある稜線に墜落した。
墜落地点は群馬、長野、埼玉の3県の県境に位置する三国山の
北北西約2.5キロメートルにある尾根
(標高約1,565メートル、北緯35度59分54秒、東経138度41分49秒)であった。
■当日の視程50キロメートル
積乱雲、雲高3,500フィート、雲量2/8
高積雲 雲高12,000フィート、雲量5/8
絹雲 雲高20,000フィート、雲量6/8
■目撃証言
墜落地点の南南西3〜4キロメートルの地点での目撃者(4名)によれば、
「同機は東南東の奥多摩の方向からかなりの低高度、低速度で
機首をやや上げて大きな爆音をたてながら飛んできた。
飛行機は、われわれの頭上を通過したがその後北西にある扇平山(標高1,700メートル)
の付近で急に右へ変針し東北東の三国山(標高1,828メートル)の方向へ飛行した。
次いで、三国山を越えたと思われるころ突然、左へ傾き北西方向へ急降下し、
山の陰に見えなくなった。
その後、同機が隠れた山陰から白煙と閃光が見えた。」
■衝突状況
(ア) まず、右主翼先端が山の斜面のH地点やや下方の地点に衝突した。
また、これと前後して胴体先端上部が右主翼先端衝突地点のやや西側に衝突した。
(イ)同機はその後、右主翼先端、胴体先端上部から衝突による破壊が進行した。
(ウ)右主翼の破壊は翼付根部まで進み、この問の主翼構造部材は小さい破片に分断
され、その大部分はスゲノ沢第3 支流側の北斜面に飛散した。
(エ)同様に、前部胴体の破壊もBS1480 〜 1694付近(中部胴体) まで進行した。
胴体の各断面は上部から地面に衝突したために、上部構造部材は圧壊されて小さい破片
に分断され、一方、下部構造部材は比較的大きな破片に分断され、それぞれほぼ
稜線に沿って尾根の上方に飛散した。操縦室及びBS1480〜 1693付近より前方の客
室の内部構造もこの間に破壊された。
(オ)墜落時の衝撃により燃料タンクから飛散したと思われる燃料が炎上し、H付近
に散乱した残骸及び樹木等が焼損した。
(カ)なお、胴体の破壊がBS1480 〜 1694までに達する問に、左主翼は分離してHの南
西約30メートルの斜面上に停止した。
■方向ペダル無効時刻
18時24分35秒事故発生。
18時24分36.22秒まで正常な中立位置0度にあったPED(ラダーペダル)は、
36.72秒までの間に右25度に急変した。
この時刻は横方向加速度に振動が励起された時刻とほぼ一致している。
PEDはその後右20度〜左15度に急変しているが、
そのように大きなPED入力に対して方位角や横揺れ角は
正当な応答を示していないことから、
36.22秒以降は方向だの制御力は失われたものと推定される。
■縦の操縦性
昇降舵に代わる縦の制御要素としてエンジン出力による制御および
代替系統によるフラップ操作がある。
フゴイド周期が長いとはいっても、
代替系統によるフラップの駆動速度は極端に遅く、その制御には効果がない。
縦の姿勢制御昨日損失のため顕在化したフゴイド・モードを
スラストレバーの操作によって安定化することは原理的には可能であるが、
このことはパイロットにとって必ずしも容易なことではないと考えられる。
■横方向の操縦性
横方向の操縦に本来用いられる方向舵と補助翼・スポイラー系のうち、
方向舵は異常事態発生とほとんど同時に脱落したと考えられる。
したがって、ヨーダンパの昨日も瞬時に失われており、
なんだかの外乱が入ればダッチロールが励振される状態となっていたと推定される。
補助翼は。DFDR記録の機体応答から判断して
異常事態発生後1分以上機能していたが、
それ以降は昇降舵動揺に油圧低下のために
全く機能していなかったと考えられる。
左右エンジンの推力の差を用いた
パイロットによるダッチロールの抑制は、実質的に不可能であると推定される。
■シミュレートによる結果
クルーA〜Dのすべての機長は、滑走路への着陸を断念し海面への緊急着水を決心しており、
事故機と同様に飛行中に激しいダッチロール・モード及びフゴイド・モードが発生している。
ほとんどすべての場合に、最大限に努力を払っても姿勢の保持、方位の偏向、降下率の設定、
あるいは着水という各課題を達成できなかったとすべての機長は考えている。
しかしながら、最善の操縦手法を学習した後のクルーEの機長によるシミュレーションからは、
電波高度計30フィートにおいて脚下げの形態で大気速度200ノット以下、
沈下率500フィート/分以下、縦揺れ角0度付近、横揺れ角度2度〜3度以下という
比較的安定した結果が得られた。
結論として、事故機と同じ故障形態を仮定すると、
クルーが始めて異常事態を体験するという前提の下で、
(1)着陸は不可能であったと考えられる。
(2)着水海面を全く指定しなくても、
接水時の対気速度を200ノット(370km/h)以下に下げることは
不可能であったと考えられる。
沈下率・姿勢等も大きくばらつくため、生還はほとんど期待できない。
■関連書籍
・『墜落遺体』 飯塚訓 遺体の検屍に当たった警察官の手記
・『墜落現場・遺された人たち』 飯塚訓 上の著書の後日談、という感じの本
・『日航ジャンボ墜落』 朝日新聞社会部編
・『墜落の夏』 吉岡忍
・『隠された証言』 藤田日出男 元日航パイロットの著書
・『ジャンボ墜落』 吉原公一郎 垂直尾翼の写真数点
・『123便、捜索の真相 日航機墜落』 河村一男 元日航機事故対策本部長
・『沈まぬ太陽』 山崎豊子
・『ボーイング747を創った男たち』 クライヴ・アーヴィング 手島尚訳
WIDE-BODY THE MAKING OF THE 747 CLIVE IRVING
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【お詫び】
今回スレ立て時に「part12」とすべきところを
誤って「part11」としてしまいました。
削除ガイドライン外ですので、申し訳ありませんがこのまま使用下さい。
次スレ立て時は「part13」でお願い致します。m(_ _)m
>>1 乙
日航機墜落が12日だったのを考えると何か不思議な力が働いたのか・・・
>>1 乙。前スレでつっこんでスマソ
じゃあ123スレ目は永久欠番?
>>1 乙です。
やはり今後はこれらの資料に全て目を通してからレスって欲しいもんですな。
折角
>>1氏が貼ってくれてるんだから。
>>1乙
番号間違いのスレでこのサブタイ(【戻せ】【戻らない】)
狙ったわけではなかろうが、似合いで良いな。
はい