598 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/05/22 18:12
あげ
599 :
前は磯部町民今は津市民:02/05/23 01:54
こんなスレあったんですね。知りませんでした。
いろいろ読ませてもらったけど、僕なりの補足を。
1.伊勢神宮について
伊勢神宮は現在でも伊勢の氏神様(地神)ではありません。
伊勢の氏神様は猿田彦神社です。
2.鯛の島について
594の方が書かれていますが、鯛の島(瀬)は石鏡沖ではなく、
神島沖ですね。神島中学校と小学校の沖、ゴリの浜の前
です。潮騒のロケ地でもあります。
あそこは、江戸時代の安政地震で沈下してしまっています。
現在でも、数年に一度三重大の教授が調査に行っています。
建物といっても小さな神社があっただけで、
人は住んでいなかったようです。鳥居も残っているそうです。
三重大の調査も近代建築の調査ですから、まちがってもムー大陸
ではありませんね。
3.渡鹿野島裏話?
渡鹿野島(的矢湾)は、昔、台風等時の避難港で島民は
ひらたく言えば、洗濯屋をしていました。
洗濯物を届けに行った若い娘が、娼婦のようなことを
始めたのが今の置屋のようになったそうです。
余談はさておき、その昔、船員と恋に落ちた娘が、
待てど帰らぬ船員との恋に悲観し、海に身を投げた
そうです。その供養塔が、東側の海岸べりにあった
・・・のですが、波にさらわれ無くなって
今はなぜかコンクリートの杭が打ってあります。
もうちょっと予算をかければよかったのに。
観光島をめざしてるのに、これこそ不思議ですね(笑)
とりあえず以上。
伊勢のオリーブっってラブホにはでるね
601 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/05/23 02:15
松阪R42沿いの「おはぎのた■ばや」
あそこの裏に今はもう無いけど
建物があって、店が入ってもすぐつぶれる
いわくつきの建物だった。
昔、鉄道の踏切で、親子が亡くなったそうで、
建物があった当時、母親の幽霊が出ていたそうです。
建物が無くなったあと、どうなったんだろう?
ここもそうだけど、R166沿いの灯篭も、
昔、「3時にあいましょう」だったかで
ギボさんが来たそうですよ。オカアの話では。
602 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/05/23 08:22
age.
>>599 >伊勢神宮は現在でも伊勢の氏神様(地神)ではありません。
>伊勢の氏神様は猿田彦神社です。
伊勢にアマテラスを祭る、と言うことを言い出したのは天武・持統天皇の頃で、それまでは
アマテラスは飛鳥の檜原神宮に鎮座していた。
まっ、伊勢は飛鳥朝に乗っ取られててたんでしょうね。
それとも反対に、伊勢地方の豪族が中央に凄い影響を持っていたのか・・?
正史では触れられていないが、天武の皇子名「大海人(おおあま)」に注目してみたい。
大化改新を実行した兄、中大兄皇子の活躍期には全然姿を見せず、天智天皇(中大皇子)が
死ぬ頃から暗躍しだしたことやお互いに娘を后としてやりとりしていた所から、かれらは兄弟
ではないと指摘していた学者もいる。
話は飛躍するが、天武・大海人を九鬼水軍の首領としたらどうだろう。
天智としても朝鮮経営に水軍は必要だったし、是非とも見方に引き入れておかねばならなかった。
日本の歴史上、どの政権も水軍のバックアップが必要だった。飛鳥朝としても同じ。
大海人が吉野に隠れ住んだのも、紀州の水軍と連絡を取り合うことが必要だった。
604 :
。・゚・(ノД`)・゚・。:02/05/23 22:45
おおあまはこだいかんこくのすいぐんのおさよんげそむんです。
わけわか
伊勢道路トンネル抜けると恵利原に「天の岩戸」があるよね.
あの洞窟が二見の夫婦岩のところの「天の岩戸」までつながっているとか調査隊が入ったとかいう話は本当ですかね?
伊勢道路のほとんどは神宮林の中なのでとってもミステリアスで、二見までつながっているって話は信じたいなあ、と思ってしまうのですが.
607 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/05/24 20:50
ねーほんと。
うむ。神宮林ね。これも不思議ね。
不思議大好きの私としては、さらに不思議に考えたいね。
神宮林の地域については、まだ調べ中だけど。
・化石がたくさん出るスポットがあると聞いた。(鈴鹿の戸田(都田?)さん、化石研究家)
・茅の輪くぐりの風習がある。(神島の祭りに関係するのか?)
・アマテラスは3姉弟。アマテラスと弟スサノオは有名で全国区のカミさんだが、もう一人?の「月読み」だけは、外宮の近くに小さな祠しかないが、なでなの?
・「茅の輪くぐり」もそうだが「蘇民しょうらい」の伝説も病気予防(長寿)の逸話だ。
これと徐福伝説(熊野市)と関係があるのか?
また伊勢平氏は、基盤を伊勢に持っていたのか?全然そんな気配はないが・・謎だ。
610 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/05/25 05:08
age
渡会という地名と天狗伝説
大台町の三瀬谷地区の一角に天狗の伝説があります。
今ではあまり知られていませんが、約十五年ほど前、
もう故人ではありますが、付近の寺の住職の奥様から
聞いたお話です。
また、佐原に住んでいた小学校の先生(この方も故人ですが)からも、
同じようなお話をお聞きしました。
この方は郷土の研究も熱心にされていたようです。
場所については、お二人の言う場所が三瀬谷地区をはさみ、
南北に分かれているため、定かではありませんが、
江戸時代中期、近辺の山中に盗賊が出没していたそうです。
人数も、二人という説と大勢という説があります。
その盗賊が天狗だったということです。
顔は赤く、鼻が高く、目の周りに白い縁取りがあったそうです。
天狗の集団?は、山中を通る旅人を襲っては金品を強奪していたそうです。
その天狗がたいそう美しい女性を切り伏せたことがあったそうで、
女性を不憫に思った地元の人が、女性のために
お地蔵様を建てたそうですが、そのお地蔵様が今でも山中に
残っているそうです。
そのお地蔵様は不思議なことに、背中に刀傷が残っているそうです。
さて、長くなりましたが、ここからが本題です。
先述の小学校の先生の持論では、この天狗は外人、それも欧米人
だったということです。
良く言われている事ですが、顔が赤く、鼻が高いということ。
言葉が通じず、だれかれかまわず切り捨てていること。
目の周りの白い縁取り、これは多分メガネのことでは?との
ことでした。
さて、今の三重県南部の一部は、度会藩と呼ばれていたことは
ご存知のとおりかと思います。
この「わたらい」とは「渡来」から来ているという説もあります。
また、渡ってきた人(外人)と会える所という説もあり、
どちらにしても、この説を信じるのであれば、昔外人が漂着したか、
住んでいたか、そのような事があったと言えるとは思いませんか?
旧度会藩と天狗伝説、結びつける何かがあるのではないでしょうか。
三重県の不思議ということで
何年か前に行方不明になった、明和の結子ちゃんの事が不思議でなりません
確か、容疑者がポケベルを持っていて、拘留までされたと聞いていますが、黙秘を続けて釈放されたと
聞いています
また、私の叔父さんは、まつ○かK察の不手際で、証拠が少ない時に勇み足で逮捕したのでは?
と言っています
結子ちゃんは、高校の先輩で、話はしたことがありませんが、顔くらいは知っています
詳しい情報を知っている人はカキコしてください
613 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/05/25 12:09
>>611 最初の字まちがっとる。
それにしてもこのスレ続くなあ。
オフ会の話はどうなった
616 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/05/26 00:26
三重の「出る」と言われてる所、ことごとく夜中とかに行ったりしたけど
見たことなんかぜんぜんないよ。
近鉄に勤めているヤツなんか、西青山って無人の駅あるんだ。そこに当直用の
部屋があって時々、泊まることがあったらしいということだったんだけど、その
部屋に昔、事故のあったときに死んだ人の死体を一時保管したらしいと。
617 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/05/26 00:27
151 名前:名無し ◆xOGgAIoY :02/05/25 23:31
あんた、株板で俺と同じトリップの人が居たからって
俺だと思って粘着に荒らして嫌がられてたよな?
152 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ :02/05/25 23:32
自演な卑怯コテハンがぎゃーぎゃーわめいてるぞ。
153 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ :02/05/25 23:32
コテハンキラー名無しで出ないのぉ(w
154 名前:コテハンキラー ◆04.yhZuw :02/05/25 23:34
>>151 どこからソースが飛んできた?
俺は3回位しか書いてないと思うぞ。
ま、探しても5個も見つからないだろ。書いてないんだから。
粘着で荒らしたってのなら証拠持って来い!
>>581 俺はあまりレースに興味ないから、その鳥居と俺の知っていることと関係があるか
どうかはわからんが、確かに鈴鹿サーキットには冗談じゃ済まされない話がある。
昔から鈴鹿に住んでいる人なら聞いたことがあるのでは?
619 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/05/26 01:26
ぜひ詳しく説明キボンヌ
>>616さん
その近〇のお友達が当直したのはいつでしょうか?
1975年以降だと駅の場所がずれてるから出ないかも・・・・
620の追加です
>>616さん
特急列車の正面衝突事故とは別の事故があったらすみません。
>>611の599さん
おもしろい話アリガトさん。
私も以前から伊勢〜熊野にかけて外国からの渡来したような風聞というか話をよく聞きました。
三瀬谷の天狗は初耳ですが、不思議大好き人間の小生としては妄想をかきたてられますね。
度会と言えば、伊勢神宮の功徳を全国に触れ回った「度会いえゆき」を思い起こしますが、彼は室町期の人間だったかなあ。
ということは「わたらい=誰かがやってきた」のは、室町以前か?
度と渡の字の違いはありますが、渡の字は昔からの本来的な遣い方と思われ。
度会郡近域に何かがやってきたという伝説は多い。
・南島町の平家の落人伝説。
南島七か窯というように南島町には「○○竃」という地名が7つある。
平家の落人達は漁業権がないので、塩を焼いて生業としたそうな。
いまでも○○竃に住む人たちはいる。上品な顔をしていて、そこの子供達は凄く成績がよい。
・熊野の徐福伝説(前レス済み)
・神武天皇、東征の際の上陸地点。熊野だけど。
・伊勢神宮のマークが六亡星(前レス済み)
・ダイダラボッチの伝説。(磯部地区にない?)
話は変わりますが、古語ではイセもイソともに(磯)を意味する。
伊勢神宮が古事記に記載されているように、桧原神宮の遷社なら、何故、イセ(磯)という地元名を被せたのだろう?。
他の神社はどんな末社でも中央の本社の名を名乗るのに。
伊勢神宮の神官の姓は「渡会」だが・・
いったいどう理解したらいいのだろう?
623 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・ :02/05/26 21:11
>>622 >度会郡近域に何かがやってきたという・・
>桧原神宮の遷社なら、何故、イセ(磯)という地元名を被せたのだろう?。
伊勢の国府って昔は鈴鹿市じゃなかったの?
他府県に人から見れば、鈴鹿も伊勢市も近所でしょうけど県内の人が見れば北勢と南勢という遠隔地だね。
中央(明日香)・国府(鈴鹿)・伊勢神宮、これらの関係はどう理解するのが正しいんでしょうね。
ウノノササラ姫(大海人の后・後の持統天皇)が伊勢神宮建立の誓いを立てたのは「鈴鹿の采女の坂」だったことが謎解きにならないかなあ。
私方、このスレだけの聞きかじりにつき、詳しい解説求む。
>>623 >中央(明日香)・国府(鈴鹿)・伊勢神宮、これらの関係はどう理解するのが
>正しいんでしょうね。
これくらい昔のことは、性格にはワカラナイというのが私の見解です。
だいたいの学者達の見解では「強力な国家が国内にいくつかあった。」という。
大化改新で中央集権国家が出来たと言うよりも、連立連邦国家と考えた方が適当だという。
天皇家の三種の神器は、壬申の乱後、3つに分かれ、それぞれ鏡は伊勢神宮、刀は熱田神宮
曲玉は天皇家というふうに分けた。
これは壬申の乱の際、伊勢の国、尾張の国が大海人皇子に加担し、勝利のあと連立体制の象徴
として、それぞれの国が神器を持ったと考えるとつじつまが合う。
>伊勢神宮建立の誓いを立てたのは「鈴鹿の采女の坂」
私の考えでは、采女の坂あたりで、大海人皇子と伊勢の国の同盟が出来たと思う。
その理由は↓こうです。
壬申の乱は、大海人が、大津の天皇家と対立する所から始まりる。
大海人は、その後、吉野を脱出し三重県に来た、個々で援軍を頼み、岐阜・名古屋方面へ進む。
そこで、援軍を加え、関ヶ原を経由して大津の天皇家を滅ぼした。
これらのことが古事記に書かれているからです。
>>593さん
渡会と度会をわざと変えたの判ってくれてありがとう。
そして、大変興味深いレスをありがとう。
私なりの解釈としては、渡から略字で度に変わっていったと
考えています。
そして、わざわざ「サンズイ」を使用していた点に注目しています。
過去に述べた、故人である小学校の先生の持論でもあったのですが、
度会という地区には、海などの「水」の上を渡ってきた何者かが
いたのでは?
私としては平家の落人説も有効ではありますが、当初食糧事情も悪い
時代に、平家の落人は敬遠もしくは迫害されたのではないかと
考えます。そのような人間をわざわざ地名として残すということに
疑問が残ります。
もっとインパクトの強い何者かが、海の上を渡ってきたのではないかと
考えてしまいます。天狗の話からも外人とか・・・。
ゴジラだったりして??
>>485 私も石薬師住民だ!
信誠東地区に実家があるんだけれども、
いつも西に見える鈴鹿山脈上空
およびその南西の上空に光る謎の物体を見ながら育った。
飛行機にしては変則的なんだけど、
アホみたいによく見かけたんだよなぁ・・・。
あれはやっぱUFOだったんだろうなぁ・・・。
593さん、599さん:
とっても面白いです。
できればHNをつけていただきたいです。
ところで
>>593の
不死の薬は、熊野にあるのか?熊野にはミカンくらいしかないが・・・
という文章についてですが、
ミカンというのは古事記に出てくる「時じくの香の木の実」、
橘を思い出しますが、関係はないのですか?
628 :
593改め「みかん」でいいかな。:02/05/28 20:13
>>神戸市民さん
私が本当に不思議だと思うことはややこしくて説明しにくいんですが、また追々述べていきたいと思います。
気長にこのスレをROMしてください。
>ミカンというのは古事記に出てくる「時じくの香の木の実」、
>橘を思い出しますが、関係はないのですか?
古事記のその記述は気がつきませんでした。m(_ _)m
古代から天皇が居る「清涼殿」の前庭には橘を植えるしきたりだったとか。
聖徳太子が明日香にいた頃、庭に橘を植えたので橘御殿と呼ばれたとか。
これらのことから独特の植物だったんでしょうね。
今でもアロマテラピーでは柑橘系の香りは、鎮静効果、美容効果があるとか。
ヨーロッパでは、レモンを輪切りにして柑橘系の香りを部屋に充満させて眠ると風邪の回復・予防にする民間療法があるとか。
柑橘系の香りはシトラスとか言って、殺菌作用もあるからでしょうね。
629 :
みかん・・・さっきの続き:02/05/28 20:27
さて、橘を指摘されるまで、(古事記関係では)私は「桃」のほうに関心がありました。
(古事記の中で)死んで妖怪になった妻イザナミが、夫イザナギを捕まえようとしたときに
夫イザナギが桃を投げつけたら、妖怪イザナミは死の国へ逃げていったとか。
このイザナギ・イザナミ神は熊野の花の巌谷神社に祭られている。
不死の薬は、熊野の桃かな?なんて思ってました。
ついでに面白い話を一つ。(中国の桃太郎)
ほとんど日本の話と一緒なんだけど・・・
洗濯から戻ったおばあさんが大きな桃を切って・・・
おじいさんと食べたら、二人は若返って、青年になり、セックスが出来た。
それで生まれた子供が桃太郎。
日本の桃太郎は、おばあさんが桃を切った時点で、切り殺されてるよね。(^^;)
630 :
みかん・・・さっきの続き:02/05/28 20:50
ついでに不死の件で・・
中国の伝説では、東の海の彼方に「蓬莱」という島があってそこには不死の草が生えているとか。
中国から見れば日本は東なので、この辺りにあるのでしょうね。
「不死の薬を取ってくる。」と言って徐福という中国人が熊野に上陸したそうなので、この辺りが怪しい。
この辺りはミカンがよく採れますね。
和歌山県はもちろん南勢町の五カ所は丸五のミカンという超ブランドだ。
冗談抜きで、ミカンがそーかも知れない。
また「蓬莱(ほうらい)」という字は「よもぎ(蓬)」の字だね。
中国には蓬は生えてないのかね?
蓬莱伝説については竹取物語(かぐや姫)でも触れられている。
また、最後、かぐや姫の昇天に際して、老父母への形見として「不死の薬」を残した。
その薬は富士山に埋めたとか。
竹取物語は物語の親とか言って、作り物語りとしては最古だ。
たぶん民間の伝説を奈良時代に文章に残したのだろう。
富士山の方面にも不死の薬・薬草があるかも?
話は三重県に戻りますが・・
やはり伊勢から南方面には、いくつか長寿の伝説があるね。
蘇民将来の話、茅の輪くぐり、とか。
631 :
みかん・・・さっきの続き:02/05/28 20:59
599さんの渡来人の件について
前レスの徐福「熊野へ上陸した中国人(秦の始皇帝の使い)」
「じょふく」って言うらしいんだけど、「ヨゼフ」って読めるらしいね。
「ヨゼフ」だと、最初の文字は「J」だし・・・、
「ヨゼフ」って言うとユダヤ人の名前だね。
伊勢の紋章がユダヤの六亡星と関係があるのか。
ずっと昔、鼻の高い外人が来ていたのかもね。
みかんさん:
早速HNをつけてくださり、ありがとうございます。
これから楽しみにROMさせていただきます♪
私が書き込んだのは、『古事記』中つ巻垂仁天皇の項の次の記事です。
「天皇、三宅の連等が祖、名は多遅摩毛理(たぢまもり)を
常世の國に遣して、時じくの香の木の実を求めしめたまひき。
…将ち来つる間に、天皇既に崩りましき。
…『常世の國の時じくの香の木の実を持ちまゐ上りて侍ふ』とまをして
遂に叫び哭び死にき。」
タヂマモリは天皇の命を受け、トキジクノカクノコノミを求めに
常世の国(外国)へ行きました。
やっとの思いで手に入れて帰朝すると、すでに天皇はお隠れになっており、
その無念さのゆえに御陵の前で死んでしまったというお話です。
古事記では日本の帝が田道間守を常世の国に遣わし、
秦の始皇帝は家来除服(徐福)を日本へ。
なんか面白いですね。
つーことは、みかんに不死の薬効があると多遅摩毛理(たぢまもり)=田道間守らは考えていたのかな?
みかんね、個人的には大好きな果物だけど、これからもそー信じて食べると健康にいいかもね。
古事記は断片的にしか読んだことないので、その辺の所(常世、時じく・・など)詳しくお話などしていただけると助かるのですが。
ところで徐福なんですが、雑誌「ムー」で読んだ記憶なのでやや怪しいけど、始皇帝の前に突然現れた「方士」だそうで
方士ってのは、不老不死の学問や技術を研究する陰陽師みたいな人だそうで、やはり毛色の違った外人みたいだったそうです。
始皇帝の信任を得て、5000人の家来を従えて熊野に上陸したそうで、熊野にはその記念碑もあるとか。
でも、もともと中国へ帰る意志はなかったみたいで、家来一同と日本に住み着いたそうな。
彼らは機織りを日本に伝え、秦氏を名乗ったそうな。羽田、服部はその系列だそうです。
いっぽうイスラエル人の神学者によるとユダヤは昔12部族いたけどそのうちの1部族は行方不明だそうな。
「ムー」では消えた部族と徐福を繋げて考えていた。
634 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・ :02/05/30 19:56
熊野には神武東征伝説、ジョフク伝説、花の巖谷神社(イザナギ・イザナミ神)などかなりのもんだね。
何でこんな所が神世の昔からの名所になったんだろうね?
635 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/05/30 20:20
みかんさん、UFOネタないかな?
636 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/05/30 20:32
うちの風呂に井川はるかがはいってた
>>635 >みかんさん、UFOネタないかな?
冗談抜きで、鈴鹿山系は出るらしいよ。
UFOは、アメリカ空軍がステルス戦闘機を制作試験飛行中、民間人が目撃し、航空宇
宙局に問い合わせたものが始まりとか。
航空宇宙局も空軍も東西冷戦のさなか「新コンセプトの実験飛行機だよ」なんて正直
に答えないよね。でも、どーしても???的な飛行物体もあったとか。
日本では江戸幕府の記録にもありますが、UFOなのか狐火なのかは判然としません。
現在では、石川県だったか福井県だったかに羽咋市(はくいし)って町があります。
そこの市ではUFO会館なるモノがあります。
やはり江戸時代からのUFO目撃資料が展示されています。羽咋では「そうちぼん」と
呼んでいます。「そうちぼん」とは武士が頭につける平べったいヘルメットですね。
こっち(羽咋市)のUFO歴史は半端じゃないね。会館もアダムスキー型の円形だし。
638 :
みかん・・さっきの続き:02/05/31 21:50
羽咋市は市民の過半数が目撃している。
漏れが平成5年に訪ねたときも、道行く人に「UFO会館どこですか?」と
道尋ねたついでに「あなたも見ましたか?」と聞いたら、やはりよく見た
と言う答えが多かった。
ほかに町の至る所に「UFO」文字が掲げられていた。
パチンコ屋「パーラーUFO」とか、消防署にも「OFOの街」とか土産物屋に
は「UFO饅頭」とか。まことに怪しげな街だ。
当時の市のUFO担当は高野常鮮(現在は課長さん)という人で、若い頃は、
UFO撮影・プロデューサー矢追純一のスタッフをやっていたとか。
当時はその高野さん、平の職員だったので漏れの話や質問にもつきあって
いただけました。
639 :
みかん・・さっきの続き:02/05/31 21:58
じゃ、鈴鹿はどうか。
ここのレスに出てきたUFO目撃者を尋ねて見た。
2ちゃんのレスなんて嘘ばっかりだと思ってましたので、期待もしてません
でしたが、本当に目撃者でした。
その人(喫茶店主人)まじめな感じで、とても嘘つく人のように思えません
でした。
客寄せのための作り話でもなさそうでした。
なにせその店の主人は、店を盛り上げようなんて気持ちは全くなく、暇つぶ
しみたいに思いつきで店を開けたり閉めたり。かなり信じられる。
かなり面白い話が他にも聞けた。知りたい人はその店へ行って聞いてください。
640 :
みかん・・さっきの続き:02/05/31 22:04
その店の西窓から空を見ると、なんと鈴鹿山系が一望の下に見え、野登り山
鈴鹿峠、布引山系までよーーーーく見えた。なるほどと思った。見えそうな感
じが、凄く強かった。
オフ会するならこの店の西フロアを借り切って西窓を眺めるのもいいなと思った。
なにせ、本当に広い西向きの窓なんだ。
でも問題は、ここの主人は気まぐれで、開店がハッキリしないんだ。鬱だ。
641 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・ :02/06/01 00:42
紀伊長島町の荷坂峠のドライブイン
俺が子供の時は、まだ営業してたよ
確か猿がいたような気がしたんだけど
知ってる人いる?
642 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・ :02/06/01 22:15
>>641 もう猿も居なくなって、建物もユーレイも居なくなった(w
>>633 みかんさま
>古事記は断片的にしか読んだことないので、その辺の所(常世、時じく・・など)
詳しくお話などしていただけると助かるのですが。
実は私もこれ以上は詳しくは知らなくて、
みかんさんなら教えてくださるかと書き込みを…(w
タジマモリが時じくの香の木の実を探しに行った常世の国は、
韓国・済州島との説もあるそうです。
彼がそこから帰ってくると天皇はすでに身罷っており、
悲しみのあまり彼は死んでしまうわけですが、
人々はこれを悼み、天皇陵の側に橘の木を植えました。
奈良にある垂仁天皇陵には今もタジマモリのみかんが植えられているとのこと。
余談ですが、垂仁天皇の代に斎宮の齊王である皇女の倭姫命が、
天照大神を祀るための新たな場所探しを命じられ、
近江や美濃を巡ったあげく伊勢の五十鈴川の辺に祠を建て、
これが伊勢神宮(内宮)の始まりとされていますから、
垂仁天皇というのは三重県とご縁が深いのでしょうねー。
644 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/06/02 22:28
小林町はどうでしょう?
>>神戸市民さん
私の学問もいわゆる「耳学問」でして、他人から聞いたところをつなぎ合わせて組み立てているところが多いのですよ(^^;)
じっと勉強したいなあとも思うのですが、一人で机に向かうなんて寂しすぎて辛いのですよ(-_-;)
>タジマモリが時じくの香の木の実を探しに行った常世の国は、
>韓国・済州島との説もあるそうです。
済州島かぁ、温暖で海に面した東の斜面にはおいしいミカンができるという話なの
で済州島なんか非常に適しているでしょうね。
>余談ですが、垂仁天皇の代に斎宮の齊王である皇女の倭姫命が、
>天照大神を祀るための新たな場所探しを命じられ、
伊勢神宮建立場所は、壬申以前から探していたんでしょうね。
しかし、内宮・外宮と2つを伊勢神宮と呼ぶのだと思いますが、このことから伊勢
神宮建立には、ややこしい経緯があったのだと予想されますね。
してまた近所に猿田彦や倭姫の神社もあったりして。
599さんの渡来人の件について
その猿田彦も手塚治の漫画(火の鳥)で見たところ天狗っぽく書かれていましたね。
猿の神様と言えば私はヒンズー教の神々を連想します、単純で申し分けない・・・
それと日本・ユダヤ同祖論のスレがあったので紹介します。
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/min/1018626657/-100
>>644 小林町?、御薗村、木曽岬町、四日市にもありますね。
どこなんでしょう?
hoshusage