【2012年大河ドラマ】平清盛 Part161

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280日曜8時の名無しさん
最終回の「壇ノ浦」は定番だけど、
波の下に消えて行った安徳帝と二位尼時子は涙を誘う。

外の入水した平家武将も悲惨だね!入水できず捕えられた者は斬首、これも悲惨。

畳の上で死ねた清盛・重盛はまだ幸せのような気がする(涙)。
281日曜8時の名無しさん:2012/12/16(日) 00:20:42.61 ID:JLr+yI9A
>>279
>>157 >>203に追加すると
祇園回は、治天の君である鳥羽が主宰する最高意思決定プロセスも明らかにしてくれた。
まず公卿会議がまず開催されるが、律令制下では意思決定機関とされていたものが、
院政期では主権者(単独の決断者)である院の諮問機関へと格下げされている。
しかし、かかる制度の融解はある種の柔構造を有し、本来ならば出席資格をもたない
有能な中下貴族の登用を可能とするというメリットをもたらした。
ドラマではあの信西が出席して、家成とともに忠盛・清盛擁護の論陣をはったのである。
しかし、あくまでも最終決定は治天鳥羽の胸中に委ねられる。実際はさらに側近との
非公式な議論を経て主権者意思が下されたが、この過程は可視化され検証に耐えるもの
ではない。
この意思決定の不透明性=絶対権力の恣意性をドラマティックに演出したのが、鳥羽の
ファンタジックなエア矢シーンである。
282日曜8時の名無しさん:2012/12/16(日) 00:43:57.56 ID:0/Nh762P
10月頃から録画だけ放置していたが、一気にまとめて見たら
それなりに面白かったぞ。

ただ、兎丸の最期のあたりは後味が悪くてたまらなかったな。

兎丸が死んだ後、平家の屋敷の庭に禿たちが
「入道様を非難してた族をちゃんと退治してきましたよ、
 ほめてください」
みたいな顔してぞろぞろはいってきたあと、清盛が時忠に
「禿を始末せよ」
って言ったな

そのあと、時忠が、禿の服や羽飾りを焼いてるシーンになるが、
禿のガキどもはみんな虐殺されたのか?w
283日曜8時の名無しさん:2012/12/16(日) 01:31:23.93 ID:yGHGg5Uo
>>281
強訴への対応でも分かるけど、
鳥羽院時代には公武の上下関係がはっきりしていて
武家はあくまで院の指揮下で警備行動を行っていた

これが後白河院時代になると
保元平治を経て機内の武家の寡占に成功した上に
官位財力も抜きん出た平家が明確に独立軍閥化
ドラマでも描かれていた通り、
院側の再三の要請に対しても一門の事情で言を左右にしたサボタージュが可能になる
しかも、清盛が戦略的に福原に隠居する事で、
表の首都の筈の平安京で院宣に対して即断しない口実を作る、その傾向が益々強まる
284日曜8時の名無しさん:2012/12/16(日) 02:05:21.16 ID:G5a4+EbG
>>281
おおっ、素晴らしい見識だ!

でも、そんな能書きとセットじゃなきゃ成立しないんじゃあのシーンは意味ないなw
285日曜8時の名無しさん:2012/12/16(日) 04:12:33.78 ID:Befx3Vos
人柱をやめ経の文字を書いた石を捨てることにした

信心深さはあるかもしれないが、迷信を打ち破る発想、合理性はある
「人身を捧げないと神が怒る」
人々を納得させるために経を書いた石を沈める
平家納経も清盛自身の信心深さというより人々へのパフォーマンスかもしれない

それが信長との違いだが、明智の謀反の際に「比叡山を焼き殺し云々」と討伐の理由になってしまう