源頼朝 石坂浩二
北条政子 岩下志麻
源義経 国広富之
源頼家 郷ひろみ
源実朝 篠田三郎
北条時政 金田龍之介
牧の方 大谷直子
北条義時 松平健
茜・小夜菊 松坂慶子
北条宗時 中山仁
北条保子 真野響子
北条時房 森田順平
北条泰時 中島久之
全成 伊藤孝雄
公暁 堀光昭
静 友里千賀子
大姫 池上季実子
大姫(子役) 斎藤こず恵
音羽 多岐川裕美
野萩 坂口良子
伊東祐之 滝田栄
安達盛長 武田鉄矢
安達景盛 火野正平
比企能員 佐藤慶
梶原景時 江原真二郎
三浦義村 藤岡弘
和田義盛 伊吹吾郎
三浦胤義 柴俊夫
駒若丸 京本政樹
土肥実平 福田豊土
上総介広常 小松方正
三浦義澄 早川雄三
加藤景廉 樋浦勉
畠山重忠 森次晃嗣
仁田忠常 中田譲治
山木兼隆 長塚京三
大庭景親 加藤武
大庭景義 花沢徳衛
伊東祐親 久米明
伊東祐清 橋爪功
大江広元 岸田森
三善康信 石濱朗
大蔵卿泰経 柳生博
藤原定家 岡本信人
藤原秀能 原田大二郎
坊門忠信 横光克彦
尊印法長 蟹江敬三
苔丸 黒沢年男
猿太 佐藤蛾次郎
常盤御前 佐藤友美
亀の前 結城しのぶ
磯禅師 佐々木すみ江
比企局 横山道代
瑠璃葉 岡まゆみ
小観音 かたせ梨乃
若狭局 白都真理
九条兼実 高橋昌也
土御門通親 仲谷昇
卿二位 夏純子
火見王 美輪明宏
右京局 木暮実千代
丹後局 草笛光子
平清盛 金子信雄
後鳥羽上皇 尾上辰之助
後白河法皇 尾上松緑
語り手 森本毅郎
来年の清盛で保元平治のモブキャラに草でおなじみの
東国勢が出てくるのを密かに楽しみにしてたり。
上総介は確実に出てくるよね・・三浦義澄も。
伊東祐親は出るかな・・どっかで十郎みたいなのが居たら楽しいんだけどな・・。
>>1 スレ立て、乙!
また皆様とこのドラマで語り合いましょう!
再放送であれだけ盛り上がったのに結構すぐスレが消えてたのが意外だ
8 :
日曜8時の名無しさん:2011/08/04(木) 09:46:55.95 ID:40BrLhbA
清盛で十郎キャラが出るとしたら崇徳院の側近だろう
しかし豪華キャストだ、地球や人類を救った人たちが多数いる
平宗盛:西田健 曾我兄弟:三ツ木清孝も入れてやってくれ
終盤の義時と和田義盛の密談が最高だった
「大局を見ねばな」
10 :
日曜8時の名無しさん:2011/08/04(木) 11:10:00.67 ID:srDwtvPE
前スレは歴オタとやらが暴走して誰もいなくなったのね
なーる
実朝の周りを歩き回ってた亡霊はいったい何だったのか
×和田義盛
○三浦義村
あの場面はいつ見ても、鳥肌が立つよ。
>>12 自分なんで間違ったんだろ……訂正ありがと
でもあれちょっと説得力にかけたような
政子がわりとあっさり二人を許してるし
源平大河に合わせて再放送希望!
景時の江原真二郎さん、テンペストに出演中。
まだまだ現役で活躍中で嬉しいよ。
来年の大河に何かの役で出てくれないだろうか。
双六って奥が深いんだな。
介の八郎いいキャラだったな。御所じゃねえ!武衛だ!なあ武衛
ぶえっ!
20 :
日曜8時の名無しさん:2011/08/07(日) 14:09:26.26 ID:edtm0CqO
十郎不足・・・。
誰か十郎が詠んだ和歌うぷしてくれ
>>20 いたましや 崖の上から 飛び込んだ 老婆て娘に 涙ぞ出る
23 :
日曜8時の名無しさん:2011/08/09(火) 13:05:47.30 ID:NE98/1Pu
秋風や 通親死にて 名を残す われには残す ものはあらずも
24 :
日曜8時の名無しさん:2011/08/16(火) 10:14:53.63 ID:zNHUTYty
25 :
日曜8時の名無しさん:2011/08/16(火) 16:21:00.37 ID:Jy6rOI6c
十郎が藤原定家を警護して旅するシーンがあったな
26 :
日曜8時の名無しさん:2011/08/16(火) 17:19:08.66 ID:xExGIlbi
十郎かわいいよ十郎w
十郎に会いたくて1話から見直してます。
石坂さんは役と年齢ギャップがないけど、駆け落ち前後の政子はやっぱ
年相応で見たいな・・。
二話の三浦館でのケンカ、十郎が悪いみたいに責められてるが、
どう見ても酔って執拗に絡んだ上烏帽子まで取った和田が悪い。
28 :
日曜8時の名無しさん:2011/08/19(金) 09:33:09.96 ID:F6i9B9w6
>27
一話からって、DVD全話出てるんですか?
私も十郎を最初から見直したい
>>28 時代劇専門チャンネルでの全話放送時に自分で録画したやつですよ。
DVD化は、より良い画質のテープが発掘されない限り難しいでしょうねえ・・。
だもんで、時専放送時にがっつり全話保存してます。
>>4 尊印法長→法印尊長
だと思います。
頼家は典型的な暴君というか暗君として描かれていましたね。
もし頼家が平凡でもいいから、もっとバランスのとれた人物なら、
源氏はもっと続いたんでしょうかね。
>>29 私もその1人です。周りに貸し出したら、皆様「面白い!最高!」と誉め言葉をいただいてます。
もっと多くの人に見てほしいと願っています。
32 :
日曜8時の名無しさん:2011/09/01(木) 00:30:08.28 ID:1vuuDFb1
それより麻呂は、流されたいのじゃ
後鳥羽さんはいいキャラだったのに、そのジャンプ打ち切り漫画の
やられ役みたいな落ちだけが惜しかったわ。
十郎が下手歌読んでるとき、腕組んで仁王立ちで自信満々なのがかわいすぎ。
後で三輪さんがだめだこりゃ突っ込み入れてるコメディノリなのに、鎌倉では
どうしようもなくドロドロなのがこの作品の醍醐味。
今更だけど、「草燃える」ってすごく作品にハマってるいいタイトルだと思うわ。
泥臭い群衆劇にぴったりだ。原作タイトルじゃないからドラマオリジナル名だけど、
誰がつけたんだろ。プロデューサー?
34 :
日曜8時の名無しさん:2011/09/01(木) 10:01:14.70 ID:gLHG9Bns
承久の乱ももっと詳しく描いて欲しかった
積極的参加の三浦胤義、巻き込まれてしまった大江広元の息子
義時に通報しようとして消された伊賀さん
3人の上皇の意見の違い
総集編では胤義の最期さえどうなったか不明
35 :
日曜8時の名無しさん:2011/09/01(木) 13:09:32.32 ID:p0CvKxxl
役者さん一人一人に味があっていいよね
承久の乱を詳しく描くと、泰時にそろそろ成年間近の子供がいたことがばれてしまうだろ
女を知らないはずなのにw
38 :
日曜8時の名無しさん:2011/09/06(火) 07:01:55.32 ID:goHU2mcD
>>33 >>37 原作は永井路子だけど、『北条政子』『炎環』『つわものの賦』他を併せて
原作にしているから、どうなんだろう?
承久の乱 1221年
北条義時 1163年〜1224年
北条泰時 1183年〜1242年
北条時氏 1203年〜1230年
40 :
日曜8時の名無しさん:2011/09/06(火) 21:11:03.51 ID:OgxTiyY7
泰時が時氏を宇治川に飛び込ませて、自分も飛び込もうとしたら家臣が大慌てで止めて、
馬隠したりして大騒動になったんだっけ?w
>>38 時専放送中のHPインタビューでだったかな?
大原誠氏が、永井氏「草燃える」のタイトル提案
があったと言っていた記憶が。ちなみに、
大原誠「NHK大河ドラマの歳月」
にはタイトル由来についての記述無し。
原作は同じ、脚本・演出には若手を起用して
主役を新垣結衣で観てみたいね
んー、同じものにする必要は無いが、
志麻ねえさんの妙なツンデレ色気のイメージを払拭し切れるかどうか
44 :
日曜8時の名無しさん:2011/09/08(木) 09:15:14.44 ID:hIakDGxA
>>39 ちょうど20歳違いの親子孫
時氏が長命なら徳宗独裁はもっと早く完成しただろうな
>>45 時氏ってドラマに出てきていないよね?確か。
総集編しか見てないけど、
大進局・貞暁親子や坂額御前はでてこなかったよね?
大進局親子は出てきたけど、頼朝政子のケンカのネタと追放される場面のみ、
はんがく御前ネタはなし。
49 :
日曜8時の名無しさん:2011/09/12(月) 21:49:41.44 ID:AScw/qaT
謀反人は、わぬしよ!
子どもの頃は実朝が死んで、頼朝の男子血統は絶えたのかとほんとに思い込んでました
息子がまだ生きてると知ったときは、だまされた気分でw
51 :
日曜8時の名無しさん:2011/09/13(火) 17:21:23.23 ID:Jj8njdFv
頼朝が政子を抱き上げるシーンは仕掛けなし?
失笑されるかもしれないけど
志麻ねいさんの体は羽根のように軽いんですよきっと
「梶原景時の滅亡」が斬新だったな。倒叙形式とか、カメラワークとか
このころの大河は、そういう描写手法も凝ってるから楽しめる
三谷の新撰組も回によってちょっと作り方を変えていて面白かった
梶原の回は独特な作り方をしていたな
三代目将軍、民放CMで「愛」捨てちゃってるね…。
…老けたよなあ!
実朝暗殺の黒幕は誰だ、というときに利を得たやつを疑え
とよくいわれるのに、なんで京都黒幕説がないのか疑問
実朝と義時がいなくなって一番得するのはあの方々であろうに
朝廷にできることは、調伏や呪詛がせいぜいじゃないかな?
三幡の急死は通親の仕業になってたけど。
>>56 後鳥羽上皇黒幕説はあったんじゃないか?
個人的には公暁単独犯行説が1番まっとうな説だと思うが。
ドラマの筋書きとしては後鳥羽→三浦連合を描いても面白かったんだろうけど、
何しろ後鳥羽と実朝の関係は良好だったからね。草は意外と史実記録に忠実だし
それにしても大姫没後からの政子の家庭的な不運には絶句するばかりだな
子は全員早世、しかも最後の男子と孫が殺しあうとか…普通なら絶望で死んでるよね
黒幕三浦説は永井路子の原作が言いだしっぺだもんな。
個人的にはちょっと無理がある説だと思うが。
政子の子供達の不幸は、半分は政子自身で呼び込んでると思う・・。
三幡に水銀飲ませた医者を、渋ってるのに強引に呼び寄せたのは政子だし、
公暁も都に置いたままなら、たとえ担がれても実朝に害を及ぼすことはなかったのに、
呼び寄せたのは政子だし。頼家にしても、あそこまで拒絶されるのは、
頼家ばかりに原因があるとも思えないし。大姫も、ただでさえ感じやすい娘なのに、
罪のない郎党を「大姫のために」ぶち殺して、かえって業を背負わせるし。
まあ政子は業が深すぎて、今時のスイーツ大河の主役には出来ないわな。
いや、田淵様なら見事にスイーツにしてくれるよw
いや、前半は見事にスイーツ展開(にみせかけて歴史そのものが動くのがすごいな!)王道だと思う。
妹が見た夢を買って、流浪の貴公子に憧れて、自分に惚れてる男騙して駆け落ちgo!
絵に描いたようなサクセス・ストーリーの果てに、夫の浮気は全力で阻止!
政子様、パネエっす!
三浦黒幕説はかなり無理があると思う
永井の場合は、執念の家譜という物語の中で初めて生きてくるというか
後鳥羽院と実朝はそんなに良好だったか?
実朝は結構、京の政権に対して強硬派な印象あるが
65 :
日曜8時の名無しさん:2011/09/23(金) 03:13:02.21 ID:7KMbVjWz
この大河大好きなんだけど、一つ違和感があるのが「御所」という敬称。
頼朝の頃、将軍を「御所」と呼ぶ習慣があったのだろうか。
時代が下って室町あたりになると確かにこの呼称が一般的になるようだが。
66 :
日曜8時の名無しさん:2011/09/23(金) 17:25:17.79 ID:glkT83Zk
「右は死なない」という白血病の少女を扱った話で
その少女は毎週草燃えるが楽しみで
「頼朝が死ぬまで私は死なない」と言ってたそうだ
シエじゃ生きる気力になるには無理
あ
68 :
日曜8時の名無しさん:2011/09/23(金) 19:39:06.29 ID:qdsmR2pM
ぶえっ! ですなw
【沖縄】女性4人がシュノーケリングをしているうちに沖に流され、海で16時間漂流…命に別条なし
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1316757425/ 10 :名無しさん@12周年:2011/09/23(金) 15:01:34.51 ID:XeqWqGn70
後鳥羽上皇ウンタラカンタラ
14 :名無しさん@12周年:2011/09/23(金) 15:02:30.47 ID:rfRvJEI3P
後鳥羽上皇かよwwww
17 :名無しさん@12周年:2011/09/23(金) 15:03:12.54 ID:iv8FHD1z0
隠岐に流されるぞのコピペ待ち
>>65 小松殿と言う呼称はあったが御所と言う呼称は確かに呼びなれないな
かといって鎌倉殿だったかどうか…まあ介の八郎みたいに抵抗する人間が大勢いたとは言えようよ
72 :
日曜8時の名無しさん:2011/09/26(月) 07:36:35.70 ID:OpOjk4i8
介の八郎の中の人は大河ではなくてはならん存在だったが、
今の大河じゃ使う場面ないな。
ああいう非常に胡散臭いが魅力たっぷりな人物が登場しなくなったからなw
太平記の名和長年とかもほんとよかったわあ。
wikiのコピペだが、結構出てたんだなあ
大河ドラマ(NHK)
源義経(1966年) - 赤路具
三姉妹(1967年) - 加納屋
天と地と(1969年) - 蓮芳軒
国盗り物語(1973年) - 宮部善祥房
花神(1977年) - 石井宋謙
黄金の日日(1978年) - 末蔵
草燃える(1979年) - 上総介広常
獅子の時代(1980年) - 内山看守長
おんな太閤記(1981年) - 酒井忠次
太平記(1991年) - 名和長年
仮に健在だったら ってことだろ?
最初、なんだこの下品な上総介は
と思ったが、みてるとじわじわと魅力にはまった
介の八郎と義経の喧嘩は実にうざかったな…
78 :
日曜8時の名無しさん:2011/09/30(金) 23:19:15.42 ID:iN7U+dZC
>>64 実朝は御家人の利害にかかわることは相手が後鳥羽でも遠慮してないな
近年では実朝は実はかなり権力もってた説があるみたいね
吾妻鏡にも義時が自分の郎党を御家人に取り立てるよう頼んだら一蹴されたエピがあるし、案外義時の権力は大きくなかったのかも
親王将軍構想も義時ではなく実朝自身の発案という説もある
政子がこの件で上洛して朝廷側と折衝してるが、これも義時ではなく実朝の代理、ということらしい
義時は力あると思うよ
実朝にほんとに力あったら和田合戦なんておきない
たとえば、頼朝時代だったらあんな合戦にはならん
義時や和田義盛やらの実力派はいざとなると強い
ただ、義時は実朝をないがしろにしたりかいらいにしたりしないで
ちゃんと実朝は将軍としてふるまっていたような印象だ
実朝はまだまともな部類でしょ
やはり頼家が将軍家を弱体化させたのが痛い
その後だからな・・・
頼朝はほんとに頼家を跡継ぎに考えてたんかな
それにしてはまともな正室すら大々的に迎えていないというのは何とも
頼家ってヒロミGOだったんだね…!
若い頃で良かった。今の「GOでぃ〜〜っす!」な人じゃなくて。
83 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/02(日) 00:56:36.73 ID:SyDd3pFz
>>80 頼家は頼朝のようなカリスマに欠けてるのに親父ばりの専制君主になろうと無理をして、御家人に総スカン食った印象だな
実朝は兄を反面教師にしたのか、義時や大江広元とうまく権力を分担していたように思える
大体北条が実朝を殺す理由って無いんだよね
この時期は何か事件があるととりあえず「北条の仕業だ!」ということになって、何となくそれが定着してるけど
>>81 頼朝は急死だったみたいだからね、「まあそのうちに」とか思ってたら…みたいな事なんじゃないか
実朝が兄をあんな形で追放して自分が将軍になったことをどう思ってたのか
兄の死をきいてどう思ったのか
兄の子どもたちについて何考えてたのか
このあたりを追究したものって、ほとんど見ない気がする
この大河でも、善哉を猶子にするときにちょっと不気味な感覚を顔にだす
程度の表現しかなかったような
だから、実朝暗殺の背景についても掘り下げられたものはあまり出てこない
>>81 都でお披露目して跡継ぎ公認されてるからこそ、頼朝が死んで
直ちに守護任命権が委譲されてる。この辺りの記録は吾妻鏡からは
抹消されてるが、ちゃんと京の記録がある。正室に関しては、頼朝自身が
出自の釣り合った身分の高い正室を迎えずに、伊豆の土豪の娘が正室扱いだからねえ。
久しぶりにスレが復活してると思ったらまた歴オタに占領されてるのね
がっかり
87 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/04(火) 10:53:09.72 ID:QTTJvAJn
スケ殿と藤九郎が静の取調べを御簾越しに一生懸命覗き見していて、
さて終わったと立ち上がったら後ろで御台さまがマークしてたシーンは怖かったw
>>86 遥か昔のドラマで、今さらネタがないんだから仕方なかろう。
ここでも開き直りか
いや、俺は傍観者だが。
ドラマに関係ある話ならいいが、そうじゃない話を延々と語りだす
(しかもwiki見ればわかる程度の話)アホが某スレにいるからなあ。。。
>>87 御台さまが怖かったのは、頼朝が野萩を口説いていた時だよ
岩の陰からスローモーションで立ち上がった政子を見て野萩がちびりそうになってた
93 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/07(金) 06:03:00.05 ID:BA8LqHmM
>>92 ん?
政子は頼朝が野萩を口説いてるとこを見てなんかいないでしょ。
あれは義時が野萩を口説き落とすために政子を巻き込んで、
政子が野萩の品定めに御所に野萩の様子を見に行った場面でしょ。
そして野萩を気に入った政子が浮かべた笑みを勝手に野萩が誤解して震え上がったw
その際のスローモーション処理と効果音が実に面白くさせたよねw
このドラマは緊迫した効果音をパロディに使うのが実に上手い。
政子が上成り討ちした時に、怒った頼朝がやってくる時の効果音とかw
あれは野萩より先に文鳥が震え上がってたのが笑えたw
95 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/12(水) 10:14:31.35 ID:rreRWhG/
実朝「母上なら北条と和田の戦いを止められるではありませんか」
政子「謀反人の機嫌を取れと言うの?!」
話にならないと思った。実朝かわいそうw
でも政子の権限って将軍家に関することに限られてるというか
それをこえて御家人どうしの訴訟だの争いごとだのには介入しないよね
普通は執権だの侍所だのがそれをおさめるんだが、和田合戦は
その両者がぶつかってるからもうどうしようもないというw
この時代がドラマ化された事は貴重だし、ドラマとしては面白いのかもしれないけど、
永井路子は北条義時や三浦義村を高く評価しすぎだと思う。
そういうところがこのドラマにいまいち入り込めない。
98 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/12(水) 23:58:36.52 ID:XKXOXboq
>>96 政子が尼将軍として活動するのは実朝死後のことだからね。
吾妻鏡を見ると、実朝死後は政子が最終的に判断し、義時が実行に当たる、というのが基本パターン
非常時には政子に権限を集中するようだな。(承久の乱では政子が作戦や戦後処理の決定をしてる。演説だけではない)
永井氏は政子を実際以上に無力に描いてる節があるな。悪女説を払拭しようとしたのかもしらんが。
>>97 義時も(ドラマに限らずだが)実際以上に黒幕化されてる気がする。なにかあったらとりあえず義時の陰謀ということにしとけ、みたいな。
マツケンの役作りは最高だが。
99 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/13(木) 00:08:04.32 ID:tBvetDKP
女人入眼の国なんだから、実朝死後は政子が幕府の首魁でしょ。
実朝生前は実朝に対する絶大な影響力はあったろうし。
義時の政治力は過少評価される必要はないけど、政子あってのものでしょ。
泰時が義時の後継者になれたのも政子の力。
それだけに政子が死んだ後、泰時は大変苦労することになる。
でも、義時が死んだときは鎌倉は大騒ぎだったけど政子が三浦をだきこんでしずめた
政子が死んだときはそんな大騒ぎにはならないというか、天下不穏にはならないというか
実権はやっぱ執権であるというか、御家人や軍に影響をおよぼすのは実朝死後は
執権にうつってるようにおもえる
政子は精神的なよりどころ、象徴みたいな
101 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/13(木) 01:36:04.37 ID:tBvetDKP
義時の死と政子の死を比較しても状況が違うでしょ。
義時の死は突然で、しかも後継者を明確にしてなかったからそら大騒ぎにもなるよ。
政子の死はいろいろあったけど泰時体制を作り上げた後だし、政子の後継者なんてあり得んから騒動にはならん。
実権が執権にあるからその死が影響があるんだよ
そんで、その執権の力は、承久の勝利が大きかったのではないかと
承久後の貞応年間は義時の独裁に近いように見える
三寅も義時の館にいたし
政子や竹御所や将軍の力なくても北条政権がその後続いていくのも
承久の勝利が大きかったような
103 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/13(木) 02:04:04.54 ID:tBvetDKP
>>102 初期の頃は地位に力があるわけではない。
人に力があるんだよ。
これは鎌倉幕府に限らずどの組織もそうだけど。
安定してくると地位に力がついてくる。
ただ、力のある地位自体は変動するけど。
最初執権だったのが次第に得宗に移っていく。
あと、執権の力がましたのは、和田合戦も大きかったとは思う
あれは実朝の意向に反した合戦で、政子も介入していない
いわば義時が実力で政敵を倒して所領をがっぽりしたわけで
そんで実力を高めた感じ
承久の乱は、単に将軍だの政子だののおかげで権威をふるえたんでなくて
執権本人が天下を支配する力と正統性をかちえたものというか
これ以降は泰時が天皇を決めるのが当然、てなノリになる
105 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/13(木) 02:12:35.34 ID:tBvetDKP
上の方で書かれてたけど、義時と三浦を表に出したのはおれは悪くないと思うな。
実際彼等は実力者だったし、物語もそれで面白くなったし。
ただ、政子をお人よしの操り人形っぽく描いたのは不満だな。
だから不自然なんだよね。
政子の感情が偶然政治的に重要な決断をしたように描かれててw
義時はオヤジを追い出したあと、すぐ平賀討伐の指令だしてたり
宇都宮頼綱が義時亭におもむいてわびいれたりしてるから、やはり
ほんとに実力があったんだろうと思う
それは、政子の弟というだけでなくて、頼朝の側づかえの筆頭ポジを
ずっとしていたことも大きかったように思う
だから、政子がいなきゃ何もできない、というタイプではない
ただ、政子は政子で独立して権力があったし御家人を動かせたわけで
操り人形ではない
三浦の評価はむずかしいところだな
永井が描くほど政略にはしる男かどうか
一族の和田をすて、養い子の公暁をすて、弟まですてた男だが
その裏にあるのは彼なりの理想があったような気もする
義時は別に高く評価されてもいいんじゃね
当時の人たちも多くがそんな感じのこといってるし
北畠親房なんて、義時以上の政治しないと勝てない・・・くやしーだし
義村はどういう人物かあまりコメントがないのからわかりづらいが
承久の乱て、進撃策を言い出したのが大官令と善信入道だろ。
反対したのが泰時。
誰かが進撃策を強く推してないと決まらないよね、政子か義時か…
何となく政子っぽい雰囲気があるんだが
理想と言う点で、早くから一番ハッキリしてたのが梶原だな。将軍専制。
それと対立する理想が宗時の「将軍は利害の調停者」と言うあり方。、
理論化したのが義時。さらに「源氏は借り物」と言うところまで御家人主権を突き詰めた
義村は理想はこの2人に比べてないが、御家人を潰していく中で北条と三浦の協力体制が
幕府存立に繋がることを理解して義時の協力者であり続けたと言う感じだ
110 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/13(木) 15:28:07.36 ID:Reg/2FLB
初回で宗時が板東武士政権の理想をオルグする相手が三浦義村
宗時は煮え切らない弟は評価せず、粗暴な伊東十郎は嫌っていた
ここから最終回の義村のその場だけの個人的損得ではなく武士政権をまもるという決断につながる
原作か脚本かわからないが遠大な伏線、骨太な大河だな
111 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/13(木) 17:11:16.30 ID:Jv7auaGv
>>108 吾妻鏡の記述によれば「義時が政子に判断を仰ぎ、政子の裁断で京都進撃と決まった」とある
ドラマでは義村のが義時より年齢上という扱いで、小四郎、平六殿
とよびあっていたけど、実際は逆でないか
義村のが若い感じする
義時より長生きしてたし若い結城朝光と親友だし
>>78 親王将軍構想が誰の発案かはわからんが
時房が交渉に同行したり、政子や三浦は摂家将軍案の妥協策に早くのった
ところをみると、義時は親王将軍に積極的な印象はある
114 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/13(木) 17:57:53.70 ID:Jv7auaGv
>>106 政子と義時は互いに互いを必要不可欠としている関係じゃないかと思う
執権はあくまで御家人代表であって御家人の主君じゃないから、義時は何をやるにしても政子の権威を絶対的に必要とする
一方政子も政治の円滑な運営には義時の政治力が欠かせない訳だから、おそらく二人は緊密に連絡を取り合って役割分担していたのではないかな
後鳥羽院が義時を名指しして追討令を出して、彼が天下をほしいままにしてる
てな批判してるのは、そういう認識が都であったということだな
政子を名指しするわけにいかないというのもあるがw
義時うって、三浦か誰かつければ鎌倉は思い通りにできる、みたいなノリ
政子がどう動くか気にしてなかったようだ
116 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/13(木) 22:52:10.45 ID:tBvetDKP
>>112 三浦の家系は長生きだから長生きした義村が年上でもおかしくはない。
>>114 うんそうだね〜あと大江広元も二人と密接に協力してるな
基本、御家人に文書だしたり泣きついてきた御家人を世話してやるのは義時の役目
泣きついてきた義時を世話してやるのは広元の役目w
困ったときには政子頼み
118 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/14(金) 00:43:01.86 ID:aRQ1DSM0
>>115 武士の政権を認めないと宣言すれば武士は誰も味方につかないから義時個人を排除しようとした、
表向きの理由は後鳥羽の愛妾の土地の地頭交代問題という卑小なもの
日和見する御家人が多数でれば義時失脚の可能性はあっただろうな
実際は、院の要請で集まった軍の方が日和見で、幕府軍がきたら
しらん顔してスルーした大江親広とかそういう連中がいて崩れ去ったわけだな
岸田森よかったね
もっと活躍がみたかった
伊賀氏の変は政子のでっちあげ説がある。
結構説得力がある説だった。
>>117 同意。御家人同士の対立の和田合戦では義時が主体だろうけど、
吾妻鏡を読む限り、義時の通常業務は実朝と政子の御用聞きという感じ。
だからやたら大物ぶった永井路子の義時は、吾妻鏡や
後妻に毒殺とか妙な死に様とギャップがあってちょっと笑ってしまう。
実朝暗殺前後の三浦との対決以外は、ほぼオリジナルの
草燃えるの義時は人間らしくて、実体に近い感じでいいと思う。
思わぬ地位に成り上がった人間の変化とか、十郎に
突っ込まれて切れる余裕のなさとかちゃんと描かれてる。
122 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/14(金) 09:42:23.12 ID:kDfTcShI
双六っておそろしい遊びなんだね。子供にはやらせないことにする
伊賀氏による義時毒殺はただの噂に過ぎないよ。
124 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/14(金) 21:44:00.33 ID:uOX3RBwl
双六やると突然刺殺される危険があるからな
125 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/14(金) 21:45:28.41 ID:o6xVhqER
双六に誘われるのは死亡フラグ
公暁や禅暁や阿野時元の処刑指令は義時だと思う
政子でなくて
あと、伊賀局事件は政子のでっちあげだと思う
北条家の相続問題に政子は介入すべきでない
政子の沙汰に正統性がないから、ずっと得宗家の基盤が揺らぐことになった
伊賀の方を伊豆で殺させたのは政子だろうね。
義時毒殺の話は当時の記録からだから、単なるネタとは思えないけど、
ガチなら殺されても仕方ない。この辺りを今の松ケンと志麻の姐御で見たいわー。
年齢的にもぴったりだし。
源氏の遺児を取り込んで影響力維持しようとする政子と、
それらを排除するために遺児を始末する義時とか、
後年は対立してて、義時に怒り心頭だった政子が
愛妻の伊賀の方を義時死後に抹殺するとか、
姉弟対立とか面白いな。
ドラマでは政子を馬鹿に描いてるせいで、
姉弟で正面から葛藤してないんだよな。
129 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/15(土) 10:42:36.46 ID:QhTjOb+C
草燃えるSP
北条政子:岩下志麻
北条義時:松平健
北条時房:森田順平
三浦義村:藤岡弘
三浦光村:京本政樹
ここまではオリジナルメンバーで可能
北条泰時:葛山信吾
名越朝時:弓削智久
北条重時:要潤
北条政村:森山未來
特撮出身が多いのは本編と同じ
>>128 伊賀氏による義時毒殺の噂は、
承久の乱による指名手配から逃げ回っていた尊長が、義時の死から数年後に六波羅探題に捕まった時に口走ったセリフ。
尊長は京都など畿内や九州に潜伏してたようだから噂の域を出ない話。
伊賀氏の死は病死じゃなかったっけ?
殺害説はなかったように思うけど?
義時が比企暗殺の前に野萩を実家に帰した意図が今一つ分からない
前スレでもいろいろ推量されてたけど
>>131 比企を滅ぼす決意をした義時は、比企の出である野萩に叔父たちと今生の別れをさせるために行かせたのであろうよ。
彼なりの罪滅ぼしの形だね。
133 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/15(土) 21:06:03.66 ID:zDutWyzl
>>132 謀略を妻に聞かれないようにする
比企を安心させる
もあり得るのでは
134 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/15(土) 21:36:18.72 ID:9PcJPeSG
野萩=姫の前か
頼朝を拝み倒して「絶対離縁しません」と誓約書まで書いて仲取り持ってもらったのにな
てか朝時っていないことになってた?和田合戦でも承久の乱でもいなかったような・・・
朝時は一家団欒の時に一度だけ子役が出たよ。まあ、
義時の子供らは泰時でさえ空気でその他は省略だし。
この作品当時は、姫の前が離婚したことはまだ知られてなかったのでは
だから、ドラマに反映されていない
薬師如来像を作ってることをさりげなくむこうに伝えるためだね。
138 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/16(日) 19:55:07.15 ID:Yh2DdFSp
そうそう。
この頃の義時は妻でさえ謀略の道具に過ぎんw
しかし、比企の乱の時の北条親子は鬼畜だよな、弟含めてw
策士というのは、ひとつの手にひとつしか意味がない、ということはない
ここで指摘されてた意味がひとつの手に全部含まれている
比企の失敗は、全成をひっとらえたときに強引に保子をひっとらえなかったこと
そんで北条をまとめて失脚させればよかったものを中途半端にやるから
仕返しをくらうことになった
140 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/16(日) 20:16:04.99 ID:Yh2DdFSp
>>139 相手が絶体絶命の時は実はこっちも絶体絶命なんだよな。
相手は生きるために死に物狂いの手を打ってくるから実に危険なんだよな。
141 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/16(日) 22:30:21.17 ID:qRGZsKlE
比企を直接刺殺したのが仁田忠常で、その次の回では同じやり方で仁田が殺される
時政怖いと子供心に思ったよ
頼家は死にざまから武勇にすぐれたたくましい若武者
というイメージあるけど、結構やさしくて弱い?
若いからだろうけど
実朝はひ弱にみえて、かなり頑固というかきつい感じする
ただ、武は嫌いぽいね実朝
尼御所に侵入して強引に保子を捕えたら、右大将家後家である政子を自動的に追放することになる
となるとその時点で北条氏は決起することになるが…勝てるんですかな
北条の武力なんて大したことない
頼家って8歳で小笠懸を成功させたりして武芸にも達者と言う印象を受けるが、
同じく12歳で小笠懸を成功させた時宗の射撃状況を再現して
「実は馬をほとんど止めて射たんじゃないの?」と言ってる人がいて、
何か眉唾に思えてきたw
でもまあ、武芸が達者だったのは確かだろうね。蹴鞠だって器用じゃないと出来ないし
146 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/18(火) 15:42:18.59 ID:9QZONgLm
比企と北条なら三浦・和田も北条に味方するだろう
比企の味方はいるのかな?
頼家が健在なときは、頼家の命令で御家人たちが動員される
なんで頼家と比企を分断させて個別撃破するのが北条の戦略
148 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/18(火) 18:56:38.73 ID:eF2dS0lO
>>146 安達、梶原は比企に味方しておかしくなかった連中。
だから北条はまず安達を寝返らせ、次に梶原を消している。
吾妻鏡の安達の妾を巡る騒動は本当にあったかどうか怪しいよね。
安達はその後北条のパートナーとなって生き残ったから、安達の比企に対する裏切りを隠蔽するために作られたエピかもしれない。
別に、わざわざ隠ぺいエピをねつ造しなければならないほどの意味は
ないと思うけどね、安達の寝返り
比企に味方してもいいのが、味方しなかったのなんていくらでもいるし
大体、北条義時自身が比企と縁組してたわけで、平気で戦してるんだから
小笠原弥太郎が頼家側近5人組の筆頭だし、小笠原長清は頼家の武芸の先生だったり
妹の大に局も頼家の乳母もやったりしてて、かなり距離近いのに
弥太郎はともかく、小笠原家も別に比企に与力はしてない
結局、比企は味方はあまりいなかったのかもね
150 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/18(火) 20:50:32.17 ID:cZEMFLxF
みんないいとこづきするからね。
日本の歴史みると結構節操ない。
勝ち組に一気にのるんだろうな。
北条だってもし負け組になってたら時房あたりはあっさり比企側についてたと思う。
この時代は家が強いというか、孝>>>>>>忠 という時代だもんね
主への忠義なんて、家を守るためならポイ捨てされるレベルだ
頼家なんてみじめなもんだった
盛長、半身不随になったのに景時弾劾状によく署名できたな。
安達は吾妻鏡が編纂された時代の得宗母の実家だから、
いくらでも粉飾可能だな。
安達は弱小氏族だったから目立たないが、景盛は比企や平賀とか
身内を殺してのし上がってる真っ黒ぶりで、あげく三浦も滅亡に
追い込んでるから、義村ばかりが犬とか陰謀家よばわりされるのは不平等だな。
今の火野正平で宝治合戦の時の景盛を見たいものだ。
でも、安達は北条をやっつけようという気配はないんだよね
そこが三浦との違いではないのか
155 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/19(水) 09:43:36.31 ID:HwJjoGU+
>>150 頼家が権力掌握したら北条の家督は時房だったかもしれないな
時連→時房に改名を薦めたのは平知康(鼓判官)らしい、義経の草刈正男だな
全成の調伏の祈祷がばれたのも、実は北条がチクったんじゃないの
一番リスキーなことを全成にやらせてるわけだし
実朝が将軍になった後、乳母父で頼朝実弟の全成が実権を握ることを警戒して途中で売る…
見事に引っかかり頼家は全成を処罰するが逆に御家人は源家の身内争いに嫌気が差す
とか
>>155 義時にいって朝時にいったと妄想する
いや、朝時でなくて、家時になってかもなw
義時は比企の婿だからな
頼家と千幡を天秤にかけてどっちを選ぶかできる立場
いずれにせよ勝ち組なのはずるいが、おやじの時政とはちょっと
立場がちがったと思われ
>>148 梶原失脚に比企も加担してるじゃん
両者はライバル関係だったんじゃねーの
159 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/20(木) 10:49:12.41 ID:Edo7JLSY
>>156 義時なら全成をちくるかもしれない
時政の権力を継承するためには牧の方の子と全成親子も邪魔
義時→時房→頼家側近と情報が流れた
全成の子、牧の方の子、畠山一族、時政本人、頼朝の子孫すべて
義時は運がいいのか、どんどん消えていくね
都合のいい時に邪魔な人間が消えていくのはある意味何より怪しいな
消えるだけでなくて、生きている方もそうだ
義時の運の強さは自分に都合のいい人間はちゃっかり生きているとこにあらわれてる
政子と広元は義時が死ぬのをまって死んだような勢いだしw
子どもが無事に成長してることも凄い
次々と子どもに先立たれる泰時とくらべると歴然とした違い
162 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/20(木) 20:51:23.15 ID:eZAmcwlS
都合の悪い相手を消すことは可能だが、
都合のいい人間を生かすことは人間には限界があるからな。
こればかりはどうしようもない。
瑠璃葉問題で安達を討伐に行く時、
和田は脳筋だからともかく、
三浦も義時までもが梶原に有効に反論できてないと言うのが情けなさ過ぎる…
実際もあんな感じだったのかね。梶原が頭良すぎて、他御家人が束になっても口では敵わないとか
164 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/20(木) 21:41:17.79 ID:eZAmcwlS
>>163 じゃないの?
表の政務をバリバリこなす能力と裏工作をする能力は同じじゃないからね。
義時も義村も政務能力が他に秀でていたという話はないから。
官僚タイプと政治家タイプの違いでもあるでしょ。
梶原も官僚タイプでなくて侍大将タイプでは
当時の武士ってそんな感じ
侍所別当の役をこなしたり戦況報告したり
官僚はやっぱお公家
166 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/20(木) 22:04:21.03 ID:eZAmcwlS
景時は侍大将も官僚も両方こなせるから頼朝が重宝して側近の第一になったんだよ。
それから、御家人が束になったら梶原に勝てるよw
すぐあとにそういう展開になったじゃん
頼家がしっかりしなければいかん、といいたいが若いから無理ない
比企が敵にまわった段階でもう終了
168 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/21(金) 11:03:49.73 ID:mDtgGmjV
梶原は頼朝にとっては有用だったけど他の御家人には煙たかったんだよ
頼家はそれがわからなかった、嫌われ者を切れば評判が良くなると思った、若さ故のあやまちか
銀英伝のオーベルシュタインに似ているな
169 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/21(金) 11:08:03.10 ID:Y4NF4plT
比企は順番間違えたな。
最初に梶原使って北条倒して、梶原の悪名が頂点に達した時点で他の御家人と連合して梶原倒してばよかったんだ。
まあ危機感持ってた北条と違って比企は危機感持ってなかったんだろうけど。
頼家があっさり梶原弾劾に応じてしまったのが大失敗だった
梶原もあれで完全にやる気なくして鎌倉を見切ったんだろ
頼家ってそんな能力ないくせに粛清だけはしたがる印象がある
比企の油断、というか頼家が健在である限り、実朝は幼いし、
同母で弟、兄に取って代われる要素はないし、
対抗勢力が付け入る隙はないんだよ。梶原の件は、
梶原を切った事で、実朝を担ごうとした連中を抑えて、
謀反を防いだとも言える。
状況が逆転したのは、「重病に陥った事」。危篤になった事で
後継を巡って対抗勢力が盛り返した。あの重病がなかったら、
実朝将軍擁立もなかったと思う。
172 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/22(土) 09:42:39.04 ID:PLb43g+3
一応、NHKでも全話揃ったようだけど、その大半は画質劣悪なんでしょ?
そういう意味じゃ現存してないのと大差ない。
200 名前:日曜8時の名無しさん[] 投稿日:2011/10/17(月) 21:56:00.87 ID:T76rILH0
結局、ほとんどの話数が現存している最古の作品は「樅の木」になったのかな?
現存といっても一話欠だし、本来カラーの作品がモノクロだから、現存してないと一緒だけど。
205 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2011/10/18(火) 10:34:21.29 ID:oKIj07ZL
「風と雲と虹と」は部分的に欠落(数秒レベル)しているところを補完しているから、
やっぱり現存していないレベル
207 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2011/10/18(火) 10:56:49.60 ID:EzWDrF9x
草燃えるも欠落してるところあるから(OPとか)現存してないと一緒
208 名前: 日曜8時の名無しさん Mail: sage 投稿日: 2011/10/18(火) 14:20:40.22 ID: kqTt+vIT
ここ最近大河はずっと録画しているが、
たまーにどこぞの田舎の知事選のテロップが映像を汚しに来るので
毎年現存していないレベル
175 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/22(土) 12:17:11.31 ID:cPxJQQvz
>>171 頼家が病気になったのは何者かのシナリオ?
死ぬ前に実朝が将軍に任官されるとか不思議だろう
頼家の病気がシナリオなら、生き返ることもないと思うんだが
北条氏って一幡を殺した後で頼家を生き返らせてるんだよね
翌年に暗殺してることを考えたら不思議な話だ。
政子が必死になって止めたのかも知らんけど
177 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/23(日) 16:03:57.53 ID:/YCyGsz5
シナリオを書く人が複数いたのかも
義高を討ち取った堀親家の郎党は大迷惑だな。
頼朝から命令されても、御台様のご機嫌が悪ければほったらかしとくに限る
北条のクーデター大成功の結末を知ってる後世から見ると、
頼家の病は時房や中野五郎あたりが毒でも盛ったんじゃねーかと
思うが、頼朝の子供達がみんな病弱なのは家系的にあるんだよな。
願文があるから、クーデター直前に病床だったのはガチ。
その病状を時房か中野が時政に逐一報告してたんだろう。
180 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/24(月) 00:51:39.38 ID:3zaExsHC
義時直属の有名な殺し屋が2人いるんだけど、これが出てたらもっと面白かったのにな。
団結すれば梶原を追放できることを知ってた御家人たちが
北条にはそういうアクションをおこしてないということは
やっぱ北条には安心感があったんじゃねいか
義時は穏便の存念ある、という頼朝評はあたってるかも
気の強そうな政子ともうまくやってるし穏やかそうな泰時や重時や政村の親だし
娘がみんな公家と結婚してるとこみると、やっぱ文官気質だったんだろう
182 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/24(月) 04:40:38.72 ID:qjIrpN9o
>>181 団結して時政は追放しているな、大河では義時の罠にはまり失脚だが
本当は御家人たちの不満が高まったので辞任に追い込まれたのかもしれない
ドラマでも時房と三浦は最初からグルだな
時政は娘を有力御家人に嫁がせてる
畠山は殺したが、稲毛、宇都宮、足利、平賀とそろっていて
そんでも追い出されるんだからな
義時は逆に、母方の伊東もだめ、娘婿の武士はなし、泰時は三浦と離婚
頼りは伊賀氏だけ、というコネなし状態なのになんだか安定してるのが不思議なところだ
そんでも承久のときには伊賀氏頼りだったが
あ、でも三浦義村とは母方の従兄弟なんだっけ
そんで三浦義村個人とはずっとうまくやっていったのかもしれんな
ドラマではその関係はないことになってたが
あと、結城朝光の奥さんが伊賀局の姉妹という縁もあったな
小山一族とは何か仲がよかったが
185 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/24(月) 08:24:48.05 ID:3zaExsHC
義村が謀略家として有名だったのは当時の公家の記録からも明らかだから、
単に従兄弟同士ってだけではなく、義時には当然相応の政治力があったんだろう。
ただ、時政と違って御家人からの支持が揺らいだことがなかったのは、
義時が単純に御家人の利益を確保してくれたからだと思う。
それと頼朝が言うように穏便なことも大きかったろうね。
要するに人望もあったと。
政子と良好な関係を築けたことも大きかったろうね。
姉弟だからといって仲いいとは限らんからね。母親が同じかどうかわからんし。
186 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/24(月) 11:11:44.01 ID:2OeUI2gI
牧の方にとっては義時が邪魔だった
義時もそれはわかっているから先手を打って失脚させた
時政は畠山を殺したことで娘たちの信頼も失った
そういえば、このドラマを見ていた頃は政子と義時と時房は同母だと信じてたよw
義時と時房が異母兄弟で政子も多分別、だなんて思いもしなかった
放送大学で五味先生が頼朝と政子と言うお題で講義してたが、
政子をどえらく高く評価してたよ。
吾妻鏡の演説の漢字が読めなくてつっかえてたけど
政子については研究者の間でも、賢女説、悪女説、凡女説の3つがあるな。
190 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/24(月) 21:59:01.70 ID:3zaExsHC
1人の女としてどう評価するかは難しいが、政治家としての政子は日本史上でも屈指の存在でしょ。
男とか女とか関係なく。
世界史の女性政治家としても傑出してると思うよ。
政子の演説、まああれは安達景盛が代読したらしいけど、あの内容は日本の演説史上でも最高でしょ。
しかし、草燃えるで火野正平があれを代読してる場面だったらありがたみがなくなるなw
いや、悪女説・凡女説も政治家としてのものだから。
最近では、
永井晋(『鎌倉源氏三代記』)が悪女説、
本郷和人(『新・中世王権論』)が凡女説。
ごめん。
永井晋は『吾妻鏡を読み直す』だった。
悪女の意味がわからんのだが
政子は頼朝時代や実朝時代にでしゃばってないところがよいのだが
逆にラストの演説のイメージで全部みられてしまうと、鎌倉をあごで仕切ってた
姉御みたいに世間で思われてしまうのが難点なようなw
普通の女性が、最初のかけおちの頃からあれこれぶつかりながら道を歩んでいって
その結果の人生だが、そういう空気はこのドラマではしっかり出てたな
鎌倉時代は先例がないことが多いから、ぶつかりながらどの御家人たちも
道を選んでいくところがよいよね
それが承久の乱での勝利になって以後650年の武家政権になるわけだが
承久の乱はちょっとはしょりすぎたのが惜しかったドラマ
自分もなんで時政や泰時とちがって義時は有力御家人を婿にしなかったんだろ
と思ってたが
逆に、それが鎌倉での中立的な立場をたもつによかったのかもしれん、と思うようになった
本人は意図してなかったろうが、結果的にあれこれ身内の情実に振り回されなくてすんだというか
息子達も泰時は母いないし、次郎三郎も母方滅亡してるし、四郎五郎は母追い出されるし
結局、外戚がいない、というのが安定するのに大きかったような
その次世代になると、三浦と安達の外戚バトルが始まるしw
頼家時代も比企と北条のバトルって結局外戚同士の争いだもんね
>>193 賢女→賢い政治家。鎌倉の内紛は政敵側が悪者。『吾妻鏡』の記述をほぼ肯定。
悪女→悪賢い政治家。梶原景時の変・比企能員の乱・牧氏事件・伊賀氏の変はいずれも政子が黒幕。
凡女→時政・義時の傀儡。彼女自身には政治力も実権もあまりない。
196 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/25(火) 23:21:39.42 ID:neBzRBEX
>>195 永井晋は政子を「悪女」だなんて言い方してないと思うけど。
それあんたが言ってる言い方だろ。
政治家に陰謀はつきものなわけで、陰謀したら悪女とか言葉としておかしいと思うよ。
>>195 そりゃ、永井晋は「悪女」という言い方はしてないよ。
俺の分類に決まってるじゃん。
永井晋の『鎌倉幕府の転換点―『吾妻鏡』を読みなおす』と、
関幸彦や野村育代の『北条政子』(どっちも同じ題名)を読み比べれば、
俺の言ってる賢女説と悪女説の違いがわかるって。
永井さんは政子の政治力を良くも悪くも過大視してる気もする
頼家が重病の時に一幡と千幡で関東関西の地頭職を分けて手打ちが成立したが、
それを政子が引っ繰り返して比企討伐を時政に命じた…
と言うあたりになると、本当に政子はそれだけ権力があったんかいなと思ってしまう
200 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/26(水) 00:50:21.40 ID:RI/RT3zV
政子の演説はとんでもない名演説。
あの演説を考え出しただけでも政治家として尋常じゃないと言えると思う。
そら全部政子が1人でやったわけじゃないにしろ、単なるお飾りだったと考えるのは無理あると思う。
昔悪女といわれたのは、婚家を滅ぼしたからでないのか
政子がなぜか善哉を目をかけ実朝の猶子にして、鎌倉で八幡宮の別当にしたのが
結果的に実朝暗殺につながったのは、悔やみきれない失点だと思う
京かどっかにおいておいて禅暁のようにしておけば、あんなことにはならなかった
そのあたりみてると政治家というよりは情を大事にしてる印象はうける
>>194 義時も母方がいないね
2代続けて外戚なしは一門固めるのによかったかも
経時が、三浦と小山の争いのとき三浦に助力して泰時の叱責をうけてたが
外戚というのはご機嫌そこねると面倒だし、ひいきすると公平さを失うし
扱いに難しいな
>>200 政子の演説を本人が考えたかどうかが意見の分かれるところなんだろうなw
でも自分は、政子はやっぱ関東の女で、頼朝と伊豆で旗揚げしてからずっと
かかわってきた人だから、実力あった人だと思うよ
関東武士のことをよくわかってるし、都のやんごとない姫には無理な技だね
昔から反乱気質に満ちあふれた板東武者を権威でひきいるのは無理だ
小山一族なんて典型だが、皇室だの源氏がどーのいったってだめ
力と利とハートがないと連中はおさえられない
政子の演説は利とハートと両方に訴える見事なものだったなw
北条は力と利をしめして、御家人のハートを傷つけるようなことはしなかったから
連中に認められたという
204 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/26(水) 18:57:22.13 ID:j5AuRLaV
>>202 義時泰時時代は姻戚の足利が外戚の代わりみたいな形で北条に協力してるな
当時の足利当主の義氏は政子・義時の甥で泰時の娘婿だから、北条としても非常に当てにしやすい存在なのだと思う
>>199 御成敗式目第七条「代々の源氏将軍および二位家(政子)の裁定は覆してはならない」
政子は源氏将軍と同等の権威があったということだし、実朝死後は政務の執行は政子の承諾が前提だったということでもある
政子の裁定が絶対だったのは分かったが、
その権限て、既に比企討伐の頃からあったのかな?
206 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/27(木) 00:57:01.94 ID:X9ojDM1f
>>205 比企討伐の頃はあくまでも将軍家の親としての権限じゃないかな。
ただ、あくまでもとは行っても当時の親の権限はかなり大きいから。
将軍家が機能不全の場合は当座の代行権限くらいは発生する。
政子は北条に都合のいいときだけ顔だして、都合の悪いときはひっこんでる
というところが意見のわかれるところだろうね
つまり、いつもいつも出てくるわけではないという
足利義氏ってオヤジがなんかよくわからんが出家して子どもの時に当主になったんだっけ
庶兄の義純は立派な大人だし、家中には不満やら対立やらあったんでないかな
畠山後家と縁組みさせたのも、足利家と北条家と双方で話があったのかもしれん
209 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/27(木) 03:06:29.01 ID:5uSTpWec
足利の最初の方が末子相続みたいな感じが多いんだよね。
これは足利に限らず当時の武家に多いことでもあるけど。
成人した上の男子は独立して別の領地開拓するみたいな感じがあったんだろうかね。
もちろん母親の身分の関係で兄でも最初から当主になる資格ないやつも多いしね。
歴オタはなぜうざいのか
藤九郎「御所!大変でございます、御台さまが!」
頼朝「なに御台が?ばれたか…」
212 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/28(金) 08:34:01.61 ID:VK0xUtUu
>>209 義時も江間小四郎を名乗って分家してたね
政範が早死しなければ生涯そのままだったろうな
ところで足利義氏って出てきたかな?何気に大物だし和田合戦あたり見せ場のはずなんだけど
義時は次男だから分家してたんだよ
政範が生まれるずっと前から、多分長男の宗時が北条を継ぐんで
次男としてお隣の所領に分かれてたんだろう
もっとも、政範が生きてればそのまま分家してたのは確かだろうな
足利義氏はなんて義時女でなくて泰時女が嫁なんだ
系図みてても年齢みててもあそこ一代とんでて不自然
過去ドラマオタもうざいのはいっしょなんでおあいこだろう。
くだらんwiki知識をべらべらべらべらべらべら語られるよりは遙かにマシ
どっちもどっち。
いつものKYは今、太平記スレで忙しいようですw
つか、このスレに来て過去ドラマオタうざいってどんだけゆとりさ。
足利義氏は最終回だけ登場していた。小山朝政・武田信光とセットだったかな。
それよりも天野遠景がどこに出ていたかが全然分からない。
221 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/28(金) 20:59:53.35 ID:VK0xUtUu
天野遠景って頼朝旗揚げからの古参なのに影薄すぎだな
「義経」にはちょっとだけ出てた記憶があるが
ここは過去ドラマを語るスレなのだが
得意げにwiki知識をだらだら長文投下している奴は馬鹿なのか
天野って一条忠頼をぶっころしたやつ?
>>223 そう。肝心の忠頼暗殺がなかったから、ドラマとしては
どうでもいいモブとして、埋没しちゃったんだろうな。
同じヒットマンでも仁田忠常とは明暗を分けた感じだ。
225 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/29(土) 05:42:03.70 ID:ch8u1Y4w
この手のドラマになると誰が出てなかったって話に必ずなるが、
こういうのはメリハリが大事だから切り捨てられる話や人間が出て当然でしょ。
年表じぇねえんだから。
天野以外にも小山兄弟なんかもけっこう無視られてるね。
けど、話の芯がブレてないから誰が出なかったというのはこの大河ではあまり気にならない。
芯ぶれまくりで、どう考えても重要人物無視しまくりで意味の無いオリキャラがやたら出はったり
クレジットスカスカ現象がある
最近の大河とは大違いだ。
それよりもこの大河が出るまで源平鎌倉もので殆ど無視されていた
全成をメインで出してきたことを個人的には評価したい。
全成は原作(『炎環』)で主人公の1人だから。
ちなみに原作は『北条政子』『炎環』(連作短編。主人公は梶原景時・阿野全成・阿波局・北条義時)『つわものの賦』(史伝。小説ではない)。
しかし範頼がほとんど無視されてるのは残念。
なので『義経』で結構出番が多かったのはうれしかった。
自分もあの人物が出なかったというのは興味ない
今回はこの人物を描いて面白かった、という方に関心ある
この大河はそれまで無視されてた人に光りをあててよかったよ
義時、義村、全成、阿波局、牧の方、九条兼実、土御門通親、卿局
あれ、ほとんど全員になるw
そのほとんど全員はこのドラマ以外では時代的に光を当てようがないだろ。
後白河あたりをメインにして
あの頃の朝廷視点でドラマを作れば
九条兼実なんかは大役でしょう
清盛主役だとちょっと時代がズレるかな
後白河主役の大河なんてどう考えても無理だよ。
何も結果残してないし、理念みたいなものも無いからな
>>225 ところがどっこい、なぜか大河板では単なる年表ドラマの葵が大人気
時頼、時宗のドラマも製作されたし鎌倉時代前後だと良いタマは残ってなさそう
清盛は盲点だったかもしれないけど知名度が高い割に人気がちょっとなぁ
>>233 だって面白かったもん。
>>234 清盛は2度目だよ。
映画にもなったし、民放の単発ドラマもあった。
義経主役大河で全成が完璧に無視されたからな
今若でちょこっと出ただけってどうよ
>>233 大河板 (笑)
キモオタの生息する板で人気といわれても
このドラマで範頼が無視されてたんで、ちょうどバランスが取れたよ。
239 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/30(日) 20:46:00.67 ID:oiATvQCk
範頼は重要な役どころだったじゃんw
そうなの?
総集編では富士の巻狩りのところだけで、しかも架空の人物に操られるだけのチョイ役だったけど。
範頼は頼朝にも義経にもしょせん遊女がうんだ異母兄弟にすぎないけどさ
全成は義経にとっては同母兄弟だろ
義経主役ものよりも、頼朝主役ものの草燃えるの方が今若牛若兄弟の交流が描かれるってのがな
同母兄弟つってもなあ
義経と全成の交流は史実にも古典物語にもないから、創作するしかないからな。
まあ『義経』は原作が『宮尾本平家物語』だからか、源氏側より平家側の登場人物が多かったが。
244 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/31(月) 10:21:13.02 ID:WjAmfbyF
なぜ出自不明の範頼は頼朝に優遇されるの?
母から言えば平民出身だが有名人、義朝の寵愛も深く3人兄弟産み、
一条家に嫁いだ常磐御前の方が遊女よりは上だろう
それに義経には奥州藤原氏がバックについている
最初から義経が頼朝に次ぐNo2でもおかしくない
245 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/31(月) 10:25:21.29 ID:ORsZfGmZ
>>244 範頼も義経も別に頼朝に優遇されてない。
そもそも頼朝は弟を誰一人優遇なんてしてない。
優遇はしてないわな
なんで全成が戦にいかなかったのか謎だが、常盤三兄弟の中で一番賢かったというから
深謀遠慮でもあったか
お坊さんだから?
でも乙若は戦に出て死んでるだろ
平家によって無理矢理出家させられたようなものだから還俗すればいいだけだし
249 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/31(月) 15:55:36.28 ID:WjAmfbyF
乙若は新宮十郎行家の挙兵に参加していきなり歴史から退場
ダメ策士行家の最初の犠牲者だな
範頼は院近臣藤原範季の猶子になってたしね。
範季は九条兼実にも仕えてたから範頼にも貴族のバックがあった訳で。
ただ義経は頼朝と父子の契りを結んで義理の親子になって
範頼の妻になった安達娘より、大豪族の河越娘を義経妻にさせたから
当初は義経>範頼だったかも。
>>249 ソース忘れたけど、義円は尾張豪族の娘聟になってたから、その関係で墨俣の戦いに参戦したという説を見た記憶がある。
しかし行家の負のオーラは凄いものがあるな
何であそこまで?ってくらいに下手を打つw
しかも色んな意味で「持ってない」のに野心だけは人一倍なんだよね
>>252 行家が負のオーラを持っていることも否定しないし、関わった人間がろくな目に遭わないことも否定しない。
ただ、当時頼朝以外の挙兵した武将たちって負けカードを引いている人多いんだよね。
木曽義仲→ 最後は範頼・義経と戦って敗死
山本義経(近江)→ 平家にボロ負けしたあと義仲に付く。最後まで義仲に付いて義仲敗北後行方不明
源光長(美濃)→ 平家にボロ負けしたあと義仲に付く。義仲と対立して後白河法皇について、法住寺合戦で敗死
志田義広(常陸)→ 野木宮合戦で範頼・小山氏にボロ負けして義仲に付く。義仲敗北後伊勢で鎌倉方と戦って敗死
武田信義(甲斐)→ 頼朝に圧迫されて、臣従させられる。挙句の果てに甲斐を頼朝に制圧される。
安田義定(甲斐)→ 頼朝に臣従するも、息子のことで因縁つけられて攻め滅ぼされる。
こういっちゃなんだけど
平家に反旗翻して最後まで生き残ったのは早いうちに頼朝に従って、
頼朝の信頼を勝ち取ったもの(平賀義信、加賀美遠光など)と
興福寺、延暦寺、園城寺のお寺関係だけのような気がする。
それだけ武士達が生き残るのが大変だった時代だったんではないのかな?
頼朝の死後の幕府内部の生き残り合戦も凄いものがあるから
行家だけが負け男だったわけではないような気がする。
同意だな。
このドラマの後半が鎌倉武士同士の殺し合いで殺伐としてくるのも納得できる。
幸せな社会ではないな。
256 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/31(月) 23:17:45.07 ID:ORsZfGmZ
行家の問題は戦に勝ったことないことだなw
要するに指揮官としての能力が最低なんだろ。
戦の指揮能力は生まれつきだからこれはどうしようもない。
そのへんをはやく悟って裏方に徹すれば犠牲者も少なくて済んだろうに。
257 :
日曜8時の名無しさん:2011/10/31(月) 23:20:44.66 ID:ORsZfGmZ
しかし、行家の中の人も絶妙だったなあ。
あの顔は絶対に幸せにならん顔だw
戸浦さん最高w
武田氏や上総氏の粛清は悲惨だな。旗揚げ当時からの御家人を次々と粛清していくなんて
ドラマでは曽我兄弟の仇討くらいしか頼朝への謀反の政治劇がなかったけど、
正直頼朝が没してくれて助かったというほどの陰惨な状態だったんだろうな…
吾妻鏡も空白があるし、洪武帝みたいな粛清やってたのかも
岡崎の悪四郎お爺ちゃんが窮迫して政子に泣きついたら、
政子が同情して所領を安堵したとかいう話は出てきたっけ?
安達の藤九郎の話と言い、政子は表のルートだとはねられる請願を妊娠出産のたびにやれたから
御家人と信頼関係を築けてたのかもなあ
梶原ぐらいしか粛正描いてないから、頼朝というと女ネタしかないような描写になってたな
あと、弟二人の抹殺で、大姫がぎゃあぎゃあいうとかさ
鎌倉内部の問題は頼朝時代はあまり描かれていない
261 :
日曜8時の名無しさん:2011/11/01(火) 01:13:12.28 ID:WY7dOUOO
介の八郎の粛清と、曽我兄弟の仇討ちで、頼朝時代の幕府の問題点は余すところなく描かれてるからいいんじゃねえの?
原作ではギャーギャー言ってる政子の話をふんふん聞き流す旦那、
ってレベルの描かれ方だった頼朝を、ドラマでかなり史実ネタを
取り入れてよく描いた方だと思う。でもやっぱり、一度は頼朝主役で
しっかり一代記を書いた作品を見てみたいものだが・・。
来年は頼朝重視されるようだがしょせん清盛主役だし。
こんな重要人物なのに創作不人気ぶりが哀しいわ。
画面的に華やかな義経をダシにして頼朝描くのが一番実現しやすい
んだが、2005年のがあんなだったからなあ。
実朝時代もすげー駆け足だった
源氏三代を1年でやるのは無理ぽ
>>262 頼朝主人公を見てみたいが、頼朝主人公の小説って
有名どころでは山岡荘八と吉川英治くらいしか私は知らない。
しかも、一の谷直前で終了しているし。
やっぱり源平物一の谷ジンクスはまだ有効なのかな?
(源平物は一の谷の戦いで作品が終了したり一気に駆け足終了に至るケースがある)
でも、軍事貴族のお坊ちゃま→敗戦により家族を失い流人
→挙兵後、紆余曲折を経て武家の棟梁
という人生は本気で描けばかなり見ごたえ&読み応えのあるものができそうな気がする。
265 :
日曜8時の名無しさん:2011/11/01(火) 09:47:50.57 ID:Z99VmZhc
織本順吉(新平家)新克利(武蔵坊弁慶)戸浦六宏(草)大杉連(義経)
行家を演じた名優たちです
安部龍太郎の『天馬、翔ける』が頼朝と義経兄弟を主人公にしてなかったっけ?
高橋直樹の『曽我兄弟の密命 天皇の刺客』『霊鬼頼朝』も、頼朝主人公ではないものの頼朝の巨大さが描かれて面白かった。
頼朝の一代記って本当にないのかな?
誕生から死ぬまでって。
それが無理なら平治から将軍就任までとか。
前半生を書いたのは義経との確執までで終了、後半生を書いたのは挙兵直前から書き起こしだもんな。
頼朝主役作品
吉川英治「源頼朝」
平治から義経対面あたりまで
山岡荘八「源頼朝」
平治から義仲死亡まで
安部龍太郎「天馬翔る」
挙兵直前から義経との確執まで
頼朝主役以外
永井路子「北条政子」
政子との結婚から死亡までの頼朝の描写
三田誠実広いの『夢将軍頼朝』ってのもあったな。
読んでないけど。
誤変換した。
三田誠広の『夢将軍頼朝』。
>>269 この小説読んだけど、お花畑小説だった。
設定もぶっ飛んでる。
頼朝、三善康信、大江広元が即位前の後白河院と一緒に机を並べて勉強するとか、
西行が武道苦手な頼朝の武術の指導をするとか
平治の乱で敗走する頼朝を追跡したのち救出して、後白河院の設定した助命路線に乗せるのに尽力したとか。
東国武士を猛獣扱いしてトンデモ設定にしたり。
お話としては面白いと感じる人もいるかもしれないけど
ワタシはついていけないものを感じながら最後まで読んだ。
頼朝は敬意を払われてるが愛されてない
自分の印象
当時の人にも今の人にも
実朝暗殺は、都の陰謀
公暁はまるめこまれてヒットマンとして使われた
自分の印象
実朝と義時をうち、後鳥羽院の皇子を将軍におくりこんで関東を支配しようとした
のちに、後醍醐がそのプランを実行にうつしている
義時をうちもらしたので、承久の乱で義時追討の戦をおこした
北条をうったら、あらためて宮将軍を実現させる予定だった
関東武士もそのあたりはわかっていたので、あえて上皇に戦をいどんだ
北条以外は三浦義村、武田信光、小笠原長清、結城朝光、といったところが鎌倉軍の大将だが
頼朝の平家遠征の頃からの重鎮たちだ
>271
ウヘアww時代背景の基本を踏まえた上での創作ならともかく、
単なる無知トンデモですな・・。ファンタジーにもならないし。
頼朝が民衆に愛されてないのは同意・・。「政治家」で、
分かりやすい萌え所がないというか。義経をダシにして
後白河に武力圧迫で守護地頭設置引き出す政治的駆け引きとか
胸熱なんだが、この画面に動きがない文書のやりとりを
ドラマで魅力的に見せるのは難しいわ。草でも早回しだったし。
義経・清盛と2回目の主人公になったから、
順番から行って次は頼朝か政子だろう。
まあ来年が清盛だからその後5年は無理だろうが。1
276 :
日曜8時の名無しさん:2011/11/03(木) 19:29:48.84 ID:POgdGC0S
>>273 逆に都かぶれな連中を公開処刑して上皇に覚悟を示したという説もあるぞ
鎌倉武士の総意として
宮将軍は幕府側が積極的じゃなかったっけ?
後鳥羽は日本を二つに分けることになるとか言って
親王の下向には反対してたのでは?
278 :
日曜8時の名無しさん:2011/11/03(木) 19:57:04.86 ID:CsVb79wM
>>274 頼朝の政治的駆け引きも上手くかければそれなりに見応えあるかも。
独立性の高い東国武士の統率、甲斐源氏との同盟と抑え込み、新田氏抑え込み、義仲との関係、都との駆け引き。
あとあまり描かれてない頼朝&御家人の出陣がある。11180 佐竹攻め@常陸(本人)
1183 野木宮合戦@下野(範頼&小山兄弟)
1183 義仲とのにらみ合い@信濃(本人)
1184 甲斐信濃侵攻(御家人多数)
1189 奥州合戦(本人)
このあたりを上手く取り込んで、他は範頼義経の戦争シーン入れればビジュアル問題解決かも。
それと頼朝個人の人生もかなり悲劇的なところもある。
母の早い死
平治の乱の悲劇
同母弟希義との幼いうちの永遠の生別
八重姫、千鶴丸の悲劇
石橋山の敗戦と逃亡劇
義経との対立
範頼追放
大姫の父としての悲哀
将軍の孤独
後半の悲劇性には色々な見方があるだろうけど
>>276-277 そういえば実朝は自分の任官の儀式に出席させる為に都から呼びつけた大江広元の息子(都で官職を獲得していた)が
儀式が終わった後に都に帰りたいという意志を伝えられたところ次のニュアンスの言葉を発して激怒したそうである。
「蔵人になって鎌倉に来たんだから、もう京都に帰りたいと思ってはならんのだ!
幕府、ナメてんのか!?どういうつもりだ?!」
(「」内ー細川重男『北条氏と鎌倉幕府』(講談社新書メチエ)より抜粋)
と言って、使いのものが震え上がるほど怒ったというエピソードがあるそうな。
実朝は実はそんなに都べったりというわけではなかったのかも。
最初、宮将軍の考えが鎌倉から示されたときにはオッケーオッケーだった
その後実朝が暗殺されたら、途端に言をひるがえして、義時に皇子をわたしたら
日本国が二分するといって反対した
それなら最初からオッケーせずに知らん顔しとけばよかったのだ
突然態度を変えたには理由がいる
二階堂か誰かが院に士官したい、といったら実朝が激怒して
義時がまーまーいいじゃないですか、ととりなして上京を許したというエピもある
実朝は上京すらしてないし、政子や北条に育てられるんだから、都よりとは思えない
単に和歌がすきというだけだ
282 :
日曜8時の名無しさん:2011/11/04(金) 21:17:41.91 ID:9Ogvt5N0
静御前の女優は他にいなかったのか?
当時、見ていたがそれが不満だった。
283 :
日曜8時の名無しさん:2011/11/04(金) 23:29:07.77 ID:93HwNzgT
>>282 静御前役はいつもガッカリさせられる
平安美人は下ぶくれでたらこ唇らしい(大河的には)
しっかりした時代考証である
枠が違うが武蔵坊弁慶での麻生祐未の静御前はよかったぞ。
なんかこの時期を理解するので面白いやつないの?
どうしても平氏討伐が中心になるけど、佐竹氏、志田義広、木曽義仲とか
関東平定のあたりが感覚がつかめない
前に館鼻誠がNHKで言ってたのは面白かった。
頼朝の挙兵の最大のポイントが江戸川を渡って武蔵国に入るところで、
その江戸湊を管理していたのが江戸重長で頼朝に服従する姿勢がない
彼をギブアップさせるために房総水軍、三浦水軍が江戸湾を封鎖したんじゃないか
というあたりは興奮したな。
>>286 つ「やる夫鎌倉幕府」
あとは専門家の書いた論文や本かな?
一般に売られてる小説にはあまり書かれてないので
頼朝の坂東平定あたりを書いたものはネットで探したほうがいいかも。
静御前はこの大河でもちょっとがっかりしたな
当時は人気がすごかった、と力説されてそんなもんかと思ったが
義経での四股ふみ静御前をみたから、というのもあるw
でも、静ってポジション的にその程度かもしれんな
義経と最期をともにしたのは別の女性だし
前スレでも議論になってたけど、実朝って将軍としての実質ちゃんとあったんだよね
八幡宮での暗殺も還暦の義時に「中門に留まれ」と命じて、ブルブル震えながら待ってたんでしょ義時w
義時はどっかの休息所で休んだあと自宅に帰ってたよ
とか何とか言っちゃって姉上〜
>>290 たぶん過去スレで散々ガイシュツだと思うけど
それ吾妻鏡の記事だから信用できない。
伝聞だけど同時代の愚管抄の記事の方が信用できる。
吾妻鏡は「義時は素晴らしい人で神仏の加護で義時は実朝暗殺の難を逃れた」
という立場だから。
皮肉なことに、その吾妻鏡の義時礼賛のせいで江戸時代から昭和30年代まで
義時が実朝暗殺の黒幕という常識ができてしまったけど。
愚管抄だって信用できないのは同じ
伝聞な上に京の人間だし
まあ、東スポみたいなもんだな
294 :
日曜8時の名無しさん:2011/11/09(水) 04:12:00.99 ID:traLqe/g
>>293 でも、公家は沢山現場に居たからな。
伝聞とはいえ現場に近い情報が入手出来たのではないかと思われる。
それを個人が記録してるわけだから編集が入ってる吾妻鏡よりは信頼出来ると思うぜ、愚管抄の記述は。
295 :
日曜8時の名無しさん:2011/11/09(水) 05:15:06.70 ID:Z49st2et
愚管抄の記事は現場にいた公家の目撃譚だったはず
信ぴょう性は高い
慈円は九条兼実の実弟で公家社会との交際も深いしね
でも待たされたおかげで義時は命拾いした訳だから何が幸いするかわからんな
実際に現場目撃したのは招かれた公家達だけだしね。
同時代を生きた人の記録の愚管抄と、100年くらい後の吾妻鏡を
同列にはできんわ。御家人達は神聖な場所に立ち入れなかったんだから、
義時がどうしてたかさえ知る人なんかいないだろ。
しょーがないから子孫が神仏のご加護って事にしたら、後世の人から
偉大な得宗さまが黒幕扱いされる始末。
297 :
日曜8時の名無しさん:2011/11/09(水) 19:04:15.09 ID:+ADyfjeX
「吾妻鏡」は事件の年月の取り違えまであるからなあ。
特に頼朝期。
有名な所では野木宮合戦のあった年。
横田河原も玉葉は1181年なのに吾妻鏡は1182年ww
すげえ西暦で書いてあるのか
頼朝は寿永への改元を認めてなかったんだよね。寿永宣旨のあたりで東国支配権を認められるまでは
この宣旨の2か月後に介の八郎双六殺人が起きてるわけでしょ
だから何?
日記類は本人の行為以外はまず信用できないと思っていいよ
今ですらメディアでも伝言ゲームでもうのみにする人はいないだろ
>>294 その場の公家だって何があったかわかってないさ
ましてや、とどまったあとの義時が何してたか、なんて知らないだろw
なんかよくわからんが、義時がかわったが、将軍がいったんだろ
てな話でしかない
しかし、本来なら将軍を守れずにむざむざ死なせたはずの執権職に
責任だの非難だのがきそうなものだが、吾妻鏡は神様の命令だから仕方ないねー
というのりだし、愚管抄は、将軍がいったんだから執権は悪くないしーというのりだし
誰も実朝暗殺について幕府の問題は問わないというか公暁個人のせいにされてるというか
そのあたりが興味深い
303 :
日曜8時の名無しさん:2011/11/10(木) 03:28:20.85 ID:DqsKfrCY
>>302 愚管抄は義時がなにをしてたかなんて書いてないし、ここでもそんなことは話題にされてない。
愚管抄は義時が中門に控えてたって書かれてるが吾妻鏡にはそんなことすら書かれてないってことが話題になってるだけ。
>>303 いや、上で、義時が門で待ってたか自宅に帰ったかどうか、ということが
話題になってたからさ
なんで入れ替わったか、ということが問題になったんではないと判断した
>>302 実際武士として将軍を暗殺されたのは物凄い恥だったと思ってたはず。
仮にこのスレの多数説?の「公暁主導説=黒幕不在説」だったらなおさら・
だからこそ執権の北条も公暁の保護者の三浦も「お互いに責任を問わない」という
暗黙の了解ができたんだろうなあ。
三島事件の直後に「むざむざ民間人に総監を捕虜にされてしまった」ということで
現場の左官クラスが辞表を出したらしいが、上の方に責任論が波及するのを恐れて
受理されなかったそうだ(w。
ドラマで、政子が義時と義村をせめたあと、ぽーんと時間がとんで
政子とあの二人の関係はどうなったんや、政子許せるんかっと思ってたが
>>305みたいなノリはありそうだな
公暁を八幡宮の別当にするというのは、義時はもともと反対で政子がおしきったとかでは
だから、むざむざと実朝を死なせてしまった義時を政子としても非難できずに
それぞれが悪い、てな感じで矛をおさめた
保子だけはがんがん批判
京が鎌倉の不手際を嘲笑したり非難したりしないのは、都で実朝調伏の祈祷でも
やっていて、そんでしてやったり、という感じだから
そういう空気にならなかったとかかも
京にいた公暁をわざわざ鎌倉に呼び寄せたのは史実でも政子だからなあ。
乳母父の三浦、警備の義時の責任を問うなら、
そもそも危険な人物を呼び寄せた政子の責任はどうなの、
って事になるからそこら辺は三者とも不問だろうな。
308 :
日曜8時の名無しさん:2011/11/10(木) 22:59:21.18 ID:DqsKfrCY
政子、家庭人としてはついてないし、判断もまずいよな。
そのかわり天からは政治家としての才能を授かったのだろう。
本人にしてみたらそんな才能要らんから幸福な家庭が欲しかったろうけどねえ。
実朝が側室置かなかったということは、本人には跡継ぎもうける気が
さらさらなかったということだよね
その点はこのドラマはあたってるか
>>309 生殖能力を失ってたという説もある。
勃起不全とか。
あんなかわいい嫁がいるのに勃たないのは不幸だなw
えええ
実朝ってインポだったのかorz
若いのに実朝存命中から政子が後継者探してたから、
そりゃ暗殺は北条の陰謀と思っちゃわな。
まあドラマのように傀儡ではなくl、しっかり実権握ってたらしい将軍実朝を
無視して勝手に都で後継者探しなんて出来ないだろうから、
実朝自身が子作りをあきらめた、そういう原因があったんだろう。
子づくりをあきらめるのも、他の女でためしてないわけだから
やっぱ本人に問題あるのか・・・
しかし、インポ将軍となると、そら、鎌倉御家人たちにはバカにされそうだな
長沼が実朝に暴言はいたのも、実は、インポのくせに! てなのがあったりして
315 :
日曜8時の名無しさん:2011/11/13(日) 21:15:07.19 ID:gOkUmNgv
実朝の急速な官位昇進も、別に官打ちとかじゃなくて
大臣くらいにはなってないと格好がつかん、という後鳥羽の配慮だったのかもね。
後鳥羽は実朝暗殺までは親王将軍に前向きだったんだから。
政子が竹御所を実朝の養女にしたのは、親王将軍の正室にするつもりだったんじゃないか、と個人的には思ってる。
後鳥羽の息子となら年も釣り合うし。
個人的でなくて、自分もそう思うよ
釣り合い的に竹御所は皇族将軍の奥さんだよ
それが三寅になってしまったから不自然になったわけで
しかし、頼家の息子はあの段階では二人もいたわけで
それをさしおいて、娘の方に源氏の血統をたくすってことは・・・
やっぱ頼家暗殺には義時がからんでいたんでないか
でなければ、あそこまで頼家の息子を毛嫌いするはずはない
頼家の子たちにとっちゃ北条は親の仇なんだから、反北条に
利用される危険人物で手駒になんかなり得ないだろ。
公暁が暴発しなければ、実朝は太政大臣にまで昇進して、
「親王の養父」になったんだろうなあ。
319 :
日曜8時の名無しさん:2011/11/13(日) 23:24:20.48 ID:AN2p1Fao
こういうわけがわからん事件は勝手に難しく解釈されていろんな陰謀論が唱えられるが、
実は真相は単純ってのが多い。
この件もそうだと思う。
公暁を鎌倉に呼び寄せてしまったのがいかにもまずかったね。
政子は不憫に思ったんだろうが。
ほんと、家族に関する政子の判断はことごとく裏目に出るよな。
竹御所は手駒にしてる
彼女の両親と4人の兄弟は全員義時が殺してる
にもかかわらず、頼経への嫁入りは北条の肝いりだったのは確かだろう
子どものときから政子に育てられたか北条に育てられたかしらんが
少なくとも、反北条の手にわたさずに育てたんだろうな
義時は北条氏の中でも存在が別格だな
それ以後の得宗なども義時に比べれば霞んで見えるな
なのになんで泰時のほうが有名なのか解せんな
322 :
日曜8時の名無しさん:2011/11/14(月) 22:58:09.59 ID:oPAjMz/X
泰時は御成敗式目制定等の治政が高く評価されてる
ていうか義時って過大評価されてる気がするのは俺だけ?
比企畠山潰しは時政主導だし吾妻鏡よく読むと以外にポカも多いし
一番有名なのは時宗だろ。
藤原不比等と同じポジが北条義時
系図みると義時は別格に強力だな、と思う
義時の息子世代でばん!と分かれててそれぞれの分家当主が強い感じ
時頼が、おまえは義時のひ孫だろ、俺は義時の孫だぞ、なんていわれちゃうのも納得w
そりゃ義時は得宗家の元祖だから。
一番危険な博打を打って北条家をのし上げたのは時政なんだけど、
子孫になかった事にされる可哀想な時政w
子供の頃は時政が一番の切れ者なんだろうと思ってたなあ。
唐みたい。
まあ実際、それこそゲームとかにすれば時政は
外交だの知謀だのほぼ満点なんだけどなw
あ、でも最後は大コケか
330 :
日曜8時の名無しさん:2011/11/15(火) 14:56:09.83 ID:o8O4rRuK
義時が時政の跡を継いだんじゃなくて、時政から北条宗家の権限を奪って自分の家のもんにしちゃった感じだからね。
まあ、そんな最後の大コケを含めてもこのドラマの時政は魅力満点で好きだなw
最後、さばさばした顔で伊豆に戻ってくとこがかなり好きだw
自分は逆に時政が過大評価されてる気がしてた
何かしてるっけ、みたいな
してるしてる
逆に金田さんの時政の方がなんもしてないように見えるぞw
義時は時政のあとつぎだったらあんな力は発揮できなかったろうな
政子の弟でもなく北条の総領でもなく江間家の当主としての活動部分が結構ものをいったというか
亀の前事件のときにすでに後の展開がちょこっとみえていたw
個人的には、頼朝の妾なら亀の前よりも大進局をクローズアップしてほしかった。
>>334 ガイシュツだったらごめん。
義時妻ででてた野萩は本当は大進局設定だった。
しかしトミー義経の人気が凄くトミー助命嘆願がNHKに殺到したため、義経退場が遅れ
その煽りを受けて、大進局問題を書く余裕がなくなり野萩の設定が変わってしまったらしい。
そうなんだ。やっぱ義経人気はすげーんだな。
『源義経』でも義経助命嘆願殺到で死ぬシーンが描かれなかったとか、
『太閣記』でも信長助命嘆願殺到で本能寺が2ヶ月後に延びたとか、
昔の視聴者もむちゃくちゃだ。
今の大河を笑えんな。
この大河の義経は自分も好きだよ
多くの義経の中で一番好きかもしれんw
338 :
日曜8時の名無しさん:2011/11/15(火) 20:40:21.18 ID:OJ8dCaJc
全成との絡みが良かった。
あれでこのドラマの義経がどんな男かが決まったなw
仕方がない。
大進局は次に頼朝が大河化された時に期待しよう。
義時は時政派でなくて頼朝派だよ
亀の前事件はそれが表面化しただけ
嫡男の泰時が頼朝の烏帽子子になったのもそうだし、最後まで一貫してそうだった
だから、姉の政子とずっとうまくやっていったんだよ
>>335 それって何かソースある?
疑ってるわけじゃなくて、ソースがあればWikipediaに脚注で載せて、情報を共有できるのになあと思って
当時のガイドブックでは野萩は大進局設定で紹介されていた。
以前の再放送スレでは、野萩と瑠璃葉はイメージからいって名前を逆にした方がいい
といわれてた
つまり、姫の前のイメージに野萩という名前はあわん、と
そういう裏があったわけだ
ワイドショーで見た大姫が別の生物に・・。
もし、なんだが、平治の乱が起きなかったら頼朝はどこまで出世できたんだ?
あるサイトでは中納言までいけたと聞いたことがある?
346 :
日曜8時の名無しさん:2011/11/29(火) 21:44:04.41 ID:HO5nzoAt
保元の乱がなけりゃ四位の鎮守府将軍が極官の受領クラスの家。
ただ、保元の乱のおかげで義朝が大出世して家のランクがかなりアップしたからな。
頼朝は13歳で従五位下左兵衛権佐だったんだからそのままなんにもなくそこそこ長生きできたら中納言くらいまではいけたろうな。
347 :
日曜8時の名無しさん:2011/11/29(火) 21:46:56.74 ID:HO5nzoAt
右兵衛権佐ね。失礼。
右兵衛権佐の地位は平治の乱が起きて直ぐにえたんだったな。
それと、妾の子である義平や義経は受領にさえなれなかっただろうな
特に義経は僧になるしかなかったな
草燃えるの義経だけど、典型的な馬鹿な若殿だね
勝手に官位を貰ったり独断行動をすれば頼朝が切れるのわかるよ。
まあ、義経みたいな馬鹿の考えなんて訳が分からないよ。
349 :
日曜8時の名無しさん:2011/11/29(火) 23:03:19.43 ID:HO5nzoAt
>>348 実際は義経だけじゃなくてかなり有力な御家人が勝手に官位もらってんだよね。
景時の息子とかまで。
極端に軍事に才能が傾いた人は他のことがからっきしって結構ある。
政治の才に乏しい義経が官位貰ってしまうのは無理からぬところがあったんじゃなかろうかね。
だからこそ頼朝は厳しく戒めてたんだろうけど、それでも無理だった。
自分は梶原景時ってひげヅラのこわいおっさんというイメージがなぜかあったから
江原氏の外見おっとり梶原におおっと思った
比企も普通にもっとむさい武士というイメージがなぜかあったんで
予想外だった
でも裏がありそうな顔で期待してたらすげー純朴な比企能員でずっこけたがw
>>349 確かに他の有力御家人もやってたな。
まあ、後白河法皇が狡猾って面もあるな
そういえば、坂東武者の教養水準ってどれくらいなんだ
あるシーンでは自分の名前を書くのがやっととぼやく奴もいたけど
それが本当ならばかなりやばいよ
まあ、教養って平安頃は天皇家や公家や僧や一部の軍事貴族だけの物だった証拠だね
352 :
日曜8時の名無しさん:2011/11/29(火) 23:29:58.27 ID:HO5nzoAt
いや、比企能員は頼家を取り込んだりなかなかやり手だったじゃん。
相手が悪かっただけだよ。
なにせあの時政・義時親子だからw
あの2人が揃ったら三浦義村でも圧倒されてたじゃん。
比企能員と梶原景時がもっと連携して頼家を盛り立てれば北条は抑えられた気がするね
でも、頼朝の早死にが大きいな。彼が後10年生きてれば、源氏将軍はもっと続いてたと思うよ
比企はやっぱ乳母筋の家なんだと思ったな
主君に忠実に使える忠義の人ではあるが、主君に換言したり
御家人と主との間をとりもとう、という発想がないというか
現実にはやってたのかもしれないがw
梶原は将軍独裁主義というか、これもやっぱり主君には忠義だが
御家人には抑圧的な感じだし
>351
ドラマで言ってた通り、坂東武士の知的水準は読み書きもあやしいレベル。
だいたい景時弾劾書を書くのもあれだけ御家人が集まっても、
どう書状書いたらいいから分からんので、景時嫌いの文官をわざわざ読んでるし。
だから、景時みたいに武士であって文の面の仕事も任せられる人材は貴重なんだよ。
読み書きと文書の書き方を知ってるかは別だろ
今でも公的文書つくるのに書式がほしい、とかいうぞ自分
あーそうだな。んじゃ、本郷センセの本から拾った具体例として、
鎌倉時代中期の武士で、平景清の子孫、筑後守の官位を
持つ当時の上層階級武士の書いた日記が、ひらがな全開のつたない文章で
時々「田、文、大」という簡単な漢字が頻出する程度で、漢字が
使いこなせなかったそうだ。
これよりずっと後の南北朝時代の管領の畠山満家が
貴族に「漢字がわからん人」とか言われてた。
100年以上後の時代の子孫でもそんなレベルだから、
創世記の坂東武士たちのレベルは推して知るべしかと。
まあ、曾孫世代で幕政にかかわってた安達泰盛や金沢実時なんかは
あのDQN坂東武士たちの中から、よく優秀なのが育ったなあと思う。
358 :
日曜8時の名無しさん:2011/11/30(水) 03:25:46.96 ID:1l3a7Tjt
100年幕政に実際に携わった北条一門や安達と、それ以外の普通の御家人との間では読み書き能力に差が出ても仕方ないだろうね。
漢字の読み書きなんて習練するかどうかの問題で特に知性に優れてなきゃ習得できんようなもんじゃない。
必要があれば幼い頃から仕込めば読み書きなんて誰でも出来るようになる。
そして北条一門は必要があるから幼い頃から仕込み、南北朝くらいまでの足利一門はまだそういう習練が十分じゃなかったってことだろ。
南北朝期は内戦で大変だったから足利の有力一門でも読み書きよりまず文武の習練が優先されて当然だし。
>>348-
>>349 最近では義経の「無断任官」がさほど問題視されていなかったという見方もあるみたいだね。
菱沼一憲『源義経の合戦と戦略』 元木泰雄『源義経』など。
これらの本の中では義経の検非違使任務遂行に大江広元の支援があったとか
都における頼朝の代官としての活動は停止されていない
そのような事を考えると頼朝が怒って義経を干したわけではないだろう、
義経が西国追討使から外された理由が三日平氏の乱の余波等で都を離れられなくなったから
となっている。
なお御家人の任官に対する頼朝の激怒の理由も
任官したことではなく
「御家人が官位を貰うだけ貰って、その官位に相応しい仕事しないで東国に帰ってくるから
都から鎌倉にクレームが続出して困る。仕事してから鎌倉に帰ってこい。」
という頼朝の激怒だったと見られてもいるようである。
北条一門は在庁官人で官僚的な性格あったから文書には通じれただけだろ
義時や時房の子どもは公家と婚姻してるし、重時や政村は和歌もやる
実時は突然変異でなくて、そういう中から普通に文好きが育ったというだけだ
それもこれも仕事のため、必要だったからだ
そのかわりに、武芸は勇猛な板東武士がすぐれている
岡崎のじーさんが、文字よめん自分はどーなんだ、とぼやいてたシーンは面白かったがw
老眼だからかと思ってたよ
そんな文盲な坂東武者の代わりに都落ちした大江広元や三善康信みたいな
都では出世の望めない下級官僚たちが幕府の文官に成れる余地があったんだな
文字ぐらい読めるだろ
あの時代かなり文書主義じゃん
頼朝の下文をありがたがってるのも文字よめないと意味ないような
領地命の武士が文書読めなかったらどうしようもないだろ。
何のために武士やってんだかw
365 :
日曜8時の名無しさん:2011/12/01(木) 07:59:24.35 ID:nnZqsM78
読めても書けん御家人がたくさんいたってことじゃないのかね。
まあ最低でも読み書きできる信用できる身内や側近がいないとヤバイさね
>>357 子孫でそのレベルでなくて
そいつが特別にダメダメだったから目立って記録に残ったんだろ
でなければその前に書かれてる人がうじゃうじゃうじゃうじゃ続出してるさ
368 :
日曜8時の名無しさん:2011/12/01(木) 12:19:09.72 ID:HIunlJW5
>>367 おれも畠山満家に関してはそう思うね。
当時の満家レベルの武士が漢字の読み書きが十分できないのが普通だったら、
わざわざ満家について漢字を知らない人とか書かないと思うよ。
十郎の歌は坂東武士の教養レベルの表現としてとても
分かりやすいリアルな描写だったと思うw
370 :
日曜8時の名無しさん:2011/12/01(木) 19:06:21.57 ID:nnZqsM78
太平記に門前に生首すえないと調子が出ないと言ってたと書かれてる粗暴武士の代表みたいな結城宗広が息子とやりとりしてる書状が残ってるから、
鎌倉末期頃の御家人は読み書きできるのが普通だったんじゃねえの?
平安末期から大進歩だな
まあ、それだけ武士は力を付けた証だね。
実朝暗殺の黒幕は朝廷でも三浦でも北条でもなく
坂東武者たちの総意にして、親王将軍はいらんという北条に対しての
脅しだったと思う
そのあと親王将軍誕生してんじゃん
結局誕生するけど、数十年後じゃないか
もし、実朝が生きてたら親王将軍はもっと早く実現してたぞ
親王将軍が実現してもよかったんだよ
でも、義時が健在で親王将軍だと日本が二つにわれる、てんで
上皇が反対したけどさ
実朝だとわれなかったんかい、てつっこんだものだ
将軍をお飾り体制はもうずっと前に鎌倉でできあがってたんだよ
実朝がまだ若かった頃にしいた体制がずるずるとさ
だから、いくら将軍におくりこんでも利用されるだけ、となる
頼朝や頼家のあたりだったらまた事情は違ってたんだろうが
しかし、後鳥羽上皇に勝ったのは半分は奇跡だったな
>>376 武田、小笠原 「勝つほうに付く!」
彼等はどっちにつくか最後までわからなかったみたいだね。
上皇からの使者を朝時は丁重に追い返したのに、武田らは斬ってるからな
やはり疑われるのが怖かったんだろう
後鳥羽上皇が義時を倒して幕府を潰しても結局は後醍醐天皇と同じ末路だったかもな
誰も来なくなったな
後鳥羽院と後醍醐天皇は似てないんじゃないか?
381 :
日曜8時の名無しさん:2011/12/11(日) 00:39:01.11 ID:bj6QWU2C
個人的には永井路子の政子観は全然買えない。
「北条第一に、家が違って邪魔なら実の息子でもぶち殺す」
として描写さしてる桜田晋也著「尼将軍北条政子」の方が自然に理解できる
それじゃー関東武士視点のドラマにならんよ
今の大河ドラマもマジで草燃えるみたいなのを作って欲しいね
不況で金が無いスイート脳な製作人じゃあ無理かね
後鳥羽院はまさに帝王、文化も武芸もすぐれた王者の中の王者
後醍醐はただの中継ぎ天皇、それゆえのバイタリティがすべて
後鳥羽上皇の武勇伝といえば、自分で盗賊を捕らえて
その盗賊が骨があったんで部下にした逸話があったな
俺も永井路子の北条政子像はいまいち。
平岩弓枝の『かまくら三国志』とか、
高橋直樹の『霊鬼頼朝』のほうがしっくりくる。
政子は冷徹な悪女の方が似合うね
388 :
日曜8時の名無しさん:2011/12/11(日) 20:43:21.18 ID:CbbQ85dY
別に悪女とは思わんが、政治家として卓越してると思うよ。
永井の政子像は政治家としての政子の力量を軽く見すぎている。
彼女は義時を買ってるからその反動だろうけど。
おれはむしろ義時こそ政子に引き立てられた人間で政子あっての義時と思うけどね。
まあ、政子が政治家として活動したのは頼朝の死後だね
それ以前は穏やかな暮らしだったと思う(といっても大姫の死とか苦労はしてたがね)
390 :
日曜8時の名無しさん:2011/12/11(日) 21:26:04.52 ID:CbbQ85dY
政子はちゃんと分を守ってるんだよね。
頼朝の時は家庭内はともかく表に口出しした形跡はないし、
頼家の時も頼家がちゃんと統制してたら表に出てくることはなかったろう。
実朝の在世中は余計な口出ししてないしね。
そういうあたりも政治家としてのセンス感じるわ。
悪女扱いは女であれだけの力量発揮したことに対するリアクションだろうね。
妻だとあまり口は出せないが、母だと出せるっていう立場の違いもある。
そう考えると実朝暗殺の真犯人は誰なんだ
義時や政子でもない三浦でも上皇でもない
あれは公暁の単独犯なのかね
393 :
日曜8時の名無しさん:2011/12/11(日) 21:39:40.10 ID:CbbQ85dY
>>392 そこがわからんから今でも論争が。
というか、あの時点でわからん真相が後世解明されるわけないしな。
厳密に言うと実行犯が公暁であるかすら本当はわからん。
だって覆面した男がおれは公暁だって名乗っただけだからな。
真相は闇の中なんだね
395 :
日曜8時の名無しさん:2011/12/11(日) 22:23:43.18 ID:bj6QWU2C
普通に考えると、やっぱり北条が黒幕。
三浦は北条にしてやられた
普通に考えると実朝暗殺は公暁の犯行
都にいる間にヒットマンに染められたんだろう
でも、北条が実朝を殺すメリットないんだよね。
となると朝廷だな
まああえていうなら、公暁を鎌倉によんだ政子がバカだった
賢い政治家ならそんな判断しない
政子が感情優先といわれる理由のひとつ
保子に責められて当然だと思ったし、実朝が殺されたのに公暁公暁と
どこまでバカなんだこの女は、と思った
ここら辺は弁解の余地ないね
しかし、保子って実朝を溺愛してたな
実子以上だった気がする
政子が公暁を鎌倉へ呼んだ理由は頼家を守れなかった負い目だろうな
公暁の単独犯行だろう。
黒幕はいない。
わからんのは実朝の渡宋計画だ
あれの意味はまったくわからん
もし将軍がいきなり宋にいくとかいいだしたら、御家人は見捨てられた
と思ったりしないか
403 :
日曜8時の名無しさん:2011/12/12(月) 01:44:40.36 ID:YWtx6Vvd
>>398 >実朝が殺されたのに公暁公暁
そりゃドラマの脚色でしょ、上のレスにもあるが永井氏は意図的に政子を馬鹿女に描いてる
まあ政子は身内の情が絡むと判断ミスる傾向あるが
ドラマで感心したのは、善哉を将軍候補と考えて猶子にしてたことだ
実際、実朝に子どもがいなかったらその可能性はあったろう
政子は頼家を死なせてしまった罪悪感があったし、実朝は兄をおしのけて
自分が将軍になってる負い目があった
もっとも、三浦が育てて頼家の息子を将軍など義時は認めない
姉と弟でぶつかりあって、義時が善哉を出家させて京に放逐
政子が別当職にして将軍にはしないから、とかいってよびよせた
というパタンはありえる
政子といえども執権が認めない将軍を推戴することはできなかったろう
実朝の晩年の歌なんか見ると、もう生きながら死んでいるというか、
殺されるのを待つだけの絶望感みたいなものが渦巻いていて怖かった。
406 :
日曜8時の名無しさん:2011/12/13(火) 22:30:42.55 ID:oi/LDgdW
父親と兄が非業の死を遂げたから次は自分だと思うのは仕方ない
所で義朝がクーデターを起こしたときにえた播磨守って清盛が保元の乱後のえた地位だが
清盛に対する対抗意識を感じるな
播磨守って国司では一番収入がよいときいたが、本当なの?
407 :
日曜8時の名無しさん:2011/12/13(火) 22:38:20.51 ID:MjQ+jIQ3
大国13ヶ国のうち、近国でなおかつ国の大動脈である瀬戸内海に面してるのは播磨だけだからね。
収入は一番で不思議はないな。
父親は別に非業の死ではないだろ
非業みたいなもんだろ
つか妄想で疑惑出ても不思議ではない
まあ、頼朝は暗殺説根強いからね
頼朝があと10年生きてれば源氏将軍はもう少し長く続いてたかもしれないな
18歳の頼家に将軍は早かったよ
当時孫がいてもおかしくない年齢でやっと産まれた跡取り息子だからなあ。
同年齢の宗盛には頼家が産まれた頃10代の子供がいた。
義朝も35歳の時には
義平17歳、朝長14歳、頼朝11歳以下ぞろぞろと子供がいた。
頼朝は当時としては長寿ではないが、短命でもない。
暗殺説ってどこでいわれてるので?
畠山重忠に殺された、とか亡霊に殺された、とかぬきで
平泉の残党だよ
暗殺は無い可能性もあるが、実朝のトラウマになったのは事実だな
まあ、幕府を築いて7年で死んだのは不味かったな
史実実朝は頼朝の死は別に不信に思ってはいないようだぞ。
記録にはないが、やっぱ頼家の件ではもうそれなりにものの分かる年齢
だったから、ドラマみたいな不安は常にあっただろうと思うよ。
実朝って結構かんしゃくもちだよね
なんかよく怒ってる感じ
頼家の方がやさしい印象うける
>418
永井さんのエッセイでうろ覚えだが、実朝が
父は二位まで昇って満足な人生だったとか、そういう
発言があって息子がそういう認識だから、
頼朝暗殺説はないだろう・・という内容だった。
そらそうだろ
頼朝暗殺説なんてげすの勘ぐりでしかない
頼家なんかは当時幕府がふせていても、はっきりと暗殺された、といわれまくってるが
頼朝死後の混乱からして突然死でしょ
「げすの勘ぐり」とか史実厨は何で上から目線なのさ
頼家が郷ひろみで、実朝がウルトラマンタロウだったっけ
頼家は、比企という一族の娘を嫁にもらったために、北条と対立した
実朝にも、足利氏の娘との縁談が持ち上がったが、実朝はそういう争いには嫌気が差していて
「嫁さんもらうなら京都の公家の娘がいいなあ、政治に口出しすることもないし、毎日和歌を詠んで暮らしたいしなあ。」と
のんきなことを言ったために、北条政子はこれはアカンと幻滅して、公暁をけしかけた
源氏を滅ぼした後は、完全に北条氏の天下となった
頼朝は事故死だろうけど、晩年の娘を天皇の后にする一件で坂東武者の信用をなくしたのはあるぞ
だがな
竹御所が皇族将軍と婚姻する予定だったとなると、あまり単純な話でも
なくなるからな<大姫三幡姫入内
三幡の入内は頼朝死後もすすめられていた話だし
426 :
日曜8時の名無しさん:2011/12/17(土) 06:01:17.13 ID:sfwHybsK
入内の話は頼朝個人の思いで進めたもんではないだろうね。
少なくとも政子周辺は賛同してのもんでしょ。
頼朝と政子周辺が賛同して行ったということは、当時の御家人の主流は賛同してるものと考えられる。
後々に皇族将軍を鎌倉側から強く希望していることから考えても、鎌倉の安定のためには朝廷との強い結びつきが必要と主流派は考えてたものと思われる。
でも、反対派がいたのも事実だろうな
現に公暁をたきつけたのは三浦の可能性もがある
これ以上言うと埒が明かないから止めよう
頼朝が10年生きてたら、頼家や実朝の悲劇は回避されてたと思うぞ
頼朝が御家人粛正にあれこれ奔走してたのをみると
一源氏の名だけで支配の正統性を得るのでは不十分、と考えてもおかしくない
現に、頼朝という個人のカリスマが死ぬと、鎌倉はすぐゆらいでしまった
平賀が将軍をねらっただの一条を将軍につけようとしただの
誰でも将軍をねらう状態になってしまう
朝廷と頼朝の家を結びつけて、他の源氏とは違う存在にしようとしたのわかる
現時将軍が短命なのは仕方ないかもね
本郷和人センセがNHKのラジオで清盛ネタを語っているのだが、
その中で草燃えるを褒めてたよ。我々歴史家は人物の心までは
計れないが、ドラマだからこそ描ける部分があって、
義経殺害後の奥州での頼朝号泣場面は素晴らしかった、とコメントしてた。
先生はリアルタイムで見たのか総集編見たのかNHKに借りたのかは
わからんけど。やっぱり借りて全部見たのかな?
腰越状をあそこで使ったか、という劇的効果に自分は感心したな
頼朝の感情表現については別にというか普通というか
本郷センセは義経殺害について、歴史の上では冷酷な頼朝、
で片付けられるけど、ドラマでは殺したくて殺したのではないー
って面を描いてる点を褒めてたよ。来年の頼朝役の人、
コメント見る限り役を理解してないようなので、
NHKはせめて草燃えるを全話見せておいてほしい。
433 :
日曜8時の名無しさん:2011/12/27(火) 02:14:26.38 ID:oiohiZ9P
草燃えるの義経は憎めない男だったからね。
政治家頼朝としたらイラつかされる弟であったろうことはわかるけど、
ふと兄頼朝に戻った時の感情はね。
射ることすら出来なかった矢を見てというのは良かった。
義経の死に対する頼朝の涙は
板東武士団が集まってくるときの頼朝の涙と対比されてると感じた
あの嘘かほんとかわからない涙に対して
義経に対しては本当に泣いてるのかなと思った
でも、それとても、頼朝の芝居に過ぎないかもしれなくて、
なんだか頼朝の複雑さを感じたね
その両方の涙を、ドラマ中では義時が目撃してるんだよね
武士団を迎えるときの涙に対して義時は明らかに懐疑的なことをいっていたけど
義経の死に慟哭する頼朝を見る義時も、見ようによっては冷たく見ているようにも見える
頼朝の涙に宗時と政子は感じ入ったけど義時は懐疑的にみてたのは面白いシーンだったな
だがあの頼朝の涙も心底の涙かもしれないしどのようにもとれるところが
こういったドラマの面白いところだ
平泉での頼朝の涙については義時の感情表現もよくわからなかったが
頼朝への義時の感情というのがこのドラマではあまり描かれていないというか
よくわからないような・・
いじめやしごきにあってもじっと耐えてるがそれをどう思ったのか、とかさ
歴史を知らずに普通にみたら、義時はすぐ頼朝に反旗を翻しそうだったよw
436 :
日曜8時の名無しさん:2011/12/27(火) 12:20:55.22 ID:oiohiZ9P
おらの感想だけど、最初は芝居してまで人心掌握に腐心する頼朝をみて単純に感心して尊敬してた。
しかし、例の一件以来一歩引いて冷徹に頼朝を観察するようになったと思う。
あの事件の直後に梶原景時の手紙を頼朝が御家人達の前でほめそやすシーンがあったんだけど、
凄く冷たい目してたからね。
そして頼朝の側でいろんな事を学んだ結果が後半の怪物義時になったと。
再放送当時のこのスレでは、個人的な感情に振り回されないのが義時で
だから頼朝にも恨みをもつようなことはないんだ、ていわれてたような
最初の頃は義時が鷹揚でのんびりとした感じに描かれてて、時政が怒っても
いいんですよオレは、みたいに気にしない感じだったね
自分はもう少し両者の感情的な交流があってもよいのではと思いはしたが
頼朝って義時のことはやけに信頼してたからそれに説得力を与えるようなものを
梶原は有能だからそばにおいた、というのはよく描けていたが
頼朝と全成の間の心の描写もあまり描かれていなかったな
平泉のシーンは、義時の懐疑的な独白がいいんだ
全成の方から距離を置いてたんじゃない
誰もこないな
「平清盛」とどこまで関連付けて盛り上がれるかな?
時政、政子くらいしか出ないでしょう
頼朝はウソ涙と本物の涙の区別が自分でもついてないのだろ。
お前だけが頼りだというのは本心から言ってる。
頼朝がその種の天才だとすれば、小四郎はその才能を学習し直して、さらに発展させたような
だから政子があの人はああいう人=天然なんだというのも、
小四郎があれは本心かなあ?と思うのも、両方当たってるんじゃないの
むしろ、「義経」の前半で、平清盛はやっちまったからなあ
奥さんが美人で、体を投げ出して「息子の命を助けてください。」との頼みを聞いてしまったばっかりに
頼朝と義経が生き残ってしまい、平家は滅ぼされてしまった
以後、武家社会では、殿様だけではなく、男の子は全部殺せという慣わしができた
>>445 常盤の嘆願がどの程度の実効性があったかどうかは疑わしいよ。
まず頼朝が流刑で済んだということを考えないとね。
頼朝は嫡子、元服済み、戦闘参加 この用件を満たしている頼朝が流刑で済んだ時点で
常盤の子供達の命が奪われる心配が無い。
そもそも平治の乱は源氏vs平氏の戦いではなく
後白河院近臣と二条天皇側近の争いが乱の発端で、
義朝は乱の首謀者藤原信頼に巻き込まれたに過ぎず、
清盛は当初いずれの勢力からも中立で後から二条天皇側近が接近しての応じたに過ぎない
と現在は見られている。
従って頼朝をはじめとする子供達の処分が軽いのは当然であり
常盤が後に一条長成の元に嫁いだのはむしろ宮廷社会の義朝に対する同情からの
「保護」だという主張すらあるよ。
つづき
「源平合戦」といわれているものは現在「治承寿永の乱」と呼ばれている。
この乱において挙兵したのは頼朝だけではない。
義仲、甲斐源氏、尾張源氏、美濃源氏、近江源氏などの他源氏
北陸豪族、伊予河野氏、鎮西の豪族などの源平に関係ない豪族
南都、園城寺、熊野などの寺社勢力も
反平氏を掲げて挙兵している。
源平合戦と呼ばれるものは源平合戦ではなく
各地の諸勢力(源氏も多かったけど)が蜂起した全国的な内乱である。
つまり頼朝を殺しても全国的な内乱は起きただろうということ。
ただし、頼朝が死んでいたら鎌倉幕府は成立しなかったろうし
義経が死んでいたら内乱6年で平氏は滅びなかっただろうけどね。
頼朝は池禅尼の熱心な嘆願があったともいうし
>>448 その嘆願があったのは事実だろうが
嘆願が受け入れられる
>>446のような背景があったということの方が重要だろう。
無論池禅尼の後家としての発言力は無視できないが。
なお従五位の貴族階級の頼朝の処分の最終決定権は朝廷にあって清盛になかったと思う。
頼朝が流刑になった日と同日に他の貴族たちと同母弟希義も流刑になっている。
嘆願は頼朝の母方の実家熱田神宮家も大きかっただろうな。
あそこは院の近臣でもあるから。
それと
>>437全成と頼朝のの間の心の描写もあまり描かれていなかったな
というが、俺の見解では全成は距離を置き分を守ったんじゃない
451 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/07(土) 19:28:55.66 ID:9uuZUwbK
当時、岩下志摩が「嫌な役がある」と言っていたが、どのシーンのことだろうか?
義高殺害で八つ当たりして殺させた武士の母親にののしられるとこ
あたりと推測
あの回が最高だったのに
トミーはさすがにベテランの安定感だったわ。>今日の放送
若い頃から上手いと思うけど、声、セリフの安定感。
ハナタレへたくそ頼朝とナレ代わってほしいくらいだわ。
>>454 元義経だったせいか(?)クレジットがピンで良かったね。
すごろくシーンがふんだんに出てきたのでにやにやした
頼朝は、自分は助かったけど、静御前が義経の妊娠していることを知ったときは
「産まれたのが女の子だったら助けてやるが、男の子だったら殺す」と言った
そして、産まれたのは男の子、静御前の必死の命乞いにも関わらず、赤子は由比ガ浜の海岸に捨てた
大きくなってから殺すよりも、赤子の内に息を止めておいたほうが、ずっと罪も軽いんじゃないか?
と言う暴れん坊将軍
実際に生かしておいたらどうなったかな
石田三成の息子みたいになったか、それとも第二の頼朝か
頼朝も身の危険を感じたから挙兵したのであって普通はおとなしくしてるでしょ
まあ、その普通が通用するとは限らないから事前に殺すのだけどね
もともと頼朝が反乱を起こしたのは平家と院の勢力争いが悪化した末だからね
463 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/11(水) 21:27:02.28 ID:WRpCcPw2
皆さん知ってますか?
韓国政府は正式に「寿司、和服、和菓子、茶道、華道、巻きずし、
卵焼き、姫路城」は 韓国の文化だと海外に広報してるんですよ。
今日本の本やマスコミが「古いもの捨てて家の中すっきり」キャンペーンは
日本人に日本人の証になる古いもの捨てさせて、民主党が予定している韓国からの大量移民が
スグ日本人になりかわれるようにする下準備なんですよ。
だからマスコミ=朝鮮人に騙されちゃいけません。日本人の証である
日本の文化を大切に。今世界は日本ブームなんです。日本人は尊敬されてるのです。
それを海外で悪用しているのが中国と韓国人です。
1950年代まで韓国には文化がありませんでした。
チマチョゴリは本当は女が胸の部分だけを晒している
「乳出しチョゴリ」(乳出し出しチョゴリで検索)で家はアフリカの土人が済むような土を適当に
積み上げたものでした。
その未開の野蛮人が今日本の文化をそっくりそのまま韓国のものだと
言い張っています。民主党は韓国人政党なのでまずこれには抗議しないでしょう。
私たち一人一人が日本人を自覚し守っていくしかないのです。
464 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/11(水) 21:28:40.08 ID:WRpCcPw2
>>462 平家追討は親の仇云々より、以仁王の追討令によるものだということ
以仁王が源頼政と挙兵した
以仁王から平家打倒の命令を受けたであろう諸国の源氏を監視しろ
疑いがあれば追討しろ
(源頼朝)監視が厳しくなった
平家追討の命令を受けてるし、場合によっては捕殺されるかも
追い詰められて挙兵
かな
467 :
忍法帖【Lv=19,xxxPT】 :2012/01/13(金) 08:29:51.94 ID:bJwXdp9W
あの当時は流罪になった貴人が流罪先で土着の豪族化するってのが普通だったようだから。
山木なんてのもその1人だしね。
頼朝も実のところはそういうつもりだったんじゃないかな。
地元で坂東の武者相手に普通に顔知られるくらいに溶け込んでたみたいだし。
まあそういう交際を通じて坂東の豪族の顔と性質を直に知ることが後々の財産になったんだろうけど、
それは挙兵を見越してやったことではないんじゃなかろうか。
頼朝「これは仇討ちなんかじゃない、謀反だ!」
謀叛ってw
そもそも平氏の家臣ですらないだろ
いやいや、朝廷への謀反
謀反は、家臣や部下とかが主君に盾突くことだから
北条氏が鎌倉幕府を乗っ取ったのも、一種の謀反かも
治天の君でもなく関白でもなく征夷大将軍でもなく
たかが相模守が最高権力者という不思議な時代
後白河上皇が20年早く死んでたら平家の天下はもう少し続いてたよ
北条氏は別にのっとってません最初から最後まで執権です
単に源氏が勝手にころげおちたんです
475 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/13(金) 23:56:11.87 ID:Iq3PXTGK
>>472 田舎の知事がその国の最高権力者だなんて国、少なくとも主要国じゃ類例がないよなあw
我が国ながら面白いや。
そんだけ日本人が建前重視してんでないの
つまり、執権が帝を廃しして自分がとってかわったら大ブーイングになるし
統治ができない
ところが、最高権力者でも身分は低いままだったら納得して従うし世間はおさまる
うわべさえ綺麗な言葉でつづっておけば現実はみないでことをすませる
ここがあるんだから、今年の大河スレで延々と
草の話題を続けるのはやめような。
全成が将軍になってれば、源氏の天下が続いた
といわれてたねw
そうかも
この建前が日本という国の特徴だな
良い意味でも悪い意味でも
どっちかというと悪い方が目立つな
津波はきません、といっとけば本当に津波なんておきないと勘違いするとか
昨今、
「頼朝は担がれただけ」「利用し終わったら捨てられた」「全て北条氏の功績」みたいな
論調があちこちで目立つんだが、いくらなんでも頼朝を過小評価しすぎ・北条を買い被りすぎだと思うんだが
このスレの人たちはどう思ってるんだろう。
今源平の大河やってることもあり、久々に草燃えるを総集編だけだが全部見返してみた
平家の、清盛のリメイクやったことだし将来頼朝か政子あるいは再び夫婦主役で大河作られる機会あると思うが
草燃えるは正直越えられないだろうな
そのくらい70年代の大河は魅力的だった
483 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/14(土) 13:14:25.46 ID:GjRJ4H6G
>>481 最近は違うと思うけど。
最近書かれてるこの時期に関する歴史書はほぼ共通して頼朝の評価が高い。
そして頼朝在世中の北条家の動きがほとんどよくわかっていないことも周知になってる。
頼朝は御輿で間違いないし、富士川の戦いのあとで上総介らの言い分を聞いて坂東に残ったあたりまではまだ独自の力はないと思う。
しかし、京下りの側近衆や梶原など独自に抜擢した武家を手足に次第に独裁しはじめて以後の頼朝は単なる御輿じゃないでしょ。
そしてその独裁政治によって御家人に利益を与えたからこそ独裁に関して御家人の支持を獲得したあたりが頼朝の政治家としての素晴らしい力量なわけで。
ここんとこは頼家が対比としてわかりやすいけど、御家人の利益にならん独裁なら御家人から放り投げられる。
そしてその結果が御家人どうしの主導権争い、最終的には殺し合いだ。
頼朝死後に発生したことを考えれば逆に御輿としての頼朝の偉大さがわかると思う。
あともう1つ大事なのは、朝廷相手に幕府というシステムを確立出来たのは頼朝抜きには不可能でしょ。
>>449 助命には上西門院の力も有ったとも言われてる
今年の大河では上西門院殿上始は出てこないみたいだな
清盛、頼朝、時忠等が一同に会するのって見所だと思うが
>>481 北条マンセーで頼朝を矮小化したがるレスをよく見るが、
執権政治も承久の乱も、頼朝が創り整備した幕府という組織あって
こそなんだけどね。ただ担がれても、その武力をどう利用するか
判断力・政治力がなければ義仲コース。
当時の武士の感覚は、承久の乱頃の義時でさえ、兵を出した直後に
雷が落ちたら天罰だとうろたえてて、広元に叱咤されるレベル。
頼朝は、数百年の歴史を持ってる京の魑魅魍魎を相手に、
恭順の姿勢を見せながら、その権威を利用し、時には武力で恫喝、
時には無視、と地道で根気のいる政治駆け引きで幕府の根幹を創った。
「政治」っていうのは、基本的に動きのない文書のやり取りが多いから、
分かりやすいドラマや小説にはなり得ないんだよね。
石坂さんで、政子以前の頼朝からを見てみたかった。
486 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/14(土) 18:13:50.63 ID:1n3SQnjL
あと、このドラマは政子を矮小化しすぎだよな。
義時を裏の主役にしたい反動なんだろうけど。
承久の乱の動きみると、政子、大江の2人の存在が実に大きいんだよね。
義時はかなり錯乱してたからな。
政子は頼朝の妻だし、大江は腹心中の腹心。
頼朝の身近にずっといたからこそ出来る判断ってのがあったと思う。
政子の演説はまさにそうだしね。
だが、全成でも頼朝ぐらいはできそうというのはいえる
あと政子の演説は過大評価されすぎだと思うがね
あの時代のいろんな書で政子の演説をやたらもちあげてるのって吾妻鏡ぐらいでは
それに加えてこのドラマでは政子が自分で語ったりしたから余計に効果的だがw
実際は代読だろ
489 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/14(土) 18:51:46.82 ID:1n3SQnjL
>>488 政子の演説はともかく、政子は愚管抄でも高く評価されてるけどな。
ちなみに、あの演説以上の演説は日本においておれは他にシラネ。
日本だけじゃなく、演説ってのは戦いの前は戦意高揚のためにとても重要なんだぜ。
北条は源氏や皇家将軍がなければ支配できなかったからな
足利や管領上杉の旧勢力を完全排除した後北条のほうが強力w
>>487 全成こそ過大評価の塊だろ
なにもしてないくせに、父親が同じだから頼朝くらいなら出来るなんて。
頼朝が手をだせなかった弟だからな
北条がこわかったのかもしれないがw
頼家は手をだして北条の返り討ちにあってたから頼朝は賢明だった
493 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/14(土) 19:01:36.73 ID:1n3SQnjL
>>492 でも全成は死んでしまった。
フグみたいだな、全成w
「北条が怖くて手を出さなかった」とか出家者の身内を何の理由で殺す必要があるんだか。
平治物語の常盤の長男である事、挙兵の時に駆けつけた事と、
実朝の乳母の夫になって頼家に処刑された事くらいしか記録のない全成が、
頼朝くらい出来るとか妄想にも程があるわ。
>>489 卿二位と同じレベルで語られてたところ?
他にもあるのかな
このドラマの卿二位も好きだったが
あの何ともいえない言葉づかいが特にw
496 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/14(土) 19:25:10.77 ID:1n3SQnjL
>>495 おれもw「んまあ」とかねっとりとした言い方がw
でももっと政子とのやりとりがみたかったよ。
回数が残ってなかったのかな。
>>482 頼朝死後の内ゲバドロドロっぷりは、他の大河全体見回しても
そうそうあるもんじゃないしな
頼朝が死んだあとの全18話で
安藤討伐未遂
梶原景時討伐
全成処刑
比企一族滅亡
頼家暗殺
畠山一族滅亡
時政追放
和田一族滅亡
実朝暗殺
公暁殺害
承久の乱
こんだけやってる
承久の乱除いても2話に一度のペースで誰かやられてるんだから
源平合戦とか頼朝と義経の争いとか、今思えばのどかですらあったw
498 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/14(土) 19:54:13.98 ID:1n3SQnjL
>>497 これにほとんど関連してるのが義時に義村。
そして2人とも最後まで生き残ったw
ドラマの使い方として実にうまかったよね。
義村なんて若い時期から爽やかにとんでもない謀略やったからなあw
つーか北条が絡むと他の大河作品より無駄に血が流れるんだよなぁ
敵同士での合戦とかでなく身内からの騒動めいたことで
草燃えるはその最たる例として北条の中盤をやった時宗にしろ北条の末期をやった太平記にしても
世代違う後北条もその例外でなく早雲が作品化しないのはそのせいだとさえ思えてしまう
>>485 そういえば時政って治承寿永の中盤から後期にかけての時期「吾妻鏡」に活動が記載されてないんだよな。
亀の前事件でいなくなった一の谷の後頼朝が伊豆北条に行くという記事まで影も形もない。
一応その直前に時政が西国に文書出したとあるけど実はその文書発行者は平姓の別人らしいし。
その後は園城寺に手紙出しましたとだけあって
義経と腰越で面会するまで登場なし。
これをどう解釈すべきかな?
北条は軍事苦手で出番がなかったと見るべきか、鎌倉においてはまだそんなに重い存在ではなかったと見るべきか?
501 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/14(土) 20:49:30.56 ID:V9iwjX7F
政子を矮小化したというより主役で善人補正かけたら小物になってしまったのだろう
>>497 安藤討伐未遂って安達のこと言っているのか??
時政は軍事だけでなく、奥州遠征のときにも頼朝上洛のときにも同行してないぞ
二度の上洛で頼朝の直前、つまり一番身近なとこにいるのが義時
北条を実朝の後見にしたことは頭沸いたわいたのか?としかいいようがない
その北条と三浦は縁組みしろよーとかやってたし
自分が北条と三浦にかつがれて旗揚げしたのに、実朝まわりに配するとかさ
頼朝がもっとしっかりしてれば頼家はあんなことにはならなかった
>>502 そう
リアルタイムで見てたとき、安藤と書いて「あだち」って読んでて
子供心に混乱したような記憶があるんだよな
今、wikiで調べると安達になってるから記憶違いかもしれんけど
鎌倉の神社だか、「安藤盛長」って紹介されてる表記もあるみたいだ
>>503 個人的には、実朝の乳母に阿波局を付けたのは、
時政への配慮だったんじゃないかと思う。
単純に頼家に義経(嫁の母は頼家乳母)を付けた
ように、実朝にも身内の叔父を後見にした面もあるんだろうけど。
頼家の周辺には、庶家として独立してる義時(嫁が比企)や時房(側近)はいるけど、
とにかく時政一派(正妻牧の方や政範)が排除されてるんだよ。
比企の乱への強引な行動力、その後地雷の武蔵国への介入
という浮かれぶりからして、上昇志向の時政は、頼朝晩年は
相当鬱屈してたんじゃないかと思う。
時政が実朝派、義時と時房が頼家派
といいたいが、義時は真ん中だろうな
義時がオヤジにおしきられたのか比企をきる決断したんで時政も動けた
頼家時代は時政世代は年くって義時世代が鎌倉の中心世代になりつつあったし
和田は年齢的に両世代の間ぐらいか
北条が血なまぐさい粛清をやったが、その分善政をやってるんだよな。
でも、それは以下に彼らが権威を持ってない証なんだよな
粛正は頼朝もやってるからなあ
2,3年に一回は誰かを殺してるというか
武家政権という前代未聞のことをやろうとしてる途上だからいろいろあるわな
509 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/16(月) 01:38:56.92 ID:7vMruJde
>>506 義時は政子派
年齢も近いしこの二人は頼朝死後は政治的には一心同体で行動した感がある。
そしてこの二人が最終的な勝者になった。
頼朝が二十年生きてたら源氏将軍はもっと続いてたと聞くが、どうなんだろうか?
511 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/16(月) 02:05:46.40 ID:7vMruJde
どうだろうね。
20年って相当長いからね。
頼朝が生きていても平穏無事に20年過ごせるかどうかわからないからな。
でも政子は義時のために随分と力をかしたけどさ
てか義時の利益になることいっぱいしてたけどさ
義時が政子のためになることなんてなんかしてたっけ
この差は男と女の差なのかと思う
逆だったら政子もあんなに苦しまなかったろうに
>>476 当時は、国の概念が今とは違うし
京都にしてみれば、遠い遠い鎌倉の武士が「うちは独立国だ」って名乗っても
勝手にすれば?って感じだろう
むしろ頼朝が長くやり過ぎたから頼家がああいうことになった気がする。
明の太祖洪武帝みたいになっちゃってるよね。なんか暗殺説も捨てきれないんだけど
>>510 その展開の場合は頼朝が足場を磐石に固めた上で
順当に行けば3代目になったであろう一幡の器量次第ではないかな
困った事に頼家があの程度の出来なので尚更ね
頼家暗君説は北条のプロパガンダだから鵜呑みは良くない
最も梶原を見捨てたから技量は優秀とはいえないね
517 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/18(水) 21:28:47.11 ID:YlMeUKvB
京の記録でも、頼家が梶原を見捨てたのを、アホかって感じで書かれてるもんね。
いくら若いとはいえ、曲者揃いの御家人連中を統制する力量には欠けてたと思われる。
後年、北条時頼、時宗、貞時あたりは20歳前後でかなりの手腕見せてるから有能なら若くてもそれなりのことはできるはずなんだよね。
梶原事件から頼家追放まで、三年間ある事を忘れてはいけない。
まず、頼朝死後わずか一年くらいで、千幡を担ごうとする謀反の動きが、
都の兼実が知ってるくらい公然と起こっていた。それを景時の
讒言だったとして景時が処分された。いわば、景時を犠牲にして謀反を鎮圧した。
その後は、建仁の乱を鎮圧、征夷大将軍に任命、三浦の接待で
御家人と交流したり、とりあえず幕府は平穏だった。
少ない記録から頼家が孤軍奮闘で動いてるのは伺われる。
事態が急変したのは、頼家が危篤になるほど重病に陥った事。
病の身で阿波局逮捕に動いてかつてと同じ謀反を防ごうとするが、
ここで景時のような有能な側近がいなかった事と、また政子の
妨害も受けて中途半端に終わってしまった事が命取りに。
ここで千幡を出家させるなり、曾我兄弟での範頼のように、
徹底的に処分するべきだった。
比企がどうにも母性的な一族で、汚れ仕事に疎いような気がする。
519 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/18(水) 23:03:41.70 ID:YlMeUKvB
>>518 いやいや、景時を犠牲にさせちゃいかんのよ。
だから孤軍奮闘になっちまったんだろ。
まあ同じ乳人ってことで比企が積極的に景時排除に動いたんだと思うけどね。
比企と景時を統制してがっちり掌握しうる立場だったのは頼家ただ1人だ。
それに失敗した時点でもうダメだったんだよ。
もし頼家が景時を庇って比企と共に側近として重用してたら北条の独創は抑えられたかもな
まあ、源氏将軍の不幸は頼家が時頼、時宗、貞時のような技量を持ってなかったのが大きいね
前者二人は無理でも貞時クラスは欲しかったね
時頼だけでないよ、経時も18歳で執権になってるやいなや、自分をおびやかす勢力は
即排除にかかっている
頼家の場合は、自分をおびやかすものを排除するのではなくて、自分の味方をきって
敵のご機嫌をとっている
頼家は気が弱い、というか優しいというか・・・ ひ弱という見方もされかねない
身体も弱かったようだし
御家人たちは強いものを好むから、その面でも頼家はあわなかったんだろう
自分は、義時がドラマでいった、武家にとって力は正義だ、というの
ドラマみてる時はぴんとこなかったんだが、今は実感している
反乱の土地の関東を人をひきいるには、権威ではダメで、力が必要なんだな、てさ
頼朝の早死にが頼家の人生を狂わせたな
18歳に将軍の地位は重すぎた
所で義朝は内昇殿をゆるされたのは保元の乱後だけど、清盛はいつから許されたんだ?
ウィキの年表に載ってないんだ?
523 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/19(木) 00:11:56.85 ID:tLyp/Zy6
>>521 敵の御機嫌とるのは構わないけど、それは相手を油断させるものでなくてはならんのよね。
後年の足利義満が典型だった。
彼に妙に持ち上げられた人物は要注意だ。
ほぼ確実に油断させといてばっさり斬り捨てるから怖い。
でも、君主はそうでなくてはならんのだね。
>>520 ただ、梶原は敵が多いからなあ
比企と梶原が頼家を支えたとしても、北条が敵にまわったらやはりきついよ
和田は梶原大嫌い、畠山も梶原の讒言には痛い目にあってる
小山は北条や三浦と仲がよい
比企合戦に加わったこのあたりの連中が、千幡についたらやはり
似たような結果になったかもしれん
525 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/19(木) 00:19:30.51 ID:tLyp/Zy6
>>524 だから最初は北条を油断させればよかったんだよ。
時政には娘がいたろ。
嫁にもらえばよかったんだよ。
油断させといて千幡を始末しちゃえば北条は打つ手なくなるだろ。
そうだね
やはり鍵は北条だと思うな
北条がいなければ千幡は無力だし敵ならばっさりとやるべき
それこそ全成を逮捕してたあの騒動のときに片付けるとかさ
でなければ、味方にひきいれて手なずけるべき
頼家は北条を討てばよかったかもね
霜月騒動の平頼綱が安達泰盛をうった如く
しかし、北条がいなかったら鎌倉幕府はどうなってたかね
あそこまで安定した政権になったか不明だよ
貞時なんて、地震のどさくさにまぎれて平頼綱を討ってるからな
頼家は北条を嫌っているような、でもこれを討つほどの度胸もないという
北条討伐を命じたのがほんとに最後の最後でもう手遅れだったという悲劇
将軍就任当初なら可能だったかもね
でも、さっきも言ったが北条がいなかったら鎌倉幕府は安定してた
可能性は低いと思う
530 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/19(木) 00:49:49.81 ID:tLyp/Zy6
>>528 あの時の貞時なんて頼家とは比較にならんくらい立場弱かったからな。
だって自分の身の回りを全部頼綱一派が固めてんだから。
主人の側からのクーデターとしてはこれ以上ないくらい水際立っていたと思う。
独裁者の後継といえば貞時が近いかな。でも、頼綱討伐後に
張り切って独裁体制を敷くも、泰盛と頼綱という
自分の手足を切り落とした訳だから、上手くいかなくなって
一族内紛起こして政務投げ出して酒浸り、結局次代で
滅ぶわけだからなあ。
後継者に将来支えになる人材を付ける(先代の恨みを負ってる人は除く)
のが大事だったと思うが、それが育つ前に頼朝が死んじゃったからな・・。
北条のやり方は敵と戦うときは敵を必ず分裂させる
そんで各個撃破
比企と梶原も分裂させた
畠山と稲毛も分裂
三浦と和田も分裂
後鳥羽院と摂関家やお公家たちと分裂
頼家にはそのノウハウがなさすぎた
533 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/19(木) 01:06:50.46 ID:tLyp/Zy6
>>532 敵は分断して、こちらは味方を増やすんだよな。
単純明快だが非常に賢いやり方だ。
>>532>>533 頼朝も同じことしてたよ。
上総介討つ前に上総国内の小豪族を離反させ、同族の千葉氏を厚遇、上総介の周囲を薄くしていた。
一条忠頼暗殺の前に加賀美遠光、石和信光を厚遇して甲斐源氏を分断
535 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/19(木) 10:48:10.37 ID:Kb0q/j66
>>533 敗者だが後鳥羽院も義時個人に対して追討院宣だして
他の武士(三浦など)との連携を防ごうとしている
敵を分断、見方は団結、孫子の兵法にもあるはず
536 :
名無しさん:2012/01/19(木) 17:00:06.10 ID:736Rs9bT
昨日のヒストリアの合戦シーンでこれの映像が使われた気がするのですが、
見た人いますか?
知恵がないのならとりあえず北条と比企のバランスを取ればよかったんだな。
北条得宗家は家督相続にあたってバランスとっても、粛清に失敗すると一瞬で高時状態になるけど
頼家はそこまでリスクを取らなきゃいけない立場じゃなかった。
ただ、最悪なのはやはり頼朝の晩年だと思う
頼家も北条分断をはかっていたかもよ
五郎時房を側においていたじゃん
そのくせ、名前がよくないとか何とかいじめみたいなことやってたのはいただけないが
義時が比企妻なんだから、これをこっちにとりいれて千幡派の時政と
分裂させるのが一番だったと思う
それでなくても北条は政範と義時の相続関係で微妙なようだったし
いくらでもくさびは打ち込めそうな
でも、義時息子の泰時とけんかしたり義時を呼び捨てにして不満かったりしてたな
・・・やっぱりやることが中途半端で北条分断やろうという意思はないか・・
義時がそれにのせられるとも思えないし
ちなみに頼朝は、時政とはそれほど親密でなくても、義時はいつも側においてたし
政子はご機嫌そこねないように大事にしてたし
しっかりと北条家の分断統治はできていたと思うw
頼家と泰時ってけんかしたのか、原因はナンだ?
けんかじゃなくて怒りをかったというべきか
泰時が頼家が蹴鞠ばっかりしていてダメだ、てなことをいったわけで
そんで頼家が、若造の分際でさしでがましいと激怒
あわてて義時が泰時を伊豆に蟄居させた、というやつ
頼家と泰時の1歳違いの従兄弟は仲悪そうだな
政子が泰時ひいきしてそうだし想像はできる
泰時も若かったね。そういえば、草燃えるでは泰時の親父は頼朝で義時は泰時を
わが子として育てたのは何でかね自分の血がつながってない子を育てるなんて訳がわからないよ
普通は鳥羽上皇みたく崇徳上皇をいびるけど、それだけ茜への想いが深い証拠だったんだね。
男しては義時の方が鳥羽上皇より上だね
ドラマではどっちの子かわからない設定になってたと思う
茜本人にもわかってないというか
ま、義時と仲良いときに頼朝にやられたわけだから、そりゃわからんわなw
そんで、義時があれはオレの子だ、といいはってた
思いこもうとしてたというか
泰時を我が子として育てる義時は偉いと思う普通は崇徳院と障子を憎む鳥羽院みたいになるよ
赤ん坊の泰時をみつめる義時の目は優しかったこの頃の義時はまだ白かったんだよね〜
BS歴史館っていう番組、今日義経の特集なんだけど、
石坂浩二がゲストw
渡辺アナが
「石坂さん、義経は頼朝のことをどう思っていたと思われますか?なんかこれ、本人に聞いてる感じですけどw」
って言ってたw
頼朝の頼の字をもらった御家人って泰時だけなのか
朝の字だと結城朝光とかも居るみたいだが
>>536 草の映像出てきたよ−。挙兵後に以仁王の宣旨の袋掲げて
鎌倉入りするあたりの映像だと思う。
北条と江間の対立を利用しない手はなかったよね
あとで露骨に対決するぐらいだから、萌芽はあったはず
義時を味方にひきこんで朝時を嫡男にして取り巻きに育てる、で頼家はすんだ話だと思う
なーんでそれができなかったかなあ
やっぱ比企との関係かな
>>545 後の方でも
「頼朝演じられてたときからそういう風に思ってたんですか?」って聞かれてたね。
歳を取った佐殿が九郎について語ってるみたいで面白かったw
「義経に憧れながら頼朝やってたんですよ」
BS歴史館、ほんと歳をとって少し穏やかになった頼朝がいるみたいで楽しかったw
石坂さん、やっぱり北条にムカついてたんだねwお前らがウチを滅ぼして
オレが悪いって仕立てたんだろ!(吾妻鏡の頼朝冷酷景時讒言とか)
実朝やったのも北条だろ!って感じで完全に頼朝の視点だったw
>549の渡辺真理の質問の答えも聞きたかったわ−。
今年のナレ、石坂さんにやってもらえばよかったのになあ。
それにしてもNHK、今年の大河で頼朝押しといいながら、
ヒストリアやら歴史館やら立て続けに特集組むのは義経ばかりで
頼朝はスルーですかそうですか。
ヒストリアよりその時、歴史が動いたがよかった。
ヒストリアはバラエティーだよ
実朝を殺したのは三浦じゃない北条と後鳥羽院では無理がある
553 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/20(金) 20:28:53.63 ID:jFvml94Z
公暁の乳父が三浦義村であること、
駒若が公暁の周辺にいたこと、
実朝討ち取った後で公暁が三浦に向かっていること、
これ等を考えたら三浦が無関係とは思えないんだよね。
よくわからんのが、公暁自らが実朝を討ち取ったこと。
そんなことしたらむしろ将軍の座が遠のくように思えるんだが。
もっとも覆面してたから本当に公暁かどうかは誰にもわからんのだけどねw
義時と太刀持ちかわった源仲章が殺されてるが、この辺の事情も背景が判然としないし。
というわけで、ドラマに近い筋書きは十分に考えられる。
また、真相と無関係に実朝暗殺を巡る義時vs義村の対決と収拾はこのドラマの最高の見せ場だったよね。
>>548 こうしてみると政子なのかな…
義時や時政はそれで妥協可能でも、政子はダメでしょ。
将軍の後家が2人になったら
555 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/20(金) 20:35:09.29 ID:jFvml94Z
>>554 泰時が頼家と疎遠なのはわかるな。
比企妻の子の朝時との関係上、比企系の頼家が将軍じゃ泰時の将来は見えてる。
泰時は千幡寄りにもなる。
また政子が泰時を贔屓するのもその辺だな。
政治ってのは結局好き嫌いや人間関係と切り離せないな。
義時が千幡を選んだからどうしようもない
奥さんがいても比企とは良好とはいかなかったんだろうな
頼家のとりまきというか側近からはじかれて、実朝擁立にいったんだろう
梶原も結局はじかれたし、そんだけ比企ががっちり固めたということかな
頼朝の側近の結城も頼家時代はきつそうだったから頼朝側近の若者世代だったものは
頼家時代になって、以前のような羽振りをきかせられない、というのもあったのかも
しかし、妾の子に過ぎない泰時を義時は冷遇しなかったのは何故なんだろうか
ここら辺は母親に早くに死なれて不憫と思ったからかね?
>>557 最初は時政と義時の関係に似てるんじゃないかな。
頼朝の覚えがめでたかったので、義時の跡取りとかそういうのに関係なくまず泰時自身が立場を確立していったと。
そこには政子の後押しもあったようだし。
そうした結果、泰時が個人として評判を高めていくなら義時としては冷遇する必要はない。
そもそも当時は後妻の末子が最終的に跡取りになり、兄たちは成長した段階でどんどん独立してくって感じもあったし。
妾じゃないんだろ
泰時をうんだころには他に正妻はなくて、母親が正妻だったんだろう
その後、だいぶだって姫前がきた時には、多分、泰時母は死んでる
姫前は継室というポジになるのでは
なるほど、納得する
しかし、政子の好き嫌いの激しさは指導者として失格だな
感情の起伏の激しいからだろうけどね
>>560 女性ってそんなもんでしょw
男の方がこういう人に嫌われないようにするしかないw
日本の歴史みると政子に限らず女性の力強いから。
そして女性は1度嫌った相手には容赦しないからね。
逆に義時は公平だよ、子どもに対してもさ
やっぱおっとりと穏便の気質があったのではないかw
政村をかわいがったといわれても、兄たちをとびこえて官位うけるようなことはなく
上から順番にいってる
朝時との関係はちょっと微妙だったかもしれんが
義時は意外と言い親父かもしれないね厳しすぎず甘やかしすぎず
バランスが取れている
泰時は頼朝が烏帽子親で太郎頼時だから、当然正妻腹扱いだ
義時の息子で妾腹だと六郎有時みたいな扱いになる
565 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/21(土) 02:20:59.80 ID:/REmve+K
泰時の母はなぜ歴史から抹殺されたのだろう
北朝鮮の3代目の母親のように神格化に都合の悪い人物だったのか?
同腹のきょうだいがいる感じしないから、泰時は父と母と3人ぐらし
母が死んだなら、父と二人ぐらしをずっとやってたことになる
いわば義時の手で育てられたわけで
子どもがほんとにかわいかったんで尾見としのりくんになった時はチョトw
母親が鎌倉殿義弟の正室になるくらいの一族なら、
後見として記録がどっかに残ると思うが。>泰時母
たぶん、御所女房の赤マフラー時輔母レベルだろう。
庶子であっても、11歳も下の朝時誕生までは、
義時唯一の男子だったんだから、大切にされるだろ。
清盛も母方不明だが、祇園女御のバックがあって正妻腹を差し置いて家督を
継いだみたいに、母を亡くした泰時には早くから政子の後見が付いたんだろう。
母方の後見がない泰時は、政子がコントロールしやすいよなー・・
と伊賀一族への弾圧ぶりを見ると思ったり。
母方がいないから三浦と早くから婚約させてバックらしきものをつけたんだろ
多分、義時と同じ館で育てられて、正妻腹扱いだと思う
政子だって母親が記録にないぐらいだから、あの昔のことは残ってなくてもおかしくない
あと母方の一族が出てこないのは当時だから敵方にまわったことも考えられる
義時の伊東氏も関わりがあるような形で記録に登場はしない
このドラマで茜を敵方の大庭の娘にしたのもそういう理由だろう
>>567 ところが鎌倉初期の北条一族って系譜がはっきりしない。
まず、時政の父の名前すら系図によっては異なる。
時政以前はとにかく系図によって違いが多い。
政子の母親も不明。
この状況からして鎌倉初期の北条は系図を残すことも出来ないレベルの豪族だったという見方もされている。
さすがに時政が父親の名前を知らないわけはないから。
あと、政子は正室ではなく正室扱いだったという見方もあるし。
(他に有力な頼朝の妻が存在しなかったという結果で)
571 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/21(土) 09:53:33.62 ID:MYC4Mb0y
時政系以外の北条も初期にはいたらしいが跡継ぎが絶えたらしい
あんがいそちらが本家かも
572 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/21(土) 10:57:04.98 ID:t+stzTsB
>>568 それにしては三浦娘とあっさり離縁してるのがね
政子が三浦の影響力の浸透を嫌って別れさせたか
あるいは三浦の方で泰時を見限ったか…朝時誕生・頼朝死去で立場が微妙になったと思われるので
単に仲が悪かった可能性もあるよw
泰時の将来を悲観して娘を戻したりしたら、つまり自分を見限られてるようなもので、
義時も面白くないでしょ
頼朝って自分の子供には甘いよね
ここら辺は流罪が原因かね
>>570 そりゃ頼朝挙兵の遙か昔の、伊豆の土豪時代に生まれた面子の
出自は不明だろうが、泰時は義時が鎌倉入りして3年経ってて
鎌倉殿ご舎弟で家子専一というそれなりの立場になってから生まれた子だぞ。
伊豆生まれでも下の方の時房は母が足立遠元女ではっきりしてるし、
時房の子孫も足立氏と縁戚関係が続いてる。
しかし、頼朝の息子をころした伊東氏は馬鹿だな
普通そこまでするかね源氏の嫡男に対して普通は貴族は流人でも妻を娶り子を作っても許されるはずだよ
それなのに頼朝の子を殺して、頼朝を殺そうとするなんて狂ってるよ
577 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/21(土) 23:21:38.63 ID:CxLKjtsi
>>576 世の中どうなるかわからんのだからさ、
常に保険はかけとかないとな。
平家になんか言われたら、娘は親の反対を聞き入れないので勘当しましたとでも言えば済んだ話じゃん。
578 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/21(土) 23:27:03.92 ID:3xYUYz04
そう考えると伊東も立場弱かったんだな
でも、頼朝は悔しかっただろうな
俺は源氏の御曹司で右兵衛佐にまでなったのにこんな仕打ちを受けるなんてとおもっただろうよ
580 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/22(日) 01:09:01.78 ID:feIrce0Z
三浦って長生きの家系だよな。
大介が90くらいで戦死。戦がなかったら何時まで生きてたかわからんw
義澄の73。大介を前にすると見劣りするけど当時としては長生き。
義村が年齢不詳だが、治承の旗揚げに参加しているから多分80歳くらいはいってる。
北条にも時氏経由で三浦の血が入ってるのになあ。
しかし、その時氏から短命ばかりなのが皮肉だ。
泰時母って、義時が若いときに側につかえてた誰かとできてしまって
そんで政子もかわいがってた侍女かなんかかな〜と思ったこともあるけど
それだったら、その縁者というのが少しは顔をだしそうなんだよね
祖父母だけでなく叔父だの何だのいそうじゃん
どっかで一カ所記述があったんだっけ? 忘れたけど
縁者の気配がないから母方一族が滅びた可能性はあるなと思ってさ
>>572 逆だよ
朝時誕生して頼朝死去した時期に婚約履行して三浦と泰時とが結婚してる
その後に比企が滅びるわけでさ
三浦は比企合戦で北条軍にはいってるから、同盟を結んだんだろう
善哉の乳人やってて、どっちにつくんだおい、てなのがあったろうし
その後の離婚は、義時がなんか三浦の機嫌をとってる気配があるから
泰時が離婚の原因つくったのかもしれんぞ
他に女ができて三浦女が政子みたく怒ったとかさw
この頃は離婚の事例が非常に多いので、離婚は家の事情関係なく、単純に男女の仲が破綻した場合も多いと思う。
泰時が執権になった頃はとっくに離婚してんだけど、義村は舅面して幅きかせてるしなw
もちろん跡取りの祖父って面もあるけど。
義時の娘が大江と離婚して土御門と一緒になったのも男女の仲だろうな
あのときの土御門は後鳥羽院側だったし
義朝は平治の乱が起きなかったらどこまで出世できたんだ
右兵衛督くらいはなれたかね?
平治の乱が起きない=後白河全面敗北
となると信頼の出番がないでしょ。義朝は出世できた?
平治の乱が起きない=信西の天下じゃね?
何か適当な罪状でっち上げられて粛清されて終了かとw
588 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/24(火) 01:31:13.12 ID:g1gLJMYH
乱があったから新しい勢力がでてくる
オヤジが乱で死んだから頼朝の浮き目もあったかと
590 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/24(火) 15:09:56.14 ID:3MZIwsaw
平治の乱で源氏方が勝てば頼朝が公卿になれたかも
宗盛・知盛は流罪
591 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/24(火) 19:45:29.21 ID:O7+AJwpt
>>590 源氏方勝利ってどの段階の話?
信西を殺害した直後なら正に勝利。
だけどその後で二条天皇派が清盛て手を組んだから清盛と義朝が戦う羽目になった。
この時清盛が二条派につかなかったら、清盛はそれなりに出世、義朝も播磨守をつつがなく勤めあげて忠盛位の出世はしたかもしれない。
頼朝が平治直前の清盛くらいまではいったかも。
で政権担当者は信頼。
清盛と戦う羽目になって万が一信頼、義朝が勝っても、政権担当者信頼、義朝は公卿未満、頼朝もそれなりで終わったんじゃないかな?
でもやっぱり身内で争いがおきて子孫断絶はかわらなかったりして
悪源太と頼朝は確実にやったでしょ
欧州や戦国時代だと王侯は石高や所領の質で勢力を換算されて直観的に勢力図が分かるけど
日本のこの時期って公家、持明院統やら大覚寺統が誰からどの程度財産を譲られて持ってたのか、
いまいち分かりにくいな
領地関係も戦国時代以降のある程度まとまった近隣地域を支配じゃなくって、あっちに一郷、こっちに村が何個って感じにバラバラだったら
なおさらわかりにくい
頼家時代まではよくできてたドラマだった
しかし、実朝時代はまったくいかんかったろ
尺がたりなかったというか
596 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/28(土) 01:09:09.80 ID:QKfgCEOY
なに言ってんだ。
実朝時代は義時と義村の対決がクライマックスだったろ。
おそらくマツケンと藤岡弘の生涯最高の演技だと思うぞ、この辺は。
その一瞬だけだろ
しかも、政子との関係は結局うやむやだ終わったし
それ以外の実朝時代の描写ってさあ
なんかあったっけ
598 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/28(土) 01:47:16.64 ID:QKfgCEOY
しょうがないんだよw
原作からして、終盤は義時vs義村が軸であとは添え物なんだからw
自分がどーにも理解できんのが、あの実朝渡宋計画ってやつでさ
何であんなもんがでてきたのかもわからんし
このドラマみててもなんかぴんとこなかった
もし船がうかんでたらどうなった?
実朝いなくても義時がいれば鎌倉が平穏だったのはわかるけどさ
跡継ぎの息子なしで鎌倉殿がいない、というのはかなり問題だったような
600 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/28(土) 08:48:47.67 ID:QKfgCEOY
>>599 あれはほんとわからん。
それでもこのドラマみたいに実朝が傀儡に過ぎずそれに嫌気がさしたってのならまだわかる方。
でも最近の研究だと実朝は単なる傀儡じゃなく結構しっかりした政治家のようなんだよな。
それだけになんであんなことしたかが謎。
船が浮かばなかったのはそれこそ義時あたりが工作したんじゃないかな。
鎌倉殿がいなくなったら困るし、かといって実朝を止める程の力は義時にもなかったんだろう。
そうなると裏工作を考えるよね。
普通に実朝の趣味じゃないの。今でもムーを愛読したり宇宙旅行行きたがる人いるじゃん
実務に疲れて、細川政元や長尾景虎みたいに突発的に家出しちゃう人もいるし
もしくは私貿易のルートを拡大したかったとか。宋船が六浦の湊に入ってかどうかは知らないけど
602 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/28(土) 09:48:01.64 ID:QKfgCEOY
そんなとこかもね。
政治なんてもんを毎日やってたら疲れて非日常的な趣味に凝って不思議はないもんな。
書籍で宋に憧れるとか普通にありそう。
政元さんなんて魔法使いに憧れて空中浮遊だからなw
実朝の暗殺が未遂で終わったら親王将軍はもっと早くできたけどね
だけど、上京しよう、とは言い出さないだな実朝
宋にいくのをとめられないなら、上京もとめられないだろうから
本人がいいださなかったんだろうし
鎌倉幕府はよく150年持ったな奇跡だよ
案外、やっぱり以前からの実朝傀儡で自分が利用されるのに嫌気がさして
てなのが正しかったりしてw
和田合戦で自分の側近たちがやられたりしてさ
義時の館に半年ぐらい滞在してたときがあったけど、三寅があとで義時館で暮らすように
執権の力がやはりかなり強力に見える
あるいは、兄とその息子たちをおしのけて、自分が将軍にあるのに忸怩たる思いがあったとかさ
だから、自分の子どもをもとうとしなかったというか
渡宋がどーのの騒ぎのあとで公暁が鎌倉に戻ってくるというのも
なんか偶然にしてはちょっとな〜
執権に権力があるなら郎党を御家人にしてと頼んで却下されたりしないんじゃね。
しかし、トミーは今年の大河、重要人物の父親役だけど、
すぐ死んじゃうな。次回くらいで退場?かつての
義経がチョイ役は悲しすぎるので、それなりに見せ場があってほしい・・。
草メンバーで他に出てるのは泰時子役の尾見としのりくらいかな。
義時はそのあたりは強引におさないんだよ
ごり押ししないが譲らないところは絶対に譲らんのがこわもて政治家だな
渡宋騒動のあとに皇族将軍話が進展したところをみると、あれで幕府も
後継問題に危機感をもったのかもしれん
泰時が頼朝が烏帽子親だったんで、以降の歴代得宗はみな将軍が烏帽子親
ということになったんだな
時氏は違うが早世して執権になってないし、次男の時頼はなぜか将軍御所で元服してるし
泰時が頼朝の烏帽子子ということは、義時はやっぱ時政とは別の家を構えてた感じだし
時氏が違うというのは、やっぱ泰時の立場が弱かったということだな
政範も多分違うだろうが、時政と将軍家との仲がよくなかったということかな
610 :
日曜8時の名無しさん:2012/01/30(月) 11:16:56.72 ID:P5vufGMd
>>609 時頼は泰時じゃなくて時氏の次男だよ。
時氏の烏帽子親は不明だけど、足利義氏(泰時のいとこで娘婿)かもしれない。名前から考えて。
草だと頼朝や息子、弟を特別扱いするために他の源氏は空気化してるけど
実際の足利は領地も広ければ家格も高い大御家人だからな
後嵯峨院の乳母が京の貴族に嫁に行った足利の娘だったりと
幕府の外にまでかなりのコネを持ってるし
時氏は将軍に元服お願いできないから足利になったんでないの
泰時は北条の長男、というポジで独立してないというか
実朝存命中に元服してるのに、時氏の烏帽子親は実朝じゃないんだね。
朝時の烏帽子親は、はっきりしてないけど名前からして実朝だよね。
>>610 ごめんなさい、時氏の次男、という意味で書きましたが足らず
嫡男だけでなく次男も御所で元服させて、頼経から頼をもらうって
そんだけ泰時の力が強かったのか、次男にも眼をかけていたからわからないけど
偶然次男が得宗になったなあ〜と思って
時政も晩年は失敗したね実朝を殺して自分の娘婿を将軍にしようとするなんて呆けたんじゃない
616 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/01(水) 20:05:52.92 ID:X2/NHMt/
>>615 まあ、それはほんとかどうか怪しいからなw
義時と政子が幕府の主導権を時政から奪い、ついでに邪魔な平賀一門を粛清するために仕掛けた罠でしょ。
息子と娘に粛清されるなんて時政哀れだね最も比企氏を粛清したから可哀想じゃないね
618 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/01(水) 22:10:47.43 ID:X2/NHMt/
>>617 後家が絡んでるからな。
この時期のお家の揉め事の定番の後家。
義時と政子は同母姉弟の可能性もあるから親父に対する感情はかなり前から冷めてたんじゃないかね。
まあ、牧の方は屑女だからね〜あの女は殺されなかったのが不思議だね
俺が義時ならば毒殺してるよ
時政は下種な俗物なんだよね〜後妻のいいなりなせいで
>>616 時政から奪う必要ないじゃん
どうせほっといたって時政は年くって引退、あとに残るのは義時と時房しかいないんだから
ほんとに狙いがあるとしたら平賀本命で、時政がついでということだよ
621 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/02(木) 01:26:06.68 ID:p7TGDdg+
>>620 義時だけみりゃそうかもしれんけどね。
政子からしてみたら実朝を時政の家に囲われて好き放題されるのは我慢ならんかったと思うよ。
それと、政範の死が自然死じゃなくて義時に盛られたのだという可能性もある。
政範が生きてたら呑気に時政の死か引退を待ってる余裕は義時にはない。
そしてその頃からの計画の仕上げが時政の粛清かもしれんからね。
比企一族を殲滅してこれで俺の天下だと思ったら息子に引導渡されたの巻
まさに好事魔多し
623 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/02(木) 09:30:23.38 ID:mmpdusB7
時政失脚はあきらかに三浦義村もグルだよな
624 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/02(木) 09:52:10.54 ID:gQO+9ZzH
だよな。
つうか、義村って義時のパートナーだよなw
信頼しあっていたのか、どこかで裏切ろうと思ってたかは謎だけど。
義時死後の策動考えると隙あらばって感じだったろうな。
ただ、政子が出てきたらあっさり引いてしまう。
引き際も心得てたんだよな。
宝治合戦も義村が生きてたらありえなかったろうね。
義村みたいのが昭和前期に何人か政府首脳にいたら、日米戦に突入しないで済んでたかもな。
義村にも寿命があるから、宝治年間をやりすごしたとしても三浦は
いつかは粛清される運命だったのでは。古くからの御家人を着実につぶして
いかないと危険だ、というのが北条全体の総意だったろうから
さすがに三浦氏は大きすぎて皆殺しにはできず、また禍根を残さぬために
庶流を取り立てて三浦を再興させてるよね
三浦一族の佐原兄弟は時氏の異父弟だというので、北条に味方してたな
でも三浦義村って義時死後もまめに義時の法要してんだよな
義村は単に野心で北条にひっついてたんでなくて、やっぱ義時と共通してもってる
夢みたいなのがあったんでないかな
それこそ、旗揚げ前からのつきあいだろうしさ
義時も義村には気を遣った対応してる
野心家は安達景盛だろう
政子にひっついて時氏に娘嫁がせたあたりでかなり考えてたんではないか
このドラマでは時政の館にいたのに、ちゃっかり実朝の馬ひいて義時館に
向かう姿に後年の姿があらわれててよかったw
>>624 というか1205年頃は泰時と矢部禅尼はまだ夫婦だよな
時政を下種という奴がいるけど言い過ぎじゃない
頼朝の技量を見抜いて彼の旗揚げに一役買ってるから
それなりの技量は時政にはあるよ
経時の妻あたりに三浦を嫁がせてればよかったのに、なんで宇都宮氏だったんだろ
安達の策略か?
いやあ、政子の後ろ楯も無くなり、将軍外戚でもなくなった
北条の嫁に大勢力の三浦の嫁を迎えたら、北条が三浦に飲み込まれる
自体になりかねないと思う。政子死後の義村とか泰時に横車押しまくりで
やりたい放題だったんだし。
大勢力でも北条を飲み込むほどではなかったのでは
泰村とか胃炎をおこしながら妥協をはかってたぐらいだし
義村は旗揚げ以来の御家人で泰時より年長者でかつ元舅でもあるから
えばってたんでは
義時に対してはそんな横車おしたりはしてないし
義時を迎えて三浦の浜で船遊びしてたりして、勝ち組二人楽しそうだった
でも泰時時代の三浦一族の権勢は凄い感じするけどね
三浦よりも安達のほうが強かだね
安達は御内人の頼綱に滅ぼされるまで権勢を誇ってたからね
そういえば、頼家は安達景盛の妾を略奪した逸話があるけど
あれは北条の正統性を高めるためのウソだろ
634 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/03(金) 20:16:29.59 ID:XcLFebqj
あれは安達景盛と三浦泰村の差でしょ。
当時生き残った随一の長老と言える景盛と、宝治合戦で吐きながら指揮とった泰村じゃ役者が違う。
635 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/03(金) 20:18:47.16 ID:7JNUu8v/
>>631 単に泰村がヘタレだっただけじゃね?
宝治「合戦」といっても三浦がひたすら手をこまねいて一方的にフルボッコされただけだし
本気で対決する気だったらどう転んだかわからないと思う
泰村がへたれだった背景には北条と三浦の長い協力関係があったと思うのだ
最後に合戦したからずっと火花散らしてた、みたいに思われるのはどうかなあ
時氏だけでなくて、経時なんて三浦に肩入れして泰時から叱責くらうぐらいだったし
637 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/03(金) 20:49:59.86 ID:HxR1yGb5
自らの手を数多の血で汚しながら北条との協力関係を築き上げた義村と、
協力関係という結果を受け継いだに過ぎない泰村じゃものが違ったんだろうね。
北条みたいに次々と英傑が当主として登場する家の方が珍しいよ。
義時は旗揚げで死にそうな目にあって、その後も頼朝の側でずっと修行してたし
泰時は弟たちがいて自分の立場が弱くて苦労してたというのがあったろうし
経時時頼は父親を早くなくして幼いときから苦労してたというのがあったろうし
時宗以下も同様
やっぱ人間、苦難に直面しないとダメなのかも
得宗家の当主が優秀なのは貞時の代までだね。
しかし、時頼の早死には惜しい彼が50まで生きてたら
時補は粛清されず時宗は若死にせずすんだのにね。
そもそも、北条家は泰時以降は早死にが多すぎる
何故なんだ?
苦労ならやっぱ頼朝は大苦労したよな。
13歳
3月 母死去
12月 平治の乱 逃亡 その間父と兄死去
14歳 捕縛 流刑 同母弟妹と生き別れ
20年間流刑
その間妻子を奪われる
34歳
8月挙兵
石橋山で死にそうになる
10月 房総半島北上中に襲われる。
641 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/03(金) 21:33:57.10 ID:6K1dzK7z
ライダー一号の「いるんだな。それがハハッ」の台詞はいい
それでも流人時代は何不自由なく暮らせたけどね
643 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/03(金) 21:44:09.91 ID:XcLFebqj
>>641 あんな爽やに人を陥れる登場人物はみた事ねえw
藤岡弘の三浦義村は最強w
北条や三浦の話題で平家の話題がでないが
平家が滅んだのは財政基盤が宋銭に依存した商業体制だったからというがどうなんだ?
いやいや、時房のさわやかな真っ黒弟ぶりもよかったぞw
実況で大人気だった
>>639 でも得宗としての治世は大体、どの人も20年ぐらいだから、それが目安だったのかもw
時頼が蒙古襲来にあたってたらそのままずれていって、後醍醐vs貞時の戦いがみられたのに残念
646 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/03(金) 22:00:12.05 ID:XcLFebqj
>>645 義村の中の人は仮面ライダー。
時房の中の人は生真面目な先生役が多い人。
いやあ、キャスティングが実に素晴らしいよなw
ドラマの時房は実の甥を無実とわかっていながら平然と自ら殺害してるしなあ。
比企の馬鹿息子も親しくしてたくせに自ら殺害してたな。
647 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/03(金) 22:38:13.89 ID:6K1dzK7z
藤岡弘の演技力は凄かったな
太閤記では信長、花の乱では大内の殿様秀逸だった
平家の話題が無いのは大河ドラマのせいかね?
草燃えるでは平家も重要だから語ってくれ
一番最初の冒頭で黒澤何とかが清盛役をやってたときは
いったい何がおこったんだこの大河は
とまじに思った
650 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/04(土) 10:06:26.46 ID:U9YSCfkN
当時は特撮に出ていなかった時房・和田義盛・駒若丸もその後戦隊やライダーに出た
この大河はよほど特撮と縁があるらしい
>>650 特撮では無いが大人になった実朝が金田一少年に
大河板のスレでも、住民の好みが出るような気がする。
清盛スレは、なにかにつけて
「源氏は無様に滅んだ。平家を全滅させた呪いだ」
「平家は美しいが源氏は無様でしかない」
「頼朝は担ぎあげられただけの神輿。実際は全て北条氏によるもの」
「頼朝の死も源氏の滅亡もすべて北条氏が仕組んだもの」
「そしてその北条氏は平氏。結局平氏が勝ったんだよな」
「足利は源氏だけど実質平氏みたいなもの。」
みたいなレスがどんどん続くw
公平なスレじゃないね話を変えるけど
泰時の息子の代から得宗家の当主は早死にが多いけど
これは過労やストレスが原因かね
毒殺もありそうだけどね
まあ河内源氏って殺し合いが年中行事だからね
清盛さんちは保元の乱を除いて一族で殺しあったりはしてないし
源氏って衰退してるっていうが
為義側で彼の兄達は朝廷に廷臣としてそこそこの地位にいたな
得宗家は当主だけでなくて弟も早死にだよ
赤橋家も当主は早死にが多い
やっぱ田舎で腕白に走り回って身体鍛えないとダメなんかも
為義自身は27年間昇進が無いまま、14歳の時に与えられた七位相当の官職を
返上することで、敗残者として出世レースから脱落したんだよね。
十年後になって摂関家の引きがあったのか従六位に復活したけど、八年後に
為朝の大暴れの責任取らされて解任。まあ悲惨な棟梁だ。
>>653 永井路子は、泰時は徹底した合理主義の人だったので将軍とも適度に距離を置き
三浦も力づくで抑え込むのではなくうまく制御していたけれど、泰時が死ぬと
三浦・名越らを抑えきれなくなり、将軍を巻き込んでの大騒動になってしまった、
時頼がスーパーマンみたいに見えるのは力づくで抑え込まないとどうにもならない
事態を招いてしまったからだ、と言ってたね。
そりゃ胃も痛くなるし暗殺の可能性も増える状況だろうなあ。
まあ、朝廷は為義を棟梁と認めてなかったんだろうね
現に為義は義親の四男坊だから
義家の後継者としては、新田・足利系とか、為義の兄やら、義忠の子供たちやらで乱立してたのが、後に幕府を開いたのが頼朝だったんで
後付けとして、為義が嫡流ってことになったという考えもあるみたいなんだね
三浦も義村しんで小物になって、名越も朝時死んで小物になったから
騒動に発展したのがあるだろ
朝時存命中は名越はいくら仲悪くても決裂までしなかった
三浦泰村についてはいわずもがな
そういえば為義は実は義家の子という説があるんだが、実際はどうなんだろう?
662 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/05(日) 08:07:26.52 ID:1lHTWMrd
>>661 義親の子とするよりも、義家の子とした方が不名誉じゃないからそういう説が出て来たんじゃね?
663 :
名無しさん:2012/02/05(日) 09:06:04.83 ID:Imii+Yns
>651さんへ
実朝の幼少期を演じた松野太紀は、『忍風戦隊ハリケンジャー』で追加戦士
のシュリケンジャーの声で出演していました。
『仮面ライダーオーズ』の映画を含めると義時も出演している事になりますね。
頼朝自体、顔出しは無いけど、ナレーションで数々のウルトラシリーズに
出ていますので、本当に特撮俳優が多いですね。
これは、脚本家さんが同じ昼ドラ作品にも共通することですが・・・。
>>663 三ツ矢雄二の後輩として忍の者高校に入学し、ホ○の道を歩んだ疑惑も忘れずに
>>662 話は逆で、南北朝あたりの尊卑分脈よりも古い資料、たとえば寺社に保管されてた系図なんかに、義家の子と記載されてるから
どっちなんだろう?って話になっているかと
ダメ義さんスレあたりに書かれているかもしれないけど、義家の死の直前に
嫡男(のはず)の源義親が隠岐に流罪になって、後継者の地位を失っちゃう。
そこで四男の義忠は、どうも「嫡流の子」である為義さんを養子にして、
逆算的に「源氏の棟梁」になったらしい。義忠は平正盛と融和策をとって
うまくやっていたら源氏の親族に殺されてしまった。
この時に為義さんは「(祖父)義家の養子」という立場になって朝廷から
左衛門少尉の位をもらい、源氏の嫡流に認定されてるらしい。つまり朝敵の
義親の子、じゃ嫡流の地位になれないから、一人分飛ばしたと。なんか
さっきの話と矛盾するみたいだけど、そんなわけで為義さんは「八幡太郎
義家の孫であると同時に子供」という立場になっているらしい。
↓ダメ義さんスレより。かわいそう…
749 :日曜8時の名無しさん:2012/02/03(金) 20:38:29.67 ID:Zs/U7l5J
リアルでも為朝と違って全然フォローされてないからな・・・・
750 :日曜8時の名無しさん:2012/02/03(金) 21:00:38.04 ID:gSfk4MAd
頼朝とかの世代が祀ったりしてないのかな?
そういうレベルでもフォローなし?
751 :日曜8時の名無しさん:2012/02/03(金) 21:18:14.59 ID:M6XTYRKc
頼朝曰く
「私は義家、義忠、義朝と続く河内源氏嫡流の棟梁であるます!!」
2代目棟梁と4代目棟梁はいなかったことになってますw
752 :日曜8時の名無しさん:2012/02/03(金) 21:56:01.93 ID:h9v6ZEXT
そういえば「吾妻鏡」読むと頼朝って父親や鎌田政家、同母弟希義、真田余一(あと母親と同母妹)
あたりはしつこいほど供養してるけど祖父の供養記事は見かけない。(知ってる人いたらよろしく)
父親は首を回収したりして名誉回復してるけど祖父の名誉回復活動はなし。
為義は義朝とは対立してたからじゃない元々為義は跡継ぎは義朝ではなく
次男の義賢に譲るつもりだったからね
次男死んだ後は四男だったっけ
今年のだと今んとこダメ義さんは義朝と仲よさそうなのに
後々、その次男や四男使って義朝が回復したり広げたりした坂東の土地や利権をピンハネしようとするんだよな
もしかしてトミーはこれで退場なんだろうか・・。
清盛のナレーションでも酷いこと言ってたな「院が源氏を軽んじてるのではなく、祖父為義をあてにしてなかったと思う」みたいな
672 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/06(月) 12:21:04.83 ID:znxsAVG9
そらあてにせんだろうね。
河内源氏は摂関家の家来なんだから。
673 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/06(月) 15:13:31.75 ID:j//IV6L+
摂関家の用心棒が源氏、院の警備隊が平家
院政である以上平家が重んじられる
忠正は崇徳院に近づいたため鳥羽に嫌われていた
675 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/06(月) 22:22:17.91 ID:DnmlFyX5
郷ひろみの少年時代役が鶴見真吾ってwwww
そうかなぁ?
鶴見辰吾の万寿は、キリリとした美少年ぶりだったよ。
大鹿を射止めて、かーちゃんに褒めてもらいたかったのに
「(武家の生まれだから)そんなん当たり前やないか!」 と言われて
一瞬ショボーン(´・ω・`)なところなんか、同年代なのにいじらしかった。
ヒロミゴーに代わって、超ガッカリだったよ。
そのションボリ寝る鶴見万寿の側に佐藤能員がいて慰めてるのが
なんか良かった。政子を悪く言う訳でもなくフォローしてるし、
能員はわりと常識人な感じなんだよね。その分比企局が甘やかし婆扱いだったが。
ヒロミゴーになってからも、居並ぶ御家人の前に初めて座ってちょっと
不安そうな頼家が、ちらっと能員を見て、大丈夫、って感じで
無言でうなずくのが、絆の強い乳母父関係に見えた。
全成と千幡、義村と公暁はいかにも野心家とその駒って感じだったが。
678 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/07(火) 01:06:10.60 ID:Xo6Xgtnz
全成の参籠する直前の顔は怖かったなあw
中の人が二枚目ならではの迫力だったよ。
まさに悪禅師だなw
宗時討ち取った時の実況を義時にする祐之のセリフで
「目ン玉飛び出てようw」
ってセリフがいまだトラウマ
保子は野心はあったけど実朝に対して本当の母親みたいだったね
現に実朝の死を一番悲しんだのは彼女だから
逆に政子は公暁、公暁ってそりゃないよ
>>680 実朝が死んで悲しいのは当たり前
でもそうなると、公暁は政子に遺されたたった一人の孫
自分が公暁から父親を奪ったって負い目があるから一層不憫で
そのことが実朝暗殺に追いやってしまったって思いもあって哀れで憎みきれない
しかも追われる身となって命の危険に晒されてる
あんな風になるのもわかる気がするな
公暁への思い入れは全く無く実朝の死を悲しむのに専念できる保子とは立場が違うよ
なるほど、しかし実朝の政権は頼家より長く保ったな
乳母が母親の妹なのが大きいね
子どもんときには、とにかく頼家のヒロミゴーが不満で
全然役にあってない、だの、うぜー何で出るんだこいつ、だの思いながらみてた
今みると、それほど酷くはない
自分も公暁公暁な政子には違和感ありまくりだった
実朝が暗殺されたのにあれはないだろ
公暁いいすぎだろお前
吾妻鏡や各種貴族の日記類からすると政子は頼家時代にきつかった反省からか
実朝にはわりと協力的だったみたいなんだよなあ
頼家に親振りかざしてた分の情は公暁よりは実朝に向けてた感じ
少なくとも実朝を差し置いて公暁公暁って風ではない
でも、まあ、大河は歴史研究じゃないしな
義時が頼家期以前から野心家だったり
嫡流以外の源氏が存在しない扱いだったり
政子はまーじに比企が嫌いだったぽいな
頼家はともかく、その背後にいた比企には容赦してないし
義時の子どもも比企氏の子どもは気にくわなくて泰時泰時だし
頼朝の妾を虐待してたくせ、比企妻が健在なのに義時の妾が子をうむと
産着までおくって祝福してるし
竹御所がほんとに比企氏の子どもかどうか知らないがほんとにそうなら
あまり表にでてこなかったというのもなんかわかる
泰時泰時は比企が気に食わないというより自分の派閥に組み込めそうで
かつ即戦力になる年齢だったのが長男の泰時だったからじゃないか
後年、朝時や重時が幕府で使われるようになるのは特に邪魔してないみたいだし
義時の妾に甘いのはそりゃ頼朝のじゃないんだから邪険にする理由はないだろう
比企は比企で嫌いではあったんだろうけど
竹御所は、どうだろう
実朝に子がいない状況で頼家の遺児を表に出すのは後に騒動の元になるだろうし
好き嫌いと関係なく表に出せなかったんじゃないか
幕府に入り込んでない京の公家にでも出すとしても
当時はまだまだ公家も力を持っていた時代だからうかつにはできないし
いやー妾関係は政子は嫌いだと思うよ
実朝妻とも仲良しで、子どもがいないのに側室なんて気配ないし
ただ姫の前の母親の越前局?て政子のとこにつかえてたんだっけ?
息子の頼家も弟の義時も比企の女に夢中では、なんか面白くなさそうというかw
まじに危機感をもってたというか
姫の前、若狭局、竹御所、松下禅尼(景盛娘)とか、
比企血筋の女性は愛され妻が多い気がする。
義経が最後まで連れて行った嫁も、比企尼の孫だし。
流人になって将来のない頼朝を、見捨てなかった比企尼の情の深さが性質としてあるのかもな。
千幡大事な時政と阿波局からすれば、義時が姫の前べったりでは困ったろう
時政は戦するにはやっぱ義時の加勢がいるしさ畠山んときみたく
頼家の比企べったりはもう最初から捨ててるだろうけど
もし、実朝の正妻に男子が生まれてたら、もう少し源氏将軍は続いてたかもな
そら続いていただろう
てか、まさか子どもができないとは思ってなかったのでは
問題は実朝に子どもをつくる気がなさそうなところでさ
竹御所も一応男子をうんだんでなかったっけ
死産だったけど
頼朝血筋の姫は不幸すぎるな
連日の激務が終わって毎晩励むのにそろそろ疲れるようになった頃、
医王山ごっこに夢中になっちゃったんだよ
他の女に手をだそうとは思わなかったのかな
そのあたり頼家とは正反対だな
頼家って何人女がいたんだろ
政子の教えがききすぎたのかな実朝
>>689 頼朝の乳母は山内尼、寒川尼と3人いるけど
他の2人はそれぞれ年かさと若すぎで
比企尼が実際にお乳をあげた人なのではないかとみられてるようだ
それ抜きでも20年間援助し続けるって比企が河越との縁戚で武蔵国で相当経済力のある家だったといっても
愛がないとできないけど
>>692 姫たちも不幸&体弱いけど頼家、実朝兄弟もしょっちゅう病気で倒れてる印象がある
若くして亡くなった由良御前の血なんだろうか
義時はあとで伊賀局べったりになってるのも政子は気に入らなそうだしなw
伊賀氏なんて承久の乱で鎌倉のために死んでくれたのに政子は随分な扱いをしたではないか
松ケン義時が政子に、実家のことを気にしすぎだ、といってたとき
そのとーり、とつい同意してしまったよ
由良御前と結婚してなかったら、義朝は院とのコネが出来ず受領にもなれなかったけどね
為義は河内の所領で裕福と聞くが、実際はそうでもないんじゃない
源氏はばらばらだから、所領も分散して無官の為義にはたいした所領はなかったと思う
由良御前経由で、源姓足利とのコネクションもあるわけだし。まあ長男の嫁経由で、新田ともつながってたけど
たださ、由良の娘の坊門姫は子供ぽこぽこ産んでるし頼朝は健康、希義は横死だから由良御前のせいじゃないかも。
以外と政子母が病弱だったとかない?
由良と政子母が病弱だったから両者の遺伝を頼朝の孫達が引き継いだんじゃない
頼朝も死因が自然死であれば、そう丈夫な方でもないだろうしな
しかし政子だけは無駄に頑丈だなw
政子が頑丈なのは親父譲りじゃない
現に北条家は時政、義時、泰時の世代までは長命が多いからね
時氏以降にいったい何が?
某大河のように、実はみんな毒殺だったりして><
あとストレスじゃないそこから健康を害してきたと思う
706 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/09(木) 20:30:15.54 ID:hEaCbzcN
泰時のあたりまでは伊豆で豪族やってたころの逞しさがあったんじゃないの?
泰時自体は鎌倉育ちだけど。
それ以後は鎌倉という閉鎖空間で生まれ育ち役所に詰める毎日でおまけにストレスが。
北条家ってのは一御家人に過ぎないから権力保つために常に緊張感があったろうしね。
707 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/09(木) 20:36:43.39 ID:nGVCzTl/
>>692 以前のレスで実朝不能説とかあったなw
まあ病弱だったようで早い段階で子作りは諦めてたのかも
最近の研究によると皇族将軍は実朝自身が推進してたようだし
時頼当たりは確実に毒殺じゃない現に彼は大病に勝ったし
母親から体を鍛えろ言われた
若死には得宗だけではないからな
ばたばた死んでる
長命なのもいるが
義時の時代だって政範は早死に
宗時が三郎なのは上に二人息子がいたんでは、という説もあるし
今と違って早く死ぬものも多くて当然だろう
三浦の義明お爺ちゃんと岡崎の悪四郎お爺ちゃんは数え89歳ですよ。
義明お爺ちゃんは合戦がなかったら大台行ってましたよw
北条も、徒然草に出てくる宣時さんは数え86歳くらいじゃなかったっけ
北条とかは権力の中枢にはいった代償で寿命を縮めたんだろうね
三浦のお爺ちゃんの孫は鎌倉初期(の戦乱)の主要人物ばっかだよなあ
義村に和田義盛に畠山重忠
三浦のじいさま、草に続いて今年の大河で三十年ぶりの
映像出演ありますよ。上総氏では広常のオヤジ、
波多野義通とか断片的だと思うが東国勢も見られる予定。
モブ的な他の面子と比べて、三浦義明はなかなかおいしい登場のようだ。
カットされなければの話だが。
714 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/10(金) 06:36:43.67 ID:nY1rIJyQ
三浦は長生きの家系だな。
大介は数え89で「討ち死に」だし悪四郎も長生き。短命な部類の義澄が73かそこら。
義村も推定80超だし。
義時、泰時までは三浦の血の影響もあるかもな。政子も同母ならそうだし。
「三浦の大介百六つ」っていう言い回しがあるんだから
大台いったのでは? と思ったら違うらしい
でも義朝の(最初の)舅なんだし
大河では頼朝時代の北条時政なみに頑張ってほしいですな
大庭兄も長生きだし、保元の乱での見せ場もあるから出てきて欲しいかも
幼少期の病死だけじゃなく、この時代、例えば
盲腸炎=苦しみながらそのまま死亡だろうからなあ
今の自分の身の回りに盲腸やった奴がどれだけいるか考えると
あの時代なら、そいつらがその時点でほぼ全員死んでるわけで
やっぱり盲腸で死んだんだ・・
手術できないときどーなんだろとは思ってた
虫歯で苦しむ時代だからね・・カワイソス
>>714 なんで三浦の血の影響があるので?
母親がそっち?
義時の母は、伊東だっけ?十郎と従兄弟だったか何だったかのような気がしたし
義時母は伊東だぞ。ドラマではややこしくなるのでスルーされたけど。
曾我兄弟、義時、義村は従兄弟。不遇の死を遂げた伊東祐親だが、
孫達は多いに名を残してるな。岡山の藩主だかが祐清の子孫なのは
信頼性はあるんだろうか。
しかし、北条と言い三浦と言い伊東と言いこの頃の坂東武者は逞しいな
京都の貴族は短命なのにね
723 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/10(金) 22:05:22.92 ID:22uF2FGi
>>722 摂関家は頼通以降長生きした人がかなりいる。
>>723 頼通以降長生きってことは
政治の実権が武士に移って気楽になったってことですね
結城朝光だって80過ぎまでいきてた
親友の三浦義村より長生きしてw
そんで親友の三浦が滅びて鎌倉で時頼にあれこれいったときには
なんか鎌倉の歴史の証人いたーてな感じだった
なんせ頼朝の小姓やってたんだかな
義時母が伊東入道娘と言うことは、義村、義時、十郎そして胤義は
胤義言うところの「反逆を好む伊東の血」を持つ兄弟ってことだね。
あらわれがまちまちな方向になってるだけで
こうしてみると祐親入道って助命される可能性がかなり高かったね。
頼朝も、娘に手を出しても父ちゃんは怒らないだろうと思ってたのかも
勝ち組が伊東なのはいえる
728 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/11(土) 00:33:40.84 ID:JjoMsat4
おれは政子の母も義時の母と同じと思うけどね。
政子と義時は一身同体だもんな。
異母姉弟だとああはいかなかったんじゃなかろうか。
729 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/11(土) 00:36:30.76 ID:JjoMsat4
>>723 道長の正妻さんが超長生きなんだよ。確か90くらいまで生きてた。
道長の子でこの正妻さんの子が90だの80だので超長生きなんで、お母さんの長生きの血を引いてるんだと思う。
義時がいつから江間に分家してたかだな
八重姫が江間に嫁いだ、とかいわれてあのあたりに身を投げた井戸かなんかあるというのはどーも
なんかごっちゃになってそうというか
草燃えるを見てから古今東西の粛清に興味を持って本を読んでみたが、外国の粛清はいまいち味わいが足りない。
談合成分が少なくて暴力成分が高い感じ。
・権力者型…明清、中国、ナチ、英国…単純に排除してくだけ。権力者は独裁的なので、交代劇は少ない。
・カオス型…ソ連、元…そもそも粛清以外に人事を決める方法が確立してない。権力者もその過程で決まる
・エスカレート型…フランス…理念が暴走して自分でも何やってんだか分かんなくなる。権力者は雇われ
・四畳半型…草…有力者が談合のうえ、的を絞って叩く。ムラ秩序維持型。権力者のすげ替えも日常的
>>728 まあ、草設定はその可能性あるね
吾妻鏡とかだと将軍・実朝と執権・義時の仲が微妙で
政子は時房ともども実朝寄りの中立って感じだから
たぶん義時とは母親が違う
むしろ伊東繋がりの従兄弟の義村の方が義時勢の参謀という風にみえる
泰時を義時から半ば切り離してたり
義時死後の混乱時に昔から目をかけてたし、政村は若すぎるとはいえ政村退けて次期執権に泰時推してるあたりもね
同腹の姉なら甥の引き抜きや弟の生前の意向無視はしないだろうし
草設定はもちろん同母設定だろ
あの頃は、永井路子が先妻グループ後妻グループとしていて
政子と阿波局はもちろん、義時と時房も同母にしてたような記憶がある
あと義時の生前の意向が政村なんて有りえない
そういう待遇を義時は一切してない
義時は上から順番に官位や役職につけている
だから、大騒ぎしなくても普通に泰時が跡継ぎになったろう
北条が得宗を中心にまとまっているのもそういう事情があるからだろう
失礼、順番ではなかったな
官位は先に重時がついてそのあと朝時だった
あそこだけいれかわってる
重時は早くに駿河守になり小侍所別当になってるから、義時にかなり目をかけられていたのだろう
泰時にも目をかけられてるから、すぐれた資質があったんだろうな
736 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/11(土) 03:05:14.74 ID:L979eCJ0
朝時は義時から義絶されたんじゃなかったっけ?
入れ替わったのはそのせいだろう。
義絶はされたがそのあとの和田合戦で朝時が父親をかばって奮戦したんで
一応そこで仲直りはしたのかと
そんで承久の乱で大将をまかされた
承久の時の重時は、それで足りないなら重時に先陣させて私自身が出陣しましょう
てなノリだったから、やっぱり父親にかわいがられたような気配がw
朝時は母親が再婚した相手の公家の息子を猶子にしたりしてるから
比企氏への思いが結構強かったのではないかなあ
比企合戦のときにはもう十分に大きかったから
だから父親とぎくしゃくした・・・・ てのは勝手な妄想だが
738 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/11(土) 03:11:51.59 ID:L979eCJ0
>>737 仲直りはしたんだろうが、それでも官位つく順番は弟の方が先だったんでしょ。
あの時代は親父の権限は絶大だから、義絶の意味も大きいのだろう。
それは確かにあるかもね
重時任官のすぐあとに朝時任官の流れだし
>>734 官位を与えるのは朝廷だろう
幕府の場合は将軍が間に入ってるだろうしね
もちろん執権である義時の意向もそれなりに反映されるだろうが
思うがままに任命する力なんてないはず
実朝の生前は特に
そもそも政村が義時に溺愛されてなくて順当に泰時が継ぐのが既定路線なら
騒動の起きようがない
御家人の官位は幕府の推挙があってだろ
朝廷が勝手に任官はだめ、というのが頼朝のルールでなかったっけ
そうだよ
その推挙をする幕府の頂点が誰かっていえば将軍だろうってことだよ
和田が上総国司を実朝に願ったとき、政子に拒否られてた
つまり、政子をかかえてる義時の意向がかなり反映されたとみてよいと思うよ
北条家の任官ならね
政村を義時が跡継ぎにするつもりならちゃんとそうした処遇をしてるはずなのに
全然してないから跡継ぎにするつもりはなかったんだよ
後妻が先妻の子をおいて自分の子をどーの、というのはよくある話だから
政子がそれを阻止して伊賀局を追い出したんだろう
もちろん、政村はおとがめなし
744 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/11(土) 23:19:04.07 ID:JjoMsat4
伊賀局の騒動は勝った側の記録が主だから真相はわからんなあw
まあ後妻の子が跡継ぎになることは当時むしろ主流だったから伊賀局絡みで主導権争いがあったことだけは間違いないだろうね。
しかしいくら周囲があれしても当主が跡継ぎを決めたら絶対というのが当時の習慣だから、
義時がはっきり誰が跡継ぎか決めてたらこんな騒動は起きなかったろう。
745 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/11(土) 23:26:44.98 ID:AKtUVbj8
義時は急死で遺言残す間もなかったからな(だから後で毒殺説なんかが出てきたりする)
享年62だから当時では高齢なのに後継ぎを決めてなかったのは、政子と伊賀局の板挟みになってて決断できなかったからかも知れん
746 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/11(土) 23:30:12.93 ID:JjoMsat4
政子は結構あれな婆さんだったみたいだから、伊賀局もあれなタイプだったとしたら義時も大変苦労したろうなw
草燃えるではそこまで描かなかったしドラマとしてはそれは正解と思うけど、
義時の晩年もまたドラマで見たい気がするよw
政村は相州(義時)鍾愛の若公といわれているぐらいだし、相当大事にはされてたみたいだけど
官位や幕府の役職についたのは義時が亡くなって何年もしてからだから後継者にするつもりまではなかったようだな
そんなことより佐殿の墓が荒らされた話しようぜ
酔っ払いは許されない
748 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/12(日) 00:24:52.23 ID:3HGf3bi7
当時の北条家は事実上の天下人の家だからな。
壮年で経験のある長男をさしおいてまだ官位もない若者を後継者にとは思ってなかったと思うよ、義時は。
これが時政が執権になった頃の北条家ならまた違ったんだろうな。
だから政範は当然のように時政の後継者とされてた。
義時は江間家の立派な当主だからね。三浦一門の和田義盛みたいなもんだったと思う。
早く殺せ〜〜〜
義時を殺した毒を使って・・・・・
751 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/12(日) 00:38:04.58 ID:3HGf3bi7
蟹江さんがタイーホされてとんでもないこと喚くとこまで見たかったなw
そういえば、頼朝には頼家と実朝と以外にも僧になった貞暁という息子がいたな
彼が死んで源氏の男系は耐えたけど本当かね?
平安時代から僧の妻帯も珍しくないから貞暁は子を設けてたんじゃない?
みなさんはどう思いますか
貞暁は政子が怒り狂って御所にびんた食らわして、鎌倉から追い出された人だから、
子孫なんか残したら大変なことになるくらい分かったんじゃないかな。
10代後半に阿野全成の粛清事件が起きてるわけだし…
自刃説もあるんでしょ?
墓は島津が勝手に建てたものだからな・・。
>752
うん、貞暁、40過ぎまで生きてたんだからどっかに子供いたんじゃないかと
思う。でも、自分が母共々あんな目にあってるんだから、いたとしたら
徹底的に隠し通しただろうね。あと、比企能員の末子の男子も、出家してたけど
妻帯してたみたいなんだよね。こっちも表に出せないだけで、子孫がいたんじゃないかなあ。
ところで、伊賀局って、息子の実泰と、孫に当たる政村の娘が発狂してるんだよね。
精神面で何か遺伝的問題でもあったんじゃないのか。
貞暁の子孫はいたとしてもどこかの寺で代々僧になって表に出なかったんだろうな
756 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/13(月) 14:05:47.14 ID:cVrFsHh3
晩年の政子は貞暁に帰依して色々援助していたらしい。
子孫がいても表に出す気はなかっただろう。
頼家は叔父でも全成でなくて義時の方を殺せばよかったんだよ
時政は年だし、三浦義澄やら安達盛長やらあの世代があぼんしていってるのみても
そんなに老い先長くないし
息子の政範や時房は若くて御家人への影響力はないし
てか時房は遊び仲間だったけどさ
北条といっても義時がいなければかなり勢力そがれたはずというか怖くないだろ
それをしそうな梶原が真っ先にやられてたのがいかにもな展開だけどさ
比企と梶原の両輪でいけば頼家はなんとかなったかもな
そういえば、頼家は盛長の息子景盛の愛人を略奪した悪行があるけど
あれって実はデマなんだよね頼家を悪者に仕立てるための
デマという根拠あるので?
安達が反頼家になったからその後付かもしれないが、頼家は景盛だけは
許せないみたいなこといってたから、何か二人の間に確執があったのはいえるのでは
吾妻鏡でも現代語訳すればいいんじゃね
もっともアレも北条、特に得宗寄りの嘘だらけなんで玉葉や定家あたりとセットで調べる必要があるが
761 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/13(月) 20:25:49.55 ID:VmWl+2Zc
子供の頃から側につける武士って生涯の側近候補でしょ。
そういう武士と「許せない」ような確執を生じさせてるようじゃ頼家の器量は幕府を治めるに足りないと言わざるを得ないだろうね。
仮に上手く義時を倒せたとしても、どっかで誰かに倒されて結局似たような結末が待ってるだけと思う。
勘発を加えたいというのは修禅寺に幽閉後に来た例の書状で、
その後の景盛の言動を見てると、景盛が比企討滅事件で裏切り行為を働いたんじゃないかな
763 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/13(月) 20:47:05.19 ID:VmWl+2Zc
景盛は比企の系統の人間だから北条方の切り崩しの対象だろうね。
側近切り崩されてるようじゃダメってことだ。
安達は吾妻鏡編纂期の得宗様たる貞時、高時の母の実家だし、
まず不都合な事は書かれないわな。景盛の妾騒動が夏で、
その翌年正月には九条兼実が千幡擁立の謀反の噂を日記に書いてる。
妾騒動は、その駆け引きの真っ最中だったんじゃないの。
安達は細川先生曰く頼朝の「召使い」レベルで相当家格が低かったから、
身内の比企を売って成り上がった、北条と成り上がり同盟関係。
安達も北条も、頼朝と共に世に現れて、頼朝が作った鎌倉幕府滅亡と
共に消え去った、やっぱり頼朝ありきの存在だったと思うわ。
頼朝以前から名のある家は、幕府が無くなろうが南北、室町まで
なんだかんだ生き残ってるし。
そら、京や九州で投降した北条家の人は処刑されてったから表では残らんだろ
のちにまた関東に縁のない三つ鱗がひるがえることになったけどさ
>>745 政子や伊賀局だけでなく三浦への配慮もあったかもな
泰時は義村の娘と離婚してるし
それに伊賀局は結城朝光の奥さんと姉妹だっけ
結城朝光と三浦義村は親友だから、要するにあのあたりがつるんでるわけで
>>757 ということで、梶原追放しかけたのが義村と朝光ということは、当然
義時も裏でかんでると思われる
梶原がいきなり北条を討つのがこわくて先にやっつけたってとこでは
なんで武田家の会議ってすぐネヤの話になるんだろw
だいたい小山田と諸角が下ネタを言い出す
頼家の頃までの北条なんてようやく時政が表に出てきたくらいじゃないか
坂東に三代四代と勢力を築いてきた諸勢力に比べれば軍事的には大したことなかろう
そもそも頼家政権の外戚は比企だしな
景時追放のきっかけは当時はまだ若造だった景盛がやらかしたことより
結城朝光の出家希望→梶原がつつく→頼家政権は頼朝以来の御家人を軽んずると思った御家人の大団結だしな
北関東でも有数の御家人の小山一族に連なる結城朝光をつつく梶原が
政子こそいるとはいえそれ自体は伊豆の中堅どころに過ぎない北条を恐れるとも思えない
>>761 そうだね
三浦義村あたりに追放暗殺されて、善哉が将軍になってるかも
>>767 梶原景時は将軍を脅かすものは誰でもゆるさん、ぐらいの見る目があるかと思ったんでw
もっとも北条は武力たいしたことないし、てな感じでスルーしてたから
最後は伊豆で討たれることになったのかもしれんな
北条がそれなりの勢力を持ってるなら、義朝の時点で唾付けられてたろうしね
三浦や波多野、上総、大庭、小山、比企、山内首藤、足利、新田みたく
771 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/14(火) 06:27:16.29 ID:UgxWFNRq
北条は伊豆じゃそこそこ有力な在庁でしょ。
本拠地は伊豆国府のすぐ側だし。
しかし、そもそも伊豆って国自体が小さい国なのでそこの有力者でもたかが知れてるってこと。
相模、両総、武蔵、下野あたりの大豪族とは比較にならん。
北条は三島からすぐだね
馬とばせば30分ぐらい?てな
だから三島大社の祭りには便利でよさそうだけど、伊豆山権現は山越えるし
ちょっと面倒そうだな〜 とドラマみてて思った
気軽にいききしてたけどさ
でもそれでも近い方か
>>765 北条義時と結城朝光は義理の兄弟か
義時と三浦義村は母方の従兄弟
義村と朝光は親友
つるんでるなw
それに、義時と朝光は頼朝の伺候衆としてずっと一緒だったろうし
この大河では結城の扱いがまじに空気だったな
草燃えるは政子中心のドラマだからだと思うけど
結城朝光も空気だけど足利義氏も空気だからね
御門葉同士の権力争いもドラマ的にはおもしろいだろうけど
ドラマの主題的にはちょっと散漫になるから仕方ないけどね
そういった意味では、話の取捨選択がおもしろいドラマだったね
治承寿永の乱はさらりと流した感じだし、平氏についても清盛自体が比較的空気
一方で、大河で曾我兄弟が見られるとは思わなかったりw
北条氏や、政子中心に話を進めてるんだなと思った
774 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/14(火) 15:19:57.10 ID:4Quzw+AZ
原作者が描きたかったのは北条義時、これは間違いない
>>774 草燃えるの原作
「北条政子」当然政子主役
「炎環」阿野全成、梶原景時、保子(阿波局)、北条義時それぞれを主役とする4の短編集
「つわものたちの賦」鎌倉草々の頃の東国武士団を語る歴史評伝 義時を高く評価
北条が実権を握れたのは義時のおかげだなって実感する
777 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/14(火) 16:56:30.85 ID:4Quzw+AZ
義時と藤原不比等はイメージがダブる
高名な父親に比べれば無名だが父を超える権力者・最後の勝利者
親の権力をスムースに継承したわけではないこと
政子・持統という女性の陰に隠れているのも似ている
有力な息子が4人も共通かな、形式的には天皇や将軍の臣下であることも
自分もその二人にてると思ってた
世評いわれたのが泰時が淡海公の律令にあたる御成敗式目を定めて
義時が武内宿禰ってとこはちょっとずれてるが
その場合は政子が神功皇后w
その分、義時はダーティーなイメージが濃いけどね
逆に泰時はクリーンだったな民衆にも寛容な政治をしてたからね
でも、北条は民衆に善政を行ったのはそれだけ権威が弱かった証だね
関東では権威はあんま通用しなくて実力主義が強いもんね
昔から反乱の土地で、相手が朝廷でも上皇でもたたかっちゃう
平家が強いときはおとなしくしたがってるが、落ち目になったらぽい
頼朝は有能だからしたがってたが、息子がバカだとぽい
北条はたまたま有能なやつが続いたんで将軍抜きにして長く支配できたが
無能がでてきたらぽい
腕自慢でプライド高い関東武士を支配するのは大変だわな
今でも関東より関西の方が差別が激しいんだよね
えっ関西って差別が激しいの!!
知らなかった!!
でも、かつて日本の中心地は関西だからありえるね
いたましや 崖の上から 飛び込んだ 老婆と娘に 涙ぞ出る
783 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/15(水) 05:59:46.79 ID:ZExaotAB
永井路子には不比等と義時を似たタイプとしてる著作があるね。
彼女のお好みのタイプのようだ。
>>782 その歌ばっか覚えちゃってかんじんの藤原定家の歌は忘れた
785 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/15(水) 07:46:55.06 ID:VWo0b9mx
>>782 今でも崖に飛び込んだあの婆さんの顔が目に浮かぶ
結城朝光は眉目秀麗なイメージあったから、あの地味さが何ともいえなかった
そんでさりげなく梶原事件で出ただけかと思いきやその後も
いろんな事件のときにその場にいたりした
承久の演説のときも、三浦義村はあんなに目立ってたのに、地味に何かいってて
その地味さにしみじみした
何代にもつかえて国を鎮めたのが武内宿禰で、律令さだめて国に形を与えたのが不比等なら
何代にもつかえて国を鎮めた義時が武内宿禰で、貞永式目さだめて武家政権に形与えた泰時が
不比等でいいのでは
しかし、今でも、あいつは昔で言う家康だな、とか高杉晋作だとかいうけど
昔からそのノリで同時代人を語ってたんだなw
788 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/15(水) 22:55:37.49 ID:ZExaotAB
不比等は自らの手で実権を手に入れた男なんでね。
泰時か義時かといったらどうみても義時になる。
んじゃあ、泰時は武智マロでいいや
>>784 久方の うちなる川の 鵜飼い舟
いかに契りて 闇を待つらむ
義時はほんとは頼朝が好きだよね
頼朝が義時を信頼してたのはだまされたんでなくて、ほんとに信頼関係があったんだよ
で実朝に何とか子どもをつくらせようと努力するのはほほえましいが
そんであてがう女があれではいかんだろ!
若い頃は書物好きで好みが結構うるさそうな純情青年だったのに
年取るにつれて結構好みがいい加減になっていく>義時
なんで自分の娘をあてがわなかったんだろう
一条実雅妻とか土御門定通妻とか西園寺実有妻とかうじゃうじゃいたのに
母親が姫の前なら美人だろうしさ
実朝に拒否られたんかな
女によばいされてすげー怒ってたし実朝w
政子が頼朝ゲットできたのは流人だったからで北条の家格なんて低いもんだよ
特に実朝なんて最終的に右大臣にまで上り詰めて、何か妙に格上げてるし
家格が上の方になんらかの意図がない限り下との結婚なんてしない
796 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/19(日) 01:39:25.48 ID:etQoThnV
平安時代では流罪に処せられたそれなりの身分の人間が土着の豪族の婿になって自分も土着豪族になる例が多い。
頼朝は伊豆じゃ名士扱いで、坂東の社交場である狩猟とかに頻繁に顔出してたから普通に土着の豪族になるつもりだったんじゃねえの?
だから伊東の娘とひっついたり、政子とひっついたりしたんじゃないかな。
伊東の反応はさすがに過剰反応だったと思うけど。
797 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/19(日) 02:35:55.08 ID:kIQq29M/
清盛はもうちょっと長生きしてたら
別の人生になったかもしれん
たられば・・・ww
>>797 「清盛」の部分はありとあらゆる人物に置き換えられると思うが
伊東の過剰反応は可笑しいよ 頼朝を婿にした位で平家は目くじらを立てないのにね
伊東の爺をみると坂東武者は馬鹿が多いと思うよ
そうそう、話をかえるけど摂家将軍親子って北条時頼に暗殺されたって噂を聞いたんだが
本当かね?
801 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/19(日) 15:01:11.36 ID:etQoThnV
親将軍が9月、子将軍が10月と相次いで死んでるから暗殺って言う人もいるけどね。
当時疫病が大流行してたんで2人ともそのせいで死んだと考えてもおかしくはない。
まあ、暗殺だったとしても疫病が流行ってたからわかりにくいね
>>795 そら正室の場合だろ
実朝には正室の坊門姫に子どもがいないんだから当然側室という話になって
義時女がいってもいいんでないかい
北条側が側室なんてやだ、ってなのがあったのか実朝が断ったかしたか
義時の娘は公家ばっかだろ嫁ぎ先
武家にやる気がなかったとしか
竹殿は側室だが・・北条が正室だの側室だの選べる立場じゃなかろう。
身分の壁は厳然としてある。実朝は足利嫁さえ蹴ってるし、
ドラマみたいにそんな女いらんとキレたのかもよw
まあ、正室大事だったのと、御家人の中から嫁を貰って頼家の時みたいに
御家人同士で対立するのを避けたというのが現実的なところだと思うけど。
そら土御門定通には側室だよ〜家柄が違いすぎる
でも竹殿がとついたのは承久の乱の前で、土御門は一応、上皇の外戚になるから
敵方になる
多分、あれは予定外の結婚では
政子みたいに夫を捨ててかけおちしたとかさw
頼朝や実朝の家格なんて別にとりたててどうってことないだろ
頼家の嫁さんたちみろよ
流人以前の頼朝と政子、右大臣実朝とその他御家人じゃ明確な差があるよ。
頼家の御家人嫁たちは側室で正室ははっきりしてない。
右大臣なんていつなったかというとだな
無理矢理昇進しただけの話だ
なんかいくら後世、武家政権の創始者といわれてるからといって
あまりもちあげすぎるのは感心しないな
809 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/20(月) 01:00:05.44 ID:b8XFQ5lN
へ?
頼朝の偉大さは官位の高さにあるわけじゃないだろw
ちなみに、頼家の正室が誰かは自分も興味ある
22才にもなって正室がいないということはないだろうしな
比企氏の娘が一応正室だったんじゃない
ただし、正式な正室はいない状態だったんだろう
>>811 ええと、正式じゃなかったら側室だよ?
側女とも侍妾とも言うけど。
頼朝の早死がなければ正妻は20過ぎたらもらっただろうね
そのときは京の公家かね?
御家人同士が揉めないためには、正室は実朝みたいに公家嫁が
よかったのかもね。子が出来なかったのは想定外だろうけど。
頼朝が頼家の正室についてどう考えてたか興味深い。
本来なら、頼朝存命中にいてもおかしくない年齢だったんだし。
少なくとも、御家人から側室はありでも、正室はないだろうな。
頼朝晩年は、とにかく大姫、三幡の入内運動に躍起になってる
時期で、頼家の正室は、その入内工作の行方次第だったんじゃないかなあ。
頼朝晩年は、通親がブイブイいわせてる頃で、対京政治工作が
あまり上手くいってなかったし。
>>813 実朝なんて11だか13だかで正室もらってるじゃん
なんで頼朝は、頼家のこと放置だったんで
何も考えてなかったん?
816 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/21(火) 01:19:04.48 ID:jHfvbeCO
>>815 自分があんなに早く死ぬと思ってなかったんだんだろ。
急死だからな。
死期を予感するくらい具合が悪かったなら頼家の正室の手当てはしたと思う。
大姫の相手も最初は一条高能だったのにいきなり帝だったからな
自分が思うに、あの当時は変動が激しくてあんま形式主義的発想はあわないんじゃyないか
ということだ
あの時代に、政子は頼朝に不釣り合いだとかいう発想も後世の勝手な妄想のように思える
実朝は、お公家がいいという希望で公家の姫をさがしてきたが
ドラマで牧の方がえっへんするのもわかるぐらい、源氏には珍しくお公家の姫をゲットしたようなw
源氏や平氏は天皇家の分家、子孫なのに
皇室からはなれて臣下になると、貴族からは土民扱いなんだな
819 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/22(水) 00:56:19.67 ID:MSUu70nw
当時は皇胤なんて掃いて捨てるほどいたんで、臣籍降下した皇胤なんて所詮下級貴族の1人にすぎんもん。
それでも一世王、二世王が臣籍降下した場合の源氏は上流貴族の一員になる例が少なからずあるけどね。
三世王以下が臣籍降下した場合の平氏じゃ上流貴族になることは皆無。
中流になれれば御の字。
臣籍降下した源氏と平氏って差が有るね
821 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/22(水) 22:55:22.66 ID:hRUCDIyV
最近みた、マツケンいいね。日テレ「奇兵隊」はちょっと?だったけど
822 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/23(木) 09:52:28.02 ID:49cwAkux
忠盛以前に四位になった平氏はいないが源氏は数名いる
義家・頼義・満仲・頼光とか
公家源氏は名門もあるが公家平氏はいまいち
義家・頼義・満仲・頼光も四位にはなれたけど
三位の参議にはなれなかったな
ここら辺が11世紀ごろまで武士の低さを物語ってるね
825 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/23(木) 21:04:16.39 ID:zC/oQgMd
従四位下だね。
将門の親父さんも従四位下だね。
従四位下鎮守府将軍が高望流平氏の極官じゃないかな。
つまり武士はがんばっても11世紀までは四位あたりが限度だったんだね
827 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/24(金) 09:56:25.04 ID:lFAF7CTP
八幡太郎や平貞盛・俵藤太も四位どまり
三位と四位の壁は大きいのだろうな
サラリーマン部長が四位で取締役が三位かな
828 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/24(金) 10:06:20.09 ID:G9Qon/+Y
物凄く頑張って四位が下級貴族。
精一杯やって中納言、稀に権大納言が中級貴族。
大臣になれるのが上級貴族。
こんな感じじゃなかろうか。
保元平治の乱までの武家の棟梁は武芸を担当する下級貴族だね。
829 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/24(金) 13:29:36.23 ID:xHtUpPsJ
律令制では従五位下以上が貴族待遇。
五位:下級貴族
四位:中級貴族
三位以上:上級貴族=公卿
といったところか。
源頼政が従三位になって狂喜乱舞したという話もあるから
三位と四位では格段の差があるのだろうな。
スタパにトミ子出演
831 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/24(金) 15:59:50.70 ID:lFAF7CTP
三位をめざす忠盛の息子には六位の娘は釣り合わないのだろうな
本来なら公卿の娘をもらって閨閥作りをしたい
そういえば、軍事貴族以外にも〜貴族ってあると聞いたけど
なにがあるんだ?
833 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/24(金) 22:11:41.54 ID:BxMEZxnK
宮廷貴族とか地主貴族とか?
そんな感じかね
五位以下は何だろうね。
貴族でなければ、ただの下級官人かね?
芸能貴族みたいなのも、あったみたいじゃない?
琵琶の腕前が凄いとか、律法にに詳しいとか
スタパにトミーが出てたよ!草燃えるの映像も出てきた。
最初の撮影が夏のロケで鎧来てて暑くて重くて大変だったそうだ。
今年の映像も流れたけど、役とのギャップに年月の流れがw
しかし、改めて見るとトミーって小柄なんだな・・
遠くから画面見たら女性ゲストかと思ったよ。
体格も義経向きだったんだな。
837 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/25(土) 01:54:30.40 ID:g4I9bIBF
〜〜貴族って言い方は軍事貴族以外思いつかんなw
ただ、院政期に入ると下級貴族の方から家職ってもんが出てくるよね。
家概念も家職とセットで出来上がってくる。
軍事貴族は兵の家で、他に法律の家とか、儒学の家とか歌の家とか。835も書いてるように各楽器の家とか。
独身貴族
なるほど島津氏は明法家の流れか。
と言うかその辺の技能職で武士にジョブチェンジして源平の家人化してる人多くない?
やっぱり武士は美味しかったんだろうか
この辺の技能職はみんな下っ端だから、京都にいても安定は保証されてんだろうけど、飛躍は期待できないんだよね。
新天地に活路を見出して坂東へってのはわかる気がするよ。
そこから島津、毛利、大友なんかが生まれたのは面白いね。
彼らの教養と知識が武家政権発展に大きく貢献したんだな
ところで陰陽師の土御門家は都落ちしなかったんだ?
あれも下っ端じゃない?
今みたいな公教育の時代じゃないから、知識や技能はその家に受け継がれていくもんね
こういう技能集団がいると坂東武者の無知文盲ぶりがわかるな
頼朝が坂東武者を馬鹿にしてた理由が納得する
文では専門外でも武では専門集団だからそこは別にいいのでは
それはそうだが、合戦の報告も満足にかけないのは情けなさ過ぎる
まあ、いかに坂東武者が遅れた連中だったのが納得する
まともに報告できる梶原景時が頼朝以外から嫌われ、まともに役所仕事もできない和田義盛がそれなりに頼れる人扱いだったのが、なんとも
役所仕事ができるのが有能という発想がバカ
公家が武がダメだったらバカだと思うかい
今のように学校にいってどっかのいい企業につとめて〜 みたいな世界とは違う
人望がないのは仕事をする上で支障になるから、嫌われるようなやつはバカともいえる
技能職連中が都落ちしたお陰で地方は朝廷から独立できたのも事実なんだよね
そう考えると平将門の乱は惜しかったな
将門には大江広元や三善兄弟といったブレーンがいなかったのは残念
興世王程度しかいなかったのは痛い
851 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/27(月) 02:26:33.44 ID:L01lIWC3
将門の時代はまだ武士の組織自体が出来てなかったからね。
いろいろとやはり早過ぎたと思う。
でも、こういう先駆があるから次があるわけで決して無駄じゃなかったと思うよ。
だからこそ今でも関東では将門の記憶が濃厚に残ってるんでね。
菅原道真の息子が常陸にいたのにな
風と虹と雲とでは将門と会う場面があるが
あと、俵藤太が仲間になればね〜
854 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/27(月) 22:58:22.94 ID:XV57hJvY
風雲虹では親王宣言後の将門に会いにきた藤太が
農作業の話しかしない呑気な田舎者の将門に失望して「だめだこりゃ」と呟くシーンが印象的だった。
頼朝みたいな黒さが無ければ人を束ねて朝廷と渡り合うのは不可能なんだろうな。
855 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/28(火) 03:07:39.79 ID:B0qYikhN
>>854 あれはなかなか深みのある面白いシーンだったね。
風と雲と虹とのスタッフがかなり草燃えるにも関わってるんだよね。
大原さんだったかが、リベンジ的な部分があるとかいう趣旨の事言ってたな。
856 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/28(火) 09:56:44.04 ID:234Wfn9I
失敗した革命が将門、成功した革命が頼朝
857 :
名無しさん:2012/02/28(火) 12:39:24.08 ID:QBCL1G9U
この作品ですか、特撮俳優が悪役で登場するのは?
858 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/28(火) 12:48:39.81 ID:oMvlFn+0
ライダー1号がショッカーも裸足で逃げ出すくらいの大悪人となって大活躍。
そして行く手を阻むのはこれも悪の暴れん坊執権。
859 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/28(火) 15:21:27.53 ID:234Wfn9I
単純な悪役などいないが
頼朝・時政・義時・義村・時房・保子・牧の方・後白河・後鳥羽
九条兼実・土御門通親・梶原景時・・・みんな黒い
結局一番黒い義時が最後の勝利者
風雲虹で、将門は藤太と会見したとき農作業の話しかしなかったの駄目じゃん
藤太が将門を見限るわけがわかるよ
普通はそこで関東をどう治めるか話すべきだよ
わけがわからないよ
861 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/28(火) 20:44:19.46 ID:YvwT6VMk
>>860 将門に坂東を治めるビジョンはなかった事を示す上手いシーンだね。
頼朝の場合は自分の希望は上洛なのに、ムカつく上総介の意見を容れて坂東に割拠。
かといって大豪族のいいなりになるわけでなく手を汚さずに粛清。
この二つのドラマはセットとして観ると実に面白い。
862 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/28(火) 20:55:40.29 ID:5accfECo
草燃えるの保子より風雲虹の良子を嫁にしたい
結局将門は田舎豪族に過ぎず王になる器じゃなかったんだね
865 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/28(火) 21:27:39.55 ID:2f+/twMW
将門は善良で素朴な人だったんだよ
将門が頼朝に興世王が大江広元に転生したんだろう
なるほど、だから国香たち将門の良文以外のおじたちは余計下種にみえるね
実際に国香たちは本当に下種でどうしようもない連中だったけどね
867 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/28(火) 23:37:20.28 ID:58G5J7dT
後の黄門様達デアル
868 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/28(火) 23:39:53.99 ID:58G5J7dT
よく考えたら場所まで常陸じゃないかw
まあ四代目はあまり常陸に関わってないが。
869 :
日曜8時の名無しさん:2012/02/29(水) 00:47:46.47 ID:RNRkm1/N
とにかく、30年ぶりにこのドラマを「完全版」で見たかったらどうすればよいのでしょうか?
時代劇専門の再放送を待つだけでしょうか?このドラマにはすごく思い入れがあるので
どうしてももう一度みたいです。
常陸は平将門の乱、
鎌倉に反抗したのは佐竹、
後北条に反抗したのも佐竹、
江戸幕府に反抗したのは水戸藩
北東が鬼門というのはよくわかる
地震も…
常陸って呪われてるね。水戸徳川家も徳川将軍家を裏切ったし最悪
CSで見ました
いたましや熊野の海に飛び込んだ娘とばあさん涙ぞいずる
という歌が忘れられませんw
「崖の上から飛びこんだ」じゃなかったっけ?
875 :
873:2012/02/29(水) 22:36:11.77 ID:C6QR9qbT
>>874 あほんとだ、前のレスに出てるね
しかも「老婆と娘に」か、
忘れられないと言いながら、記憶あいまい過ぎじゃん自分
失礼しました そして指摘ありがとう
でも、十郎が登場人物の中で一番好き
そういえば、十郎の奴って後鳥羽院から官位を貰ったんだよな
小夜菊のお陰で〜確か刑部大補だっけ?
>>873 でも十郎なら老婆じゃなくてばあさんとか平気で歌で使いそうだよねww
十郎の歌のシーンは笑っちゃって何をやってる回だったか覚えてない
>>876 十郎は六位の刑部丞だよ院の近臣みたいな物
伊豆の豪族の部屋墨からは大出世だね
思い出した。
>>873-875、
>>877の歌は「飛び込んだ」を「身を投げし」に
変えようとしたり十郎が悩んで、2〜3パターンあったような気がする
>>877 藤原定家「何ですか、それ?」と合わせてツボったなあ
そういえば、後白河法皇は今様好きのお陰で庶民に人気あったけど本当かね
単なるとんでも史観じゃないの
あの下種男が庶民に人気あったなんて、ウソだよ
みんなもそうおもうだろう
「何ですかそれ?」
「駄目でしょうか。飛び込んだではなく身を投げた。いや、身を投げしだ」
「…あんた、歌なんかやめなさい」
「ええっ?」
ぜんぜん会話が通じてなかったw
あの繊細で作り細工のような歌を歌う定家にはむごい存在だったな十郎
でもこのドラマの定家自体はどーかと思ったw
定家自体はあのドラマではどうでもいい存在だよ
後白河のコメント頂戴よ あの爺が最後まで武家相手に粘れたのは庶民の支持もあったきがするんだよ
バカじゃなきゃ粘れたんでないの
後鳥羽だってその後何十年も普通に粘ってたし戦やらなければ
ずっと帝王でいられたよ
都であんだけ餓死者が出た時代の為政者が庶民に
人気あるわけないじゃない
887 :
日曜8時の名無しさん:2012/03/03(土) 23:02:58.06 ID:xqermpUX
後白河は趣味の今様を通じて庶民と交流があったらしい
名人ときけば誰かれ構わず御所に招いて教えを請うたりしてるし
今様の師匠だった遊女が死んだ時は追悼文を書いている
今様による庶民との交流で平家や摂関家や源氏や僧侶に対抗する人脈を築いたんだろうな
清盛のネタバレ番宣スマホの小さい映像で見たので分かりずらかったが、三浦義明らしき人物が出た〜。
爺さんのイメージだから、役の人見て若けーと思ったり。でも義平が生まれた時点で、50前か。
後にいた二人は義澄と和田の父ちゃんかな。義澄が義朝の4才下で同世代か。
チョイ役でも東国勢が出てくると燃えるわ〜。上総介のオヤジも出るはず。
三浦の爺さんの若き日の姿だな。
若き日と言っても、40代後半だけどw
義明の後の二人、上から見て右にいたのが和田父、左(細面な方)が義澄かな。
草燃えるのオープニングで、ずらずら御家人たちの名前がならんでくると
すごくわくわくしたものだ
今回三浦だけでもうれしす
すげえわかる。名前クレだけでときめく。
昨日の放送、やっぱ三浦義明知ってる人は若いって言ってるなw
関東メインにしてくれるといいんだけど。
せめてもう少し時間割いて欲しい。
平清盛なのに関東メインってアホか
「草燃えるは清盛パートをメインにしてくれるといいんだけど」って言ってるようなもんだぞ
>>887 でも博打で負けて身包み剥がれないだろう
次の中世大河は北条もので源氏三代、と思っていたが
清盛の低視聴率でなんか厳しそうだ
草燃えるが全話そろってくれてほんとよかった
北条ものはもう無理かな。
広元主役でやって欲しい
900 :
日曜8時の名無しさん:2012/03/08(木) 05:48:12.66 ID:yvh820id
900
調べてた観たんだが、
上総国・常陸国・上野国・武蔵国・下総国と大国が多い
そして、上総国・常陸国・上野国は親王任国って坂東は豊かじゃない
902 :
日曜8時の名無しさん:2012/03/08(木) 20:10:26.30 ID:65GdNTAR
そうだよ。
だから荘園も多くて武士も多いわけよ。
ただし、大国といっても都から遠く離れていて文化も全くといっていいくらい違う。
それと暴れ川が多くて土壌は関東ローム層。
武士団による開墾と支配が西国よりはずっと必要性が高かった。
そこいらが坂東が武士団の本拠地となった理由じゃなかろうか。
坂東武者達が独立を求める理由がわかる
因みに坂東は大和朝廷に征服される以前は部族国家だったのかね?
坂東と大和朝廷の争い羽が深いから気になる
904 :
日曜8時の名無しさん:2012/03/08(木) 20:19:44.11 ID:65GdNTAR
毛野一族とかいろいろいたみたいだね。
日本中が部族国家だったみたいだから当然坂東もそうでしょ。
じゃあ、平安末期頃の坂東の先住民だった毛野一族みたいな連中は坂東にはいなかったのかね?
906 :
日曜8時の名無しさん:2012/03/08(木) 20:58:01.04 ID:65GdNTAR
これは坂東に限らず日本全国に言えることのようなのだが、
古代の先住部族の長は国造になったのだが、ここいらが律令制以後郡司になったことまでは確認出来ている。
しかし、郡司の連中が武士になったわけじゃなさそうなのよね。
少なくとも郡司→武士が通常のルートじゃなさそうなのよ。
郡司階級が没落して武士団が現われたというのが多くのルートらしい。
もっとも、古代の地方豪族は都からの貴種を婿に喜んで迎えたらしいのでその過程で郡司階級が表面から消えていったという説もある。
坂東で桓武平氏が各地に散って行って栄えたのはその典型例らしい。
だから桓武平氏等を迎える側の地方豪族がかっての先住部族系だった可能性は大いにあるかと。
つまり先住民と桓武平氏は同化したというわけだな
その一方で坂東武者は百済や高句麗の生き残りは桓武平氏が来る前に同化してる可能性も有るな
そうなると坂東は独立する定めだったんだな
それと、草燃えると炎立つって似てない原住民が大和朝廷からの独立を求めた点とか?
大河ドラマはあくまでもドラマです。十郎みたいなスマートなイケメンが、徳川家康を熱演しても許されるんです
909 :
日曜8時の名無しさん:2012/03/08(木) 22:13:15.15 ID:OhirluCH
十郎大好きwww
泰時の時代に関東の開墾の話がでてきてるが、それ以前もかなり開墾はすすんでたので?
あの関東ローム層を田んぼにするのは大変だったろうなと外からみてると思うのだ
911 :
日曜8時の名無しさん:2012/03/09(金) 00:09:30.26 ID:77Og+kRF
>>910 関東をくまなく耕地に出来るようになったのって治水技術が一定のレベルに達した江戸時代以後だよ。
それ以前は関東ローム層プラス河川や湖沼の治水の限界、さらに台地が多いので水耕が困難な土地が多かったので
結果的に手付かずの土地が相当あったんだよ。
だから平安時代時点でもかなり開墾はすすんでたとは思うけど、一方で開墾出来ない土地も相当多かったはず。
確かに吉宗の時代までは武蔵国の原生林は健在だったからね、
でも、その原生林をなくすなんて勿体無いことをしたな
913 :
日曜8時の名無しさん:2012/03/09(金) 00:27:21.00 ID:JBZdR3cQ
76年に風雲虹、79年に草燃える、こんな短い期間に希少価値の高い姉妹編とも言える
2つの大河を製作したとは今から考えても凄い事だし完全版で残っている事にも感謝したい。
914 :
日曜8時の名無しさん:2012/03/09(金) 00:35:29.85 ID:77Og+kRF
2つとも完全版残ってないと思われてたんだよねえ。
ほんと感謝感謝。
>>911 なるほど
開墾がむずかしいから、逆に大規模に開墾されると記事として残ったりしたわけだな
916 :
日曜8時の名無しさん:2012/03/09(金) 00:51:43.64 ID:W5KF0x95
上の方で書いてあったけど、将門の時は反乱起したのはいいけどその後の展望がなくて自滅した。
それが頼朝以後になったら都の連中以上の権謀術策駆使するとんでもない連中の巣窟になって。
この二作をセットとしてみると実に感慨深いもんがあるよね。
そりゃ広元とか三善連れてきたからね。
坂東武者だけじゃ、ああはいかんよ
918 :
日曜8時の名無しさん:2012/03/09(金) 03:25:08.51 ID:W5KF0x95
でも将門の時も興世王とか居たわけでね。
坂東武者の側に進歩がなかったら同じことでしょ。
919 :
日曜8時の名無しさん:2012/03/09(金) 10:04:49.44 ID:rC2Snk9t
>>918 興世王は学者ではないよ、皇族の末の末で京都では下級貴族待遇
地方に任官して利権の奪い合いしていた中の一人
その中では一番知識人だったかもしれないが
大江・三善・・・大学教授
興世王・・・・・やくざの中にいる元司法浪人
将門にはブレーンといえるのは三流の興世王だけだったのが痛いね。
それでも、興世王は潔く自決したのは男らしい。
将門に大江や三善や中原や二階堂親子みたいな優秀なブレーンがいれば自体は変わっただろうね
将門の時代よりも後の清少納言や菅原孝標娘なんかが、田舎なんて何も無くて退屈だみたいなことを言ってるんだし
受領になって収入を得たいとかならまだしも、そういうインテリさんたちが来てくれるかな
その出世を望む連中を上手く仲間に加えればよかったんだよ
でも、将門はそういう機転が利かなかったんだよね。
俵藤太とのやりとりはそれを象徴してる
「風と雲と虹と」「草燃える」。
共に演出に大原誠が携わっているね。
「徳川家康」「真田太平記」もなかなか面白かった。
大原誠演出作品には外れがないと思っているのは、俺だけ?
924 :
日曜8時の名無しさん:2012/03/09(金) 20:03:12.85 ID:LynHvlIj
>>923 NHKの時代劇ファンにとっては大原誠は神様ですよ。
今年の大河の、多少知識があると、ここをこうすればいいのに、
なんでこうなるかな・・とか、微妙な気持ちになる斜め下な
脚本を見てると、タワシコロッケ中島丈博先生って凄いんだなあと改めて思ったり。
まあ、経歴見ると同列に語るのも失礼な感じだが。
というか原作だろ
今年のも楽しんでるよ
ってかニヤニヤが止まらない
うむ、今年のは原作がないわりには結構面白い
じょーはく先生は何といっていいのか大河で昼ドラに走ってるとこが凄いw
失礼だが、将門はなんで時の関白忠平から信頼されたのに官位を得られなかったんだ?
まあ、無骨者だからだろうけど、関白から気に入られれば官位はそれなりの地位をもらえたんじゃない
今日は介の八郎の父ちゃんが出てきた。
頼朝は女系も男系も絶えたとよくいわれるけど、竹御所には娘がいたよね
あの娘はどうなったので
確か死産だったんじゃない
だから頼朝の家系は断絶したんだよ
いや、死産は男の子のほうでさ
竹御所が死んだあと、その供養を娘がやってるよね
どうやら、養女らしいよ供養をしたのは
養女ってのは勝手な憶測で根拠はないのでは
将軍家御台所が養女にむかえるなんて誰ということに
wikiに書いてあったぞ竹御所の項目で
竹御所は30近くで結婚してるから、それまでに子供ぐらいうんでてもおかしくないね
それまでの経歴がまったく謎なのもあやしい
マリことよしこと二つ名前が伝わってるのも変
竹御所は二人いたんじゃないかな
つまり、頼家には娘が二人いて
もう片方が供養したんじゃない
竹御所の姫君は養女だろう、というのは角田先生か誰かの
推測だけど、あの年齢だからすでに結婚していて子供がいるのは
おかしくないが、竹御所の実子、つまり頼朝の血を引く姫なら
北条がこれを利用しないはずがないと思うんだよねえ。
竹御所と頼経の結婚をあの年齢差でごり押ししたくらいなんだし。
その後表立って出てこないあたり、実子じゃないのかもしれん。
養女説で決まりだね。でも、竹御所の死で北条得宗家はシンボルを失ったんだよね
ところで西行さんは出家しなかったら、どこまで出世したんだ?
従四位下くらいはいったのかね?
義時は幸運な男だと思ってたが、死んでも幸せものだな
伊豆の墓は伊賀局と仲良くならんでいて、鎌倉の墓は頼朝の側で控えてる感じで
生前の姿そのままという感じだ
政子なんて頼朝の側で眠ってないのに
しかし鎌倉の墓は本人の遺言?
跡継ぎは指示してなかったのに眠る場所は指示してたのかあいつは
まりことよしこはどっちかが竹御所の名前でどっちかが娘の名前では
結婚前に男がいてもおかしくないな
ずっと独身だったわりには将軍許嫁としての待遇というか、活躍もしてないし
泰時政権が不安定だから強化するために無理矢理別れさせられて
その後抹消されたとかさ
次に頼朝が大河化される際には、生まれたところからやってほしい。
平治の乱を経て伊豆に流罪された際には八重姫とのエピソードも取り上げ、
妾は亀の前だけじゃなく、大進局とその子の貞暁も大きく取り上げてほしいものだ。
>>943 幼少の頃に巴と知り合い、いい仲になりかけたところをいじめっ子の義仲に奪われた
なんていうトンデモ展開がありそうでイヤだ
北陸宮って草燃えるでも空気だったな
義仲もクーデターを起こす際に後鳥羽を廃して
彼を帝にすればよかったのね
頼朝主役だとまず原作もろくにないんだよね。高橋直樹あたりが描いてくれないかな。
947 :
日曜8時の名無しさん:2012/03/18(日) 21:16:26.04 ID://+qHzFw
高橋直樹の世界はいいな。
石橋山の合戦ってあまり有名な戦死者は出てない?
草燃える見直してて、有力御家人がことごとく無事に再会してたので
>>948 岡崎義実の嫡子は今でこそマイナーだが、江戸時代あたりまでは仁田忠常さん同様に豪傑だったんだぞ
そんなにメジャーな豪傑だったのか!
岡崎と北条の息子が死んだことは描かれてたけどさ
ほんとに合戦したの?
>>948-950 源平時代の戦闘で、破壊力(用語間違ってたらスマソ)の
大部分は確か、騎馬武者(≠戦国みたいな歩兵)だろ?
言葉は「合戦」でも、実際の人数は少ないだろう。
時代的に、
個人の武勇>>(孫子とかの)兵略・戦術。
脳筋でも一騎がけで、いっぱしに有名人になれる
952 :
日曜8時の名無しさん:2012/03/19(月) 09:33:33.72 ID:UXW06LqV
清盛に出ている三浦さんや上総介さんは草燃えるの時代にも生きていた人?
953 :
日曜8時の名無しさん:2012/03/19(月) 10:18:25.70 ID:0Tbx4irz
清盛見てないけど三浦義明、上総介広常なら草燃えるに出てるよ。
後者は物語初期のキーキャラクターの1人。
地元で地理を知り尽くしてるから逃げられたのかな
まあ兵力が少ない段階で逃げる算段はしてたろうけど
ところで保元・平治の乱のときの源平の兵力はどれくらいだったんだ
あと、次のスレをお願いします
>952
清盛に出てきた上総常澄(きたろう)は、草燃えるで頼朝に粛清された上総広常の父親。
広常は広瀬中尉こと伊藤忠清と絡むから出てくる可能性もなくもないな。
でも、清盛でそこまで東国事情はやらないか・・。
三浦義明は草燃えるで長老の爺さんとして登場、頼朝挙兵時に討ち死にしてます。
>955
平治の時は清盛300騎、義朝200騎、足利義康100騎じゃなかったかな。
平清盛をみて思ったんだが、あの頃の源氏と平氏の差はこれ位じゃない
平氏>>>>>佐藤氏>>高階氏>>>>越えられない壁>>>>>>>>>源氏
959 :
日曜8時の名無しさん:2012/03/25(日) 12:12:09.11 ID:3Pgw4jrn
頼朝は好かんわ、義経の他に弟、範頼も殺してるそうではないか。
奥州藤原も滅ぼすし、自分はろくに戦わないのに、武士を束ねる器量があったのか?
弟が馬鹿だからむしろ頼朝が犠牲者
賢い弟はころさなかった
酷い言い訳もあったものだ
>>956 >955
平治の時は清盛300騎、義朝200騎、足利義康100騎じゃなかったかな。
平治じゃなくて保元の乱のときの数字だぞ、それ
963 :
日曜8時の名無しさん:2012/03/27(火) 10:40:37.57 ID:2ohT9ZGk
平治の乱では重盛1000、頼盛1000、教盛1000、経盛1000という信じられない大軍。
騎なのか人なのかは知らないが
965 :
日曜8時の名無しさん:2012/03/27(火) 23:36:30.40 ID:rZEN/bCO
つうか、もともと普通の貴族としては源氏>平氏だし、武家貴族としても源氏>平氏だぞ。
摂関家の源氏に対抗する軍事貴族として院が必死になって育て上げたのが伊勢平氏なわけで。
>>958みたいな印象になってる時点で今年の大河って大失敗作だろw
966 :
日曜8時の名無しさん:2012/03/27(火) 23:45:08.02 ID:1J77Z7Ej
いや義家晩年の年貢未納から河内源氏は躓いて
為義の頃には受領にもなれなかった。
平氏は正盛、忠盛の時期にきちんと時流にのって勢力拡大してたから
>>958で正解。
そもそも為義が本当に嫡流だったか怪しいとも言われてるし
頼朝による自分の家あとずけ権威あげもあるしね。
なーんだ源氏なの
968 :
日曜8時の名無しさん:2012/03/28(水) 00:03:26.18 ID:rZEN/bCO
>>966 んなことねえってw
為義だけが源氏じゃねえからな。
義朝は坂東で地盤築いてたわけで、その当時は伊勢平氏は坂東になんの力も持ってなかったぜ。
平治の乱は清盛は楽勝したわけじゃねえし。
侍大将レベルの数は源氏がかなり優勢だったんだぜ。
少なくとも軍事貴族としては
>>958みたいな差にはならん。
少なくとも当時、伊勢平氏>河内源氏なのは間違いないんだから、
>>958は若干やりすぎではあるがそこまで間違いじゃないと思うけど。
(平氏源氏をひとまとめにするのは今作に限らず大河のお決まりだし、
そもそも普通の大多数の人はひとまとめに考えるし)
清盛で描かれてる時代の話をしてるのにん、「元々がどうこう」みたいな話をしてる時点で
本筋と関係ないうんちくを語りたいだけじゃないのって感じだわ。
源平は常に互角の立場のライバルだったみたいな描かれ方が多い中で、
清盛はある程度当時の勢力図に即した描き方をしてると思う。
ドラマとして面白いかは別として。
>>968 保元の乱
清盛300騎 義朝200騎
(兵範記)
平治の乱
義朝は信頼軍全体の1/3足らずの兵数(200/800)
(古態本平治物語)
戦闘は約半日足らずで終了
義朝 都待避時 約十騎
(愚管抄)
971 :
日曜8時の名無しさん:2012/03/29(木) 07:10:06.38 ID:I7ENBPXF
録画見返してるが、やはりこれは傑作だわ。
特に頼朝死後の抗争は凄いね。
丈博先生もこういうどろどろしたの描くのほんと得意だしね。
972 :
日曜8時の名無しさん:2012/03/29(木) 09:48:19.08 ID:9x4wJFfc
讒言で有名な梶原景時が根も葉もない噂で失脚滅亡する
でも噂を振りまいたのが保子、義経の兄の妻。
大人になって見返すと保子・全成夫婦も黒い
梶原は頼朝にとっては必要だったが若い頼家には理解できない
大多数の御家人は梶原の功績を理解せずに嫌悪
義時など少数の者はわかっているからこそ抹殺しようとしている
973 :
日曜8時の名無しさん:2012/03/29(木) 10:02:05.16 ID:I7ENBPXF
義時、義村、全成のような策謀家を二枚目が演じてるから余計迫力あったね。
全成が寺に籠もる前の表情は秀逸だった。
策謀家とはちょっと違うが、景時をこれまた二枚目の江原さんが演じたのも良かった。
あんな涼しい顔した人が、田舎豪族丸出しの上総介をいきなり謀殺するんだから迫力が半端じゃなかった。
そして上総介の死に顔も見事w
あの人、太平記でも見事な死に様演じてたなw
おしゃべり保子は実況でも大人気だったが、結構不気味な女人だよね
この大河は政子が主役だからあんまり描かれないが
義時に自分の息子殺されたときはどんな感じだったんだろう
義時は腹心の金窪を討伐にさしむけてるからかなりマジだし
ドラマでは三寅かかえてきりっとしてて政子より幸せみたいな描写だったが
吾妻鏡だかなんだかで、ひっそりと阿波局がしんだ、という記述があったときに
なんかぞくっとしたことがある自分w
腹黒保子だけど、実朝への愛情は非常に深かったね
それ故に実朝が死んだとき、彼女の悲しみは同情した
第50話「三浦義村の策略」。総集編でカットするには勿体ない場面が多過ぎた。
梶原ってなんか讒言役の悪役、てな感じだったから、草の江原さんは
かなりイメージかえててよかったような記憶
逆に、比企はもっといい人イメージだったのに妙に裏がありそうな配役に
義経の梶原は従来の悪役むさいおっさんによい顔をくっつけたみたいになってたような
978 :
日曜8時の名無しさん:2012/03/29(木) 23:57:57.41 ID:I7ENBPXF
>>976 第50話が一番面白かったかもしれん。
命のやりとりした義時と義村が実は誰よりも信頼しあってるというパラドクスがたまらんかったw
とにかく後半の三浦義村絡みの場面は大河でももっとも面白い場面の連続だったな。
でもあの胤義からの手紙さらすシーンはちょっとわざとらしかったな
義村は弟たちとがちに合戦してるがその心理も省略だし
なんか身もふたもない描き方だったよな義村
まあ、北条のドラマだから別に仕方ないが
ただ、永井路子の原作自体がそんなんだよな
義時も義村もどうも血肉が通ってないというか、釣りドラマみたいな描き方でさ
そのあたりは不満だから、また別の機会の鎌倉ドラマで違った描写をみたい
981 :
日曜8時の名無しさん:2012/03/30(金) 02:44:30.32 ID:mQTcFZsk
982 :
日曜8時の名無しさん:
承久の乱は義村にとってチャンスでもあるがピンチでもある
胤義と共謀していると言う口実で義時に粛清される可能性がある
でもそれをやれば鎌倉が混乱しているあいだに上皇に味方する者が出る
上皇の院宣を大義名分に北条に謀反する地方勢力が乱立する
義村が挙兵する、またはそれを恐れた義時が三浦を攻撃すれば上皇軍にも勝機はある