>>950 理由を列挙したところで聞く耳を持たないくせに実に偉そうだ。
では聞くが、草燃えるを褒めたたえるために、他作品をおとしめる必要がどこにある?
表現力などと、自分はそれがあると考えているの?
小四郎と今の御所との場面も面白かったね。
小四郎はすっかり海千山千の幕府の重鎮なのに対して、御所は所詮は若造。
かって、頼朝に振り回された頃の小四郎の若い頃とオーバーラップさせると感慨深いもんがあるな。
この頃のマツケンってまだ20代なんだよな。凄いわ。勝新の薫陶を受けまくってた頃だからなのかな。
時政はこの後に将軍である頼家を追放して実朝を傀儡将軍に
据えた後に殺し鎌倉の実権を握るんだな。
そして権力の確立のために昔、北条家の安泰と伸張のために姻戚関係を結んだ
(九郎が喰ってかかった婚姻ラッシュの回)
娘婿である畠山、稲毛を粛清していくわけだ。
やはり凄い策謀家であり政治家だな。
別に今の大河おとしたっていいじゃん
なんでももちあげなきゃいかん、みたいな態度がつまらなさを改善させられないのでは。
時宗だってボロボロいわれてるのに、そんな擁護する人はいないのに
龍馬伝をボロボロいう人がいない方がおかしい
>>954 時政は娘さんが非常に多いのが良い意味でアドバンテージだよな
頼朝、全成を始め、有力豪族に嫁がせて血縁を計ることが出来たのは非常に大きいと思う
>>955 時宗や武蔵あたりからずっとボロボロ言われてたから、
今の龍馬で少し良くなったと視聴者が考えたのでは?
>>956 この時代の豪族にとっては子はまさに財産だからね。
息子は戦力になるし、娘は他家との関係拡大に役立つ。
難点は、子供が多いと相続で揉める確率が高くなることだね。
この時代は娘にも相続権があるから余計にややこしい。
結局龍馬伝を持ち上げたいだけじゃないかw
大体自分だけしか龍馬伝を擁護してないのに「視聴者が考えた」とか・・・
視聴率が良いとかならまだ説得力があるが、絶賛下降中じゃないか。
頼朝の全面的な信頼は厚かったが、総領が脆弱だった比企サイド
(能員はドラマでは婿だが史実でも比企尼の実子ではなく甥という微妙な立場)
に対して、時政が強力に統率していたであろう北条サイドの結束が強かった故に、
北条の博打は成功したわけで、この事件での時政は神がかりだった。
・・・けど、その後のアレコレは、成り上がり故の卑しさというか、
欲を掻いて失敗するんだよね。>時政
まあ、好みの問題だからな
自分は龍馬伝にくらべたら時宗はずっとましだと思うw
>>954 稲毛は時政じゃないぞ
稲毛は妻とラブラブで早死にしたんで出家して、その後も時政と
仲良くしてた人だ
>>960 その落差があるから、実はかなり早い時期から時政じゃなくて義時の政治力が上だったと見得るわけだね。
このドラマの描き方でも、実は義時が比企事件でもシナリオのメイン部分を描いていたくさい。
というか、比企事件の北条側の謀略をあえて明確に描いていないあたりがまたこのドラマの作りの絶妙な部分だよね。
大江も公家なのに、さすがに肝がすわってるな
大江らの文官、主立った御家人たちへの根回し
鎌倉から千幡の家督相続の使者がきたらすぐおりるように、鎌倉派の公家とも
日頃から関係つないでたようにも見えるし、そのあたり万事ぬかりないのが北条
だから、事件がいろいろおきても、鎌倉がgdgdにならないで、安定化に向かうことになる
三浦を北条の対抗馬にしてるから、平九郎があれこれ重荷背負わされて気の毒w
ただ兄にいわれるままに仲間殺した、みたいになっちゃってるね
ほんとは畠山重忠が比企合戦では大活躍したのに
>>948 巣に帰れよ声ヲタ。中田譲治が出なくなったらどうせ見ないのだろ。
>>963 でも、比企暗殺に関しては大江は北条に無理に巻き込まれた感があるな。
肝が座っていても文官は文官。
そういったあたりのやりとりもきちんと描いてるのがほんと素晴らしい。
やはり名作だよね、この作品。
>>959 別に持ち上げていないぞ。
そちらの疑問に自分なりに考えて答えただけ。
「叩く人がいないのはおかしい」て言っていたから。
967 :
日曜8時の名無しさん:2010/04/12(月) 22:30:35 ID:U2m9jnTx
しかし頼家、改心が遅すぎたね。
頼みの綱だった比企一族も結局は自分を利用して甘い汁を吸っていただけだったので、乳母でありながら何ら諫める事をせず甘やかしただけだった。
義経以上に傍若無人だったので、有力な御家人は誰も頼家にはついて来ない。
坂東武者にしたら頼朝からして玉取り合戦の玉に過ぎなかった。
頼朝の政治家たる所以はそれを逆手にとって利用していた所だ。
名門で力もあるのに総領が脆弱で、統率力の強い成り上がり系にやられたのは、三浦VS安達
→緊張して吐いちゃうライダーのへたれ息子三浦泰村VS身内(比企)や友人(畠山)を犠牲にして政争を勝ち抜いた景盛
も同じ構図だな。
泰村は武芸では相当な腕前だったらしいね。
武芸の腕と修羅場での肝の据わり具合とは全くの別物なんだな。
>>966 それって「実際に叩く人がいない。なんでだ、なんでなんだ」って意味じゃなくて
「いて当然だろ」って意味で使われてるんでしょ、文脈的にw
俺はそれを書いた本人ではないが
971 :
日曜8時の名無しさん:2010/04/12(月) 22:51:30 ID:pNIf+uCW
Youtubeに総集編全5回をUPしました。
画質悪いですが、まだ、観てない方がいれば、どうぞ観てください。
当方、前年の「黄金の日日」からリアルタイムで大河を視聴している四十路を過ぎた男だが
総集編や去年のアーカイブスでしか見れなかったこのドラマを全話再見できて感激している。
当時はまだ小学高学年だったが意外と記憶に残っているものであぁ、そうだったなと結構確認
しつつ鑑賞している
今日はラストの十郎の哄笑が一際印象深かった
頼家は確かに器量がなかったかもしれないが、まだ若いし
勃興期の鎌倉で、誰もが先行きが見えないような時代だから
父親みたいにやれったって無理だわな。
頼朝が、もっと頼家時代の青写真を描いていればよかったのかな。
北条は時政と義時、名越と小町と二カ所本陣があるから、頼家が北条討伐するとしても
よほどうまくやらないと必ず反撃くらうだろうし。
974 :
日曜8時の名無しさん:2010/04/12(月) 23:00:35 ID:Xi2uoDCX
>>934 政権内反主流派という点では、比企→名越→斯波というイメージがあるな。
この3家って、全て系譜的に繋がるし、いずれも北陸地方に拠点を
持っている点まで共通している。
975 :
日曜8時の名無しさん:2010/04/12(月) 23:03:11 ID:Xi2uoDCX
>>963 史実としても、大江広元・三善康信・中原親能といった連中は、京都での
栄達を捨てて鎌倉に来る時点で、相当の覚悟はあっただろうからな。
まあ京都にいても朝廷で大出世できる家柄ではないけどさ。
うっとうしいな。
他のドラマの話をしたけりゃ、そのドラマのスレでやれよ。
ここは草燃えるのスレだ。
977 :
日曜8時の名無しさん:2010/04/12(月) 23:09:49 ID:U2m9jnTx
>>973 ってか時政を成敗するとか騒いでも、御家人達は誰も従わなかったんでしょ。
とりあえずこのドラマ上では、比企以外の御家人達を下僕扱いするように頼家を小さいうちから洗脳した比企重子が悪い。
>>971 そういう行為って、違反なんじゃなかったか?
それを自慢げに書く人の神経が分からないな。
視聴料を払っている人がバカを見る。
御家人は勝ち馬にしか絶対に乗らないからね。
いくら現御所の命令でも、尼御台を擁した北条討伐になんて従うやつはいないよ。
比企だってそんな命令には従わない。
頼家が比企だけを特別扱いにせず、他の御家人にも公平に振る舞い感謝も示していたら、比企は滅ぼされず一幡も殺されずに済んだろうか。
和田合戦のときは、義時の小町舘と御所が隣接で陣は一カ所だから
和田義盛にさんざんに攻撃されてた
御所と反対隣の三浦が和田に加わってたら、他の御家人の加勢が来る前に
北条はやられてただろう
それにしても義時は変わったよな
昔と違い平気で人を切れるようになった
>>954 おまいが草スポ叩きだったら凄い性悪だな。
985 :
日曜8時の名無しさん:2010/04/12(月) 23:36:18 ID:BzmbJ5dF
>>984 乙です!今から深夜の勉強会に行って参ります。
比企能員の息子の比企大学は当時赤子だったから助かって
その後、時頼か時宗時代に幕府に仕えてたのを何かの本でよんだ気がする
それがほんとなら比企氏もちゃんと存続してることになるが
>>946 「厚媛や転地人」とか書いてる時点で、推して知るべしであろうよw
頼朝時代にあったのは
上総介の粛正、異母弟(義経)の粛正、武田氏を解体かな
以後
梶原氏没落、全成の粛正、比企氏追討
と権力闘争が続いてきたけど
北条時政って「田舎親父」のイメージがあるが
実はやり手なのかな
成り上がりのがめつさで押し切っただけかな
>986
生き残った末子が出家して寺を建立してて、比企の縁者らしいのが安達の被官にいたりするが、
比企氏が存続してるって事はない。血縁者が地方にいるとかはありえるかもしれんが、
少なくとも鎌倉における比企の存在は抹消されてる。竹御所が死ななければ、
復権できただろうと思うが・・。
やはり、比企といえば女系で北条に残した血が一番はっきり存続しているのが皮肉だね。
名越流と極楽寺流で、これがさらに足利につながっていくというわけだ。
大河の時宗、子どもんときに家督ついで、やっぱり陰謀と政治に翻弄されてたが
北条一門と外戚安達氏が若い執権を支えてた
頼家には外戚比企氏はいるが、一門がいない
身内で殺し合いをしていた源家の運命が、頼家実朝の悲劇につながってるきがする
何をどうすすんでも、最後は暗殺で終了みたいな
時宗の場合は一門より、得宗家自体が強力な組織になってたからな。
武士の時代は一門は一番身近な敵になる場合が非常に多い。これは源家に限った話ではない。
源家の場合は本体といえるだけの組織がないからああいう結末もやむを得ないとこだろうな。
なるほど
歴代得宗は早世してたが、暗殺されたり反乱にあったりしたのがほとんどない
というのは、得宗家が強力だったからか
「あなたにはもう誰もいないの。私が守ってあげる。かわいそうなよりいえ〜」
実は一番恐ろしいのは政子でしょ…
どうせ関白に成敗されるなら、心づくしの膳で自分が殺そうと言う発想に飛躍した時と同じだ
頼朝は、鎌倉殿の下に源氏一門・門葉(義経、範頼、平賀、足利、頼政系など)をおいて、
その下に御家人という体制を作ろうとしてたみたいだが、義経にしろ甲斐源氏にしろ、
独立勢力として勝手に動いてオレが大将なもんだから、結局粛清しまくってうまくいかなかったんだよね。
結局頼朝個人の力量に拠った専制体制のまま急死して、鎌倉殿を支える体制が
脆弱なまま若い頼家が継いだわけだが、頼家にしてももっと身体が丈夫で
じっくり体制固めをする事ができたら、こんな形にならなかっただろうと思うが・・。
足利に比企の血といえば、名越系もあったか。
1198.12 頼朝落馬
1199. 1 頼朝死去
1199. 4 十三人の合議制
1200. 1 景時滅亡
1202. 7 頼家征夷大将軍
1203. 6 全成処刑
1203. 9 比企滅亡
北条は4年で一気にのし上がったな
どうでもいいが、千幡の中の近影見たら、あのまんまの顔の
おっさんになっててちょっとワロス。
999
1000なら鎌倉を永住の地に!
1001 :
1001:
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