2 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/05(月) 14:45:14 ID:RC+uON48
喜平次の父親と一緒に死んだ宇佐美は
風林火山で緒形拳さんが演じていた宇佐美定満ですよね。
風林では謙信のごく近い側近でしたが、その宇佐美が長尾政景を殺した裏には
謙信の命令があったのでしょうか?
天地人では謙信が命じたわけでは無さそうでしたが、
その場合は宇佐美が独断でなぜ政景を殺す必要があったのでしょうか。
それとも本当にただの事故だったのでしょうか?
>>2 宇佐美が政景と溺死したというのが江戸時代の創作
政景溺死も突発的な事故で謙信は無関係
4 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/05(月) 15:34:31 ID:wrsXuDVq
>>2 詳しいことは、よくわかってないけど、
ただ、この時期には、もう隠居して第一線から身を引いてるから、
風林火山に出てたような、いつでも一緒♪な関係ではなかったと思う。
政景が不穏な動きを見せたのを察知して、
宇佐美が独断で、事故に見せかけて心中したと言われてるけど、
ご指摘の通り、ホントに事故だった可能性も否定しきれないというのが現状。
宇佐美家に対して、謙信から褒美や労いはなく、城は接収されて家は没落してる。
5 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/05(月) 15:38:11 ID:Hvso4LPM
別スレで質問しちゃいましたが、昨日放送の時期、
柿崎家はまだ景家が元気だったのでは? 晴家も
すでに別個に戦力を率いていたのかも知れませんが。
このドラマでは小田原に行っちゃうんですかね>晴家。
長尾政景の遺体に傷があった演出だったから
宇佐美がなぜ無理心中したのか理由が気になった
途中から見た
政景はなんで死んだんだ?
子供は目撃してたのか
石田三成の髪型はなz
風林火山では謙信が家督を継ぐ際に政景が反乱を起こす。
その和睦として、謙信の姉の桃(仙桃院)が政景に嫁ぐ
謙信が高野山に出奔したのを連れ戻したのは政景なので謙信と政景の対立は収まっていたと考えられる。
しかし家臣の間では地域間による対立があったのではないか。
政景・景勝の地盤である上田衆は春日山に従う形であったが、謙信死後は御館の乱により、
春日山に上田衆の家臣が多く採用されることになる
天地人ではその辺の春日山と上田衆(坂戸城)の対立関係がうまく説明されていなかった。
ドラマでは事故死か暗殺なのかはっきり描かれてないが、
家臣に根付く地域間の対立が暗殺説を生む土壌となるのであろう。
今のロシアみたいなものだ
政景は宇佐美を招いて船で宴会中に湖に落ちました。
喜平次は政景の遺体を城で出迎えていたので政景が溺死した瞬間は見てません。
回想シーンっぽいのは政景は湖に落とされ暗殺されたのだと聞いた喜平次が
父の無念の姿をイメージしていたんじゃないかと。
>>5 > 柿崎家はまだ景家が元気だったのでは?
その通りです。
晴景はまだ軍事指揮をしていません。
>晴景
どっちやねr
13 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/05(月) 21:43:34 ID:5ZlAQFFm
謙信の越山シーンがあり劇中で「清水峠」と呼んでました。
現在の清水峠は関越自動車道か上越新幹線の清水トンネルの真上にあるんですか?
三國峠とは位置がだいぶ違うようですが…
謙信の越山は劇中のような左右が切り立った危険で狭い長い道を、時として豪雪の中でマジで行軍してたんですか?
たしか冬の越山中は寒さで手が震えて、うまく字が書けないからハンコを謙信が作っていたと、どこぞで読んだ記憶がありますが。
>>6 傷は落ちてから偶然ついたものかもしれないが、司法解剖もないあの時代には判別不可能
しかし、上田の家臣はそれを故意のものだとすぐさま思い込むような背景が両家の間にはある、
という状況を現わしたシーンだと理解した
15 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/06(火) 01:39:38 ID:uWupKqYc
天地人って風林火山の数年後からの話を上杉側で描いた(ただし視線は織田、豊臣、徳川寄り)作品ってことでいいの?
たしかかんすけが死んだ翌年に兼続が生まれてたような。
政景が謙信の命で殺されたと景勝が思い込むのは、家臣が騒ぎ立てたんだと思う
風林火山を見てた人には春日山と坂戸の緊張関係がよく分かるかも。
桃姫が政景に嫁ぐシーンや、喜平次(当時は卯松)が謙信に字を習うシーンもあったな。
今でも新潟県地域間、仲よくないからねぇ
>>13 国主 上杉輝虎 × 上田庄 長尾家 のテロップの後の上杉軍団が通過している山は、
新潟-群馬の県境、蓬峠付近だと思う。
左側の尖った山が大源太山、右側が清水峠だと思う。
>>18 2chとか まちBBS、wikiでは上越/中越/下越が対立しているらしいけど、実際には対立していないね。
地理的にそれほど近くないので 互いにそれほど関心が無いと思うんだが。
※燕市と三条市のみリアルで仲が悪いw
>>17 まさに桃姫が敵地へ嫁ぐという雰囲気で、
姉上がその気なのに謙信がとことん渋ってたり。
21 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/06(火) 10:08:29 ID:cnHXRlj2
うす味の第1回。
謙信が関東出陣で清水峠にいるときにめがけて坂戸城下の魚野川岸の池(?)(推測)
に船を浮かべて酒宴というタイミングは不自然なのでは?古文書に裏づけは?
弔問の謙信をあのように弓矢で出迎えるでしょうか?
謙信とのちの景勝とが馬を駆り語らう高原はどこでしょう。
実際にはありませんよね。謙信尾根あたりは馬ではいけるでしょうか。
雲洞庵の山門前にあんな急な坂道はありません。
秀吉が砂金を積んでの兼続直臣勧誘。みつぎ物を持って行ったのは景勝兼続
主従のほうだったのでは?
絵になるロケーションはやむをえないにしても、演出が漫画あるいは劇画風
で落ち着きがありませんでしたね。
そうそう、子どもたちが喧嘩をしているうち、収穫前の田へなだれ込む場面。
事故や戦争でない限り、絶対に稲穂を粗末にしないのでは。
安土城や奈良東大寺のコンピュータグラフィック再建の映像をテレビで見て
いる視聴者は、せめて坂戸山の入り口あたりの建物を再現してほしいところ。
それから、男色やいくさの後の人さらいは大河では描けませんよね。
22 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/06(火) 10:16:40 ID:ml/KoYfn
上杉家臣団の屈強な武将ってたくさん居るんじゃなかったの?
4人しか出てないけど
>>22 しかも実際に越後から関東に出陣する山越えにいたであろう家臣は
その四人のうち二人しかいないw
(柿崎晴家は家督相続前・北条高広は関東の厩橋にいるので
越後からの山越えに加わっている訳が無い)
まあ今後の上杉家臣の顔を視聴者に覚えてもらうために
出演する家臣の人数を減らしているんでしょう。
景勝に代替わりした後は今出ている子役達の成人後が
主な家臣になるし。
上杉家をまだよく知らない視聴者が多いので少なくした。家臣たちのルックスが濃いのは、視聴者の印象に残りやすいようにとのこと。
25 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/06(火) 12:25:21 ID:CMz5HQ/V
ところで、河田長親、斎藤朝信、本庄繁長、水原親憲、島津月下斎、山崎専柳斎、
狩野秀治、山浦国清、芋川正親、平林正恒、色部一族、安田一族といった面々は
ご出演なさなるのでしょうか?
新発田重家は出演せざるえを得ないでしょうが(長敦とかは?)
信長の家臣も大いにカットされるだろう
風林の時の小田原みたいだな
27 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/06(火) 12:31:31 ID:ZjMPIYcN
>>25 全員まとめて出ないような気がする。
新発田役なんて大物で時期的にももう発表していなければいけないのに、
まったく音沙汰がない。
28 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/06(火) 12:58:11 ID:nNBT0jYT
斎藤と本庄は出るだろう
新発田が出ないなんて「歴史ヲタは見なくていいよ サヨナラ」って言ってるようなものだな
完全にバカにしてる
花より男子を戦国時代風にやってみました にならない事を願うよ
30 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/06(火) 16:09:33 ID:SUkgTKAc
>>29 で、質問はなんですか?
それとも誰かの質問に対する答えですか?
どちらにも該当しないのならさっさとアンチスレへ逝け
景勝は兼次とかをひきつける魅力や能力があったのでしょうか。
わりと無口で、思ったことが顔にでないという設定なのですが。
(雄弁だったらいいというわけではないと思いますが、
戦国時代はちょっとした誤解で命が危うくなるイメージがあるので。)
あと兼次さんの前髪が気になります。
江戸時代になるまで、頭をそったちょんまげスタイル(月代?)
でなく、ああいうのが主流だったのですか?
アーッ!兼続さんでした。
ごめんなさい。
仙桃院様にスカウトされたのは 与六君だけだったのですか?
なんか家中に子供がたくさんいたので、その子供たちも、与六君みたいに
引き抜かれてきたのでしょうか?
>>15 織田、豊臣、徳川視点で見ると
勝ち組 山内一豊
負け組 上杉景勝+直江兼続
[質問]
メール欄にワザワザageと入れて書き込む人って
なぜ馬鹿なレスをするのでしょうか?
自意識過剰な人なのでしょうか?
それとも荒らしなのでしょうか?
何かの目印なのでしょうか?
>>35 失礼、2chビューワーでの入力ミスだ。
ただ、過剰な裏読み性格は嫌われるから気をつけた方がいいよ。
>>36 なぜ馬鹿なレスをするのでしょうか?という質問の答えに
なってないお(^ω^)?
>>37 じゃ、補足として、こういう感じでいい?
「天地人」の冒頭は、「功名が辻」の中にもある。
うまく殿に取り繕う山内一豊は、タイトル通り「功名」へ。
北の政所と千代の関係や、(敵対関係であったはずだが)北の政所と家康との関係、一豊と家康の関係
偶然とはいえ、これら関係も運がよい。
結果として「篤姫」時代〜明治維新以降まで続く山内家
それに対して上杉景勝に対して義を貫き、石田三成との交友を持った直江兼続
関が原以降、家康に「サーセン」と謝罪しつづけ、
許してもらった後はジリ貧大名としておしん状態へ。
俺が好きとか嫌いじゃなくて、どう考えても織田、豊臣、徳川の中の人は山内の方が好きだろ?
ただ、そのドラマのテーマがあくまでも「金じゃないよ、愛と忠義だよ」「我慢しろという現代人への押し付け」
なんだから、それは否定はしません。毎年、楽しみに見ている。
この3年間の大河ドラマの主役はとても興味深く面白いと思う。
2007年 悪役
2008年 負組
2009年 負組
天地人では石田三成が真田幸村の妹の初音に惚れてしまうそうですが
おりんや重家・重成の出演予定は無いんですか?
徳川三代の石田ファミリーが好きだったので…
>15
武田信玄のキャストは不明のようだが真田家はクローズアップされるようです。
上杉と政治中央が主な舞台になるのかはまだなんとも。
ちなみに甲陽軍鑑などで言われる山本勘助の没年は永禄4年(1561)で、
直江が生まれたのは一般的にその前年とされています。
>.39
島左近のキャストさえも不明ですが、ファミリー出れるといいですね。
42 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/07(水) 06:58:23 ID:TQ+HBHIq
ID:PW2gi6yL
43 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/07(水) 07:19:31 ID:YUsllomu
前田慶二 角田信明らしい
初心者な質問で申し訳ないのですが、気になったので教えてください。
あの時代の髪型は、ちょんまげ(?)ではないのでしょうか?
今のところ、石田三成だけが頭のてっぺんつるつるみたいですが……。
お船とか菊姫のようなヒロイン的な女性がちょっと変わった髪型(横でちょこんと結び)なのは、
なんか可愛い感じを出すためのオリジナルなんだろうな……とは思うのですが。
その時歴史が動いた◇戦国時代に"愛"の一文字を掲げたかぶとを着けて戦った上杉家の武将、直江兼続がその文字に託した思いを探る。
上杉謙信の後継者である景勝の側近だった兼続は、自分の欲望のためではなく世の中の筋目を守るために戦えという謙信の教えを守り、
戦と国造りにまい進した。その兼続の前に、最大の敵となる徳川家康が立ちはだかった。豊臣体制の秩序に反し、多くの大名を屈服させて
力を強めていた家康のことを、兼続は自分の欲のために世を乱していると考え、挑戦状をたたきつけた。兼続が自分より格上の家康に
突き付けたその書状は「直江状」と呼ばれ、それがきっかけとなって日本は関ケ原の戦いに向けて動き始めた。
1/7(水) 22:00 〜 22:45 NHK総合
>>44 この板内に「天地人」の創作時代劇ヘアーへの違和感を綴るスレがあります。
どうぞ、そちらへもいらして下さい。
上杉景勝は越後から会津120万石へ転封されましたが、120万石は今の福島県全体とほぼ同じ地域なのでしょうか。
その当時にしては石数が大きすぎるような気がするのですが?
48 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/08(木) 00:15:39 ID:2bzlBPRV
野尻池で家臣が焼いている食べ物は何ですか?
49 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/08(木) 00:50:57 ID:zAbjJLK/
まさみタソの役
まろゆきの妹は又架空の人なん?
>>47 福島県の大部分と、米沢・庄内(山形県)と
うろ覚えだがたぶん佐渡も上杉領だったと思う
聞いてもいいですか
仙桃院は「桃姫」となっていますが
「綾姫」ではないのですか?
>>52 桃姫は「仙桃院」から作中命名したのだろう。
でもそれはNHK大河ドラマ「風林火山」のなかでの命名創作なのでは。
(井上靖の原作には上杉家サイドの話は無いし)
仙洞院の確実な呼称は伝わっていないはずだから。
ちなみに自分は「仙桃院」ではなく「仙洞院」と書くことにしてます。
>綾姫 綾の方とかも伝わっているけど
確かそれは地元での伝承・・・程度の名だったと思う。
歴史作家のなかではその名を使う人もいるけどね。
相武演じる「華姫」ってのも、法名の華渓院から作中命名したんだろう。
大河に限らず創作された名でも世間に流通すると、観光に利用されたり
ほんとの名みたいに思われたり、墓が建っちゃったりするんだよなー。
(例)諏訪御料人の墓は長野県の高遠にあるが、
岡谷に「由布姫の墓」が建立されてしまったみたいにさw
(現在では、さすがに供養塚と宣伝しているらしいが)
54 :
52:2009/01/08(木) 12:12:03 ID:DM4eghDe
質問させて下さい
時代劇で「そなた」と呼ぶ時のイントネーションについて、
昔のドラマなどは「↑↓↓」だったと記憶してますが
功名辺りから「↓↑↑」になった気がします
自分が時代劇見てない間に何があったのかと気になって…もしくは自分ひとりで何か勘違いしてるのかもしれないですが、どなたか説明してもらえたら嬉しいです
57 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/09(金) 14:00:44 ID:+MdnWYEd
>>51 海道地方は上杉ではない
常陸の佐竹と親しい相馬と岩城がいる。
58 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/10(土) 01:54:19 ID:QOd4jmOd
むかし、120万石時代は直江で米沢30万石を領していたと聞きましたが、
今回の大河のガイドブックでは6万石になっています。
これはどうしてですか?
59 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/10(土) 02:11:44 ID:Xo2EYdZB
ワシはこのようなスレには来とうなかったんじゃ(笑)
与力分を除くとそれだけだからです
後は上杉家が米沢30万石だったので
米沢を預かってた直江がそれくらい貰ってたと
勘違いされたのでは
一門衆以外の家老は多くても封地の
1割りもないですよ
>>58 兼続が景勝から貰った直領が6万石、
景勝の家臣で兼続の指揮下に入る与力たちの知行分を含めると
30万石だと言われる。
あの〜 もしかして上杉憲政さんはご出演なされないのでしょうか?
俺が見落としているだけ?
>>62 今のところキャスト情報や目撃談、
ストーリーガイドでの登場シーンなどは一切確認されず。
今回の宇佐美みたいに名前だけ一瞬出て
死ぬ役かもな。
「風林火山」では市川左團次という豪華キャストじゃったのに。
>>63氏の言うとおりだとしたら、転落度合いは激しいNo.1、No.2ですね
宇佐美 緒方拳→名前だけ一瞬出て死ぬ役
上杉憲政 市川左團次→名前だけ一瞬出て死ぬ役
66 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/11(日) 12:49:57 ID:x0+LSkGV
>>15 直江兼続が生まれたのは1560年。
山本かんすけが死んだのは1561年の第四回川中島の戦い。
物語冒頭の長尾政景と宇佐美が野尻池で溺死したのは1564年。
せめて、本庄でも出ないと、息子の養子縁組ネタが出ないと思うけど、
本庄に限らず揚北衆の情報はまだないんですかね?
OPの映像の質問ですが、最後に兼続(妻夫木)が山頂で
佇んでる場所に石碑っぽいのがあるように見えるけど
あそこは何らかの意味がある場所なんでしょうか?
69 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/12(月) 00:07:22 ID:+tqhiKzK
オープニングで八王子市の名前がありましたがどこかの場面で撮影に使われたのですか?
>>70 有難うございます。公式のトピック見てきました。
頂に立っている映像は、人間の小ささを表しているって事なんですね。
73 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/12(月) 23:02:55 ID:1TQgz8TP
>>69 推測だが、春日山城の入り口のセットを高尾山に組んだのではと思われる。
または同じ山城の八王子城をつかったか。
馬場信春が長篠の戦いで映ったとたん死亡なら涙目www
武田信玄は出演しないと正月の日本海新聞に出てた。
76 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/13(火) 03:14:25 ID:7t5rw8eo
やっぱ愛かぶるんですかね?
77 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/13(火) 03:15:11 ID:EFKRr1k/
前田慶次を出せ
78 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/14(水) 12:40:07 ID:5FZN7X09
中条景泰は登場するかな?
79 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/14(水) 14:13:12 ID:gjxbEp8h
>>78 もちろん登場します
中条景泰=佐々木健介
雪の中、山道を照明もなしで5歳の子供が歩いて家まで帰ることができるのですか?
凍死するんじゃないでしょうか?
>>80 雪国の人間だけど、吹雪いてなければ余裕じゃないか?と思う
知らない場所-知らない場所 は無理でも
どっちかが知ってる場所なら大丈夫だろう
それに歩いていればあったかいから、凍死はありえない
雪道を歩くとそれだけ体を動かすから
そりゃ酔っ払いが外で寝てたら凍死もするが
それに、曇り空で空が白い晩でも、晴れて月明かりの晩でも、雪原は明るいよ
加えて昔の人はたとえ子どもだろうと今の人よりずっとたくましく、
寒さに強かったろうと思う
そう言えば、白瀬中尉の南極探検についての番組で言ってたけど
夜寝る時テントが狭いので、犬の世話をしてた人は犬と一緒に外で寝てたらしいぞ。
犬が毛皮代わりにはなってたんだろうけど、南極で野宿とは寒さに強すぎだ。
今回の紀行に兼続が詠んだ漢詩が出ていましたが、有名な物でしょうか?
85 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/18(日) 22:42:22 ID:lFPvedol
評定の席で謙信が「○○の○○城に兵を置き〜」
と言っていた所が聞き取れなかったのですが、
何と言っていたでしょうか?
織田で秀吉と勝家が「武田の陣で薬師が消え」「口封じか」
と言っていましたが、殺したんですか?
秘密を守るのが大事なのは分かりますが、そんな事をしたら
武田に来てくれる薬師がいなくなるんじゃないかなと思ったのですが。
>>85 > 評定の席で謙信が「○○の○○城に兵を置き〜」信濃川中島方面の城だったね。もう忘れた。
> 秘密を守るのが大事なのは分かりますが、そんな事をしたら
> 武田に来てくれる薬師がいなくなるんじゃないかなと思ったのですが。
そんな国だから滅びたという暗示も含めているかと。
87 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/18(日) 23:32:35 ID:mB8h9k+f
謙信
景虎 直江
景勝
と評定で並んでいましたが、二人の養子のうち景虎のほうが景勝よりも上座に座る立場だったんですか?
あと、直江の位置に養子のどちらかが座れば違和感が少なかったと思うんですが、
二人をあえて隣同士にしたのは何か意図があったわけではなく
景虎と景勝が並んだ絵が撮りたかった撮影上の都合でしょうか。
>>88 景勝より景虎の方が年上。
景勝を景虎より上座に座らせたら後継確定じゃね。
史実での立場はどっちが上だったのかわからんどころか
景虎が軍議に参加する立場だったのかどうかもわからん。
あとは画面上の都合だろう。
90 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/19(月) 00:49:00 ID:d4E5ajz2
_人 _,,.. - ''''"" ̄`"'''7:::∠__
) ,. '" !ヘ/:::/、
___ _l⌒l_ / ハ, __i i:::::>! ',
(__ ) (_ _)l⌒l / /'! ハ /!二_ハ i´ | ハ
_/ / / / | | ___ | / ,.ィ‐-V レ゛´!´.ハ`ヽイ / ! !
(__ ) __ (_/ l⌒l `ー' / ヽ i i イ「ハ !__,リ ノ | /| |
/ /(___) | l_ │ .○ /ヽ | /.| | ! !ソ  ̄ 〃 レ' | |
│ │_ ( ○ _) 丶_/ / / レソ〃 ,-=ニニ'ヽ. 7 ,' |
丶__) `─' `ー' |7! i ! u / /! |
_l⌒l__ /⌒ヽ /⌒/ .'ゝ、_ヽ、 _ノ / / / i ,'
(_ \\ | /⌒ヽ_/ / ̄レヘ/,./^i,.-,r イ´レヘ/ヽ、ハノ
/ / ̄ヽ | `ー'(_/\ / r| ! ! レ^i/  ̄'7ー-、
(_/ / / `ー' ハ /ヘ__/// ヽ,
`ー' ,. '⌒ヽ,r‐''"´ ̄ト、::::::/ !
91 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/19(月) 00:52:48 ID:WbKylcsu
NHK大河ドラマの最近の為政者賛美、偉い人あがめたてまつり病、どうしちゃったの?
>>85 信玄は、自分の死を3年間周辺に対して隠すよう遺言したというエピソードから来てるのでは
93 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/19(月) 09:24:30 ID:kZVpC8M8
>>89 信玄死亡当時は、
相越同盟がまだ生きてるので軍議に参加してもおかしくないかも。
この当時は北条と上杉は同盟関係だしな。
信玄死後に北条と武田が再同盟しちゃうから今後どうなるか。
天正元年にはもう既に越相同盟は破棄されてるが。
>>94 破棄はされてないよ。
機能してないだけ。
最終的に破棄まではいってないし、
実際に上杉は同盟以降は関東深くまで出兵してない。
北条高広は、お館の乱ではどう振舞うのでしょう? いつごろ姿をくらますのでしょう?
どうも史書でも分からぬことばかりの人だが。
柿崎晴家はなぜ、北条家に出向(人質)しないのでしょうか? 北条が厩橋在城のはず、
ちゅうのはもう脳内から消去しましたが。
越相同盟破綻後だから晴家はもう帰ってきたあとなんじゃね?
天正3年には柿崎家の家督継ぐはずだし。
景家の存在スルーしてるから考証しても無意味かな。
98 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/19(月) 10:15:12 ID:IrYqVqYR
三成と兼続が親友というのは史実なのですか?
そもそもこの時代に友達という感覚はなかったはずなので
そういう意味では間違っているんでしょうけど
そのぐらい実際に親しかったんでしょうか?
>>98 当時は数え歳だから1、2年ずれるが適当に西暦で言うと
直江兼続1560年生(第三話で13歳)
上杉景勝1556年生(17歳)
お船の方1557年生(16歳)
上杉謙信1530年生(43歳)
上杉景虎1554年生(19歳)
織田信長1534年生(39歳)
羽柴秀吉1537年生(36歳)
華姫 生年不明。通説では景勝の姉だが、今作では妹設定だし。
初音 生年不明。兄の幸村が1567年生まれなのでそれ以下
第一話〜第二話が1564年
第三話は1573年
101 :
98:2009/01/19(月) 17:52:56 ID:IrYqVqYR
102 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/19(月) 19:07:08 ID:OnCJuR76
>>99 三成と兼続の最初の出会いは、秀吉に臣下の礼を取れとのことで景勝が上洛した際に
三成が景勝の接待係を任命され、景勝上洛の際の打ち合わせを三成と兼続で話し合われた。
そこで、上杉家の対面を考慮に入れたもてなしに兼続は三成に感謝し、
三成も自分の立場を理解してくれた兼続に感謝してうちとけた。
ともに、三成の豊臣家での役所と兼続の上杉家での役所が同じようなものだったので、
互いの立場、苦労が理解でき、そこから友情が芽生えてきたと思う。
103 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/20(火) 11:16:54 ID:HPNNOPXn
出陣前の乾杯シーンで景勝のまわりに集まっていたのはみな雲洞庵スクール出身者ですか?
端に退いていた兼続、あとから来た政吉、景勝の傍にいた東とパパイヤ、
以外の地味めな二人は誰ですか?
104 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/20(火) 11:21:58 ID:sGDeFAyw
テスト
鼻の横にホクロのあったヤツどこいった?
107 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/20(火) 13:47:31 ID:NEsxtDE3
原作読むひまないんだが
兼続は原作でも泣き虫なの?
年上の女ってエピソードはあるの?
それとも単なるこまニーですか?
>>102 詳しい説明ありがとう
三成の友達は大谷吉継だけだと思ってました
大谷吉継もでてくんのかな?
顔汁ごっくんの場面もあるのか?
兼続も負けずにごっくんするのか?
110 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/20(火) 22:38:14 ID:hFxsRJdm
「愛」の前立ての「薄浅葱糸威最上胴具足」の
推定製造時代をご存知の方、いらさいますか?
111 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/20(火) 22:41:25 ID:/d8JYFyn
>>108 形の上では家臣とは言え、島左近の立場は…
暴れ馬に幻惑されて見落としたのですが、
江戸時代まで登場しなかったはずの大八車が、ドラマ中で、
時空を超えてワープし、往来をこともなげに
走っていたというのは本当でしょうか?
113 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/21(水) 08:48:17 ID:cRhtFC0b
大河ドラマで上杉謙信は石坂浩二とか阿部寛といったゲイ男優が必ずと
言ってもイイほど演じるのは、どうしてなのでしょうか?
ID:cRhtFC0bはいつものように各スレッドでマルチ投稿をしているナッちゃん。
信玄が死んだ時、信長って京都にいなかったっけ?記憶違いかな?
景虎が舞っていた能の演目は何かわかりますか?
謙信の衣装が3話から僧衣(?)のようなものに変わっていましたが、
すでに出家しているということですよね?
当時の大名は出家しても家督を譲ったりせず、領主のままでいられたのでしょうか?
信玄は出家しても領主じゃなかった?
大友宗麟の例も。
在家出家というやつですな
122 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/22(木) 00:19:27 ID:m98SfNrP
>>112 撮影場所が「ワープステーション江戸」だからです。江戸時代にワープするのは当然です
>>116 多分、景虎オリジナル
玉山がお能の素人さんなんで、あのシーンの為のオリジナル
スタパの見学ではギャラリーがそう言ってましたね。
三話からパパイヤ出てるけどあれって兼続と幼少期に一緒に育った奴らの1人で
いいんだよね?
>>124 頭が爆発してた小姓が一人いたけど、その子の成長後がパパイヤ。
126 :
116:2009/01/22(木) 17:37:01 ID:ACDF6LN8
お船に手紙を渡そうとしたら下を直江景綱が通りかかった場面で、
なぜ兼続は途中で声を大きくして景綱に気づかれるようにしたのですか?
>>127 一緒にいるところが見つかりそう、と兼続が思ったから
わざとこっちから大声をあげて、、(恋文を渡しているのではなく)
先陣する景勝の後見する景綱の娘へのお礼を言っていると
カモフラージュしようとしたんじゃないかな。
129 :
128:2009/01/24(土) 14:49:39 ID:rzPRIgFF
>先陣する景勝の後見する景綱の娘へのお礼を言っていると
間違えました。
先陣する景勝の後見する景綱へのお礼を娘のお船に言っているのだと、
ですね
ああそうか。
後見のお礼を言って景綱の景勝へのポイントを上げようとしたのかと思ったけど、
文を誤解されないようにという意味もあったんですねw
ありがとうございました
兼続は直江夫妻に対してなんで「直江様」とか呼んだりして他人行儀なの?
直江夫妻もそんなに悪い人じゃなさそうだし、普通に「おじ上」「おば上」とか言えばいいのに
戦国時代なんだから親戚同士で団結するするものなんじゃ・・
直江家は越後国主上杉家の重臣
上田庄の長尾家家臣である樋口家よりも家柄が格上だから、「直江様」
親戚だったっけ?
他人かと思ってたが
直江(宍戸錠)の妹がお藤(田中美佐子)なんだって
マジ?それって兼続と常盤貴子結婚して大丈夫なん?
従姉弟同士の結婚は現代でも当時でも全く問題ないが何かあるのか?
直江家に養子入りしたときの出世感がなくなるから
あんまり直江と慣れなれしげにしていると
最近まで従兄弟婚は珍しくなかったからな
直江景綱の妹が兼続の母説は根強いけど、泉重歳の娘説のが有力。
こちらも直江に劣らない名門で、将軍と繋がりがある他、
上田長尾氏、高梨氏とも血縁。
>>136 サンクス
かなり○親等近いと思ったが大丈夫なのか
堅いこと言うな
ぬこなぞ母親でも妹でもおかまいなしに乱捕っておるわ
うぇはははは
143 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/25(日) 19:44:30 ID:XIWZevlm
今日、信長が勢力を伸ばしているという説明のシーンで、
日本地図の近畿〜中部あたりが真っ赤に燃えてるようなCGで説明されてて、
和歌山?熊野?あたりが緑色のままだったんですけど、
誰が治めていたんでしょうか?
熊野水軍
根来衆、高野山
後に豊臣秀吉が根来を攻め、和歌山城を築城
買い物のシーンで兼続が商品に手を伸ばして、
店の主人に「それはご勘弁を」と言われていましたが、
何に触ろうとしたんですか?
148 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/26(月) 07:58:58 ID:g/i66Yeh
>>145 あれは忍者王国の伊賀国じゃないか?
一部、大和国(興福寺?筒井順慶?松永久秀?)も含んでるっぽいが…
初音の配役の位置関係が良く分かりません。
どういう設定なんでしょうか?
151 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/26(月) 13:12:04 ID:JjEvsZzf
>>150 真田幸村の妹らしい
ずいぶん発育の良い幼女ではあるが
景虎っていう名前がつけられてる点で
景虎が後継っていうふうには思われてなかったのかな?
>>152 その問題は研究者でも意見が大きく割れています。
詳しくは戦国時代板の御館の乱スレッドをログを見るのがおすすめ。
北条との同盟が破棄されたあとに
景勝が段々優遇されていったからね
景虎の立場については分かってないことが多いです
幸村の妹で忍者ですか?せっかく武家の出で生まれてきたのにわざわざ下位の忍者になるものでしょうか?
忍者が武士以下の階級なんてことはないです。
というか忍者らしい忍者の概念が生まれたのはなんと昭和のことです。
下忍・中忍・上忍という階級すらも司馬遼太郎の創作です。
服部半蔵が武士であったように、忍者と武士に明確な差別はありません。
初音の存在はこれからおいおい明らかになっていくと思います。
服部は忍びではないがな。あえて言えば、軍人兼諜報長官
諸国を巡り歩くような末端諜報員は、卑賎視された職工や宗教者が多い
見聞を広めるために諸国を渡り歩くのはよくあること
これを忍者と呼ぶかはまた別の問題
今回のタイトル「年上の女(ひと)」なんですけど
そもそも女という字はひとと読んでいいものですか?
教えて言葉おじさん
>>152 景虎は謙信の名前を貰いましたが
その後景勝は謙信から官位を譲られました。
どちらが後継として重要かは意見の分かれるところ。
162 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/26(月) 17:32:06 ID:3FeFm6D6
景勝や景虎は長尾なの?上杉なの?
本家の関東管領も当時生きていたよな
景虎も景勝も上杉ですよ。
(現放送の年代だと本来は景勝はまだ長尾喜平次顕景を名乗っていて
上杉景勝に名前を変えるのは2年ほどあとのはずだけどスルーされてる)
前管領憲政は御館にいたはずですが見事にスルーされました。
どうも憲政公は本編に出てくるのか微妙な感じ
御館の乱でもスルーされそう
165 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/26(月) 19:53:51 ID:JjEvsZzf
>>159 アニヲタが「宇宙」を「そら」と読むようなものだと思えばいいよ
マンガヲタが漢をオトコと読むようなものか
そもそもなんで謙信は後継ぎをこんなにわかりずらくしとったの?はっきりしときゃよかったのに
ハッキリ出来ない事情があったんじゃないかな。
もう少ししたらハッキリさせようとしたのかも知れない。
>>167 ドラマは呑気に宴会続きだが、戦国時代だよ!
美濃の斎藤道三は家督譲っていた息子の義龍に討たれた。
甲斐の武田信虎は息子の晴信に追放された。
親子と云えども、いつ命や国主の座を脅かされるのが現実。
そういう背景を理解できない奴らが生ぬるい現代風味の大河を喜んでる。
んーでもそういう戦乱の世にあって今の段階というのは
謙信という偉大な家父長のいる上杉家のこの時期は平和で幸せだった
みたいな話になるんじゃないのかな、後々になって
初歩的な質問ですいません
幸村の本名は信繁ってなんで名前が2種類あるんですか?
>>172 即レスありがとうございます
早速見に行ってみます
しかし違った名前で浸透しちゃうなんて悲しいですな…
174 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/28(水) 13:34:34 ID:EZtwwxGM
25日の放送で景勝、兼続は何歳なんですか??
176 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/28(水) 19:29:17 ID:mcA3vQI9
方言が全く出てこないんですが、当時は今みたいな『〜がぁ?』などは使われてなかったんですか?
みなさん腰に扇子を差していますがこれは意味があるのですか?
たまたま夏の場面だったのでしょうか?
バカな質問ですみません。
178 :
177:2009/01/28(水) 20:38:22 ID:liAvgTm6
ググって自己解決しました。
方言はあるだろうけど、400年以上前の新潟の方言で会話するドラマを
どれだけの日本人が理解できるんだかw
ちなみにある程度以上の武家であれば嗜みとして
当時の共通語(京の武家言葉?)は話せたと思われる。
他国の相手にはこういう共通語を使い、同郷相手のくだけた会話では
方言を使ったりしたらしい。
上杉は京から関白が下向してきたり関東信濃から来た家臣もいるし
近江から来た連中まで何人も重臣として活躍してたりするし。
柿崎はなんで景家が出ないで晴家なんだ?
>>180 時間と予算の関係。
去年の本寿院が実成院のキャラクターを担っていたように
景家の個性やプロフィールを晴家に足してるんだと思う。
一般の人は上杉の家臣なんて知らないからね。
あまり人数が多いと混乱する。
182 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/29(木) 11:33:32 ID:hrsaYD2/
兼続が信長を見てみたいという場面を見て思ったのですが
謙信は信長と面識があるのでしょうか?
これに限らず敵対する武将同士はお互いの顔は知ってたのでしょうか?
>>182 謙信は信さまと会ってないけど
直江景綱さんは会ってるんだっけ
武将同士の面識ができるのって秀吉が統一してから
>>179 「翔ぶが如く」では確か当時の方言を使ったんだけど
他の地域の人に通じないので、字幕当ててたんだよね。
家の周りの年寄り連中には、見辛いとえらく不評だった。
185 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/29(木) 12:26:20 ID:hrsaYD2/
>>183 ありがとうございます。
やっぱりお互い知らないんですね。
186 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/29(木) 13:59:47 ID:K0m70i8L
天地人を見ていると時々「たわけ」という言葉を聞きますが、この言葉は名古屋弁なのになぜ新潟の人々がしゃべっているのでしょうか
>>186 たわけ(戯け・たはけ)は昔は特定地方の方言ではなく、広く用いられた言葉でした。
手元の古語辞典を見ると、万葉集のころから江戸時代まで広く用例があるようです
標準語では用いられなくなった古い用例が、方言に残るのはよくあることです
>>186 近親相姦を馬鹿にしていった言葉として
「日本書紀」にも出てくるな。
>>179>>184そうなんですね。篤姫のときは鹿児島なまりが出ていたのに今回はないなぁと思って。
ちょっと残念です。
>>189 面白い。まざーふぁっかーみたいな罵り文句ってことかな
193 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/30(金) 20:21:06 ID:kdrry9BS
戦国武将を描きながら、どうして男色シーンが登場しないのですか?
>>193 ナッちゃんが自分でそういう大河の原作を書いたらいいと思います。
>>193 大部分の視聴者が日曜夜8時台に
そんなシーンは望んでないからです。
脚本がなんか創作&gdgdなんだけど
この後素晴らしい展開になるんですよね
197 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/30(金) 21:52:42 ID:lEoD9vVB
>>195 でもそのものずばりはなくとも
兼継が馬に乗るとこで、お尻の部分の動きだけ強調してみたり、
事あるごとに小姓仲間が兼継の肩や胸のあたりをもみもみしてみたり、
むっとした景勝が四つんばいになって這って逃げる兼継のお尻のあたりを
ぴたぴたひっぱたいてみたり、
801嗜好のシーンが随所に。
これまでにない斬新な演出だ。
198 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/30(金) 23:13:19 ID:oXeoJ3Eu
ナッちゃんて?
199 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/30(金) 23:31:48 ID:D0HOtpQf
別名ゼッちゃん
201 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/31(土) 02:00:05 ID:sQ7yVzR1
大部分の日本人は正しい歴史認識を抱きたいと心から希求していますよ。
ですから男色シーンは必須でありませうぞ。
ゆめゆめ忘れることなかれ。
よろしいな。
そういう追求はタイムスクープハンターでやって欲しい
>>201 そういう貴方のような層のために「薔薇族」「さぶ」があるんだから、
そっちへひっこんでればよろしい
205 :
日曜8時の名無しさん:2009/01/31(土) 06:41:18 ID:wVeNIm/M
質問です
上杉の旗 何毘沙門と読むんですか?
とばつびしゃもん
とばつびしゃもんてんもいるが
とうはつびしゃもんの方が正しいんじゃないか?
209 :
日曜8時の名無しさん:2009/02/01(日) 01:33:16 ID:YDFW2tW4
春日山城には掘割とか城門はなかったんですか。
なんか木戸と山道ばっかで山城というよりは
街道の関所みたいな印象なんですけど。
210 :
日曜8時の名無しさん:2009/02/01(日) 02:02:47 ID:u7NxNYsQ
>>206 205です
ありがとうございますm(_ _)m
211 :
日曜8時の名無しさん:2009/02/01(日) 02:03:22 ID:u7NxNYsQ
>>208 205です
ありがとうございますm(_ _)m
>>209 山深いところにカメラを据えるのは面倒なので
あえて、傾斜のゆるい場所で撮影しています。
月代てなに?
215 :
日曜8時の名無しさん:2009/02/01(日) 13:37:22 ID:YDFW2tW4
風鈴の時は武田家中のものは月代剃ってたっけ。
216 :
日曜8時の名無しさん:2009/02/01(日) 14:13:51 ID:eqprAtmm
先週も昨日の再放送もみてなかったんだが、主人公は小りんに童貞を奪われたのか?
218 :
日曜8時の名無しさん:2009/02/01(日) 14:41:58 ID:/k0LAG4l
>>208 多分「とうはつ」だとカッコ悪いからじゃね?
結局、鳳台正国は、萬田久子なの、それともその叔母なの?
山吉豊守、山崎専柳斎は出ないの(後者はいずれ出ると思うが)?
221 :
日曜8時の名無しさん:2009/02/01(日) 23:29:42 ID:YDFW2tW4
石田佐吉と初音は×××したんですか。
信長に知れたら
「佐吉めっ 陪臣の分際で!!」とか
即攻で成敗されそうですが。
出陣のシーンで櫓の上で抜刀して踊っていたように見える2人組の侍は何をしていたの?
223 :
日曜8時の名無しさん:2009/02/01(日) 23:58:35 ID:YDFW2tW4
儀杖兵みたいなもんかな。
兼続が白い箱を持ってましたが、あれは何ですか?
玉手箱 or 薄皮まんじゅう
お好きな方をお選びください。
骨壷でいいよ
227 :
日曜8時の名無しさん:2009/02/02(月) 17:44:16 ID:5svgCW1n
それで、次回は討ち取りかけた若武者を殺せずに
逃がしてしまうんですか?
予告編でちらっとやってたけど。
歴史に詳しい方
実際の合戦で「やあやあ」などの名乗りを上げてから戦する
みたいなのはいつの時代ですか?
そう授業で習った気がするんですが間違いでしょうか?
それから
>>55の件分かる方いますか?
>>228 「やあやあ我こそは」と名乗りあいが活発に行われたとされるのは源平合戦の時代が最盛期。
戦国時代でも乱戦の中、名乗りあう光景は珍しくなかったと思われる。
三池さんが演じる刈安って人はどんな人なんですか?
関ヶ原とかにも関わってくるんですかね
>>230 「天地人」オリジナルの人物だろ。15話で死にます。
刈安が登場したシーンで、
「腰抜けだとな」というセリフの時に眼帯が左右逆になっていましたが、演出なのでしょうか?
気になって眠れそうにありません。
233 :
日曜8時の名無しさん:2009/02/15(日) 14:13:41 ID:usVVa8FT
あげ
234 :
日曜8時の名無しさん:2009/02/15(日) 16:30:59 ID:hg3dWj9U
スタジオのセットとして雑木林が作られてますが、
ああいうものは一定期間使いまわしにかるんですか?
それともシーンごとに組みなおし?
>>55 実際に当時どう話されていたかは、正直分からないと思う
地方ごとにまったく話し言葉が違った時代でもあるし
日本語としては、「↓↑↑」が自然なのかもしれない
「そ」は対象を指す指示語で、「なた」は接尾
「それ」も「そ−れ」、「そちら」も「そ−ちら」と分解できる
で、実際に読むと、「そ↓」「接尾↑」と読む人が大多数じゃないかなと
今日の放送で主人公が山の中をランニングしながら石を積んでいました
あれって何をしていたの?
暇つぶしだったりして
出演者の供養
うまいことww
240 :
日曜8時の名無しさん:2009/02/16(月) 09:25:20 ID:Jbo/3mNy
樋口家を辞す時に、お船が、
どこに宿をとるつもりだって言ったのか
よく聞き取れませんでした。
どなたか、おせーてください。
241 :
日曜8時の名無しさん:2009/02/16(月) 10:27:44 ID:XkbjPFKJ
上杉家と長尾家の関係がよく分りません。
主従関係?
喜平治が幼少時代を過ごした上田の庄の城は今は誰が治めてるの?
景勝(喜平治)は次男らしいのですが、長男はどうしてるの?
>>232 演出の高橋陽一郎がよく使う鏡面を利用した演出。
心が動揺したときに鏡に映ったような画面になるという手法。
>>234 素材は同じものを使ったりするらしいが、
撮影ごとに色を塗りなおしたり組み合わせを変えたりするようだ。
だが、大きいものはそうしても同じものだとわかってしまう。
例・新選組!の横に倒れた大木の使いまわし。
>>240 大湯
今の越後大湯温泉
>>241 長尾家は上杉謙信の実家。
もともと長尾家は一族がいくつも分裂して争っていたのを謙信が統一。
その後、関東管領の上杉が越後に亡命してきた時に上杉の姓を譲られ
関東管領の職を継ぐ。
(謙信の血筋に上杉家の流れがあるという説がある)
長男は幼いときに死去と推定されている。
一説では野尻池の事件の時に宇佐美方の人質になって殺されたとも。
>>236 あれはおそらく先祖供養をする三途(さんず)の川の行事がモデルと思われる。
元はドイツ語で“石積み”を意味するケルンの名で呼ばれるのが一般的。
現在でも目印やルートを示すために山で用いられている。
>>241 上田の坂戸城は家老たちが城代として守備している。
>>241 1、元々上杉謙信は長尾家に生まれ長尾景虎という名前だった。
長尾家は上杉家に仕える家臣の家。
景勝の実父は同じ長尾一族だけど、また別の長尾家。
ある日主家筋の上杉憲政という人が敵に攻められて
謙信の所に逃げてきて、「助けてくれるならなんでもあげる!」と
家臣筋の長尾家当主である謙信に上杉家の家督を譲ってしまった。
そのため謙信は上杉家になった。
2、上田庄の坂戸城主は一応先代城主の息子である景勝。
ただし景勝は謙信の養子として春日山城に住んでいて、
坂戸城を直接治められないので
主君景勝に命じられて上田長尾家の家老たちが
城番としてお城を治めてる。
3、景勝のお兄ちゃんは10歳という幼さで亡くなったと言われる。
ので次男の景勝が嫡男扱いになっている。
247 :
241:2009/02/16(月) 14:47:42 ID:ZFXXFnQ7
皆さん、詳しい解説をありがとうございます。
これで来週からすっきり視聴できます。
248 :
日曜8時の名無しさん:2009/02/16(月) 16:53:40 ID:VfZad9No
お船の婿になった(長尾景教?)さんも一族かな?
お船の婿に来たのも同じ長尾一族。
ただし、謙信は越後の長尾家、お船の婿は関東の長尾家出身。
(景勝の実家はその中間辺りにある家)
もともとは先祖が同じなので「同じ一族」だけど、別の家。
お船の婿は上杉憲政に仕えていた家の人だけど上杉家の家督が謙信に譲られたので
謙信の家臣という形になった。
長尾家に仕える家柄の直江家としては主筋の一族から婿を貰えたので
とても名誉なことだったのさ。
越中の椎名家継いだ人も、白井か足利の関東長尾さんだったっけ?
ドラマと関係なくてすまん。
越後・上野は長尾家多いからなー
252 :
日曜8時の名無しさん:2009/02/16(月) 18:51:10 ID:Jbo/3mNy
>>242 ありがとうございました。
大湯ですか、、、
つくり話ではあるけど『御家人斬九郎』の松平さんみたいに、
ぱっとせん純正長尾さんもいるんじゃろうな。
京都の方にいらっしゃる上杉さんも。
255 :
232:2009/02/16(月) 23:58:09 ID:2Jz1nGT0
>>242 なるほど〜。
大変わかりやすい御説明をありがとうございました。
256 :
日曜8時の名無しさん:2009/02/18(水) 10:05:44 ID:zFdScT7G
なんで謙信の部下があんなに少ないの?
「ほうじょう」と「きたじょう」の違いは?
>>256 ほうじょうは足利将軍の側近だった伊勢氏、きたじょうは大江広元を
祖にして、中国地方の毛利氏と同族。ドラマに今後出るかもしれない
安田ってのも同族で、きたじょうは「広」、安田は「元」を名前につ
けている。中国の毛利も「元」だね。部下が少ないのは、多いと視聴
者にむつかしいから。誰か退場したら別の家臣を出す手法のようだ。
258 :
日曜8時の名無しさん:2009/02/18(水) 11:09:54 ID:z3KUfbbG
他のスレに貼ってましたが
ドラマの中では、語られてない歴史背景が解り易く纏めてる
HPを発見しました
一度と言わず、何度でも見る価値十分と思いました
正直公式HPの100倍ためになるHPでした
http://tentijin.net/
>>258 すばらしいですね。これが自演と言う奴なんでしょうか。
つか信Onファンサイト管理人のアフィリ頁かよ!
歴史を知らない人に分かりやすいように書いてるんだろうと思うが
間違った解説がパラパラでてきてイラっとするな。
261 :
日曜8時の名無しさん:2009/02/18(水) 11:49:01 ID:sVuhWT1L
兼続の母方と言われている泉氏とか尾崎氏について教えてください
262 :
日曜8時の名無しさん:2009/02/18(水) 12:16:23 ID:vtuc34Ro
ちなみに、安芸毛利は越後毛利が北条と南条に分かれたときの南条さんの子孫。
>>261 信濃の豪族。泉八家と言われ信濃ではかなり大きな一族。
会津三奉行のひとり岩井信能も泉八家の一人。
泉沢久秀の奥さんも泉一族のお嬢さん。
ちなみに樋口家も元は信濃から出て上田庄に根付いた一族。
264 :
日曜8時の名無しさん:2009/02/18(水) 17:41:55 ID:SgQx+ZL2
関が原当時会津領と庄内地方はつながっていたんですか。
多少離れてますけど。
>>262 どうでもいいことだが
北条が「きたじょう」ってことは
南条は「みなみじょう」?
言いづらいなw
266 :
日曜8時の名無しさん:2009/02/18(水) 19:00:17 ID:thiyW+44
>>258 面白いブログ教えてくれて有難うございます
天地人系のHPやブログ色々見たけど
一番見やすくて、解りやすく読み応えも十二分でした
思わずお気に入りに登録してしまった
>>264 つながってなかったので、直江が山中に米沢と庄内をつなぐ連絡路を造らせた、
なんて話が残っていたりする
妙な質問で申し訳ないのですが、この時代の「名前」についてお伺いさせてください。
喜平次→(顕景)→景勝のように名前を変える時は、何かきっかけがあったりするんでしょうか。
「お前明日から景勝ね!」とか「景虎って名乗っていいからこっちこい!」的な書状で終わりだったんでしょうか。
それとも周囲にお披露目の会や「名付けの儀」のような儀礼が一通りあったんでしょうか。
>>268 以下は景勝限定の回答。一般的な例は他の方に答えて欲しい
卯松(幼名)→喜平次(通名)は儀式があったかどうか不明
喜平次→喜平次顕景は、元服と同時に行われたと思われる
そして顕景→景勝への改名のときは同時に謙信から上杉姓を賜り、
弾正少弼の位階を授かっているので、それ相応の儀式があるだろう
普通、元服と同時に幼名を改め、仮名(通名、喜平次など)と
諱(景勝、景虎など)を付けられるのが一般的かな。
幼名がそのまま仮名になるケースもある。
作中での「与六」や「又五郎」もそのパターン。
(なので、作中の「又五郎と呼ぶな」は本当はちょっと変)
また、幼名も変わることがあり、景勝が50歳の時に生まれた、
玉丸(のちの上杉定勝)の場合、途中で将軍徳川秀忠から
「千徳」の名前を賜ったため、これに改めている。
諱については、基本的には、その家で代々使っている字が入るケースが多い。
織田「信」長、長尾「景」虎、北条「氏」政などがそれ。
諱は烏帽子親(元服の儀式の際に、烏帽子をかぶせる役)や、
主君など身分の高いものから一字を貰うケースも多い。
例えば、九州の大友家の重臣の多くは、名前に「鑑」「鎮」「統」の文字が
上に来ているが、それぞれ大友義鑑、義鎮、義統から貰ったわけだ。
諱はしばしば変えられるケースがあり、主君などから貰って、元服時の
諱を改めたりすることもある(謙信などはいい例かな)。
逆に、元服時に主君から貰った一字を捨てるという形で、主家からの
決別を示すケースもある(「元」康→「家」康など)
また、立花宗茂みたく、ことあるごとに諱をかえるような人もいるにはいる。
長くなったけど、こんな感じでしょうか
>>270 時代考証
小和田先生じゃなかったっけ?
何もいわないもんなの?
喜平次顕景が弾正少弼景勝に名を変えた時は
普光寺に景勝が返した礼状が残ってるから
大々的にお祝いの儀式があったものと思われ。
こういうのをドラマに組み込んで欲しいものだよな。
山内一豊は伊右衛門という名前もあるね
木下籐吉郎秀吉の“藤吉郎”にあたる部分は年取ったら使わないのかと思ったらそうでもないみたい
本多忠勝も平八郎の方が有名かもしれない
その部分は「通名」とか「仮名」といわれるんだけれど、
基本的に実名の代用品だから生涯使用されていく。
ただし「筑前守」といった官途を称することが可能になれば、
こちらは通名より優先して使われる。
だから織田信長の通名である「三郎」はあまり知られていない。
謙信の通名は何だっけ。平三?
277 :
268:2009/02/20(金) 03:34:18 ID:4JhddVyk
質問した者です。
たくさんの方に詳しく解説いただき、ありがとうございました。とても興味深かったです。
名前ひとつにも色々な背景やドラマがあるんですね。
278 :
日曜8時の名無しさん:2009/02/20(金) 10:40:10 ID:nRfDwC4u
>>274 功名が辻の原作は、ずっと伊右衛門で通してたような気が・・・
279 :
日曜8時の名無しさん:2009/02/20(金) 11:18:55 ID:tOkfTNdK
>>275 そういやそうだ
徳川家康の通り名も知らないや
豊臣秀頼も
秀頼は幼い頃に父が死んでるし元服と共に官位貰ってるから
秀頼を通称で呼ぶような立場の人間がいないんで伝わってないんじゃないかね。
なんとなく秀吉の通称を受け継いでそうなイメージだが。
少なくとも人前で本名(実名)で呼ぶということが無かったというのは
当然の常識的事実だったということだね。
まあ今だって会社の、それも人前で呼ぶ時は「田中課長」「課長」であって
「大助、手紙が届いています」とは言わんんわな。
呼び方についての皆さんのレスを読ませて頂いて疑問が湧いたので、便乗すみませんが教えて下さい。
うろ覚えですが喜平次顕景だった子供時代は周りは「喜平次様」と呼んでいて、成長した今は周りは「殿」以外に「景勝様」と呼んでいるのを聞くような気が…
弾正少弼景勝になったなら今は「弾正少弼様」と呼ぶのが本当は正しいということですか?
若しくは弾正少弼は官位で、それで呼ぶのが正しいけれど通名は喜平次のままで、つまり名前は上杉喜平次景勝で、喜平次様呼びでも良いのですか?
それとも他に呼び方があるのでしょうか?
それと、もしも景勝のこれからの立場の変遷によってまた呼び方が変わっていくなら(乱後上杉を継いだらこう呼ぶようになる、等)どなたかご存知の方教えて頂けないでしょうか?
どんどん疑問が膨らんで、長くてよく解らない質問になってしまいすみません…宜しくお願いします。
>>283 これについてはドラマが間違えている。
兼続も「兼続殿」は失礼で、「与六殿」と呼ぶのが正しい。
で、景勝の例だけれども、
あなたのいうとおり、「景勝様」はおかしく、ここは「喜平次様」であるべき。
もっと突き詰めれば「殿様」とか「御中城様」(景勝の現在の上杉家中の地位)が理想的。
官途を得れば「弾正少弼様」と称するべきで「喜平次様」は官途を無視することになり、やはり失礼。
上杉家を継げば、謙信がそう呼ばれたように、部下からは「御屋形様」ないし「御実城様」と呼ばれるだろう。
まあドラマでは官位呼びは分かりにくいってことで諱+様呼びで通すだろ。
特に天地人は又五郎言うな久秀といえだの上杉家臣まで信長さまと呼んだり
訳分からないことになってるし。
ドラマ見るうえでは気にしたら余計に混乱するぞ。
「直江山城」「直江城州」の呼び名は結構有名な方だと思うんだが。
そういうことですねw
でもドラマのいい加減さがきっかけで
このように興味を持つ人が増えるのは素晴らしいことです。
あながち小和田の名前貸し営業も馬鹿にできませんw
登場人物みんなの官位や通名まで覚えないといけなくなると、
視聴者も混乱するから諱で呼んでるんだろうね。
と好意的に解釈したいけど、天地人のぐだぐだっぷりを見てるといい加減なだけにも見えてくるw
>>283です。
皆さん回答ありがとうございました!詳しいのに難し過ぎず、とても丁寧で解りやすくてスッキリ理解出来ました。
つまり当時は成長しようが変わらず通名で呼び続けるもので、官位を得たら官位名で呼ぶように変わったりはしても実名を呼ぶようになったりはしないという事なんですね。
実名で呼ばれることはそれ自体が一生を通して殆ど無かったのだと思っていれば良いのかな、と認識しました。
このスレを知るまでは諱というものもよく解っていなかったので、ドラマを見て
「長尾喜平次→上杉景勝」
「樋口与六→樋口兼続」
のように成長によって名前そのものが変わり、久秀の台詞などからも、前の名前で呼ばれるのは大人になっても子供の頃のあだ名で呼ばれるようなもので嫌なのかなぁ等と思ってしまっていました…。
それにしても、ドラマは正しさより解りやすさを優先させているのですね。
その注意がなければ、視聴者に色々と間違った知識を植え付けそうですが…。
取り敢えずこれからはドラマの情報を鵜呑みにしないように、でもあまり気にしすぎないようにしながら楽しく見ようと思います。
ありがとうございました!
しかしなんで金とってる権威ある公共放送が嘘の日本史情報を流して、
それを俺達在野のボランティアが是正しなくちゃいかんのだろうねw
実名で呼ぶ事を許されるのは親とか主君とか
目上の相手か極々親しい相手くらいなものだったらしいね。
それでも普通は親でも通名で呼ぶけど。
実名は書状ではよく出るんだよね。
でも身内や部下、上司を呼ぶのには使わないみたい。
292 :
日曜8時の名無しさん:2009/02/22(日) 21:11:13 ID:1S0jUrbP
質問です。
「風林火山」では謙信役のガクトが「景虎」と呼ばれていましたが、
天地人では玉山鉄二が同じ名前で呼ばれています。
これはどう言うことでしょう?
景虎が二人?
それともガクトは謙信役ではなく景虎役だったのでしょうか。
質問続けて恐縮です。
勝家の軍は、手取川を背にして陣を敷いていたのでしょうか?
背水の陣ですか?
>>292 上杉謙信の元服後の初名が長尾景虎
後に関東管領上杉家の養子となって上杉政虎
第四時川中島後に将軍・足利義輝の一字を賜って上杉輝虎
北条の人質、三郎が姪と結婚して謙信が与えた名前が景虎で上杉景虎
おなじころ出家(といっても形だけ。風林火山での信玄と同じ)法名として輝虎改め謙信
無論ガクトは長尾景虎の方です
今日の蟄居が解けた兼続が景勝に挨拶に来るシーン、
濡縁の景勝に対し畳みの上に兼続以下上田衆が居並ぶのに違和感を感じたのですが
アレで正しいんでしょうか。
本来なら景勝が室内上座に座りなおしてくれればいいのですがそうしてくれず、
じゃあ軒下から礼をとればというと、渡り廊下から反対側でこれまた不自然。
そもそも風や埃の立つ縁側で刀の手入れをするな、とも思うんですが‥。
>>293 詳細は不明だが、史料では柴田軍は本来は七尾城の援軍のために北上していたが、
落城の報せを受けて引き返していた。その途上で大雨により増水した手取川を渡河している時、
謙信軍が猛進して急襲かけて蹴散らした。
これが合戦の実態の通説。
>>295 ドラマの都合上・・・
まあプライベートな書斎で昔はいっしょに寝起きした竹馬の友同士ですしw
刀の手入れに関しては、当時は戦で使う実用品ですから
襖を閉じた和室で梵天をポンポン、てのは美術品としての手入れの話で
あと景勝ら上杉家を格をどう見るかという話で
信長から見たら仕来りも知らない越中の田舎者ってレベルかもよと
298 :
292:2009/02/23(月) 00:15:47 ID:nwinolaX
>>294様
ご解答ありがとうございます(^人^)
大変よくわかりました!
>>296 なるほど、ナレで言ってた程戦力が圧倒的ならやらないですよね、あんなこと。
通説の方が断然ドラマティックですね。
ご回答、ありがとうございました。
上座下座とかこの時代、そんな厳格なものなんかいな
当時は室町礼法
服装から、部屋での所作、酒の飲み方、料理、もちろん武芸もすべて厳格に決まっている
上杉氏くらいの大名なら、守らないと大恥をかくと思う
ちょっと話ずれるが、謙信が景勝と景虎を呼んで話をするとき
景勝は胡坐で景虎は正坐していたと思うんだけど
これもそれぞれ何かの作法に則っているから違うのかな?
それは作法じゃなくて演出かと思う。
キャラクターの個性を出しているつもりなんだろう。
304 :
日曜8時の名無しさん:2009/02/23(月) 10:58:10 ID:j0kMi029
(揚北衆)色部氏に戦国後期に作られた「色部氏年中行事」に色部家中における厳格な儀礼等が細かく記載されているが、
上杉氏がこれより簡略ということは考えられない。
>>300 家臣団の席次は家格を表したり恩賞にもなったのでとても重要。
上杉家は家臣の席次については特に厳格といわれる。
305 :
日曜8時の名無しさん:2009/02/23(月) 11:10:06 ID:s0xE1LU0
正式な行事と非公式な場では当然違うだろう
>>302 所作指導の人が、景虎中の人に正座と手を揃えるようにさせたんだって
普通はあぐら
優雅に見えるように、らしい
307 :
日曜8時の名無しさん:2009/02/26(木) 12:49:05 ID:S1Ns7pg1
北斗の七星の話がこの大河のキーワードのように頻繁に出てきますが
どんな意味があるのか分かりません。解説していただけないでしょうか。
三成の腕組みが反感を買っているようだが、
秀吉もプライベートな場では「楽にせい」と言ってるんではないか?
秀吉も信長に対し失礼な振る舞いもあったと思うし
「功名が辻」で明智光秀が信長に面会した際、光秀は礼儀作法をきっちり守っていたんだが、
信長は「なんじゃ、足が悪いのか?」と苛立った
堅苦しい事を嫌う人もいるのではないか
ただ上杉家は下克上の長尾為景ならいざ知らず、
謙信は上洛して朝廷や幕府とも親交深く、仏法も厳しく守っており、礼儀作法には厳しいと思われる
秀吉と三成は友達でもなんでもなく、主君と家臣だ
一族郎党まで丸抱えで面倒見てもらってる相手の前で、あの態度はない
しかも城中にプライベートが存在するか
田舎で詐称官位で威張ってる長尾家中より、
中央政界で殿上人満載の豊臣家中のほうがよほど礼儀作法に気を使ったろう
初音の役で質問
いくらなんでも真田の姫が忍というのはなしだと思うんだけど
一度のお手つきで放置?
正室腹じゃなくても人質なり政略結婚なりいくらでも使い道はあるだろうに
>>310 よっぽど母親の身分が低かったのかもしれんね。
武家の娘とかじゃなくて、それこそ真田で飼ってた忍びに
昌幸が手をつけてしまったんだろう。
そもそも、昌幸が存在を知ってるのかどうか・・・・
まあ、武田勝頼に重用されてたはずの真田昌幸の娘が(たとえ庶子でも)、
忍者やってて信長に仕えているという設定自体が、いかにも中学生が考え
そうな、ゲーム的な発想ではあるので、深く考えるだけ無駄かもしれないが。
>>310 初音については、矛盾だらけな登場と行動なので
見ていてごく自然に疑問が生じてくるのだろうけど・・・
原作者が「彩りとしてもっと女が必要だなー。そうだ神出鬼没な謎の美女、
『真田太平記』のお江さんみたいな女を登場させよう!]
ってな程の思いつきで考え出された(であろう)人物なので、(たぶん)
あんまり考えるような設定ではないと思うんだよね。
原作者・火坂が地方新聞に「天地人」を連載開始する前に、
内容や人物造形についてNHKにお伺いをたてて
その意を汲んで女の登場人物を増やした・・・って話は良く聞かれるし。
随分いい加減なんだなぁ
真田幸村の姉って設定もだけど
忍びって自分勝手に主を代える事は出来ないよね?
314 :
日曜8時の名無しさん:2009/03/01(日) 11:51:52 ID:0l+CSygA
上杉家の家紋について質問
伊達家も「竹に雀」紋を使用していますがデザインが違います。
通常、上杉家の紋は江戸時代にデザインが抽象化されたが伊達家は古式を保っていると説明されます。
ただ、(長尾)上杉家は山内上杉家の紋を継承し、伊達家は越後守護上杉家から紋を贈られています。
一族といえど、家が違えば家紋のデザインは多少変わるもの。
この両家(伊達・長尾上杉)は最初から、デザインが多少違っていたのでないかと思うのですが、詳しい人がいたら教えてください。
316 :
日曜8時の名無しさん:2009/03/01(日) 21:47:31 ID:UVh7y4ZM
>>281 秀頼は元服してからは「中納言様」では?
中納言は通称じゃなくて官位名だろ
遠山康光は遠山直景の息子で綱景の弟か
上杉景虎の母親はこの遠山康光の室の妹とな?
ほほう・・・
「ろうかをはしらない」って武家作法なのかぬ?
>>319 それに類する質問です。
現在の剣道は基本すり足で「ズカズカ歩く」なんて
作法どころか鍛錬された動きとしてあり得ません。
景勝、兼継、景虎までそうです。
剣道につながる一刀流は江戸時代に洗練されたとはいえ、
上杉家家中の武法はこんな田舎剣法なんでしょうか?
出てくる回答が分かってるような質問だよな。
理不尽スレに投下すりゃいいのに。
322 :
日曜8時の名無しさん:2009/03/02(月) 10:30:14 ID:RT0l3vPV
>>315 ありがとう
憲政の具足があったのか
戦国期山内家の家紋と仙台笹は明らかに違う
山内家はすでに抽象化が相当進んでいる
疑問が解けました
>>321 いや、江戸時代には国の外へ技術が流出するのを避けてたから
「お家芸」って言葉もあったくらい、武法は地方によって違うんですよね。
端的なのが武田の騎馬とか、後の薩摩の示現流だと思うんだ。
だから、真面目に史実を聞いてみたいんですよ。
日本刀一つとっても、時代劇によくある細身って江戸時代に栄えたみたいで
戦国時代は鉈のように太めだったらしいし、道場の板じゃなくて
荒れ地の戦場だと足捌きも違うかも知れないじゃん。
そーゆー深みに気づかせてくれるのが大河だと思ってたんだけど。
鉈と言っても限度はあるんで勘違いしないでね。
325 :
日曜8時の名無しさん:2009/03/02(月) 18:12:46 ID:MCq/lW5f
春日山城の場合、一門の景勝屋敷だけじゃなく、柿崎など、
重臣たちの屋敷も城内にあったんですか。
柿崎の屋敷が城の外にあると、手勢を率いた柿崎が春日山城の城門を
突破して城内に侵入してくるのは困難だと思うんですが。
>>317 通称名がないんだから官名しか呼びようがない罠
元服してからも拾様ではね
327 :
日曜8時の名無しさん:2009/03/02(月) 19:13:32 ID:vEvYHYCy
328 :
日曜8時の名無しさん:2009/03/02(月) 19:20:57 ID:b0eIfb8J
北条憎しの上杉憲政がなぜ北条の子である景虎に味方したのですか?
329 :
日曜8時の名無しさん:2009/03/02(月) 19:44:20 ID:MCq/lW5f
景虎一派にハウスジャックされたのじゃ。
330 :
日曜8時の名無しさん:2009/03/02(月) 21:45:31 ID:MCq/lW5f
>>328 景虎支持といわれるが実際は憲政の元家臣達は謙信の家臣になって
憲政は全く政治に関わらず謙信に養われてのんびり暮らしていたので
憲政は手兵を持っておらず景虎派の兵に御館に乗り込まれて乗っ取られ
動けなくなったもんと思われ。
332 :
日曜8時の名無しさん:2009/03/03(火) 01:45:12 ID:ZpNXozz/
上杉謙信の周囲には、どうして小姓が侍って身の回りの世話も看病も
しなかったのですか?
>>332 おいそれと近づけなかったのではと思うけど・・・想像です。
ナッちゃん乙
謙信公は死に際に何と言ったんですか?
よく聞き取れなかったのですが・・・
ぎおんのたぬき
「偽…そなたの偽」
339 :
日曜8時の名無しさん:2009/03/04(水) 01:53:28 ID:uQDeF4TM
>>331 いちおう憲政に政治的権威性みたいなものは
あったのかな。
景虎方には御館と憲政を押さえる事で自らの権力の正当性を訴える狙いがあったのかもな。
軍事的に考えればいくら防衛機構も備えた大きな館とはいえ
春日山の目と鼻の先にある平時政務用の平城である御館より
どこかの城に入った方が軍事的には良かっただろう。
まあ憲政効果がどれほどあったものかは、
景勝派にも普通に元山内上杉家臣がいることから推して知るべし。
>>341 / \
/ _ノ ヽ、_ \
/ o゚((●)) ((●))゚o \ 殿〜、信長を撃つのは今しかありません。
| (__人__)' | 目を開けて〜〜〜
\ `⌒´ /
_,,..,,,,_
/ ,' 3 `ヽーっ
l ⊃ ⌒_つ < しゅ〜〜〜〜・・・
`'ー---‐'''''"
↑謙信
____
/ \
/ _ノ ヽ、_ \
/ o゚⌒ ⌒゚o \ 殿〜、臭いよぉ〜
| (__人__) | 密室で何をするんですか〜?
\ ` ⌒´ /
_,,..,,,,_
/ ,' 3 `ヽーっ ・・・・・
l ⊃ ⌒_つ
`'ー---‐'''''"
____
/::::::─三三─\
/:::::::: ( ○)三(○)\ 逝った・・・
|::::::::::::::::::::(__人__):::: | 断末魔の屁が遺言・・・
\::::::::: |r┬-| ,/
ノ:::::::: `ー'´ \
343 :
日曜8時の名無しさん:2009/03/05(木) 01:50:14 ID:FZO+OC9b
魚津城で討ち死にする武将は吉江様以外にどんな人がいるんですか。
なんか史実では加賀の地侍なんかも多数いたようですが。
>>343 >>344参照でいいと思うけど一応。
吉江さんの一族。吉江氏は謙信の側近をつとめた一族。
息子の吉江信景、景資、孫の寺島長資、中条景泰。
ちなみに中条は、14歳で越中攻めに参陣した際、血気に逸り無茶をやって
謙信に親元へ送り返されたという話があるひとで、謙信・景勝の側近だった
人。
それから、上杉氏庶流の山本寺孝長、新潟を領していた竹俣慶綱、
あとは作中でも登場した安部政吉などが籠城しています。
加賀の国衆では、藤丸勝俊がこの戦いに参加していますが、おそらく
謙信が越中〜能登へ勢力を伸ばした際に服属したものと考えられ、
『上杉家中名字尽』という名簿にも加賀衆として記載されているようです。
景勝の小姓と坂戸城の家老の二人が深沢ですが、親戚ですか?
深沢弥吉こと深沢弥七郎は深沢尚重の兄弟という説もあるし、
よくわかってないんじゃないかな。
同族の可能性は高いと思うけれど、ドラマではどうするのかよくわかりません。
柿崎の夜討ちが、それ自体は乱心者の狼藉くらいに扱われていましたが、
既に内乱状態突入と言ってもいい事態だと思います。
彼らにその認識はないのでしょうか?
織田家で言えば、瀧川、柴田、羽柴、丹羽、池田・・・低く見積もっても
堀や蒲生が織田家後継候補の屋敷を襲撃するようなもんだと思うのですが。
柿崎晴家って、重臣だろ?
あんなにあっさりと殺害されちゃっていいの?
殿がやられちゃったんだから、
柿崎の城は、ふつう兵を挙げるだろ?
で、景勝方は、柿崎の城を攻めるだろ。
御館の乱において柿崎は景勝方の兵に攻められてるが
(春日山と坂戸を繋ぐため)
柿崎晴家の跡を継いだ憲家は景勝方であったとして柿崎家を継ぐ事を許されています。
憲家は御館の乱当時は幼児であったようなので
柿崎家家臣達は景勝方・景虎方に分裂して双方で戦い、
勝った方が憲家を奉じたのではないかな?
もしくは晴家を景虎方、憲家を景勝方と分けておいたのかもしれない。
どちらにしろ柿崎家内での同士討ちは景勝方の方が勝ったようだ。
柿崎晴家が中城屋敷に夜討ちを掛けるなどどの史料にもないオリジナル展開なので
史実の柿崎家の動きは全く参考にならんと思うが。
北条高広は、現在の定説ではいつごろまで生きていたんでしょうね。
一般書や歴史小説の類だと、いろんな書かれ方をしていてよう分からん。
中公新書の『戦国時代の終焉』(斎藤慎一著)なんかだと、小牧・長久手の
戦い辺りまでは存命して、上野で活動していたみたいことを書いていますが
(北条高広から直江兼続への書状があるみたいな記述)。
352 :
日曜8時の名無しさん:2009/03/11(水) 18:16:57 ID:7elpQC5N
主に人物関係のことなんですが
景虎は謙信の養子として北条氏から来たようですが
これは赤子や幼少のときにやって来て実質上杉家で育てられたのか
それともある程度大人になってから上杉家にやって来たのかどちらでしょう?
(もし前者なら家臣団が景虎を盛り立てるのはわかる気もするが
後者ならさすがにちょっと嫌ですね)
それと高島礼子さんや万田久子さんは(役名わかりません)
謙信とどういう繋がりの人物でしょうか?
おそらく高島さんは謙信の姉で景勝を産んだ母だと思いますが
景虎からも母上様と呼ばれてたような気もするし
景虎と一体どういう関係なのかと
万田さんは謙信死去の際、遺書を捏造したりどういう立場なのか気になる
こんなこと余程の大物じゃないとできないし
>>352 高島礼子の戦闘員に関してはそれで正解
景虎が母上と呼ぶのは、戦闘員の娘の華姫(景勝の妹)を嫁にしているから
万田久子の妙珍尼は、宍戸錠の演じていた直江景綱の奥方で汚染の母親
謙信の筆頭家老とも言える立場だった人の奥方なので、それなりに大物とは言える
354 :
日曜8時の名無しさん:2009/03/11(水) 20:32:07 ID:5eVBk1JT
景虎の越後入りは16の頃。
遺書じゃなくて遺言だな。捏造は。
文字だと筆跡ですぐばれる。
もともと5歳くらいの子供が北条家から上杉家に養子に入る予定だったのだが
急遽16歳の三郎が変更されて送られてきて代わりに謙信の養子になった。
直江景綱は謙信の筆頭家老であり、
その妻である妙椿尼も妻のいない謙信の傍回りの世話をしており
謙信が倒れた際も看病をしていたという逸話があり
謙信の最も身近にいた夫婦だった。
そこで妙椿尼が「謙信の遺言を聞いた」と言う話が説得力を持つのだが
天地人はお万が謙信の世話をしていたという部分を消したので分かりにくい話に。
仙桃院が、今までは時代劇でよく見る尼の頭巾を被っていませんでしたが、
前回の最後のシーンでは被っていました。
どうして今までは被っていなかったんでしょうか?
風林火山では寿桂尼や大井夫人が、葵では常高院が
尼になってからはずっとかぶっていたような気がしますが、
尼になったらふだんから被り続ける物なんですか?
357 :
352:2009/03/12(木) 04:06:52 ID:ZtbB5S8Y
>>353-355 ありがとうございました
指摘されると色々思い出せました
景虎の嫁が相武(景勝の妹)だったことや
万田さんは亡くなった直江(筆頭家老)の奥方で常盤ママだったことや、遺言など
358 :
日曜8時の名無しさん:2009/03/15(日) 12:02:22 ID:lhy3v5r7
兼続父が、景勝に兼続達を本丸に向かわせたことを告げに行くシーンで、
景勝が読んでいる書状(兼続父が入手した景虎方の密書?)に
「治部少輔」と書いてあるのが見えたのですが、
この治部少輔って誰なのですか?
おそらくは北条綱成の子、北条氏秀ではないかな?
江戸城代で、御館の乱の時には景虎方援軍として北条家から越後に派遣されている。
江戸城代はもともと遠山家が勤めており、康光の兄・兄の息子が相続していたが
途中で北条一門の氏秀に代わられている。
北条家で治部少輔殿と呼ばれた人物は氏秀しか知らないので他に誰かいたら分からん。
360 :
358:2009/03/15(日) 17:00:18 ID:IF1ScN2N
>>359 ありがとうございました。
北条氏秀と言えば、かつては景虎と同一人物と言われていましたが、
別人だとしても御館の乱と関わりがあったのですね。
上田の仲良し軍団って皆ただの一兵卒なんですか?
歩兵が集まったブラボー小隊みたいなものなんでしょうか?
他の兵を指揮したりしないの?
命令系統はいったいどうなってるの?
ご指摘の通り、大変珍妙な合戦シーンなんですけれど、
大河ドラマなんていつもそんな感じです。
一武将はおろか総大将が刀で敵兵を馬上から斬りつけるなんて日常茶飯事。
景虎側はなぜ桑取だけノーマークだったんですか?
お金を送っただけで満足していたというのも変なような気がします。
>>363 ──────────────────────────────
▲(中立拠点) ▲桑取 ★春日山 凸直江津 凸御館
「これでは攻められない!」
365 :
日曜8時の名無しさん:2009/03/23(月) 01:39:20 ID:QqxY7U8A
謙信の死際の台詞が
「か げ とらぁ」
に聞こえたのは俺だけ?
そこだけ5回くらい巻き戻して見たが
どう頑張っても、「そなたの義」には聞こえなかった。
まあ、答えは「そなたの義」なんだけど。
366 :
日曜8時の名無しさん:2009/03/23(月) 09:38:58 ID:3doBubgL
>>363 今回の話はおそらく原作者オリジナルの部分。
ドラマとしては金だけで済まし桑取を下に見ていた影虎と
対等にみて直接乗り込み味方につけた過熱具を対比させ、
本当に大事なことを表現しようとしたのだろう。
367 :
日曜8時の名無しさん:2009/03/28(土) 20:52:56 ID:b0o5UeH7
与六と喜平次の出会いのシーン(田んぼでの喧嘩)で、与六ともみ合ったのは又五郎(泉沢)ですよね?他の連中に後の上田衆仲良し組はいましたか?
また、陣取り合戦で落とし穴に落ちた中に又五郎、他の上田衆はいましたか?
368 :
日曜8時の名無しさん:2009/03/28(土) 22:12:01 ID:b0o5UeH7
>>285 上杉家臣は「信長」と呼び捨てにするのが正しいのですか?
ドラマでは初音(信長の使者)の前でも、兼続は信長を呼び捨てにしていたはずですが
兼続は謙信の前で、信玄も呼び捨てにしていましたよね
あと、御館の乱に突入した後も、景勝方内輪で敵の景虎を話題にする時は、ドラマのように様(殿)付けするのが自然ですか?またそれは大将(景勝)が呼ぶ場合と家臣(兼続ら)が呼ぶ場合では違いますか?
ドラマで景虎は、景勝の事を憎み出してからは呼び捨てに変えましたが。
369 :
日曜8時の名無しさん:2009/03/28(土) 22:30:26 ID:ead7eLa4
>>368 そもそも「諱」である「信長」や「景勝」「景虎」などと呼ぶこと自体
ほとんどあり得ないことだと思うが。
「字(通称)」か「官名」で呼んでいたはずではなかろうか。
信長は上総介だっけ?弾正忠?
謙信が不識庵で・・・
景勝、景虎なんか誰だかわからんなー。
371 :
日曜8時の名無しさん:2009/03/28(土) 23:52:12 ID:ead7eLa4
信長は「上総介」は私称だよね。
上洛直後に「従五位下弾正少忠」に任じられたのが正規の官位としては初出。
2年後に「正四位下弾正大弼」、姉川の戦いの翌年に「従三位参議」となり公卿、
長篠の戦いののちに「権大納言兼右近衛大将」、その翌年に「正三位内大臣(内府)」、
さらに翌年に「従二位右大臣(右府)」、次は正二位になってる。
御館の乱は1578年だからこのときの信長はすでに右大臣兼右近衛大将になってるから
呼び方としては「右府」あたりが妥当だろう。
景勝は無官時は仮名の喜平次や、若様など。
景勝は弾正少弼、景虎は三郎(官名持ってないから通称)。
景虎は一応なりとも一門なので景勝家臣からも
三郎殿、もしくは三郎殿様と呼ばれていたようだ。
景勝は家臣からは御中城様、
謙信が死んでからは跡を継いだことになるので実城様やら上様やら呼ばれてるが
景虎は景勝を少弼と呼んでるな。
374 :
日曜8時の名無しさん:2009/03/29(日) 00:10:00 ID:d2ceWwWx
ちなみに、「〜公」と呼ばれるのは正式には「大臣」のみ。
三位以上(大納言・中納言など)と参議は「〜卿」と尊称される。
以上が「公卿」。
したがって、謙信などを「公」と呼ぶのは正しいとは言えない。
謙信は従四位下弾正少弼に過ぎなかったから「公」でも「卿」でもない。
ただ、明治になって従二位を贈位されているから「卿」でも間違いとは言えないだろう。
ただし、家臣が主君の大名を「〜公」と呼ぶことはあったらしい。
家譜では謙信を「公」と呼んだりしているね。
376 :
日曜8時の名無しさん:2009/03/29(日) 00:34:34 ID:d2ceWwWx
>>375 たしかに。家譜は家臣を含めた身内の子孫が記したものだから、
「家臣や子孫が主君・先祖の大名を「〜公」と呼ぶことはあったらしい」
と修正した方がいいかもしれないね。
この場合の「公」は「様」と同じような尊称だろうね。
上で述べた大臣に対する「公」は尊称であると同時に大臣に付随する
朝廷の基準のうえでの決まり文句だから、意味合いが違うんだろうね。
このころの書物は文語が多いんだから
プライベートでどう呼んでたかの判別は正直難しい
378 :
日曜8時の名無しさん:2009/03/29(日) 12:13:02 ID:d2ceWwWx
名については「読み」もわからないものが少なくなかったようだ。
たとえば織田信雄は「のぶかつ」と読むのが一般的だが、
これは、信雄が「雄」の字を与えた家老の滝川雄利が
「かつとし」と読むことが偶然かながきで記録に残っていたから、
主君信雄の「雄」は「かつ」と読むことが判明したということを
どこかで読んだことがある。
特に「諱」は普段まったく使われなかったわけだし、
使われるとしても朝廷での正規の文書や願文においてぐらいだけで、
その場合にしても漢字で書かれているだけで読みまではわからない
というのが実情だったようだ。
秀吉がひらがなで書いてるから五大老の皆様はたぶん今の読みであってるな。
謙信もひらがなで署名したりしてるし。
ギリギリってこの時代にあった言葉なの?それともわざと?
兜の前立はどうやってくっついてるの?
あんなに簡単に脱着できるのは何故?
磁石か何かでくっつけてるんですか?
亀レスだけど。
>>346 今回「叔父上」と言っていたので、やっぱり親族だったみたいですね。
景虎側の、隻眼の武士の名前を教えて下さい
>>383 レスありがとうございます
録画を見直したらL字型のフックを確認しました
あれなら気分に合わせていろんなコーディネイトが簡単にできそう
388 :
日曜8時の名無しさん:2009/03/30(月) 17:54:14 ID:P/KYX4N2
久々に見たのですが、仙洞院が景虎のとこにおったのは何でですか?
あれでは体のいい人質ですよね?
史実でもそれはあったのでしょうか?
389 :
日曜8時の名無しさん:2009/03/30(月) 18:02:23 ID:9wZtn6Y/
>>388 ドラマでは、仙桃院は何とか戦を止めるため、自分の意志で虎のところに残ってます
>>388 史実でも景虎のもとにいた。しかし、理由は不明。
和平の道を探っていたと見るのが妥当ではなかろうかと。
公式の徳川家康の髪型、ああいう髪型は初めて見たのですが
いったいどうなっているのでしょうか?
>>391 強引に解釈するスレにいってください。
史実知識でフォローできる髪型とは思えません。
>>392 うわー(゚A゚;)そうなんですか・・・。
394 :
日曜8時の名無しさん:2009/03/31(火) 09:22:34 ID:TOFIxoLV
>>389,
>>390 ありがとうございました。何ていうかあの時代おかんとかが敵方に行くって人質だって聞いたことがあったから
このドラマならそんなことも知らずにやりかねんと思ってたのですが
マジで行ってたとは。しかも説得って。。。
395 :
日曜8時の名無しさん:2009/03/31(火) 09:26:58 ID:92BIgKXs
初音は今、何歳の設定でしょうか?
未成年と思っていましたが、信長と一緒のシーンでお酒を飲もうとするシーンがあったので。
年譜の中に仙桃院が何故か御館にいたらしい記述が出てくるんだよな。
単に春日山は山城で御館は平時政務に使われていたから
軍事に係わらない女性たちは御館の方に住んでただけかも知れんけど。
史実の仙桃院はたぶん娘と孫に心を痛めてたんだろう。
どっちにしろ仙桃院はその後春日山に戻って景勝ともう一人の娘と暮らして
関ケ原のあとまで生きるけど。
>>395 まず、初音という創作人物についての詳細検証は出来ないに等しいよ。
原作でもドラマ内でも、本当に適当に都合良く活躍させられてる。
年齢や行動原理などもう何も考慮なしに動かされてる女だからね。
女は十代前半でも普通に婚姻するし、
武田晴信の最初の室・上杉氏や、前田家の芳春院(まつ)のように
12〜13才で懐妊もする。(晴信室は子を産むことなく死亡したが)
十代で子を産み夫に死なれて、また再婚もするなんてのもザラにあった時代。
男の元服も、15〜16くらいが多いと思われるけど
その家の状況や家風によっても元服の年齢も多少違うだろうし、
そんな時代なんで、何才になったので酒解禁、何才までは未成年
・・・みたいな年齢制限は無いようなものだろう。
その時々の周囲の判断で、酒も飲むようになるし、婚姻もする。
398 :
日曜8時の名無しさん:2009/03/31(火) 16:27:31 ID:92BIgKXs
>>397さん
わかりやすい説明、
ありがとうございました。
399 :
日曜8時の名無しさん:2009/04/01(水) 19:43:04 ID:hibgJIP6
Wikiを見てて景勝は華姫の弟となってましたがドラマでは相武さんは景勝の事を兄上と言ってますよね??
あと景虎の方が景勝より年上なのですか??
もう初音が酔っぱらって信長の月代をペチペチ叩いても驚かない。
401 :
日曜8時の名無しさん:2009/04/01(水) 20:27:56 ID:6cDUKqIZ
>>399 女性は詳しく記録に残されていないんで、よくわからないことが多いですね。
たとえば織田信長の正室「濃姫」は「美濃から来た姫」ということであって
本名は帰蝶とも言われますが正確には不明だと思います。
また、今川氏に嫁した北条早雲の「妹」にしても、今日では姉であった
可能性の方が高いといわれているように。。。
「女」とか「女子」としか残らない事がほとんどで、名前が記録されてても生年がわからない、あるいはその逆とか普通だしね
403 :
日曜8時の名無しさん:2009/04/01(水) 23:39:01 ID:5ljFQ/kh
三郎は伊勢家の出身で、長尾家とは縁もゆかりも無い人物でしょ?
そんな人物が長尾上杉家を継ぐことを熱烈に支持してた連中は
いったいどういう了見だったんですかね?
喜平次という生粋の長尾家の人物がいるのに他家の者を跡取りにするなんて
吉川家や小早川家じゃあるまいし、とんでもないことでしょ
まあ、長尾家も伊勢家も高望王から分かれた桓武平氏同士なので
完全に赤の他人というわけじゃないんですが
新発田の乱はやるの?
>>399 華渓院(ドラマ命名では華姫)は景勝の姉説・・・が普通に通ってるはず。
>>401 おっしゃっているとおり、信長正室・斎藤氏の実名はいまだ不詳です。
北川殿の詳細も、やはり不明。
>>402 このドラマ内で挙げると菊姫の享年ですが・・・。
没年からの推測する方法での決定もあるけれど、
古文書の(生年の)漢数字の崩し字の読み方が2論あり、
そのため、歴史本によって菊姫と松姫の長幼順が異なったりする。
自分は、姉・松姫、妹・菊姫 説支持ですが。
406 :
日曜8時の名無しさん:2009/04/02(木) 02:28:23 ID:4DNDyR1/
景勝には姉と妹がいたとされ(両方姉とする場合もある)
軍記などでは三郎景虎に嫁いだのは妹とする場合もあるが
姉妹の結婚した順番や景勝の年齢から現在は三郎景虎に嫁いだのが景勝の姉、
上条政繁(義春の方か?)に嫁いだのが景勝の妹(又は次姉)とするのが有力。
景虎と景勝では景虎の方が年上。
史実的には景虎を当主にしようと担ぎ出したのは景勝が上田長尾家出身である事から
上田長尾家と政権闘争していた古志長尾家が、
謙信から景勝に代替りして政権与党から野党に落ちるのを嫌がったとか
景虎にはバックに小田原北条家が付いており、景虎の異母妹が勝頼の妻でもあり
景虎には出自上越後周辺国の支援が付いているため、
血縁としては有力だが後ろ盾の無い景勝より強力な後ろ盾を持つ景虎の方が
勝つと見た連中が保身を謀ったためという見方がある。
他に謙信生前に新参で謙信個人に取り立てられ重用された者ほど
景勝に付いている傾向があることから
謙信晩年の政治方針を受け継ぐ景勝を拒む派閥が景虎を担ぎ出し、
謙信政権内での派閥闘争が後継争いとなって家中を割ったという見方もある。
>>405 景虎室が景勝の姉であるという説が有力というのは研究者の見解なのか?
Wikiではそうなってるけど...
上杉関係の最近の本や論文でも景勝の妹としてるのが多いんだけど...
>>408 研究本:仙洞院(こちらが正しい)
一般書:仙桃院
研究本:景虎の妻は景勝の姉
一般書:景虎の妻は景勝の妹
使い分けられています。
>>409 一般書と研究書という分け方は分からないでもないけど
(すみません。何となくそういう分け方にする気持ちは分かります)
読み物的なものでも「仙洞院」と記述しているものもあり。
「一般書」(という書き方をしましょう)でも、書き手があたった資料本や
その書き手の考え方や編集の方針などもあるのでしょうかね。
自分は一番最初に出会った字が「洞」だったので、そのまんま記憶。
「風林火山」が放送されてた頃も「仙洞院」と書き込んでました。
常慶院に残る、長尾政景夫妻の並んだ肖像の
その頭上に描かれた位牌の絵の戒名が「仙洞院殿」なんだよね。
まあ「桃」も「とう」と読む字だし、桃は霊性のある果実だし、
だいいいち可愛い語感があるので、ドラマなどでも馴染みやすいかなと思う。
最近の大河ドラマ2作で「仙桃院」と呼称されたから、
これからも尚「桃」の字で世間に浸透するのでしょうね。
戦国人名事典・コンパクト版には仙桃院とされてるなぁ
戦闘員でいいじゃん。
413 :
日曜8時の名無しさん:2009/04/02(木) 20:55:15 ID:HeFN5Jar
戦闘員
加熱具
汚染
>>409 上条政繁と義春が別人として記載されていた吉川弘文館の辞典には、
景虎室は景勝の妹とされていたと思う。
姉説が有力とされるのは、ここ二、三年の説?
花ケ前は景虎室は景勝姉説を取ってるな。
姉がいるのにどんなに高く見積もっても数え14歳以下の妹を先に嫁がせ
子を産ませるのは不自然だと。まあ無い話ではないが。
ただ景勝の姉妹はどっちも景勝より年上の「二人の姉」とみる説もあるし
妹の方も政繁に嫁いだのか義春に嫁いだのか確定してないしな。
今日の予告で挿入された音楽は何でしょうか。
毎回聞きますが、オリジナルでしょうか、クラシックでしょうか。
あのー
凄いくだらないんですが、毎回乱闘シーンを見てて思うのですが…
よくあの時代暗闇などで背中に掲げてる旗のみで一刻を争う戦闘中に仲間を斬らなかったですね。敵味方同じ様な姿格好に瞬時に見分けがついたのでしょうか。
あ〜あと刀。
あんなブンブン狭い所で大勢で振り回して間違えて斬っちゃったよ〜><
なんて事はなかったんですかね?
三國無双でてんやわんやでキョドって味方を斬りまくってしまう自分にはどうにも疑問です。
>>417 大河の合戦シーンなどは漫画以下なので。
普通は肩が触れ合うほどの近さで敵味方入り乱れて刀剣類をぶんぶん振り回すことはないよ。
といっても実像ははっきりしていないけれど、
その戦い方は学生運動の機動隊と学生のぶつかりあいみたいなのを想像したらいいんじゃないでしょうか。
合戦は相手を殺傷することより引き上げさせることが目的ですから、
かき乱して逃げるように差し向ければいいわけで、
何も敵に肉薄して命のやりとりをする必要はなかったと思います。
間違って斬ったって事も無いことは無いだろうね
天地人では白タスキを景虎側がつけてたし
武将が目立つ格好した理由のひとつでもある
昔読んだ歴史読本に戦の実情を推測した偉い先生のレポがあって
大体以下の様な内容だった
・剣は基本、刺す物
切り込んで引っかかって抜けなくなったら、次の奴に切られてアウト
・槍はたたく物
秀吉が信長に「長槍の方が強いっす」って進言して誉められた逸話も残る
・馬は集団を蹴散らすもの(and 楽な移動手段)
馬の突進を交わしつつ、馬上の武将を斬るなんて想像しただけでも難しいのは分かるはず
逆に馬が立ち止まったら、雑兵に囲まれてアウト
・弓や鉄砲は突進を怯ませて止めるもの
だから開戦直後しか使えないし、混戦中に撃ったら味方にも当たるし
ま、戦力の大半は普段農民やってる雑兵だからね
>>418 おー勉強になりました。
ありがとうございます!
>>419さんもありがとうございます!
実際バスバステレビの様に斬るりまくってた訳じゃないんですね。
422 :
亀レス失敬:2009/04/12(日) 17:46:05 ID:r+21Jmre
>>13 関越トンネルも清水トンネルも清水峠の少し西側(の地下)を通っていて
三国峠からはかなり離れています。
これは大河と全然関係ないけど、清水峠にはとんでもない道路が存在します。
もし道路関係に興味をお持ちなら、一度検索してみると面白いかと。
>>422 清水国道?明治時代に馬車通すために開業したが、
すぐに地殻変動で放棄された哀れな道路とかいうやつ。
その他にも謙信尾根とか名前聞くだけでもワクワクする道もある。
>>423 ご明察。
現役の国道なのに、道が跡形も無くなってる部分まであるそうで・・・
425 :
日曜8時の名無しさん:2009/04/12(日) 21:07:20 ID:0ftK2QJ4
聞き逃してしまったのですが、御館の乱で仙桃院はどうなったのですか?
427 :
日曜8時の名無しさん:2009/04/12(日) 21:28:36 ID:FP5J1HEv
兼続の「利いた風な口をきくな!」はどの場面でのセリフですか?
景虎の自害は史実では何月ですか?
429 :
日曜8時の名無しさん:2009/04/13(月) 08:06:27 ID:B5LJ0VLn
≫428
3月かと。
旧暦3月。
太陽暦だと4月。
>>428 旧暦 3月24日
新暦 4月19日
ちなみに新暦だと
謙信も4月19日
景勝も4月19日
華姫が自刃するときに傍にあった草履が気になって仕方ありませんでした。
ああいうときって脱ぎそろえなきゃいけないものなんですか?
それとその時の影虎さんは何処にいたんでしょうか?
自分が華姫の立場だったら愛する人に斬って欲しいと思うのですが・・・
そりゃ「暴れ馬だああああ」だもんな。
発想の貧困さには定評があるというもの。
>>432 すみません。用事があって昨日の回を見ていないのに
お答えするのはなんなんですが。
武士(武家の妻も)は死に際を整えることに留意します。
武門の名家に生まれた女が、みっともない死に様をさらすことは
家の恥にもなり、死後の自分の名誉も損なわれますんで
混乱のなかにあっても、辞世を詠んだり、死に装束を調えたりするわけです。
そういう意味もあり履物をそろえたのではと、
見てもいないのに答えておきます。
(大混乱のさいにはそう出来ない場合も勿論ありですけどね)
例えばの話ですが、
江戸ものの時代劇などでも、屋敷内で自刃する武家の妻女が
着物の膝あたりを紐でしばって自刃する場面を見たことはありませんか?
あれは痛みや苦しさのあまり、裾を乱して肌をさらしたりしては
女としての嗜みがないという意識でやるものです。
>>434 ネタバレスレの過去スレに、華姫は撮影時に膝をしばってから
自害したとレスがあったと思うので、たぶんそれで正解。
オンエアではその辺あんまり映ってないけど。
432さんじゃないのですが、私も質問。
ああいう場合は男女一緒の場で自害してはいけないという
決まりとかあったんでしょうか。
別の場所で自害するのかな?と思ったら、その後、兼つぐさんたちと話してるし。
更に華姫を抱いて去っていくし。???となりました。
>>432 飛び降り自殺するとき靴を脱いで揃える感覚なんだろう
>>436 >更に華姫を抱いて去っていくし。???となりました。
あれは何だろね、追っ手が見逃すはずないし心象風景かもね
レスありがとうございます。
見苦しい姿を晒さないためなんですね。
勉強になりました。
でも履物にこだわるより、もっと肝心な部分に力を入れて欲しいというか・・
きっちりと考証して欲しいと思いました。
>>437 それ思ってましたw
最後兼続は景虎をどうしたかったのでしょうか?
討ち取りに来たのでしょうか?
それとも言い訳をするためにやってきたのでしょうか?
この場合、普通は敵の大将である景虎の首を挙げるか
それとも情けをかけて切腹の介錯だと思うのですが。
>>440 本来の目的は華姫を連れ帰ることで、正直景虎はどうでもよかったんじゃね?
一応ちゃんと自害するかを監視して、まだよからぬことを考えてるようなら
討つつもりだっただろうけど。
>>438 ああ、なるほど。心象風景と言われれば、そんな感じですね。
>>436 自分の知識の範囲からお答えすると、>男女一緒の場で自害 が
当時は禁忌されてた・・・というようなのは聞いたことが無いかも。
女性が禁忌される一つとして、出陣前の宴は女性が遠慮するとか
前夜の同衾(男女の交わりwですね)を控える、とか
家によってそういう慣習があったことが普通に本に書いてありますが、
(秀吉や家康は戦陣に側室を招いたり、武装させて同行させてますがね)
ああいった滅亡、壊滅の場で一緒に死ぬのはNGという話は
自分は聞いたことがありません。
ただ旦那が外で大奮戦してる間にも、本丸や奥向きは大混乱で万事休す、
奥方や子が「殿、お先に冥土でお待ちしております」
・・・っていうような場面はよく見られますよね。
で、「天地人」の昨日の回の景虎と華姫の行動ですが
見ていないのに言うのもなんだけど、色んなレスをロムった印象では
「脚本家の混乱、演出家の都合、適当な編集」なんだとしか思えない。
>>432 華姫が先に死ねば道満丸が待ってるから一人になるときはない。
景虎はしばらくひとりになっちゃうけど、それが妻への最後の優しさなのかな?
とも思ったが、考えすぎなんだろうな。
景虎自ら妻を斬るのは、やっぱりできなかったんだろう。
>>438 時期はずれの彼岸花が咲いてたから、あの世へ連れて行ったみたいなイメージなんだろうかね
一応上田衆が来たのは
華姫を連れて行く予定だったからじゃねーの。
景虎は討ち取るか処刑か自害してもらうかしか
選択肢は無いが華姫は当主の妹だから
景勝の庇護を受ける気があれば受けられるだろ。
>>446 だね。御館を落として館内を探し回ってるときに、
「仙桃院様〜」だけじゃなく「華姫様〜」とも叫んでる。
御館に攻め入った際、屋敷に居た女子供もやはり殺されてしまったのでしょうか??
あと景虎の重臣?なのかずっと側について居た最後北条側に逃げたちっさい悪そうなオジサンが遠山なのですか?
>>448 女子供も殺されることはないんじゃないか。仙桃院の侍女もいるだろうし。
悪そうなおじさんが遠山は正解。
遠山ですが主君を放ったらかして家臣が逃げるというのは普通なんですか?
裏切って逃げるのはありだろうけど、遠山みたいに死ぬならご随意にみたいな雰囲気で
主君を置いていったのにびっくりしました。
「大義であった!」
とはどうゆう意味ですか?
またああいった自害する場面で例えば主君が下がれと言っても下がらず「殿お止めを〜」と食い下がるのはいけないのでしょうか?
下がれと言われたら慕って勤めてきた主君の自害も見届けなければいけないのですか?
>>451 自害に追い込まれてるような場面だと、もうそんなことをしてる暇はなくて、
周りにいる敵を抑えて主君が敵に見つからない内に自害してもらわないといけない。
実際は四方を敵に囲まれて、「さあ、自害しろ!!」って晒し者になってしまったり、
自害するまもなく討たれてしまったことはあっただろう。
>>451 「大儀である」とは「よくぞ仕事をこなしてくれた」とのねぎらいの言葉。
「GJ!」とかの意味。
まだ生き延びて戦局挽回する余地があるのに
自害しようとしたら身を挺して止めて
主君を逃がす展開もあるかもしれんが
普通は主君が自害しようとする=もう逃げられない。
だったら敵に討たれて首を取られるよりは
自害する方が名誉が守られる。
家臣が主君の自害する時間を稼ぐために
敵に決死の特攻してあぼんしたり
自害した主君の首を敵に奪われまいとして
家臣が主君の首を持って逃げたりとか戦国時代にはある話。
天地人の遠山のキャラだと既に景虎には利用価値がなくなったから
どうでも良かったんだろ。
452-454
ありがとうございました。
大義であったと言った景虎にもそれを見守った遠山にもなんか凄い悲しくなりました。
ありがとうございます。
>>455 あと、歴史上の遠山は鮫ヶ尾城で自害したそうです。
実際は逃走しようとして景勝側に捕らえられて首刎ねられたか、
殿の自害のために最期の抵抗をして討たれていて自害扱いされてるかもしれませんが。
457 :
428:2009/04/17(金) 15:57:55 ID:zi6VhXoE
>>429-431 おそくなりましたが、お礼申し上げます。
意味ありげに彼岸花が映ったものでw
主君の奥方様の部屋に男性の家臣がご機嫌伺いに来るのはありなんでしょうか?
主君に命じられて様子を見に来たようでしたが
仙桃院や妙椿尼、お船ならまだ分かるのですが、ちょっと 驚きました
>>458 基本的にはかなり五月蝿い。密懐という問題もあったので、
「親族以外の人間が尋ねてきた時に女だけで会わすな」みたいなルールとかも
大名によってはあったはず
ただし昼間ならその限りではないというルールもあったぐらいで、
日暮れてからは厳禁だっただろう。
461 :
458:2009/04/20(月) 19:33:26 ID:783C/R66
463 :
日曜8時の名無しさん:2009/04/23(木) 22:41:16 ID:miaRL+Wk
北条高広ってたしか御館で死なないはずですよね?
実際には上野にいて武田にくだったり、北条にくだったりしています。
いつしか所在不明となります。
465 :
日曜8時の名無しさん:2009/04/24(金) 12:45:31 ID:I/HgGuD7
少なくとも、上杉家の忠臣というキャラではないわなw
息子の景広の方は積極的に景虎側についてた感じだね
>>466 そうか?
北条景広は謙信が死んだ半月後ぐらいに、関東情勢を報告する書状を
父親と連名で景勝配下の奉行に送ってるけど。
北条や武田や蘆名の介入が明らかになって景虎に鞍替えしたんじゃないねーの。
468 :
日曜8時の名無しさん:2009/04/26(日) 02:26:40 ID:1hNuYwcg
将棋では王将を取られたらゲームセットですが、
御館の乱では、景虎が死んだのに何故2か月も戦が続いたのですか?
兵が、主君の死を知らなかったってわけでもないでしょうに。
そもそも御館が落ちるとき景虎を守らず自分の城に帰った連中だからな。
景虎は旗頭ではあるが景虎のために戦った訳じゃなかったんだろ。
景勝側も神余なんか景虎死後景勝に和睦を申し込んだが
景勝はこれを取り合わず神余は抵抗を続けるしかなくなり家臣に殺された。
ちなみに許された景虎方は北条高広(勝頼の取り成し)、黒川清実(輝宗の取り成し)
本庄顕長(父が景勝方だったので助命された)となっている。
首謀者が死んだから乱には加担したけど許してね☆は通じなかったんだろ。
>>469 2か月じゃないよ。景虎が死んだのが天正7年3月。
本庄や神余といった景虎派の重鎮が討伐されたのが天正8年5月〜6月。
>>470にあるように、御館の乱の初期に、景虎の側近として活躍した本庄秀綱などは、
天正6年6月の段階で景勝の軍と戦って敗れると、御館を捨てて本拠地に戻ってしまった。
もともと御館は城と違って戦いの拠点にするには難しいからとは言え、
その後、景虎と合流することも全くなし。
他の有力武将も、御館を退去する景虎に従った越後の者は誰一人いなかった。
けっきょく景虎のためというより、景勝が当主になると割りを食うと考えた反上田長尾の勢力が
(こう考えるのは無理もない、代々抗争していた敵対関係だから)
北条家という強大なバックをもつ景虎を担いで自家の勢力維持・拡張を図った、
だから景虎の生死に関係なく戦い続けた、というのが妥当だろ。
原作でもドラマでもいっさいそんな話は出て来なかったが。
今夜の家康の頭の上にくっついていた黒いものはなんですか?
473 :
日曜8時の名無しさん:2009/04/27(月) 00:35:21 ID:oyQmKtvD
上杉って武田に援軍だしましたっけ?
出してるよ。
景勝書状によると、上条政繁を中心に十数名の武将が信濃に出陣した。
武田の崩壊があまりにも早く、役にたたなかった感じだが。
役には立っただろうさ
信濃への影響力拡大に
援軍というのは建前で織田や北条にとられる分を
なるべく少なくするための派兵だったってことですね。
>>476 建前も中身のうちだよ。簡単に割り切れない。
>>476 武田滅亡後の取り分なんて余裕はなかったはずだよ。
家臣たちは、武田救援に積極的じゃなかったし。
斎藤朝信なんかは病気を理由に景勝の要請を断ってる。
斎藤の代わりに行ってくれた上条には
かなり気を遣ってることが景勝書状からわかる。
勝頼滅亡がはっきりすると、
上条たちは北陸の対織田戦線に向かったみたいだ。
武田が滅亡したあたりでは信濃は森長可が入って越後を脅かし
信濃への影響力どうこうどころの場合じゃない。
上杉家が北信濃を取れたのは武田滅亡後さらに信長が謀反で死んで
織田軍が武田領から消え一時旧武田領が空白地帯になったから。
武田滅亡直後信長が急死するなんて当時誰も予想し得なかった話であり
勝頼生前の上杉軍の信濃派兵は単純に援軍だろ。
能登七尾城は謙信がやっとの思いで攻略した城だと思いますが、御館の乱の
時は織田方にあっさり攻略されてしまったんでしょうか?
481 :
日曜8時の名無しさん:2009/04/27(月) 23:26:26 ID:gwu/xYL7
>>474ありがとうございます
それにしても家臣ってなんかマイナーなのばっかなのは気のせいですかね?
直江景綱、北条高広、上条政繁くらいかなしってるの
風林火山とは違うな
WIKIだと勝頼って謙信の代で同盟結んでるってなってますけど
このドラマだと景勝のときですね
このドラマ景綱なんて出てたっけ?と忘れてたのが
最期の「ウェーハッハッハ」退場を思い出したニダ
謝罪と賠償を要(ry
>>480 信長に攻略されたというより
長、遊佐、温井ら旧畠山家臣の取り合いの上、
七尾城を占拠した家臣が織田に臣従しました。
「謙信が落とした」ってのも実際は旧畠山家臣の勢力争いの結果
上杉に付いた方が勝った、に近いしな。
なんか北陸って内訌や土豪の争いが多いな
比較的まとまってたのが越前朝倉氏と加賀一向衆か
畠山のお家芸だな。
こないだの天地人みたんですが
信長と光成ってかかわりあったんですか?
本能寺直前の頃の三成って、秀吉の家臣団の中でも有力な存在だったのか?
先週信長が引き抜こうとしてたけど。
信長と三成に接点は皆無。
信長は三成の名前も知られてなかっただろう。まだ無名の存在だったから。
謙信時代にどこにいたのかも何していたのかも不明な兼続が
何故か創作物では謙信に目をかけられるのと
同じ現象です。
490 :
日曜8時の名無しさん:2009/04/30(木) 11:05:19 ID:xiN6tYII
魚津城攻めで織田軍が新兵器の大筒を実戦投入したが、
まだ命中精度に難があったと聞きましたが、
これは史実なんでしょうか?
もし史実なら時代考証の方もいますから大河で次回の織田軍が大筒を魚津城に向けてぶっ放しますから迫力ありそうで期待してます。
491 :
日曜8時の名無しさん:2009/04/30(木) 12:41:56 ID:2Jo5caBt
信長と三成の接点ってどうっだのだろう。
96年の秀吉の時は接点があって信長が三成に命令した場面があったけど。
直接ではないけど秀吉を通して信長に仕えているのと同じだと思うけど。
直臣と陪臣の差はでかいぞ。
大殿が直接家臣の家臣に命令を下すのは
その家臣の自分の家臣に対する統率権否定にすら
なりうるものだからな。
三成に信長が命令を下したい時は
信長→秀吉→三成と命令するのが普通。
謙信政権時の上田衆は景勝が謙信の庇護下にいたために
上田衆筆頭の栗林を景勝の後見として命令していた。
景勝が成長した後は謙信→景勝→上田衆と謙信→上田衆の
両方を使っていた。
(謙信が「喜平次から話が言ってると思うけど」という文面を書いている)
>>490 どこでそんな阿呆な話を仕入れてきたんだ?
>>487 >>488 過熱具が主役のドラマだから、親友の三成を特別扱いする。
藤堂高虎は、子供の頃から身長190cmの化け物で目だっていたけど、
20歳の三成が際立った存在のわけが無い。
経済官僚として活躍するのはまだ先の話。
まあ中国攻略中の秀吉を安土に呼んでまですることじゃねーなw>三成勧誘
神保長住が富山城を奪ったのは御館の乱の最中でしょうか?何時でしょうか?
497 :
日曜8時の名無しさん:2009/05/04(月) 21:50:16 ID:+wGg19Xi
これまで放映された18回のうち子役も含めて兼続
が泣かなかった回は何回あるのでしょうか?
秀吉が、諸大名の力を削いで服従させるために、
その参謀クラスの臣下に声掛けて、勧誘しまくったのは有名だけど、
ほとんどの武将が、「その手に乗るか」と断った中、
おめおめと秀吉の計略にのった人物はいたのでしょうか。
一番有名なのは徳川の最古参家老の一人、石川数正かな
家臣団の中心人物が仮想敵に突然引き抜かれ、戦中の合図など最重要機密が流出
この事件で徳川は軍法を従来のものから変更せざるを得なくなったとか
>>499 ありがとうございました。
ついでにもうひとつ、よろしいですか。
秀吉のような策略を、織田信長も用いたことはあったのでしょうか。
501 :
日曜8時の名無しさん:2009/05/06(水) 00:38:04 ID:t04TY9/M
信長も荒木村重の叛乱の時、高山右近や中川清秀を寝返らせているハズ。
本作でふれられている上杉家臣だった新発田もそれに入るかな?
武田滅亡時の木曽や(秀吉の工作だが)毛利からの宇喜田も有名。
むしろ戦国時代にやっていない方が珍しいと思う。
502 :
日曜8時の名無しさん:2009/05/06(水) 08:30:32 ID:sqzicTfg
来週の信長にしろ景虎にしろ北条さんにしろ身内の裏切りなどで最後自刃によって幕を閉じる訳ですがあれはやはり精神的なもので自刃という形で皆さん死んでるのですか??
裏切りに怒り狂って斬られようが最期まで戦い死ぬ事はなかったのでしょうか?
503 :
日曜8時の名無しさん:2009/05/06(水) 08:33:30 ID:sqzicTfg
訂正
×北条
○武田
スイマセンm(__)m
>>502 最期まで戦って死ぬ奴もたまにはいるが(剣豪将軍とか)
普通は身分の高い人間はこれ以上は抵抗しても無駄と分かれば
敵に討ち取られて手柄を立てさせるより自害して名誉を守るもん。
敵に首をとられたら晒し首にされたりもするので
家臣も殿様の首を敵に奪われまいとするもんだし奪われれば取り返そうとする。
また負けが決まったのに自害もせずに逃げて捕まったりすると
「死を恐れた臆病者」とそしられることもある。
>>500 規模はミニマムだけど、信長がまだ尾張統一を果たしてない頃に、ちょっと似たような例があるかな
弟の勘十郎信勝派の林秀貞を那古野城城代に抜擢し懐柔、
その後起こった信勝派との直接対峙、稲生の戦いでは林秀貞を積極的に参戦させないように工作してる
この一戦では柴田勝家もまだ信勝派だったが、信長が柴田をあっさり許し、以降は林・柴田ともに信長派に引き込むことに成功してる
対大名クラスだと、斉藤龍興との戦いでは西美濃3人衆(4人衆?)と呼ばれる有力国人、
対浅井での磯野員昌、対武田では木曾義昌の引き抜きなんかかなぁ
これは家臣団の中枢ってわけじゃないど
既出かもしれませんが、兼続がときどき言う
「これはしたり」
とは、どういう意味なのでしょう?
子供に聞かれたのですが答えられませんでした…orz
>>498 島津の家老の伊集院が調子に乗って結局殺された
>>506 「やっちまったな!」
で、問題ないかと
>>508-509 そんな感じなのではないか?とは思っていたのですが…
どうもありがとうございました
>>504 勉強になりましたm(__)mありがとうございます!
蟻の這い出る隙もないほど、幾重にも包囲された魚津城内に
忍者でもない兼続が、どうやって忍びこめたのですか?
そんなに簡単に侵入できるなら、とっくに敵方が入り込んでもおかしくないのでは?
つ「どこでもドア」
このドラマのテーマは義と愛のようですが
愛は兼続の兜で分かりますが
義を大事にしていたという史実のエピソードがあったのでしょうか。
私は視聴側にある「義」のイメージするところに寄りかかっていて
まだ兼続自身の示す「義」にはなっていない気がします。
この先視聴し続けるのが漠然と不安になってきましたので
これは原作が掲げている義なのか、本当に兼続が義の人だったのか教えてください。
>>514 よくわからんけど兼続は秀吉にとりたてられそうになったけど
蹴って上杉の一家老に甘んじたあたりは当時としては義なんじゃね?
自分のことより上杉家のことを第一に考えたってことで。
そりゃ、「忠」だろう。
でも、忠って江戸時代に儒学がもてはやされてから
武士を律するようになった概念で、兼継の時代には
守るべきほどのものじゃなかったのよねん。
ボスが駄目人間なら見限るのが当然というのが当時の考え方。
私欲を捨て、「正しい」理念に基づいて行動すること
越後のため、民のためという行動原理=「義」は、上杉家臣団、あるいは景勝へと伝えられた謙信にとっての「義」なんだよな
では、兼続にとっての「義」とはなんなのか?
今のところハッキリとしたものとはいえない気がする
他人にとっての「義」ではなく、兼続自身にとっての「義」とはなにか?
これはこの大河の冒頭で坊さんから提示されたわけだが、今後明確にされるだろうテーマなのでは、と思う
ところで「兼継」って表記はわざとなん?
見たことないわけだが
>>515 史実に沿った兼続の伝記に、ドラマのように秀吉が兼続をヘッドハンティング
しようとした話はないですよ。
研究者によれば、秀吉は上杉を東北大名の要にしたかったらしく、兼続を引き抜いて
上杉の力を削ぐようなことはしないだろうと。
史実で義といえば、妙心寺の南化が、兼続を「利を捨て義をとる人」と評してます。
具体的にといえば難しいです。関が原の三成との共謀説も研究者は否定してますし。
原作は読んだことないですが、ドラマでは「義=仁愛」としたいらしいですね。
描かれるのはこれからじゃないですか。きちんと描かれるか不安ですけど。
大体において秀吉は大名家から引き抜いた家臣を優遇することは少ないな。
後世から見ればだが。
もし本当に誘っていたとしても断ったなら証拠なんて残ってないだろうしな。
秀吉が兼続に30万石与えたというのも俗説で実際は兼続の所領は6万石で
景勝から貰ったもんだしなあ。
520 :
514:2009/05/09(土) 12:19:53 ID:xOd7rW3S
>>514です。みなさんご回答ありがとうございました。
はっきりとしたエピソードは無いようですね。
天地人はオリジナルで兼続の「義」を作っていくわけですね。
これからしっかり描かれるテーマになるのだと
信じて視聴してみようかと思います。
兼続に「義」や「愛」のキーワードがつけられたのってここ数年のことだしな。
もともとはただの「名宰相」。
>>521 >ここ数年のこと
花慶が走りなんじゃね?
今日の魚津落城で、切腹するのかと思ったら全員で頚動脈?を切り合っていました。
介錯シーンを避けたいからなのかとも思いましたが、こういうものですか?
>>523 うん。あれもアリ。
自刃の方法としては切腹より簡単確実なんで、ああいう場だし
手っ取り早い方法を選んだんじゃね?
>524
なんとなく、城主が切腹して家来が介錯⇒それから家来が殉死
みたいなイメージがあったので。こういうのもアリなんですね。ありがとう!
526 :
日曜8時の名無しさん:2009/05/12(火) 11:06:52 ID:HmA//Cyo
この間の回で、信長が(たしか)「ぜひにおよばず」って言ったのが
印象的だったんですが、どういう意味なんでしょうか?
「どうしようもないな」って意味。
是非(どのような対応が必要なのかの検討)に及ばず(するまでもない)
文脈によっては「慌てるな(落ち着いてれば大丈夫)」「グダグダ言ってるんじゃない(黙って俺について来い)」の意味もあるだろうけど、
この場合は
>>526でおk
「ここに至ってはジタバタしても仕方がない」見たいな感じかな
2chで言うと
うはwおkwwww
的な感じ?
直訳すれば「是非を論ずるに及ばず」ってことだね。
で、ニュアンス的には
>>528のような解釈でよかろうかと。
>>526 信長の「是非に及ばず」っていう言葉は、本能寺の変を描く上で
すごく代表的なセリフなんだけど(史実かどうかはさておき)
予備知識なしでそれが印象に残ったってのは、いいアンテナしてるよね。
信長を演じる歴代の役者さんは、皆この「是非に及ばず」の表現には
物凄く気合を入れて臨むみたいだよ。
意味をくんで2ch語に訳すと 「もうだめぽ」
本当は信長だけじゃなく当時はみんなよく使っていた言葉なんだよね。
書状資料ではよく見かける。「是非に及ばず」「是非無く」など。
是非におよばず=これはしたり
535 :
日曜8時の名無しさん:2009/05/17(日) 23:55:02 ID:pleX3oWE
秀吉側から、上杉家に送られてきた使者が登場してきましたよね?
説明もテロップもなく、誰だか分らなかったんですが、おそらくは名のある武将だと思います。
史実では、あの使者の役を担った武将は誰だったんでしょう?
落水の会見じたいが史実じゃないと言われてますので...
>>535 木村清久ではないかと思われます。作中でカットされた3年の間に、
使者として派遣されたことがあるようです。また、三成、増田長盛とともに連署状を
出すなど、上杉と秀吉間の取り次ぎのような仕事をしていたので、おそらくこの人で
いいはず。
538 :
日曜8時の名無しさん:2009/05/18(月) 19:11:24 ID:e4T/auWo
「上洛」や「京に上る」など昔は京都が今でいう東京みたいな中心の場所だったのですか?
つれますか
540 :
日曜8時の名無しさん:2009/05/18(月) 20:10:10 ID:e4T/auWo
真面目に聞いてます。
すいませんm(__)m
541 :
日曜8時の名無しさん:2009/05/18(月) 21:49:00 ID:BzSY6xPq
以前信長が初音に対して「さすが真田の娘よ」みたいなことを言ってましたが、
あのころは真田はまだ武田の1武将にすぎないと思うんですが、
実際のところどうなんでしょう?
/ 気 !
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//´`.ヽ `'-、 : : : : | : :`'ヾ l''": : : : :| : : : :ヽ
543 :
541:2009/05/18(月) 22:55:50 ID:BzSY6xPq
あ、言葉足らずでした。
どうなんでしょってのは、1武将に過ぎない真田の名が織田にまで聞こえてたのかってことです。
信玄の片腕として樋口よりは名高かっただろうよ。
それって長篠前だったっけ
長篠前なら昌幸は他家の養子、兄が真田の家督でそれなりに名前は響いてた
昌幸が真田本家に戻るのは長篠の戦いで兄が死んだから
>>543 歴史に無知なアホの小松が時代背景無視して思いつきで作ったオリジナルキャラ、それが初音
1580年の時点で、真田昌幸は真田家の当主ではなく武藤家に養子に出されたオマケみたいな存在なのに、
その娘が「さすが真田の娘」とか言われて常に側にいる
>>546 原作からいますぜ、初音。つまり原作者は歴史に無知なあh
546も無知さらけだしてるなw
>>547 昌幸は無名でも、その父親の幸隆は、信玄の家臣の中でも有名なほうだろう
>>548 原作の初音は真田の娘じゃないよ。
初音を真田の娘にしたあげく、信長に仕えさせたのは小松女史オリジナル。
初音の姉・妹改変騒動があっただろうが。原作では幸村の姉だったのを
なぜかドラマ化のとき妹にして年齢が合わないとクレームを受けて姉に戻した。
つまり原作でも真田の娘。
>>551=
>>546の恥の上塗り。
なんで誰にでもわかる嘘をつくかね。
551だけど、
ごめん、原作の最初しかきちんと読んでなかったから。
禰津のノノウの巫女さんは、真田昌幸の娘だったんだね。
しかし、昌幸何歳で父親になったんだ...
初音が兼続と同年齢とすると14歳?...
初音について検証なんざ、無駄なことだろ。
「天地人」を地方新聞に連載する以前に、大河招致運動団体と火坂は
NHKの意向に沿うような原作にするべく、NHKに構想の企画書を出している。
そして、NHKの希望の一つが「女をもっと出せ、活躍させろ」だった。
「大河原作作家」に成り上がるべく、作家の魂を売った火坂が
「真田太平記」のお江や、「功名が辻」の原作の小りんとかから
設定をパクったのが、「天地人の初音」なんじゃないの?
所詮その程度の構想で創作された人物なんだろうから、検証する気にもならんな。
この時代の日本に「握手」はあったんですか?
557 :
日曜8時の名無しさん:2009/05/24(日) 21:34:52 ID:pNrftVC9
家康の頭の上に付いてる物が気になるんですが、
あれは何という物で、何のための物ですか?
>>557 松方&家康スレで「コブ」については詳しく話し合われていますので、
そちらを読むのがお薦め。
>>556 目上の者が目下の者の手をとる、という行為はあった
これは目下の者に対する最大限の好意を表す仕草
現在のような意味での握手なる文化はない
560 :
日曜8時の名無しさん:2009/05/24(日) 21:46:25 ID:YgRdfHGN
>>556 この時代に、握手はありませんが、同性愛者同士はしていたかもしれません
>>557 ユダヤ人陰謀説に則って、頭にキッパーを乗っけています
>>556 握手という行動のニュアンスとして、黒田長政が関ヶ原の合戦後に「家康殿は私の手を取って武功を誉めて下さった」と父の黒田官兵衛に報告している。
手をとる、はそういった意味で対等な立場にはない。
あとは男女間で手をとる=これからそういった関係になる、という意味に繋がる。
西洋のシェイクハンドの文化とは別の物ですね。
家康が黒田長政と握手して
如水がカンカンになっていたな。
「お前の右手は家康に握られていたのか」
「はい、父上」
「その時お前の左手は何をしていたのだ!」
「オヤジ、ごめん。股間を握ってました」
ということは、兼続は三成を思いっきし見下してたんですね。
564 :
日曜8時の名無しさん:2009/05/25(月) 13:04:35 ID:MyC2GbU3
>>558 れす、サンクス
コブ隠しだったとは!!
それで、どうやって頭に固定してあるのか?疑問は尽きない(w
昨日の放送の幼い三成というか子供小栗みたいのが映ってた気がしたけどあれは何?
昔の大河『秀吉』の映像です。この時幼年の佐吉を小栗旬が演じていました。
>555
信濃川と阿賀野川の河口が別々になってるんだぜ
阿賀野川はかなり変遷してるけど、
少なくとも新発田藩が享保のころに掘るまでは地図のルートじゃないんだぜ
570 :
日曜8時の名無しさん:2009/05/26(火) 21:09:07 ID:6/z6Id01
次回の予告で赤い鎧の軍勢の戦闘シーンを見た。
時期的に“第一次上田”のシーンに思えるが、この時期に“赤の鎧”ってどっちだろ?
“伊井の赤備え?”
“真田の赤備え?”
“真田の赤備え”は大阪の陣からだよな?
伊井直政って第一次上田合戦参加したっけ?
誰か詳しい人、詳細きぼーん。
本スレで政宗はDQNと言われてますが何故なんですか?
井伊は参加してないから真田なんじゃね?
政宗はフリーダムだからなw
574 :
日曜8時の名無しさん:2009/05/27(水) 00:33:39 ID:us9Igt9A
570
お詫びと訂正
「伊井」→「井伊」
大変、失礼しますた。
>>571 ある研究者は、ヨーロッパとの通商を希望して、遣欧使を派遣するも、
結局頓挫したこととか、政宗の計画性のない行き当たりばったりの行動を
手厳しく批判されてましたけど、そういうところなんでしょうかね?
あと、一揆を主導したのを浅野長政から指摘され、花押に点がないとか
ありとかで、うまく言い逃れして長政の激しい怒りをかい、浅野家から
絶交状をたたきつけられたとか...
大阪の陣で味方を攻撃して、全滅させたとか...
等の逸話がありますけど、他の武将に比べてDQNなのかは、私には
わかりません。
他の戦国武将も多かれ少なかれこんなもんじゃないですか。
本当にDQNならあそこまで勢力拡大できなかっただろうね
まあバカと天才は・・・ってやつかな
この前の放送の感想見てると「ぽん!」ていうのをよく見るんですが、
「ぽん!」ってどのシーンのことを指しているのでしょうか?
兼続の踊っていた、どじょっこほい!は脚本家の創作ですか?
それとも地元に伝わっている伝統芸能ですか?
>>575 回答ありがとうございます
そんなんでDQN呼ばわりか…
>>577 三成が上田衆の発言にズバズバ突っ込みを入れた時に流れた効果音のことかと
>>579 他にも、他人の茶器(名物だったかな?)を本人の前で叩き割ったり、伊達家の家宝の茶器を見ていて手を滑らせてびっくりして
「茶器のくせにこの俺さまをびっくりさせるとかありえねぇし!」
ってイミフな理由で地面に叩き壊したり、DQNじみた逸話が結構ある
あと、国宝級の書物を破いて人と分け話って政宗で良いんだっけ?
他板他スレだが戦国いい話悪い話スレのまとめサイトにでも
誘導したらいけないんだろうか。
DQNで有名になったのはあのスレで逸話がまとめられてからだろうし。
>>581 いけないかどうかなんて知るかよ。
人に聞かないで率先して誘導したらいいじゃん。
可否を尋ねられても困る。
もし空気に合わなければ叩かれるだけのことだよ。
そして政宗がDQN扱いなのはあのスレよりずっと昔から。
そーか。じゃあ貼るのやめとくわ。
うん。やるなよ。
585 :
日曜8時の名無しさん:2009/06/07(日) 20:51:11 ID:P4oiMzD3
真田幸村はいつまで人質なのですか?
真田幸村って今度は大阪の秀吉のところに人質に行くんじゃね?
(上杉から横取りするみたいなふうになるのか)
景勝と兼続が上洛中に幸村は勝手に城を抜け出して秀吉の人質になって
景勝が怒って秀吉に「幸村はうちの人質だ!返せ!」と怒鳴り込むんじゃないのか?
真田の盟主は上杉→豊臣になるので人質として大坂に行く。
589 :
日曜8時の名無しさん:2009/06/15(月) 20:56:48 ID:2FEyCBs3
福島正則が市松と呼ばれているのは何故ですか?
あとこないだ上杉神社に行ってきたんですけど、直江兼続のメインは米沢ですか?それとも新潟ですか?
590 :
日曜8時の名無しさん:2009/06/15(月) 20:58:36 ID:2FEyCBs3
すみません。市松については自己解決しました。。。
591 :
日曜8時の名無しさん:2009/06/16(火) 11:31:55 ID:JLlm8o3g
初心者ですよろしくお願いします
利休の娘が上杉の「おもてなし」役をやってたのは史実ですか?
秀吉への献上品にキラキラ織物が追加されたのは史実ですか?
福島を投げ飛ばしたのは何か講談みたいのでも出典がありますか?
でかい生花がありましたが現代的アレンジとの理解でよろしいですか?
なんかどこから史実でどこからフィクションかさっぱりわからない…っていうか登場人物まで全部フィクションに見えるのですが。なら見ないほうがいいかなと。
591は天地人に限らず時代劇は見ないほうがいいかと。
593 :
日曜8時の名無しさん:2009/06/16(火) 12:00:55 ID:JLlm8o3g
>>592 ご回答ありがとうございます
スレタイに沿った質問のつもりだったんだけどな。
上杉が上洛してるときって新発田重家の乱は、勃発してるのでしょうか?
また、大河で新発田重家が出てこないのはなぜでしょうか?
それともこれから出てくるのでしょうか?
>出て来ないのは何故
制作陣の登場人物選択の結果。
物語の狙いと展開における登場人物選択の結果。
他大河でも家内の内訌や家臣の省略はあるけれど
「天地人」は特にそうで、歴史を描く気など無いので
新発田なんて家臣団にそのかけらも無い。
そういうドラマなんです。まともな期待をしちゃいけない。
>>591 592のことは気にするな。
質問のことだけど、全部天地人の創作ですよ。
だからみんな嘆いている。
もっと史実の材料をうまく使えよと。
ご回答ありがとうございます。たぶんそうだろうなとは思いつつ、もしかして出典のあることも?と思い質問させていただきました。
先ほどの方は別スレでも似たようなレスつけてるので、そういう類の方だと理解しました。
新発田市にとって新発田は英雄なので、
これを負け役にすると面倒だったんだろ
原作読んでないから分からないんだけど初音はいつ死にますか?
まさか最後まで…
はじめから原作と設定が違うから先が読めません
予想だけどお船より長生きするんじゃね?
603 :
日曜8時の名無しさん:2009/06/24(水) 23:13:05 ID:8EivETUA
ものすごく初歩的な質問なのですが、
石高とはなんなのですか?
米の取れる量なのか、領地の広さなのか、良くわかりません。
詳しい方、是非ご教授下さい。
>>602 お船は兼続や景勝が亡くなっても更に生きるが
なんせ初音は信幸の姉ちゃんだからな…。
605 :
日曜8時の名無しさん:2009/06/25(木) 06:18:42 ID:km/KIWTj
>>603 おおよそ当時の人間一人が1年間に食う米の量らしいよ。
せいの! で谷に落とされた眼帯の武士は、そのあと出演していますか?
このあとどうなったの?
>>603 >>605-606の方の説明の通り、お米の取れる量です。
例えば、加賀百万石といいますが、これは前田家が加賀・能登・越中を併せて
およそ百万石の米が収穫できる土地を支配しているということになります。
米の取れ高なので、面積の大小と石高の大小は必ずしも一致しません。
(肥沃な土地で、農業が発達していると自然石高も高いわけです)
609 :
日曜8時の名無しさん:2009/06/28(日) 21:45:23 ID:ojAK2nDd
幟や旗に詳しくないので質問ですが、
雀が二羽描かれてるのが上杉の家紋ですよね。
もうひとつの旗や兼続の陣羽織の背中に描かれたりしてる家紋は直江家の家紋なんでしょうか?
また当時の旗の色はあんなにカラフルに揃えてあったんでしょうか?
戦国時代の旗の色がカラフルだったのは事実。
家紋は、「直江氏 家紋」などでぐぐると大吉。
>>608 詳しくわかりやすいありがとうございました。
では、一人が一年に消費する米の量が1石で、
百万石なら百万人の一年分の米が取れるんですね!すごい!
612 :
日曜8時の名無しさん:2009/06/29(月) 21:31:03 ID:skVsvzAW
尾張は美濃の1/4ぐらいしか面積はないのに、石高は太閤検地によると
尾張57万石、美濃54万石だったりしますね。
近江もほとんど湖ばっかりと思っていたらなんと77万石もあったり。
桶狭間のときの今川家の石高と
信長の石高は大して変わらないという計算も最近出てきた。
今川は駿河、遠江、三河の三国を領有しているから
大国だと勘違いしている。みたいな。
>>604 焼け落ちる大坂城を遠くから眺めて、「戦乱の世もこれで終わる…」とか述べる。
その姿は二十代のまま。
弟が戦死してるけどスルーの方向で。
615 :
日曜8時の名無しさん:2009/06/29(月) 22:48:25 ID:F1Op55KA
今週、出てきた『旭姫』。
功名でもお市の女中か何かで出てきて話題沸騰だったけど、何て呼んでいたっけ???
ピザ???
ポテチ???
駿遠三で7,80万石か
尾張が50万石くらい
石高は土地の広さじゃなく、あくまで生産高に基づく数値だからねえ
人口が多く、農耕に適した地域は狭そうに見えても高くなる
近江なんかは好例だよね
>>615 ピザ(役名がないので、専用スレでは「おピザ」とか呼ばれてたw)
ただし、今回の朝日姫とは演じてる女優さんが違う。今回の女優さんはたしか
「SP」に出てた人じゃなかったかな。
619 :
日曜8時の名無しさん:2009/06/30(火) 08:13:43 ID:Z5KNaLLC
>>618 ご丁寧にありがとうございます。
そうでした、そうでした、『おピザ』『おピザの方』でした。
なんと、天地とは別人だったとは・・・・・・・
功名当時は「信長の棺」も流行っていて、おピザもいろんなトンネルを塞いだって伝説になってましたね。
620 :
日曜8時の名無しさん:2009/06/30(火) 14:31:24 ID:cyoVb3VU
質問です
天地人は、直江兼続が登場する既存の作品(小説や漫画など)の中で
最低最悪の作品だと思います
(次点は義風堂々)
主人公の直江兼続はもとより、登場する実在人物をあまりにも辱めていると思います
こういう意見をNHKに真摯に受け取って貰う為には、どのような方法で意見するのが良いのでしょうか?
>>620 ていねいな手紙を出すのが一番かと。
メールよりは手紙の方が効きそう。
>>620 私も手紙がいいと思います。
妻夫木のファンブログ主が抗議の手紙を送って返事をもらったそうです。
>589
米沢です
本当に兼続の弟の小国実頼は、秀吉から官位を貰ったんですか?
実頼が秀吉から官位等を授かったことを兼続に咎められていましたが
実際に実頼クラスの立場で関白の申し出を断ることは出来たのでしょうか?
その後、兼続に同じ話が来たときに「了見違い」「情けない」などと
かなり失礼と思われる返答で官位を退けていましたが、あれもアリなんでしょうか?
弟の対応の方がまともに見えたのですが…
秀吉から景勝に話を通さずに直接景勝の家臣に恩賞やったり
官位やったりするのは無礼ですよ。
景勝の頭を飛び越して無断で受けるのは景勝の立場を無視している、
景勝から独立するつもりであると受け取られても仕方ない。
丁重に辞退して景勝に話を通してもらってから改めて受けるのが正しいだろうな。
それで辞退したことに秀吉が不快に思ったとしても、
景勝の家臣でいるつもりであれば仕方がない。
>625
お応えと情報をありがとうございます。
しかし、そのwikiって、どこまで信憑性があるのでしょうか?
質問してから、一応、実頼が城主となった城があった、新潟県新潟市からのネット情報を調べたところ、天正15に秀吉に謁見してはいますが、官位を貰ったという記述がありませんでした。
出身地の同県上越市公式本で確認しても、秀吉公から官位を貰ったのは、景勝と兼続だけでした。
ちなみに新発田討伐で活躍したとの記述も、特になく、
逆に他の上杉家家臣二人に、活躍を表して「秀吉姓」を与えていました(+兼続)。
お応えして貰って大変申し訳ないのですが、
そのwikiって、一般の人が、勝手に書き込めるものだとしたら、書き込んだ人が間違う場合もあるとも思うのですが…
そのあたり、どうなのでしょうか?
せっかく応えてくれたのに、すみません(汗;)
直江山城守ですが山城(京)と何か関係あって授かったのでしょうか。
全然関係ないですか?
wikiの内容は、とても玉石混交。
歴史好きで自分で何年も調べたり、研究している人には
「ああ、コレは与太説」とか「この出典の文献は信憑性が薄いから
確実な記述では無いかも」と、知識とカンで選択しながら読めるけれど
歴史初心者が鵜呑みにするには少々危うい点がある。
歴史人物の中には、小説や漫画の創作逸話が書き込まれているのもあり。
またどの文献史料が元かわからないような「あいまいさ」もあり、
又は書き込も主の単なる「私論」が展開されてることもある。
2ちゃんの史板などで書き込まれてた情報がそのまんま書かれている事も。
かといって全部がそういう「信用できないような記述」なのでも無く、
ごく自然は通説や確実な情報を得られる場合もある。
その人物や事件の概要を知るのには「役立つ」こともしばしば。
?と思ったら、言葉を頼りに検索して色んなHPやサイトを発掘したり
図書館に行って興味のある点を調べてみたりする、
「手がかり」の一つとでも考えれば、有意義に活用できると思う。
>>629 そもそも秀吉に会う前から兼続は山城守を名乗っていたと思うが。
当時の武士の官位は割と好き勝手に名乗ってるんで、
勝手に名乗ってた通称を朝廷が正式に追認したという方が正しい。
国守クラスだとちゃんと許可貰って名乗ってる事も多いけどな。
ちなみに上杉家では上条政繁も山城守を名乗ってる。
兼続=与六 実頼=与七 そのまた下の弟=与八 というのだから、一〜五もいたんだろうか?
>>627 ご返答ありがとうございました。
位の高い相手には絶対服従というわけではないんですね
樋口家は与六が長男。
一説には与六が生まれた時、景勝の父政景が樋口家嫡男の誕生を祝って自分の名「新六郎」から
「六」の字をくれたから、与六、以後は六からスタート、らしい。
ちなみに政景も六男と言う訳ではなく長尾家は代々嫡男は六郎を名乗っている。
景勝は次男だったから喜平次。三男(もしくは四男)の謙信は平三。
>630
ご返答ありがとうございました。
あれから公的なものを含めて勉強したところ、
〔史実〕
弟の小国実頼は官位を貰っていない。
貰った人は景勝と兼続主従だけ。
理由も、新発田の乱(内乱)の平定の功績の為。
豊臣姓を貰ったのは、兼続と他家臣二人の計三名。豊臣家に取り込み、政権を確固たるものにする秀吉の知恵だと思われる。
上杉家は豊臣家下での関東及び、日本平定が目的。
平定は、謙信公以来の悲願で、上杉家は天下を取る野心は無い家柄なので、史実の兼続は文句など言わなかったはず、等々。
※「直江兼続 米沢」で検索すると、米沢市上杉記念館などの史料案内が、たくさん見れて真実の歴史が分かります。
(しかし、公共放送が、官位を受けた人の歴史の捏造を、してもよいのでしょうか?)
以上、今のところですが分かりました。
今後も勉強して行くつもりです。
本当にありがとうございましたm(__)m
636 :
日曜8時の名無しさん:2009/07/07(火) 21:06:07 ID:dqWU77Jp
>>631 まあ、だいだい位階なしで「〜守」とか名乗ってるのは私称だよね。
正式に朝廷からもらった官職の場合は従五位下などの位階付きだから。
634〉ありがとうございました。
与六が長男ということは、いろいろなところに載っていたのですが、一〜五、死んじゃったのか?女だったのか??といろいろ考えてしまいまして… そういうことなんですねぇ。
>>630 「御家中諸士略系譜」には実頼は天正15年に上洛し、諸大夫(五位)に任じられたと書かれてあるそうです。
ただあくまでも家伝で、兼続らのように一次史料が残されているわけではないので。
当時の三成らの書状でも、実頼のことは「直江舎弟」としか呼んでいません。
まあ説として、研究者の片桐昭彦氏も『直江兼続』の実頼のところに「略系譜」を引用されて書かれてましたが。
但馬守については、小国家を継承した時から名乗ったはず(正式な任官ではない)。
>638
ご丁寧にありがとうございます。
もし嘘だったら、歴史捏造でNHKに抗議してやろうと思ってました(苦笑)
勉強しなきゃ見れない大河ドラマなんて、悪夢のようですが、今後とも勉強して行きます。
それにしても、ここの皆さん知識すごい(・_・;)
それでは、失礼します
この板に実頼=小泉Jrのスレッドが無いのは圧力がかかっているということでしょうか?
語るだけのネタが無いだけ
圧力なわけない
嘘だと思ったら自分でスレ立てたらいい
せっかく伊達政宗が登場したのですが、
いつ頃 兼続が、慶長?大判を見せ回す政宗に向かって、
それを扇子で受け取り
「我が右手は謙信公以来、軍揮を取る為に使うもの。このような不浄の物を取る為にあるのではない!」
と言って、扇子で大判を投げ返し、政宗を激怒させる場面は、いつ頃出て来るのでしょうか?
とても楽しみにしてるのですが…
643 :
日曜8時の名無しさん:2009/07/13(月) 21:57:39 ID:D0eHLtby
>>642 その慶長?大判って、
佐渡の金山から採った金じゃないの?
伊達領には金山があって、上杉には遠く及ばないものの一応全国二位の金供出国なんで…。
ちなみに佐渡金山は江戸時代に入ってからが最盛期になるんで
佐渡と越後の金山では越後の金山の方が金の産出量多いです。
なるほど
天地人の登場人物で、大男は兼続(180以上)と秀頼(190以上)だけ?
前田利家もでかかったはず。
648 :
日曜8時の名無しさん:2009/07/25(土) 23:06:30 ID:qr16QlG2
結局小田原城は兵糧が尽きて落ちたのですか?
北条方が
「敵が大軍なら、それだけ(敵の)兵糧はすぐなくなる」とか
「小田原城は難攻不落」とか豪語していたわりに
あっけなかったので、原因が良くわかりませんでした。
649 :
日曜8時の名無しさん:2009/07/25(土) 23:31:36 ID:8S1PzANE
有名な小田原評定があれだけかよ、だな。
>>648 内応者がいることを秀吉方に言いふらされたり一夜城を作られたりと精神的に攻められて
援軍を頼りにする籠城戦なのに伊達や徳川といった援軍もこないとわかったから
何年籠城しても無駄と悟り開城したんだよ
天地人じゃかけらもわからんな
651 :
日曜8時の名無しさん:2009/07/26(日) 00:11:51 ID:xQkNR+/i
やけに素直というか北条も五代目になると今の世襲代議士と同じということか。
これは後の徳川慶喜にも同じことがいえるんだろうな。
>>646 大野もデカくて秀頼の父と公家日記に書かれてたそうな
>>650 648です。そう言われてみれば、
氏政が自信満々だったのは戦の初期の頃でしたね。
おかげさまでスッキリしました。
菊姫が自刃未遂シーンで付けてた髪留め、ビニールかプラスチックみたいに
ツヤテカってたけど・・・ あれは漆細工か、椿油でも付けたの?
利休が謹慎してる部屋の前の廊下にあった椿の花の意味は?
>>655 椿の花は散るとき、花びらが散るのではなく
ポトンと花が地面に落ちます。
その様が首が落ちるのに似ているということで
武士にとっては縁起の悪い花だったそうです。
おそらく椿は利休の死を暗示しているのかもしれません。
>>654 よく見ると和紙のようなものに銀箔をちりばめたかみどめだよ。
たしかに艶テカって見えるね。
切腹の介錯について教えてください。
利休切腹場面で、介錯役は後ろにしゃがみ、心臓を背後から刀で突くような姿勢をとっていましたよね。
その後利休が前に倒れる時、首と胴体が繋がっていたので、
介錯は首を切るのではなく心臓を背中から突いたんでしょうか?
そもそも介錯って苦しくないように首を切って(でも切り落としてはいけない)
即死させるのだと思っていたのですが、
心臓突いたら即死できなくてかえって苦しくないでしょうか?
実際にもし首を切るだけの技量を持ってない人が介錯する場合は、
心臓をつくのもありなんですか??
660 :
日曜8時の名無しさん:2009/08/02(日) 22:14:44 ID:5j25tTWU
歴史的な質問ではないんですが、放送前「かねつぐは愛の人」って言われてましたよね
自分で調べてみたら「愛染明王」の「愛」らしいんですが、NHKの間違いなんでしょうか?
それとも私が間違った資料を読んでしまったんでしょうか?
NHKの捏造です。
愛宕様か愛染明王が定説。
>>661 愛染明王か愛宕大権現だという説が有力だけど、
僅かながらも民愛・仁愛の愛だという説があるからNHKは敢えて民愛説を取り入れて脚色してる。
その方が視聴者の加熱具に対するイメージも必然的に良くなるからね。
でも、あの時代では今で言う「愛」の概念が無かった。なので軍神説が一般的。
あなたは間違ってないよ。
一応大河ドラマもフィクション含んでるからね。。
>>661 NHKがあえて現在にも通じる「愛」を押し出してるのは、
制作発表の頃からもうそうコメントを出してることだよ。
なので、ハナっからそういう姿勢のドラマと思ってればいいんだ。
原作者が巻末で詳しく解説してるよ。
なぜ仁愛などの愛という解釈にしたか。
今で言う恋愛の意味での愛はなかったけど物事をいつくしむって意味なら
普通に使ってたようだし。大きな古語辞典なんかだと用例がのってる。
天地人って誰?
天地人は特定の人物をしめす言葉じゃないよ。
天下人はわかるんですが、、、
天地人は景勝のことになるのかな?
お前は一個前のレスが読めないのか
前回(世継ぎの運命)伏見城に五大老五奉行兼続が集まったシーンについて質問です
毛利元就が家康と共に三成に嫌味を言ってましたが、関ヶ原では西軍につきますよね?
あのシーンよく分からなかったので教えてください。
それとあの場に兼続は身分的に明らかに場違いだと思うんですが…
毛利元就?
672 :
670:2009/08/12(水) 09:14:12 ID:Ldj+p+7q
>>671 中尾さんは毛利輝元役でしたね
670の件も自己解決
お騒がせしました…
五大老のなのに6人いるのはなぜですか?
北斗七星に8つ星が見えるのと一緒です
>>673 史実では上杉景勝は小早川隆景の死去後に五大老に就任
この作品では兼続が五大老の「原型」を提案したことになってるが、史実ではない
史実ではないにしても
五大老に6人もいたら視聴者は?マークだろう
史実では1595年に六人が連署してる。直江の提案はドラマの創作としても
六大老だったことは史実通り。なぜか小早川死後に景勝が大老になったと勘違
いしてる人が多い。
当時、別に五大老という言葉が使われたわけではなく、秀吉死後に「五人の年
寄」などといわれたから便宜上五大老という用語ができただけ。秀吉の直前ま
では五人がそろって連署することもほとんどないし。宇喜多は見習い的な存在
で、秀吉の遺言でも「五大老にもなり、五奉行にも加わり、調整役を務めよ」
という特殊な存在。もっともこれは若年だからで、手腕を買ったわけではない。
大老というのも当時使われず、五大老が「奉行」と呼ばれている史料もある。
つまりある状態を表すための言葉が一人歩きして
逆にその言葉通りの状態に実情を当てはめる解釈に陥ったわけか
天地人での政宗は兜を一度も被ってないよな
一番楽しみにしてるんだが…
それとも主人公の兜がカッコ悪くて恥ずかしいから政宗のは出せないのか?w
最初に出たとき兜つけていたが。
小早川秀秋が上杉主従を呼び捨てにしていますがコレって正しいのでしょうか?
いくら秀吉の養子だった過去があるからといってなんか違和感を感じるんですけど
関が原の布石として単に馬鹿キャラ属性を付与させたいからなんでしょうか
誰か教えて下さい
小早川家は上杉より先に大老になってるからだろ
謙信の遺体はいつ越後から米沢に移したの?
テレビだとまだ新潟にあるぽかったけど。
明治初期
隆景はともかく秀秋は大老にはなってないが。
小早川家と書いてるんだが
家は関係ないだろ。
688 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/20(日) 23:04:37 ID:/6qtZUTO
人いなさすぎでageとくね。
で、質問です。
最後の加熱具しんがりの場面。対する最上勢ですが、
先頭の騎馬武者、前立てが最上義光のそれっぽく見えたのですが、
あれは最上義光でしょうか?見てた人plz
直接そうだと触れてはいないが
番組後の紀行で三つ鍬形の兜を映してたし
仄めかしてはいるのかもね
>>658 > 心臓突いたら即死できなくてかえって苦しくないでしょうか?
心臓を刺せば失血死する前に気絶する、と思われていたのかも。
> 心臓をつくのもありなんですか??
幕末の志士・武市瑞山は切腹後前のめりに倒れたため、介錯人は斬首せずに
心臓を刺したという話がある。
なお、「介錯人が首を斬る」という作法が成立したのは江戸中期以降。
また、大河を含む時代劇の切腹シーンは間違いだらけという指摘も多い。
691 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/21(月) 15:25:02 ID:yPoU2vsW
アダムス(三浦按針)によって主導された家康の造船は80トン→120トンと技術ノウハウの蓄積により巨大化していった。
その造船工たちを派遣して政宗に作らせただけ。まさか政宗が摩訶不思議な能力でいきなり遠洋航海用500トン級の造船ができたとでも?
ほんと伊達厨はアホ。 しかも家康が散々に冷遇してやって日本嫌いになっていたスペインのビスカイノの帰国で航海に連れていく破目になるから
家康には失敗するのが目に見いていた。
家康が船手奉行の向井将監や公儀大工与十郎などの技術者を仙台藩に派遣させ政宗に大金(造船工800人、鍛冶工700人、大工3000人)を使わせてサンフアンパウティスタを強制的に造らせたり、
しかも政宗は江戸の空堀を掘らされ橋の改修までさせられ20万両以上の出費をさせられた(仙台藩の歳入3年分以上)
幕府を恐れた政宗は家康死後に日光東照宮の陽明門下の南蛮鉄灯篭は政宗がポルトガルから鉄を運び込んで造らせたものだし
政宗は秀宗に対して、貸した三万両を是が非でも返せと督促してるし。
借財の返済をしつこく迫り、政宗の収入源に追い込むことに成功。
のちにこれが宇和島藩の御家騒動に発展し改易問題になるなど
政宗の放蕩三昧で、すでに仙台藩は破綻状態だったとの指摘もある。
それに宇和島での親子対決で政宗は幕府に介入される前に自分から改易を願い出るくらいムチャクチャ幕府に恐怖してるし。
能などの舞台にあがって観衆に金バラまきまくって基地外のように暴れたりしてんだろ。
参勤交代が制度化される前からやたら江戸にやってきては派手な生活送ってたし、諸大名に対してやたら競おうとして見栄を張りまくり、
超デブになるほど珍しい食べ物を遠方から取り寄せて…そういや片倉を糖尿病で殺したね。
だいたい仙台青葉に当初計画で江戸以上のデカい縄張りを計画するなど悪趣味過ぎる。
仙台藩は上記の状況なのを考えないで湯水のごとく金を使う政宗の節約しない放蕩生活のせいで破綻したんだよ。
だから死後に財政破綻し滅亡同然の仙台藩は幕府に借金したわけ。
残念ながら政宗が領内を大開発し石高が上がり豊かになったとか完全に大ウソだから。
放蕩三昧生活を繰り返し、政宗死の翌年に仙台藩は財政破綻→成実が幕府官僚に土下座して銀五千貫の大借金をするハメに。
くだらん嗜好で騎馬鉄砲隊なんて役にたたない無駄装備や、
見栄を張り背丈に合わない事に近江穴太衆を高い金を出して呼び寄せて青葉城を中途半端に石垣にしたりと
幕府から使役されてる実情を鑑みない…確実に算学や財政を理解できない政宗のくだらんハッタリ趣味の浪費なわけだが。
高田城を見ると伊達に石垣を築く能力は無いね。 政宗は、越後高田城の普請のほぼ全てをやらされたりと幕府からイジメ抜かれたよね。
仙台は近江の穴太衆に作ってもらったが、田舎くせぇ尾根がくっついてる中世山城なんて古臭い城を造ったし政宗は低脳過ぎ。
弧山に平山城を作るなり、平城を造ってる時代に山猿政宗は50年遅れており、時代のトレンドから外れまくってる。
幕府の政宗フルボッコ政策での江戸城普請、神田川掘削、日光東照宮の改築はまさに真綿でゆっくり確実に政宗の首をしめていた。
さらに対伊達恫喝要員の相馬や新庄に移封してきた戸沢は幕府に保護されて強大化してくるし、
政宗が土下座して必死に百万石の約束を頼んでいた本多正純は最上改易に利用されて失脚。山形には鳥居がやってきて伊達包囲も完成。
政宗死後も、さらに伊達空堀の水堀化工事や大船が通過できるように拡張工事、
日光東照宮の改修で仙台は財政破綻状態にさせられ続け、ついには伊達騒動を引き起こし、幕府に介入監視され実質滅亡状態を維持させられ続ける。
ついには仙台藩は藩祖政宗時代からの慣例だった参勤交代コースを変更し、足利氏の領地を迂回する経費削減までやったからな…
政宗死後も搾取されまくって、特に伊達堀の水堀化工事負担は酷いもんで、綱吉時代だったかに仙台藩は膨大な借財のためについに版籍奉還したいって幕府に言い出したよな。
102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/19(土) 12:21:14
破綻してる仙台を省みず舞台にあがって金をバラまくとか
どんどん派手で奇矯な振る舞いをするようになり、基地害化が激しくなるのは政宗がすでに秀吉や家康や幕府に精神的に追い詰められて鬱から精神の破綻に堕ちたとする話もあるね。
秀吉への答弁などもマトモな人間の返答ではなく、秀吉も政宗がマトモな精神状態じゃないから許してやったらしい。
仙台藩百姓とやれ。
693 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/21(月) 18:39:00 ID:fOwcZ1q4
>>691 直江兼続は本多正信を通じて、家康から10万石の役儀負担を免除されてたのに
政宗や片倉らは無能揃いだな。
やはり直江状で家康にケンカ売ったり、会津征伐で家康に滅亡覚悟で決戦挑んだりと武士のメンツを守り意気を吐いた上杉と
東西内通し卑怯な振る舞いや盗賊紛いの繰り返しの土下座王政宗…
いざと言う時に前者は頼りがいがある信義の大名と評価され
後者は嘲りと白眼視の対象とされたと。
神君家康の眼力はさすがと言う他ない
694 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/21(月) 19:23:00 ID:rd2jVuBs
>>681 端的に言って、当時に限らず戦前まで、日本で人の名前を呼び捨てどころか
直接氏名を呼ぶことさえありませんでした。
今でもたとえば「社長」「主任」などとは言っても「太郎は」「由紀夫は」なんて
公に口にする役人は存在しないように、「秀吉」「家康」などと口にする人間は
当時存在しなかったと言ってもいいくらいです。
もともと人の本名を口にできるのは、親・主君・師匠だけと言われていて、
本名は神社などに奉納する書類に書く時しか使わないとまで言われています。
だから当時は知人でも、本名を何と呼ぶか知らないのが普通でした。いまも
武将の本名について、漢字は残っていても何と読むかが本によってまちまちに
なっていたりするのは、読みの根拠がどこにも残っていないからです。女性の
名前がほとんど残っていないように、男の名前も実は知られていないのです。
ですから男の呼び方は基本的に「中納言殿」「右府様」などのように官職名です。
中間管理職クラスならたとえば田中兵部なら「田兵」、石田治部なら「石治」のように
軽く呼び合うことはあっても、間違っても「三成」「兼続」などと呼ぶことはありません。
高島俊男流に言えば、そんな呼び方をするのはその相手に捕えられ、首をはねられる
直前にあらん限りの罵倒をその相手に浴びせたくて最低の呼び方をしたい、
そんな時だけです。
ドラマはまあそういう程度のものだと思ってください。かつては大河でも
官職名で呼び合うものも存在していました。天地人は言わずもがなです。
695 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/21(月) 19:33:05 ID:rd2jVuBs
ちなみに江戸時代などではたがいに気軽に呼び合うためにもう一つの
名前がありました。たとえば西郷南洲は、ひとに呼ばせるための
「キチノスケ」という通り名がありました。この通り名は漢字は
どう当ててもよい発音だけの名前で、そのため伊藤シュンスケとか
沖田ソウジなんかは色んな漢字で手紙を書いたり書かれたりしています。
いっぽう本名は漢字は間違ってはいませんが、普段使わないので呼び方が
分かりません。西郷兄弟は本名は「隆永」「隆道」だったのに、誰にも
知られていなかったので「隆盛・従道」なんていうありもしない名前で
記録されてしまいました。岩倉具視が死んだ時、イギリスの新聞に本名を
問われた外務省の役人は誰も「具視」の読み方を知らなかったそうです。
榎本武揚が「タケアキ」と読めるのは、海外との条約にアルファベットで
発音を残してくれたおかげでした。
どうしても本名を呼ばねばならない時は、礼儀として音読みで読みます。
「義経記」「信長公記」は「ギケイ記」「シンチョウ公記」ですし、徳川慶喜は
明治になって家族から呼ばせる時も「ケイキ様」と言わせていたそうです。
知っていると思うが、通り名は江戸時代からではないがな。
江戸時代ものの時代劇だと登場人物はみんな通り名で通用してるんだから、
戦国時代のドラマでもやれないことないはずなのにねえ。
「黄金の日日」は三成は徹底して「治部殿」だったね。
以前「太平記」で足利直義の通り名という幼名が分からないんで、
尊氏は通り名、直義は「直義」と呼んで「かえってヘンだ」と突っ込まれて
いたことがあったw
いまはマンガなんかの方がその辺を徹底できてる。
ドラマはどうしても音声で聞かせないといけないから、「タイゼンノダユウ」
「ダンジョウノショウヒツ」なんて言っても分かってもらえるように
前説の漢字熟語解説ととテロップの嵐で慣らしていく必要があるんだろうな。
自分は歴史そのものも好きで、楽しむための時代小説やドラマも好きだ。
で、映像内のいみな呼びは、もう半ばしかたのないことだと思っている。
呼称よりもっと先にきちんと描いて欲しい事が山のようにあるからだ。
大きな歴史のうねり感や、人物の造形や人間としての苦悩、
感情の動きを掘り下げて、まともな「ドラマ」を創造して欲しい。
事件を、通説を忠実になぞって再現しろとはいわないので
もし創作を加えるのだとしたら、ドラマ内の経過として納得できる経過や
事件を起こした人物の心情が無理なく心に届く創作をして欲しい。
自分は呼称よりまず、ドラマ内の物語をマトモに作れと言いたい派かな。
>>695 大河と関係ないけど、政治家とか作家とかも名前を音読みにすることで
敬している姿勢を現すことがあったね。
原敬とか伊藤博文なんかも原ケイ、伊藤ハクブンなんて呼ぶことがあるし、
菊池カン、横溝セイシ、松本セイチョウなんかも本名を音読みしてる。
これをヒロシさん、キヨハルさんなどと呼びかけたら著しく礼を失した
ことになって相手に不愉快な思いをさせることになるんだろう。
>>690 質問者です。回答ありがとうございました。
介錯とは、首を切り落とさず皮一枚残すのが作法だと思ってました。
勉強になります。
>>699 横溝正史のエッセイを以前読みましたが、本名の「マサシ」は地元和歌山の英雄楠正成からいただいたとか。
後に作家先輩から「ヨコセイ」というあだ名を付けられ、
この人は「セイシ」と誤読してるな、でもちょうどいいからそれをペンネームにしよう、
という感じだったみたい。
誤読した先輩作家は当然音読みだろうと思って読んだんでしょうかね。
>683
ドラマではおもいっきり移動シーン省いてたよね。
実際には、
越後→金津→米沢
と、移動の度に共に遺骸を運んでいます。
上杉家の精神的支えなんで。
(福島県金津に、謙信の仮遺骸安置所だった場所が残ってます)
>661
原作者の火坂氏が、取材途中で「愛」の文字の軍旗を見付けたらしいね。
上杉家所蔵の物だったらしいね。長野か何処の美術館所蔵らしい。
漢語かなんかの専門家に聞いたら、仁=愛、らしいよ。
荷戸部稲造の著者『武士道』では、1義,2仁 の精神が武士道だと書いてるらしい。
上杉家はお寺の幼少教育で、仏教(曹洞宗)と共に「論語」(儒教・江戸期の武士の心得)の両方を教えていたらしい。
ちなみに上杉の「最上との戦い」で、兼続が実際に被っていた梵語(インド語)の文字入り兜(米沢市所蔵)の意味も"愛"(梵語読みは"アン")だそうです。
愛民ていう事ではないのでしょうか。
実際、地元の米沢の人達が感じている事が一番良いように思えます。上杉と共に歩んで来たのだから。
>668
「天地人」ていう言葉は、謙信が生前、
「天の時、地の利、人の和が揃った大将が居れば、争いは起こらないし、弓矢さえもいらない。しかし、古今東西、今昔、そんな大将いたことないし、将来にも現れないだろう」と、非常にネガティブ発言してたそうです。
その発言から火坂氏は、
「天の時、地の利、人の和が揃ったら、物事は整う」という風に切り替え受け止めたそうです。
それで「天地人」と。
で、結局だれなん?
だから特定の人物を示す用語ではないといい加減わかれ
だったら紛らわしいタイトルつけるなよ
707 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/30(水) 08:09:23 ID:RqUzMAxN
米沢限定の愛?
708 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/30(水) 09:54:05 ID:RqUzMAxN
新渡戸稲造?はキルスト教。
キリスト教か「隣人愛」「汝の敵を愛せよ。」
愛の世界観が根本的に違うと思います。
火坂氏は知識のこじつけに思える。
709 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/30(水) 10:37:56 ID:RqUzMAxN
検地に反対して兵を挙げた国人領主の火破り。
佐渡侵攻。
八王子城の妻子の護送、晒し首。
すばらしい愛だ!
710 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/30(水) 12:03:27 ID:GfcLFS8P
概出ならすいません。オープニングの兼継立つ断崖絶壁の場所へは行くことが出来るのでしょうか?場所教えてほしいのですが?ひょっとしたらCG?宜しくお願いします。
713 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/30(水) 20:04:36 ID:GfcLFS8P
崖知りてぇ〜!たのんます。
714 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/30(水) 20:56:19 ID:Ham1Fens
715 :
日曜8時の名無しさん:2009/09/30(水) 21:48:39 ID:GfcLFS8P
八海山ですか。有難うございました。
>>714 これが越後を離れる直前に、ちょっと行ってくるわ
的な感覚で登った山だったんだね。
なんだ天地人って妻夫木のことか
しつこいな、こいつはw
720 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/02(金) 20:48:41 ID:DTifnG/t
妻夫木さんはウオ−タ−ボ−イズだよ。
じゃ謙信公か
722 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/02(金) 23:03:10 ID:ENQZ1O2/
去年は大河にちなんで葵ちゃんという赤ちゃんの名前が多かったそうだけど
今年大河にちなんだ名付け考える人いるかな?
与六、喜平次、愛、義、龍
724 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/03(土) 22:24:49 ID:jG1w/iqy
なんか一字あやかるぐらいならいるかもしれないですね。
清史郎はあるかもよ
謙信 じゅけいに
随分前の回ですが、利休の娘が兼続に茶を点てているシーンがありました。
外は雪が降っているのに、炉ではなく、風炉で点てているのが不思議だったのですが、
越後では、雪が降っても暦が10月以前なら、お点前は夏のお作法なのですか?
しらんがな
>>727 あの部屋は茶室ではなく普通の居間のようでしたので
炉を切っていなかったため、仕方なく風炉を用いたのではないのでしょうか
(今でも、炉のないところでお手前をするときは冬でも風炉を使います)
あと、お手前によって冬でも風炉を使う決まりのものはありますし
曖昧な記憶なのですが、利休によって茶道が確立される前は
四季を通して風炉を使っていたと聞いたような記憶があります
ですので、あのシーンは間違いとは言い切れないのではないでしょうか
茶の湯は利休登場以前と以後ではだいぶ趣きが違いますよね。
729さんの解説がとてもわかり易いです。勉強のなります。
が、しかし正直言って大河スタッフはあの当時の茶事のことなど
何も考えてはいないのではないかな・・・と思います。
(792さんのレスがどうのこうのと言うのでは決してありませんが)
お涼については、景勝主従が到着する屋敷の玄関式台(かな?)に
豪奢の立花をいけて待っていた場面がありましたよね。
あの時代に大きな立花をいけるのは男性のすることだと思うし、
それに利休の娘が、もの寂びた茶花ではなく、
「太平記」でバサラ大名の道誉がいけたような派手派手な花を選ぶのか。
当時の体術は戦場での組み打ちに利用するものや、相撲であるのに
近代の柔道もどきに福島正則をびゅーんと投げ飛ばしてみたり。
もう間違いとか間違いじゃないのを越えて、
大河スタッフは「これ、面白そうじゃん」で、何も考えないで
脚色・演出をしているとしか思えないんですよね。
死に行く場面とはいえ、越後の三月に彼岸花を咲かせてるような人たちですもん。
諱についての質問なんですけど
家康殿といった呼び方はありえないことで、内府殿が正しいわけですよね
兼続ではなく山城、三成ではなく治部少輔
では、これは敵であってもそれに則るのでしょうか?
例えば上田衆や西軍が「おのれ家康!」と諱呼びすることも当時はありえないことなんでしょうか?
音声の記録がないのでわからないが、ありえないとはいえない。
ただし今でも敵企業の社長や幹部を下の名前で呼ぶのは卑しい響きがあるので、
当時もあまりなされなかったのではないかと思う。
733 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/12(月) 11:38:32 ID:dq8yCwRo
兼継も弟も他家を継いだわけだが、結局樋口家は誰が継いだの?
兼継の長男にそっちを継がせる手もあったんじゃないかと。
樋口惣右衛門には息子は「三人」いました。
与六兼続、与七実頼、与八秀兼であり、上二人は他家に養子に入り
樋口家は三男が継ぎました。
末の弟は上二人から20歳ほど年が離れていて、
関ケ原の後数年経って惣右衛門が亡くなり樋口家の家督を継いだはずですが
天地人は出すの面倒だったみたいですね。
735 :
733:2009/10/12(月) 12:08:26 ID:dq8yCwRo
736 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/15(木) 04:33:53 ID:oCC+7dIH
戦国は養子流行り時代か
景勝 景虎 も養子だろ
この時代は姻戚関係が分からん
子沢山大名も居ただろうし
直江兼続って秀吉から米沢6万石もらってたのに、
関ヶ原で負けて米沢入りしたときに
「田舎だぁ〜田舎だぁ〜」って家臣と言い合ってたのはなぜ?
もともと自分の領地だったところですよね?
>>736 養子とひとくちに言ってもいろいろある。
謙信の場合、妻妾がいなかったため、子どももおらず、そうなると養子を
迎えなきゃならない。鶴松、秀頼が産まれる前の秀吉も子どもがいなく、そこは同じ。
ただ、どこから養子を迎えるかという話になると、単純に血縁関係というだけで
なく、主筋(秀吉の場合、信長の四男を養子に迎えている)から養子を貰い
御家の安泰を図る、政略の結果養子を貰う(作中でタイムリーなものならば、
直江兼続が本多正信の息子を迎えるケース)など、政治的な匂いがでてくる場合も多い。
また、他の家(たとえば地方の有力豪族)自分の息子を養子として送り込む
ことで、その家を傘下におさめて勢力拡大を図るというケースもある。例えば、
景虎の実父・北条氏康も、息子の氏照、氏邦を武蔵国の領主の養子に送りこんでいるし、
毛利元就も、息子の元春、隆景をそれぞれ吉川、小早川家に送り込んで勢力拡大を
図っている。自分の息子でなくても、重臣の家に自分の腹心を送り込んで、大名の
支持基盤を固める(まさに「直江」兼続がこれ)という例もある。
大雑把に言うと、この時代の養子事情はこんな感じかな。
740 :
日曜8時の名無しさん:2009/10/27(火) 19:59:04 ID:6JNFEfKc
会津の間違いだろうな
742 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/01(日) 22:44:59 ID:BGMWNvti
本多政重って、西軍の大名に仕えたりって
要するに、スパイだったってことじゃないの?
違うよ。徳川にも嫌われている。
徳川秀忠の乳母の子を斬殺してるし。
744 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/03(火) 12:16:35 ID:47VePCb2
>>743 そりゃ、西軍側に信用させるために、そんな噂をでっち上げるくらい簡単だし。
なぁに、乳母の子くらい、実際に殺したってかまうことない。(徳川のためじゃ、観念せい!)
てことで、政重スパイは確定的
スパイを家老の跡継ぎにした上杉は、完全敗北・服従のしるし。
もうこの段階では中程度の大きさの外様である上杉なんぞより
徳川内部での本多vs大久保の抗争とかの方が重要になってきてるんじゃね
政重は一度たりとも徳川のためになるようなことしたことないんだけどな。
流石に父親の正信は息子を気にして世話していたが
面倒臭い三河武士をなめたらいかん。
747 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/03(火) 17:37:13 ID:DMwUtGgI
748 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/15(日) 23:03:03 ID:ep/iEKEE
今年は、何でこんな小物を主人公にしたのかな?
はっきり言って、こいつなんかより、
石田三成を主人公にしたほうが、よっぽど面白くなったはずだ。
そういう質問はNHKにして下さい。
750 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/16(月) 00:04:41 ID:CciRJ8Ep
今年の大河は最悪だったな。
751 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/16(月) 00:22:16 ID:sh9Uws4r
何でもかんでも上杉と直江を中心に話を回そうとするから話に無理が出てくる。
しかも天下泰平を大義名分にするから余計に胡散臭さが漂う。
関ヶ原で三成が勝っても天下が乱れるだけだろ。
今日久々に見た。
加熱具が、家康に義は義だ義に背くって責めてのに、自分が家康側についたことについては
「秀忠がいるから」の一言で済ませてたよね。
あれってありなの?
昨日の放送の最後近くで、家康が豊臣を滅ぼすと知って
「太閤さま、申し訳ない」と崩れていたのは誰?
加藤か福島だと思ったんだけど。
754 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/16(月) 00:31:35 ID:E3McT/qN
家康の超イチャモンいかがり大坂の陣へ参戦と上杉の義がどう両立するかわかりません。
756 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/17(火) 14:49:03 ID:k1TJoZFe
>>754 豊臣であれ徳川であれ、いったん、強者に屈服した上は、
不条理な命令にも服従して、自己の生き残りを図るのが、上杉の義です。
その程度のもんです。
757 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/17(火) 15:29:27 ID:cH99pMsQ
>>756 屈服もなにも幕府に従うのだから大義名分がたつでしょう。
謙信は国内外危険な状況にかかわらず、足利将軍家の求めに応じる形で
二度上洛しました。
祖父の為景は権威なんて無視するかのごとく、関東管領&越後守護の
山内上杉家を駆逐しましたけど。
すでに家康が朝廷によって武家の棟梁に任命されている以上
武家である上杉が従うのは普通だもんな。
759 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/17(火) 18:14:36 ID:Lj6dSqWw
今まで頑張って観てきたが
ついに脱落
前回の話を簡単にまとめてヨロ
760 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/17(火) 18:32:25 ID:6coM4yde
真田幸村がぴんぴんしすぎでワロタ
世に媚びることのない義がテーマだったはずなのに終盤はgdgdだな
納得できる折り合いをつけられる技量がないなら愛みたいなぼんやりしたものにしとけば良かったのに
762 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/18(水) 13:01:05 ID:3mqyIexc
伊達政宗が米沢に訪ねてきたシーンで、どうして景勝が
一段上に座ってたの?景勝と正宗はどっちも大名だから
対等だと思うんだけど。
官位の差とかがあるんだろうか?
景勝は中納言=公卿だからああいう敷物しいてたんじゃないかな
伊達は少将だから並の大名よりはちょっと上だけど中納言とはかなり差があると思う
豊臣が健在なら五大老だからな。景勝は。政宗よりどこから見ても上位になる。
>>764 徳川政権下では、伊達は65万石、上杉は35万石じゃん?
高家旗本みたいに石高だけで家格は決まらないよ。
767 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/19(木) 13:13:20 ID:jYisJwnr
直江兼続と伊達政宗の「金貨騒動」と「後ろ姿騒動」のエピソードはそれぞれどの回にありますか?
>>767 粗末の不思議な力にかき消されました。
兼続に興味のある人なら誰でも知っている有名な逸話で、兼続関連本の
1冊でも読めば載っているのですが、粗末はまったく知らないばかりか、
めんどくさがって関連本を1冊も読まなかったようです。
脚本家というのは本当にお気楽な商売ですね。
>>768 え?両方とも?
金貨はまだしもせめて後ろ姿くらいやってくれてもいいだろ…
聞きしに勝るひどさだな…
>>758 ならばなぜ家康に説教じみたことを言ってたのですか?
豊臣忠誠を約束されましたよね?みたいなことをしたり顔で迫ったり。
771 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/19(木) 14:22:24 ID:0ge3oJYv
もともと、景勝や正宗よりず〜っと前の世代から、伊達さんは
上杉さんになりたくて仕方がなかった。江戸時代には、高家の
上杉さんちに伊達さんが養子いりしたケースがあったと記憶する
が・・・、まぁ共に竹に双雀紋だしね。
ドラマについては、まぁ米沢黄門の官位の高さから、そう演出して
も不思議ではないだろう。実際はどうだか知らんが。
>>769 天地人ではカネツグと政宗の最初の出会いは、「小田原に布陣するようにカネツグが政宗を説得しに行く」だもん。
真正面から対面してますから「後姿しかしらねーよ」エピソードは使えないって。
>>772 >真正面から対面してます
いやいや、実際の兼続だって思いっきり政宗と正面から会ってるから
「後ろ姿しか…」はあくまで皮肉だから使えないってことはないでしょ
まあ関係が深まり過ぎたってのはあるかもしれんが
(このドラマほとんど見てないけど)
>>770 758は史実の上杉家の説明。
天地人の上杉家はただの二枚舌。
>>768 原作にのってないからね。
ドラマ版天地人は原作とは8割方別物だから、小松先生はそれなりに本読んだと
思うよ。
>>771 上杉家って、高家だったの?
外様大名だったと思うが?
高家筆頭は、1万石未満の吉良家
>>769 ケツしか見てねえもんでw、小判ポンポン、閻魔さんよろしく
の三本は「俗説」だから、採用しなくてもひどいとは言えない
>>776 江戸時代の用語とは別の意味で使ったんだろう
>>777 ただし、脚本家がこれらの俗説をモチーフに「その手があったか」と視聴者を
唸らせるような斬新なシーンにアレンジするのはありだと思う。
みんなの知っている話だけに、スルーするよりは脚本家の腕の見せどころでも
あった。
要するに粗末センセには脚本家としての実力がまったく備わっていなかったと
いう恥ずかしい事実を天下のNHKの電波を通じて公表する結果となったわけだ。
>>776 上杉家ってのは米沢上杉家以外にもあるし。
高家上杉家といえば普通は
謙信の養子である畠山義春と景勝の実姉(妹?)仙洞院の息子、
上杉長員を祖とする家を指すが。
今日の最初の方で景勝の頭がかなり白髪になっていたのに、後のシーンでは
黒く戻っていたのはなぜですか?
最初の方よく見てなかったので…
782 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/23(月) 00:26:00 ID:IUNu2KFf
「直江状」で、かっこよく家康を批判して挑発したが、
関ヶ原で三成が負けたために、
後半生は、家康に媚売りまくって生き残った小物のドラマが、今夜終わった。
あーあ・・
783 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/23(月) 10:31:33 ID:yc9PmKbU
柔道一直線よろしく良純が木村佳乃に投げ飛ばされるくだりは第何回ですか?
利いた風な口を聞くなーーーっ!
↑
ドラマで言いましたか?
小田原攻め以降つまんなくて見てませんでしたが…
上田衆の中にいたサルみたいな人とデブの人についてなんでもいいから教えて下さい
そんな人いたっけ?
もう一人もっさりしたデブがいるよ
サルとセットで出てくる
789 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/24(火) 23:05:53 ID:dMt3VKft
46話で終わったのはなぜですか?大河は50回までやるものだと思ってましたが・。
サルはキングコングのかたわれに似てるな
デブは幕下力士にいそうな顔してる
791 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/24(火) 23:45:32 ID:JlcAO2Fv
>>789 天地人は最初からこの回数で終わる予定てました。
理由は坂の上の雲があったから。
で、50回やってる大河ってなんのこと?
風林火山以外にそんなの最近ありました?
792 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/25(水) 02:43:40 ID:lC4gdckN
パパイヤと東のことかと思いきや全く違ったw
東を知らないなんてどの世代だろうか、なんて思ってたがそのサルなら納得。
Q 長澤まさみはなぜ歳を取らないのですか?
A それは、登場するたびにタイムスリップしているのです
795 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/25(水) 18:02:14 ID:b0OocWQK
お船が宮本信子になったの?
OPで山の尾根を雪中行軍していたのは、朝日軍道でしょうか?
>>793 なるほど、そういや幹久もサルキャラだな
サルとデブがダブルでキャストされてたのかw
798 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/26(木) 11:22:06 ID:nDSby+yj
最近頻繁に出てくる「遠山」て何ですか?
>>798 時空を超越した「天地人」版果心居士のような存在。
あるときは上杉景虎の黒幕、あるときは北条氏政を闇の力で操り、またあると
きは小早川秀秋や徳川家康の魔性を目覚めさせた日本史の闇の帝王。
古くは邪馬台国の女王・卑弥呼の死にも深くかかわり、江戸時代後期には桜吹
雪で大活躍。現代においてもその妖力は衰えるところを知らない。
阪神時代の野村克也監督の秘密兵器として松井秀喜のホームランを封じ込める
異才ぶりが記憶に新しい。
>>「遠山」
あそこまで大活躍させる必然性も、必要性もなかった。
脚本家の怠慢が透けて見える。
>>781 自己レス。
今日の再放送でよく見たら、光が反射して総白髪っぽく見えていたのでした
803 :
日曜8時の名無しさん:2009/11/29(日) 23:23:15 ID:dJHf6ZUA
最終回で出てきた花?があの時代にはないはず、というレスを
どこかでみたのですが、なんの花だったのでしょう?
総集編でチェックしたいので教えてください。
遠山の役者さんは一年も出たんだから
俺にも決着つけてくれよって思ってるに違いない。
遠山を演じた役者さん、「剣岳 点の記」で好演したのにね。
「天地人」が総集編を
やらなかった理由って、
一体何だったんですか?
半年で終わった「琉球の
風」でさえ、六月一杯を
総集編に費やしたのに(T_T)
>>803 「天地人」に総集編はありません。
807 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/03(木) 17:42:14 ID:zsGf9eQp
21日からやるよ 総集編
一年前の俺はすんげーワクワクしてた…
この落胆を何処にぶつければいいのか…orz
>>794 歳をとらない初音と遠山は、サン・ジェルマンの血を引いてるのかも。
高速移動など使えるわりに大した仕事やらないとか、歴史を改変しないためかも。
810 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/12(土) 00:12:22 ID:65UdXhL9
結局、最後まで妻ブキ君が月代剃らなかったのはなんなのですか?
そのとばっちりで、衣装も最後まで一時代前の室町ファッションのまま。
ミッキーやパパイヤなど上杉家中の面々も、小泉ジュニア以外は全部、そんな格好。
正直、他家の武士と一緒に出てるときは違和感ありまくりだったんですが。
>>810 「天地人」は日本史とか時代考証とかにこだわって真面目に見過ぎては
いけない底の浅いドラマです。
欧米人が日本と韓国との区別もつかずに偏ったイメージだけで作ったド
ラマ、もしくは地球から1千億光年離れた小惑星を舞台にしたSFコント
だと思えば、さほど気にならないのでは?
特に脚本家は日本という国に対する基礎知識が著しく欠落しており、外
国人、もしくは宇宙人(ドジョッコ星人)ではないかと思われます。
マジレスすると、粗末だかPだかが「月代は視聴者に違和感を与えるか
ら好ましくない」とかいうとんでもない理由で反対したという話です。
過去レスでもかなり話題になり、怒りの声が続出していました。
>>812 そんなアホらしい主張に従うほうも大概だが。
リアリズムなんて追求してたらきりがない。
どこで妥協するかでしょ。
妥協点がゆるかっただけ。
815 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/12(土) 11:10:45 ID:65UdXhL9
まあ、若い頃の信長や浪人武芸者の武蔵が総髪なのはわかるが、
秀吉政権以降になってまで、殿や家老が月代剃ってないというのは、
他の大名や武士と比べて、違和感ありまくりだったよな。
上杉のメンズは、悪い意味で目立ってたよw
最終回で、江戸城の若侍たちに兼続が戦国の昔語りをする場面なんて、
新右エ門さんが江戸城にタイムスリップしたのかと思うくらい、
浮きまくってて違和感バリバリだったぞ。
スタッフは、そんなに月代と裃が嫌いなのかよw
月代入れたくないなら歴史ものやるなよな
つーかろくに合戦を撮る予算も気概もないなら戦国期の人物を主人公にするなと
818 :
日曜8時の名無しさん:2009/12/23(水) 22:59:54 ID:IUEU8ajG
総集編やっているようですが、だれも来ないんですね
819 :
日曜8時の名無しさん:2010/01/15(金) 01:15:40 ID:bdstDSgS
「松方弘樹マグロ325キロ 」緊急特番!完全ドキュメント
松方弘樹マグロ325キロ釣り上げ瞬間全記録
2010年1月17日(日) 午後4:00〜午後5:15
TV東京系列
test
821 :
1: