【初心者歓迎】風林火山質問スレ2【途中参戦歓迎】

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430北条氏綱公御書置
(追而書)其方儀、万事我等より生れ勝り給ひぬと見付候得ハ、不謂事なから、
古人の金言名句ハ聞給ひても失念之儀あるへく候、親の言置事とあら
は、心に忘れがたく可在哉と如此候、
一、大将によらす、諸侍迄も義を専に守るへし、義に違ひてハ、たとひ一国二国
切取たりといふ共、後代の恥辱いかゝわ、天運つきはて滅亡を致すとも、義
理違へましきと心得なは、末世にうしろ指をさゝるゝ恥辱ハ在間敷候、従昔
天下をしろしめす上とても、一度者滅亡の期あり、人の命はわすかの間なれ
は、むさき心底努々有へからす、古き物語を聞ても、義を守りての滅亡と、
義を捨ての栄花とハ、天地各別にて候、大将の心底慥於如斯者、諸侍義理を
思ハん、其上無道の働にて利を得たる者、天罰終に遁れ難し、
一、侍中より地下人百姓等に至迄、何も不便に可被存候、惣別人に捨りたる者ハ
これなく候、器量・骨柄・弁舌・才覚人にすくれて、然も又道に達し、あ
つはれ能侍と見る処、思ひの外武勇無調法之者あり、又何事も無案内にて、
人のゆるしたるうつけ者に、於武道者、剛強の働する者、必ある事也、たと
ひ片輪なる者なり共、角ひ様にて重宝になる事多ケれハ・其外ハすたりたる
者ハ、一人もあるましき也、その者の役立処を召遣、役ニたゝさる処を不
遣候而、何れをも用に立候を、能大将と申なり・此者ハ一向の役ニたゝさる
うつけ者よと見かぎりはて候事ハ、大将の心にハ浅ましく、せはき心なり、
一国共持大将の下々者、善人悪人如何程かあらん、うつけ者とても、罪科無
之内にハ刑罰を加へ難し、侍中に我身は大将の御見限り被成候と存候得者、
いさミの心なく、誠のうつけ者となりて役ニたゝす、大将はいかなる者をも
不便に思召候と、諸人にあまねくしらせ度事也、皆々役ニたてんも立間敷も、
大将の心にあり、上代とても賢人ハ稀なる者なれハ、末世には猶以あるまし
き也、大将にも十分の人はなけれハ、見あやまり聞あやまり、いか程かあら
ん、たとヘハ能一番興行するに、大夫に笛を吹かせ、鼓打に舞ハせてハ、見
物なりかたし、大夫に舞ハせ、笛・鼓それゝゝに申付なは、其人をもかへす、
同役者ニて能一番成就す、国持大将の侍を召遣候事、又如此候、罪科在之輩
ハ、各別小身衆者、可有用捨事歟、
431北条氏綱公御書置:2007/03/22(木) 17:05:28.99 ID:veaHJdhr
一、侍者驕らす諂らハす、其身の分限を守をよしとす、たとへは五百貫の分限に
て千貫の真似をする者ハ、多分ハこれ手苦労者なり、其故は、人の分限ハ天
よりふるにあらす、地より沸にあらす、知行損亡の事あり、軍役おほき年あ
り、火事に逢者あり、親類眷属多き者あり、此内一色にても、其身にふり来
りなは、千貫の分限者、九百貫にも八百貫にもならん、然るにケ様の者ハ、
百姓に無理なる役儀を懸るか、商買之利潤か町人を迷惑さするか、博奕上手
にて勝とるか、如何様にも出所あるへき也、此者出頭人に音物を遣し、能々
手苦労を致すニ付、家老も目かくれ、是こそ忠節人よとほむれは、大将も五
百貫の所領にて千貫の侍を召遣候と目見せよく成申候、左候得ハ、家中加様
の風儀を、大将ハ御数寄候とて、華麗を好ミ、何とそ大身のまねをせむとす
る故、借銀かさなり、内証次第につまり、町人百姓をたおし、後者博奕を心に
よせ候、さもなき輩ハ、衣裳麁相なれハ・此度の出仕ハ如何、人馬小勢にて
見苦敷けれは、此度の御供ハ如何、大将の思召も、傍輩の見聞も、何とかと
思へとも、町人百姓をたおし候事も、商賈の利潤も、博奕の勝負も無調法な
れハ是非なし、虚病を構へ不罷出候、左候得者、出仕の侍次第々々にすくな
く、地下百姓も相応に華麗を好ミ、其上侍中にたおされ、家を明、田畠を
捨て、他国へにけ走り、残る百姓ハ、何事そあれかし、給人に思ひしらせん
とたくむ故、国中悉貧にして・大将の鉾先よハし、当時上杉殿の家中の風儀
如此候、能々心得らるへし、或ハ他人の財を請取、或ハ親類縁者すくなく、
又ハ天然の福人もありときく、加禄之輩ハ、五百貫にても、六七百貫のまね
ハなるへき也、千貫の真似ハ、手苦労なくてハ覚束なし、乍去これ等も分限
を守りたるよりハおとり也と存せらるへし、貧なる者まねをせは、又々件の
風儀になるへけれは也、
432北条氏綱公御書置:2007/03/22(木) 17:07:56.21 ID:veaHJdhr
一、万事倹約を守るへし、華麗を好む時ハ、下民を貪らされハ、出る所なし、倹
約を守る時ハ、下民を痛めす、侍中より地下人百姓迄も富貴也、国中富貴な
る時ハ、大将の鉾先つよくして、合戦の勝利疑ひなし、亡父入道殿ハ、小身
より天性の福人と世間に申候、さこそ天道の冥加にて可在之候得共、第一ハ
倹約を守り、華麗を好ミ給ハさる故也、惣別侍ハ古風なるをよしとす、当世
風を好ハ、多分ハ是軽薄者也と常々申させ給ぬ、
一、手際なる合戦ニて夥敷勝利を得て後、驕の心出来し、敵を侮り、或ハ不行儀
なる事必ある事也、可慎々々、如斯候而滅亡の家、古より多し、此心万事に
わたるそ、勝て甲の緒をしめよといふ事、忘れ給ふへからす、
右、堅於被相守者、可為当家
繁昌者也、
天文十年五月廿一日                氏綱(御判)



この本文は管見の限り、
『小田原市史』史料編中世U小田原北条1(192頁144号文書)、
『神奈川県史』資料編3古代・中世3下(269頁6742号文書)、
小澤富夫編『武家家訓・遺訓集成』(ぺりかん社、1998年)
に掲載されている。
また原本が見たければ、東京大学史料編纂所にある「宇留島常造氏所蔵文書」の影写本の閲覧を申請すれば、その中にあると思われる。

なおここに書き込んだものは『小田原市史』に掲載のものに依拠している。
以上>>293>>302>>305-306>>308-310>>414-419>>421-423の期待に応えて全文掲載。
誤字脱字があったら失礼。
433日曜8時の名無しさん:2007/03/22(木) 17:14:20.74 ID:veaHJdhr
>>430-432補足
一部に「、」を「・」に間違えて読み取っている箇所がありますが、
斟酌して読んでくださいませ。