太平記は配役が最高だった!

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936日曜8時の名無しさん:2005/07/19(火) 23:57:25 ID:4dyDnBtJ
足利一門の中でも筆頭格なのが斯波家。
もともと足利の嫡流は斯波家に引き継がれており、足利泰氏の長男・家氏が斯波家の祖となって、鎌倉の有力御家人となっていった。
本家・足利家を凌ぐ勢いの斯波家は代々、北条得宗家からの偏諱を受けており、極めて独立性が高かった。
足利高氏が蜂起する際に当主であった斯波高経は高時の一字を受け名乗ったもの。
管領の斯波義将以降は振るわないが、織田信長によって追放される斯波義銀まで本家は続いた。
分家も高水寺城において勢力を維持し、戦国時代、斯波詮直が南部信直に攻め滅ぼされるまで続いた。
庶家として、大崎家、最上家が派した。
937日曜8時の名無しさん:2005/07/20(水) 00:12:26 ID:Tj0CErbI
斯波より吉良の方が上位だと思っていた。
でも斯波氏を足利と書いたのもあるそうだからやはり斯波の方が上なのかな。
吉良は忠臣蔵のせいで、高一族とごっちゃになっていた。
まあ吉良家は江戸幕府の高家でもあるけど。
938日曜8時の名無しさん:2005/07/20(水) 00:43:03 ID:lEg2goF2
>>926
初期から将軍権力の強化を図ったら室町幕府なんか成立してないな
しょせん、建武政権への不満をくみ上げただけだし
939日曜8時の名無しさん:2005/07/20(水) 00:51:08 ID:be8SGf8z
>>938
んなことねえだろ。

とっとと直義を殺して、後醍醐も殺して南朝を根絶やし
にしてたら全然性格の違う政権になってただろうよ。

頼朝なんて直属の部下がいないのにあそこまで政治的に
冷酷だったから源氏そのものは滅びたが幕府は武家政治
の基本体として立派に成立したからね。頼朝以前にはそも
そも律令体制以外の政権形態など誰も思いもよらなかった
のに、その後700年の武家の時代の政治体制を立ち上げて
軌道にのせたのは頼朝の冷酷さがあったからこそだろ。

義経を甘やかし、後白河に遠慮してたらその後の武家
政権などなかったろうな。
940日曜8時の名無しさん:2005/07/20(水) 00:58:59 ID:VcK675XE
続スレ立てないと、ほら。
941日曜8時の名無しさん:2005/07/20(水) 01:07:55 ID:lEg2goF2
>>939
>とっとと直義を殺して、後醍醐も殺して南朝を根絶やし
>にしてたら全然性格の違う政権になってただろうよ。
そんなことは足利家と敵対勢力の問題であって
初期足利政権の軍事力を担う後の守護勢力にはどうでもいい
武家政権ができるかどうかで室町幕府を支持したわけでもないし

942高氏:2005/07/20(水) 01:30:55 ID:bPVoLtTa
逆賊礼賛のスレももうすぐ滅亡しますね。
943日曜8時の名無しさん:2005/07/20(水) 08:27:44 ID:KpWIZWYC
さて、荒らし発言ということで削除依頼するか。
まとめて消えることになるだろうから、
次は思想板か歴史板にでも行ってやってね。
944日曜8時の名無しさん:2005/07/20(水) 10:02:31 ID:MrKM0BLt
ウザいネットウヨが一匹紛れ込んでるようだね

ところで次スレタイはどうする?
945日曜8時の名無しさん:2005/07/20(水) 18:27:46 ID:TqxvdF19
スレタイには、ファミ劇で再放送中って情報を入れた方がいいと思う
946日曜8時の名無しさん:2005/07/20(水) 22:00:39 ID:4YkorOnE
尊氏の母ちゃんは上杉の出なんだよね
947日曜8時の名無しさん:2005/07/20(水) 22:01:19 ID:3Y2FCfnt
早く土曜にならないかなー
948日曜8時の名無しさん:2005/07/20(水) 22:09:32 ID:VcK675XE
鎌倉炎上の話題は過ぎたが盛り上がるのか?
949日曜8時の名無しさん:2005/07/20(水) 22:18:03 ID:KpWIZWYC
まあ主要キャラが片付いていくからね。
最後までピンピンしているよな佐々木判官。
950日曜8時の名無しさん:2005/07/20(水) 22:18:11 ID:QDc8L8+H
>>939
>その後700年の武家の時代の政治体制を立ち上げて軌道にのせたのは頼朝の冷酷さがあったからこそだろ。

それって北条氏の役割のほうが断然おおきくない?
951日曜8時の名無しさん:2005/07/20(水) 22:32:02 ID:WMXWgXIu
頼朝なんか所詮傀儡だもんな
952日曜8時の名無しさん:2005/07/21(木) 02:00:33 ID:0gk8YwbU
日本風のトップは基本的にみんな傀儡。(操っているのも単独の黒幕ではなく
そのトップを持ち上げている何らかの連合勢力)
それをわきまえていたのが頼朝の偉いところ。
このへんを履き違えた後年の北条氏も一瞬だけそれにとってかわった
後醍醐帝もあえなく姿を消した。
日本で独裁者になれるなどという幻想を抱いた人間はほとんどが(それとも
全員?)破滅している。
953日曜8時の名無しさん:2005/07/21(木) 03:15:22 ID:mvRCOBk3
後三条天皇や白河法皇、鳥羽法皇は独裁者といえると思うのだが
どの勢力から持ち上げられたといえるのかね?
954日曜8時の名無しさん:2005/07/21(木) 11:11:46 ID:kvcWhEhy
後鳥羽上皇は北条政権の中で失敗した。
955日曜8時の名無しさん:2005/07/21(木) 11:41:13 ID:S6Vv4Rbx
>>950
北条は秀吉、家康みたいな役どころ。もちろん彼等が極めて優秀
な人材揃いだったから武家政治が軌道にのったのは間違いないけ
ど、あの幕府の形態の創造は、東国と京の朝廷の両方を熟知して
いる人間でないと造り出すのは無理だと思う。そしてそんな人間
は幕府創成期にはたったひとりしかいない。それが頼朝。

だから神輿であるのはまちがいないが、頼朝は単なる神輿じゃ
ない。
956日曜8時の名無しさん:2005/07/21(木) 11:58:57 ID:S6Vv4Rbx
>>953
下級公家、武家。

つまり藤原摂関家の富と繁栄の再配分をもくろむ勢力
に支えられた。
957日曜8時の名無しさん:2005/07/21(木) 13:03:20 ID:nZRV8STq
きになってたんですが、高師直、師泰はどっちが兄なんだ?大河では師泰が兄だったけど、なんかの本には師直があにだったので
958日曜8時の名無しさん:2005/07/21(木) 18:21:43 ID:wmOY//Gd
高師直が滅んで将軍直轄軍が解体してしまい、各地に発生する南朝、直義派(足利一門)の
軍事行動に対抗するために、佐々木、赤松、土岐といった外様軍団を出動させるというのは、
江戸幕府でいったら、御三家が豊臣の残党と組んで反乱を起こして譜代・旗本が壊滅したので
前田、島津、伊達といった外様大名の力を借りて鎮圧するようなものだね。
スタートがこれじゃ、室町幕府が弱体なのも当然のこと。家光に比べると、義満の方はかなり
キツイ状況だ。
959日曜8時の名無しさん:2005/07/21(木) 22:43:31 ID:Z1TFaxM7
最近のスレを読んでいたらなんか直義が気の毒になってきた。
たしかに幕府が混乱する原因にはなっていたけど。
それと高師直って評価高いんだね。
960日曜8時の名無しさん:2005/07/21(木) 23:28:20 ID:n0z4tXH8
>>957

これはよく分からないんだそうです。
佐藤進一氏は師泰を兄としていますが、石の森章太郎氏のマンガ日本史や吉川英治氏は
弟していたはず。
敢えてどちらが兄と書かない歴史家もいるようです。
961日曜8時の名無しさん:2005/07/21(木) 23:31:34 ID:kvcWhEhy
>>957
http://nagata.kanagata.net/keizu/keizu_kou_shi.htm では、
高師直、師泰、師茂、師久となっている。
別系図では師泰、師直の順。
生年不詳ってとこカ?
962日曜8時の名無しさん:2005/07/21(木) 23:33:08 ID:kvcWhEhy
高師春、師夏、師秋、師冬、季節感があるねぇ、高一族は。
963日曜8時の名無しさん:2005/07/22(金) 10:18:12 ID:a9yv5VDc
>>959
へんな儒教的倫理観にとらわれないなら評価も高くなるのでは
ないかな。

まず軍奉行を設けて敵の首を打ち捨ててもきちんと評価すると
いう画期的戦い方を創案したことでもわかるように軍事的才能
の抜群なこと。

あと後の戦国武将の魁といえる婆娑羅ぶりと超現実主義。天皇
なぞ木や金で十分ってセリフは後の信長、家康に通じるからね。

特に家康は禁中並公家諸法度で統制して完全に皇室を幕府の下に
組み込んでしまったけど、その遠慮のなさは師直の発想が源とい
えるからね。
964日曜8時の名無しさん:2005/07/22(金) 17:47:04 ID:8hFXfzpm
高師直タイプは、才能がいくらあっても乱世でなければ迷惑な存在だな。
965日曜8時の名無しさん:2005/07/22(金) 19:04:53 ID:XzBRTWRz
高師直は逆賊高氏に尽忠しながらもあっけなく捨てられました。
まことに哀れで同情すべき人物です。
966日曜8時の名無しさん:2005/07/22(金) 22:06:54 ID:i5mKp881
967日曜8時の名無しさん:2005/07/23(土) 02:42:12 ID:vr0hF746
日野俊基は謀反人後醍醐に尽忠しながらもあっけなく捨てられました。
まことに哀れで同情すべき人物です。

何度でも釣られてやるよw
968日曜8時の名無しさん:2005/07/23(土) 12:16:40 ID:yVWjmN+d
直義は、クソ真面目、融通が利かない、冗談が通じない、というイメージを受けるから、
伝統や権威を意に介さない師直や、生きる事が全て趣味な道誉とは反りが合わないだろうな。
969日曜8時の名無しさん:2005/07/23(土) 13:15:05 ID:+4RFhOv9
後醍醐は後白河に匹敵する無責任野郎だな
970日曜8時の名無しさん:2005/07/23(土) 14:38:11 ID:N4bg/VwQ
尊氏の無責任さには勝てません。
971日曜8時の名無しさん:2005/07/23(土) 15:02:28 ID:UBjacYuf
前回の義経に出てた安達盛長さんは太平記冒頭で滅ぼされた安達さんの
ご先祖様だよね?
北条時宗ではギバちゃんがやってたよね
確か草燃ゆるでは武田鉄也がやってたような気がする
いずれにせよ鎌倉時代をやる上では欠かせない登場人物だね
972日曜8時の名無しさん:2005/07/23(土) 22:53:07 ID:03/iz1M/
安達祐実(あだち ゆみ)を「あだち すけざね」と読み伊東一族だと思ってたw
973日曜8時の名無しさん:2005/07/24(日) 10:20:33 ID:QqvG3fCd
「京は暑いのぅ!こんなに暑うては、木も腐ろうぞ!」
尊氏が鎌倉への尊氏派兵を後醍醐天皇から許してもらえず、京の足利屋敷でヤケになっている時のセリフ。
974日曜8時の名無しさん:2005/07/24(日) 12:13:56 ID:wxXTR8rm
木=後醍醐の暗喩か?
975日曜8時の名無しさん:2005/07/24(日) 12:36:09 ID:O8sd+xf1
木=逆賊尊氏
976日曜8時の名無しさん:2005/07/24(日) 12:55:29 ID:wxXTR8rm
まあドラマを見たことが無い奴にはわからんだろうけどな
それより逆賊厨はやっと「尊氏」と書くことを学習したようだな
信念の無い奴めw
977日曜8時の名無しさん:2005/07/24(日) 20:50:10 ID:aNemncoT
978日曜8時の名無しさん:2005/07/24(日) 21:21:29 ID:QqvG3fCd
尊氏「言うたな、直義!言うたな!」
刃を直義の顔に向けて怒る尊氏。
直義「ここは通しませぬ。斬ってでもお通りなされ!」
両手を広げ尊氏が後醍醐天皇のお召しに応じることを阻止しようとする直義。
直義の隣に座する師直も南も一同全て、両手を広げ、尊氏の上京を阻止する。
右馬介「ご舎弟さまは、『兄上に伝えて下され。そんなに帝が大事にござりま
するか。諸国の武家は公家一統の世にうんざりしておりまする。我らは新田を
戦いまする。』と、今生の別れと申し、出陣なされました。」
突然、出家した尊氏を余所に一族を救うために出陣していった直義や師直、そ
れを知って尊氏を諌めた佐々木判官。
判官「気が変わって足利殿が起たれるなら、この判官に一報いただきたい。さ
なくば、この佐々木、新田に寝返ってでも生き延びようぞ。わしはまだ、死に
とうはないのでのう。」
後醍醐天皇の錦の御旗を掲げた新田軍に苦戦する足利軍。
979日曜8時の名無しさん:2005/07/25(月) 00:58:47 ID:ww/KV4Ar
今回は師直が妖しい色を出して尊氏に幕府創設を促しだしたね。

あのあられを漁ってる姿と話の深刻さのギャップが面白かった。
980日曜8時の名無しさん:2005/07/25(月) 22:28:25 ID:XSQpot58
今って、六波羅奉行所のところかい?
981日曜8時の名無しさん:2005/07/26(火) 11:30:34 ID:Sq49HSs6
982日曜8時の名無しさん:2005/07/26(火) 19:10:06 ID:7cGYFi4S
>>981
続スレっすネ
983日曜8時の名無しさん:2005/07/26(火) 22:05:55 ID:B0hiXdAV
>>978

この場面ではあの直義と師直が手を結んだのも妙に感慨深い。
既に両者が対立するシーンはあったもんな。
984日曜8時の名無しさん:2005/07/26(火) 22:17:03 ID:G8BRYlmG
直義とは師直相性は悪いが、目指すところは同じだったもんな。
>>981 乙
985日曜8時の名無しさん
>>984
目指すのが武家政権という意味では同じだが、直義の武家政権は
あくまで鎌倉幕府型であるのに対して、師直の武家政権は織豊徳川
政権的なものだからな。つまり朝廷を武家の支配下に置くという点
で。

師直が先鋭的すぎ、直義が古すぎ、結局対立は免れんということだ
ったと思うよ。

まあ大きな流れで見ると婆娑羅的なものが結局底流で生き残り、
下克上になり、戦国時代になり、信長、秀吉、家康となるわけ
だけどね。