長男 藤原国衝…長嶋一茂
次男 藤原泰衡…渡辺いっけい
三男 藤原忠衝…ユキ リョウイチ
語りましょう。
(関連スレがスレタイ微妙に間違えてたりする…orzしかも連投スイマセン)
4 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/28(月) 19:19:23 ID:/g9nIKQr
国衡は長男だけど「太郎」って呼び捨てにされているのが、
嫡庶の順をきちんと表していてリアルでよろしい。
「炎立つ」では「兄上」だったからな。
ダメだと思ってた一茂が意外といいじゃん。なんか得した気分w
(ファンの人いたらごめんな)
西木戸太郎なかなか似合ってるよね。
いかにも田舎武士という雰囲気が出てる。
(別にファンじゃないが)
人間おっとりした喋りとかボソボソした喋りとかする人は居るのだから
ああいう不器用っぽい人が居ても別によいと思う。
後の泰衡の運命を思うと、可哀そうになるけど
いっけいさん頑張ってください。
8 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/29(火) 14:50:48 ID:+4jLRvnm
国衝味があるよな
泰衝も後半にかけて期待。
ユキリョウイチはミュージシャンらしい。
泰衡をキレキャラにさせて、
いっけい節炸裂させてくれ!
キレたところも見たいよな
何か苦悩する場面が多くなりそうだが<泰衝
三人とも携帯で一発変換できぬとは由々しき事
12 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/30(水) 19:43:42 ID:KVdRvgYc
彡‐\>-ミ 国衝
こんな感じだろうか…
次は泰衝だ!
13 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/30(水) 20:32:38 ID:JrouGy8m
俺のパソコンでは泰衡のみ一発変換。
国衡、忠衡はおろか秀衡も不可!
それぞれ、くにこう、ちゅうこう、ひでこう、で
変換させます。
泰衡、なかなかやってくれます(?)
ちなみに奥州藤原では他に清衡公のみ一発変換。
ほんとだ
泰衡だけ大丈夫だ
衡と衝の区別はちゃんとしましょう、みなさん。
結構、名前間違えられてるんだね
17 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/31(木) 00:24:52 ID:WMU5H5O+
義経はもちろん、泰衡も、
生け捕りされて頼朝に引き渡されてもいいのに
あえて首だけになって届けられてる人物は
実は生き延びていた可能性がある・・と思う
明智光秀なんかもそう
18 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/31(木) 00:29:44 ID:WMU5H5O+
姓名学でいうには
名前の画数があまりに多いと
吉名になりにくいとの事。
この時代、姓名学なるものはまだ
日本には入って来てないので仕方ないが
奥州藤原氏は揃いも揃って画数が多すぎる
やはりこだわり(?)の「衡」の字のせいか
藤原国衡 総画58画 中吉
生まれながらに肉体的な強さと豊富なスタミナを持ち、生命力がみなぎっています。
精神的にも非常に強く、人並外れたがまん強さは周囲も認めるところでしょう。(中略)
藤原泰衡 56画 凶
人生の中で成功を勝ち取るためのチャンスが何度か巡ってきそうです。
ただ、肝心な時に行動を起こす度胸に欠ける傾向があります。(中略)
藤原忠衡 55画 中吉
新しい環境、未経験の分野に縁がある人のようです。
生まれ育った土地にこだわるよりは、別な地域に出て行くことで運が開けてくるでしょう(中略)
占ってみた。
20 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/31(木) 01:08:46 ID:YtoHgOF4
高衡は居ないのですか?
たぶん高衡も語っていいんじゃない?
(彡 ゜\ゝ=Kミ 泰衡
彡 ゜\ゝ=Kミ 泰衡
彡\`・_ゝ・´ミ 忠衡
23 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/31(木) 22:30:43 ID:nEGNdlRJ
>ホントに占ったのですね 感動
結果みますと不思議にイメージどおりですね。
やはり棟梁としては長男国衡がふさわしかったと
いう事でしょうか。
蝦夷の血を重んじるか、京貴族の血を重んじるかで
天下の秀衡、道を誤ったのか
忠衡は義経とは別のルートで北へ逃げのび、
のち義経に合流して海を渡っていった、という説が
あります。
「別の地域に出て行くことで運が開けてくるでしょう」
まさに?
24 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/31(木) 22:45:19 ID:YtoHgOF4
>>23 泰衡と国衡は両御館と呼ばれていましたから
秀衡が道を誤ったということは絶対にない
当時の貴族が軟弱で武士が無骨というイメージは捨てるべきだ
すごいな姓名判断…泰衡だけ悪いのが意外だったけど
ところで調べてきたので投下する
藤原 泰衡(ふじわらの やすひら
久寿2年(1155年) − 文治5年9月3日(1189年10月14日))
奥州藤原氏第4代(最後)の当主。父は藤原秀衡で次男、母は藤原基成の娘。
兄の国衡は母親が蝦夷の出身であったために、泰衡は嫡男として扱われる。
1187年(文治3)に父・秀衡が病死したため、家督を相続した。
秀衡は死去の際に源頼朝の弟で、源平合戦において活躍した源義経を盟主として
従うように遺命を残しており、平家滅亡後に頼朝と対立した義経は
奥州藤原氏に匿われていた。
頼朝は義経討伐を促していたが秀衡は拒絶し、
泰衡も遺命に従い度重なる義経討伐要求を拒否していたが、
朝廷から義経追討令が出たことなどで要求に屈し、
1189年(文治5)4月、衣川館の義経と義経派であった弟の藤原忠衡を殺害し、
義経の首を鎌倉へ送る。
そして義経が死んだ直後、頼朝は勅命を待たずに奥州藤原氏の討伐軍を起こして
奥州合戦が行われる。
奥州藤原氏は阿津賀志山の戦いなどで敗北し、
泰衡は平泉から脱出して蝦夷へ逃れようとした逃亡の途中で、
家臣の河田次郎によって殺害された。
泰衡は後世に英雄視された義経を死に追いやった人物として
否定的評価がなされていた。
しかし、庶兄・藤原国衡が国境付近で敗れて後は、
大軍を擁しながら組織的抵抗をしなかったため奥州の人的被害が
最小限にとどまった事や、泰衡が頼朝に差し出した義経の首について
偽物説が根強いことなどから、泰衡を再評価する考え方もあるようである。
26 :
日曜8時の名無しさん:NHK放送80/04/01(金) 17:08:58 ID:PkiBQTN5
あげ
ウチのPCだと、秀衡と泰衡は一発変換OKです!
ふじわらのひでひら→藤原秀衡
ふじわらのやすひら→藤原泰衡てな具合。
余談だけど源氏勢では、源頼朝、源義経の他に一発OKなのは、
源頼政、源範頼、源義朝、源頼家、源実朝ならOK。
義平は、何故か悪源太ならOK...
スレ違いすみません。
28 :
日曜8時の名無しさん:NHK放送80/04/02(土) 00:53:17 ID:bkKtmYhE
>>25 乙
忠衡って実の兄に殺されるのか…(´・ω・`)
>>27 俺のPCは泰衡だけだ。
ひでひら→秀片 になる
おそるべし泰衡
30 :
日曜8時の名無しさん:NHK放送80年,2005/04/02(土) 16:49:11 ID:cmbtFDDb
>24
よく言われるように、
秀衡が自分の息子たちはいずれも頼りにならず
奥州を預けられるのは義経だけ、と考えた
という件については、どうですか?
31 :
日曜8時の名無しさん:NHK放送80年,2005/04/02(土) 17:04:39 ID:cmbtFDDb
『炎立つ』(小説)では泰衡が義経らと津軽の果てまで旅し
当時えらく栄えていた十三湊を眺望する場面がある。
泰衡「どうだ、これが十三湊ぞ」
義経「まだ信じられませぬ。津軽の果てにこれほど
美しい町があったとは・・・・・」
今回の大河でも、こんなシーンが欲しかった。
しかしいっけいさん、歳のせいもあろうが
身体が重そうなんだよな 馬旅できなそう
32 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/02(土) 21:53:49 ID:TI15H9Wt
国衡は奥州一の猛者として京の公家の日記にも書いてある
泰衡の場合、基成の孫に当たるわけだが公家の孫だからといって軟弱に育ったとは断言出来ない
基成は義朝との接点もあったと考えられるから強硬派の公家であった可能性も高い。
33 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/03(日) 04:47:04 ID:6neYtWyE
小説『炎立つ』の泰衡は国衡より器量がありながら、
蝦夷の血を濃く受け継いだ国衡こそ後継ぎになるべき
だった、と謙虚な姿勢だった
(自分には向かないと思っている)
今回の大河では
「わしには棟梁の器量がないという事か!?」
とムキになってる。
果たしてどちらが実際に近いのか・・
しかし秀衡、たとえ泰衡に棟梁の素質なくとも
血筋の理由だけで後継の大役を預けるものだろうか。
34 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/03(日) 09:05:10 ID:lJEHRybj
高衡、通衡、頼衡は今回もスルーですな。
忠衡ともども兄に殺される末弟の頼衡くらいは出してもよかったんじゃないの。
奥州から見れば、追討令をくらった義経は、
指名手配の国際テロリストのようなもので、
来られると迷惑な存在だったであろう。
こっちへ来ないで、九州へでも行って、
鎌倉勢を引き付けておいてくれと思ったであろう。
>>35 同意。<指名手配の国際テロリストのようなもの
藤原 国衡
(ふじわらの くにひら、? − 1189年9月21日(文治5年8月10日))は、
藤原秀衡の庶長子。藤原泰衡の異母兄。
泰衡より有能で武勇にも優れていたが、泰衡と仲が悪く、
庶子であったため、後継者からは除外されていた。
反義経派とも、逆に源義経とは仲が良く、
泰衡が義経を殺そうとしたときは、これを反対したとも言われている。
1189年8月、源頼朝の奥州征伐軍に対し、国衡は阿賀津志山で寡兵ながら三日間にわたって抗戦した。
しかし衆寡敵せず、最後は和田義盛の矢で射られた後、畠山重忠の家臣に討ち取られた。
37 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/03(日) 13:08:18 ID:TmXm2sph
国衡が泰衡より有能だった、とか、いや泰衡のいいなりだった、とか、
兄弟仲が悪かった、とか、いやよくまとまってた、とか、
この兄弟たちについては、その後の展開から推測される事ばかりで、
実際の事はほとんどわからないんじゃないでしょうか。
いわゆる「正史」に書かれている事でも、どこまでが正確なのか
疑わしい。鎌倉側が、平泉の政庁に密偵でも送り込んでいて、一族
の様子が事細かに伝えられた、というなら話は別ですが・・・
38 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/03(日) 13:22:44 ID:L+gfLCYu
それでも、秀衡と忠衡は義経を守り抜こうとしたんだよね。
忠衡は義経をもう一人の兄弟のように慕って、だいぶ親しかったようだし。
一茂のほうが年上の役だったのか
まあわからないならわからないなりにドラマとして楽しめれば良いだろう。
炎の3部は最悪だったけど。
41 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/03(日) 17:55:31 ID:YmehG7Bt
こんな説もある
兄・国衡は義経を立てず武士として戦う事を希望し
弟・忠衡は義経を守り共に戦う事を望んだ。
泰衡はこれに父・秀衡の遺言の事も考慮に入れ、
また自らの「無血開城」の考えも取り入れて、
すなわち一族全員の希望をバランスよく混成して
一連の作戦を実行にうつした、と。
42 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/03(日) 18:03:08 ID:YmehG7Bt
結果、国衡は自ら望んだ合戦の責任者となり、
忠衡は義経と平泉を脱出、生涯義経の補佐となり
泰衡自身は平泉の自宅に火を放って撤退した。
43 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/03(日) 18:15:09 ID:QbyH+Af3
このスレ勉強になるなあ…
あげ
45 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/03(日) 19:02:06 ID:LvXRCaxU
実際どうだったかなんて、資料から想像するしかないけど
いろんな説があって面白いね。
46 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/03(日) 19:21:33 ID:TVf/ZIRI
>>45 逆に言うと、この3人の演じ方次第によって、
イメージが固定化される危険性もあるわな。
47 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/03(日) 19:34:29 ID:SPX2oxZO
物部氏(吉次)の話ってOK?
物部=吉次っていう話は炎立つにあったけど、元々ある話なの?
49 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/03(日) 21:26:14 ID:SPX2oxZO
吉次ってのは当時の物部氏の活動を象徴する架空人物。
物部氏の表舞台における活躍は500年以上も昔に幕を閉じている。
>吉次ってのは当時の物部氏の活動を象徴する架空人物。
ってことは裏舞台にせよどこにせよ、物部自体は活動していたのね?
51 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/03(日) 21:33:11 ID:jHFjOmVQ
>>50 というか、別に滅んではいない。
あ、そういえば奈良県天理の石上(いそのかみ)神宮に行ったことあるな。
52 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/03(日) 21:36:23 ID:SPX2oxZO
国衡がブログのあちこちで「髭」「髭」言われててワロタ
55 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/04(月) 00:27:09 ID:qQydLn90
13世紀のスコットランド王・ロバート1世は
一度はイングランド軍から逃げ回り、なんとノルウェー
まで逃げていた。
その後祖国に舞い戻り、民衆を集めなおしゲリラ戦にて
連戦連勝、やがて合戦でイングランドを破り、スコット
ランドを初めて独立へ導いたのである。
誤爆?
57 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/04(月) 00:34:13 ID:qQydLn90
なんの話かというと、泰衡もこのロバート王
のように逃げていくのだが、彼の場合運悪く
家臣に裏切られ無念の死を遂げてしまう。
しかしもし運があれば、同じように再起を図る
つもりだったのだろうか・・
ああ歴史にもしは禁句だったか
ロバート王については、『ブレイブハート』という
メル・ギブソンの映画に登場している
優柔不断なところが、今回の泰衡に通づる気もする
スコットランドからノルウェーって、
奥州からモンゴルほどは遠くないだろ。
59 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/04(月) 00:53:11 ID:qQydLn90
それにしても、今日の秀衡
義経を連れてきた泰衡に対して
「さがっておれ」
家来かよ!
『炎立つ』小説の泰衡は逆にしょっちゅう
秀衡を議論でやりこめていて小気味良すぎる
ほどだったのだが・・・懐かしい
あの時代に父親が息子に対してする言葉使いはそれぐらい普通だろうよ
まあ炎のときの秀衡はある意味ヘタレだったからな。
だよな。
もうすぐ奥州3兄弟の出番が無くなっちゃう
淋しくなるね・・・
来週少しでも三兄弟の出番がありますように。
Д
∧,,∧彡‐\>-ミ
/ο ・ )Oニ)<;;>
/ ノ lミliii|(ヾゝ
(o_o,イ__ヽ´|(__) ノ~⌒)彡 ┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨
ノllllllllヽ| | ̄ノl ノ
/ /~ヽ ノ'''''''~ヽヽ\ヽ_
ヽニフ|_| (_/ ヽノ
(_ヽ
藤原忠衡(ふじわらのただひら、? - 1189年8月9日(文治5年6月26日))
は、平安時代末期の奥州藤原氏の武将で藤原秀衡の三男。藤原泰衡の異母弟。
庶長兄には藤原国衡がいる。通称、和泉三郎。
藤原秀衡とその妻が熊野に参詣中、滝尻で妻はにわかに産気づき、出産。
赤子を連れては熊野詣はできないと、その夜、夢枕に立った熊野権現のお告げにより、滝尻の裏山にある乳岩という岩屋に赤子を残して旅を続けた。
子は、犬神に守られ、両親が帰ってくるまで無事に育っていた。
この赤子が後の藤原忠衡である。
泉ヶ城を居城としていた。
1187年に父・秀衡が没し、平泉に逃げ込んでいた源義経を父の遺言通り保護する。
義経を立てて源頼朝に対抗するべきだと主張するが、
意見が対立した兄の泰衡に攻められて殺害される。
妻・小笹は忠衡の菩提をとむらうため、薬師如来像を奉納して出家し、
妙幸比丘尼と号した。
忠衝が、意外とほりだしもんだ。
67 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/06(水) 02:19:37 ID:JtovaAZW
俺もタダヒラ気になる
カズシゲも悪くない
68 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/06(水) 13:48:04 ID:nTZ5WELQ
もちろん泰衡も。
69 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/06(水) 16:57:04 ID:zknN+a6K
忠衡は犬神の守護を受けてたの?
71 :
69:2005/04/07(木) 17:44:35 ID:HkTLPUOf
72 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/07(木) 21:32:04 ID:B2RUU3pX
本当だね。
ここではマターリいこう。
史板はどこかの本スレ同様、終わってるからな
74 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/08(金) 20:34:39 ID:s7N1Guk0
藤原氏滅亡後のことなので大河ではおそらく一度も
映像化されてないと思うが、泰衡の弔い合戦として
秋田で挙兵した大河兼任という男、相当面白い。
何でも、それまで「主人の仇討ち戦」というのは前例
がなく、「俺がその先駆けになる!」と言ったらしい。
冬に大軍で湖の上を渡ってたら、氷が割れて兵5000人
が溺死した(何やってんだよ・・)それでもめげずに
逆に新しく一万もの軍隊を取り戻す・・豪快、豪快
75 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/08(金) 22:06:52 ID:+850wMdG
76 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/09(土) 02:12:51 ID:aXt3IyPQ
兼任は、泰衡を裏切った河田次郎と同じで、国衡の対・鎌倉合戦には
参戦してなかったんだよな。そこが謎だ。
秋田という土地は、安倍氏の時代には清原一族の裏切り、藤原氏時代には
河田次郎の裏切り、ずっと後になるが戊辰戦争では同盟を裏切り、という
具合でどういう訳か歴史的に裏切りばかりなんだが、この兼任の件だけは
面目挽回というか・・勝ったいくさは前半のゲリラ戦ばかりだけど
しかも挙兵時期が確か豪雪期の真っ只中だったのがたまげる
77 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/09(土) 06:29:30 ID:3Ih9N3zR
豪雪期の合戦>鎌倉兵に本物のかまくらを見せるため。
安倍氏も雪の中で源頼義軍を追いつめた。普通に地の利をいかした戦いでそ。
>>74 5000人溺死のあとの暴れっぷりが凄いな
79 :
69:2005/04/10(日) 10:24:30 ID:O/h6qyAG
>>74 彼の行動に頼朝はどう反応したんでしょうか?
ここって何気に良スレのような。
今日は泰衡が結構出ていたね。
妙に味のある俳優さんだ。期待age
81 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/10(日) 22:07:43 ID:e0rU4qYS
奥州に戻ってくるのは何話ぐらいだろうか。
炎立つも見た。
謙さんは平泉を無血開城したが、いっけいさんはどう動くのだろう。
たのしみ。
84 :
69:2005/04/11(月) 16:33:07 ID:5HQN9a4E
いっけいさんもそうだけど、藤原兄弟が顔をそろえても喋っているのは
ミスターの息子といっけいさんだけだ。忠衡はなかなか喋らない。
兄弟の仲はどうなっているんだろう。
85 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/11(月) 22:15:01 ID:CRKaqlEG
>79
「主人の仇討ちの先駆け」というのは兼任が
かつての出羽の勇士・由利八郎に決起参加を呼びかけた際の
言葉でしたが、由利はすでに頼朝の家臣となり、逆に追討軍として
対峙する事になって、兼任は由利を討ち取ってしまいます。
その後、兼任が津軽に北上して宇佐見実政を破ると、頼朝は驚いて
大軍を編成し、本格的な交戦に向かいます。
南下した兼任軍は一万騎に膨れ上がって、平泉を一時奪還するまでに
至りますが、栗原での戦いで惨敗、にわか作りの軍隊はたちまち
散り散りになって、のちは一気に連戦連敗の一途を辿るのでした・・・
いっけいイイ。
大奥の秀忠役もいい演技だった。
ただひらの人、昔森蘭丸の役やってた かっこよかった
>>86 秀忠良かったよね。へたれな感じだった
あれでいっけいさん好きになった
89 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/13(水) 05:04:08 ID:Z77Ohu6w
俺的にはいっけいは本多正純のイメージが強い。
藤原氏は四兄弟だったはずだが、四男は出てこないのか?
91 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/13(水) 20:10:52 ID:nYYZ+ZSg
6人兄弟じゃなかったっけ?
忠衡の下に三人弟がいて、その中の一人は忠衡と一緒に殺されたと聞いたが。
92 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/13(水) 20:37:19 ID:T8mXwHHS
泰衡、国衡、忠衡、高衡以外の人物は国衡と高衡の混同されて重複している可能性がある
93 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/14(木) 23:43:04 ID:0UdIwKjm
藤原氏滅亡後久しく、頼朝もまた亡くなって後、
尼将軍北条政子の夢枕に泰衡らしき人物が現れ、
「金色堂が傷んでひどい状態だから何とかしてくれ」
と言った。さっそく政子は平泉の寺院群の保護にかかり、
この後、野天にムキだしだった金色堂には覆堂がつけられた。
という。
96 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/15(金) 10:02:08 ID:8A8y98Do
>>59 亀レスで恐縮だが、ドラマでは最初「父上の前に出ると言いたいことの半分も言えなくなる」
ようなキャラという設定だった>泰衡
97 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/15(金) 20:16:14 ID:sciiF9qu
金色堂にはちょうど三代の遺体が入るように
なってたわけですが、この作りにしたのは誰なんでしょうね。
まるで藤原の世が三代で終わる事を予見していたかのように。
『炎立つ』の小説版では、もともと須弥壇(しゅみだん)は
ひとつで、ここに清衡、基衡ふたりが納められていたところ、
秀衡が亡くなった時に泰衡が新しくふたつ、この両側に増築させた
事になっていました。
もしかして、その工事が終わるまで、鎌倉が攻めてくるのを
防いでいた、という事か・・・?
98 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/17(日) 18:00:50 ID:qzlL4ULE
GOLDRUSH
五月雨の 降り残してや 光堂
100
古株を 掘りおこしてや 土がえる
101 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/19(火) 19:34:13 ID:S/F+bxi3
>85
兼任は決して泰衡の仇討ちを目的に兵を挙げたんじゃなかったと思う。
一度は彼も頼朝の傘下に入ってるはずだから。
正確には、「源氏の統治に不満が爆発したから」ではないだろうか
102 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/20(水) 19:28:59 ID:89XLbOk8
卯の花に兼房みゆる白毛かな(曽良)
白雲も 腹のたしには なかりける
藤原忠衝ことユキリョウイチこそ最強の隠し球ですよ
何せ江戸ワンダーランドですから
何気に忠衡に期待してる
お坊ちゃんっぽい感じが出てる。
これから義経の味方をして兄ちゃんに殺されてしまうことを思うと泣ける
107 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/22(金) 12:00:23 ID:Ts0HZJUv
ageてみる
江戸ワンダーランドって何?
江戸?
110 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/23(土) 17:48:17 ID:AOn+RJug
藤原秀衡です。
私が死んですぐに平泉を滅ぼされてしまいました。
藤原秀衡です……
111 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/23(土) 21:27:31 ID:3XEkuisd
いっけいスレ落ちたね。
自分、平泉在住の者です。
小学生の頃、学校の特別授業で金色堂の修復作業をする記録映画(白黒でした)を見ました。
安置されている藤原氏四代のミイラも映ってましたが(四代目泰衛は首だけ)
何故か三代目のミイラがガニマタだった事だけ覚えてます。
高橋英樹を見てふと、そんな事を思いだしました。
長文スマソ。
貴重な映像見ましたね。
ミイラってどうやって作るのだろう?
というか日本でミイラが保存されてるのって
珍しくない?金色堂が素晴らしい?
童門冬二がNHKの週刊誌「ステラ」で連載してるんだけど
奥州藤原四代のDNAの鑑定の結果今現在のアイヌとは違うものの
ミイラの作り方は当時の蝦夷(エミシ)の方法らしい。
115 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/24(日) 18:14:18 ID:a5wOtHoz
ミイラにみいられた皆さん
阿部氏は蝦夷ではなかったのか?
安倍氏の血なんて、清衡の母親しか入ってないんじゃないの?
ってか、蝦夷とアイヌは別モノだという説もあるし。
「蝦夷(エゾ)」は北海道のことだが、「蝦夷(エミシ)」とは東北に住んでいた者のこと。
エミシとは「まつろわぬ(服従しない)者」「強き者」の事。
「エミシ」と言う言葉がまずあり、そして「蝦夷」と言う字が当てられた。「夷(エビス)」も同様。
蘇我氏の蝦夷も同じく後世に当て字されたもの。
畿内に住む朝廷に与しない者も「エミシ」と呼ばれていた時代もあった。
119 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/24(日) 19:40:04 ID:EXzsxMKK
初代・清衡と三代・秀衡の顔の復元像は見た事ある。
清衡は細面だが、二代、三代とますます面長になったらしい。
が、何故か四代泰衡で突然丸顔となる。
四代はニセ首では?と疑われる材料のひとつである。
(DNA鑑定で血縁の有無は判るはずだけど)
泰衡の顔の復元も是非見たい!!
もちろん四代中最も豪傑だった二代・基衡も!
そうですね、頼朝も蝦夷と言われたりしてましたね。
蝦夷と言われても征夷大将軍
阿部ちゃんも何か蝦夷っぽい
安部ちゃんはこれから大活躍だね。期待できるかな?
124 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/26(火) 20:43:24 ID:ZXoiGP6s
「蝦夷の国」東北の境界は、どこか?
1.新潟市〜福島県勿来関 以北
2.鼠ヶ関〜仙台市 以北
3.鳥海山〜平泉 以北
4.秋田市〜盛岡市 以北
2.までだったら、俺も蝦夷。
白河関あたり?
126 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/26(火) 22:03:06 ID:/14ag8A+
112の者です。
春の藤原まつりが、いつも以上に大変です。
10年前、SMAP吾郎ちゃんが来た時はジャニーズ追っ掛けが集団で恐かった。
今年は年明け早々、タッキーの出演が決まったからなぁ‥ジャニーズ専属SPも付くし。
フォッサマグナ
128 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/27(水) 00:20:19 ID:AcoYqtj2
>120
昔の大河『太平記』で、
足利尊氏も「あずまえびす」(東夷)
と呼ばれてたのを憶えてる。
でも伊達政宗が蝦夷と呼ばれてるのは聞いた事がない。
百数十年前の戊辰戦争で団結した東北は、蝦夷と呼ばれた事が
あったんだろうか。「朝敵」=「蝦夷」か。
129 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/27(水) 00:28:38 ID:hKMo3AsO
未来永劫、蛭子能収(笑)は呼ばれ続ける
130 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/27(水) 12:51:56 ID:m3fd4XNF
世に伝ふ、この時義経死なずと。おもふに忠衡がもとに逃れしなるべし。
かつ義経すでに自殺して館に火を放ちしともいふか。
泰衡が献ぜし首、真なるにはあらじ。
泰衡も始は義経すでに死しぬとおもひしに、その首を得ざれば、
似たるものの首きりて酒にひたし、日数経てのち鎌倉に送れるにや。
かくて忠衡が義経を助けて奔らしめしをきゝて、うちしなるべし。
(読史余論)
皇族以外は・・・みたいな感じ
>>128 人類学的にとかではないみたい
>117
たしか二代目基衡は安倍宗任の娘と結婚したはず。秀衡はその子?
うん。
東北地方は、いわば外国みたいだったのか・・・
鹿児島の薩摩隼人〜日本国には組み込まれない地域だたっと
聞くけど、九州も隔離されていた地域は多いのかな?
「炎立つ」の総集編をようやく見た。
初めて奥州に現れた義経(野村宏伸)はバカ殿そっくり、
しかも野育ちでやりたい放題、泰衡と共に唖然としたが、
今の滝川義経にもこういう要素があったら、もう少し面白く見られたのに。
>>135 滝沢義経にあれをやらせたら、それこそカックラキン大放送にな(ry
「炎〜」野村義経のバカ殿ぶりも凄いが、書物にむりやり没頭しようとする渡辺泰衡も可愛かった。
むしろいっけいさんにあんなシーンきぼん。
137 :
日曜8時の名無しさん:2005/04/30(土) 00:40:52 ID:Lx29zwD9
>>132 それ、年齢的に無理ない?
かろうじて生き残った安倍氏の一族の娘ということまで否定はしないが。
義経が、奥州を頼らなければ、泰衡は死ぬことはなかった?どう?
義経がいようがいまいが、鎌倉にとっては奥州は目の上のたんこぶでしたからねえ・・・
>>108 日光江戸村とか加賀百万石時代村を統括してるのが江戸ワンダーランドらしい…
忠衡役のユキリョウイチはそこの総合プロデューサー。
142 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/01(日) 01:48:31 ID:yeXNm8Jh
あつかし山の防塁は、なかなかしっかりしていたが
鎌倉軍は山を迂回して攻め込んできた。
いっそ万里の長城級の防壁が鼠ヶ関〜阿武隈川の横断
ラインに欲しかったが・・・
しかし中国の長城が石製になるのは後年の事だったようだ・・
143 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/01(日) 07:33:20 ID:RyDVMtDM
泰衡が陣をしいた地には現在、フルキャストスタジアムが建っている。弱いぞ、楽天。
144 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/01(日) 07:42:42 ID:NONaXTIk
楽天は「ゴールデン(ry)」と名乗ってるが
これってやはり奥州藤原氏の金(による富)にちなんだものだろか
楽天イーグル巣でよかったのでは?
田尾監督は実直そうで良い人のようですが、
東北の人達、見捨てないで応援してあげて下さい。
巨人戦は勝つかもです。
146 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/01(日) 19:51:26 ID:loWjDYw4
>>145 東北は今まで何もなかったらから、なんだかんだいって応援するよ。
サッカーだってべがる太とやまが太しかいないしねぇ。
フルキャストスタジアムって(w
三木谷社長も坊主になって 気合い入れてるんだって?
でもまだ1年目だからね。ソフトバンク(ダイエー)も日ハムも、
最初は弱かったさぁ
奥州は、この後義経が逃げるまで出番無しなのか?
奥州の佐藤の兄弟が「実家に帰りてぇ」と言い出すらしい。
帰っても駄目じゃん!頼朝軍に殺られちゃう
楽天おしりに火がついた、もっとガンバって
154 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/03(火) 14:27:09 ID:1Fiv81zs
藤原祭りアゲ
藤原まつりどうでした? 行ったひとに聞いてみたい。
壇ノ浦でも祭りがあったんですね?
交流戦
雨
160 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/07(土) 03:30:59 ID:xYXo4M2Q
『炎立つ』原作では、
蝦夷が生きている限り、再び平泉は再建されるだろう、
というような事を、泰衡が言っている。
これは作者の願望がかなり入っているかな・・
現在、まだ平泉は再建されていない。
という事は、「蝦夷」は、今・・・?
161 :
日曜8時の名無しさん :2005/05/08(日) 02:27:32 ID:xGFnBv8v
文化の力
163 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/08(日) 21:33:59 ID:bCL+lUj1
奥州藤原氏の遺臣で有名なのが、
山形県酒田市の「酒田三十六人衆」と
岐阜県郡上郡の「上村十二人衆」である。
つづく
何か良スレになってる
皆、詳しいですね
上村愛子って、上村十二人衆の子孫?
って出身地が違うか・・・
岐阜とか長野でスキーをイメージしちまうよ
酒田市はほとんどこの「三十六人衆」が作ったといえるほど、
近世までこの町を自治せしめていた人々である。
日本中にその名を轟かせた豪商・本間家もまた三十六人衆の一家で
(ただし本間家のルーツは相模で、酒田移入後、衆に加わったらしい)
思えば奥州藤原氏の威力が今も最も息づいてる土地、と言えるかも知れない。
さて彼らの元は秀衡の36人の家臣で、藤原氏滅亡後、秀衡の側室、または妹
である「徳の前」を守って山形県の羽黒山、次いで酒田に移ったのである。
つづく
167 :
日曜8時の名無しさん:2005/05/11(水) 09:35:05 ID:F0umIV1E
age
江戸村キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!
(((((((っ・ω・)っ★ブーン
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