【歴史苦手】義経についていけない人を本当に救うスレ
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/19 00:18:06 ID:jw3++ax5
どうせすぐここも山野が来て
いいかげんなウンチクで占拠してくれるだろ。
>>3 いや、山野氏は日本史板では良識派らしいから
そこまではしないでしょう?
日本史板の平安関係スレにいると
すぐ山野がしゃしゃり出てきて邪魔なんだよ。
>3
いいかげんなウンチクって・・・
入道相国くらいは教養の範囲だろ、多分。
つーかこの大河見たがるような年配者には、半ば常識くらいの知識と思うが。
だから「組!」で入ったにわかファンは叩かれるんだよ。
背景知識必要ない程度のドラマで満足してれば?
>>6 誰が「組」だよ。新撰組なんて興味ねーよ。
入道相国が云々って>>1のリンク先の話か?
山野が出てきた途端読むのやめたから何のいいがかりかわからんが。
>>5読め。誰がにわかじゃ。
>>1
乙。
で、質問なんだがナレーションのオバチャンって何者?
どういう身分の人?原作にもいるの?清盛の知り合いっぽかったけど。
>>8 お徳・・・京七条で、鎧武具に使う組紐などを商う老女。
政変や夜盗、火事や飢饉や、魑魅魍魎が跋扈する都でしたたかに生きている。
武具の商いから知れる武家の動向、そして昔面倒を見ていた孤児たちからの噂話。
徳に集まる情報は多岐に渡る。清盛の幼い頃を知るほどで、清盛にもずけずけとものを言える関係である。
ググってもこれしかでてこん。有識者さん、実在した人?
謎な人物だなぁ、と思いながら見てたらいいのかな?
全く歴史に詳しくない奴が答えましょう
架空の人物、宮尾本の創作キャラ
五足その他みーんな架空
ついでにうつぼやあかね、まごめは裏原作、村上本の創作キャラ
こんなもんでいいかな
どっちかと言えば本スレで聞いた方がいいかもね
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/19 09:17:58 ID:rOmy7+YT
現代の歴史創作物のお約束は
・史実にあることは曲げない
・その他は勝手に作っても良いけど、時代考証をオカシクしない範囲でね
ってところですからね。
12 :
日曜8時の名無しさん:05/01/19 22:03:08 ID:bkgBB9ik
★★★★★★盛ばっかでわかりにくい清盛とその子供達まとめ★★★★★★
清盛(きよもり)「”団長”渡哲也」
親父。平家のトップ。大陸と交易するのが好きな経済通。
娘が天皇家が嫁いで、天皇の爺さんになりもっと偉くなる。
実は生まれは平家の中では地位は低い「成り上がり」だが、同時に天皇の落胤説もある。
名前の覚え方:リーダーは、「清」く正しくゴーマンな清盛さん。
時子(ときこ)「”日清ラーメン”松坂慶子」
母(正妻)。桓武平家の直系で、「成り上がりに嫁いだ名家のお嬢様」。
宗盛、知盛、重衡、徳子(天皇に嫁ぐ娘)が実子だが、それ以外の清盛の子の面倒をみる平家のゴットマザー。
天皇の祖母でもあり、壇ノ浦の平家滅亡まで一緒にいる。
重盛(しげもり)「”元気が出るTV”勝村政信」
長男。成績優秀で清盛の後継者といわれたが、清盛より先に病気で死ぬから残念!
息子は維盛(これもり)資盛(すけもり)とか多数。優等生の長男と見てればよし。
名前の覚え方:長男は、責任「重」いね重盛さん。
基盛(もともり)
次男。重盛の母も一緒の弟。だけど二話の時点で病没で、でません。行盛って息子がいるけど出ません。たぶん。
宗盛(むねもり)「”金八中学生結婚”鶴見辰吾」
三男。二話で屏風に石を投げてた子供。次男>長男>親父と亡くなって、最後に平家のトップになるけど、結局滅ぼすから残念!
平家を滅ぼすだめなリーダーという感じでよし。
名前の覚え方:三男でも、「宗」家になって胸をいためる宗盛さん。
知盛(とももり)「”トリック上田”阿部寛」
四男。二話で相撲とってた子供。勇猛で有名で、壇ノ浦で体勢が決まると自ら海に身を投げちゃうから残念!
平家で一番強い人という感じでよい。
名前の覚え方:「知」性より、力が強い友がいいね知盛さん。
重衡(しげひら)「”仮面ライダー響鬼”細川茂樹」
五男。二話で竹とんぼとろうとした義経を助けた子供。反平氏の拠点だった東大寺を焼く。結構源氏に勝つ。一の谷で捕虜になり、処刑。
ちなみに甥で重盛の息子の維盛(これもり)も仮面ライダー。大河ドラマ「義経」では義経と心を通わすらしい。意外と重要人物みたい。
名前を覚え方:茂樹がやるから「しげひら」・・苦しい。
だいたい上の清盛四人の息子だけ顔と名前がわかれば初心者でも「義経」での平家の動きがわかると思いますがどうでしょう。
その他できれば知っておいたほうがいい清盛の子供。
徳子(とくこ)「中越典子」:清盛と時子の次女。天皇に嫁いで子供生む。
能子(よりこ)「”元モー娘。”後藤真希」:清盛の娘で、義経の妹。
知度(とももり)清盛の七男。木曾義仲に倶利伽羅峠で敗れて戦死。名前が知盛と同じなので注意。
清房(きよふさ)清盛の八男。一の谷で生田の森を警護もするも突破され最後は突撃して戦死する。
この方が良くない?
重盛(しげもり)「”ラッパのマーク”勝村政信」
15 :
日曜8時の名無しさん:05/01/19 23:26:35 ID:bkgBB9ik
>>14 ああ、「ラッパのマークの正露丸のCM」のが今は有名か。元気の出るTVはネタが古いよね。
ついでに、金八で杉田かおると中学生結婚したとこも古すぎよなー。
でも、鶴見辰吾でいうとこれしか思い出せないし。
後、「重衡(しげひら)」の名前が覚え方でいい案があったら教えてくれー。
漢字すら表現できない。
この調子で
勝村のおじさん達も紹介してくれー。
相撲とってたのはどこのうち?
時子にトキワのこと問いつめられてた人?
>>15 重衡って一瞬「ジュウショウ」って読みそうになる。
>>16 >相撲とってたのはどこのうち?
>時子にトキワのこと問いつめられてた人?
そのとーり。平盛国。
平だけど、清盛の一族とは別系統。平家の重臣。
19 :
日曜8時の名無しさん:05/01/22 01:51:04 ID:pzDz5zB8
>>17 せめてジュウコウと読んで欲しいorz
平盛国役の人「ええ声〜♪」してるけど確かオペラ歌手だよね?
20 :
揚巻 ◆38tZU5ePtQ :05/01/22 01:56:20 ID:LuufLcsQ
12たん、すごいね〜
萌えたっ
いちおうこっちにも。「最低限この事件だけ押さえていれば大丈夫」リスト
1159 平治の乱
1167 清盛太政大臣に就任
1177 鹿ヶ谷の陰謀→清盛、後白河を幽閉
1180 頼政と以仁王の挙兵&敗死→頼朝&義仲挙兵(石橋山&富士川の戦い)
(この間に福原遷都→京に還都)
1181 清盛死す
1183 倶利伽羅峠の戦い→平氏都落ち
1184 一ノ谷の合戦(=義経本格的デビュー)
1185 屋島の戦い&壇ノ浦の戦い→後白河、義経に頼朝追討を命令
→これ以後義経の没落
1189 衣川の戦い→義経死す
22 :
日曜8時の名無しさん:05/01/22 02:32:10 ID:OSN0DC4j
>>21 鹿ヶ谷の陰謀の首謀者の妹が重盛の妻(森口瑤子)なんだよね。
2回をみた感じだと良さそうな人だったけど。
「兄を助けてーーー!」とか重盛になきつくのかな。
鹿ヶ谷の愉快な仲間たちと後白河の「ウホッ」なシーンもキボンヌ
>>21 清盛って壇ノ浦の前に死んでたのかYO!
いいこと知った_| ̄|○
>>1 乙。前スレは途中から質問スルーしてたしな。
苦手な人間にはそもそも漢字を読むのが難しい。例えば鹿ヶ谷を「ししがたに」と読むことは簡単じゃないし
軽い気持ちじゃ没頭できないから、ナレ付きのまったり人間ドラマでいいんだろうな。今後も歴史苦手でも楽しめるドラマにするだろう。
ただし歴史好きには物足りないから、ついついひけらかしを披露してしまったのが前スレの住民だろうな。
★★★★★★盛ばっかでわかりにくい清盛とその子供達まとめ★★★★★★ Ver1.4
清盛(きよもり)「”団長”渡哲也」
親父。平家のトップ。大陸と交易するのが好きな経済通。
娘が天皇家が嫁いで、天皇の爺さんになりもっと偉くなる。
実は生まれは平家の中では地位は低い「成り上がり」だが、同時に天皇の落胤説もある。
名前の覚え方:リーダーは、「清」く正しくゴーマンな清盛さん。
時子(ときこ)「”日清ラーメン”松坂慶子」
母(正妻)。桓武平家の直系で、「成り上がりに嫁いだ名家のお嬢様」。
宗盛、知盛、重衡、徳子(天皇に嫁ぐ娘)が実子だが、それ以外の清盛の子の面倒をみる平家のゴットマザー。
天皇の祖母でもあり、壇ノ浦の平家滅亡まで一緒にいる。
重盛(しげもり)「”元気が出るTV”勝村政信」
長男。成績優秀で清盛の後継者といわれたが、清盛より先に病気で死ぬから残念!
息子は維盛(これもり)資盛(すけもり)とか多数。優等生の長男と見てればよし。
名前の覚え方:長男は、責任「重」いね重盛さん。
基盛(もともり)
次男。重盛の母も一緒の弟。だけど二話の時点で病没で、でません。行盛って息子がいるけど出ません。たぶん。
宗盛(むねもり)「”金八中学生結婚”鶴見辰吾」
三男。二話で屏風に石を投げてた子供。次男>長男>親父と亡くなって、最後に平家のトップになるけど、結局滅ぼすから残念!
平家を滅ぼすだめなリーダーという感じでよし。
名前の覚え方:三男でも、「宗」家になって胸をいためる宗盛さん。
知盛(とももり)「”トリック上田”阿部寛」
四男。二話で義経と重衡(しげひら)の相撲の行司みたいなことしてた子供。
勇猛で強いので有名で、壇ノ浦で体勢が決まると自ら海に身を投げちゃうから残念!
何故ベストを尽くさないのか!?
平家で一番人気。歌舞伎なら「船弁慶」の主人公。
名前の覚え方:「知」性より、力が強い友がいいね知盛さん。
重衡(しげひら)「”仮面ライダー響鬼”細川茂樹」
五男。二話で竹とんぼとろうとした義経を助けた子供で、義経と相撲をとってた。義経と同じ年頃。
反平氏の拠点だった東大寺を焼く。結構源氏に勝つ。一の谷で捕虜になり、処刑。
ちなみに甥で重盛の息子の維盛(これもり)も仮面ライダー。大河ドラマ「義経」では義経と心を通わすらしい。意外と重要人物みたい。
名前を覚え方:茂樹がやるから「しげひら」・・苦しい。
だいたい上の清盛四人の息子だけ顔と名前がわかれば初心者でも「義経」での平家の動きがわかると思いますがどうでしょう。
★その他できれば知っておいたほうがいい清盛の子供★
徳子(とくこ)「中越典子」:清盛と時子の次女。「建礼門院徳子」とも。高倉天皇に嫁いで言仁(ときひと)皇子=安徳天皇を生む。
能子(よりこ)「”元モー娘。”後藤真希」:清盛の娘で、義経の妹。
知度(とものり)清盛の七男。木曾義仲に倶利伽羅峠で敗れて戦死。名前が知盛(とももり)と似てるので注意。
清房(きよふさ)清盛の八男。一の谷で生田の森を警護もするも突破され最後は突撃して戦死する
>>25 でも、向こうのスレも
>>12が貼られてから、薀蓄はかなり少なくなったように見えるよ。
>>26みたいに改訂版も出てるし。
むしろ、本スレを取り戻すタイミングでは?
28 :
日曜8時の名無しさん:05/01/22 15:40:52 ID:8xKfSMLP
領子(時忠の妻)が時子の松坂と
話したシーンでは何をいっていたかよく聞き取れなかったので
教えて下さい。
盛が実子をおんみょうじの占いで
叱りつけたシーンがありましたがなぜ叱ったのか
台詞内容で教えて下さい。
経子:「春は桜、秋は月見に紅葉狩。
このように年中雅を楽しめるのも六波羅のお父上のおかげでございまする。」
領子:「ほっほほほほほほほ。まことに。
ときに兄上も兄上ですが、姉上の心の大きさには驚かされまする。」
時子:「私の?」
領子:「屋敷の雑仕女が話しているのを侍女が教えてくれなんだら、
私は姉上の寛大さを知らずにいるところでした。」
時子:「領子殿?」
領子:「お隠しあれな、姉上。七条のことにございます。」
時子:「七条?」
領子:「六波羅の兄上が『お通い』だとか。
常磐と言えば、あの時分都でも指折りの美人と言う噂は...」
時子:「常磐?」
領子:「たしか、源氏の頭領の想われ人だったと聞いております。」
経子:「領子様!」
時子:「あぁ、あっ、なるほど。あの七条のことでしたか。ほほほほほ。」
経子:「ほほほほほ。」
領子:「ほほほほほ。で、七条の方にお会いに?」
時子:「それがまだでして。」
30 :
日曜8時の名無しさん:05/01/22 16:07:16 ID:GJf3fudi
平安時代も今の京都弁みたいな言葉だったのですか?
31 :
日曜8時の名無しさん:05/01/22 16:15:33 ID:8xKfSMLP
>>29 ありがとう。
でも台詞内容を知りたかったのは
盛が実子をおんみょうじの占いで
叱りつけたシーンがありましたがなぜ叱ったのか です。
もし良ければこちらもお願いします。
もののふがそんな軟弱なことでどうするんだ!
ということです。軟弱な現代人に対する痛烈な批判も
込められていると思います。渡兄貴最高!
重盛:「お呼びにより、参上いたしました。」
清盛:「先月、筑前に着いた宋の者達が明日密かに都に会えることとなった。」
重盛:「はっ」
清盛:「その宋人達を持て成すのだが、そなたら両名の同席を許すが...どうだ?」
重盛:「是非、同席を願わしゅう!」
清盛:「うむ。そなたはどうじゃ?」
宗盛:「その日にちは、何時でございますか?」
盛国:「明後日でござる...?...なにか?」
宗盛:「その日は、屋敷を出ても良い日かどうか安倍泰親に聞いた上で返答申したいのですが。」
清盛:「宗盛!そなた『もののふ』がその様なことで、なんといたす!?
もし戦場で火急の事ある時も、いちいち陰陽師の占いか?性根を入れろ!」
重盛:「起きなされ。」
重盛:「小松の兄上様。父上は私をお嫌いなのでしょうか?」
重盛:「なにを申される?」
宗盛:「しかし父上は何かというと私を!」
重盛:「宗盛殿は正直すぎる。思うたことを直ぐさま口に上らせすぎる。
陰陽師のことなど口になさらず、ただ、「後ほどご返事を」と申されればよろしいのです。」
奥州に行くと衡衡ばかりになるぞw
35 :
日曜8時の名無しさん:05/01/22 17:08:32 ID:8xKfSMLP
>>33 丁寧にありがとうございました!
初歩の質問ですいませんが「もののふ」って何ですか?
もののふ=武士
>>33 義経にはああだったけど、このドラマでは
小松の兄上様のことは、宗盛は兄として慕ってるのかなあ。
そうであったら、いいな。
時子の台詞では、重盛にもコンプレックスを
感じてるみたいだったけど。
って、本スレにカキコした方がいいか…。
人間の心理は複雑。優秀な兄貴を頼りにし慕いつつ、コンプレックス
を持ち嫉妬もする。特に多感な10代の時は。
自分がそうだったからよくわかる。
>>39 コンプを感じつつも、慕う気持ちもあるならいいですね。
その方が、重盛が死んだ時に、頼りない宗盛に
ますますあはれを感じそうだと思って。
41 :
日曜8時の名無しさん:05/01/22 17:33:56 ID:8xKfSMLP
>>36-37 ありがとう。
本スレはわからないことが多くて、中井?とかプルーンってなんだろうなあ。
あっちは、また山野なんたらが薀蓄垂れ流してる。
わざわざ、3連投とかして・・・
空気嫁と
重盛かっけー
45 :
日曜8時の名無しさん:05/01/22 20:25:10 ID:VXIT0lS2
>>42 中井貴一の髪の毛がCMの年代が上がるにつれて減ってるな(藁
なんてわかりやすいスレだろう。
御曹司ってどういう意味ですか?
たぶん京菓子かなんか...
52 :
日曜8時の名無しさん:05/01/22 23:56:00 ID:XQK/9k6t
>>50 名門の子息.
*昔,公卿(くげ)や源氏の嫡流の,部屋住みの子の敬称.
>>52 御曹子がわからん場合、嫡流も部屋住みもわからんでしょう。
要するに跡継ぎのぼんぼん、でFA?
>>50 「曹司」というのは部屋を指す。
親に与えてもらった立派な個室、と言い換えてもいい。
そこでぬくぬくと育てられた息子が「御曹司」。
簡単に言えば「箱入り娘」の息子バージョンだね。
ボンボンってことだ。
ああ、跡継ぎとは限らないのか。なるほど、当主の息子ね。
>>54 >「箱入り娘」の息子バージョン
↑
わかり易くていい表現だよ。
おまいらホントに頭いいな。
歴史苦手側だから私の勘違いかもしれないけど…
跡継ぎに限らず源氏本家の当主の子どもなら「御曹司」なんじゃないの?
頼朝は父の義朝が生きてた間は御曹司だったけど
自分が当主になったら御曹司ではなくなった。
義経みたいな「当主の子息だけど、跡継ぎでない者」は一生御曹司。
だと思ってた。
わ。リロードすればよかった。ごめんなさい。
>55なんですね。
みんな親切にわかりやすく教えてくれるスレだね。
>60
ほんとだ。なんで「特に義経」なんだろう。
義経の他の兄弟も御曹司と呼ばれていたと思うけど。
ところで、源氏に関しては、当主の子までが御曹司で、
当主の孫でも父親が跡継ぎでなかったら御曹司とは呼ばれない
(たとえば義経の子はもう御曹司とは呼ばれない)
という認識は合ってますか?
「源氏の御曹司」という呼び方には
直系の血筋に対する崇拝の念を感じるんですが、勘違い?
御曹司は部屋住みと同義だと思っていた。
つまり、まだ所領とか館とか独立してない子ども。
跡継ぎでなくても、親の館に一緒にすんでいたら御曹司という感じで。
源氏の御曹司は特に義経をさすとは思わないが、
他の兄弟が領地をもらっているのに対して、義経はまだ御曹司程度では
なかったかと。
>>62 だから、自分は「御曹司」という言い方はどちらかというと未熟というか
独立してない、というニュアンスと結びつけていて、
特に崇拝の意味はないと思ってました。
独立してたら、その官位とか所領とかで普通はよばれる。
ところがその子ども自身がまだ無位無官であったり、所領をもってないと
親と区別してよぶ呼び方がない。んで「御曹司」という言い方になる。
官位は一度授かれば、それを辞職したあとでも、前の○○、という感じで
ずっとその官職でよばれるし。
頼朝は、右兵衛佐という官位を一度手にしてたので、御曹司とはよばれない。
通称というか愛称のレベルではわかんないけど。
65 :
日曜8時の名無しさん:05/01/23 02:30:38 ID:0c1ztmb/
>>64 正解。
司馬遼太郎の「義経」でも御曹司は梶原がこのヒヨッコがってちょっと
侮蔑をこめていうときに使うって書いてあった。
○○家の坊ちゃま、程度の呼称かな。>御曹司
みちのく=陸奥国(むつのくに)=奥州
=現在の三陸地方+福島県(東北地方全体をさすこともある)
だっけ?
御曹司の意味は
>>63や
>>64でOKでしょう。
「特に義経」っていうのは、色々な文献で義経のことを「御曹司」と呼んでいたので、
それが次第に定着していったんだろうね。
>>67 そうです。もっと正確に言うと、
「みちのおく」が「みちのく」になり、「むつのくに」になった。
現在の青森県、岩手県、宮城県、福島県、秋田県の鹿角地方のこと。
「道の奥」ってんだから、近畿地方の朝廷にとって
いかに遠い存在だったかがわかるね。
「いではのくに」=「でわのくに(出羽国)」=「羽州」と合わせて「奥羽」
「御曹司」くらいネットの辞書サイトで検索すればわかると思うが・・・
70 :
日曜8時の名無しさん:05/01/23 11:23:45 ID:44UawLRT
御曹司に「特に義経」と注釈がつくのは
関白といえば秀吉、黄門様といえば水戸光圀というのと同じことだと思う。
73 :
50:05/01/23 12:14:52 ID:QYM3M5hy
51-70さん、私の初歩的な質問にわかりやすく親切な回答と議論を
ありがとうございました。
>>72 質問しなくてもわかることは検索する
それでもわからなければ質問するの方がよくないか?
>62ですが
>63-66他の皆様ありがとう! よくわかりました。
跡継ぎでなくても所領や官位を貰えば
御曹司とは呼ばれなくなるんですね。
御曹司=まだ半人前、という感じなんですね。
血筋に対する崇拝の念があると思ってしまったのは
子どもの頃読んだ物語の刷り込みかもしれません。
傍系の義仲より(土地や家来をまだ持っていなくても)直系の義経、
という気持ちの顕れのように書かれていた(と思っていた)もので。
>70
なるほど。
本題じゃないけど、黄門って中納言のことだったんですね。
今までずっと光圀さん個人の雅号か何かだと思っていました。
>74
検索してすぐ出てくる通り一遍の説明より
ここで聞いた方が面白いと思うんですけど…。
辞書の説明じゃピンと来にくいことも説明してくれるし、
ちょっとしたおまけも聞けるし。(おまけはほどほどが良いですがw)
知ってるつもりだった言葉でも
他の人が質問してくれたことで勉強になることがあるし。
>>50なんて絶対ネタだと思ったのに
その後続々出てくるうんちくは面白かったよ。
わかりやすかったし。
もう救うスレ本スレには戻れません。
>>76 辞書以外にもググればもっといろんな話が出てくる
せっかくインターネットを使ってるんだから有効活用しないと
それが面倒なら仕方ないが
>>77 薀蓄が好きならトリビアスレの方がよくないか?
80 :
70:05/01/23 14:05:32 ID:44UawLRT
「太閤といえば秀吉」だった。スマソ
81 :
日曜8時の名無しさん:05/01/23 15:54:16 ID:196yyetb
うんちくも数行でとどめてあるのがいいね。
>>81 行数の問題かよ。
肝心なのは「わかりやすい表現」かどうかだろ?
>>81 短けりゃいいのか?
わかりやすさだろ
短くても意味不明なら意味なし
中高生にでも理解できるような説明ができないのであれば、
長かろうと短かろうと無意味だという点では同じ事。
読んでる限りここは小学生高学年と中学生向け
向こうは高校生と大学向け
>>83-85 オレは
>>81ではないが、「うんちくも」だよ。
数行でとどめてあるのはうんちくのこと。
説明を数行でとどめろと書いてあるわけではない。
要するに、歴史好きだから少しはうんちくを語りたいのはいいとして、
それを数行でとどめてあるのがいいってこと。
先入観を持って読むからそういう勘違いをする。
>>86 ちょっと引っ掛かる表現だが、
そんな感覚でいいと思う。
今日ほとんど観れんかったんだけど、遮那王の名前がどうたらこうたら言ってたけど遮那王ってどういう意味?
「光り輝く者」
鞍馬寺に安置されている毘盧遮那(びるしゃな)如来から
光り輝くものと言ってたよ
鞍馬寺の本尊は毘沙門天。いわゆる戦の神様。
戦上手の上杉謙信も熱烈な毘沙門信仰者。
95 :
日曜8時の名無しさん:05/01/23 22:30:18 ID:mJ0eaJYK
清盛耳打ちシーンで、
後白河法皇の隣に座っていた皇子は誰?
>>94 鞍馬寺の本尊は毘沙門天 → 義経は戦上手 という意味も入ってるんだろうな。多分。
すいません、時子さんて
壇ノ浦で幼い安徳天皇を抱いて
海に飛び込む人ですか?
あと、那須与一が馬上から船上の扇を矢で射る話って
実話なのでしょうか?
教えてくださいませ
>21
義経が生まれたのは1158?
>21
あと弁慶と会ったのは何年?
>>99 それは、いろいろな説あり。
牛若の少年期くらいに思っておけばいいと思う。
102 :
日曜8時の名無しさん:05/01/23 22:50:37 ID:kwipLMa8
鬼一法眼って実在の人なんですね??
鞍馬天狗と関係ある?
多分、無い。
三輪さんがお堂で毘沙門天の話をするときに
「そんてんは万物を司る力…」(うろ覚え)と言っていましたが
「そんてん」て何ですか?
どんな字を書くのですか?
尊天
>>97 時子は壇ノ浦で飛び込む人です。
那須与一っていう武将がいたのは史実であり、
「平家物語」に扇を射るシーンは載ってます。
しかし、このシーンが何処まで実話で、どこまで脚色かはわからいない。
鹿ノ谷じゃなくて鹿ヶ谷だと言うことを今知ったorz
>105
ありがとうございました。
この場合は毘沙門天のことなのですね。
>97
歴史苦手なので答える立場じゃないんですが
質問が流れてしまいそうで申し訳ないので。
実話かどうかは知らないけど
時子さん(二位の尼)と安徳天皇の話も、那須与一の話も、
平家物語ではそう書いてありました。
どなたか実話かどうか教えて下さい。
>>102 実在かどうかは不明。公式記録にはない。
ただ、伝承は結構残ってる。
鞍馬の僧8人に刀法を伝え京八流の開祖ともいわれてる。
京八流は「鞍馬流」とも呼ばれて諏訪流、吉岡流などへ発展したといわれてる。
ちなみに、吉岡はあの武蔵に出てきた吉岡一門。
このような「流派」を残した伝承などから「鞍馬山で陰陽師に武術教えてた集団のトップ」という説もある。
だから、「鞍馬の天狗」といわれたという説がある。
またリロードを怠ったorz すみません>106
でも実話かどうかという
>97さんの質問の答はまだ不明ですね。
>>95 え?あれ皇子なの?
普通に名もない後白河院の近臣かと。
以仁王か高倉天皇ならクレジットに名前が出るでしょうし。
>>86 もういいトシなんですが、それくらいのつもりだとありがたい。
初心者向けを意識して説明する方が大変なのはわかるんですが。
実は週間こどもニュースが好きだ。
あのわかりやすい説明を作る人は頭良いなあと思う。
「ビギナーズ・クラシックス 平家物語」角川文庫
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4043574045 今現在の言葉に直してあるし
「太政大臣(総理大臣)」「式部卿(文部・総務長官)」「刑部卿(司法長官)」とか
「讃岐守(香川県知事)」「上総介(千葉県副知事)」とか「受領(地方長官)」とか
今の言葉で説明してある。「木曾の最期」とか「敦盛最期」とか声に出して読みたい所は
ちゃんと原文で書いてある。
巻末には合戦の名前とその場所、誰と誰が戦ったか、誰が勝ったか。
地図、年表、源氏、平氏の家系図が載ってる。
この本良いよ。オススメ。とりあえず立ち読みだけでも。
「法眼」って長い間「ほうがん」って読むんだと思ってた…orz
毘盧遮那って何となく音が似てるヒンドゥーのヴィシュヌ神と関係がありそう
「仏教の毘沙門天=ヴィシュヌ神」と解説してるサイトもあるし
鬼一法眼=きいちほうげん
ですね
116 :
日曜8時の名無しさん:05/01/24 14:50:38 ID:yYOmW/wN
陸奥鬼一じゃないの?
117 :
日曜8時の名無しさん:05/01/24 14:54:02 ID:QjrCaPJ8
平家は彼等の政権が大宝律令を無視している事に自覚があるのですか?律令制度自体わかって
無かったのでは?
六波羅って「六原」だと思ってた・・・
ちょっと歴史とは違うかもしれませんが、
子役も滝沢も頭を丸めていない件について質問です。
実際の義経は鞍馬寺にいたが、仏門には入っていなかったのか、
仏門に入っても必ずしも頭を丸めなくて良いのか、
単にビジュアル的に坊主頭はまずいということなのか、どれなのでしょうか?
>>119 剃髪=仏門に入るという事だから
仏門に入ってないんだから頭はあのままでいいのでは。
お寺にはお坊さんの世話をしたり雑用をする子供達がいて
(のちには剃髪して得度してお坊さんになる予備軍?)
牛若はその扱いだったんじゃないかな。
>>117に対して、公家の皆さんがお持ちの「荘園」制度自体が重大な大宝律令違反だと言ってみる。
400年以上も昔のカビの生えた律令ヲタ乙。
>>123 たかだか100年前の法律に則って、
「日本は天皇中心の神の国だ」とか言うのに似てるね。
>>120-122 寺の稚児っていうのは、坊主たちの慰み物だったんだよね。
さすがに源氏の御曹司には手を出さなかったろうけど。
御稚児っていうと高校でやった「今昔物語」思い出す。
お饅頭欲しいんだけど「誰か声かけてくれないかな〜」とかいって狸寝入りする稚児の話とか。
連投スマソ。
>125
司馬遼太郎の「義経」ではガッチリやられてますw
ホントはどうだか知らんけどね。
素性なんて知られていたかどうかわからんし。
知られていても、当時の源氏の御曹司なんてたいしたもんじゃなかったと思うよ。
>>125>>127 当時、女人禁制だった寺社においては、「坊主が稚児でスッキリ」というのは黙認だったみたいだね。(のちには女人でスッキリも黙認)
多分、司馬の原作の通り、牛若も慰み者にされてたとおもうよ。
もちろん、今若や乙若も。
それをうすうすわかりつつ、寺に我が子たちを預けざるを得なかった常盤の苦悩は計り知れない。
「死ぬ」か「坊主の慰み者」かの超難解な二者択一問題を解けと言われているようなもんだ。
高校の古典の教科書に載っていることが多い「徒然草」の仁和寺の法師のお話を覚えている人、いますか?
宴会の座興で足鼎を頭からかぶったら抜けなくなったという間抜けな坊さんのお話。
実はこれは、お稚児さんに気に入られようとしてやった座興なんだそうな。
130 :
日曜8時の名無しさん:05/01/24 21:32:14 ID:wtbzKkej
>>129 からき命まうけて久しく病みゐたりけり
アホだが憎めない部分もある
131 :
日曜8時の名無しさん:05/01/24 21:43:28 ID:DncA7FCk
あなたになにがわかるというのだ!
132 :
日曜8時の名無しさん:05/01/24 22:27:39 ID:Bwwc91XR
>>123 荘園制度は国がちゃんとした法の下に施行された制度で、いわば律令制度の中での改革の一つ。
故に一つも律令制に反していない。
>>132 墾田系荘園は律令に違反してないけど寄進系荘園は違反してるんじゃない?
と知ったかで言ってみる
まあまあ。
源平争乱期というのは、中央集権制から封建制へ移り変わる過渡期なのだから、
律令に反するも糞もないわけで、と難しい用語を並べ立ててみる。
わかりにくくて、初心者の皆様にはごめんなさいです。
この点に関してこれ以上議論したければ、日本史板に移るべきでしょうね。
少なくとも、このスレには合っていない。
行家ってなんであんな簡単に義経に会えたの?
普通なら清盛が手を回して源氏の人には会わせないようにするべきじゃ?
そもそも源氏の人って平家側に指名手配みたいに追われてないの?
新宮十郎が山伏みたいな格好してたのはそのあたりと関係があるんじゃないかと
ところでずっと義盛で逝くのかな?適当な時期に行家と改名するの?
>>125 源氏って本当にたいしたことないよ。当時は武士が非常にバカにされていて、
公卿の奴隷とまでいわれていた時代だし。
それに、寺院にはけっこう名門の子弟が多いから武士の子なんて下賎なもの。
>129
それだとすると、性奴隷というより
普通に男女の関係に近いものがあるな
139 :
日曜8時の名無しさん:05/01/25 11:21:06 ID:iJ9K4pv4
>>138 自分の妄想が普通のことと思わない
くらいの理性をもてよ。
>>135 中世ごろの寺社というのは、自前の荘園を持つ一種の独立勢力なんですよ。
昔は世界が広いですから、京都辺縁であっても鞍馬の山奥にお預けになるというのは
もう別の国に行ったに近い感覚なわけです。
院政自体、律令を超えています。
太政大臣は総理ではありません。総理は関白または内覧の権限を
持った左大臣です。
太政大臣の仕事は特に律令では定まっておらず、
「天皇の先生」「天下の運気を整える」など。
>139
えーだって>125が「坊主の慰み者」って言ってるじゃん。
それって性奴隷、従軍慰安婦並みって事でしょ?
まぁ性の基準は人それぞれじゃ。
144 :
日曜8時の名無しさん:05/01/25 13:10:20 ID:4w2mgoPE
>>142 高僧を癒すことができるなら、お稚児さんにとっても身の冥加だと思うが?
145 :
135:05/01/25 13:20:34 ID:MFv1Pich
>>140 レスサンクス。
へぇ、そうなんだ。すごいな、寺!
勉強になったよ、ありがとう。
僧兵がたくさん描かれてるような絵巻物を見ると、
有髪に水干姿のお稚児さんもいっぱい出てくるよ。
れっきとした平家の御曹司(経正)が幼い頃は仁和寺にいて、
高僧の寵愛を受けていたと設定する能楽があったりする。
平家の場合は御曹司じゃなくて公達と云うんじゃ?
148 :
日曜8時の名無しさん:05/01/25 13:31:58 ID:4w2mgoPE
>>145 顔写真があるわけでなく、全国組織の警察があるわけでなく、
行家程度の小者の動きまで監視するのは、あの時代では不可能だったのだと思う。
日本全体が、現在の地球全体より広い時代だったんじゃないかな。
今でもアメリカがいくら警戒しても、中堅のテロリスト同士の密会までは
キャッチできないように。
まあ現代的な感覚では、年齢からいって慰み者であるとも言えるかもしれないけど
基本は恋愛関係に近いよ。
見目麗しいお稚児さんなんか居ると、みんなで贈り物合戦になったり、
浮気した、しないで喧嘩したり、ヤキモチ焼いて嫌がらせしたりとかするから。
衆道と無縁だった上流社会人はむしろ珍しいのでは?
それほど不潔とは思われなかっただろうし、
男女を問わず弱者の権利などなきに等しいのだから
お稚児だけ特別視する必要はない。
つまり、メジャーなことだった、と。
源氏も平家も武士は当時は被差別階級だったんだよ。
武士のやっていることは穢れに通じるから、平安貴族たちには
蔑まれていた。でもだんだん武力による統制というものに
かなわなくなって屈服したけど、蔑まれていたことには違いがない。
衆道はそんな武士の風習。
武家は上流社会人じゃなくて、被差別階級の汚らわしい風習。
え???
坊さんも差別されていたの???
それに穢れを現代人の感覚で語れるのかな???差別観念は
中世(室町時代)に大変動を起こしたから、それ以前の感覚
について、それ以降の時代の人間は理解し難いってのは有名
な話だろ。
衆道=武士の風習
時代を何百年かズラシテいるね(w
>>152 高僧はそんなことしないわけ。煩悩から解き放たれているから。
堕落した坊さんはやってたってことで、いずれにせよ、あってはならないこと。
155 :
日曜8時の名無しさん:05/01/25 14:48:59 ID:4w2mgoPE
>>151 被差別階級とは言わないでしょ?
お公家さんよりは地位は低かったけど、かなり上の階級にいたことは間違いない。
>>154 高僧こそがそういうことをしたんだよ。
女人との交わりは戒律で禁じられていたが、
同性ならノーカウントだから。
>>155 それは、名目上の高僧でも、ほんもの高僧じゃない。
>>155 何と比較してかなり上だと言っている?
京都では並の町人より蔑まれていた。
158 :
日曜8時の名無しさん:05/01/25 14:58:14 ID:4w2mgoPE
>>157 源氏や平氏がいつの時代に京の一般町人よりも蔑まれていたの?
例えば桓武平氏を例にとって、高望王(望王)も蔑まれていたの?
鎮守府将軍の平国香や良将はどうだった?
平将門や平貞盛の時代?
それとも「平家に非ずんば人に非ず」の清盛時代に蔑まれていたの?
>>158 じゃあ、源氏平氏の一族の武士>町人>一般武士とでもしようか。
一般武士の話。最も上の源氏と平氏に限っては違うだろう。
でも大部分の武士はそんな血筋もない。単に蔑まれるだけ。
源氏平氏の一族くらいの上層の武士は逆に衆道なんてやらなかった。
それと、傍流になれば、ほとんど血筋の価値なんて認められないよ。
それから、実力、経済力と、蔑まれるかは別。
町人(江戸時代の身分制のイメージ)とか持ち出している時点でペケ!
>>157 それは近世以降のこと。古代〜中世前半は全く今と常識の異なる世界。
中世前半までは穢れの意識は現代と比べて極めて希薄だった。
日本史の基本知識くらい抑えておけ!
161 :
日曜8時の名無しさん:05/01/25 15:20:02 ID:HfVSQ1TB
>160
それもまた違っているような。
162 :
日曜8時の名無しさん:05/01/25 15:23:40 ID:4w2mgoPE
>>159 平安時代や鎌倉時代に武士と町人に身分の壁があったのか?
武士は商人や職人になっちゃいけなかったのか?
もっと流動的な時代だと思うぞ。
>源氏平氏の一族くらいの上層の武士は逆に衆道なんてやらなかった。
ソースをお願い。
163 :
日曜8時の名無しさん:05/01/25 15:35:40 ID:IO6k2lQM
町人百姓といえど大きな戦になれば動員された時代に
「穢れに通じる」なんて理由で一般町人より蔑まれたなんて
電波も甚だしいよ。
ちなみに、衆道は武家公家庶民とわず行われていた。
帝でさえ稚児を侍らせていた。
後醍醐帝と北畠顕家なんてかなり有名。
164 :
日曜8時の名無しさん:05/01/25 15:38:40 ID:S5txmbjc
衆道はいけないってのは、明治以降、西洋の物真似
しようとして以降の話じゃないのかね。
どちらにしろ、衆道の描写は出ないから安心しな
なぁ〜んだ
168 :
日曜8時の名無しさん:05/01/25 16:15:13 ID:4w2mgoPE
ジャニーズのタレントが出演している番組で「衆道」なんて禁句だからな。
タッキーもリアクションに困るだろう。
>>168 ジャニーズをなめたらあきませんえ。
ジャニドラマの連綿たる歴史の中にはいろんなのがあるのです。スレ違いだから
ここには書かないが。
院政期こそ、日本史上衆道、というか男色のピークかと思ってた。
保元の乱も平治の乱も、貴族間で大流行してた男色関係を抜きにして語れない。
・・・という本を読んだことがあるが(「院政期社会の研究」)、
ちょっと古い本なので、今は研究が進んでこの内容は否定されてるの?
後白河院も平資盛を寵愛してたと書いてあるぞ。
そんで平氏都落ちのときにどうたらと・・・
あのころの貴族の男色関係かいた本は
五味さんの後でもけっこうみたな。
日記でがっちり書き残してたらしいから
否定しようがないと思う。
神木くんの稚児を想像したら眠れなくなりますた
173 :
日曜8時の名無しさん:05/01/25 17:04:25 ID:4w2mgoPE
>>169 そうなのか。よく調べずに書いた。スマソ。
ジャニーズ恐るべし。
義経は史実ではブサ男なので、寺院で男色が横行していても安全
悪左府はヤッタ男のことを日記に事細かく記載しているね
清盛の次男はなんでどこにも載っていないの?
宗盛は無能ではなかったという説もあるが・・・。
時代の流れには逆らえなかったのだ・・。
>>174 平家物語に記述されてるだけで史実というのはちょっとね‥実母常盤は宮中で千人に一位、腹違いの兄頼友も風貌良とされてるわけで。複数の見方があるわけやから決め付け的な書き方はよくないよーん
>>179 兄と母が風貌よくたって、義経にはとりあえずブサ説しかないんやろ。
181 :
日曜8時の名無しさん:05/01/25 18:17:38 ID:XVvABmSq
何故、平家の息子たちの中で、宗盛の妻だけ登場しないの?
重盛の妻・経子、知盛の妻・明子、重衡の妻・輔子と出るのに…。
宗盛の妻は盛子だっけ?平時信の娘で、時子の異母妹。
平家の女たちの中では結構重要キャラかと思うが…。
宮尾原作でも出てこないの?
182 :
日曜8時の名無しさん:05/01/25 18:18:15 ID:4w2mgoPE
>>180 背が低くて歯が出ていたからってブサだとは限らんだろ?
あんがいあの時代はえびすタンあたりが美男子だったりして
>>180 ( ゚д゚)ポカーン もっとべんきょしてからおいでー。
185 :
日曜8時の名無しさん:05/01/25 18:51:54 ID:Ab8lh+De
律令制には確か、農民への徴兵制もあったと思いますが、彼等の主である豪族にも適用されたのですか?
安徳天皇の母親は徳子でいっしょに身投げするのは時子でいいんかな?
徳子はそのときすでに死亡?
188 :
日曜8時の名無しさん:05/01/25 19:25:22 ID:qK5HtBKh
>>187 建礼門院徳子も飛び込んだけど源氏の郎党に助けられたんだよ。
189 :
日曜8時の名無しさん:05/01/25 19:26:02 ID:4w2mgoPE
>>187 時子(二位の尼)が安徳帝抱いて入水する。
徳子(建礼門院)も同時に入水するが、死にきれずに源氏の兵に
助け上げられ、京の寂光院で28年間も平家一門の菩提を弔いながら
読経三昧の日日を過ごします。
>>185 というか、豪族が農民の主とは限らない。
公家や寺社を主に持つ農民もいる。
>>186 またまた( ゚д゚)ポカーン
おまいめんどいからとりあえず歴史板からまたーりやりなおしてこいー。おまいはまだ人にレクチャーできるほどの賢人ではないとお見受けした‥本スレでも浮いてたぞ。このスレは平和にまたーり行くスレぞ。おいらもスレ汚しスマソおわびに(´・ω・`)⊃柿
>>191 煽り合いは遠慮してくれよ。
このスレッドはそういうスレッドじゃないんだから、反論が
あるならソースで勝負してくれ。
それとここのタイトル読んだか?
当時はイケメンだったのかも
>>192 >>191にこのスレは平和に行くスレぞ、おいらもスレ汚しスマソって書いてる通り煽ってるやつを排除したかっただけなんだよ‥伝わらんかったな(´・ω・`)ショボーン おいらも逝ってきまつ…ノシ
確かに当時と現代とでは美醜の基準が違っていたかも。
平安時代の女性は丸顔に小さいダンゴ鼻と小さい口が美人とされていたと文献にもある。
早い話がオカメの面と同じ顔だよ。現代じゃあまり美人顔とは呼べないよね。
蛭子さん顔がイケメンと云われても不思議ではないな。男だけど。
平家物語には「色白、チビ、出っ歯」のほかに
都人の評判として「平家の公達のカスより劣る」と書いてある。
色白は好ましい系の評価だろうけど、全体としては
容姿は優れていないという印象だろう。
197 :
日曜8時の名無しさん:05/01/25 20:04:26 ID:4w2mgoPE
平安基準だとタッキーはイケメン? ブサ?
>>197にタイムマシン一丁!
>>195 >丸顔に小さいダンゴ鼻と小さい口が美人とされていた
↑
石原さ○みのことかw OTZ
常盤御前も丸顔に団子鼻だったってこと?
それに、出っ歯の付加価値がついた義経最強だね。
>>199 >常盤御前も丸顔に団子鼻だったってこと?
夢を壊すなよw
>>197 平安時代に存在していたら、案外「鬼」と呼ばれたかも。
実際、「鬼」と呼ばれたのは外国人ではないかとの指摘もある。
古来の日本人とかけ離れた顔つきで険しい顔していれば、鬼に見えるだろうね。
中世の絵を見ると庶民は反っ歯な顔立ちだね。あれがあの時代の平均的な顔なのかも。
貴族や武士はむき卵みたいな形に描かれているけど大半は美化かもしれないと疑っている。
203 :
日曜8時の名無しさん:05/01/25 21:48:48 ID:4w2mgoPE
>>201 色白でチビってところは義経に似てるじゃん。
204 :
日曜8時の名無しさん:05/01/25 22:08:43 ID:+eaQPeX6
この時代の一番の疑問。豪族と農民の違いってなんだ?!
>>204 そういう質問をしてくるってことは、あなたは日本史の初心者さんじゃありませんね?
その疑問への回答は初心者向けのこのスレでは、非常に難しいでしょう。
なぜなら、荘園制度とか土地制度とか武士の起源とかいろんな問題が
複合的に絡み合ってくるから。
武士の起源だけでも諸説あって、議論しようとすれば100や200のレスでは足りません。
というわけで、日本史板へ質問してみてはどうでしょうか。
または図書館に行って、「武士の起源」に関する本を探してみるのもいいかもしれません。
>>196 「平家の公達のカスより劣る」←これよく誤解されるけど、容姿のことを言ってるんじゃないよ。
一部を抜粋するんじゃなくて、前後の文もちゃんと読んだほうが良い。
これは立ち居振る舞いのことを言ってる。
貴族的な平家と比べると、源氏は粗野で野蛮と平家物語の作者は言いたかったんだろう。
しかしそもそも平家寄りの視点で書かれた物語なので、
平家物語に書かれたことが史実の義経とは断定できない。
義経が京の貴族にも受けが良かったことは、当時の貴族の日記などにも記述があり、
立ち居振る舞いを貴族からバカにされていたとは思えない。
チビ出っ歯にしても源氏との合戦を前にした敵将のセリフで、史実の根拠としては薄い。
というか、物語なので史実ではない。
>当時の貴族の日記
誰の日記ですか?
九条兼実の「玉葉」あたりかなぁ?206さん、よろしく〜。
>>209 そうです。九条兼実の玉葉です。
九条兼実は頼朝派の貴族なので、義経について批判的なところがありつつも、
誉めるべきところはきちっと誉めてます。
どういうふうに誉めてるんですか?
やはり玉葉でしたか、thx。
訓読の買ったんだけど、全部は読んでない。また読んでみるか。
あの人はかなりの親頼朝だから、彼の日記に書いてあること、というと微妙な感じがするけどね。
>>210 頼朝も義経も公家の社会に触れた人だから、それなりに親近感を持って書いてあるんだろうね。
その点、義仲・・・・
玉葉では義経の容姿については触れてなかったはず。
義経は平家を滅ぼした張本人ですから、平家物語には良く書かれていなくて当然です。
事実はタイムマシーンでもなければ誰にもわかりません〜。肖像も当時の物は本当に似てるかどうかはわからない。
夢脹らませるためには美男と思っていたいですね。
そういえば頼朝像だと思ってた肖像画が実は足利尊氏像だったって話があったな
平重盛像ってほんとは誰なんだったっけ?
義経の容姿について必死な人が多いようだが、ここはそういうスレじゃないし。
別のとこでやってくれ。
感情なくして歴史見るというのは固くなりがちだし、のっぺらぼうより
実体がある方が興味を出せるのだし、ある程度は仕方ないと思う。
悪意に満ちた発言は問題だが。
歴史的にどうだったかはともかく、夢のためにこうであってほしいって
いうのはスレ違いだね。別のところでやれっちゅの。
玉葉の筆者の身内と上皇が通じてたってのは本当?
都落ちの時に比叡山に手引きしたって何かで読んだんだけど。
「義経の母御前が美人だったから義経も美男子だった」
→当時は美人(平安美人)だったかもしれないけど現在見たらガッカリするかもね。
「白くて小さくて出っ歯だった」との記述。
→痩せると歯が目立って出っ歯に見えるらしい。アメリカ兵の見た旧日本軍兵士の風刺画などがそう。
案外スリム系?
真実は歴史の彼方に...
222 :
日曜8時の名無しさん:05/01/26 14:07:19 ID:QqMSaNY4
>>221 >痩せると歯が目立って出っ歯に見えるらしい。
うちのクラスにも色白背が低くて(160cmくらい)で歯が出ているけど、
すっっごいイケメンがいる。まじタッキーよりイケてる。
下らない話で脱線するなよ・・・
向か歯の 殊に さしいでて
だからな。
普通の出っ歯じゃなくてもっと特別歯がでてたんだと思うよ。
出っ歯が美しいって価値観は日本史上聞いたことがない。
脱線話は、どっか他でやってくれ。
>220
「玉葉の筆者の身内と上皇が通じてた」かどうかは知らないが、
兼実の同母弟、慈円は天台座主(叡山のトップと思ってくれ)を何度も務めている。
ただ、都落ちは1183年で、慈円が最初に天台座主になったのは1192年。
でも家柄もいいし、座主になる前も比叡山で力を持ってたのは確かでしょう。
ありえない話じゃないかもね。
>>216 源頼朝像→足利直義像
平重盛像→足利尊氏像
らしい。米倉迪夫氏の説。
平家物語って誰が書いたの?
平家が滅びた後に書かれたんだよね?
それでも平家寄りの視点で書かれてるの?
>>206
>228
諸説あるけどはっきりした作者は分かってない。
一人であれだけのものを書くのは難しいから、おそらく複数作者がいたんではないかといわれてる。
平家物語の一番古い記録をみると、成立した当初は現在伝わっているものの半分くらいの長さしかなかったから、
数百年の時をかけて加筆修正されて現在の形になったと思われるので、
そういう意味では作者なんて無数にいるともいえる。
平家物語では源氏の活躍もきちんと描かれてはいるけど、
木曽義仲を山猿扱いしたり、義経の立ち居振る舞いを平家のクズ以下と言ったり、
当時としてはそれが当たり前だったのだろうけど、東国蔑視、地方蔑視の視点が見え隠れするのも事実。
>>227 あの足利尊氏像が高師直だと聞いたことはある。
あと有名な武田信玄像も別人らしいね。
>>230 ちなみに足利尊氏像とされている肖像画は、「足利尊氏像」ではなく「騎馬武者像」として展示されている。
オレも実物を見たけど、高師直説の方が有力だと思うよ。
あと、本物の武田信玄はもっとスマートだったそうだ(かつての大河ドラマのプルーン信玄みたいな感じか?)
>>229 平安後期は東国自体が島流しの流刑地になるくらいだからなw
>>228 信濃前司行長という人が、比叡山の偉いお坊さんに頼まれて書いた。
実は、あの有名な徒然草にしっかり書いてあったりする。
>この行長入道、平家物語を作りて、生仏といひける盲目に教へて語らせけり。
ってね。
生仏というのは琵琶法師さんの名前で、ご存知のように、本来の平家物語は
ベンベンと琵琶法師が弾いて聞かせるもの。
なので「書いた」というより、琵琶法師に詞を提供したって感じが近いかもね。
その後、その生仏さんから、いろんな琵琶法師さん達にコピーされ、
琵琶法師界No.1ヒット曲として後世に伝わっていった。
そういう風に、口伝でつたわってきた物語だから、演じる琵琶法師によって
よーしここでいっちょ客を泣かせるエピソードでも、みたいなアレンジがどんどん加わってきたわけよ。
書かれたのはもちろん滅びた後だけど、鎌倉幕府ができてすぐぐらいの後鳥羽院の時代。
(ちなみに、壇ノ浦で死んじゃった安徳天皇の次の天皇が後鳥羽天皇)
なので元々のオリジナルが成立したのは、まだまだ直接に清盛やら義経やらを見た・知ってるような、
おじいちゃんおばあちゃんが居るぐらいの時代だね。
平家寄りの視点なのは、どうも最近、京で良くないことが起こるのは
滅びた平家の祟りじゃないか、ちゃんと供養してあげなきゃ、みたいな風潮が
あったからとか何とか。
義経の幼少時の描写が細かいのは、依頼主が比叡山のお坊さんなので、
お山には当然鞍馬に住んでた頃の義経を知ってる人がいたから、とか、
琵琶法師・生仏は東国出身の人で、源氏の武士たちからいろいろ話を
聞いてて、それがバトルシーンのリアリティにつながってる、なんてのも補足情報として。
233 :
日曜8時の名無しさん:05/01/27 21:51:07 ID:41LFURqG
>>232 長文に、ちょっと警戒したけど。
面白くてわかりやすかった。
さんきゅ。
>>232 ただ徒然草も源平争乱気から百年以上たってからの成立だし、
吉田兼好が言ってるだけだから、まあこれも一つの説であって正解と断定できるものじゃないんだよね。
>>229、
>>232、
>>234 ありがとう。なんとなくわかりました。
源氏の政権下で平家寄りの物語なんて書いて大丈夫だったの?
と思ったんだけど、口伝でだんだん膨らんでいった物語ってことかな。
(徒然草ってソースとして信用できるの?ってのは234を読む前に思ったw)
>>235 戦争の記録は勝者によって残される。
だが敵味方の憎悪を超えた武士同士の情がはぐくまれている。
それこそが誉れ高き野蛮人の物語、「平家物語」なのだ。
平家寄りといっても、「平家物語」の清盛についての描写はひどいもんだと思う。
無用に悪人に描かれているような。
滅び行く平家一門には同情的だし美しく書かれているかもしれないが。
239 :
日曜8時の名無しさん:05/01/28 00:59:34 ID:20JLOstt
>>233 >義経の幼少時の描写が細かいのは
平家物語に義経の幼少の話など書いてないけど。
240 :
日曜8時の名無しさん:05/01/28 01:00:36 ID:20JLOstt
>>232 >義経の幼少時の描写が細かいのは
平家物語に義経の幼少の話など書いてないけど。
>>235 源氏政権っつっても、鎌倉ははるか東国でしたからね。
京都の人たちは「イナカ者で乱暴者の坂東武者なんかより、
平家の公達の方が都会的でオシャレでかっこよかったわー」ってなもんでしょう。
ある意味徳川幕府成立まではほぼ2重権力だよな
幕府成立後(現在含め)も、関西や京都の人たちは、
宮廷を持ち上げ、大阪に城を置いた秀吉びいきだったりしますからね。
清盛が悪く書かれてるのは、やっぱり嫌われてたからかもしれない。
あの権力ジジイはどーもあかんってな感じで。
清盛が悪くかかれるのは、物語を単純化するためという説もあるよ。
多様な人々が、それぞれの立場に立って色んな行動をするわけなんだけど、
そんなもんをふっとばして、善と悪の戦いという非常にわかりやすい構図にしちゃった。
源氏対平家。白対赤。
で、悪玉・清盛に対する源氏が一応の善玉。
平家=悪玉じゃなくて、清盛=悪玉ね。重盛なんかは善玉だから。
清盛が行った悪行に、平家の人々も引っぱられて滅亡するというのが、平家物語のストーリー。
>>242 そうだな。
たびたび皇族や公家も担ぎ出されるし。
>>113 見つけたワロタ
現代語訳でも他の人はみんなそれなりに堅い喋り方してるのに
宗盛の台詞だけ「そりゃ最高!」だの「むかつくなあ」だのと訳されてるのは
なぜなんだ?>角川
247 :
日曜8時の名無しさん:05/01/29 01:00:22 ID:kPzaZbJL
エビスさんは活躍しますか?
義経の平家物語の記述に拘ってけなしたがる奴に限って
平家方が当時の平安の典型顔(現代では不細工)になるって事には
触れたがらないとどこかで見た(気がするんだ)がその通りだな・・・
249 :
日曜8時の名無しさん:05/01/29 01:24:51 ID:/TkrUIXJ
平家方が平安の典型顔ってどこに書いてあるの?
美形と表現してあったら平安の典型顔だろ
251 :
日曜8時の名無しさん:05/01/29 01:36:14 ID:/TkrUIXJ
平家方は美形って書いてあるの?
そのへんの話は向こうのスレでやってもらえませんか?
こっちはほんとの初心者に残しておいてあげてよ。
敦盛とかな
あと賀集だったか小泉Jr.がやる役とかもそうだろ>251
>252
悪い
ID:/TkrUIXJは寝たのか?俺も寝る
それじゃ
幼年時代の牛若と青年時代の義経って本当に同一人物なの?
鞍馬行ったり東北行ったりしてる間に摩り替わってたりしてないの?
って昔から思っている。
頼朝が義経を嫌った理由もそんなことなんじゃないのかと。
平安時代の美形は、石原さとみみたいな饅頭顔
いわゆる引き目カギ鼻ってやつじゃないの??
源氏違いだけどw源氏物語絵巻とか見れば?
>>256 義経の活躍ですが
木曾義仲の軍に山本義経って人がいてその人とゴッチャになってるって説もあるそうです。
>>257 そうなのか?イメージ的に平安美人ってのはうりざね顔っていうイメージがあるんだが。
平安時代の美人って、源氏物語では、丸顔で引き目鉤鼻だよね。
あの源氏物語を見ると。でも現代と一貫して同じ美の基準っていうのも
あるから、一概に平安時代の美形=現代の不細工とはいえない。
現在の不細工に平安時代なら、っていうのは単なるお世辞。
現代の不細工は平安時代になっても不細工。
当時の美形が現代でも美形かは微妙なだけで。
簡単にいえば、お醤油顔の美形は平安時代でも美形だけど、
ソース顔の美形は平安時代では受け入れられない。
たとえば
福山雅治は平安に行っても美形だけど、織田裕二は駄目だろうね。
264 :
日曜8時の名無しさん:05/01/29 12:29:13 ID:CK+r676K
加藤あいが平安時代に行ったら般若とか言われそうだ。
加藤あいは全然OKな部類だとおもふ。細目だし切れ長。
口がでかくて色黒ではあるけれども不細工ではないはず。
源氏物語のときの不細工の描写は末摘花に詳しいけど、
末摘花は現在からみても不細工だ。
266 :
日曜8時の名無しさん:05/01/29 13:13:34 ID:MkebDwHB
267 :
日曜8時の名無しさん:05/01/29 13:51:03 ID:Dke75+go
義経=ビーバー
こう覚えておけば忘れない。
268 :
日曜8時の名無しさん:05/01/29 14:52:27 ID:RtSbAshh
福山や加藤あいは現代では文句無く美形だが平安時代ではだめだろ。
顔が下膨れで色白なのが美形だったんだから、福山や加藤あいじゃ
顔が浮腫んでないし小麦色だし。
オカメ顔が美形だと覚えておけばいい。
平敦盛とか維盛辺りはオカメ一族と覚えておけば忘れない。
269 :
日曜8時の名無しさん:05/01/29 14:54:05 ID:RtSbAshh
ああ、TVBrosで以前取り上げられてた奴。
嵐の大野智って奴なんかが敦盛に近い。
270 :
日曜8時の名無しさん:05/01/29 16:44:21 ID:KMxOkkoP
タッキーかわいそうに。
美形なのにビーバー役なのか・・・。
紀宮内親王みたいな顔が平安美人だと思う
紀宮様に出演してほしい。
274 :
日曜8時の名無しさん:05/01/30 00:19:01 ID:ZIXyzuEy
いいね、紀宮様は舞も一流だし。
ちょっと微妙にスレ違いなのかもしれませんが、
常盤が持っている「松藾」、牛若に授けた「薫風」っていう、一対の笛がありますね。
あれは、今でも和楽器のお店に行けば、「薫風」「松藾」という笛が買えるのですか?
それとも、同じ一般的な横笛なんだけど、一対の笛をそういう呼称で言ったのですか?
だれか、知っている人がいたら教えてください。
276 :
日曜8時の名無しさん:05/01/30 00:40:43 ID:ZIXyzuEy
よくわからないけど種類じゃなくて、笛それぞれの愛称じゃないかな?
やっぱ愛称なんですかね。そういう笛があるんなら欲しかったもんで。
涼やかな目元、色白の肌、黒髪、ほんわり丸みをおびた頬。
若かりし頃の宮沢りえみたいのが
平安時代の美人だったのでは。
やっぱね、アーヤとか愛子様みたいな顔なんじゃないかな。
美智子様をかけても、雅子様をかけても、あの顔の血が薄まらないでしょ?
つまり、太古から中世まで、最高権力者は最高の美女ばかりをモノにし続けて、
それが濃〜い遺伝子として残ってるわけだから。
犬の選択交配と同じで。
若い頃の田中裕子とか・・・
281 :
日曜8時の名無しさん:05/01/30 01:23:52 ID:ZIXyzuEy
ハーフだし。
283 :
日曜8時の名無しさん:05/01/30 01:37:11 ID:ZIXyzuEy
いや、クウォーター
中野良子も近いけどちょっと唇が厚い。
確かお父さんがオーストリアだかオランダだかの
外人だったよ!
286 :
日曜8時の名無しさん:05/01/30 01:42:44 ID:0xJVNLZl
287 :
日曜8時の名無しさん:05/01/30 02:42:41 ID:El75Jfz+
>>279ほんと、そのとおりだと思うよ・・。
良子(ながこ?)様(昭和天皇の奥さん)なんか代表的な平安美人?
平安時代に絶世の美女・美男だったら現代でもそれなりの美形じゃないかなあ。
1000年後の人がマンガ見てあれが美人の基準って考えたとしたら
ちょっと違うと思うしさ。
289 :
日曜8時の名無しさん:05/01/30 11:42:13 ID:/ozIMdXn
江戸時代だけど、歌麿の美人画の顔がそのままいるわけでもないだろうし。
あれって多分今で言う漫画の顔みたいに記号化された美形だと思う。
今の漫画の顔だって現実の人間で考えるとグレイみたいな目がでかくて顎が小さい顔になりそうだし。
例のおたふく顔もそういうものじゃないかな。
現代に連れて来たら、美形はそれなりに美形だと思うよ。流行の顔じゃないかもしれんけど。
容姿の話はいい加減他のスレでやってくれないか?
義経の話も女の話も。
292 :
日曜8時の名無しさん:05/01/30 12:22:42 ID:/ozIMdXn
そういえば、日本人画家の織田信長像と、フロイスが連れてきた画家の
信長像(写実的)って全然違ったナ。
日本人画家の絵って伝統的に形式的で全然写実的じゃないんだよね。
293 :
日曜8時の名無しさん:05/01/30 17:21:28 ID:S877tz6/
すまそ。
前回の放送の最後はどこで終わりましたか?
ビデオ録画は本当の父は清盛ではないと知って走り出した牛若
そこで切れていたのでお願いします。
294 :
日曜8時の名無しさん:05/01/30 17:48:27 ID:b3NW9khy
>>293 走り出して滝つぼに飛び込んで、水の中から出てきたら
たっきーになってて終わり。
>>293 本当の父は清盛ではないと知って走り出し、
世をはかなんで滝壺に飛び込んだところを美輪仙人に助けられ、
魔術をかけられていきなり歳を取ってしまいましたとさ。
>>293 牛若が素潜りの世界新記録を樹立。(7年間?)
297 :
日曜8時の名無しさん:05/01/30 23:59:55 ID:HZ7Z5X+o
>>292 うん。確かにそうだね。
それプラス、絵巻物の貴族のおひめサマは薄暗いところに
籠もってた人だから、白饅頭じゃないとどこが顔だかわからないという
要因もあって、
わかりやすいのが「美人」と伝えられたのだろう
もちろん、外で舞う白拍子がそんなんじゃ困るわけで・・・。
とりあえずこのスレのおかげで
今日は成長した盛盛軍団が大挙して出て来たのにもかかわらず
混乱が少なくてすんだ。
ありがとう、おまいら。
299 :
日曜8時の名無しさん:05/01/31 00:41:58 ID:sW5BFEq5
なんで宗盛に奥さんがいないのですか?
>299
いるよ。時子の異母妹なのでそのうち出てくるのでは?
キャスト発表されてなかったっけ。
301 :
日曜8時の名無しさん:05/01/31 01:19:33 ID:zzkNDSPA
鎌倉時代末期、鎌倉幕府の実権を握った
平頼綱って、義経に滅ぼされたはずの平家の生き残りの子孫?
302 :
日曜8時の名無しさん:05/01/31 01:21:01 ID:7SUb63g8
原作には出てこないんだっけ?宗盛の妻。
未読だから知らないのだが…。
それにしても、重盛・知盛・重衡の妻が出てきて、
宗盛の妻が出てこないのは違和感がある。
キャスト発表もされてないし、今後も登場しなさそう。
>>301 そういう説もあったりするが、勝手に名乗った可能性の方が高い。
>>303 そうだろうね。奥州藤原と一緒で権威づけのために勝手に名乗った。
>>304 奥州藤原は一応血縁関係あるよ
後3年の役ぐらいから調べてみそ
306 :
日曜8時の名無しさん:05/01/31 08:29:52 ID:rax1c9L4
307 :
日曜8時の名無しさん:05/01/31 08:33:02 ID:atZJyCZE
308 :
日曜8時の名無しさん:05/01/31 08:35:42 ID:rax1c9L4
309 :
日曜8時の名無しさん:05/01/31 08:37:46 ID:atZJyCZE
>>306 秀郷の子孫と称しているが、奥州藤原氏の祖ともいうべき藤原経清の系譜は不明。
藤原氏の末流だったかもしれないが、正確なことは不明。
310 :
日曜8時の名無しさん:05/01/31 08:40:36 ID:atZJyCZE
>>308 そうかね。
>301が鎌倉時代の北条氏の御内人の長崎頼綱について「平頼綱」と書いているから、
平は姓であり、長崎頼綱と表記すべきと言ったのだが。
312 :
日曜8時の名無しさん:05/01/31 08:49:15 ID:rax1c9L4
>>310 東鑑に文句を言えよ。
何でここで姓を記述してはダメなの?
313 :
日曜8時の名無しさん:05/01/31 08:53:54 ID:mSh5hAZP
長崎頼綱なんて書いてる書物を見たことがないよ。
頼綱ってみなしごじゃなかったっけ?
安達泰盛に見込まれて時宗の小姓に抜擢されたんでしょ。
>>315 そりゃ「北条時宗」のドラマの中の話ですがな
と、マジレスしてみたりする
318 :
日曜8時の名無しさん:05/01/31 10:57:43 ID:sk9vwEkh
>>302 若死にしたから活躍するひまなし。
再婚したが、その妻の若死に
妻運はなかったむねむね
牛若に嫉妬して屏風に投石した少年って今は加集利樹?阿部?
鶴見辰吾
321 :
日曜8時の名無しさん:05/01/31 16:07:44 ID:HqXZwQcP
ID:atZJyCZEは「ブルーマウンテン」を「コーヒー」と言われたら許せない人なんだろうな。多分。
『「このコーヒーおいしいね」じゃないだろ!「このブルーマウンテンおいしいね」だろ!』みたいなw
源平ブランドって今で言えばソニー松下ぐらいの神通力があったの?
「平頼綱」問題(「平頼綱か長崎頼綱か」「タイラノヨリツナかタイラヨリツナか」)って
「時宗」放送時も日本史板にスレ立って何かもめてたっけ
確か結論は出てなかったような気が
つまり日本史板からやってきた自治厨がいるわけか。
自分のルールを押し付けるのはやめてもらいたいね。
特にこのスレでは。
>>324 警察がいないと仮定したら、山口組と稲川、住吉連合
平安末期の武士は堅気ではない。
>>324 源氏や平氏の中にもいくつかの流れがあるけどね。
あと、藤原氏で平将門を討った秀郷(ひでさと)や
芋粥の話で有名な利仁(としひと)の血統も結構なブランドだった。
>>324 ソニーや松下よりも、もっと凄いブランドだと思うよ。
だって、源平時代の400年〜500年後の人たちまで、そのブランドをめぐって右往左往するんだから。
今から400年後の人たちはソニーや松下はご存知だろうか?
>>329 400年後に万一あったらどーすんのさw>松下ソニー
今で言えば〜ってゆってんだから
今で言うもっと凄い(と
>>329が思う)ブランド(勢力)を書くべきでは?
感覚としてつかめないから聞いてるんだろうし。
自民党と共産党くらい?
冷戦時代のアメリカとソ連くらい
あんまりレベルの高いブランドに置き換えると今度は朝廷の立場が説明できなくなる。
朝廷は国連と置き換えればすっきりする。
国連じゃ影響力無さ杉。
336 :
日曜8時の名無しさん:05/02/02 12:56:08 ID:jpqR7d2E
>>327 堅気ではないっつっても、れっきとした官職も持ってる連中を
ヤクザと同列におくのはどうかと。
まぁ現代でも「政治家」とか「警察」なんてヤクザと同じ
メンタリティじゃないか、と言われればそれまでだが。
朝廷→国連でいいじゃん。
実行力も財力もないのに
国連決議=院宣は欲しがられたし
だいたい平家全部が滅ぼされたわけではない
頼朝の支援して執権になった北条氏だって平家の一門だったわけで
そりゃ「平氏」
次の話題は「平氏」(もしくは桓武平氏)と「平家」の違いについて
ストーリーとかはついて行けるんですが、ちょっと質問
この前、平家の重盛・宗盛・知盛が出てきましたが兄じゃの2人は白の服
知盛は色の付いたのもを着てましたよね。
年齢や位によって着る色とか決まってたんでしょうか
白は上の位じゃなきゃ着ちゃいけない、、みたいな?
知盛も重衡もそのうち白いの着るのかな。
単純に、義経の戦う敵であり滅びる「平家」は「伊勢平家」です。他の平家もたくさんあり、そっちは滅亡しません。
伊勢平家は元々平家で地位が低い一門だが、清盛の親父の「忠盛(ただもり)」が瀬戸内海などで海賊退治や交易をはじめに大きくなった。
源氏を散々に打ち破った「武家」を代表する「最強の平家」。
この後、平家が西に拠点を移したり、逃げるのはこの「伊勢平家」の勢力地だから。海では特に強いのは海賊退治で鳴らしたから。
桓武平家全体は西国だけでなく、「平将門」みたいに関東勢力も強い、北条もこの流れ。
あくまで、西国に影響力が強いのは「伊勢平家」のみ、自分達で切り開いた領土だから。
二話で厳島神社に奉納のするのも「伊勢平家の拠点」だから。
壇ノ浦で(ほとんど)血筋が絶えるのはこの伊勢平家であり、
伊勢平家じゃない、時子(清盛の妻)の弟の平時忠(ときただ):「平家であらずんば人であらず」といったといわれる人
は結局生き残ります。
ちなみに、この伊勢平家の血筋で有名なのは
平教経(ただつね):忠盛(ただつね)の孫、清盛の甥。
王城一ともいわれ、源氏六連勝など伊勢平家を代表する武人。
義経をして壇ノ浦の「八艘飛び」してまで逃げなくてはならないほどの男。
しかもその逃げる過程で義経の家臣の「佐藤継信(つぐのぶ)」が義経の身代わりで死んでる。
平敦盛(あつもり)
同じく忠盛の孫清盛の甥。一の谷の戦いで16歳で熊谷直実に打たれる。
で、熊谷直実が16歳を殺したのをショックに出家してしまう。
この話が、舞になり、信長が「人生五十年〜」って踊る「敦盛」になる。
>>343 長文なので一瞬ひるんだけど、うまくまとめてあり、
非常に読みやすくわかりやすくていいね。
345 :
343:05/02/03 19:04:59 ID:SmBmEZrL
>>343 教経(のりつね)I読み方を描くとこ間違いちゃいました。旧名の国盛(くにもり)も加えておく。
平教経(のりつね):忠盛(ただつね)の孫、清盛の甥。1179年のまで能登守になるまで国盛(くにもり)と名乗る。
王城一ともいわれ、源氏六連勝など伊勢平家を代表する武人。
義経をして壇ノ浦の「八艘飛び」してまで逃げなくてはならないほどの男。
しかもその逃げる過程で義経の家臣の「佐藤継信(つぐのぶ)」が義経の身代わりで死んでる。
>>344 サンクス!
346 :
日曜8時の名無しさん:05/02/03 20:54:02 ID:snR/7xlX
>>345 継信が教経の矢で死ぬのは壇ノ浦の前、屋島ですよ。
347 :
日曜8時の名無しさん:05/02/03 21:18:26 ID:9I6s7yyz
頭悪いだけじゃん
348 :
日曜8時の名無しさん:05/02/03 23:06:22 ID:QQvSXYF2
悪いかーーーーー
そういう人のためにあるスレだもの
>>341 「平氏」は、平朝臣(たいらのあそん)姓を名乗る氏族。
皇族、といっても天皇の孫や曾孫といった人々が、皇族の身分のままでいても
かえって立身出世は望めないということで、姓をもらって臣下となったのが始まり。
桓武天皇、仁明天皇、文徳天皇、光孝天皇からそれぞれ発した四流がある。
「平家」はもっぱら平清盛の一族を中核として、同姓異姓の家人、親戚筋を
ひっくるめた武闘政治集団を指す。「六波羅一家」という感じか。
>>343乙。
わかりやすくて助かります。勉強になりました。
ただ、やっぱり長文だと目がすべりがちになるので(警戒もするし)
○早めに改行する
○分割する(今回なら、「ちなみに、この伊勢平家の〜」あたりで)
というのはどうでしょうか?
ご一考ください。
>>350 ほほー。
「六波羅一家」って上手い比喩だね!
桓武一家・伊勢平氏連合・六波羅組
平氏会系六波羅組一家か。
おお、なんかすげー分かったような気になってきたぞ!(゚∀゚*)
そのたとえで言うと義経の立場はどんな感じなんだ?
清盛にとっては「愛人の息子」
義朝にとっては「内縁の妻の息子」
愛人の連れ子じゃないか?
親の仇でもあるが頼朝、義経って恩知らずなんですね、
知らなかった、そしてそんな義経を悲劇の英雄にしたて
あげるとは…
でも命の恩人である池禅尼の息子で清盛の義理の弟である頼盛は助けるよ。
>>358 義経は頼朝の非道で追いやられたってイメージがあるから、
後世に同情されたんじゃないかー?
頼朝は馬から落馬とも暗殺とも言われてるけどあまり同情されてない。
361 :
日曜8時の名無しさん:05/02/05 00:45:34 ID:D+UMTFzd
良スレ保守age
362 :
日曜8時の名無しさん:05/02/05 01:16:01 ID:W+wjrYHN
すべて後白河法皇の陰謀らしいね。
あっちについたり、こっちに肩入れしたり、煽ったり、けしかけたり・・・
都合よく争わせて保身に抜け目がなかったらしい。
義経、実際はチビで反っ歯なブ男だったらしいね。
重盛の母は亡くなったんですか?
だから時子が清盛に嫁いだのか
時子が嫁ぐから、離縁したのか
ちょっと気になってます。
平家一門スレ見てたら、時子の家柄が上とあったので。
死別です。
>>364 ありがとうございます。すっきりしました。
366 :
日曜8時の名無しさん:05/02/05 15:15:30 ID:rkV8rpsT
>>362 人骨を調べると中世日本人は多くがチビで反っ歯だったらしい。
さだまさしみたい? 今の日本人も欧米人と比べるとその傾向が
ある。
367 :
日曜8時の名無しさん:05/02/05 15:20:21 ID:rkV8rpsT
弁慶の履いているような高下駄はうんこを踏んでも平気なように
履いていたという話を聞いたことがある。
368 :
日曜8時の名無しさん:05/02/05 17:12:56 ID:u8HtjP+L
>>367 都の大通りは牛や馬の糞がたまっていたから、ありそーだ話だ。
でも、そのネタってハイヒールが出来た理由だろ。
ヨーロッパの町並みも汚かったからな。
>>368 人糞もね。
当時の道路は、「ゴミ捨て場 兼 糞尿捨て場 兼 貧乏人死体捨て場」みたいなもんだったらしいから、大通りはさぞかし香ばしかっただろうw
370 :
日曜8時の名無しさん:05/02/05 17:29:33 ID:YuhXqu1I
>>366 出っ歯が多い中で際立って出っ歯と言われるんだから、現代からみると
ものすごい出っ歯だったんだろうね。義経って。
371 :
日曜8時の名無しさん:05/02/05 17:55:00 ID:1W0Joo9b
先週見れず今日見ていたのですが、所々見られない箇所があり、
弁慶が寺を追い出された理由がよくわかりませんでした。教えて下さい。
372 :
日曜8時の名無しさん:05/02/05 18:06:03 ID:CNV24dWo
強姦した
>>362 後白河は朝廷存続で動いてるのだから陰謀も糞もない。
それに後白河がいようがいまいが
猜疑心の強い頼朝は義経を許しはしないだろう。
源氏の宿敵である平家を倒した天才軍事司令官で実弟。
義経は朝廷や平泉政権ともコネがある。
源氏の棟梁の頼朝にとってこれほど危険なライバルはいない。
凡将の範頼ですら殺されたのに義経が許されるわけがない。
>>374 ちょっと違うと思う。
天才軍事司令官というのはまさに噂に尾ひれが付いて現代まで流布されてしまった結果であって、
義経はそれほど天才ではなかったという説もある。
じゃあなぜ勝ち続けたのかというと、当時は名乗りを上げて戦うのが礼儀とされたのに、
義経は計略を用い、奇襲を仕掛け、勝つためなら何でもやった。だから勝てた。
例えて言うなら、相撲で取り組みの前に必ず礼をするしきたりだけど、
相手が礼をしている一瞬の隙を狙って体当たりする、みたいな。
それは決して義経が卑怯なのではなく、それが当たり前の戦法だと思っていたから。
何しろ学んだ知識が日本の物ではなく、中国の書物だから。チャイナライズされていた訳ね。
376 :
日曜8時の名無しさん:05/02/05 20:10:12 ID:d7Ts0y8F
>>350 わしは、
「平氏」=氏族(血縁者)
「平家」=プラス縁故者及び家の子郎党
って認識していたよ。
>>375 100年後に攻めてくる元軍の戦術を先取りしてた訳ね
378 :
日曜8時の名無しさん:05/02/05 23:16:21 ID:9rsQujOb
371です。真面目に教えてね!
379 :
日曜8時の名無しさん:05/02/05 23:27:59 ID:wf2jqXC4
比叡山とどっかの寺(三井寺?忘れた)の抗争に平家が介入してきたので、
慌てた叡山が弁慶を抗争の首謀者に仕立て上げて責任を押し付けた。
そんな感じ。
380 :
373:05/02/05 23:43:37 ID:5lUzfSQS
>>379 叡山(延暦寺)と三井寺(園城寺)の抗争に興福寺が介入してきたって話だったような
武家と公家の違いってなんなの。
383 :
日曜8時の名無しさん:05/02/06 01:52:13 ID:ppbmZwjH
公家:官位を貰って朝廷のお仕事をする文官の家柄。
武家:荒っぽい仕事専門の家柄。朝廷のために働くかどうかは関係ない。
公家は武家にもなれるし、逆も当然ある。
>>383 武家が権力を得ていった背景には何があるの。
荘園制から封建制に変わっていく、っていうヤツ?具体的には…なにが変わった?
平将門が反乱を起こしたとき
朝廷では平将門を呪い殺そうとしたんだけど
なかなか呪い殺せなくて「平将門を討った奴は貴族にする」って事にした。
そのときに平貞盛(清盛のご先祖さま)や藤原秀郷が
武家による政治の足掛かりを作ったのではないかなぁと思う。
元々、専ら殺生などの「穢れ」に関係する職能を専門化していただけの
職能集団である武士が政治の表舞台に立った。て視点でも歴史の転換期だったと思います。
386 :
日曜8時の名無しさん:05/02/06 02:24:14 ID:ppbmZwjH
簡単には答えにくい質問だなあ。
武士が力を持てたのは現場の強みかな。
都にいる公家達と違って、実際に地方に赴き荘園を管理する。
自力で開拓した分は自分の土地にしてしまう。
その過程でその土地に住む人民を支配していく・・・
最後には幕府を作って土地の私有化を力で朝廷に認めさせた。
こんな感じで。
387 :
日曜8時の名無しさん:05/02/06 02:25:52 ID:myw0KvNs
公地公民制が崩壊してみんな土地を開拓したり奪い取ったりするようになり
自分の土地を守るために在地主が武力を持つ必要があったのでは
この時代の寺院勢力ってのもかなり今日の暴力団に近いような
特に比叡の山法師どもは
白河天皇をして、「天下三不如意のひとつ」と言わしめたほどだからね。
「鴨川の水、双六の賽、山法師、是ぞ朕が心に隋わぬ者」
>>390 鴨川の水・・・鴨川はたびたび氾濫して付近住民を悩ませた。その治水が当時、うまくいかなかった。
双六の賽・・・賽とはサイコロの事。当時、隠れ賭博が横行し、その取り締まりに手を焼いていた。
山法師・・・
>>388に書いてあるように、宗教の対立及び無法な僧兵を抑えるのに苦労した。
392 :
379:05/02/06 13:38:34 ID:6RDTGe6h
>>371 ビデオで見直したのでもう一回レス。
比叡山(延暦寺)と園城寺の抗争が、後白河法皇が仲裁に入っても収まらなかったので
平家が資盛(重盛の次男)を派遣して武力制圧し、その責任を追及した。
そこで叡山は弁慶を首謀者に仕立て上げ、罪を被せて寺から追放した。
弁慶は身の潔白を訴えるべく重盛の館に押しかけたが、維盛(重盛の長男)が
聞く耳もたず弁慶を締め出したしまったため、弁慶は平家に恨みを持った。
「維盛は聞く耳をもたず」というよりは
1.弁慶が潔白の証をたてるため、叡山の偉いさん(名前忘れた)に確認してくれといった
2.維盛、その偉いさんがお前を首謀者と言ってると返答
3.弁慶、叡山に裏切られたことを知って絶望
という流れだったように思うが。
歴史に関係ないドラマオリジナルの部分だったら悪いんですけど
丹波さんはなんで刀が偽物だなんて言ったんでしょうか?
完全な源氏の裏切り者ってことですか?
将来また源氏に組することを想定したらホントのことを言わない方が良いと思うんですけど
395 :
日曜8時の名無しさん:05/02/06 21:13:10 ID:gwXUcD6v
刀偽者の話の前からついていけなくなったんですけど
わかりやすい解説どなたかお願いします。
牛若の兄の頼朝って清盛の回想だと、子供の頃の?
わからなくなってしまって。。。
>>394 そこら辺は何となく伏線になりそうな感じ
>>394 別に裏切り者じゃないよ。
保元・平治の乱で源頼政は「源氏の主導権争いに勝った人(あくまで現時点で)」だからね。
同じく「平氏の主導権争いに勝って」頂点まで登りつめた清盛と仲良くしておいて損な事はないと判断したんだろう。
歴史を最終的な結果から判断しないように。
>>395 >牛若の兄の頼朝って清盛の回想だと、子供の頃の?
清盛の回想に出てきたのは、子供の頃の頼朝です。
弁慶の泣き所の描写
滝沢vsマツケン ×
川野vs吉右衛門 ○
400 :
日曜8時の名無しさん:05/02/06 23:07:39 ID:MC9L/vV1
現在の頼朝って誰がやってましたか?
>>398 ありあがとうございます。まだわかりません。
>>395の流れわかりやすく教えてもらえると助かるのですが。
どこか見落としたシーンでもあるのかな???
>>395 平治の乱の時、源氏に代々伝えられていた髭切の太刀を捕われの身となった
頼朝(子役)から清盛が取り上げていたわけだが(これは1話目で出てきた話)…
実は頼朝が捕われる前、隠れていた家の主人に太刀を預けていくシーンがチラッと
1話目にも出たんだけど、その家の主人が機転を利かせて刀をすり替えて平家方に
渡していたのを、確認を頼まれた頼朝もわざと本物だとウソをついて清盛に渡していた、
ということが初めて分かって、清盛激怒…という次第のはず。
(このストーリーが頼朝側から出てくればまた分かりやすいだろうけど、そのへん
どうなるかは分かんないっす)
ちなみに大きくなった頼朝は中井貴一(来週から)
えっと、もんじゅだっけ?刀作った人。
そこまで知っておきながら、一目で分かる銘を確認してなかった清盛って
すげーいいひと?
お宝鑑定団にでも鑑定依頼しておけばこんな事にならなかったのに。
>>404 源氏の源頼政に言われるまで知らなかったんでしょ。
407 :
日曜8時の名無しさん:05/02/06 23:30:26 ID:Vf8gyIjy
調べてみたら、髭切・膝丸の2本がセットになっていて、為義が後三年の役での
加勢の礼として熊野別当に膝丸の太刀を与えて、その膝丸の太刀を源義経が
まだ牛若だった頃に熊野別当から受け継いだと書いてあったんだけど、五条大橋
でさしていた刀はその膝丸の太刀だったのかな?
本日の放送を見て疑問です。詳しい方教えて頂けると嬉しいです。
1.源頼政は当時は清盛に気軽に会える身分でしょうか?
2.身分の低い女に産ませた遮那王は、平家にとっては
由緒正しい嫡男頼朝に比べて、大して重要視されてなかったのでは?
>>408 詳しくないけど
2.はその通りだと思います。私も違和感ありました。
1.は・・・「源三位頼政」だから、身分的にはいいんだと思いますが・・
「気軽に」の意味が難しいですね。
上手く説明できる方、お願いします。
>>408 1;はい。平治の乱の時点で仲間ですから。
2;そうでもない。、立場上は重要でもないが、都に近いところにいたので、わりと目障りではあった。
>>408,409 早速の回答ありがとうございます。
今回の「義経」の身分制度の描き方の甘さが気になっていた
&自分が源平にはまったのがかなり昔だったの知識があやふやで、
確認したいポイントでした。
2.に関してはなんかそこまで重要視しなくても、と違和感感じてました。
「義経」だから仕方ないかなぁ、と自分を納得させていました。
武家という点から見れば頼政は親近感はあったのかも。
実際には気楽にいつでも会えるほどの関係ではなかったと思うけど
>>412 そうだな。
清盛は、他に並ぶものがない太政大臣だし。
頼政とは位が違う。
>>279>>287 あの皇太子様愛子様サーヤ系統の顔だちは、ずばりその昭和天皇の奥様の良子さま(というかその父親が似てる)
の実家久邇宮家から来てるようなので、
天皇家にあの顔の濃〜い遺伝子が延々とどうこうではなくて、とりあえずはここ100年で入って来た顔なんだよね。
まあ久邇宮家も宮家だから、天皇家とは色々と血筋も近いんだろうけどさ。
あと、天皇家みたく武家とかからあまり嫁を貰って無いだけに逆に純粋に昔の公家の顔だちが残ってたのかな?
天皇家は昭和天皇までは明治天皇の遺伝が強くて、彫りの深いオリエンタルな顔だちの系統だったよ。
今は礼宮様とその長女の眞子様に少しだけ残ってる顔だち。
原作の宮尾本読んだ時には、偽物に気付くきっかけは文章生でもあった清盛の盟友、
権大納言正二位藤原邦綱と刀の話をした際になってるわけだけど…多分大河の中では
同じ源氏の頼政が刀を見分けたほうが分かりやすいということもあったんじゃないかと。
それに今回の大河の話の中では邦綱は出てこないようだし、味方だった頼政が後に
反乱を起こす点からみても、今から名前出しておいたほうがシックリくるというのも
あるからかな?なんて思ってるわけだけど。
416 :
日曜8時の名無しさん:05/02/07 00:40:57 ID:3GLcma1p
>>401 あまりに歴史に疎いせいかまだわからない。
頼朝って1話から良く出てた?
牛若ばかりに目がいってたけど…刀取り上げてそれで
何の嘘で清盛が怒ってたのかがわからないです。
牛若の兄なわけだから、島流しかなにかされてたと思ったけど・・・
現に牛若は寺に預けられたわけだし。
あ、あと、このスレと類似スレタイのあるけどあれって何?
「一杯食わされた」から怒ったのでしょう。
>>416 社会的地位もあるいい大人が、中学生ぐらいのガキに騙されたから、激しく怒っている。
そんな自分にも怒っている。
>>416 頼朝は1話に出てました。
しかしもう少しドラマ本編で頼朝と義経の立場の違いを描いてくれんかのぉ。
頼朝はバリバリ源氏の嫡子で、よく平家が殺さなかったなぁという大変な存在。
義経は身分の低い女に産ませたどうでも良い存在で、頼朝にとってはそんな弟
いたっけ?くらいだと思うのだが。
421 :
日曜8時の名無しさん:05/02/07 01:12:36 ID:zEOfGkDf
>>416 歴史に疎い云々ではなくて、あなたがドラマを覚えていないだけでしょう。
頼朝少年は1話から出ていました。
父とはぐれて平家に捕まりました。源氏にとって大切な太刀も取り上げら
れました。(実は取り替えてあった)
清盛達の前で本物かどうかの鑑定をさせられました。
頼朝は本物と言いました。
清盛はそれを信じて今まで大事に保存しました。
そのあと頼朝は伊豆に流されました。
そして今回、ニセモノであることが判明して清盛激怒。
>>416 髭切の太刀は源氏の嫡流の証(シンボル)なので、
源氏を本当に滅ぼすためにも清盛はそれを手に入れたかった。
1話で子供の頃の頼朝が清盛の前に引き出された時、
太刀は美濃(捕らえられた場所)に預けてあると言ったので
清盛は人を美濃に使わして太刀を取ってこさせた。
太刀を頼朝に見せて本物に間違いないかどうか確認させたところ
頼朝は本物だと答えたが、実は偽物だったことが後になってわかったので
清盛は激怒した。
「救うスレ」(類似スレ)が始めにあったが、
内容がどんどん難しくなりついていけない人が出てきたので
「本当に救うスレ」(このスレ)が後からできた。
423 :
421:05/02/07 01:14:51 ID:zEOfGkDf
424 :
日曜8時の名無しさん:05/02/07 01:28:09 ID:Cjcwhv3p
教えてくださいな (ネタではない)
家の地元は<馬下> という。(バカとは読まない)
その由来は義経が頼朝の追っ手から逃れる際に馬を下りた場所だから。
ちなみにその場所は新潟県 下越で福島より。(一応地図にも載ってるから興味
のある人は調べてください。)
個人的には(もしホントなら)平泉に行く途中にでも立ち寄ったのかな。
と思うのだが、ホントに義経はここを通ったのだろうか?
小学校の時に区長みたいな人から聞いた話だからもしかしてとは思っている
のですが・・・。教えてください。
>>424 その地名は知ってます。
JR新潟駅から鈍行でいける場所だよね?
まあ、現時点では 平泉に行く途中で立ち寄った可能性がある としか言いようがない。
426 :
日曜8時の名無しさん:05/02/07 01:46:12 ID:Cjcwhv3p
>>425
知っている人が居てくれて嬉しいです。 その通り!!
あ〜やっぱり可能性があるのか。 本当だったらうれしいなぁ。
>>416 分かりやすく流れを書くと、こんな感じ。
清盛の前に引き出されて、検分されちゃう子供の頼朝 (1話)
↓
清「負けたんだから、源氏に伝わる家法の刀、髭切の太刀をよこしなさい」
頼「…美濃に預けてあります」
(取ってこさせる)
清「おお、これがあの髭切の太刀か。で、これは間違いなく本物だろうな?」
頼「……確かに本物でござります」
↓
十何年経って (今週の話)
清「元・源氏の源頼政ちゃんよ、まあ見てくれ。これがあの髭切の太刀だよ。どうだすげーだろ」
頼政「……これ偽物ですがな」
清「ガ━━━━━━(゚д゚lll)━━━━━━ン」
>>411 2に関しては、今回遮那王のことを見つけて、話を持ち出したのが
時子ってあたりでドラマ的な説明は一応つけてあると思う。
常盤と時子の確執は前フリとして描かれてたからね。
政治的な重要度以前に、「常盤の息子」だから面白くないというのが
時子にはある。
429 :
日曜8時の名無しさん:05/02/07 04:28:35 ID:WSuwhjfh
>「救うスレ」(類似スレ)が始めにあったが、
>内容がどんどん難しくなりついていけない人が出てきたので
>「本当に救うスレ」(このスレ)が後からできた。
て言うかさ、最初にできた「救うスレ」てのも内容は大して難しくなかったよ。
普通に歴史の解説とかしてくれてたのを知恵遅れみたいな連中が「日本史板行け」
「長文書くな」とかギャアギャア言ってただけ。だからあのスレは「歴史についての
解説」で、このスレはそれ以前にドラマについていけてない人間用の「ドラマ解説」
のためにある。
このスレ覗いてても思うんだけど、知恵遅れは歴史ドラマなんか見るなっつーの。
ロンブーとか見てろよ。マジイライラする。
430 :
日曜8時の名無しさん:05/02/07 04:39:46 ID:8Aqiu2kg
おまえの発言のがなんか腹立つ
なんか
431 :
日曜8時の名無しさん:05/02/07 06:42:57 ID:ipv2nNgb
私は時代劇に全く興味がなかった歴史音痴だけど
昨日の回から初めてまともに見て公式サイトの相関図とこのスレ読んで、
かなり見易くなったよ。
誰もが皆歴史に詳しい訳じゃないし、これを機会に
少しでも興味を持って知ろうと思えるようになったら、このスレの意味は
果たしてると思うけど・・・。
少なくとも日本史に精通してる人達にしてみたら、つまらない質問でも
親切に分かり易く教えてくれたこのスレの人達にはとても感謝。
ついでに・・・前スレ読んでないけど、知恵遅れは言い過ぎじゃないかなぁ・・・。
単純に予備知識がないだけだと思う。
そしてわざわざ自分が知恵遅れと思う人間が集まるスレにきて、バカにするのは
人としてどうなんだろう・・・?
>>424 > 家の地元は<馬下> という。(バカとは読まない)
じゃ、どう読むの?
434 :
日曜8時の名無しさん:05/02/07 10:03:22 ID:/A1NdpmL
>>427 頼政は、元じゃなくて立派な源氏かと…。
馬下(まおろし)
436 :
424:05/02/07 13:21:21 ID:Cjcwhv3p
>>435 馬下を知ってる人が居て嬉しいなあ。
>>425・>>435さんがもし新潟・福島以外の人なら、
名前の由来が、歴史に詳しい人の間では密かに知られている話で、
歴史書か何かに載ってたりしてww →だったら信憑性は高い!!
義経はどんなルートで平泉に行ったのかな??
>436
裏日本もとい日本海側だろ、ってそういう事じゃなくて?
昨日の平家一門の女衆の会話っておもいっきり説明台詞なんだけど
それでも血縁関係がどうなってるのやらさっぱりわからなかったからね
歴史好きな俺でもあれなんだから普通の人にはつらかろう
439 :
日曜8時の名無しさん:05/02/07 14:15:07 ID:Cjcwhv3p
>>437 へ〜、日本海側を通ったんだ。そういうことと、あと、具体的に通った
県名、など詳細キボヌ。
平家はほとんど「盛」がつくのに源氏は「頼」や「義」や「朝」とかばらばらなのはなぜ?
>>438 時子(松坂慶子)には滋子(中江有里)という美しい妹がいて、宮中に
勤めてるときに後白河法皇のお手がついて、寵愛を受けている。
時子の言ってたもう一人の妹は多分画面に出てこないから忘れて可。
平家が法皇さまに「お願い」をするときに使う手駒のひとつと考えれば
よろしーかと>滋子
442 :
日曜8時の名無しさん:05/02/07 15:26:16 ID:/A1NdpmL
>>440 源氏は、「義」「頼」を代々使っているね。「義」の方が多い?
「朝」はたまたま使っている奴が出てくるだけで、実際はほとんどいない。
答えになってませんが、とりあえず( ・ω・)
肖ろうとするならば
「八幡太郎義家」とか「源頼光」とかから一文字貰うのが良かったからなのでは?
444 :
日曜8時の名無しさん:05/02/07 17:02:08 ID:/A1NdpmL
調べてもよー分からんですね。
戦国時代の織田家・武田家が「信」を代々使っていたと同様、清和源氏は「義」「頼」を使用。
もしかしたら、長男は「義」次男以降は「頼」みたいな条件があるかもしれん。←適当に言ってます
(戦国時代の毛利家が、長男"○元" 次男以降 "元○" みたいな感じ。)
・・・頼朝長男は、頼家か。むー。次男は実朝。むー。条件分からんぞ(#゚Д゚)ゴラァ!!!
ちなみに義経は勝手に元服してるから、どんな条件であれ、満たさない可能性あり。
>>441に付け足し
滋子と時子は母違い。時子と時忠は同母。父は平時信。
滋子の母は夫と家格が釣りあわないほど家柄が良かった。
亡き院の近臣、天皇の乳母の家系の出で怖いもの無し。
反対に時子の母は内親王の下仕えで女官でなく下女。身分低い。
北の方として迎えられることもなく、いつの間にか時信と別れて
後に請われて他の男のもとに嫁いで時子の異父弟を産んでる。
もう一人の妹の冷泉どのも滋子と同母。しかし時信との正式な婚姻前に
誕生した娘のためか幼い頃より母の実家で育てられ幼くして朝廷で女房
として働いていたため時子との縁が薄かったので忘れられていた。
あの場に集められていた平家の女性はみんなお嫁さん。
公家の娘か清盛の腹心の娘で朝廷で女房としても働いてる。
もちろん女房として働くのはとても名誉なこと。
徳子をはじめとして時子の娘たちは内裏女房として出仕すらしてない。
もちろん摂関家どころの家柄でもないし。
それがいきなり入内の話に進むって当時の感覚ではすご杉なんじゃ。
だから後白河院がいや〜な顔をしてたのだと思う。
>>439 海水浴場がある富山県の雨晴(あまはらし)海岸に「義経岩(よしつねいわ)」という史跡がある。
これは、安宅の関を無事通過した後の平泉に逃れる途中の義経主従一行が、雨が晴れるのをこの岩で雨宿りしたという言い伝えから名付けられている。
この「義経岩」がある「雨晴海岸」の地名もその事に由来している。
つまり、言い伝えが事実としたら
安宅の関(石川県) → 雨晴海岸・義経岩(富山県) → 馬下(新潟県) →(略)→ 平泉(岩手県)
という逃避行ルートが想定できる。
今まで登場したシーンならどのシーンでもいいんで
誰か現代風に訳して下さい
>>445 なるほど〜。
地方の成金親父が娘を皇太子殿下の嫁にしようと裏で画策してるってとこか。
そら嫌だろな>法皇様
>>445 徳子の姉はさきに摂関家に嫁いだんじゃなかった?
早々に未亡人になったけど
それが、後に八条院領相続問題となって
清盛が後白河を恨むようになるわけだが?
その、先に摂関家に嫁いだ徳子の姉について大河には関係なさそうだが番外編程度に。
摂関家に嫁いだ徳子の姉盛子は外腹の子で時子の実子ではない。
この盛子は摂関家の若き氏長者、摂政藤原基実に嫁ぐのだがすぐ基実が急逝し
その相続の結果、莫大な摂関家領が11歳の盛子の手に渡ることになる。
このことは巨大な摂関家領が実質平家の意のままになることを意味したわけだが、
後に重盛死去と時を同じくして盛子も亡くなったとき、重盛と盛子の遺した所領が
そのまま朝廷に返領の扱いになり、そこから清盛激怒→法皇幽閉の流れになっていく、
という次第。
まあ兄弟縁者は実に多いので、話には事欠きませんよホント
452 :
日曜8時の名無しさん:05/02/08 00:43:12 ID:QwA+nKEh
>>451 盛子の話なら、河村恵理の漫画で読んだことがあるぞ。
453 :
日曜8時の名無しさん:05/02/08 02:29:52 ID:bglUWdOd
>>427わかりやすく楽しく解説してくれてありがとう。思わず笑ってしまいました。
分かりやすく流れを書くと、こんな感じ。
清盛の前に引き出されて、検分されちゃう子供の頼朝 (1話)
↓
清「負けたんだから、源氏に伝わる家法の刀、髭切の太刀をよこしなさい」
頼「…美濃に預けてあります」
(取ってこさせる)
清「おお、これがあの髭切の太刀か。で、これは間違いなく本物だろうな?」
頼「……確かに本物でござります」
↓
十何年経って (今週の話)
清「元・源氏の源頼政ちゃんよ、まあ見てくれ。これがあの髭切の太刀だよ。どうだすげーだろ」
頼政「……これ偽物ですがな」
清「ガ━━━━━━(゚д゚lll)━━━━━━ン」
454 :
日曜8時の名無しさん:05/02/08 02:31:04 ID:bglUWdOd
清「ガ━━━━━━(゚д゚lll)━━━━━━ン」
のあとに、
庭で暴れましたよね?
ガーン以上の何かがあったのではと思ったんだけど。
455 :
日曜8時の名無しさん:05/02/08 02:35:07 ID:aUgMx+qR
>>454 侮ってまんまと騙された自分自身に対する怒りもあるかと。
>>399 あ!
あれが弁慶の泣き所かw
今気づいた
458 :
日曜8時の名無しさん:05/02/08 08:22:26 ID:n4vsAy7e
だから頼政は元じゃなく立派な源氏だってば。 なに根拠に元つけてんだ?
459 :
日曜8時の名無しさん:05/02/08 08:26:38 ID:n4vsAy7e
単純に源氏平氏に分かれて戦っていると思っていると後で混乱するぞ
>>459 いや、単純に源氏平氏で別れて戦う、という構図は、少し長い目で見ると
正しいような気がする。今回の大河は、血筋の間で揺れる義経を描くのかもしれないけど・・・
>>460 それは北条が平家派だから? 戦国時代の武田vs上杉まで持ってかないよね?w
頼朝の軍勢は平家の人間も多いし、頼朝vs義仲もあるし、単純じゃない気もするが…。
けど、頼政は源氏だけどなw ドラマでも「私も源氏で、清和源氏家宝の刀が見たい」って
頼政も喋ってたっしょ。元義朝派なら分かるが、元・源氏はおかしい。
462 :
424:05/02/08 14:38:37 ID:j6wVEcpy
>>446 詳細ありがとうございました。義経伝説を個人的にも調べてみたのですが、
本当にたくさんありますね。教えていただいたホームページもとても
面白く、参考になりました。
これを機に義経に興味を持ったので、もっと調べようと思います。
>>453 勝手に源頼政を「元・源氏」にするなよw
あの時点では、頼政は「源氏の中の勝ち組」ですよ。
いうまでもなく、その時点での負け組は義朝の一族。
源氏と平家って敵同士なのに
なんで丹波と渡は仲良さそうに話してたの?
465 :
日曜8時の名無しさん:05/02/09 01:04:03 ID:Jn4N+YTN
467 :
464:05/02/09 01:09:17 ID:sElXQ/hy
前回で重要なエピソードとなった髭切りの太刀の話は史実なんですか。
>>461 でも偽の髭切の太刀を掴まされてから10年くらい経ってから
源頼政が見せてくれって言ってくるのがなんか不自然だ。
確かに大河ドラマでは1ヶ月しか経ってないけど。
>>464 頼朝配下なんて、地方豪族除けばほとんど平家の人間だからね。
そういう意味でも、単純な 源vs平 じゃないんだ、あの時代は。
471 :
日曜8時の名無しさん:05/02/09 09:44:33 ID:etuXCJ8J
北条も平氏だもんなぁ
472 :
日曜8時の名無しさん:05/02/09 09:45:27 ID:etuXCJ8J
北条も平氏だもんなぁ
三浦、和田、梶原、熊谷、土肥って頼朝配下だけど、みんな平氏の流れ。
源氏平氏の壮絶な戦い?!ってイメージあるかもだけど、所詮上だけやね。
頼朝vs義仲(源氏同士)もあれば、北条vs三浦(平氏流同士)もある。
そもそも保元・平治の乱でさえ、源氏平氏ごちゃまぜなんだからねw
>>113の本の巻末に桓武平氏と清和源氏の家系図が載ってるんだけど
平家物語の劇中に登場する人物の名前は太文字で書いてあったり
同様に「北条」「畠山」「土肥」「城」「梶原」「三浦」「和田」とかのご先祖さまも書いてあるから
見てみると良いよ。このスレの「義経についていけない人〜」には本当に便利な本。
保元の乱の戦後処理で義朝は父・為義を処刑した
義経面白いと思うんだが、洛中のセットが綺麗杉で
庶民の服がぼろぼろな落差がかなり気になる。
史実的に考えると服の方に合わせるのが正しいのかな?
平家(清盛一族)と平氏(頼朝配下等)は違うとゆうことだね
>>476 いつの時代も金持ちの家は綺麗にしてるだろう。
まして京都は都。地方とは違う。
うろうろしているのは野宿生活者だろ。
>>478 そうなのかな?
時代がぜんぜん違うから参考にもならんかもだけど
応仁文明の大乱前は、京都は死体の山だった筈だが?
義経の時代も、似たり寄ったりの天災はあって死体ぐらい転がってそうだけど。
スラムみたいなもんだろ。
>>479 そりゃ飢饉や戦闘が続いたら埋めきれず放置されてるだろうが、
平時の場合は余裕のある誰かがそれなりに供養するだろう。
いつまでも家の周囲に転がしておくわけにもいかないし。
ドラマだしね。
>>479大河ドラマでアウシュビッツみたいに死体がごろごろしてても困るわけだが。丁度食事時だしね。
484 :
479:05/02/10 09:13:24 ID:62sESlL2
ま、事実がどうあれ、ドラマでは町が綺麗な方が良いだろうなw
>>481 2話か3話で、五足が地震か疫病か流行って孤児がいっぱい出たのに、平家の奴らは
官位の事しか考えてねーって台詞があったような。戦争とかも色々と続いていたし、
あの時代は平治ではないかと…。
雰囲気としては「方丈記」の冒頭部分みたいな感じなんだろうな
>>485 火事やら死別でゲッソリ疲れてたよね、鴨長明。
487 :
日曜8時の名無しさん:05/02/12 21:24:52 ID:2Y0tDOo3
ageておきますね
488 :
日曜8時の名無しさん:05/02/12 23:32:34 ID:R/H9+01T
刀をポンポンって叩くだけで簡単に刃がはずれたんですがなんで?
実践用の刀じゃないから?
ほんとはネジでとまってるのを映像がカットしてただけ?
あんなんじゃ戦の切りあいの時簡単にはずれちゃうよね?
歴史の質問じゃなくてすみませんが…なんとなく気になる
489 :
日曜8時の名無しさん:05/02/12 23:42:46 ID:s11ez4uB
ネジなんかで留ってないよー
鍔で留めてるんだよー
>>488 日本刀の構造を勉強してから来ましょうね。
489
490
491
さん、どもです
とれるんだ びっくり
でも切りあいの時はとれないのね
また出直します
494 :
日曜8時の名無しさん:05/02/13 00:12:14 ID:wdhhsydg
ネジというよりピンみたいなので留まっていて、それを抜けば簡単にああなる。
>>493 刀を止めるヤツは目釘といって、竹製かなんかなので、
乾燥してれば簡単に抜ける。んで、抜いてポンポンすると分解する。
斬り合いのときとれないのは、目釘を湿らせて膨張させてるから。
時代劇いくつか見ると、気合いの入った斬り合いのときに
「目釘を湿らす」という表現や、実際に湿らしてる場面に遭遇出来ると思う。
496 :
日曜8時の名無しさん:05/02/13 00:29:14 ID:Vdop0rtH
司馬遼太郎の義経を読む
番組ホームページを見る
放送中は実況板など見ないで画面に集中する
日曜8時の回でわからなかったらBSで10時からのも見る
対策はこんなとこか
497 :
日曜8時の名無しさん:05/02/13 00:32:17 ID:nBm0a55y
はあ〜ピンだあ〜
あれは目釘で固定しているんだよ。
残念9分23秒遅かったね。
499 :
日曜8時の名無しさん:05/02/13 03:24:34 ID:VB0mP9Di
>>496 > 司馬遼太郎の義経を読む
名作だとは思うが、初心者向けの内容だろうかw
500 :
日曜8時の名無しさん:05/02/13 07:06:54 ID:nBm0a55y
>>489-
>>491 ぜんぜん違うじゃんかよー、もっと勉強しるっ!
>>497目釘が正解だけど、ピンみたいなものというのは
不正確ではあるがあながち間違いでもない。
めくぎ【目釘】
刀剣の身が柄(つか)から抜けないように、なかご(つかに入る部分)に
開けた目釘穴にさす竹・銅・鉄などの釘。
戦おうとするとき、目釘が飛びはずれないように目釘を唾などで濡らして
抜刀の用意をすることを、目釘を湿(しめ)すという。
へぇー!
じゃ、あの柄を口元に持って行って、「ぺっ!!」とかつば吐くシーンって
ただの格好付けじゃなかったんだー。
504 :
488:05/02/13 14:18:02 ID:fWxDccUj
いつのまにかいっぱいレスついてる
教えてくれた皆さんありがとです
>>503 つばだけではなく、水や酒で意図的に湿らせるというのもあると聞いた事がある。
もともと、主人公のサムライっぽいキャラを出すための「あぶさん」の酒しぶきにも通じるところがあるんだろうと思う。
つかね、包丁を分解してみそ?
刃の根本に丸い穴が空いてるから。
日本の刃物は、そういう構造なんだよ。
全然関係ないけどこの板の1001レスって面白い
>>499 司馬遼太郎の義経って最近読んだけど、
そのままエロゲになりそうな気がした(゚∀゚)ゼツリンスギ
>>507 あはっ♥ 気付いてくれた?
それはね毎回私が1000になるのを待って書き込んでいるんですよ。
時代劇のお芝居なんかでは、いざ戦いへ、みたいなシーンで
酒を含んで柄に吹きかけ濡らす、のはお約束みたいなとこありますね。
バットに酒を吹くというのは、その通りでここからの転用です。
ただ念のため濡らすというだけで、構造上、縦方向の衝撃には強いので
斬ったり突いたりする分にはまあ問題ないわけです。
奥州藤原氏って日宋貿易してたんですか?
吉次が言ってたので驚いたんですが。
>>511 してたらしいよ。
北海道方面を経由する独自のルートもあったらしい。
実際金色堂とかには、大陸の方の物が色々使われたりしてたらしいよ。
>>511 中尊寺金色堂には南アフリカ原産の象牙が使われていたとか。
勉強になりますた
東北の勢力が早い時期から中国と独自貿易してたって設定は「炎立つ」でもあったな
設定つーか史実でそ?十三湊とか上ノ国とか・・
だから義経は秀衡の北方貿易ルートを使って、蝦夷、そして中国へ渡った、
なんていう想像が出来るわけだよ。
ジンギスカン伝説も別に突拍子もない所から出来た訳じゃないんだよね。
519 :
日曜8時の名無しさん:05/02/14 22:12:01 ID:iS9RfZ+A
教えてエロい人。
他スレで疑問が出てたんだけど、「喜三太」は実在ですか?
ぐぐったのですがよくわかりません。お願いします。
>>551 吉次の言い方からすると、奥州藤原家にとって、平家一門は「政敵」というよりも「商売敵」という意味合いが強いのかも知れないね。
確かに、独自でゴールドを自由に出来る立場なら、海外と貿易して大儲け出来るからな。
それを平家に独占されちゃ、オマンマの食い上げだ。
源氏の御曹司を引きずり込んででも、平家に対抗したい気持ちがわかるような気がする。
平治の乱のあと範頼はどういう処分されたの?
>>521 頼朝の挙兵に馳せ参じる前のカバちゃんについては史料がなく不明らしい
>>519 実在するんじゃないかな?
常陸坊のように伝説的記述もないし、備前平四郎みたいに登場しない書物がある訳でもないし。
今回の放送の中で、北条の家臣みたいのが滝に行ったら
この滝は俺の物だとか言われ、多勢に無勢で逃げてきた、とか話していたよね。
あれは何かの伏線だから覚えていた方がいいの?
それとも単なる雑談だから忘れちゃっていいのかな?
>>521 どのような処分にされたか、は不明ですが、
九条兼実の家司、藤原範季に育てられていたようです。
>>522 『玉葉』にそれを範季に知らされてびっくり、という記述があります。
それ以外はおっしゃるとおり、史料がなくてわかりません。
的外れで失礼しますが
宮尾本読んでて分からなくなりました
嫡妻=本妻でその子が嫡子だと思っているのですが
宮尾本では嫡妻・本妻・妾妻と順位をつけていて、
義平を嫡男と書いていますよね
本妻は頼朝ママだよね
それより前の人が嫡妻?
>>526 えー補足です。
九条兼実というのは、ドラマの今の時点での関白さんの弟で、
後に頼朝とすごく仲が良くなる人です。
どれくらい仲が良かったかというと、頼朝の妹の娘が、
この人の息子の嫁さんになるくらいです。
>>527 宮尾本は読んでないので、正確かどうかはわかりませんが、
「嫡妻」とは、あなたのいう本妻のこと、
「本妻」とは、一番ではないが、社会的に夫婦関係が認められる妻、
「妾妻」とは、妻としての地位がみとめられないめかけ、てかけの類、
をそれぞれさしているものと思われます。
義朝の妻妾を宮尾本定義で分類しますと、
頼朝ママ・・・中流貴族の娘、嫡妻。
義平ママ、朝長ママ・・・武士の娘、本妻。
義経ママ(常盤)・・・下働きの女中、妾妻。
てな感じで考えておられるのでは、と思います。
頼朝に妹がいるなんて初めて聞いた。
そういえば清盛と常盤の子、能子も頼朝の妹といえるわけか。
「頼朝の妹」でググって見たら二番目が(w
>>528で書いた頼朝の妹というのは、義経や範頼みたいに母親が違うわけではなく、
母親も同じです。
他に同母の弟として、希義がいまして、彼は平治の乱後、土佐に流されていましたが、
頼朝旗上げの2年後、同様に蜂起しようとして、平家方に討たれています。
そのことを知らせに来た希義の郎党に厚く報いたり、
妹のことをその後も気にかけるなど、
頼朝は同母の兄弟に対しては非常な心配りをしています。
>>528 九条兼実って「草燃える」では公家方のメインキャストで
確か高橋昌也が演じてたな
535 :
日曜8時の名無しさん:05/02/15 22:37:59 ID:2/3n3jwd
>>535 姉説もあるんですか。勉強になりました。
537 :
521:05/02/16 04:10:57 ID:vA1fOgSL
えびすさんが演じてる一条大蔵卿っていますよね。
大蔵卿というのは大蔵省の長官のはずですが、
だとすると今でいう財務大臣みたいな感じ?
だとするとのほほんとしてても結構権力者っぽいのですが。
>>538 大蔵卿ですか。
まず官位からいうと正四位下。
ご存知の通り、上級貴族といえるのは三位以上です。
ちなみに太政官でいうと参議と同じ位階になります。
今でいう閣僚クラスは中納言以上ですので、
閣僚にも劣る地位です。
ちなみに当時の大蔵省は、政府の蔵というか、出費を管理する
役所ですが、なんに出費をするのか、を決めることはなくて、
言われた分を出納したり、諸国に配分したりといった仕事をします。
まだ、ドラマの時期では実態は存在したとは思うのですが。
まぁ、現在でいえば、財務省の局長くらいの地位じゃないですかねぇ。
当時の貴族社会でいうと中の上くらいでしょうか。
当時は「国家財政」つーのがそんなに重要じゃないからね・・・
荘園公領制のもとでは、誰も顧みる人がいないポストですよ。
541 :
日曜8時の名無しさん:05/02/16 20:31:51 ID:2gxGMsWx
名前は忘れたけど、源氏でありがながら平家に従ってたあのじいさん
(丹波哲郎が演じてた)は、どうなるのかな?
頼朝挙兵の時とか。
平家側についたまま終わるのか、それとも平家を裏切って源氏につくのか...
どっちなのかな?
>>541 頼朝挙兵のちょっと前に反平家の旗あげするが失敗して市ぬ。
543 :
541:05/02/16 20:39:50 ID:2gxGMsWx
>>542 ありがとう!
あのじいさんが、どうなるか気になってました。
平家の犬では終わらなかったのね(^^)
544 :
日曜8時の名無しさん:05/02/16 20:52:53 ID:0tVgiPEn
実際のところこの頃は貴族って何人くらいいたんですか?
こういう時代物を見てるとその時代登場人物以外の偉い人が
いなさそうに見えるのですが。
あともう一つ不思議な事は、庶民が飢えと貧困で何万人も死んでいる一方、
天皇家や貴族連中は安寧に暮らしている。
この状況がすでに何百年も続いているはずで、流れでいくと貴族人口が
増えて庶民人口が減るはずなのに、庶民人口が圧倒的に多いでしょ?
矛盾しているような・・・
>>544 貴族を五位以上と考えるなら、だいたい300人くらいではないかと
(女性入れるともっと多いかも)。
>>545 平安末期で日本の人口が5−600万人くらいじゃなかったかと
思うのだけど(正確には不明)、たしかに庶民は疫病や飢饉で
かなりの死亡率だけど、貴族階級でも疫病での死亡はかなり
多い(餓死はさすがにいないが)。
もともと貴族の数自体が圧倒的に少ないし、荘園や官職の数に
かぎりがある以上、位をなくして没落していく人も相当いた
はずなので、全人口に貴族が占めるパーセンテージはほとんど
代わっていないと思うよ。
547 :
日曜8時の名無しさん:05/02/16 23:10:13 ID:bmG90yIj
蛭子さんのやってる一条長成家って、有名な五摂家の一条なの?
549 :
日曜8時の名無しさん:05/02/16 23:18:43 ID:jJKfNS63
>>547 試しに五摂家を全て書いてみてください。
近衛
鷹司
一条
二条
九条
だっけ(何も見ずに書いてるけど)
挙兵って何?
兵を集めて戦いを起こすこと。武力行動を起こすこと。旗揚げ。
挙兵を知らない人もいるんだな。
それぐらいは辞書引いて欲しいと思ったり。
16話で富士川の合戦らしいけど
これどんな戦?
平家は一門による首脳会議を福原にて開き、源氏討伐部隊の関東派兵を決議。
司令官は平維盛、副司令官は平忠度。関東に向け出兵。
維盛の鎧姿はとても美しく、忠度は愛人と別れの歌を読み交わす。
平家の軍隊は富士川(富士市)に到着。そこに布陣を張る。
一方、平家の軍隊を迎え撃とうとする源氏の頼朝の軍隊は黄瀬川(沼津市)に到着。
平家軍は関東出身の武士、斉藤実盛から
「関東の武士はたとえ親子でもその死骸を乗り越えてでも戦う」という話に恐怖する。
つづく...
ドラマ見てて、ナレーションや説明台詞がくどすぎると感じる時もあるけど
「挙兵」がわからない人がいるんだから、説明台詞多用も仕方なしか。
_______ __
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ヽヽ___// 日本
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まぁまぁ、このスレの趣旨から考えると、富士川の合戦くらいは
許容範囲じゃね?
561 :
日曜8時の名無しさん:05/02/17 20:22:12 ID:BsGtyQnX
>>551 「あぶない刑事」のセクシー大下の中の人。
>>556 平家の軍勢がチキンハートだということを天下に知らしめた事件
鳥がどれくらい出てくるのか気になるな
564 :
日曜8時の名無しさん:05/02/17 23:51:53 ID:BsGtyQnX
五条の橋の桜を思えば、あながちありえんともいえないな。
頼政(丹波哲郎)は、後白河(平幹)の皇子である以仁王を掲げて、平家に対し兵を起こします。
しかし別当湛三という男に密告されて早々に平家にバレ、平家に敗れて亡くなります。
この頼政と、出るかどうかわからないけど斎藤実盛みたいな味のある老武者が出てくるのが平家物語の
良いところだ。二人とも七十越えてるもんね。
いかりや長介さんまだ死ななかったら良かったのに。
いかりや長介の代わりに思い切って加藤茶でも使ってくれたら
三年ぐらいはNHKを尊敬するな。
あの人のコメディ以外の演技を是非見てみたい。
加藤茶は以前、水曜にやってた新大型時代劇の「武蔵坊弁慶」に出てた
小3の時に武蔵坊はまってなければ義経見てなかったかもしれない
ミンナネタバレイクナイ
573 :
日曜8時の名無しさん:05/02/20 20:46:02 ID:ZbCw/EJJ
松殿は藤原基房(中丸新将)だよね?
んじゃ、三位(さんみ)って誰?
574 :
日曜8時の名無しさん:05/02/20 22:00:15 ID:pQyCotz3
維盛と資盛が公家の牛車と争ったとき、
資盛は、「この間のように引き下がっては、また父上に叱られる」と言い、
報告を受けた重盛は2人に対して、「またしても!」と怒っていましたが、
前にも似たような事件があったのですか。
突然そんなこと言われてついていけません(´・ω・`)
575 :
日曜8時の名無しさん:05/02/20 22:13:38 ID:JXaasM6o
義経は頼朝と出会ってから悲劇が始まるとあった
頼朝は義経が嫌いだったから?
>>575 好き嫌い以前の問題。
ある日突然やって来て「弟です!」と言われても、「だれ?こいつ?」みたいな感じ。
すぐに感情移入できないだろ。
>>575 義経が連れてきた佐藤の兄弟を見て
義経のバックにいる奥州の藤原氏に恐怖を覚え
江ノ島の弁天様に呪い殺すための祈祷をしたらしい。
>574
あのあたりはオリジナル設定なので、寧ろ史実を知ってる人間が混乱していると思う。
「この間」がいわゆる殿下乗合事件で、今回は相手が違う二度目なのか。
とりあえず次週を待て。
お亀にはどういう運命が待っているの?
>>579 それはあとのお楽しみ・・・・・ じゃないな。
亀の前って草燃えるの時は誰が演じてたっけ?
>>579 歴史モノに「ネタばれ」はない(教科書読めば乗ってるんだし)という考えからばらします。
政子と結婚したあと浮気がばれて政子にぼっこぼっこされます。
584 :
sage:05/02/21 14:37:54 ID:Znd8BPIr
京の街中で烏帽子を取りあげられるシーンで
感じた疑問なんですが、烏帽子って髪から
なかなか取れないんですね。
プルーンも烏帽子したまま膝枕とかしてるし。
どうやって髪に留めてるか教えて下さい。
sageそこなった orz
烏帽子の疑問、おながいします
587 :
日曜8時の名無しさん:05/02/21 19:20:53 ID:OYBOnwBr
奥州藤原氏のことなら任せな。藤原の里で撮ったんだぞ。京都じゃねぇぞ!うほー。岩手万歳!!
>>587 NHK大河ドラマと、えさし藤原の郷(&クサマランディングクラブ)は強い絆で結ばれています。
オープニングクレジットを見ればわかる。
昨日出て来た藤原基房って人と
藤原秀衡は関係あらず?
ご先祖様が藤原鎌足だってくらいの関係でないの?
592 :
574:05/02/21 21:33:06 ID:E/N6Xfbh
>>578 ありがとうございました。
乗合事件は知っていたので、前回放送されたのが乗合事件で、
その前にも似たような事件があったのかと思っていました。
次週、重盛殿にしかと説明していただかねば…(`・ω・´)
>>591 より正確に言うと、ともに「ご先祖様が藤原鎌足だと信じてる」ってくらいの関係
奥州藤原氏の祖は藤原経清という人で、さらにその父、頼遠は元々、
坂上氏(祖:坂上田村麻呂)の出自だが、藤原氏に養子に入り、藤原頼遠と名乗るようになった。
だから奥州藤原氏そのものは、血縁関係でいくと京都の藤原氏とは全く関係ない事になる。
藤原鎌足が共通のご先祖様かどうかもあやしい。
一方、母の家系をたどってみると、藤原経清を産んだ母親が、頼遠と離別し、
藤原経輔という、かなりの上級貴族(祖父が藤原道長の兄)に嫁いでいるが、
その子孫たちが基房と血縁関係があるかどうかも微妙なところ。
ちなみに基房のほうは摂関家の子孫
藤原道長→頼通→師実→師通→忠実→忠通→基実と続いた摂関家のうち、
基房は基実の弟にあたる人。兄の摂政基実は平清盛の娘を側室に娶っていたが
若くして死に、遺された摂関家の領地がこの清盛の娘に相続されたために
基房はさすがに平家のことをよく思っていなかったと思われ。
そんな中で清盛の孫に当たる資盛との乗合事件が起こるという次第なわけで。
忠通ってのが保元の乱関係者だっけ?
そうそう…話は思いっきり戻るけど。
忠通の父である忠実は、忠通の弟である左大臣頼長のほうを溺愛して、
氏の長者の地位(家督)を忠通から取り上げて頼長に与えるなどしたため
兄弟仲も険悪になり、それに天皇家の内紛も絡んで互いの主導権争いに
なったのが保元の乱というわけ。
このとき忠通(後白河天皇方)に味方して勝利した平清盛や源義朝といった
武家がその後大きな影響力を持つようになってきて、そういう意味では
保元の乱は武士が台頭するきっかけとなった事件だね。
まあ、奥州藤原氏を(大雑把に)知りたければ、
大河ドラマ「炎立つ」をみることをお勧めします。
特に1部(前九年の合戦)2部(後三年の合戦)は、かなりの佳作ですよ。
1部は特に渡辺謙演じる藤原経清の首を切られるシーンは秀逸。
三部は義経を被るからいまから見ればいいし。
でも、炎立つってDVDとかビデオになっていたっけ?
>598
>渡辺謙演じる藤原経清の首を切られるシーン
ギ〜コギ〜コギ〜コ.....あれは痛々しかった
>>598 総集編なら出てる>ビデオ
それと丁度去年、スカパー(時専)で放映していたんだよね。
>589
ありがとうございます
そうではないかとは思いつつ、誰も紐をつけていないので、
もしかして別の留め方があるのかと思って聞きました
オセロの位置づけがいまひとつピンと来ない。
愛妾というのはわかるけど島流しになったような人相手でも
玉の輿なの?
正式な結婚をしようとしても出来なかったということ?
普通に妾ですらなく、「そば仕えの侍女(お手つき)」くらいの
位置づけじゃないの?
自分で畑を作ってる(手つき・腰つきはひどかったがw)とこをみるかぎり、
武士の娘ですらなさそうだから。
とすれば、彼女にとっては「玉の輿」っつーことになるかもしれないし、
流人のお相手としても、まぁ納得いくんじゃない?
>>602 伊豆に流されて、現地民の女みつけたようなもんでしょ。
現地妻という認識でいいのでは。
そもそもこの時代は先にいくら女つくっても、正妻は別で問題ないし。
今度出る奥州藤原家の四代目:泰衡も次男だけど正妻の子供だから跡継ぎになるわけで。
605 :
日曜8時の名無しさん:05/02/23 13:22:52 ID:cehfv2vU
「○○門院」というのは、江戸時代の大奥女性の「○○院」みたいなもん?
「○○院」という称号は、将軍が死んでから正室や側室が名乗るんだと思う
けど、「○○門院」は、夫に当たる帝が生きてる間から名乗れるの?
606 :
日曜8時の名無しさん:05/02/23 14:08:13 ID:HdNH5RXR
当時の女性の「○○院」というのは「女院」の称号で、
朝廷の審議を経て勅許により与えられるものです。
女院というのは女性ながら上皇なみの待遇を与えられる人のことです。
「女院」としての領地、収入、格式、専門の役人がつけられます。
どのような人がなったかと言えば、
三后(皇后、皇太后、太皇太后)経験者、天皇の生母、
特に選ばれた内親王などです。
江戸時代の「○○院」は出家者や死者に対する尊称で
この頃の女院とはまったく別物と考えるべきでしょう。
女院号は生きてる間にもらえるみたいだよ
建春門院滋子や建礼門院徳子も天皇の母という形になってから
女院号をいただいてるようだし
608 :
日曜8時の名無しさん:05/02/23 14:10:27 ID:HdNH5RXR
付記
「女院」は天皇の勅許があればなれたので
当然夫の有無生死は関係ありません。
ドラマの中でも、建春門院は夫の後白河院が生存中ですが、
建春門院を名乗ってますね。
皇太后と天皇の母って、どう違うんですか?
変な質問ですいません。
皇太后ってのは前の皇后、つまり前天皇の正室(お妃様)で
天皇の母ってのは天皇を生んだ人なので側室であってもいい
(皇后の場合政略結婚が多いので大抵は皇太后≠天皇の生母)
という理解でいいんですか?
例えば明治天皇・大正天皇の生母は皇后(皇太后)じゃなかったよね?
612 :
610:05/02/23 21:51:41 ID:cth6mRRA
ありがとうございます。
明治天皇と大正天皇のことも知りませんでした。
昭和以降の感覚でいるとこんがらかります。このスレあってよかった。
平安時代だと、藤原道長以前は 正妃=中宮(皇后) だったんだけど、
いろいろウルトラな感じで 正妃=中宮、皇后 ってな感じになるんだよね。
本来は、東宮の母=皇后で天皇の母=皇太后がきれいな形なんだろうが。
まあ、女御でさえあれば、その皇子が東宮→天皇になるのは問題ないわけで。
もちろん、親王宣旨を受けてないと駄目だが。
更衣腹や典侍腹、女房や下働きの女の腹で天皇になった人っているのかね?
かなり最近だけど、大正天皇の母親が権典侍だったかと
でも、大正天皇即位後は準皇族扱いになってた
>>613 二条天皇の子(だから後白河の孫ってことになるね)、
六条天皇がそんな感じ。
ま、あかんぼで即位し、あかんぼのうちに崩御したが。
>>614 局名が二位局だそうだが、あれも大正天皇の即位によって二位が贈られたんだろうね。
権典侍というのは内侍の次官なのだろうか。内侍は女御クラスと聞いたが。
元は典侍か女房で、皇子を産んだことで権典侍に昇格したのだろうか。
大正天皇の生母って柳原愛子だっけ
>>616 格付けとしては尚侍─権尚侍─典侍─権典侍─掌侍の順になると思うので、
(明治〜戦前の女官の官位はよくわからないんで、予想です)
平安時代で言うなら更衣クラスあたりかなぁ
>>617 そうです
>>618 では、更衣クラスではないかも。
更衣は大納言クラスの娘でないとなれないし、典侍は受領クラスの娘でもなれる。
元は雑仕女か女房クラスなのか?と思った。
>>619 ぐぐってみたら、柳原愛子の父親は大納言で兄が伯爵とのことでした。
んで、最初は皇太后付きの掌侍、その後権典侍→典侍と位が上がって
いった模様なんで、平安時代にあてはめるのはちと無理があったかも
しんないです。スマソ〜
621 :
日曜8時の名無しさん:05/02/27 04:52:19 ID:TP0md4N0
平安時代以降に出てくる女性で、一番権力を
持った人は、北条政子なのですか?
622 :
日曜8時の名無しさん:05/02/27 05:55:43 ID:F2jcspRv
平安時代も含むのであれば、
藤原道長の姉、東三条院詮子もすごい。
息子の一条天皇に迫って道長をむりやり文書内覧にした
この文書内覧というのは実質的な関白。
その後、道長にもにらみを聞かせ続けた。
一方の北条政子は幕府の中では重みを効かせていたが、
幕府自体が「全国区」ではなかったので、一番権力をもっていた
とは言いがたい。
この頃の幕府は一地方政権で、徐々に西国への影響力をつけていた
という段階。
後は、日野富子か春日局あたりが有力かな?
623 :
日曜8時の名無しさん:05/02/27 08:49:27 ID:Pk6DBDby
>>602-604 オセロ白の父親は良橋太郎というに韮山の地侍だよ。
当時は兵農分離が進んでいないので良橋クラスの侍娘の
オセロが農作業やっても不思議は有りませんよ。
地侍ってなんですか?
>>624 ほい
>・地侍
>地侍とは有力な名主です。彼らは小百姓の成長の中,小百姓ら
>一般の百姓に対する優位性を確保して村落における支配的地位を
>確保するため、地域の有力名主どうしで集団となり、そのなかで相互に
>「地侍(百姓という凡下身分ではなく侍に属する存在)」であることを
>相互に保証し合った人々です。彼らは守護大名や国人などの武士と
>主従関係を結んでいきます。被支配身分から支配身分への成り上がりを
>目指した人々です。しかし彼らの経済基盤は自分が領主に割当てられ、
>小百姓に請作させている名田であり、領主側からすれば「百姓」とみられています。
>>625 サンクス。
守護大名とか、国人とかって教科書でみた覚えがあります。
さしずめ、平家が守護大名で、北条あたりが国人ってとこですか。
なるほど、なるほど。
628 :
日曜8時の名無しさん:05/02/27 21:48:46 ID:WppxGM4Y
丹波頼政、ありゃ何だ?ただのお騒がせ爺さんじゃないか。
あんなエピソードないよね?髭切の伝承に頼政かかわってたか?
>>628 あれは単なる顔見せだから。
頼政の出番が少ないのであの程度のエピソード盛り込む程度はいいんじゃないかな。
名前を忘れられないうちにキーマンをちょこっと出しておく、っていう感じで。
630 :
日曜8時の名無しさん:05/02/27 22:18:28 ID:WppxGM4Y
>>629 なるほど。そういや新宮十郎が出るのも早すぎたしなあ
>>628 ほら、源頼光がご先祖様だし...その家来の渡辺綱が...
駄目?
頼光・・・綱・・・おイ加草子だな
マンサイラクはまだですか…
前回分ですみませんが
清盛の牛車の前を歩く人が持ってた白い棒は何ですか?
長い棒が途中まで白い布で包んであるアレは。
635 :
帥中納言:05/02/28 00:12:24 ID:Jh9IDh82
>>594 >遠は元々、坂上氏(祖:坂上田村麻呂)の出自だが
>経清を産んだ母親が、頼遠と離別し、藤原経輔に嫁いでいるが
ソース欲しいす
>>604 清盛も重盛も維盛も正妻の子ではありませんが
九条兼実も北条泰時も正妻の子ではありませんが
>>635 3代続けて幼い時に母親をなくしているが
清盛と重盛と維盛は正妻の子だろ。
637 :
日曜8時の名無しさん:05/02/28 10:57:56 ID:FQrlhZ8W
清盛と重盛は先妻の子(先妻は早世)
維盛の母は正妻ではない。(名前も知られないどこかの官女)
重盛の正妻は藤原成親の妹経子。
その息子は清経など、3男以下の子供達。
638 :
日曜8時の名無しさん:05/02/28 12:43:05 ID:ee0QlR0i
昨日の放送を見ましたが、疑問があります。
なぜ徳子は入内を快く思わなかったのでしょうか?
639 :
日曜8時の名無しさん:05/02/28 12:52:56 ID:2fTbMbQz
今の暮らしが居心地良いからだと思われ
640 :
日曜8時の名無しさん:05/02/28 13:41:58 ID:i7j9RB7Q
男嫌いだからだと思われ
641 :
日曜8時の名無しさん:05/02/28 13:43:26 ID:bH5+xiWW
政治の道具にされるのが嫌だったからだと思われ
ネタばれしてる後世の人が作ってるので、自分からなりたい、よか、嫌がって
たのに嫁にされちゃう方が、悲劇度アップでドラマ的にもオイシイから。
お相手がまだ7ちゃいだからだと思われ
なんと7歳!それは可哀想。
646 :
日曜8時の名無しさん:05/02/28 17:39:20 ID:kzQGqGT2
>>645 いやいやそんなことはないよ。
年下のダンナは金のわらじを履いてでも探せ、っていうことわざもあるじゃない?
違ったっけ??
647 :
日曜8時の名無しさん:05/02/28 18:37:49 ID:S+cqcElP
おとくって何で清盛にあんな意見できるの?何者?
あと、いつも車椅子に乗ってる、あの婆は誰?何者?
昨日の放送で頼朝が
「火種はくすぶる」とか言ってたけど
どうゆう意味?
>>647 車椅子?押し車なら乗ってるのは婆じゃなく爺だが。
>朱雀の翁…梅津栄
>すざくのおきな。普段は好々爺然として、お徳や烏丸の押す押し車に乗っている。
>その実体は京を牛耳る闇の世界のボス。
お徳はその内番組内で説明がでると思われ。
一応清盛を昔ろから知っている位古い付き合いがあるって設定って事で。
650 :
日曜8時の名無しさん:05/02/28 18:59:41 ID:S+cqcElP
>>649 婆じゃなくて爺だったか・・・
もしかして歩けるのに車いすに乗ってんの?あの爺は
651 :
日曜8時の名無しさん:05/02/28 19:02:44 ID:JKrBWlwK
652 :
日曜8時の名無しさん:05/02/28 19:11:44 ID:S+cqcElP
654 :
日曜8時の名無しさん:05/02/28 19:20:20 ID:+7g2Prf3
>>653 おい!面白いぞ!
「火種はくすぶる」で辞書を引いたら載っていなくて、
代わりに参考サイトが出てきたのだが、
それがなんと!2ちゃん大河ドラマ板の義経スレッド(w
文章丸ごとは辞書ではあまり検索できんだろう
「火種」で検索しる
>>656 そんなとこがあったのか〜しらんかった
でも、火種がくすぶるの意味は知ってるんで、今度わからん
言葉があったときに使ってみるよ
>>656 駅の大量のポスターに書いてあったのはそれだったのか!
659 :
日曜8時の名無しさん:05/02/28 21:13:17 ID:tn2PE+3A
>>574 >>578 いわゆる殿下乗合事件の前年に似たような事件があったことが源平盛衰記に書かれているらしい。
今回の騒動は殿下乗合事件ではないから(賀集がいるのはおかしい)、このあと殿下乗合事件が起こるのかなあ?
660 :
日曜8時の名無しさん:05/02/28 22:20:24 ID:2MgAKMws
頼朝 「石橋山で負けてしまったからには、もう負けられないぞ!」
武士 「その通りだ。何かいい方法はござらぬか。」
頼朝 「そうだ。夜のうちに川を渡って、後ろからせめるのだ。」
武士 「よい方法でござる。」
川を渡っていく。水鳥がバタバタバタ。
武士(平氏) 「ひえ〜。源氏がせめてきた〜。」
武士@ 「にげろ〜。」
武士A 「死にたくない。」
維盛 「戦え!戦え!」
場面は変わって、京の都
清盛 「ばっかも〜ん!負けて帰りゃがって、あほか〜。」
維盛 「お願いです。やしきに帰らせてくださ〜い。」
清盛 「うるさ〜い!」
平氏はこの戦いから次々負けていく。源氏の方は、頼朝ではなく、義経が戦いの中心であった。義経が戦いでどんどん人気をあげると・・・・・。
頼朝 「くそっ〜!義経め、人気がわしよりもあるではないか。ちょっと顔がいいからって、にくたらしいやつめ。いっさ殺してやろう。」
(藤原氏あてに手紙をかく)
藤原殿
義経はけしからんやつで、わしのじゃまをしようとたくらんでおる。
せいばいしてくれ。 頼朝
頼朝 「だれかおらぬか。」
武士 「なにかようですか。」
頼朝 「これを藤原のところへ。」
武士 「かしこまりました。」
(藤原氏のやしきで)
藤原 「まさか、あの義経どのがそんなことを考えおられるとは、しかし、頼朝様の命令にはさからえない。しかたがない。」
武士 「うわ〜。藤原軍がせめてきたぞ〜!」
武士 「うそだろう〜!」
武士 「ほんどだよ。」
義経 「なんだって、まさか。」
武士 「早く、奥へおにげください。義経さま。」
義経 「いや、もうよい。おまえはにげなさい。そのさいに、このやしきを燃やしてくれ。」
武士 「いやでござりまする。」
義経 「はやくしろ。」
武士 「むむ、・・・・・わかりました。」
(義経、自殺する)
頼朝 「(うまくいった。)藤原氏は、わしの弟、義経を殺した。悪いやつだ。殺せ。」
武士 「わかりました。」
(藤原氏を殺しにでかける)
661 :
日曜8時の名無しさん:05/02/28 22:24:43 ID:mZHiGxAt
>>659 あるわけない。
あの仕返しを見て、今後、平家に正面切って逆らう公家がいるわけない。
>>661 しかし、今回の事件の前に乗り合い事件があったことになってるようだが。
婆も「乗り合いのことやらなにやら」と言ってたし。
664 :
日曜8時の名無しさん:05/03/02 04:03:31 ID:52ONk/OY
ほら〜、このスレ見ればよくわかるよ。
徒に視聴者を混乱させるだけで、何の意味もない脚本だったよなぁ>乗り合い事件もどき
乗り合い事件自体知らない視聴者も多いだろうから、
とりあえず、平家と公家は揉め事も多くなってきたんですよってのを
説明したいエピソードだったんじゃ。
「乗合事件」といえばすべて「殿下乗合事件」のこと、
というくらいの認識・知識の視聴者が多いんじゃない?
だから余計混乱する。
>666
それだったら、普通に乗り合い事件をやればいいと思うのだが。
やたらに「先だっての事件」をちらつかせるくせに、何の説明もないから妙な気がするし、
殿下乗合事件を知っている人も混乱する。
669 :
日曜8時の名無しさん:05/03/04 01:27:38 ID:ENzHLpnZ
あげときます
>>668 タッキー登場の時点でもう1171年だったから
671 :
日曜8時の名無しさん:05/03/04 10:49:29 ID:ap6113ck
あぁ
672 :
日曜8時の名無しさん:05/03/06 02:08:46 ID:Vmv4v8Zb
あげます
673 :
日曜8時の名無しさん:05/03/06 08:40:24 ID:pt7OQZlY
>>638 平徳子 1155年〜1213年
高倉天皇 1166年〜1281年
11歳も年下だからね。
因みに、高倉天皇は、
後白河法皇と建春門院(中江友里)の息子。
ふたりの間に生まれた安徳天皇は、1178年生まれ。
つまり、高倉天皇の12歳の時の子供である。
>>673マジでつか?
入内(結婚)は何年ですか?
675 :
日曜8時の名無しさん:05/03/06 08:59:31 ID:pt7OQZlY
>>674 ごめん、間違った。
高倉天皇は、1161年生まれ。
結婚したのは1172年。
つまり、高倉天皇11歳、徳子17歳で結婚。
徳子にしてみれば、叔母(母時子の妹)の子だから
従兄弟と結婚したことになる。
最初の子供は、76年生まれ(女)だから、
高倉天皇15歳の時の子供。
676 :
日曜8時の名無しさん:05/03/07 22:19:20 ID:52OPF0wh
やあ。
677 :
日曜8時の名無しさん:05/03/07 22:34:01 ID:xxP0YgFX
「義経」ってほんとに自分で名付けたの?
「義」は源氏の通字。
「経」はお経の経。寺にいるとき、経を読む生活だったからでしょう。
安易な付け方だなとは思うよ。
679 :
日曜8時の名無しさん:05/03/07 22:44:00 ID:52OPF0wh
>>678 名前の由来がわかりやすくていいんだけど、何だかなーw
母から一文字もらって「義常(よしつね)」でも良かったんじゃないの?
>>678 まあそれも一つの説で定かではない。
なんで「義経」なのか本人の証言が残ってるわけじゃないので。
ただ、同じ源氏にすでに義経(山本義経)がいたのに同じ名前を名乗ってしまったのは、
やはり一族から離れて育ったことと、烏帽子親がいなかったことが原因で、
山本義経の存在を知らなかったからだろうといわれてる。
だから一人で元服し、名前も自分で付けた可能性はある。
清和源氏の初代「経基王」から。って話もある。
>>679 もしあなたが日本を追われて海外逃亡したり、
あるいは犯罪を犯して服役後、社会に復帰したとしたら、まず何をしますか?
自分の名前を変えると思うんですよ。
名前がそのままだと、あの○○(犯罪名)の何々だ、とすぐばれてしまうから。
私は義経が元服する理由として、こういう理由もあると思うのです。
とすると、名前から身元が類推されるのは避けるべきじゃないかな。
常なんていう字を使ったらすぐに常盤の子供だとばれてしまうじゃない?
これまで、寺に預けられたといってもすき放題やってるし、遮那王を可哀想とも思わなかったが、
烏帽子親もなく、自分で名前をつけるシーンを見て、初めて可哀想というか、惨めだなと思った。
たぶん脚本家の意図とは違ったと思うけど。
母親の名前から字を取る武家の子はいないでしょー>682
685 :
日曜8時の名無しさん:05/03/07 23:03:59 ID:i00RNEEk
六孫王経基が正解
>>684 まあね。
でもこの場合、自分で自分に名前を付けるわけだからかなり選択の自由度はあるよね。
「どういう名前にしようかな。『義』は使うとして問題は下の字だな。そうだ、母上から一字もらおう」
なんていうのも充分あり得るかと。
688 :
日曜8時の名無しさん:05/03/08 01:01:28 ID:XtIy94yC
>>680 そういう例で有名なところでは、伊達政宗もそうだ。
自分の何代か前に「政宗」という人がいたのに、あえて「政宗」を名乗った。
689 :
688:05/03/08 01:04:45 ID:XtIy94yC
>>688に追加。
ただし、伊達政宗は当然そういう名前の先祖がいた事は知ってたはずだけどね。
言ってる事はわかるが、根本的にその例は違うと思う。元服すれば名前変えるの
が普通だし、
>>684的な理由はあると思うが。名前変えても、義朝の9男には変わり
ないし、あんま身元隠す事には役に立たない。
age
677 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:05/03/09(水) 23:05:56 ID:J1EKgIOi
知られざるそれぞれの人物の年齢(1171年現在・数え年)
68歳 源頼政(1104年)
54歳 平清盛(1118年)
50歳 藤原秀衡(1122?)
46歳 平時子(1126年)
45歳 後白河天皇(1127年)
44歳 平時忠(1128年)
34歳 平重盛、北条時政(1138年)
25歳 平宗盛、源頼朝(1147年)
20歳 平知盛(1152年)
17歳 平徳子、藤原泰衡(1155年)
15歳 平重衡、平維盛、北条政子(笑)(1157年)
13歳 源義経(1159年)
11歳 平資盛、高倉天皇(1161年)
政子は財前までにワンクッション置いて欲しいよな…
>>693 おー、わかりやすいですねー。
そうか・・・政子は15歳だったのか・・・。
政子もさることながら、勝村政信と小林稔侍が同い年というのもかなりアレです(笑)
>>694 かといって本当に15歳そこそこの役者を使って、
素っ裸にさせるわけにはいくまい。
財前だったら問題ないだろうが。
>>693 シビキさんも15歳!? こっちの方が意外だ・・・
699 :
日曜8時の名無しさん:05/03/10 22:27:02 ID:Vj7PlZhp
財前はトロッコに乗ってろ
700 :
日曜8時の名無しさん:05/03/10 22:52:12 ID:F8anIgjz
重盛は若くして逝ってしまうので、
十数年後の最終回あたりまで出演するであろう時政との年齢差は仕方ないかと。
ちなみに時政の中の人は62歳、後白河の中の人は72歳。
中井頼朝、財前政子、いっけい泰衝よりも若作りしていたりします。
>697
>本当に15歳そこそこの役者を使って、素っ裸
それ最高!
みたい みたい みたい(ry
義経が今被ってる烏帽子から頼朝みたいな烏帽子になるのはいつ頃?
>>696 34歳 平重盛、北条時政=勝村政信、小林稔侍
ですねー?言われるまで気が付かなかったよー(゚Д゚;)
>703
あの烏帽子と高い烏帽子の違いは?
706 :
日曜8時の名無しさん:05/03/12 18:44:09 ID:9Pkcp6HH
高い烏帽子=クネクネ
>>703 >>705 あのプルーンの被ってる高い烏帽子(立烏帽子)は元々公家もので
武家だと位が上の人が使用するものだそうだ。
一応敵の大将の息子って事で許されてるのかな。
一般的には義経のような折烏帽子が普通だったらしい。
その内話が進んで源氏方で活躍するようになったら義経も
立烏帽子になるかもしれないね。
烏帽子は時代によって形や使う人の身分がいろいろ変わるらしいので
ちょっと自身がないから詳しい人いたらフォローよろ。
学生の頃に使ってた日本衣服文化史の本によると
直垂には主に風折烏帽子や侍烏帽子を用いたようです。
707の言う通り、立烏帽子は位が上の者が使用したようで
室町期には5位以上と制度で決まってたらしい。
頼朝は元兵衛佐(5位くらい?)だってことで立烏帽子なのかも。
無冠の義経が立烏帽子ってのはありえないってこったね。
血筋よりも身分官位の時代だから。
710 :
日曜8時の名無しさん:05/03/12 23:30:57 ID:8qfYJVVG
ごめん、官位がないって意味だった。
×無冠
○無官
初冠は済ましたわけだもんね。
普通は、それと同時に官位ももらえるはずだし、
頼朝も位と役職をもらったんだけど、義経はどっちもないって意味。
713 :
日曜8時の名無しさん:05/03/13 12:48:11 ID:Wlvprl5P
>>709-711 無冠は無官と同じ意味だよね?。
(現代では賞を取ったり優勝したりしていないという意味で使われるけど。)
元服済であることを表す用法は無かったと思うんだけど、違う?
>>713 厳密には、というか語源では冠(かうぶり)=元服だから。
狂言の太郎「冠者」は、「元服した若者」という意味だし。
本来、貴族の若者に官位がないっつのは、平安時代の常識だと有り得ない。
無冠が元服前を表す用法は見たことないが、
無官と同じように使われている用法も寡聞にして知らない。
秀衡、自から戦を起こす気なく平和望んでるなら、なんで平家お尋ね者を庇うんだ?
てっきり義経の「源氏の御曹司」の肩書きを利用して天下乗っ取りを企んでる人物かと思っていた
義経の人格差し引いてもマイナス要因の方が多いと思うんだが・・・
誰か理解力のないおれに教えてください
↑本スレに書いたんだけど流れ早くて相手にしてもらえなかった
ドラマの秀衡の心境についていけなかったんすけど、「歴史」ではどうだったんですか?
平家は怖くなかったけど、鎌倉が怖かったんだと思います。
奥州の藤原秀衡は佐藤の兄弟をスパイとして義経に同行させます。
そして頼朝は義経に付いてきた奥州の佐藤の兄弟を見て義経に不信感を抱き
江ノ島の弁天様に祈祷して藤原秀衡を呪い殺そうとしました。
鎌倉としては平家と奥州の挟み撃ちになるのを恐れ、
奥州としてはその成り行きを見守ろうとしたのだと思います。
>>717 なるほど!やはり庇ったのは人格に惚れたってだけでなく使い道があったからなんですね
対鎌倉策だとは・・・考えもしなかったです
平家の近い分脅威になり得るとでも思ったんでしょうかね
720 :
719:05/03/13 22:19:05 ID:cRUYeUbr
途中で送信押してしまったorz
平家の本拠地より土地が近い分脅威になり得るとでも思ったんでしょうかね
とにかくやっとすっきりしました。ありがとうございました
でも、この時点では鎌倉のかの字もないような。
板東武士団は以前平家の配下にあるし、
嫡男スケ殿は以前伊豆で北条の監視下にあるし。
てすと
後白河上皇はなんであんなに仲良くしてた清盛を殺そうと思ったの?
自分より権力を持ったから。
院政なのに。
清盛って後白河法皇のタネじゃないかって言われてるんでしょ?それくらい親しいのに?
ん?
義経の奥州入りについては
「藤原基成」という人物の存在が決定的な要因になったと考えられています。
彼は、一条長成(常盤のだんな、蛭子氏がやってる役ですな)の従兄弟で、
1143年、鎮守府将軍(後に陸奥守にもなります。)として、平泉にゆき、それ以来、
基本的に平泉に住んでいます。
それ以来、1157年までの間、陸奥守は彼の縁者にほぼ独占されています。
さらにいえば、彼の妹は、摂関家に嫁いで、後の摂政藤原基通を産んでいます。
また、彼の娘は秀衝に嫁ぎ、泰衡を産んでいるわけで。
いわば中央にも強力なパイプをもつ、現地でしっかりと根をはった実力者の
コネをたよって、義経は下っていったわけですね。
>>725 それは「白河天皇」(つまり後白河のじいさん)。
>>727 義父の一条大蔵卿が奥州藤原氏と姻戚関係があったからそのツテで奥州を頼ったんだね。
実況スレで質問してる人がいたけど、奥州藤原氏の祖先は藤原氏じゃないの?
>>728 あ、そうなんだ。じゃあ後白河がそんなに気に掛けることはないね。
>>729 たまたま「藤原」という名前を使ったら、京にも同じ漢字の人がいた、というだけの話。
>>729 奥州藤原氏の祖は「亘理権大夫経清」ですが、
彼は藤原秀郷の子孫を称する、下総国府の在庁官人
の家に生まれたはずです。
ですから、秀郷流藤原氏、ということになりますね。
>>729 日本の家系図は養子は含めるけど
勘当息子や出家するとその代から書かれない。事を踏まえて。
>>594
スマソ、過去レスに答えがあったんですね。
でもまあ坂上氏が先祖ってことで、蝦夷が先祖っていうわけじゃないよね。(実況で蝦夷って書いてる人がいたけど釣りだったんですな)
>藤原秀郷の子孫を称する
甘いな。それはあくまで「称する」だからね。
安倍頼良が権勢を振るうちょっと前の時代、
ある地元武士が台頭した時に箔を付けるために、
身分は低いが「藤原」と名乗る下流貴族から名前を譲り受けた。
そして藤原秀郷流という、いちばんありがちな家系図を捏造した、というのが真相。
738 :
日曜8時の名無しさん:05/03/14 02:21:29 ID:MOcHTwSy
>>728 白河は後白河の祖父じゃなくて曾祖父じゃなかったっけ?
白河→堀河→鳥羽→後白河という流れだった記憶しているが。
まあだから鳥羽が崇徳のことを「叔父子」って言ったんだよな
>>735 ミイラを研究したら、人類学的には北方のいわゆる蝦夷に近いという
結果がでていたと、子供の頃なんかの事典で読んだことあるので、
あながち釣りともいえないと思う。
DNAは今現在のアイヌとは違い日本人に近かった。
しかしミイラの作り方は当時の蝦夷(エミシ)の方法である。らしい。
742 :
日曜8時の名無しさん:05/03/14 13:38:07 ID:eW5lTV6D
義経が平泉に行ったときの奥州藤原氏の領土はだいたいどのへんあたりだったのですか?
泰衡と国衡って兄弟じゃないの?
母ちゃんが違います。
>>740 それたぶん逆に覚えているんじゃないかと思う。
ミイラを研究したら蝦夷のDNAは発見されなかった、とかいうのじゃなかったかな。
ここで注目されるのは、安倍氏の血が入っているのにそういう結果だったということ。
つまり安倍氏ですら蝦夷とは血縁関係がないことになる。
安倍氏はエミシではあるがアイヌではない。
エミシは民族的に違うが人種的には同じ。
>>745 英樹の妾が一茂を産んだ後、正室がいっけい、ユウキを生んだ、
ということでいいんだよね。
妾っていうか、お手つきみたいなものか?
いっけいは陸奥守の娘の子だったっけ。
いわゆる嫡流、つまり頼朝と同じ境遇。
一茂ユウキは庶流、つまり義経と同じ境遇。
以前、野村宏伸が義経やったとき、
三浦友和(だったかな?)扮する国衡に、
「どうして兄なのに嫡男じゃないの?」とか、
痛いところを突いていたのを覚えてる。
>>750 野村が義経をやったといえば「炎立つ」かな。だとすれば国衡役は三浦浩一
(「義経」で、清盛の異母弟の頼盛を演じてる人)。
そういえば「炎立つ」でも「義経」でも、秀衡は御館(みたち)と呼ばれてる
けど、おやかたじゃなくてみたちなのは、何か出典があるのかな。
昨日の回で義経が秀衡を見つめてお父ちゃんもこんな人だったのでは
みたいに言ってたけど 実際、義朝てどんな人だったんですか?
義朝て自分のお父さんと敵味方で戦争したんだっけ?
頼朝の父親でもあるから、かなり怖い人なんですか?
>>750 義経@炎立つのイタイキャラを象徴する台詞だった
実際の義経もおやじキラーだったの?
>>746 なるほろ。
いや、当時はDNAとかいう時代じゃなくて、
ミイラの骨格がどうとか背が高いとかそんなレベルの話でした。
>>707 昔NHKでやってた武蔵坊弁慶では義経(川野太郎)は奥州から京都に
入って官位をもらったあたりから立烏帽子になっていたと記憶している。
>>708 頼朝は流された当時従五位下。 ただ配所で立烏帽子だったかは
創作でしょ。普通は折烏帽子だったと思う。
757 :
日曜8時の名無しさん:05/03/15 21:47:32 ID:WdEmPFd6
>>752 義朝は保元の乱でたしかに、親兄弟と敵味方になって結果的に
父と弟を殺すことになりました。
ただ、命令されてやむを得ずという部分もあったようで・・・
家庭人としてはもしかして優しかったのではと思えるエピソード
はいくつか残っています。
頼朝も父親に関してはかなり手厚い供養をしています。
少なくとも頼朝はかなり父親にかわいがられていたようです。
ただ、このドラマの中では、義経はかなり自分の父親を美化しているのでは
ともおもえるのですが・・・
758 :
日曜8時の名無しさん:05/03/15 22:04:25 ID:npuAKqkr
盗賊やお坊さん(弁慶)や海運業者やうつぼが
義経についていった理由はなんですか?
まだ子供でしょ?義経って
それに田舎の東北に?
759 :
日曜8時の名無しさん:05/03/15 22:17:30 ID:GnEEV8aW
>>757 まあ、平治の乱の時はまだ赤ん坊で、父親の記憶はないわけだから、美化
しちゃうのはしょうがないよね。
>>758 盗賊の人もお坊さんも『落ちぶれても元上流階級』だったらしい。
ので人生変えてみたかったんじゃないかな?
東北は田舎つーか当時は独立国家、『外国』だったので
とりえあず「平家から逃げるべぇ」って感じ。
あと藤原秀衡の義理のパパ(奥さんのパパ)は藤原基成さん。
藤原基成さんのパパの従兄弟が義経君の義理のパパの一条長成(蛭子さん)さん。
その繋がりで奥州の平泉に行ったのかも知れない。って話もあります。一番有力な説です。
そういや、秀衡の祖先(経清)は義経の祖先(頼義)に斬首されてるよね。
秀衡の側にわだかまりは無かったのかな。
>>10 >架空の人物、宮尾本の創作キャラ
>五足その他みーんな架空
>ついでにうつぼやあかね、まごめは裏原作、村上本の創作キャラ
中には義経伝説に登場する人物もいるんじゃないの?
唱導、語り物系とか謡曲とか全部調べなきゃ分からないけど。
>>762 でも頼義の息子、義家のお陰で、清原の領地だった出羽まで全て
奥州藤原氏が支配できるようになったのだから、むしろ恩人の子孫、
という感覚かも。
765 :
752:05/03/16 07:15:21 ID:VkG/2LJy
ID変わったので
義朝のことレスくれてありがとうです
766 :
日曜8時の名無しさん:05/03/17 02:27:17 ID:tyguwaMm
白石加代子が演じてる「お徳」だけど、あの時代の庶民の女性も、江戸時代の
女性みたいに「お●」という呼ばれ方をしてたんだろうか?
>>762 「炎立つ」ですな
(第一部:前9年の役)
敵 経清 ←斬首 頼義
安倍氏の叛乱に加担した経清は斬首
(第2部:後3年の役)
味方 清衡 共闘 義家
清原氏討伐で義家頑張るも私闘と看做され恩賞なし
棚ボタで清原・安部の領地を相続した清衡(゚Д゚)ウマー
(第3部:奥州討伐)
味方 秀衡 隠匿 義経
敵 泰衡 自害→ 義経
敵 泰衡 ←滅亡 頼朝
頼朝の圧力に屈して義経を自害に
追い込むも結局滅ぼされる
第一ラウンドで清和源氏の勝ち
第二ラウンドでは味方同士だったが抜け駆けで藤原氏の一人勝ち
源氏マズー(´・ω・`)
第三ラウンド(最終ラウンド)で源氏のうっちゃり勝ち。藤原氏あぼーん
といったところでしょうか
769 :
日曜8時の名無しさん:05/03/18 02:24:46 ID:ElSId2bB
>>767-768 こうやって見ると、源氏と奥州藤原氏の関係は山あり谷ありだけど、「義経」
では過去のいきさつはスルーだろうね。
770 :
日曜8時の名無しさん:05/03/18 04:43:10 ID:lV787zK7
義経が連れて逃げた白拍子は静御前だけじゃないって本当ですか?
頼朝スレで見たのであちらではスレ違いなので
こっちで質問しました。
>>770 白拍子を複数連れてたっていう説もあるの?
平泉まで連れたのは正妻の郷御前だとか、側室の蕨御前だとか、いろんな伝えがあるみたいだね。
だいたい語り物だろうからバリエーションがあるんだろうけど。
772 :
日曜8時の名無しさん:05/03/18 05:42:32 ID:lV787zK7
>>770 義経が連れて逃げた女性は20人を超えたという説もあるぐらいです。
お手つきの白拍子が静だけでなかったのは事実でしょう。
774 :
日曜8時の名無しさん:05/03/19 02:19:46 ID:16Yh8Yvs
>>773 それ事実だとすると凄いね(そんなに大勢連れて逃げたんじゃ目立ってしょうが
なかったんじゃないかという気もするけど)。史実では出っ歯の小男だったと
いう説もあるけど、なんだかんだ言ってもモテモテだね、義経。
しかし、20人以上もいたら、正室と静以外にも、義経の子を身ごもった女性が
いたとしてもおかしくないけど、そういう言い伝えはないのかな。
775 :
日曜8時の名無しさん:05/03/19 02:20:13 ID:36FWoQhX
白拍子ってなんすか?
776 :
日曜8時の名無しさん:05/03/19 02:25:14 ID:16Yh8Yvs
>>775 歌や舞などの芸を見せる高級遊女。
皇族・貴族・武将などの寵愛を受けることもあった。
777 :
777:05/03/19 02:35:36 ID:Y43p63Tw
黒拍子:歌や舞などの芸を見せる高級遊女に見せかけた暗殺者。
皇族・貴族・武将などの暗殺依頼を受けることもあった。
義経を殺したのは、静。
>>779 本スレより
Q5義経って本当はブサイクなんでしょ?
A5確かに平家物語には反っ歯がえらく特徴的であるという記述が見受けられます。
しかし義経記には女装すれば楊貴妃と見間違える程の美貌という記述があり、
どちらが正しいのか今となっては判断のしようがありません。
義経がブサイクなのか、美男子なのかは自分の信じる方が正しいと思ってください。
どちらが正しいかは、いらぬ争いの元になりますので、掲示板で触れるのはやめましょう。
まだ、どっちの説も否定されたりしてないし、新資料が出てなければどっちが優勢とかはいえないし。
昔の美女の基準がおてもやんだからな・・・
782 :
日曜8時の名無しさん:05/03/19 09:43:49 ID:yZQyyNjl
783 :
日曜8時の名無しさん:05/03/19 09:58:54 ID:QY/5USoK
義経はあの一番有名な肖像画からすると美男子の系統ではないよね。
(顔の向きが悪すぎる)
諸説ある頼朝の方がかっこいいな
>>780 義経は平家物語ではイヤな奴に描かれているから、反っ歯って書いたんだろう。
>>783 伝頼朝像のことだとしたら、あれは足利直義(尊氏の弟)らしいぞ
785 :
日曜8時の名無しさん:05/03/19 10:28:14 ID:ib9iuXdU
義経って平家物語に、平家の都落ちあと、儀式に参加したときの描写で、
「平家の公達のクズにもはるかに劣る」って書かれているから。
これが別人なんてことはないから、貧相だったんでしょ。
出っ歯は貧相に通じるし。
786 :
日曜8時の名無しさん:05/03/19 10:33:29 ID:ib9iuXdU
もてるのは、昔は権力と地位さえあれば誰でももてた。というより、
権力者に女は拒否できなかった。秀吉をみてみればわかる。
顔を酷評される秀吉は個人的魅力でもてたのか?そうじゃないでしょ。
五代将軍徳川綱吉だって、史実では身長124cmしかないマザコンだったのに、
大奥には女がかずかぎりなくいて、種を欲しがっていた。
つーか楊貴妃並ってどう考えても無いだろ。
788 :
日曜8時の名無しさん:05/03/19 12:28:36 ID:tdoBWR4h
つーか義経記って電波だから。本スレの説明は義経ヲタが書いてるから。
>>786 まあ、秀吉は妙な人望があったっぽいけどね。
釣りバカのハマちゃんみたいなw
昔は「愛」とか純情とか、そういう考え方がそもそもないっぽい。
平民は乱交とかフツーだし、夜這いやお祭りなんかでセックスはおおっぴら。
偉い人は「SEXと結婚は別物」としか考えてない。
つうか白拍子は高級娼婦なんだから、金払いが良ければいくらでもついてくるだろ。
もちろんプライドは高いだろうから貴人めかして威張るだろうけど。
白拍子は貴人を相手にするかもしれないけど、身分的には最下層だろうから威張るなんてことはなかろう。
大河でも、なんで義経が白拍子ふぜいに敬語つかってるんだ!って感じだった。
司馬本読んだら義経イメージダウンしました。
洗い流す為に1年間見続けます。いや、一話で十分かも。
平家物語を読むと、平家の人物は皆美男美女みたく描かれてますね
義経は・・・あんま良くないイメージ・・・しょうがないよね
794 :
日曜8時の名無しさん:05/03/20 12:04:38 ID:kFqzmzUN
>>791 武士も平安時代までは蔑まれる芸能人の1つだった。
武芸が芸の芸能人。その点で白拍子と一緒。
いくら武士の棟梁っつったって基本的に武士は河原乞食の芸能人と同類。
乱暴な意見ですが、おもしろいですね。
>>794 公卿には蔑まれたかもしれないけど、一般には河原乞食とかと同類には扱われないんじゃないの?
武士の棟梁ともなれば皇族の血筋なんだし。白拍子とはれっきとした身分差があると思う。
×芸能人
○職能
清盛も、武家平氏だと言われ蔑まれてたからね
そのコンプレックスが娘入内と成り・・・以下省略
平忠盛(刑部卿)
源義経(検非違使判官)
800 :
日曜8時の名無しさん:05/03/20 13:31:53 ID:QrQyw2Q1
>>794>>796 白拍子などの芸能者がさげすまれるようになったのは中世半ばから、
むしろ芸達者には神が宿るというように畏怖の面がもたれた部分があったらしい。
801 :
日曜8時の名無しさん:05/03/20 13:35:12 ID:kFqzmzUN
>>800 ソースは?
私の持ってる本にはんなこと書いてないんだけど。
802 :
日曜8時の名無しさん:05/03/20 13:37:16 ID:QrQyw2Q1
>>801 中央公論新社「日本の中世」シリーズや週刊朝日百科「日本の歴史」シリーズ。
803 :
日曜8時の名無しさん:05/03/20 13:40:16 ID:kFqzmzUN
その本に書いてあることの基にしているソースはなんなのよ。
中世以降「も」蔑まれたってことじゃないの?
具体的な根拠が知りたい。
804 :
日曜8時の名無しさん:05/03/20 13:42:47 ID:QrQyw2Q1
>>803 具体的な論考は下手に抜粋すると誤解があるので直接本を読んでいただきたい。
逆に聞くが、平安時代さげすまれていたという根拠は?
805 :
日曜8時の名無しさん:05/03/20 13:43:48 ID:QrQyw2Q1
>>804 ×誤解があるので
○誤解が生じるといけないので
806 :
日曜8時の名無しさん:05/03/20 13:54:26 ID:St+2aQMq
>>804 平安時代の歳時記に武士が職能人に分類されていた。
>>806 貴族が書いたものでそ。それに、武士は武士でも御曹司レベルになれば蔑視されないと思うぞ。
蔑視といえば、和泉元彌、節子さん親子は可哀そうですね。
御父上が御養子さんで早くにお亡くなりになられて
血筋とか系統とかを攻められたら本当にかわいそうです。
節子さんが自分とこが本流だと連呼していた理由がわかります。
ああまでしないと家が守れなかったんでしようね。
でも本人の芸がまだ未熟ではどうしようもない。残念!
>>808 宗家は別に下手でもかまわないと聞いたよ
>>809 どゆ意味?誰がかまわないの?
でも素人の私が見ても(聞いても)
ヒドイものだったよ。あれでいいの?
>>807 源氏の御曹司という言葉は平安時代の用法じゃないので関係ない。
ろくに任官されてもいない武士がそうそう尊ばれるものではない。
平安時代の価値観では、殿上人と地下の間にものすごい差があった。
無位無冠ならなおさら。
しかし、春を売る白拍子と武家が同列に扱われたというのはいささか乱暴かも。
812 :
日曜8時の名無しさん:05/03/20 16:42:36 ID:48LLt8ky
>>806 芸能者がさげすまれたというソースはどこにあるのでしょうか?
職能者自体が蔑まれていたというソースと共におしえてくださいませ?
813 :
日曜8時の名無しさん:05/03/20 16:54:29 ID:3CgDiQZh
>>812 蔑まれたっていうのを言ってるのは800だよ。
こっちが言ってるのは、武士も芸能人と同じ職能だったということだけ。
>>804 ソースがないからってそうやって逃げるなって。
理解してるんなら短く要点をいえるだろ。
814 :
日曜8時の名無しさん:05/03/20 17:16:20 ID:g7rHKgkI
冷静にいきましょう。
これ以上つっこむと上級者向けになりそうな予感。
この辺でこの白拍子問題はおわりませんか?
私もいろいろ本を読んでいますが職能者の問題は根が深いようですので。
815 :
日曜8時の名無しさん:05/03/20 21:00:10 ID:HCCL45F+
泥遊びの意味がわかりません…。
法皇が清盛の機嫌取りにやったように見えたのですが。
そうだろうね。
ちなみにあれは「泥塔」と言います。
「安徳天皇女性説」ってあるよね?
今日の時子のセリフ、ま、まさかその珍説を・・・・???
あの、法王が滋子タン死んでからいきなり平家打倒派になっちゃったのはなんで?
別に平家のせいで滋子タン死んだわけでもなし………
今まで平家とわりと仲良さそうにしてたのに不思議でなりませぬ
誰かおせーて
滋子は清盛の妻時子の妹。
いわば平家と院との橋渡し役。
さらに言えば、法皇は滋子に遠慮してたんだろう。
滋子が死んだことにより、何の遠慮もいらなくなったわけだ。
『たまきはる』(『建春門院中納言日記』)を読めば当時の様子がよく分かるかもね。まだ読んだことないので今度読んでみよう。
>>819 なるほど、じゃあほんとは平家が好きじゃなかったんだ。
清盛が病気の時御見舞いに来てたし、
六波羅でも色々褒めてたから信頼してるんだなーとか思ってた………
じゃあ徳子入内に関してもほんとは嫌だったんだろか
滋子タンが言うなら、としぶしぶで
清盛一族は好かないが滋子そのものは気に入ってたんじゃないの。
可愛い愛妾の言うことは聞いてやるかって感じで。
妾ってあんた女院ですよ。
>>821 清盛の病気の見舞いにってほんとに院の行幸があった記録あるのかなあ・・・あやしいよ脚本。教えて詳しい人!!
>>823 滋子はもともと、いわば愛妾にすぎない(もともと後白河院の姉の女房で、目に止まった)。
憲仁親王(後の高倉帝)を出産したから重んじられるようになって女御宣下され、
高倉帝の即位により皇太后、翌年には院号宣下された。
その点、徳子は初めから中宮候補としての入内だったから大変だったのだ。
825 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/21(月) 12:58:14 ID:RBMD0rOm
義経の家礼たちが、前職のイメージの衣服を
着たままです。
弁慶が僧服、伊勢三郎は獣の皮、次郎は赤マフラーなど。
これは視聴者に彼らのキャラを
わかりやすくするための「記号」ですか。
本来なら、武士の家人としての「平服」を
着るべきなのでしょうか?
826 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/21(月) 13:11:39 ID:yqtgNFYZ
>>825 私も気になった。
うつぼでさえ、普通の小奇麗な庶民の格好に変わってたのに。
一応、郎党も御館に義経の家礼として認められているなら
もっとマシな格好を・・・。
827 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/21(月) 13:42:46 ID:AQZrlNiv
>>821 お見舞いに来た時にも土産を持ってきたり一見心配してる風を装ってたけど
最後に釘を刺すようなこと言ってたよ。確か福原の時もそうだった。
表面は仲良くしているが内心は「おまえら、あんまり調子にのるんじゃねーぞ」
っていう気持ちだったと思われ。
滋子はどういう立場なのかよくわからなかったんで
>>824さんd。
帝の母親で皇太后だし無視できない存在だったんだろうね。
828 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/21(月) 14:01:36 ID:XP+4PGyV
>>827 と言うよりも最初は摂関家と対抗する上での盟友であったはず。
あまりにも平家の力が強大化したためコントロール出来なくなり
主導権争いのため袂を分かったのではないのでは。
829 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/21(月) 14:14:42 ID:aL5m87Ay
830 :
827:2005/03/21(月) 14:18:43 ID:AQZrlNiv
>>828 ああ、なるほど。そういうことだったんだ。
どーもです。
832 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/21(月) 15:30:35 ID:aL5m87Ay
>>831 徳子はどうやってそのことを事前に知り得たのでしょうか?
高倉天皇がいつ産まれたか知ってれば、今何歳かも知ってんじゃないの?
歴史資料じゃなくて軍記物だけど
「平家物語」でも「嫌がっていた」って書いてあったけど
ナンデカまでは書いてなかったような気がする。
835 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/21(月) 15:52:43 ID:6T+CVka3
義経の時代の人って、みんな帽子被ってますよね?
昔の武士ってちょんまげじゃ無かったんですか?
あの帽子を人前で取ることは、人前でちんこを出すぐらいの屈辱なんだよね。
喜三太って本当にいたの?
義経の本サラッと読んだだけだけど、喜三太だけ
名前出てこない。創作の人?
確か義経記に出てくるんじゃなかったかな。
まあ多分架空だろう。
義経記は作ってる部分が多いから。
840 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/21(月) 16:05:40 ID:6T+CVka3
>>836 そうなんだ。
ちょんまげ+帽子かぁ、頭重そうだね。
>>837 でも、もうちょっと時代が下ると帽子被ってませんよね?
いつ頃からちんこ出すことが当たり前になったんでしょ?
841 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/21(月) 16:06:00 ID:g1931y1+
実際問題・・・義経の郎党は、創作が多いからね。
現実的な武将としては、伊勢三郎義盛・鈴木十郎重家・佐藤兄弟ぐらい
かなあ? 弁慶も微妙ですし。
義経紀かぁ!今度読んでみるよ。
大河ドラマは新撰組からハマりますたw
義経は、源氏の嫡男である以上
自分と家督を争う可能性のある頼朝の追撃から逃れることはできませんよね?
彼が仮に生き延びる方法があったとしたら、それはどういうやり方だったんでしょうか?
人里離れた処で身分を隠して暮らしていくとか?
奥州で土着する。
>>843 義経は源氏の嫡男ではないよ。
家督ったって、現時点では壊滅状態だから<源氏
壇ノ浦後なら、兄の意図を理解して、
家臣の一人として分相応に生きれば良かった。
しかし、鎌倉武士団が源氏を疎ましく思っている以上、
いくらうまくやっても暗殺されたかもね。
多分、出家すれば良かった。
なんで宗盛だけ嫁がいないの?
>>845 出家したらしたで北条政権確立の過程であぼーんされてた悪寒 >阿野全成
>>831 高倉天皇は年齢は子供だけど実際は子供ではなかったみたいですね。
むしろ徳子の方が子供。
高倉天皇は女好きで、女官を幾人も妊娠させたとありまするぅ〜
普通に政略結婚見え見えだったからでないのかな?
義経軍って、弁慶・喜三太・駿河次郎・伊勢三郎義盛・佐藤兄弟
あと誰かいます?
熊野喜三太
武蔵坊弁慶
常陸坊海尊
伊勢三郎義盛
駿河次郎清重
鷲尾三郎経春
佐藤三郎継信
佐藤四郎忠信
江田源三弘基
片岡次郎常春
片岡八郎為春
鎌田盛政
鎌田光政
鈴木三郎重家
亀井六郎重清
増尾十郎兼房
備前平四郎
>>852 サンクス!喜三太って熊野っていうんだ!初見でした。
那須与一は入らないのかな?
>>852は源平合戦モノの物語に必ずと言っていいほど出てくる登場人物で
本当に居たかどうかはわからない人も居るよ。喜三太もそうだよ。
那須与一宗高は義経の郎党、家来って言うよりも鎌倉の御家人て感じだったから
含めなかったよ。
>>853 那須与一は鎌倉御家人だったはず
どっちかっていうと頼朝側だったのでは?
喜三太は実在するかどうか不明だけど有名
すいません、かぶってしまいました
858 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/22(火) 23:59:38 ID:vctuqlbr
喜三太の能力って何?
弁慶⇒怪力
伊勢⇒口
那須⇒弓
その他⇒一般武将
859 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/22(火) 23:59:44 ID:Pck439H1
>>734 だから
>>594のソースくれっての
>一方、母の家系をたどってみると、藤原経清を産んだ母親が、頼遠と離別し、
>藤原経輔という、かなりの上級貴族(祖父が藤原道長の兄)に嫁いでいるが
>>736 つうか、秀郷が既に自称藤原氏だし
義経記の喜三太は、弓矢だよね。
それしか出てこないんだけども。
佐藤三郎継信->お酒が大好き、奥さんの名前は若桜さん。
四郎忠信->お酒が大嫌い、奥さんの名前は楓さん。
片岡次郎常春->壇ノ浦で鏡を見つけた人
八郎為春->怪力では弁慶に負けないぞ
鎌田盛政 ->義経の乳兄弟鎌田次郎正清の息子達
光政 義経に仕えます。
鈴木三郎重家->熊野の人
亀井六郎重清->重家の弟
増尾十郎兼房->お爺ちゃん。卯の花に兼房みゆる白毛かな。
>>860 地面に耳をつけて「××騎の武者がこっちに向かっています!」という
ミュンヒハウゼンの部下並みの異能っぷりを見せていた。
その割に、喜三太が馬で疾走する場面はないんだよな。
865 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/23(水) 11:36:14 ID:LquZqQ19
義経は身長凄い小さかったらしいけど、
よく刀振るえたね!
>>865 刀も弓も小さくて義経サイズだったから。
壇ノ浦で弓を失ったときに、こんな弓をしていることが平家に知れたら
恥とわざわざ無理して回収に行くはなしがある。
867 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/23(水) 11:42:56 ID:LquZqQ19
>>866 叔父の弓なら、捨ててでも敵方に取らせるっていうのもあったね。
このスレの趣旨にそって、
>>865からの流れを解説します。
時代劇などでイメージが定着してますんで、
「武士といえば刀」って感じですが、
>>866氏も仰るとおり、当時の武士の表芸は弓矢です。
>>866氏が「弓が小さい」というのは
「弓の弦を張った強さ」が弱いということを示しています。
弦を強く張ってあれば張ってあるほど、矢は遠くに飛びますが、
強い力でないと引くことができない、つまり、
弓の張りが強いこと=大力であること=優れた武士であること
弓の張りが弱いこと=力が弱いこと=ドンくさい武士であること
を示します。よって弱い弓を使っていることがばれることは
このうえない不名誉だったんですね。
>>867の「叔父の弓なら云々」というのは、保元の乱で伊豆に流された
叔父の鎮西八郎為朝が、並み外れて強く張った弓を使っていたことから
「叔父の弓くらい強ければ、敵に知られても、むしろ
名誉だが、自分の弓は弱いので・・・」ということです。
869 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/23(水) 18:33:14 ID:T7ripbf9
870 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/23(水) 20:20:03 ID:rKcTjsrL
>>859 >一方、母の家系をたどってみると、藤原経清を産んだ母親が、頼遠と離別し、
>藤原経輔という、かなりの上級貴族(祖父が藤原道長の兄)に嫁いでいるが
それって炎立つのストーリで事実ではないでしょう。
871 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/23(水) 20:49:06 ID:mnsZvme3
鈴木重家って雑賀孫一の先祖か?
872 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/23(水) 22:05:36 ID:HIsQjq1C
「武蔵某弁慶」
熊野喜三太 ⇒?
武蔵坊弁慶 ⇒中村吉衛門
常陸坊海尊 ⇒思い出せない
伊勢三郎義盛 ⇒ジョニー大倉
駿河次郎清重 ⇒?
鷲尾三郎経春 ⇒?
佐藤三郎継信⇒オオトリゲン
佐藤四郎忠信⇒?
873 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/23(水) 22:07:37 ID:HIsQjq1C
「源義経」(90年TBS正月)
熊野喜三太 ⇒?
武蔵坊弁慶 ⇒松方弘樹
常陸坊海尊 ⇒思い出せない
伊勢三郎義盛 ⇒?
駿河次郎清重 ⇒?
鷲尾三郎経春 ⇒?
佐藤三郎継信⇒?
佐藤四郎忠信⇒?
874 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/23(水) 22:08:54 ID:HIsQjq1C
「源義経」(91年日テレ)
熊野喜三太 ⇒?
武蔵坊弁慶 ⇒里見浩太郎
常陸坊海尊 ⇒思い出せない
伊勢三郎義盛 ⇒?
駿河次郎清重 ⇒?
鷲尾三郎経春 ⇒?
佐藤三郎継信⇒?
佐藤四郎忠信⇒?
875 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/23(水) 22:10:12 ID:HIsQjq1C
「炎立つ」(94年大河)
熊野喜三太 ⇒?
武蔵坊弁慶 ⇒時任三郎
常陸坊海尊 ⇒思い出せない
伊勢三郎義盛 ⇒?
駿河次郎清重 ⇒?
鷲尾三郎経春 ⇒?
佐藤三郎継信⇒?
佐藤四郎忠信⇒?
876 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/24(木) 00:08:55 ID:KzkV7fkT
義経を語る上でおおまかな出来事って、
逆落とし・勧進帳・木曾義仲・源平合戦・弓の話・
八艘跳び・静御前・頼朝との決裂・弁慶との一騎打ち
あと何かありますか?
逆落とし
逆櫨
弓流し
腰越
土佐坊斬られ
判官都落ち
嗣信最期
879 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/24(木) 12:29:27 ID:HrL4cIaZ
徳子不倫
衣川館襲撃
881 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/24(木) 16:01:27 ID:Dp7u8bw9
>>872 武蔵「坊」弁慶
喜三太⇒中村吉三郎
弁慶⇒中村吉右衛門
海尊⇒岩下浩
伊勢三郎⇒ジョニー大倉
駿河二郎⇒?
鷲尾三郎⇒作田寿久
佐藤継信⇒?
佐藤忠信⇒中村浩太郎
上記以外の義経家臣に片岡経春(村田雄浩)為春(布施博)
亀井三郎とか行方六郎とかいた。ちなみに義経は川野太郎
882 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/24(木) 23:18:27 ID:vp6cx05I
この時代の人たちはどうやって歯磨きしてたんでしょうか?
883 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/24(木) 23:29:35 ID:1Yjajg4F
>>881 武蔵坊弁慶の継信はウルトラマンレオの中の人ことオオトリゲン(真夏竜)。
主題歌も歌ってた(♪とーつぜんほのおがまきおこりー)
885 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/25(金) 13:28:13 ID:AHCI7IaD
安徳天皇は女児説があるんですか?
886 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/25(金) 13:36:56 ID:4mThNahB
そうです。そういう説があります。
母親やその家族が権力を手中にするためには女の子では意味が無くて、
男の子を生んでのちに天皇にならなければならない。
安徳天皇はおしっこをする時必ず付き添いが隠したとか、その付き添いも
決まった人間しかおしっこをさせなかった。とかいろいろ言われている。
スレ違いだが歴史上では上杉謙信にも女性説がある。
あとは小野小町奇形(穴なし説)秀吉指が6本説などある。
【 安徳天皇 】
享年8(1178〜1185)
第81代天皇/高倉天皇第一皇子
生母:建礼門院徳子(清盛の娘)
諱:言仁(ことひと)親王
平清盛の娘・徳子が高倉天皇に嫁して生んだ皇子。
壇ノ浦にて、祖母である二位ノ尼に「海の底にも都があります」と諭され入水(多分ムリヤリ)。
わずか八歳。そんな気の毒な彼には、生存説や女性説、平宗盛と徳子の不義の子説、
ヤマタノオロチの化身説などいろいろな憶測が乱れ飛んでる。
義経他2人の兄弟達は出家を条件に命を助けられたけど
出家をさせると当時の常識的には平家に歯向かわない保証が相当確実に出来るの?
出家しても「そんなんシラネ。平家やっぱむかつくしやっちまおうぜ」
みたいな感じで反乱の可能性は無かったんだろうか?
(出家した?兄達も結果的に挙兵したようだけど)
頼朝はそういうのが嫌で義経の男児を情け無用でヌッコろしたんだろうか。
重盛の息子の維盛の息子で平家の末裔である「六代」も出家して「妙覚」となります。
その時の頼朝の心情が平家物語巻第十二「六代斬られ」に書かれています。
890 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/25(金) 17:34:28 ID:4mThNahB
>>888 我々はあとの時代の人間なので平氏が滅びて源氏が幕府を開いた歴史を知っている。
しかし、現在の中に過ごしている昔の人々はまさかこんな大どんでん返しが起きるとは
考えてもいない。世はまさしく平氏にあらずんば人にあらずという時代。
池禅尼(変換しないから字はまちがっているかも)にお情けで助けてもらった頼朝自身は
ドラマの(歴史の結果を知っているか)ように「立つ日を待っている」状態ではない。
流人として日々暮らしているだけ。だから結果に内心一番驚いていたのは頼朝自身だと思う。
そもそも日本3分で西国平氏北は奥州藤原氏関東が自分でよかったらしい。
ところが軍事天才義経のおかげでの結果である。
だから将来何が起こるかわからないは身を持って自分が一番知っていた。だから義高も義経の子も
義経もノリヨリも自分に取って代わる可能性のあるのはみんな殺した。
でも、それで血筋が3代で途絶えてしまう結果になっちゃった。
891 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/25(金) 17:37:37 ID:AHCI7IaD
892 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/25(金) 17:47:50 ID:Mc0mfj1S
>>890 頼朝は都落ちして西日本で盛り返した平家に、和平を提案したり
してるんだよね。ところが、頼朝と平家を仲介した後白河法皇が、
平家に和平の使いを出すからと嘘をついて平家を油断させている間に、
一方で義経に一の谷の平家を討てと命じたんだよ。
それで平家は以後和平案を絶対受け入れなくなった。
>>890 レスどうもサンクス。
確かに当事者からしたら政権転覆は夢物語に近かっただろうね。
ただ、ドラマで平家は山寺に追い出すことだけでは良しとせず、
「出家させる。しないのなら今からでも殺す」とかなり拘ってたから
そんなに出家には絶対的な抑制効果があったのかなと不思議で。
家来残党も主が出家したらその主を担ぎ出すのをあきためたりできるのかな。
例えば遮那王が即座に出家していたら吉次や行家も
対平家要員として遮那王に接触はしなかったんだろうか?とかね。
>日本3分
初めて知った。へぇーへぇーへぇー
都落ちの意味を3行以内で教えて下さい。
895 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/25(金) 19:11:06 ID:w38o1hsl
ミタチの意味がわかりません
重要人物の出家に関しては、なんだかんだ言って還俗しちゃう人が多く、
効果がないような気がするのに、戦国時代の頃まで有効な手段として
残っていたんだよね。最期の室町将軍義昭なんかも出家→還俗したクチだし。
平安貴族の間では、出家=引退の意味合いが強く、
それで長い間有効な手段として採用され続けたんだろうか。
平安貴族や皇族でも、大海人皇子など、出家した後還俗して挙兵した人はいるが。
中宮定子のように、政変で出家させられ中宮の座を譲ったのに、
天皇が暴れて還俗、再び寵愛された人もいるし。
やっぱり意味ない気がする出家。
もしや、僧兵に守らせるとか、そういう意味があったのかな。
熊野喜三太 (くまのきざんた)
生没 1163(長寛元)-1189(文治5) 略歴 ●源義経家臣。
●出自は不明だが,紀伊熊野で猟師をしていたともいう。義経に仕えて平泉まで従い,1189(文治5)年の義経自刃に殉じた。
川崎猛夫……静御前(1938 映画) *役名は佐喜太
常田富士男……源義経(1966 NHK)
中村吉三郎……武蔵坊弁慶(1986 NHK)
武田真治…… 源義経(1991 NTV)
伊藤淳史 ……義経(2005 NHK)
熊野喜三太
義経記に登場するが、たぶん架空の人物。京都の義経の館が土佐坊昌俊に攻め込まれた時、静御前と喜三太だけが館に残っていて、郎等達が戻るまで義経を守って奮戦した。
歌舞伎には、鬼一法眼(民間陰陽師、みたいな伝説上の人物)の末弟だったという「鬼一法眼三略の巻」という話があり、牛若丸が鬼一法眼から兵法書を手に入れる手助けをする。
899 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/26(土) 00:49:08 ID:wSir/zsP
チビノリダーでしょ?
900 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/26(土) 23:25:15 ID:I4N1q8ym
>>888 >義経他2人の兄弟達は出家を条件に命を助けられたけど
元服済みで平治の乱にも出陣している義朝の嫡男の頼朝が助けられた
(本来は助けられない)。
そうなると、いくらきれいでも身分のない雑士女の妾が産んだ元服以前の子供達は
殺す理由はなくなる。目にもなかった(ものの数ではなかった)ということ。
義経が平氏を西海に沈めたり、後白河が鎌倉の頼朝の力を突出させない為に
義経を対抗馬に当てたりして、後の世に「源義経」という歴史上の重要人物が
いる事を知っている後の世からさかのぼったドラマ上の事。
後の結果を知らないその時代では、頼朝が助かる以上はあまり問題にもならなかった。
北条宗時、政子、義時、保子 等々のそれぞれの実母を調べてるのですが、
よくわかりません。
誰と誰が実母が一緒とかわかる方がいらっしゃったら教えてください。
急に優しかったおいさんが
「鬼になる!」
って言ってもなぁ。
去年よりかは説得力あるけど。
歴史で「たら」「れば」を考えてもしょうがないのは分かってるが
重盛がもう少し生きてたらどうなったんでしょ?
よく、この人が生きてれば歴史は変わってたかもっていうフレーズを目にするので。
そういえば、法皇の言葉を清盛に伝えに来た人が
上座に座ってから、まず「申し上げる」って言ってたけど、
ああいう場合、たとえ使者自身は清盛より身分が低くても
用件(法皇の言葉)については「申し上げる」なんて
清盛への敬語は使わないものかと思っていたんですが…?
それとも、平家を極端に恐れていることを示すエピソードなんですかね?
>>901 凄い中途半端な知識で悪いが...
宗時と義時の母親は伊東入道の女。
政子は不明だが、義時と同調した行動を多々とっている事から同母説あり。
保子は分からない。
907 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/28(月) 20:17:17 ID:KQBiHPk+
法皇の側近として登場している大膳大夫信成って実在の人物?
聞いたことのない名前だけど。
909 :
901:2005/03/28(月) 21:28:14 ID:cw2J3tmx
>>906 回答ありがとうございます。
色々小説を読んだりしてますが、どの小説も実母の組み合わせが
違うので、実際のところどうなんでしょう?とか思ってしまいま
した。
もう少し色々あさってみます。
910 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/28(月) 22:35:57 ID:m8qRbrAE
大河を見て義経に興味をもち、この時代の小説を読みたいと思ってます
どの小説家の本がおすすめでしょうか?
>>910 この大河を見て興味を持ったなら、宮尾村上の原作じゃね?
この時代に関しては、永井路子による一連の著作がベストだと思うが。
912 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/28(月) 23:12:13 ID:m8qRbrAE
レスありがとです!
宮尾さんは源氏嫌いといわれてるので、かたよった描き方をされてないかちと不安なんですが‥
>912
ベタベタに吉川英治の「新・平家物語」。通俗的に過ぎるところはあるけど、やはりよくできていると思う。
911に同じく、永井路子のこの時代の作品。平家寄りだったら「波のかたみ」薦めるんだが。
司馬遼太郎の「義経」。非常に面白い歴史小説だと思うが、この大河の義経が好きなら全然薦めない。
私は読んでいないが、高橋克彦の「炎立つ」は終盤は奥州藤原氏の話がメインではなかったかな。
正直源氏贔屓ではないので、源氏中心に描かれている作品はよく知らない。ごめん。
>>908 詳しく!なぜに鬼一法眼と後白河院の側近に接点があるの?
自分は
>>908じゃないけど、信成の中の人が美輪さんのお稚児さんらしい。
916 :
日曜8時の名無しさん:2005/03/29(火) 10:25:11 ID:ZANjSR5R
910です 教えていただき感謝です!
永井路子著から読むことに決めました!
永井路子は一番文体的にも読みやすいと思うからお奨めだね。
この人の小説が一番史実に近い気もする。義経も美化されて無いし。
「北条政子」「炎環」「絵巻」「裾野」「つわものの賦」なんかを読むと
よく調べてるな〜って思うよ。この人の説は説得力がある。
まあ、上の著作は鎌倉中心だけど、この時代について知るならベストだと思うな。
五足が耳になったというのは、最初に説明があった「かぶろ」のことでいいのでしょうか?
かぶろなんだろうけど一族の声も届けるという意味で、
清盛専用なんだろう。
やっぱり最初の説明のかぶろは別に存在していて、五足は特別(清盛専用)なかぶろということで?