【歴史】畿内説、九州説それぞれに根拠あり 邪馬台国はどこなのか★4©2ch.net
〈倭人は帯方の東南大海の中に在り、山島に依りて國邑を為す。旧百余國。漢の時、朝見する者有り。
今、使訳通ずる所三十國〉邪馬台国や卑弥呼について記された唯一の資料、『魏志倭人伝』の冒頭である。
この中国の歴史書に書かれた記述がその後、現代に至るまで日本成立に関わる論争を引き起こした。
文化庁主任文化財調査官が邪馬台国の「今」を語る。
* * *
邪馬台国は日本の古代国家成立にかかわる重要なテーマである。古くは江戸時代の
儒学者・新井白石や国学者・本居宣長らがその謎を解き明かそうとした。肝心の所在地をめぐっては、現代まで論争が引き継がれている。
『倭人伝』によれば、邪馬台国までの道のりは朝鮮半島中西部の帯方郡から対馬国(対馬)や一支国(壱岐)を経由し、不弥国(福岡県飯塚市付近)まではほぼ特定できる。
しかし、そこから南に船で20日行くと投馬国に着き、さらに船で10日、陸路1月で邪馬台国に着くという記述をそのまま辿ると、
邪馬台国は九州のはるか南の洋上に存在したことになってしまう。そこで、投馬国から邪馬台国までを
「船なら10日、陸路なら1月」と読む九州説や、不弥国以降の〈南〉を〈東〉と読み替える畿内説などが提起された。
その後、九州、畿内を2大候補地としながらも、北は東北地方から南は沖縄まで、日本各地に可能性が唱えられた。
しかし、『倭人伝』を元にした論争は解釈の域を出ることはなく、決着を見ない。そこで考古学の出番となった。考古資料を検証するのである。
中でも重視されてきたのが銅鏡だ。2世紀前半までは九州北部を中心に出土していたのが、
2世紀末から3世紀初めには近畿を中心に出土するようになる。例えば「画文帯神獣鏡」は、
分布を研究した大阪大学の福永伸哉教授によると、2世紀後半から3世紀初めの近畿を中心に分布している。
これにより、卑弥呼の邪馬台国が登場する3世紀半ばまでに、倭国の中心が九州から近畿に移ったとみている。
それを根拠に邪馬台国=畿内説を唱える考古学者は多い。そのため、歴史学者など文献史学者は九州説を、考古学者は畿内説を唱える傾向がある。
畿内説を支持する研究者にとって、邪馬台国の所在地として最有力なのが纒向遺跡(奈良県桜井市)だ。
3世紀の遺跡で、東西2km、南北1.5kmという当時の集落として類を見ない規模を有し、
周辺には卑弥呼の墓と目される箸墓古墳などこの時期の墳墓が多数ある。発掘は現在も続いており、これまで土器や木製品、
多数の桃の種などが出土したほか、宮殿ともみられる巨大な建物が整然と並んで建っていたことがわかっている。
今後、纒向遺跡などでまだまだ新発見の余地があり、畿内説の研究者にはその「蓋然性の高さ」を証明できることが期待されている。
が、それで邪馬台国の所在地論争が終わるわけではない。
現在、学術関係者ではない、各地の民間有志による邪馬台国研究会が数多く活動しているが、
今年、その全国組織「全国邪馬台国連絡協議会」も結成された。
その謎をめぐる議論はアカデミズムの枠を超え、古代史にロマンを求める多くの人々を惹き付けてやむことはない。
※SAPIO2014年12月号
http://www.news-postseven.com/archives/20141202_285340.html ★1 2014/12/02(火) 21:49:25.31
※前スレ
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1417619784/
<丶`∀´> 半島ニダ!
3 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 14:16:08.20 ID:2e6t7Ws70
任那国であった可能性はないのんけ?
日本列島にあったと思い込んでる可能性は・・・
わかっていて学会で誤魔化しているわけだ
倭は中国の呉の太白の子孫、つまりO2b
中国系は基本的にO系統だからな。孫権、卑弥呼それぞれが言ってる。
O2bが固まっているのは九州、沖縄他は3割ほど
大化の改新以降の天皇はD、つまり倭人ではない
大化の改新以前の記録が日本にないのはDが倭人の記録を潰したのだろう
まあ藤原氏はO2bだが
6 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 14:23:29.74 ID:/LojO7uh0
四国説も面白い
金印があんなところで見つかったからねー。
ところでwiki見てたら
>>なお、糸島市の細石神社には、「漢委奴國王」の金印が宝物として伝わっていたが江戸時代に外部に流出したとの伝承(口伝)がある。
Dは古代種で褌に全身刺青をしていた人種
祭りの時のヤクザだな
各地の教育委員会やらが観光資源としての邪馬台国を当て込んでしのぎを削ってるだけの状態らしいな
などとw
どこかの国みたいに黒田藩が猫ばばしたみたいに言う
俺が子供の頃からこの論争進展してないw
円墳の中から卑弥呼がもらった金印が出ない限り、この論争の決着はつかないね
そもそも邪馬台国と畿内に移動した日向王朝は九州山脈を隔てた別物だろうに
16 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 14:32:12.79 ID:Z9l0zEj70
終戦をしらなかった横井軍曹みたいな連中の会話だからな
邪馬台国ってツチノコと同じ匂いが漂う
18 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 14:32:55.71 ID:A5TNMzG70
オマエらwwまだやってるのかよwww
19 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 14:36:35.06 ID:z3wlnCug0
何のことはない、ウィキに答えが書いてあるじゃんか!
>7世紀の『隋書』では俀国について「都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也」(魏志にいう邪馬臺)
九州説のバカへ、反論お願いします、屁理屈は受け付けません
20 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 14:37:25.51 ID:F+IbUofbO
九州はいい加減諦めろ
21 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 14:41:29.56 ID:opJoJytFO
邪馬台を素直にヤマトと読まないから、こんなことに。
魏志倭人伝には当時の倭(日本)の人々がどんな様子だったかも記されています。
http://y-ta.net/gishi-wajinden-2/ 服装・身なり
・男性も女性も、大人も子供も、偉い人も民衆もみんな顔や体に刺青(いれずみ)をしている。
その刺青(いれずみ)は階級によって入れる場所や大きさが違う。刺青(いれずみ)はおまじない
の意味もある。
・はちまきをつけて布を体に巻いている(真ん中に穴の空いた布に頭を入れて結んでいる)。
・みんな裸足で生活している。
・顔に赤い顔料を塗る(化粧?)。
23 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 14:42:44.04 ID:z3wlnCug0
文献でも答えが出ている、しかも客観的な中国の資料により
畿内>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>九州
遺跡は言うに及ばす
畿内>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>九州
九州 K.O 負け
>>19 随書には邪馬台国には阿蘇の記述があるが畿内に阿蘇はありませんよ
日本の古代政権というイメージだったから「なんで九州?」と思ってたけど
大陸側の記録であることを考えると、当時大陸からみたら
九州=日本なわけね
本州の奥地はUNKNOWNなわけだ
日本ではなかったんじゃないの?
もしくは元から創作だったとか
29 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 14:46:22.57 ID:z3wlnCug0
>>24 はい?九州も女王共立に参加したんだから、寧ろ載っててアタリマエなんだが?
30 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 14:47:20.23 ID:qPQP7pTr0
西晋の官吏A:三国志なんだけどさ、倭人の国名どんな字にするよ
西晋の官吏B:うーん、山田異国でぽくね?
西晋の官吏A:違うし、ねーわ
西晋の官吏B:じゃこれっしょ 山大黒
西晋の官吏A:お前さあ、だいこくだと思ってるわけ?
西晋の官吏B:ああ、たいこくか、じゃ 矢魔太維国で
西晋の官吏A:いいじゃん。それで行こう。
この後、二人がどうなったのか・・・記録には残っていない
31 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 14:48:05.08 ID:c7fXWFTs0
畿内で決着ついてるけど 九州説がゴネてるだけ
32 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 14:49:03.80 ID:NTZBTk0y0
銅鏡に北極圏の地形が彫り込まれてるのを発見したおっさんが一部で話題になってるけど
きっとオリジナルの銅鏡って先高度文明の遺物なんだろうな
中国で発見されたメッキ処理が施された古代の剣とか
"クフ王が地中から掘り起こしたピラミッド"の石棺がドリルで掘られてるとか
人間て最低でも一度、高度文明を失っているよね
>>29 これほど阿呆な発言があるだろうかw
阿蘇の噴煙は九州の一部からしか見えない
つまりそれが見える場所に中心となる国があったわけで
畿内が中心なら阿蘇がどうたらの記述などないわw
34 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 14:54:31.39 ID:L4Keqdoe0
>>19 邪靡堆居=邪馬臺
邪靡堆居は倭の都
その肝心の倭がどの地域を指すのかは不明じゃなかったのでは。
35 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 14:54:39.86 ID:z3wlnCug0
>>33 てか倭人伝のどこに阿蘇山の記載があるんだよ
詳しく解説してくれ
36 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 14:58:16.56 ID:fZIIj0bI0
卑弥呼が住む邪馬台国も博多の奴国と同じく魏の国と交流があって
親魏倭国王の金印を授かったのでその金印が箸墓古墳から出なければ
邪馬台国畿内説は無くなるな。俺の考えでは邪馬台国も奴国と同じ
北部九州にあったと思うが奴国の金印も墓の盗掘を恐れて辺鄙な志賀島に
隠した位だから卑弥呼の金印はもっと巧妙に隠しているだろう。
37 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 14:58:39.16 ID:z3wlnCug0
>>34 ・・・?
隋書には邪馬台国と「同じ」と書いてあるのでわ?
38 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 14:59:10.28 ID:A+3whWgA0
邪馬台国や卑弥呼に振り回されると、周の王族が
日本に渡来した話などのもう一つの古代史の流れ
が見えなくなる。こっちの方が本筋じゃないかな。
それと、倭国という海洋大国があって、その王権
所在地が瀬戸内海のつきあたり、つまり大阪湾
沿いのどこか(多分河内)にあったという説も捨て
難い。
いずれにせよ、来年は紀元2675年、めでたいことだ。
>>35 馬鹿なのか?
お前が随書って言うから随書にある阿蘇の記述を述べたわけだが
Wiki見た知識しかない書物の区別もつかない阿呆ですか?
間とって死国
韓国だろ
43 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 15:02:08.99 ID:OaM3sQVD0
俺の住んでるところの地名は山田井
近くに愛媛県内だか四国内だかで最大の石室のある古墳あんだけど
うちを邪馬台国にしちゃどうだろう。
44 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 15:04:17.64 ID:z3wlnCug0
>>40 もしかして九州説のバカって
髄の時代に倭の首都が九州に有ったと言いたいのか?
45 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 15:05:22.76 ID:57mNl2HsO
歴史の無いバカチョンが朝鮮説を言い出す流れ。
46 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 15:11:05.19 ID:L4Keqdoe0
>>34 隋書には
邪靡堆居いわゆる邪馬臺者と書かれてるけど邪馬臺国とは書かれてない。
「国」を指した表記じゃない。
邪靡堆居は倭国の都と書いてあるはず。
当時の倭国がどの地域をさすのかは現在でも不明なはず。
対馬国:(帯方郡から)七千余里にして、はじめて一海をわたり、千余里で対馬国にいたる。
いるところは絶島(離れ鳥)で、方(域)は、四百余里ばかりである。千余戸がある。
一支国:また南に一海をわたること千余里、名づけて瀚海(大海、対馬海峡)という。
一大国(一支国の誤り。壱岐国)にいたる。三千(戸)ばかりの家があ る。
末盧国:また、一海をわたる。千余里で、末盧国(肥前の国、松浦郷)にいたる。四千余戸がある。
伊都国 :東南に陸行すること五百里で、伊都国(筑前の国怡土郡)にいたる。 千余戸がある。
世々王がある。みな女王国に属している。
奴国:東南(行)して、奴国(筑前の国、那の津、博多付近)にいたる。 百里である。二万余戸がある。
不弥国:東行して不弥国(筑前の国、糟屋郡の宇瀰、いまの宇美町付近) にいたる。
百里である。千余戸がある。
ここまでが、韓国から九州までの話、ここから日本海へ航海する
投馬国
南(行)して投馬国(とまこく)にいたる。水行二十日である。官を弥弥(耳)という。
五万余戸ばかりである。
これは出雲のこと
邪馬台国
南(行)して、邪馬壹(臺の誤り)国(やまとこく)にいたる。女王の都とするところである。
水行十日、陸行一月である。七万戸ばかりである。
九州から若狭湾あたりまで水行したあと、奈良付近の邪馬台国に向かって一ヶ月陸行する
このあと邪馬台国から瀬戸内海経路で、九州に戻るくだりが書かれている
49 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 15:15:24.46 ID:fZIIj0bI0
まあこの論争は卑弥呼の使いが魏国王から拝領した金印が見つからなければ
絶対に解決はしない。同じ時期の琉球や安南(ベトナム)は銀メッキの印
だったそうだし半島の国はメッキの印すら拝領していない。
日本が周辺国の蛮族の中では多少は重要視されていたと言う事だろう。
しかし魏国が一番重要視していたのはインドや中東につながるシルクロードの
国だろうな。
何日で行った、といっても、毎回同じペースじゃないんじゃないの。
あと中国人は数字を誇張する癖があるから、まともに受け取れない。昔から。
まともに受け取ると邪馬台国は日本をはるか突き抜けフィリピンだかパラオだか
そんなとこにあったことになるらしいしな。知らんけど。
つぎに斯馬国(しまこく)がある。
つぎに已百支国(いわきこく)がある。
つぎに伊邪国(いやこく)がある。
つぎに都支国(ときこく)がある。
つぎに弥奴国(みなこく)がある。
つぎに好古都国(をかだこく)がある。
つぎに不呼国(ふここく)がある。
つぎに姐奴国(さなこく)がある。
つぎに対蘇国(とすこく)がある。
つぎに蘇奴国(さがなこく)がある。
つぎに呼邑国(おぎこく)がある。
つぎに華奴蘇奴国(かなさきなこく)がある。
つぎに鬼国(きこく)がある。
つぎに為吾国(いごこく)がある。
つぎに鬼奴国(きなこく)がある。
つぎに邪馬国(やまこく)がある。
つぎに躬臣国(くじこく)がある。
つぎに巴利国(はりこく)がある。
つぎに支惟国(きくこく)がある。
つぎに烏奴国(あなこく)がある。
つぎに奴国(なこく)がある。
これは、女王の境界のつきるところである。
瀬戸内の町を回って、出発点のもとの九州の奴国(なこく)にまで
無事に戻ってこれたわけ
52 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 15:17:18.26 ID:1sMsVqqv0
滝太郎はその昔よりO池にすむ珍魚なり
身の丈およそ三尺三寸(約1メートル)にして体側に斑点あり
冷水を好み、直射日光をきらう故、水底深くすみ、
時折水面に出ては餌をあさる
……かつて幾百人これに挑みても、釣られたる試しなし
53 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 15:17:49.56 ID:W6JvKMe90
そのうちマスゴミが「日本文化の起源は東京」とか言い出しそうだな
だから纒向だって。
スラムみたいな県営団地の下。
現在は完璧に同◯地区の風貌だがw
狗奴国
その南に狗奴国(くなこく)がある。男子を王としている。 その官に狗古智卑狗がある。女王に属していない。
北九州の奴国(なこく)の南にある くまそ、熊本のこと
一万二干余里の道程
(帯方)郡から女王国にいたるのに一万二千余里ある。
ということで、邪馬台国は明快に奈良あたりにあると
魏志倭人伝には書かれているのである
56 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 15:24:44.19 ID:fZIIj0bI0
金印が出なければ纒向と断定は出来るはずが無いだろうが。馬鹿じゃ無いの
邪馬台国で使節が見聞した記録には、「阿蘇山」が出てくる。
その後の、大和朝廷の時代には、東に大きな火山がありその東は毛人の国だという
記録があって、阿蘇山への言及はない。
この、阿蘇山ではない無名の火山は、もちろん富士山。
逆に、隋書までの火山は、文字通り、「阿蘇山」だろう。
そして、隋書や旧唐書には、大和朝廷の使いが、昔の邪馬台国だと言っているが、
「あやしい」「態度が大きく、邪馬台国の人とは違う」と書いてある。
大和朝廷は、邪馬台国、倭国の後継だと言っているけれども、嘘なんだよ。
日本に来た唐の使者は、「これは倭国ではない、秦王朝(朝鮮半島南部にあった国)だ」
と言っている。
58 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 15:25:29.07 ID:rBxIUV8q0
みんなの心の中に…
59 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 15:27:25.40 ID:z3wlnCug0
>>46 国と書かれてないとかホント屁理屈レベルだな
日本と日本国の何が違うのよ?日本国とかかれてないから
日本とは限らない?アホくさ
魏志で言うところの邪馬台って書いてあるじゃん
それは隋の時代なら畿内大和の事だわ
いつまでやってんの
タイムスリップでもしない限りわからないからwwww
纏向で大体の決着がついて、今は高地性集落の研究の方が熱いんじゃないんだっけ?
和気清麻呂が宇佐神宮にお伺いにいくんだから九州に決まってるじゃん
畿内大和なら伊勢神宮でもどこでもいいはずだろ
なぜ宇佐神宮なのか?
それが答えだよ
63 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 15:33:08.13 ID:L4Keqdoe0
>>59 何を言ったところで屁理屈にもなれば正論(?)にもなる。
それぐらい謎でありロマンであるてことよ。
>>22 あー、これ日本じゃないわ。 日本人刺青嫌ってるし。
65 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 15:35:30.47 ID:fZIIj0bI0
>>62 お前良い事を言うな。日本で一番古いと言われる神社は奈良の桜井市に
ある大神神神社らしいが全く重要視されていない。処が辺鄙な九州の
宇佐にある神社が大和朝廷との繋がりが最も強い。この事実が大事なんだよ
>>51 対蘇国(とすこく)=鳥栖
蘇奴国(さがなこく)=佐賀
呼邑国(おぎこく)=小城
と変換されてしまうw
>>64 アイヌや琉球、八丈島などの縄文系の人たちは、最近まで刺青してたぞ。
日本書紀を見ても、蝦夷は刺青をしてる。
大和朝廷によって征服された民族は刺青をしていた。
そして、邪馬台国を中心とした倭国の人々もしていた。
つまり、邪馬台国は大和朝廷によって滅ぼされた民俗。
>>22 刺青は海洋民族の風習
昔は漁師は沖合いでも仲間に目立つように刺青していた。
現在のマドロスのボーダー服はその名残
日本人のDNAを徹底的に洗って、海洋系DNAが多く残ってる地域を
探し出せばいい
>>61 そう専門家の間では畿内でほぼ確定
後は邪馬台国論争というロマンに浸りたい人のみが残ってる
70 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 15:42:41.21 ID:uEfRh9iR0
ちょっとスレ違いだけど大和朝廷が出来たあとにも関東には別の国があったとかって話は何なの?
邪馬台国以降の100年間以上の日本に関する記述をした文献が中国側にない
当時の中国の文化レベルを考えると不思議なことだ
つまりその時代の日本にはまだ語るべき政治的文化的なものはなく
土人が自給自足してるだけの場所だった
邪馬台国や卑弥呼もモデルはあったかもしれないが
実在したものではない
邪馬台国人は飲酒習慣があったので下戸である弥生系ではない。
海洋系が多く、弥生系が少ない所
たったこれだけで場所は特定できるのにな
DNA調査やろうよ?
この説両方とも詳しく知らんが
九州説は、邪馬台国が九州の小さな国という説なのか?
畿内説は九州含む西日本統一国家という見解?
74 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 15:45:27.43 ID:+vmjEicm0
>>70 関東の歴史はほとんど学会の捏造
関東にも歴史ると捏造しまくり
東京テレビは
江戸江戸ばっかり
江戸時代が日本文化すべての発祥のように語る
江戸時代前には日本人は居なかったかのように
>>71 歴史は勝者のもの
邪馬台国は大和朝廷によって存在を消されたんだよ。
理由は卑弥呼が中国に朝貢していたから。
76 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 15:50:54.98 ID:q3dUJR+00
>>73 出てくる国の中では規模が飛び抜けて
でかいからちっこい国ではないよ
77 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 15:54:13.83 ID:L4Keqdoe0
>>70 大和朝廷は西を治めるのに手一杯。
大和朝廷は西の出身なので東とは縁がなかったとか。
色々な事情があるんではと。
俺的には、いわゆる瀬戸内文化圏みたいな感じの広域国家だったんじゃないかと妄想してる
邪馬台の読み方はヤマタイじゃなくてヤマトだろうとは思ってるけど、
だからと言って畿内大和がそうだというのは短絡的な気もする
79 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 15:54:37.78 ID:2tTrMqfL0
ココで議論は堂々巡りになるけど
纏向遺跡が邪馬台国ならば、大和国=邪馬台国で卑弥呼=ヤマトトトヒモモソ媛命。
そして、この王朝を建国した男王は、天火明命ということになる。
ヤマトトトヒモモソ媛命は、この天火明命の弟にあたるニニギ命の後胤にあたり、
一時期、九州南部の地方官をやっていた家系だった。
それが、ニニギ命の曽孫のワカミケヌ命(のちに神武天皇といわれる人物)の代に
畿内本国で内乱があったので、その鎮圧のために援軍として駆けつけ、
それを機に再び畿内に住むことになる。
東ってどの程度の水準だったのだろうか
81 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 15:55:29.09 ID:74UUov+/0
人口推移
奈良時代(725年) 南関東42万 北関東36万 畿内周辺50万 畿内46万
平安前期(900年) 南関東73万 北関東73万 畿内周辺72万 畿内52万
平安末期(1150年) 南関東89万 北関東71万 畿内周辺75万 畿内50万
関ヶ原(1600年) 南関東130万 北関東71万 畿内周辺140万 畿内228万
享保改革(1721年) 南関東394万 北関東221万 畿内周辺338万 畿内270万
明治維新(1873年) 南関東356万 北関東166万 畿内周辺302万 畿内204万
大正9年(1920年) 南関東768万 北関東345万 畿内周辺477万 畿内444万
昭和25年(1950年) 南関東1305万 北関東519万 畿内周辺661万 畿内645万
昭和50年(1975年) 南関東2704万 北関東580万 畿内周辺868万 畿内1178万
平成7年(1995年) 南関東3258万 北関東694万 畿内周辺961万 畿内1286万
地域別人口分布は、縄文時代の東日本優位、弥生時代以降の西日本シフト、平安末期の関東躍進、戦国の畿内優位、 江戸時代の地域分散、近代以降の東京一極集中といった変遷をたどっている。
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/7240.html 縄文時代の東日本は世界一の人口過密地帯だった!!
http://ichigen-san.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-6cf4.html
>>79 そうなると和気清麻呂が宇佐神宮へ行った理由が説明できない
>日本が周辺国の蛮族の中では多少は重要視されていた
そりゃ本土から移民した連中の国だからな
イギリスから見たオーストラリアやアメリカみたいなもんだ
今でも中国人から見た日本はモンゴルやら朝鮮やらとは別格
明治からのおかしな西洋崇拝教育で日本人は中国人をまるで別の民族と考えるようになってしまったが
魏志倭人伝だけじゃない多々の記録が手元にある中国側はそうは思っていない
>>22 刺青については、アイヌと琉球が有名だけれど、九州でもしていた。
戦国時代でも、豊臣と戦った薩摩武士は刺青をしていたという記録がある。
そして、九州南部の古墳からは、魏志倭人伝の通り、遺体の顔に赤い塗料を塗った人骨
も見つかっている。
http://yourei.jp/地下式横穴 男も女も全身に刺青をして、顔に赤い塗料を塗るのが倭人。
大和朝廷に滅ぼされた、土蜘蛛、蝦夷の習俗。
85 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:01:06.47 ID:2tTrMqfL0
>>81 その人口は全くあてにはならない。
なぜなら、その人口推移は、日本の農耕開始時期を
2300年前に設定した人口推移だからだ。
最近のように、水稲に関しては3000年前、
陸稲に関しては5000年前と計算した人口推移だと、
全く異なる計算になるんだよ。
もともとは九州北部の平野地域
阿蘇山から宮崎県方面に下る
そこに邪馬台国ができる
火山の噴火を恐れ、東に移動
伊勢から奈良に入る
87 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:03:37.81 ID:2tTrMqfL0
魏志倭人伝にある倭国の国々の戸数が正確ならば
少なくとも、卑弥呼のいた時代の倭国の人口は
300万人くらいはいたことになる。
88 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:04:09.21 ID:hLKTSclK0
近畿に倭国大乱の痕跡なし
89 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:06:19.00 ID:i7TwT3Nd0
>>81 平野部が広いってのもあるが、
それにしても南関東、爆増ワロタ
90 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:06:26.55 ID:hLKTSclK0
記紀の神武の東征を説明できない
91 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:08:03.72 ID:hLKTSclK0
征服者が、なんで被征服の歴史を記す必要があるのか
92 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:09:28.91 ID:7cgbfDfe0
九州説は畿内の大和に相当するような似た響きの地名はあるの?
中国は清がイギリスの事実上の植民地にされる前は王朝を高貴な一文字で
それ以外を侮蔑的な字を当てる音写で表現する伝統があった
だから魏の発音で邪馬台にあたる言葉と似た響きの地名は必ずあるはず
93 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:10:04.22 ID:z3wlnCug0
>>84 150年前まで日本人はちょん髷頭で着物着て刀差してたけどなw
入ってきた文化・習慣を底なしに吸収し全く別物に変身できるのが日本人
歴史とは勝者が勝者に都合よく記録するのだから、神武東征を書き残してるという事は東征したんだよ
ではどこから?
九州からだよな
95 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:11:16.23 ID:7cgbfDfe0
>>91 日本が中国王朝に征服された事は一度もありませんよ
96 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:11:28.31 ID:hLKTSclK0
>>84 南九州の隼人の墓だね
7世紀後半に滅ぶ
邪馬台国は渡来人の国
もともとの縄文人は戦に破れ服従した
98 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:12:36.58 ID:PvDaAKp30
>>95 ずっとヘコヘコしてたけどな
>>97 それでジャップはチョンみたいな顔が多いのか
99 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:12:43.12 ID:z3wlnCug0
>>88 瀬戸内の高地性集落の出現期がまさに倭国大乱時期とガッチ
100 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:12:48.09 ID:rxRqISTH0
>>86 阿蘇から東に行けば大分だろ
なんで山を越えて宮崎に行く?
しかも阿蘇山の噴火が影響するか?
>>13 というか、江戸時代から全く進展していない
102 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:14:11.42 ID:CceZJGxL0
邪馬台国は北部九州にあってのちに奈良に移ったんだよ。
どっちも邪馬台国(やまと)だよ。
九州に決まってるやん・・・魏志倭人伝に「ハカタ」だとか「トス」だとか「サガ」だとか「イトコク」だとか「シマコク」
だとか、九州にある国名ばっかりでてくるのに、それがどうなれば畿内にあった国になるねん。
畿内説っていうやつは相当なアホだよ。つうか、プロレスやってるだけだから。
105 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:15:13.55 ID:hLKTSclK0
>>98 どっちかというと中国の南部
三国志で言えば呉
衣服や主教、発音などのほか、稲作もそこから。
106 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:15:56.68 ID:7cgbfDfe0
>>93 チョンマゲ刀は単なる格好だからね
学問や産業技術に関しては西洋の快進撃が始まってた安土桃山時代には
もう一部の大名が興味を示して銃なんかは世界一の生産を誇ってた
その後の蒸気機関による産業革命とその生産販売を支える帝国主義ブームに遅れただけだよ
遅れはイギリスには大きくアメリカドイツにもかなりあったがロシアとは大差ない遅れだったし
107 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:15:57.74 ID:j5WQUyU10
天皇、つうか天コロは宮崎出身だし
九州説採用でいいだろ
108 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:16:00.02 ID:rxRqISTH0
>>97 隼人は滅びず何度も反乱を起こしているだろ
おまけに大和朝廷に召し抱えられているし
刺青は古い倭国の慣習だったけど
中華文明に触れて衰退、辺境や部民の一部などに残った
歴史時代の畿内にはもはやなくなってたってだけ
>>101 江戸時代は真剣に議論してたが、いまはただのプロレス。
畿内説だとか言ってる奴は悪役レスラー。
111 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:17:17.60 ID:7cgbfDfe0
>>98 >ずっとヘコヘコしてたけどな
具体例よろしく〜
112 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:18:16.46 ID:uuEuqXcC0
近畿出身なので、子供の頃は大和説を応援
大学で知人との雑談で、九州説を強く主張する知人が
いたので、空気を読んで、黙って聞く
現在、どっちが可能性高そうなんかわからん
また、どっちが有利そうなんか、本を読む気力もない
(多分、双方の書籍が出てるはずなので、それらを吟味する能力は
自分にはない)
その当時、九州、大和双方に人が住んでたのは事実だろうから
まあいいやが、たどりついた答え
113 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:18:18.15 ID:rxRqISTH0
>>107 モノ知らずだな
鹿児島だよ
昔は鹿児島宮崎を併せて日向といったの
114 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:18:38.14 ID:9afVemwi0
そもそも倭人伝の記述の正確性は、何で担保されているのか?
>>101 進展してないのは畿内説で確定してるんのに
話題的に盛り上がりがほしいから九州説との長い論争がとかいってるから
現代の歴史学会で邪馬台国位置についての研究なんてないし
研究してないのに確定してるという矛盾
117 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:20:14.52 ID:hLKTSclK0
畿内に倭国大乱の痕跡なし
118 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:20:24.37 ID:9gdGfqeu0
なんだ、また関西が九州に負けたのか
相変わらずしょぼいのおwww
119 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:20:46.86 ID:Z9l0zEj70
120 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:20:54.64 ID:7cgbfDfe0
>>105 南方の少数民族やタイベトナムあたりは間違いなく繋がりあるよね
いわゆる中華文明は古代の遣隋使から遣唐使の300年で意識的に学んだもので
民族的ルーツとは違うと思うよ
121 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:22:34.41 ID:7cgbfDfe0
>>96 >>103 ここんとこ詳しく
あんま詳しくないんで単に邪馬台国だから大和じゃねえの?と思っちゃうんだが
122 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:22:46.13 ID:hLKTSclK0
123 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:23:03.69 ID:z3wlnCug0
チョン臭いのが邪馬台国を矮小化しようと必死だねw
>>100 大乱が起きたと書いてある
中国地方にはもともとの縄文人国家がある
山を越えて宮崎側に逃げるしかなかった
この時代の噴火は今より規模が大きい
火山のない近畿に新しい国が出来た
伊勢神宮
火山信仰 富士山、御岳、三原山、浅間山を鎮めるために出来た
125 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:24:34.80 ID:GiHaMYpj0
最新のNHKの放送では
伊都国は当時唯一「国王」が存在していた国で
伊都国からヤマト国に東遷してきたそうです。
伊都国では大陸や朝鮮半島から簡単に攻め込まれますから仕方ないと思います。
126 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:25:18.80 ID:14IvqOPsO
>>71 三国時代のあと晋(西晋)が中国を統一するが、これもすぐ滅び中国は5こ十六国の群雄割拠の時代を迎えるんだよ
つまり、国の興亡激しい荒れた時代。
倭国も朝貢したかもしれんが記録は焼失したかもしれない。この時代の倭国と朝鮮半島との関わりを考えると全く交流がなかったとは思えない。
そもそもメリットがあるから倭国も朝貢なんてやってるわけで、見返りがないとやらない。荒れた時代だからとやってないかも。
昔の人も馬鹿ではない。利益になることはやっても不利益になることは基本的にやらない。
127 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:25:37.58 ID:L4Keqdoe0
>>65 ちょっこっと調べただけで偉そうなことはいえんけど、
大神神社は全く重要視されてないというような神社じゃないな。
倭国の研究には絶対外せない神社じゃないの。
128 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:26:08.29 ID:2tTrMqfL0
倭国大乱と言っても、どの程度の大乱なのか、よく分からない
戦国時代、源平合戦、南北朝動乱、応仁の乱など
過去のどの戦乱に似ているのか、よく分からない
自分が思うに、南北朝の動乱に似ているのは?と思うがね、倭国大乱は。
宇宙の起源はバカチョンだよね
くたばれよバカチョン
130 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:27:23.25 ID:rxRqISTH0
>>124 だからなんで大分に行かないの?
そんなに大きな噴火だと証拠もあるんだろうな
>>108 召抱えられたのではなく
土地からはがすために
連れて来られた
蝦夷も同じように関東各地に流刑された
133 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:29:22.20 ID:+NintPuo0
>>112 出雲もありますよ
北九州や畿内以上の青銅剣が出土されたとか
朝鮮半島に近い
スサノオが新羅から東に来たら出雲地方だしね
134 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:29:48.88 ID:YdT+/ixN0
纒向が卑弥呼の墓って、誇大妄想にしか思えんw 邪馬台国が畿内にあった西日本
全般を統治していた大国家だって? 笑わせるな。そんな広い国だったら、文字文書
(紙でなくても竹でも石でもいい)による官僚機構がなければ通信伝達ができないだろ。
中国もエジプトもそういう文字文明によって広大な統治が実現されていたんだけどね。
使者が口頭で統治者の意志を伝達しても、相手方の意志表示がその責任者のものである
という確証は、文字文書でなければ無理だよ。統治範囲が狭ければその都度相手を都に
呼び寄せて事足りるけどね。邪馬台国は中国側が書いたとおりの統治範囲の狭い部族国家
と考えるのが自然だろ。
135 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:29:56.96 ID:rxRqISTH0
>>131 そんなのを宮中の警備に使うわけ無いだろ
136 :
ネトサポハンター@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:30:11.95 ID:wi/1s+D30
ソウルあたりにしとけ
137 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:32:29.13 ID:rxRqISTH0
138 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:33:17.58 ID:hLKTSclK0
>>133 出雲は邪馬台国とも近畿とも独立した大勢力
139 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:35:15.30 ID:hLKTSclK0
出雲は中国よりも半島と密接に結びついてる。
神話の内容や出土物なども
140 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:35:38.83 ID:rxRqISTH0
>>137 河が流れてるからといってその方向に道が続いてるとは限らないよ
地形図で見ると分かるけど、筑後平野辺りが邪馬台国だと仮定すると、竹田当たりから見れば大分も宮崎も距離的に大差無い
142 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:37:31.92 ID:VEGjAeA80
隋書
倭国は、百済や新羅の東南に在り、水陸を越えること三千里、大海中の山島に依って
居する。三国魏の時代、通訳を伴って中国と通じたのは三十余国。皆が王を自称した。
東夷の人は里数(距離)を知らない、ただ日を以って計っている。
その国の境は東西に五カ月、南北に三カ月の行程で、各々が海に至る。
その地形は東高西低。都は邪靡堆、魏志の説に則れば、邪馬臺というなり。
古伝承では楽浪郡の境および帯方郡から一万二千里、会稽の東に在り、
?耳と相似するという。
>>140 それを詳しく書くと
差別に繋がるからな
144 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:38:44.70 ID:EJ2nTJPF0
そもそも大和国の巫女姫だろ
145 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:40:20.97 ID:VEGjAeA80
>>142 続き
旧唐書
倭国とは、古の倭奴国なり。京師から一万四千里、新羅の東南の大海中に在り、
山島に依って暮らす。東西に五カ月の行程、南北に三カ月の行程。代々中国と通じている。
その国、居住地に城郭がなく、木を以て柵とし、草を以て屋根とする。四面の小島、
五十余国、皆、これに附属している。その王姓は阿毎氏、一大率を置き、諸国を検察させ、
皆はこれを畏怖している。官には十二等級を設けている。
略
日本国は、倭国の別種なり。その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた。
あるいは曰く、倭国は自らその名の雅ならざるを憎み、改めて日本と為した。
あるいは日本は昔、小国だったが倭国の地を併せたという。そこの人が入朝したが、
多くは自惚れが大にして不実な対応だったので、中国はこれを疑う。
また、その国の界は東西南北に各数千里、西界と南界いずれも大海に至り、
東界と北界は大山があり、限界となし、山の外は、すなわち毛人の国だという。
以後は倭国は消え、日本国のみとなる。
別に商業利用しなけりゃどっちでもいい
147 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:42:11.76 ID:z3wlnCug0
辰韓(シラギ)一万戸 < 投馬国五万戸(倭国三十余国の一国)
↑
半島国家が倭国を大国と崇めるのもムリナイ話w
148 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:42:39.87 ID:rxRqISTH0
>>141 川と下るのと山越えと一緒のはずがあるか
言っとくけど大分を押してるわけじゃないぞ
宮崎だけはありえないと言っている
149 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:43:15.33 ID:/ra89V150
>>125 伊都国の遺跡の遺物がなかなか凄いらしいね
何十枚もの銅鏡や鉄剣も出てるようで
>>148 大乱があって逃れるのなら、追いかけられやすい川を下るより険しい山に行くのも選択肢の一つだよ
151 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:46:17.15 ID:hLKTSclK0
>>145 倭国と日本は別の国だな
そんで倭国が倭奴国、つまり金印がでた奴国の系譜だって言ってるわけだ
152 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:46:27.08 ID:z3wlnCug0
>>145 江戸時代の日本人と明治時代の日本人を比べたらそりゃ別種だわ
隋書倭国伝に書いてあるんだし
有阿蘇山、其石無故火起接天者
154 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:47:56.47 ID:7cgbfDfe0
>>145 ここまで来ると日本側の冠位十二階や日の出る処の天子と合致するし分かるんだよな
魏志との間の数百年が気になるよ
ところで阿毎氏って何の音写だ?臣?
九州説はもうファンタジーじゃないのか。
156 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:48:14.40 ID:rxRqISTH0
>>150 ちょっと何の話をしているのかズレてないか
少数の避難民の話をしているわけじゃないだろ
157 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:48:48.74 ID:krzPvXV70
「出雲説」はどうして無視するの?
あれほどの銅剣などが出てきてるのに
158 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:49:18.77 ID:9gdGfqeu0
ジャップ猿が起源ねつ造に必死ニダね
159 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:49:22.41 ID:avKS41no0
昔から日本は九州出身者が改革していくんだよな。マジで。神話にも描かれるほどだ。
160 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:49:42.22 ID:z3wlnCug0
>>153 九州王朝説かよ
一回ちゃんとした本でも買って読んでみるわ
ネタとして使えるかもしれんしw
161 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:49:42.85 ID:+NintPuo0
>>145 ほー天皇家の姓は阿毎氏だったのか
日本人でも知らない皇室の姓を知ってるとか中国は歴史の宝庫だな
>>156 この時代の集落だと500人ぐらいのレベルだよ
>>156 あの時代なら大人数も少人数もおなじだよ
切りたった崖の間の川をどうやって下るのかを考えたら歩きやすい山道を行くだろうな
164 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:53:38.63 ID:L4Keqdoe0
>その国の境は東西に五カ月、南北に三カ月の行程で、各々が海に至る。
その地形は東高西低
奈良の天理桜井あたりを中心にみると 当てはまる?
165 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:53:40.95 ID:VEGjAeA80
隋書倭国伝の最後部分
既に裴世清は引き上げて館に就く。その後、裴世清が人を遣わして、
その王に曰く「朝命は既に伝達したので、すぐに道を戒めることを請う」。
ここ於いて宴を設け、裴世清を遣わして享受させ、再び使者を裴世清に
随伴させて方物を貢献させに来た。この後、遂に途絶えた。
166 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:53:46.98 ID:+NintPuo0
167 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:58:09.20 ID:mBGMPSB10
西が拠点じゃないと
朝鮮出兵とかしないって
朝鮮www
168 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:58:10.51 ID:7cgbfDfe0
そもそもこれを書いた魏の人も2〜3の有力国の情報がゴッチャになって
かなり適当に書いてんじゃねえか?
今の感覚でいえば日本人が単なる噂話で東欧諸国の話をしてるようなもんでしょこれ
所要日数も方角も遠さをあらわすのに適当書いてる気がする
169 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 16:58:22.51 ID:VEGjAeA80
隋書は次の政権である唐の時代の7世紀中期に編纂されている。
それまでに、倭国は途絶えたと考えられる。
>>168 中国での数字は大げさに書くのが普通だから信用できないでしょう
方角は北東や南東を含めて東とか、北西と北東を含めて北とか、
そんな感じで捉えるもんだろうと思いますよ
171 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:00:14.90 ID:rxRqISTH0
172 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:01:42.97 ID:+NintPuo0
>169
倭国の王の姓が阿毎氏があましあめしなんだからアマテラスとしてヤマト政権に継承されてる
>>171 指導者とその取り巻きが逃れて行って、その後東征する時に残して行った元の仲間を糾合して行ったと考えればどうとでもなるんだよね
174 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:02:06.80 ID:/NhyB9pJ0
邪馬台国は奈良だ。
邪馬台は、やまたい、つまり、大和の古語。
やまたいが大和となった。
大和の国がやまたい国、邪馬台国だ。
つまり、奈良県だ。
大和の国いた武装集団、後の大和政権の人々が2500年前から「やまたい、やまた、」と読んでいた。
それがだんだんと「やまた、やまと、」となり最後は大和となった。
大和政権ができ大和政権と称してから、それ以前の昔の時代をやまた、やまたい、と呼び、その漢字を邪馬台国とあてた。
こんな事もしらないのか?
いつまで邪馬台国論争をするのか?
九州?? 笑うな。
やまたい、やまた、やまと、大和だ。
よく覚えておけ。
倭人伝の解釈だけじゃあ決め手がないのか
なんか決定的なものが出土でもしない限りは無理なんか特定
176 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:03:31.06 ID:rxRqISTH0
>>168 いや倭人伝は卑弥呼が敵へ対抗するため魏の使節をよんだので紀行文とは違うよ
>>174 最初からヤマタイとは読まず、ヤマトだったと思うけどな
でも、畿内大和の事ではなかっただろうな
178 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:03:44.91 ID:NhK9Osof0
邪馬台国は日本人の心の中にあります
にこにこ
179 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:04:01.97 ID:7cgbfDfe0
>>170 白髪三千丈の例えってやつだな
ホモサピエンスが伝説の古代生物になってから何かでその記述を見つけた宇宙人が
「この生物の毛というものは果たしてどのような物だったのか?」とか
真剣に論じ合ってるような滑稽さがあるのかもしれないよ魏志倭人伝って
180 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:04:31.13 ID:ctbL74iF0
どこでもいいだろそんなもん馬鹿じゃねwww
181 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:05:01.33 ID:ymog7F0i0
奥州説に一票
>>179 そうそう、
白髪三千丈という言葉があるのに、真面目に何日間の行程とか議論してる人って滑稽だと思います
183 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:05:38.99 ID:16mLbYsZ0
バカな大陸人がごちゃ混ぜに作った話に過ぎないのに輪をかけてバカなのが真面目に議論する日本人www
大体が奈良に古地名がない時点で怪しすぎるよね。
九州にははいて捨てるほどあるし、蘇我物部も一杯w
三国志時代の角逐の中で、どこもほしい
のは九州であって、僻遠の地じゃない
逆に九州から奈良までの大国なら余計に
詳細な国情の報告が入ってるはず。
なのに近畿の記録はようやく中唐。
ありえなさすぎるw
古墳がでかいからとか幼稚すぎて笑える。
185 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:06:11.11 ID:rxRqISTH0
>>173 >どうとでもなるんだよね
で、大噴火の証拠はどうにかなったのかな?
186 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:06:37.89 ID:NhK9Osof0
実はなかった
っていうのはどう?
金印の出土した場所が分かればなあ。
唯一の国内のはっきりした証拠つったらあれくらいだろ。
188 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:07:54.50 ID:7cgbfDfe0
>>176 日本内の小国がしてた朝貢って今のチベットがしてる西側との交流みたいなもんじゃね?
最後のそれである琉球王国も実際には薩摩藩の施政下にあったしさ
ぶっちゃけ向こうからしたら付き合うメリットが無いから扱いとしてはかなりテキトーだったと思うよ
帰ってきた使節に話をきいて書いたんだろうが使節の人も「とにかく遠かったわ〜w」みたいな感じでさ
189 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:08:45.38 ID:BDFGqiBEO
吉野ヶ里を現地で見るとここじゃないかと思うけどね
190 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:08:49.85 ID:z3wlnCug0
>>184 畿内有力氏族の出自の8割は九州だからな、バカじゃね?
191 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:09:37.10 ID:HC3J66+m0
192 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:09:46.22 ID:/NhyB9pJ0
邪馬台は、やまたい。その後やまととなった。つまり、大和の古語。
やまたいが、やまた、やまと・大和となった。
大和の国がやまたい国、邪馬台国だ。
つまり、奈良県だ。
大和の国にいた武装集団、後の大和政権の人々が2500年前から「やまたい、やまた、」と読んでいた。
それがだんだんと「やまた、やまと、」となり最後は大和となった。
大和政権ができ大和政権と称してから、それ以前の昔の時代をやまた、やまたい、と呼び、
その漢字を邪馬台国とあてた。
193 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:10:11.26 ID:iVNht1OkO
小保方「STAP細胞はありま〜す!」
学者「邪馬台国はありま〜す」
こう並べると急に邪馬台国の存在が嘘っぽくなるな。
箸墓古墳なんて大昔に盗掘されて何も残ってないだろ。
195 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:12:02.08 ID:7cgbfDfe0
>>186 十分ありうる
話の元になった国は特定の一つの国ではなく
当時の日本列島は中国人視点だとこんな雰囲気だったよというだけの
テキトーな伝聞なら具体的な国は存在しなくなるわけで
邪とか使ってる時点で日本は邪な国だったんだな。
197 :
ネトサポハンター@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:12:37.72 ID:wi/1s+D30
何も進展してないんだから、同じ話題のループだわな
大袈裟な記述とか言ってる馬鹿いるが
大袈裟と言う割には随分と現実的でショボイ行程記述だな
(方角はともかく)現実臭い数字に俺は信憑性の高さを感じるけどね
199 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:14:28.54 ID:7cgbfDfe0
>>193 山中伸弥「でもiPS細胞は実際にあるんやで」
200 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:15:31.35 ID:z3wlnCug0
もう倭国大乱期に九州から大和に姫さん向かい入れて共立王にしたで良いじゃん
なにが不満なのかね?
201 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:15:53.01 ID:L4Keqdoe0
>>196 卑弥呼は「卑しい」の「卑」
他にも見下した字を使ってるな 「狗」とか
204 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:18:33.67 ID:7cgbfDfe0
>>196 中華文明では清がイギリスの事実上の植民地にされるまでは
王朝を高貴な一文字でそれ以外を下賎な音写で表現するのが慣習だったんだよ
モンゴルとか今もそれで中国人が自国を蒙古と書くことに不快感持ってるそうな
とりあえず九州説は場所統一しろよ
福岡なのか佐賀なのか大分なのかあやふやすぎ
まあ、でも俺が中国の使いでもびびるわ。
皆全身刺青で、占いに奴隷の大たい骨使ってたんだろ。
でも皇帝が金印贈るほどには勢力はあったんだよな。
207 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:20:13.83 ID:YdT+/ixN0
畿内派「魏志倭人伝の記述を文字通り信じる必要はない」
ごもっとも。いい加減な記述だった可能性は高い。なぜなら、中国に
とっては当時の倭国はどうでもいい国だったので。であるならば、日本の
入口にあった小さな部族国家(邪馬台国)から聴き取り調査しただけで
満足していたんだろうね。その奥については関知せず。畿内に邪馬台国を
超える大きな国があったとしても、それを邪馬台国が知らないだけだった
と考えるべきだな。
208 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:20:23.71 ID:3KLmEoukO
>>202 日巫女か日見子じゃない?
天照大神の子孫ならば。
209 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:21:08.17 ID:HC3J66+m0
210 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:21:25.37 ID:EJ2nTJPF0
だから大和の巫女姫のことだっての
それを当て字で邪馬台国の卑弥呼って中国で勝手に記しただけ
邪馬台国なんて国は無い
卑弥呼は殺された by松本清張
>>205 畿内説もあやふやだけどな
そのくらいの範囲でいいのなら九州の北半分のどこか
でいいだろうな
、、、 , , _
,. -┬i^i、._ ィ`,、,、,、,、,.、'、
. / | | .|=ゞ=、 __l/\ v~/!|
l. l l l \\{f‖ミゞ, ,ィ≪:lf^i もういい・・・!
/ヽ. ノ「,ト、「.lヘ‐iヾ|rー~r〉〉,こlレ'
/ `ヽ//| ト、ヽlイ| |/|{王王王王}ト、
| レニ| lニゝ冫! l!L_, , ,ー, , , ,_」シ’、 もう・・・
ヽ __|ーL|┴^ーヽ>'^ヾ二三シ´\\
,ゝ,/ .}二二二二二二二二二lヽ. ヽ \ 休めっ・・・!
l/ |ト、./´\ ||. レ'´ ̄`ヽ
|| ! 、\ ||. / :|
|| |.l l゙!.|i |ヽ) |l/ / 休めっ・・・!
|| `ヘ)U'J /-─ ,イ.|
|| _ /-─ / ヽ| 九州説・・・!
|| r‐-゙=っ`ヽ,.--r-─ ''"´ ̄`ヽ / }
||. {三二 | │ / /
||. ヾ=--一'`ーゝ _,. く ノ|
畿内説だと和気清麻呂が宇佐神宮へ行った事の説明が出来ない
215 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:24:36.15 ID:xJJW1Hp80
で、これ最終的に答えが出るとどうなるん?
邪馬台国ブランドでその土地活性化みたいな感じ?
日本は平安時代にはすでに中国を超える超大国だったし、
飛鳥時代には既に大陸に対して多大な影響力があったことを考えると、
倭国は中国と互角の大国であったと考えるのが自然だ。
三国時代の魏や、南北朝時代の宋にとって、大月氏や倭国のような大国から朝貢を受ける意味とは、
中華の覇権争いの中で自国の正統性を認める外交成果であったことが良く分かる。
魏や宋は、「あの倭国から朝貢を受けている、俺の国は中国の正統だろ凄いぜ」と書いているのだ。
217 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:26:49.55 ID:h+nuvaI10
要点抽出
始度一海千餘里 至對海國 其大官曰卑狗
又南渡一海千餘里 名曰瀚海 至一大國 官亦曰卑狗
又渡一海千餘里 至末廬國
東南陸行五百里 到伊都國 官曰爾支 郡使往來常所駐
東南至奴國百里 官曰?馬觚
東行至不彌國百里 官曰多模
南至投馬國水行二十日 官曰彌彌
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 官有伊支馬
あと倭国ってのもない
我国が正しい
我が国って呼んでたのを勝手に中国で倭国って付けただけだ
220 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:28:18.35 ID:uEfRh9iR0
221 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:29:47.23 ID:PHgJB3w30
70年前の虐殺に疑問符を持ってる人も多い国が同じ国の歴史書をなんで全面的に信じてるんだw
>>220 少々誇張しているが、割と大真面目に書いてるんだが。
魏志倭人伝を書く際に創作された架空の国
それが邪馬台国
何十カ国も支配しておいて何の遺跡も見つからないってあり得ないよ
226 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:32:53.07 ID:HOzk9xCM0
学会さん、もう少し色々と譲り合ってもいいんじゃないでしょうか?
ブログでは両方だという意見も多いですが・・
>>224 三国志正史のおまけ程度の文なんだけどね
229 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:38:36.50 ID:rxie3lbJ0
>>224 邪馬台国とか卑弥呼というのは、明らかに悪意に満ちた当て字
倭国が強大過ぎてビビりまくった結果があの当て字に表れている。
大和国、火(日)巫女ってのはありそうやな。
ただ、文献自体が国内にはきちんとのこっとらんから分からんけど。
232 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:40:17.11 ID:14IvqOPsO
>>206 中国では入れ墨は刑罰の一つで、蛮族のやる野蛮な風習と思われていたらしい
233 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:42:43.78 ID:+NintPuo0
>>232 中国の罪人が日本に逃れて来たんじゃねえか?
北海道やオーストラリアも都落ちの罪人がたどり着いたじゃん
234 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:45:43.05 ID:PHgJB3w30
>>232 >中国では入れ墨は刑罰の一つ
それは陸の話。漁労民は鮫等魚禽に襲われないために黥面文身は必須だった。
日本では農耕の普及と共に消滅
例えば魏の朝貢は、西の果ては大月氏王と東の果ては倭王と朝貢を結んでいる。
クシャン朝が大帝国なのは言うまでもないが、それが魏志では戸十万と記載されている。
倭国は七万余戸だぞ。これはもう凄まじい大帝国だ。戦争したら魏でも滅ぶレベル。
魏志は倭国大乱のおかげでなんとか無事でしたと正直に書いているだろ?
236 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:48:04.83 ID:7cgbfDfe0
>>229 それは清まで続いた中国の昔からの慣習でしか無いよ→
>>204 日本が中華文明の外にあった証明だからむしろ良い事
ちゃんと記録が残っていればなあ。
そうとうユニークな文化持ってたと思うよ。
おそらく組織化された戦闘部隊も持ってたんだろう。
魏は呉や匈奴の驚異に対抗するため、倭国と朝貢を結べたと万歳と尻尾フリフリで魏志を書いてる。
宋は北魏の驚異に対抗するため、倭の五王と朝貢結べたのが最高の快挙と泣きながら宋書を書いてる。
このあたりの中国の情勢をしっかり理解せずに、倭国を語っては間違ってしまうことだろう。
日本各地の風習をあれだけに事細かい事象に及んで拾いまくった使節の好奇心と
観察眼は見事。それを完璧ではないが要点をかいつまんで消化した魏書の編纂者
の構成力も見事。
恐らくネタが100あったのを10くらいに圧縮したんだろう。
しかし人間だからどちらの側にもうろ覚えや勘違いはありうる。
240 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:52:28.05 ID:+NintPuo0
>>235 人口だけ多くてもね
大陸からのテクノロジー(鉄剣)がないと争いに勝つこともできなかったろ
聖徳太子に似た壁画が中国から発見されたことで日本の支配層は中国の後ろ盾をより多く持つ勢力が他の勢力を侵略したことがわかる
241 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:53:59.05 ID:GvPf/qI2O
まぁどうみても九州に邪馬台国は 無いでしょ。
倭人伝、記紀とも瀬戸内海から畿内へかけての国で全て説明がつく。
242 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:55:58.85 ID:fZIIj0bI0
天皇が京都に遷都した時に宇佐神宮は遠すぎるので何時でも詣る事が出来るように
石清水八幡宮を造った。この事実からも分かるように天皇家は宇佐神宮を特別
扱いしていたのがわかるだろう。
>>240 2世紀後半ではそんなに強大な差は無いよ。
飛鳥時代にはあんなに大陸で大暴れしているのに。
日本を過小評価し過ぎてるわ。
244 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:57:33.56 ID:+NintPuo0
>>243 飛鳥時代まで300年空いてるじゃないか
その間に日本は独立して力をつけた アメリカみたいなもんじゃねえのか
245 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 17:57:47.78 ID:7cgbfDfe0
>>240 それは後ろ盾っていうか武器輸入に過ぎないのでは?
後ろ盾ってのはヤバくなったらそいつが助けにきちゃうから怖くて手出しできないって奴でしょ
中華王朝に守ってもらった経験のある国なんて日本にはないよ
飛鳥時代まで4,5百年間開いてるからな。
それ以降とはまるで違う時代だ。
247 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:00:36.93 ID:GvPf/qI2O
九州説の致命的な矛盾は倭人伝の記述を無視している事だろう。
大体あれは倭人伝であって邪馬台国伝ではない。
倭に鉄が豊富なんて記述はなく、あるのは丹山だよ。
丹山の本拠地は当時は阿波、紀伊半島にかけてだからな。
どこなのか、ってかドコがいいの?好きに選びたまえよ
二十四史を読んで得られる率直な感想は、古代から日本でか過ぎの一言に尽きる。
多分現代の日本人と、中華人民共和国の中国人が、有史以来古代日本をもっとも過小評価してると言っても間違いないわ。
250 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:01:56.59 ID:+NintPuo0
>>240 「私は、天から降られたニギハヤヒの命に仕えていますが、いったい天神の子は二人おられるのですか?どうして天神の子と名乗って、人の土地を奪おうとするのですか?」
それに対して、神武は以下のように答えたようです。
「天神の子は多くいる。もし、お前が仕えている人が天神の子なら、必ず天のしるしのものがあるから、それを示しなさい」
↑この日本書紀に出てくる天神ってのが中国皇帝のことだろう
梁書によると、梁の武帝は502年、雄略天皇に比定される倭王武を征東将軍に任命している
251 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:03:19.18 ID:XnwG1tWQO
倭人が入れ墨をしていた考古学的な物証。
愛知県安城市桜井の鹿乗遺跡群から入れ墨人面土器が見つかっている。
同じく安城市古井の本神遺跡からは入れ墨土偶が見つかっている。
少なくとも西三河地方の碧海台地には入れ墨を習慣とする人々が暮らしていたと思われる。
252 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:03:48.13 ID:+NintPuo0
>>245だった
>>249 人口以外にどんなでかさがあったんだ?
確かに武器がもろいから人口が多い方が強そうだけど
253 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:04:18.98 ID:avKS41no0
九州住みなら宇佐に陣取るのもわからんでもない。他の地区は攻められやすいし。
九州人が明治維新では東京に首都作って、古代じゃ近畿に都作った。蒙古からは日本を守って九州がないと日本がないレベル
254 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:08:18.53 ID:K8CUBwgkO
邪馬台国は、あなたの心にある
255 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:08:43.41 ID:7cgbfDfe0
>>250 >日本書紀に出てくる天神ってのが中国皇帝
その解釈は無理があるw
まぁ仮に権威付けに利用してたとしても実際に中国系の王朝が軍を仕向けて来たのは
侵略者である元寇だけだし日本の後ろ盾になった事は一度もないよ
256 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:10:27.92 ID:14IvqOPsO
>>233 正確には中国の中原では刑罰の一つだった、だね
>>234のいうように中国南部では入れ墨の風習があった(中原の人達からみたら中国南部に住む人も蔑みの対象)
米の伝来などと一緒に入れ墨の風習も日本に伝わった可能性も普通に考えられる
ちなみに畿内には他の地域からはよく出土されてる入れ墨の風習を思わせる品物(入れ墨をしている人型土人形など)があまり発掘されない
257 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:12:20.44 ID:gR/w2Iiy0
中国の史書の何十行くらいしかない記述の、当て字の国が何処かは、現時点ではほとんど議論が尽きていて、語る意味はほとんど無いんだけどね。
なにがしかの新しい、決定的な発見がない限り、延々とプロレス的な議論が続くだけ。
だから学会には邪馬台国論争なんて実は存在してない。そんなのより現場の研究やれよと。巻向とか。
これをやりたがるのはアマチュアの個人研究家か、本を売りたい作家か、役所に頼まれて地元の街起こしに協力してる研究員か予算が欲しい研究室と、大体相場が決まってる。
258 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:12:54.74 ID:+NintPuo0
>>255 おかしいなあ
昨日はその解釈で正解と言われたんだけどなあ
だから出雲の国譲りがスムーズにいった、と。
こいつはニギハヤヒに斬られてるわけ。
つまり「すんません!部下が失礼なことしました!神武様!」って感じ
神武は天神の子達の中でも上位の序列だった
この時代の秩序は中国大陸にしかないだろ
お前らバカだなー、あと何年もすれば、四国説が有力になるw
イナゴみたいなもんで予算がなくなったら次々と候補地を変えて行くだけ。
それが、御用学者www
260 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:14:48.36 ID:z3wlnCug0
>>228 糸島には可也山があるよな、卑弥呼が倭人なら
半島南部にあった狗邪韓国もやっぱ倭人の版図なんだろうね
大陸との交易の要であった国の姫さんを倭の共立王に祀り上げたのも
分かる気がするわ
261 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:15:11.72 ID:/ra89V150
当時の伊都国の古墳の副葬品を見れば当時の九州のレベルの高さがわかる
262 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:18:37.21 ID:GvPf/qI2O
神武東征伝承なんてのを邪馬台国に絡めるのもあまり無謀だろ。
大体九州から出発というより、四国周辺の勢力が
畿内に南側から入る創作したお話。
武力衝突では河内湖で敗退してる以上、武力の優位性で
東征を語るなんてあり得ないぞw
263 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:19:12.64 ID:7cgbfDfe0
>>258 神話はそもそも権威付けのための創作部分が大きいからね
朝貢に自国の権威付けの意味があったのは否定しないよ
264 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:20:02.41 ID:gUbB5WmW0
天皇や公家が刺青してたか?
倭国の人間は男も女も刺青して、顔を赤く塗ってたんだが。
>>152 分かってるかもしれないけど
それは錯覚なんだけどな
266 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:21:34.59 ID:k2pVn+U30
韓国から来た騎馬民族が九州にあった邪馬台国を征服して
それが東征してできたのがヤマト朝廷なんじゃないの?
出雲の国譲りとか日本書紀もそういう神話なんじゃないの。
中学の先生はそう言ってたけど。
267 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:21:39.72 ID:+LzylapyO
そろそろ新潟あたりに
フランチャイズはどうだろうか。
268 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:22:55.01 ID:vLDluuN50
昔から嘘八百は漢民族の習い性
漢民族の記述を基に論じるおまえらは遇の骨頂だわw
269 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:24:20.40 ID:7cgbfDfe0
>>264 天皇支配が出来てから消された文明ってどのくらいあるんだろな…
あのな、5、6年前に3ヶ月以内に邪馬台国である証拠がみつかる。見つからなかったら畿内は馬台国ではない、!と言ってたが、見つかっていない。
要するに、大和朝廷であり邪馬台国ではない。もうね、いい加減に畿内説はゴッドハンドはやめろwww
>>266 韓国なんて国ねえけどな。
ローマをイタリアとはいわんだろ。
まあ、中学生に教えるならその程度だろうけど、
神話は神話だからな。実際何があったかは分からん。
そもそも当時の朝鮮半島にそこまで強力な国家があったかどうか、
わからんし。
272 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:24:59.66 ID:umJqg2oq0
いや、ちょっと待ってほしい
シナの歴史書は嘘ばかりで
そもそも邪馬台国なんて存在しないのではないか
273 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:25:50.28 ID:XnwG1tWQO
>>241 記紀から瀬戸内と畿内に限定するのは乱暴すぎる。
出雲や高志も記紀にある。
更に言えば三種の神器の玉と剣に関連する記述は出雲と高志との話だ。
また倭人伝で台与が贈った大青勾玉は高志で産出した翡翠と思われる。
高志の奴奈川姫と出雲の大国主命の逸話も記紀にある。
出雲の国譲りで負け諏訪に隠れた建南方命は大国主命と奴奈川姫の間に生まれた子だ。
またヤマタノオロチは正しくは高志之八俣遠呂智と書く。
果たして出雲や高志が邪馬台国であったかは不明だが、八俣(ヤマタ)と邪馬台。
何か関連があるやも。
274 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:26:07.57 ID:3+ejEJ940
>>266 日出ずる処の天子なる不遜な手紙を送った大和朝廷を叱りに来た唐の使者は、
「大和朝廷は倭国ではない、朝鮮半島にあった秦王朝だ」と言ってるね。
275 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:27:16.80 ID:7cgbfDfe0
>>272 それは普通に九州説や畿内説に匹敵する有力説
邪馬台国は存在しない
魏の調査団は北九州で数ヶ月のんびりしながら
「南の方に行って卑弥呼ってヤツに会いましたー」
って適当な報告書書いて帰っただけだよ
277 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:28:15.67 ID:umJqg2oq0
日本書紀をウソっぱち扱いするのに
シナの歴史書は信じちゃうんだなw
沖縄だなこりゃ
280 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:30:13.65 ID:Z9l0zEj70
断固、エジプト支持。一番丸く収まる。
281 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:31:29.49 ID:7cgbfDfe0
>>277 日本書紀は政権の神格化の為の演出で嘘を入れてる
中国歴史書の日本記述は日本がどうでもいい存在だったからテキトーに書いてる疑いが強い
内容が信用出来ないと言ってもその意味は全然違うよ
282 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:33:18.87 ID:vLDluuN50
ベンツにも乗れない貧乏人は些細なことでテンション上がるからなあw
で、シナ人がデタラメ書いた記述がどうしたって?w
283 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:33:53.53 ID:3Zqq/0tK0
まだやってたのかw
東京の御用学者の分断工作に洗脳されたプロレスごっこのアホ共
所詮、銭ゲバ共のプロレス
284 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:36:50.60 ID:umJqg2oq0
邪馬台国なんてどうでもいいじゃん
なくても何も困らない
285 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:37:11.87 ID:z3wlnCug0
記紀も無茶苦茶、魏志倭人伝も無茶苦茶
それなら考古学で勝負、ぶっちゃけ九州は平原以外ゴミしか出てこん
よって畿内で決まり
天(天照大神の土地)
↓
天孫降臨→神武東征
普通に考えて、天は朝鮮半島、当時の韓諸国だよね。
その証拠に、天孫降臨の場所は、韓国に真っ直ぐ向く良い土地で、
そこを、ク・シフル又はソホリと呼んだ。
シフル、ソホリ?
何かに似てるよね。
朝廷語で都を表す「ソホル」だ。
天照大神の墓は、日本列島内にはない。
まだやってた、どうでもいいといいつつ
必ず覗きにくるんだなw
288 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:40:06.67 ID:vLDluuN50
松本清張先生のタラコ唇を信じなさい
畿内で、100枚しかない鏡が畿内で鏡が出まくりw
学者も顔面蒼白で、実際に畿内説を降りた学者も数多くいるんだとよ
290 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:40:33.23 ID:ni1RZL840
俺の股間にあるわ
やっぱり九州からはめぼしいものが出土してないってのは弱いよ。
当時、千人、2千人足らずの集落とも思えんし。
>>286 天はアマ、海なので朝鮮半島の意味ではないぞ。
大体素戔嗚尊は朝鮮半島に降りるが、ここは嫌いだと言って
日本に渡るんだからなw
293 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:42:32.78 ID:p3YBSkfb0
>>286 ×朝廷語
○朝鮮語
天孫降臨の最初の都(シフル、ソホリ)が、朝鮮語の「都(ソホル)」。
韓国に向いたソホルが、日本列島最初の都だよ。
そして、建国記念日の2/11は、宮中の韓神社を祀る日。
韓神社の祭りだけは、天皇自ら行わなければならないとされてる。
>>291 アホか、九州からしかめぼしい物は出てないんだよ。畿内で出たのは桃の種だけwww
>>293 それ、なんの史書に基づいて語ってるの?
出展もなしにべらべら語られても。
邪馬台国から少し下った時代だが熊本のチブサン古墳は壁一面が朱色や黒色の模様で装飾されている
これは恐らく魔除けのためだろう
つまり当時その地域に魔除けのためにペイントする文化があったと考えられる
これは魏志倭人伝その他で邪馬台国の文化として魔除けのために皆刺青をしているという記述と一致する おそらく邪馬台国の文化がまだ残っていたのだろう
もしくはチブサン古墳の年代がもっと古いのかもしれない
やはり邪馬台国は熊本近辺にあったのだと思う
一度チブサン古墳で検索してみるといいよ
>>289 降りた学者って誰?
自慰で売れない本を書いてる素人のオッサンを学者と言わないよw
意外にジャワ島とかなんじゃね?
299 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:47:10.23 ID:3Zqq/0tK0
宮内庁のおkが出ないと結論など出んだろ今後も
四国じゃね
>>297 えっ?降りてない学者って誰?本も書いてないバカなの?w
魏誌についても宋書についても、製作したのは次の覇権者によるものだからな
前王朝はこんな事をした
あんな事業をした
外交はこうだった
しかし、為政者に何がしかの問題があったり、悪政を強いたから天災が相次いだ…など、批判の意味も込められていたりする。
つまり次の覇権者の意向が強く込められていたりする。
303 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:49:01.02 ID:vLDluuN50
徐福とか邪馬台国とかお前らも好きだねえ
305 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:52:13.47 ID:Z9l0zEj70
ヒルコ古墳はどこですか?
306 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:52:27.31 ID:+NintPuo0
>>301 九州説には金印自作したり、小便で古紙捏造する
詐欺師みたいなのがいるけどw
308 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:53:15.27 ID:EQtwul6t0
誰がなんと言おうと 岐阜です
桃太郎神社もあります
>>306 ○○に曰く、いわゆる○○である
みたいな引用が使われるようになったと感じる。
倭国(≒大和朝廷)が外交的な重要性が薄れてきたのかもしれないが。
310 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:56:25.96 ID:BpO4zmxC0
畿内説が支持者は有力だ確定だという割にあまり具体的な話が無いんだよね
邪馬台国と同時代に大きな集落があったとしても決め手にかけるんだよね
なにかめぼしいものが出てきたの?
考古学者が予算をつけてもらうためにぶちあげたんじゃないかな
九州も決定的なものが出てこないし
まぁ大国が集落を作るような土地なら現代でも街になってる可能性が高いと思うけど
記紀を読めば分かるが朝鮮は朝鮮としてちゃんと認識してて
朝鮮半島を高天原(神々の居わす場所)なんて認識は古代人にカケラも無い
天孫降臨が朝鮮半島からの進出の表現などと主張する脳味噌足らないチョンが
ウジャウジャ湧いてるけど w
邪馬台国 志賀島支店
どう考えても三河ですね
すべての発祥は偉大な三河なのですから。
<安本美典によれば、卑弥呼は天照大神
<井沢元彦によれば、卑弥呼の墓は宇佐神宮の下
<邪馬台国は北九州。後に神武天皇の時代に東遷して大和朝廷になった
∧_∧___
(・∀・ ) / | <これ、豆知識な
⊂ へ ∩./ .|
i'''(_) i'''i ̄,,,,,,/
 ̄ (_)|| ̄ ̄
315 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:58:25.38 ID:+NintPuo0
>>311 スサノオは最初新羅に降りたぞ
天は始皇帝?のいる中国大陸のことだったんじゃないのか
316 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:58:30.21 ID:vLDluuN50
319 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 18:59:29.88 ID:HS+5aOcD0
井沢元彦は九州説だが極めて説得力がある。
320 :
今は平成26年11月@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:00:31.32 ID:ixzXaaLt0
邪馬台国の存在が比定されている北九州地方と近畿では桁違いに
その歴史文化が違う。
北九州は紀元前3世期には既に青銅文化が定着し紀元3世期には鉄文化が、
その時近畿地方には何もない。
そんな場所にわざわざ視察(魏志倭人伝)に行く必然性が無い。
>>310 博多の市街地を掘り起こせば、なにかしかの遺物が出てくるかも?
しかし、これだ!って決め手になる物が出ないと、この論争は決着しないよな
たしか、卑弥呼の使者も銀印だかを貰ってるんだよな
難升米だったかな?
相模ハラハラ氏やふと国、老眼氏がこっちに来たら、ぐちゃぐちゃになるかもな
あんま関係ないけど、伊勢神宮って何であんな所にあんの?
伊勢って、天皇家にとって何か重要な土地だったの?
例えば、東征のための拠点があったとか
324 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:06:05.47 ID:7cgbfDfe0
九州と言ってもクマソと北九州じゃ全然違うしなぁ
325 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:06:19.51 ID:oHmgUBuz0
ソウルやで
面白いことにチブサン古墳の装飾はトルコの織物と似てるんだよ
目玉マークを魔除けにしたり菱形を多用したりね
これはつまりシルクロードを通じて伝わった文化が九州の邪馬台国まで届いていたということだ
327 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:09:07.96 ID:nxbmzM030
鳥栖とかもともと人の住む所じゃねーよ、
要らなくなった人間の捨て場所。処刑場。
>>323 さあ
それは京都の元伊勢神社(籠)に何故天照大神を
あんな場所に移動させたのか聞かないと分からないね
魏誌の文面だけでは、比定するのは困難だな
魏誌にあるなにがしかの物証が出てくればね。
あとまだ気づいてないのか?
邪馬台国の卑弥呼だろ?
山大国の火神子だよ(もしくは火御子、火巫女、日神子、日御子、日巫女)
つまり阿蘇山のある国 熊本だよ
まあ記紀と魏志倭人伝を比べれば圧倒的に信ぴょう性が高いのは後者。
史書の伝統のないところで作られた記録物なんて信用に値しない。
話半分に聞いておけばいい。
334 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:17:48.15 ID:5yqz2ngs0
韓国ニダ!
335 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:19:20.15 ID:f0Nq+dJx0
邪馬台国(読み方は諸説あり)は現在の奈良県桜井市でほぼ決定だな
出土する遺跡を考古学的に考察するとほとんどが奈良県(旧名称大和)を指向してる
九州説は郷土愛からくるファンタジーということで今後も語り継がれることはあるだろが・・・
卑弥呼が女王かどうかはさて置き3世紀初頭に大和で君臨してた強力な巫女と考えるのが
妥当だろう
卑弥呼をはじめ国を治めてた主要な人物は各地方から集まっていたようだが、
それらのルーツは稲作文化ともに勢力を伸ばした弥生人でたどれば九州出身だったろう
時代的には3世紀前半よりさらに数百年前弥生時代初期で彼ら(彼女)のルーツ
時代をゴッチャにして話しを創作してはいけない
336 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:20:41.61 ID:r0vYCKdT0
自分の頭で考えられないバカって畿内説が多いよなーw
337 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:21:39.37 ID:/ra89V150
確かに東遷説なら畿内も九州も一応正解ってことになるし資料や遺跡との整合性もそれなりには取れるだろう
でもそれだけでは東遷説が正しいという証明にはならない
何か決定的な証拠が必要だろうし東遷説を取るにしろ何時どの勢力が東遷したかが重要だ
>>335 モモソを売るのか?!この売国奴が!wさっさと日本から出ていけ!このクズが!w
起源 と、言えばあの半島
340 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:27:59.73 ID:BpO4zmxC0
>>335 その出土する遺跡を考古学的に考察するというのを詳しく聞きたいな
できるだけ具体的に
341 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:28:07.20 ID:9gdGfqeu0
歴史はほぼ妄想だと思ってる
「紙に書いてあったから正しいの!」じゃねえよバカw
>>310 関西のマスコミが騒いでるから。
九州よりも数が多く、資本力がある。広報力も大きい。
なにか遺跡がでると、
「邪馬台国!、邪馬台国!」と大騒ぎするから、なんとなく畿内説有利の空気ができる。
343 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:32:22.28 ID:7cgbfDfe0
>>342 一番の理由は地名だろ
漢字の読みは時代や地域でブレが大きいがヤマトとヤマタイはあまりに似てる
344 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:34:48.56 ID:9gdGfqeu0
>>343 そんなこと言ったら俺たちの起源は中国だ
文字も中国製w
345 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:36:11.41 ID:jbjt9toU0
>>341 中国人の書き記しているものだからな
朝貢されて下賜に行った使者が適当な事を言って済ませたとしか思えん
豊臣秀吉の時ですら適当だったんだから
はーあ、もうさ、やまと呼びがうんぬんなんて言う奴っては、いねーよ。やまとなんて地名はあちこちにあるから説得力にかけるわけー広瀬ですw
日本列島を時計回りに90度動かして邪馬台国までの道程を考えると何の矛盾も無く畿内まで辿れるな。
末廬国から不彌国までは距離はともかく方角が全く合わなかったけど、90度回したらあっさり解決した。
問題は不彌国から船に乗って日本海側を行ったのか瀬戸内海を行ったのかだな。
あと、邪馬台国の様子がどうも南国としか思えない点。この点だけ見ると九州としか思えないけどな。
>>341 正しいよ。少なくとも中国の史書は司馬遷のを意識して書いてるから。
もしインチキ創作なら駄文としてあっという間に葬られ、
有名になってないので俺らにそもそも知られてない。
349 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:42:09.45 ID:9gdGfqeu0
九州の文化を盗みまくる関西人を俺は決して許さない
350 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:43:18.13 ID:hoLsVW5HO
>>331 じゃあなんで、後継者のイヨだかトヨだは「次の卑弥呼になった」とかイヨミコとかトヨミコと書かれなかったんだろうな?
おそらく日向国から筑紫までの邪馬台連合国の中での地名だろ。ヒミコ(日向国)トヨ(豊国)イヨ(伊予国)でどこが主導権を持ったかって話で
そこの(主導権をもった)国から巫女を出して大臣(オトド)にそこの王がなってたんだろ
351 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:43:24.01 ID:7cgbfDfe0
>>344 何いってんだか分からんが邪馬台は明らかに音写だよ
漢字からひねり出した地名ではない
352 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:43:27.24 ID:jbjt9toU0
>>348 中国国内の事ならともかく日本の事なんて使者が語った事自体が信憑性にかけてたら元も子もない
こんなに探しても決定的な証拠がない理由は
私たちの考えるような強大な組織としての邪馬台国は存在しなかったということなんじゃない?
邪馬台国と呼ばれた国家はあったが、もっと規模が小さかったとか。
あるいは明確な中央集権体制になっていない、小さな国家が集まった連合国家だったとか。
外交上の建前で誇大に装ったことが歴史書に残っているだけなんだよ
なんてねー
354 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:44:10.34 ID:3Zqq/0tK0
皇室に関わることなんだから
カルト掲示板の2ちょんねるで議論しても意味なし
所詮、プロレスごっこw
355 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:44:14.62 ID:L4Keqdoe0
>>323 あの場所にたいした意味はないはず。
伊勢神宮は元々は他の場所にあって手狭になったので
ある姫が適した場所を探したらたまたまあそこに最適な場所があった だと思う。
356 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:45:26.18 ID:9gdGfqeu0
顔みりゃわかるだろ?
日本人は中国人、台湾人に似てる
モンゴル朝鮮とは大違いだ
だから邪馬台国の起源は中国
357 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:45:36.31 ID:UmO2SXcWO
今に見ていろ、邪魔大王国、全滅だぅあー!
日本出土の紀年銘鏡
方格規矩四神鏡 青龍三年(魏)(235年) 京都府竹野郡弥生町
方格規矩四神鏡 青龍三年(魏)(235年) 大阪府高槻市
平縁神獣鏡 赤鳥元年(呉)(238年) 山梨県西八代郡三珠町
三角縁神獣鏡 景初三年(魏)(239年) 島根県大原郡加茂町
画文帯神獣鏡 景初三年(魏)(239年) 大阪府和泉市
359 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:46:48.28 ID:jbjt9toU0
>>357 はしれーバンバンババン はしれーバンバンババン
>>307 金印は自作だと?
当たり前だ!
出てきた経緯から何もかもが怪しいぜ捏造野郎がよォ〜
日本出土の紀年銘鏡 No.2
斜縁盤竜鏡 景初四年(魏)(240年) 京都府福知山市
斜縁盤竜鏡 景初四年(魏)(240年) 宮崎県
三角縁神獣鏡 正始元年(魏)(240年) 群馬県高崎市
三角縁神獣鏡 正始元年(魏)(240年) 兵庫県豊岡市
三角縁神獣鏡 正始元年(魏)(240年) 山口県新南陽市
平縁神獣鏡 赤鳥七年(244年)(呉) 兵庫県宝塚市
362 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:48:02.92 ID:hoLsVW5HO
>>350の続き
連合国の政治を決める-卑弥呼の託宣(「神様が言うんだから仕方ない」という妥協点)-を聞ける唯一の者は、弟(オトト)でなくて大臣(オトド)だったんだよ
これは以後の日本の政治も同じだろ。天皇と大臣やら上皇やら法皇とか、将軍と執政とか大老とかと同じ
権力と実際の為政者を分けた構図
363 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:48:31.52 ID:1IBD4d8m0
>>347 では、狗奴国はどこだ?
おまえの理屈だと琵琶湖になるぞ
近畿説はクズすぎる
調子よく、和歌山あたりと答えるからな
近畿までは南と東が逆で、狗奴国の位置特定がおかしくなる
これが近畿説の最大の弱点
日本出土の紀年銘鏡 No.3
平縁神獣鏡 元康○年(291〜9)(晋) 京都府相楽郡山城町
365 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:49:36.23 ID:9gdGfqeu0
>>361 ここ数年、凶悪犯罪が続発してるところばっかりだなw
>>314 「卑弥呼の墓は宇佐神宮の下」は井沢元彦より前に、高木彬光が70年代に唱えている。
高木彬光『邪馬台国の秘密』(光文社、1973年)
もちろん井沢元彦が高木説を支持した、ということももちろん重要なことだけどな。
367 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:50:28.38 ID:1IBD4d8m0
隋書「倭国伝」には「倭には阿蘇があり〜」とあるのに
なぜに近畿にもっていきたいのかなぁ?
街起こしか?
経済のためには歴史改ざんも辞さないその姿勢、
まさにチョンだよ<近畿説
中国の文献における記録
景初三年(239年) - 卑弥呼、初めて難升米らを中国の魏に派遣。魏から親魏倭王の仮の金印と銅鏡100枚を与えられる(『三国志』では同二年(238年))。
正始元年(240年) - 帯方郡から魏の使者が倭国を訪れ、詔書、印綬を奉じて倭王に拝受させた。
絶対九州だよ。九州派は最近劣勢だけど頑張ってくれ^^
370 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:53:02.38 ID:LgjhGd4H0
何処でもいい
常識的に考えて魏志の倭国は北九州でないとおかしいんだけど、
当時の古墳調査してると、同年代にあちこちで北九州以上の古墳が見つかって
互いに交易をしている形跡があるものだから、全員が辻褄合わせに妄想する余地があるんだよ。
正始四年(243年) - 倭王は大夫の伊聲耆、掖邪狗ら八人を復遣使として魏に派遣、掖邪狗らは率善中郎将の印綬を受けた。
正始六年(245年) - 難升米に黄旗を仮授与(帯方郡に付託)。
正始八年(247年) - 倭は載斯、烏越らを帯方郡に派遣、援を請う。難升米に詔書、黄旗を授与。
正始九年(248年) - またはその前後
373 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:54:59.43 ID:7cgbfDfe0
>>367 倭=邪馬台国ってのも数ある仮説の一つに過ぎないよ
374 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:55:19.30 ID:/ra89V150
>>358 やっぱり魏志倭人伝の時代の邪馬台国は畿内にあったのかもな
376 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:57:51.46 ID:1IBD4d8m0
>>373 おれにレスするとは度胸がいいな
旧唐書には「倭国伝」と「日本伝」と二つあるからな
実際、複数の大王がいて、九州と近畿では別のおおきみがいたと
おれは思ってるよ。近畿なんか、所詮、唐とチョンの都だ
377 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:58:45.60 ID:AHZg0UdT0
>>371 別におかしくないよ
九州にあったのは女王国連合国家群、東遷によって本州他の勢力とも連合して
最終的に大和に新連合本部を置いたのだから
378 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:58:47.90 ID:CpNIpVyA0
そもそも邪馬台国なんてもの自体が存在したのかどうか
379 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 19:59:00.42 ID:7cgbfDfe0
うわ…触っちゃいけない人だったか…
380 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:00:59.10 ID:+NintPuo0
>>341 この時代の書物は竹じゃないかな
ドラマ三国志でみた
古事記や日本書紀は何に書かれたんだろう?
中国語(全て漢字)で書かれたようだが
381 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:01:59.17 ID:jUc5ddYk0
邪馬台国は畿内で決定した。
考古学と文献史学を一緒にしないでね
卑弥呼からのお願い
383 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:02:50.26 ID:1IBD4d8m0
一番、肝心なのは邪馬台国がどこか、ではない。
倭と日本は別だった、ということ。聖徳太子の業績とされる
「日出る国〜」だが、唐書では「アメタリシヒコ」であり
大王だ。聖徳太子は皇太子であって、大王ではない。
では、この人物は誰なのか?そして、推古天皇は女帝であるのにも
関わらず、唐書では「男性」とある。この謎を説くヒントは
384 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:03:01.56 ID:WgyRdM+G0
そもそも「魏志倭人伝」には「邪馬臺」とは書かれておらず、「邪馬壹」
(=邪馬壱)と書かれており、前提からして誤っている。
邪馬壹国はヤマイ之コクまたは、ヤマイコクと読む。
倭国もイ之コクまたはイコクと読む。
イ国とは、阿波であり徳島市に今も残る胃北(イホク)胃東(イトウ)地区がある。
邪馬は、山であり、女王ヒミコは、現在の徳島県神山(カミヤマ)町に居たから、ヤマイコクである。
決定打は、当時、丹が出たのは、阿波だけだったのよね。
平たく国の規模を等号で示すと
魏≦倭@北九州
宋<<倭@近畿
隋<倭@近畿
唐<<<日本
魏は北九州にあると思っていたようだが、残念そこは唯の大宰府支所だ。
区役所本庁舎は畿内に10倍の建物があるぜプギャー。
まあざっとこんな感じだよ。
神武が即位したのが2800年くらい前だとすると
稲作の伝来もその頃なんだよな
稲作も鉄器も九州から派生してるわけで
それらも含め人が東に移動していかなければ畿内などに都を置くこともないだろう
九州にあった神武の勢力や邪馬台国をまるでなかったかのように突然畿内に持ち込んでも文化の伝播を否定するだけ
阿蘇を動かすことが出来ないのと同様、原因がなくて結果だけ発生するわけがない
>>377 連合国家本部が北九州から大和に移動したというのは有力だけど
女王国が北九州にすでにあったとかそれが東遷したとかは違うな
イメージとしては近世統一政権が京都大阪から江戸にうつったみたいなもん
>>363 恐らく熊本だろうな。
邪馬台国本体は畿内でも勢力範囲は北九州まで及ぶ。
北九州の南にある国でも邪馬台国の南であることに変わりない。
また、魏の使者は多分九州から出ていないかも知れない。
邪馬台国の風俗がやたら南国臭いのは、
九州の風俗を邪馬台国の風俗として記録した可能性がある。
天照大御神の岩戸隠れは阿蘇山噴火説
390 :
383@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:07:02.67 ID:1IBD4d8m0
壬申の乱と白村江だ。白村江で負けたのに、なんら大和朝廷は
責任を問われていない。実際に、白村江に参加したのは九州の倭だ。
倭は疲弊し、近畿のチョンどもが権力を握り、ネイティブの日本人で
有力なものは迫害され、大宰府へ廻された。これが大宰府を「遠のみかど」
と言われるゆえんでもある。近畿のクズどもはこともあろうに道教とゆう
糞坊主を大王、おまえらが思う天皇にしようとするほど。近畿はマジでクズ。
>>363 畿内説における狗奴国は濃尾平野、名古屋ですよ(正確には愛知県一宮市)。
あのあたりは木曽三川もあるし、昔から東日本と西日本の境界なんだな。
考古学的にも、東日本に広く分布する前方後方墳が濃尾平野発祥、
古墳の発生した時期、規模、出土品などから本拠地と見られている。
邪馬台国が何処かは任せるが、「ヤマト」がなぜ魏では「ヤマタイ」なったのかと言うと、卑弥呼の命令で魏に行った使者は当時大陸に行った経験がある九州の人だった。
皇帝への謁見の時、その使者ヘタを打ってはいけない緊張感か長々待たされてイラついてたのか、皇帝から「どこの国の者だ」と聞かれた時「ヤマトたいっ!」とつい九州訛りでしかも早口で答えてしまった。
側近は「ヤマト」と聞いていたのだが、皇帝に訂正できるわけがないので以降は「ヤマタイ」としたみたい。
393 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:10:12.98 ID:6lNof2Em0
卑弥呼って名の巫女さんも、邪馬台国って名前の国も実際はどうでもいいんだろう
日本って国の成り立ちが、2世紀初めになるか3世紀にまでずれ込むかってだけの話
九州説だとまだ地方の小国家連合。畿内説だと少なくても九州から畿内までの日本って国の姿が見えてくる
畿内説と九州説の論争は、日本の始まりの時期を確定するための論争なんだよな
394 :
383@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:10:43.96 ID:1IBD4d8m0
>>391 南を東と間違えてるといいながら、そこで都合よく
南に行くのがチョン思考。道教でも拝んでろよ
唐の時点ですでに日本は中国より強大。
元は流石にモンゴル帝国だけあって日本よりデカいけど
勘違いして攻め込んできたんで軽くボコボコにしたった。まあ互角だろう。
明の時代になるともう日本の強さは中国を軽く滅ぼそうと出張するレベル。
秀吉が長生きしてたら今頃アジアの7割は天皇陛下の臣民になってたわ。
20世紀には鬼畜英米もローマ教皇もレーニンもフルボッコにして城下の盟を誓わせていたことだろう。
396 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:13:36.61 ID:7cgbfDfe0
何か変な奴が増えてきたな…
そろそろ飯にするか
397 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:13:40.93 ID:hoLsVW5HO
>>388 いや、おそらく山幸に「狗のように仕えましょう(=狗奴)」と誓った海幸の子孫つまり隼人の国が狗奴国でしょ
土器や木製品は移動する、しかも西日本全域にダイナミックな交易ルートが出来上がっていた。
399 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:14:41.61 ID:AHZg0UdT0
>>387 倭国大乱が九州で起こり、女王が立ち、女王国連合が成立する
まずここまでで一区切り。
その後、本州の大勢力らが次々と合流し、近畿に巨大な統一政体が誕生した
東遷と言われる連合勢力の移動(戦争とは限らない)だ。
この大規模な合流の動きと連合の政治拠点の移動が東遷と言われるんだろうね
どっちも間違いで実は岡山辺りにあったという「足して2で割る」解決を図ったらどうか
401 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:16:40.61 ID:GvPf/qI2O
>>342 何の根拠もなく、小説に映画にマンガ、過去にメディアを
散々利用してきたのは九州説だぞw
吉備王国かw
そもそも倭人伝自体の信憑性が全く無いわけで、
単なる作り話だったかも知れないのに、それをベースに話をしてもな。
秦の始皇帝に不老不死の薬を持ちかけた徐福のように、
海の広がる中国の東側はおとぎ話を作りやすかった。
404 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:17:32.66 ID:xtHj4apG0
私達ジャップは当時の文化を保存する方法も知らなかったのだから
中国の文献を見て判断するしかない
私達未開なジャップに文化を与えてくださった中華人民共和国を、
同じアジアの一員として誇りに思う
本当に誇らしい
405 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:17:37.99 ID:wG5OrYzSO
>>395 病に臥してる身だが、
アンタの説を読んでたら
なぜか元気が出てきた。
ありがとな。
もう紀元前から磁石が南北を指すことは知られていたし、
2000年近く前から司南という羅針盤が中国では使われていて方角を知ることが出来た
407 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:21:37.25 ID:xtHj4apG0
何を言ってるのか知らんが、
アンガスの過去のGDP統計見れば、
中国がずっと世界1位だろww
日本がまともだったのは戦後〜95年まで。
明治維新起きたあともずっと野蛮なままだった。
409 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:22:24.68 ID:avKS41no0
>>392 マルタイ国は福岡なのは確定してる。
九州は先進地域だった過去あるから東の地域を格下に見てしまうところはある
410 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:23:03.99 ID:GvPf/qI2O
>>333 伊都は北部九州でいいだろ、半島との窓口なんだからな。
なので七万戸もの邪馬台国が北部九州に存在出来る訳がないw
皆さん、いつまでも口論しててもしょうがないですし、
間を取って、岐阜ってことでこの場は納めようじゃありませんか
古代日本には機内・九州・出雲にそれぞれ王朝があったってことでおk?
>>378 間違いなく架空の国。本当に使者がやって来てたら、行程の方角や距離(日数)があんなにデタラメなわけがない。
デタラメな理由は航海日誌が無いから。噂で聞いただけの「だいたい」の話を、さも実際に行ったかのように書いた嘘。
伝説みたいなもの。扶桑の国とかと同じ次元。<中国人、見て来たような嘘をつき>昔も今もヤツラのホラ吹き特性は変わらん。
なぜか知らんが素人ほど九州説に固執するんだよな
だからネット上だとやたら目立つんだが、現実に考古学の世界で九州説なんて完全に死んでるんだよな
諸星の暗黒神話では九州説
416 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:26:05.24 ID:AHZg0UdT0
邪馬台の発音はおそらく「ィムトゥ」
この発音を中国人が当て字すると「邪馬台」となり
日本人が自分たちで字を選んで当て字すると「日本」(≒ヒモト)になる
という根拠のない妄想w
>>400 岡山は東西からの行き来の中間点で過程にすぎない
今や考古学的に邪馬台国の自体に一番先進的だと
見られてるのは丹波地方なんだからな。
土地の未開発、発掘度でいうと、九州なんかより
新幹線も高速も少ない山陰地方の方たよ。
>>416 その「ィムトゥ」って琉球人が本土の事を言う発音ににているな。
沖縄ではヤマトを「ィヤマトゥ」って言う「ィ」はほとんど発音されないけど
421 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:30:57.98 ID:AHZg0UdT0
女王国連合国家群は、九州の中小勢力の連合体と考えたらいい
それぞれの国一つ一つの勢力は、決して巨大ではない。
が、十数カ国をまとめるとそれなりの規模になるということだね
422 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:34:40.66 ID:8lAj0kp90
邪馬台国とか卑弥呼の記憶が大和朝廷に受け継がれてない
つーわけで邪馬台国は4世紀以前に滅んだ
ま九州でも畿内でもいいけど
423 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:37:08.03 ID:kBcad8sQ0
いくら九州から出土しないからといって
ヤマタイコクなんてちっぼけな国だったんだよ
てのは流石にロマンがない
魏志がわざわざ東夷伝を立ててまで倭国の強大さを書いている
あの精一杯の虚勢である当て字は明らかに倭に対する恐怖感で溢れてる
洛陽まで使者が来たときなんか曹芳は怯えまくっていたのが行間から伺える
倭の国々に金印配りまくって必死に攻めてこないでと懇願していたのも致し方ない
425 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:38:45.58 ID:JhrE0BEM0
>>19 大和朝廷とは別の九州の邪馬台国に行ったか。
大和朝廷が数百年前に外交を担っていた「邪馬台」の名前を継いで都に名付けたか。
そのどちらかだろ。
旧唐書にも倭の地の内部での併合や国号の継承を示唆する記述があるだろうに。
>>422 そこは一応、天照大神・神功皇后と宇佐八幡宮が根拠らしきものになってるね。
(もっとも前者は持統天皇が投影されていると見ることもできるが)
皇位継承問題に介入できた神社は、後にも先にも、宇佐八幡宮だけだからね。
卑弥呼=百襲姫
弟王=崇神天皇
纒向遺跡で確定
倭の海人なのだから九州ではない、瀬戸内海周辺しかないだろう。
女王国の母体は吉備や阿波辺りにある。
この辺りと畿内には古くから文化的にも交易でも繋がりが深い。
邪馬台国が九州からの東遷とか全くあり得ない話だ。
宋書の怯え方は更に酷い
倭五王が宋に対して攻め込まれたいこのかゴラァと恫喝し続けているためだ
ギリギリの線でどうにか友好関係を保とうと苦心していたのが伺える
南北統一を果たしているにも関わらず隋・唐代では、
もはや倭や日本を完全に同格扱いで史書に書かないと、
確実に殺されてしまうと震えながら字掘ってたよ
中国歴代王朝の正史は日本への恐怖で満ち満ちている
430 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:40:05.76 ID:AHZg0UdT0
>>423 ローマ法王のいるバチカンが、軍事的にも物理的にも
巨大かつ強大な勢力であるわけではないのと同じこと
バチカンがすごいのは政治的、宗教的な影響力
431 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:40:25.62 ID:8oHta8O/0
イモトの実家も山陰だし なんか所縁あるかも
432 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:41:33.53 ID:hoLsVW5HO
>>406 指南車は『歯車を利用して同じ方向を指す』ように作られたカラクリだって御存知?
433 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:42:03.23 ID:8lAj0kp90
その辺は三国志を読んだ飛鳥時代の人が適当に作ったのでは?
「ヤマタイ?卑弥呼女王?誰だっけ?壱与と2代の女帝?」
そんなの伝承にないじゃんって
434 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:43:24.35 ID:JhrE0BEM0
>>403 少なくとも、確定している九州北部までの紹介は正確。
朝鮮半島の大きさ、倭と朝鮮の海峡内にある島、九州北部。
その距離の割合は実に正確だぞ。
「里の大きさ」を間違えて解釈するからダメなんだよ。
漢代から地方機関を置いて朝鮮半島を把握している中国が
朝鮮半島の移動を7000里と明記しているんだから1里は400mではない。
435 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:45:11.90 ID:hECkc9c/0
全部邪馬台国だったんじゃね?
中国の歴史書に書いてあるならそれは嘘だ
邪馬台国などなかった
志賀島の金印は使っている漢字が江戸時代の学者の知識ではトリックとして使うのは無理だという話
だから本物らしいよ
考古学は現代でもゴッドハンドがあるから
よくわからんが
438 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:47:00.72 ID:hoLsVW5HO
>>416 その…日本人として、『日』の字を「金日成」とか「金正日」の『日』の場合みたいに読むのはヤメて欲しい
>>434 距離もそんなに正確ではない。
壱岐から松浦なんて明らかに近すぎだろ。
唐津でもまだ近く、しかも海を渡ると書かれてるだけで、
方角すらないんだからな。
朝鮮説が有力
二十四史と記紀の記載がズレている理由は実に明快だ
超帝国倭にとって、中国のような弱小国と交渉するのは、天皇では無く九州地方の行政官なんだよ
まさか出先機関の地方長官としか合わせて貰えなかったとは書けないから
倭王って書いておこうって逃げを打った結果があれだろう
五王は天皇ではなく、日本国内で対中交渉を任された地方豪族だと考えるより他ない。
中国の東北部の地方官僚から使いに出された手下が来ただけで朝鮮国王は国境まで土下座して出迎えただろ?
あれが日本と中国では立場が逆だったんだよ
442 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:49:37.17 ID:8lAj0kp90
ってクナ国と戦って劣勢になるほどなんでしょ
邪馬台国とか大した国とも思えん
>>437 いやいやいやいやw
江戸時代の日本、漢学者の漢文の文献史料・知識の蓄積は世界一ですよ。
現代でも、支那人よりも日本人の方が漢文読める、手許にある文献も豊富なのだから。
それと捏造、細工はもちろん別の問題だけどな
>>432 指南車じゃないよ 「司南」だよ
日本語の文献は少ないだろうから「司南」で画像検索するといい
445 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:52:47.61 ID:tero/G/Q0
>>410 7万戸だと、当時の人口から近畿でも無理。
というか、当時の日本では無理。
倭人伝では狗奴国は奴国の南側にあるともとれるんだからな。
つまり北部九州の奴国に対して南部には狗奴国という図式だろう。
女王国は瀬戸内海より東で何の問題もない。
447 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:53:22.83 ID:hoLsVW5HO
>>428 倭人伝の通りに海を東に渡れないから、九州四国はおろか畿内よりムリ目
吉備は八田女王や黒媛伝説などあるし、世代をかけての東遷(東征)の中間点としては確定くらいでそ
> しかし、そこから南に船で20日行くと投馬国に着き、さらに船で10日、陸路1月で邪馬台国に着くという記述をそのまま辿ると、
>邪馬台国は九州のはるか南の洋上に存在したことになってしまう。
>不弥国以降の〈南〉を〈東〉と読み替える畿内説などが提起された。
これだろ。方角間違えたんだよ。
コンパス持っているわけでもなければ測量しながら旅をしたわけでもないだろう。
何日旅したかは間違いにくいけど、方角に関してはかなりいい加減と思う。
450 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:55:56.01 ID:YfhHvbES0
初めてきたが、さかぶた対やきぶたと同じノリなのかなここは
451 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:56:10.19 ID:JhrE0BEM0
>>439 朝鮮半島→1000里→對馬(対馬)→1000里→一大(壱岐)→1000里→末羅(松浦?)→ここから陸
この割合は現代の地図を見てもかなり正確だろ。
松浦なら近すぎるが、朝鮮・対馬・壱岐の距離と同じくらいで九州北岸に着くだろ。
>>443 日本が江戸期に世界一の超大国になってたからそれは全く疑いないが、
清も乾隆帝時代に莫大な研究の蓄積があって
今も中国の文献研究の拠り所になってるから、結構いい線いってると思う。
朝鮮はアレ過ぎてもう全くダメになってるけど。
454 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:58:08.05 ID:hoLsVW5HO
>>444 ポケットの綿埃みたいなムダ知識が増えたわThanks
455 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 20:58:24.78 ID:JhrE0BEM0
>>448 旅の途上で毎日太陽が昇って沈むのに、方角を90度間違える古代人はおらんだろ…。
コンパス頼りの現代人より、方角を読み取る感覚はあるはずだろ。
456 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:00:29.81 ID:lOscHOvT0
>>444 何だよこれ?
ヘルレイザーかよ?www
九州に到着してから水行2回だろ。九州はあり得ない。
熊本あたりにバイカル湖みたいな超細長い湖があったのか?
魏志東夷伝倭人の項に出てるのは、邪馬台国じゃなくて邪馬「壱」国だけどなw
お前ら、魏志に出てない邪馬台国の話をなんで必死にしてるの?w
459 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:02:21.81 ID:/ra89V150
>>458 だよな
なんで邪馬台国って言われるようになったのかな
>>449 北がどちらかわかっても、出発点からみて現在位置がどの方角かってわかる?
絶対的な方角がわかってもそれだけでは2点間の位置関係の記述には役に立たないよ。
緯度経度まで出せるのなら話は別だけど。
邪馬台国って九州のどこにあったの?
戸数と水行陸行の距離を考えると、
邪馬台国(女王国)は相当広範囲な国と考えるしかないんだよ。
なので九州説なんて既に捨てていい話。
463 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:05:11.65 ID:ST1I00U10
奈良が7万戸の家があるのが畿内説のよりどころだが、奈良盆地よりも
糸島、福岡、筑後平野の方が3〜4倍くらい広い。要するに奈良の人口が
増えたのは北部九州の勢力が移動したからだ。九州は古墳が無いと思っている
だろうがJR博多駅の下や福岡空港の下には巨大古墳があるのが確認されている
箸墓古墳の何倍もあるような巨大古墳だが場所が場所だけに掘り出せない。
465 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:08:09.22 ID:JhrE0BEM0
>>457 総距離12000里、朝鮮半島だけで7000里、対馬まで1000里、壱岐まで1000里、九州北岸までで1000里。
これが倭人伝に明記された距離と割合だろ。
「陸行・水行」の解釈もこの数字に基き解釈すべきだろ。
九州北岸から残り2000里前後(九州・対馬間と同じ距離)。
九州内部だよ。せいぜい山口まで。畿内に届くわけがない。
466 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:08:44.98 ID:hLKTSclK0
倭国大乱→卑弥呼擁立なのに、大乱の痕跡が無い奈良
467 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:10:41.04 ID:hLKTSclK0
巻向は、極めて平和的に広範囲の勢力が連合した、すばらしい、そして稀な事例ではあるけど、
邪馬台国の記述とは一致しない
>>465 だからなんで伊都国奴国百里を無視するかなあ
実距離35qでこれを魏里43qとの誤差もへってる
これ基本にすりゃいっきに畿内まで行く
半島海峡は長大に把握されてるんだよ
469 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:11:47.01 ID:IKSEsbCg0
起源主張者がそのうち、壺を自分で埋めて
それを自分で掘り出して「邪馬台国の証拠ニダ」とかやりそうやな
北部九州の女王国と近畿・吉備の邪馬台国はもともと別物で、魏と呉の争いに巻
き込まれて、前者が魏の、後者が呉の代理戦争をやってたんだよ。
結果的に邪馬台国が勝ったわけだが、それでは都合が悪いので、陳寿さんは邪馬
台国を女王の都と書くことによって、魏についている女王国が勝ったように見せ
かけたんだよ。だから女王国の位置や規模をわざわざぼかさざるを得なくなった
んだよ。
だけど、范曄のように読める奴が読めば、「ああ女王国は奴国のことか」と理解
できるようには書いてあるんだよな。そのへんが陳寿さんの偉いところ。
472 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:15:01.44 ID:hLKTSclK0
どうしても引っかかるのが、神武の東征
アレを記紀の両方に残す意味っていったいなんなのかわからない
473 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:15:24.45 ID:YdT+/ixN0
>>471 >前者が魏の、後者が呉の代理戦争をやってたんだよ
妄想もいい加減にしろ。文字文化の痕跡すらない飛鳥時代以前の日本が
中国の使者とどうやって政治的な意志疎通ができたんだよ。当時の日本は
土人国レベルの国と考えるべきだろうなwww
天皇家のルーツは九州で間違いないと思うが、それと邪馬台国の所在地は必ずしも一致しない
475 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:17:07.11 ID:BpO4zmxC0
476 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:17:51.51 ID:hLKTSclK0
北部九州の集落は、臨戦態勢が顕著で、倭国大乱に合致するんだよね
477 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:18:22.14 ID:G33Y4TevO
>>472 初代がどうやって天皇になったか
一番大事な部分でしょ
478 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:19:01.73 ID:JhrE0BEM0
>>468 どことどこを35qだと見てるんだ?
奴国の正確な位置はわかってないだろ?
1里400mだとすると100里40q。
糸島半島から40q行ったら福岡に収まらんぞ。
金印が出たのは志賀の島。
伊都国が糸島半島内部だとして位置によっては10q切るぞ。
糸島半島と福岡も10q〜20q程度だろ。
479 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:19:28.95 ID:pAW15SYv0
船乗りが方角を間違えるとか絶対に無いからw
岸から4キロ離れるだけで、海岸線は見えなくなるんだからな
方向を失うと10度舵の角度が違うと、もう目的地には着けなくなって
太平洋の藻屑になるしかない
まあ、編者が伝聞で聞いた間違った情報の方角をそのまま書き写しただけかもしれんし
10海里を10日と距離の単位を間違えたのかも知れないし
20日海の上で潮待ちしたのかも知れん
480 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:20:00.48 ID:FsHBoBux0
>>472 先ず『始祖神話』として
「ご先祖さんが遠方の地より苦労して来はったんやで〜」と言うのは珍しくもない
で日向を振り出しにヤマトまで至るコースは西日本の有力な氏族・勢力を数珠つなぎしたものと考えれば合理的
ちなみに「東征神話」自体はモンゴル〜半島の北東アジア系の神話で
神武は末っ子だが末子相続なんてのはモンゴルにある(あった?)習慣だったりするwww
じゃ・・・邪馬台国
482 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:21:38.72 ID:AortbBKI0
アスペルガーの溜まり場になったな、ここwww
483 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:21:59.60 ID:MKkFho0H0
日向にあったけど、畿内へ移動したじゃダメなのか?
484 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:22:08.84 ID:FsHBoBux0
まあ
>>1 のような記事を見れば
未だに「邪馬台国論争」なるものが喧々諤々の論争が続いてると思っちゃうよなwww
奈良からすれば邪馬台国なんて別に畿内じゃなくてもいいよ、九州にあげる
マキムク遺跡があるかぎり、卑弥呼の時代に大和に大きな勢力が
あったのは間違いないし、それが大和朝廷になり今の日本になったってだけで十分
大体中国に朝貢して金印もらって喜んでた連中が日本の祖先だなんて嫌だし
486 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:22:59.12 ID:Cg7zLBpTO
博多湾は古来から那の津と呼ばれていた。奴の国は博多。
卑弥呼は宇佐にいた。だから伊勢神宮より格が上なのだよ。
邪馬台国は九州にきまっとろうが。
487 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:23:29.99 ID:G33Y4TevO
>>473 3世紀前半、卑弥呼は魏に使者を送った
5世紀中、倭王は宋に使者を送った
渡来人が書いた漢文でやり取りがなされた
488 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:24:01.58 ID:JhrE0BEM0
>>468 だいたい帯方郡から朝鮮半島最南端・狗邪韓国まで7000里と明記されてるのをどうするんだよ。
漢代から地方機関を置いて半島の地理をずっと把握している。
1里400mで計算したら、7000里は2800qだぞ…。
朝鮮半島が帯方郡以南500q東西300qしかないのに、
朝鮮半島内で2800q進めると思ってる漢や魏の人間がいるわけないだろ。
489 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:24:33.86 ID:hoLsVW5HO
>>461 橘の小戸(天照大神の誕生地)〜大御神社(日向国)くらいの何処かじゃね?
大御神社を踏まえて〜さて三輪山の神さんを祀ってる神社の社名は?
みたいなレスを希望してたの?
490 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:24:38.22 ID:fHsXPEgL0
歴史オタってのはユーモアを交えて会話できねえのかw
491 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:24:47.48 ID:uwVDKCHy0
まほろちゃん可愛い
492 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:25:09.65 ID:Dfivc1DU0
>>457 天草は上島下島に分かれてるから北九州から長崎を迂回して島伝いに天草下島〜天草上島〜熊本なら水行2日だな
>>464 例えば北極星の見える角度で緯度を知るとか?
前提として地球が丸いという知識が必要だけど…
星が天皇大帝(道教でいうところの北極紫微大帝、北極星)を中心に回ってることは既に紀元前2500頃の中国では知られていたよ
496 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:26:33.00 ID:G33Y4TevO
>>480 兄貴達が全滅したから継いだだけで神武は末子相続じゃないよ
497 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:28:28.26 ID:YdT+/ixN0
>>487 卑弥呼の使者は魏に渡ってその使者を同行して邪馬台国に戻ったと考えるべきだろうな。
政治的な情報伝達は口頭のみと考えるべき。文書で情報伝達できるほどの文字文化があった
なら、なぜ出土する土器に文字がなかったのかと。それがないからこそ、邪馬台国論争は
埒が明かないんだよな wwwwww
498 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:28:33.13 ID:2tTrMqfL0
天皇家のルーツは畿内。
九州ではない。
九州は一時期、住んでいただけ。
499 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:31:23.63 ID:AHZg0UdT0
「ィムトゥ」国があったのは火の元かもしらんね
火元国と言っていたものがヒモト、日本となったわけだ
という根拠のない妄想w
500 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:32:25.69 ID:Kmqr3nEQO
普通に考えて九州だろうな。
道路も整備されてない、国内も統一されてない時代に近畿まで歩けないだろうし。
近畿に行ったとしたら大阪湾に瀬戸内海を船で行ったとしか考えられん。
501 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:32:58.57 ID:JhrE0BEM0
>>460 太陽見ればわかるだろ…。
東に進んでいるならだいたい日の出に向かって進む。
南に進んでいるなら進行方向左から日が昇る。
毎日それを見ているのに方角間違えるわけがない。
方角の間違いがありえるとしたら、書き写しの間違い、記録者の聞き間違いくらいだよ。
実際に旅している人間が間違えるわけがない。
古田武彦の著書、昔読んだのを思い出した
まだご存命なんだな
503 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:34:24.65 ID:xXiCRCKD0
高千穂は、かなり無理があるけど、宇佐神宮なら可能性がある
504 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:36:09.46 ID:2tTrMqfL0
ここで文字で説明しても、誰もピンと来てないから
面倒くさい。
小学生でもわかるように図で説明せんとわからん。
戦国時代の話だと、ある程度、共通の歴史認識があるから話が通じるが
古代の話なんて学校では殆どしないから
ここで議論しようにも、在野のトンデモ無茶苦茶本の知識で語られるからもう、
話が通じないんだよw
ちなみに天皇っていうのは北極星のことだよ
506 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:37:48.20 ID:2tTrMqfL0
>>503 そんなこと言いだしたら、もう、それは
21世紀に生きるお前のファンタジーと変わらんのだよ。
だからこそ、在野のトンデモ本が溢れかえる。
>>504 そりゃしょうがないだろ
まともな史料は魏志倭人伝のわずかな記述のみなんだから
その史料を全て信頼する視点で考察されたのが
古田武彦の「邪馬台国はなかった」
508 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:39:42.85 ID:YdT+/ixN0
>>500 >大阪湾に瀬戸内海を船で行ったとしか考えられん
これは納得できる。天然の良港である神戸が開発されたのは平清盛の時代
だったが、推進が深くて大型船が停泊できる良港も、他の土豪が支配していた
時代には接岸・下船時に襲撃を受けやすいという欠点があったはずで、かえって
遠浅の海の方が土豪から襲撃されにくいという利点があったはず。第二次大戦の
ノルマンディー上陸もまさにそういう海岸だった。
509 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:40:38.42 ID:hoLsVW5HO
金正日とか金日成の『日』の読みの音とマルコポーロのJapon+チョンが言うイルポンからの連想で
『邪馬台国=邪馬台連合国=大和国=日本国』ではないか?
と思ったが、諸兄の意見はいかに?
>>486 宇佐は秦氏の初期の移住先。ここを足がかりにして全国に拡散していった
九州は遺跡の発掘が出来ていないだけだろ
>>501 旅人は一直線に進むわけじゃないでしよ?
特に陸路は。
南に100歩東に50歩また南に50歩次は西に30歩…そういうものの積算が出発点からみたときの現在位置の方角になる。
出発点からみてトータルでいまどちらかの方角に来ているかなんて
コンパス手元に持っていてもすぐにわからなくなるよ。
513 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:42:16.71 ID:YdT+/ixN0
514 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:42:23.25 ID:Krn4ML2d0
随書の、百済、新羅の東南が日本ってことは、畿内で確定では。
邪馬台国は山田帝国の聞き間違いなんだろ?
516 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:45:28.45 ID:JhrE0BEM0
>>512 ちょっと近くまで行くんじゃないんだぞ…。
九州にしろ畿内にしろ、百キロ以上も進むのに、
東にどれくらい進んだか、南にどれくらい進んだかの把握はあるだろ。
コンパス頼りの現代人ならともかく、
方角を読み取る意識の強い古代の報告者がまるごと間違うわけないだろ。
517 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:46:54.60 ID:Krn4ML2d0
魏志倭人伝のやつは、九州までしか到達してないでしょ。そこから先は適当。
518 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:47:04.62 ID:AHZg0UdT0
>>514 その隋書にこうあるな
>倭国は、百済や新羅の東南に在り、水陸を越えること三千里、
>大海中の山島に依って居する。三国魏の時代、通訳を伴って
>中国と通じたのは三十余国。皆が王を自称した。
>東夷の人は里数(距離)を知らない、ただ日を以って計っている。
519 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:48:14.52 ID:+NintPuo0
>>412 それどころか東北にも王朝があったって俺は信じる
理由は
>>142>>145征夷大将軍が蝦夷を平定しか教えられない。
この蝦夷は北海道ではなく東北
その国の境は東西に五カ月、南北に三カ月の行程で、各々が海に至る。
その国の界は東西南北に各数千里、西界と南界いずれも大海に至り、
東界と北界は大山があり、限界となし、山の外は、すなわち毛人の国だという。
現在の日本政府に都合が悪いから偽書にされてる
520 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:49:13.13 ID:ckut2cQZ0
どー頑張っても無理w
日本の由緒正しい支配層(金では買えないステイタス)
チンギスハーンも三河出身
秦の始皇帝も三河出身
ナポレオンも三河出身
昭和天皇も三河出身
ブッダも三河出身
イエスキリストも三河出身
渡邉美樹も三河武士
ユダヤ人も三河が起源
521 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:49:41.04 ID:JhrE0BEM0
>>518 「国が30余国」ではなく、「通訳付きの使者を送ってきたのが30余国」なんだよなあ。
その中から魏が選んだのが邪馬台国。
何を基準に選んだのかわからんが、
列島内に他に同等やそれ以上の国があってもおかしくないわな。
522 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:50:12.63 ID:G33Y4TevO
>>509 日本
ジッポン→ジパング→ジャパン→ヤーパン
Jitpong→Zipangu→Japan
ニッポン→ニフォン→ニホン
Nitpong→Niphon→Nihon
大和
ヤマト
Yamato
無理矢理
松本清張の言い分では、北部九州のどこかで詳しい特定は無理って結論だったっけ?
邪馬台国に該当する国が日本列島にあったとしても日本とは関係ない国だよね
日本神話で関連性がわかるものがないし
日本誕生前に存在した諸国の一つに過ぎず
邪馬台国だけにこだわる必要もないような
525 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:52:51.06 ID:L4Keqdoe0
>>519 東北なら
>南北に三カ月の行程で、各々が海に至る
南方角の説明が合わない。
九州から太平洋沿いを飲み込みながらに東に向かって勢力を伸ばし
西すぎる拠点では厳しいって辺りで畿内に東遷、同時に邪馬台國を名乗ったという感じがするな。
内戦を繰り返しながらも徐々に連合国家として安定。
ルートに関しては日本海側の出雲勢力を避けた結果かなぁ
逆にそれくらいしないとあんなややこしい行程にはなるまい…
527 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:55:52.93 ID:NWgtXtUC0
てか、古代の日本語がどんなだったか
古代の中国語がどんなだったかわからないと
そっから文面で推測するのって無理があるんじゃないのか。
スサノオのミコトだの、ヤマタノオロチだの
日本語からしてだいぶ語彙が違うし。
中国語も多分相当変化してんだろうし。
528 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:55:55.04 ID:G33Y4TevO
>>519 蝦夷 毛野 越 尾張 大和河内 丹波 吉備 出雲 筑紫 熊襲
領域国家らしかった所だけでも10国はあるな
529 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:56:15.91 ID:AHZg0UdT0
>>526 東征と言っても大規模戦闘が果たしてあったのかどうか。
むしろ地方の有力勢力が連合体に加入することで次第に
政治的に瀬戸内ルートで勢力が広まったのではなかろうか
>>521 連合国の議員団がまとまって来たみたいなもんじゃないのか
531 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 21:58:29.45 ID:vhec6baq0
ないから、あるある詐欺もういい加減にしろよ。
532 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 22:01:49.36 ID:HWtLBn4TO
旧唐書では、倭国伝と日本伝が別
↑九州から東征した一派が大和朝廷?
533 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 22:03:39.12 ID:2tTrMqfL0
もう、いいかげん、古田武彦みたいなトンデモ史観のアマチュアさんから
卒業しようぜ。
昔から邪馬台国論争している人間の間では
古田さんなんて、とっくにオワコン扱いなのに。
いまだに古田に飛びつくやつらって、新参者か?
534 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 22:03:54.94 ID:AHZg0UdT0
535 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 22:04:36.40 ID:+NintPuo0
>>525 歩くスピードはわからねえけど絶対青森陸奥までは行ってない
南北が東西の半分だろ
>>529 傘下に加わるのが嫌な連中が多少暴れたって所かもですね。
537 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 22:05:30.33 ID:G33Y4TevO
>>529 邪馬台国が後の大和朝廷なら、邪馬台国は東征する必要無いんだよ
270年頃までは邪馬台国は存在し、同じ時期に纏向にはもう街があったんだから
538 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 22:05:55.75 ID:2tTrMqfL0
神武東征戦争の真実は
あくまでも、畿内王権内部でおこったクーデーター。
結局、これは鎮圧されたけど
この内戦に、九州から援軍として駆けつけたのが、ワカミケヌ命(神武)な。
しかも、こういった援軍は何も、ワカミケヌだけではなかった。
>>323 富士山、三原山、御嶽、浅間山の噴火が見えるためだといわれている
540 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 22:07:15.95 ID:AHZg0UdT0
>>537 近畿の大和朝廷は、女王国連合を踏み台にした列島規模の連合体だろうねえ
当然、纒向に居た勢力は合流してる
541 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 22:07:27.28 ID:2tTrMqfL0
もう、何度も言うが、大和朝廷ってのは、畿内で誕生し
ずっと畿内にいたんだよ。
九州にいたことはない。
記紀を読めば、よく分かる。あれに書かれている真実は
うまく隠されている。
542 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 22:08:47.90 ID:G33Y4TevO
>>534 東征も何も唐代は聖徳太子が亡くなる辺りから始まるのだが
544 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 22:11:49.63 ID:AHZg0UdT0
>>541 九州説は国際連盟のジュネーブ押し
近畿説は国際連合のニューヨーク押し
みたいなもん
当然、国際連合はジュネーブにあったことはない
誕生した時からニューヨークだ
545 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 22:12:01.12 ID:+NintPuo0
>>538 九州じゃなくて神武は中国出身なんでしょう
神武大将軍だろ
各地で発掘される中国王朝元号の鏡が示してる
景初三年238年邪馬台国
これより先にも後にも元号神武とかの遺物が出てこないあたりが日本神話のタブー
546 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 22:15:34.59 ID:BpO4zmxC0
>>541 >あれに書かれている真実はうまく隠されている。
こう書いて説明しない奴は信用出来ない
日本史板と同じ奴なら統失かと思う説明で笑わせてくれるけど
さてここではどうかな
中国の歴史書による
建武中元二年(57年) - 倭奴国が金印を授与される。『後漢書』
永初元年(107年) - 倭国王の帥升が安帝に拝謁を願う。『後漢書』
倭国、男性を王とした七、八十年
桓帝と霊帝の間(146年 - 189年) - 倭国大乱。『後漢書』
光和年間(178年 - 184年) - 卑弥呼が共立され、倭を治め始める。『梁書』
複数の支配者は間違いなくいたと思うが混沌が永遠に続く訳でも無く
日本海沿岸、太平洋沿岸の2ルートに集約されるように固まっていったと思うわ。
恐らく太平洋勢力が関東平野と結びついたあたりで日本海側勢力はかなりピンチに。
549 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 22:29:23.24 ID:AHZg0UdT0
「倭国」は九州の勢力、倭国が大乱し女王を立てた。これが女王国連合
その女王国連合に、次第に中四国地方の有力勢力が合流し始める
この勢力の合流、拡大がいわゆる東征と言われるもの
最終的に蝦夷 毛野 越 尾張 大和 河内 丹波 吉備 出雲 筑紫 熊襲という
列島規模の連合体となり、その本部拠点を近畿に定めた
これが大和朝廷
550 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 22:30:31.11 ID:G33Y4TevO
>>540 >>541 邪馬台国の存在時期は大体分かってて
卑弥呼を立てた180年頃〜早くとも中国と音信が途絶える265年頃
一方で250年頃には纏向に国があった
1.邪馬台国は後の大和朝廷である
2.邪馬台国は畿内以外にあり、後の大和朝廷と並立していた
3.九州からやってきた崇神天皇が神武から続く邪馬台国に入り婿した
1の場合東征なるものがあるとすれば卑弥呼の立つ180年以前だから、神武東征による国=後の卑弥呼の邪馬台国=後の大和朝廷となり、卑弥呼以降に東征は必要無い
2の場合、東征と邪馬台国はほぼ無関係
3の場合、邪馬台国は東征された側になる
で、大穴として4.東征は応神天皇の事跡を過って挿入したもので、邪馬台国の時代より遥か後の出来事
という説もある
邪馬台国は近畿。
そして『古事記』に書いてある通り、大和朝廷は九州のどこかから東遷し、
北九州・広島・岡山の勢力と同盟関係を築きつつ、瀬戸内海を東へ進み、
近畿地方の浪速に上陸して、邪馬台国の軍勢と激戦となり、双方痛み分け。
その後、太平洋側の熊野に回り込んで、小規模な戦闘を経て熊野を味方につけ、
熊野勢力を道案内に、大和国付近の邪馬台国を攻め滅ぼし、日本国が建国された。
大和朝廷=日本国の起源は九州。しかし、投馬国は出雲国、邪馬台国は近畿。
552 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 22:36:06.71 ID:hiv41zRV0
九州〜本州にかけて原始日本語を話していた民族集団を
中国人は「倭人」と呼んだ。また、倭人の居住エリアは漠然と「倭国」と呼ばれた。
↓
ヤマト(今の奈良盆地のあたり)に本拠地のあった集団が倭国で支配力を増した。
邪馬台国はヤマトを中国人が聞いて音写したもの。
↓
ヤマトは自ら大倭(倭の支配者)と称した。
553 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 22:36:49.25 ID:G33Y4TevO
>>550 3.の崇神天皇は恐らく3世紀末〜4世紀初の人物ね
これが無いと分かり辛いかも
古代中国と主にやりとりしていたのは九州
だからそこが日本の古代首都みたいなもんだ
だが邪馬台国というのは古代中国人の創作
そんなものはない
555 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 22:50:34.28 ID:hoLsVW5HO
>>522 >日本→ジッポン→ジパング→ジャパン→ヤーパン
つまり「日=(耶は邪の変字)邪に近い音のヤー」であるわけ
そして日本人は「本」の字をどういう理由でかはしらないが「モト」と訓読する
合わせて考えたら、日本=ヤーモト=大和だよなって連想だよ
九州でも畿内でもいいけど、東征とかアホみたいなこと言ってる奴どうにかしろよ。
日本の遺跡で東征した遺跡なんてひとつも出てきてないんだから
557 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:00:29.75 ID:oSt7NcTz0
漢倭奴
が福岡県でふり出しに近いので
九州で
投馬が難波大阪でこれが遺跡で残ってる
>>465が正しいな。
「群より女王国に至る萬二千余里」とあるが、 不弥国までで既に1万600里進んでる。あと1400里しか進めない。
1400里とと言えば対馬から壱岐のまあ1.5倍弱だ。マジで九州から出られないな。
宇佐だな、やっぱり。不弥国から1400里でそれらしい所っつったら宇佐しか無いわ。
で、「女王国の東、海を渡る千余里、復た国有り、皆倭種なり。」 これは四国。
狗奴国は南九州のどこか。これで決まりだ。
559 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:02:31.80 ID:/Xi/YRhm0
なんで日本が外来語から派生するんだよ
560 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:03:38.36 ID:XUBbk/yV0
卑弥呼タンの画像マダー?
561 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:03:46.95 ID:5zCxpiG+0
「九州」という大和朝廷の禁止呼称とか、旧唐書倭国伝で、和国と日本の代表が喧嘩する話とか、
そもそもが大阪も奈良も沃野が形成されたのが弥生末期とか、物部や蘇我、神武、応神・・・その他
多くの氏族の本貫が九州北部とか、三種の神器の出土は北部九州だけとか、
「東遷」などというそれらしいレトリックに騙されてるとか笑えるよねw
当時の生産力国力で、衰えたとは言え沃野千里の「九州」や「中つ国」や「神々の集まる処=出雲」を
放棄して遷都などばかばかしい話。ずっと後年の完全統一国家大和朝廷でさえせいぜいが100km
圏内をうろうろしただけなのにね。エリア滅亡レベルの破局噴火は弥生には起きていないし。
真実は「新たに出現した大湿地帯=天津国」に、九州の過剰人口の移住先として、ニギハヤヒ=物部
や、五瀬兄弟軍などが、何度も移住してきたという話。各地の勢力を糾合なんて格好いい話かよ、神武
記が? 輝ける初代にしてはあっちうろうろこっちうろうろで、大敗して命からがら逃亡して兄貴達は敢え
なく志望、僻遠の地から進入してだまし討ちしてようやくど田舎に定住したって貧弱な話www
それでも初代だからきっちり描かれてるのが面白いがな。不比等の捏造の手も、流石に初代伝説までは
改ざんできなかったんだろうね。
畿内から九州までが邪馬台国だったというオチじゃいかんの?
563 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:04:36.37 ID:WvUKvqWu0
卑弥呼みたいなのはそこいらじゅうにいたのでは?
当時
564 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:05:10.52 ID:G33Y4TevO
>>555 日という漢字はジツ、ニツと読むのであってヤーとは読まない
Japanをヤーパンと読むのはジャパンが訛ったもの
邪をジャともヤとも読むのと一緒
565 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:06:29.68 ID:YdT+/ixN0
>>563 そう、ヒミコは One Of Them だろうなw それを皇室の祖先とか
言っているヤツは頭にウジが湧いているんだろwww
566 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:06:48.00 ID:umJqg2oq0
日本書紀に出てこない卑弥呼、邪馬台国なんて
今の日本に関係ない
567 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:09:45.48 ID:WvUKvqWu0
>>564 ジャパンが訛ったんじゃなくてラテン語でJをYの発音するからだろ
568 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:10:27.45 ID:/Xi/YRhm0
倭の国の語源は今でも九州の僻地に行くと老人は自分を「わん」と言うけど
「わんの国」=わの国=チャンコロが卑下して倭という当て字をして倭国になった
569 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:10:56.69 ID:WvUKvqWu0
皇祖天照大神の誕生地=筑紫(九州島)日向の橘の小戸
天孫降臨=日向高千穂
日向のお伊勢さん=大御神社〜〜〜奈良の三輪山の神社名は?
海幸山幸で隼人を降してからの東征(東遷)
邪馬台国が原始大和朝廷なら九州を否定する意味が分からない@岡山県北人
571 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:12:53.61 ID:G33Y4TevO
>>565 そこらじゅうにはいないさ
小さくても大友宗麟ぐらい。広ければ細川勝元ぐらい。
三国史記 (新羅本紀)
紀元前50年 倭人達が兵を率いて辺境を侵そうとしたが、始祖に神徳があるということ聞いて、すぐに帰ってしまった。
14年 倭人が兵船百余隻で海辺に侵入。
57年 4代王「脱解尼師今(一云吐解)立。時年六十二。姓昔。妃阿孝夫人。脱解本多婆那國所生。其國在倭國東北一千里」脱解は
多婆那国で生まれ、その国は倭国東北一千里にあり。
573 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:13:58.28 ID:oSt7NcTz0
難波の王も九州系だったが邪馬台国は乗っ取り系で
難波京からすると敵対系で歴史では残せなかったのもあるとは
邪馬台国=やまと=奈良盆地
卑弥呼=ひみこ=日巫女
素直に読めばいいだけだろ
575 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:14:17.74 ID:z1Vierpl0
まーだ、お前らやってんのかよ
さっさと元の巣の、日本史板、地理・人類学板、オカルト板へ帰れ
邪馬台国はどこですか?
三国史記 (新羅本紀)
59年 夏の五月に倭国と友好関係を結んで修交し、使者を派遣し合った。
73年 倭人が木出島を侵して来たので、王は角干羽鳥を派遣して、これを防がせたが、勝てずして羽鳥が戦死した。
121年 夏四月に倭人が東の辺境を攻めた。
123年 春三月に倭国と講和した。
158年 倭人が交際のために訪れた。
>>412 それどころか50ぐらい王朝あったんじゃないかな?
580 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:15:36.75 ID:umJqg2oq0
>>569 古事記、日本書紀は神代から書いているけどねw
581 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:15:48.86 ID:nXM1SQ140
邪馬台国がヤマト、卑弥呼がアマテラスで何の問題が?
三国史記 (新羅本紀)
173年 倭の女王卑弥呼が使わした使者が訪れた。(「二十年夏五月。倭女王卑彌乎。遣使来聘」)
193年 倭人が大飢饉となり千余人にも及ぶ避難民到来。
232年 夏四月に倭人が金城を包囲。
233年 五月 倭兵が東辺を攻めた。
249年 夏四月に倭人が舒弗邯、于老を殺した。
287年 夏四月に倭人が一礼部を襲う。
583 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:16:49.86 ID:G33Y4TevO
>>570 出自は九州かもしれないが、魏志に書かれた卑弥呼の頃には既に畿内にあったのさってことだと思うよ
584 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:18:36.23 ID:14IvqOPsO
>>556 稲作も鉄器文化も織布技術も日本ではすべて九州から始まった
それまで畿内にあった銅鐸文化は九州から伝播した鉄器文化により消滅している
平和的に伝わった可能性もあれば武力を背景として伝わった可能性もある
武力なら東征だった可能性も出てくる
たとえ神武東征がなかったとしても東征、東遷という言葉が大袈裟なだけで、どっかのクニが勢力を増やそうとよその地域を攻め立てた例くらい普通にあるだろう。
中国には、いまでも倭族と呼ばれている少数民族が存在する
私は倭とは、もともと東方の異民族に対して漠然と名づけたものであり
日本を特定したものではなかったと思っているよ
我が日本の事と特定の国を示すようになったのは後代であり
魏志倭人伝の時代では、日本を特定したものではなかったのだろう
>>570 九州にヤマト王朝があったとしたら、巻向の王朝を乗っ取るときに戦争にならないとおかしい。
だが残念ながら、そんな史跡はどこにもない
587 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:23:04.07 ID:Y3arprHD0
畿内から九州までぜんぶ邪馬台国だったよ
588 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:24:22.07 ID:hoLsVW5HO
>>564 だから…日本=JITSUPONでなくJa-pon=邪-ponで「日=邪=Ja」、本=motoなら日本=ヤーモト=邪馬台→大和じゃね?
>>130が本拠地を移転するほどの噴火と云う根拠を示せ、と言ってるけど、占い国の邪馬台国が
合理・論理的なルートや場所への移転を唱えるとは限らないんじゃないかと思うんだけど、その可能性は…?
例えば今の阿蘇くらいの噴火をみて終焉を感じて、陽の昇る方向をとにかく目指した、とかさ。
当時行き慣れてた所を選んだとか占いで決めたとかありそうじゃん。
個人的には、箸墓は卑弥呼ではなく台与の墓とすると纏向の年代も合う(卑弥呼時代は九州)って説はしっくり来る気がする。
瀬戸内先導する海人が必要だけど。宮崎・鹿児島方面に海彦の末裔が居るからって南下ては考えられない話なのかなー??
590 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:27:47.20 ID:G33Y4TevO
>>581 卑弥呼が太陽信仰していたとは限らないし(鬼道)、鏡は天照の象徴だが貰い物
紀記編纂時に卑弥呼が誰なのか分からず、恐らく神功皇后だろうと当たりをつけている
天武持統辺りまで天照は良く言って三貴子の一人に過ぎず、取り立てて皇祖扱いでなければば最高神でもなかった
卑弥呼は部分的に天照の可能性がある、ぐらいが吉
591 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:29:26.16 ID:H3MU9uuOO
この問題は決定的な何かが出ない限り平行線じゃね?
邪馬台国云々はどうでもいいから巻向の調査を進めようぜ!
日本建国の謎が巻向周辺に眠ってるんだからな
>>585 同意
魏志倭人伝にも黒歯国・裸国とかも倭人種と書かれているし、日本人に限った呼び名ではない気がする。
593 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:33:00.45 ID:q3dUJR+00
なんでヤマタイなんて読んじゃったんだろね、なんで訂正しないんだろね
邪馬台国が奈良にあるのならば奈良と狗奴国の熊襲が争っていたという
おかしな話になってくるのだよ
595 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:34:42.65 ID:YdT+/ixN0
>>587 >畿内から九州までぜんぶ邪馬台国だったよ
あり得ない。そんな広い範囲を領土にするなら、文字文化と官僚機構が確立
していなければ統治は出来ないはず。魏志倭人伝の記述にはそんな痕跡はない。
魏の使者は邪馬台国を取るに足らない部族国家と見なしていたことだろう。
596 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:37:03.98 ID:92/B5Igx0
俺の推測だが中国から朝鮮半島を通り対馬に渡って福岡の志賀島に上陸し
当初はそのまま九州に邪馬台国が建立された
しかし九州は度重なる台風の影響により壊滅的な被害を受け
より風災害の少ない安全な場所と言う事で畿内が選ばれ
ここに新しく邪馬台国を置いたと見ている
邪馬台国と大和政権を同一視するのがおかしい
根拠は無いが群馬県
599 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:39:41.17 ID:AortbBKI0
>>586みたいな無知を相手に説明するほどみんな暇じゃないんだ
600 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:39:47.43 ID:L4Keqdoe0
>>594 その狗奴国もどの地域かは今の和歌山熊野地方等、諸説あるのでややこしい。
601 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:41:12.29 ID:ly5p5n7L0
魏の使者が訪れた時の邪馬台国は、今の宇佐
倭人伝が書かれた時の邪馬台国は、既に斑鳩
山口県の田布施あたりの可能性もあるな
あそこはかつて秘密結社とか多かったから
明治の政治家もたくさん輩出してるしね
ウリナラにあったニダ
605 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:43:46.62 ID:aNQiDifY0
>>595 とるに足らない部族国家なわけねーよ。
金印まで渡してるんだからさ。
これって、大月氏国並ってことだぜ。
>>590 >紀記編纂時に卑弥呼が誰なのか分からず、恐らく神功皇后だろうと当たりをつけている
これって、邪馬台国が大和のことだという認識があったってことだよな?
大和=大きな倭
610 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:52:15.52 ID:+NintPuo0
57年 4代王「脱解尼師今(一云吐解)立。時年六十二。姓昔。妃阿孝夫人。脱解本多婆那國所生。其國在倭國東北一千里」脱解は
多婆那国で生まれ、その国は倭国東北一千里にあり。
この倭国は九州かもしれんが
121年 夏四月に倭人が東の辺境を攻めた。
この倭人の出所って朝鮮半島も含めてるよな
611 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:53:02.89 ID:L4Keqdoe0
>>607 >狗奴国もどの地域かは今の和歌山熊野地方等、諸説あるのでややこしい
と狗奴国のことをいってるんだが
612 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:55:26.59 ID:YdT+/ixN0
>>597 同感。邪馬台国は部族国家に過ぎず、大和朝廷は古代国家であって、この2つの
間に統治範囲の大きさだけでなく「官僚機構」や「文字文化」の有無という決定的な
違いがある。考古学主導一派はこの重大な一点に全く気がついていない。さすがは
藤村某捏造事件が起きただけのことはあるねwww
部族国家なら幹部全員を集めて口頭で意志確認をすることで済むが、統治範囲が
広がればそうはいかなくなるので「文字文化」の確立が必須になる。また、分権的
にならざるを得ないので、代官などの代理人による統治も必須となる。もちろん同盟
関係にある者の連合体としての国家という可能性もあり得るが、歴史の教訓ではこれは
長続きしない。必ず寡頭制や独裁制に収斂する。
613 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:56:46.66 ID:BpO4zmxC0
景行天皇が九州をまわった時女酋長がたくさんいたんだよね
女性をトップにたてるというのは一般的だったのかな
大和朝廷は男性社会みたいだが他の地域はどうだったんだろう
熊襲は熊を襲う野蛮な民族で
九州では熊はとうの昔に絶滅している
熊本のどこかに熊塚がひっそりと建っているらしいが
くまモンが人気とは皮肉な
615 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:58:05.61 ID:YdT+/ixN0
>>605 >とるに足らない部族国家なわけねーよ。金印まで渡してるんだからさ。
邪馬台国は金印をもらっていないよw 金印をもらったのは奴国だろ。
616 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/04(木) 23:58:42.65 ID:qZh17/vS0
>>62 なぜ宇佐神宮なのか?て、それは大陸半島系の辛島氏らの豊国奇巫の&#27593;術が
宮廷内の貴族の中で大流行りでして一斉風靡してただけだがな
謙虚に書かれた宇佐公康氏の本でも読まないといけないようだ
617 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:00:39.96 ID:FgC+p4Ia0
>>613 大和朝廷は男性社会とは? 最初は婿入りしてるんだがな
618 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:01:04.68 ID:pgRCE2ci0
>>601 クマってね
隈なく探せ!隅々まで探せ!、隅っこ=外れ、と同じ意味だからw
熊さんのクマじゃねえから
もうね九州南部とか紀伊とか東海とか皆ひっくるめて狗奴国で良いわ
619 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:02:38.73 ID:B3vclUNV0
>>617 四道将軍とか軍人は男
稗田阿礼は女性だったのかな
620 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:02:40.27 ID:IeQPI2sC0
神武東征の理由を説明しよう。
神武は日向にいた。これは記紀の通りだ。しかし、前にも誰かが書いてたように、日向ってのは農業に適さない国だ。
だから他の豊かな土地に移りたいと思った。
でも、邪馬台国域内に移るのはヤバイので、邪馬台国の国々から文句を言われそうの無い糞田舎奈良を目指したって訳さ。
そして、見事そこを征服し、故国と同じ名前を付けたんだろう。
621 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:04:06.01 ID:o2A8i2Ae0
622 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:04:18.31 ID:B3vclUNV0
あと女性天皇が能動的な働きをしていないところかな
623 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:06:36.61 ID:B3vclUNV0
>>620 >故国と同じ名前を付けたんだろう。
日向と邪馬台国がごっちゃになってるぞ
624 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:08:24.46 ID:4cxubroL0
>>615 明帝から親魏倭王の金印を貰っていると書いてるんだよ。
その金印が見つかれば邪馬台国が何処なのか決まるとさえ言われている。
ちなみに親魏と書いてある金印は、2つしかないはず。
>>620 地元の言い伝えでは洪水となっている
紙芝居でも子供に伝えている
626 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:10:01.51 ID:Ka/DEiVt0
>>555 福岡県の草香江という地名を
東大阪の日下に移植して
日の下のクサカエ(草香江)と呼び
最終的に日下と書いてクサカと発音するようになったんだろ。
そんでもって日下(ヒノモト)とは
本来はナガスネヒコの治める日本であり
ヤマトとは別のクニなんだろ。
数十年前の南京大虐殺ですら捏造で色々議論されたのに
2千年前の字が読み書きできる奴なんか庶民に皆無の時代に
歴史なんか捏造し放題だよ
628 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:10:34.72 ID:B3vclUNV0
629 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:11:27.81 ID:o2A8i2Ae0
>>624 アマテラスが卑弥呼なんだから皇室と宮内庁が金印を出すわけない
日本が中国の属国みたいに思われちまう
腕が飛び出すババンバン!
631 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:11:42.71 ID:FgC+p4Ia0
>>82 和気清麻呂が宇佐神宮へ行った理由についてだが、
それは大陸半島系の辛島氏らの豊国奇巫の巫術が
当時の宮廷内の貴族の中で大流行りしていて、一斉風靡してただけだな
632 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:11:49.89 ID:1XdQmlwyO
>>615 もらってるぞ
景初3年(239年)に魏に朝貢したさい、皇帝から紫綬、銅鏡100枚、真珠、鉛丹などと一緒に金印ももらっている
633 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:14:13.97 ID:riLqwk7UO
奈良は東に海がない!って話があるけど
邪馬台国の領域が三重県まで含むなら東は海
で、隣の美濃〜尾張が狗奴国
岐阜の養老の象鼻山古墳は狗奴国の王族の墓
と聞きましたが?
邪馬台国の位置は、実際に邪馬台国に派遣され、帰任した魏の軍事顧問団の報告書に書かれている
後世に書かれた魏志倭人伝では、記述にいい加減なものが多すぎる
軍事顧問団のモノなら、当たり前だが援軍の道標になるように正確に記述する
行程、方位、地形、糧食等の現地調達の可否、徴用可能人数、陸戦・海戦適応地形等
軍人は報告が義務だから、必ず記述している 邪馬台国もある
宇佐神宮が全ての秘密を知っているでしょ
天皇の神事を代行する唯一の神社だから
謎の神様ヒメコとか、もうね
636 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:19:01.66 ID:FibZQnYXO
日本人奴隷プレゼントして褒美に、三種もらっとったんだろ、十分属国だわ。
637 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:19:02.14 ID:jfOHVqP60
>>629 案外、伊勢神宮のご神体が金印だったりしてね(^_^;
638 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:23:13.44 ID:FgC+p4Ia0
>>635 宇佐の辛島的な巫術や祭祀の朝廷内での大流行は、早くてもユラユラトフルへの
物部巫術の100年以上あとだろうがな
639 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:23:20.94 ID:riLqwk7UO
九州→宇佐神宮→大神比義
奈良→巻向→三輪山→大神神社
どっちにしても大神=三輪氏が絡む
>>634 当時の日本列島が侵攻するのに値する島だったとは到底思えない。
単なる東方見聞録みたいなもんじゃないのか?
641 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:26:15.51 ID:FgC+p4Ia0
>>639 三輪氏が三輪山の祭祀権を握ったのも4世紀もだいぶ過ぎて以後だがな
そのエピソードが大田タネコ召喚話だな
642 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:26:56.48 ID:jfOHVqP60
邪馬台国は、国体として王や女王を奉り、実務は天皇家が行っていたという
大日本帝国時の、天皇&総理大臣という形に、とても似通った、形態をとっていた
【卑弥呼まで:女王(実在する絶対権力者)→天皇家(役人職)】
643 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:27:23.65 ID:jfOHVqP60
それが卑弥呼が死んだところで、壱与が後継になっても、誰も卑弥呼の変わりにはなれなくて
卑弥呼を神様と奉って(天照大神)、役人だった天皇家が、直接日本を統治する
現在の日本のような統治体制となった
【卑弥呼のあと:女王(神様・象徴)→天皇家(役人職)】
644 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:27:38.73 ID:FgC+p4Ia0
>>629 >>637 アマテラスは卑弥呼が象徴された神格だが、実際の皇室とは関係がないんだがな
正史から卑弥呼と邪馬台国を抹消したせいもあったのか、怨霊がどうのこうので論じれる
神格には大き過ぎるが、卑弥呼の神格化を祀っていないと怖かったんだろうな
646 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:28:19.68 ID:jfOHVqP60
つまり
金日成の存在があまりにも大きかったため、金日成の変わりには誰もなれなくて
金日成を神様として、労働党が国家運営していく、
毛沢東の存在があまりにも大きかったため、毛沢東の変わりには誰もなれなくて
毛沢東を神様として、共産党が国家運営していく
みたいなことと同じようなことが、日本でも起きた
647 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:29:23.38 ID:jfOHVqP60
だとすれば、纒向古墳群は、
卑弥呼が天皇家から、神様(天照大神)として奉られた後の「天皇家の古墳群」で、
卑弥呼の墓はあくまでも、伊勢神宮・・・・
卑弥呼の墓が無いのは当たり前・・・
>>613 ヒメ・ヒコ制の時代だ
祭儀を司る女性が氏族の長を務めるのは当然だ
記紀では男子が天皇を務めていたが、これは万世一系の形を作るためであり
私は三世紀や四世紀ごろは天皇のほかに祭儀を行った女性がおり
名目上、その女性が指導者だったのではないかと思うけどね
例えば、崇神天皇の御世のヤマトトモモソ姫とか
大和武尊に出てくるヤマトヒメとかね
親魏倭王の金印、魏が滅んだ時点で溶かして
他のもんに形変えてるだろうな。
持っててもしょーがねーって感じで。
志賀島の金印がなぜ残ってたのかは不思議だけどさ。
九州にあった邪馬台国が奈良に遷都して名前も変えて大和朝廷に
くな国の攻撃が激しかったから離れたんよ
651 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:34:02.47 ID:riLqwk7UO
>>641 祭祀権を出雲族の手に取り戻した
という解釈もできる
652 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:34:04.12 ID:FgC+p4Ia0
>>642 実務は天皇家というよりも、役割分担だっただろうな
武力は誰誰の部族、祭祀は何何の部族、神酒造りは誰誰の部族
三輪氏の大田タネコの部族の釉薬の土器造りは何何の部族、
それより100年前の素焼きの土器は誰誰氏とかだな
そのそれぞれが、今でいう天皇家とほぼ同格だった可能性もあるんだがな
653 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:34:12.57 ID:jfOHVqP60
>>648 まぁ、今現在の日本でも、どんな強面のドキュソですら大抵
父ちゃんの言う事は聞かなくても、母ちゃんの言う事は聞くからねぇ・・・
男の為政者にとっちゃ、上に「女性」を掲げたほうが、国民をコントロールしやすかったんじゃないかな
654 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:36:45.32 ID:a4Z/j50d0
>>642 卑弥呼は権威
天皇は権力をもった長
当時の天皇は江戸幕府の将軍みたいな存在ですか。
655 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:37:35.88 ID:Z9ZZM/wP0
高千穂の天孫降臨とか神武東征みたいな神話があるからなあ。
九州説もなかなか捨てきれない。
>>647 そう考えるのが自然ですね
アマテラスが何故に盥回しにされたのか知らんけど
657 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:39:26.25 ID:WCmvJdGz0
>>613 大和朝廷は完全な男性社会
現妻を廃妻して新妻を正妻とするなど女を道具としか見ていない
地方では女酋長・幹部もいたし男酋長・幹部もいた
ただし女酋長・幹部は早々に投降したり、贈物や妻にする約束などで手篭めにされるなど
酋長として役立ったような記載が無い
658 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:40:38.21 ID:o2A8i2Ae0
>>649 >魏が滅んだ時点で溶かして
司馬懿の弟の司馬孚は退位した曹奐の手を取り、涙を流しつつ、今後も魏の臣下であると述べた。
曹一族は5世紀(倭の五王時代)まで王だったみたいだからそれなりに価値があると思う。
ここから後なら溶かして独立したのかも
>>154 アマと読めるし、そうなると丹後を拠点にしていた海部氏が一族だった可能性があるよね。
丹後には天照大神と豊受大神を祀っていた元伊勢の内宮外宮もあるし、
読みは違うけど尾張に海部という地名もあるから、東国にも勢力持ってたんじゃないかと。
660 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:44:23.70 ID:jfOHVqP60
>>654 「天皇」という役職名だったかどうかはワカランけどね
天皇家は代々の王や女王に仕える「官」だったことは確かだと思う
魏志(280年-297年)にも卑弥呼の「官」として、
古事記(707年-712年)に書かれている垂仁天皇・皇后・皇太子妃の名前が記載されているし
661 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:47:56.51 ID:a4Z/j50d0
卑弥呼=天照大神
神は永遠だから墓なんかあるはずが無い。
なるほど納得。
662 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:48:51.03 ID:LQVCzsza0
>>628 鹿児島の大隅は、大いなる隅(くま)端っこ=奥の奥って意味だからハズレではない
663 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:48:57.28 ID:o2A8i2Ae0
>>660 なるほど
やっぱり日本皇暦・皇紀の年代が間違っているというのだけは結構な確定要素みたいですね
664 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:50:35.38 ID:jfOHVqP60
九州で元々は男子を王としていた一族が、朝鮮から九州に進出してきた狗奴國「漢委奴國王」に追いやられて東に向かい
奈良周辺を制圧して「邪馬台国」を建国、その時の王に仕えて、先頭切って戦ったのがカムヤマトイワレヒコ・・神武天皇
665 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:51:05.62 ID:jfOHVqP60
その功績を認められ、天皇家はそれ以来、王や女王に仕える「官」の職を、代々務めることになり
卑弥呼が女王の時代には、第11代目の、垂仁天皇、古事記名「伊久米入日子伊佐知命」イクメ・イリビコイサチノミコト・・の一族が、卑弥呼の「官」
666 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:52:20.74 ID:LQVCzsza0
>>154 奄美のアマ、琉球神話のアマミコ
朝鮮人や支那人は、大陸や半島からの影響ばかりいうが、古代から南方の文化風習を持つ集団からの影響がある
667 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:53:27.13 ID:jfOHVqP60
その後、卑弥呼が死に、壱与が女王になったモノの、やはり卑弥呼の変わりにはなれずに後が続かず
王や女王に仕える「官」の職に代々就いていた天皇家が「邪馬台国」の運営を引き継ぐ形となり
天皇家はどうしても、卑弥呼をアマテラスと神格化し、
卑弥呼の「虎の威を借りなければ」国の指導的立場を確立出来なかった
668 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:53:38.62 ID:FgC+p4Ia0
>>647 祟神や垂仁天皇に出て来る天照大神は、その当時は名前も違うかった可能性も高いんだがな
純粋に別名の皇室の祖先神を宮中に祀っていたんだろうが、卑弥呼の象徴の神格化を祀りたくなったのは
大国主を出雲に祀るようなった理由とほぼ同じで、怨霊封じのつもりなんだろうな
その完成形が伊勢だろうな
本来の皇室の祖先神でない伊勢には、歴史的に見てほとんど参拝にもいかないのも
当然だな
正史から消した先住者側の卑弥呼の神格化になど、参拝などする気持ちにならないのだろ
どう考えても卑弥呼の荒御魂の天疎向津や大己貴など、怨霊封じみたいなものでおさめられる
神格には別次元すぎるんだがな
669 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:53:55.85 ID:o2A8i2Ae0
>>660 あれ?
でも垂仁天皇が卑弥呼の官ならその10代前の神武天皇はどこにいたんでしょうか?
670 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:55:17.52 ID:Ka/DEiVt0
>>659 つまり、アマテルクニテルヒコですな?
アメノムラクモとかホアカリとかの系統の。
671 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:56:07.39 ID:FGpqsAZSO
阿毎多利思北孤=アマテラス北孤
673 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:56:56.15 ID:FgC+p4Ia0
>>667 卑弥呼の「虎の威を借りなければ、というのは皇室の中だけの秘密だったのだろうな
しかしそれも、11月23日の祭祀の意味と同じように風化していき、今では別趣旨の祭祀に
なってるものも多いんだろ
100年200年後の河内や大和の豪族の伝承に残ってない件
氏族の歴史が何よりも大切な時代にね
でアマテラスだの神功皇后と卑弥呼の事跡は全然ちゃうやん
675 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:57:22.68 ID:o2A8i2Ae0
>>664>>665 了解です
このあたりですね
倭国、男性を王とした七、八十年
桓帝と霊帝の間(146年 - 189年) - 倭国大乱。『後漢書』
676 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:58:16.58 ID:jfOHVqP60
卑弥呼の変わりに壱与を女王にしても、国の指導的立場にはなれなかったんだから
女王の格下の「官」が国の指導的立場になるなんて、そうでもしなきゃなれない・・・
それでも女王時代の「官」の立ち位置を知っている爺さんや婆さんが残っている内は
新たに指導者になった「官」の言葉より、死んでしまった卑弥呼の言葉のほうが絶対で
国を治めていくのには、かなり苦労したろうね・・・
677 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:58:41.39 ID:jRTUEOYz0
へー
678 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 00:58:52.85 ID:1XdQmlwyO
>>661 日本の神話に出てくる神は死ぬよ
国産みしたイザナギが妻であるイザナミが死んだので黄泉の国に行く話はよくしられている
679 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:01:33.41 ID:a4Z/j50d0
卑弥呼は呪術を以て国に託宣を与える神官
天皇は行政官の長であり軍事組織の長
そう考えるほうが合理的だと思えてきた。
680 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:02:23.27 ID:uoifuQGF0
古事記や日本書紀は成立期に色々と諸外国の神話をぱくってそうだけどね
聖徳太子の馬小屋とか出来すぎだろ
遣唐使あたりから導入した景教の知識をぱくったとしか思えん
681 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:03:47.29 ID:P4WtImIF0
東征や遷都を否定する事は間違い明治維新も東征だし、飛鳥→大津→京都→東京
と遷都している事実があるので飛鳥に来る前は北部九州のどこかだな。
但し魏志倭人伝に書かれた邪馬台国は東征後なので飛鳥にあったのは間違いない。
682 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:05:21.85 ID:FgC+p4Ia0
>>666 完全に正解かもな
日本の源流の文化のかなりの部分は、奄美の地域と共通というよりも共有関係にあるんだがな
いかにもアマミキヨも内地にありそうな地名だな
683 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:06:09.13 ID:o2A8i2Ae0
>>680 俺はパクったっていうよりも
日本土人が新しい知識科学文明を持った渡来人を王や天皇にしたってイメージだなあ
特に死にそうな患者を治す医療や漢方みたいな命の恩人は家族にとって神でしょ
だから聖徳太子も景教?で外国から来たとか
684 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:08:19.61 ID:jfOHVqP60
>>675 帯方郡から魏の使者が邪馬台国を訪れたのが240年で、その時の卑弥呼の「官」が11代目の垂仁天皇
「官」の職が、一王一官とすると、最初の王がカムヤマトイワレヒコ・・神武天皇とともに東征して邪馬台国を建国してから、王や女王は11人いたことになる
王の在位を30年とすると、東征・邪馬台国建国は、西暦0年の前後・・・
685 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:09:27.63 ID:FgC+p4Ia0
>>683 景教徒の秦氏が聖徳太子を持ち上げまくったな
おそらく救世主と思ったんだろな
>>682 奄美って流刑地だったよね
そんな神聖な場所を流刑地にするわけない
奄美大島は関係ない
687 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:11:47.70 ID:o2A8i2Ae0
>>684 在位30年にしなくていいのでは?
113歳とかいう天皇もいるよ
>>656 >>647 卑弥呼の墓が見つからないって言われても
そもそも被葬者が特定されている陵墓の方が稀だ
有名な仁徳天皇陵にしても、最近では被葬者の特定が出来ていないと
大仙古墳と言われるのが普通だし
689 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:12:29.73 ID:uoifuQGF0
まあ中国の歴史書もいい加減と言うか日本に興味ないからな
明史だと豊臣秀吉は薩摩の生まれなんだっけ?
明の時代ですらいい加減なんだから三国時代とか駄目でしょ
690 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:13:18.90 ID:o2A8i2Ae0
137歳ってのもいた
その時の日本人は数をちゃんと数えられなかったんだよ
そうすれば皇紀と西暦の整合性がつく
卑弥呼ほどのものの墳墓がなぜわからないんだろうか?
やはり天皇家とは関係ないと考える方が論理的な感じがする…
692 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:15:40.68 ID:4cxubroL0
>>679 時代的には、卑弥呼の一つ後が崇神天皇で、最初の天皇。
その妹の豊鋤入日売命が、台与で伊勢神宮を作り天照を祭った人。
個人的な印象で申し訳ないんだが、天皇が邪馬台国を簒奪したのだと思う。
なので記紀には匂わすことしか書けない。
693 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:15:51.72 ID:FgC+p4Ia0
>>686 奄美って流刑地だったよねとは、2000年前もなのか?
694 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:15:57.89 ID:o2A8i2Ae0
>>691 国家神道がまだ完全に死んでないからでしょう
695 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:16:25.67 ID:jfOHVqP60
邪馬台国=纏向説は、中国の魏志に、卑弥呼の官は伊支馬(いきま)と書かれ
魏志に書かれている「官」のトップから四席までもが、古事記に書かれている纒向珠城宮の垂仁天皇一族と同じ名前だったところに
纏向で、古事記の伝承通り、纒向珠城宮の遺構が発掘されて
もはや、邪馬台国が九州なんて言っている人はいなくなってしまった
696 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:18:10.97 ID:o2A8i2Ae0
>>692 簒奪というか倭人の邪馬台国は世襲じゃなかったかもしれないしね
というか世襲じゃないな
天皇が中国の王朝をまねして日本の皇帝になったと
>>693 流刑地に選ばれるという事は歴史上において
重要な地ではないという事だ
698 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:18:37.96 ID:FgC+p4Ia0
>>692 豊鋤入日売命は途中で倭の字の入った、おそらく倭郷出自の倭姫にバトンタッチだな
伊勢神宮を作り天照を祭った人というのは、その文脈では倭姫だな
九州説って考古学をガン無視してる人ばかりなの?
大和が出雲の大国主に国譲りを迫った。大国主の息子のひとりは屈服に不満で大和の勢力外の長野の諏訪に行った。
出雲大社、諏訪大社が他と異質なのはその経緯のため。
占領者は適の信仰の対象を根こそぎ消すのはリスクがある。恨みを持たれるとあとの行政ができない。
大和は出雲を残し、徳川は朝廷を残し、アメリカは天皇を残した。
701 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:19:47.37 ID:jfOHVqP60
んで、卑弥呼には弟がいて彼女を助けていたとの伝承から、垂仁天皇と同じ崇神天皇の子供の女子の古事記名を見てみたら
豊鍬入姫命なんて出てきちゃったもんだから、完全にノックアウト
国方姫命や千千衝倭姫命や渟名城入媛命、十市瓊入媛命のうちの、誰かが卑弥呼って可能性すら出てきて、
○○姫が卑弥呼という説とも共九州説、一瞬で吹っ飛んだ
702 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:20:08.23 ID:fkIATr1E0
九州説なんて元々町興しで無理やり言い出したんだろ
青森のキリストの墓みたいなものだと聞いた
703 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:20:40.02 ID:ooi9ssug0
>>667 アマテラスが皇祖神に位置付けられたのは、もっともらしい逸話があるが
実際は壬申の乱以降、伊勢が大海人皇子の側についたからだと言われている。
元は高御産巣日神が皇祖神だったのではないか考えられている
大王氏も三輪山近辺を拠点とする豪族だったわけで
ヤマトトモモソ姫は三輪山の大物主命に仕えていたとされる
つまり卑弥呼の時代に天照崇拝などなかった
706 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:22:22.00 ID:uoifuQGF0
九州説なんか江戸時代からあるやん
707 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:22:57.76 ID:2tS4XaUr0
708 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:23:24.51 ID:FgC+p4Ia0
>>697 先住部族の土地や本拠地を卑俗な用途に固定する簒奪者もたくさんいるがな
一言主のような大神格が流された土佐は、重要でないのか?
その簒奪者側の選ぶ基準がすべてだな
709 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:23:28.59 ID:a4Z/j50d0
>>699 考古学も新しい発見ひとつでそれまでの説がひっくり返るいいかげんなもんだし。
陵墓の発掘が認められたらそれこそ何人の考古学者が恥をかくやら。
>>680 神話や伝承など、その土地や民族固有のものと思われがちだが
案外、類型があるものであり
例えば旧約聖書にしても、中身の多くはセム語族圏に広く分布している
神話の一形態が書かれているに過ぎない
記紀に書かれている神話の部分も、東南アジアなどアジア圏に広く分布しているものの
一形態だよ
>>699 邪馬台国の存在を示す物は魏志倭人伝しかない
文献史学者を押しのけて似非ハンドでごり押しする
考古学者など信用できない
彼らのやっている事は魏志倭人伝そのものを否定しているに等しい
>>705 町おこしに使ってる?アホか桜井行ってみろよ、ボロい看板があるだけなんだぞw
713 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:27:05.64 ID:jfOHVqP60
>>704 いんや、当初は天皇家が指導的立場を維持するために卑弥呼を神格化していたんだけど
天皇家の役職はあくまでも卑弥呼(神)に仕える官(役人)だったもんだから、世襲が難しくて
欠史8代とか、倭の五王とか、権力争いが絶えなかったんだよ
卑弥呼時代を知っている人達から見たら、天皇家の世襲は、総理大臣の世襲みたいなもんだから納得なんて出来るわけがない
714 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:29:18.93 ID:uoifuQGF0
元々畿内説が先行してたんだよ
そりゃ大和朝廷が3世紀までに成立してた方が嬉しいし
でもいつまでたっても古事記日本書紀と整合性が取れないから
江戸時代から既に滅びた九州の一国家やね?って感じの話でさ
715 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:29:57.09 ID:/JOV+MG90
邪馬台国なんてものは存在しなかった
結論はこれだよ
もう何百年も前から言ってるのに・・・
誰も信じてくれないんだよな・・・
716 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:30:22.48 ID:FGpqsAZSO
豊鋤入姫は豊磯城入姫
717 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:30:33.73 ID:4cxubroL0
>>696 それはあるかもしれないね。卑弥呼以前の歴史はわからないし。
ただ匂いは残ってるよね。
例の崇という文字。
大物主と呼ばれる謎の神。
モモソは、吉備に近い人物だけど、もしかしたら出雲という国は、近畿から中国地方まで広がる国だったのかもしれない。
718 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:30:44.23 ID:l4YtINzn0
(HLA-B39) 上野最高
岩手 栃木 群馬 東京 愛知 京都 大阪 兵庫 奈良
5.11 4.25 5.35 4.19 3.28 3.72 3.44 3.80 3.14
福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児 沖縄
3.09 2.85 3.07 3.30 3.05 3.60 3.04 4.53
(HLA-B44) 伊勢最高
岩手 栃木 東京 愛知 三重 京都 大阪 兵庫 奈良
6.40 7.90 7.79 10.20 11.24 7.45 7.26 5.64 8.81
福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児 沖縄
7.33 8.22 7.00 7.45 4.93 5.22 5.74 2.90
719 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:31:59.26 ID:l4YtINzn0
(HLA-B52) 近江最高
岩手 栃木 東京 愛知 滋賀 京都 大阪 兵庫 奈良
9.80 13.01 11.92 11.45 14.79 12.72 11.31 11.11 12.59
福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児 沖縄
12.75 13.27 12.82 14.09 12.07 11.86 10.42 3.61
(HLA-B7) 出雲最高
岩手 栃木 東京 愛知 京都 大阪 兵庫 奈良 島根
4.28 6.25 5.24 5.14 5.85 5.79 5.85 6.08 8.09
福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児 沖縄
6.32 5.65 5.79 6.56 6.62 5.57 4.62 2.26
720 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:32:12.36 ID:FgC+p4Ia0
>>704 >>717 高御産巣日神、つまり高木神が皇祖神だったのではないか、も考え方としてあるが
素直に葛城氏の神の可能性が高いんだがな
ヤマトトモモソ姫は三輪山の大物主命に仕えていたとされる、というのは
実際のところは、出雲をおさめた物部との合体神である新しい神格の大物主に仕えたとうよりも
純粋に三輪に籠る大倭の神に仕えたのだろうな
721 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:33:20.59 ID:a4Z/j50d0
ヤマトオソソ姫は京都の出
723 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:34:19.37 ID:h2rnbvRO0
邪馬台国の場所がハッキリしたとしても
謎だらけの古代史の謎はまーたく解明されないもんなあ
近年、出雲で大量の青銅剣が発掘されたり、意外と関東の方にも
それなりの勢力があったぽいとか、小出しの情報はあるけどさあ
724 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:34:57.18 ID:FGpqsAZSO
>>722 つまり丹波から1000里の倭は吉備だな
725 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:35:01.92 ID:jfOHVqP60
>>713 んで、壬申の乱で、いよいよこれはマズイとなって、持統天皇が、本格的に伊勢神宮を奉って
それまでの、卑弥呼(神)に仕える官(役人)という認識から、卑弥呼(神)の子孫という認識に改めて
卑弥呼(神)の子孫だから世襲制、権力争いはナシ
というルールを作ったんだ
726 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:35:10.13 ID:2J4MmiPV0
>>699 考古学でわかることって「畿内の政権の力が強かった」ということに過ぎないだろ。
いくらそれが明らかになっても、
文献上に現に存在する邪馬台国に繋がらない。
親魏倭王印や当時の文献が発掘されたなら別だけどな。
>>695 筑紫城の神武天皇が奈良県に東遷して、魏志倭人伝に載る邪馬台国の礎を築き、
その魏志倭人伝に載ってる「伊支馬」が、後の「垂仁天皇」ってことでOKなの?
728 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:39:37.24 ID:FgC+p4Ia0
>>704 大王氏も三輪山近辺を拠点とする豪族だったわけ、ではない可能性が高いな
書紀では、大市と呼ばれる三輪山麓の倭郷での神祀りの対する、考えられないくらいの
無見識ぶりの不手際だらけで、天候不順や凶作で国が乱れに乱れて、というふうに
記されてるんだがな
祟神や垂仁の氏族が地元の一族なら神祀りを知らないわけがないんだがな
729 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:40:21.36 ID:RZ2Keakn0
卑弥呼の次に女王に就いたのは台与(トヨ)だろ
なぜ邪馬台国だけ(ヤマ「タイ」コク)と読み、台与は(「ト」ヨ)と読ませるのか
同じ台という漢字を、同じ音で読めばいいだけ
すると
邪馬台国⇒ヤマトコク、台与⇒トヨ となり、すっきりする
実はこれだけの話しなんだよ、だから邪馬台国は大和国だ
730 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:40:39.44 ID:o2A8i2Ae0
でも出雲に畿内や北九州以上の数の青銅剣が発掘されたことは面白いですよ
出雲圏内で天照を主祭神にしてる神社がないとか天照とスサノオ話とか文献含めると
滅びたのは邪馬台国じゃなくて古代出雲だったと
731 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:42:52.40 ID:jfOHVqP60
邪馬台国=纏向説は、中国の魏志に、卑弥呼の官は伊支馬(いきま)と書かれ
魏志に書かれている「官」のトップから四席までもが、古事記に書かれている纒向珠城宮の垂仁天皇一族と同じ名前だったところに
纏向で、古事記の伝承通り、纒向珠城宮の遺構が発掘されて
ヤマトトモモソ姫卑弥呼説なんて、九州説と共に、一瞬で吹っ飛んじゃってるっつーの(^_^;
732 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:44:42.23 ID:NPrzbDPZ0
>>700 あの話をそのままとるよりは
出雲の東西内部抗争を大和がそのまま
盗んだ説の方がおもしろいよ
国造家は大和側 国造家が祀る体制に
なる前の勢力を、大和の力を借りて
追い出した て流れ
東側に大和がのって神話の系譜に
忍び込んだと
733 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:47:03.93 ID:jfOHVqP60
>>727 ひとり2人ならともかく、天皇・皇后・皇太子妃・皇妃の四人の古事記に書かれている名前が魏志に書かれちゃってるからねぇ・・
今の状態で「違う」と主張するのは、原発事故の時にメルトダウンしないと言うようなモンで、
ヤマトトモモソ姫卑弥呼説も、九州説も、まず主張出来ないんさ
>>723 弥生時代以降は、他所の財産を狙った戦争に明け暮れていたのだろうな。
秦漢代の日本は、人口の大半が東日本に集中していたが、大陸からの亡命者が西日本に流れ着き
そちらにも複数勢力が成り立ったと思われる。
邪馬台国はいくつかあった勢力のひとつと考えられるが、当時の中国の端っこが遼東半島だったことを考えると
海流の都合から、北部九州説はやはり信憑性がある。
どこって日本に決まっている
>>730 ニギハヤヒは神武天皇が東征する前から奈良一帯を統制していたが
神武天皇に国を譲って出雲に移った
神武天皇が東征する前の出雲が今の奈良
天皇家の為に尽くしますと
出雲大社のHPにも書いてある
邪馬台国なる日本の地方政権は無かった
天に太陽は唯一
日本の頂点も皇室唯一
738 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:50:04.11 ID:jfOHVqP60
>>727 ひとり2人ならともかく、天皇・皇后・皇太子妃・皇妃の四人の古事記に書かれている名前が魏志に
卑弥呼の「官」として都にいた・・って書かれちゃってるからねぇ、んで実際に奈良で纒向珠城宮の遺構が出ちゃった
今の状態で「違う」と主張するのは、原発事故の時にメルトダウンしないと言うようなモンで、
ヤマトトモモソ姫卑弥呼説も、九州説も、まず主張出来ないんさ
>>733 なるほどね。少なくとも魏志倭人伝に載ってる時点での「邪馬台国」は近畿だったわけだ。
「九州説」の人はその邪馬台国より、神武天皇時代の「筑紫城」の位置を論じた方が良いのかもね。
740 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:52:21.54 ID:FgC+p4Ia0
ヤマトトモモソ姫卑弥呼説は十分ありえるがな
741 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:53:28.07 ID:riLqwk7UO
邪馬台国は出雲系
大物主から邪馬台国を簒奪したのが
政略結婚で身内となった崇神の一族
出雲族の反乱に疫病の蔓延が重なり
大田田根子の一族と和解することとなり
祭祀王と天皇の2トップ体制へ
その後 再び天皇家の1トップ体制へ移行する中で
不都合な記録は抹消されて行った…
742 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:56:25.43 ID:o2A8i2Ae0
743 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:56:43.98 ID:WBa0bR1B0
金印が見つかった場所って九州じゃないの?
745 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:57:34.72 ID:FgC+p4Ia0
>>741 大田田根子の須恵器一族はずっと後の話だな
大物主という名前の出来かたから考えてもわかるが
後世の造語の神名なんだがな
746 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:57:47.08 ID:jfOHVqP60
>>739 古事記とか日本書紀とかは「口伝」だったものを、西暦700年に文字起したモノだから
年代なんかはメチャクチャだけど、人名・国名・その人の時に起きた、あった出来事は、ほぼ正確
天皇家が初代としている神武の時には確かに東征はあっただろうけど、その時期は、邪馬台国で卑弥呼が女王になる、ずっと前で
邪馬台国が邪馬台国として西から東に移ったわけでもない
>>742 遷宮の時には書いてあった
消されたのかな
よく探して
ニギハヤヒは島根に追われ出雲大社で黄泉の国の神として祀られている
黄泉の国だ
748 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:59:20.16 ID:jfOHVqP60
@九州で元々は男子を王としていた倭人一族が、朝鮮から九州に進出してきた狗奴國「漢委奴國王」に追いやられ
A家来である天皇家の祖のカムヤマトイワレヒコを伴って東に向かい奈良周辺を制圧して「邪馬台国」を建国
Bその時のカムヤマトイワレヒコの功績により、天皇家は代々、王や女王の「官」となる
C卑弥呼が女王の時は、天皇家の第11代垂仁天皇が、卑弥呼の「官」 だった
749 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:59:39.81 ID:jfOHVqP60
D出雲に国譲りを迫り、了承した長男のコトシロヌシは出雲に残し、抵抗した弟のタケミナカタは、邪馬台国を挟んだ諏訪に流罪として出雲から分断
E奈良の邪馬台国の卑弥呼は出雲から魏に朝献して親魏倭王
F卑弥呼が死んだ後、壱与が後継になったものの、卑弥呼の存在があまりにも大きかったために卑弥呼の変わりにはなれなくて
750 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 01:59:43.92 ID:FgC+p4Ia0
>>738 ヤマトトモモソ姫の血筋はまさしくだがな
山幸彦と海幸彦の神話の意味を考えれば卑弥呼説からは外せないんだがな
>>592 奴の倭の国王だからな。
倭人=土人みたいな一般名詞なんだろう。
752 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 02:00:00.01 ID:jfOHVqP60
G壱与の次の代から、王を立てることを断念し、代々王族の「官」だった天皇家が直接統治
Hそれに伴い天皇家は、邪馬台国の指導的立場を確立するため、卑弥呼を神格化し、卑弥呼という「虎の威を借り」
I勢力が西に拡大するにつれて、一支国の五島列島、竹斯国−秦王国の筑紫と、九州を利用出来るようになっていった
753 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 02:00:28.37 ID:WBa0bR1B0
754 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 02:01:04.52 ID:uoifuQGF0
魏志に人名がって無理やり当て読みしてるだけじゃ・・・
そもそも古事記や日本書紀を書く際に三国志を参照してないわけないのに
755 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 02:02:34.86 ID:jfOHVqP60
>>750 ヤマトトトヒモモソ媛命は、第7代孝霊天皇皇女
それに仕えていた官のトップから四席までが、纒向珠城宮を拠点としていた、後に第11代垂仁天皇と呼ばれる
イクメ・イリビコイサチノミコト・・伊支馬(いきま)一族・・というのは
原発事故の時、メルトダウンしないと叫ぶより、ムリ
756 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 02:03:56.09 ID:jfOHVqP60
757 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 02:04:35.37 ID:o2A8i2Ae0
>>747 難しい・・
そもそもカタカナでニギハヤヒって出てこなそう
大国主とかいうのはよく出てくるけど
スサノオも漢字だし探しにくいです
758 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 02:05:03.04 ID:XqZtdwQU0
普通に出雲だと思うんだがなあ
出雲大社はその名残だって考えれば納得いくじゃん
760 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 02:06:37.64 ID:uoifuQGF0
卑弥呼=日巫女説も変
そりゃ現代音節でしょ
和訓を聞き書きすると遣隋使の日本国王名みたいになるはず
九州から機内に移動してんでしょ
どこにあったのか?なんて言ったって答えが出るわけがないじゃん
両方にあったんだから
762 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 02:08:05.39 ID:o2A8i2Ae0
>>754 >そもそも古事記や日本書紀を書く際に三国志を参照してないわけないのに
ああそういう説も読んだことあります
>>757 大国主命、オオクニヌシでOKです
神様と言うのはいっぱい名前を持っているのでややこしい
本当の出雲国は今の奈良県です
後に神武東征で島根に追いやられました
あの世の神となりました
764 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 02:08:52.41 ID:ITpNxs5X0
描写を読む限り、かなり暑い地方だよな
水行●日、陸行●日はかなりいい加減でデタラメだと無視すれば、残る特徴は気候や風土が正しい事実
それからわかることは、かなり暑い地方ということ
765 :
コピペですが@転載は禁止:2014/12/05(金) 02:09:49.04 ID:o2A8i2Ae0
>>763 よく云われる論に、出雲の原卿は山城国出雲郷だというものがあります。
結論から先に云えば、全くお話になりません。
出雲を歩いたことのない人がこんな事を平気で云います。
「出雲国風土記」と記紀の出雲神話に共通部分が少ないというのがその理由のようです。
つまり、記紀は正史で、「出雲国風土記」は捏造書だというのです。
これに対する反論は一言で終わりです。
「国引き伝説は、島根半島が古代において島であったという、地理学的事実に基づいている。」
山城国出雲郷が出雲源郷なら、このような伝説は生まれようはずがありません。
766 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 02:12:02.07 ID:05nrT2vE0
2世紀初め頃までの奈良は銅鏡も発見されていない糞ど田舎だった
2世紀中頃から銅鏡が増え始め3世紀に入ると鉄製武器も増えて
大規模古墳の築造が始まった。この流れから推測すると卑弥呼の生きていた
時代の2世紀中頃に北部九州の鉄製武器を持った勢力が奈良に入り
大和朝廷の基礎を築いた。
767 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 02:15:28.21 ID:05nrT2vE0
>>766の続き
魏志倭人伝が書かれたのは北部九州製力が奈良に入った後なので邪馬台国は
当然奈良の事だし、卑弥呼の墓も奈良にあるはず。
>>765 わざわざ出雲を歩かなくてもネットの時代だ
神社サイトを巡っていればわかる
神武東征が史実なら宮崎あたりから
但しそれは邪馬台国とは別の豪族じゃないかな
これ以上、話しても平行線だわ
議長、動議を求めます!
771 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 02:19:11.54 ID:jfOHVqP60
まぁ
>>748の@〜Cならば、卑弥呼はまだ神ではなく絶対権力者で、天皇家はあくまでも「官」家臣で
古事記には、第11代垂仁天皇の拠点は纒向珠城宮
卑弥呼も垂仁天皇も奈良には居た・・のであろうが、卑弥呼と天皇が、同じ建物に一緒に暮らしていたワケではないはずなので
ヘタしたら、今後、纒向以上の遺構、卑弥呼の宮殿が見つかるカモね
772 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 02:19:21.60 ID:o2A8i2Ae0
>>768 申し訳ないですが今のところ私はあなたの説よりもここのサイトを信じることにします。
私もネットサーファーだけどw
>>772 大国主命が東征した神武天皇に国を譲ったのは間違いない事実です
何を信じるかは貴殿の勝手ですが
774 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 02:23:30.66 ID:dtM4wASq0
飼ってる犬が脱走した
無事に帰ってきたのは良かったけど、おでこに「ネコ」って落書きされてた
最初ちょっと笑ったけどだんだん腹立ってきた
違うし
775 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 02:24:24.38 ID:jfOHVqP60
でも、位置的に良さげな場所って、昔も今もたいして変わらないから
卑弥呼の宮殿跡のうえに、お寺とか都とか、後世にドーーーンと作っちゃってて
永遠にみつからないかも・・・奈良だと・・・
776 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 02:26:41.15 ID:o2A8i2Ae0
出雲大社のHPにこんな記述がありました
「それゆえにも、御造営に関わります古代の古文書記録には、「国中第一の霊神」とも称えられています。」
他の記述では日本政府・国家神道・神社本庁に丁寧ですがこの書き方はプライドを感じます。
慇懃無礼みたいなイメージです。そもそも国中第一の神なら5柱になってるでしょ
777 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 02:28:39.31 ID:o2A8i2Ae0
>>776 続き
神道事務局は、事務局の神殿における祭神として造化三神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)と天照大神の四柱を祀ることとしたが、
これに対して「出雲派」は、「幽顕一如」(あの世とこの世との一体性)を掲げ、祭神を「幽界」(あの世)を支配する大国主大神を加えた五柱にすべきだと主張した[19]。
773さんすみません
778 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 02:32:01.30 ID:5eVB1ZFh0
>>776 式年遷宮の時には、これからも皇室の為に尽くします的な事が書いてあった
天皇に国を譲ったので当然と言えば当然なんだが…
出雲は元々奈良県なんだが奈良に出雲とつく名称は残ってないかな?
780 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 02:33:56.41 ID:R8e6QvgH0
>>766 そのまま北部九州で国を作れば一番簡単なのに
なんで奈良まで移動するわけ?
781 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 02:34:06.30 ID:ITpNxs5X0
>>779 >出雲は元々奈良県なんだが
初めてきいたわw
当の九州人が邪馬台国いらん言ってる
「邪魔たい!」
783 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 02:34:47.86 ID:haiEIuOU0
まあ、調べれば調べるほど
朝鮮半島の偉大さがわかるよね
知識人に左翼が多い所以
仕方ないよね
>>777 いえいえ、調べてくれて感謝です
出雲大社は黄泉の国の神とは神社に詳しい人なら知っています
神武東征で地中に埋められてしまいました
>>781 逆!奈良に出雲が入った。
地名にも残ってる
786 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 02:49:55.98 ID:qsJpbGpq0
どちらも宗教で学問じゃないですね
自国の成立過程に関する重要なことなのに地域エゴとか
学閥とかアカデミックから遠く離れたクソみたいな言い合いで。
魏志倭人伝だけを普通に読めば少なくとも畿内説などありえません
畿内説は魏里をなぜかこの場合だけ70mから80mと計算するとか
オウムみたいな基地外ぶり。なんじゃそりゃ
九州説にしても、そもそも三国志しかソースにしてないので、帯方の位置が
中国の複数の歴史書に記されている場所とは違います
>>781 奈良にはニギハヤヒ中心の栄えた文明があった(出雲)
勿論、地政学的に簡単に敵国から攻めて来られる場所ではない
それをやったんだよ、神武天皇が
勝てば官軍だが、激しい戦いになっていないのは御印を見せ合ったのだろう
788 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 03:01:40.39 ID:33il9mXh0
奈良の纒向の名がいつついたのかとか
古事記の纏向の解釈は別にしても
日中で官の名前が一致してるのは無視出来ない事実か
789 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 03:05:15.37 ID:zpdJl6ua0
邪馬台国に関する記述があった後150年も日本に関する記述が無くなって、次にいきなり倭の五王
150年もの間何も大陸との交流も無しに邪馬台国もしくはその王権継承国が存在したとは考え難い
畿内に邪馬台国が在ったとすれば、すでに大和を中心に日本列島の西半分のほとんどが一つの王権によって統治されていた
邪馬台国が九州の小国連合で、その後に別の王権によって大和から西日本の王権が確立したと考えるのが自然
790 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 03:14:36.35 ID:qsJpbGpq0
韓国捏造歴史ドラマにもよく登場する帯方はソウルや平壌の北方
ということになぜかなっていますが、周書、梁書、宋書、通伝には
ちゃんと百済つまり帯方郡が遼西地方つまり朝鮮半島でなく満州にあった
ときちんと記されています。朝鮮どころか北京に近いくらい
百済が帯方郡にあったことすら知らずに三国志の一部だけを
数百年宗教書みたいに研究しているトンデモ学者が多いのです
吉備政権が大和王権の母体
桃太郎伝説でわかる
792 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 03:20:59.16 ID:1XdQmlwyO
だから中国はその後八王の乱などで分裂状態になってたんだって
様々な国が興亡した時代だから記録は消失したかもしれないし、倭国どころじゃなかったかもしれない
ちなみに朝鮮半島とは関わりがあり、百済から369年に造られた七支刀を貰ったりしてる
今の北朝鮮の地にあった高く麗の好太太碑に刻まれている漢字にも391年に倭国が朝鮮半島に攻めてきたと読める部分がある
全く中国と交流がなかったとは考えにくい
793 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 03:21:10.00 ID:qsJpbGpq0
結論を言うと、魏志倭人伝を普通に読んで、帯方郡の場所を
複数の中国の歴史書に記されている場所とすれば、邪馬台国は
日本列島にはなく、ソウル付近にあったことになります
畿内説の基地外みたいな魏里のつじつま合わせも必要なし
帯方郡つまり百済から済州島が三ヶ月の距離だという記述も説明完了
百済が朝鮮半島の先っちょなら済州島など船で1日か2日で着きます
からね
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,l::::::::ハj ヽ! ∨l::',i::i:i _
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ル;i=====ミvレ
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795 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 03:27:41.67 ID:VbDas2BB0
>>789 やはり九州だよな
こんなのも解らないとかアホすぎる
796 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/12/05(金) 03:32:21.25 ID:ITpNxs5X0
ところで、魏志倭人伝には当時の倭(日本)の人々がどんな様子だったかも記されています。
http://y-ta.net/gishi-wajinden-2/ 服装・身なり
・男性も女性も、大人も子供も、偉い人も民衆もみんな顔や体に刺青(いれずみ)をしている。
その刺青(いれずみ)は階級によって入れる場所や大きさが違う。刺青(いれずみ)はおまじない
の意味もある。
・はちまきをつけて布を体に巻いている(真ん中に穴の空いた布に頭を入れて結んでいる)。
・みんな裸足で生活している。
・顔に赤い顔料を塗る(化粧?)。