【日中】中国人女性、日本の街を見て「なんという皮肉!中国人が大切にしていない中国の歴史の価値を、日本人が見出している」[06/01]★2

このエントリーをはてなブックマークに追加
>>1
岡崎久彦「自分の国を愛するということ」(海竜社)242〜243ページ

---------------------------------------------------------------------------

近代化というのは、結局欧米の学術をいかに吸収するかというだけの話なのですが、
西欧文明の前は日本は中国文明を吸収しています。江戸時代の中国文明の吸収は
大変なものです。むしろある意味では中国以上に中国のことがわかっています。
古典に関してはもう完全にわかっていました。最近でも、日本に来た中国人は
皆それを認めますけれど、中国古典の研究は日本のほうが進んでいました。

例えば、中国人は『論語』とか『孟子』とかいっても、そんなものは大体清朝の末期頃に
印刷された出所がどこかわからないテキストを使って読んでいるのです。日本では、
清の何とかという学者が作ってへんしゅうしたのはこれである、明の学者は・・・(中略)・・・、
全部比較して、注釈が入って、こことここの文章はこう変わっていると。そして、その間、
どういう学者がどういう議論を展開して解釈が変わったか、
そういうことが全部注に書いてあるのです。こんな本は中国では一般に見られません。

私は、若い中国の人と知り合いになるたびに、プレゼントとして、中国の古典を贈ることにしています。
特に『故事熟語大辞典』などという、中国の古典から引用して、それを読み下して、その後に
日本語の訳がついているようなものですけれど、それをあげると本当に喜びます。
向こうではなかなか買えない本なので、「あれはいい本だ、いい本だ」と言ってくれます。

日本語の読み下し漢文というものは大変な発明ですね。私もあのおかげで中国の古典を
学ぶことができました。立派な日本語で、しかも正確な解釈が背後にあり、それも一緒に
学べる。これだけ外国の文化を完全に消化して自分のものにした国というのはないでしょう。