【奈良】卑弥呼の後継者、台与の墓説がある西殿塚古墳に巨大な石積み方形壇 天理市
1 :
brown_cat ★@転載禁止 :
2014/04/09(水) 12:57:27.69 ID:???0 奈良・西殿塚古墳に巨大な石積み方形壇
卑弥呼の後継者、台与(壱与とも言う)の墓説があり、宮内庁が陵墓として管理する奈良県天理市の西殿塚古墳(3世紀後半〜4世紀初め、前方後円墳)の
前方部頂上に巨大な石積みの方形壇が築かれていたことが8日、宮内庁への取材で分かった。
卑弥呼の墓ともいわれる箸墓古墳(同県桜井市、3世紀中ごろ〜後半)の後円部上にも石積みの円壇があり、埋葬施設を覆う特別な施設とみられる。
2012年に盗掘され宮内庁書陵部が調べていた。ほとんどが陵墓として立ち入りを制限されている大王墓の構造を考える貴重な手掛かりになりそうだ。
書陵部によると、西殿塚古墳前方部の方形壇は一辺22メートル、高さ2.2メートル。中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
墳丘を覆う葺(ふき)石と似たこぶし大から人頭大の石が大量に見つかった。さらに下にも石が続いており、壇全体が石積みだった可能性が高いという。
方形壇はほかの古墳にもあるが、大半が土壇で、石積みはほとんど例がない。
西殿塚古墳は全長230メートル。宮内庁は6世紀の継体天皇の皇后、手白香皇女の墓に指定しているが、研究者の間では箸墓古墳の次に造られた大王墓と推測されている。
後円部にも一辺35メートル、高さ2.6メートルの方形壇が築かれており、後円部と前方部にそれぞれ埋葬施設があるとみられる。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG08036_Y4A400C1CR8000/
韓国人は仏壇返せよ
3 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 12:59:00.62 ID:+Y2I22e30
おなら
我々は包茎
このスレは伸びると思う
6 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 13:01:14.93 ID:fs0FEyzN0
萌え美少女好きはこの頃から始まっていた
そ〜いえば古墳なんて真近で見た事ないんだよね GWする事無いから古墳巡りでもすっかな 奈良辺りがやっぱ多いんかな?
8 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 13:02:57.75 ID:21sQyjU90
> 2012年に盗掘され さらっとすごいこと書いてるな。最近じゃないか。
壱与はまだ16だから
台与は「トヨ」、すなわち豊の国を治めていたので、天理市なんかには いない。
雷火さん!
12 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 13:04:39.53 ID:h89vaGb60
卑弥呼の墓なら邪馬台国は奈良で確定じゃん
13 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 13:04:51.61 ID:5NaLPBcNO
>>7 橿原神宮の近くに埴輪や土偶の博物館もあるよ
奈良は開発に規制があるから、交通に不便があるけど
石舞台とか一度見るといいよ
ただの石とは思えない
>>7 全体像はわからんけど、大きいのがみたいなら大阪南部においで。
中には公園になってて、上まで登れるところもある。
15 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 13:07:52.79 ID:+hOIrTIR0
九州説を支持するニダ!卑弥呼は朝鮮系ニダ!!
普通に姫子さんとお豊さんだろ?
17 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 13:09:24.48 ID:hklJQ0wO0
台を「と」って読むんだったら 邪馬台はどうかんがえても「ヤマト」よな。
19 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 13:10:06.05 ID:1p41oEcC0
>>8 逮捕された犯人の名前が出ずに
しかも起訴猶予になって
さらにそれを報道したのが産経だけだったんすよ
21 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 13:12:08.41 ID:iwiskxoNO
宇佐神宮の下に埋まってる
22 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 13:12:26.56 ID:3A4ourn10
おいおい盗掘されたりしないために宮内庁が管理してるんじゃないのか。
23 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 13:13:18.12 ID:1ifRB2RS0
>>7 古墳って普通に見ても山にしか見えないだろ。
空から見てこそ価値がある。
24 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 13:13:42.68 ID:EoBXfZUx0
台与の墓かもって言うけど、邪馬台国が実在した前提での話だな(´ω`)
25 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 13:14:06.77 ID:vAl0aFd70
研究者自体空想の範囲で何でもいう人たちだからなw きちんと埋葬者を特定できる物証が上がってから豊だの卑弥呼だの言えよww
26 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 13:15:10.32 ID:hklJQ0wO0
>>18 魏志倭人伝に書いてあるのは邪馬壹国
台は壹の略字じゃないし、壹はタイともトとも読まない
あらいよちゃんじゃなかったの
ホーケー壇かw
29 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 13:15:59.27 ID:1p41oEcC0
30 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 13:16:31.40 ID:pd4br/i90
>>7 神戸の五色塚古墳は木抜いて石葺いて復元されているから
他とは異なる趣があるよ
>>18 そうだよ。そのヤマトがもともと九州にあって、その人たち(の一部?)が
移ってきた奈良盆地にヤマトという地名をあてたというのが九州説。
32 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 13:19:03.25 ID:KIRBmlOa0
正直墳墓の大きさや建造物の大きさで邪馬台国を推定するのは違うと思う 奈良はもともと大物主の治める地だったんだから、大物主系の墳墓だって考えられる
33 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 13:19:39.05 ID:WD0uQRBP0
奈良ヤマト国の姫巫女だろ
34 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 13:19:57.12 ID:gFZN6tWQ0
イヨはまだ13だから〜
38 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 13:21:49.38 ID:bFj5r7Tp0
いやそれ、前からわかってるだろ 前方部、後円部ともに方形段があることはどの本にも書いてあるぞ。
>>36 終わったよ
終盤はサイキック合戦になってたけど
奈良行くとどの山も古墳に見えてくる
>>39 そうだったのか! どっかでイッキ読みしてみよう。
42 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 13:25:18.75 ID:bFj5r7Tp0
それより、 >2012年に盗掘され宮内庁書陵部が調べていた こっちの方が初耳なんだが。いったい何があったんた?
>2012年に盗掘され >中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され 範囲は書いてあるが、深さが書いてないけど、結局、中までは辿り着く前に見つかって 犯人が捕まったってことなのか?
懐かしいな 卑弥呼の回の魏志倭人伝は 三国志の別冊付録だったんだよな
卑弥呼、日巫女 卑弥呼は個人名でなく役職名説ってどうなってんの? 個人名・役職名派の割合って今どんなもんよ
>>44 どうでもいいが、「三国志」と聞くと「好きなら好きと〜♪」っていう人形劇の
主題歌が頭に浮かんでくる。
日本史最大のミステリーを教えてやるよ。 平城京の北側に平城天皇陵があるんだけど、 この天皇陵は平城京をつくるときに半分が壊されている。 都を作るのに自分の先祖の墓を破壊するなんて恐れ多いことをしてたのか ミステリーだ。と思った奴は甘い。平城天皇は800年代の人なのが本当のミステリー。
『卑弥呼』とは何だ?…卑しいと我は呼ばられる、 そんなのは、中国人が北狄とか南蛮とか下品に付けた漢字だろう 『ヒミコ』とは『日御子(太陽神の子)』と書くのが正しい。 ついでに言うと 『倭』も小人妖怪の意で中国人が付けた漢字、『和』と書くのが正しい。
>>47 宮内庁「こっ、古墳がタイムスリップすることだってあるわよっ」
50 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 13:35:11.28 ID:EZFY/7PG0
>>7 瀬戸内住まいなら岡山吉備って手が
造山、作山(日本で4番9番の大きさだが住宅に随分侵略されてる)登ってこうもり塚の石室見てって感じで
まあ総社倉敷から赤磐、備前にかけては田んぼの中の丸い盛り上がりが少なからず古墳だったりする
もし遠いとか長距離歩くのが嫌なら復原された神戸垂水の五色塚古墳とかどうでしょ
52 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 13:36:56.45 ID:tJApRO1Z0
54 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 13:40:11.83 ID:QVf0yiJE0
邪馬台国が関西にある可能性は無い。
大体の古墳が立ち入り禁止になったのは明治から それまでに殆どが崩れたり壊されたりしてる 道路ができたりね(´・ω・`)
56 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 13:44:32.95 ID:vln6z2Wa0
>>48 どう書くのが正しいって超意味不明w
漢字は中国の字なんだから中国人が書くのが正しいに決まってんだろ
日本だかヤマタイだかには文字自体無いんだぞ
正しく書くも間違って書くも、それ以前にそもそも書けないじゃんw
>>56 漢字はなくても言葉はあったからな
訓読みでよめ
壹は䑓の誤記じゃないのかとか、そんな説あったな
西殿塚古墳は時代や出土品から考えて それなりの霊力を持った 吉備のスサノウ系の首長の墓に間違いはない アマテラス系の卑弥呼や台与の墓である可能性すらない お偉いさんはバカしかいないから困る(´・ω・`)
古墳て実は関東にもいっぱいある 普通に公園になっていて登れたりするとこも多い 気づいてない人多い
2012年・・・なるほどミンス与党時代か kwskたのむ
>>57 音読みも訓読みもないだろ。
漢字使ってないのに、違う漢字をあてて意味をはめ込むこと自体に無理がある。
気持ちはわかるけどな。
>>60 関東だけじゃなく
民家の敷地や公園や畑とか
日本中そこら辺に古墳があるよ
元々屋敷墓みたいなもんだし(´・ω・`)
>>57 あの中国漢字は当て字っぽいな
ヤマタイコクにやらヤマトノクニとかの言葉に当時どういう意味を持つのかまではか謎だな
中国もちょろっとメモってるだけだし
>>62 ただの当て字じゃないか
何をいってるんだ
66 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 14:04:22.47 ID:YnURQBOt0
こっちの学会も捏造があるんだろうなあ。 小保方みたいな奴がいてさ。
>>57 ばーか
訓読みとか関係ねーし
>>48 には「と書くのが正しい」って書いてあるじゃん
文字もないくせして正しい書き方もなにもねーよw
保護して調査しないうちに盗掘されるとかw
>>60 古墳公園になってるか、案内があるから行けば分かるけど
上野公園のは気付かないで登ってる人多いかも。
甲府の稲荷塚古墳行ったら、大きくて驚いたけど
その後兵庫の五色塚古墳行ったらぶったまげた。
登って周囲を見渡せる古墳で一番大きいのどこなんだろう
>>66 学会より日本国としての皇統譜問題がね
歴史は天皇が絡むと有耶無耶になる
なんかルールがあるんじゃね(´・ω・`)
71 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 14:13:41.67 ID:BCSqrIHy0
>>47 ミステリーでもなんでもなく、ほんとは平城天皇陵じゃないのに間違えて認定しちゃっただけの話だろ
>>66 考古学なら有名なゴッドハンドがいたろ
あれももう十何年前になるのか・・・
74 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 14:21:29.82 ID:1p41oEcC0
75 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 14:21:51.30 ID:EZFY/7PG0
>>69 単純に大きさならさっき書いた岡山の造山古墳(これより大きい3カ所は宮内庁が非公開)
ただ、写真検索して貰えばわかるが東斜面に家作られてるわ、木々が生えてるわ状態でして
正直五色塚ほどのインパクトは無いと思います
(というか松原、砂浜という絶景に大橋というアクセントも追加された良い場所ですよね)
>>73 登って見渡せる古墳に仁徳天皇陵は入らないだろう
77 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 14:23:53.46 ID:DTULI13g0
>>70 はじめに古事記ありき、が合言葉になって都合の悪い発見はすべて封印されてる現状
世襲官僚やってる百済人を締め出さないと和国の歴史研究は始まらないよ
>>73 仁徳天皇陵は登れる?
天皇陵は、外からしか見られないものかと思ってた
奈良でいくつか回ったけど、鳥居の近くに砂利道が整備されてるだけ
>>77 遺伝子考古学がない昔ならいざ知らず、
今の半島人、エベンギ族と日本人は関係ないからどんどん発掘すればいいのに。
やつらと血縁あったら、日本人はみんなエラだらけ。文字もない。ありえないしwww
80 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 14:35:39.42 ID:UQP8P9tE0
>>48 ヒは日か火っていわれてるのを本で見たことある
ミコは巫女説が有力だったような気がする
中国が我々より劣った国だから漢字もそれなりの当て字で書いとけ
みたいなかんじじゃなかったっけ?
邪魔大王国の女王ヒミカ?
奈良の古墳は畑の下にわんさかあるもんだぜ
83 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 14:50:44.59 ID:EoBXfZUx0
奈良では今でもお金持ちはお墓を埴輪で囲います
84 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 14:54:17.86 ID:RC6Niit90
wiki 崇神陵の陵守が衾田陵を合わせて守っていたという トヨで決まり。
>>81 全滅だ!
って、ビッグシューターのTV電話で美和さんと会話したかった
古墳なら、景行天皇陵がいいぜ!!1 前にパチンコ屋があってすっげーむかつくけど、 陵の南側からの景色がいいんだわ
87 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 15:23:20.97 ID:TwDt4u3f0
>>7 小学校が奈良だったので、社会見学で懐中電灯持参で古墳の中を見学した事があったわ。
盗掘されて石棺の中は空だったけど。
石舞台の石と石の隙間に小銭がびっしり挟まってるのはなんでなの? 御利益でもあるの?
>>48 倭は「我が国」の「わ」だったりしてなw
ドコの国からきたって?おれん国からに決まってるだろ!みたいな。
じゃあ卑弥呼の墓はどこなんだよ
92 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 15:42:18.37 ID:h89vaGb60
結果を気にせず天皇陵調査させろよ
>>69 甲府なら銚子塚古墳はめちゃ景色良かったわ。
>>93 間違えてた。甲府のは稲荷塚古墳だった。
前方後円墳と隣の円墳を両方登れて楽しかった。近くの博物館もよかった。
96 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 15:58:29.54 ID:DlZZsBFo0
>>12 よく読めやw
>宮内庁は6世紀の継体天皇の皇后、手白香皇女の墓に指定している、
>研究者の間では箸墓古墳の次に造られた大王墓と推測されている。
97 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 15:59:14.95 ID:fqOW3MAG0
天理教
>>96 それ完全にダウト
時代が合わない(´・ω・`)
確か、考古学マニアが盗掘したのだったかな。 天皇陵は発掘できないから、何とか知りたいって思っているマニアは多いからね
100 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 16:03:58.86 ID:BCNAum2K0
今年の7月10日に発表されたニュースは、去年の事件として、西殿塚古墳をシャベルで掘っているところを捕まえたというものです。 報道によって、理由は違うのですが、朝日新聞は「地層知りたくて」としており、毎日新聞は「古墳の中の様子を知りたかった」と報道しています。
101 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 16:06:23.15 ID:S8U1YIMb0
エベンギのことは気にしなくていいと思う。 我々の祖なんかではあり得ないから。 証拠…YouTube 日韓併合前の挑戦半島で見るべし
103 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 16:07:46.31 ID:BCNAum2K0
【社会】奈良・天理の西殿塚古墳、盗掘される…掘っていた男性は起訴猶予に[7/11]
1 :キャプテンシステムρφ ★:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:???0
宮内庁が陵墓として管理する奈良県天理市の西殿塚古墳(3〜4世紀)が昨年8月、
盗掘されていたことが10日、宮内庁書陵部への取材で分かった。
墳丘をわずかに掘っただけで実質的な被害はなかった。
盗掘したとされる男性は墳墓発掘容疑で書類送検されたが起訴猶予となった。
古墳は全長約230メートルの前方後円墳。
宮内庁が6世紀の継体天皇の皇后、手白香皇女の墓として管理しているが、研究者の間では
邪馬台国の女王卑弥呼の後継者・壱与や初期大和政権の大王の墓とする説がある。
盗掘されたのは昨年8月13日。
巡回中の書陵部職員が男性を見つけた。
男性は前方部の頂上部にある「方形壇」と呼ばれる遺構を掘っていたという。
方形壇の下には埋葬施設がある可能性が指摘されている。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130710/waf13071023560032-n1.htm
朝日小学生新聞の漫画、イヨの明日は……を思い出す
106 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 16:12:48.71 ID:v1dirV5d0
台(臺)与という人物名は史書に出現しない 日本の国学者とその後継者が捏造 自らは校訂と称しているが論証のない校訂は捏造
>>104 オランダ人は「紅毛人」だから
現在の雲南省辺りに
南蛮国があったんじゃね(´・ω・`)
108 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 16:19:06.80 ID:i/PrjBZP0
邪馬台国は朝鮮にあったんだよ。
>>48 卑弥呼との蔑みに満ちたアテ字は、非中原の国を蔑む
中華思想に基づくもので、中国の歴史家が欲やっている事だ
卑弥呼=日御子の説に関しては、その名は男性になるだろう
女性であればあえて言えば日比女(ひひめ)ってなるはずだ
おかしな呼び名でありえないでしょうが。
多分、ヒミコはヒメミコという尊称がなまったものだよ
そもそも当時の日本では、太陽神信仰は伊勢などに限られる
ローカル信仰であり
現在の天照信仰のような、中心的なものではなく
ヒミコを日の御子とする考え自体もおかしいのよ
111 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 16:22:05.95 ID:DlZZsBFo0
スレチだけど、天照太神の諱は「日神」な。江戸以前の皇統譜に記されている。今の皇統譜は雑になってる。昔の方がより詳しく記されている。
いまだに邪馬台国九州説を信じてるアホはいないよな?
114 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 16:28:07.34 ID:gdrDJNXs0
>>103 研究者の間ではってよく見るけど、掘ってもないのによく断言できるなw
昔の皇統譜では、男性の神様を陽神、女性の神様を陰神と名づけていた。陰陽のこと。
>>113 九州は天孫降臨の下向先だからね。地方なんだよ。
>>113 畿内説よりは矛盾が少ないけどね
ただ九州はモノがないからね(´・ω・`)
118 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 16:33:50.92 ID:DlZZsBFo0
>>113 三国志なんかの記録から考えて普通に九州だわ
>>109 せんせい質問
ヒミコが亡くなって、弟が後継いだらうまくいかなくて、女性(イヨ?)を立てたら
うまくいった……っていう描写は、どんな扱いなんですかね?
120 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 16:36:09.53 ID:dM1gGAOj0
まだ当時は「大和」という書き方は存在しないからな。 魏へ行った使者が「やまとの国から来た」と言うから魏の役人が 適当に漢字をあてはめて「邪馬台国」にしたんだろ。 台与(とよ)の例からも解るように「台」は「と」と読むのが一般的。 誰かが勝手に「やまたいこく」なんて読むからおかしくなった。
「邪馬台国はここだった!」という明白な証拠出てこないかなあ。 俺が生きてる間に。
>>121 邪馬台国=大和国
この認識がある限り証拠は出てこないし
卑弥呼は見つからない(´・ω・`)
日本は文字の導入が遅れたのもあるけど、司馬懿の孫の司馬炎が晩年に バカ殿になった事の遠因で、日本の歴史が空白の四世紀になった事が痛い。 曹操が司馬懿を粛清してればよかったのに・・・
124 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 16:42:22.41 ID:UOKrCuUm0
>>72 ゴットハンドなんて東大に比べたらめじゃないよ。
未だに科学的な根拠の無い「弥生」を教科書に載せているし。
東京大学敷地内で出土した土器に「弥生土器」と名前付けて大々的に宣伝したが
「ただの土師器じゃない?出土した場所調べさせてよ」との声が外部から上がると
東大敷地内にある出土場所が行方不明になり今に至る
推測される場所はあるが掘り返して調べようとするそぶりすら見せない体たらく。
天皇の男系の子孫のY染色体ハプログループを研究したら、皆一様にDグループだったという科学的研究結果が出た。高天原はDが多い東日本だと思う。 九州?あぁwアレなwwあそこは天孫降臨の下向先だから100%単なる一地方にすぎないよw今はもう観光客を呼び込むためだけに必死にウリナラ起源説しているだけになってるwww
>>123 宮城谷三国志読むと、代替わりして以降はどこもグダグダだったから
どっちにしても空白化したかも
呉に至っては、孫権が老害化したみたいだし
日本側も、中国にせっせと使者送った時期と、中断した時期があったんじゃなかったっけ?
>>126 たしか、雄略天皇が朝貢をやめたはず・・・・
128 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 16:49:34.62 ID:dM1gGAOj0
>>122 「卑弥呼」という呼称自体が中国側で仮の形で付けられたものだしな。
日本で「天照大神」と呼ばれてる女性と同一人物の可能性もあるんだし。
紀元前660年に、九州・日向から カムヤマトイワレヒコが大和に東征し、 初代天皇として即位し大和に王権が生まれた。 それ以上でもそれ以下でも無い! どんなに矛盾があっても他の考えは認めないし 史実として扱わない それが宮内庁(´・ω・`)
>>109 ヒメミコでヒミコかー
いやほんと、古代浪漫って面白いなぁ
筑紫の日向に、神武天皇陛下の曾祖父(ニニギ)が天孫降臨してから、ようやく目立つようになっただけの単なる一地方の九州w
132 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 16:58:03.95 ID:DlZZsBFo0
133 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 16:58:03.41 ID:dM1gGAOj0
九州説が挽回する方法はただ一つ。 「魏委邪馬台国王」の金印を偽造して九州の田んぼに埋めて 農家の人に偶然を装って掘り当ててもらう。
134 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 17:00:30.97 ID:XvHm/07t0
135 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 17:00:45.26 ID:DlZZsBFo0
136 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 17:01:57.20 ID:U+Sl0bqX0
結局、近畿説と九州説と、どっちが有力なのよ。
筑紫の磐井は、武内のスクネの男系子孫だろ。 皇別だから、筑紫には天皇家の傀儡である自称日本国王がいたっていう可能性も否定できない。 戦国大名の大内氏が日本国王大内義興を称していた事例があるから。 皇別の男系子孫が、天皇家の傀儡として、日本国王を自称しながら、貿易権を保有していた人が、筑紫にはいたかもしれない。 だから、畿内説や九州説の混乱の原因にも成っている、ということも否定できない。
>>136 間を取って一番有力なのは四国説じゃね(´・ω・`)
>>138 四国だけは無いだろうw
いや、保障は無いけどw
四国といえば、日本でも有数の怨霊がいましたね。
140 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 17:07:59.48 ID:dM1gGAOj0
前に九州の人が「近畿には他にたくさん遺跡とかあるんだから邪馬台国くらい 九州にくれてもいいじゃないか」と言っててワロタ。
>>129 名前からして、よそから招聘された王様だな
大和に来い(come)って言われた男
いいや、アワの国説だよ。 アワの国が高天原、ヤマトゥーの国やチクシーやイズモーやキビーは天孫降臨地だから、一地方の豐蘆原中津国だよ。 現に、筑紫の日向に下向したニニギは、天壌無窮の神勅でアマテラス(日の神)から「豐蘆原中津国は我が子孫の治める地なり」っていわれてるじゃんwww もう、九州は一地方だって確定してるじゃんwwwwwwwwww
143 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 17:11:57.50 ID:XvHm/07t0
>>26 古代では
邪 呉音 漢音 ヤ シャ
馬 漢音バ 呉音マ
台 呉音 漢音 タイ ダイ
臺からみると 「高い土台や物を載せる台」
土 「ト」の発音もありえるので
「邪馬台」を古代では「やまと」に近い発音と読むと考えられます。
>>140 そういう歴史認識も国益も何の考えも欠片も無い奴等が、竹島は韓国にやってもいいじゃないか尖閣は中国にやってもいいじゃないかとか言うんだよな
>>139 宮崎と奈良の間に四国があるのよ
物流考えて卑弥呼は四国でしょ(´・ω・`)
九州じゃないから、違うんじゃね
>>145 邪魔大国のあった時代って四国はまだ海の底でしょ
>>22 学術調査をされると、実は天皇陵じゃなかったりすることがバレちゃうから、それを防止するためだよ
盗まれてしまえば間違いだという証拠も何も無くなってしまうから、むしろ宮内庁としては都合が良いのかもね
149 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 17:15:16.99 ID:0hEhQBqt0
邪馬台国は大和国だけど、邪馬台国は高天原じゃない。 高天原は、中国の最古の地誌である山海経に書かれてあるように。 熊野(畿内)のを通って、富士山を通った先に高天原があると記されている。 千葉県、旧安房国。ここが高天原の中心地だ。
いよが奈良だと? 名前の通り,伊予国愛媛にいたんだよ
>>147 四国が海の底なら
日本列島には淡路島しか存在しない
国産みで2番目だぞ(´・ω・`)
153 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 17:18:04.76 ID:0hEhQBqt0
154 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 17:18:12.15 ID:dM1gGAOj0
>>148 宮内庁は
「こんな立派な墓を作れる人は天皇でなければならない。天皇以外であってはならない」
という理由だけで天皇陵認定してるからなぁ。仁徳天皇陵もそうだし。
8(°Д°)8 卑弥呼さまー!
156 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 17:20:18.72 ID:0hEhQBqt0
>>136 近畿説はもうほぼ完全に消えた。
自動的に九州説と言うことになる。
近畿ゾンビが言っているのは「纒向って凄いんだぞー」だけで、邪馬台国論争とは
そもそも関係無いw
157 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 17:20:56.00 ID:ti/HqlnO0
湯谷の上に山があり山の上に扶桑がある。 陰陽で考えれば楽チンポコなりよ 陰=地、下、西 陽=天、上、東 これを当てはめたら 「湯谷(熊野)の上(東)に山(富士山)があり、山(富士山)の上(東)に扶桑(房総)がある」ほらね^^v
160 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 17:22:23.24 ID:EoABrwuq0
>>47 平城天皇陵は墳墓の再利用で説明がつく。
そもそも薬子の乱の責任を負って出家した身であるし。
>>158 扶桑=房総ってのがあり得ないw
お前の論立てなら,邪馬台国は武蔵小杉になるw
162 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 17:25:19.51 ID:dM1gGAOj0
>>160 そもそも「平城天皇」という追号も嫌がらせ的な追号だしね。
「讃岐院」とかと同じで配流先の地名を付けてんだから。
163 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 17:26:48.43 ID:0hEhQBqt0
>>10 が正解。
豊国=大分県あたり=台与の国
宇佐神宮の比売大神とは台与のことだと思われ。
西日本の豐蘆原中津国は大漢国って言われてたんだから、本来は中国の宗主国なんだよ。 湯谷(熊野)こそ、豐蘆原中津国の中心地。 豐蘆原中津国の宗主国である高天原の中心地は扶桑(房総)の安房国である。
165 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 17:28:13.51 ID:M3VPvDZY0
>>78 奈良では見瀬丸山古墳があるな。
道路がすそを通ってたり、家がたってたり、畑になっててたりするけど、
森になってるのは頂上だけで、そこだけが宮内庁だ。
考古学者の間では、これこそ欽明天皇陵と言われてる。
全長318mのでっかい前方後円墳だよ。田んぼの方からが分かりやすいな。
ただ、登っても大きすぎて分かりにくいかも知れない。
道路を何度も通るけど、古墳を登ってるなと思いながらハンドルを握ってる。
よそ見をすると危険だw
形が崩れてるのでいえば、今城塚古墳、これが継体天皇陵だろうと言われてる。
津堂城山古墳は、仲哀天皇陵じゃないかと言われてる。形が崩れすぎだけど。
あと、メスリヤマ古墳とか室宮山古墳とか、天皇陵以外なら神社があるところなんかは
登れると思うよ。
ひと目で分かるのは、小規模じゃないと難しいかな。
天理の黒塚古墳もいけるね。戦国時代に城になってるから形がだいぶ崩れてるけど。
>>152 結論が出た
邪魔大国は淡路島にあったのだ
167 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 17:30:59.37 ID:ItgbqEre0
いくらなんでも九州説はねえわw
結論。 筑紫の日向(九州)は、そもそも記紀に「豊葦原中ツ国」と呼ばれており、明確に単なる一地方だと明記されている。 はい論破。
>>165 ありがとう。見瀬丸山古墳は橿原市か。
今度奈良に行くときに行ってみる
171 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 17:33:00.24 ID:0hEhQBqt0
△縁=卑弥呼の鏡はネタだった。(国産wwww) 箸墓=卑弥呼の墓もネタだった。(多分崇神の墓wwwww) 纒向=邪馬台国もネタだった。(多分ニギハヤヒの祖先が作ってた都市wwww) もう何にも残って無い近畿説wwww
172 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 17:34:14.11 ID:XvHm/07t0
>>90 決まってんじゃん。我々は輪になって座って物事決める、和な人達
和・1 仲よくすること。互いに相手を大切にし、協力し合う関係にあること
2 仲直りすること。争いをやめること
3 調和のとれていること
我も輪も和も同じ事だわ
173 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 17:34:38.63 ID:ti/HqlnO0
>>159 四国は有り得ない。
>南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬台国に至る
四国に渡るなら東に水行となるはず
台与の時代は全国区だったからもしかするかもな
175 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 17:36:29.49 ID:EoABrwuq0
>>119 卑弥呼の後の王は弟と断定する描写はないよ。
連合の統合のシンボルとして適当であったかどうかというのがポイントだったんじゃないかな。
卑弥呼の場合は宗教的権威として広く認められるものを持ってきたわけだ。
だから、魏志で記述される「倭王」が世俗権力者とは限らないわけでね。
「王」というのはあくまでも中華皇帝のシステムでの解釈と表記であり、それに基づいて下賜された
称号だから。
男の王は連合内の世俗権力者の一人であったので再び抗争になってしまったのか、宗教権威者
ではあったが不適格とされたのかは不明だな。
>>173 高知県は南国土佐と言われてる
方角なんか気にするな(´・ω・`)
177 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 17:40:54.51 ID:AUOAjjuR0
3世紀から6世紀になるのは 凄い
>>122 >>121 魏志倭人伝に記されている
巨大墳墓、環濠や物見やぐらのある大規模集落、魏が下賜したと推測される多数の銅鏡
三世紀当時にこれらの全てが揃っている地域は畿内しか存在せず
普通に考えれば、邪馬台国が畿内に存在したと考えるのが、もっとも道理的だろう。
まあ、もちろん決定的な証拠ってのは発見されていないけどね
180 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 17:45:06.78 ID:fV7tC4P5O
やっぱし漢字流入の頃に大量入植受けた神の国かね?
181 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 17:45:14.84 ID:0hEhQBqt0
九州説で良い。 つまり、邪馬台国と近畿ヤマト政権とは全く無関係な別の政権と言うこと。 神武は東征したのでは無く、近畿ヤマト政権に招かれて行った雇われ店長だと 思われ。 邪馬台国は最終的には奴国と融合し、太宰府に倭京を作って滅んだ。 邪馬台とはヤマトであり、山門のこと。そこが発祥の地。 卑弥呼の時代に御井に移り、さらにその後 浅倉地方へ移り、最後は太宰府へ移ってそこで滅んだ。 卑弥呼の墓は御井の祇園山古墳で、魏志倭人伝の邪馬台国とは御井のこと。
182 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 17:46:24.96 ID:EoABrwuq0
183 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 17:47:52.94 ID:XvHm/07t0
184 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 17:48:58.93 ID:HGIpCJny0
邪馬台国は九州にあったのに何で台与の墓が奈良にあるんだ おかしいだろ
>>183 なんかバカにしてるみたいだけど
淡路島から1世紀〜2世紀までの日本最大級の
鍛冶工房跡が見つかってるんだぞ
鉄は力だぞ(´・ω・`)
186 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 17:55:44.32 ID:0hEhQBqt0
神武は「かむやまといわれひこ」。 かむ(神)とは井沢が言うように王朝の始祖と言う意味。いわれは謂れ。ひこは王。 近畿地方がヤマトと呼ばれるようになったその謂れとなった王で、 近畿ヤマト政権という王朝の始祖である、と言う意味。
吉野ヶ里遺跡 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/吉野ヶ里遺跡 吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)は、佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵にある遺跡。およそ50ヘクタールにわたって残る弥生時代の大規模な環濠集落(環壕集落)跡で知られる。 物見やぐらや二重の環濠など防御的な性格が強く
188 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 18:00:19.39 ID:ti/HqlnO0
>>178 魏志倭人伝に巨大墳墓、環濠や物見やぐらの記述があったか?
189 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 18:01:32.04 ID:XvHm/07t0
>>179 ん?そうだっけ?憶えてない
縄文人は桜の咲く頃に、山の中、桜の木のしたで飲み食いしながら
今年の農作業の段取りを話し合うってのはなんだっけ?知ってる?
>>188 魏志倭人伝は円墳だったんじゃなかったっけ
191 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 18:02:33.65 ID:0hEhQBqt0
魏志倭人伝は伊都国を起点とする放射読みをする。 水行十日陸行一月は水行十日陸行一日の写し間違い。 伊都国から水行十日陸行一日は、バッチリ御井になる。
世界にはドラゴン伝説が伝わっている。インドではナーガと呼ぶ。日本では海神(わだつみ)と呼ぶ。インドでは八大竜王と呼ぶ。日本では八王子と呼ぶ。 日本世界起源説は昔からあった。むしろ昔の日本人の方がよく知っていた。その証拠の一例を引用しよう。 「人王の始は神武天皇なり神武天皇は地神五代の第五の鵜萱葺不合尊の御子なり此の葺不合尊は豊玉姫の子なり此の豊玉姫は沙竭羅竜王の女なり八歳の竜女の姉なり」(御義口伝) 沙竭羅竜王=インド神話の八大竜王。ナーガと呼ばれる。八歳の竜女の父。 海神(わだつみ)=豊玉姫(姉)、玉依姫(妹)の父。記紀や皇統譜に記されている。
193 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 18:07:01.10 ID:Z/rEKfdZ0
>>117 物が無いのに推論とかオカシイだろ
脳内には大量に証拠が溢れてるのかもしれんがww
邪馬台国は九州だろ。畿内では無理すぎる
日本国最強伝説^^v
>>111 北狄、南蛮、西戎、東夷は中原の拡大で場所は変わるよ
上海にすんでた人でも南蛮人と言われてた時代はあるだろうし
>>193 近畿にはモノはあるけど説の根拠がない
同じと言えば同じなんだけどね(´・ω・`)
>>190 葬儀に関する部分
其死有棺無槨封土作塚
意訳
棺はあるが石室はない。土で塚を作る
円墳と断定してはいけない気がする
伊都国を起点とする放射読みをする根拠は 東南陸行五百里、到伊都國・・・・ 郡使往來常所駐。 東南に陸行すること五百里、伊都国に到る。郡使の往来では常にここに駐留する。 これ。駐留したとあるのだから、そこを起点に放射読みするのは当たり前w (到と至がうんたらはかんたらはデタラメな説wそんな使い分けをした例は無いwwww) 水行十日陸行一月は水行十日陸行一日の写し間違い。 この根拠は、 1 そもそも陸行一月は物理的に不可能。当時は橋がろくに無いから、一月間陸行できる土地がそもそも日本に無い。 2 魏志倭人伝をほぼパクったと思われる梁書では「水行十日陸行一月日」と なっている。
200 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 18:15:29.34 ID:Z/rEKfdZ0
魏志倭人伝って言うけど 所詮、中国の歴史書の別冊の一部にほんの数行あるだけだからな なんか知らんけど邪馬台国バカは魏志倭人伝絶対視してるけど いまの世でも論文に間違いや捏造があるのに 邪馬台国があったとされる時代の書物なんだから、正しい事書こうとしても間違ってる可能性あるだろ
201 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 18:17:48.81 ID:Z/rEKfdZ0
>>197 仮にキミの言うように説の根拠が無いとしよう
でも、だからといって物が無かったら何も生まれんよ
無はあくまで無で、有にはならない
202 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 18:17:59.02 ID:0hEhQBqt0
数行wwwwwwwwwwwwwwww 数行だってwwwwwwwwwwwwww おい聞いたかよwwwwwwwwwwww
中国の史書は始皇帝がオラオラで俺様が一番^^vってしてからアレになっちゃったから、中国の史書は山海経より後の物はあまり信用できないなー。
204 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 18:19:30.08 ID:AUOAjjuR0
卑弥呼時九州から南朝鮮 大坂まで倭国で 継体天皇時仁徳天皇の難波京滅ぼされ 白村江で倭国滅亡 九州王朝逃げて大和 天智天皇娘人質で東海北陸まで支配してた王に助けられる
205 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 18:20:21.96 ID:bFj5r7Tp0
>>193 白紙の論文には矛盾は皆無だよ。
だから、「九州説に矛盾はない」は正しい。
これを言ってて恥ずかしいと毛とも思わないところが九州説論者のすごいところさ。
周王朝までは親日だったんだけどなー。 ちゃんと周王朝は天子止まりにしてたし、東海上の島国に住む天帝を敬っていた。
207 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 18:22:03.19 ID:lmqPvVWH0
>1 2012年に西殿塚古墳前方部の方形壇は一辺22メートル、高さ2.2メートル。中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され なんてこった たいした話題にもならなかったから、やっぱ犯人は
208 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 18:22:29.66 ID:0hEhQBqt0
近畿説はただの妄想。 纒向はニギハヤヒの祖先が作った都市で、邪馬台国とは何の関係も無いと思われ。
209 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 18:23:23.43 ID:bFj5r7Tp0
>>202 原文に句読点はないからな。そういう意味では、二千文字で一行と言っても間違いではないかもしれん。
210 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 18:25:33.96 ID:0hEhQBqt0
>>209 行って何?
wwwwwwwwwwwwwww
行も知らないで、魏志倭人伝wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
211 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 18:26:09.98 ID:EoABrwuq0
>>190 「径百余歩」とあるだけだね。
「径」から円を想像しやすけど、「径」は「さしわたし」とか「たて」だから必ずしも円に絡むとは
限らない。
円しか認めないという人は「直情径行」はどういう意味になるんだよとね。
疑似倭人伝 この疑似連って信用できるの?
213 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 18:26:54.51 ID:jVq3+DrnO
松浦から海を渡らずに行く伊都国の女王のトヨの墓が関西にあるわけが無いよな。
>>200 ずっと後代の明史でも秀吉は平氏で薩摩生まれとか書いてる所でお察しだよな
215 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 18:29:30.46 ID:bFj5r7Tp0
>>210 これかな。
>データベースにおける、1件のデータ。組 (データベース)も参照のこと。
216 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 18:29:41.52 ID:HcYo8lfPO
九州にあったのか近畿にあったかは知らんが、 ヤマタイ国って読み方がおかしい ヤマト国だろ ヤマト国がヤマタイ国ならトヨはタイヨだ ヒミコもヒメミコの聞き違いだろ
217 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 18:30:32.56 ID:Z/rEKfdZ0
>>213 魏志倭人伝が間違いないなって根拠はなんなの?
そもそも間違いない資料なら、とうの昔に邪馬台国論争なるものは終結してるだろ
なのにかたくなに、魏志倭人伝に間違いはないって思える根拠は何?
今の世でも論文に間違いや捏造があるのに
西暦700年より遥か昔の話なのに頑なに正しいんだ間違いはないんだと思えるのは異常
俺が
>>137 で書いたように、戦国時代の自称日本国王大内義興のように、日本国王を自称して貿易権を占有していた可能性だって否定できないんだよ。天皇家の傀儡が日本国王を自称して天皇になりすまし外交権を占有したりとかな。
>>47 平城天皇って薬子の変で失脚した後に、目を潰された上に淀川に投げ捨てられてお墓は残らなかったんじゃないっけ?
220 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 18:33:48.17 ID:h89vaGb60
わずか1700年前の首都がどこだったかすら確定してない日本 文字がなかったからなんだろうね
221 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 18:34:10.45 ID:Z/rEKfdZ0
>>218 可能性だけなんだろ?
何か確たる証拠があんの?
証拠が無くてもOKなら、竹内文書も可能性あんのか?
222 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 18:34:39.37 ID:Dw9wBnmbO
邪馬台国の所在地については… 【畿内の場合】 邪馬台国の存在は国内の豪族共同体の旗印程度に過ぎないはずだから邪馬台国の価値は論争になるほどのものではないが 後々の国史には影響を与えはする…だけ。 【九州の場合】 邪馬台国のテリトリーは中国・四国あるいは近畿の西半分ぐらいまでで日本列島を統一していたわけでないが実際の権力は伴っていたはず。 ネトウヨの系統が勘違いしているのは畿内説と九州説の良いトコ取りをしているってこと。
223 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 18:34:44.10 ID:hS9AA/Gj0
調査不可の古墳を宮内庁がOKしたら、今までの定説ぶっとぶようなことが色々とわかるんだろうか
224 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 18:37:33.37 ID:HcYo8lfPO
とりあえず中国朝鮮人による盗掘は防がねばならない
>>223 地球の鍵穴が見つかってマグネットパワーが封じられてしまうからタブー中のタブー
>>225 そんな気もするな
年数が年数だしね(´・ω・`)
>>214 明に宛てた国書で平秀吉を名乗ってるから、平氏は合ってる
229 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 18:40:48.41 ID:GeUkaIMBO
おっさんだから「漫画日本の歴史」を思い出した 親父が全巻買ってくれたなー 懐かしい
231 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 18:49:43.29 ID:bFj5r7Tp0
魏志倭人伝って、第14代神功(皇后)天皇や、第15代応神天皇の世だっけ? そんじゃあ、内乱と言うのは、神功皇后が三韓征伐の後に畿内に帰るとき、自分の皇子(応神天皇)には異母兄にあたる香坂皇子、忍熊皇子が畿内にて反乱を起こして戦いを挑んだが、神功皇后軍は武内宿禰や武振熊命の働きによりこれを平定したときのことなんじゃね?
え?秀吉って平氏なの?
卑弥呼の墓は富山県氷見市にあるというネタを聞いたことがある
息長氏
>>233 農民の子とか豪農の子とか色々言われてるけど
今は豪農が一番可能性高いかな?
家計図なるものが存在してたなら、もしかすると平氏の誰かに繋がってるかもよ?
ある意味、劉備みたいな感じで
さすがにそんな繋がりだと認められんかもしれんが
郷士ってことだろ? 郷士なら本姓も伝わってるはずだ
邪馬台国=ヤマト国=大和国
239 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:01:55.27 ID:spKgvNdY0
盗掘されたとき、本当に何か盗まれたのか?
240 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:02:53.62 ID:EoABrwuq0
>>232 紀年を整理し各天皇の事柄を大陸の史書と比較して推測した研究の有力説では
崇神天皇の前後辺りが該当する。
応神天皇の頃は大陸は南北朝時代。
241 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:07:33.75 ID:2h/cLayjO
邪馬台の「台」を「ト」と読むヒントは 最初から内包されてたわけだ 台与と書いてトヨと読むわけだし
242 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:08:36.82 ID:0hEhQBqt0
ヒミコの後継者はグリグリだと思っています
244 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:11:31.88 ID:0hEhQBqt0
>>217 間違いである根拠を先に言えアホwwww
246 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:12:58.23 ID:rtwkRYB40
グーグルマップで奈良見ると、大小の古墳がいっぱいあって面白い
今の日本の学者は日本の資料をバカ神話だと思って外国の資料しか信じないからそもそも信用していない。 今の日本の学者はオナニー有識者だ。
>>48 火巫女だよ
阿蘇山の火の巫女
邪馬台国は熊本だな
249 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:15:49.83 ID:0hEhQBqt0
>>220 確定はしてないけど、御井でほぼ決まりだよ。他に可能性が無い。
250 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:17:29.45 ID:bFj5r7Tp0
>>103 > 墳丘をわずかに掘っただけで実質的な被害はなかった。
これって、表土を削っただけって意味かな?
なら、ほんとにただのお疲れさんだけど。
>>248 おしいな、日本は日の国であって火の国ではないんだよ。
252 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:18:08.75 ID:Z/rEKfdZ0
>>244 書いてあるだろ
魏志倭人伝が正しいなら、邪馬台国論争はとうの昔に終結してると
かりに九州説なるものを例にとって見よう
未だに放射説だとか、連続説だとか言って、途中の比定地すら定まってないだろ
もっとも、各々は「ボクの邪馬台国」で比定地は決まってるのかもしれんが
正しくないから辿りつかない
目茶苦茶シンプルじゃん
254 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:19:26.01 ID:0hEhQBqt0
>>247 残念ながら、記紀は捏造入ってる。
それに記紀を作る前に焚書もやってるしね。
信用性が落ちても仕方ない面がある。
>>233 織田信長が平氏を名乗ってたんで、信長の後継者の意味合いで平氏を名乗っただけ
256 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:21:42.30 ID:ZqbsuRL00
257 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:22:02.68 ID:0hEhQBqt0
卑弥呼って神功皇后なの?
>>251 それは年月を重ねるうちに意味が変わっただけ
火を管理する巫女は絶対の存在
それが国が大きくなるにつれて天の火、すなわち太陽の意味も併せ持つようになって日の国と自称するようになったと思う
中国神話も日本神話も、陰陽が大事なんだよ。陰陽で意味を説明している。最低限、初心者のニワカなら知っているはずだ。 国常立尊は男性だから陽神、イザナギも男性だから陽神、イザナミは女性だから陰神、アマテラスは女性だが男性のような働きをしたから日神。 というふうにな。 陰=太陰、月、地、後、下、女、西、左。 陽=太陽、日、天、前、上、男、東、右。 というふうにな。
邪馬台国論争って都合悪くなると最後は魏志倭人伝なんて信用できないとかいいだすんだよなあ そういうやつはもうレスしないでほしい
262 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:25:49.11 ID:0hEhQBqt0
263 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:27:36.61 ID:RC6Niit90
>>109 ミコのミを御=尊いとしても良いけど、男性限定だ、は無いだろうな。
現在も生き残って霊呼びの巫女(ミコ)、当時の性別はどうだか知らんが男性ではヒコ(日子)は常識だし。
>>119 ヒミコを官名とするとトヨは国家の代表ではあるが、
詔(ミ・コト・ノリ=御言宣)が無かったできなかったかもね。
官名かどうかは、卑弥弓呼をヒメミコ(彦御子)と読むかだね。
読み方はそれぞれ説得力があって面白い。
実は卑弥弓呼をヒメホコじゃないかと・・・ w
264 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:28:25.44 ID:Z/rEKfdZ0
265 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:28:58.75 ID:EoABrwuq0
>>254 そこで止まっているのは時代遅れというか、学術として退化している。
終戦直後にイデオロギーによって記紀を全面否定したバカ左翼連中と同じ。
今は史料批判により内容の再構成をしている最中だよ。
266 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:30:20.15 ID:0hEhQBqt0
近畿説は小保方擁護と同列。 ギャーギャー言ってるだけで中身が無い。 議論する余地が残っているかのような工作をしているだけで、実際はすでに ケリは着いている。 近畿説は単に「纒向は凄いんだぞー」と言っているだけで、そもそも邪馬台国論争に なって無いwww
267 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:30:24.02 ID:QUOedisA0
>>261 信用できないというか、古代中国人が日本のことをよく知らなかったと思われ。
九州の一豪族を日本全体の支配者と勘違いしていたと考えればすべてのつじつま
が合う。
日本神話は、仏教ともひじょうに関わってくる。 天竺が陰陽の月(太陰)なら、日本は陰陽の日(太陽)。 火の国じゃない、日本国は陰陽の日の国だから、世界の日本国なのである。
269 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:31:57.76 ID:Z/rEKfdZ0
>>265 記紀にしろ、魏志倭人伝にしろ
確認がとれた箇所については分りました
確認が取れてない物については分りません
で、いいんだよな
全て正しい資料なんて、時代及び時代背景を考えればありえないんだから
270 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:32:01.48 ID:QVf0yiJE0
魏志倭人伝は正しいよ、朝鮮対馬壱岐まではかなり正確、読み方が間違ってる。
271 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:32:06.33 ID:EoABrwuq0
>>261 魏志倭人伝の記事は時代違いのレポートの継ぎ接ぎの内容であることすら認めないような
石頭は議論に参加しても無駄だけどね。
272 :
ぴーす ◆u0zbHIV8zs @転載禁止 :2014/04/09(水) 19:32:41.01 ID:pAxK/+AdO
明史日本伝はなぜああなってしまうのか
273 :
(´-`).。o山中狂人 ◆Ojin.714P. @転載禁止 :2014/04/09(水) 19:33:19.83 ID:v1Xr0jkX0
>>1 トヨの墓は、トヨの国にある。
トヨの国は、豊の国。豊前・豊後のあたり。
<これ、邪馬台国論争の基礎知識な
∧_∧___
∬ (・∀・ ) / |
■⊂ へ ∩./...|
i'''(_) i'''i ̄,,,,,,/
 ̄ (_)|| ̄ ̄
274 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:34:11.15 ID:JxMEaBhh0
天理市って天理教の総本山のある特殊な地域
275 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:34:15.37 ID:0hEhQBqt0
>>270 かなり正確だよね。
さすが陳寿と言うべき。
276 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:36:20.26 ID:EoABrwuq0
>>272 総合的でかつリアルタイムな情報収集と分析はしていないということだろうね。
古代から史書の外国の記述はこういう感じだよ。
邪馬台国は太平洋上のムー大陸にあった しかし沈んでしまった
278 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:37:41.01 ID:Z/rEKfdZ0
>>270 壱岐まで正しく、その先の読みがおかしいとか変とは思わないの?
単純にその先は間違ってるって考えるのが自然だろ
何故、その先が正しいと思えるの?
実際に辿りついてないという現実があるのに
279 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:37:50.53 ID:fh5A6+1si
エジプト文明的な…
280 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:38:18.69 ID:ti/HqlnO0
顔に刺青した蛮族がいる地域 どう考えても中央から遠く離れた僻地です。 よって邪馬台国は当時の大都会大和(奈良)では決してありません。
281 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:38:43.96 ID:EoABrwuq0
>>270 >>275 その辺りの部分は漢から後漢にかけての時代に書かれた記事が元ネタらしいんだけどね。
282 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:38:57.13 ID:0hEhQBqt0
>>272 書く人間によるんだろ。
上でも書いたけど、梁書の倭人条なんてまるでコピペだし。
魏書を書いた陳寿は、優れた歴史家として定評のある人物で一二を争うような人。
魏志倭人伝はかなり信用して良いと思われ。時代は関係無い。
>>282 陳寿が定評があるかどうかはこの際おいとくとして
いくら陳寿でも与えられた情報が間違ってたらどうしようもないだろ
284 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:42:39.47 ID:fQfr0zBZO
卑弥呼からトヨに権力移譲するまで 男の人が仕切ったことあったけど 国が乱れてしまいトヨになったと 本で読んだことあるけど その男の人って 卑弥呼の弟だったんかなぁ?
285 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:43:28.44 ID:0hEhQBqt0
>>283 だから、間違えていることをまず示せよハゲ。
どこがどう間違っていて、根拠はなんだ。
286 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:45:36.75 ID:0hEhQBqt0
>>283 陳寿が非常に優れた歴史家であることは定評があることで、お前の好みは関係無い。
江戸時代の皇統譜(本朝皇胤紹運録)には、国常立尊から伊弉諾神までの系譜が2通り存在する。 一方が世間で言われている系譜、もう一方が父子の系譜だ。 応神天皇から継体天皇の系譜によく似ている。 おそらく、世間で言われている系譜は皇位継承の系譜だろう。もう一方の父子の系譜は天皇の男系の系譜だ。 中国では、コレをごちゃ混ぜにした日本の天皇家の系譜が残っている。そりゃそうだ、中国には皇位継承の系譜の概念が無い。皇位継承の系譜と男系の系譜は別物。 中国の資料など、日本の資料より信用できるものではない!(キリッ
288 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:46:46.91 ID:Z/rEKfdZ0
>>285 何回も書いてるだろ
日本語読めないのか?
魏志倭人伝が正しい資料なら、とうの昔に邪馬台国が何処にあるかとか判明してんだろ
それに対し、九州説は未だに放射説だ、連続説だってやってて未だに比定地すら決まらないじゃん
間違いない資料ならそんな事ありえないんだよ
青青の時代って漫画面白かったな
290 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:47:35.21 ID:EoABrwuq0
>>276 に付け加えると、同時代のまとまった報告を元にしているとはっきりわかるのは
漢の武帝の時の張騫の西域レポートとか数はあまりないかな。
史書の外国記事は過去の史書などから引用してきたりとかが結構ある。
魏志倭人伝も九州北部に上陸する以前以後で書かれた時代が違うそうだ。
風俗の部分も継ぎ接ぎみたいだし。
291 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:48:03.79 ID:0hEhQBqt0
292 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:49:21.23 ID:Z/rEKfdZ0
>>286 陳寿が超能力者でもない限り与えられた情報が間違ってたら正しい資料は書けないだろ
293 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:49:49.36 ID:6cG0M5u2O
6世紀の中国の書物には大和=邪馬台と記されてる 巻向遺跡と連続性の高い初期大和朝廷の遺跡が畿内にみられるし、巻向は魏との関わりを持っている やはり巻向は大和朝廷となる初期中央政権の地じゃないかな
ここは天皇陵じゃないし堀もないから入り放題なんだよな。
295 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:51:17.66 ID:0hEhQBqt0
296 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:52:05.98 ID:Z/rEKfdZ0
>>291 ボクの邪馬台国はいいから、せめて九州説論者の中で福岡の御井でいいか決めてきてよ
あくまで、キミの考えた「ボクの邪馬台国」だろ
そういうはもうおなか一杯www
297 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:52:06.96 ID:nUBFE15zO
名前イヨで覚えてたわ ロトの紋章に出てきたから
298 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:52:42.39 ID:EoABrwuq0
>>295 「陸行」には河川の渡し船は含まれるのか否か。
これはわかっているの?
>>283 邪馬台国から遠く離れた国については国名はわかるけれども戸数や道里が分からないとはっきり書いてるしそれはないだろう
300 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:53:48.99 ID:0hEhQBqt0
301 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:55:03.30 ID:VP6syGvIO
卑弥呼の後継者 麻生早苗あたり?
>>11 ,
>>36 ,
>>39 ,
>>41 あんなマンガもう描けないだろうなぁ
壱与の代で渡来人が邪馬台国に侵出してきて国の中枢的な地位に就いていく描写は
現代の日本を彷彿とさせるし
雷火たちが初めて鉄を目の当たりにした話は今でも面白い
303 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:55:19.09 ID:EoABrwuq0
>>299 それ陳寿がそういうレポート元にしているってだけで、陳寿自身が調査した結論
じゃないでしょ。
304 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:55:44.34 ID:6cG0M5u2O
倭人伝の載っている三国志の写本はあからさまな誤記も散見される 東を南と書いたり 倭人伝にも東と南の誤写があるのではとの説もある
305 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:56:08.16 ID:frI8qZTz0
畿内説の根拠って、こんな大きな遺跡は邪馬台国以外考えられない、 ってだけだから単なる手前味噌なんだよね 昔ユダヤの大学者F教授が、ソロモンの実在は証明できないって言ってたとき、 新進学者が新しい遺跡を発掘して、ついにソロモン実在が証明された、 なぜならこの時代にこの規模の遺跡はソロモン以外にあえりえないからだ!と吼えて、 Fに「聖書の正しさを証明したいのに、聖書が正しいってことを無根拠に前提にしてどうする?」 って冷静につっこまれてたの思い出した
306 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:56:09.46 ID:AgWKuNKT0
卑弥呼ってたまたま中国の史書に載っただけの人なのに 古代の超絶カリスマ指導者ってイメージになってるよなあ かなり多くの人の頭の中で、娘は偉大な母親の跡を継いで苦悩したみたいなドラマが描かれていると思う
308 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:57:40.53 ID:EoABrwuq0
>>299 それは正しい情報が与えられたかどうかは関係あるまい
せいぜい、陳寿的に確度は高いかなと思ったけだろ
確度が高いと思っても、その情報は間違いでしたってのそんなに珍しい事でもないだろ
時代理解してる?
>>299 当時は中国にもまともな世界地図はないし
東夷の日本地図なんか適当よ
それで見聞きした以上の情報を
書き残すコトの方が難しい(´・ω・`)
311 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 19:59:15.96 ID:0hEhQBqt0
>>298 川があると、旅行はムリなんだよ。この時代はね。橋が無いし、
イチイチ荷物を積み替えるのは非現実だし、陸は山賊にいつ襲われるかわから
無いから危険だしね。
この時代は、例えば近畿へ行くのは瀬戸内海を水行するのが常識だった。これは本居宣長が九州説をとった主要な理由でもある。
また、神武だってそうしたことになっている。陸行なんてして無い。
312 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:00:17.56 ID:ti/HqlnO0
>そもそも陸行一月は物理的に不可能。当時は橋がろくに無いから、 一月間陸行できる土地がそもそも日本に無い。 これだと神武天皇の東征も無理てことになる。 日本の神話も含む古代史は根底からひっくり返るな。
313 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:01:35.85 ID:EoABrwuq0
>>311 >神武だってそうしたことになっている
ヤタカラスがお怒りですよ?w
314 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:01:56.64 ID:0hEhQBqt0
>>303 データが信用出来るかどうかの調査は当然やっていると思われ。
315 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:02:40.74 ID:6cG0M5u2O
陳寿が参問したとされる倭人がどの程度正確に答えられたか 写本はどの程度正確性を持っているか 倭人伝論争はこれらを考慮できない…
ほうけいかよ
>>309 魏は邪馬台国に使者も送ってるだろ
いい加減な情報ならたどり着くことすらできないはず
318 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:03:45.85 ID:EoABrwuq0
>>314 その痕跡はあるの?
思っているってのはお前の頭の中だけのものってことだぞ。
>>311 水行なら太平洋側って手もあるし
徐福が不老不死を求めて日本中に痕跡を残してるし
上陸したと伝わるのは三重県熊野市(´・ω・`)
天照大神が、筑紫の日向に天孫降臨して下向したニニギに対して、「この豊葦原中ツ国は我が子孫の治める地なり」と天壌無窮の神勅を出したのに、なんで九州が高天原だなんて言ってる奴がいるの?日本国の正史である日本書紀を知らないの?wwwwwwwwww
321 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:05:46.98 ID:aSUxtwv/0
壱与はまだ16だから〜♪
322 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:05:52.25 ID:0hEhQBqt0
>>312 そうだよ。
神武東征は記紀の捏造だよ。
つか、これはもう学会の常識だがね。
神武東征が史実だとしている学者はほとんどいないんじゃね?
>>318 陳寿が魏書を書いたときの逸話は残ってるよ。彼は非常に厳しい資料批判をやっていたらしいが。
つか、だから歴史家として定評があるわけだが。
323 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:06:53.50 ID:EoABrwuq0
>>317 現地人の案内無しに事前に得た情報を元に郡の人間だけでたどり着いたと主張するんですね。
>>304 誤写ではなく
日本が北から南に延びてる島だという認識があったから
東に向かう=南に向かうになる
同時に当時の世界観で朝鮮半島と朝鮮海峡がやたらでかいというのもある
325 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:08:09.89 ID:0hEhQBqt0
>>319 それこそお前の妄想w
九州から近畿へ行くのに、水行は全く当時の常識であり、陸行など考えられないと
本居宣長が明確に言っている。
326 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:08:35.91 ID:ti/HqlnO0
橋の無い川があっても江戸の人は御伊勢参りしてたよな。
神武東征は、豊葦原中ツ国の領有権を争った出来事だろ。 一地方に下向したニニギと、豊葦原中ツ国の首都に下向したニギハヤヒの。 神武陛下は東征して豊葦原の首都を奪還したかったんだよ。 そういうお話し。
>>323 意味が分からんな そんなの何の反論になる?
329 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:10:06.97 ID:6cG0M5u2O
>>324 存じておるが、個人的な論を展開しそうなんで割愛した
330 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:11:10.55 ID:0hEhQBqt0
>>326 まあ浅い川なら渡れるわな。
だから何?
331 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:12:27.77 ID:ti/HqlnO0
>>330 >浅い川なら渡れるわな
認めちゃったw
332 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:13:33.23 ID:EoABrwuq0
>>322 その資料批判?(史料批判と資料検討が混同したのか?)は実地調査をしたと
書いてあるのか?
>>328 意味が分からないんなら、その程度の頭だということだよ。
>>327 と言うことで、邪馬台国=豊葦原中ツ国の首都である大和国。九州=日本の一地方。
334 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:15:07.47 ID:0hEhQBqt0
>>170 (卑しい)巫女で
ヒミコってどこかで聞いた
336 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:16:28.63 ID:EoABrwuq0
卑弥呼と天皇家が繋がっているのか繋がっていないのかすらわからないというおかしさ。考古学会は何を研究してきたの?
>>188 ヒミコの墓に相当するような巨大墳墓が存在するのは、畿内しかないでしょう
339 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:17:47.10 ID:6cG0M5u2O
余裕の畿内説 怒れる九州説といったとこだろうが邪馬台国の特定は文字資料がこれ以上出ないうえには特定は不可能だろう 無駄な時間にやきもきするのも個人に寄るか
340 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:18:49.65 ID:0hEhQBqt0
記紀には、卑弥呼って神功皇后陛下なんじゃね?っては記述してある。
>>335 まぁ、外国の女王?に対して良いイメージを抱いてないのは
魏志倭人伝から読み取れるな
未だに占いに頼ってるよって感じだし
>>337 わかんないもんはしょうがないだろ
日本に文字が公伝したのが5世紀、現存最古の史書が8世紀
それで3世紀の話をもってこいとなるとな
>>342 当時の日本は中国の区分では蛮夷の内の東夷
345 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:20:39.16 ID:EoABrwuq0
>>340 それらはお前が「思った」ものだらけなんだが。
346 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:21:19.70 ID:0hEhQBqt0
347 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:22:21.35 ID:NEMOpusHO
伝説にすぎない一休禅師の墓や羽黒山の開山の蜂子皇子の墓まで宮内庁管轄 わけわからんわ宮内庁の指定
>>341 古事記、日本書紀って700年頃に書かれたものだから
250年前後の当時文字の無かった日本の話しをするのは辛いものはあったと思うよ
かな?って感じなんじゃね?
>>343 そもそも天皇は男系じゃないとまずいわけでね
卑弥呼→男の王→台与→???→倭の五王だから繋がってると天皇家的にはまずい
350 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:23:47.16 ID:0hEhQBqt0
>>332 そこまで言うなら魏の使者が現地人に案内されて邪馬台国まで来たという記述を前提にしなければならない
それもなしにそんなこと言われてもそれが反論になるわけないだろう
だから意味が分からんと言ってる
意味が分からない意味が分からないんなら、その程度の頭だということだよ。
>>349 巫女の指示で政治をしたので巫女を女王と思ったのではって言い逃れも出来るけどな
たぶん当時列島最大規模に葦原が広がってたのは河内湖
>>322 神武東征は史実だよ。
奈良時代当時では分からない地質学的な事実が書いてあるし、敗北の記述もあるしね。
>>352 魏の使者は来てるよ。記述を見れば明らか。
355 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:27:14.80 ID:EoABrwuq0
>>349 魏志にある「倭王」については正直内実がいまいちわからんのよ。
宗教権威を連合のシンボルにしたもののみならば、世俗君主の系統は別に存在していても
かまわないしね。
実際に邪馬台国には卑弥呼とは別に「官」が存在している。
>>347 鬼王丸って蜂子皇子と何か関係あるのかな?
>>352 それは無理があるな
張政は邪馬台国に軍事アドバイザーとして長ければ10年近く滞在したと言われてるわけで
その間ずっと騙され続けたことになるが
>>349 記紀の時点で推古はじめいくつも女帝がいる上
さかのぼっても飯豊や神功がいる
つまり皇統の中に位置づけようと思えばいくらでもできるが
それでもできなかったんだから全然わかりませんってこと
>>349 べつにまずくないよー、皇位継承者が皇祖の男系の子孫ならばいいんだよー。
>>355 言いたいことはわかるけどさ
それって天皇が万世一系っていう前提で話組み立てすぎじゃね?
徳川が平氏になったり豊臣が貴族になったりする社会なのに
古代社会で男系によって血がつながってるって考えるのも無理があるよ
361 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:30:54.99 ID:0hEhQBqt0
>>354 いや捏造だよ。
考古学的に否定されてる。
理由はいろいろあるが、一番痛いのは纒向などの重要な遺跡に征服者で
あるはずの九州勢の痕跡が殆どない。
吉備や東海のものは出土するのに。
まともな学者で東征を史実とするものはまずい無い。
>>357 天皇と卑弥呼が同時に存在してても問題ないけどね
現在も首相と天皇は別だし(´・ω・`)
363 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:31:56.64 ID:G8kCjGTr0
>>7 むしろ奈良盆地でちょっと森がこんもりしてるところはだいたい古墳
今日安彦良和のナムジと神武を読んだけど面白かった
>>349 男系女子から男系男子の流れは別におかしくない
史上何度かある
元明天皇や元正天皇がいるし
365 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:32:09.62 ID:EoABrwuq0
>>351 >いい加減な情報ならたどり着くことすらできないはず
どうやって辿りついたのかをまず説明してくれないか?
>>350 「実地調査をしたと書いてあるのか?」に対する答えとしては、お前は評価が高いから
そうに違いないという程度しか示していない。
因みに、陳寿は当時の歴史家としては同時代でも評価は高いが、一方同時代人からは
感情で記述するとも評価されている。
>>358 日本書紀の注釈で神功皇后=卑弥呼のような記述をしたのは
書き手が「この歴史書嘘ですよ」って後世に伝えたかったからだろうなと思うw
藤原家に心中反感を持ってる貴族も多かっただろうし
367 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:33:02.62 ID:UOKrCuUm0
>>354 >神武東征は史実だよ。
日に向かって攻め込むのは不味いので、戦場では回り込んで日を背にする戦法にしようとの伝説
普通に読めば西に向かっている
>>322 >陳寿が魏書を書いたときの逸話は残ってるよ。彼は非常に厳しい資料批判をやっていたらしいが。
そうすると、混一疆理歴代国都之図の事を考えればそれ以前の時代には日本は東西ではなく南北に長いと考えられていたと思われる。
資料批判の末に、東に長いわけがないと考えていたのなら、東を南に書き換えるのが当然にならないか?
369 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:33:50.98 ID:RM7EJwUo0
古事記とか日本書紀みたいな、「文書」じゃなくても良いんで 木簡とか石碑とか、何らかの史料があればな・・・ 卑弥呼時代の日本も一応、中国と交易あったみたいだし 漢字を理解できる人間もいたはずだから、文字史料が残っててもおかしくは無い 古墳を全て発掘して、1個でも2個でも良いんで、卑弥呼の時代の史料が欲しい
>>367 いや北に向かったんだよw
西に向かってたなら最初からそう書いてる。
>>364 卑弥呼は共立
↓
卑弥呼死後は豪族が邪馬台国の王を巡って内戦
↓
卑弥呼の姪の台与共立
↓
不明
↓
倭の五王
男系女子であったかどうかも疑わしい
>>56 当て字にしても、同じ発音をする漢字はあるのに、
ことさらマイナスイメージの漢字を当てていることを問題にしているんだろう
匈奴とか、鮮卑とか、漢字を見るとあれだが、もともと独自の意味があったってことだろ
>>366 俺は備忘録みたいなもんだと思う
有名な継体紀の記述にわからないから後の人が考えてくれみたいに
「この時代にはどうやら卑弥呼というのがいたそうです
でもわからないのでとりあえず載せておきますね」
ただそう考えると倭の五王の記述をスルーしてるのが今度は謎になるがw
>>360 徳川家康はむしろ男系を重視して新田源氏を称したんだろ。
賀茂姓の松平氏に婿入りした源親氏を初代としたんだろ。
375 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:36:21.73 ID:EoABrwuq0
>>357 卑弥呼はある時期から取次ぎをする弟以外は誰も会った事はないと記述されている。
張政は会えたのだろうか?
>>360 >徳川が平氏になったり豊臣が貴族になったりする社会なのに
これは中世の現象で古代は違うよ。
新撰姓氏録編纂の際には国内の氏族だと偽証していた帰化人家系を元の姓氏に戻させている。
376 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:37:18.48 ID:RM7EJwUo0
>>371 「台与」と「倭の五王」の間が不明なんだよな
日本側の史料も、中国側の史料も一切ない
でも、まだ発見されていないだけで、日本か中国のどっかに
1個か2個くらい、その時代の史料があるような気もするんだよね
>>369 >卑弥呼時代の日本も一応、中国と交易あったみたいだし
一応記録的には中国の史書にAD57に奴国王が朝貢してる記録がある
378 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:37:48.19 ID:0hEhQBqt0
>>368 混一疆理歴代国都之図は根拠になら無い。
あれは単に余白がなかったからああいう書き方になっただけだと
いうことが既に判明している。
同時代のもので、東西にながく書いてある地図も見つかったしね。
ちと情報が古い。
というか「古代の人ももっと古い事は分からない」んだと思う 実際弥生時代の戦乱の跡とか見つかっても「神々の戦いの跡」とか記録してるし 都造成の際に古墳見つけて誰のか分からんから埋め戻すとかしてるし 正直、記紀を書いた時代は200年ごろの事とか正確に分からないんだと思う
>>371 鎌倉時代から江戸時代まで実際に統治してる人間は違うだろ
終戦後以降も完全に違うし
原型はすでにこの時代からあったのかもしれんよ?
陰=西、地 陽=東、天 日本書紀冒頭の天地開闢をご存じだろうか? まさしくその通り、東に天があるのである。高天原は東日本!
382 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:40:08.87 ID:frI8qZTz0
ま、学者の定説たって特定の方法と引用の連続で成り立ってる、 あやふやなものだって謙虚さは必要だよ とくに古史業界はね
383 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:41:18.61 ID:0hEhQBqt0
>>365 現地調査をしたもののデータが信用できるかどうかを吟味しただけでは
足りない、陳寿自身が現地調査をしなければ資料としてダメと言う根拠を示しなwww
>>379 正確に、どころか「まったく」わからないんだよ
無文字社会の悲しさだな
385 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:41:30.30 ID:EoABrwuq0
>>361 そりゃ、神武が瀬戸内を渡るのをサポートしていたのは宗像海人系や吉備系なんだから。
元々は入植した家系だしね。
386 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:41:41.78 ID:jVq3+DrnO
>>372 中国は自国以外の非文明国の名前をわざと卑しい字を使って蔑む。
ただそれだけ。
悪しきを払うて助けたまえ
盗掘跡には「K.Y.」って謎の文字が刻んでたらしい。 酷いことするよね(´・ω・`)
>>373 ヒント 倭の五王は朝貢してる。中華帝国の冊封体制の中で役職を求めてる。
聖徳太子以降中華帝国の冊封体制を明確に離脱した立場を考えれば認められるわけがない
>>375 要するに弟が実質的な執政だったんだろうね
>>376 まぁ知りたくもあるがあまり意味もないかもしれない
ただ言えることは3世紀末から5世紀初めまでの100年ちょいで日本は統一国家の体制を確立して
朝鮮半島の南半分まで支配してたという事実だけ
今の教科書には加羅・任那の記述がないらしいがとんでもない話だなw
邪馬台国は九州説で結論が戦前に出ているのに
というか「文字が無い」わけがない カタカナやひらがなはまだ先の話だけど感じの記録はされてるはず 稲荷山の鉄剣には文字が刻まれてるわけだしね 単に「残らなかった」だけだと思う 九州から関東にまで勢力圏をもっていた王朝が記録なしで成り立つとは思えないしね なにより中国と交流してるんだし 記紀が残ってるのも写本が作られ続けたからだしね 木簡や竹簡はすぐに腐る
392 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:46:02.27 ID:0hEhQBqt0
>>385 何言ってるか分からんぞ。
纒向には吉備や東海だけで無く広範囲にいろいろな土地の土器などが運びこまれて
いる。もちろん九州も少しだがある。
征服者なら、九州のものが多量に出てこなくては理屈にあわ無い。
>>390 もっと昔の日本書紀では、神功皇后が卑弥呼だろうと結論してたから。
戦前の認識より有力であるもっと昔の日本書紀では大和国が邪馬台国だと結論しちゃっている・・・
>>380 邪馬台国時代 卑弥呼の聖職者ラインと実際の統治している豪族ラインが並立
卑弥呼が死んで聖職者ラインが消滅して豪族ラインのみになり内戦
台与の聖職者ラインが復活して実際の統治している豪族ラインと再び並立
〜100年以上の空白〜
倭の五王時代時代 完全に王権一本化
わかりづらいがあなたの仮定だと卑弥呼のラインが天皇家になったと仮定するわけだよね?
祈祷とかいかにも天皇家につながる仕事してるし
でも倭の五王の時代は王権に一本化されてる
そういう意味で並立してた卑弥呼ラインは淘汰されたのではないかね?
>>391 そもそも記紀が作られた頃には存在したと言われる帝紀が焚書されてるのがね
それをサポートする役目の風土記も散逸してしまって殆ど残ってない
もし風土記が完全な形で残ってれば出雲の国つくり神話とか全て嘘だとわかるんだろうけどね
古代史の流れ 弥生時代には吉備、出雲、九州、近畿などを中心に、 様々な墳墓、銅鐸や銅矛などが作られた それが近畿から発展的に成立した前方後円墳一色に染まり、 各地の墳墓や銅鐸、銅矛が消え去り古墳時代が到来する これらの前方後円墳の分布の流れは四道将軍の遠征の動きとも重なる この流れから考えると近畿に勃興した前方後円墳勢力が、 日本の大半を征し弥生時代を終わらせた と読み取れる 史書の流れともだいたい一致する 古代史は何もかもが謎だと思ってる人が多いけど意外とそうでもない
397 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:52:23.27 ID:frI8qZTz0
>>390 九州を矮小化したい勢力が中央にあるんだろ
史劇とかでも、元寇での九州武士団の活躍なんて鎌倉の前座扱いだし、
宣教師の日本史では大部を占める九州戦国史もわずかな扱いで、
欧米世界を震撼させたアジア主義者たちの活動に至ってはまるまる無視
邪馬台国畿内説のゴリ押しも九州ディスカウント運動の一環と思われる
398 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:53:07.04 ID:EoABrwuq0
>>392 天孫降臨神話にあるように、本家からお前が治めろと派遣された者の家系だろ?
九州が本籍ではないわけだ。
で、三代たってからこんな田舎にいてはうだつが上がらないと話に聞いている東の地に移住を決意。
そして、神武東遷でサポートしている九州の氏族は宗像氏などの海人系。
途中吉備の児島で勢力を養っている。
その後の大和時代は海人系の尾張氏とも婚姻関係を作っている。
記紀にはこう書いてあるんだけどね。
神武はお前が思うような九州の勢力ではないんだよw
>>391 稲荷山鉄剣で5世紀だぞ
そっから200年以上前だから事実上の無文字といっていいと思うが
400 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:54:09.87 ID:qFFK6QMC0
卑弥呼の無修正のマスター版ってまだあるんだろ? DVDBOXにして売ってくれ
401 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:55:25.95 ID:EoABrwuq0
>>395 大和盆地にも出雲系氏族がいたから、出雲国の現地の神話と違うものが記紀に
出雲名義で入ってもおかしくはないんじゃ?
>>399 まぁ史書でも漢字の伝来は雄略天皇の時代だしな
ただ中国と交流してるくらいだから文字も記録もないとかありえないと思う
>>400 おそらく卑弥呼って男っぽい女性だったと思うよ?
男っぽい女性のマソコみたいの?
天理って維新系の市長だよな 市長選に出る前に離党したがw 大阪から出てれば勝てるような履歴もってたからすぐに復活できてよかったわw
>>396 邪馬台国に出てくる狗奴国の場所は不明だけど
この戦が10年近く続いてた形跡(張政の滞在)があるからこれが天王山の戦いだったんだろうね
で勝利したヤマトに吉備や出雲が服従したという流れだと思う
406 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:58:56.89 ID:RC6Niit90
>>307 そりゃもう呉と司馬懿の内憂外患の魏の皇室の権威を高めたから厚遇してる。
そしてその史書に簡潔に書かれている部分をみてもカリスマ。
宗女をどう捉えるかだな。一応女王時代は独身。在位何年だろ何歳で死んだか?
トヨ13歳。生年は卑弥呼が始めて魏に使者を送った239年の4年前の235年。
多くの日本人には親戚の娘で政略の道具にされて悩んでいたというドラマはあるだろうな。
そこからも国史で探りだそうとして比定する女性は結構居て楽しいんですよ w
407 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:59:31.85 ID:frI8qZTz0
>>402 インカ帝国もアステカ帝国と至近距離にあった、南米縦断する巨大国家だったけど、
文字使わずに、紐の結び目だけで伝達してたじゃん
408 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 20:59:32.98 ID:vHcadmRE0
トヨの墓は宇佐八幡宮の下だろ
>>396 銅鐸は当時では普通のコトだったんだろうけど
現在では謎だな(´・ω・`)
>>389 朝貢というより逆で漢の商業ネットワークの末端の現地管理してたのが倭の五王だったわけだろ
ローマ帝国のブリタニア総督みたいなものでしょ
漢が滅亡したときに別の道を歩めるだけの経済力があったからその後日本が誕生したわけで
>>401 それは捏造だろw
もちろん出雲が記紀で特別扱いされた理由は
ヤマトにかなりの貢献があったという見返りだろう
412 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:00:42.68 ID:dX4cJgh8O
史書の流れから行くと 九州勢が近畿に閥を作ったとしか見えないけど これを言うと、途端に神武東征はウソだ紀記も怪しいとか言い出すんだよなぁ
卑弥呼もいいと思うが、俺は台与の体がみたいな。 トヨってなんか俺の中では美少女ってイメージがあるんだよ。
414 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:01:22.23 ID:RNeYeerO0
宮内庁なんかに調査させるなよ。 文部科学省が外国人研究者と日本人研究者と合同で調査させろよ。 日本書紀のようにイカサマ歴史書を作って歴史をねつ造するだけだ。
>>412 2ちゃんにやたらと九州おすやつが根強いのは
記紀マンセーが多いからか
>>409 銅鐸も「破棄」されて見つかってるんだよね
前方後円墳を持つ勢力が古い祭祀を止めさせたんだろうなと
出雲に大量の銅鐸が埋められて見つかってるけどこれも国譲りの話とかを想起させる
417 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:02:16.76 ID:EoABrwuq0
>>411 お前はもしかして以前大阪の某所ではそう伝わっているとか言ってた奴か?
やたらと大和や山城の出雲系を偽者と言っていた。
>>413 矢吹のジャンプ初連載「邪馬台幻想記」全2巻を嫁w
>>410 すげー想像力だなw
そもそも倭の五王の時代は五胡十六国時代の話で漢とか関係ないw
そんな適当な知識で書き込むなよw
420 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:02:32.94 ID:sIO1XY3fO
天理教祖は卑弥呼の転生者
>>415 九州説を押してるのは、自己顕示欲が強過ぎるジィさんだけ
記紀マンセーしてたら、九州はニニギが下向してから目立ってきた辺境の地だってことぐらいわかるだろうに
>>402 岡田英弘先生の日本起源説だと日本は中国の商業コロニーの一つから
段階的に発展し国として独立したという分析をされてるんでその説通りなら
普通に文字はあったろうね
424 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:03:54.51 ID:c/e/ZsmQ0
だいたい、邪馬台国と大和朝廷は 連続性があるかどうかわからんだろ
425 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:04:10.51 ID:ti/HqlnO0
>>415 魏志倭人伝を素直に解釈したら九州になるんだから
2ちゃんねらーとかは関係ない。
426 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:04:32.00 ID:dX4cJgh8O
ほらな、最初に記紀の通りだと言ってるほうには言わない
427 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:04:52.18 ID:EoABrwuq0
428 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:05:00.11 ID:frI8qZTz0
>>412 世界史でも結構怪しい史料の差込や改竄の跡ってあるけど、日本史だけが
少し怪しいところがあると、即ハイ捏造コレ捏造そもそも存在しなかった
の大合唱が始まるんだよなあ
>>419 漢の商業ネットワークというのはアレだけど
彼の説は岡田英弘という学者が同様のことを言ってるから
結構いいセン行ってんだよ
>>424 隋書では大和朝廷とは邪馬台国のことである、と書いてある
430 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:06:09.53 ID:v5jjsWZp0
日本史の参考書の囲みに「壱与はまだ16だから〜♪」とあったのを思い出した。 古い。
431 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:06:14.94 ID:RNeYeerO0
>>415 いや違うな。
隋書に筑紫より東は倭に付属すると記載されていて、
西暦600年ころまで、倭国は九州が本拠地だった。
九州は皇室の故地のはずなのに史書を見るとずーーーーーっと敵対勢力の土地なんだよね それも肝心の日向がまともに制圧されるのは景行天皇の時代だし その辺の不一致が著しい 日向三代の時代に隼人を従えた話があるし、 むしろ「後から制した土地を自分達と結びつけるために古い時代に縁を作った」んじゃないかと思う 史書の流れの不自然さからそう思う
>>416 ヤマトが辞めさせたんじゃなくて出雲が受け入れただけじゃね?
>>417 誰だよそれw
出雲研究の本とか読んでも記紀の出雲話は地元の伝承に合致していないって話
出雲が存在してなかったとかじゃなく記紀の段階で過去の功績から特別扱いされたんじゃね?
って言ってるだけだが
そんなのはあって当たり前だろう
お前こそなんで必死に出雲神話なんかあったことにしたいんだ?w
邪馬台国=大和国でもう良いじゃん。台与の話ししよーぜ。
435 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:08:20.56 ID:qtOaorlaO
だって隋志倭人伝には、魏志倭人伝の邪馬台国は大和国のことだって明記されてるし。 なんで魏志だけ信じて隋志を信じないだね。
>>416 銅鐸は紀元前2世紀頃から約400年間以上存在してるのに
存在するのにどう使うかもよく分からない
ホント摩訶不思議なモノ(´・ω・`)
437 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:09:36.69 ID:dX4cJgh8O
>>428 ギリシャとローマの本家元祖みたいな話だろうけど
相手を捏造にしようとするのは何に怯えてるんだろうか
祟り神信仰がネジ曲がって入ってるんだろうな
438 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:09:42.22 ID:EoABrwuq0
>>429 少なくとも朝鮮半島中部までは漢人のネットワークの存在が大きいな。
高句麗はモロにその影響で出来た国だし。
ただ、日本列島周辺はそれ以前の縄文時代から続く海人のネットワークを考慮しないといけないけど。
>>349 それ以前に、約2700年も前から天皇の治世が始まってるはずなのに、1800年ちょっと前に女王が国を治めていたなんて認めるわけにゆかないだろう
もし許容できるとしたら、まだ大和朝廷の支配が及んでいない一地方の豪族が勝手に大陸と交易していたということにするしかないが、その場合でも日本の支配者(親魏倭王)と公認されたとあっては無視できない
そこで仕方なく、「神功皇后のことを勘違いしたのかもね」とコメントするしかなかったんだよ
まあ、記紀に書かれていることは正しい(史実)という前提の話だから、大和政権の成立を3世紀とするなら無関係かつ無意味なんだけど
440 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:10:26.09 ID:EQ/3f+75O
>>425 素直に解釈したらただの海になるんだが。
邪馬台国って水没したのか?
アトランティスと同列に扱うなよ。
441 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:10:49.70 ID:0hEhQBqt0
いい季節になったし 久々に山の辺の道あるくかなぁ
>>429 その節なら早くとも始皇帝の秦以降の中華帝国が外征の中でコロニーを作っていったという話になる
なら漢や魏の史書で東夷扱いして朝貢扱いする理由が希薄ではないかね?
帯方郡や楽浪郡が朝貢してきたなんて記述がどこかに存在するのか?
444 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:12:27.95 ID:RNeYeerO0
歴史書なんかいくらでもねつ造できるが遺伝子はねつ造できないからな。 東日本は縄文系遺伝子が多数派で、西日本は長江系が多い。 西日本でも山陰と京都は中国東北部系(出雲)で、九州北部と奈良県だけは朝鮮半島系。 つまり、倭国(長江系)を出雲が攻め滅ぼし、出雲を朝鮮から来た大和が滅ぼしただけだ。 そしてその年代は、倭国が滅んだのは西暦600年前半で、出雲が滅んだのは西暦600年前半-700年の間。
445 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:14:48.15 ID:0hEhQBqt0
446 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:15:04.38 ID:EoABrwuq0
>>433 >誰だよそれw
別人か、失礼した。
>出雲研究の本とか読んでも記紀の出雲話は地元の伝承に合致していないって話
しかし、そんなことは研究書読まなくても出雲風土記の原文読めばわかる話だな。
お前も山川出版版くらいは持っているんだろ?
>お前こそなんで必死に出雲神話なんかあったことにしたいんだ?w
どうしてこういう風にスライドしていくんだろ?
特別扱いされるのは別に記紀編纂時でなくてもいいわけでね。
なんでもかんでも記紀編纂時に全ての原因があると思っているんか?w
>>439 >もし許容できるとしたら、まだ大和朝廷の支配が及んでいない一地方の豪族が勝手に大陸と交易していたということにするしかない
まんま本居宣長の説だね
邪馬台国がヤマトコクと読まれていたのヤマタイに変えたのは彼という説がある
台与はタイヨじゃなくトヨなのが笑えるが
448 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:17:13.74 ID:0hEhQBqt0
449 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:17:18.61 ID:c/e/ZsmQ0
>>429 随と魏では時間が経ちすぎ
正確さがない
随書以外で大和朝廷と邪馬台国の連続性を示すものはないの?
450 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:17:37.39 ID:EoABrwuq0
ID:0hEhQBqt0は記紀をまともに読んだことが無いのが判明した。
451 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:17:52.67 ID:v5jjsWZp0
地元大牟田の郷土史家が、高天原は大牟田、邪馬台国は久留米とか、 我田引水なこじつけ史観を書籍で展開していたなあ。
>>444 朝鮮系の遺伝子っていつの時代を基準に規定してるわけ?w
今の朝鮮人はエベンキだから古代の三韓とは何の関係もないぞw
453 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:18:56.96 ID:UA9317kr0
縄文時代からあるのが三種の神器にもなってる「勾玉」です。 日本海を渡れる民族なんて古代においては南洋からやってきたラピタ人ぐらいしかいなかった。 朝鮮半島から日本への渡航は不可能だった。だからこそ古代において倭人がなぜか 一方的に朝鮮半島の襲撃を繰り返して征服支配する歴史があるわけで。
卑弥呼の実家=九州 卑弥呼の別荘=奈良 じゃね?
アマテラス━アメノオシホミミ━ニギハヤヒ(畿内勢) アマテラス━アメノオシホミミ━ニニギ━山幸彦━ウガヤフキアエズ━神武天皇(九州勢) ニギハヤヒ「俺が豊葦原中ツ国の主だ!」 神武天皇「俺の曾祖父(ニニギ)がアマテラスから天壌無窮の神勅を受けてるよ、はい、論破!」 ニギハヤヒ「なっなに!?従います」 神武天皇「エッヘン!テヘペロw」 てな感じだから、大和国が豊葦原中ツ国の首都でしょ、はい論破!
456 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:20:01.60 ID:ALpVsxil0
全然関係ないけど前方後円墳は墓ってより城だと思う。
457 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:20:19.52 ID:RNeYeerO0
>>452 朝鮮半島由来の遺伝子ってことだ。
遺伝子なんかたどっていけばどこから来たか分かるわけだ。
ちなみに日本語の起源も朝鮮半島ね。
日本人の大多数はもともと縄文語とか長江語とか中国東北部系の言語を話していた。
458 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:21:27.72 ID:ti/HqlnO0
>>440 水行、陸行の一日平均距離が分らない以上それを間違いと反論出来ない
ところが辛いわ。
>>429 書いて無い。ウソをつくな。
因みに新唐書
日本は、古の倭奴なり。
王姓は阿毎氏、自ら言うには、初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、皆が「尊」を号として、筑紫城に居住する。
九州だと言ってるぞ。
460 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:21:55.19 ID:EoABrwuq0
ID:RNeYeerO0は日本語の起源が朝鮮半島という説について、欧米の科学雑誌に論文が 載ったとか言い出しそうだな。
461 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:23:32.93 ID:UA9317kr0
>>457 弥生人は中国南部の「江南人」であったことがDNA鑑定で科学的に証明されています。
またD系統の遺伝子は日本人と長江上流のチベット人にしかありません。
さらに下戸遺伝子はベトナム発祥と言われていてベトナム人の2人に1人が下戸。
なぜかベトナムの次に下戸が多いのが日本。
ようするに長江流域の文明圏に弥生人・倭人のルーツがあるということ。
朝鮮半島に起源は何も無いよ。あそこは古代から東西南北の異民族に蹂躙された土地でしかない。
古代の倭人が襲撃したときに民族浄化していた痕跡が朝鮮人にわずかに残っていても不思議はないけどね。
なにせ数百年も野蛮な倭人が統治していたのだから。
当時は吉備(瀬戸内)に権力者がいたのは間違いがない でも、山陰の出雲は国譲りで 近畿はヤマト王権、九州は神武東征で天皇 吉備は歴史の表舞台早々と退場して出てこない(´・ω・`)
463 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:24:12.96 ID:N0OSNKK30
九州からは邪馬台国の年代の遺跡はまったくでてきていません
464 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:24:47.76 ID:QusNRkKGO
椿井大塚山古墳なんてJRの線路がおもいっきりぶち抜いてるw
465 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:25:27.10 ID:EoABrwuq0
>>459 「都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也」と隋書に書いてある。
しかしよくよく考えると倭人だの卑弥呼だの差別用語を平気で教科書に載せてる日本ってスゲーなw
>>459 おそらく、日本国王大内義興みたいな感じで、外交権を独占した勢力が、辺境の地にいたんだよ。
筑紫の磐井もそのたぐいだろ。
468 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:26:44.72 ID:4Jep22dF0
だいたい江戸時代前の話題のスレには必ず妄想歴史ファンタジーキチガイと 妄想朝鮮ファンタジーキチガイが湧くよね
>>447 「記紀に書かれているのはウソだ(事実でない)」とするか、「邪馬台国は大和政権とは関係ない」とするか、どちらを採るか悩んだ揚句の犯行だろうねw
もちろん現代では、邪馬台国=大和政権(大和朝廷)で、その成立は3世紀、だから卑弥呼とは日巫女で天照大神のモデル、という説を唱えても大丈夫なのだが
470 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:28:15.74 ID:0hEhQBqt0
>>463 西殿塚古墳3世紀後半〜4世紀初め
6世紀の継体天皇の皇后、手白香皇女の墓に指定している
2、300年掛けて作ったお墓か(´・ω・`)
>>468 ていうか、天皇の男系子孫のY染色体を調べたら、一様にDのハプログループだって結論出てるんだけどな。
まだ、O系統だなんて言ってる人がいるのことに、驚き。
473 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:28:43.37 ID:dX4cJgh8O
字面が良いのは伊都国と台与(壹与)だけ
>天理市
>>462 吉備は雄略天皇がボコボコにしてるからな
後世の歴史に描かれる前に潰されてる
476 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:29:54.35 ID:iFDZnqrV0
魏志倭人伝なんて何かのヒントにするのはいいが、 大真面目に論ずるようなものじゃないだろ。アホらし。
どこにあるのかわからん邪馬台国じゃなくて 日本書紀あたりで被葬者を比定しろよ
>>469 科学では結論ありきの研究しても成果は出ないけど
考古学とかこの手のは結論ありきで論文書けば
案外筋が通ってて世に受け入れられたりしちゃうからね
今で言えば社会学者の論文が読む価値もないゴミなのと一緒でw
479 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:30:44.91 ID:v5jjsWZp0
でも魏志倭人伝に出てくる「水銀」が当時採れたのは、 四国の徳島あたりだけじゃないの?
480 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:31:13.10 ID:0hEhQBqt0
>>467 妄想乙
大内氏が天皇家につながったなどという資料は存在しないwww
>>458 行軍みたいに、常に一定の速度を保って移動したとは限らないし、途中の街で歓待を受けたりして余計な日数がかかったという可能性もあるものね
482 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:33:25.42 ID:0hEhQBqt0
>>476 お前がアホなだけだから大丈夫だよwwww
483 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:33:46.75 ID:frI8qZTz0
>>437 まあ向こうはダビデやソロモンをあのレベルの史料で一応実在扱いにしてるから
数百年後に書かれた叙事詩でライバルとして描かれた王の碑文が見つかっただけで、
ギルガメシュが実在したと仮定してよく論じられるといった現象が起きてるなw
神武とかも「いたとして」論じられることが多い(勿論「いた」と明言はしない)
元朝秘史とかも西洋は「証明されてない」と断った上で歴史として扱うが、
日本の学者は「証明されてない」からとことん軽視するのが多い
>>479 確か九州は中国産の真朱(水銀朱)が発見されてる
貿易って手もあるからね(´・ω・`)
485 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:34:05.83 ID:GF/q+TF8O
支那の歴史書なんかデタラメばかりなのに何で事実かのように扱うんだろうな。卑弥呼だの伊代だのは古事記にも日本書紀にも全く出てきてないじゃねーか。
>>480 え?w俺大内氏が皇別だなんてこと言ってないけどw
九州の豪族なんて外交権を独占してきた歴史ばっかじゃんってこと
九州なんて単なる一地方の、天皇家の知行地ってだけなのに。
487 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:34:57.02 ID:EoABrwuq0
>>470 新唐書東夷伝日本は内容が重なる宋史日本伝とセットで見るのが普通だ。
>邪靡堆が近畿ヤマト政権だと言う根拠は?
本当につまみ食いしかしてこなかったんだなw
まさか、阿蘇山が書かれているからこれは九州の王朝だとか言い出すのか?
488 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:35:39.58 ID:ti/HqlnO0
>>191 >伊都国を起点とする放射読みをする
旅のそのつど伊都国に戻るって、何でそんなめんどくさい旅の行程を。
伊都国が使者の為の食糧や諸々の補給基地とか?
489 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:36:52.40 ID:0hEhQBqt0
ギリシャ神話も暗黒時代の到来で記録が消え去った 華やかで先進的だったミノア、ミケーネ文明の時代を神話として伝えてる物だしな 日本の古代史も同じように記録のない時代を神話として伝えてるわけだからな そしてそれが現代にまで続いてるとかロマンチックな話だな 日本は神話がまさに今でも生きる国だな
日本書紀のとおりでいいよ。 卑弥呼は神功皇后、邪馬台国は大和国。 九州?なにそれ?
492 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:39:14.90 ID:0hEhQBqt0
>>488 一度目は行って無い。まさしく留まったわけな。投馬国や邪馬台国が里程になって無いことからも分かる。
(正し、2度目は行っている。)
自国の史書を疎外して、海外の史書だけを信じるって、今でいう白人コンプレックスみたいなもの?
>>488 当時羅針盤があったわけじゃなく太陽の位置で東西南北を判断してたんだろうけど
記録残した奴が常に方位気にしてるかというと疑わしい訳で
あと魏志倭人伝の距離と方位に関しては九州北部から邪馬台国の首都までは出鱈目の伝聞だよ
普通に読めば途中でいきなり雑になってるでしょ?
張政は邪馬台国に長く滞在していたから知ってただろうけど
実際は邪馬台国でも地位や利権持ってただろうから詳しくは伝えなかったんだろうと推測
最終的に帯方郡の長になった張政にしてみれば邪馬台国は重要な存在だしね
>>463 糸島市の平原遺跡
日本最大の鏡、内行花文鏡が出土している
糸島市は帯方郡の使者が常に往来して駐在していたという伊都国とおもわれ
496 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:41:52.22 ID:0hEhQBqt0
497 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:42:10.49 ID:dX4cJgh8O
>>483 そのくせ、明らかに人間で歴史上の人物に過ぎない菅原道真を神様にしちゃうんだよな
九州に左遷された人物を祟り神兼学問の神様で
挙げ句に天神様とかさ
何か語るに落ちてるよね
498 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:43:20.24 ID:v5jjsWZp0
邪馬台国も大事だろうけど、空白の3世紀はどうなってるの?
>>493 500年後の参考文献も定かではない記紀より同時代の魏志倭人伝が優先されるのは当然だろう
史記みたいに参考にした左伝とかが残ってりゃまだしも
記紀のすべてが嘘とは言わないがね
天皇の年代からして無理がありありなんだよ
>>496 中国の史書は間違いだから不可。
お前の場合は、間違った史書を付加し過ぎw
501 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:44:11.87 ID:EoABrwuq0
>>489 新唐書は北宋時代の成立。
その時期に入宋した日本人僧侶によって日本の各種史書がもたらされている。
双方共にそれらを元にしているのは有名な話だが。
で、新唐書は宋史と比べると天御中主から筑紫三代に至る部分の途中が省略されている。
>>498 分からない
邪馬台国からヤマトに移行したのは間違いないが
邪馬台国=ヤマトなのかもなんとも言えんね
多分そうだとは思うけど
503 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:46:09.73 ID:ti/HqlnO0
>>492 日本海は里程で表して陸地や沿岸は日程で現すというややこしい事すな
と言いたいわ。
ほんまこれで後世の研究科がどれだけ翻弄されるやら。
>>488 少なくとも伊都国は帯方郡の使者の拠点だったようだし、邪馬台国の大率が置かれて邪馬台国にとって重要な拠点であったらしい
まぁそれこそ資料をちゃんと読むとするなら 「わからない」 と言うのが一番誠実な答えだよなw これが確実だ!とか言い出す奴はどんな資料を見てるのやらと そんなもんがあるなら誰も苦労せんわ
506 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:48:05.35 ID:dX4cJgh8O
皇統にヤマトタケルが入ってる時点だなぁ その倅が九州で死んでるし
507 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:48:26.93 ID:eE3u/aQjO
やまとは 国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる やまとし うるわし
そうだな。「わからない」が結論だから、一番有力な説である畿内を探してるんだろう。
>>10 > 台与は「トヨ」
つまり邪馬台国は「ヤマト国」でおk、ってことだなw
九州の柳川にやまとって地名あるよね 競艇学校があるところだ
>>508 というか、邪馬台国を棚上げして古墳時代の始まりを調べている
邪馬台国はもう町おこしのツールだから今更特定されたら困る人達がいるのよ あと考古学者じゃなくても素人でも推理できるからこそ面白い これは頭の体操であって研究ではない 邪馬台国は◯◯県◯◯市だ!とか言う奴がいるならそいつは嘘つき
513 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:51:15.50 ID:v5jjsWZp0
古事記や日本書紀に邪馬台国の記述はないの? ほんの数百年前の出来事でしょ?
結論=「わからない」 有力説=畿内説>>>>>>>>>>九州説w
>>503 普通に考えれば、海を渡った先は外国なので実地調査が出来ず、里程を書けなかったと推測できる
日数なら、実際に行ったときの所要で記録できるけれど、移動速度が分からないから、正確な距離は計算できない
そもそも、毎日必ず一定の距離を移動したとは限らないし、途中で休息したり歓待を受けて数日滞在した可能性だってあるからね
516 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:53:41.06 ID:BXPij0QZ0
ヤマタイって、完全に北部九州地方の方言だろ 「どこ住んどうと?って海じゃなかばい。山たい。」 ハイ論破
>>513 いちおう、日本書紀では畿内だということになっている。
518 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:54:34.17 ID:4Jep22dF0
>>472 >ていうか、天皇の男系子孫のY染色体を調べたら、一様にDのハプログループだって結論出てるんだけどな。
これ初耳だったからググったけどソースらしきものがまったく見当たらないよ
誰のY染色体調べたの?
「かも知れない」「かも知れない」「かも知れない」 これを積み重ねて結論出してるんだからな 話にならんとはこのことだな
520 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:56:00.79 ID:dX4cJgh8O
だんだんSTAP細胞みたいになってきた ちなみに天理市は天理教の本部があるから、あとから天理市に改名した 近年でもこういうことがあるわけでさ
521 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:56:19.23 ID:eE3u/aQjO
だからさあ、卑弥呼の墓と言われる古墳がある場所 つまり三輪山のふもとにやまとがあったでいいじゃん。
522 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:56:34.46 ID:v5jjsWZp0
>>517 大和王権が邪馬台国を滅ぼした勢力だったら?って事もあり得るよね?
523 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:56:43.29 ID:9pB1iFNDO
そもそも古墳の発掘をしないのでは調査も研究も進まず、いつまでたってもラチがあかないではない。 しかも新しい古墳が見つかっても内緒で破壊してゴルフ場つくったりしているし。 千葉県でそんなことが実際なあったと聞いて憤懣やるかたなかった。 宮内庁は今すぐ全国の古墳の発掘許可を出せ。
524 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:57:28.27 ID:+8zbLdny0
既得権益だから奈良でいいよ。奈良じゃないと困る学者が多いよね。 小保方と同じ。本当はね、奈良な、わけねーじゃん。だけど、奈良じゃないと、税金が使えないってあるよねw
>>518 “JAPAN DNA Project”. FAMILY TREE DNA (2013年2月11日).
528 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 21:58:54.41 ID:bzwmXrTa0
鯨面獣身とか、貫頭衣とか、素もぐりとか書いてあるんだけど 福井は冬寒くねぇか? 奈良は生駒や熊野越えて海産物運んでたのか? 水銀が取れて、酒作って、鉄作ってるって書いてあるんだけど 九州に鉄を作る為に膨大に切り取れる森と、酒が作れる程の米どころが 近所にある場所ってあるの?
日御子さま〜
530 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 22:00:32.63 ID:RNeYeerO0
ちなみに諏訪大社も出雲系だから、 出雲の領土は少なくとも長野以西の本州全域だったことが分かる。
>>522 滅ぼしたっていうか禅譲された可能性はあるな
そこで王号を変えないのが中国とは違うところで
継体も王朝変わっても血筋捏造してでも継いでるし
532 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 22:01:07.27 ID:XTBSwHIc0
>>11 まさかそれが出るとは思わなかったw
マンガで壱与が出るのってこの作品くらいかな。
533 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 22:02:10.94 ID:bzwmXrTa0
>>532 山岸涼子って怖い話とバレエ漫画の大御所が描いてる
534 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 22:03:00.96 ID:frI8qZTz0
>>525 もっと謙虚に、そちらには漢委奴国王がいたんだからどうか親魏倭王は
こちらに譲って下さいませと九州に頼み込めばよかったものを、偉そうに
9割畿内できまりなんだよ!そっちの金印こそモノホンかよ?みたいな
言い掛かりをつけてきたからな
もう和平不可能になってる
全部の古墳を調査しなよ。 何が怖いのさ。
>>531 中国への朝貢がからむと、わざと国号を変えない例があるけどな
中国側が新王朝を認めないとか面倒な事があったりするし
まぁ、この時代ならそこまでガチガチではないだろうが
>>523 宮内庁
「そんな畏れ多いことはできません。日本人なら分かるでしょ?」
天照=卑弥呼なら九州説 邪馬台国=ヤマトなら近畿説 どちらにも根拠は存在しない(´・ω・`)
古墳調べてる奴より小保ちゃんのがまだマシ
古墳の発掘をしないのは天皇家と朝鮮の関係が明らかになるの恐れているからとの噂
卑弥呼は当て字だ当時の中国語の発音ではピムカ
>>534 だから、繋がらないでしょう。わかってるくせに、どーぞどーぞ、既得権益ってそんなもんだし、奈良でいいよ。
そもそも古墳に埋葬されている人が誰だかなんて、しょうじきわかっちゃいないんじゃね? 今のデタラメ学者にデタラメな結論されちゃ嫌だろ? 高麗人の古墳発掘して、天皇は高句麗人だったなんてされたら嫌だろ?
>>528 熊本の方保田東原遺跡
吉野ケ里に匹敵する規模
545 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 22:08:16.48 ID:RNeYeerO0
>>518 Dって縄文系遺伝子じゃねーの。
天皇家がDってことは天武天皇のときに遺伝子が入れ替わったんだろうな。
天武は東国に縁があったらしいし。
>>472 それ言い始めたら武家でもそうだが日本人の数割は男系遡れば天皇家に行きつくだろ
伊勢神宮にはアマテラスと豊受大御神(トヨウケノオオミカミ)が祀られている。 アマテラス=卑弥呼 豊受=台与(トヨ)である。 倭国大乱がオオクニヌシの国譲りである。当時の武器は出雲の荒神谷遺跡に葬られた。
548 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 22:12:00.72 ID:XrDTY71N0
トヨ自体が政治的な力を持った期間は短かったと推測されるよ トヨの後にしばらくして男王が立ったと推測されて、西晋に使いを送ってるからね おそらく祭祀王と大王が分離されて、トヨは、豊鍬入姫命のように祭祀を専門としたのだろう
>>77 百済人を追放しろとか言ったら天皇家も源氏も平家も排除しないといけないね
>>540 天皇は朝鮮と血のつながりがあると認めてますが。何も恐れていません。
>>546 うん、だから、村上源氏だっけ?その男系子孫の佐々木氏の男系子孫とかのY染色体を調べたら、Dだったの。
ワンピースみたいだね。モンキー・D・ルフィとか。
>>545 お前は天皇朝鮮説論者だから、何言っても無理。
お前に何を言っても、お前は天皇は朝鮮人だとしか言わないから、論外。
>>547 でも、アマテラス=卑弥呼なら
高天原を治めたのがアマテラスなんだから
ややこしくなるぞ(´・ω・`)
>>544 惜しいと思うけど、海から遠くね?
国見越えするの?菊池川使って海産物運ぶの?
>>541 じゃあ、「卑弥呼」の由来は「日巫女」とか「日御子」なんていう説は、正当性が無くなるね
>>549 男系に限らなければこのすれに書いてる奴もさかのぼれば天皇の下の方の子供がゴロゴロでてくるぞ
皇室の血が入ってない奴なんて在日くらいだろ
佐々木氏は宇多源氏だわ。
557 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 22:17:42.34 ID:AUOAjjuR0
今の天皇はユダヤの傀儡 となったらしいので別系統らしい 昭和天皇は朝鮮人だと主張して 確かに違和感あった
558 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 22:19:19.89 ID:c566rZQW0
>>530 2chで「東国の出雲系の神社は本当は在地の神を祀っているんじゃないか」という意見を見たことがある。
慧眼だと思う。
CR台与出してくれ。 卑弥呼保留が出たら継続以上確定な。 皆が邪馬台国に興味を持つようになるぞ!
>>558 それを言うなら、当時は日本語も無いだろ
>>523 千葉県って何気に栄えてたんだよな
木更津で金メッキの馬具みて驚いた
四〜五世紀って言ってたかな
563 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 22:27:31.99 ID:AUOAjjuR0
大正天皇基地外レベルから昭和天皇 すり替えはおもろい まどうでもいい
564 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 22:29:20.31 ID:v5jjsWZp0
というか古墳の遺体をDNA鑑定すると今の皇室との断絶がハッキリするとか。
厨房の頃、箸墓に忍び込んだら、中央部に深々とトレンチが掘られていて 陵墓参考地なのに宮内庁は発掘調査してるんだと驚いた。 葺石の層とか観察できたよ。
出雲大社は良いのに伊勢神宮とは合わない気がする
567 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 22:33:21.37 ID:XrDTY71N0
>>562 黒潮に乗れば安房まで意外に早かったからね
それに3世紀末から4世紀になると四道将軍のオホヒコが既に関東まで征服している。
有名な稲荷山鉄剣にもオホヒコとおぼしき人物の名が出ており、その存在はかなり有力。
568 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 22:35:08.13 ID:rF89bDeO0
569 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 22:37:44.54 ID:v5jjsWZp0
千葉が栄えてたと言うことは 邪馬台国は阿波ですね(´・ω・`)
571 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 22:38:44.98 ID:dX4cJgh8O
鰹節ルートと昆布ルート
過激といってもいい神秘的解釈の 邪馬台国=阿波徳島 ソロモンのアークも阿波徳島にある 日本国創生は阿波忌部から始まる 卑弥呼は阿波で解決しました(´・ω・`)
>>569 もともと東海道には
大和政権最大のライバルがいたからな
三関は畿内国防の要
575 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 22:48:09.15 ID:4Jep22dF0
>>527 >>551 ググってみたけど、mizunoet al. 2008を基にD2の分布状況から
賜姓皇族だとねらーが勝手に推測してるだけじゃないの?
JAPAN DNA Projectの話は自称源氏の末裔が個人的にY染色体調べてもらっただけみたいだよね
これでは皇族のY染色体がD2であるとは言い切れないよ
>>517 なってないぞ。写本で割注に引用されてるだけだ。
そして、その割注を入れたのは誰だかわからん。
ローマ帝国ものとか三国志、キングダムを読んでいると 紀元前から卑弥呼のいた時代のローマや中国と比べると 日本の文化レベル、国力共に低すぎて 天皇が日本を2500年以上統治していたという話が嘘くさいんだよな。 朝鮮人や中国人が武力で日本を侵略して 卑弥呼が率いるクマソとかツチグモとか 日本古来からいる本来の民族を征服して 天皇を名乗って自分たちの都合の良い歴史に 書き換えたのではないかと思えて仕方がない。 紀元前の時点で10万の兵士を動かせるような国に侵略されなかったというのが どうも信じがたい。
578 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 22:54:11.78 ID:EoABrwuq0
>>569 それね、稲荷山古墳の鉄剣が映像の中に出てきたりしてるのに触れないんだよ。
現地の研究者なんかが古代毛野国について話をしたものを「日本王国」なるトンデモに
再編集したもの。
>>575 どうでもいいわ。そう、思ってればいいだろ?
佐々木源三秀義の自称末裔たち数人や、ニニギの自称末裔が、一様にY染色体のDグループだったってことだ。
それを嘘だと思うのはお前の勝手、俺にはお前の思考信条なんて興味無い。
対馬国が対馬市 一支国が壱岐市 末盧國が松浦市 伊都国が糸島市 だろう やはり九州内の話だ そして伊都国は邪馬台国の北方の国だと書いてある となると福岡より南・・・すなわちいまでも火(日)の国と呼ばれている熊本と考えることができる
581 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 22:57:17.34 ID:EoABrwuq0
>>577 朝鮮人なるものが当時存在していたのかは知らないが、同時代の朝鮮半島は
まともな勢力が存在しない辺境の不毛の地で、朝鮮半島よりも豊かで人口が多
く大国だった倭に攻め込むなんて出来ないよw
日本書紀、古事記、風土記、万葉集に答えはある 高天原=邪馬台国=四国徳島剣山 卑弥呼=天照=天津神が住む阿波です(´・ω・`)
>>577 どっちかというと、かなりの長期間水田農耕やってた日本の方が、マンパワー的に朝鮮を上回ってると思うぞ?
史実的にも朝鮮の方に圧力かけてたのは事実と見て良いだろう
585 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:00:15.49 ID:EoABrwuq0
>>580 伊都国まではどの説も同じなんだが・・・
>>498 倭人伝には卑弥呼の前から代々王がいる
九州の北まで女王国に属するから
1800年以上はヤマト国、皇室があるの確定。
587 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:02:34.75 ID:sNT+FqP60
藤原が来るまで日本は女性系譜を中心に据えてた それを藤原がやってきてクーデーターして 血統を入れ替えて荘園制度や今の天皇制を作ったんだよ 藤原は海外からやってきたどこの犬の骨ともわからぬ血統で 古代大和の卑弥呼の血統とは違う
>>576 かりに日本書紀の原本にあった記述をそのまま写していたとしても、
日本書紀編纂の段階で、中国の史書から逆算しただけだろうな
589 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:04:09.89 ID:EoABrwuq0
590 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:04:55.13 ID:4Jep22dF0
>>579 嘘だとは言ってないつーの
倭人のY染色体がD2の可能性は高いけどそれは状況証拠の積み重ねでしかない
しかもその状況証拠は主に信憑性が高いとは言えない史書や系図によるから、
妄想だと言われれば否定はできない
Y染色体に言及するなら物的証拠が必要なんだよ、旧皇族なりのY染色体が
そうじゃなけりゃ結局
>>468 で書いたような妄想歴史ファンタジーキチガイと同じだよ
591 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:05:12.91 ID:RNeYeerO0
>>584 別にマンパワーで軍事的勝敗は決まらんのだよ。
項羽とか諸葛亮のように少ない軍勢で大軍を破るなんか何度でもあるんだから。
日本語の起源が朝鮮半島で奈良県だけ朝鮮系遺伝子ということからも、
朝鮮半島出身の部族が奈良に攻め込んだんだよ。
>>582 三枚目の夜景スゲー綺麗だな(´・ω・`)
593 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:05:41.91 ID:UYrqebDS0
だから奈良に戦争の痕跡ねえだろ アホか
594 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:06:18.89 ID:FSQv4ibd0
(宇佐二之御殿) 比売大神 - 卑弥呼 - 天照大御神 (伊勢内宮) (宇佐三之御殿) 神功皇后 - 台与 - 豊受大神 (伊勢外宮)
595 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:06:28.84 ID:vCqmEs0j0
596 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:07:12.95 ID:EoABrwuq0
>>591 >日本語の起源が朝鮮半島
どっかの科学雑誌に論文が載っていたんだっけ?
いい加減にそれが何か教えてくれないかな?
597 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:07:24.98 ID:RNeYeerO0
>>590 D2は東日本の原住民である縄文人の遺伝子だぞ。
倭人というのは長江系遺伝子。
>>199 >水行十日陸行一月
水行だと十日=陸行だと一月
っていう並列の関係なのではないかって説があったような。
ほかの国への記述は五百里とか距離で書いているのに
投馬國と耶馬壹國だけ水行十日とか陸行という日数での表現。
>>591 その二例は局地的な勝利はあっても、戦略的には最終的に敗退した人達じゃないですかw
600 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:10:57.39 ID:EOivtnjwO
(^。^)アレは山タイ!
>>590 旧皇族に限定する理由ってのも意味不明だな。
たしかに、佐々木源三源秀義は皇族じゃないし、皇別だとしても別れてからだいぶ時がたっている。
でも、宇多天皇の男系子孫である宇多源氏の佐々木氏やその佐々木氏の支流である高岡氏の自称末裔たちが一様にDグループだったということは。
もう、これからは「天皇のY染色体はDグループだ」と言っても、なんらおかしくない科学的に基づいたことなんだよ。
602 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:15:50.88 ID:RC6Niit90
>>577 >侵略されなかった
支那人は当時から蓬莱とか扶桑とか呼ぶオトギの国だったからね。
オトギの国に侵略するって王が出たら、気違いの朝鮮人のようだと軽蔑されただろう w
しかしまぁガリバーはいたと思うよ。
阿波徳島には日本最古の前方後円墳が存在する 萩原墳墓群の2号墓は2世紀末〜3世紀初頭の 石積式の前方後円墳、年代測定で西暦200年前後 時代的に阿波=邪馬台国卑弥呼となる(´・ω・`)
604 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:16:06.85 ID:eE3u/aQjO
皇統に無理やり半島を絡める朝鮮人キモすぎ。 初代神武天皇は失われたイスラエル10支族(Y染色体D系統遺伝子)の末裔の血統であり、日本にいた縄文系(Y染色体D系統遺伝子)と混血してやまとを建国された。 朝鮮半島人(O系統)やシナ大陸人(O系統)なんか関係ございませんので悪しからず。
>>604 イスラエルの失われた10支族と言うことは
ソロモンの契約の箱が眠る阿波だな(´・ω・`)
606 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:19:40.85 ID:v5jjsWZp0
>>580 大牟田が有力とか。景行天皇巡行とか武内宿禰の伝説が多く残っている。
>>453 そう南方の文化。
倭人は自由に船で海を渡り、
新羅には海を渡る能力がないと書いてある。
コリアンが日本を征服っていうのはコリアの妄想。
恥ずかしい恥ずかしい妄想文化。
まあ現実の歴史を直視する苦しみよりはましなのだろう
刺青も南洋の文化。
台湾の山の先住民は華人が移住するまで昔は海沿いにいて刺青してた。
斯馬国が糸島市の志摩 たぶん糸島って伊都国と斯馬国が隣り合っててそこから来たんだろう
投馬国=高知県宿毛町の辺りと仮定すると 邪馬台国は阿波です(´・ω・`)
610 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:22:29.11 ID:frI8qZTz0
>>577 エジプトでも3000年は王国維持できたんだから島国なら余裕だろ
あと皇紀が2600年なのは、中国の学者の文明1300年サイクル説に基づいて、
700年くらいにさあこれから新時代だってことで1300年の旧時代を設定したかららしいぞ
>>457 海流に乗ってれば日本に流れ着くしね。
昔のオランダの船も南から海流で日本にきてた。
612 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:28:18.51 ID:dX4cJgh8O
関係ないけどネアンデルタール人スレでさ エジプト王朝のファラオはネアンデルタール人じゃないかって言ってた人が居たけど 目から鱗が落ちるとは、このことだなと 王朝崇拝って異人種や異民族の交配コミュニケーションの際の種人保存と崇拝じゃないかな?と
>>416 破棄ではなく意図的に埋めてある。
バリア。
呪術的な文化。
614 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:29:19.65 ID:0ImC0fVBO
616 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:31:53.62 ID:qtOaorlaO
一ヶ月間、休まずスタコラ進むとは書いておらんし。 川にぶつかったら上流まで移動したりイカダを作ったりして、 ロスタイム含めて一ヶ月間かも知らんし。
日本に水銀鉱山はいくつか存在しても 邪馬台国の時代に水銀を生産している遺跡は 徳島でしか発見されていない それにワザワザ徳島産の青石を 近畿地方の古墳に使っているいということ考えても 邪馬台国は阿波です(´・ω・`)
620 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:33:44.04 ID:QVf0yiJE0
邪馬台国は別府だろ。
621 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:35:15.45 ID:qtOaorlaO
倭国、後の大和国が、日本語の一人称、ワを語源とするのは、ほぼ定説ですよ。 山陰あたりでは、今でもワーワー言ってるよ。 微妙に二人称化してるが。
622 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:35:41.82 ID:1YgP10ZmO
カゴメ カゴメ 籠の中の 鳥は いついつ 出やる 夜明けの 晩に 鶴と亀が 統べた 後ろの正面 だれ 籠神社(元伊勢)の籠目紋 伊勢神社の参道の籠目紋
623 :
ありのままに@札幌太陽太陰暦 ◆enmbELmfiKnw @転載禁止 :2014/04/09(水) 23:36:12.79 ID:LiZC0oUxO
邪馬台国は出雲の鳥取県・島根県の豪族の文化圏から派生した、九州から山陰の文化圏でしょう。 邪馬台国の中心部は、国譲りの舞台でしょう。
624 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:36:13.31 ID:dX4cJgh8O
九州から以外は一つも比定地が定まらないってのもな 出雲すら?の付きでしょ 九州以外は行ってないんじゃないか?
>>1 安倍さんが移民とか入れまくったら天皇制も天皇陵も
価値なくなるな
ヒミコは「日野富子」のアナグラム つまり魏志倭人伝は応仁の乱を予言してたんだよ!!
皇統は価値ではないと思うよ。 あれは日本書紀の天壌無窮の神勅に基づいているから、法律みたいなものだよ。 古代からずーっと法律を厳守してきた。
628 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:39:10.73 ID:7a2g2zltO
盗掘したの誰だ?
629 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:40:01.23 ID:HtCZgReN0
盗掘だの震災だの風化だの色々リスクがあるんだから、変なプライドやこだわり捨てて さっさと学術調査を認めればいいのに
630 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:40:14.44 ID:LHi6FpyR0
九州説の一番の弱点は人口構成があわないことだよ。 奴国ー福岡ー二万戸は確定として、 その下に投馬国ー五万戸 さらに邪馬台国ー七万戸 つまり九州に100万人の人口が集まっていることになり、おかしいんだよ。
狗奴国は熊本の球磨(くま)地方だろう
632 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:42:03.92 ID:7a2g2zltO
倭 篇も旁も 「イ」 なんだよなぁ。 なんで「ワ」?
ニニギの天孫降臨を道案内したのが伊勢住みの猿田彦
634 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:44:43.07 ID:v5jjsWZp0
昔の天皇が平気で130歳とか言ってるのは、 稲の刈り取りが二毛作だから一年を2年として 捉えていたかららしいね。
635 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:45:01.33 ID:dX4cJgh8O
>>631 ねえ、どう考えても狗奴国と奴国って兄弟分だよな
636 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:46:19.19 ID:frI8qZTz0
ルイスフロイスの日本史も後半は全部九州史だしな 先進文明はまず九州で消化されて、それからおそるおそる 本州の田舎者が真似し出す、というのが日本史の法則 江戸時代は引き篭もり時代、見てみろよ東京の位置 アイヌからもチーンからも一番離れた、太平洋を背にした究極の奥の院だぜw そこで安心してたら太平洋側から蒸気船が来てびっくらこいたwって話 そのとき史上初めて、北九州から太平洋ベルトに最先端文明線が移ったというわけ
637 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:46:22.34 ID:4Jep22dF0
>>577 半島に建ってる広開土王碑に、倭が海を渡って攻めてきて新羅を臣下にしちゃったって普通に書いてあるよ
いつものように韓国人が碑文捏造しようとしたけど中国で写し出てきてバレた
昔の倭は気合い入ってたんだよ、むしろたびたび半島に兵送ってるよ
半島南部まで倭国だったんだしね
そういうのちゃんと義務教育の歴史の授業で教えないとダメだね
638 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:46:50.08 ID:t6jfvVmui
畏れ多くも大和の卑し皇子が魏国王と謁見 大和朝廷の子孫がいたら怒るかもしれないが 偉い人に謙遜するのは日本の文化
639 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:47:09.10 ID:AUOAjjuR0
投馬国は難波今の大坂 大分から肥後まで1月かかったのはしかたない
天理教が天理市おさえてるのはこれのせいだったのか ヒミコ秘伝をヒミコ再誕まで伝承するのがお役目か
>>577 俗説ですがで江上波夫の騎馬民族征服王朝説なんてものもありますね
継体天皇の先祖が禿髪阿毎という説があるみたいですね
禿髪部といえば西晋を攻めた禿髪樹機能が諸葛孔明の兵法を用いた馬隆に滅ぼされたって話もあるね
642 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:49:29.69 ID:QVf0yiJE0
>>630 戸は人という説もあるから、2万戸は2万人の可能性あり。
643 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:49:42.43 ID:HGIpCJny0
自国の歴史なのに卑弥呼がどこに居たのか分からないとかどんだけ未開の国なんだよ日本は まあ九州だろうけど
>>639 道がそれほど整備されていたとは思えないし山道も多かっただろう
陸行一月で行ける距離なんて現代人が思ってるほど遠くないと思う
645 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:50:16.62 ID:mQMRS9p30
卑弥呼は韓国から渡ってきた渡来人が作った国が邪馬台国である 日本は青森を拠点とし日本の使者を邪馬台国に派遣した文章が残されている 日本の使者は邪馬台国と争い日本が邪馬台国を打ち破った 日韓戦争はこの時代から始まっている 日本の使者はヘブライゴに似た言語であり日本人自体が侵略者である 各地に伝わる天狗は日本人先祖の東洋人の伝承を具現化したものだ 青森にキリストの墓があるのは韓国から日本に渡った証拠 青森ハチノへはヘブライゴで街を意味する 民謡にもヘブライゴで故郷を思う歌がある 明らかに日本人自体が移民人であり日本自体が韓国領土であり失われた韓国領土
ニニギ(高天原住み)「そろそろ自立しなきゃだし、田舎に下向して天孫降臨でもするかなぁー」 猿田彦(伊勢国住み)「俺に道案内させろ、ただし女と交換な!」 ニニギ(日向国住み)「よし、無事出向完了!女はアメノウズメでいい?」 猿田彦(伊勢国住み)「その女よこせ!」 ニニギ 高天原 → 日向国 アメノウズメ 高天原 → 伊勢国 サルタヒコ 伊勢国 高天原は伊勢国より東だな!
>>617 四国説も理にかなってますよね
邪馬台国は西日本のどこにあってもおかしくなさそうですね
648 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:52:06.86 ID:S8U1YIMb0
>>635 まあ奴国は「なの縣」つまり福岡市だろうね
>>7 明日香村をレンタサイクルで回るといいよ
高松塚とか石舞台とか、亀型石造物や猿石とかも、小さな村に凄いものが集まってるんでビックリする
自らをヤマトと名乗る集団が 阿波に本拠地を構え 近畿に移ってヤマト王権となる 比較的稀な苗字の大和姓は 徳島県に多い(´・ω・`)
652 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:53:18.52 ID:t6jfvVmui
太陽、だいよー大王、大夫、台与 いったいどんな当て字なんだよ
653 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:53:40.16 ID:dX4cJgh8O
>>645 安倍が信じてる宗教ってこれなんだろうな
だから移民やるってキチガイ結論なんだろう
654 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:54:45.07 ID:kk1Ws4s80
百済はもともとプヨ族中心だったところに、高句麗などとの対抗上、倭国が強力に支援し始めてから、倭人中心の国になり、王家も倭系になったと 見なしてます。百済の王を代表する武寧王も倭国の生まれであり、倭人同然といえましょう。 すべてが朝鮮人起源と主張する、あっち側のファンタジー史観では、朝鮮半島から海を渡った朝鮮人が日本本土で豪族となり天皇も現れて日本を 支配していった・・・しかし事実は全く逆で、現実はもともと先に半島にも多数いた日本人を、奴ら朝鮮人がシナと組んで侵略し、日本人のDNA を持った人々が朝鮮半島内、今の奴らの側に多数残っていることになるわけで、すべてが朝鮮起源なんてバカげた主張してる奴ら朝鮮人が、朝鮮 半島での文化も実は日本人起源だったなんて、それを認めることになってしまえば、奴らの方こそ民族の根幹が揺るがされ、天地がひっくり返る ような事態になってしまう。奴ら朝鮮人がこれほど必死になって日本人を貶め、朝鮮優位・朝鮮起源説を執拗に騒ぎ立てるのは、こういった、 実際は古代朝鮮半島における文化発祥が日本人起源である歴史事実を完全に否定しないと、奴らの存在自体が否定されることになりかねないから であろうように思える。 元々、古代朝鮮半島南部の支配者・先住民は倭人であったのに、高句麗らの朝鮮人が南下してきて新羅がいち早く高句麗に従属し、後に強大な唐 と結んだ新羅の勃興で徐々に半島が朝鮮人に押さえられ、日本は日系 百済と共に白村江の戦いで敗れて朝鮮半島の覇権を失ってしまった。
アメノウズメってエロいよな?
そもそも卑弥呼が日本で言うどの勢力のどの人物にあたるのかさっぱり分からんのに こんなこと議論してなんか意味あるのかね? 新しく何かが出土しない限り絶対答えなんて出ないでしょ
657 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:58:16.84 ID:frI8qZTz0
>>637 実は韓国の史書にも書いてあるんだよなあ・・・
日本・中国・高麗の史書に書いてあって、碑文にもそう書いてある
ただ、韓国を納得させるには、物証は充分でも心証が足りないのだ・・・
658 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:58:22.98 ID:wOM/4VYk0
>卑弥呼の後継者 竜魔帝王じゃなかったっけ
659 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:58:34.99 ID:t6jfvVmui
祭司の皇子の後継者の太陽の墓
660 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:58:42.13 ID:v5jjsWZp0
>>651 「水銀」の件からは、徳島説に賛成。
しかし、あの山岳高地に国家があったとは俄かに信じがたい。
水源を確保するだけで挫折するような土地だぞ。
661 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/09(水) 23:59:08.07 ID:H+IvXlzy0
>>622 でやっと籠神社が出てきたか
海部氏によると
投馬国=丹波とその周辺
宇那比姫=日命姫=卑弥呼
つまり近畿説が有力
>>322 神武の東征自体は捏造であり
多分、継体天皇の大和入りや、崇神天皇の四道将軍派遣に見られる地方平定など
複数の天皇の逸話をもとに書かれた記述でしょう
ただ、その伝承に秘められた史実があるのは確実だ
神武は日向から畿内への東征を行っているが
三世紀には本州の神器だった銅鐸が姿を消し
代わって九州の神器である銅剣が本州に広がっている事実など。
九州の勢力が畿内まで席巻した可能性を示す事実が幾つも見出される
こうした史実が東征の伝承の背景である可能性が高いから
東征自体を捏造と考える事は出来ないよ
「槽伏(うけふ)せて踏み轟こし、神懸かりして胸乳かきいで裳緒(もひも)を陰(ほと=女陰)に押し垂れき。」 訳 アメノウズメがうつぶせにした槽(うけ 特殊な桶)の上に乗り、背をそり胸乳をあらわにし、裳の紐を股に押したれて、女陰をあらわにして、 低く腰を落して足を踏みとどろかし(『日本書紀』では千草を巻いた矛、『古事記』では笹葉を振り)、力強くエロティックな動作で踊って、八百万の神々を大笑いさせた。
664 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 00:01:20.86 ID:cb991MWji
ヒイロのカネは銅鐸
665 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 00:07:39.01 ID:kk1Ws4s80
百済はもともとプヨ族中心だったところに、高句麗などとの対抗上、倭国が強力に支援し始めてから、倭人中心の国になり、王家も倭系になったと 見なしてます。百済の王を代表する武寧王も倭国の生まれであり、倭人同然といえましょう。 元々、古代朝鮮半島南部の支配者・先住民は倭人であったのに、高句麗らの朝鮮人が南下してきて新羅がいち早く高句麗に従属し、後に強大な唐 と結んだ新羅の勃興で徐々に半島が朝鮮人に押さえられ、日本は日系 百済と共に白村江の戦いで敗れて朝鮮半島の覇権を失ってしまった。 すべてが朝鮮人起源と主張する、あっち側のファンタジー史観では、朝鮮半島から海を渡った朝鮮人が日本本土で豪族となり天皇も現れて日本を 支配していった・・・しかし事実は全く逆で、現実はもともと先に半島にも多数いた日本人を、奴ら朝鮮人がシナと組んで侵略し、日本人のDNA を持った人々が朝鮮半島内、今の奴らの側に多数残っていることになるわけで、すべてが朝鮮起源なんてバカげた主張してる奴ら朝鮮人が、朝鮮 半島での文化も実は日本人起源だったなんて、それを認めることになってしまえば、奴らの方こそ民族の根幹が揺るがされ、天地がひっくり返る ような事態になってしまう。奴ら朝鮮人がこれほど必死になって日本人を貶め、朝鮮優位・朝鮮起源説を執拗に騒ぎ立てるのは、こういった、 実際は古代朝鮮半島における文化発祥が日本人起源である歴史事実を完全に否定しないと、奴らの存在自体が否定されることになりかねないから であろうように思える。
大和の国の姫巫女 ↓ [支那フィルター] ↓ 邪馬台国の卑弥呼
667 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 00:09:52.49 ID:Sish6PwH0
>>643 歴史の最初の人物なんてどこだってそうだよ
ロムルスもテセウスもウもダビデもオグズもボルテチノもマンコも
ブルートゥスもスコーシアもキュロスもセソストリスも謎謎謎ばかりだよ
>>637 気合入っていたというより、自分たちの国が日本列島だと思ってなかったんだろうな
それに、西日本は森林地帯で切り開くのに手間がかかるし、東北の方はどうなってるかわからん
それなら、半島で領地広げるなり、半島の国を臣下にする方が早い
白村江で負けて、半島に足掛かりをなくして、日本列島を開発するしか道が無くなって、
ようやく日本人=日本列島って感じじゃないか?
670 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 00:16:27.80 ID:0Y1+oYxp0
秦氏は阿波に二万人ほど住み着いた 秦氏は波多氏とも言う 阿波とは古事記で始めにできたまともな国 淡路島は阿波路島であり、阿波への路の島 阿(あ)とは始まりという意味である 籠神社の海部宮司は全てを知っている 阿波徳島には、海部という地名や名字の集団が居る 興味のある人は調べてみなさい
韓国人は朝鮮半島には、古朝鮮と呼ばれる統一国家があったと主張しているが 漢の時代には、中国の郡がおかれていたし。 韓国人がよく問題とする任那だが このあたりは、小さく分裂し、有力な国は存在しなかったと考えられ 日本が進出する事が出来たのも、これが背景でしょうな
>>661 丹波国造となった海部氏は5世紀
では3世紀にはドコにいたのか
徳島県の地名に海部郡が存在する
海部氏は阿波南部海部地方の権力者
邪馬台国は阿波です(´・ω・`)
673 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 00:17:33.90 ID:t26bDwYL0
百済・任那・新羅の勢力圏内で大量出土のヒスイ製勾玉。古代において東アジアには日本の糸魚川周辺のヒスイ工房しかない。 化学組成検査により朝鮮半島で出土のヒスイが糸魚川周辺のものと同じと判明。倭国から朝鮮半島へ文化が流れていたことは 明らか、というより当時の半島南部の支配者は倭人だった 朝鮮半島で見つかった日本固有の前方後円墳は5〜6世紀のもので、日本本土には3世紀から前方後円墳があり、日本から 朝鮮半島へ高度な文化が流入したことは明らか。百済・任那・新羅一体の朝鮮半島南部の支配者は倭人だった。高句麗らの 朝鮮人が南下してくるまで 狗邪韓国(くやかんこく)は、3世紀中ごろ、朝鮮半島南部に存在した倭国の領土で倭人のいた地域。中国の正史「三国志」 「後漢書」に登場。日本府 任那の前身。狗邪韓国は倭国の北岸であり、韓(馬韓・辰韓・弁韓の三地域)と倭は接している (陸続きである)と記述されている。
古代日本には文献がないから言いたい放題だな 日本は島国である上に平野が少ないから地域交流が少なくて 確かに大陸に比べると古代文明は見劣りするな しかし始皇帝以後しばらく帝国なんかたかったのに わざわざ海を越えて攻めてくるかね
675 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 00:18:59.54 ID:e8hKdHtq0
阿波と言えば阿波忌部氏 まあ、邪馬台国かどうかは分からんが、初期ヤマト政権にかなり影響を与えた 有力豪族がいたのは間違いないと思うよ
>>620 自分も大分だと思う。耶馬溪とかあるし、水行何日ってのも最初に南に向かって
九州をぐるっと回ったんじゃないかと。
677 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 00:19:53.00 ID:WoxYgLyb0
>>668 逆説的に云えば
当事から優れた造船術と
大陸に渡るの苦労しない航海術を
備えた集団だったて事かの
678 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 00:20:07.58 ID:oZOu0iI70
>>637 狗邪韓国な 倭国の北岸って呼ばれてるから当時倭国地図があるとすれば
韓国南端の一部の島〜対馬など洋上の島々〜九州までとが倭国といったところか
680 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 00:21:14.78 ID:e8hKdHtq0
>>674 つーか、弥生末期、古墳時代の王権の規模が、
一昔前から想像できないくらい大きいと分かってるから、
それを完全に平らげる規模の外征軍を荒海越えてよこすなんてのはあの時代に
まあ不可能に近い罠
681 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 00:21:44.25 ID:0Y1+oYxp0
阿波には ○部 という名字が多い ○部 とは基本的に 秦氏(波多氏)の名字 有名な阿波忌部氏、彼らの名字は 三木 と言う これはある意味があってそういう名字なのだよ 君達はどこまで知っているかな
682 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 00:22:13.56 ID:t26bDwYL0
当時は海の向こうも日本 倭国領 狗邪韓国 のみならず、古代朝鮮半島の三韓地域(馬韓・辰韓・弁韓)には、 多数の倭人、倭人の風習を持つ民族が各所にいた。当時から朝鮮半島南部全体が日本文化圏にあったの である。 百済は朝鮮半島の倭系豪族が強大化して王族になったものと考えればいい。本土倭国の属国だったともいえる。高句 麗を撃退 した武寧王は九州で生まれ(日本書紀)、百済人は日系であり、渡来人なんて呼ばれてるものは半島にも多数いた日 本人だっ たにすぎない。 百済の優れた仏教美術も日本人。朝鮮人にそんな技術はない 新羅も402年、倭国に奈忽王の子 未斯欣を人質に送って倭国の属国となり(三国史記)、一時は百済・新羅とも日本 の属国だった。百済と新羅は友好関係にあったこともあるが後に激しく対立。新羅と高句麗は敵対したり手を結んだ り、倭国・百済についたりシナ側についたり、当時から動きが激しい 百済も一時、高句麗の進撃に押されて高句麗についたことあるが、日本から送った武寧王の出現で高句麗を撃退した (6世紀初め)。倭国(日本)は古代においても当時から朝鮮半島諸国を服属させ、支配権を得るほどの強国だった。
そりゃ日本人は海を支配する海神(わだつみ)という竜王の子孫だからな。海なんて余裕。
684 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 00:23:11.57 ID:oZOu0iI70
>>676 昔、有明海は玄界灘と通じていた(伊万里-有田?)?という説もあるし、筑後川を
遡ったというのもあり得る?
>>676 邪馬台国支配下の邪馬国っていうのがあるよ そっちかもしれん
686 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 00:25:55.28 ID:cb991MWji
なのくに、わのくに 外側と内側
687 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 00:28:00.27 ID:0Y1+oYxp0
何故、剣山は 7月17日 にああいう祭祀行事を行うのか 京都の祇園祭りとの関係を調べてみなさい
九州は単なる一地方。古代の日本国の領域はもっともっと広い。
690 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 00:34:36.74 ID:t26bDwYL0
朝鮮人はもちろん戦後教育を受けた日本人は、東アジアの歴史観を概ね中国一極で見てしまいます。地政学的に日本より中国に近い朝鮮経由で すべてが日本に伝わったと奴らは主張してくるわけですが、古代の東アジアの実態は全く異なり、実際は当時から中国と日本の強大な二国が 存在していたということ。朝鮮は、高度な文明を持った日中両国の間にあったにすぎず、朝鮮人は古代からその二国の影響下にあったわけです
じゃ・・邪馬壺国
692 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 00:35:00.45 ID:e8hKdHtq0
>>688 北陸道で4世紀初頭だと四道将軍の時期だろうね
>>687 メンドクサイ人だなww
阿波だと思うのなら
何かを知ってるなら書けよ(´・ω・`)
>>577 中華帝国で言えば統一国家ができたのがBC230頃の秦が最初
すぐに内乱が起きて次に出来た漢は匈奴と争ってて余裕が無い
漢は武帝が最盛期でその後徐々に衰亡
わざわざ海越えて日本に侵攻する余裕が無い
そもそも日本からは朝貢してきてるんだから戦争する意味もない
その後三国志の時代は魏が朝鮮半島支配した訳だがそこに邪馬台国が朝貢してるわけ
中華帝国が日本侵略する理由も余裕もないわけ
あと半島経由の騎馬民族征服論なんて変な反日左翼以外現在では誰も言ってないよw
むしろ日本は4世紀には朝鮮半島の南半分を征服してたんだからw
朝鮮半島なんて日本、満州の騎馬民族、中華帝国の草刈り場だったわけ
>>692 神武東征した後も、畿内より西側の山陽道を、平定しなくちゃならなかった。
と言うことは、神武東征は分家が本家に謀反を起こしたと言うこと。
天皇家の祖先であるはずの大和朝廷が魏に朝貢しているのは非常に都合が悪いという理由で
>>683 の海人族中心の邪馬台国と、その古代の時代から大和も含めた葦原中津国
を支配していたはずだとする大陸由来の天皇家の祖先を無関係であるとしてしまった
小保方さんのような精神構造の本居宣長、そして九州説
卑弥呼共立の当時、群雄割拠して後漢王朝の統治能力は低下し戦乱状態で
邪馬台国の周辺でも倭国の乱 、寒冷化による北方民族の南下で半島も混乱
海を渡って複数の氏族が渡来した
697 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 00:45:23.40 ID:q4dvW0jV0
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ オランダは解雇規制緩和後に非正規雇用、パートタイマーの仕事しかなくなった。 オランダは、失業率が下がったように見えるが、実態はアルバイトが増えただけl。 その結果、働くことをあきらめた若者が日中からたむろして、麻薬やレイプ、売春、犯罪で生きてるが、日本もそうなる。 さらに・・・ ス ペ イ ン は 解 雇 規 制 緩 和 し た ら 、 若 者 失 業 率 が 6 0 % に な っ た ! 解雇規制緩和したら、若者が採用されるとか、求人が増えるとか、成長産業に人が動くとか、全部大嘘!何百万という失業者であふれてる。採用・求人なんて増えない。 世界で最も解雇しやすい国、アメリカでも逆に若者失業率は悪化した。 解雇しやすくしたら、採用されるとか、求人が増えるとか、 机 上 の 空 論 で し た。 竹中のトリクルダウン理論と一緒。後から大嘘と判明した机上の空論。 そして竹中は日本をオランダにしよう、っていってる。 自分は慶応大学の終身雇用教授なんだけどなw しかーも、産業競争力会議で提出された法案は「裁判で違法とされた解雇を金銭で合法とする」という違法解雇の合法化! アメリカでさえ禁止している、性別、人種、年齢による差別解雇も可能となる超劣化アメリカ化法!安倍と甘利は会議でいいねいいね、を連発。 ネトサポに言い訳不可能。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
>>696 >海を渡って複数の氏族が渡来した
楽浪郡が崩壊してから公孫氏が支配するまでの間限定だな
その後魏が帯方郡設置で半島は安定する
しかも流民や亡命貴族として受け入れられただけで侵略とか無理な話
699 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 00:50:41.82 ID:F1rcGeoB0
>>642 魏志高句麗伝で高句麗は、たった三万戸。
少なくとも高句麗より2倍以上の人口をもつ、比較上位の国が2つなければならないんよ。
なんかさ、昔っから朝鮮起源説ってあるみたいだけどさ、そんなこと思っているのって、オッサン連中だけだよね? 俺全く朝鮮に親近感なんて無いわ。全然文化が違うじゃん。
金鵄信仰も八咫烏も、古代中国大陸の伝説上の3本足カラス 太陽の中に住むという赤色の烏金烏のこと 蛇神信仰の葦原中津国に金鵄信仰を持ちこんだ氏族が 葦原中津国で拡がりをみせていった
702 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 00:55:49.96 ID:F1rcGeoB0
倭人というのは、呉人と同意語なんで 朝鮮半島よりも呉から、人口が流入したのかもしれない。 最近のDNAから水稲は、呉→日本→朝鮮半島と伝わったのは確実だし。
>>700 戦後すぐに戦前の天皇崇拝へのアンチとして騎馬民族征服説ってのが出てきたわけよ
当時の朝鮮半島は騎馬民族でもなんでもないんだがそれが何故か朝鮮人が
日本を征服したって話になっちゃったのw
いまだのその話覚えてるオッサンが多いんだろうね
考古学的にはとっくの昔に否定されてる話だよ
とんでも作家の捏造
>>700 親近感や文化は別にしても
どの世代でも韓国起源説は
(ヾノ・∀・`)ナイナイ
706 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 01:00:03.06 ID:G+L1QYMRO
騎馬系は日本海ルートのナガスネヒコ系統だと思うな 何かいろいろ捻れてる予感
707 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 01:01:13.13 ID:oZOu0iI70
古代史勉強したいんだけど、まず何読んだらいい?
708 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 01:03:56.59 ID:R27vypXG0
♪伊代はまだ 16だから〜
>>701 中国の山海経に扶桑の位置が書かれてある。
「大荒(辺境)の中に孽搖頵羝(げつよういんてい)という山があり、山の上に扶木がある。
高さは300里(130m)、その葉はカラシナに似る。温源谷(=湯谷?)という谷があり、湯谷の上に扶木がある。
1つの太陽が来ると1つの太陽が出て行き、太陽はみな烏を載せている」
(『山海経』海経巻9 第14 大荒東經)
烏が乗る10の太陽という話は、三足烏の神話と共通である。
扶桑=日本の異称
710 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 01:06:30.97 ID:9HGR9lch0
>>707 シュメールから始めると良い
万葉集は音で読むとシュメール語だしな
>>707 古事記、日本書紀、竹内文書
メンドクサければ適当な出版社の
日本の歴史シリーズかな(´・ω・`)
弥生人のあのオウムの信者みたいな 白い服の格好は騎馬民族の衣装じゃ なかったっけ? 古代日本はズボン文化だったのに、いつの間にかスカート文化に移行したね
713 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 01:08:19.49 ID:FCkmQF9J0
卑弥呼なんて名前は日本にないから 在日か朝鮮人だな
>>181 昔は九州の形が全然違っていて、博多湾と有明海が繋がっていたとも聞く
>>707 江戸時代以前の正史だった日本書紀や、江戸時代以前の皇統譜である本朝皇胤紹運録や尊卑分脈。
正史ではなかったけれども正史になった古事記や、聖徳太子の先代旧事本紀。後は新撰姓氏録。
邪馬台国の卑弥呼やその王族は天皇家の直接の祖先ではなく 巻向の邪馬台国で女王の下で海人族に婿入り政治を司ったミマキ入り彦 しかし巻向の神に認められず、マツリゴトは混乱し国は疲弊し人は飢饉流浪 アマテラスの荒御魂の鏡は大和から出され、海人族の止由気の元伊勢でも 鎮座できず、ようやく伊雑宮をへて現内宮の敷地内の古代祭祀地の北側に ある荒祭りの宮に落ち着く
717 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 01:15:41.41 ID:G+L1QYMRO
九州の稲作文明圏が畿内の馬から降りたナガスネヒコ系統を降伏させた ナガスネヒコ系統はニギハヤヒに連れてこられた系譜で すでに血縁の一体化もしてた それがウマシマジである ウマは象徴化していた 相手を受容する際には象徴化するやり方である そしてナガスネヒコ系統の立ち居地はイワレビコ系統に引き継がれた
718 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 01:17:49.92 ID:oZOu0iI70
>>710 日本人はアッシュールバニパル王の末裔ですか?
>>711 古事記、日本書紀読んでも分からんとです。もう国譲りとか意味不明です。
何かこうひねったような。宮崎康平の「まぼろしの邪馬台国」を追って みたいな。
なんかよかもんなかですか?
719 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 01:18:32.32 ID:H1pBw0pT0
伊勢神宮を20年毎に作り替えるのは、日食が約19年周期で繰り返される ことに関係があるのだと思われる。
720 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 01:20:35.93 ID:oZOu0iI70
>>715 >本朝皇胤紹運録や尊卑分脈。
>聖徳太子の先代旧事本紀。後は新撰姓氏録。
のあたりですか?ありがとうございます。
>>707 俺は読んだことが無いけれど、竹内文書とかホツマツタエもあるよ。
南朝の系譜っていうものがあるらしい。南朝の系譜は今の皇統譜よりも、ずっとずっと古い時代からの系図が記されてあるんだとさ。
いちおう俺の地元の近くが南朝と縁のある所だから、そういうのきいたことがある。
>>718 古田武彦「邪馬台国はなかった」とか(´・ω・`)
723 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 01:22:38.56 ID:mElJAunm0
>>630 それよくあるウソ。
当時は九州と近畿とはだいたい同じ程度の人口だったことが分かっている。
長脛ヒコは大和盆地と河内を本拠とする蛇神首長の代表 ニギハヤヒの子のウマシマジは出雲に物部代表として交渉に出向き その様子が富氏に伝えられる伝承の一部としてあらわれている 両者とも馬とは何の関係も無く当時の日の下の国には馬はいない
>>510 佐賀の高速道路には佐賀大和インターなんてのがある
>>707 あとは中国の山海経とかかな・・・
中国神話の道教とか・・・
インド神話とか仏教とかも・・・
中国インドにきたら、今度はインド神話と符合が多いギリシャ神話とか・・・
そろそろ邪馬台国、機内説 に当確出そう?
>>707 日本神話、中国神話、インド神話、ギリシャ神話ときたら、あとは旧約聖書かなw
おおすじ、全部符合しているよ。
そもそも日本書紀冒頭の天地開闢は世界共通さw
>>727 邪馬台国=阿波で何の問題も
矛盾も無く決定されました(´・ω・`)
731 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 01:29:44.43 ID:mElJAunm0
>>598 それは無い。
投馬国はどうなる?なぜ陸行が書いて無いのか?
中国語の作法として、その様な書き方はあり得無い。
>>619 逆。学術的には近畿はあり得無い。
>>156
>>727 邪馬台国と同じくらいの時代に近畿地方を中心とする強大な政権が成立したことは確実。
しかしそれが邪馬台国そのものであるかどうかは、文字資料でも出土しない限り知りようがない。
733 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 01:32:04.13 ID:mElJAunm0
>>727 近畿説は小保方擁護と同じ。
>>732 違う。魏志倭人伝の記述と全くあわ無いから、近畿説は消えた。
734 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 01:32:16.32 ID:cb991MWji
韓国を過ぎ對馬海を南に行くとけわしい山更に南に行き、海を渡ると南シナに至り、その国とその北はわからず 九州の東には四国等の国があって海を渡り、南紀に至ると好んで海に潜り魚を食べる田畑を有し、その服装などは〜風呂にも入る、御名爾の国では人が亡くなると服喪する御名爾の国の王が亡くなると争いがあり、
阿波は邪馬台の王族の親戚氏族の国 その後、多や秦とうまく融合し後世まで力を保った
736 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 01:32:41.99 ID:G+L1QYMRO
つまりさ邪馬台国より前に畿内ではナガスネヒコ系統が居たわけだよね
>>7 もし、東京なら、府中市にある熊野神社古墳をみてみるのもいいかも。
すっかり復元されているが、イメージがつかみやすい。復元前は土が盛ってあるだけな感じだったけど。
ついでに、熊野神社から北に3km程のところにある武蔵国分尼寺跡では、寺院の基壇に上記古墳と
同じ作り方の版築というのをガラス越しに観察できるようになっているよ。
なお、武蔵野線を挟んで東側が武蔵国分寺跡。
大物主のモデルと親戚関係にある長脛ヒコは邪馬台国の以前も後もなく 同時代 ただ長脛の生駒麓の伝承では異論あり
739 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 01:39:48.20 ID:mElJAunm0
>>662 銅鐸は、神武を近畿へ招き入れるため、近畿勢が自ら捨てたのだと思われ。
神武は東征したのでは無く、近畿に招かれて行った雇われ店長。
一番上と、一番下が矛盾しているんだけどwwww
741 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 01:41:18.47 ID:G+L1QYMRO
さすがに同時代はおかしいだろ どの道にしてもナガスネヒコ系統の故地に 別の系統が入ってきた これがヤマトなのか邪馬台国の流れなのかは別にして ナガスネヒコと邪馬台国が併存してたはないよ
742 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 01:43:42.11 ID:mElJAunm0
>>736 ニギハヤヒな。纒向はそいつらが作った都市。邪馬台国は何の関係も無い。
>>740 それも逆。近畿説は「纒向は凄いんだぞー」説。そもそも邪馬台国論争と関係無いwww
天理教万歳!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
日射神話ってあるだろ。あれ、日中戦争だぞ。
745 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 01:46:40.59 ID:eBgaMsJfO
>>718 昔は音を重視して『シュメル』と言ったらしいが、『すめらみこと』と関連付けて日本人はシュメル人の末裔みたいな俗説が広まった事があるとか。すめらみことはシュメルのみことである、みたいな。
その後誤解を避ける為に『シュメル』表記から『シュメール』表記になったそうな。
と、なんかの本で読んだ。
その頃、卑弥呼とオオキミはどっちが偉かったの? え?大王とかいなかったって?
747 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 01:48:48.89 ID:JZBIjEdc0
>>740 邪馬台国の所在を問うこと自体が無意味ってことで、論争自体が消滅したんだよ。
纏向遺跡を掘るための方便として近畿説が残っているだけ。
748 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 01:49:24.95 ID:4I/RdPO80
>>731 >中国語の作法
漢文の作法はあるが中国語の作法とは?本当に古田とか読んだだけのド素人なんだな。
漢文の作法だと水行十日と陸行一月が対の関係になるけどねw
これは先年発見された「続修四庫全書梁職貢図斯羅國」の文だが
斯羅國本東夷辰韓之小國也
魏時曰新羅宋時曰斯羅其實一也
或屬韓或屬倭國王不能自通使聘
普通二年其王姓募名泰始使随百濟奉表獻方物
其國有城號健年其俗與高麗相類
無文字刻木為範言語待百濟而後通焉
斯羅國ハ本ハ東夷辰韓ノ小國ナリ。
魏ノ時ニ曰ク新羅、宋ノ時ニ曰ク斯羅ト。其ノ實ハ一ツナリ。
或ハ韓ニ屬シ、或ハ倭ニ屬シテ、國王使聘ヲ自ラ通ズルコト能ク不ズ。
普通二年、其ノ王、姓ヲ募名ヲ泰、始メテ百濟ニ随イテ使シ表ヲ奉リ方物ヲ獻ズ。
其ノ國ニハ城有リテ健年ト號スル。其ノ俗與ニ高麗ニ相類ス。
文字無ク木ニ刻ミ範ト為ス。言語ハ百濟ヲ待テ而ル後ニ通ズルナリ。
例えば「魏時曰新羅宋時曰斯羅其實一也」の部分は「魏時曰新羅」と「宋時曰斯羅」で対になっている。
「或屬韓或屬倭國王不能自通使聘」も「或屬韓」と「或屬倭」で対になっている。
これがわかっていないと「或屬韓」と「或屬倭國王」で分けてしまう。
749 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 01:49:30.92 ID:PBvwNJ5y0
センチメンタル・ジャ〜ニ〜
>>747 というより大和以外にないことが明確にされた。
751 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 01:51:40.01 ID:Tx86SzRD0
親が病気で天理の病院に泊まってるんだけど近くかな。
752 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 01:52:38.38 ID:mElJAunm0
朝鮮人が盗掘してるのか 捕まえて死刑にしろよ
755 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 01:54:15.45 ID:H1pBw0pT0
九州の八幡が邪馬台国になったんだろうか。 それとも大分の耶馬渓(やばけい)か? //ja.wikipedia.org/wiki/耶馬渓
昔 「万世一系の我が国の皇統が支那の王朝に朝貢などする訳がない。 よって邪馬台国は筑紫にあった小国で卑弥呼とは神功皇后の名を騙った熊襲の王。 邪馬台国を大和朝廷の前身と言うやつは反日売国奴(本居宣長)」 今 「日本には古代から支那に比肩する独自の文明が存在し大和朝廷による統一国家が存在した。 邪馬台国こそが大和朝廷でであり、女王・卑弥呼は神功皇后の事である。 よって邪馬台国が九州にあったという奴は古代日本に文明国があった事を認めたくない反日売国奴(お前ら)」 まさに大和民族としての矜持をどこに持つかが時代と共に変化していく証左な訳で、邪馬台国論争は面白いよね。
758 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 01:55:15.88 ID:mElJAunm0
近畿説は単なる「纒向は凄いんだぞー」説で、もはや邪馬台国論争とは関係無い。 邪馬台国論争から脱落し、消滅した。 近畿説は小保方擁護と同じ。
天理〜せ〜いね〜ん♪ す〜す〜め〜わ〜れら〜♪
760 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 01:58:21.11 ID:mElJAunm0
>>757 ↑
これね。
「おぼちゃんがんばって。俺は信じてるよ。」
似てるwwwwwwwwwww
>>756 大和民族は大和国=奈良
倭人=邪馬台国=阿波なだけ(´・ω・`)
762 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 01:59:53.12 ID:4I/RdPO80
ID:mElJAunm0は中国の作法とやらを説明する義務がある。
皇国史観とかタブーが無くなったことで 騎馬民族征服説だの馬鹿げた妄想まで出てきたが 現在では古代日本は中国の冊封体制下で勢力拡大を図っていた事実を受け入れている そして邪馬台国から倭の五王出現までの空白時代(ただ単に資料がないだけだけどな)を経て 強大な統一国家になり朝鮮半島南部を席巻し高句麗と激突したことも事実 これはなぜか中学の教科書には載ってない 明らかに変な筋の奴らが歴史を捏造している証拠でもある
764 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:03:32.56 ID:rF5vq35g0
まあ天理教自体江戸時代に皇室の作法や秘儀が流出してそれを元にできた宗教だから 流出したものに日本のルーツに係る秘密が記してあったからあの場所に本拠地かまえたんだろうから さもありなんって感じだわなw
765 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:04:35.18 ID:4I/RdPO80
>>762 中国語の作法だったw
それっぽい言葉を並べるが中身が無いのがID:mElJAunm0だな。
ID:mElJAunm0は森口みたいに説明を拒否して逃げるのかな?w
インド神話のナーガと、中国神話の伏羲と女媧って似てるよな。 日本人の竜王かもしれないな。
767 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:07:33.74 ID:1wVW494G0
きみらさ、邪馬台国は北九州にあった近畿にあったって水掛け論じゃなくてさ、 北九州に倭の本拠地があったのはまず間違いないんだから、それがいつ近畿に移転したのかを考えてよ しかもなぜあえて同じ地名をつけて遷都を隠したのか
>>767 どう結論付けたら九州で間違いないんだ(´・ω・`)
・少昊(しょうこう)は、義和の国と称された東夷族の国の領主にして黄帝の子。中国古代の五帝の一人。 ・羲和(ぎわ)は、江戸時代まで日本でも流通していた中国古代の地理書「山海経」に記載のある太陽の母神であり、炎帝に属し東夷人の先祖にあたる帝俊の妻。 東海の海の外、甘水のほとりに義和の国があり、そこに生える世界樹・扶桑の下に住む女神である義和は、子である「十の太陽たち」を世話している。 天を巡ってきてくたびれた太陽を湯谷で洗っては扶桑の枝にかけて干し、輝きを蘇らせるという。 子孫には、中国五帝の一人とされる東夷人の領主・少昊がある。また、羲和から生まれた十日の子孫に「日氏」や「湯姓」があり、羲和の和に因む「和氏」は天地四時の官になったと『通誌』に説かれている。 ・扶桑=日本の異称。
>>767 だからぁ・・・
邪馬台国がどこにあったかは重要じゃないのよはっきり言って
古代日本に魏との交流があったことが重要なわけ
その記録の中にある邪馬台国と狗奴国との全面戦争の記述が重要なの
これに勝利した事でヤマトが日本を統一して急速に中央集権化して
100年後に歴史に出てきた時には朝鮮半島南部を支配して高句麗と全面戦争になってるわけで
日本統一のクライマックス部分が魏志倭人伝なのよ
771 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:12:50.56 ID:G+L1QYMRO
蛇系を倒したのが新王朝ってパターンも多いよな イワレビコってさ 隼人のハーフなんじゃないの? 隼人は狗って意味だよね つうか狗奴国は隼人じゃね?
はに丸くん「はにゃ?」
>>764 でも不敬罪で弾圧されたんだぜw
そりゃ伊弉諾、伊邪那美は十柱の神のひとりでその上にいるのが親神天理王命です(キリッ
なんて言ったら明治政府に怒られるってーのwwwwwwww
邪馬台国と関係があった国は山陰山陽四国
>>771 どっちかといえば蛇系の天下じゃね(´・ω・`)
776 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:17:16.89 ID:4I/RdPO80
なんだ 天理市のスレなのに天理教とは俺だけかwwwwwwwww
778 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:20:18.26 ID:rF5vq35g0
>>773 まあ勾玉が本物だから今の皇室が正統だわな。三種の神器が全部レプリカで儀式が天理と同じなら
やおろずの神さまとしたらどっちでもいいになっちゃうからなw
779 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:20:44.23 ID:G+L1QYMRO
>>775 中国だけが、飛び抜けてそうだな
他は、結構、獣神化して戦ってる模様
オオカミが大神で山神信仰なのは日本の特性だね
蛇系って、今でいう竜ドラゴンだろ? 仏教の法華経には八歳の竜女の成仏が書かれてある。 畜生の身でありながら仏になったことで知られる。これにより畜生成仏、女人成仏、子供成仏が証明された。事例。 「此の八歳の竜女の成仏は帝王持経の先祖たり、 人王の始は神武天皇なり神武天皇は地神五代の第五の鵜萱葺不合尊の御子なり 此の葺不合尊は豊玉姫の子なり此の豊玉姫は沙竭羅竜王の女なり八歳の竜女の姉なり」 つまり、天皇の先祖である竜王は、昔は世界的に有名だったということ。
781 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:22:56.14 ID:1wVW494G0
>>770 倭国大乱で倭は疲弊してたわけだよね内戦で
だから主要国が女王を共立することで和解したって書いてあるじゃん、この時点でほぼ統一でしょ
狗奴国はある意味反主流派なわけでわりとどうでもいいよ、結局制圧されたわけだし
魏志倭人伝に日本統一のクライマックス部分が書かれてるのはその通りだね
782 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:25:26.59 ID:G+L1QYMRO
スサノオがヤマタノオロチを倒したんだよね ここで一回蛇系が負けてるよな
783 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:27:06.26 ID:hyc3XXjD0
>>767 私は大和朝廷は実は狗奴国だったと思いますね、つまり、大和朝廷とは元々北九州に住んでいた一族が
倭国大乱の時に権力争いに敗れて奈良に落ち延びてきて作った国で、魏志倭人伝が書かれた時は
国名を狗奴国と名乗っていたんだと思います、そして、狗奴国はその後邪馬台国を滅ぼして日本統一
を果たしたんだと思います、あえて奈良への遷都を隠したのも、その理由が権力争いに敗れて落ち延びて
きたという不名誉な理由だったからで、狗奴国が邪馬台国と仲が悪かったのも倭国大乱の時の恨みが
原因だったとすれば納得いきます、そして、なぜ狗奴国が大和と名乗ったのかについても、大和という
名前がもともと特定の国の名前ではなく、多くの国を束ねた国に与えられる称号だったとすれば納得いきます。
784 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:27:41.69 ID:rF5vq35g0
蛇のしっぽ切ってすげぇ刀出てきたんだから 竜王っていう進んだ人たちがいてそいつらから刀ぶんどってやったぜ!ざまぁみろが 今の皇室なんじゃないの?
>>781 いやわざわざ魏に使者送って「軍勢送ってくれ」って言ってるくらいだからな
狗奴国はヤマトに匹敵するくらいの勢力持ってたってことでしょ?
それに対して魏が送ったのが旗と張政だったわけだがw
その後も延々戦争してた訳で中華帝国の威光も通じない相手となると
個人的には関東の豪族連合が狗奴国ではないかと思ってるんだがね
扶桑の樹とは、『山海経』第九の「海外東経」などに登場する神木、天帝の子の十個の太陽が泊まって、そこから天空に上がる巨樹であり、扶木ともいう(一方、太陽が天空から降りる巨樹は西の涯にあって「若木」という)。 東海の海上にあって、その生える地を「暘谷」といい、木と同じく「扶桑」ともいう。これに関連して、十個の太陽のうち九個をゲイなる弓の名手が射落としたら三本足の烏が九羽落ちてきたという「射日神話」があり、 これにおそれをなし一個だけ残った太陽が岩屋(ないし西山)に閉じこもって出てこないことで、これを招き出すという「招日神話」が伴う。
787 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:29:19.20 ID:1wVW494G0
>>776 箸墓古墳は卑弥呼臭プンプンだけど、もしそうだとすると
邪馬台国の遷都は白村江以前になっちゃうんだよね
確かに白村江以降はものすごく納得いくタイミングなんだけど
邪馬台国九州説は、もともと観光キャンペーンのために考えられたもんだからな
789 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:33:11.88 ID:CdvPg6sd0
790 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:33:55.47 ID:4I/RdPO80
>>783 >あえて奈良への遷都を隠した
神武東遷はどういう扱いになってるの?
792 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:36:38.38 ID:4I/RdPO80
>>787 俺は九州王朝説の話はしてないんだがw
逆に否定してんだけどw
>>776 の意味がわからなかった?
甘木の方が飛鳥時代に天皇行幸にちなんで大和の地名付けられたんじゃね?て話だよw
いやいや。 崇高なる日本の皇統が中国に朝貢していた事実なんかあるはずないというネトウヨ的発想から生まれたんだよ、九州説は。 だから、九州の蛮族の女王が偉大なる日本の王を騙って朝貢したんだというのがもともとの九州説。
では、その天帝がいた、世界樹の扶桑の位置は。 「下に湯谷があり、湯谷の上に扶桑があり、10の太陽が水浴びをする」(山海経) 「大荒の中にゲツヨウインテイという山があり、山の上に扶木がある。高さは300里(130m)、その葉はカラシナに似る。温源谷(湯谷)という谷があり、湯谷の上に扶木がある。1つの太陽が来ると1つの太陽が出て行き、太陽はみな烏を載せている」(山海経) 湯谷(ゆや=熊野)の上(陰陽では東)に山(富士山)があり、山(富士山)の上(東)に扶桑(buo-so=房総)がある。
795 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:38:58.90 ID:rF5vq35g0
ヤマトと正統と認めるそれなりに国力のある勢力はおいらの 地元の岐阜にあったんじゃないの?位山のイチイで今も即位の 正統性認めるんだからさ。
796 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:39:52.64 ID:mElJAunm0
>>762 イミフ。
お前がなぜ投馬国に陸行が表記されていないのかを合理的に説明する義務がある。
論外。
797 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:40:23.30 ID:G+L1QYMRO
中国の歴史って騎馬系民族が蛇系の王朝を誇称する歴史だよね これが日本だと逆になってるというか
日本の古代史は文献が残されていないのが妙なのよ。 魏に使者を送って会見しているくらいなのだから、 文字を書く文化が無かったはずもなく当然漢字も伝わっていたと考えられる。 しかし、何も残されていない。 何らか徹底した証拠隠滅が行われたことは紛れもない事実かと。
799 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:41:43.41 ID:4I/RdPO80
>>796 中国語の作法としてありえないというのを説明してくれないかな?w
>>793 だからそれ本居宣長だろ・・・
あいつまじで最悪だわな
事実理解してるからこそ出来る捏造だろ九州女酋説w
>>795 熱田、伊勢の扱い見る限り中京地区はあくまでヤマトに協力してた勢力だろうな
出雲の扱いもそういうことでしょどう考えても
吉備は征伐されてるからな・・・
扱いが悪くなる理由はわかる気がするw
九州もw
801 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:41:49.95 ID:hyc3XXjD0
>>785 同感同感、魏志倭人伝では邪馬台国は北九州の広範囲を勢力圏として持っていたかなりの大国
だった事がわかりますし、当時の勢力は領土の広さに比例しますから、その邪馬台国に軍勢を送って
くれと魏に要請させるほどの力を持っていた狗奴国もまたかなりの広大な領土を持つ大国だったはずです、
しかし、九州にはそれほどの土地はありませんから、狗奴国は近畿から東日本全体までも勢力圏
としていた大国だったと思います、そして、大和朝廷は奈良を本拠地としていますから大和朝廷とは
実は元狗奴国で、邪馬台国は狗奴国との戦いに敗れて滅ぼされたのだと思いますよ。
802 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:42:03.73 ID:5/aBz6tT0
畿内を中央とするならあんなへんぴな場所にある 宇佐神宮が「八幡総本宮」であるという意味は何かということだ
・帝俊(ていしゅん)は、上古の中国神話に登場する東方の天帝(帝舜と同じといわれる殷の祖神)。羲和(太陽の女神)と常羲(月の女神)は帝俊の妻である。 『山海経』(せんがいきよう)の大荒西経より「帝嚳」の異名を持つ。炎帝に属し東夷人の先祖にあたる。黄帝、顓頊と共に伝説の五帝を始祖とする。
804 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:42:44.98 ID:mElJAunm0
>>768 例えば
>>459 これもまた逆。どう考えたら近畿が出てくるのかとw
「纒向は凄いんだぞー」では根拠にならんよ、だから。
805 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:44:41.30 ID:H1pBw0pT0
大和運輸がどこから発祥したかご存じですか?
>>798 文字文化に接したのがAD57の朝貢以降だとすると
竹簡とか木簡を使ってた可能性はあるが
当時の日本では文書を残すという部分について重要性が理解されてなかったとかはありそう
807 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:45:00.18 ID:hyc3XXjD0
>>790 大和朝廷(狗奴国)が奈良にやってきた理由が、元々倭国大乱の時に権力争いに敗れて奈良に
落ち延びたという不名誉な理由だったため、その不名誉な理由をごまかすためにわざと東征神話
という勇ましい神話を作ったのだと思います。
808 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:46:24.33 ID:mElJAunm0
>>799 >>796 (だからお前は論外なのw)
中国語の作法として、形式を整えようとするから。邪馬台国には水行と陸行を
併記し、投馬国へはやらないのは、中国語の作法として奇妙。
809 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:46:37.27 ID:1wVW494G0
これまず誰かが日本書紀や古事記や旧事本紀とかそれに含まれてる 明確な暗喩とかをまとめて共通認識を作らないと話がまとまんないね あと氏族と氏神と神社の系譜とか風土記とか そういうソースをみんなで共有しないといつまでも話に脈絡がない 日本人自身のために日本人の歴史をちゃんと日本人全員で学びたいね
畿内説 邪馬台国への道程の記述は距離はあってるけど方角が間違ってる 九州説 邪馬台国への道程の記述は方角はあってるけど距離が間違ってる どちらも都合よく解釈してるだけだね 俺は邪馬台国への道程の記述は距離も方角もあっている すなわち邪馬台国とは現在は海に沈んでしまったムー大陸説を推したいね
>>802 八幡さま7世紀からじゃなかった?
卑弥呼の時代から存在した?(´・ω・`)
812 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:47:37.18 ID:4I/RdPO80
>>804 新唐書については説明しただろw
北宋時代の成立で、当時入宋した日本の僧侶が持ってきた日本の史書を元に書いているってw
そして宋史の日本伝とかなり内容が被るとも。
新唐書は「初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り」の部分は間の代を省いてるのは宋史を見れ
ばよくわかるんだよ。
だから筑紫に居住しているの部分が筑紫三代にかかっているのが分かりにくくなっている。
お前はこういう説明に対してちゃんとした反論できないよねw
>>801 それはないと思うよ
張政が10年後くらいに帰って帯方郡の郡主になってるから
邪馬台国と狗奴国の戦いにある程度ケリ付けて
魏の皇帝から成果を認められたってことだと理解してる
814 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:49:12.58 ID:mElJAunm0
815 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:49:51.31 ID:rF5vq35g0
うちの地元の宿儺伝説ってどうみても二刀流の外人さんなんだよなぁ。 今も昔も権威は外国からってのが日本人の本質なのかなw
江戸時代に「鎖国」の中で偏狭な「国粋」主義(ウルトラナショナリズム)が高揚された それが一方では水戸学(儒教)、他方では国学(国文学)として派を立て、明治維新の成立に甚大な影響を与えた 維新の成立後、二派協力して「神道、原理主義」と称すべき国家的イデオロギーを樹立した その歴史像がその後130年の日本の思想界の基本となっている それ故に、敗戦後は、表面上、学問・思想の自由の立場から、異説の「公示」や「発表」は認めておきながら 通例これを「論議や論争」の対象にはしない これが日本史学のプロの専門家にとって、内密の「処世術」となったのである このような姑息な雰囲気の中で、もし人間精神の独創を求めるならば、いわゆる「木に登って魚を求める」たぐいと言う他はない 日本のウルトラナショナリズム下の歴史像によって「洗脳」されてはいない外国人の、人間としての理性にのみ期待するほかない
817 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:50:44.32 ID:4I/RdPO80
>>814 俺の妄想ではなくアカデミックな方面で言われているものだがw
>>807 日本書紀に記述された日本神話が時代を考えると非常に幼稚なのはどうしてだろうな?
過去をウヤムヤにするためにウヤムヤな話をでっち上げるしか無かったとしか思えないのだが。
魏と交易して数百年後にあの内容というのは違和感ある。
その後の経緯を書きたくなかったとしか思えないのだが。
しかも、日本書紀以外に文献も見当たらず、徹底した焚書が行われた事実も明らか。
そこまでの秘密って一体なんなのかと。中国にも資料が無いし、まさに闇だわ。
東日本=高天原 西日本=豊葦原中ツ国(昔は大漢国とも呼ばれていた) 大陸はその豊葦原中ツ国の属国だから支那。 日本世界起源説。 日本書紀の冒頭の天地開闢はだてじゃない!
820 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:52:20.70 ID:mElJAunm0
>>817 アカデミックな妄想だよ、だからw
小保方と同じ。
821 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:52:24.72 ID:G+L1QYMRO
だから狗に竜宮城姫が犯されたんだろ かわいそうに、それが台与だなんてさ けど頑張りました ちゃんと子育てして、アンタは天孫なのよ!と だからお父さん顔を知らなくて当然なの! 何となく察したイワレビコ兄弟は一族の名誉挽回のために傭兵部隊の最前列へと
狗奴国の場所は邪馬台国の南としか魏志倭人伝に記載されていないため、邪馬台国の位置に諸説ある現状では、狗奴国の場所も比定されていない。 邪馬台国の比定地について学界の主流は畿内説と北九州説に二分されているが、邪馬台国畿内説に立つ論者は狗奴国の位置を、 愛知県一宮市の萩原遺跡群をはじめとして伊勢湾岸一帯からS字甕が大量に発掘されていることから、濃尾平野一帯に広がっていた邪馬台国に匹敵する大勢力国であったという説が有力視されている。 他にも毛野国]、出雲地方説等もある。 北九州説に立つ論者は肥後国菊池郡、同国球磨郡等に比定している。 内藤湖南のように畿内説でも熊襲に比定する論者もいる[要出典]。 後裔に関する説 邪馬台国についてヤマト王権との関係に諸説あるように、狗奴国についても、その後どうなったのかを巡る諸説が対立している。 主なものは、消滅説(邪馬台国に敗れ滅んだ)、東遷説(邪馬台国を滅ぼし東征しヤマト王権の母体となった)、継承説(熊襲になった)、 神武天皇による九州の日向から近畿の奈良方面への東征伝承を邪馬台国連合の圧迫からの逃亡でありヤマト王権になったとする説などがある。 更に近年、考古学の分野において古墳時代前期前半に前方後方墳を造営していた濃尾平野以東の東日本の諸勢力の前身で 大型の前方後方形墳丘墓を営んでいた濃尾平野の勢力を狗奴国と見て、卑弥呼没後まもなく邪馬台国連合に統合され、徐々に吸収されたとする見解が出されている。
823 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:52:59.12 ID:hyc3XXjD0
>>813 しかし、もしも邪馬台国が大和朝廷と同じだとしたら、親魏倭王の金印が皇室に伝わっていないのは
おかしいですし、邪馬台国からの朝貢が途切れた事を考えると邪馬台国は滅びたと見るのが自然
だと思います。
824 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:53:25.92 ID:4I/RdPO80
>>814 隋書の記述にしても実際の文章を
>>465 で出したら「邪靡堆が近畿ヤマト政権だと言う根拠は?
あと、
>>459 な。」とスライドするしw
まともな学術の教育受けてないでしょw
825 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:54:26.10 ID:vh0vn2qu0
>>79 おまえらいつも関西はチョンと言ってるはずだがw
1縄文人=アイヌ、琉球
2弥生人=江南地方出身者
3天皇家=金官伽耶諸国と同族
おそらく123の順で列島に入った。
天皇家と金官伽耶諸国は同族。
(百済や新羅、高句麗ではなく大和に庇護を求めてきた、土器、古墳等)
ただし伽耶諸国は百済や新羅とは別種。
斎宮を王と勘違いされたんで、 神宮を伊勢に移転したんと違うか。
>>818 だから邪馬台国はムー大陸だったんだよ!!
その事実を隠すために日本書紀以外の歴史書は焚書されたんだ!!
828 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:55:19.58 ID:mElJAunm0
>>824 それお前w
お前かってに新唐書を捏造解釈で読んでるだけだからw
>>823 そのとおり。
おそらく大化の改新あたりで「壮大な歴史的断絶」が発生している。
大化の改新以前、以後で歴史の明確さが明らかに異なる。
聖徳太子が何らかの鍵になっているとは察せられるが・・・
830 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:56:50.48 ID:4I/RdPO80
>>820 だからさ、宋史日本伝と新唐書日本伝についての解説のどこが妄想なんだよ?
その具体的な指摘もできないアホウがw
429 名前: 名無しさん@13周年@転載禁止 [sage] 投稿日: 2014/04/09(水) 21:05:47.79 ID:2Lg2VT6m0
>>419 漢の商業ネットワークというのはアレだけど
彼の説は岡田英弘という学者が同様のことを言ってるから
結構いいセン行ってんだよ
>>424 隋書では大和朝廷とは邪馬台国のことである、と書いてある
459 名前: 名無しさん@13周年@転載禁止 [sage] 投稿日: 2014/04/09(水) 21:21:48.12 ID:0hEhQBqt0
>>429 書いて無い。ウソをつくな。
465 名前: 名無しさん@13周年@転載禁止 投稿日: 2014/04/09(水) 21:25:27.10 ID:EoABrwuq0
>>459 「都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也」と隋書に書いてある。
お前は「書いて無い。ウソつくな。」と言ったんだよ。
その罵声の始末くらいちゃんとつけろやクズが。
831 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:56:50.40 ID:5/aBz6tT0
>>811 八幡以前に元々が社格の高い神社が出来るべき土地であった
何故ここで八幡(応神)を祭ることになったのかだな
宇多天皇の男系子孫である佐々木秀義のY-DNAがD2ということが判明されているなら、蛇系(竜系)である海洋民族の縄文人は、日本を乗っ取られていないと思うがな。
834 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:58:52.28 ID:vh0vn2qu0
訂正:数詞などを見る限り高句麗は大和と近縁かもしれん。
835 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:59:09.70 ID:hyc3XXjD0
>>818 まぁ、資料も非常に少ないですから、真相を探るのは難しいですが、元々日本書紀が
大和朝廷の正統性を証明するために書かれた物である事から推測すると、邪馬台国が
そのまま大和朝廷になったというような単純なものではなかった事はまちがいないと
思います、しかし、大和朝廷が邪馬台国と同じヤマトと名乗っている事を考えると
大和朝廷が邪馬台国とまったくの無関係ではない事も明らかですね。
836 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 02:59:47.98 ID:mElJAunm0
>>830 だから邪靡堆が近畿ヤマト政権であることを示せと言ってるだろがボケ。
もともと古代の日本では、 嫁入りと言う文化が無かったんで、 必然的に母系で、 共同体の祭祀も女性が行ってたんでしょ。 それが出雲の影響で大和でも嫁入りするようになって、 男系の皇族が成立、さかのぼって男系の始祖の起源神話が生まれて、 男系の皇族による天皇が確定する一方で、古来の女性祭祀は、 神宮の伊勢への移転で皇族の女性が斎宮を継承、 って流れと違うか。 だから天照大御神は皇族の祖神なんだよ。
確かに親魏倭王の金印はどこに行ったんだろう 正倉院の中に転がってたりするんだろうか
839 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:00:56.53 ID:G+L1QYMRO
山幸彦と海幸彦はもともと兄弟だしね
もう淡路島でいいじゃん おのころ島らしいし
841 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:01:27.37 ID:5/aBz6tT0
俺も邪馬台国は大和朝廷に滅ぼされたのだと思う 井沢元彦氏説ではないが、元々卑弥呼こそが天照だったのではないか、 元々信仰されていた神は後で大和朝廷の系譜を付け加えられ引き継がれたのではないかと思っている
842 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:01:33.48 ID:4I/RdPO80
>>836 お前は九州王朝説論者なのか?
通説を否定するんなら、それを証明しなくちゃならんおはお前だw
他にも魏志倭人伝に記されている邪馬台国の風習 ・刺青 ・泣き女 この2つが日本の風習から消滅したのは何故なんだろう やはり邪馬台国は海の底に沈んでしまったとしか考えられない
844 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:03:26.64 ID:vh0vn2qu0
神武天皇の東征伝説は九州王朝説の人々が最大の拠り所にしてるが、 そこには大和を指してそこがこの国の中心と言ってる。 邪馬台国=大和かどうかは判然としないが、3世紀以前から大和が日本の中心であったことはまず間違いない。
>>823 そういう見方も一つの考え方としては面白いけど
俺の考えは邪馬台国=ヤマトだと思う
邪馬台国にとっては国内統一のために魏の力を必要としていたが
狗奴国を滅ぼした以上その必要性がなくなった
国内の統治に全力を傾けてその後満を持して朝鮮半島に進出するも
百済・新羅を討ったところで高句麗と激突(あくまで広開土王碑を事実とすればだが)
これが399年〜405年
倭王讃が東晋に朝貢したのが413年
要するに独力で朝鮮半島支配しようとしたが高句麗が半島北側を支配してて膠着状態に陥り
150年前のように中華帝国の力を借りようとしたって流れ
だからヤマト(邪馬台国)にとっては統一後は魏への朝貢は何の価値もない
文字がわかるのであれば親魏倭王は明らかに臣下扱いなんだから
846 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:03:47.83 ID:mElJAunm0
>>842 通説?
邪靡堆はヤマトと読める以上の通説など存在せんぞ。
それが近畿ヤマト政権であることを示せと言ってるんだよだから。
847 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:04:05.95 ID:dDx8cfc8O
>>843 沖縄は戦前までは手の甲に刺青する文化があったらしいよ
848 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:05:28.79 ID:G+L1QYMRO
ナガスネヒコ 「邪馬台国?知らんなぁ」
849 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:06:23.56 ID:mElJAunm0
>>840 さあね。
おのころ島は能古島じゃ無いかとか思うがw
だいたい邪馬台国の卑弥呼なんて言ったら、 大和の日の巫女しか思いつかんでしょ。 神宮の斎宮だよ。 中華側からすると、 自分たちの国をワが国、 とか自称するならワ人だし、 共同体の祭祀を行う巫女の神託で派遣されてきました、 ってんなら、ああ卑弥呼が女王なのかって勘違いするわけで、 困っちゃって天皇の命令で祭祀は男性が行う、 ってやろうとしたら、 古代からの習わしを変えてしまうのは云々、 とか守旧派の反対もあったんで、 神宮を伊勢に移転したんと違うか。
851 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:08:35.81 ID:vh0vn2qu0
刺青は今でもあるし、泣女も戦前まで田舎にはあった。
853 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:10:36.35 ID:4I/RdPO80
>>846 お前は本当にカルトの手法を使うなw
総合的に隋書倭国伝の内容は用明天皇から推古天皇あたりまでとするのが通説だろ。
それとも、アメノタラシヒコがとか言って九州王朝説を論じるのか?
854 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:10:39.53 ID:hyc3XXjD0
>>829 日本書紀という大和朝廷の正統性を証明する本をあえて書き記したというのも、
元はと言えば大和朝廷が自身の正統性に不安を抱いていたからと考えるのが
自然ですし、となると、大和朝廷が正当ではない手段で権力を手に入れたと
見るのが正しいでしょうね。
855 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:10:58.72 ID:mElJAunm0
新唐書 あるいは、日本は小国で、倭に併合された故に、その号を冒すともいう。使者には情実がない故にこれを疑う。 これが「日本」をヤマトとも読む理由な。 倭(わ、またはヤマト=邪馬台)の号を冒したわけな。
>>851 工工エエェェ(*´Д`*)ェェエエ工工.
ヤマトは地域名称で、 日本人の自称がワなんでしょ。 今でも日本人は日本のことを、 ワが国って言うじゃん。 それで中華側は、 ワに倭の字をあてたんで、 日本では倭と書いてヤマトとも読む。 でも後に、 倭には矮小の意味もあると知って、 倭を和に置き換えて、 さらに大をつけたら、 大和でヤマトじゃん。
858 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:13:38.55 ID:mElJAunm0
>>853 もちろんそうだ。
それは九州王朝説の否定が前提だが、九州王朝の否定は倭の五王を見れば
分かるように、そもそも成り立っていない。
859 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:14:04.59 ID:c2NWXrOk0
だから何時からヤマトから日本になったんだよ よっぽどの事が無い限り国号なんて変えないだろ
・第10代崇神天皇の皇女豊鍬入姫命の跡を継ぎ、天照大神の御杖代として大和国から伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を経て伊勢の国に入り、神託により皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建したとされる (御杖代は依代として神に仕える者の意味であるが、ここでは文字通り「杖の代わり」として遷幸を助ける意味も含まれる。ちなみに、倭姫命が伊勢神宮を創建するまでに天照大神の神体である八咫鏡を順次奉斎した場所は「元伊勢」と呼ばれる)。 後に、東夷の討伐に向かう日本武尊(尊は倭姫命の甥王にあたる)に天叢雲剣を与えている。伊勢では、伊勢の地に薨じ、尾上御陵(おべごりょう)に埋葬されたと伝える。 伊勢の地で天照大神を祀る最初の皇女で、これが制度化されて後の斎宮となった。 ・『倭姫命世記』(神道五部書の一つ)によれば、倭姫命が天照大神を祀るのに相応しい地を求めて諸国を巡っていたとき、猿田彦の子孫である大田命(おおたのみこと)が倭姫命を先導して五十鈴川の川上一帯を献上したとされている。 大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、代々伊勢神宮の玉串大内人に任じられた。
関西朝鮮人はなんとしても卑弥呼邪馬台国を近畿にしたいんだなw 遺跡などからデッチあげるがどれも決定的なものじゃないから。 今後は関西朝鮮人御用学者の言い切り宣言に注意.
邪馬台国が大和国の母体だったとしてもその後の王や倭の五王が天皇家に直接つながる訳じゃなくね 邪馬台国は国家連合なのだしずっと後の磐井の乱の例もあるとおりで王権が間違いなく確立したと言えそうなのは飛鳥時代から
>>859 『新羅本紀』では「670年、倭国が国号を日本と改めた」とされている。
864 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:16:09.38 ID:G+L1QYMRO
倭を以てヤマトとせよ 日出天子より!
865 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:16:17.19 ID:mElJAunm0
>>854 難しく考えすぎじゃね?
白村江で負けてから国内の整備に力入れて
701年大宝律令成立、708年和同開珎の鋳造開始
古事記が712年、日本書紀が720年
編纂にどれくらい掛かったかだけど史記を書いた司馬遷が人生かけて編纂したのを考えれば
中国の近代国家制度を導入した時期に編纂開始したと見るのが妥当
朝鮮半島の新羅からスサノオが渡来し、大国主から国譲りさせ出雲を征した(ヤマタノオロチ伝説)
そして吉備を経て物部政権を樹立した(奈良の纒向)
物部政権は初代神武から16代仁徳までであって
この初代から16代あたりまでの天皇(大王)は架空の存在であったが、実在のモデルは存在する
神武・応神なんかはスサノオであり、スサノオは新羅の王子であった天日槍であり
八坂神社でお馴染みの牛頭大王であり、敦賀の地名の由来にもなって敦賀駅前に銅像もある
都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト・ツノガアルヒト)であり、蘇民将来伝説の武塔神であり
ヤマトタケルでありと、挙げていったらキリがないからこの辺にするが、とにかく記紀等
日本の正史として捉えられている日本国の始まりとしては、この古代朝鮮人であったスサノオがパイオニア
実際日本が独立国家らしい姿を見せてくるのは継体・欽明のヤマト政権辺りからで
現代日本の礎を築いたのは天武天皇
実際「天皇」という称号を使い出したのも天武天皇と言われてて、それまでは小国の王を纏める
ヤマト政権の首長という意味で大王(オオキミ)と呼ばれていた
天武天皇は伊勢神宮の式年遷宮を制定し、崇拝を広めた人物であるが
本人は道教にも傾倒していて、天皇という称号を使用しだした理由も
唐の高宗が674年に自らの称号を皇帝から「天皇」に変えたから
この情報が遣唐使を通じて天武朝に伝えられ、689年に編纂された日本史上初の
体系的な法典といわれる飛鳥浄御原令に於いて「天皇」の称号が日本で初めて使われるようになった
この天武天皇は、高句麗末期の宰相であった淵蓋蘇文だという説も歴史ファンの間で支持されている
敦賀の地名の由来にもなって敦賀駅前に銅像もある
都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト・ツノガアルヒト)
これも古代朝鮮の王子であったスサノオ本人である
http://pandapanda.meblog.biz/tsuruga/a0728005.jpg
もともと国号は無かったんだよ。 地域名称としてのヤマト、 自分たちを表す代名詞としてのワ、 ってのはあったんで、 ワ人とか邪馬台国とか言われてたけど、 国際的な統一名称として日のもとにある国ってことで、 日本を自称したんじゃないの。
869 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:17:34.55 ID:4I/RdPO80
>>858 やはりなんでもかんでもアカデミックは嘘の九州王朝説の古田信者でしたねw
見てもわかるようにとかさ、具体的な話をしないでこういう言い回しで自分を正当化する
のは本当にカルトだわw
「倭」と「日本」の関係について、 『日本書紀』によれば、「ヤマト」の勢力が中心に倭を統一した古代の日本では、 漢字の流入と共に「倭」を借字として「ヤマト」と読むようになり、やがて、その「ヤマト」に当てる漢字を「倭」から「日本」に変更し、 当初はこれを「ヤマト」と読んだとする。 『旧唐書』は、「倭国」と「日本国」を併記した上で、日本国は倭国の別種とし、倭国が日本国に改名した可能性と元小国の日本が倭国を併合した可能性について記している。
871 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:18:45.39 ID:vh0vn2qu0
>>830 >だからさ、宋史日本伝と新唐書日本伝についての解説のどこが妄想なんだよ?
それは、古事記を元に書かれてるので、そう記述されてるのは当然。
872 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:19:00.38 ID:mElJAunm0
>>869 近畿説がカルトwwww
倭の五王の説明とか、カルトそのものwwwwwwwww
873 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:19:11.63 ID:hyc3XXjD0
>>841 私も卑弥呼は天照大神だったと思いますね、倭国大乱を女王が納めたというあたりの史実が
天照大御神という女神をあえて皇祖神とした神話となんとなく重なりますしね、ただ、後で中国側
に卑弥呼はどうなったか問われてさすがに天照大神とは言えなかったために神功皇后だと答えた
のだと思います、そして、大和朝廷が卑弥呼を自らの系譜の中に組み込んだのも自身の正統性
を確保するためだったと思います。
そもそも、九州説だと倭国の範囲に矛盾が生じるんだよ。 九州説って要するに九州以東は倭国じゃないと言っているんでしょ?
>>862 誰もそんなことは言ってないと思うよw
邪馬台国自体が豪族連合でヤマトも飛鳥時代の話見る限り豪族連合の名残があるし
飛鳥時代の天皇−豪族の関係と共立された卑弥呼−豪族との関係はほぼ同じでしょ?
国体自体は継続されてると見てもいいんじゃないの?
倭の五王あたりで一部の豪族の力が急速に強まったがそれもお飾りになって
その後の天皇に繋がった的な
武王=舒明天皇、義慈王=孝徳天皇、翹岐=天智天皇、淵蓋蘇文=天武天皇、 武王の妃=皇極天皇、斉明天皇であり、智積=鎌足となり、金ユ信は淵蓋蘇文の義父となっている さらに、文武天皇は淵蓋蘇文の子であり、新羅の文武王であったが、681年に死んだことにして 日本に亡命し、軽皇子として吉野で蟄居していた そして文武天皇となったという話 日本正史では以下のようになっている 推古(592-628)→舒明(629-641)→皇極(642-645)→孝徳(645-654) →斉明(655-661)→中大兄称制(661-668)→天智(668-671)→弘文(671-672) →天武(673-686)→持統称制(686-690)→持統(690-697)→文武(697-707)
877 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:21:32.63 ID:vh0vn2qu0
>>861 >関西朝鮮人はなんとしても卑弥呼邪馬台国を近畿にしたいんだなw
いや、俺は別にしたくない。
魏志倭人伝自体がデタラメな上、邪馬台国も後の日本とも皇室ともあまり関係あると思えないのでどうでも良い。
過去に存在し滅んでいったあまたある国々の一つ。
878 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:21:56.03 ID:4I/RdPO80
日本の名称の使用の最古例は最近更新されたね。
【歴史】 「日本」呼称、最古の例か〜百済人の軍人の墓誌に「日本」の文字、中国で発見★2[10/22]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1319347593/l50 >中国の古都・西安で見つかった墓誌(故人の事績を刻んで墓に収めた石板)に、「日本」との文
>字があることを紹介する論文が中国で発表された。墓誌は678年の作と考えられるとしている。
>日本と名乗るようになったのはいつからなのかは古代史の大きななぞ。大宝律令(701年)からと
>の見方が有力だったが、墓誌が本物ならさらにさかのぼることになる。
>
879 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:22:04.72 ID:G+L1QYMRO
九州以外は比定地すらわからない状況だもんな
近畿説は、まず近畿説ありき、だから。
都合の悪いのは、解釈を捏造して切り抜ける(?)。
>>459 に対する捏造反論とか、その典型。
倭の五王の説明とかも。
学問的に根拠の無いことを、ペラペラっとさも当然の様に喋るw
>>7 西都原も面白いよ。
宮崎に足を伸ばせればだけど。オレは感動した。
882 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:23:05.29 ID:zNmWnG9T0
>>873 卑弥呼は天照大神!!
「ひきこもり」の元祖ではないですか。
天照大神といえば
女性のひきこもりですか・・・
なんか親近感が沸きますねえ
しょうもない話ですみません
邪馬台国は呉と同盟関係にあって、卑弥呼は呉の要請で魏にスパイを送り込んだんだよ つか、起訴猶予で実妹報道されないって分かったんだから、チャンスじゃねーの?
八坂神社 創祀 当社は慶応4年(1868)5月30日付の神?官達により八坂神社と改称するまで、感神院または祇園社と称していた。創祀に ついては諸説あるが、斉明天皇2年(656)に高麗より来朝した使節の伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊を 山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まるという。 また、一説には貞観18年(876)南都の僧円如が建立、堂に薬師千手等の像を奉安、その年6月14日に天神(祇園神)が東の麓、 祇園林に垂跡したことに始まるともいう。 伊利之来朝のこと、また素戔嗚尊が御子の五十猛神とともに新羅国の曽尸茂梨(そしもり)に降られたことは、ともに『日 本書紀』に記されており、『新撰姓氏録』の「山城国諸蕃」の項には渡来人「八坂造(やさかのみやつこ)」について、そ の祖を「狛国人、之留川麻之意利佐(しるつまのおりさ)」と記してある。この「意利佐」と先に記した「伊利之」は同一 人物と考えられている。伊利之の子孫は代々八坂造となるとともに、日置造(へきのみやつこ)・鳥井宿祢(とりいのすくね) ・栄井宿祢(さかいのすくね)・吉井宿祢(よしいのすくね)・和造(やまとのみやつこ)・日置倉人(へきのくらびと)などと して近畿地方に繁栄した。 天長6年(829)紀百継(きのももつぐ)は、山城国愛宕郡八坂郷丘一処を賜り、神の祭祀の地とした。これが感神院の始まり ともされている。そして、八坂造の娘を妻とし、男子のなかった八坂造家の職を継承したといわれ、その後裔である行円 (ぎょうえん)は、永保元年(1074)に感神院執行となり、以後子孫代々その職を継ぎ、明治維新による世襲制の廃止まで続いた。
885 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:23:37.91 ID:5/aBz6tT0
見てきたわけじゃないから何ともいえないが、歴史で空想するのは楽しいよな
俺は今でも九州説支持だな、あんなへんぴな場所に謎が多く残ってる
大分には姫島の狐踊りのような妙な風習が今もある
別府湾には日本のアトランティス瓜生島という大きな島があったなどの伝説も残っている
神代文字である豊国文字で書かれた 『上記』がまた面白い
http://ja.wikipedia.org/wiki/上記 内容は、ウガヤフキアエズ王朝に始まる神武天皇以前の歴史や、
天文学、暦学、医学、農業・漁業・冶金等の産業技術、民話、民俗等についての
記事を含む博物誌的なものである。
886 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:23:55.88 ID:hyc3XXjD0
>>845 なるほど、邪馬台国がそのまま大和朝廷になったという説ですね、ただ、
それだと親魏倭王の金印が皇室に伝わっていない疑問が残りますが・・・。
887 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:24:06.57 ID:4I/RdPO80
888 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:24:30.74 ID:mElJAunm0
>>878 国号にしたのが701年の大宝律令だとしても
当然以前から使ってただろうことは容易に想像できるよね?
大宝律令はあくまで中国式の律令体制に移行したというだけの話で
それ以前のものを全て捨て去ったという意味ではないから
>>878 じゃあ新羅本紀にある「670年、倭国が国号を日本と改めた」説が一番真実に近いのか
660年 - 新羅と唐の連合軍が百済を滅ぼす。
661年 - 第4代の正統カリフであるアリーが暗殺され、ウマイヤ家のムアーウィヤがカリフとなる。ウマイヤ朝イスラム帝国成立。
663年 - 白村江の戦いで、日本が、唐・新羅連合軍(唐・新羅の同盟)に大敗する。
667年 - 近江国の大津へ遷都(- 672年)
668年 高句麗が唐・新羅連合軍に滅ぼされる(唐の高句麗出兵)。
中大兄皇子が天皇に即位(天智天皇)。 ←きっかけはこの辺かな?
891 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:25:36.23 ID:vh0vn2qu0
何でも良いが神代文字はやめろ。 アヒル文字とか持ち上げてた売国チャンネル桜と同レベルになる。
668年に高句麗が滅亡すると難民・棄民となり倭国に亡命してきた高句麗人もあり、716年には武蔵国に高麗郡が建郡された。 高麗郡大領となる高麗若光には705年に王(こきし)の姓が贈られており、高句麗王族であろうとされる。 高麗郡高麗郷の地である埼玉県日高市にはこの高麗王若光を祭る高麗神社が今も鎮座する。 ほかにも『新撰姓氏録』には以下のような高句麗系氏族が見られる。 狛人…高麗国須牟祁王の後(河内国未定雑姓) 狛造…高麗国主夫連王より出(山城国諸蕃) 狛首…高麗国人安岡上王の後(右京諸蕃) 狛染部…高麗国須牟祁王の後(河内国未定雑姓) 大狛連…高麗国溢士福貴王の後(河内国諸蕃) 大狛連…高麗国人伊斯沙礼斯の後(和泉国諸蕃)
>>19 うわぁ…
今後、九州四国西日本の地元の人はよほど気をつけないといけないな。
墓荒らしの泥棒が来る。
地理的に近いんだからさあ。
泥棒の国と。
894 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:26:21.45 ID:G+L1QYMRO
倭人伝は信用が出来ない記紀を信用するべきなら 畿内はニギハヤヒとナガスネヒコの土地だったで終わりだよな
895 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:26:31.88 ID:4I/RdPO80
>>886 印は下賜された王一代限りか与えた王朝が途絶えるまで有効。
だから、金印は返還された可能性もある。
896 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:26:45.21 ID:1gxVQq5Y0
897 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:28:15.01 ID:mElJAunm0
>>874 全然矛盾しない。
捏造解釈と矛盾するだけ。
隋書
翌年、上(天子)は文林郎の裴世清を使者として倭国に派遣した。百済を渡り、
竹島に行き着き、南に○羅国を望み、都斯麻国を経て、遙か大海中に在り。
また東に一支国に至り、また竹斯国に至り、また東に秦王国に至る。
そこの人は華夏(中華)と同じ、以て夷洲となす。疑わしいが解明は不能である。
また十余国を経て、海岸に達した。竹斯国より以東は、いずれも倭に附庸している。
898 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:28:44.51 ID:vh0vn2qu0
金印は冊封国の証明なので、倭→大倭・大和・日本になった時点で捨てたでしょう。
>>886 親魏倭王
いつまで残ってたかは分からないが(個人的には台与の時代西晋に最後の朝貢が行われた
266年以降に鋳潰されたと見るが)少なくとも日本書紀成立後にこの金印が残ってれば大問題でしょw
皇室に伝わるわけがない訳で
漢倭奴国王印みたいにどっかに捨てられてれば埋まってる可能性もあるけど
>>835 遣隋使と日本書紀の順序が逆なのが大きな糸口だと思う。
ご存知の通り、日本書紀はそもそも中国に対して日本国の成り立ちを説明するために編纂された文書だし、
そもそも正史とは新しい国家が出来た際にその正当性を説明するために作成されるもの。
つまり、聖徳太子の建国した律令国家と日本書紀を編纂した国家は別の国なのよ。
「日本は継続していない。」と解釈すれば全て合点が行くところを、
無理に継続性がある前提で考察するから無理が生ずる。
現在の日本国家も1945年に建国された国家であり、以前日本列島に存在した国家とは何ら関係がない。
901 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:28:48.78 ID:4I/RdPO80
>>889 こういう話が最近あったねという程度のものだからw
ただ想像するんでなくそれ以前と比べて根拠が増えたよというものだしね。
902 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:29:53.18 ID:1gxVQq5Y0
>>895 漢委奴国王印は石で作った墓みたいのに入れられて掘り出された訳ですが
やはりこうして並べてみると邪馬台国=ムー大陸説がもっとも信憑性が高いような気がする
三井寺 新羅神社考
福井県の新羅神社(1)
若狭地方の森羅神社
若狭地方は北九州・山陰・北陸などの地域と同様に日本海沿岸の古代日本の先進的地域であった。
若狭(ワカサ)の語源は、朝鮮語のワカソ(往き来)であるともいわれている。
弥生時代の水稲は朝鮮半島から直接に伝来したものであろう。
若狭地方は敦賀市から小浜市に渡る若狭湾に面した地方である。
湾内には敦賀半島、中外海半島、大島半島をはじめ数多くの入江や島が存在し、西隣は丹後国である。
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/117_2.htm 安羅神社 滋賀県草津市
「日本医術の祖神、地方開発の大神を奉祀する」とあり、祭神は天日槍命(新羅の王子)とする。
「近江国の吾名邑」は、ここ「穴村」に比定する。天日槍が巡歴した各地にはそれぞれ彼の族人や党類を留め
後それらの人々が彼を祖神として、その恩徳を慕うて神として社を創建した。
「安羅」という社名は、韓国慶尚南道の地名に同種の安羅・阿羅があり、天日槍を尊崇するとともに
故郷の地名に執着して社名にしたものと思われる。社宝として古来神殿に蔵されている数十個の小判型黒色の小石は
従前その由来が判明しなかったが、近年有識者によると、この小石は野洲川源流地帯に多い玄武岩と同質とされ
その黒色をなしているのは火にあぶって温め(温石として)患部に当て治療に使用したものと解かった。
このことは今日の鍼灸の原型をなす医術であるとされる。
905 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:31:54.84 ID:hyc3XXjD0
たぶんヤマトという名前は単なる国の名前じゃないと思う、なぜなら 大和という名前は言ってみればとてつもなく尊大な名前であって、普通の国が 名乗れるような名前じゃないからです、つまり、大和とは倭の大と書きますから、 そのような名前を普通の国が名乗れたわけがありません、つまり大和とは 特定の国の名前ではなく、元々何百にも分かれていた国々を統一した国に 与える称号のようなものだったと思います。
古代の日本には嫁入りが無くて、 必然的に母系で、共同体の祭祀は女性が行ってた。 沖縄の一部では今でも、女性が共同体の祭祀を行う伝統が残ってるし、 伊勢神宮にも皇族の女性が斎宮として務める伝統が長く続いてた。 大陸や半島の影響かもしれないけど、 出雲で嫁入りが行われるようになって、 男系の氏族が成立するようになると、 有力な勢力だった大和でも嫁入りが行われるようになって、 男系の皇族が成立したんでしょ。 だから国譲りの後に天孫降臨、 って流れになるんだよ。 嫁入りによって男系化してから、 そもそも男系の始祖は誰なのかという疑問が生じるんで、 男系始祖の起源神話が挿入される。
907 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:33:54.07 ID:c2NWXrOk0
大和って書いて何で読み方がヤマトなんだよ 誰が最初に読んだんだよ
>>902 あの発掘時の話って色々怪しいんだよね
偽物と言う気はないけどさ
あれが偽物なら作った奴は間違いなく親魏倭王印も作ったはずだし
909 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:34:14.15 ID:4I/RdPO80
>>902 所有者が返還できずに放棄する事情が発生したということでは?
邪馬台国の時には想定されている奴国なり伊都国は連合傘下であるが主導する立場ではないし。
陵やら準陵の発掘規制なんてやめて、とっとと調査させろよ 墓だからっていう論理も分かるが、せめて1000年以上前のものは全部公開しろ 盗掘されてりゃ世話ないわ
911 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:36:49.42 ID:G+L1QYMRO
>>907 蘇我さん家のウマくんの息子さんらしい
というのがもっぱらの噂
やっぱり親魏倭王の金印が出て来ない事に対してちゃんと納得できる説明が出来る人はいないな マジでどこ行っちゃったんだろうなあ
>>898 中国歴代王朝との貿易が正式には朝貢貿易でしょ?
江戸時代まで。
タテマエ上は柵封体制化にあるって事で貿易してたんじゃないの?
貿易以外では不都合はなかったわけだし。
>>908 いっそそっちの方が重要なのになw
>>909 大昔から皇室や朝廷の文化として、やべえものは、奉ったり祀ったりするじゃん?
道真とかさ
915 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:38:11.60 ID:fNBQRxFj0
捏造金印を教え込まれた世代
日本神話において、神武東征の際に高皇産霊尊によって神武天皇のもとに遣わされ、熊野国から大和国への 道案内をしたとされるカラスとして有名な八咫烏、日本では和歌山県の熊野三山(本宮大社・速玉大社・那智大社) をはじめ全国2000余の熊野(高麗野)神社の共通の紋章であるが、奈良・明日香村キトラ古墳(8世紀初頭)の天井壁画 太陽図にも日輪の中に三足烏が書かれている 高句麗の古墳壁画によく見られるこの三足烏は、太陽の中で生きる、三本足を持った想像上のカラス 中国・集安の「五カイ墓4号墓壁画には、円(太陽)の中で翼を半円形に広げて立つ三足烏が描かれている あと、北朝鮮の平壌・徳興里古墳や江西中墓には、太陽の中の玄鳥が翼を広げて飛び立つ様子が描かれている 4世紀の高句麗の古墳壁画に初めて登場する「太陽の中の三足烏」がこのような図像の枠組みを持つに至った背景には 古来から伝承されてきた太陽崇拝やソッテ(信仰の対象、または何かのお祝いのために立てる長い竿)信仰・卵生説話 などの「鳥トーテム」が緊密に関係しているとされている 太陽とカラスとの関連については、高麗の文臣・李奎報の詩文集『東国李相国集』の「東明王篇」で 太陽の化身である解慕漱(かいぼそ=高句麗の建国神話では天帝の子で、東明王〈朱蒙〉の父とされる)が頭にカラス の羽で作った「烏羽冠」をかぶっているところに淵源を求めることができるとされている 三足烏は高句麗建国のシンボルであり、三足烏と云えば高句麗の始祖、朱蒙(チュモン)であり朱蒙が率いた軍旗でもあった 三足烏の形象とは古朝鮮以来のシンボルであり、漢民族は朝鮮族を東夷族と呼んでいたが、三足烏の形象は東夷族のものであり 高句麗は中国中原にあって、朝鮮族がもともと居住していたと云われている 三足烏(Samjokgo サムジョゴ)は高句麗の建国神話などに見られる文様
>>912 漢倭奴国王印があんな場所で見つかった理由は
奴国の使者が中華皇帝に拝謁したはいいが、
臣下扱いのあんな金印持ち帰ったら奴国王にどやされるから
帰り道に捨てたって説もあるw
918 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:39:26.50 ID:hyc3XXjD0
>>882 大和朝廷は卑弥呼を天照大神として自身の系譜に組み込む事で自身の正統性を確保
しようとしたんだろうけど、中国側から卑弥呼の事を問われた時に、卑弥呼という存在
していた時期がはっきりとしている人物を天照大神としてしまうと、天照大神をはるか太古
の伝説としたい大和朝廷としては都合が悪かったのだと思います、それで、卑弥呼を
神功皇后だとする不自然な解釈をする事になったのだと思います。
>>895 >>899 なるほど、そういう解釈もありますね。
単にヤマトの出先機関があっただけじゃないの。
920 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:39:55.54 ID:4I/RdPO80
>>907 飛鳥時代から奈良時代にかけて国名や地名を佳字二字とする法令が出た。
奈良盆地のヤマトのクニはそれで奈良時代終りまでの間に
「倭国→大倭国→大養徳国→大倭国→大和国」
と変遷した。
高句麗のシンボル三足烏は、日本では八咫烏と称されている ・奈良県橿原市五條野町に八咫鳥を祀った八咫鳥神社 ・奈良県明日香村のキトラ古墳で石室の天井にある星宿図の日輪の中に三本足のカラス(日象) ・八咫烏は加茂建角身が化身した姿だと云われていて建角身は賀茂御祖神社=下鴨神社の祭神であり 賀茂別雷神:賀茂神社こと賀茂別雷神社に祀られている神 ・建角身命を祀る京都の上加茂神社では禰宜が烏に扮して年を占う烏相撲を執行していて、八咫烏は熊野の 夫須美神の使いでもあり、熊野の火祭では烏帽をかぶり八尺の黒衣で烏の嘴をかたどって烏と化した神官が 空中に扇で呪文を書き、それは烏文字で護符や熊野誓紙の文字ともなった ・美保神社の青柴垣神事に用いられる神宝である三本足の烏と兎もそれぞれ日神と月神を象徴している ・穏地郡武良郷の中村の御客 祭(荒神祭)は霊山・大峰山の山祭であり、ここに古式の的射神事が残されていて その的となるのは遠来の神は日神たる「烏」の図像であり武良郷全体の大祭「日月陰陽和合祭(略して日月祭) もまた日神(三本足の烏)と月神(白い兎)を祭りの旗印(御神体)」としている ・三島と云う名前が付く神社は全国に1万社以上あり、その総本山は静岡にある三島大社であり延喜式によると 三島大社は伊豆国賀茂郡にり伊豆はかなり早い時期から賀茂氏が支配していた場所であって、伊豆諸島の神社は ほぼ事代主命を祀っている
>>917 ちょwww捨てないでwwwwwwwwwwwwwwwww
>>912 どっかに大事に隠してあんだよ
それを隠す為に、いろんな古墳をアンタッチャブルにしてある、とか
高麗国の後継国は、 せいぜい渤海国とか、 あるいは満洲国だろう。 中華は古来、 東北に悩んでたんで、 東北を鬼門と称したんだわ。
>>905 大和は当て字。
白村江の戦いでボロクソに負けたんで一致団結しなきゃってんで
「和をもって尊しとなす」という意味をこめて「大和」としたんだと思う
香川が今日はハッツトラック決まるで!
927 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:43:04.60 ID:G+L1QYMRO
何回、九州征伐してるんだよな ってのが記紀の感想 つうか九州に里帰りしてたんじゃねえのか?
>>890 自分も大化の改新が日本の始まりとの見解かな。
大和は唐との戦争で疲弊し自滅、同時に朝鮮半島の領土を失う。
大化の改新はいわゆるクーデターとして伝えられているけど、
外交的に唐に敗北した国を継承したくないことから日本とし、
しかし、内政のために大和の継承国家を装う必要があった。
少なくとも天智天皇とそれ以前の天皇は全く赤の他人だと思うよ。
天武と天智も兄弟じゃない。
929 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:44:05.59 ID:hyc3XXjD0
>>900 その可能性はたしかにありますね、断絶がある可能性はあると思います。
日の丸の歴史 701(大宝元)年、文武天皇の御代、797年に編纂された続日本紀の朝賀の儀に関する記述で、正月元旦、 儀式会場の飾りつけに「日象」の旗を掲げたとある。これが日の丸の原型で最も古いものといわれている。 文武天皇の後、天皇が即位する際の飾りでは、正面に鳥形の幢、左右に日月像の旗を立てるようになったと伝えられている。 「日月(じつげつ)紋]は太陽と月を象った紋で、太陽は天照大御神、月は月読尊を表していると言われている。 この日月の紋のついた旗が「御旗」と呼ばれていたと解釈できる。当時は太陽と月の2つをセットにして考えられていた。 どちらが太陽か月であるかを区別するために、太陽を金で、月を銀で打つようになる。月を丸ではなく三日月にしたものも現れ 室町時代からは菊家御紋章を打つものもでてきて、皇室の現在の紋章となっていったものと思われる。
訂正:高麗国→高句麗 高麗国は李氏朝鮮の前の王朝だけど、 高句麗の後継国かと言ったら、ちょっと分からない。 影響は皆無じゃないだろうけど、 このへん、半島は大陸とくっついてるから、 ややこしいな。 確か高麗がコリアの語源なんだっけ。 でも高句麗が滅びた後で日本に、 高句麗の後継を称する渤海国の使者が来て、 新羅を挟み撃ちにしようぜ、 って持ちかけられたんだけど、 唐との関係改善を目指してた日本は、 断ったらしい。 ただ、渤海国とは、 滅亡するまで何回か交易したんだとか。
>>923 まぁ宮内庁とかちょっと常識通じないからね
それは出雲大社とか伊勢神宮もそうだけど
彼らは万世一系で2600年以上の歴史があるという前提でしか動かないから
そんなものは嘘だと日本人なら皆知ってるわけで
そもそも天皇家自体が神武天皇の存在を信じていなかった
それは神武天皇を祀る橿原神宮が明治になってから作られたのを見てもわかる
半島由来の物が出ると困る説もよく言われるけどさ
百済と新羅は倭人の建国した国説もあるわけでそもそも半島は楽浪郡や帯方郡があったわけで
別に何が出ようが問題ないんだけどね
一部キチガイがいるでしょ左右ともにさw
933 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:46:27.90 ID:vh0vn2qu0
>>905 近頃、俄に保守・右翼ブームですが、その割に大和の大、大日本帝国の大について
まともなことを言ってる人がいないのが不思議ですね。
以前、チャンネル桜で篠沢教授が「日本は小さな国なのに大英帝国に憧れて大日本帝国と名乗った」
とか言っててビックリしました。
中国文化圏・漢字文化圏で大という国号を付けるのは天子を頂く国のことです。
中国では文明の中心は中国であり、世界は皇帝が支配すべきところ、
その他の地方は皇帝の恩寵がとどかない野蛮国という思想があります。
中国では戦乱の世を統一して統一王朝を建てると大漢とか大清国と国号に大を付けて名乗るのです。
それは、自分が天の命を受けた地上世界の正当な支配者であるという宣言です。
周辺国はそれに不満を持っても大も皇も名乗れませんが、中国に対抗できるだけの力を付けると大を名乗ります。
いわば独立国宣言です。
それが、蒙古→大蒙古、ベトナムの越国→大越国であり日本の倭→大和国、大日本帝国なのです。
>>913 朝貢と冊封はイコールではないぞ
冊封国は毎年朝貢せねばならんし
朝貢自体は多少上下のある友好関係くらいなニュアンス
中華王朝の宋も金に朝貢しておったし
935 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:47:16.40 ID:4I/RdPO80
>>900 >現在の日本国家も1945年に建国された国家であり、以前日本列島に存在した国家とは何ら関係がない。
これ一部の学者とそのシンパの間でしか通用しない主張だから。
天皇も帝国議会も継続していたのに建国もへったくれもないよ。
>>900 明治時代に作られた法律が今でも生きてるし、とりあえず継承はしてると思う
明治維新は、まま、別の国と言ってもいいかもしれないけど
日本は天皇が統べる国だよ。 ただ、権力争いは、 戦国時代とか色々あって、 いまでは選挙でやってる。 日本の主催者は天皇だけど、 運営は幕府とか政府がやります、 って長い時間かけて仕組みが出来たでしょ。
>>928 白村江は大化の改新の後だぞ・・・・
中大兄皇子が百済に入れ込んで大敗したのを誤魔化すために
国内に専念しただけだろう
まぁあの異常なまでの百済への入れ込みと中臣鎌足が「韓人」と記載されてる部分から
大化の改新で世話になった百済出身の中臣鎌足のために軍隊派遣して大敗した説が
出てきてるわけだが
邪馬台国は大和国でOK?
942 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:49:37.88 ID:vh0vn2qu0
日本の援助で独立した大韓帝国、戦後アメリカの援助で独立した大韓民国も同じ理屈です。
943 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:50:57.01 ID:4I/RdPO80
>>937 明治維新もちゃんと天皇と朝廷が律令の破棄やったり新しい官職の整備をしているから
継続してるんだよ。
>>934 > 朝貢と冊封はイコールではないぞ
ああそう?
イコールだと思ってたわ。
こら勉強が足らんな。
日天の本家が日本国。 日天の分家が、日本国の近隣諸国。 日本国最強伝説!
>>934 倭は冊封国でも扱いが特殊なんだよ
倭の五王の頃は高句麗に対する牽制の意味もあって蛮夷の中でも特別扱いされてる
その後も地理的にそういうポジションで扱われているわけ
>>943 それが継続と呼べるのかって話かと。
実質、継続していないものを継続している体裁とした。という話でしょ。
それは継続しているとは見なさないと思う。
948 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:54:21.57 ID:rF5vq35g0
金印が残ってるのが不思議だわなぁ。属国の証だから捨てたなら捨てずに 鋳潰せばいいんだしそのほうが証拠残らないやん。倭の国の子孫がいづれ 正統性と示すために保存しておいただろうからそこが倭の国なんじゃないの?
949 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:54:48.99 ID:4I/RdPO80
>>947 いわゆる幕府は律令体制を前提にして存在していたものだよ?
950 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 03:55:56.34 ID:hyc3XXjD0
>>925 ちなみに、大和という字は元々ヤマトとは読めませんから、大和は諸国をまとめたという称号で、
ヤマトは国名だったと思います、つまり、邪馬台国とは国名であり、もちろんヤマトと呼びましたが、
そのうち大和という称号とヤマトという国名を混同するようになり、大和をヤマトと読むようになった
のだと思います、そして、後に狗奴国が邪馬台国を滅ぼした時に大和の称号と共にヤマトという
国名もまた受け継いだのだと思います。
>>947 大日本帝国憲法に基づいて招集された帝国議会で
日本国憲法が承認されてるんだから継続していない説のほうが無理があるよw
じゃあ日本国憲法に基づいて憲法改正された場合は継続されてない別の国なのかって話でね
ヤマトは地方名で、 ワ人は日本人の自称からでしょ。 つまり、倭人が住む領域全般を表す単語、 ってのは無かったんだわ。 それを表したのが日本、 って考えりゃいいんじゃないの。
>>932 宮内庁が日本の史学の限界決めてる様なもんだもんね
>>949 言うまでも無く形骸化していたけどね。
江戸時代の法律は全て幕府が発布しており、朝廷には何の権限も無かった。
日本人だからこそ日本国が継続していないことを理解しないといけないんだよ。
大和と日本は違う国だし、日本という名前の国も何度も起こっては滅亡している。
今世紀中にまた日本は滅びると思うよ。そしてまた日本という新しい国が誕生する。
同じ名前にしておけば継続している風に見えるから。
迂闊なことは言えないが、 追放されたスサノオは半島へ行って、 大国主はスサノオの娘と駆け落ちした、 つまり嫁入りが形成された、 って解釈とか。
957 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 04:00:15.86 ID:hyc3XXjD0
>>933 おお・・・やはりそうですか、実は前々から大和という名前はどう見ても普通の国が
名乗れるような名前じゃないと思っていたのです、だから、たぶん大和とは国名
ではなく称号なんじゃないかと思い続けていたのですよ。
>>948 もしくは、金印貰った王朝を滅ぼした側の人間が
祟りを畏れてナイナイしちゃったか
>>954 まぁ難しいところだよね
何が出ても都合の良いように天皇を貶める方向で捏造する奴が必ず出てくるから
戦後の日本では考古学にイデオロギーが介入するからね
俺達が知りたいのは純粋な歴史的事実だけなのにな
江南だろうが半島だろうがどーせ今住んでる奴らは民族的に関係ないからどうでもいいんだよw
960 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 04:02:13.01 ID:4I/RdPO80
>>955 いや、だからね、諸法度は律令があるのを前提にしてんのよ。
官職とかどうやって決めてんだよ。
徳川家が独自に作ったのか?
ヤマトの出先機関が九州にあって、 そこの役所に金印があっただけじゃないの、 って言っちゃダメなんだっけ。
962 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 04:04:04.11 ID:rF5vq35g0
>>958 あそうか、三点の置石に上に巨石はいかにも荒神封じだしね。
>>955 征夷大将軍は朝廷から与えられていた官職なんだし、
実態はどうあれ、形式的には継承してると言って差し支えないよね
中国人や欧州人みたいに敗れた国は皆殺し 人種民族総入れ替えみたいな事は起こらなんだな。 これは日本特別の幸せ
>>959 実は大化の改新〜聖徳太子一族滅亡位まで?権謀術数で
血で血を洗ってたりしたら、それはそれで面白そうなのになw
>>964 あったかも知れんが天皇家の形成よりは古い時代だろなあ。
967 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 04:06:29.91 ID:O/Vy3UIH0
征夷大将軍自体が律令の中で朝廷から任命されているわけで 大宝(養老)律令から徳川滅亡まで日本の憲法はずっと一緒だぞ 武家諸法度なんかは征夷大将軍が自分の部下に課した法律であって国家の継続性とは何の関係もない
968 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 04:06:35.93 ID:4I/RdPO80
>>955 征夷大将軍は官位を得ていることで、律令によって定められた個人の役所を持つ
権限を行使できるんだよ。
鎌倉幕府も室町幕府も将軍個人が律令の規定で与えられる権限を使っているだけ。
969 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 04:06:52.28 ID:rF5vq35g0
天皇に血筋なんて関係ないでしょ? 三種の神器とカミと交信できる秘儀を習得してるかどうかしかないじゃん。 巫女はそういうもんでしょ?
>>7 意外と関東にも多い
埼玉のさきたま古墳群や群馬の古墳からは国宝の刀や埴輪がでてる
関西は盗掘されてるからな
>>843 流行に流されやすい日本人という可能性もあるからな
刺青だせえ、泣き女はずい、ってことになれば、
あっという間に消滅したりする
ミズラもチョンマゲもなくなっただろ?
972 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 04:07:04.27 ID:G+L1QYMRO
普通に山戸が先だろ つまり山戸と倭は別物
もう、邪馬台国は九州説論者の心の中にあるということにして、さっさと畿内を発掘しようぜ。
>>962 でしょ?
だからどっかの神社に鏡と金印が「祟り神」として
祀られてるかも、と思うとちょっと楽しい
975 :
967@転載禁止 :2014/04/10(木) 04:08:39.16 ID:O/Vy3UIH0
日本国家の継続性という意味で一番断裂したと思われるのは継体天皇 ただこれも全大和朝廷の血族を自分の妻に迎えることで一応の継続性は保っているのかな
>>967 しかし、禁中並公家諸法度ってのもあるからな
時系列的には、 もともと古代の日本には嫁入りがなくて、 必然的に母系の部族社会が形成されてて、 それが南方から渡来した人達によって、 稲作や航海術が伝わって、 農耕技術の発達とともに、 半島南部まで活動域が広がって、 出雲で嫁入りが行われるようになり、 大和でも嫁入りで皇族が形成されて、 半島や大陸との交渉の過程で、 古来の巫女による祭祀はマツリゴトの場から遠ざけられて、 伊勢に移転したとかなったんと違うか。 結果として、 高貴なる皇族の男系始祖は旅をしてきて、 皇族の女性が伊勢に行って斎宮を務める。
群馬の多胡羊太夫とは何処の国の人か 胡という漢字が何を意味するか それが多いということは
>>975 まぁ男系という意味では断絶してる臭いけどね
まぁ平安時代の乱れた(自由な?)性を考えると途中でどっかの貴族の子供が
天皇になってる可能性もあるけどねw
八束小脛とは何者か 天狗か?
981 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 04:12:09.50 ID:4I/RdPO80
>>976 禁中並公家諸法度は藤原氏と徳川家が共同で制定したもの。
それまでの朝廷の慣習を再構築しただけのものだよ。
乱世の間に乱れてしまっていたから朝廷側の必要からやってんだよ。
継体天皇は、 中央で男系の皇族が絶えちゃったんで、 母親の共同体にいた有資格者を迎えたんでしょ。 もともと、 母系部族社会を背景とした、 男系王族なんだよ。
>>971 刺青が無くなったのは、素潜り漁が減ったとか、刺青なんて入れてたら、
一歩間違えたら破傷風で苦しみぬいて死ぬ時代だったからだと思う
魏志倭人伝に記された様な、鯨面獣身やってる国民がいる国なら、
海が近くないとありえねえと思ってるんだけど、そこなんだよそこ
ゴッドハンド的な捏造は全部訂正したのか?
八色の姓で、応神天皇の皇別である息長真人の氏姓を一番価値のある氏姓だとしてるからなー。 継体系の天皇が、応神帝の皇別を優遇してるからなー
>>983 旅の途中で見た漁民を大げさに書いてるだけじゃね?
あと中国では額への刺青は罪人の証
そういう意味で蛮族を貶めた可能性もある
卑弥呼が刺青入れてたとかそういう話がないし
987 :
967@転載禁止 :2014/04/10(木) 04:17:37.64 ID:O/Vy3UIH0
>>979 継体天皇が旧大和朝廷を制圧して人心を慰撫するために旧王朝の娘を嫁に娶った
一番リアリティがあるよね。男系をたどれば現天皇の始祖は継体天皇っぽ。
どっちにせよ大宝律令以降の日本史の連綿性には何の疑問もない
そもそも東夷族は蛮族という認識じゃないし。 ・帝俊(ていしゅん)は、上古の中国神話に登場する東方の天帝(帝舜と同じといわれる殷の祖神)。羲和(太陽の女神)と常羲(月の女神)は帝俊の妻である。 『山海経』(せんがいきよう)の大荒西経より「帝嚳」の異名を持つ。炎帝に属し東夷人の先祖にあたる。黄帝、顓頊と共に伝説の五帝を始祖とする。
>>986 漁師が刺青入れるのは、鮫避けって意味があるからまだ分かるんだよね
で、大げさって言い出したら、鏡100枚やったったぜ。だって大げさな可能性がw
そもそもさぁ、 古事記の冒頭で、 イザナギとイザナミが、 なんで柱を廻りなおして、 声をかける順番が女性から男性に入れ換わったか、 ってのを考える必要あるんだわ。 母系部族社会から男系氏族社会への移項、 って背景があるでしょ。 母系部族社会ったって、 べつに女性優位ってわけじゃなくて、 男は、意中の女性の伯父さんや兄弟に、 気を使う必要あるんだけどね。
>>987 武烈がいかにも中国の史書にあるような典型的な悪王だしねw
中国史では放伐の対象でしょあれw
実際の武烈がそこまで酷いやつだったとは思わないけどね
明らかに負けた王朝が貶められるパターンだし
>>966 大和大王政権以前も
大きな戦争らしき戦争の少なさ(瀬戸内vs北部九州、畿内vs東海道東国、対蝦夷はあった)
人口の増減、宗教・生活習慣の連続性をみると
大きな民族レベルのコンクエストもそうない感じだしね。
古代から人心穏やかで争い事を嫌う民族性も
この辺りで醸成されたのだと思う。
畿内、瀬戸内、中部に流入した神武系というか
稲作長江流域民が最も大きなエフェクトじゃないかな
この国は大宝律令以降変わってない 藤原不比等最強だったってこと
994 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/10(木) 04:23:08.80 ID:rF5vq35g0
大体神様が天皇のおっさんにお告げするわけがないんだよな。昔から 巫女さんは若いのって決まってたんだし。常若を信条とする神道がなんでおっさんに お知らせしにゃいかんのじゃw
夜這いや歌垣などという風習は何処からやってきたのか?
>>975 俺の妄想だが、天皇は元来女系だったんじゃないかな?
それを男系に無理やり改変して出来たのが日本書紀で、
だから、辻褄が合わなくなってるんじゃないか?
そう考えると近親相姦が多いのも説明できるし。
(古代エジプトもそうだったように)
アメノウズメと一発やりたい
>>992 狭い国土で協力しあわないと、どうしようもなかったって事もあると思うw
タイムマシンができたらいいのにな
天智以前の天皇家なんてそこらの豪族のトップなだけ 不比等が大宝律令で天皇家と藤原をがっつり守ってそのまま明治まできた
1001 :
1001 :
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