【歴史】 「日本」呼称、最古の例か〜百済人の軍人の墓誌に「日本」の文字、中国で発見★2[10/22]

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858<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/10/29(土) 15:59:22.75 ID:d34n/IYg
大和は季語みたいなものじゃないの?w
まぁ日本人は任那に日本府を持ってたけど
百済にも住んでた事実はあるわけだな

今の日本もジャパンと言われるように他国が日本の事を
違う言い方してるとも考えられるし日本は奥が深いね
その時、その時で最先端の文化を送ってるから
今歴史を振り返っても華々しい日本文化の歴史を見れるんだろうね
だからこそ、今の日本も未来に誇れる技術大国のまま進まなければな
859<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/10/29(土) 17:25:58.94 ID:qhstKv82
日本側の文献も消失したの多いから難しい話だが
中国側の併合だとか国号を奪ったとかの記述は、政変のことを指してるとも思える
大陸では殺るか殺られるか、征服か破滅かという国家断絶前提の歴史観が強いだろうし、そう解釈しても無理はない
いままで倭から複数の使者が来てたのに、ある時からほぼ統一された「日本」の使者が来たから戸惑ったんだろ

そもそも中国が日本に使者を送って視察したなんて事は無いんだろうから、情勢については何も断言できないけど
860<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/10/29(土) 17:50:51.67 ID:l8RCVgHM

 奈良時代に、国号を変更したという事実はない。
 当時の国号は、「ヤマト」であり、漢字で表記する場合、「倭」、「和」、「大和」、「日本」「大日本」の
5種類の表記があった。
 いずれも読み方は「ヤマト」、もしくは「オホヤマト」だった。

 国号が「ヤマト」から「ヒノモト」、もしくは「ニッポン」に変わったわけではない。
861<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/10/29(土) 18:12:50.67 ID:l8RCVgHM

>別の国「日本」を征服したが、大和朝廷は征服したその国の名を気に入って
>自国を「日本」と名乗るようにしたとか。

 これはケリン(古代韓国)が、6世紀(AD-562年)に新羅(倭人国)に対して
やったことだろ。

 562年に新羅(別名=任那)を侵略して滅ぼしたケリンは、新羅という国号を気に入り、
自らの国号をケリン(鶏林)から新羅(知ら城=シラキ)に変えた。




862<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/10/30(日) 08:35:31.07 ID:ZLvI7G7Y
>>859
或云:日本舊小國、併倭國之地。
其人入朝者、多自矜大、不以實對、故中國疑焉。

戸惑ったのではない、(勝手に)頭から信じなかった。
古代より究極の理想世界として、諸国を統治した皇帝が自らの権限を放棄して
諸国は諸国として寄り添いあう社会モデルがあった。
しかし同時に絶対にありえない事とされてきた。

彼らが信じられなかったのはしょうがない、人類史から今現在でもそれを成し遂げたのは
日本だけだから。
863<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/10/30(日) 18:37:43.49 ID:LiNquBHR
>>860
その通りだと思う。
「日本」にしても「天皇」にしても、実は、漢字表記の国号・称号を変更したに過ぎないという
根本的な事実を忘れてはいけないと思う。
日本人の先祖は、日本の国号はヤマト、天皇の称号はスメラミコト(こちらは江戸時代まで)
と呼んでいた。
それを、漢字を公文書とする国々との外交関係の都合から、ヤマトには「倭」から「日本」、
スメラミコトには「天皇」の漢語を押し当てて、漢字表記の国号・称号を変更した。
後に、日本をニホン・ニッポンと、天皇をテンオウ・テンノウと音読みした国号・称号が定着し、
また当然、この墓誌などの中国の史料は漢字で記されているので、やや誤解があるかも知れないが、
厳密にはこの記事も、ヤマトの国号が漢字表記で「倭」から「日本」に変更されたことを
記しているのとするのが正しい理解で、国号が変更されたと考えるのは、誤解だと思う。
逆に言えば、「日本」も「天皇」も、古代日本の外交上の必要性から生じた国号・称号と言えるのだろう。
864<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/10/31(月) 17:24:25.91 ID:q72t/Cw9
>>528

このスレで見る限り、百済は日本の属国で、大和朝廷からかなりの人間(軍人民間人)が半島に行ってる筈だが、
この人間は当然D系統の遺伝子を持って行ったとして、現在その形跡がないのは何故なんでしょうか?

煽ってるつもりはないです。

任那日本府は存在したと個人的には信じてますし、このスレのようにそれを裏付けるモノが出てきてるのは興味深いですが、
いつもこの遺伝子が引っかかっています。
865<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/10/31(月) 18:28:49.56 ID:b7Fq6J61
>>864
横ですが、考えられるのは
1.この当時の九州北部から畿内のヤマト朝廷にD系は少数派だった。(熊襲と蝦夷がD系)
2.白村江の戦の後、百済人の多くは倭に逃れた。
3.この戦の後、半島は異民族に何度も占領され、D系(男)は抹殺された。
こんなところでしょうかね?
866<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/10/31(月) 18:45:49.60 ID:8LYAII3M
百済人が日本に来たのはこの程度。


「百済復興運動の中心であった貴族階級の人々から、
一般の百姓まで1000人規模で倭国に定住をはたした。
当時の倭国の人口は500万〜600万人。」
ttp://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/hon/hakusonkou.htm
867<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/10/31(月) 18:55:34.72 ID:b7Fq6J61
>>865
訂正
2.白村江の戦の後、百済に居た倭人は倭国に帰国した。
868<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/10/31(月) 21:56:15.93 ID:aEigcP/3
>>864
あなたの言われるD系統遺伝子が、Y染色体亜型のD2のことだとすると、次のサイトにある円グラフの頻度には、朝鮮半島の人間にも少し残っている。

http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn4/004_08_2Ysennsyokutai_karamita_sosenn..html
大陸や朝鮮半島に残っていたはずのD2亜型も、いまや朝鮮半島に散見されるだけで、日本列島に本格的に残った以外は消滅してしまったらしい。
869<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/01(火) 02:16:48.29 ID:5JIWXhDu
日本特有の遺伝子が百済の時代に半島に行ったとしても、現在からみたら日本発なのか半島発なのか判りませんね。
同じ遺伝子を持っていたらそれこそ半島の連中に同祖、いや先祖としてホルホルされたんでしょうね、きっと。

急激な遺伝子の変化は民族浄化?の結果なんでしょう。
漢民族、蒙古、征服者がレイプ三昧。
で、かの民族はレイプの遺伝子が脈々と。

日本特有の遺伝子が無いのは日本統治時(任日本府、倭寇、秀吉、日帝時代)にはレイプが無かった証拠になりそう。
870<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/01(火) 06:51:38.78 ID:uH063ksH
>>868
台湾にもあるので、統治時代に日本から入ったと見るほうが正解かな

>大陸や朝鮮半島に残っていたはずのD2亜型も、

D2は日本で発祥してるから中国にはないだろうね
871<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/01(火) 06:55:51.40 ID:CLTrqpt4
>>868
そのサイトのトップに書いてあること(笑)
こんなしょーもないサイトを参考にしないようにね

このtopページの最初の写真は、韓国まで49.5kmの至近距離
にある上対馬町の韓国展望所(右の写真)からみた対岸、釜山の街の灯火である。
その意外な近さには誰もが驚く。昼間でも天気の良い日には街並みが望めるそうである。
旧石器時代の昔から中国北部や山東半島方面から、
朝鮮半島を下っていろいろな集団が半島南岸にたどり着き、
さらに朝鮮海峡を渡って対馬や壱岐を経由し北部九州に至った。
対馬はまさしく日本列島の南の玄関口である。
872<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/01(火) 13:35:12.22 ID:6Y1a9fAr
>>851
それはもう私蔵されているものではなくなっていて、公的な資料館の所蔵になっているのか。
それなのにどこかの大学などによる、科学的・学際的な調査が全く行われていないというのが、
本当ならそれは日本の考古学者に、自然科学的な研究視点が全く欠けていることの証明だな。

非難されるべきは、古田に非ず。象牙の塔に巣くう、探求心無きニセ学者どもだ。


873<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/01(火) 19:05:51.42 ID:5JIWXhDu
>>872
考古学には「文献等に沿った考証」だけでなく様々な文献を組み合わせた「仮定と立証」も必要。

で、一旦始めた研究はサッカーで言うところの「シュートで終わる」コトが必要な訳。

仮定を立証させる、あるいは仮定が立証できない、どちらでも研究結果として認知される。
たとえば「任那日本府は存在した」を仮定して、結果これこれこういう理由で立証出来なかったら、それも結果として論文化。
そのプロセスにお金が支払われる訳です。論文書いてナンボですからね。

一旦始めた研究で仮定なぞ吹っ飛ぶ新たな物証等が研究中に出てきても大抵は黙殺かも。
最初に食材ありきで料理を始めるのと同じで、急に牛肉が出てきたからと豚汁をビーフシチューには変更しない。


自分の今まで手がけてきた論文が破綻するのを恐れて黙殺というより、一旦シュートで終わり、その後その新たな物証を元に研究を開始する。
その新たな物証は考古学者として当然持ち合わせている探究心に間違いなく火を着ける訳だから。


なので一概に考古学者の怠慢とは思わないようにしている。
当然異論は認める。

※但し仮定に妙なバイアスがかかると、かの国の研究者になってしまう。これが一番の問題。
874エラ通信:2011/11/01(火) 19:10:41.27 ID:5I82emop
このころの“日本”はNIHON もしくはNitsuponではなく、“hinomoto”
だったとは思うけどねえ。
875<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/01(火) 19:13:44.41 ID:oSdqxWiw
>>874
お前、原発擁護厨からデマ通信とか呼ばれていたぞ。そろそろここから足洗った方がいいかもな。
876<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/01(火) 19:15:44.57 ID:EykezYX0
Nitsuponってなんだよ
ニッポンはNipponだろうに

877<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/01(火) 19:52:35.19 ID:rWXRAG3f
ウィキペディアより抜粋。

『旧唐書』東夷伝の中には、日本列島について、
「倭国伝」と「日本国伝」の二つが並立しており、

「巻199上 列傳第149上 東夷[2]」には「日本國者 倭國之別種也 以其國在日邊 故以日本爲名 或曰 倭國自惡其名不雅 改爲日本 或云 日本舊小國 併倭國之地[3]」

とあり、日本は倭国の別種であり、
もともと小国であった日本が倭国を併合したと記述されている。
878<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/01(火) 21:55:56.98 ID:PfdvOkZe
>>877
ウィキはいい加減だよ。
その読み方だと後の文章の
其人入朝者、多自矜大、不以實對、故中國疑焉。
「とそのように入朝者は途方も無いことを言って真実を言っていない(真実と思えないので)
中国はこれを疑う。」
併合等々が日常茶飯事だった中国が入朝者の発言を全否定するからには
とうてい、彼らの理解(想像)を超えていることを日本人が話したから
日本舊小國 併倭國之地
「小国が奮って倭国の地で寄り添いあい日本が出来た」
神武天皇が天下統一の後、諸国の王を前に自らの権力の放棄を意味する
「ひとつ屋根の下、兄弟のように仲良く暮らそう」との発言に諸国の王が感激して
諸国の集合体が生まれた伝説と合致する


879<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/01(火) 23:00:38.18 ID:FdwEzQvB
墓誌には後代の捏造も多いからな。
検証は慎重に。
880<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/01(火) 23:24:57.54 ID:mcTV9y/H
>>864
百済は属国じゃなく同盟国。
881<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/01(火) 23:36:13.25 ID:B6krUcen
>>877
それはあくまで中国側の「推測」の見方だからね
邪馬台国大和説、大和クナ国説、色々あるけど、
少なくとも同時期に大きな内乱の形跡はない

白村江あたりでの軍事的救援、合流ってのが事実だと思うよ
それまでは一定の距離感や壁があったにせよ、対支外交が軸だった倭が、戦争での
体制見直しで、共闘した現王朝向きにシフトし、合流することは不自然じゃない
882<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/01(火) 23:37:42.71 ID:ckZEy0TW
>>874
それは和語では?
883<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/02(水) 05:55:18.74 ID:yfgpuY/R
>>878
なぁるほどぉ、勉強になりました。

日本は縄文時代からヒスイ文化が発達してるけど、

朝鮮半島では5世紀から6世紀にかけての新羅・百済・任那の勢力圏内で大量のヒスイ製勾玉が
出土(高句麗の旧領では稀)しており、新羅の宝冠や耳飾などにヒスイ製勾玉が多く使用されている。

中国の『後漢書』では「"出白珠青玉"(倭では真珠と青い玉が採れる)」と記されてあり、
『魏志倭人伝』によると、「壱与が魏に2つの青い大きな勾玉(孔青大句(勾?)珠二枚)を献上した」
と記されている。また、『隋書81巻 列伝46』 によると、
「新羅と百済は倭を珍しい文物の多い大国と崇め、倭へ使いを通わしている」とも記している。

出土されたヒスイ勾玉の産地はほぼ新潟の糸魚川のものと思われるので、
ヒスイ勾玉出土エリアは古代日本の勢力圏内(もしくは同盟関係)とみてよさそうね。
884<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/02(水) 06:11:52.55 ID:pmgvxJqA
>>880
日本や支那の史書に「百済は日本の属国」と書いてるんですよ
885<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/02(水) 06:28:21.93 ID:SsCy0SlN
『日本日下』ほのもとくさか
が最古だってば
886<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/02(水) 08:14:13.53 ID:gQpnNA0K
>>881
乱は政治的混乱も含むので、沢山の戦禍が確認されるかはわからない。
887<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/02(水) 12:50:45.69 ID:eHL97zn2
>>868
その朝鮮半島南部に残存するD2亜型遺伝子から、半島南部が倭だったことがもう証明されてるじゃん。
888<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/02(水) 13:01:43.60 ID:3hjBMLmj
>>887
韓国にはモンゴルと支那の遺伝子が80%あるんだが別に半島はモンゴルや支那ではないだろ
889<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/02(水) 13:18:03.80 ID:eHL97zn2
だったことがあるという証明
890<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/02(水) 13:50:44.78 ID:3hjBMLmj
半島はモンゴルや支那だったことがあるという証拠でもないし
891<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/02(水) 16:13:34.27 ID:7E+2IZRn
NHKで卑弥呼ハジマタ 
892エラ通信:2011/11/02(水) 16:17:00.22 ID:1VdNNBXO
>>882
名詞だもの。そういう言語の違いを超えるよ。

端的に言うと初音ミクは、hatsune mikuだ。
893<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/02(水) 16:25:16.55 ID:Sx447NlG
>>892
ところで、今、日本は ニッポン? ニホン? どっちだろ。

江戸時代の蘭書では、ニッフォン 見たいに書かれてるけど。
894<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/02(水) 16:31:53.66 ID:0pUxZHFE
実は"本日"の間違いでした、てへっ。
895<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/02(水) 16:45:12.21 ID:fx/KblxS
>>881
壬申の乱があるじゃないの。
896<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/02(水) 16:51:03.22 ID:fx/KblxS
>>860
日本書紀が、ヤマトショキ?とかと呼ばれていた証拠は?
897<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/02(水) 16:57:41.02 ID:5kdsoYn+
>>896
日本書記に「日本、此云耶麻騰。下皆効此」って書いてるじゃん
898<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/02(水) 16:57:56.48 ID:gsOww41q
『日本書紀』の神代巻第四段本文に「大日本」の語の訓読みは「日本、此を耶麻謄(やまと)と云ふ」とある。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/dassai1/shoki/frame/01/04/fr.htm
899<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/03(木) 17:36:42.44 ID:QPGapnZX
「日本」号は、ヤマト言葉での元来の意味の「ヤマト」とは別に、
当時は漢字しか文字がなかったので、
漢字での「日本」の表意を付加したというところに意味があるのだろう。
900<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/05(土) 04:51:19.12 ID:MyI26x61
>>852
新羅は白木だよ
901<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/05(土) 12:52:25.44 ID:TMBd0lSP
木? 城じゃないの?
もとは濁らない発音だろうけど。
902<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/05(土) 12:59:49.93 ID:yOQ5SHTz
>>893
どっちでもいい、好きによめと、国会の答弁が最近あったはず。
903<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/05(土) 13:02:09.61 ID:hHe5cjEo
>>893
正式にはニッポンだよ。
ニホンは例外として認めているだけ。
904 【33m】 【東電 81.7 %】 :2011/11/05(土) 22:28:20.38 ID:W9QS4yu8
905<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/05(土) 22:49:23.95 ID:33IVPida
>>896はゆとりかよw
なんで奈良時代に湯桶読みがあるんだよ

何が疑問なのかわかるように説明できないと
粘着としか思えないぞ
906<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2011/11/05(土) 22:51:45.73 ID:EoWRtr4q
>>905
???
じゃあ、なんて呼ばれてたわけ?
あと、湯桶読みとこれとはちょっと違うな。
907<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
『日本書紀』に関しては
「呼ばれてた」じゃなくて「読まれてた」だろうが。