【佐賀】邪馬台国説で沸く 四半世紀にわたって続けてきた吉野ケ里の発掘終わる★2

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1春デブリφ ★
★吉野ケ里の発掘終わる 26年、邪馬台国説で沸く

 佐賀県の吉野ケ里遺跡で、県教育委員会が昭和61年以来、四半世紀にわたって続け
てきた発掘調査が今月、終了した。今後は約2万点に上る出土品を分類して年代測定な
どを実施し、平成26年に調査報告書をまとめる。

 遺跡では弥生時代前期から後期の集落跡が見つかり、ムラからクニへと発展する様子
が確認された。前期(紀元前5〜前3世紀)は、青銅器を鋳造する道具の断片が出土。
中期(紀元前2世紀〜前1世紀)では、巨大墳丘墓や約3千基の甕棺墓から頭部を切り
取られた人骨など戦闘の犠牲者とみられる被葬者が見つかった。

 後期(1〜3世紀)は、周囲2.5キロにおよぶ国内最大規模の環壕内に、祖霊を祭
る大型建物などが立ち並ぶ区域「北内郭」と、物見やぐらや首長などの居住区が集まる
「南内郭」が確認された。

9.29 21:14
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120929/art12092921150002-n1.htm
※写真 復元された「北内郭」(左奥)と物見やぐら(右奥)など弥生時代後期の集落跡
=29日午後、佐賀県吉野ケ里町
http://sankei.jp.msn.com/images/news/120929/art12092921150002-p1.jpg
前スレ 1の立った日時 9/29(土) 21:56:50
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1348923410/
2名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 22:08:07.71 ID:sodAkU0G0
結局負けたな・・・・
3名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 22:08:46.00 ID:PeX7F2AN0
日本の起源は埼玉
4名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 22:09:02.28 ID:vTOdAmXl0

〜カルトと裏社会に乗っ取られる日本〜
http://kenjyanoturugi.seesaa.net/article/148207356.html
日本を貶めたカウンターパーツ
“巣鴨プリズン・コネクション”

戦後から現代にいたるまで、日本の表社会・裏社会を牛耳ってきたのは、
“巣鴨プリズン・コネクション”といってもいいかも知れない。終戦後、A級戦犯だった
児玉誉士夫、笹川良一、岸信介らが投獄されていたのが「巣鴨プリズン」だが、
本来ならば絞首刑は免れないはずの児玉、笹川、岸信介(元首相)は、その後、
ほとんど理由もなく釈放されることになる。

そしてこの釈放を決定をしたのが日本の首相や政府機関ではなく、当時GHQを直轄
していた米ホワイトハウスのトルーマン大統領(ホワイトハウスのシオ二ストといわれ
日本への原爆投下を指示)だったといわれているが、これを機に児玉、笹川、岸は
以降CIAエージェントとして、アメリカの命に従って日本の諜報活動を行う一方で
日本を陰で仕切ることになったといわれている。
“巣鴨プリズン・コネクション”というカウンターパーツの誕生である。

そして、CIAエージェントであった児玉のこうした略奪資金を投入して後にできたのが、
今や沈みかかった船ともいわれる「自民党」だ。
同時に児玉は釈放後、その資金を政界、裏社会etc.にばらまき、フィクサーとしての
足場を築いていったとされる。児玉誉士夫も笹川良一も在日朝鮮人といわれている。
朝鮮ヤクザのドン・町井久之(本名チョン・グォンヨン)が、児玉の代理人として日本
の裏社会を牛耳り、関東ヤクザ・指定暴力団「稲川会」の初代・稲川角二もまた児玉
の舎弟といわれている。(稲川角二も在日朝鮮人。)
元首相・小泉純一郎と指定暴力団「稲川会」との密接な繋がりがしばしば取り沙汰
されるが小泉一族は代々、稲川会横須賀一家の舎弟といわれていることからも、
“巣鴨プリズン・コネクション”においてはかなりの格下といっていいだろう。

5名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 22:13:33.78 ID:/1Tbkp1t0
いつもの群馬県の画像に似てる。
ttp://sankei.jp.msn.com/images/news/120929/art12092921150002-p1.jpg
6名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 22:14:40.01 ID:q5mdoYHFO
巻向だって
7名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 22:18:24.01 ID:592EPsvy0
邪馬台国は福岡の方言
8名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 22:20:43.63 ID:cGT6Sj1R0
ヤマトの日巫女を先代の弟が務める、
という話が出てきて、男の巫女なんて前例にない、
って荒れたけど結局、他の女性が務めることになった。

みたいな経緯を聞いて中国人の役人が、
なんとか理解しようとして解釈したのが、
女王卑弥呼だと思う。
9名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 22:27:01.10 ID:iZz3v8Wk0
ヒミコサマー
10名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 22:29:57.80 ID:A+FhdhE10
800年にわたって人が住んできたのか・・・
11名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 22:31:54.73 ID:CuYWimvrO
少女を女王にいただいて内乱がおさまるというのが地味におかしい
12名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 22:33:45.67 ID:gUW6mGNH0
>>1邪馬台国=ヤマタイコク=ヤマト=大和=奈良だろ?
13名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 22:34:13.05 ID:Ib5BSAxJ0
倭国大乱の痕跡じゃないかと言われている高地性集落の発生時期が、
1世紀から2世紀だと言われているから倭人伝の記述と合うんだっけ?

14名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 22:42:24.50 ID:j6HtmQ/JO
>>11
古代日本の首長はロリコンしかいなかったんだろ。
15名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 22:46:13.67 ID:MeidxfE20
>>12邪馬台国=ヤマタイコク=ヤマト=大和=宇宙戦艦大和
16名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 22:49:13.16 ID:uZ4kI3040
佐賀県の全盛期か。。。
17名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 22:50:52.27 ID:lwFwymUh0
>>14
しかも巫女萌え
18名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 22:51:05.82 ID:J44yCYMi0
>>15
邪馬台=八幡>宗教法人八幡神社グループ
19名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 22:56:57.05 ID:THrnNSWQ0
邪馬台国畿内説を主張してる連中って
想像力が欠如しているとしか思えない。
価格comのレビューを鵜呑みにする様な連中なんだろうな。
20名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 23:03:18.25 ID:cGT6Sj1R0
普通に斎宮って解釈すりゃいいでしょ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E5%AE%AE

ネパールにはクマリがいるし、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%AA

巫女や運命の女神や、後の魔女ってのは同じ流れと違うかな。
http://suwa3.web.fc2.com/enkan/minwa/fate/fates.html
21名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 23:03:29.29 ID:+4N0MmQm0
証拠を出せよ
22名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 23:06:58.64 ID:j/mx5vUh0
いろいろ派閥があるようだが、俺たちみたいな素人には、畿内説と九州説の証拠や論拠がよく分からん。
一般素人の俺の思い込みを書くから、おかしなところや通説と合わないところがあったら教えてくれ。

1. 大和朝廷(の前身)=邪馬台国
2.邪馬台国の中心は奈良。纏向かどうかは不明。
3.吉野ケ里は伊都国。
4.倭国大乱は確かにあったが、九州地方での動乱。だから、畿内の遺跡に大戦争の跡がない。
5.卑弥呼に比定される記紀上の人物はいない。神功皇后ともモモソ姫とも言われるが、功績を伝承化した架空の人物。
6.倭の五王の時代(応神付近)での大和朝廷とは、国は同じだが王朝が違う。
23名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 23:08:04.08 ID:IwKrZjaW0
邪馬台=八幡平
なんでこんな簡単なことがわからないのだろうか
24名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 23:09:27.06 ID:cGT6Sj1R0
もともと自称をワとする人達の勢力は、
緩い諸部族連合みたいな形で複数あったんじゃないの。

自分たちの国をワが国と呼ぶから倭人で、
倭を和に置き換えて大をつければ、大和じゃん。
25名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 23:21:17.46 ID:cGT6Sj1R0
古代の日本には結婚という概念がなくて、
通い婚で子供は母親の家で生まれるから、
結果的に母系部族社会だったが、

大国主の略奪婚にあるように、
結婚して女性が男性側の共同体に移籍するようになると、
諸部族の人たちが縁結びを話し合うようになったりして、

最終的に優勢となって諸部族を統合したのがヤマトで、
皇族の男系始祖に関する起源神話が天孫降臨である、
みたいな感じだと思うよ。

そこで古事記は国産みを語るに、

イザナギとイザナミが出会って声をかける順番が、
先に女性から声をかけたのが、男性から声をかけるようになった、
という変化を伝えてるとか。
26名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 23:32:15.54 ID:caiz/rZW0
だいたい日本で水稲栽培が始まった紀元前10世紀て
華南から海流横切って有明海入るの無理やろ
普通に島根から福井あたりに流れ着く
27名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 23:46:58.83 ID:aFfwrpeU0
崇神朝、垂仁朝、景行朝に関する正史の記述に近い形で発掘成果が出て
きていますので、ますます考古学関係者が虚実混じった正史の記述中の
事実らしい部分をターゲットにして研究し始めていますね
28名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 23:49:47.43 ID:aFfwrpeU0
纒向付近では、お旅所になってる場所や関係氏族と古墳との関係まで
考慮され始めています
安本氏なども、すでに10数年前に黒塚を黒速の墓ではないかと
発表されていましたね
29名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 23:53:33.20 ID:UckyjkM/0
>>26
宮崎あたりじゃね?
島根とか福井じゃ北すぎる
30名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 23:54:43.96 ID:xkJBJ84J0
>>3
武家の世になってから今まで続く支配者層は
埼玉、群馬、栃木、茨城、千葉あたりにルーツのある武家が多いのは事実。

あのへんの武士が全国くまなく入り込んで子孫が繁栄したから。
31名無しさん@13周年:2012/09/30(日) 23:57:47.88 ID:cGT6Sj1R0
アマテラスとスサノオが、
互いの持ち物を交換して産まれた子供が、

私の持ち物から産まれた子は私の子、
貴方の持ち物から産まれた子は貴方の子、
ってやったのは、どういう意味なのか、

子供は父に属すると言うことなのか、
母に属すると言うことなのか、あるいは、
深読みしすぎか。
32名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 00:12:03.21 ID:eXz5oRxp0
互いの妾と乱交やったんかw
やっぱ覗き魔天照は男やったんやな
33名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 00:12:52.55 ID:k/aRY/ag0
全国20万以上都市(四捨五入)

【北海道地方】 札幌市 191万 旭川市 35万 函館市 28万

【東北地方】 仙台市 106万 いわき 35万 郡山市 34万 秋田市 33万 青森市 30万 盛岡市 30万 福島市 30万 山形市 25万 八戸市 24万

【関東地方】 特別区 880万 横浜市 367万 川崎市 141万 さいたま 121万 千葉市 96万 相模原 71 船橋市 60万 八王子 58万 宇都宮 51万 川口市 50万
 松戸市 48万 市川市 48万 横須賀 42万 町田市 42万 藤沢市 41万 柏市  40万 高崎市 37万 川越市 34万 所沢市 34万 前橋市 34万
 越谷市 32万 市原市 28万  水戸市 27万 平塚市 26万 府中市 25万 草加市 24万 春日部 24万 茅ヶ崎市 23万 厚木市 23万 大和市 23万
 調布市 22万  上尾市 22万 太田市 21万 つくば 21万 伊勢崎 20万 熊谷市 20万 小田原 20万 西東京 20万

【中部地方(北陸)】 新潟市 81万 金沢市 46万 富山市 42万 長岡市 28万 福井市 27万 上越市 20万

【中部地方(東海+内陸)】 名古屋 226万 浜松市 81万 静岡市 71万 豊田市 42万 岐阜市 41万 長野市 38万 一宮市 38万 豊橋市 38万 岡崎 37万 四日市 31万 春日井 30万 津市 29万 富士市 25万  松本市 24万 沼津市 21万  鈴鹿市 20万

【関西地方】 大阪市 266万人 神戸市 153万 京都市 147万 堺市 84万 姫路市 54万 東大阪 51万 西宮市 48万 尼崎市 46万
 枚方市 41万 豊中市 39万 和歌山 37万 奈良市 37万 吹田市 36万 高槻市 35万 大津市 33万 明石市 29万
 茨木市 27万  八尾市 27万 加古川 27万 寝屋川 24万 宝塚市 22万 岸和田 20万 伊丹市 20万

【中国地方】 広島市 117万人 岡山市 70万 倉敷市 47万 福山市 46万 下関市 28万 呉市  24万 松江市 21万 鳥取市 20万 山口市 20万

【四国地方】  松山市 52万 高松市 42万 高知市 34万 徳島市 26万

【九州・沖縄地方】 福岡市 148万人  北九州 98万 熊本市 73万 鹿児島 61万 大分市 47万 長崎市 44万 宮崎市 40万 那覇市 31万 久留米 30万 佐世保 26万 佐賀市 24万
34名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 00:17:32.83 ID:A02KYZcw0
邪馬台国は水の中に沈んでもう誰にも発見できないパンドラの箱
正確には琵琶湖の中だ
考古学者には、これを言っても硬い頭だから分からないのです

35名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 00:18:00.55 ID:rrkmAOfq0
遺跡の発掘のアルバイトだったら
結構いい時給で25年も働くことが出来たんだよね?

俺も発掘の仕事をしてみたいよ。
36名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 00:20:22.87 ID:qYv6plCw0
まあ、普通に考えりゃ邪馬台国はヤマトのことでしょ。
卑弥呼は日の巫女で斎宮のことじゃないか。

斎宮を先代の弟が務めるとか言うんでモメたけど、
やっぱり女性が務めることになりましたってだけの話、
だと思うがなぁ。
37名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 00:23:38.45 ID:uMNnNEEK0
>>31
全然詳しくないけど
アマテラスがAをスサノオがBを所有して互いのものをほしがったのを
分け合ってこれ以上争わないと約束したってことかね
38名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 00:24:19.00 ID:LliXfGPf0
>>35
バイトだと時給900円くらいだってさ。
あと雨天は休みだから、働ける日はそうとう少ないぞ。
39名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 00:28:25.06 ID:T8fcW352O
佐賀県といえば吉野ヶ里遺跡と化け猫ぐらいしかないんだよ。
佐賀県出身の有名人もパッとしない奴ばっかだしさ。
大阪人の俺がいう話じゃないが佐賀県に少しは配慮してやらんとダメだろ。
あんな奈良の出土品と較べたら笑っちゃうみたいな貧相な土器を並べて九州説叫んでんだぜ。
わかんない←これでいいじゃん
40名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 00:29:25.80 ID:qYv6plCw0
もともと九州は古代から日本にとって、

もっとも外国に面した地域だから、
重要性高いのは当たり前だけどね。
41名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 00:31:25.83 ID:BWqzGHSE0
吉野ヶ里から邪馬台国の証拠が出なかったのは
邪馬台国が韓国系だったら困る日本人が、証拠をもみ消したんだと思う
42名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 00:36:29.40 ID:qYv6plCw0
古代を言うなら半島南部には、
逆に倭人が住んでたでしょ。

そのへんを言いだすとややこしくなる。
43名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 00:42:11.23 ID:3dSP35B/0
纒向は高名な学者たちによって今まさにファンタジーが歴史化してるとこだな
太宰府の発掘を許可しろよ、表層だけしかやらせないのはおかしいだろ
44名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 00:48:26.18 ID:aw4kNtqu0
考古学とかよくわからないんだけど、邪馬台国の証拠って例えば何があればそれっぽいの?
45名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 00:52:45.30 ID:qYv6plCw0
なんだか分らないけど、
先代の女性が亡くなって弟が継ぐったらモメて、
他の女性が継ぐことになって治まった、

ってのが該当しそうなのは、
伊勢の斎宮じゃないの。
46名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 00:54:38.99 ID:ENxA8sxy0
全滅だあ!
47名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 00:56:18.90 ID:UWGrYxWcO
マキムクはマキムクでモモソはモモソ

畿内派は魏志倭人伝にこだわるなと言うわりには
邪馬台国と卑弥呼とマキムクとモモソは比定をしたがる
48名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 00:57:16.42 ID:qYv6plCw0
女王国とか言うんで、
じゃあ天皇はどこよ、

とかなるだけでしょ。
49名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 00:58:08.03 ID:Zel2AhU50
>>30
そんなもん西暦1000年よりずっと後
起源とは関係ない
50名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 00:58:57.46 ID:1658589y0
>>46
いーまにみていろハニワ原人
51名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 01:02:16.23 ID:AUT/6H1iO
えーい、めんどくさい。
で、結局邪馬台国は奈良か九州かどっちなんだ?
52名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 01:02:48.42 ID:eXz5oRxp0
>>44
金印出ればFA


皇居にあったりしてw
53名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 01:05:22.14 ID:AZf+dNui0
もうNHK大河ドラマで畿内説と九州説で半年づつ邪馬台国やって
視聴率の高かった方の説を史実にしようぜ。
54名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 01:06:26.89 ID:qYv6plCw0
もともと通い婚で、

部族の母たちから産まれた兄弟姉妹で結束し、
母親の兄弟であるオジさんたちが部族を指導して、
お婆さんの兄弟であるオオオジたちが御意見番、

ってな構図から、
嫁さんを迎えるようになってきたんで男系氏族化して、
それまでの伝統を引き継いで、皇族の女性が日の巫女を務める、
とかだったんじゃないの。

んでもって後になってから氏族の始祖に関して、旅をしてきた貴種の物語が語られる。
それは天照大御神の命によって天降り、長い旅を経てヤマトに至ったと。

皇族に男系氏族名がないってことは、
皇族が氏族として渡来したのではなく、
それ以前の流れを継承してる証拠だわな。
55名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 01:07:13.00 ID:+Czn4Yuv0
>>22
素人にしては知り過ぎだろ
56名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 01:10:53.43 ID:qYv6plCw0
ただ注目すべきなのは、

天孫降臨にまつわる神話が、
どうも南方系っぽいんだわな。

だから九州南部と縁があるってのは、
それなりに意味があるのかも。
57名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 01:13:03.12 ID:aw4kNtqu0
>>52
漢委奴国王?あれいっぱいあるものなんだ…
58名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 01:17:44.37 ID:UWGrYxWcO
伊都国は岩戸国とも書く
岩戸言えば天岩戸
天岩戸と言えばアマテラスが隠れて出てきた場所
岩と言えば神武天皇の名はイワレビコ
『日本書紀』では神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)
岩から出てきた日子
ヒコはヒミコと同じて日子の男性名詞
ちなみに
『古事記』では神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)
伊都国の伊にいにしえ古

わりと日本人は正直だ
時系列はいじくるが内容はわりと正直
イエスの嫁さんを隠したりしない
>>31
だからスサノオは叔父さんかアニキかもな
59名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 01:18:23.11 ID:ky/G7BD70
天孫降臨にまつわる神話はどちらかと言えば北方系・大陸系

南方系の要素を持つのは物部や熊襲や隼人の文化の側面
60名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 01:18:49.01 ID:CZXMogyn0
桃太郎の吉備津彦はモモソヒメの弟であり、岡山の山奥にいた渡来人の温羅(うら)を退治
しに行った。司馬遼太郎によると、温羅(うら)はタタラ製鉄で山を焼いたりしていた渡来人
らしいとのこと。
マキムクからは大量の桃の種が出土しており祭祀に用いられたと考えられる。桃は古代
中国では神聖な食べ物とされており道教の影響だと考えられる。
61名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 01:20:21.06 ID:qYv6plCw0
コノハナサクヤヒメとイワナガヒメの話は、
もろにバナナ型の神話でしょ。

ちなみにコノハナサクヤヒメは、
富士山に祀られるようになったけど。
62名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 01:20:50.20 ID:zI+6vE6s0
中国の歴史書のとおり道順をすすんで行けば邪馬台国は海の中なるんだろ
だから単純に歴史家は否定するバカが現れる
あえて言おう、邪馬台国は海の中に沈んだと

タイタニックのように映画化をよろしく

63名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 01:22:31.18 ID:hTR6+zeu0
この人たちはこれからどうするの? くびなの?
またどこか行って埋めてから騒ぐの?

64名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 01:23:17.31 ID:+Czn4Yuv0
ロマンあふれる佐賀県だな
65名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 01:23:42.18 ID:qYv6plCw0
なんにしても、

古代の日本にとって最も外の国に面してたのが九州で、
その重要性ってのは、変わらないんだけどね。
66名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 01:24:21.59 ID:eXz5oRxp0
>>57
いっぱいある
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%AA%E9%AD%8F%E5%80%AD%E7%8E%8B
返した可能性も高い、つーかキホンそういうルールらしい
67名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 01:25:51.54 ID:qYv6plCw0
大陸って言えば、
朱印船なんてのもあったね。
68名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 01:26:07.93 ID:je1r117yO
>>57
それは中国が漢の時代に奴国がもらったもの
卑弥呼が貰ったのは「親魏倭王」の金印
魏からもらったもの
69名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 01:27:23.03 ID:ky/G7BD70
>>61
持統の691年に何故あんなことしたかな?
土着や先住氏族の氏族譚や王統譚を取りこんでるんでしょうな
70名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 01:29:33.00 ID:eXz5oRxp0
イザナギに限っては死体が腐ることを知らなかった反応だから
北方系じゃないかと思うんだけど
バイカル湖だか扶余だか匈奴だかは知らんが
71名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 01:37:53.01 ID:y/5biUg/0
その当時、九州の上半分が邪馬台国と呼ばれていた。地名に名残として耶馬溪(大分県の渓谷名)
俺の家で昔からの言い伝え
72名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 01:38:57.78 ID:IefLTm100
ネットで見た黄泉の国雲仙普賢岳説はちょっと面白かった
73名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 01:41:42.83 ID:qYv6plCw0
食物の起源神話で、
ハイヌウェレ型神話ってのも混ざってるじゃん。
74名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 01:58:23.85 ID:qYv6plCw0
北方系の文化に関しては、
アイヌが伝えてくれてる部分は大きい。

神とカムイでつながってるから大丈夫だろう。
75名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 02:02:10.66 ID:wFPQ5eBS0
西暦250年くらいに日食が観測されたと言われてるのが奈良地方だっけ?
丹が出るのは徳島。
76名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 02:36:27.38 ID:rtjHyUjF0
佐賀といえば吉野ケ里 いろいろお世話になっとります
いっぺん見にきてくんしゃいね
  佐賀県知事 古川○○
77名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 03:30:24.02 ID:rp03Vs7Y0
>>26
日本最古の水稲耕作遺跡は佐賀にある
78名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 03:42:37.99 ID:SisxL8110
結局畿内なの?
79名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 03:48:19.61 ID:9D2AhZzm0
>>78
学者内では畿内説の方が多いな

ま、どこでもいいんじゃないの
邪馬台国東北説ってのもあるし、わからない方が
商売の種になって日本全国ハッピーなんだよ
80名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 03:49:08.49 ID:OYwdjNGr0
佐賀はむかし長崎や熊本と併せて肥国と書き表されていたが
それより以前は火国や日国と書きヒノクニやヒノモトと呼ばれていた
81名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 04:04:49.11 ID:OPK4iCJt0
畿内説、九州説、埼玉説
いったいどれが正しいんだ?
82名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 04:05:48.27 ID:Kt2qHi1f0
決定打が出なかった印象
83名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 04:05:56.28 ID:qYv6plCw0
とりあえず出雲と諏訪は除外できるな。
84名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 04:21:32.92 ID:JvS/cbz50
もう川越でいいよ
85名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 04:24:26.61 ID:qYv6plCw0
古代の大火で土蔵の建物が、
高床式で。
86名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 05:09:51.39 ID:UFhFhPaq0
大宮だろう大きな宮という名前がまさに邪馬台国の存在の名残を表している
87名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 05:13:19.53 ID:PPhNODSX0
吉野ヶ里、いってみてーんだよなあ……
88名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 05:27:23.11 ID:KZ0HTOwB0
奥ゆかしき住居
89名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 05:36:41.67 ID:SYergv0R0
>>75
丹が出るところは、あちこちにあるだろ? 『丹生(にう)』って地名のところ。
90名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 05:40:04.36 ID:5mpERNT4O
火の巫女なのに

シナチクの野郎が 卑 弥呼とした説ってマジで正しそう
91名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 05:43:40.72 ID:5mpERNT4O
>>17
俺たちが巫女巫女ナースに熱狂したのは遺伝か


巫女巫女巫女巫女言ってる内に、自然と巫女に熱狂するように進化したのか
92名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 05:44:32.21 ID:NZHkmScI0
ムラがクニに発展したってんなら国内にいくつかのクニが存在した時代もあるはずなのに
邪馬台国=大和朝廷の前身って決めつけるからおかしくなるんじゃねえの?
93名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 05:51:50.19 ID:/QxWgl1hO
>>92
都が合うで『都合』がいいと言うからな。なんだこれは、たまげたなぁ
94名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 05:54:18.23 ID:gWxZ28pL0
畿内説は鉄器や絹があまりに少ない。
実質の発掘品と記述されてる生活の様子を比べると九州の方が一致する。



95名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 05:59:23.83 ID:KZ0HTOwB0
渡来人=TRY人=挑戦人=朝鮮人
96名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 06:01:46.68 ID:UsKhrcBI0
観光で考えたら見つからないほうが幸せ
卑弥呼とか邪馬台国とか名前だけで人呼べる
経済効果のために見つからないほうが幸せだとおもう
97名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 06:08:18.46 ID:y8tlNgQO0
朝廷の発展が奈良で
邪馬台国が佐賀ってのもへんだよなぁ~
98名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 06:14:56.34 ID:863iR91xP
九州派も畿内派も何でもない男の仕草を挙げて「彼は私が好きなんだ!」
みたいに暴走する女みたいな臭いがする
99名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 06:21:36.26 ID:cVB6LQdbO
邪馬台国は北九州でしょ
卑弥呼亡きあとの邪馬台国を朝鮮半島から渡ってきた百済の王族である天孫属が征服して
その首長がニニギ。東征して奈良に作ったのが大和王朝。
手塚治虫の火の鳥にはそう描いてある。
100名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 06:24:38.45 ID:y8tlNgQO0
邪馬台国は三輪山ふもとの纒向遺跡だよ学者は
もうあまり話題にしなくなっただろ
101名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 06:24:45.30 ID:nWyq8Ftm0
邪馬台国〜大和朝廷に続く系譜が畿内だけで完結するのなら、
記紀で天孫降臨神話の舞台を九州にしている理由がなくなる。
九州と畿内でこれだけもめるのも、双方にそれなりの痕跡が見つかるから。
という事は九州にも畿内にも邪馬台国は存在したと考える方が妥当。
つまり邪馬台国は九州にあったが、内乱平定後、地政学的な必要性(蝦夷
の討伐など)から畿内に移動して、後の大和朝廷となったと考えるべきだろうな。
102名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 06:27:48.98 ID:zJVYioLz0
九州の天孫グループが畿内の邪馬台国を征服したんじゃね?
103名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 06:31:48.72 ID:y8tlNgQO0
卑弥呼の墓は三輪山近くの箸墓古墳だよ
104名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 06:35:11.19 ID:dckxCFyN0
稲作開始は韓国より日本のほうが早いんだったっけ
105名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 06:37:54.72 ID:Vh3QnVK80
高床式の家とかは中国南部から伝わってる
後稲作も中国南部の少数民族
鵜飼の元も中国南部からだから、弥生人といえば彼らだね
106名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 06:39:52.58 ID:PleLXCRr0
卑弥呼がいないと火の鳥の話が成立しないから
いたことにしてやってくれないか
107名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 06:40:17.93 ID:Vh3QnVK80
>>104
日本は縄文時代から陸稲してて、水稲よりも歴史が古いからね。

韓国は気温の関係で稲作ができないみたいだね。
だから米は中国から日本へ、日本式の米が朝鮮半島へって感じみたいだよ。

108名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 06:40:47.04 ID:Th+ikg250
>>18
総本山宇佐神宮が卑弥呼の墓だという話だよん
109名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 06:43:19.28 ID:zJVYioLz0
>>104
おそらく朝鮮半島西岸南岸を通過したグループが最終的に定着したのが北部九州で
そこで本格的に稲作を始めたんじゃないかね
つまり自分らが入植可能かつ稲作可能な土地を探して朝鮮へ、最終的に九州まで来たんじゃね?
そういうイメージが頭の中にあるけど
110名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 06:45:23.25 ID:/QxWgl1hO
邪馬台国はおそらく阿蘇山を中心とした九州だろうな…
卑弥呼が没して壱与13才で受け継いだのは、イルミナティの儀式にも繋がる。
52と13のサイクルだ。となると0を知っていたマヤ文明にも繋がるな。……おっと誰か来た…
111名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 06:46:02.53 ID:hPWN+sfJi
魏志倭人伝
http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html

男子は大小と無く、皆黥面文身す。
古よりこのかた、その使の中國に詣るや、皆自ら大夫と称す。
夏后小康の子、会稽に封ぜらるるや、断髪文身して以て蛟龍の害を避く。
今、倭の水人、好んで沈没して、魚蛤を補う。
文身は亦以て大魚・水禽を厭う。
後やや以て飾りとなす。
諸国の文身各々異なり
あるいは左にしあるいは右にし、あるいは大にあるいは小に、尊卑差あり。

※黥面=顔の入墨
※文身=体の入墨
112名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 06:46:44.07 ID:y8tlNgQO0
>>44
ぶっちゃけ何を持って証拠とするのかも、ハッキリしないから
考古学は面白いだよ
113名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 06:49:04.04 ID:Vh3QnVK80
稲作は温暖な長江流域から直接日本に伝わったのは
稲のDNA検査で明らかになってたね。
しかも稲作の遺跡?は日本の方が古い。
114名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 06:51:02.57 ID:C9ZStRKA0
>>108
宇佐神宮って出来たの6世紀だよ
115名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 06:51:30.50 ID:zJVYioLz0
>>113
だからその長江流域から稲もって遼東半島に渡ったグループが
沿岸航海で黄海を渡って朝鮮へ、さらに南下して暖かい九州まで来たんじゃね
116名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 06:51:30.76 ID:Vh3QnVK80
>>111
刺青は縄文土器でも描かれてるね
世界最古らしいよ、日本の刺青が
117名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 06:53:52.63 ID:zJVYioLz0
>>116
長江河口周辺が刺青してたから
東シナ海とか東南アジアとかで漁してた人らが最初じゃないかな
想像だけど
118名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 06:55:48.74 ID:Th+ikg250
>>114
古墳の上に作ったのよん。
119名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 06:58:32.50 ID:Vh3QnVK80
>>115
近年、炭素14年代測定法という最新の年代測定法の成果で朝鮮半島の
稲作より日本の方がかなり古いことが分かってきている。
日本の稲作開始は陸稲栽培で6700年程度前まで、水稲栽培で3200年程度
前まで遡ることが判明している。

これに対し朝鮮半島では水稲栽培は1500年程度前までしか遡れない点、
九州北部と栽培法が酷似していることや遺伝子学的に日本の古代米に
満州から入った米の遺伝子が交雑した米が多いことなどから、
水稲は日本から朝鮮半島へ、陸稲は満州経由で朝鮮半島へ伝わったことが判明した。
支那政府の研究機関でも調査が進み間違いないという結論が出ている。
120名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 07:01:11.98 ID:zJVYioLz0
名前からしてトヨの国だもんね、大分県

>>119
なんだ俺に言ってるのか・・
朝鮮の稲作が成功したのは九州に来たグループが朝鮮を通過したかなり後なんじゃね
121名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 07:01:39.50 ID:Zel2AhU50
俺もiPhone4S持ってるからiPhone5はいらないと思ってたが
近所のソフトバンクショップに帰りにふらっと立ち寄ってLTEのiPhone5のあまりの処理速度の速さに驚き、
買い替えを決めた
今までと全然違うな
122名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 07:04:44.76 ID:Vh3QnVK80
ポリネシア、ミクロネシア、硫黄島、ニューカレドニア、パプアニューギニア、
イースター島からも縄文人の骨とか、縄文土器(日本の土で出来た)が
出土してるのも面白いよね。後南米の島にも出土してるんでしょ。
文化的に共通点があるし、日本からあちらへ行ったかと思うと、面白いね。
123名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 07:14:05.73 ID:Th+ikg250
>>120
その伝で言えば「豊葦原中国」もトヨの葦原の中津国、
すなわち大分の中津(宇佐の隣)になるのねん。
124名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 07:16:23.87 ID:e9JcPOzP0
>>53
配役だけでも視聴率に影響するのに。
125名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 07:18:35.99 ID:zJVYioLz0
じゃあ畿内版は関西出身のタレントだけで作り
九州版は九州沖縄出身のタレントだけで制作して対決してみてはどうか
126名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 07:19:16.14 ID:dckxCFyN0
(産物や風俗の)有無するところ、(の状況)は、たん耳・朱崖(ともにいまの海南島にある)とおなじである。
倭の地は温暖で、冬も夏も・生(野)菜を食する。みな徒跣(はだし)である。

魏志倭人伝のこういう描写は、いかにも南方的なんだなあ
127名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 07:20:36.81 ID:Th+ikg250
>>125
NHKのことだから、どっちにも韓流タレント入れてくるぞwww
128名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 07:28:31.42 ID:rXwjQheV0
>>62
>>中国の歴史書のとおり道順をすすんで行けば邪馬台国は海の中なるんだろ

中国では、今の畿内や関東は九州の南方だと思っていたふしがある。
その当時の地図もそう描かれているものが存在するし。
129名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 07:37:01.75 ID:zJVYioLz0
例えば街道を馬で進み海原を帆かけ船で進むのと
曲がりくねった山道や入り組んだ海路を艪でこいで進むのでは
同じ十日でもずいぶん違う
130名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 07:40:07.03 ID:A8//962Z0

韓国人観光客が欲しくて、
「吉野ヶ里は古代朝鮮人が作った」
と広報してただろ
忘れんぞ!!
131名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 07:44:00.88 ID:mRc++Gpl0

関東だけど、吉野ヶ里と同じ配置(本殿,東祭殿、村の入り口、外堀の跡)の遺跡跡がでているよ。

文献にも奈良までの記録はある地区。

132名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 07:48:36.54 ID:nBgEJwsh0
>>126
隼人も大和もゴッチャにしてるだろうね。
133名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 07:50:41.25 ID:2ZgGJ8s70
邪馬台国は韓国にあった
134名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 08:48:24.29 ID:+Czn4Yuv0
>>130
これは守銭奴と売国奴が複合汚染されている重要な問題
もっと声を大きくしてこの事実は伝えていこうぜ!
135名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 08:50:17.96 ID:gECdm4OF0
>>132
海人に関する部分など南方的なのは瀬戸内や南紀とかも入っているかもね。
136名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 09:23:59.62 ID:fXPBCUBT0
司馬懿さまの御威光は呉国の隣の女王国まで及んだって舞文・文飾なのに
どこにあったか比定している日本ってつくづくバカだな
137名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 09:35:12.16 ID:gqMMna5N0
佐賀って今でも朝鮮人多いの?
138名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 09:36:03.72 ID:z+wAGHES0
邪馬台国の頃には寂れていたんだよね
まあプロト邪馬台国の首都だった可能性はあるね
139名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 09:47:02.30 ID:qCG4opRs0
佐賀と奈良って寂れ具合が似てるよね

140名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 09:49:16.70 ID:HrEUde6q0
>>12
邪馬台国=ヤマタイコク=ヤマト=大和=奈良=ウリナラ=韓国だろ?
141名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 09:53:04.91 ID:gECdm4OF0
>>136
地名や人名が書いてあるんだから比定しようとするだろ。
それらも全て司馬懿の功績の為の捏造か?
142名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 09:54:40.49 ID:Th+ikg250
>>138
例えばここから日に向かう方角(日向)へ移動したとも考えられる。
日田あたり(田と穂は同意だから高千穂か)を通って豊葦原中国(中津)
へと移って邪馬台国となり、その伝承が後世の大和政権にも残っていた
邪馬台国関係者から記紀に採られたと。

やっぱりこの話、上手くできてるわ。
143名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 09:57:33.92 ID:zk4onpU70
>>22
てゆーか、素人は畿内説こそねじれにねじれた学説としか思ってないのでは?
対馬経由で九州に入ったとこまではどちらの説も同意だろうが・・・
邪馬台国に関する記述には九州説では距離が一致せず、畿内説は方角に無理がある。

でも、大昔の日本は道路も今のように整備されているはずはないし、正確な測量も出来なかっただろう。
しかし、方角を間違うとは思えない。

正直、観光誘致合戦とかそういう政治的な思惑で畿内説を推す勢力がいるのだろうとしか思ってないだろ。


あと、北部九州には英彦山(天照の息子)と神宮皇后(戦後までは卑弥呼のモデルの第1候補だった)関係
にルーツを持つ古い神社がおおくてな。
君が代にいたっては志賀島で神事の再に歌い継がれてきた九州王朝賛歌とも言われているし、その島の砂は
いまも長野県などの神社では神事の再、高天原の砂として毎年トラックで今も運び出している。
ヤマトという地名も福岡にはあるしね。

大和朝廷の祖となった勢力は、その力を増すごとに稲作とともに南から北へ西から東へと拡大していった
問い宇多kの話ではないかと思うのだが・・・

でも、神宮皇后をクローズアップすると三韓成敗を抜きにして語れない。
2チャンネルにおける韓流とマスゴミの思惑を考慮すると、朝鮮半島に都合の悪い事実がでてくるから
九州説を否定したがっているのではと個人的に思ってる。
144名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 10:07:55.74 ID:z+wAGHES0
>>142
自分も直接ヤマトに入ったとは思わないなぁ
九州はヤマト王権と深い繋がりがあるのは間違いないね
>>143
明代の日本の地図なんかもかなりでたらめだよ
145名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 10:11:13.64 ID:fDhTxZwc0
やっぱりきのこの山が勝ってしまったか
146名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 10:12:42.20 ID:e6pe+sNA0
まぁずっと日本の中心は奈良京都だったわけだしな
北九州なんてことがあるわけが・・・
147名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 10:13:51.14 ID:gECdm4OF0
>>143
>しかし、方角を間違うとは思えない。

倭は会稽の東と言っているのを無視している時点でそれは盲信だろう。
148名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 10:15:11.38 ID:WcS8o1zh0
>>139
あんな大都市と佐賀が比べられるかよw
田舎度が決定的に違うだろw
田舎なめんな!
149名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 10:31:57.33 ID:Th+ikg250
>>144
「ヤマト」とは何かを考えてみるのも面白いのよねえ。

「大和」は「倭」に大をつけて、それに「ヤマト」という読みを当てただけだから、
そこから意味をとることはできない。

やはり九州にある地名「山門(やまと)」が起源(?)な気がする。つまり山が
門のようになっている土地のことだと。これはまた九州と接する長州が元々
「穴門」で、関門海峡がその由来であることからも想像できる。

もちろんこれは必ずしも佐賀の旧山門郡やその他の山門が邪馬台国という
意味ではなく、あくまで奈良の大和が山門の意味から名付けられた地名だと
いうことでしかないけど、やっぱりなんらかの関連性はあるように思えちゃうよね

150名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 10:38:26.49 ID:Th+ikg250
>>147
距離はなかなか正確に測りにくいので、実際よりも長く思えたものを積み上げて
しまった結果、「会稽の東」と推測したとも考えられる。経路的には半島からずっと
南下していってるから。

記録者も使者も会稽からまっすぐ東に進んで邪馬台国に到達したわけじゃない
からね。
151名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 10:45:54.62 ID:zk4onpU70
>>147
問題はこうした記述の一部を、一方に都合よく取り上げすぎなことなんだよ。

ある説ではそもそも邪馬台国は日本本土ではないとの説もあるしね。
今現在の中国人の性質などと比べてみると、邪馬台国の調査と言う事業を誠実に正確にこなしたかさえ怪しいよw
すくなくとも当時の中国からみて、直ちに対応が必要な軍事的脅威でないことがわかれば資料としては十分だっただろうしね。

つまり魏志倭人伝そのものの資料としてのクオリィティも大きな問題なんだな。
152サガミハラハラ:2012/10/01(月) 10:50:04.22 ID:hWVruNpv0
>>52 金印には「漢委奴国王」印、「親魏倭王」印、確認されていないが「親晋倭王」印があります。他に
足利義満が貰ったものや太閤秀吉が貰った金印があります。
「漢委奴国王」は志賀の島で発見され現在福岡市立博物館にあります。
「親魏倭王」印は、中国に自参し「親晋倭王」印と交換してきたという可能性が有ります。一方そのまま日本にあったともかんがえられます。
ただし、これは伝世であるので、卑弥呼の墓に埋納されたというこいとはありません。卑弥呼の死後、壱与が継承して中国との貢献のさいに遣われたものと思われます。
「親晋倭王」印は大和朝廷が九州を平定した際に、邪馬台国が服属したときに、服属の証しとしてその金印を大和に渡したとかんがえtられます。(もちろん親魏倭王印も保管していたらそれも)
となれば、その金印は皇居にある可能性がかなりありますね。
153サガミハラハラ:2012/10/01(月) 10:55:40.74 ID:hWVruNpv0
>>122 いわゆるバヌアツの縄文土器ですが、あのあたりはかつて日本領だったのです。
ところがサンゴ礁のようなとちだったのでうまく作物が育たなかったために、日本本土から
土をはこんで畑をつくったわけです。
その土の中に偶然縄文土器がはいっていたのです。どっかの縄文遺跡の土だったのですね。
154名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 10:57:17.33 ID:Z18EFHRI0
やっぱ琉球王朝の事だったんだよ
155サガミハラハラ:2012/10/01(月) 11:17:13.45 ID:hWVruNpv0
>>149 穴門の語源ですか?
後漢書東夷伝に拘奴国というのがでてきます。これは狗奴国のことではといわれたことがありますが、結してそうではありません。拘奴国は山口県にあった国です。
この国の住民はここを、コウト国とよんでいました。
やがて本格的に漢字が」はいってくると、この国のことを孔門国とかくようになりました。
よみはもちろんコウト国です。そのうちこれを訓読みにしてアナトとよむようになりました。孔とはアナのことですからね。
そしてこのアナに、穴という漢字を当てて穴門とかくようになり、アナトという地名が定着したわけです。
156名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 11:17:49.07 ID:zk4onpU70
なにかと天災の多い日本で、もっとも津波や地震の被害が少なく安定しているのも北部九州から出雲地方。
稲も原種はより南方でなければ、育たなかっただろうし。品種改良と農耕技術が向上するまでは北上できなかったはず。
志賀島の神職をつとめた安曇族は鉄を求めてのちに長野に移り住んだとか。
ということはそうした他の資源もむかしの北部九州には豊富にあったわけです

奈良や京都と比べると見劣りするだろうが。
テクノロジーの未発達な原始の集落を、やがて日本を制する大きな勢力に育てうる要素や環境は多いように思う。

畿内説指示者がいうほど九州説に見込みがないとは思わないな。
157名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 11:20:42.54 ID:+JLfOntx0
100里進むと奴国に至るとかここまでは距離で記しているのにいきなり水行20日とかになるのは
不思議ですな。
158名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 11:26:34.46 ID:Th+ikg250
>>157
「水行二十日」「「水行十日陸行一月」を帯方郡からの日数だとする
説もある。
159名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 11:29:25.54 ID:+JLfOntx0
>>158
高木彬光の邪馬台国の謎がそうでしたな。
160名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 11:56:16.69 ID:TTSDv6Ux0
弥生時代末期の筑紫、博多。
漢委奴国王(スサノオ)が建国し、帥升(大国主)と続いた倭(和)の奴国も、跡継ぎを巡る「大乱」により卑弥呼(アマテラス)の
邪馬台国に国を譲る。これを不服とした卑弥弓呼の狗奴国と交戦状態になり、「和」国は分裂。卑弥呼はその最中に急死する。

【分裂した「和」国】
奴国(長崎/佐賀)邪馬台国(福岡/大分)・筑紫/宇佐→安芸→吉備→「大和」
狗奴国(熊本)─┼─投馬国(宮崎)・日向↑ 【神武東征ルート】
....................隅国(鹿児島)

卑弥呼の跡を継いだ筑紫邪馬台国♀女王「台与」は日向投馬国王♂を婿として迎えた後、薩摩隅国(隼人)との三つ巴で
肥後狗奴国 (後の熊襲)を滅ぼし、「和」国を再統一する。その男系末裔であることを示すため、神武は投馬国(日向)から船出し、
首都を筑紫・博多から「大和」へ東遷。「大王(おおきみ)」に即位し、「大和」朝廷を樹立した。

※記紀が投馬国の祖であるイザナギ・イザナミを漢委奴国王(スサノオ)の両親、台与の伯母・卑弥呼(アマテラス)をその姉としたのは、
(投馬国王と台与の末裔である)大王家の系図操作。漢委奴国王(スサノオ)と帥升(大国主)は建国の功績を消され出雲に祀られる。

-大和朝廷における、♂投馬国(日向)系大王と♀邪馬台国(筑紫)系大王の(それぞれの男系が途絶えたことによる)政権交代

【前期古墳】…イリ三輪(銅鏡)王朝(神武〜仲哀)=♂投馬(日向)系大王
【中期古墳】…ワケ河内(鉄剣騎馬)王朝(応神〜武烈)=♀邪馬台(筑紫)系大王(朝鮮半島へ軍事介入で王権強大化)
【後期古墳】…近江王朝(※継体〜天智〜桓武〜現在)=♂投馬(日向)系大王

-継体・安閑・宣化=日向系大王。継体の大王即位が筑紫系皇族の抵抗で大幅遅延→「筑紫君磐井の乱」を誘発
-欽明〜皇極(斉明)=筑紫系大王。筑紫系大臣、蘇我氏による日向系皇族大弾圧→「乙巳の変」へ
-天智・弘文=日向系大王。「白村江の戦い」惨敗で朝鮮半島権益を完全喪失→「壬申の乱」へ
-天武〜考謙(称徳)=筑紫系「天皇」。両系和解の記紀編纂(日向系大王の活躍=筑紫系大王の活躍)→「道鏡事件」へ
-光仁・桓武〜現代=日向系天皇。筑紫系天皇の平城京から本拠地・近江(琵琶湖)近くの平安京に遷都
161四国:2012/10/01(月) 12:03:31.76 ID:xanGVshf0
邪馬台国は四国説あるよ 徳島県なんて古墳だらけだし天皇家と結ぶ縁もあるし
天皇家の即位の儀式の時に必要なアラタエ(大麻。日本古来の麻は中毒せいありません)
そのアラタエを作る一族が2000年前から現在まで継続してますよ
162名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 12:04:51.83 ID:HIW9j93gO
邪馬台=八幡平
163名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 12:29:52.65 ID:UWGrYxWcO
そうだよなぁ
大和(ヤマト)は誰がどう考えたって後付け地名だよな
164名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 12:52:04.51 ID:gECdm4OF0
あの記述が初めから終わりまで整合性ある構成なのかどうかという疑問もあるし、実際
に異なる文献の文章を切り貼りして並べ替えているとの仮説で原本復元を試みた人もい
る。
あの程度単語が削り落とされ最小限で文意を伝えようとする文章は順番を少し入れ替え
るだけで変わるからね。
陳寿が複数の文献を編纂してまとめたということを忘れてはいけない。
165名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 13:04:59.90 ID:LMptSk660
>>164
そうだよな。
書いた陳寿が行ったわけでも、行った者に直接確認したわけじゃない。
残されていた資料をまとめて書いたら、あのような記述になったわけで。
166名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 13:08:21.27 ID:gqMMna5N0
日本書記が天武朝系の作
だからよっぽど都合の悪い歴史を捻じ曲げた可能性もあろう
167名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 13:19:32.29 ID:Th+ikg250
>>159
ちなみに私の書いてることのほとんどが高木彬光のそれと
「古代天皇の秘密」から取っていることはないしょだ。
168四国:2012/10/01(月) 15:16:12.85 ID:xanGVshf0
高木彬光さんの小説読んだ事なくて失礼だけどお聞きします。
邪馬台国の秘密と古代天皇の秘密には徳島県の話でます?
関係してるのか知りたいです
169四国:2012/10/01(月) 15:18:21.54 ID:xanGVshf0
高木彬光さんの小説読んだ事なくて失礼だけどお聞きします。
邪馬台国の秘密と古代天皇の秘密には徳島県の話でます?
関係してるのか知りたいです
170名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 15:19:10.97 ID:+Czn4Yuv0
古代朝鮮半島より古代日本の方が圧倒的に古墳や、その他文字入り出土品などが発掘されているのに
どうして歴史の解釈の流れでは、古代朝鮮半島より古代日本へ文化が伝わった、古代日本が古代朝鮮半島へ全ての教えを乞うた、みたいになってるのか解せない。
稲作も朝鮮半島から伝わったのではなく、古代日本で稲作されていたジャポニカ米が古代朝鮮半島や満州地方へ伝わったのが、遺伝子考古学で科学的に証明されているのに、今だそれも教育の現場では徹底されていない。
考古学の分野にも朝鮮系研究者が入り込み、色々な史実の書き換えに腐心しているとの話も聞いたことあるが朝鮮半島が考える妄想古代史は排し、日本は古代の史実というものはもっと整理して教育した方がいいだろう。
171名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 15:20:49.07 ID:RIQyPsuE0
邪馬台国が東遷して大和朝廷が出来たんじゃないの?
東遷って言っても、出雲辺りからなのかな?
そうすると、奴国とか熊襲の都市だったって言うことかな吉野ヶ里は
172四国:2012/10/01(月) 15:25:45.38 ID:xanGVshf0
170に大賛成
173名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 15:27:07.41 ID:CZXMogyn0
>>170

↓百済はこんな国だったよ
http://www.iokikai.or.jp/kodai.kudara.html
174名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 15:34:21.01 ID:+JLfOntx0
>>169
徳島の話は萩原墳墓群も含めて無かった気がしますね。
高木彬光が生存していた頃には「萩原2号墓」という日本最古の前方後円墳も見つかっていなかったでしょうし。
うろ覚えなので間違っていたらすみません。
175名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 15:43:48.84 ID:zcd5TtPb0
>>173
くだらねえ国だな全く
176四国:2012/10/01(月) 15:52:18.74 ID:xanGVshf0
ありがとうございます。
177名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 16:23:26.65 ID:XKoqYNzQ0
発祥が九州か、近畿か・・・というのには、現地調査や文献も必要だが
昔から語り継がれてる、舞や神楽なども精査する必要も有るんだろうなぁ・・・

>>160
もっともらしいが、高千穂の神楽の話と、ちょい食い違いが出るんだよなぁ
178名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 16:29:22.91 ID:/gIvvHPuP
>>170
本格的な稲作は淮水下流域に住んでいたワ人が持ち込んだという説を最近読んだが
結構面白かった。ワ国(ワはサンズイに于)に住んでいた人々が秦の重圧に耐えかねて
紀元前200年くらいに船で東シナ海に逃げ、九州北部から朝鮮半島南部に渡来した。
わこくは倭人の、つまり日本人のルーツというもの。
179名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 17:13:00.75 ID:rXwjQheV0
畿内説は方角に無理がある。
>>128
180名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 17:17:43.18 ID:oc8UtRVb0
邪馬台=八幡平
181名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 17:21:30.19 ID:blcjhRGk0
>吉野ケ里の発掘終わる

発掘現場の、ほんのもうちょっと先まで発掘すれば世紀の大発見がまってたかも知れないのに!
182名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 17:37:01.39 ID:+6cM72D80
>>164
感覚的には今、昭和史を書くようなもんだぞ
中国語(漢文)特有の不分明さはともかく、女王国を奈良だの大阪だのへ無理やり持ってこようとするから「いいかげん」「誇張」「捏造」とでもごまかすほか無くなるだけ
183名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 17:54:32.85 ID:k0Am7l3h0
つまり半藤一利みたいなもんか
別に不自然じゃないな
184名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 17:57:14.20 ID:gECdm4OF0
>>179
「会稽の東」から演繹に方位を記述した可能性も。

>>182
現代人の情報量と記録へのアプローチと同様としている根拠は何?
185名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 18:12:50.56 ID:C9ZStRKA0
>>182
別冊のそれも極一部だろうが
適当な事言ってんな
186名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 18:17:53.69 ID:UWGrYxWcO
まぁ、なんつうのかな
マキムクはマキムクなんだよな
地名の由来のマキもミマキとかなんとかと
記紀にも乗ってるがヤマトの由来はなかなか出てこない
とにかくいきなり天皇がヤマトなんだな
しかも「日本」と書いて「ヤマト」なんだよ
誰が見ても強引だ
だからか知らんが古事記では「倭」と書いて「ヤマト」だ
もう、古事記はこれだけは言いたいという感じだね

でも、これも無理矢理なんだよ
普通はヤマトから連想するのは「山」だろ
山に戸とかで山戸とか普通だわな
187名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 18:18:51.58 ID:gECdm4OF0
>>182
>感覚的には今、昭和史を書くようなもんだぞ

半世紀前の台湾を10ページも無い出張報告書と100年前の簡略な内容の地理書で書いたらどうなる?
想像力がないよ。
188名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 19:10:17.46 ID:+6cM72D80
>>182
どこにそう書いてある?時間軸の話だよ
>>187
あんたが書くと台湾と九州あるいは本州が地理的に混同される程度の文章になるとでも
189名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 19:11:41.89 ID:gECdm4OF0
>>186
>とにかくいきなり天皇がヤマトなんだな
>しかも「日本」と書いて「ヤマト」なんだよ

国名の漢字表記を倭から日本に変えた後に贈られた称号だから。
その「ヤマト」は現在の奈良県あたりの大和国ではなく倭国、日本国の「ヤマト」だから。
日本書紀は律令の用語で書かれている。
古事記は律令以前から慣用されていた漢字で書かれたかもね。
当時は大陸の国名は王朝(根拠地の名が多い)の名前だが、倭国も似た感じである時期
から大和王朝が中心となったんで「ヤマト」を国名にしていたんだろう。
倭はあくまでも大陸側がつけた地域名や国名の漢字だ。
190名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 19:11:44.40 ID:p8U6Ms4t0
>>158
この説だと色々と上手く説明できそうだね
191名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 19:17:25.33 ID:+6cM72D80
>>184だたorz
192名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 19:18:22.26 ID:gECdm4OF0
>>188
単純すぎるよ。
外国のことを書く話がどうして「昭和」なんて国内を書く話になるんだ?
陳寿は倭人か?
時間軸と空間軸、使用している資料が書かれた時期と用語の相違とか科学などの知識量と質。
色々想定して仮定の話をしないといけないのに単純で根本をはずしている。
193名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 19:24:53.52 ID:gECdm4OF0
>>188
>あんたが書くと台湾と九州あるいは本州が地理的に混同される程度の文章になるとでも

資料が少なくしかも古いものを使って書かなくてはいけない外国のことの例としてだしたんだよ。
君は無自覚だから「昭和」と書いたり国内の地理しか頭になかったりしている。
現代日本人として頭を使っていることに無自覚だよ。
194名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 19:35:32.27 ID:Th+ikg250
ケンカしない。

ちなみに方角について反証としてあげられている日本が南北に伸びた地図が
実際の測量(とまではいかなくても、踏破した人の報告書なり資料なり)による
ものである確証はないわけで。

一方、魏誌倭人伝の記述は里程が比較的細かく記述されていることからも、
実際に邪馬台国を訪れた(あるいは近くまで行った)使者の報告書なりが
参考にされた可能性は高い気がする。

仮にその使者の資料を元にしたということが事実であるとした場合、実際に
踏破した行程での方角を(ほぼ90度に渡って)間違えるということは、当時、
天測等の技術はあったと考えると可能性は少ないのではないか。
195婆 ◆HKZsYRUkck :2012/10/01(月) 19:41:38.37 ID:0rC9ZwZs0
>>44
魏の曹叡の墓から、有明海産ムツゴロウの干物が出てきたら佐賀。
奈良漬が出てきたら纏向。
196名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 19:46:27.31 ID:gECdm4OF0
>>194
現代でもある教条主義的傾向が強い思想の人間や集団では「それは○○的に正しくない」と
なって「思想的に正しい形」に修正される。
今も隣国で強力なものがあるじゃないか。
使者がそうだったり陳寿がそうだったりでありうるものだ。
197名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 19:48:50.52 ID:gECdm4OF0
>>195
三輪だけにそうめんではないか?
198名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 19:49:17.32 ID:UWGrYxWcO
>>189

そこなんだよ
ヤマトの地名は大陸側からのフィードバックで成り立ってるようにしか見えないんだ
元からのマキムクなりカシハラの人達がヤマトと読んでたようには見えないんだよなぁ

極端な話さ
邪馬台国をヤマト王権として
魏志倭人伝で邪馬台国と読んでるから畿内派をすれば邪馬台はヤマト
そりゃそうだろと
でも、それじゃ某半島のウリナラのナラは奈良のナラ
だから起源はナントカの歴史ロンダリングになりゃせんかと

いやね、都怒我阿羅斯等の話で都怒我阿羅斯等は伊都国王にあって
ミマキの王こそヤマトの王と拝命までして貰った
こんなに記紀と倭人伝の地名と符号してるという主張してる人が居て
そこで逆に気がついたんだよね

それが「意図」なんじゃないのかと
199名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 19:50:34.62 ID:Th+ikg250
>>196
その教条的な思想でいうなら、成立が曖昧な地図のほうがよほど影響されてる
と考えることもできると思うんだが?
200名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 19:52:35.24 ID:eHF4ZpoI0
>>194
そこまで言うと里程の問題はどうなるんだ?ってことにならね?
201名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 19:55:28.46 ID:gECdm4OF0
>>199
例の地図は明らかにそれ以前の地理誌の影響だろう。
正直この議論では論外だよ。
あくまでも該当範囲の史書の記述の成立の推定をすべき。
202婆 ◆HKZsYRUkck :2012/10/01(月) 19:57:14.35 ID:0rC9ZwZs0
>>194,>>196
道教の中華帝国は天帝太一神(北極星)で方角を決めていたのだが、
日出づる日本では、日の出の方向(日向かし=ひがし)で方角を決めて
いた。したがって倭人の言う「東」は季節によって90度近く変化するのだ。

てな説を唱えてるんだが、誰も相手してくんないw

>>200
里程は「水行」が鍵だな。現代の感覚では海か川か湖沼しか水行せんが、
上古の沖積平野下流域はメコンデルタみたいな沼沢地で、舟に乗ったり引いたり担いだりしながら、じりじりと進んだのだ。

てな説を唱えてるんだが、誰も相手してくんないw
203名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 19:58:27.94 ID:Th+ikg250
>>200
んー、私は単純に上でも書かれてる高木彬光の宇佐説がおおよそは上手く説明
できてると思ってるんで。こじつけっぽいけど、「会稽の東」のほうが「水行20日」
あたりを陳寿が誤解して、そのまま採用したとか思ったりもしないでもない。

ちなみに「邪馬台国の秘密」では方角論は記述された方角から前後45度の幅
(例えば東なら北東から南東まで)をとって考えてたと記憶してるんで、それでも
いいのかな。
204名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 19:59:27.35 ID:e7MIcZIe0
魏志倭人伝は方位も距離も至極正確に書かれていて畿内に行くようにしか
読めないのだが?
205名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 19:59:51.71 ID:C9ZStRKA0
単純に検証できない資料ないじょうどうすることも現状できん
あくまでそういう資料があるとういうだけで、それいじょうでもそれいかでもない
206名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 20:02:50.11 ID:Th+ikg250
>>205
それじゃあ話が面白くならないじゃないか。
207名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 20:06:05.16 ID:+Czn4Yuv0
俺も面白い方がいいな
208名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 20:11:49.87 ID:gECdm4OF0
>>202
倭人の方位の示し方か基準が違うのではというのは何かあったね。
東西方向を基準にして示している記述が記紀にあるだとか。

>>203
「会稽の東」は報告されている風俗も関係しているのではとは思っている。
よく言われる政治的都合もあるかもしれない。
陳寿の個人的な知識や世界観、晋人の少なくとも朝廷関係者のそれがどうなのか掘り下げられれば
いいんだけどね。
ただ、どの説も原因がひとつしかないようなやりとりが多いのが。
209名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 20:14:32.35 ID:gECdm4OF0
>>203
>方角論は記述された方角から前後45度の幅

帯方郡から倭の方角を示したものだっけ?
一点を示すのではなく八等分くらいのレンジで示しているとか。
210婆 ◆HKZsYRUkck :2012/10/01(月) 20:16:38.21 ID:0rC9ZwZs0
>>208の上段:
おお、なにかあるのか!探してみよう。

下段:
冬でも野菜ができるとか、邪馬台国の風俗の記述が
南の島っぽいもんね。緯度の割に暖かいということは、
黒潮の影響か。
211名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 20:17:06.54 ID:w6ohRH9V0
>>202
宮崎産の我心の邪馬台国説ですな。
212名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 20:18:14.73 ID:In4r86CJ0
>>202
伊勢神宮も太一神だろがw

213名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 20:19:51.37 ID:YWkES+Kt0
結論 混血、外国人お断わり 日本は鎖国
結論 混血、外国人お断わり 日本は鎖国
結論 混血、外国人お断わり 日本は鎖国
214名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 20:25:26.10 ID:Th+ikg250
>>209
東というのが仮に北東から南東までの90度(全周の四半分)を示すと考えると、
その「会稽の東」の範囲にすっぽり日本列島が含まれるという話だったかと記憶
している。
215名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 20:28:38.85 ID:In4r86CJ0
>>160
竹田さんにも理解できるように易しく書いてあげて
216婆 ◆HKZsYRUkck :2012/10/01(月) 20:28:47.61 ID:0rC9ZwZs0
>>211
古代の地形を考えにゃいかん、という点を強調した点では
宮崎康平さんは偉いと思う。博多湾と有明海がつながってた、
というのは極端な気もするが。

>>212
たしかに伊勢神宮は道教まみれだけど、創建は7世紀じゃないのん?
217名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 20:30:25.43 ID:W4CP4BTQ0
壱与はまだ13だから〜
218名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 20:32:44.63 ID:4PitPacf0
 この中のどれだけの人が魏書(呉書・蜀書)や前後の史書を読んで、時代背景、
政治背景、書かれている内容、陳寿の編集意図を理解している人がどれだけい
るのだろうなあ。
 まずそれをしないで、倭人条だけを取り出して、距離はあーだ、方位はこー
だとやっても何の意味がないし、結論もでない。非常にレベルの低い議論を日
本人は江戸時代から延々続けている。よく飽きないものだな。
219名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 20:35:16.91 ID:W4CP4BTQ0
中国に討伐されないように、あえて場所をごまかした説
220名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 20:35:47.06 ID:gECdm4OF0
>>210
随分前に読んだ本なので細かいところを覚えていない。
東西を縦、南北を横だなんだとかだったかな?ある天皇が定めただとかなんとか。
そこから大陸の基準なり世界観と違うんじゃないか?と。
日の沈む方向の変化まで関連付けていたかは覚えていない。
221名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 20:36:52.74 ID:+Czn4Yuv0
>>218
で?
222名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 20:43:21.89 ID:Th+ikg250
良い子はもうおネムの時間なので落ちるがwww

例えば卑弥呼が死んだあたりに北部九州で皆既日食があったという説もある。
日の巫女である卑弥呼はそのために殺されてしまったというわけ。これは有名
な天岩戸神話にも通じる。

結局のところ、やはり記紀は成立当時の各地や豪族の伝承を集めてまとめ直
したもので、当時の大和王朝(?)にもかつて九州にあった邪馬台国の関係者
(縁者)が残っていたから採用されたものだとするのが、個人的には一番腑に
落ちるのよね。

どのくらい関係していたかは、それこそ神武の東征や神功皇后、応神天皇あた
りのことを考えると、けっこう深いものがあった感じは受けるけど、邪馬台国が
そのまま大和王朝になったとまでは言えない気がする。
223名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 20:49:33.09 ID:w6ohRH9V0
>>222
健康的ですな。
224名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 20:49:44.43 ID:zk4onpU70
>>160
博多湾から大宰府にかけて神宮皇后関係の伝承なども多いのですが、こうした中でよく見落とされるものに
「熊鷲」と言うものがあります。

これがよく「熊襲」とまちがえてそのまま古代史の検証がなされているケースが多いように思います。
私も、誤植の類だろうと長く思っていましたが香椎宮の伝承を伝える文献には「翼の生えた鬼」のような化物
として絵がかれています。

土蜘蛛と同様、帝や大王に従わなかった勢力なのでしょうが、熊襲とは明確に区別されていた勢力ではないかと思います。

このように、いまだ民俗学の世界には見落とされている要素があるように思います。
225婆 ◆HKZsYRUkck :2012/10/01(月) 21:32:41.21 ID:0rC9ZwZs0
>>89
丹生姫神社は中央構造線沿い(水銀鉱床)を中心に分布してるそうだね。
九州なら大分-熊本。
弥生以前の水銀鉱山遺構が見つかってるのが徳島だけだから
「丹の山」ってことにされてるけど、文献に見える国産辰砂の初出は
豊後だったりする(続日本紀)。
226名無しさん@13周年:2012/10/01(月) 21:59:15.76 ID:aw4kNtqu0
あー面白いもんだな、なるほど。
決定打っぽいものはあるけど、それを覆せる説もあるから
FAともいいきれず…というのはあるんね。
金印もアレコレあるとはしらなんだw

>>44だけど反応してくれた人たちありがとう。
引き続き読んでる
227名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 00:00:13.68 ID:8HtolJng0
>>225
丹生川上、中、下はどうするの?
228名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 00:08:50.27 ID:9Q4zF8VO0
>>224
160さんのどこが民俗学なんだろう?
これまでの国史の常識のただの要約じゃないですか。
229名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 00:09:31.52 ID:+8u/0E550
でも佐賀にも誇れるものが出来て良かったよねマジで
ほんとに何にもないところだもん佐賀って
なんで福岡と合併しないのかな

230名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 01:04:05.82 ID:zWwJg/tA0
>>160
そう言えば、長岡京遷都を断念し、平安京に無事遷都し終えた桓武天皇が
「いろいろあった天皇家も、私の代になってやっと収まった」と言っていたのを思い出しますた。
231名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 01:04:52.18 ID:7z05RG1A0
いまじゃただのクソテーマパークだろ
232名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 01:09:43.77 ID:e8vhy1lCO
>>229
福岡・長崎「お断りします」
233名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 06:27:15.22 ID:yYxfUlkc0
大和王権は、それ以前の王権の存在を抹消しているように思われてならない。

具体的には1世紀の漢委奴国王、2世紀の帥升(すいしょう)、そして3世紀の卑弥呼である。
これらの倭王の政権は大和王権に一体どのように収斂して行くのか?
邪馬台国と大和王権は繋がっているのか、いないのか? まったく五里夢中である。
234名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 07:02:38.14 ID:Hg/5++E90
邪馬台国の王家本流と大和朝廷で天皇と記されてる血族の間に

さほど大した関係が無いか、ルール破りの算脱をして大和(倭)の本流

から日本を奪ったか、まあそんなとこだろうよ
235名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 07:07:34.39 ID:1A0o89XM0
魏志倭人伝
http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html

男子は大小と無く、皆黥面文身す。
古よりこのかた、その使の中國に詣るや、皆自ら大夫と称す。
夏后小康の子、会稽に封ぜらるるや、断髪文身して以て蛟龍の害を避く。
今、倭の水人、好んで沈没して、魚蛤を補う。
文身は亦以て大魚・水禽を厭う。
後やや以て飾りとなす。
諸国の文身各々異なり
あるいは左にしあるいは右にし、あるいは大にあるいは小に、尊卑差あり。

※黥面=顔の入墨
※文身=体の入墨
236名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 07:23:17.01 ID:iRUE47+mO
>>11
日本人はロリコンなんだよ

それと話が変わるが、暴走族同士で連合を組む場合
あいつが俺の上なら連合入りはキャンセルだと主張する奴らが現れて
全員が納得する、こいつは俺よりケンカ弱いが人間的に嫌いじゃないからこいつがボスでいいや
という妥協案に落ち着く事が多々あった

邪馬台国の卑弥呼も、戦力が劣っても祭事に特化してるから
邪馬台国入りした国王達も納得したんじゃないかね
237名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 07:50:25.97 ID:ciQ80qTF0
>>236
宗教的統一は普通のことだからね。
238名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 08:52:05.62 ID:iRUE47+mO
イザナギイザナミが最初に産んだ島が淡路島ってのは
八百万の神々連合のスタート地点が淡路島周辺だからだと思うのですよ
239名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 10:52:09.54 ID:UmCrPQ+C0
多くの人が知らないか無視しているのが、卑弥呼とは別に邪馬台国には「官」、つまり「キミ」
が存在していること。
「官」については卑弥呼が「倭王」として冊封されたので、各地の「キミ」はその配下の官僚扱い
の「官」で表記されたと推測される。
他の国の「官」が正副の序列を記述しているのに対して邪馬台国は「次」と歴代を表していると
見られること。名詞も他と明らかに違う傾向で官名ではなく人名と思われること。
内藤湖南は天皇の御名代(みなしろ=天皇由来の名称を持つその天皇の直属集団)として間
接的に示唆している。あるいは「官」をそのまま役人職と解釈したのか。
240名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 10:54:24.11 ID:UmCrPQ+C0
>>233
国譲り神話や神武東征を見るに抹消はしていないのでは?
241名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 11:03:37.94 ID:uU51GSKo0
>>238
淡路島じゃなくて淡島じゃなかった?
242名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 11:32:58.77 ID:iRUE47+mO
>>240
スサノオみたいに吸収合併されたり
古事記の、この神の子孫がこの氏族ですみたいな格付けの過程で
辻褄合わせで消えたものはありそうですよね

>>241
すいませんそうでした!
243名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 11:34:46.93 ID:Hg/5++E90
>>239>>240で、記紀のどの記述がどうだから抹消はしていないとか

書かないとわからないけどな


244名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 11:40:12.18 ID:vjz0l0Fs0
吉野が里かどうかはわからないが、
中国文献を合理的に解釈すれば、邪馬台国は北九州だろ

合理的根拠が希薄な、伝承(記紀)にこだわる妄想狂は、
近畿説を支持するんだろうが、結論はすでにでてるわな
245名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 11:43:04.74 ID:JRqK/BA60
こういうのってイマイチ仕組みが分からんのだが
普通、家を新しく建てるなら古い家を壊すだろ。
どうやって古い方を特定するんだ?
>ムラからクニへと発展する様子
こんな事が分かるなら俺のオナニーの記録も未来人に丸見えな気がする
246名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 11:43:54.73 ID:67xM/izz0
弥生時代の遺跡は福岡の板付とか静岡の登呂が有名だったけどここが発掘されてからすっかりここ1本になっちゃったな
247名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 11:45:38.70 ID:/pnZAW6r0
>>244
>中国文献を合理的に解釈すれば、邪馬台国は北九州だろ

シナ文献本にしても近畿説になる、
248名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 11:50:08.90 ID:7ztZDnkT0
素人考えなのだが、魏志倭人伝には邪馬台国はそれまでたくさんあったいくつもの国をまとめたとの記述があるわけだし。
西は九州、東は琵琶湖周辺くらいまで広がる大きな勢力だったという仮説は成り立たないのだろうか?
249名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 12:07:50.69 ID:fvFNsDl10
漢委奴国王は博多、つまり事実としての日本の歴史は博多に始まる
宗像には皇祖五神と対をなす宗像三女神を祀る宗像大社がある
邪馬台国も大和じゃ嫌よと国学者が挙げたのが九州北部・・・
これらのことから察するに、大和朝廷と対峙する何か大きな勢力が
古代の九州北部に存在したのは間違いなかろう
250名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 12:21:31.18 ID:xoMzW0aMP
>>22
学会は九州説は例のバカ以外信じていない
251名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 12:22:08.50 ID:Hg/5++E90
大和朝廷と対峙する何か大きな勢力は、秦氏系が渡来して来てからの話だ

邪馬台国の時代なら安曇もその1部に組み込んでる海神(人)族が鍵だな
252名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 12:29:27.46 ID:bhbktGJV0
邪馬台国はムー大陸にあったよ
253名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 12:33:01.38 ID:GPS1vh2w0
>>248
邪馬台国は「女王の都する所」つまり首都だよ。

おまいさんの書いてる西九州〜琵琶湖周辺(尾張含む)までの勢力が
争いをやめて同盟を結び、卑弥呼を共立し、邪馬台国に都を作った。


254名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 12:46:49.03 ID:7ztZDnkT0
>>253
都なのか・・・福岡には「山都(ヤマト)」って地名もあるのだけど。
高速で名前見ただけで行ったことも調べたこともない所。
ぶっちゃけ関係ないだろと無視してた要素なんだけど、俺の中でちょこっと興味が強くなった。
255名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 12:54:22.14 ID:UmCrPQ+C0
>>243
>>239は一般的に邪馬台国イコール卑弥呼で「官」の存在を知らないか、こういう場所の議論でも
歴史オタの多くが何故か無視している部分でしょって話。

>>240はよくある記紀は捏造とか隠しているとか戦後の反天皇思想の連中が流布したものに安易
にあるいは無自覚に乗っかっているものに対しての揶揄。
国譲りや神武東征は皇室以前が存在していることを示唆しているんじゃない?て。

それらをくっつけて>>240へのカウンターとして解釈している君の方がおかしい。

>>251
崇神天皇から景行天皇に掛けては播磨から宇佐あたりの瀬戸内の勢力が大きな対立者でしょ。
纒向遺跡の出土品に尾張とともに吉備系が多いことと合わせると連合が崩れた時期が何度かある
可能性がある。
256名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 13:00:00.18 ID:UmCrPQ+C0
>>255

>それらをくっつけて>>240へのカウンターとして解釈している君の方がおかしい。

を以下に修正。

それら違う内容のレスをくっつけて>>233へのカウンターとして解釈している君の方がおかしい。
257名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 13:03:49.21 ID:hgkkYJPpP
奈良で決まったんじゃないの?
258名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 13:13:13.22 ID:fvFNsDl10
つーか、ここが邪馬台国です!とでも書かれた碑文でも出ない限り、
結局はどこも推測の域を出ないよ
259名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 13:54:31.55 ID:LLR0N87x0
卑弥呼たちは中国南部から来たユダヤ文化を持つ苗族、呉の一派でほぼ確定だろ
それとは別に秦を名乗る一派がまた中国から来たってことか
同じユダヤ系でもこっちは漢族?両方西日本なんだな
で、新羅とか朝鮮系の人達が多く入植したのが東日本・・・

世界的企業の創業者とか高IQとか著名文化人に西日本出身の家系が多く
東日本出が人口多い割にパッとしないのはそういう理由か
260名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 14:11:36.28 ID:32H0Lsgl0
邪馬台=八幡平
261名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 14:44:42.71 ID:hjdruF0y0
畿内に大和朝廷できるまで
多数の国が存在
漢時代は倭国と日本は呼ばれていた
北九州から漢倭奴国王 金印出土したので
漢と交流のあったすなわち邪馬台国は北九州確定
大和朝廷は倭国から統一朝廷になったと言う意味
漢読みでジャマタイコクすごいだろう
262名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 14:45:02.68 ID:ZbkM5HiB0
>>258
しかも、「邪馬台国」と書かれた碑文は間違いなく出ないだろうからな。
263名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 14:50:51.15 ID:bNtzn/BrP
>>259
江蘇省北部から渡来したという説がある。

ttp://www.wakoku.net/post.html
>  日本人のルーツは東南アジアとか東北アジアとか大雑把に推定されてきただけで、このような狭い
> 地域が日本人のルーツとして特定されたことはこれまでなかったはずである。そこは古代の于夷半
> 島とも呼ぶべき地域であった。後の『三国志』のわ国である。最近のDNA研究が示しているように、
> 江蘇省北部は弥生人のDNAと共通するパターンをもつ古人骨が発見されて注目される地でもある。
264名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 15:43:26.63 ID:DgIB0umE0
ユダヤは刺青禁止じゃね
265名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 18:24:06.00 ID:hjdruF0y0
邪馬台国を奴と呼んで漢の臣下扱いするために贈られた
国璽だとすれば繋がる 北方騎馬民族は匈奴と呼んでる
後唐の脅威から逃れるため畿内まで勢力伸ばした
邪馬台国は百済も支配してた
266名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 19:02:07.82 ID:7ztZDnkT0
秦氏は皇帝の血を引く渡来人と言い張って、箔を付けたがっただけで本当は渡来人ではないって説もあるね。
よくユダヤ説とともに柏紋がユダヤの祭器だって話出るけど、あれ出雲系の神職に聞いたら
出雲大社の裏山の石を割ると、ああいう模様が出るからそれが元になったってんだわ。

なのであんまりあんがえなくていい気がする。
それより顔の刺青が消えたのはいつなのだろう・・・
267名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 19:39:02.87 ID:96OZ3j0M0
>>255
連合が崩れた時期とか纒向周辺に特化した話をしていながら
母系強調のマークを 抱えた景行タラシも崇神天皇から景行天皇に
掛けてはみたいな具合に同じに扱うて?
尾張とともに吉備系が多いことも、播磨から宇佐あたりの瀬戸内を包括する
勢力があったから連合で纏まってたんだろう?
268名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 19:47:15.72 ID:ozo/FwbY0
こういうスレって、ニュー速+に立ってても結構長続きしてるし、
最後まで投稿してるエキスみたいに濃い歴史マニアが毎回いるよね
269四国:2012/10/02(火) 22:07:52.42 ID:9B9EvMUg0
邪馬台国は四国だよ。
270名無しさん@13周年:2012/10/02(火) 22:16:28.76 ID:/pnZAW6r0
>>263
「弥生」の定義すら存在しないのに、「弥生人」と言われても。
それだけで眉唾物
271婆 ◆HKZsYRUkck :2012/10/02(火) 22:28:00.13 ID:5O8Tq9Ta0
>>266とか
少なくとも古墳時代の埴輪(継体陵だっけ)には、顔の刺青が入った
やつがあるよね。俺は儒教が広がったことによって刺青が駆逐されたと思う。
「身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり」
の思想だし。

もちろん、離島なんかでは近世まで続いていたんだけど。

>>227
おお、奈良にも「丹の山」があったのか。知らんかった。
ただ、水銀は鉱床露出部を探して、精錬設備ごと移動していくから、
卑弥呼の時代に「丹の山」だったのがどこかって決めるのは
難しいんだよな。ヒ素含有量で、国産か大陸産かってのは区別できる
みたいだけど。
272名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 00:01:18.79 ID:PvV7ZdciO
とりあえずスサノオの前はオロチが出雲の神様であり支配層なんだよね
273名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 00:15:27.50 ID:AL2qMNI10
>>267
母系に注目したらそこしか見えなくなる人?
274名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 00:26:52.39 ID:AL2qMNI10
>>271
こういうのあったよ。

大和水銀鉱山
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E6%B0%B4%E9%8A%80%E9%89%B1%E5%B1%B1
宇陀川水系における水銀調査結果/奈良県公式ホームページ
http://www.pref.nara.jp/dd_aspx_menuid-16652.htm
全国有数の伊勢水銀−奈良の大仏鍍金にも貢献
http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/hakken/detail.asp?record=189
275名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 00:32:22.81 ID:zAS7+yBf0
↓に進む
対馬國 ← 対馬
一支国 ← 壱岐
末盧國 ← 松浦
伊都國 ← 福岡?
奴國   ← ?
不彌國 ← ?
投馬國 ← ?
邪馬台国 ← 大和?

次に斯馬國有り。次に己百支國有り。次に伊邪國有り。次に郡支國有り。次に彌奴國有り。
次に好古都國有り。次に不呼國有り。次に姐奴國有り。次に対蘇國あり。次に蘇奴國有り。
次に呼邑國有り。次に華奴蘇奴國有り。次に鬼國有り。次に為吾國有り。次に鬼奴國有り。
次に邪馬國有り。 次に躬臣國有り。次に巴利國有り。次に支惟國有り。次に烏奴國有り。
次に奴國有り。此れ女王の境界の尽くる所なり。
276名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 00:37:01.28 ID:Mdyo7l7Y0
オロチ神話って雲越戦争じゃないの?
国引き神話は諸侯連合王国成立か
277名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 00:44:12.94 ID:2Pp8ixxX0
>>273
無知な人間の歪んだ絡み方の典型かw
傍目でもみっともない
278婆 ◆HKZsYRUkck :2012/10/03(水) 00:44:31.99 ID:PQhRGz190
>>274
ううむ、朱砂と辰砂の違いがわからなくなってきた。
「続日本紀」では区別してるんだよね。

>>275
奴國は福岡市、不彌國は糟屋郡宇美町。

俺としては、ここまでは間違いないと思うんだけどなあ。
となりは須恵器の須恵町だし。
279名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 00:55:05.22 ID:zAS7+yBf0
面白いのは対馬とか壱岐とか松浦とか、単語が今でも地名に残ってるところw
漢の時代から同じ地名ってすごい
280名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 01:06:16.87 ID:r+6fQYC70
なんで神武天皇が宮崎県から東のほうへ出発するの?
やっぱり九州が始まりだからなんじゃないの、ヤマトの。
山門もあるしさ。
281名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 01:12:57.85 ID:TVBDa+X80
そもそも金印が胡散臭い
出土の経緯もはっきりしないし
あんなちっちゃいものそんな簡単に見つかるかよ
282名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 01:51:26.49 ID:umNw+OTw0
>>275
>次に邪馬國有り。

宇佐神宮の近くに山国川があるな・・・ゴクリ
つまり、「邪馬台」とは、この川の「台」に位置する国である!!!

ΩΩΩ な、なんだってー!
283名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 02:16:28.77 ID:AL2qMNI10
>>277
わざわざ景行タラシなんて書いているから、タラシ系やイリ系とかの話や景行天皇の母親とか
の話が絡むんでしょ?水野祐とかのさ。
284名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 02:26:44.49 ID:AL2qMNI10
>>277
いまだに三王朝交代説かよwとかの方が良かった?
285名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 02:30:43.02 ID:PCp2O2fQ0
邪馬台国の記述が残ってないのがポイント
歴史は勝者のものだから邪馬台国の記述を大和朝廷が抹消したんだよ
大和朝廷にとって都合の悪い存在だった
不自然に歴史が消えている地域。そこが邪馬台国
286名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 08:02:51.49 ID:2Pp8ixxX0
>>283
>>284
タラシ等は諡号を見る上で、専門関係者が誰でも知ってる
初歩的な教養だからな
そんな初歩も知らないニワカ知ッタカが一日必死で調べてたのか
それで出てくる単語が水野祐とかw 三王朝交代説かよw
287名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 08:05:30.84 ID:2Pp8ixxX0
>>284
それなら、水野祐や三王朝交代説の立場からの景行の扱い方についての
詳論でも語ってみろよ
無知な人間の知ッタカは傍目でもみっともないw


288名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 09:14:04.41 ID:EbHRtUT30
>>280
邪馬台国が神武の出身地だったら、の話だな。

>>285
歴史から消えているんなら神武が入る以前の大和も候補になるんじゃね?
逆に九州は消えてないからな。
289名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 11:04:07.92 ID:9Bq6yBjD0
>>271
奈良でも明日香村の隣の高取町に「丹生谷」ってところがあるよ。
290名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 12:04:13.54 ID:mQ2veEwi0
徳島県の阿南にも丹生鉱山もあるよ。
291名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 12:08:09.85 ID:AhfS3kKf0

邪馬台国自体は存在しないが、魏志倭人伝の場所に当てはまるのは福岡県久留米市

292名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 12:12:34.92 ID:AhfS3kKf0
畿内説は天皇の発祥が九州では都合が悪い人たちによってつくられた妄想
293名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 12:13:29.56 ID:/BG11e/K0
>>22
中国側の記載から邪馬台国は九州で間違いはない、移動日数からも奈良までは行けない。
強硬に否定しようとしてるのは「日本書紀」の記述にあわないからという一点から

学会ではいまだに聖書扱いでこれに沿った証拠以外は封印、学説は異端とされます
294名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 12:28:59.31 ID:Sdeot7bVO
邪馬台国って当時は、今で言うアトランティスやムー大陸だったんじゃね?
295名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 12:50:49.31 ID:H2dx7X410
朝貢の過去を抹消するために連続性をぶった切る必要があったと見れば
倭が北九州のローカル勢力であったとは考える必要が無い
あとは東遷の時期の判断だけど

つーか皇紀てそんなにデタラメじゃない気がしてきた
下駄を履かせるにしてはウリナラファンタジーと違ってささやかに過ぎる
在位が無茶なことになってるのは出雲王権を抹消したからとか
296名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 12:53:02.33 ID:AhfS3kKf0
卑弥呼(人名ではない)と称される人物は天照大御神=神功皇后

3世紀にたてられた神功皇后を祀った神社が多く存在するのが福岡県の筑後地方
297名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 13:09:53.75 ID:AhfS3kKf0
神功皇后の動き(伝説)を見れば自ずと邪馬台国と称される場所にたどり着く
298名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 13:17:57.49 ID:H2dx7X410
瀬戸内も神功皇后縁起は多いよ
ポニョで幟旗立ててた沼名前神社とか
あそこは瀬戸内往来では必ず通らざる得ないからガチだと思う
299名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 13:28:22.75 ID:hQ/i64Sl0
邪馬台国は一地域だけじゃ無くて、北九州含めた西日本一帯。その中心地が
後の大和になっただけ。
300名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 13:28:58.63 ID:AhfS3kKf0
神功皇后を祀る三大住吉神社の中で最も古いのが福岡の住吉神社みたいだね。
301名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 13:33:38.51 ID:oGEruHKDO
随書には、飛鳥時代の日本の事をヤマトと呼び(実際は当て字で記載)これは倭人伝の邪馬台国の事である、って記述があるしな
300年以上経った後とはいえ、当時の支那人の認識が一番実際に近いんじゃないかね
九州人としては吉野ヶ里の方がいいんだけどね
302名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 13:36:22.68 ID:Y6TTRdpD0
高校のとき発掘のバイト行ってトラウマなったわ
サウザーの墓作る奴隷そのものだったお
303名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 13:37:40.21 ID:LN5Z0wOX0
>>22
詳しすぎ。「6」は通説なの?
継体天皇のあたりで入れ替わった可能性が言われてるけど、
継体天皇のいた近江から、豪族がこぞって大和に移った可能性は
発掘調査から否定されるから、何らかの事情で遠縁の皇族が呼ばれただけでは?
ってなことを読んだ。小学館の日本の歴史だったかな
304名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 13:42:17.49 ID:oGEruHKDO
伊都国は福岡の糸島半島じゃないか、なんても言われてるが
イトっていう音が似通っているだけかも。信憑性は知らね
ただ現在の糸島半島じゃうちは伊都国だ、とあちこち宣伝してるけどw
305名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 13:42:23.34 ID:JmEw7hMk0
ミステリーサークルできたことあったなw
306名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 13:43:44.14 ID:AhfS3kKf0
>>301
吉野ヶ里は徐福由来の渡来人の集落だろ
307名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 13:48:36.51 ID:oGEruHKDO
>>306
徐福ゆうたら和歌山やんw
まぁ実際徐福が来たかどうかなんて判らんけどな
それに吉野ヶ里が栄えたのはだいたい紀元一世紀くらいだっけか。
それに対し、徐福は始皇帝の時代だから、だいたい紀元前3世紀の人物
時期が結構ずれてないかね。まあ吉野ヶ里の始まりの時期にはもしかしたらある程度一致するんかもしれんけど、そこまではシラね
308名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 13:57:57.92 ID:AhfS3kKf0
>>307
佐賀に徐福一行は住み着いたらしいw
309名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 13:58:07.51 ID:Gqc8CA4X0
邪馬台国なわけないだろう、外敵に対する一大拠点にすぎない
距離も方角も、てんで合わない

せいぜい奴国の拠点って感じ
310名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 14:03:30.58 ID:AhfS3kKf0
吉野ヶ里が邪馬台国と称される場所だと思っている学者なんていないと思う
観光目的で邪馬台国、邪馬台国言っているだけ
311名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 14:45:32.31 ID:HjzT7fXQ0
「邪馬台国(かも知れない)」的な?
312名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 16:34:51.96 ID:mQ2veEwi0
徳島に吉野川の上流の地域にも徐福伝説あるし

古事記や日本書紀でてくる地域の名称は徳島に沢山ありますよ。不思議でしょ
313名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 16:37:46.91 ID:fkcQ905/O
佐賀は鍋島藩のモノ

鍋が恋しい季節になってきましたなククク…
314名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 16:40:37.51 ID:8sScDuzu0
遺跡って出てくると建設止められて面倒臭いし、その上費用は自己負担だしで
出てきても気付かない振りしてガーっと埋めたりするんだよな。
邪馬台国はどっかのマンションの基礎部分にでもなってるんじゃないか?
315名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 16:54:16.83 ID:YQf3jqKD0
>>41
お前さんは無知過ぎる
316名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 17:00:50.43 ID:jCjvMJNL0
古田「九州王朝説」一派に言わせれば、

「飛鳥時代までに詠われた吉野に関する和歌とかは
 吉野ヶ里のあたりを舞台にしたもの」

なんだっけ?

「吉野ヶ里」って地名は古いのか?
317名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 17:06:47.36 ID:A+xBneZv0
ここで敢えて群馬説を唱えてみる
318名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 17:10:18.83 ID:NClch0IHO
佐賀県の僻地が日本の拠点じゃないことぐらい馬鹿でも分かるわ
319名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 17:11:53.46 ID:k7f/+QLH0
邪馬台国沖縄説を断固支持
320名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 17:16:21.71 ID:g3iG3s8rO
>>314
うちの父親も言ってたわ
その時出た小さな壷みたいな土器が実家にあった
321名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 17:20:58.65 ID:jCjvMJNL0
>>318
「日本国」の時代はそうか知らんが
「倭國」の時代は分からん。

古田「九州王朝説」一派は
「仮想敵国に相対する形になる博多湾岸とは別に
 陸地の裏に隠れる形になる有明海にも
 海軍の大基地を置いた」
と考えるべきと
 吉野ヶ里=倭國海軍城下町
説を説いてた。
322名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 17:23:09.43 ID:AhfS3kKf0
>>314
平和台球場がまさにそれだねw
都市の中心は今も昔も一緒だろうし
吉野ヶ里みたいなへんぴな場所が国の中心になるわけがない
323名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 17:34:45.60 ID:cmW729y/0
「隋書」<倭国伝>7世紀前半
(カ)倭国は…(中略)…邪靡堆(邪摩堆、やまたい、やまと)に都がある。
即ち魏志倭人伝にいう邪馬台(やまたい国)である。

隋書
成立636年(唐の時代)、魏徴ら

夷人不知里數、 但計以日。其國境東西五月行、南北三月行、各至於海。
其地勢東高西下。都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也。

都は邪靡堆(ヤマト=大和)にあり、それは魏志でいう邪馬臺である
324名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 17:35:37.51 ID:SB8t/YCo0
魏志倭人伝の記述通りに進むと……そこにはアリアハンがあった!
325名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 17:47:05.56 ID:d5WMtshh0
江戸なんてのは太田道灌までは弩田舎の最たるもんだったお
326名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 18:40:59.06 ID:SX2AAre+0
>>170
左翼の日教組
327名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 18:55:27.46 ID:R4WIgYNgO
「わてが卑弥呼でんがな」とか、卑弥呼が関西弁しゃべるとはおもえないんで、九州が邪馬台国だろ。
「おいが卑弥呼たい」




やっぱ九州もだめだw
328名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 18:58:11.82 ID:eOWzngMsP
邪馬台=ヤマトの音写の可能性が高いし、
その後の日本の覇権を握ったのはヤマト王権だし、
別にミステリーでもなんでもないんだがね。
329名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 19:27:31.67 ID:hQ/i64Sl0
>>328
単純明快でかつ、ある意味つまらない解答なので
歴史にロマンを求める層からは受け入れられないw
330名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 19:48:13.23 ID:vJ9zTrcg0
畿内説

 三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡だー
  … 大きさから魏で作られた鏡じゃありません。

 箸墓(前方後円墳)が卑弥呼の墓だー
  … 卑弥呼の墓は径百余歩の「冢」=円墳。

 纒向が卑弥呼の都だー
  … 纒向は宗教施設。居住生活した様子がありません。

 邪馬台国が大和朝廷の前身だー
  … 卑弥呼もトヨも記紀に出て来ません。
331名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 19:49:14.65 ID:szxpxZyT0
>>329
あふれ出るほどロマンがあるとは思うけどね
日食を計算で割り出して政治的に利用するので「鬼道を用いて人心惑わす」
と指摘されているし。
332名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 20:02:18.25 ID:4dptujJp0
邪馬台国論争はとうに決着がついているとか聞いたが
東大・京大どっちが勝ったかは知らん
333名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 20:02:20.95 ID:vJ9zTrcg0
『魏志』倭人伝の「鬼道」については
『魏志』張魯伝にも記述があることから
道教呪術の事という説もある。
334名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 20:22:29.08 ID:vJ9zTrcg0
>>312
四国には忌部氏も続いてるし
九州王朝説の論法を良しとするなら
四国に倭國の首都が一時あったとすべき気もするけどね。

巨大古墳はある?

剣山が実は・・・という話かな?
335名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 20:23:45.55 ID:KMDDLw9q0
九州説はもう佐賀大関係者の面子だけだろw
336名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 20:24:58.42 ID:UHUuyQnq0
>>330
で、九州には卑弥呼の鏡が出たり、卑弥呼の墓があったり、遺跡が出たりしたの?
大和朝廷の前身ではないのなら、その後どうなったの?
337名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 20:25:34.73 ID:vnj2yBVi0
>>333
古代中国に於いて、「鬼」とは死者の魂のこと
要するに単なる先祖崇拝
338名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 20:27:58.62 ID:vnj2yBVi0
>>336
卑弥呼の鏡→魏鏡多数
卑弥呼の墓→平原弥生墓
遺跡→平塚川添遺跡
339名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 20:30:59.08 ID:BzTKYjL30
邪馬台って言うぐらいだから九州だろ。関西人は「邪馬台ですたい」なんて言葉づかいしないからな。
340名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 20:34:08.58 ID:vJ9zTrcg0
「卑弥呼の墓」説のある墳丘はたくさんある。

宇佐神宮の裏山とか、
久留米市高良大社の中腹の墳丘とか、
九州一円の「ここが邪馬台国」説の数だけ候補があるでしょ。
341婆 ◆HKZsYRUkck :2012/10/03(水) 20:44:06.18 ID:PQhRGz190
>>333,>>337
「よくわからん邪教」みたいな意味で使ってたんじゃないかなと、俺は思う。
儒教の人らから見たらシャーマニズムやらアニミズムやらってのは、
現代の日本の感覚での黒魔術とかブードゥー呪術とか、そう言う感じじゃないかと。

「事鬼道 能惑衆」って記述もそれを裏付けてるよね。
342名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 20:44:48.35 ID:vnj2yBVi0
邪馬台国自体は大和朝廷の前身ではないが、
その分家の神武天皇が東征して大和朝廷を建てた
343名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 20:46:13.99 ID:umNw+OTw0
鬼道=祈祷
344名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 20:50:16.47 ID:2XfgcmZ90
なんかこのスレすごく勉強になる。面白いw
345名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 20:51:02.68 ID:PvV7ZdciO
出雲はヤマタノオロチつうくらいだから
元々は蛇信仰で大国主が主神だろうな
それをスサノオが乗っ取って起源と主神を入れ替えた

これは出雲だけの話だろうか?
346名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 20:53:54.67 ID:lkkGXU9F0
普通に考えて、南九州宮崎都城市の高千穂峰麓あたり
鬼道操るなら、なおさらここだろ
記紀に何かしら史実があるのだとすれば、もっとさおさらだ
北九州は、単なる連合国であり、倭国の玄関口なので遺跡が多いのも当たり前
現在の熊本あたりが狗奴国でしょう
347名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 20:53:58.22 ID:lwxC33mM0
じゃまたいこく
348名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 20:54:23.20 ID:0zyPYR6x0
>>344
JKは、加齢臭あふれるおじさんたちの生臭い討論は
100m以上離れて双眼鏡で観察してなさい
349名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 20:55:38.57 ID:vJ9zTrcg0
そもそも今の奈良県に「ヤマト」の地名が何時頃からあったのか
確たる根拠はあるのだろうか?
350名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 21:00:53.47 ID:szxpxZyT0
>>341
それならば必ず「鬼神」表記になる
日本に渡ってくる前は朝鮮半島にも言及しているが「鬼神」を信ずる
と書いてある。
太陽信仰って事だろう
351名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 21:02:38.71 ID:cnuJsnN30
>>333
道教では

高レベル>>>>低レベル

聖道>真道>神道>鬼道

ってことらしいので、端的に当時の日本の祭事を原始的と評価しただけでわ。


>>275

邪馬台国以外の国の場所もはっきりさせないといけないのかもね。
対馬周辺からいきなり飛んで大和って突拍子もなく感じる。

地図がほしいね
352名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 21:06:59.70 ID:pIY29CFe0
呉書にある夷州と亶州に興味がある
亶州については失敗したことしかわからないのか?
353名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 21:12:43.14 ID:e1Tteb/10
邪馬台国の発音は本来ヤマトだから
邪馬台国=大和。近畿説有力だね。

因みに大和は単なる当て字
354名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 21:13:57.02 ID:vnj2yBVi0
そもそも東に千余里を渡海すると倭種の国があるとか、畿内じゃありえんだろ
あと「周旋五千余里」ってのはほぼ九州の海岸線に等しい
355名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 21:16:48.14 ID:lkkGXU9F0
倭にきた漢人が現地の人の言葉を聞いて、邪馬台国って勝手に漢字表記したのが、ヤマタイコクであって
本当はヤマトコクって、言ってたのかもしれない
邪馬壹国の壹(台)は、トとも読むし、二代目の台与もトヨです。
邪馬臺国とも書いてあるけど、代用しただけでしょう

漢字は音文字じゃなくて、表意文字だから、当て字すぎる
356名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 21:18:37.32 ID:vnj2yBVi0
>>353
九州にも山門ありますがな
357名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 21:22:14.27 ID:e1Tteb/10
>>356
んなマイナーな土地知らんがな。。。
358名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 21:22:43.50 ID:PvV7ZdciO
いやさ、まさにそこでさ
ヤマトの出処の一番最初の根拠て魏志倭人伝てことになるよね
しかも「大和」を「邪馬台」した前提でさ
で、それ以外に「大和」のいわれて天皇の名からなんだよね
それは「倭」でヤマトや「日本」でヤマトなんだよなぁ
肝心の山戸とか山門とか出てこない

やまとことばの原則に一番反してるのは「大和」なんだよなぁ
359婆 ◆HKZsYRUkck :2012/10/03(水) 21:23:01.47 ID:PQhRGz190
>>350
鬼神を信じる、あるいは鬼神に事えるのが「鬼道」じゃないかと。

後漢書東夷伝の倭人の項は「鬼神の道に事え、能く妖を以て衆を
惑はす」だよね。
360名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 21:29:20.30 ID:mX0RpBmp0
『イリ王朝』『ワケ王朝』等、天皇の系統にはの何系統が存在し
万世一系では何回か交代をしている説が一般的でず。
専門家のよっては『古王朝(崇神・成務・仲哀)』『中王朝(仁徳以降)』
『新王朝(継体以降)』などです。
崇神天皇などは上記の研究の結果『ミマキイリヒコ』と言われたことから朝鮮半島
から九州に上陸し更に歩を進めて畿内の進出し、大和に在った邪馬台国を征服し
勢力下に治め、大和朝廷の原型を完成させたと言う学者も多数います。
361名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 21:31:06.34 ID:jCjvMJNL0
吉野ケ里遺跡といえば
古代官道が大きなポイントのはずなんだが

http://komatsu0513.heteml.jp/hizen.html

誰も話題にしないのは何故?
362名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 21:35:03.14 ID:0zyPYR6x0
大和≒山門≒山戸

全て、山の入口ということだね
古代日本での宗教では、山岳信仰≒アニミズム、シャーマニズムが重要な要素
九州説において最近の研究では、吉野ヶ里遺跡はもう見捨てられ
現在は、西都原〜霧島〜大隅半島を結ぶ地域が注目され始めている。
宮崎と鹿児島の県境にある、都井岬≒戸の岬=入口の岬
神代三代山稜、この地域はまだまだ発掘されていない遺跡が山ほどあり、なぜか
宮内庁が重要な地点を抑えてる謎の地域も多い
363名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 21:35:47.18 ID:jCjvMJNL0
>>360

古田史学一派によれば
「ワケ」は倭国王の、分家の長、ないし、副王、の称号。

連合国家倭国を構成する各国の王が、
「倭王」「ワケ」「タラシヒコ」などの称号を
毎回相続争いしてた痕跡では?
364名無しさん@12周年:2012/10/03(水) 21:36:39.98 ID:118j7vS/0
唐津で下船し、南東方向に陸行すれば伊都国、奴国は佐賀平野となるは
倭人伝の旅程記述通りの結果である。
即ち、南東を北または東と無理解釈しない限り
近畿説はまったくあり得ない。
365名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 21:39:11.91 ID:szxpxZyT0
>>359
「鬼神」なんて一言も書かれてないよ
「名曰卑彌呼、事鬼道、能惑衆、」
倭国に渡ってくる前(朝鮮半島)は「鬼神」「祭鬼神」を頻繁に使っているのに
倭国では一言も使っていない、つまり「鬼神」とは切り離して読むべき物
著者がわざわざそうしているのだから。
366名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 21:41:46.68 ID:jCjvMJNL0
大陸側の史書では
「倭王」と「倭国王」
は区別してて、イコールの称号ではないとも、
誰か言ってたな。
367名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 21:44:35.95 ID:QDOdBLHg0
>>360
その研究によると崇神天皇が畿内の進出したのはいつ頃でつか?
368名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 21:45:14.89 ID:vnj2yBVi0
女王国と邪馬台国もイコールじゃないと言われてるね
369名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 21:45:49.54 ID:cmW729y/0
魏使節「ここはどこであるか」
住民「ヤマトたい」
魏使節記す「ここを邪馬台国という」

こんな感じだったんだろう
370名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 21:46:53.42 ID:0zyPYR6x0
毎回思うんだが、ニュー速+に邪馬台国関連のスレが立つと
物凄く濃い連中がいつもここぞと集まってくるのは、何でだ?w
371名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 21:49:54.64 ID:PvV7ZdciO
それじゃウリナラのナラが奈良と同じなんだよな
卑弥呼は日巫女とかは逆にわかるよ

けど、大和を邪馬台はなぁ
何かウリナラと同じで因果律を逆にしてねえか?
372名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 21:53:54.90 ID:0zyPYR6x0
鹿児島で縄文前期の石剣

鹿児島県文化財課は5日、同県大崎町の天神段遺跡で縄文時代前期、約5千年前の「石剣」とみられる石器が見つかったと明らかにした。
西日本最古の発見例という。
石剣は長さ約35センチ、幅約2・9センチ、厚さ約1・5センチで、重さは約300グラム。頁岩製で、全面が研磨されていた。
完全な形が残っており、儀式用に使われていたとみられる。
同遺跡で6月、深さ約1メートルの地中に埋まっているのを、発掘していた調査員が発見した。
同じ地層から見つかったほかの土器から、約5千年前のものと推定した。
同課によると、国内最古の石剣は東京都日野市で見つかった約7500年前のもの。

http://www.oita-press.co.jp/worldCulture/2012/09/2012090501002098.html
http://www.oita-press.co.jp/mobile/data/worldCulture/2012/09/PN2012090501002205.-.-.CI0002.jpg
373名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 21:54:45.23 ID:cnuJsnN30
>>362
正直、九州説の可能性は否定しないが吉野ヶ里が邪馬台国である可能性は低いと思う。

個人的には鹿児島旅行の再、桜島の展望台からみた高千穂は高天原のイメージにぴったりに思えた。

神社仏閣などの古典建造物は奈良京都はもちろん四国にも九州は劣ると思う。

逆に言うとまだ手付かずな自然や、受験勉強などではまったく見向きもされない郷土史にいろりろ発見を感じることがある。
九州の神社とその神様のなかにはほんの10年ほど前まで、明治期の古神道ブームのときに生まれた新興宗教
の流行り神と勘違いされて、忘れられていた神様もいたしね。

思想やいろいろな偏見を捨てて、情報を再整理する必要性があるように思う。
374名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 21:56:42.78 ID:jCjvMJNL0
>>370
世界の大抵の地域で伝説の彼方に失われてしまった
「古代」段階のもろもろが
隣の古代文明の文書に記され
失われずに現在まで綿密に伝えられてる。
これが物凄く面白い。

しかもその時代からの王朝が現在の経済大国に君臨し続けているのだ。

だからマニアがうじゃうじゃw
375名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 21:58:18.59 ID:mdi/lBinO
>>372 国宝や
376婆 ◆HKZsYRUkck :2012/10/03(水) 21:59:17.32 ID:PQhRGz190
>>365
いや、>>359のは「"後漢書"東夷伝」だって。
377名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 21:59:35.40 ID:PvV7ZdciO
坂本龍馬も新婚旅行には謂われの地に行ってるしな
378名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 22:01:26.63 ID:rQvDx6Iv0
邪馬台国が未だに関西にあったとか思ってる無能はいないよな?
小国が林立する島国で
韓国中国の進んだ文化を学びに行くのに関西じゃ地理的に不利、というか不可能w
まず大海に出るまでに死んじゃう。
ストレートに海に出れる九州を於いて他にない。
379名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 22:02:47.37 ID:jCjvMJNL0
>>363
古田史学では
太宰府その他の主要建造物は
根こそぎ近畿は移築されたそうです。
380名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 22:04:35.78 ID:iwvBWwyB0
山田→邪馬田→邪馬台

山の中の田んぼがあるところだった。
381名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 22:08:43.49 ID:jCjvMJNL0
>>363 じゃない >>373


>>372
>頁岩製
シェールオイルで国運を切り拓くため
これを奉じ祈れとの
御先祖様の遺訓じゃw
382名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 22:15:05.27 ID:mdi/lBinO
九州王朝からぱくられた物と言えば妙心寺の梵鐘が有名だな。
紋様の双竜を調べていた時、金払って見に行ったよ。
案内の京都人ばばぁに、梵鐘を吊る部分は竜ですか?と質問したら、知りませんと無慈悲に見下されたあげく、
他の観光客から除け者にされたよ。
倭王貧の持ち物だから、返せ。
383名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 22:16:15.48 ID:PvV7ZdciO
スサノオ「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」

なるほどー
こうしてスサノオのおかげで
出雲国は「八」纏わるようになったんだねぇ〜

八岐大蛇「おーい、わしらが元々、「八」じゃぞーい」
384名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 22:16:39.64 ID:0zyPYR6x0
個人的に邪馬台国論争は、道州制に繋がると思ってる。
385名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 22:16:40.10 ID:yGfM4NAs0
>>378
それは発想の仕方で変わることだしな
国があるから学びに行くのか
学びに行くから国があるのか
近いことで文化的に栄えることは間違いないだろうけど
386名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 22:19:44.82 ID:JCqKGy3L0
>>378
邪馬台国は朝鮮半島にあったんだよ
倭人がいっぱい住んでたしな
387名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 22:21:46.53 ID:QwcSn/4J0
弥生土器がやがて伊万里焼や唐津焼になった…のかも
388名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 22:27:27.56 ID:jCjvMJNL0
天皇家は
天照大神の直系を権威の裏付けとし
象徴を「三種の神器」としその一つに鏡を祀る。

卑弥呼は魏に朝貢し鏡を下賜されており
天照大神の権威を否定している。

卑弥呼の時代は天照大神の数世代後であり
卑弥呼の倭国は
天孫降臨の後で一時的に旧勢力が復活した
クーデター政権。

一時的に終ったから天照大神の直系で日本国が統一された。
389名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 22:33:11.13 ID:JyTeHh2F0
やまと(元々)→倭(中国人が当て字)→和(好字に)→大をつけましょう
(大日本と同様)→で大和(やまと)。
読みは一貫してやまと。
390婆 ◆HKZsYRUkck :2012/10/03(水) 22:37:29.78 ID:PQhRGz190
日本は「やまと」
佐賀の方言は「とっとっと」
391名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 22:38:21.88 ID:PvV7ZdciO
中国は倭は(ワ)じゃないの?
和以ってヤマトとせよと号を発した人が日本側にいない限りさ
392名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 22:52:26.76 ID:rQvDx6Iv0
>>385
学ぶべき文化があるから学びに行く
関西だと学びに出向けないw
人の学習欲ってのは、現在も古代も変わらんのよ
393名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 22:55:50.11 ID:vnj2yBVi0
>>388
太陽神を祀ったのが卑弥呼で、後に同一視されて天照大御神として伝えられた
394名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 22:56:22.40 ID:FlddWeOc0
かつて日本列島には日本と倭があって、倭が日本を飲み込んで日本を名乗った。
395名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 22:58:21.30 ID:jCjvMJNL0
>>391
てゆうか
卑弥呼は「親魏倭王」であって「倭国王」でないので、
連合国家「倭国」の統一王者ではなく地方のクーデター勢力の代表、
魏としては朝貢して来たので
「倭国王」は無理だから「倭王」と厚遇したが、
連合国家「倭国」の首都は別(纒向遺跡)にあった
と解釈も不可能でない。
396名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 23:00:05.85 ID:ZaEzKsgn0
大和大国→ヤマトタイコク→邪馬台国
397名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 23:00:16.94 ID:wzElDW4Y0
>>11
AKB48みたいなもんじゃね?
アイドルが、「争いはやめてぇ〜!」って言えば、
熱狂的なファンは矛を収めるのかなと。

邪馬台国の国民は、アイドルヲタだったと新説をぶち上げてみる。
398名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 23:02:12.30 ID:vnj2yBVi0
>>395
「倭」というのは民族の呼称で、「倭国」と称する国はなかったんじゃ?
卑弥呼自身、倭国じゃなくて邪馬台国の女王だし
更に言えば、邪馬台国を中心とする連合国家の魏における呼称は、「女王国」
399名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 23:02:47.65 ID:ZaEzKsgn0
それにしても邪馬台国って
邪馬?
ろくな文字を当てないな支那は昔から
400名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 23:03:14.53 ID:PKP5yNKf0
中学の時に見に行ったんだけど、
壕の外に食料庫があるのはなんでかなって思った記憶がある。
401名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 23:03:30.28 ID:jAkzntW00
>>397
ところが、そのアイドルが数千年も前に死んでしまった巫女なんだよ…
402婆 ◆HKZsYRUkck :2012/10/03(水) 23:04:55.35 ID:PQhRGz190
>>399
たしかに、志賀島のやつは「漢委奴國王」だもんな。
倭の中の奴国の王様。
403名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 23:05:01.92 ID:aUG9snJd0
奈良県民の俺が言うけど、奈良は他にもいろいろ歴史的な発掘あるから邪馬台国ひとつぐらい九州にやってもいいよ。




でもほんとは邪馬台国は奈良だけどね。
404名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 23:20:29.65 ID:4cVwjYon0
よく言われる俗説→日本人は温厚な農耕民族
うそつけ! 弥生時代の人骨なんか首のない骨とか
矢の突き刺さった骨がぞろぞろ出てくるぞ。
農業の始まり=水利権、土地の権利をめぐる戦争の始まり。
ただ、弥生時代よりも縄文時代(半猟半農)の方が
圧倒的に長いから、一方的に日本人=農耕民族とは言い切れないけどね。
405名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 23:21:34.80 ID:PvV7ZdciO
邪馬台の部分をウリナラで代用しても
よく聞くウリナラファンタジーの人達の締めにも似てる
406名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 23:26:15.47 ID:jCjvMJNL0
57年「漢委奴国王」金印
107年「安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見」

238年「親魏倭王」卑弥呼
↓この間「倭王」?
421年「倭王賛」(讃)朝貢 ←自称?

430年「倭国王」(讃)朝貢 ←自称?

438年「倭王珍」
「使持節都督 倭百済新羅任那秦韓慕韓六国諸軍事安東大将軍 倭国王」
と称し任命を求める。
宋の文帝は安東将軍倭国王に任ずる。
407名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 23:27:52.04 ID:wzElDW4Y0
当時の人口密度から言って、大集落だったんだろうが、のどかな集落だなあ…画像は。
408名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 23:30:54.49 ID:JXOoTVmu0
沖縄から九州、中国地方?にもヤマトって地名が転々とある
ヤマト人が大陸から渡ってきて一時的に住んでいたところとか
なんとかムーで有ったな
409名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 23:31:42.73 ID:s9KUgR6Z0
>>11
2.26ですらそのままうまくいきそうだったのに、
昭和天皇が自分が近衛兵を率いるとか言い出しただけで、
周囲の様子もガラリと変わったんだぜ
410名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 23:33:24.01 ID:YylAKfxZO
ここ、真夏に行くなよ!
暑すぎて死ぬかと思った。
木々が育ってないから、
建物の中以外に日陰がない。
マジで日射病になる!
411名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 23:34:48.81 ID:jCjvMJNL0
倭國王「帥升」なのか倭國「王帥升」なのか両論あり、

倭國「王帥升」とするなら、
もしくは帥升が朝貢したときに任命されたとするなら、

「倭國王」とは中華皇帝が任命してはじめて名乗れる称号

と解釈も出来る。
412婆 ◆HKZsYRUkck :2012/10/03(水) 23:48:06.48 ID:PQhRGz190
>>407
改めて画像を見ると、やっぱり高床式ってのは見てて和むよね。
>>178の言うワ族の家も高床式で、玄関で靴を脱ぐ人たち。
ただし鳥越憲三郎先生によると、各地域に伝わる神話の要素から伝播を推測したら、
山東半島→朝鮮半島南部→九州北部ルートらしい。
413名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 23:50:02.49 ID:e1Tteb/10
>>398
倭は輪(環)
日本人は昔から円形をワと言ってたのは間違いないらしい。
即ち、環濠集落を昔の人々はワって言ってた。
そのワの集合体をオオワといってた。
大和はオオワという意味も含まれる。
ワの集落で抜きん出てまとめあげたのがヤマト。
414名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 23:52:06.73 ID:mX0RpBmp0
>>367
『倭迹迹日百襲姫陵』とされる箸墓古墳が3世紀半ばすぎですから、現在は2世紀末くらいから
3世紀初頭とみられる事が多いです。
415名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 23:54:44.76 ID:PvV7ZdciO
ますますウリとナラみたいな逆因果律みたいだなぁ
416名無しさん@13周年:2012/10/03(水) 23:56:08.70 ID:szxpxZyT0
>>406
あの金印は捏造だから参考にはならないよ。
417婆 ◆HKZsYRUkck :2012/10/04(木) 00:00:09.08 ID:mlqeX63C0
>>413
まだ、一人称の「吾」の方が説得力あるよなあ。
418名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 00:07:40.80 ID:PvV7ZdciO
少なくとも中国側が
倭以ってヤマトとする
ことはないわな
そういう手紙も日出国の天子からは来てないし
419名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 00:09:27.43 ID:LdgnV0s+0
>>279
それだけに同じ地名で呼ばれた別の場所が古代にあったんじゃないかとも思えるが。
420名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 00:20:52.33 ID:1J/QS8Gi0
>>418
実は西暦107年の段階で
倭というより
倭面土
だった可能性があり

http://yamatonokuni.seesaa.net/article/32720152.html

その倭面土は吉野ヶ里に近いw
421婆 ◆HKZsYRUkck :2012/10/04(木) 00:22:34.66 ID:7fQzzOpU0
>>279,>>419
谷川健一先生だっけ、「地名は単なる記号ではない」と言ったのは。
地名ってのは土地の神の名だから、軽々しく付け替えるもんじゃ
ないのだ(「好字」を宛てろ)ってのはあったけど。

そんなわけで、北広島にしろニューヨークにしろ、開拓地や征服地の
地名だよね。
422名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 00:23:33.35 ID:Z8ZxKi8w0
話の流れを無視して、宇佐神宮の奥の院、大元神社がその名のとおり皇族のスタート地点なんじゃね?
だから・・・なんて言って見る。
423婆 ◆HKZsYRUkck :2012/10/04(木) 00:25:57.97 ID:7fQzzOpU0
>>422
うむ。
ここだけの話、宇佐(USa)は阿蘇(ASo)なのだ。
ただし、伊勢(ISe)はバチもんだ。

ないしょだぞ。
424名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 00:28:31.14 ID:1J/QS8Gi0
婆 ◆HKZsYRUkck

に触らないで下さい。すぐグロネタに走る。キモ。
425婆 ◆HKZsYRUkck :2012/10/04(木) 00:31:51.87 ID:7fQzzOpU0
>>424
邪険にするなよお。
まあいいや、寝る。
426名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 00:39:01.81 ID:1J/QS8Gi0
「倭奴国」は「倭奴国」。
「倭の奴の国」ではない。

http://www.geocities.jp/yasuko8787/1-1-5.htm

西の「匈奴」に対する東の「倭奴」と解釈すべし。

ただしこの星の「倭奴」が
「倭面土」の別表記なのかはちょっとわからない。
427名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 01:18:49.62 ID:1J/QS8Gi0
>>422
宇佐神宮は祭神が
応神天皇、応神天皇母(神功皇后)、比売大神。

皇室は伊勢神宮より宇佐神宮を重視してたというし、
応神から新王朝という説はけっこう信憑性あるから、
その可能性は高い。

そして比売大神が卑弥呼なら
卑弥呼の(女系)血統と統合した事も意味するのかもね。
428名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 01:37:46.36 ID:oX375wep0
>皇室は伊勢神宮より宇佐神宮を重視してたというし

秦氏が来日してから
大陸のまじない巫医が結構流行った
往時の物部と同じ
429名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 01:41:02.79 ID:jgr2YoAy0
天照大神=卑弥呼
豊受大神=トヨ

卑弥呼+トヨ=神功皇后

これでいいだろ
430名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 02:08:40.19 ID:DJ0CboXS0
>>409
>2.26ですらそのままうまくいきそうだったのに、
kwsk
431名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 02:46:34.72 ID:+q1MOWc2O
>>354
当時は濃尾平野の半分は海であり渡海しないと尾張・三河以東には行けなかった。
後世律令時代において東海道と東山道とに分けられ名付けられたのには訳がある。
432名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 02:55:59.72 ID:+q1MOWc2O
>>286
あなたが回線の向こうの相手の詳細がわかる高名なエスパーですか!
1日必死に調べたとかはどのようにして解ったのですか?
やはりエスパーの力なのですか?
433名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 03:02:08.98 ID:+q1MOWc2O
エスパーであるID:2Pp8ixxX0さんのレスが以後見当たらないようですが、どうしてでしょうか?
それ以上は語る知識がないだけですか?w
434名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 06:30:35.82 ID:oX375wep0
>>273
>>283
>>284
>>432
>>433
こいつみたいな奴はさすがにあんまり見ない
無知蒙昧のくせして主導権取ろうとして必ずコケる恥かき
435名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 09:21:55.75 ID:smpKlg570
卑弥呼=神功皇后で間違いないと思うが
神功皇后について歴史に忠実に書いた書物はないの?
436名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 10:28:16.87 ID:7fHzRHCX0
>>389
大和の「倭」は、倭国の「倭」
それに「大」を付けて「ヤマト」と無理矢理読んだんだろう
倭国連合の一部ではあったが、邪馬台国とは別の国だと思う

同じ太陽崇拝の倭国連合の一部が東征して「ダイワ?」という新しい連合国を作った
ただし、「親魏倭王」の正統ではないが故に、「ヤマト」という名前を継承し
三種の神器を作って権威付けをした・・・
さらに、正統ではないからこそ、卑弥呼の宮殿を伊勢の地に移した・・・
437名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 10:29:48.72 ID:1J/QS8Gi0
>歴史に忠実に書いた書物

そんなものは古今東西に存在しない
438名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 10:33:24.97 ID:1J/QS8Gi0
>>436


>>406 >>411
「倭国王」が正統な称号で権威があり
「倭王」は濫造されていた観があるわけだが。
439名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 10:40:04.17 ID:xQ5YdNIh0
おまえら、好きだなぁ〜こういうのw
440名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 10:42:45.84 ID:smpKlg570
>>439
最後はいつも百済ないで締めるんだよ
441名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 10:45:46.68 ID:sUhoiaJG0
新羅んわ、そんな半島
442名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 10:48:24.79 ID:1J/QS8Gi0
新羅(シッラ)ないw
443名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 10:50:17.04 ID:ozMsHwWb0
こんだけモメるのって記録が残ってないからでしょ
そこそこ発展してた文化はあったのに
文字はなかったのかな?
444名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 10:51:08.06 ID:cU5SgQIT0
加羅かわないで、沃沮んなこと言えるわね
445名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 10:54:29.84 ID:smpKlg570
>>443
ヤマト王権に都合が悪いものは全て消されたんじゃないの?
446名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 10:56:45.69 ID:sUhoiaJG0
一人ふたりならまだしも
任那でそんなことを言うなんて…
447名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 10:58:54.73 ID:hti4hM4z0
>>443
魏から派遣された張政は「檄文を以って告諭」したとされるので
漢文が上層には通じたと思われる。

記録が残っていないのは焚書のせいだろう。
448名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 10:59:40.58 ID:esy11PwlO
余りにも昔過ぎて解る訳無いやん。
真実だ!と言っても誰も卑弥呼を見た事ないんだし。
何処に国があったのかも分からないのに。
449名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 11:03:16.66 ID:hti4hM4z0
まあ記録は残ってるんだけどね。

魏志倭人伝に。
450名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 11:08:17.15 ID:smpKlg570
>>449
中国の新聞を見て日本を語るようなもんだろw
451名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 11:11:17.37 ID:sUhoiaJG0
記録は地名や風景、語り継がれた伝承に記憶として残されているじゃないか
452名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 11:28:30.82 ID:hti4hM4z0
記録に残ってる説もある。
http://kodai.sakura.ne.jp/konohitogahimiko/102-himiko-unabihime.htm

女王の称号『大倭姫命』が女系で受け継がれていたなら、
男王「瓊々杵命」女王「木花咲耶姫」の婚姻=同盟で共同統治、
同盟破棄で女系女王の単独統治が復活したり
婚姻で共同統治に戻ったり
は有り得る。
453名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 11:34:24.34 ID:H/V54bw70
熊襲の隼人族が畿内に移って政権を建てたって、思いっきり書いてあるでしょ。
ヤマト王権起こした人も、父、祖父・・・と代々いるわけで、
いくらなんでも自分達の祖先を、あんな辺境の特に象徴的でもない
宮崎の高千穂峰から降りてくるなんて話にはしないだろう。
出身はガチでしょ

神話にるすなら、九州なら阿蘇
もっと言えば、富士山から降りてきた方がより神話らしい
何かしら由縁がある土地なんでしょう南九州は。
454名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 11:47:42.25 ID:z4n31Olk0
>>370
部分的になら「何とでも言える」からだろ。

いろんな考古学的・文献学的証拠との整合性を考えなくてよければ。
どっかをきれいに説明しようとすると、
そういう証拠類の重み判定をいちいちやり直さなくてはならないのだが、
そんなのしらん、でよければいろんな説が作れる自由度がある。
455名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 11:48:34.02 ID:Xup5sI6jO
隋書に曰く、飛鳥時代の日本について、ヤマトに都す。即ち魏志に云う邪馬台なり、ってあるし
普通に邪馬台国は近畿だろ。昔の支那人の方が細かい事情も知ってるだろうしな
九州説はアキラメロン
456名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 12:36:34.55 ID:ZISPpjtX0
>>455
大和朝廷がそう説明しただけじゃないの?
457名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 12:52:11.21 ID:Dxb38qY10
>>456
それなら日本人の僧だれそれ曰くって必ず書いているよ。
458名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 12:59:56.35 ID:jLmCZP5C0
実は卑弥呼は黒人だった ブードゥー教の呪術と吉野ヶ里の贄人形からアフリカ起源説を読み解く
459名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 15:18:54.11 ID:XFooO66J0
くにびき伝説とかいうなら今引っ張ってこいよ
竹島とか
460名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 15:26:48.13 ID:cU5SgQIT0
国引きって失地回復戦争なんかね
それとも単なる多民族連合政権樹立ってことか
461名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 15:33:38.06 ID:Th+IGzGlO
古田老人の九州王朝説は支持してるけど、
津軽三郡史偽造と三種の神器絶対視だけは支持してない。
462名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 15:36:40.27 ID:smpKlg570
卑弥呼が人の名前だと勘違いしている人が多いな
463名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 15:38:09.97 ID:xVhBKmMH0
どう見ても、九州だな、扶桑の中心は九州だった、半島とも
深いつながりがあった
464名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 16:38:51.66 ID:Z8ZxKi8w0
てゆーか、大和=邪馬台国だと神武天皇に滅ぼされてるんじゃ・・・
465名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 16:51:12.59 ID:7fHzRHCX0
大和←これをヤマトと読むのはおかしい
どう考えてもダイワかオオワでしょw
倭(ワ)に「大」を付け、後から無理矢理ヤマトと読ました
日本に「大」を付け、大日本国や大日本帝国としたのと同じ論理だが・・・

思うに、倭国連合の一部が東征し、邪馬台国(ヤマト国)の名を継承したと
理由は、魏に認められた正統な「倭王」だから
真偽は不明・・・
466名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 16:57:26.68 ID:smpKlg570
>>465
福岡の南部に山門ってあるよ
467名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 17:00:31.24 ID:smpKlg570
市町村合併でなくなったが山門郡大和町ってあったな
468名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 17:04:43.67 ID:W1zsYRguP
正倉院や天皇陵の中には真相に迫る物証があるのだろうか。
それとも、隠しているように見せているが、実際には大したものは残っていないのだろうか。
469名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 17:37:37.29 ID:hti4hM4z0
>455
八女でおk

http://homepage3.nifty.com/~bbf/37culture.html

応神仁徳陵が築かれた時代は
一時的に近畿に都があったか痴れんが、

磐井の時代は八女が都。
継体はクーデターを仕掛けたが中途半端に終った。

「飛鳥時代」の飛鳥の宮々は貧弱で
倭国全体の都と思えない。
470名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 17:51:31.90 ID:kouzMn1TO
>>372
ワケが判らんモノが出てくると、決まって「儀式」のせいにするなぁ。怠慢だぞ。
悪いクセだ。もっと真面目に考えろ
471名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 19:51:04.26 ID:aqjJzTM70
まったく根拠とか政治的意図なしで思ったんだけど、
出雲って神様が毎年集まるじゃない。
でも日本海側で神様出迎えるとか聞いたんだけど、
そう考えると、天津神とかってやっぱ大陸のほうから来たのかな思っちゃうんだよね
472名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 19:58:02.57 ID:7fHzRHCX0
>>471
>天津神とかってやっぱ大陸のほうから来たのかな思っちゃうんだよね

逆だよ
スサノオは天津神のトップ(アマテラス)に追い出されてるんだよ
追い出されて朝鮮半島に一度は行ったんだけど、戻ってきた
んで、その場所が出雲という話

ちなみに出雲国風土紀に「スサノオ」という名前は登場しない
記紀だけの話
これがミステリーの理由
473名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 20:01:10.62 ID:q2ezQfBn0
天津飯が大陸から来たのは認める
474名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 20:05:17.68 ID:aqjJzTM70
>>472
なるほどー
そういうことならそうなんだろうな
すまんかった
475名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 20:23:23.09 ID:vrtrZT0Y0
>>472
嘘はいかん、ちゃんと登場する
意宇(おう)郡安来(やすき)郷の項
476名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 20:34:49.90 ID:7fHzRHCX0
高天原(天津神)は九州で間違いないだろう
宇佐神宮が怪しい・・・

宇佐神宮の近くには天津という地名があり、その隣には中津という地名もある、これが葦原中国(あしはらのなかつくに)のことだろう
さらに、南を見ると津久見市がある
これは、つくみ→つくよみ→月読命(アマテラスの弟、スサノオの兄)のこと

さらに、杵築と臼杵という地名ががある
この「杵」はスサノオ(オオクニヌシ)が寄った「木の国」の「杵」だ

九州であることは間違いない
477名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 20:40:09.93 ID:igzT/L2WO
何がクニだよ(ry
478名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 20:51:41.55 ID:2OSd2Rdx0
邪馬台国は狗奴国の傀儡なので愛知、岐阜からそんなに遠くない所だと思う
479名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 20:57:14.38 ID:L1QgTk6n0
邪馬台=八幡平
480名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 21:08:21.98 ID:DUjcfZKsO
日本書紀では「日本」と書いて「ヤマト」なんだよ
これが公式なんだよ
日本とヤマトの
信じられるかい?

そう、誰も信じてないから
日本書紀ですら
誰もヤマト書紀なんて読まない
481名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 21:13:20.07 ID:d2E+LuZM0

韓神  「からのかみ」 守護神として宮内省に祀られていた神。
      (朝鮮から渡来した神の意) 

  韓神祭  宮内省に祀ってあった韓神の祭。

園韓神  園の神と韓の神。古くから大内裏の宮内省に祭られた。



482名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 21:15:06.50 ID:pVUF4FmQO
もうめんどくさいからタイムマシン乗って見てきたわ

病ま大国は九州にあったぞ!
で、卑弥呼は去勢した男だったww
483名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 21:15:40.70 ID:d2E+LuZM0

神話によると、スサノオノミコトは天上の高天原を追放 されて新羅の
ソシモリに降り立ち、その後、日本の出雲に来たことになっています。
園神は新羅から、韓神は百済から渡来したと考えられています。

484名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 21:43:45.75 ID:DUjcfZKsO
スサノオが先遣隊で出雲までを勢力下に
イワレビコはその状況をウマシマジに伝えて
自分を受け入れて貰った
酒が強いほうが勝ったということだ
つまりクマソに折れて行ったんだな

それを近畿圏が盟主となると
逆流神話が必要となる
それがその名もヤマトタケル
日本書紀では日本武と書いてだ
もう、これだけ言いたいために日本書紀は書かれたんじゃないかと
そこで面白いのがヤマトタケルの名の由来だ
元々はオウスで双子の片割れだ
意味深だね
485名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 21:50:16.28 ID:DUjcfZKsO
そして日本書紀では川上梟帥を倒して
古事記では熊襲健を倒して
始めてタケルの名を送られてタケルを名乗る

敵から名前を貰うんだね
つうか熊襲からなんだ?
しかも酒の席で酔わせて
スサノオと同じパターン
でもヤマトよりクマソのほうが酒は強いんでないの?
なんかそこら辺がスサノオと違うような?
てかクマソはその時点では独立勢力なんだね

いやいや、元々は名を貰ったのはタケルじゃなくてヤマトじゃないの?
だから古事記と日本書紀の違いは熊襲健でなく川上梟帥になってる
なんかマズイと思ったんだろうね

スサノオ
イワレビコ
ヤマトタケル

この三者からはデジャヴ感がある
486名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 21:55:12.71 ID:pU13xVDa0
ゴッドハンドが100%悪い
こいつの捏造で歴史はめちゃくちゃ
487名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 23:16:00.63 ID:53evxAiu0
そんなことより、実在の天皇は誰からなの?
488名無しさん@13周年:2012/10/04(木) 23:21:24.91 ID:RNfVRs2P0
>>487
天皇は九州が起源
489名無しさん@13周年:2012/10/05(金) 00:43:32.14 ID:rh5ZCcpO0
たぶん、もともと大和にアマテラスの母系部族社会があって、

そのうちに皇族の祖先がお嫁さんを方々からもらうようになって男系化して、
そもそも男系の始祖は天照大御神の命によって天下り、旅をして大和へ至った、
という故事が語られるようになったんでしょ。
490名無しさん@13周年:2012/10/05(金) 00:47:40.40 ID:rh5ZCcpO0
あとタケルってのは立派な人物が名乗る尊称らしいけど、
アイヌも、立派な人物がナンタラアイヌって呼ばれてたらしいわ。
491名無しさん@13周年:2012/10/05(金) 00:55:34.05 ID:rh5ZCcpO0
大和と書いてヤマトと読むのは、

もともと自分たちをワと呼ぶ人達、
自分の国をワが国と呼ぶ人たちを、
大陸の人達が倭人と呼ぶようになって、

後に倭の文字には良くない意味もあるってんで、
和に置き換えて、大いなる和だから大和にして、
ヤマトを表わす文字にしたんでしょ。

読み方はもとからで、文字は後からだと思うよ。
492名無しさん@13周年:2012/10/05(金) 01:00:11.31 ID:iUnDWV9i0
神話だと大和の主はナガスネヒコって一族。
それに使えていたニギハヤヒが神武同様、天照の血を引くってんで
神武側にねがえって大和を謙譲した。
って流れ。

・・・皇族も他の地方豪族に従っていた時期もあったってことだろうね。
493名無しさん@13周年:2012/10/05(金) 01:01:07.61 ID:mr5HEHE10
>>476
杵築ってもとは木付で、伊予から流れ着いた大木に由来するって聞いた記憶が…
書類の書き間違いで木付→杵築となったとか
494名無しさん@13周年:2012/10/05(金) 01:45:30.98 ID:s6JeOOB00
>>435
『紀』が大和朝廷の正当性という視点から卑弥呼との関係を
かなり意識していた編纂態度が滲み出てしまっているのが
卑弥呼=神功皇后の暗示という苦肉の策

495名無しさん@13周年:2012/10/05(金) 01:50:26.29 ID:s6JeOOB00
>神功皇后について歴史に忠実に書いた書物はないの?

『記紀』だけでも出自から何かと詳しい
それ以外だと学術でデータとして使えるか微妙だが
瀬戸内の複数の住吉関係の神社所蔵の文献によく登場して
いたと思う

>>492
妹の婿のニギハヤヒに仕えたいたのがナガスネ彦
496名無しさん@13周年:2012/10/05(金) 01:51:34.75 ID:dsG4V/GDO
在日朝鮮人にとってね(大山)倍達みたいなもんだな
497名無しさん@13周年:2012/10/05(金) 01:51:35.82 ID:rh5ZCcpO0
卑弥呼は日巫女で、
伊勢の斎宮って考えたほうが、
無理は無いと思うがなぁ。
498名無しさん@13周年:2012/10/05(金) 01:54:35.17 ID:B6okTAbWO
>>491
ほー、漢字は後付けにしても意味的には我から来てるのか
499名無しさん@13周年:2012/10/05(金) 01:55:25.92 ID:aLdKyeaAO
邪馬台国が大和朝廷の前身でなければならない理由ってあるの?
いくつかのムラの集まりがクニになったのなら日本中にいくつかのクニがあった時代があって
その中の一つが邪馬台国ってわけじゃないの?
500名無しさん@13周年:2012/10/05(金) 02:21:05.80 ID:chbWF0Wn0
大和朝廷=邪馬台国
そもそもの間違いなんじゃね

蛇と日の信仰グライ違う気がするが
501名無しさん@13周年:2012/10/05(金) 04:02:52.37 ID:rh5ZCcpO0
邪馬台国がヤマト国のが無理はないでしょ。

女王国ってのが意味不明なだけで、
斎宮を女性が務めてたって話なら、
謎でもなんでもない。
502名無しさん@13周年:2012/10/05(金) 09:32:50.69 ID:1OoIP6Gp0
大化の改新と言われるクーデターで過去の歴史は塗り替えられたからな
九州が全ての起源だと都合が悪いんだろ
503名無しさん@13周年:2012/10/05(金) 09:42:18.34 ID:J/iRkXDS0
Date : 08/03/05 18:12:34
Subject: 【歴史】 九州説VS畿内説 邪馬台国はどこに? 学識者ら検証 ★2
URL : http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1204543644/
FROM :
MAIL : sage

邪馬台国成立史

「さあ、魏のお役人様、わしらの国はあの山の向こうたい」
「むこう?」
「そうたい。」

役人は「くに」は国、「やま」は山であることを知っていたが、「むこう」がわからなかった。
山に関する別のことだろうかと指差すジェスチャで尋ねた。

「うむ、山の向こうたい」(同じことの確認かと思った倭人が相槌を打つ」)
「やま、むこう?」(相変わらず山を指差している)
「(ちょっと説明しにくいな…)向こうは向こう。あれは『やま』たい。」
「やまたい?」
「やまたい。」

(終わり)
504名無しさん@13周年:2012/10/05(金) 14:13:21.80 ID:1OoIP6Gp0
やまやのめんたい?
505名無しさん@13周年
邪馬台国に該当する場所は筑紫平野だろうね
あそこは古くから稲作がさかんで、八女や女山(みやま)などの女性が支配していた名残の地名もあり、
山に挟まれた関所(現太宰府)を抜けないとたどり着けないことから山門と呼ばれるようになった可能性もある。