【話題】早稲田大・森川教授「AKB48の“神8”と呼ばれるメンバーは現代の日本人に好まれる縄文系の顔立ち」

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952名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 14:10:23.79 ID:ejMC+mKS0
遺伝子の話ほど胡散臭いものはないと思ってる
まずはその遺伝子を解析して発表してるのがどこの誰だか言ってみろよ
そのあと文字ではなく、目で見える形で証拠を見せてくれ
953名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 14:11:20.66 ID:rXoIlDiq0
>>873
石原もアイヌの血濃いよね。
954名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 14:15:18.61 ID:ejMC+mKS0
弥生系が朝鮮人で日本人なら、日本人は朝鮮人と同じってことになるな
これから朝鮮人は日本人扱いでいいな、特権も廃止ってことで意義なし
955名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 14:20:12.14 ID:rXoIlDiq0
>>887
蘇我氏が大彦の3男筋の彦太忍信命の裔、武内宿禰の3男って系譜は、嘘なのか?
日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 安倍氏/那須国造/膳氏/佐々貴山氏【1】
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01208.htm
956名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 14:25:29.73 ID:0LdbI/4z0
>>885
このギリシャ風復元はさすがにかっこよすぎてアカンw
957名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 14:26:11.46 ID:pIsMlBnH0
700〜800年前食糧難で半島壊滅
ほぼ無人の不毛の地になった半島は元(元支配下のエベンキ族)に淘汰される
日本は元を駆逐
エベンキの日本流入なし
600年前ソウル誕生

これが朝鮮人の誕生である
958名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 14:28:17.95 ID:0UeQI6Yb0
497 :日本@名無史さん[sage]:2011/06/12(日) 15:53:56.06
 古墳時代初期の馬具は、鞍だけをみると金銅製の金具を被せたりした豪華なものがあり、
埴輪から推定されるように居木の上に前輪と後輪を前後に屹立させ、腰をはさみつけるようなものであった。
馬上の運動がしにくいもので他の飾り具と併せて、実用と言うより儀仗用の色彩が濃いものであったと思われる。
しかし轡や鐙は当初から実用の用途を考慮して制作されたものであり、ほとんどの後期古墳から轡が出土していることから、
移動するための乗馬ぐらいはすでに行われていたものと推定される。
 中世の馬具は、平安時代に入ると、轡、鞍、鐙に変化が生まれる。
鞍はほとんどが木製の鞍で、後輪が傾斜した鞍になり、全体が重厚な造りになり、大鎧を着て乗馬しても乗り降りしやすく、
またこれによって垂直の前輪と後輪に挟まれた古代の鞍より刀や槍を振るうなどの馬上での運動が行いやすくなった。
鐙も古代の輪鐙や壺鐙からスリッパ形となり、馬上で立ち上がりやすくなり世界でも独特の舌長鐙へと変わっていった。
(末崎真澄)

六世紀後葉
 甲冑の基本形態は変わらず、桂甲の増加は順調であるが、西日本よりもむしろ東日本で著しく、
小規模な古墳や横穴から出る場合もある。
馬具の量は増加し、群集墳中の盟主的な位置を占める中位クラスの人々にまで騎馬の装備が普及したことを示す。
その背後には列島内における馬具生産の本格化が推測出来よう。
この時期に普及する馬具の多くは、素環轡などからなる簡素で実用性の高い素型で、これら中位クラスを主兵力とした
戦場での一定程度の馬の使用が想定される。
 これに対して前方後円墳などから出る高位有力者の馬具は、装飾的な傾向が強い美麗な品で、戦場での実用というよりも
そこも含めたさまざまな場で威儀や身分を表示する役割が顕著であったと見られる。
(松木武彦)
959名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 14:29:10.83 ID:0LdbI/4z0
>>905
うp

てかあのアイヌクォーターの人か?

>>950
いやそんなことはないだろ・・
ていうかこの企画立てた奴は明らかに嫌がらせだわな。
弥生系の顔でも、こういう顔はほとんど見ないのに。
960名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 14:29:50.84 ID:wVKa1Hp+0
961名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 14:30:05.95 ID:j/KJLw2u0
縄文の名前の由来の縄(ロープではないのに?)では無くて、
マン拓だったら・・・と想像してた中学生時代。
962名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 14:36:16.84 ID:rXoIlDiq0
>>887
武内宿禰血筋には、波多氏の林氏や山口氏、羽田。
許勢氏=巨勢氏、三男に、蘇我氏=石川氏。
紀氏=角氏や武内氏、木下氏、増田氏や明珍氏。
葛城氏、忍坂氏、的氏や朝野氏
江沼氏、射水氏が居るが、、
全部チョン?
963名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 14:40:40.70 ID:rXoIlDiq0
政治記者だった三宅氏は、自ら古代帰化人と言ってたが・・
大彦命の末っ子、波多武彦命---難波氏、三宅氏・・
チョンなのか?
964名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 14:41:26.38 ID:0UeQI6Yb0
>>915
騎馬民族説w
宮本w
お前戦前生まれの馬鹿だろ

258 :日本@名無史さん[sage]:2011/05/22(日) 14:34:47.03
義経にしても『平治物語』(下巻)によれば、騎射を行うのは鞍馬を出てからである。
つまり義経は下総を根拠とする坂東武者である陵助重頼を語らってその手引きで鞍馬を出る。
その重頼を誘う義経の言葉の中に「物射て遊ばん」というのがあるが、義経は鞍馬を出て近江の鏡宿で自分で元服した後、
重頼に弓箭と馬を用意させ、東国への道すがら、重頼に「馳挽、物射」(つまりは騎射、歩射)を習いながら下ったという。
その後、義経は下総で一年ほど過ごすが、そこで狩猟をしていたことが記されている。
いずれにしろ義経が騎射術を習得したのは、鞍馬を出てからと考えるのが妥当であろう。
とすれば『平治物語』にみえるように、奥州に向かう途中(諸国流浪中)や、また、名馬の産地である奥州に行ってからであろう。
義経の身体能力をもってすれば、騎射術の修得も早かったのではなかろうか。
 それにしても、戦術的能力の向上には実戦経験が重要である。
自力救済(公権力に頼らず当事者相互で紛争を解決すること)の私戦を繰り返している東国武者とは違い、
義仲追討戦以前の義経に実戦経験があったかどうか疑問である。
あったとしても、鞍馬にいた時の辻冠者原との戦闘ぐらいであろうし、奥州では戦闘はなかったと考えられる。
そうした実戦経験という面では、義経が鞍馬から直接奥州へ赴かずに、諸国を流浪し、しかもその間、恵まれた生活はしておらず、
山賊や野盗まがいのことをしていたと考える方が、戦士能力の育成をという面では、筆者には説得力がある。
 しかしその一方で、義経の戦士能力は、戦術的能力よりも戦略的能力にあることを第三章で指摘した。
その点では、戦術的能力が劣っているのは、実戦経験が少なかったからであるとも考えられる。
 結局は類推の積み重ねで何とも言えないのだが、鞍馬を出てから義仲追討戦に向かうまでの義経の実戦経験の有無については気になるところである。

近藤好和『源義経』ミネルヴァ書房(2005年)
965名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 14:41:50.82 ID:ejMC+mKS0
分からないことを追求しても無駄だろ
966名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 14:48:55.14 ID:kGX5H6sf0
>>887 物部氏は旧イスラエルからの渡来人なんだけどね。
日本を支配してきたのは渡来人ばっかなのよ。
967名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 14:52:21.96 ID:rCWnQaLQ0
>>966
>>物部氏は旧イスラエルからの渡来人なんだけどね

板違い
オカルト版に書き込めよ基地外
968名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 14:54:20.38 ID:tfFcrkGY0
ある人権団体によれば純粋なアイヌ人も存在しないのに
縄文人っぽい顔立ちだから差別されていると訴えているらしい
969名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 14:54:53.13 ID:OZkJxEcY0
俺の親父は大きい目・二重・細長い顔・高い鼻なのに
母親が一重・細い目・豚鼻・エラ顔・でっぱった頬骨・出っ歯という典型的チョン顔のせいで
俺までチョン顔になってしまった!目は大きいけどな
何故親父は母親のようなチョン顔と結婚して俺を作ってしまったのだ…
970名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 14:57:09.98 ID:0UeQI6Yb0
>>916
なんで河内の事例を飛鳥や奈良にまで広げてんだ
当時のトップクラスの貴族に渡来系はいないぞ
蘇我大臣(皇別)
物部大連(神別)
大伴大連(神別)
中臣連も神別
おまけに物部大連家の本拠地は河内だからなw
何でもかんでも渡来系にすんなバカたれがw
971名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 14:58:40.21 ID:fJYhIgaI0
>>942
考古学的(人類学的)データと、後の文献資料に出てくる言葉とを、
根拠もなく勝手にくっつけちゃってる上に、妄想まで入ってるからね。
こういうのをトンデモといいます。
 大学でまともに歴史学を勉強した人でないのは確かですね。
972名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 15:00:53.74 ID:0UeQI6Yb0
199 :日本@名無史さん[sage]:2011/04/24(日) 11:52:38.93
殺生禁断の聖なる山や池で狩猟を行い、鶏・犬・鷹・馬などの諸禽獣を自在に操る関東武士の弓馬の実力は、
西国の住民にとっては<人知を超えた鬼神>として、畏怖と畏敬の対象となったのである。
北条氏が葦名頼連に期待したのは、高麗出兵への先兵としての類まれな武闘能力だったに違いない。
西国の各地に、頼連のような荒夷の手だれたちが、異国征伐の守護あるいは地頭として、移住してきたのである。
海津一朗『蒙古襲来』吉川弘文館(1998年)
973名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 15:00:54.68 ID:IWCd/tow0
縄文人って顔面センターだったのか・・・
974名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 15:14:43.44 ID:rXoIlDiq0
孝元天皇-大彦命-建沼河別命-

豊韓別命-雷別命-阿倍氏-
大麿-布勢氏-土御門氏-倉橋氏、井上氏、金氏、久慈氏
歌麿-安倍氏族、広瀬氏、松原氏、竹本氏、田所氏、高杉氏、
引田氏、若狭氏、坂内氏、箱崎氏、竹岡氏、渋川氏、深江氏、矢田部氏、会津氏、石氏、女川氏、比浦氏、猿島氏
松島氏、芥沢氏、阿久沢氏
仲麿-安藤氏、佐田氏、安東氏、厨川氏、喜志氏、岸氏、芝山氏=柴山氏、豊間根氏、十三氏、湊氏、桧山氏、脇本氏、米内氏、下郡氏、尾瀬氏、一方井氏
-白鳥氏、白岩氏、東海林氏-萩本氏-藤崎氏-秋田氏-横木氏-矢沢氏-下国氏-小松氏-岩手氏-陸奥氏-長井氏-黒沢氏
川崎氏=河崎氏、宮部氏、黒木氏
渡辺松浦氏族
意布比命-大臣命-那須氏や猿田氏、芦野氏
975名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 15:32:31.42 ID:rXoIlDiq0
大彦命-建沼河別命-意布比命-大臣命-那須氏-猿田氏-芦野氏
976名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 15:42:48.39 ID:Eh/ekCrX0
俺モロ縄文系だわ。
977名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 15:55:57.92 ID:rXoIlDiq0
>>951の訂正。

著者×
出版社の名前○
978名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 16:06:44.71 ID:0UeQI6Yb0
人類学者は縄文顔が大好きなんだよ
科博の馬場さんとか露骨に弥生を嫌ってるからな
979名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 16:11:16.27 ID:8YRiaBNc0
>>966
頭おかしいのかお前
ゼロから日本という島にいた人間なんていねえわ
日本にいる人間はみんな渡来してきた人間の末裔
980名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 16:12:30.89 ID:2fWPBXEV0
縄文系、弥生系とかいうネタを出す奴はほとんどインチキ。
981名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 16:15:20.05 ID:8OUN2njW0
頭に羽のついた冠と毛皮が似合うのが縄文人系
982名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 16:15:25.33 ID:XQkluuHk0
>>978
そりゃ>>885を見れば納得だは。本能的に縄文の復元顔の方に安心感をおぼえる
縄文時代は大規模な戦闘の形跡はないらしいし、弥生人が稲作や鉄器の他に
大規模な戦争の形式や争いそのものを持ち来ったことも否定できない事実らしいし。
983名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 16:29:28.19 ID:0UeQI6Yb0
昔の美人の標準は弥生系
幕末明治に来日した外国人が日本人の美的感覚に首をかしげてる話も残ってる
でも彼らからすると街道沿いの田舎の茶娘なんかは凄く綺麗で愛らしく映ったようだ
東京大阪京都の美人より、彼女らのほうが縄文系に近い顔立ちだったのかもな
984名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 16:30:04.30 ID:u0XVtH160
8番目の人はいじりまくってるし
985名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 16:30:35.59 ID:H5wC8Cka0
>>964
源氏は公家だから馬術に秀でていたんだよ。
鎌倉武士は当然、皆源氏で構成されてたわけじゃないでしょ。

新撰姓氏録に加え
渡来人の百済系から天皇の子孫に先祖を写したものも
いるので貴族階級はほとんど渡来系だったといえるでしょう。

有史以来、馬による戦闘を繰り広げていた大陸・半島人が乗馬が
うまかったのは当たり前。

>>942
秦氏の拠点は九州(宇佐八幡などは秦氏の建立の神社という説がある)
や関西ですね。
京都の太秦や大阪にも太秦という地名がある。

とにかく近畿は日本では特異な地といえるねw
「韓国・朝鮮現代人に類似する畿内現代人と同じグループに属し
縄文人から最も離れている 」
(池田次郎・京都大学名誉教授)

986名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 16:37:45.68 ID:0UeQI6Yb0
>>985
お前はここ読んで勉強してこい
清少納言の父親が落馬したエピソードをググるのもいいぞ
http://www.city.kobe.lg.jp/information/institution/institution/document/genpei/bugu/bugu.html
987名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 16:41:18.48 ID:0UeQI6Yb0
>>985
それいうならネギの深谷近辺も秦の転化だしな
キリないだろ馬鹿
池田氏は渡来系の多い山梨出身だしw

『御堂関白記』(長和元年十二月四日)
「斎王定まりて後、弓場始、其の儀常の如し。能射なる者、候せず。的を射る者無し。
依りて的を打たしむと云々。
射手の数少なく、三番奉仕す。猿楽の如し。」

弓場始(歩射)
能射の者が伺候していないので的を射るものがいない。
それで的を打たせた。
弓で矢を的に射当てる事が出来ないので仕方なしに手で投げるようにして矢を的に打ち当てたの意。

弓射儀礼(歩射)の成績(『中右記』、『吾妻鏡』)
          回数 命中 命中率 射手数
1096年(京都) 140  11  7.9(%)  14  最高成績:源明国(多田源氏) 40%
1260年(鎌倉) 240  181 75.4(%)  12
988名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 16:40:43.38 ID:nvgJXUay0
>>885
確かに加藤剛と高中正義じゃ接点ないわ
989名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 16:42:18.18 ID:45M/vMzF0
いつの間に『8』に?『7』じゃなかったか?
990名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 16:44:54.24 ID:YPUvYLc20
いい年して下らん事研究してるんだな
991名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 16:49:51.76 ID:PMeosTcK0
奥出雲出身だけどあそこは縄文土人しか住んでなかったな
ばあちゃんとか平井堅にそっくりだったわ
992名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 16:57:10.82 ID:H5wC8Cka0
>>986
また物語ですかw
しかも特例だしても論にはなりませんね。

東国武士は京畿の輩に習い西行の弓馬談義などを
手本としたということです
993名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 16:59:19.79 ID:9U7OAdgx0
>>1
大槻教授とかこの森川教授とか変なのしかいないのか?
教授である必要ないだろうに
994名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 17:02:37.90 ID:nvgJXUay0
>>993
大槻教授はテレビ用にああいうキャラを演じてるだけで、本業ではまとも。

吉村教授とかもだけど、私学の連中は自分の開発費を得る為に、
キャラクター作って、予算を超えた分の金を稼がないといけないからしょうがないわ。
995名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 17:03:58.05 ID:H5wC8Cka0
>>987
射儀をおこなったものは
上達していたものたちでしょうね。
貴族が中心だったのかもしれません。
特例から一般は導きだせません。
996名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 17:12:01.87 ID:0UeQI6Yb0
>>992
西行が治承寿永期の内乱期に何してたか知ってる?
彼は戦に出た経験があるのかね?
答えはノーだよ
そんな物好きの風来坊から何を学ぶかよ馬鹿
お前のは吾妻鏡に出てくる十三世紀の話
あんなのはどうってことないただのエピソードにすぎないよ
それに西行の佐藤氏は秀郷流藤原氏の嫡流だから
彼が受け継いだ故実は下野の関東豪族のものなんだなこれが
>>995
道長の日記を否定する馬鹿
一級史料だぞw
997名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 17:21:07.68 ID:H5wC8Cka0
ttp://www.saigyo.org/saigyo/html/yabusame.shtml
>「鶴岡八幡宮例大祭」や「鎌倉まつり」の「流鏑馬」は文治二年八月十五日に
>「西行」が「頼朝」に講義した結果、行われるようになった


は?日記の信憑性を疑ってるわけじゃないよ。
998名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 17:23:41.62 ID:nNYRDUl/0
>>921
百済は日本の支配下にあり半島での戦争で負けて日本に王族が亡命したが
他は来ていないぞ。
999名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 17:26:26.32 ID:jVTM3Xj60
続きは↓のスレでどうぞ


日本の古代史 Part2
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1320944183/l50

縄文・アイヌ学4
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/geo/1325196042/l50
1000名無しさん@12周年:2012/02/05(日) 17:28:00.55 ID:nNYRDUl/0
>>985
日本の支配下にあって戦争に負けて亡命してきた百済系の王族にそんな権力なんかあるわけないだろ。
10011001
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