2 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 15:25:19 ID:VioVvxpu0
でも邪馬台国は奈良だよ
萌えキャラにすれば、巡礼オタを呼べたのに・・・馬鹿だろjk
4 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 15:25:52 ID:s63Gymbu0
ハイキングウォーキング?
5 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 15:25:58 ID:P08qaapV0
邪魔大国
6 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 15:26:05 ID:TJg66+330
7 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 15:26:18 ID:SONXHGdu0
まだ決着してません。出雲の預りとします
朝鮮半島から来た人が北九州に邪馬台国を作った。
当然天皇も朝鮮人。
9 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 15:26:54 ID:2/h+rQekO
ああサイズのでかい婦人靴店
J('ー`)し卑弥呼様ー
11 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 15:27:36 ID:TJg66+330
いつまで無駄なことやってんだよ
中国の属国の証をもらったって喜んだ人だっけ?
AV女優の?
15 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 15:28:18 ID:qqJrhn5C0
宗主中国、日本の王を 卑しい弥生人(朝鮮)と呼ぶ
未だに九州説とか唱えてるのは基地外
17 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 15:28:31 ID:rViGsHt10
破壊されるのは時間の問題
18 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 15:28:56 ID:PXY1eC2L0
結局は古代人のドッキリなんでしょ?
受審
パワースポーツ
20 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 15:29:29 ID:3GIM9ecQ0
ふぃぎゅあぢゃ
ビールドベースのッ!(バンババン)
守りはか〜たいッ!(バンババン)
23 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 15:30:08 ID:mN0b7bBA0
邪魔大王国
24 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 15:31:03 ID:j4BbT/tL0
どうせなら黒田武士のサイズを倍にしろ
こんな麻呂みたいな人形じゃなくて
ひこにゃんみたいなキグルミにしたらよかったんや
>>13 それは倭国の大王だよ。
邪馬台国とは別だろjk
27 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 15:33:38 ID:PNzUTql2O
奈良だっていうのに。チョン化が激しいな。
28 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 15:33:57 ID:Fpew/0uU0
卑弥呼ほど偶像のイメージがない歴史上の人物もないな
29 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 15:34:31 ID:Vw6KpZu4P
通説で卑弥呼は韓国人と言われています
30 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 15:35:20 ID:aHyMFb0CP
どうでも
31 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 15:35:33 ID:xuG6hJlo0
もーヤメテ恥ずかしい
そんなことより飲酒運転取り締まってよ
全国一だよ??
卑弥呼難しいよな
低速マジ無理
33 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 15:35:50 ID:074OZ8s80
韓国人はエベンキと蒙古の末裔と言われています
34 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 15:35:51 ID:awAUczsC0
>>2 プッ、奈良人は中国に朝貢してた末裔なんだな
あんまデカくないしインパクトも薄いな
シナガンダムぐらいには頑張れよ
37 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 15:37:12 ID:CF0XwSfr0
そもそも信憑性が非常に乏しい中華発の歴史書の記載を金科玉条のごとく崇め信頼してる時点で異常。
邪馬台国とか卑弥呼なんて戦後の国史から皇室の正統性排除を目論む輩がその記述を利用しただけでしょ。
38 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 15:38:11 ID:074OZ8s80
九州人だが卑弥呼はマキムクにいたと思うよ
卑弥呼 じゃなくて、 日巫女 だって言ってるだろうが!!
3世紀終わりから4世紀終わりまではどうなってるか解らないんだっけか?
卑弥呼が神功皇后の可能性とかないのかな?
>>39 「漢の」倭の那の国王
でわなく、
「魏に親しい」倭王
だから、属国扱いと読んでいいのかどうか悩むところだが、そもそも印を下賜する時点で
当時の感覚から言えば冊封の範囲内と見做していいのかな
>>42 向こうの文献では、卑弥呼は独身だったそうだから、神功皇后と同一ってセンは厳しいかもね
44 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 15:47:03 ID:074OZ8s80
>>42 モモソヒメでほぼ確定だろう?
宇佐神宮の下に卑弥呼は眠っているとか言うバカもいるけど
九州で考えられる古墳は他に何処にもないよ
いい加減、九州で卑弥呼アピールするの止めてほしいよ
また問題を掘り起こす様な事を..
ミメコ姫
AV女優ってレスは意外と少ないんだな
こういうのは本当に九州の人に失礼だと思うけどね
これでまた一般の特に歴史に興味のないような善良な人が
「邪馬台国は九州バイ!」とか思い込んでしまって
他所で大恥かくことになるわけだからね
計画実行した連中は、全九州人に土下座して謝れよ
51 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 15:57:17 ID:UmlAt7+QP
九州か近畿か誰にも判って無いんだから、どっちが起源だっつー朝鮮人みたいな
醜い言い争いすんなよ('A`)
塵へと、帰れ
1.8mって巨大なのか
>>42 神功さんは架空の人物でほぼ確定
ちなみに日本書紀には、魏志倭人伝の卑弥呼とは彼女のことかもしれないとの注釈はあるが
56 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 16:04:33 ID:7SBN0hMk0
100キロとは
ヒミコ・デラックス
>>55 朝鮮人乙。
三韓征伐がそんなに悔しいですか?
実在していたのは間違いないですよ。
倭王旨と名乗ってました。
58 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 16:07:10 ID:mOXXK5ru0
九州出身の俺でも近畿説だと思う。
九州説は苦しいのに、こんな朝鮮人みたいな強引なことして本当に恥ずかしい。
福岡は邪馬台国の事より飲酒運転での殺人事件を無くす努力をしろよ
ここまでAV女優無し
61 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 16:08:37 ID:074OZ8s80
祭祀を司るのは女子が基本、九州も例外じゃないから
この女の像は別に間違っちゃいない
問題なのは卑弥呼と名前をつけてしまったこと
古代の巫女さん、くらいにしとけばよかったのにな
>>58 考古学的にはもう確定だな。
九州説は考古学が発展してなかった昭和時代の遺物。
豊丸と並んでいい女優だった。
>>43 金印を渡すというのはその時点で属国扱い
ちなみに今の天皇が初めて訪中した際、
中共から金印を渡されそうになるという事件が発生したw
考古学的に邪馬台国がどこにあったとかあまり意味はないんだけどね
ヤマト王権が4世紀頃にいきなり現れて朝鮮半島の南半分を支配して高句麗と争うのが重要
邪馬台国からわずか150年で日本の統一王権が出来て朝鮮半島にまで進出するのが歴史のダイナミズム
>>49 ホントこの件については邪馬台国=日本つー思い込みが一番の癌だわな。
>>44 モモソヒメ信者ってすぐに湧くけど、あれだってトンデモ論だからなw
>>66 今で言えば近畿とか中京よりも小さな連合国家の盟主だね
大阪、兵庫、和歌山、奈良が連合して大阪府の首長が束ねてるような物
>>68 邪馬台国連合は近畿から中四国、北九州に及ぶ、瀬戸内大連合だぞ。
ただ、その中で邪馬台国が最強だったとは限らない。
強国同士が牽制しあって、弱小国を盟主に選んだ可能性の方が高い。
現に、卑弥呼が死んだら途端に戦乱になっている。
吸収説って青森キリスト墓説みたいなもんだよね
いずれにせよ卑弥呼が韓国人であったことは東アジアの常識です。
ニダニダ
74 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 16:40:58 ID:qqJrhn5C0
中国は野蛮国の国名には糞みたいな名前をつけておもしろがる。
75 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 16:45:04 ID:074OZ8s80
>>70 一大卒が置かれてビクビクしてなかったか?伊都国とか那国とかさ?
邪馬台は熊野を除いた近畿一円を版図する勢力だろう、強国だよ
でも連合が崩壊して戦国になって日向の天孫に実権を盗られましたとさ
76 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 16:48:26 ID:x6wvUWZ50
レオタード姿で男優に背面から突かれて甲高い声でアーアーと鳴き
おっぱいぷる〜んぷる〜んさせながら絶頂する巨像が博多駅にできたのか
巨大って言うから10mぐらいあるのかと思ったら、
等身大とでも言った方が妥当な大きさじゃないか。
九州説の信憑性って剣道は韓国が起源と同じくらいだろ
大体自信が無いから、こんな宣伝行為に走るんだろうけど
>>70 連合全体は、「倭」だよ。
その中で邪馬台国はダントツの大国だ。
意外にちっちゃかった
>>57 すごいなニュー速+のネトウヨさんは
自国の左翼的立場でない多くの学者が常識として捉えていることを
倭王旨などというおとぎ話レベルの俗説を信じて否定するとは
やっぱ保守反韓反中の最大の敵はネトウヨだな
感性が朝鮮人と変わらん
>>81 神宮皇后については、実在の証拠はないとしても、架空の人物だとの断定はできないのじゃないの?
九州には言い伝えも残ってるし(石関連で)。
神武天皇と同じで、モデルになった人はいるかもしれない。
>>82 神功については日本書紀編纂者のいたずら心かな
さすがにあれだけ架空の天皇をでっち上げたら心も痛むだろ
で魏志倭人伝の卑弥呼が神功と同一人物であるかのような記述にした
要するにこの辺りの天皇の話は嘘ですよと
84 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 17:04:15 ID:BdAyhlmH0
なんで奴国の博多に卑弥呼なんだよ?
>>82 もちろん断定はできない、100%架空とは言い切れないが
その言い伝えも同時代より後世のもので、記紀に基づいて考えられた逸話だから
実在の証拠の一つにすらならないよね
それにモデルになった人物がいたにせよ、それは当然本人ではないでしょ
ヤマトタケルも実在とは考えにくいけど、おそらくモデルとなった多数の人物や次席があるだろうと見られているようにね
神宮k紀ついては、致命的な干支一周分の年代観ミスがあるんだよ
逆に言えばそこを間違えなければ彼女をむりやりに登場させる必要もなかったんだわ
仲哀から応神に到るまでのいざこざ程度の話で済んだわけ
86 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 17:04:39 ID:ZV2MT3aV0
九州は無いからw
例え九州を治めた豪族が居たとしても日本の王とか恥ずかし過ぎて名乗れないだろ。
>>83 それもちょっと違うと思う。
まず、言い伝えがあって、それをその通りに記述した。
その後で、補足の形で、これは卑弥呼の事かもしれないと、付け加えた。
もし最初から、卑弥呼にあてるのなら、もっとそれらしく書くはず。
神功は自ら陣頭に立って攻めていったが、卑弥呼は奥に篭もっていて顔を見せてないなど、イメージが違い過ぎる。
88 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 17:05:30 ID:EKMtys7AO
ヒミコスタイルなら許す
卑弥呼伝説なら許さない
>>85 風土記にある言い伝えだったと思うから、まだ記紀神話が全国に広まる前のことだと思うけど。
出雲神話だって、記紀と風土記のは違うから、影響は受けてないはず。
>>87 神功紀の注釈からも判るように、記紀編纂者は三国志を読んでいるわけだよね
また後漢書、宋書、梁書などももちろん読んでいる
ところが卑弥呼だけにとどまらず倭の五王についての記述もないわけで
これはどうもはっきりと書きたくなかったのではというのが、一般的な解釈だね
ただあからさまに中国史書に対して間違っているとも言えなかったという理由もあるだろう
>>87 おっしゃるとおりだが
あの神功の部分で卑弥呼を臭わせる必要性ってある?
魏志倭人伝を引き合いに出して神功を補強するなら分かるけどさ
卑弥呼って魏に使いを送って親魏倭王の称号を与えられてるわけでさ
後に倭の五王と呼ばれる仁徳あたりが朝貢してた事実は完全無視してるでしょ
日本書紀って基本的に中国の冊封だった事実は認めない方針な訳で・・・
92 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 17:10:00 ID:M4//PB9F0
>>41 オイラは姫皇子(ヒミコ)にも一票投じるおw
どちらにせよ、日本語の”ヒミコ”という音に対して、敢えて下賤な漢字を当てやがった
当時のチャンコロは氏ねといいたい。
ヒミコ・デラックス
94 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 17:15:47 ID:ncip578+0
小林幸子の衣装のようなのを期待したのにw
巨大と言うなら、ナナコぐらいにしろよ。
96 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 17:18:19 ID:EDwLSofL0
マグネ球体関節のロボットを横に置いてはどうか?w
97 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 17:19:54 ID:AmsA6oVVO
ヒミカ
98 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 17:20:53 ID:Us12D0S30
近所にそんな名前の珍走がいたな
卑弥呼の時代もいたとされる天皇は何してたの?本当はいなかったんでしょ?
あ〜はがゆいはがゆい博多人形っ!
102 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 17:43:08 ID:E4cswgce0
>>43 >印を下賜する時点で
↑
これを日本の日御子が知っていたかどうかが疑問・・・。
印の見つかった場所を考えると印を下賜されてしまった
人間が処分に困って日本に着く前に海に棄てたと考える
のが一番自然だと思うし、印を下賜された事を日御子に
報告したなら途中で海に落としてなくしたでは済まない。
103 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 17:47:57 ID:E4cswgce0
>>99 卑弥呼という漢字がそもそもの当て字だし、倭人伝
そのものが体験談ではなく聞き書きで作られている。
「ひみこ」とひらがなで書いてみれば日本人ならば
わかると思うが、漢字を当てるとすれば「日御子」
もしくは「日巫女」とあてるのが適当だろう。
天照大神に使える巫女であり女王であるから天皇で
ある可能性も高く、女性天皇が存在した記録もある。
>>102 当時中国のお墨付きを得るためにわざわざ使節送ってるわけでさ
鏡、金印、旗とかはある意味最終兵器でしょ
金印があの位置で見つかった理由はよく分からないけど当時の海岸線とかよく研究しないと決めつけるのは危険じゃね?
105 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 17:54:02 ID:dIGd6Y7R0
67って、団塊の妄想脳乙。
お遊びもいい加減にしろよ。
106 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 17:56:37 ID:E4cswgce0
>>104 海に棄てられたのであれば海底を漁などで浚ってれば
出て来る可能性もあるが、陸地が水没したのであれば
地形そのものが変わってるので見つかる可能性は低い。
実際に見つかってるので確率から考えれば棄てられた
と考えるのが妥当であり、海岸近くに都があって海の
底に水没したと根拠もなく発想するのはトンデモ論だ。
水没したのであれば金印以外にも同じ場所から何かが
出てくるはずでありそれが見つかってない以上水没の
可能性はないという前提で考えるのが科学的な発想。
金印だけ見つかり他のものが出てこないのがポイント。
107 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 17:56:42 ID:gh9FLbVN0
これだけ掘り返しても出てこないって事は
卑弥呼は琵琶湖に沈んでるんだろ
こげな恥ずかしかことすんなや
福岡の人間はだれも邪馬台国が九州にあったなんて思ってないぞ
邪馬台国は畿内ともう確定したも同然なのに。
こうやって根拠がなくても発信し続ければいいって根性がクソ
110 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 17:58:59 ID:dETO8zG4O
>>108 福岡県の朝倉市では自治体でミス卑弥呼なんてやってるぞw
地元民ですら笑いのネタにしてるが。
111 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 17:59:30 ID:37Lrk4Lf0
>>103 ひめみこの中国表記じゃないか。
皇女のことだね
>>106 後は捨てられたとして時期だね
必ずしも与えられた時代に投棄されたという推論の根拠はゼロな訳だし
中国へのODAを属国印にして下賜してはどうか…
と一瞬考えたがプライドなき人種には無意味だな。
>>113 勘違いするな
中国から見てODAは朝貢だw
近畿にも九州にも関係ない人間としては
魏志倭人伝から考えると畿内説は完全にでっちあげ
九州説もやや辻褄が合わないが畿内説より遥かに有力なのは間違いない
いかんせん畿内説が正しいと思い込んでる学者が多い事で、数の暴力に晒されて九州説が闇に葬られそうな事だな
今回の人形も風化させない為には有効な手段だと思うよ
神功皇后のもの比定されてる古墳の近くに住んでるんだが
架空の人物だったら誰の墓なんだろな
自分が死後に英雄扱いされてるなんて知ったら死ぬほどビックリするわ
117 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 18:06:28 ID:E4cswgce0
>>111 そういう説も確かにあるが可能性は低い。
もしそれが事実ならシナは日本の情報を
殆ど持っていないのに日本はシナの情報
を相当持っていた事になり、当時の日本
の方がシナよりも文明的に進んでいたと
判断せざるを得なくなってしまう・・・。
シナが当時日本に対して持っていた情報
レベルから考えると日本もシナの情報を
同程度しか持ってなかったと考えるのが
妥当なのでシナの皇室形態まで日本側が
理解していたとは考えにくい。
「ひめみこ」ではなくて「ひのみこ」で
漢字を当てるなら「日御子」「日巫女」
だったと考える方が自然な発想だと思う。
118 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 18:08:05 ID:MCloJlWD0
>> 1
なんという、デュアル物語?
119 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 18:10:38 ID:E4cswgce0
>>112 棄てられた場所から推測すればシナから日本への
帰還途中だったと考えるのが妥当だし、後の時代
に必要なくなり棄てるなら溶かして金として使う。
わざわざ海中に棄てなければならない理由がない。
推論の根拠が0だと感じてしまうのは推論を理解
できるだけの能力がお前にないだけの話・・・。
となりにハニワ幻人の像もおいておきたい
122 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 18:22:16 ID:E4cswgce0
>>115 九州説と言うのは魏志倭人伝に書かれた旅の行程から
出てきたものだが、この行程は聞き書きであり著者が
実際に旅をした実体験を書いているわけではない上に
現代人の歩くスピードを当てはめて考えた距離を基に
出てきた説なので可能性としては低いだろう・・・。
自分の体験に当てはめて考えてみればわかることだが、
距離感を口頭で誰かに伝えるというのは凄く難しい。
それは人によって歩ける距離も違うし遠いと感じるか
近いと感じるかも違うし、何日も掛かる行程の全てを
逐一漏らさず相手に理解させるのは至難のわざだから。
江戸時代の日記を読んで当時の人々が一日に移動した
距離が凄くてびっくりした経験があるが、数百年前の
人々ですら今の人間から想像もつかない徒歩移動能力
があるのに、魏志倭人伝の時代の移動スピードなどを
現在から推定することが非常に難しい。
昔の人間は起伏の激しい山や野を幼少時代から歩いて
鍛えられてたことを考えれば現代人の何倍もの早さで
遠くまで行けたと考える方が正しいと思う。
123 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 18:28:31 ID:huv46FUR0
今の日本人の子孫の大半が倭の五王の奴隷だったであろうから
冷静に考えたらお前らの先祖を生き埋めにしたり、魏に売り飛ばしたりした
お姫様って事になるな
124 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 18:32:20 ID:W3mNedSDO
邪馬臺国:ヨコシマなウマのタイラなクニ
卑弥呼:イヨイヨ卑しいと呼ぶ
漢倭奴国王:シナ人のシモベのヤツのクニの王様
台与:トヨ(余り侮蔑的でない為、後継者なのに反日ギルドからはバリ無視)
125 :
(´-`).。o山中狂人 ◆abcDBRIxrA :2011/02/18(金) 18:41:33 ID:7ZvaXl880
>>1 <安本美典によれば、卑弥呼は天照大神
<井沢元彦によれば、卑弥呼の墓は宇佐神宮の下
<邪馬台国は北九州。後に神武天皇の時代に東遷して大和朝廷になった
∧_∧___
(・∀・ ) / | <これ、豆知識な
⊂ へ ∩./ .|
i'''(_) i'''i ̄,,,,,,/
 ̄ (_)|| ̄ ̄
126 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 18:43:38 ID:1o3dGRRH0
畿内でほぼ確定なのに何今更だよなwww
吉野ヶ里も結局それを提唱した奴が声がでかかっただけで実際畿内がずっと有力だったんだけどな。
そもそも議論する余地が無い。
隋書には、魏志倭人伝のヤマトは今の大和だよ!って
書かれてるんだからw
そもそも素直にヤマト国と読むだろ普通w
128 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 18:52:18 ID:TVBUGzqKO
九州説の根拠って志賀島で発見された金印じゃなかったっけ?
129 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 18:53:28 ID:/OdIehYf0
そもそも卑弥呼って
中国が付けた「蔑称」なんだろ?
…とりあえず博多駅は、ホームに貨物列車横付けすんのやめれ
普通に九州でしょ
今、一生懸命畿内にこじつけようとしててマスゴミはいい加減にしろと思う
大和をヤマトとよませるのも江戸〜明治期のこじつけ
自分は以前は普通に奈良って洗脳せれてたけど出土物なんかを見てると
断然九州だと思うようになった。
>>115 全文同意
132 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 19:00:32 ID:xilYOS2g0
どうしても往年のAV女優の方を思い出す。
九州説ってまだあるんだなw
134 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 19:03:00 ID:znOHd/hx0
<丶`∀´>誇らしいニダ
135 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 19:06:23 ID:05eUn779O
>>129 自分ところの王様に「卑」なんて字使うわけないしね
>>119 結局当時の海岸線も知らず自分の思い込みで書き込んでるだけねw
お馬鹿さん
137 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 19:15:29 ID:xYQ+++kCP
>>1 こんなきれいな衣装着てたわけないだろw
荒縄に麻の腰蓑、おっぱい丸出しだよ
138 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 19:17:17 ID:m9XyfX4Ii
ヒミコミコミコヒミコミコ
139 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 19:19:10 ID:UCfUYFhL0
>>5 今にみてろよハニワ幻人!全滅だ〜♪
あと、細かいけど邪魔大王国な
1.8mで巨大とかいうなよ。
5m以上で想像してたのに。
卑弥呼ってやめろ
自分らの王に卑しいとかないわー・・・
火魅子と呼べ
142 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 19:26:46 ID:H7dZYboKO
8(´∀`)8 < ヒミコサマー!
143 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 19:28:14 ID:XfLCSIPU0
もちろん巨乳丸出しで誘ってるよな
144 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 19:30:21 ID:JrQQtWg90
大河ドラマで卑弥呼やらねーかな
邪魔大国スレになってて安心した。
146 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 19:33:52 ID:IcEL6xjpO
卑しいミコってことなのかー。中国らしいわ。
綺麗な人形だとは思うけれど
卑弥呼と博多って全然関係ないじゃない
148 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 19:37:01 ID:neX+901/0
>>117 ノーベル賞作家なら「火見子」と当てるだろうな
>>2で終わり
しかし勝手に「想像図」で人形作るぐらいだから
>>2とかどうでもいいのだろう。
150 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 19:49:19 ID:M4//PB9F0
>>137 オマイは貴人でさえ、一般庶民と同じ服装をしていたと思ってるのか???
魏の国まで平気で使いを送れるぐらいのクニなのにw
確かにオマイの御先祖だったら、貧相な荒麻の貫頭衣に荒縄を腰に括りつけただけの
衣装をしてただろうけどなw
152 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 19:58:46 ID:C2mVhZgMO
時代がかなり違うが、志賀島の金印があるから許してあげて><
よっしゃああああ。ばっち来いやあ!
>>2 なんだとこら、ケンカ売っとんのかこら。
いや、売ってるのは俺だがw
アマテラスが卑弥呼=日皇女
>>119 同時代の後漢滅亡のときも、玉璽は侍女が抱いて井戸に飛び込んだわけで、
後の時代だったら鋳潰すはず、というのも乱暴だわな。
156 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 21:35:57 ID:ATcUQJTk0
持ってる剣が半島から送られた七*の矛じゃねーか
158 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 21:40:20 ID:QMV+BJur0
1.8mで巨大・・・って言うか?町中が巨人だらけじゃねーか
159 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 21:43:11 ID:074OZ8s80
>>156 福岡人の感性って朝鮮人に近いよな
妄想で作り上げたものをそのまま提供出来るとこなんて
圧顔無恥って言うか、恥ずかしいとは思わんのかなあ?単なるノリ?バカ?
理解に苦しむよ
>>157 「みこ」という呼称は、そんな古いもんじゃない気がするぞ。
巫の訓は「ふ」だもんな。
161 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 22:01:33 ID:79LTtlUP0
ヒミコは奈良県人だからな
162 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 22:03:32 ID:7fGkWpay0
わしゃ博多に寸ドルけど、こげなと知らんばい
そもそも
>>1の画像に出てる卑弥呼がめちゃめちゃな件w
何で七支刀持ってるんだよw
ハニワでも倒したのかよ
164 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 22:09:34 ID:79LTtlUP0
奈良県茶臼山古墳からヒミコの使者が魏から
帰国した正始元年(240年)の銘がある
三角縁神獣鏡の破片が見つかった。
もう奈良に決定だな
165 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 22:10:30 ID:UAQyz3Uc0
光岡自動車が本気出したのかと思って期待した奴は俺だけ?
採石場で必殺技を喰らったのか
167 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 22:13:00 ID:NgIHq3QaO
ここまでヒミコデラックスなしとか…
>>115 どっちも決定打はないのに、声が大きい奴が勝つみたいな状況だよね
>>160 神子とか皇子とか御子も怪しいんだよ。そんな言葉や概念が既にあったのかどうか。
もっと単純に日見子とかじゃねーかと思うんだぜ。
>>168 何十年前の状況で止まってるんだよw
170 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 22:26:29 ID:E4cswgce0
>>136 人のことを馬鹿にするなら少しはお前が利巧な事を示してみたら?
陸地が水没した場合、海の底にはまず砂が溜まり砂の層が出来る。
その場合に金印があるとしたらその砂の下の硬い地盤の上であり
その状態では通常まず発見される事はないし、流される事もない。
船の上から棄てたのであれば海の底の砂の層の上にあるから金印
が見つかる可能性もあるが水没した文明の痕跡だと見つけにくい。
水没した文明が見つけにくいのは海の底には砂が堆積して砂の層
ができるからであり、砂の層の下の硬い地盤の上に何かがあった
としても地殻変動でもないかぎりそれが現れる事はないからだ。
171 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 22:26:48 ID:RbGChp490
>>103 「卑弥呼」って当時の中国の音でも「ヒミコ」なの??
_,,,,、-‐‐-、- 、 ~"=―" だ ワ て
_ / ~ヽ ヽliiヽ_ _~< ! 幻 い
,‐-/ |_/'|/~"'ヽ、 ', '.!li ~lヽ'-、 人 ろ 今
l | | l l''┬-、 ヽ l l| iil/ii_,;lニ> 全 ハ に
' |/ l / |i l/~ヽ ヽ l il|ili/ iil/lli''). 滅 ニ 見
|/.,-l ',ll ', ilil/ill!i!i!!_,,=ニ-‐,
\ l ヽ',li ' ,lililllil!lll!!!iil!, ''ilil/!l|〃- 、,-、
:| l\ ヽ ヽヽ,, `i-!il!!ll,, -'" /ll/!l//!// / |,-、 ,-、 /
:| | |\ |\ \二//! !!|l|-‐''"〃lili/lili'ilil/ l /~i''ヽ / ll
:| l ', >', ヽ ` ‐‐-┴‐ニ'/!ii!!_,, --´'ヽ l V
:l l ヽ ' , ',/~"'''‐┐, ‐'/-‐''" |l!llll!li ',
l l ヽ └、__ "/〃ノノll!i/l!lllii!!i |
:l "'-_ "'' ‐´/!!//!l!!/l!liillii!!ii /
l l "''''''''i''""~!!!!//!!! /lll!!!!iii /
173 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 22:29:34 ID:7fGkWpay0
「卑弥呼」と書いてイヤヨと呼びます
174 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 22:31:34 ID:1nBQpy6vO
ここまでえびすさんが見てるは無しか
175 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 22:32:28 ID:guBulEjM0
博多駅
>>169 うんうん。
日本語ってなぜか「○○子」という表現が好きだよね。
甥っ子姪っ子みたいに元来の「子供」をあらわすものから、
黒子や勢子のような役割をあらわすものもある。オレオレ詐欺で出てきた
「出し子」もこれだよね。さらに、どじょっこ・ふなっこ・べこみたいな動物、
うんこ・しっこ・まんこのような身体に関する事柄まで「○○子」で
あふれているのだ。
177 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 22:35:53 ID:LVZpzG7D0
>>115 バカまるだしの原理主義者w
文献はあくまで参考でしかない
当時の文献が完全に正しいなどとはありえない
後発の日本書紀や古事記の記述は全て真実か?
旧約聖書の記述は真実か?
マルコポーロが日本を黄金の国と書いたのが真実か?
1192年の頃ですらコロンブスはアメリカ大陸をインドと勘違いしたんだぞ
史料をあたりつつも発掘調査によって決まるのが考古学
九州からはヒミコの年代にあう古墳はまったく出てきていない
178 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 22:36:06 ID:E4cswgce0
>>160 「みこ」という呼称は古いだろうな。
巫女という漢字は後から意味をあててつけられた当て字。
魏志倭人伝の話をする際に多くの日本人が勘違いしてる
のはすでにその頃に日本にシナの漢字や言葉がたくさん
入っていたと思っている事だが、漢字が日本で使われる
ようになるのは6世紀頃で300年のタイムラグがある。
シナの言葉や文化はその多くが漢字の伝来と共に日本へ
伝わってきたのであって、それ以前の日本にシナの影響
があったと考えるのは無理がありシナ人が日本の情報を
殆ど持っていなかったのと同様に日本人もシナの情報を
殆ど持っていなかったと考えるのが妥当。
179 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 22:37:06 ID:oELNyTmfO
>>158 暇なのでマジレスすると
(博多人形にしては)巨大
といふ意味です。
馭戎慨言 - 日本外交史 本居宣長(著), 山口志義夫 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/dp/4990361717 卑弥呼は神功皇后(じんぐうこうごう)の不正確な伝聞
『後漢書』にある「一女子がいた。名を卑弥呼と言った」とは、息長帯姫尊
(おきながたらしひめのみこと)=神功皇后の御事を、三韓などから誤り
混じりに伝え聞き申し上げて書いたものである。「卑弥呼」は姫児(ひめご)
と申すことで、神代の巻に「火之戸幡姫児千々姫命」(ひのとばたひめご
ちぢひめのみこと)、また「万幡姫児玉依姫命」(よろずはたひめごたまより
ひめのみこと)などと書かれている姫児と同じである。
姫を比弥(ひみ)と言っている用例も古い書物に見られる。だからこれは、
御国人(日本人)が常日頃尊んでこのように申し上げていたのを、韓人などが
聞いて伝えたものを御名と思い込んだのであろう。
「妖気で大勢の人を惑わすことが出来た」
などと言っているのは、戎人(からびと)が大御国の神の道を知らないために、
このような妄言を言うのである。
181 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 22:39:36 ID:ftfPCfSiO
日女子→姫子だろ
しかし中国人ってほんといちいちやることが下劣だよな
なんだよこのひどい当て字
邪馬台国
卑弥呼
邪とか卑とか今の日本じゃあまり良い漢字ではないが
当時ではどうだったんだろう
邪魔とか邪悪とか、卑怯とか卑屈とか・・・
日本は邪とか卑とか言われて嫌われてたのか?
でもちょっと前は金印とかいうわりと良いものもらってたんだよね
>>178 いや、「巫女」という漢字の話じゃなくて、そういう役割をする人の
呼称の話で、古代は(男女を問わず)「ふ」だったんじゃないかと。
「みこ」と呼ぶようになったのは奈良朝くらいじゃないのんか。
185 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 22:42:48 ID:E4cswgce0
>>171 漢字は音をあらわした文字ではない為に当時のシナの発音が
どうであったのかは正確にはわからないが、漢字の音読みが
6世紀頃の中国起源である事を考えるとその頃のシナ人らが
卑弥呼をヒミコに近い発音で読んでたと推測する事は出来る。
日本の漢字の音読みは6世紀頃のシナの発音が基になってる
ので300年前の発音もそこから大きくずれていないだろう
という前提での推測だが、言語の変化のスピードを考えても
卑弥呼がヒミコに近い発音だった事はほぼ間違いないだろう。
186 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 22:45:37 ID:6LKC13Jq0
そしてシナでまたパチモン(爆発有)が作られるのか。
187 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 22:45:41 ID:uB9zx/2+O
皆伝の壁だよな正に
低速で落ちてしまう
188 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 22:45:47 ID:E4cswgce0
>>184 そういう意味か・・・。
その説に関しては正しいとも間違ってるとも言えないな。
何故なら奈良朝以前の日本の歴史については魏志倭人伝
のようなシナの書物で推測しなければならないぐらいに
ほとんど記録といえる記録が残ってないからだ・・・。
馭戎慨言 - 日本外交史 本居宣長(著), 山口志義夫 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/dp/4990361717 卑弥呼は神功皇后(じんぐうこうごう)の不正確な伝聞
魏志倭人伝の里程日程記事を細かく検討し、新たな角度から九州説を主張した。
卑弥呼については
「かの国へ使をつかはしたるよししるせるは、皆まことの皇朝すめらみかどにはあらず。
筑紫の南のかたにていきほひある熊襲くまそなどのたぐひなりし」
と述べている。
この宣長の見解は“偽僭説”とよばれ、明治にはいってからも受け継がれていった。
190 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 22:54:58 ID:+1iuRqBY0
奈良説の最大の弱点は鉄製品がほとんど出てこないこと。
北九州は多数の鉄製品出土がある。
魏志倭人伝での博多までのルートは裏付けられているから
博多駅人形設置はさほどおかしくは無いのでは。
山鹿素行 『中朝事実』 (→吉田松陰、乃木希典に続く)
http://www.youtube.com/watch?v=t8zEJ6UnaiI http://www.nicovideo.jp/watch/sm6938281 皇統(上) 皇統章
故に皇統が一度(ひとたび)定まって億萬世之れに襲(よ)って変ぜず、天下皆正朔
を受けて其の時を二つにせず、萬國王命を稟(う)けて其の俗を異にせず、三綱終に沈
淪せず、徳化は塗炭に陥らず、外国の到底企て望み得ることではない。夫(そ)の支那
では天子姓を易ふることを殆ど三十で、戎狄が入って王となった者が数世ある。春秋の
二百四十余年に臣子が其の國君を弑した者二十又五もある。其の先後の乱臣賊子に至っ
ては枚挙することは出来ない。朝鮮では箕子(きし)が天命を受けて王となって以後、
姓を易ふること四氏、其の國を滅して或いは郡縣となり、或いは高氏は滅絶することが
凡そ二世、彼の李氏は二十八年の間に王を弑する者四度あった。況んや其の先後の乱逆
は禽獣の損ない合うと異ならない。唯我が中國(なかつくに)は開闢からこのかた人皇
に至るまで二百万歳にも近く、人皇から今日まで二千三百歳を過ぎてゐる。而も天神
(あまつかみ)の皇統は違(たが)ふことなく、其の間に弑逆の乱は指を屈して数ふる
程もない。其の上外国の賊は吾が辺藩をも窺ふことも出来なかった。後白河帝の後に武
家が権力を執って既に五百余年にもなる。其の間に利嘴長距が場を壇にしたり、冠猴封豕
が火を秋の蓬に縦つ類のないこともないが、それでも猶ほ王室を貴び君臣の儀を存してゐ
る。是れは 天神 人皇の知徳が顕象著名であって世を歿するまで忘れられないからであ
る。其の過化の功、綱紀の分がこの様に悠久で、このやうに無窮であるといふことは皆至
誠から流れ出たからである。三綱が既に立つときはその条目は治政の極致として著はれる。
凡そ八紘の大なるも、外国の汎きも中州に如くはない。皇綱の化文武の功、其の至徳、何
と大きいことではないか。
→中国や朝鮮では易姓革命が度々起こり、乱臣による弑逆も度々起こった。
一方、日本の皇統は神代以来一度も変わることなく萬世一系である、ということを示す。
萬世一系の皇統を以て日本が中朝である事実、即ち「中朝事実」を示している。
192 :
名無しさん@十一周年:2011/02/18(金) 22:57:51 ID:lR6LQ7il0
>>172 > _,,,,、-‐‐-、- 、 ~"=―" だ ワ て
> _ / ~ヽ ヽliiヽ_ _~< ! 幻 い
> ,‐-/ |_/'|/~"'ヽ、 ', '.!li ~lヽ'-、 人 ろ 今
> l | | l l''┬-、 ヽ l l| iil/ii_,;lニ> 全 ハ に
> ' |/ l / |i l/~ヽ ヽ l il|ili/ iil/lli''). 滅 ニ 見
> |/.,-l ',ll ', ilil/ill!i!i!!_,,=ニ-‐,
> \ l ヽ',li ' ,lililllil!lll!!!iil!, ''ilil/!l|〃- 、,-、
> :| l\ ヽ ヽヽ,, `i-!il!!ll,, -'" /ll/!l//!// / |,-、 ,-、 /
> :| | |\ |\ \二//! !!|l|-‐''"〃lili/lili'ilil/ l /~i''ヽ / ll
> :| l ', >', ヽ ` ‐‐-┴‐ニ'/!ii!!_,, --´'ヽ l V
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> l l ヽ └、__ "/〃ノノll!i/l!lllii!!i |
> :l "'-_ "'' ‐´/!!//!l!!/l!liillii!!ii /
> l l "''''''''i''""~!!!!//!!! /lll!!!!iii /
俺も鋼鉄ジーグのイベントか何かのニュースかと思ったわw
魏志倭人伝によると、邪馬台国では卜骨が盛んにおこなわれていたのだが、
そうすると大量の骨の廃棄物が出る。いい感じに香ばしく焼けている骨である。
人々はこう考えたにちがいない。「これは旨い出汁がとれる!」と。
博多名物、とんこつスープの発明であった。
民明書房刊 「博多ラーメンが語る卑弥呼替え玉説の謎」
本居宣長 玉くしげ
http://jp.youtube.com/watch?v=EEilEy-xeFw http://www.nicovideo.jp/watch/sm5058142 さてわが皇国に特別の事情があるといふのは、まづこの四海万国を照らしておいでにな
る、天照大御神が御出生あそばされた御本国であるから、万国の根元、大本である御国
であつて、万事が外国よりはすぐれて結構である。その個々の点を申すことは難かしいが、
その中まづ第一に、稲は、人の命を続かせ保たせて、この上もなく大切なものであるが、
その稲が万国にすぐれて比類のないことをもつて、その他のことはこれに準じて知るべき
である。ところが、この国に生れた人は、元来稲には馴れてゐて普通のこととなつてゐる
から、それに気がつかないのである。幸ひにこの御国の人間と生れたからには、これほど
すぐれて結構な稲を、朝夕一ぱいに食べるにつけても、まづ皇神たちの有難い御恩籟を
思ひ奉らなければならないことであるのに、さういふ考へさへなくて過すのは、実に畏多い
ことである。さてまたわが国の皇統は全く、この世をお照らしになる天照大御神の御子孫
にましまして、かの天壌無窮の神勅のやうに、万々歳の後までも、御動きになることはなく、
天地のある限りは御伝はりになる御事は、即ち道の大本である。
195 :
名無しさん@十一周年:2011/02/19(土) 00:15:24 ID:9kKRLbDo0
九州説だと太宰府か佐賀だっけ?
196 :
名無しさん@十一周年:2011/02/19(土) 00:17:20 ID:4WLoAfy30
なんで九州人は邪馬台国の件でこうも近畿に噛み付くのか
197 :
名無しさん@十一周年:2011/02/19(土) 00:20:30 ID:BXLwE2Q80
中国が九州っていってるんだから九州だろ。
胡散臭い日本人の学者よりも中国のも書物の方が信頼できる。
>>196 寧ろ九州人はどっちでもいい、事実を探求したいだけなのに、
関西人だけ必死に畿内説ゴリ押しで、戦時中の愛国教育の洗脳のようなものを彷彿とさせる
関東人がら見ても邪馬台国は九州で間違いないと思うんだが
>>198 その昔、学会では畿内説が圧倒的でした。とある権威が面白くないから
九州説でもぶちあげろと、部下の研究者に命令しました。
ごり押ししてるのは九州派ですよ。最近になってようやく元の様子に
戻りつつあるだけ。
九州説を支持してるのはネトウヨだけだろw
俺が中学生の頃は吉野ヶ里で決まりって言われてたなぁ・・・。
気が付いたら畿内説しかあり得ないという今の論調になってた。
204 :
名無しさん@十一周年:2011/02/19(土) 00:48:34 ID:SfzwcIxN0
こないだのNHKスペシャルでやってた纏向遺跡の発掘の番組を見て本当にビックリ仰天した。
信憑性に滅茶苦茶疑問がありそうな部分(魏志倭人伝の一説)を根拠に、そこから論理的関連性が薄そうな推論をしてるんだね。
言い方は悪いけど、正直、学問としての体をなしてないように思った。
自然科学や社会科学は大前提には動かしがたい原理原則を置くものだけど、確かに考古学だと、そんな原理原則すら存在しないよな。
人文科学系の研究ってどの分野もこんな感じなんだろうか?
>>205 NHKの番組が「そんな感じ」なだけ。つうかまだNHKを真に受けてるの?
207 :
名無しさん@十一周年:2011/02/19(土) 00:57:09 ID:BLCkbusv0
どう考えてもこれは畿内説の方が有力だろ?
俺の推測ではまず大陸から九州に文明が伝わったが
九州は風災害が多くてとても人が安心して住める状態ではなかったと思われ
その内、日本で最も自然災害が少なく温暖な地として畿内が
注目され以降日本の政治経済の中心地は江戸に行くまで畿内であったと推測している
九州は桜島、阿蘇、九重、雲仙等、活火山が多く、台風も毎年やってくる
比較的マシなのが今の福岡、佐賀あたりだったのではないか?
人間の本能としてはより災害の少ない地域に行く罠
208 :
名無しさん@十一周年:2011/02/19(土) 01:00:40 ID:UUVcf09F0
違法性風俗店、博多駅周辺に次々に現る
手遅れにならない内に早く取り締まって潰して
209 :
名無しさん@十一周年:2011/02/19(土) 01:01:41 ID:SkBhfxHc0
今に見ていろ、ハニワ幻人 全滅だ
>>206 だと良いんだけども、
俺の拙い頭で考える限りは考古学における大前提って思い浮かばないんだよなぁ。
邪馬台国の場所を推論する場合の大前提が信憑性の薄そうな魏志倭人伝の部分しかないのは事実ではないの?
魏志倭人伝は(伝え聞く限り)記述にあやまりが多く、倭人伝で邪馬台国の場所を語る場所なんて、数行。
これを大前提とするには他分野からすると、とても心許ないと思うんだけど。
>>69 冥中盤抜ければウィニングランじゃんw
今回私もウィニングラン出来たけど卑弥呼マジ鬼畜
>>210 >とても心許ないと思うんだけど。
だから即断せずに、考古学という手段をもって証拠を集めて一つずつ摺り合わせてるんじゃんか。
それ以外にどうすりゃ良いんだ? 科学者がタイムマシンを開発するのを待つのか?
213 :
名無しさん@十一周年:2011/02/19(土) 01:18:17 ID:rh7BdBul0
佐賀や大分を馬鹿にするくせに都合のいいものだけ博多にもってくるのな。
ま、邪馬台国は畿内だけど。
>>213 ねえねえ、何でそんなに必死なの??
何も確定してないんだけど
>>210 門外漢の俺なにり理解しているところでは、考古学のキモは編年だな。
ベーシックなところでは土の層位で、これは火山の噴火とかが多い日本では
有効な武器だが、いかんせん解像度が悪い。
土器の様式による編年もメジャーだが、これは相対的な新旧しかわからん。
そこで出てきたのがC14同位体の存在比だが、これまた解像度が悪い。
てなわけで切り札が年輪編年なのだ。これは年々の天候による年輪成長の幅を
もとに、その木が伐採された時代を推定する手法なのだが、これまた
そのままは信用できん部分もある。ある木と別の木との年輪を比較して、
「こっちのこの部分とそっちのその部分とは、同じ年だよね」と推定する部分の
客観的手法が確立していないのだ。
216 :
名無しさん@十一周年:2011/02/19(土) 01:31:36 ID:5E67Va22O
ヤマトトトソモモソヒメ
>>212 指摘している事はわかる。
けど、多くの学問分野では「すり合わせる」には大前提が強固であることが必要だと思うんだよなー。
んー、でも、強固な大前提うんぬん言ってたら、文字で記録されてない時代だと、おっしゃる通り「タイムマシンで行って来い」って根も葉もない話になってしまうね。
肌感覚として凄く違和感があるし、こんな研究に予算を割く意味あるのかなぁと思わないでもないけど、門外漢の戯言だし、考古学の特質なんだろうね。
遅い時間にレスありがとう。
218 :
名無しさん@十一周年:2011/02/19(土) 08:54:39 ID:+P6uZ+drO
普通に考えたら九州しかあり得ないよな
219 :
名無しさん@十一周年:2011/02/19(土) 09:03:26 ID:fm9s8eIO0
>>178 孔子が弟子に自分の説く道があまりにも各国の諸侯に聞き入れられず嘆くくだりに
「私はもう中国を出て東の海の向うの、貧しいが正直で誠実な人々が数多く暮らす
という島にでもいって説教したい」といものがある
孔子の時代にすでに中国の東海の向うに大きな島があり
そこに(あまり文化の発達してない)人々が暮らしている、という
伝説とも見聞ともしれないものがあった
実際もっと海ベリの地方では日本と交易していて日本の状況もある程度伝わっていた
徐福の東渡も東に進むと大きな島がある、という確信があっての
出航だという説も有力
>>211 その中盤で死ぬんだよwww
9割方卑弥呼落ち、抜けても冥でガシャーン
万年10段でごめんなさい
>>1 黒田武士とか博多人形とか鈴はいつ戻ってくるんだ?
>>207 福岡、佐賀って発展したのは明治以降だぞ
熊本や鹿児島のほうが発展していた
卑弥呼とか邪馬台国の漢字って本当に酷いな
当時にも2ちゃんねるがあって当て字が使われてたみたいだ
224 :
名無しさん@十一周年:2011/02/19(土) 20:48:30.00 ID:1GEaGTb80
俺の実体験。噂通り、福岡は日本で唯一人種が違うと実感した瞬間。
福岡人って何でも起源を主張するし、福岡を批判する事は絶対に許さない。
なぜか「福岡の料理って美味しいよね!」「福岡は美人が多いね!」と言われたいらしく、
リップサービスで言ってあげると、得意顔でニンマリ。福岡人キモすぎ。
福岡(支店都市)の親である東京を褒めようもんなら「東京は人が住む所じゃない!」と意味不明に噛みついてくる。
別に福岡の話題なんて全く出てないのに、
特に名古屋、札幌、仙台、広島、熊本、鹿児島、神戸、横浜あたりを誉めると、キチガイみたいにこれらの都市を貶してくる。
最後は福岡人みんなで「やっぱり福岡が一番だね!」ってホルホルしてる。
もうメンタルが完全に朝鮮。だからと言うか、福岡はレイプ発生率で4連覇中。
俺 「下関にフグ食べに行きたいよなー。」
福岡人「山口県(笑)みたいな田舎に何の用がある!福岡のフグの方が美味しい!」
俺 「そうだね…。まぁ、福岡の料理は美味しいよね(リップサービス)…」
福岡人「そうだろもん?(ホルホル) 福岡は日本一と言われとる!」
福岡の朝鮮ぶりを見ると、大阪が日本だと実感する。まぁ「大阪民国」は半分ネタだけど、福岡=朝鮮気質はガチだからね。
福岡が、九州や西日本で一番嫌われている意味がすぐに分かったよ。東日本にも福岡県以上の嫌われ県はないし、日本一嫌われているだろうな。
俺の会社にも福岡人いるが、やっぱり嫌われているw
レイプ発生率は東京だろ
それに邪馬台国の場所は機内有利なだけであって確定ではない
だから
>>1の行為について叩くのは馬鹿のやる事
理性の有る人間の対応ではないな
226 :
名無しさん@十一周年:2011/02/19(土) 21:02:36.75 ID:1GEaGTb80
2009年ってw
そこまで隠蔽したいのか東京の汚点(だらけだけど)を
228 :
婆 ◆HKZsYRUkck :2011/02/19(土) 21:54:14.14 ID:CP/osupl0
>>222 江戸末期は佐賀も鹿児島と並んで先進地だったよね。
反射炉でアームストロング砲を自作してたわけだし。
その前は那の津の博多。こっちは秀吉が整備してから栄えた。
てなわけで、栄える土地ってのは時代時代によって変わるんだから、
近代以降で判断しちゃいかんのだ。
そこで上古は宮崎ですよ。西都原。
というと「時代があわねーよ」と言う人がいるが、これまで調査されたのは
1〜2割しかないんだっつの。だいたい、記紀に天孫降臨と日向三代という
関係ない話で二回登場してんだぞ。なんかあるだろ、なんか。
どっかのキー局のトンデモ歴史番組で邪馬台国は実は関東にあった!とかやってなかった?
230 :
名無しさん@十一周年:2011/02/19(土) 22:33:50.99 ID:9qIVFx4Z0
卑しい女のことなど
231 :
名無しさん@十一周年:2011/02/19(土) 22:36:55.26 ID:EqrH0SXS0
魏志倭人伝も随書も中国の史書
さんざん既出だが、随書に邪馬台国は大和であるという記述があること
これで完全に九州説は〆られたはずなんだけど
まだ生きているらしい
♪いまにみていろ ヒミカの一族 全滅だ!
233 :
名無しさん@十一周年:2011/02/19(土) 22:46:09.19 ID:3DPi/NHu0
松本清張ならなんというだろう。
>>231 やまとって日本全体を指す場合もあるから・・・ってこと?
で、基本的な質問なんだけが、隋書では、日本と倭、どちらが使われているの?
>>231 江戸時代に本居宣長が邪馬台国とは九州の土豪だったろうと推測。
記述どおりに場所を推定すると九州になるらしい。
本居宣長先生の論を超える論は、結局現れなかった。
236 :
婆 ◆HKZsYRUkck :2011/02/19(土) 23:01:51.98 ID:CP/osupl0
>>231 ねーよ。
随書を書いた人は倭からの使者の話をまとめただけで、
実際には行ってないっつの。
隋の人 「ねーねー、あんたらって、昔の邪馬台国の人?」
倭の使者「(え、なんだそれ?まあ、適当に話を合わせせとくか)はい、そうです」
237 :
名無しさん@十一周年:2011/02/19(土) 23:08:25.08 ID:fLl7ddttO
なんだ、例のガンダムみたいにでかいのかと思って期待したわ
238 :
名無しさん@十一周年:2011/02/19(土) 23:21:54.96 ID:EqrH0SXS0
何か必死
九州王朝説キモッ、妄想をコリエイトする人たち
飯の種を奪うつもりは無いよ、ごめんな
「倭国は、邪靡推に都す。即ち魏志の所謂邪馬台なる者なり」
239 :
名無しさん@十一周年:2011/02/19(土) 23:41:41.81 ID:S8/X2PfX0
なんか朝鮮半島から九州にかけて時々出てくる古代人の遺骨で
そこそこ身分のある女子で顔が不自然に大きく歪んでいるのがあって
どうやら幼女の頃からエリート巫女として顔に板を押し付けて育て
この世のものとも思えない顔の力で魔力を行使する意図だったらしい
何が言いたいのかというと・・・
畿内説が正しいとすると卑弥呼はもしかしたら美人だったかも知れないが
九州説が正しいとすると卑弥呼は間違いなくバケモノ顔 orz
240 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 00:11:19.47 ID:yPu+ONSB0
桃の種でも飾ったほうがまだましなレベル
241 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 04:07:38.09 ID:HDAADvWl0
今に見ていろ邪馬台王国全滅だ!
うじゃんしか!
卑弥呼はもう明らかに九州じゃなかろーもん!!
金印マンくらいにしとけば
恥もかかずにすむとに
何ばしよっとですか、ほんなこつ。
244 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 04:56:22.84 ID:Afa+uxd30
百余国から始まって30ヶ国程度にまとまる。
その30ヶ国を宗教的カリスマでつなげたのが卑弥呼
だが、死後すぐにばらばらになってしまう程度の軽い繋がりでしか無い。
だから卑弥呼は30ヶ国共立という不思議な表現で表されている。
大型古墳など作る国力があるなら、共立なんて曖昧な
擁立などせず、支配できるはずである。
大型古墳が存在するところは、邪馬台国ではない。
遠く離れた関係ない別の国である
【レス抽出】
対象スレ:【福岡】巨大「卑弥呼」博多駅に現る
キーワード:豊丸
63 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2011/02/18(金) 16:10:36 ID:ntSIMPD80
豊丸と並んでいい女優だった。
抽出レス数:1
246 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 05:16:37.29 ID:p6NEOF5+O
よし!
次はビームライフルを持たせようぜ!
邪馬台国が九州ならいつから畿内の天皇に権力が写ったのか、
西日本全部を巻き込むくらいの壮大な戦いとかあったはずだが、
九州説論者はそこをぜんぜん説明しないのな。
248 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 05:37:12.26 ID:Afa+uxd30
九州畿内間の大戦争の痕跡などはない。
小競り合いは無数にあるがね。
九州畿内は関係ない別の国。
白村江で九州の主力が壊滅的な打撃を受け、
残った周辺国家を畿内が取り込んだ。
249 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 05:42:13.43 ID:Ze018RL00
中国の文献で見たら方角が
沖縄の海の方とか有るよな
説が多すぎてロマンがあるな思う
どうせ見つからないだろうし、尖閣諸島が邪馬台国でいいや
これで日本の物だ。
250 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 05:45:41.40 ID:/h2lHDys0
邪馬台国は実は九州から沖縄までの間の海の底に沈んでいるんじゃないだろうか?
アレキサンドリア沖に都市が沈んでいるのと同様に。
251 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 05:51:53.84 ID:Ze018RL00
本物の三角縁神獣鏡がまったく出土していなのが九州だっけ?
もう諦めればいいのにね。
253 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 05:55:31.35 ID:xQ7exmD+0
卑弥呼なんて、どんな姿だったのか絵さえ残ってないし
そもそも邪馬台国が実在した証明さえできてないのに。
福岡は邪馬台は無くてもマルタイがあるから、それでガマンすると良い。
マルタイのインスタントラーメンはどれも美味しいしね。
255 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 06:01:43.83 ID:xQ7exmD+0
>>247 別に九州説を唱えるわけじゃないが
神話によると、神武天皇は元々九州の日向のあたりを治めていたが
天啓を受けて、大和の地に政治の場を移すことにして
はるばる旅をして大和に移動し、そこに新しい国を築いたことになっている。
それで、年代について一説では実際の日本建国はBC180年頃となっているので
卑弥呼の時代とだいたい一致する。
あくまで一説で、これが正しいと主張するわけではないが。
256 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 06:06:45.64 ID:xbRSLmTq0
飾るなら、金印くわえた大宰府のウソ替えっしょw。
また物議あるものを。
先が思いやられわ。64の頭ん中はこんなもんかいな。
257 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 06:07:13.12 ID:xiueU73f0
邪馬壹国 臺與(とよ)
258 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 06:07:24.59 ID:/h2lHDys0
>>251 ありがとうおしえてくれて。
中国の史実についての記録は正確だとおもうんだけどな。
ただ、見つかっていない邪馬台国。
259 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 06:11:01.89 ID:xiueU73f0
中国の帯方郡という所から、12000余里離れた所に、卑弥 呼という女王が治めている邪馬壹国があることを記しています。
西暦で言いますと、238年頃のことで す。当時の中国では、この「邪馬壹国」をどのように読んでいたか判りませんが、現在の日本人は、 「ヤマタイコク」と読みたい方が多いようです。
巨大と言うなら、せめて18mは欲しい所だ。
261 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 06:12:16.85 ID:NSRrtVJpO
巨大小林幸子でいいやん
262 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 06:13:39.59 ID:0VDEpcDHO
ちょっと待ってください 僕今年で37ですよ
>>259 同じ文献なのに
壹与はトヨと呼ばれている
264 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 06:16:29.94 ID:jjSwdtquO
実は阿久根長島にも山門ってあるんだよ。
岩船伝説もあるし。
265 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 06:19:24.70 ID:Ze018RL00
たまに見つからない方がいいと思う
毎回ドラマとかこんな企画にして観光地にしたら
釣られて自治体潤うし
場所が判らないだけで経済効果分散とかいい事だと思うの
歴史上じゃ辛い事なんだろうけど。
266 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 06:21:50.15 ID:xiueU73f0
壹与や邪馬壹国と原文に書かれているのに
どうして台という文字に変換されたままなのか
→九州に強力な長老学者が居るからだろう。
>>259 >当時の中国では、この「邪馬壹国」をどのように読んでいたか判りませんが
ヤマト国と読んでいたことはわかってる。
ヤマタイコクと読んだのは国学者の本居宣長。
邪馬台国が大和朝廷の前身と認めると
日本が中国に朝貢していたことになってしまうから
本居宣長は邪馬台国と大和朝廷は別だとした。
268 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 06:26:07.99 ID:jjSwdtquO
源平鎌倉時代に田上隠岐守が丹後の国から薩摩に入国したとなっていて、
その子孫を称する人々もいるのであまりおおっぴらに言えないが、
田上隠岐守とは実は田上王のことで、白村江敗戦後に筑後から下ってきた九州王朝の皇族なんではないかと、
密かに思っている。
269 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 06:27:38.73 ID:xiueU73f0
現在、箸墓古墳は倭迹迹日百襲姫命墓(やまとととひももそひめ)の墓とされ
宮内庁の管理になっています。
当時一番重要だったのはやっぱり鉄じゃないか?
その交易を支配してた連中が一番力を持ってたんじゃないかと考えると
北九州あたりが中心だったってのはありそう。
半島との関係が悪化して交易ができなくなるか
国内で製鉄が可能になるかしないと
中心地は畿内へ移らん気がするなあ。
ド素人の考えだけどさ。
>>259 普通に考えたらヤマトと読むんだろうけど
後のヤマト朝廷とイコールかどうかわからないし混同するとややこしいから
区別するためにヤマタイと読んだんだとか。
271 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 06:43:16.74 ID:jjSwdtquO
なにか怖いくらい、歴史的状況証拠はあるんだよ…
薩夜麻を祀ると云われる開聞枚聞神社(Googleの地図はなんでか知らんが枚開神社と表記しとる)と同名の枚聞神社はあるし、
薩州島津家は朝鮮で滅亡したし、
田上隠岐守伝説の岩船神社は折口三文字にあるし、不気味。
南国薩摩は古来天然災害の国だから、なんと言うか、文字や建物を残したとしても失われる可能性が非常に高く、
それらによらない縄文以来の伝承形態があるように思う。学問的様態で示すことが非常に難しいのだが。
自分自身が薩摩隼人の血をひくだけに、日本人離れした伝承形態を日々ひしひしと感じるよ。
>>271 青森の三厩まで続く、義経伝説と
似たようなものではないか?
■倭国、卑弥呼と呼ばれて中国大好き&好印象のおバカな日本人(教科書でも教えてます)
中国は中華思想と言う考えをもっている
すなわち中国人=漢民族は世界で最も高度な文明を持つ民族で、世界の中心、漢民族以外は野蛮人であるという発想である
その思想より、周囲の異民族(日本を含めて)は中国から見ると全て未開の蛮族とみなされ
異民族の呼び名には”野蛮””人ではない”という意味をこめた字など、差別となる酷な蔑称で呼んだ
「夷、狄、蛮、奴」等の蔑みのこもった名称で呼ばれていた
蒙古、匈奴、鮮卑、烏桓、東胡、女真、南蛮、北狄、西戎
蒙古…おろかで古い、暗くて古い、道理が分からない、中国で蒙は差別用語
匈奴…凶暴・凶悪な野蛮人
烏桓…鳥獣扱い、(匈奴への)服属者
鮮卑…鮮やかなまでに卑しい
女真…この国には男はおらず女しかいない(当時は男尊女卑で”女”は差別用語)
南蛮…蛮族は日本でも「野蛮」などで使われる差別用語、南の蛮族
「蛮」という漢字は、「亦」は、「らん」と読み、がやがやとうるさい様を表し、
部首に「虫」を用いて、昆虫であり人ではないことを示した
北狄…食料を掠め取るイヌ
■倭奴国(=倭国)
范曄の後漢書倭伝に「建武中元2年(西暦57年)倭奴国が朝貢してきた」とある
魏志倭人伝での東夷伝(東のカニ、エビ扱い)も有名だ
倭…人偏があるからマシな方だが、従順な(下の人間)小人(チビ)という意味
卑弥呼…卑しい巫女の当て字、中国では男尊女卑で女は卑しいという扱いだった
邪馬台国…邪などという文字を当てている、本来は「ヤマト大国?、大和大国?」
狗奴国、倭奴国…奴隷の奴を意図的に組み込む
「卑」「邪」「奴」は民族や国を表す文字ではなく差別文字に過ぎない
275 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 07:31:44.49 ID:ubF20FIo0
箸墓は3世紀後半築造でFAでしょう。
理由は箸墓と半分のサイズで造られた古墳が
吉備にある。浦間茶臼山古墳。
こうした「設計が同じ古墳」はほぼ同じ時代に作られた
可能性が高い。
しかもこの古墳からは三角縁神獣鏡が多数出土している。
三角縁はご存知のように巨大な黄銅鏡で国産の可能性が高い。
学会も国産説が多数。また
ほとんどの三角縁は新品同様で副葬されている。
特記すべきは発生期の古墳から出土する三角縁は
3世紀後半、北九州沿岸-吉備-河内大阪に集中。
4世紀初頭になって初めて大和に現れる。
耶麻台国のあとに製造されたと見るべき。
浦間茶臼山古墳は土器からも3世紀後半が妥当なので箸墓も。
276 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 08:59:59.14 ID:E1RRW2QeO
九州と乗り入れする西日本の巻向駅の下には
巻向遺跡、しかも宮殿候補地があるのになw
277 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 09:02:05.54 ID:jjSwdtquO
当時は中国の属国だったんじゃね?
あの頃は文化から何から日本は遅れてた。
最初の革新は聖徳太子の「日出処〜」じゃね?
今の中国は自ら過去をぶっ壊したから、当時の中国とは別物ねw
邪馬台国が、一ヶ所にずっと留まってるって考えるから
色々な説が出てくるが、本当は、ちょくちょく遷都したんだよ。
>>267 釣りなのかマジ吉なのか知らんが本居宣長は後漢書の邪馬臺国を「ヤマト」と読んで筑後山門に比定した
三国志は邪馬壹国
「臺」を「ト」と読む証拠は今のところない
281 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 11:56:07.29 ID:/1EqAkzmO
卑弥呼は奈良じゃね?
282 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 11:57:34.59 ID:7pKWHESO0
何やってんの
邪馬台国は畿内にあったんだよ
>>278 朝貢はしていたけど完全な属国にはなっていなかったようだけどな。
中国側も日本は辺鄙すぎて真面目に考えていなかった節が多分にあるし。
柵封に入るってことは公用語は中国語。暦も中国歴を公的に使用することになるけど、
日本はそれを正式導入した記録は無いだろ。倭の五王の頃に試行錯誤して
漢語を使ってみたりしてるけど、使えねぇってすぐに止めてしまっている。
もし日本が中国の属国であれば、そんな我が儘は許されない。
284 :
せんとくん:2011/02/20(日) 13:07:37.39 ID:5YPF6fWTO
卑弥呼にはお世話になった
巨大っていうから奈良の大仏を想像したけどどってことないじゃん
こーゆー事やっちゃうと陳腐化された気分になるよね。
邪馬台国は九州には無いはずだけどw
>>280 そんなレベルで書かれてもなあw
三国志倭人の章で現存している最古の写本は12世紀の2冊
たしかにそのうちの一冊には「壹」と書かれているが
後世の写本や他の史書はすべて「臺」「堆」などタ行発音のものしか無い
もう30年以上も前に終わった議論だぞ、古田くんw
スレタイ詐欺かよ
>>286と同じで牛久大仏みたいなの想像しただろうが
291 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 14:31:03.53 ID:5u8djI4L0
纒向はニギハヤヒの都。
邪馬台国は九州。卑弥呼+トヨがアマテラスオオミカミ。
神武東遷はあった。
これでFA。
292 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 14:39:05.18 ID:Afa+uxd30
中国の朝貢は辺境国への懐柔の意味もある。
贈られるものよりお返しが多いのだから、
紳士的に朝貢外交を行ったほうが
辺境国に利があるし、中国も国境の軍備コストが下がる。
運がよければ援軍も頼めるかもしれないが、これはちょっと敷居が高いだろうな。
293 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 14:44:55.75 ID:mm6AnGwT0
>>291 纒向は出雲から栄えし国で
ニギハヤヒの国であり卑弥呼が祭祀をやる国
アマテラスは単なる太陽神を人格化しただけ、蛇とイチャイチャしていた
国津神の嫁とは関係ない
神武東遷はあった、コレ正解
>>255 それだと、卑弥呼の時代(AD250)はとっくに畿内にいたことになるよ。
何で博多人形が卑弥呼なのよ?
靴のブランドかと思ったわ
296 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 15:01:48.98 ID:UfYg2b+aO
ガタガタ言うと、一年かけて作った川崎幸子さんに失礼だぞ
297 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 15:04:27.29 ID:uPuTRmnn0
巨乳「卑弥呼」
昔はお世話になったもんです
298 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 15:08:50.56 ID:Cr+rxGU40
どうせなら、萌系にすれば良かったのに。
叩かれもするだろうが、話題性はこれより高いだろ。
博多人形で萌キャラが出来ないわけじゃないだろ?技術的に。
299 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 15:13:31.58 ID:1gE54SDR0
なんで卑弥呼が九州にいたことになっているんだよ
300 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 15:14:39.56 ID:weR4h2dvO
現在の文献上で日本で初めてアナルセックスしたのは邪馬台国の卑弥呼
これ、豆な
>>300 お前の変態生活日記を豆知識として捏造披露すんなよ、尻穴ホモ
302 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 15:21:36.69 ID:+CfiYkSm0
関係ない横浜人だけど、邪馬台国は普通に畿内じゃない?
日本の始まりは高千穂・阿蘇の辺りだと思うけど。天岩戸や幣立神宮は日本人なら一度は行くべき。
ちなみに畿内説・九州説のどちらが正しいか置いといて、スレを見た感想
関西人「邪馬台国は畿内、邪馬台国は畿内…」(人の多さで歴史も決める。数は正義なり)
福岡人「関西汚いニダ! 関西の人の多さを利用して福岡を攻めるのを止めるニダ!!」
〜しかし普段は〜
福岡人「福岡が正義!福岡が正義!福岡は日本最高!福岡は人柄が良い!」(数の多さで福岡マンセー)
九州人「…^^;」
そりゃ福岡嫌われるはずだよ。韓国人みたい。
303 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 15:28:27.16 ID:+CfiYkSm0
ていうかフクオカッペは半島に帰れ
そういえば、あったあった。
みんな素通りしてたけど
305 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 15:36:19.45 ID:mm6AnGwT0
俺は福岡隣県人だが
初めは九州説の本を読んで「なるほど」と思ったモンだよ
でも今思えばバカ過ぎてあの頃の自分を叱ってやりたいよw
両方の説を贔屓目無しで文献や考古学とも照らし合わせて読んでいくと
畿内説の説得力の方が九州説を凌駕してしまうんだよなあ
中国の文献や記紀、遺跡、どれをとっても畿内>九州、
まあニワカ引き入れる余力があることは認めるよ、コレなんか典型だろ
ニワカバカなら卑弥呼は博多いたんだ!思うだろうよw
ヒミココはまだですか??
畿内説はただの予算狙いだって誰でも知っているからね。やっぱり九州だね。
308 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 15:42:12.43 ID:3JSKH1h5O
小林幸子フィギュアktkr
309 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 15:44:44.58 ID:zXBfKkT/0
大和政権は畿内にあってこそ価値が出るものだろ?
日本政府の発祥ってことで
九州じゃただの地方豪族止まりになっちゃうじゃん
310 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 15:45:30.84 ID:eVT1eu6kO
小さッwwwwwwwwww
311 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 15:46:37.36 ID:xbRSLmTq0
312 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 15:47:23.25 ID:dhOHZTiW0
>>306 ,, ---、
,i ,,、 厂 ̄ヘ、, / l
│ . ! .'"'√゙;;i__ヽ ./
,r'"'l .ヽ_..-‐'"⌒'、'L:::..,゙゙ミヽ、
,/゛.,-::゙'''/゙ ゙̄./ ./ :::::::::::.l:: l::::::\ヽ \
/::::./::::,,i'゙,ノ'/:,i"::/:::::::::::::::::.!:::l:::::::::::゙l,:ヽ:::ヽ
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./ :::::./::::::/::.r::i′:!:::′::,:::::、:/゛!:::L,!:| \'く、::::.l::.::ヽ::::ヽ
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`' / ::::./ :,l′:l゙:::|:::y:!::.!::::| | |:::/::|: l │:.!:|:::::|:::|::::.!::::,!
ヽ::./ :: !:::/::!:::|::.!.l:.l.: l,:,コi|i ...l:::バ:.! ,,,,,|i..,゙;".ノ.:::/:::,!:: !
\__"::/::.:ゝ:|,:.l ヽ.,i彡 -'′ "^゙゙゙゙´ ゙'ぐ、:,i彡 /
`'ミ:/:,i'゙゙゙'l、.l .! ,-'''''ー 、 ,/゙゙゙゙''-,,、,iリ"'、
`″ ! .゙マ...'〃 .″.,′ .、、.゙l/゙ ./
ヽ .,-'! 丶.゛ ,i-、 .゛ .!i_゙l./
,,,,,、 ./`入 !, .! ./ !
/ ,./ . t―-- !'、,`'''〜--- ..二....-''" .l
l `; .\,::::.l. 、 ! . 、, .,,../ `'2― 、
|. 丿._⊥ .゙ゝ l)-i、、 `'ー--'" ."',∠,,,,,,,,,,,ゝ
i,゙` .',゙八 .|. .r'",/ l `'-、 / , .,/
l:::`゙゙´:_/ゝ `'./ │ l゙ .`'ー....,,,,,,, '" ゙イ / ヽ
今時かっぺとか言う古色蒼然たる死語を使うのは団塊以上の世代か、その子供の障害者
福岡県出身ですが、邪馬台国九州説はさすがに無理があると思っています。
自称九州や結論言い切り厨が増えた。このスレのレベルが物凄く落ちたな
>>315 いや、今時九州説とか東遷説なんて言ってる時点で
もの凄く低レベルだから
違うというのなら、アマチュア以外で本気でそれらの説を主張している学者の名をひとりでいいから挙げてくれ
もちろん存命中の現役の学者な
文献学でも考古学でもいいから
317 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 17:09:38.17 ID:mm6AnGwT0
>>315 ちょっと知ってれば、九州人だからって無闇やたら
邪馬台国は九州ニダ!卑弥呼は九州におったぞニダ!とか言えんぜ
チョンなら嘘でも何でもチョーセンニダニダ!言うんだろけどよ
そういった意味で九州説信望者の脳内ってチョンにそっくりなんだよ
卑弥呼が出雲系で天皇家の女系祖先で、それと対立してた熊野の王が天皇の男系祖先。
女系祖先は魏と友好関係にあったが、男系祖先は反魏勢力。
その二つの勢力が大乱の末連合したのが、大きな和の国。ヤマト。
卑弥呼は大和の女王ではなく、魏の窓口だっただけ。
ただ、魏としては朝貢しない国というのは面子にかかわるので攻め滅ぼさなければならないが、
大和に軍団を送ることは無理なので、魏志倭人伝では卑弥呼を女王として本国に報告することでお茶を濁した。
ゆえに方角も距離もいいかげん。
こう考えると、新井白石や本居宣長も納得できるはず。
神武東征は、卑弥呼の時代より前の時代で、熊野国と高千穂の古い関係を示す内容でもあり。
熊野国が、日本海文化圏ではなく黒潮文化圏に属していたことを示す。
天照は南の神であり、伊勢神宮を紀伊半島の東に、日前・国縣神社を西に配置していることから、
大和を照らす南の神の意味あり。
ちなみに、最初にできた淡路島は弥生時代後期の最大級の鉄器製造跡が見つかっている。
>>318 神武軍は、どうやって大軍を移動させ、どんな武器で戦い
どこを支配してどのような痕跡を残したか
またそれらがどの遺跡のどの出土物から推測されるかを、具体的かつ現実的に説明してくれないかね
中国人が日本に来て、「大きな町があった」
と書いた
それを後世の日本人が読んで
「だったら、東京だ」
と言ってるのが今の状況
大阪かも、広島かも、福岡かも
といった可能性は無視。
なんの証拠もないのに
「だって、東京はこんなにでかい。こんなにすごい建物がある」
とだけ言ってるのが畿内説
321 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 17:57:01.19 ID:mm6AnGwT0
>>319 紀元前1世紀ごろの倭の100余国から
2世紀頃には30ヶ国+狗奴国
年月とともに戦乱などで国々は纏まっていっている
倭国大乱や卑弥呼の死後国乱れる⇒その過程がひょっとすると東征なのかも
日向の祟神の痕跡は宮崎には腐るほどある
美々津なんかは神武軍が出航したということで日本海軍発祥の碑まである
まあ信じるか信じないかの、あなたしだいです、の世界ですよw
までも九州に卑弥呼はいないわ
322 :
婆 ◆HKZsYRUkck :2011/02/20(日) 18:57:56.39 ID:2h3WoG3c0
>>318 >熊野国が、日本海文化圏ではなく黒潮文化圏に属していたことを示す。
けっこう同意。記紀に出てくる「鳥之磐楠船」ってのは、クスの木の船だもんな。
クスの木は樟脳の原料で腐りにくく、高知県が産地として有名なように、黒潮文化圏の
木なのだ。そして、クスの木(とくにその一種のタブの木)で船を作る文化は
奄美大島では戦後まで残っていたし、その痕跡となる地名は紀伊半島から伊豆まで
分布してたりする。
一方で熊野は出雲国の熊野神社と関係付けられているが、こっちについては
ぶちゃけ時代が下る気がする。
淡路については、たしかに古くから栄えてたんだろうね。
だから淡路ローカルの神だったイザナギに、国産みの大役がまわってきたとw
邪馬台国は名古屋にあったって、清水義範の本に書いてあったけど
>>321 いや当方が言ってるのは、その時代にそんな征服や遠征といった戦争が不可能だってことだよ
そして畿内からの出土品というのは、形式的にもほとんど九州の影響を受けたものはないし
(その途中の吉備や出雲でも見当たらない)
ましてや実効支配したというのなら、どこかに直接的な日向特有の痕跡を持つ遺跡のひとつやふたつは無いとおかしいだろ
また北部九州にすら中南部九州に影響を受けたと思われる出土物や遺跡はほとんど無い
つまり東征や東遷どころか九州や畿内それぞれの地域内でも、倭国乱を示唆するような痕跡はないのよ
吉野ケ里の首無し遺骨にしても、近隣地域内での小競り合いの結果かもしれないだろ
まあ九州に卑弥呼はいないというのは同意で
畿内纏向にしても倭人伝に残された記述からは、いろんな意味でかけ離れているとは思うけどね
つまり倭人伝記述ってのは、あまり当時の倭国の姿を正確には捉えていないんだ
補足しておくと、瀬戸内を中心に冷戦的な対立があったかもしれないと推測されるものとして
高地性集落の分布というものがある
但しこれはあくまでも傍証で、実際の戦闘の痕跡と思われるものは出土していない
それと倭人伝が不正確なのと同時に、やはり記紀も事実だとは考えられないし
何らかの事実の反映だとするには、神武譚などはあまりにステレオタイプの伝承パターンすぎる
今の時代は古代史関連は日進月歩だから、ここ十年ほどの本を順序立てて読んでいくといいと思う
きっと貴方にとって興味深い話が多くあるだろう
>>324,
>>325 まあ、ジンギスカンの遠征みたいな「東征」はなかっただろうなw
宮崎から奈良に引っ越してきた一族がけっこう成功して、奈良の
豪族の中でそれなりの地位になったころ、「うちの先祖は威風堂々と
東征してきて、並み居る敵をバッタバッタ…」みたいな話になっちゃた感じ?
>>326 まあ実情はそんな感じかもしれないけど
むしろ有力豪族間における婚姻や養子縁組などで、大きな母集団になっていったというのが一番しっくり来る
その中に九州に祖を持つ豪族が居たとして、彼らの伝承を受け継いだというか貰ったりしてね
弥生後期の北部九州というのは、当時かなりの最先端地であり都会だったから
自分たちの集団の出自をより古く見せ、さも由緒あるようにするには九州ブランドというのはかなり有効だったと考えられる
今で言うなら戦後の成金が京都の公家さんの筋の娘さんを貰って
「うちの家系は公家の血を引いているんですよ」とか3代目くらいから自慢するようなもの
念の為に言っておくけど、これは皇室軽視や卑俗とかではなく
純粋に学問的な見解だから、無用な噛み付きはどなたもお控えあれ
329 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 20:05:26.81 ID:5u8djI4L0
330 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 20:07:08.97 ID:kWDxdAjC0
どうやって抜けってんだよ
331 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 20:07:58.55 ID:5u8djI4L0
倭人条にも東に国が沢山あって全部倭種だとわざわざ言っている。
それらの一つが纒向であったとしても、全然全く何の矛盾もない。
332 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 20:08:39.65 ID:ySTH10jx0
>>320 50年も経ってないのに、クリスタルキングの大都会のことを
東京が歌われた曲だと思ってるしな。充分ありうる。
333 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 20:10:47.37 ID:6ctiq4kXQ
卑弥呼懐かしいわあ!
334 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 20:12:30.44 ID:2YZAd87U0
実在した卑弥呼の身長は50cmだから1.8mでも巨大だよ
>>329>>331 倭人伝だけを読んだら、どんな解釈だって可能だよ
そこに記紀を加えたら、更に妄想が可能という便利アイテム
ところが今では数々の考古事実によって、その解釈や妄想の入る余地がほぼなくなったんだよ
ちなみに纏向が最有力だと考えられてはいるが、これは従来の畿内説が正しかったわけではない
昔の畿内説ってのは、答えだけが偶然合ってて途中の式がまるで間違っているといったものだから
今では九州説とか畿内説とか東遷説とか、そんな古い考え方は全て実質消えたんだよ
336 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 20:14:02.41 ID:YQFokTFR0
今日博多駅行ったけどこんなの見なかったぞ
あったけど気がつかなかったのかな
337 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 20:18:14.64 ID:2UuDP+dz0
名古屋駅のナナちゃんみたいなのかと思ったら
338 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 20:36:49.80 ID:5u8djI4L0
>>335 神武東征が大軍による日本征服である必要はありません。
だいたい記紀にも神武が大軍を率いたなんて記述は無いんだし。
それより、その纒向が邪馬台国であることが明らかになったという考古学的根拠を
教えてちょーだい。
博多駅か
筑紫口でタバコ一服するのがいつもの癖なんだが
筑紫口ほどつまらん駅前もあんましないな
邪馬台国=倭なんじゃないの?
ヤマト連合の奴国とか、そういう位置づけ
邪馬台国の中心は畿内だと思うわ
343 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 20:45:48.18 ID:L6cAOY0Q0
佐賀の旧大和町な
間違いない
てっきり萌キャラかとおもったら…
>>344 東方不敗と同じ声でしゃべる変態だったか?
>>338 >だいたい記紀にも神武が大軍を率いたなんて記述は無いんだし。
河内湾での水軍敗退は?吉備などで兵を集めて水軍を組織したってはっきり書いてますよ
紀伊に入ってからはゲリラ戦とネゴシエートと話がまるで変わるけどね
それと「明らかになった」なんてひとことも書いてないよ
ただもの凄く大雑把に言うと、九州内に3世紀の有力遺跡がひとつもないということと
九州に限らず広い地域を手中に収めていた勢力など存在不可能だということが判明した
これでは倭人伝記述そのものが疑われることとなる
また先に東征や東遷を示唆するような遺跡も遺物も、畿内に皆無であるというのも判ってきた
神武が手ぶらで来て現地の文化に一瞬で染まって、九州文化をまるで持ち込まなかったとも考えられないでしょ
更に当時の鉄器が実用武器に成り得ないことも判明した。鋼鉄が発明されていないので強度が足りないんだ
現在では九州から関東に到るまでの有力首長たちが、3世紀に入って活発化した遠隔地との直接交易のために組んだ連合が
倭人伝に言う「倭国」の正体だと考えられている
そこには支配者などいないんだ、各地が群雄割拠したままでの「緩やかな交易連合」だね
魏に女王認定された卑弥呼の正体は、その連合内における神官期間の長だよ
これは二元政治といい、フレイザーの「金枝論」にある為政王と祭祀王が参考になる
347 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 21:38:32.31 ID:L6cAOY0Q0
これだけ掘り返しても出なかった近畿はもうないだろ
未開発地域多数の佐賀か大分あたりに卑弥呼は眠ってるよ
349 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 21:41:42.38 ID:mCHjarqs0
>>224 wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
1.邪馬台国はどこにあったか。大きくは、九州か奈良盆地かで分かれるが、さらに、九州だとすれば、九州のどこか。
2.魏誌倭人伝には、すべて「邪馬壹国」(現代の漢字では邪馬壱国)と書かれていて、一度も「邪馬臺国」(現代の漢字では邪馬台国)とは書かれていない。これを、従来から歴史学界では、「壹」は「臺」の誤りとし、邪馬台国と呼んでいた。この呼び方の問題。
3.邪馬台国の卑弥呼は、魏に何度か使いを出している。このとき、使者は、魏王より鏡をもらって帰るが、近畿を中心に多く出土している「三角縁神獣鏡」が、この鏡であるか、どうか。
4.西暦240年ごろ卑弥呼は死ぬが、その後は「壹興(いよ)」という女性(女の子)が後を継ぐことになる。その後、邪馬台国はどうなったか。(歴史学界では壹興(いよ)を臺与(とよ)と読んでいる。)
5.4世紀から、奈良盆地にいわゆる大和政権ができるが、これと邪馬台国との関係があるのか、ないのか。
ワタル〜キャハハハ
邪馬台国は吉備にあったんだよ、近畿でも九州でもない
>>338氏へ 続きね
また纏向は2世紀末頃に突如登場する巨大な遺跡だが、ここでは各地の外来式土器が大量に出土しており
その中で九州のものは殆ど無い。実は不思議なことにこの纏向を主導した勢力というのは地元の大和ではないという見方が有力だ
初期には河内や讃岐、三河など、続いて吉備、出雲、近江、越前、遠江などが続々と終結する
そして3世紀後半(卑弥呼と台与の時代だね)には纏向発祥の前方後円墳が九州うにも出現する
同時に庄内式土器が北部九州を席巻する
この状態でも、何処も侵略や支配などしていないわけよ
単に連合契約を結んでいるかどうかだけで、結んでいない地域と敵対すらしていない
だが次第に交易連合に属する地域のほうが、物流が活発になってきて他を経済的に圧倒する
これが弥生終末期から古墳時代にかけての実像だと考えられている
邪馬台国がどこにあったかなんて、ちっぽけな話ではないんだよ
邪馬台国なんて単にその連合内の祭祀王がどこにいたのか程度の話だ
あと東征や東遷は3世紀の時点では物理的に実現不可能。その前など言わずもがな
先に書いたようにその痕跡がまるでないし、伝承にしても最大に遡ってもせいぜい6世紀初め頃だと考えられている
ちなみに神武紀にある日向は現在の宮崎県ではなく、福岡と大分の境あたりと考えられている
きっちり「筑紫の日向」と書いてあるでしょ
あとは前にも書いたとおり、ここ10年いや20年ほどの専門書を読んでみて
講談社学術文庫に寺沢薫の「王権誕生」というのがあり、95年のこの論文から邪馬台国論争は新展開を迎えた
安いし古代史好きには有名な本だからお薦めするよ
長崎のランタン祭りの提灯の飾り付けといい、すっかり福岡駅は九州の表玄関気取り
>>350 1,今やそんな二極問題では誰も語ってない、アマチュアのうち初心者のみが倭人伝解読ごっこに今でも夢中
2,自己レスだが
>>289が答え。イヨかトヨかも同様
3,三角縁が卑弥呼の鏡だと考えているものなど、今ではほとんどいない
画文帯神獣鏡も有力だが、今のところ確定していないというかふりだしにもどった状態
4,史料がないので全く判らん
想像したいだけならお好きに
5,大和政権の実質的成立は、現在では6世紀ごろと見られている
3世紀の纏向勢力を指して、プレヤマト連合や初期ヤマト連合ということはあるが
これは大和朝廷とは別物
古墳時代にあったのは、連合内におけるヤマト勢力(当時の最大派閥)だと見られている
>>338氏へのまとめ
たぶん「そんな証拠がどこにある、どこかの文献に書いてあるのか」と思うだろうけど
正直もうそれくらいしか可能性が無くなったに等しい状態になったってこと
ちなみに考古学者は誰一人九州にあったとも東遷があったとも考えてはいないと言っていい
高島忠平さんも本気で九州説を唱えているわけではない
更に言えば纏向が邪馬台国であるとすら考えていない人も多い
要するにどこでもいい、さして重要問題ではないというのが本音
ただ「邪馬台国」という呪文を唱えると、この不況下においても調査費が捻出され
地域住民も自治体も協力してくれるというマジックアイテムぶり
ちなみにこの呪文は吉野ケ里の時も散々使われたよね、今は纏向で使ってるだけ
>>347 佐賀や大分の未開発地域には道路も建物も農道も農水路も下水道もないのかい?
アマゾンの奥地じゃあるまいし、あんまり馬鹿にしてやるなよ
ちみが、ちっぽけな邪馬台国の話が大好きなのは分かった。
>>356 >更に言えば纏向が邪馬台国であるとすら考えていない人も多い
>要するにどこでもいい、さして重要問題ではないというのが本音
そこんとこは同意。邪馬台国を見つけるために掘ってる人とかいないよな。
纏向にしても、出てくる各地の土器の編年では、東海や瀬戸内が早く、次いで出雲、
九州様式の土器は一番遅いわけで、かならずしも
>>346の
>現在では九州から関東に到るまでの有力首長たちが、3世紀に入って活発化した
>遠隔地との直接交易のために組んだ連合が倭人伝に言う「倭国」の正体だと考えられている
にぴったりはまるわけでもなんだよね。だけどたまたま(あえて「たまたま」と言うぞ)
年輪年代法でドンピシャ3世紀後半という結果が出ちゃったもんだから、
引くに引けなくなっちゃった部分もあると思うw
>>359 北部九州の参画ってのは難しい問題だよね
ただ庄内式土器の分布から、そう考えざるをえないのかなということで
最初期から纏向創生に関与してかどうかはかなり疑問だねえ
またご指摘のように、年輪年代が更に話をややこしくしてる
もちろんご存知だろうが、上のレスはもうめちゃくちゃに簡素化して書いたものだから
実際は地域どころか同一平野内でも連合参画はバラバラなんだよね
そりゃあ昔の九州説や畿内説や東遷説みたいに簡単な話だったら楽なんだけど、そうでないから困る
>>360 実際は地域どころか同一平野内でも連合参画はバラバラなんだよね
そいや、門脇先生の「葛城と古代国家」(講談社学術文庫)は読んだな。
あんな狭い奈良盆地で二つの「国」が並立してたあたり、さすがに大和だなと。
サッカーのナショナルチームが、いまだにイギリスでは4つあるみたいな
感じだよなw
362 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 22:55:31.38 ID:Afa+uxd30
松浦から、糸島市前原町の方に陸行で行くなんてありえん。
常識的には松浦唐津で一息ついたとしても、
前原の方には必ず船で行く。
陸行であんなに行きにくいところもない。
松浦から佐賀に行くのはほぼ決定事項。
松浦に行くのは、少なくとも江戸時代から
小城、厳木、多久経由の唐津街道である。
363 :
名無しさん@十一周年:2011/02/20(日) 22:59:07.35 ID:wJpB3rCq0
邪魔大王国のヒミカが現れたと聞いてやって来ました
, -, - 、
,、 ,、 ,イ!〃 , ='‐ \__ト,__i、_
l T! Tl'lT_-r-、ィ_‐_7´ l l! l! |
l、` ` lヽ_lー〈!_,. - ´j _ -, !
\`丶!、l  ̄ l /,ィ ´ /
\ i、!  ̄ l´ ,ィ ヽ/
_ _ ,.l lヽ‐_7´ ll ゝ- .,, _ _
‐ ´// (! l! ll ll ノ // >'´ ``丶、
,',' ヽ、 !l__,.,. -'´ // / ヽ
i l 77 ̄ // ,' ',
!l l ! ,',' l ,. -―- 、l
>>361 これは日本史板でもよく言われる話だが
当時の支配体系を、三国志演義(三国志にあらず)や戦国時代と同一視して語ろうとする人って多いんだよね
これは当時の日本が遅れているという話ではなく、山間部や海に囲まれた無数の平野や盆地が点在する地理的要因が大きい
だから江戸幕府はまず陸路インフラの整備に心血注いで、その代わり各地の戦力を削いだ訳だから
>>362 まだ倭人伝に毒されているんじゃないかな
自分も唐津から前原まで陸路で行くとは考えられないというのには同意
だが倭人伝の記述そのものが当時一般的ではなかった、単なる方角報告を陸行だと陳寿が勘違いし編集したとすればどうかな
その方角にしても奴国に到るまでにどんどん実際の方角とずれていくわけだし
前原を外してしまうと、当時北部九州最大級の最先端地について何も言及がないということになる
また前原周辺は井原などから判るように、古墳時代になっても形を変えて発展し続ける
畿内文化の影響のもとにね
ここが伊都国で問題ないと思うよ、倭人伝の行程記述がおかしいだけ
東京名物ひよこを買うてきましたばい
>>365 ひよこ東遷説キター。
俺も当時は驚いたもんだが、だがしかし、さらに驚いたことには
その東京ひよこを作っていた工場は埼玉だったのだ。
つまり、どういうことか。当時の邪馬 (何らかの事情で回線が途切れました)
ひよこ東遷説ワロタ
そういえば福岡市(博多)と北九州市(小倉)も仲悪いんだよねw 福岡県内では
関西で言うと京都と大阪みたいな感じ
まあ北九州市はとんでもない八幡製鉄(新日鉄)城下町だった時期が長かったし
あそこの八幡製鉄を中心としたヒエラルキーは、聞けば聞くほど驚かされる
北九州が政令都市になった時点で、その3分の2近くは八幡製鉄の土地だったとか、もうトヨタすら足元にも及ばない
ただ食い物に関しては福岡は美味いと思うよ、新鮮な食材が押しなべて安いし
そして九州各県も鹿児島のキビナゴや大分のカボスやら、何処も美味いものが安い
宮崎も美味い牛や鶏がたくさんある、口蹄疫や鳥インフルなんて気にしてないから頑張ってくれ
>>367 福岡と小倉が仲が悪いわけじゃない。
小倉は博多が嫌いだが、博多は小倉を相手にしていない。
博多を小倉、小倉を黒崎と置き換えても同じ。
369 :
名無しさん@十一周年:2011/02/21(月) 10:01:30.05 ID:PjQNdXMl0
卑弥呼は畿内だろ(^_^;)
福岡人ってこういうことするから嫌われるんだよね。
新幹線が通ったら博多はスルーするわ。
福岡名物・明太子は元々朝鮮の食べ物だし、リアルに。
370 :
名無しさん@十一周年:2011/02/21(月) 10:02:13.48 ID:V+D70gnY0
>>353 筑紫の日向=筑紫国の日向は行程的に無理があるのと思う。
船軍で、宇佐→岡田→安芸→吉備→浪速、高千穂あたりが出発点でないとおかしい。
どちからかというと、いわゆる筑紫国の中心地を避けて行程を組んでる感じ。
磐井の反乱でもわかるように筑紫にいた勢力は最後までヤマトに抵抗していた。
日向of筑紫ではなくて、日向for筑紫なのでは?
こう考えると神武の行動の戦略的、地政学的意味が説明できる。
@筑紫にいる勢力と出雲の勢力の連合阻止。(沖ノ島の重要性)
A瀬戸内海の勢力との同盟関係の構築。
これによって、畿内に進出し勢力を誇っていた出雲勢力に黒潮文化圏&瀬戸内海勢力で相対したと。
ただし、出雲勢力が大陸や朝鮮の民族系統だとは思えない。
地理的関係から大陸と独自の交易関係を構築していたと。
鬼道の証拠が奈良で発見されたってこないだテレビてやってたけど…
372 :
名無しさん@十一周年:2011/02/21(月) 10:06:42.67 ID:V+D70gnY0
そして、淡路島なんだけど、徳島には秦氏系列のひとが多いということから、
秦氏が鉄を大陸から持ち込んで、紀氏と共同で淡路島でつくったのでは?
紀氏と秦氏の関係は京都の秦氏の根拠地の一つが紀伊郡深草であったようにかなり深かった。
藤森神社の境内地に秦氏の伏見稲荷がつくられたように、紀氏の庇護の元で秦氏は足場を築けた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%A3%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE こう考えると秦氏の半島や大陸での関係は、出雲とは別ルート。
半島の主力ではなく、半島から追われて日本にきた人たちではないのか?という推測もできる。
そして、鉄器とともに大陸の土木技術を持ち込んだのもこの人たちだと。
隋の長安では条里制とともに江南からの大運河も構築されていた。
紀氏というのは日本の歴史の上で大きな政治的意味を持った期間が短い。
ある時点で姿を消してしまったような感じもする。
日前・国縣神社の神主は紀氏系列ということだが、石清水八幡宮も紀氏と関係が深い。
373 :
名無しさん@十一周年:2011/02/21(月) 14:44:43.52 ID:RyvEXJYD0
ココでやこしい見解披露されても困っちゃうだろう?
マキムクだ!九州だ!福岡土人め!と盛り上がってる中でポツポツと披露するもんだろう?
おかげで沈んでしまってるし・・・
374 :
名無しさん@十一周年:2011/02/21(月) 14:51:03.59 ID:YFD0s4z50
ふう、九州の人間って精神構造が三国人と一緒だな、邪馬台国の場所は畿内でFAだってのに何の説明もなく巨大な像つくって印象操作ですかw
まあ大阪(畿内)から新幹線で九州にきました的な意味で捕らえればいいじゃない
376 :
名無しさん@十一周年:2011/02/21(月) 14:57:47.67 ID:9L9C9XLc0
穴はおろかハイパーも白ランプつかないwww
あの連打で死ぬわ
377 :
名無しさん@十一周年:2011/02/21(月) 15:01:37.17 ID:jbBb+fm30
この博多人形、部位ごとに焼いたんだろうか?
>>366 ひよこ東遷説ワロタw
俺も上京して「東京銘菓ひよこ」見たときは目が点になったわw
379 :
名無しさん@十一周年:2011/02/21(月) 15:15:55.96 ID:62ho0f4W0
いろいろ読んで、解釈して場所を考えて見るたびに
筑後か、熊本が、日向か、それとも薩摩か、なんて考える。
のだが、
そこで、なぜ奈良に行ってしまう人がいるのか
ちっともわからない。
こんな研究に金出すなと心から思う。
推測に推測を重ねて邪馬台国の場所を唱えても、それに推測以上の何の意味があるのか?
こんなトコに出す税金があるなら、自然科学分野に資金を注入すべき。
381 :
名無しさん@十一周年:2011/02/21(月) 15:31:23.19 ID:8W6b6GGI0
早く隠さないとチャイナにパチモン作られるぞw
382 :
名無しさん@十一周年:2011/02/21(月) 15:32:33.83 ID:Z9crNVLh0
383 :
名無しさん@十一周年:2011/02/21(月) 15:46:55.39 ID:62ho0f4W0
日本中で弥生遺跡が出てくるが、なぜ奈良に限って卑弥呼にしたがるのかもよくわからない。
384 :
名無しさん@十一周年:2011/02/21(月) 16:24:05.86 ID:PjQNdXMl0
l⌒ヽ、
i:: i : i
|:: | : |
|:(゚Д゚) <辛子明太子は韓国が起源!(リアル)
ノ(ノ:ノi)
`(:__ノ
∪"∪
福岡人っていつもは飯塚バカにしまくってるのに、
都合いい時だけ勝手に仲間ヅラして
「ひよこは福岡起源ニダ!」
とか言ってるよね。だから嫌われるんだよ。
飯塚バカにしてないよ
麻生のお膝元じゃないか
ひよこは飯塚起源だよ
386 :
名無しさん@十一周年:2011/02/21(月) 16:33:24.21 ID:5L0nOXgo0
387 :
名無しさん@十一周年:2011/02/21(月) 16:34:06.28 ID:C8tgO6XE0
親魏倭王・・・魏と仲良し
つまり
魏>倭>呉蜀
劉備ww孫権www
388 :
名無しさん@十一周年:2011/02/21(月) 16:35:56.57 ID:Go/TZJK+0
今のところ決定的な遺物は出てきてないんだろ?
じゃあ畿内でも九州でも或いは他の地域説でもいいんじゃね
ただマキムクだっけ?
あれがポイントだろうね
マキムクから遺物が出ればマキムクが邪馬台国
でももし出なかったらマキムク以上の遺跡が畿内にこれ以上あると思えないから畿内説は終わり
昔、岡垣上陸説はあったけどな
博多は関係無い
390 :
名無しさん@十一周年:2011/02/21(月) 22:59:14.17 ID:kInOXI7Z0
巻向168回(それ以上?)掘っても、邪馬台国に関するものは何も出てこないから、
最近は、ゴミが出ても邪馬台国だと言い始めたな。
果物の種とか魚の骨とか。嘘じゃないよ。
スチュワーデス卑弥呼
392 :
名無しさん@十一周年:2011/02/22(火) 00:36:33.50 ID:P5rYYbGL0
おい、おまえらもっと語らえよ、卑弥呼は天皇家の人間か?
それとも出雲系の人間?
オレにも分かりやすくプロレスで例えてくれ
393 :
婆 ◆HKZsYRUkck :2011/02/22(火) 23:44:56.44 ID:80PDVqTq0
おりょ、まだあったのかこのスレ。
>>364 うんうん。そいや大林先生は、まさに魏志を引用してこう書いてる。
> 戦国時代から江戸時代初期にかけての大開拓時代に沖積平野が大規模に
> 開発されるまでは、日本列島は今日とはかなり違った相貌を呈していた。
> 『魏志』倭人伝に、倭人は「山島に依りて国邑を為す」と記されているように、
> 山が海に迫ったところが多かった。
> そして海と山が相交わるところ、そこを山として捉え、神格化したのが大山祇神である。
大林太良「東と西 海と山 −日本の文化領域」(小学館ライブラリ)
邪馬台国までの里程の話にしても、そういう想像力を働かせて考えなきゃ
いけないんだろうね。ホメロスの「オデッセイ」にしても、宇宙の果てまで行きそうな
壮大な話のくせに、舞台はエーゲ海だもんなw
また萌えだと思ったらガチ伝統工芸か・・・風格はさすがにフギャの遥か上だわぁ・・・
あ、こんなこと言ったらだめだな。仏像もフギャになる時代だし、フギャと同格の風格とするほうがいいのかな
坂本龍馬が長崎でブームになるようなもんだからいいんだよ
福岡は金印が見つかってるし、大陸の使節は福岡(奴国)を通っているから
>>370 こまかい話はさておき、筑紫の人らと日向の人らが別集団だったというのは賛成。
外交駆け引きとか地政学とかはあんまり考えずに、なんとなく「行ってみよう!」な
ノリだった気がするけどw
>>395 奴国(あるいは不彌國(宇美町))まではガチだよね。
んでもって、そこまで行けば、旧201号線沿いに篠栗、飯塚に行くだろとか思う今日この頃。
超巨大 「貞子」のほうがインパクトあって盛り上がるだろうに
もったいない